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Title ヨハン・アーペルの法理論 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ

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Title ヨハン・アーペルの法理論 - 慶應義塾大学学術情報リポジトリ
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ヨハン・アーペルの法理論 : 物権債権峻別論の起源
水津, 太郎(Suizu, Taro)
慶應義塾大学法学研究会
法學研究 : 法律・政治・社会 (Journal of law, politics, and sociology). Vol.82, No.1 (2009. 1) ,p.385452
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-20090128
-0385
ヨハン・アーベルの法理論
l
l
ベルの法理論
ベルの生涯と作品
ベルに対する評価
l
l
ベ ルの法理論
ヌス帝 Ea なミesg全四巻への対話による入門』
太
ア
||物権債権峻別論の起源||
ア
はじめに
ア
ニア
「ユl スティ
『法 学 に 適 用 さ れ た 弁 証 法 的 方 法 論 」
l
「方 法 』 と 「 対 話 』
l
1
ア
2
3
おわりに
はじめに
j幸
げハド
由民
ベル(』各自ロ〉宮L
- お∞lHae--かれの名はわが国ではもとより、ドイツでもあまり良く知ら
水
ヨハン
E
V
l
)
w
ヨハン・ア
1
(
れていない。法制史・法思想史の側からは、人文主義法学の文脈で取り上げられるべき人物である。しかし、人
3
8
5
I
l
E55E
)」と呼ばれたアルチャート(krEBm
旨巳巳。)(イタ
NSFg
)(ドイツ)に関心を集中せざる
ペルに意を払う余裕などないのが通常である。他方、私法史・法解釈学の側からは、本来であれ
ペルの名を逸することは許されない。かれはパンデクテン体系の重要な構成要素、物権と債権の体系的峻
ア
dE ♀
リア)、ピュデ(の巳ロ
g 一
BO 回信念)(フランス)、そしてツアジウス(
l
をえない。
ばア
l
ベル研究がないというわけではない。数は少ないものの重厚な論文がみられ
U(
RZ。ロ∞当釘ミ)の存在があまりにも大きすぎるためである。
(司丘包江岳
別をはじめて提唱した人物とみなされているからである。しかしながら、この文脈でもかれは無視されてしまう。
サヴィニ
l
2
もとより、ドイツにおいてはア
)
l
るし、代表的な人名事典にはかならず採録されている。その他、特定の問題関心からかれを取り上げるものには
(
(
ベルを主題とする研究はなく、事典の項目からも外されてい
)
5
)
I
ア
ペルの時代と生涯
I
l
)、作品を順に紹
H
E)、これに対する後世の評価を分析・検討した後(町)、最後に、本稿がとく
(V)。
ペルの生涯と作品
)
に注目すべきと考える点を指摘する
ア
6
(
介したうえでその内容を要約し(
を描き出すことを試みる。そのために、まずかれの生涯を辿るとともに作品の成立ちをみ(
そこで、本稿では、主にドイツの先行研究に依拠し、テクストを読み直しながら、ア l ペルの法理論の全体像
なされるにとどまる。唯一、体系的関心からかれを分析対象とするものが目を引くくらいである。
4
る。のみならず、関連主題に取り組む論文のなかでもそもそも言及されないか、言及されてもごく簡潔な指摘が
(
3
8
6
文主義法学というときには、どうしても「三巨頭(
)
(
枚挙の暇がない。これに対して、わが国では、ア
3
1
)
法学研究 82 巻 l 号( 2009:
ヨ ハン ・アー ペ ルの 法理論
ア
たる
l
。
ω含
RcgEω)を完成者とする註釈学派、
dgEω )を最高の権威とする注解学派、この二
その現実的な要因は、 アックルシウス(〉
ペルの活躍した一六世紀前半のドイツは、二つの括抗する法学上の潮流が同時に進行・発生した最中に当
。
)とバルドゥス(回包含
。
その
ロ m-
マ法学、目。ω
w片5 (イタリア学風)を修めた学識法曹が、かれらにより施さ
マ法を法学教育、裁判実務などをとおして実際に適用していったことに存する
l
日ぇ25Z
一つは、 ローマ法の継受である
バルトルス(回 REgpω
1
つの学派により担われた中世ロ
れた註釈・註解っきのロ
進行がいちじるしかったのは一五世紀ないし一六世紀であり、その中間に当たる一四九五年には、帝国裁判所令
l
gg
。
イタリアを
ロ巳片 g に対する批判として現れ、具体的に
人文主義||古典古代の復興により神・人間の本質を考究するルネサンス
マ法をないがしろにする
。
(同
ωBERmo立の宮 ω。EE ロ肉)により、すでに事実上みられた学識法曹の進出と学識法の妥当性が確認されている。
もう一つは、人文主義法学である
期の精神運動は、法学上は古典ロ
は、言語と歴史の無知・無理解、釈義的・権威的教育方法、非体系的な法認識のあり方を論難した
半には最盛期を迎えた
。
ドイツ人文主義法学の代表的人物であり、
いわば穏健派とみられるツアジウスに対して、その片隅に位置し、
7
)
l
。
ペルの生涯をあらかじめ概観しておこう
ペルである
ア
O 二年)、ヴ
出生はニユルンベ
ルク(一四八六年)、主にヴィッテンベルクで学び(一五
。
急進派の最右翼と目されるのが、われわれがこれからみていくア!
(
ユルツブルクで逮捕事件を起こした( 一五二三年)後、ヴィッテン
3
8
7
起点とするこの精神運動はドイツに承継され、そこで宗教改革の開始と相まっていっそう先鋭化し、一六世紀前
アーぺルの肖像画句
法学研究 82 巻 l 号( 2009
l
l
ニヒスベ
(宮ω2EFC
一昨日百円)生誕の三年メ
後ラ、
ン
O|一五三四年)が、健康不良からニユルンベルクに帰郷し(一五三四年)、わずか二年
宮
2
コラウス
ZW。-
)、
(
mzω
gw)
)、芸術的な金細工師ヴェンク(〉自己仏当
l
の宮ぎロ)が生まれる一一年前のことである。父もまたヨハン(』各自ロ)、名誉ある富裕な織
ベルは一四八六年、 ニユルンベルクで生まれた。 ルタ
g
(口B
。E2ω 符 E2
ペルが育った家庭は裕福で上品なものであった。
(国258
ロ g
g
ロ乱。自国gS
(叩)
円阿国民E
長EH)がいた。
ア
l
ベルは当時の
エルフ
)が教授していた。こうした若き日の人文
ベルのその後の学問的傾向をふかく規定することになる。ヴィッテンベルクの後、
(
)
『対話』の記述から、当時の大学の講義の様子とこれに対するア
み
る
388
ベルク大学の法学部教授を六年間務め(一五二四|一五三 O年)、プロイセン法務長官として四年間ケ
ルクに滞在した(一五三
後、五 O歳で亡くなった(一五三六年)。
l
生立ちから修学時代まで
ヨハン・ア
ヒトン(司EE3 冨巴
物工であった。兄弟では
l
l
525ισ 日開 2NCZ 苛ロσ2mE
FER -
の異名をとったニ
3ロロの
ア
各々著名な宗教改革者シュロイプナ
妻となった姉妹が知られる。
)
S-
)のもと、ヴイツテンベルクで新たな大学が聞かれた。残され
一五O 二年の秋、学長ポリッヒ(冨 ω2EE --
l
の
8
(
】H
円高ロロg
ロa
ロg
ロE との名前がみられる。同期で入学したものには、
gkF
。g ロ
)
(
ω3EE)として知られるブルクハルト(の
た学籍登録簿の四一番目には L
のちにシユパラティン
9
(
慣例にしたがいはじめから専門教育を専攻することはなく、 いまでいう哲学部において一般教養を学んだ。当時
ア
そこでは人文主義者として名高いブッシュ
主義との接触が、
U
ルト、 一五一六年にはライブツィヒでも学んだようである。
き(の
i
ベルの不満のほどを知ること
ベルの修学時代がどのようなものであったのかははっきりしていない。けれども、われわれは幸運なこと
るさち
l
で、、
ア
に
カま
ヨハン・アーベルの法理論
ア
l
(臼)
ペルはその後ふたたびヴイツテンベルクに戻り、遅くとも一五二三年には、
l
ペルはかなり前から、ヴユルツブルクの司教座聖堂参事会員(同
M)(日)
(
に修めたいわゆる両法博士(号のさ三三宮 EEC25)となった。
ア
結婚と逮捕事件
ところで、
l ト
ローマ法とカノン法をとも
SSFwq)、司教コンラ
(問。Bロ仏〈。ロ吋F,
位口問。ロ
の)
枢密顧問官(国え55 に任ぜられていたようである。修学時代と重なっているけれど
フッテン
(国)
がマインツ出身の若い娘を妻とすると、ア
l
ペルはフイツシャ!とともに聖
ペルもすぐにこれに続き、聖マルクス( 2 ・
ア
WF4。ロ国三件。ロ
の)
親友として知られるフィッシヤ
(口町
も、こうした地位にあるものがさらに教育を受けるために著名な大学に赴くことは、当時においてはめずらしい
ことではなかった。同一の地位にある先輩に、
1
ペルに要求した。けれども、ア
l
ベルは逆に、『独
l トも
の貴族の家系に属する修道女と結婚してしまう。これらの秘密の結婚は情事として知られ、すべての都
l
FERF2 )がいた。二人の博士は似た者同士であったという。
ー(司ユ包ユの
)
mwR
しかし、 フィッシャ
職者として独身( Nggs の義務を負うことになった。
冨
l
市で公然のうわさになったといわれる。修道士と修道女が続々と修道院を去る事態となるに至り、コンラ
対処に乗り出さざるをえず、修道女を修道院に一民すようア
(口)
自の結婚のための弁明(匂《 PS守、さ句SS ミ高芯)』というタイトルの防衛文書を送りつけ、「有害な人間の律法
に反対して神の命令に基づく権利」を擁護した。人間の法と神固有の法では後者が優先するところ、独身の規律
l
ベルとフイツシャ
l
は逮捕されたのである。
ベルの妻と同僚は解放に向けて奔走した。そして、親族と友人はニユルンベルクにある帝国統治院
ア
はそうした自然法に矛盾し、かえって欲望の増殖をもたらすというわけである。しかし、これは首尾をえなかっ
l
た。二週間ほどたった後の一五二三年六月一日昼すぎ、
ア
丹)に対する請願(∞毛主仙の塁。ロ)によって状況を打開しようと試みた。そこで引き合いに出された
(同色。町向B。
g抱
3
8
9
1
)
法学研究 82 巻 1 号( 2009:
コンラ
l
トにア
l
zgmωZRE
回C
)である。
ベルを解放するよう命じたが、かれはこれに応じず、同年六月一
のは、聖職者の婚姻は監獄に入れるに及ばないという同年三月六日の帝国議決(何色。
帝国統治院は迅速に対応し、
ア
l
(四)
ペル陣営と司教との間で活発な手紙のやり取りが
四日には反対に、帝国統治院に対して、 みせしめのためにも法にしたがい手続を進める決心を固めたと回答した。
もっとも、この緊迫状態はあまり長くは続かなかった。
1
はついに解放された。ただし、かれらは復讐断念誓約(d民各号)を結ばされ、あらゆる
なされ、お互いが歩み寄りの姿勢をみせたからである。こうして逮捕から三ヶ月ほどたった同年八月二六日、ア
ーペルとフイツシャ
反対の権利を奪われた。その結果、職と禄をともに失い、都市を追放されることになった。けれども、結婚した
(四)
ア
l
ペルはフィッシャ
l
とともにヴユルツブルクを離れ、
一緒にニユルンベ
聖職者は当時、串刺しにされるか生きたまま焼かれたことを思えば、まことに寛大な処置であったといえる。
囚人から大学教授ヘ
逮捕事件後一週間ほどたった後、
はルベア
l
ヌス
l
l
ペルとは一五一八年、ヴユルツブル
(却)
ペルの bミ§足。を印刷するよう送り返します。これは非常
Zω 河口σg ロロ ω
(わさ
)から 『弁明』を手に入れると、その印刷版を欲したという。
ロ巴 σg)の歓待を受けた際に知り合いになっていたものとみら
Uh吋常認ミ)」を公にしていた。
ア
は一五一二年以来、創設問もないヴイツテンベルク大学の神学部教授、 一五一七年には宗教改革の幕開
l
ルクに赴いたようであるが、転機が訪れたのはヴィッテンベルク、その背後にはかの宗教改革者の尽力があった。
ルタ
けとなったいわゆる「九五ヶ条の論題(
l
クに聖堂を作り当時の司教ローレンツ(円。おロ Ng
れる。 ルタ
「親友クロ l トゥス、わたしはきみにわれわれのア
l
l
ガ
1
i
ニヒスベルクで再版されている。
(』各自ロ∞各
円o
)が若くして亡くなり、早
0当
2pm
の序言とともにケ
に敬慶で、大胆な、そして学識のある弁明というに値するものだからです」。一五二四年には、おそらくルベア
はルタ
ーヌスの配慮によるのであろう、『弁明』
ヴィッテンベルク大学法学部教授、シユヴェルトフェ
3
9
0
ヨハン・アーベルの法理論
l
ルタ
はいまや宮廷付司祭となっていたシユパラテインに相談
l
ベルが逮捕事件以来きわめて貧しい状態にあることを伝え、かれを推薦するよう提案した。「必要なの
急に欠員を補充しなければならなくなったとき、
し、ア
l
ベルにお嫁さんがいることが公的に
はわたしがきみにその男を紹介することだけど、きみも知り会いなのだから、かれが講義をうまくやるだけでな
く、敬慶でキリストをふかく思慮していることを知っているよね。:::ア
雇用することの妨げなのなら、 いっそ他人の名前で講義することもできるし、俸給は秘密に渡せばいい。しかし、
l
(幻)
、シユパラテインをはじめとする多くの支持を集め、
一五二四年、ザクセン選定候・賢明侯
Ea 立与己 24司包括)より、ヴイツテンベルク大学の教授に任ぜられることになった。
(司
ペルはルタ
(泣)
わたしはきみたちがいつも隠れてやる必要があるとは思わない。それでも反対するものは非難するし、異端者の
l
便宜を図り、支援するのは正しくなしうることだから」。
ア
フリードリヒ
l
ヨ
I
ナス
l
