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景観、顔、(上位の)符号

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景観、顔、(上位の)符号
特集/風土論・環境倫理・公共性
2.風土論と地域の現場
景観、顔、
(上位の)符合
――南インドの「聖林」とポストコロニアルの揺れるペルソナ *
筑波大学大学院人文社会科学研究科歴史・人類学専攻教授 内山田 康
はじめに
これから写真をお見せしながらエスノグラフィーの断片を二つを紹介して、
現代の南インドの場所を巡るジレンマについてお話します。このジレンマは彼
らだけの問題ではない。これは公共哲学と野生の思考のあいだの葛藤です。レ
ジュメの方に、民族誌的な導入として要点をまとめないスタイルで書いたので
読んでください[文末資料参照]
。要点を簡潔にまとめない記述は人類学の戦
略的な書き方の一つです。要約するといろいろなもの、私たちが良く知らない
意味や価値や感覚やパーソンのあり方に関わる部分が失われてしまう。このよ
うな部分を意識的に掬い上げるためには、これは私たちが自然に使っている参
照枠の働きとも関係があるのですが、一瞥しただけでは雑多な部分を過剰に含
んでいるとも見える民族誌の記述が役に立つことがあるのです。これが理論的
にはどのような問題なのかについては補足と書いた部分に、まとめる形で少し
書きましたが、その前に、まとまらない経験の部分を、人類学者が翻訳して編
集したものを簡単に書いておきました。
* 本稿は 2006 年 1 月 28 日に千葉大学で行われたシンポジウム「風土論・環境倫理・
公共性」における口頭発表「景観、顔、(上位の)符合:南インドの「聖林」とポス
トコロニアルの揺れるペルソナ」をテープ起こししたものに字句を補って編集した
ものである。
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千葉大学 公共研究 第3巻第2号(2006 年9月)
北インド的な葬送儀礼の流行
今からお見せする写真は、資料の民族誌的な導入⑴に対応する部分なんで
すが、今まであまりやられていなかった北インド流の葬送儀礼が最近流行して
。南インドでは、特にケララというと
いるところを撮ったものです(写真 1)
ころでは、祖先はヤム、タロ、バナナ、ココナッツ、その他の作物が植えられ
た庭の中のある一定の場所、家の南側に埋葬されることが多かった。死者が庭
に埋葬されたということは、祖先が生きている人たちと一緒に家に住んだとい
うことです。葬られた場所が死者の場所として特別に区別された墓地ではなく
て畑だったところにケララにおける生と死の独特の関係が現れています。カー
ストによって埋葬の仕方が違うので一概には言えませんが、例えばナーヤル
は家の南側に死者を埋葬(あるいは火葬)した後、死体のへその部分にヤシ
の実を植える。さらにバナナのリゾーム、ウコン、麦、米、九種類の豆、いく
つかの香辛料の種を死体の上に植える。このような埋葬の方法について色々
と調べているうちに「死者を植える」ように埋葬しているという気がしてきた
[Uchiyamada 1999; 2000]
。なぜ墓地ではなく畑に埋葬されるのだろう。な
ぜ日常的に食べるものが死者から生えてくるようなシンボリズムが用いられる
写真1
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のだろう。私は十数年前このようなことを考えながらフィールドワークを行
いました。ところが最近になってケララの人びとはこのような埋葬をやめてし
まったのです。
葬送儀礼のこのような変化は、土地の私有制の進展に伴う土地の流動化と関
係があると思われます。この変化はまた、景観の変化、環境の変化、環境の中
で生きることを通して獲得されるパーソンの在り方の変貌とも深く関わってい
ます。祖先を今までとは異なる方法で家から送り出す。祖先が今まで棲んでい
た土地を空っぽにしてしまうのです。写真に映っているのは私の友人です(写
真2)
。彼は大工カーストで、私は彼のお父さんと非常に親しかった。そのお
父さんが亡くなり、カーストの伝統に従って畑の中に埋葬しました。ところが
一昨年私が 4 年ぶりにケララを訪れた時、息子がお父さんを土地から送り出
したのです。ついでに他の祖先も全部送り出すということを聞いて私はびっく
りしました。
ここに写っているのは海へ流れる川の辺から祖先を送り出している光景です。
これは映像を通して私たちがよく知っているヒンドゥーの葬送儀礼です。川岸
からあるいは海辺から祖先を祖霊界へと送る。これは何をやっているかという
と、私の友人二人なんですが、まず、金銀の押し型に移した祖先を海辺のお寺
に納めます。お寺には金銀が山のように貯まるわけです。お寺はこれをオーク
ションにかけて大もうけをする。ヒンドゥー寺院における葬送儀礼の代行がビ
ジネスとして成功して特定の寺院が隆盛しています。このことは景観の変化を
伴う土地の流動化だけでなく、日常生活の領域に自由経済の諸活動が進展して
きたことと深く関わっている。話を元に戻すと、祖先の霊が込められた金銀の
押し型を寺院に奉納した後、祖先が祖霊界へ向かう旅の途中で食べるものであ
り、また死者の体と、祖先の体を表す三つのおにぎりのようなものを作り、そ
れを一つに合わせて、それを川から海へ、そして海から祖霊界へと送り出す。
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写真2
これはオーソドックスな北インドの葬送儀礼のバリエーションなのですが、問
題は南インドにおいて今までこのような北インド的な葬送儀礼をやってこな
