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オスカー・ワイルド研究(2)

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オスカー・ワイルド研究(2)
 オスカー・ワイルド 研究(2)
大 渕 利 春
第二章 実人生におけるワイルド
1
前章では芸術作品内に見られるオスカー・ワイルド の芸術観、人生観につい
て考察した。第二章では、実人生におけるワイルド へと目を転じたい。芸術家自
身を隠そうとする芸術作品内における傾向とは対照的に、現実のワイルド はひ
じょうに自己顕示的で、芝居がかった行動をとるという印象を与える。人に見せ
られない部分を芸術の中に隠したワイルド は、実人生においては逆に自己を露
出し、同時に他人に見られることを意識していた。例えば、ワイルド は怠惰を装
い、経済的に困窮していたにもかかわらず、派手な浪費を人々に誇示して見せ
た。ワイルド の浪費や怠惰は人々の目を引きつけ、彼らに消費されるべきもので
あった。なぜなら、ロンド ンの社交界はワイルド にとって言わば舞台であり、彼
はそこで演技をする必要があったからだ。
パフォーマーとしてのワイルド の才能が最もよく発揮されたのは、彼がまだ
文学者として十分な成功を収めていない頃であり、文学作品の成功は彼自身の
悪名の後について来たと言っても過言ではない。とりわけ、1882年のオペレッタ
『ペイシェンス』
(The Patience)の興行に伴うアメリカ講演旅行において、その才
能が最も花開いた。興行主のド イリー・カート は、ワイルド を
Patience" として利用したのである(1)。ワイルド はまさに今日のアイド ルタレ
ント のような存在であり、写真家ナポレオン・サローニによる彼のブロマイド
が飛ぶように売れた。アメリカの人々の目には物珍しかった唯美主義者という
ポーズやエスセティック・コスチュ−ムによって、ワイルド は彼らを魅了した
のだ。この講演旅行は大成功であり、ワイルド に多くの収入をもたらすと同時
− 77 −
大 渕 利 春
に、自己宣伝の重要性を改めて認識させることとなった。 . .
と .
の
共著であるOscar Wilde’s Professionの中で、彼らはこの講演旅行のもつ意味につ
いて、次のように述べている。
(2)
唯美主義者ワイルド は、自己の宣伝のために、多様な顔を使い分けた。芸術作
品における多様性が、多様な消費者を意識したものであったように、実人生にお
けるワイルド も、時と場所、その消費者に応じて変化した。そのため、個々の
「商品」としてのワイルド は、上の引用にもあるように
で
で
あっても、全体としてみると、矛盾が生じてくる。例えば、ワイルド はアメリカ
講演旅行では、「スペランザの息子オスカー・ワイルド 」と名乗り、
と題した講演を行ったりしている。周知のように、彼の母ス
ペランザは熱烈なアイルランド 愛国主義者として有名な詩人であった。しか
し、逆にイングランド においてはワイルド はアイルランド 人であることを隠そ
うとした。ワイルド がイングランド で、それも社交界で成功するためには、アイ
ルランド 出身であるということ、つまり、田舎者であることはプラスに働くこと
ではなかった。オックスフォード 大学入学後、ワイルド はアイルランド 時代の服
を片付け、アイルランド 訛りも完全に消してしまう。また、芸術作品にも、少な
くとも表面的には、アイルランド 性が感じられることは少ない。一方、当時のア
メリカはヨーロッパから見ればまだ文化的には後進国であり、ワイルド はそこ
− 78 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
のオーディエンスにアイルランド 人であることを表示することはマイナスには
働かないと感じたのであろう。しかし、エスセティック・コスチュームは、講演
旅行を終え、パリに到着すると、すぐに放棄してしまう。自慢の長髪もばっさり
と切り、ネロ風の髪型へと変えてしまう。フランスやイングランド においては、
もはや奇抜な服装は必要ではなかったし、既に大衆に飽きられていたのだ。
このように、実人生におけるワイルド はオーディエンスを常に意識し、それに
応じて多様な側面を使い分け、多くの人々の関心を引くことに成功した。そし
て、それはダンディズムの本質の一部であった。
は次のように述
べている。
.
(3)
2
ワイルド は大衆を蔑視するような発言をする一方、大衆を中心としたオー
ディエンスに受け入れられることが自己の芸術にとっていかに大切であるかを
認識していた。『幸福の王子その他の物語』(The Happy Prince and Other Tales)
に収められた「すばらしいロケット 」(
)は誤ったパ
フォーマーを描いた物語である。ロケット(打ち上げ花火)は、オーディエンス
に鑑賞されて初めてその存在意義が生じる存在である。しかし、このロケットは
他人を見下す高慢なロケット であり、それゆえにロケット はオーディエンスを
失ってしまう。世紀末を代表する画家の一人であるジェイムズ・M・ホイッス
ラーとワイルド は一時親しい関係にあったが、後に犬猿の仲となった。このホ
イッスラーが高慢なロケット のモデルであり、ワイルド はこの童話の中でホ
イッスラーを揶揄したのだと一般に考えられている。しかし、ワイルド は自分自
− 79 −
大 渕 利 春
身もホイッスラーやロケットのような高慢な人間になる危険があるということ
を認識していた。ロケット は次のように述べるが、これはワイルド 自身の声を代
弁しており、ロケットは一種の芸術家であると考えられる。
.
