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論 文 内 容 の 要 旨

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論 文 内 容 の 要 旨
目次
第1章 本論文の目的と意義 …… 3
第2章 「正の経済」と「反の経済」の統計データによる判別方法についての研究 …… 7
2-1.はじめに …… 7
2-2.GDP 統計(国民経済計算)の構造について …… 8
2-3.経済成長と貨幣流通量、負債の関係についての検討 …… 11
2-4.「正の経済」と「反の経済」の判別方法の提案 …… 20
2-5.おわりに …… 27
第3章 「正の経済」と「反の経済」の定義付け――マクロ経済統計を用いた企業、政府、中央銀
行の振る舞いの分析手法に関する研究 …… 28
3-1. はじめに …… 28
3-2. 正の経済/反の経済における企業と政府の行動原理 …… 29
3-3. 金融政策の方向性の判定 …… 32
3-4. 金融政策のラグについて …… 35
3-5. マクロ経済統計データによる企業の行動の判定 …… 36
3-6.「正の経済」と「反の経済」の定義 …… 40
3-7. マクロ経済統計データによる政府の振る舞いの判定 …… 42
3-8. 「正の経済」と「反の経済」の判定の実施例:日本のケース …… 43
3-9.おわりに …… 51
第4章 「反の経済」における政府の振る舞いの制約条件である政府の財政余裕度に関する研究
…… 52
4-1.はじめに …… 52
4-2.政府財政に関する経済学教科書の論点整理 …… 54
4-2-1.政府の予算制約に関する考察 …… 54
4-2-2.政府の予算制約と双対となる民間の予算制約に関する考察 …… 55
4-2-3.政府会計の永続性に関する考察 …… 61
4-2-4.政府債務 GDP 比の限度に関する考察 …… 64
4-2-5.政府、民間、国内部門全体の貯蓄と投資に関する考察 …… 73
4-2-6.
「政府財政に関する経済学教科書の論点整理」のまとめ …… 77
4-3.財政余裕度の指標の検討 …… 79
4-3-1.国連報告書における財政余裕度の 5 指標について …… 79
4-3-2.ユーロ債務危機(=非シニョレッジ対応可能債務危機)の明暗を分けた経常収支
…… 90
4-3-3.日本の政府財政がリーマンショック後の世界的危機の中で極めて安定していた理
由 …… 92
1
4-3-4.経常赤字であるが非シニョレッジ対応可能債務の問題のない場合における財政余
裕度 …… 94
4-3-5.財政余裕度の指標の検討に関するまとめ …… 112
4-4.財政余裕度を高めるための物質的アプローチと心理的アプローチ …… 114
4-4-1.成長モデルと財政余裕度に関する考察 …… 115
4-4-2.財政余裕度の心理的側面に関する検討 …… 124
第5章 結論 …… 132
付記および謝辞 …… 136
参考文献一覧 …… 138
2
第1章 本論文の目的と意義
経済学において相対立する二つの理論体系――有効需要の原理に基づいて政府の介入を肯定す
るケインズ理論と、中央銀行が利子率を適正に調整してさえいれば経済は成長するので政府は一切
市場に介入すべきでないとするマネタリズムの理論――について、木下[1]はオペレーションズ・リ
サーチ(OR)の手法を用いて一つの整然とした理論体系に統合することを提案している。この木下
提 案 の 理 論 を 以 下 、「 正 と 反 の 経 済 学 ( Thetical Economy and Antithetical Economy in
Macro-Economics)
」と呼ぶ。なお、この「正と反の経済学」における「正の経済」とは民間企業が
総じて利益の最大化を目指して能動的に支出と債務を拡大する経済局面であり、「反の経済」とは
その逆の経済局面――民間企業が債務の最小化を目指して支出と債務を縮小する経済局面――で
ある。
この「正と反の経済学」を用いれば、例えば、日本の 1980 年代末から 90 年代初頭にかけておき
た株式バブルや土地バブルの生成と、その崩壊後の長引くデフレ不況がなぜ起こったのか、あるい
は、そのデフレ不況からなぜ長い間脱却できなかったのか、といったことについて、一つの明快な
説明が得られる。しかし従来、この「正と反の経済学」の理論的枠組みについて、統計データを用
いての検証を実施することができていなかった。
そこで筆者は、「正と反の経済学」の理論が実際の統計データと整合性が取れるかどうかを確認
することとし、また、この理論の実用性を高めることを目的として、本論文の第2章、第3章で述
べるようなアプローチにより、統計データを用いての検証を実施することとした。
第2章では、まず GDP 統計(国民経済計算)の構造を確認しながら二つの単純な経済モデル―
―「純粋な社会主義モデル」
、
「純粋な資本主義モデル」――を提示した。本論文で提示しているこ
の二つの単純な経済モデルは、一般的に話を簡単にするために対外取引を無視することとしている
モデルについて、
「世界全体を一つの国と見なせば対外取引が相殺されてゼロになる」と捉えなお
し、現実世界に近いモデルとして取り扱っている点において独自性がある。
そして、第2章では「純粋な社会主義モデル」を用いて政府主導の経済成長とはどのような現象
か、「純粋な資本主義モデル」を用いて民間主導の経済成長とはどのような現象か、そして「純粋
な資本主義モデル」に再び政府を付加した場合の経済成長とはどのような現象か、ということにつ
き、国民経済計算や資金循環統計などの統計データで表現するならばどの項目を用いてどのような
視点で観察すれば良いか、ということを検討した。その結果、経済成長とは政府であれ民間であれ
すべての経済主体を合算した財・サービスの生産に関係する支出と負債の両方の実質ベースでの拡
大を意味するのであり、
「正の経済」とは民間主導で経済成長がなされている状態、
「反の経済」で
は民間が委縮しているがゆえに民間主導での経済成長がなされていない状態であることを確認し、
統計データを用いて「正の経済」か「反の経済」を判定し得るという結論に達し、その判定を行う
ためのいくつかの候補となる判定条件を提示した。
第3章では、「民間主導の経済成長がなされる条件は、集合体としての民間企業が需要拡大に対
する十分に高い期待を有していることであり、その期待が十分に高ければ、設備投資を前期以上に
拡大しているはずである」と考えられることと、「民間主導による長期継続的な成長においては、
その設備投資は過去最大であるべき」と考えられること、という観点から、第2章で選定した「正
3
の経済」か「反の経済」の判定条件の候補を絞り込んだ。そして、
①民間企業設備投資(実質値)が前期以上かどうか、
②民間企業設備投資(実質値)が過去最大かどうか、
③非金融民間企業の負債が拡大しているかどうか、
④非金融民間企業の金融純負債が拡大しているかどうか
の4つがすべて真となる場合を「正の経済」と判定する条件とした。なお、負債と金融純負債につ
いて民間企業全体ではなく非金融民間企業に注目するのは、企業のうちでも、マクロ経済における
生産の拡大に関して非金融部門間の金融取引を仲介することが使命である金融機関を除く、非金融
企業の負債に注目するのが妥当であると考えられるからである。
また、「正の経済」はマネタリズムが有効な経済局面と規定されているため、景気が悪化した場
合において上記の①から④の条件が一つ以上偽となったとしても、中央銀行の金融緩和によって①
から④の条件が一定の期間内――金融政策の効果が発揮されるまでにかかるタイムラグと想定さ
れる期間内――にすべて真となるならば、それは「正の経済」における景気悪化であって、「反の
経済」ではないと判定することとした。そして、このような「正の経済」における景気悪化かどう
かの判定を行うための手段として、中央銀行の政策が金融緩和の方向性となっているかどうかの判
定を、金利の誘導目標が前期よりも低下したかどうか、金利の誘導目標が変化していない場合にお
いてはマネタリーベースが前期よりも増加したかどうかによって行う手法を、併せて提案した。
また第3章においては、「反の経済」において政府が適切な振る舞いをしているかどうかを判定
するための手法として、「正の経済」の判定条件に用いた①から④のような企業の振る舞いを判定
する条件と同様の条件を用いることを提案している。それは、
⑤政府支出(実質値)が前期以上かどうか、
⑥政府支出(実質値)が過去最大かどうか、
⑦政府の負債が拡大しているかどうか、
⑧政府の金融純負債が拡大しているかどうか、
の4条件がすべて真となっているかどうかで判定するという手法である。これにより、①から④の
条件がすべて真となっている場合に企業が「本来的な資本主義的な振る舞い――能動的に財とサー
ビスの生産に関係する支出を拡大し、かつ、負債を拡大するという振る舞い――をしている」と判
定されるのに対し、⑤から⑧の条件がすべて真となっている場合には政府が「企業が喪失している
需要に対する期待を回復するために、積極的に財やサービスの生産に関係する支出を拡大し、かつ、
負債を拡大するという振る舞いをしている」と判定されることとなる。
以上の第3章で提供した、企業の振る舞いの判定条件、政府の振る舞いの判定条件、中央銀行の
振る舞いの判定条件は、すべて「真」か「偽」、つまり、
「1」か「0」で表現できるようになって
いる。これにより、一つの図の上に視覚的に「企業が本来の資本主義的な振る舞いをしているかど
うか」
、
「政府が経済局面に応じた適切な振る舞いをしているかどうか」、
「中央銀行が適切な振る舞
いをしているかどうか」を表現することが可能となっている。なお、すべて「1」か「0」で表現
できるようにしたのは、人間による恣意的な判断を排除し、機械的な判定を行うための手段として
この手法を利用し得る環境を提供することを、本研究が目的としているためである。なお、第3章
では、日本の 1982 年第3四半期から 2013 年第4四半期までの期間についての上記判定手法によ
る「正の経済」と「反の経済」の判定の実施例を示している。
4
第2章、第3章では政府の予算制約について、「必要な財政措置を取るための財源は常に十分に
ある」という前提で議論を進めた。第3章において、日本は 1993 年第 3 四半期から 2013 年第 4 四
半期まで「反の経済」と判定しているが、日本政府に「反の経済」において適正に振る舞うだけの
財政余裕度があるかどうかの検証を行っていない。
そのため、第4章では政府の予算制約、あるいは、財政余裕度について以下のような議論を展開
した:
・まず、経済学の教科書にある政府財政に関する論点について整理・検討を行った。
・次に、上記の教科書の記述とは観点が少し異なる、国連開発計画が 2011 年公表の報告書に示
している、政府の財政余裕度を見るための5つの指標について検討した。
・その上で、2010 年代前半現在における日本政府が「反の経済」において望ましい振る舞いを
行えるだけの財政余裕度があることを明らかにした。
・それに加えて、将来においても「反の経済」において政府が積極的に財やサービスに関係する
支出と負債の両面の拡大を行えるようにするために必要な財政余裕度の維持向上を図る、とい
うことに関する課題と対策についての提言を行った。
第4章は、日本に限らず、ある国の経済局面が「反の経済」である場合において、その国の政府
が「反の経済」における望ましい振る舞い――積極的に支出と負債を拡大するという振る舞い――
を行うだけの余裕があるかどうかを検証する手段を提供するものであり、「正と反の経済学」の実
用性を高めるという本論文の目的にとって必要不可欠である重要な構成要素である。
以上が本論文の目的と意義である。
また、本論文の構造をフローチャートにまとめたものを次頁の図表 1-1 に示す。
5
第1章 本研究の目的と意義
第2章 「正の経済」と「反の経済」の統計データによる判別方法についての研究
GDP統計(国民経済計算)の構造について
経済成長と貨幣流通量、負債の関係についての検討
「正の経済」と「反の経済」の判別方法の提案
(判別条件の候補の提示)
第3章 「正の経済」と「反の経済」の定義付け――マクロ経済統計を用いた企業、
政府、中央銀行の振る舞いの分析手法に関する研究
金融政策の方向性
の判定
金融政策のラグに
ついて
マクロ経済統計データに
よる企業の行動の判定
(第2章で提示した候補
の絞り込み)
「正の経済」と「反の経済」の定義
マクロ経済統計データ
による政府の振る舞い
の判定
マクロ経済統計データ
による政府の振る舞い
の判定
「正の経済」と「反の経済」の判定の実施例:日本のケース
(企業、政府、中央銀行の振る舞いを一つの図上で視覚的に確認できる
手段、ならびに、政府の望ましい行動につき人間の恣意的判断を排除して機械的
に判定し得る手段の提供)
第4章 「反の経済」における政府の振る舞いの制約条件である政府の財政余裕
度についての研究
政府財政に関する経済学教科書の論点整理
財政余裕度の指標の検討
財政余裕度を高めるための物質的アプローチと心理的アプローチ
図表 1-1 本論文の構造
6
第2章
「正の経済」と「反の経済」の統計データによる判別方法についての研究
([2] 廣宮, 木下, 2014
)
2-1.はじめに
経済学において相対立する二つの理論体系――有効需要の原理に基づいて政府の介入を肯定す
るケインズ理論と、中央銀行が利子率を適正に調整してさえいれば経済は成長するので政府は一切
市場に介入すべきでないとするマネタリズムの理論――について、木下[1]はオペレーションズ・リ
サーチ(OR)の手法を用いて一つの整然とした理論体系に統合することを提案している。この木下
提案の理論を以下、
「正と反の経済学(Thetical Economy and Antithetical Economy in
Macro-Economics)
」と呼ぶ。
「正と反の経済学」の理論に従えば、民間企業が総じて資本主義が本来的に想定していたような
振る舞いをしている状態は「正の経済(Thetical Economy)
」であり、それは「供給が需要を創る」
というセイの法則が機能する局面であるため、マネタリズムの理論どおりに政府の介入なしで中央
銀行の利子率操作だけで経済が成長するように促すことが正しい。一方、民間企業が総じて資本主
義が本来的に想定していたような振る舞いと正反対の振る舞いをしている状態は「反の経済
(Antithetical Economy)
」であり、その場合はケインズ理論どおりに政府が拡張財政政策を実施
することで不足している有効需要を補ってやることが正しい、ということになる。
本稿は、この「正の経済」と「反の経済」について、国民経済計算等の定期的に更新される公的
統計データを用いて実態を把握し、ある国の経済状態が実際のところ「正の経済」なのか「反の経
済」なのかを判別する方法を提案し、
「正と反の経済学」の実用性を高めることを目的とする。
まず、この目的を達成する上で欠かせない GDP 統計(国民経済計算)の構造について、確認と検
討をしておきたい。
7
2-2.GDP 統計(国民経済計算)の構造について
GDP(国内総生産)について、財市場における生産と需要の均衡、そして投資と貯蓄の均衡を式
で示すと、以下のようになる。
𝑌 = 𝐶 + 𝐼 + 𝐺 + 𝑋 − 𝑄 = 𝐶 + 𝑆 + 𝑇 ⋯ (2 − 1)
ここで、Y は生産、C は民間消費、I は民間投資、G は政府支出、X は輸出、Q は輸入、S は貯蓄、T
は租税である。
次に、式(2-1)において政府による消費と投資および租税を民間の消費、投資、貯蓄と統合する
と、
𝑌 = 𝐶 + 𝐼 + 𝑋 − 𝑄 = 𝐶 + 𝑆 ⋯ (2 − 2)
となる。さらに、輸出入をゼロとする仮定をしたモデルを検討すると
𝑌 = 𝐶 + 𝐼 = 𝐶 + 𝑆 ⋯ (2 − 3)
となる。ここで、生産 Y から C を差し引くと、
𝐼 = 𝑆 ⋯ (2 − 4)
となる。これは、輸出入がゼロの仮定の下において、財市場が均衡するには、投資 I と貯蓄 S が一
致しなければならないことを示す。そして、統計データでは財市場が均衡した結果が観測されるこ
ととなる。
ブランシャールによるマクロ経済学の教科書[3]には、投資が貯蓄に等しいということを直感的に
理解するために次のような説明をしている。「無人島に流されて 1 人で生活するロビンソン・クル
ーソーの経済を考えてみよう。彼にとっては貯蓄と投資は同一のものである。彼が投資をする(た
とえば家畜を食用にしないで再生産するために飼っておく)分だけ、彼は自動的に貯蓄をしている
ことになる。購入した家畜を食べてしまえばそれは消費となるが、生産財として取っておくならば
それは投資であり、すなわち、貯蓄であることになる」。
このブランシャールの教科書では近代の経済はもっと複雑であり、「投資は企業が決定し、貯蓄
は家計や政府が決定している。…均衡状態ではこれらすべての決定は整合する。つまり投資は貯蓄
に一致するのである」としているが、実際の国際基準(SNA2008)[4]にのっとった GDP 統計ではむ
しろロビンソン・クルーソーの家畜のたとえ話に準拠して貯蓄が計算されている。
国際基準においては、貯蓄(Saving)は「可処分所得(Disposable Income)から最終消費支出
を差し引いたもの」と定義されており、
「可処分所得」は国民総生産(GDP)に海外からの純所得〔=
海外からの雇用者報酬(純)
、海外からの財産所得(純)、海外からのその他の経常移転(純)の合
計〕を加算して計算される。
この国際基準における「可処分所得」は、日本の内閣府の国民経済計算においては国民総所得(GNI)
と表記されている。ここで、海外からの純所得を A とすると、以下の関係が成立する:
𝐺𝑁𝐼 = 𝐺𝐷𝑃 + 𝐴 ⋯ (2 − 5)
𝑆 = 𝐺𝑁𝐼 − 𝐶 ⋯ (2 − 6)
ここで、式(2-6)に式(2-5)を代入すると、
𝑆 = 𝐺𝐷𝑃 + 𝐴 − 𝐶 ⋯ (2 − 7)
となる1。ここで GDP=Y なので、式(2-7)に式(2-2)を代入すると、
1
文献[2]のこの箇所において誤りがあったので訂正しておきたい。国際基準(SNA2008)においても日本の内
閣府「国民経済計算」においても、
「国民可処分所得=国民総所得 GNI+海外からの経常移転(純)」の関係
となっており国民可処分所得と国民総所得 GNI は一致しない。そして「貯蓄 S =国民可処分所得-消費 C」
8
𝑆 = 𝐶 + 𝐼 + (𝑋 − 𝑄) + 𝐴 − 𝐶 = 𝐼 + (𝑋 − 𝑄) + 𝐴 ⋯ (2 − 8)
となる。式(2-8)において対外取引をゼロとする仮定を用いれば、式(2-4)とまったく同じ関係、つ
まり S=I が成立する。
ここで重要なのは貯蓄 S が統計上、直接測定されるものではないということである。上述のとお
り、貯蓄 S は所得の各項目のデータを合計することで得られる国民総所得 GNI(=国際基準では「可
処分所得」
)から消費 C のデータを引き算することで得られる 1。それは支出の各項目つまり、消費
C、投資 I、純輸出 X-Q のデータの合計に海外からの純所得 A のデータを加算した上で、消費 C を差
し引いたものに一致する。
それゆえ統計上、何をもって「消費 C」とするか「投資 I」とするかの基準が変更されれば、そ
れにしたがって貯蓄 S も変動する。現在の基準では家計部門による自動車の購入は、
「投資 I」では
なく、「消費 C」に分類される。もし、
「家計部門が保有する自動車も移動サービスを生産する生産
財であるので、投資に分類する」というように基準を変更すれば、その自動車の分だけ投資 I が増
加し、従って、貯蓄 S も増加することになる。つまり、貯蓄 S は投資 I の従属変数に過ぎない。
投資 I は建物や生産設備などの生産財、つまり資本ストックの増加を意味する「固定資本形成」
と、「在庫品の増加」の合計である。ここで「固定資本形成」に着目すると、建物や生産設備など
の資本ストックは時間の経過とともに損耗するため、価値が減少する。その価値の減少分が「固定
資本減耗」である。国民総所得(GNI)からこの「固定資本減耗」を控除したものが国民純所得(NNI。
内閣府の国民経済計算ではこれを「国民可処分所得」と表示している)であり、この NNI から消費
C を控除したものが純貯蓄(Net Saving)となる。
さて、この「固定資本減耗」は元をただせば、主に企業の財務諸表上にある減価償却費である(米
国では税務申告書に記載された減価償却費を集計した上で税務上の減価償却費と企業会計上の減
価償却費の差異を考慮して調整した金額を国民経済計算における固定資本減耗としている 3)。減価
償却費は最終的には建物や生産設備の残存価値がゼロになるまで計上され続けることになる。また、
投資 I を構成する要素のうち「在庫品の増加」はときにより正の値をとったり負の値をとったりす
るため長期的な累計額はゼロである。
それゆえ、投資 I の累計額は長期的には「固定資本減耗」の累計額によってすべて打ち消されて
ゼロになる。
ところで、ある年の資本ストックを𝐾𝑡 、同年の投資を𝐼𝑡 、資本減耗率を𝑑̅ とすると、翌年の資本
ストック𝐾t+1 は、
𝐾
= 𝐾𝑡 + 𝐼𝑡 − 𝑑̅𝐾𝑡 ⋯ (2 − 9)
t+1
のように表される。ここで𝑑̅ 𝐾𝑡 は固定資本減耗である。この式から分かることは、純投資𝐼𝑡 − 𝑑̅𝐾𝑡 が
正の値でなければ資本ストックが増加しない、ということである。そして上述のとおり、𝐼𝑡 の累計
となっている。
また、
「GNI=GDP+海外からの雇用者報酬(純)+海外からの財産所得(純)
」なので前頁の式(2-5)は誤
りである。
次に、式(2-6)は「S = GNI+海外からの経常移転(純)-C」に修正する必要がある。
一方、「国民可処分所得=GDP+海外からの雇用者報酬(純)+海外からの財産所得(純)+海外からの
経常移転(純)
」となり、
「A=海外からの雇用者報酬(純)+海外からの財産所得(純)+海外からの経常
移転(純)
」としているので、
「S=GDP+A-C」となることから、式(2-7)は正しい表現となっている。
なお、財務省「国際収支統計」では現在、
「海外からの雇用者報酬(純)+海外からの財産所得(純)」を
「第一次所得収支 primary income balance」と呼称し、
「海外からの経常移転(純)」すなわち経常移転収支
を「第二次所得収支 secondary income balance」と呼称している。
9
額は長期的には𝑑̅𝐾𝑡 の累計額によって打ち消されることになる。よって、資本ストックが増加を続
けるためには、𝐼𝑡 が毎年増加を続ける必要がある(𝐼𝑡 が増加せず一定の値で推移し続ければやがて
𝑑̅𝐾𝑡 が𝐼𝑡 に追い付くため、純投資はゼロとなり、資本ストックの増加が止まることになる)
。資本ス
トック、つまり生産財の増加は供給能力の増加を意味し、それは経済成長を継続するための必須条
件となる。これを数式で表現すると
𝐼𝑡 > 𝐼𝑡−1 ⋯ (2 − 10)
𝐼𝑡 > max 𝐼𝑥 ⋯ (2 − 11)
0≤𝑥≤𝑡−1
となる。ここで、max0≤𝑥≤𝑡−1 𝐼𝑥 は投資 I の過去最大値である。
次に、経済成長を支えるための資金調達の問題について検討する。
10
2-3.経済成長と貨幣流通量、負債の関係についての検討
まず、基本事項を明確に確認するための単純なモデルを設定しておきたい。式(2-3)
𝑌 = 𝐶+𝐼 = 𝐶+𝑆
は、政府と民間を統合した上で輸出入(𝑋 − 𝑄)をゼロと仮定したモデルであったが、筆者らはこれ
を改めて「全世界連結モデル」と呼ぶことにする。というのは、全世界を一つの国であるとみなせ
ば、輸出入はすべて国内取引であり相殺されてゼロとなるからである。また都合の良いことに海外
からの純所得 A も相殺されてゼロとなるので、式(2-4)
𝐼=𝑆
の関係が現実世界においても完全に成り立つことになる。
さて、その「全世界連結モデル」の枠組みにおいて、まずは「純粋な社会主義モデル」を検討す
ることを通じて GDP 成長と貨幣流通量がどのような基本的関係にあるのかを確認しておきたい。な
ぜ「純粋な社会主義モデル」かというと、さまざまな条件を限定することができ、極めて単純なモ
デルを構築できるからであるが、このモデルにおいては、以下のような状況を仮定する。
〔「純粋な社会主義モデル」の仮定〕
 国民は全員公務員である
 公務員の給料は生産高に応じて政府から支給される
 給料日は期初とし、その給料は期末までに、強制的あるいは自発的に必ず使い切られる
 私有財産の保有は一切認めない。また、国民も政府も一切の借入れを行うことも禁じられてい
る(国民間の貸付・借入も国債の発行もない状態)
 生産の需要と供給は政府による厳密な管理によって必ず均衡するため、供給が増えれば必ずそ
の分だけ需要も増え、需要が増えればその分だけ必ず供給も増える
 よって、物価水準は政府が完全に適正に制御できる
以上の仮定において、国民は 90 人の農作業グループと 10 人の建設作業グループからなるものとす
る。また、資本ストックは全国民が居住するための住宅 10 棟のみとし、その 10 棟の住宅は耐用年
数が 10 年であるため、建設グループは毎年 1 棟を新築するものとする。
上記のような状況において、政府が発行した貨幣流通量 M は 100 単位であり、国民 1 人が年間生
産する生産量を 1 単位とし、
国民 100 人が年間に必要な食糧と住居サービスの量は食糧が 90 単位、
住居サービス(家賃に相当)が 10 単位であり、住宅 1 棟の建設投資もまた 10 単位であるとする。
このとき、経済の流れは次のようになる。政府は期初(年初)にその年の生産計画を労働者(国
民)に指示し、その分の給料総額 100 単位を、国民 100 人に支払う(1 人 1 単位)。国民による生産
物は出来次第その都度すべて政府に納入され、国民は期末(年末)までに必要な食糧 90 単位を政
府から購入し、住居サービス費すなわち家賃 10 単位を政府に支払う。

「純粋な社会主義モデル」の国民経済計算
上記の過程における貨幣の流れを簡単にまとめると、政府が給料として年初に国民に 100 単位支
払い、国民は期末までに政府に 100 単位支払うことになる。この過程における財・サービスと貨幣
の流れを国民経済計算のルールに従って統計を取ると、図表 2-1 のようになる。
貨幣流通量が 100 単位で、労働者による生産も 100 単位、貨幣のやりとりも政府と国民の間で 100
単位が 1 往復しただけであるのに、資本ストック(この場合、住居用の建物)による「住居サービ
スの生産」が加わることで GDP が 110 単位になる(国民総所得 GNI も海外からの純所得がゼロなの
11
120
100
建設グループ
作業 10
資本ストック
(建物) 10
投資(建設)
10
消費(住居
サービス) 10
固定資本減耗
10
消費(住居
サービス) 10
農業グループ
作業 90
消費(食糧)
90
消費(食糧)
90
国内純生産
=国民純所得
100
生産
需要(支出)
所得分配
GDP=GNI
固定資本減耗
10
80
60
40
20
0
図表 2-1 「純粋な社会主義モデル」の国民経済計算
で GDP に一致する)
。これは資本ストックが、人間が働かなくても何かしらの付加価値を生産して
いるからだと解釈できる。これが投資 I と貯蓄 S の本質である。
ただし、資本ストックの価値は固定資本減耗によって 10 単位減少するため、国民純所得は 100
単位となる。同時に、純投資や純貯蓄は 0 単位となり、資本ストックは増加しない。

「純粋な社会主義モデル」における経済成長
この「純粋な社会主義モデル」において経済成長するにはどうしたら良いであろうか?
経済成長とは実質 GDP の成長、つまり、財やサービスの生産の増加であるから、生産が増えるこ
とである。このモデルにおいてそれは、農業グループと建設作業グループが 1 年あたりでより多く
の生産を行うようになることである。
ここで、人口が 10%増加して 110 人となったことで需要が 10%増加したことに応じて、政府が年
初に各グループに 10%の増産を指示したとする。110 人全員が生産に従事するか、100 人が時間外労
働などによって 10%増産するかは別にして、それは完全に可能であるとする。
もちろん、長期的な成長を目指すならば、農作業や建設作業の一人あたりの生産性を高めるため
の設備投資、たとえばトラクターの購入や建設機械の購入を通じて 10%増産を行うべきかもしれな
いが、いまは 110 人の国民が世界の全人口であるため、誰かから買うのではなく、原材料となる鉄
鉱石の採掘から何から何まで、すべて自らの労働によらなければならない。それゆえこの国では、
投資 I は資本形成に従事した労働者の人件費にほかならないことになる。
さて、どのようにして増産を実施するにせよ、問題になるのが貨幣流通量𝑀である。これまであ
えて貨幣供給𝑀 𝑠 や貨幣需要𝑀𝑑 と書かなかったのは、𝑀 𝑠 も𝑀𝑑 もともに 100 単位であり、区別する
必要がなかったからであるが、経済成長を検討するにはやはり区別する必要がある。実質ベース、
つまり財・サービスの量で計算すると、それは 10%増加することになるため、貨幣需要𝑀𝑑 は実質ベ
ースで 110 単位となる。よって、政府は貨幣供給𝑀 𝑠 を実質ベースでやはり 110 単位にする必要があ
12
る。ここで𝑀 𝑠 は名目の値であり、価格水準を P とすると、実質ベースの𝑀 𝑠 は P で割ったものとな
る。よって、
𝑀 𝑠 𝑀𝑑
=
= 110
𝑃
𝑃
となる。このとき、政府が実質の貨幣供給を増加させるには
(a) 名目の貨幣供給量𝑀 𝑠 は変えず、価格水準 P を 1÷1.1≒0.91 に改訂、つまり、物価水準を
引き下げることで実質の貨幣供給を増加させる
という方法がある。
しかし、貨幣そのものが端数に対応していないなどの事情により価格水準を引き下げられない場
合は
(b) 貨幣を新たに 10 単位増発し、名目の貨幣供給量𝑀 𝑠 を 110 に引き上げる
ということも可能である。
もちろん、他にも
(c) 合計 100 単位の生産に費やす期間を 1/1.1 にする、つまり、12 ヵ月を約 10.9 ヵ月に短縮
し、期初に政府が支給する給料の金額も、国民が期末までに使い切るべき金額も 100 単位
のままとする
という方法により、貨幣の流通速度𝑉を高めることで、価格水準 P も貨幣供給𝑀 𝑠 も一切変更しない
方法もあり得る。この方法で期が改まるごとにこの期間を短縮していってやれば、𝑉は増大し続け
る。仮想世界における「純粋な社会主義モデル」であれば、理論的には 1 日ごと、1 秒ごとという
ように、際限なく期間を短縮してゆくことは可能であろう。しかし、現実にはすべての役所や企業
の給料日の間隔を次々に短縮するようなことは非常に困難であると言える。よって(c)は現実的で
はない。
一方、(a)と(b)はともに実質ベースでの貨幣供給𝑀 𝑠 /𝑃を増加させる方法である。
貨幣は通常、発行元の負債と考えることができる(例えば、日本銀行の「資金循環統計」では、
日銀発行の紙幣のみならず、政府発行の硬貨も日銀の負債として表示している)。この考え方に従
えば、「純粋な社会主義モデル」における貨幣の増発は、政府の負債の増加を意味する。またさら
に言えば、貨幣を増発した直後においては、その増発した貨幣は政府の金融資産でもある。その貨
幣を国民に給料として支給した直後においては、その金融資産は一旦国民のものとなるが、国全体
における金融資産と負債の合計残高は変わらない。(a)においては、国全体の実質ベースでの金融
資産と負債が両方ともに 10 単位増加するが、名目ベースでは不変である。(b)においては、実質ベ
ースでも名目ベースでも金融資産と負債が両方とも 10 単位増加する。
さて、上記の(a)から(c)の議論は、貨幣数量説における貨幣数量式
𝑀𝑉 = 𝑃𝑌 ⋯ (2 − 12)
で説明される関係について論じていたことになる。ここで𝑌は実質 GDP、すなわち財の生産量であ
る。
(a)は流通速度𝑉と貨幣量𝑀を変えずに価格水準𝑃を減少させることで𝑌を増加させる方法であり、
(b)は𝑉と𝑃を変えずに𝑀を増加させることで𝑌を増加させる方法であり、(c)は𝑀と𝑃を変えずに𝑉を
増加させることで𝑌を増加させる方法であることになる。
先ほど、
「(c)は現実的ではない」と結論付けた。現実の経済においても「M2 と定義される貨幣量
の流通速度はほぼ一定」[5]であるとされている。よって、少なくとも長期の成長を考える上では、
13
𝑉を継続的に大きくすることで成長を達成するという発想は持つべきではないと考えて良いだろう。
次に、𝑉 が一定であるという前提のもとに、(a)と(b)について検討する。𝑉を定数𝑣0 に置き換え
て式(2-12)を
𝑀
1
= 𝑌 ⋯ (2 − 13)
𝑃 𝑣0
のように変形すると、実質ベースの貨幣量𝑀⁄𝑃は実質 GDP 𝑌に比例することになる。
以上から「長期的な経済成長のために貨幣供給𝑀 𝑠 が満たすべき条件」は
𝑠
𝑀𝑡𝑠 𝑀𝑡−1
>
⋯ (2 − 14)
𝑃𝑡
𝑃𝑡−1
𝑀𝑡𝑠
𝑀𝑥𝑠
> max
⋯ (2 − 15)
0≤𝑥≤𝑡−1 𝑃𝑥
𝑃𝑡
となる。式(2-14)は、実質ベースで貨幣供給𝑀 𝑠 が前年に対して増加すべきということを示し、式
(2-15)は実質ベースで貨幣供給𝑀 𝑠 が過去最大であるべきということを示す。なお、物価水準𝑃𝑡 の変
化率、すなわちインフレ率について、それが正の値が良いか、負の値が良いか――つまり、インフ
レが良いか、デフレが良いか――という議論はひとまず脇におくものとする。
以上、「純粋な社会主義モデル」の検討により、経済成長には実質ベースでの貨幣供給の増加が
必要であることを確認できた。次に通常の現実にある資本主義的な経済――私有財産も資金の貸し
借りも認められている、というよりは積極的に奨励されている経済――について検討を進めたい。

「純粋な資本主義モデル」における成長
もう一度、式(2-3)
𝑌 = 𝐶+𝐼 = 𝐶+𝑆
を「全世界連結モデル」とみなした上で、今度は政府が存在せず、すべてが民間部門であるモデル、
すなわち「純粋な資本主義モデル」を検討したい。
このモデルには、中央銀行、銀行、企業、家計部門だけが存在しているとする。このモデルにお
ける GDP の発生と銀行の信用創造による貨幣供給𝑀 𝑠 の増加の仕組みについて、以下のような例を用
いて説明しておきたい。
①中央銀行は現金通貨 100 単位を発行し、それを用いて銀行発行の債券 100 単位を購入する
これは「純粋な社会主義モデル」で政府が通貨を増発した場合と同じであるが、一つ重大な
相違点がある。
「純粋な社会主義モデル」の政府は、通貨を増発してすぐに国民、すなわち家
計部門に給料として支払っている。その内、資本形成に従事した労働者への給料はそのまま投
資 I として GDP に計上され、全労働者への給料はその後、消費 C として支出されることで GDP
に計上されていた。しかし、中央銀行による通貨増発においては、必ずしもこうはならない。
中央銀行が増発した通貨は、それと引き換えに金融資産(ここでは、銀行発行の社債 100 単
位)を購入するためにだけ使われ、それは GDP に計上される投資 I や消費 C となるような支出
に直結するわけではない。このように、中央銀行が通貨を増発して市中銀行に「供給」するだ
けでは、「純粋な社会主義モデル」で言えば、政府が通貨を増発するだけして、そのまま外に
出さず、自ら貯蔵しているだけの状態とまったく同じである。
なお、中央銀行や銀行の従業員の給料などのコストは無視する。また、金利についても無視
するものとする。ただし、この「全世界連結モデル」においては、金利について考慮するとし
14
ても、連結決算してみると結局は利息の支払いと受け取りは相殺されてゼロになる。
②企業が銀行から 100 単位借入れ、100 単位投資する
ここでようやく、100 単位の投資 I が生じ、GDP が発生する。また、ここでは「全世界連結
モデル」を考えているため、この資本形成のために必要な原材料や燃料はすべてこの企業の従
業員が採掘することで調達する。よって、資本形成のための費用は従業員、すなわち家計部門
に支払う人件費のみである。ただし、会計上は投資 I(資本形成)100 単位を支出して自分で
自分に発注することで 100 単位の売上を計上し、そのコストとして人件費 100 単位を従業員に
支払う形となる。なお、企業の利益は 0 単位としておく。また、企業は、従業員への給料の支
払いを現金ではなく銀行振り込みで行うことになっているので、借入れた現金を一旦銀行に預
金し、そのあと従業員に振り込むものとする。
③家計部門が消費 C のための支出として給料 100 単位を使う
このモデルにおいて、世界で企業は一つだけであるので、家計部門の消費支出 100 単位はそ
っくりそのままその企業の売上となる。また、その 100 単位分の生産は、家計部門が労働者と
して自ら生産し、自ら消費する、ということになる。ただし、この消費財の生産は、②で資本
形成された生産財を労働者が利用しなければ、必要な量を所定の期限内に作れないものとする。
以上の①から③の流れについて、簿記の仕訳で表現したものを図表 2-2 に示している。
さて、この①から③の流れによって投資 I は合計 100 単位、消費 C は合計 100 単位となり、GDP
は 200 単位となる。海外からの純所得 A は必ず 0 単位なので、国内総生産 GDP は国民総所得 GNI と
一致する。
貨幣供給𝑀 𝑠 はというと、これは中央銀行の現金通貨発行 100 単位と、企業が投資として支出する
ために行った 100 単位の借入れによる信用創造によって増加した銀行預金 100 単位の、合計 200 単
位となる。
このモデルにおける世界全体では、初期状態ではともに 0 単位であった金融資産と負債が急速に
増えて両方とも 400 単位ずつになった。しかし、金融資産から負債を差し引いて計算される金融純
資産は、初期状態でも 0 単位であるし、金融資産と負債が 400 単位ずつに増えたあともやはり 0 単
位である。また、金融資産/負債の合計 400 単位のうち、純粋に貨幣供給𝑀 𝑠 といえるのは銀行(市
中銀行)を中心に回転している現金と預金の合計 200 単位のみ2である。
さて、このモデルにおける需要と供給の均衡状態は、1 年間で 200 単位貨幣供給𝑀 𝑠 が1回転し、
1 年間で投資 I の 100 単位と消費 C の 100 単位の合計 200 単位の生産活動が行われる状態であると
する。この投資 I の水準が一定であるならば、式(2-9)で検討したように、固定資本減耗の累積に
より、資本ストックが増加することなく一定不変の状態が続くことになる。
この均衡状態において、もしも企業が売上収入を給料支払いに使い切ることなく、残った金額を
内部留保として貯めたり、あるいは借入金の返済に充てたりすると、貨幣供給𝑀 𝑠 はその分だけ減少
するし、この企業による投資 I や従業員すなわち家計部門による消費 C も減少するため、GDP は減
少することになる。
ただし、日本銀行のマネーストックの概念を貨幣供給量𝑀 𝑠 に適用するならば、図表 2-2 で最終的に市中銀
行が保有するに至っている現金 100 単位はマネーストックに含まれないため、𝑀 𝑠 は 200 単位ではなく、100
単位となる。日本銀行のマネーストックの定義、あるいは、範囲については第3章(31 頁)を参照されたい。
2
15
初期状態
中央銀行
銀行
企業
家計部門
金融資産 負債
金融資産 負債
金融資産 負債
金融資産 負債
金融資産 負債
0
0
0
0
0
0
0
0
全部門連結
0
0
金融純資産
0
①通貨増
発と銀行
債券購入
現金
通貨発行高
100
100
銀行社債 現金
現金
社債
100
100
100
貸付金
現金
現金
借入金
100
100
100
100
現金
企業預金
預金
現金
100
100
100
100
投資I
売上
100
100
企業預金 家計預金
人件費
預金
100
100
預金
100
給料
100
家計預金 企業預金
預金
売上
消費C
預金
100
100
100
100
100
企業預金 家計預金
人件費
預金
預金
給料
100
100
100
100
100
100
②企業の
借入れと
投資
③家計に
よる消費
結果
貸
借
対
照
表
100
100
100
100
中央銀行
銀行
企業
家計部門
金融資産 負債
金融資産 負債
金融資産 負債
金融資産 負債
0
借入金
預金
100
100
銀行社債 通貨発行高 現金
社債
100
100
100
貸付金
預金
固定資産
100
100
100
100
全部門連結
0
金融資産 負債
銀行社債 通貨発行高
100
100
現金
社債
純資産
100
100
0
貸付金
預金
100
100
預金
借入金
100
100
計
計
400
400
金融純資産
0
経国
済民
計
算
計損
算益
書
投資I 100
(貯蓄 100)
売上 200
人件費 200
利益 0
図表 2-2 「純粋な資本主義モデル」のフロー説明図
16
消費C 100
給料 200
消費C 100
貯金 100
GDP 200
(貯蓄 100 )
GNI 200
一方、この均衡状態を打ち破り、GDP を増加させるには、企業もしくは家計が新たな借入れをし、
しかも、その借入金を投資財または消費財の購入のために支出しなければならない。つまりは、誰
かが新規の借入れを増やした上で、これまでの年間の収入以上の支出を行わなければならない。
ここでもう一度「全世界連結モデル」としての式(2-3)に戻ろう。
𝑌 = 𝐶+𝐼 = 𝐶+𝑆
であるが、すでに述べたように貯蓄 S は投資 I の従属変数であるので、
𝑌 = 𝐶 + 𝐼 ⋯ (2 − 16)
にのみ注目する。この「𝐶 + 𝐼」こそが年間の支出であり、また収入である。つまり、同じ年の支出
と収入は必ず同じにな
る。よって均衡状態を打ち破って GDP を増やすための「収入以上の支出」を実施できたかどうかは、
同じ年の収入と支出を比較するのではなく、「前年の収入に対して、今年の支出が増えているかど
うか」を見なければならないことになる。これを式で表現すると
𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > 𝐶𝑡−1 + 𝐼𝑡−1 ⋯ (2 − 17)
となる。そして、長期的成長を前提にするならば
𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > max (𝐶𝑥 + 𝐼𝑥 ) ⋯ (2 − 18)
0≤𝑥≤𝑡−1
をも満たすべきである。
「純粋な資本主義モデル」において式(2-17)は二つの意味を持つ。一つには、経済全体における
金融資産と負債の両建てでの純増を意味し、もう一つには、その金融資産と負債の純増分が、中央
銀行がやるような金融資産の購入ではなく、消費 C や投資 I に使われたことを意味する。
上記のモデルを考えた場合、世界全体で GDP が永続的に増加するには、毎年のように新規の借金
が増加し、それが投資 I や消費 C に支出されなければあり得ないし、それがなされれば、必ず信用
創造の仕組みにより貨幣供給𝑀 𝑠 が増えることになると考えられる。但し、インフレ率が負である場
合は、すでに存在する金融資産と負債が実質ベースで増加することになり、それによって実質ベー
スにおける信用創造が起こっていると解釈される。なお、このことこそ式(2-13)が意味するところ
のものである。
このように考えると、式(2-14)と(2-15)は、式(2-17)と(2-18)に包含されることになる。

