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2009 年 4 月 6 日イタリア中部地震の調査報告(現地:4 月 10

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2009 年 4 月 6 日イタリア中部地震の調査報告(現地:4 月 10
2009 年 4 月 6 日イタリア中部地震の調査報告(現地:4 月 10-12 日)
(独)産業技術総合研究所
活断層・地震研究センター、BRGM(フランス地質調査所)
吉見雅行 yoshimi.m @ aist.go.jp
初稿 2009-04-15
修正 04-15
※レポートの目的:調査団および関心ある研究者への情報提供。間違いや引用漏れ等があり得ます。
ご要望等ありましたらご連絡願います。
■調査目的:BRGM の余震観測点設置作業に同行しながら、被災地の被害、地形状況等を概観する。
■日程:
2009 年 4 月
9 日(地震後4日):GIULIANOVA 着(12 日まで GIULIANOVA 泊)
10 日(地震後5日):現地入り
11 日(地震後6日):観測点設置、L’Aquila の被害調査
12 日(地震後7日):観測点チェック、帰路へ。
■1. 調査(立入り)範囲
図 1-1
調査範囲および調査日
図 1-2
L’Aquila 東方の走行範囲(緑:一般道走行、紫:高速道路走行、徒歩範囲は省略)
図 1-3
L’Aquila 周辺の調査範囲(水色:徒歩、緑:一般道走行、紫:高速道路走行)高速出口は L’Aquila
est(右上)と L’Aquila ovest(左上)
図 1-4
L’Aquila 旧市街の調査範囲(4/11)。立入り区域より東は封鎖(立入り範囲も夕方以降封鎖)。
図 1-5
北部の山地(Assergi)から低地(Onna)にかけての調査範囲と概略の被害程度(4/10)
■2. 地震の概略:
2009 年 4 月 6 日 03:32(現地時間)発生、MI 5.8、Mw6.3
アペニン山脈最高峰の南側に広がる盆地直下を震源とする地震。
地質調査から正断層として知られていた活断層
2009 年 3 月頃から有感の前震があった。
MI 5.0 を超える余震が複数回発生。一部は北西に並走する別の伏在断層(ダム湖の直下あたり)でも
発生。また、周囲には地震発生危険度が高いとマークされていた断層もあり、活動の推移が見守られ
ている。
1997 年の複数の地震の系列:9 月 26 日、10 月 5 日、翌年に M6 の地震が異なるセグメントで発生、
の記憶から、今回も更なる M6.5 程度の地震を警戒している。INGV(Istituto Nazionale di Geofisica
e Vulcanologia)が中心となり 4 月 11 日時点でオフラインオンライン含め 40 点余の緊急観測網(定
常観測点を含む)が展開されている。震源分布からは断層面は定かではない。地質学的には南西傾斜
(Galli et al. Tectonophysics 2005, Akinci et al, BSSA,2009)とのこと。
図 2-1
L’Aquila 周辺の地震ハザード
図 2-2
L’Aquila 周辺の歴史地震
図 2-3
更新過程 BPT 分布(α=0.3)
の場合の L’Aquila 周辺の 50 年 10%PGA 期待値(Akinci 2009)。
図 2-4
L’Aquila 周辺の活断層トレース(Akinci et al. 2009)
図 2-5
本震のメカニズム解(CPPT)
。北西−南東走向の正断層運動
図 2-6
遠地実体波インバージョン結果(東大地震研
Natalia)。シンプルな震源時間関数。浅い方の
滑りが大きい傾向
図 2-7
前震、本震、余震の震源分布(2009-04-01 – 2009-04-09)
方のダム湖付近に余震活動が移り、推移が注目されていた。
本震震央は L’Aquila 西方。図上
図 2-8
Envisat を用いた InSAR 画像。南西傾斜の断層運動を示唆。
(橙線は高速道路)
■3. 地形
地形および集落の配置状況:
北西−南東に配列する山脈の間に広がる盆地。L’Aquila 北方は急峻で標高 2500m 程度の峰が連続する。
南部の山脈は北部に比べ比較的なだらかで 1500
