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目 次 1 読書感想文の部門 小学校(小学部)低学年の部 21 20 19 17 講評 ゆうたくんといっしょだね 「はじめてのゆうき」をよんで 「へいわってどんなこと?」を読んで おへそにきいてごらん 26 24 22 小学校(小学部)高学年の部 妖怪バリャーをやっつけろ! ハンナのかばんを読んで 君のためにできるコト 38 36 34 32 30 28 中学校(中学部生)の部 いじめをなくすために ひみつの友だちを読んで 〈天才フレディ〉と幽霊の旅 夢は翼をつけてを読んで 障がい者と不自由でない人 「同和教育を知る」を読んで 41 詩 の 部 門 小学校(小学部)低学年の部 うれしい気もち 私のおでこ 豊かな心 人それぞれ 「心」と「言葉」 7 6 4 2 小学校(小学部)高学年の部 中学校(中学部生)の部 大好きな人 そばにいるよ ほら、そこに 空 見えてる見えてない 16 14 12 10 9 詩の部門 小学校(小学部)低学年の部 詩の部門 小学校(小学部)低学年の部 うれしい気もち 泉佐野市 二年 芝 野 暖 人 ぼくは、空手に行くときにこけた。 ちがでた。 いたかった。 ぼくは、ないた。 すると、空手のおにいちゃんがこえをかけてくれた。 「だいじょうぶ?」 ばんそうこうをさがしてくれた。 ぼくは、うれしかった。 でも、なにも言えなかった。 ちょっとはずかしかった。 ちゃんと「ありがとう」と言えばよかったな。 ぼくも、だれかをうれしいきもちにさせたいな。 1 詩の部門 小学校(小学部)高学年の部 小学校(小学部)高学年の部 私のおでこ 枚方市 五年 小 林 万 祐 私は、人よりおでこが広い それを、からかう人がいた 私はひどくきずついた そのきずつきぶりを見て さらにエスカレートしていった でこが広くて いけないの? みんなとちがって いけないの? 相手は 忘れたかもしれないが 私の心には 大きな深いきずがついた 全治の見こみはない 2 1 心のきずは 見えない だから 気づかない 相手のきずを 一つの言葉できずつくんだ 自分は忘れても 相手には 深いきずや 一生のいたみが出る 自分が後悔しても もう もどれない だから 言葉は 考えて言おう きずつくまえに 3 詩の部門 小学校(小学部)高学年の部 豊かな心 阪南市 六年 上 田 頼 来 障害者のことなんで知ろうとせんのやろ? 本真に不思議や… 本真に意味わかれへん? ぼくのお姉ちゃんは障害者 恥ずかしいと思ったことも、いややと思ったこともない いつもニコニコみんなをいやしてくれる ケンカもいっぱいするけど、大切な存在や なんでジロジロ、へんな目で見るんやろ? 「あの子、しゃべれるんかなあ?」 「しゃべられへんのちゃうん?」 何とも言えん目つきと、おもしろがってる 腹たつわあ もっと知ろうとしてほしいわあ 知れば見る目が変わるのに… ちょっとまてよ… 4 3 !! 障害のこと知ろうとせんと、なんでそんなこと言うんやろ? !! もしかしてぼくも、障害者の人を見るとジロジロ 何の障害やろ?って見て、いやな気分にさせてるかもわからん どうしたらいい? 「こんにちは」 「さようなら」 あいさつだけでも、してみよう! そこから何かが変わるかも 豊かな心と笑顔であいさつ 5 詩の部門 小学校(小学部)高学年の部 人それぞれ 大東市 六年 田 辺 奈 央 私はあの人に追いつかれへん 死ぬほどがんばっても 追いつかれへん ずっと1人で悩んでいた。 でも、やっと気づいた。 ずっと比べっぱなしやったら マイナスの方向に行ってしまう。 “自分は自分 他人は他人や” 分かったとたん 嬉しくなってん だからもう 誰とも自分を比べへん 自分の人生を生きるから。 6 5 「心」と「言葉」 大東市 六年 除 補 遼 平 コップを落とすと割れる 同じように 人間も「心」を傷つけられると割れる 「心」というものはこわれやすい 「心」が傷つくまえに 相手に使う「言葉」は 選んで使わないといけない なぜなら 「言葉」は使い方によって 刃物にもなったりする しかし人間という生き物は 「言葉」を捨てることはできない 言葉は人とのコミュニケーションを取る 大事な役割を果たす そしてもう一つ 大事な役割がある 7 詩の部門 小学校(小学部)高学年の部 「言葉」というものは 人間同士を傷つけるだけではなく 人間同士が優しくし合ったり 温め合ったりできる そういう重要な役割をもつ ぼくはそう思う 8 7 中学校(中学部生)の部 大好きな人 守口市 一年 橋 野 優 奈 いっしょに散歩した 去年より遅くなっていた いっしょに食事をした 去年より食べる量が減っていた いっしょにおしゃべりした 去年より聞こえにくくなっていた これからは手をつないで歩いてあげよう これからは好きな食べ物を食べさせてあげよう これからは大きな声でしゃべってあげよう ずっとずっと長生きしてね 9 詩の部門 中学校(中学部生)の部 そばにいるよ 大阪市 二年 H・I あぁ、また聞こえる… 冷たい響きの ひそひそ声が。 私の友は 気付いてる 自分がまた噂されていることに。 そして悲しそうな顔してる それを見ている私も つらい だけどみんなは知らん顔。 気になるのは 私だけ? 今日も感じる冷たい視線 やっぱりみんなは知らん顔 助けたいのは 私だけ? だけど本当は 私もこわい。 友を狙う この槍が いつか私に向かないか 10 9 それでも私は ここにいる 傷つけられてる あなたのそばに。 信じていてね。 いつか温かい雰囲気が そっとあなたを包みこむから。 11 詩の部門 中学校(中学部生)の部 ほら、そこに ほら、そこに 富田林市 二年 世 良 奨 梧 一人ぼっちの子がいるよ 話しかけたら にこっと笑った ほら、そこに 泣いてる子がいるよ なぐさめてあげたら にこっと笑った ほら、そこに いじめられてる子がいるよ 「止めろよ」と止めたら にこっと笑った ほら、そこに 不安そうにしてる子がいるよ 「大丈夫、大丈夫」と言ったら にこっと笑った 12 11 ほら、そこに 怒ってる子がいるよ なだめてあげたら にこっと笑った ほら、色々な所に 助けを求めてる子がいるよ 勇気を出して助けてあげたら その子はにこっと笑うだろう 13 詩の部門 中学校(中学部生)の部 空 二年 大阪市 南 波 萌 々 電源を入れて 目に飛びこむ 画面越しの戦争 他人事じゃない 考えてみる 「もしあの中にいたら…」 荒れはてた道 悲しみに染まる街 真っ黒な空 真っ暗な明日 罪のない命が 奪われてゆく たとえ戦争を終えても 二度と帰らない 医者になりたい 学者になりたい 