鍼灸―基礎と臨床との対話 Dialogue Between Scientists and Clinicians
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鍼灸―基礎と臨床との対話 Dialogue Between Scientists and Clinicians
(13) 471 '99.12.1 第48回全日本鍼灸学会学術大会 シンポジウム 鍼灸―基礎と臨床との対話 Dialogue Between Scientists and Clinicians 司会:昭和大学医学部客員教授 佐藤 昭夫 明治鍼灸大学大学院教授 丹澤 章八 演者:日本臨床鍼灸懇話会会長 木下 滋 東京衛生学園専任教員 菅原 之人 筑波技術短期大学助教授 野口栄太郎 明治鍼灸大学教授 矢野 忠 Ⅰ.はじめに せん。このシンポはその共同作業を円滑に進める ための基盤となるもの、すなわちお互いの共通理 佐藤:それでは、これよりシンポジウム1「鍼灸 解という基盤を広げておく、こういう意図が主題 ―基礎と臨床との対話」につきまして開催致しま であります。今大会シンポの意義は京都大会にお す。最初に本シンポジウムの趣旨につきまして司 けます同名のシンポジウムの意義と全く変わりあ 会の一人である丹澤先生からご説明いただきます。 りません。さらに今回は、鍼灸に対する最高の理 丹澤:佐藤先生からお言葉がありましたようにこ 解者であります生理学者の佐藤昭夫先生を主席の のシンポジウム(シンポ)の意義を説明いたしま 司会者にいただきまして、シンポジストとしては す。3年前京都大会でこのシンポと全く同じタイ 臨床側から、学会の要職もかねておられます鍼灸 トルのシンポが開かれたことは記憶しておられる の実践家、基礎側からは新進の基礎医学者をお呼 先生方もいらっしゃると思いますが、そのとき私 びし、佐藤先生の御司会のもとに活発な討論を通 は座長を務めまして佐藤先生はシンポジストでし しこのシンポの主題に具体性を与え、さらにこの た。京都大会でのシンポ当事者6人のうち2人が 主題の発展の道筋を描いていただきますよう強く ここに座っているということでお分かりと思いま 念願する次第です。 すが、このシンポの意義は京都大会でのシンポの 佐藤:丹澤先生から本シンポジウムの趣旨をお話 意義を本質的に継承するものであります。今回は しいただきました。3年前の京都の大会を継承す その趣旨に具体性を与えましてそれぞれの主題が るものであると言われました。このシンポジウム 発展すべき道筋を描くことができれば幸いだと思 は内容も形式も含めまして京都の3年前のシンポ っております。では主題とはいったい何かといい ジウムに準じて進めようと思います。皆さん既に ますと、京都大会シンポの冒頭で述べました私の お気づきのことと思いますけど、シンポジウムと 意義をもう一度述べたいと思います。今私たちに いうものは色々な進め方がありますけど、ここで 課せられた命題を要約いたしますと、鍼灸を国民 は、私ども司会のもとに、4名の演者からお話し の医療として認知させることと、来るべき新しい していただく。普通シンポジウムでは、皆さんよ 時代の批判に耐えうる鍼灸学を創造して次の時代 くご存じのように、最初にシンポジストがお話し に受け渡すということです。具体的にこの命題を する。あとで総合討論しようと思うけれど、時間 果たす作業は基礎と臨床ががっちりスクラムを組 がなくなることを経験いたします。今回はなるべ んだ共同作業が柱になることはいうまでもありま くそういうのは避けて、ここでは、みなさまのこ 472 (14) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 この会場に入る前に、キーワードをお手元にお持 名古屋大学(引き続いて、解剖第一講座で17年 ちいただいていますが、このキーワードを含めて、 間基礎と臨床の研究) 、1976年 金沢で開業、1982 最初に「鍼灸の適応される疾患」「“NIHとWH 年 日本臨床鍼灸懇話会長、本学会常務理事、本 Oのリスト”を踏まえて」を矢野先生にお話しい 学会組織部長のご経歴です。 ただく。次に「より良い臨床的適応とは」を木下 基礎の方から、野口栄太郎先生は、1978年 明 先生にお話しいただく。「適応疾患に対する基礎 治大学法学部卒、1981年 東京衛生学園卒、1983 研究の裏付けの一例」、自律神経系を例に取りま 年 東洋医学技術研修センター、1993年 関西鍼 して野口先生から。次に「適応疾患に対する基礎 灸短期大学助教授、1995年 筑波技術短期大学鍼 研究の裏付けの一例」、鎮痛系を菅原先生から。 灸学科助教授のご経歴です。 その次に討論を設けてあります。討論は演者の方 もうお一方の後藤先生は、今日体調を崩されご 同志、或いはフロアーから、ご自由に討論いただ 欠席でございますので、共同研究者の菅原先生を く。というように考えております。 ご紹介します。菅原先生は1993年 東京衛生学園 次に鍼灸の基礎的研究の現状としまして、最初 に、「経絡経穴と自律神経系」について、野口先 生。次に、「経絡経穴と鎮痛系について」菅原先 生にお話しいただいて、そして討論していただく。 卒、1995年 同専攻科教員養成課程卒、現在同専 任教員のご経歴です。 以上が本日の演者先生方でございます。以上で ご紹介を終わらせていただきます。 次に「鍼灸の臨床的価値について」、最初に「鍼 佐藤:続きまして、本日のテーマであります、 「鍼 灸臨床の現状について」矢野先生から、次いで 灸の適応される疾患」につきまして、最初にNI 「鍼灸の医療的価値について」木下先生にお話を HとWHOのリストを踏まえて、矢野先生からお うかがう。そして討論をする。 願いいたします。 その次に本シンポジウムにおける総括、皆さん と一緒に討論する。知識体系の整理をしてみたい。 Ⅱ.鍼灸の適応される疾患 最後に、「今後の課題について」と「鍼灸の行 方」について矢野先生から。「臨床家の立場から 矢野:鍼灸の適応についてWHOの適応症リスト 取り組むべき問題」について木下先生から。「鍼 (1996)、ミラノで行われましたWHOの鍼に関す 灸基礎研究の立場から取り組むべき問題」が多々 る会議資料(1996)、そしてNIHの合意形成声 ありますが、これを野口先生からお話しいただく。 明(1997)を参考に鍼灸の適応症について考えて 最後にこれらをまとめて、司会、演者、フロアー みたいと思います。 の皆さんと一緒に、本大会の「鍼灸学の創造」に 向けてどういうようにまとめたら良いか、という ように進行させたいと思っております。 それでは、シンポジストの紹介を丹澤先生の方 ①NIHとWHOのリストを踏まえて WHOは1978年にアルマ・アタ宣言を発表しま した。この宣言は“2000年までに全ての人に健康 からさせていただきます。 を”ということであらゆる有用な治療法を採用し、 丹澤:それでは4名のシンポジストのご略歴をご 可能な限り人的資源を活用することを提示したも 紹介を致します。 のです。その為には、伝統医学をも必要であると 臨床側から、矢野先生は、1970年 東京教育大 し、特に鍼灸においては43疾患を適応症として発 学理療科教員養成施設卒、1972年 筑波大学付属 表いたしました。その後1996年に鍼灸の適応症の 盲学校理療科教員、1983年 明治鍼灸大学教授、 草案を再度提案しました。 本学会常務理事、本学会学術部長のご経歴です。 臨床側のもう一人のシンポジストの木下先生は、 表1は1996年のWHO適応疾患リストです。分 かり易くするために系統別にまとめてみました。 1969年 明治鍼灸専門学校卒、1969年 金沢大学 この適応疾患リストには様々な問題点があります。 (石川太刀男先生の内臓体制反射の研究)、1973年 例えば胆道回虫症が適応症にあげられていますけ '99.12.1 シンポジウム (15) 473 表1 WHOの適応症(草案,1996) れども、必ずしも日本の現状に馴染むものではあ した疾患の根拠とした論文等に色々な問題点があ りません。同様にアルコール中毒、薬物中毒とい ることが指摘され、結果的に上記の提案は「比較 った、日本では遭遇し難い疾患があげられていま 対照試験に基づいた鍼治療の評価」ということで す。このようにこのリストの作成には各国の医療 変更され、各国でもう一度臨床論文について再評 事情が反映されているのではないかと考えていま 価し、再提出するという合意で終わったそうです。 す。従って我が国における鍼灸の適応症リストと 現在その作業は進行中と伺っています。 してそのまま受け入れるにはかなり問題があるの ではないかと考えています。 表2がRCTの検討で有効であった37疾患のリ ストです。1996年のWHOの草案として提示され 続いてミラノで開催されましたWHOの鍼に関 ました適応疾患と内容的にはよく似ています。ア する会議の資料(鍼の適応と禁忌)について検討 ルコール中毒とかタバコ中毒とか、我が国の現状 します。我が国では川喜田研究部長が日本代表で では日常遭遇することのない疾患があげられてい 出席されました。その概要は『医道の日本』(629 ます(今後どうなるか分かりません) 。 号,1997)にも掲載されています。この会議では いずれのリストも根拠が不明確ということで登 ①鍼の基礎トレーニング、②安全な鍼治療、③鍼 場したのが1997年のNIHの合意形成声明書であ 治療の適応と禁忌の3つのテーマについて討論さ ったかと思います。NIHの合意形成声明は公的 れましたが、ここでは鍼の適応と禁忌について紹 な声明ではないということですが、その内容の信 介します。適応症としてRCTによる検討で37疾 頼性、妥当性が高いということから世界的な反響 患、適切な症例数による比較試験による検討で16 を呼びました。4つのテーマで書かれているわけ 疾患、そして繰り返し報告されたものやいくつか ですが、ここではその中の鍼の効果のみをピック の実験的な根拠により検討されたもので11疾患の アップして紹介したいと思います。声明では「評 合計64疾患を挙げました。しかしながら、適応と 価に耐えうる充分なデータに基づいたプラセボや 基礎と臨床との対話 474 (16) 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 表2 WHOの「鍼に関する会議」資料の鍼の適応症(草案,1996) 偽鍼と比較したとき、鍼は効くと言えるのか?」 の臨床評価が必要であることが浮彫りにされまし ということについて成人の術後の、或いは薬物療 た。従来は「○○をしたら△△という症状がとれ 法時の吐き気や嘔吐、さらには妊娠時の悪阻(つ た。従って○○は△△に効いた。」、これが一般的 わり)にも鍼が有効であるという明確な証拠があ な鍼の効果を論ずる3た論法でした。こういった る、と報告されています。 方法で鍼治療の効果を評価したした場合、1つは また「十分なデータのそろったもので、他の治 自然経過 natural historyが拭えないのではないか? 療法(無治療を含む)と比べて、あるいは他の治 また、観察期間に限ってみられる治療効果 療法と組み合わせて、鍼に何ができるといえるの Howthorne効果が否定できない。更にプラセボ効 か?」ということについて繊維性筋痛、筋筋膜性 果が入り込みます。こういった様々な問題点が否 の疼痛、テニス肘 などは鍼治療が非常に効く可能 定できない可能性があります。ということから、 性のある疾患ということでリストアップされてい 対照を置く必要性があり、また実験対象をランダ ます。