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巻頭言
「再臨待望」
中川 健一
LCJE 日本支部 会計委員 ◉ LCJE の新方向
世界に広がる LCJE ネットワークの存在目的は、以下のよ
うなものである。①定期的な出版物により、ユダヤ人伝道に
関する情報を交換する。②ユダヤ人伝道の戦略を検討するた
めの場を提供する。③ユダヤ人共同体の流行、傾向を調査発
表する。④ユダヤ人伝道のための各種会議を企画実行する。
LCJE 日本支部は 1994 年 10 月 23 日に設立されたが、よ
うやく今年から、本来の LCJE ネットワークとしての機能を果
たすようになった。つまり、
運営委員たち
(事務局を含めて 6 名)
が主宰している各種ユダヤ人伝道団体を LCJE 日本支部の会
員として登録し、多岐にわたる活動を展開して行こうというの
です。この構想が徐々に実を結びつつあることは、本紙の内
容の変化からも見て取れる。感謝なことである。
◉第 2 回ハーベスト「再臨待望聖会」
さて、J & J ミニストリーズは LCJE 会員であるが、その姉
妹団体であるハーベスト・タイムは、昨年に続いて「再臨待望
聖会」を企画している。この聖会は、単なる一団体の企画で
はなく、
「再臨」という大きなテーマの旗印の下に、再臨信仰
を持つクリスチャンたちが結集する聖会である。
聖書は、イスラエルの民の回心が再臨の前提条件であると
教えている。このことと、最近大いに高まりを見せているメシ
アニック・ジュイッシュ運動とは大いに関係がある。それを見
るために、旧新約それぞれから一ヶ所取り上げてみよう。
(1)ゼカリヤ12:10
「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと
哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたし
を仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、
初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く」
ゼカリヤ書 12 章~14 章は、ひとつのテーマを扱った預言
の箇所である。そこでは、①イスラエルの民族的清め(13 章)
、
②メシアの再臨(14 章)
、③メシア的王国の確立(14 章)が
預言されている。以上の 3 つが成就するための条件となるの
が、ゼカリヤ 12:10 である。つまり、イスラエルの民がイエ
スをメシアとして受け入れることが、再臨の条件なのである。
(2)マタイ 23:37 ~ 39
「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分
に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひ
なを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めよう
としたことか。それなのに、
あなたがたはそれを好まなかった。
見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あ
なたがたに告げます。
『祝福あれ。主の御名によって来られる
方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決し
てわたしを見ることはありません」
この箇所でイエスは、3 つのことを語っておられる。①自分
はイスラエルの民を救うために来た。②しかし、彼らがそれを
拒否したので、神殿は荒廃したまま(国は滅びたまま)に捨て
置かれる。③しかし、イエスは再臨される。その条件は、イス
ラエルの民がイエスをメシアとして受け入れ、迎え入れること
である。
◉再臨を論じる理由
第 2 回ハーベスト「再臨待望聖会」は、沖縄(3 月16 日)
、
大阪(3 月18 日)
、東京(3 月 21 日)の順番で開催される。
前回よりもさらにスケールアップした聖会となる予定である。
では、なぜ今「再臨待望」なのか。
(1)再臨を論じることは、神の人類救済計画の全貌を理
解することにつながるからである。聖書理解は、局部的なも
のや、自分勝手なものでは、いけない。創世記から黙示録に
至る神の計画の全貌を理解し、歴史の流れの中に自分を位置
づけることが肝要である。歴史的文脈のない信仰生活は、極
めて場当たり的なものになる恐れがある。
(2)再臨を論じることは今を生きるための力となるからで
ある。初代教会の弟子たちにとっては、
メシアの死、
埋葬、
復活、
再臨は、福音の主要な要素であった。メシア再臨の確信こそ、
今を生きる力となり、清い生活を送る動機となる(Ⅰテサ 4:
16 ~18)
。
(3)再臨を論じることは、日本のリバイバルとユダヤ人の救
いのための祈りにつながるからである。
「再臨待望聖会」が
目指していることは、①日本のリバイバル、②ユダヤ人の救い、
③メシアの再臨である。この 3 点は相互に関連したテーマで
あり、その中心にあるのがメシアの再臨である。では、ユダ
ヤ人の回心はいつ起こるのか。それは異邦人の時が満ちる時、
つまり、
異邦人の中の救われる人の数が満ちる時である。今は、
救済史が最終段階を迎えた感動的な時代なのである。
第 2 回ハーベスト「再臨待望聖会」のために、ぜひお祈り
いただきたい。
No.137 LCJE 日本支部発行
1
第 2 回「ハーベスト再臨待望聖会」のテーマ
大 患
難 時
代
佐野 剛史
J&J ミニストリーズ 「2012 年に人類は滅亡する」-マヤ文明の暦の周期性から導き出したこのような終末論が映画やテレビで取り上
げられ、まことしやかに語られている。
