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Hirosaki University Repository for Academic Resources
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語彙史研究を利用した古文教育 : 『伊勢物語』初段
「なまめいた女」考
郡, 千寿子
弘前大学教育学部紀要. 93, 2005, p.1-6
2005-03-30
http://hdl.handle.net/10129/591
Rights
Text version
publisher
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
1
弘前大学教育学部紀要 第93号 :1- 6(
2
005年 3月)
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05)
語嚢史研究を利用 した古文教育
- 『伊勢物語 』初段 「
なまめいた女」考-
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郡
千寿子*
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uko KOHRI
*
【
論文要 旨】
語嚢史研究 とい う専門の研究成果 を教育現場 に還元 し、魅力ある古文教育 についての考察検討 を試みた も
のであるO一般的 には、現代社会 を生 きる上で、古文 の素養や知識、あるいは古典文法や古語 の意味な どは
不必要である、 と誤解 されが ちであ る。 しか し、古典 を学ぶ意義 は、単 に教養的 に過去の文化遺産 として学
習す る ことだ けではない。現代 の文化や社会 につ いて考 える ことにつ なが ってい るものであ り、 日本文化 に
ついて再考 し、 日本語 の成 り立 ちについて考 えることにもつ ながっているのである。
本稿では、『
伊勢物語』初段 を教材 として取 り上 げ、主人公 の男性 が心惹かれた 「
な まめいた女」の具体的
な魅力 について解説 し、古語 と現代語 の相違性 を明 らか に した。 「
今」 に影響 を及 ぼ している存在 として、古
文を理解す るための教育方法の一例 として、 ことばの歴史的変遷 に着 目した、古文学習 を提案す るものであるo
【
キー ワー ド】
語嚢虫研究
古文教育
現代語 と古語
は じめに
的変遷 をふ まえた言語文化研究 を通 して、古文 と
現在 がつながってい る ことを実感 させ る授業実践
高校古典教科書 に掲載 されている古文は多岐 に
わたるが、『
伊勢物語』は比較的取 り上 げられ るこ
例 を提示 し、また『
伊勢物語』を教材 としなが ら、
必
要 に応 じて、
『
伊勢物語』か ら離れて考 えてみ る、と
うひか うぶ り
との多い教材 である。 なかで も、初段の 「
初 冠」
い う教育方法 の有用性 について も言及 してみたい。
は よ く知 られた もののひ とつであ り、た とえば、
古文 とい う存在 を、決 して過去の遺産 としてで
大修館書店 の 『高等学校古典 Ⅰ』、教育出版の 『
古
はな く、現在 とどの よ うに関連 してい るのか、現
典 Ⅰ』で採用 されている入門期的な古典教材である。
代社会 とど う関係 してい るのか、そ うした現代 に
古典嫌いの学生が年 々増加 してい る現状のなか
生 きる学習者 の視点か ら古文 を とらえてみ ること
で、魅力ある古文教育 につ いて考 えることは、高
によって、学習者 に身近 な存在 として位置づ けを
校 の教科教育の範 囲に とどま らず、教育者養成期
はか りたい。そ うした ことが学習意欲 にもつなが
間である本学教育学部 において も重要な課題 のひ
り、理解 の深化 を うながす ことになるのではない