一方、研究上の根拠は薄いが、肯定的な臨 ムに割り付けるという方法論を通して様々な問題 床報告があるものとしては薬物中毒、脳卒中のリ 点を解決すべきではないか、ということが指摘さ ハビリ、手根管症候群、変形性膝関節症、頭痛な れています。実験方法によって、エビデンスの強 どをリストアップし、喘息、薬物中毒、禁煙のよ さ、その根拠の説得性が異なることについては津 うな場合は鍼治療を幅広い管理計画の一部に取り 谷先生の「集団に効くことと個人に効くこと」 (日 入れるべきであろう、と鍼治療を評価しています 本東洋医学雑誌48巻5号,1998)に書かれていま (『医道の日本』641号、643号及び『全日本鍼灸学 すが、その中で信頼度の高い臨床の方法論がRC 会雑誌』47巻4号参考)。以上、WHOの適応疾患 Tであると紹介されています。どちらかといいま リストについて色々問題があるということで一定 すと、日本の臨床研究は、Case Series、Case report '99.12.1 (17) 475 シンポジウム が主体であったわけです。より強いエビデンスを ②より良い臨床的適応とは ベースにして、鍼灸の適応を明確にするためには、 木下:よろしくお願いいたします。 RCTによる研究が必要であるという議論が高ま っています。 私は自宅で鍼灸院を開業している、いわゆる 「開業鍼灸師」です。この「開業鍼灸師」という ここに「骨盤位に対する灸療法の効果」を例に のは、ご承知のように、患者さんから医学的な情 とってRCTによる臨床研究と、Case serieseによる 報を得る手段としては、問診とベッドサイドでの 臨床研究とで、どのような違いがあるのかを明ら 診察と徒手検査の他には、せいぜい血圧を測るく かにしたいと思います。 らいしか手段を持たないのが普通でして、一般の RCTの場合は、randamized allocationにより対 医師やあるいは病院などで臨床をしている鍼灸師 象を介入群とコントロール群とに分けます。すな に比べると、医学的には非常に制約された状況で わち各群のバックグラウンドを調整するという形 臨床をしているといえます。また鍼灸院というの が取られます。すなわち自然矯正率と比較できま は、規模は弱小といえども企業ですから、鍼灸師 す。それに対して、コントロールがない場合、つ は経営者でもあるわけです。こういう点で、開業 まり介入群だけの場合、自然矯正率とで比較でき 鍼灸師の視点は、他の鍼灸師とは微妙に違う可能 ないために、はたして灸で効いたのかどうかの確 性があります。 認ができません。 本会の会員の大多数は開業鍼灸師ですし、また この2つの論文を比較しますと、RCTはラン 実数は把握していませんが、現在の日本では、鍼 ダム化を通して、様々な要因を排除する。もう一 灸治療を受ける患者さんのほとんどは、開業鍼灸 方は、鍼灸治療を受けたい症例だけということで 師にかかっているのが実状ですから、今後の鍼灸 対象にバイアスがかかっている。従って、エビデ を考える場合、この「開業鍼灸師の視点」という ンスの強さから比較すると、やはり問題があると ものを欠かすことはできないと思われます。 いうことで、RCTが重要であることが理解でき ます。しかし鍼灸の治療目的は、疾患の治癒を目 「西洋医学的な病名や症候を掲げて鍼灸の適・ 的としたものから、QOLの維持向上と非常に幅 不適を問うのは適当ではない。なぜなら鍼灸 が広いわけです。それら全てにRCTの方法論が は病名や症候群を治療するのではなく、あく 妥当かどうか、これから議論をしていかなければ までも患者の苦痛を地道に除去することによ いけないのではないかと考えています。つまり、 って、快適な身体的・精神的な安定を招来さ 治療目的によって臨床研究のアプローチというも せ、その結果、治癒に導くことを目的とする のをもう少し議論する必要が有るんではないかと 治療法だからである。」 東京女子医科大学教授 代田文彦 思います。 6月6日の朝日新聞で、厚生省はこれからは “経験則”をやめて、EBMによる治療を展開す これは東京女子医大の代田文彦先生の言葉です。 ることを指導すると報じていますが、そのような このあと、「俗な表現ではあるが、鍼灸治療は病 機運の中で我々鍼灸師はこれからどうやってやっ 気を治すのではなく、病人を治すのである。」と ていったらよいのか、このことについては討論で 続きます。 やりたいと思います。 先ほど矢野先生から、WHOおよびNIHによ 佐藤:有り難うございました。ただいま矢野先生 る、鍼灸の適応(鍼灸はどんなものに有効か)に から、NIHとWHOのリストを踏まえてお話し ついての見解が示されました。たしかに鍼灸を知 いただきました。続きまして、「より良い臨床的 らない社会に向かって、鍼灸を説明するためには、 適応とは?」ということで、鍼灸に託されている 西洋医学的な病名や症候群をあげて、それに対す 疾患について木下先生、お願いいたします。 る鍼灸の効果を説明するのが、最も手っ取り早く、 また分かりやすいとも言えますが、その前に、鍼 基礎と臨床との対話 476 (18) 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 灸がどういう治療法かと言うことを考えておかな 治癒の機構をうまく活用している治療法だと考え いと、鍼灸の正しい理解にはならないのではない られますが、まだ他にもこれからいろいろなもの かと思われます。 が明らかになってくるかと思います。 しかし、この自然治癒力というのは、臨床試験 鍼灸は未病治の医療 ではバイアスとしてネグレクトされてしまうもの 鍼灸は自然治癒力をたかめる治療 ですから、自然治癒によって治る部分が実際にど 鍼灸はメインテナンス(修繕)の治療 れだけあるのかということは臨床的には実証出来 米山 栄 小さな傷みや不調を修繕することにより、 ないことです。基礎の方々によってメカニズムを 解明していただくほかありません。 大きな傷害や病気に進展することを防ぎ、 一番下に「鍼灸はメインテナンスの治療」と書 より高い健康度を保つことができるように いてありますが、これは米山栄先生が言われたこ する。 とです。どういうことかと言いますと「小さな傷 みや不調を修繕することにより、大きな傷害や病 鍼灸はどういう医療かということについて、い 気に進展することを防ぎ、より高い健康度を保つ ろいろ言われています。例えば「鍼灸は未病治の ことができるようにする。」と言うことです。体 医療」といわれます。この未病あるいは未病治に のコンディションを良好な状態に保つということ ついては、まだ概念がはっきりしていないのです で、スポーツでいうところの、コンディショニン が、仮に文字通りに「未まだ病まざるものを治す」 グになります。これは未病治の内容の一つとも言 ことこそが鍼灸なのだとすると、もう既になって えると思います。 しまった病気にどれだけ有効か、などと言っても このように見てきますと、最初の代田文彦先生 始まらないのではないか、と言う人がでてくるか のスライドにありましたように「西洋医学的な病 もしれません。それはともかく、未病とはどうい 名や症候群をあげて、鍼灸の適応や不適応を問う う状態か、そして未病のうちに何らかの手を打つ のは適当ではない」と言うことが納得できるので と言う場合、それは具体的にはどんなことをする はないかと思います。 ことなのか、またそれが臨床的に本当に役立つこ となのかどうかなどを検討する必要があるわけで す。 「鍼灸の適応症」とは 鍼灸治療をするのが相応しい疾患 また「鍼灸は自然治癒力をたかめる治療」とも 言われます。 先ほど矢野先生から、鍼灸の有効性についての この自然治癒力については、基礎研究の分野で WHOとNIHの見解が示されました。WHOの は大分わかってきているようです。例えば痛みに リストは、臨床経験に基づいて、針治療が有効と ついては、鍼麻酔によって痛みの研究が進むうち 考えられる疾患をまとめたものだということです。 に、生体内に鎮痛機構が内在していることが明ら 一方NIHの声明は、偽鍼あるいはプラシボと比 かになってきて、鍼麻酔はこの鎮痛機構をうまく 較した科学的根拠の高い臨床試験に基づく評価だ 活用したものだということがわかってきているよ とのことです。両者はエビデンスのレベルに違い うです。また西條先生によれば、副交感神経機能 はあるものの、どちらも「鍼が有効な疾患」を指 を高めることによって自然治癒力を高めることが 示しているということですが、開業鍼灸師として、 できるということです。あるいは私が師事してお 鍼灸院で患者さんの治療をする立場から、鍼灸の りました石川太刀雄先生の「内臓体壁反射」や佐 適応について考えてみますと、「鍼によって病態 藤先生の「体性−交感神経反射」なども明らかに の改善が認められるから鍼治療の適応疾患である」 生体に備わった自然治癒の機構だと思われます。 という考え方には必ずしも同意できません。鍼灸 このように鍼灸は生体が持っている様々な自然 の適応はただ単に「鍼灸が有効な疾患」と言うだ '99.12.1 シンポジウム (19) 477 けでなく、「鍼灸をして良い疾患」あるいは「鍼 療法と効果や副作用、危険度などを比較して決め 灸をするのが相応しい疾患」であると考えていま られるということです。 また患者さんの問題もあります。椎間板ヘルニ す。 アで安静と鍼灸治療によって治癒する可能性があ 鍼灸の適応を決めるための論理 「腰痛症における鍼灸の適応と限界」 第39回学術大会シンポジウム、平成元年 「鍼灸不適応疾患の鑑別と対策」 医道の日本社、平成6年 るとしても、長期にわたる休職ができないため手 術療法を選択するというようなことです。 鍼灸院の問題としては、今例にした椎間板ヘル ニアのように鍼灸の適応する疾患であるとわかっ ていたとしても、鍼灸院では休業のための診断書 を書くことができないという事情があり、結果的 私たちは鍼灸の適応に関して、既に、平成元年 に鍼灸院では扱えないというようなこともありま の本会第39回学術大会において「腰痛症における すし、また腸閉塞のように、鍼灸で緩解する症例 鍼灸の適応と限界」というシンポジウムを行いま も多いとはいえ、それはいつでも手術も含めてど した。ここで山田勝弘氏が「鍼灸臨床における適 のようにでも対処できる体制の下で鍼灸治療をす 応判定の論理」を述べました。また、平成6年に るのなら良いが、普通の鍼灸院ではこれを取り扱 医道の日本社から「鍼灸不適応疾患の鑑別と対 うわけにはゆかない、というようなものもありま 策」を出版しました。この中で監修者の出端昭男 す。 氏が「鍼灸の適応を決めるための条件」について 詳述しています。 これらを参考にして、臨床的には鍼灸の適応は 以上、開業鍼灸師の臨床の立場から「鍼灸の適 応」について考えてみました。 佐藤:最初、矢野先生から、特に国際的な面から、 どのようにして決められるかと言うことをつぎに 特に鍼灸は「効く」ということが重要であるとい 申します。 うようなお話がありました。ところが日本に於い ては、必ずしもそうとはいえない。やはり開業鍼 「鍼灸の適応」を決める条件 灸師という立場から見れば、効くだけでは十分で 1.鍼灸の有効性 ない。もう少し広く捉える必要があろうというこ 2.他の治療法との比較 とを木下先生が話されました。 治療効果 副作用 危険度 3.患者の問題 生活環境 社会的立場 希望 4.鍼灸院という社会的制約 鍼灸の適応を決める第1の条件は、鍼灸が効く ということです。