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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
Everything That Rises Must Convergeの中で「上昇」したもの(清田幾
生教授退官記念)
Author(s)
井上, 一郎
Citation
長崎大学教育学部紀要. 人文科学. vol.66, p.55-64; 2003
Issue Date
2003-03-26
URL
http://hdl.handle.net/10069/5821
Right
This document is downloaded at: 2017-03-30T22:07:33Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学教育学部紀要 一人文科学 - N
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に発表 され、1
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年 のオーヘ ン リー賞 の最優秀賞受賞作品で もあ った。 Whi
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が言 うように、
1
)が備 わ っているか どうか は別 に して、 Or
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の言 うよ うに人種
「オ.
-- ン リー流 の捻 り」
2
)を取 り扱 って いることは間違 いない。確か に、 この作 品
関係 とい う極 めて 「
南部的素材」
3
)のであ る。 さらに、 その奥 に峠世代の違 う親 子
は 「南部 の公民権運動 を背景 に して いる」
の関係 と対立が濃密 な姿で取 り上 げ られているこ.
ともす ぐに判 明す る。.それぞれ の関係 を
ダイナ ミックな ものに しているのは、時代 と社会 の著 しい変化 に他 な ら,
な い。 時代 の変化
や親 申世代 と子 の世代 との間 に亀裂 を作 り、 白人 と黒人 との間 に今 まで にな い摩 擦 を生 み
出 したのであ る。
9
61
年 はアメ リカ南部黒人 の歴史 に と って重要 な時期 に差 しか か って
作品が発表 された1
いた.1
96
0
年 にノースカロライナ州、 グ リー ンズポ ロで始 まった 「
座 り込 み運動」4
)は南部
諸州 に広 ま り、1
9
61
年 にはFr
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de(自由のための乗車運動)が深南部 め ざ して敢行
95
5
年 にはア ラバマ州 モ ン トゴメ リー にお いて、 バ スの後方
された. すでキ
ここれ以前 に も1
に席 を移動 しなか った ローザ ・パ ー クス嬢 の事 件 に端 を発 したバ ス ボイ コ ッ ト運 動、 アー
カ ンソー州 の リ.
トル ロ ック高校で は黒人学生 の入学 を巡 って 白人市 民 によ る暴 力事 件 な ど
9
6
0
年代 を迎 えて、黒人 の公民権運動 は新 たな局面 に入 ろ うと し
が発生 していた し、 この1
て いたのである。
従 って、 ジュ リア ンの母が こぼ した不平、「
人種統合 されて しまったので、 夜 一人 で はバ
スに乗 りた くない」(
40
5
) は、南部社会が こうむ った画期 的 な変 化 につ いて の保守 的 な 白
人 の側か らの意見であ る。 また母 とジュ リア ンが乗 り込 むバ スはその意 味 にお いて、 白人
と黒人、古 い世代 と新 しい世代 とが一緒 にその中 に放 り込 まれ る時代 の 「現実 」 (
41
1
)で
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年) の中 の祖母 が行 き
ある. そ して、 ち ょうど "A GoodManI
た くない と言 いっつ出かけた ドライブの途中 に殺 されて しま った よ うに、 ジュ リア ンの母
も乗 りた くなか ったその バ スに乗 ったがゆえに命 を落 とす はめ にな ったので あ る。 二 人 と
も時代錯誤 を絵 に描 いたよ うな典型的な古 い南部 の人間 で あ り、 彼女 た ち は新 しい南 部 の
現実 を知 ったその瞬間 に命 を落 と して しまったのである。
この小説 は時間 `空間的 に言 えば、夕方、 ジュ リア ンと母 が アパ ー トを出て、 バ スに乗
り、減量 クラスの開かれているYWCAの近 くのバ ス停で降 りるまで を描 いて い る。 事 件 が
1
0時」(
41
3
) まで クラスで減量 の ための レッス ンを受 け、
起 きなければ、恐 らく、母 は 「
5
6
井 上 一 郎
一方、 ジュ リア ンはYWCAの近 くで時間 をっぶ した後、再 び、 母 をバ スに乗 せ て家 まで連
れて帰 うた ことであろ う。 小説 はアパ ー トを出てバ ス停 まで歩 く部 分、 問題 のバ 女の 中で
の シー ン、 そ して、YWCA近 くのバ ス停 で降 りた後 の シー ンの三 つ に大 き く分 け られ る.