とつである と思われ る。本稿 は、 日本語 学の立場
か と考 えている。
か ら、語嚢史の研究成果 を どの よ うに教科 として
の国語科教育 に生かす ことができるか についての
1.教科書掲載の 『伊勢物語』初段
試論である。
文学史上 にお ける 『伊勢物語 』の意義や、登場
大修館書店 の教科書 『高等学校古典 Ⅰ』 を一例
人物 (
主人公)の気持 ちの理解 、あるいは文法事
に考 えてい くことにしたい。教科書本文 には脚注
項 の説 明、 とい った従来の古文学習 とは違 った視
として古文読解 に必要な重要語句の説 明が付 され
点か らの、語嚢史研究 を利用 した古文教育 の可能
てお り、それ も参考 まで に引用 してお く。
性 について提案 してみたい と思 う。 ことばの歴史
*弘前大学教育学部 国語 国文学科教室
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2
郡
初
千寿子
冠
昔、男、初冠 して、奈良の京春 日の里に、 しるよしして、狩 りに往 にけ り。その里に、い と
なまめいたる女は らか ら住みけ り。
この男、かいまみてけ り。思ほえず、ふ る里 にい とはしたな くてあ りければ、心地まどひに
け り。男の、着た りける狩衣の裾を切 りて、歌を書 きてや る。その男、信夫摺の狩衣 をなむ着
た りける。
春 日野の若紫のす りごろもしのぶの乱れかぎ りしられず
となむ迫ひっきて言ひや りける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
みちの くの しのぶ もぢず りたれゆゑ に乱れそめにしわれな らな くに
といふ歌の心ば-な り。
昔人は、か くいちはや きみやびをなむ しける。
①
初冠 -男子が成人 して初めて冠をつ ける儀式。元服。
②
春 日-奈良市春 日野のあた り。
③
しるよしして-その土地 を領有 している縁で。
④
かいまみてけ り-物のす き間か らのぞき見 したのであった。
⑤
ふ る里 -さびれて しまった昔の都。
⑥
は したな くて-不似合いなほ どに美 しくて。
⑦
狩衣 -公家の男子の平服。狩 りに出る時や 日常の生活で着用 した。
⑧
信夫摺 -布地の染色の しかた。 「しのぶ ぐさ」の茎や葉を摺 りつけて、模様 を染め出 した もの。
陸奥の国信夫郡 (
今の福島県福島市一帯)の特産。
⑨
しのぶの乱れ - 「
姉妹 を偲ぶ心の乱れ」 との掛詞。
⑩
追ひっ きて-す ぐさま。
⑪
ついで-事のな りゆき。 ここでは、 この よ うな折 をた らえてす ぐに歌 を詠んで贈 ること。
⑪
みちの くの-- 「
古今集」恋四に、河原左大臣 (
源融)の作 として収め られている。
「しのぶ もぢず り」までが 「
乱れ」 を導 く序詞。
⑬
いちはや き-はげしい。情熱的な。
本稿では、次章以降において 「
なまめいた女」
2.物語の展開
をキ⊥ヮー ドとして、『
伊勢物語』の主人公、在原
業平が心惹かれた女性像 について解明することに
『
伊勢物語』初段の物語展開について、簡単 に要
焦点を絞って考えていきたい。 しか し、教科書下
約すると次のよ うになるであろ う。説明解説のた
段 には、重要古語 と思われる、本稿で考察語 とし
めに便宜上、古語の 「
なまめいた」「
はしたない」
て取 り上げる 「
なまめいた」 とい う語 には注釈が
を残 したままでス トー リーをまとめてお く。
ない。 どの語 に注釈 を施すか とい う問題は、 この
教科書教材 を使って、何 をどう教 えるか とい う目
①
ある男 (
-在原業平)が奈良の春 日の里-
的にも関係 してお り、教科書作成者の判断基準の
タカ狩 りに行った。
ひ とつを見ることにもな りうることを指摘 してお
②
きたい。
③ 思いがけず、田舎 にはしたない様子でいた
おそ らく 「
なまめいた」は、単純 に 「
優美な」
と解説 されるもので、注意を要 しない存在 と考え
