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ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察

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ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
生命保険論集第 161 号
ベトナム生保市場への外資系生保の
進出に関する考察
グィエン ヴァン タイン
(神戸大学大学院経営学研究科 博士課程後期課程)
1. はじめに
現在ベトナムは急速な経済発展を遂げている。その人口は8300万人
まで急増しており、過去5年間のGDPは毎年7%の伸び率に達している。
ベトナム人口のほぼ60%は30歳以下であり、さらに家計の貯蓄が急速
に増大していることからみても、経済成長率は今後もこの水準を維持
するものと予測される。
一方、ベトナムにおける生保市場は成立して10年ほどしか立ってお
らず、まだ初期の段階にある。ベトナムで生命保険に加入している人
口は全体の6%に満たない。現在、ベトナムで生保業を営んでいる保
険会社の多くが、こうした潜在的市場に目を向けた先進国からの参入
企業である。
外資系保険会社の参入について議論する際、それが先進国への参入
か発展途上国への参入かを踏まえて考察する必要がある。先進国にお
ける生保市場は既に寡占状態であり、その国では比較的小規模の営業
―169―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
力しか持たない外資系生保会社にとって、競争利点を活用することが
難しい。つまり、そうした先進国へ新規に参入する企業にとって一番
の問題は、
「取引障壁(transaction barrier)」をどう克服するかにあ
る。
発展途上国における保険業は、先進国のように長い歴史があるわけ
ではない。商品の多様性は少なく、国内企業の財務的健全性も弱い状
態にある。その場合、未成熟な保険業は、通常政府の保護政策下に置
かれる。途上国における保険業は、国内保険会社の競争優位確保のた
め、外資系保険会社の競争利点が抑制される傾向にある。すなわち、
途上国における市場において、外資系保険会社は取引障壁ではなく「保
護障壁(protective barrier)」に直面する可能性が高い。
本稿では、こうした点を踏まえ、
(1)ベトナム生保市場の開放過程
がどのように行われてきたか、(2)保護障壁を克服するために既存の
企業がどんな競争戦略を活用したか、(3)今後、取引障壁が重要な問
題になったときに、新規参入企業はどんな戦略を活用すべきか、を考
察する。
本稿の構成は以下の通りである。第2節では、まずベトナム生保市
場の現状を述べ、さらに外資系生保会社の設立や営業開始に至るまで
の過程の概要、およびASEAN各国の生保市場の開放の比較を行う。第3
節では、ベトナム自由化政策であるドイモイ政策と、それによって生
じた生保市場の開放を詳しく述べる。第4節では、ベトナム生保業の問
題点を明らかにし、その問題を解決するために外資系生保会社がどの
ような戦略を活用していったかについて、ベトナムにおける代表的な
外資系生保会社であるPrudentialとManulifeのケーススタディを行う。
第5節では、ベトナム生保市場への進出を検討する外資系生保会社に
―170―
生命保険論集第 161 号
対して予測される将来の取引障壁とそれを克服するためのいくつかの
提案を行う。第6節で結論を述べる。
2. ベトナム生命保険市場の概要
2.1. ベトナム生保市場の現状
図1はベトナム生保市場における保険料収入とその伸び率の推移を
示している。一方、表1は、アジア各国における保険密度と保険浸透率
の世界水準の比較を示している。この表を見ると、ベトナム生保市場
の保険密度と保険浸透率はまだ低い水準にあり、依然として巨大な潜
在力を有していると考えられる。
10億ベトナムドン(VND)
図1
ベトナム生保市場における収入保険料およびその成長率(2001-2005)
10000
8000
6000
4000
2000
0
100%
50%
0%
2001
2002
2003
収入保険料
出所: ベトナム財務省
―171―
2004
2005
成長率
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
表1 世界各国の保険浸透率および保険密度(2005)
パネルA: 保険密度(=収入保険料/人口) (単位: USドル)
ランク
密度
生保
国
1
5558.4
3078.1
スイス
6
3875.6
1753.2
アメリカ合衆国
7
3746.7
