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今年の年始は - Endo Lab.
The Scientist and the Wolf 今 年の年始は,約 15 年ぶりのアフリカ,初訪問のルワンダで過ごした. ドバイ, ナイロビ と飛行機を乗り継ぎ,1日以上かけてやっと到着したルワンダで驚いたのは,首都キ ガリがおよそ「アフリカ的」 でないことだった.安全で平穏で,道路にはゴミ一つ落ちていない. それはシンガポールの清潔で脱臭されたような街並みを思わせたりもする (実際ルワンダでは ゴミのポイ捨ては罰金の対象) . ルワンダと言えば,90 年代のフツ人によるツチ人に対する ジェノサイドの悪夢(100日間で100 万人近くが虐殺されたという) が思い起こされるが,高 原の首都キガリは, そうしたことが嘘のように穏やかな秩序に支配されていた. ジェノサイド時 に,警告の報告が届きながらもツチ人を見捨てた欧米, その贖罪というべき様々な経済的 援助も背景にあるのだろうが, なによりもツチ人の反政府ゲリラを主導したポール・カガメ大 統領の強力なリーダーシップがある.観光とIT立国をめざして,経済成長率7%前後という奇 跡的な近代化が実現しているのである. もちろん少し中心部を外れれば,貧しい庶民の生活 があるし, キガリを離れれば, さらに貧しい農村の風景がある. しかしそれでも人々の表情は 明るく, ジェノサイドの記憶を留めるべく作られた虐殺 記念館の展示物とのギャップは大きかった. それにしても,ルワンダの人たちはつい20 年前 の忌まわしい出来事をどうやって乗り越えたのだろう か. それは,道徳的規範がいかに作られ, それが時に よってはいかに簡単に破られ, しかしまたその後, そ れが破られた過去はいかに乗り越えることができる か, という問いでもある.突き詰めるなら, われわれは ルワンダで 「タンパク質の社会」 を紹介 いったいどうやって道徳的規範を確立したのか, という問題に行きつく. これを 「社会契約」 と して捉えたのは17 世紀のトマス・ホッブスだった.一方, マーク・ローランズは『哲学者とオ オカミ』 (白水社) で,社会契約論を批判しつつホッブスやジョン・ロールズの道徳論をいか に乗り越えていくかを考える.著者は大学で教鞭をとる哲学者だが,一匹のブレニンと名づ けるオオカミと出会い,約 10 年間にわたり共同生活をする.彼は大学の講義にも, ラグビー の試合にも,パーティや旅行にもブレニンを連れて行く. そのなかで,彼は人間という存在に ついて思索し,人間に「オオカミ的部分」 と「サル的部分」 を見いだしていく.進化の過程で, オオカミ的な部分にサル的な部分が付け加わってできたのが人間というわけだ. たとえばローランズは, ヒヒの例をとりあげる. 「ヒヒの群れが細い道を歩いていた.雌のSは, マツグミの茂みが一本の木にからまっているのを見つけた. この植物はヒヒの大好物の一つ だ. Sは他のヒヒには目もくれずに,道端に腰をおろすと,熱心に身づくろいを始めた.他のヒヒ たちはSのそばを通り過ぎていった.皆の姿が見えなくなると,Sは木に跳びついて, マツグミ を食べた. このヒヒの行動は,人が地面に20ポンド紙幣を見つけたとき,靴紐を結ぶようなふ りをしてかがむのと同じである. 」Sがマツグミを見るのは一次の心象,仲間の一頭が Sが何か 興味深いものを見たことに気づくなら, それはSによる世界の心象の心象を作り出したわけで あるから二次の心象, 自分が何か興味深いものを見たことを他のヒヒが気づいたかもしれな いことを,Sが理解するなら, それは心象の心象の心象であるので三次の心象ということにな り,格段に複雑な脳の活動が必要となる.他人の目を気にするということは,突き詰めて言え ば,欺きと謀略の能力を獲得すると言うことだ. いかに他人にだまされず,他人をだますことが できるか, ということのために大脳新皮質の割合を飛躍的に増大させてきたことがヒトの脳の 進化の本質である.芸術や哲学的思考はこうした進化の副産物に過ぎない. わたしたちがも つ最高のものはわたしたちがもつ最悪のものから生じた. そうであれば, オオカミの生き方にこ PROTEIN COMMUNITY Vol.8 | 001 そ, ヒトの存在の最も純粋で気高いなにかを見いだすことができ は遺伝子操作でついに るのではないか・・. これがローランズのユニークな主張である. 老 化を克 服,25 歳で老 契約の観点から見た道徳の目的は, お互いをほとんど知らな 化が停止する. しかし老 い者どうし, お互いをとくに好きでない者どうしのやりとりの調整で 化停止で不可避となる人 あり, したがって正義 (公正さ) が道徳的な徳目となる. そこからは, 口問題を解決するために, 群れのメンバー(身内) への忠節という,正義とは別の基本的で 本能的な (オオカミ的な) 道徳の視点が抜け落ちている.契約と 腕に埋め込まれた余命クロック (『タイム』) 25 歳からの余命はデフォ ルトで1 年にセットされ,余 は欺きと謀略からなるサル的な計算の帰結, サルによるサルの 命が通貨として流通する社会になっている.