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「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩

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「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
論
説
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
T・S・エリオットの猥雑詩と古代豊穣儀礼
瀬
古
潤
一
要旨
本稿は、一見したところ支離滅裂と思われる T・S・エリオットによ
る一連の猥雑詩の内容が、 当時研究していた F・M・コーンフォド
Fr
anc
i
sMac
donal
dCor
nf
or
dによるギリシャ喜劇のプロット分析とい
かに符合するかを指摘し、古代豊穣儀礼である「ファリック・リチュア
ル」としての要素を抽出する。これは、「ボロ王」と「コロンボ」らの
冒険を『荒地』に結実する民俗学的関心と接合させることであり、研究
者がもてあましてきたものに文脈を与えることである。これによって、
なによりも、エリオットの深層への探求が、太古から持続する人々の笑
いの系譜とも結びついていたことを示唆したい。
キーワード
1.T・S・エリオット
2.ボロ王と大きな黒い王妃
3.『アッテカ喜劇の起源』
4.F・M・コーンフォド
5.アリストパネス
「ボロ王と大きな黒い王妃」と「コロンボ」にまつわる一連の猥雑詩は、
これまで、青年 T・S・エリオットの「副業」と見なされることが一般的で
あり、その意味が真剣な考察の対象となるのは近年になってからである。
「副業」としての位置付けは、ハーヴァード大学で共に青春を過ごした友人
コンラッド・エイケンの回想を受けたものである。猥雑詩は「本業」として
の詩作や深刻な哲学的・宗教的思索に没頭した生活における気晴らしであり、
他愛ない脱線というわけである。ボロ詩篇など猥雑詩はその存在を無視され
― 27―
るか、おざなりに言及する論者もほとんどこのエイケンの見方を踏襲し、本
来の真剣な取組みと並行するやや破廉恥な「対位旋律」として片付けてきた
経緯がある。
エリオットの代表的な伝記のなかで、リンダル・ゴードンは、ボロ詩篇に
ついて厳しい自己抑制を束の間打ち破るためのものだったとし、フランス遊
学に際しエリオットの母が恐れた「パリの不道徳な影響」の産物そのものだ
と述べている。果たしてそうなのだろうか。ゴードンは下品な言葉が散りば
められた一連の断片を幼稚で退屈なものだとしている。さらに、嘆かわしい
女性嫌悪と黒人蔑視も指摘しているものの、それ以上踏み込んだ議論はして
いない1)。エリオットの反ユダヤ主義を糾弾したアンソニー・ジュリアスも
「スカトロジカル・レイシズム」と切り捨てるだけである2)。だが、こうした
評価は一面的であり、また、不十分である。本稿は、原点に立ち返り、エリ
オット自身によってなされたボロ詩篇についての発言から出発し、近年の議
論も視野に、猥雑詩に公平な評価をもたらす試みである。
公にされたエリオットの猥雑詩のいくつかはエズラ・パウンド宛の書簡の
なかに書かれている。また、草稿ノートの断片もパウンドに預けられていた。
気心の知れた者同士の密かな悪ふざけと見なされても仕方のないところでは
ある。だが、エリオットがボロ詩篇など猥雑詩の雑誌掲載を真面目に考えて
いた経緯も明らかとなっている。近年になって、ようやく、ボロ詩篇やその
周辺にある猥雑なバラッドを俎上に載せた研究が発表され始めた。モダニズ
ム一般の隠された動機を解明しようとする試みの一環である。これは 1988
年の書簡集第一巻に続いて、1998年の初期詩篇『三月兎の創作』の刊行が
後押ししたのであろう。研究の新たな展開として、ジョナサン・ジルは、ボ
ロ王とコロンブスにまつわる断片が、テーマという面でも、語彙など形式面
でも、十九世紀アメリカで発生した大衆芸能ミンストレル・ショーのフォー
マットを踏襲していることを明らかにした3)。ジルの議論は大枠でマイケル・
ノースの魅力的なモダニズム論を受けたものである。
ノースは、特にアメリカ人国籍離脱者であるモダニスト文学者は「方言」
di
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e
c
tとしての黒人の口語を盗用し、戦略的にこれを用いたとした(「黒人
英語」は黒人不在のまま白人作家によって利用されたことになる)4)。ヨーロッ
パに乗り込むにあたり、アメリカ人作家は捏造した「黒人英語」を、標準的
な英語や、これに基づく英国の文学的エスタブリッシュメントを撹乱し、突
き崩すための強力な武器にしたとするのである。エリオットやパウンドらは、