2956.3
日本
22
1706.1
1210.6
韓国
72
46.3
30.5
中国
21
1983.4
1591.4
シンガポール
39
283.3
188.0
マレーシア
57
99.0
54.6
タイ
79
19.4
10.5
インドネシア
81
17.2
10.6
フィリピン
85
10.1
6.1
ベトナム
518.5
299.5
世界平均
パネルB: 保険浸透率(=収入保険料/GDP) (単位: %)
国
台湾
日本
韓国
アメリカ合衆国
中国
シンガポール
マレーシア
タイ
ベトナム
インドネシア
フィリピン
世界平均
ランク
1
6
7
12
50
20
28
38
67
72
73
浸透率
14.11
10.54
10.25
9.15
2.7
7.47
5.42
3.61
1.62
1.52
1.48
7.52
生保
11.17
8.32
7.27
4.14
1.78
6.00
3.60
1.99
0.97
0.82
0.91
4.34
損保
2480.3
2122.0
790.4
495.5
15.8
392.0
95.3
44.4
8.9
6.7
4.1
219.0
損保
2.93
2.22
2.98
5.01
0.92
1.48
1.82
1.62
0.65
0.70
0.57
3.18
出所: シグマ 2006年第5号
前述したように、ベトナムで生命保険に加入している人口は全体の
6%に満たない。地方ごとの保険料収入のデータを財務省は集計して
―172―
生命保険論集第 161 号
いないが、国内唯一の生保会社であるBaoVietに関しては各地方の保険
料収入のデータがある。また、地方ごとの労働者1人当たり平均収入
のデータはないものの、各地で営業している企業の純利益を使うこと
で、その地方における経済発展の水準を示すことが可能である。
表2によると、各地方の企業の純利益はHo Chi Minh(28.0%)とHa
Noi(18.9%)の2都市でベトナム全体の半数近くを占めており、人口
も多い。しかし、BaoViet における地方別保険料収入を見ると、この
2都市の占める割合は全体の12%に過ぎない。
考えられる原因として、
人口が多く、経済発展が高いところでは、既に他の外資系生保会社と
激しい競争に直面していることが挙げられよう。
表2
地方別によるBaoViet生命保険料収入と企業の純利益と人口の比較(2005)
地方
Ha Noi
Ho Chi Minh
Nghe An
Quang Ninh
Thanh Hoa
Dac Lac
Hai Phong
Binh Dinh
Khanh Hoa
Binh Thuan
保険料収入
%
ランク
6.3
1
5.7
2
5.3
3
3.8
4
3.5
5
3.1
6
2.6
7
2.5
8
2.4
9
2.1
10
企業の純利益
ランク
%
18.9
2
28.0
1
0.9
14
2.2
8
0.9
14
0.9
14
3.2
6
0.8
21
1.4
10
0.4
33
人口
百万人
ランク
3.1
3
5.9
1
3
4
1.1
33
3.7
2
1.7
12
1.8
10
1.5
17
1.1
30
1.1
27
出所:BaoVietおよびベトナム統計局の資料により作成
2.2. 既存の外資系生保の営業活動
2007年現在、ベトナムで生保業を営んでいる外資系生保会社の内訳
―173―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
は、日本から1社、欧州から2社、米国から3社の計6社である(表
3参照)。これら外資系6社に、国内唯一の生保であるBaoVietを加え
た7社が、ベトナムにおいて生保業を営んでいる。
表3
ベトナムにおける外資系生保の参入
企業
会社形態
参入年
Prudential
100%子会社
1999
Prudential(英国)の子会社
備考
Chinfon-Manulife
100%子会社
1999
2つの外資系企業の合弁会社: Chinfon(台湾)とManulife
(カナダ)がそれぞれ40:60の割合で出資
BaoMinh-CMG
(Daiichi Vietnam)
合弁会社
1999
外資系と国内企業の合弁会社 CMG(豪州)とBaoMinh(国
内大手損保)が50%ずつの割合で出資。さらに2007年の1月
に第一生命がBaoMinh-CMGを買収し、 この会社の名前を
Daiichi Vietnamに変更した。
AIA
100%子会社
2000
AIG(米国)の子会社
ACE
100%子会社
2005
ACE(米国)の子会社
Prevoir
100%子会社
2005
Prevoir(フランス)の子会社
出所: ベトナム財務省
1)マーケットシェア
各社のマーケットシェアはどうなっているのだろうか?表4は、
