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インドの初等教育とその課題に関する一考察
平成 21 年度 卒業論文 インドの インドの初等教育とその 初等教育とその課題 とその課題に 課題に関する一考察 する一考察 ―5 ヵ年計画における 年計画における初等 における初等教育政策 初等教育政策および 教育政策およびノンフォーマル およびノンフォーマル教育 ノンフォーマル教育の 教育の事例分析から 事例分析から― から― 東京外国語大学外国語学部 日本課程日本語専攻4年 比較・国際教育学ゼミ 中村 侑古 序章 本研究の意義 ........................................................................................... 1 1. 背景 ................................................................................................................................ 1 2. 先行研究 ......................................................................................................................... 2 3. 定義 ................................................................................................................................ 3 4. 目的・設問...................................................................................................................... 5 5. 方法と制約...................................................................................................................... 5 第1章 国際社会における教育開発援助 ........................................................... 7 1.1. 1947 年~1960 年 援助の錯綜................................................................................... 7 1.2. 1961 年~1970 年 人的資本論................................................................................... 8 1.3. 1971 年~1980 年 ベーシック・ヒューマン・ニーズ .............................................. 9 1.4. 1981 年~1990 年 構造調整政策 ............................................................................. 10 1.5. 1991 年~2000 年 人間開発 .................................................................................... 10 1.6. 2001 年~ MDGs・EFA.......................................................................................... 11 第2章 インド 5 ヵ年計画に見る初等教育政策 .............................................. 13 2.1. 5 ヵ年計画における初等教育政策.............................................................................. 13 2.1.1. 第1次5ヵ年計画(1951 年~1956 年)........................................................... 13 2.1.2. 第 2 次 5 ヵ年計画(1956 年~1961 年) .......................................................... 15 2.1.3. 第 3 次 5 ヵ年計画(1961 年~1966 年) .......................................................... 16 2.1.4. 第 4 次 5 ヵ年計画(1969 年~1974 年) .......................................................... 17 2.1.5. 第5次 5 ヵ年計画(1974 年~1979 年) .......................................................... 18 2.1.6. 第 6 次 5 ヵ年計画(1980 年~1985 年) .......................................................... 19 2.1.7. 第 7 次 5 ヵ年計画(1985 年~1990 年) .......................................................... 20 2.1.8. 第 8 次 5 ヵ年計画(1992 年~1997 年) .......................................................... 21 2.1.9. 第 9 次 5 ヵ年計画(1997 年~2002 年) .......................................................... 22 2.1.10. 第 10 次 5 ヵ年計画(2002 年~2007 年) ...................................................... 23 2.1.11. 第 11 次 5 ヵ年計画(2007 年~2012 年)....................................................... 25 2.2. 5 ヵ年計画における教育予算..................................................................................... 26 第3章 インド初等教育の現状と課題............................................................. 28 3.1. インドが目指す国際教育目標 ................................................................................... 28 i 3.1.1. ミレニアム開発目標(MDGs) ......................................................................... 28 3.1.2. ダカール行動枠組み ........................................................................................... 31 3.2. インドにおける初等教育の現状................................................................................ 32 3.2.1. 就学率(総就学率・純就学率) ......................................................................... 33 3.2.2. 残存率(Survival Rate)................................................................................... 34 3.2.3. 識字率(Literacy Rate)................................................................................... 36 3.3. インドの初等教育の普及における問題点 ................................................................. 38 3.3.1. 格差..................................................................................................................... 38 3.3.2. 教育予算 ............................................................................................................. 40 3.3.3. 教育の質 ............................................................................................................. 41 第4章 インド初等教育の普及への Non Formal Education の展望.............. 43 4.1. インドにおける Non Formal Education 発展の歴史............................................... 43 4.1.1. Non Formal Education の歴史(1970s~2000 年) :NFE Programme .......... 43 4.1.2. Non Formal Education の歴史(2000 年~) :EGS&AIE................................ 47 4.2. Non Formal Education の事例 ................................................................................. 48 4.2.1. インドにおける NGO の現状 ............................................................................. 48 4.2.2. NGO の活動(1)Salaam Baalak Trust ........................................................... 49 4.2.3. NGO の活動(2)Deepalaya ............................................................................. 50 4.2.4. NGO の活動(3)Children Aid ......................................................................... 51 4.2.5. 比較・対照.......................................................................................................... 52 4.3. 初等教育の完全普及に向けた Non Formal Education の役割と課題 ..................... 52 4.3.1. Non Formal Education の役割.......................................................................... 52 4.3.2. Non Formal Education の問題点...................................................................... 54 終章 総括........................................................................................................ 58 1. 国際社会の教育開発史とインドの初等教育政策史...................................................... 58 2. インド初等教育の現状と課題 ...................................................................................... 60 3. インドの初等教育の完全普及に果たす Non Formal Education の役割と課題.......... 61 4. 総括および今後の課題 ................................................................................................. 63 参考文献 ........................................................................................................... 64 ii 序章 本研究の 本研究の意義 1. 背景 インド・パキスタンが 1947 年にイギリス領から分離独立し、60 年あまりが経つ。今 やインドは中国と並ぶ大国となり、人口・経済ともに著しい成長を遂げている。世界銀 行によると、2008 年のインドのGDPは1兆 2,200 億ドルで、世界第 12 位であった1。 さらに、2007 年にアメリカのゴールドマンサックス社が発表した資料2によると、インド の GDP は 2050 年には日本を抜き、中国、アメリカに次ぐ世界第3位になると予想され ている。ところが、インドの 2007 年の GDP(ドル換算)が世界第 12 位であるのに対し、 国民一人当たりのGDP(ドル換算)は世界第 132 位にまで落ち込む。また、国連開発 計画(UNDP) (2003) の報告によると、1日1ドル未満の貧困ライン未満の人口は 34.7%、 1日2ドル未満になると 79.9%にも昇る。目覚しい発展を遂げる一方で、国内では看過 できない格差が広がっているのである(国連開発計画 2003 p.289)。 このような格差は経済に限った問題ではない。たとえば識字率がその良い例である。 インド政府が行った 2001 年の国勢調査によると、インドの国民識字率は 64.84%であっ た。しかし、男女別に見てみると、男子の識字率が 75.26%であるのに対し、女子は 53.63% であることがわかっている。国全体では改善されてきているものの、未だ 22%ものジェ ンダー間格差が残っている。インドは、独立後の 1950 年に制定されたインド憲法で、6 歳から 14 歳のすべての子どもが無償で義務教育を受けられるよう保障する旨を規定し、 これまで第1次~10 次の計 10 回の5ヵ年計画のもと、教育政策の実施と改善を繰り返し てきた。2007 年からは第 11 次5ヵ年計画が開始され、この計画では教育と保健が最優 先事項として掲げられている。このように、インドは絶えず教育に重点を置き、教育改 革を行ってきてはいるが、やはり国内格差が依然として広がり、好ましい結果が出てい ない状況である。 インドの教育問題は格差だけに留まらず、就学率、修了率の低さといった量的問題に 加え、教師の訓練の不足や不適切な教授法といった教育の質的問題も指摘されている。 このように厳しい教育状況の中でその可能性に期待されているのがノンフォーマル教育 であり、インドでは初等教育の完全普及を達成するための重要な教育手法となっている。 1世界銀行 2008 http://siteresources.worldbank.org/DATASTATISTICS/Resources/GDP.pdf (10/01/06 アクセス) 2 Global Economics Paper No.153(2005)p.9 http://www.chicagobooth.edu/alumni/clubs/pakistan/docs/next11dream-march%20'07-go ldmansachs.pdf (10/01/06 アクセス) 1 2. 先行研究 日本では、インドの教育開発、特に初等教育段階の教育政策・開発に関する先行研究は あまり例を見ない。特に、ミレニアム開発目標やダカール行動枠組みといった近年の世界 的な教育開発目標が掲げられた 2000 年以降、インドの教育開発を取り上げた研究は多くな い。しかし、植民地時代や独立直後の教育政策を分析した研究はいくつか見られる。また、 ノンフォーマル教育(Non Formal Education)に関する研究・調査も少ないものの、本論 文を執筆する上で重要となる先行研究を以下に簡単にまとめる。 イギリス植民地時代から独立直後のインドの初等教育政策を概観・分析した研究に小 沢・山内の研究(1959)がある。小沢・山内(1959)は、植民地時代のインドは、貧困や 厳格なカースト制度、さらに過酷な児童労働などにより、実に国民の 95%が非識字者であ った。当時の小学校は「教育の場」としては全く機能しておらず、教育に対する社会の不 備や親の無関心などがこのような状況を生み出した要因として考えられ、このことが民族 的自覚の成立を阻止することにつながったと指摘している。さらに、独立運動の高まりと ともに広がった基礎教育思想にも言及している。この思想は、大衆的な無償教育を実現す るための手段として、ガンジーを中心に唱えられ、独立後も母語による教授やインド文化 の教育への導入などの形で主張された。この「国民教育」により、教育機会の大衆化が現 実味を帯びてきた反面、手工業を重視する基礎教育思想により、基礎学校が工場化、生徒 が工員化してきている問題があったとも述べており、非常に示唆に富む内容である。 独立後の教育政策に焦点を当て、その変遷と問題点を指摘した研究に弘中(1985)、弘中 (1992)がある。これら両研究は、第 6 次までの 5 ヵ年計画を中心に、連邦政府や州政府 の関わり、教育に充てられる予算、当時の政党など、様々な角度から教育政策を分析して いる。独立前後から基礎教育(ベーシック・エデュケイション)の必要性が主張されてき たにも関わらず、独立後もしばらくは中等・高等教育への偏重が顕著であったと指摘して いる。初等教育が重視されるようになったのは 1960 年代に入ってからのことであった。さ らに、弘中(1992)は、これらの教育政策がいかに「国民統合」と関わりながら変遷を遂 げてきたのかという視点から分析しており、これらの研究は独立後の教育政策を概観する 上で非常に有意義な論文である。 しかし、研究が行われたのは 50 年前、あるいは 20 年前であり、現在のインドの現状に ついて論じるには、近年の統計や調査資料に基づいた詳細な分析が必要とされる。 インドの初等教育に関する近年の研究に穂積(1998)がある。穂積(1998)は就学率、 退学率、および教育の質の3つの観点から 1990 年代の初等教育の現状を分析し、収入格差 がそのまま教育格差につながるという貧困の問題、配分や支出が不適切であるという予算 の問題、さらには女子や低カーストの人々のアクセスが確保されていないという問題を指 摘している。 穂積(1998)は主に統計資料に基づき、1990 年代の初等教育の現状とその課題を指摘し ている点で、近年のインドの初等教育の現状を把握するのに貴重な研究である。しかし、 2 この研究では、指摘されている課題に対する具体的な政策、あるいはインド政府が行って いる取り組みには触れていない。 ノンフォーマル教育に関する研究の一つに、弘中(1983)がある。弘中(1983)はノン フォーマル教育がインドでどのような背景から生まれ、発展してきたかという経緯を政策 的に論じ、その具体的事例としてノンフォーマル教育センターを紹介している。 しかし、この研究が行われたのはノンフォーマル教育センターが発足してからまだ日が 浅いということもあり、十分な資料が得られておらず、インドにおけるノンフォーマル教 育の概論に留まっている。 中嶋(2007)も同じくインドの初等段階のノンフォーマル教育に関する研究である。中 嶋(2007)によると、インド政府はノンフォーマル教育を、フォーマル教育では解決が難 しい問題を克服し、初等教育を普及させるための、いわばフォーマル教育の補完手段とし て認識している。しかし、ノンフォーマル教育の実情は、対象とする学習者数が少ないこ と、フォーマル教育への編入率が低いことなどの課題が多々あること指摘している。 この研究では、ノンフォーマル教育センターに関するインド政府発行の資料や統計を用 い分析し、さらに、自身で行った現地 NGO へのインタビューからわかる現状の問題に言及 している点で、客観的かつ一般化することができる研究であると言える。 しかし、中嶋(2007)では、ノンフォーマル教育センターでは実際にどのような理念や 政策の下でどのような取り組みが行われているのかについては明らかにされていない。中 嶋(2007)が指摘している問題が、政策や予算の問題だけでなく、ノンフォーマル教育セ ンターで行われている教育方法や内容といった教育的要素に起因するのかどうか、あるい は活動する NGO 由来の要素が原因なのか、検証する必要がある。 国際社会の教育開発の潮流を概観するのに、黒田・横関(2005)を参考にした。1990 年 のタイで行われた「万人のための教育世界会議」に始まり、国際社会は Education For All (EFA:万人のための教育。以下、本論文では EFA とする。)というスローガンのもと、 基礎教育の拡大に取り組んでいる。さらに、ミレニアム開発目標 Millennium Development Goals(MDGs:ミレニアム開発目標。以下、本論文では MDGs とする。)に教育目標が取 り入れられたことで、教育開発が「人間の安全保障」や「人間開発」に大きく貢献すると いう共通認識が生まれ、基礎教育の普及に留まらず、質の確保や持続可能な教育開発も重 要な課題となっている。 3. 定義 本論文では、教育開発の定義を「開発における教育分野を指し、政府・国際機関から非 政府組織(NGO)に至るまで、さまざまな国際協力機関により発展途上国の教育の整備・ 発展を支援する目的で行われる活動」(江原 2001, p13)とする。 「初等教育」はしばしば「基礎教育」と混同されがちであるが、この 2 つの言葉が指すも のが必ずしも同一ではない。「初等教育」とは、公的な学校制度の中で最初に行われる段階 3 の教育を指す。それに対して「基礎教育」とは、 「初等教育および成人識字教育をさし、国 によっては就学前教育や中等教育の一部を含むものであり」 (浜野 2005 p.83) 、初等教育 とは区別する必要がある。インドの学校制度は、ほとんどすべての地域で 10+2+3 制度が 採用されている。この修学年限の制度は、初等教育(primary)8 年、前期中等教育(upper primary)2 年、後期中等教育(secondary/ high school)2 年、上級高等教育(higher levels) 3 年で構成される3。図 1 はインドの学校制度を模式的に示したものである。 「ノンフォーマル教育」の定義は、国や実施機関・団体などによって様々である。イン ドの場合、ノンフォーマル教育はフォーマル教育の補完と位置づけられ、フォーマル教育 への就学が、貧困や親の非識字、あるいは他の社会文化的要因によって困難な状況にある 子ども、あるいはこのような理由により十分な教育を受けることができなかった成人の教 育ニーズを満たすための代替教育として考えられている。また、通常「ノンフォーマル教 育」というと、NGO や援助機関などによって行われるため、フォーマル教育との違いとし て「組織化の有無」が指摘されるが、インド政府は 5 ヵ年計画などを通じてノンフォーマ ル教育を制度化し、ノンフォーマル教育センター(Non-Formal Education Centre)とよ ばれる施設を各地に設置している。そのため、インドにおける「ノンフォーマル教育」は、 「経済・文化・社会的理由によりフォーマル教育に就学していない、就学できない、また はできなかった人々を対象にした、フォーマル教育の代替教育」と定義することができる。 