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〔論文〕 弘前大学経済研究第 2 0号 November1 9 9 7 『1 8 6 1∼ 6 3年草稿』の「蓄積論」 高 橋 秀 直 目次 するのは,この草稿が,名実ともに『資本論j 第 l部=「資本の生産過程J論の最初の稿であ f 資本の はじめに り,したがって,その「蓄積論j は , 序論蓄積論の分析対象,分析視角,理論構造, 生産過程」論に位置付けられた蓄積論の最初の 主題 稿であるという理由による。それだけでない。 I . 「資本の生産過程J論と「蓄積論J この「蓄積論Jの基本的な枠組みと課題,「再 ( 1)生産過程論としての「蓄積論Jの誕生 生産論としての蓄積論」は,『 1 8 6 3∼ 6 4年第 ( 2)「剰余価値の資本への再転化Jの形態分析 I I . 「再生産論としての蓄積論Jの成立 ( 1)「蓄積論Jと再生産論 ( 2)「剰余価値の資本への再転化J論 ( 3)蓄積論による「資本の生産過程 j論の総括 I I I . 剰余価値論としての「蓄積論Jとその限界 ( 1)「剰余価値生産の結果J論 l部草稿j「蓄積論 Jでも維持されたと推定さ れるが,蓄積論成立上の課題は,この草稿の「蓄 積論Jの基本的枠組みの止揚にあったと理解さ れる。その点で,この「蓄積論」は,蓄積論成 立上の課題を最も端的に示しており,『資本論』 の蓄積論に対比的な位置にある。 それにも拘らず,この草稿の研究は,「蓄積 論J研究も含めて多いとは言えず,評価も定ま ( 2)相対的過剰人口論 I V . 「資本の生産過程J論と最終章の課題 っていない。この草稿が,現存が確認されてい る『資本論j 第 1部草稿のうち,新メガの刊行 ( 1)変革論とその視点 ( 2)最終章未執筆と蓄積論成立上の課題 によって,最近年になって漸くその全容が明ら かになったという事情によるが,近年の理論研 究への全般的な関心の低下,とりわけ社会主義 はじめに を取り巻く状況の激変,そのもとでのマルクス 経済学批判 ( 1 8 6 1∼ 6 3年 本稿の課題は, f 草稿) Jの「蓄積論」を蓄積論の形成過程に位 の理論への研究者の関心の低下も無関係ではな いだろう。 置付けることにある。蓄積論とわれわれが言う 事情はどうあれ,この草稿が資本主義の現実 のは,現行『資本論j 第 I部第 7篇「資本の蓄 積過程」のことであるが 1),それに至る過程に , 本稿の問題関心は,この草稿の「蓄積論Jが 8 5 7∼ 5 8年手稿(経済学批判要綱) J は,他に『 1 蓄積論の成立たりえない限界を明らかにするこ の課題を解くうえに持つ意義は,失われない。 と『 1 8 6 3∼ 6 4年第 1部草稿j とが存在する。 とによって,対比的に『資本論j の蓄積論の独 8 6 1∼ 6 3年草稿 j に注目 これらのなかで,『 1 自性,とりわけその主題の独自性を明らかにし, 以って,資本主義に対峠された蓄積論の問題意 1)以下, f 資本論j第 l部第 7篇「資本の蓄積過程」を 蓄積論と表記し,諸草稿の蓄積論を「蓄積論j と表記して. 区別する。 。 ) 識を形成史から明らかすることにある 2 - 84- 『1 8 6 1∼6 3年草稿jの「蓄積論J 本稿は,次のように理解している。 序論 蓄積蛤の分析対象,分析視角,倫理構造, 主題 『1 861∼ 6 3年草稿 j 「蓄積論j を蓄積論の 蓄積論の分析対象が,個々の資本と賃労働者 ではなく,社会的総資本ニ資本家階級とこれに 対応する総労働=労働者階級との両極であり, 形成過程に位置付けようとする限り,その到達 その分析視角が,この両極の関係にあることは, 点である蓄積論の理解が,とりわけその主題の 蓄積論に繰返し現われる次の趣旨の叙述 理解が,諸草稿の「蓄積論j の位置付けを規定 一一「個別資本家と個別労働者とのかわりに, する。 全体に,つまり,資本家階級とそれに対応する 8 6 1∼ 6 3年草稿j 例えば,向井公敏氏は,「『 1 2 労働者階級とに着目するならば・・・・ J[KI. 2 .『資本の蓄積j論は,資本関係再生産論を I612]から容易に理解される。蓄積論は,社 資本の生産過程の固有の契機として方法論的に 会的総資本と労働者階級との両極論,「資本と 確定したもの」 3)と位置付けているが,それは, 賃労働J論である。 この分析対象と分析視角のもとで,第 21 「商品論や剰余価値論とは明確に区別された資 本関係再生産論として(の)資本蓄積論J( 向 ∼2 2章の課題は,「剰余価値の資本への転化」 上 237頁)という理解,蓄積論の主題を資本 の形態的な分析にある。すなわち,資本の生産 関係の再生産に見出す理解にもとづいている。 過程を資本主義的形態で拡大的に再生産する条 これに対して,佐武弘章氏は,「一八六一∼六 件,資本関係が,なにによって,またいかにし 三年草稿は『経済学批判j体系から『資本論j て再生産されるかを解明することによって,こ 体系へのマルクスの理論的発展の変曲点 J 4) と の過程の形態的な再生産だけでなく,この過程 位置付けている。この位置付けは,蓄積論の主 の資本主義的性格,例えば,他人労働による他 題を「資本関係の再生産 J論に止めず,「いか 人労働の蓄積,を明らかにすることにある。「資 にして資本関係の解体の物質的諸条件が生産さ 本関係の(拡大)再生産」は,このような分析 3 9頁)に求める理解にもとづ れるか」(向上 3 1∼ 2 2章の主 の総括と理解されるかぎりで第 2 く 。 題なのであるが,この展開のうちに蓄積論全体 蓄積論は,その分析対象,分析視角,論理構 の課題と方法が示されている。「資本関係の再 造,主題によって,さらに「資本の生産過程」 生産Jの枠組みにおいて,この両極,資本家階 論の位置付けによって理解される。それらを, 級と労働者階級との関係を社会的資本の蓄積運 動によって分析すること,これによってこの過 2)マルクスの著作のうち,『資本論jの部・章は『マル クス・エンゲルス全集j 版原典ページを[ KI.23/674]の ように表記し, f マルクス・エンゲルス全集j からの他の引 用は,巻数,訳頁を[ MEW.31I111]のように表記した。 また,『資本論草稿集 J(新『メガj 第 2部第 3巻の邦訳,大 月書店)からの引用は,巻数,訳頁を[ MEGA②1 /328]の ように表記し,新『メガ j 第 2部第 4巻 <H863∼6 5年草 稿J )からの引用は,[ M GI I /4. 1S .3 5 4 ( 2 6 7)]のように, 巻・分冊・原書ページの後に,邦訳『直接的生産過程の諸結 果 J(国民文庫)または『資本の流通過程J(マルクス・ライ プラリ 3,大月書店)の訳頁を()に示した。なお, f 資本 論』の訳文は,大月版に依拠している。訳文は,おおむね訳 書に従ったが,同じでない場合もある。 引用文中の()書き.付された下鶴は,すべて引用者の ものである。誤植であることが明白と思われる場合は,逐一 断わらずに訂正して引用した。 3)向井「資本蓄積論の形成 J2 3 4頁(富塚良三他編『資 本論体系J3所収,有斐閣, 1 9 8 5年 ) 4)佐武『資本の生産過程論j の成立J3 8 0頁,未来社, 1 9 8 7年 程に隠されている資本主義的性格,その敵対的 性格を浮き彫りにするともに,主主大的に再生産 されるこの形態=関係の変化・発展をその結果 において明らかにすること,である。 3章は,第 2 1∼ 2 2章の主題を「資本蓄 第2 積己プロレタリアートの蓄積」として受け取る。 課題は,この両極の相互的規定な関係の変化・ 発展を,資本の有機的構成の高度化を展開の動 力として解明することにある。一方の極では, 資本集中を含み,資本独占に至る社会的総資本 の蓄積,他方の極では,蓄積された労働者階級 の構成,現役労働者,産業予備軍とその存在諸 形態,受救貧民,という労働貧民の重層的構成 - 85- に照応するあらゆる貧困の蓄積,一一それらが, 資本主義的蓄積の必然的結果として解明されて I . 「資本の生産過程J論と「蓄積論J Jの誕生 いる。 ( 1)生産過程論としての「蓄積論 3章の結語をいわゆる だが,そこから,第 2 1 8 6 1∼ 6 3年草稿j と称される 2 3冊のノー 『 3章の主題とこ 貧困化論に見出すならば,第 2 トは, 1859年出版の『経済学批判 j に続く分 の主題によって発展する蓄積論の主題を歪小化 冊「第 3章資本」のための原稿として起筆さ することになる。「資本蓄積己プロレタリアー れた。執筆に先立つて,「第 3章 資 本jを「 I トの蓄積」の相対的過剰人口論による分析によ 資本の生産過程」「 I I 資本の流通過程」「 I I I資 って明らかにされているのは,資本主義的蓄積 本と利潤」の 3編で構成する「5 9 ( 6 1)年プラン J の階級敵対的性格である。このことは,蓄積論 が構想されている 6)。執筆は,『資本論j編成 全体の論理から,とくに「労働者階級の運命」 の原形というべきこのプランにもとづいて始ま 3 を資本主義的蓄積の結果として解明する第 2 I∼ XV, X V I I I)は ったが,ノートの大部分( V 章のそれから分かる。資本主義的蓄積の敵対的 I 「剰余価値学説史」に充てられ,同プランの「 I 3∼ 2 4章に 性格を強調する叙述が,とくに第 2 資本の流通過程」「 I I I 資本と利潤」は,その 繰り返し現われることも,蓄積論の主題の何で 一部,社会的総資本の再生産や,剰余価値の利 あるかを示している。 潤への転化,商業資本,貨幣取扱い資本,等が, 蓄積論は, f 資本論j第 1部=「資本の生産 過程J論を総括すべき最終編に置かれている。 手稿的に叙述されているにすぎないが,「 I 資 本の生産過程Jは,最終章以外は,叙述されて 実際,「資本の生産過程 Jが,蓄積論の主題= 8 6 1∼ 6 3年草稿jは,「資 いる。したがって,『 1 資本主義的蓄積の敵対的性格とその発展によっ 本の生産過程」論の,さらに言えば『資本論J 第 1部の最初の稿と見なすことができる 7 。 ) 4章第 7節「資 て総括されていることは,第 2 本主義的蓄積の歴史的傾向 Jの最後の周知の叙 『 1 8 6 1∼ 6 3年草稿j 「蓄積論Jは,「資本の 述一一「資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴 生産過程」論に位置付けられた「蓄積論Jの最 K I .2 4I7 9 1]ーか る。収奪者が収奪される。 J[ 初の草稿である。その意味は,さしあたり,『 1 8 5 7 らも明らかであろう。 ∼ 58年手稿(経済学批判要綱)』「蓄積論」と 以上のように理解される蓄積論の分析対象, の対比によって明らかになる。 分析視角,理論構造,主題,蓄積論による「資 『資本論』への最初の手稿,『要綱jでは,「蓄 本の生産過程」論の総括,等は,いずれも諸草 積論」は「資本一般」から除外されていたと理 稿の「蓄積論Jに対して独自なものである。し 解されている。しかし,実際には,相対的過剰 たがって,蓄積論は,それへ向かう諸草稿のた 人口の存在形態論を除き,変革論を含む蓄積論 んなる積み上げの所産ではない。むしろ,蓄積 の論点の殆どが登場する。それらが,本源的蓄 論成立上の課題は,『 1 8 6 1∼ 6 3年草稿1で形 積論,資本形成の前提としての生産手段と労働 成された「蓄積論」の基本的枠組みの止揚にあ 力の集積論,剰余価値生産の結果論,諸資本の った。以下に明らかにしようとするのは,これ 蓄積論として叙述されている。 らの点である。 5)拙稿「蓄積論としての貧困化論一一『資本論j第 l部 第2 3章の理解一一 J(『土地制度史学j第 1 2 4号. 1 9 8 9年 ) は,蓄積論の主題を「資本関係の再生産Jに見出す通説に批 判的な立場から,蓄積論と第 2 3章との関連を蓄積論の論理 構造から分析し,いわゆる貧困化論(資本主義的蓄積の一般 法則論)の意味,蓄積論によって総括される第 1部「資本の 生産過程j論の主題を解明している。 6) 「5 9 ( 6 1)年プランJは,従来 1 8 5 9年作成と見られてき たが, MEGA編集者らによって 1 8 6 1年夏に作成された可能 性が指摘されている[ MEGA③V56] 。佐武氏らは,「5 9年 プランJ説を維持されている。佐武,前掲 1 3 5頁参照。 7) マルクスは,この草稿の執筆中に,構想を「経済学批 判」の続編から商品と貨幣を序説とする「資本 Jへ変更し [MEGA⑨V542],出版計画も『資本論jに改めている。 1 8 6 2 年1 2月 2 8日付けクーゲルマンへの手紙[ MEW. 3 1/ 5 1 8 ] 参照。 - 86一 『1 8 6 1∼6 3年草稿j の「蓄積論J この手稿の「蓄積論Jの特徴は,「資本 j 章 する資本の一般概念は,諸資本の関係によって . 一般性, I I . 特殊性, I I I . 個別性Jの が「 I 造られる内部構造を示していないという意味で トリアーデで編成されていることを反映して, 抽象的な,社会的総資本なのである。 「一方の側で総資本家階級を,・・・・他方の側 資本の一般性に属する蓄積と諸資本の蓄積とに 区分されている点にある。資本の一般性に属す で労働者階級を,すなわち労働者の総員を考察 る蓄積とは,「資本形成の第三の契機j として するならば,いまや,労働者自身の不払労働の の本源的蓄積すなわち「資本の生成のために必 生産物が資本として労働者に対立する。 J [MEGA⑨1 /507] 要であり,一つの契機として既に資本概念のう ちに前提され,取り入れられている蓄積 J 社会的総資本という蓄積論の枠組みは,既に [MEGA①1 /389-90],諸資本の蓄積とは,「す でに生成した資本の蓄積」(向上)である。こ 『要綱j が座胎していた。「われわれがとりあ げているのは・・・・社会全体の資本なのである」 [MEGA①I4 3 3],「一般性において考察され の区別から,例えば相対的剰余価値生産は,「そ こではすでに諸資本が現存していなければなら た資本は,−−−−一国民の総資本を・・・・その一般 ない」(向上)が故に諸資本の蓄積に属すると 5 3 ] 性において考察している J[MEGA②/ 7 /428,497,503,②1 / 6 。 ] されている[ MEGA①1 蓄積概念のこの区別は,この手稿の「資本J との把握が示すように,「資本の一般性Jは , 社会的総資本という枠組みのもとで把握されて 章の項目編成に表現されている。手稿中に「資 いる。これに対して,「諸資本」論では,「すで 本J章の編成構想が 2度現われる[ MEGA① に生成した資本」[ MEGA①1 /390]の「交互 I310-11,329-30]が,「蓄積論Jは,編成項目 としては,いずれの「 I . 一般性」にも見出さ /406-7。 ] 作用として考察される J[MEGA②1 れない。資本の一般性に属する蓄積が,資本生 の把握であり,社会的総資本の具体的把握であ 成の前提となす本源的蓄積として,「資本形成 る。「資本の一般的概念」論と「諸資本J論と したがって,それは,社会的総資本の内部構造 /389]として,既 の第三の契機」[ MEGA①1 は,既に社会的総資本という枠組みを共通にし に資本概念に取り入れられているがゆえに,蓄 ていることが分かる。しかも,後者に属すべき . 一般性」に独自の論点を有する 積論は,「 I ことが,「じつはすでに資本の一般概念のうち 編成項目としては現われないのである。 に含まれている J[MEGA②/ 6]ことも把握 資本生成に前提を置くことは,その止揚とい 要綱j が匪胎していた蓄積論の されていた。 f う論理的課題を生む。したがって,「資本の一 この枠組みが,かのトリアーデの放棄によって 般性Jにおける「蓄積論」の視点は,「生産の 浮上することになったのである九 前提として現われるいっさいの契機は,同時に 第 2に,「資本の一般性Jの外に置かれてい それの結果であるーーなぜなら生産はそれ自身 た蓄積論の諸論点が,「資本一般 J=「資本の /522] の諸条件を再生産するから」[ MEGA②1 生産過程Jに属するものと把握されることにな という叙述に端的に示されているように,資本 った。周知のように,この草稿の「蓄積論」は, 生成の前提性の止揚に,再生産の根拠の措定に あった。 