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のキリスト教徒の話に着目して―『天路歴程』

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のキリスト教徒の話に着目して―『天路歴程』
『台灣日本語文學報 22 號』PDF版
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載・複製・印刷・刊行・公開することを禁止します。
以《銀河鉄道之夜》的基督教教徒的發言為中心
─與《天路歴程》之比較研究─
蔡宜靜
立德管理學院應用日語系助理教授
摘要
宮澤賢治的童話創作《銀河鐵道之夜》這部作品在長達十年的創
作 期 間 歷 經 四 次 的 改 稿 , 因 此 在 分 析 各 個 創 作 階 段 的 變 更 , 特 別 是論
証 作 中 人 物 追 求 〈 真 正 的 幸 福 〉 的 設 定 時 , 筆 者 發 現 幾 乎 所 有 先 行研
究 皆 傾 向 於 援 用 宮 澤 賢 治 本 身 的 法 華 信 仰 做 為 前 提 。 然 而 過 於 偏 頗於
作 者 的 宗 教 信 仰 時,是 否 有 忽 略 改 稿 過 程 中 未 被 削 除 的 部 分 ,特 別 是 與
基督教相關描寫所隠含的作者創意由来的疑慮?
因此,筆者留意到基督教文學中英國作家拜揚所創作的《天路歷
程 》這 部 著 作。就 本 論 文 的 考 察 結 論 而 言 :《 銀 河 鐵 道 之 夜 》這部 作 品
明 顯 地 受 到 了《 天 路 歷 程 》的 影 響。本 論 文 的 內 容 就《 銀 河 鐵 道 之 夜 》
的 改 稿 部 分 , 特 別 是 針 對 初 期 形 稿 中 基 督 教 教 徒 的 發 言 , 如 何 成 為最
終形作品形態的改寫狀況,分析宮澤賢治如何在書寫上作推敲的痕
跡 。 經 由 檢 討 兩 部 作 品 間 的 對 照 結 果 , 筆 者 認 為 在 既 來 詮 釋 作 品 中船
難的青年和同行姐弟的人物設定的意義等觀點上提供了一個新的視
點,並且在解讀作家的寫作方法上,提示了一個新的理解方式。
關 鍵 詞 :《 銀 河 鐵 道 之 夜 》 《 天 路 歴 程 》
船難的青年和同行姐弟
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改稿
基督教教徒
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Conversation of Christian in Night of the Milky Way
Railway: Compared with The Pilgrim Progress's Complete
Tsai, Yi-Ching
Assistant Professor,Leader University
Abstract
Because Miyazawa Kenji rewrote Night of the Milky Way Railway four
times within ten years, most of the early research concerning his work
pays attention to the setting of the work, trying to define the hero's
speculation about ultimate happiness by referring to the author's Nichiren
religion. But when we turn out our attention to why he made the
characters' of the shipwrecked young people as Christians in the first
version, and why all the descriptions of Christianity still remained in the
final edition, the approach mentioned above cannot provide a proper
answer to interpret the writer's real intention.
Therefore, concerning the conversations of Christian, I think it might
be effective to compare the work with The Pilgrim's Progress's Complete
written by John Bunyan to get some answers. In this essay,I try to analyze
the creating process of the beginning draft,especially focusing on the
cristian’s words to see how they were rewritten by Miyazawa Kenji. By
examining all the correspondences between the two works, we not only
establish a new reading which differs from precious interpretations of the
shipwrecked young people, but also understand where the writer's idea
and creative impulse came from.
Key words : Night of the Milky Way Railway , The Pilgrim Progress's
Complete, Rewriting , Christian , Victims of Shipwreck
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『銀河鉄道の夜』のキリスト教徒の話に着目して
―『天路歴程』との比較研究を介して―
蔡宜静
立徳管理学院応用日本語科助理教授
要旨
『銀河鉄道の夜』は、合算すると十年間にもわたって宮沢賢治に
よ る 四 回 も の 手 入 れ が 行 わ れ た 。そ の た め 、作 品 が 改 稿 さ れ た 経 緯 、
と り わ け 、 主 人 公 が 究 極 の 幸 福 を 求 め よ う と す る 設 定 に 着 目 し た先
行 研 究 の ほ と ん ど の 論 点 は 、 筆 者 の 管 見 の 限 り に お い て は 、 本 作品
の 創 出 を 彼 の 熱 烈 な 法 華 信 仰 と 関 連 付 け て い る 。 し か し な が ら 、キ
リ ス ト 教 徒 青 年 ら の 設 定 や 他 宗 教 的 な 雰 囲 気 と い っ た 諸 描 写 が 、最
終 形 に な っ て も 依 然 削 除 さ れ な か っ た 点 を 考 慮 す れ ば 、 賢 治 の 意図
を改めて吟味する余地があるのではなかろうか。
筆者はそこで、キリスト教文学の中からバンヤン作『天路歴程』
に 注 目 し た 。 結 論 か ら 先 に 言 え ば 、 本 作 品 に は 、 明 ら か に 『 天 路歴
程 』 か ら 影 響 を 受 け た 点 が 認 め ら れ る 。 本 稿 で は 、『 銀 河 鉄 道 の 夜 』
の 改 稿 部 分 、 と く に 初 期 形 の キ リ ス ト 教 徒 の 青 年 の 話 に つ い て 、そ
れ が 最 終 形 に 見 る 形 に ま で ま と め あ げ ら れ る 以 前 に 、 賢 治 に よ って
ど の よ う な 添 削 が 加 え ら れ た か と い う 点 を 中 心 に 分 析 を 加 え よ う。
こ の 営 為 を 通 じ て 、 作 中 の 青 年 と そ の 道 連 れ の 人 物 像 に 関 す る 従来
の 解 釈 に 対 し 、 新 た な 視 点 を 提 供 す る こ と が で き 、 同 時 に 、 賢 治の
創 作 方 法 に つ い て も 新 た な 角 度 か ら 理 解 す る こ と が 可 能 で あ る と考
えられるからである。
キーワード:『銀河鉄道の夜』 『天路歴程』
キリスト教徒 難破船の青年ら
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改稿
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『銀河鉄道の夜』のキリスト教徒の話に着目して
―『天路歴程』との比較研究を介して―
蔡宜静
立徳管理学院応用日本語科助理教授
1.
はじめに
『銀河 鉄 道の夜 』 は 1922 年 頃 に 最 初 の 構 想 に よ り 書 き 出 さ れ 、
1933 年 ま で 改 稿 が 行 わ れ た と 推 定 さ れ る 1 。 こ の 作 品 は 四 回 も 推 敲
さ れ 、 内 容 的 に も 大 幅 な 変 更 が あ っ た た め 、 作 品 研 究 は 便 宜 的 に第
一 、 二 、 三 次 稿 を 初 期 形 、 第 四 次 稿 を 最 終 形 と 称 し て い る 2。 た だ 、
物 語 の 主 人 公 が 究 極 の 幸 福 を 求 め よ う と す る 設 定 は 各 次 稿 に お いて
大差がないので、
「 作 品 の 正 当 な 解 釈 と 理 解 は 、彼 の 宗 教 観 の 解 明な
し に は 成 立 し な い 」3 、
「〈 ほ ん た う の さ い は ひ 〉を 尋 ね る 賢 治 の 求道
の 旅 」4 と 指 摘 さ れ る よ う に 、作 品 の 創 出 を 宮 沢 賢 治 の 日 蓮 信 仰 と 直
結 さ せ る と い う 論 点 が 一 般 的 で あ る 。 こ う し た 見 解 は い か に も 正当
であり、それ以上追加すべき点は特にない。
し か し な が ら 、こ の 作 品 の 他 宗 教 に 関 す る 描 写 5 を 視 野 に 入 れ れ ば、
作 家 の 伝 記 的 な 事 実 を 援 用 す る 以 前 に 、 ど う し て 賢 治 が 初 期 形 から
し て キ リ ス ト 教 の 構 想 を 取 り 入 れ て 描 い た か と い う 問 題 点 が ま ず解
明 さ れ る べ き で あ ろ う 。 も ち ろ ん 、 こ の 箇 所 に 着 目 し た 先 行 研 究が
な い わ け で は な い 。 た と え ば 、 吉 本 隆 明 は ジ ョ バ ン ニ と キ リ ス ト教
1
堀 尾 青 史「 決 定 稿「 銀 河 鉄 道 の 夜 」― 賢 治 の 原 稿 を 整 理 し て ― 」
『日本児童文学』
( 1964・ 12)。
2
入沢康夫・天沢退二郎「討議銀河鉄道の「時」ふたたび『銀河鉄道の夜』とは
何 か 」『 ユ リ イ カ 』( 青 土 社 、1973・ 9)を 参 照 す る と 、ブ ル カ ニ ロ 博 士 と い う 人
物の消滅は、初期形から最終形への変化において最も重要な問題となる。
3
上 田 哲 「『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 ― 賢 治 の 異 空 間 体 験 ― 」『 作 品 論 宮 沢 賢 治 』( 双 文 社 、
1984・ 7)。
4
桑 原 啓 善「 異 次 元 世 界 を 描 写 し て み せ た『 銀 河 鉄 道 の 夜 』」
『宮沢賢治』
(国文社、
1986・ 11)。
5
最終形の他宗教的な雰囲気を示唆する語彙を摘出してみると、
「 十 字 架 」の 語 は
7 回 、「 ハ ル レ ヤ ハ ル レ ヤ 」 の 語 は 2 回 、「 天 上 」 の 語 は 5 回 、「 天 の 川 」 の 語 は
3 回 、「 バ イ ブ ル 」 の 語 は 1 回 、「 カ ト リ ッ ク 風 の 尼 さ ん 」 の 語 は 1 回 が あ る 。
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の 青 年 と の 間 に な さ れ た 神 様 を め ぐ る 応 答 に 注 目 し 、 賢 治 が 「 ほん
た う 」 と い う 語 を 用 い る こ と に よ っ て キ リ ス ト 教 の 狭 義 的 な 主 張に
反 駁 し た か っ た と 解 釈 し て い る 6 。し か し な が ら 、なぜ 賢 治 が 自 宗 教
の 正 当 性 を 際 立 た せ る た め に 、 露 骨 に キ リ ス ト 教 を 名 指 し し た かと
い う こ と に 関 す る 検 討 は 、 い さ さ か 粗 雑 に 処 理 さ れ て き た と 言 わな
く て は な ら な い 。も し 彼 が こ の 作 品 を「 法 華 文 学 」7 に 仕 立 て よ うと
す れ ば 、 青 年 と ジ ョ バ ン ニ の 対 話 の 位 相 は 、 む し ろ キ リ ス ト 教 を宣
伝 す る ほ か の 作 品 と 分 別 し 、 対 蹠 的 に 描 か れ た 意 味 合 い を 有 す るの
ではないか。
そこで、日本の歴史的文脈におけるキリスト教関連の作品を調べ
てみると、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』の 旅 の 趣 旨 と 一 番 近 い 翻 訳 文 学 の 範 疇 に
『 天 路 歴 程 』 と い う 作 品 が あ げ ら れ る 。 周 知 の ご と く 賢 治 は 、 富裕
な 家 に 生 を 享 け 、 読 書 や 外 国 音 楽 ・ 絵 画 の 鑑 賞 に 幼 少 期 以 来 多 くの