富裕層は生きたい ための発明物であり,契約ではつくることのできない,本当に意 だけ生きることができるが,貧しい人々は文字通り命を賭けた熾 味のある 「サルとオオカミの関係」 については語ることができない. 烈な生き残りを強いられ, 「人口調整」 が図られる. これはあってほ しくないシナリオだが,結局人間は時間的な存在であり,時間に さてやがて, ローランズは癌による死というブレニンとの別れ 支配され,時間に収奪されているのは事実だ.時間はわたしたち を迎える. そこで彼は, 「 私」 ではなくブレニンが失ったものを考 の力,欲望, 目標,計画,未来,幸福, そして希望すらも奪う.一 え,死と時間に関する考察を行う. 『哲学者とオオカミ』 の最終2 方オオカミ的な生き方の中には長寿を望むような発想はありえず, 章は美しく,感動的ですらある.人間のみが死を意識し,死は究 オオカミは死に向かう時間に支配されることはなく,時間によって 極的な挫折として焦点を結ぶ. それでは人間が死を悪と考える 奪われない瞬間の中に存在する. のはなぜだろうか. 「 人間は未来について考え, 自分が望むよう な未来に合わせて現在の行動を律し,計画し,方向づけること 科学における「発見」の美しさも,本来は瞬間的なものであ ができるので,他の動物よりも人生に大きな投資をする. だから るはずだ. しかし今日のサイエンスの在り方においては,税金を 死ぬときに失うものは,人間の方が他の動物より大きいし,死 使って行われた研究による発見には良いジャーナルでの発表 は人間にとっては,他のどんな動物よりも悪い. 」 が求められ, それが次の発見を生み出すプロモーションや予算 しかしこれは全くサル的な視点の議論であることに彼は気づ 獲得への動機づけになっている. オオカミ的であるべき発見も, く.人間は過去から現在を通って未来に流れる川のように時間 サル的な時間に限りなく支配されてしまっているのだ.Jennifer を捉えることで,他の動物と違って時間を見たり,理解できるも Lippincott-Schwartzのインタビューは発見することの感動と のにし,形づくれるものにすらできる. しかしこの流れが向かって いう研究の原点を教えてくれる,本ニュースレター最後のインタ いる未来とは,死でもある. したがってわたしたちは死と結びつ ビューに相応しいものであったが,彼女のそんな研究の在り方 いた生き物であり, そのことによって他の動物ができないような を可能にしたのは,実は競争的資金の獲得に煩わされること 形で死をたどることができる, 「時間的な生き物」 である. ところが のないNIHの恵まれた研究環境であった. オオカミは瞬間を生きる.彼らにとって時間は線ではなく,輪であ そもそも現在の研究者にとって, オオカミ的な研究との向き り, オオカミの生涯のそれぞれの瞬間はそれ自体で完成してい 合い方はありうるのだろうか. Jeff Schatzがコールドターキー注4 る.時間が輪なら 「二度とない」 はなく, したがって喪失の感覚も と呼んだ研究現場からの退場, すなわち定年に向かう時間の 『科学者とオオカミ』 ない. オオカミにとっては,死は本当に生の限界,終わりであり, 流れをそろそろ意識せざるを得ない筆者は, だからこそ死はオオカミを支配しない. この考え方は, かつて紹 に関する思索を始めるべき時なのかもしれない. しかしそのため 介した, 「過去は現在のために存在しているのではない.他人が にはまず, オオカミを手に入れねばならないし, オオカミがあるて 私のためだけに存在しているのではないように,過去は現在と いど自由に生きられるための広い家を持たねばならず, そのため の関係ぬきにそれ自体として存在している. 自己も現在も, ただ には低賃金の研究者という職業を辞めねばならぬという矛盾を それがたまたま自己であり現在であるという事実以外に何の意 抱え込むことになるのだが・・. 味もない」 という,時間の「考古学的」視点注1と同じである. (本特定領域研究はこの3月で終了します.班員の皆さまには, われわれの近未来は,現在以上に「死に向かう現在」 を意識 素晴らしい研究成果をあげていただきあり させられる過酷なものになっているかもしれない. サーチュイン・ がとうございました.御礼申し上げます. ) アンドリュー・ニコ ストーリーはとんでもない展開になった注2が, 『タイム』 (原題In Time) が描く未来では,人類 ル注3監督の新作 領域代表:遠藤 斗志也 (名古屋大学大学院理学研究科) 注1.「死に神の目と神の手」 シャペロンニュースレター16 , 80-81 (2007) 注2.「Aging genes: the sirtuin story unravels」Science 334 , 1194-1198 (2011) 注3.『ガダカ』 の監督, 『トゥルーマン・ショー』 の脚本を担当した. 002 | PROTEIN COMMUNITY Vol.8 注4.コールドターキーとは麻薬中毒患者の禁断症状のこと.