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読書運動通信7号

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読書運動通信7号
読書運動通信7号
2003・7・31
長い梅雨が明け、ようやく夏本番ですね。今年は試験期間に涼しくてよかったですね。
遅くなりましたが読書運動通信7号をお送りします。決してさぼっていたわけではないの
ですが、試験期間に入ると、学生さんも忙しくて、なかなかうまく連携がとれません。
今回は前期のテーマである「宮部みゆき」シリーズの四回目の講演会の記録をテープか
ら起こしてお送りします。与那覇先生の講演は曜日の設定がむずかしかったせいか、集ま
ってくれた人が二十人というさびしいものになってしまいました。しかし、与那覇先生の
情熱あふれるお話は集まった学生を魅了し、先生の呼びかけに答えて、現代に生きる女性
のありかたをめぐって、学生との熱気あふれるやりとりがありました。
講演会の記録から、その熱気の一部をお察しください。 (三田村 雅子)
「現代を生きる女性たち」
東洋英和女学院大学教授(女性文学研究) 与那覇 恵子
講演の題名は「現代を生きる女性たちの声」になっておりますけれど、レジ
ュメのほうは「現代に生きる女性たち」ということで、少し変えました。積
極的に生きるか、あるいは現代に仕方なく生きているかという意味の、両方
があるような気がしましたので、
「現代に生きる女性たち」の「声」あるいは「女
性たち」という風なタイトルにしました。
▼四つの女性のタイプ
今朗読で読んでもらった『返事はいらない』の中の、
「ドルシネアにようこそ」というの
はとりあげてありません。ですけれども、今出てきました、カードで遊びまわっている小
百合という女性のような家事手伝いで遊びまわっている女性がさまざまな作品の中に登場
します。恵まれている女性の場合も、そうでない女性の場合も、宮部みゆきは色々な角度
から書いている訳なんですけれども、今回はそういった、消費社会といったものに踊らさ
れている? 「情報」と言いましょうか、私たちが何かを選ぶ時に自分自身でそれを選ん
でいるという風に思っている場合が多いと思うのですけれども、実際は色々な広告ですと
か、テレビ、さまざまなメディアから流されるその情報によって、いつの間にか洗脳され
つつ選んでいるのかもしれない。 ① 消費社会に踊らされている女性
② それを押し留める意志のある女性
③ 最初からそういうことには無関心な女性
という三つのパターンがあるのかと思いますけれども、宮部みゆきの場合には、①の流さ
れてしまう女性たちというものを主に描いています。
もう一方で、宮部みゆきの場合には、「妻」と言いましょうか。そういう女性も描いてい
ます。
『理由』ですと子供の教育とか、マイホームを持つことに夢を見出し、生き甲斐を見
つける、そういう女性も居ますけれども、若い女性を中心に自分の美、ファッション、美
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容……そういったものにどうしても関心を向ける層がある。それを又ターゲットにさまざ
まなメディアがこれを流す。今朗読してもらいました「ドルシネアにようこそ」の小百合
のほうはそれを親が何とか押し留めるのですけれども、そう出来ない女性、それで結果的
には殺されてしまう。宮部みゆきの作品はミステリーですので。そういったものが生み出
すこの現代社会の人間関係というものを見ていきたいという風に思います。
▼金で夢が買える人生 現在は高度資本主義社会という風に言われておりますけれども、その「高度資本主義社
会」を簡単に言ってしまいますと、何でもお金で解決できる。愛情も、幸せも、教育も、
何でも買うことが出来る。そういった考え方は、バブルの時代の日本に蔓延していたので
はないかと思います。村上春樹の作品で『ダンス・ダンス・ダンス』という作品がありま
す。その中ではそのキーワードとして高度資本主義社会という言葉が何度も何度も出てき
ます。そこでは、子供の教育においても、親が自分の子供をどう教育していいか分からな
い。上手く子供と関係を結べない。そうしますと、その子供になついた主人公の僕という
のが出て来る訳なんですけれども、その僕に、
「とにかくお金は幾らでも出すから、お金の
ことは心配しないで娘の面倒を見て欲しい」と言う親が登場します。そういった意味で、
親子の関係というものが一体どんなものなのか、日々の生活の中で築いていく愛情ではな
くて、お金を与えることによって親が子供の面倒を見ている。子供の将来を見てあげてる
んだっていうような発想がある。それに対して「僕」という人物はかなり批判的に両親の
考え方を見ている訳なんですけれども、なかなかそこから抜け出せない。そこには自分が
やりたいこと、親が、子供の面倒を見るよりも自分がやりたい仕事、特に女性、母親の場
合も、自分の仕事を中心に、この仕事を逃したくない、この仕事をしていることが楽しい、
ということがあるものですから、子供の教育よりもそちらのほうを優先するという形にな
っています。ここではそういった意味でのお金の使い方。お金によって子供の教育が出来
ると考える作品がある。
▼恋人商法 もうひとつ、宮部みゆきの場合の若い女性たちの場合には、ここにはなかなか自分たち
の環境と言うもの、OLをやっていたり、それもぱっとしない会社なんですけれども、そ
こでお金を得ることによって、色々なものを買うことが出来る。さらにお金を得てそれを
資本にさらに自分のステップアップが出来るのではないかという
幻想を生きている。ここでは恋人商法と言うような言葉があるんで
すけれども、テレクラの「ハシリ」という風に考えても良いかと思
います。そういうような仕事をしまして、男性がそこに来てその女
性たちと付き合う。割り切って、それを商売だと感じて割り切って
付き合う男性も居る訳ですけれども、中には純粋で、その女性にの
めり込んでしまう。女性たちは仕事として相手に恋人の振りをする
訳なんですけれども、そういったことになかなか慣れていない男性
は、それを自分に対しての愛と勘違いしてしまう。それでどんどんのめり込んでいって、
その女性と離れられなくなってしまう。ところが女性のほうは、それに対して鬱陶しい、
という風に感じる。
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▼「悪」になりきれない
もうひとつは、逆にその男性が自分に対して深く愛しているということを感じてしまっ
て、それが怖い。自分がそれに値する女性ではないのだというところもある。ここら辺が
ですね、宮部みゆきの作品の中でなかなか「非情になれない」と言うのでしょうか。割り
切って、これは仕事なんだから、もうそういう男とは関わらない、一度食事を奢らせたり、