夢を奪われて 大切な恋人 幸せな家庭 温もりを奪われて 大勢の犠牲 残された人の涙 「悲しみを繰り返して 何の意味があるの」 画面から目を離す 14 13 部屋の中 ふと目にとまる 青空が彩る大きな窓 あの画面の中の空は 人が汚してしまった 灰色 今 見上げる空は綺麗なように いつまでも 綺麗だと思いながら 空を見られる そんな世の中であってほしい どうか もう 悲劇をくり返さないで いつか 世界が手を取り合って笑える日が 来ますように 15 詩の部門 中学校(中学部生)の部 大阪市 三年 渡 辺 麻 耶 見えてる見えてない 見えてるよ やめようよと 言いたいけれど 勇気がない 見てないフリを してしまう 見てないフリを している自分を 自分が見ている 見えてるよ 16 15 読書感想文の部門 小学校(小学部)低学年の部 ゆうたくんといっしょだね 阪南市 一年 畑 中 千 海 ゆう た く ん へ おじいちゃんのごくらくごくらくをよんだよ。 わたしにはおじいちゃんがふたり、おばあちゃん がふた り い ま す 。 わたしのパパとママもおつとめをしています。 あさの六じ三十ぷんからよる八じちかくまでおつ とめをしているので、わたしがねたままでおじい ちゃんちにいくこともあります。ゆうたくんとお なじで、ごはんもおふろもおじいちゃん、おばあ ちゃんといっしょです。ちょっとさみしいけれど、 おじいちゃんおばあちゃんがすきなのでがんばっ ていま す 。 ゆうたくんみたいに、おもちゃはつくってもら えないけど、おじいちゃんはいろんなあそびをお しえてくれます。こまやしょうぎやボールあそび などです。はしりのもうとっくんもしてくれまし た。 おばあちゃんは、こうさくをてつだってくれた り、 りょうりをおしえてくれたりします。 べんきょ うのいみや、ともだちとなかよくすることなども おしえてくれます。 ゆうたくんのおじいちゃんといっしょで、 でも、 わたしのおばあちゃんのひとりがにゅういんして しまいました。しゅじゅつがおわったあと、おば あちゃんはてんてきのチューブでいっぱいでし た。なんだかいつものおばあちゃんとちがってい てかなしくなりました。 ゆうたくんのおじいちゃんがほとけさまのくに にいったとき、わたしはなみだがポロポロこぼれ てしかたなかったよ。 わたしのおばあちゃんには、 まだまだほとけさまのくにへはいってほしくあり ません。 びょういんからかえってきたら、おばあちゃん 17 読書感想文の部門 小学校(小学部)低学年の部 のよろこぶことをいっぱいしてあげたいです。ゆ うごはんのしたくのおてつだいや、かたもみとか です。はやくおばあちゃんがかえってきてくれま すよう に 、 ま い に ち ま い に ち い の っ て い ま す 。 わたしは、わたしのいのちをちいさいときから たいせつにまもってくれているおじいちゃん、お ばあちゃんがだいすきです。だからできるだけ、 ほとけさまのくにへいくのをおそくしてほしいで す。これからも、おじいちゃんおばあちゃんのい のちをたいせつにしていきたいとおもっていま す。 「おじいちゃんのごくらくごくらく」 作・西本鶏介 鈴木出版 18 17 「はじめてのゆうき」をよんで 泉南市 一年 向 井 和 奏 おとうさんと、としょかんにいって「はじめて のゆう き 」 と い う ほ ん を 、 か り て よ み ま し た 。 としおくんは、おとうさんがだいすきです。な ぜかというといっしょにあそんでくれるし、きび しいときもあるけどうまくできたときは、とても よろこ ん で く れ る か ら で す 。 わたしのおとうさんとにてるとおもいました。 おこるとこわいけどいろんなはなしをしてくれた り、いっぱいはなしをきいてくれてとてもやさし いです 。 わた し も 、 お と う さ ん が 、 だ い す き で す 。 でもとしおくんは、おとうさんにかくしてるこ とがあります。それは、がっこうでなかまはずれ にされていることです。ほんとは、いじめられて いるのに、ともだちとサッカーをしているとおと うさんにうそをついて、うそをついたことがすご く シ ョ ッ ク で よ る も ね む れ な か っ た と、 か い て あって、わたしは、よんでるととてもかなしくな りまし た 。 「でもあるひ、としおは、ゆうきをだしました。 こくばんにじぶんのことをかかれて、みんなにわ らわれたので、すごくおおきいこえで「だれが、 かいたんだ」と、さけびました。 すると、ともだちが、こくばんをけしてくれた り、あやまったりしてくれて、まるでまほうがと けたみたいに、 としおにいじわるをしなくなった」 とかいてあって、わたしもすごくうれしいきもち になりました。 わたしは、いまクラスに、ともだちがたくさん います。みんな、なかよしです。 だから、だれかをなかまはずれにしたり、いじ めたりするのは、ぜったいにダメだとおもいまし た。 もし、じぶんがいじめられても、としおくんみ たいにゆうきをだして、じぶんのきもちを、いお うとおもいました。 「はじめてのゆうき」 作・そうま こうへい 小峰書店 19 読書感想文の部門 小学校(小学部)低学年の部 「へいわってどんなこと?」を読んで うがおきたら、ごはんもなにもたべられなくなる かもしれません。 日本でおきてほしくありません。 しんでしまいます。いえも学校もなくなってしま います。大じなかぞくやおともだちとはなればな れになってしまうとかなしいです。そんなことを 堺市 二年 石 田 瑞 稀 この本は絵が多くて字がすくなかったので早く 読めたけど、すぐにはあたまに入ってきませんで した。なぜ なら、「へいわ」や「せんそ う」とい うことばをじっくり考えたことがなかったからで 考えていたら、だんだんこわくなってきました。 こうやってみていくとわたしのすきなばめんが 「へいわ」でこわかったばめんが「せんそう」で した。 二つ目はばくだんがおちてくるばめんがこわいと 思いました。ばくだんがおちてくると多くの人が す。 その中でもわたしのすきなばめんが三つありま す。一つ目はごはんをたべているところです。す ごくたのしそうで、わくわくしているみたいです。 わたしがまい日していること。朝おきてごはん をたべて学校へ行く。べんきょうをして友だちと 元気にあそぶ。 そのふつうのまい日が大すきです。 「へいわ」っていいなと思います。 「へいわってどんなこと?」 作・浜田桂子 童心社 二つ目はおもいっきりあそんでいるところです。 そのばめんには人がいっぱいいます。わたしも絵 の中に入っていきたくなってしまいました。三つ 目はパレードです。