ガーから引き継いだのは、巴合 S芯(学説葉纂) の講座であった。しかし、これ
一五二八年に軽減措置がとられるまで、
ア
l
ベルが担当し続け
r教皇令集)の講座も担
25』。ロ
(』ωロ
) の代わりに bRwd
設さ(教令集)および URWGHb(
ωω
ペルがシユヴェルトフェ
ヴィッテンベルク大学時代の活躍
ア
と合わせて、
当した。 ローマ法とカノン法のこれらの講座は、
28
)を務めている。
ベルの俸給は当初は年四 O グルデンであったが、
一五二五年、
フリ
ドリヒの後を継いだ弟、堅忍候ヨハ
l
た。行政面では、 一五二四/二五年の冬学期に学長(問。wgss
、その後一五二六年、 一五二八年の二期にわたり
l
学部長(ロ
ア
l
ア
l
ペルの俸給をもう一度倍増させたうえ、
ベルはすべての法学博士のなかでほぼ最多の学生・聴講生を集めていることを理由に、なおさらに一O
(』各自ロ品。g
円s
一z回-向。)はこれをO
八グルデンに倍増させた。大学側は選帝侯への感謝を怠らなかったもの
の、ア
グルデンの昇給を要求した。選帝侯はこの要求にこころよく応じ、
3
9
1
ン
l
(お)
ペルは学向上、 一人の人物から多大な影響を受けることになる。
イウス
l
l
ルタ
l
の終生の
ナ、九月から翌年四
ベンに移転された。学期中に正規の
ssvおな
ペルはなにかをしなければならないと思い、』まえ凡
l
スティ
l
ニア
i
ヌス
E2FESg )帝のテクストである。
(
(の巳ロ
) のテクストが発見されるのは一九世紀のことだから、
ω
ア
l
6528ZS 」と呼んでいる。
(お)
QraSMSS )』を公刊していた。
ベルより先に学芸学部のギリシア語担当教授と
メランヒトンをみずからの「教師
l
イウスをもとにしたユ
l
ついには折れて多くの聴
ベルの学問的能力をたかく評価していたものとみられる。 一五二七年の終わ
REB わω505Eg
リウス(』。
)にこう
ベルと接触しようとしたことがあった。こ
l
3
9
2
しかも現在のところはここまでとの含みを持たせたという。
ヴィッテンベルク大学でア
l
友人・支持者であり、学制改革の担い手・「ドイツの教師 6520Z2m258E)
O」、人文主義者として知られる
メランヒトン、その人である。メランヒトンは一五一八年、ア
(部)
ある。
一方、 メランヒトンもまた、
l
ニユルンベルクの人文主義者・詩人カメラ
ニユルンベルクの市参事会(河旦)が引き抜きのためにア
れを知ったメランヒトンは、
りごろ、
ア
講生に=冨 agesιsznFMggt 。訟を説くに至った。のちの「方法』はこのペスト時の講義に由来するもので
ーベルは大胆な企てが同僚の不興を買うのをおそれ、はじめは反対していた。しかし、
ある。こうして行われた講義は大きな人気を博し、大学都市に戻ってからもなお継続するよう求められたが、
新たな着想はそこでの教育経験から生まれた。それは、 メランヒトンの弁証法を法学に適用する、というもので
l
(法学提要)を解説することにした。ガ
講義を行うことなどもとより不可能であったが、
月すなわち冬学期いっぱいの問、ーヴイツテンベルクあたりの小都市シュリ
一五二七年夏、ヴイツテンベルクでベストが猛威を振るったとき、大学は同年八月イェ
ーペルはのちにこの書物とともに、
ミ旨忌
して着任し、 一五二 O年には画期的な書物「弁証法論綱要(会選、 shm
)
対象とされたのはもとよりガ
ア
ア
M
(
1
)
法学研究 82 巻 l 号( 2009:
ヨハン・アーベルの法理論
l
l
i
l
ベルをわれわれの大学から奪い取らせることなど、あって
ベルと市参事会との交渉は不成立に終わった。
ベルの活動は大学内にとどまらず、教授就任後ただちにザクセン選帝侯参事官
の助力もあって、ア
宣言したという。「わたしが思うに、われわれがア
(幻)(却)
はならない」。ルタ
ヴィッテンベルクでのア
・メランヒトンとの親交
i
はカタリ
l
ルタ
ペルには各々三人の息子と娘があったが、いずれもア
l
ロ図。B)と結婚した。この知らせ
は思い起こしたことであろう。
ア
l
i
ベルを
ペルが数
ペルを気づかう心のこもった手紙を綴って
l
一五二六年七月、学
l
ゲン (』。Fm
ロ
回ロ
口問。ロFmmク
oラロ
ナ)、
σω
l ハ
ラ(同巳EEgg
l
がこの重要な行為の数少ない証人としてア
ゲンハ
l
l
ベルより先に他界している。
ベルがニユルンベルクへ出張に向かっている聞に最後の子であったまだ幼い娘が病気で死亡し
リウスに、
ペルはもうきみのところに到着したことでしょう。お願いがあります。
l
ベルはほとんどわれを忘れんばかりになったといわれる。この悲劇的な結末を通知したのはルタ
l
l
ペルに尊敬と友情の念を抱いていたのかを示している。ア
ベルの三人であった。
l
l
ナ・フォン・ボ
WC片町民ω己
円仙のFO
円周 ω
(
件)、
一五二九年秋にはヴイツテンベルク荘園裁判所陪席判事(回巴 ω伊丹
NOES 国広向。丘各丹)に任ぜ
l
られた。
ルタ
(却)
一五二五年六月二二日、ルタ
l
は当時大きな話題となったが、結婚式に招かれたのはブ
(戸口
gω 開店ロmS)、そしてア
選んだという事実は、 ルターがいかにア
l
年前、不利な情勢において同じ行為を敢行した勇気を、ルタ
ア
l
部長であったア
たとき、 ア
であった。
l
メランヒトンはこのとき、受入先であったカメラ
いる。少々長いが引いておこう。「ア
かれを受け入れるときに親交の責務を怠らないでください。きみも知っているとおり、かれは学識を有し、われ
われ[すなわち人文主義] の学派に属しているために、同僚からねたみのようなものを受けています。目下とて
3
9
3
法学研究 82 巻 l 号( 2009
もつらいことが起きました。かれは小さな娘を亡くしたのです。わたしはいま、かれが家族の多くを失い、その
強い心がいかに引き裂かれ、この苦痛には耐えがたいであろうことを知っていますから、キリストの傍らできみ
i
l
g)の法務長官(同gN
己認 Ekrg♀
ベルと別れた後、プランデンブルクで職をえ、その後
に相談したが、すでに意中の人はア
円四百-ゅ2
の5立
zの
。
l
ベルと決めていた節がみられ、
を講述したという。
E
岡山巳の
)構成員に属し、当時大公は裁判権を行使し
ニヒスベルクの地を踏んだ。プロイセン法務長官の地位はとても影響
E2
・
にお願いします。どうか親愛なる助力、心遣い、かなうかぎりのあらゆる慰めをもってかれの苦悩を和らげてあ
げてください。われわれの仲間はここで伴侶のふさいだ心をいくらか元気づけるためにあらゆる骨をおります。
(却)
かれは心配しないようですが、娘を失った悲しみが気持ちを滅入らせるだけで、心はふさいでしまうものでしょ
う」。ア l ペルがヴイツテンベルクに戻ってきた後にはこう書き留めている。「すばらしい人の悲しみをわれわ
はア
(幻)
れができるかぎり和らげること、これがいまのわれわれの使命です。けれども、真実に即していわなければなり
l
一五二九年、当時流行していた結核によって死亡した。大公はすでにルタ l派に改
ニヒスベルクに赴き、プロイセン大公アルブレヒト( EF 諸島 20 ロ回SEgσ
l
ませんが、かれはこんなにも大きい喪失を高尚な精神をもって引き受けているのです」。
プロイセン法務長官の重責
l
ところで、苦悩を分かち合った先輩フイツシャ
ケ
-2)に任命されていたが、
l
ベルはケ
3冨 ZZES
も大公への協力を惜しまない旨回答した。こうしてヴイツテンベルクを離れることが決まった当時、アー
宗していたところ、後任を捜し求めてルタ
ルタ
l
ベルは旅立ちのまえにもう一度、
(沼)
一五三 O 年七月一 O 日、ア
力の大きい重要なものであった。大公枢密顧問会(間各巴
ア
l
ベルはただちに大公の信
たところ、大公の判断・決定を作成するのがその主たる業務であった。しかし、こうした司法事項だけではなく、
法学あるいは学識を前提とする行政関係の仕事はすべて法務長官の管轄とされた。
3
9
4
ヨハン・アーペルの法理論
頼を獲得し、
ア
l
ベルの助言・紹介であればその多くが大公に通ったといわれる。けれども、二人は形式的な雇
ペルはケ
l
E
ペル
ペルに勧告した。そう
ペルを出し抜き、著作の正確性と著者の名誉を傷つけるおそれが
l
は多くの聴講生により何度も書き写され、その複写版はい
Ea むミ泣きS とはまったく異なる配列がとられ
ニヒスベルクに滞在している問、当地の図書館で S ミ SEa 千
I
用関係で結ぼれていただけではなく、その聞には真の友愛のきずながあった。大公の置かれた状況はけっしてう
i
らやむべきものではなく、むしろ内憂外患の状態にあったが、そうしたときに大公が助力を求めたのはア
だったのである。
のちにみる『対話』によれば、 ア
設立。ミミ還を発見したとのことである。そこでは一般に知られる
。
ており、このことが自己の体系構想の支えになったという。
『方法』出版の決断
sιSF2 片23t
ア l ペルが講述した 3冨 2Fa -
l
まやヴィッテンベルクを超えて広く流布していた。友人たちは出版を考えるよう強くア
しなければ、私利私欲に駆られた印刷工がア
あったからである。著作権の保護がまだ欠けていた時代であった。
(吋
』を公刊してい
E。
srhQ)
RG
ペルというギリシャ画家により完成されていないコス島のウェヌス
[ピl
nzEEω (
USEgg -m
)もいた。かれは人文主義一流の表現をもってこう
勧告者のなかには、すでに同様の傾向を有する弁証法的作品「法律のトピカ
l
た人文主義法学者、カンティウンクラ(
なだめたという。「かつてだれもア
l
(犯)
ベルの筆になる卓越さには到達できないのですから、こ
ナス] の身体を仕上げようという勇気を持ちませんでした。その顔の美しさがあらゆる芸術家にそうしたことを
企てる希望をなくさせてしまったからです。だれもア
l
ベルはついに公刊を決意した。
一五三三年四月一日、外交交渉の際に知り合いになったポーランドの司教
の完成まで後少しの作品を仕上げるものはどこにもいないでしょう」。
ア
3
9
5
法学研究 82 巻 1 号( 2009
Bm2 国巳
g
昆
2
) の匂合 SE 校訂版をもとにしてさらに改良をかさねた。
チョインスキ(』 gngEωE )に献呈の辞を書いた。しかし、ただちには脱稿しなかった。以前から増補してき
てはいたが、言語学者ハロアンダー(の
札RNR雪
H印 SS
ミ SS ミ一ミささき怠芯選選。色町宮)』は、
あとがきの日付には七月コ二日とある。公刊を正当化するため、タイトルの裏面にカンティウンクラの勧告を印
刷させた。『法学に適用された弁証法的方法論(足立ぎ&S
S335 )より刊行された。 一000 部あった初
一五三五年の謝肉祭ごろ、ニユルンベルクのパイプス(司ユ包ユ
版は同年の聖霊降臨祭の際にはほぼ完売状態になったという。
l
ペルはケ
l
ニヒスペルクにもながくは滞在しなかった。自身と妻の健康が害されたからである。荒涼な海
故郷ニュルンベルクヘ
ア
l
ベルはもはや以前のようにこれを拒絶しなかった。
風が健康によくないと考えた。温和な故郷の山々への郷愁が夫婦に呼び起こされた。一五三四年春、 ニユルンベ
ア
持母円司 5550 )
ベルは都市裁判所陪席判事(〉
gσgZ25
ベルの年棒を三 OO グルデンにまで引
g
ペルはニユルンベルク市参事会顧問(同己保 82FE )および弁護士(問巳 gを兵旦)の地位につ
l
l
アンスバッハ辺境伯・敬虞伯ゲオルク(の
H
ア
ペルを引き抜き返そうと試みたが、 ニュルンベルク市参事会はア
アルブレヒトの兄であるプランデンブルク
l
ルク市参事会よりあらためて打診を受けたとき、
’- 0
同年九月、ア
、a
l
U ナハ
・
はア
き上げ、さらになお実務による収入も付加してこれを阻止した。
i
l
ペルはいまでも大公が自分の主人であ
ペルがいかに細やかに大公の面倒をみていたのかが示
ペルは大公と対立するドイツ騎士団の動向・工作についての監視を怠らなかった。
ア
ベルは新たな地位についても大公との親交を絶やさなかった。
l
ア
2包仲間
2wE )にも就任した。帝室裁判所陪席判事( KF8222日間色各 ωE552mo
のE
宮)も引き受けるよう要請さ
l
れたが、これには意欲を示さなかったようである。
ア
ア
るとみなしていた。両者により交わされた手紙には、
されている。とりわけ、
3
9
6
ヨハン・アーベルの法理論
大公はア
ア
1
l
カメラ
l
リウスがテュ
l
ビンゲンの招聴に応じたと
リウスと旧交を温めた。人文主義のきずなで結ぼれた二人は
ペルのこうしたすべての配慮に心より感謝していた。
l
ペルは重い熱病にかかり、この発作はその後何度もぶり返していた。
(剖)
ベルは病院で大公宛に手紙を口述した。「わたしは全能の神の宿命によりふたたび病床
一五三六年一月にはいつ
ペルはひどく悲しんだ。帰郷当初は快方に向かっていた健康がふたたび悪化していたこともある。すで
一五三五年の夏、
l ペルはニユルンベルクで、とりわけカメラ
l
多くのときを一緒にすごしたといわれる。
き、ア
に周年の春、ア
l
たん回復したが、その後はみるみるうちに悪くなった。
同年二月一五日、ア
(お)
に伏しました。自分の手では書くことができません」。それでも恒例となっていた政治・宗教情勢の報告は欠か
しの遺骨を永眠させる
l
ペルを
誉に導いた/いまこの墓石は父のそれとともにわた
ためである/プロイセンはわたしをきわめて高い名
思う/数々の法律がたくみに語られるのはわたしの
フランケンは敬慶の証しであるわたし、ア
2 ・河RFg )墓地に埋葬された。墓碑銘にはこう刻まれていたと伝え
(
一五三六年四月二七日、齢五 O でこの世を去った。
さなかった。四月一一一一日、大公は応える。まるで自分のことのように心が苦しい、「快復を神に懇願する」。け
ベルはニユルンベルクの聖ロクス
れども、もはや大公の望みには応えられない。
l
(部)
ア
られる。
r
司同
m.
