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第 章 FTA とアジアの通貨体制
FTA とアジアの通貨体制 第●章 1. 序 1997 年7月に発生したアジア通貨危機の教訓から、東アジア諸国にとって望ましい為替 相場制度に関する議論が盛んに行われている。通貨危機以前には、ほとんどの東アジア諸 国が自国通貨をドルに固定するというドル・ペッグ制度、あるいは自国通貨をドルに対し てある程度安定化させようとする事実上のドル・ペッグ制度が採用されていた。このよう なドル・ペッグ制度の下でのドル高円安が、東アジア諸国が通貨危機に直面する一つの原 因となった。 しかしながら、通貨危機後この教訓がいかされず、東アジア諸国は再び事実上のドル・ ペッグ制度に回帰する傾向にある。その原因を考え、克服することによって、東アジア諸 国は望ましい為替相場制度を採用できよう。そして、長期的には共通通貨の導入もにらん だ、東アジアにとって望ましい通貨体制を実現することに貢献するであろう。 その場合、東アジアにおいて望ましい通貨体制が実現する状況を準備するに際して、自 由貿易協定(FTA)が少なからず役割を果たすことに注目すべきである。本章では、この ような視点から、FTA がどのように東アジアにおける通貨体制の再構築に貢献するかを考 察する。そのポイントは、FTA が締結された後に関税が撤廃され非関税障壁が解消される と、国際貿易取引にとって残された最大の障害が通貨交換コストや為替リスクとなるとい うことである。すなわち、東アジアにおける自由貿易協定の進展が東アジア地域における 通貨体制に影響を及ぼし、望ましい通貨体制へのモメンタムとなることが期待される。 2. 2.1 円の国際化と FTA 国際的見地からの円の国際化の必要性 アジア通貨危機を経験して、東アジア諸国は日本経済との結びつきや貿易・金融取引に おける円の役割の必要性が再認識されている。アジア通貨危機の経験から得られた教訓の 一つは、米国のみならず、日本や欧州とも多様化して貿易を行っている東アジア諸国にと って、事実上のドル・ペッグ制は危険な為替相場制度であるということである。 これらの国で事実上のドル・ペッグ制度が採用されていた理由の一つは、世界経済にお いて国際通貨として一般に受容されている通貨がドルであって、円ではないことである。 自国通貨をドルに固定することによって、自国通貨の信認を維持できると信じられている。 また、国際貿易取引や直接投資や国際金融取引における契約通貨のなかでドルが多いため に、通貨当局が対ドル為替相場の為替リスクに注意が払いながら、為替政策を行う傾向も 見られる。したがって、国際経済取引において円の役割が高まることによって、通貨当局 1 が、国際経済取引における円及び対円為替相場の重要性を認識し、ドルのみならず円も視 野に入れた為替相場政策が採用されるようになるであろう。このことは、アジア通貨危機 の経験より、東アジア諸国通貨ひいては東アジア経済の安定に貢献することになる。 2.2 円の国際化のモメンタムとしての FTA 現在のガリバー型国際通貨システムの下で円が価値貯蔵手段としての機能のみに頼るこ とによって円の国際化を行うことは難しい注1。円の国際化が進むためには、円の交換手段 としての機能が高まる必要である。日米円ドル委員会が円の国際化に関する報告書で主張 された金融市場の規制緩和や東京オフショア金融市場の開設は、円の国際化に対してあま り効果をもたらさなかった。規制緩和のみでは、円の国際化を進展させることに限界があ る。 ドルが交換手段としての機能に優位性を持ち、その減価のために価値貯蔵手段としての 機能に劣位性を持っている。世界の経済主体がドルの優位性と劣位性の両方を考慮に入れ て、ドルを保有し、利用している。このように、日本の金融市場の規制緩和は、円の国際 化のための必要条件であっても、十分条件ではない。金融市場の規制緩和や東京オフショ ア金融市場の開設によって円の交換手段としての機能が高まることが必要である。円の国 際化を進展させるための必要条件のみならず十分条件も満たす措置を考えるべきである。 ドルの基軸通貨としての地位の慣性は、国際貿易取引における取引慣習を反映している。 取引慣習によって世界における経済主体は国際貿易・金融取引における決済通貨として円 の利用をあまり選択していない。取引慣習それ自体がネットワーク外部性を持っているこ とから、取引慣習ひいてはドルの基軸通貨としての地位の慣性を変えることは難しい。 