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データ編 - 内閣府経済社会総合研究所

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データ編 - 内閣府経済社会総合研究所
データ編
目
次
データ編
人口について
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
人口の移動について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
医療・健康について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
暮らし(貧困)について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
農業について
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
災害について
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
干拓と埋め立てについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
子どもの描く将来像について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23
日本の全体像を包括的に捉える各種データ集・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
現在のイノベーションを促進する取組について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26
1
人口
1-1
総人口及び高齢化率の推移
日本の人口は 2010 年(12,806 万人)以降減少。高齢化率は増加し、2010 年は、23.0 であ
ったが、2030 年には 31.6 になると推定されている。
(千人)
2010 年
2030 年
12,806 万人
11,662 万人
高齢化率 23.0
高齢化率 31.6
2020 年
12,410 万人
高齢化率 29.1
(年)
図1.総人口の推移
注)国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口』
(平成 24 年1月推計)出生中位(死
亡中位)推計より作成。
1-2
年齢3区分別人口規模の推移
年少人口(0~14 歳)は 1980 年代初めの 2,700 万人規模から 2010 年国勢調査の 1,684 万
人まで減少。2015 年に 1,500 万人台へとさらに減少。生産年齢人口(15~64 歳)は戦後一貫
して増加を続け、1995 年には、8,717 万人に達したが、その後減少。2030 年には 6,773 万人
になると推定。一方、老年人口(65 歳以上)は団塊の世代が参入を始める 2012 年に 3,000 万
人を上回り、2030 年には 3,685 万人となると推定されている。
1
(千人)
生産年齢人口
老年人口
年少人口
(年)
図2.年齢3区分別人口規模の推移
注)国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口』
(平成 24 年1月推計)出生中位(死
亡中位)推計より作成。
1-3
後期老年人口の推移
後期老年人口(75 歳以上)は今後も上昇する傾向にあり、2023 年には 2,000 万人を超える
と推定されている。
(千人)
(年)
図3.後期老年人口の推移
注)国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口』
(平成 24 年1月推計)出生中位(死
亡中位)推計より作成。
2
1-4
出生率
1950 年には 3.65 であった合計特殊出生率は減少傾向にあり、1975 年からは 2 を下回る値で
ある。
1966 年(丙午)
(年)
図4.合計特殊出生率の推移
注)厚生労働省平成 22 年度人口動態調査及び国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計
人口』(平成 24 年1月推計)出生中位(死亡中位)推計より作成。
1-5
地域ブッロク別の人口の推移
全国人口に占める南関東ブロック(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)のシェアは今後も
緩やかに上昇を続けると推定されている。一方、その他の地域ブロックの占める割合は横ばい
ないしは減少となる。東京都の人口シェアは 2005 年の 9.8%から 2030 年には 11.2%に増加す
る。
(%)
表1.全国人口に占める地域ブロック別人口の割合
ブロック
北海道
東北
関東
北関東
南関東
北陸
中部
近畿
中国
四国
九州・沖縄
特掲 東京都
平成17年
(2005)
4.4
9.4
33.2
6.2
27.0
2.4
13.5
16.4
6.0
3.2
11.5
9.8
平成22年
(2010)
4.3
9.2
33.7
6.1
27.6
2.4
13.5
16.3
5.9
3.1
11.4
10.1
平成27年
(2015)
4.3
9.0
34.2
6.1
28.1
2.4
13.6
16.2
5.9
3.1
11.4
10.4
3
平成32年
(2020)
4.2
8.9
34.6
6.1
28.5
2.3
13.7
16.2
5.8
3.0
11.3
10.7
平成37年
(2025)
4.1
8.7
35.0
6.1
29.0
2.3
13.7
16.1
5.7
2.9
11.3
10.9
平成42年
(2030)
4.1
8.6
35.4
6.0
29.4
2.3
13.8
16.0
5.7
2.9
11.3
11.2
参考:国立社会保障・人口問題研究所『日本の都道府県別将来推計人口』(平成 19 年5月推計)
http://www.ipss.go.jp/pp-fuken/j/fuken2007/t-page.asp
1-6
都道府県別老年人口及び後期老年人口の推移
2030 年の段階で老年人口数が多いのは、東京都(361 万人)、神奈川県(254 万人)、大阪府
(240 万人)
、埼玉県(205 万人)
、愛知県(198 万人)など大都市圏に属する都府県である。
また増加率でみると、2005 年から 2030 年にかけて老年人口が 50%以上の増加になるのは、埼
玉県(76%)
、沖縄県(71%)、千葉県(71%)、神奈川県(71%)、愛知県(58%)、滋賀県(56%)、
東京都(55%)である。2030 年に老年人口の割合が一番高いのは秋田県であり、40.1%とな
ると推定されている。
後期老年人口は 2030 年まで全都道府県で増加する。2005 年から 2030 年にかけて老年人口
が 150%以上の増加になるのは、埼玉県、千葉県、神奈川県であり、そのほか、茨城県、東京
都、愛知県、滋賀県、大阪府、兵庫県、奈良県、沖縄県については 100%以上の増加となる。
参考:国立社会保障・人口問題研究所『日本の都道府県別将来推計人口』(平成 19 年5月推計)
http://www.ipss.go.jp/pp-fuken/j/fuken2007/t-page.asp
1-7
家族類型別一般世帯数の推移
今後増加するのは「単独世帯」であり、2005 年は 14,457 世帯(全世帯の 29.5%)であった
が、2030 年には 18,237 世帯(全世帯の 37.4%)となる。
参考:国立社会保障・人口問題研究所『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』
(平成 20 年3月
推計)
http://www.ipss.go.jp/pp-ajsetai/j/HPRJ2008/t-page.asp
1-8
平均世帯人員の将来推計
2005 年には 2.56 人であった平均世帯人員は今後も縮小が続き、2030 年には 2.27 人まで縮
小する。ただし、変化の速度は次第に緩やかになる。東京都の平均世帯人員は最少であり、2030
年には東京都の平均世帯人員は2人を下回り、1.97 人となると予想されている。
参考:国立社会保障・人口問題研究所『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』
(平成 20 年3月
推計)
http://www.ipss.go.jp/pp-ajsetai/j/HPRJ2008/t-page.asp
国立社会保障・人口問題研究所『日本の世帯数の将来推計(都道府県別推計)』(平成 21
年 12 月推計)
http://www.ipss.go.jp/pp-pjsetai/j/hpjp2009/t-page.asp
4
1-9 世帯主が 65 歳以上及び 75 歳以上の世帯
世帯主が 65 歳以上の世帯は、2005 年の 1,355 万世帯から 2030 年の 1,903 万世帯まで増加
する。家族類型別では、
「単独世帯」の割合が増える。また、世帯主が 75 歳以上の「単独世帯」
は、2005 年の 197 万世帯から 2030 年の 429 万世帯まで増加する。
参考:国立社会保障・人口問題研究所『日本の世帯数の将来推計(全国推計)』
(平
成 20 年3月推計)
http://www.ipss.go.jp/pp-ajsetai/j/HPRJ2008/t-page.asp
2
人口の移動
・平成 23 年における岩手県、宮城県及び福島県の転出超過数の合計は4万 1226 人となり、4万
人を上回るのは昭和 45 年以来 41 年ぶり。転出超過数は前年に比べて、宮城県(転出超過数:
6402 人)及び福島県(転出超過数:3万 1381 人)は大幅な増加となり、岩手県のみ減少。宮
城県は、年齢5歳階級別にみると、全ての区分が転出超過となり、なかでも、20~24 歳の転
出超過数は、前年に比べて 1466 人の大幅な増加となっている。福島県も、年齢5歳階級別に
みると、全ての区分で転出超過となり、なかでも、0~14 歳の3区分の合計は 9040 人の転出
超過となり、前年に比べて 8826 人の大幅な増加となっている。また、0~14 歳の親世代の中
心となる 25~44 歳の4区分の合計は1万 1142 万人の転出超過となり、前年に比べて1万 491
人の増加となっている。
参考:総務省統計局
「住民基本台帳人口移動報告
平成 23 年結果
城県及び福島県の人口移動の状況-」
http://www.stat.go.jp/info/shinsai/pdf/1gaiyou.pdf
5
-全国結果と岩手県、宮
3
医療・健康
3-1
傷病別の医療機関にかかっている患者数の年次推移
2008 年の患者調査において、精神疾患の患者数は 323 万人であり、医療計画に記載すべき
とされている、他の4疾病(がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病)の患者数と比較して最大
となっている。
(万人)
(年)
図5.傷病別の医療機関にかかっている患者数の年次推移
注)厚生労働省が実施している患者調査を基に作成。
注)地域医療の基本方針となる医療計画に盛り込むべき疾病として、新たに精神疾患を加えるこ
とを 2011 年に厚生労働省が決定。
注)認知症患者数は血管性及び詳細不明の認知症及びアルツハイマー病の患者数の合計
3-2
認知症高齢者数の見通し
認知症高齢者数は、平成 14(2002)年は約 150 万人であったが、2025 年には約 320 万人、
2030 年には約 350 万人になると推計されている。
参考:厚生労働省 第1回介護施設等の在り方委員会配布資料(平成 18 年9月)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/09/dl/s0927-8e.pdf
6
3-3
平均寿命の推移等
平均寿命は今後も男女ともに緩やかに伸びていき、2010 年は 79.64 歳(男)、86.39 歳(女)
であったが、2020 年には 80.93 歳(男)、87.65 歳(女)となり、2030 年には 81.95 歳(男)、
88.68 歳(女)となると推定されている。
65 歳になってから、介護等を受けずに生活できる自立期間の平均は、男性が 16.66 年(平
均余命に対する割合は 92.0%)、女性が 20.13 年(平均余命に対する割合は 86.9%)であり、
平均して男性は 1.44 年、女性は 3.03 年介護等を受けているという試算値(2005 年時点)が
ある。
参考:国立社会保障・人口問題研究所『日本の将来推計人口』(平成 24 年1月推計)
http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/newest04/sH2401r.html
健康寿命の地域指標算定の標準化に関する研究班「平均自立期間の算定方法の指針」(平
成 20 年3月)
http://plaza.umin.ac.jp/phnet/kjheikinjiritu1.pdf
3-4
男女の老化の差異
全国の住民基本台帳から無作為に抽出された約 6000 人の高齢者(60 歳以上)の生活を追っ
た調査(1987 年から 20 数年にわたる継続調査)によると、男性では、2割が 70 歳になる前
に健康を損ねて死亡するか、重度の解除が必要になり、80 歳、90 歳まで自立を維持する人が
1割、大多数の7割は 75 歳ごろから徐々に自立度が落ちていくという結果が出た。女性では、
9割の人が 70 代半ばから緩やかに衰えていく傾向がある[1]。
また、男性は脳卒中など疾病によって急速に動けなくなったり、死亡したりする人が多いが、
女性は主に骨や筋力の衰えによる運動機能の低下により、自立度が徐々に落ちていく傾向があ
る[1]。
3-5
健康寿命
65 歳時点での無障害平均余命は、1989 年から 2001 年にかけて、平均余命の伸びに見合った
伸長をしめしており、男性は 11.21 年から 13.04 年(89 年と比べて 1.83 年の増)に、女性は
13.49 年から 16.10 年(89 年と比べて 2.52 年の増)となっている。2004 年には 2001 年と比
較して男女ともにやや減少しているものの(男性が 12.64 年、女性が 15.63 年)
、1989 年から
総じて増加傾向にあり、健康でいられる期間は伸びている。
注)無障害平均余命とは、「健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」との問に対し、
「ない」とされる者を「無障害者」とし、通常の平均余命の考え方に則って、無障害である期
間の平均を試算したものである。
参考:内閣府 国民生活白書(平成 18 年版)
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h18/10_pdf/01_honpen/pdf/06ksha0301.
