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異世界で生活することになりました
異世界で生活することになりました ないとう タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 異世界で生活することになりました ︻Nコード︼ N6133R ︻作者名︼ ないとう ︻あらすじ︼ 何の準備も無くいきなり異世界に放り出された神崎悠人。そんな 彼が成り行きで契約することになった精霊と共に帰り道を探すため、 あちこち旅行して回ります。︱︱読者の方の暇を少しでも紛らわせ ることができれば幸いです。 1 1 ﹁どうしてこうなった?﹂ 時刻はたぶん昼、周りは深い森。 僕の目の前にあるのはボロボロの祭壇。 長らく放置されていたらしく、あちこちが大樹とコケに侵食されて いる。 非常に幻想的で美しい。 こういう景色を元の世界で見るのは不可能だと思う。 来て良かったってちょっとだけ思った。 ﹃主よ、どうかしたのか?﹄ ﹃・・・なんでもない﹄ 頭の中から響く鈴の鳴るような少女の声に僕は思わず天を仰いで、 その後にそっとため息をつく。 最寄の集落まで後7日くらい、遠くに来たもんだ。 ◆ なんてことはない、昨日は普通に自室のベッドで寝ていたのを覚え ている。 なのに朝起きるとベッドではなく、土の上。 おかげで腰が痛い。 2 しかもパジャマだったはずの服装が普段着になっていた。あと靴も か。 誰に着替えさせられたんだよ・・・。 しかしここはどこなんだろう? 周りを見回す。 目の前にあるのは半分森に埋もれた祭壇、その周りは広大な森。 祭壇は墓石のような感じで、中央付近の一部が薄っすら光っていて ひじょ∼に不気味だ。 森は深く、木は一本一本が異常に太い。屋久杉かと。 ただし葉の形は初めて見るタイプだ。 どうやら僕はその祭壇に捧げられる生贄のような状態で寝ていたら しい。 次に足元、どうやら着の身着のままってわけではなくてバッグも転 がっていた。 中身はペンチとかiPodとか結構いろいろ入ってる、あとでちゃ んとチェックしないと。 とりあえず気になるのは目の前の光物。 こんな意味不明な場所に拉致された理由がなんとなくわかるかもし れない。 祭壇に近いづいてみると光物はどうも文字っぽい物みたいだ。 文字っぽいものは光っている部分と光っていない部分とコケとか土 が詰まってどっちだか分からない部分がある。 僕がコケを払おうと文字に触るとパキッと何かが割れるような音が して文字は光らなくなった。 3 ひょっとして壊した? なんだか非常にまずいことをした気がする。 前に日本人が重要文化財を破壊して大騒ぎになったことがあったよ うな。 ﹁・・・っ!﹂ ぞわり、と体内から何かが流れ出る感じがした。 んんっ? いや、まった、ぞわりっていう表現は多分正しくない。 不快ではないどころか結構気持ちがいい。 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⋮⋮⋮⋮ ⋮⋮ ⋮ ﹁いつまでもこんなところで何をしておるのだ?﹂ この不思議な感覚に身を任せてぼけっとしてただけに心臓が口から 飛び出すかと思った。 いきなり女の子の声だよ? 4 なんでこんなところに? それともこの辺ってわりとメジャーな地域なのかな? ﹁・・・﹂ ﹁無視をされると悲しいのだが﹂ いや、無視してたわけじゃなくて驚いてただけなんだけど。 とりあえずいつまでも背中を向けてるのは失礼なので後ろを向く 今までに見たこともないくらいの可愛らしい女の子が居た。 身長は160cmくらいでほっそりとした体、整った顔立ちに綺麗 な緑の瞳。 僅かばかりのシミすらない美しい白い肌、腰まである綺麗な銀髪は 下のほうでまとめられている。 緑から白のグラデーションがかったワンピースはその少女に良く似 合っていた。 何より特徴的なのはその姿が半透明なところだ。 ﹁・・・・・・・・・﹂ ﹁聞いておるのか?﹂ ﹁僕は夢を見ているんだ、これが現実なはずが無い﹂ いきなり森の中とか、半透明の女の子とかとにかく現実味が無さ過 ぎる。 思わず僕は頬を抓ってみる。痛い。 5 ﹁イタイ・・・﹂ ﹁頬を抓れば痛いだろうに、主はどうみても起きておるぞ?﹂ ﹁いやいや、現代日本に幽霊とかいないからっ!﹂ ﹁ゆっ・・・幽霊だとっ? あんな下級の生き物と同一視しおって、 妾は精霊だっ!﹂ ﹁へ?﹂ イマ、ナンテイッタ? 精霊?なにそれ? いやいや、ちょっとまって、 その前の台詞にもっとおかしなところがあったよね? ﹁﹁・・・・・・・・・﹂﹂ だめだっ!このまま沈黙していても何も解決しない。 ここはひとつ、僕から彼女に質問をするべきだ。 ﹁えーっと・・・、いくつか聞きたい事があるんだけれどいいかな ?﹂ ﹁主になら何でも答えよう、いくらでもよいぞ﹂ 幽霊扱いで怒っているかと思ったけれど、案外そうでもないみたい だ。 フンッ、と胸を張って精霊?は答えてくれた。 ﹁それじゃあまずは基本的なところから﹂ ﹁うむ﹂ 6 ﹁僕の名前は神崎 悠人。君の名前は?﹂ ﹁妾はエルシディア、親しいものからはエルと呼ばれておる。主に もそう呼んでもらいたい﹂ この自称精霊の名前はエル、と。 次の質問は短いけど一番重要かな。 ﹁エル、ここの地名を教えてくれないか?﹂ 相手は日本語を喋っているけれど、植生などが明らかに日本と異な る。 AVSなどで作られた非常に高度なVR環境って可能性も考えたけ ど、 あんなので女の子や綺麗な風景を作れるとはとても思えない。 って。 だから、僕は納得するために聞いておきたい。 ここは異世界なんだ ﹁ファルド王国のウィスタ大森林だな。・・・ってなんでそんなこ とを聞くのだ?﹂ ﹁朝起きたらいきなりここに居たんだよ。着の身着のままじゃない あたり誰かに拉致されたみたいなんだけどね。それが誰なのかもわ からないし、そもそもその理由も分からないんだ﹂ はあ∼・・・。 こういう召還モノって国とかに召還されて しっかりとしたアフターケアを受けられるものじゃなかったっけ? まあいっか、どうしようもないし。 エルはどう反応していいのか分からないような顔してるし、次の質 問だな。 7 ﹁次の質問なんだけど、何で僕が主? エルに対して僕は何もした ことが無いし、会うのも初めてなんだけど﹂ ﹁主に魔力を供給してもらったからだ。おかげでこのように不完全 ながら実体化できる﹂ ﹁魔力?﹂ ﹁妾の魔力供給用魔方陣に触ったときに供給していたではないか﹂ 変な文字に触ったときのあれのことか。 ちょっと意識すると体内でぐるぐる回る魔力?をはっきりと知覚で きる。 多分ちょっと練習すれば放出したりするのも簡単なんじゃなかろー か。 ・・・ん? ﹁いや、ちょっと待ってよ。魔力の供給と主従関係ってなんら関係 なくない?﹂ ﹁そんなことないぞ、主の魔力の波長は妾ととても相性が良いのだ。 こんなことは900年も生きてきて初めてなのだ。だから妾は主に とても興味がある、嫌でなければ契約を結んでもらいたい。妾はこ の大陸をある程度まわったことがあるからきっと役に立つぞ!﹂ 900年・・・さすがファンタジー。 契約って言うのが具体的にどういうものかはさっぱり分からないけ ど︵まさか所有権じゃないだろう︶ こんなわけの分からない現状で現場に詳しそうな同行者が出来るの は素直に歓迎。 8 ﹁喜んで。いろいろ途方にくれていたところだから本当に助かる﹂ ﹁そうか、妾も安心した。さあ、主よ。右手を出して手のひらをこ ちらに向けてくれ﹂ にっこり笑ったエルが僕に近づき、お互いの手のひらを合わせる。 手のひらを重ねると先ほどよりかなり多量の魔力がエルに流れ、少 量のエルの魔力が僕に流れた。 多分こうやって魔力を重ねることを契約と言っているのだろう。 ﹁これで契約は完了だ﹂ ﹁意外とあっさりだね﹂ 僕のほうにエルの魔力が入ってきたが、体などに特に変化はない。 変化があったのはエルのほうだ。 一瞬姿が光ったかと思うと、 さっきまでの半透明状態では無くなりちゃんと実体を持つようにな った。 エルは自分の体を見てポカンとした表情をしている。なんで? ﹁主は今すごく疲れていたりしないか?﹂ ﹁いや、全く﹂ 魔力がガッツリ流れたので運動後の爽快感みたいな感覚はあるけど 特に疲労感ってないなぁ。 ﹁失礼な質問だが主は人間か?﹂ ﹁失敬な、僕は間違いなく人間だ﹂ ﹁妾をはっきりと実体化させた上でまるで負荷を感じないなんてお よそ人間が持つ魔力量を逸脱しておるのだが﹂ 9 なんというテンプレ展開。 ﹁負荷はよく分からないけど、魔力が多い分には困らないしいいん じゃない?﹂ ﹃そうだの﹄ ・・・うわっ! ﹁ちょ、今の何?﹂ ﹃ん?ああ、これか。これは契約者同士が離れていても会話できる 機能だ。ちょっと集中すれば主も出来るぞ。頭の中で相手に話しか ければよい﹄ ファーストインプレッションだけあって驚くことが多いな。 簡単らしいのでちょっとやってみよう。 頭の中で話しかけるのと集中するのを同時に行うって・・・こうか? ﹃アーアー、テステス。聞こえる?﹄ ﹃うむ、しっかり聞こえておるぞ﹄ にっこり笑ったエルが答える。 どうやらオーケーみたいだ。 充電不要の携帯電話、非常に便利だな。 対象が一人限定だけど現状僕には必要十分だ。 ﹁さてと、このままここにいても仕方ないし、最寄の集落に向かい たいんだけどどっちにいけばいいかな﹂ ﹁ガルトが一番近いな、徒歩で7日というところか﹂ ﹁・・・・・・遠いな﹂ 10 朝起きたらいきなり森の中に放置で次の集落までは7日間。 これでゲンナリしない人がいるなら見てみたい。 はあ・・・。 11 2 2010年6月15日 今日から日記を取る。特に理由は無い。強いて言うとバッグにボー ルペンとメモがあったから。 記入した日付の意味があるのかは甚だ疑問だ。世界違うし。 ガルトの町まで移動開始。 幸い早々に現地に詳しいエルが仲間になったので今後に対してあま り心配は無い。 そういえばバッグの中には野外生活に便利なものが多かった。 浄水器やハイドレーションキット、シルバコンパスなど 役に立たないもの代表としてiPodとその充電器、鉛筆削り、G PS、USBのウェブカメラなど 鉛筆ないけどボールペンあるし、マジで何が目的なんだろう。この バッグ。 ちなみにGPSは電池切れで起動できなかった、そりゃそうか。 昼食はエルに採ってもらった果物、リンゴみたいな食感だが味はイ チゴ うまいが違和感が凄まじい。 夕方まで歩いてビバーク。 夕食は川で取った魚を焼いたもの、残念ながら調味料が無いのであ まりおいしくは無い。 油滴る魚肉だけではなんとも寂しい、何とかして塩かしょうゆか味 噌を確保しなくては。 12 気温は低くないので体の調子を壊す心配はなさそうだ。 空を見上げると木々の陰から月が二つ見えた。 本格的に異世界だな。 ◆ 2010年6月16日 移動二日目。 朝食は無し。 体の調子を心配したが全く問題ない。 あれだけ歩いたにもかかわらず筋肉痛や疲労感が全く無い。 ちょっと体に違和感があったので全力疾走するとスプリンターのよ うな速度で走れる上にまるで息が切れない。 結局3キロほど全力疾走したがやや息が上がったくらいだ。 エルが僕のことを人かどうか疑うような目で見ていたのがちょっと だけ悲しい。 そういえばどうやって僕についてきたのかと思ったらエルは僕に入 り込めるらしい。 昼食はエルが木の実と果物を取ってくれた。 果物は昨日と同じもの、木の実はカシューナッツの味がするどんぐ りだった。 やはり塩が恋しい、特にどんぐりのほうはオリーブオイルを絡ませ てから塩を振り 若干フライパンで炒めることで劇的に美味しくなるだろう。 食事中にエルに僕が異世界出身のことを話した。 半信半疑みたいな感じだけど、浄水器をはじめとした現代のアウト 13 ドアグッズが証拠となり なんとなく納得したみたい。 ◆ 2010年6月17日 移動三日目。 エルに魔法を教えてもらった。 魔力を放出しながら強くイメージすると使用できる。 高枝切バサミのように使用したり、軍用懐中電灯からスタンロッド を出力したりできる。 特に炎の魔法はガスコンロとして、水の魔法は飲み水として今後非 常に役に立ってくれるだろう。 実際今日は果物を取るときに便利だった。リンゴがうまい。 ちなみに魔法を使用したらエルにめちゃくちゃ驚かれた。 またエルが僕のことを人かどうか疑うような目で見ている。 これで二日連続、ちょっとショックだ。 2. 1. トリガーとなる言葉を言う 魔方陣に魔力を供給する 魔方陣を用意する︵杖に込めたりするようだ︶ どうも人は魔法を使うためのステップとして 3. という手順があるらしい。 ステップを無視して使えるのがどれだけ異常かをエルは懇切丁寧に 説明してくれたが、 正直詳しいところは良く分からなかった。 というかエルも似たようなステップで魔法使ってるじゃないか。︵ 14 精霊だからか?︶ 最初に教えてくれたあの方法は冗談のつもりだったのだろうか。 ◆ 2010年6月18日 移動四日目 朝食は確保できなかったのでバッグに入ってたカロリーメイト︵チ ーズ︶を空ける。 残り二つ。バッグに荷物詰めた人?もどうせならMREでも入れて おいてくれればいいのに。 体力が有り余っているので連日の移動速度がかなり速い。 エルの話が間違いないならそろそろ目的地に到着するだろう。 だんだんと木が細く、まばらになっているのでそのうち草原になり そうだ。 川で水浴びし、ついでに衣類を洗っておく。さらに魚も取った。 一石三鳥だが、魔法が無ければとてもできなかっただろう。 途中売ればお金になる薬草をエルが拾ってくれた。 町に着けば当然お金が必要になるが、今の今まで気づいてもいなか った。 アブネー、町についても野宿とか悲しすぎる。 今日も夕方まで歩いて野営。 夕食はどんぐり︵カシューナッツ味︶と魚。 15 携帯用ガスコンロのガスがなくなったので捨てる。 申し訳ないけど荷物は軽いほうが良い。 そういえば野生動物はおろか昆虫すら見ていない。 この森はどこかバグってるんじゃ無かろうか。 早いところガルトの町に到着したい。 そして旨い物が食べたい。 16 3 昨日から引き続き草原を歩くこと約2時間、腕時計は10時を示し ている。 僕の目の前にはガルトの町が広がっていた。 エルから人口や住居などは聞いていたが、数千人の人口を抱える町 の光景は想像を超える。 木で出来たRPGに登場するような家や商店、宿屋。 まだ昼前だというのに薄暗い雰囲気を漂わせている酒場。 個人的にはちょっとわくわくするものが置いてあるであろう武器屋 と防具屋。 自分の世界には無かった魔法の道具などを扱う雑貨屋。 活気のある町並み、行きかう人々は異世界らしくジェリービーンズ のようにカラフルだ。 ただ、ジェリービーンズのようにカラフルなので黒髪の人は今のと ころ一人も見ていない。 ︵サルミアッキ味とか人気ないだろうしね︶ あちこち見て回るもの全てが初めてで凄く楽しい。 どうしてこんな世界に来たのかは全く知らないが、とりあえず今は 観光を楽しもう。 しかし、観光といえば金がかかる。 あたりまえだけど僕は無一文なわけで、どうしたもんか。 何とかしてお金を稼いで塩気のある料理を食べたい。 ﹁なあ、エル﹂ ﹁どうした?﹂ 17 ﹁昨日の昼過ぎに換金可能な薬草を拾ったよね。あれを換金しにい かない? 塩気のあるご飯が食べたいんだけど、僕たちって無一文 だからさ﹂ ﹁そうであった、このままでは食事も取れぬ。先に冒険者ギルドで 換金してしまおう。ついでに主のギルド登録もだな﹂ ◆ 歩くこと10分ほどで目的地についた。 冒険者ギルドはしっかりした石造りの建築物。 木で出来た看板には剣と杖をクロスさせたような絵が焼きこまれて いる。 中に入るとそこはまさしく冒険者ギルド。 左手奥にはおそらく依頼なのだろう、大量のメモが壁に貼り付けら れている。 右手側は軽い食事や酒を出すための小さな丸テーブルと椅子がなら んでいて、 まだ昼だというのに酒を飲んで騒いでいる何人かの冒険者たち。 そして中央のカウンターにはギルドの店長らしき彫りの深い顔のお っさんがいる。 ﹁こんにちは﹂ ﹁ガキが何のようだ、市場は西のほうだぞ﹂ 店長さんに挨拶するなりいきなりひどい事をいわれた気がする。 ﹁いえ、冒険者ギルドの登録と薬草をの換金をお願いしたくて﹂ 18 ﹁薬草はともかくギルドの登録は15歳からだ。ガキは登録できな い、死ぬだけだからな﹂ ﹁ちょっと待ってください、僕は21歳です! 一体いくつに見え たって言うんですか?﹂ ﹁嘘をつくな嘘を。お前は15,6、隣のお嬢ちゃんはそれよりも う少し上か?﹂ エルのほうが上に見えるのか。 かなりショックだ。 ﹁仮に15歳だったとしても登録可能な年齢じゃないですか。﹂ ﹁さっきも言ったがガキは登録しない、ギルドの仕事は遊びじゃな いし、何より死ぬやつも多い。そんなところに15歳ぎりぎりの奴 を入れると思うか?﹂ 店長さんに言葉の刃で切り裂かれているとエルが一歩前に出て僕を 見た。 なるほど、僕のことを援護してくれるんだな。 ﹁主は成人しておったのか! てっきり15くらいだと思っておっ た﹂ ﹁・・・・・・・﹂ ﹁しかし、身長といい顔といい。・・・いや、すまぬ。﹂ ええ、そうですよ。 僕はちびですよ、そうですよ。 しょうがないじゃないか、身長なんて遺伝子で決まってるんだから! 牛乳を毎日飲んでもわずか160cmですよ。 顔だってなんだか子供のままでちっとも大人っぽくなりませんよ。 ・・・グスン。 19 ﹁その、すまぬ。そんなに落ち込まないでくれ﹂ ﹁ありがとう・・・大丈夫だから﹂ エルが慰めてくれるが、凹むなぁ。 でもまあ、とりあえず今は目的を達成しないと。 ﹁店長さん、どうにかなりませんか? ギルド登録できないと僕た ち飢えちゃうんですよ。﹂ 飢える、という単語を伝えると店長さんはなんだか悩んだ表情をし だしてしばらく悩み始めた。 ﹁仕方ない、登録を許可しよう。無茶して死ぬんじゃねえぞ﹂ ﹁ありがとうございます﹂ ﹁登録は二人でいいのか?﹂ ﹁妾の登録は不要だ、登録は主だけでよい﹂ ﹁わかった。必要事項に記入するから二つ質問に答えろ﹂ 紙を渡さないってことはあれか、識字率とかの問題なのかな。 とか 主 などといってるけど無反応かよ。 なんていう奴がいたら注目の的だぞ、いろんな意 妾 発展途上国などは字がかけない人も多いだろうし、異世界ならなお さらかな? 妾 さらっとエルが 僕の世界で 味で。 ﹁まずは名前だ﹂ ﹃主、このあたりでは名前が先だぞ﹄ ﹃ありがと、普通に答えるところだった﹄ 20 念話で素早いサポートが入る。 エルがいなかったらいろいろ困っていたんだろうな。 異世界生活初日からお世話になりっぱなし、エルに何かしてあげら カンザキです﹂ れることがあればいいんだけど。 ﹁ユート ﹁変わった名前だな。次は戦闘手段なんだが・・・正直お前に出来 ることがあるとは思ってない﹂ ﹁それ、ひどくないですか? 確かに戦ったことなんて無いですけ ど。あー、でも魔法得意ですよ、たぶん﹂ ﹁ほら、戦闘したこともないだろうが。しかも魔法?お前杖も持っ てないだろうが。ともかく聞くことはこれで終了だ。そこの椅子に でも座ってちょっとまっとけ﹂ ﹁わりかました、ありがとうございます﹂ 店長さんの視線の先を見ると軽食屋の椅子とテーブルがあるのでそ こで待っていろということなのだろう。 ちょっとが果たしてどの程度だかは分からないが、ともかくある程 度の時間がかかるのだろう。 とりあえず一番近くの椅子に座るとテーブル挟んでの対面にエルが 座った。 ﹁さて、これからどうしようか?﹂ ﹁どうするもこうするも元の場所に帰る方法を探すのではないのか ?﹂ ﹁いや、まあそうなんだけどさ。さすがにノーヒントだとどこから 探ればいいのやら﹂ 21 最終目標は自宅に帰る道を探すことだけど、いきなりその目標を達 成するのはかなりハードルが高い。 なにせほぼノーヒントなのだ。 分かっていることは誰かに拉致されて来た可能性がかなり高いって ことくらい。 ほかにはなーんもヒントがない、どうしろと? ﹁それならば古代の遺跡の探索はどうだろうか?﹂ ﹁ひょっとして技術レベルが現代より高かったり?﹂ ﹁かなり高いな。実際主の状況を現在の魔法で行うことは不可能だ、 あるとすれば古代遺跡の遺物くらいだと考えている﹂ 古代遺跡か、ロマンあるよね。ついでにヒントもありそうだ。 懸念事項としてやはり安全性か。 ﹁その古代遺跡の探索は魅力的なんだけどさ、危険なんじゃないの ?﹂ ﹁非常に危険だ﹂ ﹁いや、そんなハッキリスッキリスッパリ言われても困る。僕は知 っての通りこっち来てから日が浅いし、非常に安全な国に住んでい たから戦闘能力なんて欠片も無いぞ。確かに身体能力や魔力はある んだろうけど、それをうまく使えないんだよ﹂ ﹁う、そうであったな﹂ ﹁あー、でもそうか・・・﹂ しばらくうだうだと実の無い会話をエルと続けていると ギルドマスターが手に小さなカードのようなものをもって近づいて きて口を開く。 ﹁おい、ガキ、登録が出来たぞ。こいつがカードだ、無くすと次か 22 ら有料だから大事にもっておけよ?﹂ ﹁ありがとうございます、無くさないように大事にバッグにしまっ ておきます﹂ カードは金属のような質感だが非常に軽く、油断すると割ってしま いそうだ。 僕はカードをバッグにしまうと、代わりに薬草を取り出す。 ﹁あと、薬草を買い取っていただきたいのですが﹂ ﹁プランタ草か、良くこんな大量に見つけたな﹂ ﹁見つけたのは僕じゃなくてエルですけどね﹂ ﹁そうなのか、あのお嬢ちゃんなかなかやるじゃないか。ともかく 薬草は買い取るぞ。銀貨3枚と銅貨25枚でどうだ﹂ 店長さんがそういって銀貨3枚と銅貨25枚を丸テーブルの上に置 くが、貨幣価値が分からないのでちょっと困る。 あ、でもまああんまり酷ければエルが反論してくれるか。 僕は丸テーブルの上のお金を小袋にまとめて入れた後、バッグにし まう。 ﹁買い取っていただいてありがとうございます﹂ ﹁おう、また薬草を見つけたらもってこい。依頼を完遂するなら街 中の作業にしとけよ、食うには十分稼げるはずだ﹂ そういってから店長さんはカウンターに戻った。 これでここでやるべきことは済ませたかな。 最後にさらっと言われただけだが、安全な仕事もあるようだ。 これで今後の食事には困らないだろう。 とりあえず今はおなかが減ったし食事に行きたい。 23 ﹁さて、お金も手に入ったところでご飯食べ行こうか﹂ ﹁うむ!塩気のあるものは久しぶりだ﹂ これってはたから見たらかなり悲しい二人組みに見えるんだろうな ー。 僕とエルはギルドを出て・・・あれ、どっちが飯屋だろう? さっき市場は西のほうって言われたが・・・。 まあいいか、飯屋なんてどこにでもあるでしょ。 ◆ 適当に町並みを歩くとちょうど昼時ということもあってあちこちで 食べ物が売られている。 屋台や定食屋はそこら辺に結構存在するようだ。 ﹁どれにしようか?﹂ ﹁妾はどの店でも良いぞ。好き嫌いなどはないからな﹂ ﹁ん、そっか。じゃあ適当にその辺に入ろう﹂ 僕は近くにあった定食屋らしきお店に入る。 外にはテーブルと椅子が並んでおり、今日の天気なら外で食べるの も悪くはない。 ﹁こんにちはー﹂ ﹁あら、いらっしゃいませ。どうぞ空いている席にお座りください﹂ 店に入ると30くらいの恰幅の良い女性が対応してくれる。 24 僕とエルが一度外に出て開いている二人用テーブルに座ると先ほど の女性が黒板を持ってこちらに来た。 黒板にはミミズがのたくった様な字でなにやらメニューが書いてあ る。 メニューの後ろの数字はおそらく値段だろう。 ﹁・・・・・﹂ ﹁主、どうかしたか?﹂ ﹁お客様、どうしましたか?﹂ ﹁いや、なんでもないです。ホロワ鳥のから揚げ定食をひとつくだ さい。・・・あ、エルはどうする?﹂ ﹁妾はこのコルム茸の炒め物定食がよい﹂ ﹁かしこまりました。ただいまお作りしてまいりますので少々お待 ちくださいね﹂ 女性がキッチンに向かい、注文の内容を伝えると再び入り口に戻る。 ﹁主、メニューを見たとき沈黙していたがどうしたのだ?﹂ ﹁文字がさ、読めるんだよね。生まれてはじめてみる文字なのにさ、 こう、ネイティブのように理解できるんだ﹂ そう、僕は文字が読めるし意味も理解できる。 しかも生まれて初めて見る文字が。 