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[ムンディ] 7 2015 July No.22 2015 JULY No.22 [ムンディ] 平成27年7月1日発行(毎月1回1日発行) 編集・発行/独立行政法人 国際協力機構 〒102- 8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル TEL 03-5226-9781 FAX 03-5226-6396 http://www.jica.go.jp/ 特 集 感染症 ISSN 2188-0670 国境のない戦い m y photo ฌƠǹȒȜǢ =DPELDǟȜǼNj ¦ǟȜǼNj।ƥƞƜƸռຌơLjߧƙƜƸƤLjвƬ¨ׯƤϻےƴƝຣƜȆȓǹǚǭ ơॼLjƵ§ࡧݹơǹǚǭ§Йࡧơ߱ƟƸ§ơǹǚǭ§ƓƍƜơোƗƹljƠljƜ ߰Ƹƾƅڰƿǂǁ߱¨ٱۼƟƸƕƗƸƓljƠƀඍƋljƤ߰LjڰƜϾƚƁƿ§ռຌơƝ ǹȒȜǢLjƞƙƜвƬ¨ ¦ƉƤ࣒ࣨƥઘƃƠǔȅǪȌLjƝвljƝźƕƞƉǃ¨ ÛƏƊźǹȒȜǢƖƣž¯ÜƞLjԌƇǁƞ࣒ƥ§ƥơƁƵƠƂƿ§ ÛҐƝƸвƯǁ ƾ§ƱƿÜƞࡧơࠜƙƜźƕȃǬDZȅDZȔƸơडƑƜڰƑƜƅǂƕ¨ ¦ǟȜǼNjƤ߱ƟƸƕƗƥӟݔ।ơ؆ଲ¾¨ࠃƤࡻǀơƥƏƆơ߱ƟƸƕƗƤƂ Ɲƃǁ¨ƇǂƟƵljƠǠȌǍ¨ƓǂƝƸ§ۂ۱ƝÝȉȓǠȌÁ ǴÏ֏ںƁźÐ ®ÞƞŸźƋƚƏǁƞ§ƥơƁƵƠƂƿਖ਼ރơ ÝȝnjÁǷÏ֏ںÐ̄ÞƞžƜƅǂƕ¨ ȔǞǔ ¦ŸźƋƚƞǹȒȜǢƂݭഘźƜźǁ§ݔƓǂƂǟȜǼNj¨ ߂й¬ԍϻޛೣÏǟȜǼNjÄহశӓӟױઓÐ あ な た の 作 品 募 集 中! 境問題などを 「 my photo 」では、あなたが 撮影した写真を募 集しています。貧困や環 人や開 発 途 日本 動に励む 線で活 前 力の最 協 際 テーマにした写 真 、国 内 外 問わず国 の暮らし 景や人々 地の風 い土 じられな かなか報 上 国の人の 姿 、テレビや 新 聞ではな えて ードを添 のエピソ 時 影 撮 真を、 られる写 など、国 際 協 力や途 上 国を身 近に感じ す。 ただきま させてい ーで紹介 本コーナ 、 ご応募ください。応募作品 の中から毎号1枚 応 募 / 問 い 合 わ せ 先 関する肖 応募条件 ①応募者本 人が撮影した作品に限ります。②被写体に ③写真は、 します。 のと れているも 了解が得ら 任において 応募者の責 像権は、 また画像の 記録方 で撮影されていること、 解像度が3 00万画素 以上(目安) 式はJPEGを推奨します。 、 (300∼350字) エピソード 、 (電話番号とEメール) 連絡先 応募方法 お名前、 送り 記名の可否をご記入の 上、写真と共に 応募先アドレスまでEメールでお ください。 せていただく場合があ *応募作品は本コーナーの他に、事前確認の上でJICAの広報 活動に活用さ しません。また、応募作品はご ります。ご記入いただいた個人情報はこれら以外の目的では使用いた あらかじめご了承ください。 返却いたしませんので、 j i c a - p h o t o @ i d j . c o . j p (『mund i』編集部宛 ) JULY 2015 No.22 編集・発行/独立行政法人 国際協力機構 Japan International Cooperation Agency : JICA 「mundi」はラテン語で“世界” 。開発途 上国の現状や、現場で活動する人々の 姿を紹介するJICA広報誌です。 Contents 02 04 my photo 絶妙なバランス ザンビア 特集 感染症 国境のない戦い 社会全体で予防網を作る ガーナ 日本も脅かす熱帯病に “治療薬” を タイ 世界の結核対策を担う人づくりを 日本 ともに挑む! 18 地域と世界のきずな 地域保健システムを世界へ 沖縄県 20 JICA Volunteer Story 橋場 文香 青年海外協力隊/ニカラグア/感染症・エイズ対策 22 世界とつながる教室 楽しみながら世界を知る 岩手県立杜陵高等学校 奥州校 24 JICA STAFF 25 JICA UPDATE 26 Voice 28 ココシリ 30 平岡 久和 人間開発部 保健第二グループ 保健第四チーム 長谷川 彩未 NPO法人ジャパンハート ・・ ・・ 「ここが知りたい」いろんなトピックを分かりやすく解説! 地球ギャラリー インド・ラダック地方 ゴチャック∼祈りの旅路∼ 37 イチオシ! 本・映画・イベント 39 MONO語り ガーナのケンテ製品 40 私のなんとかしなきゃ! JOY タレント 表紙 ©John Moore/Getty Images JICAのビジョン すべての人々が恩恵を受ける、 ダイナミックな開発を進めます Inclusive and Dynamic Development リベリアにある国境なき医師団 の医療施設。隔離されたエリア で、医療従事者が、 エボラ出血 熱の症候を見せる女の子の体 を拭いている 今や感染症も 〝ボーダーレス〟に しん 昨年、西アフリカで猛威を振る かん ったエボラ出血熱は、世界中を震 撼させた。世界保健機関︵WHO︶ い る。さ ら に 今 年5 月 以 降、中 東 約1 億 人 が 発 症 す る と 推 定 さ れ て 慣れない病名だが、世界では毎年 れたのだ。日本人にとっては聞き あるデング熱の国内感染が確認さ 省が開いた緊急会見が、世間を騒 めた昨年8 月、日本では厚生労働 エボラ出血熱の感染が拡大し始 た。 年 ぶ り に、熱 帯 病 で 世 界 全 体 の 死 者 数 は1 万 人 を 超 え リベリアで終息宣言が出されたが、 て き た。今 年5 月 に は、よ う や く の物資を送ったりと、支援を続け 派遣したり、テントや発電機など 乗り出す中、日本も現地に医師を 人事では済まされなくなってきて む今、日本でも感染症はもはや他 地球温暖化による環境の変化が進 た と い う。グ ロ ー バ ル 化、そ し て されても不思議ではない状況だっ 流が盛んになり、いつ感染が確認 しても、日本とアジア諸国との交 授はこう指摘する。デング熱に関 グローバルヘルス研究科の北潔教 研究科/長崎大学大学院熱帯医学・ られます﹂ 。東京大学大学院医学系 とで一気に感染が拡大したと考え 病原体が都市部に持ち込まれたこ どによって人の交流が活発になり、 ところが、交通インフラの改善な れた地域でのみ発生していました。 リカでも熱帯雨林の奥地など限ら ﹁もともとエボラ出血熱は、アフ 人以上の命が奪われている。生産 よって、途上国では年間300 万 IV/ エ イ ズ、結 核、マ ラ リ ア に 中でも、三大感染症と呼ばれるH 因 が あ り ま す﹂と 北 教 授 は 話 す。 が減らない背景にはさまざまな要 っていないなど、途上国で感染者 い、予防について正しい知識を持 院がない、治療を受けるお金がな 上国で暮らす人たちだ。 ﹁近くに病 でいる患者の大半は、今も開発途 とはいっても、感染症に苦しん をはじめとする国際機関が対策に 地域の風土病だった中東呼吸器症 人口層に感染が広がることで引き 急がれる 新たな脅威への対策 候群︵MERS︶がすぐ隣の韓国で いるのだ。 が せ た。約 流行し、日本も警戒を強めている。 04 July 2015 編集協力:北潔 東京大学大学院医学系研究科/長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授 July 2015 05 70 特集 感染症 国境のない戦い 多くの人々の命を奪う感染症。 長年流行し続けている三大感染症に加え、新たな種類の病気も次々と確認されている。 また、グローバル化によって、遠く離れた地域へと飛び火するケースも。 世界全体の課題である感染症に対し、日本として何ができるのだろうか。 国境のない戦い 1 万 8,000 V/エイズ HI 2 7,181 平均50 %前後 1 万1,162 人 万 人(2015年5月31日時点) ・昨年の流行開始からの累計感染者数は ・昨年の日本での国内感染者は ・累計死者数は 、死亡率は 1 合計160 人 7 ・年間の罹患者数は世界全体で 推計 億 万人(2013年) 1 9,800 分に 人 の子どもが死亡している ・アフリカでは 1 1 結核 南東アジア ・年間の罹患者数は世界全体で 万人(2013年末時点) 約 900 起こされる労働力の低下が、脱貧 困をますます困難なものにし、結 果的に感染拡大につながるという 悪循環も生まれている。 そして今、三大感染症に加えて 対策の強化が必要なのが、エボラ 出血熱のように新たに認識される ようになった﹁新興感染症﹂と、一 時期は減少していたのに再び流行 し始めた﹁再興感染症﹂だ。またW HOは、デ ン グ 熱 や ハ ン セ ン 症 な ど、世界からあまり関心が向けら ずに十分な対策がとられてこなか った の感染症を、 ﹁顧みられない は世界で 億人を超えると推測さ 熱帯病︵NTDs ︶ ﹂に指定。感染者 17 地球規模課題の解決のため、日本と開発途 ※ 上国の研究者が3 ∼5 年間の共同研究を行う プ ロ ジ ェ ク ト 。 JICAと 国 立 研 究 開 発 法 人 科 学 技 術 振 興 機 構︵ JST︶の 連 携 事 業 と し て 開 始 さ れ 、 感 染 症 分 野 に つ い て は 、 今 年4 月からJSTよりAMEDに移管された。 なって立ち向かう時だ。 今 こ そ 国 境 を 越 え、世 界 が 一 つ に 人 類 共 通 の 課 題 で あ る 感 染 症。 は大きいと思います﹂と話す。 を強みとする日本が果たせる役割 〝地 域 に 適 し た き め 細 や か な 支 援〟 れている。感染症が多様化する中、 界の取り組みにその経験が生かさ 今 で は 西 太 平 洋 地 域 を は じ め、世 療 の 普 及 な ど に よ っ て 制 圧 さ れ、 い た フ ィ ラ リ ア 症 は、そ の 後 の 医 北教授は、 ﹁日本でも戦後流行して チ ン 開 発 な ど に 取 り 組 ん で き た。 や、 C型肝炎ウイルスに対するワク ング熱の治療に役立つ抗体の作製 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト で、こ れ ま で デ 発機構︵AMED︶が連携して行う 国立研究開発法人日本医療研究開 ATREPS ︶﹂ だ ※ 。J IC A と 、 規模課題対応国際科学技術協力︵S ﹁地球 る。その取り組みの一つが、 層活用させていくことも重要とな 本が持つ研究分野の知見をより一 新 た な 感 染 症 が 問 題 と な る 中、日 ま た 近 年、未 知 の 病 原 体 に よ る 力などを行っている。 か、ワ ク チ ン 供 与 の た め の 資 金 協 化などを目的とした技術協力のほ 向 上、予 防・検 査・治 療 体 制 の 強 ン の 策 定、情 報 収 集 や 分 析 能 力 の 上国に対して、政策やガイドライ いくことが明記された。日本は途 課題と捉え、率先して取り組んで 綱﹂の 中 で も、感 染 症 を 地 球 規 模 指針を示した新しい﹁開発協力大 日本の政府開発援助︵ODA︶の 日本の知見と 経験を生かす とができたのです﹂ 。 い段階で感染拡大を食い止めるこ に 呼 び 掛 け ま し た。そ の 結 果、早 が国民に対して握手をやめるよう る た め、ナ イ ジ ェ リ ア で は、政 府 血液や体液の接触によって感染す 訴える。 ﹁例えば、エボラ出血熱は て、北 教 授 は〝教 育〟の 重 要 性 を れている。こうした感染症に対し 10 減少 45 % 平均 ・1990年から2013年にかけて世界全体の死亡率は エボラ出血熱 デング熱 アフリカ 割 ・感染者の がアフリカに集中 マラリア 4 万 2,000 1 万 4,000 11 万 3,500 19 万 39 万 億人 ・年間の感染者数は世界全体で 推定 出典:世界保健機関(WHO)、厚生労働省、国立感染症研究所 ※地域区分はWHOの分類に基づく ・世界のHIV陽性者数は 推計 万人 (2013年末時点) 56 万 2,000 西太平洋地域 44 万 ■結核(2013年) 3,500 110 万 ■マラリア(2012年) 800 06 July 2015 July 2015 07 14 万 1 万 6,000 ■HIV/エイズ(2013年) 5 万 6,000 東地中海 ■ 三大感染症による年間の死者数(人) 7 万 7,000 欧州 今 感染症の 数字で読み解く! 6 万 1,000 3 万 8,000 特集 感染症 米州 特集 感染症 国境のない戦い 突然、爆発した恐怖 社会全体で予防網を作る 2013年末、突然始まった史上最大のエボラ流行。 この病気に立ち向かうため、日本には何ができるのか。 ロビアで、世界保健機関︵WHO︶ 5月9日。リベリアの首都モン クララタウン州立ク 語るのは、昨夏まで 亡くなりました﹂と さんが100人以上 けでエボラ感染の疑いがある患者 ックに勤めていましたが、そこだ ﹁私 は モ ン ロ ビ ア 近 郊 の ク リ ニ わじわと感染が広がっている。 エラレオネとギニアでは、今もじ れる一方、残る二つの感染国、シ 続けた人々が英雄としてたたえら 二つがあれば病院に連絡するよう の人たちに、エボラの症状のうち 柱 に 患 者 の 治 療 を 続 け た。 ﹁地 元 療従事者たちは、チームワークを クララタウン州立クリニックの医 はトイレがない。厳しい状況下で、 い。