時 間 を 費 や し つ つ 自 己 の 芸 術 世 界 を 確 立 し た 。 し た が っ て 、 彼 が深
く 傾 倒 し た と 思 わ れ る 諸 外 国 の 芸 術 家 は 十 指 に 余 り 、 い ず れ も 、比
較 文 学 に お け る 大 き な 研 究 テ ー マ と さ れ て い る が 、こ の『 天 路 歴 程』
に関して言えば、わずかに二つの先行研究を見るに過ぎない。
ま ず 1981 年 、 内 田 朝 雄 ( 1920~1996) は、『 私 の 宮 沢 賢 治
付・
政次郎擁護』
( 農 山 漁 村 文 化 協 会 、1981・6)を発 表 、そ の 第 3 章「「 銀
河 鉄 道 の 夜 」を 巡 っ て 」で は 第 2 節 に「「 銀 河 鉄 道 の 夜 」と「 天 路歴
程 」」 と 題 し 、 一 節 を ま る ま る 割 い て 、『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 と 『 天 路 歴
程 』の 構 想 上 の 共 通 点 を 簡 明 に 指 摘 し 、賢治 が 作 品 構 想 上 、
『天路歴
程 』 に 大 き く 負 う て い る 旨 、 は じ め て 言 明 し て い る 。 内 田 氏 は 明治
6
吉 本 隆 明「「 銀 河 鉄 道 の 夜 」の 方 へ 」
『 宮 沢 賢 治 近 代 日 本 詩 人 選 13』
(筑摩書房、
1989・ 7、 172-173 頁 ) を 参 照 。 吉 本 氏 は ジ ョ バ ン ニ の 考 え て い る 「 ほ ん た う の
神 さ ま 」に つ い て 、「 ど ん な ひ と に と っ て も「 ほ ん た う の 神 さ ま 」で あ る も の だ
け が 「 ほ ん た う の 神 さ ま 」」 と 説 明 し て い る 。
7
「雨ニモマケズ手帳」
『 校 本 宮 沢 賢 治 全 集 第 12( 上 )巻 』
( 筑 摩 書 房 、1975・12、
72 頁 )に 、
「 高 知 尾 師 ノ 奨 メ ニ ヨ リ / 1 、法 華 文 学 ノ 創 作 」と 書 か れ る 箇 所 が あ
る。ここから、賢治は童話の創作に日蓮宗の教えを生かそうとした意図が窺え
る。
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9 年( 1876)以 降 の 『 天 路 歴 程 』 日 本 語 訳 刊 行 に は じ ま る 、 同 書 の
日 本 で の 受 容 史 を 概 観 す る 。 そ の う え で 、 賢 治 の 『 天 路 歴 程 』 から
の 影 響 が 、 キ リ ス ト 教 巡 礼 文 学 に お け る 同 書 の 継 承 作 品 で あ る ナサ
ニ エ ル ・ ホ ー ソ ン 作 『 天 国 鉄 道 』(The Celestical Railload) を媒
介 と し て い る こ と を 指 摘 し て い る 。内 田 氏 に よ れ ば 、ホ ー ソ ン( 1804
~ 1864) の活躍 し た時代 は 、鉄道 が 広い米 国 の国土 に 着々と 敷 設さ
れ つ つ あ っ た が 、 ホ ー ソ ン は こ れ に 着 眼 し 、 こ の 『 天 国 鉄 道 』 を著
し 、 さ き に バ ン ヤ ン に よ っ て 大 成 さ れ た 英 米 キ リ ス ト 教 巡 礼 文 学の
正 統 を 継 い だ の で あ る 。 そ の 際 、 神 と 天 国 を 求 め る 巡 礼 の 旅 に おけ
る交通手段について、
『 天 路 歴 程 』に あ っ て は そ れ が 徒 歩 と 馬 車 と さ
れ て い た の を 改 め 、新 た に 発 明 さ れ た 鉄 道 と し た の で あ る 。つ ま り 、
厳 密 に 言 え ば 、 内 田 氏 の 見 解 は 、 賢 治 の 『 天 路 歴 程 』 閲 読 の 道 も、
ホーソンのこの作品あってこそ開かれたとするものである。
筆者はその可否を論ずる力量を現在のところ有しないが、内田氏
が 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 と 『 天 路 歴 程 』 と の 間 に は じ め て 明 瞭 な 影 響を
認 め ら れ た こ と に 、 深 く 敬 意 を 表 し た い 。 ま た 、 前 提 と な る ホ ーソ
ン 作 品 の 明 治 以 降 の 日 本 に お け る 受 容 に つ い て も 、 そ れ が 内 田 氏の
指 摘 す る と お り 相 当 な も の で あ り 、 賢 治 が ホ ー ソ ン を 介 し て バ ンヤ
ン 『 天 路 歴 程 』 へ と 導 か れ て い っ た と す る 内 田 氏 の 見 解 へ も い ちお
う の 賛 意 を 表 し た い 。 残 念 な が ら 、 内 田 氏 は 研 究 者 と し て の 訓 練を
積 ま れ る こ と な お 浅 く 、 こ の せ っ か く の 発 見 も 、 比 較 文 学 的 手 法を
活 か し て 発 展 さ せ な い ま ま に 終 わ っ て い る 。 加 え て 、 内 田 氏 は 恐ら
くは複数に達するであろう先行研究を明記していない。
つ い で 、宮 川 満 夫 は 、1997 年 発 行 の『 静 岡 英 和 女 学 院 短 期 大 学 紀
要 』第 29 号に 、長 編 論 文「 三 冊 の 天 上 げ の 旅 の 本 に つ い て ― ―「イ
ー ハ ト ー ヴ ォ 物 語 」 と 『 ル ー タ ベ イ ガ 物 語 』,『 天 路 歴 程 』 の 比 較研
究 」を 発 表 、厳 正 な 書 誌 学 的 観 点 か ら 、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』が 明 ら か に
『 天 路 歴 程 』 か ら 種 々 の 構 想 や 題 材 を 得 て い る こ と を 究 明 し た 。約
30 頁 に も 達 す る 宮 川 論 文 の 要 旨 を こ こ に 記 す こ と は 、筆 者 に と っ て 、
そ の 実 な か な か 容 易 な こ と で は な い 。 そ の 論 文 題 目 が 示 し て い るよ
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う に 、 宮 川 氏 は 『 天 路 歴 程 』 に 加 え 、 ル タ ー 派 教 会 に 属 し た ア メリ
カ の 詩 人 、 カ ー ル ・ サ ン ド バ ー グ ( Carl Sandburg、 1878~ 1967 )の童
話 集 『 ル ー タ ベ イ ガ 物 語 』 を も 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 の 構 想 ・ 題 材 に大
き な 影 響 を 及 ぼ し た と 見 て い る 。 宮 川 氏 の こ の 主 張 の 根 拠 は 、 賢治
の 理 解 者 である 草 野心平 ( 1903~1988)が中 国 広州の 嶺 南大学 に 学
んでい た 1922 年 、図書館 で サ ン ド バ ー グ の 詩 に 触 れ 、そ れ を 自 ら主
宰 す る 同 人 誌 『 銅 鑼 』 に 訳 載 、 賢 治 は こ れ に よ っ て サ ン ド バ ー グの
詩的世界に触れたであろう、というものである。
一方、賢治が『天路歴程』を知るに至った経緯に関しては、内田
氏よりも一歩進んで、次のような具体的根拠を挙げている。
(『 天 路 歴 程 』の 日 本 語 )訳 書 は 明 治 の 中 頃 に は 、新 教 の キ リ ス
ト教会の備えつけ図書として閲覧に供されていた。また、洋書
版は容易な英語文であることから、中学校の図書館等に配架さ
れていた。花巻・盛岡には著者バンヤンと宗派を同じくするバ
プテスト教会があり、賢治が良く訪れているので、この書に接
する機会があったかもしれない。また、タッピング牧師に盛岡
中学校で英語を教わっていたことを考慮に入れれば、英語版に
接 す る こ と も あ り 得 た の で は な か ろ う か 8。
もちろん、見方によっては、宮川氏のこの詳細な指摘でさえも依
然 状 況 証 拠 に 留 ま る も の と 見 ら れ な く も な い 。 氏 の 見 解 を 立 証 する
た め に は 、 岩 手 県 を 中 心 と す る 東 北 地 方 に お け る 明 治 ・ 大 正 期 のキ
リ ス ト 教 布 教 史 に つ い て 、 今 一 歩 踏 み 込 ん だ 検 証 が 要 請 さ れ よ う。
と は い え 、宮 川 氏 は 表 1「『 銀 河 鉄 道 の 夜 』と『 天 路 歴 程 』の 比 較対
照 」 と 題 し 、 実 に 22 項 目 4 頁 に わ た り ( 上 記 の 指 摘 は 、 そ の 第 1
項 の 一 部 )、『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 が 『 天 路 歴 程 』 に 負 う た と お ぼ し い 構
想・題 材 を 列 挙 し て い る 9 。筆 者 は 現 時 点 で は ま だ サ ン ド バ ー グ に 関
し 何 ら 知 る と こ ろ な く 、ま た 、宮川 氏 が 列 挙 さ れ た 22 項 目 10 に つ い
8
掲 載 号 259 頁 を 参 照 。
掲 載 号 259~ 262 頁 参 照 。
10
( 1)参 照 し た テ キ ス ト 等 に つ い て 。
( 2)作 者 の 意 図( カ ム パ ネ ル ラ = [鐘 夫 ]
9
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て も 、そ れ ら が た ぶ ん に い わ ゆ る「 図 像 学 」に か か わ る も の で あ り 、
宮 川 氏 は 「 図 像 学 」 の 背 景 を な す 豊 富 な 西 洋 美 術 史 や 聖 書 解 釈 学の
知 識 を 発 揮 し つ つ 、 そ の 論 を 進 め て い る 。 た だ 遺 憾 な が ら 、 宮 川氏
の 分 析 手 法 と も に 現 時 点 で は な お 筆 者 の 専 門 外 に 属 し て い る 。 それ
ゆ え 、 筆 者 は 宮 川 氏 の 指 摘 の こ と ご と く に 対 し 、 現 在 の と こ ろ は、
も ろ 手 を 挙 げ て 賛 成 す る と い う こ と は で き な い 。 と も あ れ 、 内 田氏
の 直 感 に 彩 ら れ た 先 駆 的 指 摘 と 、 宮 川 氏 の 学 術 研 究 者 ら し い 書 誌学
的 、図 像 学 的 後 発 研 究 は 、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』の 一 大 題 材 源 と し て『 天
路 歴 程 』 を 認 定 す る に 際 し 、 今 後 と も 大 い に 参 照 さ れ る べ き も のと
考えられる。
最後に、本稿本文の構成を簡単に示しておこう。筆者はまず、賢
治 の 存 命 中 に 出 版 さ れ た 『 天 路 歴 程 』 に ど ん な 版 本 が 存 在 し た かを
確 認 し 、彼 が 読 ん だ と 思 わ れ る 版 11 を 割 り 出 し 、『 銀 河 鉄 道 の 夜 』と
の 比 較 を 研 究 す る 手 法 に よ り 考 察 を 進 め た い 。 次 に 、 各 次 稿 の キリ
ス ト 教 の 青 年 ら の 登 場 し て か ら の 場 面 に 注 目 し 、 そ れ ら が ど の よう
に 『 天 路 歴 程 』 の 展 開 と 対 応 し て い る か に つ い て 分 析 し 、 両 者 を見
比 べ な が ら 、作 家 の 意 図 を 検 証 し た い 。以上 の 検 討 に よ り 、
『銀河鉄
の 名 前 の 由 来 )。
( 3)語 り 手 。
( 4)旅 立 ち の 理 由 。
( 5)旅 立 ち( 切 符・出 立 地 点 ・
到 達 地 点 )。( 6) 出 会 い 。( 7) 証 明 書 。( 8)「 双 子 の 星 」 と 『 天 路 歴 程 』。( 9) 十
字 架 。( 10) 歴 史 の 本 を 読 ん で 聞 か せ る 。( 11) 木 に 生 る 果 物 を 取 っ て 食 べ て よ
い 土 地 、 楽 土 。( 12) 底 な し の 穴 。( 13) 最 も 愚 か な 者 。( 14) パ ウ ロ 。( 15) 旅
の 友 と の 別 れ 。( 16) 河 に 沿 っ て 自 由 に 食 べ る こ と の で き る 果 物 が あ る 。( 17)
天 上 の 河 は 「 水 晶 の 河 」。( 18) 九 天 王 ( 最 高 の 天 の 王 )。( 19) 空 気 が 甘 美 で 心
地 良 い 土 地 /天 国 の 人 達 に 出 会 う 。
( 20)コ ー ン( corn)。
( 21)溺 れ 死 ぬ( 復 活 )。
( 22) 妙 な る 音 楽 。 こ の 対 照 表 で は 、 掲 載 号 260 頁 所 掲 の 第 ( 5) 項 を 参 照 。
11
『日本キリスト教歴史大事典』
( 教 文 館 、1988・2)の「 天 路 歴 程 」の 項 目( 914-915
頁 )を 参 照 す る と 、こ の 書 は「 日 本 で は そ の 重 訳 が 1876( 明 治 9)年 来 、『 七 一
雑 報 』に 連 載 さ れ た の を 初 め と し 、佐 藤 喜 峰 に よ る 和 三 冊 本( 79)、ホ ワ イ ト ,W.J.
