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地理誌叢 - 日本大学文理学部地理学科
石井 實先生のご逝去を悼む ( 須田慎太郎氏 撮影) 地理学会の発表会場で,突如,フロアから一眼レフカメラの鋭いシャッター音が響いて,いつも振り向いた記憶 がある.その時,決まって会場の聴衆の中には,ニコンの名機に重厚なズームレンズを装着し,壇上の地理学者を スナップ撮影される石井實先生の元気な姿があった.そんな先生が 81 年の生涯を閉じたのは, 2007 年 12 月 7 日 のことであった.ここに本学会名誉会員として,地理写真の世界を独自に開拓され,膨大な数の地理写真を撮り続 けた石井實先生に哀悼の意を捧げ,僭越ながら先生の足跡に触れてみたい. 1926(大正 15 )年 12 月 4 日,先生は石井家の二男として,東京でお生まれになった.東京市千駄ヶ谷第三尋常 小学校を卒業されると 1939 年,日本大学第三中学校に進学,当中学ではのちの日本大学教授籠瀬良明先生から地 理の手ほどきを受けられた.教師の道を志された先生は,1944 年から東京第三師範学校に進学,卒業後の 1947 年 には大田区立蒲田小学校に奉職され,ここから約 50 年にわたる長き教師生活の道程を歩まれることになる.また 満二十歳で小学校教員になられた先生は,学究心も旺盛で,奉職と同時に夜学生として日本大学高等師範部地理 科,続く日本大学文学部人文地理学科にて再び籠瀬先生の指導を仰ぎ,さらに 1953 年から一年間は東京都研究派 遣生として東京教育大学理学部地理学教室で研修されるなど,常に地理学の探究にも励まれた.その後,高校教員 を希望された先生は,都の採用試験にパスすると 1958 年から都立第三商業高等学校,1964 年からは定年まで都立 赤坂高等学校で教鞭を執られ,多くの卒業生を世に送るとともに地理教育で大きく貢献される. 「飯より好きな写真」をフィールドで撮り続けた先生は,誰もが認める地理写真家の第一人者であった.そのルー ツは,本格的にカメラを手にされた中学生の頃にまで遡り,当時から新宿の交差点や雲取山の風景撮影に精を出さ れていたいう.東京第三師範学校在学中に辻村太郎の『景観地理学講話』の掲載写真に影響を受け,港区立神明小 学校に赴任後は,区の社会科副読本用の写真撮影に努力された.高校に勤務されて以降は,都の地理教育研究会の 旅行で各地の模様をカメラに収め,やがては撮影を主目的に東奔西走されて,日本のみならず世界各地の地理写真 を創作された.かような先生の作品は,『地域を写す 石井實地理写真集』 (1974),『地と図 −地理の風景− 石井實 ─ ─ i 地理写真集』( 1989 ),『地理の風景 古代から現代まで[石井實地理写真集]』( 1999 ),『写真集・東京都市変貌の物 語 1948⏎2000』 ( 2001)などの一連の写真集として世に発表されている.加えて上記の単行本写真集以外にも,『日 本地誌』 ( 1964⏎1980 )で口絵写真を担当され,古今書院の月刊「地理」表紙写真をはじめ,数多くの地理学関連書 籍や雑誌でも随所に発表されてきた.先生の場合,創作される地理写真は,カラー写真が安価に普及した 1970 年 代以降でも一貫してモノクロームを主体とされていた.その際のフィルム現像や印画紙への焼き付けなどの暗室作 業は,もちろん自前でなされている.また 21 世紀を迎え本格的なデジタル写真が全盛となってからは,従来の銀 塩写真をベースとされつつも,デジタル写真の諸技術も速やかにマスターされていた.先生の地理写真は,芸術写 真とは対極的に学術的記録写真として地理学や地理教育で「説明」可能な作品制作というスタンスであった.とは いえ創作された写真の一枚一枚は,格調が高く,簡単には模倣できない作品であるのも特徴的である.作品の中に は,学問的価値に加えて高い芸術性を兼ね備えたものも少なくない.こうした地理写真のクオリティの高さは, 2005 年 11 月,厳格な審査が課せられる新宿ニコンサロンでの個展(「東京の山村 −奥と峰の 30 年−」)開催によっ て広く写真界にも認知されることになった. 先生は,また自ら「地理写真」そのものを地理学において位置づけて研究されるなど,地理写真家のみならず地 理学者としても大いに御活躍された.「地理写真」をテーマにした御研究は,人文主義的地理学や理論地図学での 地図コミュニケーションなどの視点を独創的に援用して,地理写真の諸概念規定や地理写真史,地理教育への応用 面などを中心に究明されてきた.その成果は,本誌をはじめ地理学評論や新地理などの各種地理学会誌に数多く公 表されている.また著作においては,多くの地理学関連書籍に研究成果を分担執筆され,単著としても『記録のた めのカメラ手帳』 (1983)や『地理写真』 (1989)を公刊された.とくに『地理写真』は,理論面や撮影の実践面を検 討した御研究の集大成でもあり,わが国における地理写真に関する研究書の金字塔といっても差し支えない.また 研究者として学会等におかれては,日本での IGC 組織委員会野外研究委員会,同記録委員会委員,日本地理学会学 会史編纂委員会委員,日本大学地理学会常任委員などを歴任され,社会的活動面では小金井市誌執筆委員,東村山 市史編集調査委員会主任調査員,千葉県史編纂気候・気象執筆委員会委員等の市史や県史の執筆,市民大学講座の めぐろシティカレッジ講師も歴任されるなど多方面で御活躍されている. 地理写真家,地理学者としての王道を歩まれた石井實先生は,御自身の輝かしい足跡に決して傲ることなく,常 に温厚なお人柄でどなたにも接しておられた.これは,先生が常に「教育者」であり続けた所以のお人柄であると 確信できる.1980 年代以降,先生は大学でも教鞭を執られ,立正大学,東京都立大学,専修大学,愛知教育大学, 日本大学,群馬大学,國學院大學(着任順)の非常勤講師を歴任,日本文化大学では助教授として招聘されるなど, 学生の研究指導にも情熱を注がれた.2000 年から数年間は,御自身の地理写真フィールドであった奥多摩町の山 村に焼畑を再現させて,ここに各大学の学生に参加を募り現地指導にあたられた.その時の先生を慕って参加した 学生諸君は,大学間の垣根を払って今日でも交流を深めているという. 先生は 2004 年夏,肺癌であることが判明し入退院を繰り返されたが,その間もニコンサロンの個展や 2006 年 1 月の当学会の特別講演「地理写真半世紀」において元気な姿を見せておられた.2007 年になると,さすがに病床に 伏されることが多かったようであるが,御自宅では絶えず訪問客を親切に応対されていた.最近,奥様から御自宅 の芳名帳を拝見させていただいた際に,訪問客には 50 年以上前の港区立神明小学校卒業生をはじめ,何十年も親 交を深められていた著名な地理学者のお名前が連なっていた.先生のお人柄が偲ばれる次第である.さて,先生が 遺された膨大な地理写真は,現在,国立歴史民俗博物館で保管されている.寄贈に当たっては,自らの御意向であ ると聞かされた.現段階では未定であるが,やがて先生の地理写真は,何らかの形で正式に公開・利用できるもの と期待したい.先生の作品に対する真価は,それ以降で本格的に問われるものと思われる. 石井先生.先生が築かれた理論的かつ実践的な礎にしたがって,今後も地理写真撮影に臨む次第であります.安 心して天国からの地上の風景を撮影して下さい.ご冥福をお祈り申し上げます.合掌 (文部科学省初等中等教育局 卜部勝彦) ─ ─ ii 地理誌叢 Vol.49 No. 2 pp.1∼14 (2008−6) 東京の都心および都心周辺地域における土地利用の実態と変化 ─ 1990 年代後半期を中心に ─ 牛 垣 雄 矢 * 1990 年代以降における東京の動向に関する都 1.はじめに 市地理学的研究は,これまでにも活発に行われて 東京はつねに変化する都市であり,その都心地 きた.事務所の立地や機能変化に関する研究とし 域や都心周辺地域(以下, 「東京中心部」とする) ては,事務所の供給と機能変化や事務所街の成長 においては特に変化が著しい.それは,バブル経 について分析した坪本( 1996 ),職業別就業者と 済の崩壊により景気が低迷した 1990 年代後半にお 建物用途床面積のデータより 3 大都市圏の機能変 いても例外ではない.東京における概算容積率 1 ) 化を分析した富田( 1996 ),事業所統計を用いて の推移を示した図 1 からも分かるように,東京で 3 大都市圏の事務所機能の動向を分析した古賀 はバブル経済期から 2004 年現在に至るまで床面 ( 1998 ),大企業や外資系企業などの立地展開に 積が増加傾向にあり,この時期の都市地域におけ ついて分析した藤田( 2001 ),都心周辺地域にお る土地利用の変化について関心がもたれる. ける事務所街の形成過程について分析した保屋野 ほか( 2002 ),人口や産業別就業者の動向より大 都市圏における地域変容について分析した富田 (%) ( 2004 )などがみられる.これらの研究の多くは 600 都心地域と都心周辺地域,また都心地域と郊外の 500 業務核都市について, 都市機能の比較分析によ 400 り,その発展状況について論じている. 300 00 また居住者や居住機能の動向に関する研究に 200 は,都心の集合住宅居住者の多様性について分析 100 した矢部(2003), 3 大都市の都心地域における人 0 1988 90 92 94 96 98 2000 11 02 口増加の実態と都心居住者の属性について分析し 04 た富田( 2004 ),国勢調査の小地域集計結果を用 いて都心居住者の特性の地域的差異について分析 した宮澤・阿部( 2005 )などがみられ,おもに近 図 1 東京における概算容積率の推移 年における都心地域の人口増加現象について論じ 資料:東京都都市整備局 2005『東京の土地 2004(土地関 係資料集) 』より作成. 注:「概算容積率」は課税宅地面積に対する課税建物の延床 面積の割合. 都心地域は千代田・中央,都心周辺地域は港・新宿・ 文京・台東・墨田・江東・品川・渋谷・豊島の各区. たものである.しかし,これらの研究は事務所機 能や居住機能など,特定の都市機能について分析 したものが多い. 東京を対象に多用途にわたる都市機能を一体的 キーワーズ:土地利用,事務所街,集合住宅,住商施設,東京 * 日本大学文理学部 ─ ─ 1 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) にとらえた研究としては,事務所建築物と集合住 宅を対象に分析した田中( 2006 )があり,建物単 2.東京の都心および都心周辺地域におけ る土地利用の特徴 位の詳細な土地利用データを使用しているもの の,論文中では区単位での地図表現のみである 2). 2.1 土地利用の区分 そのため東京の都市地域全体における詳細な土地 1996 年と 2001 年の東京中心部の土地利用を把 利用の実態は, 本稿と同じ資料を用いて東京 23 握するために,以下の方法を用いた.研究対象地 区の土地利用を明らかにした正井( 1968 ),行政 域とした東京中心部の町丁ごとに,『土地利用現 機関,大企業本社,銀行,報道機関など様々な都 況調査結果』における建物用途 15 種(官公庁施設, 市施設の分布状況から東京 23 区における中心地 教育文化施設,厚生医療施設,供給処理施設,事 の機能と配置を明らかにした服部( 1969 )以降, 務所建築物,専用商業施設, 住商併用施設, 宿 3) 管見の限りでは見ることができない .事務所街 泊・遊興施設,スポーツ・興行施設,独立住宅, や集合住宅の空間的拡がりや, 近年の江戸東京 集合住宅,専用工場,住居併用工場,倉庫・運輸 ブームで関心がもたれている各地域の動向を把握 関係施設,農林漁業施設)のうち,① 3 分の 2 以 するには,町丁目などを単位とした詳細な分析が 上を占める用途,② 3 分の 2 未満で 3 分の 1 以上 不可欠である. を占める用途,を算出した.②の場合はさらに, そこで, 本稿の第 2 章では 1996 年から 2001 年 a)2 つの用途が該当する場合, b)1 つの用途が該 にかけての東京中心部における土地利用の実態を 当し,他に 3 分の 1 を越す用途は存在しない場合, 町丁目単位で明らかにし,第 3 章ではこの間に変 とに区別できる.これに,③いずれの用途も 3 分 化の激しい用途と地区について,統計資料を用い の 1 を越えない場合,を合わせると,28 の土地利 てその詳細な性格の変化を明らかにする. 用に区分できる 7). 資料として, 土地利用の分析(第 2 章) には 4) この 1996 年と 2001 年における町丁数を示した 1996 年と 2001 年の『土地利用現況調査結果』 , 表 1 によると,2001 年の東京中心部における主な 統計資料を用いた分析(第 3 章) には 1996 年と 用途は「事務所」が 142 地区,「事務所を主とした 2001 年の『事業所・ 企業統計調査報告』 および 混在」が 172 地区,「集合住宅を主とした混在」が 1995 年と 2000 年の『国勢調査』について,いず 357 地区,「混在」が 224 地区である.これらにつ れも町丁目単位のデータを用いる.この 2 つの統 いて図示した図 2 をみると,皇居周辺では「事務 計資料を用いた分析は,主に事務所建築物や集合 所」地区が多く,「事務所を主とした混在」地区が 住宅の延床面積の増加が著しい「増加地区」と減 さらに外側へ伸びており, 都心地域と新宿・ 渋 5) 少が著しい「減少地区」に対して行った . 谷・ 上野・ 品川の間は事務所系用途で占めてい 研究対象地域は一般的に都心 3 区と呼ばれる東 る.その外側の都心周辺地域には「集合住宅」お 京都の千代田区・中央区・港区とこれに隣接する よび「集合住宅を主とした混在」地区が広範囲に 新宿区・文京区・台東区・墨田区・江東区・品川 広がっている.「混在」地区は台東区や墨田区一 区・渋谷区・豊島区の 11 区とする.これはほぼ江 帯と渋谷周辺でまとまってみられるほかは,都心 戸の市街地の範囲にあたり,東京大都市地域の中 周辺地域に散在している.これを正井( 1968 )に 心部としての役割を担っている.これらの区につ よる分析結果と比較すると 8),2001 年の状況を示 いて,本稿では便宜的に千代田区・中央区を「都 した図 2 からは,都心地域と新宿・渋谷を結ぶ新 6) 心地域」 ,その他の区を「都心周辺地域」 ,そのほ 宿通り・青山通り沿いで事務所系用途の地区がみ か新宿・渋谷・池袋・上野を「副都心」とする. られるようになっている. 次に 1996 年から 2001 年にかけての変化を表 1 ─ ─ 2 東京の都心および都心周辺地域における土地利用の実態と変化 N 0 2 4 km 図 2 東京中心部の土地利用(2001 年) 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 13 年)より作成. 