― 28―
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
黒人の仮面を付け腹話術としてこの「黒人英語」を操って見せた。いわばそ
れは「人種的仮面舞踏会」r
ac
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almas
que
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adeであり、ノースの説明によれ
ば、二十世紀初頭に開花した文学的モダニズムと切り離すことはできない。
エリオットの「ボロ王と大きな黒い女王」もそうした特異な動機の現われと
見るわけである。確かに、エリオットが独特の「黒人英語」でパウンドと手
紙をやり取りしていた事実は見逃すことができないし、同時代のガートルー
ド・スタインや E・E・カミングスらの動向も踏まえた分析には説得力があ
る。アメリカ人詩人が大きな役割を果したモダニズム作品が生まれる現場に、
黒人文学者と人造の「黒人英語」を操る白人モダニスト文学者の相克が存在
していたとの議論は興味ぶかい。
だが、大学時代から中年期以降まで書き継がれた猥雑詩を、ヨーロッパの
文学世界を「征服」しようとしていたエリオットの戦略とする解釈だけでは
抜け落ちるものがある。ボロ王国のバラッドを一義的にミンストレル・ショー
とみなすことについても同様である。アメリカならではの人種的確執を背景
としたモダニズムの特殊な文学状況は確かに存在したかもしれない。しかし、
それだけではボロ詩編には説明のつかない要素がある。アメリカ固有の人種
問題を過度に重視しそこに執着すれば、ボロ詩編の別の側面に目をふさぐこ
とになろう。原点に立ち返るべきではないか。原点というのはエリオット自
身の言葉である。この真っ先に検討されるべき事実についてこれまで論じら
れてこなかった。エリオットによれば、ボロ詩編は、アメリカの差別問題か
ら遠く離れた民俗儀礼に関わるものである。基本に立ち返り、ボロ詩篇のな
かの古代祭儀としての性質をきちんと評価することは、黒人と白人の人種的
確執を過度に読み込む危険を中和する効用もある。
1923年 9月 3日付のパウンド宛の書簡では、創刊まもない『クライティー
リオン』誌の事務処理上の連絡事項の他、編集方針や、それとのつながりで
ロンドンの知識人を遠慮なく品定めしている5)。エリオットは編集主幹とし
て寄稿者を選定する立場にあった。パウンドとの内輪話のなかで極めて侮蔑
的に冷笑されている評論家や文学者もいる。高名な評論家も密かな嘲りの対
象になっていた。他の文芸誌への敵対心もあらわで、ロンドンの文学世界を
制圧しようというエリオットらの意気込みが窺える。書簡の末尾で、エリオッ
トは、アリストパネス風のコメディの作成にあたっているとし、目下のとこ
ろ、「ファリック・ソング」と「アゴーン」の研究に専心しなければならな
いと記している。そのすぐ下に、ボロ王の黒い王妃に関する詩節を書き綴っ
― 29―
ている。エリオットは、ボロ詩篇を、「アゴーン」ないし、「ファリック・ソ
ング」と考えていたわけである。初期の断片の執筆時期は明らかではないが、
少なくとも『荒地』発表直後には、ボロ詩篇を古代儀礼と結びつけていたこ
とは明らかである。また、この背景に、アリストパネス喜劇のプロット分析
を行った古典学者 F・M・コーンフォドの影響があることは疑えない。
エリオットは、ボロ詩篇を「アゴーン」そして「ファリック・ソング」と
したのだが、パウンドも同様な見方をしている。詳しい経緯は不明だが、初
期のボロ詩篇は草稿ノートから切り離されパウンドの手に託されたようだ。
パウンドはボロ詩篇など猥雑な詩篇を封筒に収め一括で保管していた。封筒
には、パウンドの手により ・T.S.E.Chan
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・と記されて
いた。
ミンストレル・ショーとの関連を論じたジルはパウンドがボロ詩篇をギリ
シャ古代の「ファリック・ソング」と見なしていた事実に触れ、エリオット
の猥雑詩と「セクシュアリティ」を結びつけたパウンドは正しいと述べてい
るが、卑猥な語が満載のボロ詩篇が「セクシュアリティ」と関係するのは自
明であろう。 問題はこの 「セクシュアリティ」 の内実である。 ジルは
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・の意味だと解説しながら、肝心の「ファリッ
ク・ソング」の意味を検討していない。豊穣儀礼で歌われた「ファリック・
ソング」の要素を踏まえたならば、ジルの結論は違ったものになっていたは
ずである。もっとも、根本的には、ボロ詩篇が「ファリック・ソング」であ
ることと、ミンストレル・ショーであることは矛盾しないように思われる。