『 1 8 6 1∼ 6 3年草稿j では,かのトリアーデ の放棄によって,資本の一般的概念は,諸資本 の関係を前提として把握されることになった。 その結果,第 1に,次の叙述に見られるように, 蓄積論の諸論点を社会的総資本の枠組みで把握 する視点が明確になった。諸資本の関係を前提 8)原伸子氏は, r l s 6 1∼63年草稿j が『要綱j の方法 8 6 1∼ 6 3年草稿』のマルク 論を出ないと見なしている。「『 1 スは,『要綱j で前提されていた『資本一般』の枠組みを何 度も確認しつつ.その理論的限界を意識し始めていると言え よう。それは,論述の不統一.試行錯誤のなかに示されてい る。したがって.この時期の方法は.基本的には『資本一般j と言わざるを得ない。 J( 「 『1 8 6 1∼ 6 3年草稿j における蓄積 論 J『経済志林』第 5 0巻 3/4号 , 2 3 5頁 ' 1 9 8 3年 ) この草稿の「資本一般Jは,諸資本の存在を前提し,「資 本の生産過程Jを意味する。氏は.この点を見落として,『要 綱jのそれと同列視しているように思われる。 - 87- 「剰余価値の資本への再転化」を,剰余価値の 再転化」「β いわゆる本源的蓄積」「 γ 植民制 実現,蓄積のための素材および価値補填を前提 度Jとなっているが,最後の節の叙述は存在せ に,形態的に考察することを課題としている。 ず,「本源的蓄積J節は,『要綱』からの引用の 諸資本の関係を前提する資本の一般的概念が抽 他,ノート 1ページ余の叙述があるにすぎない。 象的な社会的総資本であることが,この前提を 可能にする。これによって,この『草稿j に関 「蓄積」章の主要部分は,「 α)剰余価値の資 本への再転化Jである。 する論稿の多くが指摘しているように 9),「蓄 この節では,他人労働の物質化としての資本, 積論Jが「資本の生産過程」の契機として明確 資本蓄積の規定,過剰人口,資本関係の拡大再 に位置付けられるようになった。『要綱j「蓄積 生産,資本の集中と反発,資本構成の変化,労 8 6 1∼ 6 3年草稿』のそれの発 論Jに対する『 1 働者自身による労働財源=可変資本の再生産, 展は,なによりもこの点に見出される。 本源的資本の労働者の不払い労働の物質化とし ての資本への転化,不払い労働が支払労働とし ( 2)「剰余価値の資本への再転化Jの形態分析 て現われる仮象性,対象化された労働と生きた そうであれば,「蓄積論Jを資本形成の前提 労働との対立,貧困な労働能力の再生産と労働 の止揚論,本源的蓄積論に止めることはできな 貧民としてのプロレタリアートの増大,本源的 い。「資本の生産過程 J論における「蓄積論」 蓄積,領有法則の転変,資本の歴史的性格,な の主題,論点,位置付けが,改めて課題となる。 ど,蓄積論の諸論点の殆どが取り扱われている。 5 9 ( 6 1)年プラン Jで「本源的蓄積」と表題さ 「 このように多様な論点が取扱われているが, れていた「蓄積J章に対して,この草稿では「剰 課題が「剰余価値の資本への再転化」の形態的 余価値の資本への再転化」が「蓄積」章の表題 な考察にあることは,繰り返し現われる次の趣 的位置を占めることになり,「本源的蓄積Jが 旨の叙述に示されている。 「蓄積」章の一部分になったことに,それが表 「剰余価値はどのようにして資本に転化する 現されている。「資本の生産過程J論に位置付 のか。この過程の詳細な諸条件は次の篇 けられた「蓄積論Jは,いかなる課題を担うも のとして登場したのであろうか。 [ A b s c h n i t t]で考察すべきことである。ここ では,純粋に形態的なことを確認しさえすれば この草稿では,「相対的剰余価値J章にも「蓄 0 1 2]「ここで・・・・強調 よい。」[ MEGA⑨/5 積 。 Jという書き出しに始まる叙述が存在する。 されるべきことは,資本家は剰余価値のかたち MEGA編集者は,この章の終りまでを「蓄積」 で,新たな原材料と用具とを買うのに役立つ価 項としているが,内容の大部分は相対的剰余価 値部分をもっている,ということである。 J 値論なので,「労働にたいする所有権原の蓄積 3 3]までの 1パラ なのである。 J[MEGA⑨/ 2 [MEGA⑨/5 3 2 3]「総資本の総剰余生産物 を見れば,・・・・この剰余価値が新たに資本とし グラフの挿入とも考えられる 10)。いずれにせよ, て機能することができる素材的諸形態も再生産 α) その内容から,「蓄積論」の主要部分は「 4 1 0 ) MEGA編集者の解釈に従って,「蓄積。 J以降を「蓄 積」項と見なし,そこに蓄積論形成上の意義を見出す見解が ある。例えば,向井氏は,資本の集積,諸資本の構成,相対 的過剰人口,[産業]予備軍という蓄積論で重要な役割を果 たす諸概念が,「『蓄積jという項目のもとで与えられている J (向井,前掲書 2 3 4頁)と言う。 しかし,これらの用語は,「蓄積。 J以降の初めの方に登場 するだけで,しかも,初出でない。また,それらは,必ずし も蓄積論の諸範晴として,あるいは概念規定的に登場してい る訳ではなく,機械採用との関連で言及されるに止まってい る。相対的剰余価値論で「蓄積Jに言及されているのは,後 に見るように,この草稿の「蓄積論Jが,本質的には剰余価 値論だったことによる。 剰余価値の資本への再転化J以下であろう。 第 4章は,ノート x x表紙 2ページに示され ている構想によれば,「 α 剰余価値の資本への 9)原,前掲 2 1 6 7頁,向井,前掲 2 3 3・ 4頁,水谷謙治『再 生産論J(有斐閣, 1 9 8 5年 ) 2 0 5頁,小林賢費「『剰余価値の 資本への転化』と『経済表J J(『武蔵大学論集j第 3 3巻 5 6 号 , 1 9 8 6年 ) 6 2頁,清野康二『蓄積論の成立と領有法則転 回論 J(北大『経済学研究j第 3 6巻 2号 , 1 9 8 6年 ) 1 9頁 , 佐武,前掲書 2 4 2 3頁,など参照。 ・ - 88- r I 8 6 1∼6 3年草稿jの『蓄積論J されている。 j [MEGA⑨1 / 5 3 3 ] ことは確かだが,それよりも遥かに多くが,蓄 剰余価値の実現,蓄積のための素材および価 積論の諸論点に割かれている。すなわち,「再 値補填,等を前提に,直接的生産=再生産過程 生産。」以降でも,労働者自身による労働財源 のー契機として,その結果において,形態的に =可変資本の再生産,本源的資本の労働者の不 考察することに,この草稿「蓄積論j の課題が 払労働の物質化としての資本への転化,不払い ある。 労働が支払労働として現われる仮象性,他人労 「剰余価値の資本への転化Jの形態的考察に 働による他人労働の蓄積,蓄積における集中の よって,資本主義的形態での再生産の条件とと 役割,対象化された労働と生きた労働との対立, もに,その資本主義的性格を明らかにすること 労働貧民としてのプロレタリアートの増大,本 2章の課題であった。「蓄 は,蓄積論第 2 1∼ 2 源的蓄積,領有法則の転変,資本の歴史的性格, 積論Jは,ひとまず,「剰余価値の資本への転 などが論じられている。したがって,「再生産。 J 2章の形成 化」論の枠組みで,蓄積論第 2 1∼ 2 以降を流通過程論としての再生産論と見ること に向って展開されることになる。 はできない。 既に見たように,マルクスは,流通過程論と I I . 「再生産論としての蓄積論」の成立 しての再生産論に対する「蓄積論Jの課題,視 ( 1 )「蓄積論Jと再生産輪 3年草稿j 点を明確に区別していた。『1 8 6 1∼ 6 この草稿の「蓄積論j の性格を象徴するもの 執筆に先立つ構想「5 9 ( 6 1)年プラン j は,既に と見なされているのは,「剰余価値の資本への 「資本の生産過程 J論を「流通過程」論から区 再転化J節に存在する「再生産J項の存在であ 別している。「蓄積」章執筆の前に構想された ろう。そこでは,「再生産。 J[MEGA⑨1 /542] と見られる「6 3年プラン」( 1 8 6 2年 1 2月また という書き出しのもとに,再生産のための素材 は1 8 6 3年 1月執筆)でも,「蓄積J章の項目は, 補填問題を中心に,資本の貨幣資本,生産資本, 剰余価値の資本への再転化,本源的蓄積,ウェ 商品資本への転態と循環,固定資本と流動資本, イクフィールドの植民理論,となっていて,流 再生産表式など,流通過程論の論点に加えて, 通過程論としての再生産論は含まれていない。 