衛生状態も悪く、8割の家に 困地域で、物資がなかなか届かな し、非接触型の体温計は一つ。貧 一日に150人以上の患者に対 と訴え、患者を受け入れ続けた。 か け に 応 え て 人 に 尽 く す こ と だ﹂ ﹁医 療 従 事 者 の 役 割 は、神 の 呼 び した地、ガーナの首都アクラ。雨 野口英世が黄熱病にかかって没 築にも力を入れている。 で、日本はバックアップ体制の構 支援する研修や資材提供の一方 最前線で奮闘する医療関係者を て町を守り続けた。 身に付けたすべての知識を生かし す﹂ 。ブ リ デ ィ さ ん は、こ れ ま で たがらない医療従事者もいたので 血が避けられない出産に立ち会い ボラは血液から感染するので、出 最前線の現場で取り組む人々に迫った。 が﹁エボラ出血熱の流行終結﹂を リニックのディレク に伝えました。また、エボラ対策 機材も人も足りない病院 勇気を持って患者受け入れ 宣言した。同国で治療に取り組み ターを勤めていたニ として手洗いの大切さを訴えた結 こともできなかっ 染の有無を検査する 混乱のためエボラ感 に 達 し た 時 期 に は、 らず、感染がピーク ーには常駐医師がお いていた医療センタ 押 し と し て、そ の 経 験 との戦いに挑む際の後 チームを率いてエボラ の 研 修 を 受 け て い る。 新 生 児・小 児 保 健 医 療 13年、日本で周産期・ ブ リ デ ィ さ ん は 20 つつあります﹂という。 果、新たな衛生習慣として根付き 期に入って涼しくなったという 西アフリカ最古の 高レベル研究所 だ。ブリディさんの働 ィさんはエボラ感染 が 生 き た と い う。 ﹁エ た。看護師のブリデ を恐れる同僚たちに 08 July 2015 09 July 2015 感染症の病原体を観察する 野口研のスタッフ。アフリカ特 有の風土病から三大感染症 まで、流行地での研究が世界 の人々を守ることにつながる [右]現在、 ガーナで研修中のブ リディさん。帰国後は再び医療従 事者として人々に尽くすつもりだ [左] リベリアでは地域のクリニッ クを率いてエボラに立ち向かった コラス・ブリディさん 野口研の設立は1979年。以来45年間、西アフリカの感染症研究の最先端だ アクラ ガーナの空の玄関口、 コトカ 国際空港(アクラ) に掲示され ているエボラ啓発パネル ガーナ Ghana From エ ボラ出 血 熱 特集 感染症 国境のない戦い 長い間、西アフリカ唯一の高度安 全実験施設でした。普段は鳥イン フルエンザやHIVウイルスなど を 取 り 扱 っ て い る こ の 施 設 で は、 ガーナ国内はもちろん、隣国のト ーゴやベナンの感染疑い例サンプ ルも受け入れる態勢を整えていま す﹂という。これまでに約150 件のサンプルを受け入れ、迅速に 診断。幸い、エボラウイルスはも ちろん、黄熱やマールブルグ熱な どアフリカ特有の熱病6種類もす べて検出されなかった。 アンポフォ教授はギニアの首都 コナクリに派遣されたWHO医療 チームに参加し、現地で8週間活 動 し た。 ﹁現 地 は う そ の よ う に 落 ち着いていて、遠く離れた場所に いて実情を知らない人が恐れてい るのだと感じました。その一方で、 私の滞在中に啓発活動をしていた ﹁野 口 研 が 参 加 し て い る ガ ー ナ イリアム・アンポフォ教授だ。 下、野口研︶ウイルス学部長のウ で、人々は積極的に情報を発信す 報ネットワークの発達のおかげ ポ フ ォ 教 授 は 振 り 返 る。 ﹁今 は 情 生む悲劇も実感しました﹂とアン 害されるなど、病気への無理解が 医療チーム8人が現地の住民に殺 と、温度差と湿気でたちまち眼鏡 の全国医療技術連携委員会は、昨 が、気温は 度。飛行機を降りる が曇る。空港ビルに足を踏み入れ 年3月にWHOがギニアでのエボ 続けることが重要です﹂ た 瞬 間、 ﹁エ ボ ラ 警 報﹂と 銘 打 っ と検査の面で対応の核となってい たパネルが目に入った。赤外線カ く。 ま す﹂ 。そ う 言 っ て 案 内 し て く れ ることができます。医療アクセス ﹁ガ ー ナ は ト ー ゴ、ブ ル キ ナ フ ラウイルス感染症に警告を発した ァソ、コートジボワールと国境を たのは、レベル3研究施設︵P3 ス テ ム が 十 分 整 え ら れ て お ら ず、 メラで発熱がないことを確認され 接し、エボラ感染国との人の往来 ラ ボ︶だ。 ﹁1 9 9 9 年 に 日 本 の ガーナ保健サービスで地域保健 今回の流行があったからといって の改善とともに、間違った情報を も盛んです﹂と指摘するのは、ガ 援助で作られて以来、このラボは に応じて病院や行政に連絡するシ 一朝一夕に制度が完成するわけで 拡散しないこと、現実に向き合い ーナ大学野口記念医学研究所︵以 ための地域保健システムが十分に 封じ込めができるのです﹂という。 ステムが機能して、初めて感染の ことを受けて、国内での対応計画 政策アドバイザーを務める青木恒 整っていなかったことを指摘す を立案しました。野口研は、監視 憲J ICA専門家は、今回エボラ る。 ﹁住 民 に 接 す る 保 健 医 療 従 事 ガ ー ナ で は、2 0 0 0 年 か ら、 もありません。しかし、日本は世 地域保健システムの整備 予防・対応を左右 感染が広がった国々の課題とし 者が地域で疑い例を見つけ、必要 て初めて、入国審査場にたどり着 1999年、 日本の援助で作られた P3ラボ。今も西アフリカでは重 要な位置を占める て、感染を発生地域で封じ込める 界銀行やWHOなどの国際機関と 健師が地元住民に対して日常的な 時間常駐する施設を整備。地域保 めています﹂と青木さんは説明す を予防するための対策を着実に進 育成研修などを行い、将来の流行 協力して保険制度の研修や、人材 予 防・啓 発 活 動 を 行 う と と も に、 る。 所の割合で2人の地域保健師が 1500人以上の住民につき1カ 全国の 州・216郡にそれぞれ 24 州病院・郡病院を作り、ピラミッ に口にしたのは﹁世界は一つの村。 ガーナの医療関係者が異口同音 は 地 域 医 療 か ら 病 院、研 究 施 設、 ド型のサービスで対応する形にな 行政、人材育成など、あらゆるレ 感染症は対岸の火事ではない﹂と にも満たないが、さらなる整備と、 ベルで協力を進めている。こうし いう警告だ。日本とアフリカ諸国 患者の費用負担を軽減する国民健 しているコンゴ民主共和国の専門家や学者、緊 研修を主導したのは、 7回のエボラ流行を経験 ドバイザーを務める池田憲昭J ICA専門家は、 「ア 急介入チームのメンバーだ。 コンゴ民で保健省ア フリカ諸国のエボラ対策では、流行前の地道な対 ゴ、 マリなどの仏語圏アフリカの専門家やさまざま 策が重要」 と語る。今回はほかにもセネガル、 トー な国際機関が参加しており、各国の連携と対策 た地道な活動の継続が、エボラを 作成した。 ている。 か、 コートジボワールのエボラ対策ロードマップを はじめとする過酷な感染症への最 などについて講義とシミュレーションを実施したほ 大の防波堤となる。 流行時の状況把握や地域管理、緊急治療対応 行した3カ国ではこうした保健シ J ICAは各国の対策強化支援の一環として、今 ﹁残 念 な が ら、今 回 エ ボ ラ が 流 康保険制度の展開で緊急時に備え ている地域は現時点ではまだ半分 年3月、 コートジボワールで研修を行った。エボラ っている。施設が目標通り機能し 10 西アフリカ諸国で対策研修を実施 10 July 2015 July 2015 11 ガーナのエボラ対策を担う人物の 一人、アンポフォ教授。ここにある 装置でリアルタイムで分析を行い、 診断を下す 地域病院などと協力し、感染症の啓発活動を行うことも。協力は医療システムのあらゆるレベルで進められている 2日前に出産した母親と赤ちゃんの検診。地域保健師がコミュニティーの健康管理を支えている 現地の保健システム整備を 支援する青木専門家 35 強化に一役買っている。 国境のない戦い 公園内に生息する蚊の捕獲調査が た デ ン グ 熱 の 再 流 行 を 防 ご う と、 ると推定されている。そのうち約 を中心に、年間約1億人が発症す 万人が重症に陥り、最悪の場合 のだ。こうした現状を受けて、実 だ。昨年、日本でも感染者を出し た。手にしているのは、虫取り網 長袖の作業服を着た職員が集まっ 今年4月。東京の代々木公園に、 ば、予防や治療に高い効果が期待 〝ヒ ト 由 来〟の 抗 体 が 作 製 で き れ デング熱は、世界では熱帯地域 策の強化が進められている。 か厳しく検査され、夏場を前に対 グウイルスを持っていないかどう にするといった対症療法しかない や治療薬はなく、感染したら安静 今のところ、有効な予防ワクチン は死に至ることもある。ところが、 始まった。採取された蚊は、デン はデング熱が日本で取りざたされ で き る。そ こ で 目 を 向 け た の が、 で実際に患者の検体を使って研究 確認されていなかったので、日本 当時はまだデング熱の国内感染は 時︶の生田和良専門家は説明する。 大阪大学微生物病研究所教授︵当 が 厳 し く な っ て い る の で す﹂と、 原体を国境を越えて持ち運ぶこと 点から、研究のためとはいえ、病 は だ か っ た。 ﹁生 物 テ ロ な ど の 観 げに際して、ある一つの壁が立ち この研究プロジェクトの立ち上 取り組んでいた。 て、 J ICAと 科 学 技 術 振 興 機 構 連携する意義を強調する。こうし のです﹂と、生田専門家はタイと ジアにおける主導的な立場にある 感染症の研究を行うなど、東南ア また、タイは欧米諸国とも共同で 同で行っていて、結び付きは強い。 V/エイズに関する研究などを共 衛 生 研 究 所 の 整 備 に 協 力 し、 HI ﹁日 本 は こ れ ま で も、タ イ の 国 立 に 入 り や す く な る と 考 え た の だ。 することで、病原体のデータが手 ているタイ。ここを研究の拠点に 研究に対する意識もばらばらで 大変だったという。 ﹁開始当初は、 ンバー同士の調整を図ることが 2 カ 所 に 分 か れ て い た た め、メ 立衛生研究所とマヒドン大学の ま た、今 回 タ イ の 研 究 拠 点 は 国 え た り と、研 究 を サ ポ ー ト し た。 確認したり、日本のノウハウを伝 ー ス で 現 地 を 訪 れ、進 捗 状 況 を た 生 田 専 門 家 は、月 に 1 度 の ペ た。チ ー フ ア ド バ イ ザ ー を 務 め 体的に関われるように進められ れ、な る べ く 現 地 の 研 究 者 が 主 機関の技術向上も目標に掲げら プロジェクトでは、タイの研究 し た。そ こ で、各 研 究 拠 点 で の ︵J S T︶に よ る﹁地 球 規 模 課 題 対応国際科学技術協力︵SATR ム ペ ー ジ を 作 り、チ ー ム で あ り 成果を随時公開していけるホー ンプルを使った 熱患者の血液サ るのが、デング 重要な工程とな そして、最も 伝え続けた。 ことの大切さを 全体で取り組む を取り、チーム ュニケーション は積極的にコミ 現地の研究者と に し ま し た﹂ 。 ながら競争意識を持たせるよう イの研究者がタッグを組むことに なった。 EPS︶ ﹂事 業 と し て、日 本 と タ す る こ と は 難 し い。そ の 一 方 で、 世界初の挑戦に 熱い視線 毎年数万人がデング熱に悩まされ 日本も脅かす 熱帯病に “治療薬” を 究者たちは治療薬の開発に向けて タイの研究者たちに実演指導を行う日本人専門家 る前の2009年から、国内の研 研究の鍵を握る 患者の検体 タイ Thailand From デング熱 日本が支援して設置されたマヒドン大学内のラボ。 約20人のメンバーがプロジェクトに携わった 患者数は1年間で160人に上ったが、世界ではさらに多くの人々が苦しんでいる。 その制圧に不可欠となる治療薬の開発を目指して、 日本の研究者たちが立ち上がった。 バンコク の患者にとって〝救世主〟となる 熱。日本の最先端の研究が、多く 地 球 規 模 で 拡 大 が 続 く デ ン グ 重要です﹂と話す。 ためにも、普段からの関係構築が 際に他国と連携して対応していく もちろん、万が一国内で発生した 今後は、研究分野における協力は 題ではなくなっています。日本も 染症はもはや開発途上国だけの問 どのさまざまな変化によって、感 ーバル化、都市化、地球温暖化な ん で い る。生 田 専 門 家 は、 ﹁グ ロ 海外の製薬会社との間で交渉が進 と、研究成果に関心を示している ェクトに携わった日本のメーカー っている。大阪大学と共にプロジ を目指した次なる取り組みが始ま て、世界初となる治療薬の実用化 現在は、その研究成果を生かし 確認された。 の増殖を抑える効果があることが と治療の両面で、デングウイルス 果、見事抗体の開発に成功。予防 た。粘り強く実験を繰り返した結 ちも少しずつ技術を身に付け始め を行ったことで、現地の研究者た 博士研究員らも協力して実演指導 えて、大阪大学微生物病研究所の し い 作 業 で す﹂ 。生 田 専 門 家 に 加 なければならないので、かなり難 いようにする〝無菌操作〟を行わ って、細胞が微生物に汚染されな 抗 体 の 作 製 だ。 ﹁何 カ 月 に も わ た 昨年、約70年ぶりに国内感染が確認されたデング熱。 日は、そう遠くないかもしれない。 