.
.
.(4)
ロケットはワイルド 同様「感情的な性質」をもっており、涙を流して濡れてし
まったため、打ち上げられることができなくなる。これをワイルド 自身の場合に
当てはめて考えてみれば、もしワイルド がオーディエンスの前で感情のままに
涙を流すようなことがあれば、軽薄で怠惰なダンディというポーズを維持でき
なくなったであろう。そして、濡れたロケットは泥の中に投げ入れられ、泥まみ
れの状態で「天才の孤独」(
)について考える。このロ
ケットの失墜はワイルド 自身のそれを予言している。このロケット がついに打
ち上げられるのは夜ではなく昼間であり、誰もそのパフォーマンスを見ない
し、その音を聞きもしない。ロケット のパフォーマンスに満足しているのはロ
ケット自身だけである。パフォーマーはオーディエンスと適切な舞台を必要と
する。ロケットにとって、適切な舞台とは夜の空である。ロケットは高慢で、他
人を見下し、自分の感情に流されるセンチメンタルな存在である。それゆえ、パ
フォーマンスができなくなり、他者から無視され、ふさわしい舞台も失った。ワ
イルド は自分自身もこのロケット のような性質をもっていることを、それゆ
え、オーディエンスを失い、「天才の孤独」の状態へと追いやられるかもしれな
いということを認識していた。この物語は、ホイッスラーだけでなく、ワイルド
自身にも向けられた一種の警告であったと言える。
− 80 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
3
しかし、ワイルド が軽薄で、人工的に見えるよう振舞ったのは、自己宣伝や
オーディエンスを獲得するためだけではなかった。ワイルド はダンディとして
様々な仮面をかぶったが、自分の苦しみや悩みなどをあからさまにすること
は、少なくとも公の場においては、少なかった。悲哀の仮面をかぶれば、ロケッ
トと同様に、パフォーマーとしての立場を失っていたであろう。つまり、ワイル
ド が現実の世界で表出した性質は快楽を求める自己であった。裁判以前に限定
すれば、確かに表面に現れたワイルド の人生は華やかさに満ちている。
『真面目
が大切』
(The Importance of Being Earnest)
のジャック・ワージングの
(5)
というセリフがワイルド の人
生哲学をよく表している。また、『なんでもない女』(A Woman of No Importance)
に登場するイリングワース卿は
.
.
(6)
と述べる
が、この言葉もまさにワイルド の表出された側面を示している。
結局、前章でも述べたように、ワイルド は快楽を求める自己を人生で表明し、
悲哀に共感する自己を芸術の中に描きこみ、それによって悲哀を克服しようと
した。つまり、ワイルド が人生で快楽を味わい尽くすことができたのも、悲哀に
共感する自己を芸術の創作をとおし て、客観的に見ることができたからであ
る。芸術の中に込められたワイルド が、それを適当な距離をおいて眺めるワイ
ルド に対してカタルシスを与え、それによって、現実の世界でワイルド は人生を
謳歌できたのだ。そして、そのカタルシスを大きくするために、オーディエンス
が必要とされた。ワイルド の自己顕示欲、それも快楽を求める自己を誇示して見
せたのは、その裏に他人に見せたくないものがある、その裏に大きな悲哀の原因
となるものがあるためであると考えられる。彼の極度に露出狂的な性質は、苦し
みを隠しておきたい、それから目をそらしていたいという強い願望と、言わばコ
インの裏表の関係にある。
そして、逆に考えれば、現実の世界において様々な問題を深刻に取りすぎてい
− 81 −
大 渕 利 春
たら、その重圧にワイルド は押しつぶされてしまっていたであろう。ヴィクトリ
ア朝を代表する小説家チャールズ・ディケンズの『骨董店』(The Old Curiosity
Shop)のヒロイン、ネルが死ぬ場面では、誰もが涙を流さずにはいられなかった
と言われているが、そのことについてワイルド は
. (7)と語ったとされてい
る。この言葉はワイルド が無感動な人間だったということを示しているのでは
もちろんない。逆に、ワイルド がそうした悲惨なものに耐えることができないほ
ど繊細な心の持ち主だったということを示している。その弁証法的思考法が少
なからずワイルド に影響を与えていると思われるウィリアム・ブレイクは「地
獄の格言」(
)の中に
.
. (8)という逆説的な格言を残しているが、これはまさにこの場合の
ワイルド に当てはまる。ワイルド がディケンズの小説に対して批判的であった
のは、それらが貧困や悲哀、人間の悪の要素を表出していたためであろう。しか
し、後に投獄され、笑うことで悲哀を緩和することができなくなった時、ワイル
ド は獄中からディケンズ全集を請求することになる。
このような人生と芸術に対する態度は『真面目が大切』のアルジャーノンの言
うバンバリー主義(
)と一致する。これは、人に見せたくない、ある
いは見せられない自己の性質を表出するための虚構、仮面を生み出し、そうする
ことで実人生において精神的バランスを保つことを意味する。ワイルド にとっ
てその虚構は芸術作品であり、ジャックやアルジャーノンにとってそれはアー
ネスト であり、バンバリーであったのだ。そして、アーネストやバンバリーはド
リアンの場合の肖像画に相当する。田舎におけるジャックの堅物ぶりはシシ
リーが
.