「純粋な資本主義モデル」に政府を付加する
ここで全世界に民間部門しか存在しない設定の「純粋な資本主義モデル」に、政府部門を付加す
るモデル、
「全世界一国モデル」を検討する。このモデルは式(2-3)に政府支出 G と租税 T を付加し
て
𝑌 = 𝐶 + 𝐼 + 𝐺 = 𝐶 + 𝑆 + 𝑇 ⋯ (2 − 19)
のように表現される。しかし、この式(2-19)は問題がある。一般的にこの式は、「一国経済を考え
る上で簡単なモデルを提供するために輸出入を 0 と仮定する」という発想で見られることが多い。
しかし、ここでの貯蓄 S は本来的な「貯蓄」の定義、つまり「貯蓄とは投資のことであり、すなわ
ちその年に生産された資本ストックである」という定義から外れている。もし、「貯蓄」の本来の
定義に厳密に従えば、式(2-19)において、民間投資 I は民間貯蓄 S に必ず一致すべきである。そう
すると、世界全体を連結決算した場合において、式(2-19)において Y から C と I(=S)を控除すると、
𝐺 = 𝑇 ⋯ (2 − 20)
17
となってしまう。これでは、全世界の政府の財政収支の合計が必ず 0 にならなければならないが、
現実には多くの政府が財政赤字を続けており、式(2-20)は成立しない。国際基準(SNA2008)にお
ける貯蓄 S の計算過程において、S は独立して測定されるデータではなく、他の項目の統計データ
から計算されることは先述のとおりである。式(2-19)において、𝐺 ≠ 𝑇という前提で S を計算する
と
𝑆 = 𝐼 − (𝑇 − 𝐺)
となる。ここで民間投資 I、税収 T、政府支出 G は独自に測定される統計データであるから、民間
貯蓄 S は、単に民間投資 I から政府の財政収支を減算したものに過ぎないし、それ以上の意味合い
を持つものではない。このように、式(2-19)における「民間貯蓄 S」は本来的な貯蓄とは異なる。
よって、ここで、政府支出 G を政府投資𝐼 𝐺 と政府消費𝐶 𝐺 に分解した上で、本来の貯蓄の定義通りに
式(2-19)を書きなおすと
𝑌 = (𝐶 + 𝐶 𝐺 ) + (𝐼 + 𝐼 𝐺 ) = (𝐶 + 𝐶 𝐺 ) + (𝑆 + 𝑆 𝐺 ) ⋯ (2 − 21)
となる3, 4。[6]ここで𝑆 𝐺 は政府貯蓄である。
もちろん、国際基準(SNA2008)で S=I +(X - Q) +A (式(2-8)参照)としているのと同様、
「民間貯蓄 S
𝐺
𝐺
=民間投資 I+民間の財政収支 G-T」、
「政府貯蓄𝑆 =政府投資𝐼 +政府の財政収支 T-G」というように、
「貯
蓄=資本ストックの増加+金融純資産の増加」という形にすることもできるだろう。実際のところ米国経済
分析局 http://bea.gov/ の統計表においては、概ねこの形式で民間や政府の貯蓄を示していると言える(詳
細は下の脚注 4 参照)。
しかし、マクロ経済学の教科書に表れる一般的な考え方では「政府貯蓄𝑆 𝐺 =政府の財政収支 T-G」となっ
ており[3][6]、政府貯蓄𝑆 𝐺 と政府投資𝐼 𝐺 がもはや完全に切り離され、貯蓄の本来的な意味合いである「資本スト
ックの増加」からかけ離れてしまっている。政府支出 G は政府投資𝐼 𝐺 という資本ストック形成と政府消費𝐶 𝐺 の
合計であるから、教科書にある形式で政府貯蓄𝑆 𝐺 を計算すると 𝑆 𝐺 = 𝑇 − 𝐺 = 𝑇 − 𝐼 𝐺 − 𝐶 𝐺 となり、実際の統
計で用いられる𝑆 𝐺 = 𝐼 𝐺 + 𝐹𝑡𝐺𝑁(ここで、𝐹𝑡𝐺𝑁 は政府の金融純資産フローである)とはまったく異なっている。
なお、民間の投資と貯蓄を I、S とし、民間の金融純資産フローを𝐹𝑡𝑃𝑁 とすると、実際の統計データで示さ
れる民間貯蓄 S は𝑆 = 𝐼 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 と表すことができる。ここで、世界全体の連結決算という考えを導入すると、
政府の支出はそのまま民間の収入となり、政府の収入はそのまま民間の収入となる。よって、𝐹𝑡𝐺𝑁 = −𝐹𝑡𝑃𝑁 と
なるから、政府貯蓄𝑆 𝐺 と民間貯蓄𝑆の合計は𝑆 𝐺 + 𝑆 = 𝐼 𝐺 + 𝐼 + 𝐹𝑡𝐺𝑁 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 = 𝐼 𝐺 + 𝐼 − 𝐹𝑡𝑃𝑁 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 = 𝐼 𝐺 + 𝐼となり、
改めて政府と民間を合算すれば、やはり S=I の関係が成立し、貯蓄と投資が一致することとなる(教科書で
示されている政府貯蓄の算式𝑆 𝐺 = 𝑇 − 𝐺 = 𝑇 − 𝐼 𝐺 − 𝐶 𝐺 では、この関係は成立しない)。
3
米国経済分析局の「National Data (国内データ)
」統計表においては、より厳密には「貯蓄=投資+資本
収支+金融収支-誤差脱漏」の関係となっている。なお、この統計表において「貯蓄=可処分所得-最終消
費支出」の関係を利用して可処分所得から貯蓄を計算する過程を見る際には、政府の最終消費支出には固定
資本減耗が含まれているのに対し、家計の最終消費支出には固定資本減耗が含まれない点について注意が必
要である(この点は、日本の内閣府「国民経済計算」の統計表についても同じである)。
また、米国経済分析局の統計表を見る上での注意点をもう一つ挙げておくと、
「National Data (国内デー
タ)
」における「SECTION 5 - SAVING AND INVESTMENT (貯蓄と投資)」の統計表における資本収支
(Capital account)の符号が反転しており、日本の財務省「国際収支状況」の統計表の資本収支とは正負が
逆になっている。
一方、「International Data (国際データ)」における「International Transactions (ITA)」においては、
資本収支の符号は日本の財務省「国際収支状況」と同じである。よって、米国経済分析局の「International
Data (国際データ)
」や日本財務省「国際収支状況」の統計表の形式では、上記の貯蓄と投資の関係は「貯
蓄=投資-資本収支+金融収支-誤差脱漏」で表されることとなる。また、
「National Data (国内データ)
」
と「International Data (国際データ)」では「国内」の範囲が異なるため、数値が若干異なる。
それに加えて、日本の財務省「国際収支状況」における経常収支、資本収支、金融収支、誤差脱漏と日本
銀行「資金循環統計」の資金過不足フロー(本研究では金融純資産フローと呼んでいる)の国内部門合計の
関係は「経常収支+資本収支=金融収支-誤差脱漏=金融純資産フローの国内部門合計」となるようになっ
ているが、米国経済分析局と FRB の数値のあいだにはこのような関係が必ずしも成立せず、数値にバラつき
が見られる。以上のように、公的な統計表における統計数値が教科書の考え方と異なる考え方で算定されて
4
18
そして、もちろん𝑆 = 𝐼であり𝑆 𝐺 = 𝐼 𝐺 であるから、政府部門を民間部門と合算してしまえば式
(2-16)の「純粋な資本主義モデル」とまったく同じ式となり、その成長要件も式(2-17)、式(2-18)
とまったく同じものとなる。
よって、この政府を付加したモデルにおいても、
「世界全体で GDP が永続的に増加するには、毎
年のように新規の借金が増加し、それが投資 I や消費 C に支出されなければあり得ないし、それが
なされれば、必ず信用創造の仕組みにより貨幣供給𝑀 𝑠 が増えることになる」と考えられることにな
る。そして、この場合において「毎年のように新規の借金」を増加させる経済主体は、民間部門か、
政府部門か、またはその両方であることになる。
ここで、民間部門だけでなく、政府部門が新規の借金をして「投資」または「支出」をすること
によっても信用創造のプロセスを通じて貨幣供給𝑀 𝑠 が増えることに留意されたい。図表 2-2 におい
て、企業の代わりに政府が 100 単位の投資 I を行うために銀行から資金 100 単位を借り入れれば世
の中全体の預金が新たに 100 単位増え、それを政府が実際に支出すれば民間部門に新たに 100 単位
の貨幣が供給されることになる。

輸出入の GDP における意味合いの確認
ここで、「全世界連結決算」の話から一国経済の話に戻るため、式(2-16)に輸出入を付加したモ
デル
𝑌 = 𝐶 + 𝐼 + (X − Q) ⋯ (2 − 22)
について確認をしておきたい。この式(2-22)において𝐶 + 𝐼はあくまでも国内で生産された財の合計
ではなく、国内で需要された財の合計である。
このうち、国外で生産された財が輸入𝑄である。だから「国内で需要された財のうち、国内で生
産された財」の合計は、
𝐶 + 𝐼 − Q ⋯ (2 − 23)
となる。そしてこの式(2-23)に「国外で需要された財にして国内で生産された財」である輸出𝑋を
加算したものこそ式(2-22)であり、
「国内外(=世界全体)で需要された財のうち、国内で生産さ
れた財の合計」
、すなわち国内総生産(GDP)となる。この輸出入を考慮に入れた場合において、も
し輸入超過であったなら、式(2-17)は資金供給の増加は意味するが、必ずしも国内における生産の
増加を意味しないことになる。
さて、以上において検討してきたことに基づき、以下、「正の経済」と「反の経済」の判別方法
を提案する
いる上、数値の計算方法が統計表によって違っており統一されていない。このようなことは経済学の議論に
少なからぬ混乱を与えているようにも思える。
19
2-4.「正の経済」と「反の経済」の判別方法の提案
木下[1]は、「正の経済」と「反の経済」における企業の行動原理を次のように定式化している
〔「正の経済」における企業の行動原理〕
𝑛
max ∑ 𝑐𝑗 𝑥𝑗 (利潤最大化) ⋯ (2 − 24)
𝑗=1
s.t.
𝑛
∑ 𝑎𝑖𝑗 𝑥𝑗 ≤ 𝑏𝑖 , 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑚 ⋯ (2 − 25)
𝑗=1
𝑥𝑗 ≥ 0, 𝑗 = 1,2, ⋯ , 𝑛
𝑥𝑗 :製品 j の生産数
𝑐𝑗 (利潤) = 𝑃 − (1 + 𝑟)ℎ ≥ 0
ただし、𝑃:価格 𝑟:利子 ℎ:コスト
𝑎𝑖𝑗 :製品𝑗 を 1 個製造するときの費用項目𝑖 にかかるコスト
𝑏𝑖 :費用項目𝑖に関する資金需要
この意味するところは、
「企業が、利潤𝑐𝑗 が 0 以上になるような、金融市場における資金需要と資
金供給の均衡点における利子率𝑟 による借入れの限度額を制約条件としつつ、利潤を最大化させる
目的を持ち、可能な限り借金をして設備投資などを行うほどに市場の需要が旺盛である」というこ
とである。
つまり、企業がこのように振る舞うような経済が「正の経済」である。
〔「反の経済」における企業の行動原理〕
𝑚
min ∑ 𝑢𝑖 𝑏𝑖 (債務の最小化) ⋯ (2 − 26)
𝑖=1
s.t.
𝑚
∑ 𝑎𝑖𝑗 𝑢𝑖 ≥ 𝑐𝑗 , 𝑗 = 1,2, ⋯ , 𝑛 ⋯ (2 − 27)
𝑖=1
𝑢𝑖 ≥ 0, 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑚
𝑢𝑖 :費用項目𝑖 に関する借金残高率
𝑢𝑖 = 1 − 借金償還率
ただし、𝑃:価格 𝑟:利子 ℎ:コスト
𝑎𝑖𝑗 :製品𝑗 を 1 個製造するときの費用項目𝑖 にかかるコスト
𝑏𝑖 :費用項目𝑖に関する資金需要
この意味するところは、
「企業が、最低限度の利益を確保しなければならないという制約条件のも
とに、債務をできる限り小さくするという目的を持ち、設備投資などは出来る限り減らそうとする
ほどに市場の需要が不足している」ということである。
20
そして、企業がこのように振る舞うような経済が「反の経済」である。
 「正の経済」と「反の経済」の判別方法
「正の経済」における企業の振る舞いは、上述のとおり、利益最大化のために債務を増やして投
資を増やすということである。これは企業が式(2-13)、(2-14)、(2-17)で表現されるようなマクロ
経済における支出拡大/生産拡大と負債拡大/信用創造による貨幣供給拡大のプロセスに、企業が
積極的に寄与している状態に他ならない。
そしてこのようなマクロ経済拡大プロセスが、政府部門による支出拡大/生産拡大と負債拡大/
信用創造による貨幣供給拡大がなくとも、民間部門だけで自律的に継続されるような状態が理想的
であると言える。
「正の経済」とは可能な限りそれに近づくような方向性をもって民間部門が活動
している状態、つまりは、本稿における「純粋な資本主義モデル」に接近しようとしている状態で
あると言える。それゆえ、
「正の経済」においては、統計データが以下の(i)から(vi)に示す条件が
すべて満たされているべきであると考えられる。
〔「正の経済」と「反の経済」の判別条件〕
(i)
𝑁𝑅
𝐼𝑡𝑁𝑅 > 𝐼𝑡−1
(ii) 𝐼𝑡𝑁𝑅 > max0≤𝑥≤𝑡−1 𝐼𝑥𝑁𝑅
ここで、𝐼𝑡𝑁𝑅 は民間企業設備投資(Private non-residential investment)である。
(iii) 𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > 𝐶𝑡−1 + 𝐼𝑡−1
(iv) 𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > max0≤𝑥≤𝑡−1 (𝐶𝑥 + 𝐼𝑥 )
ここで、𝐶𝑡 は民間最終消費支出、𝐼𝑡 は民間投資(民間住宅投資+民間企業設備投資+民間在庫品
増加)である。
以上、(i)から(iv)は GDP 統計に表れるデータであり、実質値を用いる。
(v)
𝐹𝑡𝐿 ≥ 0
ここで、𝐹𝑡𝐿 は「非金融法人企業の負債フロー」である。なお、
「負債フロー」とは、当該期間(年
度や四半期)における負債の時価変動分を除いた純増額を示すデータである。
(vi) 𝐹𝑡𝑁 ≤ 0
ここで、𝐹𝑡𝑁 は「非金融法人企業の金融純資産フロー」である。なお、
「金融純資産フロー」
(日本
銀行の用語では「資金過不足フロー」
)とは、当該期間(年度や四半期)における金融資産の時価
変動分を除いた純増額から、負債フローを減算した金額を示すデータである。
以上、(v)と(vi)は日本であれば日本銀行の「資金循環統計」、米国であれば FRB の“Financial
Accounts of the United States”に表れるデータであり、名目値である。
以上の(i)から(vi)を用い、筆者らは本稿において、以下のように「正の経済」と「反の経済」
の判別を行うことを提案する:

(i)から(vi)のすべてが「真」
→「正の経済」

(i)から(vi)すべてが「偽」
→「反の経済」

(i)から(vi)において、「真」と「偽」が混在
→「中間状態の経済」
:
21
・「真」が多いほど「正の経済」に近い
・「偽」が多いほど「反の経済」に近い
 「正の経済」と「反の経済」の判定方法に関する補足

インフレ率が負の状態、つまりデフレの状態においては価格水準𝑃が減少するため、名目の貨
幣供給𝑀 𝑠 が増加しなくても実質の貨幣供給𝑀 𝑠 ⁄𝑃が増加することになり、これは金融資産と負
債が両方とも実質ベースで増加することを意味する。ただ、経済全体では貨幣供給が実質ベー
スで増加するとしても、個別の経済主体においては実質ベースで価値が増加する金融資産、と
りわけ現金や預金の保有を増やし、実質ベースで負担の増加となってしまう負債の残高は減ら
そうとするであろう。企業がこのように振る舞えば、それはまさに「反の経済」の振る舞いと
なってしまう。デフレにおいて企業が「正の経済」の振る舞いをしていることを確実に保証す
るための最低限の条件は、負債フロー(時価変動を除く負債の純増額)が少なくとも 0 以上の
状態であると言える。負債フローが 0 以上の状態でインフレ率が負であれば、実質の貨幣供給
𝑀 𝑠 ⁄𝑃の増加に確実に寄与している状態であり、そうであって初めて、企業は「正の経済」の
振る舞いと判定すべき最低限の条件を満たすことになる。これが(v)のもつ意味である。

非金融法人企業の金融純資産フロー𝐹𝑡𝑁 が負の値になるのは、例えば、新規の借入金や株式の追
加発行によって調達した資金を、金融資産ではない実物資産の購入に使用したような場合であ
る(資金循環統計では株式は負債に分類される)
。逆に、負債の純増によって調達した資金を
そのまま保有していたり、ほかの金融資産の購入に充てた場合、𝐹𝑡𝑁 は 0 となる。よって、𝐹𝑡𝑁 が
負の値を取っている場合、企業がかなり積極的に支出拡大/生産拡大と負債拡大/信用創造に
よる貨幣供給拡大のプロセスに寄与していることが類推される。

但し、経済が成熟してくると、多くの企業において巨額の資金を内部留保している場合が想定
される。その「成熟してしまい巨額の内部留保をもつ企業」が資金の貸し手となり、
「新興の
資金需要旺盛な企業」が借り手となることで、企業部門内だけで支出拡大/生産拡大と負債拡
大/信用創造による貨幣供給拡大のプロセスを完結してしまうことは、理論的にはあり得る。

すべての経済主体の金融純資産フローを合計するならば、その合計は必ず 0 になるが、ここで
「純粋な資本主義モデル」
を想定すると、
政府のフローと海外部門のフローはともに 0 である。
このとき、家計部門のフローも 0 であるならば、企業部門のフローもまた 0 となる。この状況
において企業部門内だけで金融資産と負債を両建てで増加させ、支出拡大/生産拡大と負債拡
大/信用創造による貨幣供給拡大のプロセスを完結させることは、少なくとも理論的には可能
である。

以上から、
「正の経済」においては、非金融法人企業の金融純資産フロー𝐹𝑡𝑁 は、積極的には負
の値を取るべきであり、
最低限の条件として 0 であるべきである。
このことを意味するのが(vi)
である。

(v)、(vi)に加えて、企業が実質ベースの設備投資𝐼𝑡𝑁𝑅 を継続的に増やしていれば、企業がかな
り確実に支出拡大/生産拡大と負債拡大/信用創造による貨幣供給拡大のプロセスに寄与し
ていると類推することができる。それゆえ𝐼𝑡𝑁𝑅 の(i)前年比増と、(ii)過去最大値の更新を「正
の経済」の条件とした。

また、政府の債務の純増がない場合、あるいは、政府の債務の純増が縮小している場合におい
て、民間部門だけでこの拡大を継続できる状態に近づくには、企業が「正の経済」の振る舞い
22
をできていることが必要最低限の条件である。(iii)の𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 の前年比増は、企業による設備投
資の拡大のみならず、企業による従業員への報酬支払の拡大と、それによる家計部門の消費や
住宅投資の拡大を、直接的に、または、間接的に意味する。(iv)の𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 の過去最大値更新は
民間部門の自律的拡大の好循環を達成するための最低限必要な条件であり、企業が「正の経済」
の振る舞いを永続的に継続するために最低限達成されるべき条件であると言える。

なお、𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 (実質値)の増加は、政府による需要拡大がなくとも生産𝑌(実質値)を拡大す
ることが可能となり得ることを意味するだけでなく、式(2-13)によって、それにともなう実質
ベースの貨幣供給𝑀 𝑠 ⁄𝑃の増加を伴うであろうことをも意味するものである。

ただし、𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 が前年比で増加しても純輸出X 𝑡 − Q 𝑡 がそれ以上に減少(あるいは、純輸入が増
加)していれば、生産が縮小していることになる。それぞれの前年比を∆𝐶𝑡 + ∆𝐼𝑡 、∆X 𝑡 − ∆Q 𝑡 と
して、
(∆𝐶𝑡 + ∆𝐼𝑡 ) + (∆X 𝑡 − ∆Q 𝑡 ) < 0
という状態が継続すれば、民間部門の自律的拡大はおぼつかない。これを防ぐためにも企業
による国内における資本ストック増加、すなわち国内生産能力の増強に必要な𝐼𝑡𝑁𝑅 の(i)前年
比増と、(ii)過去最大値の更新は極めて重要である。
 「正の経済」と「反の経済」の判別の実施例
上記(i)から(vi)を用いて、2013 年第 3 四半期における日本と米国について、
「正の経済」と「反
の経済」の判別の実施例を以下に示す(米国の GDP 統計のみ 2013 年第 4 四半期)。
i.日本は「正の経済」か?「反の経済」か?
図表 2-3 より
𝑁𝑅
𝐼𝑡𝑁𝑅 > 𝐼𝑡−1
→「真」
(i)
(ii) 𝐼𝑡𝑁𝑅 > max0≤𝑥≤𝑡−1 𝐼𝑥𝑁𝑅 →「偽」
図表 2-4 より
(iii) 𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > 𝐶𝑡−1 + 𝐼𝑡−1 →「真」
(iv) 𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > max0≤𝑥≤𝑡−1 (𝐶𝑥 + 𝐼𝑥 ) →「偽」
図表 2-5 より
(v)
𝐹𝑡𝐿 ≥ 0 →「真」
図表 2-6 より
(vi) 𝐹𝑡𝑁 ≤ 0 →「偽」
日本の判別結果
「真」:3
「偽」:3
→「中間状態の経済」のうちの中程度の状態
ii.米国は「正の経済」か?「反の経済」か?
図表 2-7 より
(i)
𝑁𝑅
𝐼𝑡𝑁𝑅 > 𝐼𝑡−1
→「真」
(ii) 𝐼𝑡𝑁𝑅 > max0≤𝑥≤𝑡−1 𝐼𝑥𝑁𝑅 →「真」
図表 2-8 より
23
(iii) 𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > 𝐶𝑡−1 + 𝐼𝑡−1 →「真」
(iv) 𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 > max0≤𝑥≤𝑡−1 (𝐶𝑥 + 𝐼𝑥 ) →「真」
図表 2-9 より
(v)
𝐹𝑡𝐿 ≥ 0 →「真」
図表 2-10 より
(vi) 𝐹𝑡𝑁 ≤ 0 →「偽」
米国の判別結果
「真」:5
「偽」:1
→「中間状態の経済」のかなり「正の経済」に近い状態
24
〔兆円〕
日本 民間企業設備投資𝑰𝑵𝑹
1980年1Q‐2013年3Q
100
90
80
70
60
50
40
30
20
max
0≤𝑥≤𝑡−1
𝐼𝑥𝑁𝑅
〔兆円〕
日本 民間消費+民間投資 𝑪 + 𝑰
1980年1Q‐2013年3Q
450
= 78.6
max (𝐶𝑥 + 𝐼𝑥 ) = 393.8
0≤𝑥≤𝑡−1
400
350
300
𝐼𝑡𝑁𝑅 =68.100
図表 2-3
1980年3月
1982年10月
1985年5月
1987年12月
1990年7月
1993年2月
1995年9月
1998年4月
2000年11月
2003年6月
2006年1月
2008年8月
2011年3月
図表 2-4 日本の民需(実質、節調整済み)
日本の民間企業設備投資(実質、季節
調整済み)
(出典) 図表 2-3 に同じ
(出典) 内閣府「国民経済計算」2005 暦年連鎖価格
日本 非金融法人企業 負債フロー 𝑭𝑳(累積)
1980年度-1997年度
1998年2Q‐2013年3Q
〔兆円〕
800
𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 =393.4
200
1980年3月
1982年10月
1985年5月
1987年12月
1990年7月
1993年2月
1995年9月
1998年4月
2000年11月
2003年6月
2006年1月
2008年8月
2011年3月
𝑁𝑅
𝐼𝑡−1
=68.096
𝐶𝑡−1 + 𝐼𝑡−1 =391.5
250
日本 非金融法人企業
金融純資産フロー𝑭𝑵(累積)
1980年度-1997年度
1998年2Q‐2013年3Q
〔兆円〕
2012年3月
2009年8月
2007年1月
2004年6月
2001年11月
1999年4月
1996年9月
1994年2月
-150
1991年7月
500
1988年12月
-100
1986年5月
600
1981年3月
-50
1983年10月
0
700
-200
400
-250
𝑭𝑳𝒕 =+19.9 (4四半期合計)≥ 𝟎
300
-300
図表 2-6
日本の非金融法人企業
(累積)
-350
-400
2012年3月
2009年8月
2007年1月
2004年6月
2001年11月
1999年4月
1996年9月
1986年5月
1981年3月
1983年10月
0
1994年2月
100
1991年7月
200
1988年12月
※このグラフは累積値を示したので、
𝑭𝑳𝒕 >0 ならグラフは上向き、<0
なら下向きとなる
※四半期データは季節ごとの変動が激
しいため、判定は4四半期合計で行
うこととした
負債フロー
-450
𝑭𝑵
𝒕 =+22.8 (4四半期合計)> 𝟎
-500
※このグラフは累積値を示したので、
𝑭𝑵
𝒕 >0 ならグラフは上向き、<0なら下向
きとなる
※四半期データは季節ごとの変動が激 しいた
め、判定は4四半期合計で行うこととした
図表 2-5
日本の非金融法人企業
フロー(累積)
(出典)図表 2-5 に同じ
(出典)日本銀行「資金循環統計」データより筆者計算
25
金融純資産
米国 民間企業設備投資 𝑰𝑵𝑹
〔10億ドル〕 1999年1Q‐2013年4Q
𝑁𝑅
2200 max 𝐼𝑥 = 1998.1
80000
70000
60000
50000
2013年3月
2007年3月
2001年3月
1995年3月
1989年3月
1983年3月
1977年3月
1971年3月
1965年3月
(出典)図表 2-7 に同じ
非金融法人企業 負債フロー 𝑭𝑳(累積)
1946年4Q‐2013年3Q
米国 非金融法人企業
金融純資産フロー 𝑭𝑵(累積)
1946年4Q‐2013年3Q
〔10億ドル〕
90000
1959年3月
図表 2-8 米国の民需(実質、節調整済み)
米国の民間企業設備投資(実質、季節
調整済み)
(出典)Bureau of Economic Analysis
米国
𝐶𝑡 + 𝐼𝑡 = 13482.2
1947年3月
2012年12月
2011年9月
2010年6月
2009年3月
2007年12月
2006年9月
2005年6月
2004年3月
2002年12月
𝐼𝑡𝑁𝑅 = 2013.5
𝐶𝑡−1 + 𝐼𝑡−1 = 13371.4
𝑭𝑳𝒕 = +1032.3 ≥ 𝟎
〔10億ドル〕
0
※このグラフは累積値を示したので、
𝑭𝑳𝒕 >0 ならグラフは上向、
<0なら下向きとなる
※四半期データは季節調整済みデータ
であり、変動が比較的緩やかであるた
め、判定は1四半期データで行った
-2000
-4000
1946年12月
1951年12月
1956年12月
1961年12月
1966年12月
1971年12月
1976年12月
1981年12月
1986年12月
1991年12月
1996年12月
2001年12月
2006年12月
2011年12月
図表 2-7
2001年9月
2000年6月
𝑁𝑅
𝐼𝑡−1
= 1994.7
max (𝐶𝑥 + 𝐼𝑥 ) = 13371.4
0≤𝑥≤𝑡−1
1953年3月
14200
12200
10200
8200
6200
4200
2200
200
0≤𝑥≤𝑡−1
1999年3月
2000
1800
1600
1400
1200
1000
米国 民間消費+民間投資 𝑪 + 𝑰
〔10億ドル〕 1947年1Q‐2013年4Q
-6000
40000
-8000
30000
20000
-10000
10000
𝑭𝑵
𝒕 =+52.2> 𝟎
-12000 ※このグラフは累積値を示したので、
0
1946年12月
1951年12月
1956年12月
1961年12月
1966年12月
1971年12月
1976年12月
1981年12月
1986年12月
1991年12月
1996年12月
2001年12月
2006年12月
2011年12月
𝑭𝑵
𝒕 >0 ならグラフは上向き、
<0なら下向きとなる
-14000
※四半期データは季節調整済みデータで
あり、変動が比較的緩やかであるた
-16000
め、判定は1四半期データで行った
図表 2-9 米国の非金融法人企業 負債フロー(季
節調整済みの数値を累積)
図表 2-10
(出典)FRB, “Financial Accounts of the United States”
(出典)図表 2-9 に同じ
データより筆者計算
26
米国の非金融法人企業 金融純資産
フロー(季節調整済みの数値を累積)
2-5.おわりに
本稿において筆者らは、

木下[1]提案の「正と反の経済学」の理論を、実際の統計データに結びつける方法を考案した。

その方法を考案するにあたり、
「民間企業がマクロ経済に対してどれくらい積極的に実質ベー
スでの生産と貨幣供給の増加に貢献しているか」という基準で統計データを見ることが重要で
あるという考察を提示した。

その考察に基づき、経済状況が「正の経済」か「反の経済」かの判別・評価を、統計データに
よって行う方法を提案し、その実施例を提示した。
これにより、民間企業がマクロ経済に対してどれくらい積極的に実質ベースでの生産と貨幣供給
の増加に貢献しているかを簡便に、かつ、視覚的に確認し、評価するための手段の一つを提供した。
〔今後の課題について〕

今回提案した「正の経済」か「反の経済」かの判別・評価のための 6 項目の条件について、
本稿においてはひとまず均等に重みをもって評価するものとしている。また、判別・評価
の実施例として現在進行中のデータ(近い将来において、経済状況がどのように推移する
か不明であるデータ)を用いたものだけを挙げたため、今回提案した方法が実際に機能す
るかどうかの検証は不十分である。本稿の意義はあくまでも「理論的には統計データをこ
のように用いて判別・評価する方法が考えられる」という提案を行った点にある。

今後は、過去の多数の事例に当てはめた上で十分な検証を実施し、必要に応じて判別・評
価の項目の取捨選択や項目別の重み付け、あるいは他の項目の追加など判別・評価の精度
を上げるための改良改善を施し、
「正と反の経済学」の実用性を向上させる工夫を重ねてゆ
きたい。

その場合においては、大量のデータを処理する必要がある。一方、本稿の実施例では項目
によって 1 四半期のみのデータで判定したり、4 四半期の移動平均で判定したりというよう
に曖昧な箇所もあった。今後は大量の数値データを一括して評価・検証できるような、も
っと機械的に処理できるような工夫を凝らす必要があるものと考える。

また、今回提案の「6 項目の条件」は、企業の振る舞いのみを主たる観察対象としており、
それに対応する政府や中央銀行の振る舞いについて直接の観察対象としていない。今後は、
政府や中央政府が「正と反の経済学」で想定している「適正な振る舞い」を行っていたの
かどうか、さらには、行っていた場合と行っていなかった場合において、その後どのよう
な経済状況が展開していたか、といったことを評価・検証するための基準をも整備する必
要があろう。
27
第3章 「正の経済」と「反の経済」の定義付け――マクロ経済統計を用いた企業、政府、
中央銀行の振る舞いの分析手法に関する研究([7] 廣宮, 木下, 2014
)
3-1. はじめに
経済学において相対立する二つの理論体系――有効需要の原理に基づいて政府の介入を肯定す
るケインズ理論と、中央銀行が利子率を適正に調整してさえいれば経済は成長するので政府は一切
市場に介入すべきでないとするマネタリズムの理論――について、木下[1]はオペレーションズ・リ
サーチ(OR)の手法を用いて一つの整然とした理論体系に統合することを提案している。この木下
提案の理論を以下、
「正と反の経済学」と呼ぶ。
「正と反の経済学」の理論に従えば、民間企業が総じて資本主義が本来的に想定していたような
振る舞いをしている状態は「正の経済」であり、それは「供給が需要を創る」というセイの法則が
機能する局面であるため、マネタリズムの理論どおりに政府の介入なしで中央銀行の利子率操作だ
けで経済が成長するように促すことが正しい。一方、民間企業が総じて資本主義が本来的に想定し
ていたような振る舞いと正反対の振る舞いをしている状態は「反の経済」であり、その場合はケイ
ンズ理論どおりに政府が拡張財政政策を実施することで不足している有効需要を補ってやること
が正しい、ということになる。
本稿ではまず中央銀行の金融緩和(利子率操作あるいは量的緩和)局面かどうかを判定するため
の単純にして明示的な定義について論じる。次に、企業が総じて資本主義が本来的に想定していた
ような振る舞いをしているかどうかを判定するための単純にして明示的な定義について検討する。
この二つの定義を行うことにより、経済状況が「中央銀行の金融調節だけで企業が総じて資本主
義が本来的に想定していたような振る舞いをするに至る状態」かどうか、すなわち、
「経済が政府
の介入なしで自律的に成長し得る状態」=「正の経済」かどうかを判定することが可能となる。こ
のような流れに沿って、本稿では公的機関が公表しているマクロ経済統計データに基づき、経済状
況が「正の経済」かどうかを機械的に判定するための手法を提案する。
本稿の目的は、このような機械的な判定手法を提案することを通じて、政府が取るべき財政政策
の基本方針(財政拡大か財政緊縮かの二者択一)につき、人為によらず、機械的に適切な方針を決
定することを可能とする方法論を確立するための道筋を切り開くことにある。
28
3-2. 正の経済/反の経済における企業と政府の行動原理
木下[1]は、「正の経済」と「反の経済」における企業と企業の行動原理を次のように定式化して
いる。
[「正の経済」における企業と政府の行動原理]
「正の経済」における企業の行動原理は利潤の最大化の目的関数により表される。「正の経済」
における企業の行動原理は、線形計画法主問題として定式化できることに注意されたい(下の式
(3-1)参照)。言い換えれば、企業はこのようにして利潤の最大化に向けて行動することになる。
ここで、その目的関数は以下の諸条件の下に、次のように表される。
主問題の定式化: (3-1)
𝑛
max ∑ 𝑐𝑗 𝑥𝑗
𝑗=1
s.t.
𝑛
∑ 𝑎𝑖𝑗 𝑥𝑗 ≤ 𝑏𝑖 , 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑚
𝑗=1
𝑥𝑗 ≥ 0, 𝑗 = 1,2, ⋯ , 𝑛
𝑥𝑗 : 製品 j の生産数
𝑐𝑗 (利潤) = 𝑃 − (1 + 𝑟)ℎ
ただし、P は価格、 r は利子率、 h はコストである
𝑎𝑖𝑗 : 製品 j を 1 個製造するときの費用項目 i にかかるコスト
𝑏𝑖 : 費用項目 i に関する資金需要 .
結論: 利潤の最大化に走る
「正の経済」の局面における政府の行動原理は式(3-2)のように表される。この式は、住民の希求
満足水準(最低水準)を満足させるために、政府が行政サービスに対して最小限の税金を投入する
ことを示す。式(3-2)はまた目的関数として表現され、以下に示す条件を満たす範囲内において政
府が財政再建(国債残高の最小化)に向けて行動することを意味する。
双対問題の定式化: (3-2)
𝑛
min ∑ 𝑟𝑗 𝑦𝑗
𝑗=1
s.t.
29
𝑛
∑ 𝛼𝑖𝑗 𝑦𝑗 ≥ 𝛽𝑖 , 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑚
𝑗=1
𝑦𝑗 ≥ 0, 𝑗 = 1,2, ⋯ , 𝑛
𝑦𝑗 : 行政サービス財 j に対する国債残高率
𝑟𝑗 : 国債の資金需要(行政サービス財 j に対する国債の資金需要)
𝛼𝑖𝑗 : 行政サービス財 j
1単位あたりの住民 i の満足度
𝛽𝑖 : 住民 i の行政サービス全体に対する希求(満足)水準
「正の経済」における企業の行動原理と政府の行動原理は双対関係となっている。よって、企業
の行動原理を線形計画法主問題とすれば、政府の行動原理は線形計画法双対問題と呼ぶことができ
る。
[「反の経済」における企業と政府の行動原理]
「反の経済」においては、債務の最小化が企業の行動原理となる。
「反の経済」における企業の行
動原理は線形計画法双対問題として定式化できる(式(3-3)参照)。企業のこのような債務最小化
に向かう行動原理は、以下の制約条件を満たす目的関数として表現される。
双対問題の定式化: (3-3)
𝑚
min ∑ 𝑢𝑖 𝑏𝑖
𝑖=1
s.t.
𝑚
∑ 𝑎𝑖𝑗 𝑢𝑖 ≥ 𝑐𝑗 , 𝑗 = 1,2, ⋯ , 𝑛
𝑖=1
𝑢𝑖 ≥ 0, 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑚
𝑢𝑖 :費用項目i に関する借金残高率
𝑢𝑖 =1-借金償還率
結論: 債務の最小化に走る
「反の」経済における政府の行動原理は式(3-4)のように表される。この式は、政府が金融機関か
ら𝑟𝑗 に相当する金額の借入れを、国債の発行などによって行うことができ、それによって公共投資
を増やすことができるということを示している。このとき、この経済空間においては十分な資金需
要(国債に対する需要)が存在している。それゆえ政府は、この局面において生起する需給ギャッ
プを埋めるための公的支出拡大を通じて、継続的に財政赤字を増やすこととなる。
30
主問題の定式化: (3-4)
𝑚
max ∑ 𝑣𝑖 𝛽𝑖
𝑖=1
s.t.
𝑚
∑ 𝛼𝑖𝑗 𝑣𝑖 ≤ 𝑟𝑗 , 𝑗 = 1,2, ⋯ , 𝑛
𝑖=1
𝑣𝑖 ≥ 0, 𝑖 = 1,2, ⋯ , 𝑚
𝑣𝑖 : 住民i の満足度1単位増やすための税金投入量
言い換えれば、「反の経済」における企業の行動原理と政府の行動原理は双対関係を示しているこ
ととなる。それゆえ、「反の経済」における企業の行動原理は線形計画法の双対問題、政府の行動
原理は線形計画法の主問題と考えることができる。
31
3-3. 金融政策の方向性の判定
経済の局面が「正の経済」かどうかを判定するための第一段階として、中央銀行が金融緩和して
いるかどうかを判定する方法を検討する。
前項で示した企業の行動原理に従えば、「正の経済」における企業は利潤最大化を志向して行動
する。よって、
「正の経済」の局面では、事業の利益率が利子率を上回る限り、企業は投資を極大
化させることになる。従って、
「正の経済」においては、中央銀行が金融緩和を行って利子率さえ
低下させてやれば、企業は投資を拡大することになる。
次に、金融緩和に関して基礎事項を確認しておきたい。中央銀行による金融調節は主として公開
市場操作によって行われるが、それはマクロ経済学の教科書の記述を引用すれば、具体的には次の
ようなものである:
「中央銀行は債券市場における公開市場操作を通じて利子率に影響を与えることが可能である。
中央銀行が債券を購入して貨幣供給を増加させる公開市場操作は、債券価格を上昇させ、利子率を
下落させる。中央銀行が債券を売って貨幣供給を減少させる公開市場操作は、債券価格を下落させ、
利子率を上昇させる」[3]
つまり、中央銀行がマネタリーべスを増発し、市中から債券を買い増すことで債券価格を上昇さ
せ、利子率を下落させるのが、金融緩和である。また、中央銀行が市中へ債券を売却してマネタリ
ーベースを減らすことを通じて債券価格を下落させ、利子率を上昇させるのが金融引き締めである。
以上から、中央銀行が金融緩和しているかどうかの判定基準としては、
a.政策金利を低下させたかどうか
b.マネタリーベースを増発したかどうか
を見てやればよいものと考えられる。
通常の状況であれば、a の「政策金利を低下させたかどうか」だけを見れば金融緩和を行ってい
ると判定できるように思える。しかし、2001 年以降の日本においては、政策金利は 0%または 0%近
傍であり、日本銀行はさらに踏み込んでマネタリーベースを増加させる「量的緩和」を行うように
なっており、政策金利だけでは日本銀行の政策が「従前より緩和している」のか「従前より引き締
めている」のかの判別がつかなくなっている。
一般的に、各国の中央銀行は公開市場操作を通じて短期金利をコントロールし、長期金利は市場
に任せるというやり方を採用している。しかし、2001 年以降の日本銀行や 08 年以降の米国 FRB で
は、政策金利である短期金利の誘導目標を 0%または 0%近傍とした上でさらに踏み込んでマネタリ
ーベースを増加させ、より長期の債権を購入し、長期金利までをも意図的に低下させることによっ
て景気を刺激する方策を採用している。そしてこのような場合において、日本銀行や FRB は長期金
利について特に明示的な誘導目標金利を提示しているわけではないため、長期金利の上がり下がり
によって「緩和」か「引き締め」かを判定することは困難である。よって、このような場合におい
ては、b の「マネタリーベースを増発したかどうか」で中央銀行が金融緩和をしているかどうかを
判定するのが妥当であるものと考えられる。
では、b の「マネタリーベースを増発したかどうか」で判定すべきなのは、政策金利(短期金利
の誘導目標)がまさしく 0%のときのみであるかというと、そうとは言えない。というのは、例えば、
日本銀行が 2001 年から 2006 年にかけて量的緩和を行っていた際の政策金利の誘導対象である無担
保コールレート(翌日物)は当該期間において概ねほぼ 0%近くで推移していた。しかし、2013 年 4
月から実施中の 2 回目の量的緩和において、それは 0.07%程度で推移している(Figure 3-1)
。
32
無担保コールレート(翌日物)
0.80%
0.70%
0.60%
0.50%
0.40%
0.30%
量的緩和(2回目)
0.20%
0.10%
量的緩和(1回目)
Jan-14
Jan-12
Jan-10
Jan-08
Jan-06
Jan-04
Jan-02
Jan-00
-0.10%
Jan-98
0.00%
Figure 3-1 翌日物無担保コールレート(日本)
データ出典: 日本銀行
そこで、筆者らは次のような判定基準を提案したい。
〔金融政策の方向性判定基準 1〕
政策金利(誘導目標)が従前より引き下げられた場合、金融政策の方向性は「緩和」と判定
する
〔金融政策の方向性判定基準 2〕
政策金利(誘導目標)が従前から変化していない場合において、マネタリーベースが従前よ
り増加している場合、金融政策の方向性は「緩和」と判定する
〔金融政策の方向性判定基準 3〕
上記基準 1 あるいは基準 2 のいずれでもない状態である場合、金融政策の方向性は「引き締
め」と判定する
なお、この判定基準において観測すべき政策金利は、あくまでも誘導目標であり、誘導された結
果である市場金利は用いないものとする。というのは、Figure 3-1 で例示したように市場金利は
日々変動し、非常にノイズが多いため、
「引き下げられた」
、「引き上げられた」、「変化なし」と判
定することが難しいためである。一方、誘導目標値はある程度の期間一定でありノイズが少ないた
め、この種の判定に用いるのに適している。
上記の「金融緩和判定基準」をまとめると、Table 3-1 のようにになる。
33
政策金利(誘導目標)
引き下げ
据え置き
引き上げ
Table 3-1
マネタリーベース
金融政策の方向性の判定
増加
減少または不変
緩和
増加
減少または不変
増加
引き締め
減少または不変
金融政策の方向性の判定基準
34
3-4. 金融政策のラグについて
一般的に、金融政策の効果が実体経済に現れるまでには、長い期間を要するものとされている。
その文脈において、本稿では「硬直的なインフレ率の仮定」が正しいという前提で議論を進めるも
のとする。この仮定が正しいと考えられる根拠について、マクロ経済の教科書を引用しておこう:
「ピザの価格はそう頻繁には変動しない。理由の1つは、ピザ店に影響を及ぼすすべての細かな
情報を集め、毎日、適切な価格を設定するのはあまりにもコストがかさみ、時間の無駄も生じてし
まうからである。…一般的に、日常活動においては、ピザ店の経営者は金融政策の現状を注視する
よりも、ピザを作りそれを売ることに力を注ぐために時間を使うほうがよい。せいぜい2、3ヵ月
とごに(あるいは、ピザ経営に影響を与えるさまざまなショックやインフレ率に応じて、より頻繁
にあるいはより間隔をおいて)
、価格を調整するのに最も適切な方法を模索すればよい」[5]
Gruen ら[8]は、オーストラリア経済について、金融政策の実施(実質利子率の変化)の影響が産
出量の成長率に波及するまでのラグ(lag)を、
「かなりの不確実性」があると断りつつも、潜在消
費者物価指数(潜在 CPI=コア CPI)を用いて実質利子率を計算するモデルでは 6.4 四半期、名目
消費者物価指数(名目 CPI)を用いて実質利子率を計算するモデルでは 5.8 四半期と見積もってい
る。なお、Gruen らは「潜在 CPI を用いるモデルにおいては、中央銀行の翌日物キャッシュ金利か
ら一年前の潜在 CPI を減算することで短期実質金利を算出している。一方、名目 CPI を用いるモデ
ルにおいては、一年前の潜在 CPI を減算することで短期実質金利を算出している」。つまり、Gruen
らは実質利子率の計算に本来用いるべき期待インフレ率の代替として 1 年前のインフレ率を採用し
ている.
また、Gruen らは「1990 年代において、金融政策の影響が生産の成長に及ぶまでの平均ラグが少
しでも短くなった、というような証拠は見あたらない」としている。
そのようなラグが時を経てもあまり変化がないとすれば、国や地域による差異もそれほど大きく
ないかも知れないと仮定し、本稿において筆者らはひとまず、金融政策の効果が実体経済に現れる
までのラグの目安を 6 四半期程度とする。これにより、「反の経済」の定義を「金融政策の方向性
が緩和と判定される状態が 6 四半期以上継続した後であっても、企業が『正の経済』においてある
べき振る舞いをするに至っていない状態」とし、その否定形を「正の経済」の定義とすることが可
能となる。
35
3-5. マクロ経済統計データによる企業の行動の判定
「正の経済」における企業の行動原理は「利益の最大化」であるが、それはすなわち、経済全体
が継続的に成長している状態、あるいは、多少停滞していてもすぐに継続的成長軌道に復帰し得る
状態であると企業が集合的に判断しているような状態であると言える。言い換えれば、
「正の経済」
とは生産が継続的に拡大しているか、停滞していてもすぐに拡大軌道に復帰し得る状態である。
これに関して、貨幣数量説における貨幣数量式
𝑀𝑉 = 𝑃𝑌
(3 − 5)
を検討したい。ここで、𝑀は貨幣量、𝑉は貨幣の流通速度、𝑃は物価水準、𝑌は生産である。一般的
に「M2 と定義される貨幣量の流通速度はほぼ一定」[5]であるとされていることから𝑉を定数𝑣0 と仮
定した上で、式(3-5)の両辺を𝑃と𝑣0 で割ると、
𝑀
1
= 𝑌
𝑃 𝑣0
(3 − 6)
のようになる。この式(3-6)は、生産と実質ベースの貨幣量は比例関係にあることを意味する。こ
れを別の言葉で表現すると、継続的な経済成長とは、生産と実質ベースの貨幣量の両面での拡大が
軌を一にして継続することである、ということになる。そして「正の経済」は、企業が積極的に投
資と生産を拡大している状態であり、政府は消極的に振る舞うべき局面である。つまり「正の経済」
においては、企業こそが生産と貨幣量の同時拡大を主導しているようでなくてはならない。さて、
生産𝑌は
𝑌 =𝐶+𝐼+𝐺+𝑋−𝑄
(3 − 7)
のように表される。ここで、C は民間消費、I は民間投資、G は政府支出、X は輸出、Q は輸入であ
る。式(3-7)の右辺は国内外で需要された財のうち、国内で生産された財の量、すなわち、国内総
生産(実質)を意味する。
さて、企業が積極的に「生産と実質ベースの貨幣量の両面での拡大」に貢献していることを示す
指標として第一に挙げられるのは、民間投資 I のうちの設備投資(非住宅投資)𝐼 𝑁𝑅 である。とい
うのは、一つには、企業による支出のうち、生産𝑌に直接算入されるのが設備投資𝐼 𝑁𝑅 のみであると
いうこともあるが、𝐼 𝑁𝑅 が継続的に増加するということは、企業が集合的に、国内外を合わせた需
要が増加するという期待を濃厚に持っていることを示唆していることにほかならない。つまり、
「正
𝑁𝑅
の経済」においては、ある期間 t の設備投資𝐼𝑡𝑁𝑅 がその前の期間 t-1 の設備投資𝐼𝑡−1
を上回っている
ことが正常な状態であると言える。これを式で表現すると
𝑁𝑅
𝐼𝑡𝑁𝑅 > 𝐼𝑡−1
(3 − 8)
である。また、
「正の経済」は民間主導の成長が長期的に継続することが基本状態であると考える
べきであるので
𝐼𝑡𝑁𝑅 > max 𝐼𝑥𝑁𝑅 (3 − 9)
0≤𝑥≤𝑡−1
もまた、「正の経済」における正常な状態を示すものである。ここで、式(3-9)は𝐼𝑡𝑁𝑅 が過去最大で
あるべきことを意味する。以上の式(3-8)と式(3-9)が満たされ続けるならば、式(3-6)の右辺、生
産𝑌も基本的には民間主導で成長を続けられるものと考えられる。
一方、式(3-6)の左辺に注目する。長期的な生産𝑌の成長には、貨幣の流通速度𝑉が定数𝑣0 である
と仮定する限り、実質ベースの貨幣量𝑀⁄𝑃の増加が不可欠である。まず、名目ベースの貨幣量𝑀に
ついて一つ確認しておくと、例えば、日本銀行のマネーストック統計において M2 は次のように定
義される:
36
M2=現金通貨+国内銀行等に預けられた預金
ただし、その範囲について日銀は「マネーストックとは、基本的に、通貨保有主体が保有する通貨
量の残高(金融機関や中央政府が保有する預金などは対象外)です。通貨保有主体の範囲は、居住
者のうち、一般法人、個人、地方公共団体・地方公営企業が含まれます。このうち一般法人は預金
取扱機関、保険会社、政府関係金融機関、証券会社、短資等を除く法人です」 と定義している[9]。
貨幣量𝑀は、上記のように定義されるため、中央銀行がマネタリーベースを増やすだけでは貨幣
量𝑀が増えることはない。なぜなら、中央銀行がマネタリーベースを増やすだけでは金融機関の保
有する現金や預金が増えるだけであり、その金融機関の保有する現金や預金は貨幣量𝑀の範囲外で
あるからだ(なお、中央政府の保有する現金や預金も上記のとおり貨幣量𝑀の対象外となる。よっ
て、中央銀行による国債の直接引受けによって中央政府の保有する預金量が増加するだけでは貨幣
量𝑀は増えない。中央政府がそれによって得た資金を使用し、“通貨保有主体”にその資金が引き
渡されて初めて貨幣量𝑀が増えることとなる)。
貨幣量𝑀が増加し、かつ生産𝑌が同時に増加するためには、誰か(この「誰か」には、一般法人
や個人などの“通貨保有主体”に限らず、中央政府も該当する)が金融機関から資金の借入れを増
やし、それを財やサービスの購入によって“通貨保有主体”のうちの誰かにその資金を引き渡すこ
とを通じて信用創造を起こさなければならない。つまり、誰かが負債を増やし、それをそのまま貯
めておいたり、他の金融資産を購入したりということ以外の目的で使うことが必要である。
さて、企業が集合的に、国内外を合わせた需要が増加するという期待を持ち、よって利益最大化
を目的として行動する状態が「正の経済」である。それゆえ、貨幣量𝑀に関して、「正の経済」の
判定のための要素として見るべきは、企業が負債を増やしているかどうかであると考えることがで
きる。また、企業のうちでも、マクロ経済における生産の拡大に関して非金融部門間の金融取引を
仲介することが使命である金融機関を除く、非金融企業の負債に注目するのが妥当であると考えら
れる。ただし、最終的に見る必要があるのは、実質ベースの貨幣量𝑀⁄𝑃に対する貢献度合いである。
本稿において筆者らは、非金融企業の実質ベースの貨幣量𝑀⁄𝑃拡大への貢献度合いを見るにあた
り、日本なら日本銀行の資金循環統計(flow of funds accounts)
、米国なら FRB の financial
accounts、その他先進各国については OECD の financial accounts における、非金融企業の負債に
関するデータを用いることを提案する。その理由としては、
a.設備投資𝐼 𝑁𝑅 のデータが現れる GDP 統計と同じ国際基準 the System of National Accounts (SNA)
に基づいて統計が取られていること
b.政府の振る舞いについても同じ基準の統計を用いて評価することが可能となること
の 2 点を挙げることができる。
ただし、このデータを用いる場合、負債のストック水準を直接物価水準で除して実質値を求める
ことが合理的とはならない。というのは、このような負債のストック水準データは時価評価される
ため、財やサービスの物価水準とは異なる要因によって常に価値が変動しているからである。よっ
て、筆者らは時価評価に影響されない負債のフローデータを用いることを提案する。すなわち、
「正
の経済」と判定する上で満たされるべき条件として以下の式(3-10)と式(3-11)を加えることとす
る:
𝐹𝑡𝐿 ≥ 0
(3 − 10)
ここで、𝐹𝑡𝐿 は「非金融法人企業の負債フロー」である。なお、
「負債フロー」とは、当該期間(年
度や四半期)における負債の時価変動分を除いた純増額を示すデータである。
37
𝐹𝑡𝑁 ≤ 0
(3 − 11)
ここで、𝐹𝑡𝑁 は「非金融法人企業の金融純資産フロー」である。なお、
「金融純資産フロー」
(日本
銀行の用語では「資金過不足フロー」
)とは、当該期間(年度や四半期)における金融資産の時価
変動分を除いた純増額から、負債フローを減算した金額を示すデータである。
以下、式(3-10)と式(3-11)を採用すべき根拠を挙げておく:

インフレ率が負の状態、つまりデフレの状態においては価格水準𝑃が減少するため、名目の貨
幣量供給𝑀が増加しなくても実質の貨幣量𝑀⁄𝑃が増加することになり、これは金融資産と負債
が両方とも実質ベースで増加することを意味する。ただ、経済全体では貨幣量が実質ベースで
増加するとしても、個別の経済主体においては実質ベースで価値が増加する金融資産、とりわ
け現金や預金の保有を増やし、実質ベースで負担の増加となってしまう負債の残高は減らそう
とするであろう。企業がこのように振る舞えば、それはまさに「反の経済」の振る舞いとなっ
てしまう。デフレにおいて企業が「正の経済」の振る舞いをしていることを確実に保証するた
めの最低限の条件は、負債フロー(時価変動を除く負債の純増額)が少なくとも 0 以上の状態
であると言える。負債フローが 0 以上の状態でインフレ率が負であれば、実質の貨幣量𝑀⁄𝑃の
増加に確実に寄与している状態であり、そうであって初めて、企業は「正の経済」の振る舞い
と判定すべき最低限の条件を満たすことになる。これが(3-10)のもつ意味である。

非金融法人企業の金融純資産フロー𝐹𝑡𝑁 が負の値になるのは、例えば、新規の借入金や株式の追
加発行によって調達した資金を、金融資産ではない実物資産の購入に使用したような場合であ
る(資金循環統計では株式は負債に分類される)
。逆に、負債の純増によって調達した資金を
そのまま保有していたり、ほかの金融資産の購入に充てた場合、𝐹𝑡𝑁 は 0 となる。よって、𝐹𝑡𝑁 が
負の値を取っている場合、企業がかなり積極的に生産と貨幣量の拡大に貢献していることが類
推される。

但し、経済が成熟してくると、多くの企業において巨額の資金を内部留保している場合が想定
される。その「成熟してしまい巨額の内部留保をもつ企業」が資金の貸し手となり、
「新興の
資金需要旺盛な企業」が借り手となることで、企業部門内だけで支出拡大/生産拡大と負債拡
大/信用創造による貨幣供給拡大のプロセスを完結してしまうことは、理論的にはあり得る。

すべての経済主体の金融純資産フローを合計するならば、その合計は必ず 0 になるが、ここで
経済主体が国内の民間部門のみである「純粋な資本主義モデル」というべきものを想定すると、
政府のフローと海外部門のフローはともに 0 である。このとき、家計部門のフローも 0 である
ならば、企業部門のフローもまた 0 となる。この状況において企業部門内だけで金融資産と負
債を両建てで増加させ、支出拡大/生産拡大と負債拡大/信用創造による貨幣供給拡大のプロ
セスを完結させることは、少なくとも理論的には可能である。

以上から、
「正の経済」においては、非金融法人企業の金融純資産フロー𝐹𝑡𝑁 は、積極的には負
の値を取るべきであり、最低限の条件として 0 であるべきである。このことを意味するのが式
(3-11)である。

非金融法人企業の金融純資産フロー𝐹𝑡𝑁 は時価変動の影響を除いた金融資産の純増と負債の純
増の差額として計算される。このような金融資産の純増、負債の純増は、インフレ率の大きさ
がどうであれ、双方が同等の影響を受けるものと考えられる。その上で、式(3-11)が満たされ
るならば、それはインフレの影響を考慮に入れても負債の純増が金融資産の純増以上であるこ
38
とを示していることになる。それはつまり、非金融企業がインフレ率の大小に関わらず、積極
的に生産と実質ベースの貨幣量の拡大に貢献していることを示唆するものである。

式(3-10)、式(3-11)に加えて、企業が実質ベースの設備投資𝐼𝑡𝑁𝑅 を継続的に増やしていれば、
企業がかなり確実に生産拡大と信用創造による貨幣量拡大のプロセスに寄与していると類推
することができる。
39
3-6.「正の経済」と「反の経済」の定義
以上の議論から得られる、
「正の経済」か「反の経済」かを機械的に判定する方法、あるいは、
「正
の経済」と「反の経済」を明示的な定義を以下に示す:
「反の経済」の定義
企業が「正の経済」においてあるべき振る舞いをしなくなった、かつ、それ以後において金融
政策の方向性が緩和と判定される状態が 6 四半期以上継続した後であっても、企業が「正の経
済」においてあるべき振る舞いをするに至っていない状態は、
「反の経済」である。ここで、
「企
業が『正の経済』においてあるべき振る舞いをしている」とは、以下の 4 つの条件
𝑁𝑅
𝐼𝑡𝑁𝑅 > 𝐼𝑡−1
(3 − 8)
𝑁𝑅
𝐼𝑡 > 𝑚𝑎𝑥 𝐼𝑥𝑁𝑅 (3 − 9)
0≤𝑥≤𝑡−1
𝐹𝑡𝐿 ≥ 0
(3 − 10)
𝐹𝑡𝑁 ≤ 0
(3 − 11)
がすべて真である状態を言う。
「正の経済」の定義
「反の経済」の否定形は「正の経済」である(なお、仮に上記の式(3-8)~式(3-11)の 4 条件の
うち一つ以上が偽であっても、一つ以上が偽である状態が継続するようになった以後において、
金融政策の方向性が緩和と判定される状態が 6 四半期未満しか継続していなければ、それは「正
の経済」である)。
上記の「反の経済」の定義と「正の経済」の定義の関係について図解しておくと Figure 3-2 のよ
うになる。
40
全事象の集合
企業が「正の経済」においてあるべき振る舞いをしている
企業が「正の経済」においてあるべき振
る舞いをしなくなった
金融政策の方向性が緩和
と判定される状態が6四半
期以上継続した後である
=「反の経済」
企業が「正の経済」においてある
べき振る舞いをしなくなった状態
が6四半期以上継続した後である
--- 「反の経済」の領域(それ以外の領域は「正の経済」)
Figure 3-2 「反の経済」と「正の経済」の関係
41
3-7. マクロ経済統計データによる政府の振る舞いの判定
3-5節に挙げた企業の行動の判定の条件とほぼ同様の条件を用いることで、
「反の経済」と「正
の経済」における政府のあるべき振る舞いについて記述することができる。ある期間 t における政
府支出を𝐺𝑡 、政府の負債フローを𝐹𝑡𝐺𝐿 、政府の金融純資産フローを𝐹𝑡𝐺𝑁 とすると、それぞれの経済局
面における政府のあるべき振る舞いは、以下のようになる:
「反の経済」における政府のあるべき振る舞い
𝐺𝑡 > 𝐺𝑡−1 (3 − 12)
𝐺𝑡 > 𝑚𝑎𝑥 𝐺𝑥 (3 − 13)
0≤𝑥≤𝑡−1
𝐹𝑡𝐺𝐿 ≥ 0
(3 − 14)
𝐹𝑡𝐺𝑁 ≤ 0
(3 − 15)
の 4 条件がすべて真となること
「正の経済」における政府のあるべき振る舞い
式(3-12)から式(3-15)の 4 条件がすべて偽となること
なお、式(3-12)と式(3-13)において、政府について政府投資𝐼 𝐺 ではなく政府支出𝐺𝑡 、つまり、政
府投資𝐼 𝐺 と政府消費𝐶 𝐺 の合計を用いるのは、し式(3-8)と式(3-9)において企業設備投資𝐼𝑡𝑁𝑅 を用い
る理由が、企業の国内外需要に対する期待の度合いを見るためであることに対応している。
「反の
経済」とは、企業が国内外の需要合計の拡大に対する期待を喪失したことによって、行動原理を「利
益の最大化」から「債務の最小化」に転じている状態である。よって、「反の経済」において政府
は、企業の国内外の需要合計に対する期待を高めることを通じて、企業の行動原理を再び「利益の
最大化」に転じさせるように促すべきであろう。この観点から、式(3-12)と式(3-13)においては政
府投資のみならず、政府消費との合計である政府支出𝐺𝑡 を用いるのが妥当であると考えられる。
また、式(3-8)から式(3-11)が企業が積極的に「生産と実質ベースの貨幣量の両面での拡大」に
貢献しているかどうかを判定するものであったのと同様、式(3-12)から式(3-15)は政府が積極的に
「生産と実質ベースの貨幣量の両面での拡大」に貢献しているかどうかを判定するものである。
「正
の経済」においては、企業が積極的にその貢献を行っているのであるから、政府は消極的であるの
が理想であり、逆に「反の経済」においては、政府は積極的であるのが理想であると考えられる。
42
3-8. 「正の経済」と「反の経済」の判定の実施例:日本のケース
本節ではここまで論じてきた「正の経済」と「反の経済」の判定方法について、日本の実際のデ
ータを用いた判定の実施例を示す。
i)金融政策の方向性の判定
〔政策金利(誘導目標)
〕
日本では 1994 年まで金利が規制されており、公定歩合(official discount rate)が各種金
利に直接連動する政策金利であったが、94 年に金利が自由化されて以降、無担保コールレート
(翌日物)の誘導目標が政策金利となった[10]。
それゆえ、政策金利の誘導目標については長期的な連続したデータが存在しないことになる。
その上、無担保コールレート(翌日物)の誘導目標については、94 年以降についても連続した
データを整理した統計表が存在しないため、データとして利用し難い。
一方、以前は政策金利として用いられていた公定歩合(現在は改称されて「基準割引率お
よび基準貸付利率」と呼ばれる)は、現在に至っても「補完貸付の適用金利として、オーバー
ナイトのコールレートの上限を画する役割」[10]を担っており 、しかも、長期的な連続したデ
ータが整備されている。この「基準割引率および基準貸付利率」は、一時的に信用力が低下し、
市場で資金を調達することが困難となった金融機関に対して日本銀行が貸し出す際の翌日物
の基準金利であり、この金利が上がれば金融政策は引き締め、下がれば緩和の方向性を持つと
考えて差支えはないものと考えられる。よって、本稿においては、かつての公定歩合、現在の
「基準割引率および基準貸付利率」を金融政策の方向性の判定に用いるものとする。なお、企
業と政府の振る舞いの判定の項目で用いる GDP 統計や負債、金融純資産の統計が四半期ベース
であるため、月別のデータにつき、四半期ごとの平均値を求めて用いることとする。
〔マネタリーベース〕
マネタリーベースは、市場が不安定なときなど短期的に急変する場合が想定されるが、その
ような短期的な急激な変動は、金融政策全体の方向性を判定する上ではノイズに過ぎない。そ
れゆえ、できるだけ長期間の平均値を用いるなどしてノイズを取り除くのが妥当であると考え
られる。その平均を取る期間としては、企業と政府の振る舞いの判定の項目で用いる GDP 統計
や負債、金融純資産の統計が四半期ベースであるため、四半期ごとに平均を取るのが妥当であ
ろう。
日本銀行のデータベースにおいては月ごとの期末残高と平均値のデータがあるが、上記の理
由から、月ごとの平均値データを用いることとし、さらに四半期ごとに平均値を取るものとす
る。また、季節変動の影響などのノイズを取り除くため、4四半期の移動平均を判定用のデー
タとして採用するものとする。
Figure 3-3 に、上記に説明したように加工した公定歩合(政策金利の誘導目標の代替データ)と
マネタリーベースを示す。この Figure 3-3 においては、Table 3-1 の判定条件で金融政策の方向性
が「緩和」と判定される期間に影を付けて示した。
43
マネタリーベース
[兆円]
4四半期移動平均
公定歩合
金融緩和局面
Figure 3-3
金融政策の方向性――判定結果
データ出典:マネタリーベースは日本銀行「資金循環統計」から計算。公定歩合は日本銀行。
ii)企業と政府の振る舞いの判定
〔企業と政府の振る舞いの判定に用いるデータ〕
設備投資𝐼𝑡𝑁𝑅 、非金融法人企業の負債フロー𝐹𝑡𝐿 、非金融法人企業の金融純資産フロー𝐹𝑡𝑁 、政
府支出𝐺𝑡 、政府の負債フロー𝐹𝑡𝐺𝐿 、政府の金融純資産フロー𝐹𝑡𝐺𝑁 については、四半期の季節調節
なしの原データの 4 四半期移動平均を用いることとする。
4 四半期移動平均を用いることで、季節変動によるノイズを取り除くことができる上、1 四
半期だけの一時的な変動があった場合の影響も取り除くことができるためである。また、4 四
半期移動平均を用いれば、今後国際比較をする際、国によって季節調整なしデータしかない、
あるいは季節調整済みデータしかない、というような場合でも季節変動の影響がキャンセルさ
れるため、ほぼ同じ基準による比較が可能となるものと考えられる。
なお、年データしかない場合は、4で除した値を各四半期のデータとした上で 4 四半期移動
平均を求めるものとする。
Figure 3-4 – Figure 3-9 に上記に説明したように加工した企業や政府に関するそれぞれのデー
タを示す。なお、𝐹𝑡𝐿 、𝐹𝑡𝑁 、𝐹𝑡𝐺𝐿 、𝐹𝑡𝐺𝑁 については、累積値を示している(グラフにおいて右肩上が
りであれば正の値、右肩下がりであれば負の値であるが、このようにしたのは正の値が続いている
か負の値が続いているかということに関して長期的な傾向が直感的に見やすくなるためである)。
44
Mar-80
Mar-81
Mar-82
Mar-83
Mar-84
Mar-85
Mar-86
Mar-87
Mar-88
Mar-89
Mar-90
Mar-91
Mar-92
Mar-93
Mar-94
Mar-95
Mar-96
Mar-97
Mar-98
Mar-99
Mar-00
Mar-01
Mar-02
Mar-03
Mar-04
Mar-05
Mar-06
Mar-07
Mar-08
Mar-09
Mar-10
Mar-11
Mar-12
Mar-13
[兆円]
yen]
[trillion
Mar-80
Mar-81
Mar-82
Mar-83
Mar-84
Mar-85
Mar-86
Mar-87
Mar-88
Mar-89
Mar-90
Mar-91
Mar-92
Mar-93
Mar-94
Mar-95
Mar-96
Mar-97
Mar-98
Mar-99
Mar-00
Mar-01
Mar-02
Mar-03
Mar-04
Mar-05
Mar-06
Mar-07
Mar-08
Mar-09
Mar-10
Mar-11
Mar-12
Mar-13
[兆円]
yen]
[trillion
Private Non-Residential
Investment
𝑰𝑵𝑹
民間設備投資
𝒕
25
20
15
10
5
Private
Non-Residential
𝐼𝑡𝑁𝑅 Investment
民間設備投資
𝑥
MaxInrt-1
0≤𝑥≤𝑡−1
𝑚𝑎𝑥 𝐼 𝑁𝑅
0
Figure 3-4 民間設備投資 (4四半期移動平均)
データ出典:内閣府「国民経済計算」データから計算
𝑳
Non-Financial Business - Flow of Liability Acquisition
非金融法人企業(accumulated)
負債フロー(累積) 𝑭𝒕
800
700
600
500
400
300
200
100
0
Figure 3-5 非金融法人企業 負債フロー (累積。 4四半期移動平均)
データ出典: 日本銀行「資金循環統計」データから計算
45
Mar-80
Mar-81
Mar-82
Mar-83
Mar-84
Mar-85
Mar-86
Mar-87
Mar-88
Mar-89
Mar-90
Mar-91
Mar-92
Mar-93
Mar-94
Mar-95
Mar-96
Mar-97
Mar-98
Mar-99
Mar-00
Mar-01
Mar-02
Mar-03
Mar-04
Mar-05
Mar-06
Mar-07
Mar-08
Mar-09
Mar-10
Mar-11
Mar-12
Mar-13
[兆円] yen]
[trillion
[兆円]
yen]
[trillion
0
-50
-100
-150
-200
-250
-300
-350
-400
20
15
10
5
Mar-80
Mar-81
Mar-82
Mar-83
Mar-84
Mar-85
Mar-86
Mar-87
Mar-88
Mar-89
Mar-90
Mar-91
Mar-92
Mar-93
Mar-94
Mar-95
Mar-96
Mar-97
Mar-98
Mar-99
Mar-00
Mar-01
Mar-02
Mar-03
Mar-04
Mar-05
Mar-06
Mar-07
Mar-08
Mar-09
Mar-10
Mar-11
Mar-12
Mar-13
Non-Financial Business - Flow of Net Financial Asset
非金融法人企業
金融純資産フロー(累積)
Acquisition (accumulated)
Figure 3-7 一般政府支出(4四半期移動平均)
データ出典: 内閣府「国民経済計算」データから計算
46
𝑭𝑵
𝒕
Figure 3-6 非金融法人企業 金融純資産フロー(累積。4四半期移動平均)
データ出典:日本銀行「資金循環統計」データから計算
General Government Consumption
Expenditures and
𝑮 Gross Investment
一般政府支出
𝒕
35
30
25
General
Government
𝐺𝑡 consumption
一般政府支出
expenditures and gross investment
𝑚𝑎𝑥 𝐺𝑥
MaxGt-1
0≤𝑥≤𝑡−1
0
[兆円]
yen]
[trillion
0
Mar-80
Mar-81
Mar-82
Mar-83
Mar-84
Mar-85
Mar-86
Mar-87
Mar-88
Mar-89
Mar-90
Mar-91
Mar-92
Mar-93
Mar-94
Mar-95
Mar-96
Mar-97
Mar-98
Mar-99
Mar-00
Mar-01
Mar-02
Mar-03
Mar-04
Mar-05
Mar-06
Mar-07
Mar-08
Mar-09
Mar-10
Mar-11
Mar-12
Mar-13
Mar-80
Mar-81
Mar-82
Mar-83
Mar-84
Mar-85
Mar-86
Mar-87
Mar-88
Mar-89
Mar-90
Mar-91
Mar-92
Mar-93
Mar-94
Mar-95
Mar-96
Mar-97
Mar-98
Mar-99
Mar-00
Mar-01
Mar-02
Mar-03
Mar-04
Mar-05
Mar-06
Mar-07
Mar-08
Mar-09
Mar-10
Mar-11
Mar-12
Mar-13
[兆円]yen]
[trillion
General Government - Flow of Liability Acquisition
一般政府 負債フロー(累積) 𝑭𝑮𝑳
𝒕
(accumulated)
1200
1000
800
600
400
200
0
Figure 3-8 一般政府 負債フロー (累積。4四半期移動平均)
データ出典:日本銀行「資金循環統計」データから計算
一般政府
General Government - Flow of Net Financial Asset
金融純資産フロー(累積)
Acquisition (accumulated)
Figure 3-9
47
𝑭𝑮𝑵
𝒕
-100
-200
-300
-400
-500
-600
-700
一般政府 金融純資産フロー (累積。4四半期移動平均)
データ出典:日本銀行「資金循環統計」データから計算
[「実質ベースの生産と信用創造の拡大に貢献
しているかどうか」の判定条件が「真」となる数 ]
金融緩和局面
非金融企業
一般政府
Figure 3-10 企業、政府、中央銀行の振る舞いの分析結果
〔企業と政府の振る舞いの判定〕
Figure 3-10 に式(3-8)から式(3-11)による非金融法人企業の振る舞いの判定結果と、式
(3-12)から式(3-15)による政府の振る舞いの判定結果を示す。縦軸は真となる条件の数である。
真の数が多いほど「生産と実質ベースの貨幣量の両面での拡大」に積極的に貢献していることを
意味する。
iii)「正の経済」と「反の経済」の判定
3-6で示した「正の経済」と「反の経済」の定義から、この二つの局面についての判定を実施
するのためのフローチャートを Figure 3-11 に示す。
また、Figure 3-11 のフローチャートによって 1982 年第 3 四半期から 2013 年第 4 四半期までの
期間の日本経済について判定を行った結果、1982 年第 3 四半期から 1993 年第 2 四半期までは「正
の経済」と判定され、1993 年第 3 四半期から 2013 年第 4 四半期までは「反の経済」と判定された。
この判定結果を Figure 3-10 と重ねたグラフを Figure 3-12 に示す。
48
第t 四半期における式(3-8)から式(3-11)の
条件について真となる数𝑁𝑡 を調べる
yes
𝑁𝑡 ≥ 4
no
t より前の四半期で、最後に𝑁𝑡−𝑥−1 ≥ 4となった第
− 𝑥 − 1四半期を特定する
( t の直前の四半期までにおいて、式(3-8)から式
(3-11)の条件が一つ以上偽となった四半期が連続
している数𝑥 を調べる)
no
𝑥 ≥6
yes
第 − 𝑥四半期以後、金融政
策の方向性が連続して「緩
和」と判定される四半期の最
大連続数𝑦を調べる
no
𝑦 ≥6?
yes
第t 四半期は「正
の経済」であると
判定
第t 四半期は「反
の経済」であると
判定
終了
Figure 3-11 「正の経済」と「反の経済」の判定フローチャート
49
「正の経済」と「反の経済」の判定結果
[「実質ベースの生産と信用創造の拡大に貢献
しているかどうか」の判定条件が「真」となる数 ]
1982 年第 3 四半期から 2013 年第4四半期
「反の経済」局面
金融緩和局面
非金融企業
一般政府
Figure 3-12 「正の経済」と「反の経済」の判定結果: 日本(1982 年第 3 四半期から 2013 年
第4四半期)
iv)判定結果の利用方法の議論
Figure 3-12 においては、
「正の経済」と「反の経済」の局面において、非金融法人企業、政府、
中央銀行がそれぞれどのように振る舞っているかを、一枚の図のなかで表現することができている。
この Figure 3-12 によって、日本の 80 年代以降について、例えば、次のように見ることができ
るだろう:
a. 日本経済においては 1989 年末を境に株式バブルが崩壊し、91 年に土地バブルが崩壊した。そ
してそれ以降は「失われた 20 年」と形容されるデフレ不況が続いている。
b. Figure 3-12 から、80 年代初頭から 80 年代末にかけての「正の経済」にして非金融法人企業が
「生産と実質ベースの貨幣量の両面での拡大」に積極的に貢献している(以下、単に「積極的
である」と表現する)局面において、政府もまたほぼ一貫して積極的であり続け、かつ、中央
銀行もほぼ一貫して「緩和」を続けていた。これが 80 年代末から 90 年代初頭にかけてバブル
経済が形成された原因ではなかろうか。
c. 一方、1993 年以降の「反の経済」において、非金融企業が消極的である局面がほぼ一貫して続
いているが、それにもかかわらず政府が積極的になり切れていない様子がうかがえる。特に
2000 年代以降は、企業が消極的な局面において、政府までもがかなり消極的になってしまって
いる状況が続いていた。2013 年になってからようやく政府が再び本格的に積極的になるように
なったが、いまだ、この 20 年以上にわたる「反の経済」の局面から抜け出すに至っていない。
50
3-9.おわりに
本稿において筆者らは、

木下[1]提案の「正と反の経済学」の理論を、実際の統計データに結びつける方法を考案した。

その方法を考案するにあたり、
「民間企業がマクロ経済に対してどれくらい積極的に生産と実
質ベースでの貨幣量の増加に貢献しているか」という基準で統計データを見ることが重要であ
るという考察を提示した。

これにより、民間企業がマクロ経済に対してどれくらい積極的に実質ベースでの生産と貨幣供
給の増加に貢献しているかを簡便に、かつ、視覚的に確認し、評価するための手段の一つを提
供した。

そのようにして企業の振る舞いについて評価する方法を考案し、それに金融政策の方向性を判
定する方法を組み合わせることで、
「正の経済」と「反の経済」を明示的に定義し、判別する
ための方法を提示した。

また、民間企業と同じ評価方法を用いて政府のマクロ経済に対する生産と実質ベースでの貨幣
量の増加への貢献について評価する方法もあわせて提示し、かつ、民間企業、政府、中央銀行
の振る舞いを一枚の図で確認する手法を提示した。
〔今後の課題について〕

本稿では日本の実施例のみを示した。今後は出来るだけ多くの国々のデータを用いて評価・
分析を行い、本稿で提示した手法の問題点を洗い出し、より有用性を高めることを図るべき
であろう。

本稿において、政府の財政余裕度(fiscal capacity)についての議論は脇に置いた。ある
いは、政府は常に適切に振る舞うための財政余裕度を持ち合わせているという前提で議論を
展開した。現代の経済学は残念ながら、政府の借入れ限度に関して、明確な尺度を提示でき
ていない。マクロ経済学の教科書においても、政府債務の対 GDP 比率について「臨界点を示
すマジックナンバーはない」[6]としている。では、政府だけでなく民間を合わせた国内部門
全体の対外債務ならばどうかというと、やはり「危機の引き金を引く臨界水準がどこかとい
うマジックナンバーはない」[6]のであり、
「貿易赤字と対外債務がどれほど深刻な問題なのか
について、経済学者の意見は分かれている」というありさまである[6]。本稿で提示した「正
の経済」と「反の経済」に関する明示的な判別法や、非金融企業、政府、中央銀行の振る舞
いを一括で評価する手法の有用性を高めるためには、このような政府の財政余裕度に関する
議論を整理する必要がある。また、理想的には、政府の財政余裕度についての機械的な判別
手法を開発すべきであろう。
51
第4章
「反の経済」における政府の振る舞いの制約条件である政府の財政余裕度に関す
る研究
4-1.はじめに
前章において提案した「正の経済」と「反の経済」の判定方法に基づけば、1993 年第 3 四半期か
ら 2013 年第 4 四半期までは日本の経済状況が政府が積極的に需要を創出すべきである「反経済」
と判定されている。そして、日本政府は 2013 年の第 1 四半期以降「反の経済」における望ましい
振る舞い、すなわち財政の拡大を行っていると判定されている。
しかし、日本政府(一般政府=中央政府+地方自治体+社会保障基金)の債務は 2014 年末にお
いて 1199 兆円、GDP 比で 244%に上ると推計されている(IMF World Economic Outlook, Apr.
2014)。この政府債務の水準は危険であり日本政府の財政にはまったく余裕がないのであろうか?
もし、日本政府の財政にまったく余裕がない、ということが正しいのであれば、日本政府は「反
の経済」における望ましい振る舞いを近いうちに――恐らくは、政府が財政拡大から緊縮財政に転
換すべき「正の経済」の局面に転換する前に――中断しなければならないだろう。そうなれば、
「失
われた 20 年」が「失われた 30 年」
、
「失われた 40 年」…のように延々と「失われた時代」が継続
することになるかも知れない。
政府の財政に関して、マクロ経済学の教科書には次のような内容の記述が見受けられる([6]
Jones, 2011/[11] Branchard, 1999):
(1) 政府の予算制約により、政府の債務残高は長期的に 0 にならなければならない5
(2) (1)の予算制約の観点から、政府の債務残高には限度があり、その限度は概ね GDP に依存
しているため、債務 GDP 比はできるだけ小さい方がよい
(3) 国民所得の恒等式
𝑌 = 𝐶+𝐼+𝐺+𝑋−𝑄 = 𝐶+𝑆+𝑇
(4 − 1)
を変形して得られる貯蓄(=民間貯蓄𝑆+政府貯蓄𝑇 − 𝐺+海外部門貯蓄𝑋 − 𝑄)と投資(=
民間投資𝐼)の関係式
(𝑌 − 𝐶 − 𝑇) + (𝑇 − 𝐺) + (𝑄 − 𝑋) = 𝐼
民間貯蓄 S
政府貯蓄
(4 − 2)
海外部門貯蓄
から、左辺の政府貯蓄(=財政黒字)が小さい、あるいは、赤字になると右辺の投資が減
り、すなわち資本ストック形成が減り、長期的な成長が阻害されるため、政府の財政赤字
は小さいか、あるいは、黒字になることが望ましい
上記(1)から(3)のような経済学上の議論が正しければ、日本経済は「反の経済」のなかでも
政府が何もできない袋小路に陥っているということになるかも知れない。しかし、マクロ経済学の
教科書には、以下のような内容の記述も見受けられる:
(4) リカードの等価命題によれば、政府の現時点での歳出増加/減税と将来の歳出減少/増税
の割引現在価値が等しくなるため、民間部門の消費は一切影響を受ないことになるが、それ
5
より厳密に言えば、
「長期的な税収累計額の割引現在価値と政府支出累計額の割引現在価値は一致しなけれ
ばならない」という表現となるが、結論としては「長期的な政府債務残高は 0 とならなければならない」と
いうことに変わりはない。
52
と同時に「個人は現在の財政赤字から予想される将来の税支払いに備えるために個人は貯蓄
する」[6]ことにつながり、「財政赤字の増加に対応して1対1の割合で民間貯蓄が増加する」
[11]ことを意味する。この場合、政府の財政赤字増加が民間の投資のための資金を減じること
はない。
(5) 第 3 章の最後にも書いたことを繰り返すが、政府債務の対 GDP 比率について「臨界点を示
すマジックナンバーはない」[6]。また、政府だけでなく民間を合わせた国内部門全体の対外
債務ならばどうかというと、やはり対外純負債や対外債務の GDP 比についても「危機の引き
金を引く臨界水準がどこかというマジックナンバーはない」[6]のであり、
「貿易赤字と対外債
務がどれほど深刻な問題なのかについて、経済学者の意見は分かれている」というのが経済
学における現状である[6]。
本章の概要は以下のとおりである:

まず、上記の経済学の教科書にある政府財政に関する論点について整理する。

次に、上記の教科書の記述とは観点が少し異なる、国連開発計画が 2011 年公表の報告書[12]
に示した、政府の財政余裕度を見るための5つの指標について検討する。