かった人たちの間で、このようなやり方が爆発的に流行しはじめたことの含意
です。
何が起こっているのでしょうか。今までとは違って、家族自ら行うのではな
く、葬送儀礼の代行をやってくれる流行りの寺院に出かけて死者を送り出しま
す。場所に固有なやり方で死者を送り出すのではなく、支配的なヒンドゥー教
的なやり方で、かつヒンドゥー化した全インド的なやり方で、葬送儀礼のプロ
の指示に従いながら、祖先に捧げる食べ物でもあり、祖先自身でもあるおむす
びのようなピンダを作って送り出す。うちに帰るともう祖先はいない。祖先が
居ない土地では、土地の登記や土地の売買が簡単にできる。土の中にはもう祖
先がいないから、毎晩祖先のためにランプに火を灯したり、話しかけたり、食
事の世話をする必要もない。この方が新しいライフスタイルに合っている。そ
れでこの葬送儀礼が大流行していると考えられます。
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このように儀礼がヒンドゥー化しているのですが、ヒンドゥー化することに
よって、19 世紀の終わり頃から一気に入ってきた近代的な私のあり方、ある
いは私が近代的になることが進行している。言い換えるとパーソンが近代化す
る。近代的な個人となったパーソンが土地を私的に所有する所有者に変わって
いくことと、祖先を身近な形で、別の身体をもった存在として同じ場所の内に
共存することを止めて、より抽象化した精神的な存在として祀るようになるこ
との間には関係がある。祖先が抽象化する。祖先が心の中で、あるいは祖先が
遠くへ去って行った存在として想像されるようになる。それ以前は心の中にお
いてではなく、身近な場所の具体的なモノを通して、例えば特定な場所に植え
られたココナッツ、あるいは特定の場所におかれた石、あるいは特定の場所の
茂みに存在していた。だから、祖先の経験の仕方が違えば、私の経験の仕方が
違う、あるいは祖先の思い出し方、場所の理解の仕方が違ってくる。
分散したパーソン
この問題を考えるに当ってディヴィジュアル(dividual)の概念が役立つと
思われます。インディヴィジュアル(individual)なパーソンが分けられない
個人であるのに対して、ディヴィジュアルなパーソンは生活環境の中に分散し
て在るという考え方です。交換関係に現れるように、人間存在が本来的にディ
ヴィジュアルな存在である、という考え方です。しかし近代のパーソンはイン
ディヴィジュアルでもある。私のパーソンはディヴィジュアルであるから、私
は死後、ココナッツに、あるいはイモになる部分がある。社会の中で反復する
交換関係、環境との交流を通して、私のパーソンの部分が他の人のパーソンの
中に入っていく。人間の領域を超えてパーソンはモノおよび環境と結びついて
いる。私は、私が住んでいる土、私が作った作物、私の周りの人間ではないも
のと、相互に交流するディヴィジュアルとして結びついている。ディヴィジュ
アルなパーソンはこのような広がりを持っている。
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しかし、この広がりは、どこまでも広がっているわけではなく、あるリージョ
ンをもっていて、パーソンはリージョン内に住んでいる。これはメルロー ポ
ンティの思考、あるいはメルロー ポンティを経由したハイデガーと結びつい
ています。住まうということ、場所に住み、リージョンを動き回る、その中で
ディヴィジュアルは次々と自分の部分を交換していくことになる。リージョン
内では分散するパーソンは他のパーソンとの間にある親しさをもっていた。と
ころが自分が部分的に作り、作られ、感応していた主要な部分を掘り出して送
り出すことが流行し始めた。これはすごいことです。ここにタブラ=ラサ、す
なわち土地、場所に埋め込まれたモノたちを消し去ってしまう白塗りの基礎が
登場する。このタブラ=ラサは近代的な意味形成作用と主体形成作用の基盤と
言い換えることも出来ます。パーソンをリセットした後、土地の登記はやり易
くなる。
景観の中で燃える情念
次の話に進みます。民族誌的導入⑵にあたる部分です。私がケララで住んで
いた村の北側に、プンジャと呼ばれる大きな低地がありした。毎年 6 月、モ
ンスーンの大雨が降り始めるとそこは湖のようになります。その氾濫するプ
ンジャの真ん中に奇妙な形をしたパーラの木が、ミルクの木という意味ですが、
二本立っていました。この二本のパーラの木にまつわる話です。昔そのあたり
の土地は、カーストの高い地主が占有していて、プンジャの中には田畑で働く
奴隷が住んでいました。ある収穫の時のことです。稲の収穫後、田んぼの真ん
中で山積みした籾を分けるのですが、地主がプンジャにやってきて奴隷に次の
ように言った。明日私が来るまで籾の山を分けてはいけない。ところが地主が
翌朝プンジャに来ると奴隷はすでに籾を選り分け始めていた。枡で量っている
わけですね。地主は何杯、サービスカーストはそれぞれ何杯、私は何杯という
風に。それをやると絶対ごまかすと思っていたので地主は自分が来るまでやっ
てはいけないと言っておいた。それなのに奴隷は勝手に仕事を始めている。地
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主は怒って権威の象徴であるステッキの握りの部分を奴隷の頭めがけて振り下
ろした。奴隷は竹の枡で自分の顔をとっさに守った。するとステッキの握りが
枡に当って跳ね返り地主の歯が折れてしまった。地主は怒り狂う。この奴隷は
私の言うことを聞かない。ごまかしたにちがいない。私の権威を辱めた。だか
ら殺してしまえということで、奴隷は近くの処刑場で殺されたわけですが、彼
は死ぬ前に最後の望みは何かと聞かれると、次のように言った。地主の一族は
