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Dentists for Japan - Fondazione Italia Giappone
寄稿 イタリア人歯科医による 日本支援のためのチャリティ・セミナー 二階堂雅彦(日本橋) 先の大震災におかれ被災をされた の 歯 科 医,Dr. フ ェ デ リ コ・ブ ル ティの会を開催しようとしている。 東北で開業する我々の歯科の仲間, ニ ャ ー ミ(ロ ー マ.歯 周 病 専 門 その心意気に,胸が熱くなった。 またお住まいの方々に心よりお見舞 医) ,Dr. アルフォンソ・カ イ ア ッ 彼らの行動は早かった。4月の中 いを申し上げます。被災された方々 ツォ(サレルノ,口腔外科医)から 頃には,日本を支援するためのチャ に対しては,都歯会員の先生方も義 「日本大使館に知り合いはいない リティ・セミナーを,アルフォンソ 援金の送付,また中には身元確認 か?」という問い合わせのメールを の開業する南イタリア,サレルノで や,被災された方々への診療などボ もらった。「どうして?」と聞くと, “Dentists for Japan”(日本のため ランティア活動を通じて復興のため 「日本のための何かできないかと考 の歯科医師の集い)と名付け6月27 M E M B E R S の支援をされているのは様々なとこ えているんだ」との返事である。彼 日(月) に開催することを決定した。 ろで報告されている。原発の問題は らはともに私がかつて学んだボスト 参加者から寄金を集めそれを日本の まだ予断を許さないが,一歩一歩復 ンのタフツ大学歯学部時代からの友 ために寄付するという。すぐに, 2001 興に向け歩んでいるのは先生方の周 人で,昨秋にはインプラント・メー 年に「日本におけるイタリア年」な 寄 稿 知のとおりであろう。 カーの招きで来日し,東京,福岡で どを開催し,イタリアと日本をつな 講演会を行い,さらに二人ともワイ ぐ官民一体の非営利団体である伊日 ンのエキスパートであることからワ 財団(Fondazione Italia Giappone) 筆者は10数年前にアメリカでの留 イン会を東京で行った。中でもフェ の協力を取り付け,伊日財団のロゴ 学生活を送った経験から,震災直後 デリコは,すでに6回以上の来日を を使う許可を得,風に揺れる日の丸 には世界各地から多くのあたたかい 重ね,日本にとても多くの思い出を とをモチーフにしたこの会のシンボ お見舞いメールをいただいた。1か 持っている。その彼らが遠くイタリ ルマークを作った(①) 。ここには 月余りしてイタリアで開業する友人 アの地で日本のことを思い,チャリ 『絆 セミナー開催まで ① 40 516 −Signs for friendship(友情 会のシンボルマーク 東京都歯科医師会雑誌 第 59 巻第 9 号 2011 年 9 月 ② サレルノ,南イタリア ③ サレルノの街角で,イルカの水盤 の証し) 』と記されている。さらに からの海洋都市として栄えた歴史を や文化についての説明を伺った。サ 地元医師会(イタリアでは歯科医師 持つ風光明媚な街であった。特に8 レルノはかつて第2次大戦末期に連 は医師会に属しているという) ,口 世紀には西洋で初めての医学校, 合国軍が上陸し激戦の場所になった 腔外科学会の後援,またインプラン 「サレルノ医学校」が開校し,医学 こと,また当地区でも本マグロが水 ト・メーカーの支援も短期間の中で 教育の中心となった。現在は博物館 揚げされ,その多くは日本に輸出さ とりつけた。また演者として,天川 として保存されている。 れることなど,興味深い話はつきな 由美子先生(麻布赤坂歯科医師会会 当日は講演会に先立ちサレルノ市 い。市庁舎はアールデコの美しい建 員) ,秋本健先生(アメリカ・シアト 庁舎を表敬訪問し,市長代理である 築で,今日の記念に陶器で有名な当 ル開業) ,それに筆者の3名がイタ エルマーノ・ジュエラ先生(歯科医で 地区,ビエトリで作られた大きなプ リ ア 歯 科 医 師 会 の 卒 後 研 修(Con- ある) ,市の文化委員を務めるルシ レートを演者それぞれにいただいた tinuing ア・ナポリさんからサレルノの歴史 education)を兼ねた講演を M E M B E R S 寄 稿 (④) 。 行うこととなった。こうして日本を 支援するためのイタリア人歯科医師 の会“Dentists for Japan”の開催 準備が整った。 サレルノの街で この会の開催されるサレルノは, ナポリから南へさらに車や鉄道で1 時間下ったところにある地中海に面 した港町で(②,③) ,映画で有名 になったアマルフィへの入り口にあ る。ここからソレントを結ぶ40キロ のアマルフィ海岸は「世界一美しい 海岸線」と呼ばれる。筆者にとって もサレルノは初めての訪問で,古く 東京都歯科医師会雑誌 第 59 巻第 9 号 2011 年 9 月 ④ サレルノ市庁舎にて,記念のプレートをいただく 左からルシア・ナポリさん,天川先生,秋本先生,筆者, Dr. エルマーノ・ジュエラ,Dr. アルフォンソ・カイアッツォ 517 41 寄稿 このチャリティ・セミナーはサレ できた。講演会はサレルノ市医師会 先生は「コンポジットレジンを用い ルノ歯科センターに併設するホール 長 Dr. ブルーノ・ラベラの開会の辞 た審美修復」 。秋本先生は「修復治 で行われた。午後7時の講演開始に から始まり,次いで在イタリア日本 療に起因するインプラントのトラブ 先立ち,地元 TV 局の取材が行われ 大使館から感謝のメッセージが代読 ル」についての講演を行った。そし た。会場にはサレルノや近郊の歯科 された(⑤,⑥,⑦) 。 てこの講演会で集められた寄金は日 本大使館を通じて,日本の復興のた 医たちだけでなく,ナポリや遠くは セミナーは最初に,筆者が震災の ローマからも歯科医が詰めかけ,中 もたらした被害,そしてその後の復 には東京医科歯科大歯周病学講座で 興の現状を参加者にお話しさせてい 20年以上客員教授を務めておられ ただき,次いで「歯周治療と修復治 る,Dr. デ ィ エ ゴ・ボ ル ゲ ー ゼ 療 の イ ン タ ー・デ ィ ス シ プ リ ナ 未曽有の大惨事に被災をされた (ローマ開業)のお顔を見ることも リー・アプローチ」について,天川 方,また家族を亡くされたかたの心 めに寄付された。 おわりに 中は想像を超えたものがあるだろ う。世界中に配信された映像は,多 くの人の心を抉った。さまざまな国 M E M B E R S でさまざまな方々が日本の支援のた 寄 稿 してくれた。復興の道のりはまだ遠 めのイベントを開催している。われ われ歯科の仲間もイタリアでこのよ うな会を開催し日本のための支援を いが,このようなセミナーを開催し てくれた Dr. ブルニャーミと Dr. カ イアッツォの行動力と友情に,また 趣旨に賛同してくださったイタリア 人歯科医たちに感謝を捧げたい。 ⑤ ⑥ 42 518 地元 TV 局の取材を受ける筆者とアルフォンソ 会に先立ち挨拶されるラベラ医師会長 ⑦ 講演会後 右から二人目が主催者の一人,ローマの Dr. フェデリコ・ブ ルニャーミ 東京都歯科医師会雑誌 第 59 巻第 9 号 2011 年 9 月