産業廃棄物,恐慌の可能性,生産部門ごとに異 それにも拘らず,流通過程論に属すべき論点 なる資本の有機的構成と平均利潤率の形成,外 が,なぜ,「蓄積J章で取り扱われているのだ 国貿易と世界市場なども,論じられている。 ろうか。それは,「生産過程を再生産過程に転 このことから,流通過程論としての再生産論 化するものは,生産物がそれの生産諸要素に再 との未分化,混在にこの「蓄積論」の特徴があ 転化される,ということである J[MEGA⑨/ 1に疑問がある。「再生産。 J るとされているが 1 5 4 6]という把握にある。剰余価値の資本への 以降の叙述が,上記の論点、に多くを割いている 転化は,「流通過程および再生産過程と一緒に 1 1 ) 「同草稿の資本蓄積論を特徴づけるのは.それが社会 的総資本の再生産論を一部分に含んで展開されている点であ 4 6頁 ) る 。 J(佐武,前掲 2 単純再生産』と第 2部第 3篇・・・・とに属 「そこでは・・・・ f する諸問題が,混在したまま取り扱われている。 J(原,前掲 2 1 1頁 ) 「資本の再生産過程の問題を,いわば『資本論j 第一巻第 七篇『資本の蓄積過程j と・・・・第二巻第三篇『社会的総資本 の再生産と流通jを未分厳のまま,解明しようとしていたと, 8 6 1∼6 3年手稿j におけるマル 考えられる。」(荒川繁「『 1 9 8 4年 9月号, 2 2 7 クス『本源的蓄積j論の研究」『経済』 1 頁 ) して,はじめて具体的に考察されうる」[MEGA ⑨I533]ものとされている。他方,この草稿 は,第 3章「相対的剰余価値Jの「 c機械」論 以降,次第に探究的,手稿的性格を強めている。 手稿的なものになっていたこの段階で,流通過 程論の構想を具体化させるに至っていないだけ に,留保されている「貨幣資本の生産諸要因へ の転化の条件と見通しをどのようにつけるか」 (佐武,前掲書 4 0 4頁)という問題に考察が拡 - 89一 がっていったと理解される。流通過程論に属す ある)として位置付けられ,この第三の契機の べき論点が「蓄積」章に存在することは,この 止揚が,すなわち資本関係の再生産が,「生産 草稿の「蓄積論j の特徴というよりは,その手 過程と価値増殖過程・・・・の物質的諸結果よりも 稿的性格を表すものと見るべきであろう。 なお一層重要な結果」[ MEGA②I9 8 ] J と把 とは言え,生産諸要因への転化の条件と見通 握されていた。 し問題の検討がここで要請されるのは,この草 資本生成の前提性の止揚は,再生産の措定で 稿の「蓄積論」の視点が,再生産にあるからに 。 『1 8 6 1∼ 6 3年草稿j「蓄積論J 他ならない 12) 論としての蓄積論」の課題である。『 1 8 6 1∼ 6 3 ある。それゆえ,この論理的課題は,「再生産 を基本的に規定しているのは,「再生産論とし 年草稿j「蓄積論Jの基本的性格は,「再生産論 ての蓄積論Jである。この草稿の「蓄積論Jの としての蓄積論」であり,このような性格のも 課題が「剰余価値の資本への再転化」であり, のとして成立した。「再転化」という表現には, 以下に明らかにするように,そこに止まること この「蓄積論j の,このような課題,位置が表 も,この基本的性格にもとづいている。 わされており,さらには蓄積論に媒介されるべ き「資本の生産過程J論の課題との関連が表現 ( 2)「剰余価値の資本への再転化」蛤 されている。 「再転化Jが「転化Jとなるのは,『資本論j 資本蓄積概念は,この草稿で初めて「剰余価 v 0 3 .5 0 9 .5 2 0 ] 値の資本への転化」[ MEGA⑨ 5 8 6 3∼ 6 4年第 l部 初版以降と推定される。『 1 と規定されたが,同時に「再転化 草稿jの「蓄積J章である第 5章の表題は不明 Riickverwandlung」とも規定され[ MEGA⑨ I509-11],「再転化Jが第 1節の表題となって いる。剰余価値の資本への転化が「再転化」で あるのは,当該箇所の叙述から,最初の,本源 だが,第 2部草稿に次の叙述がある。 素を買う,と前提した。・・・・いまやわれわれは, 的貨幣の資本への転化が資本形成の第一の過程 e a l]諸条件を調べなけ この再転化の現実の[ r とされ,資本の生産物としての剰余価値の資本 I /4 . 1S . 3 5 4 ( 2 6 7 ) ] ればならない。 J[MEGAI への転化が「資本形成の第二の過程J[MEGA ⑨/5 0 9 , 5 1 0]と把握されていることによると 理解される。 「われわれは第 1部第 5章では,剰余価値の うち資本に再転化される部分は生産資本の諸要 この表現の変化には,蓄積論独自の課題の成 立,資本の蓄積過程の結果による「資本の生産 の歴史的総括の成立が表現されている 13 。 ) 過程J 第 1の過程すなわち本源的蓄積を,「資本の 論に論理構造的に位置付けることは, 生産過程J ( 3)蓄積愉による「資本の生産過程J愉の総括 既に見たように『要綱j以来のものである。そ 剰余価値の資本への転化の形態的な分析の視 こでは,本源的蓄積論は,「資本形成の第三の 点は,「絶え間なく更新される行為として考察 契機 J(その主要論点は,資本関係の形成論で 1 2)大友敬明氏は,「再生産。j以降の分析視角を次のよう に特徴付けている。 「この『再生産』の分析視角は前半の『剰余価値の資本へ の再転化jが『単純な,直立した個別の生産過程J(MEGA, I I /3 .6 , S.2245)であるのにたいして.こちらは生産過程 benda)として把握している点にちが の『継起的な過程』( e いがある。 J(大友「マルクス『経済表』の構造と意義J 三 国学会雑誌j第 7 7巻 3号 , 3 5頁 , 1 9 8 4年 ) いずれも過程の絶えざる更新という視角から分析されてい るが,「再生産。 J以降では,取扱われる論点との関係で.そ れがより強調されていると理解される。ただし,「再生産。」 以降も「剰余価値の資本への転化J論であることが,見落と されるべきでない。 r された生産,あるいはその絶えざる更新との関 連で考察された生産 J[MEGA⑨I5 4 2]であ r 1 3 > 要綱jにも,次のような資本蓄積の把握が見出され るが,「剰余価値の資本への再転化j論としての「蓄積論J の展開は.『 1 8 6 1∼6 3年草稿jのものである。 「資本としての資本の糟大(すなわち蓄積・・・・)は, この 剰余生産物の一部分が新しい資本に転化することに依存して いる。 J[MEGA②1 /79]「資本が増大できるのは,ただ利潤 の資本への一一剰余資本への一一再転化によってでしかない」 [MEGA②1 /574] 「利潤の資本への再転化Jから「剰余価値の資本への再転 化Jへの変化にも,蓄積論形成上の発展が示されている。佐 武,前掲書第 5章参照。 一鉛一 『1 8 6 1∼ 6 3年草稿jの「蓄積論J る。それは,資本蓄積の把握に,次の視点を与 の生産物と見なされるべきものは,商品だけで える。 はない 0 ・・・・剰余価値・・・・だけでもない。さら 「単純再生産を・・・・同じ資本と労働能力との に資本が生産され,賃労働が生産される。言い 交換の単純な繰り返しとして考察すれば,要す 換えれば,関係が再生産され,永遠化されるの るに再生産過程として考察すれば,事態は,こ /251-2] である。」[ MEGA④1 の過程が,単に孤立化され個別的な生産過程と 「資本の生産過程」論における「資本関係の して現われるときとは異なったものとして現わ 再生産」論のこの位置付けは,「資本の生産過 れる。」[ MEGA⑨/ 5 4 6 ] 程」論が「結果論としての蓄積論Jによって総 括されるものと把握されつつあることを示して 他人労働による他人労働の取得,他人労働の いる。 物質化としての資本,労働者自身による労働財 源の再生産,等々,資本の仮象の暴露は,この 「資本が最初にこの形態で登場したときには, 分析視点にもとづく。