しかし、鍼灸が有効であったと 基礎研究の面から、今お二人がお話しいただい た点についてご意見があると思いますが、最初に、 野口先生から、適応疾患に対する基礎研究の裏づ けという1例についてお話しいただきます。 ③適応疾患に対する基礎研究の一例 (自律神経系) しても、他に安全で確実な治療法があれば、鍼灸 野口:適応疾患に対する基礎研究の裏付けの例に の適応というわけにはゆかないことになります。 ついて、最近子宮に関連する鍼灸治療の臨床研究 たとえば代田文誌先生の「鍼灸治療の実際」など と基礎研究の論文がそれぞれ別々の施設から発表 には、今では考えられないほど多くの疾患が鍼灸 されていますので、ご紹介いたします。 の対象として扱われています。抗結核剤のなかっ 子宮と灸治療に関する記載が古典の中にも見ら た当時は、結核もカリエスも鍼灸の適応疾患とし れます。スライドは、和漢三才図絵の懐妊の項目 て実際に効果を上げていたようですが、抗結核剤 を示しています。この中で「逆子の時、至陰穴に の出現により、鍼灸も人工気胸術も適応を失うこ 灸を三壮すると平産(ヘイザン)する」と有り、 とになったのです。つまり第2の条件は、他の治 古くから逆子の治療に灸が用いられていたことが 478 (20) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 伺えます。また国内の医学雑誌にも石野や林田ら 縮の頻度が増え、同時に子宮血流が増加していま によって、灸による逆子の治療の報告がされてい す。この反応のメカニズムに関して、子宮を支配 ます。また、イタリアのカルディーニが'98年のJ する骨盤神経の活動を記録して、検討しています。 AMAに報告して論じています。至陰穴に温灸を 骨盤神経の活動は、ピンチ刺激により増加してい 1週間から2週間行うと、逆子が正常位に戻ると るのが分かります。また、脊髄化された動物では、 いう事実をRCTにより証明しています。 反応がより大きくなり、後肢の刺激と会陰部の刺 激で有効なことが分かります。 結果を示します。胎動の回数、灸治療グループ に有意に増えています。また35週目にエコーで確 この2つの論文により、灸治療により胎動が増 認された頭位数正常の胎児の位置が、やはり灸治 し、逆子が改善されることがRCTにより証明さ 療グループで有意に改善しています。このことを れ、メカニズムについては、仙髄支配の後肢足蹠 カルディーニは、施灸が胎動を増加させたために や会陰部の刺激によって骨盤神経が分節性の反射 胎児の位置が補正されたのではないかと結論して により子宮を収縮させ胎動を増加させたものでは います。 ないかと考えられます。 次にこの胎動の増加の根拠となる子宮収縮に関 またこのような基礎的な研究の結果から、鍼灸 する基礎研究の論文が報告されていますので、ご 臨床で、婦人科疾患によく用いられる下腹部や下 紹介します。 腿の経穴が、子宮の血流を増している可能性が推 この論文は、'99年(JANS)の堀田等による論 察され、NIHの報告の中などにあります月経困 文です。麻酔ラットにピンチ刺激を加えたときの、 難症の改善にも寄与しているものと考えられます。 子宮の収縮と血流を観察しています。 佐藤:どうも有り難うございました。野口先生の お話は、今問題になっている適応症に対して基礎 会陰部に1分間のピンチ刺激を加えますと、収 図1 '99.12.1 (21) 479 シンポジウム 菅原: よろしくお願いします。当研究グループ は、本学会研究部の基礎部門に所属しておりまし て、現在プロジェクト研究を行っております。テ ーマとしては鍼灸刺激と侵害受容器活動との関係 を研究しております。本日は最新の知見も交えて 研究内容を報告したいと思います。 図1は、ヒト皮膚侵害受容器の活動と種々の刺 激との関係を示したものです。ヒトの皮膚にはい くつかの侵害受容器(痛み受容器)といわれるも のが有りまして、こちらに示しますのは非常に細 い神経線維が伝導するC線維侵害受容器と言われ 写真1 るものです。教科書的にはポリモーダル受容器と 的な裏付けが十分期待できるというお話だと思い 考えられます。導出した神経線維の受容野へ電気 ますが、同様に基礎のお立場から鎮痛系を例に取 刺激を行いますと、誘発波形がある潜時をもって りまして、本日予定しておりました後藤和廣先生 記録できます。記録電極から受容野までの距離を がご病気で御欠席のためピンチヒッターとして菅 得られた潜時で除算しますと伝導速度が求められ、 原先生にお願いいたします。 この場合約1m/sec.の速度をもつ神経線維である ことがわかります。こうして記録できた受容野に 対して、比較的ゆっくり上昇する熱刺激を与える ④適応疾患に対する基礎研究の一例 と、強度依存性にインパルスの発火が認められま (鎮痛系) 図2 480 (22) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 す。またホンフレイフィラメントで機械的な刺激 ように初期のみ発射を示すタイプがありまして、 を与えると、同様にインパルスの発火が認められ こうした侵害受容器は概ね刺激強度に依存した発 ます。 射活動を示しますが、刺激の様式や受容器のタイ 写真1は実際の実験風景でして、この方法は プによって様々な反応をすることがわかります。 1967年にスウェーデンのHagbarth(ハグバース) また、侵害受容器が興奮すると痛みを必ず伴うの と Vallbo(バルボー)という研究者が開発したもの ではと考えがちですが、この時に被験者の感覚は で、Microneurograhy(微小神経電図法)といいま 振動感覚のみと答える場合が多く、たとえ痛みを す。この方法は非常にシンプルですが、無麻酔で 伝える神経線維が興奮したとしても、痛み感覚を 経皮的にヒトの末梢神経活動を導出できまして、 惹起するものではないということが、この例から その受容野へ鍼や灸刺激をおこなった時のインパ わもかります。こうした知見から、鍼灸刺激(特 ルスと被験者の感覚応答を観察することが出来ま に鍼刺激)というピンポイントの皮膚刺激が、痛 す。 みを生じなくとも末梢レベルでは侵害受容器を興 図2は、微小神経電図法によって導出されたヒ 奮させ、のそ情報は確実に中枢へ伝えられ内因性 ト皮膚C線維侵害受容線維の受容野へ、雀啄刺激 鎮痛機構や種々の反応を引き起こすトリガーとな を与えたときのものです。刺激の定量化の目的か っている可能性が示唆されます。 ら、電動歯ブラシを改良した雀啄装置を開発し、 図3は、灸刺激を行ったときのものです。侵害 一定の頻度で雀啄刺激を加えた場合の発射活動が 受容器の一種であるポリモーダル受容器は「複数 示してあります。こうした持続的な鍼刺激に対し、 の刺激様式に応じる」ということでpoly(複数) 侵害受容器はいくつかの発射パターンを示します。 mode(様式)という命名がされております。この 上段の図のように、刺激の初期にダイナミックな 図で導出された侵害受容器もポリモーダルと思わ 発射がありその後持続的に続くタイプと、下段の れますが、そこへ透熱灸刺激を行いますと強い発 図3 '99.12.1 シンポジウム (23) 481 射活動が観察されます。ここでは同時に皮膚血管 ということが数多く確認できたので、やはり胎動 を支配する交感神経の活動も導出されておりマル ではないかという臨床的考察を踏まえて、それに チで記録されておりますが、交感神経活動も灸刺 対応する基礎論文をご紹介させていただいただき 激により一過性に強いバースト発射として観察さ ました、矢野先生のお答えにはなっていないかと れます。スライドの4段目と5段目は皮膚血流を 思うんですが、臨床的には、まだ分からないとこ 示しており、4段目は受容野近傍へ置いた血流量 ろが多いと思います。 計から記録されたものです。灸刺激を受容野へお 矢野:基礎でのエビデンスと臨床でのエビデンス こなうと、その直後から非常に強い血流増加が観 と、必ずしもイコールではないだろうと。そうい 察されます。これは軸索反射性の血管拡張に伴う ったところで少し質問させていただきました。 反応と考えられており、末梢組織に神経ペプチド 佐藤:その他ございませんでしょうか?今日のテ が放出され周囲の組織に種々の反応を引き起こす ーマ、“基礎から臨床に”ということですが、基 ことが解っております。5段目は刺激部から少し 礎のデータも大事であり、臨床の所見も大変大事 離れた場所の皮膚血流で、交感神経の興奮に伴っ であるということです。ただし今矢野先生がおっ て若干血流量の減少が認められます。但し、こち しゃるように、往々にして、ディスクレパンシー、 らは近傍の血流増加に比べるとあまりダイナミッ ギャップがある。ギャップがあるから基礎の研究 クな変化を示さないということで、やはりお灸に がだめとか、あるいは基礎から臨床に通じないと よって引き起こされる侵害受容器の興奮と、軸索 か、そういう事は言えない。どちらも何が問題か 反射がとても重要と思われます。 ということを、こういうシンポジウムを通して考 佐藤:どうも有り難うございました。今鍼灸の適 えるということが大切です。自分の世界に閉じこ 応される疾患につきまして、臨床の立場から、あ もらないで、相手の意見、その中にはきっと正し るいは国際的あるいは我が国の立場から、それに い部分があるから、これをどのように理解してい 対する基礎的なご意見を頂戴したわけですが、何 くかと言うことがこのシンポジウムの一番大要な か演者の先生達でご意見ございますでしょうか? ことだと思うのですが。 矢野:野口先生に。先ほど骨盤位の臨床とそれを 木下:菅原先生にちょっと。私よく聞き取れなか サポートする基礎研究の話を紹介していただきま ったんで、あるいは聞き落としているんじゃない した。この点についてうかがいます。ヒトレベル かと思うんですけど、侵害刺激は、持続的に与え の現象論的な研究ですが、早産予防でも骨盤位と たときに2つの反応があると、1つは、初期には 同じように至陰穴とか三陰交に灸をしますが、そ 頻回な反応が出て、それでその後それが定期的に の場合はむしろ子宮の緊張度が緩み、子宮及び臍 反応する。もう1つは、それから、初期だけにし 帯動脈の血流量は増えると報告されています。早 か反応が現れない。という2つでしたね。でそれ 産は異常な子宮収縮で起こりますから、むしろ異 がどういうものがその違いを出しておるのでしょ 常な収縮を押さえることが治療につながります。 うか? 骨盤位の場合でも子宮緊張を緩めて、回転し易く 菅原:最初にその発射のパターンが違うというこ するのではないか。ヒトレベルの研究ではむしろ とで、あれは実は被験者は両方とも痛みを感じて 子宮筋の緊張が緩んだ方がいいかということが、 ない。ということが今回分かった知見なんですが。 言われてるんですけれども、その点はどうでしょ よく言われていますのは、末梢でいろんな発射の うか? パターンによって、痛みの強さが変わるといわれ 野口:そうですね。そちらの論文を存じ上げなか ているんですが、今回鍼刺激をして、ああいった ったのですが、今回カルディーニの結論として、 発射の違いは共に認められるんですが、鍼を刺さ 灸をすえている間に実際に胎動が増しているとい れた被験者は痛くないというんです。それはたぶ うことを母親により確認しておりまして、またそ ん臨床でいう皮内鍼ですとか経絡治療の先生方が の2週間後の35週目に胎児が正常位に戻っている よく「鍼は痛くないし、侵害刺激ではない」って 482 (24) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 いうことを言われるんですが、実はこうやってヒ 関する研究も進んでいるようです。