注:「事務所」と「集合住宅」はそれぞれが 2/3 以上を占める町丁, 「∼を主とした混在」はそれぞれ 1/3 以上を占め,他に 1/3 以 上を占める用途が存在しない町丁. 「混在」はいずれの用途も 1/3 以上を占めない町丁. よりみると, 「集合住宅を主とした混在」が 35 地 そこで,集合住宅以外の用途から集合住宅を含 区増加しているのに対し, 「混在」は 32 地区減少 む用途へと変化した地区の変化以前( 1996 年)の している.表 1 で示した 28 種の土地利用区分に 土地利用区分と,「混在」から変化した後の土地 おける増減数を建物用途ごとに集計すると,10 地 利用区分( 2001 年)を明らかにし,これを建物用 区以上の増減を示しているのは集合住宅を含む用 途ごとに集計する.集合住宅を含む用途へと変化 途の+ 63 地区と「混在」の− 32 地区であり,1996 した地区の変化前の土地利用区分は,「混在」58, 年から 2001 年にかけての東京中心部は,混在地 事務所建築物 14, 独立住宅 9 で(その他は若干 区の減少と集合住宅地区の増加が顕著である. 数), 「混在」からの変化後の土地利用区分は,集 ─ ─ 3 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 表 1 東京中心部における土地利用区分別の町丁数と 変化数(1996 年・2001 年) 土地利用区分 1996 年 2001 年 変化数 官公庁 6 5 -1 官公庁を主とした混在 4 4 0 厚生医療を主とした混在 4 0 -4 17 13 -4 0 7 7 14 14 0 教育文化・独立住宅 4 3 -1 供給処理 5 0 -5 供給処理を主とした混在 0 4 4 141 142 1 事務所・専用商業 4 6 2 事務所・集合住宅 14 23 9 事務所・宿泊遊興 4 3 -1 教育文化 教育文化・事務所 教育文化を主とした混在 事務所 N 0 2 4 km 図 3 東京中心部における混在から集合住宅を 含 む 用 途 へ と 変 化 し た 地 区(1996 年 ∼ 2001 年) 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 8・ 13 年)より作成. 注:「混在」はいずれの用途も 1/3 以上を占めない場合.「集 合住宅を含む用途」は集合住宅が1/3 以上を占める場合. 専用商業を主とした混在 9 13 4 事務所・倉庫運輸 5 0 -5 191 172 -19 住商併用を主とした混在 13 11 -2 宿泊遊興を主とした混在 5 8 3 る.この変化を図示した図 3 からは,「混在」か スポーツ・興行施設を主とした混在 3 0 -3 ら集合住宅を含む用途へと変化した地区は都心周 独立住宅・集合住宅 41 46 5 辺地域に散在していることが分かる.また,「混 独立住宅を主とした混在 63 52 -11 在」から集合住宅を含む用途へと変化した地区に 集合住宅 24 35 11 おいて,集合住宅の増加に対して最も減少した用 0 3 3 途の町丁数を集計すると,倉庫・運輸関係 10 地 事務所を主とした混在 集合住宅・倉庫運輸 集合住宅を主とした混在 322 357 35 区,事務所 7 地区,住商併用 7 地区,独立住宅 6 専用工場を主とした混在 11 9 -2 地区,専用工場 6 地区,教育文化 4 地区となり(そ 倉庫運輸 10 12 2 の他の用途は若干数),混在地区における様々な 8 8 0 用途が集合住宅へと変化していることが分かる. 256 224 -32 26 30 4 倉庫運輸を主とした混在 混在 その他 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 8・13 年)より作成. 注: 東京中心部は千代田・ 中央・ 港・ 新宿・ 文京・ 台 東・墨田・江東・品川・渋谷・豊島の各区. 2.2 用途別にみた土地利用の実態と変化 前節の土地利用区分ごとの分析では,土地利用 区分が変化しない場合の土地利用の動向について は把握できないため,ここでは特に増減の激しい 用途に着目して分析を行う.1996 年から 2001 年に 合住宅 58,事務所建築物 9 であり(その他は若干 かけての東京中心部における用途別延床面積の変 数) ,1996 年に混在地区であった地区が 2001 年に 化数を表 2 に示す.これによると,合計 27.78km2 集合住宅を含む地区へと変化していることが分か の 延 床 面 積 が 増 加 し て い る う ち, 集 合 住 宅 が ─ ─ 4 東京の都心および都心周辺地域における土地利用の実態と変化 造」10)構想で副都心に位置づけられた大崎・晴海と 表 2 東京中心部における用途別延床面積の変化 (1996 ∼ 2001 年) いった非事務所街でも著しい増加がみられる 11 ). これを受け,2001 年には外堀の内側一帯と上野や 変化数 用 途 (km2 ) 三田にかけての一帯や,新宿,渋谷で事務所建築 官公庁施設 0.78 物の集積地区がみられる.次に,集合住宅の動向 教育文化施設 1.58 を示した図 5 によると,良好な住宅地として知ら 厚生医療施設 1.08 れる港区の一帯や, 非集合住宅街であった飯田 供給処理施設 0.40 橋,麹町,佃においても著しい増加がみられる. 事務所建築物 6.68 2001 年における集合住宅の集積地区は東京中心 専用商業施設 1.06 部全体に分散しているものの,港区一帯,麹町, 小規模住商施設 -0.51 佃など, 1996 年から 2001 年にかけての増加地区 宿泊・遊興施設 1.02 で特に高い値を示している.最後に,小規模住商 スポーツ・興行施設 0.19 施設の動向を示した図 6 によると,事務所建築物 独立住宅 1.41 の増加が著しい麹町,飯田橋,神保町といった都 集合住宅 13.00 心地域で減少が著しい 12 ).2001 年には,都心地 専用工場 -0.40 域にあたる外堀の内側に小規模住商施設の集積地 住居併用工場 -0.16 区がみられず,台東区や墨田区の一帯と神楽坂, 倉庫・運輸関係施設 0.59 麻布十番,築地,西五反田,戸越周辺などでわず 農林漁業施設 0.00 かに残っている. 計 27.78 3.東京の都心および都心周辺地域におけ 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 8・ 13 年)より作成. 注:東京中心部は千代田・中央・港・新宿・文京・台東・ 墨田・江東・品川・渋谷・豊島の各区. る事業所と居住者の特徴 3.1 事務所建築増加地区における事業所特性 の変化 2 2 13km ,事務所建築物が 6.68km 増加し,大部分を 1996 年から 2001 年にかけての事務所建築物の 占めている.逆に減少している用途は小規模住商 変化数を示した図 4 の中で,上位 2 階級(+ 2,653 施設 9 ) が 0.51km2,専用工場が 0.4km2,住居併用 ∼ 10,921 と+ 10,922 ∼ 33,185( m2/ha ) )に当たる 工場が 0.16km2 減少している.ここでは,増加の 84 町丁を「事務所建築増加地区」とし,この地区 著しい用途として集合住宅と事務所建築物,減少 における事業所の性格の変化を示したのが表 3 で している用途として小規模住商施設に着目し,そ ある.1996 年から 2001 年にかけては日本経済の れぞれ東京中心部における用途別の延床面積の動 低迷期であり,事務所数が東京都や東京中心部全 向として,1996 年から 2001 年にかけての変化数と 体で減少している中で,事務所建築増加地区では 2001 年の実態を図 4 ∼図 6 よりみる.紙数の都合 1,223( 4.5 %)増加している.近年に成長著しい により 1996 年の実態を図示することはできない 対事業所サービスである専門サービス業 13 ) や広 が,必要に応じて 1996 年の状況を説明する. 告業は, 東京都や東京中心部で減少している中 事務所建築物の動向を示した図 4 によると,こ で,事務所建築増加地区では増加しており,近年 の間に増加の著しい地区の中で,神田一帯,丸の に事務所建築物の増加が著しい地区において成長 内,西新宿は従来の事務所街であるのに対し,都 産業が集積している様子が分かる. 特に, 専門 心に近接している麹町・飯田橋や,「多心型都市構 サービス業は 1,192 増加しており,この地区にお ─ ─ 5 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 1996㨪2001 ᐕߦ߆ߌߡߩᄌൻ 2001 ᐕ !"#$ %%%%%&%'%()&*( %()&*+%'%,)&(%,)&(,%'%./)-1* ./)-1-%'%3-)*&* 3-)*&-%'%/1)*/+ 789 !"#$ '*)-1*%'%'3)+('3)+(*%'%'(-+ %%'(-(%'%3)/13 %3)/1(%'%.&),3. .&),33%'%(().-1 N N & 3 & + 56 3 + 56 図 4 東京中心部における事務所建築物の動向 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 8・13 年)より作成. 1996㨪2001 ᐕߦ߆ߌߡߩᄌൻ 2001 ᐕ !"#$ %%%%%&%'%.)*/%.)*/,%'%+)&1( %+)&1+%'%/)+/1 %/)+//%'%.&)(,.&)(,,%'%.*)*,1 789 !"#$ '*)+.(%'%'.)3&+ '.)3&(%'%+/3 %%%+/(%'%.)--3 %.)--(%'%1)11/ %1)11*%'%./).*- N & 3 N + 56 図 5 東京中心部における集合住宅の動向 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 8・13 年)より作成. ─ ─ 6 & 3 + 56 東京の都心および都心周辺地域における土地利用の実態と変化 1996㨪2001 ᐕߦ߆ߌߡߩᄌൻ 2001 ᐕ !"#$ %%%%&%'%(+* %%(+-%'%.)&&( .)&&+%'%.)--* .)---%'%()311 ()31/%'%-)..+ 789 !"#$ '*),./:,%'%'().++:. '().++:.%'%',(1:3 %%',(1:3%'%.(.:* %%%.(.:*%'%-(1:. %%%-(1:.%'%()*+3:. N & N 3 + 56 & 3 + 56 図 6 東京中心部における小規模住商施設の動向 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 8・13 年)より作成. 注:上記資料の建物用途「住商併用施設」の 1 棟当り延床面積が 2,500 ㎡未満の地区を対象とし,それ以上の地区 は「その他」とした. ける事業所増加の大部分を占めている.資本金別 (+ 2 ),道玄坂 1 丁目 ( + 2 )などで,資本金 50 の企業数をみると,いずれも 1 億円未満の企業が 億円以上の企業の増加地区と似た傾向がみられ 減少し,1 億円以上の企業は増加している.その る. 中でも,東京都よりも東京中心部で資本金の低い 企業の減少と高い企業の増加が顕著であり,さら 3.2 集合住宅増加地区における居住者特性 に事務所建築増加地区でも資本金の高い企業の増 1996 年から 2001 年にかけての集合住宅の変化 加が著しい.資本金 50 億円以上の企業の増加が 数を示した図 5 の中で, 上位 2 階級(+ 1,883 ∼ 著しい地区をみると,晴海 1 丁目(+ 7 ),大手町 5,556 と+ 5,557 ∼ 16,178( m2/ha ) ) に当たる 139 2 丁目(+ 6 ) ,大崎 1 丁目(+ 6 ),西新宿 3 丁目 町丁を「集合住宅増加地区」とし,この地区にお (+ 5) ,道玄坂 1 丁目(+ 5)など,都心地域や副 ける居住者特性の変化を示したのが表 4 である. 都心の既存の事務所街,および都心周辺地域の再 集合住宅増加地区における一般世帯数や 6 階建以 開発地区でみられる.次に常用雇用者規模別の企 上の共同住宅世帯数の増加数が,東京中心部,区 業数をみると,東京都や東京中心部では,景気の 部,東京都に比べて値が低いのに対し,変化率で 低迷期にあたるためにいずれの規模でも減少して は著しく値が高いことから,1995 年以前に集合住 いる中で,事務所建築増加地区では 100 ∼ 999 人 宅居住者が少ない地区において,集合住宅とその と 5,000 人以上の規模でわずかながらも増加して 居住者の増加が著しいことが分かる.集合住宅増 いる.常用雇用者規模 5,000 人以上の企業の増加 加地区の一般世帯における世帯数の増加率は世帯 が著しい地区は,永田町 2 丁目(+ 4 ),西新宿 3 人員のそれよりも高い値を示しており,これは持 丁 目( + 4 ) , 麹 町 5 丁 目( + 2 ), 港 南 2 丁 目 ち家世帯でも同様である.一般世帯の変化数のう ─ ─ 7 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 表 3 東京における事業所の動向(1996 年∼ 2001 年) 東京都 東京中心部 変 化 率(%) 事務所建築 増加地区 東京都 東京中心部 事務所建築 増加地区 総数 変 化 数 1,223 -16,769 -46,886 4.5 -5.0 -6.1 -56 -823 -2,503 -15.5 -17.7 -13.8 印刷、映像・音声・文字情報制作業 -170 -2,101 -2,931 -8.8 -12.5 -12.3 運輸に附帯するサービス業 -247 -2,060 -2,667 -65.7 -61.1 -57.8 73 345 833 110.6 81.2 132.6 -78 -546 -745 -17.9 -7.3 -8.1 建築材料、鉱物・金属材料等卸売業 -147 -918 -1,376 -16.9 -11.8 -10.0 機械器具卸売業 -238 -1,343 -1,752 -17.3 -11.9 -10.2 その他の卸売業 -123 -848 -1,283 -10.3 -7.1 -7.2 その他の小売業 74 -77 -1,365 5.8 -0.5 -3.0 112 -826 -2,238 5.1 -2.9 -3.7 54 -905 -192 4.1 -4.8 -0.5 146 622 755 66.4 21.9 11.5 1,192 2,713 -4,700 26.7 7.7 -8.2 総合工事業 通信業 繊維・衣服等卸売業 産業中分類別事業所数 一般飲食店 不動産賃貸業・管理業 その他の生活関連サービス業 専門サービス業 広告業 資本金別企業数 常用雇用者規模別 企業数 82 -91 -53 16.5 -2.5 -1.2 その他の事業サービス業 152 1,042 1,422 13.6 10.9 10.3 医療業 103 821 2,447 19.2 10.2 10.0 教育 162 2,815 12,160 69.8 108.0 169.4 政治・経済・文化団体 102 383 516 13.7 8.4 9.7 -149 -45,528 -18,623 -1.1 -30.1 -6.4 -13 -17,435 -7,544 -0.4 -35.8 -6.3 -408 -29,791 -12,032 -4.3 -32.0 -7.6 231 1,413 850 22.3 16.5 9.2 41 285 103 20.9 30.2 9.9 0 ∼9人 -38 -18,044 -12,344 -0.4 -16.9 -5.8 10 ∼ 100 人 -88 -7,954 -5,690 -2.4 -22.5 -8.9 7 -784 -503 0.8 -10.9 -4.5 -7 -75 -55 -4.3 -8.1 -23.9 2 -53 -31 3.8 -25.9 -13.5 総数 1,000 万円未満 1,000 万∼ 1 億円未満 1億∼ 50 億円未満 50 億円以上 100 ∼ 999 人 1,000 ∼ 4,999 人 5,000 人以上 資料:東京都都市整備局『土地利用現況調査結果』 (平成 8・13 年)より作成. 