大枠では豊穣を祈願するものであるが、古代の「ファリック・ソング」の
具体的内容は明らかではない。エリオットも「ファリック・ソング」という
言葉で、アリストパネス喜劇にも反映されている古代儀礼の要素をおおまか
に意味していると思われる。
「ファリック・ソング」という言葉で「ファリッ
ク・リチュアル」を代表させているのである。本稿も、エリオットの意味づ
けを踏襲し、コーンフォドの解説に基づいて、猥雑詩のなかに「ファリック・
ソング」を中核とする古代祭礼のプロットを抽出する。
*
『荒地』を書き終えてからエリオットは本格的に劇作を試みた。形式の失
われた現代で可能な劇作の探求は、民俗学的、文化人類学的成果を踏まえ古
代ギリシャ演劇の起源を探究したケンブリッジ大学を中心とする一連の学者
― 30―
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
たちの業績に大きく依拠するものだった。この学派を形成したのは、ギルバー
ト・マリー、F・M・コーンフォド、ジェーン・エレン・ハリスンといった
面々である。エリオットが「神話的方法」に活路を見出そうとしていたこと
は周知の通りである。J・S・フレイザーの後を受けた学者たちの研究は、
成熟し完成したギリシャ悲喜劇のなかに、年中行事であった古代の祭礼から
持続する普遍的な「構造」を見出そうとするものであり、劇作に向かうエリ
オットの目的に叶うものだった。
エリオットが『闘士スウィーニー』Swe
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に至る模索の中で
重点的に研究したのがコーンフォドの『アッテカ喜劇の起源』である 6)。
1914年に刊行された同書で、コーンフォドは、登場人物の役割の類型など
綿密に分析し、アリストパネスによるギリシャ古喜劇が、古代アッテカで催
されていた「ファリック・リチュアル」としてのディオニューシア祭のプロ
セスから派生したものと論じた。素朴な民衆による豊穣祈願の年中行事が、
やがて劇的形態を備えた民俗劇となり、アリストパネスの喜劇の基礎となっ
たとするのである。コーンフォドのこの研究は、ギリシャ喜劇が「ファリッ
ク・ソング」を歌うリーダーから発展したものだとする『詩学』でのアリス
トテレスの記述を受けたものである。
古代の「ファリック・リチュアル」では、パッロス(男根・ファルス)崇
拝者たちによる行列が形成され、大きなファルスをエンブレムとして掲げて
いたという。行列の人びとは酔っ払い、祭儀の参加者たちの間には過激な悪
口雑言の応酬があったらしい。定められた場所で行列の進行は止まる。「犠
牲」として神(肯定的な原理)が殺され、ディオニューソスに祈りが捧げら
れる。行列は再び進行し、その際に「ファリック・ソング」が歌われた。
「ファリック・ソング」には二つの要素があり、一つは、慈悲深い神への祈
願と豊穣の力を呼び込むことであり、二つ目は、乱暴な悪罵によって飢餓や
貧困をもたらす悪しきものを追放することである。「犠牲」のプロセスは作
物の豊作や子孫繁栄をもたらす神の「復活」につながるはずであり、「死」
は「再生」に至るための必要な契機となる。コーンフォドは、アリストパネ
スの喜劇でも、皮製のパッロスの作り物を登場人物が身につけていた可能性
が強いと述べている。
『アッテカ喜劇の起源』が刊行される前に古典学者ギルバート・マリーが
ギリシャ悲劇の起源を古代儀礼のなかに求めており、コーンフォドの研究は、
ギリシャ古典劇の双方が同じ根を持つことを論証する形となった。同じ豊穣
― 31―
儀礼から出発しながら、後の発展のなかで悲劇と喜劇は二つのジャンルとし
て分化し独自に発展したことになる。エリオットがコーンフォドによるギリ
シャ喜劇の形式分析をいかに忠実に踏襲しプロット構成に反映させながら
『闘士スウィーニー』の製作にあたったかについては、キャロル・H・スミ
スや R・クローフォドの研究が明らかにしている7)。『闘士スウィーニー』は
「アリストパネス風メロドラマ」・Fr
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ama・と副題が付された作品で、1926年とその翌年『クライティーリオ
ン』誌に掲載された「プロローグの断片」・Fr
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・と
「アゴーンの断片」・Fr
agme
ntofanAgon・を合わせたものである。「プロ
ローグ」は、登場人物が冒頭に状況説明をする「プロロゴス」であり、「ア
ゴーン」とともにギリシャ喜劇の重要なプロット要素である。未完に終わっ
た『闘士スウィーニー』は 1932年アメリカのヴァッサー大学で上演された。
このときエリオットはプロデューサーを務めたハリー・フラナガンに『アッ
