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【巻頭インタビュー】 衣料革命から医療革命へ 進化する「カイコ技術」
Special Features 1 世界に誇る日本のカイコ 巻頭インタビュー 独立行政法人農業生物資源研究所昆虫科学研究領域長 木内 信 構成◉飯塚りえ composition by Rie Iizuka イラストレーション ◉ 小 湊 好 治 illustration by Koji Kominato 衣料革命から医療革命へ 進化する「カイコ技術」 中国で始まった養蚕が日本に伝わったのは、およそ 2000 年前の1~2 世紀頃といわれ、皇室などとも縁 が深い。 「シルクロード」 の名の通り、かつて世界中の人々が絹を求め、それによって産業のみならず大き な文化を築くことにもなった。現代に至って日本では、絹という繊維の利用とともに医療分野での利用が 期待されている。 ── 誰でも一度は飼ったことがあるのではないか 列が解読されたのがショウジョウバエです。ゲノムサ というカイコ。実は品種改良を重ねて人が り出した イズが小さいので解読も比較的簡単だったのですが、 ともいえる生物であり、遺伝学を始めとする生物学の もっとゲノムサイズが大きいチョウやガの仲間で初め 発展に貢献している。 て全ゲノムが解読されたのがカイコです。 カイコは、人間の都合に合わせて長年にわたって改 2004 年にはこの研究所でカイコのゲノムをほぼ解 良されてきた生物で、いろいろな面から研究が重ねら 読していました。一方、マユの生産量が世界で最も多 れ、多くの蓄積があります。たとえば遺伝学で有名な い中国も、同じころカイコのゲノムを解読していたの メンデルの法則が発見されたのはエンドウマメですが、 ですが、双方、完全に解読したといえるには解析量が 動物でいち早くメンデルの法則が確認されたのはカイ 足りませんでした。そこで協力して解析を進めること コです。現在では遺伝学のモデルといえばショウジョ となり、2009 年にカイコの全ゲノムを高精度で解読 ウバエということになっています。しかしそれ以前、 することに成功したのです。 動物における遺伝学ではカイコが最も進んでいました。 一方、昆虫の中で最初に全ゲノム、 DNA の塩基配 木内 信 (きうち・まこと) 農学博士。独立行政法人農業 生物資源研究所昆虫科学研究 領域長。1978 年 4 月農林水 産省入省。1983 年まで、当 時松本にあった蚕糸試験場中 部支場で天蚕の飼育法の研究 に従事。その後、茨城県つく ば市の蚕糸試験場本場に移り、 主に、ホルモンによるカイコ の発育制御の研究に従事。組 織再編により、1988 年蚕糸・ 昆虫農業技術研究所、2001 年に独立行政法人農業生物資 源研究所と名称変更。2009 年 3 月日本蚕糸学会賞受賞。 (写真:佐藤佳穗) 2 それによりカイコのさまざまな遺伝子の働きを解明 する研究や有用物質生産に関する研究が飛躍的に進み ました。またカイコはガの仲間ですが、ガの幼虫であ る青虫、毛虫の中には農作物の大敵が多く、そうした 害虫の研究モデルになる点でも、カイコは非常に重要 な役割を果たしている昆虫です。 先述したメンデルの遺伝の法則は、1865 年にエン ドウマメを用いて発見され、1900 年に再発見された のですが、1906 年に、昆虫においてもメンデルの法 則が成立することを発見したのは、タイで養蚕技術の 指導にあたるため招聘されていた外山亀太郎博士です。 外山博士はまた、遺伝的に異なる性質を持つ両親の間 ■変異系統と連鎖地図 Linkage 1 0.0 1.6 2.0 3.0 os l-a Lm nm-s 2 0.0 3.0 9.1 9.9 10.0 10.5 14.0 0.0 p 2.2 Nps 6.5 rm S Gr mi gr-r Ge sch rw 21.5 22.8 3 nm-f 26.7 28.1 28.6 29.7 Ict-A nm-b Y oal 32.5 34.8 i-lem Rc 35.5 36.4 38.7 Set e 40.8 Bt 41.3 46.0 46.4 l-b Gre 