みんながつくった竹うまや、 大きいきょうりゅうみたいなものがいっぱいあり ました。三つとも、どれもみんながじゆうにおも いっきり、たのしそうにしているばめんばかりで す。 そしてこわかったばめんが二つありました。一 つ目はせんそうのばめんのところです。くろやは いいろのくらい色がつかわれていました。せんそ 20 19 読書感想文の部門 小学校(小学部)低学年の部 おへそにきいてごらん れでおかあさんに「いたかった?」ときいてみる と、 「ぜんぜんいたくないよ」といっていました。 だろうとおもっていました。でもこの本をよんで わたしがうまれるためにとてもたいせつなはたら きをしていることがわかりました。 泉南市 二年 戸 田 こころ わたしが、この本をえらんだのは、ひょうしの えがおもしろくてたのしそうだなぁとおもったか らです。おへそのことは、しらないことがおおい のでど き ど き し な が ら よ み ま し た 。 おへそは、ぬれたままにしておくとかぜをひい てしまいます。おへそをだしてねたらおなかがい たくなります。わたしは、おかあさんからうまれ たしるしのおへそを、もっとだいじにしようとお おへそは、わたしがおかあさんからうまれたし るしです。わたしは、おへそのやくわりは、なん てっちゃんは、いつもでべそってわらわれるか ら、おへそなんかいらないとおもっていました。 でもおともだちのおへそもみんなへんなかたちを して、みんなちがうのではずかしいことなんかな もいました。 「おへそにきいてごらん」 作・七尾 純 あかね書房 いとわかりました。わたしもおへそを見てみると、 へんなかたちでした。かぞくのおへそをみてみた ら、み ん な ち が う か た ち で し た 。 おへそは、みんながうまれるときに、とてもた いせつなはたらきをしていました。わたしもおか あさんとへそのおでつながっていたそうです。へ そのおからおくられてくる、えいようでそだちま した。わたしは、おかあさんとつながっていてし あわせ だ と お も い ま し た 。 へそのおは、おいしゃさんがはさみできりまし た。わたしはいたそうだなぁとおもいました。そ 21 読書感想文の部門 小学校(小学部)高学年の部 小学校(小学部)高学年の部 妖怪バリャーをやっつけろ! 阪南市 四年 南 翔 平 この本を読みはじめたきっかけは、ぼくが、お 母さんに「バリアフリーってなに?」と聞いたら、 お母さ ん が こ の 本 を か し て く れ た こ と で す 。 最初はバリアフリーの意味がわからなかったけ れ ど、 何 回 も 読 ん で い た ら 、 だ ん だ ん バ リ ア フ リーのことがわかるようになってきました。バリ アフリーの意味は、だれでも使える場所のことで、 バリアはいろんなところにあることがわかりまし た。 この本にでてくるヤスユキとコウゾウの二人 は、ほねの病気にかかっていて車いすにのってい ま す。 バ リ ア は い っ ぱ い あ っ て 、 公 園 の 入 口 に は か い だ ん が あ り ま し た。 か い だ ん に は 妖 怪 バ リャーがいました。本の中にはバリアがあるとこ ろに妖怪バリャーがいてバリャーはだれかをのけ ものにしているところがすきとかいていました。 ぼくは、バリャーは車いすにのっている人だけ にあると思っていました。車いすはかいだんをの ぼれないし、バスもスロープがないと乗れないの を見たことがありました。しかし、テレビや本に もバリアがあって目が見えない人には見えないし 読めないことがバリアだと言うことがわかりまし た。この本の後には目の見えない人がパソコンで きけるひきかえけんがついていました。工夫され ているところがすごいと思いました。なんかうれ しくなりました。 ぼくは、バリアが世界からなくなればいいと思 います。本のかんしゅう者の平下こうぞうさんは 「妖怪バリャーを生まないためには、一人ひとり がちがいをみとめ合えるような社会をめざすこと も大切です。そうすればみんながくらしやすい社 会にかわっていくと思います。 」と書いていまし た。それを見て今まではなんでぼくの好きな遊び や物を友達にわかってもらえないんだろうとか、 みんな同じ物を好きになるはずだって考えたけ ど、一人一人みんなちがうんやなって考えるよう にしようと思いました。ぼくや家族や友達も、考 えることがちがっていたり、好きなものもそれぞ れちがっていていいんだと思います。 たくさんの人がバリアのことを考えてくれる 22 21 よ う に な っ た ら、 こ の 本 に で て き た お ふ だ で バ リャーをやっつけたように、バリアがへっていく と思います。そんな世界になってほしいなとこの 本を読んで思いました。車いすにのった人も目が 見えない人もどんな人でもいきたいところにいけ て、つかいたいものをつかえるようになってほし いです 。 「妖怪バリャーをやっつけろ!」 作・三島亜紀子 生活書院 23 読書感想文の部門 小学校(小学部)高学年の部 ハンナのかばんを読んで 堺市 五年 畑 中 菜 緒 この物語の背景には、第2次世界大戦という世 界をまきこむ戦争があります。そのころドイツで は、アドルフ・ヒトラーという政治家が、ナチス 党党首として、アーリア民族を中心に据えた民族 映画館も学校も行けなくなりました。昨日まで学 校で一緒に勉強していた友達や、一緒に遊んでい た友達とも自分がユダヤ人だからと遊ぶことを禁 止されます。やぶれば、家族まで罰せられるなん て悲しかったと思うし、みんなそれがおかしいと 分かっていたと思います。でも、ヒトラーが国を あげてユダヤ人の迫害を進めていくので、逆らう 私は、仲良しの友達に会って、遊んだりするの が楽しみで学校に行きます。学校から帰って家で 友達と遊ぶのだって楽しみです。両親や祖父母と ご飯を食べたり、その日のことを話したりするの だって大好きです。ハンナ、ジョージがなくした ものは、私たちの生活の中に、あたりまえにあっ て、一番大切なものだったのではないのかなと思 いました。 国も違って、年代も違う私たちは、こうして本 になっていたり、ニュースになっていなければ、 のはこわかったんだと思います。みんな自分のこ とを守るのでせいいっぱいだったんだと思いま す。 張し、強制的同一化や、血統を汚すとされたユダ ヤ人や、障害者迫害などをしました。ヨーロッパ 中に、強制収容所をつくり、何百万人ものユダヤ 人をとじこめて、きびしい労働をしいたり、働け ない子 ど も や 、 老 人 を 殺 し た り し ま し た 。 「ユダヤ人に生まれた」というだけで殺された 人は、600万人。