適応症につい トの神経の活動、痛みの受容器の活動を記録しま てですが、あまりにも疾患にこだわりすぎたため すと、たとえ痛くない刺激であっても、しっかり に逆に鍼灸の適応リストが曖昧になったのではな 興奮しているということで、多分それが生体の鎮 いかな?と個人的に考えております。どういう症 痛機構ですとか免疫系にいろんな影響を与えてい 状の管理ができるのか、ということについてもき るんじゃないかということです。あと最後に、発 ちっと整理していかないと、疾患だけでは他の治 射パターンはなぜ違うかというのは、現在まだよ 療方法(西洋医学)がより効果があれば、そちら く分かってない状態です。 の方に患者は行ってしまう。鍼灸に求めている患 木下:痛くなくても生体は反応するんだ、という 者の視点、目線というのが何処にあるのか?その ところは、私重要ではないかと思います。それか 辺りも考慮に入れて鍼灸の適応の問題を考えてい ら生体の反応パターンが色々あると、ではどうい かないと難しいんではないかなと思っていますが。 ったものにはこういう反応をするのか?というこ 丹澤:分かりました。もう少しよろしいですか? とをやっていただけますと、臨床の方でも後から 先ほど木下先生のお話の中で、未病という問題が またそれを利用させてもらえると、大変役立つん 出て参りましたね。で現在疾病の概念は実ははっ じゃないかと思いますけど。 きりしたものはないんですが、西洋医学の方で未 丹澤:今、討論なさっていることとかけ離れるよ 病の問題を専らにする学会が誕生いたしました。 うで申し訳けありませんが、もう少し、ベーシッ その学会での“未病”の定義は、「自覚症状はな クな点で一つうかがいたいことがあります。木下 いけれども、検査値はいわゆる標準値を超えてい 先生は、代田先生の言を引用なさって、「鍼灸と る状態。」という、具体的に申し上げると、尿酸 いうのは、疾患対応ではない。証候対応だ。」と 値は、7.0以上なんだけれども、自覚症状としては いうことをおっしゃられましたけど、疾患対応と 痛風発作がない、こういう状態を未病という風に いう概念、この概念は臨床家として持っているべ 定義しよう、ということです。この定義の是非論 きではないんでしょうか。 はひとまずおいておいて、こういう概念を認容さ 木下:いや、そういう事を言ったんではなくて、 れますでしょうか?矢野先生、木下先生。 疾患にはどの程度効くのか、どのように効くのか、 木下:エーと、難しいんですけれども、私先ほど そしてそれは何故なのかということがはっきりす 鍼灸はメンテナンスの医療だと例を出したんです ることは全く依存はありませんし、むしろそうし けれども、あれは禍を小さなうちに留めておけば、 なければいけないと思うんですけど。ただそれだ 大きなものに発展しないだろうという考え方なん けではないと。それだけでは鍼灸の本当の良さが ですけれども、私はそれも“未病”なんではない いかされないんではないかということです。 かと思います。 丹澤:分かりました。誘導するわけではないんで 丹澤:大方は認容できるということと解釈させて すが、いわゆる“証”というものだけが鍼灸臨床 いただきます。 の対象であって、疾患は対象としては二の次だと 木下:はい。 いうことは、正しいのでしょうか? つまり私が 矢野:“未病”には2つの状態が有ります。Aと 申し上げたいことは、弁証と弁病というのは並行 いう疾患からさらに次のBという疾患に発展する して行うことが今後の鍼灸臨床であろうと思うん 場合の未病と、もう1つは、病的状態には至って ですが、矢野先生いかがでしょうか? いないが、そのまま放置すれば本格的な疾病に発 矢野:中国の『東西医学結合』という雑誌では、 展してしまう場合です。機能的な変調状態を未病 丹澤先生が言われた問題を取り上げています。弁 と捉えるということです。 病と弁証と現代医学的な疾患名との関連について 丹澤:従って今私が申し上げた概念も認容できる の研究が結構進んでいるように思います。一方で と?こういうことですか? また、特に現代医学的な疾患名と弁証との対応に 矢野:はい。 '99.12.1 シンポジウム (25) 483 佐藤:では、概念をある程度広く捉えると、そこ 流と血圧が平行して増加する反応が認められます。 にあまり矛盾したものを認めにくいというところ この反応は強度依存性に増大しました。筋血流と までお話が進みましたが、それを踏まえて最初に 血圧が同時に増大することから、他の部位での血 基礎研究の現状につきまして、経穴経絡と自律神 流減少が予想されましたので検討しました。 経という立場から、野口先生お願いします。 皮膚と腎の血流を示しています。皮膚血流は増 加しますが、腎血流は反対に減少します。そこで、 Ⅲ.鍼灸の基礎研究の現状 血圧と筋血流増加反応には、この腎血流の減少に よる影響が考えられましたので、腎臓に行く交感 ①経穴・経絡と自律神経系 野口:経穴経絡に関連する自律神経系の基礎研究 についてご紹介します。 神経を切断して検討しました。 内臓神経切断後には、鍼通電刺激による血圧の 反応は消失しました。また筋血流では増加反応が 全身の経穴像を示しています。体幹部にある各 消失した変わりに減少反応が出現しました。この 臓腑に対応した兪穴募穴と、手足にある各臓腑に 事実から足蹠鍼通電による筋血流増加反応は、血 関連する要穴により、臓腑機能を改善するのが鍼 圧の増加により起こっていたと考えられました。 灸治療の目的と考えられます。鍼灸治療は物理療 次に分節性反応についてご紹介します。佐藤等 法の1つと考えることができます。一般の物理療 が'93年に報告した研究によりますと、麻酔ラット 法ではその刺激強度、頻度、時間によって反応が の腹部に鍼刺激を加えると、胃の運動は抑制され、 異なるのに対し、鍼灸治療ではそれらに加えて、 そのときの交感神経の活動は興奮しています。迷 経穴に鍼で刺激を加えることから、さらに刺激の 走神経は、反応していません。このことから、こ 部位、組織、手法による違いも重要と考えられま の反応は分節性の脊髄反射より起きていることが す。言い替えますと、経穴の違い、刺入する鍼の 証明されました。また手足の刺激でも全身性の反 深さの違い、鍼に加える手技の違いと言うことに 応による胃の運動と分泌の亢進があることが報告 なるかと思います。 されています。臨床で胃に関係のある経穴を用い 刺激部位に関する基礎研究が既に報告されてい る場合でも、兪穴、募穴のように体幹部にある経 ます。これは、佐藤等が'98年に発表したレビュー 穴と、手足にある経穴では反応が異なる可能性が 紙からの引用です。体性自律神経反射には、体幹 示唆されます。 部の刺激で起きる、分節性の脊髄反射と、手足か 局所の反応についてご紹介します。全身の反応 らの刺激で起きる全身性の上脊髄反射があること 以外に、局所における循環反応も報告されていま が、麻酔動物により明らかにされています。 す。鍋田等の報告によりますと、刺鍼による軸索 刺激部位による反応の違いを、全身性反応、分 反射により皮膚血流増加反応が報告されています。 節性反応、局所反応の3つに分けてご紹介します。 またヒトにおいても局所の筋血流増加反応が報告 先ず全身性反応の例について、筋血流の反応を されています。木下の'91年の報告によると、坐骨 例にしてご紹介いたします。これは明治鍼灸大学 神経痛患者の刺鍼及び施灸の直側で筋温が上昇す の松本等の報告で、ヒトの下腿血流量を測定した ることから局所における筋血流増加反応を推定し ところ、鍼刺激側と平行して反対側の血流増加を ています。鍼治療では肩凝りなど直接筋を対象と 認めることから、全身性の反応と考えられていま した治療もよく行われますので、局所における筋 す。しかしこの全身性の筋血流量増加の機序につ 血流増加反応についてもさらに検討していく必要 いては明らかではありません。そこで我々はこの があるのではないかと考えています。 反応の機序について検討しましたのでご紹介しま す。 次に刺激される組織による反応の違いについて、 ピンチ刺激と鍼通電刺激の例を挙げてご紹介しま 麻酔ラットで足蹠に鍼通電刺激を行ったときの す。足蹠にピンチ刺激を加えますと、ほぼ全例で 筋血流を測定しますと1.5mmA以上の刺激で筋血 筋血流が増加しますが、下腿の刺激では増加する 484 (26) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 図4 反応と減少する反応の2つの方向への反応が現れ は何処の部位に刺激を加えても血圧は増加反応を ます。このことは刺激される部位の組織の構成に 示します。これは'95年に大沢が報告した論文から 違いがあると考えられます。すなわち足蹠は刺激 の引用ですが、足の三里に鍼を刺入して、旋捻刺 されるのが主に皮膚であるのに対し、下腿では主 激を加えますと、腎臓に行く交感神経の活動を抑 に筋組織が刺激されている違いがあります。そこ 制して、その結果血圧は減少します。以上のよう で下腿部で皮膚と筋に分けて刺激してみました。 に鍼刺激による反応はは一般の物理療法とは違い、 皮膚のみにピンチ刺激を加えますと、やはり全例 刺激の強度、頻度時間に加えて刺激の部位、組 で増加反応が認められますが、筋のみへの刺激で 織、手法により反応が異なりますので、今後これ は増加反応と減少反応の2方向の反応が現れます。 らの点に留意して研究を進めることが重要と考え 昨日、小林が報告しましたが、鍼通電による同様 ております。 の反応を血圧の変化で示します。鍼通電刺激によ 佐藤:どうも有り難うございました。ただいまの り2mA以上で強度依存性に血圧は上昇します。 発表は経穴経絡と自律神経の基礎研究の立場から 足三里の刺激では強度に関係なく増加反応と減少 お話しいただきましたが、続きまして、同様経穴 反応が出現します。このように刺激する組織の違 経絡と鎮痛系につきまして基礎研究の立場から菅 いで鍼の反応が異なることが分かりました。今回 原先生お願いいたします。 の結果から、刺激される部位を構成する組織の違 いで反応が異なることが示唆されます。例えば同 ②経穴・経絡と鎮痛系 じ経穴を刺激した場合でも、鍼の刺入深度が異な 菅原:先ほど野口先生より鍼刺激に対する自律神 れば刺激される組織が変わりますので、鍼による 経系の反応ということで非常にきれいなデータを 反応が異なる可能性が含まれています。 お示しになられましたが、当グループでは最近鍼 刺激の手法の違いによる反応を、ピンチ刺激と 刺激だけでなく灸刺激に対する侵害受容器活動と、 徒手による鍼刺激の例で紹介します。木村の'95年 鎮痛系との関係について検討しております。先ほ に報告によると、ラットの色々な部位にピンチ刺 どポリモーダル受容器について話をしましたが、 激を加えたときの血圧の反応は、脊髄が無傷の時 ポリモーダル受容器が何故鍼灸刺激の入力系にな '99.12.1 シンポジウム (27) 485 りうるかという根拠は明治鍼灸大学の川喜多先生 といわれております。このユニットはCMHよりは が総説を書いておりますので、詳しくはそちらを るかに導出しずらく、現在まで11ユニットのみで ご覧下さればと思います。この受容器の特性とし す。機械的な閾値はCMHに比べ高く29.1mN±12.6 ては全身に広く密に分布し、刺激の種類を問わな です。もう一つ、高閾値機械受容器の一部にAMH いということで、鍼のような機械的刺激や灸のよ と書いています熱刺激にも応じるユニットが観察 うな熱刺激、また炎症などで局所に産制される発 されており、A線維メカノヒートノシセプターと 痛物質にも応じる特性を持ち、鍼灸刺激の入力系 呼ばれています。