色々着るものとか、そういったものを買ってもらう、お小遣いをもらう、そういう形で、
割り切って男性と対する女性たちが居る訳ですけれども、宮部みゆきの場合には、余りに
も相手の男性が純粋な形で女性に近づいてきますと、その女性はなかなかそれを振り払う
ことが出来ない。振り払うことが出来ないということは、自分の中にも後ろめたさがある。
その後ろめたさとともに、相手の愛情というものを逆に受け取ることが、これまでの自分
がやってきたことを考えますと、それを受け取ってはいけないのではないか、というよう
な、そういった感情も起こります。ということは、この女性たちが……ここでは『魔術は
ささやく』の作品の話をしているわけですけれども、高木和子と言う女性が出てきまして、
彼女自身は相手の心を、もう自分は男性に対して自分はあなたに値しないという風に深層
意識のほうで考えて、逆に私たちはこういう女だということを彼に告げて、それで彼が彼
女たちのやっていた仕事……単に恋人商法、無垢な男を騙してお金を取っていただけなん
だということを、匿名雑誌の座談会というのがあるんですけれども、その雑誌を彼に見せ
て、私はこんな仕事をしてる女なんだということで、彼の自分に対する想いを断ち切らせ
ようとするんですけれども、逆にそれに凄いショックを受けてその男性が自殺してしまう。
その自殺してしまった男性と言いますのは、大学の研究者で、一筋にやってきた。その恩
師が、彼の仇と言うことで女性たちを殺害していくという話です。余り結論を言ってしま
うのは良くないんですけれども、ここで手玉に取るということに徹底していない、ですか
ら彼女が一切男性と自分自身が彼に相応しくない、そういう男性だから逆に結婚してこれ
までの状況を変える、そこまで「悪」になれないというところが、宮部みゆきの作品に登
場する多くの女性たちの特徴だと思われます。
▼後ろめたさの中で
ここで彼女たちがなぜこういうような仕事をしているのかというところがありますので、
そこの部分を読んでみたいと思います。これは『魔術はささやく』という単行本のページ
になっております。ちょうど仕事のことですね。先ほど朗読をしてもらった方より上手く
読めませんけれど129ページのほうから読んでみます。
恋人を装って男の財布を開かせるのは、三幕の芝居を演じ通すことに似
ていた。幕が降りる前に勝手に退場できる芝居だが、セリフもしぐさもち
ゃんとできていなければ、どこかで破綻が生じてしまう。それが面倒にな
ってきて、仕事を変えた。
だけど、人を騙すことでは同じだ。
これは、今は女性を騙している。美容部員として「このお化粧品を付けると凄くあなた
美しくなりますよ」というような形で何十万もする化粧品を売りつける。そういう仕事を
している訳です。最初は男性を騙してた。それが現在は化粧品で女性を騙すというところ
なんですけれども。
ときどき考える。あたしはこれを楽しんでいるのだろうか。
答えはいつも出てこない。間違ったキーを押したときのコンピュータの
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ように身体ののどこかでエラー音が鳴る。そのままいっても先へは進めま
せんよ、と。
ですから、彼女自身自分のやっていることに嫌悪感を持ち始めているというところがあり
ます。
和子はいい腕をしていた。恋人商法に欠かすことのできない演技力があ
った。それはとりもなおさず、誰よりも先にまず自分自身を欺くことので
きる才能だった。
ですから、これが決して良いことではないということを分かっている。だけれども、そ
れは相手に夢を与えると言うんでしょうか。恋人のできない男性に夢を与える。そして自
分自身もある一定の時間だけは恋人になって「楽しんでいるんだ」という意識を自分自身
の中にうえつけることができるということです。そういうことをある一定の女性は出来る
ということですね。
高収入で、したいことができた。
お金はどんどん入ってくる訳です。
一時はあちこちと旅行した。ひとつきのうち二度海外に出たこともある。
パスポートはもうヴィザで真っ黒だ。それでも、今思い出してみると、特
に心に残る土地も風景も見あたらないのだった。
おかしなことに、空港の風景だけは覚えている。世界中のどこでも、
人間が目的地の途中で立ち寄り、通りすぎていくだけの場所なのに。
ちょっと省略しまして、
女どうしの小競り合いに明け暮れる保険会社の仕事に嫌気がさして、別
の道を探していた。みんな、次の段階に進むための資金がたまったらすぐ
に、こんな詐欺まがいの仕事なんかやめるわと言っていた。
ですけれども、なかなかそこから抜けられないということですね。それでその一時的に
恋人になった男性に対しての意見なんですけれども、
あんなふうに心が通いあい、あんな幸せなことが本当にあると、彼らは
思っている。そんな幻を、まだ信じている。だから和子に騙されるのだ。
彼らの目のなかに一片の疑いの雲でもあれば、そんな素晴らしい出来事な
どそう簡単に自分のほうに転がってくるはずがないという幻滅があるな
ら、和子はいつだって演技をやめる。そうやって途中で「降りた」男だっ
て少なくはない。
……ということですね。ですから他者から何かを与えられて、
あるいはお金を払うことによって、恋人というような関係が持
てる。そういうような幻想を抱いている人間は騙して当然だっ
ていうのが、この和子という女性の考え方なんです。ですけれど
も、そこに後ろめたさもあるということですね。そこが微妙なと
ころなんですけれども、この作品は1989年に出されていますけれども、バブルがはじ
けていく年という風になります。お金で何でも買える、お金で何でも出来るそういう風な
風潮に対してですね、宮部みゆきはそういうような女性を設定しながらも、そこに批判的
な目を向けているという風に言って良いと思います。
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▼男たちのまなざし
一方、和子たちがやっていることに対して男性の側、彼女たちこういう恋人商法をして
いる女性たちを、匿名座談会と言う形で週刊誌に載せた男性が居る訳なのですけれども、
その週刊誌も裏の週刊誌……表に出ているのではなくて、そういった恋人商法で知り合い
たいと考えている雑誌に掲載されたものですけれども、ここでは男性の視点からですね、
彼はフリーのライターです。ですから世間の酸いも甘いも知っている、そういうようなフ
リーライター。純粋な心っていうのはもうとっくの昔に失ってしまったっていう形で書か
れています。
「坊ずはバカだった。世間知らずで無防備だった、下心を持った報い
を受けた。そして彼女は、坊ずと同時にほかにも何人も坊ずのような男た
ちを操っていた。バカをみたのは坊ず一人じゃない。そのとおりだ。だが、
どんなにバカで無知でお人好しでも、夢を見る権利はある。そして夢は金
で買うものじゃない。まして売りつけられるものでもない。わかるか?