本論文は、初等教育段階に焦点を当てるため、特に断りがない場合、本論文におけるノン フォーマル教育とは、初等教育段階におけるノンフォーマル教育を指すこととする。 図 1 インドの学校制度 (出所:弘中(1992) p.10) インドの場合、教育は各州政府により行われるため、州によって義務教育の対象となる児 童の年齢や学年は異なる。ほとんどの場合は 5 歳あるいは 6 歳から 14 歳である。 3 4 4. 目的・ 目的・設問 本論の主たる目的は、初等教育に焦点を当て、インドの初等教育政策史と国際教育開発 政策や国際教育目標とを比較することで特色を明らかにし、さらに近年の教育政策におけ るノンフォーマル教育の意義、およびノンフォーマル教育が初等教育の完全普及に与える 影響を明らかにすることである。初等教育段階の政策分析、2000 年代のインドの教育現状 および課題の指摘、さらにその課題を克服するための取り組みであるノンフォーマル教育 の具体的活動の検証、というインド初等教育に関する包括的研究を行うという点で、本研 究は意義があると言える。これらの研究を進めるに当たり、以下の問いを研究設問として 挙げる。 ・インドの初等教育は、どこに重点が置かれ、またどのような目標・方針の下で政策が 実施されてきたのか。 ・2001 年以降のインドの初等教育の現状、たとえば就学率や識字率、残存率には改善 が見られるか。また、現状から初等教育の普及に向けてどのような問題点が指摘できる か。 ・ノンフォーマル教育は、インドにおいてどのような状況・背景から生まれてきたの か。インドで行われているノンフォーマル教育は、初等教育の完全普及の達成にどの ように貢献しているか。あるいはノンフォーマル教育にはどのような問題点が見られ るか。 5. 方法と 方法と制約 本論文では、まず第 1 章において国際社会の教育開発の潮流を史的に概観し、当時の開 発・援助がどのような理念、目標のもと行われてきたのかを把握する。分析の対象期間は、 インドが独立した 1947 年から現在までとする。この章では、先行研究や、国際機関が発行 している資料をもとに分析を行う。 第 2 章では、インドの教育政策がどのような変遷を辿ってきたのか、初等教育の政策を 中心にその軌跡を辿りながら、計画における理念、目標、重点的に開発が行われた教育分 野など、計画の性格・特徴を分析していく。これらの分析は、主にインドの計画委員 (Planning Commission)が起草・決定する各 5 ヵ年計画およびそれらに関する先行研究を 参考にしながら行う。 第 3 章では、実際のインドの教育における状況、および課題について明らかにしていく。 ここでは、2001 年以降の状況を分析期間とし、MDGs やダカール行動枠組みといった世界 的な教育目標や、モニタリング調査において用いられている指標を使い、分析していく。 さらに加えて、初等教育の普及のために克服しなくてはならない問題点・課題を指摘する。 5 この章では、主に国連や世界銀行などの国際機関が発行している統計・資料、およびイン ド政府による調査資料を用いて分析していく。 第 4 章では、第 3 章で挙げた問題点・課題の解決方法の一つとして、ノンフォーマル教 育に焦点を当て、初等教育の普及に果たす役割と課題について論じる。本論文では分析事 例として NGO によるノンフォーマル教育を扱う。ノンフォーマル教育の発展の経緯や政策 の方針・目的・内容を分析し、具体的な事例を考察することで、初等教育の完全普及に資 するノンフォーマル教育の可能性を明らかにする。本章では、インド政府や教育省の資料 を分析材料とするが、多くのノンフォーマル教育は各州政府や NGO 団体によって設立、運 営されているため、NFE に関する資料の多くは一元化されておらず、入手も困難である。 本論文を執筆するにあたり、現地での調査、NGO へのインタビューなどは実施しなかった ため、本章では主に先行研究、調査、各 NGO による報告を元に、インドのノンフォーマル 教育の実態を明らかにしていく。 6 第1章 国際社会における 国際社会における教育開発 における教育開発援助 教育開発援助 本章では、 インド独立後の 1947 年から現在までの国際社会における援助・開発政策目標、 特に教育開発における目標や政策の変遷を見ていく。国際社会の開発動向はインド国内の 教育開発の政策決定にも大きく影響を与えていることが考えられる。そのため、本章では 国際社会における教育開発の変遷を、その特徴を捉えながら概観していくこととする。 国際社会の教育開発援助を史的に分析する際、その時代区分は研究者によりさまざまであ るが、本論文では、その簡潔さと明確さから、黒田・横関(2005)や江原(2001)で扱わ れている 10 年区分を採用する。ただし、本論文の分析期間はインド独立後の 1947 年から であるため、1940 年代と 1950 年代をまとめて1区分として扱うこととする。 分析の視点であるが、次章でインド国内の教育政策を分析した際、国際社会の開発動向 とインドの教育政策とを対照することができるよう、以下の視点を設定する。 ①開発の目標は何であったか。根底にある考え方はどのようなものだったか。 ②開発の重点はどこに置かれていたか。(地域・教育段階など) ③開発に関する問題点としては何が考えられるか。 これらの視点に基づき、本章では主に先行研究を参考にし、国際社会における教育開発 の歴史的変遷を年代ごとに略記していく。 1.1. 1947 年~1960 年 援助の 援助の錯綜 インドが独立した 1947 年頃は、第二次世界大戦が終結してまだわずか数年の頃である。 インドだけでなく、列強諸国の植民地と化していたアジア諸国、また敗戦国となった日本 も、依然として悲惨な大戦の傷跡を残し、復興には長い道のりを辿らなくてはならなかっ た。大戦の前後で、アジアでは民族運動・独立運動が盛んになり、第二次世界大戦後には インドに加え、韓国(大韓民国)や中国(中華人民共和国) 、インドネシア、ミャンマーな ど、次々と独立が宣言されていった。一方、アフリカ諸国の本格的な独立は、1960 年以降 を待たなくてはならなかった。 1941 年に国連の原型ともいわれる組織が形成され、その後,国連食糧農業機関(FAO、 1945)、ユニセフ(UNICEF、1946) 、ユネスコ(UNESCO、1946)、国連難民高等弁務官 (UNHCR、1951) 、国際通貨基金(IMF、1946) 、国際復興開発銀行(略称世界銀行、1946) など開発分野の国際機関が相次いで組織された(江原 2001 p.39) 。しかしこの頃の教育開 発は、あくまでも戦勝国、特にアメリカによる戦後復興援助政策の中の一つにすぎなかっ た。当時のアメリカによる復興援助を支えていたのは、開発の成果を国民所得の増大によ り示すという「(経済)成長理論」であった。そのため、当然開発援助の大部分は経済成長 7 に充てられ、教育開発は、むしろ経済成長の付属物、副産物であるという認識がされてい た。 また、当初はこのようなアメリカによる復興支援の対象はヨーロッパや日本であり、発 展途上国が重要な対象とされるのは 1950 年代末になってのことである。しかし、50 年代 において、インドは数少ないアメリカによる教育援助対象となっており、小学校建設や教 員研修、農業訓練などが行われていたことは特筆すべき事項である(江原 2001 p.43) 。 この時期の開発は、前述の通り経済成長が主な目標であった。しかし、経済成長や開発 により生み出された富は、次第に社会の底辺層へ浸透していき、つまりは社会全体の成長 が促されるという「トリクルダウン仮説」に基づいた開発援助は思うような成果をあげな かった。また、経済成長の決定要因には、資本や労働などの経済要因のみでは説明できず、 援助の失敗は教育や技術訓練に十分注意を向けなかったことにあるという指摘がされ始め ると、1950 年代末から徐々に教育の重要性が改めて認識され、開発援助における比重が大 きくなっていくこととなる。 1.2. 1961 年~1970 年 人的資本論 1960 年に 17 もの新興独立国家が誕生し、63 年にはアフリカ統一機構(Organization of Africa Unity:OAU)が結成された。しかし一方で、新政府による独裁政権やそれらに対 する革命運動が世界各地で繰り広げられた。またベトナム戦争での米ソの冷戦激化や中印 国境紛争、中ソ対立など、世界的に激動の時代であったと言える。 この頃になると、50 年代の反省から、開発における教育の役割が大きくなり、旧宗主国 による、いわゆる「低開発国」の教育援助が始められた。また、1962 年の「第一次国連開 発の 10 年―行動への提案」において、 「計画化」 (planning)について言及されたことから、 多くの新興国家が教育計画を採用した(江原 2001 p.50-51)。 この時期の教育援助・教育開発を支えていたのは人的資本論およびマンパワー計画であ る。これらの経済的研究は、1950 年代末からの枠組みを引き継ぐものである。経済成長の 要因のうち、経済的には説明できない要因、たとえば教育による労働力の質の改善など、 資本や労働力の投入以外の生産要素を「人的資本」と呼び、教育を経済成長のための投資 と考えるのが人的資本論である。一方、マンパワー計画であるが、その目的は「人材を必 要とする産業分野に、適切な資格を持つ人員を、適切な時期、適切な人数だけ投入するこ と」 (江原 2001, p51)と考えられている。当時の教育計画では、 「人的資本」や「マンパワ ー」として考えられたのは、基礎的な読み書きや簡単な計算ができる「大衆」ではなく、 専門知識や技術を有したいわゆる「エリート」層の人材であった。そのため、先進国によ る開発援助や新興国の教育計画の重点は、技術教育や職業教育に置かれていた。 このような背景からもわかるように、教育はあくまでも経済成長のための投資に過ぎな 8 かった。教育開発の成果は生産性によって測られる一方で、国の固有文化や伝統などは経 済成長の障害とみなされ、排除されるべき対象であった。また、人間を「成長のための資 本」とのみ捉え、途上国固有の実情には注意が払われることはなかった。それゆえ、これ らの開発は「低開発国」に根付くことはなく、70 年代には鋭い批判を受けることになるの である。 1.3. 1971 年~1980 年 ベーシック・ ベーシック・ヒューマン・ ヒューマン・ニーズ 70 年代に入ると、これまでの経済成長が頭打ち状態となり、途上国ではこれまで成長の影 にあった貧困や経済格差の問題が浮き彫りとなった。73 年の石油危機や、それに続く食糧 危機により、途上国のみならず、先進国の経済も大打撃を受けた。これを受けて、先進国 は援助の額を減少させ、保守化に走る傾向がみられた。これらが相まって、70 年代には途 上国における貧困や債務の増大、また途上国間に格差が生まれているという内容のレポー トが多数報告され、これまでの開発を支えていたトリクルダウン仮説が事実上破綻した。 しかし、開発の失敗の責任は援助側だけにあるではなく、先進国の政策を無批判に受け容 れていた被援助側にもあると言える。 このような背景から、開発はより直接的な要因、つまり生活の質や貧困に目を向けるよ うになった。この時期に登場した新たな概念が Basic Human Needs(BHN:ベーシック・ ヒューマン・ニーズ。以下、本論文では BHN とする。)である。BHN とは途上国の貧困層 のために、最低限必要な教育・医療・水の保障、命の安全を確保すべきであるという考え 方である。開発の目標も、50 年代、60 年代の経済成長や経済成長のための教育投資から、 教育そのものへと拡大していった。それに応じて、教育開発・援助も、高等教育から、農 村教育、限定的ではあるものの基礎教育へとその対象を移行していった。さらに、ノンフ ォーマル教育が教育制度の一部として認識されるようになったのもこの時期である。 上記のような開発概念の拡大や目標の転換は、近年の草の根タイプの教育開発・教育協 力の先駆となるものあり、注目すべき側面である。しかしながら、この新たな概念もまた、 BHN の意味するニーズが具体的には何を指しているのかに関する先進諸国・途上国間の相 違や、物資援助への偏重などの問題を抱えていた。さらに、この時期の開発・援助におけ る変化は、あくまでも表面上のものであったといっても過言ではなく、事実、途上国の構 造的問題に着手するものではなかった。そのため、本質的な改革は行われず、これらの政 策も 80 年代に途上国を襲う重債務危機の前では、その脆弱さを露呈することとなるのであ る。 9 1.4. 1981 年~1990 年 構造調整政策 1980 年代は、70 年代末の第二次オイルショックの影響で、各国が重債務および債務返 済危機に瀕した時期である。特に途上国の状況は悲惨なものであり、この危機に対処する ためには世界銀行と国際通貨基金(IMF)が提示した財政援助、いわゆる構造調整政策を 受け入れることを余儀なくされた。構造調整政策とは、対外債務の返済が困難になった途 上国に対して、融資と引き換えに世銀や IMF が要請した経済の自由化政策のことである。 具体的な内容は、地方分権化や民営化、公共費用の値上げ、補助金の削減などが挙げられ る。 これらの新自由主義的政策は、基本的な医療サービスやユーティリティ、食料価格の値 上げを引き起こし、結果的には途上国においては貧富の差をさらに拡大し、さらなる貧困 層を生み出すことになった。このような状況下での財政縮小により、教育予算が大幅に削 減されたことから、教育開発はほとんど進展が見られなかった。開発の停滞は、教育以外 の社会保障や保健医療でも見られ、後に「失われた 10 年」と呼ばれることになった。 1.5. 1991 年~2000 年 人間開発 1990 年代は、教育のみならず、 「開発」というものが再考・再解釈され、よりよい世界に 向けていくつもの変革が起きた時期である。80 年代の世界銀行や IMF 主導による構造調整 政策に対する批判・反省から、社会の底辺層の人々の貧困を削減することを国際社会共通 の最優先事項として、世界は同じ目標に向かって歩み始めることとなる。 国連開発計画(UNDP)は、それまでの経済中心の開発から概念を拡大させ、人間中心 の開発を提唱した。UNDP によれば、 「人間開発とは人間の潜在能力を開発すること」であ り、また「人間開発にとって最も基本的な潜在能力とは、長く健康な人生を過ごすこと、 教育を受けること、そして人間らしい生活水準を維持するのに十分な収入を得ること」と 定義される(国連開発計画 2005 p25) 。この定義から明らかなように、人間開発とは国 や地域の成長、しかもその指標が経済的要素であった従来の開発とは一線を画した、人間 そのものに目を向けた開発である。それゆえ、人間開発の扱う問題は実に多岐に渡り、保 健医療や衛生環境、食糧、人口問題、ジェンダー、そして教育などがその一部である。こ の概念は、2001 年以降に開発の中心理論となる「人間の安全保障」につながる部分である。 1990 年は、教育開発にとっても重要な年となった。この年、タイのジョムティエンにお いて、世界銀行や UNESCO、UNICEF、そして UNDP の共催で「万人のための教育世界 会議(以下、本論文ではジョムティエン会議とする。)」が開催された。この会議は、教育 開発の中心が、これまでの高等教育・職業訓練から、初等教育・基礎教育へと明らかな転 10 換を見せた最初であるといってよい。さらに、この会議により、基礎教育の保障・普及が 国際社会共通の課題であることが認識され、先進国・途上国が同じ目標に向かって歩みを そろえていくことになった点においても、ジョムティエン会議が持つ意義は大きい。この 会議以降、教育開発では EFA が国際社会共通の目標、キーワードとして頻繁に用いられる ことになるのである。 1900 年代はエジプトのカイロでの世界人口開発会議(1994)やデンマークのコペンハー ゲンでの世界社会開発サミット(1995)など多くの主要な国際会議が開かれ、開発が大き く前進した時期である(黒田・横関 2005 p.6) 。しかし、この 10 年において、国際社会に 与えた影響、開発における意義の大きさという点で、忘れてはならないのは MDGs であろ う。MDGs は、2000 年にニューヨークで開催された国連ミレニアムサミットにおいて採択 された国連ミレニアム宣言から生まれた8つの開発目標である4。MDGs の意義は、従来の 世界的な開発目標と比較して、より具体的で、かつ数値によって測定可能な目標である点 である。MDGs は 2015 年までに達成することを宣言しており、この目標は、2000 年以降 の国際社会におけるいわば羅針盤としての役割を果てしてきているのである。 さらに 2000 年もまた、教育開発にとっても節目の年となった。1990 年のジョムティエ ン会議から 10 年を迎え、セネガルのダカールにおいて「世界教育フォーラム」が開催され た。この会議は、ジョムティエン会議で設定された目標の達成状況のアセスメントを行い、 達成が不十分であるとされる事項に対し、さらなる戦略を打ち出すことを目的としていた。 そして、そこで採択されたのが「ダカール行動枠組み」である5。2000 年以降、教育開発は MDGs およびダカール行動枠組みを主要な目標・理念としていくことになった。 近年、これらの目標の達成状況に関する地域・国別のモニタリングレポートが国連や世 界銀行といった国際機関から発行され、徐々に各地域・国が抱える問題点や課題が明らか にされてきている6。 1.6. 2001 年~ MDGs・ ・EFA 2001 年以降は、様々な世界会議やサミットが開催されてきており、またアフリカ開発会 議(Tokyo International Conference on African Development:通称 TICAD。)7も開催さ れ、BRICs8といった成長国やアフリカ諸国の国際社会における存在感はますます大きくな ってきている。2000 年以降の国際社会における開発・援助は、専ら 2000 年に宣言された MDGs の具体的な目標や達成状況については、本論文 3.1.1.を参照。 ダカール行動枠組みについては本論文 3.1.2.を参照。 6 インドの教育目標の達成状況に関しては、3 章において言及する。 7 日本政府主導による、国連や世界銀行などとの共催会議である。 8 ブラジル(Brazil) 、ロシア(Russia)、インド(India)、中国(China)の 4 カ国、およ びその他の経済成長国を指す。 4 5 11 MDGs の達成を目標としている。本論文 1.6.1.でさらに言及するが、MDGs はその目標達 成期限を 2015 年としており、MDGs 重視の流れは、しばらく続くと考えられる。 教育開発に限定して言えば、その開発目標は MDGs と同じ 2000 年に採択されたダカー ル行動枠組みである。ダカール行動枠組みが目指す EFA という概念は、決して新しいもの ではなく、従来その重要性が各国で指摘されていたが、未だ多くの国が達成できていない 状況を打破するため、改めて国際社会で確認されたと言える。 その他にも、2001 年以降は「人間の安全保障」という考え方が注目されるようになった。 この考えは、インド人経済学者のアマルティア・センにより提唱された概念である。セン は、人間の安全保障は「人間の生活を脅かすさまざまな不安を減らし、可能であればそれ らを排除することを目的としてい」る、と述べている(アマルティア・セン 2006 p.36) 。 ここでいう不安とは、「欠乏からの脅威」および「恐怖からの脅威」を指す。センは、これ らの脅威から人々を自由にする上で、基礎的な学校教育が非常に重要であると考えている。 以上、1947 年から現在に至るまでの国際社会における教育開発の動向の概略を述べてき た。各年代で見られた開発・援助の特徴、特色を図 1 に示す。 表 1 国際社会における教育開発・援助の変遷 年代 教育開発・援助の理念 教育開発の重点分野 1947-1960 戦後復興、経済成長 高等教育、職業・技術教育 1961-1970 人的資本、マンパワー 高等教育、職業・技術教育 1971-1980 ベーシック・ヒューマン・ニーズ 高等教育、農村教育 1981-1990 構造調整政策 高等教育、初等教育 1991-2000 人間開発 初等教育、基礎教育 2001- MDGs・EFA 初等教育、基礎教育 (出所:江原(2001)p.40 を参考に筆者加筆。) 12 第 2 章 インド 5 ヵ年計画に 年計画に見る初等教 初等教育政策 ここまで、国際社会における教育開発の潮流を年代ごとに概観してきたが、本章では独 立から現在に至るまでのインドにおける教育政策の歴史を、5ヵ年計画の軌跡をたどりな がら分析していく。国際社会が第 1 章で論じたような政策や理念に基づいた教育開発を行 っていた当時、インド国内ではどのような教育政策が行われていたか、またそれらはどの ように特徴付けられるかを明らかにしていく。この章では、インド政府発行の 5 ヵ年計画 資料および、5 ヵ年計画に関する先行研究などを参考にしながら分析を進めていく。 2.1. 5 ヵ年計画における 年計画における初等 における初等教育政策 初等教育政策 インドの 5 ヵ年計画史に見られる特色を明らかにするために次の 4 つの分析視点を設定 する。 ①計画の理念、達成目標はどのようなものだったか。 ②最も重点が置かれた教育の段階、分野は何であったか。 ③実施当時の教育の現状(特に初等教育段階における就学率、進学率)はどうだったか。 ④どのような問題点が見られるか。 なお、インド5ヵ年計画は 1951 年の第1次5ヵ年計画に始まり、現在は 2007 年開始の 第 11 次5ヵ年計画が実施中である。これらの5ヵ年計画は、1950 年に創設された「計画 委員会」 (Planning Commission)により策定される、いわば「国家的規模の開発政策」で ある(天城 1963 p.289)。それゆえ、当然これらの計画は教育に特化した政策ではなく、 経済や資源、環境、貧困削減、保健など、対象分野は実に多岐にわたり、包括的な性格を 持つ。ただし、5ヵ年計画はインド政府の方針を反映したものであり、各計画にそれぞれ 重点を置いた分野・開発に特色があるため、5カ年計画における教育政策を分析すること は、インドの教育政策の歴史を分析することであると言え、この点において意義がある。 5 ヵ年計画は、教育に関する政策部分のみをとっても膨大な量の計画であるため、本論文 ではそれぞれの計画をつぶさに分析することを目的とせず、特徴、特色を抽出することに 主眼を置く。 2.1.1. 第1次5ヵ年計画( 年計画(1951 年~1956 年)9 半世紀以上にもわたって続くこととなるインド 5 ヵ年計画の第 1 回目である第 1 次 5 ヵ 9本項での第 1 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「First Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 13 年計画は 1951 年に開始された。この第 1 次 5 ヵ年計画は、第 2 次世界大戦やパキスタンと の分離独立戦争の傷跡が残るインドにとって、当時のインドの国家的課題であった国民統 合、経済成長、生活水準の向上に向け国全体で取り組むための骨子となるものであった。 当時のインドの教育は、 「学習水準や就学機会における都鄙、男女、貧富、階層間の不均 等、職業・技術教育の未発達、教育への関心の低さ(国民所得に占める教育費の低い割合)」、 他にも「教育施設の不足、中退や原級留置の高い割合、教師の待遇の低さ、試験の支配、 高等教育の肥大等、複雑多岐な問題が横たわっていた」(弘中 1992 p.3)。このような状 況の中打ち出されたのが第 1 次 5 ヵ年計画であるが、この計画の教育開発の重点は、校舎 の改善や遊技場の建設、教師の教授技術の向上といった「既存の小学校の充実」と、 「ベー シック・エデュケーションパターンへの転換」という 2 点に絞ることができる。さらにこ の計画では、女性の教育に関しても触れられている。第 1 次 5 ヵ年計画は自らの国民女性 が置かれている教育環境が、 「特別な状況(the special circumstances)」にあることをはっ きりと認識している。その上で、「女性は職業選択において男性と同等の機会を得なければ ならず、またこれは女性が何の偏見もなく専門的、公共的サービスを受けられるように平 等な教育機会を得ることを前提とする」とも述べている。このような教育の男女平等を実 現するためには、まず教育の必要性を親に認識させ、親と教師の連携が必要であると説明 している。 上記の「ベーシック・エデュケーションパターンへの転換」についてであるが、そもそ も、ベーシック・エデュケーションとは、いわゆる「基礎教育」ではなく、植民地時代の 教育に対する反抗から、ガンジーを中心に生まれた基礎教育思想に基づくインドの大衆教 育である。ベーシック・エデュケーションは、天城(1963)によれば、別名「ナイ・タリ ム(Nai Talim) 」と呼ばれ、1)7 年制の無償義務教育の実施、2)母語による教授、3)教 育内容に手工的、生産的仕事を盛り込むこと(「仕事経験」と呼ばれる)、4)教師の給料を 自分たちでまかなう自給学校の 4 点が特徴として考えられている (天城 1963 p.192-193) 。 