(9)
と述べるほどである。しかし、それはジャッ
クがアーネスト の名のもとにロンド ンで
を満喫していたゆえに可能な
のである。治安判事という立場にあり、かつ恩人の娘の後見人という立場にいる
ジャックは、そのシシリーの前で
などと言うことはできな
かったのだ。そのために、アーネストという虚構を創造したのだ。
− 82 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
4
それでは、なぜワイルド がそのように悲哀に対して敏感になったのだろう
か。その大きな理由として、妹アイソラの死が考えられる。スペランザは女児の
誕生を心待ちにしており、アイソラの誕生をたいへん喜んだし、ワイルド もこの
幼い妹を溺愛した。それだけに、彼女の死は家族全員に大きなショックを与え、
ワイ ルド も相 当な 精神 的 痛手 をこ うむ っ た。有 名 な「レ ク イ エ スカ ット」
(
)は彼女の死を悼んだ詩である。リチャード ・エルマンもこの妹の
死から受けた打撃が後のワイルド の態度に大きな影響を及ぼしたと考えてい
る。
(
(
)
)
.(10)
一見華やかに思われるワイルド の人生も実は悲哀の連続であった。アイソラ
の死の他にも、ワイルド が隠しておきたいと願ったと思われる多くの出来事が
彼に降りかかっている。第一章でも述べたように、彼の父のウィリアムは患者の
一人メアリー・ト ラヴァースに訴えられるという事件を引き起こしている。こ
れは濡れ衣であったようだが、世間を騒がせるスキャンダルとしては十分だっ
た。また、その父には3人の私生児がいたが、そのうちのエミリーとメアリーの
姉妹が1871年、スカートに燃えうつった火が原因で焼死している。ウィリアムは
悲嘆に暮れ、そのうめき声は家の外にまで聞こえるほどであったという。当時ま
だ10代であったワイルド はそうした父親の姿に強い印象を受けたのではない
か。そのウィリアムが1876年に亡くなると、一家はたちまち経済的困窮に陥っ
た。若い頃に経済的に苦しんだ経験が、後の彼の金銭に関する放埓さ、執着心に
つながったと思われる。こうした様々な人生における悲哀をワイルド は作品内
に隠し、逆に人生では、それらとは無関係なような顔をして、
− 83 −
を追求し
大 渕 利 春
たのだ。
そして、このように、悲哀や俗悪さを隠し、
を追求する生き方こそワ
イルド が考える「人生の芸術化」であったのではないか。つまり、ワイルド の実
人生こそ芸術であり、ワイルド はそれを公に表明したのだ。これは、『ド リア
ン・グレイの肖像』(The Picture of Dorian Gray)におけるド リアン自身とその肖
像画の転倒と一致する。
「青年のための警句と哲学」
(
)の中には次のような格言がある。
.
(11)
.
後世の研究の成果により、伝説を取り除かれたワイルド の実像がかなり明確
につかめるようになった。しかし、一般的なイメージとしては、ワイルド にはあ
まり生身の人間という手ごたえが感じられない。実は、ワイルド ほど人間くさい
文学者も少ないのではないかと思われるが、しかし、ワイルド はそうした要素を
あまり世間に露出したくなかったのではないか。ワイルド が芸術の中に隠した
要素こそ、彼の最も人間らしい要素であるのだ。そうした部分を芸術の中に隠し
てしまえば、当然後に残るものは、不自然な、作り物のような印象を与えるワイ
ルド であった。ワイルド の理想であったド リアンは年齢による容貌の衰えや、精
神的退廃の兆候を全く示さない「不自然な」存在である。つまり、ド リアン同
様、ワイルド は時間とともに容貌が衰えたり、死の意識に取り付かれて苦しんだ
り、あるいは他人の死によって苦しんだりする「自然な」人間になることを拒ん
だのである。ド リアンはそれらを一時的にとはいえ克服した。婚約者シヴィル・
ヴェインの死ですら彼はすぐに克服し、人生を楽しむことに邁進する。こうした
ド リアンやワイルド の態度が同時代の道徳家や宗教家の目に不道徳に見えたの
は当然である。そして、不自然であるということは、ワイルド の文脈においては
芸術とほぼ同意である。ワイルド が芸術という言葉を用いるとき、それはいわゆ
る芸術作品に限ったものではなく、より広い意味での「自然」に対する「人工」
− 84 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
を意味している。彼がダンディ、気取り屋などと形容されるのも、こうした「人
生の芸術化」の結果に他ならない。
また、ワイルド の作品が彼の後の人生を予言しているということがしばしば
指摘される。『ド リアン・グレイ』や『真面目が大切』などがわかり易い例であ
るが、童話もこれに該当する。これらの作品にはワイルド の性質が隠されている
のであるから、ワイルド が実人生においてそれを模倣する結果になっても不思
議ではない。まさに、ワイルド は彼の最も有名な格言
(12)
を、身をもって証明したのだ。さらに言えば、自ら
が傷つけられる恐れのない芸術の中で、自分の抑えがたい性質といかに折り合
いをつけるべきかを模索していたと考えられる。いくら人生を楽しむダンディ
を演じても、いつかは苦しみに直面しなければならない。人生において、いつま