その中で、子どもは150万 人です。その中に、ハンナ・ブレイディという少 女がいました。ナチス占領下でユダヤ人とされた ハンナや、アンネのような生涯を送った人のこと を知ることは、なかったと思います。なにも悪い 主義と、反ユダヤ主義を掲げました。そして首相 になった後、他政党や党内外の政敵を弾圧しまし た。また、人種主義的思想に基づき、血統的に優 秀なドイツ民族が世界を支配する運命を持つと主 ハンナと、兄のジョージは、様々な自由をうばわ れます。大好きだったスケートをしていた池も、 24 23 ことなんかしていなくてもどこも病気じゃなくて も、強制的に終わらせられる命があったんだとい うことを、この本に出会って知りました。こうい うことを知るということは、人種差別はいけない という思いをふやしていくことと同じだと思いま す。 私は、これからの生活で、『知ろうとすること』 を大切にしたいと思います。『知ろうとすること』 から始まることが、たくさんあることを、この本 を読んでわかったからです。この本が、ハンナの 『生き た あ か し 』 な の で す 。 「ハンナのかばん」 作・カレン・レビン ポプラ社 25 読書感想文の部門 小学校(小学部)高学年の部 君のためにできるコト 阪南市 六年 竹 腰 元 瑛 僕 が、 こ の 本 を 読 ん で、「 あ れ?」 と 思 っ た の は、主人公のくまおくんが、くまこちゃんに対し て、いつも、「ぼくが○○してあげる」と言って いることでした。くまこちゃんが、「あのね……」 と言いかけると、すぐに「□□したいの?○○し てあげる」と勝手に決めつけて、先に行動してし まう。 これって、気がきいてることじゃないと思いま した。「くまこちゃんの言うこと、言いたいことを、 最 後 ま で き い て あ げ な く ち ゃ、 聞 い て あ げ て よ 」 と 言 い た く な り ま し た。 く ま お く ん が、 く ま こ ちゃんにしてあげていることは、本当に、くまこ ちゃんがしてほしいと望んでいることなのだろう かと、思えてきました。気がきいている、のでは なくて、単 なる、“せっかち ”なだけで、相手の 本当の気持ちに気がついていないと思いました。 心配してたら、やっぱり、くまおくんの考え方 が変な方向に向かって、くまこちゃんを泣かせて しまい ま し た 。 口べたなくまこちゃんが、自分の本当の気持ち を言葉に出すのは、本当に勇気のいることだった と思います。 でも、勇気を出して、話せたことで、くまこちゃ んは、自分の本当の気持ちをくまおくんに伝える ことができました。 くまこちゃんの本当の気持ちを聞いて、分かっ たくまおくんも、やっと気がつきました。 僕は、話し合うことの大切さを考えました。自 分の言いたいこと、考えてることだけを、一方的 に伝えるだけではなくて、相手の意見も、ちゃん と、最後まで聞く。それから、どこまでが同意で きることなのか、反対なのかをよく考える。そう すれば、全く正反対の考えだと決めつけていたこ とが、案外、勘違いで、よく似たことを考えてい ることに気がついたり、 「何だ、そうだったんだ」 と納得できたりするのではないかと思います。 僕は、今まで、どうだったかな、とふり返って みました。友達とか、家族としゃべっている時、 相手の話を途中でさえぎって、自分が話をとって しまったこと、なかったかなぁと考えました。も し、そうだったら、これからは、注意しなくちゃ、 26 25 読書感想文の部門 小学校(小学部)高学年の部 相手の言いたいことを最後まで、ちゃんと聞かな くちゃ、でないと、次は、自分も話を聞いてもら えなく な る 、 と 思 い ま し た 。 自分勝手な解釈をして決めつけてもいけない、 相 手 の 言 い た い こ と を 最 後 ま で 聞 い て、 そ れ か ら、その言葉をちゃんと受け止めて、答えていき たい、と思います。自分の思っている通りを言葉 で表現できる人なら、まだ分かりやすいけれど、 うまく表現できない人もたくさんいると思うから です。といっても、難しいことだと思います。こ れからも、いっぱい、けんかにもなるかもしれな いし、仲裁に入ったり、入られたりするでしょう。 でも、一人一人が、相手のことを少し思いやれる 心を持っていれば、状況は変えられると思います。 悪い方 か ら 、 良 い 方 向 に 。 「君のためにできるコト」 作・菊田まり子 学習研究社 27 読書感想文の部門 中学校(中学部生)の部 中学校(中学部生)の部 いじめをなくすために てみました。いじめを題材とした小説です。あらす じは、 いじめを苦に自殺したフジシュンが遺書で「親 友」と書き残した主人公と、 「ごめんなさい」と謝 ず考えさせられたのは、 「いけにえ自殺」という言 葉です。フジシュンは皆のいけにえとなり、いじめ られ自殺しました。クラスの生徒の「いけにえ」と 阪南市 一年 堂 本 日 向 滋 賀 県 の 中 学 校 で の、 い じ め に よ る 自 殺 が 起 こってから、テレビでいじめに関するニュースを 聞かない日はないぐらい、よく耳にするようにな りました。僕は、いじめをしたことも、されたこ なったのです。フジシュンへのいじめが始まったの も、特に大きなきっかけや理由があったわけではあ りません。 「選ばれた」だけなのです。現実のいじ めも、そうなのではないかと思います。大きなきっ られた中川小百合の二人が、重荷を背負いながら、 悩み続けた二十年間の物語です。その中で僕がま ともありません。でも、自分では気付いていない だけで、知らない間に友達を傷つけていたことが あるかもしれません。教育評論家の尾木直樹さん もテレビで、「いじめの定義は、されている側が かけや理由などないのです。いじめられる側に非は ないのです。つまり、いつ誰がいじめの標的になり 得るか分からないのです。そして問題は、クラスの 皆がフジシュンを「いけにえ」にしてしまったこと です。フジシュンがいじめられているうちは、自分 達は無事でいられるからという考えからです。 「い けにえ」という言葉は衝撃的でしたが、実際、何 もせず見て見ぬふりをすることは、いけにえにする ことと同じことだと思います。傍観者はいじめる側 と同じ罪と聞いたことがあります。つまり、いじめ いじめだと感じたら、それはもういじめである。 」 と言っていました。滋賀県の自殺でも、いじめて いた生徒たちは、あれは遊びだったと言っている と聞きましたが、これもまさしく、尾木さんの言 うとおり、する側は遊びでも、される側は苦しん でいたということだと思います。