当時の小学校では、授業は英語で行われ、また家庭への教育費の負担が求められていた。 カリキュラムも、暗記中心のもので、教師自身の低い社会的身分により、決して質の良い 授業が行われていなかった。そこで、このような現状を改善するために提唱されたのが、 ベーシック・エデュケーションを行う基礎学校である。第 1 次 5 ヵ年計画では、 「近年の教 育分野における最も重要な発展は、6 歳から 14 歳の子どもの教育のためのパターンとして 国がベーシック・エデュケーションを受容したことである」と述べている。さらに通常の 小学校の成果の乏しさから、「できる限り新たな小学校は建設されるべきではない」とも述 べている。当時のインド政府は、このベーシック・エデュケーションの思想を用いて大衆 に教育を押し広げることで「インド国民」を創りあげようとした。ここに、インドの国民 創造の過程が始まったのである。 こうして始められた第 1 次 5 ヵ年計画であったが、Ajit Roy(1965)は第 1 次 5 ヵ年計 画について、この計画は単なる分野別の計画の寄せ集めに過ぎないと評している(Ajit Roy 14 1965 p.477)。確かに、この計画においては分野ごとに開発政策が述べられているのみで、 横断的、包括的な政策が示され始めるのは、第 4 次 5 ヵ年計画からとなる。 2.1.2. 第 2 次 5 ヵ年計画( 年計画(1956 年~1961 年)10 第 1 次 5 ヵ年計画の終了に引き続き、1956 年には第 2 次 5 ヵ年計画が開始された。第 2 次 5 ヵ年計画 23 章(教育)の冒頭には、「教育システムは経済成長のスピードおよびそこ から得られる利益に決定的な影響を及ぼす」と述べられている。この第 2 次 5 カ年計画は、 経済成長のためにはさらに人的資本が必要とされると主張しており、また、工業化を核と した社会主義社会の建設を理想としていることが特徴である。弘中(1992)によれば、こ こでの社会主義社会とは、「生産手段の社会的所有ないし統制、生産力の拡大、完全雇用、 富の公平な分配に基礎付けられた民主主義、身分の平等、社会正義等の行きわたった社会 を意味する」(弘中 1992 p.8) 。教育は、このような理想的社会の建設という理念のもと、 その社会の実現手段として捉えられていた。 具体的に第 2 次 5 ヵ年計画では、ベーシック・エデュケーションの重視、初等教育の拡 大、中等教育の多様化、高等教育の水準改善、技術・職業教育施設の拡張、社会教育や文 化発展プログラムの実施に力点が置かれている。 当時の初等教育の状況であるが、6~14 歳の就学児童の割合は第 1 次 5 ヵ年計画実施前 の 32%から 40%へと増加し、第 2 次 5 ヵ年計画終了時には 49%まで伸びると見込まれて いた。さらに初等教育段階に限ると、第 1 次 5 ヵ年計画の前後で就学率は 42%から 51%へ と 9%の伸びを見せた。順調な滑り出しではあったものの、この数字はインド憲法 45 条で 掲げた「6 歳から 14 歳のすべての子どもへの無償かつ義務教育の保障」という目標には程 遠く及ばないことは、計画中ではっきりと述べられている。 普遍的な初等教育を達成するための具体的方法として、第 2 次 5 ヵ年計画は次の点を提 示している。まず、退学や留年といった、いわゆるウェステージ(wastage)を防ぐため、 農村などでは繁忙期と学校の休日を一致させ、さらに教師や教授技術の改善を行う。次に、 計画は女子の教育格差に注目し、女子を教育に取り込むための方法として、両親に教育の 重要性を認識させ、男女共学が困難な場合には、男女別学を採用するか、あるいは 2 部制11 を採用することを勧めている。この 2 部制は、校舎や教育施設の不足を補う手段としても 言及されている。さらにこれと関連して、1953-1954 の時点で女性教師が全体の 17%に留 まっていることにも言及し、女性教師の養成の必要性を論じている。 第 1 次 5 ヵ年計画からベーシック・エデュケーションによる教育開発が進められてきた 10本項での第 2 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Second Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 11 一日の授業を午前・午後の 2 部に分け、男女別の就学を可能する、あるいは不足する校 舎を補うために採られる方法。2 部に分けることで、1 部制の 2 倍の子どもが授業を受けら れる反面、教師の負担が増える、教育の質が維持できないなどの問題もある。 15 のは前述したが、これにより既存の小学校と新設された基礎学校が併存する状況が生まれ ることとなった。しかし、ベーシック・エデュケーションの成果は着実に現れ始めており、 第 1 次 5 ヵ年計画実施前には僅か 1%だった初等教育段階の基礎学校への就学率が、計画終 了時の 1956 年には 4%に増加し、第 2 次 5 ヵ年計画の終了時には 11%に達すると予測され ていた。 2.1.3. 第 3 次 5 ヵ年計画( 年計画(1961 年~1966 年)12 続く第 3 次 5 ヵ年計画も、第 1 次・第 2 次と続いてきたベーシック・エデュケーション 重視の政策を踏襲している。この 15 年にわたって続くベーシック・エデュケーションへの 転換政策について、弘中(1985)は「初等教育のガンジーイズム化」と称している(弘中 1985 p.85)。その背景には、独立直後から高まり続ける国民教育、国民統合の必要性に対し、 経験の乏しい政府はガンジーの基礎教育思想に依拠するほかなかったという状況が読み取 れる(弘中 1992 p.6)。 第 3 次 5 ヵ年計画は、6 歳から 11 歳までの子どもの完全就学、中等・高等教育段階での 科学教育の拡張と改善、技術・職業訓練の発展、教師養成施設の改善、補助金や奨学金の 増額に力点を置いている。さらに、女子の教育に関しても特別の配慮が必要であることを 強く認識している。また、全初等教育段階の学校を基礎学校に転換することを改めて記し ている。 2 度の 5 ヵ年計画を経て、6 歳から 11 歳の子どもの初等教育の就学率は 43%から 61%へ と大幅な増加を見せた。しかし、10 年以内に 6 歳から 14 歳のすべての子どもに無償義務 教育を保障すると宣言したインド憲法の発布からいよいよ 10 年を経たが、未だその公約は 達成されていない状況であった。第 3 次 5 ヵ年計画は、6 歳から 11 歳の子どもの完全就学 を困難にする要因として、女子の就学、遠隔地の子どもや教育を受けるのが難しい集団、 たとえば少数言語母語話者や労働に従事する子ども、障害を持った子ども、さらに親の教 育に対する消極的意識という問題を挙げている。ジェンダー格差については、この第 3 次 5 ヵ年計画が開始される直前の 1960-1961 の時点で、男子の就学率が 80.5%であったのに対 し、女子は 40.4%と、非常に大きな差が存在していたことが、インド政府に危機感を抱か せたと考えられる。また、訓練を受けた初等教育段階の教師の数も、この 10 年で 59%から 65%へと増加したものの、未だ不十分であることを認識している。さらに、ウェステージ につながる環境として、上記の訓練を受けた教師の不足に加え、不適切なカリキュラムに も言及し、教科書の内容の選定、教授方法の改善、さらには公用語を発展させるためのヒ ンディー語表記の教科書の作成の必要性を論じている。 第 3 次 5 ヵ年計画は、第 29 章(教育)の冒頭で、 「教育は、急速な経済成長や技術進歩 12本項での第 3 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Third Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 16 を遂げるにおいて、また自由や社会正義、均等な機会といった価値に基づいた社会秩序を 形成するにおいて最も重要な要素である」と述べている。その言葉の通り、第 3 次 5 ヵ年 計画は開発政策の中でも第 1 次、第 2 次計画以上に教育開発を重視している。しかし弘中 (1992)はこの第 3 次 5 カ年計画を、 「何らの全体的整合性統一性を持たない改善策が次々 と打出された」だけの計画であると評している。実際、初等教育のベーシック・エデュケ ーションへの転換はこの第 3 次 5 ヵ年計画で完成される予定であったが、第 3 次 5 ヵ年計 画終了時の見込みでは、基礎学校が全初等学校に占める割合は 36%に過ぎなかった(天城 1963 p.294) 。この失敗は、インド全体での人口増加が影響していると言われている。天城 (1963)によると、第 3 次 5 ヵ年計画が行われていた当時のインドの人口増加率は 2.2%に なると見込まれていた(天城 1963 p.293) 。政府の想像以上の著しい人口増加により、開発 効果が鈍くなっていたのである。また、本論文 1.1.で述べたように、この時期の日本やヨー ロッパ以外の被援助国としては珍しく、インドはすでにアメリカからの教育開発援助を受 いたが、栗本(1961)は、 「最大の問題点は外国援助に対する依存が絶対的にも相対的にも、 第 2 次 5 ヵ年計画に比べて大きく増大することである」 と指摘している(栗本 1961 p.31)。 このような状況下で、インド政府自身が効果的な政策を模索しながら試行錯誤を繰り返し ていた姿が読み取ることができる。 2.1.4. 第 4 次 5 ヵ年計画( 年計画(1969 年~1974 年)13 1965 年のインド・パキスタン国境紛争の再燃や、同年からの 2 年にもおよぶ大規模な干 ばつにより、当時のインド国内の情勢は混乱し、第 4 次 5 ヵ年計画は先の第 3 次 5 ヵ年計 画終了の 3 年後にようやく開始された14。 第 4 次 5 ヵ年計画は、その重点を初等教育の拡大と、社会的弱者である女子、後進地域 の人々の教育に置いている。さらに、教師訓練や科学教育の向上などに取り組む必要性を 説いている。その中で、第 4 次 5 ヵ年計画は産業と教育のより密接な関連について言及し ていることは留意すべきである。 当時の 6 歳から 11 歳の子どもの就学率は、77%で、第 3 次 5 ヵ年計画実施前の 61%か らは小幅ながら、増加している。第 4 次 5 ヵ年計画は、初等教育に対するアプローチとし て、第 3 次 5 ヵ年計画の内容を引き継ぎ、就学率向上のための 2 部制の導入を提案してい る。 第 2 次 5 ヵ年計画から続いてきた「社会主義型社会の建設」だが、第 3 次 5 ヵ年計画終 了時には、ルピーの切り下げやインフレによる物価高騰など、政府の予想に反する危機的 状況に終った。第 3 次 5 ヵ年計画に対する批判を受け、政府は第 4 次 5 ヵ年計画では若干 13本項での第 4 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Fourth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 14 第 3 次 5 ヵ年計画終了から第 4 次 5 ヵ年計画開始までの 3 年間は、3 つの年次計画によ って補われていた。 17 の方向転換を示した。第 4 次 5 ヵ年計画における教育開発の特徴としてしばしば挙げられ るのは、第 3 次 5 ヵ年計画までが、教育の段階、分野別のアプローチであったのに対し、 第 4 次 5 ヵ年計画からは、包括的、横断的な政策にシフトしている点である。この 1960 年 代半ばの教育政策の転換は、インドの教育開発において非常に重要な意味を持つと考える ことができる。弘中(1992)は、この大胆な改革はについて「国民統合についてもその理 念を深め、その進展をもたらすこととなった」と評価している(弘中 1992 p.8) 。 また、この計画において注目すべきもう一つの点は、教育開発の章である第 16 章で、 「マ ンパワー」の開発計画が扱われている点である。まさに第 4 次 5 ヵ年計画が実施されてい たこの時期は、1.2.で述べたように、国際社会の教育開発の理念もまた、人的資本と「マン パワー」であった。インドの開発政策もまた、国際社会の開発政策の潮流の中にあったこ とがうかがえる。 2.1.5. 第5次 5 ヵ年計画( 年計画(1974 年~1979 年)15 第 5 次 5 ヵ年計画が草案された当時は、これまで順調だったはずの経済成長が行き詰ま り、インド国内の貧困がさらに追い討ちをかけられていた時期である。黒沢(1974)によ ると、第 5 次 5 ヵ年計画は、 「貧困の追放」と「自立経済の達成」を 2 大目標として掲げる はずであったが、財政難の影響を被り、根本的変更を余儀なくされた(黒沢 1974 p.1)。 第 5 次 5 ヵ年計画の教育開発の中で、最優先事項に挙げられたのは初等教育である。就 学児童増加のための手段として、特に教育開発の効果があまり見られない地域での教員の 加配や校舎設備の建設、カリキュラムの再検討や教員訓練施設の強化の必要性について述 べられている。 しかし、この第 5 次 5 ヵ年計画の中で最も注目すべき点は、ノンフォーマル教育につい ての言及である。これまで、5 ヵ年計画で想定されていた「教育」については特別な断りは なく、原則として「公教育」を指していた。しかし第 5 次 5 ヵ年計画において、ノンフォ ーマル教育はインドの教育システムにとって必要であり、さらにすでに 160 万人の人がノ ンフォーマル教育に参加していることに言及している。ただ、弘中(1992)によると、こ こでのノンフォーマル教育の対象者は、15 歳から 25 歳までと限られており、初等教育の就 学率向上に資するためというよりも、成人識字の改善を狙いとしたものであったことがわ かる(弘中 1992 p.11)。 さらにこの第 5 次 5 ヵ年計画は、これまでの計画では見られなかった新たな政策を打ち 出している。弘中(1984)によると、それらは具体的には「法定年齢を越えるものを初等 学校に特別学級を編成し受け入れる多段階入学制、 『仕事経験』の導入、10+2+3 制、後期 中等教育の『職業教育化』 」であった(弘中 1984 p.10)。この新たな政策の基盤となってい 15本項での第 5 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Fifth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 18 るのは、1968 年の「国家教育政策決議」であり、 「国家教育政策決議」は「国の文化的発展、 国民統合、社会主義型社会の実現における教育改革の不可欠性と、その改革における生活 に密着した制度への転換、教育機会拡張の継続的努力、教育の質的向上への努力、科学技 術の発展の重視、道徳的社会的価値観の開発等の必要性を力説」した政策であり(弘中 1984 p.9) 、当時のインドが目指していた「工業化による発展」という枠組みで教育を再解釈した ものであった。 このように従来とは異なる性質を持つ第 5 次 5 ヵ年計画は、順調に進められるかと思わ れていたが、独立以来続いてきた国民会議派政権に対する国民からの不満や不信が募り、 1977 年には、独立から 30 年続いた国民会議派政権が倒れ、ジャナタ政権に交代した。そ れに伴い、翌年の 1978 年に第 5 次 5 ヵ年計画は中断された。 2.1.6. 第 6 次 5 ヵ年計画( 年計画(1980 年~1985 年)16 この第 6 次 5 ヵ年計画は、 「教育はあらゆる段階での人的資本の発展に不可欠である。利 用可能な発展のためのインプットのうち、教育は人々の生活パターンの状態や性格を向上 させ、日常生活の基本的ニーズを満たすことができるよう、個々の知的、社会的および情 緒的発達を促進させなくてはならない」と述べている。このように教育を一つの社会サー ビスとしてではなく、発展・開発のための重要なインプットと捉えている点が第 6 次 5 ヵ 年計画の特徴である。 さらにこの計画は、教育開発の中でも、6 歳から 14 歳の子どもの 10 年以内の完全就学 に加え、女子や SC、ST といった社会階層、また経済的理由により教育システムの周縁に 置かれている子どもたちの就学に焦点を当てている。そのための手段の一つとして、ノン フォーマル教育の拡張と充実を挙げている。 第 6 次 5 ヵ年計画では、連邦政府によるプログラムの他に、州政府が各自の状況に合わ せた政策・プログラムに取り組む必要があることに言及しており、教育の地方分権化が進 められていたことが推測できる。 この計画が開始された 1979-1980 の時点で、多くの州ではすでに 6 歳から 11 歳の男子の 就学率は 100%に達していた17。しかし、女子の就学率はおよそ 66%と、依然として大き な差が残っていたのも事実である。1950 年のインド憲法発布から、30 年を経ても達成され て来なかった「6 歳から 14 歳のすべての子どもへの無償義務教育」であるが、ここに来て、 第 6 次 5 ヵ年計画はこの初等教育の完全普及を「究極目標(ultimate object)」と定め、こ の目標への並々ならぬインド政府の熱意をここに示した。この点について、弘中(1985) は「5 ヵ年計画は、第四次のそれ以降、初等教育を含む大衆のための教育の重視に方針を転 16本項での第 6 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Sixth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 17 ここでの就学率は総就学率である。当時の統計資料の信頼性の低さに加え、この数字に は途中退学者や留年といったウェステージが含まれていることに留意しなくてはならない。 19 換し出し、第六次計画に至って決定的となった」と述べている(弘中 1985 p.88) 。 しかし同時に、第 6 次 5 ヵ年計画にはいくつかの批判的な声も上がった。それは、従来 のままの政策では初等教育の完全普及の達成が困難であること、プログラムの充実が必要 でありながらも、計画中に示された方法は今までのものと大きく変わるものではなく、結 局は従来の開発政策に追随していたためである。 第 6 次 5 ヵ年計画と当時の国際社会における教育開発の動向に関して言及すると、1970 年代の国際社会は、1.3 で述べたように BHN という理念のもと、より人々の生活に密接し た開発に取り組んでいた。第 6 次 5 ヵ年計画は、1970 年代を支えたこの「ベーシック・ヒ ューマン・ニーズ」理念に少なからず影響を受けていることが、その内容から読み取るこ とができる。たとえば、第 6 次 5 ヵ年計画は、 この計画が「最低限のニーズ(minimum needs) 充足プログラムの一部であること」を計画の優先事項の最も上位に置き、人々の生活向上 のために最低限必要とされるニーズに応えるべく開発を進める必要があることを、第 21 章 (教育)において言及している。インドの教育開発政策における「教育」の意味、意義は この時期より変わり始めたと言ってよい。 2.1.7. 第 7 次 5 ヵ年計画( 年計画(1985 年~1990 年)18 1985 年に開始されたこの第 7 次 5 ヵ年計画は、教育開発の面では「教育政策の包括的見 直し」という性格を示している。第 10 章(教育)の序文に「インドの文化および倫理の根 幹をなしているものを保護し、これを育てていく」ことが教育の課題であり、それはまた 「複合的かつ挑戦的である」とも述べている。このように「教育」そのものの価値を見出 したのはインドの教育政策における大きな変化であり、インド教育政策史の新たなフェー ズに入ったと言えるだろう。 この第 7 次 5 ヵ年計画は 1968 年の「国家教育政策決議」を再確認する内容となった。先 に述べた通り、この決議は第 5 次 5 ヵ年計画にも取り入れられていたが、第 5 次 5 ヵ年計 画には政変により中断を余儀なくされたという背景がある。この 1968 年の「国家教育政策 決議」は「国民統合」を前面に打ち出しているため、第 7 次 5 ヵ年計画においても、やは り「インド民族」としての自覚を高めようとする政府の意思が、全学校共通のコア・カリ キュラム導入、インドの公用語であるヒンディー語学習の推奨などに色濃く表れている。 1984 年の時点の初等教育段階の就学率は 92%だったが、女子のそれは 69%と依然とし て差は縮まっていなかった。また、第 6 次 5 ヵ年計画終了の時点で、非就学児童の実に 80% がアッサム、アンドラ・プラデシュ、ビハール、ジャム・カシミール、マディア・プラデ シュ、オリッサ、ラジャスタン、ウッタル・プラデシュ、西ベンガルの 9 つの州に集中し ていた。ジェンダー格差、地域格差は 6 度の計画を経ても改善されていなかったのである。 18本項での第 7 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Seventh Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 20 当然このような状況に対し、第 7 次 5 ヵ年計画はその重点を初等教育の完全普及に置い ているが、この計画では就学の定義を、単なる就学登録ではなく、継続的な就学および基 本的な学習能力の修了であるとはっきりと述べている。インドはこれまで、就学率調査は 一年に一度、多くは入学時にのみ行っており、そのため入学時の就学児童数がそのまま就 学率に反映され、途中退学者や留年者は考慮されてこなかった。その意味で、就学の継続 の必要性を訴えたこの第 7 次 5 ヵ年計画は評価するに値する。 さらに、第 7 次 5 ヵ年計画では、初等教育の質と効率の向上(the enhancement of quality and efficiency)について、僅かではあるものの、取り組む必要性が言及されている。この 点に、計画の序文で述べられていた姿勢が表れていよう。 2.1.8. 第 8 次 5 ヵ年計画( 年計画(1992 年~1997 年)19 5 カ年計画を策定する計画委員会は、第 8 次 5 ヵ年計画を作成するにあたり、政府および 委員会の役割を再確認し、5 ヵ年計画の役割について問い直す試みを行った。その結果生ま れたのがこの第 8 次 5 ヵ年計画であり、従来の 5 ヵ年計画との違いとして、第 8 次 5 ヵ年 計画が単なる提案ではなく、指示的である(indicative)こと、さらにより総合的、包括的 なアプローチをとっていることが挙げられる。 この第 8 次 5 ヵ年計画が実施された 1990 年代の国際社会は、 「人間開発」を共通理念と して掲げていたが、第 8 次 5 ヵ年計画もまた「 『人間開発』をすべての開発努力の核である と認識している」と述べている。 教育開発に関しても、1990 年に開かれたジョムティエン会議に触れながら、2000 年まで の EFA 達成を目指すことが述べられている。また、1992 年には 1986 年より採択されてい た「国家教育政策決議」が議会で再確認、改訂され、国家を挙げて教育開発に取り組む状 況が生まれていた。 1990-1991 の時点で、6 歳から 11 歳の総就学率は 101.03%に達していたが、退学率は 1987-1988 の時点で 46.97%であった。そのため、第 8 次 5 ヵ年計画は初等教育段階におけ る新たな推進策として、初等教育の完全就業とその完全維持、そして教育の質の実質的改 善の 2 つを挙げた。具体的方法として、本計画ではノンフォーマル教育の有効性とその拡 大の必要性が何度も述べられている。さらに、成人教育と普遍的初等教育が互いに補完的 であることを指摘し、これらの普及を勢いづけるために NGO やボランティア団体のさらな る参加を求めている。初等教育の完全普及に関して、もはや問題とすべきは就学率ではな く、いかに教育の質を改善し、子どもたちを学習環境のうちに留め、最低限の学習能力を 身につけさせるか、という段階に来ていること強く意識していることが印象的である。 計画の実行に関して、これまでの 5 ヵ年計画では、州政府がそれぞれの状況に合わせ、 本項での第 8 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Eighth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 19 21 州ごとに計画を実施するよう勧めてきたが、同一州内でも格差・不均衡がみられる状況を 指摘し、さらに詳細な計画、モニタリングが必要であることも言及している。 その他の注目点としては、障害を持つ子どもの統合教育の計画と実行について言及され ている点である。これは、1986 年の「国家教育政策決議」が障害児の教育について個別の 章を立て、そのガイドラインを示したことが背景にある。特に初等教育段階の障害児統合 教育のための教師の訓練については、再検討が必要であると述べている。 2.1.9. 第 9 次 5 ヵ年計画( 年計画(1997 年~2002 年)20 21 世紀を目前にして開始された第 9 次 5 ヵ年計画は、 教育開発を計画の最優先事項とし、 それに向けて最大限の努力をする決意を表明している。 