でも「不自然」でいることはできない。ド リアンも最期には自然に帰った。従っ
て、ワイルド は、場合によっては、芸術の中に描かれた自己を意図的に模倣した
と言える。つまり、避けがたい死も、幸福の王子やツバメをとおして描いたよう
に、美に転じることをワイルド は願ったのだ。
この人生の芸術化というワイルド の願いはある程度達成されたといってよい
であろう。芸術化されたワイルド その人とその人生は、大量消費社会の中で流通
され、消費された。多くの人々がその作品は当然のことながら、それよりもむし
ろワイルド の人生のほうに魅力を感じてしまうのも、そのためであると思われ
る。ワイルド は芸術家の人生を明らかにする伝記、中でも自伝に関心を抱いてい
た。
『ド リアン・グレイ』の序文の中で、ワイルド は自伝について次のように述
べている。
(13)
自分の人生をありのままに書き綴った自伝は
な自伝である。なぜな
ら、人生には必然的に俗悪な部分が含まれるからである。我々は彼の友人や後の
− 85 −
大 渕 利 春
研究者の手による伝記によって、かなり詳しく彼の人生を知ることはできる
が、ワイルド 自身は自伝を書いてはいない。『獄中記』(De Profundis)の前半部
分を除けば、ワイルド は自分の俗悪な部分、人生の「事実」を露出するようなこ
とはしなかった。他方、その人生に想像力でヴェールをかけて、芸術作品へと昇
華させたものは
な自伝である。そして、ワイルド の場合、数々の伝説や
芸術作品で彩られた彼の人生そのものが一つの彼の自伝であるといって良いだ
ろう。また、ロバート ・S・シェラード やフランク・ハリス、アンドレ・ジッド
らの実際にワイルド と交流をもった人物の手によって、ワイルド の伝記が複数
書かれている。これらの伝記は作者の個人的な利害や感情が多分に盛り込まれ
ており、資料的価値は低いと考えられている。しかし、多くのワイルド 神話は彼
らの仕事によるところも大きく、たとえ事実とは反するものであったとして
も、また、ワイルド の意志に反するものであったとしても、それらがワイルド の
人生の芸術化に一役買ったと言える。現実のワイルド はあるいは後世の研究者
や読者が想像するよりも平凡な人間であったのかもしれない。しかし、ワイルド
は芸術作品や様々な伝説に彩られた人生そのもので自伝を書いたのだ。既に述
べたように、後の研究者の努力により、その神話を取り除かれたワイルド の真の
人生が明るみに出されてきた。こうした成果は、あるいはワイルド の真意に反す
るかもしれない。ワイルド は『ド リアン・グレイ』の序文の中で次のように述べ
ている。
(14)
彼の「人生」という「芸術作品」の裏に隠されたものを読み取られることをワ
イルド 自身はあまり喜ばないかもしれない。それはワイルド の人生の秘密を暴
くことである。
− 86 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
第三章 獄中のワイルド
1
これまで述べてきたように、人生の芸術化をとおしてワイルド は自分の人生
の支配者になろうとした。この狙いは概ね達成されたと言ってよいだろう。しか
し、こうした態度が当てはまるのは、1895年の有名なワイルド 裁判以前のみであ
る。ワイルド は同性愛行為のために有罪とされ、レディング監獄に収監された
が、投獄されることによって、ワイルド は自己の人生の傍観者としての立場を失
う。当時のイギリスの監獄内における囚人の扱いの苛酷さについてワイルド は
『レディング監獄のバラッド 』
(The Ballad of Reading Gaol)の中で歌っている
が、投獄されることでワイルド は社会から切り離された。悲哀を克服するために
仮面をかぶり、道化を演じてみても、それを消費してくれるオーディエンスは既
にいない。それ以前に、苛酷な獄中生活は自己の客体化などを許すようなもので
はなかった。ワイルド は1897年10月のロバート ・ロスに宛てた手紙の中で、 …
.
(15)
と述べて
いる。獄中には自己の客体化を可能とするような「型」はなく、あるのは独房の
単調な壁だけであった。
様々な恥辱に打ちのめされたワイルド は獄中から彼の悲劇の原因をつくった
アルフレッド ・ダグラスへ手紙を書いた。それが、後にロスによって『獄中記』
(De Profundis)と名づけられることになる作品である。この長い書簡は、前半と
後半で大きく性質が異なるため注意が必要である。前半はダグラスへのかなり
手厳しい批判が繰り返され、彼のワイルド に対する行為が生々しく再現され
る。例えば、病気で休んでいるワイルド のもとにダグラスが押しかけてきてワ
イルド を苦しめたなどという、実にプライベート な、卑俗な人生の事実が描かれ
ている。こうした態度はワイルド の芸術論には反している。かつては、卑俗な人
生の事実を、かたちを変えることで表現していたワイルド であったが、ここで
は、かたちを変えることなく、あるいはかたちを変えることができなかったた
− 87 −
大 渕 利 春
め、それをありのままに作品内に表現している。
つまり、『獄中記』の前半においては、ワイルド は人生にヴェールをかけるの
ではなく、逆にはいだのだ。ロスへの手紙の中では、
.