テカ喜劇の起源』を参照するようにと勧告している。
エリオットには稀なことだが、コーンフォドの業績については手放しで賞
賛していた。1923年 5月には『クライティーリオン』誌への寄稿を極めて
丁重に依頼している8)。文面からわかるのはこのケンブリッジの学者に最大
限の敬意を払っていた事実である。エリオットは、『クライティーリオン』
は、最高の知的成果を掲載することを使命とし、発行部数こそ少ないものの、
英国のみならずヨーロッパ全域の最高の知性の持ち主が購読しているのであ
り、必ずや大きな影響力を持つはずだとして、文章の寄稿を求めている。結
果として、コーンフォドが『クライティーリオン』に文章を寄せることはな
かったのだが。この一年後にエリオットは、『ネイション・アンド・アシー
ニアム』誌に「太鼓を叩くこと」・TheBe
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um・という重要な
論考を発表し、コーンフォドの見解を援用しながら、劇の根源を探れば、喜
劇も悲劇もない「リチュアル」に行き着き、さらには、太鼓のリズムにまで
還元し得ると論じている9)。
*
草稿ノートでは、唐突に以下のスタンザが記されている。状況説明は全く
ない。ボロ王とコロンブスにまつわる詩篇は、全体として、このように断片
的な場面が切れ切れに綴られているものである。脈絡は推定するしかない。
コロンブスはイザベル女王の後援で航海を行ったのだから、冒険へ送り出す
― 32―
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
ための祝賀会なのか、それとも、帰還した船員一行の航海の無事とさまざま
な発見を祝う趣旨の饗宴なのか。
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なぜ運び込まれたコロンボ(コロンブスのイタリア語読み)は死んでいな
ければならないのか。マイケル・ノースやジョナサン・ジルはこれをどのよ
うに説明するのであろうか。黒人と白人、ミンストレル・ショーではこれに
答えることはできない。この場面は、コロンボの「死」と「復活」の場面と
理解すべきである。断片的ではあるが、このモチーフを読み込まなければ説
明がつかない。実際、このスタンザは荒唐無稽で、狂気じみたイメージでは
あるが、以下で見るように、儀礼的プロットのなかでは筋が通っているので
ある。牡蠣用フォークによってイサベル女王の与えた刺激で、コロンブスの
尻は反応し、スカトロジカルな結果を伴って蘇る。さて、なぜコロンブスは
女王によって食べられなければならないのか。
なお、ここでミハイル・バフチンを援用すれば、「糞」という物質は、近
代的価値観では言うまでもなく単に否定的なものだが、当然ながら肥沃な土
につながり、土は母胎としての豊穣をもたらす大地である。民衆のカーニバ
ル空間の文脈においては重要極まりない物質であり、「生命」を象徴する。
「饗宴」という状況で、スペイン女王の刺激がコロンブスを「復活」させる
のだが、そこに今日の感覚では場違いな「糞」が付随するのは、論理的なの
である。民衆的イメージにおいて、「糞」と「饗宴」は切り離されたもので
はない。古代から中世にかけての庶民のイメージ体系のなかでは「糞」は
「饗宴」に結びついている 11)。アリストパネスの作品にもスカトロジーの要
素は盛りだくさんである。
「死」と「復活」は、コーンフォドによれば豊穣儀礼の中枢的なプロセス
― 33―
であった。そして、この「復活」と「饗宴」は連続的であった。古代豊穣儀
礼の実態ははっきりと再現できないが、その発展段階で「光」と「闇」
、
「夏」
と「冬」、「生」と「死」が対立原理としてお互いを打ち負かすべく戦うもの
とイメージされたらしい。闘争の結果、肯定的原理はいったん敗北する。そ
れが、先にも述べた肯定的原理としての神、善なる精神の犠牲的な「死」で
ある。神の「死」の嘆きは、次に、神の輝かしい「復活」の歓喜と「饗宴」
に移行するはずである。この定型が下部構造としてアリストパネスの古喜劇
のなかにも見出されるわけである。対立と闘争、良き原理の犠牲的な「死」
は、古典的喜劇のプロットに含まれる「アゴーン」Agonに相当し、対立す
る原理を体現した英雄と悪役との対立抗争となる。例えば、『アテナイの人
びと』であれば、「平和」と「戦争」、『リューシストラテー』では「男」と
「女」、『蜂』では、「若者」と「老人」の政治的理想の対立となる。そして、
通常「アゴーン」に続く「パラバシス」(コロスが観客に直接語りかける部
分)は、古代の「ファリック・ソング」に相当する内容を保存している。
神としての聖なる原理は一度殺されねばならない。しかもその後、身体を
バラバラに切断され、
「大釜」で茹でられるなどして料理され、人びとによっ
