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日 本 記 者 ク ラ ブ 会 報

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日 本 記 者 ク ラ ブ 会 報
−
日本記者クラブ会報
©
●特集
民主党代表選共同会見 …2
記者研修会 …4
3・ から半年
…
9・ から 年 …
10
7
…
…
…
16
…
書いた話書かなかった話 …
ブル ー ラ イ ト 東 海 村
J CO 臨界
事故
伊藤三郎会員
リレーエッセー …
私が会った若き日の松崎明さん
城山邦紀会員
新潟
記録的豪雨
三条
地方発
ワーキングプレス 中国
高速鉄道脱線事故
試写会 沈黙の春を生きて
南京!南京!
クラブゲスト … ・ ~
笠間治雄
検事総長 (研修会 )
広瀬弘忠
安全・ 安 心 研 究 セ ン タ
ー長 (研修会)
泉田裕彦
新潟県知事
田中
知
日本原子力学会会長
林
敏彦
同志社大学教授
田中煕巳
日本被団協事務局長
平野達男
復興担当相
谷川
武
東電非常勤産業医
園田博之
たちあがれ日本幹事長
服部良一
社民党衆院議員
江田憲司
みんなの党幹事長
荒井広幸
新党改革幹事長
斉藤鉄夫
公明党幹事長代行
ソマリア飢饉 国連機関共同記者会見
江成常夫
写真家
11 11
ぎりぎりだった民主党会見
( )
〠一〇〇 〇〇一一
東京都千代田区内幸町二ノ二ノ一 日本プレスセンタービル 公益社団法人
日本記者クラブ
http://www.jnpc.or.jp
復興への光 ──
14 12
22
22
24
25
26
28
29
第 499 号
2011年
(平成23年)
9月10日発行
犠牲者を追悼し
復興を願って花火が打ち上げられた
手前右の建物は津波
で被災した気仙沼市魚市場
8・ 佐々木浩明撮影(河北新報写真部)
11
2年で3人目の首相
2011. 9. 10 No. 499
会見前に恒例の揮ごう
素志貫徹
●吉田慎一理事長あいさつ
喜ぶべきことに、といいましょ
うか、それとも残念ながらといい
ましょうか、日本記者クラブが主
催する民主党代表選の企画は、こ
の1年弱の間に今回が2度目で
す。いうまでもなく、この間、政
治の混乱が続いていると我々もみ
ております。とりわけ3・ の後、
有権者の中にも政治に対する不信
あるいはいら立ちが広がっている
ようにみえます。
そうした中で、きょう、
民主党代
表候補者の共同記者会見を開くわ
けですけれども、有権者のいら立
ちの原因には、政治のリーダーの
皆さんが、自分がやろうとしてい
ること、思っていることを明確に、
具体的にお話ししてくださらな
い、ということがあるような気が
強くいたします。ぜひ、きょうは
代表選の最初の機会ですので、明
確な主張、説得力のある構想をご
披露いただいて競い合っていただ
ければと思います。
選挙戦は非常に短く、我々が皆
さんに次々と質問を浴びせること
ができるチャンスは非常に少ない
のです。いま流にいいますならば、
最初のストレステストといってい
いのではないかと思っております。
本日のストレステストが、政治
の信頼回復のスタートラインにな
るようにお願いいたします。
( )
民主党代表選立候補者
共同記者会見 (8.27)
日本記者クラブが主催する民主党代表選立候補者の共同記者会見が
初めて行われた。これまで4回「討論会」として開催したが、今回
は、立候補者確定後に民主党本部で行われる共同会見を、当クラブの
開催形式に合わせて実施した。関連記事=29㌻、開催メモ=30㌻に
〔HP動画・会見詳録〕
左から届け出順に前原誠司 馬淵澄夫 海江田万里 野田佳彦
鹿野道彦の5候補
11
親 小 沢 vs 反 小 沢
2011. 9. 10 No. 499
会場の会員は──
( )
●素材・判断材料の提供
最初の共同
会見になったので、第1部は素材・判
断材料の提供を一番の目標にした。今
の政治の水準、相次ぐ首相交代は、政
治を揶揄し、しゃものけんかを楽しむ
ような余裕はない。報道の素材、視聴
者・読者への判断材料の提供に多少と
も役立てば幸いである。
神志名泰裕
第1部代表質問
NHK解説委員
●「安心感」野田、「逡巡」海江田
いつものことながら候補者の政治姿勢
や政策、人柄の違いがくっきり出るよ
うにと心がけながら質問に臨んだ。海
江田氏に迷い、逡巡が見られたのに対
し、野田氏は政権運営を「雪だるま」
に例えるなど「安心感」を与える対応
●脱ドングリを
ドングリの…と評さ
れる面々が居並ぶ会見が年中行事にな
ったのは不幸なことだ。小泉後の5年
で6人目のドングリ選び?「歌手1年
総理2年の使い捨て」は竹下元首相の
弁だが、野田氏はせめて2年は務めド
ングリを脱してほしい。発言で「財務
省の枠」が気になった。
日本経済新聞コラムニスト
土谷英夫
●5人に気構えあるか
もはや民主党
に、2年間の失政を経験不足と済ます
言い訳は通じない。今回5人の候補に
投げかける質問にはいら立ちさえ感じ
た。その問いかけに答える候補者に、
国民や被災者の訴えを真正面から受け
止める気構えはあるのか。いやあって
ほしいと5人を凝視していた。
終了後、笑顔であいさつする野田、海江田 読売テレビ放送特別解説委員
岩田公雄
両候補
●危機管理欠如かわしたが(前原候補)
「本命」と騒がれた海江田氏と地元の
前原氏に特に注目。前原氏は焦点の外国
人献金問題や、偽メール問題での危機管
理欠如の指摘を、なんとかかわした。海
江田氏は歯切れが悪く、「親小沢氏」を
印象づけた。
京都新聞東京支社編集部長兼論説委員
鈴木哲法
●県民の目は厳しい(馬淵候補)
各世
代を代表するように5人が並ぶと代表選
らしくなった。馬淵氏が20人の推薦人を
集めたのは立派。だが、首相補佐官とし
てどれだけ仕事をしたのか。トップを狙
う前にすべきことがたくさんあると地元
の目は厳しい。
奈良新聞社取締役編集部長兼論説委員
小久保忠弘
●ユーモアも陰に(海江田候補)
海江
田氏のまじめさが、良くも悪くも出た。
支持を受けた小沢一郎元代表について聞
かれた場面では、余裕のなさが目立った
が、開き直るぐらいの切り返しが見たか
った。本来持っているユーモアも陰に隠
れてしまった。
大杉はるか
東京新聞政治部記者
●堅実さ、「信頼」につながるか(野田
候補) 財務相の立場を踏まえた野田氏
の主張は地味だし新鮮さもない。しかし、
約25年間続けた駅頭立ち同様、財源問題
に正面から向き合う堅実な姿勢は、民主
党に欠けている「信頼」の回復につなが
るのかもしれない。
今井慎也
千葉日報社政経部記者
●大ベテランに政治の現実(鹿野候補)
鹿野農相は県知事、JA、後援会の激
励を受けて戦いに挑んでいた。戦後初の
県出身の首相誕生に期待しつつも、大ベ
テランの熱弁に、前に進むことができな
い政治の現実を突き付けられる思いもわ
いた。
山形新聞東京支社編集部長 橘 拓
をしているのが印象に残った。
5人の地元紙記者は──
第2部代表質問
読売新聞特別編集
委員 橋本五郎
左から代表質問を務めた原田(日経) 倉重(毎日)
橋本
(読売)
星
(朝日)
の各企画委員と第1部の質問を担当した
神志名企画委員(NHK)
パネルディスカッション
2011. 9. 10 No. 499
討論会第1部は地震・津波報道を中心に 左からパネリストの岩手日報・熊谷
河北新報・大江の両記者 右は司会の瀬口企画委員
第14回 記者研修会(8.25、26)
8月恒例の記者研修会に、今年は過去最高の68社111人(新聞・通信40社68人、
放送28社43人)
が参加した。公益社団法人に移行したこともあり、
初めてクラブの
会員社ではない新聞協会、民放連加盟社にも参加を呼びかけ、計14社から出席が
あった。左記のようにびっしり詰まったプログラムの中で、
「日常の取材を振り返
り、
見つめ直す機会になった」と語る参加者の声を紹介します。
(29㌻に関連記事)
自身の取材経験も交え質疑応答も活発だった
8月25日(木)
◇12:00〜13:30 10階ホール
昼食会 笠間治雄検事総長
司会:河野俊史理事・毎日新聞取締
役編集編成担当 代表質問:瀬口晴
義企画委員(東京新聞論説委員)
◇13:45〜15:15 宴会場(9階) パネルディスカッション「地震・津
波・原発事故報道を振り返って」(第
1部)パネリスト:熊谷真也・岩手
日報前宮古支局長 大江秀則・河北
新報編集局報道部次長
◇15:25〜17:50 宴会場
パネルディスカッション「同上」
(第
2部)パネリスト:五十嵐稔・福島
民報報道部副部長 小野広司・福島
民友報道部副部長 長谷川玲・朝日
新聞東京本社社会グループ次長 近
堂靖洋・NHK科学文化部副部長
司会(1部、2部とも):瀬口企画
委員
◇18:00〜19:30 レストラン・ア
ラスカ(10階) 交流会
8月26日(金)
◇10:15〜11:45 宴会場
「調査報道」清水潔日本テレビ報道
局チーフディレクター 司会:瀬口
企画委員
◇12:00〜13:30 10階ホール
昼食会 広瀬弘忠安全・安心研究セ
ンター長 司会・代表質問:神志名
泰裕企画委員(NHK解説主幹)
◇13:45〜15:15 宴会場
「地震予知」島崎邦彦地震予知連絡
会会長 司会:川村晃司企画委員(テ
レビ朝日報道局報道企画部コメンテ
ーター)
◇15:30〜17:00 宴会場
「震災報道」佐野眞一ノンフィクシ
ョン作家 司会:倉重篤郎企画委員
(毎日新聞論説室専門編集委員)
討論会第2部は原発事故報道がテーマ 奥左から五十嵐・福島民報 小野・福島民友 長谷川・朝日新聞 近堂・NHKの各パネリスト
( )
●津波被害の現場にいた者として
●ミスリードしない報道の在り方
●多メディア時代の情報提供
東日本大震災について3月 日午 空間放射線量や食物に含まれる放 地震と津波、原発事故に襲われた
後2時 分の地震発生直後から「自
射性物質への国の暫定基準値をめぐ 「福島」をどのように報じていくか。
分に何ができるか、何をすべきか」
り、専門家の異論や消費者の不安・
研修会では、福島の人に必要な情報
と悩みながらの取材が続いている。
疑問は消えない。こうした中、国な
を届けつつ、被災地から遠い人に福
岩手県の復興は緒に就いたばかり。
どが発表した数値をどう報じるかを
島の現状を「共感」してもらえるよ
市街地の高台移転や漁業復興など地
各社内で議論し、悩みを抱えながら
う意識的に取り組んでいることを報
域の再生には時間が掛かる。今後は
判断している現状を知った。ミスリ
告した。低線量被曝の影響など専門
県民自身が古里を再興するという意
ードしない報道の在り方の一つとし
家の見解が分かれるテーマも多い。
欲を高めていくことが大事だと思う。 て「原発報道は不完全という前提で
ネットを中心に人々が様々な情報に
研修会に参加し、地方紙の記者とし
伝える」といった発言に共感しつつ、 触れるメディア環境のもとで読者に
て、津波被害の現場にいた者として
では、その中で報道機関として読者
情報提供をしていく難しさを参加者
被災者に寄り添う視点を持つ報道を
のニーズにどう応えていくのか。絶
とともに考えた。
続けたいとあらためて感じた。
えず検証が必要とも実感した。
朝日新聞東京本社社会グループ次
岩手日報社前宮古支局長(現・県 福島
長 長谷川
玲
民報社報道部副部長
警クラブキャップ) 熊
真也
五十嵐
稔
谷
20
●全国の記者の被災地注目に感謝
原発災害の長期化に伴い政府や国
民の関心が「風化」しないか、問題
提起したが、参加記者の被災地への
強い関心、現地に入った記者こそが
持つ問題意識に触れ、福島の発信に
感謝するとともに地元紙も刺激と力
をもらった。低線量被曝の問題には
「正 解 が な い 」 が、 そ れ で も「住 民
を守る」ため「真相に近づく努力」
をしたいという講師や参加記者の指
摘は的確であり、それぞれに共有で
きたと思う。原発報道の真の使命、
新たな展開に向け共に挑戦したい。
福島民友新聞社報道部デスク
小野
広司
●風化させないために
ディスカッションで心に残ったの
は、地元福島では、早くも「事故を
風化させないでほしい」という声が
出ているという発言だった。事故に
ついてテレビ、新聞、ネットが、多
種多様な情報を洪水のように発信す
る一方で、半年も経たないうちに、
事故に距離を持ち始めている人もい
る。事故の真相、本質は何なのか?
本当に困っているのは誰なのか?