この受容器は高温の熱刺激を繰 に重要とされています。ここではそうした受容器 り返して行うと、受容器が感作され熱刺激に対す の特性と最近の知見をお話します。 る反応性が増強する特性を持ち、熱傷後の知覚過 敏と関連するといわれております。これもユニッ 図4は現在までに導出したヒト皮膚侵害受容器 のユニット数をタイプ別に表にしたものです。CMH ト数は少ないですが十数例記録されております。 と書いてありますのは、C線維機械熱侵害受容器 次にお灸刺激と関連して、このAMHと侵害熱刺激 の略でポリモーダル受容器とほぼ同様の特性をも との関係についてお話ししたいと思います。 っております。これが現在239ユニット記録でき AMHには幾つかのタイプがあり、図5はタイプ ています。伝導速度のみの記録で終わってしまっ 1といわれるもので火傷時の熱痛感覚やその後の たものもありますが、機械刺激に対する閾値を記 知覚過敏に重要な受容器と考えられております。 録できたものが184ユニットで、その平均値が このAMHの特徴は、最初は機械刺激にしか応じま 24.1mN±21.9ということで非常に応答の幅が広い せんが、50℃以上の熱刺激を受容野へ反復します ことが観察できます。熱刺激に対する閾値も と徐々に受容器が感作され、熱刺激に応じるよう 41.8℃±2.7で、被験者が必ずしも熱痛感覚を生じ になります。スライドのNo4では、50℃10秒間の ないレベルからこの受容器は興奮性を示します。 熱刺激を行うと刺激の後半でインパルスが出始め、 これに対しHTMと書いてあるのは高閾値機械受容 刺激8回目や10回目では非常に多くのインパルス 器といわれるもので、針などで刺したときに感じ が観察されます。これに伴って被験者は強い熱痛 る「チクッ」とする感覚(刺痛)を伝える受容器 感覚を訴えます。 図5 486 (28) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 もう一つAMHにはタイプFA(タイプ2)とい いのに炎症が生じると、にわかに興奮性を示すス われるものがありまして、熱した天ぷら油が皮膚 リーピング・ノシセプターと言われる受容器が観 へ付着したときに感じるチクッとした速い痛みを 察されております。動物の関節部におけるスリー 伝導すると考えられております。このタイプは刺 ピング・ノシセプターに関しては、ドイツのシュ 激に対して早く順応または疲労を起こす特徴から ミットらによって報告されておりますが、我々は ファーストアダプティングの頭文字をとってFAタ ヒト皮膚におけるデータを記録しましたのでご報 イプと呼ばれています。図6でも左上段では熱刺 告したいと思います。 激に対し、刺激の初期に非常にダイナミックな発 図7は、マイクロニューログラフィーで腓骨神 射を示しておりますが、刺激2回目では疲労をお 経より導出したC線維ユニットの受容野を示し、 こし発射が疎らです。この時、被験者は刺激1回 複数のユニットもしくはブランチが混在しており 目ではプリッキングペインを生じますが2回目に ます。電気刺激によって誘発波形が確認できるポ は無く、刺激の後半でジワッーとした熱痛を感じ イントが8つありまして、そのうち機械刺激によ ると言います。このように灸刺激の入力系を考え っても発射が認められるポイントが6つです。ポ ますと、末梢ではポリモーダル受容器以外にも イント4と7は、機械刺激をおこなっても発射が 様々な受容器が興奮していることが考えられます。 認められませんでした。しかし、受容野全体へ発 また、この他にも最近は炎症時に末梢組織に発痛 痛作用のある100%のマスタードオイルを5分間 物質などが産製されると、こうした化学物質に選 塗布しますと、その後ポイント4が機械刺激に反 択的に反応を示すケモセンシティブ・ノシセプタ 応するようになりました。これは、マスタードオ ーや、通常は機械刺激に興奮性をほとんど示さな イルによって局所に炎症反応が生じ、ポイント4 図6 '99.12.1 シンポジウム (29) 487 図7 が機械刺激に感受性を示したものでスリーピング を示すことが確認できます。以上の結果から、ユ ノシセプターの可能性が示唆されます。スライド ニット1は機械刺激および熱刺激に感受性を示す のCは、このポイントに予め4秒に1回の電気刺 メカノヒートノシセプター(C線維機械熱侵害受 激を与えながら誘発波形を記録し、そこへ同時に 容器)と思われます。またユニット2は機械刺激 機械刺激をおこなったきのもので、機械刺激によ り誘発波形の潜伏時間が延長することが確認でき にはインセンシティブなのでヒートノシセプター (C線維熱侵害受容器)と考えられます。 ます。これは何らかのメカニズムで刺激に対する このように鍼灸の入力系となる末梢の侵害受容 受容器の起動電位が変化するものと考えられてお 器を一つとってみても、様々な顔(特性)を持つ りますが、このような方法を用いることで導出し ことが現在までにわかっており、こうした入力系 た受容野がどのような刺激の種類に感受性を示す の特性の違いが経穴や反応点を考える上で興味深 のかを確認する事が出来ます。 い知見になるんじゃないかと思います。また先ほ 図8は、先ほどと同様な手法を用いて予め導出 どお話ししましたスリーピングノシセプターなど したユニットの、刺激に対する感受性を調べたも の発現や動員も、ある病態の反応点出現や痛みの のです。マルチで記録されており2つのユニット 感受性に様々に影響している可能性も考えられま が導出されております。上段は機械刺激を与えた す。 ときのユニット1と2の潜時の延長を、ドットラ 佐藤:只今基礎の立場からお2人がお話しされた スター法で描いたものです。ユニット1は機械刺 のは、経穴とか経絡というものが鍼灸の世界にあ 激では潜時が延長しませんが、ユニット2では刺 るのですが、動物でもそれに類した場所を刺激す 激により延長しております。下段は熱刺激をおこ ると、どちらのお仕事でも感覚の神経が興奮する なった時のもので、ユニット1および2ともに潜 ということです。感覚の神経には色々の種類があ 時が延長しており、両ユニットが熱刺激に感受性 りますが、菅原先生は痛みを運ぶような神経も興 基礎と臨床との対話 488 (30) 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 系について後藤先生にお話しして 頂く予定でしたが、お病気のため にピンチヒッターを菅原先生にお 願いしました。鍼による痛みの情 報が体内に入ることによって体の 中にある痛みを押さえる鎮痛シス テムが働く。このシステムを上手 に鍼、お灸で使っているのだろう 考えても良いのでしょう。ただい まのお2人の発表に対して演者ど うしで、何か御討論ございますで しょうか? 野口:我々は麻酔したラットで使 っていますので、ラットが痛がっ ているのかどうかは確認できない のですが、菅原先生の所は実際に ヒトで行っていますので、被験者 の痛みをモニターしながらできる という良さがあると思います。先 ほど筋血流が、増えるというお話 をしたんですが、刺激強度を段々 強くしていきますと、1.5mA位で 反応が出現するのですが、その時 の神経活動を調べておきますとC 線維が興奮する少し前から、すな わちAデルタの興奮する点から血 流の反応が増えてきます。次で2 mA、5mAとC線維が興奮する範 囲で血流が増えるんですけれども、 図8 必ずしも痛み刺激ではない。痛み を感じない刺激で起こっていると 奮すると言われました。痛みだけでなく、痛みと いうことで、臨床と考え合わせてみますと、手足 関係のない神経ももちろん興奮する。その近辺を の鍼で血流が増えるという反応は必ずしも、痛い 刺激すると、動物では痛みがあるかどうか分かり 刺激にはなっていないということが菅原先生のご にくいのですけど、自律神経のような反応を見る 報告出よく分かりましたので、我々の結果もその ことで、麻酔した動物でも、人と同じように痛み ような点もふまえて見ていただければ、と思いま に関連した反応を見る、メカニズムを知ることが す。 できるというのが野口先生のお話でありました。 佐藤:菅原先生、鎮痛系について何かございます 痛みを起こす、痛みを伝える神経が鍼で刺激され でしょうか? れば、鍼は痛みをおこすことになりそうです。で 菅原:フロアーの方ですね、多分明治の川喜田先 も必ずしも臨床で痛いわけではない。痛みを押さ 生が、いらっしゃっていると思うんですが、何か える場合もある。それを鎮痛系と呼びます。鎮痛 コメントをいただければ、突然の指名で申し訳な '99.12.1 シンポジウム (31) 489 いんですが。 意識下でそういったレスポンスが起こったからと 川喜田:私は途中から参加させていただいたんで いって臨床的にも価値があるかどうか、その辺り すが、先ほどの菅原先生のお話のポリモダール受 の先生の見解、どうでしょうか? また、スリー 容器というのは、私が紹介している立場ではあり ピングレセプターというのは非常に面白いなとい ますけれども、元々は名古屋大学名誉教授の熊沢 うことで聞いていたんですが、よく鍼をした後お 先生のオリジナルなものを私が引き継いでいると 灸をするとか、何らかの前処置をして、次の処置 いうことを了解していただきたいと思います。そ をするとより効果的であることを経験するんです れから鎮痛系という問題では、痛みのシグナルが が、そういった臨床的な感覚と関係するんでしょ 生体にはいると、内因性の鎮痛系が賦活される。 うか? これは生物目的学的にといいますか、人間の体に 菅原:今も川喜田先生からお話があったんですが、 痛みがあるとそれをネガティブなフィードバック。 熊沢先生が痛みの総説を書いておりまして、侵害 通じて抑制するという、割と目的論的にも説明で 受容器、ポリモダール受容器というのは知覚神経 きると思っています。ただポリモダール受容器が ですので、中枢に痛みの情報を送るんですが、軸 何故面白いかというと、一つは先ほどの菅原先生 索反射性に末梢部にその神経ペプチドを放出しま のデータにもありましたけれども、その反応する して、血管を拡張したりします。また、その神経 閾値が、普通の痛みを感じる閾値よりは低い所か ペプチドの一種サブスタンスPの効果一つをとり ら発火してくるわけですね。ですから本来痛みの ましても、ただ単に血管拡張ですとか血管透過性 性質は持っていますけれども、痛くない刺激を与 を亢進するだけではなくて、マクロファージの食 えることによって、鎮痛系をよりよく賦活させる 作用を亢進したりとか、Tリンパ球に働きかけた ためには、非常にいい性質であると考えています。 りとか、線維芽細胞の増殖を促したりとか、そう それからもう一つは、鍼灸というんですけれども、 いった免疫系を賦活する効果があることが解って そのお灸と鍼を考えたときに、歴史的に見ると馬 おりますので、特に臨床でよくお灸をすると、お 王堆のお墓から出てきた資料では、お灸が最初な 灸は養生にいいとか、自然治癒力を賦活するため んですね、鍼は後発の技術である。そうしますと に非常に効果的といわれているんですが、この効 もっとも基本的な治療というのを考え、お灸とい 果を侵害受容器の興奮と軸索反射性に出てくる神 うのはどういうシステムでやられているか?鍼は 経ペプチドと考え合わせますと非常に理にかなっ どうしてやっているかと考えると、やっぱりその た刺激法じゃないかなと思います。