滅んでしまえ。七代まで滅んでしまえ。七つの牛小屋一杯の牛、これは富の象
徴です、全部死んでしまえ。七つの小屋一杯の水牛も全部死んでしまえ。こう
言い終わった後、首を切り落とされた。すると首と体がゴロゴロと彼が働いて
いたプンジャまで転がって来て止まった。そして首と体からそれぞれパーラの
木が二本「燃え出した」つまり生えてきたというのです。木が燃え出るように
怒りがプンジャの中で燃えている。怒りが燃えるように木が生えている。
私がその近所に住んでいた 1992 年から 1993 年にかけて、モンスーンが始
まると田んぼが水没して、湖のようになったプンジャから二本のパーラの木が
ニョッキと出ているのが見えた。私はその意味、あるいはそれに意味を与えて
いる共通感覚を次第に獲得していったので、パーラの木が立っている姿を見る
たびに薄気味悪いと思うようになっていた。パーラの木について地主の子孫に
聞いても、奴隷の子孫に聞いても大体同じような話をした。私は去年十数年ぶ
りにプンジャの中のパーラの木を見に行きました。その周囲は埋め立てが進ん
でいて、ゴムのプランテーションも伸びてきていました。だから国道を歩いて
いてパーラの木はもう見えない。見えないから怖くない。近くに住む人に話を
聞いてみたら、パーラの木の言い伝えが百科事典に書いてあると教えてくれま
した。その話も全然恐ろしくない。生きられた景観の中で語りつがれ、
記憶され、
その残余がパーラの木として見えていた出来事がテキスト化している。権威的
な百科事典のある記事を参照して、その木について説明するようになっている。
モノに具体化されていた環境の中の歴史が遠いところ、抽象的な次元に行って
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しまう。生きている木が、燃え続ける怒りと記憶を含んでいた部分が、そこで
生活する人びとの共通感覚の中から消えていて、それに代わって記憶の媒介と
しては情動を表現する能力が貧しい百科事典の記事が参照された。これが私の
二つ目の話です。
自分の土地でよそものになる
二つのエスノグラフィーの断片を通して私が言いたいのは次のことです。ク
ラヴァという名のカーストで知られている旧不可触民あるいは旧部族民に属す
る人びとを私は調査しています。その部族が持っていた山、以前クラヴァの人
たちのリージョンだった場所がゴム園になった。そのゴム園の中で、昔は彼ら
が山の所有者であったと私は信じているし(しかしこれは近代的な私的所有の
概念とは同じではない)
、当の本人たちも自分たちが所有していたと思ってい
た場所で、彼らは「よそもの」になった。これは非常に大きな経験です。これ
は資料の中で少し触れましたが E. P. Thompson というイギリスの歴史家がい
ます。彼は、別のモノグラフの中でも書いていますが、土地の囲い込みの結果、
森の中に住んでいた人々が、侵入者として処罰されたり、酷い場合には死刑に
された、つまり土地制度が変わった時、
そこに以前から住んでいた人びとが「よ
そもの」になったと言っています。私が言っていることは特殊なことではなく、
世界史的には時代は違いますが、あちこちで起こったことです。
クラヴァのところでは今でも死者が家に戻ってきます。それについては後回
しにしますが、最近彼らは地位の向上を求めて社会運動を始めました。政党主
導の政治運動にも積極的に参加することを通して自由を獲得するクラヴァも出
てきた。ポレミックに単純化して言うと、クラヴァが近代政治の参照枠の中で
先住民として市民権を獲得しようとする運動を始めた時、彼らは「よそもの」
になる。つまり市民社会の中でまず「よそもの」になる。土地なしになる。そ
の後で新しい政治の枠組みの中で地位の向上を目指す。このようにして自分
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たちの権利を獲得するために社会運動をするときに大きなジレンマに直面する。
何でこんなところ(他人の土俵)で戦うのか。これはより政治的でより抽象的
なジレンマですが、それよりも自分たちの場所、身体、感覚、親族関係に近い
ところで経験されるジレンマもあるのです。
死者が跳ねる
クラヴァは身内が亡くなると、その死んだ人の霊を家に呼んで交流する
チャーヴトゥッラル、
「死者が跳ねる」と呼ばれる儀礼を行うことがあります。
教育を受けているクラヴァの中には、チャーヴトゥッラルはやるべきではな
いと言う人たちもいる。クラヴァの学生たちは学校で「お前のところでは死者
が跳ねるんだって?」と言われると、とても恥ずかしい。自分たちが未開で文
明的ではないと差別されることが恥ずかしい。私がチャーヴトゥッラルのこと
を質問すると、何人もの人びとが、
「あれはもうやらない。」と言っていました。
ところが私はもうやらないと言っていたことが起こったのを見る機会がありま
した。
去年の八月のことです。ポディアンというクラヴァの亡くなるときは農業労
働者だった人の葬儀に出てきました。彼は昔3エーカーの山地を持っていたの
ですが、この土地に入ってきた高カーストのナーヤル、元よそもので今の所有
者が、山をゴムプランテーションにした。ポディアンは亡った時には、家の周
りの 10 分 1 エーカーを除けば、
自分の土地だったところで「よそもの」になっ
ていた。そのポディアンが死んで、家の裏手の山の斜面に埋葬されました。埋
葬した後、一族の長が、ヤシの葉から取ったヒゴの一端を輪にして 9 の形に
似たものを三つ作る。これは鍵のような働きをします。これを盛り土の上の頭
とヘソと足に当たるところに突き刺します。今刺しているのは頭のところです。
このようにして死者の霊が逃れないように呪術的なピンを盛られた土に刺しま
す。