.
(16)
と述べているが、獄中生活が彼にそうすることを強いた
と言ってよい。これは、
『インテンションズ』
(Intentions)の中でワイルド が非難
したリアリズム芸術家の手法である。 .
によれば、こうした態度は、獄
中で社会、そして、オーディエンスから切り離されたワイルド が、それらとの関
係を維持しようとしたことの結果である。獄中でワイルド は投獄前の人生を、ダ
グラスを唯一のオーディエンスとして独白し、再現してみせたのだ。当時のイギ
リスの監獄では、囚人同士が互いに悪影響を与えないようにとの配慮から、他の
囚人との接触が制限されていた。ワイルド も独房に入れられ、 .3.3.という独房
の番号で呼ばれるようになった。ワイルド のような性格の人間にとって孤独は
何よりも苛酷な責め苦であったであろう。自然や社会生活を不自由で無慈悲な
ものと考え、不自然であろうと、自分が芸術作品になろうとしてきたワイルド で
あったが、その自然、社会から切り離されたとき、彼は自然や社会を求めたの
だ。
2
『獄中記』の前半部分で自己を描くワイルド の姿には、かつてと同様の自己劇
化があることは確かである。しかし、以前とは異なり、虚構をつくり出すことが
できないため、ひたすら自己の感情に溺れ、そこに埋没してしまっているような
印象を受ける。そのため、幾分センチメンタルで自己弁護的であるという印象は
ぬぐえない。そこから、綿密な人生の再現を通して、やがて自分の感情に浸るこ
とから脱し、自己の苦しみ、運命を客体化するという、かつて行っていた行為を
繰り返そうとし始める。その際、ワイルド が利用したのはキリスト の人生であっ
た。ワイルド はキリスト の人生に自己の運命を重ね合わせることで苦しみを克
− 88 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
服しようとしたのである。『獄中記』の中盤以降は、一種のキリスト 論となり、
キリストを芸術家、最高の個人主義者として捉えていく。ここに至るともはやダ
グラスへの私信という印象は薄れる。そして、キリストの人生を肯定することで
自らの人生をも肯定しようとしていると思われる。ワイルド の関心をひいたの
は、殉教者としてのキリスト、本来は人間にとって最大の悲しみであり、苦しみ
であり、醜さでもある死を、威厳ある美へと転じることができた生身の人間とし
てのキリスト であった。実際、キリスト の苦しみと死は多くの芸術家たちによっ
て描かれ、あるいは彫刻されたりして威厳ある美へと変えられてきた。
「社会主
義下の人間の魂」
(
(
)の中でワイルド は
. と述べている(17)。獄中
)
においては、ワイルド はキリスト の人生を観照することで悲哀を緩和しようと
した。そして、キリスト が苦しみを通してその役割を果たしたように、ワイルド
も苦しみを受け入れることこそ作品内で繰り返し主張してきた自己実現の達成
につながると考えようとしたのだ。これは、悲哀を受け入れる覚悟ができたとい
うことを意味している。悲惨な経験を否定したり、無視したりしようとはしてい
ない。
『獄中記』に次のような一節があるが、これはこうしたワイルド の心境の
変化を示している。
.
.(18)
.
童話「漁師とその魂」(
)の漁師は文字通り魂を
拒絶するが、最後にはそれを受け入れ、祝福される。この漁師の姿は獄中でのワ
イルド を予期している。さらに、ワイルド は悲劇を招いた己の弱さや、犯した過
ちを受け入れるために、『獄中記』の中で
.
(19)
と
いう言葉を 繰り返し ている。これは、アレ グザンダー・ポ ウプの有 名な格
言
.
(20)
のもじりである。ワイルド は自分の弱さを認めつ
− 89 −
大 渕 利 春
つも、
「実現された」人生における「あらゆるもの」を「正しい」ものとして受
け入れようとしている。ここには一種の諦観が感じられる。
そして、裁判、獄中生活をとおしてこうむった悲哀を受け入れるために、悲哀
を自己のアイデンティティの中心に据えるようになる。
「悲哀には触れなければ
触れないほど良い」など述べていたかつてのワイルド とは逆である。
−
(
)−
(21)
ワイルド は「社会主義下の人間の魂」の中で聖書にある「汝自身を知れ」
(
. )という言葉から、「汝自身になれ」(
. )という言
葉を生み出し、これがキリストのメッセージであり、秘密であったとしている
(22)
。そして、既に述べたように、彼にとってキリストとは悲哀を美に転じる人間
であった。こうしてワイルド は、かつては芸術作品の中に隠して距離をおこうと
してきた悲哀や苦しみを受け入れなければ「汝自身になる」ことはできないと考
えるようになった。『獄中記』の最後の部分でワイルド は次のように述べてい
る。
.
.
.