wHEmgゆ
oロ
ω江
巴
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5
22Z 自立 ogtωk
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。円四
、moωm
目W
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司 O円 B0 ・AZ
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σ・
口同ロア
m回w
0
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胃即日
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3
2
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pgEO向日件w
・
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呂田
3
9
7
晩
年
1
)
法学研究 82 巻 l 号(2009:
、品可守ミ、
であるランゲ(』。冨ロロFgmo)に渡した
ニア
l
ヌス帝 Eash泣き
S
。
。
アlベルの法理論
l
が遺 言 を執行したところ、
ア
l
。
義兄
ペルの手
そこでは 三人の対話の形式で Ea 凡なえ守
32
1
ペルは遺 言 で自分の妻を単独相続人に指定した
『
対話 』 の発見と出版
ア
。
弟のシュロイプナ
稿がみつかった
が解説され、従来の教育・学習方法に対する批判とともに新
。
-2)は、これを宗教改革者・人文主義者
。
(訂)
たな体系構想が提示されていた 作成の経緯ははっきりしな
(〉ロ2
骨5R
ヴインクラ
。
はこの助言にしたがい、一五四 O年、『ユ l ステ
ペル亡き後五年を経過した時のことである
。
われわれはランゲと
pb
怒鳴芝、丸一内
返。
還怠喝さ凡さと凡S
マE 急雷同守護選
h
l
ランゲは誤植を訂正した後、この作品の価値は非常に高く、著者の名
。
(犯)
l
の慧眼に感謝しなければならないであろう
ア
全四巻への対話による入門(
誉になるといい、これを印刷するよう提案した
ィ l
I
&ミ』『遺』マミ』
ミを
ミ公
な刊
)した
民同弘S
』H『
S
h
ヴインクラ
E
『
法学に適用された弁証法的方法論 』
全体の概要
l
一般には、一五 三四年以降すなわちニユルンベルク時代に起草されたとみられている
アーペルの眠る
複写版を手に入れたプレスラウの印刷工ヴインクラ
し,刀
聖口クス墓地権2
3
9
8
ヨハン・アーペルの法理論
。
(却)
。
。
両書の関係は『方法』が『弁証法』に依拠するというにとどまらず、『方
(紛)
その構想は、メランヒトンが『弁証法論綱要」(一五 二 O年)で示した弁証法を
『法学に適用された弁証法的方法論』は、ヴィッテンベルク大学時代、ペストが流行した際の混乱のなかで行
われた講義がもとになっている
法学に適用する、というものである
法』はまさに 『
弁証法』 の「直接的影響下」にあるといってよい
(
l
。
『弁証
したがって、かれによれば、およそ教え学
。
その問いとはす
第一章仏え EE 。(定義)、第二章仏吉区。
ペルはメランヒトンの発想を法学的素材に適用し、『方法」
。
(類似て第六章
gES
ユロ自(対立)、第七章。守
(状況) メランヒトンの四つの問いに対応するのは第
HH
5
25 (作用)、
(区分)、第三章ggm 丘町EOB (作用因)、第四章丘0町
を七つの章に分割する
ア
0
cωの四つである。
E同
m2w
凶 ccs。民片swωOCG同
(
川知)
・川 050310p
なわち、川 CE円四位ご2 ・ωρgO852ωFE
四つの問いが繰り返し追及されなければならない
にかを想起させ、講義の過程を道しるべのように指し示す、以下の
び評価する際には、当該素材を叙述するときに顧慮を要するのはな
というように表現する
それがなければあらゆる学問的素材を秩序づけ教授しえないもの、
法』はこうした意味での「弁証法」を教授法の観点から捉え直し、
。
かなう(同。m
-q片町昨日開)」の意味であっメ
たランヒトンの
(必)
。弁証法。という用語は当時においては論理学一般を指示しており、「弁証法的(島区岳彦各)」とは「論理に
)
(
。
)
第五章包出
25ωSEHS
3
9
9
HU
『法学に適用された弁証法的方法論』表紙と本文官頭頁句
1
)
法学研究 82 巻 1 号( 2009
ア
l
ベルメト
24
l
(必)
デ」は、われわれの言葉に翻訳すれば、始めの四章は各々「概念(回高丘町向)」「分
司自円四件。)」と「相反o
(m
開g
口m仲
)」と「消滅
g間
ZN)
Z」、内容的には「限定(回g 各忌ロ wgm
-
EE 冒& 24司Eg お)」に対応し、残りのうちの続く
m」「内容または効果(
sm )」「成立(開三ωZFg)
H
一章から第四章(順に川同凶凶)、第五章から第七章はアl ペルにより付加されたものである。このいわば「メ
ランヒトン
類(開EE
二章では「相似(〈
ggE
?言。存自己)」が取り扱われる。
(必)
町
または放棄( dE2mgma2K丘F
5σgm
)」、最終章では「修正事情(BaENF20Eod自己管号)」解り易くいえ
ば「法律要件のメルクマール(足手
l
ペルが典拠につき卓越した知識と
ペルは末尾で付録として一つの見取図を提示する。そこでは物権と債権の体系
l
メランヒトンと比較した場合、 ア l ベルの独自性はまさに弁証法を法学に適用したところにみられる。各章に
おける説明の際には法学上の例が適切に選択され、その選択の仕方からはア
ア
理解を有していたことが示されている。
こうして本章を終えた後、
的峻別に相応する構想が描かれている。
ア
l
ペルの体系構想の理解にとって必要ないし有益
以下、具体的にみていくが、『方法』本章では、各弁証法的カテゴリーとその法学上の意味・具体例が一つひ
とつ詳しく説明されているところ、本稿ではこれらのうち、
なところに焦点を絞って考察していくことにしたい。
民8tm ([種]差)g、胃℃ES (特質)、宮己品ω。
(類)8
、2Fg(種)、仏2
(ロ
兆候)。そして、
33
民は
02
叫には含まれない。同】円。司ユロ2
ヨ0で
円52 丘町宣告出が表され、また、
(類)、もう一つは円2
四0
日EE ([種]差)」。した
(釘)
が与えられる。 mgg
22
がって、胃。古江B口-R 巳仏gω は冨
(部)から構成される一一つはmgg
「仏丘M
町E。は二つの冨
第一章では、門町内百件目。につき次の枠組みが提示される。すなわちE
、Z母
。出
円巳の際には五つのきのゆω (評価)
第一章・第二章
4
0
0
ヨハン・アーペルの法理論
(必)
は二重の意味を持つ。 一面、gggEE
mwREロOωとは己完ロ gzmDEmo
にほかならないからである。
門町出口在。を構成するこつの部のうち
、g
mg
として日常のそれにつき
-
ω宮-
が存する
(実体)A
、gEEg (量)、
mgg
習のぽωを他の
ω
ミ(樹木)、出
g
円己2ω
Z片
B (不法行為)、
(契約)、仏己
R
Rσ
ω巳 B巳(動物)、
28tm は、一の
BEt。(関係)と同じく、 一般的一次的ないし上位にあるが、他面、より上位の
scmwE
(g
質)、
mgg
場合もありえ、そうした際には下位に格下げされる。もう一つの部、岳民
ag から区別する指標である。たとえば、
宮 ZS (所有権)、
gE525
(花)、法学上のそれにつきZZE (後見)、色
B。
B。
EES -gE52
zzzw《目
ω (法)をおいて
(全)を冨22 (部)に、mgg
己ωOR・のうえに冨
E2cg (窃盗)、E
mRE
。釘巳芯ロmECSE2 (自然債権)、
。ロ巴宮(対人訴権)である。そ
ω
。ロ唱。吋
(本来所有権)、
立。(訴権)が挙げられる場合には、80agに定位されるのは各々、前者については町。ョ。(人間)、
5
、
mwRZロωω(水仙)、後者については
ZZEZωSBO 己 RE (遺言後見)、品
。Ese525U
(オl ク)、ロ
B吉
命日宮5228
(却)
して、 mgg の相対性を理解するには試みに、
みればよい。
(印)
続く第二章では、 et巳。の仕組みが明らかにされる。「己吉区。とは、ZZE
(類)を弓oag (種)に分割することである」。したがって、島三位。は二つの意味を有するが、[専門語では]前
弓
5
(肉体)、
32E 。される
g -Bm (精神)に
σg (午)、
ι22Z される。後者につき、色。BEEB が
。(人間)、g- (ライオン)、
oag己 ω (馬)に
8
者を富江主。、後者を門出三位。という。先に挙げた例のうち、日常のそれと法学上のそれを一つずつ取り上げて説
55
明すると、次のとおりである。前者につき、 SF自己(動物)は
とともに、目
g
弓
5
巳日
・ω
ω
RES
円
-
S 巴と品。富山口ナ
と乱。BEEse
と唱円。司
σgwOD-ω
E
2巳
mwpg昨
cRES -また、F。BP -2 ・
B【
E目
EB
(本来所有権〔上級所有権〕)、
。E 口。(利用所有権〔下級所有権〕)に分けられる。ω巳
丘 22cω (用益権)に、また、 ei 巴。されると、品。BEEB 円四即時。。.
32ZZされると、官。古江主mwω
(処分権)、ω
己
ZB
ロヨにおいて、
4
0
1
克己
ω
g
ω
克己
g
と
丘町Eog
E
(日)
(境界線)が引かれる。すなわち、個々の司ωユ g はさ ZS に組み合わ
mgg に属するのみで、
。EEB と呼べば誤りであ
にほかならない。同}円。
g官
p庁
gc 同225 を門戸B
SEEB と。豆仲m
z
。のそ
の性質を分析する。諸々の S 己gmA片付ぽロωを挙げた後、品。
間
C20は同じく色。BEEB と正しく語ることができるのは、このことを示したものである。
ZB
はまったく異なり、それらの共通の指標を指し示す上位の
の間には、 3eRユ 58
B。
EESC20 は各々同一の役割を演じているというわけである。
内目
冨 22 と
されているが、個々の
52cg
いわば 82 -g それ自体がすでにぎ
るが、全
gcg
第三章・第四章
第三章は、
(契約)を無造作に混同しないよう注意を促すことを習わしとしている」。それはこういうことであ
(回)
ESDE 乱。
BEEB (所有権取得方式)と
れにつき注記する。「ここでわたくしは市民法の学習者に、自。含ω’
品
m
w。
gE525
gcg
出向ω立。巳ωである
σ
。
385 包括
B 。g
(回)
Eo
(遠因)
g
gcg
85m
と。
与色。 Z5
σ
ロ包江。との聞
広州民芯ロ戸すなわg
ちE525
。E
B内
E目
EB
包宮ー町。ロ庄
。
B 。門吉
ω
の区別が重要である。
一つは、
385m
E
℃円。包ω自(近因)
己色。zgzag 巴と品。szEBegB の聞にも、共通すると
号 BEE である
巳 525
gcg
SEES -他には。立石巳芯があり、一によっては
百円向2
。E (真の完全)が、反対に2(
一には色。
8 )、
AZS己mgH
もう一つは、
SEBロ門出色S。EEB として、可
mw
(留置)についても同じ理があてはまる。こうした場合、目。仏g を具備したものはたんにそれのみで
B 。《山
ω口
m己
w
BZEZ
4
0
2
F】
O
ロ円
位。
。。
(把握)、
己主。(引渡し)が行われる場合を想定しよう。州壱円
所有権取得理論の分析の際には、次の二つの
ころはなにもない。
にも、また、
2ACmgが存するのである。したがって、
w。
EB ロ庄内田
B。
EES が、他には、ggm
念日 EF すなわち目。 ιgm品
2ω (不完全な物)が現れるであろう、これに相応して (ロ件:・芹ω:一
・に
)は
、、
他によってはお三自目指一0江
る
1
)
法学研究 82 巻 l 号( 2009:
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(巴)(呂)(邑)
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modus やさ F fJ 小,_)~区15主化J!と小 e さ単制蛍 ~~~J ’「毒~~,.
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吋包 P
~{陵情為似引が~~:!:主士R :」吟 ~.1.-6 小布市益課告さ思tt~ 単撃の !.1 墜♂~,. ~~~~~否思tt~'M "医長認匪w.tt ~畿とよさ~ f
Je 盛 ε
~布;L Al ;二小兵士手.J~~o ミヨ~~容や !.1 t
i~ ~ fil[者全込 causa e 報」足早.J ;宥!:"'" ,_)~誌のい’ causa e 刑君事世田都豊平J
e世
相帽叫世
ムヘて l ト・入〆ヘ m
的(}叩
1
)
法学研究 82 巻 l 号( 2009:
はなく、三段階となる。
-
z
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い・ 22 冨 tAYE5EFm
BZ
・円目
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と。
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.
E
(臼)
出z
-H・5 -i ロ門g
gcg
の重層性に対応するかたちで、。内向
2。
5 もまた重
(日)
Bam が属する。一つは、。
Z釘中
己色付Z52sg -巴には二つの。
E応 SZ につき、
-zS (義務)とも呼ばれ、様々なそれが挙げら
第四章ではこれに続き、。同0
同25 が説明される。。同同
025 は。 BAN
れるが、注目すべきは、品E
。ZEB
層的に捉えられていることである。「gE525
Fゅ
Oの
包吉
-
立。を生む(富江g 同)こと、もう一つは、可包Epmw
ωZL28z
。を覆う( 22EE )こと」、「目。ω門
ロ
古田)吋
(臼)
z 。である。
0内
25
SEBロ佳色。日吉ES (所有権取得方式)のめ
向 は品。BEES -品B
。EES 自体のそれは円包乱ロ門g出
のは、 eSEES
gcg
ロ
のそれといわば表裏の関係として描かれているのをみてとることができよう。
(印)
E
5
として次のものが指摘さ
ユ CHFすなわち事物との吉一mgB (対立)を検討する。色
E。
Zg
(除去する)それである。たと
E
EZ (弁済)
などが挙げられる。
(肝)
E
(公共物)メ後者につきLS 仏在。(引渡し)など、また、
20
の説明のために二つの視点が導入される。すな
の gESE
(準所有権[善意占有]および特別の物における権利[質権・役
(家長)唱E
。釘町民吉(債権
で
あり、各々包出
)
E
582525
BE5
(所有権)・含
BE
れる 03内宮内包品
。ES2ZZ
855
EWZE222
権・留置権])
家長]相続人) -LZEtg (衡平).