注: 「事務所建築増加地区」は 1996 年から 2001 年にかけて事務所建築物の延床面積が 2,653m2 以上増加した地区.資料は『土 地利用現況調査結果』 (平成 8・13 年). 産業中分類別の事業所は事務所建築増加地区における変化数 ±50 以上の業種を掲載. 東京中心部は,千代田・中央・港・新宿・文京・台東・墨田・江東・品川・渋谷・豊島の各区. ─ ─ 8 東京の都心および都心周辺地域における土地利用の実態と変化 表 4 東京における居住者特性の変化(1995 年∼ 2000 年) 変 化 数 東京 中心部 区部 総 数 29,614 105,861 世帯人員 43,378 64,344 親族世帯 一般世帯 世帯当り人員 東京 中心部 288,704 418,703 46.1 10.7 8.3 8.5 157,242 275,601 37.8 3.0 2.0 2.4 区部 東京都 -0.16 -0.15 -0.13 -0.13 16,142 48,626 101,088 41.5 2.9 2.4 3.3 夫婦のみ世帯 5,923 23,396 73,517 121,761 61.1 15.4 13.4 15.5 夫婦と子供 世帯 3,125 -8,456 -30,578 -35,731 53.4 -3.3 -3.1 -2.3 16,648 87,705 232,198 306,480 65.5 20.6 16.5 16.2 3.8 4.1 5.4 5.4 7.0 7.2 9.8 9.4 世帯数 13,714 56,848 175,709 279,798 115.8 14.6 12.9 14.0 世帯人員 21,777 54,727 203,374 380,709 81.3 5.0 5.2 6.4 総 数 28,683 -2,349 220,488 314,622 117.6 -0.3 9.9 10.4 -2,065 -22,731 -74,875 -81,969 -12.8 -15.2 -10.2 -7.9 3,292 18,330 82,511 117,883 12.9 7.6 9.3 9.3 10,382 46,541 121,925 164,859 92.6 33.4 35.9 39.7 17,074 55,511 90,927 113,849 197.7 42.1 34.3 38.4 -1.00 -1.10 -0.10 -0.10 0.80 -0.60 -0.40 -0.80 1 世帯当たり延べ 面積 (m2) 持ち家 東京都 集合住宅 増加地区 11,251 総数 単独世帯 1・2 階建 世帯数 3 ∼ 5 階建 世帯数 6 ∼ 10 階 建世帯数 11 階建以 上世帯数 居住区での就業率 (%) 区内での就業率 (%) 共 同 住 宅 変 化 率(%) 集合住宅 増加地区 資料: 『国勢調査』 (平成 7・平成 12 年)より作成. 注:ただし「共同住宅」は建物全体の階数. 東京中心部は千代田・中央・港・新宿・文京・台東・墨田・江東・品川・渋谷・豊島の各区. 「集合住宅増加地区」は 1996 年から 2001 年にかけて集合住宅の延床面積が 1,883m2 以上増加した地区.資料は『土地利 用現況調査結果』 (平成 8・13 年). ち,単独世帯が最も増加し,これに夫婦のみ世帯 近接を進めるものとはなっていない. が続き,夫婦と子供世帯の変化数や変化率の伸び が最も低いことからも,この間に集合住宅の増加 3.3 小規模住商施設減少地区における事業所 特性の変化 が著しい地区においては,夫婦と子供で構成され る家族世帯の居住は進行していないことが分か 1996 年 から 2001 年 にかけての 小 規 模 住 商 施 る.1 世帯当りの延床面積は全体的に増加傾向に 設 の 変 化 数 を 示 し た 図 6 の 中 で, 下 位 2 階 級 あるものの,その集合住宅増加地区における変化 (− 7,916.9 ∼− 3,144.1 と− 3,144.1 ∼− 935.2(m2/ha)) 数や変化率は東京都,区部,東京中心部と比べて に当たる 73 町丁を「小規模住商施設減少地区」と も低い値を示している.また,居住区や東京都区 し,この地区全体における事業所数の変化を示し 内で就業する居住者数に顕著な増加はみられず, たのが表 5 である.小規模住商施設減少地区の中 この間の東京中心部における集合住宅地化は職住 で,特に減少の著しい業種は都市的産業と言われ ─ ─ 9 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 表 5 小規模住商施設減少地区における事業所の動向(1996 年∼ 2001 年) 事業所数 総数 主な地区 ( )は事業所変化数 87 総合工事業 -50 神田神保町 1 丁目(-8),飯田橋 3 丁目・神田和泉町・月島 1 丁目(-6) 職別工事業 -56 外神田 3 丁目(-7),森下 1 丁目(-5),岩本町 2 丁目・内神田 1 丁目・神田鍛冶町 3 丁目・神田富山町・三崎町 2 丁目(-4) 衣服・ その他の繊維製品製造 業 -89 東神田 1 丁目(-15),岩本町 2 丁目(-13),東神田 3 丁目(-9) 印刷、 映像・ 音声・ 文字情報 制作業 -218 神田神保町 1 丁目(-54),飯田橋 2 丁目(-19),西神田 2 丁目(-18) 運輸に附帯するサービス業 -152 内神田 2 丁目(-11),内神田 3 丁目・道玄坂 2 丁目(-10) 通信業 繊維・衣服等卸売業 産業中分類別事業所数 建築材料、 鉱物・ 金属材料等 卸売業 60 -128 -98 一番町・道玄坂 2 丁目(+5),九段南 4 丁目(+4) 日本橋富沢町(-20),日本橋人形町 1 丁目(-18) ,東神田 1 丁目(-15) 内神田 1 丁目(-15),内神田 3 丁目・神田佐久間町 3 丁目(-14) 機械器具卸売業 -282 外神田 3 丁目(-47),神田和泉町(-31),神田佐久間町 3 丁目(-19) その他の卸売業 -131 神田神保町 1 丁目(-24),内神田 2 丁目(-16),神田佐久間町 3 丁目(-12) 飲食料品小売業 -77 家具・ じゅう器・ 家庭用機械 器具小売業 神田神保町 1 丁目(-10),住吉 1 丁目・森下 3 丁目(-7) 77 外神田 3 丁目(+35),神田佐久間町 3 丁目(+9),東神田 1 丁目(+6) その他の小売業 129 神田神保町 2 丁目(+24),外神田 3 丁目(+15),三崎町 2 丁目(+13) 一般飲食店 -54 神田神保町 1 丁目(-26),内神田 2 丁目(-13),外神田 3 丁目(-9) 証券業、商品先物取引業 -82 内神田 3 丁目(-9),日本橋人形町 1 丁目・道玄坂 2 丁目(-7) 63 飯田橋 3 丁目・神田鍛冶町 3 丁目(+10),道玄坂 2 丁目(+9) その他の生活関連サービス業 専門サービス業 688 九段南 3 丁目(+80),一番町(+51),平河町 2 丁目(+50) 広告業 107 九段南 3 丁目(+18),飯田橋 2 丁目(+10),飯田橋 3 丁目(+9) その他の事業サービス業 医療業 教育 99 105 81 神田神保町 2 丁目(+27),神田神保町 3 丁目(+20),三崎町 3 丁目(+14) 神田神保町 1 丁目( +17 ),道玄坂 2 丁目( +13 ),内神田 1 丁目・神田神保町 2 丁 目(+7) 道玄坂 2 丁目(+10),日本橋人形町 1 丁目(+9),月島 1 丁目(+7) 116 平河町 2 丁目(+29),内神田 2 丁目(+8),五番町・外神田 2 丁目(+7) 1954 年以前 -985 神田神保町 1 丁目(-73),岩本町 2 丁目(-38),神田神保町 2 丁目(-32) 1955 ∼ 64 年 -418 内神田 3 丁目(-32),神田神保町 1 丁目(-27),上野 4 丁目(-26) 1965 ∼ 74 年 -710 内神田 2 丁目(-49),神田小川町 3 丁目(-45),道玄坂 2 丁目(-38) 政治・経済・文化団体 開設時期別 事業所数 1975 ∼ 1984 年 -1,401 道玄坂 2 丁目(-144),内神田 1 丁目(-75),神田神保町 1 丁目(-64) 1985 ∼ 96 年 -3,207 道玄坂 2 丁目(-179),岩本町 2 丁目(-119),麹町 4 丁目(-116) 資本金別 企業数 1997 年∼ 2001 年 6,459 総数 -262 1,000 万円未満 1,000 万∼ 1億万円未満 16 -367 道玄坂 2 丁目(+363),内神田 2 丁目(+213),神田神保町 2 丁目(+202) 月島 1 丁目(+66),神田神保町 2 丁目(+27),一番町(+22) 神田神保町 1 丁目(-59),内神田 3 丁目(-47),内神田 2 丁目(-40) 常用雇用者 規模別企業数 1 億∼ 50 億円未満 90 麹町 2 丁目(+11),神田神保町 3 丁目(+9),外神田 2 丁目・外神田 6 丁目(+8) 50 億円以上 -1 内神田 1 丁目( -3 ),一番町・神田小川町 3 丁目・麹町 1 丁目・外神田 3 丁目・日 本橋人形町 1 丁目(-2) 0 ∼9人 -237 岩本町 1 丁目( -81 ), 神田神保町 1 丁目( -46 ), 内神田 2 丁目・ 外神田 3 丁目 (-35) 10 ∼ 99 人 -140 神田神保町 1 丁目(-34),内神田 3 丁目(-31),東神田 2 丁目(-20) 100 ∼ 999 人 -68 東神田 2 丁目( -15 ),神田小川町 2 丁目( -8 ),一番町・神田和泉町・神田神保町 1 丁目(-7) 1,000 ∼ 4,999 人 -16 内神田 1 丁目( -3 ),岩本町 2 丁目・神田和泉町・神田小川町 3 丁目・外神田 3 丁 目(-2) 5,000 人以上 -3 内神田 1 丁目・神田東松下町・五番町・猿楽町 2 丁目・二番町(-1) 資料: 『事業所・企業統計調査報告』 (平成 8・平成 13 年)より作成. 注: 「小規模住商施設減少地区」は 1996 年から 2001 年にかけて小規模住商施設の延床面積が 935.2 ㎡以上減少した地区.資 料は『土地利用現況調査結果』 (平成 8・13 年) . 産業中分類別の事業所は± 50 以上の業種を掲載. 主な地区は,事業所数が増加の場合は増加数上位 3 位の地区を,減少の場合は減少数上位 3 位の地区を掲載. ─ ─ 10 東京の都心および都心周辺地域における土地利用の実態と変化 る印刷関係や各種の卸売業で,これらに代わって 都心地域では,かつて都市型産業といわれた印刷 専門サービス,広告業,その他の事業サービス業 業や卸売業などを営み,資本金は低いながらも開 といった対事業所サービス業の増加が著しい.こ 設時期の古い小規模な住商施設が急激に減少し, の間は,1954 年以前に開設した事業所や,資本金 近年の成長産業である対事業所サービス業を営 が比較的小さい 1 億円未満の企業,雇用者の少な む,資本金の低い事業所がこれに代わっていると い企業の減少が著しい.特に,表 5 中に示した事 考えられる.これにより麹町や飯田橋のほか九段 業所の増減が顕著な地区をみると,神田神保町 3 や一番町などへ事務所街が広がる一方,従来の事 丁目や外神田 3 丁目などの都心地域で,印刷関係 務所街である大手町や西新宿など都心地域や副都 や各種卸売業など従来の都市的産業が減少し,ま 心などでは資本金の高い企業が増加するなど,事 たこれらの地区では,資本金や雇用者規模が低く 務所街としての性格を強め,この点において都心 開設時期の古い事業所が減少している.逆に,従 周辺地域との差異を強めている.従来の非事務所 来の事務所街から外れ,官公庁施設が多い九段南 街として大崎や晴海など,都市計画において「副 3 丁目や一番町などの地区では,専門サービス業 都心」として位置づけられて大規模な再開発が進 や広告業などの対事業所サービス業が増加し,一 められた地区では,資本金の高い企業が増加して 番町では資本金 1,000 万円未満の企業の増加が顕 いるが,そのような地区は少数で狭い範囲にとど 著である. 神田神保町 2 丁目では 1954 年以前に まっている. 開設された事業所が減少する中で,1997 年以降に 1996 年から 2001 年にかけて最も延床面積を増 開設された事業所も多く,事業所の入れ替わりが 加させた集合住宅は,小規模住商施設を減少させ 激しい.この地区で増加した業種はその他の事業 新しい事務所建築物の集積地区となった飯田橋や 所サービス業やその他の小売業などの事業所で, 麹町のほか,住宅地である港区一帯や古い街なみ 資本金 1,000 万未満の企業である.月島 1 丁目で が残されていた佃などでの増加が著しい.また都 は資本金 1,000 万円未満の企業が急増し,同地区 心周辺地域に広がる混在地域において集合住宅地 で最も増加の著しい業種はその他の事業サービス 化した地区も少なくない.しかしこの時期に建設 業(+ 10)である. された集合住宅の多くは,家族世帯や職住近接世 以上のように,小規模住商施設の減少地区のう 帯を増加させるまでには至っていない. ち神保町や神田などにおいては,卸売業や印刷業 以上のように,都心地域における事務所機能の 等の都市型産業や,開設時期が古く資本金や雇用 強化,都心や都心周辺地域における居住機能の強 者規模の低い企業が減少し,資本金の低い対事業 化により,商いと生活の場である生業的な地区が 所サービス業などがこれに代わっている.また, 都心地域でみられなくなり 14 ),工場,住居,事務 成長産業である対事業所サービス業は,九段,一 所など様々な用途が混在する地区が都心周辺地域 番町,月島など従来の商業・業務街からは外れた から減少している.