取材を積み上げ、伝えていきたいと
思っている。
NHK科学文化部デスク
近堂
靖洋
討論会「地震・津波・原発事故報道を振り返って」 パネリストとして
11
●時間とともに変わる課題に応えて
東日本大震災で、新聞は情報媒体
としての価値が再認識され、信頼性
を高めたとされる。未曽有の大災害
を記録、検証する作業と同時に、多
くの人から寄せられた期待と信頼を
維持していくには、被災者、そして
読者が求める記事を発信し続ける必
要がある。被災地が直面する課題は
時間の経過とともに変質している。
復興には 年、 年を要するとされ
る。その長い道のりを、被災者に寄
り添いながら報道し続けることの大
切さをあらためて肝に銘じた。
河北新報社報道部次長 大 江
秀則
社の枠超えて共有した経験
コーディネーターの感想
パネルディスカッション第1部の
冒頭、こんな呼び掛けをさせてもら
った。「被災地の取材はまさに現在
進行形。その真っただ中で取材をし
ている私たちの責任の重さを自覚し
たい。現場の記者は何ができて、何
ができなかったのか、経験を共有す
ることで今後の取材を実りあるもの
にしていきたい」と。
自ら被災者となった記者の生々し
い取材体験や記者を送り出すデスク
の苦悩、困難な原発取材に挑む記者
やデスクたちの思いを存分に聞くこ
とができた。質問も活発で「社に戻
って議論したい」と語ってくれた記
者もいた。会社の枠を超えて、共有
した経験が財産になってくれるなら
望外の喜びである。
企画委員
東京新聞論説委員
瀬口
晴義
( )
46
10
2011. 9. 10 No. 499
震 災報 道を考える
テーマ別 研究 会
日本テレビ報道局チーフディレクター
震災報道
佐野眞一 ノンフィクション作家 (
HP動画)
( )
調査報道
清水潔 地震予知
材手法「現場100回」は、決して
て、美談が多す
●「現場100回」やってみよう
●言葉を失う体験にこそ
簡単なことではない。でも、上司な
ぎた点を批判し
ああ耳が痛い痛い…。清水さんの
ど環境のせいにせずまずはやってみ ノンフィクション作家の佐野眞一
ていた。確かに
口から発せられ
よう。これからも、飲み屋でジャー
さんは「震災報道」をテーマにした
感動的なヒュー
る言葉は、私の
講演で、徹底的に現場を取材する重
マンドラマをよ
ナリズムについて語ることが許され
耳に強烈な痛み
るように。
要性を報道機関に身を置く私たちに
く目にした。そ
を持って突き刺 北海
訴えたのだろうと感じた。
れは記者が現場
道テレビ放送報道情報局報道
さ っ た。
「今 の
部社会班 河野
暁之 東日本大震災の各社の報道につい
で意図的に美談を探し、他のことは
マスコミは役所
排除していた結果の表れだったので
や警察の担保を
はなかったか。
島崎邦彦 地震予知連絡会会長
求めているだけ」
「ど こ に 真 実 を 追
佐 野 さ ん は「(現 場 に ) 行 っ て、
込んだ。
プレートのずれは最大 ㍍に
見て、考え、言葉を失って、言葉が
求する姿勢があるのか」…。
●正しく恐れる情報提供できるか
も及んだ。「地震学の敗北」。このよう
出てくる」と表現した。取材する前
数年前の政治記者時代、選挙など
な言葉まで使い悔しさをにじませた。
の想定を超え、現場で初めて気付く
の情報を失うリスクも覚悟して、多 マグニチュード(M)8・0が想
ことは多々ある。だからこそ、現場
くの議員の不適切経理を報道し続け
定され、いつ起きてもおかしくない 大震災を契機に、静岡県民だけで
なく、巨大地震の発生が懸念される
取材が記者活動の基本だと言われる
た。案の定、議員らとの関係は悪化
とされる東海地震。静岡県民はこの
したが、それほど痛手はなかった。
震源域とともに生きている。東海地
地域の住民は、これまでの想定を上
のだろう。
少し取材が面倒になっただけで、根
震と戦い続けているとも言える。国
回る被害が起きるのでは─と不安を 私は震災以降、被災者に寄り添っ
気良く取材していけば、以前と同程
や県の被害想定を基に自治体や企業、 募らせているだろう。
た取材を心掛けている。しかし日々
度 の 情 報 は 取 れ た。
「結 局 は 覚 悟 の
県民はこれまでに、さまざまな対策 島崎会長は「今回のような地震に
の忙しさにかまけ、それを怠ってい
を講じてきた。
完全に対応することは無理」との認
たのではないかと反省できた機会だ
問題」と理解していたはずだった。
だが、
東日本大
識を示し「完全性を捨て、地震を正
った。これまでの取材で欠けていた
いま社会部の記者として、北海道
震災後、その対
しく恐れることが必要」と締めくく
のは何だったのだろうか。苦しさや
警察本部の記者室に常駐し、警察か
策は早急な見直
っ た。「正 し く 恐 れ る 」 た め に 必 要
悩み、喜びなど取材対象者が内面に
らの情報を集め、原稿化・映像化す
し を 迫 られてい
なことは「情報」だ。我々の責任も
抱えているものに迫っていく意気込
る毎日。捜査機関にとっての
「事実」
を、広報マンよろしく発表している
る。島 崎 会 長 は
重い。減災や自助につながる防災力
みを持ち、被災者の声を読者に伝え
だけと言われても、反論できない自
今回の震災被害
が備わるようしっかりと伝えたい。
ていきたい。
分…いら立ちを覚えた。
を「想 定 外 」と し た。広 い 浸 水 域 と 破 静岡新聞社編集局社会部記者
福島民報社社会部記者
清水さんが真実にたどり着いた取
壊力を併せ持つ高波はすべてをのみ
宮崎
浩一
佐藤
昌之
2011. 9. 10 No. 499
50
2011. 9. 10 No. 499
昼 食 会
出席
人
HP動画
161
広瀬
弘忠
安全・安心研究センター長
東京女子大学名誉教授
出席
人
HP動画
会員も参加の昼食会
126
会員も参加の昼食会
( )
検事総長
笠間
治雄
12
織の話題で口が重くなる傾向がある
んびり構え、部屋を出ようとしない
●可視化
直感ではない説得力を
●正常性バイアス 取材者も自戒を
が、「件 数 が 少 な く、 評 価 で き る 段
被 験 者 に 自 分 を 重 ね、 心 細 く な っ
階じゃない」という。
笠間治雄・検事
「人 間 は 避 難 す る の が 難 し い 動 物
た。
大阪地検の不祥事を「過
総長は裁判員裁判
だ 」。 冒 頭、 こ う 切 り 出 し た 広 瀬 弘 年の福島・飯坂温泉旅館火災の
度に供述調書に依存した捜
と組織改革、取り
忠・東京女子大名誉教授(災害心理
取材を思い出した。大量の放水で深
査が根本的に間違っていた」 学)の話に引き込まれた。死者・行
調べの録音・録画
夜いったん鎮火し、1階部分に記者
と 改 め て 語 り、「結 論 あ り
(可 視 化 ) の 3 点
方不明者2万人以上の東日本大震災
やカメラマンが入った。入社3年目
きの調べは録音・録画でや
について語った。
を踏まえ、危機に直面した人の心理
の私も深く考えずその群れに加わり、
や 行 動 を 解 き 明 か し て い く。「津 波
なかでも関心が集まった話題は可
りにくくなる。(取り調べ検事は)嫌
惨状に夢中でシャッターを切った。
てんでんこ」(「津波の時は肉親に構
視化だと思う。笠間総長は落語のよ
がるけど、取り組んでもらうよう仕
しばらくして外へ出た直後、建物に
うに一人二役を演じて話し始めた。
向けていかねばならない」と結んだ。 わず、各自てんでんばらばらに高台
充満した引火性ガスで自分のいた場
検事「本当にやってないのか」
ま た、「や る べ き こ と は 捜 査 の 充
へ逃げろ」という三陸地方のことわ
所 が 再 び 爆 発 炎 上 し、 腰 を 抜 か し
実。公判に精力を取られて根っこが
ざ)は一種のパニック状態だが、広
容疑者「う〜ん、本当のことしゃ
た。中にいたら助からなかった。幸
べっちゃおかなぁ」
腐っている」とも語った。私は大阪
瀬氏は「人は危機に際してパニック
い、他の記者も無事だった。
このように否認から自白に移る説
で検察担当になって2年になるが、
を起こさず、むしろ凍り付く」と解 この経験は正常性バイアスとは直
得過程を撮影すると調べの進行が止
裁判員裁判に力が注がれる半面、特
説する。人は迫り来る危機を楽観視
接 絡 ま な い か も し れ な い が、「他 社
し続け、最後にどうにもならなくな
ま り、
「能 力 あ る 取 調 官 で も 供 述 さ
捜部に対する内部のチェックが十分
もいるので大丈夫」という楽観があ
って思考停止に陥るというのだ。
せられなくなる。簡単に全面可視化
機能しなかったことが、証拠改ざん
った。 年の豊田商事会長刺殺事件
という訳にはいかない」と訴えた。
事件の背景にあったと思う。
楽観視の傾向を、異常を正常の範
で、現場にいた報道陣が何もできず
未検証なのに、なぜ難しいと決め 笠間総長は柔和な語り口で、特捜
囲内と錯覚する「正常性バイアス」
に批判を浴びたケースなども示唆的
つけるのか?
記者の一人から質疑
歴 年の「現場派」ならではの視点
という。別の目的を告げて被験者を
だ。災害や事件の現場で大勢の報道
で 突 っ 込 ま れ る と、
「だ か ら 全 過 程
で話した。ただ、全面可視化につい
部屋で待
陣に混じって取材する際、興奮状態
を含めて試行して検証する。ただ長
ては結論ありきの印象も受けた。来
たせ、煙
の中で危機への感覚が鈍る。こうし
年の経験から、駄目だろうというの
春に公表される検証結果では、検察
を流し込
た取材者特有の心理を自戒しなけれ
は直感でわかること」と反論した。
の世界だけでわかる「直感」で済ま
む実験が
ばならない。広瀬氏の刺激的な問題
特捜部・特別刑事部による可視化
せない説得力が求められる。
興味深か
提起を受けて、そう痛感した。
の実施件数は7月末までに、 人に 朝日新聞大阪社会グループ
った。驚 毎日新聞社会部 井上
英介
計101回。容疑者は家族や所属組
野上
英文
くほどの
18
94
86
参加者の声
を危ぶむ社内の声に対しては、十二
分な取材と説明しかないことも。お
っさん記者の青臭い言葉を、日頃記
者クラブで取材を続けている記者た
ちはどう感じてくれただろうか。現
場で迷った時、困った時に、何か一
だ。
清水
潔
つでも思い出していただければ幸い
日本テレビ
●印象に残ったのは、初日のパネル
●報道記者としての役割や姿勢を見
デ ィ ス カ ッ シ ョ ン(第 2 部 )。 原 発
詰め直した2日間だった。中でもパ
事故報道に関する4氏の言葉の中で
ネルディスカッションと「調査報道」
「検 出 数 値 を 淡 々 と 」 と い う 姿 勢 に
清水潔氏の講演が印象的で、今後の
共感を覚えた。交流会では年齢の近
自分自身の在り方を考えさせられた。
い記者と懇談でき、有意義な時間と 下野新聞社 柴田
大輔
なった。
●「安否が確認された後、前線に出
秋田魁新報社
小林
智彦
て 殉 職 し た 記 者 」(福 島 民 友・ 報 道
●座学の研修と聞き、参加前は眠気
部 デ ス ク )「原 発 ㌔ 圏 内 の 出 来 事
を誘う講義なのかと思ったが、1、
を報じる義務がある」(佐野眞一氏)。
2日目とも非常に興味深いプログラ
どこまで立ち入りどこまで報じるか。
ムばかり。講師やパネリストの話を
葛藤は原発や津波に限らず記者であ
一言も聞き漏らすまいと必死だった。 る限り続く。同じ思いを抱える記者
機会があればまた参加したい。
が全国にいたことに、力強さと勇気
山形新聞社
菅原
武史
をもらった。
●佐野眞一氏の「怒りを持っていな 日本経済新聞社 山田
薫
い限り人の心を打つ文章は書けない。
言葉を失う体験が一番大事」という
言葉が印象的だった。自分自身、被
災地で言葉を失った体験をしたが、
それをどのように表せばよいのか、
今でも結論は出せていない。今後も
考え続けたい。
NHK山形放送局 佐藤
滋
●清水潔さんの講演を通じて「発表」 ●震災報道について、メディアがそ
の裏にある事実に迫る報道本来の使
れぞれの視点で何をどう伝えるべき
命を再認識した。東京電力福島第一
なのか苦悩が見えた。現地へ入るこ
原発事故の被災地の記者として、政
との大切さを痛感すると共に、被災
府や東電と数十年向き合う覚悟を固
地での取材を通じて、一つひとつ問
めることができた。
題を解決していきたいと思った。
福島民友新聞社 菅野
篤司 日本農業新聞 山田晃太郎
不思議と勇気が
地方紙の使命とは
20
向き合う覚悟
裏にある事実
続く葛藤
( )
■刺激からの出発
剣な眼差しの中、二つの事例を軸に
日本中から集まった記者たちの真
して「調査報道」について語った。
過去の経験から、警察不祥事の「桶
川事件」
、冤罪と同一犯による連続
事 件 の 可 能 性 を 指 摘 し た「足 利 事
件」
。発表に頼る報道がどれ程危う
いことかをお伝えしたつもりだ。
そして取材先の説得や、独自報道
100の取材して10を書け
未曽有の大災害に直面した被災地の記者たちの生々しい
取材体験や苦悩を聞く
た経験と研修で学んだ講師の方々の
体験談や、全国の記者と交わした議
論を今後の仕事に役立てたい。
青森放送 内山
匠
10
●佐野眞一さんの言葉がずきずきと
心に刺さった。新聞記者になって
年目。私は記者として、何もしてい
なかったんだと気付いた。でも、不
思議と「やってやる」と勇気が沸い
てきた。
北海道新聞社 徳永
仁
●当社からは初めての参加。地方で
は学べない有益な情報を得ることが
でき、満足している。特に1日目の
パネルディスカッションでは、地域
に根を張る地方紙としての使命を全
うする心を学ぶことができて、大き
な宝物を得た気持ちだ。
苫小牧民報社 姉歯百合子
●自身で調べ、目で見て正確な情報
を集める調査報道の重要性をあらた
めて感じた。未曾有の災害を取材し
2011. 9. 10 No. 499
●自ら被災しながらも、取材に当た
震災報道の実際や地震予知の話は特
る記者たちの葛藤と信念。そして佐
に参考になった。記者としての心構
野眞一氏の語るメディアのあるべき
えを自問する機会にもなった。地を
姿。
問題が山積みの中、
これからも報
這う取材を心掛けたい。
道に携わる者として、何をどう伝え 市民タイムス(長野・松本)
ていくか。
私も考え続けていきたい。
赤羽
洋輔
日本テレビ 杜
雲翼
●3・ はメディア環境が変わる中
で の「災 」。 調 査 報 道 や 佐 野 氏 の 講
演に加え、地元、中央4社のパネル
デ ィ ス カ ッ シ ョ ン で は、「大 き な 物
語」が語れなくなった現代における
記者のあり方を考えさせられた。
山梨日日新聞社 雨宮
悠希
●自らも被災した岩手日報記者の体
験談は、身につまされた。入念な事前
●取材が足りない場合、過大な表現
準備にかかわらず、混乱した震災直
に逃げたくなることもある。印象に
後。顔見知りの死に直面する地元記
残ったのは「100取材しても書く
者ゆえの苦悩。誰に何を伝えるか、
のは 」との言葉。報道される 倍
報道の原点を再確認できた。
を現場では取材しなくてはならない。 中日新聞社 加藤
弘二
取材することの苦労を改めて知った。
●事故から半年たった今でも、初期
BS TBS
多田
裕貴
報道についての反省や今後の報道の
●「得体の知れないもの」と対峙し
在り方がはっきり打ち出せない議論
悩む福島の記者の報告に共感した。
に、現場を実際に目で見ることがで
低線量の放射能汚染をどう捉え、紙
きない原発事故の報道のむずかしさ
面でどう伝えるか。安全とは何なの
を改めて痛感した。
か。
「数 字 を 客 観 的 に 淡 々 と 伝 え る NHK福井放送局 副島
晋
しかない」
。その通りなのだが…。
●「マ ス コ ミ は も う 駄 目 だ 」。 清 水
新潟日報社
野上
丈史
氏の指摘に、 年前、別の研修会で
同じ言葉を聞いたことを思い出し
●大地震の発生確率が高いとされる
た。マスコミに危機のない時代など
活断層を発行エリアに抱えており、
2011. 9. 10 No. 499
参加者の声
取材の厚さ
10
−
何をどう伝える
記者の在り方
問い続ける
被災地記者に共感
10
11
20
慣れ・諦めはNO
検察トップの肉声
救助か取材か
風化させないで!