自分がされたら 嫌なこと、自分が言われたら辛いこと、常に相手 の立場になって考えることが大切だと思います。 いじめのニュースをよく耳にするようになってか ら、家にあった重松清さんの「十字架」を手に取っ 28 27 見て見ぬふりをします。僕も少しその気持ちは分 かります。しかし、起こってしまったいじめをな ても、関わりたくないと考えたり、助けることで、 次は自分がいじめられるのではと考えてしまい、 ない重い十字架を背負い続けることになるのです。 僕が、ニュースを見たり、「十字架」を読んで、 もう一つ大切であると感じた事があります。それ は周りの勇気を持った行動力です。すでに述べた ように、相手の立場になって考えることで、人を いじめること、いじめに加担することはある程度 防げると思います。しかし、皆が皆同じように考 えることは難しいと思います。そのように考えら れない一部の人が、誰かをいじめている時や、い じめられている人が助けを求めてきた時、いじめ をやめさせるための勇気を持った行動が必要だと 思います。大半の人は、周りでいじめが起きてい ぬふりをし、いけにえを差し出した傍観者達、ま たそれぞれの家族まで含め、一生下ろすことのでき それがこの本のように、自殺という最悪の結果と なった場合、いじめた者だけでなく、周りで見て見 を見て見ぬふりをし、いじめの標的を差し出すこと は、いじめていることと同じことなのです。そして じめのない世の中にしていければ良いと思います。 のような時は、今回僕が必要だと感じた大切な二 つの事柄を思い出し、思うだけでなく行動し、い うのではなく、自分がまずやるという勇気を持っ た行動力が大切なのです。 いじめを防いだり止めたりするために必要だと 僕 が 感 じ た、相 手の立 場 に なって 考 えることと、 勇気を持った行動力は、何もいじめだけに限った ことではありません。人間として当たり前のこと でもあり、常にそのような行動ができるよう意識 しないといけないことだと思います。いじめと同 じくらいよくニュースに出てくる児童や老人など の 弱 者への 虐 待 も、同 じ だ と 思いま す。し か し、 周りの雰囲気や、その時の気分に流され、その大 切さを忘れてしまう時もあるかもしれません。そ 標的にされる恐れもあります。でも、まずは行動 を起こすことです。誰かが何とかするだろうと思 ちで解決できそうにないなら、先生や周りの大人 の人を巻き込んでもいいと思います。次は自分が くす為には、 周りが動くことが大切だと思います。 決して傍観者になってはいけないのです。自分た 「十字架」 作・重松 清 講談社 29 読書感想文の部門 中学校(中学部生)の部 ひみつの友だちを読んで にされてしまう恐れがあると考えたのではないで しょうか。それがひみつの友達と言う意味です。 大津市でのいじめ自殺事件がニュースで話題と なり、いじめ問題が取り上げられているので、そ のことについて少し自分でも考えてみようと思 い、こ の 本 を 読 む こ と に し ま し た 。 たことがあります。 僕は、 それほど気にはしなかっ たしたとえられたのがオバマ大統領という立派な 人だったのでそれを言われてつらいということは ありませんでした。でもそれも特徴をとらえて友 ただただ思ったことを普通に口に出しただけなの に相手を傷つけてしまうことがあります。僕もか みの毛が短くて顔の色が黒いのでオバマと言われ 泉南市 一年 光 田 琢 磨 こ の 物 語 は、 中 学 の 入 学 式 の 日 に 主 人 公 ル ー シーが、茶色い肌とクルクル縮れ毛、そして大き くて目立つ耳をしていたラファエラを見て友達に なりたいと思ったのに少しからかうようなことを 人の気持ちを思いやるというのは、時にとても 難しいことがあります。例えば友達どうしでも、 言ってしまって、そのささいな言動をきっかけに ラファエラが仲間はずれになっていくというもの でした 。 ルーシーはラファエラのことを決して嫌いでは なく、むしろ両親共働きの淋しい自分と比べて、 温かい家庭に育つ彼女に好意を持っていたと思い ます。 学 校 で は 冷 た く 当 た り、 家 が 近 所 だ っ た の で 帰ってからは仲良くしている様子が描写されてい 達が言った何げない一言でした。仲間どうしの楽 しいふざけ合いですむか、又は相手を傷つけてし まうのか、人を思いやり、気持ちを推し量り、言 葉をうまく使いこなすことが対人関係では重要だ と思いました。母に 「言葉は人を喜ばすためにある。 」 と言われたことがありますが、その意味がわかる ような気がします。 何か、人は常に自分の利益を考えているように 思えます。それは自分もです。誰だって他人より 得したいし、有利でありたいと思うのはあたり前 ますが、クラスの中で嫌われているラファエラと 仲良くすると自分も同じように仲間はずれの標的 30 29 ではな い で し ょ う か 。 カレートして、人を蹴落としてでも自分を有利な 立ち位置に置こうとするのがいじめにつながるの のことかもしれません。社会で生きて行くうえで 必要な気持ちでもあります。そんな気持ちがエス つらい思いをしている友達を救うには、自分一 人ではなく後二、三人同じように戦ってくれる仲 励ますかもしれないとも思います。まさに「ひみ つの友達」です。 「ひみつの友だち」 作・エリザベス・レアード 徳間書店 は仲間が必要なんだと思いました。 これから体育祭や文化祭などクラスで協力し合 う行事が色々とあります。そんな時、嫌な役を弱 そうな人におしつけたりしないでそれぞれの個性 や特技を活かして助け合って取り組んでいければ 悲しい思いをする人がいなくなると思います。誰 もが楽しい思い出を残すことができたら最高で す。 間がいてくれたらなんとかいけそうな気がする… と言うことは、どんな時でも力を発揮するために もしも、世界中の物という物が無くなって、ゲー ムもない、家もない、ブランドの財布も服もない パソコンもネットも、何もかもなかったら、人は 何を基準に仲良くする人を選ぶのかと考えると、 最後に求めるのは、一緒にいて温かいと感じる人 柄だと 思 い ま す 。 この話の最後は、コンプレックスの原因の大き な耳を小さくする手術の最中にラファエラが亡く なってしまうと言う悲しい結末でした。友達が亡 くなって初めて回りのみんなは自分達のして来た ことをふり返りました。ラファエラは自殺したの ではないけれど、みんなと仲良くなりたい、何故 さけられるのかとつらい毎日を過ごしていたと思 います 。 もし自分がそんな人を目のあたりにしている立 場だったらどうするだろうと考えてみると見て見 ぬふりをする姿が浮かびます。