それは,『資本論j第 1 これらの前提そのものが,外的に流通から出て 部第 2 1∼ 2 2章に引き継がれた蓄積論の論点, くるもの,流通で与えられたものとして,つま 資本蓄積の資本主義的性格の暴露である。この り資本の成立にとっての,貨幣の資本への転化 「蓄積論Jの,蓄積論としての成果のひとつは, にとっての外的な前提として現われた。いまや, この視点からの資本蓄積の資本主義的性格の把 これらの外的な前提が資本そのものの運動の契 握にある。 機として,資本自身の生産過程の結果として現 しかし,それは,この「蓄積論」の主題的論 われるのであり,その結果,資本そのものがこ 点ではない。この形態的な分析で最も重視され れらの前提を自己自身の諸契機および諸条件と ている論点は,「資本関係の再生産jである。「剰 3 2 ] して前提しているのである。 J[MEGA⑨/5 余価値の資本への再転化」論は,資本生成の前 資本生成の前提を生産過程の結果によって止 提の止揚,すなわち再生産過程の形態的な措定 要綱j に登場していた。それ 揚する課題は, f を課題とする。この措定に必要な条件は,剰余 が,この草稿に引き継がれていることは,上記 価値と資本関係の存在であるが,「蓄積論Jは , が『要綱j の叙述[ MEGA②/ 8 7]からの引 既に見たように前者を剰余価値生産の結果とし 用であることに示されている。「結果論として て受け取る[ MEGA⑨1 /533]0 したがって, f 再 の蓄積論Jは,そこでも,資本生成の前提の措 転化 j論の主題的論点は,「資本関係の再生産」 定として把握されていた。これに,『 1 8 6 1∼ 6 3 論になる。 年草稿』「蓄積論」の視点,「再生産論としての 蓄積論Jが重ねられる。資本生成の前提の止揚 『要綱jに既に登場していたこの論点は,『 1 8 6 1 ∼6 3年手稿j に号|き継がれたが,叙述は,この は,再生産過程の措定である。そして,資本に 草稿の初め「貨幣の資本への転化」章と終り「剰 余価値の資本への再転化 J章とに最も多い 14 。 ) よる資本の生成,流通過程論を視野に置く再生 産過程の措定は,この草稿の「資本の生産過程J このことは,「資本関係の再生産J論が,「蓄積 論の総括的課題でもあった。「剰余価値の資本 論Jの主題的論点として,さらに,次の叙述の への再転化J論は,その終りで,そこで取り扱 ように「資本の生産過程J論の総括的論点とし 。 ) て位置付けられていることを示している 15 われた論点を踏まえて,資本主義的生産様式が 1 5)清野氏は,「『貨幣の資本への転イじj の箇所で,資本・ 賃労働関係の再生産が論じられているのは,当該箇所・・・・で. f 賃銀は生産的かj という問題に取り組んだため J(前掲, 2 6 頁)と見て,「それらは,貨幣の資本への転化論,剰余価値 論,蓄積論の三箇所に分散して説かれているにすぎず」(向 上 , 3 0頁).「資本・賃労働関係の再生産をどこでどのよう 7頁)と評 に展開すべきか,未だ決めかねていた J(向上' 2 している。 「資本主義的生産を全体として考察すれば, 次のような結果が生じる。一一この過程の本来 1 4)この趣旨の叙述は,上記の他,以下の箇所に見出され ' / 1 1 8 ,1 7 9 .2 1 7 .2 2 2 .5 0 1, ⑦ , ;3 3 7, 4 0 2,⑨1 /5 1 2 , る 。 MEGA④ 5 8 2 ,5 8 7, 5 9 6 ,7 4 2 QJ ,i 再生産される諸条件を次のように総括してい る 。 「資本主義的生産様式が諸条件をたえず再生 I I I . 剰余価値諭としての「蓄積蛤」とその限界 ( 1 ) 「剰余価値生産の結果J蛤 蓄積論が,「資本の生産過程J論の総括章で 産するのは次のことによってである。(一)資本主 義的生産様式が,単純な[再]生産過程におい あるためには,それ独自の主題領域を持たなけ て,資本としての労働諸条件の関係と賃労働と ればならない。しかし,『1 8 6 1∼ 6 3年草稿j「 蓄 しての労働者の関係とを再生産することによっ 積論Jは,蓄積論独自の主題領域を明らかにし 剰余価値の,資本への継続的な転化(蓄 て。仁j てはいないし,それを形成すべき論点さえ蓄積 積)によって。・・・・国資本主義的生産様式がた 論に独自の論点と把握されるに至っていない。 えず新たな領域に伸張していくことによって。 o n c e n t r a t i o n ] (および競争) 四資本の集中[ C この草稿の「蓄積論」の課題,「剰余価値の 資本への再転化jは,資本に転化すべき剰余価 /587] によって。」[ MEGA⑨1 値の生産と資本関係の再生産とによる資本の生 この展開は,「蓄積論Jが「資本の生産過程」 産過程の形態的措定,再生産過程の措定を課題 論をその結果において総括するものと位置付け とする。とは言え,それらを措定するのは,「蓄 られていることを意味している。しかも,その 積論Jではない。剰余価値生産の結果は,剰余 総括主題は,「資本関係の再生産」論である。 価値と生産手段から切り離された労働力,資本 1∼ 2 2章は,この これを主題とする蓄積論第 2 関係の再措定なのである。「蓄積論j は,剰余 草稿で,その骨格が形成されたと言ってよい。 価値生産の結果を受け取るにすぎない。 「剰余価値の資本への転化J論の課題のひと しかし,それは,蓄積論の主題が,位置が, 明確になったことを意味するものではなかっ つは,この転化の資本主義的性格の解明にある。 た。「資本の生産過程 J論を総括するのは蓄積 再生産過程として考察することによる資本の仮 論であり,蓄積論が「資本の生産過程J論の総 象の暴露は,このようなものである。この「蓄 括章として最終に位置付けられなければならな 積論」の主題的論点,「資本関係の再生産 J論 い。しかし,この草稿の「資本の生産過程J論 も,「蓄積の単純な形態」の考察に止まらず, の最終章は,執筆構想では「蓄積J章ではなか 蓄積論の諸論点・諸結果の考察を深化させつつ , った。なによりも,この草稿の「蓄積論Jは あったことは,例えば『要綱jの叙述に下線部 剰余価値生産の結果を再生産のための剰余価値 分の労働貧民論を加えた次の叙述が示している。 と資本関係の措定として受け取る「再生産論と 「最後に,生産過程および価値増殖過程の結 しての蓄積論Jに止まっていた。「蓄積論」の 果として現われるのは,とりわけ,資本と労働 主題が「資本関係の再生産J論にあり,それが との,資本家と労働者との関係そのもののたえ 「資本の生産過程J 論の総括的主題であるのも, ず拡大される規模での再生産である。それゆえ, この点にもとづいている。 資本の量が増加すれば,実体を失った,窮乏し の生産過程J論の総指章として結果論でもなけ た労働能力,『労働貧民 j の量が増加し,また 後者が増加すれば前者が増加する。・・・・この生 ればならない。しかし,「蓄積論Jが,資本生 産関係・・・・は, ・・・・この過程の物質的な諸結果 成の前提条件の措定を課題とし,剰余価値生産 の結果を受け取るに止まる限り,それは,剰余 /582]「資本関係の再生産」 る 。 J[MEGA⑨1 価値論と再生産論とから区別される主題を持た 論における労働貧民論の展開は,「資本の生産 ない。蓄積論の成立には,「剰余価値生産の結 過程」論を資本蓄積の結果において総括する視 果」論からも,再生産論からも主題的に区別さ れることを必要とする。 点の深化を示している。しかし,それは,「生 産過程と価値増殖過程の結果として現われる」 蓄積論は,再生産論であり,しかも,「資本 よりもっと重要な,それの一結果として現われ - 92一 『 1 8 6 1∼6 3年草稿jの「蓄積論」 という『要綱j の視角,剰余価値生産の結果論 連で叙述されており,蓄積論第 2 3章の展開を に止まり,資本蓄積の結果論として展開される 想起させる。しかし,この草稿の相対的過剰人 口論が,「蓄積論 Jに,このように位置付けら に至らなし」 「蓄積論Jのこの性格を規定し,制約してい れていたと見なすことはできない。 るのは,この草稿の「資本の生産過程J論の課 機械採用が資本と労働者に及ぼす結果の考 題であった。