訳 の 絵 入 本( 86)、池 亨 吉 訳( 04)な ど が 現 れ て 普 及 し た 」と 記 さ れ て い る 。ま
た 、 高 村 新 一 の 詳 し い 考 証 (「『 天 路 歴 程 』 邦 訳 史 ( 一 )」、「『 天 路 歴 程 』 邦 訳 史
( 二 )」と「『 天 路 歴 程 』邦 訳 史( 三 )」『 東 京 女 子 大 比 較 文 化 研 究 所 紀 要 』)を も
参 照 す る と 、以 上 の 三 つ の 邦 訳 の 以 外 に 、
「 松 本 雲 舟 訳( 12)」と「 益 本 重 雄( 27)」
の二種類がある。ここから、賢治の存命中に出版された『天路歴程』の邦訳版
は以上の五種のあることが知られる。
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道 の 夜 』 に お け る キ リ ス ト 教 的 な 描 写 の よ り ど こ ろ を 明 ら か に する
と 同 時 に 、「 法 華 文 学 」 の 創 作 と キ リ ス ト 教 文 学 と の 関 連 に つ い て、
新しい見方を示すことができるものと考える。
2.
宮沢賢治のキリスト教受容
まず、賢治のキリスト教受容とそれに対する興味関心の部分を考
察 し た い 。 こ れ に よ っ て 、 こ の 作 品 と 『 天 路 歴 程 』 と の 関 連 を 検証
するうえでの傍証にもなると考えるからである。
2.1『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 の 旅 の 発 想
賢 治 の キ リ ス ト 教 受 容 は 青 年 期 ま で に 遡 る こ と が で き る 12 。 そ れ
は 盛 岡 高 農 時 代 の 友 人 の 証 言 13 に よ っ て も 証 さ れ る 。 そ こ で 、 本 人
の書き残したキリスト教と関連がある文章にあたってみると、
『 銀河
鉄道の夜』の旅の発想を彷彿させる興味深い箇所が見付かった。
如何にも君の云ふ通り私の霊は確かに遥々宮城県の小さな教会
までも旅行して行ける位この暗い店さきにふらへとして居り
ま す る 。忘 れ て 居 り ま し た が 先 日 は 停 車 場 迠 何 と も あ り が た う 。
マ
マ
「優しき兄弟に幸あらことを
12
ア ー メ ン 」 14
内 田 朝 雄「「 銀 河 鉄 道 の 夜 」と「 天 路 歴 程 」」
『 私 の 宮 沢 賢 治 付・政 次 郎 擁 護 』
( 農 山 漁 村 文 化 協 会 、 1981・ 6) 及 び 「 賢 治 が 一 番 や り た か っ た こ と 」『 続 ・ 私
の 宮 沢 賢 治 現 代 と い う ベ ン チ に 賢 治 と 並 ん で 坐 る 』( 農 山 漁 村 文 化 協 会 、
1988・ 9)の 二 篇 を 参 照 。後 者 に お い て 内 田 氏 は 、斎 藤 宗 次 郎( 1877~ 1968、内
村鑑三の直弟子であり、賢治の父・政次郎の友人でもあった)を取り上げ、賢
治の「精神面、人生観、生き方に至るまで計り知れない影響を与えた重要な人
物の一人」と指摘している。内田氏のいう「賢治が一番やりたかったこと」と
は、収録書の第 1 章第 2 節をなす。この第 1 章「賢治の立願」は、雑誌『四次
元 工 房 』 1985 年 第 7 号 お よ び 1986 年 第 8・ 9 号 に 掲 載 さ れ た も の を 初 出 と す る
が、賢治と岩手県下のクリスチャンとの深い関わりを指摘したものとしては、
比較的早期の文献に属している。
13
た と え ば 、高 農 時 代 の 友 人 出 村 要 三 郎 は「 一 年 の 二 学 期 だ っ た か 、宮 沢 君 に 誘
わ れ て タ ッ ピ ン グ 牧 師 が や っ て い た バ イ ブ ル 講 義 を 聴 き に 行 っ た 」と 語 り 、
「英
語 の マ ス タ ー と キ リ ス ト 教 へ の 関 心 が 彼 の 目 的 だ っ た よ う に 思 う 」(『 啄 木 ・ 賢
治 ・ 光 太 郎 』、 読 売 新 聞 盛 岡 支 局 、 1976・ 6) と 証 言 し て い る 。
14
『 校 本 宮 沢 賢 治 全 集 第 13 巻 』( 筑 摩 書 房 、 1974・ 12) の 「 書 簡 」( 17 頁 ) に よ
119
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これは、彼が同級生の高橋秀松に書き送った葉書の文面である。
こ こ か ら 、 キ リ ス ト 教 徒 の 学 友 と の 別 れ の 情 景 が よ く 窺 え る だ けで
な く 、 離 別 の 場 所 の 「 停 車 場 」 が こ の 作 品 の 舞 台 設 定 と 偶 然 に も一
致 し て い る こ と も お お い に 吟 味 す べ き で あ ろ う 。 何 よ り も 注 目 すべ
き な の は 、 相 手 と 再 会 し た い 願 望 を 述 懐 す る と き に 、 彼 が 霊 魂 遊離
の 現 象 を 比 喩 的 に 使 い 、 そ れ を 旅 行 と い う 行 為 に 託 し て い た こ とで
あ ろ う 。身 は 花 巻 の 実 家 に あ り な が ら 、
「 霊 」が「 旅 行 」す る と いう
想 像 力 を 、 賢 治 は こ の 時 期 に お い て す で に 有 し た と 考 え て も 差 し支
え な い 。 そ し て 、 彼 は 自 分 の 日 蓮 信 仰 を 相 手 に 押 し 付 け る と い うよ
り、
「優しき兄弟に幸あらことを
ア ー メ ン 」と い う キ リ ス ト 教 の 祈
り を 唱 え て 送 っ た こ と を 看 過 す べ き で は な い 。 と い う の も 、 こ の箇
所 は 、 ジ ョ バ ン ニ と 青 年 ら と の 別 れ の 場 面 を 自 然 と 想 起 さ せ る から
で あ る 。 あ る 意 味 で は 、 こ の 短 文 は 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 の 旅 の 創 出モ
チーフの由諸を示した重要な言説だとみなせよう。
賢治は『銀河鉄道の夜』の創作メモに「青年白衣のひととポウロ
に つ い て か た る 」と「 開 拓 功 成 ら な い 義 人 に 新 し い 世 界 現 は れ る」15
と い う キ リ ス ト 教 を 連 想 さ せ る 二 箇 条 を 書 き 残 し て い る 。 こ の 点か
ら 、 彼 が こ の 作 品 に 自 己 の 宗 教 観 を 導 入 す る に 際 し 、 キ リ ス ト 教の
書 籍 の 典 故 を も 借 用 し て い た と い う こ と が う か が い 知 ら れ る の であ
る 。 そ こ で 、 改 め て 彼 の 読 書 体 験 を 調 べ て み る と 、 小 倉 豊 文 に よっ
て 整 理 さ れ た「宮 沢 賢 治 所 蔵 図 書 目 録 」 16 に よ れ ば 、『 法 華 経 』な ど
の 仏 教 書 以 外 に も 、キ リ ス ト 教 の『 聖 書 』、讃 美 歌 集 、宗 教 雑 誌 な ど
の 本 が 記 録 さ れ て い る 。 な る ほ ど 、 そ こ に は 『 天 路 歴 程 』 と い う本
は 掲 載 さ れ て い な い 。 し か し な が ら 、 こ の 図 書 目 録 の 編 集 者 の 述べ
る。
15
『 校 本 宮 沢 賢 治 全 集 第 12( 上 ) 巻 』( 筑 摩 書 房 、 1975・ 12) の 「 創 作 メ モ -創
10」( 632 頁 ) に よ る 。 ま た 、 注 ( 8) で 触 れ た 宮 川 論 文 の 関 連 項 目 も 参 照 。
16
境 忠 一『 評 伝 宮 沢 賢 治 』( 桜 楓 社 、1968・ 4)の「 巻 末 」に 収 録 さ れ て い る 。こ
の目録は賢治の死後の病床辺に散在していた蔵書だけを収録したものである。
つまり、賢治最晩年の蔵書目録であるに過ぎない。
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た 宮 沢 賢 治 の 蔵 書 事 情 17 、 及 び 『 天 路 歴 程 』 が 当 時 一 般 的 に 普 及 し
て い た 事 実 を も 考 慮 に 入 れ る と 、 賢 治 が 同 書 を 読 ん だ 可 能 性 は 、十
分 に 考 え ら れ る の で は な い だ ろ う か 。次 に 、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』に おけ
る キ リ ス ト 教 関 連 の 作 品 の 受 容 を 考 察 す る 先 行 研 究 の 内 実 を 明 らか
にし、本論文の論点の妥当性をもう少し詳述しておきたい。
2.2 キ リ ス ト 教 作 品 と の 関 連 に 着 目 す る 先 行 研 究
本作品の創出とキリスト教の作品とを関連付ける先行研究を調
べ て み る と 、 ジ ョ バ ン ニ の 人 名 に つ い て は 「 ヨ ハ ネ の 黙 示 録 」 の著
者 ヨ ハ ネ の イ タ リ ア 名 で あ る と い う 上 田 哲 18 の 指 摘 が あ り 、
『銀河鉄
道 の 夜 』 を 彩 る キ リ ス ト 教 的 イ メ ー ジ の 背 後 に 『 新 約 聖 書 』 の 使徒
書 簡 の 投 影 を 見 る 佐 藤 泰 正 19 や 中 野 新 治 20 の 見 解 が あ る 。
賢治の聖書受容に着目したこれらの論点は、確かに本作品のキリ
ス ト 教 的 な 部 分 と の 関 連 に 触 れ て い る 。 し か し な が ら 、 例 え ば 、佐
藤 泰 正 が「 賢 治 は あ の 銀 河 鉄 道 の へ め ぐ る 天 上 界 の 描 出 に あ た っ て、