地震・正しく恐れる
●津波にのみ込まれる市民を間近に
して、救助か取材か、という状況に
置かれた岩手日報の記者の話を聞き、
自分ならどういった動きができるの
か考えさせられた。
NHK岡山放送局 堀
征巳
●笠間治雄検事総長をゲストに招い
た昼食会は、検察に厳しい視線が注
がれる中、トップの生の声を聞く貴
重な機会だった。裁判員制度の見直
しや取り調べの録音・録画試行がど
交流会では各テーブルで活発に意見交換が行われた パネ
リストの河北・大江さん(右から2人目)も体験談の続きを
( )
ないのだろう。ならば、私たちには
担う。被災者の思いに政治はこたえ
慣れも諦めも許されない。思いを新
ているか。阪神・淡路大震災を経験
たにした。
したメディアの一員として問い続け
京都新聞社
北村
哲夫
たい。
佐藤
健介
●3月 日から岩手で取材を行った。 神戸新聞社 当時は、故郷の岩手の被害状況が悲
●クラブ員ではないが、今回初めて
惨で、現状を伝えるだけで手いっぱ 「研修会」に出席させていただいた。
いだった。震災以後、取材活動を見
全国の記者から受けた刺激や、研修
直す機会がなかったので、研修会は
で学んだ取材の精神や技術を、今後
いい機会になった。
の活動に生かしていきたいと考えて
テレビ大阪
藤村可那子
いる。
●東日本大震災報道に関するパネル サンテレビジョン 立石
望
討議を聞き、被災地に寄り添う記者
の熱意に触れた。今私は国政取材を
12
う進むのか。引き続き注視していき
たい。
中国新聞報道部 松本
恭治
●清水さんの「環境のせいにしてほ
しくない」という言葉に、ここ最近
抱えていたジレンマを言い当てられ
た よ う な 気 が し た。
「多 少 で も 世 の
ため人のため」同じ取材でも、気持
ち一つで結果が、世界が、変わるの
だと思った。
テレビ新広島 竹下
千晶
●東北の被災地に取材に行っていな
いこともあり、実際の災害時にどう
対応して取材を続けたのか興味深く
聞いた。清水氏には、記者とは何か
という根源的な問いを投げかけられ
たように感じた。事実を伝える、で
は何を「事実」と認識するのか。記
世のため人のために真実に迫るのが
者 の 技 量 が そ こ に 現 れ る と 思 う。
私の調査報道」という清水潔さんの
生々しい体験談に、知らずうちに胸
言葉が胸に刺さった。学んだことを
が高鳴っていた。
実践し、血肉にしていきたい。
四国新聞社
森田
桂介 西日本新聞社 坂本
信博
●「原発事故が福島だけの問題にな
●研修会では、現場で見た・探した
り風化していかないか心配」
。パネ
情報を多くの人に伝えるという記者
リストの地元紙記者の話が最も印象
としてのあるべき姿を再認識させら
に残った。地元に原発がある同じ地
れた。最前線の情報に触れるやりが
方紙として今後報道すべき、勉強す
いと責任を感じつつ、事件事故の裏
べき課題は山積みだと感じた。
にある真実の追求にまい進していき
愛媛新聞社
小田
良輔
たい。
●「警察や行政の担保を求めず、自 九州朝日放送 吉丸
耕平
分で直接見聞きしたものだけを信じ、 ●「地震を正しく恐れる」─。島崎
「福島」
と
「沖縄」と
原発報道の難しさ
伝え続ける大切さ
邦彦・予知連会長の揮毫された言葉
震災と規模は違うが、災害報道の難
しさ、読者に伝えるべき情報の在り
を 聞 き、「報 道 す る 我 々 は、 正 し く
方について考えさせられた。研修会
恐れてもらうために専門家と住民の
を通して各界の専門家の意見やメデ
間の適切な橋渡し役にならなけれ
ィアに対する見方を知ることができ
ば」と強く思った。
宮崎日日新聞社 吉岡
智子
た。また、清水潔氏、佐野眞一氏の
●被爆地にある新聞社の記者として、 講演では報道活動の在り方、記者の
原発事故報道についての話は興味深
姿勢について学び、大変勉強になっ
く聞かせてもらった。福島と同じく
た。
放射線の被害を受けた長崎だからこ 南海日日新聞社 向
慎吾
そできる報道の在り方について考え
●福島地元紙からの「風化を防ぐ」、
ていきたいと思う。
「福 島 を 忘 れ な い で 」 と の 言 葉 が と
長崎新聞社
荒木
竜樹
ても印象に残った。基地も原発も「沖
縄の」、「福島の」問題ではなく日本
●とうに「一線」でないので躊躇し
たが、内容に惹かれ志願。福島第一
全体の問題であることを伝え続ける
原発事故をめぐる取材や伝え方の苦
ことが大切だと再認識した。
悩を直接うかがい、改めて原発報道 琉球新報社 仲井間郁江
の 難 し さ を 思 い 知 ら さ れ た。「関 心
を持ち続けて!」地元からの訴えが
心に重く残る。
長崎放送 森光
正子
●奄美大島は昨年 月、未曾有の集
中豪雨に見舞わた。今回の東日本大
胸高鳴り聞いた
10
「被爆」
そして「被曝」
参加者の声
2011. 9. 10 No. 499
最後のプログラム・佐野さんの講演会終了後も 多くの
記者が残り 佐野さんに質問を続けた
関心の「取り調べの可視化問題」をぶつける 笠間
検事総長昼食会
( 10 )
全 国 か ら 111 人
研修会参加者
<新聞>
野上 英文
西山 貴章
大谷 聡
井上 英介
山田 薫
柘植 昌行
山田晃太郎
正木 憲和
徳永 仁
細川 智子
松本 創一
月舘 慎司
赤石 昌之
小林 智彦
斉藤 賢太郎
近岡 国史
菅原 武史
佐藤 昌之
菅野 篤司
戸島 大樹
柴田 大輔
石崎 倫子
田付 智大
市古 昌也
斉藤 裕介
雨宮 悠希
鈴木健二郎
宮﨑 浩一
牧野 容光
澤木 範久
山内悠記子
末松 茂永
横井 武昭
小中 寿美
小川 慎一
福田 真悟
永山 陽平
山口 哲人
石井 宏樹
加藤 弘二
鷲見 進
野上 丈史
風間 栄治
室田 雅人
湯浅 晶子
小林 真也
北村 哲夫
佐藤 健介
松本 恭治
山本 洋子
森田 桂介
森田 康裕
小田 良輔
坂本 信博
荒木 竜樹
渡辺 哲也
百﨑 浩嗣
2011. 9. 10 No. 499
計68社 111人
(社名会員名簿順 *非会員社)
朝日新聞社大阪本社社会グループ
〃 大阪本社社会グループ
〃 大阪本社社会グループ
毎日新聞社社会部遊軍
日本経済新聞社編集局社会部裁判所クラブ
日本農業新聞農政経済部
〃 写真部
時事通信社社会部
北海道新聞社本社報道本部遊軍
〃 東京支社報道センター遊軍
〃 東京支社報道センター遊軍
東奥日報社東京支社編集部次長
秋田魁新報社東京支社編集部長
〃 整理部
〃 報道部
山形新聞社報道部
〃 整理部
福島民報社編集局社会部
福島民友新聞社編集局報道部
茨城新聞社土浦つくば支社
下野新聞社社会部県警担当
〃 政経部経済担当
埼玉新聞社編集局報道部、
県警記者クラブ
千葉日報社編集局社会部、千葉社会部記
者会
山梨日日新聞社地域報道部
〃 企画報道グループ
静岡新聞社整理部
〃 社会部、静岡県社会部記者ク
ラブ
信濃毎日新聞社報道部
中日新聞社東京本社編集局次長
〃 東京本社編集局社会部
〃 東京本社編集局社会部
〃 東京本社編集局社会部
〃 東京本社編集局社会部
〃 東京本社編集局社会部
〃 東京本社編集局社会部
〃 水戸支局
〃 さいたま支局
〃 岐阜支社報道部、県政
〃 三重総局、遊軍
岐阜新聞社報道部デスク
新潟日報社報道部(生活面担当)デスク
〃 整理部デスク
北日本新聞社東京支社編集部
〃 社会部
福井新聞社福井県司法記者クラブ
京都新聞社論説委員室論説委員
神戸新聞社国会11社編集部員
中国新聞社報道部県警記者クラブサブキ
ャップ
〃 東京支社編集部
四国新聞社報道部県警クラブ
愛媛新聞社社会部
〃 八幡浜支社編集部
西日本新聞社東京支社報道部、
厚労・環境
長崎新聞社報道部
熊本日日新聞社東京支社、環境省
大分合同新聞社報道部記者
斎藤 僚一
吉岡 智子
新垣 亮
仲井間郁江
長尾 浩道
浅川 寛子
赤羽 洋輔
向 慎吾
井上 昌之
姉歯百合子
北澤 卓
<放送>
井口 貴雄
佐藤 滋
岡田 宜子
副島 晋
平山 昇
堀 征巳
土屋 悠志
森山 剛
須賀 川拓
宮下 哲
小林 史
鈴木あづさ
杜 雲翼
宮島 弘樹
森林 華子
今野 秀隆
山口 博之
菅 昌修
藤村可那子
中原 達也
河野 暁之
宮谷 彩
内山 匠
峰島 孝斉
田中 佑弥
土方 宏史
中川雄一朗
清水 健太
竹下 千晶
吉丸 耕平
田嶋 炎
太賀 慎一
和栗 早苗
谷口 大二
高島 英弥
池川 泰介
長嶋 徳哉
岡山 友美
加藤 拓也
立石 望
日野 克寿
森光 正子
多田 裕貴
( 11 )
宮崎日日新聞社報道部、宮崎県政
〃 報道部次長
沖縄タイムス社編集局社会部
琉球新報社東京支社報道部
*市民タイムス本社報道部
〃 安曇野支社報道課
〃 東筑・北安報道室キャップ
*南海日日新聞社編集局報道部
*新日本海新聞社報道部鳥取県政記者クラブ
*苫小牧民報社編集局社会部
*いわき民報社編集製作局編集部
NHK札幌放送局
〃 山形放送局
〃 横浜放送局
〃 福井放送局嶺南報道室
〃 大阪放送局
〃 岡山放送局
〃 福岡放送局
〃 高松放送局
TBSテレビ社会部
日本テレビ報道局司法クラブキャップ
〃 報道局文科省記者クラブ
〃 報道局社会部デスク
〃 報道局ニュースセンター「news
every.」ディレクター
〃 報道局経済部財界日銀担当
テレビ朝日ディレクター、報道発ドキュ
メンタリ宣言
フジテレビ司法記者クラブ
テレビ東京報道局取材センター
〃 報道局ニュースセンター
テレビ大阪報道スポーツ局報道部記者、
府警・司法記者クラブ
北海道放送報道部警察・司法担当
北海道テレビ放送報道部、警察クラブキ
ャップ
北海道文化放送報道部社会班担当
青森放送県警記者クラブ
静岡朝日テレビ報道制作局報道セクショ
ンニュースデスク
〃 報道制作局報道セクショ
ン県警担当、社会部記者クラブ
東海テレビ放送報道スポーツ局報道部
中京テレビ放送県警記者クラブ
中国放送県警記者クラブ
テレビ新広島報道制作センター県警察記
者クラブ
九州朝日放送報道部記者、警察担当
日本民間放送連盟番組部長
日本BS放送報道局
〃 放送報道局
*ビーエスフジ編成・報道局
〃 編成・報道局
*エフエム群馬報道部記者
*テレビ新潟放送網報道部司法記者クラブ
*三重テレビ放送報道制作局報道制作部、
県警、津司法記者クラブ
*群馬テレビ報道制作局報道部
*サンテレビジョン報道部神戸民放記者ク
ラブキャップ
*テレビ愛媛司法担当県警記者クラブ
*長崎放送東京支社編成業務部長、
報道担当
*BS−TBS報道部
震災報道のいま
犠牲現場を検証
22
武田 真一
( 12 )
60
20
11
どんなに時を経ても浜の現実
から目を背けぬよう、自戒を込
めて「舫(もや)い〜浜に生き
る」を連載している。
リアス式海岸の岩手県沿岸
を負っていた。
災害報道は記録に尽きる。ど
上げた。600人が孤立し、ヘリに
好漁場三陸沖に臨み、漁業と地域
こで何が起きたか。生死の分か
救助を求めるためB4のコピー紙を
が密接に関わり合ってきた本県沿岸。
れ目は何だったか。記録は教訓
並べて作ったのがSOSの文字だっ
有史以来幾度の津波に襲われてきた
となり、後世の防災、減災につ
た。食料も医療救助も届かない中で
が、漁師は海を憎まず、再び海にこ
ながるからだ。河北新報の紙面
1週間、児童や教員がスティック砂
ぎだし、海の恵みを糧に集落を再建
糖をなめて飢えをしのいだ様子も記
作りは一貫して記録重視で進む。発
してきた。未曽有の大災害となった
録した。
生2カ月の節目を期して社会面で始
東日本大震災からの復興にも、漁師
めた連載「ドキュメント大震災」は 「ド キ ュ メ ン ト 大 震 災 」 は、 避 難
の心の復興が欠かせない。
に焦点を絞った「逃げる
その時」
その核になった。
「舫 い 」 は 記 者 が 交 代 で 一 つ ひ と 震災直後から断片的に伝えてきた
などのシリーズを重ね、8月末時点
つ漁港を回り、7月6日付朝刊から
で掲載は 回近くになった。並行し
出
来
事
を
整
理
し
、
現
場
を
再
度
訪
ね
て
週に6度のペースで連載している。
て「証言
3・ 大震災」という特
証 言 を 集 め、 掘 り 下 げ る。「そ の 時
当初は復興を目指す漁師の姿を描 何が」と題した最初のシリーズは
集記事も1面から社会面に展開する
いた記事が多かった。悲しみを押し
形式で 回近く随時掲載した。多数
6月初めまで 回続いた。
殺し、しゃにむに立ち上がろうとす 津波襲来後に火災が発生し、街が
の犠牲が出た学校や施設など象徴的
る姿に、痛々しさを感じることもあ
な現場の徹底検証を続けている。
焼き尽くされた気仙沼市鹿折地区の
った。しかし最近は、夏祭りや郷土
ルポでは、3㌔先の岸壁にあった石 未曽有の災害となった大震災は伝
芸能の復活など、漁師が自然に日常
えなければならない現場がまだまだ
油タンクが地区に漂着したこと、そ
を取り戻そうとする姿が見られる。
ある。それらを継続的に地道に追い
のタンクは空だったこと、火の手は
人生の短さを考えれば、あまりに
続けることが最大被災地を発行地域
海と陸両方から上がったことなどを
遅い復興の歩み。それでも被災地は、
記 録 し た。「水 を
に持つ新聞社の責務と考える。
一歩一歩前へ進もうとしている。
かぶった地で火災 もちろん記録の対象は震災直後の
「舫 い 」 は、 舟 と 舟 と を つ な ぎ 合
が起きるなんて
出来事にとどまらない。生き残った
…」と住民。津波
わせることや、寄り添って一緒に仕
被災者がどんな苦難を強いられ、何
被害の多様さがあ
事をすることを指す。われわれは岩
に希望を託して暮らしているか。半
手の地方紙として、被災者と心を一
らわになった。
年を機に被災地の現状を見つめ、記
つに復興への道を歩みたい。そのた
「屋上のSOS」 録し、復興の道を展望する紙面展開
めに、記者は今日もどこかの漁港を
は、発生2日後の
に力を入れることにしている。
訪れ、漁師の声に耳を傾けている。
紙面に掲載した石
(たけだ・しんいち)
巻市の学校屋上の
1
981年入社
20 0 9 年 か ら 報 道
部長
SOS写真を取り
(おおたしろ・たけし)
19 9 6 年 入 社
20 10 年 か ら 報 道
部次長
河北新報
記録重視の紙面作り
岩手日報
は、大小111漁港のうち108漁
港が被災した。漁師は漁船や養殖い
かだなど、生活のすべの大半を奪わ
れた。
被災から1カ月が過ぎたころ、各
地の漁港はまだ大量のがれきに覆わ
れていた。一方、県などの復興策は
二転三転。復興の道筋は見えなかっ
たが、
漁師たちは毎日浜に出て、
黙々
とがれき撤去に励んでいた。
野田村漁協野田養殖組合の小谷地
勝 組 合 長( ) は、
「組 合 員 人 の
心を海につなぎ留めるため、とにか
く一歩を踏み出さなければ」と、つ
ぶやくように話した。
「今 は こ う や っ
て仲間が集まり、
浜で一緒に働くし
かない。一人で失
った物のことばか
り考えていたら、
気がおかしくなっ
てしまう」とも。
無残に破壊され
た漁港と同じよう
に、漁師の心は傷
42
太田代 剛
特集 3.11から半年
2011. 9. 10 No. 499
浜に生きる漁師と
「心の復興」
をともに
12
2011. 9. 10 No. 499
特集 3.11から半年
政府や東京電力
毎日、1ページを割いている「ふく
東日本大震災で
を送ってきた村が放射能に汚染さ
は福島第一原発事
しまは負けない」は被災者を励ます
地震、津波、東京
れ、全村避難を選択させられた村民
故に伴う記者発表
活動や、避難所・仮設住宅で暮らす
電力福島第一原発
の苦悩を掘り下げた。第2シリーズ
を連日、続けてい
人々の切実な思いを紹介してきた。
事故の複合災害に 「押 し 寄 せ る 危 機 」 で は、 原 発 を 襲
る。だが、福島県
社会面を中心にした「今を生きる」
見舞われた福島県
った津波への政府や東電の危機管理
民が知りたい情報
は、災害の連鎖が
は、明日を信じて前に踏みだそうと
の不備を追及。放射線から子どもを
としてはスピード
続いている。原発
している被災者や、復旧・復興に取
守る危機管理について、小型線量計
感 に 欠 け、
「質 」
から放出された放
り組む人々を取り上げている。7月
配布や通学路の除染の必要性を提言
も「量」も不足し
から始めた「原発大難」は放射性物
射性物質の影響の
した。
ている。
質と向き合う県民や自治体の取り組
広がりは収まらな 第3シリーズ「溶け落ちた安全」
福島県の厳しい
み、古里への帰還や絆の再生を目指
い。避難を強いら
では原発事故の原因検証に取り組ん
す動きなどを追い掛けている。
だ。データを拾い集めながら専門家
現実や県民の声を県内外に訴えるた
れた住民の帰還のめどはたたず、避
の分析を交え、原発の「安全神話」
めに、8月から「3・ 大震災
断 毎夏の終戦記念日の前後に連載し
難区域以外でも、多くの住民が被曝
て い る 戦 後 企 画 は 今 年、「被 爆 そ し
が崩壊していった経緯を報告した。
面」の連載企画を始めた。1面と社
への「見えない不安」にさらされて
て被曝
戦後 年目のふくしま」の
第 4 シ リ ー ズ「安 心 の 行 方 」、 第
会面を中心に、政治、経済、社会、
いる。
タイトルで、半世紀余りの時を隔て 原発事故では、放射性物質が管理
5シリーズ「守り育てるために」で
暮らしなどの幅広い分野の中から取
た放射能に焦点を当てた。
は、自主避難を選択した母子や、線
材テーマを選んでいる。毎日のニュ
区域の外に拡散する事態の想定がな
量測定や除染で放射性物質と向き合
ースの「断面」を切り取り、そして 震災から半年がたつが、事故収束
く、政府や東電の対応は「遅さ」と
の行方は依然として見えてこない。 「ま ず さ 」 を 強 く 印 象 づ け た。 こ う
おうとしている住民の姿、教育現場
掘り下げ、背景や課題、見通しを浮
放射性物質による深刻な汚染状況が
をリポート、安心を取り戻すための
き彫りにすることが大きな狙いだ。
した状況で始めたのが、連載企画「福
ようやく分かりだし、政府は住民の
手だてや課題を探った。放射性物質
これまでに掲載した内容は、放射
島原発・災害連鎖
3・ から」だ。
帰宅までに 年以上かかる地域があ
の影響について、専門家で分かれる
性物質に汚染された学校や農地の除
原発事故を含めた複合災害の実相に
るとの試算を示した。福島県が地震・
見解の分析なども織り込んだ。
染、行き場のないがれきや汚泥の処
迫り、政府や東電、行政の対応の検
理、
避難所の閉鎖に伴う住宅の確保、 津波・原発・風評の「四重苦」から
証を積み重ねると同時に、放射能汚 震災から6カ月が経過するが、生
よみがえるには長い歳月がかかる。
活空間の除染や、汚染されたがれき、
県産肉牛の出荷停止、被曝に対する
染の影響を読者にどのように理解し
県民の怒りや悲しみ、誇りをしっか
土壌の処理が進まず、復興への足取
全県民の健康管理調査などがある。
てもらうかに主眼を置いた。長く続
今後も県民の視点で取材を続
りと伝えていきたい。
く原発災害報道のメーン企画と
りは遅い。取材テーマは今後も拡散
け、地元の声を政府や東電に突
(やすだ・しんじ)
位置づけ、これまでに5回のシ
し続ける。
き付けたい。
リーズを連載した。
(きくち・かつひこ)
1
9
8
2
年
入
社
2
0
1
1
年
4
月
か
ら
編
集局次長
この他、さまざまな連載企画
第
1
シ
リ
ー
ズ
「
失
わ
れ
た
暮
ら
19 9 1 年 入 社
20 0 9 年 か ら 報 道
部長
を展開している。震災直後から
し」では、原発とは無縁の生活
連載企画を中心に
「四重苦」の怒り
福島民報
政府・東電に突き付けたい
安田 信二
11
66
20
見えない不安
福島民友
「原発・災害連鎖」
をメーンに
菊池 克彦
11
( 13 )
特集 9.11から10年
最高指導者カダ
フィ大佐の独裁政
権が崩壊したリビ
アの首都トリポリ
で8月下旬、ムハ
ンマド・アルフダ
ールさん( )に
会った。反カダフ
ィ派の兵士だ。半
年に及ぶリビア内
戦では、3万人の
死者、5万人の行
方不明者が出たと言われる。北大西
洋条約機構(NATO)軍の空爆支
援を受けた反カダフィ派は何とか首
都を押さえたが、今後、国民間の和
解は成るのか。カダフィ派に対する
血みどろの復讐が始まるのではない
のか。そうたずねてみた。
「復 讐 を 考 え る 人 は い た。 で も、
罪を犯した者は、公正に裁いた方が
いい。あまりにも多くの血が流され
た。戦いはもうたくさんだ」
紛争前は銃など持ったことがなか
ったという「穏健派」のアルフダー
ルさんの意見が、リビア国民の大勢
を占めるかは分からない。しかし、
反カダフィ派幹部は、国民に自制を
呼びかけている。暴力の連鎖が国を
荒廃させる危険性の認識がのぞく。
チュニジアで1月に始まった民主
2011. 9. 10 No. 499
いまトリポリで
暴力の信仰から脱皮する中東
和田 浩明(毎日新聞社)
23
化政変「アラブの春」でも、デモ隊 お恥ずかしい話だがあの時、私は
発危機への対応はどうだったか?