.(23)
− 90 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
このように、
『獄中記』をとおして読むと、絶望から人生の再現、その肯定、
そして未来へ希望を抱こうとするワイルド の心境の変化を辿ることができる。
3
しかし、ワイルド は投獄されて初めて悲哀を受け入れることを知ったわけで
はない。それ以前の作品の中にも、ワイルド の獄中での心境の変化を予示してい
るものがある。それは童話のうちの幾つかである。ワイルド の童話は他の作品と
は違った印象を与える。
『サロメ』
(Salomé)のような、いかにも世紀末的な退廃
的な作品を書く一方で、童話は悲しい、そして優しい印象を与え、ワイルド の作
品の中でも特に多くの人々に愛されている。
の説に従えば、ワイルド は
常にその作品の消費者を意識していたが、童話の消費者は何よりもシリルと
ヴィヴィアンの二人の息子であった。世間を騒がせるダンディで唯美主義者の
ワイルド としては見せることのできない他人の苦しみに共感する一面も、自分
の息子たちには表出することができたのだ。
「漁師とその魂」は自己の分裂と再結合の物語である。人魚に恋をした漁師
は、彼女と結ばれるために魂を放棄する。魂を放棄することは、自己の本質的な
一部を捨てることであり、ド リアンが肖像画をとおして行ったこと、あるいはワ
イルド が仮面をとおして行おうとしたことと同じである。すなわち、漁師はド リ
アンと同様に「不自然な」存在となり、それゆえに人魚とともに海の底で生活す
ることが可能となる。そして、彼が捨てた魂は、ワイルド が人生において隠すこ
とを望んだような人間の悪の部分を象徴している。それゆえに、人魚と海の中で
暮らす漁師の快楽に満ちた人生は一種の芸術化された人生を象徴している。し
かし、漁師は魂の誘惑に負け、芸術化された人生、すなわち人魚との生活を失っ
てしまう。漁師は魂を憎むが、やがてそれを許すようになる。そして、最後には
魂を受け入れ、死を迎える。この漁師の姿は、それまでは隠そうとしてきた悲哀
を受け入れた獄中でのワイルド 自身の姿と重なる。
− 91 −
大 渕 利 春
「若い王」(
)もまた同様の構造をもった作品である。若い王
は、そのタイトルが示すとおり、若く、未熟な人間である。彼は祖父である先王
に排斥され、幼少期を森で過ごしたが、やがて後継者として国に戻り、「歓喜
宮」
(
)
で暮らすようになる。この歓喜宮は若い王が悲哀や苦痛を一切知
らない存在であることを表している。しかし、戴冠式の前夜に見た三つの夢をと
おして、彼はそれらの存在を知る。すなわち、自分が身につける美しい衣装や宝
石などが、実は多くの人々の苦しみや死の結果もたらされているということ、
「歓喜宮」が他人の悲哀の上に成立していることを知った。彼は喜びと悲しみ、
美と醜が表裏一体のものであることを知ったのだ。それから若い王は粗末な服
を身にまとい、茨の冠をかぶり、戴冠式に臨み、祝福される。ここでもキリスト
のイメージが強くなるが、これは若い王が悲哀や苦しみを甘受する境地に達し
たということを意味している。
「星の子」
(
)もまた同様のテーマを扱った作品である。星の子
は天から授けられた子であるが、その天あるいは星は人生の苦しみや醜さとは
無縁のものであり、言わば芸術の世界の隠喩であると考えられる。そこから地上
に降りてきた星の子もまた一種の芸術作品のような存在であり、当然醜さも悲
哀も知らない。しかし、醜い母親を拒絶することで彼の美しさは失われてしま
う。彼が母親と美しさを回復するのは、世に溢れる醜さと苦しみを甘受すること
によってであった。
「幸福の王子」(
)では、無憂宮(
)に住んでお
り、悲哀の存在を知らなかった王子が、死後銅像となり、町を見下ろすことで悲
哀を知った。無憂宮における王子の人生は一種の芸術化された人生であり、苦し
みを知らない王子は不自然な、不完全な存在であった。しかし、王子は悲哀を受
け入れることで「汝自身になった」のだ。
「わがままな巨人」(
)における巨人の庭は、「若い王」の歓
喜宮や「幸福の王子」の無憂宮と同様、芸術化された人生を象徴しているように
思われる。そこには悲哀や苦しみはなく、喜びに満ちているため、子どもたちが
遊びにやってくる。しかし、巨人の庭の裏には隠された悲哀は存在しなかった。
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オスカー・ワイルド 研究(2)
つまり、巨人は他人の苦しみに共感することなく自己の快楽のみを追求する「わ
がままな巨人」であり、子どもたちを追い出してしまう。一方、ワイルド の目指
した人生の芸術化は、その背後に芸術作品内に隠され、客体化された悲哀が存在
するがゆえに成立するのである。従って、若い王の歓喜宮も、幸福の王子の無憂
宮も、漁師の人魚との生活も、巨人の庭も、真の芸術化された人生を象徴してい
るとは言えない。巨人に悲哀を教えてくれたのはキリスト を連想させる子ども
であった。そして、最後には巨人はその子どもとともに天国に昇る。以上のよう
に、童話は獄中におけるワイルド の変化を予言していると言える。
4
ワイルド が二年間の刑期を終え、レディング監獄から釈放されたのは1897年
5月19日のことである。獄中では彼はその悲惨な状況を痛切に訴えていたにも
かかわらず、出獄後はそれを隠し、かつてと同様に人生を楽しんでいこうとして
いる。『獄中記』の中であれほど攻撃したアルフレッド ・ダグラスも結局は許
し、再会している。しかし、もはやスキャンダルにまみれたワイルド という商品
を消費してくれるのはごく一部の親しい友人たちだけであった。彼は再び文学
者として成功することを望んだが、それは不可能であった。