pdf
7
参考文献
[1]秋山弘子, “長寿時代の科学と社会の構想”, 科学,80(1):59-64, 2010
4
暮らし(貧困)
4-1
貧困の定義
日本国憲法は、
「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
(憲
法第二五条)とうたっており、国は最低限度の生活を保障するための制度や政策を立案してい
かなくてはならない。しかし、この健康で文化的な最低限度の生活の基準が憲法上明記されて
おらず、貧困の定義もあいまいであるのが現実である。生活困窮者に対し、生活費、医療費、
住宅費などの給付を行う生活保護法において、最低生活水準は厚生労働大臣の裁量によって決
定されることとなっており、現行では、最低基準は、一般国民の消費水準の約 60%になるよ
うに設定されている慣行があるものの、国民の理解と合意に基づくものとは言い難い。
貧困には、「絶対的貧困」と「相対的貧困」という二つの概念がある。前者は、生存を脅か
すレベルの貧困である。一方、後者は、その人が生活する社会において、一般の人が享受して
いる生活(衣食住だけでなく、他者との交流、就労等も含む)ができないことを指す。日本を
含め、先進国の多くは、後者の貧困の概念を用いているが、明確な定義付けはなされていない
ことが多い。生活困窮者に対し、国は保護をする義務がある以上、生活の最低限度の水準を具
体化することは必須であり、日本で生活する上で、最低限保障されなければならいない生活と
は何か今一度問い直し、具体化する作業が必要ではないか。
参考:阿部彩著『弱者の居場所がない社会
貧困・格差と社会的包摂』講談社現代新書、2011
年
4-2
貧困率
平成 21 年の貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)は 112 万円(実質値)となっており、
「相対的貧困率」
(貧困線に満たない世帯員の割合)は 16.0%となっている。これまでの全体
の「相対的貧困率」の推移をみると穏やかではあるが上昇傾向となっている。
「子どもの貧困
率」(17 歳以下)は 15.7%となっている。
「子どもがいる現役世帯」(世帯主が 18 歳以上 65 歳未満で子どもがいる世帯)の世帯員に
関しては、貧困率は 14.6%となっており、そのうち「大人が一人」の世帯員では 50.8%と半
分以上の世帯が貧困であり、「大人が二人以上」の世帯員では 12.7%となっている。「大人が
一人」の子どもがいる現役員に関しては、貧困率は平成 12 年より減少傾向にあるものの、依
然として非常に高い水準になっている。
参考:厚生労働省 「平成 22 年国民生活基礎調査の概況」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/2-7.html
8
4-3
経済的理由で食料が買えなかった経験をもつ世帯の割合
国立社会保障・人口問題研究所が平成 19 年に実施した調査によると、
「過去1年間に経済的
な理由で家族が必要とする食料が買えなかったことがありますか」という質問に対して、「よ
くあった」という世帯は 2.5%、
「ときどきあった」は、4.5%、
「まれにあった」は 8.6%であ
り、計 15.6%の世帯が、食費が足りなかった経験をしている。
参考:国立社会保障・人口問題研究所
「社会保障実態調査」
http://www.ipss.go.jp/ss-seikatsu/j/jittai2007/janda/jittai2007.pdf
(本調査は全国から抽出された約1万6千世帯を対象に行っており、回収票数は1万世帯
を超える。)
4-4
ホームレス数
都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる
者、つまりホームレスの数は近年減少傾向にあるものの、平成 23 年の調査では1万人を超え
ている。
参考:厚生労働省 「ホームレスの実態に関する全国調査[概数調査]」
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000191qr.html
5
農業
5-1
農業就業者の動向
農業就業人口は、平成 22(2010)年には 261 万人となり、平成 12(2000)年と比べ 33%、
平成 17(2005)年と比べ 22%減少しており、総じて減少している。この減少の要因は、高齢
化による離農のほか、小規模農家の農業者が集落営農組織に参加したことが主な要因と考えら
れている。
また、平成 22(2010)年における農業就業人口については、その平均年齢は 65.8 歳となり、
65 歳以上の者の割合が6割、75 歳以上の者の割合が3割になるなど、高齢化が進行している。
一方、平成 21(2009)年の新規就農者は6万7千人となり、前年と比べ7千人程度増加し
た。これは 60 歳以上の農家子弟(農家出身者)による自営農業への就農が6千人増加したこ
とによるものである。他方、39 歳以下の就農は1万5千人と近年横ばいで推移している。
参考:農林水産省 「平成 22 年度 食料・農業・農村白書」
http://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/h22/zenbun.html
9
6
災害
6-1昭和 20 年以降の我が国の主な自然災害の状況
表2.昭和 20 年以降の我が国の主な自然災害の状況
出典:平成 23 年版 防災白書
http://www.bousai.go.jp/hakusho/h23/bousai2011/html/honbun/2b_sanko_siryo_04.htm
10
6-2
自然災害による死者・行方不明者数
昭和 34 年の伊勢湾台風は 5000 人以上の死者・行方不明者を出し、2.3 兆円(平成 12 年価格)
という被害を発生させた[1]。甚大な被害をもたらした伊勢湾台風は日本の防災行政の基本とな
る災害対策基本法制定の契機となった。伊勢湾台風による水害は「稀にしか発生しないが、計画
規模を超える外力が堤防を破壊し、大規模な洪水氾濫を発生させ、それが被害ポテンシャルの大
きな都市を襲い、巨大な経済被害や社会の混乱などをもたらすタイプの水害」とされている[1]。
治水整備の進展により水害は減ってはいるものの、沖積低地は人口が集中している地域であるこ
とが多いため、このような低頻度大規模水害に対し、土地利用規制や防災意識の向上等の被害軽
減策を講じることが求められる。
伊勢湾台風以降、自然災害による死者数は比較的少数であったが、平成7年の阪神・淡路大震
災、平成 23 年の東日本大震災では、多数の死者が出ている。
図6.自然災害による死者・行方不明者数
出典:平成 23 年版 防災白書
http://www.bousai.go.jp/hakusho/h23/bousai2011/html/zu/zu010.htm
11
6-3
我が国の主な地震被害(明治以降)
明治以降、5000 名以上の死者を出した地震は、明治 24 年の濃尾地震(7,273 名)、明治 29 年
の明治三陸地震津波(約 22,000 名)、大正 12 年の関東大震災(約 105,000 名)、平成7年の兵
庫県南部地震(6,437 名)、及び平成 23 年の東日本大震災(15,270 名)となっている。
表3.我が国の主な地震被害
出典:平成 23 年版 防災白書
http://www.bousai.go.jp/hakusho/h23/bousai2011/html/hyo/hyo014.htm
12
6-4
震度6以上の地震が今後発生する確率
今後30年以内に震度6弱以上の地震が発生する確率は、南関東地震は70%、東海地震は8
8%、南海地震は70%と極めて高い確率となっている。
表4.震度6以上の地震が今後発生する確率
地震発生地域
地震発生確率(30年以内)
択捉島沖
60%~70%
色丹島沖
50%程度
根室沖
50%程度
十勝沖(ひとまわり小さいプレート間
80%程度
地震)
三陸沖北部
90%程度
宮城県沖
60%程度
茨城県沖(繰り返し発生するプレート
90%以上もしくはそれ以上
間地震)
南関東のM7程度の地震(大正型関東
70%程度
地震、元禄型関東地震を除く)
想定東海
88%
東南海
70%程度
南海
60%程度
(出典:地震調査研究推進本部「全国地震動予測地図」(平成 24 年1月 11 日公表))
被害想定に関しては、見直されているところであるが、平成 15 年に公表された「東海、東南
海、南海地震」被害想定では、3つの震源域が同時に破壊される場合、建物全壊が約 90 万棟、
死者約2万5千人に及び、経済的被害も最大 81 兆円にのぼるとされている。また、東京湾北部
地震の想定被害(中央防災会議公表)は、最悪のシナリオの場合、死者約1万 1 千人、建物の全
壊及び火災焼失は約 85 万棟、経済被害は約 112 兆円と推定されている。
参考:中央防災会議
「東南海、南海地震等に関する専門調査会」(第 14 回)
東南海、南海地震の被害想定について
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/nankai/14/siryou2.pdf
中央防災会議
「首都直下地震の被害想定(概要)」
http://www.bousai.go.jp/syuto_higaisoutei/pdf/higai_gaiyou.pdf
6-5
危険物施設(注)における火災及び流出事故発生件数の推移
危険物施設における火災及び流出事故件数は、平成6年(1994 年)から増加傾向にある。平
成 20 年より2年間、件数は減少したもの、平成 22 年は増加している。
13
平成7年の阪神・淡路大震災により発生した危険物施設における流出事故は 163 件であり、全
発生件数の約3割を占めている。
図7.危険物施設(注)における火災及び流出事故発生件数の推移
出典:平成 23 年度版 消防白書
http://www.fdma.go.jp/html/hakusho/h23/h23/html/2-1-2a-0.html
(注)危険物施設について
消防法で指定された数量以上の危険物を貯蔵し、または取り扱う施設として、市町村長等の許
可を受けた施設で、製造所(化学プラント、製油所等)、貯蔵所及び取扱所の3つに区分されて
いる。平成 23 年3月 31 日時点での危険物施設の総数は 45 万 5829 施設となっている。施設区分
別にみると、地下タンク貯蔵所が全体の約 22%と最も多い。
6-6
原子力発電所における事故
平成 11 年9月 30 日、東海村JCO核燃料加工施設臨界事故により、3名の作業が大量の放射
線の被ばくを受け、その後、2名が亡くなった。
平成 13 年 11 月には、中部電力浜岡原子力発電所1号機において、余熱除去系の配管破断事故
が発生。さらに、平成 16 年8月には、関西電力美浜発電所3号機において、不適切な配管の管
理による減肉現象により、2次系配管の破損事故が発生し、5名の人命が失われた。
昨年3月 11 日の東日本大震災においては、東京電力福島第一原子力発電所の1号機から4号
機では、電源の喪失、それに伴う冷却機能の喪失、燃料棒の露出・温度上昇、水素爆発等の異常
が発生し、周囲の大気及び海域に放射性物質が放出される事態となった。
14
6-7
災害の形態の変化
国及び地方公共団体による防災対策や防災技術の活用により、災害による被害の軽減が図ら
れているものの、地震、津波といった人命を脅かす自然災害や、自然(Na)災害から引き起こさ
れる技術(Tech)災害である Natech(注)災害に対し、国及び地方自治体が対策を講じてきたものの、
未だ十分とは言えない。
Natech 災害の事例として、昨年3月 11 日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電
所事故及び千葉港や仙台港でのコンビナート火災、平成 15 年9月 26 日に発生した十勝沖地震に
よる原油タンクからの火災、平成7年1月17日の阪神・淡路大震災により、液化プロパンガス
の配管系が破損してプロパンガスが大量に漏れ出した事例等が挙げられる。10 年以上過去にさ
かのぼると、昭和 39 年の新潟地震により、製油所のタンクから出火し、2週間近くにわたって
燃え続けた事例や、昭和 53 年の宮城県沖地震による重油タンク破損により大量の重油が流出し
た事例がある。
大都市圏の湾岸部には高度成長期に多くの石油化学コンビナートが建設されてきた。このコン
ビナート地区で地震による液状化や側方流動が原因となって大災害が起こる可能性は否定でき
ない。大型タンクの火災、タンクの破損による重油・原油などの危険物と高圧ガス等の流出とい
った事故が想定される[2,3]。石油化学コンビナート地区の安全確保に関しては、中央防災会
議の首都直下地震対策専門調査会による報告[4]及び東京都の東京都防災対応指針[5]内にも
記載がある。しかし、例えば、タンク破損により流出した重油・原油の発火による大規模な海上
火災により、救援物資等の海上輸送が困難になるなど大震災が起きた際の対応方針に影響が生じ
る可能性がある事象に対し十分な検討がされているかに関しては疑問が残る。地震時の海域の安
全性等、防災対策において死角となっている領域はないか、再度検討することが必要ではないか。
災害の形態の変化に関して、もう一つ考慮に入れておくべき点は、都市災害である。都市災害
とは、災害の原因は何であれ、その被害の拡大が人口・諸施設・経済活動など、都市の諸構成要
素が複雑に関連しあっていることによってもたらされ、二次災害、三次災害を引き起こすものと
定義されている[6]。都市は、中枢管理機能があり、ヒト、モノ、情報及び様々なライフライン
が集積している場所である。ひとたび都市に大きな災害が生じると、特にライフラインは、機能
相互間に連鎖性があるため、一つのシステムの破壊が他のシステムの機能に波及することも多く
(例:電力の供給停止による列車の運行停止)、普及には時間を要する。都市における業務活動
や生活様式は、都市サービスへの依存度が高く、長時間にわたって都市が機能障害になる可能性
が高い[6]。また、都市特有の特徴として、地域社会における人間関係の希薄さが挙げられる。
都市では、多様なサービスが提供されているため、地域の人と関わることなく生活を送ることも
可能である反面、災害が起こった際には、隣に住む人が誰であるかも分からないような脆弱な地
域コミュニティーにおいては、身近に住んでいる人からの助けを期待することは難しい。都市災
害の対策を講じる際には、地理的側面(地盤の状態といった自然条件、人口密集地の近くに立地
している工場等からの二次的な技術災害等)だけでなく、市民の生活様式(朝、昼、夜といった
時間軸にも含意)、都市構造(地域コミュニティーの脆弱さ等)といった社会的条件を十分に考
慮することが肝要である。
(注)自然災害から引き起こされる技術災害は、Natech 災害と呼ばれている。
15
6-8 関東大震災[6,7]
前項において、ライフラインの普及に時間を要することに言及したが、関東大震災においては、
震災による被害が軽く火災も免れた東京の山の手地区では地震後4日目から一部で電灯が復旧
したが、電力需要が地震前の 50%に回復するまでに約 40 日間を要し、本来の状態に戻ったのは
約4か月後であった[6]。中央防災会議の首都直下地震対策専門調査会の報告[4]によると、ラ
イフライン・情報インフラの普及には、電力は6日間、通信(一般回線)は2週間程度を要する
とされており、大震災が都市インフラに与える影響は大きい。
災害発生時には、様々な情報が流れるため、人々が混乱に陥ることが多々ある。関東大震災の
際にも、流言により、朝鮮人虐殺が発生した。また、食料の配給の際に群衆が殺到し負傷者がで
たり、暴動、略奪も生じたりしている。予期しない事態が発生し、一被災者となると、不安が先
に立ち、情報に対して批判的な検討をすることが困難であり、適切な判断をすることが困難にな
る。特に人が集まる場所において災害時に混乱が生じないように、被災者心理を考慮に入れた対
策を講じることが求められる。
6-9 災害リスクが高い地域における 65 歳以上の高齢者世帯の割合
土砂災害危険個所、洪水リスクが高い箇所、及び地震災害リスクが高い箇所における高齢者世
帯数が増加する傾向にある。災害弱者である高齢者が、災害リスクの高い地域に多く住んでいる
現状が見て取れる。今般の東日本大震災においても、高齢者及び高齢者が入居している福祉施設
の職員が多く犠牲になっている。高齢者を含め災害弱者が優先的に災害リスクの低い地域に居住
できるようにしていく必要がある。
図8.災害リスクが高い地域における 65 歳以上高齢者世帯の割合
16
出典:「国土の長期展望」中間とりまとめ≪図表≫
国土審議会政策部会長期展望委員会(平成
23 年2月 21 日)
http://www.mlit.go.jp/common/000135838.pdf
参考文献
[1] Sato T, et al, “Toward Resilient Society to Low Frequency but High Consequences Type
Flood Disaster Risk - Contemporary Issues from the 1959 Typhoon Isewan Disasters -, 防
災科学技術研究所研究報告,75:51-68, 2009
[2]文藝春秋編『日本の論点』文藝春秋、2012
[3]早稲田大学 東日本大震災復興支援室ウェッブサイト オピニオン 臨海コンビナートの
危険性と耐震対策-首都圏直下地震における防災の盲点
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol-fukkou/opinion/110530.htm
[4]中央防災会議 「首都直下地震対策専門調査会」 首都直下地震対策専門調査会報告
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/shutochokka/houkoku.pdf
[5]東京都 「東京都防災対応指針」平成 23 年 11 月
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/japanese/tmg/pdf/231125bousaitaiouhonsatu.pdf
[6]災害研究プロジェクト編『近代日本の災害-明治・大正・昭和の自然災害-』テクノバ、1993
[7]鈴木淳著『関東大震災 -消防・医療・ボランティアから検証する』ちくま新書、2004
17
7
干拓と埋立てについて
干拓と埋立ては、新田開発として古くから行われてきた[1]。近世からは江戸、大阪といった
都市開発[2,3]、明治以降は工業用地造成[4]も加わり、戦後大々的に進められた[2,5]。
干拓と埋立てでは、新たな土地が得られる一方で、干潟や藻場の喪失をはじめ周辺の環境や生活
への影響が大きくなり、遂行が困難になってきている[6,7]。また、造成した干拓地、埋立地
についても継続して維持管理が必要であり、関係する水利、水防の費用対効果とも合わせて評価
することが求められている[8]。
東日本大震災では、福島県八沢浦干拓地注1をはじめ沿岸域の干拓地、埋立地が多く被災(湛水)
した[9]。その後、排水復旧作業が進められているが[9]、人と自然との境界について再検討が
必要ではないかとの指摘がなされている[10,11]。関係する周辺水系全体について上流から沿岸
を含む地域の全体を俯瞰して、特徴を長期的視点から把握した上で、どのような国土を確保する
のかという目標を明らかにした国土の保全と開発のグランドデザインから描き上げる努力が必
要である。このため、国土形成計画法に基づく全国計画と広域地方計画、河川法に基づく河川整
備基本方針と河川整備基本計画といった計画の策定において、さらなる取組が期待される。
7-1
干拓
干拓は、海岸潟湖、低湿三角州の湖沼あるい
は干潟に堤を設けて、河川、汀と仕切り、排水
して農地(主に水田)を得る営みである[12]。古く
は 6 世紀(推古天皇時代)に遡るとみられるが、
本格的に進められたのは 16 世紀(近世前期)から
である[12]。近世には 1 割程度の利潤を上げる
民営事業であった干拓も、明治以降は費用の増
大により採算が困難となり、戦後には、大規模な
ものは国営事業となった[12]。なお、「干拓」とい
う語は、大正 2 年頃から農商務省で新たに拵えて、
図9.