「1999 年に世界の終わりが来る」と予言したノストラダムスの大予言を思い
返しても、このような風潮は今に始まったことではないが、こうした終末預言が人々の心をとらえるのは、現代人が将
来への不安を抱きつつ生きていることの表れだと言える。
■今年の再臨待望聖会のテーマ「大患難時代」
そのような世相の中で、第 2 回ハーベスト再臨待望聖会が
「大患難時代」をテーマとして開催される。私たちクリスチャ
ンには、上記の終末論とは違い、確実に成就する将来の預言
が聖書の中で与えられている。その中でも重要なのが、新約
聖書最後の書「ヨハネの黙示録」である。そして、その黙示
録の全 22 章の中で、6 章から19 章まで、つまり黙示録の大
半が大患難時代についての預言となっている。
しかしながら、個人的な話をすれば、ハーベストタイムで働
くようになるまで、私は 15 年以上というクリスチャン生活の中
で黙示録や大患難時代について体系的に語られたメッセージ
を一度も聞いたことがなかった。そして、これは日本のキリス
ト教界を見渡す限り、他のクリスチャンの方々についても同じ
ことが言えるのではないだろうか。その背景には、終末論に
ついて、日本の教会の意見が混乱、分裂している現状がある。
そのような中で、イスラエル聖書大学教授のノアム・ヘンド
レン師が、
旧約聖書で神がイスラエルと結ばれた 4 つの契約
(ア
ブラハム契約、モーセ契約、ダビデ契約、新しい契約)を背
景として、大患難時代について解き明かしてくださる。それは、
黙示録は旧約聖書との関連箇所が 550 以上あり、旧約の背
景知識なしには理解することが不可能な書だからである。
■なぜ再臨待望聖会のテーマが「大患難時代」なのか
「再臨待望」聖会で大患難時代を取り上げる意義は何か。
大患難時代と言えば、世界大の天変地異や戦争が起こる恐ろ
しい時代という印象がある。しかし、驚いたことに聖書では、
クリスチャンはその時代を
「待ち望む」ようにと教えられている。
第二ペテロ 3:10 ~13 がその箇所である。
「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日
には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼け
てくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされま
す。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるもの
だとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬
虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、
神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなけれ
ばなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えて
くずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私た
ちは、神の約束に従って、正義の住
む新しい天と新しい地を待ち望んで
います」
(2 ペテロ 3:10 ~ 13)
ここに出てくる「主の日」という言
葉は、旧約聖書に何度も登場する言葉
で、終末時代に来る裁きの時、つまり
大患難時代のことを指している(参照:
イザヤ13:6、13:9、エゼキエル 30:3、
ヨエル1:15 等)
。また、
「そのようにして、
神の日の来るのを待ち望み」とある
「神
の日」という言葉も、
「その日が来れば、
2 LCJE 日本支部発行 No.137
そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまい
ます」というそれに続く文章から、
「主の日」と同じ意味であ
ることがわかる。つまり、この聖句は、その日(主の日、神の日)
を、
つまり大患難時代を待ち望むようにと教えているのである。
それでは、なぜそのような苦難の時代を待ち望むようにと
教えられているのか。その理由は、
その次の節にある。
「しかし、
私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新し
い地を待ち望んでいます」
(13 節)
。つまり、キリストの再臨
後に打ち立てられるメシア的王国(千年王国)を待ち望んでい
るのであれば、大患難時代も待ち望むようになるというので
ある。
聖書に啓示された神のプログラムでは、メシア的王国が実
現する前に、メシアの再臨が来なくてはならない。そして、メ
シアの再臨が来る前に、大患難時代が来なくてはならない。
それは、
メシア的王国が成就するための産みの苦しみである(1
テサロニケ 5:3)
。そのため、再臨信仰を持ち、主の再臨を
待ち望む者は、大患難時代について知らないでいるわけには
いかないのである。
■黙示録を学ぶ者に約束された祝福
この大患難時代について記した書、ヨハネの黙示録では、
そこに書かれている預言を学び、それに心を留める者に対して、
次のように祝福が約束されている。
「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこ
に書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が
近づいているからである」
(黙示録 1:3)
もちろん聖書はどこを読んでも祝福があるのであるが、上
記のような祝福が特に約束されているのは、聖書の中でも黙
示録だけである。この聖句は、それだけこの書が重要である
ことを示すものであるが、現代において、この祝福にあずかっ