これに対して、第六章は、
3
0
J
(奴鵡すといった説明がなされ
、口B
己後
CB は 3ω025
gた
E江
L285555ω
わち、生じるものを宮 60佳店(阻止する)それと、反対に、生じたものをぢロ
えば、色。BEEB であれば、前者につき
出向丘芯であれば、前者につきもロ℃巳
後者につきも♀
5 (未成熟者)EW
σ
。
-
M、
Fえ
gω
第五章は、州丘Z
町0・言い換えれば、 ω-s巴宮内目。一(類似性P)
(近親性)を取り上げる。とくに検討される
第五章・第六章
ここでは、民同025 の構造が
E釘 mEZ
gECB 己冨(名誉致損)のえな
25 は。σzm
巳 g ・。
自体のそれは RE 。℃2ω。ロ色町である」。
。自主5 (売買)、
4
0
4
ヨハ ン・ アーベルの法理論
る
2
第七章
買
は ggg
に内在する
注目gBgg
ω
mの
w包含gEg
ロ20g
(範曙)とは次の点で区別され
である。こうして巳月己 BωSEEσは印象深く、かの韻文3CCFF
可Z
己宮から分離された mwREgωEmw
mRZであるが、これに対して、己円。ロg
自t己・
最終第七章では、巳 RCBωSESoの内容が展開される。これは胃 segggg
。
は gggES
385P
。
ω己 85
F
仲間Z228
zspas-
ロ
E
・
(後
ロ内回目立
巳ロ巳宮口町(売
号
P。
E釘町民芯その他、要するに法律上存するすべてのものを変動させ
。
(伺)
ωgg ℃ロPAS
宮話。ロmyzg-
門M店2 ・。cFAC 。B 。
ACE
zzw
告忌)ロ
ιPA己mロ
ωmwZ
w色。(だれが、なにを、どこで、どの手段で、なぜ、どのように、いつ)
-
E
にまとめられ、具体的には七つのそれ、すなわち
と。
ZU (原因、人、場所、時、量 、質および出来事) を含むものとされる
B
「これらの己RCBωSE50 は、仏。一宮E吉
(印)
る作用を有する」 順に例を挙げれば次のとおりである。①門戸B
。EES は誌の
g
(一定地で)与えることを要するもの
(目2。
5
ω)、④gzguFP
同
}2Qet。(使用取得、前書
。 zg
却・贈与の原因に基づき)、gg 己主。によって移転され(gcg )、②司己主5ロ(未成熟者)はZZ ユ ω22 。号
、
がみられ
日 ω
(尺度)に
B25
(強
gtgω)、⑥円。
ωの性質によっては発生・
(数)、℃。ω
ロ(
門目戸
方口
)、
58ω
[時効])においては時が重要な役割を演じており(ZB 吉 )
ω 、⑤
権利内容はロロ 525
よって影響を受け(宮
移転が禁止される場合があり(告住 gg、⑦法関係は
ω (偶然の事変)などにより影響を受ける( 28Eω
)。
。-
迫)、28 円(錯誤)、品5
(悪意)、
)
2 -古川凶(過失
Sω
5 、甘え Ea
苫
4
0
5
見人の助成)がなければ行為できず(宮28g ③ 。宮山宮色。に8
は2
アーベルの体系の見取図*4
法学研究 82 巻 l 号( 2009
ω包
BB
(河)
の対置を起点とした体系の見取図が提示されている。ここでいう
z
は特定物債権の特殊性を表すものではなく、たんに。冨仲m間
。を指示するにすぎないから、この構想
(均)
ペルの死後、遺稿をもとに出
4
0
6
付録
25
末尾の付録には、 ZZ ロ円。と宮
宮ω 包
(礼)
はわれわれでいうところの「物権」と「債権」を対置させる体系に相応する。これを文章のかたちに置きなおせ
ば次のようになろう。
-物における権利、その種は
法学は以下のものを取り扱う
所有権
その部は同処分権川用益権
特別の物における権利
準所有権
その種は川本来川利用
2
l
同法的 川自然
物への権利、これは次のものである
3
1
HE-M
即
門・
目。ロ
立岡
同町民
ω片
lの
mw
ω
同)C同
・
E
同-
FZω
片岡戸
円。
crHω
0・
唱ω
。r
。 wω
B。
EES -
H・円目
55
σ
P CのEHω
75 -福1
4目
5・
ω
)巳
ロωロω]
)ω同)円0。
)
のロ
岡rwω
gEωω克己 gmw
)門5
出25PSE --
o
N-ACm品
g。BEES
5ω山口店名2525
ω・
・門官。円
ω同目。
口・宮 ωm仏
w
その種は
債権
ア
hea。ω全四巻への対話による入門』
ヌス帝、ヨ句史h叫
(花)
ヌス帝な之さえ mga全四巻への対話による入門』は、
I
。ず-
立。・
m-
ω
l
ニア
。ロ-
σ)ロ
ωEH
)のゆ2
〈・ロ
旬。巳
円ωロ ω
cωω
σωω
l
ニア
『ユl スティ
l
版されたものである。そこでは当時人文主義者により用いられた新たな形式、すなわちク対話。を用いて、伝統
『ユl スティ
全体の概要
2
l
Cg
(
吋。
。
。
l
。
河)
マ専門法学のカズイ
スルピティウスからは、
これらの 登 場人物は各々、ア
リウス
ローマ
l
l
ペル
だ人 生経験をえた法 学 教師・法務長官ア
(行
)
。
ウス]」
l
ペル [スルピテイ
著 書自体にはなんらの区分もなく、始めから終わりまで対
(均
)
(
沌)
三 つに区分することができる
リス・キウィ
。
ベル [センプロ l ニウス]、修業は終えたが
ペル
が 賞賛を与えたという、セルウィウス・
(
河)
l
で口
ある
(
)江
∞ロ】円比
ω
gEω)
ニウス(印。ョ胃
、すでに大学を卒業した法学者アルベ
対話による入門』 表紙と本文冒頭頁*5
Eω 河口Eω) の名が想起されよう
(ω2t ロ ω∞巳立の
『ユースティーニアーヌス帝 Institutiones 全四巻への
l
技術・理論)に移行さるべき市民法
) 『mg (
的な教育法・ 学 習法に対して鋭利な批判が展開されるとともに、ギリシャ哲 学 をもとにロ
l
bミミミ ssshqt 選定弘社S 忌 )』に導 かれ、体系再編の構想が雄弁に語られる
(
九)(
スティッシュかつ帰納的な態度の学問化を求めた、キケロ
について
登場人物は 三 人||若い学生センプロ
フス
ω82 己 ω)とともに担い、キケロ
(
KF5江
0口ω
)
(
、そして卓越かつ超然とした 男 スルピティウス
l
共和政末期の法 学 をスカエウォラ
スルピキウス・ル
l
の人生の各段階を代表しているものとみることができる
ア
実 務家ア
Jミ
「新米の学生
引き続き努力しいまも考えている
ア
リウス]、努力して手に入れた知的作業の成果と波乱に富ん
yレ
l
。
そこでは、
コルプス・
義 する、 とい、っ
リスの法文におびただしい註釈・註解が
。
話が繰り返されるのみであるが、内容的にみるならば、おお
きく
l
第 一部は、「暴露 的な 章 」 である
ユ
ふされたものを何年もかけて釈義的に講
4
0
7
ア ー ペルの法理論
ヨJ\ ン
法学研究 82 巻 l 号( 2009 :1
)
BgH 件E
州2ω の教育現場の機能不全が、 センプロ
l
l
l
l
l
ニウスの滑稽な言動と、これに対するアルベ
イウス[|ユ
l
l
ニア
l
l
リウスの応
ア
l
ベルの
ヌス]流の三分類を論理的
l
ニウスに助言して欲しいとお願いする。第
スティ
ペルがスルピティウスのマスクを被って、「スルピティウス
l
リウスの対話が一段落したころ、 スルピティウスが二人に挨拶し、対話に加わる。
l
リウスはスルピティウスに、あなたからセンプロ
ニウスとアルベ
答・回顧をとおして生き生きと描写される。
センプロ
そこで、 アルベ
二部ではこのような趣向のもと、ア
(的)
(創)
偉大な発見」を展開する。それは、「実務志向のガ
5 ミ守司認めはおおむね、《唱。
|体系的な二分類に置き換え[る]」構想である。』5『
》
》。
(第二
話(
。第
ロ一巻)《円
ω
ω
(位)
RZ。》(第四巻)に区分され、とくに注目されるのは《
巻・第三巻)《
Bω》が広く、これに。豆釘三宮が包摂され
S 丸山
SE
リウスがセンプロ
l
l
l
ニウスは[巴常SE の]講義室に向かうとこ
ニウスを呼び止めるところから始まる。「そんなに分厚い自分の本を
(回)
(倒)
ニウス?」。センプロ
リウスの質問に、何年ですって?
まだ一月いっぱいも学んでいませんと応え、にもかかわら
’
ているところにあるが、こうした三部体系の代わりに二部体系、すなわち盆。 BEES 》《。巴紅巳芯》の対置へ
と再編されるべきというわけである。そして、この体系再編との関わりにおいて、所有権取得理論、
えむミesR
一さの発見諦が語られる。
最終第三部では、 スルピティウスの口をとおして、初学者にとって学習上必要な準備と正しい学習過程が辛疎
な口調で詳説される。
l
以下では、第一部から第三部の順に、各主題に即して重要とみられるところを中心にみていこう。
第一部
『対話』は、アルベ
抱えてどこに急いでいるのか、センプロ
l
ろですと応え、諸侯すら恐れるという担当教授の逸話につきひとしきり語り合った後、何年くらい学んでいるの
か、とのアルベ
408
ヨハン・アーベルの法理論
l
リウスさん。とい、つのは、
E
g
l
E
苛位。
E
〔前書〕)と
ZL282ω
江。同5》
22
3江
ω 古巳巳
)は 38 ロeaZ (コンディクティオ l 〔不当利得返還請求訴権〕)
E
〔問答契約〕、アクセプテイラーティオ l 〔債務免除〕、プラエスクリl プテイオ
という、
(コンデイテイオ l 〔条件〕)
ヌス(己宣告
l
ぼくはこ
あの暖昧で難解な法文を、とアルベ
ず、教授は巴ゅの。ロ円四ゅの色E
。Z
口。
(非
百債
円[
目弁
。済]による不当利得返還請求訴権について) の包ロ。ロ ω。205 から
(邸)
始まる法文[第一二巻第六章第二六法文]を講述しているといい、え!
アルベ
いや一つ一つの言葉は聞こ
ト[ロシア]語で講義されるみたい
(元本三の意味を知らないのに教授は説明しない、
l
ツグミよりも聞く耳を持っていないのです。
リウスが驚くと、次のように慨嘆する。「どうやらそのようです、
の初めのときからモグラよりも盲目で、
3ω。B
えるのですから耳がないわけではけっしてありません。でもまるでサルマ
(部)
Lmロ。SEEEEω 己診 2t を語るけれどもなにも解らない、
に、もうなにも解らなくなっています」。そもそも冒頭
-zai ロえを細かく区別し、
=号EE 肖 SES -ω
l
35Z518巴 Bm (一O一分の一の利息) につき自分が学んだアルチャートとアックルシウスおよび教授では説明
l
EZ
38 ロ門
することが違う、著者ウルピア
ティオ
というのに教授はたんに
(スティプラ l
いったぼくのわからない言葉をはてしなく持ち出すなど、初学者らしい混乱ぶり(?)を示した後、落胆してし
(釘)
(朗)
l
ニウスは救われない。この
ニウスをなだめ、法学の匂ユ Bm 回)江口己古宮が説かれているユー
ヌス帝の営え凡さミ
SS の講義を聴くよう薦める。しかし、センプロ
l
まう。「完全に絶望しました。はやく祖国に帰つてなにもしないほうが、ここで努力をしてなにもえられないよ
l
リウスは自暴自棄になったセンプロ
ニア
l
りいいです」。
l
アルベ
スティ
5228
母 m55巳 σ5 [第四巻第六章第三一法文]のところで一月も停滞
(剖)
z巳σg (訴権について)におけ
講義も繰り返し聴いたけれども、口令S芯のそれよりもいっそうひどく、[ Uomn。
る専決訴権に関する]パラグラフ司
M0
EFO同0
同品
.σ
10
の・
立。ロ
比
可wp円。ωZEHO・
の昨日σ
。ω
ロσ。ロ mo出品
可仙の同即2
日・
己m
同
H。
1
し、 3ω
・
。OH・
mw凶
rの
m立。σロ
σω何回同}
mユ
wm
・
0
ωω
・ω。】〈⑦
4
0
9
法学研究 82 巻 1 号( 2009 :1
)
・ B 宮内田片
EwC E
mRt
唱品え出E
。S 宮内出巳えといった
mwwω2ロi
ω可唱。
gEBSL ロ℃ゆ円
同ZEEω
ロ
日
円
ω。
5V
M昨
Rm丘
w町
ω
。ロ
P出
wwm
一ロmW・
(卯)
mR。
t の分類をとめどめもなく話しており、どうやら万事がこの調子らしい。「おしゃべり好きのファビウス
l
フランス国王が簡
リウスも、いまや旧態依然とした教授た
s-
s ミ凡SS の講義をはじめてはや五年、後一年たっても終わら
)すらうんざりさせるくらい」、教授が』
(司与冨
ω
ないのではないかと危倶されています。はじめは穏やかだったアルベ
(但)
ちを公然と非難する。「今日、この新しいという言葉よりも憎むべき言葉はないようです」、
を修了せずに巴合
l
ニウスは応じる。皇帝がこの属州を引き渡したなら、
S芯に立ち入ることのないよう配慮するでしょう。
センプロ
単にミラノを手放したのはふたたび奪還するつもりだったから、けれども教授たちは一度失った慣行にはだれも
SS
立ち返らないだろうことをよく知っている。
l
SS
の教授はもう何年も講述し、も
RES
ロロ仏C5 ・
32C532 芹 ZB (裸の合意/着衣の
リウスは自分の修学時代を振り返る。「わたしは誠意で語り、包み隠さないでしょう、あなたのとお
くはだれも営句史言法
アルベ
(位)
りであったと」 oE 急富良
合意) などをたくさん聴いたが意味は理解できず、せめてなにかをえようと医学や神学の講義に心が動いた。自
l
(回)
E
リウスは、自分には 3pg (運命の女神たち)が舞い降りたという。自
正規の講義をきちんと聞くことができるようになった。
している教授を理解できない。そこでこの教師の家で一年間、他の初学者とともに真剣に学び、ようやく大学の
なた凡なミsg を自分の爪と同じくらいに知らないと」、どんなに頭を悩ませてもバルトルスとバルドゥスを講述
(倒)
分には叔父がいて、この叔父から著名ではないが誠実で有能な教師を紹介された。かれがいうには、「これら
は頭に入らなかった。けれども、アルベ
-
itM
円(原告が立証しない場合には被告は免訴される)Eといったこと以上に
っても、 3RgB ロ。ロ℃円σ
。ωE055ωσ8
ふたたび講義を聴き、家では複数の辞典にあたって専門語を調べ、こうして二年間猛勉強を続けたが、最後にな
分の能力を疑い、友人に相談したら、解らないのは自分だけじゃないことが判明して安心した。勇気を取り戻し、
E
ま
4
1
0
ヨハン・アーベルの法理論
こうした経験を踏まえ、 アルベ
l
リウスは、自分の名誉だけを追い求め、学生の立場を顧慮しない教授たちを
批判する一方、 zmgE宮
ω内出。包として通用したいがためにのみ、講義に出てくる学生の存在を嘆じ、このような
I
状況にあるために、学生のうちのほとんどが修学に達することができていない現状を指摘する。
第二部
z-
第二部では、なえたミ凡室内句の三部体系2な
》《円ω》
。《Rt。》から《色B
。EES 》《。
85
m巳芯》の二部体系へ、
S
SEEB 》と対置され
℃己として抽出される、第三に、《品。
という体系再編が提唱される。この構想は次のようにして遂行される。第一に、
Q285 》が g 吉一一昨(首〔部〕)から
BEES 》が
除外される、第二に、《円。
》から《品。
ω
ロEm
g 司巳ではない」。宮話。.