知らないはずなのに知っているという世にも奇妙な感覚が僕の頭の 中をぐるぐると回る。 ﹁なんだそんなことか。それは妾との契約によるものだな。基本的 にどこの言語にも対応している﹂ ﹁それは・・・凄いな﹂ 25 ﹁そうか?﹂ ﹁普通に凄いよ! 仮に僕が契約せずにこの町まで着いていたとし たら途方にくれてたよ! ・・・エルがいなかったら僕は野垂れ死 んでいたかも﹂ ﹁たいしたことでもないのだが、そんなに喜ばれると妾もうれしい ぞ﹂ さらっと言ってるが本当に凄い! この能力があれば僕はどこでもぺらぺらネイティブなわけだ。 ああ、エルと共に元の世界に返れたら確実にTOEICを受けに行 くぞ。 ライティングはエルと契約している時点で無敵、リスニングはエル と同化しておけば無敵。 間違いなく950点以上だ。素晴らしい! あっと、思考が変なほうにすっ飛んだ。 今後の方針についてエルと話さないと。 ﹁そうだ、今後の方向についていいかな? さっきはなんだかうだ うだ実の無い話になっちゃったからさ﹂ ﹁うむ、確かに目標と方向性は決めておいたほうがいいな﹂ ﹁えーっと、まずね。最終目標については元の世界に変える方法を 見つけることなんだけど、コレには僕をこちらに連れてきた人がい るわけだ。なので、ちょっと目標をブレイクダウンしてこの人を見 つけるって言うのを目標とする。んで、コレも探すのは至難の業だ と思うので、次点で可能性の高そうな古代遺跡を探索したい﹂ ﹁なるほど、しかし古代遺跡はかなりの危険を伴うがいいのか?﹂ ﹁そうなんだよ、古代遺跡の探索はさっきのエルの話を聞く限りか なり危険。しかも数自体も少なくてたまにしか無いんでしょ?﹂ 26 なので、と一拍置いてから。 ﹁古代遺跡探索は当面さくっとあきらめて僕は適当に生活していこ うと思う﹂ ・・・エルの顔に縦線が三本ほど入った気がする。 ﹁ちなみに、僕はエルをかなり戦力としてみているんだけどどうだ ろう?﹂ ﹁主に頼られるのは嬉しいのだが・・・。精霊というのはそれほど 戦闘能力に秀でた種族ではないのだ。確かに妾は精霊の中では力を 持つほうではあるが、あまり期待をされると困る﹂ ﹁そっか、了解。幸い魔方陣不要で魔法が使えるみたいだし、身体 能力もそこそこあるみたいだからね。訓練しだいで結構がんばれる ようになるでしょ﹂ 実際経験があれば後はずいぶんマシになると思うんだ。 なにせいくら走ってもまるで疲れない体に、大量の魔力。 二日目、三日目にいろいろ試したけどバトルライフル程度の威力の 魔法ならディレイなしでいくらでも使用できる。 もちろん本物のバトルライフルに比べて精度はかなり落ちるけど、 中世レベルの文化の交戦距離では必中も狙えるだろう。 ﹁うむ、主ならきっと大丈夫だ。・・・お、料理が来たようだぞ﹂ ﹁お待たせしました。ホロワ鳥のから揚げ定食とコルム茸の炒め物 定食です﹂ ﹁ありがとうございます﹂ 僕は料理を受け取りお礼を言う。 目の前に用意された定食は日本でも良く見る鳥のから揚げ定食にそ 27 っくりだ。 黄金色の衣に付け合せのキャベツのような野菜。 付属のスープはなんだかよく分からないが、十分にうまみが出てい るように思える。 残念ながら主食はご飯ではなくパンになっているが、それでも十分 においしそうだ。 ﹁いっただっきまーす﹂ まずはホロワ鳥のから揚げを一口。 うおおおおお、久しぶりの肉!そして塩気! から揚げの中に閉じ込められたうまみが油と共に口に広がる! 異世界漂流5日目にしてようやくちゃんとした食べ物が食べれた! 次にスープを一口。 香草の香りがちょっと引っかかるが味自体はとてもおいしい。 鶏がらスープと胡椒の風味が完璧にマッチしており、全体的に非常 にバランスが取れている。 最後にパンを一口。 ・・・これはちょっといただけない。 全体的にボソボソした食感で、おそらくちゃんと均一な粉を使って いないのだろう。 焼いてから時間が経ってしまっているのも原因のひとつだと思う。 ただ、これについてはから揚げと一緒に食べたり、スープに浸しな がら食べると結構改善する。 全体的な評価としては非常においしく、とても満足だ。 ・・・ん? 28 エルが空になった自分の器とから揚げ皿を交互に見ている。 精霊って意外と食べるんだね。 ﹁エル、一個食べる?﹂ ﹁いいのか!ありがとう!﹂ ニコニコしながらから揚げをほお張るエルは見ていてとても微笑ま しかった。 食事を取り終えたらあとは宿屋とって安全な依頼をこなしにいきま すか、と。 29 3︵後書き︶ ﹁そういえばさ、銅貨とか銀貨とかってどのくらいの価値なの?﹂ ﹁銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨10枚で金貨1枚だな﹂ ﹁食事のお金が二人分で一食銅貨12枚だったよね﹂ ﹁うむ、味の割りに安かったと思うぞ﹂ なんだか自分の世界のお金に直すと銅貨1枚100円くらいなのか な。 そうすると数日の内に金欠になるのはほぼ確定か。 早いところ金策しないとな。 30 1 昼食をとり終えた僕たちは宿を取ることにした。 初日から地面で寝る生活を続けていたので個人的にかなりうれしい。 昼食をとったお店でお金を払うついでに宿屋の位置も聞いておいて 良かった。 定食屋と違って宿屋の数は少ないのでもし知らずに出ていたら見つ けるまでしばらく町を彷徨ってたと思う。 お金の消費を抑えるため、宿屋に入る前にエルには同化してもらい 一人部屋を取る。 エルにそれでいいか聞いたところ食事は絶対に取りたいが宿なら僕 の中でいいといわれた。 ちなみに寝心地はいいらしい。 と、これが昨日の話。 そして今僕は非常に重大な局面に達している。 それは・・・・・・ お金が無いことだ! 今の僕のお金はエルが見つけてくれた薬草︵プラント草だっけ?︶ によるものだけ。 当日の食事で銅貨23枚を使い、宿で半銀貨を1枚使用した。 31 つまり、一日に銀貨1枚以上は稼いでおかないと自転車操業状態に なるということ。 たとえば僕が風邪を引いて1週間くらい行動不能になるとしよう。 そのときに必要なお金は宿代で銀貨3枚と半銀貨1枚、食事で銀貨 2枚弱程度。 このお金が無い場合は下手すれば命の危機になりかねない。 幸い僕の体はかなり丈夫になったみたいだし、体調もすこぶる良い。 だけど、世界が変わるというとんでもない事態に巻き込まれたわけ で。 個人的にはいつ風邪を引いてもおかしくないんじゃないかとは思っ ている。 ということ。 ある程度以上安定した生活を狙う場合、安全な街中の依 そうなると悲しい事実が浮かび上がってくる。 それは、 頼だけではかなり困難である 昨晩エルに話を聞いたが、街中の依頼は荷物運びや土木の手伝いな ど丸一日使う仕事で大体銀貨1枚程度。 日本円換算で大体1万円なので僕の個人的感覚からすれば稼げる金 額として大きいと思う。 しかし、実家で生活しているわけではないので金が足りない。本当 に。切実に。どうしようもないほど。 なので、僕はちょっと危険を冒してでも収入がある程度あるギルド の依頼を受ける必要があるのだ。 ◆ 32 昨日の今日で再びギルドに訪れる。 相変わらず閑散としているんだけど経営とか大丈夫なのかな。 まだ午前中だとはいえ、朝飯を食べる冒険者とかいてもいいと思う んだけど。 ﹁こんにちは∼﹂ ﹁またお前か、今日は何だ?﹂ ﹁いや、割とお金が無い状態なので何か依頼を受けようかと﹂ 昨日の今日なのにすっかり失念していたけど、この人僕に危険な依 頼とかくれるんだろうか。 外見が子供︵納得イカン!︶な僕には街中の依頼しか回さない気が する。 ﹁お前は登録したてだから街中の依頼か、もしくはかなり危険度の 低い依頼以外は許可しないぞ﹂ ﹁はあ・・・、わかりました﹂ いきなり釘を刺されてしまった。 ある程度力があるとこを見せられるようになるまではこりゃ自転車 操業確定かな? 実際問題、戦闘になるのがわかりっきているような依頼はなかなか 受けにくいと思っているのでうなずくしかない。 僕はギルド左手奥の依頼のボードを見る。 なんか随分数が多いな、見た感じ冒険者なんてあまりいないみたい だし、 需要と供給のバランスがおかしくなってるんじゃないか? 33 新規店舗の荷物の運搬作業 銀貨1枚より ランクG 薬の調合に必要な薬草の採取をお願いします。 プランタ草20 本 銀貨2枚 ランクF 薬の調合に必要な薬草の採取をお願いします。 アポシスの実1 5個 銀貨6枚 ランクE カーシンの町までの護衛、到着までに5日ほどかかります。 銀 貨16枚 ランクD そういえばランクの説明って受けてないな、多分街中作業でGって ことから僕のランクがGであることは想定がつくけど。 しかし・・・何故にランク表記がアルファベット? ほかの字は相変わらずミミズがのたくった様な字なのに、何故にラ ンク表記だけアルファベット? 意味分からん、どうでもいいか。 さて、たぶん受けられるのはランクGの仕事だけだろう。 いくつかあるようだが、身体的能力と経験︵引越しのバイト︶を考 えると荷物の運搬作業がいいと思う。 さくさく済ませれば収入が上がる可能性があるからね。 ﹁店長さん、コレ受けます﹂ ﹁ウリミア商店の新規店舗の搬入支援か、出て左手にまっすぐ向か うとウリミア商店って店があるからそこでこの札を見せろ﹂ ﹁わかりました。 では、失礼します﹂ なんか超高速スポット派遣って感じだな。 ギルドの滞在時間なんて5分くらいだったよ? 34 ◆ そうだ、仕事の前にエルを起こしておかないと、何かとアドバイス がもらえるだろう。 ﹃エルー、起きてー。 今から仕事だよー﹄ ﹃ん・・・う・・・、主、どうかしたのか?﹄ ﹃ギルドで荷物運びの依頼を受けたから僕が変なことしないか見張 っていてもらおうかと思って。基本的な作業に関しては僕が行うか らエルはそのまま僕の中にいてくれ﹄ ﹃了解だ、任せてくれ・・・すぅ・・・﹄ こんな調子だけど大丈夫かな? ともかくさっさと仕事を終わらせてなるべく早くある程度以上のお 金を稼げるようになろう。 それにしてもウリミア商店はどこだ? 店長の話だとあんまり遠い場所って印象を受けなかったんだけど、 ひょっとして結構遠かったりするのかな。 今後は行き方だけじゃなくて距離も聞いておこう。 たっぷり10分も歩くと道端に大量の木箱と馬車があるのが見える。 近づくと道具袋みたいな看板にウリミア商店と書いてあるので間違 いないだろう。 ﹁こんにちは、ギルドの依頼を受けて来ました﹂ ﹁ああ、依頼してた冒険者の方だね。俺はオービル、よろしく頼む よ。今日は新店舗で大量の荷物があるからね、疲れるとは思うがが 35 んばってくれ﹂ ﹁僕はユートです。体力には結構自信があります、任せてください。 ・・・そうだ、ギルドから札を見せておけといわれたので﹂ 僕はギルドからもらった木製の札を見せる。 オービルさんはそれを手に取ると懐にしまいこんだ。 ﹁ああ、これはギルドの証明書だね。仕事終了後にはんこを押して 返すんだよ。これをもって帰ればギルドからお金がもらえるはずだ。 ひょっとしてギルドの仕事は初めてかい?﹂ ﹁恥ずかしながらそうなんです。なるべくがんばりますのでよろし くお願いいたします﹂ 挨拶と同時に頭を下げる。 現代日本では挨拶とお辞儀は滑らかな人間関係を築く上で非常に有 用だ。 ・・・アレ? なんかオービルさんが変な顔してこっちを見ている。 なんかやっちゃったかな。 お辞儀がこっちでは中指立てるような行為に近いとか? ﹃エル、なんか僕の行動で変なとこあった?﹄ ﹃いや、特に無いぞ﹄ ﹃だよねえ﹄ どうやらそうでもないらしい、オービルさんは不思議だ。 よく分からないけどとりあえず謝っておくか。 コレで解決すればラッキーだし、いずれにしろ原因は分かるだろう から次からはしないで済む。 36 ﹁申し訳ありません。何か気に障ることがありましたでしょうか?﹂ ﹁すまない、気を使わせてしまったね。冒険者なんてもの、特に駆 け出しは早く外の危険で稼ぎのいい仕事をしたくて焦っているもの だから。こういう仕事を請けると結構攻撃的な奴が多くてさ、だけ どユート君は落ち着いているだろう? だからちょっと驚いてしま って﹂ 僕も結構焦ってますけどね。 実際この仕事も素早く終わらせてとっとと次の仕事をしてお金をど んどん稼ごうと思ってますし。 とりあえずとっとと金貨一枚くらい作っておかないとイザってとき ヤバイ。 ﹁ギルドの駆け出しだとすぐに外の仕事とは行かないですし、無理 にがんばると失敗しそうな気がして。ある程度危険度のある仕事に ついては信頼と実力を勝ち取ってからです﹂ ﹁本当に落ち着いているね。さあ、じゃあ仕事をお願いしようかな﹂ ﹁かしこまりました。この大量の木箱を店内に入れればよろしいで しょうか?﹂ ﹁ああ、それでかまわないが・・・。あとコレは個人の好みもある と思うんだが、そんなにかしこまった喋り方しなくても構わないよ﹂ ﹁ありがとうございます。ちょっと僕も気が張っていたので楽にな ります﹂ オービルさんいい人オーラが凄いわ。 さあ、ゲンナリさせないためにもがんばろう。 僕は目の前に溢れかえった木箱を群れを見る。 ・・・なんだこのぎりぎりなバランスは。 どう考えても馬車から降ろすことしか考えていなかったんだろう。 37 軽そうな木箱の上に馬鹿にでかいがっしりとした箱が積まれており、 下の木箱がみしみしと鳴っている。 ﹃まだ馬車にも荷物があるようだぞ、しかしそこの従業員は何を考 えて軽いものの上に重いものを置いているのだろうな﹄ ﹃うわわわわわ・・・。やばいやばい、ちょっととっととそこの箱 どけないと! これ以上積まれたら荷が壊れる!﹄ エル、のんびりしてる場合じゃないから。 物壊れたらきっと僕のただでさえ少ない賃金がさらに少なくなっち ゃうから! そしたら僕たち飯抜きだぞ飯抜き! 僕は急いで馬車から荷物を降ろす従業員のそばに向かい、大きい荷 物をどける。 ん?意外と軽い。 これなら2,3個まとめて持っていけそうだ。 とりあえず一番大きい木箱の上に中サイズの木箱を二つ積む。 ためしに持ってみると何とか持っていけるレベルの重さなのでその まま店舗の中へ。 店舗に入るとカウンターや棚がすでに用意されており、荷物をぶつ けないように歩くのは意外と大変だ。 この世界養生シートとか無いし。 ﹃エル、ほかに荷物を置いてあるところとか見えない?﹄ ﹃同化中だと主と同じ視界しかないので分からんぞ、ただ、倉庫っ ていうくらいだから奥だろう﹄ ﹃なるほど、了解。ちょっと奥まで歩いてみよう﹄ えっちらおっちら荷物を抱えて少し歩くとエルの予想通り店舗の奥 38 のには倉庫があり、すでにいくつかの荷物が保管されていた。 僕はそこに荷物をゆっくりと地面に下ろす。 よし、次だな。 ﹃﹃ぅ・・・・・・・﹄﹄ 倉庫を出て再び道に出るとゲンナリするほどに状況が悪化しており、 下の荷物がつぶれそうになっているものが散見される。 とりあえず下の荷物への加重を減らそう。 有り余る身体能力を自分が使える限りフルに使って次々荷物を救う。 ついでに重い↓普通↓軽いの順に積み直してあとで持って行きやす いようにしていく。 ある程度荷物をまとめ終えれば次はもう持っていくだけなので楽勝 だろう。 そんなわけで15分ほど積み直しを行うと、あれだけ散らばってい た荷物がある程度持ち運びやすい状態になる。 荷馬車の荷物ももう空のようで、終わってみれば大中小の荷物をま とめた山が20個ばかり出来ている。 僕は近くの荷物の山の一番下をしっかりとつかみ、そのまま倉庫に 持っていく。 荷物を倉庫に格納したあとに戻ってくると視界に写ったのはなぜか 呆然とした表情のオービルさんとその従業員の方。 ﹁あの、なにかありましたか?﹂ ﹁ユート君の体はどうなっているんだ? あんな風に荷物をまとめ ているから何をしているのかと思ったら、まさかまとめて持ってい くとは・・・﹂ 39 呆然とした表情のままオービルさんが答えるが、なんか違和感があ るな。 やり方的に問題がある場合ならもうちょっと怒ってると思うんだけ ど、オービルさんを見る限りそういうのは感じられない。 単純に驚いているようだ。 ﹁ええ、そのほうが効率的ですので。後で倉庫内の荷物をカテゴリ 分けする作業が発生しちゃうと思いますが、あまり道に荷物を置い て置けないので﹂ ﹁確かに効率的ではあるだろうが普通の人はあんなものもてないよ﹂ ﹁僕が持った荷物はそこまで重くはなかったですよ? 確かに2, 3個まとめているので重いっちゃ重いですが﹂ ﹁大きい木箱の中は武器やインゴットが入っているんだ。だから持 つときは怪我をしないようにそこのキースと協力するように言うの を忘れてて戻ったらユート君が一人で、しかも、ほかの荷物を上に 積んで持っているものだから驚いてしまって﹂ まさかそんなに身体能力が強化されているとは思わなかった。 確かによくよく考えてみれば3km全力疾走で息切れなしだったも んな。 筋力面の強化も当たり前といえば当たり前か。 アルバイトの僕 なハズ。 従業員の ﹁ユートさん凄いです! 冒険者の方っていうのは皆さんこんな力 を持ってらっしゃるのですか?﹂ > キースさんが敬語で僕に話しかけてくるが、立場的には キースさん 自分から見て立場の上の人に持ち上げられる経験っていうのがほと んど無いのでちょっと対応に困る。 40 ﹁どうなんでしょうか、僕は冒険者二日目なのでちょっと分からな いですね。というより僕はこれが初めての仕事なので、冒険者の平 均が分かってないです﹂ オービルさんは唖然としているし、キースさんは僕の言葉に反応す ること無くキラキラとした目で僕を見ている。 なんというか・・・そんなに驚かれることなんだろうか。 あとキラキラした目線はちょっとくすぐったい感じがする。 ﹃別に僕より筋力のある冒険者なんていくらでもいるよね?﹄ ﹃たぶん主より筋力があるのはBランク以上の冒険者くらいだぞ﹄ ちょっとあきれたようなエルの声。 ﹃驚いた。そんなあるのか、魔法メインでパワーファイターやる予 定は無かったけどそっちも可能かも?﹄ ﹃余裕で出来るだろうが、Bランクの冒険者なんてそれほど珍しく はないぞ。魔力については人のレベルを逸脱しているからちょっと もったいないな﹄ ﹃そっか、なんか異常に驚かれてる気がしてさ。ちょっと気になっ たから聞いただけなんだ。﹄ ﹃Gランクでお手伝いさん呼んでおいて上位ランククラスの冒険者 が来たら普通驚くだろう?﹄ ﹃なるほど・・・納得した﹄ よし、ともかくサクサク仕事を済ませてお金を稼ぐぞ! 僕は会話もほどほどに切り上げて再び荷物を運び始める。 ・・・うおっ、コレはさっきのと違って重い! 41 ◆ あれから2時間ちょっとの時間を消費して最後の荷物を倉庫に運び 込んだ。 もちろんカテゴリ分けは全く済んでいないので倉庫の中はかなりカ オスな状態となっている。 中に食料品などの賞味期限や消費期限があるものがある場合、きっ と今日から貫徹作業だろう。 ・・・オービルさんに悪いことしちゃったかな。 ﹃これらを整理するのはかなり大変な気がする﹄ ﹃主や妾には不可能だろう、なにせ商品のカテゴリが分からぬ。そ りゃ武器かそうでないかくらいなら分かるがそれ以上は・・・﹄ ﹃どうしたもんかな﹄ ﹃とりあえず戻るぞ、ここにいても意味がない﹄ ﹃了解﹄ 僕が表に戻るとニコニコしたオービルさんとキースさんがいて ﹁今日はありがとうございました。こんなに素早く的確に仕事をし ていただいて助かりました﹂ ﹁いや、荷物をバラバラに積んでしまったので、きっと整理は大変 だと思います。申し訳ないのですが、僕は商品の知識に欠けるため その点でお手伝いは出来そうに無いです﹂ ﹁いえ、そもそも仕事は荷物を倉庫に送り込むことでしたので・・・ 。それをこんな極短時間で達成していただいて・・・これは報酬に 色をつけねばなりませんね﹂ 42 そういえばコレ丸一日で終わらせる予定の作業だったんだっけか。 短時間で終わらせたので場合によっては次の依頼もすぐ受けられる だろうし、しかも報酬に色とか! がんばってよかった。 ﹁ユート君、証明書を返すよ﹂ ﹁ありがとうございます﹂ 証明書を受け取り、ジャケットの内ポケットにしまう。 ﹁本日はありがとうございました。今後も機会があればよろしくお 願いいたします﹂ 挨拶とお辞儀をした後、ギルドに向けて歩き出す。 さてさて、銀貨1枚の仕事がいくらになっただろう。 丸一日分の作業を3時間弱で行ったらしいし、それならひょっとし て相当いけてるんじゃないか? 帰り道は初仕事を無事に終えた高揚感なのか、妙に足取りが軽い。 僕はギルドの中に入ると︵たぶん笑顔で︶店長に仕事の完了を報告 する。 ﹁店長、仕事が終わりましたよ!﹂ ﹁仕事請けてから5時間も経ってないんだが・・・。お前、失敗し て無いだろうな﹂ ﹁いや、ちゃんと証明書もちゃんともらってきましたよ﹂ 僕は札を店長に渡す。 43 それを見て黙る店長 その店長を見て黙る僕。 ﹁﹁・・・・・・・﹂﹂ たっぷり30秒は見てたと思う。 札にははんこが押されているだけなので確認するだけなら5秒もい らないと思うんだけど。 ﹁驚いた、仕事の完遂+追加報酬か。ユート、お前意外と出来る奴 だったんだな﹂ あぁ、なんだほっとした。 なんか失敗したかと思ったよ。 しかも名前で呼ばれるようになったよ! ﹁ほれ、報酬だ﹂ ﹁ありがと・・・うぉ!﹂ ﹁驚いたか、俺も驚いた。まさかはじめての仕事で追加報酬、しか も元の報酬よりでかいぞ﹂ ﹁驚きました﹂ 僕の手元には銀貨2枚と半銀貨1枚。 予定では銀貨1枚なわけで、そう考えるとかなりびっくりだ。 うん、今日は働かなくていいな。 ご飯食べて魔法の練習でもしよう。 ﹁店長さん、ありがとうございます。また明日もよろしくお願いし ます﹂ ﹁店長じゃなくてカーディスだ﹂ 44 ﹁え?﹂ ﹁お前とは長い付き合いになりそうだ。いつまでも役職で呼ばれる よりは、名前で呼んでもらおうと思ってな﹂ ﹁はい、今後もお願いします。カーディスさん﹂ ﹁んじゃ、またな﹂ なんかちょっと気恥ずかしいな。 認められた感っていうのかな。 実際には初仕事を終えただけだからいつお前呼ばわりに戻るか分か らないところではあるんだけどね。 45 1︵後書き︶ A, B, C, D, E, F, ﹃ところで結局ギルドのランクってなんなの﹄ ﹃S, られる冒険者の程度だな。 Gの8段階で分け E以下は駆け出し、半年も冒険者をやると大体Dランク程度にな るぞ。 一般的な冒険者のランクはCだな。 Bランク以上はベテランと見ていい、特にSなんて各国に数人ず つしかいないはずだ﹄ ﹃半年でDになるのになんで平均がCとかDなのか。 ひょっとしてそこからランクを上げるのって難しいの?﹄ ﹃依頼の難易度がかなり向上する、おかげで死亡率がかなり高い。 死亡率ナンバーワンは駆け出し冒険者、次がこのCランクからB ランクを目指す冒険者だ﹄ ﹃うわ・・・・﹄ ﹃さらにBランクの仕事を恐れてCランクで止まる冒険者も多い、 だから平均がCランクになるのだ﹄ ﹃なるほど、よく分かった﹄ 46 2 街中作業を一つ請け負い、終わらせる生活を続けること三日間。 僕のギルドランクはFとなり、簡単なものに限るが町の外の依頼を 請け負えるようになった。 なので今回の僕の仕事は薬草回収。 外に出ることになるので危険が伴うが、目的が討伐ではないため危 険度は高くない。 にもかかわらず街中作業と比べて報酬がかなり大きくなるのでこれ らの依頼を受けない理由は無い。 何より1人日いくらで雇われる街中作業とは違うため、エルを顕現 させておけるのが大きい。 エルだっていつまでも僕の中で待機は暇だと思うんだ。 ◆ 時刻は午前10時。 ギルドからプランタ草20本を集める依頼を請け負った後、僕たち は朝食のために町を歩く。 朝食の時間には少し遅いが、さっと食べれるものを出す屋台があち こちにあり、街中を活気付けている。 どの料理もおいしそうで迷ってしまうが、今回はあそこのデカイ肉 を焼いている屋台にしようかな。 近づいてみると香草の香りと肉の焼ける香ばしい香りが強くなり食 欲をそそる。 販売しているのはどうやら焼いた肉を挟んだ惣菜パン。 47 値段を見てみると銅貨2枚とかなり安い。 ﹁その惣菜パンを二つください﹂ ﹁あいよ!﹂ ケバブを販売する屋台の店主に銅貨4枚を渡し、代わりに惣菜パン を二つ受け取る。 店主にお礼を言ってから一つをエルに渡し、もう一つにはそのまま かじり付く。 