ている教会、クリスチャンがどれほどいるだろうか。
どうか皆さんも、3 月16 日(沖縄)
、3 月18 日(大阪)
、3
月 21日
(東京)
に開催される第 2 回
「ハーベスト再臨待望聖会」
に参加し、黙示録を学ぶ祝福にあずかっていただきたい。そ
して、すべての再臨待望聖会を貫くテーマである「日本人の
救い」
、
「ユダヤ人の救い」
、
「主の再臨」のためにともに祈ろ
うではありませんか。
広 が る反 ユ ダヤ 主 義
ミッション・宣教の声 黒田 禎一郎
「世界で、ユダヤ人に対する攻撃行動が無い日は一日もない」と言われるほど、ユダヤ人をスケープ・ゴート
とする事件が後を断ちません。世界は国や民族や文化を超えて「平和」を求めているはずですが、現実は平和
と真反対の方向に歴史が動いています。近年、インターネットの急速な進展により、
グローバル化は加速しニュー
スや情報が瞬時に交差します。アフリカ、中東の独裁国では革命や崩壊が起こり、今非常な危機にあります。
この一連の革命動向も、ユダヤと無関係ではありません。人類史と反ユダヤ主義の長さは等しいと言えましょう。
したがって、人が存在するところに反ユダヤ主義運動も存在し、大きな危険性をかかえています。
年秋、インドネシアで会堂を閉
鎖しようとしているムスリム
2
0
1
0
■反ユダヤ的行動
ところで、昨年 2010 年はヨーロッパのドイツ語圏(ドイ
ツ、スイス、オーストリア等)において反ユダヤ主義事件数が、
90 年代に比べて減少しました(スイスは正式人数が出てい
ない)
。しかしオランダ、北欧スウ-デンでは、逆にユダヤ人
とユダヤ企業に対する攻撃事件が多発しました。実行犯はイ
スラム教過激派で、彼らは犯行声明文を出しています。これ
まで反ユダヤ主義を唱えるグループは、主にドイツ語圏のネ
オナチ集団が代表的でした。しかし、近年はイスラム教過激
派がユダヤ人に対し攻撃を加えるようになりました。彼らは
ユダヤ人墓地破壊から、ユダヤ人関連企業と研究所などの全
てをテロ攻撃対象としています。キルギス共和国、フランス、
ベルギー、エジプトなどでは、すでに何度も爆弾事件が起こっ
ています。さらに彼らは、ユダヤ人の精神的中心であるシナ
ゴーグ
(会堂)を攻撃対象とし、狙っていると言われています。
■イスラム過激派によるプロパガンダ
ヤ人たちを殺害し、まだその「生き残り証人」がいる現代に、
歴史上には再び反ユダヤ主義を主張する人々が台頭しつつあ
ること教えています。私たちは、このような緊張度の高い時
代に今置かれています。
■問題の根
とくに恐ろしいことは、イスラム教過激派がホロコースト
を容認し、ユダヤ人を抹殺するプロパガンダを主張している
ことです。とくにイスラム教徒の多いアラブ語圏内では、
「犯
罪人ユダヤ人は死をもって償うべきである!」というスローガ
ンが、次第にエスカレートしていることです。イラン政府は
反イスラエルの旗印を鮮明に表し、イスラエルへの攻撃チャ
ンスを狙っています。世界の左翼・右翼の両過激派グループ
たちの間でも、反ユダヤ主義運動が加速されつつあります。
その恐ろしい悪の波は、特にヨーロッパ、ラテン・アメリカ
等に波及しつつあります。
では、この反ユダヤ主義問題の根は、いったいどこにある
のでしょうか。それは人の心底に潜む憎悪心です。
聖書は、
「 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉
を受けることができせん」
(ローマ 3・23)
、と語っています。
聖書は、この罪は創造神から離れたすべての人が持つ大き
な問題であると明言しています。アダムとイブが禁断の実を
口にしてから、全人類に罪という大問題が入ってきました。
そして人命を軽視し殺人を犯すことを平気で、いや英雄気取
りで実行し、実行者を称賛する誤った道を歩み始めてしまい
ました。これが創造神を離れた人間の現実です。問題の根は、
人の罪にあります。
英国のユダヤ人指導者であるラビ・ヨナタン・ロメイン師
は、
「我々は第二次大戦後には、決して再び起こしてはなら
ないホロコーストを肝に命じるべきである。」、と語っていま
す。スイスのジュネーブにある報道社は、
「残念ながら民族
殺害の歴史は繰り返している」、と述べています。たとえば、
アフリカのコンゴでは 1998 年以来、約 540 万人の人々を
殺害してきました。カンボジアでは 1975 年~ 79 年にかけ
て、共産主義たちによって 170 万もの人々が殺害されました。
ナチス・ドイツがホロコーストによって、600 万人以上のユダ
それでは、私たちは何をすべきでしょうか。先ず第一に、
創造神に「とりなしの祈り」を捧げることです。神が与えて
くださる「平和」を知らない多数の人々のため、全能の神に
祈りをすることです。神は私たちの「とりなしの祈り」に」
応答くださいます。第二に、真の「平和」はキリスト・イエ
スによって与えられることを宣べ伝えることです。イエス・キ
リストこそユダヤ人にも異邦人にも、神が遣わされたメシア
であること、真の平和の王であることを伝えることです。全
世界で今、それが最重要の緊急課題で必要ミニストリーです。
No.137 LCJE 日本支部発行
3
最近の活動報告
アルコ・イリスミニストリーズ
早川 衛
(Arco Iris Ministries) 代表 1. LCJE関東祈り会
2月12日に行なわれた祈り会では、ムバラク大統領辞任の
ニュースを受け、新たな緊張関係が世界に生まれる可能性を感じ
つつ祈った。イスラエルおよびエジプトをはじめとするアラブ諸国
を覚え執り成す幸いなときを持った。
さて、それから何日か後、参加者の一人からメールで質問を頂い
た。それを読み、多くの方が疑問に思われる内容であるに違いな
いと思い筆をとった。私の回答を以下のとおり記させていただく。
(ただし、一部加筆・修正あり) ハレルヤ!