しかしながら、筆者が行った日系企業に対するインタビューより、近年、アジア諸国に おける日本企業の子会社は、親会社が為替リスクの管理負担を子会社に移転させようとす るために、親会社との取引において円を決済通貨として利用させられている。このような 決済通貨の円への動きは、為替リスクのナチュラル・ヘッジングの観点から、円が国際貸 借における表示通貨として利用されるシェアも増加させる可能性がある。このように、決 済通貨の円へのゆっくりとしたシフトが始まったように見える。それゆえに、国内と外国 の経済主体が円を国際貿易・金融取引において決済通貨や表示通貨として円を利用すると きに直面する障害や規制を日本政府は積極的に除去することが望まれる。これらの措置は 円の国際化を進展させるために必要である。 ネットワーク外部性によって国際経済取引におけるドルの利用に慣性が作用する状況を 考慮に入れた上で、円の国際化を進展させる方法を考える必要がある。ドルの基軸通貨と しての地位における慣性がネットワーク外部性によって支えられている状況を変えるため に、何らかのモメンタムを加えることが必要である。ネットワーク外部性によって、すべ ての経済主体が国際経済取引で利用する国際通貨をドルから他の通貨へ変えることにおい 2 て協調できないために、基軸通貨としてドルを利用し続けることになる。それゆえに、円 の国際化のための1つの方法として、日本政府が国際貿易・金融取引において円を利用す るために協調するインセンティブを民間経済主体に与えることも考えられる。 円の国際化を促進するに際して、日本と経済的結びつきが強い他の東アジア諸国との国 際経済取引における円の利用を高めることを目指すことから始めることが現実的である (小川(2002))。東アジア諸国の経済危機からの回復とその安定成長経路への回帰の過程に おいて円が積極的に活用されることによって、円の国際的地位を高めることへ弾みをつけ られるだろう。この目的のためにも、貿易・資本取引を通じた東アジア経済の実物的側面 との結びつきが急速に進むことが重要である。このような国際的経済取引を通じて円が東 アジアに供給され、国際貿易・金融取引における円の流通の基礎を確立できるであろう。 日本は、シンガポールと自由貿易協定を締結し、さらに、韓国との自由貿易協定を検討 しつつある。日本が他の東アジア各国と2国間あるいは地域貿易協定を結ぶことによって、 日本経済と他の東アジア諸国経済との間の貿易・金融関係が強化されることになる。これ らの自由貿易協定によって関税や非関税障壁が取り除かれた後には、貿易・金融取引が増 大するであろう。一方で、日本とこれらの諸国の経済主体が貿易・金融取引において直面 する最大の障害は、円とこれらの国の通貨との為替相場に関する為替リスクとなる。経済 主体は、これらの為替リスクに対処する必要があり、そして、通貨当局もこれらの為替リ スクに注意を払うことになろう。 このような2国間あるいは地域自由貿易協定に向けての動きは、国際的な決済通貨とし て円を利用することへのモメンタムとなるかもしれない。たとえば、もし自由貿易協定の 中に、日本と自由貿易協定の相手国の政府と民間経済主体が2国間あるいは域内の貿易・ 金融取引においてお互いの通貨を利用するように努めるという国際通貨協調の努力条項が 盛り込まれれば、これらの2国間あるいは域内の貿易・金融取引において決済通貨として 円を利用するようになるモメンタムとなるであろう。さらに、円とこれらの国の通貨を取 引する外国為替市場及び為替リスクを管理するための先物市場や他のデリバティブ市場を 設立する動きにつながると期待される。このように、日本が多くの他の東アジア諸国と自 由貿易協定を締結することに努めることによって、日本とこれらの国との間の貿易・金融 関係が強まるとともに、円の国際化の進展に対するモメンタムが加えられると期待できる。 2.3 円の国際化に関するアンケート調査 本プロジェクトのアンケート調査である「グローバル化・自由貿易時代の日本企業戦略調 査」のなかで、通貨に関連する問題についてアンケート調査を行っている。そのなかで、ア ジア域内での FTA 締結後における円の国際化の重要性に関する質問項目におけるアンケ ート集計から日本の企業が円の国際化に対してどのように考えているかを考察しよう。 図7-a には業種別のアンケート調査の結果がまとめられている。全体として、アジア域 3 内での FTA 締結後における円の国際化の重要性について、「非常に重要」あるいは「重要」 と回答している比率がおよそ 80%であり、多くの企業が円の国際化の重要性を認めている。 