坊ずにしなだれかかってきた女は、その最低限のルールさえ無視していた
んだ。彼女の頭にあったのは、坊ずがバカでお人好しで、寂しいというこ
とだけだった。ある程度までは彼女を満足させられるだけの金は持ってい
るということだけだった」
ていうことで、ここでお金の交換で、愛情を得ようとする、あるいはこういうような女
性を恋人に持ちたいという夢。その夢が買える。それが買えると思う錯覚を起こす男より
も、それを金で売ろうとする女のほうが悪いというのが男性の視点という風になっていま
す。その座談会のことが出てきます。
「あの座談会で、集まった四人の女どもがしゃべったことには、俺は
一言半句も手を加えちゃいない。どんな汚い言葉も、嫌らしい言い回しも、
何一つ付け加える必要なんかなかった。あれはみんな彼女たちの口から出
た言葉だ。全部がそうだ。隅から隅まで、一かけらの誇張も修正もない。
女の子たち。きれいな顔をしていい服を着て、虫一匹殺せない。けっして
貧しくない家庭で、真面目な親たちに育てられ、ほどほどにいい学校でち
ゃんと教育を受け、友達もボーイフレンドもいる。毎年十月が来れば真っ
先に胸に赤い羽根をつけて歩く。そんな彼女たちが得意満面でしゃべった
ことだったんだ。いいか? 得意満面でだぞ。彼女たちは面白がってた。
悦にいってた。仕事から帰っても迎える人がいない、日曜日に行くところ
もない、深夜スーパーで一人分のできあいの飯を買って帰るのが寂しい―
―そんな男たちから金をまきあげるのが愉しいと言ってな。彼が彼女を喜
ばせようと、頭をしぼって、身銭を切って買ってきた野暮ったいスカーフ
を、駅のゴミ箱に放りこむのがたまらないと笑ってな」
という風に書かれています。
▼ステップアップのために
彼女たち自身も、本当はその得た金で自分たちのもうひとつの夢を買おうとしている訳
なんですけれども、80年代後半、あるいは90年代前半にかけて、売り手市場というこ
とで言っても良いかもしれません。そういった中で、ここにも出ていますけれども、「寂し
い、どこにも行くところがない、恋人が居ない」そういう男たちを手玉にとってお金を稼
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ぐ。そういう女性たちが許せない。彼女たちの場合は四人ともそれぞれ外見は一応美しい
という形になっています。ですから一定の男性に好意は持たれるんですけれども、それ以
上のステップアップを求めています。自分たちがステップアップする為には、生贄となる
男性たちが居ても構わないという考え方。そういったものもこの時代に蔓延したのかもし
れません。
▼すべてがお金で買える
夢も、愛情も、恋もすべてお金で買える。その一時のある期間内の幸せ
だけを交換する。それがこの消費社会という風に言って良いかもしれませ
ん。それに対してそれ以上のものを求めた男たちが馬鹿なんだというのが
ここに出てくる女性たちの発想。ただ先ほども言いましたようにその女性
たちも、少しそういったところに自分の後ろめたさを持っている。という
ことで結局この仕事は辞める形になっていくんですけれども、金で自分の夢が買える。そ
れも些細な、私が思いますにはファッションとか、美容整形をする、それからちょっと高
いブランド物を買う。そのくらいのものの夢のような気がするんですね。大きな、家を買
うとか、そういうような話になってきますとどうしても男性が登場してきまして、女性は
身近にもしかしたら自分の手が届くかもしれない、それがテレビ、ファッション雑誌など
を見て、その状況になれば少しは自分の夢……もうひとつ上の段階の男性との出会いとか、
貯めたお金でキャリアを積む為の新しい知識を身につけるとか、そういうようなことを思
っているわけです。
▼欲望のために他者を
それは些細な欲望だと言っても良いかもしれませんけれども、その欲望を達成するため
に他の人間を足蹴にするっていうそういうような女性たちが今から出てきます。ここに出
てくる四人の女性たちも、OLであるっていうことから少し自分を変化させたいという思
いを持っている訳です。
▼自分自身の満足
それと同じように、
『火車』の中ではそこまで極端ではないんですけれども、現在の自分
自身からちょっと変わりたい。万引きをする女の子っていうのが出て来ます。この作品は
直接……先ほど読みましたカード破産の問題を扱った作品ではあるんですけれど、その中
で何故こういうことが横行するかということで……本間俊介って言いますのは刑事です。
カード破産をして失踪してしまった女性、その女性に成り代わって殺したらしいもう一人
の女性を追う本間俊介って言う刑事が出て来るんですけれども、その刑事がかつて自分が
若い頃に捕まえた万引き常習犯の少女のことを思い出す場面があります。ここをちょっと
また読んでみます。
万引き常習犯の少女のことだった。語弊のある言い方ではあるが、腕
のいい女の子だった。仲間の密告がなければ、まず捕まることなどなか
っただろう。若者向け高級ブランド専門に荒稼ぎをしていた彼女は、し
かし、人前で盗んだ洋服を身につけることはなかった。かといって、足
がつくのを恐れたわけではない。自宅の自室で、ドアに鍵をかけ、誰の
目にも触れる恐れがないようにして、大きな姿見の前に立ち、とっかえ
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ひっかえ着てみるのだ。あれこれとコーディネイトを工夫し、洋服だけ
でなく時計やアクセサリーまできちんと組み合わせ、ファッション雑誌
のモデルのように着飾ってポーズをとる。ただ姿見の前だけで。そこな
ら、似合わないねと言われる心配がないから。そして、表を歩くときは、
いつも、膝の出かかったジーンズをはいていた。
誰もいないところでだけ、自己主張をする。負い目があるとそうな
るのだと、悟ったような気がした。