八沢浦干拓地の津波被災後の
湛水状況[9]
朝日航洋 2011 年 3 月 12 日撮影
http://ec2-175-41-208-71.ap-northeast-1.compu
te.amazonaws.com/map/main900913.html
1914 (大正 3)年の耕地整理法改正において「埋立」とともに追加された[13,14,15]。
規模の大きな干拓としては、有明海(諫早湾を含む)、八代平野、児島湾、八郎潟、琵琶湖、
十三湖、河北潟、印旛沼などがある[16,17]。
注1
1901 年に着手し、工事中 11 名の犠牲者を記し、1935 年に 314ha の水田が完成した[18]。現
在の八沢干拓土地改良区[18,19]。
18
有明海は約 1,700km2 の広大な浅い海であり、干潮
時には海岸線から 5~7km の沖合にまで干潟となっ
て露出する。有明海の干潟は多いところでは 1 年に
5cm も土粒子が堆積するため、成長する干潟の奥に
ある陸地では排水が年々困難となる。これを改善す
るため、有明海では古くから干潟の干拓とあわせて、
排水を容易にするための取組みが続けられている。
有明海で最も古い干拓は推古天皇の頃(593~629 年)
に開かれた[20,21]といわれている。これまでに有
明海では 260km2(釧路湿原の約 1.5 培)を超える面
積が干拓されている[22]。
図 10. 有明海の干拓[22]
九州農政局諫早湾干拓事業ホームページより
干拓では、地元漁民や上流住民との
利害調整が不可欠であり、これが長期
に及ぶことや計画の中止、見直しも見
られる[20]。さらに近年では、環境保
全、景観の維持も求められている[4]。
図 11. 諫早湾の干拓[22]
九州農政局諫早湾干拓事業ホームページより
7-2
埋立て
埋立ては、人為的に水流または水面を陸地に変更させることである[4]。江戸時代、徳川家康
が江戸に入場して以降、日比谷の入江が埋立てられ、現在の丸の内、有楽町、内幸町、新橋、東
新橋一帯を完成し、引き続き中央区、江東区などにあたる地域で埋立てが次々に進められた[2]。
明治時代以降では、工業用地、港湾関連用地の埋立て造成が盛んになった。近年はこれらの用途
のほかに,都市再開発用地(住宅用地、商業・業務用地、レクリエーション用地)の造成のため
に、埋立てが実施されている[4]。
19
東京湾の埋立ては、観音崎・富津岬を結ぶ湾口以北で
は、千葉県の小櫃川河口付近を除き隙間なく分布してい
る[23]。港湾工業用地造成は、1908(明治 41)年に浅野
総一郎が安田善治郎、渋沢栄一らと企画した川崎横浜地
区の埋立てにはじまり、京浜、京葉工業地帯が横浜、東
京、川崎、千葉などの港や羽田空港とともに順次形成さ
れてきた[2]。1970 年頃からは流通交通体系の改善、都
市の再開発、自然の回復が進められ、幕張新都心、みな
とみらい 21、臨海部副都心をはじめ多くの地区が建設さ
れてきている[2,24]。
図 12. 東京湾の年代別埋立状況
東京湾環境情報センターホームページより
http://www.tbeic.go.jp/kankyo/mizugiwa.a
sp
大阪湾は、古くは 1173 年の平清盛による経ヶ島(神戸)
の開鑿をはじめ江戸時代以前から埋立てがなされ、昭和
25 年から昭和 50 年頃の戦後復興期、高度成長期にかけて埋立事業は急激に増加した。昭和 50
年以降においても、ポートアイランドや関西国際空港など大規模埋立事業が進められている[25]。
図 13.大阪湾奥部の埋立状況
せとうちネットホームページ 環境情報埋立ての現況より
http://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/setouchiNe
t/seto/kankyojoho/shakaikeizai/01umetate-1.htm
瀬戸内海環境保全臨時措置法施行後の免許
(50ha 以上)
(1)阪南港内(木材港地区)昭和 51 年 51ha
(2)大阪港内(北港南地区)52 年 378ha
(3)阪南港内(二色の浜)53 年 243ha: 阪南
4.5.6
(4)神戸港内(ポーアイ 2 東)61 年 229ha
(5)尼崎・西宮・芦屋港内 62 年 111ha(東海
岸町沖北区 尼崎沖フェニックス)
(6)関西国際空港 62 年 511ha
(7)南大阪湾岸整備事業(りんくうタウン)62
年 318ha
(8)大阪港内(南港北地区)63 年 67ha
(9)神戸港内 (ポーアイ 2 西)63 年 161ha
(10)堺泉北港内 平成元年 203ha(泉大津沖フ
ェニックス)
(11)神戸港内 9 年 286ha(六甲アイランド南)
(12)阪南港阪南 2 区 11 年 142ha
(13)神戸空港 11 年 272ha
(14)関西国際空港 2 期 11 年 545ha
(15)大阪港内(夢洲地先) 13 年 204ha
(注)江戸時代から昭和 54 年までは、国土交通省近畿地方整備局資料から 作成それ以後のものについ
ては環境省調べ
20
参考文献
[1] 谷岡武雄『日本の風土:その地理学的研究』大八洲出版、1948
[2] 若林敬子『東京湾の環境問題史』有斐閣、 2000
[3] “都市連鎖研究体
プロジェクト 4 Fujiko-大阪湾埋立地改造計画”, 10+1,(37):132-137,
2004
[4] 土木学会編『土木工学ハンドブック(第 4 版)』、技報堂出版、1989
[5] 人と自然との共生懇談会「1850 年以降の国土利用の経緯(草地、農地、陸水域、沿岸)」
平成 23 年度人と自然との共生懇談会第 2 回資料 1-2
http://www.biodic.go.jp/biodiversity/shiraberu/policy/kyosei/23-2/files/1-2.pdf
[6] 山野明男『日本の干拓地』農林統計協会、2006
[7] 鈴木範仁,永野征夫,森田章義,“沿岸部の埋立事業にともなう周辺地域の変容”,地理誌
叢, 50(2) :1-16, 2009
[8] 那智俊雄,須山修次,“事業別にみた土地問題-埋立ての今日的課題”,土木学会誌,
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「東日本
大震災現地調査報告(速報-2)平成 23 年 5 月 2 日」
http://www.jsidre.or.jp/newinfo/touhokujishin/pdf/yamagata.pdf
[10] 赤坂憲雄,“新章東北学(8)50 年後の日本、語ろう”, 産経新聞,2011
[11] 赤坂憲雄,“新章東北学 (16)海辺に生きることの意味”
, 産経新聞,2012
[12] 菊地利夫『日本に於ける干拓の地域的展開とその構造』水経済年報、1956
[13] 鈴木尚登,森瀧亮介,“沢田敏男先生が語る可知寛一先生と巨椋池干拓(上)”,農村振興,
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[14] 鈴木尚登,森瀧亮介,“沢田敏男先生が語る可知寛一先生と巨椋池干拓(下)”,農村振興,
681:30 -31,2006
[15] 全国農村振興技術連盟,森瀧亮介,鈴木尚登“食料安全保障と第 1 号国営巨椋池干拓事業
の成立背景
水土の知”
,農業農村工学会誌,75(2):93-96,2007
[16] 農業土木学会編『農業土木史』
(国営地区一覧表(国営・直轄干拓))、農業土木学会、1979
[17] 吉武美孝,松本伸介,篠和夫,
“ 戦後干拓事業の変遷について-わが国の戦後干拓事業の
実態に関する研究”,農業土木学会論文集,63(3):383-393,1995
[18] 末永博, 農業土木を支えてきた人々-八沢浦干拓事業と山田貞策を支えた人々, 農業土木
学会誌, 54(2):161-164, 1986
[19] 福島県農林水産部農村計画課ホームページ 県内の土地改良区
http://www.pref.fukushima.jp/nosonkeikaku/dantai1/kairyouku/tochikairyouku.html
[20] 菊地利夫『改訂増補 新田開発』古今書院、1976
[21] 農林省農務局『 旧藩時代ノ耕地拡張改良事業ニ関スル調査』農林省、1927
[22] 農林水産省九州農政局諫早湾干拓事業ホームページ 有明海と諫早湾の干拓の歴史
http://www.maff.go.jp/kyusyu/nn/isahaya/outline/history.html
[23] 遠藤毅,“東京都臨海域における埋立地造成の歴史”, 地学雑誌,113(6):785-801, 2004
21
[24] 小笹博昭,“東京湾における埋立と臨海部の利用”,海洋, 33(12):845-850,2001
[25] 国土交通省近畿地方整備局港湾空港部ホームページ みなとの歴史
http://www.pa.kkr.mlit.go.jp/general/1/history.html
22
8
子どもの描く将来像
子どものもっている未来への夢や、探究心、創造力を伸ばす一助として、自由奔放な発想や
純粋で素朴な心を絵に表現することを目的として、
「未来の科学の夢」絵画展が昭和 54 年より
毎年開催されている。
全体的な傾向としては、岡部冬彦審査委員長が第3回絵画展で述べているように、“未来の
夢”が、小学校の低学年と高学年ではかなり異なっており、3年生ぐらいまでは確かに未来に
夢を持っており、ホノボノとした子供たちの発想の自由さが見て取れるが、一方で、高学年に
なると、発想の自由さがなくなり、内容も現実的なものとなる傾向がある。また、第1回から
第 33 回まで、毎年、子どもの未来の科学の夢が進歩し、徐々にハイテクな作品が多くなる一
方で、何年経っても毎年のように、雪下ろし装置の作品、地震等の災害から身を守る装置の作
品が出品されており、科学技術が進歩しても、自然災害に人間が悩ませ続けられている現実を
克明に表していると言えよう。さらにもう一点傾向を挙げるとすると、昭和 63 年の第 10 回よ
り福祉関連の作品が増えてくる。高齢化率(全人口に占める 65 歳以上の人口の占める割合)
は、昭和 60 年には 10%を超え、その後も増加を続けている。作品の中には、高齢者だけでな
く身体障害者のためのロボット等も見受けられ、福祉全般への関心の高まりが読み取れる。
子どもの描く絵画の多くは、世相をよく反映しており、以下に関単に事例を挙げつつ、子ど
もの描く未来の夢の大まかな移り変わりを見ていきたい(対象は入賞作品に限る)。
昭和 57 年の第4回絵画展では、未来の海底都市を描いた絵があるが、海底都市を描いた理
由として、人口増加による地上での居住空間の不足を挙げている。昭和 57 年の人口の自然増
加率は 6.8(人口 1,000 対)であり、平成 16 年まで日本の人口増加は続く。平成3年の第 13
回絵画展においても、同様の理由から海上に未来の街をつくる絵が出展されている。
昭和 60 年の第7回絵画展では、都市問題、環境問題、交通問題を扱ったものが多く、海底、
地中都市やスペースコロニー、都会や海底の清掃ロボット、事故防止の道路や乗り物、無公害
の高速鉄道などが主だったものであった。さらに、岡部審査委員長は講評において、「当時話
題になっていた生物科学に関する作品が意外と少なく、科学というものが、未だに機械、特に
最近はコンピューターを組み込んだ自動機械を作ることだと思っている、多くの大人の考えを
反映しているとのが原因である」、と述べている。遺伝子組み換え技術をはじめ生物分野での
科学技術が進歩しつつあったものの、生物関連の科学が社会に十分に浸透していなかったこと
が推察される。しかし、平成6年にはクローン再生の絵、平成8年には農薬により汚染された
土壌を清浄することができるバイオ植物の作品があり、その後徐々に身近になってきている。
平成3年の講評において、「以前は、生産効率の高い機械が良い機械であるといった、効率
化を図るものがよしとされた考えから発想された作品が多かったが(例えば、自分の代わりに
宿題をやってくれる機械等)、最近はそのような発想が根本となっているものが少なくなり、
小鳥が集まる町のように、人と自然が共存するような微笑ましい発明が多くなっている」、と
記載されている。
平成7年の第 17 回絵画展では、高齢者が、昔の思い出を体験でき、家族や趣味を生きがい
にして病気と薬に付き合える病院の絵が出展されている。高齢化が進む中、老後をどのように
したら楽しく充実して送ることができるかに関して子どもも関心を持ち出していることが推
23
察される。
平成8年の第 18 回絵画展では、悩みを聞いてくれるロボットや独り暮らしをしているお年
寄りの心を和ませてくれる、心からの“新しい”お友達の絵が、平成9年の第 19 回絵画展で
は、ひとりで留守番をしていて、心配な気持ちになった時に、家族の人と話すことができる絵
が出品されている。科学がハードだけでなく精神面といったソフトの部分でも有効活用できる
可能性を示唆している。
平成 11 年の第 21 回絵画展では、ささいな怒りから犯罪を起こす人の悪い気持ちをエネルギ
ーに変えるイライラ発電機やいらいらした気持ちを優しい気持ちにしてくれるいらいら解消
マシーンの絵が出展されている。平成 10 年には男子中学生が女性教師をカッとなって刺す事
件等、若者が主体となる事件があり、世相をよく表している。
平成 12 年の第 22 回絵画展では、放射能を食べて酸素に変える植物の絵が出展されており、
前年の東海村JCO臨界事故が背景にあるものと考えられる。この年の講評では、「単なる夢
や空想ではなく、現代社会の私たちの生活文化に関わる提案や新しい環境再生への確かなアイ
デアの作品が出てくる傾向がある」
、と述べられている。環境問題をはじめとした様々な社会
問題が顕在化している中、科学の力でよりよい社会を築けるのではないかといった夢を子ども
が持っていることはよいことではあるが、子どもが社会問題を身近に感じるような環境になっ
てしまっているとことが察せられる。また、この年はパソコンの絵が散見される。内閣府の消
費動向調査結果によると、パソコン普及率は平成 11 年3月末、平成 12 年3月末、平成 13 年
3月末と順に、29.5%、38.6%、50.1%と毎年飛躍的に伸びている時期である。さらに1点追
記するとすれば、超伝導型低空飛行衛星の絵があり、その後平成 19 年の作品ではナノテクや
GPSを活用した作品も見られるようになる。平成 22 年にはさらに進化し、ろ過機能付き吸
水ポリマー防波堤といった作品が受賞しており、科学の進歩を子どもも肌で感じ取っていたの
ではないかと思われる。
平成 13 年の講評では、
「自分だけの希望や生活一般の便利さから一歩進めて、世界の友達と
の交流、同時通訳イヤホン等、国際性をテーマにした作品に対し、審査委員一同が重要、かつ
頼もしく思った」、との記載がある。さらに、この年の特徴として、
「夢」が単なる便利さだけ
の「想」ではなく、「意志」に変わり始めたと述べられている。利便性や効率性を高めてくれ
る「モノ」から、悩み事を解決してくれるカメラやにおいを嗅ぐと優しい気持ちになれる花の
ような、「心」を対象としたものへアイデアが変化しつつある傾向がある。世相を表している
事例として2つ挙げられる。一つは、医療ミスである。医療ミス発見装置の絵が出展されてお
り、前年の平成 12 年は患者を取り違えて手術をする等の医療過誤が多く発生した。二つ目は
携帯電話である。立体映像で話している相手が出てくるような未来の携帯電話の絵が受賞して
いる。総務省の通信利用動向調査報告によると、平成 11 年3月末、平成 12 年3月末、平成
13 年3月末と、携帯電話の保有率は 64.2、75.4、75.6%と増加傾向にあり、その内、インタ