2005年のベトナム生保各会社のマーケットシェアを示している。表か
ら分かるように、収入保険料ベースでのマーケットシェアの第1位は、
外資系のPrudentialであり、保有契約数ベースでの第1位は、国内系
のBaoVietとなっている。
外資系生保会社の中ではPrudentialが他社を
圧倒しており、外資系2位のManulifeに30%以上の差をつけている。
―174―
生命保険論集第 161 号
表4
生命保険各社のマーケットシェア(2005)
保険料収入
保有契約
百万USドル 市場占有率(%)
契約数
市場占有率 (%)
Prudential
224
41.1%
1,387,123
38%
Manulife
60
10.9%
245,207
7%
AIA
35
6.5%
216,880
6%
BaoMinh-CMG
(Daiichi Vietnam)
19
3.5%
109,546
3%
小計
337
62.0%
1,958,756
54%
BaoViet
205
38.0%
1,655,020
46%
合計
543
100%
5,572,532
100%
出所: ベトナム財務省
表5は、2000年から2005年までの生保会社の収入保険料ベースでの
マーケットシェアの推移を示している。外資系生保のマーケットシェ
アが増加し、唯一の国内系であるBaoVietのそれは年々減少している。
2004年にBaoVietは、マーケットシェア1位の座をPrudentialに明け渡
した。ベトナム市場において、外資系生保会社はその重要性を増して
きていることが分かる。
表5
生保会社間のマーケット・シェア(収入保険料)の推移
Year
2000
2001
2002
2003
2004
2005
Prudential
19.9%
25.1%
32.8%
39.3%
40.3%
41.0%
BaoViet
71.0%
60.1%
48.7%
41.3%
39.5%
37.9%
Manulife
7.5%
9.4%
11.7%
11.9%
11.5%
11.1%
AIA
0.9%
3.6%
5.1%
5.4%
6.0%
6.5%
BaoMinh-CMG
(Daiichi Vietnam)
0.7%
1.8%
1.8%
2.1%
2.7%
3.5%
出所: ベトナム財務省
―175―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
2)保険商品
図2は、外資系4社で販売している生保商品の構造を示している。ベ
トナムでは養老保険が圧倒的なシェアを占めている。ベトナム人は生
命 保 険 に 関 す る 知 識 が 限 ら れ て お り 、 文 化 の 感 受 性 ( cutural
sensitivity)によって死亡についての相談をためらうこともあるため、
保障型商品よりも貯蓄型商品に人気が集まる傾向にある。
図2
保険商品別の収入保険料の比較(2005)
100%
80%
60%
40%
20%
0%
Prudential
養老保険
Manulife
終身保険
AIA
定期保険
BaoMinhCMG
その他
出所: ベトナム財務省
2.3. ASEAN諸国における生保市場の開放過程の比較
1)ベトナム市場の開放過程の概要
過去にベトナム政府は4段階による保険市場の開放を行った。保険
市場の開放の各段階を表6でまとめている。
―176―
生命保険論集第 161 号
表6
ベトナム保険市場の開放過程
第1段階 (1994年∼1995年)
外資系保険会社の事務所の設立を許可
第2段階 (1996年∼1998年)
外資系保険会社とベトナムパートナーとの合弁会社の創設を許可
第3段階 (1999年∼2006年)
少数の外資系100%子会社の設立を許可
第4段階 (2007年∼)
WTO加盟
2006年12月にベトナムはWTOの第150番目のメンバーとして加盟を認
められた。WTOへの加盟をきっかけに、ベトナムは外資系保険会社に対
する制限の大部分の撤廃を行っており、今後外資系保険会社の数は増
加するものと予測される。
2)ASEAN諸国との比較
2007年現在、ラオスを除く全てのASEAN諸国がWTOのメンバーとなっ
ている。表7は、主なASEAN各国における2001年時点の外資系生保会社
への認可規制と外資系生保のマーケットシェア(2003年)を示してい
る。表を見ると、ベトナムとシンガポールが、外資系生保会社への開
放を顕著に行っていることが明らかである。
シンガポールはアジアにおける巨大保険サービスセンターを目指し
ており、積極的に競争環境を作り出している。同国における外資参入
及び資本所有の自由化は、こうした目標を達成するために必要な措置
である。
マレーシア、タイ、またインドネシアでは、国内保険会社への保護
が依然として見受けられる。外資系保険会社に対する閉鎖政策の理由
