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チャイコフスキーのワルツ 団長 佐藤育男 チャイコフスキーの音楽は実に

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チャイコフスキーのワルツ 団長 佐藤育男 チャイコフスキーの音楽は実に
チャイコフスキーのワルツ
団長
佐藤育男
チャイコフスキーの音楽は実に不思議である。
哀愁に満ちた美しい旋律があるかと思えばそれ以上の鬱屈した暗さがある、洗練
された西欧的センスがあると思えばロシア的泥臭さもある、といった具合でいく
つもの対比が際立っている。彼の性格についてエヴェレット・ヘルムは、
「彼の思
考や行動は他のどんな作曲家よりも謎と矛盾に満ち、彼の生涯もまた解決されな
い矛盾と緊張に包まれていた。そのため、彼の性格の本質を完全に見通すことな
どけっしてできない」と記した。(「チャイコフスキー」許光俊訳、音楽の友社)。
チャイコフスキー自身も、
「私のなかには、強い対人恐怖、不必要な謙譲、そし
て人見知りがあり、人付き合いをますます悪くする多くの嫌な性格がある」と弟
に書き送っている。一方、友人に囲まれ自分が守られていると感じたときの彼は
明るく善良そのもので、どれだけナイーブな心を周囲に開いたかについては多く
の証言がある。特に、妹アレクサンドラの幼い子供たちと遊ぶとき、彼はあまり
にも天真爛漫、伯父というより無邪気な優しい兄になりきっていたという。
そんな彼が大好きな甥や姪と遊ぶために書いた舞踊劇(後の傑作「白鳥の湖」
の原作)や晩年の傑作「眠れる森の美女」と「くるみ割り人形」の愛らしさはど
うだろう。悲愴交響曲で陰鬱さを執拗なまでに迫った同一人物とは到底思えない。
チャイコフスキーの交響曲はまさに彼の魂の発露である。ロシアの風土を愛する
心やおのれの宿命、悩み、そして絶望を自分の言葉以上に音楽で吐露したものと
すれば、彼のバレー曲は全く別世界である。特に「くるみ割り人形」では、彼が
愛し尊敬してやまなかったモーツアルトのお伽話の世界と透明な明るさが全編を
おおっている。
ところで、彼の音楽にはワルツが多い。バレー曲ばかりでなく純器楽曲でも聴
かせどころは 4 分の 3 拍子で書かれている、とまたもや私の独断でお許しを戴き
たい。例えば、第 3 交響曲の第 2 楽章、第 5 交響曲の第 3 楽章、ピアノ協奏曲の
第 2 楽章、弦楽セレナードの第 2 楽章、そして珠玉のようなピアノ曲「四季」の
12 月・・と挙げればきりがない。組曲「モーツ ア ルティアーナ」の第 2 曲でも、
モーツアルト原曲のメヌエットをワルツに変えている。私は第 5 交響曲のワルツ
が短くて切なくて大好きだが、弦楽セレナーデのワルツも捨てがたい。彼のワル
ツにはウィンナワルツの優美さとドリーブに代表されるフランスバレーの華麗さ
があり、さらに彼独特の哀愁を帯び洗練されたセンチメンタリズムが加味されて
極めて印象的である。
これは多分にヨハン・シュトラウスの影響があると思われる。一八六五年、当
時ロシアを演奏旅行中だったシュトラウス 2 世は、
「小間使いたちの踊り」という
題のワルツを現地で採用し、初演した。これこそはチャイコフスキーが音楽院の
学生時代に作曲したワルツだった。そして曲が大好評を博したことから彼は密か
に自信を持ち、ここぞというときはワルツを使ったのではあるまいか。
さて、チャイコフスキーの 3 大バレー曲はそれぞれ音楽的には異なる様式で作
曲されている。が、すべてに共通するのは彼の魅力の本質、すなわち、美しい旋
律、心の奥深くにそっと触れる哀愁をおびた叙情性、甘い感傷、メルヘン的幻想、
豪華絢爛のストーリーがあますところなく全編に織り込まれているところであろ
う。
「彼は、題材をすべて童話や幻想的な伝説に求め、そのロマンティックで叙情
的な世界に甘い香りを添えながら、バレーと音楽をひとつの遊離しがたい総合芸
