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学校という組織の特質を 踏まえたマネジメントのあり方
学校マネジメント ∼公立学校が、今一番ほしいもの∼ 学校という組織の特質を 踏まえたマネジメントのあり方 木岡一明 氏 国立教育政策研究所総括研究官 学校評価の現状はどのようなものか。いかにすればよりうまく機能するのか。 その前提である組織マネジメントはいかに構築すべきか。学校評価、学校の組織マネジメント研究の 第一人者である国立教育政策研究所総括研究官・木岡一明氏にうかがった。 まずは、教職員の意識改革からスタートするべき 学校を取りまく社会が大きく変化しつつあるが、本来、教育は優れて専門的に行わねばならないもの。まず求めるべきは外部からの評価ではなく、教職 員の側の主体的な取り組みである。 「共、創、考、開」をキーワードに、各教職員が自律的に目標管理を行い、教職員同士が相互に良い影響を与え 合って成長できるような組織にしていくことが望ましい。 木岡研究室のページ http://www.nier.go.jp/kazu/ 鳥取県教育センター学校教育支援室 http://www.torikyo.ed.jp/01_consul/menu1_2.html 文部科学省教職員課教員研修 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kenshu/index.htm 独立行政法人教員研修センター研修情報支援システム http://sweb.nctd.go.jp/jirei.html 評価への抵抗感 ないということですね。 逆に言えば、学校というのは組織として動かなくても ―― 学校評価はうまく機能しているのでしょうか。 何とかやってこられた、 ということです。個々の教員は、 決めら 実施状況を調査すれば、実施率は高いのですが、 そ れた時間に、 決められた教室に出向いて授業をすれば、 かた の中身といえば、 ほとんどの場合、 十分なものとは言えないと ちにはなる。 しかし、 その授業をチェックする仕組みがなけれ 思います。つまり、 形式としては広がったが、 実質においては ば、 「今日も昨日通りやればよい」、 ということになりがちで、 「今 うまく機能していない。 もちろん中には校長が熱心に学習さ 年度も昨年度通りにやればよい」、 となり、結果、十年一日、 れ、 組織的に取り組んでいるところがありますが、 全体からす 延々と同じような授業が続くことになります。現にそのような学 ればそのようなところはかなり少数で、 大方は、 教育委員会が 校は少なくありません。 ところが近年、 学校より先に、 地域住民 やれというのでやっている、 といったところでしょう。 が変わり、 保護者が変わり、 子どもたちが変わった。そのため、 ―― その現状の打開策は。 従来教室に閉じ込められてきた問題が外に漏れ出すように まず、学校をしっかりとした 組織にしていくことです。 28 なり、学校側は苦情対応から始まって、 さまざまな対応を迫ら そのためには、 まず組織マネジメントの普及が必要です。 目標 れることになった。 さすがに教員の間にも、 「動かなければな 管理の仕組みをすべての教職員が理解し、 目標管理に基づ らない」 という認識は生まれてきている。 いて自らの振る舞いを自律的に展開できるようにする。それ そこに突然降りてきたのが、学校評価です。問題は、今ま が機能して初めて、 自らの活動を評価するとか、 評価結果を でほとんど手を付けてこなかったところに、 いきなり最もハー もとに教育機関としての学校の生産性の向上を図っていくと ドなかたちの評価システムを入れようとしたことです。企業経 いったことが可能になります。 営的な方法論を導入し、数値化し、指標で測るという評価手 ―― そもそも、学校内での組織マネジメントが機能してい 法であったことから、 ギャップが生じ、教員たちの中で反発が 法律文化 2006.3 Vol.262 逆に言えば、 ある教員に欠けていることをほかの教員がカバー する機能がうまく働けば、 教育機関として発展していく。だか らこそ学校にはいろいろな教科を教えるための教員が配さ れ、発達に応じた教育をするようにしているわけです。以上 のことを前提とすれば、 ほかの行政組織や企業組織のように 同質性を前提とした分業システム、 つまりそれぞれが自分に 与えられた部署の仕事をしっかり遂行すればよい、 という組織 マネジメントの原理が通用しないことが分かるはずです。 ―― 教員同士がお互いを高め合う仕組みが不可欠である ということですね。 