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清泉女子大学大学院地球市民学専攻公開セミナー (2014年6月12日、同大学本館2階大会議室で開催) 報告者・中村葉子 1515 ポルトガル人宣教師・商人ティモール島上陸 1702 ポルトガル、ティモール島の植民地支配開始 1942~ 45 日本軍によるティモール島占領 1975 インドネシア、東ティモール侵略 1999.8 住民投票の結果、独立派が勝利 1999.10 国連平和維持活動開始 2002.5 東ティモール独立 2012.12 国連平和維持活動終了 私の東ティモールとの関わり 1987年、日本カトリック正義と平和協議会内“東ティモール問題担当” に任命される。 1988年、 主な活動 1)東ティモール内部に対して: 現地から寄せられる要請に応える[例:人権侵害の状況を広く世界に知らせる・ 闘争に必要な短波ラジオその他の物品の寄贈・人道援助物資を届ける・奨学金 を送るなどなど] 2)国連に対して: “非植民地化特別委員会”での陳述・“人権委員会”でのロビー活動など 3)諸国政府に対して: インドネシア・ポルトガル・アメリカ・日本等々の政府に対し要請書・ 抗議文などを送る。特に各国の国会議員対象のロビー。デモの企画など 4)日本国民に対して: 東ティモール人によるスピーキングツアー実施や刊行物による情宣活動 5)メディアに対して:東ティモール取材を呼びかける。取材に協力する。 6)教会に対して: 人口の大半がカトリックである東ティモールとの連帯を呼びかける 1991年7月 NHK女性ディレクターのIさん他、数名と訪問。 I解放闘争指導者シャナナ・グスマオへの インタビューに成功。 モタエル教会に避難していた青年活動家たちとの 出会い。彼らの多くはその5か月後に起きたサンタクルス 虐殺事件でインドネシア軍に殺害された。 1991年11月12日、 274名の青年が瞬時に 殺害されたサンタクルス 墓地 1994年、アジアに新たな連帯の動き 『東ティモール問題アジア・太平洋会議』 (APCET [ASIA-PACIFIC CONFERENCE ON EAST TIMOR] ) 第一回マニラ会議:インドネシア政府 の圧力で海外からの参加者がフィリピン に入国できず、大問題に。そのため、 メディアに大きく取り上げられ、東ティ モール問題が脚光を浴びる。 第二回クアラルンプール会議: 会議参加者が“逮捕”“国外退去” される。写真は国外退去処分に 遭い、関空に着いた時のインタビュー 独立後の東ティモール社会の課題 教 育 -基礎学力の不足: -教育施設の不足: -教員養成の不足: -教授言語の問題: 教育機会の不足。教材の不足 学校数が、増え続ける子どもの数に追いつかず 資格・経験のない教師が多数 教師も生徒も分からないポルトガル語で 教育が施されている! 保健衛生 -高い乳幼児死亡率 -栄養不良 -医療不足 経済 $ -極めて高い失業率 -貧富の差 -その他、問題多数! エコロジー -エネルギー問題:焚き木用の木の伐採 -ゴミ問題 -不処罰 -法制度の未整備 Ana ( ポルトガル) Inés (スペイン) Julie (インド) Mónica ( 日本) 2003年6月 聖心侍女修道会東ティモール修道院創立 現在、7人のシスターたちが2つの修道院で建国に協力 すべく活動している Lumen(フィリピン) Kumi ( 日本 ) Ania ( ポルトガル) 私たちの活動 ディリ修道院の活動 それぞれに40名以上の生徒が参加。公用語であるポルトガル語 以上に英語を好む。日本語熱も高い。 日本語教室の生徒たちの自己紹介をお聞きください! 青年海外協力隊員・ 原澤研二さん指導 卒園時には一人一人の園児に名前入りの 手作りバッグを贈り、かならず小学校へ進学 するよう励ます。 多くの参加者はディリからトラックで バザルテテに。 旧校舎 日本政府 による「草の 根・人間の安全 保障無償資金 協力」を得て、 新校舎を建設。 新校舎 教 育 私たちは『ラファエラ東ティモール募金』の ご協力で30名の大学生に奨学金を供与 しています。 彼らの感謝の声をお聞きください。 開 発 スイカ栽培農民グループに マイクロクレジットを供与 通常、ディリで販売するが、 今年の雨季は雨不足で 生産量が少なく、現地のみでの 販売を余儀なくされている。 青年農業専門家のグループ宛に 農業支援のためのマイクロクレジット を供与。 グループ代表 ジャヌアリオ君のメッセージを お聞きください。 人 権 1999年住民投票時に インドネシア兵・民兵ら から性的虐待を受けていた フランシスカさん。 こうした犠牲者や現在のDV 犠牲者のケアに協力している トラウマ治癒の一環としての箱庭療法セミナー: 山梨県立大教授、文殊紀久野先生のセミナー実施に協力 ノルベルタさんは西ティモールで 亡くなった主人の遺骨と共に帰還。 埋葬を殊の外大切にする東ティモ ール人にとって祖国に眠ることは 必須。 帰還支援グループ “帰還のための ワーキンググループ“ のチャーレスさんとマ リオさんのメッセージ をお聞きください。 東ティモール戦争博物館見学の推進 多くの東ティモール人は 戦争体験はあっても 戦争の詳細を知らない。 歴史を学ぶことで 彼らの心の傷も癒えていく “私は東ティモールとの連帯活動を通して、私たち人類が権力と富への欲求を 捨てる事の難しさを学びました。また、他の国家、社会、個人を尊重し受入れる 事は国際平和の基盤である事も分かりました。東ティモールの人々の勇気ある 抵抗運動と、彼らが民族自決という基本的権利を得る為に忍耐強く、また一貫 して闘ったことを思い起こすことにより、世界中の人々が平和の基盤は何で あるかを再認識してほしいと思います。” (受容・真実・和解委員会の「民族自決と国際社会」 に関する公聴会での証言 [2004年3月17日] ) 終