デング熱を防ぐために東京都が代々 木 公 園で実 施した蚊の捕 獲 調 査 (提供:東京都福祉保健局) プロジェクト期間中は日本側と タイ側の関係者が定期的に集 まり、進捗状況の確認を行った 25 12 July 2015 July 2015 13 “ヒト由来” の抗体を作製するため、繰 り返しトレーニングを行うタイの研究者 特集 感染症 特集 感染症 国境のない戦い 結核は日本でも 静かに流行中 結核︱︱。予備知識はゼロに等 しかった。資料に目を通すと意外 にも﹁日本は、現在でも世界にお いて中まん延国﹂とある。幼い頃 に受けた﹁BCG﹂が、結核の予 防接種だったことも分かった。人 事のように思っていた病だが、日 本の経験が世界の結核対策に生か されていると聞き、大いに興味を 持った。 現在、世界では実に総人口の約 3 分 の1 が 結 核 に 感 染 し て い る。 死 亡 率 は 下 が り つ つ あ る も の の、 結核発病者のうち、150万人が 2013年の推定では900万の 命を落とし、330万人は適切な 診 断 や 治 療 を 受 け ら れ ず に い る。 結核患者は、主にアジアとアフリ カを中心とする開発途上国に集中 しており、開発分野における国際 社会共通の目標﹁ミレニアム開発 目標﹂でも、結核は世界が取り組 むべき課題として挙げられている。 長期的な取り組みを要する 結核対策 東京都清瀬市にある公益財団法 人結核予防会結核研究所がJI CAとの協力の下、結核対策の強 化を目的に、開発途上国の研修員 を受け入れて研修を始めたのは1 963年。この歴史ある研修の場 疫の低下により結核を発病し、命 HIV/エイズに感染した人が免 の 母 国 で は、子 ど も の 結 核 や、 カ国から来た研修員たちだ。彼ら 所で長年研修を見守ってきた山田 す﹂ 。そ う 説 明 す る の は、同 研 究 治療に努めたことが貢献したので て、官民が共に予防と早期発見・ 核予防会支部を設置するなどし 対策を重視し、民間でも各県に結 た。国が政策・予算の両面で結核 結核患者数は著しく減少しまし に即した国際的な戦略に沿って行 みが必要です。また、対策も時代 を減少させるには長期的な取り組 ともあります。そのため、発症数 から発病するまで数十年かかるこ 師 は、 ﹁結 核 は 菌 が 体 内 に 入 っ て ついて、コース責任者の平尾晋医 なっている。このような仕組みに 知識や日本の経験が学べるように プログラムにも応用できる基盤の おける最新の動向とともに、保健 を落とす危険性の高い﹁重複感染﹂ 紀男国際協力・結核国際情報セン うことが重要なのです﹂と説明す ﹁それでも 年代初頭までには、 と呼ばれるケースがあり、問題は ター長だ。 る。 を訪れた。 深刻だ。日本も結核の猛威と戦っ 研修の内容は、世界保健機関の 集まっていたのは、ケニアやミ てきた経験がある。今では薬で治 専門家や外務省、厚生労働省を交 ャンマー、アフガニスタンなど る時代となったが、半世紀前まで えて決定され、世界の結核対策に 研修員の日常生活を 全面サポート この日は、3カ月にわたる研修 の5日目。母国の結核の現状を説 明する研修員らの発表も、まだど こかおぼつかない。そんな彼らに、 日本 Japan From 世界の結核対策を担う人づくりを 風邪に似た症状だが、放っておくと命にかかわる病、結核。 今なお世界で猛威を振るう結核の制圧を目指した対策に、 日本の研究所が50年以上にわたって取り組み続けている。 ほ笑んだ。 ばたいてほしい﹂と山田医師はほ 分野全体を指揮する人材として羽 の。結核の領域を超え、保健医療 会する瞬間は本当にうれしいも で、研修の修了生に同志として再 て い る。 ﹁世 界 の 結 核 対 策 の 現 場 ィアが日本語学級を開校したりし 日本文化を紹介したり、ボランテ 活の支援に加えて、清瀬市長自ら 食品店に案内するといった日常生 り、イスラム教の参加者をハラル だ。公共交通の利用方法を教えた 研修員の生活サポートの充実ぶり も う 一 つ、研 修 の 特 長 が あ る。 に生かしたい﹂と話す。 で学んだことを子どもの結核対策 私が知識を広める側になる。研修 医 師 は、 ﹁国 に 帰 っ た ら、今 度 は セン病研究センターで働くサムン いる。カンボジアの国立結核ハン 視察旅行など手厚い指導を行って 修ではチュートリアルや地方への な能力が必要だ。だからこそ、研 動モニタリング・評価など総合的 問題分析、改善策の策定、対策活 つつ、効果的な対策を講じるには、 時代ごとの国際的な目標を踏まえ なる。こうした複雑な問題に対し、 しいなど、地域によって課題が異 方では医療機関へのアクセスが難 感染が広がりやすいのに対し、地 結核は、一国の中でも都市では 仕方から丁寧に指導する。 平尾医師はプレゼンテーションの 結核 胸部X線写真の読み方を 指導する平尾医師 14 July 2015 July 2015 15 は多くの死亡者を出し、 ﹁亡国病﹂ と恐れられた。 結核対策の手法につい てグループごとに発表を 行った 1965年当時の研修の様子。 講師の島尾忠男医師は、今も 現役で指導にあたっている 清瀬市のボランティアによる日本語教室で 書道を体験する研修員たち 80 大阪あいりん地区の視察。ホームレス状態にある人々の生活再建を支援する施 設で公益財団法人大阪公衆衛生協会の事務局長から薬の管理の説明を受けた 12 清瀬市 特集 感染症 国境のない戦い ともに 挑 む! ベトナムに麻しん・風しんの混合ワクチンを 地球規模課題の感染症対策には、国際機関・企業・NGOなど、さまざまなアクターの力が 不可欠だ。JICAと連携して保健医療の問題に立ち向かうパートナーを紹介しよう。 革新的な手法でポリオ根絶を目指す 拡大計画」を掲げ、麻しんを初めとする感 術 修 得 に 対 する 染症予防のためのワクチン接種を推進してきた。 情 熱 、そして勤 勉 の確率でまひが現れ、死に至る可能性もある病気 な 国 民 性 により、 だ。有効な治療法はないため、ワクチン接種によ 早期に技術者の って感 染 を 予 防 することが 最も重 要とされてい 育 成 が 実 現しつ る。 つ ありま す 」と話 世界保健機関(WHO)は、ポリオの根絶に向け 同国のワクチン公社である「ワクチン・生物製剤 研究・製造センター(POLYVAC)」は、2003年から 日本の支援を受けて麻しんワクチンの製造施設を 整備。その後、北里研究所(現在は、第一三共株式 会社のグループ会社である北里第一三共ワクチ ン株式会社。以下、北里第一三共ワクチン)が協力 し、2009年には麻しんワクチンの自国生産が実現 した。 一方、風しんワクチンは十分な接種が行われて おらず、2011年には風しんが大流行した。このよ うな背景から風しんワクチンの自国生産体制の整 備が急務となっていた。 そこで、JICAは北里第一三共ワクチンとの協力 5 歳 未 満 の 子どもの 感 染 が 多く、 「小 児ま たパキスタンに対 ひ」とも呼ばれるポリオは、1000人に1人 する支援が始まっ た対策を強化しており、世界全体の患者数は減少 す。 使用する機具などを無菌に保つための 手法である 「無菌操作」の指導 に向かっている。1988年に125カ国以上あった未 行したが、前回の技術移転の結果、POLYVACが製 ア、パキスタンの3カ国のみとなった。日本もこの 造 する高 品 質で 安 全 性 の 高 い 麻しんワクチンを 3カ国を含む世界各国を対象に、ワクチンや関連 早急かつ大量に供給できたことで流行の制圧に 機材を提供するなどの支援を続けてきた。 つながった。李氏は、 「世界保健機関(WHO)の協 こうした支援には大規模な資金が必要となる。 力の下、自国生産によるワクチンで流行を制圧で それと同時に、途上国支援において近年存在感を ベトナムでは昨 年、麻しんが 大 流 撲滅国は、現在では、アフガニスタン、ナイジェリ た。日本は約50億 ビル& メリンダ・ゲイツ財団 は、 「研修員の技 北里第一三共ワクチン株式会社 トナム政府は、1981年から「国家予防接種 ベ 円を限度とする融 資 を 行 い、ワクチ ンの調達や、大規 模な予防接種キ ャンペーンを支援 した。そして昨年、 ワクチン接種率が 向 上し、発 症 地 域 も限定的になりつ ワクチンを接種した子どもを識別するた め、指に特殊なマーカーで印を付ける つ あ るとして、ゲ イツ財団が円借款の返済を肩代わりすることが決 定した。 きたことは、一連のプロジェクトの成果だと誇りに 増す民間資金の取り込みは、重要な課題の一つで 思います。今後も同国政府やPOLYVACとの信頼 ある。こうした問題に対する有効な手段として実 関係を深め、感染症の抑圧とベトナムの発展に寄 現したのが、JICAとビル&メリンダ・ゲイツ財団 ※ 与したいです」 と強調する。 による「ローン・コンバージョン」だ。これは、日本 同国初となる国産の麻しん・風しん混合ワクチ が返済義務のある円借款を通じて、未撲滅国での テナンス能力を強化するために、日本人専門家を ンの技術移転プロジェクトは、ベトナムでの実用 ポリオ根 絶 活 動を支 援し、一 定 の 成 果 が 挙 が れ 現地に派遣し、研修を行う予定だ。同国内では今 遣するだけでなく、ベトナムから研修員を受け入 化に向けて一歩一歩着実に進んでいる。官民連携 ば、ゲイツ財団が相手国政府に代わって日本への 年に入り、5月末までに新たな感染は確認されて れてワクチン製造や品質管理などの研修を実施し による協力で、日本の技術がベトナムの感染症対 返済を行うという手法だ。 おらず、ポリオ撲滅に向けた取り組みは最終局面 ている。プロジェクトの副総括を務める李富雄氏 策を後押ししている。 まずは2011年に、当時感染が広がりつつあっ を迎えている。 の下、2013年5月からベトナムで、すでに技術移 転が完了している麻しんワクチンと、風しんワクチ ンの混合ワクチンの製造に関する技術協力を始 めた。 北里第一三共ワクチンは、日本から専門家を派 両国の関係機関が参加した会議ではプロジェクトの進捗や課題などを議論した パキスタンに続き、昨年からはナイジェリアに 対する支援が行われている。日本は、予防接種キ ャンペーンに対する資金協力に加えて、ナイジェリ アの国立ポリオ研究所における検査機材のメン パキスタンでポリオワクチンの接種を受ける子ども ※2000年、 ビル・ゲイツ氏らにより設立されたアメリカの財団法人で、開発途上国における保健の改善や貧困削減などを目的に活動している。 17 July 2015 July 2015 16 昔の人の努力があって 今の沖縄がある 沖縄の人々は地域をこよなく愛して い る。涼 し げ に﹁か り ゆ し ウ エ ア﹂を まとい、地元の味、地元の音楽を愛で、 世代を越えて地域の誇りを受け継いで きた。それは、先人の努力のたまもの でもある。 沖縄では戦後、劣悪な衛生状況で感 染症がまん延し、多くの住民が苦しん だ。それでも資金・人材不足や多くの 離島を持つというハンディを乗り越え て、マラリアなどの熱帯感染症を撲滅 し、すべての人が保健医療サービスを 受けられる環境を実現した。 これを支えたのは、行政機関や病院、 離島の診療所間の連携、そして離島や いう沖縄ならではの制度だった。住民 へき地を含む各地域への保健婦駐在と も協力して、地域一丸となって公衆衛 生 の 改 善 に 取 り 組 ん だ 沖 縄 の 経 験 は、 周年を迎えた 海を越え、世界に伝えられている。 今年4 月、開所から 人の研修員は、各国の医師や 互いに協力することを学ぶのも研修の 7 週 間、対 等 に 意 見 を 交 わ し な が ら、 りません。文化も立場も異なる人々が、 だ。 ﹁こ の 研 修 で は、肩 書 き は 関 係 あ 看護師、あるいは保健省などの行政官 住民と生活を共にしながら地域の健康 や へ き 地 の 保 健 婦 駐 在 所 に 住 み 込 み、 護婦︶が2∼3 年間医師の少ない離島 ︵現 保 健 師。本 土 復 帰 前 は 公 衆 衛 生 看 95 1 年から、県 に 採 用 さ れ た 保 健 婦 護の専門職のこと。沖縄では戦後の1 今後は、宮古島や各地の医療機関を 縄のファンになるという。 を終える頃には、研修員はすっかり沖 き抜ける笑顔が輝いた。7 週間の研修 し、会場には沖縄の青い空のように突 流会では精一杯のおもてなしで歓迎 て の 自 身 の 経 験 を 研 修 で 伝 え て き た。 あ ぐに 大事な目的なのです﹂と、公益社団法 め かる たつ み 訪れての研修も始まる。沖縄の知恵と、 明する。 ﹁そ の 地 域 で 生 活 す る こ と に よ り、 対策に生かすことができました。感染 人々の生活状況を理解し、健康問題の 沖縄看護協会は、地域の保健師・助 症の撲滅には住民の協力が不可欠で 住民と共に 地域の健康を考える 産師・看護師・准看護師で構成される す。例えば、フィラリアの検査は夜間 人々の協力なくして効果的な対策はで 団体で、看護の質の向上や看護職が安 して人々の健康的な生活を きません。ほかにも、マラリア対策の に 地 域 住 民 全 員 に 行 う 必 要 が あ り、 支 え て い る。また、J ICA ために住民みんなで水たまりに薬剤を んは地域社会を中心に据えた取り組み 散 布 す る な ど、モ ノ・ヒ ト・カ ネ の 無 の重要性を強調する。 と の 連 携 の 下、1 9 9 6 年 きた。 研修員が目指すのは、このような地 い時代にも人々が協力して感染症対策 沖 縄 看 護 協 会 に よ る﹁地 域保健の考え方を学び、できることか から開発途上国の保健医療 域保健システム強化による ら母国で実践し、根気強く推進してい の向上と人材育成を目指し 感染症対策﹂研修の強みは、 くことだ。