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コミュニティを空間的に取り戻す

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コミュニティを空間的に取り戻す
特集2/環境制約・人口減少下のコミュニティ形成に向けて
コミュニティを空間的に取り戻す
千葉大学大学院工学研究科准教授 岡部 明子
午前中は理論の話で、文理融合と最初にご紹介がありましたが、午後は理系
で何か数式が出てくるという話でまるでありません。理系は実働部隊です。社
会の厳しい状況の中で傷だらけになって何か活動するというのが、実際の都市
計画のコミュニティを扱っている人たちのやっていることです。まちづくりの
実践です。
ただ、日本におけるまちづくりの実践の主流は、小さなコミュニティを相手
にした幸せな世界です。他方、私はヨーロッパに長かったこともありまして、
都市政策というのは社会的な格差や排除の問題と関わるものだという意識を
持っています。そのような思いで日本の現場に出て行きますと、なかなか障害
が多くて悪戦苦闘しているという状況です。
まず、私の今日の話で、「空間的」とは物理的な空間のことを指しているの
ですが、
「コミュニティを空間的に取り戻す」とはどういうことなのかをまず
お話します。次に、仕事を作り合うコミュニティの空間の事例として、2 つの
里の町をとりあげます。オーストリアのシュタインバッハと信州新町です1。3
番目のテーマとしまして、
環境制約・人口減少下の地方都市郊外の再編とコミュ
ニティの役割という話をしようと思います。
1
シュタインバッハと信州新町については、岡部明子(2010)
「コミュニティを空間
的に取り戻す」広井良典・小林正弥 編『持続可能な福祉社会へ 1 コミュニティ』
勁草書房 113-133 頁を参照。
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コミュニティを空間的に取り戻す
図 1 コミュニティが希薄化した空間的な要因
2 番目は、それ自体が一つのコミュニティであるような町の場合です。3 番
目の方は、静岡市が具体的な例なのですが、複数のコミュニティがあるスケー
ルの都市の話です。
まず、コミュニティを「空間的」に取り戻すとはどういくことか、を考えて
みたいと思います。文系の方と議論していると、「空間」という言葉に対して
建築や都市計画を専門とする私たちとずいぶん違った認識を持っている気がし
ます。ここでいう「空間的」とは、あまり理念的な次元ではなく、きわめて具
体的なことです。なぜ今、
ただ「コミュニティを取り戻す」のではなく「コミュ
ニティを空間的に取り戻す」ことを問いかけようとしているのか。その原点と
なる問題意識は、近代化によって住む場所と働く場所と楽しむ場所、3 つの場
所が、機能によって空間的に切り離されてしまったことです。そして 3 つの
場所は相互に移動手段で結ばれるようになりました。昔は、住んで働いてそこ
で楽しむ空間があった、すべてひとつの空間になっていた、そこにはコミュニ
ティは当たり前のようにあった。けれども、近代の合理化、効率化の陰で、コ
ミュニティというひとつの空間が引き裂かれてしまったのです[図 1]。つまり、
コミュニティが希薄化した根源に、空間的な問題があると見ています。
この問題は、「生産のコミュニティと生活のコミュニティの分離」ともとら
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千葉大学 公共研究 第6巻第1号(2010 年3月)
えられています。この現実を受け入れて、生活のコミュニティの中にいわゆる
コミュニティを生かし続けていこうというのが、近代の都市計画の考え方でし
た。ところが、
今になって思ってみますと、
生産を切り離した生活だけのコミュ
ニティで、住んでいる人たちの、住んでいることだけが共通のコミュニティと
いうのが本当に成立するのだろうか、その保証はありません。
1970 年代ごろまでは、地方から出てきた方が多くて、そうしたコミュニティ
の原体験を持っている人たちが郊外の団地などに住み、そこで前近代のコミュ
ニティの経験を基に生活のコミュニティというのは成り立っていたのではない
か、つまり、それはある過渡的な状況でコミュニティが存在したけれども、よ
く考えてみると生活だけのコミュニティというのは幻想なのではないかという
問題認識を持っています。
コミュニティが存在するためには、生産と生活、つまり働くことと住むこと
が空間的に統合されていることが不可欠な条件であると言えるのではないかと
いうことです。そして、
何とか住むことと働くことを空間的に統合して、コミュ
ニティを取り戻す道を探ってみたいと思います。
ただし、図 1 にありましたような自給自足的な村落共同体に回帰すること
を提唱しようというのではありません。もちろん規模も前近代とは変わってき
ています。それと異なるかたちで「コミュニティを空間的に取り戻す」ことが
できるだろうかということです。