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七日目の夜、
「死者が跳ねる」降霊会が始まりました。近所に住む親族たち
が集まり、ポディアンが戻ってくる準備をしている。シャーマンが二つの白い
巻貝を時折くるくる回し、小さなベルを鳴らしながら歌っている。詳しいこと
は省略しますが、シャーマンが親族たちが知らなかったポディアンの人間関係
を明らかにして行きます。シャーマンはポディアンとある親族の女性との間に
関係があったと言い始める。一族の長が、余計なことは詮索するな、知りた
いのはポディアンがどうして死んだのかなんだ、と口を挟みます。水入りの間、
一族の長がポディアンの墓からピンを抜き、墓の盛り土の頭の部分に棒で穴を
開けるや否や、さっと何かを手でつかみました。ポディアンの霊が墓の中から
出てきたようです。中断していた儀礼が再開され、シャーマンがポディアンの
霊に向かって、ここに駆けて来い、と歌います。ポディアンの次女がシャーマ
ンの前に座りました。少しすると次女の呼吸は荒くなり、彼女は白目を剥いて
います。細かい部分は説明しませんが、ポディアンの次女の体にポディアンが
入って来て、集まっていた親族に向かって歌うように話し始めました。ポディ
アンは未亡人になった妻のチャッキに語りかけました。妻はポディアンに話し
かけながら泣いています。
後日、降霊会に出ていたクラヴァの若者から、お前のところでは死者が戻っ
てきて話すんだろうと学校でカーストの違う友人に言われて、恥ずかしかった
という話を聞きました。政治活動をしている 30 代半ばのクラヴァの男は、こ
のような迷信じみたことはやってはいけないと言っていました。こんな話を聞
いていると、
「死者が跳ねる」降霊会は過去の風習だという印象を持ってしま
います。しかし、誰か親族の人が死ぬと、
「死者が跳ねる」降霊会が突然行わ
れたりする。今この二人は抱き合って泣いています。娘さんの体をつかって
夫は妻にいろんなことを話している。私を遠くへ行かせないでくれ、私をここ
。この数日後、ポディアンの魂は、
においてくれ、と懇願したんです(写真 3)
米の籾の中に入れられて、家の中に埋められました。私がポディアンはどこに
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景観、顔、
(上位の)符号
写真3
埋められたのか聞いたところ、ポディアンの甥が、家の中のある場所を指差し
てそこに埋めてあると言うのですが、彼は稲籾になったポディアンがどこに埋
められているのか実は知らない。どこにいるのか判らないが、ポディアンは家
の中のどこかにいる。
ルクレチウスのアンビアンス
クラヴァの人たちが、近代の支配的な参照枠との間に葛藤を抱えながら、場
所とどのように関係を築いているか、彼らのパーソンはどのようなシェマ(図
式)の間を揺れているのかを理解するためには、この固定されない、あるいは
定義付けられることを拒む、場所の中の関係性を理解することが大切です。ポ
ディアンが入った稲籾は、チャッキとポディアンのお姉さんが、土間のどこか
に埋めているはずです。こうしてポディアンは、最近流行している葬送の方法
とそれと深く結びついたパーソンの在り方とは全く別の葬られ方をしたのです。
しかし生活環境も環境との関係性も大きく変化している。だからクラヴァの中
で、政治集会に積極的に参加して、近代政治のイディオムで自分たちを語り始
めた人たちは、非常に心がゆれるところです。お前たちまだあんなことやって
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いるのと言われ、迷信じみたことはやめたいが、同時に死んだ祖父や祖母に対
して親しい感情を持っている。だから家族が死んだ時、もうやらないと言って
いた「死者が跳ねる」をやるかもしれない。
新しいお寺はコンクリート製です。クラヴァの神を祀ったお寺は儲かるので、
所有がクラヴァからカーストの高い人たちに移り、それとともにクラヴァに
関わりの深い神々が、よく知られているヒンドゥーの神々に置き換えられて行
きます。以前いた神はふらふらと動き回り、形も定かではない、それが固定さ
れている。語り継がれて来た神話が、テキスト化している。これは最近立てら
。村にはまだあちこち、人が通り抜けた歩い
れた立入禁止の柵です(写真 4)
た跡があります。私もあちこちこんなふうにして村の中を歩き回ったのですが、
今では通れなくなっているところが多い。言葉を交わし合いながら誰かの庭先
をつぎつぎに通り抜けながら歩くことが出来なくなってきた。このことと最初
にお話した葬送儀礼との間に関係があるのです。資料の補足の部分は読んでい
ただければ解ると思いますが、ポイントは二つあります。一つ目は、近代国家
の政策によって、私たちはこれが当たり前だと思っていますが、自分たちの土
地で「よそもの」になるということが起きている。もう一つは、人はあいだの
存在だということ。ベルクさんの発表にもあったように。これはたぶん偶然で
はない。ベルクさんの本は知らなかったんです。このシンポジウムに呼ばれる
まで。それで読んでみました。
私は、メルロー ポンティを使ってフィールドワークをした人類学者のアル
フレッド・ジェルに教えられたこともあって、人があいだの存在、環境のあ
いだの存在であるというメラネシア人類学の視点には親しみを抱いていまし
た。だから偶然ではない。人間存在を含めてパーソンは基本的にあいだなんで
す。あいだと深く関わりのあるアンビアンスを唯物論者のルクレチウス的に読
むことをジェルに教わりました。ルクレチウスのアンビアンスというのは「雰
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写真4