その上で、現状における日本政府が「反の経済」において望ましい振る舞いを行えるだけの
財政余裕度があることを明らかにする。

それに加えて、将来においてある国の政府が財政余裕度を維持向上するための課題と対策に
ついての提言を行う。
53
4-2.政府財政に関する経済学教科書の論点整理
本節では、前節であげた(1)から(5)の政府財政に関する経済学教科書の論点について整理を
行うものとする。
4-2-1.政府の予算制約に関する考察
論点(1)
「政府の予算制約により、政府の債務残高は長期的に 0 にならなければならない」
について検討する。
ジョーンズ[6]は、政府の財政に関する問題――政府はいったいいくらまで借入れができるのか、
政府の借入れが経済にどのような影響をあたえるのか――についての議論の出発点として、以下の
ような「政府予算制約のフローバージョン(flow version of the government budget constraint)
」
という式を提示している:
𝐺𝑡 + 𝑇𝑟𝑡 + 𝑖𝐵𝑡 = 𝑇𝑡 + ∆𝐵𝑡+1 + ∆𝑀𝑡+1 (4 − 3)
資金使途
資金調達源
ここで、𝐺𝑡 はある会計期間 t における政府支出、𝑇𝑟𝑡 は政府による移転支払い(失業保険、公的年金
等)、𝐵𝑡 は期初における政府の債務残高、𝑖𝐵𝑡 は期初債務残高に対する利払い、𝑇𝑡 は税収、∆𝐵𝑡+1 は会
計期間 t の期初から翌期初までの債務残高の増分、∆𝑀𝑡+1は貨幣残高の増分(シニョレッジ)であ
る。この式(4-3)の左辺は、会計期間tにおける政府の資金使途であり、右辺は資金調達源を示
している。そして、式(4-3)は毎期間の資金使途と資金調達源は等しくならなければならないと
いうことを意味している。
ここで、式(4-3)において左辺の移転支払い𝑇𝑟𝑡 を政府支出𝐺𝑡 と統合し、右辺のシニョレッジ∆𝑀𝑡+1
をひとまず無視し、∆𝐵𝑡+1 = 𝐵𝑡+1 − 𝐵𝑡 を代入すると
𝐺𝑡 + 𝑖𝐵𝑡 = 𝑇𝑡 + 𝐵𝑡+1 − 𝐵𝑡 (4 − 4)
となり、𝐵𝑡+1 につい解けば、
𝐵𝑡+1 = (1 + 𝑖)𝐵𝑡 + 𝐺𝑡 − 𝑇𝑡 (4 − 5)
となる。
ここで、式(4-5)につき、最初の会計期間 = 1から最後の会計期間 =
𝑧 直前の会計期間
=
𝑧−1
までを展開すると
t=1 期: 𝐵2 = (1 + 𝑖)𝐵1 + 𝐺1 − 𝑇1
(4 − 6a)
t=2 期: 𝐵3 = (1 + 𝑖)𝐵2 + 𝐺2 − 𝑇2
(4 − 6b)
t=3 期: 𝐵4 = (1 + 𝑖)𝐵3 + 𝐺3 − 𝑇3
(4 − 6c)
…
t=
𝑧−1 期:
𝐵𝑡𝑧 = (1 + 𝑖)𝐵𝑡𝑧−1 + 𝐺𝑡𝑧−1 − 𝑇𝑡𝑧−1
(4 − 6d)
のようになる。ここで会計期間 = 2の式(4-6b)の𝐵2 に式(4-6a)を代入し、さらに会計期間 = 3の式
(4-6c)の𝐵3 に式(4-6b)を代入する、ということを会計期間 =
𝐵𝑡𝑧 = (1 + 𝑖)𝑡𝑧−1 𝐵1 + (1 + 𝑖)𝑡𝑧−2 (𝐺1 − 𝑇1 ) + (1 +
𝑧−1 の式(4-6d)まで繰り返し行うと、
𝑖)𝑡𝑧−3 (𝐺2 − 𝑇2 ) + ⋯ + (1 + 𝑖)0 (𝐺𝑡𝑧−1 − 𝑇𝑡𝑧−1 )
(4 − 6e)
のようになる。この式(4-6e)の両辺を(1 + 𝑖)𝑡𝑧−2で割ると
𝐵𝑡𝑧
(1+𝑖)𝑡𝑧−2
𝐵𝑡𝑧 の t=1 期における
割引現在価値
=
(1 + 𝑖)𝐵1
𝐵1 と t=1 期の利払い
+
(𝐺1 − 𝑇1 ) +
t=1 期から =
𝐺2 −𝑇2
1+𝑖
+ ⋯+
𝐺𝑡𝑧−1 −𝑇𝑡𝑧−1
(1+𝑖)𝑡𝑧−2
𝑧−1期までの財政赤字の累計の
t=1 期における割引現在価値
54
(4 − 6f)
となるが、右辺の第2項以降をまとめると次のようになる:
𝑡𝑧 −1
𝐵𝑡𝑧
(1 + 𝑖)𝑡𝑧−2
(1 + 𝑖)𝐵1
=
+
∑
𝑥=1
𝐺𝑥 − 𝑇𝑥
(1 + 𝑖)𝑥−1
(4 − 6g)
ここで、最後の会計期間 𝑧 の期初において会計を閉じなければならないため、 𝑧 期の期初における
債務残高𝐵𝑡𝑧 は 0 にならなければならない。式(4-6g)において𝐵𝑡𝑧 = 0を代入し、税収𝑇𝑡 の累積値の割
引現在価値を左辺に移動すると以下のようになる:
𝑡𝑧 −1
𝑇𝑥
∑
=
(1 + 𝑖)𝑥−1
𝑡𝑧 −1
(1 + 𝑖)𝐵1
+
𝑥=1
∑
𝑥=1
この式(4-7)は、t=1 期から t=
𝑧
𝐺𝑥
(1 + 𝑖)𝑥−1
(4 − 7)
− 1期までの税収累計額の t=1 期における割引現在価値が、t=1
期の期初の債務残高𝐵1 とそれに対する t=1 期における支払い利息と t=1 期から t=
𝑧
− 1期までの政
府支出累計額の割引現在価値に等しくならなければならないことを意味する6。
そして、𝐵1 が 0 であったならば、
𝑡𝑧 −1
𝑡𝑧 −1
𝑥=1
𝑥=1
𝑇𝑥
𝐺𝑥
∑
= ∑
𝑥−1
(1 + 𝑖)
(1 + 𝑖)𝑥−1
(4 − 8)
の関係が成立することとなる。この式(4-7)や式(4-8)は、リカードの等価命題を表現する式であると
言えよう。
一方、ここで式(4-3)
𝐺𝑡 + 𝑇𝑟𝑡 + 𝑖𝐵𝑡 = 𝑇𝑡 + ∆𝐵𝑡+1 + ∆𝑀𝑡+1 (4 − 3)
資金使途
資金調達源
に立ち戻り、第2章で検討したような「世界全体連結モデル」の発想を用いて世界中の政府を連結
決算し、また、政府以外のすべて、すなわち、世界中の民間部門を連結するモデルを検討したい。
4-2-2.政府の予算制約と双対となる民間の予算制約に関する考察
このモデルにおいては、世界全体が「政府」と「民間」のたった二つ経済主体、あるいは、会計
主体で構成される。その前提に基づき、式(4-3)において以下のような拡張と整理を行う:
a.
政府は年金基金などで民間発行の債券等、民間の債務に資金を投じる場合が考えられる
(政府による民間債券等の購入)。よって、式(4-3)の左辺に政府が期間 t において新た
𝑃
に資金を投じた民間債務の増分∆𝐵𝑡+1
を加える。
b.
上記 a.に対応して、式(4-3)の右辺に、民間から政府に支払われる利息𝑖𝐵𝑡𝑃 の項を加える。
c.
シニョレッジ∆𝑀𝑡+1 については、無視すると考えても良い。しかし、
「通貨の発行主体は
通貨の過剰発行による悪性インフレの発生を防ぐ義務を負う」と考えれば、シニョレッ
ジの利用には責任や義務が伴うのであるから、発行主体の負債の増加と考えることも可
能である。よって、∆𝑀𝑡+1 を政府債務の増分と認識し、∆𝐵𝑡+1 にそのまま統合しても差し
支えはないだろう。
なお、ジョーンズの教科書[6]においては、式(4-6b)に式(4-6a)を代入して得られる t=1 期から t=3 期まで
の式を提示しているが、本稿において筆者はそれを拡張し、式(4-7)のように一般化したものである。
6
55
d.
𝑇𝑟𝑡 については、ここでも政府支出𝐺𝑡 に統合する。
e.
上記a.と b.を踏まえると、式(4-3)の政府の予算制約の式があるならば、当然その反対側
において対となる民間の予算制約の式を考えることができるはずであり、考えるべきで
ある。
上記の方針で新たに導出した「世界連結モデル」における政府と民間の予算制約のフローバージ
ョンは次のようになる:
「世界連結モデル」における「政府」予算制約のフローバージョン
𝑃
𝐺𝑡 + 𝑖𝐵𝑡 + ∆𝐵𝑡+1
= 𝑇𝑡 + ∆𝐵𝑡+1 + 𝑖𝐵𝑡𝑃
政府の資金使途
(4 − 9a)
政府の資金調達源
「世界連結モデル」における「民間」予算制約のフローバージョン
𝑃
𝑁𝑡 + 𝑇𝑡 + ∆𝐵𝑡+1 + 𝑖𝐵𝑡𝑃 = 𝑁𝑡 + 𝐺𝑡 + 𝑖𝐵𝑡 + ∆𝐵𝑡+1
(4 − 9b)
民間の資金調達源
民間の資金使途
ここで、式(4-9b)において、𝑁𝑡 は民間部門から民間部門に対する支出(𝑁𝑡 = 𝐶 + 𝐼 + 𝑇𝑟 𝑃 :但し、
𝑇𝑟 𝑃 は民間部門から民間部門に対する移転支出)である。このモデルにおいては、世界全体のなか
で政府と民間しか存在しない。よって、民間部門から民間部門への支出は、そっくりそのまま民間
部門から民間部門への収入にならざるを得ない。よって、𝑁𝑡 は(4-9b)の左辺にも右辺にも同じ金額
を計上する必要がある。
また、「このモデルにおいては、世界全体のなかで政府と民間しか存在しない」ということは、
式(4-9a)における左辺の政府による支出項目は、そっくりそのまま式(4-9b)の右辺の民間の収入項
目とならざるを得ず、式(4-9a)右辺の政府収入項目もまた、そっくりそのまま式(4-9b)左辺の民間
支出項目とならざるを得ない。この世界においては、それ以外に資金の行き場もないし、資金の出
所も存在し得ないからだ。
なお、式(4-9b)においては、民間の債務のうち、政府が債権者となっているものの増分、すなわ
𝑃
ち∆𝐵𝑡+1
のみを計上し、民間部門同士で持ち合いしている債権・債務は無視するものとする。仮に
それを計上したとしても、上述の民間部門間の支出・収入項目𝑁𝑡 同様、両辺に同じ金額だけ計上す
るため、相殺されてゼロとなるだけである。
次に、式(4-9a)と式(4-9b)から、政府、民間それぞれについて、金融資産の増分から負債の増分
を差し引いて得られる金融純資産フロー𝐹𝑡𝐺𝑁 、𝐹𝑡𝑃𝑁 を求めると以下のようになる:
「世界連結モデル」における政府の金融純資産フロー
𝑃
𝐹𝑡𝐺𝑁 = ∆𝐵𝑡+1
− ∆𝐵𝑡+1 = 𝑇𝑡 +𝑖𝐵𝑡𝑃 − (𝐺𝑡 + 𝑖𝐵𝑡 )
(4 − 10a)
「世界連結モデル」における民間の金融純資産フロー
𝑃
𝐹𝑡𝑃𝑁 = ∆𝐵𝑡+1 − ∆𝐵𝑡+1
= 𝐺𝑡 + 𝑖𝐵𝑡 − (𝑇𝑡 + 𝑖𝐵𝑡𝑃 )
(4 − 10b)
式(4-10a)、式(4-10b)から𝐹𝑡𝐺𝑁 と𝐹𝑡𝑃𝑁 は、金額が同じで符号が反転しているものとなることが分か
る。よって以上から、
𝐹𝑡𝐺𝑁 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 = 0
(4 − 11a)
56
𝐹𝑡𝐺𝑁 = −𝐹𝑡𝑃𝑁
(4 − 11b)
が得られる。これらの式は、「政府の金融純資産フロー(財政黒字)は、必ず毎期ごとに、民間の
金融純負債フロー(財政赤字)と一致する」、あるいは、
「政府の金融純負債フロー(財政赤字)は、
必ず毎期ごとに、民間の金融純資産フロー(財政黒字)と一致する」ことを意味する。
また、最初の会計期間 t=1 期から最後の会計期間の直前の t=
𝑧
− 1期までについての累積値を考
えると、
𝑡𝑧 −1
∑ (𝐹𝑥𝐺𝑁 + 𝐹𝑥𝑃𝑁 ) = 0
(4 − 12a)
𝑥=1
𝑡𝑧 −1
∑
𝑡𝑧 −1
𝐹𝑥𝐺𝑁
= − ∑ 𝐹𝑥𝑃𝑁
𝑥=1
(4 − 12b)
𝑥=1
のようになる。これは、
「政府の金融純資産フローの累積値は、民間の金融純負債フローの累積値
と一致する」、あるいは、
「政府の金融純負債フローの累積値は、民間の金融純資産フローの累積値
と一致する」ことを意味する。
仮に、式(4-7)や式(4-8)の前提となっている、
イ) 政府の会計期間は =
ロ) よって、 =
𝑧 期の期初において閉じられる。
𝑧 期の期初において政府債務残高は
0 にならなければならない。
の2条件を式(4-12b)に適用するとどうなるか、検討しよう。
式(4-10a)から
𝑃
𝐹𝑡𝐺𝑁 = ∆𝐵𝑡+1
− ∆𝐵𝑡+1
であるから、式(4-12b)は
𝑡𝑧 −1
𝑡𝑧 −1
𝑡𝑧 −1
𝑃
∑ ∆𝐵𝑥+1
− ∑ ∆𝐵𝑥+1 = − ∑ 𝐹𝑥𝑃𝑁
𝑥=1
𝑥=1
となるが、ロ)「 =
(4 − 13)
𝑥=1
𝑧 期の期初において政府債務残高は
この式(4-13)の左辺第二項、すなわち、t=1 期から t=
𝑧
0 にならなければならない」のであれば、
− 1期までの累積債務は 0 にならなければ
ならない。すると、式(4-13)は
𝑡𝑧 −1
𝑡𝑧 −1
𝑃
∑ 𝐹𝑥𝑃𝑁 = − ∑ ∆𝐵𝑥+1
𝑥=1
≤0
(4 − 14)
𝑥=1
𝑡 −1
𝑃
𝑃
𝑧
のようになる。ここで、∑𝑥=1
∆𝐵𝑡+1
はゼロ以上にしかならない――∆𝐵𝑡+1
は、あくまでも政府を債
権者とするる民間債務𝐵𝑡𝑃 の増減を示すものであり、会計期間 t=1 から任意の会計期間 t 期末までに
𝑃
𝑃
おける∆𝐵𝑡+1
の累計額は𝐵𝑡+1
そのものとなり負の値を取ることはなく、
最小値は 0 である――から、
式(4-14)の両辺は 0 以下にしかならないことになる。さらには、イ)
「政府の会計期間は =
𝑡𝑧 −1
𝑃
の期初において閉じられる」のであれば、∑𝑥=1
∆𝐵𝑡+1
も
ない。よって、
𝑡𝑧 −1
∑
𝑥=1
𝑡𝑧 −1
𝐹𝑡𝑃𝑁
𝑃
= − ∑ ∆𝐵𝑡+1
= 0
(4 − 15)
𝑥=1
57
t=
𝑧
𝑧期
− 1期末までに清算されなければなら
とならなければならない。
𝑡 −1
𝑧
ここで、債権債務について時価変動がないと仮定すれば、∑𝑥=1
𝐹𝑡𝑃𝑁 は t=
𝑧
− 1期末における民間
部門の金融純資産残高を意味する。上記イ)、ロ)の条件を満たさなければならないのであれば、
𝑧 −1 𝑃𝑁
∑𝑡𝑥=1
𝐹𝑡 は必ず0にならなければならず、民間部門は t=
𝑧
− 1期末において必ず金融純資産残高を
0 にしなければならないこととなる。
それはすなわち、世界中の民間部門は総体として、負債を上回る金融資産を保有することを、長
期的には決して許されないことを意味する。しかし、このようなことにはビル・ゲイツやウォーレ
ン・バフェットといった世界屈指の大富豪が数兆円に上る資産――それぞれ 2014 年において 760
億ドル、582 億ドル7。ただし、金融資産から負債を差し引いた金融純資産ではなく、金融資産に不
動産やヨット、絵画などの固定資産を加えた総資産から負債を差し引いた純資産8――を保有して
いることを踏まえれば、多少なりとも違和感を覚えることを禁じ得ないだろう。
リカードの等価命題が成立するような世界では、ゲイツ氏やバフェット氏のような大富豪は、長
期的には存在すること自体が許されないか、もしくは、不動産、ヨット、絵画などの非金融資産を
除けば実質貯金ゼロであることを求められることとなる。しかし、恐らく彼らは、負債よりもずっ
と大きい金額の金融資産を保持しているものと思われる。そのような傾向は彼らのような大富豪に
限った話ではなく、国全体におけるマクロの統計にも現れる。
図表 4-1~図表 4-5 に示す、アメリカ、日本、ドイツ、ギリシャ、そしてドイツやギリシャを
含むユーロ圏主要国合計の、国内民間部門、一般政府の金融純資産の推移を見てみよう。ギリシャ
を除けば、式(4-12b)で示唆されるような、「政府の金融純負債が増えれば、その分だけ民間の金融
純資産が増える」という図式が個別の国・地域においてもそれぞれ概ね成立していると言える。そ
の例外と言えるギリシャも、ユーロ圏全体に包含すれば、米、日、独と同じような傾向のなかに含
まれることが図表から分かる。
もちろん、ギリシャのように国内民間部門の金融純資産も、政府の金融純資産も、ともにマイナ
スになることもあり得る。これは、対外純資産がマイナスになっているということであり、言い換
えれば、海外部門の金融純資産がプラスになっていることを意味する。これを表現するために、海
外部門の金融純資産フロー𝐹𝑡𝐹𝑁 を付加することで、式(4-11a)、(4-12a)の「世界全体連結モデル」を
一国経済モデルに引き戻すと、
𝐹𝑡𝐺𝑁 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 + 𝐹𝑡𝐹𝑁 = 0
(4 − 16)
𝑡𝑧 −1
∑ (𝐹𝑥𝐺𝑁 + 𝐹𝑥𝑃𝑁 + 𝐹𝑥𝐹𝑁 ) = 0
(4 − 17)
𝑥=1
のようになる。なお、ギリシャがなぜ政府も民間もこぞって借金が金融資産より多い「借金体質」
に陥ったのかについては、のちほど複数の角度から検討を加えることとする。
7
8
Forbes, "Forbes Releases 28th Annual World's Billionaires Issue", 3/03/2014
Forbes, "Inside The 2014 Forbes Billionaires List: Facts And Figures", 3/03/2014
58
[100万ドル]
米国
民間と政府の金融純資産推移
25,000,000
20,000,000
15,000,000
10,000,000
国内民間部門 金融純資産
5,000,000
-5,000,000
1945
1950
1955
1960
1965
1970
1975
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
0
対外純資産
-10,000,000
一般政府 金融純資産
-15,000,000
-20,000,000
図表 4-1 米国
民間と政府の金融純資産推移
データ出典:Financial Accounts of the United State (Z.1 Statistical Release for Jun 05, 2014), "FOF
(A) Matrix All Sectors -- Assets and Liabilities"
国内民間部門:政府以外の国内全部門の合計、一般政府:連邦政府と州・地方政府の合計、対外純資
産:海外部門の金融純資産の符号を反転。各部門の金融純資産は、各部門の total financial assets か
ら liabilities and equity を差し引いて計算
図表 4-2 日本の民間と政府の金融純資産の推移
出典:廣宮孝信著 「日本経済のミステリーは心理学で解ける」p.61 プレゼン 1-12
データ出典:日本銀行「資金循環統計」ストックデータ。
「金融純資産」は資金過不足。
「民間」は「政府」
以外の国内全部門合計。
「政府」は一般政府。対外純資産は「民間+政府」の金融純資産で計算(日銀デー
タの場合、これが海外部門データを符号反転させた数値と概ね一致する。その差額は金や SDR など、誰
の負債にもならない金融資産の金額でほぼ説明できる。なお、FRB データでは、統計上の不突合がそのま
まにされており大幅に食い違っている)。
59
図表 4-3 ドイツの民間と政府の金融純資産の推移
出典:廣宮孝信著 「日本経済のミステリーは心理学で解ける」p.71 プレゼン 1-15
データ出典:OECD.StatExtracts, “National Accounts / Financial Accounts / Financial balance sheets –
consolidated” 「金融純資産」は Financial net worth。「民間」は「政府」以外の国内全部門合計。「政府」
は一般政府。対外純資産は「民間」+「政府」の金融純資産で計算(OECD データも日銀データと同様、こ
れが海外部門データを符号反転させた数値と概ね一致する。その差額は金や SDR など、誰の負債にもなら
ない金融資産の金額でほぼ説明できる)。
図表 4-4 ギリシャの民間と政府の金融純資産の推移
出典:廣宮孝信著 「日本経済のミステリーは心理学で解ける」p.63
データ出典:図表 4-3 に同じ
60
プレゼン 1-13
図表 4-5 ユーロ圏主要 11 ヶ国※の民間と政府の金融純資産の推移
出典:廣宮孝信著 「日本経済のミステリーは心理学で解ける」p.71 プレゼン 1-16
データ出典:図表 4-3 に同じ
※ユーロ圏 17 か国のうち、キプロス、マルタ、スロベニア、リトアニア、ルクセンブルク、
アイルランドといった小さな国は OECD データベースが揃っていなかったため、割愛した。
4-2-3.政府会計の永続性に関する考察
さて、ここまでの議論で、ロ)
「 =
𝑧 期の期初において政府債務残高は
0 にならなければならな
い」という前提は成り立たないか、成り立つことは難しいということを明らかにできたものと考え
られる。ゲイツ氏やバフェット氏ほどではないとしても、民間部門は個人も企業も、より豊かにな
ればなるほど、より多くの貯蓄(金融資産としての貯蓄)を行う傾向があるように思われるし、実
際にその傾向は、ギリシャを除けば、図表 4-1~図表 4-5 のグラフに表れている。「より豊かに
なればなるほど、民間部門が金融純資産ベースで貯金を増やす」ということが普遍的な傾向である
とするならば、政府は基本的に長期的には債務をゼロにすることができない、ということになる。
ここで、イ)
「政府の会計期間は =
𝑧 期の期初において閉じられる」についても検討を加えてお
きたい。
ある国の政府というものは、本当にいつかは会計期間を閉じることになるのであろうか?
財政破綻を来たした民間企業であれば、そのようなこともあるかも知れない。しかし政府の場合
には、財政破綻(債務不履行)したとしても、全面戦争における全面的敗北により壊滅的な打撃を
受けたとしても、会計期間は閉じられることなく、存続しているのが一般的であると言えよう。
例えば、
ラインハートとロゴフは 800 年におよぶ政府の債務不履行について調査した著書[13]にお
いて、「国家としての初期段階では、あのフランスでさえ、すくなくとも八回は対外債務のデフォ
61
ルトを起こしている…。スペインは一八世紀までは六回で済んでいたが、一九世紀に入ってから八
回を記録して、フランスを抜いた。このように今日のヨーロッパの大国が新興段階からのし上がる
過程では、今日の多くの新興市場と同じく、対外債務のデフォルトを繰り返し起こしている」、
「対
外債務危機は、新興市場経済が先進的な経済へ成熟する過程で避けて通ることのできない通過儀礼
のようなものである。これを免れた国はほとんどないことを、ここで強調しておきたい」と述べて
いる。
また、筆者[14]はラインハートら[13]が挙げている国内債務および対外債務の破綻事例のうち 1990
年から 2002 年までの 33 件に関し、破綻前後の実質 GDP の推移について調査し、31 件について
は破綻前の実質 GDP を破綻後に超えていることを確認し、破綻前の水準を超えられていない 2 件
(ウクライナ 1998 年、ジンバブエ 2000 年)についても、実質 GDP の下落は底を打ち、それなり
の回復傾向が見受けられることを確認した――つまり、ウクライナやジンバブエも債務不履行を起
こして経済に深刻な打撃を受けたとはいえ国家が消滅したわけではなく、債務がゼロになったわけ
でもなく9、政府の会計は閉じられることなく存続している。
次に、「全面戦争における全面的敗北により壊滅的な打撃を受けたとしても、会計期間は閉じら
れることなく、存続している」事例として、日本のケースを挙げておこう。
1944 年から 1946 年にかけて、本土爆撃などの影響により実質 GNP が半減――1945 年は推計
値が不明であるため、恐らくはそれ以上に激減――した(図表 4-6)というくらいの大打撃を受
け、米軍に占領され、国の政治体制は大幅に変更されることを余儀なくされた。しかし、中央政府
の債務残高はその前後で減ることもなく、0になることもなかった(図表 4-7、図表 4-8)
。
また、それだけのことがあっても政府の会計は閉じられることはなく、そして決定的な打撃を受
ける直前の 1944 年を基準にすると、実質 GNP はわずか 8 年でその水準を回復するに至っている
(図表 4-6)
。さらに付け加えておくと、明治以来百数十年にわたり日本政府の債務残高が 0 円に
なったことは一度たりともない(図表 4-7)し、第二次大戦直後における預金封鎖があったとき
ですら日本政府の債務残高が減ることはなかった(図表 4-8)。
9
IMF WEO, Apr. 2014 参照
62
図表 4-6 第二次世界大戦の終戦前後の日本の実質 GNP
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.16 プレゼン 1
データ出典:東洋経済新報社「長期経済統計 1」
、内閣府「国民経済計算」
【昭和 31 年度の
国民所得】の国民総支出及びデフレータから実質値を計算、1934~36 年=100 として連結
図表 4-7 日本の中央政府債務残高
推移(1872-2002)
出典:廣宮孝信著「『国の借金』アッと
驚く新常識」p.80 プレゼン 24
データ出典:総務省統計局「日本の長
期統計系列 第 5 章 財政」
63
図表 4-8 第二次世界大戦前後の日
本の通貨/預金残高および中央政府
債務残高
出典:廣宮孝信著「『国の借金』アッ
と驚く新常識」p.176 プレゼン 49
データ出典:全通貨流通高合計、中央
政府負債:総務省統計局「日本の長期
統計系列」、それ以外:東洋経済新報
社「長期経済統計 5」
以上の議論から、
イ) 政府の会計期間は =
ロ) よって、 =
𝑧 期の期初において閉じられる。
𝑧 期の期初において政府債務残高は
0 にならなければならない。
はいずれも成り立たないと言える(少なくとも、この二つの前提は一般的に必ずしも成立するとは
言えない)
。
よって、リカードの等価命題が示唆するような、
論点(1)
「政府の予算制約により、政府の債務残高は長期的に 0 にならなければならない」
という命題は、一般的に成立するとは言えない。
一般的には、
「民間部門の金融純資産の蓄積に連動して政府の金融純負債が蓄積され続ける」
、
「政
府の金融純負債の増加によって民間の金融純資産が増加するため、政府の資金調達源たる民間資金
が増加し続ける」という、式(4-12b)で示唆されるような命題が成立するものと考えられる。それは
図表 4-1、4-2、4-3、4-5 で示したような、日米欧で実際に観察されるデータに表れていると言え
よう。
4-2-4.政府債務 GDP 比の限度に関する考察
論点(2)
「論点(1)の予算制約の観点から、政府の債務残高には限度があり、その限度は概ね GDP
に依存しているため、債務 GDP 比はできるだけ小さい方がよい」
について検討する。
64
既に論点(1)の検証により、政府の予算制約として「政府債務は長期的に 0 にならなければならな
い」ということが一般的に成立しないことを明らかにした。少なくとも政府の債務残高に絶対額(名
目額)における上限があるとは言えない。
それゆえここでは、政府債務の GDP 比について論じておきたい。
図表 4-9 に 90 年代後半から 00 年代前半にかけて危機に陥った新興各国の危機発生前後の公的
債務 GDP 比と、比較のために 2011 年の日本の公的債務 GDP 比を示している。
この図表に示した危機発生国の危機発生直前の公的債務 GDP 比は、2011 年の日本と比べると遥
かに小さい。特に、アジア通貨危機前年の韓国、タイの公的債務 GDP 比はわずかに 10%台であっ
た。さらに言えば、韓国は 1981 年以降アジア通貨危機が発生するまで(そしてその後も 2008 年
まで)政府が一貫して財政黒字を続けていた(図表 4-10)が、それでも国家を揺るがす経済危機
となった。タイにおいても 95 年、96 年は政府が財政黒字であった10。
2008 年に政府が債務不履行を起こしたアイスランドにおいては、07 年までの 10 年間において
政府の債務 GDP 比は低落を続け、70%を超えていたものが 53%まで下落していたし、政府の金融
純資産は 07 年にはプラスに転じてすらいた(図表 4-11)
。つまり、アイスランド政府は危機発生
直前において負債を上回る金融資産を保持する――実質的な債務が0以下となる――に至ってい
た。また、アイスランド政府(一般政府)は、2004 年から 07 年までの4年間、財政黒字となって
いた 10。
※左図において、「通貨
危機」はその国の通貨の
為替レートが急落して
経済が混乱したことを
意味し、「破綻」は中央
政府の負債の全部また
は一部を返済期限まで
に返済できなかったこ
と(債務不履行)を意味
する。
図表 4-9 各国の経済危機前後の公的債務 GDP 比
出典:廣宮孝信著「国債を刷れ!新装版」p.63 図表 19
原典:Monica de Bolle, Björn Rother, Ivetta Hakobyan "The Level and Composition of Public
Sector Debt in Emerging Market Crises", IMF Working Paper, 2006
10
IMF WEO Apr. 2014 参照
65
韓国 一般政府財政収支GDP比 1975-2011
+6.0%
+5.0%
+4.0%
+3.0%
+2.0%
+1.0%
±0.0%
1975
-1.0%
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
-2.0%
図表 4-10 韓国 一般政府財政収支 GDP 比 1975-2011
データ出典:OECD.StatExtracts - National Accounts - Annual Accounts
財政収支データを名目 GDP で除して計算
図表 4-11 アイスランド
の一般政府政府
一般政府の金融資産、負債、金融純資産(GDP 比
出典:廣宮孝信著「国債を刷れ!新装版」p.64 図表 20
データ出典:Statistics Iceland 2012 年 9 月 10 日更新
66
%)
以上のように、政府の財政黒字が続いていたとしても、政府債務 GDP 比が小さかったとしても、
政府債務 GDP 比が継続的に低下していたとしても、国家経済の安定は保障されず、通貨危機や政
府財政破綻は起こり得るのである。
これらの厳然たる事実は、我々が一般的に政府以外の債務、すなわち、民間部門の債務を軽視し
過ぎているか、あるいは、完全に無視してしまいがちであることの危険性を、我々に気づかせてく
れている。
97 年のアジア通貨危機における韓国、タイ、インドネシアの 3 ヶ国については、次のような「期
間と通貨のダブルミスマッチ」の問題が指摘されている[15]:
「
東アジア各国は、企業の資金調達方法として、間接金融を利用するケース(銀行等からの借
入)が、直接金融(株式や債券の発行)より総じて多かった。資金配分において、銀行など仲
介部門の存在は、資金提供者と資金需要者の各々が求める期間等の貸借条件が異なる際に、短
期から長期へと期間を変換するなどの役割を果たす。しかし、当時、銀行などは短期の借入に
対して流動性資産の割合が低かったため、万が一、短期資金の出資者に大量に返済を迫られた
時、危機につながる可能性をはらんでいた。これが期間のミスマッチである。
また、短期借入の原資はオフショア市場の設立もあり、海外から大量に流入したドル建て資
金であり、銀行等はこのドル建て資金を自国通貨建て資金に変換して企業へ大量に長期貸出を
していた。このことは、不意の資本流出が生じた場合、国外債権者への債務返済のため、ドル
需要が急増し、為替切下げ圧力が高まって危機につながる可能性があった。これが通貨のミス
マッチである。さらに、事実上のドル・ペッグであったため、為替のリスク管理上、リスクヘ
ッジの必要性が感じられず、多くの企業で為替リスクヘッジが活用されていなかったことも、
危機を深刻化させたと考えられる。
このような期間と通貨のダブルのミスマッチが危機の温床になった。」
つまり、問題を引き起こしたのは、これらアジア各国の政府の債務ではなく、民間の債務、より
詳細には、民間の短期の外貨建て債務であったと言える。
08 年に政府が債務不履行を起こしたアイスランドにおいては通貨のミスマッチが大きな要因で
あったと考えられる。銀行の民営化が完了した 2003 年には GDP 比で 100%強しかなかった銀行
の資産規模が 2007 年には 1000%を超え、その大きくなり過ぎた銀行の資産規模が 2008 年秋ごろ
の世界的な信用不安の状況において市場から不安視され、資金の引上げとアイスランド・クローネ
の急落につながり、2、3週間のうちに三つの銀行の破綻を招いた11。その三つの銀行は破綻前に
国有化されており、それらの銀行が「巨額の国際的債務につき債務不履行を起こした」12。
また、IMF 報告書[16]のデータに基づけば、預金銀行による金融仲介によって、国内事業者や家
計部門への外貨建て貸付が急速に膨らんでいたことが分かる(図表 4-12)
。さらに言うと、図表
4-12 では示していないが、家計部門への貸付金(家計部門の借入金)の約 80%が自国通貨クロー
ネの急落に伴って発生する急激なインフレによって金利負担・元金返済負担が急速に重くなるイン
Camilla Andersen, "BANK RESTRUCTURING Iceland Gets Help to Recover From Historic Crisis",
IMF Survey Online, December 2, 2008
12 The Economist, "Iceland Cracks in the crust", Dec 11th 2008
11
67
フレ連動(Inflation-Indexed)債務であった[16]ため、家計部門の借入れは大半が外貨建て債務、ま
たは外貨建て債務に近い性質のものであったと言える。
図表 4-12 アイスランド政府財政破綻前における預金銀行の貸付状況(GDP 比)
データ出典:参考文献[16]の p.26, Table 1. Iceland: Selected Economic Indicators, 2000-09
にある名目 GDP (nominal GDP)と、p.28, Table 3. Iceland: Financial Soundness Indicators,
2000-2007 にある預金銀行の貸付金(loan)総額および外貨建て比率(thereof foreign currency
loans (in percent))、貸付先別の貸付金総額に対する比率とそれに対する外貨建て比率からそ
れぞれの項目の各年における名目 GDP 比を計算した
アイスランドにおける政府財政破綻に至る過程は、①リーマンショック等による世界的信用不安
の発生→②その中で GDP 比で大きくなり過ぎたアイスランド銀行部門に対する市場の信頼の喪失
→③自国通貨の急激な下落→④民間部門の外貨建て債務負担の急激な増加で銀行に対する債務不
履行の増加→⑤銀行の外貨資金繰り悪化(銀行は外国から外貨を調達して国内に貸し付けるという
金融仲介をしていたため)→⑥危機に伴って再国有化した国内3大銀行の破綻、というようにまと
めることができるだろう。
政府の財政破綻、国家経済の重大な危機の発生の大きな要因は、ここでもアジア通貨危機と同じ
く、民間の外貨建て債務であったと考えられる。
アイスランドの政府財政破綻の引き金を引いたアメリカにおけるリーマンショックやサブプラ
イムローン危機は、アメリカ政府の財政破綻ではなく、アメリカの民間部門の同時多発的な債務不
履行が全世界に波及したものである。また、1990 年前後の日本のバブル崩壊も日本の政府ではな
く日本の民間部門の同時多発的な債務不履行が国家経済を揺るがしたものであるし、1929 年のア
メリカ発の世界大恐慌もまたアメリカ政府の破綻ではなくアメリカの民間部門の同時多発的な債
務不履行が全世界に波及したものである。国家経済の安定ということに関しては、政府の負債の多
寡だけではなく、民間の財政状態をも包括的に勘案すべきである。よって、上述の韓国やタイやア
イスランドの事例で端的に示されるように、政府の債務 GDP 比だけを見ていても何も分からない、
というのは当然の帰結であると言える。
図表 4-13 にリーマンショック前後、2008 年 8 月から 12 月にかけての各国通貨の対ドル為替
レートの変化率と、07 年末の各国の公的債務 GDP 比を示す。これを見ると、公的債務 GDP 比が
世界で 2 番目に大きかった――先進国では最も大きかった――日本の通貨が、リーマンショック発
生前後の 4 か月間において、世界の通貨の中で最も価値が上昇していたことが分かる。
68
公的債務GDP比
ランキング
対ドルレート変化率 ランキング
08年8月→12月
1
日本円
2 香港ドル
3 人民元
2007年
+20.0%
(+通貨高 / -通貨安)
+0.7%
-0.1%
4 タイ・バーツ
5 シンガポール・ドル
-3.3%
-5.1%
6 ス イス ・ フラン
7 マレーシア・リンギット
-5.4%
-6.3%
8 フィリピン・ペソ
9 イスラエル・シェケル
-6.3%
-8.1%
10 デンマーク・クローネ
-10.1%
11 ユーロ
-10.2%
12 ブルガリア・レブ
-10.2%
13 リトアニア・リタス
-10.2%
14 マケドニア・ディナール
-10.5%
15 クロアチア・クーナ
-10.6%
16 ラトビア・ラッツ
-10.8%
17 インド・ルピー
-11.3%
18 ロシア・ルーブル
19 カナダ・ ドル
-14.1%
-14.7%
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
チェコ・コルナ
ルーマニア・レウ
-16.5%
-19.2%
インドネシア・ルピア
ハンガリー・フォリント
-19.5%
-20.1%
イギリス ・ ポンド
-21.3%
ニュー ジ ー ラン ド・ ドル
-21.4%
スウェーデン・クローナ
-21.5%
南ア・ランド
韓国ウォン
-23.3%
ノルウェー・クローネ
-24.0%
トルコ・リラ
-24.1%
オー ス ト ラ リア ・ドル
-24.2%
メキシコ・ペソ
ポーランド・ズロチ
ブラジル・レアル
-24.8%
-26.2%
-32.9%
アイスランド・クローナ
-62.2%
Eurostat月平均対ユーロ為替レートを対ドル換算して計算
-24.0%
順位
1
2
3
14
19
21
28
34
36
37
38
39
40
43
44
58
66
74
76
86
89
91
96
107
108
112
115
139
149
162
164
177
国名
リベリア
日本
ギニアビソウ
イタリア
シンガポール
ベルギー
イスラエル
ポルトガル
アルゼンチン
ハンガリー
カナダ
ドイツ
ブラジル
フランス
アメリカ
ス イス
ノルウェー
ポーランド
イギリス
スウェーデン
タイ
メキシコ
インドネシア
香港
韓国
アイスランド
チェコ
中国
ニュ ージ ーランド
オース トラリア
ロシア
リビア
487%
183%
179%
103%
85%
84%
75%
68%
67%
67%
67%
65%
65%
64%
64%
56%
50%
45%
44%
40%
38%
38%
35%
31%
31%
29%
28%
20%
17%
10%
9%
0%
IMF WEO Apr. 2014
図表 4-13 リーマンショック前後における各国通貨の対ドル為替レートの変化率とリーマン
ショック直前の各国公的債務 GDP 比
一方で、韓国やニュージーランド、オーストラリアは、公的債務 GDP 比が極めて小さかった(そ
れぞれ 31%、17%、10%)にもかかわらず、リーマンショック前後で対ドル通貨価値が大きく下落
(それぞれ-24%、-21%、-24%)している。このことは、世界的な経済的大混乱のさなかにおいて、
日本の公的債務 GDP 比の大きさがまったく問題にならなかった――少なくとも、通貨の信認とい
うことに関しては一切問題にならなかった―――ことを端的に示していると言える。
なお、このとき同じように通貨価値が下落した韓国とオーストラリアに対して、市場からの反応
はまったく異なるものであった。
69
韓国については「輸出減少に伴ってドル資金の調達力が低下し、国内の銀行や企業による対外債
務の返済が困難になるとの懸念から、対ドルで 11 年ぶりの安値に達している」
、
「ステート・スト
リート・グローバル・マーケッツ(香港)の通貨ストラテジスト、ドワイフォー・エバンス氏は『韓
国政府はあらゆる手を尽くしている。賢明な対応だが、今後数カ月にわたり外貨の流動性に支障が
生じる可能性があるという市場の懸念は和らいでいない』と指摘した」のような反応であった13。
それに対して、オーストラリアについては「オーストラリア・ニュージーランド銀行(ANZ)
の上級市場ストラテジスト、トニー・モリス氏(シドニー在勤)は、東欧経済の問題が『世界の成
長サイクルとの密接に関連している開かれた小規模経済を持つ国の先行きを悪化させている』と指
摘。『この問題へのオーストラリアの対処法は、利下げや豪ドル安、そして追加の景気刺激策だ』
と述べた」というような反応であった14。
韓国については、対外債務(外貨建て債務)の懸念があるため、更なる通貨下落に対する警戒が
示される一方、対照的にオーストラリアに関しては通貨下落こそが景気回復の対処法の一つである
という見方が示されていたのである。以上に示したリーマンショック前後における一連の出来事は、
国家経済の安定や通貨に対する信任に関して、公的債務 GDP 比よりも、官民を合わせた対外外貨
建て債務のほうが、いかに致命的に重要であるかを端的に示していると言えよう。
ところで、ここで 90 年代以降、日本の政府債務 GDP 比が他国と比べてなぜこれほ大きくなっ
ているのに GDP が伸びなかったのかについて検討しておきたい。図表 4-14 に日本の 1980 年度
から 2013 年度までの GDP、政府支出(公的需要)、民間企業設備投資の推移(名目値)を示して
いる。91 年以降の日本においては第3章で論じたように、民間企業が積極的に債務と支出の拡大
を行っていないと判定される経済状況が続いている(但し、
「反の経済」と正式に判定されるのは
6四半期の“猶予期間”を経たあとの 93 年以降)
。名目値で見ても企業の設備投資は 91 年以降低
迷している。その中において、民間需要の不足を補うために、政府は政府支出(公的需要)を増加
させたのであるが、政府支出は90年代半ば以降、横ばいとなっている。名目 GDP は
名目 GDP=民間消費 C+民間投資 I+政府支出 G+純輸出 X-Q
であるが、X-Q がそれほど大きく変動しない場合、C がそれほど振るわず、I が減る――しかも、
「反の経済」で債務最小化を目的として企業が行動する――のであれば、名目 GDP を維持向上さ
せるには G を増やさざるを得ない。しかし 90 年代半ば以降、G が増えていないのであり、その結
果として図表 4-14 に示されている通り、90 年代半ば以降、名目 GDP は増えていない。
このとき、91 年以降の政府支出につき、91 年の水準を上回る部分がすべて借金で賄われたと仮
定すると、その総額は図表 4-14 で斜線で示した領域の面積に一致する。92 年度から 2013 年度ま
での政府支出につき、91 年度水準を上回る金額の総計を計算すると 435.2 兆円となる。同じよう
にして、民間企業設備投資につき 91 年度水準を下回る金額の同期間の総計を計算すると 468.0 兆
円となる。政府支出の増加分累積は民間企業設備投資の減少分の累積を補うに少し足りない程度で
しかない。式(4-12b)の枠組みで考えれば、この分だけ政府の金融純負債が増え、民間の金融純資産
が増えることになる。
ブルームバーグ Bloomberg.co.jp「韓国ウォン、対ドルで 11 年ぶり安値-輸出減で対外債務めぐる懸念」
2009/02/27
14 ブルームバーグ Bloomberg.com「豪ドル、NZドル:米ドルに対し2週間ぶり安値付近-景気悪化懸念
で」February 18, 2009
13
70
日本:GDP、政府支出、民間企業設備投資
600
500
GDP
政府支出
[兆円]
400
民間企業設備投資
・・・政府支出が91
年水準を上回ってい
る部分。この部分の
支出財源がすべて財
政赤字で賄われたと
すると、この面積分
だけ公的債務が積み
上がったことにな
る。その場合、政府
支出が横ばいであっ
ても、公的債務は増
加の一途をたどる。
300
200
100
0
1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010
図表 4-14 日本の GDP、政府支出(公的需要)、民間企業設備投資〔名目値〕
データ出典:内閣府国民経済計算。1980-1994:平成 17 年基準支出系列簡易遡及/1994-2013:
統計表(四半期別 GDP 速報) > 2014 年(平成 26 年) > 統計表一覧(2014 年 4-6 月期 2 次
速報値)-名目年度
よく「政府の債務がこれだけ増えるほどに景気対策をしたのに、GDP が増えなかった」と言わ
れるが、90 年代半ば以降の民間支出(C+I)が増えない「反の経済」のなかで、政府支出 G も増
えていないのだから GDP が増えないのは当然である。しかしそれでも図表 4-14 で斜線で示した
領域で示すような金額の規模で政府債務が積み上がり続ける。このようにして政府債務 GDP 比
𝐵𝑡
𝐺𝐷𝑃𝑡
(4 − 18)
の分子が増え続ける一方、分母は横ばいという状況が続いたのであるから、政府債務 GDP 比は増
える一方とならざるを得ない。このように考えると 90 年代半ば以降の日本における政府債務 GDP
比増加は、経済局面が「反の経済」であることの当然の帰結であり、経済局面が「反の経済」であ
ることを端的に示す客観的事実の一つに過ぎないと言えるだろう。
なお、世界の中で比較すると、日本の 91 年から 97 年にかけての政府の歳出増加は大きいとは言
えず、むしろ小さい部類であることが分かる(図表 4-15)
。
「政府総支出増加額/比較開始年の名
71
目 GDP」という計算式で計算すると IMF のデータベースにデータのある 87 の国々の中で日本の
政府総支出の増加度合いは 77 位であり、世界の中央値の 3 分の 1 程度でしかなく、米、英、独の
半分程度であった。政府総支出の増加度合いが極めて低かったことと連動して、同期間の名目 GDP
平均成長率もほぼ世界最低であったし、実質 GDP 平均成長率も世界の中でかなり低い部類となっ
ていた。
この期間において、
「公的債務増加額/比較開始年の GDP」で計算した公的債務の増加度合いを
見ると、日本の数値は世界の中央値のほぼ倍となっており、日本の公的債務は世界と比較してかな
りの勢いで増加したと言えるが、これは 90 年代前半以降「反の経済」の状況となっているがゆえ
に民間企業の設備投資が激減し、企業の行動原理が債務最小化となっていたという日本の特殊要因
が原因と言える。実際のところこの間、日本政府の金融純負債の増加を上回る民間部門の金融純資
産の増加により、対外純資産が増加の一途をたどっている(図表 4-2 参照)。
政府総支出増加額/比較開始年のGDP
1991→1997 1997→2013
世界の中央値
21.2%
89.6%
日本
7.1%
3.0%
日本の順位
77位
131位
サンプル国数
87ヶ国
131ヶ国
参考
アメリカ
11.4%
38.9%
イギリス
12.5%
45.6%
ドイツ
14.0%
15.7%
名目GDP平均成長率
1991→1997 1997→2013
世界の中央値
12.2%
9.6%
日本
1.6%
-0.6%
日本の順位
148位
175位
サンプル国数
149ヶ国
175ヶ国
参考
アメリカ
5.7%
4.3%
イギリス
5.7%
4.2%
ドイツ
3.7%
2.3%
公的債務増加額/比較開始年のGDP
1991→1997 1997→2013
世界の中央値
25.9%
105.6%
日本
51.0%
113.3%
日本の順位
19位
53位
サンプル国数
58ヶ国
108ヶ国
参考
アメリカ
23.2%
121.7%
イギリス
37.1%
124.0%
ドイツ
34.9%
52.0%
実質GDP平均成長率
1991→1997 1997→2013
世界の中央値
3.6%
3.7%
日本
1.3%
0.6%
日本の順位
124位
170位
サンプル国数
151ヶ国
174ヶ国
参考
アメリカ
3.6%
2.3%
イギリス
3.5%
1.9%
ドイツ
1.2%
1.3%
図表 4-15 政府総支出・公的債務の増加度合いおよび名目・実質成長率の世界全体にお
ける日本の位置づけ
データ出典:IMF WEO Apr. 2014 から計算。ただし、アメリカの政府総支出 1980 年~2012 年は
OECD.StatExtracts - National Accounts - Annual Accounts、アメリカの公的債務(一般政府総負
債)1980 年~2013 年は FRB の Financial Accounts of the United State (Z.1 Statistical Release for
Jun 05, 2014), "FOF (A) Matrix All Sectors -- Assets and Liabilities"。なお、
「政府総支出増加額
/比較開始年の名目 GDP」=「(比較終了年の政府総支出-比較開始年の政府総支出)÷
比較開始年の名目 GDP」
、