先日は、祈り会に来て下さりありがとうございました。イスラエ
ルに興味を持ち、共に祈って下さり感謝で一杯です。さて、ご質問
の「ユダヤ教徒は旧約聖書の規定を守っているなら、未だに罪た
めの捧げものをしているのか?」に対する回答は、以下のとおり
です。まず結論を述べます。現在、罪のための生贄は捧げられて
いません。なぜなら、ユダヤ人が罪のための生贄を捧げるために
必要な旧約聖書的条件が、現在は満たされていないからです。つ
まり、律法規定を守りたくても守れない事情があるため、罪のた
めの生贄を捧げることができないのです。罪のための生贄を旧約
聖書的に捧げるためには、聖所と祭司が必要ですが、現在はどち
らも存在しません。紀元70年、ローマによって神殿も、その内部に
あった聖所も破壊され、祭儀を継続することが出来なくなったか
らです。聖所以外のところで生贄をささげることは、律法違反とな
りますから、聖所が存在しない現在、ユダヤ人は罪のための生贄
を捧げることができないのです。逆に言えば、神殿と祭司が存在
するなら、現在でも罪のための生贄は捧げられ続けていると言え
ます。ちなみに、神殿の崩壊以降、ユダヤ教徒の信仰生活はシナ
ゴーグを中心としたものへと変っていきました。また、祭司ではな
く旧約聖書の教師であるラビが指導するものへと変らざるを得
なくなりました。
最後に、黙示録11:1~2は、大患難時代の後半について預言し
ていますが、その時には神殿が建っていることが分かります。その
神殿を第三神殿と言います。そこでは、ユダヤ人たちによって再び
動物の生贄が捧げられるはずですが、それは主に喜ばれるもので
はありません。神の小羊イエス・キリストが十字架にかけられてか
「アート」ミニストリーの誕生
ら、動物の生贄を捧げる必要はなくなったからです。(ちなみに、
第一神殿はソロモンが建てたもの、第二神殿はバビロン捕囚から
の帰還以降に建てられたもので、上述のとおり紀元70年に破壊
されました。)大患難時代の後、千年王国が到来しますが、その時
にはエゼキエル書40章以降などに記された神殿が存在します。
当該聖書箇所を読むなら、そこで捧げられる生贄は、モーセの律
法に基づくものとは異なることが分かります。それは罪を贖うた
めのものではなく、主イエス・キリストによる贖いを記念するもの
となるでしょう。ハレルヤ。
以上です。長くなりましたが、これを書くことは私にとっての勉
強にもなり、感謝です。他の方々にも知って頂きたい内容です。
2.聖地旅行
1月号でも触れさせて頂きましたが、アルコ・イリスミニストリー
ズによる第1回聖地旅行の実施を決定しました。日程は、来年2月
1日から8日までとなります。日本人だけでなく在日のラテン系ク
リスチャンにも参加して頂きたいと思い計画したものです。資料
をご希望の方は、Email:[email protected]
あるいはTel:049-223-5159までご連絡下さい。
現在、聖地旅行のためにしていることがふたつあります。ひとつ
は、同旅行の説明と宣伝のためラテン系の教会を訪ねること。彼
らの多くは、母国でリバイバルを体験した経験を持つのですが、こ
こ日本においては、私たちと同じような悩みや障害と闘っていま
す。そんな彼らを私は、ここ日本における同労者だと感じます。聖
地旅行について説明させて頂く際、必ず私とイスラエルとの出会
いについて証をさせて頂きます。彼らのイスラエルに対する心の
目が開かれますようにと祈りつつ。
もうひとつは、各訪問地について学ぶことです。この作業をと
おして自分の無知に気付き、みことばに対する新たな意欲が湧い
てきます。そして、一つ一つの土地に込められた神のメッセージに
ハッとさせられることがありあます。例えば、ベエル・シェバ。そこ
は、ユダヤ人の先祖アブラハム、イサク、
ヤコブが水を飲んだ土地。
しかし、彼らだけでなくアラブ人の先祖イシュマエルもそこで水を
飲んだのです(創21:19)。神がハガルの目を開かれたので、彼女は
井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、イシュマエルに
飲ませた。だから、彼は生きたのです。日本には、「同じ釜の飯を食
う」という表現がありますが、ユダヤ人もアラブ人も元々は同じ水を
飲んだ仲なのです。イスラエルもエジプトをはじめとするアラブ
諸国も共に今、イエス・キリストという永遠のいのちの水を与える
泉に気づき、そこから飲むように祈りましょう。その泉は、彼らのす
ぐそばにあるのですから。ハレルヤ。アーメン。
LCJE ボランティアスタッフの独り言 大西 敦
LCJE 日本支部も新体制になり、少しずつですが「ユダヤ人伝道のポータルサイト(福音のドアー)」としての広がりを見
せていただけていること感謝です。2 月の関西祈り会では CGNTV(韓国の福音 WEB 番組)作品より「回復」という 90
分の映画を上映しました。おもわず上映後には「祈らず」にはおられない作品でした。詳細は次月号にてご紹介させていた
だきます。今回はハティクバミニストリーと共に労してくださっている大西兄の証をお届けしたいと思います。
●LCJEと私とアート
LCJEと私の出会いはそもそも、8,9 年前まで溯ると思います。
まだ、VIP関西センタービルではなくて、内平野の方で年頭の特
別集会をしていた時。N牧師のメッセージに心が捕らえられたから
です。
「皆さん!イスラエル、ユダヤ人のために祈る者は、普通のク