囲気」なんですが、その場所の雰囲気というのは、非物質的なものとしてだけ
ではなく、モノからその断片がまわりに飛び散っているという考え方です。場
所にも、人の周囲にも、モノ回りの空間にも、細かい断片が満ちてアンビアン
スを作っている。隣接するパーソン同士は、それぞれの周りにその破片をバラ
バラと発散しているアンビアンスが重なり合っていて、物質的な部分を一部共
有している。それを雰囲気という。先ほど立ち入り禁止になっているところの
写真をお見せしました。そこでは、あいだが、アンビアンスが、リージョンが
遮断されている。パーソンが遮断されている。あるいは私たちのパーソンがそ
のようなパーソンになり始めている。
おわりに
顔に関しては時間がないので省略します。ドゥルーズとガタリが顔の概念を
使って意味形成と主体形成が同時に起こる仕掛けについて議論しているところ
と関係があるとだけ言っておきます。今日は場所とパーソンについて現象学的
な人類学の観点からお話をしました。私はドゥルーズに惹かれるところがある
のですが、彼は現象学を嫌っていました。ドゥルーズが現象学を嫌ったことに
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は意味があります。しかしそこに我々の問題もあります。ドゥルーズには過度
にエリート主義的でストイックなところがある。彼の方法では、ハンナ・アー
レントがカントの『判断力批判』の研究で問題にしたような意味における(アー
レントは『判断力批判』をカントの政治哲学として読んだ)、公共の視点が出
てきようがない。しかしドゥルーズがカントの批判哲学研究の序で言っている
ように、ドゥルーズは公共、あるいはカントの法の概念、の危ない部分も知っ
ている。そしてカントはと言えば、
『判断力批判』において対象の完全性を求
めるうちに、理性や公共性からロマン主義へ踏み出して、理性批判のただ中に
天才に偽装した自然を見いだしている。
それはともあれ、メルロー ポンティが面白いことを言っています。それは
「側面的な普遍」というもう一つの普遍の可能性に関することです。側面的な
普遍というもう一つの普遍へ向かう意思が、公共と支配が結びつく可能性を回
避させてくれるかもしれない。メルロー ポンティは、この側面的な普遍とい
う考え方を、友人のレヴィ ストロースとの交流を通じて学んだのかもしれな
い。側面的な普遍を探求するという首尾一貫した態度は、自分たちのものでは
ない世界へ、側面から側面へと入っていっていくことを通して、自己の価値観
を変革しながらもうひとつの普遍へ向かおうとする、自民族中心的ではない普
遍への接近方法です。この方法の根底には、私たちのパーソンがディヴィジュ
アルで、かつインディヴィジュアルであるという確信がある。野生の思考は独
占的に彼らの思考ではない。我々の文化の根底にも自然が潜んでいるという確
信がある。このようなアプローチは、参与して観察しつつ自文化の参照枠を省
みて再び参与して観察する人類学が教えてくれたことです。実は現象学が教え
てくれたことかもしれません。
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景観、顔、
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■資料
景観、顔、( 上位の ) 符合:南インドの「聖林」とポストコロニアルの揺れる
ペルソナ
民族誌的な導入(1)遠くへ送り出された祖霊
2004 年 7 月 17 日、「カルキダカ・ヴァーヴ」(太陰暦カルキダカ月の新月)の朝、
私は 1992 年から 93 年にかけてナーガラージャナードゥに 15 ヶ月住んだ時以来の友
人であるレグに誘われて、レグの父タンガッパンの魂をアラビア海に流れ込むカラ
マナ川から祖霊界に送り出すためにティルヴァッラムにあるパラシュラーマ寺院を
訪れた。私がナーガラージャナードゥに引っ越して来た日に、最初に私に会いに来
たのは大工のタンガッパンだ。彼は話し好きで、地域の政治や宗教の事情を始め様々
なことに詳しかったので、最初のフィールドワークの際も、その後の再訪調査の折も、
頻繁に訪ねて長い時間話し込んだ。1997 年にはタンガッパンの家に下宿して調査し
た。2004 年に 4 年ぶりにタンガッパンの家に行くと、タンガッパンが 2 年前に亡く
なっていたことを知った。私はタンガッパンの息子のレグが、カルキダカ・ヴァー
ヴの朝にタンガッパンを始め、複数の祖先をティルヴァッラムから送り出すという
ので、それを見届けるためにやって来たのだった。
私は最初のフィールドワークを行なった際に、祖霊を媒介とした人と場所の結び
つきと近代国家による統治を前提とした私的土地所有を比較して考察していた。タ
ンガッパンからは人びとが祖霊を祀ることを通して土地と親和関係を築き上げるこ
とに関する様々な知識やそれに関係した出来ごとについて教えてもらった。大工カー
ストのアシャリは死者を家の南側に土葬するのが一般的だった。タンガッパンの家
の南側は小道が通っていたので、彼の母親は家の西側に埋葬されていた。埋葬され
た死体の上には、ココナッツ、バナナ、うこん、ごま、米、麦、9 種類の豆が植えら
れた。へその上に植えられたココナッツは死者のココナッツと呼ばれ成長して実を
つけ死後さら人生と同じ長さの時間を生きることもあった。人びとが日常的に食べ
る食物が死者を埋葬したところから生えた。当時私はケララの景観で特異な点は死
者が作物のように植えられるように埋葬されることだと考えた。景観の中に棲む様々
な霊を巡る語りや祭祀や怖れについて理解が深まると、それまで同じように見えて
いた茂みがそこに棲む様々な霊や神の種類によって違って見えるようになった。景
観をローカルな聖地理学的に読めるようになったということだ。この理解によると、