私は「同僚性(批判的友人関係) 」 という表現を使って いますが、教育の現場では、教員同士が交じり合い、 ぶつか り合う場面が欠かせません。 ところがこの20年ほどの間に、 日本の学校の中からそれが急速に薄れてきたように思われ ます。これは仮説であり、 精緻に検証できているわけではあり ませんが、 私は、 師範学校出身の教員が学校からいなくなっ たことが一つの大きな理由ではないかと考えています。かつ ては黒板の使い方にしても、児童生徒に対する発問の仕方 についても、師範学校出身のベテランが、若い教員に対して 事細かに指導をしたものです。師範学校出身の教員には、 大 学出の教員に対して「理論ばかりで、実践がなっていない」 という張り合う意識があり、 ある種の緊張関係があった。 とこ ろが戦後、 高学歴化の進行に伴って、 教員世界においても大 起きているわけです 。抵抗する教員が好んで用いるのは、 学卒が標準的になり、 その関係性が次第に失われていった。 「教育の成果はそう簡単に数値化できるものではない」とい 学校が小規模化していることも関係しているのでしょう。教 うロジックですが、 それは一理ある意見でもあります。行政改 員は自分の仕事に手一杯で、他の人をかまっていられない。 革という大きな流れに自治体が反応し、 その下で教育委員会 新しい教員が来て刺激を受けることも少ない。指導し、指導 が反応し、 民間的な発想を学校に導入しようとする。 しかし学 される関係性が希薄になり、狭いところで身近な付き合いを 校というのは、 教育委員会と比較してさえ組織原理が相当異 しているから、 いつしかけじめもなくなる。教員同士で批判し なります。そこを考慮せず、適用しようとするところに無理が ない、 相互不干渉という過度の協調性です。 「尊重し合う」 と あります。 言えば聞こえが良いが、 悪く言えば、 「われ関せず」の関係で ―― 学校にはどのような組織的特性があるのでしょうか。 す。 組織体としての顕著な特徴は、多様な考え方、 いろい ろな立場の人たちが集まって構成する組織であるということ ―― 関係性を変えていく仕掛けを意図的に用意する必要 があるということですね。 です。校長と教頭以外はすべて一般教職員、 という学校の組 実はそれを目的とする組織マネジメントを広げていく 織を指す言葉に「なべぶた型」 という表現がありますが、 皆対 必要があるのですが、 今一般的に語られているのは、 企業経 等の位置関係で、 それぞれが自分の個性、 持ち味、 専門性を 営的な手法をそのまま持ち込んで効率性を高めようという観 ベースとして活動を展開する。であるがゆえに、下手をすれ 点からの学校改革なわけです。私は、 それは学校には向かな ば、拡大再生産ができない組織になります。すなわち同じ知 い方向付けであるととらえています。ただし企業の手法の中 識、 同じ技術レベルで教え続ければ、 常に教員は自分以上の でも、創造性をベースに展開している手法であれば、 それを 人間をつくれない、 ということです。それを避けるためには、 応用することで、 問題を乗り越えられる可能性があると考えて 何らかの仕組みで異質性を相互に補完しなければならない。 います。 2006.3 Vol.262 法律文化 29 学校マネジメント ∼公立学校が、今一番ほしいもの∼ 目標設定の方法 「考」は、 過去を振り返り、 新しいものに向けて知恵を結集 し、 試行錯誤しながら内省的に考えをめぐらせること。 ―― 学校に適したマネジメントとは具体的な手法はどのよ うなものでしょうか。 PDCAのサイクルを組み立てるわけですが、 まず問題 することです。 この四つが動き始めると、 教員の間に望ましいぶつかり合 となるのは目標の設定です。そのためには現状分析をしなけ いが起きますし、 学校が目に見えて変わり始めます。 ればなりません。私がマネジメントシステム構築に協力するた ―― 目標を実現する手法は、学校ごとに異なるのでしょうか。 め学校に入るときは、 まずどのようなことが問題なのかを教職 抱える問題はそう大きくは異なることはありませんが、 員の皆さんに出していただき、 それを整理しながら問題をあ 学校ごとにかかわる人間が違うため、適したアプローチはそ ぶり出し、 構造解析を加えて、 「こういうところに向かっていこ れぞれ異なってきます。例えば、 全体を引っ張っていける人が う」 という構想を描いてもらいます。共有できる目標を設定す いると、 その人を中心に問題解決のプログラムを組めますが、 るのが第一歩です。 そのような人がいない場合、 教員みんなで考えていくとか、 地 そのとき気を付けなければならないのは、学校という場で は、 その目標設定が得てしてあいまいになりがちなことです。 