「公的債務増加額/比較開始年の GDP」=「(比較終了年の公的
債務-比較開始年の公的債務)÷比較開始年の名目 GDP」である。
72
ここで、政府総支出や公的債務の増加度合いを見るために「政府総支出増加額/比較開始年の
GDP」
、
「公的債務増加額/比較開始年の GDP」という計算をしているのは、例えば、
「比較終了年
の政府総支出/比較開始年の政府総支出」
、
「比較終了年の公的債務/比較開始年の公的債務」のよ
うにして増加率を計算する場合において、理論的には比較開始年における政府総支出も公的債務も
0 であることがあり得るからだ。比較開始年の金額が 0 であれば、比較終了年の金額がどれほど少
額であったとしても成長率は無限大となってしまい、これでは国際比較する意味がない。それゆえ、
比較期間における増加額を比較開始年における経済規模である名目 GDP で除すことで、国際比較
可能な政府総支出や公的債務の増加度合いを算出することとした。
日本の名目 GDP の増加が止まってしまった 1997 年から 2013 年について図表 4-15 を見てお
くと、政府総支出の増加度合いは 131 ヶ国中最下位であり、
名目 GDP 平均成長率も最下位であり、
実質 GDP 成長率も最下位にかなり近い。この期間における公的債務の増加度合いは、世界の中央
値に近く、つまり、世界において標準的なものであり、米英よりは少し小さい程度で留まっている。
この期間における日本の公的債務の増加度合いは決して世界の中で突出したものであったとは言
えない。
民間企業の総需要に対する期待が小さく、民間企業が積極的に債務と支出の拡大を行うことのな
い「反の経済」であり、政府の歳出増加度合いも名目 GDP 平均成長率も実質 GDP 平均成長率も
世界最低水準である日本においては、民間企業の総需要に対する期待が回復し、積極的に債務と支
出の拡大を行うようになる「正の経済」となるまで、政府によるもっと勢いのある財政拡大が必要
であろう。
もし、仮に日本において公的債務 GDP 比を気にし過ぎる余り、
「反の経済」において政府が積極
的に財政拡大するのを止めてしまうとする。その場合は恐らく、民間主導による経済成長が起こる
ことなく「反の経済」の状況が続くことになるだろう。その場合、GDP は名目においても実質に
おいても変わらないか、減ることになるだろうし、公的債務 GDP 比は増加し続けるだろう。
4-2-5.政府、民間、国内部門全体の貯蓄と投資に関する考察
論点(3)「国民所得の恒等式から政府貯蓄(=財政黒字)が小さいか、赤字になると民間投資が減
り、長期的な成長が阻害されるため、政府の財政赤字は小さいか、黒字になることが望ましい」
と
論点(4)「リカードの等価命題によれば、政府の財政赤字増加は民間の投資資金を減じることはな
い」
について検討しておきたい。
端的に言えば、既に論じて来たように、政府の財政赤字は世界全体では間違いなく民間の財政黒
字になるし、個別の国においてもそれは概ね成立している。よって、論点(3)は一般的に成立すると
は言えないだろう。国民所得の恒等式については、
(𝑌 − 𝐶 − 𝑇) + (𝑇 − 𝐺) + (𝑄 − 𝑋) = 𝐼
民間貯蓄 S
政府貯蓄
(4 − 2)
海外部門貯蓄
と見るよりは、左辺の民間貯蓄 S 以外の項を右辺に移して、
民間貯蓄𝑆 = 民間投資 𝐼 + 政府財政赤字(𝐺 − 𝑇) + 純輸出(𝑋 − 𝑄)
と見るのが妥当であろう。
73
(4 − 19)
4-2-1から4-2-3で論じたようにリカードの等価命題は必ずしも一般的に成立すると
は言えないが、論点(4)の「政府の財政赤字増加は民間の投資資金を減じることはない」は一般的に
成立すると考えられる。式(4-19)で言えば、政府の財政赤字の増加は、民間貯蓄の増加を意味する
こととなる。ただし、図表 4-4 で示したギリシャのように、政府の財政赤字(累積)と民間の財
政赤字(累積)が同時に生じる場合もあるので、個別の国においては絶対的な法則とまでは言えな
い。式(4-19)で言えば、政府の財政赤字いかんによらず、純輸出(本来これは所得収支を加えた経
常収支であるべき)の赤字が大きければ、民間貯蓄は減少することとなるが、対外収支、対外債務
の問題は後述する。
さて、ここで次々頁の図表 4-16 に示す、アメリカの政府、民間、国内部門全体の貯蓄と投資の
長期データについて考察を加えておきたい。
まず、第2章の脚注 3 と脚注 4
(18 頁)
で述べている経済学の教科書[3][6]における「政府貯蓄𝑇 − 𝐺」
と、公的統計における「政府貯蓄𝑆 𝐺 」の違いについて、改めて簡単に説明しておく。
国際基準 SNA2008 においては、8 頁の式(2-6)から(2-8)および脚注 1 で説明しているように、国
内部門貯蓄 S は国内部門投資 I に純輸出と海外からの純所得を加算したものとなる:
𝑆 = 𝐺𝑁𝐼 + 第二次所得収支 − 𝐶 = 𝐺𝐷𝑃 + 𝐴 − 𝐶 = 𝐼 + (𝑋 − 𝑄) + 𝐴
(4 − 20a)
ここで、
A=第一次所得収支+第二次所得収支
であり、
(𝑋 − 𝑄) + 𝐴=経常収支
である。よって、
国内部門貯蓄𝑆=国内部門投資𝐼+経常収支 (4 − 20b)
となる。
また、脚注 4(18 頁)で述べたように
経常収支+資本収支=金融収支+誤差脱漏 (4 − 21)
の関係がある15。この式(4-21)の左辺の資本収支を右辺に移し、経常収支について式(4-20b)に代入
すると、
国内部門貯蓄𝑆=国内部門投資𝐼+金融収支 − 資本収支 + 誤差脱漏
(4 − 22)
のようになる。実際のところ、図表 4-16 のデータ出典である米国経済分析局 BEA の統計表にお
いては、この式(4-22)のような形式で表示されている16。
脚注 4(18 頁)で述べているように、日本の財務省の「国際収支状況」における「経常収支+資本収支」
は日本銀行の「資金循環統計」における資金過不足フロー(本論文における金融純資産フロー)の国内部門
合計と一致する。つまり、
「金融純資産フローの国内部門合計=金融収支+誤差脱漏」となる。しかし、FRB
の” Financial Accounts of the United”のフローデータは、金融収支そのままのデータとなっており、誤差脱
漏を調整したデータとなっていない(よって、FRB のデータでは国内全部門のフローの合計と海外部門のフ
ローを足してもゼロにならない)。本論文では混乱を避けるため、FRB のフローデータも「金融純資産フロ
ー」という呼称で統一している。
16 「National Data (国内データ)
」における「SECTION 5 - SAVING AND INVESTMENT (貯蓄と投
資)
」の「Table 5.1. Saving and Investment by Sector」。但し、資本収支の符号が財務省「国際収支状況」
と逆になっている点は注意を要する(詳細は 18 頁の脚注 4 参照)
。
15
74
また、BEA の統計ではこのような関係が国内部門合計の貯蓄と投資、政府の貯蓄と投資、民間
の貯蓄と投資のそれぞれにおいて成立するようになっている。つまり、政府貯蓄S 𝐺 は BEA の統計
では
政府貯蓄𝑆 𝐺 =政府投資𝐼 𝐺 +政府金融収支 − 政府資本収支 + 政府誤差脱漏 (4 − 23)
となっており、教科書における政府貯蓄(=財政収支)とはかなり異なる概念となっている。
ただし、政府金融収支は政府の財政収支にかなり近い概念であるため、政府の財政収支(=教科
書における政府貯蓄)が小さくなれば、式(4-23)で表現されるような BEA の統計における政府貯
蓄𝑆 𝐺 もまた小さくなる。そして、図表 4-16 上段を見ると、政府貯蓄𝑆 𝐺 や政府財政収支の GDP 比
が小さくなると、民間貯蓄 S の GDP 比が大きくなっている様子が分かる。
1940 年代において、民間投資 I が急激に落ち込んでいるが、これは第二次世界大戦で資材や人
的資源が戦争に動員されているからだ。
図表 4-16 中段に目を移すと、
民間投資 I の激減と入れ替わりに政府投資𝐼 𝐺 が急激に大きくなり、
国内部門全体の投資𝐼 + 𝐼 𝐺 の GDP 比が過去 80 余年における最高水準に近い状態となっていること
が分かる。論点(3)は、政府貯蓄が小さくなると民間投資が小さくなり、資本ストックの形成が小さ
くなるため、長期的な成長が阻害されるという趣旨であるが、政府が財政赤字により、つまり、借
入れた資金によって投資=資本ストック形成を行い、国内部門全体の投資が大きくなるのであれば、
必ずしも長期的な成長が阻害されるとは言い切れない。また論点(4)にあるような、政府の財政赤字
がそのまま民間の貯蓄(金融資産による貯蓄)に回る様子が図表 4-16 上段によく現れている。民
間部門の需要に対する期待が十分にあれば、そのようにして蓄えられた金融資産による貯蓄が若干
のタイムラグを経て投資に回されることとなるだろう。
図表 4-16 下段を見ると、リーマンショック直後の 2009 年前後は、政府の財政収支 GDP 比が
1950 年代以降で最も大きなマイナスとなっている(財政赤字の GDP 比が最大となった)のと同時
に、民間投資も国内部門全体の投資も GDP 比が 1950 年代以降で最も低くなっている。しかし、
これは論点(3)の、式(4-2)で示唆されるような政府の財政赤字による民間の投資にまわる資金の減
少による投資減退とは言えない。その証拠に、民間の財政黒字が政府の財政赤字拡大と軌を一にし
て拡大している――つまり、政府の貯蓄減少が民間の貯蓄増加に直結している――からだ。
75
40%
民間投資
Gross private domestic investment
30%
20%
民間貯蓄
Gross private saving
10%
0%
1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 2020
-10%
政府貯蓄
Gross government saving
政府金融収支(財政収支)
Government Net lending or net borrowing (-)
-20%
30%
25%
20%
15%
10%
5%
0%
-5%1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 2020
-10%
-15%
30%
25%
20%
15%
10%
5%
0%
-5%1920 1930 1940 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 2020
-10%
-15%
国内部門投資
Gross domestic investment
国内部門貯蓄
Gross saving
民間投資
Gross private domestic investment
政府投資
Gross government investment
政府貯蓄
Gross government saving
国内部門投資
Gross domestic investment
民間投資
Gross private domestic investment
民間金融収支(財政収支)
Private Net lending or net borrowing (-)
政府金融収支(財政収支)
Government Net lending or net borrowing (-)
図表 4-16 アメリカの政府、民間、国内部門全体の貯蓄と投資 GDP 比 1929-2013
データ出典:Bureau of Economic Analysis - National Data - SECTION 5 - SAVING AND
INVESTMENT の各データを SECTION 1 - DOMESTIC PRODUCT AND INCOME の GDP で
除して GDP 比を計算
76
4-2-6.
「政府財政に関する経済学教科書の論点整理」のまとめ
以上の、4-2-1から4-2-5の議論をまとめておきたい:
論点(1)「政府の予算制約により、政府の債務残高は長期的に 0 にならなければならない」
→政府の予算制約と双対関係となる民間の予算制約や、政府の永続性を考慮すれば、一般的に「政
府の債務残高は長期的に 0 にならなければならない」とは言えない。
論点(2)「論点(1)の予算制約の観点から、政府の債務残高には限度があり、その限度は概ね
GDP に依存しているため、債務 GDP 比はできるだけ小さい方がよい」
→論点(1)の検証から、政府の債務残高の絶対額に限度があるとは言えない。また公的債務 GDP 比
がどれだけ小さくても――仮に政府が債務以上の金融資産を保有していて政府の実質債務がゼロ
であったとしても――民間債務に問題があれば、政府債務の大きさいかんを問わず通貨危機や政府
財政破綻に発展することもあるため、公的債務 GDP 比そのものに意味があるとは思われない。日
本の公的債務 GDP 比は世界有数の大きさになっているが、金融資産から負債を差し引いて計算さ
れる金融純資産ベースでみれば日本の民間部門は政府の金融純負債を上回る金融純資産を保有し、
日本の対外純資産は少なくともこれまでは増え続けて来た。日本の場合は政府の負債増加がそのま
ま民間の金融資産の増加となり、それがそのまま政府の資金調達源として機能していると考えられ
る。国家経済の安定については、国全体(=政府+民間)のバランスを見る必要があるだろう。
論点(3)「国民所得の恒等式から政府貯蓄(=財政黒字)が小さいか、赤字になると民間投資が減
り、長期的な成長が阻害されるため、政府の財政赤字は小さいか、黒字になることが望ましい」
→政府の赤字拡大がそのまま民間の黒字拡大になる場合が多い。そのような場合には、政府の貯蓄
減少がそのまま民間の貯蓄拡大となり、民間は需要期待がある限り、その貯蓄した資金で投資を拡
大するものと考えられる。よって、政府の赤字が長期的な成長を阻害するとは必ずしも言えない。
論点(4)「リカードの等価命題によれば、政府の財政赤字増加は民間の投資資金を減じることはな
い」
→論点(1)を検証した結果、リカードの等価命題の前提条件である「長期的に公的債務はゼロになる
べき」という条件が成立しないため、リカードの等価命題は一般的に成立しないものと考えられる。
しかし、「政府の財政赤字増加が民間の投資資金を減じることにはならない」という結論部分の構
図が成立し得ることについては、アメリカの長期データからも確認できた。
論点(5)「公的債務 GDP 比」や「対外債務・対外純負債 GDP 比」の臨界点を示すマジックナンバ
ーはない
→公的債務 GDP 比に臨界点を示すマジックナンバーがないことは既に確認した。ジョーンズの教
科書[6]にあるように、対外債務 GDP 比や対外純負債 GDP 比もマジックナンバーはないだろう。
但し、対外債務に関しては、世界銀行が示している発展途上国における対外債務に関する目安をこ
こで確認しておこう。
まず、世界銀行のデータベースで集計されている対外債務(Total external debt:政府と民間の
対外債務総額)の定義を確認しておくと、
77
“Total external debt is debt owed to nonresidents repayable in foreign currency, goods, or
services. It is the sum of public, publicly guaranteed, and private nonguaranteed long-term
debt, short-term debt, and use of IMF credit.”
「対外債務総額は外国通貨、財、サービスの形で返済すべき、非居住者に対する債務である。こ
れは、公的/公的保証/民間非保証の長期・短期債務、IMF 資金貸出の利用額の合計である」
というようになっている[17]。
そして、世界銀行がウェブサイトで公表しているデータベース17にある「Total external debt」
の説明書きには、
「発展途上国における債務元利払い能力の経験的な分析では、債務の現在価値が
輸出の 200%に達するような場合に債務元利払いがいよいよ困難になることが示されている。ただ、
どのあたりが維持可能な債務負担であるかは国によって異なる。経済と輸出が急成長している国の
場合は、より高い水準の債務水準を維持できるようである」という目安を示している。この対外債
務データベースは発展途上国のうちの 124 ヵ国だけをカバーしており、先進国のデータはない。
アジア通貨危機の韓国やタイ、リーマンショック直後のアイスランドの事例を踏まえれば、外貨
建ての対外債務は財政余裕度の指標として非常に重要であると考えられる。しかし、包括的なデー
タベースが存在せず、特に近年の先進国における外貨建て債務による破綻事例はアイスランドしか
ないため、日本を含む先進国については比較検討のしようがないのが現状である。
本来、先進国は国内のインフラ水準が高く、敢えて外貨建ての借入れ資金を国内向け投資に利用
する必要性が低いため、基本的には外貨建て債務の問題がないはずである。08 年に危機に見舞わ
れたアイスランドのような、一般家庭までもが住宅購入に日本円やスイスフランなどの外貨建ての
借入れ金を充てるというという事態 12 は、先進国としては異例のものであったと言える。
リーマンショック後の世界的な混乱のさなか、通貨価値が最も上昇した日本においては、アイス
ランドのような異常なレベルの外貨建て債務の問題は、少なくとも 2010 年代前半現在において、
根本的にないものと考えてよいだろう。日本の財政余裕度について検討するにはほかのさまざまな
指標を見るのが良いものと考えられる。次節において国連報告書に挙げられていた 5 つの指標を参
考に、財政余裕度を評価するために有用な指標について検討を加えることとする。
なお、独自に発行できる通貨を持たないユーロ圏各国にとっては、対外債務も国内債務もすべて
実質的には外貨建て債務であると言える。ユーロ圏においては、2012 年に政府が債務不履行に陥
ったギリシャ18を始め、リーマンショック後に不安定になった国々と、安定的に経済が推移した国々
の違いを調べることは、先進国において外貨建て債務がどのような場合に問題になるかを端的に示
す格好の事例であったと言える。このユーロ圏における安定と不安定の分析も次節において行うも
のとする。これは日本の財政余裕度を推し量る上でも非常に有用な分析と言えよう。
17
18
http://databank.worldbank.org/data/home.aspx
日本経済新聞 電子版「CDS、ギリシャ国債に発動
78
債務不履行の損失保証 」2012/3/10
参照
4-3.財政余裕度の指標の検討
4-3-1.国連報告書における財政余裕度の 5 指標について
国際連合の機関の一つ、国連開発計画(UNDP)が 2011 年 10 月に公表した貧困解消(Poverty
Reduction)をテーマにした報告書[12]に、
「経済の回復と財政の許容能力(Economic Resilience and
Fiscal Capacity)
」という章があり、経済危機において政府が財政赤字を増やして危機に対処する
ことがいかに重要かということを指摘している。
経済危機、つまり景気が悪化したときには税収が低下する。そして、多くの途上国に共通するの
が、その税収が低下したときに政府が借金をすることが困難になり、政府が必要な対策を打てなく
なるという点である。
この国連報告書では、景気の悪化、税収の低下とともに政府の歳出も減らし、景気拡大・税収増
大のときに政府の歳出も増やす、というような財政のあり方を「循環追従的(procyclical)」とい
う形容詞を用いて表現し、逆に、景気・税収の方向と正反対の方向で歳出を増減させるような財政
のあり方を「反循環的(countercyclical)」という形容詞を用いて表現している。
一方、本論文の第2章や第3章で論じたような「正と反の経済学」の枠組みにおいて、木下[18]
は自律的に債務と支出の拡大を行う「正」の振る舞いをする場合の企業を「企業」、債務と支出を
縮小する「反」の振る舞いをする場合の企業を「反企業」と呼び、それに対応して、債務と支出を
縮小する「正」の振る舞いをする場合の政府を「政府」、債務と支出を拡大する「反」の振る舞い
をする場合の政府を「反政府」と呼んでいる。
図表 4-17 にこの国連報告書と木下の「正と反の経済学」の政府財政に関する表現の関係をまと
めておく。
政府財政のあり方についての
国連報告書[12]と木下[18]の表現の比較
経済状況
反
の
経
済
正
の
経
済
景気↘
税収↘
景気↗
税収↗
財政
歳出↘
歳出↗
歳出↗
歳出↘
国連報告書
の表現
[12]
循環追従的
procyclic
反循環的
countercyclic
循環追従的
procyclic
反循環的
countercyclic
[18]
木下
の
表現
成否
政府
☓
反政府
◯
反政府
☓
政府
◯
図表 4-17 政府財政のあり方についての国連報告書[12]と「正と反の経済学」
(木下[18])の表現の比較
79
経済危機で税収が低下したときにも景気の悪化を食い止め、反循環的に、あるいは、「正と反の
経済学」でいう「反政府」として危機を脱却するために重要になって来るのが財政の許容能力、余
裕度(fiscal capacity)である。上記の国連報告書においては、
「マクロ経済と債務の安定性を危険
にさらすことなく、高水準の財政赤字を許容できるかどうか」を見るための指標であり、財政許容
度の研究によく使われている典型的なものとして以下の 5 つを挙げている:
① 財政収支(政府の。
The Fiscal Balance)
② 対外債務(政府だけでなく、民間を含めた国全体の外貨建て債務。 External Debt)
③ 経常収支(The Current Account Balance)
④ 総貯蓄率(国民総貯蓄 GDP 比。 Gross Savings Rate)
⑤ 外貨準備高(Official International Reserves)
以下、各指標について簡単に説明し、筆者独自の評価を提示しておきたい。なお、この国連報告書
に挙げられた5指標のなかに公的債務 GDP 比が含まれていないことは、特筆に値するだろう。
① 財政収支(政府の)
前節でも触れたように 97 年のアジア通貨危機で IMF の支援を受けなければならないほど
の危機に陥った韓国やタイは直前まで政府が財政黒字であったし、08 年に国家破綻したアイ
スランドも直前まで 4 年連続で政府が財政黒字であった。政府財政が黒字であったからとい
ってマクロ経済が安定するわけではない。改めて、政府の財政収支が黒字であった直後に経
済危機が発生した事例を図表 4-18、図表 4-19 に示す。
図表 4-18 経済危機発生前後の各国の一般政府財政収支 GDP 比
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.47 プレゼン 11
データ出典:IMF WEO
80
図表 4-19 1929 年大恐慌前後のアメリカ連邦政府の財政収支および債務残高
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.45 プレゼン 10
データ出典:連邦政府財政収支:Office of Management and Budget, the White House (OMB)、
米国の主な公的債務残高:Bureau of the Public Debt, U.S. Department of the Treasury
財政収支については、他の指標が同じであったなら、赤字が小さいか黒字である方が「よ
り余裕度が高い」
、という程度のものと考えて良いだろう。財政収支は決定的な要素ではなく、
他の指標に従属的な位置にある指標と捉えるべきものと考えられる。
ただし、図表 4-18、図表 4-19 において各国政府が財政黒字であったのは、危機発生直
前まで「正の経済」が継続し、民間部門が債務拡大と支出拡大を行う「正」の振る舞いを続
けていたことに呼応して、政府が「正」の振る舞い、つまり債務最小化を目標に行動してい
た――国連報告書の表現で言えば反循環的に振る舞っていた――ことの表れとも言える。よ
って、これらの事例における政府の財政黒字は、政府による適切な行動の結果と考えること
もできる。景気拡大・税収増大のときは政府が反循環的で「正」の振る舞い、つまり緊縮財
政をするにも議会で可決されやすく、政府は適切な行動を取りやすいと考えられる。しかし、
景気縮小・税収減少の際には、ほかの財政余裕度の指標が良好であったとしても、政府が反
循環的で「反」の振る舞い、つまり財政拡大をするには議会で予算が通りにくいために、政
府が適切な行動を取ることが困難になりがちになるという問題もあるだろう。
② 対外債務(政府だけでなく、民間を含めた国全体の外貨建て債務)
国連報告書では世界銀行データベースの対外債務のデータを使って議論を展開している。
その世界銀行データベースの対外債務の定義は既に 78 頁で確認したように、政府のみなら
81
ず民間を含めた国全体の外国(非居住者)に対する債務で、しかも、自国通貨建てではなく
外貨建ての債務となっている。
アジア通貨危機の韓国やタイ、そして 08 年に国家破綻したアイスランドは、4-2-4
で述べたように、政府ではなく民間の外貨建て債務が問題を引き起こした――アイスランド
は国有化した民間銀行の外貨建て債務の不履行だった――のであるから、外貨建ての債務こ
そが非常に重要な要素と考えられる。
これに関連して財政学の権威であるハーバード大学のケネス・ロゴフ教授らの著書『国家
は破綻する』[13](p.185)では、政府の「国内債務不履行」の事例が多数挙げられているが、
これは「自国通貨建て債務でも破綻するリスクが高い」ということを意味するものとは言え
ない。というのは、この書籍における「国内債務」とは、自国通貨建て債務に限定していな
いからだ。
この書籍において挙げられている 70 件の「国内債務不履行」の事例のうち、データが比
較的入手しやすい 1970 年以降の 42 件について筆者が調査[19]したところ、大半は(1)内戦や
外国からの侵攻などの情勢不安(25 件)や、(2)外貨建て債務もしくは共通通貨などの実質外
貨建て債務(13 件)が原因であった。そして、残り少数が(3)激しいインフレへの対応(4 件)
となっている(図表 4-20、図表 4-21)
。どのケースも現在の日本とは程遠い状況であると
言えるだろう。なお激しいインフレへの対応のための国内債務不履行について『国家は破綻
する』[13](p.191)にこうある:
「なぜ政府は、インフレで問題を解決できるときに、わざわざ国内債務の返済を拒否する
のだろうか。言うまでもなく一つの答えは、インフレがとくに銀行システムと金融部門
に歪みを生じさせるから、というものである。インフレという選択肢があっても、支払
い拒絶の方がましであり、少なくともコストは小さいと政府が判断することもある」
インフレで解決できる債務とは、国内債務であってもシニョレッジで対応できる自国通貨
建て債務に限られる。あるいは、対外債務でも、自国通貨建て債務であれば、インフレさえ
許容範囲にあるならばシニョレッジで対応できるはずである。ラインハートとロゴフはこの
『国家は破綻する』において、シニョレッジで対応できる自国通貨建て債務と、外貨建て債
務も含まれる「国内債務」を混同しているものと思われる。例えば、図表 4-20、図表 4-21
において、
「国内債務」の債務不履行の事例のなかに国内銀行における外貨建て預金の預金封
鎖のような事例が複数見受けられる。政府財政について議論する際によく引き合いに出され
るこの書籍については、この点においてよくよく注意する必要がある。
これに関連して、IMF における「対外債務 External Debt」の定義は
“Financial obligations to a creditor who is not a resident of the debtor's country”
「借り手の国の居住者でない者が貸し手であるところの金融債務」
となっている19。世界銀行の定義にある「外国通貨建て in foreign currency」が IMF の定義
にはない。IMF の国内債務・対外債務の定義は、ラインハートとロゴフの国内債務・対外債
務と同じく貸し手の居住地だけで区別するものであり、世界銀行の対外債務のような貸し手
が非居住者かつ外貨建てという定義とは異なっている。このような用語の定義の違いがある
ことが、財政余裕度の議論を混乱させる大きな要因の一つとなっているかも知れない。
19
http://www.imf.org/external/np/exr/glossary/showTerm.asp#94
82
参照
図表 4-20 ラインハートとロゴフの著書『国家は破綻する』表 7.4
デフォルトまたは再編事例(1974~2008)
”42 件の補足(その1)
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.255
83
“国内債務の
図表 4-21 ラインハートとロゴフの著書『国家は破綻する』表 7.4 “国内債務のデフォルトま
たは再編事例(1974~2008)”42 件の補足(その 2)
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.254
84
ラインハートとロゴフのいう「インフレという選択肢」と「支払い拒絶」を選択し得る
のは、シニョレッジで対応し得る自国通貨建て債務に限られると考えらえる。外貨建ての
債務について自国通貨の増発によって返済することはできないからだ。また、自国に独自
の通貨発行権限のない共通通貨を採用している場合も当然、シニョレッジで対応できない。
そうすると債務の内外区別というものは、債権者が居住者か非居住者かで分けるべきもの
ではなく、シニョレッジで返済することが可能か否かで分けるべきであろう。よって本論
文では、国内債務・対外債務という分け方ではなく、債務の内外区分をシニョレッジで対
応できる通貨建てかどうかで分けることを提案し、シニョレッジで対応できる債務を「シ
ニョレッジ対応可能債務」、そうでない債務を「非シニョレッジ対応可能債務」と呼ぶも
のとする。もちろん、この概念は公的債務と民間債務を合計した債務の概念である。
図表 4-22 にラインハートとロゴフの著書[13]、IMF、世界銀行の国内債務・対外債務
と、本論文における「シニョレッジ対応可能債務」、
「非シニョレッジ対応可能債務」の関
係をまとめておく。なお、「国内債務」という用語はラインハートとロゴフの著書[13]にお
いて、民間を含まない公的国内債務(domestic public debt)であるが、図表 4-22 では
公的債務か民間債務かは問わないものとする。また、IMF や世界銀行のデータベースや用
語集において国内債務(domestic debt
あるいは
internal debt)という用語は現れな
い。
ラインハートとロゴフの著書 [13] やIMFの債務の内外区分
債務の通貨種
独自通貨
共通通貨
外国通貨
国内債務
国内
債権者の居住地
対外債務
国外
財・サービス
世界銀行の債務の内外区分
独自通貨
債務の通貨種
共通通貨
外国通貨
国内
債権者の居住地
国外
財・サービス
対外債務
本論文提案の債務の内外区分
債務の通貨種
独自通貨
共通通貨
外国通貨
財・サービス
国内 シニョレッジ
非シニョレッジ
債権者の居住地
国外 対応可能債務
対応可能債務
図表 4-22 ラインハートとロゴフの著書[13]、IMF、世界銀行および本論文提案の
債務の内外区分の違い
85
「シニョレッジ対応可能債務」の問題しかない場合、政府が「支払い拒絶」の選択を強い
られる可能性があるのはインフレ率が高過ぎる場合に限られることとなるだろう。
なお、図表 4-20、図表 4-21 の「国内債務」の 42 件の破綻事例において筆者調査によ
り「インフレ対応」のための破綻事例と判定した4件のうち、ブラジルの2件(1986~87、
1990)については 1983 年に、ジンバブエ(2006)については 2000 年に「対外債務」不履
行が先行して発生20している。これらの「対外債務」不履行は、
「非シニョレッジ対応可能債
務」の破綻であると考えられる。よって、このブラジル 2 件とジンバブエ 1 件のインフレ対
応型の「国内債務」破綻は、
「非シニョレッジ対応可能債務」の破綻に伴う通貨価値の急落に
よって誘発されたインフレに対応するため、という要素も含まれる可能性がある。
そうすると、純粋なインフレ対応型の「国内債務」破綻事例は、42 件の「国内債務」破綻
事例のうち、モンゴル(1997~2000)のわずか 1 件であったと考えられる。しかし、そのモ
ンゴルの「国内債務」破綻直前 3 年間の平均インフレ率が 28%(図表 4-21 参照)とかなり
高い水準であったことも注目に値するだろう。2000 年から 2013 年の先進国におけるインフ
レ率(年間)の最大値は、2008 年ラトビアの 15.3%に過ぎない21。
③ 経常収支
74 頁の式(4-21)と脚注 15 に示していることをまとめると、以下の関係が成り立つ:
経常収支+資本収支=金融純資産フローの国内部門合計
(4 − 24)
また、金融純資産フローの国内部門合計は 58 頁の式(4-16)における𝐹𝑡𝐺𝑁 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 であるから、
金融純資産フローの国内部門合計 = 𝐹𝑡𝐺𝑁 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 = −𝐹𝑡𝐹𝑁
(4 − 25)
である。ここで、𝐹𝑡𝐹𝑁 は海外部門の金融純資産フローであり、その符号を反転させれば金融
純資産フローの国内部門合計ということになる。
さらに、一般的に経常収支≫資本収支であるので、ここでは資本収支を敢えて無視するこ
ととした上で、式(4-25)を式(4-24)代入すると、
経常収支 ≅ 𝐹𝑡𝐺𝑁 + 𝐹𝑡𝑃𝑁 = −𝐹𝑡𝐹𝑁 (4 − 26)
となる。また、金融純資産フローは財政収支と言い換えてよい概念のものである。よって、
経常収支とは、政府と民間を連結決算した場合の国全体の財政収支と言うべきもであると言
える。既に繰り返し述べているように韓国やタイ、アイスランドが政府財政黒字であったに
もかかわらず危機に陥ったのは政府の財政が「良好」であった反対側で民間債務が膨らんで
いたことが原因である。それゆえ、政府の財政収支よりも、政府と民間を合わせた財政収支
というべき経常収支のほうが、財政余裕度の指標としてより一層重要であると考えることが
できるだろう。
端的に表現すると、
「経常収支の黒字が続くと国全体の貯金が貯まり、経常収支の赤字が続
くと国全体の借金が貯まる」ということが言える。この経常収支に着目するとユーロ危機に
ついて非常に興味深い結論を導くことができるが、それについてはまた後ほど、5 つの指標
をひと通り検討したあとで述べることとする。
文献[13]の表 6.3、表 6.4 参照
IMF WEO Apr. 2014 で「Advanced economies」に分類される 36 ヵ国の「Inflation, average consumer
prices - Percent change」の 2000 年から 2013 年におけるデータの最大値
20
21
86
④ 総貯蓄率(総国民貯蓄 GDP 比)
総貯蓄(国民総貯蓄)とは 74 頁の式(4-20b)
国内部門貯蓄𝑆=国内部門投資𝐼+経常収支
で示される国内部門貯蓄 S のことである。
また、
総貯蓄率とはこの総貯蓄を国内総生産(GDP)
で除したものである。投資は資本ストック形成であり、経常収支は純輸出+海外からの所得
(純)であるから、総貯蓄率を別の言葉で表現すれば、
「GDP のうち、将来において稼ぎを
得るための投資に回している金額と現在において海外から稼いで来ている現金収入の金額が
占める割合」ということになる。つまり、国全体としての当面の余裕度合いの目安であると
言える。
総貯蓄率はインフラ整備が盛んな発展途上国ほど高く、成熟している先進国ほど低くなる
傾向がある。しかし、途上国の中でも大きな対外債務を抱える重債務貧困国は低くなってお
り、まさに財政余裕度が小さくなっているということがうかがい知れる。また、総貯蓄率は
経常黒字国ほど高く、経常赤字国ほど低くなる傾向がある。日本は最近では低下してきてい
るとはいえ、先進国の中では高い水準(高所得国平均より高い水準)になっており、この点
からもやはり日本の財政余裕度が高いということが分かる。また、ユーロ圏において 08 年
のリーマンショック以降でも安定しているドイツが高く、最大の危機に陥ったギリシャが非
常に低くなっていることもこの指標の特徴である(図表 4-23)
。
なお、「総貯蓄率は経常黒字国ほど高く、経常赤字国ほど低くなる傾向がある」のであり、
「先進国ほど低くなる傾向がある」ということを踏まえれば、財政余裕度の指標としての重
要度は経常収支よりも低いと言えるだろう。というのは、先進国の総貯蓄率が低くなる傾向
があるのは、総投資率が低くなる傾向があるからであるが、先進国は発展途上国よりも一般
的に財政余裕度が高いと考えられるので、総投資率が即座に財政余裕度と結びつくわけでは
ないと考えられ、総投資率の構成要素のうち総投資率を除く経常収支のほうが財政余裕度の
指標としての比重が重いと考えらえれるからである。
総貯蓄率推移(2005-2012)
35%
低所得+中所得国平均
30%
ドイツ
25%
日本
20%
世界平均(加重平均)
15%
高所得国平均
重債務国平均
10%
アメリカ
5%
ギリシャ
0%
2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
図表 4-23 各国の総貯蓄率推移
データ出典:世界銀行データベース
World Development Indicators - Gross savings (% of GDP)
87
⑤ 外貨準備高
これは財政収支(政府の)と同様、他の指標が同じであれば高いに越したことはないとい
う程度のものであり、他の指標に対して従属的な指標であると考えられる。
図表 4-24 に 97 年のアジア通貨危機直前、96 年の状況を示す。マレーシアやタイは外貨
準備高の GDP 比が非常に高く世界平均(加重平均)7%の 4 倍や 3 倍という水準であったが、
半年で対ドル為替レートが半分に急落、危機に陥った(図表 4-25)
。
一方、当時の外貨準備高が世界平均以下であった日本やオーストラリアは危機に陥ること
がなく、特に日本はこれらの危機に陥った国をむしろ積極的に援助する立場にあった、つま
り財政余裕度が高かったと言える。
外貨準備高は政府や中央銀行など通貨当局の保有する外貨建て金融資産であるが、これは
政府と民間を合わせた国全体の対外資産(金融資産)の部分集合に過ぎない。経常赤字が累
積している場合、式(4-26)から国全体で金融純負債が累積していることが示唆される。その
場合、国全体において「対外金融資産<対外債務」となる。当局がどれだけ大きな外貨準備
高を保有していたとしてもそれは国全体の対外金融資産の部分集合に過ぎないから、国全体
でそれ以上の対外債務――途上国の場合、それは往々にして非シニョレッジ対応可能債務―
―を積み上げていることになる。よって、一般的に外貨準備高は経常収支に対して従属的な
指標としかなり得ないものと考えられる。
なお、為替レートが急落したからと言ってそれだけで危機となるわけではない。オースト
ラリア・ドルはリーマン・ショックの前後、08 年 7 月末から 10 月末にかけて、わずか 3 ヶ
月で対米ドルレートが3割も急落した22が、それによって「危機だ!」と騒がれることはな
かった(70 頁参照)。というのはオーストラリアの債務は政府や民間ともに基本的には自国
通貨建て――シニョレッジ対応可能債務――であったからだ。そこがアジア通貨危機のマレ
ーシアやタイとの大きな違いである。
図表 4-24 アジア通貨危機直前の外貨準備高 GDP 比と一般政府財政収支 GDP 比
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.152 プレゼン 42
データ出典:外貨準備高 GDP 比は世界銀行 WDI から計算、
一般政府財政収支 GDP 比は IMF
WEO
FRB Federal Reserve Statistical Release - Foreign Exchange Rates - H.10 - Historical Data の米ドル
/豪ドルレートより(2008 年 7 月末=0.9415→2008 年 10 月末=0.6574)
22
88
1999年1月
1998年1月
1997年1月
1996年1月
1995年1月
1994年1月
1993年1月
1992年1月
1991年1月
0.45
0.40
0.35
0.30
0.25
0.20
0.15
0.10
0.05
0.00
1990年1月
1999年1月
1998年1月
1997年1月
1996年1月
1995年1月
1994年1月
1993年1月
1990年1月
0.050
0.045
0.040
0.035
0.030
0.025
0.020
0.015
0.010
0.005
0.000
1992年1月
タイ・バーツの対米ドル為替レート
(1990-1999)
1991年1月
[米ドル/マレーシア・リンギット]
[米ドル/タイ・バーツ]
マレーシア・リンギットの対米ドル為替レート
(1990-1999)
図表 4-25 アジア通貨危機前後のマレーシアとタイの通貨為替レート(対米ドル)
データ出典:FRB Federal Reserve Statistical Release - Foreign Exchange Rates H.10 - Historical Data の RINGGIT/US$、BAHT/US$の各データの逆数を計算
また、図表 4-24 右側に示したように危機に陥ったマレーシアやタイは財政黒字、それとは逆に
安定していた日本やオーストラリアは財政赤字であった、ということにも留意すべきであろう。こ
の図表 4-24 は外貨準備高や財政収支が財政余裕度を見る上であまり重要とはいえない、従属的な
指標であるということを示唆している。
以上、国連報告書に代表的な政府財政の許容度として挙げられていた 5 つの指標について説明した。
それぞれの指標の重要性についての本論文における評価をまとめると以下のようになる:
極めて重要な決定的指標:対外債務(外貨建て)、経常収支
比較的重要な指標:総貯蓄率
あまり重要でない従属的指標:財政収支(政府の)、外貨準備高
89
4-3-2.ユーロ債務危機(=非シニョレッジ対応可能債務危機)の明暗を分けた経常収支
前項で筆者は、対外債務(外貨建て)と経常収支の 2 つが政府財政の余裕度を見るための「極め
て重要な決定的指標」とした。そして、これら 2 指標がいかに重要かを示す格好の材料が 2008 年
以降に顕在化したユーロ債務危機であった。
ユーロは共通通貨であり、ユーロ加盟各国には独自の通貨発行権がない。よって、ユーロ圏の国々
はその抱える債務が、ドル建てであろうとユーロ建てであろうと、対外債務であろうと国内債務で
あろうと、実質的には全てが外貨建て債務――より本質的な分類をするならば、本論文で提案して
いる非シニョレッジ対応可能債務――となっている。そして、そのユーロ圏諸国において経常収支
が赤字だったかどうかが危機に陥ったかどうかを鮮明に分けている(図表 4-26)。
図表 4-26 ではアメリカのリーマン・ショックが起こった年でもあり、スペインやアイルランド
で不動産バブルの崩壊が始まった年でもある 2008 年の経常収支が、黒字であった国を「勝ち組」
、
赤字であった国を「負け組」と分類している。
ユーロ導入前は「勝ち組」の経常収支合計と「負け組」の経常収支合計の間にほとんど開きがな
かった。それどころか、
「負け組」諸国は経常黒字であって、しかも「勝ち組」諸国の黒字を上回
っていた。
図表 4-26 ユーロ圏諸国における経常黒字国と経常赤字国の経常収支
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.155 プレゼン 43
データ出典:IMF WEO データより計算
90
しかしながら、99 年のユーロ導入後は大きく差が開いていったのである。それぞれの国で独自
通貨を採用していたときは、国境をまたいで資金を貸し借りすることは、常に為替リスクが付きま
とうためにためらいが生じ、それによって各国の経常収支は黒字か、経常赤字であっても小さい水
準に留まっていたと思われる。しかし、ユーロという共通通貨の導入によりその為替リスクがなく
なり、極めて容易に国境を超えて資金を貸し借りすることが――ドイツ人は簡単にギリシャ国債を
買えるし、スペイン人は気軽にオランダの銀行でローンを組める、という具合に――可能となった
がゆえに、経常黒字国の黒字が拡大し、経常赤字国の赤字が拡大したと考えられる。
経常収支というのは、端的には式(4-26)で示されるように、政府と民間を合わせた国全体を連結
決算した財政収支を意味する。経常収支の赤字というのは国全体の赤字であって、国全体で海外か
ら借金していることを意味する。そして経常赤字の拡大は海外からの借金依存が高まったことを意
味する。逆に、経常黒字は国全体で見て外国へ貸付けしていることを意味する。よって、ユーロ導
入を境に「負け組」の経常赤字と「勝ち組」の経常黒字が同時に拡大したということは、
「勝ち組」
が「負け組」にどんどん貸し込んでいったということを意味し、これによって経常赤字国は必要以
上に借金を増やしてゆき、典型的バブル経済が形成されたものと考えられる。
そして非常に興味深いことに PIIGS と称されるユーロ圏の債務危機国、ポルトガル、アイルラ
ンド、イタリア、ギリシャ、スペインは全てこの「負け組」に所属していた。それは、長期金利(10
年物国債の利回り)の状況にも反映されている(図表 4-27)
。
長期国債利回り(2011年12月)
21.14%
ギリシャ
13.08%
ポルトガル
8.70%
アイルランド
キプロス
7.00%
スロベニア
6.90%
イタリア
6.81%
リトアニア
5.75%
スペイン
5.53%
スロバキア
5.21%
ユーロ圏平均
4.53%
マルタ
4.43%
ベルギー
4.35%
「負け組」
=08年経常赤字国
「勝ち組」ほど金利
が低く「負け組」ほ
ど金利が高い
3.16%
フランス
3.10%
オーストリア
フィンランド
2.52%
オランダ
2.38%
ルクセンブルク
2.27%
ドイツ
1.93%
0%
「勝ち組」
=08年経常黒字国
10%
20%
30%
図表 4-27 ユーロ圏各国の 10 年物国債利回り(ギリシャ長期国債の利回りが 2008 年 9 月~
2014 年 8 月までの最大値を記録した 2011 年 12 月における比較)
データ出典:Eurostat - Long term government bond yields %
91
ユーロ圏諸国においてはすべての債務が非シニョレッジ対応可能債務である。そのユーロ圏にお
いて、経常黒字が続いているドイツやオランダ、フィンランドといった国々は非常に安定的である
のに対し、経常赤字が続いていた PIIGS 諸国が見事に危機に陥ったのである。
以上見てきたように、このユーロ危機においては
(1) 共通通貨は下手をするとバブル経済形成を助長し、危機を増幅させやすい
(2) 大きな非シニョレッジ対応可能債務は危険である
(3) 非シニョレッジ対応可能債務が大きくても経常黒字が続いていると安定的でいられる
といったことが言えるだろう。
4-3-3.日本の政府財政がリーマンショック後の世界的危機の中で極めて安定していた理由
前項で、2008 年のリーマンショック後、2010 年前後に生じたユーロ圏の債務危機において、ド
イツやオランダが安定しているのは経常収支が黒字を続けていたからだと述べた。一方、一般的に
経常赤字が続けば必ず危機になるかというと決してそうではない。オーストラリアやニュージーラ
ンドは 30 年を超えて経常赤字を続けているが、少しも「債務危機」を取りざたされない。それは
両国の借金がシニョレッジ対応可能債務であるからだと考えられる。
ここで、主要先進国23およびユーロ圏諸国につき、リーマンショックが生じた 2008 年直前 3 年
間の経常収支が黒字だったかどうか、債務が主としてシニョレッジ対応可能債務のみだったかどう
か、そして、2008 年以降 2013 年までに政府債務危機とならなかったかどうか、ということを図表