2500m 程度の峰が連続する。
L’Aquila は標高 700m 程度。旧市街は北方の山地から連続する丘にある。旧市街南部を流れる Aterno
川周辺の低地との高度差は 30m 程度(目視)
。周囲は河刻され、南縁は急崖、北縁および東縁は急坂
となっている。L’Aquila 東方にて平野が開け、Onna、Monticchio 等の集落が点在。Paganica、Bazzano、
S.Gregorio は丘と低地の境界部に広がる集落。Aterno 川の右岸側は高度差 300m 以上の急崖もしくは
急勾配となっており Fossa は急崖の中腹、
Casentino は急勾配の麓から中腹にかけて形成された集落。
写真 3-1(左) L’Aquila 北方の山脈を Teramo 方面より望む。画面中央は 2912m のピーク。L’Aquila
の盆地はこの山脈の向こう側に位置する。
写真 3-2(右) Assergi 付近より南方を望む。L’Aquila は左前方の山の向こう側。ここから坂を下る。
写真 3-3(左)Camarda 付近より北方を望む。(Assergi に戻る途中で撮影)
写真 3-4(右)Paganica 付近低地部より北方を望む。低地、丘斜面に集落が広がる(Camarda に戻る
途中で撮影)
写真 3-5
L’Aquila の空撮写真(Wikipedia より)。北西方向に撮影されている。画面中央部の林に囲
まれた建物は旧市街の北東端(この左側一帯が旧市街)。
写真 3-6(左)
L’Aquila 旧市街北方の丘陵を高速道路より撮影(北北西向き)
写真 3-7(右)
L’Aquila 旧市街東縁より東方を望む。浅い谷や丘の上に住宅地が広がる。
写真 3-8
Bazzano を南方より望む。低地と丘陵斜面双方に家屋が建っている。
写真 3-9
Fossa 付近より北方を撮影。写真中央は Cerro の集落。
■4. 地質
L’Aquila 付近は更新統角礫岩層が分布。河川沿いの低地には沖積層(鮮新統)が堆積。基盤は中新統
(茶色)および白亜系(緑色)山沿いには扇状地が発達。
図 4-1
L’Aquila 付近の地質図(旧市街地は上部更新統巨角礫層、ONNA 等の低地は沖積層(鮮新統))
図 4-2
Camarda
Onna の地質。Paganica から南方は沖積層、S.Gregorio の一部は沖積扇状地
図 4-3
Onna を通る地質断面図(北東—南西断面:右側が北東)
図 4-4
地質図の凡例(第四系および層相部分を抜粋)
写真 4-1
角礫岩(Camarda 南方にて撮影:L’Aquila 旧市街地の堆積岩の母岩?)←修正(04-15)
写真 4-2 上部更新統堆積層(L’Aquila 旧市街の地質?)←追加しました(04-15)
図 4-5
L’Aquila 中心部の地質図(図は Luca et al.BSSA(2005))
.灰:沖積層、濃紺:巨角礫堆積岩、
黄:湖成堆積物、濃緑:石灰岩基盤
図 4-6
L’Aquila 中心部の地質図と衛星画像(Google map)を重ねたもの(上)オリジナルの衛星画
像(下)
:旧市街地の地質は巨角礫。旧市街地西部から高速道路にかけては沖積層、南部は沖積層と湖
成堆積物であることがわかる。
■5. 被害の概要:
死者 291 名(余震で1名)、家を失った人 28000 名(4 月 14 日現在)
詳細はウェブページ等をご参照ください。
被害の中心は L’Aquila および近郊の集落。主に旧市街地と盆地底部に被害が集中しているが、高地に
も被害がないわけではない。L’Aquila の中心部でのアレー地震観測記録からは、盆地全体で周期 2 秒
程度の増幅特性が知られていた(Luco et al.2005)。
■6. 強震観測網
L’Aquila には定常観測点があり本震記録は得られている模様。また、今年に入ってから L’Aquila 付近
で地震活動が活発になったことから本震以前に臨時観測網が展開されていた模様。加速度計も設置さ
れているため本震記録はかなり豊富にあると予想される。
本震の震源から半径 40km 以内の定常観測点を以下に示す。
L’Aquila, Fiamignano, Villa Celiera, Campotosto, Teramo, Peterno?, Leonessa, PAGN(地点名推測
不能)。