域を巻き込むといった展開を考えます。 また、目標達成を目指すときは、目的と手段の関連を常に 教職という仕事を選ぶ人の特性が組織の性格を決めている 意識しながら行動を決めていくこと。そして手ごたえのある実 ように思われるのですが、 教員には感受性の強い人たちが多 践を積み重ねていくことが大切です。その際、 試行錯誤でい いように思われます。 とりわけ小学校の教諭にその傾向が強 かなければなりません。学校というシステムは、 「こうすればこ く、 そのため組織も、 理論的に詰めていくというより、 雰囲気で うなる」 というインプット・アウトプットモデルでは説明のつかな 動く傾向があります。いきおい学校で立てられる目標は抽象 い組織ですから、 やってみてよかったらもっとやる、駄目なら 的で、気分でつくったようなものが多くなる。それは合理的な やめるということを繰り返していくしかない。 システムを組んでいく上では向かない認識の様式です。その ―― 不確実性が強い組織ということでしょうか。 ような側面を持っていることを理解した上で、 働きかけていく ことが必要です。 学校は反応を予測できない複雑系システムです 。ま ず、対象にする子どもが日々学習を重ね、毎日、変化してい もう一つ、目標設定に当たって大事なことは、問題解決志 く。最初に立てた計画はその変化をあらかじめ組み入れるこ 向の評価制度にしないことです。日本の学校は、 「悪いところ とができません。また内部完結していないということもありま を直す」「 、できないことをできるようにしていく」 ということを基 す。家庭をはじめ外部のさまざまな影響を受けるわけです。 本にします。児童生徒の学力を上げるときも、 「苦手を克服す そもそも学校には授業というものがあり、授業では教員が一 る」 とのように考え、 みんなバランスよく伸ばしていこうとする。 人になる。案外そこが見落とされているのではないでしょう そのような平均の思想があるため、 学校評価にしても、 つい問 か。行政や企業はそれぞれのセクションがその通り動けばよ 題探し、 あら探しになり、 問題のある部分の次善策を講じるた いが、 教育の場合、 個々の教員がそれぞれ授業をするため、 めのものになる。そのような後ろ向きの評価では、 なかなか一 一つのループで出来上がる単純なマネジメントシステムでは 生懸命やろうということになりません。 また、 評価をするのが年 なく、複雑に絡んだシステムが必要になります。ポイントは、 教 度末のため、 人事異動とも重なり、 課題が先送りにされたりす 員を自己完結化させないことです。 る。そうではなく、 皆で新しい教育をつくっていくという前向き ―― 複数担任制やチームティーチングなどが有効という な発想の仕組みづくりが必要です。 ことでしょうか。 ―― そのような仕組みづくりのポイントは。 私はキーワードとして「共、創、考、開」の四文字を挙 げています。 「共」は、 学校に関わるすべての人を巻き込み、 共鳴し、 共 同すること。 「創」は、 これまで当たり前とみなしていたものをすべてご 破算にして新しいものを創ること。 30 「開」は、 オープンマインド、 心を開き、 本音で語り合い、 交流 法律文化 2006.3 Vol.262 私は、常に授業を見せ合う必要はなく、授業をした手 ごたえや反応をお互いに言い合う場があればよいと考えます。 ただし、 そのとき一定の仕掛けは必要です。同僚同士、面と 向かって素で批判し合うのは難しい。例えば一つの授業を見 た後、3人対3人などのチームに分かれて、一方は褒め、一方 は批判する。議論を尽くしたところで攻守交替する。そうすれ ばゲームとして成立します。批判される側はあえて批判され ていると理解できるから耐えられる。批判する側もそのような をつくることが校長の目を覚まさせる一つの手法たり得ると 仕掛けだということで、 遠慮なく本音が言えます。 いうレトリックまで否定するものではありませんが、 まず求める ―― 評価の結果を活かしていくときのポイントは。 べきは教員の側の主体的な取り組みでしょう。例えば校長会 学校の場合、 単に透明性を高めればよい、 ということで や教頭会のメンバーシップを自分たちで決めず、 教育委員会 はありません。大切なのは、信頼性や公平性が保障されるこ に決めさせているが、 考えてみればこれはおかしい。私的な とです。例えば今、 情報開示に関して現実に問題になってい 団体なのですから、 自分たちで入会審査をして適格と認めた ることに給食費の納入状況がありますが、透明にすれば、個 者を会員にすればよいはずです。