「教育の機会均等」と「質の向上」 を教育開発における 2 大目標とし、初等教育の完全普及の達成を国家目標(the national goal of providing primary education)と定めている。 第 9 次 5 ヵ年計画は、 「教育は健康や衛生、人口増加問題、生産性、そして生活の質に関 するあらゆる実際的事柄に強く影響を与える」と述べており、当時の国際社会における開 発理念に後押しされるかたちで、教育開発に取り組む姿勢を見せている。これに加え第 9 次 5 ヵ年計画の注目すべき点は、教育が人間の基本的権利の一部であると認識されている 点である。このように、教育は社会が提供するサービスの 1 つではなく、尊重されるべき 人間の権利の 1 つであると考えるようになったのは、過去の 5 ヵ年計画において第 9 次 5 ヵ年計画が初めてのことである。ここにも、当時の国際社会の開発理念であった「人間開 発」の影響が読み取れる。 さらに第 9 次 5 ヵ年計画は先の第 8 次 5 ヵ年計画に続き、普遍的初等教育の達成のため には、連邦政府や州政府だけではなく、地元の活動グループ、ボランティア団体、社会運 動団体、さらにはメディアなど社会全体の協力が必要であることを明記している。 初等教育の就学者数について第 9 次 5 ヵ年計画では、1950-1951 の 2,230 万人から、 1996-1997 では 1 億 5,145 万人へと、実に 7 倍近くも増加していると説明している。さら に、6 歳から 11 歳の子どもの退学率に関しても、1992-1993 の時点では 42%だったのが、 1996-1997 では 34.5%と、着実に数を減らしてきていると述べている。その背景には、過 去の 5 ヵ年計画で考案され、実施されてきた教育施設・用具の充実を図る「Operation Black Board」や子どもの栄養状態の改善のために給食を提供する「National Programme of Nutritional Support」といったプログラム、さらに代替教育の一つであるノンフォーマル 教育の効果があると説明している。 しかしそれでも、初等教育の完全普及を達成するには、克服しなければならない課題が 残っているとし、次の問題を挙げている。教育システムから隔離されている子どもの存在、 本項での第 9 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) 「Ninth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 20 22 退学率、不十分あるいは不適切な学校施設21、絶対的に不足する教師22、低い学習達成度、 地域格差などである。これらの複雑に絡み合った問題を克服し、インド憲法で掲げた 6 歳 から 14 歳までのすべての子どもへの無償義務教育の保障を達成するには、段階を追った教 育開発が必要であると考え、その第一段階こそが 6 歳から 11 歳の子どもの完全就学である と述べている。その他、Village Education Committees(VECs:コミュニティベースで行 われる教育委員会。以下、本論文では VECs とする。)の役割の重要性、教育開発の進展が 遅い北東地域23への重点的支援、公教育の代替手段としてのノンフォーマル教育の有効性に ついても言及している。 さらに、第 8 次 5 ヵ年計画に引き続き、障害児の教育についても触れている。この背景 には 1995 年に成立したインド障害者法24の影響があると思われるが、具体的な方法は提示 されていない。 しかしながら、それでもこの第 9 次 5 ヵ年計画は、明らかに過去 8 度行われた 5 ヵ年計 画とは一線を画し、教育開発の理念、手段ともに非常に直接的に述べられ、踏み込んだ内 容になっていると言える。 2.1.10. 第 10 次 5 ヵ年計画( 年計画(2002 年~2007 年)25 21 世紀を迎え、ジョムティエン会議やダカール会議を経て実施されたのが第 10 次 5 ヵ 年計画である。これらの世界会議の影響もあり、この第 10 次 5 ヵ年計画中では、「EFA」 や「Universalization of Elementary Education(UEE:初等教育の普遍化。以下、本論文 では UEE とする。 )」といった言葉が頻繁に用いられている。第 10 次 5 ヵ年計画は、この ような世界規模での教育目標の設定は、 「国内に、基本的な教育はすべての国民の基本的権 利であるという認識の必要性をもたらした」と述べている。 第 10 次 5 ヵ年計画は、節目の計画でもあるため、過去の計画のレビューを詳細に行って いる。もちろん初等教育の完全普及は未だ達成されていないものの、第 1 次 5 カ年計画開 最低限の基本的サービスという点から、校舎には安全な飲み水、トイレ、栄養を考慮し た給食、健康診断、基本的なヘルスケア、通学路の整備などが必要である(Ninth Five Year Plan 参照) 。 22 1993 年に実施された第 6 回全インド教育調査によると、約 4,000 校が教師不在、また約 11 万 5,000 校が一人の教師によって授業が行われていたという結果が出ている(Ninth Five Year Plan 参照)。 23 アルナーチャル・プラデシュ、アッサム、ビハール、ジャム・カシミール、ラジャスタ ン、ウッタル・プラデシュ、西ベンガル州などが該当する。児童労働の割合や乳幼児死亡 率が高く、貧困が特に問題となっている地域である。 24 本論文 3.3.1.参照。 25 本項の第 10 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) (2002) 「Tenth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/10th/volume2/v2_ch2_2.pdf (10/01/06 アクセス) 21 23 始時の状況と比較すると、識字率や就学率、教師数など著しい改善を見せている26。この背 景には、50 年の間、5 ヵ年計画やその他の教育政策により様々なプログラムが実施されて きたことがあると考えられる。インド政府はこれまで、UEE の達成に向けて、いくつかの プログラムにおいて強いリーダーシップを発揮してきた。具体的事例として、給食をイン センティブとして就学率・残存率の向上を目指した「Mid-Day Meal Scheme」 (以下、本論 文では MDMS とする。) 、女子の就学やジェンダー・貧富の格差縮小に特化した「National Programme for Education of Girls at the Elementary Level」、 「Kasturba Gandhi Balika Vidyalya」などが挙げられる。しかし、第 10 次 5 ヵ年計画は、第 9 次 5 ヵ年計画が終盤を 迎えた頃に開始された「Sarva Shiksha Abhiyan(SSA:以下、本論文では SSA とする。)」 プログラムを重視している。SSA は州政府と連携して UEE の達成を目指す国家プログラム であり、2010 年までに 6 歳~14 歳のすべての子どもに初等教育を提供することを目的とし ている。具体的には、教科書の無料配布や女性教員の採用、Early Child Care and Education (ECCE:早期幼児保育教育。弟・妹の世話を任されることが多い女子の負担を軽減し、就 学につながると考えられている。以下、本論文では ECCE とする。 )センターの設置などを 行っている。本論文では、個別のプログラムの詳細について述べることは割愛するが、こ れら様々なプログラムが就学率の向上に貢献していると言える。このように、SSA は 1 つ の独立したプログラムでありながら、教育開発のおけるいくつもの重要な側面を含んでい る。そのため第 10 次 5 ヵ年計画は、SSA は他の多くのプログラムを吸収し、UEE 達成の 中心手段になると考えている。 また、第 10 次 5 ヵ年計画の特徴は、コミュニティの教育への積極的参加を促している点 にある。この計画では、 「基礎的なサービスの提供への人々の参加は、第 9 次 5 ヵ年計画中 間評価においても述べられているように、たとえば効果、効率性、エンパワーメント、平 等といった 4 つの主な目標の達成に貢献する」と述べられている。さらに「量的な参加は、 そのコミュニティが声を上げ、その選択を行使することが可能であることを意味する」と も述べ、VECs や Mother-Teacher Associations(MTAs) 、Parent-Teacher Associations (PTAs)といったコミュニティベースの教育への参加を求めている。このような傾向には、 近年開発分野で注目されている「参加型開発」27という概念が影響していると考えられる。 この第 10 次 5 ヵ年計画は、普遍的な(教育への)アクセス、普遍的就学、普遍的(学力) 保持、普遍的達成、そして平等というこの 5 つを主な目標としているが、その達成方法は 従来のような教師数の増加や教育施設の向上といった物質面の改善に限らず、むしろ教科 書の内容の再検討、教授法の改善、教師の訓練の充実といった教育そのものの向上につな がるソフト面の向上を重視した方法に転換している。 より詳細な変化については本論文 3.1.を参照。 参加型開発:開発における政策決定、実施のあらゆる過程で、住民の主体的参加を求め る開発の一形態。 26 27 24 2.1.11. 第 11 次 5 ヵ年計画( 年計画(2007 年~2012 年)28 先の第 10 次 5 ヵ年計画が年 7.7%のペースで経済成長を遂げるという成功で幕を閉じ、 第 11 次 5 ヵ年計画においても、この勢いを維持、加速させなければならない、というイン ド政府の強い意思が反映されることとなった。教育開発分野では、 「第 11 次 5 ヵ年計画は、 急速で包括的な成長を達成するための中心手段として、教育を最優先事項とする」と宣言 している。計画全体の理念が、開発が遅れている地域、階層を重点的なターゲットとし、 底上げを図ることで国全体の成長ペースを加速させることにある。そのため、教育部門お いても、普遍的初等教育の達成に加え、地域的、社会的、ジェンダー格差を縮めることに 力点を置いている。 初等教育段階の具体的な開発目標はいくつか挙げられているが、6 歳から 14 歳のすべて の子どもの普遍的就学、教育の質と水準の実質的改善、第 11 次 5 カ年計画終了時までのあ らゆる格差の解消、退学率の改善などが主なターゲットである。 第 11 次 5 ヵ年計画と従来の計画の変化という点では、この計画が、これまでの数学、理 科(科学)の重視に加え、ここに英語を加えている点である。独立直後は国民のおよそ 83% が非識字者であった29ことから、初期の 5 ヵ年計画ではまずインドの公用語であるヒンディ ー語あるいは民族の母語を重視していた。その流れは後の 5 ヵ年計画にも続き、第 7 次 5 ヵ年計画ではインド文化の発展を一つの目標に設定し、ヒンディー語だけでなくサンスク リット語などの伝統言語の習得に力を入れていた。しかし、ここに来て再び英語教育が重 視され始めてきたのは、インドの目覚しい経済成長に伴いインド社会の国際化が進み、進 学や就職において英語が重視される状況が生まれてきているためであると推測できる。 2001 年以降のインドの教育現状については、次章において分析するため、ここでの説明 は省略する。 以上、ここまでインドの教育政策として、第 1 次 5 ヵ年計画から現在実施中の第 11 次 5 ヵ年計画までを概観してきた。図 3 は各計画から抽出できた理念や特徴、教育開発におけ る重点分野をまとめたものである。計画ごとの理念や目標は異なるものの、比較的早い段 階から、初等教育が教育開発の中でも重視されてきたことがわかった。しかし、第 1 次 5 ヵ年計画実施から 60 年近く経ち、状況は少しずつ改善されてきているものの、普遍的初等 教育という憲法に規定された国家目標は未だ達成されていない。 次節では、5 ヵ年計画中の予算・支出に焦点を当て、これまでの 5 ヵ年計画において示さ れた初等教育政策が、どのように実現されてきたのかを、支出・予算の面で分析していく。 本項での第 11 次 5 ヵ年計画の参考・引用部分は次を参照した。Planning Commission (Government of India) (2008) 「Eleventh Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/11th/11_v2/11v2_ch1.pdf (10/01/06 アクセス) 29Planning Commission(2002)p.24 table2.2.1 参照。 28 25 表 2 インド 5 ヵ年計画における教育開発の変遷 5 ヵ年計画 計画の理念・目標 教育開発の重点・特色 第1次 生活水準の向上 各段階での教育の拡張 第2次 社会主義型社会の建設 ベーシック・エデュケーション、初等教育 第3次 社会主義型社会の建設 ベーシック・エデュケーション、初等教育 第4次 包括的・横断的政策 後進地域の教育普及 第5次 貧困の追放、自立経済の達成 初等教育、ノンフォーマル教育 第6次 最低限のニーズの充足 初等教育の完全普及 第7次 国民統合 初等教育の完全普及、インド文化の発達 第8次 人間開発 初等教育の完全普及、教育の質の向上 第9次 人間開発、基本的権利の尊重 教育の機会均等、教育の質の向上 第 10 次 EFA 初等教育の完全普及、代替教育の充実 第 11 次 EFA 初等教育の完全普及、格差縮小 (出所:筆者作成。 ) 2.2. 5 ヵ年計画における 年計画における教育予算 における教育予算 本節では、5 ヵ年計画において教育支出、とりわけ初等教育予費はどれほどの割合を占め ていたのか、支出の推移を分析していく。5 ヵ年計画はその計画中に、各セクションの予算 の割り当てを提示しているが、予算は計画通りに割り当てられないことが多い。そこで、 本節では、5 ヵ年計画で示された当初の割合ではなく、実際の支出割合を分析していく30。 図 4 は各 5 ヵ年計画における、全支出に占める教育支出および教育支出に占める初等教育 支出の推移を示したものである。 第 1 次 5 ヵ年計画について、上述の通り、当時のインドの目下の目標は経済成長であり、 黒沢(1974)によれば、予算の約 45%が灌漑設備や発電施設の建設といった農業関連事業 に割り当てられていた(黒沢 1974 p.3)。しかし、この計画では全体支出の約 8%が教育支 出で、そのうち 50%以上が初等教育支出であった。これは、この後続く 5 ヵ年計画の中で も数少ない、予算面での初等教育重視の計画である。 その後、5 ヵ年計画の支出は、教育支出、初等教育支出ともに減少の一途をたどることと なる。いくつかの要因が考えられるが、最も大きな要因はインド国内外の経済の停滞、悪 化、および国際援助額の減少による財政難である。特に影響が如実に現れている第 3 次 5 ヵ年計画から第 7 次 5 ヵ年計画の時期は、まさにインド国内の政変、災害さらに国際的な 第 11 次 5 ヵ年計画に関しては、現在実施中のため支出は計上されていない。よって、第 11 次 5 ヵ年計画に限り、計画中に提示されている予算で分析・計算を行った。 30 26 経済危機の影響を強く受けた時期である。初等教育支出に関しては、初等教育の完全普及 が常に重点目標であったため、第 5 次 5 ヵ年計画では若干の増加を見せている。しかし、 全体的に見れば、第 6 次 5 ヵ年計画までは教育支出は減少し続け、初等教育支出は 30%台 前半に留まっている。 この方針が大きく転換されたのは第 8 次 5 ヵ年計画からである。この背景には、1986 年 に採択された「国家教育政策決議」がある。この決議は、第 8 次 5 ヵ年計画の間、国民総 所得の 6%超を教育予算に充てることを宣言し、教育開発を勢い付ける発端となった。さら に、第 10 次 5 ヵ年計画が教育開発を計画中の最優先事項と規定したため、教育支出、初等 教育支出は過去 9 回の計画で群を抜いた増加率を見せた。MDGs や EFA といった目標の達 成に国際社会全体で取り組む空気が生まれ、さらにこの時期にインド自体が飛躍的な経済 成長を遂げたというこの 2 つの相乗効果により、開発における教育支出はピークに達した。 現在実施中の第 11 次 5 ヵ年計画では、第 10 次 5 ヵ年計画と比較して、教育予算の占め る割合は 2 倍以上に増加した反面、初等教育予算は第 8 次 5 ヵ年計画程度となった。これ は、第 10 次 5 ヵ年計画の成功により、初等教育段階ではある程度の開発効果が見られ、イ ンドの課題が初等教育への就学から、学習の維持、さらには中等教育段階への進学へと変 わってきているためであると言える。しかし、依然第 11 次 5 ヵ年計画でも教育予算のうち 初等教育予算が最大であることには変わりない。 図 2 教育支出・初等教育支出の推移 (A) (B) 90% 80% 20% 70% 60% 15% 50% 40% 10% 30% 20% 5% 10% 0% 教育支出全体に占める初等教育費(B) 計画全体の支出に占める教育支出の割合 (A) 25% 0% 1次 2次 3次 4次 5次 6次 7次 8次 9次 10次 11次 (出所:Planning Commission「Tenth Five Year Plan」 table2.3.2. Planning Commission 「Annual Report 2007-2008」table3、 Planning Commission http://planningcommission.nic.in/data/stat/statistics1.pdf (10/01/06 アクセス)を参考に筆者計算、作成。 ) 27 第 3 章 インド初等教育 インド初等教育の 初等教育の現状と 現状と課題 第 2 章では、5 ヵ年計画におけるインドの教育政策を、初等教育に焦点を当てて分析した。 第 1 次 5 カ年計画開始からのおよそ 60 年の間、インド政府は初等教育普及のために様々な 政策、プログラムを実施してきた。しかし、飛躍する経済とは相反し、初等教育の完全普 及というインド憲法の規約は未だ達成されていない。本章では、インドの教育現状を把握 し、初等教育に残されている課題について論じていく。分析は、諸国際機関やインド政府、 インド教育省によって発行されている資料などを用いる。さらに、その分析の結果からわ かる、初等教育に伏在する問題点を指摘する。 3.1. インドが インドが目指す 目指す国際教育目標 本論文 1.6.で述べたように、2000 年代のほぼすべての援助・被援助国にとっての教育目 標は、MDGs とダカール行動枠組みの 2 つであると言ってよい。インドももちろん、これ らの世界目標を期限内に達成すべく、教育開発に取り組んでいる。そのため、インドの初 等教育の現状を把握するにあたり、この 2 つの目標の存在は非常に大きい。まず、現状把 握の前に、MDGs およびダカール行動枠組みの具体的目標やその特徴についてまとめてい く。 3.1.1. ミレニアム開発目標 ) ミレニアム開発目標( 開発目標(MDGs) MDGs は、90 年代に開催された主要な国際会議での提言や目標を統合したもので、国際 社会が、開発に注いだ努力が結実したものであると言える。MDGs は8つの大きな目標と、 各目標に関するいくつかのターゲットにより構成される。目標1は、貧困の削減に関する 目標である。この目標は、いわゆる所得を指標とした経済的貧困を扱っているが、続く目 標2~7は教育、保健、環境といった、人間の生活におけるより本質的な「貧困」の削減 を目指すものである。表 3 にそれらを示した。 UNDP によれば、 「ミレニアム開発目標(MDGs)と人間開発の促進は、共通の動機を分 かち合うとともに、すべての人々に対して、尊厳、自由、平等を伴う人間の福祉(well-being) を促進するという極めて重大な公約を表している」 (国連開発計画 2003 p.32)のである。 MDGs と従来の開発目標との違いは、「2015 年まで」という明確な期限と、測定可能な数 値的指標を設定した点にある。また、各々の目標の目指すところが「人間そのものの開発」 にある点にも注目すべきである。人間開発指数31が 182 カ国中 134 位(2007 年) (国連開 人間開発指数:長命で健康な生活、知識、人間らしい生活水準という人間開発の3つの 分野での平均達成度を測定する複合指数。(国連開発計画 2009 p.8) 31 28 発計画 2009 p.9)に位置するインドにとって、個々の人間の発展を目指す MDGs は重要な 意味を持つ。 教育開発に関する目標は、目標 2 の「普遍的初等教育の達成」と、目標 3 の「ジェンダ ーの平等の推進と女性の地位向上」によって示されている。目標 2 に関しては、その名の 通り UEE を目指しているが、注目すべき点が 3 つある。まず、MDGs 目標 2 において、 普遍的初等教育とは、初等教育への就学ではなく、初等教育の全課程の修了をもって初め て達成されたと言える点である。これは、次節で触れることになるが、単なる就学率の向 上を訴えたものではなく、修了率の向上、退学率の改善への取り組みの必要性を暗に示し ているのである。教育目標においては、しばしば就学率の向上にのみ目が向けられがちで あるが、就学率の向上よりも、修了率を上げることがはるかに難しいことはよく知られて いる。第 2 の点は、就学率の指標についてである。目標 2 において用いられている指標に 「就学率」がある。就学率は大きく分けて、総就学率と純就学率の 2 種類がある。江原(2001) の定義によると、総就学率とは「学齢に関係なく就学している就学者総数が、学齢相当人 口に占める割合」で、一方純就学率は「学齢相当の就学者数が、学齢相当人口に占める割 合」を意味する(江原 2001 p.19) 。この定義からわかるように、純就学率は最大値が 100% であるが、総就学率に関しては 100%を越えることもしばしばある。これは、留年や定めら れた就学年齢を超えた入学した学習者がいる場合である。MDGs の目標の指標として用い られているのは純就学率あり、そのため、就学率 100%を達成するには、就学すべき年齢の 全児童が就学すべき時期に就学しなくてはならず、非常に挑戦的な目標であることがわか る。第 3 の点は、目標 3 につながっていくのだが、MDGs はジェンダーによる格差を解消 することに力を入れている。伝統的に女子が教育においては不利な立場におかれていたイ ンドにとって、教育におけるジェンダー格差の解消は、最も頭を悩ませる問題の一つであ る。 29 表 3 ミレニアム開発目標(MDGs) 極度の貧困と 貧困と飢餓の 飢餓の撲滅 1 極度の ・2015 年までに1日1ドル未満で生活する人口比率を半減させる。 ・女性、若者を含むすべての人に完全かつ生産的な雇用、そして適切な仕事の提供を実現する。 ・2015 年までに飢餓で苦しむ人口の割合を半減させる。 普遍的初等教育の達成 2 普遍的初等教育の ・2015 年までに世界中のすべての子どもが男女の区別なく初等教育の全課程を修了できるようにする。 ジェンダーの平等の 平等の推進と 推進と女性の 女性の地位向上 3 ジェンダーの ・2005 年までに初等・中等教育における男女格差の解消を達成し、2015 年までにすべての教育 レベルにおける男女格差を解消する。 乳幼児死亡率の削減 4 乳幼児死亡率の ・2015 年までに 5 歳未満児の死亡率を 3 分の 1 に削減させる。 妊産婦の健康の 健康の改善 5 妊産婦の ・2015 年までに妊産婦の死亡率を 4 分の 1 に削減させる。 ・2015 年までにリプロダクティブ・ヘルスへの普遍的アクセスを実現させる。 HIV/エイズ、 エイズ、マラリア、 マラリア、その他 その他の疾病の 疾病の蔓延防止 6 HIV/エイズ ・2015 年までに HIV/エイズの蔓延を阻止し、その後減少させる。 ・2010 年までに HIV/エイズの治療への普遍的アクセスを実現する。 ・2015 年までにマラリアその他の主要な疾病の発生を阻止し、その後減少させる。 環境の持続可能性の 持続可能性の確保 7 環境の ・持続可能な開発の原則を各国の政策や戦略に反映させ、環境資源の喪失を阻止し、回復を 図る。 ・2010 年までに生物多様性の損失を有意に減少させ、その後も継続的に減少させ続ける。 ・2015 年までに安全な飲料水と基礎的な衛生設備を継続的に利用できない人々の割合を半減させる。 ・2020 年までに最低1億人のスラム居住者の生活を大幅に改善する。 開発のためのグローバル のためのグローバル・ グローバル・パートナーシップの パートナーシップの推進 8 開発のための ・開放的で、ルールに基づいた、予測可能でかつ差別のない貿易および金融システムのさらなる 構築を推進する。 ・後開発国(LDC)の特別のニーズに取り組む。 ・内陸国および小島嶼開発途上国の特別なニーズに取り組む。 ・国内および国際的な措置を通じて、開発途上国の債務問題に包括的に取り組み、債務を長期的に 持続可能なものとする。 ・製薬会社と協力し、開発途上国において、人々が必須医薬品を安価に入手・利用できるようにする。 ・民間セクターと協力し、特に情報・通信分野の新技術による利益が得られるようにする。 (出所:ミレニアム開発目標 p.3 を参考に筆者作成。 http://www.undp.or.jp/publications/pdf/millennium2009.11.pdf(10/01/06 アクセス)) 30 3.1.2. ダカール行動枠組 ダカール行動枠組み 行動枠組み 国連ミレニアムサミットが開催された同年、セネガルのダカールで世界教育フォーラム (以下、本論文ではダカール会議とする。)が開催された。国連ミレニアムサミットが人間 開発全般を対象としたのに対し、世界教育フォーラムはその名前の通り、教育開発を目的 とした世界会議である。この会議は、1990 年に開催されたジョムティエン会議からの 10 年( 「ジョムティエン・ディケイド」 )を評価するものであった。この評価が「EFA2000 評 価」である。その要旨は次の通りである。 「多くの国々でかなりの進展(significant progress) が見られた」が、 「2000 年の時点においても、1 億 300 万人を超える子どもが初等教育への アクセスを欠いており、識字能力のない成人が 8 億 8,000 万人も存在し、ジェンダーによ る差別が依然として教育システムに存在しており、学習の質や人間的な価値観や技能の獲 得が個々人や社会の要望やニーズから大きくかけ離れていることは容認し得ない」(斉藤 2001 p.315) 。このような評価や各国・各地域からの報告を受けて、世界教育フォーラムの 最終日に採択されたのが、「ダカール行動のための枠組み」(以下、本論文ではダカール行 動枠組みとする。)である。ダカール行動枠組みは、教育は人間の基本的権利であるという 理念に立脚し、6 つの目標を採択した。表 4 にそれらを示した。 ダカール行動枠組みで提示された6つの目標の特徴として、次の 3 つが挙げられる。第 1 に、MDGs の教育目標で言及されていたのは、初等・中等教育の 2 つのみであったのに対 し、ダカール行動枠組みでは、就学以前の段階である乳幼児教育に言及している点である。 さらに、就学年齢児童だけでなく、青年や成人といった、あらゆる人々が自らの「教育を 受ける権利」を確保・行使できるような環境を作る必要性を訴えている。これらの特徴は、 教育はすべての人間の基本的権利であるという、世界教育フォーラムの理念をそのまま反 映したものと言える。 第 2 の特徴としては、 「2015 年」という明確な期限が設けられたことである。この 2015 年という期限は、奇しくも MDGs の達成期限と同年である。この 15 年という期間が設定 された根拠は特に説明されていないが、この偶然とも必然とも考えられる一致が、国際社 会の教育開発に対する意識を刺激したことも事実である。 第 3 の特徴は、MDGs が量的目標のみであったのに対し、ダカール行動枠組みでは、量・ 質の両方が述べられている点である。教育の質の改善については、90 年のジョムティエン 会議で採択された「行動のための枠組み」の目標332においても指摘されている。しかし、 ジョムティエン・ディケイドを振り返って、量に関する改善はいくらか見られたものの、 質の改善については思うように進んでいない現状から、量と質がトレードオフの関係であ ってはならないことを再確認する目的で言及されたものと考えられる。 初等教育の普及に関連するも目標としては、2 と 6 が挙げられるが、2 の「無償かつ義務」 の初等教育はインド憲法の規定するところであり、特に注意が払われるべきである。 目標 3:学習成績を向上させる(教育の質の改善) 。たとえば、一定の比率の者が必要と される学習水準に到達するようにする。 (斉藤 2001 p.304) 32 31 表 4 1 ダカール行動枠組み 最も恵まれない子どもたちに特に配慮した総合的な乳幼児のケアおよび教育(ECCE) の拡大および改善を図ること。 女子や困難な環境下にある子どもたち、少数民族出身の子どもたちに対し特別な配 2 慮を払いつつ、2015 年までにすべての子どもたちが、無償かつ義務で質の高い初等 教育へのアクセスを持ち、修学を完了できるようにすること。 3 すべての青年および成人の学習ニーズが、適切な学習プログラムおよび生活技能プ ログラムへの公平なアクセスを通じて、満たされるようにすること。 2015 年までに、成人(特に女性の)識字率の 50 パーセント改善を達成すること。 4 また、すべての成人が、基礎教育および継続教育に対する公正なアクセスを達成す ること。 2005 年までに、初等および中等教育における男女格差を解消すること。2015 年まで 5 に、教育における男女の平等を達成すること。この過程において、女子の質の良い 基礎教育への十分かつ平等なアクセスおよび学業達成について、特段の配慮を払う こと。 特に読み書き能力、計算能力および基本となる生活技能の面で、確認ができかつ測 6 定可能な成果の達成が可能となるよう、教育のすべての局面における質の改善並び に卓越性を確保すること。 (出所:EFA グローバルモニタリングレポート 2009 p.10 http://unesdoc.unesco.org/images/0017/001776/177609JPN.pdf#search='EFA (10/01/06 アクセス) ) 3.2. インドにおける インドにおける初等教育 における初等教育の 初等教育の現状 教育や開発について論じる際には、その対象段階や対象者の社会的階層、開発目標・理 念によって、様々に存在する指標(indicator)のうち、どれを、あるいはどの組み合わせ を用いるのかが非常に重要になる。本論文では、インドの教育を把握する指標として、次 の 3 つを用いる。 ⅰ就学率(総就学率・純就学率) ⅱ残存率33(Survival Rate) ⅲ識字率(Literacy Rate) 上記の指標に限定した理由は、これらの指標が量・質の両面を捉える指標であり、また MDGs・ダカール行動枠組みなどほとんどすべての国際的教育目標において採用されている 残存率:入学時の就学者数を 100%とし、対象とされる学年に順調に進学した就学者の 割合(江原 2001 p.19) 33 32 ためである。 3.2.1. 就学率( 就学率(総就学率・ 総就学率・純就学率) 純就学率) MDGs において、就学率の指標として用いられているのは純就学率である。しかし、イ ンド政府は「Census of India」34において総就学率は調査しているものの、純就学率に関す る統計調査は行っていない。そのため本論文では、総就学率も併せてその現状を把握する。 南アジア地域全体で見た場合、この地域は 2000 年以降、国際社会全体が初等教育就学率 の向上に成果を挙げる中で、男女平等の達成に向けて最大の進展を遂げた地域である(国 連開発計画 2009 p.17)。しかし一方で、学齢児童のうち未だ 7,500 万人が就学しておらず、 そのうち 4 分の 1 は南・西アジアに住んでいるという報告もある(UNESCO 2009 p.14)。 インド国内の状況に関しては、国・州の両レベルで就学率は向上している。「National Human Development India Country Report 2001」によると、1999-2000 の全インドにお ける初等教育段階(classⅠ-Ⅴ)の就学率は 94,9%に達する(Planning Commission 2002b p.54) )。インドは、このままのペースで改善が進めば、2015 年には就学率が 97%を超える 数少ない国の一つに入る(UNESCO 2009 p.14) 。2004-2005 におけるインド全体の純就学 率35は 81.90%であり、2003-2004 の 73.99%と比較しても、その発展の著しさは一目瞭然 である(Central Statistics Organization 他 2008 p.28) 。しかし、この純就学率を男女別 で見た場合、決して望ましいとは言えない結果が報告されている。1993 年のデータである が 、 男 子 の 純 就 学 率 36 が 64.0 % で あ る の に 対 し 、 女 子 は 50.4 % で あ る ( Planning Commission 2002b p.55) 。実際、初等教育段階において女子児童が占める男子児童に対す る割合は、10 年前に比べ改善されてきてはいるものの、2004-2005 の時点で 88%と、やは りジェンダー格差が残る(図 4 参照) 。初等・中等教育におけるジェンダー格差の解消は、 MDGs の目標3にも掲げられており、格差のさらなる縮小が求められる。 インドの国勢調査。10 年に一度のペースで実施される。前回の調査は 2001 年。人口や 言語、識字、宗教、労働、SC・ST など項目は多岐にわたる。 35 ここでは、 6~11 歳の児童のうち、ClassⅠ-Ⅴに就学している児童が占める割合を指す。 36 ここでは、 6~14 歳の児童のうち、ClassⅠ-Ⅷに就学している児童が占める割合を指す。 34 33 表 5 初等教育段階の就学現状 1992-1993 2000-2001 2004-2005 初等教育における総就学率 男子 95.0 104.9 110.7 女子 73.5 85.9 104.7 全体 84.6 95.7 107.8 59.3 71.0 5歳で第 1 学年に就学する児童の割合 男子 562.0 女子 53.3 全体 55.0 (出所:Central Statistics Organization 他(2008)p.29 を参考に筆者作成。) 図 3 初等教育における男女比率 初等教育における男子1人当たりの女子の人数 1 0.9 0.8 0.7 0.6 人 0.5 0.4 0.3 0.2 0.1 0 0.88 0.71 1990-1991 0.76 1996-1997 0.78 2000-2001 2004-2005 年 (出所:Central Statistics Organization 他(2008)p.38 を参考に筆者作成。) 3.2.2. 残存率( ) 残存率(Survival Rate) 「初等教育の普及」について論じる際、しばしばその就学率ばかりが注目される傾向が あるが、重要なのは、就学率かつ修了率の向上、つまり退学率を下げ、残存率を向上させ ることである。ここに、普遍的初等教育の達成の難しさがあると言える。 「Millennium Development Goals India Country Report 2007」によると、2005 年のイ ンド全体の classⅤまでの残存率は、67.15%であり、2004 年時点の 63.21%と比較しても、 若干の改善が見られた(Central Statistics Organization 他 2008 p.29) 。一方、残存率の 対の指標である退学率であるが、こちらも年々改善されてきている。Ministry of Human Resource Development(MHRD:人的資源開発省。以下、本論文では MHRD とする。 ) の統計によると、初等教育段階(classⅠ-Ⅴ)に在籍する児童の内、退学した生徒の割合は、 34 1960-1961 で 65%、1980-1981 で 58.7%、1999-2000 で約 40%と、コンスタントにその 数を減らしてきているのがわかる(Planning Commission 2002b p.56)。2004-2005 の退 学率の推定として、District Information System for Education(以下、本論文では DISE とする。)は、29.0%であると報告している(Central Statistics Organization 他 2008 p.29)。 こうした順調な残存率の向上と退学率の減少の背景には、インド政府の尽力があると言え る。1995-1996 の National Sample Survey Organization(NSSO:全国標本調査機構。以 下、本論文では NSSO とする。 )の調査によれば、5 歳~24 歳の就学人口のうち、21%が 初等学校(primary level)の修了前に、50%が上級初等学校(middle level)の到達前に、 そして4分の3以上が中等教育(secondary level)到達前に退学してしまい、就学した人 口の 9 割は就学を完了することができないという(Planning Commission 2002b p.56)。 また、 「India Vision 2020」には、 「退学率を徹底的に減少させるために何らかの策を講じ ない限り、2016 年までに、国内の 5 億人の人々は5年未満の就学に終わり、さらに 3 億人 の人々が高等学校を修了できないだろう。つまり、人口の約 3 分の 2 が、国内外で起こる 社会的変化に遅れをとり、またそれらを利用するのに必要な最低限の教育を欠いているの である」との予測がある(Planning Commission 2002a p.81)。さらに、残存率に関しても 就学率同様、格差問題が無視できない。上述の NSSO の調査は児童が属する社会的階層・ グループと退学率との関連性を指摘している。つまり、貧しい階層に属する子どもほど、 より早い教育段階で退学してしまい、逆に、子どもがより富裕層に属していれば、より長 く教育を受け続けられるのである。退学の理由の内訳として、3 分の 1 が本人あるいは親の 無関心、同じく 3 分の 1 が経済的理由、そして 4 分の 1 が学校の好ましくない雰囲気、就 学の効果にたいする疑い、勉強についていけないこと、であると報告している(Planning Commission 2002b p.56) 。第 11 次 5 ヵ年計画によると、イスラム教徒の子どもの約 10%、 ST の約 10%、SC の約 9%、その他の後進的階層の子どもの約 7%が学校外に置かれてお り、彼らの大部分がビハール(23.6%)、ウッタル・プラデシュ(22.2%)、西ベンガル(9%)、 マディア・プラデシュ(8%)、ラジャスタン(5.9%)の 5 つの州に集中していた(Planning Commission 2008 p.3)。 このような状況に危機感を抱いたインド政府は 2002 年、憲法 86 条の修正条項として、 新たに「21A. Right to Education」を加え、州政府は 6 歳から 14 歳のすべての子どもに対 する無償かつ義務の教育を法的に与えなければならないと決定した。従来の「州政府は 6 歳から 14 歳のすべての子どもに無償義務教育を保障しなければならない」という文言と比 べると、より直接的な表現になったことがわかる。教育をすべての子どもの基本的権利で あると宣言したことは、普遍的初等教育の達成に向けての大きな進展である。 35 表 6 退学率(Drop Out Rate) (%) 年 初等教育(Ⅰ-Ⅴ) 男子 女子 全体 2001-2002 43.7 47.1 45.2 2002-2003 35.9 33.7 34.9 2003-2004 33.7 28.6 31.5 2004-2005 31.8 25.4 29.0 (出所:Central Statistics Organization 他(2008)p.39 を参考に筆者作成。) 3.2.3. 識字率( ) 識字率(Literacy Rate) 識字率は、その国や地域において教育、特に初等・基礎がどれほど普及しているかを測 る指標として最も一般的に用いられる指標である。識字率の問題は、爆発的な人口増加に 悩むインドにとって、非常に難しい問題である。 「India Vision 2020」において、 「インド には約 3 億人の非識字成人が存在し、その数は世界最大である」との記述がある(Planning Commission 2002a p.80) 。28 の州と 7 つの直轄地域(Union Territories)37、22 の言語38 を抱えるインドにとって、国民の識字を向上させることは、歴史的な課題であった。 「Census of India」の定義によれば、いずれかの言語で理解を伴った読み・書きの両方 ができる人が、識字能力を保持しているとみなされる(Central Statistics Organization 他 2008 p.31)。その定義に則れば、インドにおける 15 歳以上の人口の識字率は、1991 年に は 48.5%であったが、2001 年には 61.9%と飛躍的な伸びを見せている。過去 50 年におい て、年 2%近い人口増加があったことを考えれば、この識字率の伸びがいかに大きな進歩で あるかが伺える(Central Statistics Organization 他 2008 p.32) 。 しかし、識字率に限らず、就学率や残存率にも共通して言えることだが、その進展の度 合いは州・ジェンダー・社会的階層によって一様ではない。 「Census of India」の結果によ れば、 2001 年のインド全体の識字率は 64.84 であるが、 男子の 75.26%に対し女子は 53.67% 37インドは連邦制度を採用しており、28 の州と7つの直轄地で構成される。 州:アッサム、アルナーチャル・プラデシュ、アンドラ・プラデシュ、ウッタラー・カ ンド、ウッタル・プラデシュ、オリッサ、カルナータカ、グジャラート、ケラーラ、ゴア、 シッキム、ジャールカンド、ジャム・カシミール、タミル・ナドゥ、チャッティー・スガ ル、トリプラ、ナガラント、西ベンガル、ハリヤーナー、パンジャーブ、ビハール、ヒマ ーチャル・プラデシュ、マディア・プラデシュ、マニプル、マハーラシュトラ、ミゾラム、 メーガーラヤ、ラジャスタン 直轄地域:アンダマン・ニコバル諸島、チャンディーガル、ダードラー及びナガルハー ヴェーリ、ダマン・ディーウ、ラクシャデイープ、デリー首都圏、ポンディシェリ 38 ここでの 22 の言語とは、2003 年の第 92 次憲法改正で規定された指定言語を指す。イン ドは複雑な多言語国家であり、ここで指定されている 22 の言語の他に、英語、他の州公用 語、マイノリティ言語などが存在する(榎木薗 2008)。詳細は町田(2007)p.59 を参照。 36 と、実に 21.59%もの差がある(図 4・表 7 参照) 。ジェンダー格差は少しずつ改善されて はきているものの、依然として女子の識字率は男子のそれに及ばない状況が続いている。 さらに、女子の間にも格差が存在することを見落としてはならない。2001 年の時点で、ケ ラーラ州の女子の識字率は 87.72%と優秀な数字を記録したが、他方ビハール州での女子の 識字率は 33.12%だった(Central Statistics Organization 他(2008)p.38)。54.6%の格 差は決して看過できない問題である。さらに、「National Human Development India Country Report 2001」によると、19991 年のインド全体の識字率が 52.2.%であったのに 対し、Scheduled Castes(SC:指定カースト。以下、本論文では SC とする。)39の識字率 は 37.4%、さらに Scheduled Tribes(ST:指定トライブ。以下、本論文では ST とする。 ) 40の識字率は 29.6%であった(Planning Commission 2002b p.52) 。これらの社会的低階層 の識字率を女子に限ってみると、1991 年の SC の女子の識字率は、たとえばビハール州で は 10%未満、ST の女子のそれはラジャスタン州では 5%未満であった(Planning Commission 2002b p.52) 。社会的弱者がいかに社会の開発・進展から取り残されてきたの かが浮き彫りになった数字である。 しかし、このような状況に対してインド政府は何も策を講じなかったわけではない。政 府は国民の低識字率問題に対処するため、数々の識字プログラムを行ってきた。最も代表 的なのは、1988 年に開始された National Literacy Mission(NLM:全国識字ミッション。 以下、本論文では NLM とする。)である。NLM は、非正規教育という点で、NFE の1つ として考えられ、15 歳から 35 歳の国民に「機能的識字、すなわち、読み書き算の能力、開 発への参加、社会的・経済的な生活の向上、国家統合、環境保全、女性の自立、小家族と いった価値観を獲得させること」を主な目標としていたが(末永 2002 p.101)、その後も 対象や目的を変えながら、いくつもの国家的識字獲得プログラムが実施された。これらの プログラムに関しては、識字の定義や基準、少数民族の母語などといった問題が指摘され ている41が、政府主導のプログラムのインド全体の識字率の向上への寄与は大きいと言える。 カーストの最下層に位置づけられる被差別層を指す行政用語。かつて「不可触民」と呼 ばれていた人々の多くがここに含まれる。1991 年の時点で、インド総人口の 16.5%を占め ている(辛島他 1992 p.316-317)。 40指定カースト同様、インド憲法によって指定された部族諸コミュニティの総称。一般的に は独自の文化や言語を保持していたり、山岳地などの遠隔地域に居住していたりすること が指定の基準とされている。1991 年の時点で、インド総人口の 8.1%を占める(辛島他 1992 p.317-318)。 41 インドにおける識字獲得運動の展開・問題については、末永(2002)に詳しい。 39 37 図 4 ジェンダー別識字率の推移 ジェンダー別 識字率 80 60 % 40 女子 男子 全体 20 0 1981 1991 2001 年 (出所:Planning Commission(2002b)p.52 を参考に筆者作成。 ) 表 7 年 全体 識字率 男性 女性 ジェンダー差 1991 52.21 64.13 39.29 24.84 2001 64.84 75.26 53.67 21.59 (出所:Central Statistics Organization 他(2008)p.38 を参考に筆者作成。) 3.3. インドの インドの初等教育の 初等教育の普及における 普及における問題点 における問題点 以上、就学率、残存率、識字率という3つの指標を軸にインド国内の教育現状を分析し てきたが、ここから指摘できる問題点として、ⅰ格差、ⅱ予算・財政、ⅲ教育の質の3点 が挙げられる。これら 3 つの問題について以下に簡単に述べていく。 3.3.1. 格差 まず格差の問題であるが、3.1.にあるように、インド国内の教育格差といった場合、ジェ ンダー格差や都市と農村の地域格差、州間の格差、さらには、貧富格差(収入格差)が教 育格差につながっていることも指摘できる。そのため、インドはしばしば国全体の急速な 発展の影にある国内格差の問題が指摘されているが、その格差を生む要因は様々で、効果 的な解決策が未だ施されていないのが現状である。広大な国土、多様な民族・言語・宗教 などがこれらの格差を解消するための障害の一つになっているのも事実である。ある程度 の量的な開発、発展が進むにつれて問題になるのが「Last5-10%」に該当する人々である。 38 これらの人々は、インドの場合は SC や ST、都市から遠く離れた遠隔地に住む人々、スラ ム地区の住人、少数言語母語話者、そして女性もこのグループに含まれる。インドの教育 開発は、就学率や一部の州の識字率などはこの「Last5-10%」の域にまで達している。し かし、上述した格差の解消が進まない限り、 「Last5-10%」の人々に教育を行き届かせるこ とは困難であり、EFA の達成は程遠いと言える。 インドの格差と関連する問題に、障害を持つ子どもの就学率の低さが指摘できる。一般 に、教育の完全普及が達成されていない途上国などでは、障害の有無がそのまま就学率格 差につながるという現状がる。つまり、障害を持つ子どもは教育から排除されやすい傾向 にある。 「EFA グローバルモニタリングレポート 2009」によれば、6 歳から 11 歳までの障 害のある子どもと障害のない子どもの就学率の差は、インドネシアでは約 60%にも昇ると いう(UNESCO 2009 p.16)。対して、インドでは約 10%と、比較的その格差は小さいと 言える。しかし、就学率格差が小さいことと、障害を持つ子どもの教育ニーズを満たし、 修了させることとは別である。インドには、1995 年インド障害者法という優れた法律があ るが、森(2006)によれば、この法律は「中央・地方政府に障害者が生産的な市民として 参加できるようサービス、ファシリティ、平等な機会を提供することを求めたもの」であ る(森 2006 p.20)。具体的には、すべての障害児に 18 歳までの無償教育を保障している。 しかし、インド国内での障害者のエンパワーメント運動は近年になってようやく動き出し たに過ぎず、実際にはこの法律は未だ実施されていない。インド政府は法整備を含め、国 を挙げてさらなる対策を講じる必要がある。 図 5 農村と都市における識字率 地域別 識字率 100 % 80 60 農村 都市 40 20 0 1981 1991 2001 年 (出所:Planning Commission(2002b)p.51 を参考に筆者作成。 ) 39 図 6 州別の初等教育段階での残存率(2008) 州別残存率(%) ブ ー ャ タ シ ン ウ ッ ッ キ タ ム ト ル リ ・ ウ ダ プ プ ッ ー ラ ラ タ ド ラ デシ ラ ー 及 ・ ュ び チ カ ナ ャ ン ガ ン ル 西 ド デ ベ ・ ィ ハ ン ガ ヴ ガ ー ェ ル ル ダ ーリ ( マ ー UT ラ ン ( ) ク ・ シ デ U T) ャ ィ デ ー ィ ヴ ー (U ブ T) 諸 島 (U T) ィ デ マ ャ ジ ラ パ ン ジ ス サ リ ッ ェ リ シ オ ポ ン デ ィ ム ド ラ ン ラ ガ ミ ゾ ラ ー ガ ー ナ ル ヤ ラ ー ト プ ス ニ メ ラ マ カ ュ シ デ ラ ハ プ ・ ヤ マ ド タ ン ー カ ナ ル カ ー ル ー ル ナ ー ー ミ シ カ ャ ・ ジ ー ト ー ヤ リ ハ ム ャ ジ チ ャ ッ グ ジ ャ ス ー ィ テ ラ ガ ル デ リ ル サ ー ッ ハ ビ ア ュ シ デ ラ プ ・ ル ャ チ ア ル ナ ー ア ン ド ラ ・ プ ラ デ シ ュ ム 120 100 80 60 40 20 0 (出所:DISE(2009)State Report Cards 2007-2008 http://www.dise.in/Downloads/Publication%202007-08/src0708/SRC%202007-08.pdf (10/01/06 アクセス)を参考に筆者作成。) 3.3.2. 教育予算 次に、教育予算の問題である。2006 年の GNP に対する公教育費の比率を見ると、イン ドを含む南・西アジア地域は 3.3%であった。サハラ以南アフリカ地域の比率が 4.4%であ ることを鑑みれば、いかに南・西アジアの教育支出が低いかがわかる。 「India Vision2020」 も南アフリカの対 GDP 教育支出割合が 7.9%であることを引き合いに出し、インドもその 割合を 2 倍近くまで増加させる必要性を提言している(Planning Commission 2002a p.85-86)。また南・西アジア地域には 5 歳~25 歳の世界人口の 4 分の 1 が居住しているに もかかわらず、その政府の教育支出は世界の 7%でしかないという報告もある(UNESCO 2009 p.26) 。 しかし近年、インド政府が教育、特に MDGs・EFA を意識した初等教育の完全普及に力 を入れているのも事実である。政府予算の初等教育費が占める割合の推移を見ると、 2003-2004 では 570 億 5,000 万ルピーであったのが、2004-2005 では 890 億 8,000 万ルピ ー、2005-2006 には 1220 億 4,000 万ルピーと、確実にその額を増やしてきている。また、 前章で分析した通り、5 ヵ年計画においても教育に割り当てられる予算は増加してきており、 保健と教育を最優先課題とする第 11 次 5 ヵ年計画では教育予算が全体の 5 分の 1 を占めて いる。ただし、より重要なのは教育予算の増加ではなく、増加した予算を適正なガバナン スのもとで適正に分配することである。国連開発計画(2003)によると、 「インドでは、直 接教育支出の 3 分の 1 近くが私立学校の支援に使われている。しかし、初等学校の就学年 40 齢でありながら、学校に行っていない世界の児童の 3 分の 1 以上はインドにいる」状況が ある(国連開発計画 2003 p.144)。インド政府は開発や援助における強いオーナーシップが、 インドにおける開発成功の要因としてしばしば評価されるが、その反面、国内では政府に よる汚職や不正が問題視されている。必ずしも十分とは言えない予算で効果的な援助・開 発を継続していくためには、政府の透明化と公正化が必要である。 3.3.3. 教育の 教育の質 最後に、教育の質に関する問題である。 「教育の質」は「教育の量」に対比して用いられ る概念で、 「教育の目標、教育課程、指導方法、学業成績、学校経営等、教育の質の向上に 結びつく領域」である(浜野 2005 p.89-90)。さらに、教育の質は、インプット・アウトプ ットの両側面から捉えることができるが、本論文では、インプットに焦点を当て、「India Vision 2020」で指摘されている教師対生徒比率(Teacher Pupil/Student Ratio:TPR/TSR。 以下本論文では TPR とする。 )42を中心に論じていく。「EFA グローバルレポート 2009」 によると、EFA を達成するには世界規模で 1,800 万人の教員が必要であると報告されてい る(UNESCO 2009 p.22)。インドの TPR を見ると、1982-1983 の時点では 1:40 であっ たのに対し、1997-1998 では 1:42 と、改善するどころかむしろより悪化している(Planning Commission 2002a p.82) 。インドの爆発的な人口増加に教師の数が追いついていないため である。「India Vision 2020」では、理想的な TPR を 1:20 としているが(Planning Commission 2002a p.82) 、これは単純に計算しても教師の数を2倍にするということであ る。しかし、教師の問題は絶対的な数の不足だけではなく、その質が問われているという ことが重要である。同報告書によると、2006 年の全教員のうち、訓練を受けた教師が占め る割合は南・西アジア地域が 68%で、世界で最も低いことが指摘されている(UNESCO 2009 p.22) 。特にインドは、遠隔地の子どもに教育を提供するために多くの契約教員を採用 しているが、彼らに対する訓練は地域によって異なり、必ずしも十分な訓練を受けている とは言えない状況である。EFA の達成には、教育の質の向上と平等が不可欠であるが、現 在のインドの教育がこのような訓練を十分に受けていない教師・無資格教師によって支え られていることを鑑みると、インドの教員問題がいかに危機的な状況におかれているかが わかる。 以上、インドの初等教育の課題を格差、予算、教育の質の3点に絞って論じてきたが、 もちろん他にもスラムの教育、少数言語話者の教授言語、労働に従事している子どものた めの教育など、インドの教育問題は様々な視点から論じることができる。しかし、これら の問題は、決して個別のものではなく、それぞれが相関し合っているため、包括的に捉え ることが求められる。それゆえ問題の解決には、政府が公教育だけでなく、ECCE や成人 一人の教師が何人の生徒を担当しているかを示す指標である。多くの途上国ではこの比 率が高い傾向にあり、適正な比率を維持することが教育の質の向上につながると考えられ る。 42 41 識字教育、NFE にも予算を割き、さらには保健や公衆衛生、児童労働といった教育に影響 を与える分野と連携していくことが必要である。インドには、Department of Women and Children(女性子ども開発局)と呼ばれる政府機関が存在し、保護や健康、発達、教育と いった女性や子どもに関わる横断的な開発を行うことを目的としている。ただ、女性子ど も開発局の取り組みは成功しているとは言えないのが現状で、今後も継続して問題に対処 することが求められている。 また、現在インドは Information Communication Technology(ICT:情報コミュニケー ション技術。以下、本論文では ICT とする。 )を利用し、遠隔地の子どもへの教育や、教師 の研修を行っている。インドは世界で始めて、教育目的に特化した衛生(EDUSAT)の打 ち上げに成功し、ノンフォーマル教育にもこれを応用している。情報テクノロジー分野に おけるインドの発展は目覚しく、今後さらにこうした成長分野の知識・技術を教育開発に 応用していくことが期待される。 42 第 4 章 インド初等教育 インド初等教育の 初等教育の普及への 普及への Non Formal Education の展望 ここまで第 2 章、第 3 章で論じたように、インドは初等教育の完全普及の達成に向けて 様々な政策やグログラムを打ち出し、少しずつ、しかし確実にゴールに近づいてきている。 ただ、初等教育の完全普及を達成するには、複雑ないくつもの問題を解決しなくてはなら ず、決して平坦な道のりではない。そのような状況の中で、その可能性に期待が集まって いるのが Non Formal Education(NFE:ノンフォーマル教育、非正規教育。以下、本論 文では NFE とする。)である。多くの教育発展途上国で、NGO やボランティア団体によっ て行われているが、インドでは NFE が Formal Education(FE:フォーマル教育、正規教 育、公教育。以下、本論文では FE とする。)の対を成すシステムとして制度化されている のが特徴である。本論文はこの NFE に注目し、インドという文脈の中で NFE を捉えてい く。 本章ではまず、インドにおいて NFE がどのような背景の中生まれ、発展してきたのかを 政策分析により明らかにする。次に、その NFE がどのようにインド国内で実施されている のかを把握するため、現地 NGO の活動を事例とし、その特徴や成果を明らかにする。さら に、これら NFE の活動が初等教育の完全普及に果たす役割と問題点について指摘する。 4.1. インドにおける インドにおける Non Formal Education 発展の 発展の歴史 本節ではまず、どのような経緯からインドで NFE が生まれ、発展してきたのかを政策的 に分析する。その上で、現在のインドにおける NFE の現状を把握していく。分析対象とす る政策は、5 ヵ年計画、国家教育政策決議を中心とし、必要に応じてその他の資料を用いる。 インドにおける NFE の歴史は、その特徴から、1970 年代半ばから 2000 年までと、2000 年以降の 2 期に区分することができる。本論文では、前期を「NFE Programme」期、後期 を 「 Education Guarantee Scheme and Alternative and Innovative Education (EGS&AIE:教育保障計画および代替的・革新的教育。以下、本論文では EGS&AIE と する。 ) 」期とし、NFE 発展の背景を見ていく。 4.1.1. Non Formal Education の歴史( ~2000 年):NFE Programme 歴史(1970s~ インドの教育政策において、NFE の概念が初めて登場したのは第 5 次 5 ヵ年計画である。 第 5 次 5 ヵ年計画では、定時制や定年退職教師による地域での授業などが提示されており (弘中 1983 p.6) 、これらは NFE の特徴の一部とみなすことができる。しかし、NFE が 政府による政策(Centrally Sponsored Scheme:CSS)として本格的に稼動し始めたのは 1978 年であり、すでに実施されていた第 5 次 5 ヵ年計画には反映されなかった。それゆえ 43 NFE は第 6 次 5 ヵ年計画から導入されたというのが政府の認識である(Planning Evaluation Organization 1998 p.1)。 1978 年に、NFE はフォーマルな初等教育のオルタナティブ(代替)として、National Council of Education Research and Training(以下、本論文では NCERT とする。)によ って、 教育開発が遅れていた 9 つの州43で実験的に開始された。NFE プログラムは、「貧 困や親の非識字やその他の社会文化的要因によりフォーマルな教育に就学できない子ども の教育ニーズを満たすこと」が目的であり、 「20~25 人(山岳地域や砂漠地域では 10 人) の学習者を支援する NFE センターを開校することが主な狙い」であった(Planning Evaluation Organization 1998 p.1)。 NFE センターの特徴をまとめると表 6 のようになる。 これ以降、インドでは FE と並行して NFE が制度化されていくこととなる。 表 8 対象者 NFE センターの特徴 FE システムの周縁に置かれている子ども(drop-out、 stay-out、 pull-out、 push-out children) 規模 20 名の学習者とインストラクター数名(山岳地域や砂漠地域では学習者 10 名) 場所 屋外、センター内、校舎の一室 カリキュラム 費用 1 期 6 ヶ月の 4 期制。計 2 年で初等教育相当のカリキュラムを修了 教材はすべて無料配布 (出所:Planning Evaluation Organization (1998) p.1、Department of Education (1996) p.70、中嶋・中島(2008)p.54 を参考に筆者作成。 ) 1980 年から開始された第 6 次 5 ヵ年計画44では、21 章(教育)の序文で「教育計画の長 期目標は、フォーマルとノンフォーマルの学習形態と結びつけ、教育の多様な施設やネッ トワークを利用可能にすることである」と述べられている。さらに、 「複数のモデルと多様 なパターンを統合し、あらゆるレベルで NFE を促進することが重要である」ともある。こ の時点では NFE プログラムはまだ一部の州でしか行われていなかったため、これらのプロ グラムを発展、拡大させることが必要であるとの見解を示している。第 6 次 5 ヵ年計画は、 この計画中に約 800 万人の子どもを NFE に取り込むことを目標としていた。 続く第 7 次 5 ヵ年計画45は、さらに NFE プログラムを重視した計画となった。第 7 次 5 アンドラ・プラデシュ、アッサム、ビハール、ジャム・カシミール、マディア・プラデ シュ、オリッサ、ラジャスタン、ウッタル・プラデシュ、西ベンガルの 9 州である。 44 本段落の第 6 次 5 ヵ年計画に関する参考・引用部分は次を参照した。 Planning Commission(Government of India) 「Sixth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 45 本段落の第 7 次 5 ヵ年計画に関する参考部分は次を参照した。 Planning Commission(Government of India) 「Seventh Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 43 44 ヵ年計画は NFE が初等教育の普遍化のための重要なプログラムであるとの認識を示してい る。FE に就学していないあるいはその意思がない子どもを教育システムに取り込む NFE の有効性を認識した上で、ターゲットとなるグループ(女子や農村地域の子ども、少数民 族、など教育後進層)の様々なニーズに適した NFE を、より速いペースで拡大していく必 要性を述べている。さらに、第 7 次 5 ヵ年計画では NFE の FE への編入制度に関しても言 及しているのが特徴である。 この時期において注目すべきもう一つの点に、1986 年の「国家教育政策決議」がある。 この決議では、初等教育の普及という観点から、NFE について個別に取り上げて言及して いる。それによると、近代的な技術援助や地域コミュニティからの有能なインストラクタ ーの推奨など、 「NFE の質が FE と匹敵することを確実にするために、すべての必要な手段 が講じなければならない」と述べている(Department of Education 1998 p.14) 。以上のよ うな内容から、この 1986 年の「国家教育政策」決議がインドにおける NFE 政策および NFE プログラムを勢いづけたことは言うまでもない。 1992 年には、この決議のための Programme of Action(POA:行動計画。以下、本論文 では POA とする。)が発表された。NFE プログラム強化のための戦略として、よりミクロ な計画に基づいた NFE センターの設立、様々なターゲットを対象とした多様なモデルの採 用、NFE と FE との連携、NFE インストラクターの十分な訓練の必要性などが提示されて いる。 この 1986 年の決議および 1992 年の POA を反映しているのが第 8 次 5 ヵ年計画である。 第 6 次 5 ヵ年計画から着手された NFE プログラムが、第 8 次 5 ヵ年計画でようやく確固た るものとなった。第 8 次 5 ヵ年計画は、NFE を FE の補完システムとして大々的に発展さ せる姿勢を見せた。第 8 次 5 ヵ年計画における NFE の目標はいくつかあるが、インストラ クターの訓練の強化やインストラクター教育教材の改良による質の向上、女性インストラ クターの増加、NFE の拡大と継続、ボランティア団体の積極的参加の促進などが挙げられ る(Department of Education 1996 p.71-72) 。さらに同計画では、NFE は州政府あるいは 一部に関してはボランティア団体の責任であると明記した上で、財政および運営の地方分 権化を進めようとしていた(Department of Education 1996 p.76)。 これまで NCERT や MHRD により施行されていた NFE であるが、第 8 次 5 ヵ年計画実 施期間中の 1995 年に NFE の管轄が再組織され、教育省内で担当されることとなった。さ らに同年、NCERT において NFE を評価・検討するための国家規模のワークショップが開 催され、加えて州レベルでも同様のワークショップが開かれた。それらのワークショップ で出された提言の一部を次に示す。 ・NFE は初等教育の普遍化を達成するための長期的介入であるとみなされるべきでる。 ・NFE のより良いアドボカシーと意識のために努力がなされるべきである。 45 ・NFE の効率的な伝達のために州レベルでの自治体を作るべきである。 ・インストラクターおよび管理者の報酬を実質的に増加させるべきある。 ・NFE センターでは最低 2 人のインストラクターを確保すべきで、さらにうち 1 人は 女性にすべきである。 ・最低限の学習レベルを達成するために、コースを 2 年から 5 年に延長すべきである。 ・授業時間を 1 日 2 時間から 3 時間に延長するべきである。 ・NFE 学習者も MDMS のようなインセンティブを利用可能にすべきである。 ・NFE センターへの資金提供を FE と同程度まで増加させるべきである。 (Department of Education 1996 p.78-79 より一部抜粋、筆者訳。 ) このような具体的提言を受け、 1997 年開始の第 9 次 5 ヵ年計画46では、州政府よりも NGO によって運営されているセンターのほうが良好な結果が出ているとして、原則 NFE センタ ーは NGO により運営され、NGO が設立不可能な場所には州政府が対応するかたちをとる ことを推奨している。第 9 次 5 ヵ年計画は既存の NFE プログラムの拡大に力を入れている が、特徴的なのは女子や労働に従事している子ども、少数民族の子ども、マイノリティや スラム地域、路上で生活している子どもなど、地域や学習者に特化したプログラムを発展 させようとしていること、およびワークブックやワークシートといった自学自習用教材の 開発に取り組んでいることである。1990 年代は国際社会においても NFE の費用対効果の 有効性が認識された時期であり、インドにおいても多くの NGO が NFE プログラムを始め た頃であった。 1998 年の「Evaluation Study on Impact of Non-Formal Education」によると、その時 点では、24 万 1,400 の NFE センターが 16 の州と直轄地域において開設されていた。また、 ボランティア団体による NFE センターは 4 万 8,800 棟で、その活動団体は 740 にも昇った。 州が運営するセンターの数だけでも、1986 年の 12 万 6,000 から 1996 年の 24 万 1,000 へ と増加していた。さらに、これらの NFE センターは FE の学校が近くにない地域や識字率 の低い地域に集中しており、NFE の有効性が十分に活かされていると考えられる。 しかし、実際はほとんどの NFE センターが資金不足に喘いでおり、十分な教材や備品が 利用できない状況であった。また、センターのモニタリングシステムが十分に機能してお らず、調査対象の 70%以上のセンターが月に 10 日以上も閉校していたと報告している (Planning Evaluation Organization 1998 p.2-4) 。初等教育の完全普及のための最も有効 な手段であると認識されていた NFE であるが、そのほころびが徐々に露呈し始めていた。 このような問題に対処すべく、2000 年から新たに EGS&AIE が開始されることとなった。 本段落の第 9 次 5 ヵ年計画に関する参考部分は次を参照した。 Planning Commission(Government of India) 「Ninth Five Year Plan」 http://planningcommission.nic.in/plans/planrel/fiveyr/welcome.html(10/01/06 アクセス) 46 46 4.1.2. Non Formal Education の歴史( 歴史(2000 年~):EGS&AIE : NFE センターやオープンスクールなど、これまで個別に実施されてきたオルタナティブ 教育が、2000 年から開始された EGS&AIE により、包括的プログラムへと改新された。こ れまで使われてきた「Non Formal Education」の言葉が、第 11 次 5 ヵ年計画では全く使 用されていないことからも、NFE 政策の EGS&AIE への一新が伺える。現在 EGS&AIE プログラムは、SSA の補完プログラムとして位置づけられている。 EGS&AIE は、コミュニティによる教育への参加や予算の乏しさ、インストラクターの 訓練に関する従来の NFE の問題を克服すること、および「国家教育政策決議」で示された NFE 戦略の強化を第 1 の目的としている。EGS&AIE の対象となるのは、憲法により無償 義務教育が保障されている 6 歳から 14 歳であるが、障害者に関しては、1995 年インド障 害者法に則り、18 歳までが対象となっている。教育システムの周縁に置かれた子どもたち をシステム内に取り込むためにとられてきた従来の方法とは異なり、EGS&AIE は最初の ステップとして、FE あるいは普通学級への就学の可能性を見出し、それを最大限実現する ための支援が行われる。それでも就学が困難な場合に、NFE が活用されることになる。こ れが、NFE プログラムと EGS&AIE の最大の違いである。 教育省によると、EGS&AIE で対象となる非就学の子どもは、通学可能圏内に学校がな い子ども、労働に従事している子ども、性的搾取を受けている女子、マイノリティグルー プの女子、家事や幼い兄弟の世話をしている女子、家畜の世話をしている子ども、障害を 持つ子どもなど、様々である。EGS&AIE は、かれらの多様なニーズに応じるため、いく つものストラテジーを行っている。学校から遠く離れた地域に暮らす子どものためには、 新たに作られる EGS スクールは半径 1km 以内に学校がない地域に建設されることが望ま しいとされている。FE への編入を見据えたコース(bridge course)、学校に復帰すること を目的としたキャンプ(back-to-school camp) 、サマーキャンプ(summer camp)に加え、 放牧民族の子どものための季節限定宿泊所(seasonal hostel) 、マドラサのような宗教学校 への移動可能な教師(mobile teachers)の加配や補習指導(remedial coaching)などが行 われている。さらに、ストリートチルドレンや性的労働に従事している女子といった特別 な配慮が必要な場合はカウンセリングが行われ、メンタル面のサポートも行われている47。 第 11 次 5 ヵ年計画によると、第 10 次 5 ヵ年計画の期間中に、3 万 2,200 の EGS スクー ルと AIE センターが開校され、110 万 3,000 人の子どもが就学した(Planning Commission 2008 p.5) 。 教育省の報告では、現在 25 の州と直轄地域で州政府および 826 の NGO によって NFE が実施され、58,000 の小学校と 1,000 の中学校が NGO によって運営されている。さらに、 41 の試験的・革新的教育プロジェクトが NGO により行われ、この NFE により教育を受け Government of India, Ministry of Human Resource Development, Department of Higher Education:Handbook for Education Guarantee Scheme and Alternative and Innovative Education http://www.education.nic.in/edu_guarantee.asp(10/01/06 アクセス) 47 47 ている子どもは 740 万人に昇る48。 