アシャリカーストのタンガッパンは家の庭に埋葬され、その上にはココナッツ、バ
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千葉大学 公共研究 第3巻第2号(2006 年9月)
ナナ、うこん、ごま、米、麦、9 種類の豆が植えられ、彼は死後も家族の住む土地に
棲むのが当たり前だと思われた。しかし、銀の小さな押し型に移されたタンガッパ
ンの魂は一家の他の祖霊たちと共に 2004 年のカルキダカ・ヴァーヴの朝、ヴィシュ
ヌ派の聖地から祖霊界へと送り出された。この出来事は私的所有の進行と関係がある。
民族誌的な導入(2)生きたミルクの木から百科事典の記述へ
ナーガラージャナードの北側のプンジャの中に枝が不気味に曲がりくねった二本
のパーラの木が立っていた。パーラはミルクを表すパールと関係があるからパーラ
をミルクの木と翻訳する。南インドではミルクの木は、誕生と死、豊穣と悪心に両
義的に拘わっている。ケララでは子牛を産んだ雌牛の胎盤をパーラの木の幹に結びつ
けると雌牛はたくさん乳を出すと信じられている。プンジャはモンスーンの雨で氾濫
すると湖のようになり、水の中から二本のパーラの木が突き出ている姿は不気味だっ
た。その近くにはプラヤの親族集団が住んでいた。このプラヤの親族集団はプンジャ
で働いた「土の奴隷」の子孫たちだ。彼らはこの二本のパーラの木と深い関係を持っ
ていて、パーラの木に宿る霊に捧げものをしてなだめるのはプラヤのムーッパン(リ
ニージの長)の役目だった。彼らの家の南側にシリア派キリスト教徒の家がある。こ
のキリスト教徒は別の場所からここへ移ってきたらしい。というのはこの家の人た
ちは二本のパーラの木にまつわる恐ろしい伝説を知らなかったからだ。プラヤたち
によると、ある時このキリスト教徒の家の雌牛が子牛を産んだ。この家の男がプン
ジャの中のパーラの木に胎盤を結びつけて家に戻ると雌牛は死んでいた。そのよう
な恐ろしいパーラの木なのだとプラヤたちは言った。
昔コッラカイル家のナーヤルたちはこの場所の大地主だった。彼らの広大なプン
ジャをプラヤとクラヴァが耕作した。コッラカイル家はカヤンクラムの王とパンダ
ラムの王に兵士として仕えた。コッラカイル家のタラヴァード[母系制複合家族の家]
の庭には武道の訓練をする道場があり、タラヴァードの南側には牢獄があった。コッ
ラカイル家は殺生与奪の権(kollam kolayum)すなわち主権をもっていた。
それは収穫の時期のことだった。コッライル家のカルナヴァン[タラヴァード
の長]がプラヤの奴隷たちを監督するためにプンジャにやってきた。カルナヴァ
ンはプラヤの奴隷が籾の山を升で量り分けているのを見た。カルナヴァンは憤っ
た。彼は私が来るまで籾を量り始めないようにと奴隷に言っておいたのだ。カル
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景観、顔、
(上位の)符号
ナヴァンは思った。この奴隷は仕事を早く始めて籾をいくらかかすめ取ったに違
いない。カルナヴァンは奴隷が命令を聞かなかったことに腹を立て、持っていた
杖を奴隷の顔めがけて打ち降ろした。奴隷はとっさに升で顔を隠した。杖の重い
握りの部分は升にぶつかった勢いでカルナヴァンの顔面に向かって跳ね返り、カ
ルナヴァンは前歯を折ってしまった。カルナヴァンは怒り狂い、この奴隷を処刑
するように言った。奴隷はそこから五キロ東にあるパラヤンクラム(パラヤの
池)という処刑場に連れて行かれた。奴隷は最後の望みを聞かれた。奴隷は言った。
コッカライル家は七代に渡って滅びてしまえ。七つの小屋いっぱいの水牛は死ん
でしまえ。七つの小屋いっぱいの牛は死んでしまえ。奴隷の頭が切り落とされる
と頭と胴体は処刑台から転がり落ちて、奴隷が働いていたプンジャまで転がって
行った。頭と胴体からそれぞれパーラの木が燃え出た(paala kaaliccu)。栄えて
いたコッラカイル家を不幸が次々と襲い、一族は没落してプンジャを失った。
1993 年 2 月、ケララが最も暑くなりプンジャが干涸びる真夏のある晩、ウッチャー
ラプージャと呼ばれる大地の女神のメンスと関係があるらしいプージャがこの二本
のパーラの木で行なわれた。コッラカイル家に縁のあるナーヤルたちは、ウッチャー
ラプージャを執り行うプラヤのムーッパンを妖術師だと恐れていた。プラヤのムーッ
パンは彼らのリニージのカーヴとプンジャの中に立つ二本のパーラの木の間を高速
で片足で飛び跳ねると姿が消えたという。私がフィールドワークを始めた時、妖術
師としておそれられたムーッパンはすでに亡くなっていたが、何人かの人びとが彼
のことを覚えていた。新しいムーッパンは二十歳そこそこの若者だった。
2005 年 9 月に私は 12 年ぶりにこのプンジャの中のプラヤたちのが住む場所を訪
れた。プンジャ沿いの道路から見えたパーラの木は今ではまったく見えない。プン
ジャは四方から埋め立てが進んでいてずっと小さくなっていた。埋め立てた土地に
はヤシの木、ショウガ、ナガイモ、ゴムの木などが植えられていて、ぽつんと立っ
ていたパーラの木はすぐには見つけられなかった。以前はこの辺りには全くなかっ
たゴムの木が最もたくさん植えられていた。見覚えのあるプラヤの男に会ったので
パーラの木まで案内してもらった。パーラの木はずっと大きくなっていたが、周り
を多くの木々に囲まれているのでもう見分けが付きにくくなっていた。それだけで
はない。もうウッチャーラプージャはやらなくなったらしい。今では年に一度ラン
プに火を灯すだけだという。プラヤのリニージカーヴの中央に立っていたヤクシが
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千葉大学 公共研究 第3巻第2号(2006 年9月)