最 も長 いのがバ スの中の シー ンであ るの は、既 に述べ た よ うに、 バ ス こそが この小 説 の人
物 たちが置かれた現実を表 わす シンボルであ ることを考 えれ ば当然 で あ る と言 え よ う。 今
の アパ ー ト暮 らしに嫌悪感 を抱 いた末、「両隣が3
0
0マイル も離 れた場所 に住 み た い」 (
40
6)
と思 うの は ジュ リア ンであ り、「世 の中 どこを見 た って ごた混ぜ (
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) だわ。 よ くも私 た
ち こんなにな るまで放 っておいた ものだわ」(
41
0
) と咳 くの は ジュ リア ンの母 で あ る。 こ
の世界 の 「ごた混ぜ」 の シ ンボル と も言 うべ きバ スに乗 り合 わせ た親子 の運 命 を分析 し、
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"(「上昇」) が意味す る ものを考察 したい。
タイ トルに含 まれ る"
(1)
「水曜 日の夜」、「
5
0才以上」で体重 が 「1
6
5ポ ン ドか ら2
0
0ポ ン ドまで」 の 「職 業 婦 人 」
に対 して 「無料 」(
405
) で開かれているとい う事実 を除 けば、 我 々 は減量 ク ラスの有 様 は
知 らされて いない。 しか し、 ジュ リア ンの母 の言葉 に よれ ば そ こに通 って来 る夫人 達 の な
40
6
) 夫人 は数少 な い ら しい し、
かで 「帽子 と手袋 を着 け、息子 を大学 に通 わせて いる」 (
したが って、「大半が私 たちの階級 じゃない」(
407
) とい うことにな る。 で は、 なぜ、 母 は
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ghの家 の出の者 と しての プ ライ ドはど うな るの
そんな所 に毎週 出か けるのだろ うか。Go
か。 しか し、母 は言 う、「自分が誰 だか分か っている」 (
407
) か ら、 「.
ど こにだ って 出か け
られ る」(
4
07
) し、「誰 に対 して も親切 に してやれ るんだよ」(
407
) と。
母 が参加す る社会的 な場 は、彼女が勤 めて いる職場 (
「
職業夫人」 向 け とあ る) と この減
量 クラスであ る。 減量 クラスがわずかなが ら状況 を推量 で き る程 度 で あ るが、 彼女 の職場
につ いては我 々 は何 も知 らない。 しか し、彼女 は毎 日、 恐 ら くバ スに乗 って通 勤 して い る
はずであ る。 彼女が通勤用 と して も使 って いるこのバ スに乗 り込 む時 と気 晴 ら しの減量 ク
ラス、結局、 この二つの社交的な場 を通 して我 々は母 を知 る ことにな る。 母 に と って は、
バ ス も減量 クラスと同様、 自分 の存在が確認す るための場 に何 ら変 わ りはない。 だか ら、
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彼女 は ここで も家柄 と地位 のある女性 であるとみんなに認 め られているか の よ うで あ り、
それ に応 え るかのよ うにみんなに愛想 よ く振 る舞 うのであ る。
今晩、彼女が息子 と一緒 に乗 り込んだバ スは、意外 に も 「統 合 され て」 いなか った. つ
。
ま り、 バ スには今 の ところ一人 の黒人 も乗 っていなか ったのであ る 「どうや ら我 々 白人 が
41
0
) とい う言葉 で 「統 合」 が もた らす 「混 乱」
このバ スを独 占 してい るみたいですね」(
に対 す る不安 と不満 を表明 した後、彼女 は世 の中一般 の 「混乱」へ攻撃 の矛先 を向 ける。
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このよ うな婦人連の会話 は、`:̀
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(
r善人 はなか なか いな
) の中で祖母が昼食 に立 ち寄 った・
レス トランの主人 と交わす会話 に通 じてい る。 「混 乱」
い」
のテーマを最初 に提供す るのは、 レス トランの主人、 レッ ド・サ ミーで あ るが、・
祖母 が持
ち出 して も全然不 自然ではない。「
今 日、誰 も信用で きませんね」(
1
2
2
) とい う言葉 に、 彼
女は I
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昔 はど人間の質が良くないですか らね」(
1
41
),
と応 じて いる。 祖母、 ジュ リア ンの
母 ともに昔 は家柄 を誇 った家の出で、違 いほといえば、 ジュ リア ンの母 の ほ うが今 の 自分
の置かれた状態 に対す る不満を社会 に対す る不満 に重ねて い るところで あ る。 ジュ リア ン
の母 にとって も、 どのように して も自分の存在を確かめ ることの出来 な い場 所 が あ る。 そ
れは、彼女の力の及ばない激 しい変化で もって彼女 に深 い欲求不満 と挫折感 を与 え ず には
おかない広 い 「
世の中」・
である。 バ スに乗 る前の母の息子 へ の言葉 は、 ほ とん どが、 この
「
世 の中」 の変化 に対す る不満 に源を発 していて、彼女 は自分 に言 い聞かせか の よ うに、 息
子 に対 して、 自分の家柄を ことさ ら強調 してみせ るのである。
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だか ら、 ある意味 において、彼女が嫌が るバスは、 欲求不満 と挫折感 を幾 らかで も解 消
して くれ る救 いの場所か もしれない。息子 の ジュ リア ンが大学 を卒業 した こと、 そ して今
それをみんなの前で公表す るきっかけに恵 まれ るの もバ スの中であるか.