しかし、EGS&AIE プログラムに関しては、特に都市部での運営範囲や施設に関する詳 細な調査が未だ行われておらず、今後、さらなる調査が行われることが期待される。 4.2. Non Formal Education の事例 以上、インドにおける NFE の発展の経緯およびその現状を概観してきた。本節ではそれ らを踏まえた上で、実際にはどのような NFE の取り組みが行われているのかを、3 つの NGO の活動を事例に検証していく。政府による NFE(GES&AIE)ではなく、NGO によ る NFE を本論文での分析対象とした理由として、GES&AIE は開始されて日が浅く、十分 な調査が行われていないこと、実験的・革新的 NFE プログラムのほとんどが NGO により 行われていること、政府もまた州政府による NFE センターよりも NGO によるセンターの 方が効果をあげていると認めていることの 3 つがある。 以下、実際の取り組みを検証していく前に、インドの NGO を取り巻く状況について簡単 に述べておく。 4.2.1. インドにおける インドにおける NGO の現状 インドは「NGO 大国」と呼ばれるほど、国内では実に数多くの NGO が活動している。 その活動の分野や規模、活動理念も様々である。インドで「NGO」と言った場合、日本で いう一般的な「NGO」とは若干異なり、非営利団体全般を指す場合が多い。NGO は保健指 導やストリートチルドレンの保護、災害時の救援など様々な分野にわたり活動しているが、 斉藤(1997)によると、インドの NGO の活動分野は、大きく分けて「①緊急救援や社会 福祉活動 ②民衆の社会的・経済的地位の向上をめざす、いわゆる開発 ③政策の変更や 構造の変革を求める民衆参加の社会運動」の 3 つに分類することができる(斉藤 1997 p.24)。 インドではこうした活動を NGO が行う場合、政府や州へ登録49を済ませる必要があるが、 登録 NGO の活動実態の調査は行われておらず、また未登録で活動している団体も存在する ことから、NGO の正確な数を把握することは困難である。 また、近年では教育分野に限らず、政府が開発における NGO とのパートナーシップを重 視していること、およびインド経済の自由化により国際規模の NGO がインドへ参入してい ることから、これからますますその数は増え続けると予測できる。 Government of India, Ministry of Human Resource Development, Department of Higher Education:Handbook for Education Guarantee Scheme and Alternative and Innovative Education http://www.education.nic.in/edu_guarantee.asp(10/01/06 アクセス) 49 次の 5 つの法令がある。協会登録法(Societies Registration Act, 1960) 、インド信託法 (Indian Trust Act, 1882)、会社法(Company Act, 1956)、慈善及び宗教法(Charitable and Religious Act, 1920) 、共同組合法(Cooperative Societies Act, 1926)(斉藤 1997 p.25) 48 48 日本の NGO や NPO 団体もインドでの援助・活動を行っているが、その多くが現地で活 動する NGO への資金・物資援助であり、直接的な活動を行っている団体は少ない。 これらを踏まえ、本論文はインドで活動する NGO のうち、現地で直接活動を行っている 団体に限定し、実際にはどのような NFE が行われているのか、具体的な活動事例を検証し ていく。 4.2.2. NGO の活動( )Salaam Baalak Trust50 活動(1) Salaam Baalak Trust(以下、本論文では SBT とする。)は、1988 年にニューデリー駅 構内に設立された、全国で初めてストリートチルドレンを対象にした NGO である。この NGO の設立者は、ムンバイのストリートチルドレンを題材に映画を撮影した 1 人の映画監 督である。インドには、ストリートチルドレンを対象とする NGO は他にいくつかあるが、 SBT の場合、その理念はストリートチルドレンの社会復帰であり、児童労働は認めていな い。これが SBT の大きな特徴である。 SBT は、4 つのシェルターホーム、7 つのコンタクトポイントと呼ばれる施設、4 つの可 動式教室、そして ストリートチルドレンのためのホットラインを設けている。シェルター やコンタクトポイントでは、24 時間体制がとられ、子どもたちのケアが行われている。路 上で生活している子どもたちに、路上生活の危険性を理解させ、家庭の雰囲気を感じさせ ることがシェルターやコンタクトポイントの第 1 の目的である。活動の内容は教育や医療 で、針塚(2007)によれば、コンタクトポイントでは、歯磨きや入浴、体調の悪い子ども には医師による診察、その他レクリエーションや簡単な読み書き・計算の授業が行われて いる(針塚 2007 p.4-5) 。 SBT のもう一つの特徴と言えるのが、SBT で行われる教育は FE への編入を念頭に置い た教育支援であるということである。子どもに教育を受けたいという意思が確認できた場 合、SBT は子どもたちを AIE の施設へ送り、そこで FE へ編入するための教育支援を行う。 SBT は、実施しているほとんどのプログラムがインド政府や国際機関の援助を受けている。 政府と共同で実施しているのは、14 歳以上の人のための通信教育制度である National Institute of Open Schooling(以下、本論文では NIOS とする。)である。AIE で教育を受 けたものの、FE へ編入できなかった場合は NIOS が利用されている。HIV/AIDS の予防教 育 も SBT で 実 施 さ れ て い る が 、 こ れ は United States Agency for International Development (USAID:アメリカ国際開発庁) の資金援助を受けて活動している国際 NGO、 Family Health International(FHI)と共同で行われている。 現在、SBT では女子専用の施設なども設置され、233 名が FE への編入のための教育を、 252 名が NFE を、68 名が NIOS を受けている。SBT は他にも、サッカーや水泳、チェス といった娯楽グループを併設しており、たくさんの子どもたちが参加している。 Salaam Baalak Trust の情報に関しては次を参考にした。 http://www.salaambaalaktrust.com/(10/01/06 アクセス) 50 49 SBT は、その活動規模の大きさを活かした活動を行っている。しかし、その活動は決し て粗雑なものではなく、子ども 1 人ひとりのニーズに基づいた直接的支援を行っている。 ただ、SBT のように潤沢な予算を手に入れることができる NGO は少なく、SBT での成功 を他の NGO で実践することは極めて困難であると考えられる。 4.2.3. NGO の活動( )Deepalaya51 活動(2) Deepalaya は 1979 年に設立された教育支援の NGO で、現在首都ニューデリーで活動し ている NGO の中で最大の NGO である。当初は 5 人の子どもと 2 人の教師による、就学前 教育の支援から始まった。都市のスラムが主な対象地域であるが、活動地域は年々拡大し てきている。 Deepalaya は 子 ど も に 「 自 信 を 持 た せ る 、 自 立 を 可 能 に す る こ と ( Enabling Self-Reliance)」を活動理念にしているが、特徴的なのは、子どもの教育支援、教育改革を 親やコミュニティ全体の活動として行うことである。 Deepalaya の活動は、FE や NFE だけでなく、住居のない子どもへの宿泊施設の提供、 職業訓練、保健教育、障害児のための教育、ジェンダー格差への取り組みなど実に様々で ある。これらの活動に共通して言えるのは、Deepalaya が政府と協同でプログラムを実施 している点である。Deepalaya は各分野における政府機関あるいは準政府機関と提携し、 活動している。それゆえ、定期的にモニタリング調査が行われ、成果の乏しい点や重点的 に支援が必要な点など、NGO 内のプログラム決定の際に活用されている。Deepalaya ほど 詳細なモニタリング調査は、NGO では珍しく、政府とのパートナーシップが貢献するとこ ろが大きいと言える。また、NGO の本来の役割とも言えるアドボカシー(政策提言)につ いても、積極的に行われている。 これまで、Deepalaya は 337 の教育センターを設立し、およそ 5 万人が FE あるいは NFE を受けてきた。さらに、Deepalaya には 2 つの衛星施設があり、遠隔地への教育活動も行 っている。Deepalaya は主に FE の学校のインフラ・人的資源についての調査を行い、コ ミュニティの子どもがより良い教育を受けることを可能にするために、教師と親、あるい は教師とコミュニティとのつながりを重視し、意見を反映させやすくすることに努めてい る。さらに、政府と非政府組織間の連携を図ることで、NFE が FE の施設(例えば図書館 や遊技場など)を利用できるように運動している。 Deepalaya はニューデリー最大の NGO であり、また政府機関と連携していることから、 活動は FE 寄りの傾向がある。もちろん、Deepalaya は NFE センターを運営し、直接教育 支援を行っているが、それよりもむしろ、コミュニティにおける教育改革のためのモニタ リング調査、アドボカシー、および FE と NFE の連携強化といった、政策面、環境面での 教育支援に Deepalaya の強みがあると言える。 Deepalaya の情報に関しては次を参考にした。 http://www.deepalaya.org/(10/01/06 アクセス) 51 50 4.2.4. NGO の活動( )Children Aid52 活動(3) Children Aid は、日本人女性が 2001 年に設立した NGO である。当 NGO はビハール州 に登録された団体で、子どもたちへの教育支援を専門にした NGO である。設立者の女性の 知人男性の一言がきっかけとなり、村に学校を建てるプロジェクトが開始された。早くも 同年に初等学校(Mahurar)が開校し、200 名ほどの学習者への教育支援が始まった。彼 らの年齢は様々で、障害を持った児童も一緒に授業を受けていた。教師は 4 名で、全員村 の出身者であった。クラスはレベル別に分けられ、幼稚園も併設されている。 他の NGO と同様に、教科書やノート、エンピツといった文具、制服やカバン、靴といっ た学用品はすべて無料で配布されている。 Children Aid は、不定期に生徒の家庭訪問を行っている。生徒の中には、学校から 5~ 7km 離れた村から毎日徒歩で通学している子どももいた。この家庭訪問では、生徒の家庭 の経済状況や、食事の様子、労働の様子が調査されている。Children Aid が活動している ブッダガヤ地方では、未だにカースト制度が強く残り、多くの村人が貧しさから抜け出せ ずにいた。そのため、食事が満足にとれず、1 日 1 回、あるいは食事なしで済ませる日もあ り、食事の内容もバランスの良いものではなく、ほとんどが米やチャパティー53であった。 そのため、2008 年からは野菜を含んだ給食を毎日提供するようにしている。給食により栄 養状態が改善され、教育への影響も大変大きい。さらにこの NGO は、村の医者に依頼して 生徒の健康診断も行っており、必要があれば随時薬を処方してもらっている。 Children Aid のカリキュラムは多彩で、2009 年からは実際にパソコンを用いたコンピュ ーターの授業を行っている。NGO の予算でパソコンを準備することは難しいが、Children Aid は日本の有志による中古パソコンの提供でまかなっている。さらに、日本語の授業や、 北インドの伝統舞踊であるカタックや刺繍も授業に取り入れている。 しかし、この NGO の学校を卒業しても進学できるのはほんの一握りの子どもに過ぎず、 多くがそのまま労働に就いている。それゆえ、Children Aid は職業訓練所としての性格が 強いのも事実である。また、NGO の活動が評判になるにつれ、入学希望者は増加するが、 限られた予算、規模ではすべての子どもたちに入学を許可することはできない。2009 年に は、Children Aid には 400 名以上の入学希望者が集まったが、選抜試験を行い、成績優秀 者 20 名のみが入学を許可された。本来、NGO は教育機会に恵まれない子どもたちに教育 を提供することを目的に NFE を行っているが、選抜を実施し、子どもを制限しなければ NGO そのものの存続が危ぶまれる、という皮肉な状況である。 Children Aid の情報に関しては次を参考にした。 http://www.interq.or.jp/ruby/mahamaya/ca.html(10/01/06 アクセス) 53 小麦粉と水を練って発酵させ焼いたクレープ状のもの。カレーを付けて食べる主食であ る。 52 51 4.2.5. 比較・ 比較・対照 以上、NFE の具体的事例として 3 つの NGO の活動を取り上げた。もちろん本論文で取 り扱った 3 つの NGO は、 インドで活動している NFE NGO のほんの一部に過ぎないが、 これら 3 つの比較においてもその違いがはっきりと現れている。その違いを簡潔にまとめ る。 まず、各 NGO の設立の背景が 3 者 3 様である。数人のグループによって始められたり、 それとも一個人による設立であったり、また設立の動機もそれぞれである。それゆえ各団 体が持つ資金にも大きな差がある。NGO において、資金はそのまま活動の規模に直結する ことが多い。しかし、当初の予算が限られていても、政府やその他国際機関と提携してい る NGO は、比較的予算に余裕があると言える。 次に、支援の対象とする子どもが異なっている。本論文での事例では、Deepalaya が都 市のスラムに住む子ども、SBT がストリートチルドレン、Children Aid が農村地域の子ど もであった。対象が異なれば、支援の方法や NGO の役割も異なり、コミュニティ重視の援 助、社会復帰のためのプログラム、通学可能な距離での教育の提供と、様々である。 そして、NGO 自体の性格の違いも活動に現れている。SBT や Children Aid のように直 接教育支援を行う NGO もあれば、Deepalaya のようにモニタリングやアドボカシーにより、 NFE を取り巻く環境を改善する NGO もある。 このように、NGO 一つとってもその活動理念や方法は多種多様だが、次節では、これら の NFE が初等教育の完全普及に果たす役割、あるいはその問題点について明らかにしてい く。 4.3. 初等教育の 初等教育の完全普及に 完全普及に向けた Non Formal Education の役割と 役割と課題 ここまで、NFE 政策と具体的事例を分析してきた。最後に、これらからわかる、NFE が初等教育の普及に果たす役割とその問題点について述べていく。60 年の長きにわたり インドの国家目標である初等教育の完全普及の達成に、NFE はどのような貢献をし、役 割を果たしているのか。あるいは、NFE が抱える問題点とはどのようなもので、それは 克服可能であるのか。これらの視点に基づき、NGO による NFE に焦点を当てて分析を 行う。 4.3.1. Non Formal Education の役割 初等教育の完全普及において、NFE がどのような役割を果たしているかについて、いく つか指摘することが出来るが、本論文では、家庭・学習者本人の経済的負担の軽減、柔軟・ かつ多彩なカリキュラムによるインセンティブ、そして子どもの発達の総合的インプット の提供の 3 つについて述べる。 52 まず経済的コストの削減については、NFE は教育を提供する側・受容する側双方にとっ て効果があることが広く認識されている。もちろん、低コストで教育を行うことが出来れ ば理想であるが、NFE の場合は予算が乏しく、十分な教材が使用できていないのが現状で ある。それにも関わらず、NFE の提供側、つまり財政負担の軽減が注目され、そればかり が追及されるのはいささか問題である。NFE の低コスト性は、教育を受ける側においての み発揮されるのが望ましい。 インドは児童労働の早急な解決が求められている国の一つである。家庭の経済状況から、 子どもが働いて家族を養わなくてはならないことが多い。農村地域では、ほとんどの子ど もが農業を手伝い、都市では日雇いやゴミ拾いなどの仕事をしている。女子はこれらの仕 事に加え、幼い兄弟の面倒を任されることが多い。 憲法の規定により FE の授業は無償で行われるが、通学の費用や文具代、給食代などは各 家庭の負担というのが現状である。中嶋(2007)によれば、「1994 年のインド国立教育研 究所による調査では、フォーマル教育に子ども一人を通わせる親の金銭的負担は、平均で 年間テキスト 246 ルピー、家庭教師 36 ルピー、通学費 11 ルピー、制服 42~76 ルピーで あった」(中嶋 2007 p.9) 。しかし NFE では、学習に必要なものは原則としてすべて無料 で配布されている。活動している NGO によっては、Children Aid のように毎日給食が無 料で配布される場合も多い。さらに、ストリートチルドレンの多くは家出をしてきた子ど もや親を亡くした子ども、親から虐待を受けた子どもが多いが、他からの経済的支援が望 めない彼らにとって、NFE の低コスト性は大きな魅力である。NFE が無償であることで、 就学の意思はあるが、経済的理由により教育の恩恵を受けることができなかった子どもを 教育システムに取り込むことができるようになった。 NFE の役割の 2 つめは、柔軟・多彩なカリキュラムによるインセンティブである。NFE は、FE に就学する意思のない子ども、また一度 FE に就学したものの、退学した子どもも 対象にしている。それゆえ、NFE のカリキュラムは FE 以上に子どものニーズに合った内 容になるよう配慮されている。NFE は FE とは異なり、授業時間は固定されていない。多 くの場合が昼間もしくは夜間のみの開講である。それゆえ、農村の収穫期・繁忙期には学 校に通えない子どもでも、NFE であれば学習者のライフスタイルに対応したカリキュラム を組むことができる。もちろん都市部においても、たとえば午前中・昼間に仕事をし、午 後から授業を受けるといった時間割が組まれている。授業の内容についても、簡単な読み 書き・計算から始まり、手に職を付け不安定な生活から抜け出すための職業訓練、自分の 身体を守るための保健・衛生教育、インドの文化を学ぶ授業など、NFE では多岐にわたる 授業が行われている。FE では、学校で行われる教育に重要性が見出せない、あるいは学校・ 教師の威圧的な雰囲気に圧倒され、ドロップアウトしてしまう子どもが多い。しかし、NFE では学習者本人の生活により直結したカリキュラム構成になっているため、子どもに教育 の重要性を理解させ、本人の意向を優先した授業を行うことができる。このように、柔軟・ 多彩な NFE のカリキュラムは、FE に魅力を感じない子ども、あるいは一度 FE に就学し 53 たものの退学してしまった子どもを再度教育システムに復帰させる役割がある。 NFE の役割の 3 つめは、子どもの発達の総合的インプットの提供である。本来教育は、 子どもの発達を促進させるという側面を持っているが、NFE においてはその役割が顕著で ある。2 つめの役割においても述べたが、NFE の場合、学習者に合ったカリキュラムが行 われている。また、FE に比べて NFE は少人数のクラスであることが多く、教師はより注 意深く1人ひとりに配慮することができる。さらに必要があれば、HIV/AIDS の予防教育 や、家族計画に関する授業なども行われている。NFE、特に NGO による NFE の場合、FE への編入とともに目標とされることが多いのが子どもの自立である。NFE により一般知識 を学び、社会で自立していけるように訓練を積む。そのために必要なインプットが、NFE では適宜子どもたちに与えられ、学力だけでなく、体力や人格といったあらゆる面での発 達を促進するためのインプットが提供されるのである。 近年、FE では詰め込み教育や試験に合格するためだけの授業、受験競争の激化などが問 題視されてきている(針塚 2007 p.1-2) 。NFE においてももちろん、FE に編入するために は一定の基準を満たす学力を身に付けなくてはならない。しかし、学習者のニーズに基づ いた柔軟・多彩なカリキュラムで授業を行うことで、子どもの発達を総合的に促すことが できる。この意味で、NFE は子どもの成長に必要な総合的インプットを提供する役割を果 たしていると言える。 4.3.2. Non Formal Education の問題点 NFE センター、および NFE 全体に共通して指摘できる問題点については、本論文 4.1.1. ですでに説明したが、問題は他にも指摘されている。 第 10 次 5 ヵ年計画によると、次のような NFE の問題点がある。センターのインストラ クターの熱意・やる気の欠如や、教育訓練の質の低さとそれによる教育の質の悪さ、カリ キュラムや教科書が不適切であったり、また NFE の運営システムの脆弱性にも問題がある という。センターはほとんどの場合、インストラクター数名と管理・監督者 1 名よって運 営されているが、センターによっては管理・監督者に運営の知識がない場合もある。さら に加えて、不十分な予算や FE への編入率の低さなど、実際は問題が山積みであった (Planning Commission 2002 p.29) 。 さらに、多くの女子専用 NFE センターでは、全インストラクターのうち実際は 30 歳以 下の男性インストラクターが大部分を占めており、女子の就学に有効であるはずの NFE だ が、その機能を十分に果たせていなかった。また、州レベルで分析した場合、NFE センタ ーの初等教育段階コースを修了した学習者も極めて少なく、それゆえ NFE センターの活動 が就学率の向上には実質的に貢献していない州もある、という衝撃的な報告もされている (Planning Evaluation Organization 1998 p.2-4) 。 では、NGO による NFE はどうかというと、NFE センターは州政府よりも NGO 運営の センターのほうがより好ましい結果が出ると主張している連邦政府であるが、NGO による 54 NFE にも問題点がいくつか見られる。本論文では、NGO の多様性、FE への編入率の低さ、 援助過多、モニタリング体系の未発達という 4 つを述べていく。 まず 1 つめの NGO の多様性について、もちろんこの点は非政府援助の有利な点であり、 マクロな政府の政策ではカバーしきれないマイノリティのニーズを満たすには必要とされ ることである。NFE のターゲットが FE に就学できない、特別な支援を必要とする子ども であるため、NGO の多様性はむしろ問題点というよりは推奨されるべき点でもあるかもし れない。しかし、NGO の多様性が強調されすぎると、かえって問題になることもまた事実 である。NGO はそれぞれ、発足の経緯や歴史、団体の支援財団や母体となる団体、信念や 理念が異なり、それぞれに異なる宗教を信仰する場合もある。NGO の活動は少なからずこ うした特色を持ち、これらに基づいた活動を行っている。つまり、活動方針が多種多様で あるということは、子どもたちへの教育カリキュラムや内容、教授方法も多種多様である ということである。もちろん、政府によってある程度の指針は示されてはいるものの、実 際の活動内容は NGO に任されることが多い。これでは、NGO による NFE を受けた子ど もすべてが等しく同じ質の教育、同じレベルの教育を受けることは全く保障されない。こ の状態のままで、NGO による NFE を受けた子どもを FE に就学した子どもを同じように 扱うことには、少々無理があると言える。数字の上では初等教育の完全普及を果たすこと は出来るかもしれないが、子どもの学習達成度まで考慮した場合は完全普及とは言い難い。 中嶋(2007)は、NFE における学習達成度を測る指標の導入を提言しているが(中嶋 2007 p.18)、NFE においても、FE と比較可能な基準が設けられるべきである。さらに、NGO の活動理念の違いは、教育以外の分野でも問題となりつつある。たとえば児童労働である。 NFE はもともと、労働に従事している子どものための教育機会として活用されてきたとい う側面がある。しかし、子どもの人権の重要性がインド国内でも認識され始めるにつれ、 NFE は子どもの労働を容認していると批判をされることになった(Department of Education 1996 p.77)。それゆえ、NGO によっては SBT のように児童労働を肯定してい ない団体もあれば、カリキュラムとして職業訓練を取り入れ、それによって収入を与える 団体もあり、あるいは課外での児童労働に全く関知しない団体もある。