工業的に生産したイーストが無いからか、パンにはちょっと酸味が あるがフィリングの甘辛い味付けの肉と相性が良くおいしい。 個人的にはもう少しフィリングが薄味のほうが好み。 横目でエルを見るとニコニコしながらパンをほお張っている。 ﹁コレも美味しい﹂ ﹁この甘辛い味付けがたまらぬ﹂ ﹁こっち来てからまずいものってあんまり食べた記憶がないや﹂ ﹁・・・主はまずいものが食べたいのか? 妾は遠慮するぞ?﹂ ﹁そうじゃなくてさ、この町に着いてからコレで8食目、無作為に 選んだ店舗から料理を買っているのに一つも外れが無いなんて凄い な、と﹂ ﹁この町だとこのように競合が多いからな、多分評判の悪い店はす ぐに人が来なくなるんだとおもうぞ﹂ ﹁確かに、コレだけ店が多いとなるとそれも納得﹂ 惣菜パンを食べながら歩くと目の前には東門が見える。 これを抜けるといよいよ治安の良い街中は終わり。 出来れば素早く薬草を回収して終わらせたいところ。 そうなれば危険な生き物に出会うことなく依頼を達成できる。 48 門の両脇で構える兵士の方に軽く会釈をして門を抜ける。 来るときは気にも留めなかったけど、まるで検査とかされないのね。 この町の治安は果たして今後維持されるんだろうか? さて、僕たちは薬草の生える森の中にやってきた。 何も無い草原をただ という悲しいものなので詳細につい 東門を抜けてからここにいたるまでの描写は ひたすらに黙々と2時間歩く ては割愛させてもらう。 ﹁どうやって見つけようか?﹂ ﹁歩いて探すしかないだろう﹂ ﹁いい方法とか、群生しやすいとことか無いの? 前に銀貨3枚分 も見つけてたじゃん﹂ ﹁あれは完全に偶然だ、プランタ草が群生しているのは結構珍しい ぞ﹂ ﹁そっか・・・うーん・・・。しらみつぶしってなんだか非効率的 な気がするんだけど、でもほかに方法ないもんね﹂ ﹁お互いが見える範囲で少し離れて地面を探せばいいと思うぞ。そ れほど珍しいものではないし、20本くらいすぐに見つかるであろ う﹂ こう、エルの知識でスパッとってわけにはいかないか。 探せば見つかるらしいし、とっとと見つけて帰ろう。 確かオオバコっぽいデザインだったはず。 ・・・お、あった、これだ。 49 手元にはオオバコとよく似た植物。 相違点といえば群生していないことと、花が赤いことくらいか。 葉の形などはよく似ていると思うが、花の部分の印象が強くてその 他はあいまいなのでひょっとするとずれた事を言っているかもしれ ない。 回収したプランタを左腰のドロップポーチに突っ込んで次を探す。 しかしこれで銀貨3枚か、冒険者じゃなくても儲かるんじゃないの? ◆ 結局3時間も探索した段階で僕が8本、エルが17本発見して依頼 は十分に達成された。 後は帰るだけ。こういう探索では無事に帰るまでがお仕事です。 ﹁﹁﹁グルルルルルルル﹂﹂﹂ ﹁・・・・・・・・はあ﹂ ・・・そう、帰るまでがお仕事です。 目の前にいるのは随分と好戦的な狼たち。 数は見える範囲で4匹。 なるほど、このリスクは冒険者に払わせるに限るのかもしれない。 仮に何の戦闘能力も持たない人が出会ったら人生が終わって食料に 早替り。 Fランク冒険者の平均戦闘能力がどれほど高いのかは知らないが、 これって結構きついんじゃないか? 50 ﹁主! ボケッとするでない!﹂ どうでもいいことを考えてるうちに狼に距離を詰められたらしい。 エルは狼と僕の間に割り込み、魔力障壁を展開して狼の突撃をいな す。 続いて魔力障壁に頭をぶつけた狼に対してヤクザキックで対応。 狼はごろごろと転がったあと、動かなくなったところを見ると絶命 したらしい。 ﹁危なかった。ありがと﹂ ﹁落ち着くのは後だ、まだ来るぞ﹂ というか僕も戦わないと、いつまでもエルにおんぶに抱っこってワ ケにはいかない。 個人的に戦えるのに戦わないのと、戦えないから戦わないの差は大 きい。 脳内物質が大量に分泌されているのか戦うことに対する、命のやり 取りをすることに対する恐怖心は全く感じない。 右手で腰のホルスターから軍用懐中電灯を引き抜いてからスタンロ ッドを具現化。 スタンロッドの出力は最大、今までのテストから触れたものが一瞬 で黒焦げになるレベルの威力であることが分かっている。 左手の人差し指と中指には魔力を集中していつでも射撃系魔法が使 用可能な状態にする。 こちらを伺う一匹の狼に照準を合わせて氷の魔法による射撃を試み る。 魔力によって硬質化した氷柱がライフル弾並の速度で狼の頭に突き 刺さり、哀れ狼は血を辺りにばら撒きながら吹っ飛んだ。 51 もう一匹に対しても射撃を行うつもりだったが、すでにかなり距離 を詰められている。 僕は一歩踏み込んで狼との距離を縮めてから右手を振るう。 スタンロッドは自分でも驚くほど正確に狼の頭を捉え、その威力を 存分に発揮する。 一瞬で全身黒焦げになった狼は続くスタンロッドの物理的衝撃によ って吹き飛ばされて視界から消える。 最後の一匹を確認しようとするとそれはすでにエルによって倒され ており、僕の人生で初めての命のやり取りは終わった。 ﹁ふう・・・﹂ ﹁主、大丈夫か?﹂ ﹁ん、大体大丈夫。生まれて初めて命のやり取りをしたからちょっ と足が震えてるくらい﹂ ﹁戦闘中は初めてというのが嘘のような落ち着きっぷりだったのだ が﹂ ﹁なんかねー、不思議な感覚だったよ。何も感じないんだもん﹂ 今はよく分からない感情で足がプルプルと震えている。 死ぬかも知れなかった恐怖感によるものからなのか、生き残れたこ とによる安堵感によるものからなのかは分からない。 ただ、生き物を殺すことに対する嫌悪感っていうのは今も全く感じ ない。 これは予想になるけど、敵意を向けられているならば多分人だって 殺せると思う。 52 ﹁主・・・﹂ ﹁大丈夫大丈夫、今はちょっと震えてるけど、すぐに慣れるよ﹂ ﹁本当か? 妾は主が心配だぞ﹂ ﹁ホントホント、心配要らないって。ほら、もう薬草だって集めて あるしさ、とっとと帰ろう﹂ ﹁・・・﹂ ﹁無理だけは駄目だからな﹂ そんなに心配しなくてもいいんだけどな。 ただ、その心遣いは確かに僕の心に響く。 がんばろう、きっと大丈夫だ。 53 3 エルと共にガルトの町に戻る。 時刻は17時を過ぎ、沈みだした太陽は辺りを真っ赤に照らす。 東門を再びくぐると朝と同じように商店はあるものの、人の姿はそ れほど無い。 商人たちも最後の売込みを行っており、この売りが終わったあとは おそらく食事にでもいくのだろう。 それらの風景を見ながら僕はゆっくりとギルドに向かって歩いてい く。 なんとなく三丁目の夕日を思い出させるような光景で、意味も無く センチな気分になった。 ◆ ギルドに入ると信じられないことに活気に満ち溢れていた。 ランプによって薄暗く照らされた室内。 昼にはいつもガラガラだった酒と軽食を出す店のテーブルはほとん どが埋まり、仕事終わりの冒険者たちの喧騒があたりに響く。 掲示板の周りには明日受ける依頼を探しているのか人だかりが出来 ている。 ガラガラでいつか潰れるんじゃないかと思っていたが、どうもそれ は杞憂だったらしい。 54 しかしこのギルド、朝と昼は人がいないのか。 僕とエルは依頼されたプランタ草を渡すため、人の間を縫ってカー ディスさんのいるカウンターへ。 ﹁カーディスさん、朝受けたプランタ草の依頼の件ですが﹂ ﹁おう、ユートか。その分だと終わったみたいだな﹂ この人なんで分かるの? ひょっとしたら仕事を放棄しますとかそういう報告かもしれないじ ゃないか。 ﹁よくそんなこと分かりますね。確かにその通りですけど﹂ ﹁コレくらいできないとギルドマスターは務まらん﹂ ギルドマスターって凄いな。洞察力高すぎでしょ。 僕はドロップポーチからプランタ草を全て取り出してカウンターの 上に並べる。 カーディスさんはそれらを一つずつ確認すると納得したのかプラン タ草を束にして小箱にしまった。 ﹁ふむ・・・プランタ草の状態もいいが、何より仕事が速いのがす ばらしいな﹂ ﹁それは僕の力というよりはエルの力ですね、半分以上はエルが採 取したものですし﹂ ﹁そのお嬢さんがか、人は見た目によらないな﹂ ﹁エルは本当に頼りになりますよ。もし僕一人だったら今頃野垂れ 死んでいたかもしれないくらいです﹂ ﹁そんな風にほめられるとちょっと恥ずかしいのだが﹂ 55 ﹁いや、でもねえ・・・﹂ ﹁ははっ、仲が良さそうで結構なこった。ほれ、追加で5本あった から合計で銀貨3枚と半銀貨1枚だ﹂ ﹁毎度ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね﹂ ﹁こっちこそな。・・・そういえば飯はどうするつもりなんだ? 暗い中店を探すくらいならここで食ってくと楽だぞ﹂ ﹁そうですね。思えばここで食べたことがないのでちょっと楽しみ です﹂ ﹁そこら辺に座ってちょっとまっとけ、フィーネが注文を取りに来 てくれる﹂ ﹁どうもありがとうございます﹂ 僕とエルはちょっと歩いて誰も使っていない丸テーブルを見つけ、 イスに座る。 ﹁しかし驚いた﹂ ﹁突然どうしたのだ?﹂ ﹁この活気だよ。ほら、いつも昼にいたからガラガラな印象しかな くてさ﹂ ﹁昼は暇なのよ、基本的に冒険者って奴は朝出て夕方帰ってくるか らね﹂ ﹁ど、どちらさまで?﹂ いきなり会話に割り込まれるとは思わなかった。 声のほうを向くとウェイトレスらしき格好をした20代前半の美女 がいた。 燃えるような赤い髪を後ろで束ね、きりっとした目鼻の彼女は男よ りもむしろ女の子受けしそうな気もする。 56 ただ、なんだか纏う雰囲気がおかしい、なんというか・・・こう・・ ・威圧的な感じ? ﹁あたし? あたしはフィーネ。ここでウェイトレスの真似事をし ているよ﹂ ﹁あ、さっきのカーディスさんの言ってた人か。すいません、メニ ューってあります?﹂ ﹁ほい、これ。でも何も決まってないならお任せとかでもかまわな いわよ﹂ ﹁エル、お任せでいい?﹂ ﹁任せてしまってくれ。妾は今メニューを見て考えるのも面倒なほ どに空腹だ﹂ ﹁どうやらそういうことみたいなのでお任せでお願いします﹂ ﹁任されたっ! ちょっと待ってて頂戴ね﹂ そういって彼女は混雑したギルドを滑らかに歩いてく。 やっぱあの人身のこなし凄いわ。 僕だったら人にぶつかりまくってる。 ﹁お待たせ、おなか減ってるみたいだからボリュームあるのを持っ てきたわよ﹂ 5分ほどエルと異世界談義をしていると早速一品目がやってきた。 持ってきてくれたフィーネさんにお礼を言って受け取るとそれはソ ーセージのスープ。 直径3cmほどのソーセージがぶつ切りにされ、黄金色のスープの 57 中に浮かんでいる。 スープ中央にはキャベツの千切りが乗っており確かにおなかにたま りそうだ。 早速フォークでキャベツの千切りを食べるとどこかで食べたことの ある味・・・ってかこれザウアークラウトだ。 塩気のあるスープがしみこんだザウアークラウトは実においしい。 続いてソーセージを一口。 ん? これ、ひょっとしてスモークしてないのかな。 ソーセージは肉の味がしっかりとしているものの、ソーセージ特有 の香りが無く少しさびしい。 ただ、パテ状の肉の中にはごろっとした肉の塊が混ざっており、一 般的なソーセージと比べて肉を食べている感じが強い。 それにしても異世界来てドイツ料理を食べることになるとは思わな かった。 ﹁うまいなー、でもパンがほしくなる﹂ ﹁パンとこの野菜の相性はかなり良さそうだの﹂ 続いてフィーネさんが持ってきてくれたのはサンドイッチ。 そういえばここってどちらかというと飲み屋だからいわゆる定食の ようなものは無いのか。 それにしてもこのサンドイッチ、日本のものとはかなり違う。 日本のサンドイッチはパンを食べるために具を挟んであるが、この サンドイッチは分厚い具を食べるために薄めのパンで挟まれている。 58 皿に乗ったサンドイッチは複数種類あるが、目を引くのは分厚いチ キンフライドステーキを挟んだものとたっぷりと何かの肉で出来た パテを挟んだものの二つ。 どちらも見た目どおりの味とボリュームで、コレ一つ食べるだけで 随分とおなかにたまる。 うまい、凄い幸せ、生きてて良かった。 特にパテのサンドイッチのほうは独特の香草が肉の臭みをかなりう まく誤魔化してあり、うまみを最大限に引き出している。 チキンフライドステーキのサンドイッチに関しては完全に見た目ど おりの味なので特に何かいえることは無い。 もともと大してナーバスな気分にはなってなかったけど、今日の嫌 な気分が完全に吹き飛んだ気がする。旨い飯万歳。 ソーセージのスープとサンドイッチを完食してからコーヒーっぽい なにかを飲みつつボケッとすることおよそ1時間、そろそろ宿に戻 ろうか。 ﹁はあ? 満席かよ、空きはないのか?﹂ ﹁こっちはガルトウルフを10匹以上も狩ってきたんだ、換金は終 わって金もある﹂ ちょっと荒っぽい男二人の声が聞こえる。 時刻は19時前、街灯の無いこの世界で今から飯屋を探すのはなか なか大変だろう。 59 ギルドに併設されたこの飲み屋は遅くまで開いているが、大抵の定 食屋はあまり遅くまで営業しない。 ガルトウルフ10匹がどれほど疲れるのかは分からないが、この時 刻に満席というのはなかなかにインパクトが強い。 声を上げる男たちを見ると、随分と戦いなれた雰囲気だ。 両方ともうらやましいことに身長は170cm以上ある。 皮をなめして作ったと思われる胸当てにかなり頑丈そうな布の服。 二人とも腰には長剣を下げている。 暗いので顔は良く分からないが、声から勝手に予想すると相当厳つ い。 ・・・ヤベッ、目が合った。 こんな暗いのになんではっきりとこっちを見てくるんだよ。 あー・・・こっちくるよ・・・。 ﹁おい、なんでガキがこんなところで飯を食ってるんだ﹂ ﹁すいません、もう帰りますので﹂ 子供扱いにちょっと腹が立つがここは低姿勢でいこう。 今日はこれ以上面倒なことになりたくは無い。 僕がとっとと帰ろうとすると右肩をつかまれて ﹁まあちょっとまてよ、隣の女はかなり美人じゃねーか。ちょっと 付き合えよ﹂ ﹁何で妾たちがお前らと付き合わねばならんのだ? 馬鹿は休み休 み言え﹂ ﹁そんなつれないこといわないでさ﹂ ﹁その口を閉じろ馬鹿者共。主とならともかく妾はお前らと酒を飲 60 む気は無い﹂ 鈴が鳴るような声だが、その内容は攻撃的。 その人顔真っ赤だよ? 僕の肩をつかむ手に力が込められる。イタイ。 ついでに力のこもった熱い目で凝視されるが少しもうれしくない。 ﹁このガキっ・・・ぼこされたいのかっ!?﹂ えー、なんでそれで僕に敵意を向けるわけ? そりゃエルに向くよりはいいけどさ。 只者じゃないと思われるフィーネさんならこの状況を何とかしてく れると思ってそちらを見やると笑顔でサムズアップ。どうしろと? しかしもうこれだと喧嘩は避けられそうに無いかな。 こんな状況だというのに周りは普通に飲んでるし騒いでるし、この 状況をどうにかしようとする雰囲気がまるで無い。 ひょっとすると日常茶飯事なんて可能性、ヘタすりゃ娯楽扱いなの かも知れない。 ﹁少しは何かいったらどうなんだ!﹂ 声と同時に振るわれる腕。 ちょっと油断してた、まさかこんな広くない室内で乱闘騒ぎを起こ すとは思ってなかった。 肩をつかまれているので避けることもままならない。なのでそのま ま右手で受け止める。 ﹁なっ・・・﹂ 61 受け止められるとは思っていなかったのか驚く男を見つつ僕はその まま左手であごを突き上げる。 悲しいほどの身長差の都合、それほど威力はないと思うが、アッパ ーカットっていうのは直撃すると脳が揺られるので衝撃の割りにか なりダメージがでかい。 あっさり地面に倒れる男、もう一人の男はさすが冒険者というとこ ろか現在の状況を素早く理解し戦闘モードに入る。 ﹁この糞ガキ・・・舐めた真似してくれるじゃねーか!﹂ よくもまあ戦いながら喋れるな、と思う。 僕ならきっと舌をかんでる。 男が突っ込んでくるが、その動きは全く早くない。 夕方の狼のほうが早いくらいだ。 相手の腕を落ち着いてはじき、タイミングを見計らって同じように アッパーカットで脳を揺さぶってやる。 そのまま男が崩れ落ちて動かなくなることを確認してから辺りに被 害がいってないことも確認する。 右よしっ、左よしっ、辺りに被害なし。完璧だ。 とりあえず食事代だけ払っておかないと。 ﹁すいませ∼ん、こんな状況なんで先にお会計だけ済ませちゃって いいですか?﹂ ﹁意外と度胸据わってるわね﹂ ﹁そうですか? 僕は自分のことをビビリだと思っているのですが﹂ ﹁ビビリは普通外に助けを求めるものよ?﹂ 62 任せてください の合図だとおもったん ﹁いやいや、普通に助けもとめてましたからねっ?﹂ ﹁あの視線? あたしは だけど?﹂ ﹁・・・・。ともかくお金払います。いくらですか?﹂ ﹁ソーセージのスープとサンドイッチ、コーヒー。それぞれ二人分 で銅貨19枚だね﹂ 僕はジャケットから銅貨を取り出して支払う。 そろそろ子袋に分けて保存しないと複数の銅貨を取り出すのが面倒 だな。 今は財布代わりの袋にざくっと硬貨を入れているが、サイズの違う 硬貨が指の隙間から零れ落ちそうになるし、何より電子マネーによ る支払いに慣れた身としてはこの時間が非常に面倒に感じる。 ﹁毎度ありっ! またね﹂ ﹁出来れば次は安全にご飯が食べられるといいのですが﹂ ﹁あたしが思うにそれは運しだいね﹂ ﹁そーですか・・・﹂ 嗚呼、おいしいご飯による幸せ分があっという間に抜けた気がする。 ともかくカーディスさんに報告しておかないと後で面倒なことにな りかねない。 それにしてもこんなことがあったにも関わらずロクに変わらない店 内の雰囲気を考えるとやっぱこういう喧嘩とか騒動とかは日常なの かな。 ・・・嫌な日常だな、ホントに。 ギルドカウンターに向かうとニヤニヤとしたカーディスさんが僕を 63 待っていた。 ﹁面白いことになってたな﹂ ﹁そんな顔で見ないでください、かなり悲しくなりますから﹂ ﹁大方、あの馬鹿共の対応についてだろ? 任せておけ﹂ ﹁よろしくお願いします﹂ ﹁全くあいつらも、Fランクになったばっかりだって言うのになん で喧嘩を売るほどの自信がつくのかね﹂ ﹁僕に聞かれてもさっぱりですが、やっぱり生来のものってのがあ るんじゃないですか?﹂ ﹁何気にきつい一言だな。それにしてもユート、お前自分のこと魔 術師って言ってたよな?﹂ ﹁そうですけど、何かありました?﹂ ﹁いや、普通魔術師が喧嘩なんてなったら魔術でドカン、だからさ﹂ ﹁相手も腰に剣ぶら下げてましたけど抜いてなかったじゃないです か。諸事情あって僕は今杖も無いですし。仮にあったとしても殺意 の無い人間を殺すのはちょっと・・・﹂ ﹁殺すって・・・威力押さえりゃいいだろうが﹂ ﹁苦手なんですよ。暴発してギルドに穴が開いたら目も当てられな い。ただでさえ僕は金欠なんですからね?﹂ ﹁・・・・・・﹂ 黙ってこちらを見つめるカーディスさんの視線がイタイ。 ﹁と、ともかく僕は帰ります。また明日もよろしくお願いします﹂ ﹁おう、お前の来る時間はどうせお前しか居ないだろうから待って てやるよ﹂ ﹃やることやったし、宿に帰ろう﹄ 64 ﹃了解だ﹄ 僕はエルとともにギルドを出る。 はあ、明日はもう少しマシな一日だといいなぁ。 65 3︵後書き︶ ﹁そういえばなんだけど。カーディスさんは魔術/魔術師っていっ てたけどさ。魔法/魔法使いとの差ってあるの?﹂ ﹁魔法は御伽噺に出てくるような空想上のもの。体系化された魔方 陣と魔力で実行するものが魔術だな﹂ ﹁なるほど、今後自己紹介するときは魔術師のほうが良さそうだね。 魔法使いなんて言った日には危ない人で見られるかもしれないって ことか﹂ ﹁そうだの、初日のギルドでの発言は危なかったぞ﹂ ﹁・・・今後は気をつけるよ﹂ 66 4 厄日のような昨日から一夜明けて本日。 僕は太陽の光に当てられて目が覚める。 個人的にあまり目に優しくない起き方だと思うが、そうしなかった 場合起きるのは多分昼過ぎになるので仕方ない。 いつものようにとっとと宿から出てギルドに向かおうとすると出口 で衛兵の一人に止められる。 周りを見回すと宿には衛兵が何人もいて、そのうちの一人が泣いて いる女将さんと何かについて話している。 エルのことがばれると金銭的にまずいことになるからお金渡して鍵 をもらうくらいの接触しかしていなかったけど、女将さんかその関 係者で何かトラブルがあったみたいだ。 僕を止めた衛兵の人がずいっと近づいて口を開く。 ﹁宿のオーナーであるタミナさんの御息女であるリーナさんが西の 森に向かってから行方が分からなくなっている。何か知っているこ とがあれば教えてもらいたい﹂ メット被った衛兵っていうのは威圧感があるので出来れば接近はや めてもらいたい。意味も無くどもってしまう。 ﹁えっ・・と・・・、申し訳ないですが昨日は特に何も無く一日を 終えました。特に知っていることっていうのは無いですね﹂ ﹁そうか・・・。答えてくれてありがとう。もし何かあれば各門の 周辺に私たちの詰め所があるので報告してほしい﹂ 67 情報が無いことを本気で残念がる衛兵の方と視界の端に映る弱弱し い雰囲気のタミナさんを見ると何とか協力したい気分になる。 僕が出来ることといえば薬草採取の依頼とあわせての捜索ぐらいか。 ﹁分かりました。僕は冒険者で依頼の都合、外に出ることも多いの で可能な範囲で僕も協力します。リーナさんの容姿をうかがっても よろしいですか?﹂ ﹁年齢は13歳、身長は君より少し小さいくらいで髪と瞳は薄い水 色。最後に目撃されたときは白のワンピースを着ていたそうだ﹂ ﹁分かりました。もし何かあればすぐに報告します﹂ ﹁重ね重ねありがとう、よろしく頼む﹂ 忘れているつもりは無いし、油断するつもりもないけどやっぱりこ の世界の治安は悪い。 おいしい食事と綺麗な風景で忘れがちだったがここは異世界、気を つけないと。 ◆ 時刻はおよそ10時。 僕はギルドでアトードナの根を採取する依頼を受けてから西の門を 抜けて森の中へ。 ガルト西の森は木々の間隔が比較的大きく鬱蒼とした雰囲気は全く 無い、それどころか太陽の日差しと相俟ってまるで憩いの場のよう だ。 68 ﹁それにしてもタミナさんもタミナさんだよ。なんでこんな危険地 帯に娘を送るかな﹂ ﹁ここは危険地帯ではないぞ、奥に入り込まない限り危険な生物な どは存在しない﹂ ただ、現実には彼女の行方が分からなくなっているわけで。 エルの話を聞くと昨日の僕のように野生生物に襲われたということ は無いということになる。 その場合は可能性が高いものとして誘拐か人身売買か。 年端もいかない少女に興奮する下種な金持ちなんていくらでもいる だろう。 嫌な想像が頭をよぎる。 ・・・あー、やめやめ、考えてもナーバスになるだけ。 ﹁どうして主はそんなに知らぬ人間のためになれるのだ?﹂ ﹁んー、特に理由はないんだけどあえて言うならできるから、かな﹂ ﹁できるから?﹂ ﹁うん、僕は今冒険者としてこうやって薬草採取をしているじゃな い? んで、その際あまった時間とかにちょっと気を配ればひょっ としたらリーナさんを見つけられるかもしれない。そんなわけで、 僕は自分の目的から逸脱しない範囲で手伝うことが自分の周りの最 大幸福につながると思うんだよ。それにほら、今朝のタミナさんの 姿みたら何とかしてあげたいって思うでしょ﹂ 僕がちょっと長いセリフを言い切ると、エルはニコッと笑って口を 開く。 ﹁主は優しいのだな。妾は誇らしいぞ﹂ 69 ﹁誇らしいってそんな大げさな﹂ ﹁大げさなものか、主が言ったことと同じことは教会にでも行けば いくらでも聞ける。ただ、それを実行できる人間はそうおらぬ﹂ ﹁なんだかハードルあがっちゃった気がするけど、エルの思う主像 を目指してがんばるよ﹂ あんまり考えなしに放った一言でなんだか妙に感動しているエルを 見つつ、アトードナの花を探す。 素早く終わらせればその分早くリーナさんの捜索にリソースを割け るしね。 薬草を捜索すること約2時間、昨日も驚いたがエルの薬草採取能力 は凄まじい。 僕が一つ取る間にエルは二つくらい採取している。 エルにおんぶに抱っこでかなり申し訳ないが、この調子で行けば1 3時前にはリーナさんの捜索に移れるだろう。 ・・・あ、アトードナみっけ。 タンポポに近い見た目のこの薬草は、根を摩り下ろして使うことで 痛み止めになる。 回収部分は根っこなので、見つけた場合まずは辺りの土を掘る。 