ーネット対応型携帯電話の保有率は
8.9、26.7、44.6%と劇的に増加している。次の年の作
品にも、目の不自由な人も使用できる点字携帯電話や携帯電話の電波を防ぐことができる電波
防止トレーナーの作品があった。
平成 14 年は無登録農薬の使用や輸入野菜の残留農薬の問題があった。第 25 回の平成 15 年
の絵画展ではDNA組み換え、放射能や農薬の残有量を調べられる食品安全検査機の絵が受賞
24
している。
平成 16 年の絵画展でコミュニケーションをテーマにした作品が散見された。パソコン内で
世界の人々と話せる「第2の世界」を絵に描いたものや、電話にはない、心温まるメロディー
とともに心を届けるメッセージ・ボックス等である。また、「癒し」をテーマにした作品が登
場したことも特筆すべきことである。平成 20 年にも入浴中に心を癒せる映像を見ながら健康
チェックが出来る装置の絵が、また平成 21 年には風やものを触った感覚も感じられる癒しの
メガネの作品が受賞している。
平成 21 年は食べ物しか切れない不思議な包丁の絵が受賞している。前年の平成 20 年は秋葉
原通り魔事件、土浦連続殺傷事件等凶悪な殺人事件が多く、悲しい世相を反映している。
一人暮らしの要介護の老人をテーマにした作品が平成 20 年ごろから見られる。平成 20 年は
介護やコミュニケーションがとれるロボット犬、平成 22 年は座ったままでも旅行に行ける部
屋といった作品があった。
平成 21 年7月に死者が 30 名以上となる中国・九州北部豪雨があった。その後もたびたび集
中豪雨の被害はあり、平成 22 年、平成 23 年にゲリラ豪雨対策の絵が見られる。
平成 23 年の第 33 回絵画展では、心の病気になる人が多くなってきている現状を踏まえ、ス
トレスを食べてくれるペットの絵が受賞している。厚生労働省による患者調査によると、平成
11 年から平成 20 年の間に、精神疾患の患者数が 204 万人から 323 万人に増加しており、糖尿
病(平成 20 年の患者数は 237 万人)や悪性新生物(平成 20 年の患者数は 152 万人)の患者よ
り多くなっている。
参考文献
社団法人発明協会編『第1回~第 33 回未来の科学の夢絵画展』、1979-2011
9
日本の全体像を包括的に捉える各種データ集
・フロンティア分科会・部会
参考資料
http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120215/sankou4.pdf
・国土交通省
国土審議会政策部会長期展望委員会「国土の長期展望」中間とりまとめ≪図表≫
≪数値データ≫
http://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/kokudo03_sg_000030.html
25
10 現在のイノベーションを促進する取組について
青山 伸1、篠原 千枝2
イノベーション促進の取組が如何に進められたかを概観することは今後の方策を考える上で重要な示唆
をもたらすと考えられる。戦後の3四半世紀弱における取組のうち、1.社会システムの変革を要請した
資源調査会の活動、2.リスクマネーの提供、3.技術開発のシーズ育成及び4.ベンチャー企業の育成、
ならびに5.今後への展望について、以下に概説する。
10-1 社会システムの変革を要請した資源調査会の活動
第二次世界大戦で疲弊した国民の必要最低限のニーズを満たす原料資源をどのように確保するのかとい
う問題は、戦後復興の最初にして最大の懸案であった。しかし、このような敗戦後の日本が置かれた状況
は、日本の国内資源の可能性を見つめ直す絶好の機会でもあった。以下主に佐藤仁著『
「持たざる国」の資
源論 持続可能な国土をめぐるもう一つの知』[1]の記述からその概要を示す。
資源委員会は、国内資源を見直し、大局的・長期的な視点から国民経済の物質的条件について考え、首
相に勧告する機関として昭和 22(1947)年に誕生した(昭和 24(1949)年からは資源調査会)
。資源委員
会は当時の行政機関としては際立った特徴を備えていた。具体的には、1.経済政策機関からは半ば独立
して自律的な課題設定を行う権限、2.省庁横断的な活動範囲、3.多方面の専門家を委員や専門委員と
して招聘する学際性、といった点が挙げられる。資源調査会は、土地、水、地下資源、エネルギーの四部
会で発足し、翌年5月に衛生部会、9月に繊維部会、10 月に地域計画部会、続いて 12 月に防災部会、昭
和 24(1949)年 12 月には森林部会が相次いで加えられていった。
初期の調査会は、洪水予測、土地調査、鉄道電化、合成繊維工業の育成、屎尿処理などについて大きな
変革をもたらす重要な勧告を行った。しかし、得てして現状に異議申し立てをし、既得権益を脅かすこと
が多かったため、関連業界からしばしば圧力をかけられた。また、徐々に、各省庁の縦割り構造が戦後の
混乱から息を吹き返してきたため、資源調査会の領域横断的な活動を含む進歩的な政策が 1950 年代以降、
後退していく。例えば、戦後復興の過程で拡大を見せていた産業公害、特に鉱業排水の抜本的な規制を試
みた昭和 24(1949)年に出された水質汚濁防止についての勧告案は、関係省庁、関連団体からの抵抗を受
けて、最終的に、単に水質汚濁防止の必要性を内外の実例を挙げて主張するに留め、さらなる研究に基づ
く水質基準の策定を目指す、という極めて緩い内容の勧告となり、結果としてその後の水俣病やイタイイ
タイ病などの公害問題を防げなかった。原案が出された昭和 24(1949)年の段階で総量規制を含めた今日
の環境政策の基本的な考え方を勧告案に導入していた資源調査会はまさに先駆的であったが、
それゆえに、
原案は強い抵抗を受け、実現されることはなかった。しかし、資源調査会が産業界と公衆衛生の橋渡しを
しながら両者のバランスをとる機能を果たそうとした事実は評価に値する。
1
2
内閣府 経済社会総合研究所 前総括政策研究官
内閣府 経済社会総合研究所 研究官
26
資源調査会の取組の特徴を2点挙げると、一つは資源のとらえ方が動的であることであり、二つは総合
という考え方のもとで対象としている資源のみならず関係する事柄全体を俯瞰して保全を求めていること
である。
資源調査会が取りまとめた第二回資源白書『日本の資源問題(上・下)
』
(昭和 36(1961)年)では、
「資
源とは人間が社会生活を維持向上させる源泉として働きかける対象となりうる事物」と述べられており、
動的な資源概念が見て取れる。この定義は、人間と自然の相互作用の結果生じてくる「事物または物質が
果たしうる機能」
として資源を定義した米国の経済学者エリック・ジンマーマン流の見方が色濃く表れてい
る。彼によれば、資源とは客観的な存在としてそこに「ある」ものではなく、そこに働きかける人間社会
側の諸条件によって、初めて資源に「なる」ものとされている。
「資源」は人間社会からの働きかけを受け
て初めて有用性を発揮するようになるのである。このことは、資源はそれに働きかける人間の思考や技術
に左右されることを意味する。
また、もう一方の「総合」とは、土壌や森林、水などの資源は互いにつながっており、相互関係にある
という「自然の一体性」
(例:山は海の恋人)という前提から出発して、資源の開発・保全・利用を統一的な
視座から見ることを指すが、そこには二つの段階があると考えられている。一つは、水や土壌、森林とい
った生態系の構成要素を統一的な視座に収めるという自然科学的総合の段階。二つ目は、自然の統一性を
諸資源の競合関係といった人間社会の側の要請と突き合わせ、合意の落としどころを探る社会科学的総合
の段階である。どちらが欠けても効果的な資源政策を実施することはできない。資源調査会は、自然科学
系の技術者や専門家が大半を占めてはいたものの、初期の段階から社会科学的な知見の必要性が認識され
ていたところは注目に値する。
表1.資源調査会の初期の勧告
勧告No
1
2
3
題 名
発行年月
概 要
利根川洪水 昭和 23 年
既存の個別的機関を一つの組織に連絡統一して洪水予測を行う
予報組織
もの。経費節減効果が大きかった。
8月
鉱床調査の 昭和 24 年
鉱山埋蔵量の調査方法の不統一を是正し、標準規格の基礎とな
標準化
3月
る資料を提示。比較の上での総合判断が可能に。
土地調査
昭和 24 年
経済自立と国民生活向上のための国土計画の基礎となる現状把
3月
握の必要性を勧告。食糧供出の効率化や紛争の軽減、地租の公
正化などに影響。
4
5
水害調査表 昭和 24 年
洪水による水害の科学的調査を行い、綜合的で簡便な水害予防
示法
3月
策の確立に寄与。
鉄道電化
昭和 24 年
蒸気機関のエネルギー効率は極端に悪く稀少な優良炭を大量消
5月
費してしまうことから、火力発電に基づく全面電化の必要性を
提示。石炭業界からは大きな反発。
6
合成繊維工 昭和 24 年
衣料素材の多くを占める羊毛と綿花を輸入に頼るのではなく合
業の育成
成繊維産業の育成によって国内で代替するための勧告。7 工場の
6月
建設動因となった。
7
精錬廃ガス 昭和 24 年
非鉄金属精錬の際に排出される亜硫酸ガスが付近の山林・田畑
27
利用
7月
に煙害を及ぼしていることに鑑みた勧告。廃ガス亜硫酸工場の
建設促進に寄与。
8
草本性パル 昭和 25 年 成長に時間がかかり大量輸入が困難な木材に代わり、生育の早
プ資源の活 11 月
い草本性植物の利用を勧告したもの。特に竹パルプに利用によ
用
る紙生産を企図。
-特に
竹パルプ資
源について
9
10
屎尿の資源 昭和 25 年 衛生的とはいえない屎尿の汲み取り式を、水洗便所には汚水処
科学的衛生 11 月
理場を汲み取り便所には機械力による衛生的処理の上田畑に還
的処理
元すべきことを勧告。東京都や川崎で実施。
水質汚濁防 昭和 26 年
水質はきれいなのに越したことはないが、浄化には必ず費用が
止
かかるから、過度にきれいにすることは却って損。必要にして
1月
十分な程度の浄化が最も効率的。各産業と人類生活との間にあ
って最も調和のとれた水質を保持すべきことを希望し、水質の
基準を与え、汚濁を防止するために水質汚濁防止法を制定すべ
きことを勧告。
【佐藤(2011) [1]より抜粋】
今日、日本は累積債務、少子化、高齢化など様々な課題を抱えており、先行き不透明という点では、敗
戦直後の日本が置かれている状況と類似している。このような状況下、そして、何事においても分析的な
専門性が問われるこの時代に、
「総合」を担う人々を作り出すことは容易な仕事ではない。しかし、このよ
うな時代であるからこそ、文系・理系の垣根を取り払い、より統合的な世界観を獲得できるような人材を
育成する教育を全面的に推進していくことが必要ではなかろうか。既存の科目を前提とするのではなく、
具体的な問題から学問を出発させることの重要性を小学校のレベルからはじめる必要がある。そこには付
随するスキルとして、自己表現や意見交換の作法、議論集約の方法論などについての教育も含まれよう。
高等教育では、過度の専門主義から、再びかつての教養教育やリベラルアーツのもっている可能性の見直
しに向かうことが必要になろう。そして、何よりも重要なのは、そのように育った人材を求め、ふさわし
く遇するよう企業や行政の風土を変えていくことである。
10-2 リスクマネーの提供
1)新技術3の委託開発(昭和 33 年~(現在は、科学技術振興機構(JST)の研究成果展開事業(A-STEP))
昭和 30 年代当時、外国技術の導入による対価の支払額が年々増加の一途をたどり、昭和 34 年には 223
億円にも及び昭和 25 年からの累積で 1,000 億円を超えた。一方で技術の輸出額は、最も多かった昭和 34
3
新技術:国民経済上重要な科学技術(人文科学のみに係るものを除く。以下同じ。
)に関する試験研究の
成果であって企業化されていないもの(初出:新技術開発事業団法(昭和 36 年 5 月 6 日法律第 82 号)第
2 条。現在は、独立行政法人科学技術振興機構法(平成 16 年 6 月 20 日法律第 130 号第 2 条 国民経済上重
要な科学技術(人文科学のみに係るものを除く。次項及び第3項並びに第 18 条において同じ。
)に関する
研究及び開発(以下「研究開発」という。
)の成果であって、企業化されていないもの)
28
年でも 2 億 4,000 万円で、昭和 29 年以来の累計額は 8 億 8,000 万円余りであった。このような外国技術依
存の体制を脱却し、わが国独自の技術開発を推進するため、新技術開発4事業を行う機関の設立が企画され
た。これは、わが国初めての試みで、将来についての見通しが明らかではなかったことから、たまたま特
殊法人化された理化学研究所に開発部を設けて試験的に事業を進め、そのめどがついたことから昭和 36
年に新技術開発事業団が設立された。事業団は、企業化が著しく困難な新技術について企業等に開発を委
託し、予め定めた技術上の基準を満たす成果が得られた場合は、成功と認定して優先的に実施できるよう
にするとともに開発費の返還を求め、技術上の基準を満たさない場合は失敗と認定して開発費の返済を求
めない。すなわち事業団が開発のリスクを負担するシステムである。また新技術について、企業等が独自
に企業化を進める場合は、開発をあっせんし、実施を許諾する[2]。
この他、
研究成果の企業化を促進する制度には、
工業化試験補助金と日本開発銀行の融資があった[2]。
これらについては、成果の次に記述する。
委託開発の主な成果としては、初期には人工水晶、波力発電ブイ、地熱開発(松川、葛根田)、半導体の
連続製造などがあった。現在では、以下のものがホームページ上に示されている。
http://www.jst.go.jp/seika/02/seika02_1.html
○青色発光ダイオードを実用化(LED)
赤﨑 勇教授(名古屋大学)、豊田合成株式会社等が青色発光ダイオードを開発・実用化した。青色 LED
が開発されたことにより、
「光の三原色」の赤、緑、青が揃いフルカラーの表現が可能となった。家電製品
や計測機器などの表示素子の他、携帯電話のバックライトや街頭の大型ディスプレー等に用途が拡大して
いる。実施料累計約 50 億円。約 3,500 億円の付加価値が新たに生み出された。
○高齢化で増える関節症患者の生活の質(QOL)を向上する新チタン人工股関節
小久保 正教授(中部大学)、
日本メディカルマテリアル株式会社が、
世界で初めて生体に馴染む新合金
(新
チタン)製の股関節を開発した。施術後の人工骨の固定が早いため、早期のリハビリ開始、早期の社会復
帰につながる。さらに長期間使っても“ゆるみ”が生じないため、体に負担の大きな手術なしに長期間の
安心安全な歩行が可能となる。
○世界に先駆けた「インターフェロンの量産化」
三宅 昭久氏(東レ株式会社)等が天然型インターフェロンの高純度生成技術を開発・実用化した。
「遺伝
子組換え法」ではなく、安全性を重視した点が特徴の「天然型」であり、世界的にインパクトを与えた。
実施料は約 12 億円。数百億円規模の市場効果を創出した。
○ガンの早期発見・早期治療に貢献- PET診断薬原料・18O 標識水の量産
浅野康一名誉教授(東京工業大学)
、大陽日酸株式会社が、高純度酸素蒸留技術を用いて、世界で初めて、
4
開発:科学技術に関する試験研究の成果を企業的規模で実施することにより、これを企業とし得るよう
にすること(初出:新技術開発事業団法(昭和 36 年 5 月 6 日法律第 82 号)第 2 条。現在は、独立行政法
人科学技術振興機構法(平成 16 年 6 月 20 日法律第 130 号)第 2 条 3 この法律において「企業化開発」
とは、科学技術に関する研究開発の成果を企業的規模において実施することにより、これを企業化するこ