(原因、場所、時、量、質および出来事)
S
唱三としたのは、人がすべての aREggEEO
385B
・
匂三に数え上げたのですか、かれは誤っていたのです
E
(状況[修正事情ないし法律要件のメルクマール])としての地位を有するだけであ
S
を
。ロmw
イウスはなぜ℃ 2ω 。ロωを
l
(回)
る S 司己として《。z -
mmz。》が抽出され、同時になの色。》が除外される。こうした体系再編を支えているのは
かの弁証法的カテゴリーにほかならない。
32R55g
ニウスから、ガ
。Eg
スルピティウスによれば、「まず、円高宮。
ロれ自体は市民法あるいは法学の特別な
mそ
w
i
-m
芹
はむしろ体系上、 ggpzgpgBug-DCE
822
凶
M RmPOE
ロω
と同じように、
る。センプロ
か、と尋ねられると、次のように応じる。かれが℃ 03
のなかでとても重要な役割を演じているところ、これを他の aRZ528ZS と区別して取り扱うほうが、
E
。仏己自(便宜と
)考えたからである。しかし、この根拠は充分なものではない。もしそうであるとしたら、教師が
取り扱われるべき事物それ自体よりも、生徒の便宜を基準とすることが許されることになってしまう。法は人を
特別なものとして取り扱っているが、にもかかわらず、円高円
ω。ロ ω のところで問題となるのはあくまで己見守
BωSEE にすぎない。
4
1
1
1
)
法学研究 82 巻 1 号( 2009:
では、
5ω
はどうか。「わたしは畏敬の念をもっていう、[ガ lイウスと』『ぎな仕立芯誌なの起草者がω]
とお
呼ん
だものを色。BEES と名づけたのなら、いっそう適切かつ明白だったであろう。色B
。EEB とはつまり、法律ま
(伺)
弓。szω (有体物)を完全に処分する、そうでなければこれを取り戻
(肝)
を持っているとしても[円 gg 弓ミ色町に限られるというわけであるこ。なぜ、おωは
ω
たは合意により禁じられない限りで、円。ωg
す権利である。多数のお
ロmECS ロ。ロ g
ご.2 司(はたして事物の世界でお
ωでないものなどあるのだろ
E
門戸
s。
zzg に再編されなければならないのか。一一言でいえば、それは、足 ωが=。Z22ω (あいまい)だからで
巳門目E
。SEC 巳〈 28225
ある。 30
E
ω
号。
s -2
(伺)
E
B
eB 吉 EB の法まさにそれ自
385mwO片片付55
E釘巳芯は ggmoB 巳 gp 他方、
mW2を
5 対比するのは、
と。
。
も含めて一括りに規律す
ということになる。
ωEEg 弓。 s -g
の法はわれわれにいう
ωというかたちでお
ロ g
という事態が実際に生じているのである。しかしながら、法は有体物上の権利の変動について独自
うか?) ・5ω には円。ωEg 弓。 s -g (有体物)とお ωEEg 弓。 s -2 (無体物)がともに含まれるのであるから、
すべてがお
の問題領域を形成している。すなわち、 BE
体(包 gscoegB
) である。とするならば、円。
ωではなく品。SEES
と
であるのなら、他の冨おは Rt
33EZ25ロ OM820(また不正確)である。スルピティウスはその理
g 吉見はお
RE 。というのも
るのは相当でない。こうして、第一の
しかし、そうすると、
(
ω)
由を次のように説いている。「なぜなら、 eBEEB がすべての法の一の宮
E
ではなく。 z -
m巳宮であるのは論理必然だからである」。 ι。BEES
E
025 (作用)の混同にほかならない。すなわち、色。BEES
(作用因)とち町内
円。昨〈宮g
内z
出。と mwn
。
出z 。は色。BEES から、
ω
。t
旬。一
円ロ色町はえracωに位置づけられる。というのは、 BFtロ門g
(削)
(靴)ではなく、また、色。
Bg
(家)と
-:仲
R、
E 。旬。B。ロ色町は。冨
m仲
E間
Z
gi--)
から流れ出る(巴巳同)ものだからであるm
。RFr
gREω (靴屋)であっての巳
(建築師)と対比されるのは、s -
85
同様に( 055 包 sacs
Z25
対比されるのは grgω であって grgECω ではないといわなければならない。したがって、品。 BEEB に相対
4
1
2
ヨハン・アーベルの法理論
する他の
g 匂己は、自明のこととして
-
巳芯であると結論される。
(己念日付兄)z、
。
m
「センプロ l ニウス一ぼくはこう整理します。だから、およそ法学には二つの SUE-色B
。ZES
と。
E釘巳芯が
ω司0 ・
スルピティウス一そのとおり。そして、法律上存する残りのすべてのものは、これらの二つに関連づ
(部)であるか、
ある、と。
RZ528ES
(状況)なのである」。
(朋)
号。虫色 ggω (作用因)であるか、州丘Z
町mw
(類似)であるか、 gES 丘町凶(対立で
)あ
22
g 司己の、何回
BPEEZ 円)。すなわち、それらは二つのうちのいずれかの
(
85
けられる
巳 2 (種)であるか、
E
るか、さらにはあれこれを変動させる丘
第二部
l
ニウスに格別の教示を与える部分である。
ロ ωgω
(理性
ロ(諾成
ωgω ロ B
Suezu 円岱ORE-)色。(使用取得、前書[時効])N
ωロ
[
『丘の-
後ろに続け、
・2
における贈与の配列に対する批判と、センプロ
スルピティウスは、この体系再編との関連において所有権取得理論、契約と所有権の関係を簡潔に説く。それ
は、 Ea 凡なミSS
ιgmw
B 。
円
mEZEZ六igω (生前贈与)は。百三宮(売買)のよう
なぜなら、色。ロ
己 52
8な
三 mg(終意処分)に数えられなければ
ロ ωg
3Fωえσ
EEBロ佳品。BEES (所有権取得方式)の一種のようにみるのは、
ロ。ロ
色。ロ
mEZ(贈与)[
Z2 ・Nh]をロ
あたかも
EO
ならないからである。
とは区別される。「わたくしはここでとくにきみ
BEE は品。ロ
品。
mES
--:およびこれに類するもの、[すなわち8
]口語三宮(合意)によって移
・品。Z
日5
ゅ2
の05a と用心なく混同しないよう注意を喚起する。
w。包括ロ佳品
BE
裏返していえば、自。 ιgm色
。ES は
525
に、自。 ιgmESEロ
B門出品B。EES を gE525
(問)
転されるのではなく、可岱《Ez --:およびこれに類するもの、[すなわち]自。5島(方式)によって移転されるか
というのは、
gE525
契約)に挿入され、また、品。ロ巳ZS 。丘町 ggmw (死因贈与)は己tsmgE
を有しない)
)
らである」。
4
1
3
m
(
法学研究 82 巻 l 号( 2009
第二部
E
スルピティウスによれば、
0
。ωC5 ・2
みずからの構想はこうした理論的根拠のみに依拠するのではない。「のみならず、
E25cωvoロ。。σ巴 ZS
唱己
いまから四 OO 年前、神聖ロ
l
E
マ皇帝ロタ
l
(虫に蓄られ、いちめん挨に覆われた) それは、ケ
ニヒ
ル三世
l
これらのすべてを十分かつ正確に構想するためにわたくしを支えた(包zis のは、 S & SE えたミ守遣さであ
(胤)(問)
る」 ・h 江口忠ωgR
スペルクの図書館で発見された。かれの推測によれば、
1
H)
HH
の時代[一二世紀前半]に書かれたものである。
(戸。H昨
O
】日
ロmESE-
mgtcszaiは
E作品
ミミロSNミ句史雷同芯ミミさにおいては一
、般に知られる Ea 凡なミSS とはまったく異なる配列がとられていた。す
とロ Z50
から始められる、第二巻と第三巻、第三巻と第四
なわち、第一巻に組み込まれるはずの二つの章、 U25EE2EB
(附)
全体の望号 ZECB を構成し、第一巻はり250H52
。525
E釘町民吉ロロ自o
Rt。巳σ5 の各章を境に区別されるとともに、。z -
巻は、口。。
とmロ
m巳芯消滅の章、 ozF55。色町
の後ろではなく、始
R 昨日。の再編成が図られてい
比。巳σ 己ωZZ ロm-zsu。江ω旬。ωωg位。巳σ5
ocω ロSH
Z-
巳 Ez --
円は UmwmW2ZEσ
のg
前、すなわち第三巻の末尾に移行され、円。
σEm
ωと
。
ロ ωω
ロの後ろに位置づけられ、正当な体系が志向されている。
l
(即)
ヌス(寸ユZEgg )、テオフィ
l
EEω)およびドロ
ルス(吋宮。司
l
Ea むミ泣きなの
テウス( U22zg )
リウスはスルピティウスの話を聞いた後、大仰なたとえを交えて感嘆する。「もしも
己 325858ω
l
mロ
EZEZ円〈守。ω
丘町の、また、他のもの[色。
]は UOB自己 ω一件。すな
]はロoum
Z民
Eσ ロωの章はロ
る、そして、口。色。ロ町
g
めのもの写。ロ巳zs 。丘町 S
わち
アルベ
起草者であるトリボニア
l
リウスに応えてセンプロ
l
ニウスに必要な素養を挙げているところ
が今日、死からよみがえるなら」、かれらの同意をえることは疑いないほど、もっともらしい配列である、と。
第三部
第三部からは、 スルピティウスがアルベ
4
1
4
ヨハン・アーベルの法理論
と、センプロ
l
l
ベルの主張がよく示されている部分とみられるからである。
(瑚)
ニウスとのやり取りのなかで学習上重要な事柄を説いているところを引いておこう。各々第三部
の始めのほうと終わりのほうに位置し、ア
l
E
マ皇帝はどの時代を統治していたのか、各々のロ
l
E
マ法学者はだれのもとで解答(
588
初学者は 3mgg自己ゅのω (文法)を知るだけでは十分ではなく、 3E22E (歴史)にも精通していなければな
らない。各々のロ
、サルスティウス
ω巳-cm江口ω
(
)、リウィウス
(F-4F
)、
ロω
号店)していたのか、法務官とその他の政務官の職務権限はいかなるものであったのかを知る必要がある。その
l
l
ニア
E
l
ヌス
付 (弁証法)に習熟
3島区ゅの片5
ユースティ
・
ヌス(CEEEgg )その他のすばらしい作者の著作を読むのが有益であるに違いない。いっそ、っ
ためには、テレンティウスの喜劇とともに、キケロ
l
細々した弁証法[
Bg
ロ包片 5
のそれ]に駆り立てられるべきではない。わたくしは数学、修辞学、詩作を文法的
E
N匂
m
。(
知識のもとで捉え、生徒に 333u、さ立。ョ
R,hNnzgmgm
E百
t科事典[的教養]の十分な習得)を要求する。
l
マ法学者の解答(円2350 )、元首の指令(
BR
ユ宮 ω)に向き合うならば、自分自身で
35位。色己干
なぜなら、こうした複数の学問領域をともに修めることが、法学を熱心に学ぶものにとって不可欠だからである。
生徒がロ
(別)
E
。号。Ege (判決のst。)を吟味しなければならない。「st。こそまことに法律の生
hmt
冨ロ岳(疑問のBESEw
-
命である」。そうするときには、 一方で、伝統的な見解を盲信することはできず、他方で、 一つひとつ丹念に注
意を払い、これを根本から理解するよう学ぶことになるのである。
4
1
5
していないのではだめで、向日。片山口在。と門出己位。を学ぶ必要がある。とはいえ、少し前まで支配的であったかの
法典の多くの法文はそうした知識がなければ理解できないからである。そして、
ふかく研究したいのなら、ギリシアの文献もおろそかにしてはならない。というのは、
インティリア
ク
法学研究 82 巻 l 号( 2009
『方法』と『対話』
E
B
、
(山)
(山)
ないし号 SFEEB と。 E釘 mEE
の体系的峻別、ωgzgEωg
つまり吾己
ω は『対話』第二部
I
、
5
と
sag 包’
ωは『方法』第三章お
E、聞は「対話』第一部、山川は「対話』第三部に各々対応する。
ωないし削は各々独立のものとして提示されたわけではけっしてない。すなわち、まず
ω はω に対
4
1
6
l
ペルに対する評価
合う関係にたつものとみることができよう。
ア
いて意義を有する。そして、こうしたア
gg
l
(山)
(出)
の教育法とは反対に、「見通しのよい講義案」を提示した点にお
ベルの提案は今日のわれわれの叙述の構成をも強く規定している。著
ロ色付 5
ベルの仕事は法学史上、どう位置づけられるのか。印ないし削につき順に述べると次のとおりである。
全体的評価
l
N
まず、山は問で描かれたような
ア
(山)
する動機を形成していることは明らかである。『方法』と「対話』 は以上の意味において、相互に連携・補充し
のエピソードは ω聞を正当化する文脈で引き合いに出されている。聞の不満と削の主張が、山および問問を展開
応するものとして提示されている。双方の論理の基礎にあるのは山で展開されたカテゴリーにほかならない。
ω
もっとも、
よび「対話』第二部
文主義的学習法の提示。山は『方法』各章、 ωは『方法』付録および『対話』第二部
(山)
BEES の二重要件、 ωS丸山ぎな句史雷同芯還さの発見B
H件
mwHF
ω教育に対する批判、朗人
DESE-品。
、g同
法g学
ω 吉 ω百円。と宮 ω包括
『方法』と『対話』の内容は、次の六点にまとめることができよう。川弁証法的方法論の法学に対する適用、
内容の要約と位置づけ
3
ヨハン・アーペルの法理論
メランヒトンの影響下にあったことをおくとしても、 カンテ
名な教科書・体系書のどれか一つを紐解きさえすれば、概念・分類・成立・内容・効果・消滅といった章立てが
いたるところでみいだされるであろう。もっとも、
l
l
l
ベルは「はじ
ペルの独創性が認められている。すなわち、それは「体系的法学創造への
ベルの創見にかかるものとはかならずしもいえない。
(旧)
ィウンクラをはじめ、先行する人文主義法学者が類似の著作をすでに公にしていたところ、弁証法を法学に適用