その里になまめいた女姉妹が住んでいた。
ので、心が動揺 して しまった。
④ 男は、す ぐに狩衣の裾 に歌を書いて恋す る
られていた と予想 され るのである。
気持ちを伝 えた。
みや ぴ
⑤
男の情熱的な振 る舞いを雅 と賛美する。
3
語嚢史研究を利用 した古文教育
特 にここでは古語の 「
なまめいた」「
は したない」
も う少 し深 く考 えさせてみ ることは、有益な興味
の解説が必要 になると思われ る。古文読解 の際、
の持たせ方である と考 えている。男が一 目ばれす
気をつ けな くてはな らないのは 「
現在 も使用 して
るほ どであるか ら、 きっ と素晴 らしい女性だった
いることば」である。
に違いない。一体 どんな美 しさをもった女性だっ
②の 「
なまめいた女」 につ いては先 に指摘 した
よ うに教科書 に注釈 が ない。一般 的 には 「
優美
な」
2)
と解説 され るよ うである。③ の 「
は したな
い」は、現代語 との関連か ら誤解 されやすいため、
たのだろ うか。その 「
美 しさ」の真相 について追
求 させてみたいのである。
「
まなめいた」とい うことばか ら現代の人々が想
像す るのは 「
艶めいた」 とい うことばであろ う。
学習者が理解 しやすい よ うに教科書 に注釈 として
「
艶」 は 「
色 っぽい」 を連想 させ、何 とな く男 と
「
不似合いなほ ど美 しくて」 と解説 されていた。
女のにおい、セ クシャルで官能的なイ メージであ
しか し、古語 と現代語 との意味の相違 を示 し、現
る。例 えば現代の国語辞書 『
新明解 国語辞典 (
第
代語で理解できれば よい とい うわ けではないであ
五版)』
ろ う。
人の上品な美 しさの中に性的魅力が感 じられ る様
なまめいた女 -優美な女
3)
の解説 によれば、「
なまめか しい一女の
子だ」 とある。
は したな くて -不似合いなほ どに美 しくて
と結論だけを示す と、現代語 と古語の意味を対応
教科書の注釈 にも解説 されていない この 「
なま
めいた女」 について、現代語 に引きず られ ること
させて、受験単語の よ うに覚えな くてはな らない
を予想 した うえで、学生達 にこの女性像 について
もの、 と理解 されて しま う。 ことばに興味を持た
質問 してみた。かいま見た男を一瞬で虜 にした素
せ るためには、結論だけを示すのではな く、その
敵な女性なのであるが、一体 どんな女性だったの
過程 にまで言及 し、「ことばの背景」について納得
だろ う。具体的 には、 どうい うタイプの女性 を想
させ る必要があるのではないだろ うか。
像 し、た とえば女優でいえば誰なのか。
「
は したない」と現在では 「
下品だ」と解 され る
「
なまめいた女」 を具体的 に想像 させてみ ると、
ことばが、なぜ ここでは 「
美 しい」 とい う、ある
学生達が返答 してきた女性像 は 「
川島なお美 ・藤
意味で褒め ことばになっているのか。不思議 に感
原紀香 ・叶姉妹 ・黒木瞳」 といった女優陣の名前
じてほ しい箇所なのであるが、授業では、結論 を
であった。つ ま り彼 らは 「
年上の魅力的な女性」
提示す るだけにな りがちである。
を想像 した ことになる。
言語の意味変化は決 して突然変異ではな く、変
自分たちが魅力的だ と思 った女性、一 目惚れす
化の背景 には論理的 に説明できる理 由が存在す る
るよ うな状況設定 を身近な問題 として彼 らに想像
のである。
させ、考 えさせてみることによって、『伊勢物語』の
「
は したない」についての考察 は次回にゆず るこ
世界 と自分たちの世界 との共通点を見出 させ る。
とにし、本稿ではまず、教科書での注釈のない語
主人公の元服 したばか りの業平は、授業を受 ける
「
なまめいた」 につ いて検討 しておきたい。 こと
ばの背景 について興味を持たせ ることによって、
学生達 と同 じ年頃である。若者の「