また鍼もそう 共通する入力系は、ポリモダール受容器と考える なんですが、刺激される空間が非常に小さいので、 のが妥当であるし、それは侵害的な刺激に対する あまり患者さんに苦痛を与えることなく、様々な ネガティブフィドバックみたいなものをうまく利 反応を起こすということで、非常に鍼やお灸の刺 用しているし、生体の痛みだけじゃなくて、先ほ 激というのは経験的に作られてきたんですけども、 どの循環のお話もありましたけれども、自律神経 有効な刺激療法じゃないかと考えます。それと、 系自体にも、内分泌系にも強く修飾作用があって、 次の質問でスリーピングレセプターと鍼灸の臨床 それをうまく使えば、鍼の効果というのはそれな 効果とどのように考えたら良いのかというのは、 りに説明できると考えます。以上です。 私まだ不勉強ですので、うまくお答えできません。 佐藤:有り難うございました。 済みません。 矢野:生理学的な効果あるいは反応があるといっ 佐藤:スリーピングノシセプターというのは、組 た場合、それらはどういう意味を有するのか、臨 織に炎症が起きたときに、普通の状態では働かな 床的な立場なんですが、効果というのは一般的に い神経が炎症が起きたために目を覚ますようにし は価値というもので評価します。レスポンスとか、 て働き出す神経でありまして、それが鍼で刺激す effectiveな反応は臨床効果とどう直結するのか、 ると働くかという研究が必要であります。その神 臨床効果や効用を裏付けできるのか。意識下、無 経は、一度目が覚めるとずっと目が覚めているの 490 (32) 基礎と臨床との対話 ではなくて、また眠りだすらしく、臨床では鍼の 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 すでしょうから、そういう研究が進むと思います。 治療効果に、基礎では鍼の刺激効果に関連する可 次に鍼灸の臨床的価値というものを考える必要 能性があります。そこら辺の意味を上手に結びつ がありますが、鍼灸の臨床の現状について、臨床 けていただきたいのです。 的に何が価値があるのか?その辺について、矢野 木下:野口先生も、菅原先生も、どのような刺激 先生からお話しいただきます。 をした時にどんな反応が出てくるのか、と言うこ とをお話しいただき、臨床の方で大変興味がある Ⅳ.鍼灸の臨床的価値について んです。特に、ポリモダール受容器、それ以外に 様々な刺激に対して様々な反応をする受容器が見 ①鍼灸臨床の現状 つかってきておると、いうお話だったんですけど、 矢野:鍼灸臨床の現状ということで非常に難しい 我々の立場でいいますと、その受容器というのは テーマを与えられて、どういう風に話をまとめた 何処にどんな刺激をしたらどんな反応がえられる らいいか、現時点でも苦慮しております。一応鍼 のか?と言うことが分かっておると、臨床が大変 灸の多様性というところに焦点を当てて話しをし 楽しくなって来るんですけど。その受容器という たいと思います。ある意味では問題提起というこ のは特にどの辺に多いとか、どの辺に偏在してい とになります。 るのか、例えば血管の所とか、血管の分岐部だと 鍼灸臨床の多様性と言うことについて考える場 か、そういったようなことは何かあるんでしょう 合、治療法の多様性と、もう一つは効果(治療効 か? 果)の多様性があるかと思います。鍼と灸という 菅原:我々の研究グループでは皮膚の侵害受容器 極めて単純な治療手段を用いてやるわけですが、 の知見が多く、これは実験の方法的な制約でしか そこには様々な効果の多様性がある。こういった たないんですが、深部や、血管の周囲等のような ところが鍼灸の面白さでもあるわけですが、同時 侵害受容器に関することは、分からないんですが。 に曖昧さも生じているんじゃないか。 また皮膚に関しても、Aデルタの高閾値機械受容 一方、EBMという大きな流れがあるわけです 器はポリモーダルに比べて非常にまばらに分布し が、果して鍼灸治療の標準化が可能なのかという ているといわれています。ただ全身では何処がど ことです。鍼灸治療には様々な治療方法があり、 の程度分布しているかというのは、私はちょっと そのバックグラウンドとなる理論もある。治療の わかりません。 標準化には鍼灸技術の評価基準が必要であるが、 佐藤:今の質問は、人の感覚の神経は、皮膚、筋 それができるのか。そういうようなことから考え 肉、関節を含めてですね、大きくⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ て、鍼灸治療を標準化していくことは非常に難し 郡という4種類に分かれます。鍼あるいはお灸に いという印象を持ちます。 よって、どの神経が興奮するか、非常に大切であ 逆に鍼灸治療の標準化は必要なのか?というこ り難しい。というのは、実際には動物で実験を行 となんですけど。先ず治療対象となる患者の特性 うのですけれども、分かり易い神経を取り出して を見ますと、いろんな医療機関を経験している。 刺激を加える。実際に機械的、あるいは温度、化 しかも慢性疾患で高齢者が多い。そしていろんな 学的刺激を加えるのですが、鍼についても、全部 治療を経験した中で、鍼灸治療を選択している。 の神経について調べるということは現実にされて 同時に治療のプロセスを考えたときに対話形式と おりません。鍼は必ずしも受容器を刺激するのみ いいましょうか、あるいは双方向性の治療形態を ならず、神経そのものも刺激する場合があります とっている。そういった空間的、時間的なものが ので、解釈が非常に難しいのです。これは研究と 治療効果の一因を成している、と考えられます。 しては努力をすればできることです。技術的には と同時に鍼灸治療を求めてやってくる患者なんで 簡単です。ただ誰がその努力をするのか。という すが、その患者が鍼灸治療に対して何を求めてい ことです。将来日本でも鍼灸の大学が増えてきま るのか、ということなんです。現在の所、本当の '99.12.1 (33) 491 シンポジウム ことは分かりませんが、医療機関にかかりながら もなおかつ鍼灸治療を求める患者の存在は、“個 の医療”を求めているものかと思います。そうい った観点に立てば鍼灸の標準化というものが必要 なのか? この標準化という形には、今後EBM による鍼灸学を構築していくときに、対立する視 の必要性 3.患者に対する治療法・予後・リスク等の情 報提供の必要性 4.鍼師と医師との交流・連携・情報交換の必 要性 5.鍼等の器具についての基準 点になる。こういったような所が鍼灸の現状では ないか、というふうに考えています。問題提起と いうことで話しをさせていただきました。 さて、NIH合意形成声明には、現在及び今後 の鍼灸に関する問題点として多くのことが指摘さ れているわけですが、その中で、鍼灸の医療的価 佐藤:有り難うございました。今問題提起がされ 値と言う観点から、注目してみたいと思います。 ました。次に鍼灸の医療の面からの価値について、 1.まず、鍼師の教育制度・免許制度について。 木下先生、お願いします。 これについては、日本では鍼灸師の教育制度も 免許制度も一応整備されており問題ないとの意 ②鍼灸の医療的価値 見もありますが、私は以下の2.∼4.を全う 木下: するためには、果たして現状でよいのかどうか 「鍼灸をよりよく臨床適用して、国民の医療、 保健、福祉に貢献する」 ≒ 「安全、確実、廉価に多くの患者に鍼灸がで きるようにする」 という気もします。 2.つぎに、鍼施術による有害事象が発生する頻 度は大変少ないとしてはいますが、まれには気 胸のように生命を脅かす危険性のあるものもあ るため、そういう事態から患者さんを保護する ことが必要であるとしています。 私は、一般に臨床に携わる者は、鍼灸師にして 3.つぎに、治療する前に、患者さんに対して、 も、鍼灸師以外の医療職種の方にしても、多少個 治療法や予後あるいは相対的なリスク等につい 人差があるかもしれませんが、自分の仕事が人々 ての十分な情報を与えなければならない、とい の医療や福祉に貢献することを願い、そしてまた それを「やり甲斐」とか「生き甲斐」と感じてい ると思っています。 っています。 4.また、医師と鍼師の両方の治療を受けたいと いう人もいるため、医師と鍼師は交流・連携・ ですからそのような実地臨床鍼灸師にとっての 情報交換を密にして、医療上の重要な問題が見 最大の関心事は「国民の医療・保健・福祉に貢献 過ごされないように注意する必要がある、と指 できるように、鍼灸をよりよく臨床適用すること」 であるといえるのではないかと思います。 この「よりよく臨床適用する」ということを別 の表現をしますと「鍼灸を、より安全に・より確 摘しています。 5.そして、治療に使用する鍼は、FDA規則に 従い、滅菌的単回使用とし、それらの内容は統 一されるべきである、とされています。 実に・より安い値段でそしてより多くの人に鍼灸 これらがうまくクリアーできていないと、鍼治 ができるようにする」といえると思います。鍼灸 療の医療的価値にも問題が生じると言うことです。 の医療的価値はこれを実践するところにあると言 って良いかと思われます。 鍼灸の医療的価値を高めるために 安全な鍼灸(安全基準) NIH合意形成声明の指摘 適応・不適応、治療手段、治療器具、衛 1.鍼師の教育制度・免許制度 生・消毒 2.鍼施術による有害事象からの患者の保護策 確実な鍼灸(治療目標) 基礎と臨床との対話 492 (34) 治療効果を得るための条件の特定、技術の習得 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 せるのか、あるいはもしも改善させることができ ないとしても、どのような状態に保たせるのかと 廉価な鍼灸 保険や福祉など公的資金の活用 いう目標設定をして、それを確実に実行するとい 生命保険 損害保険 うことです。これはある程度臨床経験のある鍼灸 師なら、それぞれに見解を持っていることですが、 それでは「鍼灸の医療的価値を高める」ために 鍼灸界一般の認識とすることが必要かと思います。 日本の鍼灸師としては「安全・確実・廉価な鍼灸 このためには治療効果を得るための条件の特定 を、より多くの人に」できるようにするにはどの が必要であり、確実な見解を得るためには科学的 ようなことが必要であるかを考えてみます。 根拠のある臨床試験も必要になります。また技術 まず安全な鍼灸について。これは鍼灸臨床全般 にわたる「安全基準」といえるかと思います。医 療はまず安全であることが要求されます。 の習得のための訓練あるいは教育の問題にも関わ ってきます。 廉価な鍼灸とは、鍼灸治療を受ける患者さんの まず鍼灸の対象となる患者さんについて。先ほ 経済的負担を少なくするということです。このた ど鍼灸の適応症とは「鍼灸をするのが相応しい疾 めには医療保険や福祉等の公的資金あるいは民間 患」であると言いました。この患者さんを治療対 の生命保険や損害保険などの活用等が課題になり 象としても良いかどうかという「適応・不適応の ます。 判別」についての基準を作る必要があるのではな 以上鍼灸の医療的価値を高めるための課題を考 えてみたのですが、これらのどれをとってみても、 いかと思います。 次に鍼灸治療の対象と判定した患者さんに、ど 個々の鍼灸師の責任としておくには重すぎる問題 のような治療をすればいいのかという、治療法あ ばかりです。学会や鍼灸業界あるいは教育機関等 るいは治療手段について。これも安全な臨床のた が協力して取り組むシステムがないと解決できな めには、何らかの目安あるいは基準が当然必要に いのではないかと思われます。 学会に参加している鍼灸師の多くは、学会がこ なると思います。 