する、というアイデアがア
これに対して、 ωω についてはア
(山)(川)
l
の意思哲学
83」「先駆者(ぎユ営向。円)」「発見者
ドイツ精神の第一歩」「権利の私法体系への重大な体系的転回の起点」である。
ω とともに、ア
(国)(即)(阻)
めて」物権と債権を峻別したものとされ、物権債権峻別論の「根源(当日
(山)
(何三門W
日2
ゅ
)の
」と呼ばれている。かれが示した峻別体系はのちのドイツ普通法を規定し、サヴィニ
R(
ZR
による基礎づけを経由して、ドイツ民法典における「債務法(∞各巳骨ゅの宮)」と「物権法
印RZ )」の峻
(悶)(国)(即)
5 ・5 。門吉一ω
ベルは「最初
ι5 の二重要件を提唱したものとされ、「きわめて徹底した有因論」、いわゆる吾己
l
フエンドルフの体系がそうであり、この方式で編纂された法典としてはプロイセン一
Z《
S室
S町
S285 》《円。ωR》
。》の三部体系、』宏之凡
の
民
流れを受け継ぐ
別に結実することになった。物権債権峻別というパンデクテン体系の重要なメルクマールはかれに由来するとい
l
うわけである。これと対比されるのは、
ものである。たとえばプ
と目。
般ラント法・フランス民法典・オーストリア一般民法典が挙げられる。また、聞とともに、ア
5
(凶)(別)
に」吾己
5
理論は
・5 。仏己
ω
ιgm
B 。
B品
E。
EB として可州丘在。(さ司円
Fg
zg 己芯ロ)が
色。戸包括ロ佳
ゅ色
の。・
SB ロ)」「創始者(巴
FS
理論の「還元[先](自円位E。
吋2 )」「出発点(〉5mgmω宮口宮)」と評価されている。か
れが説いた寄己
行われる場合のみを想定していたが、 のちに適用範囲が拡張され、とくにヴォルフにおいてすべての取得方式に
一般にグロ
l
ティウ
一般化された後、これを媒介として、プロイセン一般ラント法・オーストリア一般民法典に取り込まれることに
なった。これに対して、 フランス民法典とドイツ民法典は両極端の途を歩んだ。前者では、
4
1
7
ZZEωが尊重され、
要件が追い出された。他
B 。門田
ω口
ι5 を物権契約(仏吉区片
F2
ニヒスベルクの図書館で発見
とは異なるその配列の仕方からみて、一二世紀前半にオル
スティ
l
ニア
l
ヌス帝の営句史設立SS の手
mwECE)
gにはじまるこの誤解は、サ
S 民営ヤ宮丸止ミ守 shきが
ペルの切さ忌兄向
h。
s の手稿はわ
ニヒスベルクの図書館にも、その他のところにも
ペルはそもそも本当に手稿をみたのか、みたとしてもそれ
l
l
ン版の手稿を発見したことによって完全に排除された。しかし、
l
4
1
8
スとともに語られる合意主義の影響から、契約の意味での
方、後者では、サヴィニーがそれまでの普通法を支配していた同理論を退け、ョ。
SS
l
いわゆる旬、 R暑いh
てs向で
。あったと推測することができる。
ペルの記述から、足。ミ S なえたミ esh
さこそがユ
(瑚)
l
325m)として構成し、これをもとに無因主義を提唱した結果、有因主義は捨て去られてしまった。
S & SEaSR 芯 shS は、 Eas ミ
ω の指摘は、法制史学上大きな議論を引き起こすことになった。ア l ペルがケ
したという
l
レアンで書かれたものとみられる著者不明の作品、
ところが、ア
l
稿である、という「一連の誤解」が生じた。同時代のバルドゥイヌス(回
l がヴィ
)
m)
(
)
ニウスとアルベ
ではいささか評価が異なる。すなわち、小川は、スルピティウスがセンプ
lロ
(悶)
l
i
ペルをして
リウスとのやり取
ランヒトンを中心とするヴイツテンベルクの人文主義グループに共有されていたものである。もっとも、問と削
(別)
学教育の不全、古典語の習熟・歴史への洞察・理性の要求といった指摘ないしそこから生じる主張は、とくにメ
最後に、同削の内容については、とくに新規なものとは認められていない。釈義的な講義・権威的な教授・大
旬、R』町、。もおの「最初の報告」「第一発見者」とみる評価が確立しているゆえんである。
(問)(
問題が生じる。けれども、現在ではこれらの問いは一応クリアされたものとみられている。ア
m
を切ミ忌し℃向。もおと同定できるのか、できるとするなら現存するものと異なる理由をどう説明するのか、という
現存しないのである。そうすると、 ひるがえってア
れわれには失われてしまった!」。まったく同一の手稿はケ
(別)
旬、R』町h
、s。であるとしても、なお問題が残されている。「残念なことに、ア
ヴィニ
m
(
:1
)
法学研究 82 巻 I 号(2009
ヨハン・アーベルの法理論
(問)
りをとおして教育法を提示する、という趣向がとられているため、形式ないし表現においても着目すべき点がみ
l
リウスの応答・回顧をとおして当時の
あたらない。「アンチバルトリスト的主題[を取り扱った] 一般的な人文主義的改革綱領」と要約されるゆえん
である。これに対して、問は、センプロ l ニウスの滑稽な言動とアルベ
(即)
教育現場を生き生きと批判的に描写するものであり、問題意識それ自体はともかく、そうした事情を現代に伝え
ア
l
ペルが法学にもたらした寄与は数多いけれども、現代との関係でもっとも重要なものを一
るものとして注目を集めている。 つまり、 一次資料としての価値が認められるというわけである。
以上のように、
つだけ挙げるとすれば、それは ω、すなわち物権と債権の体系的峻別であるとみられている。
l
1
ベルがそうした潮流のなかでどのように位置づけられるのかを明らか
ベルの学問的傾向はどのように特徴づけられるのか。人文主義法学、と答えれば正しいのかもしれない。
学問的傾向
、
hり,
一六世紀の後半には全盛期を迎えることになった、と。
ア
i
l
ベルの位置である。この点については一般的
l
マ法の継受と同じ時期に
ペルはこの消極に評価されるドイツ人文主義法
義法学が花開いたのは次の時代、 ggmmwE2
(ω
フランス学風)の名が示すとおり、とくにフランスにおいてであ
ず、その影響はツアジウスのような思慮深いバランスのとれた学者から感じとられる程度にとどまった、人文主
進行したという事情から、この意味において理由は異なるものの、イタリアと同じように法学の主流とはなりえ
宗教改革の時代思潮と相まって、一六世紀の前半に最盛期を迎えたものであるが、ロ
な知識を確認しておけば足りよう。すなわち、ドイツの人文主義法学はイタリアで開始されたそれを受け継ぎ、
(問)
一つは、人文主義法学の展開からみたドイツ人文主義法学・ア
にする必要がある。そのためには、次の二つの事柄を考察しておかなければならない。
しかし、それだけでは十分ではない。 ア
ア
)
学の枠内ーーより精確には、当時はまったく影響を与えることができなかったもののうちーーに定位されるとい
4
1
9
m
(
1
)
法学研究 82 巻 I 号( 2009:
うわけである。
(凶)
もう一つは、人文主義法学の特徴からみたドイツ人文主義法学・ア
l
ベルの位置である。人文主義法学の分析
の際には、次の三つの視角を導入するのが適当であろう。すなわち、それは、①「古事学的(
stagユRF)」傾
向、②「教育的(旬以含向。阿佐岳)」傾向、③「体ω系
丘町各)」傾向である。ドイツ人文主義法学は他のそ
3的
Z(
B
れに比して一般に、①の傾向は||ハロアンダーが早世してしまった結果||弱いが、②の傾向はーーとくにヴ
ペルには直接当てはまらない。たしかに、
(凶)
ベルに、②の傾向がとりわけ強くみいだされるのはたしかである(問問
l
イツテンベルクにおいて||強く、他方、③の傾向は||ツアジウスにより大幅に差し引かれるという意味で
1
||弱い、という印象を受ける。もっとも、こうした一般的評価はア
ヴィッテンベルクグループに属したア
削)。しかしながら、③の傾向はときに体系再編を拒絶したツアジウスとの対立が強調されるように激しく(
ω
l
(国)(問)(凶)
ペルにおいて、これらの①ないし③はいかなる関係にあったのか。まず、①についてはそもそも触
ω。山も参照)、また、①の傾向についても確認することができるのである( ω。削も参照)。
では、ア
(出)(凶)
れないものがある。他方、これを指摘するものを整理すると、②③の劣位におくもの、同格におくもの、優位に
おくものに分けられる。 ωは一般的言辞にとどまるからこれを除外すると、ωには③の「歴史的正当化」の位置
づけが付与されており、また、後述するように①を②と同格ないし優位におくのは相当でない。したがって、後
(叩)(瑚)(瑚)
二者の見方はとりえないように思われる。そうだとすると、次に、②と③の関係が問題となる。この点につき文
l
ペルの「本来的関心」であったと推定するのは、かれの経歴、作品の成立事情、テクストそれ白
(問)
献の状況を分析すれば、②のみを強調するもの、②と③をともに指摘するもの、③のみを強調するものに分けら
れる。②がア
l
ティクの関心上、③の重要性があまりに大きいからにすぎない。だから、争点は、前二者のいずれ
体からみて合理的というべきである。最後のものが②を落としているのは、反対資料が存するからではなく、現
代のドグマ
4
2
0
ヨハン・アーベルの法理論
が相当であるかに帰着する。両者の対立は、③を②から派生したものとみるか、そうではなく、③も独自の結論
l
ペルが教育的関心とは無関係に、これを「正当な私法
として提示されたものとみるか、といい直すことができよう。このように問いの形式を変えてみれば、前者の不
(即)
当性は明白である。 ω はともかく、 ωω については、ア
体系そのもの」とみていたことに疑問の余地はないからである。
ペルの体系構想はどのように評価されるべきか。この点については、消極積極双方の見解が存する。
体系構想
ア
l
(即)(問)(出)
E
消極説の代表は、ア l ペルの体系を 3ロmZ (浅薄E
(浮薄)と断じるヴィアッカーである。かれの論旨を
)LZEm
ス(〉号室号
)ではなくキケロ
ω
l
に依拠しているにせよ||、「古いスコラ学的カテゴ
ペルは自己の体系構想を、メランヒトン流の「弁証法」に依拠して展開している。しかし、それ
l
・
分析すればおおよそ、体系を支える方法、体系それ自体、体系の性格・内容に対する批判に区分できる。以下順
l
にみていこ、っ。
第一に、 ア
は||アリストテレ
2
z。
paRZBωSEEと
oいったカテゴリーと、これらのカテゴリーを用いてあますことなく論理的に
・0内向。
リー」に固執した「事物から遊離した形式的な」方法論といわれなければならない。門出己ω5・mg2Pω 克己
gZ8
ペルが批判する] 288 にとっても特徴的なことである。
ペルの際には、「体系化された素材の問題性」が見逃されている。事実、経験的帰納との関係を
l
進展する「空疎な演緯」を行うことは、||適用対象を個別テクストから全素材に拡張したという点では新しく
l
はあるものの||[ア
第二に、 ア
構築しない限り、「法学の公理体系への転換」はありえない。それでは「法理論の空洞化」が生じてしまう。弁
gg
ロmwE2
にω対して論難したはずの「空虚な
証法を Ea 凡なミSS に転用すれば、簡潔「正当」良好なレルンシェーマを導きうるけれども、ある「正しい」体
系から新たな正しい判断を引き出そうとするやいなや、みずから
4
2
1
1
)
法学研究 82 巻 l 号( 2009:
スコラスティク」に後退し、むしろ
l
gg
ロ巴片
5
から受け継がれた実務上の価値を破壊するおそれがある。「法
ペルを境として、』宏之凡言尽Sき
の伝統を保持し、「社会的機能」を反映した、「[有体]物のみな
理論の生き生きとした力は、もっぱら絶え間なく法適用に携わる実務に内在するのである」。
第三に、 ア
らずあらゆる対象に適用される一般的な財産法(〈 250mg兄
ω島丹)」を有する体系と、そこから離脱し、「論理
りである。
第一点については、中世ロ
l
l
l
に対応するかたちで整理すれば、次のとお
ペルは自己の方法の適用につき釈義的なそれを維持し、この
マ法学との相違を強調するものと、中世的学問そのものの位置づけ・価値を見直
(悶)
l
l
1
に対して、刺激的な言辞で反論する。
gσBgロ〕)
スの継受」(グラlプマン〔冨ω三宮の
はヴィアッカ
(問)
ペルの精神的哲学的立場はあくまで段階的な「アリストテレ
l
l
ピクは精確な争点を
の評価は「私見によればいささか消極的にすぎる」。そして、かれが「空疎
な演鐸」などと批判するとき、「わたくし個人としてはまったく同意できない」。まさにト
ければならないから、ヴィアッカ
を特徴とするスコラスティクの全面的展開、中世的学聞が押し通されたというコンテクストを含めて理解されな
ア
まれた芯巳ではない」と付言する。また、メルツバッハ
て新規性があると評価し、ここでいう「視点」とは「 BSロ mE2ωのスコラ的方法のようなただ外側から持ち込
限りで伝統的な枠組みから離れていないが、「単純化と事物の本質から引き出された視点の正当な選択」におい
すものがある。シユティンツイングによれば、ア
l
これに対して、積極的評価を与えるものもみられる。ヴィアッカ
今後も維持されるべきとはいえない。「財産秩序」と「契約秩序」への再編が志向されるべきである。
債権の中間物、債権(無体物)の客体化との関連で様々な問題を惹起している。現行法では徹底されておらず、
を対置する体系が快を分かつことになった。しかし、ドイツ民法典が与する物権と債権の体系的峻別は、物権と
上のカテゴリー」「権利のメルクマール」から出発し、ω
「E
吉S (『物権』[有体物上の権利])と。豆紅巳芯(『債権』)」
4
2
2
ヨハン・アーベルの法理論
フィ
l
ヴェ
l
5.