ハイチで学校を回って移動 に取り組んできたのです﹂と、銘苅さ 実際にマラリアなどの感染 て海外研修員を受け入れて 症撲滅に携わった医師や保 診療を行う医師のカサンドレさんは 健 康 教 育、保 健 指 導 を 通 し にとって、研修員らは地元を訪れる大 沖 縄 看 護 協 会 やJ ICA沖 縄 の 職 員 めに研修に励みたい﹂と話す。 ﹁子 ど も の マ ラ リ ア や コ レ ラ 対 策 の た 健師から直接話を聞くこと ができる点だ。 て 病 気 の 予 防 や、健 康 増 進 切なお客さまでもある。顔合わせの交 保 健 師 と は、地 区 活 動 や など公衆衛生活動を行う看 沖縄看護協会と研修員の交流会では、出席者がみな輪になり 沖縄の音楽に合わせて踊った 過去の研修員 (ボリビア) は、母国でオリジナルの 水道を作って手洗い習慣の普及に取り組んでいる を支えた。 まった 島、ウズベキスタンなど6 カ国から集 を受けていた。ハイチやマーシャル諸 さっそく沖縄の保健医療について講義 6月1日、開講式を終えた研修員は、 る感染症対策﹂の研修もその一つだ。 て き た。 ﹁地 域 保 健 シ ス テ ム 強 化 に よ を受け入れてさまざまな研修を展開し の特徴を生かし、世界各国から研修員 ょ性や亜熱帯性、独自の歴史など沖縄 J ICA沖縄国際センターでは、島し 30 人沖縄県看護協会︵沖縄看護協会︶で なかもとともひさ 人々の明るく温かい人柄が世界の感染 沖縄県の仲本朝久保健医療部長を表敬したあと、県庁を見学する研修員 銘苅さんも粟国島に2年、西表島に 面積約2,276k㎡、人口約142万人。 かつて琉球王国として中国や東南ア ジアとの貿易で栄えた。世界に開かれ た国際交流拠点として、 日本とアジア の発展に貢献する 「21世紀の万国 しん りょう 津 梁( 世 界 の 架け橋 )」を目指す。 JICA沖縄国際センターでは、沖縄の 強みを生かし、感染症対策などの研 修で海外研修員を受け入れているほ か、地元の国際交流も支援している。 海外研修を総括する銘苅辰美さんは説 沖縄県 症対策を支えている。 那覇 3 年駐在した経験を持ち、保健師とし 12 18 July 2015 July 2015 19 沖縄県 心して働き続けられる環境づくりを通 沖縄看護協会が看護職の能力向上・維持の教育に使用しているシミュレーター。 日本のシミュレーターに感動し、実費で購入して母国で生かす研修員も 沖 縄 県 沖縄看護協会の奥平登美 子会長から日本の看護教育 などについて講義を受けた 地域と 世 界の きずな 地域保健 システムを世界へ 沖縄県では戦後、資金や人材不足、地理的困難を抱えながらも、 43 住民と共に感染症対策に取り組み、マラリアなど熱帯感染症の撲滅を実現した。 その経験を学びに、開発途上国から研修員が訪れている。 �青年海外協力隊・ニカラグア� 橋場 文香 恵 ま れた 環 境 、 苦 し む 人 々のために生 か す 山 に 囲 ま れ た 静 か な 農 村 地 帯、エ ス テ リ 県。た ば こ 万人が住む県都エステリは都会の雰囲 の 名 産 地 で、ニ カ ラ グ ア の 中 で は 涼 し く、過 ご し や す い 地 域 だ。約 気だが、少し離れると一面に緑のタバコ畑が広がる。 ﹁ 農 村 に 多 い 土 壁 の 家 に 住 む サ シ ガ メ と い う 虫 が 、 シ ャ ー ガ ス 病 を 広 め る ん で す ﹂。橋 場 さ ん は そ う 指 摘 し た 。 ﹁土壁の割れ目などに隠れ、夜になると人の血を吸いに 1988年大阪市出身。大学院 で公 衆 衛 生 学を学び 、卒 業 後、2013年10月から青年海 外協力隊 (感染症対策) として ニカラグアで活動中。 サ シ ガ メ が 媒 介 す る 、中 南 米 特 有 の 感 染 症﹁ シャー ガ ス 病 ﹂。 d a.保健センターでの啓発活動。サシガメの報告数増加につながると、 うれしさもひとしおだ b.時には地元の家庭を訪問することも。ニカラグアの人たちはシャイだが、打ち解けるとやさしい c.県保健事務所の職員と住居訪問した際。冗談をかわせる仲に d.保健事務所で、地元の子どもたちと。この子たちが将来苦しまないためにも、今、対策が必要とされている 橋 場 文 香 さ ん は こ の 病 気 か ら 人 々 を 守 る た め 、ニ カ ラ グ ア 保 健 省 と 住 民 の 間 を 取 り 持 ち 、 各 地 で 対 話 な ど の 啓 発 活 動 を 行って い る 。 口 の4 割 が 感 染 リ ス ク の 高 い 家 に 住 ん で い ま す ﹂ 橋 場 さ ん は 高 校 で 人 権 委 員 会 に 所 属 し、世 界 の ス ト リ ー ト チ ル ド レ ン に つ い て 発 表 し た。そ の 下 調 べ の 中 で 世 界 と 日 本 の 違 い に シ ョ ッ ク を 受 け た こ と が、今 の 活動の根底にある。 ﹁恵まれた環境に生まれたのだから、 世 界 中 で 苦 し ん で い る 人 た ち に 貢 献 し た い ﹂。 そ う 考 え た 橋 場 さ ん は、英 語 を 学 ぶ た め に 高 校 2 年 の と き に ア メ リ カ に 留 学。大 学 で は 英 米 語 を 専 攻 し な が ら、ア メ リカで心理学の学士号も取得した。 大 学 院 で は 公 衆 衛 生 学 を 専 攻 。﹁ 多 く の 命 を 予 防 の 観 点 か ら 救 え る﹂と い う の が 理 由 だ っ た。エ チ オ ピ ア で J ICAの 感 染 症 対 策 の イ ン タ ー ン や 母 子 保 健 に 関 す る 研 究 を 行 い 、﹁ 現 地 の 人 と 同 じ よ う に 生 活 し 、 現 地 の 人 の 幸 せ の 一 助 と な る 援 助 を 手 掛 け た い﹂と の 思 い か ら、草の根活動ができる協力隊に応募した。 お しゃべりで広 げる 理 解 、 住 民と保 健 省 を仲 介 橋 場 さ ん は 今、エ ス テ リ 県 の 保 健 事 務 所 で 地 域 住 民 に 対 す る 啓 発 活 動 を 行 っ て い る。字 が 読 め な い 人 で も わ か る 資 料 を 使 い、サ シ ガ メ を 見 つ け た ら 保 健 省 に 報 告 を 促 す よ う に チ ャ ル ラ を 行 う。チ ャ ル ラ と は﹁お し ゃ べ り﹂の 意 味。医 師 や 看 護 師 が 地 元 コ ミ ュ ニ テ ィ ー で 診 療 す る と き に 同 行 し、小 学 校 や 保 健 セ ン タ ー で 行 っ た チ ャ ル ラ は す で に 1 0 0 回 以 上 で、延 べ 1 万 人 以 上 に 対 策 の 重 要 性 を 説 明 し て き た。出 産・産 後 の リ ス ク が あ る 女 性 を 一 時 的 に 受 け 入 れ る 公 共 医 療 施 設﹁お 産 を 待 つ 家 ︵ カ サ ・ マ テ ル ナ ︶﹂ な ど で も 行 っ て い る 。 ﹁ シ ャ ー ガ ス 病 は 、 感 染 し て1 ∼ 2 週 間 後 に 発 熱 や 頭 年ほど経つと心臓や消化器官がダメージを受け 痛などを起こしますが、その後しばらくは症状がなく、 5∼ ニカラグア エステリ 笑顔で現地の人たちと﹁おしゃべり﹂している。 い て い く 環 境 を 作 り た い﹂と い う 橋 場 さ ん。今 日 も、 ﹁ 私 が 帰 国 し た 後 も 、 シ ャ ー ガ ス 病 の 啓 発 ・ 対 策 が 続 間を積極的に仲介し、連携の推進を図っている。 れ る よ う 努 力 し て い る。保 健 セ ン タ ー 内 で も 担 当 者 の メ を 報 告 し て く れ る﹂と、お 互 い の す れ 違 い を 埋 め ら 保 健 省 に は﹁啓 発 活 動 を 続 け て い け ば、住 民 も サ シ ガ シ ガ メ を 報 告 す れ ば 、保 健 省 が 殺 虫 剤 を ま い て く れ る ﹂、 日 本 か ら の 派 遣 者 と い う 立 場 を 生 か し て 、住 民 に ﹁ サ 労を忘れるほどうれしいと思えました﹂ て く れ て あ り が と う、と 言 わ れ た と き は、す べ て の 苦 く の 幸 せ を も ら え る と い う 。﹁ ニ カ ラ グ ア の た め に 働 い り す る な ど、時 間 を か け て 打 ち 解 け て い く こ と で、多 応 し、ト ル テ ィ ー ヤ の 作 り 方 を 教 わ っ て 一 緒 に 食 べ た た。現 地 の 人 と の 交 流 で も、現 地 の 生 活 や 食 文 化 に 順 ん だ り す る こ と で、少 し ず つ 協 力 関 係 を 構 築 し て い っ ッフの見本になれるように積極的な啓発活動に取り組 情 を 把 握 し て 現 地 職 員 の 負 担 を 軽 減 し た り、他 の ス タ そ れ で も 現 地 の 人 の ニ ー ズ を 探 り、現 場 レ ベ ル の 実 って会話もうまく続かず、苦労しました﹂と振り返る。 と て も シ ャ イ で、私 が 現 地 語 に 慣 れ て い な い こ と も あ な か で き ず に 悩 み ま し た。ニ カ ラ グ ア 北 部 の 人 た ち は わ れ る ス タ ッ フ の 間 で、部 外 者 の 私 は 仕 事 の 話 も な か 上 ば か り。橋 場 さ ん は﹁さ ま ざ ま な 感 染 症 の 対 策 に 追 赴 任 当 初、橋 場 さ ん の 周 り に い た 保 健 省 の 職 員 は 年 シャイな 地 元の人 た ちと 交 流 、 た く さ んの 幸 せ 学 ぶ ス病への対策は後回しにされがちなんです﹂ 大 量 発 生 が 起 き や す い 病 気 が た く さ ん あ り、シ ャ ー ガ 病 の ほ か に も デ ン グ 熱 や チ ク ン グ ニ ア 熱、下 痢 症 な ど 明 す る 。﹁ 怖 い 病 気 で す が 、 こ の 地 域 に は 、 シ ャ ー ガ ス ﹁ 人 々 の 幸 せに寄 り 添い、病 気 を 啓 発 ﹂ Story HASHIBA Fumika 出 て き ま す。貧 困 層 に 多 い 病 気 で、ニ カ ラ グ ア で は 人 PROFILE JICA Volunteer a b c 20 July 2015 July 2015 21 12 て、最 悪 の 場 合 は 死 ん で し ま い ま す﹂と 橋 場 さ ん は 説 20 保健センターの職員と。潜伏期間の長いシャーガス病には、長期的な対策継続が重要だ 最後のチャンスにかける思い ﹁ルワンダでは男の子も女の子も丸刈 りです﹂ 机 に 並 べ ら れ た た く さ ん の 写 真 に、 生徒たちの視線が一斉に集まる。 ﹁あっ た!﹂ ﹁こ れ だ!﹂ 。勢 い よ く 手 を 伸 ば し た 先 に あ る の は、髪 を 短 く 切 っ た 子 ど も た ち が 肩 を 組 ん で い る 写 真 だ。こ こ は、岩 手 県 立 杜 陵 高 校 奥 州 校。生 徒 たちが熱い戦いを繰り広げているゲー ムの名は、 ﹁ルワンダかるた﹂だ。 ﹁ルワンダでは、多くの子どもが毎日 お 風 呂 に 入 れ な い の で、皮 膚 病 の 予 防 のために髪を短くしているのです﹂ 。生 徒 た ち に 語 り 掛 け て い る の は、ル ワ ン ダ か る た を 発 案 し た、定 時 制 1 年 次 主 かご 任 の 菊 池 尚 子 先 生 だ。農 作 業 を 手 伝 う 子 ど も、色 鮮 や か な 伝 統 の 籠 な ど、ル 種類の写 真 が か る た の 取 り 札 と な り、菊 池 先 生 ワンダで撮影された全部で は、そ の 一 枚 一 枚 に つ い て エ ピ ソ ー ド を 紹 介 す る。た だ 遊 ぶ だ け で な く、現 地の生活や文化を楽しみながら学ぶこ とができるのだ。 菊 池 先 生 が、ル ワ ン ダ か る た を 授 業 に取り入れるようになったきっかけは、 毎 年 夏 に 実 施 さ れ るJICAの 教 師 海 外 研 修 だ。以 前 か ら 興 味 は あ っ た も の の、育 児 な ど に 追 わ れ て な か な か 参 加 歳 を 迎 え た 昨 年、最 後 す る こ と が で き な か っ た。し か し、年 齢制限となる のチャンスに思い切って飛び込むこと を 決 意。そ の 裏 に は、常 々 抱 え て い た ある思いがあった。 ﹁この学校は中学時 代 に 不 登 校 だ っ た 生 徒 が 多 く、中 に は 将 来 の 夢 を 持 て な い 生 徒 も い ま す。だ からこそ、私が海外に行くことで、 〝や 世界を知り、夢が広がった った。 ﹁生徒たちに伝えたいことが帰り を作るという構想がすでに頭の中にあ 中 に 撮 り た め た 写 真 を 使 っ て、か る た し た 菊 池 先 生。帰 国 す る 日 に は、滞 在 アによる井戸作りの活動を見学したり 学 校 を 訪 問 し た り、 JICAボ ラ ン テ ィ 約 2 週 間 ル ワ ン ダ に 滞 在 し、現 地 の ということを伝えたかったのです﹂ 。 人 で 一 緒 に 使 う こ と ︱。そ れ ま で、ル に 乗 せ て 運 ぶ こ と、一 冊 の 教 科 書 を 2 タ ク シ ー が あ る こ と、重 た い 荷 物 は 頭 は 楽 し そ う な 声 が 響 き 渡 る。自 転 車 の ゲ ー ム が 始 ま る と、た ち ま ち 教 室 中 に ン ダ か る た に 挑 戦 す る こ と に な っ た。 