そ の 夢 幻 的 な イ メ ー ジ の い く つ か を 、 黙 示 録 中 の こ れ ら の 詞 句 に借
り た る の で は な い か と 思 わ し め る ほ ど 、 両 者 の 感 触 に は あ い 通 ずる
も の が あ る 」 21 と 述 べ て い る よ う に 、 単 に 「 ヨ ハ ネ の 黙 示 録 」 の 詞
17
小 倉 豊 文「 宮 沢 賢 治 の 読 書 」『 イ ー ハ ト ー ヴ オ 』第 2 期 第 6 号( 1955・8)。「 宮
沢賢治所蔵図書目録」を編集した小倉氏は、賢治の蔵書事情について「図書館
での読書の外に、自分でも始終多くの書物を買つている。ところが、彼は読書
家 で は あ つ た が 蔵 書 家 で は な か つ た 」と 述 べ 、
「知人や教え子たちに次々に惜し
気もなく書物を呉れている。貸してもいる。度々古本屋に売つてもいる。こう
した習慣は彼の生涯をつらぬいていたらしい。その結果、彼の死後に残つてい
た書物は極めて少ないものであった」と指摘している。また、この蔵書目録に
ついて、
「これらが賢治の読書の全部とも主要なものとも思うべきでないことを、
充分に意識しておかねばならぬと思う。全部でも主要なものでもなく、むしろ
賢治の読書の極めて一部の残滓であると考えなければならない。そうでないと
大変な誤解におちいつてしまうであろう」と説明している。
18
上 田 哲 「「 銀 河 鉄 道 の 夜 」 の 異 空 間 」『 宮 沢 賢 治 そ の 理 想 世 界 へ の 道 程 』( 明 治
書 院 、 1985・ 1)。
19
佐 藤 泰 正「 賢 治 と 宗 教 」
『別冊太陽宮沢賢治銀河鉄道の夜』
( 平 凡 社 、1985・6)。
20
中 野 新 治 「「 銀 河 鉄 道 の 夜 」 初 期 形 ・ 再 考 ― 主 人 公 の 孤 独 と 幻 想 空 間 の 解 釈 を
め ぐ っ て 」『 宮 沢 賢 治 ・ 童 話 の 解 読 』( 翰 林 書 房 、 1993・ 5)。
21
佐 藤 泰 正 「「 義 人 」 の 一 語 を め ぐ っ て 」『 佐 藤 泰 正 著 作 集 10 日 本 近 代 詩 と キ リ
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章 を 援 用 し 、 キ リ ス ト 教 信 者 の 青 年 ら が 天 国 へ 入 る 結 末 に 対 照 して
論 ず る と い う 捉 え 方 に 止 ま る に す ぎ な い も の ば か り で あ る 。 こ うし
た 一 面 的 な 論 述 方 法 で は 、 相 異 な る 宗 教 を 持 つ ジ ョ バ ン ニ と 青 年ら
の 旅 出 を 作 品 の 前 後 に 配 列 す る と い う 重 層 的 な 設 定 の 背 景 と な るも
の を 明 か す う え で 、 な お 不 十 分 で は な い だ ろ う か 。 筆 者 が 思 う に、
こ う し た キ リ ス ト 教 信 仰 を 持 つ 青 年 ら の 役 割 を 介 し て 、 彷 徨 っ てい
る 主 人 公 が 、異 宗 教 の 人 物 と 出 会 い 、
「 遍 歴 」し て い く と い う 展 開 が 、
同 じ よ う な 旅 た ち の テ ー マ を 扱 う キ リ ス ト 教 文 学 の 他 の 文 献 に 看取
で き る か ど う か も し っ か り 目 を 配 っ て お か な け れ ば 、 本 作 品 と キリ
スト教文学との間のつながりをはっきりさせることはできまい。
まず、ジョバンニが旅に出るという物語の話型に関しては、内田
朝 雄 の「「 銀 河 鉄 道 の 夜 」と「 天 路 歴 程 」」、お よ び「 賢 治 が 一 番 やり
たかったこと」
( と も に 前 述 )が 、本 研 究 の 進 む べ き 方 向 に 示 唆 を 与
え て く れ る 22 。 内 田 氏 は 両 作 品 間 の 類 似 し た 設 定 を い く つ か 示 し 23 、
賢 治 が 明 ら か に こ の キ リ ス ト 教 作 品 か ら 構 想 上 多 く の ヒ ン ト を 得て
い る こ と を 認 定 し て い る 24 。 に も か か わ ら ず 、 内 田 氏 の 論 点 が 、 そ
れ に 続 く 宮 川 氏 の 本 格 的 研 究 に 継 承 さ れ て い る よ う に は 見 受 け られ
な い 。 上 の 引 用 に 見 る 限 り 、 宮 川 氏 は 賢 治 が 依 拠 し た で あ ろ う 日本
語 訳 版 本 に つ い て 、 依 然 明 確 な 断 言 を 避 け て い る か ら で あ る 。 筆者
が 思 う に 、内 田 氏 が 根 拠 と し た 池 谷 敏 夫 訳『 全 訳 天 路 歴 程 』
(新教出
版 社 ) は 、 賢 治 没 後 実 に 十 数 年 を も へ た 1951 年 に 出 版 さ れ て い る。
ス ト 教 』( 翰 林 書 房 、 1997・ 10)。
22
書 誌 は 注 ( 12) 参 照 。
23
注 (12)参 照 。こ こ で 一 例 を あ げ れ ば 、内 田 氏 は「 賢 治 が 一 番 や り た か っ た こ と 」
の 中 で 、『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 に い う 「 石 炭 袋 」 と 、『 天 路 歴 程 』 に い う 「 最 後 の 天
国 の 門 の 前 に 、 黒 い 大 き な 穴 」 と を 対 比 し て い る ( 収 録 書 34 頁 )。
24
管 見 の か ぎ り で は 、 内 田 氏 の 論 点 を 肯 定 す る 先 行 論 文 に は 、 佐 藤 泰 正 の 「『 銀
河 鉄 道 の 夜 』諸 説 集 成 ― そ の 多 声 的 構 造 を め ぐ っ て 」『 国 文 学 』臨 時 増 刊( 学 燈
社 、 1986・ 5) や 中 野 新 治 の 「 死 の 夢 ・ 夢 の 死 ― 「 銀 河 鉄 道 の 夜 」 ノ ー ト 」『 日
本 文 学 研 究 』第 26 号( 梅 光 女 学 院 大 学 日 本 文 学 会 、1990・ 11)な ど の 数 編 が あ
げ ら れ る 。た だ 、い ず れ の 内 容 も『 天 路 歴 程 』に つ い て 少 し 触 れ て い る だ け で 、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』と の 関 連 性 を 深 く は 論 究 し て い な い 。本 格 的 な 論 究 は や は り 、
1997 年 発 表 の 宮 川 前 述 論 文 を 俟 た ね ば な ら な か っ た の で あ る 。
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し た が っ て 、 こ の 訳 本 を 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 と 関 連 付 け る こ と 自 体に
大 変 な 無 理 が あ る 。 だ と す れ ば 、 ま ず 賢 治 の 在 世 の と き に 出 版 され
た 『 天 路 歴 程 』 の 原 書 を 正 確 に 割 り 出 し 、 そ の う え で 、 こ の 作 品と
の 比 較 研 究 を 進 め て ゆ く べ き で あ ろ う 。 そ こ で 次 は 、 日 本 で の 『天
路 歴 程 』 の 受 容 史 を 考 察 し 、 賢 治 の 読 ん だ 可 能 性 の 高 い 版 を 割 り出
してみたい。
2.3 日 本 に お け る 『 天 路 歴 程 』 の 受 容 史
賢 治 の 青 年 時 代 に 出 版 さ れ た『 天 路 歴 程 』の 邦 訳 版 は 合 計 五 つ 25 あ
る 。 訳 文 の 完 成 度 、 入 手 し や す さ 26 、 さ ら に は 賢 治 の キ リ ス ト 教 の
受容時期に関する客観的な要素を全般的に考慮に入れれば、
『 銀 河鉄
道 の 夜 』 の よ り ど こ ろ と な る 可 能 性 の 高 い 版 は 五 つ の 中 で も 、 明治
37 年 に 出 版 さ れ た 三 番 目 の 池 亨 吉 の 邦 訳 だ と 見 ら れ よ う 。また 、こ
の版に着目したもう一つの理由は、
『 天 路 歴 程 』主 人 公 の 持 っ て いる
「 巻 物 」 と 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 で ジ ョ バ ン ニ が 手 に し て い る 「 天 の切
符 」 と い う 語 彙 は 、 そ れ ぞ れ の 内 容 展 開 に 従 い 、 や が て 「 通 行 券」
と い う 同 一 の 語 彙 に 改 め ら れ て い る と い う こ と で あ る 27 。
両作品の文脈から推し量れば、前者の場合は聖書そのものを隠喩
し て い る の に 対 し て 、 後 者 の 場 合 は 日 蓮 宗 の 十 界 曼 荼 羅 や そ の 中央
に 配 さ れ た 題 目 「 南 無 妙 法 蓮 華 経 」 を 隠 喩 し て い る こ と は 明 ら かで
あ る 28 。 こ こ で 両 方 の 含 意 を 詳 論 す る 余 裕 は な い が 、 何 よ り 重 要 な
25
注( 11)参 照 。当 時 の 翻 訳 事 情 か ら 、賢 治 の 読 ん だ 可 能 性 の 高 い 版 は こ の 五 つ
の中にあると推察できる。
26
高 村 新 一 は 明 治 37 年 (1904)に 出 版 さ れ た 池 亨 吉 訳 の 版 に つ い て 、
「おそらく一
万 部 は 出 た も の と 思 わ れ 」る と 述 べ 、
「 こ の 訳 の い い 点 は 、何 と 言 っ て も 詩 人 の