リスチャンの10 倍の恵みをうけますよ」
。クリスチャンになっても
今一つ、何か喜びが感じられない…というか心も病んでいたため
もあって、そんなふうでした。
4 LCJE 日本支部発行 No.137
イスラエル・ユダヤ人の救いに関することは神様の計画の最終
段階である。従ってもうまもなく救いが完成するのだ…など教わり
つつ、執り成しの祈りをしていくこと。ユダヤ人のために祈っていく
ことは、少しずつでしたが、心が楽になっていきました。また美し
い旋律のヘブル賛美にも感動しました。始めて聞く歌であるのに、
どこか懐かしい感じがする不思議な曲でした。
私は画家、アーテイストということでやっていますが、非常に困
難であるのは確かです。皆様のお祈り、ご協力のおかげでそれで
も何とか、2 年前からようやく、個展もさせてもらってきています。
これに関しては会場にまでわざわざ、足を運
んで下さった方々。その方々にアートを通して、
何か励みになるような、そして何か新しい力を
得て、癒されるような、それをして喜んでもら
えるような、そんな心で対応しています。
もちろん絵がそれだけの説得力をもてばい
いのですが、ご承知の通りそう簡単なもので
はないのです。見ず知らずの方にいきなり、イ
エス・キリスト、伝道といってしまうわけにはい
きません。遠くの方からそのボールを投げれ
れば投げてみる。そのようです。しかしこのように私ごときのお粗
末な伝道を会場などでする。そのように心が変化し、きちっと対
応できるようになれるのも、心に一本の筋のようにイスラエル・ユ
ダヤ人の救いのためを思って執り成しの祈りに負うところが大きい
と思います。
それはK牧師のおっしゃられるように「ユダヤ人伝道と異邦人伝
道はクルマの両輪」ということであり、このことはヘブル的に聖書
を解釈するということ。ひいてはそれこそ最も本質的な信仰の核
心に迫るものである、と実感致しております。
多くの優れた方々の傍らで長年に渡り、奉仕していく中で、そ
うした方々がこのことを胸に秘めて、活動して行動してらっしゃ
る姿。まさにお手本のようです。モーセが神から祝福を受けて
雨が教えてくれたこと
いる時、実際にそれをそばで見て、体験的にしっているヨシュア。
彼がそうであるように、まさに諸先輩方方の祝福を見ているの
です。このことは心に深く受け止められていると同時に、神様か
らの励ましのように思います。実にそうしたことを自分の心に照
らし合わせる時、病んでいた心の 1 つ 1 つが修復されていくので
す。そして“私にできることは? 何ができるのか? と自問するな
らば、
“そうだアート。これをすればいい…でもどうやって人に伝
えるのか…などとして様々にインスパイアされるように思います。
ユダヤ人伝道を胸に秘めながら、作品の制作、発表。そういっ
た活動を用いること。少し大袈裟かも知れませんが、アートをもっ
て神様に仕えさせていただいている。実にそのようにしてくださっ
ているのだと思います。
最後にフルクテンバウム博士からいただいた聖句をもって終わ
りたいと思います。読んで下さりありがとうございました。
「 その
名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから
始ってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
」
(ルカ 24:47)
「私
は福音を恥じとは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリ
シヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力
です」
(ローマ 1:16)「彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、
同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦
人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、
物質的なものをもって彼らに奉仕すべきです。
」
(ローマ 15:27)
C. クリンゲンスミス
「春の雨の季節には、主に雨を求めよ。主は稲妻を放ち、彼らに豊かな雨を降らせ、
全ての人に野の草を与えられる。
」
(ゼカリヤ 10 章 1 節 新共同訳)
昨年末からこちらの和歌山県では毎日晴れて寒い日が続いてい
ました。日本列島のあちらこちらには大量の雪が降っても、ここ
太平洋側には一滴の雨もない感じでした。しかし、幸いに 2 月に
入ってからやっと恵みの雨がしとしと降りました。そして、あれか
ら約一週間後、何十年ぶりと言われる積雪。それにもかかわらず
干ばつに近い状態ではないかと思います。畑の土は、ほとんど粉
のようです。教会の花壇や植木にこの季節でもわざわざ水をやら
なければなりません。
こういう運びで私はいろいろ雨について考えさせられて、ゼカリ
ヤ10 章のステキな御言葉を思い出しました。
「春の雨の季節には、
主に雨を求めよ。
」ところが、私たちはそう思っていませんね。雨
の季節にはどうせ雨が降るからわざわざ祈る必要はないじゃない
か、むしろ、雨を祈るべき時は雨が降らない季節じゃありませんか
と思います。でも御言葉を確認しますと、雨の季節に雨を求める
べきだと書いています。
これは少し「主の祈り」のようなものではありませんか。野の