しかし、業種別にはかなりのばらつきが見られる。製造業、金融・保険業、不動産、サー ビス業では、80%を超える企業が円の国際化について「非常に重要」あるいは「重要」と回答 している。一方、鉱業、建設業、電気・ガス業、運輸・通信業、卸売・小売業では、円の国際 化について「非常に重要」あるいは「重要」と回答した企業の比率が相対的に低い。 図7-a:円の国際化(業種別) 100% 90% 80% 70% 60% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 50% 40% 30% 20% 10% の 他 業 ス そ 産 業 サ ー ビ 運 不 動 業 輸 ・通 信 業 卸 売 ・小 売 業 金 融 ・保 険 業 気 ・ガ ス 電 製 造 業 建 設 業 業 鉱 漁 業 業 農 全 体 0% 図7-b:円の国際化(最大輸出国別) 100% 90% 80% 70% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 60% 50% 40% 30% 20% 10% ア ・ニ リ トラ ー ス オ 4 そ の 他 カ 東 リ ア フ 中 中 南 米 ュ A N ー ジ ー ラ ン ド IE S S E A 中 ア N 国 ア ジ 東 欧 欧 西 キ シ コ メ ダ ナ カ 国 米 輸 出 全 体 を 行 輸 っ 出 て を い 行 る っ て い な い 0% 一方、企業が輸出を行っているか否か、そして、輸出を行っている企業の最大輸出国別 にアンケート調査の結果をまとめたものが図7-b である。図7-b より、輸出を行ってい るか否かによって、円の国際化の重要性に対する回答にそれほどの差異は見られなかった。 しかしながら、最大輸出国別に見ると、欧米が最大輸出国である企業が、「非常に重要」 あるいは「重要」と回答した比率が 80%を超えているのに対して、アジア新興工業経済群 (NIES)が最大輸出国である企業では、その比率が 80%を下回った。中国と東南アジア 諸国連合(ASEAN)が最大輸出国となっている企業では、その比率がほぼ 80%である。「非 常に重要」と回答した比率を見ても、アジア NIES を最大輸出国としている企業が最も低 い比率となっている。 アジア域内での FTA 締結後における円の国際化の重要性について、アジア地域以外の地 域が最大輸出国となっている企業の方がアジア地域を最大輸出国としている企業よりもそ の認識が高いことがわかる。とりわけ、韓国を含むアジア NIES を最大輸出国としている 企業が円の国際化を重要とする比率が相対的に低いことは、東アジアで円の国際化が進ま ない原因を考える上で、一つの参考となる。 3. 3.1 為替リスクと貿易 FTA 後の通貨に関するアンケート調査 前述したように、日本が他の東アジア諸国と自由貿易協定を結ぶことによって、日本経 済と他の東アジア諸国経済との間の貿易・金融関係が強化されよう。これらの自由貿易協 定によって関税や非関税障壁が取り除かれた後には、日本とこれらの諸国の経済主体が貿 易・金融取引において直面する最大の障害は、円とこれらの国の通貨との交換コストや為 替相場に関する為替リスクになると考えられる。経済主体は、これらの為替リスクに対処 する必要があり、そして、通貨当局もこれらの為替リスクに注意を払うことになろう。 そこで、本プロジェクトのアンケート調査である「グローバル化・自由貿易時代の日本企 業戦略調査」のなかで、FTA 締結後も残る為替リスクや通貨交換コストの重要性に関する アンケート調査の結果を以下で整理しながら、現段階において日本企業が為替リスクや通 貨交換コストに対してどのような認識を持っているかを考察しよう。なお、アンケート調 査は、貿易面と直接投資面と資金調達面の3つの側面について行われた。 3.1.1 貿易面 貿易面に関して、FTA 締結後も残る為替リスクや通貨交換コストの重要性について、企 業全体の 82.6%が「非常に重要」もしくは「重要」と認識している。これを業種別に分類した ものが図8-a に表されている。建設業と電気・ガス業とサービス業で「非常に重要」もしく は「重要」の比率が相対的に低いものの、鉱業、製造業、運輸・通信業、卸売・小売業、金融・ 保険業、不動産業では、為替リスクや通貨交換コストを重視していることがわかる。 