は、現在の保険市場が小規模であり、さらに営業を行っている保険会
社が既に十分な数に達しているため、過当競争による被害を回避する
―177―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
ためであると考えられる(Milo(2003))。ベトナムを除くこれらの国
は、1960年代に外資系生保の参入を認めており、外資系生保の各国市
場における役割はそれぞれ大きい(表7のマーケットシェアを参照)
。
これらの国では、今後外資の所有の上限を従来の基準より低くする傾
向にある。ただし、既に営業している保険会社はこの規制の対象外と
なっている。つまり、この規制は既存の会社の権利を保護するために
設けられたものである(Mattoo(1999))。
表7
外資系生保の市場参入方法およびマーケットシェア
WTO commitment
合弁会社
(外資出資比率の上限値)
100%子会社
外資系生保のマーケット
シェア(2003)
シンガポール(2001)
Yes (No limit)
Yes
58%
マレーシア(2001)
タイ(2001)
インドネシア(2001)
フィリピン(2001)
ベトナム(2007)
Yes (30%)
Yes (25%)
Yes (80%)
Yes (51%)
Yes (No limit)
No
No
No
Yes
Yes
71%
41%
48%
61%
59%
出所: シグマ2001年第4号およびWTOの資料により作成
結論すると、
ベトナムは生保市場における開放を急速に進めている。
他のASEAN諸国は1960年代に外資系保険会社の参入が認められ、その後
既存の会社を保護するような閉鎖した政策を行っている。ただし、シ
ンガポールは国際保険市場において国内保険会社の競争能力を改善す
るために、同国市場の再解放を行っている。
シンガポールの経済発展の水準を考えると、この市場開放は妥当な
ものであると言えよう。しかし、何故そこまでの発展段階にないベト
ナムが、他のASEAN諸国の閉鎖政策と異なり、市場開放政策をとってい
―178―
生命保険論集第 161 号
るのだろうか?
その原因を追究するには、ベトナム経済全体の方針を踏まえる必要
がある。次節では、ベトナム政府のスローガンである「ドイモイ」政
策について述べる。
3. ベトナムにおける市場開放過程
3.1. ベトナム経済開放へのドイモイ政策
ドイモイ政策以前のベトナムは、労働過剰の経済体制、低貯蓄、低投
資、低発展度の社会的分業である国家として特徴付けられていた(Tho
(1999))。
そうした現状を打破するため、ベトナム政府は、1986年共産党第6回
全国大会において、過渡期前期の発展路線、いわゆる「ドイモイ政策」
を打ち出した。
その基本戦略は、食料・消費財および輸出品に関する3大経済目標
の実現を明確にしたことにある。消費財の一部と輸出品の大部分は農
産品であることから、農業の発展を最重要課題にすることが示された。
重工業は3つの経済目標と国防に直接関連する分野だけに限定された。
ドイモイ政策の目的は、次の2つである。第1に、商品経済・市場経
済の必要性を認識し、マーケットメカニズムを重視すること、第2に、
公的所有制が社会主義の唯一の所有形態であるという従来の考え方を
改めて、私有制を含む多様な所有形態を積極的に認めることである。
外国企業の完全所有子会社または合弁会社も認められた。
一国の経済発展における外国部門の役割は、古くから開発経済学の
―179―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
主要な関心領域の1つである。外国部門は貿易、資本・技術の取引に
よって構成されており、国内経済と外国経済とを結びつける。外国か
らの直接投資が途上国の工業化を促進することは言うまでもない(関
口・Tho(1992))。第6回共産党全国大会では、この外国部門の重要性
を認識し、党大会の政府報告としてはじめて外国直接投資の積極的導
入を主張した。その結果、1987年12月に外資導入法が制定された。こ
の法律には、外国企業の100%所有、法人税の減免、外貨送金の保証な
どの優遇措置が取られた。
ドイモイ政策を打ち出すことで、ベトナムは世界経済に参入した。
このことにより、対外貿易量の急増と対外資源、特に外国からの直接
投資を国内に引き付けることに成功した。外国直接投資の源泉は様々
である。アジアの新工業国からの投資が最も大きく、次に日本やOECD
諸国が続く。外国からの投資は輸出産業に集中しており、合弁会社の
生産物の大部分が国内市場で販売された。また、外国直接投資はベト
ナムにおける新技術の導入にも大きな役割を果たしている(Khan
(1998))。
3.2. ドイモイ政策による金融サービスの自由化
ドイモイ政策以降、銀行制度の改革が行われた。しかし、銀行制度