このような,都市地域におけ 地区での増加も顕著で,これらの地区では資本金 る均質化傾向は,都市機能の効率性や経済的発展 の低い企業も増加している. の観点からは望ましい動向とも考えられる.しか し,機能的合理性に基づく近代都市計画を批判し 4.まとめ たジェコブズ(1977)で指摘されているように,機 日本経済の低迷期に当たる 1996 年から 2001 年 能的に均質な空間は,人々の行動パターンもワン の間にも激しく変化した東京中心部の土地利用の パターンとなり,空間利用も偏在的になることに 動向は,以下のように要約できる. より様々な不都合が生じることが考えられる 15 ). この時期に,神田神保町・飯田橋・麹町などの 三浦( 2004 )が指摘しているように,近年の東京 ─ ─ 11 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 謝辞 において若者などに人気の高い商店街は, 吉祥 本稿で使用した『土地利用現況調査結果』は,東京都 寺,下北沢,高円寺,代官山,自由が丘など,多 都市整備局都市づくり政策部よりお貸しいただきまし 様な人や物が存在し,提供する商品に強い関心を た.本稿は, 2007 年 3 月に日本大学へ提出した博士論 もつ住商併用の個人商店が多い商店街である.し 文の一部を加筆・ 修正したものであり, その骨子は かし,東京中心部では 2001 年現在で小規模住商 2006 年の人文地理学会(於・近畿大学)で発表いたしま 施設の集積地区は台東区一帯,墨田区一帯,神楽 した.この際に戸所 隆先生,藤井 正先生,香川貴 坂,麻布十番,築地,西五反田,戸越周辺などわ 志先生,山下宗利先生,石丸哲史先生からは貴重なご ずかとなっている.大都市東京の中心であり日本 意見をいただきました.また,佐野 充先生を始めと する日本大学地理学教室の先生方からは,適切なご指 の中心でもある東京中心部において,これらの問 導をいただきました.ここに記してお礼申し上げます. 題をどのようにとらえるか, 今後の課題とした (2008 年 2 月 12 日受付) い. (2008 年 5 月 14 日受理) 注 1) 「概算容積率」とは,民有宅地(固定資産税の で,データ固有の分類やパターンが調べられ 課税宅地)の空間利用の度合いをみるための る特徴をもつ.なお最適化法については,関 指標であり,課税宅地面積に対する課税建物 根( 2000 )において適切な分類結果を得られ ることが証明されている. の延床面積の割合を意味する(東京都都市整 備局編 2005『東京の土地 2004(土地関係資料 6)東京の都心地域の範囲については,商業的・ 公共的機能の卓越地区からみた正井( 1968 ), 集) 』より) . 2)ただし「 2006 年 度 空 間 情 報 科 学 研 究 セ ン 都市的機能の集積状態と都心機能の地域分化 ター 第 9 回 年次シンポジウム−CSIS DAYS に視点をおいた服部( 1969, 1975 ),官庁街 2006− 」における発表要旨では,より詳細な や事務所街の存在に着目した高野( 1977 ), 分析結果を図示している. 都心的機能の純化に視点をおいた沢田 3)東京以外の地域については,1990 年代後半の ( 1982 )などが存在する.ここで本格的に都 景気低迷期の京都市における事務所の立地変 心の範囲を論ずることは避けるが,これらの 化にともなう事務所街の変容について,集合 研究において江戸城の外堀の内側にあたる千 住宅の立地との関係より分析した古賀 代田区と中央区を都心地域に含める点はほぼ (2007)がある. 共通している.また,第 2 章以降の分析にお 4)東京都都市整備局により都市計画の基礎調査 いても,千代田区と中央区の区界に当たる外 を目的として概ね 5 年ごとに行われる調査の 堀の内側と外側で土地利用の違いがみられ 結果である.東京都全域を対象とした外観目 た. 視の調査法によるもので,調査項目は土地や 7)土地利用区分は研究対象地域の中で 3 町丁以 建物の用途,建物の素材や階数,建築・延床 上が存在する組み合わせについて設定し, 2 面積などに及ぶ.前掲の正井( 1968 )も当時 町丁以下の場合は「その他」とした. 8)正井( 1968 )当時の『土地利用現況図』は現 の同様の資料を用いている. 5)本稿における階級区分は全て ArcView3.3 の 在のものとは凡例が異なり,同研究における デフォルトの分類方法である自然分類を用い 資料の使い方も本稿とは少し異なるため,こ た. これは Jenk の最適化を用いた分類方法 の点に留意して考察する. ─ ─ 12 東京の都心および都心周辺地域における土地利用の実態と変化 9) 『土地利用現況調査結果』の建物用途「住商併 ちづくり推進部都市計画課( 2004 )『千代田 用施設」は,一戸建てに居住しながら商売を 区都市計画概要』に所収されている 1996 年 5 営んでいる場合と,大規模高層建築物内に商 月 31 日施行および 2000 年 3 月 17 日施行の都 業施設と居住施設が併設している場合との区 市計画図を見ても,この間の用途地域および 容積率指定に大きな変化はない. 別がされていない.本稿では便宜的に建物 1 棟当たりの平均延床面積が 2,500m2 未満の地 13)法律・特許事務所,公証人役場,司法書士事 区について「小規模住商施設」として扱う. 務所,公認会計士・税理士事務所,獣医業, 10) 「東京構想 2000 」における「環状メガロポリ 土木建築サービス業, デザイン・ 機械設計 ス構造」が示される以前の東京都における都 業,著述・芸術家業,写真業などを指す. 市構造の基本的な考え方で,都心を大手町, 14)戸所( 1983 )が指摘しているように,事務所 丸の内,有楽町,内幸町,霞が関,永田町, 機能の進出などにより住と商の分離が加速す 日本橋,八重洲,京橋,銀座・新橋とし,副 ると,商店街経営にも大きな影響を及ぼし, 都心を新宿, 渋谷, 池袋, 大崎, 上野・ 浅 生活空間としての商店街を維持するのが困難 となる. 草,錦糸町・亀戸,臨海としている(東京都 2001) . 15)ジェコブズは,混在地域の有用性について, 11)図 4 で示した 2001 年における事務所建築物 例えば公園の利用については,多様な人々が 延床面積の空間的広がりについて, 1996 年 異なる時間帯で使用することにより,公園内 における同様の図と比較すると, 飯田橋, は適当な人数となり,安全性や利用する際の 麹町, 大崎, 晴海には事務所建築物延床面 快適性が得られるとし, 経済地域について 積 16,858(m2/ha)以上の地区はごく僅かであ は,人を引きつける時間帯が異なる複数の一 る. 次的用途の存在は,それらの人々をターゲッ トとする二次的多様性が育ち易いと指摘して 12)千代田区内において事務所建築物の増加と小 規模住商施設の減少が著しいが,千代田区ま いる. 参考文献 古賀慎二( 1998 )オフィスの立地からみた三大都 高野史男( 1977 )日本における巨大都市の都心再 市圏の構造変容―事業所の形態からのアプ 開発―東京の場合―.田辺健一・高野史男・ ローチ―.立命館文学,553,1−18. 二神 弘編『都心再開発』大明堂,169−182. 古賀慎二( 2007 )京都市におけるオフィスの立地 田中耕市(2006)1990 年代の東京 23 区における空 変化に伴う業務地区の変容― 1990 年代後半 間利用の変容―事務所建築物と集合住宅を対 期の分析を中心に―.地理学評論,80,138− 象として―.地理情報システム学会学術研究 151. 発表会講演論文集,15,471−474. 沢田 清( 1982 )日本における大都市の都心.地 坪本裕之( 1996 )東京大都市圏におけるオフィス 理誌叢,24(1),19−30. 供給と業務地域の成長.人文地理,48,341− 『アメリカ大 J. ジェコブズ著,黒川紀章訳(1977) 363. 『東京の新しい都市づくりビジョ 東京都( 2001 ) 都市の死と生』鹿島出版会 . 関根智子( 2000 )GIS を利用したコロプレス地図 ン−都市再生への確かな道筋−』東京都生活 作成におけるクラス分け方法の諸問題.GIS ―理論と応用,8(2),109−119. 文化局広報広聴部広聴管理課. 戸所 隆( 1983 )中心商店街の二つの形態―立体 ─ ─ 13 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 化の視点から―.人文地理,35,289−310. 藤田直晴( 2001 )東京の都市的性格.藤田直晴編 富田和暁( 1996 )3 大都市圏の中心市内部におけ る機能的変容.人文研究,48(第 3 分冊),1− 『東京:巨大空間の諸相』大明堂,40−73. 保屋野 誠・中山彩子・松原 宏( 2002 )東京都 心周辺部におけるオフィス空間の創出.東京 33. 富田和暁( 2004a )大都市都心地区における最近 の人口増加動向,人文研究,55(第 3 分冊), 大学人文地理学研究,15,75−117. 正井泰夫( 1968 ) 東京 23 区の土地利用. 地図, 6(4),1−7. 113−140. 富田和暁( 2004b )三大都市圏における地域変容. 三浦 展( 2004 )『ファスト風土化する日本 郊 杉浦芳夫編『空間の経済地理』朝倉書店,80− 外化とその病理』洋泉社. 宮澤 仁・阿部 隆( 2005 )1990 年代後半の東京 105. 『大都市地域論』古今書院. 服部銈二郎(1969) 都心部における人口回復と住民構成の変化 服部銈二郎( 1975 ) 東京都央部の山の手と下町 ―国勢調査小地域集計結果の分析から―.地 ―都心周辺部の都心化現象―.日本地理学会 理学評論,78,893−912. 予稿集,9,14−15. Land Use the Realities and Change in the CBD and the Surrounding Areas of Tokyo – During the Second Half of the 1990s – Yuya USHIGAKI* Land use trends in central Tokyo during the second half of the 1990s (Japanese recession) were as follows. The number of old residential shops having low capital and involved in the business of printing or wholesale (previously,city industry) has decreased in the CBD (Kanda jinbotyo,Iidabashi,and Kojimachi areas). In addition,these have transformed into industries providing business services. The resulting business center has expanded to Iidabashi,Kudan,Ichibantyo,and Kojimachi. In addition,the number of high capital companies in Otemachi and Nishishinjuku has increased. All these factors have intensified the features of the business center and have escalated the difference between surrounding areas. The term apartment housing meant greater floor space,especially in Iidabashi,Kojimachi,Minato ward,and Tsukuda. In addition,mixed areas in the areas surrounding the CBD have changed into apartment housing areas. However,families have not yet moved into these areas to work and live. Key words : land use,business center,apartment housing,residential shop,Tokyo * Department of Geography, College of Humanities and Sciences, Nihon University ─ ─ 14 地理誌叢 Vol.49 No. 2 pp.15∼26 (2008−6) 地方鉄道の再生に向けた地域振興策の展開とその課題 ─ 銚子電気鉄道を事例として ─ 髙 橋 悠 * そのような中においても,少子化・高齢化の進展 1.はじめに わが国の地方鉄道 などによる交通弱者の増加を受けて,鉄道は誰も 1) は,時代とともにその役割 を変化させてきた. 第二次世界大戦終了後から が広く利用できる公共交通機関として維持すべき という認識も高まりつつある. 1960 年代後半までは,国内輸送の中心は国鉄の主 こうした流れを受け, 地域の交通体系を見直 要幹線が担い,主要結節点であるターミナル駅を し,人の流れを変えることによって地域の活性化 中心とする地域の輸送は国鉄の支線的路線や地方 を図ろうとする取り組みが各地でみられるように 鉄道, 路線バスの担う役割分担が成立していた なった.地方鉄道は地域振興策において有効に活 (有末, 1968).しかし高度経済成長期に入ると,地 用されることによってその役割を果たすものであ 方鉄道における利用者の減少が問題となり,鉄道 るため,地域活性化や地域振興において鉄道が果 を運営する事業者の経営状況にも大きく影響を及 たす役割が重要視されつつある(香川,2000). ぼすことになった.利用者減少の背景としては, 公共交通の活性化に関する研究は,地理学のほ 地域内における過疎化や少子化,高齢化の進展の か社会学や経済学に多くみられる.たとえば,国 ほか,高度経済成長期以降にみられた自家用車の 鉄木原線の存続運動における支援団体の活動や労 急速な普及などに加え,近年の不況の影響も指摘 働組合・自治体の取り組みから,その展開プロセ される(浅井,2004; 和久田,1999 ). その結果, スを詳細に分析した山本( 1986 )や,バス交通の 都市内部では交通渋滞の発生が生じる一方,過疎 存廃問題における地域住民と自治体,交通事業者 地域では公共交通の需要減少とそれに伴う利便性 との相互関係に着目して考察した田中( 1997 )な の低下を招いており,地域における交通体系その どが挙げられる.しかしながら,これらの研究は ものが機能しなくなるという事態も想定される. 公共交通の地域的展開に関する把握に乏しい.