04司om
ク(同dg 品。円
)
『トlピクと法学( Uh匙
v抽選弘、ミミ旬、ミ侍送)』が
把握する技術の仲介を試み、制定法上の正しい思考への導入を与えることに努めるものだったからである。われ
われはここですぐ前に、
lザ l
開目立EW)」なる視角から、ヴィアッカ
は「体系性対経験性(∞百件。自己
22
停
5
(即)
引かれていることに注目しなければならない。
第二点につき、バルトハ
の主張に反論する。体系主義者によれば、法学者の使命は「本質的に論理的なもの」とみなされ、論理的推論
ある」。
l
l
スの事物的諸事情」の把握か
〔事実から法は生じる〕)。体系志向はとくに自然法にみられ、概念法学で頂点をき
の対応をみれば明らかなように、「法概念の体系は実際の法発見にとってま
ヌス( Eg -85 )の定義に関する警告は今日も真剣に受け取られる。しかしな
スで正義を求める努力は、「盗意との限界を侵そうとしないならば」、まったく体系
l
BGH
ω
スとの関連においてのみ獲得されうるとみ、なによりも「個別ケ
。。吾号吉
I
盤」を必要とする。「このことを顧慮するとき、ア
l
ペルの試みはけっして- boZEと評価されてはならないので
性なしにすますということはできない。むしろ「法適用に一定の計算可能性と検証可能性を付与しうる体系的基
がら、経験主義者が個別ケ
さに十分ではない」。ヤウォレ
わめたが、利益法学の展開、
ら出発する( RF2
つねに個別ケ
から一義的な結論がえられ、「法的安定性と法適用の平等」が実現されうる。他方、経験主義者は公平な結論は
l
の
l
ベルがロ
l
マの』宏之凡なSミ
S 体系の代わりに樹立した
第三点に関しては、二つの応答の仕方がみられる。一つは、訴権の体系と対比された権利の体系という視座か
)
ヤドはこうした見方を受容し、ア
(閣)
l
ペルの体系が力を有するいっそう深い根拠は「かれがこの
3含 BEESE
と
理的な原則と徹底した区分」に基づくために「講義目的」に完全に適合するものであったと分析する。ドゥピシ
体系は、「主観法[権利]の視点による考え抜かれた理論構成」と呼ばれなければならず、それは「簡明かつ論
ら評価を与えるものである。アフォルターによれば、ア
m
(
4
2
3
3。E応忠吉
のうえに樹立した体系とともに、形式上(仏
2
E
司 255
各)、いわば主観的意味での法[権利]の概念
を受容することが運命づけられている体系を創設したこと」にあるといってよいとし、市民法体系が権利の体系
l
ザ
l
は、ア
(瑚)
i
ペルの主たる関心はあくまで「教育的なこと」にあるところ、かれ自身は
に転換することはなお長い間問題となりえないのであるが、と付言する。もう一つは、体系の柔軟性を強調する
ものである。バルトハ
ア
l
H
l
を批判し、ア!ペルの体系を積極的に評価する。物権と債権の区別は
l
ペルは拒否していないからである。
できるかぎり綿密
)、そうした後で法理論を考察し( E)、これに対する評価をまとめてみてきた(町)。いず
ペルの法理論の全体像を描き出すことを目的とした。そのためにこれまで、かれの生涯と作品の
おわりに
さ」を持ち込むことをア
両者の法的取扱いを判断するには「原則として適当」であるし、他面、体系に暇庇がある際には「必要な柔軟
れを評価してはならない、とヴィアツカ
自己の体系から一義的な実際的帰結を引き出せるとはけっして主張していない、こうした歴史的文脈を抜きにか
4
2
4
律的意思に求められる。かれは自律的意思を基礎におき、意思と権利を結合するかたちで権利の体系を確立する
これらを正当化する根拠はなにか、すなわちその基礎づけにある。サヴィニl の峻別論によれば、カント流の自
権利の体系の確立(体系構成原理の問題)と、物概念の有体物への制限(物概念の広狭の問題)である。問題は、
第一に、体系の基礎について。物権と債権の体系的峻別は次の二つを不可欠の要素として成立する。それは、
(旧)
に行ってきたつもりである。最後に、本稿がとくに関心を寄せる点を指摘して結びとしたい。
れにおいても、先行研究相互の関係・位置づけおよびそれらとテクストとの突合せの作業を、
成立ちを振り返り(
本稿は、
v
1
)
法学研究 82 巻 l 号( 2009:
ヨハン・アーベルの法理論
l
権利を排除し、物概念を有体物へと制限した。これ
H
ベルの際にはまったく事情が異なる。かれはなによりも教育目的から出発し、学生に理解しやす
一方、意思支配の対象の一である自然(の一部)から意思
に対して、ア
い講義を行うために、弁証法的カテゴリーを用いて自己の体系を構築した。そうした目的から離れて体系を基礎
づける際には、全体として弁証法的論理の整合性に意が払われていたが、円。ωを品B
。EEB [有体物上の所有
(即)
l
ペルは法論理と法体系の基本的
円)展開することに努力した」。キーワードを列挙すれば、ア l ペルの峻別論は、
ω
E
権]に制限した理由に着目すれば、それは、有体物上の権利と無体物上の権利、物権法と債権法を一括りに規律
島区
するのでは法関係が=。σ255 (あいまい)になる、という点にあった。「ア
特質を簡潔明瞭に( W535
教育目的、弁証法的論理、そして簡潔明瞭性から基礎づけられている。 ア l ペルに権利の体系の萌芽がみられる
1
l
の峻別論が
11
特殊な意思哲学に担われたという意味で||
ベルのそれは||教育目的・簡潔明瞭性を顧慮しているという意味
l
ペルは同じく峻別論を打ち立て、ク論理的。という特質を有する点では共通するものの、それ以
としても、それはあくまでこれらの根拠から導かれたものであることに留意しなければならない。要するに、サ
ヴィニ!とア
ア
外の点ではまったく異なる。すなわち、サヴィニ
ク哲学的・原理的 ψ であるのに対して、
でーーク実際的・機能的 ψ である。こうした根拠の相違は、峻別の限界を考える際に重要な差異をもたらす。サ
1
ペルのようなク柔軟な。(合目的的といってもよい)峻別論によればそうした例外を認めることも背理
ヴィニーのようなク厳格な ψ峻別論では物権債権峻別の例外を承認することは自己の立場の破壊に繋がりかねな
いが、ア
1
l
ペルであり、したがって、歴史的にみればその原型は、サヴィニーではなくむしろア
ティオ
l
ネン体
l
ベルにみ
とはいえないからである。そして、強調しなければならないのは、峻別論の起源とみなされているのはサヴィニ
ーではなくア
たような特質を有していたということである。
第二に、体系の内容について。民法典の編纂方式には、パンデクテン体系とインスティトゥ
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法学研究 82 巻 l 号( 2009:
系の二大方式がみられ、前者では《総則》《債権》《物権》《親族》《相続》の五部体系、後者では《人》《物》《訴
1
ベルにより構想されたのは、《物権》《債権》の二部体系
権》に由来する三部体系がとられる。したがって、前者は後者に比して、①総則の存在、②物権債権の峻別、③
家族法の後置という特徴を有する。これに対して、ア
である。これは、物権債権の峻別という点(②)では前者に与する反面、総則がないという点(①)では後者と
l
ペルは、たしかに人は法上重要な役割を演じているが、しかし体系上はあくまで時・場所などと同じ
同質であるが、家族法・人の法が体系の構成要素から排除されている点(③)ではいずれとも異なる。③の点に
っき、 ア
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ペルの二部体系を支えているのはかの弁証法的カテゴリーにほかな
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ネン体系という
ペルの体系もまた、近世における他の萌芽的な体系提案と同じように、民法体系の
ア
ように、込町 25ωg 三宮(状況[修正事情ないし法律要件のメルクマール]) としての地位が与えられるにすぎな
l
いという。このことからも解るように、
らない。 いずれにせよ、 ア
あるないしあるべき姿を分析・検討する際には、パンデクテン体系とインスティトゥ
大きな切り口で議論するだけではかならずしも十分でないことを示しているように思われる。
第三に、体系の帰結について。物権変動論につき一般には、意思主義と形式主義、一体主義と分離主義、有因
主義と無因主義という対立図式が描かれ、代表的なものとして、フランス民法典に代表される意思主義・一体主
義・有因主義と、ドイツ民法典に代表される形式主義・分離主義・無因主義が対置される。そして、これを両者
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ペルは、同時に、吾己
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が無因主義を提唱した結果、ドイツ民法典には受容されなかった。このように、サ
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理論は近世
の二重要件を基礎づけ、いわば
・5 。含’
ω理論の創始者でもあった。
の体系上の相違に還元し、物権債権を峻別しないなら前者、峻別するなら後者に至るのが自然であるかのように
28 0
説かれる。しかし、物権債権峻別の起源とされるア
すなわち、も
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両者の中間に当たる、形式主義・分離主義・有因主義を打ち立てたのである。この吾己
法を支配したが、サヴィニ
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事典として、同 F巴
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れている。
(3)とくに重要なものとしては、〉
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勝固有恒「ドイツにおける中世的普通法理念の高揚と凋落」一法九号九頁、三七頁注一八(一九七五年)[以下、「中
(4)ドイツ人文主義法学・物権債権峻別論- S 己
世的普通法理念」][メランヒトンとの関係でア
秀岳「ドイツにおける物権債権峻別論の展開」「物権・債権峻別論とその周辺l 二十世紀ドイツにおける展開を中心
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などに依拠]。
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|』(昭和堂、二 OO 一年)[言及なして津野柳一「ロl マ法と
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『権原と取得方法』による物権取得論・研究の視角|」新報九六巻
特定物債権の保護強化の一断面|」一法三号二八七!こ九三頁(一
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自 5EF ロ巴Jω
-
・
田dE22g 件当58Z 円伊国色。
る。その他、とくに以下の文献を参照した。者包芯同一司呂
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唱。】
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(6)本章は主として、冨己目白 FKF
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九六一年)[以下、「』
Z のり何回一巧同〉何
mkpZ吋
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(5)好美清光己
H宮
Hω
)の簡潔な評価を引用]。
(
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七・八号二二一一頁(一九九O年)[以下、「権原と取得方法」][わ。塁。・巴】
g何
ロ回
。Z
現代法における所有権の移転
と契約理論の再編|ヴォルフ・カント・サヴィニ
に|』一ーー一一七頁(成文堂、一九八九年)[初出、一九八七年][言及なし]、筏津安恕『私法理論のパラダイム転換
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糧問巡’
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法学研究 82 巻 l 号( 2009
置している、②小グループで移動したようであるが、この記述は大学と行動をともにしたという解釈と整合しない、
沙門自己。EB 一回M庄
F 司立宮巴
SFS 町。宮白内山口尽0
3℃
5ZB ロ戸悶円四・
き
③ヴイツテンベルクのすぐ側に都市がいくつか存し(ただし、三マイル以上は離れている)、他をみてもシ1ユベリ
開HEm-ゎ。弓
55
ンに赴いていない者がみられるからである。
umgEの
ω♀仲間各国自叶ω22
(幻)(
l
ペルがのちにヴイツテンベルクを離れるきっかけになった
NE2けの岡戸 σ色沼口寸回一f
何k
回F
ω
Yω・Nロ自芹司ロ・ H2・
戸[FZ目N
畠
】∞
・[
仲間同
∞・同8
目指
】
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ベル、そしてメランヒトン・ルタ
l
l
ベルに対する高評価の証拠として引用し
がニユルンベルク市参事会とは異なりプロイセン公アルブレヒ
ω・N81NHにしたがい、メランヒトンのア
C寸同Btp
目指「
ものと位置づけているが、文脈上かなり無理がある。交渉の存在およびその不成立がなぜ旅立ちを促すことになるの
H以上のエピソードを、ア
X
・
・pは
KL
F∞h
(お)回kr己
F主 ωkrP
目
た。しかし、ア
か。本稿では冨
トの要請に応じたのはなぜか、という問題は残る。宮口叶回一開閉山はこの間いに答えておら
F同
ず
,、
出
5・
K
回
戸〉
周もこの点に悩
んだものとみられる。資料不足であり、推測の域をでないが、いまは亡き先輩フイツシャl の後任人事であったこと、
8H・これに対して、異なる時を挙げるものがある。①一五二五年六月一五
f思k唱
F。
w-
m
〉ロ∞戸∞・
Naps-
S ,回一
・
w
プロイセン法務長官の地位が非常に重要なものであったことは指摘できるであろう。
(
m)
m冨
ベルのニユルンベルク滞在中には届かなかったとのことである。
d吋回一何
f回
NSlN
白印B 芹司ロ-
H2・括弧内補足は冨 CH
,回一男ー・ただし、この手紙は先lのルタ
〉匂巳弘・
∞・
ω
のロ何回
kfω
F。w-
wm
目 EW回同』
・見。)、②一五二四年(回
kr叶
F同志〉同fk唱
也)。
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『HZF
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H,
Z、N
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唱・o
∞pσ巴冨
(ぬ)わ何回
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の手紙とともに、ア
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HW
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の口問Fm-
Z 叶NHZF
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m-・
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ベルのヴイツテンベルク滞在期間は確定不能とされていたが、富 C己目見守〉旬。N
ω・Nag -件司ロ・呂町・
口同国一
L∞
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o冨F
F閃KF3
】・
(汎)わ何回・司・
のFFω-S ではア
(泣)当HFTZ
ニヒスペルク時代が一五一二O年から始まるとみることに異論はない。 ω己
により、出発は一五三 O年六月最終週、到着は同年七月一 O 日であることが明らかにされた。〈
l
ロロロ 2
ω・
hp
hg一
h 回kpF叶国〉 ω〉f
p。】
同 k唱
・
・H
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(お)KFEF
ロC
品。巳色。同拐の
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回zo目。 mwg国 EUmwE
Z ロロロ円M
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HZ回一何回岡山
∞弁当閉〉の関
ω
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戸 Z巴一回ω
宮 Zug-。宮
・ωN一
ω・8H・それ以来、ケ
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3
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口町ECm山口同戸
nm
ロ江ERZEE
υH5coωZE
ロO
ロロ品同,
2E ロ5ap〈同・
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2・
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同N・
E甘
・
σ巳冨口吋回一f
何〉
回旬y
白・
(鈍)の各包Bmw吋のFZNg問。巳mωσ2F各
。ω・N85 芹司ロ-NN
ω円・ω・同ωpz・ω∞・
∞・
NS・実証的なニユルンベルクの碑文研究は同一の文
F拓w-
思 k開
d寸回一f
〈w
。?のgcσ 口出 23 ロ[
K円
F四巴ロロ品川山宮ω立
問内
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巳BREd『NC一関口ω
目Z。の一
FO
口問。仙
冨己、『回f
一何回
・回門田σ
・巴戸
(お)のoF
昆σ
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N∞
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自芹司ロ-
NN
∞・
kFHX・w
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(お)者Frz のFFω・ωN
・これを引用するのは、富
ω∞ω・
円・
句があったことを伝えつつ、「記述なし。場所知られておらず」としている。M
同22NK
戸田F
一 ロ昨日ロ宮町門店窓口含門司ユ包・
晶君。FENCZ位ggawU-o品。
ERFgHB 岳民同OPE -
zw冨官。F85pZ
ω・宏・一方、近時、回〉F吋同 ZKHf
A-
F
ω注記なく同一の碑文を掲げている。筆者が現地に赴いたところ、み
F。「∞
同 k旬
は
志向。留・』
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SF2 ・問。S55
ロ巳 \
川島町。2守
あたらなかったため、間〈・明E
,m
。m
mg・』F
4司巳Z ロ
ω 2 ・問。。Fg に調査を依頼した。その結果は、墓碑銘
は現存しない、「おそらく第二次世界大戦により破壊された」とのことである。なお、テクストは文献により微妙に
異なるが、本稿では N〉回一
Zに依拠した。
l
アの戦いについての皮肉[皿
2
第一部第二段落末尾参照]は一五二五年ないし一
SRH )
は「一五二六年ごろ」に起草され、「一五三四年以降はじめて」印刷のため
ss の記述を単純に信頼したもののごとくである。これに対して、
密な検証を経たものではなく、 S 丘町S 』宮崎同h凡sな
ユm
件。pω ・
の口問Fm・N也0・しかし、「方法』との関係など綿
F。
u--N∞斗UH-
hpap
ω
(釘)冨 C4岡田fk旬
,HZP
z
同,H
Z同N
Ok
-ruo岳
項目〉打開思f〉司巴ω虫色。mgwω
・hSig
・2
[フランソワ一世]およびパヴィ
に推敵されたとみる。より早期に起草されたものと判断する根拠は次のとおりである。①フランツ一世(司
五二四
l
一五三 O年)、なかでも[法学教育改革についての]ヴイツテンベルク大学就任講義(一五二四年)との関
ニヒスベルク滞在中(一
)
五二六年に書き始められたことを示している、とりわけ、②メランヒトンの影響を受けたヴイツテンベルク時代(一
1
S 丸山
SE 民社ミ esh
還をみつけたというエピソードは一見滞在
]と疎遠になったことをなんらも感じさせない、他方、⑤ケ
l
開 SωBg
連が伺われる、さらに、③『方法』は一五二七年の講義に由来するが、そこでは『対話』ではじめて描かれる体系が
がヴイツテンベルク[ルタ
gEozg
展開されているところ、『方法』は時間的にみて『対話」を前提としている、④エラスムス(ロ
五三 O|一五三四年)に自己の体系のもととなった
後の着手を裏づけるようであるが、著作全体の流れからみれば「唐突な言い回し」ゆえに「明らかに著者の事後の挿
4
35
1
)
法学研究 82 巻 l 号( 2009:
l
ニヒスペルク時代にえられたものと推測し、この点につき項目〉打開一目に反対する。これは、
,
入」と読まれなければならない。しかし、 HENCECEEJ-
oFω・5mlS∞ B 芹司ロ・kgは、体系の構想はヴイツテン
ベルク時代ではなくケ
①『方法』では体系は「付録」として提示されているにすぎないこと、また、②『対話』では「明示的に」町志向Sロ
l
hHは
ω、支持者はシュロイ。フナ l、出版地はケ
,国広〉FK
戸田λ
】山
己・
ニヒスベルク時代以降に作成されたものとみることになる。
ついては記述が弱いという問題がある。この点を簡潔に補足するものとして、
∞-
Sl定・
,
ω司 ZHN
の口問戸ω・NS1お
HZP
N
zt 。5p
也∞・その他、参照に値するのは、富
N・
SlNP〉司。 F吋何f
d吋国何回
回 F2 -
f〉唱。-い
冨J
2F。《
出h12gEロロロのロ
(却)ハ凶K
・FBH
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umSE-m
l
l
ω2
・
講述の際には継続的に親しく連絡を取り合ったとのこと
E
』一八頁(信山社、二 000 年)[講演の翻訳]。
宏一司自gR
・ω・ω
〉CF
(
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m・口同一v
Z(
8U
m・
w 口口
U一
O
・
(司
壱
口m。
ピクの歴史について」『ト lピク・類推・衡平|法解釈方法
ロ各∞・ω広明ロ-HH・
∞INS
hメ
R ランヒトンの弁証法についてはさらに、ヤン・シュレー
・〈肉戸
ω
。
各任。 P ∞-S ・宮口寸回一
∞-N8 によれば、メランヒトンも法学に関心を有しており、困難な問題には
f巴
k旬
F。w-
,
・お l
の口問戸ω・NS・同一の表現を用いるのは、項目馬肉何回
(引)印、Z口
fk宮
F町虫色。
HNHZF
mgwω
お一P52
g
f何k
F。
w-
ω
,回一
回唱
・8
i
ロP
N
句。一∞Z目
KFEU
U
∞由一富田白鳥居
FK宮
F町宮 aE5
(必)〈包・冨
SE m -
H,凶
zp のロMNH・
-8 ∞l
ω広
・司 PHH印・
(必)冨 dH,国何Y回〉匂A-
W-∞
岡山内
2向
2。包〈。。民片
Z ・nm
・
〈u
同一
口ゅのm
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ロ肯
】m
・〈
ω同
S・
E門
E川
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司w・〈一一口。凶U
【m
日
w
出
口
「一(
Eph
w口
H一一口ゅの仲
凶口
・自
Z
(制)正式な表題は次のとおりである。ゎ ω司・門口。島民官室
p。
nロ
m
匂・口一口Z
。Zロ
論史の基本概念
ダー(守矢健一訳)「初期近代の法学方法論におけるト
(必)冨 S
ロgzmg
ω・
(必)垣間民同一F
切KF回出ω】
・ω・∞
である。
ZF。島g 門田区ゅの2片
5付
t
個人的な助言・援助を惜しまず、=呂
冨巴
百
ges ω ωEISA
(ぬ)『方法』の包括的な紹介については、富田民
R同
EwFLPH冨
52Z
-Pただし、体系に関わる部分に
・
・
0・N定 l
ニヒスペルクとしている。
N.