それは,「資本がどのように剰余 察,とくに相対的過剰人口の生産は,この草稿 価値を生産するかJを課題とする剰余価値論で /554ふ の主要な追究点であった( MEGA④1 あり,剰余価値生産による貨幣の資本への転化 /692-3'775,⑦I378,⑧y '4 4 3,⑨1 /18-20,241 ⑥1 が「資本の生産過程 Jと把握されていた 16)。「蓄 2 '2 5 2 ,3 9 5 '5 1 1 ,5 4 1 2' 5 7 6 7,参照)。それが主 積論 Jの主題,「剰余価値の資本への再転化J 要に考察されている「相対的剰余価値」章の箇 も,この課題の一環として,剰余価値生産の結 所[ MEGA⑨ I252- 6 0]では,機械による 果論を,再生産論の視点から資本の生産過程の 労働者の過剰という論点を析出しつつ,視点、は 「資本のもとへの労働の実質的包摂j 論を軸に 結果として総括しているにすぎない。だから, この草稿では,蓄積論独自の主題を形成すべき 労働者に対する資本の専制支配の確立に向かう 論点さえも,剰余価値生産の結果と把握される 展開となっている。その機械が,一方で集団的 =社会的労働の形成によって労働者階級の階級 に止まることになる。 形成と変革の物質的・主体的条件を形成させ, ( 2)相対的過剰人口輪 他方で相対的過剰人口と貧困の蓄積によって階 級敵対を深化させる,という論点は,見出され この草稿のこの限界は,とりわけ相対的過剰 人口論に現われる。 f 草稿ノート j第 X X I I I冊の ない。 諸著作からの追補には,次の叙述が見出される。 この草稿の相対的過剰人口論の性格は,次の 「資本主義的生産が発展すればするほど,可 叙述に端的に示されている。「労働人口の必要 変資本に再転化される剰余生産物部分はますま 部分を不断に減らすこと,すなわち,[人口の] す小さくなる。そして,生産過程によってつね 一部分を・・・・過剰人口とすることとならんで, に余分なものとされる人口部分はますます大き 労働人口を不断に増やすことも,同じように資 くなり,また,消耗される労働量は,労働者数 本の傾向なのである。・・・・これは,個別的労働 の増大なしに,ますます大きくなるのである 0 日のところで展開したことの応用にすぎない。 J ・・・・そのうえ,大工業は [MEGA⑨1 /241-2] 一方で人為的な人口 これと同趣旨の叙述が, r i s 5 1∼ 5 8年手稿j 過剰を絶えず生み出しながら,他方で労働者階 [MEGA①I5 2 3 4]に見出される。蓄積論独 級がみずからを貧民の一大集団として大規模に 再生産してゆくような,労働者階級のそうした 自の主題展開の横粁となるべき相対的過剰人口 状況を生み出すのである。 J[MEGA⑨1 /737] 論は,『 1 8 6 1∼ 6 3年草稿j では,なお『要綱j この叙述は,一見するところ,「資本蓄積 t のそれを本質的に超えるものでなかった o 「資 相対的過剰人口 t 貧民・貧困の蓄積Jという関 本の生産過程」論が剰余価値論であり,「蓄積 論」の主題が再生産視角の「剰余価値の資本へ 1 6)例えば,「蓄積J章に見出される次の叙述には,「資本 の再転化」論にある限り,蓄積に必要な労働者 主義的生産Jが剰余価値生産を意味し,「蓄積J章が,「資本 の生産過程j論の結果を受け取るものとして,言い換えれば, 生産過程の内部には位置付けられてはいないことが示されて い る 。 「すでに資本主義的生産の考察のさいに見たように,・・・・ 資本によって引き寄せられる増大する労働者数は,反発され, 遊離される労働者群の増大によってっくりだされることにな るのである。 J[MEGA⑨1 /5 4 1 ) 人口の問題は視野に置かれても,相対的過剰人 口論は,剰余価値生産の結果として把握される に止まり,蓄積論の論点として把握されない。 したがって剰余価値論に対する蓄積論独自の主 題も,明確にならないのである。 m m I V . 「資本の生産過程J蛤と最終章の謀題 綱j からの引用であることにされている。そこ ( 1 )変革路とその視点 形成への言及はない。 から進んで,資本解体の物質的・主体的条件の rI861∼ 6 3年草稿j「蓄積論Jの,さらに 1 8 6 1∼ 6 3年草稿jの論点「資本がどのよ 『 は「資本の生産過程J論の基本的性格に関わる 最も重要な論点は,「資本がどのようにして生 うに生産するかj は,資本解体の物質的条件の 。 ) 形成の解明を課題としていたとは言えない 18 産するかということだけでなく,資本がどのよ このことは,この草稿の「資本の生産過程J論 うに生産されるかということをも説明しなけれ の課題に照らして,必然的と言える。この草稿 ばならない J[MEGA⑥/ 719]という論点で の「資本の生産過程 J論の主題は,「資本がど ある。この草稿で初めて現われたこの論点は, のように剰余価値を生産するか Jにあり,この 周知のように,『 1863∼ 64年第 1部草稿j 主題の追究によって,資本が剰余価値のみなら [MEGAI I /4. 1 SS. 1 2 9 3 0 ( 1 4 8 9)]を経て, 『資本論j第 1部第 4章の終り,資本の生産過 ず資本生成の前提をも生産することを明らかに 程の入口に掲げられた課題一一「ここでは,ど ようにして生産されるかJも,剰余価値論の枠 することにあった。論点「資本そのものがどの のようにして資本が生産されるかということだ 内に存在している。そのことは,この論点が, けではなく,どのようにして資本そのものが生 協業→分業→機械による生産様式の変革に視点 産されるかということもわかるであろう。 J[K を置いていることに端的に示されている。生産 I. 4I2 3 0]ーーに引き継がれた。それは,「生 様式の変革論は,『資本論jでの位置が示すよ 産様式が資本主義的なものになることによって うに,相対的剰余価値論の論点なのである。「資 /5 0 1」 それ自身がこうむる変化」[ MEGA④1 , rI861∼ 63 本がどのように生産するか Jも を明らかにする「資本の生産過程j論の課題で 年草稿j では,剰余価値論から相対的に自立し あり,『資本論jでは,資本主義的生産様式解 た主題ではなかった。 体の物質的・主体的条件の形成へと発展して 「資本の生産過程J論を総括すべき蓄積論の課 ( 2)最終章未執筆と蓄積蛤成立上の標題 蓄積論独自の主題の未確立は,第 4章の表題 題として,蓄積論成立の根幹となる論点である。 この草稿には,この課題に言及した叙述が, 3 9 ( 6 1)年プラン Jおよび「 6 3年プラン」 と「 5 カ所ある[ MEGA④i /501-2,⑥1/719,⑨i /410。 ] の最終章が執筆されなかったことに現われてい これらの叙述の視点は,資本の生成すなわち物 ると思われる。 質的生産諸力の発展に対応する生産様式の発展 荒川繁氏は,原資料コピーにもとづき,「剰 一一協業→マニュファクチュア→機械制工業 x 余価値の資本への再転化」を論じたノート x ーーにあり,それが「同時に,労働の外化過程, 疎外,労働自身の社会的諸形態を他人の威力 [Macht] 」 [ MEGA④Is o 1 . 2 J として現われ ることや,個別的労働の社会的な労働への転化 であることに言及されている。その点で,剰余 価値生産の結果の形態的分析に止まらず,変革 論を庇胎しているということはできる 17)。し かし,労働疎外等の指摘が,既に『要綱j に登 場していた論点であることは,その叙述が『要 1 8)佐武氏は,「資本の生産過程j論の主題が「いかにし て資本関係の解体の物質的諸条件が生産されるか」にあり, この課題の成立に蓄積論の成立過程の「最深の論点」(前掲 省1 1 8頁)があるとしている。この理解は重要であるが,し かし,この課題が,この草稿において成立したと見て,「『資 本論j成立史はここに一つの断絶または飛蝿的発展を経てい るJ(向上)と評価し,「一八六一∼六三年草稿は『経済学批 判j体系から f 資本論j体系へのマルクスの理論的発展の変 曲点J(前掲 3 8 0頁)と位置付けることには,疑問がある。 氏のこの位置付けには,機械論中断箇所の問題も.中断の理 由の解釈問題とともに関わっているが,それは拐措き,この 草稿の変革論の視点は,生産様式そのものの変革にあったと 思われる。 1 7)この点の指摘が,小林賢膏,前掲論文 3 1頁に見出さ れる。 - 94- 『1 8 6 1∼ 6 3年草稿jの「蓄積論」 I Iの表紙 2ページは,「 4 )α)剰余価値の資本 次のように指摘している。「剰余価値の資本へ への再転化」となっていて,「総タイトルが記 の再転化Jは「資本制蓄積」のー側面にすぎな されていない J(前掲論文 216頁)こと,表題 い。全体を統一する表題,例えば後の「資本制 3 5 3ページにあるが,それは「 I V))剰 は本文 1 的蓄積」「資本の蓄積過程」は,理論的発展= 余価値の(利潤一一抹消)資本への再転化Jと 「資本制蓄積の一般的法則Jを含んでいるが, なっていて,「I V))剰余価値の利潤への転化J それが分析された痕跡はまったくない。「マル を書く積りのタイトルの流用である可能性があ クスはこの章の諸節を統一する表題したがって ることなどを論拠に,この章の総タイトルが 資本蓄積論の最深の論点を未だ確定していない w 「 剰余価値の資本への再転化j であると単 。 ) 純に断定できない J(向上)と指摘している 19 0 0 4 0 2頁参照) と考えられる。 J(前掲 4 氏は言及していないが,これに先立つ「 63年 9 ( 6 1)年プラン Jでは「資本と賃労働j だ の「 5 「資本の生産過程」論の最終章は,当初構想 プラン Jも,「 6 剰余価値の資本への再転化, 3年プラン Jでは「生産過程の結果」 ったが,「 6 本源的蓄積,ウェイクフィールドの植民理論J に変更されている。しかし,『 1861∼ 63年草 と並記されており,「剰余価値の資本への再転 稿j には,いずれも存在しない。草稿前半には 化Jがこの章全体の表題なのか,この章の節の 「資本と賃労働J章の執筆を予定する叙述はあ 表題なのかは判然としない。また,この章の表 題が,第 1節の表題と同じ「剰余価値の資本へ 5 3 .2 9 3 .489-90],「生産過 るが[ MEGA④I2 ) 程の結果 Jに関わる叙述は見出されない 21。 の再転化」であるとすると,そのこと自体が考 ノート最終冊は終り 25頁が白紙ということな ので[ MEGA⑨I26勺,最終章を執筆するに 究の未成熟を感じさせる。 佐武氏は, rI863∼ 6 4年第 l部草稿j「 第5 至らなかったものと思われる。 章j の表題についてではあるが,それを「剰余 価値の資本への再転化 Jと論定したうえで 20)' 1 9)荒川氏は,この論点をさらに押し進めて.「 3相対的 J は,「 h 相対的および絶対的剰余価 剰余価値Jに続く「 4 値」で,流用されたタイトル「『 I V))剰余価値の利潤への転 V))剰余価値 化』は,「誤記ではなし実際にマルクスが『 I 2 5 の利潤への転化jを構想していたことを示すもの J(向上 2 頁)と主張している。 氏は,その理由のひとつに.この「 I V J を「3相対的剰余 J とすると. r r 4剰余価値の資本への転化j 価値」に続く「 4 が『5剰余価値にかんする諸学説』のあとに.かれたことに 2 1 なり,構成上,きわめて不自然とならざるをえない J(向上 2 頁)と言い,「ロシア語版『著作集』第四七巻では『 3相対 J を,『4相対的および絶対的剰余 的剰余価値』につづく『4 価値j と理解している J(向上)ことを挙げている。 J 荒川氏の理解に従えば,ロシア語版のように,「 hjを「 4 と読み,そのうえで, 剰余価値にかんする諸学説Jに先 立って,「4絶対的剰余価値および相対的剰余価値 Jを執筆 し,その後で「 I V剰余価値の利潤への転化Jを執筆しよう としていた.ということになる。だが.「5 Jの後に実際に執 筆されたのは,「3 相対的剰余価値Jの続きと「 4 a)剰余 価値の資本への再転化j以下である。氏の推定も,理論的構 成願に執筆されたという前提も,事実とは違っているように 思われる。 2 0)『 1 8 6 3∼ 6 4年第 1部草稿j「第 5章Jの表題を「資本 の蓄積過程Jとする見解もある。八柳良次郎「『資本論j 第 I部最終草稿(一八六三∼六四年) J(『経済j1 9 8 3年 9月号. 1 6 8頁).『マルクスライプラリ③ 資本の流通過程J3 0 2頁 , 参照。「蓄積論Jの主題との関連では,佐武氏の推定が説得 的である。 r 5 生産過程論の最終章を「資本と賃労働」とす 9 ( 6 1)年プラン Jで登場した。こ る構想は,「 5 21) MEGA編集者は,次の{ }内の叙述について,「こ の一文でマルクスが言っているのは,おそらく,一八六三年 一月のプラン草案で示していた項『七。生産過程の結果j の 239 。 ] ことであろう J と注解している[ MEGA⑨V 「資本の絶対量が.個々の資本家の手中で増大し,それが 社会的な規模として受け Lミれられているあいだに,同時に諸 資本の構成に一つの変化が生じる。可変資本は,不変資本に 比べて相対的に減少し,総資本中のしだいに減少していく成 分となる。{このことは.資本主義的生産の特徴から諸結果 i mf o l g e n d e no) ]において総括す を導きだすあとの節 o [ べきでないか。} J(向上) MEGA編集者は,「 imf o l g e n d e no)」を「七。生産過程 の結果 Jと解釈する理由を示していない。おそらく,「資本 主義的生産の特徴から諸結果を導きだす Jという点に着目し たものと忠われる。だが,「 0Jが,なぜ「七 Jなのかを説 明すべきであろう。 I Xおよび の表紙 2ページに「 3 相対的剰余価 ノート X ]とあるので, imf o l g e n d e n 値 γ)機械,等J[MEGA⑨I3 6を素直に受け取れば,「盗! Q o) J となる。ただし,「次の 0Jが何を指すかが問題になる。 Jの次に構想されてい たのは, 相対的および絶対的剰余価値Jなので,「 γ J の次が,なぜ「 hj なのか,という疑問も関わって「次Jに 拘われば,この項で「資本主義的生産の特徴から諸結果を導 きだす Jことを考えていたということになるが,最終章構想 とは整合しないことになる。いずれにせよ,この叙述が「生 産過程の結果Jを指していると即断はできなし、 - 95一 x x r h r y のプランに付された詳細な内容項目と『要綱j とは言え,このプランで,このような視点が への参照箇所の指示とから,「資本と賃労働」 明確になっていたとは言えない。両章の区別の が,どのような論点を含んで構想されていたか 視点が必ずしも明確でなかったことは,「資本 が分かる。 と賃労働 J章に指示されている論点が,「本源 「資本と賃労働J項には,資本の条件として 的蓄積」章にも指示されていることに表われて の労働者の無価値性と価値喪失,労働に対する いる。例えば,「資本関係の再生産」に関わる 強制力としての資本,資本と労働との交換過程, /98• 102'174] 論述のうち,ある叙述[ MEGA②1 資本と労働力の再生産,労働者に対する資本の は「本源的蓄積」章に,他の叙述[ MEGA②1 /446 前貸し,機械と生きた労働との関係,領有法則 7]は「賃労働と資本 J章に指示されている。 の転回,等々,資本と賃労働との対立的関係と 後者に指示されている叙述には,労働者の消費 その発展過程に関わる論点が網羅的に指示され が労働能力の再生産である限り,資本関係の再 ている。さらに,資本主義生産の発展に内在す 生産に帰結するとの趣旨が含まれているが,前 る矛盾,労働の社会的労働への転化,資本の歴 者との区別の視点は,明確でない。「資本の生 史的使命,自由な時間,労働時間の節約と真実 産過程J論の主題一一資本と賃労働との対立的 の経済,などの変革論に関わる論点も指示され 関係の発展を資本主義的生産様式の歴史性にお ている。 いて総括するーーが明確になっていないこと このプランには,蓄積論の項目である「本源 的蓄積J項が存在する。この項目は,資本主義 は,この章の最終項目が,領有法則の転変論に 。 ) なっていることにも表われている 22 的生産様式に先行する諸形態論や資本形成の歴 最終章「資本と賃労働J構想、は,この草稿前 史的前提論しての本源的蓄積論に止まらず,剰 半では維持されていたことが,それに関わる叙 余価値生産の前提としての資本のもとへの生産 述の存在から分かる。