この「負い目があるとそうなるのだと悟ったような気がした」っていうのは刑事の考え
なんですけれども、彼女の場合には「似合わないね」と言われる心配がない。ですから、
先に挙げました四人の女性たちは美しい、他の人たちから見てもちやほやされる。ところ
がこの万引き常習犯の女の子は、色々なものを買う。このアクセサリーを付けてみたい。
この洋服を着てみたい。だけどそうしますと、あんたなんかには似合わないわよと言われ
てしまう可能性がある。
それは先ほど朗読してもらいました「ドルシネアにようこそ」、六本木のディ
スコですけれども、その六本木のディスコに行くにはそれなりの服装をしていな
いと入れないというような噂が蔓延していて、それで伸治という男の子はいつも
ダサい格好をして、速記の勉強をしている子なんですけれども、絶対にドルシネ
アに入れないようなタイプの男の子って風に設定してます。それが駅の掲示板に
「ドルシネアで会おう」とあたかもそこに自分が行くようなことを書き続けてい
る。それに対して、先ほどのカードでお金をどんどん使って遊んでいる女の子が
居て、その書いている男の子を見て、
「来ないのにいつも書いてる」という風にか
らかう。
「来られないあなたと私とは違うんだ。そんなダサい格好で来られるはず
ないじゃないか」という、そういった、一方でお金を得て人生を変えようとする
女性たちが居るとしますと、それを表には出さないけれども、自分の意識の中で、
本当はこういうこともしたい、こういうこともしたい。伸治も一度で良いからディスコに
行ってみたい。でもなかなかそれは叶わない。自分の全部を変えなければいけない訳です
から。彼がそれでどうしてもドルシネアに行きたいということになりますとそれこそそこ
に合う服装をする為にローン、お金を借りるかもしれない。
そうするとまた転落する小百合と同じような形になってしまうんですけれども、この『火
車』の女の子の場合はそのお金がないわけですから、自分で万引きをする。だけど万引き
をしても周りの仲間たちが見て「それであなたは変わらない」っていうことですよね。似
合わないっていうふうにどうせ言われるのがオチ。だから自分の小さな夢の世界に浸る。
着ている自分っていうのは、恐らく他の人間が見るよりは自分自身が満足出来る。でも自
分自身の満足は飽くまでも「万引き」っていう形でしか行われていないというふうになる
訳です。
▼ブランド物によって
ですから、彼女はお金がないのですけれども、お金の代わりに万引きという形で自分の
ささやかな幸せというものを得ようとする。でも結局それは捕まってしまうというふうに
なる訳ですけれども、ここでも、本人自身は恐らく、そうやってブランド物を身に付ける
ことによって美しい女性に変身してるという風に思っているかもしれません。
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ですけれども外部の目はそうではない、というふうに彼女自身は考えていて、家の中だ
けで自己主張する。刑事の目は「負い目があるとそうなるのだ」というふうに、考えてい
るわけですけれど、その「負い目がある」というのは、やはり自分自身に自信がない。私
は美しくない、似合わない、ですからこういうかたちでしか自己主張することができない。
それもですね、似合わない、似合うというのが、常にその他者の視線、自分自身でこれで
いいのだというふうに考えているのではなく、ブランドものとかを着れば、それなりの女
性に見えるかもしれない、というふうに思う。にもかかわらず、でもそれを着ても、友達
同士は全然似合わないというかもしれない。そういった自分がこれを好きだから買う、好
きだから着るというのではなくて、それを身につければ、ブランドものを身に付ければ、
一定のレベルになれるのではないか。本人自身は姿見を見ながら、満足しているんだけれ
ども、でも、もしかしたら、外部の目は違うのではないか。
▼二分法を超えて
そういうふうに思う女性の心に対して、本間俊介というのは、彼女自身に同情を持って
いるわけなんですけれども、社会がそういうふうに、美人である、美人でない、似合う、
似合わないというふうに女性を分けてしまう。それから今言いましたように、ディスコに
入れる人間、入れない人間、そういうふうに差別化してしまう。それはお金がある、ない
ということに大きく左右されているということがここに出ているというふうに思います。
先程も六本木のディスコで派手に遊んでいるにも拘らず車ではなく地下鉄で来る。そう
いったところにも、本当の金持ちは車で来て、結局なけなしのお金で着飾っている人間て
いうのは地下鉄、という。本当は地下鉄で来るようなお客は本来の噂になっているドルシ
ネアの常連客ではないはずだっていうことで、伸治は逆にその女の子に対して深い同情を
持つっていう場面があります。ただあの作品は、お店自体を持っている女性は「一週間色々
働いてお金がない。だけれどもちょっとした息抜きにこのディスコに来て欲しい」という、
経営者はそう思ってるんだけれども、経営者の意図とは別に、そのお店自体はそういう形
でダサい格好は駄目とか、そういうような客同士の中での差別化が起こって、そういう噂
が流れていくという皮肉な現象になっている訳ですけれども、経営者はそうではないとい
うこと。それは宮部みゆきが色々な作品、彼女の場合は庶民の視点に立つというのは良く
言われてますけれども、庶民が寛げる場所としてここは、庶民と言いましても働く、お金
の余りない若い男女が寛ぐ場所として開かれたディスコなんだけどもそうではなくなって
しまった。経営者はそうしたい。そこに伸治が速記を受かって、最後の駅の掲示板のほう
に「ドルシネアにようこそ」という風に、ここはあなたたちに開かれているんですよとい
うようなことでこの作品は閉じられるんですけれども、なかなか現実はそうではない。現