このとき根を傷つけないように注意することが重要で、大きな傷が ついてしまうと納品対象にならなくなってしまう。 その後長さ20cmくらいの根をゆっくりと慎重に取り出して完了。 根っこは比較的しなやかなので、ドロップポーチの中に突っ込んで も中で根っこ同士がぶつかりあって破損する心配は多分ない。 よし、おっけ、これで5本目。 70 うまいこと進んでいればエルのほうも10本近く回収しているはず だ。 ﹃エルー、そっちはどんな感じ?﹄ ﹃こちらは9本回収して10本目を探しているところだ、主は?﹄ ﹃恥ずかしながら僕はようやく5本目を採取し終えたところ。数は 揃ったからお昼を食べよう﹄ ﹃わかった﹄ 僕は魔術で精製した水を使って手を洗う。 手がきれいになったらバッグからグリル台を出して組み立てる。炎 の魔術をグリル台の下で発動。ガスコンロ︵魔力コンロ?︶がコレ で完成。 コッフェルの中に固形鶏がらスープと魔術によって精製した水を入 れ、グリル台の上に乗せ、ナイフで干し肉を短冊状に切ってそのま まコッフェルに落とす。 まな板が無いのでちょっと作業がしにくいが、さすがにバッグにま な板は入らない。 一煮立ちした段階で火を止めて完成。 温度が下がるにつれて干し肉にスープが染み込んでうまみが増すが、 おなかが減っているので待たずに食べる予定。 さらにバッグの外側に拡張されたポーチからナルゲンボトルを取り 出し、中に入っている大型で分厚いクラッカーを取り出して皿に並 べる。 お店で食べるような料理とは比べるべくも無いが、それでもこの世 71 界の携帯食料に比べればはるかにマシな食事になる。 カップにスープを注ぎ、エルに渡す。 ﹁主、ありがとう﹂ ﹁どういたしまして﹂ 早速スープを飲む︵食べる︶。 元の固形スープは若干うまみが薄いところがあるが、干し肉を入れ ることでうまみ成分が補完されて随分とおいしくなったと思う。 町から持ってきたクラッカーはスープにも合うし、若干ある塩気の おかげでそのまま食べても悪くない。 比較的淡白な味わいなため、蜂蜜やジャムなどもきっとよく合うだ ろう。 今後小さいほうのナルゲンボトルに蜂蜜とか詰めておきたいな。 ﹁おいしかった。ご馳走様だ﹂ ﹁お粗末さまでした﹂ 食事を終えて食器、グリル台を片付けて出発の準備は完了。 早速リーナさんの捜索を開始しよう。 何かヒントになるものが見つかるといいんだけど。 ◆ 72 ﹁随分暗くなってしまったな、そろそろガルトに戻ろう﹂ ﹁わかった﹂ 時刻は18時、草原ならともかく日の入らない森の中では随分と暗 く感じる。 途中からはたいまつ代わりのライトの魔術とサーチライト代わりの 軍用懐中電灯で捜索を行ったが何の痕跡も見つけることができなか った。 エルによると無理やり人を連れて行く場合、暴れた形跡が残るので それさえ見つかればといっていたが、残念ながら痕跡の発見はでき ず。 また、森の中で野盗が生活している場合、食事などのために火をお こせば煙がでる。 そこでこの世界ではありえないほどの出力を誇る軍用懐中電灯をサ ーチライト代わりに使って炊煙を探す作戦だったが、失敗。 僕とエルは町に戻ってギルドで薬草を換金、食事を取って宿に戻る。 リーナさんは戻ってきていなかったので、明日も捜索を続けるつも り。 さすがに今日は疲れたので明日のためにも魔術の練習などはしない。 水でぬれたタオルで体だけ拭いてベッドに入るとすぐに意識が無く なった。 73 5 現在時刻は11時。 昨日に引き続き僕は薬草採取の依頼を受けた上でガルト西の森にい る。 ﹁エル、これは・・・﹂ ﹁間違いなく攻撃魔術によるものだが、この辺りには野生動物も多 いため無関係の冒険者によるものかもしれん﹂ 薬草の採取中に見つけた木は炎系の攻撃魔術によって黒く焦げてい て、その辺りをみるとほかにも鋭利な断面の枝や折れ曲がった木に 残る血痕など、戦いの痕跡があちこちに残っていた。 10分ほど捜索したが、見つかったのは戦闘の形跡のみ。 エルを見るとなんだか考え込んだような表情をしている。 ﹁妙だな﹂ ﹁ん、なにが?﹂ ﹁この辺りにいるのは大抵がガルトウルフというこの地域固有の狼 なのだが、討伐系の依頼で受ける場合持って帰るのは特徴的な尻尾 だけで問題ない。死骸がないのは不自然だ﹂ ﹁そういえば死骸が無いね。でもほかの野生生物が食べちゃったん じゃない?﹂ ﹁それなら骨が残るか肉が散乱するものだ。ほら、この部分の地面 は大量の血が染み込んで変色している。おそらくここで止めを刺し たのだな﹂ 74 ﹁うわっ・・・その黒いの血なのか、なんだか食欲のなくなる光景 だ﹂ ﹁うーむ、ひょっとしたらこれは野盗共が食べるために取ったのか も知れぬぞ﹂ ﹁そうだと死骸が無いのも納得できるけどさ、冒険者が食べるため にっていう可能性は考えなくていいの?﹂ ﹁ガルトウルフの肉は非常にまずいので普通冒険者は食べたりしな い。食べるとすれば町に入って食べ物を得ることが出来ない奴ら、 ということになる﹂ ﹁正直、携帯食料のほうがマシな肉ってちょっと想像つかないんだ けど﹂ ﹁妾は食べたことがないが、どうも硬くて欠片ほどのうまみも無く、 非常に臭い。そんなにまずいはずが無いといって食べた冒険者の一 人が青い顔をして倒れていたっていう話もあるくらいだ﹂ ﹁野盗っていうのは味覚が死んでいるのか?﹂ ﹁・・・主、たぶんそういう問題ではないと思うぞ﹂ どんな光景を見たからといっておなかは減る。 レパートリーを増やすに当たって必要な材料の入手が出来なかった ため、残念ながら食事は昨日と全く同じメニュー。 それでもどうでもいい話︵今回は携帯電話の話をした︶をしながら 食べるのは結構面白く、今後へのモチベーションも向上する。 ﹁さて、そろそろ行こっか﹂ ﹁わかった、ただ、後ろの馬鹿共を潰してからだぞ?﹂ え? 後ろの馬鹿共? 75 後ろを振り向くと藪がゆれて人影が出てくる。その数5人。 全員が帯刀しており、薄汚い服を着ている。 ひげも剃っていないので非常に不潔に見える。 ・・・なんとまあ、つけられてたのか。全く気がつかなかった。 ﹁勘のいいお譲ちゃんだな、そっちのガキはまるで気がついていな かったのに﹂ ﹁大方炊煙でも見つけてこっちに来たのであろう? 来ると分かっ ていれば見つけることは難しくないのでな﹂ ﹁随分と余裕があるようで・・・まさかお前らこのまま逃げられる とおもってんのか?﹂ ﹁逃げる? フンッ、それは妾たちがお前らにいうセリフだな﹂ それにしても野盗の集団か。 2対5という状況はともかく、うまいこと捕まえることができれば 一気にリーナさんの身柄に近づくことになるかもしれない。 こいつらが完全にリーナさんと無関係って可能性もあるけど、いず れにせよ逃げられる状況ではない。 異世界生活12日目、ひょっとしたら僕は人殺しを経験することに なるかもしれない。 先日と同じように左手には射出系魔術を待機状態にして右手にはス タンロッド。 出力は最低、全身に強い痺れが残るが死なないレベル、だと思う。 イメージがゲームのスタンロッドで、効果が無力化だったので、正 確にイメージできているならばちゃんとそういう効果で具現化でき ているはずだ。 76 現代の住人である僕には銃のイメージが強すぎて射出系の魔術の威 力が落とせない。 命は地球より重いなんていうつもりは毛頭ないが、リーナさんの身 柄を考えると最低でも一人、自殺や脅しを考えると出来れば二人以 上を捕縛したい。 となると頼みの綱はこのスタンロッドか。 ﹃エル、最低でも一人は捕縛する方向で! 僕は右の奴からやる﹄ ﹃左の奴は任せろ!﹄ 僕は完全に油断してニヤニヤしている野盗の一人にステップイン。 この後どうしてやろうかとでも思っているのか完全に油断している。 一足飛びで5mは移動してから男の首にスタンロッドを押し付ける と若干の反動とともに衝撃音。崩れ落ちて動かなくなる男が泡を吹 いているのを確認してから次のターゲットへ。 ﹁糞っ! 男は殺せ! 女はなんとしても捕らえろ、後で売り払っ て金にするぞ﹂ なんだかとんでもないことを言われた気がするけど、大量のアドレ ナリンのおかげで特に恐怖感とかはない。 で ひっぱたかれてそれは二人になった。 エルのほうをチラッとみると、既にエルの足元には一人が転がって おり、魔力障壁 ああ、やっぱりエルは強いな。 あんまり種族的に強くないとかいってたけどあれ絶対嘘でしょ。 77 こちらを向いている二人は自分たちで最後であることに気がついて いない。 エルみたいな華奢な体格の美少女が大の大人を声も出させずに無力 化できるとは思っていないのだろう。 一人はこちらに向かって剣を振り回してくるが、あまりにも遅い。 魔力障壁で剣を受けてからお返しにスタンロッドで頭をしばく。 情けない悲鳴を上げて倒れる野盗。残りは一名。 ﹁吹き飛ぶが良いぞ!﹂ あ、エルが完全に無防備な背中に向かって風の魔術︵エルの場合魔 法?︶を使った。 ヒュゴッ!っというような不思議な音とともに最後の一名が全力で こちらに向かって吹っ飛んでくる。 ・・・ん? ・・・ちょ、やばい! こっちに全力で吹っ飛んできてるって! ﹁わわっ・・・﹂ あわてて魔力障壁を斜めに展開して男がぶつかると同時に押し返す。 男はピンボールの玉のようにベクトルを変えて再度吹き飛ぶと地面 を10m以上転がっていき、木に衝突してからようやく止まった。 ﹁すまぬ、主。久しぶりに攻撃魔術を使ったので気が高ぶって周り が見えていなかった﹂ ﹁なんとか対応できたから大丈夫だよ、それよりもこいつら縛って おかないと﹂ 78 バッグからパラコードを取り出して野盗たちの腕と足を縛る。 をするわけだけどさ﹂ 直径は4mmしかないがアホみたいに頑丈なので腕力で千切られる 話し合い ということはまず考えなくて大丈夫。 ﹁ふうっ・・・。さて、これから ﹁どうした?﹂ ﹁こういう暴力を前提とした話し合いなんてものは生まれて初めて だからどうやって聞けばいいかなー、と﹂ ﹁うーむ・・・。妾もこういった経験はないぞ。あまり力になれそ うに無い﹂ ﹁じゃあ出たとこ勝負でいくしかないか﹂ ﹁なかなかおきないねー﹂ ﹁水でもかけてみるべきか﹂ ﹁早速やってみよう﹂ 10分以上も待っているが彼らのうちで起きているものは一人もい ない。 幸いにも全員脈があるので死んでいないことは分かっている。 僕は一番怪我の無い野盗の頭にじゃばじゃばと水をかける。 ・・・だめだこれ、起きないぞ。漫画とかだとすぐ起きてたと思う んだけど。 衛兵の人に報告に行くのが理想なんだろうけど。ここからだといっ 79 て来いで4時間以上かかる。その間に逃げられたら目も当てられな いし、僕かエルのどちらかのみが向かうとなるとそれもちょっとト ラブル対応的に怖いものがある。 ﹁ん・・・ぐぅ・・・糞、イテエ・・・﹂ あれからさらに20分ほど待つとようやく一人が起きる。 随分と時間がかかったなあ。薬草採取もまだ微妙に終わってないし、 先に済ましてしまえばよかった。 ﹁どうもこんにちは、僕は先ほど襲われた人です。今から質問を行 うので可能な限り答えていただけると助かります﹂ ﹁こんなことしてただで済むと思ってんのか!﹂ ﹁どちらかというとただで済まないのはそちら様だと思いますけど ね。ともかく質問に答えていただけますか?﹂ ﹁・・・・﹂ あれ、なんかおかしい、なんだかぜんぜん怖がられてない気がする。 ﹃精一杯怖いオーラ出してみたんだけどどう?﹄ ﹃主よ・・・すまないが丁寧なだけで全く脅せてないぞ﹄ ﹃う∼ん、じゃあ二人でやろうか﹄ 駄目か、この口調疲れるからやめよ。 ﹁エル、この人駄目だ。どうしようか﹂ ﹁縛って放置しておけば野生生物のちょうど良いえさになるな。そ 80 れとも魔術の練習に使うか?﹂ ﹁どういうこと?﹂ ﹁主は射出系魔術の威力を下げられないことをちょっと気にしてお ったろう? 魔術というのは実際に使う機会がないとなかなかうま くならぬ﹂ ﹁なるほど﹂ ﹁妾も対象の治療を行いつつ練習すれば、一人当たり複数回魔術の 練習ができるはずだ﹂ ﹁ん、ありがと。早速やろうか﹂ 男の顔を見ると先ほどとは異なり、真っ青になっている。 ここらでいけるかな? ﹃主、いい感じだぞ。そろそろ話し合いに参加してくれそうだ﹄ ﹃了解﹄ ﹁さて、話すか魔術の実験か、好きなほうを選んでもらっていい?﹂ ﹁何でも話す、何でも話すから・・・だからやめてくれ!﹂ ﹁そりゃよかった。じゃあ質問に答えてもらおうかな﹂ ﹁ああ、な、なにを話せばいいんだ﹂ ﹁最近リーナという薄い水色の目と髪を持つ少女が誘拐された。何 か知っていることは?﹂ ﹁薄い水色・・・? すまねえ、俺たちが捕まえた。可愛かったか ら奴隷商に売ることになっている、すまねえ!﹂ ﹁いつ?﹂ ﹁今夜だっ、ひっ、やめてくれ、殺さないでくれ!﹂ こいつらがリーナさんを誘拐したのは確定。 それにしてもやっぱり奴隷商とかあるのか、さすが異世界。 81 アジトの場所を聞くためにもう少し脅そう。 スタンロッドを最大出力で具現化させて、男の首に近づける。 最大出力のスタンロッドは時折空気が裂ける音とともに紫電が飛び 散るので見た目が大変に恐ろしい。 ﹁主、一瞬でも間違えて当てると全身黒焦げになってしまうぞ﹂ その言葉で男の顔がこわばる。 今から仲間を裏切ってもらうわけだから、コレくらいじゃないと話 さないだろう。 ﹁彼女は今どこに?﹂ ﹁俺たちのアジトだ、ここから北に20分ほど歩くと洞窟がある。 さあ、話した、だから、殺さないで・・・﹂ ﹁わかった、殺さないでいてやる。もう二度とやるんじゃないぞ。 わかったな?﹂ 男は言葉は発しなかったものの、真っ青になりながら全力で首を振 っている。 それにしても即答するとは思わなかった。 さて、リーナさん救出に必要な情報は揃った。 仮に嘘だったら戻ってもう一度脅しなおせばいいか。 問題なのは今夜奴隷商に売る、という事実。 現在時刻は14時ちょっと過ぎ。 戻って報告したとしたら行って来いで18時になる。 そうなると時間オーバーな可能性が捨てきれない。 82 幸い野盗の戦闘能力は高くなさそうなので、油断さえしなければ僕 とエルの二人で救助も可能だと思われる。 ・・・よし、やるか。 ﹁時間的に厳しいから二人で救助に向かいたいのだけど、エルはそ れでいい?﹂ ﹁妾もそれでかまわぬ。あまり時間が無いから早く向かったほうが 良さそうだ﹂ ◆ 幸いにもあの男は嘘をついていなかったようだ。 僕から見て50mほど先には洞窟の入り口がぽっかりと空いており、 その入り口を守るように二人の野盗がいる。 さらに洞窟の入り口周辺の木は完全に伐採されており、これ以上ス テルスで近づくのは不可能だ。 強行突破した場合、一番まずいのはリーナさんが人質に取られてし まうこと。 そうなると僕は結構どうにもならなくなる気がする。 だからこんなところで気づかれるわけには行かない。 気づかれるならもうちょっと進んでからじゃないと。 うん、覚悟はしていたけど、僕は今日、人殺しをする。 83 ﹃ここからあの見張りを排除するよ﹄ ﹃主・・・﹄ ﹃大丈夫、任せて﹄ 僕は右手と右目に魔力を集中。 右目でライフルスコープと指向性マイクをイメージすると視界が拡 大され、50m先の男の表情まではっきりと分かるようになる。 ﹁それにしてもよ。あの女今日売っちまうんだってな、全く勿体ね ーよ﹂ ﹁そういうなよ、やっちまうと価値が半分以下だぜ?﹂ ﹁だけどなぁ・・・﹂ 13歳の少女に対してあいつらは一体何をするつもりだったのだろ うか。 このままでは照準が安定しないので姿勢を体育座りに変更。 右手首を左手で固定し、ひざの骨の上にひじの骨を置いて右腕全体 を支えると狙点がぶれなくなる。 右手の先に魔力を集中、氷の魔術を発動していつでも撃てる状態に。 息を止めて、撃つ。 気の抜ける音と共に発射された氷の弾丸は50m先の男の頭に正確 に突き刺さり、鼻から上を吹き飛ばす。 あまりの出来事に呆然となっているもう一人にもすぐさま狙いを定 めて射撃し、同じように絶命させる。 ﹃気づかれるまでの時間はそんな無いと思う、進もう﹄ ﹃わかった﹄ 84 洞窟は広く暗い、あまりたいまつなどは用意していないみたいだ。 魔術を扱えるものたちなら自分の周りをライトの魔術で照らせばい いけど、それが出来ないのにもかかわらず暗いのは如何なものか。 洞窟の中は昼だっていうのに暗いし、普段の生活はどうしてるんだ ろう? 今回はそれがありがたいけどさ。 さくさく進んで早いところリーナさんを見つけないと。 エルには僕の中に戻ってもらい、何人かの野盗をやり過ごしつつ奥 へと向かう。 さっきも言ったけどとにかく暗いので、端っこでじっとしてれば見 つかる可能性はかなり低い。 注意して歩かないとこけてしまって自分がばれるなんていう間抜け な展開になりかねないのがたまにキズ。 5分ほど中を歩き、ひどい臭いのするドアを開けるとそこは牢屋だ った。 生まれて初めて見た実物の牢屋はなんとも嫌な雰囲気で、できれば こんなところからは一刻も早く抜け出したい。 牢屋の数は全部4つ、左手奥の牢屋にリーナさんはいた。 薄暗くて服装や髪の色はよく分からないが、ほかの牢屋には誰もい ないので間違いない。 ﹁こんばんは﹂ 85 ﹁誰っ!﹂ 歳相応の可愛らしい声だが、恐怖によって震えているのがはっきり と分かる。 ﹁あなたのお母さんの経営する宿でお世話になってる冒険者で、ユ ートっていいます﹂ ﹁わ・・・わたしはリーナです。え・・っと、ユートさんはどうし てここに?﹂ 身長160cm︵四捨五入︶で童顔の僕が来たところで、そりゃあ 救助に来たとは思わないか。 ﹁リーナさんを助けにですよ。そのドアを開けるのでちょっと待っ てくださいね﹂ ﹁え? あ、はい﹂ 右手に魔力を集中、かんぬきの動きを阻害する鍵を氷の魔術で無理 やり壊してドアを開ける。 ・・・今後こういうことを考えてブリーチ用の魔術とか練習しよ。 ﹁おっけ、じゃあついてき︱︱﹂ ﹁御頭! 表でイーザとフルカスが死んでやがった、誰かが紛れ込 んだかもしれねえ!﹂ すぐ側で男の叫ぶ声が聞こえた。 チッ、ステルスもここまでか。 慌しい足音も聞こえる、こりゃヤバイかもしれない。 ﹃エル、リーナさんの護衛を!﹄ 86 ﹃わかった﹄ 一瞬光が出たと思うとそこにはエルがいつものように立っている。 いまさら疑問に思うけど、僕が箱に詰められた状態でエルを顕現す るとどうなっちゃうんだろう。 さすがにやる気は無いけどさ。 ﹁わわっ・・・あ、あなたは?﹂ ﹁妾はエルシディア、主の命令に従い貴女を守るぞ﹂ ﹁は、はい、ありがとうございます。わたしはリーナです。よろし くお願いします﹂ ﹁うむ、安心するとよいぞ。主は強いし、妾も三下の盗賊ごとき相 手にならぬ﹂ 僕を立ててくれるのはうれしいがどう考えてもエルのが強いでしょ ーに。 ともかくこれでリーナさんの防備は完璧。 このアジトの野盗集団でエルの魔力障壁を貫通できる奴がいるとは とても思えない。 あとはもうランボーのごとく戦って最終的に脱出だ。 ステルス時に確認した野盗の残数は14人。 相手に魔術師がいないならここでバリケ組み立てて篭城作戦もあり だけど、わからない以上リスクは犯せない。 ﹁突破するよ、ついてきて﹂ ﹁援護は妾に任せろ﹂ 87 と、意気込んでドアを開けたはいいもののそこは無人。 ・・・アレ? ﹁さっきすぐ側で声が聞こえたのになんで無人?﹂ ﹁わからぬが注意したほうが良さそうだ﹂ 軍用懐中電灯で辺りを照らすがそこには粗末なイスとテーブルがあ るくらいで、ほかには何も無い。 辺りを照らしながら進み、不意打ちを避ける為にドアなどは全てク リアしてから先に進むが、やはり誰もいない。 ﹁これって出口でガン待ちってことだよね﹂ ﹁今度こそ間違いないだろう﹂ ﹁・・・・・﹂ リーナさんが不安そうな目でエルを見ている。 確かにこの状況で不安にならないはずも無いか。 時刻は16時半くらい、こちら側は暗く、向こう側は明るいためこ ちらから一方的に外の様子を伺える。 ・・・うわ、いるよ。 狭い室内での戦闘による各個撃破を恐れていたのか、野盗たちは広 い外で待機している。 あいつら僕たちのことを数で押すつもりだな。 入り口からチョビチョビ撃たれた場合、入り口を封鎖して僕たちを 生き埋めにすることも考えているだろう。 88 ただ、見える範囲にいる14名の野盗は全員剣で武装しているのが 救いだと思う。 仮に見逃しの数名がいたとしても、飛び道具を使う奴は少ないとみ て良さそうだ。 ﹁今度こそ戦闘開始か、生き埋めのリスクを考えると外出るしかな いね﹂ ﹁彼女のことは妾に任せてもらって問題ない、僅かな傷も付けるこ となく守りきって見せる﹂ ﹁了解、よろしく頼むよ﹂ 僕とエルは魔力障壁を維持しながら外に出る。 10mくらい先でリーダーらしき野盗がニヤニヤとした汚い笑みを 浮かべて待っていた。 負けるとは欠片も思っていないらしい。 13名の野盗はこちらを囲むように広がっていて、全員がギラギラ とした目で剣を構えている。 ﹁随分な余裕を持っているようで、さすが魔術師様だよ。お前ら全 員で突っ込め、魔術は連射がきかねーから数で潰すぞ!﹂ ﹁﹁﹁﹁やってやるぜええええ!﹂﹂﹂﹂ え? こいつら弓矢などの遠距離武器を持った奴を回りに伏せさせ てないのか? いきなり突撃を命令するとは思わなかった。こりゃ相手は自殺行為 じゃないか。 しかも魔術は連射ができないとか何を言ってるんだ? さすがにフルオートは出来ないけど、秒間2発程度には連射が利く 89 ぞ。 相手の意図が僕にはさっぱり分からないが、それでも迎撃の必要が あることには変わりない。 こちらへ突っ込んでくるアホ共に対して魔術を撃ち込む。 狙うのは足、出来ればひざ。運がよければ助かるだろう。 エルは風の魔術で吹き飛ばしているらしく、骨の折れる嫌な音が何 度か聞こえた。 氷の魔術を4発撃って中央付近の4人を無力化。 続いて最大出力のスタンロッドを具現化させて左翼に位置する3人 のアホ共に突っ込む。 一人目が反応出来る前に首筋にスタンロッドを叩きつけると髪のこ げる嫌な臭いがして一瞬で絶命する。 二人目が振るう剣を魔力障壁ではじき、三人目の剣にはスタンロッ ドを叩きつけて感電させる。その隙に胸を蹴りつけると2mは吹っ 飛んだ後に動かなくなる。 一度ステップアウトし、左手の魔力を魔術に変換して2発撃ち込む。 チャージ量が少なかったため最初の魔術ほどの威力は無いが、それ でもわき腹と右足を抉り、死亡していないものの戦闘不能状態にさ せることができた。 これで半分の敵が無力化。 次はエルの援護と思ったけど、既に残り一名。 それもたった今風の魔術で吹き飛ばされて戦闘不能に。 リーナさんを完璧に守りながらも殲滅速度は僕とほぼ同じ。 90 もう全部エル一人でいいんじゃないかな。 野盗のリーダーは目の前の光景が理解できないのか完全に固まって いる。 メンバーは全員が倒れており、既に戦闘の意欲は無い。 ﹁まだ生きている人は多いですし、応急処置だけでもしたほうがい いですよ?﹂ ﹁・・・見逃してくれるのか?﹂ ﹁そもそも僕は快楽殺人者ではないので、こちらから攻撃すること はありません﹂ ﹁そうか・・・ありがとう﹂ うわっ、まさか野盗のリーダーにお礼を言われるとは思わなかった。 しかも口調がまるで違うので違和感が凄い。 ・・・いや、違和感があるのはそれだけが原因じゃないな。 ほら、僕、なんせ、殺してるからね。 ﹁・・・エル、リーナさん。帰ろう﹂ ﹁わかった﹂﹁わかりました﹂ 覚悟はしていたけどなんだか一線を越えた気がして嫌な気分になる。 帰っておいしいものでも食べて忘れてしまいたいが、忘れられるだ ろうか。 91 6 ﹁あっ、忘れてた!﹂ ﹁突然どうしたのだ?﹂ ﹁昼過ぎのあいつら、放置したままだった﹂ ﹁・・・ああ、そういえばそうであったな﹂ どうでも良さそうにエルが答える。 そう、僕らは昼過ぎにパラコードで縛っておいた野盗の集団を完全 に忘れていた。 現在時刻は17時過ぎ。あのときから既に3時間が経過している。 ﹁それでどうするのだ?﹂ ﹁衛兵に突き出そうかと思う﹂ リーナさんを直接誘拐した奴らだし、正直そのまま放置でもいいん だけどさ。 衛兵に突き出しておいたほうがいろいろ今後の処理が楽になる気が する。 それにこの世界ではパラコードのような細くて丈夫な紐は貴重品な のでみすみす無くしたくはない。 ﹁リーナさんに誘拐犯を会わせるなんて事はしたくないから、僕が 行ってくるよ﹂ ﹁主・・・。気をつけるのだぞ﹂ ﹁大丈夫大丈夫。合流は町でいっか、なにかあったら念話で情報共 有しよう﹂ 92 実際問題、僕はリーナさんと一緒にいないほうがいい。 それは僕が嫌われているとかそういう問題に近いのだけど、野盗に 誘拐されてあとちょっとで奴隷商に売られるところだったから、近 くにいくら童顔で小さいとはいえ男がいると怖いんじゃないかなっ て思うんだよね。 ﹁エル、リーナさんを頼んだよ﹂ ﹁任された。完璧を期待してよいぞ﹂ ﹁エルシディアさん。ありがとうございます﹂ そんな風 ﹁うむ、リーナ殿には指一本触れさせるつもりはないから安心して 欲しい﹂ ﹁その・・・リーナって呼んでもらってもいいですか? に呼ばれると恥ずかしくて・・・﹂ ﹁む、それならば妾のことはエルでよいぞ﹂ ﹁命の恩人にそんな呼び方できません!﹂ ﹁そ、そんな大声を出すでない。驚くではないか﹂ ん、コミュニケーションはエルに任せておけば大丈夫そうだな。 今はなんだか硬い感じがするけど、徐々に軟化するでしょ。 ◆ 辺りはかなり暗くなっており、昼の場所を掴むのには随分と手間取 った。 なんとか僕がそこにたどり着くと昼と同じように彼らはそこにいる。 93 手足を縛られて木に括り付けられている彼らが全員横になっている 光景はなんともシュールで笑ってしまいそうになる。 ﹁お待たせしました。リーナさんの救助は無事に済んだので次はあ なた達の移動です﹂ ﹁仲間はどうなったっ!﹂ ﹁一人を除いて全滅です﹂ ﹁・・・・・っ﹂ 気が滅入るな。最初が仲間の心配か。 テンプレートな悪役が相手ならこういう気分にならなくて済むのに。 僕の一言のせいでなんとも嫌な沈黙があたりを包む。 ともかく移動したいので彼らの足の拘束を解いて歩かせる。 剣は捨て、もちろん腕の拘束はそのまま。 ﹁さあ、歩いてください﹂ ﹁・・・いつか殺してやる﹂ ﹁早く歩いてください﹂ 血走った目で一人が僕を見ている。 ・・・ああ、僕一人で本当に良かった。 こんなところにリーナさんをつれてくることが無くて本当に良かっ た。 きっとトラウマになってしまっただろう。そうならなくて本当に良 かった。 それにしても歩き出すのが遅いな、少し脅しておくか。 僕は地面に向かって氷柱を射出し、地面にちょっとしたクレーター 94 を作る。 一人を除いて怯える全員を見てもう一度言う。 ﹁さあ、早く歩いてください。僕は後ろであなたたちを監視します ので﹂ 時刻は20時、空の二つの月が輝いて辛うじて大地を照らす。 月明かりに照らされた風景はなんとも綺麗だけどこういうのは出来 ればかわいい女の子と見たいところだ。 残念ながら側にいるのは鬱陶しい男が5人。理想と違いすぎて涙が 出るね。 西の森からガルトの西門はそれほど遠くない。 身体能力の低い彼らと歩いたとしても3時間もあれば着く。 確か衛兵の詰め所は門のすぐ側っていってたな。 というかあれか、門のとこの衛兵の人に話せばいいのか。 ﹁夜分に申し訳ありません。僕はユート、冒険者です。リーナさん の誘拐の件でご報告したいことがありまして、ただいま少々お時間 よろしいでしょうか?﹂ ﹁なにか分かったことがあったのかっ!?﹂ なんかもお、凄い反応。 一瞬でこちらの側に来たかと思うとつばがかかるかもしれないくら い近づいてきたんだけど。そんなに近寄らなくても聞こえるって。 95 ﹁分かったというか解決というかですが。まずはそこの5名がリー ナさんの誘拐の実行犯です、彼らのアジトの場所も聞けば答えてく れます。リーナさん自身は救助済みですので、もうしばらくしたら 町に到着します﹂ ぽかんとした表情で野盗たちを見る。 おそらく子供みたいな外見の僕がつれてきたもんだから狐につまま れたような気持ちになっているんだろう。 ﹁この後の彼らの処遇に関してはお任せしてしまってよろしいでし ょうか?﹂ ﹁あ、ああ。すまない、ちょっと驚いてしまって。彼らの処遇に関 しては私たちに任せてくれれば問題ない﹂ ﹁ありがとうございます。お手数ですが拘束具をつけてもらって良 いですか? 今彼らを拘束しているロープは僕の私物なので回収し たいのです﹂ ﹁わかった。少しだけ待っててくれ﹂ そういうと衛兵の人がすぐ側の詰め所に走っていく。 今のうちにエルの確認をしておこう。 ﹃エル、そっちは今どの辺? こちらは西門について野盗を衛兵の 方に引き渡してるとこ﹄ ﹃もう森は抜けた。あと20分程度でそちらに着くぞ﹄ ﹃了解、西門抜けたとこの池で待ってるよ﹄ 意外と近いぞ、エルのライトの魔術でも使えばもう見えるんじゃな いか? ぬお、衛兵の人も早い。もう拘束具を持ってきてる。 96 僕は拘束具のつけ方が今ひとつ分からないので衛兵の人たちの使い 方を見ているだけ。 どうもギロチンの拘束具のような感じで頭と両手を固定することで 自由な動きを拘束するタイプみたい。 確かに両腕と首が一枚の板で固定されたらまともに動けんよね。 でも当然それをつけるためにはパラコードによる拘束を解く必要が あるわけで。 拘束具を着けていない最後の一名、僕を血走った目で見ていた奴だ。 彼ははパラコードの拘束を解かれた瞬間に衛兵の人を振り切ってこ ちらに突っ込んでくる。 衛兵さんなにしてんのさって思ったら自分の肩抑えてるぞ。あいつ 何やった? 彼を良く見ると手には血のついたナイフ。一体どこに隠していたん だろう? ・・・そういえばボディチェックなんてしてないからどこでもあり えるか。 はあ、こうなるならちゃんとヤっておけばよかった。 ﹁あぁぁぁぁぁぁっ!﹂ 叫び声と共に彼が突っ込んでくるが、低出力のスタンロッドでナイ あぁぁぁぁ! みたいな気勢を上げつつ突っ込 フを防ぐと半ば自爆のような形で彼が感電して動けなくなる。 どうでもいいけど んできて後半はそれが悲鳴に変わってるとちょっと情けないよね。 97 ﹁すまない! 大丈夫か!?﹂ ﹁ええ、問題ありません。それよりもそちら様の一人は大丈夫です か?﹂ ﹁ああ、ちょっと斬られたくらいだ。戻って治療を受ければすぐに 治る﹂ ﹁それは良かったです。さて、僕は仲間と合流するのでここらで失 礼します﹂ パラコードを衛兵の人から受け取り、町の憩いの場の池で待つこと 5分弱。 僕はエルとリーナさんと合流し、宿に戻った。 宿のドアをくぐった時のリーナさんとタミナさんの表情を僕は生涯 忘れないだろう。 怯えた雰囲気を出す少女が、一転して満面の笑みを浮かべて母の元 へ走る。母は彼女を見て驚いたような表情を見せたが、次の瞬間に はやわらかい笑みを浮かべて彼女を抱きしめる。 ﹁お母さん、ただいまっ!﹂ ﹁無事でよかった・・・お帰りなさい、リーナ﹂ そんな親子が抱きしめあう光景は感動的なはずで、心温まるはずな のに。 すこし、胸がちくりとした。 ﹃うーん、僕たち完全に邪魔者だから部屋に帰ろうか﹄ 98 ﹃外に出たほうが良いのではないか?﹄ ﹃そうだね、その方が良さそうだ﹄ 僕とエルは外に出てから少し歩いて町の憩い場の池に戻る。 もう随分と遅いおかげでここには誰もいない。 ベンチに座るとエルも僕の隣に座る。 ﹁ねえ、エル﹂ ﹁ん、どうしたのだ?﹂ ﹁なんていうのかな、ちょっと自分でもよく分からないんだけどさ。 たぶんね、僕はゲーム感覚だったんだと思う﹂ ﹁・・・主、大丈夫か? 顔が青いぞ?﹂ ﹁僕の世界にはね、RPGっていうジャンルのちょうどこんな世界 に生きる主人公を追体験できるゲームがあってさ。ゲームの中には いろいろとイベントが用意されていて、たとえば今回みたいな女の 子が野盗に誘拐されました、助けましょう。なんてのもあって、大 体の場合最終的には女の子を助けてハッピーエンドで終わる。・・・ ぶっちゃけ僕の状況ってそれと大差ないよね。正直言えば僕はそう いう気分で動いてた。人の命が懸かっているのにね﹂ ﹁・・・・・・﹂ ﹁ゲーム感覚であれこれ自分勝手に動いて、人を殺して、いまさら 現実に戻って落ち込んで。なんなんだろう、自分自身が馬鹿すぎて 涙でそう﹂ 一気に喋ってからエルを見るとなんだか辛そうな表情をしている。 そりゃそうか、こんな気分を愚痴られた日には僕だって辛そうな表 情になるだろう。 ﹁妾が思うに、今回の主の行動は賞賛されこそすれ、非難されるよ うな要素は一つもない。仮に主がいい加減な考えで行動したとして 99 も、だ。主はこう言われるのは嫌かも知れぬが、何の力も持たぬ者 の矢面に立って戦う姿はなんとも格好よく、確かに物語の主人公の ようであったぞ。・・・だから、そんな風に意味も無く自分を責め るのはやめよ。主が悲しければ妾だって悲しい。逆だってそうなの だぞ﹂ エルに肯定されるとそれだけで心が軽くなる。 そんな自分の浅さが悲しいけど、ちょっと嬉しかった。 100 7 エルと同化してから宿に戻るとカウンターには誰もいない。 僕はそのまま自分が借りている部屋に戻る。 ここ最近はなんともバイオレンスな日々だった。 明日辺り休日にでもしてしまいたいが、残念ながら今日受けた薬草 採取の依頼が完了していない。気合を入れて明日もがんばろう。 ﹃主、ちょっと良いか﹄ ﹃いいけど、どしたの?﹄ ﹃ちょっと顕現するぞ﹄ ﹃おっけ﹄ 一瞬光ったあとにエルが現れて、僕の隣に腰掛ける。 ﹁最近の主は毎日根を詰めて働きすぎだと思う。こういうときには 少し遊びにでも行って気を紛らわせるべきだ﹂ ﹁僕もそんな気分なんだけど、薬草の依頼が終わってないからそれ だけはやっておかないと・・・﹂ にやり、とエルが笑ってポケットから手をだす。 その手には依頼の対象の薬草が数束あり、僕の手持ちを考えると依 頼を達成するに当たって十分な量だ。 エルは僕のドロップポーチに薬草を突っ込むと今度はにっこりと笑 う。 ﹁そういうと思って集めておいた。これで明日は遊びにいけるな﹂ 101 ﹁あ、ありがとう。ひょっとして帰り道に取ってきてくれた?﹂ ﹁うむ、今日はいろいろあって数が足りてなかったからな﹂ ﹁じゃあ明日はギルド行って依頼を済ませてから・・・。そうだな ぁ・・・﹂ そういえばこっちに来てギルドで依頼を受けるようになってからま ともに観光をした記憶がない。 おかげで行きたいのに行ってない場所はいっぱいある。 日本には存在しない武器屋や魔術用品店。それに人々で賑わう市場。 ・・・ああ、楽しみだ。 ◆ 時刻は10時前、相変わらずこの時間帯のギルドは閑散としている。 僕はカーディスさんに依頼されていた薬草を渡して代金を受け取る。 ﹁おい、ユート。ちょっとカード渡せ﹂ ﹁へ? ああ、どうぞ﹂ ﹁お前、盗賊に捕まって売られる寸前の少女を助けたんだってな。 やるじゃねえか﹂ Webも無い世界なのにこの人一体どれだけ情報が早いんだ? まだ朝だよ? 例の件からまだ一日も経ってないんだけど。 ﹁偶然ですよ。薬草採取をしてたら僕も襲われて、後は流されるま まって感じでしたので﹂ 102 ﹁せっかく誇れることしたんだから誇っておけ、たまにしかできね えぞ?﹂ ﹁うーん・・・﹂ 正直僕の行動には改善点が多い。 アジトを発見するまでは良かったけど。その後の行動が特にイケて ない。 見張りを殺すことなく待機して奴隷商が来るのを待つ。 んで、奴隷商の取引後に遠距離から関係各位を一方的に射殺してリ ーナさんを確保、離脱。 これが冷静になって考えたときの理想的なパターン。 実際には特に考えもせずにアジトに突撃、潜入などと無茶をやらか して気づかれて。 運よく済んだから良いものの、失敗してたらリーナさんの命は相当 危なかった。 仮にアジトに突撃するのが必須なら最悪でも見張りを無力化した後、 死体をどこかに片付けておくべきだったと思う。 ﹁まあともかく、ホレ、ランクアップだ﹂ 渡されたカードの右上がFからEに変わっていた。 あれ? 僕ってFの仕事3つしか受けてないぞ? ﹁え? いや、僕Fランクになってからまだこの依頼3個目ですよ ?﹂ ﹁そうだな。冒険者8日目でEランクなんて珍しいぞ﹂ ﹁理由はやっぱりリーナさんの救助ですか?﹂ ﹁救助もそうだが、具体的な理由はお前さんの戦闘能力だな。昨日 103 うちに呑みに来た衛兵から話を聞いたんだが、何でも暴れた盗賊を 一瞬で片付けたらしいじゃねえか。薬草の採取はできてるし、それ でさらに戦えるならランクが上がるのも当然ってことだ﹂ なるほど。情報源は酒場だったのか。 この世界の娯楽って少なそうだし、たぶん何時も呑んでるんだろう な。 ・・・っていうか業務上得た内容って喋っていいのか? 普通だめ じゃね? ﹁ついでにこれが盗賊退治の報酬だ。良かったな、臨時収入だぞ﹂ ﹁ありがとうございます・・・・ってこんなもらえるんですか?﹂ 僕の手元には銀貨7枚。 難易度が違うだろうとはいえ、薬草系の依頼の倍以上とは。 おかげで当面の目標だった貯金︵金貨1枚分︶をあっさりと達成し てしまった。 ﹁あ? 知らないで盗賊と戦ってたのか、やっぱユートお前変わっ てる奴だな﹂ ﹁いや、さっきの通り成り行きでしたので﹂ ﹁そういえばそうだったな﹂ ﹁ともかくありがとうございました﹂ ﹁ああ、またな﹂ カーディスさんにお礼をしてからギルドを出る。 さあ、今日は休日だ。まずは朝ごはん代わりに市場にいって何か食 べようか。 104 ﹁聞いていたけど凄いなこれは。見ると聞くじゃ大違いだ﹂ ﹁ガルト唯一の市場だからな﹂ ギルドを出て南へ歩くこと5分ほど。 そこには庶民の台所、巨大な市場が広がっている。 ちょうどヨーロッパの市場のような雰囲気で、あちこちで物を売る ために声を張り上げる商人たちが場を盛り上げる。 一人の商人が扱う範囲は3×5mくらいの露店で、衛生的な問題か 青果と精肉の両方を扱う店舗は無く、さらにそれらの店舗間は少し 離れている。 前 が一体い 前に来たことがあるエルの話だとガルトの市場は青果、精肉が基本 で魚介類は土地柄ほとんど置いてないらしい。その つなのか微妙に気になるところだが、少し見た限り市場が取り扱う 商品カテゴリについてはあまり変化が無いようだ。 ︵特に果物は︶見た目と味が一致しないことを異世界生活初日で知 っているので個人的にはかなり楽しみにしている。 ﹁すいません、コレ二つください﹂ ﹁あいよっ!﹂ 銅貨3枚を渡してリンゴを受け取る。 異世界生活初日に食べたこの果物は僕のお気に入り。 見た目と食感はリンゴそのものだが、味はイチゴ。 どちらも好きな果物だったので、個人的にかなりポイントが高い。 ちなみに好きなものを混ぜたからといって必ずおいしくなるわけで はない。 105 僕はカレーとサイダーは好きだが、それらを混ぜ合わせたカレーサ イダーは嫌いだ。 人が少ないところに移動してから指先に魔力を集中。 水を精製してリンゴを洗ってからエルに渡す。 杖なしで魔術を使っているが、集中して僕らを見ない限りそんなこ とに気がつくことは無いだろう。 ﹁主、ありがとう﹂ ﹁どういたしまして﹂ ﹁それにしても今後こうやって人前で魔術を使う場合、一つ杖でも 持っておいたほうが目立たなくて済むかも知れぬな﹂ ﹁あー、うん、そうかもしれないね﹂ 別に杖なしで魔術が使えることが露呈すること自体はどうでもいい のだが、下手をすればミリタリーバランスが壊れてしまうような能 力を持つ場合、いろいろと不都合が発生する。 首輪のつかない危険物と大手組織に認識された場合、非常に面倒な ことになりそうだ。 たとえば暗殺とか。 僕とエルがもっぱら使う防御用の魔力障壁は非常に高速に展開でき るが、常時展開しているわけではないので見えないところから撃た れる場合役に立たない。 ・・・やっぱ一本くらい買っておくか。無駄に目立ってもしょうが ないし。 何より僕は経験が足りていないので身体能力の割りに戦闘能力は高 くない。 106 こんな状態で変に強い、という扱いを受けるのは危険だ。 幸い臨時収入もあるのでブランクの杖の一本くらい買えるだろ。 あ、でも魔法陣が入った杖とか興味あるな。使ったことないし。 予算的に余裕があればそっちにしようかな。 魔術用品店には後で向かうとして、とりあえずは適当に歩いて回る。 いつの間にか露店は青果コーナーから精肉コーナーに移っていた。 もういくつか果物とか買うつもりだったんだけど、まあいいか。 さすがに生肉を買ったところでなんの役にも立たないため、僕が見 るのは主にソーセージやハムなどの燻製したもの。 前にギルドで食べたあれはソーセージ状だっただけで燻製していな かったので、出来れば久しぶりにきっちり桜のチップ辺りでスモー クした燻製をいただきたい。 さらにわがままを言うなら今すぐ食べたいのでブルスケッタみたい な感じか、またはホットドッグのようになっているとなおよろしい。 意外とそういうニーズがあるのか、数分歩いているとハムを乗せた パンが銅貨2枚という激安価格で販売している店があったのですぐ に購入。 パンは相変わらず若干独特の味があるが、香りの強いハムによって それは殺されて気にならない。思えばパンを使った軽食の類はどれ もパン独特の風味を殺して食べやすくするものが多い。 この世界のパンはこういうもので、みんなはそれを食べ慣れている けど僕は食べ慣れない。というわけではなく、どうも仕方なくそう いうパンで挟んでいるということか。仮にこの独特の味の無い淡白 107 なパンとか販売されたらかなり売れるんだろうな。 ﹁ひっさしぶりにハムとか食べたかも、やっぱパンにはハムだよね。 燻製は旨いよ﹂ ﹁うむ、燻製はうまみが凝縮されているからな。さらに日持ちもす るのでぜひ旅では持ってゆきたいところだ﹂ ﹁うーん、重量の許す限り、って感じかな。干し肉に比べるとかな り重いし﹂ ﹁さすがに妾たちだけで馬車を使う気にはなれぬし・・・そもそも そんな金もないか﹂ ﹁そうだね。っていうか馬車は無理でしょ。お金以前に馬なんて扱 えないよ﹂ ﹁・・・そうであった﹂ 確かに馬車などで移動できたら移動中の食事がかなり華やかになる なぁ。 もっとも前述の通りそんなことは不可能だろうけど。 十分に市場は見て回ったので魔術用品店に向かう。 場所は前に看板を見ているのでなんとなく分かっている。 市場から大通りに出て、町の中心に向けて歩くと右手側に細かい意 匠を施した魔方陣の看板があるのでそれが目印だ。 初めて入った魔術用品店の中はなんだか独特の雰囲気だった。 なんというか、こう、意味も無く暗いような高級なような感じで。 よく言えばシック。 108 なんでわざわざそんな雰囲気を醸し出してるんですかって店員さん に聞きたくなるくらい。 店の左手側には大小様々な杖が用意されている。 見たところそれぞれにスペックシートなどは用意されていないので、 買う前にはいちいち店員さんに内容を聞くのだろう。 右手側および中央には宝石やよく分からないアンティーク調の飾り 物。何に使うのかは全く分からない。 ﹁それにしてもこれは・・・﹂ ﹁どうした?﹂ ﹁値段がちょっと高すぎやしませんかね﹂ ﹁魔術用の道具というのは大体こんなものだぞ﹂ あまりの値段に口調が変わる。 一番安い杖が一本で銀貨2枚。 細くて折れそうでしょっぱい。しかも信じられないことにそれはブ ランク。 同じ杖で魔法陣を込めたモデルはなんと金貨1枚! 余裕があれば魔法陣を込めたモデルを、なんて考えは一瞬で終わっ てしまった。 なんでただの木の棒がこんな値段になってしまうわけ? 商品の値段に飲まれて気づかなかったけどそういえば周りもなんだ か結構お金を持っている感じがする。 ﹁周りもお金持ちっぽい雰囲気だよね。服とかもなんだかそんな感 じだし﹂ ﹁雰囲気はともかく、主の服は十分に高級品に見えるぞ﹂ ﹁そう?﹂ 109 ﹁うむ、特にそのジャケットは縫い目は細かく丈夫そうに出来てい るし、裏地もしっかりとしている。こちらで購入する場合金貨数枚 を考えたほうが良い出来だ﹂ ﹁そ、そんなに・・・﹂ 日本で3万円も出せば買えるアウトドアメーカー製のフィールドジ ャケットがこっちじゃ金貨数枚か。なんかうまいことあっちとこっ ちを行き来することが出来れば僕は一瞬でお金持ちになれるかもわ からんね。 しかしマジでどうしようかな。 所持金は銀貨16枚。 ﹁目的を考えるとエルの分も必要だよね﹂ ﹁うむ﹂ 携行することを考えるとバッグのパルスウェビングに差し込んでお きたいので、若干太い杖を選択するしかない。一番安い奴だと細く てすっぽ抜けてしまう。 その杖のお値段銀貨3枚。ちくしょう、高いよ。 随分と軽くなった財布と共に店を出る。 時刻はもう夕方。そろそろ帰らないと。 それにしても臨時収入がほぼ吹っ飛んでしまったよ・・・。 だけど気分は悪くなくてなんだか気持ちがすっきりした気がする。 これが遊びに行く効果か。 110 今後は適当なタイミングで遊びに行く日を作ったほうがいいな。 ﹁エル、ありがと﹂ ﹁と、突然どうしたのだ。妾は何もしておらぬぞ?﹂ ﹁なんだか気分がすっきりしてさ、エルのおかげで潰れずに済んで るよ﹂ ﹁妾が大事な主のために頑張るのは当然だ﹂ 片手を腰にやって笑うエル。 綺麗な銀髪が夕日で照らされて紅く輝く。 ﹁・・・・・・﹂ ﹁ん、どうしたのだ?﹂ ﹁な、なんでもないっ!﹂ エルがあまりにも可愛くて思わず見惚れてしまった。 なんてとても言えないって。恥ずかしくて。 111 7︵後書き︶ ﹁そういえば大きい杖のほうが高かったけど、コンパクトなほうが 取り回しが良くて便利じゃない?﹂ ﹁大きい杖のほう強力な魔法陣を込めることができるし、込められ る魔方陣の数も多い。複数本持つと微妙に魔力の込め方が違ったり して使いにくいので基本的に魔術師が携行する杖は一本だけだ﹂ ﹁なるほど、となると人前で魔術を使う場合はあまりたくさんの種 類の魔術を使わないほうが良さそうだね﹂ ﹁おそらくその方が良さそうだ。具体的には2,3種類に抑えてお くほうが良いな﹂ ﹁魔力障壁と氷柱発射と・・・あとは水の精製か﹂ ﹁うむ、水の魔術師っぽくて目立たなくてなお良い感じだぞ﹂ 112 8 ﹁主、もうすぐ宿だぞ。同化しなくて良いのか?﹂ ﹁ん、今回はいいや。リーナさんとタミナさんの様子を見ておこう かと思って。朝なんだかんだすぐ出ちゃって挨拶もしてなかったか らさ﹂ ﹁そうか﹂ ﹁まあ、リーナさんに顔合わせるのは難しいかもだけどね。普通の 女の子からしてみれば死体を量産した人は怖いだろうし。ともかく タミナさんとは会話してみて、今後難しいような結論になったら宿 は移動しようかと思ってるんだ﹂ ﹁妾も散々盗賊を始末したが特に怖がっているような印象は無かっ たぞ﹂ ﹁んー、たぶんエルが女の子だからじゃないかな?﹂ ﹁ちょっと納得ができないのだが﹂ 暴力を持つ、または実際 に対して恐怖心があるんじゃないかと予想して ﹁リーナさんは男に誘拐されてるから、 に暴力を振るう男 るんだ。実際に救助後に僕が近くに寄ったときはかなり怯えてたか らあんまり予想は外れてないと思う。その点エルは女の子だからね。 前述の条件に合致しないから特に怖がられたりはしてないんだと思 う﹂ ﹁・・・・・・﹂ なんだか様子がおかしい気がして、エルの方を見る。 ついさっきまではニコニコとしていたエルが、今はなんともいえな い表情で僕を見ていた。 言いたいことがあるのにうまく出てこない、そんな感じ。 113 ﹁・・・主は・・・主は、それで、良いのか?﹂ ﹁うん、それでいいと思うよ。仕方が無いことだし﹂ ﹁妾は・・・納得できぬ・・・﹂ ﹁エル、ありがと。そういう風に僕のことを考えてくれるのはうれ しい。・・・だから僕は大丈夫﹂ ﹁・・・・・・そう、か。大丈夫と言う主を、信じておるからな?﹂ ああ、もう! なんで僕はこうエルに心配ばっかり掛けちゃうかな。 気にしてないって思ってるし、言っているのに、それがうまく伝わ らなくてもどかしい。 心配させてしまって悲しい、なのにこうやって想われていることが 嬉しい。 そんなぐちゃぐちゃな感情が体の中を渦巻くと、なぜだか次の言葉 が出てこない。 ・・・ホント僕ってイケてないな。 なんでうまく出来ないんだろう。 ﹁あ、ユート君、エルシディアさん。こんばんは、お帰りなさい﹂ 宿に戻るとタミナさんは柔らかい笑みを浮かべて僕たちを迎えてく れた。 しかも名乗った記憶が無いのに名前覚えられてるし。 リーナさんに聞いたか、口の軽い衛兵に聞いたか。まあどうでもい いか。 114 ﹁ほら、そんなところに立ってないで座って頂戴?﹂ ﹁あ、はい、どうも﹂ ﹁うむ、ありがとう﹂ テーブルに着くとタミナさんが大きな声でお茶を頼むと可愛らしい、 けれどそれと同じくらい大きな声でリーナさんの返事が聞こえた。 