4-28 に簡易な表現を用いてまとめておいた。
経常収支の黒字が続くということは、式(4-26)から、対外純資産(国内部門の金融純資産)が増
加を続けることが示唆される。実際のところ、経常黒字が続く日本やドイツにおいては図表 4-2、
図表 4-3 で示すように、対外純資産はプラスであり、かつ、増加を続けていた。この点において
日本は、仮にドイツのように負債がすべて非シニョレッジ対応可能債務であったとしても、リーマ
ンショック後の数年間において安定を続けていた可能性が高い。
また、日本には非シニョレッジ対応可能債務の問題がないと考えられるため、同じく非シニョレ
ッジ対応可能債務の問題がないと考えられる米国、英国、オーストラリア、ニュージーランドのよ
うに経常赤字が続き、対外純資産がマイナスであったとしても、リーマンショック後の数年間にお
いて安定を続けていた可能性が高い。
つまり、日本は少なくとも 2013 年までにおいて、①経常黒字が続いていたことと、②非シニョ
レッジ対応可能債務の問題がなかったこと、という二重の意味で安定性が高い状態であったと言え
る。つまり、政府の財政余裕度は本来、極めて高い状態であったと考えられる。
しかしながら、第二次石油危機の影響を脱して経常収支の黒字を回復した 1981 年以来 2013 年
まで、通年では一度も経常赤字とならなかった日本も、2014 年以降は通年で経常赤字となる可能
性が出て来た(図表 4-29)。リーマンショックの影響で減少していた経常黒字はその後、回復傾
向を続けていたが、2011 年 3 月の関東大震災以降、再び減少傾向に転じ、2014 年 6 月における
12 ヵ月間累計額――つまり、2014 年 6 月までの一年間の経常収支――が、財務省統計でさかのぼ
れる 96 年 12 月以来、初めての赤字となっている。今後、日本では経常赤字が、少なくとも当面
23
ここで「主要先進国」とは、G7、アイスランド、オーストラリア、スイス、スウェーデン、デンマーク、
ニュージーランド、ノルウェーの各国を指すものとした(ユーロ圏除く)。
92
経常黒字?
借金が主に
シニョレッジ
対応可能債務?
☓
☓
05年~07年
アイスランド
/PIIGS諸国
※
/キプロス
(3年連続赤字)
フランス等ユーロ圏の経
常赤字国(PIIGS、キプ
ロス以外の)
(3年連続赤字)
ドイツ等
ユーロ圏の
経常黒字国
(3年連続黒字)
米国/英国
/豪州/NZ
(3年連続赤字)
☓
☓
日本/スイス/カナダ
◯
/スウェーデン
/ノルウェー
/デンマーク
(3年連続黒字)
安定?
債務危機
☓☓
△(国債金利がユーロ
☓
◯
08年~13年
圏経常黒字国と危機国
の中間)
☓
安定
◯
◯
安定
◯
◯
安定
◎
※キプロスは2012年、預金封鎖を実施した(共同通信 2013/03/16 記事参照)。キプロスは
ユーロ圏なので民間+政府の債務はすべて非シニョレッジ対応可能債務であったと言える。
図表 4-28 リーマンショック前後の主要先進諸国およびユーロ圏諸国における経常収支、
債務内外区分、経済の安定度合いの簡易比較表
データ出典:経常収支は IMF WEO Apr. 2014。ユーロ圏国債金利は図表 4-27 参照。なお、
「シニョレッジ対応可能債務」や「非シニョレッジ対応可能債務」について明確な統計は存
在しないが、アイスランドやユーロ圏諸国については第 4 章でこれまで示してきたとおり明
白に判定できる。それ以外の主要先進国については政府+民間の債務が主に「シニョレッジ
対応可能債務」のみで構成されると仮定している。
[億円]
日本の経常収支(12ヵ月累計額)の推移
300,000
2011年3月
東日本大震災
250,000
200,000
150,000
100,000
50,000
2013年12月
2012年12月
2011年12月
2010年12月
2009年12月
2008年12月
2007年12月
2006年12月
2005年12月
2004年12月
2003年12月
2002年12月
2001年12月
2000年12月
1999年12月
1998年12月
1997年12月
-50,000
1996年12月
0
図表 4-29 日本の経常収支推移(12 ヵ月累計額)
データ出典:財務省「国際収支状況-Ⅰ.国際収支総括表-6s-1-4 月次」のデータから計算
93
の間は継続する可能性が高い。
今後の日本の政府財政余裕度について検討するには、「経常赤字であるが非シニョレッジ対応可
能債務の問題のない場合」について政府財政余裕度を評価するための指標を検討する必要があるも
のと考えられる。そのための指標として筆者は
①インフレ率
②国内民間部門の財政収支
③購買力平価に基づく為替レートの割高/割安率
④格差指標(ジニ計数、相対貧困率、上位 10%所得者の所得占有率)
の4指標を候補に挙げ、次項で検討を行いたい。
4-3-4.経常赤字であるが非シニョレッジ対応可能債務の問題のない場合における財政余裕度
の指標の検討
①インフレ率
82 頁で述べたように、シニョレッジで対応できる債務問題しかない場合、政府はインフレと
いう選択肢を採用し得るが、インフレによって生じる金融システムの歪みのコストを考えれば、
債務の履行を拒絶したほうが良いと考える場合があり得るだろう。ジョーンズの教科書[5]には次
のような記述がある:
「ニューヨーク大学教授のトーマス・サージェント(Thomas Sargent)はミルトン・フ
リードマン(Milton Friedman)の言葉を変えて、
『長く続く高いインフレは常にどの場
合でも財政的な現象である』
(ここで財政(fiscal)は政府の歳出、歳入、債務と関係す
る語句である)と述べたのである。インフレの原因は中央銀行が通貨を印刷しすぎるか
らだというフリードマンの言葉は正しいが、サージェントはなぜ政府がその事態を許す
のかを教えてくれる」
そうであるならば、インフレ率が低いほど、政府が債務を増発し、財政支出を拡大する余地が
大きいということになるはずである。
日本のインフレ率は、少なくとも 2013 年までは世界の中でもかなり低い水準である(図表
4-30、図表 4-31)
。よって、日本の政府財政余裕度はこの点においてもかなり高い水準である
ということができるだろう。
ここでインフレ率が負である場合の危険性、つまりデフレの危険性について触れておきたい。
実質利子率𝑅𝑡 は、名目利子率を𝑖𝑡 、インフレ率を𝜋𝑡 とすると、近似的には
𝑅𝑡 = 𝑖𝑡 − 𝜋𝑡
(4 − 27)
で計算される。インフレ率𝜋𝑡 が負となるデフレの状況下においては、実質利子率𝑅𝑡 が大きくなり、
民間の債務拡大と支出拡大、つまり、民間主導の経済成長が阻害されることになる。仮にインフ
レ率𝜋𝑡 がマイナス 2%、資本の限界生産物24が 1%である場合、中央銀行は名目利子率𝑖𝑡 をゼロ以
下にできないのであるから、𝑖𝑡 が 0 であっても「𝑅𝑡 = −𝜋𝑡 = 2% > 資本の限界生産物 = 1%」と
なってしまうため、
「企業と家計は投資することを望まない」状況となり、少なくとも従来的な
「資本の限界生産物」とは、資本を 1 単位追加的に投入した場合に得られる産出の増加分のこと[5]。実質
ベースの利益率というべき概念。
24
94
金融政策の効果は低くなる[6]。図表 4-31 に示すように、日本のインフレ率は 1998 年~2011 年
の 14 年間のうち 9 年がマイナスとなるデフレ状況下、すなわち金融政策が効果を挙げにくい状
況にあり、かつ、図表 4-14、図表 4-15 に示されるように政府が支出をほとんど増やさなかっ
たがために、第3章の Figure 3-12 で示すように「反の経済」の状況を抜け出すことができなか
ったと解釈することもできるだろう。本来、上述のように非シニョレッジ対応可能債務の問題が
なく、かつ、低インフレあるいはデフレならば政府の財政余裕度が高い状態であるはずであり、
理論的には、日本政府はもっと財政拡大をすべきであり、また、可能であったはずだと考えられ
る。
図表 4-30 日本のインフレ率の世界における位置付け(その1)
出典:廣宮孝信著「日本経済のミステリーは心理学で解ける」p.85 プレゼン 1-17
データ出典:IMF WEO Apr. 2014
図表 4-31 日本のインフレ率の世界における位置付け(その2)
出典:廣宮孝信著「国債を刷れ!〔新装版〕」p.57 図表 16
データ出典:IMF WEO
95
②国内民間部門の財政収支
57 頁の式(4-11b)で示唆されるように、政府が財政黒字になれば、民間が財政赤字になる可
能性が高い。そして、民間は政府と比べて、財政赤字に対する耐性が弱いものと考えられる。
というのは、一般政府(中央政府+地方政府+社会保障基金)はほぼ単一の巨大な経済主体で
ある上に徴税権、通貨発行権その他の強制的権力を持つのに対し、民間は互いに独立した小さ
な経済主体である上に徴税権、通貨発行権その他の強制的権力を持たないからである。民間の
財政収支については、日本ならば日本銀行の「資金循環統計」、アメリカならば FRB の
「Financial Accounts of the United States」
、その他の先進国ならば OECD.StatExtra の
「National Accounts – Financial Accounts」などで、国内民間部門の金融純資産フローの合
計値を求めればよいことになるが、これらのデータベースでカバーできる国数はかなり少ない。
一方、86 頁の式(4-26)から、民間の金融純資産フロー(民間の財政収支)𝐹𝑡𝑃𝑁 は、経常収支
と政府の金融純資産フロー(政府の財政収支)𝐹𝑡𝐺𝑁 から簡易的に
𝐹𝑡𝑃𝑁 ≅ 経常収支 − 𝐹𝑡𝐺𝑁
(4 − 28)
のように計算することができる。この式(4-28)のようにして民間の財政収支を計算することの
利点は、IMF データベース(IMF WEO)で 1980 年以降におけるかなり多くの国の経常収支
や一般政府財政収支のデータがそろっており、簡便かつ広範囲に民間の財政収支について推計
し、比較することが可能となるところにある。この簡易計算によって算出した民間の財政収支
につき、各国の危機発生前後±3 年における状況を図表 4-32 に示している。
なお、この図表において、ユーロ圏諸国の債務危機については 2008 年のリーマンショック
が起因と考えられるため、2008 年を危機発生年としている。また、韓国の 2008 年の「通貨危
機」は、70 頁で述べた、急激な通貨安によって「対外債務の返済が困難になるとの懸念」が
生じたとされることを指している。
危機発生前後の国内民間部門の財政収支GDP比
(「民間財政収支=経常収支-政府財政収支」による簡易計算)
-3年
アルゼンチン
ギリシャ
アイスランド
アイルランド
イタリア
日本
韓国
韓国
メキシコ
ポルトガル
スペイン
タイ
英国
米国
米国
-2年
-1年
-2.8% -0.1%
0.5%
-2.0% -5.4% -7.8%
-21.0% -31.9% -21.1%
-5.2% -6.5% -5.4%
3.6%
1.9%
0.3%
3.8%
2.2%
0.9%
-3.9% -6.5%
1.3%
0.3% -0.2%
-3.3% -6.0% -4.8%
-3.8% -6.9% -6.9%
-8.6% -11.3% -12.0%
-10.9% -10.6%
-5.4% -1.9%
1.6%
-2.0% -3.1% -4.8%
-1.5% -2.8% -1.4%
危機
危機
発生
+1年
+2年
+3年 発生
±0年
年
4.6% 24.9% 10.8%
4.6% 2001
-5.0%
4.4%
0.7% -0.3% 2008
-14.9% -0.7%
1.8%
0.6% 2008
1.7% 11.5% 31.7% 14.3% 2008
-0.2%
3.4%
0.9%
0.7% 2008
-0.3%
0.2%
2.3%
5.5% 1990
-4.1% 10.7%
4.0% -1.6% 1997
-1.3%
3.9%
1.2%
0.5% 2008
-5.0%
3.6%
4.5%
3.9% 1994
-8.9% -0.7% -0.7% -2.7% 2008
-5.1%
6.3%
5.1%
5.8% 2008
-0.4% 19.1% 19.1%
9.4% 1997
4.6%
6.2%
6.0%
4.9% 1992
-2.4%
0.6%
1.4%
0.3% 2001
2.4% 10.0%
9.0%
7.6% 2008
備考
対外債務不履行
債務危機
対外債務不履行
債務危機
債務危機
バブル崩壊
通貨危機
通貨危機
通貨危機
債務危機
債務危機
通貨危機
通貨危機
バブル崩壊
リーマンショック
図表 4-32 各国の危機発生前後の民間財政収支(簡易計算による)
データ出典:IMF WEO Apr. 2014 の “Current account balance” GDP 比データから
“General government net lending/borrowing” の GDP 比データを差し引くことで計算。た
だし、米国の一般政府財政収支 GDP 比のみ OECD.StatExtra の “National Accounts –
Annual National Accounts – General Government Accounts”の “Net lending (+)/Net
borrowing (-)”を IMF WEO の名目 GDP で除して計算
96
図表 4-32 を見ると、概ね危機発生以前は民間が赤字であり、危機後は赤字が縮小または黒字
化していることが分かる。このことからは、
a. 民間の財政赤字が危機発生の大きな原因の一つである
b. 民間の財政赤字は、政府の財政赤字ほどには継続しにくい
といったことが示唆される。
またここで、「例え非シニョレッジ対応可能債務の問題がない場合であっても、経常赤字は小
さいほうが好ましい」ことが正しいと仮定する。図表 4-32 の下から3つ目に示した英国の通貨
危機(92 年「ポンド危機」
)は恐らく経常赤字が続いているのに為替レートが割高過ぎると市場
から見られたことが原因と考えられるので、この仮定はそれほど的外れとは言えないだろう。と
いうのは、詳細は後述するが、当時の英国においては非シニョレッジ対応可能債務の問題はなか
ったと考えられるからだ。そうすると「非シニョレッジ対応可能債務の問題」があるなしに関わ
らず、経常収支の赤字は小さいか、黒字であることが好ましいことになる。このような前提にお
いて式(4-28)を検討すると、
「民間の財政収支が赤字のときは経常収支も赤字に振れやすいため、
政府の財政収支は黒字であることが好ましい」、
「民間の財政収支が黒字のときは経常収支も黒字
に振れやすいため、政府の財政収支は赤字になることが許容されやすい」ということが言えるだ
ろう。これを別の表現で言い換えると以下のようになる:
「民間が財政赤字で債務を拡大している場合は、政府はできるだけ財政黒字で債務を縮小すべ
きである。よって、民間の財政赤字が大きければ大きいほど政府の財政余裕度は小さくなる。
一方、民間が財政黒字で債務を縮小している場合は政府が財政赤字で債務を拡大することを
許容されるため、民間の財政黒字が大きければ大きいほど政府の財政余裕度は大きくなる」
このような観点からの政府財政余裕度の議論は、第2章、第3章で検討した「正と反の経済学」
の概念と非常に整合性が高いと言って良いだろう。
③購買力平価に基づく通貨割高(+)/割安(-)率
IMF のデータベース「World Economic Outlook (WEO)」では、米ドルを基準に算定した各国
の購買力平価(Purchasing Power Parity)に基づく為替レート(Implied PPP conversion rate)
のデータが掲載されている。これを以下「対米ドル PPP レート」と呼ぶことにする。
この対米ドル PPP レートは「各国通貨/ドル」の形で計算されており、
「各国通貨/ドル」で計
算された実際の為替レートが対米ドル PPP レートより小さければその国の通貨の為替レートは
ドルに対して「割高」
、実際のレートが対米ドル PPP レートより大きければその国の通貨の為替
レートはドルに対して「割安」と考えることができる。例えば、実際の日本円/ドルのレートが
80 円/ドル(1ドルあたり 80 円)で、対米ドル PPP レートが 100 円/ドルであれば、日本円
は「100÷80-1=+25%割高」ということになる。これは、別の言い方をすれば、1ドルあたり
80 円の為替レートは日米両国の物価水準を考慮すると、米国で 1 ドルで買える財やサービスの
量が 1 単位であれば、日本では 1 ドルで買える財やサービスの量が 0.8 単位しかないので日本円
の為替レートは割高である、という意味合いとなる。また、「世界中で一物一価であるべき」と
いう購買力平価の本来の考え方でゆくと、1 ドル 80 円の為替レートはもっと円安になって 1 ド
ル 100 円となるのが妥当だ、それゆえ円はドルに対して割高だ、という意味合いになる。
ここで世界が二つの国、A 国と B 国だけで構成されていると仮定する。A 国の為替レートが B
97
国より割高――B 国の為替レートが A 国より割安――であるとする。通貨が割高な A 国では、
自国産の財の購入が敬遠され、B 国産の財の購入が選好されるだろう。逆に、通貨が割安な B 国
では、自国産の財の購入が選好され、A 国産の財の購入が敬遠されるだろう。よって、通貨が割
高な A 国では B 国からの輸入が増え、B 国への輸出が減り、結果、純輸入が増え、恐らく経常
赤字が増えるだろう。逆に、通貨が割安な B 国では A 国からの輸入が減って A 国への輸出が増
え、結果、純輸出が増え、経常黒字が増えるだろう。
対米ドル PPP レートと実際の対米ドル為替レートから計算されるのは、あくまでも対米ドル
の割高/割安率である。対米ドル割高/割安率しか得られない場合には、例えば、目下世界最大
の経済大国である米国の通貨すなわち米ドルが、世界の通貨のなかで割高なのか割安なのかがま
ったく判然としないという欠陥が生じるし、他の国についても、「対米ドルで割安であるが時間
とともに割高の方向に推移している」ということは分かっても、世界全体のなかで本当にそのよ
うな位置づけなのかは分からない。そこで筆者は以下のような計算過程により、世界全体を上記
の為替が割高な A 国のグループと為替が割安な B 国のグループに分けるような基準(世界全体
における通貨価値の割高/割安率の基準)を計算し、各国ごとに通貨の割高/割安率を計算する
ことを提案する:
〔購買力平価に基づく「通貨割高(+)/割安(-)率」
〕の計算過程
(i) 各国通貨の対ドル PPP レートを「各国通貨/ドル」で示される実際の為替レートで除し、
各国通貨ごとの「対ドル割高/割安倍率」
(=a)を計算する。
(ii) 各国の「対ドル割高/割安倍率」(=a)につき、各国の米ドル換算名目 GDP で重み付け
した加重平均を計算し、それを「世界全体の通貨割高/割安基準倍率」(=b)とする。
(iii) 各国の「対ドル割高/割安倍率」(=a)と「世界全体の通貨割高/割安基準倍率」(=b)
から、
「a÷b-1」の計算により、各国通貨ごとの世界全体における「通貨割高(+)/割安(-)
率」を求める
図表 4-33 に、図表 4-32 で扱った国々における、危機発生年前後の経常収支 GDP 比と、上
記の過程で計算した「通貨割高(+)/割安(-)率」とを示しているが、概ね、危機発生前から後にか
けて、通貨が割安の方向に推移し、経常収支が改善するという過程をたどっていることが分かる。
為替レートが同一であるユーロ圏諸国(ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペ
イン)において為替レートの割高(+)/割安(-)率が異なるのは、物価水準の違いによる。
ところで、図表 4-33 において 1990 年日本や 2001 年米国は例外であるように見える。1990
年日本は危機後において為替高と経常収支の改善という現象が起こった。また、2001 年米国も
危機直後はむしろ為替高となった。この二つの事例は、非シニョレッジ対応可能債務の問題のな
い国で、国内における民間債務に問題が生じたが、国全体(政府+民間)の対外的な信認が揺ら
ぐことがなかったという形の危機であったと言えるだろう。
一方、英国の「ポンド危機」
(1992 年)は、恐らく、非シニョレッジ対応可能債務の問題のな
い国において発生した通貨危機――対外的に国全体の信認が揺らいだ形の危機――の、極めて貴
重な事例であると言える。この英国の事例は、図表 4-33 における日本(1990)と米国(2001)
以外の事例――米国(2008)を除けばすべて非シニョレッジ対応可能債務が問題になった事例―
―と同様、通貨安と経常収支の改善という過程をたどっている。しかし、この英国の「ポンド危
機」が図表 4-33 における日米以外の事例と決定的に違う点がある。それは、IMF など国際
98
単位:GDP比
-3年
-2年
-1年
アルゼン 経常収支
チン
通貨水準
-4.8%
-5.6%
-7.6%
-5.6%
-16.1%
+66.8%
-3.5%
+37.6%
-0.9%
+17.7%
+3.4%
+40.1%
-0.8%
-18.3%
+2.2%
-16.8%
-4.1%
-49.5%
-10.3%
-4.9%
-7.4%
+3.3%
-5.4%
-46.0%
-4.6%
+1.5%
-2.4%
+7.7%
-5.6%
+8.0%
-4.2%
-9.5%
-11.4%
-3.9%
-25.6%
+60.8%
-3.6%
+41.1%
-1.5%
+18.8%
+2.6%
+47.1%
-1.5%
-14.9%
+1.5%
-12.3%
-5.9%
-45.7%
-10.7%
-3.0%
-9.0%
+6.8%
-7.9%
-46.5%
-3.5%
+9.5%
-3.1%
+6.6%
-5.8%
+9.6%
-3.1%
-7.3%
-14.6%
+1.7%
-15.7%
+74.0%
-5.3%
+47.2%
-1.3%
+24.8%
+2.1%
+41.1%
-4.0%
-9.4%
+2.1%
-13.5%
-4.6%
-35.9%
-10.1%
+2.4%
-10.0%
+13.0%
-7.9%
-42.1%
-1.4%
+9.9%
-4.0%
+10.5%
-4.9%
+5.7%
ギリシャ
アイスラ
ンド
アイルラ
ンド
イタリア
日本
韓国
韓国
メキシコ
ポルトガ
ル
スペイン
タイ
英国
米国
米国
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
経常収支
通貨水準
危機
発生年
-1.4%
-4.6%
-14.9%
+7.7%
-28.4%
+33.5%
-5.6%
+44.6%
-2.9%
+29.4%
+1.4%
+27.7%
-1.5%
-15.1%
+0.3%
-29.3%
-5.6%
-38.8%
-12.6%
+5.2%
-9.6%
+17.0%
-2.1%
-48.0%
-1.7%
+8.4%
-3.7%
+17.5%
-4.6%
+1.5%
+1年
+2年
+3年
+9.0%
-61.7%
-11.2%
+8.5%
-11.6%
+7.0%
-2.3%
+37.0%
-2.0%
+30.0%
+1.9%
+33.5%
+11.9%
-38.1%
+3.9%
-34.4%
-0.5%
-60.6%
-10.9%
+4.5%
-4.8%
+15.3%
+12.8%
-55.9%
-1.4%
-6.3%
-4.2%
+17.9%
-2.6%
+6.4%
+6.4%
-57.6%
-10.1%
+2.4%
-8.5%
+13.3%
+1.1%
+25.8%
-3.5%
+21.7%
+2.9%
+38.6%
+5.3%
-29.5%
+2.9%
-26.5%
-0.6%
-54.6%
-10.6%
-1.9%
-4.5%
+7.6%
+10.2%
-54.8%
-0.5%
-7.7%
-4.5%
+10.7%
-3.0%
+5.5%
+1.8%
-56.7%
-9.9%
+1.6%
-5.6%
+15.4%
+1.2%
+24.5%
-3.1%
+21.2%
+3.0%
+58.0%
+2.8%
-24.1%
+2.3%
-27.0%
-1.6%
-45.2%
-7.0%
-3.4%
-3.8%
+5.8%
+7.6%
-56.3%
-0.7%
-9.4%
-5.1%
+6.3%
-2.9%
+0.7%
危機
発生年
備考
2001
対外債務
不履行
2008
債務危機
2008
対外債務
不履行
2008
債務危機
2008
債務危機
1990
バブル
崩壊
1997
通貨危機
2008
通貨危機
1994
通貨危機
2008
債務危機
2008
債務危機
1997
通貨危機
1992
通貨危機
2001
バブル
崩壊
2008
リーマン
ショック
図表 4-33 各国の危機発生前後における経常収支 GDP 比と購買力平価に基づく通貨高
(+)/割安(-)率
データ出典:IMF WEO Apr. 2014。なお、「通貨割高(+)/割安(-)率」の計算過程は前頁参
照。また「通貨割高(+)/割安(-)率」の計算に用いる実際の為替レート(各国通貨/ドル)
は、各国について IMF WEO データから「現地通貨名目 GDP÷米ドル換算名目 GDP」で
計算して求めた。
機関や諸外国からの金融支援などなしに、自力で危機を脱したと考えられる点である。
アルゼンチン(2001)やアイスランド(2008)は政府または国有銀行の外貨建て債務の債務不
履行と債務再編(すなわち借金の棒引き)があったのであるから、自力で危機を脱したとは言えな
い。ギリシャ、アイルランド、イタリア、ポルトガル、スペイン(2008)のユーロ圏債務危機につ
いては、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルがEU、IMF、ECB(いわゆるトロイカ)によ
る財政支援を受けており[20] [21]、それがなければイタリア、スペインも危機が深刻化していたであ
ろうから、これらの国はすべて危機において自力救済できなかったと言って良いだろう。アジア通
貨危機の韓国、タイ(1997)は IMF の支援を要した[22]し、韓国(2008)は米 FRB との通貨スワ
ップ協定により調達したドルで為替介入を実施しウォン安に歯止めをかける必要があった [23][24][25]。
また、通貨危機のメキシコ(1994)においても「アメリカ政府主導で総額 528 億ドル超の金融支
援策(アメリカ、IMF、BIS、民間銀行からの支援を内容)」[26]を必要とした。しかし、英国(1992)
は為替相場メカニズム(ERM:European Rate Mechanism)における管理為替相場制を脱し、変動
相場制に移行することによって「輸出は、ERM 離脱以降、ポンドが主要国通貨に対して大幅に減
99
価し、イギリス製品の価格競争力が高まったことなどから、大きく拡大した」[26]影響で危機を脱す
ることができた。つまり英国は危機において自力救済が可能であったと考えることができる。
ここで 92 年英国と 97 年韓国の通貨危機の様相を比較しておきたい(図表 4-34、図表 4-35)
。
両者に共通するのは危機前に経常赤字が続き、対外純資産がマイナスになっていたこと、危機にお
いて通貨割高(+)/割安(-)率が割安方向へシフトしていることである。一方、両者で決定的に違うの
は、通貨が割安方向へシフトした際の金融純資産の動きである。英国では通貨安において金融純資
産がプラス側にシフトする傾向が、韓国では通貨安において金融純資産もマイナス側にシフトする
傾向が見られた。これは、英国の対外債務が主に自国通貨建て(シニョレッジ対応可能債務)であ
り、韓国の対外債務が主に外貨建て(非シニョレッジ対応可能債務)であったからだと考えられる。
対外純資産がマイナスであったということは、対外資産よりも対外債務が多かったということに
なる。このとき、対外資産が主に外貨建て、対外債務が主に自国通貨建ての場合、自国通貨の下落
によって自国通貨換算の対外資産の評価額が増えるが対外債務の評価額はあまり変わらない。一方、
対外資産も対外債務も主に外貨建ての場合、自国通貨安とともに外貨建ての対外資産も対外債務も
増加し、差額である対外純資産のマイナス分の評価額が増加してしまう。それゆえ、英国では自国
通貨安とともに対外純資産が増加しやすくそれによって自動的に危機の進行に歯止めがかかりや
すい傾向があったが、韓国では自国通貨安とともに対外純債務が増加しやすく危機に拍車をかけて
しまいやすい傾向があったと考えられる。
対外債務が自国通貨建て(シニョレッジ対応可能債務)か外貨建て(非シニョレッジ対応可能債
務)かでこのような大きな違いが出るものと言えるだろう。図表 4-34 に示されるように、英国は
通貨安によって対外債務問題が解決してしまうため、通貨安は比較的小さい幅で落着き、経常赤字
すなわちさらなる海外からの借入れを続けながら、通貨がまたもや割高の方向に振れて行った。一
方、図表 4-35 に示されるように、韓国は通貨安によって対外債務問題がより深刻化してしまうた
め、経常収支が赤字から大幅な黒字になって対外純債務を文字通り「返済」してゆかなければなら
ないほどの大幅な通貨安とならざるを得ず、その後も通貨は割安であることを続けている。
次に、この英国と韓国を例に取り、通貨割高(+)/割安(-)率の絶対値に注目してみたい。
英国は総じてプラス側であり世界の中で通貨が割高、韓国は総じてマイナス側であり世界の中で
通貨が割安、と見ることができる。通貨が割安であることは輸出に有利であるが、国際価格で輸入
しなければならない穀物や鉱物資源の価格変動で受ける影響は、通貨が割高な国よりも大きくなる
と考えられる。通貨が割安の国では人件費が他国と比べて低い水準にあると考えられるため、生産
コストに占める穀物や鉱物資源の仕入れコストの割合が、通貨の割高な国よりも大きくならざるを
得ないからだ。また、
「通貨が割安の国では人件費が他国と比べて低い水準」になるということは、
賃金水準の違いによって自国の優秀な人材が他国に流出しやすくなるというリスクも出て来るだ
ろう。
このように考えると、通貨が割高な英国は、通貨が割安な韓国よりも、国際的な経済変動に対す
る耐性が強いと考えることができる。国際的な経済変動に対する耐性が強いならば、世界的な経済
異変に際して政府がなすべき景気対策はより小さいもので済むし、国際機関や諸外国からの支援の
必要性も少なく、自力救済できる可能性が高まるものと考えられる。それゆえ、通貨割高(+)/割安
(-)率が高いほど政府の財政余裕度は高い、と考えて良いだろう。
100
英国1990-2013:対外純資産、為替水準、経常収支
+40.0%
+30.0%
通貨危機
(1992)
+20.0%
対外純資産GDP比
+10.0%
+0.0%
1990 1995 2000 2005 2010 2015
-10.0%
通貨割高(+)/割安(-)率
経常収支GDP比
-20.0%
-30.0%
-40.0%
図表 4-34 英国の通貨危機前後の対外純資産 GDP 比、通貨割高(+)/割安(-)率、
経常収支 GDP 比
データ出典:対外純資産 GDP 比は OECD.StatExtracts - National Accounts Financial Accounts - Financial balance sheets – consolidated の Rest of the
world の Financial net worth を IMF WEO の名目 GDP で除して計算。為替レー
ト割高(+)/割安(-)率、経常収支 GDP 比は図表 4-33 に同じ。経常収支 GDP 比
は IMF WEO
韓国1990-2005:対外純資産
+40.0%
+30.0%
+20.0%
対外純資産GDP比
+10.0%
+0.0%
1990
-10.0%
通貨割高(+)/割安(-)率
1995
2000
2005
経常収支GDP比
-20.0%
-30.0%
-40.0%
通貨危機
(1997)
図表 4-35 韓国の通貨危機前後の対外純資産 GDP 比、通貨割高(+)/割安(-)率、
経常収支 GDP 比
データ出典:対外純資産 GDP 比は韓国銀行 ECOS - Flow of Funds 1968 SNA
(1975-2005) - Financial Assets & Liabilities Outstanding の Rest of the World
(海外部門)の Total Liabilities から Total Assets を差し引いて計算した対外人
資産(海外部門の金融純資産の符号を反転したものが対外純資産)を IMF WEO
の名目 GDP で除して計算。通貨割高(+)/割安(-)率、経常収支 GDP 比は図表
4-33 に同じ。経常収支 GDP 比は IMF WEO
101
ただし、通貨が割高でもユーロ圏諸国のように対外債務がすべて非シニョレッジ対応可能債務
であるような国にこれは当てはまらない。図表 4-33 を見れば PIIGS 諸国は危機発生時に軒並
み通貨が割高水準であったが、これらの国々はみな債務危機に陥った点に留意すべきであろう。
次に、日本の状況を確認しておきたい。日本の通貨割高(+)/割安(-)率はプラザ合意のあった
1985 年以降で急激に高くなり、90 年代を通じて高い状態が続いた。一方、2001 年から 06 年の
量的緩和、2013 年以降の量的緩和の時期においてはかなり低下し、プラザ合意以前の水準程度
に戻っている。仮に上述のように「通貨価値が割高であるほうが財政余裕度が高い」ということ
が正しいとすれば、通貨価値の観点において 2000 年代以降は 90 年代よりも財政余裕度が低下
していることになる。なお、2000 年代以降で「通貨割安」となっているのは、90 年代と比べて、
諸外国に対する相対的な金利水準が低くなっていることが大きな原因の一つだろう。
第3章 Figure 3-12 で「企業が積極的に支出と債務の拡大をしなくなった状態」に転じたと判
定される 91 年から日本の名目 GDP の増加が止まってしまった 97 年までの実質 GDP 平均成長
率と、97 年から 2013 年までの平均成長率について、改めて図表 4-36 のグラフの上部分に示し
ているが、両期間における世界全体の中央値はそれぞれ+3.6%、+3.7%であまり変わらないにも
かかわらず、日本の値は+1.3%から+0.6%に低下している。91 年から 97 年は図表 4-15 で示し
た通り、97 年から 13 年までと比べて政府の歳出拡大ペースが圧倒的に大きかった。
一方、97 年から 13 年は政府の歳出よりも、量的緩和など金融緩和主体による景気刺激策が取
られることが多かった、つまり、97 年以前は財政による刺激が主体であり、97 年以降は金融に
よる刺激が主体であった、と言えるが、上述のように世界との比較においても、実数値で比較し
ても、日本の成長率は 97 年以前のほうが 97 年以降よりも高かった。
日本1980-2013:実質GDP、通貨水準、経常収支
実質平均成長率: +3.6%
+1.3%
+3.7%
+0.6%
←世界中央値
←日本
200
+80.0%
180
量
的
緩
和
160
140
+70.0%
+60.0%
+50.0%
120
+40.0%
100
+30.0%
80
+20.0%
60
+10.0%
40
±0.0%
20
0
1980
図表4-15より
正の経済
1990
反の経済(第3章 Fig. 3-12)
1997
2000
実質GDP
(1980=100。左軸)
通貨水準(右軸)
経常収支GDP比(右軸)
-10.0%
-20.0%
2010
図表 4-36 日本の実質 GDP、通貨割高(+)/割安(-)率、経常収支
データ出典:実質 GDP は図表 4-15 に同じ。通貨割高(+)/割安(-)率は図表 4-33 に同じ。経
常収支 GDP 比は IMF WEO Apr. 2014。
102
ここで立てることのできる一つの仮説は、
「反の経済においては、財政刺激に主体を置いたほう
が、金融緩和に主体を置くよりも高い成長率が得られ、かつ、通貨価値の観点からも財政政策に主
体を置いたほうが財政の余裕度はむしろ高い水準を維持できる」というようなものだろう。通貨安
によって穀物や鉱物資源など輸入財の国際価格変動の影響をより敏感に受けやすくなること、通貨
安ということは人件費・賃金水準が諸外国と比べて相対的に低くなるために人材流出リスクも出て
来る可能性があることを考慮に入れると、
「通貨が割高でも成長を維持できるのであれば、通貨は
割高であるに越したことはない」と言えるかも知れない。
このように考えると、通貨割高(+)/割安(-)率は例えば「通貨割高(+)/割安(-)率がマイナスであ
るのに通常の金利調節を超えて量的緩和まで行うのは、過剰な金融緩和である」というような形で、
金融緩和が適正な範囲内かどうかを判定するための基準として使うことができるかも知れない。通
貨割高(+)/割安(-)率がマイナスかプラスかということを基準にする理由は、この数値が±0%のと
きにちょうど世界全体のなかで割高でも割安でもない水準と考えることができるものであり、この
数値がマイナスであれば、すでに世界の中で通貨が割安であるから、それ以上無理に量的緩和や為
替介入で割安にすべきではない、というように考えることができるからである。通貨が世界の中で
も割安の水準といえる水準まで下がったとなると、それは人材の流出リスクを勘案しなければなら
なくなるような水準であると考えられるため、±0%を基準とするのは一つの妥当な考え方と言え
るだろう。
なお、後述するような金融緩和と格差問題との関連を考えると、この通貨割高(+)/割安(-)率と併
せて、以下に述べる格差の指標も金融緩和が過剰であるかどうかを判定する指標となり得る。
④格差指標(ジニ計数、相対貧困率、上位 10%所得者の所得占有率)
格差の指標は、「格差が十分に小さい状態であればこれ以上福祉に追加的な予算を計上しなく
とも良いことを意味する」と考えれば、まさしく政府財政の余裕度を示す指標であると言える。
しかし、格差の指標からもっと深い意味合いを見い出そうとするならば、「経済成長率、経常収
支、政府の財政収支、民間の財政収支などでは測れない、社会全体の余裕度を見るために役立つ
格好の指標である」と言ったほうが良いかも知れない。
例えば、2011 年に起きた内戦で、それまで 40 年以上リビアに君臨してきたカダフィ政権が崩
壊する直前におけるリビアの各種経済指標は、極めて良好であった(図表 4-37)
。カダフィ政
権崩壊直前までの 8 年間の実質 GDP 平均成長率は+6.1%、経常収支は 17 年連続で黒字、政府
財政収支も 16 年連続で黒字であり、経常収支が大きかったこともあって民間の財政収支(簡易
計算)もまた 8 年連続で黒字であった。政府の債務残高は 2007 年に完全に 0 となり、それだけ
でなく、政権崩壊直前の公的純債務 GDP 比はマイナス 96%、つまり、一般政府の金融純資産が
GDP とほぼ肩を並べるほどにまで積み上がっていた。
カダフィ政権崩壊直前のリビアは、非シニョレッジ対応可能債務の問題がまったくなかったも
のと考えられるし、政府の財政余裕度は極めて高かったものと考えられる。しかしながら、「か
つて『アフリカの王たちの王』とも称されたリビアの元最高指導者ムアマル・カダフィ(Moamer
Kadhafi)大佐は、8 か月にわたる抵抗の末、出身地のシルト(Sirte)の下水管の中に隠れてい
103
るところを拘束され、その後死亡」25するに至り、また IMF の推計値によれば、同国経済は 2011
年の実質 GDP が前年比で 4 割も落ち込むほどの大混乱を呈した。米国の 1929 年に始まった大
恐慌では、実質 GDP の落ち込みは 1933 年までの 4 年間で 26.3%下落26して底打ちするという
ものであったから、このリビアの 2011 年の落ち込みはかなり凄まじいものであったと言える。
カダフィ“大佐”が命と引き換えに残した教訓の一つは、政府の債務がゼロになったからと言
って社会・経済が安定するとは限らないということであるが、恐らく我々がもっと注目すべき教
訓は、命があるうちに格差問題にもっと目を向けるべきであった、ということではないだろうか。
リビア:実質GDP(2010年=100)
150
100
50
0
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
リビア:民間財政収支、経常収支、政府財政収支(GDP)比
0.6
0.4
民間財政収支GDP比
0.2
0
1980
-0.2
経常収支GDP比
1985
1990
1995
2000
2005
2010
-0.4
100%
50%
0%
-50%1980
-100%
-150%
-200%
-250%
一般政府財政収支
GDP比
リビア:公的債務、公的純債務、経常収支(GDP比)
1985
1990
1995
2000
2005
2010
公的債務GDP比
経常収支GDP比
公的純債務GDP比
図表 4-37 カダフィ政権崩壊前後のリビア各種経済指標(破線・点線は推計値)
データ出典:IMF WEO Apr. 2014 ただし、
「民間収支 GDP 比」は経常収支 GDP 比から一般政
府財政収支を差し引いて計算した簡易推計値
25
26
AFPBB News「カダフィ大佐、最後は下水管の中 死亡状況めぐり証言交錯」2011 年 10 月 21 日
U.S. Bureau of Economic Analysis データより計算
104
ただし、リビアにおける格差の指標というものは存在しないようである(少なくとも ILO や
世界銀行のデータベースにはない)。よって、内戦と経済的な大混乱に至る主たる原因が格差に
あったと断定することはできない。しかし、直前までの継続的で安定的な経済成長、政府の巨大
な金融純資産の蓄積、民間部門の財政収支の継続的な黒字の果てにこの事態に至った原因として
は、やはり何かしらの格差――政治参加の不平等や経済的地位の不平等――の拡大とそれに対す
る多くの国民の不満の増大があったと想像するのは、それほど不自然なことではないだろう。
カダフィ政権崩壊直前の 2010 年におけるリビアにつき、ここまで挙げてきた指標をもちいて
財政余裕度を評価しておきたい。第 1 段階の評価は上述のとおり対外債務(非シニョレッジ対応
可能債務)の問題はなかったと言えるし、経常収支も黒字が続いていたので「極めて安定的」で
あったと言える。第 2 段階の評価は、年間インフレ率27は世界の中央値 3.6%より低い 2.5%(188
ヶ国中 121 位)で余裕があるほうであったと言え、民間収支は上述のとおり黒字が続いていたし、
通貨割高(+)/割安(-)率28は世界の中央値-36.8%、中国の-37.7%、韓国の-26.5%より高い-17.0%
(188 ヶ国中 44 位)で発展途上国としてはかなり高い水準であった。つまり、崩壊直前のカダ
フィ政権の財政余裕度は極めて高かったと考えられる。この政権崩壊の大きな原因が格差問題に
あったと仮定するならば、カダフィ政権はその極めて高かかったと思われる財政余裕度を利用し
て格差縮小に取り組むべきであった、とも言えるし、格差指標は財政余裕度の指標というよりは、
社会秩序維持のために致命的に重要な管理目標であって財政余裕度とは切り分けて考えるべき
指標である、とも言えるだろう。あるいは、財政余裕度を高めるためには格差を適正範囲内に収
めるための“投資”が必要である、と言い換えることもできるだろう。
さて、恐らくは自国における格差の状況を知る手段すら持たなかったであろうカダフィ“大佐”
と異なり、極めて幸運なことに、日本のような先進国については、いくつかの格差指標が公的機
関や研究者から提供されており、格差の状況を容易に可視化して確認することができる。日本、
米国、英国、ドイツ、韓国につき、図表 4-38 にジニ計数(所得再分配後)、図表 4-39 に相対
貧困率(所得再分配後)
、図表 4-40 に所得水準上位 10%の所得占有率を示す。
ジニ係数(所得再分配後)
0.40
米国
0.35
英国
日本
韓国
0.30
ドイツ
0.25
1980
1990
2000
2010
2020
図表 4-38 各国のジニ計数(所得再分配後)推移
データ出典:OECD.StatExtracts - Income Distribution and Poverty -Gini (at
disposable income, post taxes and transfers)
27
28
IMF WEO Apr. 2014 の Inflation, average consumer prices - Percent change データから計算
図表 4-33 データから計算
105
相対的貧困率(所得再分配後)
20%
18%
16%
14%
米国
12%
日本
10%
韓国
8%
英国
6%
ドイツ
4%
2%
0%
1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015
図表 4-39 相対的貧困率(所得再分配後)
データ出典:OECD.StatExtracts - Income Distribution and Poverty - Poverty rate after
taxes and transfers, Poverty line 50%
相対的貧困率:OECD では「貧困線に満たない世帯員の割合をいう。貧困線とは、等価可処
分所得(世帯の可処分所得を世帯人員の平方根で割って調整した所得)の中央値の半分の額
をいう」(厚生労働省「平成 25 年 国民生活基礎調査の概況」用語解説より)
[%]
60
所得水準上位10%の
所得占有率
US Top 10%
income share
50
40
30Germany Top 10%
income share
Japan Top 10%
income share
20
米国US:1917-2012
韓国:1979-2012
日本:1947-2010
Korea Top 10%
英国UK:1918-2011
income share
ドイツ:1917-2012
UK Top 10%
income shareadults
US Top 10% income share
UK Top 10%
income sharemarried couples &
single adults
Korea Top 10% income share
Japan Top 10% income share
UK Top 10% income sharemarried couples & single adults
10
UK Top 10% income shareadults
0
1917 1927 1937 1947 1957 1967 1977 1987 1997 2007
Germany Top 10% income share
図表 4-40 所得水準上位 10%の所得占有率
データ出典:Facundo Alvaredo, Tony Atkinson, Thomas Piketty and Emmanuel Saez, "The
World Top Incomes Database", http://topincomes.g-mond.parisschoolofeconomics.eu/
106
唯一、第二次世界大戦前からのデータがある所得水準上位 10%の所得占有率(図表 4-40)を
見ると、第二次世界大戦を境に一旦低下した所得格差が、1980 年代ごろから上昇に転じ、2010
年代において米英では格差が戦前以上の水準にまで達している。ジニ係数(図表 4-38)や相対
貧困率(図表 4-39)も、80 年代から 2010 年代にかけて各国とも概ね上昇傾向にあるように見
受けられる。
前出の国連報告書[12]の格差問題を扱っている第 6 章29に、次のような記述がある:
「先進国における不平等の増大は、金融の不安定化を促進する。なぜなら不平等は、政治的な
混乱や経済成長の減退を避けることを目的とした従循環的投資政策(例えば規制緩和や緩和
的金融政策)が実行されやすい政治環境を創り出すからである」
国連報告書におけるこの記述の具体的な説明につき、拙著[19]にその内容をまとめている箇所が
あるので、以下に引用しておく:
さて、国連報告書では、
「近年の格差拡大の原因のうち、最たるものは金融の自由
化」としています。
そこに書かれているバブルの生成と崩壊(金融危機)のプロセスを簡単にまとめる
と、次のようになります (図表 4-41)
。