それらは,この章に属す 手段と労働力の集積論,マニュファクチュア論 べき論点が,したがってまた主題も,明確にな に加えて,結果論としての,資本の諸条件と資 っていなかったことを窺わせる。例えば,労働 本関係の再生産論や貧困化論,社会的労働の形 者からの科学の分離や生産的・不生産的労働に 成と資本主義的生産様式の変革論,労働人口の ついては相対的剰余価値論との関連が模索され 増加論を含み,さらに相対的剰余価値と絶対的 8 9 9 0 ,2 5 3]。剰余価値論 ている[ MEGA④ 4 剰余価値の結合論,等々まで含む広範な内容の に対する蓄積論の区別が明確になっていないこ ものとして構想されている。 とを示している。さらに,次の叙述のように, そこで,「本源的蓄積J章と「賃労働と資本J v 資本蓄積と労働者階級の増大との相互規定的関 章とを互いに区別し,さらにそれらを他から区 係という蓄積論の重要論点は,「蓄積 J章でな 別する視点、の何であるかが問題になる。参照を く「資本と賃労働j章に属するとされている。 「所与の条件のもとで剰余価値の量が,した 指示されている叙述内容から,前者は,剰余価 値の生産に関わる蓄積論の諸論点をその結果に おいて総括するもの,後者は資本と賃労働との 対立的関係の発展を資本主義的生産様式の歴史 性において総括するものと理解される。両章に 共通するのは,剰余価値生産と資本と賃労働の 関係とをその結果において把握する視点であろ う。生産過程の結果論による「蓄積論Jの構想 と生産過程論の総括とは,このプランに初めて 示された。 2 2)「 5 9 ( 6 1)年プラン Jの「資本と賃労働」章の論点を分 析したものに,大量権定美「『経済学批判体系』プランと資本 , 1 9 6 7年 九 八 蓄積論 J(穂谷大『経済学論集j第 7巻 2号 柳良次郎「マルクス草稿『第 直接的生産過程の諸結果j の理論的性格 J(東北大『経済学j第 4 2巻 l号 , 1 9 8 0年 ) がある。 大海氏は,主要論点を資本関係の再生産,領有法則の転変, 自己自身を止揚する資本主義的生産の制限,に見出している。 これに対して.八柳氏は,その主題を「資本主義的生産の転 倒性にもとづく経済学的諸範鴫の呪物的性格の批判的解明」 3頁)に見出す。八柳氏の埋解は.「資本と賃労働J (同上, 4 論の生成と展開に蓄積論成立上の重要な論点を見出そうとす る本稿の理解と対立する。 - 96- . 6 『1 8 6 1∼6 3年草稿jの「蓄積論J がって総資本の量が増加するためには,人口が 剰余価値の資本への再転化である。だが,この 増加しなければならないが,・・・・そのためには, 主題が再生産論の視点から取り扱われ,「蓄積 資本がすでに増加していることが前提されてい 論Jが「再生産論としての蓄積論」に止まる限 る。それゆえ,ここには悪循環があるように見 り,剰余価値論に対して蓄積論を独自な主題領 える。{この悪循環はこの箇所では・・・・説明す 域とする把握は,生まれ得ない。「蓄積論」は, ることはできない。第五章に属することであ 資本によって生産された剰余価値を結果として / 2 9 3 ] る 。 } J[MEGA④1 受け取り,これを再生産論として,生産の繰返 生産過程論の最終章構想、は,「生産過程の結 しの結果を形態的に分析するだけだからであ 果」に変更され,「資本と賃労働J章は,第 3 る。「蓄積論 Jは,剰余価値論に対してはその 編「資本と利潤Jの最終章に位置付けられるこ 結果論として,資本存在の前提の止揚として, とになった。この位置付けは,「資本と賃労働」 再生産論としては流通過程論としての再生産論 章が,「資本の生産過程 j 論の総括章から「資 への架橋として,位置付けられるに止まる。「蓄 本J全体の総括章,文字通りの最終章という位 積論jが,ひとまず「再生産論としての蓄積論」 置付けに強化されたことを意味する。この変更 として成立し,その枠組みで「資本関係の再生 は,生産過程論の総括を「生産過程の結果」に 産J論と剰余価値生産の結果論とを展開させた 委ねつつ,「資本と賃労働Jによる「資本」の ことは,「資本関係の再生産j 論の視点を流通 総括という構想を維持しようとした結果と考え 過程論への移行という課題に収散させてしまう られる。 8 6 3∼ 6 4年第 1部草稿 j 最終 ことになる。『 1 「資本と賃労働」章の執筆は先送りされたが, 「資本の生産過程J論の総括章の課題の如何が 章「直接的生産過程の諸結果」が,それを端的 に語っている。 問題になる。「本源的蓄積 J章が「剰余価値の 「資本の生産過程」論の最終章の課題と,「資 資本への再転化Jを主題とする章に生成し,剰 本と賃労働Jによる「資本」理論の総括という 余価値生産の諸結果において「資本の生産過程」 課題との関連が,蓄積論の成立に関わる焦点と 論を総括するならば,最終章の課題は,その存 なる。 その後の『 1 8 6 3∼ 6 4年第 l部草稿j 「蓄積 在の必要も,ますます不明確になる。最終章の 執筆に至らなかった一理由は,以上にあると思 論Jと『資本論j のそれとの検討は,本稿の課 われる。 題を超える論点であるが,資本と賃労働とを両 9 ( 6 1)年プラン J以降,資本と賃 かくて,「 5 極とする蓄積論の形成過程のその後について は,基本的に次のように理解される。 労働とを両極とする結果論=「資本と賃労働」 論の,「剰余価値生産の結果論Jと「再生産論 D863∼ 6 4年第 l部草稿j の現存する唯一 としての蓄積論」とに対する関係が,蓄積論形 の部分,最終章「資本の生産過程の諸結果」の 3年プラン Jの最終章 成上の焦点となった。「 6 叙述から推定されるこの草稿の「蓄積論」の主 8 6 3∼ 6 4年第 1部草 「生産過程の結果 Jは『 1 題は,「資本関係の拡大的再生産」にあったと I 資本論j で言えば第 1 稿jで具体化するが,それも最終的に放棄され, 推定される。それは, 資本家階級と労働者階級とを両極とする階級敵 部第 2 1∼ 2 2章の基本的成立を推定させるが, 対的関係による総括という「資本と賃労働J構 この主題が本質的に「剰余価値の資本への再転 想に戻ることになる。「資本の生産過程」論を 化」論のものであって,その限り「再生産論と 剰余価値生産の結果を媒介に「再生産論として しての蓄積論j を脱却せず,したがって,剰余 の蓄積論j によって総括する試みは,蓄積論の 価値論に対しても,流通過程論に対しても,蓄 主題の確立を模索して,揺れることになる。 積論独自の主題とその領域を確立するに至ら 8 6 1∼ 6 3年草稿 j 「蓄積論 j の主題は, 『1 8 6 1∼ 6 3年草稿j 「蓄積論」 ず,その点では『 1 - 9'1- を本質的に超えるものではなかった。とは言え, この主題は,「資本蓄積=プロレタリアートの 蓄積Jという資本蓄積の両極構造の把握を窺わ せる内容を含んでおり,さらに,この両極の枠 組みにおいて労働者の貧困や窮乏や隷属の対立 3章とし 的増大を取扱っている。それは,第 2 て展開されるべき基本的な枠組みの設定ですら ある。しかも,「資本の生産過程J論を総括す , べき論点,「資本がいかに生産されるか Jが 生産様式の変革に止まらず,資本の解体そのも のを課題とする論点に深化している。しかし, そこでは,この両極を資本蓄積の結果として展 開させる理論的横粁,相対的過剰人口論が成立 していなかった。 蓄積論が変革論を展開しうるためには,剰余 価値生産の結果論を脱却し,それ自身の結果論 として,剰余価値の資本への転化の形態的な考 察に止まらず,その繰り返しによってもたらさ れるこの形態の変化を資本蓄積の結果として把 握する必要がある。そのためには,蓄積論の課 題が,「剰余価値の資本への転イじJ論を,「再生 産論としての蓄積論」を超えなければならない。 3章は,まさにこの役割を果たすものとし 第2 て登場した。 3章の誕生に 蓄積論は,『資本論』第 1部第 2 よって,資本主義的蓄積の階級的敵対とその発 展・揚棄を見通す「資本制生産の最終の結果J 論に生成したとき,「資本の生産過程J論を総 括する蓄積論として,その位置に相応しいもの として成立したのである。 一錦一