側には暴力を避ける姿勢が目立っ
妻とハワイ島にいた。ゴルフ場のク
3・ 直後の国会は緊張感を持って
た。独裁者サダム・フセイン大統領
対応し、その危機感が後押しして第
ラブハウスに戻るとレストランのテ
を米主導の多国籍軍が排除したが、
1次補正予算を素早く成立させた。
レビを 人ほどの人が息をのんで見
その後の宗派間紛争で国が割れかけ
ていた。「すごい人気のドラマだな」 しかしその後はどうか?「菅降ろし」
たイラクの悲劇の記憶が、反映され
と思ったが、ドラマではなかった。
というみっともない泥仕合を3カ月
ているのではないか。
私はあわててホテルに戻った。留
近くも国民の目の前にさらした。緊
「平和的に!」。実弾まで使用した
守電を知らせるランプがものすごい
張感の欠如…。
治安部隊に対峙する民衆は、チュニ
勢いで点滅していた。政治デスクは 年前のあの時もそうだった。直
ジアでも、エジプトでも、お互いに 「N Y に す ぐ 行 け る か?」 と い う メ
後は「日本もテロに狙われる可能性
そ う 呼 び か け て い た。「暴 力 で は 問
ッセージを 本ほど残していた。行
がある」というので、政治はしばら
題 を 解 決 で き な い 」。 そ の 認 識 が、
けるわけがない。アメリカの空も海
く緊張感を持って対応した。しかし
年米同時多発テロ後に米国が始め
も、輸送手段はテロ直後に制限され、 テロの危機が薄れるにつれて、政府
帰国までに3日ほどかかった。
た「対テロ戦争」やイラク戦争の泥
は「国民の生命・財産をどう守るの
沼化の経過を見つめたアラブの人々 そんな私が危機管理の今昔を語る
か」という最も重要な視点をなくし
のもおこがましいが、当時と今の日
の間に育ったことの表れだと思う。
ていった。アメリカから自衛隊の海
本の危機管理、またアメリカの危機
9・ から 年が過ぎ、米国の指
外派遣を求められ、そればかりに関
管理を比較して改めて考える。結論
導者は「中東民主化」をごり押しし
心が移り、隊員の武器使用などをめ
たブッシュ氏から「イスラムとの対
から言えば、日本の危機管理能力は
ぐっては非現実的な議論も続いた。
話」をうたうオバマ氏に代わった。
当時から進んでい 政治も、私たちメディアも、 年
だが、中東の対テロ戦争はイエメン
ない。いや例えば
前を繰り返してはならない。危機は
で続き、誤爆による民間人死者も出
飛行機に乗る際の
いつ来るかわからないから危機なの
ている。米国は、私が 〜 年に駐
だ。想像力を豊かにし最悪のケース
ボディチェックな
在した当時と変わらず、復讐の連鎖
を想定した法整備、行政組織の整備
ど技術的、法的に
から抜け出せないのではないか。一
を、この大震災で傷ついた今こそ深
は幾分進んだのか
方で、中東の人々は暴力の信仰から
もしれない。しか
く、賢く考える必要がある。そして危
の脱皮を進めているように見える。
し政治の不毛な混
機管理で最も重要なこととは、常に
(わだ・ひろあき)
乱、対立がむしろ
考え議論し対策を打っていくことだ。
危機への対応力を
(さとう・けいいち)
1991年入社
ワシントン支局を経て 弱めている。
2009年からカイロ支局
199 1 年入社
同年から政治部
ワシ
今回の震災、原
ントン支局長を経て
現在
官邸キャップ
01
11
10
03
08
官邸・危機管理
30
政治の不毛な混乱で弱体化
20
佐藤 圭一(日本テレビ)
10
( 14 )
11
10
愛車の黒いジープを運転して、ポ
バマ政権が誕生
トマック川に架かる橋を歩いて避難
した。
する人の波をかき分けるようにして 「油 断 し て い
る間にホワイト
ワシントン市内に向かった。右手に
は、真っ黒な煙を上げるペンタゴン
ハウスを黒人に
(国 防 総 省 ) ビ ル が 見 え る。 20 0
奪われた」こと
1年9月 日朝。ようやくオフィス
に逆上した保守
に着くと支局長から「すぐニューヨ
派は、緊縮財政
ークに行ってくれ」との指示。公共
を至上命題に掲
交通機関は完全にストップしていた
げる「ティーパ
ため、ジープを運転してインタース
ーティー」を立
テート 号線をひたすら北上、その
ち上げ、極端な
日の夕方に何とかマンハッタン島に
福祉切り捨てを
入った。私は、あの日2つのテロ現
主張。オバマ大
場を目撃した世界でも数少ない人間
統領が提唱する
の1人だと思う。
「ひ と つ の ア メ
その後2回目のワシントン勤務も
リカ」の実現は
早 4 年 が 過 ぎ、 世 界 が 凍 り 付 い た
おろか、白人富
「9・ 」 か ら 年。 ア メ リ カ は す
裕層とマイノリ
っかり変わってしま
ティーの間の溝
った。米軍は大量破
はかえって広がり、市民の間には「楽 “ Did you see?
”
壊兵器開発(実際に
観」「善意」ではなく「悲観」「憎し 隣に立っていた女性が目を丸くし
み」の感情があふれている。
て私の顔を見た。午前 時 分、煙
はなかった)を理由
を吐いてそびえ立っていた北棟が泡
にイラクを侵略、ア 今や、ドルにも米軍にもかつての
威光はない。この 年でアメリカが
のように崩れた。その瞬間、キャー
フガニスタンの戦争
も泥沼にはまり、国
失ったものはあまりにも大きかっ
と言う叫び声とともに北へ歩いてい
家財政はぼろぼろに
た。
た人たちが、全速力で走り出した。
な っ た。
「リ ー マ ン
(ちかざわ・もりやす) 生まれて初めて、体が動かなかっ
ショック」
の嵐の中、
た。後で思えば、南へ、WTC方向
1988年入社
現在
ワシントン支局次
ブッシュ大統領は逃
に走るべきだった。その後数分間の
長
げるように消え、オ
記憶が欠落している。
近澤 守康(共同通信社)
(やまぎし・なおこ)
「ガンガン!」と男性が泣
きながらシャッターをたた
く音で我に返った。撮影場
所から数ブロック北の電器
店前にしゃがみこんでいた。
「写 真 を 送 ら な く て は 」。
3種類の携帯を持っていた
が、どれも通じなかった。
店を閉めようとしていた店
主に有線を借り、PCにつ
なげた。画面半分ほど送っ
て切れた。
マンハッタンは封鎖され
ていた。ミッドタウンまで
歩いた。
送った写真を見て「人が
いる」と、デスクが言った。
その人は鉄骨に寄りかかり、
祈っているように見えた。
悲しみがこみ上げてきた。
その日未明までファッションショ
ーを撮っていたハドソン川ふ頭の倉
庫は遺体安置所に変わり、トライベ
ッカには装甲車が走っていた。レン
ズを向けると「ウオーゾーンだ!」
と兵士が怒鳴った。パールハーバー
という言葉が飛び交った。一夜にし
て世界が変わってしまっていた。
NY駐在カメラマン
一夜にして世界が変わった
山岸 直子(読売新聞社)
( 15 )
中央に祈るような人の姿
がみえる 600㍉レンズ
で撮影 この後10分ほど
でビルが崩壊した
1985年入社
年から2002年NY
支局駐在
現在
写真部デスク
99
9.11米同時多発テロ事件から10年 あの日あの時、それぞれの現場で取材
した4人に寄稿していただきました。
10
11
95
11
アメリカが失ったもの
2011. 9. 10 No. 499
特集 9.11から10年
2度目のワシントン
10
10
28
クラブゲスト
2011. 9. 10 No. 499
いずみだ
ひろひこ
泉田
裕彦
新潟県知事
8・ 4(木 ) シ リ ー ズ 企 画「3・ 」 原 発 立
地県知事
司会
西川孝純委員
出席
人
HP動画
たなか
さとる
田中
知
日本原子力学会会長・
東大大学院教授
8・ (金 ) シリー ズ企 画
「3・ 」 司会
瀬川至朗委
員
出席
人
HP動画
11 12
93
れるとして、学会として最大限の貢
▼教訓生かし専門家として発信を
献をしたいとした。
今回の事故対応をめぐっては「反
省すべき点」が多々あったことも認
めた。
事故直後、原子炉がいったいどう
なっているのか、多くの国民が不安
に思っていたとき、もっと情報があ
れば、専門家として分析して発信で
きたはずだった。しかし、情報の不
足でそれができなかったことが悔や
まれる、とした。
また、政府の対策本部に対しても、
学会としてもっと提言すべきであっ
たとの批判があったといい、緊急時
に専門家をどう集めて対応するか、
十分でなかった面もあるとして、こ
れも反省材料とした。
社会に対する正確な情報発信のた
めには常日頃からメディアとの情報
交換が必要だとして、勉強会を始め
たという。
今回の原発事故を通して、専門家
がどう貢献し、社会に対して発信し
ていくかが問われている。今回の反
省が組織としてどう生かされるの
か、注目していきたい。
朝日新聞論説委員 辻
篤子
会員数7
千、原子力
の専門家集
団である日
本原子力学
会のトップ
に就いたの
は、福島第
一原子力発電所事故への対応に追わ
れるさなかの6月のことだ。
2人の副会長らも同席した会見で
はまず、今回の事故で広範囲に放射
性物質を拡散させてしまったことに
対し、プラント設計に携わった立場
から「遺憾の意」を表明し、会長と
して「自ら作った壁の中で考えるの
でなく、社会や他分野の専門家の声
に耳を傾けていきたい」と抱負を述
べた。
そのうえで、今回の原発事故への
学会としての対応や今後の課題につ
いて語った。事故の教訓を今後に生
かすことはもちろん、事故の記録を
きちんと残すこと、そして、放射性
物質によって汚染された周辺地域の
環境修復が遅れていることが懸念さ
( 16 )
11
83
災害における非常時立法がない。他
▼独立性の高い規制機関を
県住民を受け入れる仕組みもない」
「情報が決定的に不足していたし、 と指摘。こうした事態に備えて「米
出すべき情報を出さず多くの人にし
国のFEMA(米連邦緊急事態管理
なくてもいい被曝をさせた」
局)のような組織と広域的避難体制
東京電力福島第一原発事故で東電
が日本にも必要だ」と強調した。
と原子力安全・保安院の対応を泉田 中越沖地震で止まったままの柏崎
裕彦知事は厳しく批判した。通産省
刈羽原発2〜4号機の運転再開につ
出身だが、現在の経産省に対して遠
いて「全く白紙で検討する。福島の
慮会釈がない。
事故は津波だけが原因なのか。配管
県内には合計出力821万キロワ
破断があったのではないかという懸
ットと世界最大級の東電柏崎刈羽原
念がある」と語り、福島原発事故の
発がある。2007年の中越沖地震
徹底的な検証の必要性を訴えた。
では3号基の変圧器で火災が発生。 泉田知事は、原発事故に関連した
その経験から「保安院は事業所を監
松永和夫経産省事務次官ら3人の更
督するだけでなく、住民に直接向き
迭を「炉心溶融も恐らく分かってい
合う機関として対応してほしい」と
ながら発表を先送りした。更迭は当
要 請 し て い た。
「今 回 は 保 安 院 が 前
然」と明言。原子力安全庁構想につ
面に出たとは思う
いては「反対だ。政府か
が、情報を過小評
ら独立して、いざという
価した」と過去の
ときに経営判断などを考
教訓が十分生かさ
えない米国の原子力規制
れなかったことに
委員会のような組織にす
苦言を呈した。
べきだ」と語り、日本の
新潟県は福島県
原子力政策に対する懐疑
と長い県境で接しており、一時は他
的な姿勢を最後までのぞかせた。
県を含めて約1万3千人の避難民を 企画委員
共同通信特別編集委員
受 け 入 れ て い た。
「日 本 で は 大 規 模
西川
孝純
東日本大震災
2011. 9. 10 No. 499
クラブゲスト
はやし
としひこ
林
敏彦
同志社大学教授
8・ (金 ) シ リ ー ズ 企 画「3・ 」
司会
小此木潔委員
出席
人
HP
動画
16
たなか
てるみ
協議会事務局長
日本原水爆被害者団体
田中
煕巳
8・ (火 )シリー ズ企 画「3・
」司会
井田由美委員
出席
人
HP動画
21 11
23
学もその安全を保証できない。田中
さんはそれは「人類への一種の犯罪」
だと語った。被団協は8月8日「脱
原発」を運動方針に明記した。
その3カ月前(5月7日)田中さ
んたちは福島県庁を訪れ、原発被曝
者に「被曝者健康手帳」を配布し被
曝の日時や状況を書いておくよう助
言した。広島、長崎の被爆者の体験
から、将来人体に何らかの障害が発
生した時に国の補償がえられるかど
うかの手がかりになるからである。
県庁の人たちの反応は意外であっ
た。原発の被曝者が広島・長崎の被
爆者と同じように受けとられると
「差 別 」 さ れ か ね な い、 だ か ら 地 元
の記者たちとも会わず黙って帰って
ほ し い と い わ れ た。「差 別 」 と は 被
曝者への村八分とか遺伝子に異常が
発生する可能性のある被曝者とは結
婚 し な い と い っ た こ と で あ る。(そ
の後多くの町村で被曝手帳が配布さ
れ て い る よ う で あ る )。 田 中 さ ん は
被爆者の長い体験から「事実と向き
合い真実を語ることこそ大事だ」と
明言した。それはまた「メディアの
責任だ」とも強調されていた。
個人会員 内田
義雄
( 17 )
▼福島県庁に
「被曝手帳」
配付を助言
日本被団協は広島・長崎の原爆被
害をうけた生存者(被爆者)が核兵
器廃絶と原爆被害の国家補償を求め
て結成した団体だが、原子力の平和
利用を信じ、原子力関係の仕事に従
事する被爆者も多くいた。田中さん
自身長崎の被爆者だが、原子核物理
に興味をもち原子炉容器の強度の研
究に従事したこともある。だが、3・
福島原発事故でその信念は一挙に
崩れた。技術で原子力を制御できる
というのはおごりであり、原子力は
まだ「神の領域」だと感じたという。
原爆の父といわれるオッペンハイ
マ ー は「(原 爆 実 験 で ) 巨 大 な 火 の
玉を見た時ヒンズー教の神クリシナ
の 言 葉(『わ れ 死 神 と な り 世 界 を 破
壊 せ り 』) が 心 を よ ぎ っ た 」 と 語 っ
たことがある。原発の火はどうなの
か。安全神話は崩れ、その高レベル
の放射性廃棄
物に人類は数
万年先まで
付き合わねば
ならない。現
代の技術も科
10
1995
年の阪神・
淡路大震災
を神戸市内
の自宅で経
験した経済
16
19
31
11
ってしまったのだから本来は復興し
かあり得ない」と批判。現行は、公
共土木と農林水産業の施設復旧の国
庫負担に関する二つの法律があるだ
けでいずれも「原形復旧」が原則。
「復 興 」 に 関 す る 法 的 定 義 や 行 政 的
な枠組みはないという。
