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高橋源一郎 1

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高橋源一郎 1
1
高橋源一郎
のではないかと思う。
手違いが生じたのは、ぼくが使って
いたのが、富士通の親指シフトキーボ
ードのワープロだったからだ。日本語
入力をするのに、親指シフトを用いた
OASYSソフトは最強だった。とこ
ろが、である。富士通以外に親指シフ
トを採用するメーカーはなかった。そ
れどころか、頼みの富士通さえ親指シ
フトを諦め、大勢となったローマ字入
力に踏み切った。
ぼくのような、取り残された﹁親指
シフター﹂たちは、もはやガラパゴス
ゾウガメのような絶滅危惧種となった
愛機と共に生きてゆくしかなかったの
ぼくがiPadを買ったわけ
Column
話せば長いことになるのだが、ぼく
は決して、ITや電脳と無縁な生活を
していたわけではなかった。ワープロ
の 導 入 は 1 9 8 5 年︵ 年 だ っ た か
も︶。その頃、ワープロを使って書いて
いる作家は、片手の指ぐらいだった。
パソコンだって、海外情報で﹁へえ、
マッキントッシュって、なかなかいい
みたいじゃないか﹂と呟きながら、日
本のパソコンゲームには魅力を感じな
いので、AMIGAというメーカーの
パソコンで、インタラクティブ︵対話
型︶ゲームを︵しかもよくわからない
のに英語で︶やっていた。いや、ほん
と、その頃は電脳戦線の最先端にいた
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である。もちろん、親指シフトのパソ
コンを特注で作ってもらうことはでき
た。だが、それは原稿を書いて、メー
ルで送るためのものだった。はっきり
言って、ワープロに通信機能がついて
いればよかったのだ。
パソコンがどんなに進化しても、ア
ップルがiPodやiPhoneを出
そうが、教えている学生たちが全員ス
マートフォンを持っていて、ぼくが携
帯では電話しかしないよ、だって携帯
のキーが親指シフトじゃないから、と
言ってみんなに呆れられても、ぼくは
この電脳社会のガラパゴス島で、なに
不自由なく暮らしていたのである。
正直に言おう。羨ましかったのだ。
みんなのようにさくさくメールを打て
たらいいだろうなあ⋮⋮ダウンロード
して音楽を聴けたら楽しそうだなあ⋮
⋮というかパソコンをどこへでも持ち
運べたら便利だよなあ、ぼくのノート
パソコン、重たくてうんざりするんだ
よなあ⋮⋮というか、iPadって、
最近、友人や編集者のみなさんが自慢
気に見せてくれて、すごく面白そうな
んだけど、こんなに出遅れた還暦の男
には無理だよね⋮⋮ひそかにそう思っ
ていた。
そんなある日、ぼくのあきらめを根
底から揺るがす事件が起こったのだ。
鎌倉の妻の実家を訪ねた時、お義母さ
んのiPadで、小学1年生の息子が
楽しそうにゲームをしはじめたのだ。
お義母さんが言った。
﹁れんちゃん 息
(
子です 、
ひ
) とりで勝手にダウンロード
し ち ゃ っ た の よ ね ﹂。 ぼ く は 尋 ね た。
﹁やり方、誰に教わったの?﹂。れんち
ゃ ん は 答 え た。
﹁ な ん と な く、 で き た
よ﹂。1年生ができるのかよ!
それがすべての始まりだったのであ
る。
還暦からの電脳生活は
毎週金曜日掲載です
高橋源一郎︵たかはし・げんいちろう︶1951年1月1日、広
島県生まれ。 年﹁さようなら、ギャングたち﹂でデビュー。 年
﹁優雅で感傷的な日本野球﹂で第1回三島由紀夫賞、 年﹁日本文
学盛衰史﹂で第 回伊藤整文学賞、今年8月には短編集﹁さよなら
クリストファー・ロビン﹂で第 回谷崎潤一郎賞を受賞。NHKラ
ジオ第1放送﹁すっぴん!﹂
︵8時∼ 時︶金曜日に出演中。明治学
院大学教授。
︵ @takagengen
︶ on Twitter
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