すぐれた言語感覚が働いていること、従って訳文がきびきびした日本語になっ
ていること」
(「『 天 路 歴 程 』邦 訳 史( 三 )」
『 東 京 女 子 大 比 較 文 化 研 究 所 紀 要 第 42
巻 』、 32- 36 頁 ) と 説 明 し て い る 。
27
注 ( 12)。 こ の 点 に 関 し て 、 内 田 氏 は 「 ク リ ス チ ャ ン 氏 が シ オ ン の 天 の 川 で 見
せ た「 証 明 書 」は「 ジ ョ バ ン ニ の 切 符 」と 全 く か か わ る こ と は な い の だ ろ う か 」
と 指 摘 し て い る( 収 録 書 179-181 頁 )。し か し 、内 田 氏 は 両 者 の 効 用 に 見 る 類 似
性を指摘するに留まり、両者がどのように対応しているかについては全く考究
を加えていない。
28
ジ ョ バ ン ニ の 切 符 を 日 蓮 宗 の 十 界 曼 荼 羅 に 関 連 付 け る と い う 論 点 は 、堀 尾 青 史 、
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の は 、 天 国 に 入 る た め の 「 保 証 状 」( = 「 通 行 券 」) と 銀 河 鉄 道 の 旅
程 を 続 け る た め の 「 証 明 書 」( = 「 通 行 券 」) の 言 葉 遣 い が 暗 合 し て
い る と い う 点 か ら し て 、 賢 治 は 池 訳 の 『 天 路 歴 程 』 を 読 ん だ こ とが
うかがい知られるのではないか。
そして、キリスト教の教義を旅に託する『天路歴程』の内容展開
( 資 料 1、 後 掲 ) と 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 の そ れ と が 程 度 の 差 こ そ あれ
吻 合 す る と い う 設 定 が 、実 に 14 項 目 37 箇 条( 資 料 2、後 掲 )29 も看
取 さ れ る 。そ の 類 似 性 を も 考 慮 に い れ れ ば 、
『 天 路 歴 程 』の 主 人 公 が
幸 福 を 求 め 、 天 上 を 目 指 そ う と す る 旅 の 展 開 を 彷 彿 と さ せ る 『 銀河
鉄 道 の 夜 』 の 設 定 自 体 は 、 賢 治 が 前 者 の 趣 旨 を 模 し て 作 っ た の では
な い か 、と 思 わ れ て な ら な い の で あ る 。も っ と も 、
「 銀 河 」と「 鉄 道」
という設定は、
『 天 路 歴 程 』原 文 に は 見 ら れ な い 。その 理 由 に つ い て
筆 者 は 、 賢 治 が 『 天 路 歴 程 』 を 藍 本 の 一 つ と し な が ら 、 四 回 に もわ
た る 改 稿 の 創 作 過 程 を 通 じ て 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 の 内 容 を 再 構 成 し、
そ の 受 容 の 痕 跡 を 少 し ず つ 削 除 し て い っ た の で は な い か 、と 考 え る 。
3.
キリスト教徒の話における『天路歴程』の受容痕跡
キリスト教と関連する描写は、青年らにかかわる部分に最も顕著
に 現 れ て い る 。 作 品 の 展 開 に 従 い 、 筆 者 は そ れ を 「 難 破 船 の 青 年ら
の 描 写 に か か わ る 部 分 ( 副 次 的 な 人 物 設 定 )」 と し て 整 理 し 、『 天 路
歴 程 』の 受 容 痕 跡 を 彷 彿 さ せ る 部 分 を 7 箇 条 に ま と め た 。す な わ ち 、
1.青 年 の 話( 船 難 の 説 明 な ど )、2.女 の 子 の 人 数 設 定 、3.男 の 子の
裸 足 へ 靴 の 付 与 、 4.「 苹 果 」 の 創 出 、 5. 車 内 全 員 の 讃 美 歌 の 斉 唱 、
紀野一義、萩原昌好の諸氏の先行論文に看取される。
29
筆 者 は 今 回 、 14 項 目 37 箇 条 に わ た る 詳 細 な 対 照 表 「『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 と 『 天
路 歴 程 』 の 比 較 対 照 」( 資 料 2) を 作 成 し た 。 両 作 品 の 吻 合 箇 所 か ら も 分 か る よ
う に 、『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 の 設 定 中 に は 、 こ の 「 通 行 券 」 以 外 に も 、『 天 路 歴 程 』
と 似 通 う 事 例 が か な り 見 受 け ら れ る の で あ る 。ま た 、こ の 対 照 表 に 示 し た 発 見 ・
考 察 は 、「 ② 語 り 手 」、「 ④ 旅 た ち の 媒 介 」、「 ⑨ 旅 の 光 景 」 の 一 部 、「 ⑩ 旅 の 友 と
の離別」及び「⑪旅の友との離別」に対する見解が宮川氏と一致していること
を除けば、ことごとく筆者自身の発見・考察に係るものであることを、ここに
あらかじめ言明しておきたい。
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6. 青 年 ら の 目 的 地 の 光 景 、 7.「 ほ ん た う の 神 さ ま 」 を め ぐ る 対 話 、
で あ る 。 こ こ で は し か し 紙 幅 の 都 合 に よ り 、 上 に 挙 げ た 7 箇 条 を逐
一考察する余裕がないので、その中の 1 と 7 に当たる 2 箇条にわた
る構成上の共通・類似点について概観を行う。
なぜなら、青年らが登場した直後の場面に当たる「青年の話」及
び 、下 車 す る 直 前 の 場 面 に 当 た る「「 ほ ん た う の 神 さ ま 」を め ぐ る 対
話 」 と い う 二 つ の 設 定 は 、 作 品 本 文 で は ジ ョ バ ン ニ が こ の 旅 の 意味
を 考 え は じ め る き っ か け と 深 く か か わ っ て い る か ら で あ る 。 各 次稿
に お け る そ の 描 出 が い か に 『 天 路 歴 程 』 の 詞 章 と 酷 似 し て い る かを
実 証 す る こ と が で き れ ば 、 キ リ ス ト 教 の 青 年 ら の 設 定 に お い て 『天
路 歴 程 』 が 担 っ て い る 意 味 も ま た 自 然 と 浮 か び 上 が っ て く る の では
な か ろ う か 。 そ し て 、 賢 治 が 『 天 路 歴 程 』 を 念 頭 に 置 き つ つ 、 いか
に 青 年 ら の 話 に 関 し 、 大 き な 推 敲 ・ 添 削 を 加 え た か に つ い て 明 らか
に す る こ と に よ っ て 、賢 治 が キ リ ス ト 教 か ら の 影 響 を 脱 し 独 自 の『 法
華文学』を確立していった状況も必ずや明らかにされよう。
3.1 青 年 の 話
青年ら が 船難に 遭 遇する と い う 設 定 は 、 賢 治 が 1912 年 の タ イ タ
ニ ッ ク 号 の 惨 事 30 に 衝 撃 を 受 け て な さ れ た と よ く 指 摘 さ れ る 。 確 か
に 、 日 本 で も 大 き く 伝 え ら れ た 豪 華 客 船 沈 没 事 件 の 報 道 を 青 年 らの
設 定 に 直 結 さ せ る と い う 読 み 方 も 間 違 っ て い な い 。 し か し な が ら、
『 天 路 歴 程 』 の 第 一 程 に も ま た 、 伝 道 者( 人 名 ) の 教 示 を 受 け て天
国 へ 目 指 す 旅 を 出 か け た 基 督 信 者 ( 人 名 、 戦 後 の 日 本 語 訳 で は 「ク
リ ス チ ャ ン 」)の「 海 に 溺 ら さ れ な ど せ し 者 も 、今 は 彼 処 に 在 り て悉
皆 く 健 全 に 、 且 つ 永 久 の 生 命 を 衣 の 如 く 着 た る を 見 る べ し と な り」
と 述 べ て い る せ り ふ を 見 る 。 悲 壮 な 美 し さ に 富 む 『 天 路 歴 程 』 のこ
う し た 詞 章 の 存 在 に も ま た 、 賢 治 の 創 作 世 界 に あ っ て は 、 見 落 とせ
30
注 ( 19) 参 照 。 こ こ で は 明 治 45 年 (1912)4 月 18 日 付 の 「 岩 手 日 報 」 の 記 事 写
真が掲載されている。その解説文では「タイタニック号沈没」事件の概要がま
ず 解 説 さ れ 、そ の う え で 、
「 賢 治 は こ の 時 十 六 歳 、盛 岡 中 学 校 で 寄 宿 生 活 を 送 っ
て い た 」 と 指 摘 さ れ て い る ( 58 頁 )。
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な い 重 み が 認 め ら れ る の で は な い だ ろ う か 。そ し て 、
「 彼 処 」に た ど
り 着 い た こ と の 褒 美 と し て 、 第 十 一 程 に 登 場 す る 天 使 の よ う な 人が
「 彼 処 に て は 卿 等 よ り 前 に 行 き た る 友 人 等 と 、 再 び 相 見 る こ と をも
得 べ く 、 ま た 卿 等 よ り 後 れ て 来 ら ん 人 々 を も 迎 へ て 共 に 喜 こ ぶ こと
を 得 る な る べ し 」 と 語 っ て い る 箇 所 を 、 二 次 稿 か ら 描 か れ た 青 年と
連 れ の 男 の 子 が 乗 車 時 に 交 わ し た 会 話 と 照 ら し 合 わ せ れ ば 、 両 者の
構成上の共通性も証することができよう。
たとえば、男の子からの質問に対し、青年が「お父さんはすぐあ
と か ら い ら っ し ゃ い ま す 。 そ れ よ り も 、 お っ か さ ん は あ ん な に 永く