それこそ陰ながら 31 読書感想文の部門 中学校(中学部生)の部 〈天才フレディ〉と幽霊の旅 東大阪市 二年 植 村 瞳 ができたのだろうか。 私がもし、 兵士の立ち場だっ たら、 やらないと思う。できないと思う。しかし、 それで家族や兄弟が殺されたり、ひどい目に会わ されるのならやってしまうかもしれない。その気 たのを初めて知り、おどろきました。町や村から ユダヤ人の子どもを消す、特別な日がもうけられ ていたり、おびえた子どもたちをのら猫みたいに 袋につめこむことや、毒の方が銃弾よりも安いか 日がいやになると思います。好きなことも自由に できない。自由に暮らせない。遊べない。いつ殺さ れるかわからない。差別がいつなくなるかもわか らない。けれど、この時代を生きた多くのユダヤ 人は、違いました。ユダヤ人独特のユーモアのセン スが、恐ろしい体験によっても失われず、いつか自 由になれる日を夢みて、自分がユダヤ人であるこ とに誇りを持っていました。これに私は、勇気を もらいました。どんなにひどい状況でも、自分た 何の罪もない子ども達が、ただユダヤ人に生ま れたのだけを理由に殺されたのです。私が、この 時代にユダヤ人として生まれていたら、どんなこ とを考 えたでしょう。生まれてきただけで、ユダ ヤ人だからといって差別を受けていたらきっと、毎 持ちは、本当の戦争を知らない世代で生きている 私には分からないことだと思います。 らといって、子ども達の唇に毒をぬって、水を飲 ませて殺すといった、人間ならば絶対にしないよ うなことが本当に行われていたのを知りました。 ナチスの最高指導者、ヒトラーはどんな思いで 命令したのだろうか。あれほどひどいことを命令 するのは、平気だったのだろうか。でも、平気で なかったのなら、あんな命令はしないと思います。 人間の心を持っていたのなら、多くの人の命を平 気で奪うなんて、できないと思います。そして、 ちらしく前向きに生きていたからです。私だった らあきらめてしまうかも、前向きになんか考えら 本当にあったことなのか。一番にそう感じまし た。 多くのユダヤ人が、 強制収容所に連れていかれ、 殺されたのはテレビなどで、知っていました。け れど、子ども達がもっとちがうやり方で虐殺され その命令を受けた兵士達は、どう感じたのだろう か。何にも思わずに罪のないユダヤ人を殺すこと 32 31 本当の平和なんだと思いました。では、そんな平 和な世界にするために、私達には何ができるだろ せないと完璧な平和だとは、言えないと思います。 みんなが安全で、安心して暮せる明るい社会が、 く思えました。これからはもっと、自分が戦争の ない国に、時代に生まれてきたことに感謝し、夢 を持って明るく、前向きに生きようと思いました。 今の日本は、戦争をしていないけれど、昔はし ていました。多くの人の命が奪われました。そし て、今も世界のどこかでは国の中でだったりと戦 争をしています。その、誰もが辛く悲しい戦争は いつになったらなくなり、平和に暮らすことがで きるようになるのだろうか。平和というのにも、 いろいろあると思います。私は、戦争がなかった ら平和、そうではないと思います。戦争がなくて も、誘拐事件や殺人事件など、安全で安心して暮 されそうになったらすぐにあきらめたり、悪く考 えてしまうからです。こう考えると、自分が小さ をしたことがないからあまりわかりませんが、普 段何かを失敗してしまったり、誰かに何かを抜か れてないかもしれないからです。私は、自由がな いような、いつ殺されるかわからないような生活 「 〈天才フレディ〉と幽霊の旅」 作・シド・フライシュマン 徳間書店 と、思えた本でした。 にしていくことです。そして、次の世代の人達に 伝えていくことです。伝えていかないと、私達の 世代で、戦争のことを忘れ、また同じことをくり 返してしまうと思うからです。もう絶対、誰もが 辛く、悲しい思いをする、何もいいことがないよ うな戦争は、起きてほしくないです。 過去を変えることは、できません。しかし、未 来を変えることは、できます。未来に、戦争や争 いのないことを信じて、過去を忘れない。それを 心に私は、日本で戦争があった過去だけではなく 世界のこと、そして今、世界中で起きている問題 などを、もっとよく知ろう、そして伝えていこう ます。私達が学び、戦争や世界のできごとをよく 知り、二度とこのようなことが、起こらないよう 達からや、本やテレビからしか学ぶことはできま せん。しかし、それでも学ぶ意味は、あると思い きごとについて、 学ぶことだと思います。私達は、 本当には経験していないから、本当に経験した人 うか。まずは、自分たちが戦争や世界で起きたで 33 読書感想文の部門 中学校(中学部生)の部 夢は翼をつけてを読んで 阪南市 三年 高 科 沙 季 「いじめ」ではな 私の周りで一番身近なのは、 いだろうか。うわべでは、 「いじめは絶対しては るで物語の中のリンコに差別をする級友と同じで はないだろうか。そうなってしまわないように、 常に意識をもつことが大切だと思う。相手を思い いけない」など思っていてもどこかで他人との違 いに偏見をもってしまう自分がいた。これではま 私がこの本を手に取った理由は、題名にひかれ たからだ。内容はあまり想像できなかったけれど、 きっと私にとってプラスになるだろうと思い、こ の本に 決 め た 。 いう意識だ。そんな意識をみんながもてば、他人 との違いなんてちっとも気にならず、人との間に 思いやり、優しさが生まれるのだと思う。私はこ れからもそういった意識を常にもち続けていきた い。 そんなアメリカの差別社会の中でリンコは、将 来先生になる夢をもち、アルバイトでもらったお 金を「夢のつぼ」と名付けたつぼに貯めた。家族 におそいかかってくるさまざまな迫害の中で、生 きるのぞみさえも失いがちのリンコだったが決し て夢をあきらめることはなかった。 私には夢がない。こんな仕事やってみたいな、 という気持ちはあるが、なぜその仕事をやりたい のかと聞かれても答えられないと思う。しかしリ やる意識、みんなそれぞれ個性があって当然だと 主人公のリンコは、日本からアメリカへ移住し てきた両親のもとに生まれた。いわゆる日系二世 だ。黒い髪をもつ日本人だからと級友に無視され、 相手にされない。プールに行っても入れてもらえ 自分の行動を考えさせられる場面がいくつか思い 浮かんでしまう。私は自分の行動を思いかえして、 ンコには、しっかりとした理由があり、どんな困 ない。リンコへ向けられたのは、差別の目だった。 私はなぜ、日系二世で肌の色、髪の色が違うだ け で 差 別 を 受 け な け れ ば な ら な い の か、 疑 問 に 思った。