リーナさんは強いな。あんな目にあったのにもう普通に仕事やその 手伝いが可能なのか。 僕があんな目にあったら未だに塞込んでいる気がする。 ﹁リーナさんは大丈夫そうですね。なんだかほっとしました﹂ ﹁貴方たちのおかげで娘は無事よ。本当にありがとう・・・。何を して御礼をすれば良いのか分からないわ﹂ 先ほどとは随分と違う雰囲気が辺りを包む。 正直お礼なんて言われなれてないのでかなりくすぐったい感じがす る。 ﹁そんなことはしなくて良い。妾たちは既にギルドから報酬を受け 取っておる﹂ ﹁タミナさんはリーナさんをしっかりと慰めてあげてください。彼 女はまだ13歳なのですから。きっと心の奥には恐怖心がまだ残っ ています﹂ ﹁うむ、主の言うとおりだぞ。リーナがあんな元気なのに母親であ るタミナ殿がそれでは良くない﹂ ﹁・・・そうね、ありがとう﹂ タミナさんの顔に柔らかい笑みが戻る。 やっぱり母親っていうのはこうじゃないと。 115 ﹁お待たせしまし︱︱﹂ ﹁風よっ!﹂ リーナさんがポットとカップのセットを持ってやってくるが、僕を 見て凍る。 その拍子でポットが転びかけるが、それをエルが風の魔術を使って 器用に支える。 ちなみに杖は抜いていた。危ない危ない。 ﹁あ、その、ごめんなさい。エルシディアさん﹂ ﹁ふふっ、次は気をつけるのだぞ?﹂ リーナさんがお茶を注いで出してくれる。 僕にお茶を渡すとき少しオドオドとしてたけど、それでもちゃんと 渡してくれた。 ﹁凄いのね。そんな風に魔術を扱える人なんて初めて見たわ﹂ ﹁妾たちからすれば魔術は生活の道具なのだが。最近の魔術師たち は武器としての性能ばかりを追い求めてこういった面に力を注がぬ。 たち ってことはユート君もこういう風に魔術を使える こんなにも便利だと言うのにな﹂ ﹁ん? の?﹂ ﹁あー、さっきみたいな魔術はできないですよ。精密操作は苦手な ので。僕が使うのは料理を作る時の火の変わりにしたり、飲料水を 作ったりとかですね﹂ ﹁それも十分凄いじゃないの! 魔術って便利なのね、今まで攻撃 の道具で武器そのものだと思っていたけどちょっとその考えは改め るわ。貴方たち若いのに凄いのね。私も負けてられないわ﹂ 116 なにに負けてられないのかは今ひとつ分からないが、元気なのは良 いことだと思う。 対照的に僕のせいであまり元気じゃないリーナさんにも話しかけて おいたほうがいいかな。 僕に対してなんだか申し訳なく思っているような瞳をしていたし、 出来る範囲で心の重石は取っ払ってあげたい。 だから、リーナさんを見て、言う。 ﹁怖い?﹂ ﹁えっ・・・?﹂ ﹁その感情はね、仕方が無いことなんだ。だけどいつまでもそうし ているわけにもいかないと思う。だから、少しずつ忘れていけば良 いと思う﹂ リーナさんはしばらく固まったあと、うつむきながらもしっかりと した声で話してくれる。 ﹁ごめん、なさい・・・。ユートさんが私のことを助けてくれて、 守ってくれて・・・。なのにこんな態度で・・・﹂ それはどう見たって辛そうで、でもそれは乗り越えなくちゃいけな くて。 だから僕は考えて相手に負担にならないように言葉を選んで返す。 ﹁毎日少しずつ大丈夫になっていくから。辛いと思ったらタミナさ んに頼ればいいと思う。独りで頑張るのは厳禁だよ?﹂ ﹁はい・・・。ありがとうございます。あの、お願いしてもいいで すか?﹂ ﹁僕に出来る範囲ならなんでも﹂ 117 ﹁これからも一緒に話をさせてください﹂ ﹁え゛・・・? 僕が?﹂ 野盗を大量虐殺をしちゃったせいでトラウマの原因No2くらいは ほぼ間違いない僕がリーナさんと継続して話しなんてしてていいの かな。 どうなんだろ、僕は専門が心理学だったわけじゃないから分からな いや。 ここにいる間は ﹁嫌・・・ですか? 確かに私は男の人が怖いです。でも、話をす るならユートさんがいいです﹂ ﹁ん、大丈夫だよ。と言っても僕は冒険者だから っていう条件はついちゃうけど﹂ ﹁ありがとうございます。わたし、頑張ります﹂ パンッ、と両手を合わせる音がする。 ﹁暗い雰囲気はここまで! ご飯にしましょう!﹂ そう言ってタミナさんは立ち上がり、厨房へ向かう。 去り際に御代は取らないから楽しみにね、といわれたので非常に楽 しみだ。 エルと適当な会話をしつつ30分も待つと中皿の料理が3つもやっ て来た。 今まで頼んでいたのはもっぱら定食類が基本で、こういう取り分け るタイプの料理を頼んだことは一度も無かったので非常に新鮮な感 じがする。 118 一皿目はから揚げにあんかけのようなソースが全体的に掛かってお り、香ばしい香りをあたりに漂わせている。これだけでは彩りが今 ひとつに思えたのかから揚げの周りには色とりどりのサラダが並べ られており、見栄えも大変によろしい。 二皿目はオムレツらしきもので、卵でとじられているため詳細は分 からないが確実に美味しいだろうということは分かる。湯気の出る 半熟の卵が実に美味しそうだ。 三皿目は野菜と何かの肉の炒め物で、醤油に近い香りがして一瞬ホ ームシックになった。にらのような野菜がすばらしい香味を出して いて食欲をそそる。これも一皿目のから揚げと同じで彩りを気にし ており、カラフルなパプリカのような野菜などがある程度混ざって いて見栄えがいい。 正直言わせてもらえるならばこれはパンじゃなくてご飯がほしい。 いや、ほんとに。 そしてかなりの量のパンが乗ったバスケットがテーブルの中心に乗 る。 ﹁どうぞ召し上がってください﹂ ﹁﹁いただきます﹂﹂ まずはから揚げを一口。 じゅわっとした肉汁が口の中にあふれて脳内を幸せで満たす。 次に来る香辛料の聞いたあんかけが後味の濃さを忘れさせ、次の一 口を容易にする。 なんというコンビネーション。 これは確実に食べ過ぎて後で動けなくなるフラグがたった。 119 続いてオムレツをスプーンで一口、中にはひき肉とチーズが入って いてトマトソースで味が調えられている。 ソースやひき肉の味付けは随分と薄味だが、チーズの濃さがそれを 補って余りある。 とりあえずパンを取ってからオムレツを乗せて食べる。 ・・・至福だ。何もいえない。 最後の炒め物は本当にご飯がほしい。 一口食べるとそれは日本の家庭でおなじみの野菜炒めの味がした。 醤油のようなうまみのあるソースにしゃきしゃきとした野菜たち。 肉と野菜が織り成すハーモニーは基本的に万人が好む味だと思う。 パンで包んで食べるとなんともいえない気分になったが、美味しい ことには変わりない。 個人的にヒット一位なのはオムレツ。 そして驚いたのはパン。 なんと、何時も食べていたパンと違い、あの独特の酸味が無いのだ! おかげで余計にオムレツが引き立って美味しくて堪らない。 僕は無言でバクバク食べる。 エルのほうをたまに見たが、エルもやはりバクバクと無言で食べて いる。 うん、これは無言になるよね。うまいし。 大学生のころにみんなでカニを食べたら全員カニを食べることに夢 中で無言になってたのを思い出してしまった。 120 ﹁ご馳走様でした。久しぶりにこんな美味しいの食べました﹂ ﹁すばらしい料理であった﹂ ﹁喜んで貰えてよかったわ、こんなに美味しそうに食べてもらった のは私も久しぶり﹂ 僕とエルがそれぞれ無言で食べ終わった後にお礼をいう。 ほんとにコレは無料でよかったんでしょうか。 めちゃくちゃ美味しかったです。 ああ、これから先がちょっと楽しみになってきた。 やっぱり人生を最も彩るのは食事だよ、食事。 121 1 僕はほぼ毎日何かしらの薬草採取の依頼を受け、終わってからリー ナさんとゆっくりと会話をする日々を過ごすこと10日間。 話の内容は依頼中の面白かった出来事や、自分の世界の話をこちら 風にアレンジしたものなど。後者の話は比較的面白いらしく、リー ナさんだけじゃなくてタミナさんやエルまで聞いていた。 最初はおっかなびっくりだったリーナさんもだんだんと慣れてきて、 4日目にはもう僕に笑顔を見せてくれるくらいに。そのときはリー ナさんの強さに心の底から驚いた。 表現的にあってるのかはちょっと分からないが、そこからはもう坂 道を転がるかのように回復して、タミナさんいわくもう普段と変わ らないくらいだそうだ。 ともかく今日もお仕事頑張りますか。 ﹁おい、ユート。お前ちょっと王都まで護衛の仕事を請けてみない か?﹂ 今日もギルドで採取系の依頼を受けるつもりだったのだが。 護衛ってあれだよね、危険だから必要なんだよね? あんまり僕に似合ってるとは思えないなぁ。 122 ・・・大体僕もエルも人前で戦うのは苦手だ。いろいろと。 気分だ って返したら断りそうだな﹂ ﹁ちなみにそれにはなにか理由があるんですか?﹂ ﹁お前、 され ﹁そもそもカーディスさんはランクE如きの冒険者に一体どんな戦 だと思いますよ﹂ 闘能力を求めているんですか? どちらかと言えば僕は護衛 る側 ﹁ギルドとしては仕事を見てある程度できそうな奴に相応の仕事を 振る。そして全体の底上げを行う。コレが俺たちギルドマスターの 仕事だ﹂ ﹁それは買いかぶりだと思うのですが﹂ 期待されるのは嬉しいのだけど、荷が重くないかな。 人の命どころか物まで守るっていうのは簡単じゃない。 ﹁うーん・・・﹂ ﹁さすがに一人でやれと言っているわけじゃないから安心してくれ。 お前さんもこの手の仕事が初めてで勝手が分からないだろうから、 今回に関してはちゃんと熟練の冒険者をつける﹂ ﹁そうですか・・・。それなら大丈夫そうですね﹂ ﹁主は気にしすぎだ、主と妾ならどんな依頼だって大丈夫だぞ﹂ ﹁ほら、お前の従者もそういってるぞ﹂ ﹁分相応の依頼を受けてないといつか痛い目にあいます。僕は平凡 で十分です﹂ 素人が高難易度の依頼を受けての急激なレベルアップとかはゲーム の中だけで十分だ。 死んだら教会で復活するわけでもないし、十数秒後に指定地点でリ スポーンということもない。 重傷を負って倒れたら衛生兵にAEDを押し付けられるだけで健康 123 体に戻るなんてことももちろんない。 最終的な目的のため、少しずつレベルアップをしていきたいとは思 う、が、短時間でのリスキーなレベルアップは勘弁こうむる。 ﹁ともかく仕事は頼むぞ。その辺のテーブルで小一時間も待ってい れば今回のパートナーになる冒険者が来るはずだから仕事の内容は そいつに聞いてくれ。ついでに王都では武技大会が開催される予定 だ。折角だから楽しんで来い、帰ってくるのはその後でいいぞ﹂ ﹁武技大会ですか? それはちょっと楽しみですね﹂ ﹁ああ、楽しんで来い﹂ にやりと笑うカーディスさん。 多分、格闘技とか好きなんだろうな。 僕も格闘技の観戦は嫌いじゃないし、意外と楽しみだ。 異世界だけあって魔法とかで派手だろうし、下手すれば自分の世界 の格闘技よりも見ごたえがあるかもしれない。 ギルドの軽食屋で小一時間をつぶすことになった僕は、フィーネさ んにジュースとスコーンのようなものを2つずつ注文する。 最近は仕事も安定してきたのでこのくらいの出費なら大丈夫。 しかし小一時間と言うのは何もすることがない場合結構もてあます なぁ。 ・・・あ、そうだ。どうせ暇なんだからエルと音楽でも聴くか。 最近異世界談義ネタで携帯MP3プレイヤーの話をしたばかりだし、 バッグのなかにはiPodらしきもの︵微妙に形が違う︶とイヤホ ンもある。 バッグからiPodモドキとイヤホンを取り出してエルに見せる。 124 ﹃ほら、前に話してた音楽を携帯できる機械だよ﹄ ﹃こんな小さな箱で音楽が聴けるのか?﹄ 周りに聞こえるとちょっと厄介かもしれないので一応会話には念話 を使う。 エルにイヤホンの片方を渡してつけ方を教えると興味津々といった 具合で早速耳につける。 曲の一覧を表示すると知らない曲ばかりなのでシャッフルの文字を 選択。 スイッチONにするとエルの表情が変わった。 ﹃主! 主! これは、凄いな!﹄ ﹃ちょっとした暇を潰すに当たってコレより便利なものはなかなか 存在しないと思うよ﹄ iPodモドキからはどこかで聞いたことのあるクラシックが流れ ており、エルはとても楽しそうな表情をして音楽を聞いている。 ・・・それにしてもバッテリーマークが満タンに近いのは不思議。 リチウムイオンバッテリーって普通長時間放置すると目減りしなか ったっけ? ﹁こんにちは、ユート君﹂ 暇な時間を知らないクラシックで潰していると突然話しかけられる。 顔だけ向けると知らない女性。 年齢は多分20歳くらいだと思う。比較的整ったほうだと思われる 125 顔立ちに青い瞳、茶色の髪の毛をポニーテールでまとめていて、い かにも冒険者といった服装をしている。 左腰には無骨な剣を吊るしていて、正直似合わないと思ってしまっ た。 ﹁えーっと、どちらさまでしょうか?﹂ ﹁私はミリア、今回依頼を一緒に行う冒険者よ﹂ 予想してしかるべきだった気がする。 失礼なことしちゃったな。 ﹁・・・気がつくのが遅れてすいません。僕の名前は・・・なんだ かもうご存知みたいですが、ユートです﹂ エルはまだ音楽に夢中だ。 僕はiPodモドキのスイッチを切って片付けつつ念話で一言。 ﹃エル、今回の仕事のパートナーの人が来たから挨拶してくれ﹄ ﹃う・・・うむ。すまぬ、音楽に夢中で気がつかなかった﹄ ﹁妾はエルシディアだ、主の従者をしている﹂ エルの言葉を聞くとなんだか驚いたような表情のミリアさん。 一体何なんだ? ﹁貴族が冒険者をやっているとは思わなかったわ﹂ へ? ﹁貴族って・・・ひょっとして僕のことですか?﹂ 126 ﹁ええ﹂ ﹁いや、全然そんなんじゃないですから﹂ ﹁え? じゃあ何で従者なんて連れてるの? それに服装も縫い目 とかかなり綺麗だし、どう見ても上等。とても一般的な冒険者の着 ている服じゃないわ﹂ あー、どうしたもんか。 ﹁服装に関しては・・・まあちょっとあれなので割愛させてくださ い。エルは僕の従者ですけど、偶然の結果そうなってしまっただけ です﹂ ﹁その言い方だとまるいで嫌々みたいに聞こえるのだが﹂ ﹁ごめんごめん、そんなことないって﹂ ﹁なんか主従関係を感じさせないわね﹂ ﹁そもそも僕はエルを従者と思ったことはないです。大事なパート ナーですから﹂ ﹁そういう風に言われるとちょっと恥ずかしいぞ﹂ 何を恥ずかしがってるんだろ? この世界で唯一僕の秘密を知るパートナー。 そんな存在を従者として扱うなんてつもりは毛頭ない。 ﹁ふーん・・・。まあ確かに冒険者にはいろいろいるし、余計な詮 索はやめとくわ﹂ ﹁申し訳ないです﹂ ミリアさんは微妙な目で僕たちを見るが、それは当然だろう。 なにこの痛い人 って なんせ質問にまるで答えてないし、それで信用しろっていうほうが 無茶な話。 でもまあ、知ってる限りを話したところで 127 なるだけだからなぁ。 異世界からやってきました、この世界のことなぞ何も知りません なんていう奴が僕の前に現れたら確実に救急車と警察を呼ぶ。 ﹁ともかく仕事をカーディスから頼まれてるから話を進めるわ﹂ ﹁はい﹂ ﹁今回の依頼人はバースという商人の護衛で王都までの移動で、期 間は予定だけど5日間。報酬は銀貨14枚。何か質問はあるかしら ?﹂ んー、特に気になることはないな。 ﹃エルは気になることある?﹄ ﹃特にないぞ、主と妾なら大抵の問題は大丈夫だ﹄ ﹃ミリアさんや依頼主の前で全力はいろいろ問題があるでしょうに﹄ ﹃バレなければよいと思うぞ﹄ ・・・そういう問題じゃないと思うんだが。 ﹁ん、特にないです﹂ ﹁そう、それじゃあ早速向かいましょうか﹂ 北門に着くと一台の荷馬車が待機していた。 荷馬車はかなり大きい馬を二頭立てで繋いでおり、荷台自体もかな り大きい。 どう見ても大量のものを運ぶことが可能で、荷物の重量の合計はぱ 128 っと見で数百キログラムはありそうだ。 ほかには馬車が見当たらないため、おそらくはこの馬車の持ち主が 護衛対象だろう。 ﹁こんにちは、君たちが依頼してた冒険者かな? 私はバースだ。 よろしく頼むよ﹂ ﹁冒険者ギルドのミリアです。よろしくお願いしますね﹂ 僕たちが馬車に近づくと向こうから挨拶があった。 非常ににこやかな表情をした25歳くらいの男性で、どうみても美 形。 赤い髪は清潔感があるように短く整えられていて僕から見てもとて も好印象。 服装は今まで見たことがないタイプで、ローブとジャケットを足し て二で割ったような感じ。 ﹁こちらこそよろしく頼むよ。最近はなにかと物騒だからね﹂ ﹁依頼を受けた以上ベストを尽くすわ。安心して頂戴﹂ ﹁そちらの二人は?﹂ ﹁彼らは私のパートナーよ、ランクはEだけどギルドマスターが推 薦するレベル。実力は心配しなくていいと思うわ﹂ ﹁へぇ・・・あのカーディスが推薦か。そりゃあ期待ができるね。 まだ子供だろうに﹂ ﹁冒険者ギルドのユートです。若輩ゆえ、ご期待に沿えるかどうか なかなか心配ですが、精一杯頑張りますのでよろしくお願いします﹂ ﹁妾はエルシディアだ。主の従者をしている。短い間だと思うがよ ろしく頼むぞ﹂ エルの挨拶を聞くと驚いたような顔をするバースさん。 129 というより僕とエルの関係を初めて聞く人って大抵驚くんだろうな ぁ。 そんな感じで軽く挨拶を済ませてから僕とエルは荷台に乗り込む。 ミリアさんはどうも御者台で護衛を行うらしい。 さあ、王都に向けて出発だ! ・・・何もなければいいんだけど、なんだか全然そんな気がしない んだよなぁ。 130 2 最初は興味があった馬車による移動だが、その興味は数時間前にも う無くなった。 居室から見える風景は右の窓から森、左の窓から草原。 この風景は王都に近づくまで変わらないらしい。 馬車にはサスペンションが用意されていないため、ちょっとした段 差でもお尻が痛い。 辛うじてクッションが用意されていたためなんとか我慢できている が・・・。 変わらない風景、揺れが直撃することによる痛み、一切やることが ない退屈な時間。 これは・・・想像以上に苦痛だ。 最初はエルとしりとりでもしてようかと思ってルールを説明したが、 なら分かるが ピーナ と言われても分からん。 そもそも単語が異なりすぎてゲームにならなかった。 カシューナッツ ﹁暇だ﹂ ﹁そうだな﹂ ﹁馬車の居室で待機することがこんなに暇だとは思わなかった﹂ ﹁主よ、あの音楽を出す箱を出してくれ﹂ ﹁状況が変わったときに音楽聴いてると気づけないから駄目﹂ ﹁むー・・・﹂ 131 僕は気分転換も含めてバッグから杖を引き抜き、杖の先端に氷の玉 を作る。 それを回転させたり好き勝手動かしてみたりするが、まるで面白く ない。 大体この杖に魔力を通して使う、というのが凄くやり辛くてフラス トレーションがたまる。 個人的に杖は魔術の行使の支援を行う道具という認識があったため に違和感が凄い。 何が違和感ってね。もう全然魔力が通らないの、杖に。 もちろん全く通らないわけではないからさっきの通り氷の玉を作る くらいなら余裕をもって出来る、が、いつも使ってる氷柱を射出す るような魔術を使用するためにはそれなりの魔力チャージ時間が必 要になってしまう。 馬車の居室で試すわけには行かないから細かくは分からないけど、 撃ちたい! って思ってから実際に撃てるようになるの 多分魔力チャージには3,4秒の時間が必要だ。 つまり、 は数秒後になる。 常に魔力を込めておけばすぐに撃てるが、そのためには常に杖を握 っておく必要があるし、結局連射はできないので根本的な問題は解 決できていない。 今後、他の冒険者と共闘することがあると思うが、戦い方はそれな りに考えておくほうが良さそうだ。 ﹁さっきから氷を出したり消したり動かしたり。なにをしておるの だ?﹂ 132 ﹃魔力が杖に通らないからどうやって戦おうかな、と﹄ エルがなぜかアホを見るような目でこちらを見ている。何故? ﹃主と妾は周りの目を誤魔化すために杖を使っているだけだ。杖に 魔力を通すのではなく、杖を魔力で包めばよいではないか﹄ 自分の魔力で杖を包む。 目からウロコとはまさにこのこと。 同時に自分のアホさに頭を抱えたくなった。 そういや大気中に魔力通すのは簡単だよね。 何で気がつかなかったんだろ・・・。 ◆ それから馬車は何事もなく進み、日が落ちてはじめてきたので野営 の準備となった。 必要なのは食事を作るためのかまどと寝るためのテントくらい。 バースさんは雇い主だし、そんなことはさせられない。 エルは傍目には華奢な少女なのでやっぱりそんなことはさせられな い。 と、いうわけでかまどを作ったりメシを作ったりするのはミリアさ んと僕の仕事。 エルは若干不満げだったが、僕も一応男なので女の子の前では見栄 を張りたい。 133 そんなわけで二人には馬車の居室で休んでもらっている。 ﹁え゛・・・それ、飲み水なんですか?﹂ ﹁そうよ、ちょっと汚れているけどこの樽は魔術による加工がされ ているから長期間中身が腐ることはないわ。ちょっとコケとか生え てたりもするけど﹂ 馬車の荷台の一角を専有するのはちょっと汚れた樽、中は飲み水ら しい。 しかし、コケの生えた水って飲料水として使用して大丈夫なんだろ うか。 少なくとも僕は心配で、可能ならば飲みたくない。 ﹁そんなに驚くことかしら。ユート君は普段どうやって飲み水や料 理の水を確保していたの?﹂ ﹁いつも魔術で水を精製しています。便利ですよね﹂ ミリアさんの表情が不思議そうなものから驚きに変わる。 アレ? 僕なんかした? ﹁カーディスが推薦するわけだ・・・﹂ ﹁え? 水を精製する魔術はもっとも基本的なものだったと記憶し ているのですが﹂ ﹁その歳で冒険者やってるなら学校も行ってないだろうし知らない だろうけど・・・。たしかに水を集める魔術は初歩の初歩だけど、 生み出す水は極わずか。そんなもので飲み水を作り出したりしたら、 普通の魔術師は魔力が底をついてなにも出来なくなるわ﹂ ﹁・・・・・・﹂ 134 もうそろそろ外見が子供にしか見えないことはあきらめたほうがい いかもしれない。 スーパーで免許証出さないと酒が買えないほどなので、子供に見え っていうのはひどくね? るのはしょうがない、あきらめるよ。 でも、しかしだ 学校に行ってないほど ﹁魔力量の件は置いておいて、ミリアさんは僕の年齢をいくつだと 思っているんですか?﹂ ﹁14歳﹂ それは即答だった。 迷いの素振りすらなかった。 いっそ清々しい。 というのは少なくとも14歳で卒業できるものではない。 でも、分かったことがある。 学校 ということはそれなりに高度な教育機関がこの世界にも存在してい る可能性が高く、古代遺跡について調べるときにひょっとしたら役 立つかもしれない。 あとでちょっとエルに聞いてみようかな。 ﹁僕の年齢は21歳です。もっとも証明するものはないのですが﹂ ﹁ユート君・・・それ、仮に本当だとしてもたぶん信じる人はいな いと思うわ・・・﹂ うわぁ・・・。絶対信じてないよこの人・・・。 でもこの世界免許証とか住民票とかないし、証明する手段がない気 がする。 135 ﹁僕も気にしてるんです・・・。ともかく水に関しては僕が精製し ますから大丈夫です。というかやらせて下さい。コケの発生した樽 の水なんていいですから﹂ ﹁私も綺麗な水が手に入るならそのほうがいいわ。お願いしちゃっ てもいいかしら?﹂ ﹁任せてください﹂ あれから1時間くらいが経過。 辺りはもうすっかり薄暗くなってしまって、今のところ光源になる のは料理を作ったときに使った焚き火だけ。 ちなみに食べているのは冒険者の定番、干し肉のスープと携帯糧食。 干し肉のスープはいい。 前に僕も作ったけど、そこそこ美味しい。 問題は携帯糧食。 いや、これホントうまくない。 と言うより不味い。 なんともいえないこのエグ味が後引く素晴らしさ。 だれも好き好んで食べたりなぞしない。 これを後11回も連食するというのか。 ・・・僕は仕事を間違えたかもしれない。 136 周りをみると皆も黙って食べている。 ああっ! 美味しくない食事は全てにおいて悪影響を与えてしまっ ているっ! 何とかしたいのだが、そもそも馬車の荷台に乗っているのは基本的 に香辛料でそれ以外には薬しかない。 他の食料を手に入れるにはそこらで動物を狩るとかそういうことを しないとだめで、それでも得られるのは生肉だけ。 主食とも呼びたくないが、主におなかを満たす炭水化物系の食べ物 が携帯糧食のみであることに変わりはなく、僕の感情だけで言うな らば何の問題も解決できていない。 