し た 1 年 次 の 生 徒 た ち が、初 め て ル ワ な っ た。そ し て 今 年 5 月、新 し く 入 学 の 間 で 人 気 を 集 め、学 校 の 名 物 授 業 と と 意 気 込 む。菊 池 先 生 に 何 度 も 添 削 し 聞いて、 私もがんばらなければと思った﹂ しながら勉強に励んでいるという話を は、 ﹁ルワンダの学生は、ものを大事に 帰 国 後、ル ワ ン ダ か る た は 生 徒 た ち の 飛 行 機 の 中 で 次 々 と 湧 い て き て、日 ワンダという国がどこにあるのかも知 りたい気持ちがあれば何だってできる〟 本に到着した時にはかるたが完成して っ た こ と が 大 き な 変 化 で す﹂と、菊 池 てもらいながら手紙を書いたという高 先生も生徒たちの成長ぶりを実感して ら な か っ た 生 徒 た ち が、か る た を 通 じ いました﹂ 。 授業のあと、 ﹁最後にぜひ会ってほし い る。そ ん な 先 輩 の 背 中 を 追 う 今 年 の 橋悠くんも、 ﹁いつか海外に行ってみた い 人 が い る﹂と い う 菊 池 先 生 に つ い て 新 入 生 た ち に も、ル ワ ン ダ の 明 る い 面 てさまざまな知識を深めていった。 ﹁タ 行くと、4 人の生徒が出迎えてくれた。 だ け で な く、紛 争 や 虐 殺 な ど の 歴 史 に い﹂と 夢 を 語 る。4 人 の 表 情 は、や る 昨 年、菊 池 先 生 が 英 語 の 授 業 を 担 当 し つ い て も、こ れ か ら 少 し ず つ 伝 え て い ンクを持って水汲みをする子どもの写 た 3 年 次 の 生 徒 た ち だ。4 人 が 手 に し きたいという。 ﹁みんなが自分の特性を 気に満ちていた。 ていたのは、 英語で書かれた手紙。実は、 生 か し て、い ろ ん な 分 野 で 活 躍 す る 可 真 を 見 て、水 道 が な い 家 が あ る こ と に 菊 池 先 生 は 研 修 の 際 に、生 徒 た ち が 英 能 性 を 秘 め て い ま す。私 は 自 分 の 経 験 ﹁さまざまなことに興味を持ち、知ら 語 で 書 い た 手 紙 を 現 地 の 高 校 に 届 け、 を伝えることで、その〝 種まき〟ができ び っ く り し た﹂と 話 す の は、高 野 拓 実 そこで学生から返事をもらって帰って れ ば と 願 っ て い る し、そ れ が 使 命 だ と ないことがあれば自ら調べるようにな き た の だ。ど ん な 楽 器 が あ る の か、ア 感じています﹂ 。 一歩を踏み出す勇気を与えている。 一人の先生の熱い思いが、生徒たちに イ ス は あ る の か、趣 味 は 何 か。そ ん な くん。千葉麻衣さんは、 ﹁募金やボラン 世界 と つながる 教室 質 問 に 一 つ 一 つ 答 え て く れ た と い う。 た﹂と う れ し そ う に 話 す 石 川 優 花 さ ん ﹁海 を 越 え て つ な が っ て い る 感 じ が し 22 July 2015 July 2015 23 Rwanda ルワンダ ルワンダの高校生からもらった手紙を 手にする3年次の生徒たち 楽しみながら世界を知る ルワンダかるたに初めて挑戦 する1年次の生徒たち。みん な真剣な表情をしている 30 ティアをしたい﹂と話してくれた。 ルワンダの小学校で、児童と一緒にソーラン節を踊った菊池先生 (昨年8月) この学校では、アフリカの国ルワンダを題材にした“かるた”を授業に取り入れている。 生徒たちからの人気も高いユニークな授業の狙いとは―。 取り札の写真は、 教師海外研 修に参加した先生たちが協力 して撮影したものだ 授業ではルワンダの衣装を 身に着け、気合十分だ 50 岩手県内にある定時制高校、県立杜陵高等学校奥州校。 connect with From Headquarters 種 の 病 気 を﹁顧 み ら れ な い 熱 帯 病︵N T うした病気の中でも特に緊急対策が必要な 一人 で も 多 くの人 を 感 染 症 か ら 守 り たい 人の体を守る方法 国際協力の現場で考える Ds︶ ﹂に 指 定 し て お り、リ ー シ ュ マ ニ ア 症 もその一つです。 術協力︵SATREPS︶によって、東京大 学 医 学 部 附 属 病 院 や 東 大 農 学 部、愛 知 医 科 JICAは地球規模課題対応国際科学技 大 学 な ど と 協 力 し、蚊 帳 を 使 っ た サ シ チ ョ 存在しないのではないかとすら感じます。で 国では、予防接種は無償で受けられて確実に ウバエからの防御や感染検査法の研究に力 を 入 れ て い ま す。今 あ る 治 療 薬 は 注 射 が 必 効果が得られる数少ない医療の機会であるこ 大学で健康科学を学び、看護師や保健師の 材育成だと思います。感染症対策には医師や 日本の保健医療の国際協力に必要なのは人 専門家も必要なのです。あらゆる分野の人々 や治療の知識を伝えていく教育や社会科学の クス、現地の人々の考え方に寄り添い、予防 く、薬やワクチンの輸送に携わるロジスティ 看護師、薬剤師などの医療の専門家だけでな 要 で、副 作 用 も ひ ど い の が 課 題 で す。感 染 は人間開発部の職員として、世界各地の保健 医療協力に携わっています。 JICAでの仕事はプロジェクトを管理 方、世界でも感染症の予防に向けた取り組み 近年は日本国内で感染症に注目が集まる一 が助け合って、初めて実現するのが国際協力。 ﹁顧みられない熱帯病﹂の予防と 検査法開発に挑む 度減少した患者数が再び増加に転じたこと が進んでいます。日本は、これまでに数多く JICAは国際協力の最先端情報が集まる場 を 受 け て 2 0 0 4 年 に 行 わ れ た も の で す。 の感染症と戦い、国内から排除してきました。 し、予 算 を 配 分 す る デ ス ク ワ ー ク が 中 心 で インドやバングラデシュなどの南アジアに こ の と き は、地 元 の 家 庭 を 一 軒 ず つ 訪 問 す その経験を世界のために活用し、少しでも世 所なので、興味がある人はぜひ足を踏み入れ 多いこの病気は、サシチョウバエという蚊に る こ と で、地 方 や 貧 困 地 域 も 含 め て 全 国 で 界から病気を減らすことを目指します。かつ す が、W H O に 出 向 し た 際 に は フ ィ リ ピ ン よく似た虫が媒介する寄生虫リーシュマニア 9 割 を 超 え る 児 童 へ の 接 種 が 実 現。同 国 内 ての私自身のように、JICAの活動を知っ 現在取り組んでいるものの一つに、内臓型 が脾臓や肝臓などに住み着くことで起きま での麻しん患者の大幅削減につながりまし て保健医療分野の協力を志す人たちが増える てほしいと思っています。 す。高熱や体重減少などが主な症状ですが、 た。予 防 接 種 や 感 染 症 へ の 理 解 が 少 し ず つ での麻しんワクチン接種支援の活動現場で 放置すれば死んでしまう病気です。 浸 透 し て い る こ と を 実 感 で き る の は、ま た ことを期待しています。 働 い た こ と も あ り ま す。こ れ は 同 国 内 で 一 名度が低く、対策が遅れている熱帯病がたく 世界には、多くの人が苦しんでいるが、知 とない経験でした。 リーシュマニア症の予防と検査法の開発プロ さんあります。世界保健機関︵WHO︶はこ ジェクトがあります。 支援現場を見る経験 大きな刺激に 資格を取る中で、JICAの専門家派遣経験 パプアニューギニアで、予防接種キャ ンペーンの協力者と一緒に 大学卒業後、2000年J ICA 入構。WHOに出向し感染症 対策を手掛ける。東京国際 センター人間開発課を経て 10年より現職。 予防と適切な診断の両面で改善を進めてい 平岡 久和 く必要があります。 HIRAOKA Hisakazu 者から国際協力の現場の話を聞いたことが、 JICA人間開発部 保健第二グループ 保健第四チーム JICAで働くきっかけになりました。現在 とも多いのです。 も、身の回りに多くの感染症がある開発途上 日本にいると、感染症なんてもう世の中に 17 高 校 生のころから生 命に興 味を持っ ていた平 岡 久 和さんが、感 染 症に関 わる仕 事がしたいと 考 えたのは、大 学 で 健 康について 学 んだのがきっか けだった。長 期 的 な 対 策が必 要 な 感 染 症の予 防と撲 滅を目 指して、さま ざ ま な 視 点から 感 染 症の予 防 推 進 に取り組んでいる。 大洋州の予防接種活動プロジェクトの評価の結果を、各国予防接種担当官に報告 24 July 2015 JUly 2015 野 球 の 振 興・普 及 が 課 題 と な っ て い んなサントドミンゴ市の野球協会に み を 一 層 強 化 す る だ け で な く、安 倍 本 連 携 は、両 者 の こ う し た 取 り 組 献活動を積極的に推進しています。 0 を 超 す 国 々 で、1 0 0 0 万 の 人 々 JICAは 5 月 日 か ら、ネ パ 具体化を通じて、ネパールの復興を を含む﹁仙台防災枠組﹂ ︵3月の tter 第3回国連防災世界会議で採択︶の 協力を継続するべく、 Build Back Be- 以降のシームレスな ︵切れ目のない︶ JICAは 今 後 も 地 震 発 生 直 後 提供しました。 の 震 災 か ら の 復 旧・復 興 の 知 見 を 災 行 政、災 害 研 究 の 専 門 家 が 日 本 策 定 の 必 要 性 を 強 調 し、日 本 の 防 害に強靭な国を構築する復興方針 復 旧・復 興 に 入 る 時 期 に、よ り 災 田 中 明 彦 理 事 長 は、緊 急 援 助 か ら 都カトマンズで実施。開会の挨拶で パールの Build Back Better ︵より 良い復興︶に向けたセミナー﹂を首 日には、ネパール政府と共催で﹁ネ 地 震 発 生 か ら1 カ 月 後 の5 月 の可能性を検討しています。 な復興計画の方向性や日本の支援 査 団 を 派 遣 し、ネ パ ー ル の 具 体 的 ール大地震の復興支援に向けた調 20 引き続き支援していきます。 日にかけてトルコを訪問 田中明彦JICA理事長は5月 03 残ると述べました。 と日本の友情の証であり記憶に深く を表するとともに、本事業はトルコ 大臣は円借款の供与に対し感謝の意 ジ ェ 環 境 都 市 整 備 大 臣 と の 会 談 で、 式典に先立って行われたギュリュ の改善を目指しています。 の長期資金供与を通じて、インフラ 府系金融機関を通じた地方自治体へ 方自治体インフラ改善事業﹂は、政 倒 し を 余 儀 な く さ れ て い ま す。 ﹁地 下しており、インフラ整備計画の前 処理などの行政サービスレベルが低 地方自治体では、上下水道や廃棄物 多くのシリア人が流入したトルコの 2011年から続くシリア内戦で、 ICA事業の視察などを行いました。 を は じ め と す る 要 人 と の 会 談 や、 J ス・ギュリュジェ環境都市整備大臣 の調印式典に参加したほか、イドリ 善事業﹂の交換公文および貸付契約 し、円借款﹁地方自治体インフラ改 日から 16 JICAと桜美林大学︵東京都︶は、 ます。 ま た、桜 美 林 大 学 は、こ れ ま で に 配 属 さ れ、同 国 代 表 チ ー ム の 指 導、 にスポーツの喜びを届けるプログラ て表明した、2020年までに、10 総理が東京オリンピック招致に際し 指 導 者 へ の 技 術 指 導、国 内 に お け る 野球の普及に関する活動などに取り コ ス タ リ カ の 野 球 レ ベ ル は、中 米 ム﹁スポーツ・フォー・トゥモロー﹂ 組む予定です。 の他国に比べて必ずしも高いとは言 にも資するものです。 三谷高康学長(左) と覚書を交わすロドリゲス臨時代理大 使 (中央) 、小川登志夫JICA事務局長 (右) 田中理事長がトルコを訪問 6 月 9 日、 JICAボ ラ ン テ ィ ア 事 同 国 で は、野 球 が 健 全 な 青 少 年 の 育 そ の 一 方 で、青 少 年 犯 罪 が 深 刻 な 成に果たし得る役割が注目されつつ 業 に 関 す る 覚 書 を 締 結 し ま し た。締 ド リ ゲ ス 臨 時 代 理 大 使 も 出 席 し、今 あります。 結 式 に は コ ス タ リ カ の リ リ ア ン・ロ 回の取り組みに対する期待の意を示 む た め、こ れ ま で も 同 国 に 対 し、累 JICAは こ う し た 課 題 に 取 り 組 計で 人の青年海外協力隊を派遣し、 しました。 は、2 0 1 6 年 2 月 か ら 東 京 オ リ ン 今 回 の 合 意 に 基 づ き、桜 美 林 大 学 ピックが開催される2020年まで 礼儀や規律を重んじる日本式野球の 人の青年海外協力隊を開発途上国 術の向上に貢献してきました。 指導を通した青少年の育成や野球技 人 程 度 を 約1 カ 月 間 コ ス タ リ カ に 派 遣 し ま す。学 生 た に 派 遣 す る な ど、国 際 交 流・国 際 貢 ∼ 北 に 位 置 し、同 国 内 で 最 も 野 球 が 盛 ち は、コ ス タ リ カ の 首 都 サ ン ホ セ の て野球部員 の5 年 間、毎 年、ボ ラ ン テ ィ ア と し 15 え ず、技 術 力 の 向 上 に 加 え て、野 球 July 2015 25 80 14 調印式典 (左から横井大使、 ギュリュジェ大臣、 田中理事長) 15 の普及が遅れている地方部における ボランティア派遣覚書署名式で期待を表明するリリアン・ロ ドリゲス臨時代理大使 25 首都近郊の被災地を視察する田中理事長 10 02 ネパール大地震の復興支援調査団を派遣 01 桜美林大学がコスタリカに野球部員を派遣 すべての人のための病院 特定非営利活動法人 ジャパンハート プロジェクトダイレクター 長谷川 彩未 渡れるベトナムまで行って治療を受ける人たち がいる。 