の改革は、現在でも完全には行われていない状況にある。
1988年以降の改革政策は、主に銀行システムの多様化に力が注がれ
ている。まず、従来の中央銀行のみの一層構成から、第一層を中央銀
行、第二層を4つの国営商業銀行からなる二層構成に変更し、中央銀
行との分離を行った。こうした多様化を行って数年後に、民間と国営
との共同投資銀行、民間共同投資銀行、外資と国営との合弁銀行、外
資系銀行の事務所、そして外資系銀行の支店の創設が法律で認められ
―180―
生命保険論集第 161 号
た。
ただし、外資系銀行は営業活動を制限され、徹底した管理下に置か
れたため、ベトナム経済に大きな影響を及ぼしてこなかった。現在で
も、外資系銀行は、ベトナムドンで預金を集めることが認められてお
らず、大部分の外資系銀行は、国内企業にサービスを提供することよ
りも、他の外資系企業へのサービス提供に重点が置かれている。この
ことから、外資系銀行は平等な競争環境になく、銀行業における参入
障壁は依然として大きいと言えよう。
銀行事業の改革を遅延させた1つの原因は、政策から発生したもの
である。政府は銀行システムを市場への干渉手段として考えており、
さらに国営企業に頼ることを基本的な方針とした戦略を取った。この
ため、国営銀行に対する優遇措置が与えられ、国営企業を対象とした
借り手に資金を提供するよう促した。この政策による資源配分は一時
的なものであったが、非効率な国営企業からの不良債権によって商業
銀行に重荷を与えることに繋がった(Nghia(2004))。
3.3. ベトナム生保市場における早期開放の背景
前述したように、銀行業は、ドイモイ政策以降、すぐに改革が行わ
れたが、国内銀行業の保護のため改革・自由化を促進することはでき
なかった。国内の銀行が貨幣政策や国内決済システムを実行する重要
な役割を担っていることから、巨大なマーケットシェアを維持する必
要があったためである。
一方、保険業の自由化は1993年に始まり、保険業への様々な分野の
参入が認められた。ベトナム保険市場における開放や規制緩和に対す
―181―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
る必要性は、WTOへの加盟の交渉からの圧力だけではなく、同国の経済
発展に対する需要から発生している(Invest Consult Group(2006))。
外資系保険会社の参入は、消費者に対する保険サービスの改善、国内
貯蓄の増大、技能や管理上のノウハウの移転、保険規制の質の向上に
よって、国内市場に恩恵をもたらしうる(Skipper(1997)
)。さらに、
保険市場への漸進的な開放は、ベトナムでの保険事業に協力している
国々に対して、商品やサービスの輸出をサポートすることに繋がって
いる(Ministry of Finance of Vietnam(2000)。
銀行システムの改革が上記の理由によって遅れたのに対し、保険業、
特に生保業は外資系保険会社の参入に対する脅威がさほどないため、
改革や開放がスムーズに展開された。自由化の結果として1996年から
2005年まで10年間で、ベトナム生保市場の保険浸透率は、生命保険事
業が1859年から始まったインドネシアや、1895年から始まったフィリ
ピンのそれを上回っている(表1参照)。資産運用の面では、保険業は
ベトナム発展のために、その貯蓄を動員する役割を果たしてきた。保
険業からの総運用資金は、1999年の1.77億ドルから、2005年には17.15
億ドルに達しており、ほぼ10倍の増加となっている。
4. 外資系生保会社のケーススタディ
ベトナムなどの新興市場において、市場にいち早く参入した企業は、
取引障壁よりもむしろ保護障壁に直面する。これらの保護障壁は、設
立、市場参入、営業活動に関連したものである(Harold(1987))。中
国市場を対象とした研究によると、初期に参入した企業は、後から参
入した企業よりも大きなマーケットシェアや利益を獲得することがで
―182―
生命保険論集第 161 号
きる(Yigang, Shaomin and David(1999))。
このことは、ベトナム生保市場においても同じである。Prudential
やManulifeといった初期参入企業は、外資系生保会社の中でそれぞれ
第1位と第2位のマーケットシェアを獲得している。
この節では、Prudential とManulifeによるケーススタディを行うこ
とで、初期参入企業がベトナム生保市場に参入したとき、どのように
して保護障壁に対応したのか、さらにどのようにこれらの障壁を克服
していったのかを考察する。今回のケーススタディにおいて、著者は
綿密なインタビューを行った。インタビューの相手は、Prudential