実はそうではないんだけれども、宮部みゆきはそういった人たちの……あとのほうにも人
情というような言葉を書きましたけれども、人と人との繋がりって言うんでしょうか。差
別化して外見とかそういうものではなくて、寛げる場所を提供する大人も居て、そこに若
者たちが行ける。そういうようなことを小説の中で夢見て、表現したのではないかなとい
う風に思いました。ただ現実ではそうではないっていう部分も出て来ます。
▼カードの幻想
それで、彼らの中では、そういう外見や物で自分自身が変えられるかもしれないという
こと、あるいは自分のちょっとした現実、もううんざりするような日常の中からちょっと
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気分を転換する。その時に買物をする、新しい何か洋服を買うとか。そういうことによっ
てストレスが解消されるということがあるだろうと思います。カードはそれをいつの間に
か、直接そこで「現金。あ、ないわ」というふうに払わないでカードで後払いをする訳で
すから、今お金がないということになかなか気付かない訳ですよね。それがどんどんどん
どんエスカレートしていくっていうことで、ここではそういった女性たちの意識というも
のを宮城富美恵っていう女性の言葉で語っています。その関根彰子っていう女性がカード
破産して後で殺されることになるんですけれども、その女性が会社を辞めてスナックのよ
うな水商売のところで働くことになった。その時に一緒に居た女性が、宮城富美恵という
人です。こういう風に言ってます。
「彰子ちゃんとも話したことがあるんだけど、要するにあの娘、故郷で
ないところで自由になって、全然違う人生を歩きたかったんですよ。だけ
ど、現実にはそんなことありっこない。人生なんて、そう簡単に変わるも
んじゃないから」
というような、この人は凄く年配なので、簡単に新しい人生が開ける訳がないというこ
とを言っている訳ですけれども、だけれども、その人たちの気持ちも分かる。だけれども、
さらに批判。
「お金もない。学歴もない。とりたてて能力もない。顔だって、それだ
けで食べていけるほどきれいじゃない。頭もいいわけじゃない。三流以下
の会社でしこしこ事務してる。そういう人間が、心の中に、テレビや小説
や雑誌で見たり聞いたりするようなリッチな暮らしを思い描くわけです
よ。昔はね、夢見てるだけで終わってた。さもなきゃ、なんとしても夢を
かなえるぞって頑張った。それで実際に出世した人もいたでしょうし、悪
い道へ入って手がうしろに回った人もいたでしょうよ。でも、昔は話が簡
単だったのよ。方法はどうあれ、自力で夢をかなえるか、現状で諦めるか。
でしょ?」
だけれども、現在はカードがあって、結局お金が使える。いつかはそれを返せるという
幻想をカードが生み出していくと。
▼借金という軍資金
「今はなんでもある。夢を見ようと思ったら簡単なの。だけど、それに
は軍資金がいるでしょう。お金持ってる人は、自分のを使う。で、自分で
はお金がなくて、『借金』という形で軍資金を作っちゃった人間が、彰子
みたいになるんですよ。あんた、たとえ自転車操業でお金借りてても、い
っぱい買物して、贅沢して、高級品に囲まれてれば、自分が夢見る高級な
人生を実現できたような気になれて幸せだったんでしょうって」
彼女がなんて答えたかと言いますと
「そうだったって。そのとおりだったって」
ですから、高級品に囲まれていると自分自身が凄くレベルが高くなったように錯覚。あ
るいはこれこそが私が思っていた夢なんだ。私はこういう生活をしたくって、今こういう
ような状況にあるんだっていう風に、錯覚してしまう。でもそれは、結果的には自分のお
金で、自分自身の力で稼いだものではなくて、クレジットカードという――それが結局借
金になっていく訳なんですけれども、そういったお金があれば夢が叶えられる、幸せにな
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れるという状況を80年代90年代にどんどん生み出し、それを女性たち自身もそういう
風にいつの間にか思ってしまった。それが破産の状況になってきますとそれが幻想だった
ということに気が付く訳なんですけれども、そうでない、自転車操業でもそれが続いてい
ればその幸せに浸っていられる、ということですね。ですから、永遠に続くっていう風に
は考えてないかもしれませんけれども、錯覚として永遠に続く幸せだっていうこと。それ
が、物があること。物に囲まれている。高級なブランド品、高級な家具に囲まれている。
そういう生活が幸せだっていう風に思っているということ。そういうような女性たちがた
くさん出て来ました。
▼差別化する「幸せ」
それに対して一方で、別の幸せということ。これもこの作品の中には出て来ていまして、
自分の好きなことをするという男性が居るんですけれども、その男性は小さい時から自動
車が好きで、車の色々な修理をするのが好きでそれでやっぱり父親が自動車修理工場を持
っているのでそこで働く。それに対して何の疑問もなく一生懸命働いてそれで幸せを感じ
ている。その妻の台詞なんですけれども、彼女自身はOLをしていたんですけれども結局
辞めて、花のOLと言ってもそれこそお茶汲みぐらいしかなかった。それで故郷に帰って
きてその男性と結婚して、子供が産まれるってところなんですけれども、その彼女のとこ
ろにかつての同僚から電話が掛かってくる。色々な話をしてて、
「今どうしてるの」と聞か
れたので「子育てで大変よ」って答えたら、その女性が舌打ちをしたと。
「ちょっと絶句しちゃって。
『結婚したの?』って。あたしが、
『そう
よ。未婚の母なんて嫌だもの』って言ったら、黙っちゃってね。それか
らは、話もぶつぶつ途切れちゃって、最後には、なんか唐突な感じで切
られちゃった」
