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フィリピン、ハンガリー、イタリア(PDF 3521.4 KB)

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フィリピン、ハンガリー、イタリア(PDF 3521.4 KB)
海外留学体験記
Mexico
メキシコ
アミーゴの国 メキシコ
き
情報工学科2年
さて、
メキシコと聞くと皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
メキ
ま
た
だ
い
き
木俣 大樹
留 学 先:Mexico,Tapachula, Chiapas メキシコ チアパス州タパチュラ
学 校 名:Instituto Tapachula A.C. インスティテュート・タパチュラ アーセー
留学期間: 2011/8/19∼2012/7/9
ワイワイ騒いで遊んでいると、些細なことをみんなで大笑いしたり冗
シカンハット、サボテン、テキーラ、陽気な楽団などでしょうか。治安が
談を言ったり、返したり・・・そんな毎日がとても楽しく思いました。
メキ
あまり良くない、
というイメージの方もいると思います。僕も最初は不
シコ人と触れ合うことを通して、普段の生活にはこんなにたくさんの
安ばかりでしたが、そんなことはすぐに吹っ飛んでしまいました。
面白いことが転がっているんだ、
という事に気付きました。
日本に居た
僕の留学生活は息つく間もない毎日でした。
どこへ行っても人、人、
ままだったらずっと見過ごしていたのだと思います。
人。道を歩けば大声で「おう、アジアの坊や」なんて呼ばれ、フレンド
そんな仲間たちと過ごしていたので、前の日一晩中悩んでいたこと
リーに接してくれましたし、時には初対面なのに
「今度俺の家で中華料
が次の日にはちっぽけに思えたり、人間関係で気後れを感じていたこ
理を教えてくれよ」なんて早とちりする陽気な人もいました。僕は日
とがいつの間にかあっさり解消していたり、心配性の日本人だった自
本人だよ、
と伝えると今度は「オー日本サイコー、
トヨータ、
ソニー、ヤ
分が日に日に変わっていく様でした。確かに日本人の思いやり、謙虚
マーハ!
!」
・・・手のひら返すの早いなぁ。
さなどはとても大切なことです。
しかしその心にメキシコ人の底抜け
そんな生活の中で僕が感じたことは、
「今を楽しむ」
という事の大切
の明るさ、遠慮無さをうまく混ぜていけば、日本とメキシコの異文化
さです。日本にいた時の自分はいつも、∼しなければ!という義務感に
サラブレッドとして面白い人間になれるのではないでしょうか。
追われていたような気がします。
しかし日本を離れて違う国の友達と
Philippines
フィリピン
Maayong Hapon
09
な が さ か よ し ま さ
情報工学科2年
永坂 慶昌
留 学 先:Philippines, Cebu-city, Cebu フィリピン・セブ島・セブ市
学 校 名:Bethany Christian Schoolベタニー・クリスチャン・スクール
留学期間: 2011/7/20∼2012/5/19
フィリピン共和国と聞いて、何が想像できますか。僕は果物が豊富
まいあまりうまくできませんでした。現地の人が一番気に入ってくれたの
だ、東南アジアとしか浮かびませんでした。詳しい方なら、国内での紛
は、日本のカレーです。
フィリピンのいろいろな野菜を切ってつくりました。
争が今でも続いていることを知っているかもしれません。そして僕が
シスターと一緒に作ったときもありました。ホストシスターと一緒に作った
日本AFSから初のフィリピン派遣ということで、先輩の話を聞くこと
ときは、お互い不器用過ぎて「代わって!僕の方がうまくできる」、
「いや、私
もできませんでした。いったいどんな国なんだろうかと、楽しみ半分不
がやる」
と言い合っていました。いまではすっかり笑い話です。
安半分で出発しました。
学校で使われていたのは、英語でした。友達に聞いて、
どういう意味
僕は3回ほどホストファミリーチェンジをしました。どのファミリーもと
か教えてもらうこともありました。友達に色々遊びにも誘われてパー
ても温かく僕を受け入れてくれました。本当に僕を一人の息子として見て
ティなどに行ったこともありました。
いてくれる、ホストマザー・ファーザーです。夕食になれば学校で何があっ
フィリピンはおおらかな国です。
日本のように毎日、物事に追われる
たか毎日話しました。家族旅行で行った、ホエールウォッチングでは手に
ことはありませんでした。
フィリピンの町では笑顔が絶えず、
フィリピ
鮫の尾があたって興奮したり、
ビーチには毎月行って楽しんでいました。
ン人が自分たちのことを「We are always happy」
と言うくらい幸
現地で、日本文化を家族に感じてもらおうと、僕は何度か日本料理に挑
せな国なのです。日本では絶対に見ることのできない、すばらしいラ
戦しました。最初に挑戦した巻き寿司は、現地の米ではボロボロになってし
イフスタイルでした。
Toyota National College of Technology 2012
世界に羽ばたく豊田高専生
Hungary
ハンガリー
Szeretlek Magyarország!!