地震記録は未公開。とりまとめ機関は INGV。
(吉見は地図を持っているが非公開。興味ある方は吉見まで)
■7. 土木構造物の特徴および被害
高速道路:
高架橋は RC 桁の単純支持構造。連続桁は見当たらない。大被害は確認できなかった。
トンネルは走行中の観察では無被害。アペニン山脈北方のトンネル内にクラックや鋼板での応急処置
があるが古い。おそらく湧水対策。
10 日昼までは L’AQUILA OVEST—ASSERGI 間は不通。10 日夜には全線開通(一部対面通行)
。
写真 7-1 山間部の高架橋(Teramo から Assergi に向かう途中にて)
写真 7-2
高速道路の高架部分(L’Aquila Ovest 付近)無被害
一般道路:
おおむね目立った被害はない。歩道に周囲の壁や塀からのブロックが落ちている箇所があった。
L’Aquila 中心部南方の河川沿いにて盛土部擁壁のはらみだしがあり木材で支える応急処置がなされて
いた。この道路は通行止めになっていたが、これは中心部への立入り制限が目的と思われる(中心部
への接続路)。
立体交差:単純支持。橋脚は至って健全に見えた。
写真 7-3 L’Aquila 旧市街南方での擁壁のはらみだし。木材にて応急処置。
写真 7-4
L’Aquila 旧市街南方の橋。段差もなく、通常通り通行可能。
街路:周囲の建物被害や警備上の都合により通行止めになっている箇所あり。観察した範囲では、道
路自体にはさほどの被害はなかった。
その他の土木構造物
古い擁壁(?)
:ほとんど被害がないが、L’Aquila 旧市街の西端にて写真のような崩れあり。
写真 7-5 一部が崩れた擁壁(?)
浄水場(L’Aquila 西部(L’Aquila Ovest IC 付近)
:詳細は不明だが、稼働しているようだ。
写真 7-6 L’Aquila 西方の浄水場
サッカー場:
L’Aquila 旧市街北のサッカー場はブロック塀を含めほとんど被害なし。
写真 7-7 サッカー場
■8. 建物の被害等
歴史的建造物:組積造
L’Aquila 旧市街の歴史的建造物の7割が大被害を受けたとのこと。
図 8-1 L’Aquila 旧市街の歴史的建造物分布および被害(赤塗りが大破) 4/9 付け La Repubblica より
一般建物:組積造、無補強レンガ+RC フレーム、RC フレーム造などが見受けられる。
L’Aquila 旧市街には石積みモルタル固定の建物が多い。
比較的新しい建物は RC フレーム造に見えた。
旧市街の周辺部(住宅地)には RC フレームの家屋、RC フレームの中層建物(5-6 層)が多い。RC
フレーム造の中層建物には壁の崩壊、壁の剪断破壊がみられ、これらは2層目に集中している印象。
フレーム自体の被害は観察範囲では多くはない。建築年代による被害差があるようにも思えた。RC フ
レーム造中層建物の被害は L’Aquila 旧市街の北西部から高速道路にかけての地域、すなわち湖成堆積
物および沖積層地域に多い印象がある(旧市街地東方の住宅地の被害は軽微に見えた:ここは角礫岩)
。
歴史的建造物の被害写真:地区名()内の地質は地質図からの推測。地質を見た訳ではありません。
●
L’Aquila 旧市街(丘の上、角礫堆積岩層)
写真 8-1
L’Aquila 旧市街
写真 8-2
クラック部を望遠
写真 8-3
鐘楼(?)が崩れているがドームは被害がないように見える
写真 8-4
3階部分の屋根が落ちている(L’Aquila 旧市街)。
●
Paganica(低地部、おそらく薄い沖積層)
写真 8-5
Paganica の低地部にある教会の被害
写真 8-6
崩壊面の拡大:自然石が使われている模様
写真 8-7(左)
黄色い教会の斜向かいにある 13 世紀の教会(?):Paganica
写真 8-8(右)
石積み円筒の剪断クラック:Paganica
写真 8-9
教会前の石碑が少し回転していた。
一般建物:
●
L’Aquila 旧市街(丘の上、角礫堆積岩層)
写真 8-10
L’Aquila 旧市街の封鎖地区の様子。すべて組積造で、崩壊している家屋は多くない模様。
写真 8-11
組積造建物の被害。壁にクラック。L’Aquila 旧市街
写真 8-12
組積造建物の被害。壁に大クラック。L’Aquila 旧市街
写真 8-13
新しい RC フレーム+軽量レンガ(?)