国 連 は﹁ユ ニ バ ー サ ル・ヘ ル ス・カ バ レ ッ ジ すます深刻化している。 貧困層の前に立ちふさがる医療格差の問題はま 発展していくプノンペンの街並みとは裏腹に、 あれから7年。 左右される現実だった。 関 先 で 人 が 亡 く な っ て い く。お 金 に よ っ て 命 が 病 院 に 到 着 し た も の の 治 療 が 受 け ら れ ず、玄 私は目の当たりにした。 この地最大の国立病院を舞台に起きた悲劇を、 カンボジアの首都、プノンペン。 な り、患 者 が さ ら に 少 な く な る。カ ン ボ ジ ア の ると今度は﹁治療しても治らない﹂ということに を 身 に つ け る こ と が で き な く な っ て し ま う。す た 患 者 も 次 第 に 来 な く な り、医 療 従 事 者 は 技 術 る。治 療 が 受 け ら れ な い の で、そ れ ま で 来 て い から医師や看護師などの医療従事者がいなくな 午 後 に な る と、ア ル バ イ ト を す る た め、病 院 ため、兼業していることも少なくないのだ。 原 因 の 一 つ と な っ て い る。彼 ら は 生 計 を 立 て る 与 が 少 な い こ と も、医 療 環 境 の 改 善 が 進 ま な い に 加 え て、医 師 や 看 護 師 を 含 む 国 家 公 務 員 の 給 域 で 整 備 が 行 き 届 い て い な い も の が 多 い。そ れ ら、カ ン ボ ジ ア で は 特 に 医 療、教 育、法 律 の 領 地域の人が信頼しない病院 年続いた内戦の影響か ︵UHC すべての人が、適切な健康増進、予防、 病院は、こうした悪循環から抜け出せずにいた。 197 0 年 代 か ら 約 治 療、機 能 回 復 に 関 す る サ ー ビ ス を、支 払 い 可 し た が、こ の 国 で の 実 現 に は ま だ 時 間 が 必 要 だ ろう。 化があるので、ぜひ紹介したい。 した、一つの事例となった。 取り戻して継続的で社会的なメリットを生み出 富 裕 層 だ が、こ の 国 で は 貧 困 層 の 中 に も 陸 路 で ー ル な ど だ。こ う い っ た 行 動 を 取 る の は 多 く が は、隣 国 の ベ ト ナ ム を 筆 頭 に、タ イ や シ ン ガ ポ 渡 航 者 と し て 海 外 で 治 療 を 受 け て い る。行 き 先 得までの歩みをサポートするというもの。 出身の高校3年生を対象に、医師・看護師免許取 由で進学を諦めざるを得ないカンボジアの地方 7 年 間 の 活 動 の 中 で、私 が 経 験 し た 面 白 い 変 している。 院 に 間 借 り し、貧 困 層 に 対 す る 医 療 活 動 を 実 施 私 た ち は、こ の よ う な 問 題 を 抱 え る 地 方 の 病 万人が医療 最 初 は 患 者 が 訪 れ ず、閑 散 と し て い た 地 元 の こ の 経 験 か ら 私 は﹁日 本 ブ ラ ン ド﹂と い う 新 現 在、カ ン ボ ジ ア で は、年 間 約 と あ る 病 院。と こ ろ が、日 本 の 医 療 団 体 の 支 援 彼 ら は 日 本 の 里 親 の 支 援 を 受 け て、日 本 人 ボ 躍できる優秀な医療従事者の輩出が目標だ。 は、カ ン ボ ジ ア 社 会 を 越 え て 国 際 的 な 舞 台 で 活 業 後 は 私 た ち の 病 院 で 研 修 を 受 け る。将 来 的 に に 通 学 し な が ら 地 方 で の 医 療 活 動 を 手 伝 う。卒 ラ ン テ ィ ア と 共 同 生 活 を し、医 療 従 事 者 養 成 校 なった。 を歩み出した。 で、患 者 の 増 加 は そ の ま ま 医 療 従 事 者 の 給 料 の 増 加 を 意 味 す る。本 業 で 生 計 を立 て ら れ る よ う に な る。お か げ で 患 者 は い つ 病 院 に 行 っ て も 診 な く て も 済 む の で、一 日 中 病 院 に と ど ま る よ う 野 で も 言 え る こ と で、そ の 主 な 原 因 は、病 院 の 少 な い と い う 問 題 を 抱 え て い る。こ れ は 医 療 分 代の目標となる職業のモデルケースがあまりに 今、カ ン ボ ジ ア で は あ ら ゆ る 業 界 で、若 い 世 こ れ か ら も 心 の 声 に 耳 を 傾 け な が ら、自 分 に ない。 きな変化は地道な作業の中からしか生まれてこ 長 い 月 日 が か か る。そ れ を 考 え る と、結 局、大 に な っ た 医 療 従 事 者 は、無 理 に ア ル バ イ ト を し 察 を 受 け ら れ る よ う に な り、来 院 患 者 の 増 加 に 第一線で働く医療従事者のレベルが低いことに 年、看 護 師 で も6 年 と い う 伴って医療従事者の診療技術も向上したのだ。 医 師 の 誕 生 に は 私 た ち が 支 援 す る 他 の 三 つ の 病 院 で も 同 じ よ の 人 と 一 緒 に 作 り 上 げ る こ と を 目 指 し、同 国 に ある。 貧 困 層 向 け の 病 院 を 建 設 す る 計 画 を 開 始 し た。 う な 傾 向 が 生 ま れ 始 め て お り、私 た ち 日 本 人 ス 起きていない。 そ こ で 私 は、医 療 分 野 の モ デ ル ケ ー ス を 現 地 こ れ は、日 本 の ブ ラ ン ド 力 に よ っ て 患 者 の 流 この病院は現地の医療従事者の人材育成に向け 田舎をまわり、無償で医療を提供する診療活動 では、毎回多くの住民が医療を求めてジャパン ハートの元を訪れる れ を 生 み 出 し、現 地 の 医 療 機 関 が 本 来 の 機 能 を た 中 心 的 施 設 と し て、地 方 病 院 の 人 材 に 継 続 的 に 研 修 の 機 会 を 提 供 す る。そ れ と 同 時 に、日 本 人ボランティアにもこの病院に参加してもらい、 両国の協力を活性化させる。 今、実現に向けて現地保健省と調整中だ。 未来の医療従事者を育てる 病 院 建 設 と 並 行 し て 手 掛 け て い る の が、カ ン ボジアの未来の医療従事者への支援だ。 このプロジェクトは、学力は優秀だが経済的理 10 正直に歩んでいきたい。 日本の医療団体の 活動は、現地住民と 病院双方にとって大 きな発展を生み出し ている タッフが不在の時も来院患者数の大幅な減少は 医療のモデルケースをつくる こ の 国 で は、医 療 従 事 者 の 給 与 は 分 配 制 な の た な 可 能 性 を 見 つ め 直 し、ど の よ う に 開 発 途 上 ﹁日本﹂というブランドの力 能な費用で受けられること︶ ﹂という概念を提唱 20 国 の 医 療 の 発 展 に 生 か す べ き か、模 索 す る 日 々 学生時代に訪れたマレーシアの病院 で、医療へのアクセスが限られた現地の 人々を目にして海外でのボランティア活 動を決意。2006年から国際医療ボラン ティア団体「ジャパンハート」の研修に参 加。2008年、同団体に入職。医療活動 のほか、 カンボジア事業の立ち上げ、国 際緊急救援の指揮など、幅広く活躍。 が き っ か け と な り、徐 々 に 患 者 が 集 ま る よ う に <Profile> はせがわ・あやみ 手術はジャパンハー トの日本人スタッフと 現地病院スタッフと の協働で行われる 26 July 2015 July 2015 27 21 22 カンボジアの子どもたちが安 心して病院に通える社会ーー それが今の目標だ (右が筆者) すべての国にとって大切です。 症対策に世界の注目が集まりました。 山 谷 国 際 保 健 で は 最 初 に 特 定 感 染 ま し た。よ り 感 染 経 路 が 多 い 病 気 で ら ず、あ れ だ け の 流 行 を 引 き 起 こ し ル ス は、空 気 感 染 し な い に も か か わ す。昨 年、話 題 に な っ た エ ボ ラ ウ イ や 結 核 な ど の 重 要 な 感 染 症 対 策 や、 間で 億ドルをかけてHIV/エイズ ニ シ ア チ ブ﹂を 発 表 し、そ の 後 5 年 催 に 当 た り、日 本 は﹁沖 縄 感 染 症 イ 山 谷 20 0 0 年 の 沖 縄 サ ミ ッ ト 開 いるのでしょうか? 具 体 的 に は 1 9 6 0 年 代 で、当 時 は あ れ ば、も っ と 簡 単 に 流 行 が 広 が る 保健医療体制の構築を支援しました。 ︱︱日本はどんな取り組みをして 天然痘やマラリアなどが主なターゲ 可能性があります。 感染症の対策では、 よ り、感 染 症 が 容 易 に 国 境 を 越 え て ッ ト で し た。そ の 後、国 際 的 な 保 健 国 境 で の 水 際 対 策 だ け で な く、流 行 日 の 2 日 間、福 島 課 題 が 変 化 す る 中 で、感 染 症 は 常 に 日・ 重 要 な 位 置 を 占 め て い ま す。ミ レ ニ 月 県いわき市のスパリゾート ハ ワ イ ア ン ズ で、第 7 回 太 平 洋・島 サ ミ ッ ト が 開 催 さ れ ま し た。同 サ ミ ッ ト は、太 平 洋 島 し ょ 国・地 域 が 抱 えるさまざまな問題について首脳レ ベルで意見交換を行うことで緊密な 協 力 関 係 を 構 築 し、日 本 と 太 平 洋 島 し ょ 国 の 絆 を 強 化 す る た め、1 9 9 7 年から3 年に一度開催されている カ国を含む カ国の首脳などが 首 脳 会 議 で す。今 回 は、日 本 と 島 し ょ 参加しました。 サ ミ ッ ト で は、太 平 洋 島 し ょ 国 の 間、① 防災 ② 気候変動 ③ 環境 ④ 人 漁業 ⑦ 貿易・投資・観光の7分野に 的 交 流 ⑤ 持 続 可 能 な 開 発 ⑥ 海 洋・ 共に 焦点を当てながら協力を進めること ﹂を 採 択 し て い ま を決定し、 ﹁福島・いわき宣言 創る豊かな未来 安倍晋三内閣総理大臣は基調講演 す。 の 中 で、太 平 洋 島 し ょ 国 の 自 立 的 発 展 を 促 す た め、今 後 3 年 間 で 5 5 0 億 円 以 上 の 支 援 と、4 0 0 0 人 の 人 づくり・交流支援を行うことを表明。 ま た、太 平 洋 島 し ょ 国 の 気 候 変 動 対 策能力強化や日本とのビジネス交流 を一層進めることを発表しました。 IDI終了を受けて、保健部門のミレニア ム開発目標達成に重点を置いた支援。 5年間で総額50億ドル超を拠出。 アチブ﹂ や、 年の ﹁橋本イニシアチブ﹂ ミレニアム 開 発目標(M D G s)の中で も特に進 捗 が 遅 れている母 子 保 健 の ほか、三大 感 染 症、新 型インフルエン ザ などの 国 際 的 脅威へ の対応 を中心 に5年間で50億ドルの支援を約束。 2000年 沖縄感染症対策イニシアチブ(IDI) 2013年 第5回アフリカ開発会議(TICAD V) 九 州・沖 縄サミット議 長 国として包括 的 な 感 染 症 対 策 支 援を提 案 。4年 間 で41億ドルを拠出。 アフリカ地域への保健協力のために5 億ドルの支援と、12万人の人材育成 支 援を約束。 ︱︱日本が開発途上国の感染症対 バ レ ッ ジ︵U H C︶を 軸 と し た 開 発 受 け ら れ る﹂ユ ニ バ ー サ ル ヘ ル ス カ 的医療サービスを負担可能な費用で を策定し、 ﹁すべての人が必要な基礎 2 0 1 3 年 に は 国 際 保 健 外 交 戦 略 U H C の 整 備 は、最 優 先 で 取 り 組 む ゆる保健課題への対応基盤となる ま す。で す か ら、感 染 症 を 含 む あ ら を感染症から守ることにもつながり の 健 康 を 守 る こ と は も ち ろ ん、日 本 備 を 手 助 け す る こ と は、現 地 の 人 々 山 谷 開 発 途 上 国 の 保 健 シ ス テ ム 整 策に協力する意味とは。 協力を進める方針を打ち出しました。 クロネシア連邦は約600 の 島々から構成されている太平 洋の島国で、第2次世界大戦までの約 年間、日本の委任統治領でした。今 でも多くの日系人が暮らしています。 経済面では、かつお・まぐろ類の漁 場として日本漁船がミクロネシア連 邦の排他的経済水域内で操業してい ま す。皆 さ ん も 知 ら ず 知 ら ず の う ち に、ミクロネシア産のかつおやまぐろ を食べているかもしれません。 多くの太平洋島しょ国と同様、ミク ロネシア連邦も自立的な経済発展や 産業振興を行う上で、人口の少なさや 広範囲に散らばった島々、主要な海外 市場からの距離などの課題を抱えて います。そこで日本はミクロネシア連 邦の持続的な発展のため、インフラ整 庸昭 二等書記官 続くことを望んでやみません。 ロネシア連邦との間で、良好な関係が 洋という海洋で結ばれた日本とミク ではない﹂との一節があります。太平 結びつけるものであり、引き離すもの この国の憲法には﹁海はわれわれを 高く評価されています。 