の
機械工学科3年
じ
り
な
つ
み
野尻 菜摘
留 学 先:Hungary, Sopron ハンガリー・ショプロン
学 校 名:Vas- és Villamosipari Szakképz㶢 Iskola és Gimnázium
ヴァシュ エーシュ ヴィッラモシュイパリ サククゼープズー イシュコラ エーシュ ギムナーゼィウム
留学期間: 2011/8/18 2012/7/7
「ハンガリーは良い国だよ。ハンガリー語は世界三大難語に入る言語
切だということに気づいたのです。それからは毎日ホストシスターたち
だよ。」それが私の第一印象でした。父が何度か出張に行っていたので、
と遊んだり話したりして、一気に上達しました。そんなある日、私が住ん
その影響でハンガリー派遣希望をしました。ハンガリー人は昔、
アジアか
でいたショプロンという町に小さな日本語講座があることを知り、何度
ら移住してきたということもあってか、言語のニュアンスや人々の価値
か顔を出したりしていると、教師の方が帰国するとのことで、その講座の
観がどこか日本人と似ているように感じました。
講師を引き継ぐことになりました。最初は不安でしたが、日本語とハンガ
私は現地でも工業高校に通い、機械実習やプログラミング、工業力学
リー語を混ぜて喋るというのは自分の語学力向上にも繋がりました。そ
などを勉強しました。言語の壁に負けずに理解しようと頑張るとみんな
のおかげもあって、ハンガリー語学試験にも合格することができました。
が助けてくれました。
クラスの友達と遊びに行ったり一緒に卒業式に出
留学中に折り紙をたくさんの人に教えてきました。日本を好きなハン
たりと、充実した学校生活が送れてとても楽しかったです。
ガリー人がたくさんいたことがとても嬉しかったです。そして私も同じく
留学する前に独学でハンガリー語を勉強していたけど、始めはとても
らいハンガリーが好きになりました。ホストファミリーは私のもう一つの
大変でした。言語が出来ないため、コミュニケーション不足が原因でホ
家族であり、一生お付き合いしていくつもりです。
1年間たくさんの人に
ストチェンジをしたこともありました。それはとても辛い経験でした。そ
支えられて自分は成長できました。全ての人に感謝しています。ありがと
してその時初めて、言語習得のためにはコミュニケーションはとても大
うございました。
Italy
イタリア
Buon giorno Italia!!
ば ん こ う き
機械工学科3年
伴 昂樹
留 学 先:Italia, Taranto イタリア・ターラント
学 校 名:liceo scentifico battaglini リチェオ シェンティフィコ バッタリーニ
留学期間: 2011/9/9∼2012/7/9
僕はイタリア南部の人口1万人ほどの小さな町に行きました。まず僕が感じ
ません。一生大切にしたいです。
たことはイタリアと日本との間の家族に対する考え方の違いでした。僕は日本
あと僕がイタリアに行って成長したと思うのは、
しゃべることです。知
にいる間は2年間寮生活をし、さらに野球部の練習で夏休みや春休みもほとん
らない人にしゃべりかけることに対しての抵抗がなくなりました。
ど家族と過ごす時間はありませんでした。中学の時も似たようなかんじでした。
僕が一人で店に入るといろんな人が
「おい中国人、
こんなところで何
別にそれが悪いこととも思っておらず、あたりまえのことだと思っていました。
してるの?」
とよくしゃべりかけてきました。
「いや、おれは中国人じゃな
しかし、イタリアでは違いました。毎日の昼食は絶対に家族そろってと
くて日本人だよ。今、留学中なんだ。」
と答えて会話しているうちに、最
り、週末の予定もまず家族の予定を優先です。そしてイタリアはカトリック
初は少しビビりながらしゃべっていたのが、初対面の人にも冗談が言え
の国なのでクリスマスやイースターの休みは親戚全員そろって食事でし
るくらいになりました。あのイタリア人の気さくさは尊敬しました。
た。南イタリアの人々は本当に温かく僕を本当の家族のように迎えてくれ
僕は一年間の留学経験を経て、
さらに海外で仕事をしたいという思
ました。僕は日本の家族に対して少し冷たかったのかなと思いました。
いを強めました。将来どこで働くかはまだわからないけれど、
この一年
ホストファミリーとはたくさんの思い出ができました。キャンピング
間が自分のベースになると信じています。
カーでナポリやポンペイ、
また海へは何回も行きました。
ファザーと一
そして、
この留学に送り出してくれた両親やサポートして下さったボ
緒に釣りへ行ったことや、
ブラザーとローマへ行ったことなど数えきれ
ランティアの方々への感謝は一生忘れません。
とても良い一年でした。
10
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