とができるようにすることをいう。
)
29
濃縮度 98%以上の高純度の 18O 標識水(Water-18O)の製造技術を開発・実用化した。従来の水蒸留法に比べ
エネルギーコストが小さく、
毒性を持つ一酸化窒素を使用しないことから安全な大量生産が可能となった。
18
O 標識水はポジトロン断層撮影診断装置(PET)の診断薬であるフルオロデオキシグルコース(FDG)の原
料として用いられる。
○従来にはない高度な生体適合性を有する MPC ポリマーの製造技術
中林宣男教授(東京医科歯科大)、石原一彦教授(東京大学)、日油株式会社等が、生体膜(細胞膜)の構
成成分であるリン脂質極性基導入により、タンパク質や血球等が付着しにくいなどの特徴を持つリン脂質
極性基を有するポリマー(MPC ポリマー)の製造技術を開発・実用化。ドライアイ用のコンタクトレンズ
原料、化粧品などの幅広いコンシューマブル製品をはじめ、血栓の形成が少ないことから人工心肺など医
療機器に使用されている。
○携帯電話にも搭載された、
「磁気インピーダンスセンサ」
毛利佳年雄教授(名古屋大学)が、耐振動性、耐熱衝撃や温度安定性に優れ、小型・軽量で低消費電力で
あり、超高感度(従来センサの 1000 倍)である磁気センサを開発・実用化した。大学発のベンチャーとし
て、アイチ・マイクロ・インテリジェント株式会社が設立された。ソフトバンクの携帯電話に搭載される
などの利用がなされている。
○複数の患者細胞を同時に増殖できる細胞自動培養装置
高木睦教授(北海道大学)、川崎重工業株式会社が複数のヒト細胞を同時に増殖させる細胞自動培養シス
テムを開発。ロボットを使った培養操作技術に滅菌技術、画像処理技術を応用。無人で安定した品質の培
養細胞の供給が可能に。iPS細胞の培養など再生医療への応用、創薬研究の加速化ツールとして期待さ
れる。
委託開発事業は、個々の成果では企業化に成功している例があるものの、事業を独立採算とするまでの
実施料収入を得るには至っていない。競争と革新が続き、変貌して行く技術の経営において、開発の初期、
企業化を進めることの限界とみられる。
(工業化試験補助金)
工業化試験補助金は、昭和 25 年度に通商産業省(当時)が公布を開始し、次年度からは運輸省も加わっ
た。昭和 27 年度には、技術の向上及び重要産業の機械設備等の急速な近代化を促進すること並びに原材料
及び動力の原単位の改善を指導勧奨すること等によって、企業の合理化を促進し、もつてわが国経済の自
立達成に資することを目的とした企業合理化促進法(法案は小金義照君外三十四名提出の衆法第七号。昭
和 27 年 3 月 14 日法律第 5 号)に基づく補助金となり、基礎研究又は応用研究の成果によるのみでは工業
化に必要とする充分な条件を得ることが困難な場合において、当該条件を得るために行う試験に対する補
助金となった。なお、同法では、技術の向上を促進するため必要があると認めるときは、主務省令の定め
るところにより、鉱工業等に関する技術の研究、工業化試験又は新規の機械設備等の試作(以下「試験研
究」という。
)を奨励助長するため、試験研究を行う者(以下「試験研究者」という。
)に対し、予算の範
囲内において補助金を交付することができるとなっている。具体的には、通商産業省では工業化試験補助
30
金に加え、応用研究補助金、機械設備等試作補助金の 3 種類を一括した鉱工業試験研究補助金制度が発足
した。
その後この補助金は、民間の研究活動では着手しがたい高リスクの研究などに重点的に投じられるよう
になったが、
(昭和)30 年代に入ると、機振法5や電振法6の要請を受けて電子機器関係の比重も拡大した。
また、民間試験研究助成のための課税上の特別措置としては、企業合理化促進法により試験研究用設備等
に対する課税特例が認められ、33 年には新技術企業化用機械設備等に対する課税特例が新設され、試験研
究の基盤としての研究設備の取得を促すこととなった[3]。
(日本開発銀行の融資)
日本開発銀行の新技術企業化の融資は、国内で開発された新技術を企業化する際の設備投資を対象とし
て昭和 25 年 12 月に開始された見返資金からの特別融資制度を、
昭和 26 年の同行設立時に継承したもので
ある。当初は、中小企業に対する融資も行っていたが、昭和 28 年に中小企業金融公庫が設立されると中小
企業に対する新技術企業化に関する融資は同公庫に移された[4]。
開銀設立時から昭和 37 年度までは、(1)国産新技術による新製品の製造設備の新設、(2)国産新技術によ
る製造工程の近代化を対象としてきた。その後、開放体制への移行に伴いわが国企業の国際競争力を高め
るため政府の国産技術振興に対する取り組みが強化されたことを受けて、38 年度以降、(1)新技術による
新規製品の工業化ないし製造工程の近代化、(2)同上設備の改良ないし適正規模の拡充、(3)外国技術によ
るものでもノウハウなどが国内で開発されたものの工業化と融資対象を拡大した。
昭和 39 年度からは、機械工業の国際競争力強化の観点から、重機械類の自主開発第 1 号機のユーザーに
対して購入資金を融資する〈重機械開発〉
、昭和 43 年度には企業化段階の一歩手前の試作段階を助成する
〈商品化試作〉が設けられ、従来からの新技術企業化と合わせて国産技術振興融資制度とされた。
昭和 47~50 年度には、
当時緊急課題であった自動車の安全対策及び公害対策に関する技術向上のために
自動車部品メーカーの共同研究を支援する自動車部品協働研究所融資も行われた。
昭和 55 年度からは、大型技術開発を推進するため、
〈新技術企業化〉を〈新技術開発〉として、既存の
開発技術の商業規模でのプラント建設などを対象とした〈新技術企業化〉に加え、商業規模での企業化計
画の前段階としての「企業化開発」のための設備建設・取得を融資対象に追加した。開銀法が規定してい
る設備という概念を拡張したのである。昭和 58 年度には、産業技術振興融資として、国産という条件を緩
和して外国企業などとともに共同開発した新技術の企業化も融資対象とするとともに、バイオ・エレクト
ロニクス・新素材などの研究施設設備融資を開始した。
昭和 60 年に開銀法が改正され、一般の企業向けの技術開発融資(
〈新技術開発〉
)において、非設備資金
も融資対象とすることになり、
“研究開発資金”融資が開始され、同時に基盤技術研究促進背ターへ 30 億
円出資した(翌昭和 61 年度に追加出資 12 億円)。
これにより、
開銀の一般の企業向け技術開発融資制度は、
60 年度時点で、1.”研究開発資金“のほか、従来からの2.バイオ、新素材などの高度先端技術の基礎
応用研究に資する研究施設の整備(”研究施設整備”
)
、3.国内あるいは外国との協力で開発された独創
的な新技術の商品化を目的として試作される設備の製造・取得(商品化試作)や企業化直前の段階にあたる
企業化開発(“企業化開発”)
、および4.新技術の企業化のための設備または新技術によって製造された
5
6
機械工業振興臨時措置法
電子工業振興臨時措置法
31
設備の取得(”新技術の企業化”)と 4 事業をカバーする総合的な体系となった。
平成6年度には技術指向型企業振興融資制度を、
平成7年度には技術志向のベンチャー企業を支援する”
新規事業支援”融資制度を創設し、平成 8 年度にこれらを統合して新規事業育成融資制度とした。これに
伴い、非設備資金(企業化段階の運転資金)が融資対象に追加され、また新規性のある役務(サービス)を提
供する事業者が融資対象に加えられた[5]。
日本開発銀行は、平成 11 年に、北海道東北開発公庫とともに解散し、日本政策銀行が一切の権利義務を
承継した。同行は、平成 20 年に株式会社となり、平成 21 年には、企業への出資を円滑化する制度が整備
され、また、株式会社産業革新機構へ 10 億円出資した。
2)基盤技術7研究促進センターの出融資(昭和 60 年~平成 15 年)
欧米からの「基礎研究ただ乗り論」が噴出するなかで、欧米と比較して、わが国の基礎的な研究開発が
遅れていることが明らかとなり、また、アジア諸国からの追い上げによる国際競争力の低下の懸念などを
背景に、通商産業省と郵政省は、基盤技術研究円滑化法に基づき設立された特別認可法人基盤技術研究促
進センターを通じて、リスクマネーの供給などを進めた。当時両省は、基盤的、先進的な研究開発を支援
するためそれぞれ法人の設立要求を行ったが、行政改革の観点から合体・一本化された。昭和 60 年度、政
府からは、産業投資特別会計から基本財産への出資 60 億円、出資事業への出資 20 億円、融資事業への融
資 20 億円、日本開発銀行からは基本財産への出資 30 億円が、民間からは基本財産への出資 45 億円が投入
され、その後も事業の展開に応じてして、主に産投会計から出融資が進められた[6][7]。
図1-1.産業投資対象事業のスキームと事業の概要
7
基盤技術:鉱業、工業、電気通信業及び放送業(有線放送業を含む)の技術その他電気通信に係る電波の
利用の技術のうち通商産業省及び郵政省の所掌に係るものであって、国民経済及び国民生活の基盤の強化
に相当程度寄与するものをいう(基盤技術研究円滑化法(昭和 60 年 6 月 15 日 法律第 65 号 第 2 条)
32
図1-2.産業投資対象事業のスキームと事業の概要
出典:
「これまでの研究開発・ベンチャー支援について」 平成 20 年 3 月 27 日産業投資ワーキングチーム第 3 回資料より
センターの出融資では、制度上の制約、研究分野の特性等により、必ずしも十分な評価が得られない研
究テーマが存在した。例えば、技術革新のスピードが特に速い先端技術分野においては、内外の技術動向
を踏まえた柔軟な研究計画・目標の変更ができなかったために、研究終了直後に技術的陳腐化が見られる
場合があった。また、我が国の技術力が欧米に比して低く、競争力維持のためのキャッチアップが必要な
テーマについては、政策的には高い意義を評価されるべきものがある一方で技術的な革新性が低いものも
見られる。
このようなことから、今後の課題として、昨今の外部評価システム整備の必要性を踏まえ、いわゆる「パ
ブリック・リターン」の検証の仕方など多方面から評価することのできる客観的な評価指標の策定、事前・
途中・事後における外部評価の実施及びこれらの前提として必要な内部評価の充実、
評価に基づく柔軟な計
画変更・中断、評価の透明性を確保するための情報公開に努めることが重要であり、これらを実施するため
の評価体制の整備についても十分留意する必要がある。
上述の評価に基づき、制度改革が行われ、センターは解散した。制度改革に関する詳細は下記の通り。
・民間企業への委託形式による研究開発支援
センターが行ってきた出融資制度については、民間企業による柔軟な研究開発を促進した点は評価に値
するが、特許料等の収入により金銭的リターンを期待することは、制度上の問題点として検討すべきもの
であり、また、平成 11 年の企業会計基準の改正により民間企業が出資金の形式で研究費を支出することが
困難になったことから、研究テーマを民間企業等から公募し、採択された民間企業等に対して委託形式に
よる研究開発支援を行うこととし、その成果を有形無形の資産形成と認識することとした。
さらに、特許権等、委託された研究開発の成果を受託者に帰属させる方式(いわゆるバイドール方式)
を採用することにより、民間企業に対して研究開発への強力なインセンティブを付与し、より効果的・効率
的な研究開発を促す。
33
・新たな実施体制
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)及び通信・放送機構(TAO)が、これまでの民間技術開発支
援等に関するノウハウを生かし、効率的に行う[8]。
図2.研究開発法人における出資方式と委託方式について
出典:
「これまでの研究開発・ベンチャー支援について」 平成 20 年 3 月 27 日産業投資ワーキングチーム第 3 回資料より
34
・産業革新機構からの出融資
平成 21 年当時、経済危機や世界経済の構造変化に対応するため、我が国として、次世代の国富を担う産
業が必要であったが、優れた技術等が大企業・中小企業・ベンチャー企業・大学等に分散しているため、十分
に生かし社会的ニーズに対応した事業の創出につながっていなかった。産業や組織の枠を超えて技術等の
経営資源を組み合わせる革新的な事業形態(以下、
「オープン・イノベーション」という)により、成長性の
高い市場において新たな製品やサービスを生み出す等、新たな付加価値を生み出す努力が重要であった。
株式会社産業革新機構は、産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法に基づき、オープン・
イノベーションにより新たな付加価値を創出する事業活動及び当該事業活動を支援する事業活動(特定事
業活動)を行う事業者に対して出資等により支援を行う時限的組織である。政府は、平成 21 年度予算にお
いて、機構に対する出資金として 400 億円を計上し、平成 21 年度補正予算により 420 億円を追加し、出資
等の事業原資として 8000 億円の借入れに対する保証枠を認めた。
機構は、特定事業活動のうち、1.社会的ニーズに対応し、2.高い成長が見込まれる、3.事業形態
の革新性を有する事業活動を行う事業者に対して、長期のリスクマネーを供給し、助言等の経営支援を通
じて事業者の成長を支援するとともに、業務全体としての収益性の確保等について留意することとされて
いる。
投資対象のイメージとしては、例えば、1.基礎研究分野において、大学等の組織の壁を超えて技術を
集約し、組み合わせてライセンス供与するもの、2.ベンチャーキャピタルや中小ベンチャー企業と、事
業家を担う大企業等とをつなぐ「セカンダリー投資」の仕組みを創設するもの、3.技術的に優位である
ものの十分に価値を発揮できていない事業や技術を括りだし、
他と組み合わせて資金・人材を集中投下する
もの等が想定される。
機構においては、有望なシーズの評価、具体的な投資判断、投資後の経営支援等を的確に行うため、実
績のある民間人材を活用することとし、投資決定の最終判断は、機構の取締役会のインナーボードとして
設置される、民間専門家からなる「産業革新委員会」が行う[9]。
これまでの投資案件には、小型風力発電ベンチャーのグローバル事業拡大、我が国初の知財ファンド
「LSIP」の設立、豪州水道事業会社の買収、ラミネート式リチウムイオン電池のフロンティア企業に投資、
国際原子力開発会社の設立、A&F・Aviation に資本参加、洋上風力発電設備据付会社 Seajacks の買収など
がある[10]。
10-3 技術開発のシーズ育成
創造科学技術推進制度(昭和 56 年度~。平成 14 年度より戦略的創造研究推進事業・総括実施型研究
(ERATO)として、現在に至る。
)について概説する。
これまで我が国は、主として、海外からの技術導入とその改良、発展により、技術力の向上を図り、世
界にも例を見ないほどの経済発展を遂げてきた。しかしながら、世界的に技術革新が停滞し、技術導入も
困難になりつつある今日、我が国としては、従来の技術導入依存型の体質からの脱却を図り、自らの力で
技術革新のいっそうの展開を図ることが必要となっている。このためには、特に、物質や生命が本質的に
持っている特性に着目して、革新技術の源泉となる科学技術のシーズ(芽)を我が国独自に探索することが
肝要であり、
これを目的とする創造的な科学技術活動を積極的に展開することが強く求められるに至った。
この場合のシーズとは、科学上の知見に支えられた初期的段階の技術に関する知見であって、多様な新技
35
術を生み出す可能性を秘めたものである。
一般に、革新的な技術に育つ可能性のあるシーズは、優れた研究者の創造的な探索研究活動により生み