5 図8-a:貿易面における為替リスク・通貨交換コスト(業種別) 100% 90% 80% 70% 60% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 50% 40% 30% 20% 10% 0% 農 業 業 業 体 全 鉱 漁 建 業 設 製 造 業 電 気 ス ・ガ 業 運 輸 ・通 業 信 卸 売 ・小 売 業 金 融 ・保 険 業 不 動 産 業 サ ビ ー 業 ス そ の 他 図8-b:貿易面における為替リスク・通貨交換コスト(最大輸出国別) 100% 90% 80% 70% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 60% 50% 40% 30% 20% 10% カ そ の 他 東 リ ア フ 中 ド ュ 中 南 米 ラ ン S E A ー ジ ー A N IE S 国 ア N ア ジ 中 欧 欧 東 西 ダ ナ 国 キ シ コ メ カ 米 オ ー ス トラ リ ア ・ニ 輸 出 全 体 を 行 輸 っ 出 て を い 行 る っ て い な い 0% 図8-b には、貿易面における FTA 締結後の為替リスクや通貨交換コストの重要性につ いて輸出企業の最大輸出国別に分類されている。輸出を行っている企業と輸出を行ってい ない企業との間では、貿易面における為替リスクや通貨交換コストの重要性に対する認識 に若干の相違が見られる。輸出を行っている企業の方が輸出を行っていない企業よりも FTA 締結後の貿易面における為替リスクや通貨交換コストを重要視している。 輸出企業の最大輸出国別に見ると、欧米を最大輸出国とする企業は、FTA 締結後の貿易 6 面における為替リスクや通貨交換コストを相対的に高く重視している。米国と西欧を最大 輸出国とする企業のおよそ 90%が「非常に重要」もしくは「重要」と回答している。これに対 して、アジア NIES、ASEAN、オーストラリア・ニュージーランドを最大輸出国とする企 業については、「非常に重要」もしくは「重要」と回答した比率は相対的に低くなっている。 3.1.2 直接投資面 直接投資面に関して、FTA 締結後も残る為替リスクや通貨交換コストの重要性について、 企業全体の 77.8%が「非常に重要」もしくは「重要」と認識している。貿易面に関して為替リ スクや通貨交換コスト重要視する企業の比率が 82.6%であるのに対して、若干低い。 これを業種別に分類したものが図9-a に表されている。鉱業、建設業、電気・ガス業、 卸売・小売業、サービス業で「非常に重要」もしくは「重要」の比率が相対的に低い。一方、製 造業においては、全体の比率と等しく、運輸・通信業、金融・保険業、不動産業では、為替 リスクや通貨交換コストを相対的に高く重視していることがわかる。 図9-a:為替リスク・通貨交換コスト直接投資面(業種別) 100% 90% 80% 70% 60% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 50% 40% 30% 20% 10% の 他 そ 業 ス 産 業 サ ー ビ 不 動 業 輸 ・通 信 業 卸 売 ・小 売 業 金 融 ・保 険 業 運 気 ・ガ ス 電 製 造 業 建 設 業 業 鉱 漁 業 業 農 全 体 0% 図9-b には、直接投資面における FTA 締結後の為替リスクや通貨交換コストの重要性 について輸出企業の最大輸出国別に分類されている。輸出を行っている企業と輸出を行っ ていない企業との間では、直接投資面における為替リスクや通貨交換コストの重要性に対 する認識に若干の相違が見られる。輸出を行っている企業の方が輸出を行っていない企業 よりも FTA 締結後の直接投資面における為替リスクや通貨交換コストを重要視している。 7 図9-b:為替リスク・通貨交換コスト直接投資面(最大輸出国別) 100% 90% 80% 70% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 60% 50% 40% 30% 20% 10% 0% る い い な い って 行 って を 行 を 出 出 輸 輸 全 体 米 国 コ ダ シ カナ メ キ 西 欧 東 欧 中 国 ア ジ ア ー オ ス ド N 米 EA ラン 中南 ー AS ジ ュー ・ニ リア E NI トラ S 中 東 カ 他 フリ その ア 輸出企業の最大輸出国別に見ると、欧米を最大輸出国とする企業は、FTA 締結後の直接 投資面における為替リスクや通貨交換コストを高く重視している。特に、西欧を最大輸出 国とする企業の 90%以上は、「非常に重要」もしくは「重要」と回答している。