。壁の被害のみ。
(L’Aquila 旧市街)
写真 8-14
●
RC フレーム+軽量レンガ造。壁のみの被害(L’Aquila 旧市街)
L’Aquila 旧市街北西縁(角礫堆積岩)←修正しました
写真 8-15
RC フレーム造の被害
●
L’Aquila 旧市街北西(沖積層?)
写真 8-16
RC フレーム造。壁が崩れ室内がむき出しになっている。
写真 8-17
RC フレーム造。壁のくずれ。
●
Paganica(低地部)
写真 8-18
組積造
写真 8-19
新しい建物は外見上大きな被害は確認できない。RC フレーム造。
(Paganica)
屋根積載物の落下、壁漆喰の剥離(Paganica
教会の隣)
●
Onna(沖積層?)
写真 8-20
組積造3階建ての崩壊
写真 8-21
組積造の崩壊多数
写真 8-22
無補強塀の倒壊
写真 8-23
撤去された車
●
Onna 東方の低地上
写真 8-24
組積造建物(天然石積み)の大破。Onna 東方(沖積層?)
写真 8-25
組積造建物(天然石積み)の大破。S.Gregorio 東方(沖積層?)
写真 8-26
●
S.Eusanio 付近の工業地帯。新しい事務所建物のパネルが落下していた。
Onna 付近
写真 8-27
ステンレス(?)製サイロが傾く。Onna 西方低地上(沖積層?)
写真 8-28
斜面の家屋には大被害なし、崖の崩れもほとんどなし。Onna 西方、工場向かい
その他の被害:
崖崩れは一カ所もみなかった。
ごく小規模な崩落(角礫が崖下に散らかっている程度)はある。
崖際あるいは崖自体にまで建物が立っているが、ほぼ健全に見えた(ただし遠目)
。
■9. 現地での報道
テレビ:
9日夜:L’Aquila の被害の様子、レスキューの様子が頻繁に流れる。翌日の合同葬儀で Napolitano
がくることも伝えている。地震学者が余震の推移を説明し、今後の活動に注意を呼びかけている。ス
タジオの表情は暗い。深夜もずっと被害の様子が映されていた。
10 日朝:特集番組で被害やレスキューの模様が伝えられている。子供(?)が瓦礫から救出されたら
しい。
10 日夜:合同葬の様子が繰り返し流される。キャスターは沈鬱な表情。母子と思われる棺(大きな棺
の上に小さな白い棺が乗っている)が印象的。この映像が繰り返し使われている。被災者のテント生
活の様子も流される。
11 日朝:合同葬の様子。
12 日朝:被害の様子が流れる頻度は減った。テント生活の様子や今後の方針(?)が流れている。全
国ネットでは地震関連ニュースはあまり流れていない。募金の呼びかけのスポットはよく流れている。
新聞(地元紙)
:
9 日:1面は被害の様子。1−15 面まで地震関連。
10 日:1面は被害の様子。(入手できず詳細は不明)
11 日:1面は合同葬の様子。1-11 面まで地震関連
12 日:1面は被災者の生活だが上半分のみ。ソマリア沖での海賊記事が下半分、および2−3面だっ
た。4-5 面に地震関連
写真 9-1
地震特番の様子(4 月 10 日)
:右端は地震学者
写真 9-2
合同葬の様子(4 月 11 日)
■10. 地震後の対応
立入り制限:
被害の大きい街は封鎖されていた。安全対策と治安対策があるものと思われる。
封鎖された L’Aquila 中心部(4 月 11 日)では封鎖区域外の広場に市民が集まり、立入りの順番を待
っていた。内部へは消防の車のみ立入り可能の模様。市民を乗せて制限区域に入っていく消防の車を
みた。
ONNA、S.GREGORIO も集落の入口に警察・軍が立ち、車の立入りを制限していた(住民は立入り
可能、歩行者は制限なし)。集落内、封鎖箇所の街路はテープ等で塞がれ立入り不可。
写真 10-1
立入り制限(L’Aquila 旧市街)
写真 10-3
封鎖区域への立入りを待つ住民
写真 10-2
写真 10-4
封鎖区域(L’Aquila 旧市街)