らだ。
しか し、 これ らジュ リア ンの周囲で交わされた会話 およびその内容のすべてが、彼 にとっ
ては、丁その中に加 わることに我慢 のな らない」(
41
1
)した ぐいの ものである. 途轍 もな く陳
腐な ク リシェ、「ローマは一 日に して成 らず」 を最後 に、恐 ら・
く延 々と続 け られて い るで あ
ろう母 の言葉 はジi リア ンには聞 こえない もの とな って しま った. あ るいは、 母 の言費 は
ジュ リア ンの意識 を通 して読者 に伝 え られ る値打 ちのな い もの と して、 その まま意識 の下
部 に潜 り込んで しまうのである。彼女 の言葉が小説か ら▲
姿 を消 して しま うの はそのためで
ある。
母を困 らせ る意図で床か ら拾 い上 げた新聞を ジュ リア ンは体 の前 に広 げて 「自分 の心 の
中の小部屋 に引 きこもった」(
41
1
) とナ レーターは説明 して い るが、 新 聞 は単 に きっか け
。 彼 だけの世界 は精神 的 な空
にす ぎず、彼 には新聞を広 げる必要 さえなか ったと思 われ る●
間であ って、 いわゆる空間領域ではないか らだ。
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井 上 一 郎
「そこか らは外部が眺め られ、外部で起 こっていることに判明を下す ことがで き」、 かつ
「
外か らの一切の侵入か ら守 られている」のであるか ら、 ジュ リア ンには、 バ スの中での母
の会話がすべて聞 き取れ る一方で、母が 自分 に話 しか け る言葉 には一切耳 を貸 さなか った
のだ。
これはち ょうど、ハルガと-ルガの母、 ホープウエル夫人の関係 に等 しいので はな いか。
ホープウエル夫人のク リシェによって集約 される人生観 に辞易 した娘 のハ ルガは、 完全 に
母を視野の外 に追 い出 して しまうのである。
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以後、 ホープウエル夫人の存在 は、娘 にとっては影 の よ うな存在 と して しか捉 え られな
いであろうし、 くだ らない彼女の言葉がハルガの意識 の検閲 を通 って読者 の前 に展示 され
ることもない。実際、小説の中での夫人の言葉 は数えるほど しかない。 か とい って、 ハ ル
ガが積極的に自らの意識の内容を表現す ることもないわ けで あ るか ら、 小説 はお互 いがお
互いを観察 はす るが、それが言語化 されることが非常 に少 ない、 妙 に緊迫 した状況 の連続
で成 り立 っているわけである。
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祖母」 とその息子のベイ リーとの
同様の ことは、 "AGo
関係 にも見 られる。 ベイ リーの言葉少なさは異常 としか言 いようがない。「
祖母 」 のお喋 り
はほとん どが孫の ジョン・ウエズ レー とジュー ン ・ス ターに対 して向 け られ た もので あ る
(
彼 らがまともに聞いたか どうかは疑 わ しいが)
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ジュ リア ン、-ルガ、ベイ リー、彼 らの自己閉塞性 は一体何 を意味す るのだろうか. ジュ
リア ンの 「シャボ ン玉」に見 られるように、それぞれの母親 に対 してのみ に向 け られた 自
己防御の形態 というものだろうか。確かにその機能を持 って いる。 知性 の高 さと言 い切 れ