具体的にその例を見ていきたいと思います。まずは比較的分かりやすい、ひ
とつの町でひとつのコミュニティと思えるような例を 2 つ取り上げます。最
初はオーストリアのシュタインバッハです。シュタインバッハは日本から訪れ
ますとなかなかきれいな町です。オーストリアでは最初に鉄道の通った区間に
ある町でして、中世の頃から鉄を製造していました。
週末になりますと観光用に SL がこの区間を走ると聞き、ひょっとして観光
開発されているのかなと思って訪れました。ところが、きわめて落ち着いた普
通の田舎町でした。
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この町は、元々中世の頃から鉄で栄え、都会よりもむしろ発達した都市的な
文化を近世の頃から持っていたといいます。街灯の導入などいち早く近代化し
た小さな村だったのです。
ところが中心となっていたカトラリー工場が 1970 年代に閉鎖されました。
人口も半減しました。この時期に、リーダーとして優れた市長さんが出ました。
競争社会の中で互助コミュニティを取り戻そうと、住民が住民のためにできる
仕事を提案してもらって事業化していくことを試みました。60 ほどプロジェ
クト提案が出てきて、その中から 12 人のリーダーが生まれました。
具体的なプロジェクトを見ていきましょう。元々このあたりはリンゴ酒用の
果樹園が広がっていたところなのです。120 種ぐらいあるリンゴでリンゴ酒を
作っていたのですが、リンゴ酒を作らなくなってしまって、果樹園が荒れてい
ました。
そこでリンゴ園を再生して修景していくというプロジェクトです。オー
ストリアは全般に有機農業が盛んですが、リンゴの有機栽培をし、ジュースを
作ったり、干しリンゴ作って商品化しています。別の例は、豊富な森林資源を
生かして、ウッドチップで地域暖房プラントを動かして、CO2 排出量を削減
するプロジェクトです。現在の段階では町内 6 割接続なのですが、技術的には
9 割接続可能で、2010 年までに CO2 半減の目標は達成可能だということでし
た。オーストリアの中山間地の町では結構、自治体レベルで取り組まれている
ことですが、シュタインバッハの場合は住民プロジェクトとして進められてい
るところが特徴です。あるいは旧カトラリー工場を博物館や起業支援センター
にするプロジェクトもあります。
このように住民発案でプロジェクトをおこし、お互いの仕事を支え合うコ
ミュニティを取り戻そうとしたところで、実際は隣に重工業の町シュタイアが
ありまして、そこに働きに行っている人が多い状況です。過半の人が隣町で働
いている、そのベッドタウンに近いようなかたちになっているのですが、その
ような今だからこそ、それを否定せずにお互いに仕事を支え合うコミュニティ
を町の中で作っていこうというのが、
町長さんのコンセプトでした。まず、細々
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図 2 シュタインバッハ(オーストリア)。
まちの広場、そして広場と工場をつなぐ坂道がコミュニティの中心的な空間。
と残っていたキリスト教のコミュニティを核にしながら再生に着手していった
のです。
このような村おこしはどこでもやっていますが、シュタインバッハの場合に
は、助け合いのコミュニティを体現する空間を大切にしたのです。シュタイン
バッハの空間的アイデンティティーは、川に面したカトラリー工場と丘の上の
広場、そして工場と広場をつなぐ坂道でした[図 2]。広場には教会・町役場・
銀行がありますが、工場は廃墟のまま放置され坂道沿いには廃屋が目立ってい
ました。ここを空間的に再生することがコミュニティ再生のシンボルにもなっ
ていったのです。坂道沿いの家を優先的に再生するために、グリーン・マネー
を活用したりして、地元の銀行と低利で融資できるような仕組みを作りました。
2000 人の村に一軒も食料品店が無くなってしまったので、みんなの力で何と
か、やはりこの中心の空間に一軒だけでもいいから日常品を買えるお店を取り
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戻したいということになり、今広場の一角にお店が戻ってきています。
当然隣町にショッピングセンターがあります。住民もみな車を持っているの
ですが、割高であってもここで買って、町のお店を支えましょうということ
で、誓約書をみんなで書きました。200 人ほどが署名しました。他方、元カト
ラリー工場だったところはミュージアムとなり、起業支援センターになってい
ます。普段行きますと、静かなただの町なのですが、クリスマスのときに広場
は大変たくさんの人で溢れるそうです。昔からコミュニティの空間であった坂
道と広場の空間を取り戻すことで、コミュニティ再生の実感が高まっているわ
けです。シュタインバッハでは、雇用者、就労者数も増え、企業も増えました。
ドイツ語圏では成功例としてよく知られています。
次は長野県の信州新町です。これはご存じの方もいらっしゃると思いますが、
葬儀ビジネスを商店街でてがけ有名になったケースです。会場は町のお寺や商