課題に取り組む日本の姿勢は、現地に ランティアや研修などを通して共に っています。技術供与だけでなく、ボ イ ク ル の 3R活 動 に 関 す る 支 援 を 行 棄 物 の リ デ ュ ー ス・リ ユ ー ス・リ サ に大きな影響を与えます。そこで、廃 さな国では、わずかな廃棄物でも環境 また、ミクロネシア連邦のような小 たる支援を行ってきました。 業などの人材育成支援など、長年にわ 備のほか、ボランティア派遣や研修事 在ミクロネシア日本国大使館 佐 藤 べきテーマとなっているのです。 これは感染症に強い社会の構築にも 課題に取り組んできています。 でもHIV/エイズや寄生虫などの 2010年 MDGs国際首脳会合 1997年 国際寄生虫対策(橋本イニシアチブ) 2005年 「保健と開発」に関する イニシアチブ 1994年 人口・エイズに関する 地球規模問題イニシアチブ エイズに関する地球規模問題イニシ 日本の保健・医療分野での主な国際貢献 つながるものです。 太平洋が結ぶ島国のきずな これに先立ち、1994年の﹁人口・ 広がることへの警戒が高まっていま 特 に 近 年、交 通 手 段 の 発 達 な ど に のまん延防止が挙がっています。 エボラ出血熱、デング熱、MERSなど、世界の各地で発生す る感染症は、決して対岸の火事ではありません。この課題 に長年向き合ってきた日本の取り組みを紹介します。 が発生した場所での速やかな対処が フラガールの公演を鑑賞する安倍総理(写真提供:内閣広報室) ア ム 開 発 目 標 で も、目 標 6 に 感 染 症 ているのでしょうか。 ︱︱世界は感染症とどう向き合っ いろんなトピックを分 かりやすく解 説します! 優 先 課 題 に 対 応 す る た め、今 後 3 年 国 際 寄生 虫 対 策の 効果 的な推 進に向 けて、 「人づくり」と「研 究 活 動 」の 拠 点、及びこれらを中心とした国際的ネ ットワークを構築。 「フォー・ウィンズ号」 は島国ミクロネシア連邦の海運に貢献し、 社会と経済を支える 外務省国際保健政策室長 山谷裕幸 Message from Micronesia 開 発 途 上国で 深 刻な健 康および 経 済・社 会開発問題となっている人口・ HIV/エイズ問題 対 策のため、199 4∼ 2000年の7年間で50億ドルを拠出。 日本の無償資金協力で供与された貨客船「フォー・ウィンズ 号」の引き渡し式 基調演説する安倍総理(写真提供:内閣広報室) 97 誰でも使える 医療システムの整備を支援 「福島・いわき宣言」を採択 41 | 22 28 July 2015 July 2015 29 | ミ 「ここが 知りたい 」。国 際 協 力 に 関 係 する 23 17 30 ODA政策 「日本政府が進める感染症対策」 「第7回太平洋・島サミット開催」 ODA政策 5 14 現地からのメッセージは、ODAメールマガジン (www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/mail/) でご覧いただけます。 ゴチャック∼祈りの旅路∼ 地球ギャラリー vol.82 Ladakh [インド・ラダック地方] 写真・文=松尾 純(写真家) 巡礼者たちの祈りの歌が荒涼 とした冷たい大地に響き渡る かう。最終日にはお寺を右回りに巡り、 バターろうそくに灯明。来世のために 祈りを捧げる。 ゴ チ ャ ッ ク の 多 く は 集 団 で 行 わ れ、 リーダー・サブリーダーを含め、女子 どもを問わずに編成される。開始時は 十数人でも、過ぎる村々で参加者が加 わり、最終的には倍以上の人数になっ ているという。 目的地までの行程は長いものになる と2週間を超える。その期間、仕事な どを休める幸運な者だけが参加できる ようだ。 ﹁チ ャ ン ス さ え あ れ ば ゴ チ ャ ッ ク に 参 加 し た い。 ﹂ラ ダ ッ ク の 人 々 は 口 を 揃えて言う。彼らにとってゴチャック はとても善い行いで、それを行う者た かつてのラダック王国の王都レー。標高3,500mの山岳地帯にあり、中国チベット自治区よりも色濃いチベット文化が残る 村人はまるで遠足のようにポットや鍋を広げ、 ゴチャックのメンバーを厚くもてなす 山頂に建つのは、 カルシゴチャックの目的地であるティンモスガンのお寺 ちをさまざまな形で支援している。 お堂の外回廊に並ぶマニ車。中に経文が入っていて、回すと経文 を唱えたことと同じ功徳がある が歩く 分の1の速さで進む巡礼者た 地を這うように一歩、また一歩。人 ラダックで年末に当たる日、運に任 を知っている人はいなかった。 いるとの話を聞いた。 ゴチャックと呼ばれる巡礼が行われて ら新年にかけて、集団で聖地に向かう このラダックでチベット暦の年末か を信仰している。 教国で、現在でも人々はチベット仏教 に属しているが、かつては独立した仏 ダックという地域がある。今はインド 山岳地帯に標高3000mを超えるラ ちがいた。インド最北部、ヒマラヤの チベット暦の の村では一大行事のようだった。 いことが、100km あまり離れたこ 手を合わせる。レーでは知られていな れを見守り、ゴチャックのメンバーに で少しずつ進む人々がいた。村人がそ 両 膝・額 を 地 面 に 投 げ 伏 す 礼 拝 方 法︶ かに、狭い家々の間を五体投地︵両肘・ に建つ小さな集落に到着。そこには確 の村を通り過ぎ、岩山に同化するよう せて車を西に走らせた。いくつか沿道 月 日。この日から どうしてもゴチャックが見たい。当 10 かった。現地で情報収集をしようと思 初 はほ ん の 少 し の 情 報 し か 持 っ て い な 入り、肉、魚、にんにくを食べず、禁酒、 一ヶ月間、ラダックではお祈り月間に 地球ギャラリー vol.82 禁煙をする。そして、五体投地で何日 リーダーに先導されてスクルブチャン村を出発するゴチャック。16 日間かけて50km先のお寺に向かう っていたが、ラダックの中心地である 30 もかけて自分たちの信仰するお寺に向 12 レーに着いて聞いてみても詳しいこと バターろうそくに灯明する参拝者。 ゴチャックには参加できないが、 お祈り月の期間、毎朝毎夕お寺に通う人も 108回繰り返す。時間にして約 分、 歩進み、このセットを煩悩の数である 彼らは一回の五体投地をした後に4 投げ出す。 ぶり、手を合わせ、一斉に大地に身を でお祈りの歌を辺りに響かせ、目をつ 巡礼者たちは声を枯らすほどの大声 返 し、何 十km も 先 の お 寺 を 目 指 す。 これを早朝から日が暮れるまで繰り チャックを再開する。 お祈りを捧げた後、元の位置に戻りゴ 飲 み な が ら 短 い 休 憩 を 取 る。そ し て、 り、村人がその都度運んで来るお茶を mである。これが終わると道の脇に寄 気が遠くなりそうなことでも、この い﹂ 。 ていくよ。何より願いが叶ってうれし ﹁初 日 は 苦 し い け ど、だ ん だ ん 慣 れ のだ。 なりながら少しずつ距離を縮めて行く った急坂であろうと、体中埃まみれに 真剣だけど優しい、そんな空気が彼 様子もない。 た。メンバーは動じることなく、怒る を行ったり来たりはしゃぎ回ってい どもたちが五体投地をする巡礼者の間 神聖なゴチャックをよそに、村の子 ているから続けられる。 ︵まつお じゅん︶ らの世界を表していた。 A 善い行いが全て来世につながると信じ 松尾 純 広 島 生 ま れ。写 真 家 。 以 上 の 国 と 地 域 での 撮 影 経 験 を 持 ち、チベット 文 化 を 超 える ヒマラヤ 山 脈 圏 を もっと も 得 意 な フィー ル ド と す る。5000 をテーマに撮影 を続ける。 C vol.82 地球ギャラリー 休憩が終わると、服の中に忍ばせていた経文を取り出し、皆で声をそろえて読 み上げる な ど 、世 界 各 地 の 辺 境 で 暮 ら す 人 々 m B A.タンガと呼ばれる108個の数珠 は人間の煩悩の数。一回の五体 投地が終わると珠を一個動かし、 タンガが一周すると休憩する B.ゴチャックには、巡礼の間の宿や 食料、物資輸送費などのために 寄附が集まる C.村人が運んできた昼食を取る。 チュタギと呼ばれるラダック風の 団子汁でお腹を満たす 50 ゴチャックに参加する少女。大人たちの動きに合わせながら、丁寧に五体投地をする 例え道が凍結していようと、雪の積も その間に進める距離はたったの200 五体投地で地面に伏せている人の上に、子どもたちが遊ぶタイヤが転がることも 30 幸運を願うアイテムといえば tI em チベットの仏教寺院を参拝すると、真っ白なスカーフを首 に掛けて渡されることがある。相手に心からの敬意を表す カター 印、 「カター」だ。 カターには、ほら貝、ハスの花、金魚といった仏教で縁起 がよいとされる八つの文 様があしらわれている。白い絹 布 は、 “ 純粋な気持ち” の象徴であり、常に新品のものを相手 に渡すために一回限りしか使わない。また、参拝者が、本堂 の尊像に捧げたり、高僧へのお供え物を包んだりして使うこ ともある。 幸運を祈るアイテムであるカターは、 日常生活の中でも欠 かせないものになっている。例えば、結婚式や、子どもの誕 生日、友人や知人の 送迎など、 さまざまな シチュエーションで用 いられる。たくさんの 出 会いや 別れの 橋 渡しとなってきたカタ ーは、人と人とのつな がりを大切にするチ ベットの人たちの心を 表している。 本堂の尊像に捧げられるカター チベットのデプン・ゴマン学堂では、 カターを高僧にお供えして敬意を示す 取材協力:広島チベット友好協会 地球ギャラリー チベットの文化を 知ろう! チベットで定番の麺料理といえば、 「トゥッパ」。地域や家庭によって入れ る具材はさまざまで、具によって呼び 方も変わる。例えば、 「モモ」 と呼ばれ る小さな蒸し餃子を乗せれば、 「モモ・ は多 種 多 様で、一日のうちでも温 度 トゥッパ」 となる。チベットの家庭では、 差が大きい。冬の寒い朝に、家 族で ウシの仲間の家畜ヤクの骨から手間 大きな鍋を囲んでトゥッパを食べれば、 暇かけて取ったダシをスープに使い、 体がポカポカと温まっていく。 米や小麦の粉から麺を打つ。高原の 好きな野菜を入れたり、唐辛子パウ 野草を食べて育ったヤクの肉は健康 ダーやパクチーを加えるなど、 いろいろ に良く、具 材としても使われている。 なアレンジができるこの料 理 。オリジ 7,000m級の山々や高原、渓谷な ナルのレシピで、 自分好みのトゥッパを ど複 雑な地 形を持つチベットの気 候 作ってみよう。 チベット料理といえば 温かくて具だくさんの モモ・トゥッパ 【RECIPE】 ●材料(4人前) ❶ フライパンで薄焼き卵をつくり、細切りにしておく。コン 中 華 麺 4 人 分 /タマ ネ ギ ソメは熱湯に溶かし、スープを用意しておく。タマネギを 小4分の1個/ニンジン小 薄切りにし、ニンジン、ピーマン、キャベツ、鶏肉は食べや 4 分 の 1 本 / ピー マン 中 1 すい大きさに切っておく。ニンニクはすりおろす。 個/キャベツ葉大1枚/鶏 ❷ 鍋にサラダ油を熱し、タマネギを2∼3分炒める。そこに 肉20g/卵4個/小籠包や ニンニクと鶏肉を加える。鶏肉に焼き目が付いたら、残り 水餃子 お好みの数/ニン の野菜を入れて5分炒める。小麦粉を入れて具材となじ ニク3片(ペーストでも可) んだら、用意しておいたスープを注ぐ。 【SH O P I N F O R M AT I O N】 ネパール・インド・チベット 料理maya(マヤ) 五反田店 /小麦粉大さじ1杯/コン ❸ 別の鍋で中華麺を茹でる。茹で時間はお好みで調節。茹 ソメ大さじ1.5杯/サラダ で上がった麺をスープの鍋に移し、塩コショウで味を調 東京都品川区東五反田5-28-12 油 大さじ1 . 5 杯 / 塩コショ える。器によそり、小籠包(または水餃子) と卵をトッピン ワタナベボクシングビルB1 ウ少々/水2ℓ グしたら出来上がり。 TEL: 050-5798-8850 〒141-0022 営業時間:毎日11∼15時、17∼24時 July 2015 36 新 着 情 報 M B OVIE 『サイの季節』 時は20世紀後半、 イラン・イスラム革命。主人公の詩人サヘルは、反 体制的な詩を書いたとして、妻ミナと共に逮捕される。幸せな生活か ら一転、 サヘルに下された判決は禁固30年。その後、長い刑期を終 え、先に釈放されたミナの行方を捜し始めるが、政府のうそによって自 分は社会の中で “死んだ” ことにされている事実を知る。一方、悲しみ に暮れるミナのそばには、 2人の間を引き裂いた男の影が―。実在す る詩人の体験談 を基に、 イラン出 身の名匠ゴバディ がメガホンを取っ たことで話題を集 める作品だ。 OOK 『トットちゃんとトットちゃんたち 1997- 2014』 テレビの司会者を務める傍ら、1984年からユニセフ親善大使 として世界各国を訪問している黒柳徹子さん。子どものために 何をすべきかを問われたときは、 「 知ってください、関心を持ってく ださい」 と答えているという。この 本が 描き出すのは、黒 柳さんが 9 7 年からの1 8 年 間で訪 問した 国々の「トット (スワヒリ語で 〝子ど も〟) ちゃん」たちの物語。内戦や 飢 饉などに苦しみながらも、子ど もたちの目には希望が輝いている。 この本を 1人の方に プレゼント 2012年/イラク・トルコ/1時間33分 監督:バフマン・ゴバディ 出演:ベヘルーズ・ヴォスギー、モニカ・ベルッチ、ユルマズ・エルドガン他 公開:7月11日(土)よりシネマート新宿ほか全国順次公開 URL:www.rhinoseason-espacesarou.com/ 配給:エスパース・サロウ 詳細は 38ページへ B E OOK VENT 『第18回カナガワビエンナーレ国際児童画展 ―みんなの平和を祈って― 』 世界の子どもたちは、普段どんなこ とを考えているのか―。