富の集中は、少数の「使いきれないほどの金を持つ人」に金を集め、大多数の
「金をもっと使いたいのに金がない人」に回る金を減らす。

それによって消費が低迷。モノが売れず、景気が悪化。

景気対策として政府の支出を増やさずにできる金融の規制緩和(自由化)や、
中央銀行による金融緩和(利下げ)といった政策が採用される(景気悪化で税
収減となり、政府の借金を増やすような景気対策は議会を通りにくいため)。

その規制緩和や金融緩和は、デリバティブやスワップ取引などの形で、貧困消
費者向け貸付の容易化、金融商品の複雑化、利益最大化の追求という現象を生
じさせる=金持ちでも貧乏人でも安易に借金できてしまう環境が整う。

富の集中で「使いきれないほどの金を持つ」ことになった少数の人々は、余剰
資金がたっぷりあるため、大きなリスクを取りやすい。そこへ規制緩和や金融
緩和が重なることで、リスクの大きい金融商品への投資が盛んになる。
以上のプロセスにより、金融不安定化に拍車がかかるというわけです。
さて、右記(上記)のことを短くまとめると、「貧富の格差が消費の停滞を生み、
その消費の停滞を解消すべく実施された金融の自由化や金融緩和政策が、金融を不安
定化させる」となります。
これはつまり、アメリカのサブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)危機、
リーマン・ショックの説明そのものです。
そして、リーマン・ショック後の景気後退を経て、格差の拡大、というよりは貧困
の拡大と深化が進み、アメリカのみならず世界中に波及した「ウォール街占拠運動」
の発生へとつながっていったわけです。
29
章タイトルは "Income Inequality and the Condition of Chronic Poverty"(所得格差と慢性的貧困の条件)
107
図表 4-41 国連報告書[12]における金融政策と金融の不安定化、格差拡大の関係性の議論
についてまとめた説明図(筆者作成)
出典:廣宮孝信著「
『国の借金』アッと驚く新常識」p.223 プレゼン 54
108
米国におけるウォール街占拠運動の最盛期においては、西海岸のオークランドで 65 年ぶりの
ゼネラルストライキ30が起きて全米第4位の規模の港湾が丸一日封鎖され31、ニューヨークでは元
軍人らが軍服着用で隊列を組んで抗議のためのデモ行進を行う32という前代未聞の事態が発生し
た。そのウォール街占拠運動は 2011 年 9 月に始まり、2、3ヵ月で概ね収束しているが、図表
4-40 を見ると、2012 年の所得格差は 2011 年を上回っており、米国における格差問題は予断を
許さない状況と言えるかも知れない。
なお、国連報告書[12]では、図表 4-40 に示すような米国の所得格差のグラフ(データ出典は
同じであるが、図表 4-40 はデータが更新されていて国連報告書とは多少違っている)に基づき、
1928 年と 2007 年に所得格差がピークに達した直後に大規模な金融危機が発生していると指摘
している。また、1933 年に銀行規制を強化するグラス・スティーガル法が施行されたあと所得
格差が縮小し、1980 年に銀行規制が緩和された後、所得格差が再び拡大しているとも指摘して
いる33。
英国でも 1980 年代にサッチャー政権による金融ビッグバン、あるいは、国営企業の民営化そ
の他の一連の新自由主義的な改革があった後、格差拡大が進んだものと考えられる。2014 年に
持ち上がったスコットランド独立を巡る騒動――9 月 18 日の住民投票で否決され独立はすんで
のところで回避された――はそのサッチャー改革の余波34であるとともに、英国における格差が
許容範囲を超えつつあることを示唆する現象であったと言えるかも知れない。
日本の格差状況は図表 4-38 のジニ計数、図表 4-40 の所得上位者 10%の所得占有率で見る
と英国を肩を並べており、図表 4-39 の相対貧困率では英国を上回って米国と肩を並べている。
英米の社会状況を見ると、日本は決して社会的な余裕度が高くない状況であると言えるのかも知
れない。
もう一度図表 4-40 に目を転じると、米英に 10 年程遅れて、日本と韓国は 1990 年代後半に
急速に所得格差が拡大しているが、日本では政府の財政拡大が停止するとともに名目 GDP の増
加が止まったこと、韓国はアジア通貨危機で国家経済の大混乱が生じたことが原因かも知れない。
また、国連報告書[12]において先進国における格差拡大と金融の不安定化が後進国の経済不安定
化と格差拡大を促進している可能性が指摘されていることにも留意する必要があるだろう。とい
うのは、この仮説が正しいとすれば、日本の格差拡大は、自国の経済の不安定化のみならず、世
界全体の不安定化を加速する可能性もあるからだ。
そして、日本特有の事情として、1991 年以降、実質賃金がほとんど伸びていないということ
に注意する必要がある。
RT.com, “Oakland turns to 1st general strike in 65 years”, November 02, 2011
AFPBB 「デモで閉鎖の米オークランド港、業務再開」2011 年 11 月 04 日
32 BUSINESS INSIDER, “Veterans March For Occupy Wall Street — And It's Like Nothing You've Ever
Seen Before”, NOV. 2, 2011
33 国連報告書[12]の p.192, Chart 6.2 参照
34 例えば、元スコットランド国民党所属のスコットランド議会議員 Andrew Wilson 氏がロイターに寄稿し
たコラムに「1980年代─90年代、当時のサッチャー首相とメージャー首相の政策はスコットランド経
済に大打撃を与えた。スコットランド人の目には、炭鉱閉鎖や製造業の破壊は民主的な正当性を持たないと
映った。英保守党(筆者注:故サッチャー元首相やメージャー元首相の所属政党)の政策は他の地域では多
くの支持を得られたものの、スコットランド議会59議席のうち保守党は1議席ということからも、スコッ
トランドでの圧倒的な拒絶反応は明らかだ」という記述がある(ロイター「コラム:スコットランド独立に
『賛成』する理由」2014 年 09 月 16 日)
30
31
109
各国の実質賃金(年間)の推移
〔2013年固定価格・2013年対米ドルPPPレート〕
[日本(2013)=1.00]
1.80
1991
1.60
1997
2013
日本の順位
1991年 11位/ 1997年 12位/ 2013年 18位
1.40
1.20
1.00
0.80
0.60
0.40
0.20
0.00
米 ル ス オ ノ ア デ ベ オ カ オ ド 英 ス フ フ 韓日
日スイスイギポポハチスエ
タロスリルーンェロス
ラ ナ ー イ 国 ウ ラ ィ 国本
国クイールインル
本ペ
イリベラシトラガコバト
セススウルマギンダスツ ェンン
ースラ
ンアニエャガンリ キニ
ン トェラーーダ ト
アル ルドー アア
ン
デ
ブ ラーンク
リ
ン ド
ル リ ド
ア
ク ア
図表 4-42 各国の実質賃金(年間)の推移
データ出典:OECD.StatExtracts - Labour - Earnings - Average annual wages (2013
USD PPPs and 2013 constant prices)のデータを日本の 2013 年の数値を基準に指数化
図表 4-42 に 1991 年、1997 年、2013 年の各国の実質賃金のデータを示す。出典元のデータは
2013 年の価格で固定され、かつ、2013 年の対米ドル購買力平価為替レート(PPP レート)で固定
されたデータを基にしているため、2013 年のアメリカの物価を基準として、各国の各時点での賃
金で購入できる財・サービスの量を直接的に比較できるデータとなっているが、ここでは日本の
2013 年の数値を基準に指数化している。よって、2013 年の日本の労働者が年間で 1 単位の財・
サービスを購入できるだけの賃金を受け取っているとすれば、1991 年のアメリカの労働者は 1.2
単位の財・サービスを手に入れられるだけの賃金を受け取っていた、というような比較を行うこ
とが可能である。
日本の特徴は、1991 年から 2013 年にかけてほとんど実質賃金が伸びていない(伸び率は+3%)。
この期間の日本よりも伸び率が低かった国は、データで確認できる中ではわずかにイタリアのみ
である。そして 2013 年においては、日本の労働者が受け取った賃金で手に入れることのできる
財・サービスの量は韓国の労働者よりも少ないという状況である。その中で、上述のように、日
本の格差は、スコットランド独立騒動が持ち上がった英国や、場合によっては米国と同等の水準
にまで上昇してきているのである。さらには、英国と米国の実質賃金は 1991 年から 2013 年にか
けてそれぞれ 34%、32%の上昇となっているが、日本は上述のとおりわずかに 3%である。実質
賃金が伸びず、格差が拡大している日本においては、確実に貧困が拡大しているものと考えられ
る。
仮に、「金融の規制緩和や金融緩和が格差を拡大する」とする国連報告書の説が正しいとする
ならば、90 年代前半以降の「反の経済」の状況下において、日本では金融政策よりも財政政策に
重点を置くことが好ましいと言える。また、もしそうであるならば日本における格差指標は金融
110
緩和が過剰であることを示す目安になり得るとも言える。図表 4-38 から図表 4-40 に示した
三つの格差指標は、公的債務 GDP 比や対外債務 GDP 比と同様、これを超えたら社会が破綻すると
いうようなマジックナンバーはないだろう。また、どの辺りが最適な水準なのか、ということも
議論が分かれるところであろう(恐らく、格差が小さ過ぎる状態も競争原理がまったく働かなく
なるため、社会全体の活力を長期的に損なうだろう)。日本の場合は、90 年代前半に「反の経済」
に転ずる以前の正の経済であった状態、すなわち 80 年代辺りの水準を目指すのが良いかも知れ
ない。
先述の国連報告書の議論によれば、所得格差の増大に伴って消費性向の高い低所得層の所得が
一層減少し、消費性向の低い高所得層の所得が一層増大し、それによって有効需要が減退してし
まう。一方、「反の経済」とは、集合体としての企業の「経済全体における需要増加に対する期
待」がないために企業が支出を絞って債務最小化を図る経済状態であるから、格差が過大である
ということは、
「反の経済」になりやすい状態であると言える。
以上の国連報告書の格差と金融政策の関係性の議論や、本論文の「正と反の経済学」の議論を
まとめると、図表 4-43 のように図式化することができるだろう。
金融の不安定化
※
金融危機
歴史的な金融危機
金融緩和
所得格差
の拡大
反の経済
金融の
規制緩和
有効需要
の減退
財政出動
金融規制強化
※金融政策依存に限界が来ている
かどうかは、
・所得格差指標の過去水準との
比較
・通貨割高(+)/割安(-)率が0以下
か否か
で判定し得る
経「
資
済小
本
局さ
主
面な
政義
府的
な
」
が
有
効
な
経「
大社
済き会
局な主
面政義
府的
な
」
が
有
効
な
所得格差の縮小
有効需要の増大
金融の安定化
正の経済
図表 4-43 格差と金融政策と「正と反の経済学」の関係性の模式図
111
日本のバブル崩壊(1990 年)は、その後 93 年から「反の経済」に移行したとはいえ、図表 4-38
から図表 4-40 を踏まえれば格差が低い水準で起きた危機であるため、図表 4-43 の図式に必
ずしも当てはまらない。とはいえ、特に 2000 年以降は金融政策依存が高いなかで格差が拡大し
てしまっている点においては、まさしく図表 4-43 の図式に当てはまっていると言える。
米国のリーマンショック(2008 年)については、図表 4-43 の図式がよく当てはまっている
と言えるだろう。ただし、第2章で提示したデータを第3章で提示した判定条件に当てはめれば、
米国は 2014 年の第2四半期には反の経済から正の経済に転じているか、それにかなり近い状態
になっていると推定される。しかし、それは「QE1」、「QE2」、
「QE3」と称されるリーマンショッ
ク後に FRB が実施した量的緩和の影響によるものであると考えられるし、図表 4-40 の所得格差
指標が 1929 年の大恐慌発生時の水準を上回ってさらに上昇傾向を示していること、また、通貨
割高(+)/割安(-)率が 2013 年の時点で+7.1%35とそれほど高くない水準にあることを勘案すると、
「QE1」、「QE2」、「QE3」のような量的緩和は過剰な金融緩和であったと判定することもできるだ
ろう。この量的緩和は恐らくできるだけ早くに停止すべきであり、停止するならばかなり確実に
米国は「反の経済」と判定される、政府の財政出動に重点を置くべき経済局面に戻るだろう。し
かし、2013 年 10 月に連邦債務上限引上げ問題が連邦議会でこじれ、政府機関が 16 日間にわたっ
て閉鎖される騒ぎとなった際にFRB当局者が「超緩和政策が依然必要と主張」していた36よう
に、財政政策を取ることが難しく、再び金融政策依存となって格差がさらに拡大し、米国の社会
経済がますます不安定化してしまう事態になるかも知れない。
政府債務の増大が政治問題となることでなかなか本格的な財政出動に踏み込みにくいのは米
国だでなく、欧州各国もそうであるし、日本も例に漏れない。ここで我々が思い出すべきは、シ
ニョレッジ対応可能債務と非シニョレッジ対応可能債務の違いのことや、それと経常収支との組
み合わせの問題であるかも知れないし、政府債務をゼロにしたカダフィ“大佐”にその後どのよ
うな運命が待ち受けていたか、ということであるかも知れないし、あるいは、その両方であるか
も知れない。
4-3-5.財政余裕度の指標の検討に関するまとめ
4-3-1においては、国連報告書[12]記載の5つの財政余裕度の指標について検討し、そのうち
「対外債務(外貨建て)
」と「経常収支」の2つが極めて重要な決定的指標であると判定できるこ
とを示した。ただし、
「対外債務(外貨建て)」については、対外債務か国内債務かによらず「非シ
ニョレッジ対応可能債務」――通貨発行権を用いた返済が可能ではない債務――であるかをみるこ
とが重要であるという考察と提言を行った。
4-3-2においては、2010 年前後に発生したユーロ債務危機につき、
「共通通貨」、
「非シニョ
レッジ対応可能債務」
、
「経常収支」というキーワードを軸に分析を行い、共通通貨が危機を増幅さ
せやすいこと、大きな非シニョレッジ対応可能債務は危険であること、非シニョレッジ対応可能債
務が大きくとも経常黒字が続いていれば安定的でいられる傾向がある、という分析結果を得た。
4-3-3においては、リーマンショック後の先進国について「経常収支」と「非シニョレッジ
対応可能債務」を軸に分析し、不安定になるのは「経常赤字+非シニョレッジ対応可能債務の問題
35
36
図表 4-33 のデータ出典参照
ロイター「FRB当局者、超緩和政策が依然必要と主張」2013 年 11 月 13 日
112
あり」の組み合わせのみであり、「経常黒字+非シニョレッジ対応可能債務の問題あり」、「経常赤
字+非シニョレッジ対応可能債務の問題なし」、
「経常黒字+非シニョレッジ対応可能債務の問題な
し」の組み合わせが安定していたことを示した。また、中でも「経常黒字+非シニョレッジ対応可
能債務の問題なし」の組み合わせとなっていれば、二重の意味で安定性が高くなるので、世界的な
危機の中においても極めて安定しやすかったと考えられる、という論考を示した。
4-3-4においては、日本が 2014 年以降、経常赤字になり得ることを踏まえ、
「経常赤字+非
シニョレッジ対応可能債務の問題なし」の組み合わせの国の財政余裕度をさらに詳細に検討するた
めの指標として、①インフレ率、②国内民間部門の財政収支、③購買力平価に基づく通貨割高(+)
/割安(-)率、④格差指標(ジニ計数、相対貧困率、上位 10%所得者の所得占有率)について、検
討、あるいは提案を行った。①インフレ率が低いほどシニョレッジを余分に使える余地が大きいた
め、政府の財政余裕度は高いと言える。②国内民間部門の財政収支が赤字であれば、何かしらの経
済危機が生じる可能性が高まるので政府はできるだけ黒字を増やして危機の発生に備えるべきで
あるから、民間の財政赤字が大きいほど政府の財政余裕度は小さくなると言える。③購買力平価に
基づく通貨割高(+)/割安(-)率は割高であるほうが国際的な商品価格の変動の影響を受けにくく、人
材流出リスクも小さくなる点を考慮すると、通貨が割高であるほうが政府の財政余裕度は高いと考
えられる。④格差指標については格差が小さいほど政府は特に何もしなくて良いので政府の財政余
裕度は大きいと言えるし、格差が大きいほど政府は何かしなければならないことを意味するので政
府の財政余裕度は小さいと言える。しかし、リビアのカダフィ政権崩壊の事例の考察から、格差指
標は社会秩序維持のために致命的に重要な管理目標であって、財政余裕度の指標とは切り離して考
えるべき指標と言える。あるいは、財政余裕度を高めるためには格差を適正範囲内に収めるための
“投資”が必要である、と言い換えることもできるだろう。また、③購買力平価に基づく通貨割高
(+)/割安(-)率と④格差指標は、第2章、第3章で触れることができていなかった、
「金融緩和が過
剰かどうか」を判定する目安としても使い得ることを示した。
〔本論文における5つの重要な政府財政余裕度の指標〕
以上から、本論文においては、重要な政府財政余裕度の指標は、
決定的指標 A. 官民合わせた非シニョレッジ対応可能債務
B. 経常収支
補助的指標 a. インフレ率
b. 民間部門財政収支
c. 購買力平価に基づく通貨割高(+)/割安(-)率
の 5 指標であると結論付ける。
113
4-4.財政余裕度を高めるための物質的アプローチと心理的アプローチ
かつて、アダム・スミスの『富国論』
(
『国富論』とも訳される)を読んだ高橋是清は次のように
書き残している[27]:
「アダム・スミスと云ふ(いう)有名な経済学者が百五十年程前に一国として尊ぶべきは金(かね)
だと云ふ(いう)が金(かね)ではないといった。金(かね)は…他の国に取られて仕舞へ(しまえ)ば
なくなるのである。してみれば金(かね)よりは品物が大切である。物資こそ国富の元だから盛
んに物資を作らなければならぬ」
また、高橋はかつての覇権国、スペインやポルトガルでは、中南米から持ち帰った金銀財宝が洪
水のように満ちあふれていたが、彼らは自分でモノを作らなかったため「他国で作ったものを無闇
(むやみ)に買入れたためにその代わりに金銀がドンドンと出て行った」と指摘している。この文脈
で考えれば、インフラや生産設備などの資本ストックを蓄積し、自国で財やサービスの生産をしっ
かり行えるかどうかが経済成長の鍵であり、また、政府の財政余裕度の鍵にもなると言えるだろう。
これが財政余裕度を高めるための物質的アプローチと言えるが、これについては4-4-1で論ず
る。
「自国で財やサービスの生産をしっかり行える」ようになって成熟段階にあるのが先進国であり、
それがいまだ未発達の段階であるのが発展途上国であるとすれば、先進国は外貨建て債務(非シニ
ョレッジ対応可能債務)の問題が少なく、発展途上国は非シニョレッジ対応可能債務の問題が大き
くなりがちであることが容易に説明できる。というのは、先進国はインフラや生産設備が充実して
いるがゆえに非シニョレッジ対応可能債務で負債を抱える必要性が小さく、発展途上国はいまだ信
用力の小さい自国通貨ではなく信用力のある外貨建てで債務を負って必要な物資や技術を外国か
ら購入してインフラや生産設備を整備しなければならないからだ。このような先進国と発展途上国
の違いは、1992 年にポンド危機が起きたイギリスがその後も延々と経常赤字も続けながら再び通
貨が大幅に割高に振れたことと、1997 年の韓国が大幅な通貨下落によって大幅な経常黒字を計上
して文字通り外国からの借金を返済しなければならず、その後も通貨が大幅に割安である状態を続
けなければならなかったという前節で説明したような違いになって表れている。
しかし、一般的にはシニョレッジ対応可能債務と非シニョレッジ対応可能債務の違いによって政
府の財政余裕度が評価されることはあまりなく、公的債務 GDP 比や公的債務の絶対額――例えば、
日本では新聞各紙に「国の借金 1000 兆円」37という見出しが載ることが多い――で評価がなされ
がちである。これは個人や企業レベルでの借金という言葉と結びついている強度な恐怖の感情と無
縁ではないだろう。そして、国民の大多数がこの借金という言葉によって自動的に連想される恐怖
の感情を伴って政府債務について検討するならば、「政府債務が大き過ぎる。とにかく減らさなけ
ればならない」という世論が容易に形成され得るし、民主主義社会においてはそのような世論に後
押しされる代議員が議会における多数派を占めることを通じて国策が決定されるととなる。そして
それが、前節で論じた国連報告書の記載にあるように、財政政策よりも金融政策が選好されること
につながるとも考えられる。このように考えると、政府の財政余裕度を議論するには政府債務に対
する国民感情、国民一人ひとりの感情についても検討する必要があることになる。これが財政余裕
度を高めるための心理的アプローチであるが、これについては4-4-2で論ずる。
37
MSN 産経ニュース「個人金融資産1645兆円で過去最高
114
国債残高は初の1千兆円超え」2014.9.18
4-4-1.成長モデルと財政余裕度に関する考察
第2章や第3章で論じたように、継続的な経済成長とは「実質ベースの生産と貨幣量の両面での
拡大が軌を一にして継続すること」であると言える。そして、国内総生産が継続的に増加を続ける
条件は、生産財である資本ストックが増大することが必須であり、それには官民を合わせた投資 I
が毎年のように、実質ベースで前年比で増加する必要があると考えられる。
経済学における成長モデルの一つ、ソロー・モデルにおいては、労働者一人当たりで使いこなせ
る資本ストックの量には限界があるため、その限界に達したときに成長が止まることになるが、も
う一つの成長モデルであるローマ―・モデルに基づけば、知識(アイディア)ストックの増加によ
って労働者一人当たりで使いこなせる資本ストックの量が増加し、あるいは、同じ労働人口と資本
ストックをより効率的に使えるようになることで、長期的に成長が続くことになる[5]。
発展途上国においては、資本ストックと知識ストックの両方が十分な水準に達すれば、非シニョ
レッジ対応可能債務への依存が減るだろうし、先進国においても両方のストックの水準を維持向上
させていれば、長期的に先進国から発展途上国に転落――つまり、非シニョレッジ対応可能債務へ
の依存が高まる状態に転落――することなく、安定成長を続けることが可能となるだろう。そのよ
うに考えると、資本ストックと知識ストックの維持向上は、長期的な成長に資するだけでなく、政
府の財政余裕度の維持向上にも直結することとなる。
①発展途上国における総投資率、経常収支、通貨割高(+)/割安(-)率の考察――ベトナムとインド
の事例
図表 4-44 に、ベトナムとインドの総投資率(官民合計の投資を GDP で除したもの)、経常収支
GDP 比、通貨割高(+)/割安(-)率の推移を示している。両国とも 1990 年代前半以前は総投資率が世
界平均を下回っており、また、通貨割高(+)/割安(-)率が大幅にマイナスであるにもかかわらず経
常赤字基調が続いていた。90 年代半ば以降に総投資率を引き上げた――世界平均を上回るほどに引
き上げた――あと、2000 年代初頭には両国とも経常黒字を達成した。そして両国とも、00 年代後
半はさらに投資率を高めたものの、通貨割高(+)/割安(-)率の漸増の影響があったのか、再び経常
赤字に陥った。その後、ベトナムは投資の成果が現れたのか、通貨割高(+)/割安(-)率が依然マイ
ナスではあるもののかなり上昇した上で、2011 年から 3 年連続で経常黒字となったが、インドは通
貨割高(+)/割安(-)率がベトナムより低い状態であるのに経常赤字が続いている。2011 年以降のベ
トナムの経常黒字とインドの経常赤字の違いを生んだのは、2000 年代の総投資率がほぼ同じ、通貨
割高(+)/割安(-)率もほぼ同じだったことを考えると、知識ストックの水準の違いや、その知識ス
トックを広く国民で共有できている度合いの違い――すなわち、教育水準の違い――にあるのかも
知れない。例えば、図表 4-45 を見ると、2005 年から 2010 年のベトナムの高等教育進学率がイン
ドを上回っており、これが 2011 年以降の両国の経常収支に差を生んだ原因の一つかも知れない。
インドの 2013 年の通貨割高(+)/割安(-)率は、世界 188 ヵ国中 183 位38でほぼ世界最低に近い水準
である。インドは資本ストックのさらなる蓄積だけでなく、図表 4-46 で示すようにベトナムの政
府支出のうちに教育支出占める割合が近年においてインドの倍になっていることを勘案すると、イ
ンド政府はもっと教育支出を増やすことが望ましい、と言えるのかも知れない。
38
データ出典は図表 4-33 参照
115
ベトナムとインドの総投資率の推移
30%
インド
ベトナム
世界全体
10%
1970
+20.0%
+10.0%
±0.0%
-10.0%1970
-20.0%
-30.0%
-40.0%
-50.0%
-60.0%
-70.0%
-80.0%
-90.0%
-100.0%
1980
1990
2000
2010
ベトナム 経常収支GDP比
1980
1990
2000
2010
インド 経常収支GDP比
ベトナム 通貨割高(+)/割安(-)率
インド 通貨割高(+)/割安(-)率
ベトナムとインドの経常収支、通貨水準の推移
図表 4-44 ベトナムとインドの総投資率、経常収支、通貨水準の推移
データ出典:総投資率(官民の投資合計÷GDP)は世界銀行 World Development Indicators、
経常収支は IMF WEO Apr. 2014、通貨割高(+)/割安(-)率は図表 4-33 に同じ
%
80
ベトナムとインド他の
高等教育進学率
ベトナムとインド他の
政府教育支出比
%
25
ベトナム
高所得国平均
70
60
日本
50
世界平均
40
20
世界平均
15
高所得国平均
低・中所得国
平均
30
低・中所得国
平均
10
インド
インド
20
5
ベトナム
10
0
日本
1970
1975
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
2015
1970
1975
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
2015
0
図表 4-45
ベトナムとインド他の高等教育
進学率
デ ー タ 出 典 : World Bank WDI “School
enrollment, tertiary (% gross)”
図表 4-46
ベトナムとインド他の政府支出
のうち教育支出が占める割合
デ ー タ 出 典 : World Bank WDI “Public
spending on education, total (% of
government expenditure) ”
116
②ユーロ圏における総投資、国内総研究開発支出と債務危機の考察
図表 4-47 にリーマンショック前後の各国の一人あたり総投資ランキング(2005 年価格固定、
2005 年固定対米ドル PPP レート)を示している。この図表に示している数値は、
「GDP あたりの
総投資額」を意味する総投資率に似ていると言えるが、総投資率にはない特徴として、固定価格で
算定されているので時間の推移とともに実質ベースで投資が増加しているかどうかが分かる上に、
固定対米 PPP レートで算定されているので、各国における一人当たりの投資を財・サービスの量
を基準として一括で比較できる。また、固定価格・固定対米 PPP レートで算定されていることに
よって、日本の 2012 年の一人当たりの投資量が、2007 年のノルウェーの半分以下に過ぎない、と
いった比較も可能である。この数値を以下「一人あたりの投資量」と呼ぶ。
この図表 4-47 において、特にユーロ圏諸国について注目したい。ユーロ圏で 05 年から 07 年の
経常収支が連続で赤字であった国(以下、
「赤字国」と呼ぶ)と連続で黒字であった国(以下、
「黒
字国」と呼ぶ)を比較しよう。リーマンショック前の 07 年において、黒字国の一人あたり投資量
は必ずしも赤字国よりも高くなかった。特に、リーマンショック後もユーロ圏で随一の安定さを保
っているドイツの一人あたり投資量はユーロ圏において、むしろ下位であった。大きな非シニョレ
ッジ対応可能債務を抱える国において、投資が大きいことは長期的には成長に寄与すると思われる
が、少なくとも短期的な経済の安定や、短期的な政府の財政余裕度とは関係性がかなり低いと考え
ることができる点は、上述のベトナムやインドと同様であろう(もちろん、総投資に含まれる家計
部門による過剰な住宅投資などが国際競争力にそれほど寄与しない、ということも関係があるだろ
う)。リーマンショック後は赤字国の一人あたり投資量の順位が落ち、黒字国の順位が上がり、ち
ょうど上位に黒字国、下位に赤字国が並ぶようになっているが、これは大きな非シニョレッジ対応
可能債務を抱える国において経常収支がいかに強力に官民を合わせた予算制約を決定づけるかを
物語っている。これはアイスランドにも当てはまっている(12 年の一人あたり投資量は 07 年比マ
イナス 58%)が、韓国が当てはまっていない(同+3%)。それは、韓国では(1)非シニョレッジ対応
可能債務問題がアイスランドほど深刻ではなかったことと、(2)独自通貨であるためにユーロ圏の
ように平価の切り下げを実質金利が上昇してしまうデフレに頼ることなく為替レートの切り下げ
で対応できたことなどが、原因であると考えることができるだろう。
一方、図表 4-47 に示す一人当たりの国内総研究開発費(05 年固定価格、05 年固定対米ドル PPP
レート。以下「一人あたり研究開発量」と呼ぶ)のユーロ圏諸国の状況を見ると、リーマンショッ
ク前の 07 年における一人あたり研究開発量は、概ね赤字国が下位、黒字国が上位に並んでいるこ
とが分かる。ユーロ圏内におけるリーマンショック直前期の経常収支の黒字と赤字を決定付けてい
たのは、一人あたり投資量よりも一人あたり研究開発量の比重が大きかった可能性が高い。この二
つの「量」はそれぞれ 2005 年の米ドルの購買力平価で算定されているので、互いの「量」を直接
比較することも可能である。一人あたり投資量は上位国で概ね一人あたり 10,000 ドル前後、一人
あたり研究開発量は上位国で概ね一人あたり 1000 ドル前後である。このように投資量よりも一桁
小さい研究開発量のほうが経常収支を左右しているのだとすれば、官民の予算制約によって投資量
を増やすことが困難である場合であっても、何とか研究開発量を維持向上していれば、国家経済が
将来において不安定化するリスクを減らし、安定化する可能性を増やせる可能性がある。投資量と
違って研究開発量はユーロ圏諸国においても 2012 年は 07 年比で概ね増加傾向となっており、また、
ユーロ圏に限らずスロベニア、エストニア、スロバキア、ポーランドといった東欧諸国が倍増また
は倍増に近い増加となっていることは、注目に値する。
117
リーマンショック前後の一人あたり国内総投資 (固定価格、固定対米ドルPPPレート)
2007年
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
ルクセンブルク
ノルウェー
オーストラリア
ア イルランド
アイスランド
米国
カナダ
ス ペイン
ス ロベニア
韓国
スイス
オース トリ ア
ベルギ ー
デンマーク
エストニア
オランダ
フィンランド
チェコ
ギリシャ
スウェーデン
日本
フランス
英国
イタリ ア
ドイツ
ニュージーランド
イスラエル
ス ロバキア
ポルトガル
ハンガリー
ポーランド
チリ
メキシコ
トルコ
2012年
0 5 ~0 7 年
ユーロ圏
一人あたり総投資ランキング
(単位:米ドル。2005年固定価格、 経常黒字+
2005年固定対米ドルPPPレート) 経常赤字16,786
12,305
11,186
10,837
10,544
10,077
8,771
8,735
8,515
8,469
8,337
8,207
7,853
7,844
7,824
7,660
7,399
7,160
7,102
7,096
7,013
6,725
6,488
6,448
6,394
6,345
5,584
5,431
5,076
4,098
3,837
3,175
3,122
2,666
+
-
-
+
+
+
+
-
+
-
0 5 ~0 7 年
ユーロ圏
一人あたり総投資ランキング
(単位:米ドル。2005年固定価格、 経常黒字+
2005年固定対米ドルPPPレート) 経常赤字1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
ルクセンブルク
オーストラリア
ノルウェー
カナダ
米国
韓国
スイス
オース トリ ア
ベルギ ー
スウェーデン
オランダ
イスラエル
フィンランド
ドイツ
エストニア
日本
デンマーク
フランス
チェコ
ニュージーランド
ス ペイン
英国
ア イルランド
イタリ ア
チリ
アイスランド
ス ロバキア
ス ロベニア
ポーランド
ポルトガル
メキシコ
ギリシャ
ハンガリー
トルコ
16,597
12,313
11,165
9,075
8,953
8,726
7,982
7,846
6,972
6,740
6,702
6,691
6,339
6,151
6,119
6,112
5,933
5,760
5,738
5,653
5,574
4,889
4,785
4,673
4,513
4,411
4,289
4,261
4,069
3,431
3,116
3,014
2,892
2,695
+
+
+
+
+
+
-
-
-
07年比
-1.1%
+10.1%
-9.3%
+3.5%
-11.2%
+3.0%
-4.3%
-4.4%
-11.2%
-5.0%
-12.5%
+19.8%
-14.3%
-3.8%
-21.8%
-12.8%
-24.4%
-14.4%
-19.9%
-10.9%
-36.2%
-24.7%
-55.8%
-27.5%
+42.2%
-58.2%
-21.0%
-50.0%
+6.0%
-32.4%
-0.2%
-57.6%
-29.4%
+1.1%
図表 4-47 リーマンショック前後:OECD 加盟国の一人あたり総投資ランキング(2005 年
価格固定、2005 年固定対米ドル PPP レート)
データ出典:OECD.StatExtracts - National Accounts - Annual National Accounts - Gross
capital formation (US $, constant prices, constant PPPs, OECD base year)データを IMF
WEO Apr. 2014 の人口データで除して計算。
なお、経常収支は IMF WEO Apr. 2014 データにおいて 05 年から 07 年の 3 年間連続で黒字
であったか赤字であったかで判定。
118
リーマンショック前後の一人あたり国内総研究開発費
(固定価格、固定対米ドルPPPレート)
2007年
一 人 あ た り R&D支 出
ランキング
( 単 位 : 米 ド ル 。 2005年 固 定 価 格 、
経常黒字+
2005年 固 定 対 米 ド ル PPPレ ー ト )
経常赤字-
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
イスラエル
米国
スウェーデン
ルクセンブルク
フィンランド
スイス
日本
アイスランド
オーストリア
デンマーク
ドイツ
オーストラリア
ノルウェー
韓国
カナダ
オランダ
フランス
ベルギー
英国
アイルランド
スロベニア
スペイン
イタリア
チェコ
ニュージーランド
ポルトガル
エストニア
ハンガリー
ギリシャ
トルコ
スロバキア
ポーランド
メキシコ
チリ
2012年
一 人 あ た り R&D支 出
ランキング
0 5 ~0 7 年
ユーロ圏
1,246
1,191
1,190
1,165
1,160
1,144
1,093
1,001
898
895
846
824
811
801
711
680
657
637
612
523
383
359
347
328
307
257
212
174
159
90
89
89
48
43
+
+
+
+
+
+
-
-
-
0 5 ~0 7 年
ユーロ圏
07年比
( 単 位 : 米 ド ル 。 2005年 固 定 価 格 、
経常黒字+
2005年 固 定 対 米 ド ル PPPレ ー ト )
経常赤字-
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
米国
スウェーデン
イスラエル
スイス
フィンランド
韓国
日本
ドイツ
オーストリア
デンマーク
ルクセンブルク
アイスランド
ノルウェー
オーストラリア
オランダ
ベルギー
フランス
スロベニア
カナダ
アイルランド
英国
チェコ
エストニア
イタリア
スペイン
ニュージーランド
ポルトガル
ハンガリー
スロバキア
ポーランド
ギリシャ
トルコ
チリ
メキシコ
1,265
1,185
1,175
1,144
1,119
1,113
1,042
1,034
1,026
965
946
876
842
813
787
733
699
685
624
623
559
448
427
342
339
326
312
221
175
165
146
116
61
54
+
+
+
+
+
+
-
-
+6.2%
-0.4%
-5.7%
+0.0%
-3.6%
+39.0%
-4.7%
+22.2%
+14.3%
+7.9%
-18.8%
-12.5%
+3.8%
-1.4%
+15.7%
+15.0%
+6.4%
+79.0%
-12.2%
+19.0%
-8.7%
+36.7%
+101.4%
-1.6%
-5.3%
+6.0%
+21.4%
+26.9%
+96.5%
+85.6%
-8.1%
+28.5%
+41.1%
+13.6%
図表 4-48 リーマンショック前後:OECD 加盟国の一人あたり国内総研究開発費ランキング
(2005 年価格固定、2005 年固定対米ドル PPP レート)
デ ー タ 出 典 : OECD.StatExtracts - Science, Technology and Patents - Research and
Development Statistics - Expenditure - Gross domestic expenditure on R-D by sector of
performance and source of funds の “Source of Funds: Total (funding sector)/ Sector of
Performance: Total intramural (US $, constant prices, constant PPPs, OECD base year)” デ
ータを IMF WEO Apr. 2014 の人口データで除して計算。ただし、オーストラリアは 2008 年と
2012 年、チリは 2007 年と 2010 年アイスランド、日本、韓国、メキシコ、ニュージーランド、
トルコは 2007 年と 2011 年、スイスは 2004 年と 2008 年のデータを示している。
なお、経常収支は IMF WEO Apr. 2014 データにおいて 05 年から 07 年の 3 年間連続で黒字
であったか赤字であったかで判定
119
③日本の総投資、研究開発費の推移に関する考察
ここで、日本を軸にして一人あたりの投資量、一人あたりの研究開発量のもう少し長期的な傾向
を見ておきたい。
図表 4-49 を見ると、1991 年比で 2012 年の一人あたり投資量が減少しているのは、日本以外で
は、リーマンショック後に政府債務不履行を起こしたアイスランドとユーロ圏の債務危機国、そし
てスイスのみである。ただし、スイスの当該期間の減少率はわずかに 6%であるのに対し、日本は
26%であり、かつ、2012 年のスイスの量は 1991 年の日本の量とほぼ変わらないくらいに大きい。
また、日本の一人あたり投資量の OECD 加盟国内での順位は、91 年と 97 年が 3 位であったものが、
2012 年には 16 位にまで後退し、いまやエストニアや韓国より小さい水準となっている。4-3で
検討したように、少なくとも 2010 年代前半までにおける日本の財政余裕度は、世界の中でかなり
高い水準であると言える。しかし、90 年代後半から続く投資量の減少傾向がこのまま続くようでは
資本ストックの減少を通じて日本の競争力、生産供給能力が減退し、中長期的に財政余裕度が著し
く低下することは避けられないだろう。なお、参考として図表 4-50 に 1990 年から 2012 年の期間
における日、米、独、韓、ギリシャの一人あたり投資量の推移グラフを掲載している。
次に、OECD 加盟国の一人あたり研究開発量を図表 4-51 に示しているが、日本においては、一
人あたり投資量とは逆に、研究開発量は一応は増加している。ただし、順位は 1991 年の 3 位から、
1997 年には 5 位、そして 2012 年は 7 位と、時とともに低下している。ユーロ圏諸国に注目すると、
フィンランド、オーストリアが、1991 年には日本の半分程度であったのが、2012 年には日本を追
い抜くかあるいは同程度の水準にまで急激に伸びており、かつ、フランスを追い抜いている。フィ
ンランド、オーストリアのようなリーマンショック直前期に経常黒字となっていた国々とフランス
のような経常赤字となっていた国々の違いは、やはりこの辺りに原因があるのかも知れない。
ところで、ジョーンズ[5]によればローマー・モデルにおいてローマーが発見したのは「このモデ
ルでは、何の介入もない市場のすべての可能な世界の中で最良の状態を達成するとはいえないとい
うこと」であり、それは「市場経済の資源配分下では研究開発のインセンティブが過少になる」か
らであり、「この問題を扱ったほとんどの実証研究が、米国のような先進諸国では研究開発はおそ
らく過少投資になっているとの結論を得ている」という。これが正しければ、研究開発において政
府が果たすべき役割は極めて大きいと言えるだろう。図表 4-52 にはいくつかの国をピックアップ
して、一人あたり研究開発量のうち政府財源分の推移グラフを示しているが、オーストリアの政府
財源分の増加が著しかったことが分かる。
オーストリアの 1991 年から 2012 年までの研究開発量の増加のうち、政府財源分の増加が 4 割弱
を占めるし、2012 年の研究開発量の 4 割が政府財源分である(図表 4-51 および図表 4-52 のデ
ータから計算)。このことがオーストリアのユーロ圏内での競争力強化をもたらしている大きな原
因である可能性が高い。
「市場経済の資源配分下では研究開発のインセンティブが過少」になりが
ちであるがゆえに、政府の財政均衡が法律上厳しく規定されているドイツ39ですら、研究開発量を
増加させるための政府財源分を増加させ続けていると考えられる(図表 4-52)
。
財務省「財政制度等審議会 財政制度分科会 海外調査出張報告(ドイツ)
」平成 26 年 4 月 28 日によれば、
ドイツでは「連邦及び州の予算は、原則として公債収入なしに均衡させなければならない」ことが基本法第
109 条で規定されている(例外として「連邦予算においては、構造的な要因として、毎年、GDP の 0.35%を
超過しない範囲で公債発行が認められる」が、「州予算においては、公債収入が認められない」)。
39
120
OECD加盟国の一人あたり投資量 推移
〔米ドル〕
18,000
16,000
1991
14,000
日本の順位
1997
2012
1991年3位 1997年3位 2012年16位
12,000
10,000
8,000
6,000
4,000
2,000
(+)ルクセンブルク
オーストラリア
ノルウェー
カナダ
米国
韓国
スイス
(+)オーストリア
(+)ベルギー
スウェーデン
(+)オランダ
イスラエル
(+)フィンランド
(+)ドイツ
エストニア
日本
デンマーク
(-)フランス
チェコ
ニュージーランド
(-)スペイン
英国
(-)アイルランド
イタリア-
チリ
アイスランド
(-)スロバキア
(-)スロベニア
ポーランド
(-)ポルトガル
メキシコ
(-)ギリシャ
ハンガリー
トルコ
0
※国名の前にある(+)/(-)は、05年から07年におけるユーロ圏諸国につき、3年連続して経
常黒字(+)であったか経常赤字(-)であったかを示している。
図表 4-49 OECD 加盟国の一人あたり国内総投資(2005 年固定価格、2005 年固定対米ドル PPP
レート)
データ出典:図表 4-47 に同じ
日、米、独、韓、ギリシャの一人あたり投資量 推移
(2005年固定価格、2005年固定対米ドルPPPレート)
12,000
米国
〔米ドル〕
10,000
韓国
8,000
ドイツ
6,000
日本
4,000
ギリシャ
2,000
0
1990
1995
2000
2005
2010
2015
図表 4-50 日、米、独、韓、ギリシャの一人あたり国内総投資(2005 年固定価格、2005 年固
定対米ドル PPP レート)
データ出典:図表 4-47 に同じ
121
OECD加盟国の一人あたり研究開発量 推移
〔米ドル〕
1,400
1991
1,200
日本の順位
1,000
1997
2012
1991年3位 1997年5位 2012年7位
800
600
400
200
米国
スウェーデン
イスラエル
スイス
(+)フィンランド
韓国
日本
(+)ドイツ
(+)オーストリア
デンマーク
(+)ルクセンブルク
アイスランド
ノルウェー
オーストラリア
(+)オランダ
(+)ベルギー
(-)フランス
(-)スロベニア
カナダ
(-)アイルランド
英国
チェコ
エストニア
(-)イタリア
(-)スペイン
ニュージーランド
(-)ポルトガル
ハンガリー
(-)スロバキア
ポーランド
(-)ギリシャ
トルコ
メキシコ
チリ
0
※国名の前にある(+)/(-)は、05年から07年におけるユーロ圏諸国につき、3年連続して経
常黒字(+)であったか経常赤字(-)であったかを示している。
図表 4-51 OECD 加盟国の一人あたり国内総研究開発費(2005 年固定価格、2005 年固定対米ド
ル PPP レート)
データ出典:図表 4-48 に同じ。ただし、日本、韓国、アイスランド、ニュージーランド、トルコ
の「2012 年」は 2011 年、チリの「2012 年」は 2010 年、オーストラリア「1991 年、1997 年、2012
年」は 1992 年、1998 年、2010 年、スイスの「1991 年、1997 年、2012 年」は 1992 年、1996 年、
2008 年、ルクセンブルクの「1997 年」は 2000 年、エストニアの「1997 年」は 1998 年のデータ
を表示している。
各国の一人あたり研究開発量のうち、政府財源分の推移
〔米ドル〕
450
400
オーストリア
350
米国
300
ドイツ
フィンランド
250
韓国
200
フランス
150
日本
100
ギリシャ
50
0
1980
1985
1990
1995
2000
2005
2010
2015
図表 4-52 日、米、独、仏、韓、ギリシャ、オーストリア、フィンランドの一人あたり国内総
研究開発費のうち、政府財源分の推移(2005 年固定価格、2005 年固定対米ドル PPP レート)
データ出典:図表 4-48 に同じ。ただし、“Source of Funds: Sub-total government (funding
sector)/ Sector of Performance: Total intramural
122
一方、日本の政府財源分は 1995 年にピークアウトしている(図表 4-52)ので、日本のそれ以
降の研究開発量の増加(図表 4-51)を支えたのは民間財源分ということになるし、日本の政府財
源分は 2012 年において米国やオーストリアの半分にも満たないほどに小さい。市場任せではなか
なか研究開発が増えることがないというローマーが発見した知見に従えば、日本の研究開発量の順
位が下落してゆくのは至極当然の現象であると言える。
以上のことを踏まえると、日本のこの状況は、長期的な日本政府の財政余裕度の維持という観点
において、非常に危惧すべきものであると言わざるを得ないが、一人あたりの研究開発量を 2012
年 OECD 首位の米国並みに増やすことは、一人あたりの投資量を同首位のルクセンブルク並みに増
やすよりもハードルはかなり低い。
日本の人口を 1.28 億人とし、
「2005 年 PPP レートの 1 ドル=2012
年現在の 100 円」とすれば、日本の一人あたり研究開発量を OECD 首位にするために必要な金額は
2.9 兆円であり、一人あたり投資量を同首位にするために必要な 134.2 兆円に比べればはるかに小
さい(それぞれ図表 4-51、図表 4-49 のデータから計算)。
「反の経済」の局面においては、政府の支出と債務の拡大が好ましいと考えられる。中長期的な
財政余裕度や国際競争力の維持向上の観点を踏まえれば、「反の経済」の局面においては政府主導
で一人あたりの研究開発量と投資量の両方を増加させることが望ましいと考えられる。しかし、そ
の二兎を追うことが政治的にかなり困難であるとすれば、一人あたり投資量についてはこれ以上の
減少を食い止める程度に留めておき、恐らく投資量よりはかなり僅少な負担で国際競争力の維持向
上につながると考えられる一人あたり研究開発量の増加に重点を置く、という選択肢もあり得るだ
ろう。
④少子高齢化(=労働人口の減少)における財政余裕度の検討
少子高齢化問題――従来、3人の現役世代で1人の引退世代を支えれば良かったところが、今後
は、2人の現役世代で2人の引退世代を支えなければならなくなるような問題――を考える際、一
般的には年金や介護保険の財源問題ばかりに注目が行きがちである。しかし、非シニョレッジ対応
可能債務の問題がなく、基本的にはシニョレッジ対応可能債務の問題しか存在しないと考えられる
日本においては、金銭的に行き詰まることは考えにくい。少子高齢化で問題にすべきは金銭的な財
源の問題ではなく、より少ない労働人口によって、総人口で需要される財やサービスの産出量をい
かに維持向上させるかの問題である。よって、少子高齢化を乗り切るために必要なのは金銭的な財
源ではなく、労働人口一人あたりの財やサービスの産出量をいかにして増やすかということに、注
力するようでなくてはならない、と考えられる。
一般的な生産関数は
1/3 2/3
𝐿𝑦𝑡
𝑌𝑡 = 𝐴𝑡 𝐾𝑡
(4 − 29)
のように表される。
ここで、𝑌𝑡 はある期間 t における産出量、𝐴𝑡 は知識ストックの量、𝐾𝑡 は資本ストックの量、𝐿𝑦𝑡 は
生産活動従事者数である。
なお、𝐴𝑡 は一般的には全要素生産性(TFP)であるが、この𝐴𝑡 は「ローマー・モデルのように、
アイディアのストックを表しているとみることができる」[5]。ここで、総人口が時間によらず一定、
少子高齢化のみが進行すると仮定すると、𝐿𝑦𝑡 は時間とともに減少するが、総人口で需要されるだ
けの産出量𝑌𝑡 は維持しなければならないことになり、すると必然的に𝐴𝑡 を増やすか、
𝐾𝑡 を増やすか、
あるいは、𝐴𝑡 と𝐾𝑡 の両方を増やす以外に𝑌𝑡 を維持するための方策がないことになる。もちろん、移
123
民により𝐿𝑦𝑡 を増やすという選択肢もあり得るが、その移民労働者までもがいずれ少子高齢化する
ような可能性を排除できないのであれば結局は問題を先送りするだけ――あるいは、将来における
問題をより一層深刻かつ複雑にするだけ――であり、根本解決とはならないだろう。
総人口で需要されるだけの産出量𝑌𝑡 を維持できなければ外国の生産能力に依存、すなわち、純輸
入に依存せざるを得なくなり、経常赤字もいずれ拡大せざるを得なくなるだろう。それでも当面は
米、英、豪、ニュージーランドのように非シニョレッジ対応可能債務に依存することなく純輸入を
賄えると考えられる。しかし、需要される財やサービスの量に対して、国内の産出量が決定的に不
足するようになれば、いずれは非シニョレッジ対応可能債務に依存する必要も出て来るだろう。つ
まり、𝐴𝑡 と𝐾𝑡 を十分に増やさない限り、政府の、あるいは、国全体としての財政余裕度が保たれ
ることはない。𝐴𝑡 と𝐾𝑡 を十分に増やさない限りは、仮に政府の債務がゼロまたは僅少であっても、
民間部門の非シニョレッジ対応可能債務問題が生じ、アジア通貨危機時のタイや韓国のような危機
に陥ることとなるだろう。よって、今般の「反の経済」の局面において日本政府が取るべき道は、
シニョレッジ対応可能債務を増やすことで𝐴𝑡 と𝐾𝑡 を増やすことができるうちに、そのための支出
――研究開発量や投資量などを増やすための支出――を拡大するほかはないものと考えられる。結
局のところ、高橋是清が書き残していたように「金(かね)よりは品物が大切である。物資こそ国富
の元だから盛んに物資を作らなければならぬ」ということに尽きるであろう。
4-4-2.財政余裕度の心理的側面に関する検討
①情動と感情および論理的思考の仕組みについて
世界的な脳科学者ダマシオ[28]によれば、人間のあらゆる記憶は、連合学習と呼ばれる記憶の仕組
みを通じて、必ず何かしらの感情――より正確には情動――と結び付けられてセットで記憶されて
いる。
まずここで、「感情(feeling)
」という言葉と、一般的にはそれに近い語感を持っていると解釈
される「情動(emotion)
」の違いについて説明しておきたい。心理学においては必ずしもこの二つ
の言葉は明確に区別されない場合がある[29]が、脳科学においては明確に区別されている。そして、
我々の体内においては、先に「情動」が生じ、その後に「感情」が生じるが、もう一人の世界的な
脳科学者ジョセフ・ルドゥーの著書[30]にある「ヘビのようなものを見た」という場合の例え話を借
用しつつ、ダマシオの著書[28]における情動と感情の仕組みの説明について簡単に要約すると、以下
のようになる[14]:
(1)「ヘビのようなもの」について視神経に入力された情報が脳の表面の大脳皮質にある感覚
処理システムによって、脳の内奥部にある扁桃体と呼ばれる部位などで利用できる形に加
工される
(2)扁桃体は入力された情報を脳の他の部位に記憶されている記憶情報と照会し、危険かどう
かについて判定を行う。そして、危険と判定した場合は、前脳基底、視床下部、脳幹と呼
ばれる各部位にその情報を伝達する
(3)前脳基底、視床下部、脳幹は身体の各部位に必要な身体的反応をするように命令を下す。
それは例えば、危険から身を守るために身をすくめる、素早く飛び退く、というような反
応である。これは心拍数や血糖値を上げて無酸素運動=急激な運動をしやすくする、とい
った身体内の変化をもたらす。そのような身体内の変化こそが「情動」あるいは「情動状
124
態」である。
(4)(3)で生じた身体反応すなわち「情動状態」が、身体全体にあるセンサー(つまり神経
組織)を通じて再び脳の表面の大脳皮質にある感覚処理システムに集約される。そのとき、
この「ヘビのようなものを見た」という人は、初めて恐怖などの「感情」を抱くこととな
る。なお、この(1)から(4)までの流れは、すべてほぼ完全に自動的に生じる。
改めて簡単に言いなおすと、脳科学において「情動」とは「身体反応」あるいは「身体状態」で
あり、「感情」とは脳でその身体状態をいかに感じているか、ということを意味する言葉であるこ
とになる。よって、上述の「人間のあらゆる記憶は何かしらの情動とセットで連合学習されている」
という概念は、「人間のあらゆる記憶は何かしらの身体状態とセットで連合学習されている」と言
い換えることができる。
そして、ダマシオ[28]によると、
・過去に否定的(ネガティブ)な結果をもたらした選択肢を避けるように否定的な情動と感情が喚
起される。逆に、過去に肯定的(ポジティブ)な結果をもたらした選択肢を採用することを促す
ように、肯定的な情動と感情が喚起される。
・そのようにして意思決定の選択肢の幅が狭くなるようになり、「行動が過去の経験に一致する
確率を高めている」
。この情動と感情の仕組みにより「推論のプロセスの効率を増し、スピー
ドを上げる」ことが可能となる。
ということになる。
身体的反応である情動によって「印づけ(マーク)」されているということから、こうした一連の
概念を、ダマシオらは「ソマティック・マーカー」仮説(somatic marker:ソマティックは〝身体
の〟という意味)と名付けている[28]。
この「ソマティック・マーカー」仮説に従えば、どのような論理的思考も、その詳細なプロセス
について段階を追って吟味すれば、実は情動――論理的思考の際に用いられる、脳内に蓄積されて
いる諸々の言葉や画像などの記憶情報と連合学習されている情動――とそれに伴って生じる感情
を利用することで正しいか間違っているかの判定がなされる、というプロセスの繰り返しにほかな
らないことになる。このダマシオの説に基づけば、政府債務――いわゆる「国の借金」――や政府
の財政余裕度についてどれだけ「論理的」に思考しているつもりであっても、必ず情動や感情を伴
って思考していることになる。それは、本論文を執筆している筆者であれ、いま本論文をお読み頂
いている諸兄諸姉であれ、誰であろうと、必ずそうである、ということになろう。
②ストレスと恐怖、および恐怖の持つ特性に基づく「借金」に関する考察
ストレスは次のように定義される[31]:
「ストレスという言葉はもともと、構造物に対する物理的力をさしており、生理学に応用され、
嫌悪や恐怖刺激にたいする生理的反応をさすようになった」
言い換えれば、ストレスとは否定的な状況におかれたときに発生する情動(=身体反応)であり、
そして、恐怖はそのストレス反応の一種であると言える。
恐怖研究の第一人者であるルドゥーによれば、恐怖の記憶は生涯消えることがない。彼は著書[30]
において「ウサギが水たまりに出かけてそこでキツネに出会い命からがら逃げ帰ったとすると、次
にそのウサギは、水たまりに近づくこと自体を避けるか、びくびくしながら注意深い足どりで、キ
125
ツネが近くにいるという手がかりがないかどうか周囲を見ながら水たまりに近づくだろう。ウサギ
の脳では、水たまりとキツネは関連付けられ、水たまりに近づくとウサギは警戒するようになる」
という例え話を挙げた上、「野生動物には試行錯誤を行って学習する機会はない」ために、恐怖体
験は決して忘れないようになっていると述べている。野生生物は、危険情報について一度で学ばな
ければ、厳しい自然界で生き残っていけないからだ。また、彼は動物の恐怖条件付け実験の前後で
複数の脳神経細胞(ニューロン)の活動を記録するなか、一部のニューロン間の相互作用が消去され
ずに残り続けていることを発見した旨を同書にて述べている。このルドゥーの知見に従えば、一度
覚えた恐怖の記憶は、仮にその発現を抑えることができたとしても、決して物理的に消し去ること
ができない、ということになる。なぜなら恐怖とは本来、危険を回避し、生存確率を高めるために
必要不可欠な生物学的システムであるからだ。
ここで、「借金」という単語と恐怖の結び付きについて検討してみよう。借金と聞いて肯定的な
感情が湧くか否定的な感情が湧くかというと、多くの場合は、否定的感情が湧くものと思われる。
特に、ある種の貸金業者から借金をして過酷な取り立てを経験した人、あるいは米国のサブプライ
ムローンなどで破綻し、住む家も何もかも一瞬にして失う経験したような人は、その恐怖の記憶が
「借金」という単語とともにかなりの強度で連合学習されているだろう。また直接借金苦の経験を
したわけでなくとも、近親者からそのような体験の生々しい証言を聞いたり、テレビドラマや映画
や小説などによって間接的な追体験を積み重ねた結果、「借金」という単語と恐怖の感情(という
よりは情動)が密接に関連してセットで記憶されるに至る場合も多いだろう。そして、ルドゥーの
知見に従えば、恐怖の記憶は生涯消えることがない。それゆえ、
「国の借金 1000 兆円」と誰かが聞
いた場合、何らの前提条件の説明もない状況においては、
「まだまだ大丈夫だ」と感じるよりは、
「大
変だ!」と感じるのが自然であるだろう。それは上述のように、借金という単語と恐怖の感情が連
合学習されていることが多いと考えられるからだ。
そして、ある人が恐怖を感じたなら、確実にその人の体内においてストレス反応が生じることに
なる。ストレス反応は、先ほどのウサギが恐怖を感じたときのように、緊急事態において危険を回
避する上で素早く逃走か闘争を行うために必要な準備をするための反応――例えば、心拍数、血圧、
血糖値の上昇など――である。このストレス反応についてまとめたものを図表 4-53 に示す。
図表 4-53 を見ると、ストレス状態においては心拍数、血圧、血糖値の上昇にとどまらず、身体
を素早く動かすために不必要である、あるいは、妨げにすらなるような論理的思考の機能、消化機
能、生殖機能などは、すべて機能が低下するようになっていることが分かる。この図において改め
て注目したいのは、計画・推論・意思決定など論理的思考を担当する前頭前野が、ストレス状況下
において抑制され、情動反応を担当する扁桃体が活性化することである。
仮に、ある人が「国の借金が 1000 兆円を突破した!政府は今すぐにでも破綻する!」という言
葉をテレビや新聞で見聞きした場合において、その人が多少なりとも恐怖を感じたとする。すると、
体内で多少なりともストレス反応が生じることとなるため、論理的思考を担当する前頭前野が抑制
され、情動反応を担当する扁桃体が活性化される。このような状態となっている人に対して、以下
の〔仮説 A〕と〔仮説 B〕の説明をした場合にどうなるか、検討してみよう。
126
図表 4-53 ストレス反応のまとめ
出典:廣宮孝信著 「日本経済のミステリーは心理学で解ける」p.181 プレゼン 3-1
図中の文献番号[11]は本論文の参考文献[30]、図中[12]は本論文の[31]である
127
〔仮説 A〕
「日本は非シニョレッジ対応可能債務の問題がないし、インフレ率も世界でかなり低い
部類にあり、いざとなれば通貨発行権を行使することができるため、政府が債務不履
行に陥る可能性は極めて低い。さらに、非シニョレッジ対応可能債務の問題がなかっ
た英国の 1992 年ポンド危機と非シニョレッジ対応可能債務の問題があった韓国の
1997 年アジア通貨危機における状況を対比すると、英国は通貨安とともに対外純資産
がプラスに転じたため自力救済できたのに対し、韓国は通貨安とともに対外純資産の
マイナスが急増したため IMF などの支援を要したことなど、非シニョレッジ対応可能
債務の問題がない場合とある場合の安全性の違いが浮き彫りになる。また、その韓国
の危機の際、韓国政府は長年にわたり財政黒字を続けていた上に公的債務 GDP 比もわ
ずかに 12%であったのに危機に陥ったがそれは民間部門が大きな非シニョレッジ対
応可能債務を負っていたからであり、現在の日本の状況とは程遠い。そもそも社会全
体が豊かになれば人々は貯金を増やす傾向にあるため、民間部門の金融純資産が増え
続けることになるのであるから、政府の金融純負債がそれにつれて増加を続けるのは
当然の現象である。本当の危機は少子高齢化で労働人口が減った時に総人口で需要さ
れる産出量をその少なくなった労働人口で支えることができなくなることである。今、
日本政府がすべきことは、過度のインフレにならない限りいくらでも融通の利くシニ
ョレッジ対応可能債務を増やして労働者一人あたりの生産性を向上させるための知識
ストック𝐴𝑡 や資本ストック𝐾𝑡 の増加を図るための支出を増やすことであり、そのよう
にして初めて将来にわたって日本経済を安定させることができる」
〔仮説 B〕
「国の借金が 1000 兆円を突破した!政府は今すぐにでも破綻する!政府の無駄削減と
増税が重要だ!」
仮に〔仮説 A〕と〔仮説 B〕が完全に同水準の確からしさを持つ仮説であるとした場合において、
確実により多くの人々に受け入れられやすいのは〔仮説 B〕であると考えられる。というのは、
「借
金」という言葉によって自動的に連想される恐怖が先立っているときに受け入れられやすい説明は、
身近な個人の借金の対応策――可能な限り支出を減らして可能な限り収入を増やす――と同じ手
順を単純明快に示していて即座に「論理的」にも「感情的」にも受け入れやすい〔仮説 B〕のよう
なものであるからだ。
以上のように、脳科学や生理学などの知見に基づいて検討すると、政府債務の問題に関してより
多くの人々に受け入れられやすいのは、「国の借金」に対する恐怖よりももっと強度の否定的感情
を引き起こすような全面戦争の勃発のような事態でもない限り、政府の財政出動論よりは、政府の
財政再建論である場合が多いと考えることができるだろう。恐らく、経済局面が「正の経済」であ
ろうと「反の経済」であろうと、民間の債務状態がどのようなものであろうと、政府の財政再建論
のほうが普及拡大しやすいものと考えられる。これが、日本で 1997 年以来少なくとも 2012 年まで
は緊縮財政政策が取られることが多かったこと、2013 年に米国議会における連邦債務上限引上げ問
題の紛糾により 13 日間の政府機関閉鎖が生じたことや、ドイツで基本法(事実上の最高法規)に
おいて連邦および州政府の財政均衡が厳しく規定されるようになったことの、大きな要因の一つで
はないかと筆者は考える。
ドイツについてはユーロ圏であり独自の通貨発行権がないために財政均衡を重視せざるを得な
128
いという事情もあろうが、やはり第一次大戦後のハイパーインフレの原因が通貨増発のみならず政
府の急激な赤字拡大にあった[32]――トーマス・サージェントの「長く続く高いインフレは常にどの
場合でも財政的な現象である」という言葉通りの現象が生じていた――とされることについての恐
怖の記憶、文字通りの「国の借金に対する恐怖」の記憶が広く国民に共有されているからかも知れ
ない。それが仮に後のナチスの台頭と凄惨を極めた第二次世界大戦の記憶とも併せて連合学習され
ているとすれば、より一層恐怖との連結が強化されているだろう。もしそうならば、脳科学者ルド
ゥーの知見に従えばそのような恐怖の記憶は人々の頭の中からそうそう消えることはないであろ
うし、さらに近年ネイチャー誌で発表されている「恐怖体験の記憶は子孫に遺伝する」とする学説
40も加味すれば、その「恐怖」は長期にわたってドイツの財政政策に影響を与え続ける可能性が高
い。
以上のような考えが仮に正しいとするならば、本来は危険回避のために人間に生物学的に備わっ
ている恐怖のメカニズムが、各国の財政政策に根源的に影響し、それによって経済危機あるいは「反
の経済」の局面においても財政出動がなされにくく、金融政策に依存しがちになり、それによって
図表 4-41(87 頁)に示したようなメカニズムで格差拡大が進行し、それによって社会の不安定化
が増大してしまっている――つまり、本来危険回避のために存在するはずの生物学的な防衛本能が、
逆に人類社会の危険を増大してしまっている――ということになる。それゆえ、社会経済の安定の
ためには、このような恐怖についての研究や考察が広く行われることが、極めて重要であるのでは
ないかと筆者は考える次第である。
仮に、世界中のすべての国において、「政府債務に対する恐怖」が高じることによってドイツの
ように最高法規で財政赤字が禁じられるようになったとすれば、それは世界全体において「『反の
経済』の局面においても財政出動がなされにくく、金融政策に依存しがち」になることにつながる
し、
「正と反の経済学」の適用が事実上、世界中で法的に禁じられてしまうことにもなる。
「政府債
務に対する恐怖」に関する研究や考察は、「正と反の経済学」の実用性を高めるという観点におい
て必要不可欠な要素であると言える。
ここで前頁の二つの仮説に話を戻すが、筆者は当然ながら、
〔仮説 A〕のほうが〔仮説 B〕よりも
確からしさが高いと「感じて」いる。しかし、上述のような脳科学や生理学の知見に従えば、〔仮
説 B〕が正しいと「感じる」ことも完全に自然であり完全に正しい反応であるとも「感じて」いる。
もちろん、まだ筆者の視界に入っていない、
〔仮説 B〕のほうがより確からしいことを確定的に裏付
けるような未発見の事実というものが存在している可能性が、完全にゼロであるとは決して言えな
い。そこで、
〔仮説 A〕のような「日本の政府債務に対する楽観論」と〔仮説 B〕のような「日本の
政府債務に対する悲観論」を両方とも正しいとひとまず仮定し、この両説の対立点や矛盾を乗り越
えて調和的に統合するような試論を提案したいと考え、拙著[14]においてそのような試論をまとめた。
以下にそれを引用しておきたい:
まず、「国の借金」に関する悲観的な、あるいは、否定的な見解について、簡単にまとめて
おくと、次のようになろうかと思われます:

40
借金は悪であり、危険である。ゆえに、国の借金(政府の負債)も悪であり、危険であ
NATURE NEWS "Fearful memories haunt mouse descendants", 01 December 2013
129
る。

政府の支出に頼って会社を経営したり生活を営んだりするのは勤勉ではなく、怠惰であ
る。そのような政府に依存する他力本願は、悪である。
次に、上記のような悲観・否定論と、「日本の国の借金は大丈夫だ!」という楽観・肯定論
を、「両方とも正しい」と肯定した上で統合することを試みたいと思います。
「国の借金は危険である」という点について。仮にこのまま「国の借金」が増え続けたとし
て、仮にどんな状況であれば、政府、あるいは、国家は破綻せずにいられるでしょうか?
例えば、水、食料、エネルギーが日本国内で際限なく手に入れることが可能な状態になった
としたら、どうでしょうか?
例えば、少子高齢化で年金を支える若者が減り続ける生産人口不足、労働力不足の問題も、
ロボット技術開発が進むことにより、労働力不足が一切心配しないで済む状況になったとした
らどうでしょうか?
それでも日本は破綻するでしょうか?
恐らく、破綻しないでしょう。なぜならこの場合、国民生活は破綻しようがないからです。
この場合、おカネを使うような経済(貨幣経済)のシステムを全部廃止して物々交換経済にし
たとしても、多少の不便があるにせよ、国民生活に必要なものはひと通り、十二分にそろって
いるわけですから、国民生活の破綻はありません。
一方、「国の借金」に関する楽観・肯定論の立場からは、外貨建ての借金問題がない限り、
民間部門が積極的に貯金を減らし借金を増やして投資拡大を図る「借金モード」に転換するま
で、政府は積極的に借金を増やして支出を増やすべき、となります。
ここで、悲観・否定論と楽観・肯定論の見解の統合を試みるならば、「国の借金を増やしな
がらも、将来、破綻することがないようするための投資に限って使う」という方向性があり得
るでしょう。つまり、水、食料、エネルギー、ロボットに関する技術投資や教育投資に限定す
る形で「国の借金」を増やすという方向性です。
この場合、そのために発行する国債は「技術立国国債」とでも名付ければ良いでしょう。
次に、政府の支出に頼る企業や個人は怠惰であるからダメだ、という悲観・否定論について。
これについては、繰り返し書いております「第三の道」41方式により、努力しなければ政府か
らのカネは受け取れない、ということを原則とするならば、どうでしょうか?
生活保護の支給については、どんな簡単な作業でも、どんな短時間でも、少しでも働ける人
は働き、働いていない人よりも働いた分だけ支給額が少しでも多くなる、というようにすれば、
どうでしょうか?
また、公共工事に関しては第2章で、技術力を磨く努力をしなければ公共工事を受注できな
いという「品質確保法」42の枠組みを紹介しました。
41
英国のブレア政権が全面的に取り入れたことで有名になった新しい福祉のあり方。従来のような与えるだ
けの福祉では福祉を受ける人々のやる気や生産性が損なわれて社会全体の生産性が損なわれてしまうという
欠点があった。一方、
「第三の道」は格差の拡大をできるだけ緩和するために政府は福祉予算を増やすが、よ
り多くの努力をした人やより大きな成果を挙げた人がより多くの果実が受けられるようにして人々からやる
気や努力を引き出す、インセンティブ方式の福祉のあり方である。
42 2005 年に成立・施行された「公共工事の品質確保の促進に関する法律」
。従来の談合方式では受注業者が
順送りで決まっていしまい、その業者に必要な品質を満たす技術があるか不明であった。その後の価格入札
方式においても無理な値下げで受注することが横行し、やはり品質や技術水準が確保できなかった。この「品
130
こういったやり方であれば、政府が支払うおカネに対して、それに見合う価値が、おカネを
受け取る企業や個人から提供されることになります。少なくとも、政府の支払いに見合う価値
に近づくことになるでしょう。これは、第1章で述べた、おカネと物や労働のエネルギー交換
が、等価交換に近づく、ということになります。
等価交換になるならば、政府の支出に「頼っている」とされる企業や個人は、もはや政府に
頼っていることにはなりません。あくまでも、提供した価値に見合うおカネを、当然の対価と
して受け取っているに過ぎません。それならば、政府支出への「依存」は、もはや「怠惰であ
る」という性質を持たないことになります。
等価交換であるならば、それは適正であり、過不足がなく、釣り合いが取れており、調和的、
そして、勤勉であって、かつ、誠実であると言えます。
以上の「国の借金に関する悲観論と楽観論の“天下統一”」について、まとめます。
一つには、
「国の借金」の使い道を、「国の借金」に対する悲観・否定の根源=将来不安を、
完全に解消する目的の投資に限定すること(国債を「技術立国国債」とする)。
もう一つは、政府支出に「頼る」ことが怠惰であると見なされることを解消するために、政
府の支出の使い道を可能な限り、努力、勤勉さを引き出す「第三の道」的な使い方に改めるこ
と。政府支出にはそれに見合う価値が提供される、つまり、等価交換が成立する形となるよう
に、政府支出の使い方をできる限り改めること。
これが筆者の考える、
「国の借金」に対する悲観論者と楽観論者の調和的統合を図るための
方法論(試論)となります。
③「財政余裕度の心理的側面」についてのまとめ
「反の経済」において政府が適切な行動を取りにくいことの大きな原因として、多くの諸国民が
共有しているであろうところの、借金全般に対する恐怖から派生する政府債務に対する恐怖の観念
の存在が考えられる。これを解消できなければ、研究開発の量や投資の量を積極的に増やせなくな
る上、当局がますます財政政策ではなく金融政策に依存を強めることを通じて経済格差がますます
高まってしまうこととなり、それによって将来における政府の財政余裕度や社会全体の余裕度が減
る一方になってしまいかねず、本論文の主題である「正と反の経済学」が実際に利用されるような
可能性は小さくなる一方であろう。そこで本項においては、a. 恐怖の生理学的・脳科学的なメカ
ニズムの理解を通じて「国の借金(政府債務)」に対して多くの諸国民が恐怖を抱くのは完全に自
然なことであるということをまず把握する必要があること、b. シニョレッジ対応可能債務は通貨
発行権で対応可能なので、日本のようなシニョレッジ対応可能債務の問題しかない国においては資
金不足による「破綻」はあり得ないこと、c. 「国の借金」の怖さの根源は生活の破綻につながる可
能性であるということ、d. 悪性インフレにならない限りはいくらでも増やせるシニョレッジ対応
可能債務を用いて知識ストックと資本ストックを増加させるための投資を行えば生活の破綻の可
能性がなくなるのであるから「国の借金」に対する恐怖の根源もなくなるということ――というよ
うな議論を普及拡大することが、
「反の経済」において政府が適切な行動を取るための環境を整え
るのに必要不可欠であり、これができて初めて「正と反の経済学」がその完成を見ることになる、
と提案するものである。
質確保法」により公共工事の発注に際して価格のみならず、業者の技術力をも評価する仕組みとなった。こ
れは単なる価格競争ではなく、技術競争をもたらそうという仕組みであると言える。
131
第5章 結論
本論文においては以下のような結果が得られた:
第2章においては、
・木下[1]提案の「正と反の経済学」の理論を、実際の統計データに結びつける方法を考案した。
・その方法を考案するにあたり、
「民間企業がマクロ経済に対してどれくらい積極的に実質ベー
スでの生産と貨幣供給の増加に貢献しているか」という基準で統計データを見ることが重要で
あるという考察を提示し、
「正の経済」かどうかを判定するための条件の候補を挙げた。
第3章においては、
・「民間主導の経済成長がなされる条件は、集合体としての民間企業が需要拡大に対する十分に
高い期待を有していることであり、その期待が十分に高ければ、設備投資を前期以上に拡大し
ているはずである」と考えられることと、「民間主導による長期継続的な成長においては、そ
の設備投資は過去最大であるべきである」と考えられること、という観点から、第2章で選定
した「正の経済」か「反の経済」かの判定に用いる指標の候補を絞り込んだ。
・そして、
①民間企業設備投資(実質値)が前期以上かどうか、
②民間企業設備投資(実質値)が過去最大かどうか、
③非金融民間企業の負債が拡大しているかどうか、
④非金融民間企業の金融純負債が拡大しているかどうか
の4つがすべて真となる場合を「正の経済」と判定する条件とした。
・これにより、民間企業がマクロ経済に対してどれくらい積極的に実質ベースでの生産と貨幣供
給の増加に貢献しているかを簡便に、かつ、視覚的に確認し、評価するための手段の一つを提
供した。
・以上のようにして企業の振る舞いについて評価する方法を考案し、それに金融政策の方向性を
判定する方法と金融政策のタイムラグの概念を組み合わせることで、「正の経済」と「反の経
済」を明示的に定義し、判別するための方法を提示した。
・また、民間企業と同じ評価方法を用いて政府のマクロ経済に対する実質ベースでの生産と貨幣
量の拡大への貢献度合いを評価する方法もあわせて提示した。それは、
⑤政府支出(実質値)が前期以上かどうか、
⑥政府支出(実質値)が過去最大かどうか、
⑦政府の負債が拡大しているかどうか、
⑧政府の金融純負債が拡大しているかどうか、
の4条件がすべて真となっているかどうかで政府の振る舞いが経済成長に積極的に貢献して
いるかどうかを判定するという手法である。
・以上のようにして、民間企業、政府、中央銀行の振る舞いを一枚の図で確認する手法を提示し
た。
・また以上で提供した企業の振る舞いの判定条件、政府の振る舞いの判定条件、中央銀行の振る
舞いの判定条件は、すべて「真」か「偽」つまり、「1」か「0」で表現し得る形態となって
いる。これにより、一つの図の上に視覚的に「企業が本来の資本主義的な振る舞いをしている
132
かどうか」
、
「政府が経済局面に応じた適切な振る舞いをしているかどうか」、
「中央銀行が適切
な振る舞いをしているかどうか」を表現することが可能となっている。なお、すべて「1」か
「0」で判定し得るようにしているのは、人間による恣意的な判断を排除し、機械的な判定を
行うための手段としてこの手法を利用し得る環境を提供することを、本研究が目的としている
ためである。
・また、上記判定手法による日本の 1982 年第3四半期から 2013 年第4四半期までの期間につ
いての「正の経済」と「反の経済」の判定の実施例を示した。その結果、1982 年第 3 四半期か
ら 1993 年第 2 四半期までは「正の経済」と判定され、1993 年第 3 四半期から 2013 年第 4 四半
期までは「反の経済」と判定された。
第4章においては、
「反の経済」において政府が望ましい振る舞いをする上での制約条件となる、
政府の財政余裕度について以下のような検討を行った:
・経済学の教科書における政府財政の論点を整理し、以下のような結論を得た
(1) 政府の予算制約と双対関係となる民間の予算制約や、政府の永続性を考慮すれば、一般
的に「政府の債務残高は長期的に 0 にならなければならない」ということは言えない。
(2) 一般的に「政府債務の上限は概ね GDP によって制約される」とされている。しかし、
民間債務に問題があれば、政府債務の大きさいかんを問わず通貨危機や政府財政破綻に発
展することもあるため、公的債務 GDP 比そのものに意味があるとは考えられない
(3) 政府の赤字拡大が民間の黒字拡大につながる場合が多く、それがそのまま民間投資の資
金源となり得る。よって、政府の赤字が長期的な成長を阻害するとは必ずしも言えない。
(4) 「リカードの等価命題によれば、政府の財政赤字増加は民間の投資資金を減じることは
ない」という議論の結論部分の構図が成立し得ることを、米国の長期データで確認した。
(5) 「公的債務 GDP 比」や「対外債務・対外純負債 GDP 比」の臨界点を示すマジックナン
バーはない、という論点に関しては、いくつかの危機事例の分析から、対外債務が主とし
て外貨建てであるかどうかが重要であるという論考を示した。
・政府の財政余裕度の指標について、以下の2つの段階を踏んで検討を行った
〔第 1 段階〕典型的な財政余裕度の指標として国連開発計画の報告書[12]に挙げられている5
指標について検討し、このうち「対外債務」と「経常収支」が極めて重要な指標であると
結論付けた。また、リーマンショック後のユーロ圏諸国とその他地域の先進国について比
較検討する中で、債務の内外区分については債権者が非居住者か居住者かという区分法で
はなく、その国の通貨当局が通貨発行権で対応できるかどうかで区分する「シニョレッジ
対応可能債務」か「非シニョレッジ対応可能債務」という区分法が妥当であると結論付け
た。そして、先進国において「非シニョレッジ対応可能債務」の問題がない場合は安定し
やすく、
「非シニョレッジ対応可能債務」の問題がある場合でも経常黒字が続いていれば安
定は可能であるということをリーマンショック前後のデータで確認した。
〔第2段階〕日本は従来、
「非シニョレッジ対応可能債務」の問題がなく、かつ、経常黒字
が続いていたため、二重の意味で安定しやすい状況であったと考えられるが、2014 年以降
は経常赤字に転じ、米、英、豪、ニュージーランドのような「
『非シニョレッジ対応可能債
務』の問題はないが経常赤字が続く」という状況になると考えられる。このような国にお
ける財政余裕度をさらに詳細に検討するための指標として、①インフレ率、②国内民間部
133
門の財政収支、③購買力平価に基づく通貨割高(+)/割安(-)率、④格差指標(ジニ計数、相
対貧困率、上位 10%所得者の所得占有率)について、検討、あるいは提案を行った。それ
ぞれ、①インフレ率が低い、②民間の財政収支が黒字、③通貨が世界の中で割高、④格差
が小さい場合において、政府の財政余裕度はそうでない場合に比べて高いことを意味する、
と結論付けた。しかしながら、リビアのカダフィ政権崩壊の事例の考察から、④の格差指
標は社会秩序維持のために致命的に重要な管理目標であって、財政余裕度の指標とは切り
離して考えるべき指標と言える。あるいは、財政余裕度を高めるためには格差を適正範囲
内に収めるための“投資”が必要である、と言い換えることもできるだろう。また、③購
買力平価に基づく通貨割高(+)/割安(-)率と④格差指標は、第2章、第3章で触れることが
できていなかった、
「金融緩和が過剰かどうか」を判定する目安としても使い得ることを示
した。
〔本論文における5つの重要な政府財政余裕度の指標〕以上から、本論文においては、重要
な政府財政余裕度の指標は、決定的指標:A. 官民合わせた非シニョレッジ対応可能債務、
B. 経常収支、 補助的指標:a. インフレ率、b. 民間部門財政収支、c. 購買力平価に基づ
く通貨割高(+)/割安(-)率
の 5 指標であると結論付けた。
・財政余裕度を高めるための方法論について以下のような検討を行った
〔物質的アプローチ〕将来における財政余裕度を高めるためには、研究開発の量と投資の量
を増やすことで、知識ストックと資本ストックを増加させる必要があると考えられる。し
かし、日本においては官民合わせた投資の量が 90 年代後半以降増えておらず、また、政府
財源による研究開発の量が 90 年代半ば以降増えておらず、将来における競争力の低下とそ
れによる財政余裕度の低下が懸念される。
〔心理的アプローチ〕「反の経済」において政府が適切な行動を取りにくいことの大きな原
因として、多くの諸国民が共有しているであろうところの、借金全般に対する恐怖から派
生する政府債務に対する恐怖の観念の存在が考えられる。本論文では、a. 恐怖の生理学
的・脳科学的なメカニズムの理解を通じて「国の借金(政府債務)
」に対して多くの諸国民
が恐怖を抱くのは完全に自然なことであるということをまず把握する必要があること、b.
シニョレッジ対応可能債務は通貨発行権で対応可能なので、日本のようなシニョレッジ対
応可能債務の問題しかない国においては資金不足による「破綻」はあり得ないこと、c. 「国
の借金」の怖さの根源は生活の破綻につながる可能性であるということ、d. 悪性インフレ
にならない限りいくらでも増やせるシニョレッジ対応可能債務を用いて知識ストックと資
本ストックを増加させるための投資を行えば生活の破綻の可能性がなくなるのであるから
「国の借金」に対する恐怖の根源もなくなるということ――というような議論を普及拡大
することが、
「反の経済」において政府が適切な行動を取るための環境を整えるのに必要不
可欠であり、これができて初めて「正と反の経済学」がその完成を見ることになる、とい
う提案を行った。
〔今後の課題について〕

第3章で示した課題のうち、政府の財政余裕度の問題については第4章で検討し、2010 年代
前半現在の日本においては、反の経済において望ましい振る舞いを政府が行うだけの財政余
裕度があるという結論を得た。ただし、政府の財政余裕度については、人間の恣意的判断を
134
排除して機械的に判定を行うような手法の確立には至っておらず、それは今後の課題の一つ
として挙げられる。

また、第3章で示したもう一つの課題――「本稿においては日本の実施例のみを示した。今
後は出来るだけ多くの国々のデータを用いて評価・分析を行い、本稿で提示した手法の問題
点を洗い出し、より有用性を高めることを図るべきであろう」――についても、今後引き続
き取り組むべき課題として挙げておきたい。
135
付記:本論文の持ち得る社会に対するリスク要因について
本論文の第4章で論じた政府の財政余裕度の評価方法と、国際基準(バーゼル規制)において銀
行の自己資本比率の算定に用いられる適格格付機関43による格付過程における、政府財政の評価基
準が異なっていることによって生じ得るリスクにつき、以下に説明を加えます。
世界的に認定されている国債に係る主な適格格付機関は、ムーディーズ、スタンダード&プアー
ズ(S&P)、フィッチの3機関ですが、例えばムーディーズは 2014 年 12 月に日本国債の格付けを
「Aa3」から「A1」に格下げした際の理由として「財政赤字削減目標の達成可能性に関する不確実
性の高まり」を挙げています44。これは、本論文第 4 章において政府の財政収支は重要な指標とは
言えないと評価していること――というのは、政府よりは民間の収支、あるいは政府と民間を合わ
せた収支である経常収支のほうを重視すべきと考えられるから――とは、かなり違っていることに
なります。ただし、ムーディーズは民間の収支を完全に無視しているわけではなく、「日本の A1
の格付と安定的の見通しは、厚みのある国内債券市場、高い制度の頑健性、外生的ショックへの脆
弱性の低さによって支えられている」ことの理由の一つを、「政府が外部資金に依存しなくとも、
民間部門の黒字は依然として財政赤字を十分に賄える水準にある」としている 44 ことを、付け加え
ておきたいと思います。
しかし、政府財政の評価手法の是非はさておき、ムーディーズが日本国債の格付けを「Aa3」か
ら「A1」に下げたことは、銀行の自己資本比率規制(バーゼル規制)の面からかなり大きな意味合
いを持つことになります。ムーディーズが日本国債を「A1」に引き下げたことで、海外の金融機関
がよく用いている3つの適格格付機関のうち2つが日本国債をいわゆる「シングル A 格」と格付し
た45ことにより、自己資本比率の計算に用いるリスク・ウェイトについて「複数社の格付けが存在
する場合、上から2番目の格付けを採用」46すべきというルールによって、外国の銀行が保有する
日本国債については、これまでリスク・ウェイトが 0%で済んでいたものが、20%になるからです
47。
とはいうものの、自国通貨建ての国債については現状、格付けに関わらずリスク・ウェイトは 0%
が適用されます 46。よって、日本国債が主として国内で保有されている状況が続くならば、格下げ
によるリスク・ウェイト増加は海外金融機関の保有分のみとなるため、全体への影響は小さいと考
えられます。しかしながら、第 4 章の図表 4-29(87 頁)で見ましたように日本は 2014 年以降、
経常収支が赤字に転じ、それが継続するような状況となる可能性があります。もしそうなれば、国
債の引き受け手を海外の金融機関に依存する割合も少しずつ増えて来る可能性もあることになり、
43
日本においては「金融庁長官が別に定める格付機関」を指す(
「銀行法第十四条の二の規定に基づき、銀
行がその保有する資産等に照らし自己資本の充実の状況が適当であるかどうかを判断するための基準(平成
十八年金融庁告示第十九号)」参照)
44 Moody's Investors Service, "Rating Action: Moody's downgrades Japan to A1 from Aa3; outlook stable
The document has been translated in other languages", 01 Dec 2014 の日本語訳版参照
45 2014 年 12 月現在の日本国債格付けはムーディーズが「A1」
、S&P が「AA-」
、フィッチが「A-」
。ムーデ
ィーズは上記脚注 44、S&P は同社ウェブサイト日本語版の「月次更新格付けリスト(ソブリンの格付けリ
スト)2014 年 12 月 31 日現在」、フィッチは日経新聞記事(2014 年 12 月 10 日)参照。
46 SMBC 日興証券株式会社
金融経済調査部 チーフ債券ストラテジスト 末澤豪謙 「財政の持続可能性
と国債市場 我が国及び諸外国の事例と異次元緩和の影響等」2013 年 4 月 26 日 参照
47 自己資本比率は「自己資本÷リスクアセット」で計算される。国債のリスク・ウェイトが 0%であれば、
リスクアセットに算入される金額は国債の保有高×0%で 0、つまりどれだけ国債を保有していてもリスクア
セットへの算入は 0 となるが、格下げによってリスク・ウェイトが 0%でなくなれば分母のリスクアセット
が大きくなるため、その分だけ自己資本比率が低下することとなる。
136
その中で格下げの影響により海外の金融機関の日本国債購買意欲が低下することによって、国債の
金利上昇圧力や円売りによる通貨安圧力が高まることになります。そうなると日本国債格下げの日
本経済に対する影響は今後、現在よりも高まることが考えられます。これが一つ目のリスクです。
もう一つのリスクは、
「自国通貨建ての国債については現状、格付けに関わらずリスク・ウェイ
トは 0%が適用」されている状況が変更される可能性です。現状では「国債のリスク・ウェイトが
ゼロである根拠は、中央銀行が買い取れるため」48ということで、自国通貨建て国債のリスクウェ
イト変更の機運はそれほど高くない状況のようですが、「中央銀行が巨額の国債を引き受けること
によって経済に流通する通貨の量が著しく増大すれば、激しいインフレが生じてしまう懸念がある」
48 ため、世界全体の経済や金融の情勢の変化によっては将来、自国通貨建て国債のリスク・ウェイ
トを格付によっては 0%から変更することとなる可能性もあります。もし仮にそうなれば、多額の
日本国債を保有する日本の金融機関の自己資本比率が軒並み低下することを通じて、金融が大混乱
してしまう可能性があることとなります。ただし、ユーロ圏で危機となった国々(PIIGS+キプロ
ス)につき、2014 年末時点の S&P の格付けを見てみると、ポルトガル BB、アイルランド A、イ
タリア BBB-、ギリシャ B、スペイン BBB、キプロス B-のようになっており
45、これらの国にお
いて自国通貨建て(ユーロ圏諸国の場合はユーロ建て)国債のリスク・ウェイトを 0%から変更す
るとなると、これら諸国の銀行が途端に危機に陥りヨーロッパのみならず世界全体が経済的大混乱
となる可能性が高いことから、当面、そのようなルールの変更は可能性が低いとも思われます。
以上から、第 4 章で述べた「日本においては、いまもっと政府の負債を増やしてでも、将来の財
政余裕度を高めるための知識ストックと資本ストックを増やす投資を積極的に行うべきである」と
いうような考えが仮に実行されたとすれば、政府財政赤字や公的債務 GDP 比の増大によって「適
格格付機関」による格下げの動きが拡大し、それによって①海外の金融機関が日本国債を従来より
敬遠することによる金利上昇リスクや通貨安リスク、②自国通貨建て国債のリスク・ウェイト変更
による国内金融機関の自己資本比率低下リスクが生じ得る、ということに留意しておくことが重要
であると考えられます。もちろんそれは、政府債務の大きさを恐れ過ぎることによって知識ストッ
クや資本ストックを増やせず、あるいは減らしてしまうことによって生じ得るリスクと天秤にかけ
ながら勘案する、という両睨みの思考態度を取ることが妥当であろうと考える次第です。
謝辞
まず、本論文作成のきっかけおよび多大なるご助言を頂きました、名城大学都市情報学部長
木
下栄蔵教授に感謝申し上げたいと思います。経済に関しては一評論家、一著述家に過ぎなかった筆
者に対し、木下教授からの「君なら学術論文も書ける」という励ましの言葉がなかったならば、そ
もそも本論文の作成はありませんでした。
また、本論文の作成にあたり、剴切なご指導とご助言を頂きました同都市情報学部の昇秀樹教授、
大野栄治教授に感謝申し上げたいと思います。
平成 27 年 1 月 22 日
廣宮 孝信
48
大和総研 金融調査部 金本悠希 「コラム
化の必要性」2012 年 4 月 11 日 参照
国債のリスク・ウェイト見直しの議論から考える財政健全
137
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