49.6 od Ch1.2 Ch3 Pk Rt Sme 55.4 ro 10.8 l-m 13.6 pph 0.0 4 16.7 Pst 20.8 22.3 24.9 Ze ap Rg cf-e L nm-k l-w mal 26.8 28.4 30.1 sm mo-t 0.0 4.7 15.3 41.8 Vg lem 41.1 sk flc Ac ts Spc 48.4 pe otm 22.1 ows 31.7 re 35.8 37.9 wb al 40.8 tsg 0.0 6 0.0 sol ok 15.2 gap 49.0 5 Maps oc of 7 q 4.5 sm-3 7.0 9.0 Gb rt 21.0 21.1 22.5 24.1 E Nc M 28.6 29.1 29.7 30.0 32.2 34.7 lgn-1 b-2 ki mgr ve F 38.8 39.8 l-k Yr 42.6 V 0.0 Bombyx 8 2.8 4.2 st 0.0 obt 32.1 9 oj Amy-d Amy-hc 16.2 16.3 I nm-d 22.0 22.1 22.9 23.6 gn Ia bd og mori 10 0.0 dw-k 3.9 Dus 12.1 12.7 13.0 16.1 spr w-1 fl w-2 19.6 w-3 24.1 25.5 Dp Dp-2 Fl l-br 34.3 36.1 ip cal nm-is w-5 15 bl 11.4 Src-2 nm 25.4 27.0 27.4 28.8 30.9 31.1 32.7 33.4 36.1 K l-11 mod Bo Bu l-sg Np l-10 Bes 39.6 Lk 42.5 bp 0.0 12 2.6 4.3 5.5 7.2 9.5 l-n pnd-2 es ms C emi 21.8 Ng 26.3 oq 39.8 mf 45.0 rd ge l-sp sp-t 0.0 13 sm-2 3.6 b-t 9.6 ch 20.9 cf 27.9 nm-m mu-oal 40.4 0.0 14 wri 19.2 Nd-s 32.5 33.1 35.2 odk Seg Nl 40.5 U oa Di 42.2 43.2 bpw Fib-L les Pt-3 mp pnd mus pnd-M 16 0.0 lu 4.6 cts 0.0 17 Bm 0.0 18 6.2 14.7 ch-2 0.0 19 Pes Obs 0.0 20 6.2 Ws Se elp 16.1 19.2 oh 0.0 21 rb Lp 11.0 11.2 Df-t Pyl 15.2 ov 17.9 19.4 Gl 21.9 23.0 25.0 Dh Src 13.8 54.0 55.9 mst Ph B PhS 8.3 8.4 16.9 11 2.2 Rg-q Sek l-ne spli 0.0 0.0 b-4 vit cot cl 0.0 22 Rg-b 3.3 Ict-E 5.8 Ptth nsd-1 Sph Lan Sl-v 12.2 or 19.3 sku 0.0 23 Bph 6.9 8.6 tub Pfl 22.9 sp 0.0 24 Xan 0.0 17.6 of 25 Nd 0.0 26 so 27 28 oy cru sdi Fib-H nfad op 33.1 l-nl 42.7 oft 46.8 Str 29.7 Odc 32.8 ohi Gc hal nsd-Z Slg Cry1AB 30.1 31.1 ow Nid-1 36.4 bts 39.1 nm-g Ict-D nb 37.4 Alb mln 41.5 Suc-1 nsd-2 29.1 31.2 gon Adl 30.6 36.3 41.9 45.8 msn mw 28.5 cm San Amy-da l-19 l-mo ki-2 nm-i l-li Sel l-124 tyw Ym SILKWORM GENETICS DIVISION INST. GENETIC RESOURCES KYUSHU UNIVERSITY -2010- 連鎖地図:ナショナルバイオリソースプロジェクト (カイコ:九州大学)HP より に生まれたカイコが両親より優れた性質を持つこと (これを雑種強勢という) を発見しました。 (左) 幼虫の斑紋やマユの色、脱 皮の回数など、カイコが持つい ろいろな形質 (特徴) の元になる 遺伝子が、28 対の染色体のど れのどのあたりにあるかを調べ て図にした連鎖地図。この「地 図」を作るためには膨大な回数 の交配実験が必要となる。品種 改良を重ねられたカイコだから こそ得られたものであり、ゲノ ムの解析にもその蓄積が大いに 役立った。 (上) カイコの品種数 は数百以上といわれ、幼虫も斑 紋から大きさまで多種多様。 カイコは品種改良の必要性から、遺伝学的研究がと ても進みました。カイコは 28 対の染色体を持ってい 養蚕が始まったのは中国ですが、 その後、 日本やヨー ますが、どの染色体のどのあたりにどのような遺伝子 ロッパ、東南アジア、インドなど世界各地に広がり、 が載っているかということも調べられ、染色体地図と 中国種、ヨーロッパ種、日本種、熱帯種といった、そ いうものも作られました。1944 年には、幼虫の斑紋 れぞれの地域固有の品種群ができました。 を作る遺伝子を含む染色体の一部を放射線によって転 外山博士は、日本種と中国種が交配したカイコは、 座(染色体の一部を切断して他の染色体と結合させる 両親より丈夫で育てやすく、大きなマユを作ることを こと)させ、斑紋があるかないかで雌雄を区別できる 突き止め、一代雑種 (交配した第一世代) の利用を奨励 系統を り出すという、染色体工学のさきがけ的な研 しました。日本のマユ生産は、この一代雑種の利用に 究も行われています。カイコの全ゲノム解析が比較的 より飛躍的に向上しました。雑種強勢を利用した一代 簡単にできたのは、こうした遺伝学的研究の蓄積が豊 雑種は、今では非常に多くの農作物で利用されていま 富にあったからです。 すが、最初に実用的な利用が始まったのはカイコだっ カイコは 「絹を作るためだけに り出された虫」 です たのです。 から、 「どうやったら良い絹をたくさん作れるか」 とい 遺伝子組換えで大きく変化した利用法 う研究があらゆる角度から行われています。遺伝学だ けではなく、カイコの脱皮や変態のしくみ、栄養吸収 ―遺伝学的研究が進む中、カイコの遺伝子組換え の経路、絹の成分であるフィブロインという絹タンパ は、ショウジョウバエでの成功から 15 年を経てよう クの合成過程、フィブロインの性質の解明などといっ やく成功し、これが医学への実用的な貢献につながっ た研究が続けられています。中でも最近になって、遺 ていく。 伝子組換えが可能になって以降、カイコの利用法は大 3 きく変化しました。遺伝子組換え技術は、マウスなど ゾンを使って遺伝子組換えに成功しています。ところ で確立され、昆虫では 1982 年にショウジョウバエで がカイコでは p エレメントがうまく機能せず、ヨト 初めて成功しています。しかし、それ以外の昆虫では ウガの仲間が持っていたピギー・バック(piggyBac)と なかなか成功せず、カイコの遺伝子組換えは 2000 年 いうトランスポゾンを使うことで、ようやく組換えに になってようやくこの研究所で成功したのです。 成功しました。 昆虫の遺伝子組換えでは、遺伝子の運び屋としてト ランスポゾンという 「動く遺伝子」 を用います。遺伝子 標準タンパク質をカイコによって生産 は生物の設計図ですから、簡単に変わってしまっては もう一つ、カイコの遺伝子組換えで難しいことがあ 困るわけで、基本的に変わらないようにできているも りました。組み換える遺伝子を外から卵に注射する必 のですが、その中で特異なものがトランスポゾンです。 要があるのですが、マウスやショウジョウバエで使わ トランスポゾンは、染色体から自分自身を切り出し れている細いガラス針では、固い殻を持つカイコの卵 て別の場所に組み込む酵素を持っていて、染色体の中 にうまく注射できません。そこでタングステンの細い を動き回ることができる遺伝子です。その中に組み換 針でまず卵に穴を開けてからガラス針で注射するとい えたい遺伝子を組み込んで外から入れてやると、染色 う方法を編み出しました。