林さんは「コンクリートの施設を
復旧するだけで何の意味があるの
か。 亡 く な っ た 人 が 生 き 返 る な ら
『復 旧 』 と 言 え る か も し れ な い。 し
かし、人口は減り、ビジネスチャン
スが失われ、市場も壊れてしまう」
と い う 大 災 害 の 現 実 を 踏 ま え、「復
興とは新しい歴史を作ることでエン
ドレスの取り組みだ。それが阪神・
淡路以降の私の 年間の帰結だ」と
語った。
また大災害後に国民が一丸となる
一定期間を「災害ユートピア」とし、
「当 面 の 復 興 事 業 が 終 了 し た 後 に 備
えた構造改革が必要」と話した。「こ
のタイミングに復興増税に向けて国
民を説得するのが政治の高度な仕事
だが、最も遅れているのがその政治
だ」と苦言を呈した。
毎日新聞月刊「毎日フォーラム」
編集長 本谷
夏樹
11
▼復興は新しい歴史のスタート
32
学者の林敏彦さんは、兵庫県の復興
政策に長く携わり
「復興とは何か」
が
大きな研究テーマになった。被害規
模が阪神・淡路を大きく上回り様相
も異なる東日本大震災の復旧・復興
について「既存の枠組みにとらわれ
ない抜本的な法律の制定など後世に
残る取り組みが必要だ」
と力説した。
林さんは、内閣府が示した東日本
の直接経済被害額 ・9兆円(原発
事故被害を除く)について「住宅被
害が、警察庁は戸数なのに国土交通
省や県は棟数で発表している。一般
的に1棟=3戸に当たる」と統計の
あいまいさを指摘。東日本の被害額
は「 兆円」との独自の推定を示し
「今 後 内 閣 府 の 推 計 も 大 き く 変 わ る
可能性がある」
との見通しを示した。
さらに政府の「まず復旧してから
復興」との方針を「初期条件が変わ
東日本大震災
クラブゲスト
2011. 9. 10 No. 499
ひらの
たつお
平野
達男
復興担当相
8・ (水)シリーズ企画「3・ 」 司会
倉重
篤郎委員
出席
人
HP動画
たにがわ
たけし
武
東京電力非常勤産業医・
愛媛大学大学院教授
谷川
8・ (火)シリーズ企画「3・ 」
司会
露木茂委員
出席
人
( 18 )
24
58
11
30
36
11
出身らしい手堅さがうかがえた。
睡眠時無呼吸症候群(SAS)の
▼妥当な復興課題の指摘
▼作業員のケア 継続的取り組みを
今 後 の 課 題 と し て、「高 台 移 転 」
研究者として、福島では患者と周囲
東日本
などの土地利用計画が鍵となる復興 東京電力福島第一原発では事故収
のため、いびきの治療器も導入した。
束に向けた作業が続く。しかし、そ ただ、社員が抱えるストレスは今
大震災の
計画の策定。高齢化・人口減の中で
の実態はベールに包まれたままだ。
発生から
時代を先取りする街づくり。それに
も懸案のまま。多くの人が現場で幾
加えて復興財源の問題を挙げた。た
谷川武教授は事故以来、毎月、福島
度となく死を覚悟した経験を持ち、
約半年。
だ菅政権の退陣を目前にした会見だ
入りし、労働環境の改善、心のケア
現在の作業も大量被曝の危険と隣り
被災地に
ったため、復興増税について「結論
に取り組んできた経験を語った。
合わせだ。肉親や友人、知人の死に
はいまだ
に瓦礫が
は早く出す必要がある」としながら 緊急時対応が続く4月半ば。防護
直面。多くは地元採用で被災者であ
服姿で、大勢の社員が退避先の第2
積み上げ
も「判断は次の政権に委ねられる」
るうえに、東電の一員として「加害
られ、数
と踏み込まなかったのは物足りなく、 原発体育館に身を横たえていた。段
者」の意識もあるという。
ボール箱が布団代わり。食事はレト ストレスを把握する問診票を配り、
万人が避
残念だった。
ルト食品と缶詰が続いていたという。 面談も始めた。将来のうつ病発症や
難所や仮 「津 波・ 地 震 の 被 災 地 と 原 発 事 故
の被災地では対応が抜本的に違う」 「何 と か し て や ら な い と 身 体 が も
過労死を防ぐため、継続的な取り組
設住宅で
の生活を強いられている。復興は進
とも語り、原発を冷温停止し、除染の
た な い な 」。 医 師 の 目 に は ス ト レ ス
みの必要性を強調する。
ん で い な い。
「こ の 間、 政 府 が や っ
可能性を探らなければ「復興計画が
を心配する以前の問題に映った。睡 作業の継続に伴い、社員の被曝線
眠不足や過労は作業ミスのリスクも
てきたのは応急対応。これから本格
話しづらいつらさがある」と指摘。原
量も上昇。上限に近づくと異動対象
高める。シャワーや2段式ベッドの
的な復旧・復興に取り組む」と指摘
発事故対応は長期間にわたるだろう。
になるが、家族とともに住み慣れた
し、今後の課題を分かりやすく列挙 「3・ 」 に 何 が 起 き た の か を 詳
設置、生野菜を食事に加えるよう提
土地を離れる不安も大きいようだ。
した。
案したが、東電は受け入れない。取 「医 学 的 に は 25 0 ㍉ シ ー ベ ル ト
細に分析し、記録に残すこと。災害
松本龍・前復興担当相の「暴言辞
材を受けると劣悪な労働環境の改善
に強い街づくり。東海、東南海、南
の放射線を浴びるより『5年間ここ
任」で、副大臣から昇格してまだ2
を訴え、報
海の3地震が同時に起きる「3連動」
で仕事ができない』と言われる方が
カ月弱。だが被災地・岩手県出身で
や首都直下地震への備え。災害基本
道や世論に
心身への影響は大きいのではない
あり、発生直後から現地入りしてい
計画の見直しと必要な法整備─。今
押されて東
か 」。 物 議 を 醸 し か ね な い 発 言 と 感
ただけに、短時間の記者会見ながら
後取り組むべき課題として挙げたテ
電はようや
じたが、長年にわたって現場に寄り
現地事情の詳しい説明が聞けた。環
ーマは妥当だ。首相が代わろうがそ
く重い腰を
添ってきた医師ならではの悩みを垣
太平洋連携協定(TPP)担当の内
の重要性は変わらない。
上げたとい
間見た。
閣府副大臣時代からみせていた官僚 共同通信編集委員 川上
高志
う。
共同通信社会部 池上
秀紀
東日本大震災
11
エネルギー政策
そのだ
ひろゆき
園田
博之
たちあがれ日本幹事長
8・8(月 )「各 党に聞 く
エ
ネルギー 政 策 」 司会
倉重篤
郎委員
出席
人
HP動画
はっとり
りょういち
服部
良一
社民党脱原発・自然エネル
ギー推進プロジェクトチーム事務局長
8・ (金 )「各 党 に 聞
く
エネルギー政策」
司会
西川孝純委員
出席
人
HP動画
( 19 )
12
25
ー推進プロジェクトチーム」の事務
局長に就き、APづくりを始めた。
そこへ大震災・福
島第一原発事故が
起きた。電力業界
とも関係労組と
も、党支持基盤か
らの制約はない。
迷うことなく5月にAPをまとめた。
これから原発をどうするのか。「原
発ゼロ」は共産党なども菅前首相も
表明した。社民党が「元祖」を自認
する「脱原発」のほかにも「縮」、「卒」、
「減 」 な ど を 冠 し た、 さ ま ざ ま な 考
えが示されている。それらは脱原発
とどこが違うかと言えば「脱」以外
は「海外輸出も含めてゼロにはしな
いという考え方があるところだ」と
いう。
「な ぜ 今 す ぐ ゼ ロ で な く 年 ま で
時間をかけるのか」という問いには
「今 す ぐ ゼ ロ に、 は 理 想 だ。 原 発 が
なくてもやっていける、という国民
の共通理解ができるまで一歩ずつ時
間をかけていく」と停止原発の再稼
働問題など現実との折り合いを考え
たため、と説明した。
朝日新聞出身 村野
坦
20
▼よどみなく脱原発へ行動計画
「2 0 2 0 年
までに原発ゼロ
2050年に
は自然エネルギ
ー100%に」。
社民党は「脱原
発 ア ク シ ョ ン プ ロ グ ラ ム 」(AP )
を掲げる。会見場にAPの原資料、
8万部を製作した市民向け簡略版を
持ち込み、パワーポイントを使い原
発の現状と脱原発への行動計画をよ
どみなく説明した。
旧社会党時代から原発反対の住民
運動に寄り添い、反原発は「お家芸」
のひとつ。民主党政権との連立解消
直後の昨年6月、菅政権は2030
年までに原発 基以上を新増設し、
総電力に占める原子力発電の割合を
%以上にすることを含む新エネル
ギー基本計画を閣議決定した(今年
7月、菅首相が「白紙撤回」を表明)。
服部氏も委員である衆院外務委員会
には外国への原発輸出のための原子
力協定が相次ぎ提出される。
「そ れ は 違 う ぞ 」 と い う 思 い か ら
月に党の「脱原発・自然エネルギ
14
36
と述べた。また、九州電力玄海原発
▼IAEAの国際基準で安全判断を
の再稼働要請を巡る混乱を「どれだ
「原 子 力
け安全(だから再稼働させる)かが
政策につい
分からない。ストレステスト(安全
ての認識が
評価)も分かりにくい」と批判した。
原子力安全・保安院と原子力安全委
いいかげん
員会については「国民は信用しない」
だったこと
として、「国際原子力機関(IAEA)
をまず言わ
なくてはい
に国際基準を作ってもらい、判断す
けない」
。
るべきだ」と語った。
東京電力・福島第一原発事故後のエ 質問はライフワークの政界再編に
ネルギー政策を問う会見は、反省の
も 及 ん だ。「財 政、 経 済、 エ ネ ル ギ
弁から始まった。
ー、震災、定数削減という限られた
特 に、
「原 発 の 建 屋 内 に 使 用 済 み
課題について、1年の期限を決めて
核燃料が何千本も保管されていたこ
与野党で議論すべきだ」と提言した
とに一番驚いた。大変な危険性を伴
上 で、「政 策 論 議 を 深 め れ ば 深 め る
っている」と指摘。使用済み核燃料
ほど民主も自民も党内で意見が分か
や放射性廃棄物の処分のめどが立た
れ、再編の可能性が高まる」との見
ない中で、原発が増設されてきたこ
通しを示した。期待する政治家とし
とに対し「原子力政策が念入りに実
ては、前原誠司、枝野幸男、岡田克
行されてきたか、というとノーと言
也の民主党衆院議員らのほか、自民
わざるを得ない」と振り返った。
党の谷垣禎一総裁、林芳正参院議員
一 方、
「脱 原 発 が 望 ま し い 」 と し
ら、財政規律を重視する立場の人た
ながらも、電力の安定供給と温室効
ちの名を挙げ、「(彼らが)まとまっ
果ガス削減に原発は不可欠と強調。
て、もっといい政治勢力の組み合わ
産業競争力維持の観点から、現在、
せを作り、信を問うようにしないと
定期検査で停止中の原発については
いけない」と訴えた。
「安 全 を 確 認 の 上、 再 稼 働 が 必 要 」 毎日新聞政治部副部長 塚
健太
田
53
10
2011. 9. 10 No. 499
クラブゲスト
クラブゲスト
2011. 9. 10 No. 499
え
だ
けんじ
あらい
ひろゆき
荒井
広幸
新党改革幹事長
8・ (火 )「各 党 に 聞 く
エネルギ
ー政策 」 司会
泉宏委員
出席
人
HP動画
( 20 )
23
16
いて「まず、国が責任をとる姿勢を
▼原発事故、
まず国が責任を明確に
明確にすることが必要」とこぶしを
「私 は 福 島 原 発 か ら キ ロ の 自 宅
握り締めた。
で家族とともに生活しています。国
大震災前は
会議員で原発の一番近くにいるのが
原発推進派。
私です」─。福島県田村市出身の荒
しかし、原発
井広幸・新党改革幹事長は今回の福
誘致のよりど
島第一原発事故の「被災者」でもあ
ころだった
るだけに、被災地の実情と政府の対
「安 全 第 一 と
応のギャップに憤りを隠さない。
住民との信頼
まず、放射能拡散と被曝への地元
関係」は「一瞬で崩れた」と悔やむ。
の不安について「誰を信用したらい
地元に雇用と資金をもたらした東京
いのかというのが最大の問題だ」と
電力の今後については「度重なる事
力説。汚染に関する政府の発表がく
故の隠蔽など社内体質に問題があり、
るくる変わり、専門家の見解も人に
法的整理が一番いい」と言い切った。
よってまちまちなことが、住民の不 その一方で菅直人首相がぶち上げ
安の最大の原因と指摘し「安全と安
た「脱原発」のための太陽光発電な
心は全く違う。放射線の安全性に関
どの普及についても「お金持ちがソ
する科学的数値と心の数値が違うこ
ーラーをつけて、貧しい人が高い電
とを認識してほしい」と訴える。
力を買わされることになる」と疑問
福島から避難した人数は5万人と
を呈する。
されるが、荒井氏は「実際は7 万人、 一番の気がかりは原発事故による
そのうち子どもは8千人」と説明。
避難地域の今後。放射線からの回避
「原発事故の収束なくして復興なし。 線量の世界基準に準拠して「疎開」
除染なくして再生なし」と故郷の復
と「移住」を財政支援とも合わせて
興・再生は原発事故の早期収束と徹
住民の選択肢として早期に提示すべ
底的な除染の実現しかないのに政府
きだ、と政府の決断を求めた。
の対応が著しく遅れていることにつ 企画委員
時事通信出身 泉
宏
38
8・ (火)「各党に聞く
エネルギー政策」
司会
神志名泰裕委員
出席
人
HP動画
50
江田
憲司
みんなの党幹事長
40
23
54
処理に入るべきだ」と強調。一時国
▼電力自由化で脱原発を
有化した東電をモデルケースとして
「新 任 の 資 源 エ ネ ル ギ ー 庁 長 官、
発送電分離を促進、同時に大胆なリ
原子力安全・保安院長は親しい同期。 ストラで東電を再建し、賠償責任を
東京電力の賠償担当常務は何十年来
果たさせる、と主張した。
の友人だ」と官民にまたがる人脈の 「脱 原 発 依 存 」 を 訴 え た 菅 直 人 首
話題から切り出した江田氏。「きょう
相 は、 国 民 と 与 党 の 支 持 を 失 い 退
はそういった友人、同期の関係を断
陣。この日の講演後、動向が注目さ
ち切り、歯切れのいいエネルギー政
れていた前原誠司氏が、民主党代表
策をお話ししたい」
と言葉を継いだ。 選への出馬を正式表明した。
旧通産省出身。故橋本龍太郎氏が 質疑応答で、代表選の感想を問わ
通産相当時に秘書官に起用し、橋本
れた江田氏は「敗戦処理のピッチャ
氏の首相就任で政務担当の首相秘書
ー選び。誰がなろうと口先だけで、
官に抜擢された。自他ともに認める
言ったことは実行できない」とばっ
政策通らしく、講演は理路整然と進
さり。返す刀でメディアに対しても
んだ。
「首 相 候 補 」 の 過 去 の 言 動、 実 績 を
「電 力 の 再 編 自 由 化 な く し て 脱 原