花に囲まれた主イエス様は、山上の垂訓の中で教えられました。
「天にましますわれらの父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。御心の天になるごとく地にもならせた
まえ。
」もし、主イエス様がここまでしか指導されず、ここで祈り
が終了したとしても十分な祈りです。これ以上付け加える必要は
何もありません。それは、あなたに日ごとの食物を与えることこそ
主の御心だからじゃありませんか。そのために園のようなこの大
地を主が造ってくださいました。あなたの罪を赦すことこそ、主の
御心じゃありませんか。そのために主イエス様が限りない苦しみ
と恥をもって十字架を耐え忍んでくださったじゃありませんか。あ
なたを試みに会わせないことこそ、主の御心じゃありませんか。そ
のために主が御霊をあなたに住まわせてくださったじゃありません
か。あなたを悪しきものから救い出すことこそ、主の御心じゃあり
ませんか。そのために日本列島のいたるところ、福音宣教が励ま
れているじゃありませんか。
それでもイエス様はわざわざ祈るように招いてくださいます。
それは主はあなたにわざわざ頼まれたいから、あなたは天のお父
様の子どもだからです。神はあなたを愛してくださるだけじゃなく
て、
あなたのことがお好きです。主はあなたの声が聞きたいのです。
「春の雨の季節には、主に雨を求めよ。
」これは同じことでは
ありませんか。主イエス様は、あなたにわざわざ頼まれたいので
す。あなたの声は主の御耳にとって、音楽のようです。主に頼みま
せんか。
雨の季節に雨を求めることで、私たちは感謝を学びます。このよ
うな祈りは感謝の訓練です。あなたの感謝の量りは、あなたがご
くごく普通のものを、当たり前のものをどこまでわざわざ主にあり
がとうと言おうとするか、これが感謝の量りです。
雨の日に雨を祈りなさい。恵みの日に恵みを求める、これは信
仰の姿です。
「私は恵みの時にあなたの願いを聞き入れ、救いの
日にあなたを助けた。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの
日である。
」
(2 コリント 6:2)
これはあなたの信仰の量り、あなたはどこまでごくごく普通の
もの、当たり前のもの、小さなものをわざわざ主にお願いするか、
これは信仰の量り。
「世界に平和があるように」あちこちそういう
看板のようなものが張ってありますね。これはお見事ですが、
「主
よ、
今日、
私はあの人、
気が合わないあの人に会いに行きます。主よ、
今日、私が笑顔をもって優しく答えることができるように助けたま
え!」小さな平和のために祈ることは、あえて言いましょう。日本
の平和、イスラエルや中東の平和、世界平和の秘訣です。
「春の雨の季節には、主に雨を求めよ」いつか干ばつになるか
もしれません。干ばつの日に雨を求めることは、霊的な戦いで偉
大な信仰が要ります。その日の信仰を整える日は今日です。来る
かもしれない干ばつの日に雨を求める信仰を養うために、
「春の雨
の季節には、主に雨を求めよ。
」
No.137 LCJE 日本支部発行
5
LCJE 本部ニュース 102 号より
ローザンヌ会議
1974 年 そ し て 2010 年
トヴィヤ・ザレツキー 翻訳 : 近藤宏子
LCJE議長 第 3 回ローザンヌ世界伝道会議 ( LCWE ) が 2010 年
つのテーブルに分かれて着席し、積極的に討議に参加した。
10 月 16 日~ 25 日まで南アフリカのケープタウンで開催
された。私は 1974 年スイスのローザンヌで開催された第
午前の会議ではエペソ書の聖書解釈が行なわれ、世界
1 回の会議に参加するという栄誉に浴し、そして 2010 年
的に著名なスピーカーたちが次々と立って各章 3 分~ 25
の会議に出席する恵みを与えられた。36 年間の年月が経
分でメッセージを語った。私たち自身もこの聖書の学びに
過した今、この大会について歴史的視点から報告できる幸
応答して御言葉に深く聴くように求められ、
「聖書をいか
いを心から感謝している。
に実生活に適用していくか」について各テーブルごとに小
アメリカの伝道者ビリー・グラハムがジョン・ストットを
グループで話し合いがなされた。毎朝第 2 集会ではテー
始めとする教会指導者たちと共に第 1 回ローザンヌ会議
マ別にメッセージが語られた。
「多元的かつグローバルな
を招集した。彼らの意図するところは、福音主義信仰を強
世界におけるキリスト」というテーマで「真理」について、
め、教会が世界宣教に責任をもってかかわるように奮い立
「この引き裂かれ壊れた世界におけるキリスト」というテー
たせることであった。今回の会議には世界の各地から 4 千
マで「和解」について「
、他宗教の人々にキリストを証しする」
人の福音派の神学者、学者、宣教団体の指導者、活動家
というテーマで「世界のいろいろな信仰」について、
「宣教
たちが「全地に主の御声を聴かしめよ」というテーマのも
のために神の意思を知る」というテーマで優先すべき事柄
とに招かれたのである。ジューズ・フォー・ジーザスの創
について、
「教会に人間性と高潔さと単純さを取り戻す」と
立者である故モイシェ・ローゼンも招待を受けたが、彼は
いうテーマで「完全性」について、
「キリストのからだに新
代わりに私を派遣したのである。今思うと実に勇気ある行