恋す る気持 ち」
を考 えることを通 して、遠い存在の古文が、 自分
古文学習-の意欲 向上 にも効果 を期待 したい と思
たち と共通領域 をもつ存在であることを実感 させ
うのである。
たいのである。
3.「なまめいた女」の具休像
的 な大人 の女性」で あ るはず な のだ が、古語 の
現代 においてはま さしく彼 らの想像通 り、「
魅惑
「
なまめいた」の真相は彼 らの予想通 りではない。
手近な角川文庫 『
伊勢物語 』
2)
(
石 田穣二訳注)
にもこの箇所 は、「
たおやかな女の美 しさが本来の
実は 「
なまめいた女」とは、「
艶めいた」ではな く
「
生めいた」女の ことなのである。
用法であろ う」 と補注 されている。高校 の古典の
授業 においては、 「
優美な女」つま り 「
美 しい女」
4.古語 「なまめ く」の用例
と理解 させ ることで十分なのか もしれない。
しか し、彼 らに実感 を伴 った古文 として理解 さ
4
)
比較的古い写本が残存 している『
今昔物語集 』
せ よ うとい う工夫をす るな らば、「
かいま見た男の
では、ま さしく 「
生 メク」 とい う漢字表記が次 に
心 を瞬時 にとりこにした魅惑的な女性」 について、
引用す るよ うに使用 されている。
郡
千寿 子
賀茂 ノ祭 ノ物見車、返サ ノ紫野 ノ生 メカ シク、
なっか しうなまめきて、あはれ げに心苦 しう
ホ トトギス
神舘二郭公 ノ眠 夕気二鳴キ、花橘二付ル心バ
おぼゆ。
『
源氏物語
椎本』
ヘナ ドモ有 メ リ。
(
『今昔物語』巻第十九 第三三)
エモイハ
艶 ズ装 ゾキタル女会 タ リ。濃キ打 タル上着ニ、
ゆか しく、 しみ じみ とした感 じで、 しか もいたわ
紅梅 ・萌黄ナ ド重ネ着テ、生 メカ シク歩 ピタ
しいほ どに優美な美 しさを表現 した箇所である。
リ。
(
『今昔物語』巻第二八 第一)
大君 の喪服姿 を描 く一節であるが、気高 く、奥
外見的な美 しさではな く、内面的な気品ある容姿
を賛美 していることが知 られ る用例である。
「
なまめいた」の 「
なま」は 「
生卵」の 「
生」 と
基本的 には通 じているものである。「
生卵」は加熱
また、高校の教科書教材 として必ず採 り上げ ら
れている 『
枕草子 』
6)
には、ま さしく 「
なまめか
調理 していない卵 の こと。「
生」は本来 の自然その
しきもの」(
第八十五段)を列挙 した章段が存在す
ままの姿、未熟や不十分 とい う意味である。「
生卵」
る。
が 「
熟 していない卵」であるよ うに 「
なまめいた
なまめか しきもの
女」 も 「
熟 していない女」 を指すのであ り、年齢
を重ねた女性 は、条件 に反す るのである。未熟で
自然そのままが美 しい、生娘でなければな らない。
はそやかにきよげなる君たちの直衣姿。 を
か しげなる童女の、表の袴な どわ ざとはあ ら
か ざみ
「
若 さの中のみずみず しい美 しさをもつ清純な少
で、ほころびがちなる汗杉ばか り着て、卯槌、
女」が 「
なまめいた女」なのであって、色 っぽさ
薬玉な ど長 くつ けて、高欄 のもとな どに、扇
や成熟 とい うことばの雰 囲気 とは、実は対極 に位
さし隠 して居たる。
置す る美 しさの表現 なのである。
薄様の草子。柳の萌 えいでたるに、肯 き薄
とす るな らば、学生達が想像 した女優陣 「
魅惑
様 に書 きたる文付 けたる。三重が さねの扇。
的な年上女性」は当てはま らない ことになること
五重はあま り厚 くな りて、 もとな どに くげな
がわかるであろ う。「
なまめ く美 しさ」は、本来の
り。 (
中略)
「自然で清純な美 しさ」か ら、「
艶」とい う漢字表
白き組 の細 き。帽額 のあ ざやかなる。簾の
記の作用 によって、女性 のたおやかな色 っぽ さ、
外、高欄 に、い とをか しげなる猫 の、赤 き頭
嫡びをふ りま く方 向- と意味変化 していった こと