出され、更にその後の各種の研究開発により、革新技術へと開花していくものである。
シーズ探索を目的とする研究をより効率的に推進するためには、
創造性に富んだ研究者の確保とともに、
研究者の創造性を発揮させる以下のような流動研究システムをつくることが極めて重要である。
(1)プロジェクトリーダー制
優れた研究指導者をプロジェクト・リーダーとして任命する。プロジェクト・リーダーには、一定範囲内
で研究運営に関する裁量権を与え、その下で研究の総合的推進を図る。
(2)人中心の研究システム
産・官・学の各界から、取り上げる研究プロジェクトに関連する研究に従事している優秀な人材を集め、
これを研究グループとして組織化する。
(3)一定期間、契約による参加
研究者は、その所属研究機関に在籍のまま又は復帰することを前提として、所属機関との調整を図った
うえ契約により一定期間(例えば 5 年間)研究プロジェクトに参加し、
研究終了後研究グループは解散する。
実際の研究は、既存の研究機関の施設等を活用して行う。
(4)弾力的な運営
研究プロジェクトの推進に当たっては、研究者の独創性を活かすため、研究過程で研究目標を弾力的に
変更できるよう柔軟な運営を行う。
(5)研究参加のインセンティブ
産・官・学の優秀な研究者、
特に民間企業の研究者の参加意欲を促すようインセンティブに関し配慮する。
以上を実現するため、新技術開発事業団に、新技術の創製に資することとなる初期的段階の技術に関す
る知見(シーズ)を探索する基礎的研究業務を追加し、研究業務の実施方法として、
・研究の対象となる主題を定め、当該主題ごとにその実施に必要な期間を設定するとともに必要な研究者
を雇用すること
・研究者を雇用する場合には、研究を指揮することとなる総括責任者をあらかじめ指定することとし、他
の研究者の雇用に関しては、総括責任者の意見を尊重すること
・研究を行うための施設を特に取得することのないよう配意しなければならないこと
を定めた[11]。
研究プロジェクトは、昭和 56 年度発足の「林超微粒子」
、
「増本特殊構造物質」
、
「緒方ファインポリマー」
、
「西澤完全結晶」の 4 課題以後、毎年 1~6(主に 4 課題)課題で推移している。
10-4 ベンチャー企業の育成
我が国において、中小企業基盤整備機構や日本政策投資銀行によりベンチャー企業に対する支援は行わ
れてきているものの、支援の仕組みについてはなお課題も多い。以下、ベンチャーを成功させる鍵となる
ものについての意見を二つ紹介する。
1) 夏野剛 夏野剛の新ニッポン進化論(第 2 回)IT ベンチャー成功の鍵 [12]より抜粋
1450 兆円の個人金融資産上場企業の内部留保だけで 200 兆円。お金はかなり呻っている。人材のクオリ
36
ティも高い。
「カネ」と「ヒト」さらに技術がある。リーダーがバカ。
日本のベンチャーは甘やかされすぎ。企業を経営する資格がある人は 10%くらいしかいないと思う。創
業から上場間でもっていくスキルとそこから大企業に育てるスキルは全然違う。2000 年代前半に上場した
ベンチャーのほとんどが、その後時価総額を下げている。グーグルにしたって、創業者のラリー・ペイジ
やセルゲイ・ブリンに経営はできない。かなり早い段階でエリック・シュミットが経営に参画したことで、
うまくいった。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグはトップに残っているが、周りはがちがちの経
営のプロで固めている。
ベンチャー創業者が「何をやりたい」より「社長になりたい」を優先的に考えているのは日本ぐらい。
もう一つは社会システムの問題がある。日本のベンチャーキャピタルは、大半が銀行などの間接金融機関
出身者で構成されている。でも、彼らは担保を取っていかにリスクをミニマイズするかの経験を積んでき
た人たち。もっと事業経験者を入れないといけない。
例えば、産業革新機構みたいなところがリスクマネーをどんどん供給したり、事業経験者を組織にもっ
と入れたりすれば、状況は大きく変わると思う。日本では、一つ大きなところが動いて流れができるとみ
んな追従するから、ベンチャー経営者の教育よりも、お金の出し手を変える方が変革は進むと思う。
今の若者の多くは、40 代以上の世代より段違いに優秀。語学力も昔より格段に高い。今の若い世代がリ
ーダーになる頃には、かなり状況の好転が期待できる。でも、それまでにこの国がダメになったらマズイ
ので、いかにそうならずに次の世代にバトンタッチするかが今の 40 代以上の人たちの役割だと思う。
2)伊藤邦雄 ベンチャー精神を発揚するための大命題 [13]より抜粋
わが国には、
「七転び八起き」という美しい大和言葉がある。しかし、この言葉が空虚に響くほど、実態
は「一転び、即退出」となってしまうのが現実である。
シリコンバレーには一度失敗した起業家にのみ投資して非常に高い業績をあげている VC がある。
キーエ
ンスの創業者滝崎武光はかつて2度会社を倒産させた。
志し高く起業に挑戦した人の心意気を是とする
「賞
賛の文化」を創造すべきだと私は思う。
10-5 今後の展望
わが国におけるイノベーションとしては、以下の論がある(以下主に著作からの抜粋)
。
1)野中郁次郎 一橋大学名誉教授 [14]
日本と西欧における組織的知識創造の差異を三つに分けてまとめてみよう。第一に、西欧における
暗黙知と形式知の相互循環は、主に個人のレベルで行われる。すなわち、トップ・マネジメントや社
内起業家による、暗黙知を形式知へ変換する差異化努力を通じて創り出されたコンセプトは、組織に
よって既存の知識と組み合わされて、新しい製品、サービス、あるいはマネジメント・システムの原
型(archetype)になる。他方、日本では、ミドル・マネジャーが組織知を創り出するプロジェクト・
チームを指揮する。そこでは、チーム・メンバーに共有された暗黙知がトップ・マネジメントから与え
られたビジョンや戦略の概要、あるいはビジネス最前線からの情報などと相互作用することにより、
目指す製品、サービス、ビジネス・システムへ向けたコンセプトが産み出される。
第二に、西欧における知識創造は、分析的手法に基づく口頭・画像発表、書類、マニュアル、コン
ピュータ・データベースなどの形式知を重視する。このスタイルは、表出化と連結化に優れるが、と
37
きに分析麻痺症候群を引き起こす。他方、日本では、直感や直接体験などに基づく暗黙知あるいは比
喩的(すなわちあいまいな)言語表現に傾斜しがちである。分析力の弱さは、組織成員間の濃密な相
互作用すなわち共同化によって補われる。日本型知識創造のもう一つの強みは内面化である。いった
ん原型が作られると、それを大量生産したり実行したりするのが速く、高質の暗黙知が個人と組織レ
ベルで急速に蓄積される。しかし、この暗黙知を重視するスタイルは、ある集団の意見が誤った多数
派のあるいは強行な意見に流される「集団思考」
、あるいは「過去の成功体験への過剰適応」に陥る
危険性をもつ。
第三に、さきに述べた五つの促進要因から見た西欧型知識創造の特徴は、1)明確な組織の意図、2)
情報と職務の重複の度合いの低さ(したがって、創造的カオスは、順次的に職務を遂行する“リレー
型”では、最小有効多様性の源泉である個人間の差異によって生みだされる)
。3)トップ・マネジメン
トからの少ない「ゆらぎ」
、4)個人レベルでの高い自律性、5)個人的相違に基づく高い最小有効多様
性である。それと対照的に、日本型知識創造の特徴は、1)あいまいな組織の意図、2)情報共有と職務
の重複の度合いの高さ、3)トップマネジメントからの頻繁な「ゆらぎ」
、4)グループ・レベルでの高い
自律性、5)職能横断的プロジェクト・チームによる高い最小有効多様性である。次ページの図は西欧
と日本の組織的知識創造の特徴を比較参照している。
図3.西欧と日本における組織的知識構造の比較【野中(1995)[14]より抜粋】
38
プロセスの中に真実在があるという日本的存在論と、場の流れに身を任せる刹那的な日本的時間意
識は、時々刻々と移り流れていく状況に対して敏感かつ柔軟に対応するという方法論を生みだした。
(中略)多義的に解釈可能な組織的意図と明確な言語に基づかない暗黙知への傾斜は、組織メンバーの
柔軟な思考を可能にする。明確なコンセプトや形式論理などの形式知に基づく西欧型のイノベーショ
ン・プロセスに比べて、メタファーな直感などの暗黙知に依存しながらあいまい性に耐えうる日本型
イノベーション・プロセスは、多様な視点や方法などを許容しやすく、それが思考の柔軟性をもたら
す。さらに、開発、製造、マーケティングなどが一緒に走る「ラグビー型」プロジェクト・チームに
おける多様な暗黙知の共有すなわち共同化と情報・職務の重複がそれを増幅する。このようなプロジ
ェクトの進め方は、イノベーション・プロセスの非線形性(nonlinearity)にうまく対応していると
言えなくもないが、裏を返せば、行き当たりばったりの非効率なやり方と見ることもできる。
日本企業における「現場・現物主義」は、禅宗の「悟り」から武士道の追求に見られる「心身一如」
と「今ここに見え触れる」ものが実在であるという二つの日本的「知」の伝統が基礎になっている。
「現場・現物主義」はブルーカラーにとっては当然のことであるが、わが国ではホワイトカラーの「知」
の方法としても重視される。つまり、現場に入り込んで、頭よりもまず体で学べという体験重視の考
え方である。(中略)
しかし、現場・現物主義をあまりに強調しすぎると、現場で得た「場に特殊な」知識は、言語化・普
遍化されず、それを体験したものでなければ意味が分からない暗黙知のままに留まってしまう。した
がって、そういった体験知だけを強調することは、普遍性をもったコンセプトの創造や知識体系の構
築を阻害することになりかねない。日本企業がよく重視する「顧客密着」
、
「現場・現物・現実」
、
「頭よ
り体で覚えよ」などの経験重視の方法は、個別の事例に基礎をおくという点でどちらかといえば帰納
的思考に近い。しかしながら、日本企業に見られる暗黙知への傾斜は、実は帰納主義的な思考をも機
能させない危険性を帯びている。本来、帰納主義とは、特殊性を含む個々の経験の分析を積み重ねて
普遍的な命題に至る思考プロセスをいう。個人に内面化された経験は暗黙知であり、他者への伝達・
移転が困難であるので、形式知への変換の努力なしでは個人の中で完結してしまって他人に理解され
ないから、普遍的命題へとつながらない。この意味で、日本企業の「知」の方法は、演繹でも帰納で
もないメタファーやアナロジーなどを多用する「仮説発想(abduction)
」に近いと言える。
「自他統一」という日本的「知」の伝統の核心は、人間存在の本質を他者との相互作用のなかに見
ることである。日本型イノベーションの特徴である個人の果たす役割のあいまい性と集団の相対的な
重要性の背後には、こうした「知」の伝統がある。集団による「知」の創造は、個と集団が両立した
ときにすぐれた創造性を発揮できる可能性をもつが、同時に「集団思考」の危険性を強めていると思
われるが、異なる職能的背景と思考方法をもったメンバーからなる「ラグビー型」職能横断的プロジ
ェクト・チームがそれをいくらか相殺していると考えられる。そういった「ラグビー型」職能横断的
プロジェクト・チームが編成できるのは、
「主客一体」の伝統の影響かもしれない。とまり、企業内部
や企業間の境界を比較的簡単に超えることのできる精神のありよう(mindset)である。
「自他統一」
、
「主客一体」といった日本的思考の特徴が、日本における人と人、企業と企業の間の濃密なネットワ
ークの形成を促進したとも考えられるのである。(中略)
現在脚光を浴びている「コンカレント・エンジニアリング」(情報技術を活用した開発職務の同時遂
行)の原型は、実は日本企業の「ラグビー型」製品開発方式にあったのである。どちらも基本的には、
設計、製造、マーケティング等の機能別部門間の境界を超えた組織的な知識創造である。このような
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職能横断的方式は新製品の開発を速め、生産工程の立ち上げと市場への導入を加速しかつ円滑にする。
越境(バウンダリー・スパニング)はさらに企業間の境界にもおよぶ。部品製造企業(サプライヤー)
を製品開発の最初から参加させ、情報を共有しながらイノベーション・プロセスを共体験させて暗黙
知を蓄積させる。その結果、開発設計者が新製品のイメージを簡単にスケッチするだけで、下請け企
業から図面が出てくるという承認図面方式というシステムが生まれてきた。こうした企業間の境界を
超えた協力関係も、イノベーションを加速する。(中略)
個人に内面化された暗黙知は、他者への伝達・移転が難しく、形式知への変換の努力をしないと、個
人の中で埋もれてしまい、組織的知識創造につながらない。また、不変の「イデア」すなわち明確な
コンセプトを求めない精神のありようは、よく言えば多様な解釈を可能にし、思考の柔軟性というメ
リットをもたらすかもしれないが、明確な概念を前面に押し出してぐいぐいと知識を体系化していく
力強さはない。それは組織レベルでは、組織の意図のあいまいさとして現れる。こうした個人・組織
レベルでのあいまい性を許容する度合いの高さは、日本企業の暗黙知志向と深い関係がある。知識創
造の観点から見れば、このような暗黙知への傾斜や組織的意図のあいまいさは、コンセプト創造能力
の欠如ということである。(中略)
日本企業のとるべき発想は、これまで組織に蓄積してきた知識創造の手法と人に内面化された豊富
な暗黙知を「活かす」ことなのである。日本型経営を捨ててリエンジニアリングを模倣するのではな
く、その西欧型の形式知に基づく手法で日本型経営の暗黙知傾斜の弱みを補正したうえで、真にグロ
ーバルな知識創造企業(ナレッジ・クリエイティング・カンパニー)を目指すべきなのである。そして、
より高質な「知」を創り出すために、これもまた真にグローバルなイノベーション・システムを、企
業レベルで外国企業と戦略提携しながら構築しなければならない。どちらも簡単なことではないが、
それを達成するのに、われわれが提示した組織的知識創造の理論が役に立つであろう。
2) 小笠原泰 明治大学国際日本学部教授、重久朋子 株式会社クレスク統括部長 [15]
日本人は欧米人と比較すると、文化心理学的に、不確実性へのストレス耐性が弱いので、不確実性を
高める、欧米型の「意図的な変革(革新‐現在の仕組みの基底の否定を前提)
」手法は逆効果になる。そ
の代わり、役割を与えられて、安心して働ける環境が整備されれば、チームで「あるべき姿」
(常識を超
える目標)に向かって、一丸となって改善に取り組み、予想を超える成果を達成する「非意図的な変革
(刷新‐現在の仕組みの否定を前提には置いてない)
」と呼ぶべき日本型のイノベーションが起こる。
また、日本人は、欧米のように「ひらめき」型の天才がリードするのではなく、五感という身体的判
断を、頭による判断よりも重視し、チームで切磋琢磨してイノベーションを引き起こす。
さらに、日本人の基底には、主体は、時間性を排除することで客体を固定化し、それを強固な意思の
もとにコントロールするという「モノ」的世界観ではなく、主体と客体は分かつことはできず、主体は
客体を通して経験する(時間性を排除しない)という「こと」的世界観がある。言い換えると、欧米的
な「モノ」が、リアリティ(一般性)の追求と再現を通したコントロール(機能設計)中心の世界観で
あるのと対照的に、日本的な「こと」は、一回性という再現性のないアクチュアリティ(固有性)の経
験という過程(プロセス遂行)中心の世界観である。
欧米型イノベーションと日本型イノベーションをまとめると以下のようになる。
・欧米型イノベーションとは、1.