消防の車に乗り封鎖区域内部へ向かう住民
情報集約:
L’Aquila 西方 COPPITO の警察本部内に対策本部が設置されていた(建物の外の広場では合同葬が行
われた)。消防、レスキュー部隊のほか地震観測をしている INGV のブースも設けられ、各自の最新情
報は逐次ブース外の掲示板や壁に貼られていた。閲覧は自由で、INGV のブースにも多くのレスキュ
ー関係者が訪れ、余震分布や頻度グラフを眺めていた。
写真 10-5(左)
対策本部がおかれている警察本部。合同葬もここで行われた。
写真 10-6(右)
対策本部の様子:オープンスペースに各機関のブースがおかれている。最新情報は
壁やパネルに展示。
写真 10-7(左)
INGV のブース。レスキュー関係者が地震学者の話を聞いている。
写真 10-8(右)
INGV ブースで公開されていた余震の推移。このほか余震波形や震源分布も掲示さ
れていた。
避難キャンプ:
写真 10-9, 10-10
避難キャンプ(Paganica 付近)テントと仮設トイレ
写真 10-11,10-12
避難キャンプ(Coppito)イタリア内務省からのコンテナが並んでいた
写真 10-13
無被害の家(Roiano:電気等あり)の外に張られたテント(4/12 撮影)。こうした光景は
L’Aquila から Teramo まで、一般的にみられた。
■11.
被災者の反応メモ
4 月 10 日
Teramo 西方の山上の集落(ROIANO:ほぼ無被害)にて。
外見上目立った被害はない。ただし、古い教会が被害を受けたと言っていた。新しい教会は被害なし。
人々は余震を恐れ屋外のテント、車中などで寝ている。住民に頼まれ 1964 年築 RC フレーム造の家に
入る。マイナーなクラックがある程度の被害。
夜:高速道路から L’Aquila 市街を眺める。街灯(オレンジ色)は点いているが部屋の明かりは灯って
いない。→電気は通じている。屋内に人はいない。
夜:ホテル(GIULIANOVA)
避難民が来ている(10 名程度)。ロビーに無料で泊まれるようホテルと交渉したとのこと。それでも
今日までは余震を恐れ、GIULIANOVA でさえも屋外に停めた車で寝たらしい。そこで、我々は地震
研究者であり屋内で寝ていること、L’Aquila で今後大きな地震が起きても震源から 70km 離れた
GIULIANOVA では被害を生じるほどの揺れにはならないこと、GIULIANOVA 付近の地震活動度は
L’Aquila 付近よりはるかに低いことなどを伝えたところ、屋内で寝るのを選択してくれた。これらの
情報のうち、
「我々(地震研究者)が安全だと思ってここに来ている」というのが一番説得力があった
とのことで、翌日、家族共々ぐっすり眠れたと感謝された。
4 月 11 日
L’Aquila 旧市街付近:
立ち入り禁止区域ではないが、誰も屋内にいない模様。
夜:ホテル
L’Aquila からの避難家族(昨日とは別)と話をした。やはり、次の大きな地震を恐れている。INGV
作成の余震活動の推移グラフをみせて説明。今後も注意が必要だがいまのところ余震活動は頻度、規
模ともに収束に向かっていることは理解してくれた。表情は明るい。
4月 12 日:
COLLEVECCHIO(Teramo 南方、丘の上:無被害):
地震計の設置場所を提供してくれた家族がイースターのお祝いをしていた。建物に被害はないが、ま
だ屋外のテントで寝ている。1週間の屋外生活と余震への恐怖で、さすがに疲れたと言っていた。余
震活動の推移を伝えると喜んでいた。注意は必要と言うと了解してくれたが、そう遠くないうちに屋
内で寝るようになると思われた。
トリガレベル:0.5gal に設定した地震計では記録が取れていなかったが、何度か有感の余震があった
という。余震に敏感になっているのと、地面に直接寝ているため気づきやすいのだろう。
以上(2009.04.15)