るか どうかは不明 として も、彼 ら子供の独特の自意識の鋭 さは、 時代 の変化 を感 じ取 り、
親の世代の時代錯誤 に対 して激 しい嫌悪感を覚える。 彼 らは過去 の歴史 を否定 し、 親 の世
代 との勝帯を切 ろうとす る。 しか し、残念なが ら、Wa
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sも言 うよ うに、 「息子 は母親 の
分身である」5
)ことを免れえない。彼 らは共通 して、親か ら逃れたい し、親 と同様、 彼 らを
取 り巻 く現実か らも逃避 したいのである。 た しかにジュ リア ンの母 は時代錯誤 その もので
あり、 自身について意識 はない。息子の ジュ リア ンは時代錯誤 と時代変化 の両方 につ いて
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yの言 うように、「
擬貴族的な母親 と彼女 の息子 の
高度の意識を持 っている。 しか し、Fe
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)ことは間違 いない。
ジュ リア ン、彼 らは二人 とも彼 らが住む世界か ら疎外 されている」
(2)
バスは突然急停車 したためにジュ リア ンは自分だけの考えの中か ら現実 に引 き戻 された。
バスの後部 に座 っていた一人の白人女性が降 り、代わ りに一人 の黒人男性 が乗 り込 んで き
たのだ。 ジ.
ユ リア ンにとっては絶好の機会が訪れた ことにな る。 つ ま り、 母が支持 してい
4
1
2
) の は確実 であ り、 すで
る「
不正」が 「日常の場 において実践 されるところを見 る」(
に運動の結果確立 されつつある社会 「
正義」か ら激 しい挑戦 を受 ける もの もまた十分期待
で きるのである。 ジュ リアンは自分 に代わ ってその黒人が 「正義」 の意 味 を母 に突 きつ け
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の中で 「
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て くれ るのを待っ。
その黒人 は身な りが良 く、 ブ リーフケースを手 に持 って い る。 恐 らく、 黒人 には珍 しく
知的 レベルの高 い職業 についている可能性 は大である。 当然、 自分 と社会 の変化 につ いて
知悉 し、「
正義」が 自分たちの ものであることを知 っているに違 いない。彼 は前 の方 の三人
掛 けの席 (そこには、すでに赤 と白のサ ンダルを履 いた白人 の女 が座 って いた) の端 に自
分が座 る席を決めたのだo彼 は9
2
1
前の黒人が していたよ うに、 後 ろの方 に行 くことは もは
や しない。む しろ後 ろの方 に行 くのは白人の方だ。サ ンダルの女 はその黒人 が座 るや否 や、
憤然 と席を立 って、バスの後 ろに移動す るか らだ。 その代 わ りにその女 は自分 が した こと
に対 して ジュ リア ンの母親か ら 「同意」(
4
1
2
)を得 は したのだが。
その女の座席の移動その ものが、 ジュ リアンが言 うところの 「不正 が 日常 の場 にお いて
実践 された」 ことを章味 している。では、その 「
不正」 はどの よ うに して修正 されなけれ
ばな らないか ?ジュ リア ンはバスに一人で乗 った場合 は、「
母の罪 に対す るいわば償 いと し
40
9
)が、今 はその母 と一緒 であ る。 被 さ
.