ていうふうにあります。
「たぶん、彼女、自分に負けてる仲間を探してたんだと思うな」
っていう風にその女性は分析する訳です。ですから、今会社で自分があまり幸せではな
い。そうしますと、自分より幸せじゃない女性を探してそれでちょっと優越感に浸ろうと
する。そういうような幸せっていうのも女性たちがお金で買える幸せ、幻想ですけれども、
それともう一つは、今会社で置かれている自分の状況が良くないと、自分よりもしかした
ら彼女は田舎に帰ってどういう惨めな生活をしているかもしれない。そういう女性に電話
して自分の華やかな都会でのことを語って、田舎は嫌なんだよね、という言葉を聞いて安
心する。そこに幸せを感じるという、女性同士の競争心。そういうような幸せの捕まえ方
という、相手を……これも一種の差別化と言っても良いと思いますけれども、相手より少
しだけでも自分が上だと思える状況。それは自分自身の幸せっていうもの、本来の、何を
自分が求めているのか、何のために生きているのか、ということが逆に分からない。比較
して、
「あの人より良い物を着てる」、
「あの人より少しお給料が良い」、
「あの人より何とか」。こういう比較の状況の中で、自分のランクを保ち
続ける。そういった形でしか幸せっていうものを見つけられない女性た
ちっていうものが宮部みゆきの作品の中にはたくさん登場してくるかと
思います。それが特に若い女性たちに多いということですね。
▼今の自分でない「何者か」
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そういった幸せっていうもの、物を含めてなんですけれども、それが錯覚に過ぎないと
いうようなことを、ここは本間俊介の言葉になりますけれども、そういったその女性たち
が陥っていく状況というものを分析しているところなんですけれども、
本間は考えた。関根彰子は子供時代から幸せを実感したことがなかった
のかもしれない。だから、昔の自分、今の自分ではない「何者か」になるた
めに、いつも焦っていたのだ。
それは、たまたま彰子が母子家庭の出身だったからとか、学校の成績が
良くなかったからだとか、そういう個別の要因から生まれた焦りではなか
ったろうと、本間は思う。それは誰もが心の中に隠し持っている願望であ
り、生きる動力となるものであり、それこそが一人の「個人」であること
の証拠なのだ。
関根彰子は、その願望を果たすために、あまり賢明ではない方法を選ん
だ。
「あるべき自分」の姿を探す代わりに、そういう姿を見つけたような
錯覚を起こさせてくれる鏡を買ったのだ。
しかも、プラスチックの砂上の楼閣の上に住んで――
ということで、かつてはそういった母子家庭であるとか、あまり成績も良くない、でも
そういったコンプレックス、あるいは劣等感というものが、自分自身を変えていく。自分
を新しい道に導いていく方法であっただろうと。これはかつてということで本間は言って
る訳なんですけれども、それがそれぞれの個人であるということ、一人一人が個別で違っ
ているということの意味。それぞれがそういった状況の中から自分の人生とか行き方って
いうものを探し出していくんでしょうけれども、その、
「こうなりたい自分」。母子家庭で
もない、貧しくもない、頭も良くない、そこから抜け出す自分っていうのはどうあるべき
か、という時に、彰子の場合は結局物を買う。色々な物に囲まれて生活する。そちらの方
に行ってしまった。これが、本来批判するのがとても容易いということもあるんですけれ
ども、状況として様々な情報が流されている訳なので、そういった情報から遮断はなかな
か出来ない訳ですね。そうしますと、その情報が「こうすればあなたは幸せになれるんで
すよ」
「こうするととても良い生活が送れますよ」っていう風に言われると、「ああそうな
のかな」って思ってしまうことも当然あるだろうと。
▼批判と同情
本間はそういう風に思い込んでいってしまう女性たちに、方法は間違えているんだけれ
ども、一種の哀れさを持っていまして、必ずしも批判的ではないというところがあります。
批判的だっていう風にすれば、顔が良くて親も居て、一定のお金があるにも拘らず、お金
を、更にそこの状況から上を目指そうとして人を騙す女性たち、っていうことで『魔術は
ささやく』というのがあると思います。ですからここでは、些細な、ちょっとした自分の
楽しみを得ようとして、どんどんどんどんカード破産に追い込まれていく女性にちょっと
同情的ではあります。この話は二回目、前回、前々回で出てるかと思いますので、所謂制
度自体の問題ですよね。彼女たちのちょっとした買い物というものが大きな利息がついて
いつの間にか離れられなくなってしまう。カード破産の状況になってしまう。そういった
制度のありようを批判しているのが『火車』では強いと思います。
物によって幸せを得られるという風に考える若い女性たちの意識について同情的であり
ながら、少し批判を持つという風にも言えるかもしれません。先程のブランド品で身を固
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めるということとも全部繋がってくるんですけれども、全体の流れを見ていきますと、金
で買えるっていった時に全て物、それから外見、整形手術をするとかですね、お化粧をす
るとか、ブランド物で身を固める。それから自分の周りに有名なブランド品を置くとかで
すね。
▼オプショナル・ツアーのない人生
それは外見を重視する意識っていうのが強いという風に言って良い
と思います。人にどう見られるかっていうことへの意識ですね。これ
はある意味でユーモアを持って描かれたのが『人質カノン』っていう
作品なんですけれども、ここではですね、遠山逸子っていう女性が出
て来まして、彼女の入ったコンビニにコンビニ強盗が入って、そこで強盗にコンビニの社