S・
Ef
F指一】
(お)冨ロ吋回
一k目
∞こ
-れに対して、回〉E
||本章とは異なり||ケ
Ea凡なミ。さきが引かれていることを重視したものである。この指摘によれば、『対話』はもとより、『方法』付録も
436
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.389;ID.,PGN2,s
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法学研究 82 巻 l 号( 2009:
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(印)司自民EFKF
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(凶) KF26F
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ω・2 ・この表現を引くのは、UC切拐の国〉FNd
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l
以前に取り上げら
N守口足。FS島。開豆島2W2 )』は、エポックメ
指ω・ω斗・ヘl レン編「民法[理論]の発見者(
lキ
F 〉目Y
l
ングな理論の「発見者」(デl ル)を合計一 O人、時系列的に考察したものであるが、サヴイニ
(印)回〉F叶同志〉
れた唯一にして最初の人がア
因主義)、イェ lリング(契約締結上の過失)、ラlバント(代理)、シユタウプ(積極的契約侵害論)、ケメラ
l (不
マン(ヨーロッパ民法)。
のロ何回
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Z 同N
・N8・問。EEZZ
.
に依拠する。
二九一!
マ法学に求められるかのように述べて
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当利得類型論)、 E ・ヴォルフ(実在的法理論)、リユツタ
l ス(法解釈限界論)、カナ l リス(信頼責任論)、ツィマ
l
(凶)ω目
・・
(凶)項目〉円相f
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(邸)KFE,。F、E
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・g・好美・』
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Z
g 包括
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HZ
に依拠したといいつつ、同理論の起源は中世ロ
(郎)出。ョ向
Z〉
F§ 己 55ιsag
l
ペルを挙げているのにア
l
ペルはだれも引用していないこと、反対に、②自己の見解を意識的にバルトルス
ZZ によれば、①事後の学
いる。「ア l ベルは、このバルトルスを引用して、導きの星としている」。しかし、図。司冨〉
二九二頁は主として出。EEZ
者はア
5 ・
宮J
丘宮内出
7E
krgH
との対比において提示している(
SUFm
ロ・戸句)こと、そして、③みずから旦
岳仏2E 岳に独自性
同 Z、口広切の目fωωiロ
m可ω何百出口訟は、ア 1 ベルにより「ドイツにおいてはじめではっきりと」浮かび上
理論の創始者とみる仮説は「それほど大胆なものではないといってよい」。もっとも、好美が他に参照したと
25EZω 巳己ロ ω注目。ロ20 [E1 第三章参照])から、ア
82 ロ弘吉
を標梼していること(国片 om。 ω。-
1 ベルを吾己
5 。ι5
いう、司 Eb
がった( ω-g とするにとどめている。この問題については、後掲注(印)も参照。
野・権原と取得方法二二二頁。もっとも、今日でも評価は揺らいでいない。
EEw司君思開 Z何f
JNmのF
回 NRS
昨日目
U。HZF何一司一月戸
H
忍∞
・-ただし、「現在の研究状況によれば」という留保付。
2Z
ゎのの評価を引用するのは、津
(印)(
w。-
の
円。。『己
F目
Oロ
。FOFB〈。百回 mmwECBω
22
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己ゆ
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一色m円
・百一一
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ω BωωN 自己斗(}・σ
w向σ
司
。話。目見
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ヨハン・アーベルの法理論
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gzzm BCEopEE 宵 RWHU∞少 ω・品ω品一回g 乙。 ω広君田口 zpES85 のFFENユ-8 位島町
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(邸)匂ミ忌
XSS は通称名であり、「簡潔に述べている本(品
町Fg
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胃
5え件。P 回色-
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河内江戸デ回N仏
・wsz ・5 品ωgmgdzm8与
pd司s
)という意味である。このタイトルはそ
・HH
・p
れがはじめて登場した一五五三年、編者により「いくぶん恐意的に」付けられたものであり、ケl ニヒスペルク版・
バチカン版・プレスラウ版にはまったくタイトルはなく、おそらく一五七O年に印刷された手稿もタイトルを有さず、
セヌトンが基礎にした手稿には会、富三月ミミそして、ヴィl ン版には EBBmgs 宏 25 とある。「つまり、本
来のタイトルはまったく確定できない」。〈z
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J の
円・
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き、文献の所在とともに、ロロ巴
ω門出〉FN 毛色窓口EMmw
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(問)〈。
ベルに同情的である。これに対して、印国
の口問戸ω・N8 の仮説に
Z 同一
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1 ル伝
l
N ω・N2 司ロ・
E 。ZO戸
σ・そのク責任。につき、〈
z。
ωkpS
のZ円
J は「アl ペルがこのことを伝えて
。
E2
いるわけではけっしてない」といい、ア
よれば、「ァl ベルは帝のなえ凡言尽きなの手稿との関連を信じていた」。①O四
O 年前の作品という見積[ロタ
第
説を意識しているという趣旨だろう]、②トリボニアl ヌスなどが復活すれば同意するであろうという所見[
l
l
ニア
l
l
マの法学者、スカエウォラ・パ
リウスに語らせていることに注意する必要がある。
l ピニア
l
ヌス・ウルピ
Z 吋NEのが主たる拠り所とする②のセリフは、自身を代弁するスルピ
ヌス帝のな句足富良SS を誤りとみ、古ロ
l
ヌスとして振舞おうとした[強調原文]。ω目
スティ
二部 E参照]をみよ。しかし、 krz,。F吋Efza 広三宮ロ 8 ・ω-g は、ア l ベルは両者の相違を「完全に精確に」認識し
ており、 ωJ
Z の批判は「まったく根拠づけられない」という。ァl ペルは自覚的に宗教改革者よろしく、ユー
「HZ吋NHの
ア
N
r
ω・旬、ぬh
CJE一
EN
宏
のa
をgの代表的な版はア l ベルの報告と、次の点で配列を異にしている。①第一
-K
-FH5・
ティウスではなく、アルベ
m)冨
(
の後ろに位置づけ
F
巻は通常どおり FE 住民 mEE 円ゆとりzcBEgs -
から始まり、同芝居円。宮5話
自はその第三章を構成している点、
2 。
σ。
g巳
ω品。ロ州民日
,
の章は分割されず、 uzom
丘町よりずっと前、 uoEEωZF2 ニ間口。
B 三宮の後
Eg
Z-
② OSσ5目。島町各国町
民--
吋は第三巻の末尾ではなく、 uo 。σ臣官昨日σ
。g
巳sc包magE52F
られている点、③ロ
O&の配列につき、国 onEZP。2ug -o担 MBb -NSINS
ろにおかれている点。旬、RFしN
-
・ただし、 krzOF叶一見のア l ベ
宅
4
4
7
法学研究 82 巻 1 号( 2009 :1
)
ル理解によれば、①の点は相違に挙げられない。前掲注(附)参照。とくにケl ニヒスベルク版の手稿との相違につ
F52H といった表題はな
l ペルの報告とは異なり巻・章の区別がなされていないと
司H
ロ-
NH
wo
ω
u
∞は次のように反論する。巻につき、
E ,出f
何回kr-
・ωNh
ω・N印NZ ロιN白Nは、ア
き、〈。 z ∞〉〈
?のめω
岳山岳同九戸
EZJ
いう。これに対して、冨
いけれども、新たな巻の開始は本文に記述された赤い表題と赤青の装飾大文字で一不され[強調原文]、さらに、第二
RSZ 品。EB 何百円
巻の冒頭には∞ロ芳江。話可
ω。ロωEBR252
件とあるし、また、章に関しては、たしかに本文に
l
ニヒスペルク図書館を司る立場[同 ωロ巳2 ]にあった以上、
章題は存しないが、あちこちに赤のパラグラフ記号が付けられ、また、欄外には朱書きの章題がみられる。
(問)第一の問いについては、ア l ベルはプロイセンでケ
l
ロωgωF 乱。ロ忠吉目。丘町ggmwH
己注目
〈。ZEg
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N也
)(冨
f何k
F拓ゲ∞
回開
・
CH,同一
)。〈
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・mwRF
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J の g岳山の宮九戸∞
、②色。ロ己目。に関する解釈もともに同一であるから(Z
品。ロ己
8・
H188
ペルのみたものは切ミ忌いミ
h。
s と同定できる。というのは、①両者の聞には相違よりも一致のほうがは
ωtzz。ロgw ∞・
-ロ
8l笥・第二の問いにはこう応え
「かれの言葉を信頼に値しないという根拠は存しないO
」KFE
バVHHEr
られる。ア
円〈22HgE5258
るかに多く(〈。zω 〉ヨの
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ヌス帝の Ea 民営立SS に合わせて修正されたもの。こうした
ベルのみたものが切さのご守
hs の原型であったが、それは今日では喪失してしまった。現存する手稿は註釈学派
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司包窓口EMm
一回〉
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F己向島〉 FKF
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-S ・第三の問いに関しては二つの角度から応答されている。一によれば、ア
-m・hg
によって原典を無視して計画的に、ユ
修正の背後には体系に関心を持たない同学派の特質がみられる。冨 E
N∞ω・他は、アl ベルは通常の手稿をみたのであるが、しかるべく修正をくわえて報告したという。旬、ぬh
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守基礎
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l ベルをしてこうした修正に駆り立てたのかもしれないと推測する。〉
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・前者には、すべての手稿が同学派の影響のもとにあったのか、かれら
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司ロ・の・
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内容として]はっきりと報告していることを説明できない、という問題がある。冨 E
u-・N句史〈向日・告のz『〈。
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E一f〉唱。
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江主託。ロOH-
る。 krEO
F寸何f
回 Fω
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ルが[自分のみたものの構成・
M ∞・∞也・これに対して、後者のような読み方には
1、
が体系に無関心であったなら、なぜそこから日を覚まし、体系の修正に走ったのか、という疑問が投げ掛けられてい
にある改革思想がア
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・∞印)に向けられたものであったが、すでにみたとおり第二版でも立場は変更されていない。
ω・hS司 H・
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・∞∞lS・区別の相当性の例としては、所有権は物を消滅させずに放棄できる( mug∞の回)
ω(
が債権は放棄されれば消滅する( ωωミ krz
-S )、体系の暇庇の例としては、とくに債権の不法行為
-H回の回)こと
いう権利のニ区分は債権も物権と同様に譲渡可能との認識をもたらし、これが債権譲渡を有効とする
∞∞切の切に
mω
ω・
2 )を挙げる。なお、物権債権と
河内出宮の解釈〕)
(
的保護の弱さ(債権侵害論〔仰∞お krg
・H回の回一色ロg ロωtmg
alg ・ミ)。これに対して、まったく異な
結実したとみ、債権の譲渡性の文脈で「実際上の有用性」を強調する(∞-
司。EOB ロmwm
る評価を与えるのは、当回〉門リE同
・峻別体系によれば債権の「財産帰属対象」性が正当に評価さ
f一
・ω印0
れない、債権用益権・債権質権を物権法、債権譲渡を債務法に割り当てるといった体系上の混乱はその現れであると
断じる。
(削)問題意識につき、水津太郎「物権債権峻別論の意義と限界」三色旗七二ハ号一二|一六頁(二
OO 七年)参照。
同,回開口何K回
出
内みられる。
F司
Cと
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ベルの墓碑
-
(脱)叶回開口一回
opm・HS・多くの論者が同旨を述べているが、この側面をもっとも端的に指摘しているのは
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ω頼りにニユルンベルクの聖ロクス墓地ヘア
筆者は今夏、ドイツ滞在の折、回〉戸寸同
を
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〉旬。「∞
-
Mf
〔追記〕
銘を探しに行ったが、発見できなかったため、直接当人に問い合わせたところ、論文では二次文献に依拠したから詳し
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5
1
法学研究 82 巻 l 号(2009
Z ロ
・問。
sg に調査を依頼したらどうか、との教一不を受け
mg・』。冨ロ
いことは判らない、同〈・司円F
庁。
内守 2 調印-
4ロ
2-
で、かれの論文につき事実関係および典拠の所在を中心にいくつか質問したところ、校正段階で次のような返答を受け
た。前掲注(お)における同庁への調査依頼はこうした経緯で行われたものである。その後、せっかくの機会ということ
た(掲載につき当人了解済み)。
論文は当時[二 OO 一年]脚注をつけずに書くこととされた[参考文献を論文末尾に一括して掲げる形式]ため、現
l
ベルが聖堂参事会員になった年(前掲注( U)参照)。「一五一六年」の典拠は不明。②聖堂参事会員と枢密顧問
在[二 OO 八年]ではどこから事実を引き出したのかを完全に跡づけることはできない。
①ア
ペルの解放日(前掲注(時)参照)。不明。④ルタl の結婚式(前掲注(お)参照)。「一五二四年」は誤植、「一五二
ないのに対して、枢密顧問官は司教の職務を引き受けるものであり、その役割は聖堂参事会員とはなんらの関係もない。
官の関係(前掲注(凶)(日)参照)。聖堂参事会員は司教座聖堂に属する聖職者であり、少なくとも助祭でなくてはなら
l
五年」に訂正[日付の問題には応答されず]。⑤『対話』の支持者および出版地(前掲注(お)参照)。「シュロイ
プナ
l」
③ア
「ケl ニヒスベルク」というのは伝記の一つに依拠したはずだが、調査の結果、出版地はプレスラウと判明[支持者の
l
l
マ法源の非体系的な改訂であった(註解学派
ベルはもう一歩進み、この区別に依拠して法の体系構
ベル理論の意義につきこうまとめる。「継受とともにいわば物権と債権の区別も『発見」された。もと
マ法も原理的には双方のカテゴリーを有していた。ア
l
やはりなにもみあたらなかった。
l
最後に、ア
よりロ
築を基礎づけた。ローマ法再生の端緒を特徴づけていたのはむしろロ
後期註釈学派)。体系構築の試みはもともとルネサンス期の特別な関心事の一つだったのである」。
同m
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固め門司ロロ円
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w}向。
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om円。目。ロロ件
H
問題には応答されず]。⑥ツアジウスとの関係(前掲注(凶)参照)。当時同じく両者の関係を明らかにしようと試みたが、
4
5
2
Fly UP