術の域まで引き上げた。」のである。(小倉重美著「チャイコフスキーのバレー音
楽」FM 選書、共同通信社。)
これらのバレー音楽にもワルツは重要な場面に使われている。14 才で初めてワ
ルツを作曲し、最後の作品「悲愴」の第 2 楽章(5 拍子のワルツ)に至るまで、
生涯「永遠の歓びを与えてくれる舞曲」と愛し、あらゆる分野にワルツを用いた。
「白鳥の湖」では、第 1 幕の第2曲に早くもワルツが登場する。この場面は主人
公ジークフリード王子の成年を祝って開かれる宴に村の娘たちが王子の求めで踊
るシーンである。このバレーはもの悲しげなオーボエの旋律で始まるが、次第に
活発な雰囲気となり、王子や友人たち、そして村娘を連想させる若々しく健康的
な音楽で幕が上がったあとは華やかな場面となる。この場で演奏されるワルツは
豪華な雰囲気にふさわしい優美でスケールの大きい音楽である。
「眠れる森の美女」は物語の詩的な魅力がチャイコフスキーを虜にした。彼は心
の友人メック未亡人に、
「私にはこのバレーが私の最高の作品になるような気がし
ます。主題がとても詩的で優雅なので、私は常に作曲の価値を決めてしまう情熱
と興奮を持って書き上げました。」と書き送っている。
王と王妃の前に、オーロラ姫の名付け親となる賓客の妖精たちが一人ずつ紹介さ
れ、やがて主たる名付け親となるリラの精の登場する。そのあと妖精全員と若い
女官たちの絢爛たる踊りとなる場面でこのワルツは使われている。
そして、
「くるみ割り人形」。終幕を飾る「花のワルツ」」はチャイコフスキーを
代表する名作の一つである。妹との幼い頃の思い出を全編に織り込んだこの作品
は、おどおどして無邪気な愛らしい少女クララが王冠を頭に、お菓子の国の人々
から祝福され幸福に酔いながら踊る場面で幕となる。その幻想的で華やかなシー
ンは豪華絢爛たるワルツが用いられるが、これほど愛らしくてシンフォニックな
音楽はほかにない。
その他、ワルツに関することを少しだけ付け加えさせて戴きたい。
9 月 2 日にはワルツ集のほか、モーツアルトの交響曲第 39 番も演奏される。モー
ツアルトはチャイコフスキーが幼い頃から夢中になった作曲家である。だから、
彼の交響曲もモーツアルトの影響からか流麗な旋律を特徴とするが、表現法も強
音と弱音、全奏と独奏、力強さと優しさなどの激しい対照が多い。このような主
観的、ロマン的な方法はモーツアルト時代には少ないが、この 39 番は当時とし
ては珍しく独創的でロマン的である。そのため「白鳥の歌」と呼ばれることもあ
る。
(白鳥は普段あまり鳴かないし鳴いても美しい声ではない。しかし、最期の鳴
き声は絶妙にして典雅、これほど美しい鳴き声はないという。)モーツアルトには
未完の白鳥の歌、
「レクイエム」があることから、この命名は多少奇異な感じもす
るが、確かに第一楽章の美しさはたとえようもない。そして、この楽章もまた 4
分の 3 拍子であるが、アレグロの楽章をこのような美しい旋律で書いた作曲家は
ほかにいなかった。
ほかにも、ベートーヴェンは田園交響楽の第 3 楽章(農民の踊り)で、シュー
ベルトは未完成交響曲の第 1 楽章、第 2 楽章、さらには遺稿となった第 3 楽章ま
でをも 4 分の 3 拍子で書いている。
このように、4 分の 3 拍子はウィーンでは好んで用いられた拍子であった。ハイ
ドン、モーツアルトはメヌエット、ベートーヴェンはスケルッオ、その後ヨハン・
シュトラウスの時代はウィンナワルツとなって踊るための音楽になっていく。当
時、ショパンは祖国ポーランドを出てパリに赴く途中ウィーンに寄るが、初期の
ウィンナワルツをあまり好まなかったようである。後に彼はピアノによる珠玉の
ようなワルツ集を出した。その高雅で香り高い作品はワルツのなかでも極めて異
色である。(ウベニチ
2001 年 8 月 18 日)
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