出獄後のワイルド はイギリスにとどまることはかなわず、フランスへと逃避
する。本名を使って行動したのでは何かと不都合も多く、セバスチャン・メルモ
スという偽名を用いた。セバスチャンとはキリスト教の殉教者であり、メルモス
は彼の大叔父にあたるチャールズ・ロバート・マチューリンのゴシック・ロマ
ンスの傑作『放浪者メルモス』(Melmoth the Wanderer)の主人公からとったもの
である。かつては異常なまでに自己を宣伝してきたワイルド が、偽名を使って自
己を隠さなければならなくなった。つまり、実人生において「隠す」ようになっ
たのであり、投獄前とは逆である。ワイルド 最後の作品『レディング監獄のバ
ラッド 』もまた最初はワイルド の本名は伏せられ、
というかたちで出
版された。しかし、一個の商品ではなくなったワイルド にとって、創作を続ける
− 93 −
大 渕 利 春
ことは困難になっていた。芸術家ワイルド にとって致命的であったのは、社会と
の関係を失ったこと、演技をするための舞台である世間を失い、消費してくれる
オーディエンスを失ったことであった。そのようなワイルド が創造することが
できたのは、『レディング監獄のバラッド 』一編のみであった。
『レディング監獄のバラッド 』は、ワイルド が獄中で見た、殺人罪で死刑に処
せられた元近衛旅団騎兵のC・T・ウルド リッジの姿を通して、監獄制度の非
人間性、さらには人間の罪と罰、許しの問題をも含んだ長詩である。ワイルド は
この詩の創作をとおして自分の獄中生活を芸術化し、意味付けようとした。
『獄
中記』
においてそれはある程度達成されていたが、出獄し、獄中生活を客観的に
見ることが可能となった時点で、改めてその作業を行ったのだ。
『レディング監獄のバラッド 』は、ウルド リッジを対象としているため、ワイ
ルド 自身の姿は隠されている。とはいえ、ワイルド の感情、思想が込められてい
ることは一目瞭然であり、彼自身もフランク・ハリスへの手紙の中で次のよう
に述べている。
(24)
例えば、二度繰り返される次のような一節は、ワイルド が自分とウルド リッ
ジ、そしてすべての人間を同一視している証拠であろう。
− 94 −
オスカー・ワイルド 研究(2)
−
(25)
この「すべての男は愛するものを殺す」という部分は、この詩の中でも特に高
く評価されている箇所である。ワイルド の場合、彼が愛するダンディとしての仮
面を殺してしまったと考えられる。ド リアンが肖像画にナイフを突き立てたよ
うに、ワイルド も自分の秘密を保持してきた仮面を破壊し、脱ぎ去ってしまった
のだ。彼の売り物であった「唯美主義者ワイルド 」をワイルド は自らの手で殺し
てしまったのだ。
自ら仮面を破壊してしまったワイルド は、今度はウルド リッジを仮面として
用いた。つまり、ワイルド はウルド リッジを自己の感情を投影し、客体化するた
めの「型」として使っている。愛する女性に裏切られ、彼女を殺害したウルド
リッジは、同様にダグラスに裏切られたワイルド にとって共感しやすい人物で
あったのだろう。実人生を充実したものにしていくためには、獄中で受けた悲哀
を芸術作品内に隠さなければならない。そのためにも、『レディング監獄のバ
ラッド 』という作品を書くことは、ワイルド にとって不可欠な行為であったの
だ。このように、この詩においてワイルド はかつての自分自身の傍観者としての
立場をある程度回復しているが、以前の快楽とは異なり、悲哀がこの詩の基調と
なっている。すなわち、自分の悲哀を隠し、克服するために、他人の悲哀を仮面と
しているのだ。
そして、ウルド リッジの死をワイルドは次のように解釈している。
− 95 −
大 渕 利 春
−
ワイルド はウルド リッジの死を
人生をも
(26)
として受け入れた。これは、自分自身の
として受け入れたということである。この表現は、
『獄中記』
の中
という言葉にも通ずるワイルド
で繰り返された
の諦観を表している。
この『レディング監獄のバラッド 』はワイルド 最後の文学的達成となった。ワ
イルド は新たにオーディエンスを獲得し、芸術作品を創造していくことを願っ
たと思われるが、それは不可能であった。「オスカー・ワイルド 」が商品として
通用しなくなり、セバスチャン・メルモスも当然売り込むことはできなかっ
た。法廷で同性愛を擁護する発言をした時は聴衆の喝采を浴びたものの、
「同性
愛への殉教者」はまだ商品としては認められなかった。
ワイルド は20世紀を目前にした1900年11月30日、パリで亡くなった。ダンディ
としての仮面を失ったワイルド の死をみとった「オーディエンス」は、ごく親し
い友人だけであった。
結 論
ワイルド にとって人生は演技をすべき舞台であった。ワイルド が熱をあげた
女優たちや、ダグラスをはじめとする悪友たちも、ワイルド の人生という劇の登
場人物であったと言える。すべての人間が程度の差こそあれ、仮面をかぶり、自
分の「役」を演じているが、ワイルド の場合、それがひじょうに意図的かつ極端
になされているのである。そして、ワイルド 自身が役者であり、その人生が一編
の劇だとしたら、彼の講演を聴きに足を運んだオーディエンスや、ロンド ンの社
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オスカー・ワイルド 研究(2)
交界に集まる上流階級の人々は、その人生劇を観照すべき観客であった。通常の
演劇の興行に宣伝が欠かせないように、ワイルド も自分の人生という劇を売り
込むために宣伝が必要であり、そのために彼のジャーナリスティックな才能が
発揮された。ワイルド はダグラスと派手な浪費をしながら遊びまわることで、同
性愛すら「その名を言うことなし」に表現して人々を驚かせた。そして、ワイル