綱 に白き札つ きて、いか りの緒、組の長 きな
ばだったのだ。
どつ けて引きあ りくも、をか しうなまめきた
もともとは品のある美 しさを表現 した ものであ
り。
り、女性特有の美 しさを指す ものではな く、男性
五月の節の菖蒲 の蔵人。菖蒲 のかづ ら、赤
ひ
れ
く た い
に対 して も使用例が多い。た とえば、『
源氏物語 』5)
紐の色 にはあ らぬを、領布、裾帯な どして、
の光源氏や薫 中将 といった男性の、派手 に飾 らな
薬玉、親王、上達部の立ち並みたま- るにた
い 自然な気品ある容姿 を賛美 して使われて もいる。
てまるれ る、いみ じうなまめか し。取 りて、
腰 にひきつ けつつ、舞踏 し、拝 したまふ も、
い と若 く、清 らにて、か く御賀な どいふ こと
い とめでた し。
は、ひが数- にや とおぼゆるさま、なまめか
紫の紙 を包み文 にて、房長 き藤 に付 けたる。
お
しく、人の親 しげな くおは します を-・
。
『源氏物語
若菜上』
ここでは 「
若 く」 「
清 らかな」様子が 「
なまめか
み
小忌の君たち も、い となまめか し。
『
枕草子
八十五段 』
「
なまめか しきもの」 と最初 に挙 げられている、
しく」 と表現 されている。 また、次の よ うな場面
君たちの直衣姿は、 「
ほそやかに」 「
清 げなる」様
で も使われている。
子で、その美 しさを 「
なまめか し」 と表現 してい
る。また、「
童女」のかわい らしい姿 を評 している
大君 「
いみ じ うもあるべ きわ ざかな」 とて、 う
ところか らも、決 して 「
成熟 した美 しさ」ではな
しろめたげにゐ ざり入 りたまふほ どに、気高
く、 「
若 々 しい初 々 しい美 しさ」が 「
な まめか し
う心 に くきけはひそひて見ゆ。黒 き袷-襲、
い」の本質であった ことが理解できるであろ う。
同 じや うなる色あひを着たま-れ ど、 これは
このほか、『
枕草子』では、引用本文にみ られ る
語嚢史研究を利用 した古文教育
5
ように季節や 自然のなかに 「
なまめか し」い美を
る方法である。過去の言語 との関わ りを考えるこ
兄い出しているのである。新芽の萌えいずる様子
とは、言語を通時的にとらえてみることである。
を上 げているところか らも、当時の 「
なまめか し
そ して他方、『
伊勢物語』以外の古典作品の使用
さ」は、初々 しい新芽や清 らかで さわやかな若葉
例 を検討することか ら、古典の世界における横の
に感 じられ るような美意識であった ことが、 うか
つなが り、ある時代 における言語の静止的な状態
がい知ることができる。
を知 ることができる。共時的な ことばの在 り方を
1
6
0
3
年 に成立 した、 日本語 をポル トガル語で説
とらえる方法である。
明 した 『日葡辞書』では、「
ナマメカシイ」が古語 を
『
枕草子』では、 「
季節や 自然 になまめいた美」
示す剣印を付 した語形で掲載 されている。『
邦訳 日
を見出していた。『
源氏物語』では、女性美 に限 ら
)で は、 「
Namame
c
axi
j
.
ナ マ メカ シイ
葡 辞 書』 7
ない男性-の用法があった。そ うした『
伊勢物語 』
(
な ま め か しい)愛 婦 が あ って 美 しい こ と」
以外の作品か ら、「
なまめ く」とい うことばの表現
「
Namame
qi
,
u,
e
i
t
aナマメキ、ク、イタ (
なまめ
された具体例を知 り、現代 と古典の世界 における
き、 く、いた)容貌や身のこな しが優美で見事で
言語イメージの対比をより実体化 して理解するこ
ある。一般 に婦人について言 う」 と解説があ り、
とができると思われる。
中世期 には女性特有の美を指す ことば として使用
『
伊勢物語』の文学作品 としての学習か らは少 し
されていた らしい ことが うかがえる。 しか し、少
離れるが、 こうした言語研究手法 を通 して、社会