店街にある福祉会館、アクアホールを使っています。商店街にある果物屋さん、
花屋さん、お菓子屋さんが葬儀のためにいろいろなものを提供するかたちにな
ります。葬儀が、商店街の複数の店の安定的な収入源になり、この商店街の空
間が保持されていくことに貢献しているわけです[図 3]。商店街のお店では
なくても、花環も町内で調達しています。
町内の奥さんたちが葬儀の当日手伝っ
てくれます。
小さな里で町の中心商店街が、葬儀ビジネスをすることでお互いに仕事を作
り合っているわけです。お互いのものを買ったり、お互いのサービスを買った
りしあうようなかたちで、中心の商店街が里のコミュニティの核として再生さ
れているように感じました。
次にもうひとつの、この研究の大きなテーマであります環境制約・人口減少
下と、今、都市計画では最も喫緊の問題になっております地方都市の再編、そ
の時におけるコミュニティの役割に入りたいと思います。まず環境制約につい
ては、マイカーの移動を減らす、あるいは気候変動による災害リスクを減らす
ことが都市計画の大きな課題になっています。他方、人口減少に対しては一般
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図 3 信州新町(長野県)。
互助コミュニティ空間としての商店街。
的に言われている課題といいますのは、生活インフラ、公共サービスの維持コ
ストが割高になることです。いかに効率化して、合理化していくかということ
が議論されています。このような環境制約と人口減少に対して、都市計画では、
市街地を集約化する方策が検討されています。まちなか居住と郊外の縮退を同
時進行させる集約化のイメージというのが、もう 5 年ぐらい前から盛んに出
るようになりました[図 4]
。
具体的に、交通の専門家は、駅やバス停などを中心に円を描いて、その中に
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図 4 集約型都市のイメージ
(出典)社会資本整備審議会 都市計画・歴史的風土分科会 都市計画部会 都市交通・市街地整備小委員会 中間とりまとめ骨子(2007 年 7 月)
集約するイメージを示しています。そこで、私が疑問に思っていることがあり
ます。ひとつは、駅の周辺はいいけどその外はどのようになるのだろうかとい
う問題です。もうひとつは、それぞれの駅で同じ状態ではないだろうという疑
問がわくのです。ここでは静岡市の人口減少傾向が類似している郊外の三小学
校区を対象としまして、それが空間的にどのように違うのかを見ていきたいと
思います2。
一見してその空間の中身は違うということが分かります。そこで、それぞれ
の「空間の履歴」をよりどころに環境制約・人口減少下のシナリオを考えてみ
たいと思います。「空間の履歴」は 1999 年桑子敏雄が『環境の哲学』で提示
2
静岡市の 3 地区について空間的な違いを比較するきっかけとなったのは、勝岡裕
喜(2009)『
〈修士論文〉縮小都市郊外部における縮退的再生に関する研究―静岡市
郊外 3 地区を対象として―』である。同論文は設定したルールを適用して集約化の
シミュレーションを試みている。ここでは、同 3 地区を対象として空間の履歴を読
み解くことから規模縮小下の方向性を探ることを主眼とした。
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図 5 静岡市 3 地区における空間の履歴
(出典)勝岡裕貴(2009)「修士論文 縮小都市郊外部における縮退的再生に関する研究
―静岡市郊外 3 地区を対象として―」
破線円内は、バス停から 400m 圏域。網かけ部分は旧集落など。
した概念です。建築や都市計画の分野にしてみれば、1960 年代のコンテクス
チャリズムの焼き直しのような概念なのですが、当時のコンテクスチュアリズ
ムは輸入された概念でした。桑子は日本の伝統的な空間思想に立脚していると
ころが魅力です。先ほど倉阪先生の話にもあったような、「そこに生きる人々
がその空間をどのようなものとして考えて、それに対応してきたか」というこ
とまで含まれていることが重要です。
さて、
さきほどの静岡市の 3 地区を空間の履歴として読み解いていきます[図
5]。まず、三保ですが、三保の松原で知られた風光明媚な場所があって、長
い歴史があるところです。1955 年から 2005 年までの地図を見ていきますと、
あまり市街地の広がりは変わっていません。二つの集落の核があるということ
も分かります。他方、安倍口の方は、やはり同じような人口減少率なのですが、
市街化された歴史は非常に浅くて、近年、分散型の住宅地ができたというとこ
ろであることが分かります。
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大谷地区の場合は、元々久能街道と大谷街道の 2 本の街道沿いにできてきた
集落がだんだんと発展してきたものです。大型の団地が久能山を切り開くよう
にできてきまして、大きく地形が改変されました。ここで少し乱暴ですが、人