待 っ て い ら っ し ゃ る ん で す か ら 」 と 答 え て い る 。 青 年 が こ の 答 えに
続 け て 「 こ の 方 た ち の お 母 さ ん は 一 昨 年 没 く な ら れ た の で す 」 と述
べ て い る こ と か ら 見 て 、 男 の 子 の 母 は 亡 き 人 だ と 知 ら れ る 。 そ こで
彼女の居場所について文脈をたどると「
、 神 さ ま の と こ 」も し く は「 天
上 」 で あ る と い う こ と が わ か る 。 こ こ か ら 、 賢 治 の 創 作 意 図 は おの
ず と 明 ら か に な る の で は な い か 。 彼 は 当 初 は 恐 ら く 、 自 作 中 の 船難
で死んだ青年らの霊魂の行き先を、
『 天 路 歴 程 』と 同 様 、天 上 高 き と
ころとしようと構想していたのではないだろうか。
青年らの向かっている目的地のもつ「天国」の意味合いを理解す
るには、
『 天 路 歴 程 』第 八 程 で 牧 羊 者( 人 名 )が「 悟 明 の 道 を 離 る る
人 は 、 死 に し も の の 集 会 の 中 に 居 ら ん 」 と 諭 し て い る 箇 所 を 援 用す
れ ば 、い っ そ う 明 ら か に な る だ ろ う 。
「 僕 も 少 し 汽 車 へ 乗 っ て る んだ
よ 」 と ね だ っ た 男 の 子 に 対 し て 、 青 年 は 「 き ち っ と 口 を 結 ん で 男の
子を見おろしながら」
( 二 次 稿 以 後 定 着 )、
「 お っ か さ ん が 待 っ て ゐら
っしゃいますよ」
( 二 次 稿 だ け )、
「 こ ゝ で お り な け ぁ い け な い の で す」
( 三 次 稿 以 後 定 着 )と 注 意 す る 箇 所 も ま た 、
『 天 路 歴 程 』の 詞 章 か ら
の 敷 衍 と み ら れ な い だ ろ う か 。 つ ま り 、 青 年 ら は 最 初 か ら 「 天 国」
と い う 明 確 的 な 目 的 地 を 持 っ て い た が た め に 、 行 き 当 た り ば っ たり
に 旅 を 続 け る 必 要 が な い 。一 方 、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』では 、青 年 ら が 下
車しなければならない必然性を説明する上で、
『 天 路 歴 程 』の こ うし
た詞章は藍本としては極めて有用であったものと考えられる。
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筆 者 の こ の 論 点 の 妥 当 性 は 、『 天 路 歴 程 』 の 基 督 信 者 ら が 天 国 へ
入 る た め に 、 一 歩 前 の 死 の 川を 渡 さ な く て は な ら な い 場 面 の 発 言と
青 年 の 鉄 道 に 乗 っ た 直 後 の 話 と の 類 似 性 か ら も 証 さ れ る 。 十 一 程で
は 、「 此 の 外 に は 道 も 無 き も の に や 」 と い う 死 の 川の 最 後 の 試 練 に、
基 督 信 者 ら が 「 患 苦 の 中 に も 神 に 依 り て 生 く る こ と を 得 し め ん 為め
な る べ し 」と い う 教 え を 肝 に 銘 じ 、
「 共 に 勇 気 を 出 し け る 」た め 、
「や
が て 彼 方 に 渡 り て け り 」 と 描 か れ て い る 。 一 方 、 二 次 稿 で は 、 青年
は 自 分 の 連 れ の 子 供 を 救 助 し た い が 、 同 じ 船 難 に あ っ た 「 ま だ まだ
小 さ な 赤 い ジ ャ ケ ツ の 子 や 親 た ち 」 を 「 押 し の け る 勇 気 が な 」 く、
神への信仰を表明するために捨身の行為を選び「
、 私 た ち は す ぐ 渦に
巻 き 込 ま れ ま し た 。 そ れ か ら こ こ へ 来 て ゐ た の で す 」 と い う 結 果と
な っ た 。 両 者 の 「 勇 気 」 と い う 言 葉 の 使 用 状 況 は 違 う が 、 と も に極
め て 類 似 し た 構 図 お よ び 字 句 が 看 取 さ れ よ う 。 殉 教 の 強 い 意 志 で試
練 を 乗 り 越 え 、 彼 処 に 辿 り つ く と す る 設 定 が 暗 合 し て い る と い う点
か ら 、 賢 治 が 青 年 の 受 難 場 面 の 構 成 に つ い て 『 天 路 歴 程 』 の 死 の川
に倣おうとしていたのではなかろうか。
このことは、三次稿で加筆されている、青年が死を受け入れるま
で の 心 理 的 変 遷 の 独 白 に も 裏 付 け ら れ て い る 。 青 年 が 連 れ の 子 ども
を助けるよりも、
「 こ の ま ゝ 神 の お 前 に み ん な で 行 く 方 が ほ ん た うに
こ の 方 た ち の 幸 福 だ と 思 ひ 」、「 そ の 神 に そ む く 罪 は わ た く し ひ と り
で し ょ っ て ぜ ひ と も 助 け て あ げ よ う と 思 ひ ま し た 」と 述 べ 、
「 私 はも
う す っ か り 覚 悟 し て こ の 人 た ち 二 人 を 抱 い て 、 浮 べ る だ け は 浮 かば
う と か た ま っ て 船 の 沈 む の を 待 っ て ゐ ま し た 」 と い う 行 動 を 取 って
い た 。 こ の 部 分 の 推 敲 ぶ り を 、 第 六 程 で の 基 督 信 者 の 「 最 後 の 患難
を 受 く る に も 至 る べ く 、 さ り と て 其 れ も 亦 云 は れ し 如 く 却 つ て 幸福
な る べ し 」と 忠 信( 人 名 )を 慰 め る 言 葉 、お よ び 死 の 川 の 場 面 の「犯
し た る 罪 過 を 思 ひ 案 じ 」、「 兄 弟 よ 、 心 を 確 か に 為 ら れ よ 」、「 其 の同
伴 の 頭 を 沈 め ま じ と 努 め し が 、 猶 ほ 数 多 度 び 打 ち 沈 み 、 ま た 浮 き上
り す る 」 と 書 か れ る 基 督 信 者ら の 発 言 と 行 動 に 照 ら し 合 わ せ て みる
と 、 賢 治 は 『 天 路 歴 程 』 に 見 る 描 写 に 惹 か れ 、 自 作 中 の 青 年 に 類似
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し た 内 容 の 発 言 な ど を な さ し め た の で は な い か 。 両 方 の 主 人 公 とも
神 の 与 え る 試 練 を 甘 ん じ て 受 け た た め に 、 死 す と も 「 幸 福 」 を 手に
入 れ る こ と が で き た と い う 意 味 合 い が 、 そ こ に は 読 み 取 れ る 。 しか
も 、 溺 死 の 災 難 に 直 面 す る 両 作 品 の 場 面 を 見 比 べ て み る と 、 そ れぞ
れ の 行 動 と 言 葉 遣 い と が 相 似 し て い る だ け で な く 、 主 人 公 が 神 に自
分 の 犯 し た 「 罪 」(「罪過」) を 懺 悔 す る と い う 設 定 も よ く 似 て い る。
三 次 稿 以 後 に 挿 入 さ れ た 青 年 の 独 白 は 、 む し ろ 青 年 の 面 影 を 『 天路
歴 程 』 の 基 督 信 者 と い う 人 物 の よ う に 仕 立 て よ う と す る た め 、 加筆
されたものと見られるのである。
以上の比較対照から、賢治が『天路歴程』の各旅程の描写、とく
に 死 の 川 の 詞 章 を 適 宜 抜 き 出 し 、 二 、 三 次 稿 の 「 青 年 の 話 」 と して
還 元 し て い っ た プ ロ セ ス が 明 ら か に な っ た 。 信 仰 の た め に 、 い かな
る 極 限 状 況 に お い て も た め ら わ ず 身 を 投 ず る キ リ ス ト 信 者 の 殉 教姿
勢 は 、賢 治 も ま た 宗 教 の 違 い を 超 え て 常 に 敬 慕 す る と こ ろ で あ っ た。
だ か ら こ そ 、青年 の 言 動 は 、
『 天 路 歴 程 』に 見 る 基 督 信 者の 行 為 に 照
合 す る も の と し て 描 き 出 さ れ て い る の で あ る 。 そ し て ま た 、 青 年の
描 か れ た こ の 一 段 こ そ は 、 同 級 生 を 助 け る た め に 水 死 し た 愛 の 人・
カ ム パ ネ ル ラ を 天 高 く ど こ ま で も 追 い か け る ジ ョ バ ン ニ 自 身 の 求道
の旅の本質とも照応していよう。
3.2「 ほ ん た う の 神 さ ま 」 を め ぐ る 対 話
三次稿から挿入された青年とジョバンニとの「ほんたうの神さ
ま 」 を め ぐ る 応 答 に 、 賢 治 が キ リ ス ト 教 を 宣 伝 す る ほ か の 作 品 と本
作 品 と を 分 別 し 、 対 蹠 的 に 描 い た 意 味 合 い が あ っ た こ と は 、 前 にす
で に 触 れ た 。 初 期 形 の 稿 の 欄 外 に 「 青 年 白 衣 の ひ と と ポ ウ ロ に つい
て か た る 」と 書 き 込 ま れ た 一 行 に 注 目 す る と 、こ の 部 分 の 設 定 と『天
路 歴 程 』 と の 間 に 決 定 的 な 相 関 性 が あ る の で は な い か 、 と 筆 者 は考
え る 。 こ の 創 作 メ モ を 念 頭 に お い て 『 天 路 歴 程 』 の 「 ポ ウ ロ 」 にか
かわる箇所を探してみると、
「 ほ ん た う の 神 さ ま 」を め ぐ る 対 話 が第