な くとも、まだ 「
色っぽい、妖艶な」 とい う現代
と文化の多様性 を知ることにもなるであろ う。 日
に通 じる美意識 には限定 されていなかったのであ
本語の変遷 を考える、言語の背景を知る、 とい う
る。
視点か らの授業実践 を通 して、古典 とい う教科そ
のもの-の興味を喚起 させ ることができないか と
5.言語研究の縦軸 と横軸
「
なまめいた女」について、現代の私達が想像す
考 えている。
おわ りに
る女性像 -た とえば川島なお美や黒木瞳 ら-は、
あ くまで現代語 を基礎 とした考え方である。業平
『
伊勢物語』は古典 における当時のベス トセ ラー
が恋 した 「
なまめいた女」は、現代語訳では 「
優
作品であ り、後の 日本文学に与 えた影響 も大きか
美な」魅力をもった女性 には違いないが、その美
った。『
伊勢物語』は、今でい う、吉本ばななや村
しさの資質は、学生達の予想 とは全 く正反対だっ
上春樹の作品のように多 くの読者を魅了 したので
たのである。 「
成熟 した女性」でな く、 「
若々 しく
ある。 自分が好 きか嫌いかは別 として、多 くの読
初々 しい女性」を想像す る必要があったのだ。
者 に支持 された作品 とい うことで、価値 をもつ も
学生達は自分たちの予想が裏切 られた ことに衝
撃を受ける。 しか しこれはマイナスの衝撃ではな
のであ り、知ってお くべ き古典文学作品のひ とつ
であることを伝えたい と思 う。
く、 ことばの背景 についての実感を伴った理解-
『
伊勢物語』は在原業平 と目され る 「
男」が、行
とつながるであろ う。 ことばの変遷の真相を知 っ
く先々で恋をす る物語である。一二五段あ り、彼
た彼 らが今一度 『
伊勢物語』の世界 に戻った時、
の一生涯 にわたる恋愛遍歴のおはな しである。羨
冷めた眼で眺めていたはずの古文の世界が、 自分
ましい と思 うか、軽薄な男だ、 と軽蔑するか。 自
達 とつながった身近な存在 として映 るはずである。
分な ら彼のことをどう感 じるだろ う。
「
生めいた」が 「
艶めいた」に移行す るのはこと
当時の人々の憧れの対象であった業平像を想像
ばが生 きているか らであ り、言語使用者である私
しなが ら、また、彼が恋 した女性像 に思いを馳せ
たちが生活 しているの と同 じように、 ことばがそ
なが ら 『
伊勢物語』を読んでみ ると、遠い存在だ
れぞれの時代 と社会の中で息づ きなが ら存在 して
った古文の世界が、恋物語 とい う自分 にも予想可
いるか らだ。
能な身近な存在 として興味深 く感 じられ るもの と
今 と昔のことばの意味の相違、イ メージの違い
なるのではないだろ うか。
を知 ることは、それぞれの時代 と社会の相違を考
単純 に考えれば、本稿で取 り上 げた初段の物語
えることにつながっている。過去か ら今- と続 く
の 「
出逢 ってす ぐに一 目惚れ した と熱烈な ラブレ
ことばの歴史的考察は、縦軸 によって言語観察す
ターを送 りつ けて くる男性の言動」 に現代女性は、
6
那
千寿子
感 激 す る こ とな どあ り得 な い で あ ろ う。 現 在 な ら、
3
3、 「
な まめ くは、な よ
助校注 ・訳)小学館 、p1
ス トーカ ー まが い の この言動 が 、なぜ 『伊 勢 物語 』
よかに優美である魅力のあるさまをい う。」と補注
みや ぴ
と して プ ラス評 価 され て い るの で あ
があ り、現代語訳は 「
たいそ う優美な」 とな され
ろ うか。個 人 に よって好 み が あ る よ うに、 時代 や
教 育 出版)所
てい る。高校教科書 の 『
古典 Ⅰ』 (
では 「
雅」
8)
社 会 に よる判 断基 準 が違 うこ とを理 解 す る必 要 も
あ る。 当時 の文 化思 想 の真 の理解 な しには、 この
初 段 の面 白み は共 感 で きな い で あ ろ う。
いにしえ