メキシコ、オ ーストラリア、ニュージーランド、中南米ではその比率が 100%に達している。これに対 して、米国、アジア NIES、ASEAN を最大輸出国とする企業については、「非常に重要」 もしくは「重要」と回答した比率は相対的に低くなっている。特に、アジア NIES を最大輸 出国とする企業の比率が低い。 3.1.3 資金調達面 資金調達面に関して、FTA 締結後も残る為替リスクや通貨交換コストの重要性について、 企業全体の 65.8%が「非常に重要」もしくは「重要」と認識している。貿易面に関して 82.6% そして直接投資面に関して 77.8%に比較して、3つの側面の中では最も低い比率とである。 これを業種別に分類したものが図 10-a に表されている。鉱業、電気・ガス業、運輸・通 信業、卸売・小売業、サービス業で「非常に重要」もしくは「重要」の比率が相対的に低い。一 方、製造業においては、全体の比率と等しい。また、金融・保険業と不動産業では、他の業 種と大きく異なり、為替リスクや通貨交換コストを相対的に高く重視していることがわか る。さらに、全体としては、貿易面、直接投資面、資金調達面の順番に為替リスクと通貨 交換コストを重視する度合いが低くなっていくのに対して、金融・保険業では、逆に資金調 達面、直接投資面、貿易面の順番に為替リスクと通貨交換コストを重視している。 8 図10-a:為替リスク・通貨交換コスト資金調達面(業種別) 100% 90% 80% 70% 60% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 50% 40% 30% 20% 10% そ の 他 業 ス 産 業 サ ー ビ 運 不 動 業 輸 ・通 信 業 卸 売 ・小 売 業 金 融 ・保 険 業 気 ・ガ ス 電 製 造 業 建 設 業 業 鉱 業 漁 農 全 業 体 0% 図10-b:為替リ スク・通貨 交換コスト資 金調達面( 最大輸出国 別) 100% 90% 80% 70% 60% 無回 答 全く重要でない あ まり重要でない 重要 非常 に重要 50% 40% 30% 20% 10% 9 そ の 他 フ リカ 東 ア 中 南 米 中 中 国 ア ジ ア ス NI トラ ES リア A ・ニ SE ュ AN ー ジ ー ラ ン ド オ ー 東 欧 欧 西 シ コ メキ ダ カ ナ 国 米 い な い て っ を 行 出 輸 輸 出 を 行 っ て 全 い る 体 0% 図 10-b には、資金調達面における FTA 締結後の為替リスクや通貨交換コストの重要性 について輸出企業の最大輸出国別に分類されている。輸出を行っている企業と輸出を行っ ていない企業との間では、為替リスクや通貨交換コストの重要性に対する認識に、貿易面 や直接投資面における相違とは異なる相違が見られる。資金調達面においては、輸出を行 っていない企業の方が輸出を行っている企業よりも FTA 締結後の為替リスクや通貨交換 コストを重要視している。その理由には、前述した業種別の分類において、輸出企業でな い金融・保険業や不動産業の企業が資金調達面における為替リスクや通貨交換コストを重 要視していることを指摘できる。 輸出企業の最大輸出国別に見ると、メキシコ、西欧、中国、オーストラリア・ニュージ ーランドを最大輸出国とする企業は、FTA 締結後の資金調達面における為替リスクや通貨 交換コストを高く重視している。これに対して、米国あるいは ASEAN を最大輸出国とす る企業は全体と同じ比率で為替リスクや通貨交換コストを重視している。しかしながら、 アジア NIES を最大輸出国とする企業については、「非常に重要」もしくは「重要」と回答し た比率は相対的に低くなっている。 3.1.4 まとめ 自由貿易協定によって関税や非関税障壁が取り除かれた後には、日本とこれらの諸国の 経済主体が貿易・金融取引において直面する障害として通貨交換コストや為替リスクを日 本の企業がどれほど重視しているかというアンケート調査の結果から、いくつかの興味深 い結果が得られている。 アンケート調査に回答した企業全体でみると、FTA 締結後も残る為替リスクや通貨交換 コストの重要性について、貿易面に関して 82.6%、直接投資面に関して 77.8%、資金調達 面に関して 65.8%という順番で、「非常に重要」もしくは「重要」と認識している。しかし、 金融・保険業では、この重要視する順番が逆転する。 輸出企業の最大輸出国別に見ると、欧米を最大輸出国とする企業は FTA 締結後も残る為 替リスクや通貨交換コストを相対的に高く重視する傾向がある一方、アジア NIES を最大 輸出国とする企業はこれらを相対的に低く重視する傾向がある。