座っていたという扇ヤシは途中から折れていた。十数年前、私はプンジャ沿いの道
を歩いていて二本のパーラの木が見えてくると、このプンジャで起こった出来ごと
について語られた様々な語り、様々な儀礼、様々な情念を込められた木や石や道具
や人が住んだ跡などのイメージを一度に思い起こし、景観の中で燃える情念に感応
する感覚を追体験した。今ではこのパーラの木は道路から見えないので道を歩いて
もこのような記憶は甦らない。
私がパーラの木を再訪した時、私の調査を 2 週間手伝い後は家に帰るばかりの都
会のナーヤルがこのパーラを見に来た。彼はプラヤの男にパーラの木について質問
した。プラヤは都会から来たナーヤルに説明した。
昔パラヤンクラムに処刑場があった。プラヤがパラヤンクラムで処刑されたと
き両手にパーラの枝を一本ずつ持っていた。処刑された死体は両手にパーラの
枝を握ったままここまで転がってきた。このパーラはその男が手に握っていた
パーラだと百科事典に書いてある。
何という説明だろう。話し手も聞き手もこの場所に埋め込まれていた情念を感じ
ていなかった。プンジャで繰り広げられた地主と土の奴隷の確執、処刑された土の
奴隷の呪い、地主の没落、プンジャの中で燃えつづける土の奴隷の情念、プラヤの
妖術師がプンジャで行なったプージャ、それを恐れるナーヤル。権威的なテキスト
を根拠にしたという新しい語りからは、景観の中に埋め込まれた情念のほとばしり
は一切感じられなかった。これは語り手自身の身体にも起こっている。このような
話をすると話し手は身体の毛が逆立つのを感じたという。身体の毛はもう逆立たな
い。(後日あるクラヴァが死霊の話をした時、彼の腕の毛が逆立つのを見た。
)
顔、オーバーコード
民族誌的な導入を書くうちに枚数を殆ど使い切ったので、この後の内容につい
て少しだけ書く。不可触民クラヴァのマラナダと呼ばれる山々は怖れられていたが、
いまではすっかりゴム園に変わり、クラヴァは土地を失い、クラヴァの神を祭った
聖地もヒンドゥー寺院に作り替えられている。非業の死を遂げたクラヴァの若い娘
が女神カーリになり祀られてるパーブンバカーリの聖林も非クラヴァの有力者たち
が支配するバッドラカーリ寺院に作り替えられた。この寺で事務員をしているクラ
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景観、顔、
(上位の)符号
ヴァのソーマンが次のような驚くべき問い掛けをした。
「絵を描くときプラタラム
(フ
レスコの下地)が必要だろう。この寺ではバッドラカーリの概念がプラタラムのよ
うにはたらいている。」クラヴァのカーリが棲んだ多義的で境界が曖昧な聖・荒林が、
近代国家を前提とした近代的な制度に支えられた(象徴分析が可能な)ヒンドゥー
寺院に構造化してゆく。これと呼応するようにクラヴァのソーシャルワーカーのジャ
ヤプートランはヒンドゥー化を進めて多数派の枠組みの中で少数派の文化的向上を
はかるべきだという。バッドラカーリの概念は透明になった上位符合(ドゥルーズ
の「顔」)として働く。このオーバーコードは上書きする意味形成作用と主体形成作
用を持っている。しかしマイナーで両属的な位置にいるソーマンには透明になるはず
のオーバコードの仕掛が(神話の仕掛が見えるように)見えてしまう。仕事のやり
方が明らかにされると神話は構造化された共同の無意識として人びとの思考に働か
ない。すると下位の諸符合が仕事を始める。多数派主義者のジャヤプートランはク
ラヴァの降霊会は迷信的だからやめるべきだと言っていた。2005 年 8 月 13 日、ク
ラヴァの労働者ポディヤンが死んだ。他のクラヴァたちはリラックスしていたがジャ
ヤプートランだけは硬い表情で非ヒンドゥー的な葬儀に参列した。その7日後、ポ
ディヤンの魂が降霊会の最中に帰って来て自分を遠くへ送り出さないでくれと懇願
した。数日後のある朝、家族は稲籾に入ったポディアンの魂を家の中に埋めた。ケ
ララの景観が大きく変わる中、パーソンは揺れている。
補足
上に挙げた民族誌的なスケッチを場所と公共性に関わる問題への導入とするため
に以下にいくつか補足をする。
 ケララでは未開と見下されている山岳部族に自治権と部族による共有地の所
有を認めるのではなく、彼らを文明的だと理解されている支配的社会に同化
する政策が採られた。その方が遅れた部族を発展させるのに良いと主張され
ている。山岳部族は自分たちのテリトリーだった地域で土地無しになったが、
このような政策の枠組みの中においては、これが悪いことだとは考えられて
いない。彼らは近代国家による政策と法律の施行によって自分たちの土地で
よそ者になった(E. P. Thompson 1993)。土地無しになった山岳部族は国有
林を不法占拠しては土地の所有を認められている平地からやってきたプラン
テーション経営者たちと国家による公共政策に依存している。
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
土地の私的所有の進行と同時並行して(あるいは少し遅れて)景観の中から
祖霊たちが消えている。特定の場所とそこに住む人びととそこに棲む様々な
霊たちが相互的につくり出していた固有の場所性、および場所に根ざした固有
の身体性が、より一般的でより空間的な土地と、エージェントである霊やモ
ノとの関係が稀薄になった人びとによって取って代わられている。近年、場
所は柵によって区切られ、通り抜け禁止のサインまで出て来た。場所とひと
びとの間に生活し動き回る身体を通して(場所の肉と身体の肉の共生を通し
て)存在していた透過性が急速に無くなっている(Uchiyamada 2000; 2001)。
そのような場所と人の関係からつくり出されている景観は全くことなる相貌