公 また,地方鉄道をめぐる状況は,社会情勢の変 共交通の活性化を考える上では,交通に対する地 化とそれに伴う国家政策の方針にも大きく左右さ 域社会の対応について詳細に分析することが必要 れる.2000 年の鉄道事業法の改正では, 鉄道経 といえる. 営への新規参入が容易に行えるようになった反 地理学では,高知市における公共交通について 面,事業者の判断によって鉄道路線の廃止が可能 のイメージ・意識を調査した武市( 2000 )や,過 となった.このことは,特に不採算な鉄道路線に 疎地域におけるバス路線について,交通政策の変 ついて,存廃や活用方策を含め,沿線自治体をは 遷を踏まえつつ,利用者意識などから総合的な分 じめとする地域社会に意思決定を委ねるという意 析を行った福留( 1996 ),アンケート調査を中心 味合いも現れたといえる(今城,2004 ) .しかし, に地方鉄道における現状の課題や問題点を考察し キーワーズ:地方鉄道,地域振興,観光,地域社会,行政支援 * 日本大学大学院理工学研究科博士後期課程 ─ ─ 15 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 谷( 1997,1999 )などが挙げられる. こうし 業者である.このうち, 1980 ∼ 1990 年の間に旧 た研究は,交通機関における利用実態の把握や利 た 国鉄の特定地方交通線から転換された路線,およ 用者意識の解明が主な目的である. び新幹線建設に伴い JR から分離された並行在来 しかしながら,鉄道の経営や地域振興策との関 線を除く事業者で,かつ輸送密度 2 ) が 1,500 人 / 連を総合的に把握し,その展開過程を地域的な動 日 km を下回るものは 15 事業者であった(表 1). 向として詳細に分析した研究は少ない.鉄道を活 これらの事業者は,輸送特性上,経営面におい 用した地域振興の事例について,地理学的見地か て不利な条件の中で運営されてきた中小規模の民 ら詳細に分析し,地域的動向の実態を考察するこ 鉄路線,または民間事業者から第三セクターに転 とは,地方鉄道のあり方を検討する上で意義のあ 換された路線である.この中では,鉄軌道事業が るものと考える. 黒字となっている事業者はみられない.また,日 本研究は,千葉県の地方旅客鉄道・銚子電気鉄 立電鉄,鹿島鉄道,くりはら田園鉄道については 道(以下,銚子電鉄)を事例とし,衰退した地方 2007 年までに鉄軌道事業から撤退し,島原鉄道 鉄道路線の再生や活性化に対して地域社会がみせ についても 2008 年までに路線の縮小が決定して た対応と,観光を中心とする地域振興策との関連 いる.このことからも,輸送密度の低い鉄道路線 性を明らかにするとともに,現状における課題を は共通して厳しい鉄軌道経営状況に置かれている 考察する.沿線地域における地域特性を踏まえ, ことがわかる. 鉄道活性化にむけた動向の地域的展開過程を把握 しかし,輸送密度が低い 15 事業者のなかでも, し,鉄道事業者と行政,地域住民などがどのよう 鉄軌道事業は赤字であるが全事業での損益が黒字 に結びついているかを分析することで,鉄道と地 となっている事業者が 5 事業者みられた.これら 域振興策との関わりを表すことができるものと考 は兼業における高い収益によって,鉄軌道事業で えた. 発生した赤字額の内部補填を実現している事業者 銚子電鉄と地域振興策との関係を検証するにあ である.すなわち,鉄道の需要が少ない中におい たり,銚子電鉄の経営状況と存廃問題の推移,お て,鉄軌道事業以外の事業で収益をあげることで よび現状を詳細に把握する必要がある.経営状況 経営を安定させているといえる.しかし,2005 年 については,国土交通省監修『鉄道統計年報』,お に廃線となった日立電鉄や,本研究の対象事例で よび千葉県発行『千葉県統計年鑑』によるデータ ある銚子電鉄のように,鉄軌道施設への設備投資 をもとに,利用客数や収支状況の変化を分析した. や保守管理費用が莫大であり,兼業による内部補 また,過去の新聞記事における内容から存廃問題 助では補填できず,実質的に経営難となっている の経緯を整理し,補足調査として銚子電鉄および 場合もある.こうした状況に対しては,地域から 銚子市への聞取りを行った.これらの調査結果か の支援を含め,鉄軌道事業の活性化をはかる必要 ら,銚子電鉄における存廃問題の背景を明らかに 性があるといえる. するとともに,銚子電鉄の活性化策と地域振興策 の現状,およびその問題点について考察した. 本研究で対象とした銚子電鉄は,長年にわたり 存廃問題に直面し続けてきた鉄道路線である一 2.わが国の地方鉄道の現状と研究対象地 域の選定 方, 観光を主体とした旅客誘致活動に努めてき た.また,多種多様な増収策を実施しており,表 1 に示した黒字決算の 5 事業者のうちの一つであ 国土交通省監修『鉄道統計年報』によれば,わ る.そのため,観光による地域振興と,経営面を が国における鉄軌道事業者について,2003 年度の 含めた鉄道の活性化との関係を考察する事例とし 時点で地方旅客鉄道に分類される事業者は 98 事 て適当であると考え,研究対象として選定した. ─ ─ 16 地方鉄道の再生に向けた地域振興策の展開とその課題 表 1 輸送密度 1,500 人 / 日 km 以下の地方鉄道路線 営業距離 ( km ) 事業者名 輸送密度 (人 / 日 km ) 鉄軌道業損益 (千円) 全事業損益 (千円) 津軽鉄道 20.7 690 ▲ 25,576 ▲ 24,848 くりはら田園鉄道 25.7 227 ▲ 70,727 ▲ 58,717 日立電鉄 18.1 1,406 ▲ 78,660 7,076 茨城交通 14.3 1,294 ▲ 23,588 ▲ 116,853 鹿島鉄道 27.2 621 ▲ 69,390 ▲ 24,232 銚子電気鉄道 6.4 1,022 ▲ 38,214 1,067 山万 4.1 940 ▲ 120,489 508,890 岳南鉄道 9.2 806 ▲ 81,366 ▲ 31,243 大井川鉄道 65.0 766 ▲ 280,675 ▲ 303,140 東海交通事業 11.2 399 ▲ 207,851 113,482 えちぜん鉄道 53.0 1,333 ▲ 956,860 ▲ 949,309 近江鉄道 59.5 1,420 ▲ 144,116 ▲ 428,623 紀州鉄道 2.7 234 ▲ 21,000 516,357 スカイレールサービス 島原鉄道 1.3 458 ▲ 19,266 ▲ 3,299 78.5 1,200 ▲ 124,071 ▲ 135,069 資料:国土交通省監修「鉄道統計年報」2003 年度版. 注:▲は赤字決算. 以下の事業者は含まない. ・旧国鉄・特定地方交通線からの転換路線 ・旧鉄道建設公団が建設した新線 ・新幹線建設に伴い JR から分離された並行在来線 ら,市の南東部に位置する外川駅までの盲腸線で 3.銚子電鉄と沿線地域の概要 あり,他鉄道路線との接続は始発駅の銚子駅のみ 銚子電鉄は,千葉県銚子市内の銚子駅と外川駅 となっている.駅周辺に住宅の密集がみられるの 間の 6.4km を結ぶ路線である(図 1 ).2003 年度 は銚子駅から観音駅付近にかけての区間,および における年間輸送人員は約 67 万 4,000 人,輸送密 外川駅周辺のみであり,その他の駅および線路周 3) 度は 1,022 人 / 日 km であった.沿線の銚子市は 辺は住宅が低密度に散在している.また,銚子電 自家用車の利用率が高く,市内の移動手段として 鉄の路線とは若干距離を置いているものの,銚子 鉄道を利用する人の割合が少ない地域である. 駅周辺の中心市街地と外川地区周辺とを結ぶ道路 2000 年国勢調査における通勤・通学時の利用交 も整備され,千葉交通によるバス路線が設定され 通手段では,銚子市内に居住する 64.8 %の人と, ている. 銚子市へ通勤・ 通学する人の 60.5 %が, それぞ 図 2 は 輸 送 人 員 の 推 移 を 示 したものである. れ自家用車のみを用いている.一方,鉄道の利用 2003 年の時点で,日常的な利用層である定期利 に関しては,他の交通機関との併用を含めても市 用者では通学定期が通勤定期を大きく上回ってい 内を常住地とする人は 7.1 %,通勤・通学地とす ることがわかる.また,図 3 に示す駅別利用状況 る人は全体の 7.4 %にとどまっている. をみると,銚子駅をのぞく各駅において定期利用 銚子電鉄は銚子市の中心市街地に近い銚子駅か 客が多いのは,駅付近の公立小・中学校に通学す ─ ─ 17 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 01 大内かっぱハウス 05 飯沼観音 09 ウォッセ 21 13 犬吠埼灯台 17 渡海神社 21 銚子マリーナ 02 濱口陽三展示室 06 千人塚 10 ハーブガーデンポケット 14 犬吠埼マリンパーク 18 長崎海水浴場 22 マリーナ海水浴場 03 ヤマサ醤油 07 川口神社 11 海鹿島海水浴場 15 満願寺 19 海洋研究所 23 屏風ヶ浦 04 妙福寺 08 銚子ポートタワー 12 君ヶ浜 16 地球の丸く見える丘展望館 20 犬岩 図 1 銚子電鉄沿線地域図 資料:銚子市役所・銚子市観光協会ホームページ,銚子市観光協会パンフレット等をもとに作成. 注:●印と数字は主要観光地の位置を示す. る学生利用が多い本銚子駅,およびその学校の校 期外利用の多さが目立つ.これは犬吠駅周辺の観 区に含まれる笠上黒生駅,海鹿島駅である. 光地を訪れる観光客の利用が多いためと考えられ 一方,駅別における定期外の利用では,銚子駅 る.銚子市周辺地域は,江戸時代には飯沼観音を 以外では犬吠駅,外川駅および観音駅が多い.と はじめとする寺社参詣の地として,また明治期以 くに犬吠駅では定期利用が極めて少ない一方で定 降は灯台見物や海岸での海水浴を主体とする観光 ─ ─ 18 地方鉄道の再生に向けた地域振興策の展開とその課題 1,800 1,600 1,400 1,200 1,000 800 600 400 200 0 図 2 銚子電鉄・年間輸送人員の推移 資料:国土交通省監修「鉄道統計年報」各年版. 500 450 400 350 300 250 200 150 100 50 0 ! " # $ & ' * + . + . 図 3 銚子電鉄・駅別乗車人員(2003 年度) 資料: 「千葉県統計年鑑」平成 15 年度版. ─ ─ 19 / 7 : ; < = 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 地として定着するようになった(高橋,2002).図 年には経営者による資金横領事件が発覚するな 1 で示したように,現在も市内各所に複数の観光 ど,銚子電鉄の経営にとって悪条件が重なってい 名所が立地しているが,銚子市の観光地における る. 入込客数の上位 5 箇所 4) は,満願寺,地球の丸く 見える丘展望館,犬吠埼灯台,銚子ポートタワー, 5.銚子電鉄における観光客誘致策 犬吠埼マリンパークの順となっており,銚子ポー 沿線に複数の観光地が立地する銚子電鉄におい トタワーを除いて犬吠駅周辺に集中していること ては,観光客誘致のための施策が積極的に行われ がわかる.これらのことから,銚子電鉄において てきた.戦前に銚子電鉄とほぼ同一ルートで営業 は,①銚子駅を除く各駅と銚子駅の相互間輸送, を行っていた「銚子遊覧鉄道」は,その社名から ②本銚子駅付近の小・中学校の校区内における通 もわかるように観光客輸送を目的の一つとして設 学客輸送,③銚子駅から犬吠駅周辺の観光地へ向 立された鉄道であった.この鉄道は海水浴客向け かう観光客輸送が輸送の中心であるといえる. 各種施設の運営や,花火大会等イベントの開催に も携わっており,犬吠埼周辺の観光拠点化に深く 4.銚子電鉄の存廃問題と観光振興策 関わっていた.1948 年の銚子電鉄による経営開始 銚子電鉄では,設立当初から一貫して赤字基調 後も,1950 ∼ 60 年代における国鉄からの臨時列 の経営が続いてきた.1960 年から銚子電鉄の親 車の乗り入れや,1985 年には銚子市を舞台とする 会社となった千葉交通は,当初より鉄道の経営改 テレビドラマの放映にあわせたトロッコ客車を運 善には積極的でなく,1963 年には廃線案を提示し 行するなど,観光客を重視した様々な取り組みが た.これに対し,銚子電鉄の労働組合員および地 行われてきた. 元住民から運行維持を求める要望があり,その意 観光誘致策に大きな動きが見られたのは,1988 向を受けて 1969 年から銚子市による補助金支給 年の銚電恒産への移管直後である.当時の銚電恒 が開始された.また,1975 年からは鉄道軌道整備 産は,鉄道の経営再建にむけ,親会社である内野 法第 8 条第 2 項に基づく国からの欠損補助を受け 屋工務店の沿線地域開発と連動したリゾート鉄道 ることになったが,その後も経営状況の改善はみ への転換を計画した.この計画には,銚子電鉄の られなかった. 列車を JR 線に乗り入れて,総武本線猿田駅付近 1988 年に千葉交通は銚子電鉄の運営からの撤 に建設予定だったゴルフ場へ分岐する新たな路線 退を表明し,その後継となる事業主として千葉県 の建設や,老朽化した各駅舎の全面的な改築を行 内の土木建設業者「内野屋工務店」 が候補に挙 うことなどが盛り込まれていた.その後,市内の がった.千葉交通の撤退に際し,銚子電鉄の労働 観光名所の玄関口となる銚子・観音・君ヶ浜・犬 組合側は,鉄道運営のノウハウのない業者による 吠の 4 駅が,1993 年までにいずれもヨーロッパ風 経営や,雇用面での不安を理由として,経営権移 の駅舎に改築された. 管には反対の姿勢を示した 5 ).こうした中,内野 これらの誘致策に対して実際の利用状況はどの 屋工務店による沿線リゾート開発構想,および観 ようであったのかを,図 2 に示した輸送人員の推 光輸送を主眼とした経営再建計画が提示される 移でみると, 1970 年以降は 1974 年度の年間 158 と, 行政・ 労働組合双方においても了承が得ら 万 5,000 人が最高であり,その後は全体的に減少 れ,1989 年から内野屋工務店の子会社である「銚 をみせていることがわかる.とくに,定期外利用 電恒産」による運営が開始された.しかし, 1994 の推移をみると, 1972 年から 1986 年まで,年間 年度には国からの欠損補助が打ち切りとなり, 60 万∼ 70 万人の間において増加と減少を繰り返 1998 年には「内野屋工務店」が自己破産し, 2004 していることがわかるが,その増減には時期ごと ─ ─ 20 地方鉄道の再生に向けた地域振興策の展開とその課題 に大きな波がある.テレビドラマ放映によって多 同様に改築された君ヶ浜駅については利用客の増 くの観光客が銚子を訪れるようになった 1985 年 加はみられない.これは,君ヶ浜駅周辺に集客力 には, 定期外利用は前年度比 8.6 %増加の 69 万 のある観光施設が立地しておらず,観光客の乗降 3,000 人となった.