この相違は、為替リスク や通貨交換コストに対する意識の相違を反映しているのかもしれないが、欧米に比較して アジア NIES との貿易取引において円建て決済が多いことから、為替リスクや通貨交換コ ストに対して相対的に重視する度合いが低いのかもしれない。 4. 東アジアにおける共通通貨 4.1 東アジアにおける共通通貨の可能性 東アジアにおける共通通貨の可能性について、マハティール・マレーシア首相のイニシ アチブの下で ASEAN 諸国がスタディを開始した。2001 年8月には、クアラルンプールで 10 「 ASEAN に お け る 共 通 通 貨 取 極 め と 為 替 相 場 メ カ ニ ズ ム ( Common Currency Arrangements and Exchange Rate Mechanisms)」と題したセミナーが開かれた。そこで は、アジア開発銀行(ADB)のエコノミストも参加して、ASEAN にとっての共通通貨導 入の費用と便益を整理した論文(Madhur (2001))も発表された。このように、ASEAN においては、域内における共通通貨の可能性について検討を始めたところである。1999 年 1月に EU11 か国でユーロが導入されて、スタートした欧州通貨同盟もおよそ 50 年の時 間を要したと言われている。したがって、東アジアにおける共通通貨の導入には、長い月 日を必要とするであろうが、その端緒が見られ始めた。 共通通貨を導入することのメリットは、共通通貨を導入した通貨同盟国間において通貨 交換コストが節約されるとともに、為替リスクが解消されることが挙げられる。通貨同盟 国の一部に通貨の信認が得られにくい国がある場合には、通貨の信認を確立している国が 通貨同盟のイニシアチブをとることによって、信認の低い通貨を信認の高い共通通貨に変 えることができることも指摘される。欧州通貨同盟においては、信認の高かったドイツ・ マルクが事実上、ユーロに置き換わることによって、ドイツのみならず EU 諸国に流通す る共通通貨ユーロの信認を高く維持できている。 また、通貨同盟において各国通貨が共通通貨に統一されて、半永久的な固定為替相場制 度が採用されると、為替相場制度における国際協調が強固なものとなり、地域内における 各国通貨当局による切下げ競争が起こり得なくなる。したがって、為替相場政策における 協調の失敗を解消できる。とりわけ、事実上のドル・ペッグ制度を採用している東アジア諸 国においては、共通通貨をドルと円とユーロの通貨バスケットに連動させることによって、 事実上のドル・ペッグ制度から離脱を可能とするであろう。 一方で、通貨同盟の費用として、最適通貨圏を満たさない地域における通貨統合は、非 対称的ショック(通貨同盟加盟国間の需要のシフトや生産性上昇率の相違)が発生したと きに対する調整費用あるいは調整がなされないために残る不均衡が挙げられる。 Mundell(1961)やMcKinnon(1963)が指摘するように、労働や資本などの生産要素の国際 的移動や経済の開放度が非対称的ショックを解消する重要な要因となる。また、通貨同盟 に参加することによって、各国中央銀行が統合されることから、金融政策の自由度が失わ れることや、通貨発行利益の再分配問題に直面する注2。 Bayoumi, Eichengreen, and Mauro(2000)は、東アジア地域が最適通貨圏かどうかにつ いて、GDP と物価水準のデータから構造 VAR モデルを用いて、各国の総供給ショックを 抽出し、2国間の総供給ショックの相関係数を計算することによって非対称的ショックを 分析することによって実証的に分析した。彼らの実証分析の結果によると、ASEAN を形 成するマレーシアとインドネシアとシンガポールにおいては、相関が 0.32∼0.49 と比較的 高い値となっている。また、シンガポールとタイの間の相関も 0.33 という値である。した がって、総供給ショックの相関を見る限りにおいては、これらの ASEAN4カ国が最適通 11 貨圏を形成する可能性を示している。 また、Ogawa and Kawasaki(2001)は、構造VARモデルに基づく分析に対して、一般化 購買力平価モデル注3を利用して、ASEANと韓国について、最適通貨圏の可能性を分析し た。この分析の結果からは、アンカー通貨として必ずしもドルに限定する必要はなく、円 やユーロでも問題ないことが示され、この地域での通貨バスケットの採用の可能性を示唆 している。