五 程 で の 基 督 信 者 の多弁 ( 人 名 ) へ の 語 り か け か ら 示 唆 を 受 け て書
かれたものと思われる。
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この論点は、二次稿で書かれた青年の同伴の少女の話に着目する
と 、 ま ず そ の 妥 当 性 が 証 さ れ る で あ ろ う 。 ジ ョ バ ン ニ が 「 天 上 へな
ん か 行 か な く た っ て い ゝ ぢ ゃ な い か 」 と 述 べ 、 青 年 ら を 慰 留 す るの
に 対 し て 、 女 の 子 は 「 ほ ん た う に 別 れ が 惜 し さ う で そ の 顔 も 少 し青
ざ め て 見 え ま し た 」と い う 表 情 を 浮 か べ つ つ も 、
「 だ っ て い け な いわ
よ 。お 母 さ ん も 行 っ て い ら っ し ゃ る ん だ し 」と 答 え、
「あたしたちも
う こ ゝ で 降 り な け ぁ い け な い の よ。こ ゝ 天 上 へ 行 く と こ な ん だ か ら 」
と 主 張 し て い る。こ の 部 分 の 描 写 を、基 督 信 者 の 多 弁 へ の 人 物 評(独
り 言 ) と 照 ら し 合 わ せ て み る と 、 賢 治 の 発 想 は お の ず と 明 ら か にな
る の で あ ろ う 。 基 督 信 者 は 「 パ ウ ロ の 戒 め 」 の 内 容 を 援 用 し つ つ、
多 弁 の よ う な 人 間 は、
「 決 し て 天 国 に 入 る こ と を 得 ず、乃 は ち 霊 あ る
子 供 等 と 共 に 住 む こ と を 得 ざ る 者 な り 」 と 断 言 し て い る 。 少 女 の話
は、
『 天 路 歴 程 』の こ の 一 段 を 換 骨 奪 胎 し て 作 っ た も の と 見 ら れ る の
で は な い だ ろ う か 。 つ ま り 、 二 次 稿 か ら 定 着 し た 少 女 の 上 記 の 発言
は 、 パ ウ ロの 誡 勅 を 幼 い 身 で け な げ に も 実 践 せ ん と す る 意 志 の 表明
で あ り、
『 天 路 歴 程 』に お い て 基 督 信 者が 自 己 の 友 と す べ き で な い多
弁 を 尻 目 に 、 改 め て ど こ ま で も 天 国 を 目 指 す こ と を 自 ら に 言 い 聞か
せ る 場 面 を、賢 治 が 巧 み に 書 き 換 え た も の と 見 な せ よ う。こ こ か ら 、
賢 治 が 『 天 路 歴 程 』 に 見 え る 「 パ ウ ロ の 戒 め 」 を 意 識 し て い た こと
は否めないのである。
だとすれば、賢治の創作メモ「青年白衣のひととポウロについて
か た る 」に も ま た 、基 督 信 者は 多 弁 に つ い て 、
「彼の者は口軽某がし
の 子 に て 空 談 通 り に 住 み け り 」、「 彼 れ は 宗 教 の 道 を 雑 談 の 種 と する
な り 」 な ど と 批 判 的 に 述 べ て い る 箇 所 に あ っ て は 、 見 逃 す べ き ない
関 連 が あ る の で は な い だ ろ う か 。確 か に『銀 河 鉄 道 の 夜 』に は 、
「ポ
ウ ロ に つ い て 」 の 具 体 的 な 内 容 は 何 ら 書 か れ な か っ た が 、 筆 者 が思
う に は 、 賢 治 が あ え て 「 青 年 」 と 「 白 衣 の ひ と 」 の 対 話 を 『 銀 河鉄
道 の 夜 』 作 中 に ま と ま っ た 詞 章 と し て な さ な か っ た の は 、 誰 が 読ん
で も 『 天 路 歴 程 』 の 影 響 を す ぐ 連 想 し て し ま う 可 能 性 を 避 け た かっ
た と い う 作 家 の 思 惑 と 関 わ っ て い る の で あ る 。 そ し て 、 も う 一 つの
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可 能 性 は 、 賢 治 に 最 初 か ら 自 宗 教 と 他 宗 教 の 分 別 を 際 立 た せ よ うと
す る 意 図 が あ っ た の で 、 こ の 「 宗 教 の 道 を 雑 談 」 す る と い う 字 句の
ニ ュ ア ン ス を 生 か す べ く 、 三 次 稿 以 後 に ジ ョ バ ン ニ と 青 年 の 「 ほん
た う の 神 さ ま 」 と 「 う そ の 神 さ ま 」 を め ぐ る 対 話 を 挿 入 し 、 同 じ情
景を再現したということが考えられる。
賢治はまた、キリスト教の青年と「神さま」について論ずるジョ
バ ン ニ が 、 軽 薄 な 多 弁 と 同 じ 立 場 に い る と 誤 解 さ れ る の を 避 け るべ
く 、「 ほ ん た う 」 を 多 用 す る こ と で 、「 ほ ん た う の 神 さ ま 」 と い う 表
現 に 含 ま れ る 迫 真 的 な 意 味 合 い を 生 か し 、 自 宗 教 の 正 当 性 を 主 張し
た か っ た の で は な い だ ろ う か 。 こ の 一 段 の ほ か に も 、 全 文 を 通 じて
「 ほ ん た う 」 と い う 言 葉 が 、 圧 倒 的 に 多 く 使 わ れ て い る が 、 こ れな
ど は 実 に 、 賢 治 の 改 稿 時 の 苦 心 を 如 実 に 物 語 る か の よ う で あ る 。結
局 、 賢 治 は 当 初 自 ら が 予 期 し て い た 以 上 に 横 溢 し て し ま っ た 『 天路
歴 程 』 色 を 何 と し て も 消 し 去 る べ く 、 半 ば 強 迫 的 な ま で に 「 ほ んた
う」を多用せざるを得なかったのであろう。
この創作メモと『天路歴程』との関連を明らかした上に、ジョバ
ン ニ と 青 年 と の 神 を め ぐ る 応 答 を 、 賢 治 が キ リ ス ト 教 の 主 張 に 反駁
し た か っ た も の と 短 絡 的 に 解 釈 す る 先 行 研 究 の 見 方 に 対 し て も 、今
回 は 反 論 す る こ と が で き た 、 と 筆 者 は 考 え る 。 両 者 の 応 答 は 、 賢治
が キ リ ス ト 教 徒 の 目 指 す 理 想 に 反 論 し て い る よ う に 見 せ 掛 け た だけ
の 作 り で あ る 。 恐 ら く 賢 治 は 、 宗 教 の 壁 を 超 え て キ リ ス ト 教 徒 らの
信 仰 実 践 の 雄 々 し い 姿 に 感 銘 を 受 け 、自 宗 教 で 説 か れ る「 不 惜 身 命」
(『 法 華 経 』の た め に は 命 を も 捨 て る 、の 意 )の 教 説 に 重 ね 合 わ せ た
の で は な か ろ う か 。 な ぜ な ら 、 天 国 に 入 る と い う 至 福 の 終 焉 を 選ん
だ 青 年 が 殉 教 す る と い う 場 面 は 、 四 回 の 改 稿 を 通 じ て も 全 く 変 更さ
れ て い な い か ら で あ る 。 む し ろ 彼 の 存 在 は 本 作 品 の 初 稿 以 来 、 一貫
してこの童話の中核となっているように見受けられる。
この観点を踏まえて、賢治のもうひとつの創作メモ「開拓功成ら
な い 義 人 に 新 し い 世 界 現 は れ る 」 の 意 味 を 吟 味 す る と 、 こ の 一 行は
短 い 中 に も 『 天 路 歴 程 』 の 構 造 を よ く 示 し て い る 。 基 督 信 者 は 第一
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程 で 伝 道 者の 「 義 人 は 信 仰 に 依 り て 生 く べ し 、 若 し 退 ぞ か ば 我 が霊
魂 之 れ を 喜 こ び と せ じ 」 と い う 教 示 を 受 け て か ら 、 様 々 な 困 難 を経
な が ら も 、 天 を 目 指 す と い う 志 望 を 改 め な か っ た 。 最 後 の 試 練 とな
る 死 の 川 に 臨 ん で も 、 退 く 態 度 を 見 せ な い で 殉 教 を 決 行 し た た め、
「 天 国 」=「 新 し い 世 界 」に 入 る こ と が で き た 。こ こ に い う「 義 人 」
の 代 表 こ そ 、 基 督 信 者 で あ ろ う 。 そ も そ も 「 義 人 」 と は キ リ ス ト教
の 概 念 で あ り 、 「 義 人 」 と 称 さ れ る の は 、 神 へ の 信 仰 を 表 明 す るこ
と の み な ら ず 、 誠 実 な 態 度 で 他 者 に 対 す る 義 し い 行 為 に お い て 現れ
る 状 態 を 指 し て い る ( 『 ヤ コ ブ の 手 紙 』 ) 。 よ っ て 、 基 督 信 者 と似
て い る 立 場 ( 船 難 ) に 置 か さ れ た 青 年 は 、 同 じ く 神 へ の 信 仰 を 表明
し 、 他 人 の た め に 捨 身 の 行 為 を 選 ん だ 点 か ら し て 、 こ の 「 開 拓 功成
らない義人」そのものであると言えないだろうか。
『銀河鉄道の夜』の作品創作以前に書き込んだこの二つの創作メ
モ を 介 し て 、 そ こ に 記 さ れ た 字 句 を 『 天 路 歴 程 』 の と 比 較 し て 検討
し た 限 り で は 、 青 年 ら の 話 の 『 天 路 歴 程 』 か ら の 影 響 が 如 実 に 看取
さ れ た 。 だ か ら こ そ 、 最 終 稿 に い た っ て も な お 、 ほ か の キ リ ス ト教
的な雰囲気にかかわる描写や設定の拠り所を朦化そうとすることは、
賢 治 に と っ て 恐 ら く 容 易 な ら ぬ 作 業 で あ っ た と い う こ と が 断 言 でき
よう。
4.