=は母 に
て黒人の側に座 ることを常 に していた」(
対 して彼女の丁罪」 を指摘す る絶好のチ ャンスに違 いない。 彼 はど うす るか と言 えば、 い
つ もす るように、 その乗 り込んで きた黒人の側 に座 ったのであ る。 母 の 「罪」 の償 し?だろ
うか ?た しかにそ うであろうO 彼 も 「
正義」を実践 して見せ たのであ る。 ジュ リア Yは、
自ら 「
正義」になることの破壊的な意味に我なが ら驚 くのである。「正義」 (
息子) は 「不
4
1
2
)のである。
正」 (
母) に向か って、バスの通路越 しに、 まさしく 「
戦争を宣告 した」(
しか し、残念なことに 「
不正」が加え られたその黒人 に対 して 「同情 を伝 ネ」(
4
1
3
)共
闘を組む方法がないのだ。黒人 は新聞の陰に隠れてなかなか ジュ リア ンの話相手 になろ う
とは しないのである。 万策尽 きたジュ リアンはここで とんで もない ミスを犯 す。 金銭 的 に
余裕がないために彼 は タバ コをやめて しま って いたに も関 わ らず、 その黒人 に向か って
「
火を貸 して くれないか」(
4
1
3
)と話 しかけて しまう。 ジュ リア ンが得た報酬 はといえば、
その黒人か ら 「
迷惑 そ うな顔」(
4
1
3
)で見 られただけであ る。 ジュ リア ンの暴挙 を母 は答
めは していたが、彼が犯 した ミスにつけ込むだけの余裕 は母 に も無 か ったので、 ジュ リア
ンの 「
正義」 はそのまま維持 されたのである。 それに して も、 ジュ リア ンの 「正義 」 の視
点か ら見つめ られた母の 「
罪」がなん と惨めで、倭小 に見えることか0
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.(
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1
4
)
ジュ リア ンの 「
正義」は母親を罰す るサデ ィステ ィックな手段 を求 めて飽 くな き努力 を
す る。 黒人の医者 しか瀕死の母を救 う者がいない、黒人 の人権闘争 に自 ら参加 す る、 結婚
4
1
4
)等がそ うである。
相手 に選んだ黒人女性を母 に紹介す る (
(3)
再 び、 ジュ リア ンは空想か ら目を覚 まされた.バスの ドアが開 いて今度 は、 黒人 の女が
乗 り込んで きたか らだ。「
大 きな体を して、派手な服装で、不機嫌そうな顔を して、 小 さな
4
1
5
)いた。すでに一人の黒人男性が乗 り込 んで いて、 その黒人 は新聞
男の子を連れて」(
の陰に隠れて自分を目立たないように しているとはいえ、 このバ スの 「白人専用 」 (
41
0
)
6
0
井 上 一 郎
の状態 は壊 されて しまっていた。 こうなれば、 ジュ リア ンは母が最 も嫌 うこと、 すなわ ち、
その黒人が彼女の側 に座 って くれることを望んだ し、それ は当然 の ことであ る。■
そ うい う
ケース、つまり、 白人 と黒人が隣合わせに座 ることを母 は一番恐 れて い■
たか らで あ る。 し
」(
4
1
5
)
か し、丁彼 にはこの座席の配置 はど好都合な ものは考え られなか った。
しか し、皮肉にも母の側の席 には黒人の男の子が座 り、 その女 が座 った席 は こと もあろ
うに自分の飯の席で、その巨体を黒人の男性 と自分の間 に押 し込 んだので あ る。 これで向
かい合 った三人融 けの座席 は、 ジュ リア ンの向かい側が、端か らジュ リア ンめ母、 男 の子、
歯の出た白人の女性 とな り、一方、 ジュ リア ンの側 は、端 か らジュ リア ン、 黒人 の大女、
黒人の男性 とな った。問題 はジュ リア ンと黒人の女性が、 ジュ リア ンの母 と黒人 の坊 やが
不快感」(
4
1
5
)を覚えつつ も、 「白人
向かい合 うという構図である。 ジュ リア ンは自分 も 「
4
1
5
)ことに母 が もっと不快感 を覚 えて い るは
と黒人の親がそれぞれの息子を交換 した」(
ず と考えて満足す ることに決めたのだ。 ジュ リア ンの思惑通 りに、「
母 はなにか恐 ろ しい も
4
1
5
)ように見えた。 この 「何か恐 ろ しい もの」 と
のに突然直面 して気分が悪 くな った」(
は、すでにジュ リア ンが母の側の席を離れて黒人男性の座席 に側 に移動 した時、 つ ま り、
4
1
2
)時 に、既 に予想 されていた究極の事態 で あ る。
「
公然 と母 に対 して宣戦を布告 した」(
ジュ リア ンの母が黒人の坊やを自分の子供のよ うに隣に座 らせ たの と同 じよ うに、 ジュ リ
ア ンは黒人の女を自分の母親 としたのである。 ジュ リア ンには、 母親 との精神的 な肺帯 を