こうしてようやくカイコの 体 DNA の紐を切ってその間に入り、遺伝子組換えが 遺伝子組換えに成功したのです。 起こるというわけです。ショウジョウバエの場合は、 できてみれば簡単な話ですが、そこに り着くまで もともと持っていた p エレメントというトランスポ には大変な苦労がありました。一度、針で穴を開けて、 ■遺伝子組換えカイコの作り方 そこにもう一度注射針を刺すというのは、手先がとて も器用でなくては難しく、当時、この作業ができるの は研究所に一人しかいませんでした。今はコンピュー ターで針をコントロールできるので、多くの者ができ るようになっています。 遺伝子組換えが成功してからまだ 10 年余ですが、 今では遺伝子組換えカイコが実際に産業利用されてい るというところまで技術的に進歩しています。 ―遺伝子組換えが成功したことによって、カイコ を利用してタンパク質などの有用物質を生産するとい う医学的な利用ができるようになった。さらに、カイ コをマウスのような実験動物の代わりに使うという試 みも始まった。 例えば、検査用の試薬や抗体の生産です。ヒトの血 液検査では、比較対象となる標準タンパク質が必要と なりますが、それを遺伝子組換えカイコによって生産 しているのです。この場合、カイコは、本来作るべき タンパク質に加えて、組換えで外から入れた遺伝子の 設計図を元に、人間が本来持っているタンパク質を作 るのです。 カイコがマユを作るために吐く糸は、フィブロイン カイコの遺伝子組換えには、ピギー・バックというトランスポゾンを 利用する。コンピュータ制御が可能になるまで、組換えの作業ができ る研究者は限られ、 「職人技」 が必要だった。 4 とセリシンという 2 種類のタンパク質でできています。 フィブロインが絹糸の本体です。セリシンはマユを作 Special Features 1 世界に誇る日本のカイコ るときに糸を付着させる糊の役目をする タンパク質でフィブロインのまわりを包 カイコの絹糸腺はタンパク質生産工場。部位によって作られるタンパク質が異なる。 ■カイコの絹糸腺 むような構造になっています。そして、 カイコはフィブロインだけでなくセリシ ンも大量に生産します。 セリシンやフィブロインが作られるの は、カイコの体内にある絹糸腺という組 織で、絹糸腺はいくつかの部分に分かれ ていて、セリシンはその中の中部糸腺と いう組織で作られます。 その部分で組換え遺伝子を発現させる ようにすると、中部糸腺で人間が持って いる酵素やインターフェロンが作られ、 それがセリシンと一緒に糸について出て くるのです。絹糸の本体であるフィブロ インは水に溶けませんが、一方、セリシンは水溶性で、 着性を良くするタンパク質が含まれるよう、カイコの マユから糸を引く時にも溶けて落ちますし、精練と 遺伝子を組み換え、その糸から包帯など傷を保護する いって絹糸や織物にする最終工程でもセリシンを落と 医薬用品を作るといったことも研究されています。タ す作業をしますので絹糸にはセリシンは付着せず、目 ンパク質由来の素材は、アレルギーを起こすことがあ 的とするタンパク質がセリシンとともに簡単に採れる りますが、絹は、昔から手術用の縫合糸に使われてい のです。 るように、人間の体に対して親和性があるようで、絹 遺伝子組換えでさまざまなタンパク質を作ること自 体は、 大腸菌や酵母、 さらに哺乳動物の培養細胞を使っ の粉末を利用した化粧品なども市販されています。 もう一つ、私たちカイコの研究者にとっても意外な て行われていますが、 では、 なぜカイコを使うのか─。 研究が進んでいます。カイコをヒトの病気の実験モデ 大腸菌や酵母といった単純な生物では、複雑な形をし ルとして利用し、医薬品を開発しようというのです。 たタンパク質や糖鎖を持ったタンパク質を作るのは困 カイコと哺乳動物では体の構造が大きく違っています 難です。一方、哺乳動物の培養細胞は、培養設備にコ し、代謝系にも違いがあります。ところが、意外なこ ストがかかり簡単に生産規模を変えることができませ とに病原菌に対する反応や病原菌を注射したときの抗 ん。