て「饗宴」で食されなければならない。「復活」と「饗宴」は不可分である。
この試練を受けることによって、神は「再生」と「若返り」を獲得すること
ができる。「大釜」による「新生」のモチーフは、アリストパネスの『騎士』
に色濃く反映されている。「若返り」のモチーフ自体は他の多くの作品に確
認することが出来る。
祭礼の発展のなかで、崇拝の対象としての聖なる原理が人間の形を与えら
れる段階に達したならば、主人公は最後には結婚に導かれなくてはならない。
肯定的原理としてのヒーローは若い活力を取り戻して復活し、 地母神
Mot
he
rGodde
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sと聖なる結婚をしなければならない。人々に勝利を祝福さ
れ、栄誉を讃えられる。この聖なる結婚によって「ファリック・リチュアル」
は完成する。大団円としての「饗宴」と「結婚」は大地の再生と豊饒をもた
らす「天」(He
ave
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)と「地」(Ear
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hmot
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)の結婚を象徴する。
古代儀礼は、毎年決まった時期に行われたのであり、冬になり力を失ったこ
れまでの王の死と、春の新たな王の復活を意味するのである(20)。冬は追
放され、夏が招き寄せられる。こうした一連の流れは、アリストパネスの喜
劇では祝祭の行列「コモス」kmos
、俳優とコロスの退場の場である「エク
ソドス」Exodos
のなかに保存されている。勝利し凱旋する「英雄」は結婚
― 34―
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
し、若返り、あたかも新しい「王」、もしくは新しい「神」(ゼウス)として
讃えられ、賞賛されることになる。ほとんど全てのアリストパネスの劇は、
勝利、凱旋、祝勝、結婚と進行する。
先に引用したエリオット断片は、このような事実を前提としてのみ趣旨が
理解できるものになる。古代喜劇のプロットの説明がなければ意味不明であ
ろう。断片ではコロンボの「死体」は毛布に乗せられて「饗宴」の場に運び
込まれる。コーンフォドは、ギルバート・マリーが古典悲劇のプロットのな
かに見出した古代儀礼の定型的な過程を図式化して引用している。悲劇の基
本的なプロットでも、二つの対立する原理の「アゴーン」に続き、肯定的原
理を体現する神々は犠牲として殺される。舞台に神の死体が運び込まれる。
この部分をマリーは、・t
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nonabi
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r
・と説
明している(59)。エリオットはマリーの論文を直接読んだのかもしれない。
コロンブスはテーブルの上に供せられ、フォークを突き刺されるが、古代
の祭儀では、犠牲に捧げられたものは料理人によって調理され、人々によっ
て食べられるのであった。この事情を踏まえれば、食卓に寝かされたコロン
ブスの置かれた状況は納得できるものとなる。コロンブスは「復活」するの
であるが、「復活」の場面が「饗宴」であるのも、豊饒儀礼を背景としたと
きのみ筋の通ったものとなる。たった一つのスタンザのなかに、豊饒儀礼の
プロットが凝縮されているわけである。古代儀礼でもアリストパネス喜劇で
も「復活」を取り仕切る「料理人」や「医師」も、間接的ながら、ボロ詩篇
に登場する。
コーンフォドが、「ファリック・リチュアル」の完成としているのが復活
した「王」と地母神の結婚である。「死」と「復活」の儀礼を経験したコロ
ンブスは、結婚することで、「ファリック・リチュアル」としてのボロ詩篇
は完全なものとなる。1923年のパウンド宛の書簡で、エリオットが「アゴー
ン」もしくは「ファリック・ソング」として綴ったスタンザによれば、「恐
ろしいまでに明朗で陽気な」黒い王妃はあいにく貞操観念に欠けている。自
由奔放な王妃は、コロンボの子を宿してしまう。コロンボと黒い王妃は結婚
したのであり、胎内のまだ「胚芽」の段階の王子は、
「ボロンボ」Bol
oumbo
であると女官たちは囁きあう12)。キューバの密林の黒い王妃は生命力に溢れ
活動的であり、性的にオープンな性格である。その黒い肉体はふくよかであ
る。「土母神」としての貫禄は十分である。
荒唐無稽な以下の詩節もコーンフォドの分析に照らしてのみ状況が理解で
― 35―
きるようになる。舞台はおそらく航海途上の船上であろう。船長コロンブス