■以下、調査日誌。乱文ですがご興味ある方はどうぞ。いずれ写真等を入れる予定です。
10 日(地震後5日目)
GIULIANOBA→TERAMO→ASSERGI(当時、高速道路は ASSERGI – L’AQUILA OVEST 間が不
通)
ここまでの区間で目立った建物被害、崖崩れは皆無。
ASSERGI:
IC には電気もあり通常通りの営業。
崖崩れなし。垂直な崖からわずかに石(角礫、拳骨大)が崩落している程度。
Field Stone Masonry: no apparent damage, a few cracks
Simple Stone Masonry: no apparent damage
Church with field stone masonry: no apparent damage
Field Stone Wall: no apparent damage
Chimney: no apparente damage
CAMARDA:
Field Stone Masonry: Some have cracks apparent seen from far site
Simple Stone Masonry:
Field Stone Wall: Slight damage
ごく一部が道路に崩落
PAGANICA:
Field Stone Masonry: Large cracks on walls
黄色い教会:レンガ+天然石組積造構造(ドームはない)。隅部が崩れている。
13 世紀の整形石組積造+自然石組積造の教会。外見上大きな崩れはない。クラックあり、最上部の隅
部に崩れ。
教会前広場の石の記念碑が回転している。反時計回り、20 度ほどか?
新しい無補強レンガ造:柱上部隅にクラックあり。
PC フレーム造:
仮設テント村あり。
PAGANICA から南下する途中:
VIBAC 社の工場。ステンレス製(?)のサイロが倒れている。基部形状は不明。
工場建物には外見上目立った被害は見当たらない。おそらく鉄骨造。
周囲の家(自然石)は遠目で無被害。Crack の可能性はある。高さ 5m ほどの崖の下には崩れてきた
角礫が散らばっている。崖自体は残っている。
ONNA:
川沿いの低地上に広がる集落。戸数は 100 戸ほどか。
集落への入り口は封鎖され陸軍がチェックを行っていた。集落横の広場に車を停め、広場から被害を
観察。
自然石の組積造(モルタル固定)の塀は一部を残して倒れ、倒れた部分は粉砕している。
Simple stone masonry+Natural stone masonry の家は自然石側が崩壊、masonry の3階建てアパー
トは崩壊など、古い建物を中心に大破、崩壊多数。ただし、集落脇の新しい建物(RC frame ?)は被
害を受けていないように見える。
<地震計設置のため TERAMO まで戻り、周囲の山地を周る。>
PUTIGNAND:建物被害は見当たらず
ROIANO:外見上目立った被害はない。ただし、古い教会が被害を受けたと言っていた。新しい教会
は被害なし。人々は余震を恐れ屋外のテント、車中などで寝ている。住民に頼まれ 1964 年築 RC フレ
ーム造の家に入る。マイナーなクラックがある程度の被害。
CORTINO:外見上目立った被害はない。街灯の取付部にクラックが入った古い自然石積+セメント
固定の教会は封鎖されていた。自然石 masonry の家には被害なし。
<夜:L’Aquila 西方 COPPITO の警察ベースへ向かう>INGV の方々と会う。
高速道路の通行止めは解除。L’Aquila Ovest で降りる。
高速道路から L’Aquila 市街を眺める。街灯(オレンジ色)は点いているが部屋の明かりは灯っていな
い。→電気は通じている。屋内に人はいない。
警察ベース:
機関毎にブースが設けられ、ボードに最新の情報を掲示。誰でも閲覧可能。地震活動ブースにはレス
キューや警察関係者が多く訪れ、余震活動の情報を閲覧している。時折、研究者が説明している。現