切 ることに成功 した ことに意味がある。 直前 に夢想 した黒人 との関係 一黒人 の医者、 黒人
運動への参加、黒人のフィア ンセーが母 に もた らす シ ョックに一応 の満足 をお さめたので
ある。
しか し、彼が得た成果 はこれに留 まらなか った。彼 は ここで偉大 な発見 をす る。 その女
が乗 り込んで来 た時、彼 はその女 に 「それが何 なのかは分か らな いが、 ど こか見慣 れ た も
の」(
4
1
5
)を感 じていたが、その正体を突 き止めたのだ。 その女 は母 と全 く同 じ帽子を被 っ
ていたのである。 すでに述べたように、 ジュ リア ンの母 は厳 しい経済状況 の中でか ろ う じ
て今かぶ っている帽子を買 うことができた。 その帽子 と全 く同 じものをその黒人 の女 は平
然 と事 もなげに被 っているのである。
ジュ リア ンの母 は彼がネクタイを締めないことを答めて、「
文化的であるか ど うか は心 の
4
1
0
)であると言 い、 さらに続 けて
問題」(
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"(
41
0
)
とジュ リア ンに諭 したことがある。 つまり、彼女 にとって人前で帽子を被 るとい う 「行為 」
は、彼女が文化的であることの証明で もあるのだ。「
文化的であるか どうか は頑 の問題 で あ
4
0
9
)と宣言 しつつ、「行為」を成すあ らゆるチ ャンスを見過 ごす、 あ るいは故意 に成
る」(
さないジュ リア ン (
「ジュ リア ンは恐 ろ しく受 け身な人物 であ る」7
)) と違 って、 彼 の母 に
とっては 「
存在」 と 「
行為」がス トレー トに彼女が 「文化 的」 で あ ることを示 して い る。
とすれば、彼女 と同 じ帽子をかぶ って目の前 に座 っている黒人 の大女 も 「文化 的」 で あ る
ということにある。
その女 は今 までの第二級のアメ リカ市民、つまり、黒人であ り、「
文化的」で あ るとい う
レッテルか らはほど遠 い 「
存在」であった。 しか し、今や、 彼女 は白人 と平等 の 「存在 」
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であ り(従 って、白人 と同 じような 「
行為」をする権利 を獲得・
・
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また彼
女 には、 ジュ リア ンの母 と違 って、
∴その .
「
行為」 をす るだけの経済的 な力 も1
持 って い る。
・
そのような世界状況の中に-個の帽子が存在 し、その帽子 の一方 の側 か らジュ リア ン申母
が、 そ して、 もう一方の側か,
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らその黒人 の女が見っめて いたのだO そのン
帽子 の意義 は店員
の言葉 を用 いて確かめれば1
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)
と屯 る。帽子 は本来、「
文化的」である階級の ジュ リアンの母の ものだ ったのであ る。 しか
し、彼女 には今やそれを手 に入れるだけの経済力 はない。 その黒人 にはそれぞれが あ る。
結果的には、二人 ともその同 じ帽子を購入 したのである。 母 にとって 「文化的であ るか ど
行為」 によって実証 され、そ.
の 「
行為」 はその人間の 「
存在」 その もの に等 し
うか」は、「
か った。彼女 は結果 として、その帽子をかぶ っているが 、 その帽子 を購入す るとい う 「行
為」 は、今の彼女の 「
存在」 に等 しいだろうか。彼女の 「
存在」握彼女の申告 どお りヾ ゴッ
ドハイ家の人間 としての 「
存在」 に時代が変わ って も変化 はない。 そ して、彼女 の 「存在」
は、彼女がそのいかにも文化的な帽子を選択 しえたということによって証明 されて もいる。
しか し、その帽子を購入す るという 「
行為」を実現す ることはで きないはず なのだ。 経済
的理由で (
実際は多大 な犠牲を払 って購入 した)。つまり、 これはどういうことか というと、
「
文化的であるかどうか」 は 「
心の問題」、「
行為」 にあるという彼女の哲学 に嘘 をっ いてい
文化的であるかどうか は頑 の問題 であ る」 のだ. なぜ
ることになる. 今の彼女 にとって 「
な ら、彼女がその帽子を選択 しえた ということ、つまり、 それ によ って彼女 の 十存在」 を
証明す るだけでは、果た して ジュ リア ンq
)
言う 「
頑の問題」、
と変 わ.
るところが あ るだ ろう
か?