と船員の男たちは、なぜか、仲良く「アイスクリーム・ソーダ」を食べてい
る。スペイン王室でのスタンザと同じように「饗宴」の場面といえる。二十
世紀初頭の少年たちにとって「アイスクリーム・ソーダ」は夢のような食べ
物であったはずである。
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まず、コロンブスと船乗りの男たちが「アイスクリーム・ソーダ」を楽し
んでいる場面には「若返り」のテーマを認めることができそうだ。すでに述
べたように、
「若返り」と「再生」が豊穣儀礼の重要なモチーフである。コー
ンフォドによれば、「若返り」は、アリストパネスの失われた作品Ol
dAge
の重要なモチーフであった。この作品では、老人たちは青春を取り戻し、不
作法な行為を楽しみ放埓を尽くす。残された断片から推測すると、ヒーロー
は妻を追い出し、若い女と結婚することになる。この「若返り」も、「料理
人」によってもたらされたものらしい(91)。ボロ詩篇では、男たちが少年
期にまで若返っているのが可笑しい。
「饗宴」の場面に大きな黒い王妃が飛び込んでくる。本稿の論点では、王
妃の姿に、アリストパネス喜劇作品のお決まりの登場人物である「詐称者」
Al
az
onの姿を重ねたくなる。コーンフォドの解説では、犠牲・調理・饗宴
の場面にはさまざまな職の招かれざる闖入者がいなければならない。豊穣儀
礼に根を持つフォーマットである。厚かましくも図々しい闖入者は、ありも
しない功績で「饗宴」への参加を求めるが、嘲られ、手厳しく殴打されるの
が通例である。ボロ詩篇ではそこまでの扱いは受けない。だが、黒い王妃は
「アイスクリーム・ソーダ」を食べることはできない。黒い王妃が勧められ
るのは、ハイエナの「尻尾」と「ペニス」に過ぎない。コミカルではあるが、
― 36―
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
やはり、王妃はひどい仕打ちを受けているのであり、「詐称者」として振る
舞っていると思われる(
「鐘」のもつ象徴性についても注意すべきであろう)
。
*
『アッテカ喜劇の起源』では、古代から中世を経て今日まで続く民衆の祝
祭や、残酷なシーンや野卑な笑いを売り物にした民俗劇についての検討もな
されている。豊穣儀礼の痕跡をとどめているのである。エリオットの猥雑詩
と符合する点を挙げる。
古い神の死はギリシャを支配するゼウスの課す日常の規制が一時的に解除
されることを意味し、それは社会秩序の逆転した陽気な祝祭空間をもたらし
た。強力なゼウスの地位が空位となると、階層秩序は逆転し、奴隷が主人を
支配するということも生じたのである。コーンフォドによればこの期間、中
世の「狂気の僧院長」AbbotofUnr
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on、「無秩序の王」Lor
dofMi
s
r
ul
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のような「偽の王」が選ばれ、浮かれた時を支配するのだった。アリストパ
ネスの劇が演じられたディオニューシア祭のような祝祭は大変な賑わいを見
せた。久保田忠利氏は、「祭りの時期は文字通り祝祭であって、日常の仕事
は行われず、政治や裁判に関わる仕事は休止され、刑の執行が猶予されたの
である。そこにはカーニヴァルの要素が多分にあり、喜劇に見られる露骨な
性的ジョークや悪口雑言を含む諷刺が許されるのは、その伝統と深く関連し
ていると思われる」と述べている14)。
アリストパネスの喜劇のなかにも羽目をはずした気分が溢れ出すときがあ
る。それは、ジョークや諷刺だけではない。コーンフォドは、喜劇における
既成の秩序の逆転である「インヴァージョン」もこうした民衆の祝祭気分を
保存したものだと言う。役割転換の一つの現れである男女の逆転は、例えば、
『リューシストラテー』に見出すことができる。この作品で、女たちはアク
ロポリスを掌握し、戦争が終わるまで男たちに協力することを拒む。『女の
議会』のなかで、プラクサーゴラーは、夫の衣服で変装させた女たちに議会
を占拠させ、国家において女の権力を絶対とする決定をする。
ボロ詩編ではさまざまな「インヴァージョン」が確認できる。ここでは男
女の逆転についてだけ紹介すると、以下の詩節がある。
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第一次大戦勃発直後にコンラッド・エイケン宛の書簡に綴られたもので、
エリオット版「戦争詩」だという。軍艦の甲板でパレードしている船長は
「コルセット」を付けている。
古代ギリシャの「ファリック・リチュアル」と同様の祭儀は、当然のこと
ながら、ヨーロッパ各地で行われ、その痕跡は民俗劇のなかに確認できる。