Vietnamの社長代理であるNguyen Van Hao氏とManulife Vietnamのハノ
イ支店長であるTrinh Bich Ngoc氏である。
4.1. 保護障壁
1)設立障壁(Establishment barriers)
独占的市場:1999年までBaoVietは生命保険を営業していた唯一の国営
会社であり、独占企業であった。とは言え、この時点におけるベトナ
ム生保市場は小規模であり、1998年の新契約数は16万件1)と、BaoViet
による競争の脅威はさほど大きくなかった。もっともBaoVietは国内唯
一の国有会社であるため、設立手続き等によってベトナム生保市場へ
の他社の参入を妨げるといった間接的な脅威がある。この問題を克服
するため、外資系でベトナム生保市場に最初に参入したManulifeは、
生保市場において外資系保険会社が役割を果たすことで同国に恩恵を
もたらすことを政府に説得することに時間を費やした。
―183―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
不当な資金要件:2001年まで100%子会社を設立するには500万米ドル
の資金要件を満たす必要があった。一方、国内保険会社と合弁保険会
社に対する資金は200万米ドルのみであった。この要件は国内企業を保
護する目的とみられる。
しかし、2001年に保険業法が適用されて以降、
国内生保会社と外資系生保会社の間に資金面での不当な制度は存在し
ていない。
2)地方への進出に関する障壁
認可制限:地方の市場でシェアを獲得するために、企業は支店を設置
することが多い。ベトナムにおける外資系保険会社の最初の営業年は、
本店以外に支店を1つしか設立することができない。設立から3年経
過して、さらに2支店を設立することができる。設立から5年経過す
れば、支店の設立に対する制限が解除される。この規制の目的は、外
資系保険会社と十分に競争することができるよう、国内保険会社のネ
ットワークを保護することにある。
3)営業に関する障壁
ManulifeとPrudentialに対して、現地の人材の就職、再保険、不当
な課税、協会への加入などに関する障壁はなかった。これらの障壁は
ベトナムでは存在しないが、他の発展途上国では行われていることが
多い。
これらのことから、いち早く参入した外資系生保会社は、いくつか
の保護障壁に直面していることがわかる。しかし、先に説明したドイ
モイ政策の影響のため、他の発展途上国と比べると保護障壁はあまり
―184―
生命保険論集第 161 号
大きいとは言えなかった。
4.2. 競争戦略
前述したように、Manulife と Prudentialは保護障壁からの影響が
少なかったため、販売を拡大する機会は多かった。両社は競争戦略と
して、マーケット・ニッチャーよりもマーケット・チャレンジャーを
追求していった。もっとも、Prudential はベトナムにおける最大のマ
ーケットシェアを持つことを目指す一方で、Manulifeは巨大なマーケ
ットシェアを獲得する目標を持ちながらも早期の黒字化を図るために
営業費用の抑制を目指したという点で違いがある。
保 険 の マ ー ケ テ ィ ン グ ・ ミ ッ ク ス は 、 保 険 開 発 ( product
development)、価格付け(pricing)、広告およびプロモーション活動
(advertising and promotion)、流通(distribution)から成り立っ
ている(Meidan(1984))
。ベトナムで最も人気のある商品は養老保険
であり、商品開発は保険会社に注目されなかった。
このことは、新商品を開発するという保険会社のモチベーションを
減少させることとなった。生命保険商品の価格は、認可までの手続き
によって財務省に厳重に規制されている。よって両社が注目していた
残る要素は、流通、および広告・プロモーション活動であった。
1)流通
販売ネットワーク:Prudentialは全地域にわたるネットワークを設置
しており、その支店数は全部で17店舗である。一方、Manulifeはマー
ケットシェアを徹底する戦略によって、14地方にネットワークを設置
しており、支店は2つのみとなっている。
―185―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
販売チャネル:両社は主要なチャネルとして専属代理店を使用してい
る。Prudentialはできるだけ多くの代理店を使用している一方、
Manulifeは教育を受けた代理店のみを利用している。
2)広告・プロモーション活動
両社は消費者にイメージを確立するために、広告よりもプロモーシ
ョン活動に力を注いでいる。保険会社は保険の重要性について大衆を
教育するために広告を多く活用する(Meidan(1984))。ベトナムにお
