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00D-093 諸持 善久 「バイクと教育 -学校と社会それぞれの教育

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00D-093 諸持 善久 「バイクと教育 -学校と社会それぞれの教育
バイクと教育−学校と社会それぞれの教育−
00D093
諸持善久
バイクと教育の未来はこれから先にっと発展してゆけるのだろうか。
学校教育の中では、バイク=悪というイメージが強くもたれている。社会の中でも交通事故や若者の暴
走と言った問題がある。しかし日本は車社会であるし、さまざまな意味で早いうちからの教育の必要性は
高いといえる。
1.バイクに対する社会と教育の取り組みの移り変わり
S.57、全国高校PTA連合会、
「バイク全面禁止決議」いより「3ない運動」が全国的に推し進めら
れる。
*免許をとらない、乗らない、買わない
この運動は高校生の生命を守り暴走化を防止することを目的とされている。
しかしこれには、
1)法律上認められている取得の権利を奪うのは不当ではないか?
2)夜間学生や通学上必要な生徒には認められているのに、不公平感を持たせて学校嫌
いを強めて
いないか?
3)運転の禁止が、隠れ運転や無免許運転の原因を作っていないか?
4)対処療法であり、車社会への積極的な教育策ではない。
といった問題が浮上した。
H.1、総務庁交通対策本部は「二輪車の事故防止に関する総合対策」を発表、内、
「
「二輪車運転者の
交通安全教育の推進」のところで学校における交通安全教育の充実を挙げている。
この頃から禁止よりも乗せて指導する、といった考え方に注目が集まるようになった。 H.9、教育
課程審議会、安全運転教育に関する記述を抜粋。
「∼特に高等学校の生活技術というようなところで、自動車またはバイクというものなどについても扱
う必要があるのではないだろうか。例えば性能的なものを扱ってみるとか。とくに今若者の90%が何ら
かの免許を持っている。このような車社会の中で、大きな死亡事故等を起こしている若者の大半を高校生
が占めており、その辺を考えたときに、しっかりと高校の中で技術と云うものを持って、車の構造だとか
性能とか、そういうものを勉強しながら一つの知識というものを持ち、車の事故等いろいろなものにきち
っと心にブレーキをかけられるようにさせる。こういったものがこれからの教育に必要ではないでしょう
か。」
「技術についてですが、中学3年あるいは高等学校になりますと、ちょうどバイクや四輪車免許を取得
できる年齢になってきます。そこで現在の車社会を考慮して、自動車の仕組みなどについて扱ってみては
どうか。家庭科の分野でも、自動車の構造、性能などをきちっと取り上げ、交通事故のない安全な社会は
全国民の願いであり、暴走、無謀運転に心のブレーキをかけるために学校教育できちんと取り上げるべき
ではなかろうか。」
とあるように、近年では教科の内外にわたって、交通安全教育の指導の裾を広げようとする動きが始ま
っている。これらはもはや完全にバイクや車の安全運転教育をも、その必要性から、学校教育の中に組み
込もうとする流れが定着したといえるだろう。
このような考えの移り変わりは、消極的な止策から積極的な指導策に変わることで、3年間だけ若者を
危険から遠ざけるのではなく(実際に3ない運動全盛の頃は、18際以上の若者の交通事故が多かったの
である)、危険を安全に体験させる交通安全教育を行なおうとする、つまりバイク教育の必要性が向上して
いると云えるだろう。
2.二輪車研究指定校の試み
現在の高校での二輪車教育の実態として、各都道府県に一校ずつおかれている、二輪車研究指定校の指
導方法を探った。
1
調査方法としては、インターネットにより指導成果を発表している学校を対象とした。
地域分布としては
北海道−白糠高校
栃木県−黒羽高校
群馬県−沼田高校
山梨県−塩山高校
岡山県−林野高校
いずれも都市部の高校ではない。
各々の学校では大体指導方法は類似しているが、どの学校も免許を認可制にしたり、定期的に地域の警
察署や教習所の協力のもと、安全運転講習会を開いたり、文化祭などでの活動内容の展示発表を行なって
いる。また保護者の協力、理解のもとに登下校中の街頭での見守り活動や、是認で一年間無事故無違反を
目指し、セーフティ・ドライバー・カードの取得に励んでいる。
その他に婆幾通学や免許取得を許可していることをインターネットに乗せている学校はいくつかあった
が、それらは定時制高校や高等専門学校であったり、自由な校風をうたい文句にしている私立高校だった
りした。これらの学校は今回の趣旨とは多少異なるため割愛する。
このように、二輪車研究指定校はほぼ間違いなく、地方や山間部の交通機関の発達していない地域で行
なわれているといえる。また、その他の∼研究指定校と名の付くものには、ボランティア活動だったり、
伝統芸能について学ぶ、といったものがあり、都市部と地方ではその地域性の違いから、必ずしも教科が
今で同じ内容を行なっても実用性に差が出てしまうので、各々の学校の判断で特色ある学校作りを行なっ
ているのが現実である。
ここまでは一般的な安全教育の実態であり、次ぎに学校の枠を超えた、社会の中からバイクの楽しみを
通じての教育について考えたいと思う。
3.バイク社会のこれから
最近のおバイクに対するイメージは、本当に数十年前と比べると明るくなったのではンないだろうか?
安全性能は上がり、壊れにくくなり、エンジンにしてもとてもクリーンになった。アイドルタレ
ントを使ったりしたイメージアップは実に企業努力の賜物ではないだろうか。このことにより今や老若男
女を問わず広く愛されている乗物である。バイク利用目的の調査を見ても、十代男性の74%は楽しみ、
または楽しみと実用と、20台でも65%が同じ回答をしている。若者が初めて手にしたバイクで機械を
知り、社会のルールを知り、未知の世界への冒険心を得るのである。また、車はちょっと、と思っている
老人でも、操作の簡単なバイクで畑仕事に出かけたり、近所の集まりに、といった使われ方もある。一般
に車やバイクの運転を長く行なっていた人のほうがそうでない人よりぼけるのが遅い、
といわれるように、
脳にも高影響なのである。
そのためにもこれからの社会でも、もっとバイクに対する理解を広め、技術とマナーの向上を目指さな
ければならないだろう。
4.遊びとしてのバイク
どちらかというとここが一番の本題であり、まとめであるが、
バイクというものは本来遊びなのである。
バイクは遊びであり、自慢であり、ファッションであり、哲学であり、宝物なのである。バイクは自由
なのである。そしてその自由の中には、大きく自己責任であるという意味も含まれている。どんな走りを
するか、どこまで走らせるか、それは自分で決めるものなのである。しかし徐々に友人と走ったり、年上
の人と走ったり、旅先で知らない人の走りを見て、自分はこう走ろう!と少しずつ自分を作り上げるので
ある。そしてこれがバイクに乗ることをやめない限り永遠に成長するのである。
このようなバイクと共にした生涯発達型社会を目指したいと思う。
〔参考文献〕
実践問題行動教育体系 11
交通非行と暴走族問題 開隆堂出版 1991 年
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