をしている。場所との関係において、人は間(すなわち milieu, ambience/
ambiance)に存在する。その関係の根源的変化は、景観の物理的変化とその
。
意味付けの変化として観察される(Casey 1993; 1996)

顔については少しだけ触れる。私がここで考えているのは二種類の顔の群れ。
一つはレヴィ ストロースの『仮面の道』に出てくる北米の北西海岸地帯の
相似的な部分と対照的な部分を持つスワイフウェ、クウェクウェ、ゾノクワ
(Lévi-Strauss 1979)。これらのマスクは人びとの自己−祖先理解、自然との
関係、富との関係、自己と他者の関係、交換関係、そして別の次元では人間
の思考の集団的無意識に関わる。もう一つはドゥルーズとガタリの『千のプ
。後
ラトー』に出てくるオーバーコードする顔(Deleuze and Guattari 1987)
者は我々の意味形成と主体形成の下地そのものであるから、それが顔であると
は見えないが顔として作用する。この顔はタブラ・ラサとしても機能する。後
者の作用は前者と比べるとより国家的で全体主義的で建築的だ(Uchiyamada
2004; 2005)。間的あるいは環境的ではない。

ドゥルーズは現象学を嫌っていた。ドゥルーズの方法は国家的な機構(機械)
。しかし彼
の暴力を批判するには最適である(Deleuze and Guattari 1986)
、環境と
は過剰にエリート主義的でストイックであるため(Badiou 2000)
自己と自己ではない人びとと非人びととの関係における公正さを考えるにあ
たってより役立つのはメルロー=ポンティの第2の道としての「側面的普遍」
(Merleau-Ponty 1964)やミシェル・セールの(社会契約論を意識した)自然
契約論だろう(Serres 1990)。自然との関係において、部族民的他者との関
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景観、顔、
(上位の)符号
係において、上にそびえ立つ包括的な普遍ではなく、横へとのびて行き他者
およびモノとの関係における自己変革を伴う「側面的普遍」の道をたどって
公正な関係を水平的に深めて行くことが、公共性という問題意識にとって可
能なのか?どのようにしたら可能なのか?
参照文献〉
Badiou, A. 2000. Delueze. University of Minnesota Press.
Casey, E.S. 1993. Getting back into place. Indiana University Press.
Casey, E.S. 1996. How to get from space to place in a fairly short period of time.
In S. Feld and K.H.Basso eds. Senses of Place. School of American Research
Press.
Deleuze, G. and F. Guattari 1986. Kafka. University of Minnesota Press.
Deleuze, G. and F. Guattari 1987. a thousand plateaus. University of Minnesota
Press.
Lévi-Strauss, C. 1979. La voie des masques. Plon.
Merleau-Ponty, M. 1964. From Mauss to Claude Lévi-Strauss. In Signs.
Northwestern University Press.
Serres, M. 1990. The Natural Contract. The University of Michigan Press.
Thompson, E.P. 1991. Custom, Law and Common Right. In Customs in Common.
Penguin.
Uchiyamada, Y. 1999. Soil, Self, Resistance: Late-modernity and locative spirit
possession in Kerala. In Assayag, J. and G. Tarabout(eds.)La Possession en
Asie du Sud: Parole, Corps, Territoire(Purushartha no.21). École des Hautes
Études en Sciences Sociales, pp. 289-311.
Uchiyamada, Y. 2000. Passions in the landscape. South Asia Research 20(1):
63-84.
Uchiyamada, Y. 2001. Journeys to Watersheds. Journal of the Japanese
Association for South Asian Studies 13: 107-141.
Uchiyamada, Y. 2004. Architecture of immanent power. Social Anthropology 12
(1): 3-23.
Uchiyamada, Y. 2005. The Face of the Japanese Body Politic. Political and Legal
Anthropology Review. 28(2):282-306.
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