しかし,翌年度の輸送人員は には影響しなかったためと考えられる.また,全 前年度比 9.5 %の減少に転じ,1989 年度には 54 万 体の輸送人員は 1995 年度から再び減少に転じ, 8,000 人にまで落ち込んだ.その後,翌 1990 年度 1997 年度における定期外の輸送人員は, 1970 年 から再び増加に転じ,1993 年度には 66 万 5,000 人 度の水準を下回った. にまで回復している.すなわち,経営移管に伴う これらのことから,1985 年のテレビドラマ放映 イメージアップ事業が実施されたことで再び定期 の影響,および 1990 年代における観光路線への 外利用客が増加したものと考えられる.しかし, 転換事業は,いずれも観光客による一時的な利用 1994 年度から 1995 年度の 1 年間で 88,000 人とい 増をもたらしたものの,その効果は極めて限られ う急激な減少がみられた.その後も定期外利用者 ていたといえる.また,こうした輸送人員の増減 は減少を続け,2003 年度における定期外輸送人員 はいずれも定期外利用のみにあらわれ,定期利用 は 41 万 5,000 人となっている. については 1981 年度から 2002 年度までの間,一 次に,駅別の利用状況の推移をみると,この時 貫して減少基調で推移している.すなわち,銚子 期に改築された犬吠駅および観音駅において定期 電鉄沿線に居住し,鉄道を日常的に利用し得る沿 外利用客の顕著な増加がみられ,改築による一定 線住民の利用を促進させる効果はほとんどなかっ の効果があったとも考えられる(図 4 ).しかし, たといえる.銚子電鉄では駅舎改築によって集客 1,400 1,200 1,000 ! " #$&' *+-. +-. /7: ;< = 800 600 400 200 19 85 19 86 19 87 19 88 19 89 19 90 19 91 19 92 19 93 19 94 19 95 19 96 19 97 19 98 19 99 20 00 20 01 20 02 20 03 0 図 4 銚子電鉄・駅別乗車人員の推移 資料: 「千葉県統計年鑑」各年版. 注:外川駅 1995 年度の数値はデータ不詳のため,前年度と次年度の中間値を挿入. ─ ─ 21 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) を図ろうとしたが,その話題性による観光客をは と経営改善にむけて積極的な姿勢をみせており, じめとした乗降客の増加は一時的なものにとど 鯛焼き販売も労働組合員の提案によるものであっ まった.また,第三セクター鉄道等でみられる駅 た.当時,1 日 17 ∼ 20 万円程度であった鉄道事業 舎を活用した公共施設の設置などは実施されず, の収入に対し,鯛焼きの売り上げは 1 日 10 万円 駅舎内施設を利用するために鉄道で訪れるという 程度に達していた 6 ).この時点で食品製造販売が 旅客需要も創出されなかった.また,銚子市にお 銚子電鉄の経営における重要な収入源として成立 ける人口の減少や, 自家用車の利用率の高さと したといえるが,鉄道事業における赤字解消にま いった地域性にある中で,駅が地域における求心 では至らなかった(図 5). 力のある施設として機能しなかったことも,地域 その後,1997 年には銚子市で製造出荷されてい 住民の利用に結びつかなかった一因であると考え る醤油を用いた「濡れ煎餅」の販売を開始した. られる. 観光客の下車が多い犬吠駅構内にて手焼きの実演 形式で販売された濡れ煎餅は好評を博した. ま 6.銚子電鉄の経営状況と経営改善策 た,鉄道会社による煎餅の販売という珍しい事例 銚子電鉄の経営における特徴の一つに,食品製 はマスコミ等にも注目され,テレビや雑誌等にお 造販売による収入が挙げられる.これは 1976 年 けるメディアへの露出もみられはじめた.その後 に開始された観音駅での「鯛焼き」の販売に始ま は濡れ煎餅の人気を維持し収入の安定化をはかる るものである.鉄道事業の経営安定化に消極的で ため,インターネットによる通信販売や,首都圏 あった千葉交通経営陣に対し,労働組合側は増収 各地における高速道路のサービスエリア・JR 駅 @ 80,000 60,000 40,000 20,000 0 -20,000 -40,000 -60,000 ABCDEDFG HDEDFG 図 5 銚子電鉄・収支状況の推移 資料:国土交通省監修「鉄道統計年報」各年版. ─ ─ 22 IJDKLFG 2003 2002 2001 2000 1999 1998 1997 1996 1995 1994 1993 1992 1991 1990 1989 1988 1987 1986 1985 1984 1983 1982 1981 1980 1979 1978 1977 1976 1975 1974 1973 1972 1971 1970 1969 1968 1967 -100,000 1966 -80,000 地方鉄道の再生に向けた地域振興策の展開とその課題 売店で販売等,広範囲での営業活動によって販路 勢を示すとともに,食品製造販売業による売り上 拡大を進めた. げの増加によって収益安定化を図るという方法を こうした副業事業の展開により,濡れ煎餅の製 選択した 7). 造販売を主体として展開された副業収入は,銚子 すなわち,銚子電鉄は実質的に副業収入に依存 電鉄の全事業収入における大半の割合を占めるよ した経営形態であり,本来の主要業務であるべき うになっている.2003 年度における鉄道事業の 鉄道事業における抜本的な改善は図られていな 収入は約 1 億 2,760 万 5,000 円であったのに対し, い.そればかりか,老朽化した車両と軌道による 副業収入は 2 億 3,497 万 6,000 円と, 鉄道事業の 運行を余儀なくされている状況にある 8 ).また, 約 2 倍に達した.この結果,2003 年度の段階で副 2006 年には法令に基づく車両の定期検査に必要 業事業における黒字額が鉄道事業の赤字額を上回 な費用の支出が不可能となる状況にまで至った. り,全事業で黒字を計上するに至った. さらに,11 月には枕木の腐食などの鉄道関連施設 濡れ煎餅販売による増収策の一方で,鉄道事業 自体の問題が指摘されたことで,国土交通省から における収支改善はほとんどみられていない.特 の改善命令を受けた.しかし,こうした危機的状 に,2000 年度以降は鉄道事業における赤字額低減 況がインターネット等を通じて全国に知られるよ のため,新規雇用の抑制による人件費の削減,お うになると, 直後に濡れ煎餅の売り上げは増加 よび線路や駅舎・信号設備等を含む鉄道関連施設 し,その収益から車両検査費用に捻出できる目途 の整備改修費の削減を図る状況となった.すなわ が立ったため,運行停止は回避された 9). ち,鉄道運営に不可欠である安全確保のための整 労働組合の動向は,銚子電鉄を地域の足として 備,および鉄道運行に携わる要員については,い 残そうとする姿勢を強く反映したものとして評価 ずれも必要最低限にまで抑えられている. できる.しかしその一方で,営業努力をみせるた こうした極端な費用削減策の理由として,まず めの設備投資費の削減は,運行維持という目的に 1 つに鉄道施設の改修に必要な設備投資費の支出 反しているとみることもできる.また,人件費の が不可能となったことが挙げられる.老朽化した 削減は労働環境の悪化を招くことも懸念され,鉄 鉄道運行関連設備の補修・整備には莫大な資金の 道の運行管理にも影響を及ぼしかねない問題であ 投入が必要となるが,銚子電鉄の経営はすでに自 る.すなわち,銚子電鉄の増収策の展開は電鉄自 主負担による改修が不可能な状態にまで悪化して 身の経営継続という意味合いが強く,鉄道の運行 いる.すなわち,運行継続のために設備投資を中 維持に対する状況はむしろ悪化していると捉える 止するという矛盾した状況となっている. ことができる. 2 つ目の理由として,営業費圧縮による数字の 上での赤字減少を「企業努力の成果」というかた 7.銚子電鉄に対する支援策 ちで示し,対外的に経営改善の姿勢をみせるため 7.1 地域社会による支援活動 である.銚子電鉄はかつて自治体からの補助金を 1980 年に銚子市,銚子電鉄関係者,沿線町内 受給していたが,2003 年度の黒字化達成で市から 会長らを中心に構成された「銚子電気鉄道運行維 の補助金支給が打ち切られた.また,翌年の横領 持対策協議会」が発足し,銚子電鉄の存続と支援 事件発覚を受け,行政側は今後の支援再開にも慎 策に関する意見交換が行われた.特に,経営権移 重な姿勢をみせるようになった. 管問題の際は,当事者同士の意見交換の調整役と これに対し,銚子電鉄では再び支援を受けるた して機能し,路線の維持に一定の成果をあげてき めにも,人件費や設備投資費を最低限度にまで圧 た.こうした動向は,銚子電鉄の存続に向けた自 縮することで,運行維持に向けた企業としての姿 治体側の姿勢をあらわすものとして捉えることが ─ ─ 23 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) いる 11). できる. その一方,協議会が設立された背景は,存続に こうした状況から,沿線地域において銚子電鉄 むけた熱意を示さなければ補助金を打ち切るとい の支援や観光振興に向けた取り組みという面にお う国の意向に応じたものであり,形式的な設置と ける地域住民の主体性は希薄であるとみることが 10 ) .また,運行支援策の提案 できる.また,活動における範囲は外川地区に限 と実働は銚子電鉄の労働組合が中心となってお られているため,銚子市全体の観光振興と結びつ り,実質的には銚子電鉄側の動きに即したもので いていないことも課題といえる. いう側面もあった あったといえる.そして,経営権移管後には路線 維持に向けた議論はほとんど行われず,2003 年の 7.2 行政側の対応 夏ごろには協議会そのものが自然的に消滅してい 銚子市は銚子電鉄に対し,1969 年から補助金の る. したがって, 経営権移管が達成されてから 投入を開始している.これは鉄道事業者に対する は,支援組織としてはほとんど機能せず,行政に 市独自の補助金投入としては全国で初の事例で よる主導は不十分であったとみることができる. あった.また,1970 年からは千葉県が,1975 年か その後,2004 年 7 月,新たな支援組織として銚 らは国が欠損補助の交付を開始しており,これら 子市観光協会主催による「銚子電気鉄道運行維持 は銚子市が千葉県や国に対してバックアップを要 市民の会」が発足した.この組織の主な目的は路 請したことによるものである.こうした動きは, 線維持のための工事費支出を県・市に求めるため 銚子市が鉄道の存続に対してある程度前向きな姿 の署名活動であり,町内会・連合会・沿線事業所 勢をみせていたことをあらわすものである.しか を通じて地域住民に協力を呼びかけたことで,市 し,これらの補助金投入以外には,銚子市による 議会議員・市民・鉄道側を含め約 8 万 9,000 人分 具体的な運行支援策の提案や,活性化のための施 の署名を集めた.ここで集められた署名は市議会 策といったものはほとんど講じられなかった.そ および県議会に提出され,その内容は 2004 年の の後,2003 年に全事業における黒字を計上したこ 9 月議会において協議された.なお,この署名活 とを理由として,銚子市は今後の具体的な支援の 動における広報・啓蒙活動の中心は銚子電鉄の職 方針を打ち出さないまま,同年度限りで補助金を 員が実働の主体となっていた. 打ち切っている.2004 年に「市民の会」による署 また, 銚子電鉄の支援に関わる別の組織とし て,2004 年 8 月に発足した「外川ぶらっと研究会」 の存在を挙げることができる.この組織は,銚子 名提出を受けた後も,支援に関しては大きな進展 がみられなかった. こうした支援策が実施されなかった背景には, 電鉄南端・外川地区における観光振興と銚子電鉄 先に述べた 2004 年の横領事件により生じた電鉄 の利用促進を図る「任意団体」として結成され, の経営体制に対する行政側の不信感を挙げること 外川地区を中心としたウォーキングツアーなどの ができる.また,現状において電鉄側が実質的に イベント開催のほか,外川地区マップの作成と配 ぬれせんべい事業に依存した経営をみせているこ 布,および外川に関する各方面への情報発信など ともあり,市は銚子電鉄側に明確な経営方針の提 を実施している.なお,この外川ぶらっと研究会 示を求めている.ただし可能な限り電鉄との協力 も,発起人が銚子電鉄の取締役に就任しているこ 体制をとって問題解決に努める方針であり,銚子 とや,朝市は銚子電鉄を主催としている点など, 電鉄の存在は地域の観光にとって重要な存在であ 銚子電鉄の事業の一環としての性格を持ち合わせ るという認識も示している 12 ).観光誘致におい ている.銚子電鉄側の動きが止まれば,活動全体 ては, 外川地区の観光振興を見据えた外川観光 の流れが止まるといった状況もしばしば発生して マップの作成や,犬吠埼周辺の旅館との連携によ ─ ─ 24 地方鉄道の再生に向けた地域振興策の展開とその課題 る PR 活動,駅周辺・犬吠埼周辺・外川地区にお と地域振興との関連性が希薄であるというのが実 ける街中歩き観光の提案などを進めている. 情である. 以上のように,銚子市による対応は鉄道路線の 鉄道の活性化は,地域政策においてどのように 運行維持に向けた支援というよりも,事業者に対 鉄道を活用するかということが重要であることは する経営支援という意味合いが強かったものとし 前述したが,銚子電鉄の事例では連携状況が構築 て捉えることができる.特に,兼業を中心とした されていないために,地域政策の中で具体的な活 全事業における黒字化を理由として補助金を打ち 用法を盛り込めない状況が続いている.事業者と 切っている点は,その姿勢を明確に示すものとい 行政のどちらも観光振興における銚子電鉄活性化 える.一方で観光振興策の中で銚子電鉄を活用す の役割を認識しているにもかかわらず,両者間の るという姿勢もみられ,この中で銚子電鉄の支援 連携が取れていないことが,最大の課題であると をどのように位置づけるかが今後の課題であると いえる. 我が国では近年,路面電車の LRT 化やコミュ 考えられる. ニティーバスの運行など,新たな地域交通体系の 8.まとめ 構築に向けた取り組みもみられている.これらは 銚子電鉄は,沿線に観光地を抱えていることも 欧米の先進的な事例を少なからず参考にしている あり,観光客誘致を目的の主体として各種施策を ものと思われるが,欧米と日本とは都市構造や生 講じてきた.しかし,近年は経営の悪化に伴い, 活習慣などの文化的要素,また法・制度面におい 収支改善に特化したものが中心となっており,地 て本質的に異なる部分が多いため,日本独自,さ 域振興に直接的に結びついていない.むしろ,コ らにはその地域独自の実情を加味する必要があ スト削減によるサービス面・安全管理面での状況 る.