冷静に評価し、国民に提示するよう
発なし」
「小 規 模 分 散 型 の 電 源 供 給
注文を付けた。
体制へ移行し、エネルギーの地産地 「み ん な の 党 は 我 慢 の 時 だ。 衆 院
消を目指す」
。きっぱりとした口調
選で 、 議席とれればキャスチン
は、党の政策への揺るぎない自信を
グボートを握れて、政権協議に入れ
感じさせた。
る。その時は絶対にぶれない」
福島第一 震災後の国会は民主、自民、公明
原発事故の
3 党 が 主 導。「第3 極 」 を 標 榜 す る
賠償問題で
みんなの党は埋没しがちだが、今後
は「東電は
の展望を語る江田氏の表情は、あく
債務超過で
まで強気だった。
あり、破綻 時事通信政治部 小松
晋
エネルギー政策
2011. 9. 10 No. 499
クラブゲスト
20
ソマリア飢饉
国連機関
共同記者会見
8・3(水 ) 記者会見
司会
川村晃司委員
通訳
長井鞠子
出席
人
HP動画
WFPも「緊急時にすぐ配れるよう
▼武装勢力
援助に
「税」
要求
食糧を備蓄して対策も取っていた」
国連は7月、ソマリア南
だけに、思うよ
部で飢饉が起きていると宣
うに現地に届け
言した。日本に拠点を持つ
られない悔しさ
国連4機関が緊急に合同記
がにじむ。
者会見を行い、①食糧不足
国連難民高等
の背景②あふれ出る難民③
弁務官事務所
子どもの栄養失調④壊滅的
(U N H C R )
な農業と、各専門分野から
も、着の身着の
現状を解説した。
ままで隣国に逃
ここまで危機的状況に陥
れてくる難民に
った原因として、世界食糧
対し「緊急対応
計画(WFP)は、201
備蓄で当面は何
0年初めから援助関係者が
とか対応を続け
ソマリア南部の現場に入れなくなっ
ているが、いずれ備蓄は底を突く」
ている点を指摘した。武装勢力によ
と不安を隠さない。
り「事務所や職員に脅迫があり、W こうした状況でも、ソマリア人職
FPが持ち込む食糧に『税』や『課
員を中心に細々と現地で活動を続け
徴金』が求められ、さらにWFPの
ている国連関係者も存在する。しか
事務所で女性職員が働くことを禁止
し、国連児童基金(ユニセフ)によ
された」ことから撤退に追い込まれ
ると「日によって今日は行けるが、
た。
明日は行けない」といった不安定な
東アフリカでの干ばつ発生は、東
支援が続く。栄養失調児の急増を前
太平洋のラニーニャ現象と関わって
に「予測可能で継続できる(ソマリ
おり、国連食糧農業機関(FAO)
ア南部への)アクセス」を大規模に
は「早期の警報を昨年秋の時点から
展開できる環境が必要だと訴えた。
発していた」ため警戒はしていた。 時事通信外信部 松尾
圭介
( 21 )
てつお
20
59
左から久保眞治UNHCR駐日事務所代表代行 平林国
彦UNICEF東京事務所代表 横山光弘FAO日本事務
所所長 モハメッド・サレヒーンWFP日本事務所所長
8・ (水 )「各党に聞く
エネルギー
政策 」 司会
泉宏委員
出席
人
HP動画
15
20
24
40
さいとう
20
30
15
30
斉藤
鉄夫
公明党幹事長代行
55
30
52
して“脱原発路線”には否定的だ。
▼原子力発電、 年かけて半減
原子力エネルギーをしばらく維持
記者会見は、1週間以内に菅直人
させる大きな理由は、経済成長に必
首相が退陣するという時点で開催さ
要だからだ。公明党は今後 年間の
れた。首相交代で自民・公明両党が
平均成長率を年2%程度と想定して
政権に加わるという大連立構想もく
い る。「2 % の 成 長 率 な ら 年 間 で
すぶっていた。そうした状況で公明
GDPが %増える。一方、エネル
党のエネルギー政策を説明した斉藤
ギー使用量が現状から上がらなけれ
鉄 夫 幹 事 長 代 行 は、 工 学 博 士 で あ
ば %のエネルギー効率向上が実現
り、米プリンストン大学プラズマ物
できる」(斉藤氏)。原子力を電力全
理学研究所へ3年間派遣された経験
体の %に引き下げるという目標
を持つ。東日本大震災を受けた党の
は、この前提に立った話である。
エネルギー政策見直し作業では取り ただ、エネルギー政策の目標は実
まとめの責任者を務めている。
際のところ「正直、結論が出ていな
2030年における電力供給につ
い」とも述べている。大震災後、
いて次のように目標数字を示した。
回にわたり勉強会を開いているが
「自 然 エ ネ ル ギ ー を (%)
、 化 石 燃 「取 り ま と め に 至 っ て い な い 点 は、
料を (%)
、残り (%)
、これは原
お許しを願いたい」の一言も。
子力に頼らざるを得ない」
。 原 子 力 記 者 か ら「(8 月 末 予 定 の ) 民 主
は、現在の %から半減となる数字
党代表選では、エネルギー問題が焦
だ。
公明党はこれまで、
原子力を過渡
点になっていない。どう思うか」と
的なエネルギーに位置付けてきた。
質問が出たが、民主党に対する批判
この方針は
は口にしなかった。新しい首相の下
今も抜本的
で国会の論戦が本格化する頃には、
には変更せ
公明党のエネルギー政策が明確に定
ず、エネル
まっているのだろうか。
ギーの安定 日本経済新聞・産業地域研究所
供給を考慮
若杉
敏也
エネルギー政策
1 9 6 2 年 に レ イ チ ェ 苦闘を支えるのは家族と個のネッ
えなり
つねお
8・ (木 ) 著者と語る
司会
坂東賢治委員
ル・カーソンが「沈黙の春」 トワークだ。米国政府はいまだ枯葉
江成
常夫氏
写真家
出席
人
HP動画
写真=毎日新聞社提供
で発信した文明への警告を、 剤散布の責任を公的には認めていな
合理的反論もないまま、結
いし、生産者である化学会社、ダウ
ときは熱のこもった口調で「昭和の
▼「鬼哭の島」写真が伝えること
果的に世界は無視した。
ケミカルとモンサントは、生体への
過ち」を対岸に置き、経済を「神話」
米軍が「正義の戦争」で
影響すら認めていない。安全・便利
「写 真 に は 過 去 の 闇 に 光 を 当 て、
とし、飽食に走ってきた戦後の日本
ベトナムにばら撒いた枯葉
をうたっていた組織と人は、安全神
史実を正確に呼び戻す力がある」
。
と日本人に疑問を投げかける。
剤は、 年を経ても自然と
話が崩壊し具体的被害が出ても、責
終戦記念日を前に写真家・江成常夫 年に毎日新聞入社。 年には退
人間に重くのしかかる。米
任を取るつもりはないらしい。
さんから毎日新聞の夕刊写真グラフ
社され、フリー写真家として自分の
兵もまた枯葉剤を大
この構図は、3
「eye 」 に 寄 せ て い た だ い た 文 章
まなざしで対象と向き合ってきた江
量に浴び、その子に
月に起きた福島第
の書き出しだ。
成さん。日本兵の遺骨に線香を手向
まで影響は及ぶ。
一原発の原子炉建
見 出 し は「沈 黙 の 声 に 耳 傾 け 」
。
け、死と涙を強いられた「沈黙の声」
ベトナム帰還兵の
屋4基連続爆発事
江成さんはライフワークとして「昭
にレンズを向けるとき、罪悪感に襲
娘ヘザーは、右脚部
故とうり二つであ
和の十五年戦争」の激戦地を巡り、
われるという。個人の資格で死者と
と
手
指
の
一
部
が
欠
損
る
。予防原則と汚
野ざらしにされた日本兵の遺骨が泣
向き合うことが許されるのだろうか
している。映画は彼
染者責任という、
いているのを見てきた。4年前には
……と。その言葉に、はっとした。
女がベトナムを訪
国際社会の新しい
インドネシアのビアク、一昨年は硫
私は新聞社の写真記者として、ごく
れ
、
枯
葉
剤
の
深
刻
な
基本ルールを、再
黄島、そして今年は総集編「鬼哭(き
当たり前のように「報道」の名を借
影響を背負って生ま
確認する必要があ
こく)の島」として、ハワイ・パー
りてカメラを構えてこなかったか。
れ
た
ベ
ト
ナ
ム
の
子
ど
りそうだ。
ルハーバーから沖縄までを5枚の写 言葉を持たない人と真摯に向かい
もたちとその家族に
ノンフィクショ
真で語っていただいた。
合い、心の内を視覚言語化すること
会い、沈黙の春を共
ン作家の佐野眞一
に生きていることを確認する旅を縦
さんは8 月末に日本記者クラブで
東京都写真美術館
の大切さを改めて学ん
糸に、展開する。
「言葉を失うような現実を見据えよ」
で開催中の江成常夫
だ。先輩諸兄と「中高
と、メディアを叱咤した。枯葉剤の
写真展「昭和のかた
生など若い人たちにこ 彼らがこれから一生を共にし、苦
闘しなければならないハンディキャ
ダメージも、震災の瓦礫も、眼前に
ち」は「満州」から
そ聞いてほしい講演だ
ップは、生やさしいものではない。
すれば言葉を失う。すぐ言葉にでき
「ヒロシマ」
「ナガサ
った」と話した。いか
坂田雅子監督は、それを正面から見
る易き道に流れるメディアに対し
キ」まで5部にわた
に次世代へとつないで
据える。目をそらさない。配慮に名
て、映画は強い警告を発している。
る集大成。今回のク
いくか。責任の重さを
を借りただましや偽装を排した映像 日本経済新聞出身 塩谷
喜雄
ラブでの講演は、太平洋戦争の記録
肩に感じた。
は、圧倒的な現実をゆるみなく伝え
2011 Masako Sakata/Siglo
WWW.cine.co.jp/
「鬼 哭 の 島 」 に 絞 っ て の 内 容 と な っ 毎日新聞写真部編集委員
岩 波 ホ ー ル で 9・ か ら ・
chinmoku_haru/
ている。
まで公開
た。あるときは静かに、そしてある
伊藤
俊文
ⓒ
21
クラブゲスト
2011. 9. 10 No. 499
40
過酷な現実をだましのない映像で
24
10
( 22 )
18
17
62
74
(8.26)
沈黙の春を生きて
にもかかわらず日本人が観るべき
)
TBS
「報道特集」
金平
茂紀( キャスター
人間の狂気への無言の叫び
重苦しさに向き合う勇気
近藤
健 (元毎日新聞論説委員)
垂水
健一 (元中日新聞北京特派員)
( 23 )
天日
隆彦 (読売新聞論説委員)
この映画の唯一の救いは、虐殺行
暴行、慰安婦にされた女性の裸死体
為におぞましさを感じつつ自分一人
の山……これでもかと、連続的に展
では何もできない絶望感から、日本
開される映像は、クローズアップを
軍の憲兵将校が、捕虜の親子を逃が
駆使した直接話法で圧倒的なリアリ
したあと、拳銃自殺す
ティーをもって大虐殺を描く。虐殺
る締めくくりの場面で
が史実であるだけに、言葉にならな
ある。
い絶望的な気分に陥る。人間はあん
これはドキュメンタ
なにも簡単に人を殺せるものなのだ
リーではない。記録と
ろうか。
証言に基いて再構成さ この映画は、中国人による日本に
れた物語である。それ
対する告発であるとともに、最後の
だからこそ、集団銃殺、 場面は、人間の狂気、集団ヒステリ
焼殺、生き埋め、女性
ーへの無言の叫びと受け止めたい。
南京!南京!(8. 4)
奏功している。その
「記録映画ではない。 求に答え南京の人たちのために、慰
上で言えば、日本文
戦争での人々の感情を
安婦になることを決意した女性が挙
化に対するステレオ
描いた」と陸川監督は
げる、白い腕の映像が印象的だ。
タイプなイメージも
話している。記録映画 陸川監督は中国の新聞で「作品は
随所に垣間見える。
ではなく、劇映画であ
屈辱ではなく、抵抗した中国人の栄
終盤に登場する日本
るはずだ。しかし見て
光を語るもの」と話している。にも
兵による阿波踊りと
いる間も、見た後も、
かかわらず、日本軍の残虐さが前面
ドジョウすくいを合
重苦しさが肩にのしか
に出ることは避けられない。
体したような奇怪な踊りとか。唯一
かる映画であった。
日本での公開に配給会社との交渉
良心をもつとされた日本兵が自害す 日本軍による捕虜銃撃や慰安所開
が進まなかった。見なければ南京の
ることで何が救われるのか。にもか
設のために女性を出せと要求するな
悲劇がなくなるわけではないが、日
かわらず僕はこの作品が日本人に観
どの映像を重ねあわせると、日本軍
本人が向き合うには勇気がいる。
られなければならないと思っている。
の残虐さが浮かび上がってくる。要
10
中国人監督のチャレンジ
12
これをみるのは実は初めてではな
く、去年NYのコロンビア大学の授
業でみていた。学生たちは、南京事
件をテーマとした様々な映画をみて
比較し活発な討議をしていた。歴史
学の泰斗キャロル・グラック教授の
卓越した講義に学生たちは時間を忘
れたように議論を重ねていた。そう
した自由な学問の場が保障されてい
る事実をうらやましく思った。
作品はあえて言えば娯楽作品とし
ても実に完成度が高い。モノクロー
ム化や巨額を費やした戦場セットが
「良 心 的 日 本 兵 」 の 南 京 で の 精 神 中国人監督なら日本兵の内面をど
的葛藤を淡々と描いていた。
う 描 く の か。「南 京! 南 京!」 は、
思い起こされるのは、 年前の日
一つの回答だ。 年前なら、このよ
中 合 作 映 画「チ ン パ オ 」
(中 田 新 一
うな作品は存在し得なかったかもし
監督)のことだ。中国を占領した日
れない。時代の変化、
本兵の葛藤を描く場面が中国側のス
そして陸川監督のチ
タッフにはなかなか受け入れられず、 ャレンジによるもの
中国では上映許可も下りなかった。
だろう。ただ、悪役
中国のある識者は「日本と違った感
の日本兵は現代の若
覚で受け止められることは理解して
者風で、リアリティ
ーに欠けていたよう
欲しい。そのためには、ヒューマニ
ズムでは不十分で、もっと複雑な歴
に思う。その点に違
史感覚が必要」と語っていた。
和感も残った。
2011. 9. 10 No. 499
試 写 会
ワーキングプレス
70
中国
高速鉄道脱線事故
ひっくり返った先頭車両(写真上 ) 重機が引きづる(同中)
埋めた後
粉々にする様子を近くの工場屋上から撮影(同下)
した。その隙に、先頭車両がなくな
かし、粉々に壊し、ちょっと保管し
ていただけという言い訳は苦しい。
っていたのだ。そんなバカな。よく
見たら、先頭車両が穴に落ちている。 温家宝首相が現場で異例の記者会
その時初めて、車両を捨てるために
見を開いた。考えを直接聞いてみた
掘った穴だと気づいた。
いと思い、首相から約4㍍の最前列
▼奥寺
淳
慌てて4階建て工場の屋上に登っ
で「日本の記者です」と何度も声を
(朝日新聞社)
た。重機が車両を粉砕している。証
あげた。首相は私に手を向けて指名
拠隠滅?
中国流にさっさと片付け
したが、地元政府の宣伝部幹部は慌
ているだけ?