在の不安は L’Aquila 北西部の余震活動。1997 年の再来を恐れている。
夜:ホテル(GIULIANOVA)
避難民が来ている(10 名程度)。ロビーに無料で泊まれるようホテルと交渉したとのこと。それでも
今日までは余震を恐れ、GIULIANOVA でさえも屋外に停めた車で寝たらしい。そこで、我々は地震
研究者であり屋内で寝ていること、L’Aquila で今後大きな地震が起きても震源から 70km 離れた
GIULIANOVA では被害を生じるほどの揺れにはならないこと、GIULIANOVA 付近の地震活動度は
L’Aquila 付近よりはるかに低いことなどを伝えたところ、屋内で寝るのを選択してくれた。これらの
情報のうち、
「我々(地震研究者)が安全だと思ってここに来ている」というのが一番説得力があった
とのことで、翌日、家族共々ぐっすり眠れたと感謝された。
10 日のまとめ
山岳地帯には被害なし。低地に向かうにつれ被害の程度が増す。震源直上の低地には目立った被害。
(地
形効果よりも震源距離、堆積層の厚さの影響)
11 日
GIULIANOVA→L’Aquila→ASSERGI のロープウェー乗場付近→L’Aquila 中心部、周辺部
朝:L’Aquila ovest で高速を降りる。無料開放。
インター付近。大破は古い自然石積建物に限られるように見受けられた。
<L’Aquila から北へ向かう:地震計設置>
ASSERGI 北方、ロープウェー乗り場付近(FONTE CERRETO)
全く被害がないように見える。電気も問題なし。
L’Aquila est で高速を降り市街へ向かう:
高速出口→中心部手前
PC フレーム造の2
3階建ての住宅には目立った被害なし。
石積みの教会壁にクラック
ガソリンスタンドは通常営業
食材店は通常営業
封鎖部より徒歩で旧市街に向かう:緩いスロープを登る。高度差 20-30m くらい?
サッカースタジアム周辺:被害なし。ブロック塀も全く被害がない。
公園のレンガ積み擁壁:崩れなし。
広場周囲のホテル:Hotel castello
RC フレーム?鉄骨?壁の隅部に剪断クラック。
広場の向こうは立入り制限。多数の市民が広場に集まり順番を待っている。消防の車に乗って各自の
家に向かうのだと思われる。
広場の東、CITTA DELL’AQUILA に沿って進み旧市街地へ:
レンガ+自然石積 masonry の建物:外壁材のはがれ、壁の剪断破壊。
RC フレーム+レンガ壁の建物:レンガ壁の剪断破壊のみ。フレームは被害なし。
屋根の歪んだ建物もある。
概して構造物はよく耐えている。
石積み建物:外壁材のはがれ、開口部上部のクラック、隅部のクラックなどはあるが大きな崩れは見
当たらない。
教会:石組構造。ドームには被害なし(ドーム最下部に小さな崩れ)
。鐘楼上部が崩れている。前面の
修飾壁:小被害。隣の壁(自然石積)にクラック。
教会前広場のホテル(RC フレーム)
:特に被害は見当たらない。
教会隣の石積み建築。屋根の崩落あり。壁に大きな崩れはない。
広場下の市街:遠目での観察だが、屋根瓦の落下、壁のクラックは見受けられるものの崩壊は見当た
らない。
教会のある高台より周囲を望む。RC フレーム造の新しいアパートが多い。壁の崩落(外側のブロック
のみ)がみられるが、フレーム自体には大きなクラックはないようだ。構造は地震によく耐えている。
ただし同程度の再度の揺れには耐えない。
旧市街地は無人。入り口を警察が封鎖。
旧市街地周りも立入り制限はないが無人に近い。キャンピングカー、テントで暮らしている人もいる。
<旧市街の北部から西へ向かう>
やや古い(?)RC フレーム造の壁が完全に崩れた建物多数。フレームも歪んでいるものが見受けられ
る。5、6階建てが多く、壁の完全崩壊は2階に多い。
L’Aquila ovest の高速乗り場付近、大きな被害はない。建物が新しい?