一方、最適通貨圏の組合せとしては、ASEANと韓国をすべて含むことは難し く、タイとフィリピンの組合せあるいはシンガポールとマレーシアの組合せの可能性が示 された。現状では、東アジア諸国のすべてにおいて通貨統合は難しいかもしれないが、一 部の国の組合せにおいては通貨統合も不可能ではないことを示している。 4.2 共通通貨に関するアンケート調査 本プロジェクトのアンケート調査である「グローバル化・自由貿易時代の日本企業戦略調 査」のなかで、アジア域内における FTA 締結後における共通通貨の重要性に関するアンケ ート調査の結果を以下で整理しながら、日本企業がアジア域内における共通通貨に対して どのような認識を持っているかを考察しよう。 アジア域内における FTA 締結後における共通通貨の重要性について、アンケート調査に 回答した企業全体としては、その 54.0%が「非常に重要」あるいは「重要」と回答している。 同じアンケート調査における円の国際化の重要性に関して、日本の企業の 80%が重要と認 識していることに比較して低い比率となっている。 図 11-a には、業種別に分類されている。鉱業、建設業、製造業、電気・ガス業では、ア ジア域内における共通通貨について「非常に重要」もしくは「重要」とする企業の比率が相対 的に低い。一方、運輸・通信業、卸売・小売業、金融・保険業、不動産業、サービス業では、 アジア域内における共通通貨を相対的に高く重視していることがわかる。 12 図11-a:共通通貨(業種別) 100% 90% 80% 70% 60% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 50% 40% 30% 20% 10% 不 金 の 他 そ ビ ス 業 サ ー 動 産 業 業 業 融 ・保 険 業 売 ・小 売 卸 ス 業 輸 ・通 信 運 電 気 ・ガ 製 造 業 建 設 業 業 鉱 業 漁 農 全 体 業 0% 図 11-b には、アジア域内における FTA 締結後における共通通貨の重要性について輸出 企業の最大輸出国別に分類されている。輸出を行っている企業と輸出を行っていない企業 との間では、アジア域内における共通通貨の重要性に対する認識に多少の相違が見られる。 すなわち、輸出を行っていない企業の方が輸出を行っている企業よりもアジア域内におけ る共通通貨を重要視している。その理由には、前述した業種別の分類において、輸出企業 でない運輸・通信業、卸売・小売業、金融・保険業、不動産業、サービス業の企業がアジア域 内における共通通貨を重要視していることを指摘できる。 図11-b:共通通貨(最大輸出国別) 100% 90% 80% 70% 無回答 全く重要でない あまり重要でない 重要 非常に重要 60% 50% 40% 30% 20% 10% そ の 他 カ リ ア フ 東 中 中 南 米 ド ラ ン ュ ー ジ ー A S E A N IE S 国 中 ア N ア ジ 欧 欧 東 西 ダ キ シ コ メ ナ カ 国 米 体 を 行 輸 っ 出 て を い 行 る っ て い な い オ ー ス トラ リ ア ・ニ 輸 出 全 0% 輸出企業の最大輸出国別に見ると、メキシコと中東を除くと、輸出企業は、最大輸出国 13 別に見ても、アジア域内における FTA 締結後における共通通貨の重要性に対する企業の見 方に類似の傾向が見られる。通貨交換コストや為替リスクを重視する企業の比率が低いア ジア NIES を最大輸出国とする企業が、アジア域内における共通通貨については他の企業 よりも若干重要性を認識していることも図 11-b から読み取れる。 このように、アジア域内における FTA 締結後における共通通貨の重要性については、企 業全体の 54%が重要性を認識しているというアンケート調査の結果が得られた。この数字 を高いと見るか、低いと見るかは、何をベンチマークとするかに依存する。円の国際化の 重要性(80%)や通貨交換コスト・為替リスクの重要性(貿易面 82.6%、直接投資面 77.8%、 資金調達面 65.8%)に比較すると 54%という数字はけっして高い値ではない。しかしなが ら、短期的にはアジア域内における共通通貨の可能性が低いと認識されているなか、日本 企業の半分以上がアジア域内における共通通貨の重要性を認識していることは興味深い。 5. 結論 アジア通貨危機の経験から、貿易相手国が多様化している東アジア諸国にとってドル・ ペッグ制度もしくは事実上のドル・ペッグ制度は通貨危機を誘発する危険な為替相場制度 であるという教訓が得られた。