古 の世 界 に現 代 の学 生 を誘 うの には、 それ な り
の仕 掛 け と工 夫 が必要 で あ る。 過 去 は現 在 につ な
が って い る。 昔 を知 り、 それ と比較 す る こ とにお
いて 「
今 」 が よ り鮮 明 とな り、古 文 学 習 は広 く現
代 社会 や 現 代語 を考 え る資料 とも成 り うるの で あ
る。 過 去 と現 在 にお い て何 が普遍 で何 が相違 して
い るか。 学 生 自 らに思 考 させ な が ら、言語 変 化 に
焦 点 を絞 った古 文教 育 の一例 につ い て『伊勢 物 語 』
初 段 を題 材 に考 えてみ た。
近 年 、学 習指 導 要 領 が改 訂 され 、 国語 の教 科 と
、p2
0、本文の脚注 には 「
なまめ
収の 『
伊勢物語』
いた る-若 々 し く美 しい。 「
なまめきた る」のイ
音便。」 と解説 が付 されてい る。 日本古典文学大
系 『
伊勢物語』(
大津有一、築島裕校注)岩波書店、
pl
l
l
、「
若々 しく美 しい」 と補注がある。
3)『新明解 国語辞典 (
第五版)』三省堂 、2
0
0
0
年、
p1
0
4
8
参照。
4) 日本古典文学大系 『
今昔物語集四』岩波書店、
p1
2
8、『今昔物語集五』岩波書店 、p5
2
参照。
」「なまめか し」を考
5) 『
源氏物語 』の 「
なまめ く
察 した研究論文、梅野 きみ子 「
光源氏 の 「
なまめ
なまめか し」美 - 「
き よら」美 と対比的 に
く」「
- 」『
平安文学論集 』1
9
9
2
年1
0
月、梅野 きみ子 「
光
源氏 か ら薫--その 「
なまめ く」「
なまめか し」
美のを中心 に- 」 『名古屋大学国語 国文学』1
9
8
6
年
して の 目標 が、文 学傾 倒 を見直 し、言語 事 項 や 言
1
2
月、等参照。引用本文は、完訳 日本の古典 『
源
語 文 化 とい った領 域 を重 視 す る傾 向 にな って い る。
p4
3、『
源氏物語八州 \
学館 、
p1
7
1
氏物語六』小学館 、
そ うした現 状 を背 景 に、 日本語 学 の視 点 か らの教
参照。
科教 育 につ い て 、今 後 も考 察 検 討 を重 ね 、提 案 し
て い きた い と思 って い る。
6)角川文庫 『
枕草子上』角川書店 、p1
1
7
参照。石
田穣二訳注の角川文庫本 によれば、 この八五段の
「
なまめか しきもの」は 「
優美な もの」 と現代語
訳 されている。
注
1) 日本語学の語嚢論 としての研究論文は多数発表
されている。北山渓太
「
「
なまめか し」「
艶」考」
7) 土井忠夫 ・森 田武 ・長南実
編訳 『邦訳 目葡辞
書』岩波書店 、p4
4
5
参照。
1
巻1
2号、1
9
5
4
年1
2
月、前 田惟
『国語 と国文学』3
8) 『
伊勢物語』の 「
雅」論は研究論文が多数 ある。
「
「
なまめか し」論 」 『国語 と国文学』3
4
巻 1号、
1
9
5
7
年 1月、小島俊夫 「
「
なまめ く ・なまめか し」
王朝美的語詞 の研 究』笠 間
犬塚旦 「
みや び考 」『
義
の意味」『日本語 と日本文学 』3号、2
0
0
0
年 8月等
参照。
2)角川文庫 『
伊勢物語』(
石 田穣二訳注)角川書店、
p1
5
参照。現代語訳 は 「とて も美 しい」 とな され
てい る。 日本古典文学全集 『
伊勢物語』 (
福井 貞
書院 、1
97
3
年所収、秋 山虞 「
伊勢物語 『
雅』の論」
4
巻 1号 、1
9
7
4
年 1月、鈴木 日出男編、
『圃文学 』2
3
4竹取物語伊勢物語必携』学燈
『
別冊 国文学No.
社 、1
9
8
8
年 5月、『国文学 ・伊勢物語 と業平 の世
界 』2
4
巻 1号 、1
9
7
4
年 1月等参照。
(
2005.1
.11
受理)
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