浄水場:稼働している。
L’Aquila 旧市街地より南の河川沿いの低地。完全に崩壊した建物が点在。主に古い自然石積み+RC
床(?)
。
鉄道:動いている。
<L’Aquila から東へ向かう>
BAZZARO:
街全体を遠目に見て、崩れた建物は見当たらない。ただし大クラックはある模様。
道沿い(BAZZARO - ONNA)
:
自然石積建物の2階上部、壁の崩れあり。
ONNA:
道路からの観察:崩れた被害建物多数。
S.GREGORIO:
道路からの観察:崩壊家屋、壁の崩れ多数。一部は ONNA と同程度か。
道沿い:大被害の家屋点在。どれも自然石積み。
工業団地:(低地)
新しい建物(RC フレーム+RC パネル壁)の RC パネルが倒れている。取付部が弱いと思われる。
<ここから西へ引き返す>
S.DEMETREO:
自然石積みの教会:クラックあり。崩壊はない。鐘楼も無被害。
S.EUSANIO:
CASENTINO:
建物はおおむね崩れていないが、古い自然石積み、無補強レンガ造は大破。教会の塔が崩壊。
FOSSA OSTERIA(低地部):
街が封鎖されている。崩壊した自然石積み建物がみられる。
新しい建物は無被害。対照的。
FOSSA(崖上部):
街は封鎖。通行不可。
崖下からの観察では、特に大きな被害はない模様。自然石積み建物も OK。
<FOSSA から S.Panfilo d’Ocre を抜け L’Aquila 方面へ>
S.Panfilo d’Ocre:
高地だが平ら。自然石積建物に崩壊あり。
CIVITA di BANGO:
新しい建物は問題なしだが、古い自然石積みには被害あり。
COPPITO のミリタリーベース:
本日の余震は最大で M3.3。活動は静穏だった。
ここ1週間の余震数からは、活動は収束に向かっていると判断できそう。
夜:ホテル
L’Aquila からの避難家族(昨日とは別)と話をした。やはり、次の大きな地震を恐れている。INGV
作成の余震活動の推移グラフをみせて説明。今後も注意が必要だがいまのところ余震活動は頻度、規
模ともに収束に向かっていることは理解してくれた。表情は明るい。
12 日:
余震観測点のチェックのため、ASSERGI、COLLEVECCHIO へ。
ASSERGI:
地震計は稼働しており記録が取れていた。メモリ容量が限られていることから設定を少し変更した。
COLLEVECCHIO:
地震計の設置場所を提供してくれた家族がイースターのお祝いをしていた。建物に被害はないが、ま
だ屋外のテントで寝ている。1週間の屋外生活と余震への恐怖で、さすがに疲れたと言っていた。余
震活動の推移を伝えると喜んでいた。注意は必要と言うと了解してくれたが、遠くないうちに屋内で
寝るようになると思われた。
地震計は正常稼働していたものの、記録は取れていなかった(トリガレベル:0.5gal)。何度か有感の
余震があったという。余震に敏感になっているのと、地面に直接寝ているため気づきやすいのだろう。
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