実際、 イギリスの校長会は 人の触れてはいけないセンシティブな情報にも踏み込みます。 自分たちで基準をつくり、 自分たちで研修プログラムをつくっ それが関係者に支持されるとは思えません。 ています。日本の校長会はこれまでそのような発想をせず、 行政に依存してきた。その体質が改めて問い直されているの 教育の専門性に対する疑い だと思います。 ―― プロとして自ら権限を求めるような主体性が問われて ―― 評価主体として児童生徒や保護者を入れる方法につ いてはいかがお考えですか。 私はあくまでも自己評価が基本だと思います。一つは、 いるということですね。 また専門性というとき、子どもを理解し、教えるための 特別のスキームということもさりながら、 もう一方で政治的、 宗 保護者がどれほど学校のことを分かっているのか、 という疑 教的に自立しているという意味での専門性も大きなテーマで 問があるためです。保護者アンケートにしても、 まっとうな回答 す。そこが崩れては公教育としての基本理念が揺らいでしま をよこす人は普段から学校にかかわっている人たちであり、 います。 ところが今の議論の流れを見ていますと、専門性自 学校に対してあまり批判的なことを書かないか、 または言うべ 体に対する疑いが強まるとともに、 政治的なバイアスがかかり きことがあれば、 アンケートをするまでもなく、 既に発言してい つつあるのではないか。学校改革においては都市部の発想 るはずです。そのほか、 アンケート結果にはもろもろのバイア が強く現れており、 「中核市に人事権を渡す」 という議論があ スがかかってきますが、 いったん実施すれば、 学校側は、 その りますが、僻地、過疎地に行ってもすぐに帰れる、 という慣行 結果を尊重せざるを得ない。期待に応えなければならないと を破棄するなら、 政令指定市と中核市を除いた地域における いうことで翻弄されていく。そもそもプロである教員が「黒板 人事異動をどう考えるのか。あくまでも善意から提示される改 はうまく使えていますか」 というような自分で律するべきことを 革なのでしょうが、 それが結果において公教育の根幹を揺る いちいち素人の保護者や教え子におうかがいをたてるべきな がすことになりはしないか、 私は今、 そこを危惧しています。 のでしょうか。 もちろん自分たちで気付かないことが指摘され る可能性はあります。 ときには有益な意見があるかもしれませ んが、 プロなのですから、 ほとんどのことは改めて聞くまでもな く分かっているはずです。 もちろん顧客満足分析という発想 は大切であり、 期待は問うべきでしょう。 しかしそれはあくまで 国立教育政策研究所総括研究官 期待であり、すべての期待に応えようとする必要はないはず 木岡 一明(きおか かずあき) です。期待されることの中で、 学校としてできること、 すべきこ 1956年生まれ。1980年京都教育大学教育学部教育学科(小学校教員養成課程)卒業。 とだけをすべきです。 日本学術振興会奨励研究員(筑波大学教育学系)。1986年摂南大学国際言語文化学 ―― 何より重要なのは、 教える側の主体的な取り組みという 部専任講師。1992年摂南大学国際言語文化学部助教授。1997年国立教育研究所教 ことなのでしょうか。 育大学客員教授、日本教育経営学会理事、日本教育制度学会理事、マネジメント研修カ そのとき懸念されるのが、 教育の専門性に対する疑い が強まっているのではないか、 ということです。本来、教育は 優れて専門的に行わねばならないもののはずですが、 住民参 加にしても、 専門性へのアンチテーゼという側面があるわけで 1985年筑波大学大学院博士課程教育学研究科(教育経営学選手)満期退学。同年、 育経営研究部教職研究室長を経て、2001年より現職。東京学芸大学客員教授、兵庫教 リキュラム等開発会議協力者、日本教育行政学会理事・年報編集委員長。 木岡一明(編著) 『「学校組織マネジメント」研修』 (教育開発研究所・ 2004) 、木岡一明(編著) 『新学校評価 考え方と実践の手引き』 (小学 館・2004) 、木岡一明『学校評価の「問題」を読み解く−学校の潜在力の 解発』 (教育出版・2004) 、木岡一明(編著) 『これからの学校と組織マネ ジメント』 (教育開発研究所・2003) 、木岡一明『新しい学校評価と組織マ ネジメント』 (第一法規・2003) す。スポンサー的な位置付けにするなら分かりますが、管理 監督する位置付けにするのはいかがなものか。強い理事会 読者の皆様のご意見・ご感想をお寄せください。 [email protected] 2006.3 Vol.262 法律文化 31