ところがカイコは、複雑なタンパク質や糖鎖がつ 生物質による治療効果には共通性が高いことがわかっ いたタンパク質も作れるし、大量生産を目的に改良さ てきました。また、カイコに大量のブドウ糖を与える れている虫なので、比較的簡単な設備でいくらでも増 と血液の血糖値が上がりますが、インシュリンを注射 やすことができ、便利なのです。 すると血糖値が下がる、つまり治療できることもわ 絹糸を使った人工血管の開発 かったのです。試験管での実験と哺乳動物を使った実 この他、企業と共同で医薬品として使えるタンパク 験の間をつなぐ実験動物として、カイコが重要な役割 を果たすようになるかもしれません。 質生産の研究や、絹糸を使った人工血管の製造なども ―もちろん医学的な利用だけでなく、蛍光色の絹 行っています。フィブロインから絹タンパク由来のゲ 糸の開発など、本来の目的である絹の生産においても ルやスポンジのようなものを開発していますが、これ 研究成果を上げている。 は人間の軟骨細胞などを培養して軟骨を再生するなど 遺伝子組換えカイコの研究は、もともと中国などに の利用が考えられますし、フィブロインの中に細胞接 押されて国産の絹糸に競争力がなくなってきた 1970 5 Special Features 1 年代終わりごろから、付加価値のある絹糸の生産を目 的に行われるようになりました。例えばクモの糸の性 利用する研究も進んでいます。 ただ、これらが実用化されるまでには、越えなくて 質を持った絹糸や、普通のカイコにない野蚕(カイコ はならないハードルがあります。 以外の野生のマユを作る昆虫)の繭糸の性質を取り入 カイコは高度に家畜化された生物 れた糸を作ることなどです。蛍光色の絹糸は、当初、 組換えの研究の過程で、組換えが起きたかどうかを確 蛍光絹糸を使ってみたいという需要は少なくありま 認するためのマーカーとして緑色蛍光タンパク質 せん。しかし残念ながら現在は、需要に応えられる状 ( GFP)を使っていたものですが、遺伝子組換えが成 況ではありません。遺伝子組換えをした生物の利用に 功してみたら、きれいな緑色に光るマユができたので、 法的な規制があるからです。2000 年 1 月に遺伝子組 製品にしたというわけです。これが、ファッションデ 換え生物の使用による生物多様性への悪影響を防止す ザイナー、桂由美さんの目に留まって、その糸を使っ ることを目的とした「生物の多様性に関する条約のバ たウェディングドレスが制作されました。GFP だけ イオセーフティに関するカルタヘナ議定書」が国連で でなく、オレンジや赤、緑といった蛍光タンパク質の 採択され、これに基づいて日本では、 「遺伝子組換え 遺伝子を入れたものも作りました。 生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関 またクモの糸の性質を持った絹糸を作る研究も行わ する法律(カルタヘナ法) 」が成立、公布されました。 れています。クモは一匹で何種類もの糸を作りますが、 そこでは遺伝子組換え生物の飼育について、 「一種使 自分がぶらさがる牽引糸は非常に強いことが知られて 用等」 「二種使用等」 という使用区分があり、使用が規 います。カイコにクモの糸の遺伝子を入れると、カイ 制されています。 コのフィブロインの中にクモのフィブロインが混ざっ 「二種使用等」は、生物が外に出て行かない環境で閉 た状態で出てきます。クモのフィブロインはアミノ酸 じ込めて飼育するもので、特にカイコの場合、元々動 の組成がカイコとは違いますから、糸の性質もカイコ かない昆虫ですから、研究所の中で閉じ込めて飼うの とは異なります。クモの糸の強さと、絹のような滑ら は比較的簡単なことです。ところが洋服を作れるほど かさを持った糸というわけです。他にも、水の中で糸 の絹糸を作るには、何十万というカイコを飼育する必 を吐いて巣を作るトビケラという昆虫の糸の遺伝子を 要があり、実験室ではできません。つまり、ある程度 ■カイコの中部糸腺での緑色蛍光タンパク質(GFP)の発現 の量を供給するには養蚕農家が飼育する必要があるの ですが、それは 「環境への拡散を防止しないで行う」 と いう「一種使用等」で飼育することになります。 