いて、消費者の生命保険の知識が十分に備わっていない理由の1つと
して、広告に対する生保会社の努力が少なかったことが挙げられる。
これら、両社の営業戦略に関する主な点を表8の中で示している。
注1)ベトナム財務省報告
表8
ManulifeおよびPrudentialの経営戦略の比較
Manulife
Prudential
販売ネットワーク
14地方
国内全(61)地方
販売チャネル
1. 流通
専属のエージェントのみで販売。全エー
ジェントは大卒であることが条件。
専属のエージェントおよび銀行窓販。全
エージェントは高卒以上であることが条件
2. 運用活動
政府債および銀行借入がメイン
政府債や株式など様々な証券に分散投資
3. 全体の戦略
早い段階で収益を確保するために収益性
の高い事業に着手意識
最終的に高い収益を確保をするため、高
いマーケットシェアを獲得する努力
―186―
生命保険論集第 161 号
5. 予測される将来の参入障壁といくつかの提案
自由化を促進していくことで、ベトナム生保市場はより競争的にな
り、営業環境は急速に変化していくものと予想される。
今後、ベトナムに新たに参入する保険会社は、前節で取り上げた初
期参入企業とは異なる障壁、すなわち取引障壁に直面しなければなら
ないだろう。今後の新規参入者が直面しうる将来の取引障壁と、それ
らに対するいくつかの提言を行うことは有意義なことだと思われる。
本節では、ManulifeとPrudentialからのインタビューによって得ら
れた情報を提供する。さらに、ベトナム第一生命(Daiichi Viethnam)
の ゼ ネ ラ ル マ ネ ジ ャ ー で あ る Takashi Fujii 氏 に Manulife と
Prudentialのケースと同じような方法でインタビューを行った。第一
生命は、2007年1月にBaoMinh-CMGを買収し、日本の生保会社として最
初にベトナムに進出した。第一生命の現状の活動を改善するための今
後の戦略は、将来進出する企業の障壁に対する議論に役立つだろう。
5.1. 数年後に予測される参入障壁
ベトナムでは保護障壁は撤廃されたが、取引障壁は急速に拡大する
かもしれない。参入要件の面では、国内生保会社および外資系生保会
社にも法律上の資本要件が、現在の2倍または3倍にまで増加する可
能性がある。したがって、健全性の強い保険会社のみベトナムで営業
することができる。その上、新規参入者は既存の大手保険会社と競争
するという難しさがある。
―187―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
新規の外資系保険会社にとって、ベトナムでの知名度がないこと、
さらに規模の経済性が確立されていないことが大きな取引障壁となる
(山田(1989))。しかし、ベトナム市場は大きな発展の余地が残って
いる。低い浸透率と保険密度は、この可能性を端的に示している。し
たがって、今後新規に参入する外資系保険会社は、マーケット・ニッ
チャーよりもむしろマーケット・チャレンジャーを追求する可能性が
ある。
5.2. いくつかの提言
前節で述べたように、既存の保険会社は、商品開発、価格、広告に
大きな関心を払わなかった。今後、この要素はベトナムにおいて重要
性を増すものと考えられる。さらに、現在の流通に関しても変更を行
うべきである。山田(1989)は、新規の外資系保険会社が、新しい保
険商品を提供する又はマーケィング方法を活用することで参入する可
能性があると結論した。新規に参入する外資系保険会社が以上のマー
ケィングの要素を活用し、それによって期待される成果を達成しうる
かどうか考察する。
1)商品開発
従来、ベトナム保険市場において提供されている商品の大部分は単
純なものであり、商品の種類は不十分である。消費者の多くが保障性
商品よりも貯蓄を好むため、これらの商品は彼らにとって魅力がない
ようである。結果として、Prudentialや Manulifeなどの大手の保険会
社は、運用に関する様々な選択を消費者に与えられるよう、ユニット
リンク型の商品を準備している。これらの商品を提供するようになれ
―188―
生命保険論集第 161 号
ば、保険会社は、運用を専門に行う資産管理会社を創設する必要に迫
られるだろう。
資産管理会社の創設は、既にPrudentialやManulifeで行われている。
しかし、新規の保険会社にとっては、資産管理会社を直ちに創設する
のは不可能であろう。それに対して、第一生命では、定期保険や定期
団体保険などの安価な商品を提供している。特別な新商品やマーケィ
ング方法などを有していなければ、新規の保険会社は既存の会社と競
争するのは困難であろう。
2)価格付け
ベトナムでは市場の自由化を公約したにもかかわらず、価格競争の