どちらかは分からな
てて最後列の記者を当てた。その記
かったが、重要証拠を穴の中で壊し
者 に よ る と、「事 前 に 連 絡 が あ り、
ているのは間違いない。
質問を聞かれた」という。
けが人が運び込まれた病院取材は 「鉄道省は残れ!」。納得できない
複数の中国人記者が叫んだのは、そ
後回しにし、シャッターを切り続け
た。いつもズボンのベルトに着けて
の会見が終わった瞬間。共産党中央
いる小型デジカメでは、車両を粉砕
指導部の目の前で気骨を示す行為に、
する様子を動画に収めた。
私も心の中で喝采を送った。
おくでら・あつし
産経新聞を経て199
鉄 道 省 は「(先 頭 車 両 は ) 穴 の 中
6年入社
経済部
香港支局長
2009
に置いておいただけだ」と弁明。し
年から上海支局長
現場まで約1㌔。車は諦め、カメラ
をリュックに入れ、住民のふりをし
て歩いたら検問を無事通過。二つ目
の検問は、ツルハシを手にした数百
人の作業員の列に紛れ込んだ。
そして、脱線した車両から約 ㍍
の場所にたどり着いた。地元の中国
人記者を除けば、外国人記者は私の
ほか1人しか見あたらなかった。
脱線の原因をつくったD301号
の先頭車両は、目の前で逆さになっ
ていた。午前6時ごろ。重機7
台が、現場に穴を掘り始めた。
大雨の後でぬかるんだ土を取り
除いているのだと思い、気にも
とめなかった。
午前7時半、今度は重機がア
ームで運転席部分をつつき始め
た。どんどん乱暴になり、アー
ムの先を車両に突き刺して引き
ずり始めた。この頃には日本人
記 者 も 集 ま り 始 め、「荒 っ ぽ い
ね」などと話をしていた。
秒ぐらいだろうか、目を離
( 24 )
現場は変わる 穴埋め作業を撮影
鉄は熱いうちに打て──。中国の
発生モノ取材は、この言葉がとても
合うと思う。7月に浙江省温州で起
きた高速鉄道事故も、そうだった。
私には苦い思い出がある。北京五
輪の直前、新疆ウイグル自治区カシ
ュガルで武装警察 人が襲撃され、
死亡する事件があった。
当時の任地、
香港からすぐに飛んだが、到着した
時には現場は何事もなかったように
片付けられていた。爆破跡には植樹
までされていた。中国当局は、不都
合な物は見せないのだ。
だから今回、
とにかく急いだ。
「脱
線」の一報を受けた土曜の夜、上海
で留学当時の語学の先生と食事を終
えたところだった。先生には申し訳
ないが、タクシーの中に置き去りに
し、私は交差点のど真ん中で下車。
支局へカメラを取りに行き、着替え
も持たずに現場へ向かった。
車で5時間半、現場周辺に到着し
たのは午前4時半だった。やじ馬が
集まり、警察が道を封鎖している。
2011. 9. 10 No. 499
16
20
新潟 記録的豪雨
13
29
避難指示の出た下田地区では住宅
は変わらなかった。
など 棟が全壊。その現場周辺に向
しかし午後6時 分、信濃川が洪
かった記者が、土砂崩れで道路が寸
水の恐れがあるとして、総局のある
断され、小学校で一夜を過ごす「避
J R燕三条駅近くの地区も含めた全
難者」になった。それでも総局のほ
市に避難勧告が出された。支流の五
か、応援に来た全員が今も元気に取
十嵐川ではなく、日本一長い川で洪
材活動しているのが何よりだ。 日
水と聞き、恐怖を覚えた。気の休ま
午後、川と化した道路や水に埋まっ
らぬ中、本社からの応援3人と総局
た水田のテレビ空撮を見て「あそこ
で仮眠した。パソコンに映し出され
に車がいたら」と思うと寒気がした。
る雨量レーダーを横目に見ながら。
総局管内では、五十嵐川沿いを走
翌 日午前5時、「五十嵐川決壊」
行していた乗用車の男性と、田んぼ
が報じられ、記者たちが最前線に散
の様子を見に行った田上町の男性2
った。 、 の両日には本社から記
人が亡くなった。少なからず教訓も
工事が行われ、今回の豪雨直前に完
生かされ、住宅での犠牲者は出なか
者・カメラマンが6〜8人、その後
も複数の応援を得ながら取材に当た
成。水があふれ出たものの、決壊は
ったが、顔写真取りの作業もした。
った。
なかった。しかし未改修部分の上流 今回の豪雨はダムのある三条・笠
で約150㍍決壊した。ただ、上流
堀地区で降り始めから約1000
●7年前の教訓生きた避難勧告
部の決壊で、水田がダムの役割を果
㍉。まさに「想定外」で、今後は「防
三条市は早期に「全市避難勧告」
たし、下流域の溢水(いっすい)が
災」ではなく「減災」を、行政も取
を出し、最大時は市民約2800人
最小限で済んだ、との見方もある。
材する我々も重視していかなければ
ならないと感じた。
が 公 共 施 設 や 小 学 校 な ど に 避 難 し 避難勧告の中にいて、不安な気持
は ら・ ま さ き
1987 年入社
旧与板
た。「7・ 」 時、 決 壊 直 前 に 出 さ
ちの一方、頼もしさも味わった。本
支局長などを経て
2009年から現職
れた避難勧告は、広報車が回って周
社も含め預かった人員配置で、記者・
知を図ったが効果は薄く、激しい雨
カメラマンから「連絡要員がいるの
音でかき消された。今回は自治会長
で2人で行きます」など、的確な判
らが持つ約480台の受信機、市内
断の言葉が多く出た。電話のやり取
約180箇所のスピーカーの防災無
りも冷静で、7・ 水害の3カ月後
線が機能を果たした、と言えそうだ。 の中越地震、 年の中越沖地震など、
市街地では「7・ 」後に堤防改
度重なる災害で記者たちが鍛えられ
修工事(かさ上げ)と橋の架け替え
ていることを痛感した。
30
13
10
30
新潟・福島豪雨
7 月 26 日 か ら 降 り
始 め、 新 潟 県 内 で 4
人が死亡、1 人が行方
不 明( 8 月 29 日 現
在)。住宅被害は 9 千
棟を超え、約 40 人が
避難所生活を続けてい
る。 田 畑 の 被 害 は 約
1 万 6 千 ㌶ に 及 び、
米の作柄が懸念されて
い る。15 市 町 村 が 災
害救助法の適用となっ
ている。
( 25 )
数度の災害で
鍛えられた記者
■原 正紀
(新潟日報社三条総局長)
「五十嵐川がやばいですよ」
。総局
の屋根を激しくたたく雨が降り続く
7月 日正午ごろ。降り始めから3
日目となり、水位は堤防すれすれま
で迫っていた。一向に収まる気配を
見せない雨に、
写真で見た
「7年前」
がよぎった。
「7・ 水害」
。三条市
を流れる五十嵐川南部・通称「嵐南
地区」が決壊し、市街地の住宅1階
部分が水没。高齢者を中心に7人の
犠牲者が出た。
同日の午前、隣接の加茂市・下条
川が警戒水位を超え、同じころ総局
記者の車が同市の道路で水没、運転
不能に。けがはなかった。この時点
で も「
『本 丸 』 は 五 十 嵐 川 」 の 読 み
2011. 9. 10 No. 499
三 条 発
30
29
10
13
07
13
蛇行する五十嵐川 上流部で決壊 冠水した水田も
ブルーライト東海村 JCO臨界事故
CO)
」 の 東 海 事 業 所(茨 城 県 ) で
この国初の臨界事故が起こった。そ
の翌日の米紙ニューヨーク・タイム
ズ「第一報」の見出しである。この
記事は事故の模様をまずつぎのよう
に伝えた。
「ウ ラ ン が 核 分 裂 連 鎖 を 起 こ し 始
めた時、専門用語で言えば、
“臨界”
に達した時、突然放射線の不気味な
光、青い光( a flash of blue light
)
が…核燃料加工施設で液化ウランを
かき混ぜていた作業員の一人がこの
光を見た、というのだ」(筆者訳)
この印象的な情景描写を冒頭に引
用したのは、現場作業員の初歩的ミ
スにNYタイムズ記者がいかに驚い
たかが見事に現れていたからだ。そ
して拙稿は、事故の背景へと続く。
問題は原子力発電の分野を電力業界
伊藤
三郎
るための団体」(ホームページから)
で、役員には財界、国税庁、財務省
(旧 大 蔵 省 ) のO B や 幹 部 が ず ら り
と並び、官民協同の総本山のような
組 織。「租 税 研 究 」 は 世 界 中 の 税 制
や経済をめぐる論文を満載した極め
て お 堅 い 雑 誌。 そ の 中 で 唯 一、「何
でもあり」の巻頭エッセーを輪番で
私が担当していた。
●「核爆発ではないか」
科学記者に食い下がる
という極めて特殊な業界に委ねてい いつも通り締め切りに合わせて原
る点にある。
「特殊な」という意味は、
稿
を送り、あとは校正のためのゲラ
全国の電力市場を9(現在は )地
を、と待っていたところ、デスク役
域 に 分 割 し て 地 域 独 占 を 認 め、 そ の
のT氏から電話で「誠に申しわけな
料金は政府の許認可制。国営・公営
いが、頂いた原稿を掲載できません」
に近い「特権」を与えられる一方で、
と。理由はこうだった。
株式を公開し、営利を目的とする民
間企業である。こうした「民」とも 当時、同協会の会長は那須翔・東
「官 」 と も と れ る 曖 昧 な 性 格 を も っ
京 電 力 相 談 役(元 社 長、 会 長 )、 T
た業界に原子力の平和利用に限って
氏
はその関係で東電から同協会に転
担わせる、そういう分かりにくいわ
出、機関誌の編集を担当していた。
が 国 の 原 子 力 開 発 体 制 が、 こ ん ど の
つ ま り こ の 時、「租 税 研 究 」 の 編 集
「核 分 裂 事 故 」 の 底 に 横 た わ っ て い
は“東電シフト”が敷かれており、
る。
原子力発電と核燃料サイクル政策を
めぐって政府と電力業界を厳しく批
判した拙稿を通すか、否かは、T氏
のサラリーマンとしての命運を左右
する難問であることを、この瞬間初
めて認識したのだ。
この欄を執筆した 年 月から春
10
この原稿を載せてくれなかった雑
誌 の 名 は「租 税 研 究 」。 社 団 法 人・
日本租税研究協会(会長=今井敬・
新日本製鉄名誉会長)の月刊機関誌
で あ る。 こ の 協 会 は、「民 間 の 立 場
から財政・税制問題を調査・研究す
( 26 )
─書いたけれど載らなかった話─
今 回 は、
「書 い た け れ ど 載 ら な か
った話」を。テーマは他でもない。
原発・核燃料サイクルという今日的
な重い問題。この原稿がなぜ引き出
しに長年眠ることになったのか。四
百字詰め十数枚のエッセーのさわり
の部分とともに、ことの顛末を開陳
する ─ 。
●NYタイムズ見出しは
「ピカッと光、制御不能」
30
幻の原稿は以下のような書き出し
だった。
“ピ カ ッ と 光、 そ し て 制 御 不 能 の 核
分裂連鎖が…”
(“ A Flash, and an Uncontrolled
”
)
Chain Reaction
1999 年9 月 日、日本の核燃
料加工会社「ジェー・シー・オー(J
94
11
書いた話 書かなかった話
2011. 9. 10 No. 499
2011. 9. 10 No. 499
10
JCO臨界事故発生で封鎖された道路では 防護服と
マスクを着けた警察官が交通整理にあたった 茨城県
東海村=1999. 10. 1 大野明撮影 朝日新聞社提供
故当日の編集局」の場面に、そ
の痕跡を残している。
(
「臨界事故」の速報を伝えた夕
刊 早 版 を 手 に、「臨 界 事 故 で は
何のことやらわからん!」と叫
ぶや、原子力専門記者に食い下
が っ た )「東 海 村 の 核 燃 料 工 場
で起きたことは、小なりとは言
え
“核爆発”ではないか…」。(略)
「今 朝 東 海 村 か ら 東 京 に 出 て き
構 」 へ( 年 )。 が、 こ の 改 組 の 繰
り返しで核燃料サイクルの前途がど
れほど明るくなったのか。海外から
の辛辣な批判も拙稿に紹介した。
「日 本 の 核 開 発 政 策 は、 ど ん な 犠
牲を払っても前進一途というひどい
もの。こんどの事故も起こるべくし
て起こったものだ」─ 以前から日本
の原子力政策に厳しい目を注いでき
05
民間企業作業員の単なる不始末、と
いう結論で終わらせてはいけない。
世界の原子力関係者たちを唖然とさ
せた作業ミスも、実は日本の核燃料
サイクル政策の混乱がもたらしたの
ではないか ── 。
ブルーライトが似合うのは横浜!
東海村に「青い光」は今回限りにし
てほしい。
た 地 球 環 境 問 題 の N G O グ「 リ ー ン 今にして思うに、私は拙稿の掲載
た人々が、今から家に戻って放
ピ ー ス 関 係 の 核 問 題 専 門 家 は、 東
を 拒 否 さ れ た 時、「言 論 の 自 由 」 を
」
射能は大丈夫か、どうか。一番
海 村 の 事 故 に こ う コ メ ン ト し た(ワ
傷つけたことに対し、日本租税研究
肝心なことが夕刊の記事ではわ
シントン発ロイター通信)。
協会に抗議の一筆を提出すべきだっ
からんのだ」
た。この掲載拒否の一件を「なかっ
●素人の意見が大切だ
当 時、「朝 日 新 聞 」 で 国 際 シ ン
たことにした」私の言動に対する
秋計 回の5年間。編集者とのトラ
ポジウムや創刊120周年記念事業 核最先進国である米国が早々と高 「甘 か っ た 」 と い う 批 判 は 甘 受 す る
ブルは一度もなかっただけに、突然
速増殖炉開発からの撤退に踏み切
覚悟で本稿を書いた。
の裏方役を命じられ、本業の筆はお
の掲載拒否は衝撃的だった。
預けを食っていた。そのイライラに、 り、続いてフランスの実証炉開発計 多くの市民の幸せを奪い、いまだ
「わ か り ま し た。 こ の 原 稿 は な か
画ももたつき、英国、ドイツも開発
に確たる収拾の道筋も立たぬ「フク
核燃料工場のお粗末な事故が重なっ
ったことにしましょう。ただし、今
を見合わせ…といった世界の動き
シマ原発事故」の不条理を前にして、
て、私の怒りも「臨界」に達したの
回をもって巻頭エッセー執筆は終わ
と、「前進一途」の日本を比較しつつ、 ようやく踏ん切りがついた。ここは
だろう。筆の矛先はわが国の核燃料
りに ─ 」
私は「幻のエッセー」をこう結んだ。
自らの恥を忍んでも、電力会社によ
サイクルへと向かう。
自分と同じサラリーマンであった こ の 政 策 推 進 の 柱 と な っ て き た
る露骨な言論操作の一端を文字の記
こんどの「核分裂事故」をきっか
編集者T氏に対しては
「武士の情け」 「動力炉・核燃料開発事業団(動燃)」
録に残しておかねば、と。
けに高速増殖炉断念への政策転換
で穏便に収める一方、租税協会とい
は、東海村事故に先立つ 年代に高
を、と求めても、開発推進論者や関
いとう・さぶろう
1940年生ま
う組織に対しては「三行半(みくだ
速増殖炉がらみの事故と開発計画の
係者は簡単には納得しないかもしれ
れ
年
朝
日
新
聞
入
社
ヨ
ー
ロ
ッ
パ
りはん)
」 を 突 き つ け て、 こ の 問 題
遅れに手を焼く。業を煮やした政府
ない。それでもあえて主張するのは、
総
局
員
(
ロ
ン
ド
ン
)
週
刊
誌
A
E
R
原子力の分野ではとりわけ素人が意
に私なりのケリをつけた。
A
副
編
集
長
フ
ォ
ー
ラム事務局長
は「動燃」を解体して「核燃料サイ
編集委員などを務め
2000年退
見を吐きつづける事が大切だと思う
幻のエッセーに戻ると、以前から
ク ル 開 発 機 構 」 に 改 組( 年 )、 さ
社
朝日カルチャーセンター
(札幌)
からだ。
科学記者(の一部)の原稿が原子力
らにこれを日本原子力研究所と統合
社
長
福山大学客員教授を経て
現
東海村の“うっかり臨界”事故を
政策に甘いことへの私の不満が「事
して現在の「日本原子力研究開発機
在フリーランス
90
98
( 27 )
2011. 9. 10 No. 499
書いた話 書かなかった話
2011.
9. 10 No. 499
63
松崎明さん
私についた唯一の嘘
23
11
75
26
12
あ る と き、「松 崎 さ ん は
革マルですか」と単刀直入
に聞くと「違います」と一
言。松崎さんが私についた
唯一の嘘だった。黒田寛一
の下、革マル派結成時の副
議長であったことは後に本
人も認めている。(『松崎明
ラオケを歌う仲だった。しかし、
革マルの影を引いてか、労働界で
は 異 端 だ っ た。「笹 森 さ ん に 会 い
たい」と頼まれ、笹森清連合会長
との橋渡しをしたが、松崎さんが
急に中国へ行くことになり、実現
しなかった。すでに革マルからは
離れていたが、労働界主流の人脈
に近付こうとした理由は何だった
のか。幻のトップ会談だった。
2010年 月9日、突発性間
質性肺炎で死去。 歳。偲ぶ会が
年3月3日、東京・品川のグラ
ンドプリンスホテル新高輪で開か
れ、2000余人が参列。
光子夫人は「こんなにたくさん
の人が支えてくださったとは」と
絶句した。
同ホテルでは 年7月 日、平
岩外四・元経団連会長の「告別の
会」が開かれ、きらびやかな人脈や
業績がパネル写真で紹介された。
松崎さんの若い姿はデモやストに
明け暮れる動画の中にあった。
正統と異端だが、人柄を慕って
参列した人たちの気持ちは、どち
らも同じように思えた。
動労の鬼逝きて今春の塵
74
きやま・くにき 元読売新聞社会部次長
( 28 )
三塚運輸相
(当時)
と会談する松崎明動労委員長
(右)
= 1986.1.9 運輸省 時事通信社提供
んですよ。弱りました」と漏らした。
家族を思う心痛が伝わり、鬼も普通
の親だと思った。その後、引っ越し
て行った。
国 鉄 分 割 民 営 化 で は、「組 合 員 の
雇用と生活を守る」をスローガンに、
労使協調路線に180度転換した。
「北 海 道 の 仲 間 が、 東 京 に 出 て き て
ホテルマンになってくれたんですよ。
も う、 ス ト は し ま せ ん 」。 リ ー ダ ー
の決断と孤独の中で組織を引っ張っ
ていた。分割民営化に反対する国労
を「トンボに眼鏡だ。先が見えない」
と皮肉った。
松崎さんの人脈は驚くほど広かっ
た。元警視総監の秦野章さんとはカ
12
07
にあり、バラック建ての引き戸を
がらりと開けるとヘルメットが転
がっていて、数人の組合員の刺す
よ う な 視 線 が あ っ た。「革 マ ル 」の
噂が胸をよぎったのを覚えている。
そうして、 年のスト権ストに
突入。 月 日から 月3日まで
8日間にわたり陸海空の足が止ま
り、日本列島はマヒした。
修羅場で何度も取材に
行くと、松崎さんは隠さ
ずに本当のことを言った。
意外だった。
城山 邦紀
秘録』同時代社)
松崎さんのお嬢さんが小学校3年
生のころ、当時女の子に流行のウサ
ギの毛皮のポシェットを持って、都
内の自宅へ夜打ちをかけたことがあ
る。話しているうち、ふと「このマ
ンションに住んでいる記者が『動労
の松崎がここにいる』と住民に言う
11
動労(国鉄動力車労働組合)は
当時、国鉄ストライキを連発、鬼
の動労と言われた。
1973年、動労東京地方本部
委員長に就任した松崎明さんは、
壁際で取材している労働記者を壇
上 か ら じ ろ り と 見 て、
「こ こ に ブ
ル新の記者がいる」と言った。面
私 が会った若き日の
と向かってこんなことを言われた
のは初めてで、強く反発した。
松崎さんは東京地本を拠点に、
影の実力者として動労中央本部を
動かしていた。前年の 年には地
本書記長として順法闘争など反マ
ル生闘争を展開、鬼と呼ばれた。
東京地本はそのころ東京駅の裏
鬼の動労
72
リレーエッセー
2011. 9. 10 No. 499
は党主催で別に行いたいらしい。吉
田慎一理事長や小孫茂企画委員長ら
に相談し、「クラブが主催する会見」
と 党 に 念 押 し し て 同 意 し た。「 日
午後2時から」と確定したのは 日
の党選管。会員に案内を届けられた
会見」という長い名前で実施した。去
年同様、気をつかう暑い日が続いた。 のは2日前の 日と今年もぎりぎり
だった。
辞めそうで辞めない菅首相を待っ
ていても始まらない。民主党本部と 実は 日には大きな予定がふたつ
あった。奈良新聞が一般の出席者3
の連絡は日ごろから絶やさず、退陣
00人以上を集め大掛かりな文化講
3条件の会期内成立のめどがついた
座を開く。高知新聞・高知放送東京
8月 日、党本部を訪ねる。岡田克
支社が銀座から日本プレスセンター
也幹事長あての協力要請文書を手渡
ビルにオフィスを移転し、引っ越し
した。その時点では、 日投票説が
てくる。 階ホールは民主党会見で
有力で「クラブでやるのは前日の
使うため、奈良新聞には9階宴会場
日か」と思われた。もっとも、投票
日は 日だ、 日だ、と決まらず、
記者を集めた研修はどの会社も
人数もわからない。こちらは「それ
行っているだろう。でも、これほ
じ ゃ、 日 の 日 曜 も あ り か 」「ま さ
ど、講師や議論が充実しているも
か、 日に前倒しはあるまいな」と
のは少ないのではないか。私が記
カレンダーを横目に気をもむばか
者時代に受けた研修とはレベルが
り。 、 日は記者研修会で会場は
違う。などと思わず自慢したくな
びっしり使っているので、ついでに
る。8月 日、 日の2日間、開
民主党代表選も、とはいかない。
いた今年の記者研修会は刺激に満
ちていた。
岡田幹事長が 日の記者会見で日
詳しくは特集(4〜 ページ)
程 を 発 表 し、「日 本 記 者 ク ラ ブ か ら
を見ていただくとして、パネルデ
討論会開催の申し入れがあるので優
ィスカッションは大震災・津波・
先したい」と発言した。これで「
原発取材の裏と表を語りあった。
日開催」までは固まった。さらに、
記者の本音と悩み、そして取材態
クラブは「共同記者会見」で、と党
勢を作り、広げる難しさに話が及
本 部 か ら 打 診 が あ っ た。「討 論 会 」
30
22
27
27
10
28
29
26
28
26
25
に会場を移していただき、高知新聞
ともエレベーターが支障なく使える
よう相談した。プレスセンターの協
力もあり、トラブルはなかった。
候補者5人全員が初めて一堂に集
まり、政策を開陳し、手加減しない
質問にさらされた。代表選の方向を
決めた2時間 分の共同記者会見を
各 メ デ ィ ア は 大 き く 報 じ た。「民 主
代表野田氏」の号外で再び詳報した
新聞もあった。ジャーナリズムの勝
負どころだから、前から横から斜め
から候補者のことばが分析対象とな
る。その機会を今年もクラブが作り
だすことができた。
(専務理事
中井良則)
から 人もの記者が加わってくれた。
送 っ た。 幸 い、 新 聞5 社、放 送9 社
っていない新聞、放送各社に案内を
会、民放連加盟社でクラブには加わ
加を呼びかけることにした。新聞協
り、今年はクラブ会員社以外にも参
公益社団法人に移行したこともあ
だろう。
ちが持ち帰ったものはずしんと重い
つくした。全国から参加した記者た
ねに、現場を歩きまわる仕事を語り
家、佐野眞一さんの2人は怒りをば
清水潔さんとノンフィクション作
び、
濃い時間となった。日本テレビ、
13
来年も仲間をもっと広げたい。
( 29 )
27
10
25
25
去年もやった
今年も開いた
来年も?
