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Erik von Willebrand 博士の「遺伝性偽血友病

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Erik von Willebrand 博士の「遺伝性偽血友病
Full Translation: I. M. Nilsson
Nilsson, et al.
Commentary – Full Translation
Erik von Willebrand 博士の「遺伝性偽血友病」(1926 年)の原文に関
する注釈
Commentary to Erik von Willebrand’s original paper from 1926 ‘Hereditar
¨ pseudohemofili’
I. M. Nilsson
1926 年,ヘルシンキの Diakonihospital 内科の
方法を把握していたことは明らかである。von
Erik von Willebrand 博士が,スウェーデンとフィン
ランドに挟まれたボスニア湾に浮かぶオーランド
Willebrand 博士は優秀な科学者であり,私の上司で
あった故 Jan Waldenström と共通する特質を備えて
(Åland)諸島の Föglö 出身のある家族の数名に認
おり,聡明で,鋭い観察眼をもち,研究の最先端の
められた出血疾患に関する最初の論文を発表した。
知識が豊富で,直感や観察力に富み,組織を構築す
この論文の表題は「遺伝性偽血友病」で, ‘Finska
る才能に長けていた。また彼は,極めて consageous
Läkaresällskapets Handlingar, Band LXVII N:2,
1926’に掲載されたものである。これはスウェーデ
であったと思われるが,これも研究者が何か新しい
ン語で書かれていたが,ドイツ語の要約が付いてい
彼の最初の症例は,S. Hjördis という名前の少女
た。このため,スウェーデン語がわかる人しか原文
で,1924 年 4 月,重度の出血障害で von Willebrand
を読むことはできなかった。それにもかかわらず,
博士が勤めていたヘルシンキの Diakonihospital 内科
この論文は von Willebrand 病の歴史に関する古典と
に入院した。当時,彼女は 5 歳であった。Hjördis は
なった。それは,おそらく,von Willebrand 博士が
オーランド諸島の小島 Föglö の出身で,12 人兄弟の
その後に発表したドイツ語の論文の中で最初の論文
エハムン(Mariehamn)の Centralsjukhuset の内科
1 人であったが,兄弟のうち 2 人を除き,全員に出血
症状がみられた。姉妹のうち 4 人は鼻,創傷,腸管
からの抑制不能な出血によって 2 歳から 4 歳の間に
死亡していた。両親である Oskar と Augusta は,若い
頃に重度の鼻血の既往があり,Augusta とその姉妹の
うち数人は,月経時に多量の出血があった。Hjördis
部長であった現名誉教授 Peter Wahlberg が原文を英
自身については,鼻,唇,抜歯跡から重度の出血が
語に翻訳し,今ではすべての von Willebrand 病研究
数回にわたってみられた。彼女の出血については
者がこの論文を読めるようになった。
床観察に対する尊敬の念を起こさせるものであった。
von Willebrand 博士の論文に詳述されている。ま
た,その後の報告により,Hjördis が,第 4 回目の月
経期の出血多量で 14 歳で死亡したことが判明した。
von Willebrand 博士は原文の中で,このオーラン
von Willebrand 博士が,当時の文献を徹底的に調
ド出身の家族の家系図を紹介している。彼は,この
べ,当時はわずかしかなかった出血素因患者の研究
家系の 66 人について調査を行い,そのうち 23 人が
の詳細な検討を行ったためであろう。さらに,この
論文は,出血疾患に興味をもっていたスカンジナビ
ア人研究者の注目を集め,彼らはその論文を自分た
ちの論文に英語で引用した。当時オーランド,マリ
その後教授となった von Willebrand 博士の最初の
論文は,実に印象深く,70 年以上も前になされた臨
ことを進める場合に必要な特質である。
出血障害を有することを明らかにした。それ以来,
特に Lehmann(1959)および Eriksson(1961)によっ
Haemophilia (1999), 5, 220–221
© Blackwell Science Ltd.