員が脅されて彼女たちが動けなくなるというところなんですけれども、そのコンビニ強盗
に色々と脅されていながら、彼女がこういうことを言うところがあります。ハイヒールな
んですけれども、犯人がピストルを撃って、鏡が割れたっていうところがあるんですけれ
ども。
ローファーを履いていてよかったと、逸子はちらっと思った。お気に入
りのパンプスでなくてよかった。あれを履いてこんなところを歩いたら、
踵が傷だらけになってしまう――
という、自分の命が危ないかもしれない。そういった時にお気に入りの靴のことを考え
てしまう。ですから、物が大事と言うのが咄嗟に来てしまうという女性の意識と言うんで
しょうか感覚と言うんでしょうか、そういったものがこの作品の中にはユーモアを持って、
それを批判的にではなくて、この逸子という人は勿論命より物が大事だと思っていません
けれども、やっとの思いで買ったとか、ここにはそういった説明はありませんけれども、
それが彼女にとってのとても大事な物の一つであるということでパンプスの話が出てくる
と思います。もう一つはこういう風に書いてます。
ふと、考えた。あたしだって、今ここで撃ち殺されたとしても、べつに
誰も困るわけじゃないんだわよね――と。
仕事は誰かが引き継いでくれる。どうせ、逸子でないとできない仕事な
ど、ひとつも任されてはいないのだ。少しのあいだは同僚たちも悲しんで
くれるだろうけれど、それもどのくらい続くものか……。目立ちたがりの
聡美など、被害者の同僚としてマスコミの取材を受けることができて、ち
ょっぴり喜びさえするかもしれない。
故郷の両親は、もちろん、気も狂わんばかりに悲しむだろう。だけどそ
れだけではやっぱり、寂しい。「親」しか関わってくれない人生なんて、
オプショナル・ツアーのないパック旅行みたいなものだ。
「せめて、もうちょっといい場所で人質にされたかったな」と、思わ
ずため息が出た。「自由が丘とか下北沢とかさ。ああいう町のコンビニと
か飲み屋とか――」
というようなことで、ここでもその場所。どこに自分が居るかということ。そういった
つまらない場所で死ぬのではない、人質になるのではなくて、華やかなところに居たいと
いう、そういったところも、一つ、命と言うよりもマスコミでもしかしたら生き延びた時
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にも取り上げられるかもしれない。あるいは死んだとしてもそれが書かれるかもしれない。
どうせ書かれるなら、華やかなところで、と言うようなところが全体に流れてると思いま
す。
▼人間関係の希薄さ
ですから、外見とかそういったものを重視する意識というのが宮部みゆきが考える80
年代90年代の若い女性たちに一貫して流れているものだという風に言って良いと思いま
す。ここで最後の方で本音では虹を求めるっていうのは、でも両親が自分のことを凄く心
配して考えてくれたということで、「オプショナル・ツアーがなくても良いわ」って発想が
あるんですけれども、そこにはやはり人と人との繋がり、それから、コンビニについても
犯人が誰かというのが後で分かるんですけれども、もうちょっとみんなが相手を見ていた
り、人間関係……おはようとかこんにちわとか町の自営業の商店のように話し合っていれ
ばこういうコンビニ強盗も起こらなかっただろうし、また起こってもすぐ犯人は分かった
だろうというような形で、都会の、人と人との関係が希薄な上に物とかそういったものに
心が惹かれてしまうということも含めてなくなっている「人情」
、関わりがあればもっと違
った人生がそれぞれの女性たちも歩めるのではないかというようなところがあります。こ
れもほかの作品にも色々出てきます。
▼「人情」を求めて
宮部みゆきがそういう、時代物とかも含めて人と人との繋がり、人情を求めるというの
は彼女の作品に一貫して流れているのではないかなと思いますけれども、そういったとこ
ろがこの『人質カノン』の中にはちょっと出てきます。
それから裏切られてしまう女性ということで「返事はいらない」と「生
者の特権」というのを出しました。ここには男性のエゴイストと言いま
しょうか、結局結婚をする時に両方二股をかけていて、良い方を選んで
しまう。それで捨てられてしまう女性の話なんですけれども、その女性
たちが立ち直っていくという小説です。ここでも結局愛情を計っている。
ですから何人かの女性たちと付き合って、これは女性の中でもあるんで
すけれども、「返事はいらない」の方で羽田千賀子も何人かの男たちを自分の同僚たちと競
って最終的に結婚する相手を見つける。女の人たちもその男性が好きだからと言う訳じゃ
なくて外見が良い、見栄えが良いということで男を選ぶということもあります。それはや
はり「物」として、と言うのでしょうか。一緒に居て他の女性たちから羨ましがられると
いう気持ちもあると、いう風になると思います。男性の場合は相手がお金持ちであったり、
その女性の父親が会社経営をしているだとか、そういったことで選ぶ。ですから、お互い
にどちらがより得かっていう形で恋人同士になっているというのがこの作品の中にはあり
ます。
ですけれども、そういうことを通して、結局ほかの女性を選んだということで、残され
た女性たちは、そこから立ち直るというのがこの作品です。
これは『地下街の雨』という作品でもそういうふうになっています。そういった意味で、
恋愛にも、競争とか、どちらを選んだ方が得かというふうな損得勘定が働いているのだと
いうことが描かれています。
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▼自力で戦うしかない女性
もう一つの「自力で戦うしかない女性」というのは、
『火車』を前に読んでいると思いま
すけれども、自分自身の落ち度ではなくて、親のローンの返済ができなくなって、家を追