考察は、同一の起源から派生したイタリアのコンメーディア・デラルテ、英
国の無言劇や、伝統的操り人形劇『パンチとジュディ』にも及んでいる。コー
ンフォドは、E・K・チェンバーズの見解を受け、モリスダンスのような剣
舞の起源にも言及している。また、五月祭の五月柱のシンボリズムについて
も触れている。こうした民衆の祝祭だが、エリオットのボロ詩篇にもつなが
りが認められる。
ボロ詩篇の断片の一つでは、コロンボ一行が、敵の城に攻撃をかける場面
がある。そこで、コロンボは、・Comeon,myme
r
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n・と仲間に声をか
r
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n・という言葉は英国の義賊ロビン・フッドが仲間
けている 16)。・me
に呼びかける言葉として定着している。戦いに向かうコロンボはロビン・フッ
ドに重ね合わされているのである(ここにも「若返り」のモチーフが見られ
る)。古くから農民らは五月祭で長い冬の終わりと夏の訪れを祝い、森から
長い木を切り出し広場に立て、この周りを踊るのである。そして、本来のバ
ラッドには登場しない恋人を伴ったロビン・フッドは英国の五月祭の中心人
物となる。コロンボをロビン・フッドに重ね合わせている事実は、ボロ詩篇
と民衆の祝祭とのつながりを物語るものであろう。
*
最後に「黒」と「白」のシンボリズムについて触れる。ノースとジルは、
これを白人と黒人の葛藤として人種問題の次元にほぼ限定して論じているわ
けである。
コーンフォドは、古典劇のプロット「パラバシス」の分析にあたって、実態
のつかみがたい民衆の自然発生的な「ファリック・リチュアル」の性格を色
濃く残しているものとして、・Phal
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ophor
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・、・I
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・、・Aut
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といった古代ギリシャで行われた劇場でのパフォーマンスの記録を紹介して
― 38―
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
いる。このうち、・
Phal
l
ophor
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・は、記録によると、舞台でバッカス(ディ
オニューソス)賛歌が歌われ、諷刺をするなど「ファリック・リチュアル」
に近似しているのだが、「パッロス」を掲げている人物は、炭を塗り付けら
れていたという(43)。すでに述べたように、コーンフォドは豊穣を祈願す
る「ファリック・リチュアル」と同様の儀礼的な起源をもつヨーロッパ各地
の民俗劇の内容を紹介している。こうした民俗劇にも「アゴーン」、「死」、
「復活」、「結婚」のプロットが見られるのである。このなかの一つが英国の
無言劇である(61)。コーンフォドの引用するチェンバーズの説明によれば、
無言劇でも闘争と復活の図式が見られ、主人公は一般的に「聖ジョージ」
St
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or
geである。対抗者には、二つのパターンがあり、このうち一つの
パターンでは「トルコの騎士」Tur
ki
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ghtと設定されていた。この登
場人物はときに顔を黒塗りにしていたという。英国の無言劇でも、ヒーロー
は殺され、後に復活する。また、ギリシャ・テッサリアの無言劇では、ヒー
ローの対抗者は、羊かヤギの皮でできた黒いマスクをつけ、「アラブ」Ar
ab
と呼ばれたらしい(64)。ジルは英国無言劇における顔の黒塗りについては
おざなりながらも言及している。
「アゴーン」に相当する豊穣儀礼では、「光」と「闇」、「新しい年」と
「古い年」、「夏」と「冬」、「生」と「死」が対決するのであるから、これが
人物として表現されたとき、「白」対「黒」と表現されるのは自然であろう。
「黒」は通常ヒーローの対抗者であるから、悪しき者、追放されるべきもの
という位置付けがなされる。しかし、両者は、本質的に同一のものである。
両者の差異は形式的である。「古い年」は打ち負かされ追放されなければな
らないが、それは、力が衰え、大地に実りをもたらすことができなくなった