心の中をの ぞいているような気分になれる国際 児 童 画 展が 神 奈 川 県で開 催され る。97の国と地域から寄せられた2 万6000点以上の作品の中から、 入選した520点を展示。家族や友 達を描いた作品から、紛争やエボラ 出血熱といった各国の実情を伝え る作品まで、感性豊かな子どもたち の思いが自由に表現されている。日 本からの絵も展示されていて、 それ ぞれの国の個性を見つけてみるの も面白いかもしれない。 診察室/ディマナ・クラシミロヴァ・ストヤノヴァ c 神奈川県 (ブルガリア) ○ 会期:7月3日(金)∼8月23日(日) 10時∼17時(月曜休館/入場は16時半まで) 会場:あーすぷらざ3階 企画展示室(神奈川県横浜市) 問:カナガワビエンナーレ国際児童画展事務局 TEL:045-896-2121 URL:www.earthplaza.jp/biennial/ 37 黒柳徹子 著 講談社 1,728円(税込) July 2015 『顧みられない熱帯病 ―グローバルヘルスへの挑戦 』 「顧みられない熱帯病(NTDs)」 という言葉をご存知だろうか。 足が象のように大きく腫れる「 象皮病 」、結膜炎を引き起こす 「トラコーマ」、突 然 死に至ること もある 「シャーガス症」など17の病 気を指し、開 発 途 上 国を中 心に 10億人以上が苦しんでいる。本書 では、ワクチンの開 発などN T D s 対策を牽引してきた著者が、深刻 な社会問題となっているその実態 と、各国政府や製薬企業などによ る官民連携の取り組みを紹介。日 本としてどう向き合っていくべき か、一 人 一 人が考えるきっかけと なるはずだ。 ピーター J ホッテズ 著 この本を 1人の方に プレゼント 詳細は 38ページへ 東京大学出版会 4,536円 (税込) 迎 え て い る こ と で し ょ う。昨 夏 は、約 特 感染症 集 国境 のない戦 い だく形で送付いたします。巻末の払込取扱 38 July 2015 年ぶりに日本国 申込方法 本 号 が 出 る こ ろ に は、日 本 各 地 で 梅 雨 明 け や 夏 本 番 を 内での感染が確認されたデング熱が大きなニュースとな り ま し た。熱 帯 の 感 染 症 で あ る デ ン グ 熱 が 日 本 で 広 が っ た 背 景 に は、経 済 の グ ロ ー バ ル 化 や 地 球 温 暖 化 な ど、さ 年 前 、 筆 者 が J I C A事 務 所 員 と し て 初 め て 海 外 まざまな要因が関連しています。 約 赴 任 し た 南 米 パ ラ グ ア イ で は、シ ャ ー ガ ス 病 と い う 寄 生 虫 感 染 症 が 農 村 地 域 の 貧 し い 人 々 を 悩 ま せ て い ま し た。 サ シ ガ メ と い う 昆 虫 が 媒 介 す る こ の 病 気 は、中 南 米 を 中 心 に 世 界 で 7 、8 0 0 万 人 の 感 染 者 が い る と 推 定 さ れ て い ま す。初 期 症 状 が あ ま り 現 れ な い た め﹁沈 黙 の 病﹂と も 呼 ば れ る シ ャ ー ガ ス 病 で す が、進 行 す る と 慢 性 的 な 体 の不調を招き、命を落とす場合もあります。 (p37参照) 病 に 関 す る 研 究 が 進 み、さ ら に 農 村 で の 地 域 保 健 強 化、 申 込 先 (株)国際開発ジャーナル社 総務部(発送代行) 住 所 〒102-0083 東京都千代田区麹町3-2-4 麹町HFビル9F T E L 03-3221-5583 F A X 03-3221-5584 Eメール [email protected] ① ガーナのケンテ製品 ② 書籍『トットちゃんとトットちゃんたち1997- 2014 』 パ ラ グ ア イ で は、日 本 と の 国 際 協 力 に よ り シ ャ ー ガ ス 3 看 護 人 材 の 育 成 な ど 、 人 々 の 命 や 健 康 を 守 る た め の 組 織・ 人 づ く り へ と 支 援 が 広 が っ て い き ま し た。感 染 症 対 策 で は、医薬品開発や検査システムの整備が重要である一方、 地域コミュニティーへの働き掛けを通じた生活習慣や意 2 をご希望の方は送料が異なりますので、下記までお問い合わせください。 Eメール : [email protected] F A X : 03-3221-5584(『mundi』編集部宛) 世界の陸地の3割を占める森林。しかし、人間の生活が広がるにした がって、その面積は減り続けています。森を守りながら人が生きていくた めにはどうすればいいのでしょうか。世界各地で試みられている新たな アプローチを追跡します。 1 識、衛 生 環 境 の 改 善 な ど に よ っ て も、リ ス ク を 大 き く 減 らすことができます。 東 京 と 名 古 屋 に あ る J I C A地 球 ひ ろ ば で は 、 保 健 ・ 感 染 症 や 環 境、教 育 な ど の 地 球 規 模 の 課 題、そ し て 日 本 と 世 界 の つ な が り に つ い て、体 験 型 の 展 示 や 映 像 を 通 じ て 理 解 を 深 め る こ と が で き ま す。ま た、施 設 内 の カ フ ェ で は 多 様 な エ ス ニ ッ ク 料 理 を ご 提 供 し て い ま す。夏 休 み の一日、子どもたちはもちろん大人の自由研究としても、 訪れてみてはいかがでしょうか。 JICA広報室 広報課長 小泉高子 ―グローバルヘルスへの挑戦 』 ③ 書籍『顧みられない熱帯病 を郵便局でお支払いください。入金の確認後、発送を手配いたします (入金から1 週間程度かかることもありますのでご了承ください) 。複数冊、 またはバックナンバー ◎応募締切: 2015 年 8 月15日 本誌をご希望の方には、送料をご負担いた 票に、氏名・住所・電話番号・ご希望の送付 期間・送付開始月を明記の上、指定の金額 添付のアンケートはがき、Eメール、FAXから、本誌に対す るご意 見やご感 想 、 またJ I C Aへのご質 問を、氏 名・住 所・ 電話番号・職業・年齢・性別・ご希望のプレゼントを明記の 上、お送りください。ご記入いただいた個人情報は統計処 理およびプレゼント発送以外の目的で使用いたしません。 当選者の発表は発送をもってかえさせていただきます。 70 7 2015 July No.22 [ムンディ ] 本誌をご希望の場合は 下記方法で お申し込みください。 プレゼ ント 付き 本誌へのご意見・ご感想や JICAへのご質問を お寄せください。 20 (p37参照) 次 号 予 告(2015年8月1日発行予定) 森林 JULY 2015 No.22 編集・発行/独立行政法人 国際協力機構 Japan International Cooperation Agency : JICA 〒102-8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル TEL:03-5226-9781 FAX:03-5226-6396 URL:http://www.jica.go.jp/ バックナンバーはJICAホームページ (http://www.jica.go.jp/publication/mundi) でご覧いただけます。 本誌掲載の記事、写真、 イラストなどの無断転載を禁じます。 ana Gh und i JULY .81 NO O NO M M m . 2015 -GATARI FR O ©Yuki Asada 伝統の “晴れ着” を日常にも ガーナ南部のアシャンティ州には、式典 生地。また色や柄にはそれぞれ意味があ や儀式などの特別な場で身に着ける伝統 り、例えば、ジグザグ模様には「人生は真 の衣装がある。鮮やかな原色と、独特な っ直ぐな道ではない」という意味が込め 柄が目を引く「ケンテ」だ。大きな一枚布 られている。製作者の一人、ケネディ・オ を全身に巻きつけるようにして着飾る。 ウスさんは、右足に障害を抱えながらも 「ケンテの魅力を他の国の人たちにも 懸命に織機を動かし、10年以上にわたり 知ってもらいたい」。青年海外協力隊とし 培ってきた職人技で、複雑な模様も丁寧 て、今年4月までガーナで活動していた丸 に仕上げていく。現地にある観光客向け 山ちさとさんは、NGO「タツノオトシゴプ の店舗への出品に加えて、最近では、日 ロジェクト」を立ち上げ、普段の生活でも 本向けのオンラインショップでの販売も 使えるケンテのショールやランチョンマッ 始めている。 トなどの生産・販売に取り組んでいる。 「地域の伝統を大切にすることを忘れ 商品は、障害者の自立支援のためのリハ ず、素材や柄に改良を加えながら素敵な ビリセンターで作られ、雇用の創出につ 商品を作っていきたい」と丸山さんは意気 なげることも目的の一つだ。 込む。ガーナで愛される特別な織物は、 ケンテの特徴は、厚くてしっかりとした 何気ない日常を明るく彩ってくれそうだ。 現地では色鮮やかなショールが作られている。一つの 商品を一週間かけて製作することも ★ケンテのコースターとしおりを4人にプレゼント! →詳細は38ページへ ★ 商品は、オンラインショップ「ta2nooto45」 (http://ta2nooto45.base.ec/) を通じて購入可能 アシャンティ州 ガーナ Vol.81 ガーナ 結核は他人事じゃない 私の ] 7 タレント JOY 2015 JULY No.22 Vol. 57 [ムンディ] 平成27年7月1日発行(毎月1回1日発行) 編集・発行/独立行政法人 国際協力機構 〒102- 8012 東京都千代田区二番町5-25 二番町センタービル TEL 03-5226-9781 FAX 03-5226-6396 http://www.jica.go.jp/ PROFILE 1985年群馬県出身。 タレントとして、バラエティー番 組を中心にテレビ出演するほか、映画やミュージカ ル、 モデル、歌手など幅広く活躍。2011年に肺結核 の診断を受け、約3カ月間の闘病生活を送る。同年 9月には「ストップ結核パートナーシップ日本大使」に 任命され、結核の病気や治療について伝えている。 僕が結核と診断されたのは2011年3月 まなければならず、副作用から40度の高 ていると言われています。そういう人が疲 のことですが、体調はその半年前から悪 熱が出て、眠れない日が続くなど、闘病 れて体調を崩したとき、結核を発症する かったんです。咳が止まらず、周りも心配 生活は予想以上に辛いものでした。 んです。当時の僕のように仕事が忙しく、 するほど体調の優れない日が続きまし ようやく退院した時には、入院から約 食事をおろそかにしている人に言いた た。病院に行きましたが、いつも「風邪」 3カ月たっていました。とはいえ、感染の い。 「頑張ること」と「無理をすること」は や「咽頭炎」と診断されていました。 危険がなくなったから退院できただけ 違います。体に限界が来る前に、しっかり いんとうえん けんたいかん そのうち、寒気や頭痛、倦怠感も出て で、体調が完全に回復した訳ではありま 食事と睡眠を取って、休養してください。 きました。インフルエンザの検査を受け せん。薬も6カ月間飲み続けました。 一方、世界では3人に1人が結核に感 ましたが、結果は陰性。体調はおかしい 入院中、周りの患者さんの中には、僕 染していますが、日本と違って治療を受 のに、原因が分からない。仕事が 忙し より軽い症状で入院してきて、先に退院 けられない人もいます。みんなで協力し く、休むわけにはいかなかったので、無 していく人もいました。僕の場合は発症 て、結核を減らしていく必要があります。 理を押して働き続けていました。 から診断まで時間がかかった分、悪化し 結核は、発症率こそ低いけれども、と 結 核という病名を告げられたのは、 ていたんですね。早期発見の大切さを痛 ても身近な病気です。カラオケや漫画喫 感すると同時に、 「あれだけ病院に通っ 茶など、空気の通りが悪く、人が密集す 夜間救急病院に行った時です。初めてレ ていたのに」と悔しくも感じました。医師 る空間では、感染が広がりやすいんで ントゲンと痰の検査を勧められました。 でも簡単に見抜けない病気だからこそ、 す。普段から、そういうことを意識して、 結果が出ると、深刻な表情の医師に呼び 自分から「結核ではないか」と聞ける知 自分の体を守ってほしいと思います。 だされ たんで す。診 断 結 果 は「 肺 結 識を持つことが大事なのだと思います。 核」。そう言われてもぴんとこなかった僕 2011年9月からは「ストップ結核パート は、病名が分かってむしろほっとしまし ナーシップ日本大使」として、この体験を た。 積極的に伝えています。僕ら若い世代に 結核と診断されて、そのまま隔離病棟 も結核という病気は無縁じゃない、他人 に入院。当初は「3週間くらいで退院で 事じゃないと気付いてほしいんです。 きる」と言われていました。多くの薬を飲 日本では、5人に1人が結核菌を持っ 「死にそうなくらい辛い」と危機を感じて たん ISSN 2188-0670 「なんとかしなきゃ!プロジェクト」は、開発途上国の 現状について知り、一人一人ができる国際協力を 推進していく市民参加型プロジェクトです。ウェブサ イトやFacebookの専用ページを通じて、 さまざまな 国際協力の情報を発信していきます。 なんとかしなきゃ で 検索