黒人女 についてはどうか。彼女 は帽子を購入す るという 「行為」 を保証す るだけの経済
力を所有 している。 よって、その帽子が文化を シンボライズす る もので あ るとすれば、 彼
女がそれを選択 し購入すれば、彼女 は 「
文化的」であると言 う しかな い。 なぜな ら、 その
女が帽子を購入す るという 「
行為」を保証す るだけの 「存在」 の質 において欠 けて い るな
どと一体誰が言えようか ?また、実際、彼女 はジュ リア ンの母 と同 じ趣味の良 さを発揮 し
えたではないか。 もちろん、 ジュ リ・
アンの母が訪れたデパー トの同 じ店員がその女に向かっ
て同 じお世辞を言 い、それだけを頼 りに購入 したか もしれないのだが0「
文化的であ るか.
と
どうか は心の問題」 と言えるのはその黒人の女 に他な らない。・
・
母 によれば、「行為」はすなわち 「
存在」であ った。.
本来の ゴッ ド-イの人間 と しての彼
別 の動機 が
女 にはその帽子を選択 (
購入ではない)す ることは、その意味で 自然 であ る。・
介入す る余地 はない。 しか し、今の彼女 には自分が被 るその帽子 の意義 を世 の中に対 して
認知を迫 るという動機が潜んでいるb.動機が優先 されること、つ ま り、 今 の彼女 に とって
は 「
頭の問題」である。 "AGo
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pd"の祖母が 「私が道路上 で死 んで
横たわ っていて も、
・世間が私の ことを レデ ィだと認めて くれ るよ うに」(
1
1
8
) とい う動輝
が、
_単 なる ドライブにも関わ らずめか しこむ ことをさせているのと同 じである。
では、黒人の女 には趣味 と溌 練 さの率直な表現以外 にいかな.
るB
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の動機 は介在 しない,
と
6
2
井 上 一 郎
言えるだろうか。すでに述べた通 り、「
公民権運動を背景 に している」 この小説 を考 え る場
合、 どうして も 「
存在」の同等性、選択 と 「
行為」の自由性 に対す る彼 らの過剰 な意識 が、
今 までの 「
存在」 の差を一気 に埋めるべ く 「
文化的」で あ るその帽子 を選 んだ とい う可能
性 もある。 この過剰 なる意識 は、結局、「
文化的であることは頑の問題」 とい うジュ リア ン
と同列の人間の タイプであることを示 している。 ジュ リア ンの母 は もちろん だが、 この女
の 「
意識」 も 「
公民権運動」の向か うべ き正 しい目標 にとっては、「
逆行」
8
)
であろう。
事件後、 ジュ リア ンが 「あの女 はお母 さんが黒人だった らあんな恰好を して たよ」 (
41
9
)
と母 に語 って聞かせたように、母 にとってはまるで自分 の姿 を鏡 に映 して見 る思 いが した
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on")の主人公、 ター ビン夫人 は、 病 院 の待合室 で一緒
に違 いない。「
啓示」 ("Re
にな った貧乏 白人たちに業を煮や して、 自分が貧乏 白人 に身 を落 とす くらいな ら、 自分 は
今の精神的なプライ ドをそのまま保持 したまま黒人にな った ほ うが ま しだな どと考 え る場
教訓」 の意 味で諭 した と して、 帽子 に対
面がある。 精神的な境位 は息子の ジュ リア ンが 「
.