からに過ぎない。「夏」の「光」も、やがては、「冬」の「闇」となる。追放
される「古い年」は、かつての「新しい年」であり、ヒーローが体現する
「新しい年」は、やがては「古い年」となり、追放されねばならない。
豊穣儀礼を根にもつ民俗劇には両者の本質的同一性を表現したものもある。
トラキアの無言劇では、「ヒーロー」とその対決者は、名前の上でも衣装の
上でも、完全に瓜二つである(63)。この事例では、ヒーローは「パッロス」
を携えているのに対して、その対抗者は弓を持っているという違いはあって
も、両者はともに腰に鈴を付け、目の部分と口の部分に穴を開けたヤギ皮の
マスクを付けていた。ときにこのマスクが毛皮の帽子で代用される場合もあ
り、このとき、両者とも顔と手が黒く塗られたという。二つの対立原理が双
― 39―
方「黒」となるのである。別のところでは、二人とも、大団円の婚礼の花婿
となり、双方が「アラブ」Ar
abとみなされる(64)。コーンフォドは黒い
ヤギ皮のディオニューソス崇拝に関わる伝説にも触れている。この伝説は、
黒いヤギの皮を付けたディオニューソスを見た女たちがこれを嘲り、狂人に
されてしまうというものである。この黒いディオニューソス崇拝にはさらに
伝説があって、・f
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rman・としての ・Xant
hus
・と ・bl
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kman・としての
・Me
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・が対決する。・Me
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ant
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・は、黒いヤギ皮をつけたディオニュー
ソスの「分身」(ダブル)である(67)。
*
エリオットが一連の猥雑詩を「ファリック・ソング」だと位置付けたこと
は、気まぐれの発言ではなかったはずである。「ファルス」の強調や猥雑さ
という真っ先に目に付く内容以外にも、この発言を裏付ける要素は明らかで
ある。
「死」と「復活」
、
「若返り」のモチーフ、
「饗宴」の闖入者、
「インヴァー
ジョン」、今日に続く民衆の祝祭の要素、大団円の「結婚」などは、コーン
フォドによる古代儀礼の陳述に基づくものである。
重要なのは「アゴーン」の要素である。ボロ詩篇には、スペインの航海者
とキューバの王族の対面があり、黒い王妃とロンドン郊外の住民の衝撃的な
出会いが含まれている。これはまさに、「アゴーン」で見られる新と旧の対
立構造である。
このように考えると、マイケル・ノースやジョナサン・ジルが論ずるよう
に、ボロ詩篇は近現代アメリカの抱える問題としての白人と黒人の確執や複
雑な言語状況を反映しているという見方だけでは不十分であろう。バランス
の取れた議論を行うには、基本に立ち返る必要がある。民衆演劇の登場人物
には決まって「黒」と結びつけられる定型的な役割があった。「白」は「黒」
に、「黒」は「白」になる。「黒」の「死」は「生」の必要条件である。それ
に、ボロ詩篇を「ファリック・リチュアル」と捉えることは、必ずしも二人
の研究者の見解と矛盾するわけではない。エリオットに黒人蔑視の意図がな
かったとも断定しがたい。人種問題だけでボロ詩篇を評価することはできな
いということである。ボロ詩篇が大衆芸能ミンストレル・ショーだとする論
点は、「ファリック・ソング」としての基本性質と矛盾するわけではない。
近年、ミンストレル・ショーは、人種問題を離れて、連綿と持続する民衆の
祝祭との接続が論じられている。両者は結びつくのである。
― 40―
「ファリック・ソング」としてのボロ王国詩
ボロ詩編を「ファリック・ソング」として評価することは、『荒地』での
豊穣の祈りが、もっとあけすけで陽気な形でも模索されていたことを示すも
のである。また、これまで『闘士スウィーニー』やその後の劇作品との関連
だけで分析されてきたアリストパネス喜劇だが、エリオットがそこに含まれ
る「下品」な民衆起源の要素にも目を配っていたことを示唆する。古代に起
源を有する祝祭空間、民衆の笑いへのエリオットの関心はもっと注目されて
もよいのではないか。笑いと悪罵は豊穣と不可分である。お高くとまった難
解なハイカルチャーの権化としてのエリオット像は修正される余地があるも
のと思われる。本稿では、ボロ詩篇に顕著な男色の要素については検討する
余裕がなかった。これも、ある程度アリストパネスから説明できる可能性が
ある。今後の課題としたい。
注
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