ド が実人生において不自然でいられた、あるいは演技をすることが可能であっ
たのは、その裏で芸術作品を創作し、その中で自分の「自然な」部分を客体化し
ていたからであった。言い換えれば、ワイルド の実人生が舞台だとしたら、彼の
芸術作品はそのための準備をする舞台裏であった。そのため、舞台裏に隠された
彼の「自然の」部分をワイルド は暴かれるのをあまり好まないであろう。しか
し、投獄されてワイルド は人生という舞台を失い、また人生劇を観照してくれる
オーディエンスも失ってしまった。そこでワイルド はキリスト に自己をなぞら
えることで、自己の人生を肯定し、受け入れ、それを芸術化しようとした。その
過程で『獄中記』と『レディング監獄のバラッド 』の創作が必要とされたのだ。
ワイルド が生きた時代は、世紀末に対する不安が高まり、かつ絶対的な価値観
が失われつつある混沌とし た時代であった。ペイターの『ルネサンス』
(The
Renaissance)
の結論で述べられているような人生哲学は、そのような時代にあっ
ていかにして生きていくべきかを説くものであった。ペイターに限らず、同時代
の多くの芸術家、思想家がこの問題に取り組んだ。ワイルド もまたそうした芸術
家の一人であり、彼が選択したのは虚構を演じることで人生をコント ロールし
ようとする生き方であった。そして、虚構を生み出すには想像力が必要とされ
る。人間は想像力によって混沌とした人生に秩序を与えることができる。ワイル
ド は芸術作品という虚構に自らを当てはめ、それを実人生で意識的に演じるこ
とで、人生における様々な制約を克服しようとしたのだ。
『ド リアン・グレイ』に登場するヘンリー卿は
(27)
と述べるが、ワイルド はこのヘンリー卿の言葉の意味すると
ころの「善良」になろうとしたのではないか。彼は何よりも自由を求め、自分の
性質に忠実であることを求めた。彼の作品を俯瞰してみると、その考えの変遷を
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大 渕 利 春
窺い知ることができる。『ド リアン・グレイ』や『サロメ』では、自分自身の快
楽のみを追及して失敗する人間を描いた。これは、理想的な芸術の中でのみ生き
ようとしたことの結果であると言い換えられる。最初の三つの喜劇では、逆に現
実と妥協する人間の姿が描かれる。もし、ワイルド が『ウィンダミア夫人の扇』
(Lady Windermere’s Fan)のアーリン夫人のように、人生と妥協していたなら
ば、あるいは悲劇は避けられたかもしれない。しかし、ワイルド は妥協すること
を拒絶し、勝ち目のない裁判に臨み、そして敗れた。あらゆる劇に終わりが来る
ように、ワイルド も人生という舞台から降りなければならない。ワイルド は舞台
の降り方を童話の中で既に描いていた。それゆえ、そのあとのワイルド は、幸福
の王子のようなキャラクターを模倣し、悪や醜さ、そして死すら受け入れる境地
に達する。ワイルド は自分の悲劇や死すら演出し、伝説にしたのだ。
注
Oscar Wilde Discovers America,
Oscar Wilde’s Profession,
Idylls of the Marketplace: Oscar Wilde and the Victorian Public,
The Complete Works of Oscar Wilde
The Life of Oscar Wilde,
The Complete Poetry and Selected Prose of John Donne and The Com
plete Poetry of William Blake,
Complete Works,
Oscar Wilde,
Complete Works,
The Letters of Oscar Wilde,
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オスカー・ワイルド 研究(2)
Complete Works,
Pope’s ’Essay on Man’,
Complete Works,
Letters,
Complete Works,
Text
The Complete Works of Oscar Wilde.
Bibliography
Oscar Wilde: The Critical Heritage.
The Oscar Wilde Encyclopedia.
Oscar Wilde’s America.
Cosmopolitan Criticism: Oscar Wilde’s Philosophy of Art.
Oscar Wilde.
Idylls of the Marketplace: Oscar Wilde and the Victorian Public.
Oscar Wilde’s Profession.
The Letters of Oscar Wilde.
More Letters of Oscar Wilde.
Inventing Ireland. London
Oscar Wilde Discovers America.
The Life of Oscar Wilde.
Rediscovering Oscar Wilde.
− 99 −
大 渕 利 春
Oscar Wilde Revalued.
Oscar Wilde’s Oxford Notebooks: A Portrait of
Mind and in the Making.
A Preface to Oscar Wilde.
Art and Christhood: The Aesthetics of Oscar Wilde.
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