促進のために新商品や保険料に対する認可に関する規制が緩和されて
いるとは言いがたい。したがって、新規に参入する保険会社は既存の
競争者と競争するために、保険料の値下げを行う必要はないと考える。
3)広告・プロモーション活動
保険会社のイメージはプロモーション活動によって作られる。しか
し、実際のところベトナムでは生命保険について消費者の知識が限定
されている。積極的な広告活動を行うことで、消費者の知識が改善さ
れない限り、生保会社、特に新規に参入する企業は、今後消費者を保
険商品に引き付けるのは難しいのではないか。しかしながら、広告に
費用を集中しすぎることは新規に参入する保険会社にとって、最初の
数年は事業費への負担になるかもしれない。
4)流通
参入後安定した営業を行えるように、新規の保険会社は、販売ネッ
―189―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
トワークの拡大や販売チャンネルなどの流通に関する諸問題を検討す
べきである。
販売ネットワークの拡大:Prudentialの経験からすれば、販売ネット
ワークに過度の費用を消費するのは効率的とは言えない。このため、
新規の外資系保険会社にとって、まずは発展の可能性のある地域を選
択して営業するのが適切であると思われる。
販売チャネルの選択:早期に参入した保険会社は、質の良い代理店を
雇用することが容易であった。外資系保険会社の多くが同市場に参入
するとき、特に新規の保険会社は代理店の雇用で競争しなければなら
ない。Manulifeや第一生命などの既存の保険会社は、将来より複雑な
商品を販売するために、質の良い代理店を特別コースで訓練する計画
がなされている。特に、第一生命は日本からの経験によって、代理店
よりも営業職員を採用する志向が強いようである。新規の外資系保険
会社は、プロの保険代理店となるように強固で質の高い代理店システ
ムを展開すべきである。さらに、ベトナムではバンカシュランスが十
分に発展していないため、料金徴収団体や郵便局員などのパートナー
の国内ネットワークによっての販売が可能である。
6. おわりに
本稿では、ベトナム生保市場が近年急速に発展していったことを説
明した。同市場は他国と比べて低い保険浸透率や密度であることから、
将来の発展の余地が大きいものと思われる。
―190―
生命保険論集第 161 号
ベトナムにおける金融サービスの急速な自由化の背景は、ドイモイ
政策にあったと考えられる。ただし、銀行業で自由化が遅れたのに対
し、生保業はベトナムの経済発展を支えると同時に、外資系生保会社
からの脅威がさほどなかったために、市場の開放がスムーズに行われ
た。
さらに、ベトナムに参入する外資系生保会社が直面する障壁を検討
した。1999年に独占的なベトナム保険市場に初めて参入したとき、外
資系保険会社はいくつかの保護障壁に直面した。しかし、他の発展途
上国と比べれば、それらの障壁がそれほど強力であったとは言えない。
そのため、PrudentialとManulifeは、競争戦略としてマーケット・チ
ャレンジャーを追求していった。
WTOに対して政府が公約したように、生保市場は今後さらに自由化し
ていくものと期待される。現在のところ、ベトナム生保市場は、独占
的な市場から寡占的な市場へのシフトが見られている。今後参入を計
画している外資系保険会社は、寡占市場からの激しい競争を経験する
可能性がある。法制面での高い資本要件や取引障壁は、新規に参入す
る外資系生保会社に対する今後の大きな課題となるだろう。
これまであまり注目されなかった商品開発や広告などは、今後重要
性を増してくるものと考えられる。保険商品の熾烈な価格競争は、不
健全な競争と捉えられ、商品の認可過程によって財務省から禁止され
る可能性がある。他にも、地域の選定、熟練した代理店、運用の改善
などが検討すべき諸提案である。
本稿は、初期の発展段階における生保市場として、ベトナム生保市
場の現状の把握を行った。ベトナム市場には、まだ十分なデータがな
いため、複雑な定量分析を行うのは困難である。
―191―
ベトナム生保市場への外資系生保の進出に関する考察
したがって、本稿は綿密なインタビューなどの定性的方法と、統計
資料を用いた定量的方法とをミックスさせた分析を行った。時間を経
てデータが十分になれば、より厳密な検証が可能になるものと期待さ
れる。
(謝辞)本論文は平成19年度7月保険学セミナー(大阪)での報告内
容に修正を加えたものである。執筆にあたり、指導教官であ
る高尾厚先生(神戸大学)、山 尚志先生(神戸大学)、セミ
ナーにてコメントしてくださった先生方に有益な助言をいた
だいた。ここに謝辞を申し上げたい。
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