しいグローバルな安定を」というテーマで「パートナーシッ
為だったと思う。
プ」について、それぞれメッセージが語られた。夜の会議
1974 年の会議に出席した時、私はイエスを信じて 3 年
では世界の教会から証、霊的所感、希望が語られ、毎日
半しか経っていない若輩者であったので、第 1 回会議の意
さまざまな地域の教会の人々が語り、人生を変えた証が語
義が良く理解できていなかった。あれから 36 年経ち、L
られた。
CJEが設立され発展している今、私宛のLCWE会議へ
の招待状を受け取ったのである。この度、25 人のLCJ E
■ 視 点の 変 化■
メンバーや支部会員 11 人と共に第 3 回会議に参加できる
1974 年のローザンヌ会議は講演が中心の会議であっ
恵みを与えられた。2010 年のテーマは第 2 コリント 5 章
たのに対し、2010 年の会議は参加者を中心とした会議で
19 節から『神は、キリストにあって、この世をご自分と和
あったと言える。第 3 回ローザンヌ会議は各チーム内で個
解させる』であった。神の摂理の下で世界伝道の使命を成
人的、内部的な交流をなし、熟考を経てチームで学びを重
し遂げるために、協同して世界伝道の使命を果たすように
ね、中心議題に応答していくという流れに重点が置かれた。
求められた。
2 つの大会には類似点もある。1974 年と 2010 年も神が
198 ヵ国から招待を受けた 4000 人の参加者たちが集
働いておられる場所に焦点をあてていた。1974 年の会議
まった。1974 年は、北米と欧州からの出席者が多かった
で、神が韓国の中で力強く働いておられ、信者が増えてい
が、今回ケープタウンの会議には、北米からの出席者はわ
るという報告を聞いたことを覚えている。2010 年の会議
ずか 400 人だけであった。大多数は、アジア、アフリカ、
では、北朝鮮の人々に福音が宣べ伝えられるのを切望して
ラテンアメリカなどからであった。全教会が全世界に福音
いると語る18 歳の北朝鮮のクリスチャン少女の証を聞い
を伝えるためにどのようにすべきか共に活動し、学び、祈
た。彼女は家族に対する迫害を詳しく語った。少女の父
り、討議した会議であった。1974 年の会議では、会場に
親は彼女が宣べ伝えたいと願っている同胞によって投獄さ
は大きなスクリーンが準備された講壇があり、劇場型に配
れ、その後おそらくは殺害されたという証に感銘を受けた。
置された椅子に 4000 人が座って講演を聞いた。2010 年
1974 年の会議で、私たちは異文化の先住民への伝道
も講壇にやはり大きな劇場用サイズの 6 つのデジタルスク
の動きが広がっている報告を聞いた。2010 年の会議では、
リーンのある会議場で行なわれた。しかし出席者たちは 6
ラテンアメリカ、アフリカ、東アジア、極東の先住民自身
6 LCJE 日本支部発行 No.137
がキリスト教の宣教師となり、同胞に伝道している報告を
とつに出席し、LCWEへの支援を表明した。私たちは
聞いた。36 年間に状況は劇的に変わったのである。
さらに発展していくローザンヌ運動から継続する協力を
メシアニック・ジューについては歴史的文脈において全
期待することができるようになった。以下はその支援表
員が考えるべき問題として捉えるべきこと、また神が今日
明である。
ユダヤ人の中でどのように働き続けておられるかという視
会議声明:私たちはケープタウン誓約にはユダヤ人伝道
点を持つべきことが述べられた。
「和解」に関する討議の
への支援を含むことを保証する。2011 年初めからこの誓
中では、ユダヤ人信者のダン・セレドとパレスティナ人クリ
約は実施される。
スチャンのシャディア・クビティが共に講壇に上がり、キリ
ディアスポラの宣教学:毎日午後テーマを決めて多岐に
ストにある一致について話をしてくれた。
わたる集会が開かれた。ユダヤ人伝道に献身するはいな
1974 年の会議では、西洋の指導者たちは神が他の地
かったが、私たちはユダヤ人伝道という視点をこれらの集
域でどのように働いておられるかを述べたのに対し、2010
会に持ち込むことができた。特にディアスポラ宣教学の多
年の会議では、非西洋地域の宣教団体の活動家たちは、
種多様性は、民族とは何かと定義する時、ユダヤ人ディア
神がキリストにあって同胞たちにどのように働いておられ
スポラの重要な役割を認識させるようになった。1974 年
るかを語った。内部で大きな視点の変化が見られた。その
に比べて、ユダヤ人伝道はディアスポラ宣教学のディスカッ
変化を分かりやすく説明すれば、ある晩パレスティナ人の
ションで、明確に居場所を保持するようになったのである。
ために祈る部屋とイスラエルのために祈る部屋はそれぞれ
1974 年のローザンヌ会議はユダヤ人伝道の分野に言及
別々の部屋であったのに、出席者たちが会議の精神に即し
しただけであったが、2010 年のローザンヌ会議はユダヤ
て祈るために集まった時、ひとつの部屋で心を合わせて全
人伝道の居場所があることをはっきり示してくれた。私た
員が祈るようになったのである。
ちは神が世界のあらゆる場所でどのようなことをなさって
1974 年の会議は宣教論に強調点を置いていた。彼らは
いるか学ぶことができる。そしてこの会議に参加していな
同質の集団について、教会の成長について、宣教団体間の
い教会と宣教者たちは、私たちのLCJEへの報告から学
違いについて、新しい信者たちについて、福音が宣べ伝え