口減少を考慮して市街地形成を逆回しにすると何が起きるだろうか、考えてみ
たいと思います。三保ですと 1919 年からあった三保造船を核とした集落と御
穂神社を核とした細長い集落をよりどころに集約化すればいいというシナリオ
が比較的容易に見えてきます。
安倍口の場合は 1970 年代初期の団地があります。これを遺産として評価す
るかどうかが再編の分かれ目になります。
大谷では、山を切り崩した団地が次々
と出来てきました。今、最後の久能街道沿いの区画整理が進行しています。市
街化を逆回しにしようとするなら、新しい開発から元の状態に戻すシナリオに
なります。そうすれば、空間の履歴を取り戻すことはできますが、かなり難し
いことはいうまでもありません。
このように三地区を比べてみますと、同じような人口減少率を持っていても
空間的にはかなり違うことがわかります。もし交通計画的な効率性だけ考える
と、駅やバス停を中心に丸が描かれる一方、空間の履歴を尊重するシナリオだ
とするなら、旧集落を核とした集約化の方向が見えてきます。
日本の場合、前近代には歩いて旅のできる国土構造を持っていました。広井
先生の言葉を借りれば多極集中構造というものを国土そのものが備えていたの
です。また農業生産性が欧米よりも高かったために、集落が高い密度で点在し
ていたのです。そのような集落が特に高い密度で点在しているところが郊外と
して都市に編入されていった地区です。したがって、欧米の郊外に比べて日本
の郊外といいますのは、現在でも歩いて小学校に通える小学校区が、奇跡的に
維持されているのです。
ですから欧米の郊外よりははるかに多極集中型の空間構造を持っているので
す。人口減少をうまく利用して、元々ある多極集中型の地域構造を生かして、
規模縮小下で空間の履歴を蘇らせることができると考えられます。
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ところが課題が二つあります。ひとつは歴史まちづくりあるいは景観保全の
アプローチの人たちは、縮小の厳しい現実を直視したがらないということです。
どちらかというとロマンティックに夢を語る方に偏っています。市民協働のま
ちづくりには比較的強い傾向です。
他方で、インフラの合理的な再編をめざす提案は、きわめて近代合理主義的
な信念に貫かれていますので、前近代からの履歴には無関心です。ただ、歴史
まちづくりと交通インフラの最適化がうまく一緒になれば、規模縮小下だから
こそ、空間の履歴を浮かび上がらせるような解決策があるのではないかという
ことです。
ここまで、二つのスケールで見てきました。ひとつは小さな町、もうひとつ
は地方中核都市の郊外です。いずれの場合も閉じた村落共同体的なコミュニ
ティというのは幻想であって、もちろん存在していません。そういう今である
からこそ、広場や商店街を空間的に取り戻すことでコミュニティ再生の手ごた
えを得ることができた例ではないかと思います。
今日お話したようなコミュニティを空間的に取り戻す実践として、今、館山
でまちなかを「館山シゴト創り塾」にするというプロジェクトを仕掛けていま
す。経済的なこと、社会的なこと、環境的なことを統合した取組みが求められ
ていることは理論でいわれるのですが、それを実践しようと思いますと大変な
ことになるのです。市役所の商工課、福祉課、環境課を巻き込まなければなり
ません。
館山の中心商店街は館山銀座というところです。店舗併用住宅が連なっ
ていて、銀行や公共施設が混ざっている典型的な商店街です。店舗併用住宅で
は、下で仕事をしている人が上に住んでいることによって、コミュニティが当
たり前のようにあったのではないか。つまり働く場所と住む場所が商店街とい
うひとつの空間にあったのです。そこに暮らす人たちが、商店街にお店を持っ
ていること自体が一種のコミュニティ・ビジネスであって、ソーシャル・ビジ
ネスであると言えるのではないかと思います。
館山銀座をよく見ますと、まだお店を下で持って上に住んでいる人たちが結
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構いらっしゃいます。そのような職住一体となった暮らしの景観を修景しなが
ら、実際、空き物件を拠点として仕掛けていく計画です。既存の建物を改修し
つつ上に住みながら、下でシゴト創りサロン兼カフェや修理工房など仕事場で
働きシゴトを創っていくのです。ここで創るシゴトとは、まちをトータルケア
するソーシャル・ビジネスをイメージしています。ハード面のケアでは、建物
のプチ改修のような仕事が考えられますし、ソフト面のケアとしては高齢者の
ケアや子育てサポート、就労支援ということなどが考えられます。さまざまな
ケアのソーシャル・ビジネスをする人たちが商店街に住んで、通りに面して何
か活動しているというような状況が生まれれば、今日テーマとして挙げました
コミュニティを空間的に取り戻すことになり得るのではないかと思います。
以上です。どうもありがとうございました。
(おかべ・あきこ)
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