しかし、自分自身の行動を考えてみれば、 知らず知らずのうちに他人に差別の目を向けてし まっていることがあるのかもしれない。意識はな くても自分と少し違っているところがあると、目 に入ってそれに対して偏見をもってしまうことも 立派な差別ではないだろうか。そう考えてみると、 とても 恥 ず か し く な っ た 。 34 33 た。私もそんな夢をいつか持ちたいな、と思った。 夢を持つとリンコのように希望を持てて、どんな 難が立ちはだかったとしても絶対にあきらめず、 決して希望を捨てず、夢を絶対にあきらめなかっ しでも理解していけたらな、と思う。 差別社会なんて私には関係ないことだと思うので はなく、そういう現状が今もあるのだと思い、少 知りたい。理解することも偏見の目をなくすこと と同じくらい大切なことだと思う。だから私は、 「夢は翼をつけて」 作・ヨシコ・ウチダ ひくまの出版 困難もふきとばせると思う。だから、私は夢を見 つけて そ の 夢 に 向 か っ て 進 ん で い き た い 。 私がこの作品で得たことは、あきらめないこと だ。リンコは、アメリカの差別社会の中でしっか り生き抜き、どんな困難が立ちはだかってもあき らめず夢を叶えた。だから私は、リンコのように あきらめない強さを持っている人間になりたい。 また、この作品で差別の目を向けられるリンコ の苦悩がつづっており、胸が痛くなった。私はそ んな差別社会は、絶対につくりたくないと思った。 そのためにも、みんなが偏見の目をなくすことか ら始めたいと思った。私の好きな言葉で、「みん な違ってみんないい」という言葉がある。その言 葉を初めて聞いて意味が少し分かった。差別社会 やそれに苦しんでいる人のことを知った今、その 言葉がすごく胸に響く。肌の色、髪の色なんて関 係ないと思う。私はこの言葉を常に心においてお きたいと思った。同時に差別社会のことももっと 35 読書感想文の部門 中学校(中学部生)の部 障がい者と不自由でない人 阪南市 三年 藤 田 梓 沙 てこないだろう。それよりもまず、うまく動いた り話したりできない時点で、伝えるのをあきらめ てしまうかもしれない。これは私だけじゃなく、 ほとんどの人がそうなのではないだろうか。そん そして、ピーティの周りの何人かの人は、ピー ティのことを知ろうとした。ピーティには感情が あると信じ、ピーティが話す言葉を理解しようと 努力した。さらに、ピーティのためにお金を集め な、大抵の人があきらめてしまうようなことを成 しとげたピーティを、私は尊敬したし、見習おう と思った。 私はこの本を読んでいて、何度もピーティをす ごいと思うことがあった。ピーティは体をうまく たり、みんなで出かけたりと、いろいろなことを した。そしてピーティの死の場面では、みんなが 泣いた。 こんな、自分のために行動してくれたり、泣い てくれる人がいて、 ピーティは幸せ者だと思った。 自分の感情を理解してくれる人がいて、それだけ でもピーティは幸せだったのではないだろうか。 私にも、私のことを理解してくれ、私のために行 動してくれる友達がほしくなった。そして、私自 私 が 借 り た 本『 P e t e y( ピ ー テ ィ)』 は、 重度の知的障がいだと診断されたピーティの話 だ。ピーティは感情がないと思われていたが、本 当はしっかりと感情があり、伝えようとしていた。 動かすことも、言葉をうまく話すこともできない。 だが、発音できる音でなんとか伝えようとする。 そして、何よりもすごいと思ったのが、ピーティ は自分の人生を、信じられないほどの感謝の気持 ちで受 け 止 め て い る と い う こ と だ 。 もし私がピーティのように生まれてきていた ら、そんな風には考えられなかったと思う。感情 を思うように伝えられず、自分の思うように動け ない。他人からは恐怖や嫌悪、好奇の目で見られ 身も、そういう人間になりたいと思った。 話は変わるが、私の祖母も障がい者だ。一度脳 そしてピーティはいろんな人と出会い、いろんな ことを 経 験 す る 。 る。そんな人生を感謝の気持ちで受け入れるなん て、簡単なことではないし、感謝なんて考えは出 36 35 祖母がそんな状態になるまでは、私も障がい者 に対して、嫌悪や好奇の目を向けていた気がする。 うように動けなくて、ほとんどのことが自分でで きなか っ た 。 こうそくで倒れて以来、左半身がまひしている。 倒れてすぐのときは、うまく話せなかったし、思 ようと思った。 私はこの本、特にピーティの行動から、いろん なことを学んだ。あきらめなければ必ず伝わるこ とも学んだし、障がい者に対する考え方も変わっ た。これからは、 成しとげるのが難しいことでも、 すぐにあきらめずに頑張ってみようと思う。そし て、簡単ではないと思うけれど、自分の人生を感 謝の気持ちで受け止めるよう、努力したい。そう すれば、人生も、自分自身も明るくなるのではな いだろうか。 ないからなのかもしれない。なら私が、祖母のた めになにか行動し、一緒にどこかに出かけてあげ できることでも、私たちに頼んでくる。それは、 ピーティの周りの人のように接してくれる人がい 祖母は大分と自分一人でなんでもできるように なっているのに、私や私の家族がいると、自分で 「Petey (ピーティ) 」 作・ベン・マイケルセン すずき出版 あまり関わりたくないと思っていたし、近づこう としな か っ た 。 しかし今は、障がい者に対する考えや、見る目 が変わった。今では、助けを必要としている人が いたら助けようと思うし、仲よくなろうとも思う。 もしかしたら、障がいをもった人から学べること がある か も し れ な い か ら だ 。 例えば相手がピーティのような人だったら、あ きらめないことの大切さを学べる。私は体が不自 由ではないから、体が不自由な人の苦労や、辛さ がわからない。だからそういうことも考え、知っ ていき た い と 思 っ て い る 。 最近は、祖母の相手や面倒を見るのが憂うつに 感じて、祖母と会っていない。しかし、Pete yを読んでから、久しぶりに会いに行ってみよう かとい う 気 に な っ た 。 37 読書感想文の部門 中学校(中学部生)の部 「同和教育を知る」を読んで うべきではない」という意見は間違っていると思 いました。実は私はこの本を読む前は、友人と全 時に水平社博物館へ行き、部落差別について学び、 今でも道徳の授業で部落差別をテーマに話し合い な ど を し て い る そ う で す。 私 は こ の「 部 落 差 別 」 をLHRの時間に一度だけ学びましたが、あまり 私がこの「同和教育を知る」という本を読もう と思ったきっかけは、私の友人の言葉でした。