「モノ」的世界でおきる。2.参加対象である組織における目的
40
遂行を所与とする。3.
「結果の再現性を担保する硬い科学的・設計的(エンジニア的)システム(機
能デザイン設計)
」による。4.強い意図性とコントロール(他者依存性の排除)を前提とする個
をベースとする。現状の否定から入る「革新(組織・慣習・方法などを変えて新しくすること)
」と
いう、意図的に非連続を志向するイノベーションであるといえる。
・日本型イノベーションとは、1.
「こと」の世界でおきる。2.帰属対象である組織の存在を所与
とする。3.
「再現性を問わない終わることのないプロセス遂行を通した、非本来的偶発を起こす
柔らかいシステム(日々の目標に従属しないプロセスの遂行)
」による。4.非意図性と他者依存
性を前提とする集団をベースとする。
「刷新(弊害を取り除いて事態をまったく新たにすること)
」
を通した、結果としての非意図的な非連続を許容するイノベーションであるといえる。
3)伊丹敬之 東京理科大学総合科学技術経営研究科長 [16]
日本型のイノベーションには将来どのようなものがあるかを考えると、光と思えるのが3つあるよ
うに思える。1つ目は脱成熟化のイノベーション、2つ目は摺り合わせ型のイノベーション、3つ目
はデザインドリブンのイノベーション、この3つぐらいは案外日本の得意技になっていってくれる可
能性が高い。あまりアメリカ型のオープンイノベーションと言わずに、こういうものをじっくり追い
かけるほうがいいのではないかと思う。
脱成熟化のイノベーションとはどのようなものかというと、一旦、成熟産業になったかに見える産
業も、よく見てみると成長する部分もあり、その成熟する産業でずっとやってきた企業が自分の企業
の DNA を懸命に守ろうとして、しかしどこかで進化しようとして努力をしているプロセスで、様々な
先端分野の技術を自分の DNA の中に注入しようとする努力をしていくと、時々ポッとおもしろい融合
が起きて、成熟段階から離れられることがある。それを脱成熟化というのだが、典型的な分かりやす
い例が、時計が機械式からクオーツになったり、あるいは自動車がガソリンエンジンからハイブリッ
ドになるなど、それでもって成熟段階を向け出してしまうことはよくある現象だ。
(中略)
2つ目は摺り合わせ型イノベーションで、いろいろな技術の要素を摺り合わせるところでうまみが
出ることがイノベーションの源泉になるようなタイプのイノベーションである。ここは日本の企業が
人的なネットワークを重視して、自分の企業のみならず、下請けや系列の企業、あるいは外部の協力
企業との関係をかなり重視しようとすることをやっていれば、こういったイノベーションが出来やす
くなる。
最後のデザインドリブンというのはまだまだかもしれないが、日本の伝統文化でクラフトの世界や
料理の世界を見ていると、日本はデザインで質の良いものが出来る可能性がある。それをベースにし
たイノベーションを、先端技術と組み合わせて、摺り合わせてやるのは十分にあり得るだろうと思っ
ている。
偉大なイノベータは心に火を付けるのだと思う。教育者とは一体どういうものかということについ
て、カナダ人のウィリアム・ウォードの名言がある。
「凡庸な教師は指示をする。いい教師は説明する。
優れた教師は範となる。偉大な教師は心に火を付ける。
」これはものすごく良い言葉で、イノベーシ
ョンのマネジメント、イノベータを考えるときのキーワードになると思う。
(中略)
偉大なイノベータは人々の心に火を付ける。部下の心にも、あるいは顧客の心にも火を付ける。こ
こまで行って本当にイノベーションになる。部下には、あの人となら苦しい開発もぜひやってみたい
と思ってもらわなければ仕方がない。顧客には、こんな製品を創ってくれて本当にありがとうという
41
感動の火を付ける必要がある。
4)川北英隆 京都大学大学院経営管理研究部教授 [17]
日本企業の競争力の向上と付加価値生産性の回復を図り、その果実を従業員に分配できてはじめて、
日本のデフレの問題は解決に向かうだろう8。もしくは、日本企業の海外での生産活動を政策的に積極
的に支援し、そこで生み出された果実を日本に持ち込むことを考えなければならない。
前者の場合、抜本的な技術進歩を図り、それを製品やサービスに結実させる必要がある。そのよう
な抜本的な技術進歩の競争において、日本が世界の先頭に立てるかどうかが課題となる。特定の企業
は可能だろうが、すべての企業ともなると困難である。
後者の場合、生産のベースは既存の技術で間に合うが、それに日本企業的な良さを付加することが
重要だろう。海外で経営し、そこで生産と販売を行い、さらに日本的な良さを加味して差別化を図ら
なければならない。そのハードルは決して低くない。
いずれにせよ、従来の方法とは距離のある発想をベースとし、活動することが企業に求められてい
る。政府の政策も同じである。従来型の政策を繰り返すだけでは、日本経済が陥ってしまった困難な
問題の解決を遅らせるだけである。
5)米倉誠一郎 一橋大学イノベーション研究センター教授、延岡健太郎 一橋大学イノベーション研究
センター教授、青島矢一 一橋大学イノベーション研究センター教授 [18]
この 20 年間の日本企業の数字を冷静に俯瞰してみると、
「日本はものづくりの国」
「日本的経営は
長期的」などと悠長なことをいっている場合ではないことは一目瞭然である。今の日本および日本企
業は、1 億 2000 万人にのぼる国民を養うだけの付加価値を生み出していない。特に、お家芸である製
造業、なかでも花形産業であったエレクトロニクス産業で著しい競争力低下・付加価値減退を見せて
いるのである。本稿で明らかにしたのは、この間日本の経営者が本質的な選択と集中を行わず、目先
のコストカットで利益確保を行ってきた姿であり、技術陣による行き過ぎた物的価値の追求であった。
これでは急速に進展したデジタル化やモジュール化のなかで付加価値を生み出していくことは難し
い。しかし、こうした日本企業後退のなかでもいくつかの企業は優れた顧客価値やビジネスモデルを
生み出して、高い付加価値を生み出していることに気づく。そこでの競争を意識しないで、単体の物
的かつ幻想的価値や単体売り切りのビジネスモデルを求めていても高い付加価値は実現出来ない。
さらに、21 世紀は間違いなく環境の世紀であり、そこでは単体の製品力よりも複合的な環境知力、
すなわちスマートさが求められている。スマートグリッド、スマートカー、スマートアプライアンス
などである。このスマートさとは、まさに顧客価値そのものである。ここでは、意外に日本企業の強
さが目立ってくる。キャノン以外にデジタルカメラとプリンタを同時生産している企業がなかったよ
うに、重電から家電・コンピュータまで一貫生産している企業は日本以外にない。20 世紀後半に進め
ることのできなかった選択と集中が、逆に新たな競争力の源泉となる可能性がある。となると、この
スマートさにおいて競争力を持っているのは日本企業なのだ。すなわち、環境の世紀ほど日本のもの
づくりと複合的統合力を求められている時代はない。このことを自覚すれば、日本企業の戦略展開の
8
とことん日本の物価が下がることも現在のデフレ問題を解決してくれる。しかし、同時に、経済に壊滅
的な影響を与えるだろうから、本当の意味での解決にはならない。
42
方向性が見えてこないだろうか。
6)各務茂夫 東京大学 産学連携本部事業化推進部長 [19]
21 世紀になって、製造業(第 2 次産業)の国内総生産(GDP)シェアが 25%程度にまで低下し、サー
ビス産業(第 3 次産業)が 70%を大きく超える中で、日本はものづくりに今後とも依存し続けるつもり
だろうか。日本は「呪縛」ともいえる“大企業+ものづくり”への強い執着から抜けきれない。戦後
40 年間以上も続いた成長体験が、あまりにも大き過ぎるということなのかもしれない。
日本にはアントレプレナーシップ(起業家精神)が欠如していて、結局、ものづくり頼みにならざる
を得ないのだとする議論がある。本当にそうだろうか。ものづくりの成功企業が示すように、少なく
とも戦前から戦後にかけての日本は、まさに起業家精神に満ち満ちたイノベーションの国だった。そ
れに比べて、今は起業家精神が足りないというのは多くの誤解に基づいている。私は過度の悲観が実
態の正確な見方を歪めていると感じている。
実際、多くの起業家が新しい事業を興した事例がある。AOKI ホールディングス(76 年設立)、エイチ・
アイ・エス(80 年)、ドン・キホーテ(80 年)、ソフトバンク(81 年)、カルチュア・コンビニエンス・クラ
ブ(85 年)、ABC マート(85 年)、ブックオフコーポレーション(91 年)、楽天(97 年)、ディー・エヌ・エ
ー(99 年)、ミクシィ(2000 年)、グリー(04 年)
。75 年以降に設立した上場企業が新しい市場を創造
してきたのは明らかだ。いずれも、ものづくり企業ではなく、サービス分野で独自の価値を持ち込ん
で急成長した企業であることが特徴だ。グリーは、時価総額がこの 1 カ月、約 3000 億円前後で推移
している。約 6 年という社歴を考えれば小さな額ではない。
一方、米国では 75 年以降に設立された IT(情報技術)などのサービス企業がすでに時価総額で上位
を占め、米国をけん引する企業に成長している。
問題があるとすれば、日本では、ものづくり偏重のために、本来もっと評価されてしかるべき企業
や起業家が見過ごされ、放置されてきた可能性があることだ。結果として、サービス分野に十分なリ
スクマネーと優れた人材が供給されない状況にあるとすれば、それは是正される必要があろう。もの
づくり偏重から脱皮し、サービス分野における「ロールモデル」づくりが上手く機能すれば、日本の
イノベーションは大きく前進するはずだ。
7)延岡健太郎 一橋大学イノベーション研究センター教授 [20]
経営学者や評論家の多くは、日本企業の最大の問題は戦略の欠如にあると主張してきた。自戒の念
を込めて言うと私もそうだ。たとえば、新しいビジネスモデルが打ち出せない、業界標準を牽引する
プラットフォームリーダーになれない、トップマネジメントによる選択と集中ができていないなどで
ある。しかし、残念ながら、このような企業上層部が牽引すべき大がかりな戦略は日本企業の得意分
野ではなく、結局壁にぶつかっているのが現状だろう。(中略)
本書は、大がかりな戦略だけではなく、日本企業が得意なものづくりに活路を見出すことができる
はずだという点を提案する。もちろん、これまでと同じものづくりではだめである。必要なのは、高
い価値をうむものづくりであり、それをここでは「価値づくり」とよんでいる。
元来、ものづくりとは、価値を創るためのものである。日本の製造業はその基本がおろそかになっ
ている。価値づくりが目的なのだから、
「ものづくりをいかに価値づくりに結びつけるか」という問
題設定よりも、
「価値づくりのために、ものづくりをどう活用するか」というほうが正しいアプロー
43
チだろう。そのためにも、本書では価値づくりを全面に押し出して考えてみることにした。しかも、
価値づくりができなければ、企業は技術投資をする余裕もなくなり、ものづくりを続けることはでき
ない。日本の優れたものづくりを鍛え続けるためにも、価値づくりが必要なのだ。
価値づくりは、小手先の戦略や戦術によるものではない。鍛え上げた開発・製造能力を駆使して、
しかも、顧客にとっての本当の価値を考え抜き、つくり手の魂を込めたものづくりによって初めて可
能となる。(中略)
第一に、一般的に優れていると思われている技術や商品を目指すのではなく、その企業にしかでき
ない技術や商品を目指すこと。どんなに優れた商品でも、多くの競合企業が同じような商品を開発・
製造できるとすれば、その企業が社会にもたらす貢献は小さい。(中略)
第二に、顧客にとって真に価値の高い商品を提供することである。顧客ニーズという言葉は、あま
りにも陳腐化して、大きな意味を持たない言葉になった。ほとんどの商品は、顧客ニーズから、大き
くはずれているわけではないが、それでも価値づくりはできていない。現在求められているのは、顧
客ニーズを超えて、顧客が本当に喜びワクワクするような価値を新たに創りだし提供していくことだ。
(中略)
価値づくりが重要なのは、企業が儲けるためだけではない。価値のあるものづくりによって、社会
全体が潤い国民が幸せになるためだ。企業の価値づくりによって、税収が増え財政が潤うので、福祉
や教育が充実し、市民の生活水準が高まる。また、従業員の給料は上がり、この点でも幸福な市民が
増える。また、価値づくりができれば、企業は長期的な視点から基礎研究にも投資ができる。一方、
顧客は本当に欲しいワクワクするような商品を手に入れることができる。
さらには、薄利多売で大量生産・大量廃棄のものづくりから抜け出し、一つひとつの商品に価値を
つくり込むことは、地球環境にとっても良い。価値の低い商品を大量に生産し、消費し、すぐに廃棄
することこそが、環境にとっては害が大きい。丁寧に価値づくりをすることによって、少ないものづ
くりでもうまく経済がまわるようになる。(中略)
ものづくり重視の視点から、価値づくり重視の視点へ技術経営の視野を拡大することによって、実
際に価値づくりを実現できる能力が高まるのである。価値づくり重視の経営は、ものづくり重視の経
営、特に革新技術(特許)や機能的価値の重要性を否定するものではない。多くの製造企業にとっては、
それらを極限まで追求することが、業績を高めるための必要条件である点には変わりはないだろう。
しかし、それらだけでは、価値づくりができる十分条件にはならないということだ。顧客価値として
は、機能的価値に限定せず、意味的価値への広がりが必要である。
また、技術における強みに関しても、革新技術や特許などのマネジメントだけでは不十分だ。技術
者や組織としての学習の質やスピードを高め、組織能力の効果的な蓄積と活用をマネジメントしなく
てはならない。(中略)
価値づくりには、長期間にわたり持続できる独自性・差別化が必須となる。安定的に商品開発におい
て差別化を実現し、かつ簡単に模倣されないようにするためには、個別の商品や特定の新技術開発に
おける差別化に焦点をあてて特定分野における企業・組織としての強みを長期間にわたりブレること