われ、やくざに追われる生活をしていて、自分自身をまもるために、先程の関根彰子とい
う女性を殺して、彼女になりすましていくという話なんですけれども、この女性に対して、
先程の本間俊介という刑事は、
彼女は他人の戸籍を盗み、身分を偽り、それが露見しそうになると、目
前の結婚を蹴って逃げ出している。何が目的なのか、何があったのかはま
だわからないが、その行動が、いわゆる恋愛のため、男のため、情欲のた
めではないことは確実だ。
(略)ただ、自分のためだけに。そういう女だ。そしてこういう女は、た
しかに、十年前にはまだ社会のなかに存在していなかったかもしれない。
というふうにあります。ここではもちろん、カードローンが返せず、一家離散して、彼
女自身がそういった性的なところで働かされてきたということがあるわけなんです。そ
こでは、いい洋服を着たいとか、いい結婚をしたいとかは一切なくて、とにかく生き延
びる、制度が自分を守ってくれないという状況、それから、誰も頼る者がいないそうい
った状況、家族も友人も誰も頼る者がない、そういった中で、どういうふうに生きてい
くのか、生きるためだけに、生きている、そういう女性として、この新城喬子という女
性は出てきます。
▼非情になれない
ですから、本間という男性は彼女が殺人を犯したかもしれないけれど、そういった誰に
も頼らずに、逆に言うと頼る場所がなくて生きている女性というのを、どうにかしてやり
たいという思いに満ち溢れた存在として出てきます。もう一つこの女性が非情になれない
ということがありまして、結局自分が殺した女性のアルバムを友達に送ったとか、彼女が
話しを聞いて、自分が可愛がっていた十姉妹を葬ったところに、自分を埋めてほしいとか、
そういった話をしていて、そこにもまた「人情」というのが出てくるんですけれども、そ
の人情にほだされて、アルバムを送ったり、それからその彼女が埋められたいと言ってい
た土地を見に行ったりして、そこを訪ねるところから足がついて、新城喬子だっていうこ
とが本間俊介などに分かられていくんです。
彼女自身も「一人で生きる」人を殺しても、自分がその人間になりすまして、新しい
戸籍を得る。そのためには、一切の痕跡を残さないというような、非情になれないという
ような女性として描かれています。そこらへんも、宮部みゆきの特徴です。
▼桐野夏生作品と比べて
桐野夏生の作品で『OUT』というのがある、
『OUT』の場合は、友人の夫を殺して、
その夫を主婦たちがみんな始末していくという、結果的には殺人請負人というかたちにな
ってくるんですけれども、そこには一切の感情を排除して、自分が生きたい、自分がこう
いう人生も、夫婦にも、親子にも全然愛想が尽きている女性というのが主人公なんですけ
ど、すべての人間関係を断ち切って非情に生きていく。
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お金を得るためには殺人をして、その死体を解体するというのも全然厭わない女性とし
て登場する。ここにも、新しいタイプの誰にも頼らずに一人で生きていくという女性が登
場しているわけなんですけれども、桐野夏生の主人公のように、宮部みゆきの場合には、
どうしても、非情に成り切れない。桐野夏生の場合は、うまく警察も騙して、逃亡してい
くんですけれども、宮部みゆきの『火車』では、最終的には、彼女は捕まってしまうだろ
う、というふうに表現されています。
▼人と人との繋がり
ここに一つの救いというんでしょうかね、こういう色々の物・お金など。新城喬子の場
合には、自分自身の落ち度というわけではないんですけれども、そういったお金が払えな
くて、転落していく女性、そういった女性たちを結局最終的に救っていくのは、人と人と
の繋がりなのだというのが、宮部みゆきの視点なのではないかなと言う気がします。
▼模倣犯の女性観・男性観
時間がありましたら、皆さんにお聞きしたかったんですけれども、『模倣犯』で、女を
性的な対象としてだけ考える男たちを変えていくことが、犯罪を減らしていくという意見
が出ています。それから、女性の物に頼るか、男性に頼るかという女性像というのが、女
性たちが描かれているのですが、そういったことに対して、何か皆さん意見がありました
ら、そういった風潮が出てきているのかなということを、小説の中、あるいは、現実の様々
な女性たちを見ていて、皆さんは感じたことがありますか。私の方から、
『模倣犯』を含め
て読んだ方に質問したいと思います。
大急ぎでまとまらない話になってしまいましたけれども、金と物によって自分の人生が
変えられると思う女性たちが80年代、90年代にとても増えてきたということが一つあ
る。メディアに毒された、ただ毒されたというだけでなくて、操られた女性たちのささや
かな「夢」というものを、どういうふうに取り上げていけるのだろうか、ということを、
今後も考えていきたいと思っています。
宮部みゆきは女性たちの愚かさ、浅薄さも含めて、そうしたありかたに必ずしも批判的
ではないところから、一方で共感を持ちつつ捉えているところに特色があると思います。
*いかがでしたか。今日の新しい角度から捉えられた、清新な宮部みゆき論でしたね。
今年度のテーマ「宮部みゆきーミステリーの中の〈社会〉と〈現代〉を読む」にふさ
わしい内容でした。毎号みなさんにいただいている「私の宮部みゆき」欄と合わせて、
小さな冊子を作ろうかなと計画しています。我と思わん人は、名乗りを上
てください。mitamura@ferris.ac.jpまで、
ご連絡をお願いします。締め切りは2003年12月末です。
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げ
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