久々 に会った地元の友人と話をしている時、社会見学 についての話になりました。友人は中学一年生の 認識を持つ人が出て来る可能性がある、というこ とを知ったからです。私のような、部落差別をあ まり良く知らない人が増えたとしても、今でも一 部の高齢者の人たちは部落を嫌がる感情を捨て切 れていないそうです。そのような人たちから、間 違えた考え方を教えられる可能性はそう低くあり ま せ ん。 も し 私 の 祖 父 母 が そ の よ う な 考 え 方 を 持っていれば、小さいうちから、感覚的に部落差 別を教えられることで、 「はっきりした理由は無 いつかは差別自体が無くなる、と私は考えていま した。なぜ、この本を読んだ今、私が意見を変え たのかというと、同和教育を行わなければ部落差 別を知らない人の中から、部落に対して間違えた 業が無かったら、私は死ぬまで部落差別を知らな かったかもしれないのです。部落差別を教えなけ れば、 年を追うごとに部落差別を知る人が減少し、 河内長野市 三年 詳しいことは知らなかったので、友人が真面目に この問題に向き合っていることを知り、私も部落 差別について詳しく学びたいと思ったのです。し かし、この友人は同和教育に対して、「同和教育 は行うべきではない。」という意見を持っていま した。だから私は一度、部落差別の歴史の本を読 み、その次にこの本を読むことにしました。そう することで、部落差別問題の過去と現在の両方を 知ることができ、友人の意見に対する正しい答え いけれど、あの道は通りたくない」というような 間違えた考えを自分も持つようになっていたので く同じ意見でした。なぜなら、私は去年の授業で 初めて部落差別について知ったからです。もし授 が見つ か る と 思 っ た の で す 。 私は、この本を読んで、友人の「同和教育は行 38 37 しこれが事実ならば、絶対にあってはならないこ とだと思います。部落差別は社会全体が協力しな 差別部落の近くに原子力発電所を建てることで、 原子力発電所建設には付き物である、反対運動を この本の中にはとても気になる箇所がもう一つ ありました。それは、被差別部落と原子力発電所 の位置関係について書かれている所です。その内 ければ解決しない問題です。筆者が言うように、 本当に電力会社が部落差別を利用することで原子 力発電の推進を図っているのなら、それは社会の 一員として、また、人間として、私は許すことが できません。そもそも、被差別部落は政府が自分 たちが優位に立つために、 勝手に作ったものです。 今、電力会社が行っていることは、それと同じな のではないか、と私は思います。これでは、部落 差別問題を解決できないばかりか、新たな問題を 増加させてしまうことになるのです。 私は、この本を読んで、部落差別問題の複雑さ、 難しさをより実感することができました。私は、 はないでしょうか。だから、同和教育は無くして いくのではなく、進んで行うべきだと私は思いま 容は、「原子力発電所は被差別部落の近くに建設 されていることが多い」というものでした。これ は、この本の筆者である本田豊さんが全国の海沿 いの被差別部落と原子力発電所の位置関係を見 て、思ったことを書いた箇所ですから、絶対に正 しい情報だ、という訳ではありませんが、この話 を読んで私はとても驚いてしまいました。今、世 間では、去年の東日本大震災による福島原発事故 によって、原発反対運動が広がっています。私の 住んでいる近畿地方では福井県にたくさんの原子 力発電所があります。最近では、大飯原発の再稼 働が大きな問題になり、デモなども行われました。 部落差別が無くなりつつある今だからこそ、部落 差別について詳しく学ぶ必要があると思います。 す。 筆者は、その様な未だに危険性がよく分かってい ない原子力発電所は、意図的に被差別部落の近く 私たちの中には、人より優位に立ちたいという思 いがあります。その思いを制御できるようになら 軽くすることができるからだと考えています。こ れは、事実ではないかもしれません。しかし、も に建設されていると言うのです。筆者はその理由 を、漁業権を持たず、貧しい暮らしをしている被 39 読書感想文の部門 中学校(中学部生)の部 なければ、差別は絶対に無くならないと私は思い ます。 「同和教育を知る」 作・本田 豊 エムティ出版 40 39 講 評 講 評 審査委員長 新保真紀子 (神戸親和女子大学) として引き寄せられる感性(人権感覚)を育てる ことは、この人権啓発詩・読書感想文の取り組み にとっても大きな課題です。 今年もこうしたいじめを傍観者として見過ごさ ない、いじめられている子どもの気持ちに寄り添 いたいという作品が数多く寄せられました。ほか にも障がい者問題、外国人問題、平和など、多岐 にわたるテーマで、優れた感性と洞察力に満ちた 作品に出会うことができました。特に今回は、同 和問題について論理的に読み解き、現代社会のあ りようを考えようとする作品もあり、審査するお となたちもその明察ぶりに驚きました。 この度は第 回人権啓発詩・読書感想文に、応 募してくださった966人のみなさん、ありがと うございました。また、多くの応募作品の中から 陰湿ないじめと子どもの自殺という痛ましいで き事をきっかけに、今年度はいじめが再び大きな 「人権なんて自分とは遠くかけ離れたもの」と 思われがちですが、日常の学校生活の中にも、生 活する地域社会や家族の中にも、存在する課題で す。 「自分の大切さとともに他の人の大切さを認 めること」が、当たり前の社会になるように、あ らゆるところで、 人権について今一度考えながら、 しっかりと今を生きていきたいものです。この作 品集が、そのお役に立てたら、こんなうれしいこ とはありません。 選ばれた 人の皆さん、おめでとうございます。 今回も多くの応募をいただき、この取り組みの広 がりを 、 審 査 員 一 同 、 感 謝 し て お り ま す 。 学校課題としてクローズアップされました。その 取り組みは、まだ模索中ですが、いじめ防止の様々 なシステムづくりも作られようとしています。子 どもたちの声をいち早く聴くには学校はどうした らいいのか、家庭や地域はどうしたらいいのか、 おとなたちも格闘しています。日本のいじめは学 級内で起きることが多く、いじめを防止できる学 級集団づくり、不幸にして起きた時も早期に発見 して対応できる学級集団づくりが、強く求められ 31 ています。いじめに無関心にならずに、「わがこと」 41 23 この入選作品集は五、八〇〇部作成し、 一部あたりの単価は五八円です。 41