5
0を払えないチェス トニー夫人の社会 ・経済的な地位 は、黒人女の社会 ・経済的 な
して $7
地位 にまで落 ちて しまった。 これまた恐 ろ しい事実を突 きつけ られたのである。
それに対 して、夫人 はその女が 「自分か ら帽子をひった くった猿でで もあ るかの よ うに」
(
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)笑顔で見た、 とある。He
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のような態度 となろう。今 までの時代 は、 この母のこの 「
笑顔」 は有効 だ った。 この 「笑
顔」は彼女の階級が下の階級の者 に向か ってのみ使用す る ことが許 されて いたのであ る。
彼女が現在の苦境か ら脱出するために取 り出 した武器、 これ は彼女 に認知 を迫 る厳 しい現
実を一蹴す る魔法の手 になるはずだった。 しか し、 これ も又、「
正義」が実現 され、 人間 の
真の共存を不可能 にす るところの、その黒人の大女が帽子を選 び取 ったのと同 じ 「意識」、
あるいは、 ジュ リア ンが陥 っている 「
頑」 の災いに他な らない。
(4)
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上昇す るものはみな一点 に集
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n独 自の人
中す る」) は、 フランスの古生物学者であ り哲学者で あ ったTe
間の歴史 についての考え方を借用 した ものである。 ティヤールの考え方 は、「生物学的、 心
1
0
)であ る。
理学的な進化論 と歴史的な購 いについてのキ リス ト教的な概念を融合 した もの」
本来、進化 とは、 ダーウィ ンの進化論 にある通 り、地上 にお け る人頬 の出現 に至 るまでの
プロセスを指す。原初の生命が複雑化、多様化 しなが ら生 のあ り方 の レベルを 「上昇」 さ
せなが ら人類へ と到達 し、その人頬が地上を支配す ることを もって一応 の プ ロセ スを完成
させたとす るのである。 しか し、 ティヤールの言 う進化 とは人類 の出現 を もって完成 す る
のではな く、人間の 「より高 い意識の レベルを目指す過程 を指す ものであ り、 その 目標 は
」1
1
)
純粋な意識、それは存在その もの、 あるいは神 とも呼べ るものである。
ティヤールの理論 は、 キ リス ト教の視点か ら眺めた人間 の歴史 につ いて述 べて いる。 す
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2
)であ り、 イエスは神が人間に与
なわち、人間の歴史の近 い所 にあるのは、「イエスの受肉」
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えた 「
恩寵」 と して歴史 に関 わ り、人間の罪 を 「頼 った」 で あ る。 一 貫 して い るの は、 人
間 に対 す る神 の愛 であ る。 イエスの地上 での生 は人間愛 で貫 か れ て い た の に対 して、 キ リ
ス ト教徒 は同胞愛 を通 じて イェスに近 づ くことを期待 され約 束 させ られ たの で あ る。 した
が って、 ティヤールの説 く人 間 の意識 の 「上昇」 が、 あ たか も進 化 の プ ロセ スを そ の ま ま
延長 させ たよ うに、 いわば楽観 的 とも思 え るの は、 キ リス ト教 の歴 史 か ら見 る と過 去 にお
いて予定 された もので あ ったか らだ。 シ ャル ダ ンの言 うオ メ ガ点 と は、 歴 史 の過 去 か ら未
来 に向 けて イエスによ って筋道 がつ け られ、示 された到達点 に他 な らない。 そ して、 逆 に、
この楽観的 な見方 を我 々に とって受 け入 れ難 い ものに して い るの は、 実 際 の二 千年 にわ た
る見栄 えの しない人間 の歴史 のせ いであ ることは事実 であ る。 しか し、 「
我 々人 間 の善 は 目
下建設 中」1
3
)の状態 にあ ると考 えたオ コーナーが、 この シャル ダ ンの思 想 に親 近 感 を覚 え た
の も領 ける。
問題 は この小説 の タイ トル と内容 の関係 であ る。 この小 説 を読 ん で、 先 に述 べ た人 間 が
「
存在 その もの、 あ るいは、神 と も呼べ る もの」 に近 づ くとい う楽観 的 な予 測 が裏 付 け られ
た と思 う読者 は少 ないはずで あ る。 白人 は旧体制 を維持 しよ うと し、 黒 人 は旧体 制 の残 樺
を暴力 で もって破壊 しよ うとす る し、古 い世代 が新 しい時代 の変 化 を認 識 す る ことはな い
し、新 しい世代が時代 の変化 の中で独立 した 自我 を形 成 で き る可 能 性 も未 知 数 の ま まで あ
る。 つ ま り、「
高 い レベルの意識 」1
4
)に向か って 「上昇」 す ることを可能性 と して持 ってい る
人物 はなか なか見っか らない し、 む しろ、 ティヤールの言 う 「進 化 」 に対 して抵 抗 を示 す
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人間 とその行為 ばか りが 目立 って い る。小説 の中で は誰一人 と して人 種 的 な意 味 で c
す ることに対 して意欲 を見 せ た り、責任 を負 う者 はいな い と言 って過 言 で はな い。 ま さ し
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andの指摘す る通 り、 「オ コーナーは意図的 に タイ トルの意味 を収束す る こ との な
くMc
い上昇 を表 す さまざまな比喉 と対立 させて い ることは確か」1
5
)で あ り、 先 に説 明 した タイ ト
ルの意味 を考 え合 わせ ると、「上昇」 した もの と言 えば、 ジュ リア ンの母 の血圧 くらいな も
のであ るとい う皮 肉1
6
)は的 を射 て いると言 えないだ ろ うか。
(
註)
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