カリキュラムの一 環として労働に就かせる場合、どこまでがカリキュラムで、どこからが児童労働に当たる のか、その程度もまた問題となる。他にも、宗教の問題がある。NGO の母体団体が宗教組 織であることは珍しくないし、またそれは否定されることでもない。しかし、その NGO の 活動の一部として、宣教があまりにも表面的であった場合、NGO の支援を受けられる子ど もは限定される。インドでは 8 割以上がヒンドゥー教徒であるが、その他にもキリスト教 徒やイスラム教徒、仏教徒やシク教徒など、様々な宗教が信仰されている。NFE が教育機 会に恵まれない子どもを対象としている以上、その門戸は広く開かれて然るべきである。 次に、NFE の FE への編入率の低さに関する問題である。この問題に関しては、NGO に よる NFE だけでなく、州政府運営の NFE センターについても言えることである。 1998 年の Planning Evaluation Organization の調査によると、当時の FE への編入率の全 55 国平均はわずか 28.7%でしかなかった(中嶋 2007 p.13) 。この編入率の低さの要因はいく つか考えられるが、NGO による NFE の場合、一つめの問題と関連して、そもそも FE へ の編入を念頭に置いていない NGO が存在することが要因の一つとして考えられる。さらに、 NFE で教育を受けた子どもが FE へ編入した場合の環境不適応の問題も見逃すことができ ない。針塚(2007)によると、SBT の活動を例に、路上生活を送りながら NFE を受けた 子どもがフォーマルな学校や施設では上手く適応できないケースがしばしばあることを報 告している。「ノンフォーマル教育を経て、学校教育へアクセスすることで機会の平等を実 現したとしても、路上生活経験のある子ども達が自らの過去の経験や適性のために学校で 直面する困難は、学校が一定の価値を志向しつつ、その価値を体現できなかった子ども達 の居場所を持ち合わせていないことを示唆している」と結論付けている(針塚 2007 p.13)。 針塚(2007)はストリートチルドレンの場合にのみ言及しているが、これは労働に従事す る子どもや、正規の就学年齢を超えて FE へ編入しようとする学習者にも当てはまることで ある。政府は NFE の FE への編入、転換を推奨しているが、そのためには、NFE で教育 を受けた子どもたちが上手く FE の環境に適応できるよう、心のケアを重視した対策を講じ る必要がある。 次に、援助過多の問題である。これはインドに限らず途上国の開発・援助の問題として しばしば指摘される問題である。援助過多が問題視されるのは、主に国際機関や先進国の 支援偏重により被援助側の自立的発展が促せない点、また、援助団体の増加により団体同 士の協調が図れないことで各団体のスムーズな活動が阻害される点にある。先述の通り、 インドは「NGO 大国」と呼ばれている。インドではこの問題に対し、国内で活動する NGO を一元化する動きも起こった。しかし、インドの NGO の規模は他に例を見ないほど大きな ものであり、また非常に複雑であることから、NGO の一元化は困難であり、また、一元化 が妥当であるのかという議論も噴出し、実現には至っていない。そもそも、教育の保障は 連邦政府および州政府の責任の負うところであるが、初等教育完全普及を達成するには、 FE のみでは限界があることを政府は認識し、NFE との両輪で実現させるほかない、とい う方針を示している。しかし、その NFE に関しては、実験的なプログラムなどは NGO が 率先して行う状況であり、かつ NFE センターに関しても、その結果は NGO が州政府より 優位な状況にある。教育は、その国の根幹を創る重要な分野であり、政府には可能な限り の自助努力が求められるが、まずは、政府と NGO の協働パートナーシップを構築し、援助 依存の状態を生み出さないことが必要とされる。 最後に、モニタリング体系の未発達についてである。政府は NGO の管理が困難であり、 また NGO との連携がとれていないため、実際の NGO による活動やその成果を十分に把握 できていない。初等教育の完全普及を達成するには、定期的、継続的なモニタリング調査 を行い、その都度問題点を改善していくことが求められる。しかし、たとえ多くの NGO が 精力的に活動していても、モニタリングが行われなければ、その成果を十分に活かすこと はできない。Deepalaya のように、独自のモニタリング調査を行っている NGO ももちろん 56 存在するが、十分とは言えない予算の中でのモニタリングには制限があり、またそのモニ タリング調査から改善が必要な問題が発覚したとしても、その NGO に解決・対応能力があ るかどうかはまた別の問題である。ここでいうモニタリングとは、もちろん就学率や修了 率の調査も含まれるが、NFE においてより重要なのは、学習者の学習能力や到達度に関す る調査である。FE に比べて短い授業時間、修業年限であることを考慮すると、限られた条 件の中で FE に就学している子どもと同じ能力を身につけさせるのは至難の業である。先ほ ども述べたように、学習到達度や教師の教授能力といった、NFE の質に関する指標を設け、 NGO 自身による質に関するセルフマネージメント、さらに、必要とあれば州政府や連邦政 府が介入出来る仕組みを構築することも 1 つの有効な方法であろう。 以上、NFE 全体の問題に加え、NGO による NFE の問題を指摘した。もちろん、NFE が特別な事情により NFE に就学できない、あるいは就学しない子どもたちの教育を保障す るという点において、極めて重要な教育手段であることは広く認知され、その効果はすで に何度も実証されている。特別なニーズを持つ子どもを対象にし、低コストでかつ柔軟・ 多彩なカリキュラムを用いるという NFE の性格は、まさに本論文 3.3.で挙げたインド初等 教育における問題点の対処にまさに有効であると言える。それゆえ、これらの問題点の改 善次第では、NFE は今なお教育システムの周縁にいる子どもをさらに取り込むことは可能 であり、初等教育の完全普及に果たす役割はますます大きくなるものと考えられる。 57 終章 総括 本論文は、インドの国家目標である初等教育の完全普及および 6 歳から 14 歳までの無償 義務教育の保障の達成に向けて、初等教育の政策史、現状と課題、および実際の取り組み という 3 つの柱で、インドの初等教育の包括的分析を行うことであった。インド国内の教 育政策との比較という意味で、第 1 章では国際社会における教育開発の潮流を概観した。 続く第 2 章では、インドの教育政策史として、1951 年から続く 5 ヵ年計画の教育計画史を 分析し、その理念や重点分野の変化の軌跡を辿った。そして、第 3 章では 2000 年代のイン ドの初等教育の現状、およびその課題を様々なモニタリングレポートを活用し、明らかに した。第 4 章では、第 3 章での現状・課題を受け、初等教育の完全普及のために実際に行 われているプログラムの一つとして、NFE を扱い、NFE が果たす役割およびその可能性、 そして NFE に残された問題を検証した。以下、本論文の総括を、序章 4.で挙げた 3 つの研 究設問に沿いながら述べていく。 1. 国際社会の 国際社会の教育開発史と 教育開発史とインドの インドの初等教育政策史 第 1 章での国際社会における教育開発・援助の変遷を踏まえ、第 2 章ではインド国内の 教育政策として 5 ヵ年計画を分析した。国際社会の教育援助は、第 2 次世界大戦の戦後復 興の一環として始まり、当初は高等教育や職業・技術訓練がその中心であった。特に多く の被援助国の目下の目標が経済成長であったため、教育開発の意義も自ずと経済成長を促 す 1 つの要素に過ぎなかった。国際社会の教育開発・援助において、初等教育が日の目を 見るようになったのは 1980 年代に入ってからである。この頃になると、これまでの開発や 援助の反省から、より人々の生活に密接に関連した開発を行う必要性が認識され、初等教 育の普及が叫ばれ始めた。1990 年代になると、教育そのものの価値が認められ、すべての 子どもが教育を受けられるよう様々なスローガンを打ち出し、これを国際社会共通の目標 としてきた。 対するインドの教育政策であるが、こちらも、当初の 5 ヵ年計画全体の目標は経済成長 であった。しかし、インドは 1950 年制定の憲法において、6 歳から 14 歳の子どもに無償 義務教育を保障することを規定している。そのため、インドの教育政策では、国際社会よ りも比較的早い段階から初等教育を重視していたと言える。第 1 次 5 ヵ年計画では、教育 計画の目標は各段階での教育の拡大であったものの、予算に関して言えば、教育予算の実 に半分以上が初等教育に充当されていた。現在第 11 次まで実施されている 5 ヵ年計画であ るが、各計画の草案、実施時期の経済状況や主要理念によって、予算の分配や用いられた 手段は異なるものの、一貫して教育計画の核には初等教育の普及が存在していた。 およそ 60 年に及ぶインド 5 ヵ年計画の歴史の中で、5 ヵ年計画そのものの目標や理念が 58 それぞれ異なっていたように、教育計画における「教育」が持つ意味も同じように変わっ てきた。第 1 次から第 4 次 5 ヵ年計画頃までは、教育はあくまでも経済成長を促す要因の 1 つであり、さらに独立やパキスタンとの紛争で混乱する国民を統合するという意味も与え られていた。そのための手段として選ばれたのが、初等教育のベーシック・エデュケーシ ョン化であった。その後、 「さらなる経済成長のための教育」という位置付けはしばらく続 くこととなったが、第 5 次 5 ヵ年計画からは、社会の底辺に置かれた国民の貧困に注目し、 生活水準の向上に目が向けられた。NFE に関する言及が初めてみられたのも第 5 次 5 ヵ年 計画であった。この流れは現在の 5 ヵ年計画にも引き継がれている。1980 年代半ばからス タートした第 7 次 5 ヵ年計画は、 「インド」 「インド国民」 「インド文化」といった、民族意 識を再確認、再強調する内容となった。教育開発においても、公用語であるヒンディー語 や、インドの伝統言語であるサンスクリット語の学習支援などに重点を置き、国民の結束 を高める狙いがあったように思われる。この第 7 次 5 ヵ年計画からは、初期の 5 ヵ年計画 で見られた「国民統合」という理念が感じ取れる。しかし、初期の 5 ヵ年計画では、イン ド固有の文化や習慣が悪しきものとして排除されていたのに対し、第 7 次 5 ヵ年計画では その重要性が再認識されているという点が、両者の決定的な違いである。1990 年代に実施 された第 8 次 5 ヵ年計画からは、教育そのものの価値が認識され、第 9 次 5 ヵ年計画では 初めて教育が人間の基本的権利であることが認められるに至った。開発の焦点に関しても、 これまでの量的発展に留まらず、質の改善こそが重要であると主張され、インド 5 ヵ年計 画における教育政策は、第 8 次 5 ヵ年計画からその性格を変え、現在の方針に至っている と考えられる。この点は、教育支出の分析からも指摘できる。国内の政変や国境紛争、大 規模な自然災害に見舞われたという背景があるにしろ、第 1 次 5 ヵ年計画をピークに、そ の後の 5 ヵ年計画では教育支出は下降線をたどることとなった。その転換期となったのが 第 8 次 5 ヵ年計画であり、第 9 次 5 ヵ年計画では、全教育支出に占める初等教育費の割合 が、初めて第 1 次 5 ヵ年計画のそれを上回った。2000 年代に実施された第 10 次、第 11 次 5 ヵ年計画の 2 つに関しては、国際社会共通の目標である MDGs や EFA を意識した内容と なっており、初等教育の完全普及が達成されるまでは、この流れが続いていくものと思わ れる。 これらのことから考えると、インドの教育開発は、その初期段階からすでに初等教育に 焦点を当てた政策を行ってきたことがわかる。しかし初等教育の重要性は認識されていた とは言え、 「何にとって、あるいは誰にとって初等教育は重要なのか」という問いに対する 答えは、計画実施当時の時代背景や経済状況、国際情勢などにより異なってきた。それで も、初等教育の完全普及が常にインド教育政策の基軸であったことに変わりはなく、ここ にインド教育政策の最大の特徴があると言える。 59 2. インド初等教育 インド初等教育の 初等教育の現状と 現状と課題 第 3 章では、2000 年代の国際社会における教育目標である MDGs とダカール行動枠組み についてその特徴をまとめた。これらは共に 2015 年までの達成を目標としている。特に、 普遍的初等教育の達成については、両目標に盛り込まれており、果たして 2015 年までに EFA が達成できるのか、インドを始めとする教育途上国は国際社会から注目されている。 インドの初等教育の現状を把握するに際し、これらの教育目標においても用いられてい る就学率、残存率、識字率の 3 つを軸に、分析を行った。そしてその結果から、格差、予 算、教育の質の 3 つの課題・問題点を指摘した。 インドの(初等教育)就学率、残存率、識字率はすべて例外なく改善が見られた。国全 体で見た場合、総就学率に関してはすでに 100%を越えており、独立直後はおよそ 17%だ った識字率も、2001 年には約 61%と、50 年の間に顕著な改善があった。1960-1961 の時 点で 65%だった退学率も、2004-2005 では 29%と、着実に数を減らしてきている。インド 憲法では、教育は各州政府がその責任を負うと規定されているが、実際は、この成果は連 邦政府の強力なリーダーシップがなければ達成されなかったであろう。連邦政府は、教育 開発において、SSA や MDMS、NLM といった国家規模の教育プログラムをいくつも実施 し、一時も早い初等教育の完全普及、6 歳から 14 歳のすべての子どもの無償義務教育の保 障の達成のために尽力してきた。実際、近年は 5 ヵ年計画における教育支出も増加傾向に あり、また教育目的税を導入するなど、教育普及におけるインド政府の役割と貢献は大き くなってきている。 しかしこのような積極的開発の影には、その成果が乏しい地域、階層が存在する。イン ドの初等教育の問題の一つは、あらゆる面で格差が残されていることである。収入格差が そのまま教育機会の格差につながる貧富の格差、男子が圧倒的に開発の恩恵を受けている ジェンダー格差、州や地方と都市によって成果にばらつきのある地域格差、カーストや民 族、宗教による社会的格差などがその例である。インド全体での教育開発の成果は、上述 のように確実に初等教育の完全普及の達成に向かっている。しかし、こうした社会的弱者 と言われる集団は、常に社会開発から取り残されてきた。広大な領土を持ち、多言語・多 民族によって構成される複雑なインドでは、同じ政策を実施したとしても、必ずしもすべ ての地域・集団で同様の成果が現れると限らないのは当然である。そこで、政府はターゲ ットをこれらの社会的弱者に絞った政策を打ち出し、重点的な支援行っている。ジェンダ ー格差や地域格差に関しては、その縮小が見られるものの、未だ歴然とした差が残ってい るのも事実であり、今後も継続してモニタリングを行う必要がある。 第 2 の問題点として、本論文では教育予算の問題を挙げた。教育支出に関しては、第 2 章内で分析したように、5 ヵ年計画における教育支出、初等教育費は右肩上がりであること がわかった。もちろん、十分な額であると言うことはできないが、むしろ問題なのは予算 の分配である。世界中が未曾有の金融危機に見舞われた昨今、インドを含む被援助国は十 分な援助額を受けられなくなっている。このような状況でインドに求められるのは、少な 60 い予算をいかに適正に分配し、それを効率よく使用するかということである。グッドガバ ナンスとはどういう状態であるのか、ここに、インド政府の手腕が問われることになる。 第 3 の問題は、教育の質である。教育の質の向上については、第 8 次 5 ヵ年計画から重 要な開発理念となっていた。本論文ではその指標の一つとして TPR を取り上げた。爆発的 な人口増加により、TPR は改善されるどころかむしろ悪化している現状がある。また、教 師についても、十分な訓練を受けているのか、教師自身の出席状況や健康に問題はないか、 などの懸念もある。インドは、TPR の改善のために教師訓練センターの拡張や社会的地位 の向上に努めているが、他にも教育の質向上に向け、教科書の内容の見直しや教育施設の 充実、地域の住民の声を反映させるための教育委員会の運営などに力を入れている。 仮に世界各国の教育レベルを識字率、就学率といった指標でランク付けした場合、独立 直後から 1990 年代まで、おそらくインドは常に下位に分類されていたであろう。しかし、 このような状況に対してインドという国は常に危機感を抱き、絶えずそれを克服しようと 取り組んできた。経済成長とともに教育の量的改善が見られ、初等教育の完全普及、6 歳か ら 14 歳のすべての子どもへの無償義務教育の保障の達成が見えてきている。これまでの努 力を反故にしないために、これまで開発の恩恵を受けてこなかった人々に対する個別の支 援を継続していく必要がある。 3. インドの インドの初等教育の 初等教育の完全普及に 完全普及に果たす Non Formal Education の役割と 役割と課題 第 4 章では、初等教育の完全普及のための手段の一つであり、インド政府が 1970 年代半 ばから実施してきている NFE に注目した。1970 年代に教育後進地域で実験プログラムと して始まった NFE であるが、低コスト性、多彩なカリキュラムや少人数制による教育の質 の高さ、そして何よりも、FE 未就学児童あるいはドロップアウトした子どもためを教育シ ステムに取り込むことへの有意な効果が認められ、諸 5 ヵ年計画や国家教育政策決議を通 して NFE は全国に広がっていった。2000 年からは、NFE プログラムが EGS&AIE という 包括的プログラムへと改新され、以前にも増して FE への就学・編入が強調されるようにな った。 本章では、NFE の具体的事例として、現地で活動する 3 つの NGO を取り上げた。イン ドでは、NFE は概ね成功してきていると言うことができる。インド政府は独立直後から初 等教育の普及に尽力してきたが、60 年を経ても未だに達成できないのには、やはり FE に は就学できない、あるいはその意思のない子どもが数多く存在することが最大の要因であ る。インドの児童労働の数は世界でも群を抜いており、その民族構成や宗教の複雑さは広 く知られているところである。インドが初等教育の完全普及を達成するためには、いくつ もの個別のニーズに対応していかなくてはならない。その点 NFE は FE とは異なり、学習 者のニーズを最大限に優先し、そのニーズに沿った教育を行っており、これまで FE のシス テムからは置き去りにされてきた子どもたちを教育システムに取り組むことに成功してい る。 61 NFE が持つ大きな役割として、本論文では家庭・学習者本人の経済的負担の軽減、柔軟・ かつ多彩なカリキュラムによるインセンティブ、そして子どもの発達の総合的インプット の提供の 3 つを挙げた。経済的負担の軽減については、NFE において最もよく知られてい るメリットである。教材や学用品の無償提供に加え、労働に従事している子どもに関して はそのライフスタイルを優先したカリキュラムが採用され、機会費用を抑えることができ る。さらに、もともと就学していなかった子ども、あるいは一度退学した子どもを再度教 育の場へ戻すことが主な狙いであるため、NFE でのシラバスは FE に比べて学習者個人の 教育ニーズに応じた内容になっており、また科目学習以外の職業訓練や保健教育なども行 われ、子どもにとって非常に魅力的な内容になるよう配慮されている。また、NFE は FE に比べてほとんどの場合少人数で行われている。そのため子ども1人ひとりに目を配り、 教育支援だけでなく、栄養の改善指導やカウンセリングなど、子どもが発達していく上で 必要な総合的インプットを適宜与えることがより容易である。 しかし、NFE にも教師の資質に対する懸念や予算不足、またそれによる教材の不足、さ らには運営システムの脆弱性など、NFE においてもこういった予算や教育の質に関する問 題が指摘されている。これらの問題を解決するために EGS&AIE プログラムが新たに実施 されるに至ったわけであるが、成果については今後を待たなくてはならない。 また、NGO による NFE 独自の問題もいくつか指摘することができる。そのうち、本論文 では NGO の多様性、FE への編入率の低さ、援助過多、モニタリング体系の未発達につい て述べた。NGO の多様性は強みでもあるが、理念や教育方法が統一されていないというこ とは、必ずしもすべての子どもに平等な教育を提供できていないということを意味する。 それゆえ、NGO による NFE を受けたと言っても、等しく全員が同じ学力を保持している とは言えず、果たして NGO による NFE を受けた子どもを無批判に就学児童とみなしても よいのか、という問題が浮上してくる。2 つめの編入率の低さは、NGO の多様性の問題に も関連しているが、そもそも FE への編入を目標としていない NGO が存在すること、さら に一度 FE をリタイアした子ども、あるいは特別な事情で路上生活や労働を余儀なくされて いた子どもが FE の環境に上手く適応できていないということが要因として考えられる。3 つめの援助過多は、インド以外の被援助国でもしばしば問題視されているが、NGO 大国で あるインドではこの問題はより深刻で、スムーズで効率的な援助を行うためにも、政府と NGO、NGO 同士のパートナーシップの構築が必要とされている。最後のモニタリング体系 の未発達については、NGO による NFE のモニタリングは各々の NGO によって実施され るか全くされていないかであるが、より多くの子どもを FE へ編入させる、あるいはすべて の子どもが人等しく最低限の学力に到達できるようにするためには、NFE のための就学率、 修了率、達成度などに関する指標を設定し、モニタリング調査を行うことが重要である。 62 4. 総括および 総括および今後 および今後の 今後の課題 以上、本論文は上記 3 つの設問に沿いながら、インドにおける初等教育政策史と現状、 および初等教育の完全普及に果たすと考えられる NFE の役割・問題点を明らかにしてきた。 このように、本論文は政策・現状・具体的事例という 3 つの側面からインドの初等教育を 捉え、包括的な研究になるよう試みた。インドは、イギリス植民地時代の悲惨な教育状況 への危機感から、独立後は比較的すぐに初等教育の普及に取り掛かった。国家開発計画で ある 5 ヵ年計画においては、教育分野において初等教育は常に優先されてきた。このよう な政府による取り組みは序々に実を結んできている。総就学率はほぼすべての州で 100%に 達し、残存率も年々減少してきている。しかし、やはりジェンダー格差、地域格差は依然 として残っている。また、初等教育の普及において、成果が現れているほとんどが量的改 善であり、TPR や学習到達度に関してはさらに重点的に対応していく必要がある。その中 で、FE だけでは解決に限界がある上記のような問題に対処するのに、NFE が有効である ことはインド国内ですでに実証されている。本論文では、具体的事例として現地 NGO によ る NFE 活動を検証した。NGO による NFE は、FE や州の NFE センターでは手が届かな い部分にも対応している。初等教育の完全普及まであと一歩のところまで到達しながらも、 その先へと進むことができないでいるインドにとって、NFE が救いの手であることは間違 いない。しかし、本論文では実際に NGO の活動へ参加し、インタビューなどの現地調査を 行うことができなかった。今後はよりミクロな視点に立った調査・分析を行う必要がある が、この点も含め、今後の課題としたい。 63 参考文献 天城勲編(1963) 『研究参考資料 51 インドの経済発展と教育投資』アジア経済研究所 アマルティア・セン(2006)『人間の安全保障』東郷えりか訳 集英社 榎木薗鉄也(2008) 「多言語使用は幸福か―インドにおける少数言語話者の言語負担と英語 依存」 『言語』第 37 巻第 2 号 pp.46-51 江原裕美編(2001)『開発と教育:国際協力と子どもたちの未来』新評論 大橋正明(1997) 「NGO 大国インド、その活動、歴史、ネットワーク」 『NGO 大国インド: 悠久の国の市民ネットワーク事情』斉藤千尋編 明石書店 小沢有作・山内太郎(1959)「インドにおける初等教育―国民教育樹立の努力―」『東京大 学教育学部紀要』第 3 巻 pp.92-116 辛島昇他 監修(1992) 『南アジアを知る事典』平凡社 栗本弘(1961)「インド第 3 次 5 ヵ年計画の展望」 『アジア経済』第2巻第 1 号 pp.22-31 黒沢一晃「インドの第 5 次 5 ヵ年計画」 『神戸松蔭女子学院短期大学研究紀要 人文科学・ 自然科学篇』第 16 号 pp.1-20 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