なく鍛え続けることが必要である。競合企業が決して模倣できないのは、時間をかけて積み重ねた組
織能力だけである。このロジックを技術にあてはめたのが、積み重ね技術であり、それを戦略的に活
用するのがコア技術戦略である。
44
8)土屋勉男 桜美林大学大学院経営学研究科客員教授、原頼利 明治大学商学部准教授、竹村正明 明
治大学商学部准教授 [21]
結論を要約すると、大企業の経営者、政策担当者などが、中小の「革新的企業」のイノベーション
能力に注目すること、とりわけその強さを大企業の経営者が注目し、自社のイノベーションの連携先
として組織し、再び創立期のような輝きを取り戻すべきこと、大企業中心の産業政策を転換し、中小
の革新的企業を中核とする「地域富士型」産業システムの成長・発展を目標にすべきこと、などを提
案している。
日本の摺り合わせ型ものづくり大企業は、世界的に見ても比較優位を持ち、いまだその輝きを失っ
ていない。一方でその代表であるトヨタ自動車のリコール問題、東日本大震災によるサプライ・チェ
ーンの崩壊などのように、ものづくりの強みにも陰りが出ている。現在の閉塞感を突破して、再び光
り輝く姿に再生することは緊急課題のように思われる。そのベンチマークとして、今までは大企業の
陰に隠れ、それほど注目されることのなかった中小の「革新的企業」のイノベーション能力に注目し、
その革新的経営に学び、それを活用することは、日本経済の閉塞感を突破する道にもつながるのでは
なかろうか。
革新的企業の経営者は、大企業の意志決定とは異なっており、経営の危機を自ら先導して突破して
きた実力者であり、経営改革の事例を数多く経験している。また経営資源の制約もあり、大企業や中
小企業、地域産業・クラスターなど社外資源を組織化して、新事業の開発に挑戦しており、多様なオ
ープン・イノベーションのノウハウを持つ。またそれらの革新的企業のイノベーションは、大企業も
うまく組織的に組み込めば、ウイン・ウインの関係を築くことができる。つまり革新的企業の活性化
は、日本産業の「底力」を高めることにもつながるはずである。
本書[21]では、
大企業中心の産業政策からの転換を提案しており、
革新的企業を中核とした多様で、
個性豊かな「地域富士型」産業システムを活性化させ、その底上げを図ることが、日本経済の「成長
戦略」につながることを提案している。
9)奥田健二 能力開発工学センター元理事 [22]
図式的な言い方になってしまうが、二〇世紀における経済・生産システムは効率向上が中心的課題
であったのに対して、二一世紀における課題は人間の尊厳を如何にして守るかという基本問題に他な
らないと言うべきであろう。
さて、人間の尊厳を守る経済の仕組み、生産システムを作りあげるといってもそれは容易なことで
はないことは明らかである。しかし私どもは日本の経済社会の歴史を遡ってみると、
“ジャパニーズ・
ワーク・ウエイ”と名付け得る個性的な経済・生産システムの構築が、日本の先人たちによって試みら
れてきていたことを発見するのである。ここで個性的な経済・生産システムと著者が言うのは、働く
人々の人間性を尊重し主体性を生かしながら、同時に経営組織体としての効率を上げ得るよう、矛盾
しがちな二つの課題を共に実現すべく、柔軟な動的秩序の維持展開を図るシステムである。このため
には職務分担関係の流動的な変化に即応できるよう組織構成員の多機能化、情報の共有化を徹底する
工夫が積み上げられてきているのだ。
(中略)
ジャパニーズ・ワーク・ウエイとは、
“日本社会に特有な仕事の進め方、仕事を進めるにあたっての
人々の協力を得る方法、仕組みであり、且つその方法・仕組みを支える日本人の思考方法・精神姿勢”
であるといってよいであろう。
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このように仕事の遂行のための協力関係の構築、職務分担関係の合理化、意思疎通の円滑化等々の
課題は、従来主として経営管理・人事労務管理の領域において取り上げてきた課題であった。しかし
これら各種マネージメントの領域において用いられるマネージ(manage)という言葉は、手を意味す
るラテン語の manus を語源としている言葉であり、操作する・人を思いのままにあやつるという含意
を持つ言葉である。あるいはイタリア語の maneggiare に由来する言葉だとされているが、この
maneggiare とは馬を訓練するという言葉に他ならなかったのである。管理・マネージメントにはこの
ように人間を”管理の客体“とみなす姿勢がこめられている。
これに対して拙著において敢えて管理という言葉を避け、
ワーク・ウエイという言葉を意図的に用い
たのは、働く人を”管理の客体“として扱うのではなく、その主体性を認めようとする姿勢を打ち出
したかったからである。すなわち従来のマネージメント概念の下では、経営方針を如何にして部下に
従わせるか、如何にしてメンバーを意のままに働かせるか、等々がその中心的課題とされてきた。働
く人々は受け身的な管理の対象者として主体性を否定された存在として取り扱われてきたのであっ
た。(中略)
拙著においてワーク・ウエイという言葉をことさらに用いたのは、経営の第一線現場に働く人々、言
い換えれば産業社会の基層を担う人々の役割を見直し、縁の下の力持ち的な地味な仕事を忠実にこな
した人々の想いや精神姿勢に光をあてて、日本の産業の歴史あるいは経営の歴史を捉え直してみたい
と考えたからである。
(中略)
もう一つ念のためにふれておきたいことは、
“基層”を担う人々に視点をおくといっても、それは表
層の人々の果たしている役割を無視してしまうことではない。基層を担う人々と表層を生きる人々と
は相互補足的関係に立っているのであり、それ故両者は相補性的(complementary)関係にあるもの
として設置では捉えようとしている。
ここでいう相補性とは二分法と対比される言葉である。二分法は、二つのものが異なっている場合
に、一方のみを正とし他方は切り捨ててしまうのに対し、相補性は一方を切り捨てることをせず、異
なったままで共存し、相互に補足し合う関係として認めるのである。
10)伊藤宗彦 神戸大学経済経営研究所教授 [23]
品質を決める部分。これは、年功序列、終身雇用、企業内組合という日本独特の経営のやり方で培
われてきた。日本企業の多くが実践してきた品質の作りこみは、その後 DR(Design Review)と呼ば
れる新製品設計時に問題点を解決する仕組みが導入され、企業の取り組みとして定着している。製品
開発だけではなく、生産現場、マーケティングなど、あらゆる部門を巻き込んで製品を作りこんでい
くことを「摺り合わせ」と表現し、この摺り合わせの能力自体が日本のものづくりの強みを集約して
いる。
しかしながら GDP の構成上減少傾向にある製造業では高い経済成長を見込むことは難しく、新たな
成長の仕組みを考える必要がある。その一つの方向性が、モノとサービスにより新たな価値を創造し、
その価値から収益を獲得する仕組みまで一貫したやり方を確立する新たなビジネス・モデルの創出で
ある。
モノとサービスにより顧客価値を最大化するためには、企業は販売・顧客部門だけではなく、製品
の開発、生産部門が顧客と一体になって顧客価値を創造する必要がある。たとえば、顧客にはどのよ
うな製品や技術が提供可能であり、どのように設置できるのか、あるいは、顧客のメンテナンスの頻
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度はどのくらいかなどといった情報を、開発・生産部門、販売・接客部門、そして消費者がそれぞれの
情報を提供し、共有化する必要がある。モノとサービスによる価値は、企業と消費者の間で情報が共
有化されることにより継続的に消費者が価値を受け続けることが可能であり、こうした価値は、企業
と顧客の共創関係によって最大化されるのである。
11)黒田篤郎 経済産業省製造産業局審議官 [24]
海外でどのようにして儲けていくのか。言うまでもなく我々が隣接するアジアは、世界の市場にな
りつつあります。特にボリュームゾーンと言われる中間所得層が急激に増えています。アジアの年収
五〇〇〇ドル以上の世帯人口は、この一〇年で四倍に増え九億人。二〇二〇年には二〇億人になる。
日本の人口の二〇倍ですから、ここにどうモノやサービスを売っていくかということです。例えば上
海に行くと日本の女性ファッション誌がよく売れている。ラーメンだとか味の素、ヤクルト、あるい
はセコムや公文式などのサービスなど、多くの企業が現地のボリュームゾーンのニーズに向けて頑張
っています。このニーズを獲得する上で重要なのは、いかにしてヒト・モノ・金・技術を現地化すると
いうことですが、残念ながらこの点は日本企業が不得意なところです。
もう一つの切り口は、インフラです。アジアの新興国ではインフラニーズが非常に大きい。特に最
近は、公共部門に代わって企業がインフラの建設と数十年の運営を請け負う Public Private
Partnership(PPP)の需要が増えています。それを日本は綜合的に請け負い、システムで稼ぐという方
向です。中身は、電力、港湾、鉄道、浄水場、工業団地、いろんなものがありますこれを官民挙げて
やっていこうと、トップセールスを含めて今一生懸命やっているところです。
東アジアでは、
いろんなインフラの大構想があります.例えばデリー・ムンバイ間の産業大動脈構想。
デリーとムンバイはインドの二大都市です。この間で日本の太平洋ベルト地帯のように工業開発・都
市開発をしていこうという構想です。総延長はおよそ一四〇〇キロ、仙台~北九州ぐらいの距離です。
ここに円借款でまず貨物専用鉄道をつくって、それを背骨としハード・ソフトの各種インフラを PPP
等で綜合的に整備する計画です。同じようなことをインドネシアでもやろうと我々は提案しています。
一方で、国内の産業をどうしていくのか、国内の雇用をどう維持していくのか、という問題です。
もちろんサービス経済化が進んで、第二次産業から第三次産業にどんどん雇用が移っていくという流
れはあります。だから工場で働いていた人は、職業訓練を受けてレストランとか介護で働くようにな
って下さい - これが一つの道です。しかし、製造業の中ではどうか、今考えていることを幾つか
ご紹介したいと思います。
我々は昨年一一月に「産業構造ビジョン二〇一〇」をとりまとめました。震災後の状況変化を踏ま
えて、今その改訂を産業構造審議会で議論中ですが、昨年段階では以下のようなことが書かれており、
その大筋は変わらないものと思われます。これまでの日本の製造業というのは、自動車の一本足打法
であった。自動車産業は先ほど申し上げたように輸出の二割を占めます。裾野産業全部を入れると五
〇〇万人ぐらいの雇用を抱えています。その自動車産業が今すごく大変なことになっているわけで、
自動車がだめになると日本経済がぜんぶだめになる。そうならないように、富士山構造から徐々に八
ヶ岳構造に変えていこう。八ヶ岳というのは、あの白馬連峰と同様、峰々がたくさん並んでいます。
そこで自動車にかわる戦略五分野というのを考えました。
一つはインフラ関連あるいはシステム輸出、先ほど申し上げたような海外へインフラシステムごと
売っていく。二つ目は、環境エネルギー関係の産業。エコ産業、グリーン産業です。三つ目は、医療、
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介護、健康、子育てといった分野の産業。この中には、介護ロボットなども含めています。四つ目は、
文化産業立国。クールジャパンというのがありますが、日本の文化、あるいは日本の観光地にお客さ
んを呼んでくるということも含めて、日本そのものを売っていく、文化産業立国。五つ目は、先端分
野。例えばロボット、ナノテクノロジー、レアアース関係(レアアース関係というのは、むしろレア
アースを使わないでいいような磁石をつくるとかそういうものです)
、炭素繊維、バイオ、宇宙衛星、
航空機などです。航空機では三菱が久しぶりに MRJ という国産機を開発中です。そういった分野に集
中して技術開発予算を投入しています。以上が戦略五分野です。今後さらに議論が深まっていくと思
いますが、いずれにせよそうした新産業で日本の雇用と所得を支えていこうという発想です。
(中略)今あげたような産業が現在の自動車産業に代わり得るのかというと、まだちょっとそこまで
には荷が重いという感じはしますが、かといって何時までも従来型の産業におんぶにだっこというわ
けにはいかない。そういった幾つかの新しい産業の芽を引っ張り出しては、集中的に応援をする。そ
ういうことで、八ヶ岳あるいはここの白馬連峰のように、幾つかの峰(分野)がそろって、国内の経済
成長が維持され、雇用が維持されるという絵を何とかして描きたいと、今奮闘しているところです。
現状では、株式会社産業革新機構や株式会社日本政策投資銀行、日本政策金融公庫といった民営化
された事業主体が、資金提供において民間金融機関を補完する大きな枠を確保していることから、イ
ノベーションの推進において機能するか否かを見守ることが必要である。
人材の育成については、民間企業で実績を挙げたプロジェクトマネージャーに、そのノウハウ・経験
を展開できるようさらなる機会を提供するとともに、人材育成のためにそれらを吸収して伝えること
のできる指導者(スーパーバイザー)の育成と教育機会の確保が肝要である。また、その機会を最大
限に活かすためには、大学初年度からコンテストなどを通じて新たな発想の発現機会を設け、失敗し
ても再チャレンジできる継続した実践教育として確立することが望まれる。
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内閣府経済社会総合研究所(ESRI)
Economic Social Research Institute, Cabinet Office, Government of Japan
東京都千代田区霞が関 3-1-1
3-1-1, Kasumigaseki, Chiyoda-ku, Tokyo 100-8970 Japan
TEL 03-5253-2111(内線 45535)
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