おわりに
本論文では、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』の キ リ ス ト 教 的 な 描 写 、と く に 二 、
三次稿における難破船の青年らの話の添削された箇所に注目し、
『天
路 歴 程 』 の 基 督 信 者の 死 の 川に 対 す る 発 言 お よ び 彼 の 多 弁に 関 する
発 言 な ど の 関 連 詞 章 が い か に 濃 厚 に 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 に 影 響 し てい
る か を 究 明 し た 。初 期 形 に 見 る キ リ ス ト 教 徒 の 青 年 ら の 話 を 、
『 天路
歴 程 』 の 描 写 と 照 合 さ せ つ つ 検 証 し て み る と 、 賢 治 の こ の 作 品 にお
け る キ リ ス ト 教 巡 礼 文 学 の 受 容 痕 跡 は 否 み が た い 。 そ の 結 果 、 四回
も の 改 稿 を め ぐ る 論 議 に 、 新 た な 解 釈 を 示 す こ と が で き た と 筆 者は
考 え る 。結 論 を 簡 略 に 述 べ れ ば 、
『 銀 河 鉄 道 の 夜 』にお け る キ リ ス ト
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教 的 な 雰 囲 気 の 描 出 や 設 定 は 、 そ の こ と ご と く が 必 ず し も 賢 治 の独
創 で あ る こ と を 意 味 し て い な い 。 初 稿 に お い て 賢 治 は 『 天 路 歴 程』
に お け る 旅 の 展 開 を 相 当 に 模 倣 し て い た が 、 改 稿 の た び に ひ と たび
は導入したキリスト教的な描写を次第に書き直していった。
なぜ賢治は十年間の長い時間を掛けて数回の手入れをしたかと
い う と 、彼 は「 法 華 文 学 」の 境 涯 を 際 立 た せ る べ く 、
『 天 路 歴 程 』か
ら 青 年 た ち の 役 割 に 関 す る 部 分 を 借 用 し 、 キ リ ス ト 教 的 色 彩 を 除き
つ つ 、 次 第 に 日 蓮 信 仰 に お け る 「 黙 示 録 」 的 文 学 を 作 り 上 げ て いっ
た の で は な い だ ろ う か 。 そ も そ も 『 法 華 経 』 に 縁 を 結 び 、 日 蓮 上人
の弟子となった信徒は、
「 一 切 の 衆 生 が 、い つ か は 必 ず 仏 に 成 り 得 る」
と い う 教 え を 確 か な 保 証 と し て 認 識 し て い る の で あ る 。 そ の た め、
そ の 命 は 流 転 苦 難 を 経 な が ら も 、 仏 が 常 住 し て 永 遠 に 衆 生 を 救 済へ
と 導 き 続 け て い る こ の 娑 婆 世 界 に お い て 、 見 か け の 生 死 を 超 え る久
遠 の 寿 命 を 求 め よ う と す る 考 え を 持 つ は ず で あ る 。『 銀 河 鉄 道 の 夜 』
の 二 つ の 物 語 の 結 末 の 違 い を さ て お き 、 自 己 の 進 む べ き 正 道 を さえ
見 失 っ て い た ジ ョ バ ン ニ の よ う な 彷 徨 っ て い る 人 間 に 、 実 践 者 とし
て の 青 年 ら や カ ム パ ネ ル ラ の 行 動 を 示 す こ と で 、 賢 治 は 読 者 た ちが
日 蓮 信 仰 者 の 究 極 的 な 目 的 が 何 で あ る か を お の ず と 悟 ら せ た か った
の で は な い だ ろ う か 。 こ こ に は 改 稿 に 際 し て の 賢 治 の 本 心 を 如 実に
見ることができよう。
本 稿 で は 、 後 掲 の ( 資 料 2) に 整 理 さ れ た 37 も の 箇 条 の う ち の 2
箇 条 だ け を 詳 細 に 論 述 し た の で あ る 。と に か く 、
『 天 路 歴 程 』と の 比
較 を 介 し て 賢 治 の 創 作 上 の 大 き な よ り ど こ ろ が 明 ら か に さ れ た 。そ
の 結 果 判 明 し た こ と は 、 賢 治 は や は り 意 識 的 に 『 天 路 歴 程 』 の 構想
や 描 写 を 取 り 入 れ て お り 、 ほ か の 部 分 に も 生 か し て い る と い う こと
で あ ろ う 。後 日 に 新 た な 稿 を 起 し 、ほ か の 14 項 目 の 内 容 を も 詳 し く
考察していきたいと思う。
参 考 文 献 (五 十 音 順 )
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本文中で挙げたものはここで省略した。
1. 天沢退 二 郎(1987・6)
「『 銀 河 鉄 道 の 夜 』―《夢 と 死・夢か ら 死 》」
『エッセー・オリニック』思潮社
2. 石内徹 編 (2001・4)『 宮 沢 賢 治 『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 作 品 論 集 』 ク
レス出版
3. 磯貝英 夫(1982・2)
「銀河鉄道の夜―改稿の周辺」
『国文学解釈
と鑑賞』至文堂
4. 佐藤泰 正 (1980・5)『 別 冊 国 文 学 宮 沢 賢 治 必 携 』 学 燈 社
5. 佐藤泰 正 (1981・10)「『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 そ の 未 完 の モ チ ー フ を
め ぐ っ て 」『 宮 沢 賢 治 』 洋 々 社
6. 田村芳 郎 (1969・7)『 法 華 経 』 中 公 新 書
7. 西田良 子(1981・4)
「「 銀 河 鉄 道 の 夜 」論 ジ ョ バ ン ニ の 切 符 」
『宮
沢賢治論』桜楓社
8. 堀尾青 史 (1991・2)『 年 譜 宮 沢 賢 治 伝 』 中 央 公 論 社
9. 八重樫 昊 (1960・2)『 宮 沢 賢 治 と 法 華 経 』 普 通 社
10. 山 内修 (1989・9)『 年 表 作 家 読 本 宮 沢 賢 治 』 河 出 書 房 新 社
11. 山 内修 (1990・9)『 新 文 芸 読 本 』 河 出 書 房 新 社
( 資 料 1)『 天 路 歴 程 』 の 内 容 展 開 ( 筆 者 作 成 )
この作品は作者バンヤンが第一人称の語り手になり、自己が見た
夢 の 内 容 を 記 録 す る と い う 形 で 構 成 さ れ て い る 。そ の 書 き 出 し に「 我
れ 夢 見 け る に 」 と 書 か れ る よ う に 、 作 者 は 物 語 の 展 開 に し た が って
各 旅 程 の 場 面 に 登 場 し た り 、 状 況 を 説 明 し た り す る 。 ま た 、 主 人公
で あ り 、 バ ン ヤ ン の 分 身 で も あ る 基 督 信 者 ら が 天 の 城 門 に 入 っ た直
後 に 、 バ ン ヤ ン は 「 か く て 我 が 夢 名 残 な く 覚 え て け り 」 と 述 べ 、す
べてが実は夢であったとして物語を締め括っている。
物 語 の 中 軸 と な る の は 、主 人 公・基 督 信 者 が 伝 道 者 の 指 示 に 従 い 、
天 の エ ル サ レ ム を 目 指 す 旅 の 出 来 事 で あ る 。 彼 は 旅 の 途 上 、 落 胆の
沼 に 転 落 し た り 、 困 難 峠 に 登 攀 し た り 、 死 の 蔭の 谷 を 渡 っ た り 、懐
疑 の 城 に 監 禁 さ れ た り し な が ら も 、 天 を 目 指 す と い う 志 望 を 改 めな
か っ た 。 ま た 、 こ れ ら の 苦 難 や 試 練 の 場 面 の 合 間 に 、 基 督 信 者 とそ
の 道 連 れ は 美 麗 宮 の 宮 殿 で 歓 待 さ れ た り 、 可 懐の 峯 や 麗 朗の 峰 に案
内されたり、
『 生 命 の 水 の 川 』で 英 気 を 養 っ た り す る 部 分 が 綴 ら れ る。
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そ し て 、 基 督 信 者 の 前 に 、 様 々 な 寓 意 的 な 人 物 ( 助 力 、世才 、 釈義
者 、 三 人 の 処 女 謹 慎、 信 心 、仁愛 な ど ) が 出 現 し 、 旅 行 者 に 正 しい
道と真の幸福についての話を諭す部分も取り上げられよう。
特 筆 す べ き は 、 第 六 程 で 一 人 目 の 道 連 れ の 忠 信が 教 義 の た め に 殉
死 し 、 天 に 現 れ た 馬 車 で 先 に 天 の エ ル サ レ ム へ 行 く 場 面 、 及 び 第十
一 程 で 主 人 公 が 恐 怖 感 を 抑 え 、 死 の 川を 渡 り 、 最 終 の 試 練 に 打 ち勝
ち、王に「通行券」を見せ、神の楽園の城門に入る場面である。
*
賢 治 が 池 亨 吉 訳 の『 天 路 歴 程 』
( 基 督 教 書 類 会 社 、1904・12)を 読 ん だ と 推
定できるので、この訳書の物語の展開をもとにその梗概をまとめた。
( 資 料 2)『 銀 河 鉄 道 の 夜 』 と 『 天 路 歴 程 』 の 比 較 対 照 ( 筆 者 作 成 )
テキスト
①
作家の創作意図
②
語り手
③
旅たちの理由
『銀河鉄道の夜』
• 法華文学
• 宮沢賢治が語り手
• 「夢」の設定
• 「さいはひ」への探索
• 「ただしい道」に関する「灯台守」
『天路歴程』
• キリスト教文学
• バンヤンが語り手
• バンヤンの見た「夢」
• 幸福への追求
• 「宗教の道」に関する描写
の発言
④
旅たちの媒介
⑤
登場人物の人間
• 「鉄道」の交通手段
• 「天の切符」の設定
• ブルカニロ博士とジョバンニの関係
• 天国へ直通の「馬車」
• 「巻物」の設定
• 傳 道 者 と 基 督 信 者 の 関 係( 師 弟 )
関 係( 主 な 人 物 設 定 ) ( 師 弟 )
⑥
難破船の青年ら
• ジョバンニとカムパネルラの関係
• 基 督 信 者 と 忠 信 、有 望 の 関 係( 旅
(旅の友)
の友)
• 青年の話(船難の説明など)
• 基督信者の発言(死の川に対す
の描写にかかわる部
分(副次的な人物設
定)
る感想など)
• 三人の女の子
• 男の子の裸足に「靴」の付与
• 三人の処女
• 襤褸を纏う基督信者に「衣」の
天与
• 「苹果」の創出
• 乗客の讃美歌の斉唱
• 青年らの目的地の光景
• 「ほんたうの神さま」をめぐる会話
134
• 「生命の樹の実」
• 基督信者の唱歌
• 天のエルサレムの情景
• 多弁に関する基督信者の発言
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⑦
その他の人物設
定
(ポウロ)
(パウロ)
• ザネリの人物像
• ジョバンニの父(入獄)
• 世才氏の人物像
• 絶望の人(鉄檻の中に閉じ込め
られる)
⑧
⑨
証明書
旅の光景
• 鳥取りの人物像
• インデアンの人物像
• 学者らしい人物の「証明」に関する
• 愚昧の人物像
• 偉丈夫の人物像
• 儀式者と偽善者の「証拠」に関
話
する対話
• 「いろいろな国語」が聞こえる設定
• 鳥のお菓子に関する描写
• 旅程に出てくる地名
• 銀 河 鉄 道 の 窓 外 の 風 景( 汽 車 の 昇 降 )
• 浮華市の異邦人の異なる言語
• 石の柱に化けた女性の様態
• 浮華の里の各道路の設定
• 基督信者の旅中の風景(山谷の
昇降)
⑩
旅のエピソード
⑪
旅の友との離別
⑫
旅の友の到着地
⑬
身振りに関する
• プリオシン海岸
• 米、とうもろこしなどの植物(自分
• 『生命の水の川』
• 果物(木や河の沿岸に生る植物
の望む種子さえ播けば自生する環境)
を自由に取って食べてよい土地)
• 「蠍の火」の話
• カムパネルラとの別れ
• 石炭袋(底なしの穴)
• 「風のように走れた」二人の動き
• 牢屋に監禁される有望の話
• 忠信との別れ
• 「死の影の谷」
• 「難なく此の峰をも登り」とい
描写
⑭
う基督信者の行動
小道具の設定
• 空を見上げる動作
• 「水の速さをはかる器械」
• ブルカニロ博士の「地理と歴史の辞
• 空を見上げる動き
• 「日遮の器」
• 美麗宮の書斎の「歴史本」
典」
• 「プレシオスの鎖」
• 基督信者の「神の約束と呼べる
鍵」
• ブルカニロ博士の「手帳」
• ジョバンニに与える二枚の「金貨」
*
本稿で触れた箇条は太字で表す
135
• 釈義者の「書物」
• アポリオンの「罪悪の賃銀」
『台灣日本語文學報 22 號』PDF版
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