また,交通機関はあくまで移動手段であり, の悪化を招いているが,その一方で労働組合が鉄 利用者の目的は目的地に着くことである.銚子電 道の存続に向けた積極的な自助努力の姿勢をみせ 鉄の場合,沿線に目的地となり得る観光地を複数 てきたことが大きな特徴である.こうした労働組 抱えているという条件を発揮するため,今後は沿 合の動きに対し,行政からの支援は補助金の給付 線の観光地をどのように生かすのかについて検討 が中心におかれ,鉄道活性化のための具体的政策 するとともに,その中で銚子電鉄に求める役割を がなされなかった.また,路線の存続・維持に向 見出した上で,地域政策との連携を図る必要があ けた行政主体の協議会は設置されたものの,協議 るといえる. の進展は事業者である銚子電鉄側の動向に実質的 に左右されており,行政主導の活性化策はほとん どみられなかった.そのため,鉄道と行政との連 携が正常に機能せず,地域政策内における銚子電 鉄の位置づけが不明確であることが指摘できる. さらに,支援組織による署名活動のほか,観光振 謝辞 本稿の作成にあたり,日本大学文理学部地理学科 の佐野充教授をはじめとする諸先生方に御指導いただ きました.また,聞き取り調査にご協力いただきまし た銚子電気鉄道株式会社鉄道部次長・向後功作様,な らびに銚子市産業部産業振興課の皆様には,心から御 興や地域活性化を目的とする団体の活動において 礼申し上げます.なお本稿は平成 18 年度修士論文の も,銚子電鉄とその労働組合による積極的な関与 内容を基に,一部加筆・修正したものである. がみられ,住民をはじめとする地域社会の主体性 (2008 年 3 月 6 日受付) に乏しいとみることができる.すなわち,銚子電 (2008 年 5 月 14 日受理) 鉄の場合,現状として鉄道の存続に向けた地域的 な機運の高まりには至っておらず,鉄道の活性化 ─ ─ 25 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 注 し,安易な第三セクター事業者の設立はすべ 1)国土交通省監修『鉄道統計年報』における分 類に基づき,「地方旅客鉄道」と「路面電車」 に分類されるものをまとめて「地方鉄道」と 表記した. 2)鉄軌道における利用状況を示す値として用い られる. 3)この輸送密度の値は,1980 年から実施された 国鉄地方交通線の転換政策における選定条件 と照らし合わせた場合,第 1 次選定分(路線 長 30km 以下の盲腸線かつ輸送密度 2,000 人 / 日 km 以下) に該当する. このことからも, 銚子電鉄が密度の低い輸送状況下にあるとみ ることができる. 4)社団法人日本観光協会『平成 15 年度全国観 光動向』による. 5)運営形態に関しては行政との間で第三セク ター化も検討されたが, 銚子市の財政状況 や, 全国的な赤字ローカル線の状況を勘案 きでないという意見があがったとされる (1989 年 2 月 20 日千葉日報朝刊記事による). 6)1976 年 4 月 21 日朝日新聞夕刊記事による. 7)銚子電鉄への聞き取りによる. 8)銚子電鉄では製造後 70 年を経過した車両を 継続使用しているほか,1990 年代に改装され た各駅舎についても一部で腐食・破損が進行 しており,旅客サービスの質的な低下に結び ついている. 9)鉄道施設改修などの費用負担に関しては, 2007 年 1 月に市民団体「銚子電鉄サポーター ズ」が発足し,安全対策工事の費用に限定し た基金の募集活動が行われている. 10)銚子電鉄への聞き取りによる. 11)銚子電鉄への聞き取りによる. 12)銚子市役所産業振興課への聞き取りによる. 参考文献 浅井康次(2004) 『ローカル線に明日はあるか』交 課題―津軽路線バス維持の経験から.運輸と 経済,57(9),67−72. 通新聞社. 『日本の交通』古今書院. 有末武夫(1968) 谷敏治( 1997 )地方鉄道の現状と課題―松本電 : 地方鉄道の維持と費用負担. 今城光英( 2004 ) 気鉄道上高地線を事例として―.駒沢地理, 運輸と経済,64(3),15−22. 33,77−100. 『第 3 セクター鉄道と地域振興』 香川正俊( 2000 ) 谷敏治( 1999 )地方公共交通再生の課題―上田 成山堂書店. 交通を事例として―.駒沢地理,35,39−70. 『岬へ行く電車 銚子電気鉄道 白土貞夫( 2001 ) 福留邦洋( 1996 )過疎地域における公共交通網存 77 年のあゆみ』東京文献センター. 続の背景―秩父地方を事例として―.学芸地 高橋珠州彦( 2002 )観光拠点としての「犬吠」の 形成と開発資本の動向. 歴史地理学調査報 理,50,79−98. 山本補将( 1986 )国鉄ローカル線存続運動と労働 組合―木原線存続運動の実態調査より―.大 告,10,55−69. 武市伸幸( 2000 )高知市における公共交通に対す 原社会問題研究所雑誌,331,31−46. 和久田康雄( 1999 )『路面電車―ライトレールを 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Yutaka TAKAHASHI* : A Case Study of the Regional Promotion Plan for Local Railway Reproduction Key words : local railway, regional promotion, tourism, regional society, administration support * Graduate Student, Graduate School of Science and Technology, Nihon University ─ ─ 26 地理誌叢 Vol.49 No. 2 pp.27∼37 (2008−6) ドイツ連邦共和国バイエルン州における 地域資源利用型観光の実態 落 合 康 浩 * 自然環境や農村景観,歴史的な町並みなどは, 1.はじめに 観光に利用される地域資源の代表的なものである マスツーリズムの時代を象徴する大規模施設建 が,ヨーロッパ各地には,これらを活かした観光 設型の開発は,バブル経済絶頂期にリゾート法の 形態が確立,定着している事例は多くみられる. 下で隆盛をみたが,バブル経済の崩壊とともにそ たとえば,ドイツのバイエルン州もそうした観光 れらには問題や弊害が顕在化し,営業施設の破綻 地の多い地域であり,日本人にもなじみのある一 や, 開発工事の頓挫, 事業計画の中止が相次い 大観光拠点となっている.そこで本稿では,この だ.近年,個人旅行の形態は多様化し,あらたに バイエルン州における観光地の実態について紹介 エコツーリズム,あるいはグリーンツーリズムと しながら,地域資源利用型観光のあり方について いった概念がさかんに提唱されるようになって, 考えてみる. 観光開発を進める地方自治体などの機関は,開発 の方針や施策をそれらにあわせたものにシフトさ 2.バイエルン州の概要 せてきている.これらの根幹をなすのは,地域に バイエルン州( Freistaat Bayern )は,ドイツ連 固有の自然環境や産業・文化などのいわゆる「地 邦共和国の南東部に位置し,西には同国のバーデ 域資源」を観光開発のために活用しようという発 ンヴュルテンべルク( Baden-Württemberg )州が, 想である. 北 に は ヘ ッ セ ン( Hessen ) , テューリンゲン 一方,政府および観光業界は,停滞,低迷が続 (Thüringen),ザクセン(Sachsen)の各州がある. く国内観光を活性化するため,訪日外国人観光客 また,南はオーストリアと,東はチェコと国境を の誘致に積極的である.2003 年にはじまった「ビ 接している.面積はドイツにある 16 の州のうち ジット・ジャパン・キャンペーン」は,「 Yokoso! 最大( 70,549km2 )であり,連邦全土の 19.8 %を JAPAN 」をうたい文句に,様々な広告やイベント 占 めている 2 ). 州 の 北 部 から 中 部 にかけては, を打ち上げ,訪日外国人の拡大に奏功している 1). テューリンゲン・ヴァルト( Thüringer Wald )や, こうして増加しつつある外国人旅行者が日本にお フランケン・アルプ( Fränkische Alb ),などの山 ける観光で求めるものは,日本的なもの,あるい 地,丘陵地と,緩やかに起伏する大地が広がって は日本ならではの魅力であろう.したがって,日 おり,南部はミュンヘン( München )一帯やその 本の各地域が,各々の地域特性ともいえる地域資 南側のなだらかな平原(Alpenvorland)を経てオー 源を活用して観光地づくりを進めることは,国内 ストリアとの国境をなすアルプスの急峻な山並み 旅行者はもとより,訪日外国人の需要にも合致す へと続いている(図 1). ると考えられる. ここに, ドイツではノルトライン・ ヴェスト キーワーズ:地域資源,観光地づくり,ドイツ連邦共和国バイエルン州 * 日本大学文理学部 ─ ─ 27 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) W E l n o p q [\]^_ J`?LaHAb] ἘἷὊἼὅἄὅ߸ Th ü ࡑࠗ ring er W ald ࡦᎹ SY;?Z ` Frän d W e N ἢὊἙὅ ἷἽἘὅἫἽἁ߸ ἓỹἅσԧ al =>;?@;A ;<= W kisc ? er hm Bö I>;EF;A JKL?F;A ἈἁἍὅ߸ he A lb ἪἕἍὅ߸ OKP?GF;A f g ࠙ ࠼࠽ Ꮉ N;Q MNAGF;A B>?C? d a n o r l v e n A l p lpen ishe A Bayer R>S?TN ࡏ࠺ࡦḓ UKSKR>VW;X D;EF;A T;BHR>j h;L?i;C? EKAR>cHEd (2962) ỼὊἋἚἼỴσԧ ?GF;HA 0 100km 図 1 バイエルン州概略図 ファーレン( Nordrhein-Westfalen )州に次いで二 穀物類,乳製品などいくつかの農畜産物生産量は 番目に多い 1,244 万人(連邦全体の 15.1 %)3 )が暮 16 州の中で最も多く 5),文字通り,ドイツ最大の らしているが,人口 125 万人( 2004 年)4 ) を擁す 農業州でもある.一方,電気機器の Siemens や自 る州都ミュンヘンをはじめ,州内の各都市は分散 動車の BMW, Audi,損害保険の Allianz といった して立地し,それぞれの都市間には豊かな森林と 世界的な企業が州内に本社や生産拠点を置くな 農地が広がっている.実際に,農地面積に加えて ど, 農業以外の産業面でも特筆すべき点は多い ─ ─ 28 ドイツ連邦共和国バイエルン州における地域資源利用型観光の実態 .州の領域は,内陸地域にあるものの, (写真 1 ) ンティック街道・古城街道沿いの諸都市,バイエ 北 と 南 に そ れ ぞ れ マ イ ン( Main ) と ド ナ ウ ルンアルプスの自然環境,各地にみられる農村景 ( Donau )の大河が貫流しており,両者は運河に 観などは,ドイツはもとよりヨーロッパでも屈指 よって結ばれているため,内陸水運もさかんであ の観光資源であり,ドイツ観光において重要な役 る. 加 え て, 域 内 に は ド イ ツ 鉄 道( Deutsche 割を果たしている.事実,2004 年の一年間にバイ Bahn )をはじめとする鉄道網や Auto Bahn が四通 エルン州を訪れた旅行者は 2,387 万人(連邦全体 八達し,それらが他州や周辺諸国に直接延びてい の 20.5 %), そ の 延 べ 宿 泊 数 は 7,366 万 泊( 同 る. 21.7 %)で,いずれも 16 州中最多である(図 2)7). このようにバイエルン州は,その位置や産業, そこで次に,バイエルン観光の中から自然・農村 交通などの面において,ドイツの枠を越えて,中 景 観 を 生 かした 観 光 地 域 と, 都 市 における レ 央ヨーロッパにおける中心的な存在となってい ジャー・観光について取り上げ,その実態につい る.こうした地域特性は,もちろんバイエルン州 て述べてみたい. における観光業の隆盛にも結びついている. ドイツは 2005 年度の国際旅行収支が 440 億ド 3.バイエルンの自然・農村景観と観光 ルほどの支出超過となっており,世界でもっとも バイエルン州の中でも自然・農村景観と観光と 「赤字」の多い国である.これは,外国からドイ の結びつきが顕著なのは,南部のバイエルンアル ツを訪れる旅行者よりも,ドイツから外国に出か プス一帯である.2000 メートルを超える高峰群 ける旅行者の方が多いことを示しているが,決し と氷食谷,点在する湖水などに彩られる山岳地帯 て旅行者の受け入れが少ないわけではない.ドイ は,山歩きを愛してやまないドイツ人にとって夏 ツの国際旅行収入約 292 億ドルは,ヨーロッパで はスペイン,フランス,イタリア,イギリスに次 ぐ第 5 位であり,中国とほぼ同額,日本の約 2.3 倍となっている.つまり,外国から比較的多くの 旅行者が訪れる国であり,それだけ観光資源に恵 まれる国でもある 6). なかでもバイエルン州にあるミュンヘンやロマ 写真 1 ミュンヘン市内北部にある BMW の本 社ビル ─ ─ 29 図 2 ドイツ各州における旅行者数(2004) Statistisches Jahrbuch für Bayern 2005 により作成 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 図 3 ガルミッシュ・パルテンキルヘン周辺の山岳観光地域 季のレジャーを過ごすのに最適の地域である.ま ンとが合併して出来た町である.ミュンヘンから た,至る所に開設されたスキー場は,冬季に多く は,ドイツ鉄道で約 1 時間半の距離にあり,アウ の観光客を迎える. そうした中でも, ガルミッ ト バ ー ン も 95 号 が, 町 の 北 方 約 12km に あ る シュ・パルテンキルヘン(Garmisch-Partenkirchen) Eschenlohe まで通じていて, 交通面のアクセス は, ドイツ最高峰のツークシュピッツェ( Zugs- はよい.またこの町を起点とするツークシュピッ pitze:2962m )に登る拠点として,また,スキー ツェ登山鉄道を利用すれば,ツークシュピッツェ ジャンプのワールドカップ開催地としても有名で (写真 2 )の頂上直下( 2600m )まで列車で登るこ ある(図 3 ) . ガルミッシュ・ パルテンキルヘン とができる. は,1936 年の冬季オリンピック開催地であり,そ 夏季,この町には山歩きを楽しむ人々があつま の前年に西のガルミッシュと東のパルテンキルヘ り,数々のピークやアルムを巡るガイドツアーが ─ ─ 30 ドイツ連邦共和国バイエルン州における地域資源利用型観光の実態 企画される.