ぶことができる。
られていない人々について教えてくれた。2010 年の会議
私は特に、LCJEの指導者たちがローザンヌ・ネット
で強調されたのは、教会間の分かち合い、使命、宣教団
ワークを活用するように勧めたい。その地球規模のネッ
体間の協力とその実際の適用についてであった。
トワーク活用から得る恵みは実に大きい。現在このネット
ある朝、15 ページの資料が配られた。それは 5 万以上
ワークに参加している人々は、神が世界宣教を導いておら
の人口をもつ地域には未だ福音が伝えられていない 632
れる動きの中で賢く行動しまた成長したいと望んでいる。
の集団があることを示す資料であった。全ての出席者がそ
彼らはそのネットワークにあなたたちの参加と意見を必要
のリストをじっくり見て、これらの未伝の人々への宣教に役
としている。2010 年ローザンヌ会議は、福音を全地に宣
立つ資料を自分が持っているかどうかを考えた。私たちが
べ伝える働きの中でユダヤ人伝道の場所があることを表明
「感想と参加」の記入欄に自分の感想を書き込むと、福音
した。D・バードサルは、
「ローザンヌ集会が酸素を吹き
を伝えるために役立つ資料を作るため、直ちにこの感想は
込んで火をもっと燃え立たせてほしい」というコメントを
回収された。
出した。宣教団体や教会の指導者たちが集まる次回の集
■ 結 論■
会は 2012 年 6 月が予定されている。次回のみなさんの
参加を期待したい。
今回の会議はユダヤ人宣
教の分野で労する私たちに
大きな励ましを与えてくれ
た。短所はあるにしても、宣
教にすぐに役立つ価値のあ
る情報を得たのは意義深い
ことであった。
対話集会:約 160 の小グ
ループによる対話集会が午
後開かれた。その内 5 つの
対話集会ではユダヤ人伝道
が 直面する問題について話
し合いが持たれた。ローザ
ンヌ委員会 の 最高 議 長D・
バードサルが対話集会のひ
No.137 LCJE 日本支部発行
7
LCJE日本支部事務局レター 「見よ。わたしは、
わたしの民を日の出る地と日の入る地から救い、
彼らを連れ帰り、
エルサレムの中に住ませる。
このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義をもって彼らの神となる。
」 ( ゼカリヤ 8:7,8)
● LCJE の関東祈り会はアルコ・イリス・ミニストリーズ、関西祈り会は、ハティクバ・ミニストリーが担当しています。
ご質問、ご要望などがありましたら、お気軽にご連絡ください。
今月の中心祈祷課題 (先月同様皆様のお祈りを必要としています。よろしくお願いします。)
■エジプトの政変が、最善に解決するように。イスラム原理主義勢力がエジプトを支配しないように。
故サダト大統領のように真 ( まこと ) の平和を望む人がリーダーとなりますように。
■レバノンがヒズボラの支配下に置かれないように。
■ヨルダンも主の御手の中でお守り下さい。
■水不足が深刻ですが、今までの守りを感謝します。奇跡の大雨を降らせてください。
■今年も観光客が多く訪れ、安全に聖地旅行が出来て、この国の経済が潤いますように。
■ユダヤ人でありキリストを信じた人々を激しく迫害する超正統派の人々の目が開かれて、メシア・
イエスに出会いますように。
『LCJE JAPAN ジャーナル Vol.1』
¥500
監修:中川健一 翻訳:佐野剛史
◆日本でも、近年になってイスラエルや、ユダヤ人クリスチャンであるメシアニック・
ジューの存在に注目が集まるようになっています。しかし、クリスチャンの間
でも、イスラエルの聖書的位置付けや、ユダヤ人伝道、クリスチャンシオニズ
ムをめぐって意見が分かれ、論争があるのが現実です。
◆ LCJE Japan ジャーナルは、こうした現状にユダヤ人問題をよく知る専門家
の議論を紹介し、正しいイスラエル理解を広めていくことを目指して発刊され
た定期刊行誌です。
◆その第一号では、英国と米国のクリスチャンの間で行われたクリスチャンシオ
ニズムをめぐる公開討論を掲載しました。両者の議論を追うことで、イスラエ
ルをめぐる論点が浮き彫りになり、イスラエルとユダヤ人を聖書的に理解する
筋道が見えてきます。
◆イスラエルに関心がある方にも、関心がない方にもぜひ一読をおすすめします。
編集後記
コ・ワーカーの皆様心よりお祈りと、尊い献金を感謝いたします。ま
だ肌寒い日が続きますが、春はすぐそこまでやってきています。次々と
開花する季節の花に目を留めるとき、やすらぎとふと立ち止まる時をい
ただけていること感謝です。
何とかせねばならない、どうなるのか…「気」ばかりが思い悩み息苦
しくなります。しかし、喜び、輝いて咲いている花を見るとき、本当に
励ましを受けます。主のご支配の中に生かされる恵みを今月も感謝しつ
つ歩ませていただきたく思います。
ポータルサイトとしての LCJE ニュースレターが少しずつ用いられて
いること感謝です。近いうちに「シオンとの架け橋」が参画される予定
です。ご期待ください。
是非前向きなご意見・ご感想を LCJE 日本支部までお寄せください。
この運動は LCJE コ・ワーカーお一人お一人の祈りにより主が前進させ
てくださいます。よろしくお願いします。
LCJE 日本支部事務局 高瀬真理
8 LCJE 日本支部発行 No.136
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