「一種 使用等」で飼育するには、農林水産省に環境への影響 などを申請し、承認を得なくてはなりません。そのた め今のところ養蚕農家が簡単に遺伝子組換え生物を使 うのは難しいのです。 遺伝子組換え生物の 「一種使用等」 をする場合には、 (左上) 普通の光を当 てた絹糸腺。 (右上) 蛍光を当てると蛍光 タンパク質が発現し ている中部糸腺だけ が緑色に光る。 (右) 中部糸腺を水に溶か すと蛍光タンパク質 が簡単に精製できる。 6 蛍光絹糸。紫外線の下で光 を放つ。需要は高く、実用 化に向けて環境整備が求め られている。 (写真:佐藤佳穗) Special Features 1 世界に誇る日本のカイコ その遺伝子組換え生物が生物多様性に与える影響 を前もって評価しておくことが必要です。そこで、 遺伝子組換えカイコの環境 (生物多様性) への影響 についても研究が進んでいます。カイコの先祖は 中国に生息しているクワコという昆虫ですが、ク ワコは日本でも沖縄地方を除く全国にいます。カ イコとクワコは、元は同じ種ですから交配して子 孫ができます。カイコが日本に入ってきたのは 2000 年も前ですから、どこにでもいるクワコと 交配があった可能性はあります。そこで過去にカ イコがクワコと交配し、カイコの遺伝子が入った クワコがいるかどうか調査を行いました。3、4 年ほどかけて日本各地からクワコを集めて数千頭 のクワコを調べましたが、カイコの遺伝子は見つ かっていません。つまりカイコが外に出て行って クワコと交配し、子孫を残した可能性は極めて低 いということになります。遺伝子組換えカイコといっ 出すことは厳しく止められていました。それにもかか ても、組み換えた遺伝子以外の性質は元のカイコと同 わらず、養蚕は、世界中に広がりました。それについ じなので、これまでと同様の飼い方でも、外に出て環 ては、西方に嫁ぐお姫様が帽子に隠してカイコを持ち 境に影響を与えることはないのではないか、と考えて 出して広まったとか、お坊さんが杖の中に卵を隠して います。 持って行き、ヨーロッパに広めたとか、さまざまな伝 「軍艦は絹を売ったお金で買った」 説があるほどです。いずれにせよ、いろいろなルート を通って世界中に広まりました。 ―カイコの成り立ちに目を向ければ、 「家蚕」 「養 日本の歴史においては、カイコ=絹を作る虫が、明 い子」 という字があてられるように、 野生のものはまっ 治維新後の経済発展に大きく寄与したことはよく知ら たくいない。そのカイコは、歴史的に日本の経済を支 れた話です。明治維新で開国をした日本にとって、外 え、現代においては医学の発展に貢献し、また新しい 貨を獲得する重要な輸出産品であった絹 (生糸) は、そ 産業となるべくさまざまな絹を吐くカイコが作られる。 の後、貿易額の数分の一という、非常に大きな割合を カイコの祖先種であるクワコは、中国にも日本にも 占めていきます。 「日露戦争の軍艦は絹を売ったお金 いますが、カイコの元になったのは中国のクワコだと で買った」といわれているほどですが、当初は、糸の いうことが分かっています。野外にいたクワコはクワ 品質が安定しない、太さが わないなど、生糸の規格 の葉を食べて、木の上で貧弱なマユを作っていました。 が定まらず、質も良くありませんでした。そこで良い そして少なくとも 5000 年以上前から、人間はそのマ カイコを育てて良いマユを作る、そして良い糸を作る ユから繊維をとって使っていたのです。最初は野外か ことが必須となり、国を挙げてカイコの研究を開始し、 らマユを集めて糸を作っていただけですが、そのうち 種製造所で品種の管理をするという体制が作られたの クワコを集めて飼うようになりました。それが今のカ です。 イコの先祖です。 こうした国の産業発展の必要性から行われたカイコ その後、中国では養蚕が盛んになり国内で生産され の品種改良や飼育法に関する研究を背景に、カイコの た絹糸はシルクロードを通ってヨーロッパに輸出され 研究は遺伝学や生理・生化学等に貢献し、それが、現 るようになりましたが、カイコを中国から国外に持ち 代のバイオテクノロジーにつながっていくのです。 (図版・写真提供:独立行政法人農業生物資源研究所) 7