20
て,この家系に関する研究が盛んに行われてきたが,
Erik von Willebrand 博士の「遺伝性偽血友病」(1926 年)の原文に関する注釈
今でもこの家系ほど多くの von Willebrand 病患者を
子の発見について触れておくべきであろう。1950 年
有する家系は知られていない。
代に,複合障害,出血時間延長,第 VIII 因子活性低下
von Willebrand 博士は原文の中で,この疾患につ
の認められる患者について,いくつかの報告があっ
いて詳述している。その主症状は鼻血,歯肉および
た。出血時間延長は血管壁の欠陥によると考えられ,
抜歯跡からの出血,女性の性器出血および日常の傷
この症候群は血管性血友病と呼ばれた。スウェーデ
からの出血である。彼は,血友病によくみられる関
ンでも,1956 年および 1957 年に,第 VIII 因子欠乏お
節出血は比較的まれであることを強調している。ま
よび出血時間延長を特徴とする重度の出血障害を有
た,血小板数が正常であるにもかかわらず,出血時
する家系がいくつか報告されている。ちょうどこの
間が長いことを発見した。血小板は形態学的にも正
頃,コーン分画 I を 1M グリシン溶液で処理するこ
常であった。凝固時間および血餅退縮も正常であっ
とによって得られる新規のヒト分画 I-0 が開発され
た。彼は,失血を補充するためだけでなく,出血を
た(1)。この分画を複合出血障害患者に投与すると,
抑えるためにも輸血が有用であると考えた。この疾
第 VIII 因子欠乏とともに,出血時間延長および毛細管
患の遺伝性について,彼はヘルシンキの遺伝学者で
出血が是正されることが判明した(2–4)。この知見か
ある Federley 教授に相談した。この疾患は常染色体
ら,出血時間延長は正常血漿中に存在する血漿因子
優性形質として遺伝し,とりわけ女性に発現すると
の欠乏によることが示唆された。スウェーデンの症
考えられた。しかし,遺伝研究に関して言えば,彼
例の臨床症状は,von Willebrand 博士が報告した症
の第 1 報は明確な結論に至っていない。彼は,この
例と非常によく似ていた。1957 年 6 月,Margareta
疾患は 1918 年に Glanzmann が血小板無力症として
報告した疾患とは明らかに区別できると主張し,両
Blombäck,Erik Jorpes,Inga Marie Nilsson および
若い学生であった Stig-Arne Johansson は,研究室
性に発現するこの疾患を,これまでに知られていな
の装置をまるごと抱え,劇的なオーランド遠征へと
い血友病の一種であると結論付け,遺伝性偽血友病
出かけた。そこで 15 人の患者を診察したが,そのう
と呼んだ。また,出血時間の延長がその最も重要な
ち数例が von Willebrand 博士が最初に報告した家系
特徴であると強調した。彼は,この出血には血小板
に属していた。我々は第 VIII 因子活性低下を確認し,
の機能障害と全身性の血管壁の病変との複合作用と
分画 I-0 を投与したところ,1 例に出血時間延長の是
いう説明が最も適していると考えた。今日ではよく
正が認められた。これらの調査の結果,第 VIII 因子レ
知られている von Willebrand 病の最初の報告は,ま
ベルの低下および出血時間延長を特徴とするこの出
さに画期的で,彼の知見は今でも重要である。
血障害は,1926 年,von Willebrand 博士が報告した
1933 年,von Willebrand 博士はドイツ人医師
ものと同一であることが明らかとなった。また,von
Rudolf Jürgens との共同研究を始めた。これによっ
て,この疾患は von Willebrand-Jürgens 血小板障害
Willebrand 病における止血障害は,当時知られてい
なかったある血漿因子の欠乏によるものであること
と呼ばれるようになった。幸いなことに,この名前
も明らかになり,この因子は von Willebrand 因子と
は現在は用いられていない。
名付けられた。
von Willebrand 博士は 1949 年,79 歳でこの世を
1958 年 9 月,Centeon は,von Willebrand 病に関
去った。医学以外に彼が特別な興味を注いでいたの
する会議をオーランドで開催した。Föglö 島ツアー
は,鳥学,自然保護そして人種問題であった。驚く
が催行され,Margareta Blombäck と私は,1957 年
べきことに,von Willebrand 博士は一度も Föglö 島を
のオーランド遠征で研究対象とした患者のうちの 4
訪れていなかった。オーランドの住民は,1994 年,
人(Hjördis の 2 人の姉妹と 1 人の兄弟そしてその
von Willebrand 博士を偲び,彼の名前入りの切手を
兄弟の息子)に 40 年ぶりに再会した。これは非常に
発行した。
懐かしい体験であった。このオーランドでの会議は,
ここで,von Willebrand 病における出血障害の原
Erik von Willebrand 博士,特に彼の最初の原著に対
因として von Willebrand 因子と名付けられた血漿因
する威厳のある賛辞でもあった。
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Full Translation: I. M. Nilsson
References
1
2
22
Blombäck B, Blombäck M. Purification of human and bovine
fibrinogen. Arkiv Kemi 1956; 19: 415–43.
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antihemofiliglobulin. Nord Med 1956; 56: 1654–63.
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