そしてNIHの声明でも指摘のあった鍼などの れらの課題に応えて、安全で豊かな鍼灸臨床がで 治療器具について。これは器具の材質・形状・消 きるようになることを期待しているのではないか 毒などです。衛生・消毒については、治療院内や と思います。とはいえ個々の鍼灸師がこのことの 治療者についても一定の基準が求められると思い 意義を十分に認識し実践する態度がなければなら ます。 ないことは当然です。 適応・不適応や治療法の基準については、鍼灸 佐藤:有り難うございました。ただいま木下先生 の治療効果が深く関わってきます。不適応疾患と から、医療的価値についてお話しいただきました は、鍼灸治療をするのが相応しくない疾患という が、鍼灸の臨床と医療的価値について御討論をお 意味です。鍼灸院という社会的制約のある医療現 願いいたします。 場では、相応しくない症例には手を出さないとい 田代(質問:神奈川地方会):木下先生にお伺い う態度が要求されます。 治療手段や治療器具に します。私も臨床鍼灸懇話会の会員ですので、会 ついては、鍼灸とはどんな治療法かという「鍼灸 長に楯を突くということになりますけれども、不 の定義」についての見解が関わってきます。 適応症には手を出さないとおっしゃいましたが、 衛生・消毒については、鍼灸臨床の現場に即し 私は不適応症に手を出しちゃったわけです。それ た「清潔」の概念を確認する必要があります。こ を医学界の常識もだんだん変わってきて、例えば れは、患者さんを守ると同時に、鍼灸臨床家をも 名古屋大学の大沢先生は、大体7割が食事で予防 守るものである必要があります。 できるとおっしゃるんですね、癌をね。それで私 次に確実な鍼灸について。これは治療対象とな る患者さんの、どのような病態をどこまで改善さ は実際はやむを得ず癌に手を出したわけですが、 やってみますとやはり鍼灸のやるべき領域がある '99.12.1 シンポジウム (35) 493 わけですよね。それが一つ。それからもう一つは の段階ですでに表皮のポリモーダル受容器は作動 未病についてですが、未病は先ほど丹澤先生がお していることとか、さらに多くの多様なレセプタ っしゃったように、データでは出ているんだけれ ーの反応があるとかという事実は、この3年のわ ども本人は感じないということと、それから逆に れわれの知識の進歩と思っていますが、問題は、 本人は感じているんだけれど、データに出てこな そういう現象や反応がいかなる生物学的な意味を いというのがあります。その未病について私は、 持っているかということにあるのではないかと思 遅まきながら要するに血液とか、尿とかデータに うのです。その問題を掘り下げることが「基礎と 出るときはかなり病勢が進んで中等度以上になっ 臨床との対話」のキーポイントではないかと思い てからじゃないと出ない患者がよく来るわけです ます。そこで二つばかりお願いがあります。一つ ね。いろんな自覚症があって。そうしますと私は、 は、基礎側へのお願いですが、鍼刺激の生物学的 よくデータに出るのはかなり進んでからなんで、 効果の機序は専ら神経系を通した検索に向けられ まだあなたは初期だからということで治したりす ていますが生化学的(物質的)な面からの検討を るんですがね。ですから未病には両面があるとい 含めた神経系発火の意味付けについてのご説明が うその2つなんですが。 戴けないかなということです。二つ目は、臨床問 佐藤:木下先生、今のご質問、コメントに対して 題ですが、矢野先生から問題提起があった、鍼灸 何かございますか? 臨床の発展阻害条件の一つでもある臨床言語(タ 木下:癌の患者さんの治療を担当されたというこ ームノロジー)の共通性を欠く問題です。この問 となんですけれども、私は鍼灸をどういう患者さ 題は基礎と臨床との間でも若干あるような気がし んに行うのかということでですね、必ずしもその ますが、この問題の解決に妙案があるかどうかと 病気が治らなくても、鍼灸は十分できるんじゃな いうことです。このあとは佐藤先生が示されたキ いかと思います。癌の患者さんでも、体調をよく ーワードにしたがって討論が進むことを期待した するとか、とりあえず今持っている苦痛を楽にし いと思います。 てあげるとか、いくらでもできるんじゃないかと 佐藤:さきほどから未病を含めて、臨床的に色々 思っております。ですからそういう事はどんどん の問題と要求が出てくるのはよろしいのですが、 したらいいんじゃないかと思っています。ただそ 基礎の立場から見ると、臨床で何かこういう効果 の患者さんの病状によっては、鍼灸にかかってい を鍼あるいは灸がねらっているが、基礎の研究の ては具合の悪い場合もあるわけですし、早急にお 助けがないと解決つかないという問題をもち出さ 医者さんにかからなければいけない場合もありま ないと、なかなか基礎と臨床の接点が見出せない。 す。それからその患者さんが現在医療機関にかか そこで臨床が基礎に問題点を投げかけて欲しい。 っているのかどうか、鍼灸院だけに来ているのか 基礎は基礎で、比較的神経が分かっているから、 どうかも問題になるわけです。ですからだだ効く 1本の神経あるいは2本の神経がこうなったああ か効かないかだけで、病気のどの面に対して鍼灸 なったというのではなくて、もっとデータを集め を行うかを考えなければいけないんじゃないかと ていけば臨床の今まで分からない問題を解決する 思っております。ですから、不適応疾患に手をだ 可能性がある。という立場で討論していったら良 してね、いい場合もあるということです。それか いのかな、と思います。この点に関して、演者の ら未病については、ちょっとコメント控え指して 先生方何かございますでしょうか。 いただきます。 矢野:鍼灸の効果には特異性と非特異性がありま 丹澤:ありがとうございます。ややシンポの本筋 す。特異性には、経路経穴の問題も絡んでくるん から離れたようなので、修正の意味も含めて私の ですけれども、特異性と非特異性との関係の中で、 考えたことを申し上げたいと思います。京都から 臨床効果は位置付けられる。我々臨床家の立場か 3年経ちまして、先程菅原先生からお話があった らいえば、鍼の作用機序における特異性が、もう スリーピングレセプターの存在とか、また押し手 少し明確になっていけば、鍼灸臨床は一本化の方 494 (36) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 向に進んで行くのではないかなと思います。先程 設定したエンドポイントがどれだけの臨床的価値 提示しましたように実際の臨床では、その母胎に を持ちうるのか。また治療院にやってくる患者は、 なる考え方がかなり違っている中で、鍼灸医療と 必ずしもある種の症状や疾患のポピュレーション いうことでひとくくりにされている。鍼の規格の を代表するとは限らない。鍼灸の場合は、この治 標準とか、消毒とかそういうのではなくて、鍼灸 療を選択してくる過程で、それなりの偏りがでて 治療の標準化ですが、流派を越えて標準化という くる。さらに治療において流派が絡んでくる。そ ことが可能かどうか、あるいはまた必要かどうか、 う簡単にRCTに移行できないような印象を持つ もし標準化を図るとすればどういった形で展開し んです。そこの所をどう乗り越えていけるのか。 ていったらいいのか、私自身もまだ整理できてい そういう意味でもっと臨床の方法論について議論 ません。こういった困難性と同時に、作用機序を しなければいけないんじゃないかといったわけで 考えるときに生物学的な意義と臨床的な意義との す。 関係を明確にすることが重要かと思います。 佐藤:木下先生ご意見ございますでしょうか。 佐藤:司会の私から1つコメントがありますが、 木下:鍼灸というのはどんなところへ治療したら 日本では、鍼灸は誰にでも比較的分かる気がしま どうなるのかが基本になるので、どこにのところ すが、外国、例えばヨーロッパとアメリカの医師、 ですね、穴に関する基礎的な見解、それから治療 科学者にこの話しをすると、先ず信用する人は少 したときにどうなるかという反応の仕方ですね、 ないですね。例えば、生理学者、神経科学者です そんなような所を明らかにしていただきたいと思 と、1割程度でしょうか、信用する人は。どうし っております。 て信用しないかというと、鍼灸はプラセーボ、暗 佐藤:有り難うございました。基礎のほうから野 示療法である、という人が多いのです。でそれに 口先生なにかございませんか。 対して何とかして分からせようとしたいのですけ 野口:基礎のほうからというより、臨床の研究の れど、臨床では非常に証明が難しい。動物実験で 先生方にひとつ付け加えさせて頂きます。今日ご は麻酔をしてポジティブな結果を出せば良いので 紹介させていただきました論文をイタリアのカル すが、患者の場合名医にかかれば治りやすい。そ ディーニの報告と言うふうに紹介させていただき れを鍼のせいなのか、暗示療法のせいなのかどう ましたが、共著者は中国の方で、調査の対象とな したらわかるのか、先ほど矢野先生が何度かお話 った女性も中国の婦人科の患者になっていまして、 しされた、ランダムナイズド・コントロールド・ このことからRCTを行える条件というものが日 トライアル(RCT)をお話しされましたけれど、 本国内だけでなく、欧米でもうまくそろってない そういう面はどのように考えたらよろしいんです のではないかと思います。鍼灸治療が国家の制度 か?それと、そういう場合に臨床と基礎をどのよ としてのっている国々方がRCTが行いやすいの うに結びつけたらよろしいのでしょうか。 ではないかという印象を持っています。 矢野:今先生が言われたプラセーボとかいろんな 佐藤:有り難うございました。 バイアスをどういう形で排除するか、ということ 菅原:先ほど丹澤先生からも基礎研究のほうで臨 で臨床研究のメソドロジーとして、RCTがかな 床をどう説明していくかという部分で神経だけで りエビデンスも強いということで、今後そういう なく物質レベルでというお話があったのですが、 方向で展開されていくだろうと思います。先ほど 痛みの研究は物質レベルの展開がされていまして、 の逆子の例でいえば、矯正が真のエンドポイント あと神経系の可塑性という問題も含めて発展して になります。でも慢性疾患の場合は真のエンドポ きておりましす。我々鍼灸も痛みに非常に効果が イントを設定しても、それに対する臨床効果を何 あるということでアプローチしているんですが、 処まで明らかにできるのか。多くの場合は代理の 我々が行う鍼灸と最新の痛みに関する知見からえ エンドポイント、サロゲートエンドポイントを設 られた鎮痛系ですとか、そういったものとの違い 定しながらやっているんですが、果たしてそこで はなにかとか、反応点をどこに求めるかという点 '99.12.1 シンポジウム (37) 495 になりますと、どうしても基礎をやっている研究 うしなければいけないという問題、鍼灸の行方と 者が少ないと思うんですね。反応点の問題に関し いう問題について矢野先生お願いします。 ては明治鍼灸大学の伊藤さんのグループが圧痛点 モデルみたいなものを研究し、その圧痛点が出来 Ⅴ.今後の課題 上がる機序みたいなものですとか、そこに刺激を 与えるとどうなるのかをやっているんですが、私 ①鍼灸の行方 どもを含めて若手の基礎研究者が圧倒的に少ない 矢野:鍼灸のこれからの行方、ということで、 「臨 のが現状の問題点ではないかと思います。それが 床鍼灸疫学の必要性」について紹介したいと思い 増えて行けば臨床に応用できるのではないかなと ます。鍼灸の将来展望を描くには、グランドデザ 思います。 