しかし、近年、多くの東アジア諸国で事実上のドル・ペッ グに回帰する傾向にある。その原因として、国際通貨のネットワーク外部性に起因する世 界経済における基軸通貨としてのドルの慣性、そして貿易上における隣国との競争関係か ら生じる為替相場制度の相互作用が指摘される。このような状況において、東アジア諸国 がそれぞれ望ましい為替相場制度及び為替相場政策を採用すべきだが、前述した要因がそ れを阻止している。東アジア諸国が望ましい通貨体制を採用できるためには、円の国際化 とともに為替相場制度の国際協調などの国際通貨協力が必要となる。 東アジアにおいて円の国際化や国際通貨協力が進展する背景として、東アジア諸国の実 物面における一層の緊密化、すなわち、国際貿易の自由化がこれらの進展に弾みをつけ、 そして、加速するであろう。自由貿易協定が締結された後には、関税が撤廃され、そして、 非関税障壁さも解消される。そうなると、国際貿易取引において残された最大の障害は、 通貨交換コストや為替リスクとなる。このような状況において、これらの国際通貨面にお ける障害が相対的に重要な位置付けとなろう。国際通貨の問題点の多くは、協調の失敗に 起因するところである。したがって、自由貿易協定は、国際通貨における様々な問題を顕 在化させることによって、その解消にモメンタムを与えるであろう。 アンケート調査の結果から、多くの日本企業は、自由貿易協定締結後にも残る通貨交換 コストや為替リスクの重要性を認識している。また、東アジア地域における円の国際化に ついても多くの企業が重要視している。さらには、近い将来には実現することが難しいと 考えられる東アジアにおける共通通貨の導入についても、およそ半分の企業がその重要性 を認めている。さらに、為替リスクが貿易量に及ぼす影響に関する実証分析からも、負の 14 効果を及ぼしている結果が得られていることから、自由貿易協定が進展するにつれて、為 替リスクが貿易に及ぼす負の効果が顕在化することであろう。 参考文献 Bayoumi,T.,B. Eichengreen, and P. Mauro (2000) “On regional monetary arrangements for ASEAN,” CEPR Discussion Paper, No.2411. Madhur, S. (2001) “Costs and benefits of a common currency for the ASEAN,” mimeo. McKinnon, R. I. (1963) “Optimum currency area,” American Economic Review, vol. 53, 717-725. Mundell, R. A.(1961)“A theory of optimum currency areas,” American Economic Review, vol. 51,657-665. 小川英治(1998)『国際通貨システムの安定性』東洋経済新報社 小川英治(2001)「国際通貨同盟」大山道広編『国際経済理論の地平』東洋経済新報社 小川英治(2002)「自由貿易協定と円の国際化」池間誠・大山道広編『日本の通商政策−国際 経済学の立場から』文眞堂 (出版予定) Ogawa, E., and K. Kawasaki (2001) “Toward an Asian Currency Union,” a paper prepared for the 2001 KIEP/NEAEF Conference on Strengthening Economic Cooperation in Northeast Asia held in Honolulu, Hawaii, on 16-17 August 2001. 1 ガリバー型国際通貨システムについては小川(1998)を参照せよ。 小川(2001)を参照せよ。 3 一般化購買力平価モデルとは、複数の通貨との間で長期的に購買力平価が成立すること を想定して、共和分分析によって推定する。非対称的ショックが発生しないかぎりは、実 質為替相場に影響がないが、非対称的ショックが発生し、それによって生じる各国経済間 の不均衡が調整されない場合には、実質為替相場に影響が現れる。したがって、長期的に 実質為替相場の間に安定した関係が見出されると、非対称的ショックが発生していないか、 あるいは、非対称的ショックが発生しても、長期的には調整がなされることを意味するこ とから、最適通貨圏であると判断される。 2 15