民主党代表選記者会見
どこの組織にも「これははずせな
い」
「こ れ を 落 と す わ け に は い か な
い」といった仕事がある。日本記者
クラブにとって、衆院選と参院選の
党首討論会がそれにあたる。与党お
よび野党第一党の党首選で候補者を
招き質問するのも、やはりはずせな
い。与党なら首相、野党第一党なら
首相に対抗するキーパーソンを選ぶ
からだ。
首相が辞めるたびに、クラブでも
与党党首選の討論会や記者会見を開
くことになる。昨年も9月2日、菅
直人さんと小沢一郎さんの一騎打ち
となった民主党代表選の討論会を主
催した。ぎりぎりまで、実現できる
かわからず、気をつかった。
1年もたたないうちに、またも代
表選の候補を招くことになるとは思
ってもいなかった。新首相選びが夏
の行事として日本に定着してしまっ
たのだろうか。
27
*決まらない、わからない*
ともかく、今年は8月 日の土曜
日、「民主党代表選立候補者共同記者
17
2011. 9. 10 No. 499
●会員社以外からも仲間に 記者研修会
26
11
24 27
2011. 9. 10 No. 499
●賛助会員の会 倉重毎日編集委員が講演
新しいOB会員
菅首相の退陣時
たけうち
1980年朝日新聞入社。高知、神戸支
局、経済部、バンコク、ニューデリー
ラブの企画委員も
務める毎日新聞の
特派員、編集委員。今秋から米ライシ
倉重篤郎・論説室
ャワーセンター客員研究員。
専門編集委員が菅
新聞記者時代は仕事の半分以上をアジア報道に費
政権の行方を解説
やしました。今後も日本とアジアの関わりをテーマ
した。”粘り腰”を見せる菅首相だが、政権を支えるい
にします。よろしくお願いします。
くつかの要因の中で、残っているのは「本人のやる気」
だ
けになったとして、時期は誤差の範囲で8月末までの退
陣は動かないとの見方を示した。
8. 2 参加者 18社 36人
ゆきふみ
▼竹内 幸史
期がメディアの注
目を集める中、ク
人ら100人が出席した。業績を語るとともに、遺影の傍
らに並ぶ“ドタさん”の作品にも見入りながら、その人
柄を偲んだ2時間だった。
(8. 20 レストランアラスカ)
●放送人政治懇話会
情報発信
テレビ・ラジオ局の現役・OBの政治記者たちが定期
的に政治家を講師に勉強会を開催している。8月は高木
陽介公明党幹事長代理を招いた。
(8. 24 大会議室)
クラブ施設では会員による各種の会合が行われていま
す。企業や大使館などの賛助会員も記者発表の場としてク
●奈良新聞が文化講座 古事記1300年をテーマに
古事記が編纂されて2012年で1300年を迎える。第1部
は明日香村教育委員会の西光慎治技師が2010年の牽牛子
ラブを利用しています。
●読売ワークシート通信活用セミナー 読売新聞は子どもたちに新聞に親しんでもらうため
に、学校や教員対象に新聞記事教材の無料配信サービス
塚古墳と越塚御門古墳の発掘成果について報告、第2部
では上田正昭京都大学名誉教授が「古事記1300年の歴史
内政明論説委員が「教育と新聞」について講演したあと、
的意義〜古事記の内実を読む」をテーマに講演した。約
300人が参加。
(8. 27 宴会場)
ワークシートの実践例や活用法などが紹介された。約70
人の小中学校教員らが参加した。(8. 11 10階ホール)
■会議報告
(http://yomiuri-education.jp/info/)を行っている。竹
JCJ賞の贈賞式が行われた。大賞は朝日新聞「大阪地検
第325回会報委員会(8. 4 小会議室)
9月号の編集について協議し、
「3.11から半年」
「9.11
から10年」特集を掲載することにした。通算500号とな
る10月号から題字を変更しフロントページ刷新を行うこ
特捜部の元主任検事による押収証拠改ざん事件」の特報
とを決めたほか、500号記念特集の企画を協議した。
ならびに関連報道と、NHK・ETV特集「ネットワー
出席 奥野委員長、大寺、石川、坂井、富田、萩谷、橋
クでつくる放射能汚染地図〜福島原発事故から2カ月」
が選ばれた。(8. 13 10階ホール)
本、森嶋の各委員。
●土田節郞さんを送る会
下記の役員の一部交代を承認した。
クラブの理事、企画委員を務めた土田節郎会員(TB
S出身 享年87)が6月13日に死去した。「土田さんを
<理事交代>
●2011年度JCJ大賞は朝日新聞とNHKに
日本ジャーナリスト会議
( JCJ http://www.jcj.gr.jp/)
が優れたジャーナリズム活動や作品を顕彰する2011年度
第507回理事会(書面)
送る会」が開かれ、TBSの後輩、故人の母校で戦時中
関西テレビ放送
(新)寺村 明之 東京支社長
サイゴンにあった南洋学院の友人、絵画、陶芸教室の友
(旧)大道 一郎
民主党代表選立候補者共同記者会見 開催メモ
▼日時:8月27日(土)14:01〜16:13 前原誠司 馬淵澄夫 海江田万里 野田佳彦 鹿野道彦(届け出順、敬
称略)▼第1部(60分):立候補者が基本的な主張を述べた後(各候補持ち時間2分)
、下記の5つの政治課題につ
いて答えた(各候補持ち時間1分30秒)、①震災復興、②原発事故への対応・原発政策、③財源・増税、④マニフェ
ストの見直し、⑤政権の枠組み・野党との関係。▼第2部(72分)
:会場の出席者から寄せられた質問も参考に企画
委員会の代表が質問した ▼総合司会:川戸惠子(TBS)
、第1部質問:神志名泰裕(NHK)
、第2部代表質問:
橋本五郎(読売)、倉重篤郎(毎日)、原田亮介(日経)
、星浩(朝日)の各企画委員▼過去4回の討論会を参考に、
与党クラブの一線記者優先で参加を受け付けた。ペン取材253人。スチルは東京写真記者協会8社、FPIJ(外人
記者クラブ)代表(新華社)のほか外通5社。▼放送はNHKが総合テレビで生中継(ラジオも同様)
。視聴率は関
東5.6%、関西4.4%。民放はテレビ東京が代表で中継取材。夕方、夜のニュースで取りあげた。ENGはテレビニュ
ース映画協会代表(日本テレビ)、FPIJ代表(PRESSTV)のほか国内4社、外通4社が取材。民放ラジオは国
会放送記者会加盟社が取材。▼参加総数は331人。
〔HP動画・会見詳録〕
( 30 )
2011. 9. 10 No. 499
バー、レストラン、宴会
高知新聞・高知放送東京支社が
プレスセンターに移転しました
予約電話 和食 3503-2723 洋食 3503-2766
レッドライオン 8月27日、日本プレスセンタービル3階に移転、29
日から業務を開始しました。クラブの監事でもある高
知新聞の松島健東京支社長は「このビルに入居する地
方紙は弊社で7社目だそうです。幸運の女神が『ラッ
キーセブン!』とほほ笑んでくれたらいいですね」と
話しています。
〒100-0011
東京都千代田区内幸町2-2-1
日本プレスセンタービル3階 電話 03-3506-7281
獅子座をモチーフにしたカクテ
ルで、ヨーロッパで多い赤いライ
オンの家紋に由来します。ジンをベースに
オレンジキュラソーとレモンジュースをシ
ェイクしたキリリとした味わいをお楽しみ
ください(630円)。
和
食
初秋懐石 (9月30日まで)
松茸の土瓶蒸し、松茸ご飯、秋鮭など秋の味
覚をおたのしみください。
突出:太刀魚南蛮漬け、白和え、きのこ菊花和え 椀:
松茸土瓶蒸し 刺身:三点盛り 焼物:秋鮭きのこ焼き
煮物:蕪の菊花あんかけ 揚物:きのこ天麩羅 食事:
松茸御飯 水菓子:季節の水菓子 5,250円 グラス冷
酒付き
(板長 大井由光)
洋
食
秋刀魚と伊勢海老コース(10月15日まで)
洋食も秋の味覚をそろえました。ランチ、
ディナー(土曜日はランチのみ9階レストラ
ン)ともご利用いただけます。
秋刀魚のマリネ レモン風味 伊勢海老のスープ仕立
て サフラン風味 クープドマロン パン又はライス付
き、コーヒー又は紅茶 3,675円 (シェフ 黒須修一)
会員社のホールで開催されるイベント情報です
◆日経ホール 能と狂言 和楽の世界 〜囃子からみた
能「頼政」と狂言「通円」〜亀井広忠プロデュース
野村万作、亀井忠雄、梅若玄祥ら第一人者と野村萬斎、
亀井広忠、梅若紀彰ら後継者たちが競演します。
11/24 昼公演15時開演、夜公演19時開演(8,500円)
問い合わせ:03-5281-8067 http://www.nikkei-hall.com/
◆サントリーホール オペラ・ガラ
3人の若手歌手がヴェルディ、プッチーニなどのイタ
リア・オペラを華やかに歌い上げます。
10/3 19時開演(6,000〜15,000円)
問い合わせ:03-3584-9999
http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/
◆王子ホール レイフ・オヴェ・アンスネス ピアノコ
ンサート アンスネスの母国ノルウェーの作曲家・グリ
ーグの作品やブラームスのバラードなどをお楽しみくだ
さい。
9/20 19時開演(7,000円)
問い合わせ:03-3567-9990
http://www.ojihall.jp/
LED照明に変わりました
15.7×270=4,240
クラブ施設内の照明をLED電球に交換することで節
約できることになった1時間当たりの消費電力です。
これまでの蛍光灯ランプが22W、交換したLED電球
が6.3Wでその差が15.7W。交換した数が約270個で、1
時間当たり4,240Wの節電になります。年間で計算する
と約12,000KWになり、クラブが使用している電力のほ
ぼ3カ月分に相当します。あくまでも計算上の数字では
ありますが、意外と大きな数字になるものです。
この夏はプレスセンタービルも15%の節電が義務づけ
られました。その一助になればと、7月の施設運営委員
会でLED電球への交換を決定していただきましたが、
品薄のため購入が遅れ、8月中旬にようやく交換するこ
とができました。
<法人会員代表変更>
大阪放送 徳永正明・代表取締役社長(旧・鈴木理司)、
静岡朝日テレビ 中井靖治・代表取締役社長(旧・河合
久光)
、広島ホームテレビ 平井和行・取締役(旧・木
下享介)
<訃報>
守屋林司会員(日本経済新聞社、61歳)が8月9日、
すい臓がんのため死去されました。謹んでご冥福をお祈
りいたします。
<会員現況> 法人会員 129社 基本会員 744人
個人会員 1,456人 法人・個人賛助会員 67社 168人
特別賛助会員 87人 名誉・功労会員 10人
学生会員 27人
計 196社 2,492人
HP http://www.jnpc.or.jp/
NEW! 8月のアップロード
■会見詳録
民主党代表選立候補者共同記者会見 前原誠司、馬
淵澄夫、海江田万里、野田佳彦、鹿野道彦(届け出
順、敬称略)
(8.27)
玄侑宗久 東日本大震災復興
構想会議委員「溶融する原発周辺地域の市町村」
(7.9)
池内恵 東京大学准教授「エジプト移行期
政治プロセスの進展と中東政治の再編」
(5.11)
クラブの電話 ダイヤルイン
和食レストラン(9階)
3503−2723
洋食レストラン(10階)
3503−2766
貸室予約、宴会打ち合わせ
3503−2724
受 付
3503−2721
会員事務
3503−2727
経 理 3503−2728
クラブ行事への申し込み
3503−2722
会見申し込みアドレス
[email protected]
会報委員会
委員長=奥野知秀
委 員=石川荘太郎 大谷 徹 大寺廣幸
小西美和子 坂井 幸 富田 恵 萩谷 順
橋本 聡 牧 久 森嶋幹夫
事務局=長谷川和子 本庄五月
(電 話 03−3503−2752 FAX 03−3503−7271)
今後の行事予定(9/5 現在)
9月29日
(木)12:30〜14:00(10階ホール)
トム・カーリーAP通信CEO 昼食会
ホームページの「会見カレンダー」で、日時の変更なども
含め、最新のクラブ行事をお知らせしています。参加申し
込みもカレンダーからできます。
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2011. 9. 10 No. 499
一本松よ──
関西の夏も、やはり今年は特別のもの
だったように思う。被災地代表校が参加
した甲子園の高校野球大会。そして8月
日 夜 の 京 都 の「五 山 の 送 り 火 」。 い ず
れも例年とは少し趣が違った。
幸いなことに所属する大学の研究室か
ら五つの送り火のうち「妙法」
「船形」
「左
大文字」を拝むことができる。夜空をこ
がす炎を眺め、しばし亡き人の精霊を送
16
る盆の伝統行事に思いをはせた。
何が特別だったのか。この本番までに
震災犠牲者の弔い方をめぐり、二転三転
の曲折があったことはご存知だろう。
早い段階で岩手県陸前高田市の景勝地
「高 田 松 原 」 の 被 災 マ ツ を 薪 と し て 燃 や
す計画が立てられた。だがマツの放射能
汚染を懸念する声が京都市や大文字保存
会に寄せられ、いったん断念。
と こ ろ が「風 評 被 害 を 助 長 す る 」「京
都に裏切られた」といった批判が殺到。
お盆入りの8月13日未明 一本松の上空に ペルセウス座流星群の流れ星が輝いた
岩手県陸前高田市
再度、被災マツを取り寄せて燃やすことに。
そして念のためと調べたところ、放射性セ
シウムが検出され、やはり中止に……。
最終的には、まず点火された東山の「大
文字」で震災犠牲者の霊に黙とうをささげ、
陸前高田市民が当初寄せたメッセージを書
き写した護摩木も一緒に燃やされた。
高田松原で唯一残った一本松よ──。失
った7万本の仲間に、君は、日夜どんな思
いをはせているのだろうか。
(加藤
千洋)
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( )
毎日新聞東京本社写真部
てづか・こういちろう
撮影 手塚 耕一郎
写真回廊
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