インを立てなければなりませんが、その為には、 佐藤:有り難うございました。 現実をしっかりと把握しなければなりません。鍼 質問:特に婦人科関係のホルモンとの関係は非常 灸師の実数、利用患者数、現在の利用状況、鍼灸 に密接でありまして、ホルモン補充療法の変わり の治療費、そして治療費に対する患者の分布など、 にきれいなホルモンのデータがでますし。それか こういった基本的なことすら把握できていません。 らこれは他の病気にもいえることですし例えばこ また鍼灸治療に対する患者の満足度、これは適切 れは高血圧にも低血圧にも同じ穴を使うとか、癌 な治療費であるかどうかの指標になるものですが、 の場合女性ホルモンが多すぎるとなる場合にホル そういったようなことが分からない状態が続いて モン補充療法に効くような鍼ですとかえってマイ います。更に患者が鍼灸治療に求めるものは何か、 ナスになるわけですが、実際にデータをとってみ 腰が痛いから単に腰痛の軽減だけで来るのか? るとどんどん女性ホルモンが減りましてノルマテ それ以外に何かを求めているものがあるのではな ィックスの効果を高めております。ですから血液 いか? 非常に大事なことですが、全くそういっ などはホルモンがすぐ測定できますから。それか た情報が手元にない。これは我々の責任でもある ら女性の基礎体温などすぐにデータが出ますから わけですが。 そういうところをやっていただきたいと思います。 そういったことで、戦略的に21世紀の鍼灸を発 佐藤:有り難うございました。 展させるには臨床鍼灸疫学をきちっと構築してい 丹澤:限られた時間の中で、聴衆の先生方にご満 かなければいけないんじゃないか。そういった中 足いただけるような結論を導き出すことは大変難 で、鍼灸臨床研究の方向性、それと関連する鍼灸 しいことです。異なる立場の者が一つの目的に向 基礎研究の方向性が導かれるのではないか。医療 かって進む時には共通する基盤がいる。そしてそ 経済学的な研究も重要で、それらが相互に関係し の基盤作りにはある程度の妥協が必要である。妥 て、鍼灸の方向性が見えてくるのではないかとい 協をするためには異なる立場の意見を消化する度 うふうに思っています。 量がいる。この一連の道筋をつけるのが対話であ と同時に一方において物質的に恵まれた成熟社 り、そこから生まれるものが理解であると思うの 会に移行する過程において、心身とも健康であり です。すでに基盤(グランド)は築かれています。 たいという気持ち、いわゆる健康主体というもの 今後は、基礎と臨床のそれぞれの立場のリーダー が少しづつ広がっている。そういった意味で、こ が、そのグランドに立って具体的な問題というボ れからは“治療医学”から“予防医学”へと移っ ールを投げ合ってキャッチボールをどんどんする。 ていく。しかも2次予防から1次予防へとシフト 積極的に投げ合う。こういうことが大切であろう して行くのではないかな、と予想しています。そ と思います。ちょっと抽象的ですが司会の一人と してここまでの討論についてコメントを申し上げ ういったことで21世紀の医療を展望したときに、 「医療保障の時代」から「健康保障の時代」に移 ました。 行していくであろうと考えています。といいます 佐藤:今後の課題があると思うのですが。今後こ のは、例えばカナダでは、「ヘルスカナダ」の政 496 (38) 基礎と臨床との対話 全日本鍼灸学会雑誌 49巻4号 策のもとで78の疾患に対する予防サービスを検討 の診察および徒手検査のほかにはせいぜい血圧測 し、それに対する評価と勧告を公表しています。 定くらいしか持っていないのが普通です。得られ またアメリカにおいても「ヘルシーピープル2000」 る情報はきわめて制約されていると言えます。こ という政策のもとで、乳児から高齢者まで罹患す の制約された情報をもとにして、どのような病態 る60の疾患を対象に予防サービスを検討し、それ であるかを他人に伝えるためには、鍼灸院に来院 に対する評価と勧告を行っています。一方日本で する可能性のある各疾患について、問診・診察な は現在の所、「健康日本21」という政策が検討さ どで、どんな所見を得るべきか、そして得た所見 れていますが、まだ始まったばかりです。これは から病態を推測する手順などをマニュアル化して 先ほど丹澤先生がいわれた未病との関連で今後未 おくことが必要です。この問診・診察のためのマ 病治としての鍼灸を積極的にやっていくことが大 ニュアルを「共通カルテ」といいます。 切だと考えております。 佐藤:有り難うございました。 鍼灸界には、診断−治療に関する様々なシステ ムがあります。これを流派と言い換えることもで きるかと思われます。異なる流派間ではたとえ同 ②臨床家の立場より取り組むべき問題 じ患者であっても異なる診断を行い、また治療も 木下: 異なる可能性があるわけです。これは個性あるい 「共通カルテ」による症例集積 は鍼灸の多様性で尊重すべき利点である場合もあ 異なる診断−治療システム(流派)の比較 りますが、同一流派内でしか情報伝達ができない 鍼灸が効く(効かない)病態は何か ため、行っている治療の妥当性を評価することが 同一患者の長期記録とその集積 ライフステージに沿った鍼灸の有用性 できないというデメリットもあります。 共通カルテは、各流派の個性を否定するための ものでは決してありません。各流派の個性は、共 ここでは開業鍼灸師が臨床研究として取り組む べき課題にはどんなものがあるかを考えてみたい と思います。 通カルテにさらに追加する情報として記載すれば よいことです。 共通カルテによって、各流派の長所・短所の比 臨床研究としてはエビデンスのレベルは決して 較も可能になり、またエビデンスは決して高くは 高くはないのですが、臨床家としてはやはり鍼灸 ないのですが、鍼灸の治療効果を評価することも 臨床における症例集積が中心的な課題になると思 できます。 われます。 鍼灸院には長期にわたって通院する患者さんが 鍼灸臨床で扱う患者の病態やその背景にはどん 少なくありません。これは病気を治すのでなく病 なものがあるのか、どんな治療をしているのか、 人を治すという鍼灸の特徴の一つと言えると思い その結果患者はどんな経過をたどるのか等です。 ます。このような長期にわたる患者さんの記録は、 このような鍼灸臨床の実態についての真摯な記録 人のライフステージに沿った鍼灸の有用性を浮き は、鍼灸臨床家以外には誰にもし得ないことです。 彫りにする貴重な資料になり得ます。こういう記 「共通カルテ」と書きましたが、これは鍼灸師 録を残し集積するという作業は、臨床家にしかで にも鍼灸師以外の医療者にも理解できるカルテと きないことです。「未病治」の概念は明確ではあ いう意味です。鍼灸臨床の内容を鍼灸界以外の医 りませんが、このような長期記録は、未病治の内 療・社会に認知させるための第一歩であると考え 容を示唆する資料にもなり得るのではないかと思 られます。病態の記載は、まず現代医学用語を用 われます。 いて、現代医学的にはどのような病態を対象にし 佐藤:有り難うございました。基礎の立場から野 たかがわかるものが必要です。といっても、冒頭 口先生お願いします。 で述べましたように、開業鍼灸師が患者さんから 医学的情報を得る手段は、問診とベットサイドで ③鍼灸基礎研究の立場より取り組むべき問題 '99.12.1 シンポジウム (39) 497 野口:現在行われている基礎研究を示しますと、 そこは臨床面で出てきた問題を自分たちの鍼灸師 麻酔下での実験、正常動物での実験ということに の言葉ではなくて、生物学、医学、だれにでも分 なると思います。しかし、麻酔下で行った実験で かる用語に置き換えて研究に持って行く必要があ も鍼の刺激による反応が部位や組織、手法でも異 ると思うのですが。そういう問題点が今日の討論 なりますし、対象となる器官毎で反応が異なりま で出てきたと思います。それから基礎のほうは、 すので、これからも麻酔動物による詳細な実験は 動物を使ってずいぶんポジティブなデータが出て 必要であると考えています。また特に、胃のよう きている。ただし、動物は動物であって、麻酔し に情動で影響を受けやすい器官では麻酔下での実 た動物でいつまでもやっているわけにはいかない 験が重要になりますが、前回のシンポジウムで佐 し、意識のある動物でやることが許されるのか、 藤先生が述べられましたように副交感神経の反応 倫理的な問題がある。難しい問題、それは臨床と が見にくいと言うことが指摘されていますので、 基礎が助け合って本当の意味で取り組まなくては 今後は基礎実験においても無麻酔や無麻酔で除脳 いけない。動物を殺せば良いのか。今まで日本で した動物等を用いた実験を平行して行っていく必 もずいぶん基礎の研究が進んだけれども、私が知 要があると考えております。最後になりますが、 っているある臨床の先生から、研究はもういらな 鍼灸治療の対照となる多くは病人でありますので、 い、あとは政治的に鍼が医療として厚生省に認め 正常時の反応が明らかになった器官については平 てもらうのが大切だ、というような意見を聞いた 行して病態モデル動物を使った反応の研究もして ときには驚きました。決して研究は十分には進ん いかなければと考えております。 でいません。今日討論で明らかになりましたけれ ど、いったい何を研究すべきか、多くの問題が残 Ⅵ.まとめ されているということを皆さん自覚されたと思い ます。研究をするということは、科学的に多くの 佐藤:有り難うございました。私どもが用意しま 人々に納得して貰えるためにどうしても必要なこ したキーワードはここまでです。皆様のご協力の とです。だからまだまだ私たちは鍼灸というもの もとに何とか時間内に予定した内容についてのお を謙虚に扱っていかなければならないと思います。 話と討論を終わることができました。今日お話し 最近よく代替医療、コンプリメンタリーメディシ いたしました基礎と臨床の対話ということは、臨 ン、補充医療などといわれますが、やはりなんと 床のほうでは、世界的な問題、国内・日本の問題、 言っても日本では鍼灸は伝統的に医学であったわ 臨床的に色々扱う疾病の病名、あるいは未病の状 けです。たまたま現時点で日本には、医師と鍼灸 態、未病にいたるまでの問題などが今日話題にな 師がいる。鍼灸師が何も医師のしたにつく必要も りました。アメリカあるいは世界が適応となる病 ないし、自慢する必要もないのです。たまたま医 気の病名を出してきたから、日本がそれに従うべ 学におけるアプローチが独特であり、科学化が遅 きか、あるいは日本がもう少し主導権を握って良 れていると言えましょう。日本には鍼灸師という いのか、その辺は時間の関係で討論できませんで 立派に独立した職業があります。アメリカとヨー した。それは大きな問題として残ると思います。 ロッパにはありません。ヨーロッパの多くの国で それから未病として、症状も何も出ていないのに は鍼灸は社会的に良しとされ、医師に全部吸収さ 鍼灸がそれを良しとする問題をどう扱うか、これ れつつあります。日本ではやはり鍼灸師が鍼灸で も大きな問題です。木下先生から提示されました 生きていく必要があります。それには鍼灸はやは が、多分それをあまり強調するとなかなか研究面 り科学的に医学として立派なものでなくてはなら はやりにくい。しかし、丹澤先生が指摘されまし ない。だから、鍼灸ではできるだけ共通用語を基 た数値として症状は出ていなくても臨床検査値と 礎と臨床が協力して作り、そして日本が独自の、 しては出ている場合もある。そういうところをも 世界の医学に対しても自慢できる鍼灸学をさらに っと突っ込んでいけば研究がきるのではないか。 発展させていただきたいと思います。