一方,冬季はまちの南側にそびえる 人あたりの平均宿泊数は 3.27 泊で, ミュンヘン 山塊斜面やツークシュピッツェの南東斜面がス の 2.03 泊よりも長い 9 ).つまり,長期に滞在する キーコースとなり(写真 3),その総延長は 118km 人の割合が高いリゾート地でもあることがわか にもおよぶ.また,山麓に開設されるクロスカン る. トリースキーのコースは総延長が 110km ほどに 駅周辺の市街地にはホテルやガストホフはもと もなる 8 ).ガルミッシュ・パルテンキルヘンを訪 より,休暇アパートメントなどの長期滞在用の宿 れる旅行者数(宿泊施設等の利用者数:2005)は, 泊施設が多数立ち並び,高級ブランドを扱う店舗 約 25 万人で,その延べ宿泊数は 81 万泊となって やレストラン,カフェーなどが集まるほか,スー いる.国際的な大都市として別格ともいえるミュ パーマーケットなども立地し,長期滞在者に不便 ン ヘ ン( 836 万 泊 ) を 除 け ば, 上 バ イ エ ル ン を感じさせないまちづくりになっている(写真 4, ( Oberbayern )地区では最も宿泊数の多い町であ 5 ).バイエルン州南部のアルプス地域には,他 り,さらに隣接するグライナウ( Grainau:ツー にも,オーバーシュトドルフ(Oberstdorf),シュ クシュピッツェ登山の中継点)をも合わせれば, ヴァンガウ( Schwangau )などいくつもの山岳リ この地区における延べ宿泊数は 118 万泊にのぼ ゾートがあり,バイエルン観光の「顔」ともいえ る.また,ガルミッシュ・パルテンキルヘンの一 る役割を果たしている. 写真 2 ドイツ最高峰ツークシュピッツェの頂上 写真 4 ガルミッシュの市街地に建ち並ぶ休暇 アパートメント 写真 3 ガルミッシュ・パルテンキルヘンの南側 ハウスベルクスキー場から市街地を望む ─ ─ 31 写真 5 ガルミッシュの中心部 ブティックやカフェなどのショップが並ぶ 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) こうした, リゾート地の観光が隆盛である一 方,同じく自然や緑の景観を対象とするグリーン ツーリズムも盛んである.ドイツのグリーンツー リズムは「農家で休暇を( Urlaub auf dem Bauernhof )」と呼ばれ,農業政策の一環として発展して きたものである.バイエルン州は前述のごとく農 業のさかんな州ではありながら,農家一戸あたり の農地面積は連邦平均の 6 割程度と狭小である. 加えて,山岳地帯の農地には傾斜地も多く,労働 生産性からみても条件不利地域が少なくない.す なわち,政策による保護がなければ,農業ばなれ は進行し農地も放棄される危険性がある.もとよ り農地は食料の供給地として重要なばかりか,そ の存在は生態系のバランスをとり,自然景観の保 全にも重要な役割を果たして来たことから,農家 が農業と農地を維持していけるような政策が必要 でもあった. 「農家で休暇を」のシステムは,農家が農業を 行いながら観光業においても収入を得られるもの で,条件不利地域における農村の活性化を進める 方策として優れたものである.いわば普通の農村 が,その農村環境を観光資源として成立する観光 であり,地域資源を有効活用する手法である.現 図 4 「農家で休暇を」バイエルン州連合会によ る農家民宿ガイドブック(表紙) 4.バイエルンの都市におけるレジャー・ 観光 在,州政府による補助金や融資制度も整備され, それらに基づいて農家民宿を営む農家は増加して バイエルン州の代表的な観光地として日本人に いる. 「農家で休暇を」バイエルン州連合会では, もよく知られるのがロマンティック街道(Roman- 農家民宿を紹介する冊子を無料で配布し,Web 上 tische Strasse )である.ヴュルツブルク( Würz- でも宣伝に努めている(図 4, 5 ).また,農業と burg )からフュッセン( Füssen )までのルート上 森林を愛するドイツの国民性がその発展を支えて に並ぶ中世の面影を残す都市は,訪れる観光客を おり, バイエルン州では, 農家民宿の宿泊数も 魅了する.これらの都市のなかでもとりわけ高い 年々増加する傾向にある.およそ 7,000 軒はある 人気を誇る町が,ローテンブルク( Rothenburg ) といわれる農家民宿 ( バイエルン州全農家の約 である(写真 6, 7 ) .ローテンブルクを自身で歩 5 %)への延べ宿泊数は,約 1,060 万泊( 2004 年) く観光客が,まず最初に訪れる観光案内所は,町 10 ) .これはバイエルン州における のほぼ中心にあるマルクト広場の一角に置かれて ホテル,ガストホフおよびペンションの延べ宿泊 いる.ドイツでは大抵の町に設置されている施設 数の約 4 割強にあたり,バイエルン観光における ではあるが,国際観光地でもあるこの町の場合, 農家民宿の重要性を示している. とりわけ充実した施設となっている.案内パンフ となっている レットはドイツ語,英語のほかフランス語,イタ リア語や日本語まで数カ国語の版が用意されてい ─ ─ 32 ドイツ連邦共和国バイエルン州における地域資源利用型観光の実態 図 5 農家民宿ガイドブックの掲載内容 写真 6 ローテンブルクの市庁舎の塔から市街地 を望む 写真 7 ローテンブルクの町並み(プレーンラ イン) 市壁が市街地を取り囲んでいるのがわかる る.また,宿泊施設へ直接かつ容易に問い合わせ を囲む城壁,博物館などを効率よく訪れ,十分に が出来る自動のシステムも設置されている(写真 楽しめるような配慮がなされている. 8).そして,ここを起点にした散策のモデルコー ところで,こうした美しい景観をみせるローテ スも示され,訪れた観光客が中世風の町並みや町 ンブルクも,第 2 次世界大戦の際には町の半分近 ─ ─ 33 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) くが焼失しており,中世そのままのようにみえる 向けのテーマパークのような,見せかけの観光施 町並みや城壁も, その後に再建されたものが多 設ではなく,まさに市民の暮らしが息づくまちと い.ドイツの多くの都市で観光資源とされる歴史 しても機能しているのである.むしろそれが,訪 的な景観は, もちろんオリジナルなものもある れる観光客にも生きた「本物の町」として歓迎さ が,ローテンブルクのように忠実に復元されたも れる最も重要な要素なのではないだろうか. のが多い.大きな規模の都市であっても,その核 都市の旧市街では,自家用車の乗り入れが規制 となる旧市街地は,概して,歴史的な景観を保つ されていることが多く,人々は自らの足によって よう配慮されており,そこには,大聖堂もしくは 移動することになる.無論,大都市であっても, 大きな教会,市庁舎と広場や市場があって(写真 旧市街地の区域は歩いて廻れる程度に小規模なこ 9 ), 市民が集い, 生活する空間となっている. とが多く,また,ゆったりと歩いて廻れる空間だ 歴史的な外観を有する建物の中にも,市民の住居 からこそ,多くの歩行者によって活気に満ちた街 があったり,現代風の内装と豊富な品揃えの店舗 になるともいえる.一方,周辺地域からのアクセ が入居していたりする.すなわちそこは,観光客 スや旧市街地付近における長い距離の移動には, 公共交通の役割もまた重要である.ドイツの都市 では,交通機関とその利用システムの充実が,市 民と観光客の流動性を高めている. たとえば, ミュンヘン都市圏では, 市の交通会社( MVG: Münchner Verkehrsgesellschaft )が運行する地下 鉄,トラム,バスとドイツ鉄道の近郊電車,他の 民間鉄道・バスを,一律の料金体系の中で利用で きるようにな っ ている( 写 真 10 ). 市 内 は 2.20 ユーロの片道乗車券で, 3 時間以内ならば乗り降 りや異なる交通機関への乗り換えが自由にできる し,4.50 ユーロで一日間,往復を含めた市内全域 写真 8 宿の案内板 の交通機関の利用が可能である.また,一日券に このボードを使って宿の空き室状況や宿泊予約が出来る は一枚で 5 人までの小グループが利用できる割引 写真 9 ローテンブルクの市庁舎(左) ,市議宴 会堂と広場(市の中心部) 写真 1 0 ミュンヘン市の市電(トラム) 市内中心部をいくつもの路線が頻繁に走り,市民や観光 客の足として利用されている. ─ ─ 34 ドイツ連邦共和国バイエルン州における地域資源利用型観光の実態 図 6 ミュンヘン市内の公共交通料金体系 乗車券もあり,ミュンヘン市域を超えた周辺の地 は,ペットの犬を無料でそのまま乗せることがで 域でも同一のシステムが導入されている.定期券 きるし,有料ではあるが自転車も乗せることがで は月・週単位で購入することが可能で,券面に書 きるようになっている 11 ). そしてこのような統 かれたリング(たとえば市内は内側から 1~4 まで 一の料金体系を含む公共交通機関の利用システム のリングが設定されている)の中であれば,どの は,ミュンヘンのみならず各地の都市圏において ようなルート,交通手段を利用することも可能で 採用されているものである.こうした公共交通機 ある(図 6 ) . また, 市内のあらゆる交通機関に 関の利便性は,市民の日常的な利用を促進する効 ─ ─ 35 地 理 誌 叢 第 49 巻 第 2 号(2008) 果があると同時に,観光客が市内を自在に効率よ 観を生かし,そこに暮らす人々の従来の生業や生 く移動するためにも役立っている. 活に根ざしたものでなければならないという,い わば,観光地づくりの哲学ともいえる精神は,日 5.むすびにかえて 本における観光開発でも大いに取り入れるべきも バイエルン州における観光地域の実態やそこに のではないだろうか.まさに地域資源の有効活用 展開する観光の形態は, いずれも魅力的で, 事 である. バイエルン州では, リゾート観光やグ 実,多くの観光客を集めるだけの実績がある.そ リーンツーリズム,あるいは都市の観光であって の観光地整備のあり方は興味深く,今後日本が観 も,こうした精神が見事に観光地づくりの中に実 光地の開発を進めるに際して,大いに参考にすべ 践されており, それが観光の更なる発展につな き点があると思われる.むろんこれらの多くは, がっていることは間違いない.観光の国際化が必 ドイツの地域特性やヨーロッパ人の観光における 要な今日の日本にとって, 国際的な観光地が多 志向に従ったものであり,それらが直ちに,その く,外国からの観光客のニーズにも対応しながら ままの形で日本に導入できるという性格のもので それでいて地域性や地域住民の生活をも重視する はない. 実際に, 休暇制度一つをとってもヨー バイエルン州の観光地づくりのあり方は見習うべ ロッパとは異なる日本において,長期滞在を前提 き点が多いだろう. としたバイエルンの事例そのままのリゾート地域 (2008 年 5 月 14 日受付) づくりや農村観光を実現することは難しい.ただ (2008 年 6 月 7 日受理) し,観光地はそこにある本来の自然的・文化的景 注 1) 『平成 19 年版観光白書』によれば,平成 18 年 倍であるのに対して日本は 3 倍に達してお の訪日外国人旅行者は 733 万人,対前年比で り,日本は収支のバランスの悪いことがわか は 9.0 %増加し,過去最高を記録した. る. 2)Statistisches Jahrbuch 2005 Für die Bundesrepublik Deutschland による. 7)前掲 2)による. 8)ガルミッシュ・パルテンキルヘン観光協会の 3)前掲 2)による. サイト(http://www.garmisch-partenkirchen.de/) 4)Statistisches Jahrbuch für Bayern 2005 による. による. 5)前掲 2 )によれば,バイエルン州の経営耕地 9)Gemeindedaten 2005 による 面積( 2004 年)329 万 ha は 2 位のニーダーザ 10)前 掲 4) お よ び Bayerisches Staatsministerium クセン州( 263 万 ha), 3 位のノルトライン für Landwirtschaft und Forsten(2003),http:// ヴェストファーレン州( 152 万 ha) をはるか www.bauernhof-urlaub.com/( 「農家で休暇を」 に上回っている.また,穀物類,果実類,乳 バイエルン州連合会のサイト)による. 牛の頭数,乳製品などの生産量は 16 州の中 11)ミュンヘン市内の公共交通料金体系について では最大である. は http://www.mvv-muenchen.de/( ミュンヘン 6) 前掲 1 )によれば,ドイツと日本は,国際旅 行収支において赤字額が多い点は共通するも のの,収入額に対する支出額はドイツが 2.5 ─ ─ 36 市 の Münchner Verkehrs- und Tarifverbund の サイト)に詳しい. ドイツ連邦共和国バイエルン州における地域資源利用型観光の実態 参考文献 国土交通省(2007) 『平成 19 年版観光白書』. Bayerisches Staatsministerium für Landwirtschaft und Forsten( 2003 )Urlaub auf dem Buernhof Bayerisches Landesamt für Statistik und Datenverarbeitung(2005)Gemeindedaten 2005. Qualifizierung für ein Markenprodukt mit Bayerisches Landesamt für Statistik und Datenverarbeitung(2005)Statistisches Jahrbuch Zukunft. Statistisches Jahrbuch Statistische Bundesamt( 2005) für Bayern 2005. 2005 Für die Bundesrepublik Deutschland. ─ ─ 37 [編集後記] 本号は, 若手の執筆者を中心に, 論説, 研究 様方には,学会のさらなる発展に向けた積極的な ノート,フォーラム各 1 編で構成しました.次 ご意見・ ご要望をお寄せいただければと思いま 号は,本誌 50 巻を記念し,本学会初の試みとし す. て「展望論文集」を企画しております.会員の皆 (MS) ܩჿ᠖أǵፀ 49 ॎǵፀ 2 ش 2008 ॷ 6 30 ᇍ ᑂᮃᇍ ೣ߂ܩჿЦ ǵթǵଘ ȗ156 - 8550 ആϴᨊγᅒᢆךΫອ⏙⏎⏗⏞⏎⏜⏔ ȗ168 - 0062 ൎিЦǵయଁթ ആϴᨊι⏖⏎⏜⏎⏖ך ೣ߂యჿᨆܩჿఠࡻԒ ᮚ᠌⏃0 3⏆⏙⏙⏗⏗⏎⏜⏖⏜⏖ ᮚ᠌⏃ 0 3 ⏆⏞⏙⏖⏡⏎⏥⏡⏗⏖ FAX⏃ 0 3 ⏆⏙⏙⏗⏗⏎⏜⏖⏜⏜ FAX ⏃ 0 3 ⏆⏞⏙⏖⏡⏎⏥⏜⏗⏥ ୷್ ആϴ ⏡⏎⏖⏙⏞⏖⏟⏞