正直に言えば、馬車で移動すると聞いて食糧事情が改善した行動が 可能だと思っていたのだが、思いっきり出鼻を挫かれた状態となっ てしまった。 いや、僕とエルだけの場合はクラッカーとか食べてたことを考える とむしろ悪化していると言ってもいい。 うーん、どうにかならないかなぁ・・・。 ◆ 蛍光灯もランタンもないこの世界の夜は早い。 キャンプは遊ぶものという僕の中の常識からすると食事後即睡眠と 137 はなんとも気が早いのだが、考えてみてもやれることはない。 ﹁さて、ユート君とエルシディアさんは馬車の居室へどうぞ﹂ ﹁私は見張りをするわね。さすがに後でユート君と変わってもらう つもりだけど﹂ 食事を終えてバースさんとミリアさんがいきなり口を開く。 ﹁え、いや、ちょっと待ってくださいよ。馬車の居室が一番寝心地 がいいでしょう﹂ ﹁子供を寝心地の悪いテントで眠らせ、大人がのうのうと寝心地の 良い居室で寝るワケにはいかないだろう?﹂ ﹁仮にも僕とエルは冒険者で、バースさんから依頼を受けた立場な のですが。ついでに言えば僕は21歳でエルは・・・まあ大体同じ くらいです。ともかく子供ではありません﹂ バースさんが一瞬呆けたような顔をした後に笑い出す。 ﹁21歳? あははっ、君は本当に謙虚だね。ただ、嘘は良くない な﹂ ﹁あー、うん、本当なんですけどね?﹂ ﹁はいはい、とりあえず君たちには居室に戻ってもらおうかな。幸 い私は旅暮らしが長く、テントなどでも十分に熟睡できるから大丈 夫だ﹂ 初めて仕事をしたときのオービスさんもそうだったけど、このバー スさんも相当に人が良いっていうか良すぎるくらい。 ﹃悪いことをしている気分になるな﹄ ﹃うーん、ありがたくご好意と考えておこうか﹄ 138 僕とエルはそのまま馬車の居室に戻り、毛布を敷いて寝床を作って もぐりこむ。 が、今日はまともに運動していないのでまるで眠くない。 おかげで30分以上もボケッとしているが未だに寝付けない。 隣を見るとエルも同じなのか、なんとなく暇を感じさせる表情で僕 を見ていた。 ・・・エルに見つめられてちょっとドキッとしたのは秘密。 ﹁エル、もし眠くないならちょっと聞いても良い?﹂ ﹁大丈夫だ、今日は馬車の中で一日居たせいで疲労もないし、当然 ながら眠気もない﹂ ﹁今日ミリアさんが学校についてちょろっとだけ話してたんだけど さ。今の僕のスキルでは古代遺跡の探索はかなり厳しいものがある だろうし、それなら先にそういう教育/研究機関で調査でもしよう かな、なんて思ったんだけどどうだろう﹂ ﹁それは良い考えだと思う。現状ではなんの手がかりもない以上、 取れるべき手は取ったほうが良い。それに書籍を調べれば似たよう な状況の者が居たかもしれぬからな﹂ ﹁ちなみに学校ってどこにあるの?﹂ ﹁ウィスリスという都市で、王都から乗合馬車で7日くらいの場所 にあるな﹂ ﹁一個だけ? 普通一国に複数個はあるものじゃないの?﹂ 日本って大学とかいくつあったっけ? 少なくとも国立大学だけでも80個くらいあったと思うんだけど。 139 ﹁主の国がどうなってるのかは知らぬが、この国では専門の教育機 関というのはウィスリスに一個あるだけだ。・・・というよりウィ スリス自体が巨大な教育機関そのものといえるな﹂ ﹁なんとまあ・・・町自体が教育機関ってちょっと僕には想像でき ないな﹂ ﹁多分主からすると観光的な楽しみも出来ると思うぞ﹂ ﹁それは楽しみだ。是非観k︱︱﹁ユート君! エルシディアさん ! 敵よ!﹂﹂ 敵襲を知らせるミリアさんの声が聞こえた。 ああ、寝なくて良かった・・・。 僕はバッグから、エルはどこからとも無く杖を取り出して居室から 飛び出す。 外に出るとミリアさんは剣を抜いて辺りを油断無く確認している。 耳を済ませてみると辺りからまだ複数の狼の声と、知らない音が聞 こえる。 どうやら敵は狼と何かの混成部隊らしい。 ﹁早かったわね﹂ ﹁﹁眠ってなかったので︵な︶﹂﹂ ミリアさんはにやりと笑う。 ﹁冒険者は眠れるときに眠るのも仕事のうちよ﹂ ﹁あまり体を動かしていなかったので﹂ ﹁じゃあちょうど良い運動相手が現れたとみるべきね。相手はオー クとガルトウルフの混成。ガルトウルフはともかくオークには気を 140 つけなさい、あの馬鹿力で殴られたら怪我じゃすまないわ﹂ ﹁分かりました﹂ 狼に全力でかまれても怪我じゃすまないと思うが、今は戦闘中なの で特に口を挟んだりはしない。 それにしても暗い。 照明弾でも使っておくか。 ﹁光よ﹂ ああっ! 恥ずかしい! 出来れば無言で使いたいけど、無詠唱で魔術を使うのは不自然すぎ るしなぁ。 ともかく呪文︵笑︶唱えてから3mくらい上に光球を展開。 辺りが明るくなり、何かと戦闘がしやすくなる。 杖に魔力を再展開。 辺りが明るくなったことで僕の正面の10mくらい先に6匹の狼、 その右5mほどの位置に2匹のオークが居るのが見える。 オークは初めて見るが、暗いので緑色の筋肉お化けにしか見えない。 あんなのに殴られた日には命がいくつあっても足りないだろう。 ﹁はあぁぁぁぁっ!﹂ 敵を見つけたミリアさんが気合の入った声と共にオークが居る辺り に突撃。 アスリート並みの速度で走れる僕がびっくりするくらいの速度。 信じられないが、この人がオリンピックに出場したら短距離走で優 141 勝できると思う。 ﹁んなっ・・・﹂ さらに驚いたのは剣速。 なにせ目で追えない。 僕が何とか見えたのは白い閃光。 オークの首の辺りにその閃光が走り、ワンテンポ遅れてから首がゴ トリと落ちる。 ・・・凄い。 ﹁主! ボケッとするでない!﹂ あ、しまった。 ミリアさんがあんまりにも凄かったもので集中力が全部そっちに行 ってしまっていた。 前にもこんなことあった気がするし、もっと成長しないとなぁ・・・ 。 ﹁氷よ﹂ 恥ずかしいのでボソッと詠唱し、展開済みの魔力を使って氷柱を作 成。 自分にもっとも近い位置の狼の頭にそれを叩き込む。 さらに次に近い狼に狙いを定めるが、僕が撃つ前にエルの魔術で吹 っ飛ばされたので3番目の狼に対して氷柱を叩き込む。 残りは狼3、オーク1。 142 残存する狼のうち一匹が僕に飛び掛ってくるが、それを後ろにステ ップして避ける。 お返しにスタンロッドを抜︱︱けないので、左足を軸にして全力で 蹴りつける。 頭蓋骨を砕く感触と共に狼は地面に転がって動かなくなる。 次の敵に備えて辺りを見回す。 が、既に残りの敵はエルとミリアさんで迎撃されていた。 戦闘が終わり、辺りに静寂が戻る。 ﹁ユート君、凄いわね﹂ ﹁なにがですか?﹂ ミリアさんの言葉は略され過ぎていて意味が良く分からない。 ﹁どうみてもEランクの冒険者には見えない戦いっぷりだったわ。 そりゃカーディスも推薦するわけね﹂ ﹁ありがとうございます﹂ ﹁これなら心配なく任せられそうね﹂ ﹁基本的に経験が不足しているので荒事を任されると微妙に不安な のですが﹂ ﹁ふふっ、大丈夫よ。・・・さあ、とりあえずユート君とエルシデ ィアさんは寝ときなさい。見張りの続きは私がやっておくわ﹂ にやりと笑うミリアさんが妙に印象的だった。 143 3 移動二日目、もう外を見ても何の感情もわかない。飽きた。 見渡す限りの大草原を見ているのは暇でほかにやることが何も無い からに他ならない。 前にオーストラリアを旅行したときも似たような道が続いていたの を覚えている。 あの時はレンタカーを使い、時速160km/h近い速度で地平線 の彼方までかっ飛んでいくという日本じゃあまり出来ないことを体 験できたために飽きたりはしなかったのが今と違うところ。 やはり速度というかなんというか、自分で操作している感が重要な のだと意味も無く思った。 ﹁暇だ﹂ ﹁昨日もこのくらいの時間に同じような会話をした気がするぞ﹂ ﹁・・・そうかもしんない﹂ そろそろ脳みそが腐ってきそうだ。 何とかして暇を潰したい。 昨日はしりとりをやろうとして敗北してしまった。 山手線ゲームは・・・同じ理由でだめか、単語が違いすぎる。 あっ、そうだ、テーブルゲームだ。 特に材料、ルールを考えるとオセロが良いんじゃないか? 早速いつも日記を書いているノートを一ページ切り取る。 144 それを正方形に切り取った後に64分割する。 ボールペンを使って分割済みの紙の片面だけにバッテンを書き込む。 ここまで10分も掛かってない 台に関しては無くてもなんとかなりそうだし、必要ならノートにマ スを書いたページを作れば良い。 ・・・これはいけるぞ! ﹁なにをニヤニヤしておるのだ?﹂ ﹁暇を潰せるかもしれない﹂ ﹁楽しみにしてよいのか?﹂ ﹁期待してくれ﹂ あとはエルにルールを教えれば準備は完了。これで相当遊べるはず。 ここのところ娯楽の欠片も無い生活をしていたから楽しみでしょう がない。 ﹁うーむ・・・﹂ 熟考するエルの顔には汗が浮かんでいるのがありありとわかる。 今、ボードの上のかなりの量の石︵紙だけど︶がエルのものとなっ ている。 ただ、端や角に関しては僕の石が置いてある状態。 オセロで怖いのはこの状態だ。 エルからすると石を置ける場所がほとんど無い。 しかし、僕はほとんどどこにでも置くことが出来る。 145 エルはかなり頭がいいようで、途中の段階で既に状況が如何にまず いかを理解していたようだ。 どこにおいても若干の石を反転させることが出来るが、その次のタ ーンで僕がそれを取り返す。 ﹁参った﹂ ﹁さすがに初めてのエルに負けたら僕が泣く﹂ というわけで初戦は勝利したものの、エルは角と端の重要性に気づ いており今後勝利し続けるためには相当に考えながら戦う必要があ ると考えられる。 というか一回しかやってないのに途中から僕の行動を邪魔するよう な設置をしたり応用力ありすぎでしょ。 ﹁面白いゲームだ。主が考えたのか?﹂ ﹁さすがにそれは無いって。これは僕のとこで非常にメジャーなテ ーブルゲームだよ﹂ ﹃主の世界には一度行ってみたいものだ、きっと楽しいのだろうな﹄ ﹃是非案内するよ。こっちもいい所が一杯あるけど、あっちは娯楽 が多くて楽しいよ﹄ ﹃楽しみだぞ、絶対だからな?﹄ 内容が内容だけに途中からは念話。 はたから見ると無言なのでとても奇妙な光景に見えるんだろうなぁ。 ﹁そろそろお昼よ、準備手伝ってくれないかしら﹂ ミリアさんの声と共に馬車のドア代わりになっている分厚い布が捲 られる。 146 ﹁﹁あっ!﹂﹂ ﹁え?﹂ 常識として、窓が一箇所だけ開いている場合は風があまり入ってこ ない。 だが、それが二箇所になると空いている場所の間を風が抜けるよう になる。 日本家屋などはそれを良く考えて作っていて、アホみたいに湿度の 高い日本の夏をなんとか快適に過ごそうとする努力があちこちにあ って感心したのを覚えている。 馬車の居室から荷台の部分は閉めるものがないので常に解放状態。 なので、御者台と居室を仕切る分厚い布がなくなると非常に風が通 りやすくなる。 その結果。オセロの石たちは紙ふぶきとなって外へと飛び立ってい った。 ﹁ああ、紙で作ったのは失敗だったか・・・﹂ ﹁まさか風で流されるとは・・・﹂ ﹁私なにかしちゃったかしら・・・?﹂ 落ち込む僕とエル、意味が分からず首を傾げるミリアさん。 ﹁いや、大したことじゃないです。大丈夫です﹂ ﹁あ、あまり大丈夫そうにみえないんだけど・・・﹂ ﹁お昼の準備ですよね? 水の準備は任せてください﹂ 147 ﹁え、ああ、うん﹂ こういうときは、勢いが重要だと思う。たぶん。 料理を作るために魔術で水を精製してなべに注ぐ。 エルには魔術で焚き火︵というよりはガスコンロのほうが近い︶を 出力してお湯を作ってもらうつもり。 無意味に目立つ必要は無いが、枯れ木を集めるような無駄な行動は 勘弁。 ﹁それにしてもあなたたち二人は一体どれだけの魔力を持っている のかしら・・・﹂ ﹁私も同感だ、こんな風に魔術を使う冒険者は商人を10年もやっ ているが初めて見た﹂ 杖なしによる魔術は暗殺やテロなどで物騒な方面で非常に有用なた め何とか隠し通す必要があると思うけど、ほかのことに関してばれ ることはほとんど問題ない。 むしろちょうどいい目くらましになるんじゃないかと思う。 ﹁僕たちとしては二人で旅をする上での必須技能なのですが﹂ ﹁むしろ二人で旅をするからこそ戦闘のために魔力を温存するもの だと思うんだがね﹂ 僕の発言に納得しかねるような表情のバースさんはそういうが、魔 力がほぼ無限にあるといっても過言ではない僕やエルからするとそ の感覚はよく分からない。 仮に魔力による水の精製がなくなった場合、川があれば携帯用浄水 器で対応できるが、それすらない場合は戦闘以前にどうしようもな 148 くなってしまうではないか。 ﹁そうは言っても重い荷物をもって歩き回りたくはないですし、幸 い僕もエルも魔力だけは十分にあるので大丈夫ですよ。敵が来たの に魔力切れで何にも出来ません、なんてことはないです﹂ 的な感じは全く無く、単 ﹁ユート君がそういうなら大丈夫なんだろうが、無理だけはしない ようにしてくれよ﹂ 戦闘面で役に立たなくなったら〆るぞ 純に心配されているのでなんともくすぐったい。 見た目の都合もあって心配されやすいっていうのはあるんだろうけ ど、それでもこの人の心配性は結構なレベルだと思う。 ﹁主よ、お湯が沸いたぞ﹂ ﹁ん、ありがと﹂ なべに干し肉とスープのもとを適当に投入して完成。 元の世界で良く作ったトマト缶とコンビーフのコンソメスープは凄 く美味しいのに、今日作ったそれモドキはなんともうまみが不足し ていて満足感に欠ける。 魔術でフリーズドライとか作れないかな・・・。 手順としては僕が全力で凍らせる。次にエルが真空を作って乾燥さ せる。 うーん、厳しそうな気がするが一度試してみても良いかもしれない。 ◆ 149 夜の見張りをしていると少し離れた森の中から爆発音が聞こえた。 僕の世界ではほとんど映画の中でしか聞く事の無かった音だが、こ ちらの世界では結構頻繁に聞く。 ため息と共に時計を見ると時刻は20時。 この世界はなんて治安が悪いんだろう。これで二夜連続だぞ・・・。 本日の見張り担当は僕とエル。 最初、エルが見張りを担当することについてバースさんは渋った。 華奢な見た目の女の子に見張りをさせるというのはなかなか男とし て来るものがあるんだと思う。 最終的にエルが押し切るが、僕と一緒という付帯条件がつくことに。 そんなわけで普通一人で行う見張りを二人でやることになったのだ が、それが大正解になるとは思っていもいなかった。 音がしたのは巨大な森の中のため、音が聞こえたからといって具体 的な位置は分からない。 ﹁ミリアさん、危険があるか分からないのでちょっと確認してきま す﹂ ﹁昨日の戦いを見る限り大丈夫だと思うけど気をつけてね﹂ ﹁一応馬車の準備だけはお願いします﹂ ﹁わかったわ﹂ 戦わずに逃げられるならそれに越したことは無い。 特に今回は敵か味方に魔術師が混じっている可能性が極めて高い。 150 荷台にキズをつけたいとは欠片も思わないので安全に逃げることが 出来るならそうするつもり。 なんとなく音の方向に向かって走るとチラチラと明かりが見える。 おそらく戦闘用魔術によるもの。 ﹁それにしても僕らが馬車で使ってる街道があるのになんで森の中 を移動してるんだろう﹂ ﹁それはわからぬが、油断だけはしないほうが良さそうだぞ﹂ ぶっちゃけ疑問でならない。 直線距離で300mも進めば比較的安全な街道だというのに、わざ わざ森の中を歩いて襲われるなど僕からすれば理解不能。 なにかロクでもない目的があるとしか思えない。 ステルスで明かりのほうに近づくと二人組みが背中合わせになって 多数のなにかと戦っている。 暗いために状況はよく分からないが、若干押されているようだ。 ﹃ゴブリンだな。一匹ずつの戦闘力は低いものの、低ランクの冒険 者などから奪った剣などで武装して数で押してくるのが特徴だ﹄ ﹃とりあえず助けようか﹄ ﹃うむ﹄ 久しぶりに杖を使わずに魔術を使う。 右手に魔力を集めるとなんともいえない高揚感。 ﹃エル、僕の護衛をお願い﹄ ﹃主には指一本触れさせぬから安心して撃つとよいぞ﹄ 151 なんとも頼もしいエルの言葉を聞きながらいつぞやと同じように狙 撃を行う準備を整える。 体育座りになってからひざでひじを固定。準備完了。 数が多いので速射を行う。 気の抜けたような特徴的な発射音が連続して鳴るたびにゴブリンの 頭が吹き飛んでいく。 ﹃さすが主だ、ゴブリン共はどこから撃たれているのかも分かって いないぞ﹄ ﹃ありがと﹄ 命を奪って褒められることに何も感じないわけではないけど、僕個 人としては人の命とゴブリンの命では前者に天秤が傾く。 結局十数匹のゴブリンの頭を吹き飛ばして戦闘は終了した。 なんて説教できる立場でもな 二人組みは正体不明の援護に随分と驚いているようだが、これ以上 この場に居てもしょうがない。 危険な場所に入っちゃいけません いし、別に感謝がほしかったわけじゃない。僕らの安全が確保でき たのならそれで満足。 むしろ変に顔が売れるほうが面倒なことになりそうだ。 僕たちはそのままコソコソと馬車に戻る。 出来れば明日こそは安全な日であってくれ、と思いながら。 152 4 移動五日目。 先日の僕の願いが通じたのかは果たして不明だが、ゴブリン襲撃以 降は特にトラブルもなく順調に進み、無事に王都︵オルキスという 立派な名前があるのだが、もっぱら王都と呼ばれているらしい︶ま で到着した。溢れるほどの時間の処理はどうにもならなかったが、 終わってみればいい思い出といえるのかもしれない。 しかし、帰りってどうなるんだろう。乗合馬車とかになるのかな。 今はバースさんにかなり快適な居室を提供してもらっているが、そ れすらない状態でこの道を帰るのか。 乗合馬車が今よりも快適な居室を提供してくれるとはとても思えな い。 前に海外旅行で経験した乗合馬車はかなり狭かった。 エコノミー症候群も考慮しなければならないほどの狭い空間でやる ことも無く、五日間。 じょ、冗談じゃ・・・。 ﹁どうしたのだ? 顔が青いぞ?﹂ ﹁大丈夫、ちょっと下らない妄想をしただけだから﹂ ﹁ならよいのだが、無理は禁物だぞ?﹂ 微妙に心配した様子のエルに笑って返す。 まさか帰りの乗合馬車を心配していたなんて恥ずかしくて言えない。 153 ﹁いやー、さしたる問題もなく無事に着いてよかったよ﹂ ﹁危険な野生生物に襲撃されてますし、ゴブリンの集団ともニアミ スしてるのですが﹂ 馬車を止めたバースさんが御者台から居室に顔だけ出して僕に話し かけてきた。 バースさんは笑顔だが、僕からしてみればさしたる問題がなかった などとはとても思えない。 きっと外から見た僕の顔には縦線が三本くらい入ってると思う。 ﹁それくらいは旅における重要なスパイスだと思うな﹂ ﹁妾もそう思うぞ﹂ ﹁そ、そうですか・・・﹂ そうですか、うん、何も言えないや。 僕にできるのは商人とエルは肝が太いっていうことを頭に刻むくら いだよ。 だけど危険な目にあってもそれを気にせず、むしろ楽しめるってい う性格はちょっと羨ましい。 楽しめる、までいかなくてもいいから気にしないというレベルには 到達したいなぁ。 ﹁それにしても今回はありがとう、君らのおかげで無事に到着でき たよ。依頼達成証明書にサインをしたいから渡してもらっても良い かな﹂ ﹁あ、ちょっとまってくださいね・・・、えーっと・・・﹂ するりと居室に入ってくるバースさんに依頼達成証明書を渡すと、 154 慣れた手つきでサインをしてから僕に返してくれた。 ﹁次の機会があれば是非また君たちに頼みたいな﹂ ﹁そう言っていただけると嬉しく思います﹂ ﹁もうちょっとフランクになってもらえればより嬉しいんだけどね﹂ ﹁それは、ちょっと難しいですね。申し訳ありません﹂ ﹁いや、うん。礼儀正しいって言うのも美点だと思うな﹂ バースさんは苦笑した様子で僕を見るが、目上の人にフランクって 難しいんだよなぁ。 コレばっかりは性格だからしょうがないと思う。 ﹁それにしても証明書にサインということはこれで依頼は完了とい う認識で問題ないですか?﹂ ﹁そうだね。でも、ミリアはなにか用があるらしくてユート君を待 ってるみたいだよ﹂ ミリアさんが僕に用事、ねえ。 一体何だろう、特に思いつくことは無いんだけれど。 バースさんに挨拶をしてから馬車を降りるとミリアさんがすぐ側で 僕を待っていた。 ﹁お、来たわね﹂ ﹁お待たせしました。なにか用事があると聞いたのですが﹂ ﹁大したことじゃないんだけど、とりあえずギルドまで来てもらっ てもいい?﹂ ﹁いいですよ。むしろギルドの場所が分からないので助かります﹂ 155 ◆ 王都ということで都市観光なんかを期待してたのだけど、残念なが らその期待を満たすことはできそうにない。正直な感想を言ってし まえば町並みに関してはガルトと何も変わらない。 ただ、風景自体は中央にそびえる巨大で綺麗な城のおかげで期待で きるので、後で高台でも見つけてからジャンクフードをパクつきつ つ楽しみたい。 そんなどうでもいいことを考えながらギルドに入るとそこには予想 を超える不思議な光景が広がっていた。 清潔感のある広い空間に整然並んだイスと机、大き目のU字型カウ ンターには複数のオペレーター。 掲示板もしっかりと管理が行き届いていて、依頼の紙が無造作に張 られていて読みにくかったガルトとはレベルが違う。 飲食店が併設されていないので、酒を飲んで騒ぐような不届き者も 居ない。 全体的に掃除が行き届いていて、ガルトのギルドに慣れた僕として は随分と違和感がある。 僕の世界の銀行、いや、市役所が雰囲気としては近いかと思う。 ﹁随分驚いてるわね﹂ ﹁ガルトのギルドと違いすぎてちょっと驚きました﹂ ﹁大体のギルドって言うのはガルトみたいな感じなんだけど、大都 市のギルドはそれだといろいろトラブルとかが増えるの。だから必 然的にこういう雰囲気の場所になるわ﹂ 156 たしかに依頼の紙が無造作に張られていたら管理するのが大変でし ょうがないだろうし、人数が多いからオペレーターが居ないとギル ドの作業が回らないんだろう。言われてみればなるほどと納得でき る話だ。 ミリアさんは人の多い掲示板付近から最も離れたテーブルに着くと、 キョロキョロと辺りを見回す僕にイスを勧める。 ﹁そんなキョロキョロしないで座りましょう、それじゃ話もできな いわ﹂ ﹁すいません、こんな風に清潔感のあるギルドだとなんだか落ち着 かなくて﹂ ﹁それ、カーディスが聞いたら泣くんじゃないかしら・・・﹂ 僕がファンタジー小説とかを読んで想像していたギルドっていうの はガルトのギルドみたいなごちゃごちゃごみごみしたちょっと荒々 しい雰囲気の場所だったわけで。 それがこんな風な雰囲気だと、今から銀行か市役所でなにか手続き をするような気になってしまってとても落ち着かない。 ﹁それはできれば心にしまってもらえればと思います。・・・それ にしても、僕たちに用事って言うのは一体なんでしょうか?﹂ ミリアさんの表情が真剣なものに変わる。 ﹁うーん、正直に言ってしまうとね。あなた達何者?﹂ ﹁妾たち? ただの冒険者だぞ﹂ ﹁そうですね、ただの冒険者ですが﹂ ﹁ただの冒険者なワケないでしょう、莫大な魔力量に戦闘でも慣れ た様子なのにEランク? なのに使う杖はどう見ても新品のエント 157 リーモデル。少なくともあなた達みたいな魔術慣れした魔術師が最 近になってから買うような杖じゃないわ。私から見れば違和感の塊 なのよ、あなた達﹂ ﹁・・・・・・﹂ あー、うん、どうしようか。 どうやって誤魔化そうか。 まさか見ただけで杖の種類が分かるとは思わなかった。 で終わっ 僕から見れば店においてあった杖なんてどれも同じような木の棒か 金属の棒に見えたんだけどな。 ﹃主、どうする?﹄ ﹃ちょっとまって、何とか誤魔化すから﹄ こいつ頭大丈夫じゃないな ﹃あまり誤魔化す意味も無いのではないか?﹄ ﹃異世界の話なんてしても ちゃうし、なし崩し的にミリタリーバランスを吹き飛ばすような存 在であることがばれるかもしれないのでマズイ﹄ 嘘って言うのは全部嘘だとばれやすいから一部に事実を混ぜるべき、 と聞いたことがある。 ・・・よし、こうしよう。 ﹁えーっとですね、ちょっと驚かないで聞いて欲しいんですけど﹂ ﹁ちょっとやそっとじゃ驚かないから安心していいと思うわ﹂ うわー、めっちゃ探りをいれるような目だよ。 ﹁僕はですね、記憶が無いんですよ。一番古い記憶は30日くらい 前のものです﹂ ﹁は?﹂ 158 ミリアさん、舌の根の乾かぬうち驚いてるじゃないですか。 ﹁朝、いや、昼だったかも・・・。ともかく目が覚めると僕はウィ スタ大森林に居ました。その後エルと出会ってから日々の生活の糧 を得るためにギルドで仕事しています。幸い記憶を失う前の僕は魔 術師だったらしく、荒事にもそこそこ対応できるみたいですしね。 もっとも、お金が無かったので買えた杖はこんなんですけど﹂ ﹁いろいろ驚くことが多いのだけど﹂ ﹁さっき驚かないって言ったじゃないですか﹂ ﹁限度があるわ。よくウィスタ大森林から生きて帰ってこれたわね。 あそこは凶暴な生き物こそ居ないものの無駄に広くて野垂れ死にす る奴が多いのよ﹂ ﹁その辺はエルも居ましたし、何とかなりました﹂ ﹁・・・一体どこでエルシディアさんと出会ったのかしら? 話か ら推測するとウィスタ大森林で出会ったみたいに聞こえるのだけど﹂ ﹁え? あーっとですね・・・﹂ 話の展開失敗したかも、と思ったら︱︱︱ ﹁主と妾が出会ったのはウィスタ大森林で間違いないぞ。そこで主 と契約したのだ﹂ ︱︱︱エルの爆弾発言でミリアさんの動きが止まる。 ﹁契約って・・・あなたまさか﹂ ﹁うむ、ミリア殿の予想通り妾は精霊だ﹂ ﹁信じられない・・・人型を保つくらいの高位精霊が人と契約?﹂ ﹁それほど驚くことでもないと思うのだが、サイレル・ウィングス 159 トンやカイン・アルドニスも契約しておったぞ﹂ ﹁前者は400年前の世界大戦での英雄、後者は御伽噺の主人公じ ゃないの・・・﹂ ミリアさんはもはや驚くのにも疲れたような表情で僕とエルを見て いる。 精霊に杖なんて不要でしょ?﹂ ﹁はぁ・・・それにしてもなんでエルシディアさんは杖なんて使っ てるの? ﹁主はあまり目立つことを好まないのでな、理由としてはそれだけ だ﹂ ﹁できれば僕たちのことは伏せておいて貰えればと思います、エル は凄いですけど残念ながら僕は一般人のため、昔の英雄とかそうい う凄い人と比べられると困ってしまいます﹂ ﹁わかったわ。っていうよりこんなの話したところで信じてもらえ ないわよ﹂ 良かった。何とかこの場は収まったぞ。 若干クリティカルなところがばれてしまったような気もするけど、 まあ許容範囲でしょ。 ちょっと露骨かもしれないけど話を変えてしまおう。 ﹁そういえば武技大会が開催されるんですよね。ちょっと楽しみで す。ミリアさんも観戦したりしますか?﹂ ﹁ええ、折角このタイミングで王都に来たわけだしもちろんよ。応 援してるわよ﹂ え? ちょっとまて、今、なんか不穏なセリフが聞こえたぞ。 なぜ、僕が応援されるんだ? 160 ﹁ちょ、ちょっと待ってください。僕の聞き間違いじゃなければ今 ミリアさんは僕を応援する、と言いましたよね? なんでですか?﹂ ﹁何を驚いているの、ユート君は今回の武技大会に参加するんでし ょ? カーディスから聞いてないの?﹂ ﹁僕がカーディスさんから聞いたのは武技大会が開催されるから楽 しんで来いってことだけです。大体参加なんて一体いつ決まったん ですか?﹂ ﹁王都に出発する前よ。カーディスの奴、早馬出してたからこっち に参加表明が届いたのは2,3日前じゃないかしらね﹂ ﹁参加拒否とかって出来ないんですか?﹂ ﹁ギルドマスターの推薦だと本戦からのスタートだし、かなり難し いわね﹂ ﹁そうですか・・・﹂ あぁ、あの出発前のにやりとした笑いの正体はコレだったのか。 カーディスさんは格闘技が好きとかそう言うのじゃなくて、単純に 僕が慌てふためくだろうその姿を予想して笑っていたんだな・・・。 大会というくらいだし、命の危険はないだろうからいいっちゃいい けどさ。 しかし、拒否は出来ない以上、武技大会参加は確定か。 一回戦敗退になるだろう人物を推薦してはカーディスさんに被害が 武技 大会に参加っ 行くんじゃないかと思ってしまうんだけど、果たして大丈夫なんだ ろうか。 っていうより戦士でもなんでもない魔術師が てどうなんだろ。 ﹁ま、予選も通らずに武技大会に出れるなんて結構栄誉なことなん だから頑張りなさい﹂ ﹁主なら大丈夫だ、妾は楽しみだぞ﹂ 161 二人はニコリと笑って僕を応援してくれているが、外から見た僕の 肩はがっくりと下がっているに違いない。 ・・・はぁ、エルの期待が痛いなぁ。 ︵僕の勝手な予想では︶有象無象が集まる予選ならともかく、本戦 じゃどうせ一回戦で負けちゃうだろうし、期待してくれているエル になんて言い訳しよう。 相手を殺してもいいならスタートと同時に射撃でもすればいいと思 うけど、大会である以上殺しは禁止だろうし、一体どうやって勝て ばいいのか想像もつかない。 まさか生粋の戦士相手に低出力のスタンロッド一本と魔力障壁で挑 めとでもいうのだろうか。 ホント、どうしよう・・・。 162 1 あの後、ミリアさんはがっくりと項垂れる僕の肩を叩いてから去っ ていった。 なんて言われたので大会の日にはまた会えるかもし 多分、しばらく休んだ後に再び何か依頼を受けるのだろう。 応援してる れない。 とりあえず僕も再起動。 当面知らなくちゃいけないことは武技大会のこと。 ルールも知らない、日時も知らない、場所も知らないじゃ話になら ない。 さすがにもう始まってるって事は無いと思うけど、早いところ聞い ておかないと。 ﹁エルは武技大会についてなにか知ってる?﹂ ﹁んー、毎年国がやる大会というくらいだな。詳しくはギルドの受 付嬢に聞くと良いのではないか?﹂ エルの話になるほどとうなずいてからオペレーターの人に話を聞き に行く。 そもそもまず、本当に僕が武技大会の本戦に参加することになって いるのかも確認しないといけないだろ。ひょっとしたら大会参加者 じゃないかもしれないし。 ﹁こんにちは、すいません。ちょっと伺いたいことがあるのですが﹂ ﹁こんにちは、かわいい冒険者さん﹂ 163 ギルドのオペレーターさんがにっこり笑って対応してくれるが、完 全に子供扱い。 先ほどの件でがっくりと落ちた肩が元に戻らなくなるんじゃないか と思うくらいズーンと沈む。 が、ここで落ち込んでいてもしょうがない! ﹁武技大会についてなのですが、本戦出場者にユート・カンザキと いう人が居ないことを確認したいのですが﹂ この後ろ向き発言から僕がどれだけ出場したくないかが分かっても らえると思う。 ﹁本戦出場者のリストを見たのかしら? ユート選手のランクは他 に比べて一際低いし、ほかの冒険者さん達からすれば信じられない でしょうけど本戦出場は本当のことよ。びっくりするかもしれない けどガルトのギルドマスターからの推薦状があるの﹂ そうですよね、現実はそこまで甘くないよね。 ﹁実はですね、僕がそのユートなんです。お手数ですが本戦の詳細 について伺っても良いですか?﹂ ﹁えっ、その・・・え?﹂ ﹁あ、これギルドカードです﹂ 名前が刻まれたギルドカードを渡すとオペレーターさんはたっぷり 10秒以上は見つめた後、何故か真っ青になって僕を見る。 ﹁もっ・・・申し訳ありませんっ!﹂ ﹁いえ、いいです。分不相応なのは自分でも重々承知ですし・・・﹂ 164 結局この人から十分な回答を得るまでにはかなりの時間が掛かって しまったことを報告しておきたい。 ◆ ﹁しかしさぁ、このルールむちゃくちゃじゃない?﹂ ﹁そうなのか? 別に普通だと思うのだが﹂ ﹁殺さなければなんでも有りってなんなのさ、けが人続出じゃない ?﹂ ﹁治療術師が側に居れば問題なかろう﹂ ﹁そ・・・そうなのかな・・・﹂ 結局のところ、オペレーターさんのしどろもどろな回答をつき合せ ると大会について以下のようなことが判明した。 1.本戦は明日開催、ギルドから歩いて20分くらいのところに闘 技場があるとのこと。 2.組み合わせの都合、僕の初試合は明後日の午前中。 3.参加者は32名で優勝者には金貨100枚という莫大な賞金が 渡される。 4.相手を死に至らしめるような魔術は禁止、武器に関しては刃を 潰す。 5.殺さなければ何をしても良い。敗北条件はリングアウトまたは 戦闘不能。 6.本戦出場者および関係者はほかの試合を無料で観戦できる。 165 ﹁優勝賞金が金貨100枚とかもそうだけどさ、この武技大会って めちゃくちゃ大規模だよね﹂ ﹁国家規模の大会だからそれくらいにもなる。参加者だって予選を 含めれば相当な数のはずだぞ﹂ うわ、予選とかは聞いてなかったけどそんな規模が大きいものだっ たのか。 ﹁僕はそんな大会に参加することになってしまったことがおっかな くてしょうがないんだけど﹂ ﹁参加することになってしまった以上仕方あるまい。それに、主な ら勝てるのではないか?﹂ ﹁うーん・・・前にミリアさんが戦ってるとこ見たけどさ、剣が目 で追えなかったんだ。もし本戦であんなのと打ち合った日にゃ一方 的にボッコボコだよ﹂ ﹁魔力障壁で満遍なく防御してしまえば良いではないか﹂ ﹁それ、どうやって相手に攻撃するのさ﹂ ぐぬぬ・・・って感じのエルの表情はちょっとかわいいと思う。 ﹁まあ、そんなどうでもいいことは置いておいて﹂ ﹁戦いに勝つ方法を考えるのがどうでも良いことなのか?﹂ ﹁うん、考えても意味ないし。それよりちょっと試したいことがあ るからお買い物に行こうか﹂ ﹁何を試すのだ?﹂ ﹁食糧事情の改善を計画中。コレがうまくいけば移動中の食事がか なり華やかになる﹂ ﹁そっ・・・それは素晴らしいぞ! 今すぐ向かおう! さあ、何 をすればいいのだっ?﹂ 166 おーおー、食い付きがいいなぁ。 さて、それではフリーズドライ計画のスタートと行きますか。 王都の町並みの雰囲気がガルトに良く似ていることから予想はして いたが、市場の雰囲気もガルトと変わらない。 きっと王都の市場↓ガルトの市場と瞬間移動しても気づく奴はほと んど居ないだろう。 そんな王都の市場で各種青果および肉類を購入してから意気揚々と 北門へと向かう。 エルは食糧事情の改善が楽しみでしょうがないのかさっきからずっ と笑顔になっている。 ﹁何時も外で作るのは干し肉のスープばかりだったが、料理もでき るのだな﹂ ﹁一人暮らしの大学生ならほとんどが料理くらいできるよ﹂ ﹁そういうものなのか?﹂ ﹁そういうものだよ﹂ 北門を警備する衛兵に﹁お疲れ様です﹂と挨拶をしてから外へ出る。 ガルトでもそうだったけど、この世界の門番︵検問?︶はザル過ぎ るでしょう。 こんなんでテロとかちゃんと防げるのかな。 そんな下らないことを考えながら少し歩いてから料理の準備を始め る。 グリル台を組み立てて携帯用フライパンを用意してその隣に魔術で 分厚い氷の板︵まな板︶を作っておく。 167 これで準備は完了。後は作るだけ。 まずは豚肉を携帯用のクッカーに突っ込んでから指先に魔力を集中。 コンパクトな氷の刃を5枚作成し、それを高速回転させる。 クッカーに穴を開けないように注意しながら豚肉をかき混ぜるとあ っという間にひき肉になる。 次に、緑色のナスのような野菜を乱切りにしてからやたらに真っ赤 なニンジンのような野菜を短冊切りにしておく。 材料はまさしく麻婆茄子なのだが、香辛料や調味料は胡椒と塩しか ないので似たものにしかならないのが残念でしょうがない。 フライパンでひき肉を炒めるとあたりにお腹の減る香りが広がる。 エルが早く食べさせろという目で僕を見ているが、つまみ食いは拒 否しておく。 ひき肉に火が通ったあと、野菜も同じように炒めてから味付けして 完成。 魔術によるコンロは家庭用コンロよりもはるかに高出力なため、野 菜を入れても温度が落ちないので非常に便利だと思う。 最後にデザート用の果物を切る。 桃っぽいなにかと紫のオレンジ︵今、言ってて激しく違和感があっ た︶を食べやすいように切ってからまな板の上に並べておく。 後で野菜をフリーズドライするつもりだけど、まずは食事を取りた い。 なんせ今日はまだ何も食べてないしね。 168 エルにスプーンを渡すと、とてもニコニコとした表情でそれを受け 取る。 ﹁じゃあ食べよっか﹂ ﹁うむ、楽しみだぞ﹂ といっても一品しかないのでちょっと悲しい。 こう、料理って言うのは複数あってそれぞれがお互いを引き立てる ようなものだと思うんだ。 自作の麻婆茄子モドキを一口。 ・・・うーん、決して不味くは無いんだけど、やっぱり麻婆茄子か らはかけ離れた味だなぁ。 ﹁とても美味しいぞ。主は料理もできるのだな﹂ ﹁そう言ってくれると作った甲斐があるよ﹂ まあ、エルが喜んでくれてるからいいか。 そのうちソースになるものとかも見つけてもっとレパートリーを増 やしておきたいな。 ﹁さて、お腹も膨れたところで実験といこうか﹂ 氷のまな板の上に置かれた果物をつまみつつ、野菜を薄めにスライ スしていく。 ﹁妾にできることなら何でも言ってくれ﹂ ﹁野菜をスライスしてからはお願いすることがあるからちょっと待 ってね﹂ 169 まな板をもう一枚精製し、スライスした野菜を綺麗に並べる。 意識を集中。魔力を上手いこと制御してまな板の野菜を包むように 氷の箱を作成。 次に箱の中を全力で冷却。 一瞬で凍りついた野菜を見るに相当低温の環境を作ることができた はずだ。 ﹁エル、ちょっとこの箱の中の空気を完全に抜いてもらっていい?﹂ ﹁わかった、ちょっと箱に穴を開けるぞ﹂ どうやったのか今ひとつ分からないが、エルが腕を振ると箱に1c m程度の穴が開いてそこから急速に空気が漏れる。 真空になるにつれて氷が直接気体へと昇華していってしまうので、 氷の箱を魔力で強化しておく。 野菜を見るとフリーズドライに変化し・・・ない。 あれ? おかしいな。 真空の環境下ではすぐに水は沸騰するし、あっという間に氷が昇華 するんじゃないかと思ってたんだけど、どうやらそうでもないらし い。 よく見ると凍った野菜が非常にゆっくりと変化していくのがわかる が、これ、一体どれだけの時間が必要なんだろう。 ﹁これを毎回やるのは大変だぞ・・・﹂ ﹁僕もそう思う・・・﹂ 170 結局フリーズドライにするまでには2時間近い時間が掛かってしま った。 普通の魔術師ならとっくに魔力切れでダウンしているに違いない。 いくら莫大な魔力を持つ僕たちだとはいえ、これはさすがに疲れる。 ﹁でも、完成してよかった﹂ ﹁これは結局なんなのだ? 妾には萎れた野菜にしか見えぬが﹂ ﹁フリーズドライっていうんだけど、お湯を注ぐと元に戻るんだよ。 水を含まないから腐らずに長期保存ができるし、何より軽いからい くらでも持ち運べる﹂ ﹁本当に戻るのか?﹂ ﹁ちょっともったいないけど少し戻してみようか﹂ クッカーに水を注いでコンロでお湯にする。 その中にフリーズドライのニンジンをぱらぱらと入れてから待つこ と数分。 カラカラのニンジンが瑞々しいニンジンに戻る。 かじってみると若干食感に変化があるものの、しっかりと食感は残 っている。 うん、ニンジンだ。 ﹁ほら、凄いでしょ?﹂ ﹁信じられん。カラカラになっていた野菜が完全に元に戻っている ではないかっ!﹂ エルの驚く表情を見るとイタズラに成功したような気分になってち ょっと嬉しい。 でも、スライスした野菜でこれほどの時間が掛かるとすると出来上 171 がった料理をフリーズドライするには一体どれだけの時間が必要な のだろうか。 少なくとも現実的ではない時間が掛かるのはほぼ間違いない。 できれば店で売ってるスープとかまとめ買いしてフリーズドライし ておきたかったんだけどね。 それでもこうやって野菜がフリーズドライできる以上、前みたいな 灰色の食生活は終わったと考えても良いだろう。 ・・・もちろん作るのには相当の気合が必要になるが。 172 2 王都までの移動における食生活があまりにも灰色だったからか、フ リーズドライにすっかり夢中で今後の生活を行う上で重要な点を二 つほど忘れていた。 まず一点目、宿の確保。 今までは馬車の居室で寝ていたから問題ないが、今日からはどこか に泊まる必要がある。 現在は武技大会ということもあり混雑極まりない状況である可能性 が高いので、早い段階で宿を見つけないと野宿という悲惨な目にあ ってしまう。 次に二点目、生活費を稼ぐ。 現在財布には銀貨が22枚と銅貨が数十枚ある。 これは日本円に直すと20万円以上の大金になるが、宿に泊まる生 活を続ける以上お金の減るペースは元の世界に居たときよりもずっ と早い。 最悪一人部屋を取ってエルには同化してもらうという方法で銀貨一 枚でおつりが来る生活も可能だが、ちょっと罪悪感があるので可能 なら二人部屋を借りて生活したい。 そのためには十分な生活費を稼ぐ必要がある。 あ、そういえばバースさんの護衛の件の依頼料を貰ってなかった。 確か銀貨14枚だったはずだから、これで全財産は銀貨36枚にな るのか。 これなら最悪ちょうど良い仕事が無くともしばらくは大丈夫かな。 もちろんお金はあって困るものじゃないし、ギルドで掲示板の確認 173 はしておく必要があるけどさ。 そんなわけで僕たちはギルドに戻ってきている。 依頼も見ておきたいし、宿の位置は分からないのでオペレーターさ ん辺りに確認しておきたい。 ﹁それにしてもこれは・・・﹂ ﹁主よ、お金は大丈夫なのか?﹂ ﹁と、とりあえず銀貨で36枚あるから当面は大丈夫だと思う﹂ 王都の付近というのは南側に川が一本流れているくらいであとは完 全な草原となっている。 そのため工業生産品の材料となる野生生物も居ない。 安全である以上採取の依頼はほとんどなく、またあったとしても単 価が非常に安い。 だからまともな賃金の出る依頼のほとんどが遠出のものになってし まっているのだ。 一応街中作業もあるが、単位時間当たりの報酬を考えるとやりたく ない。 ﹁最短でもいってこいで二日掛かるね﹂ ﹁依頼を受けるのは不可能だぞ、主は武技大会に参加せねばならぬ のだからな﹂ ちょっと想定外だったけど、銀貨が36枚もあれば十分生活できる でしょ。 なら宿の位置でも聞いておこうかな。 王都のギルドはガルトのと違い、こういうおやつどきの時間でも冒 174 険者の数は多い。 それでもオペレーターの数が十分に多いため、ほとんど並ばずに対 応してもらえるのが凄いと思う。 ﹁すいません、今日王都に着いたばかりなので宿を取りたいのです が、宿屋街の場所を教えていただいてもよろしいでしょうか?﹂ ﹁今からですか・・・。今は武技大会もあるのでなかなか大変かと 思いますが・・・﹂ 哀れむようなオペレーターさんの顔を見て、宿が取れずに野宿とい うとても悲惨で暗い未来が脳裏に浮かぶ。 思わず隣に居るエルの顔を見ると、エルも僕を見ようとしていたら しく目が合う。 そして同時にオペレーターさんの顔を見る。 ・・・こっちみんなのAAって現実だとちょうどこんな感じなんだ ろうなぁ。 ﹁あっ、その、幸い当ギルドは宿を保有しており、二人部屋も空い ておりますが︱︱﹂ ﹁武技大会の期間だけ借りたいのですが﹂ ﹁あの、よろしいのでしょうか?﹂ 即答した僕に対してオペレーターさんは怪訝そうな表情を浮かべる。 何故にそんな表情? どんな場所でも屋根があるだけ幾分マシだろ うに。 ﹁ひょっとして凄く高いとかですか? その場合すいません、あき らめてほかを探します﹂ ﹁そうではないのですが、武技大会前なので普段物置だった部屋を 175 戻したんです。だからちょっと汚れていまして・・・﹂ ﹁大丈夫ですよ、自分で掃除しますので。結局いくらになります?﹂ ﹁武技大会の期間ですと6日間ですね。銀貨3枚になります﹂ え? なんかめちゃくちゃ安くない? 一人単価で考えると一泊2500円程度ってことになるんだけど。 安い分には構わないのでそのままお金を払って鍵を貰う。 ﹁汚い部屋で申し訳ないのですが・・・﹂ ﹁いえいえ、大丈夫ですから﹂ いやー、ラッキーだった。 二人部屋を一人部屋とほぼ同額で取れるなんてなんてツイてるんだ ろう。 ﹁運が良かったな﹂ ﹁そうだね﹂ ギルドを出て正面にある三階建ての建物がどうやら宿らしい。 民宿のような雰囲気だが、王都の雰囲気とマッチしているし、外観 の美しさはなかなかのもの。 こんな宿に泊まれるのに一日半銀貨一枚でいいとは、かなり嬉しい。 ﹁あれ?﹂ ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁んにゃ、なんでもない﹂ 中に入って驚いた。 176 外観はあんな風だったのに、中は僕の世界の一般的なアパートのよ うな感じ。 両脇には部屋が複数、たぶん左右に10以上。 中央には階段がある、おそらく2,3階も同じような構造だろう。 少なくとも今までの建物のような雰囲気の室内ではない。 ﹁そういえば部屋はどこのを取ったのだ?﹂ ﹁ちょっとまって、えーと、301号室か﹂ ﹁階段が面倒だぞ﹂ ﹁安いからしょうがない。それにしてもなんでこんな上の階を倉庫 にしてたんだろう﹂ やはり3階も1階と同じような構造だった。 この世界の技術レベルを考えると柱とかの並びがやたらに綺麗な気 がする。 ・・・まあ、どうでもいいか。気にしても意味ないし。 階段上がって右の部屋が312号室、左の部屋が311号室。 301号室は左奥か、余っていた部屋なだけあって交通面では微妙 だ、正直ちょっとメンドクサイ。 だけどもこの宿に入る瞬間って結構好きだな、わくわくする。 ﹁なんかこういう初めての部屋ってわくわくするよね﹂ ﹁楽しみだぞ、早くあけるのだ﹂ ﹁ちょっとまってね・・・﹂ 楽しげな様子のエルを視界の端に捉えつつ、鍵を外してドアを開け 177 る。 ﹁これは・・・﹂ ﹁これは、なんとかしたほうがよいのではないか?﹂ もともと物置だったという301号室は想像を絶するほどに汚れて いた。 埃は積み重なって地層となり、汚れていない部分がどこにも無い 物を置く上で邪魔だったのか、廊下と部屋を分けていたはずのドア は無理やり剥ぎ取られて廊下に立てかけられている。 手前には水浴び用の部屋が用意されているが、ひどく汚れていて無 残な状態だ。 ・・・このままでは入る気にならない。 ちょっとゲンナリしつつも奥に入るとそこには申し訳程度にベッド が2つだけ置かれている。 ベッドは綺麗なので、たぶん物を全部外に出した後に新しく置いた のだろう。 っていうかベッド置く前に掃除くらいしようよ。 あっという間に埃だらけになっちゃうじゃないか・・・。 ﹁とりあえず窓開けて埃を全部捨てようか。エル、風の魔術をお願 いしてもいい?﹂ ﹁任せてくれ、こんな部屋は一秒でも早く綺麗にしたい﹂ そういうとエルは風を操作してこの部屋の積み重なった埃を根こそ ぎ取り去って窓の外へ吹き飛ばしていく。 178 吸引力が変わらない唯一の掃除機よろしく埃を分解しているらしく、 ワサっと溜まった埃が他人の頭上に落ちるという惨劇は防げそうだ。 ﹁しばらく換気し続けてもらってもいい? 僕が魔術を使って部屋 の汚れを取ると室内が蒸し暑くなっちゃうんだ﹂ ﹁それは構わぬが、一体どうやって汚れを取るつもりなのだ?﹂ ﹁まあちょっと見ててくれ、うまくイケると思うんだ﹂ 部屋の隅や壁などには汚れが完全にこびり付いていて、とてもじゃ ないが風では吸引しきれない。 それらのしつこい汚れ対策のため、右手に魔力を集中。イメージす るのは高圧洗浄器。 ちょっとテストしてみると右手の人差し指から高圧縮で高温の水を 出力できるようになったので、それを使って次々に汚れを落とす。 もちろんこのままだと辺りが水浸しになってしまうので左手ではド ライヤーを出力してすぐさま乾かしていく。 実物の高圧洗浄器に比べて水の出力量自体が非常に少ないから出来 る荒業だと思う。 ついでに言えば汚れが浮くだけなのでエルが魔術を使っていない場 合、部屋がサウナになるだけで意味がない。 ﹁一体何をどう考えたらそういう風に魔術を扱えるのだ?﹂ ﹁僕の世界ではわりと一般的な掃除用具をイメージしてみた﹂ ﹁・・・本当に主の世界は便利なもので満ち溢れているのだな﹂ エルは呆れたような感心したような表情を浮かべつつも、魔術の制 御は正確で今もちゃんと風が流れているのが凄いと思う。 汚れを浮かせた瞬間にエルの魔術で汚れが外に吹き飛んでいく光景 はまさに圧巻! 179 僕の世界じゃまずお目にかかれないぞ、こんなの。 ともかく魔術を前面に押し出して掃除を行うと非常に高速に部屋を 綺麗に出来ることがわかった。 調子に乗って301号室全体を掃除すると劇的ビフォーアフターの ような状態に。 ・・・なんということでしょう、汚かった部屋があっという間にピ カピカになっています! 今、ギルドのオペレーターさんを連れてきたら絶対にびっくりする と思う。 これ、商売になるんじゃないかなぁ。 ︱︱あなたの御家を綺麗に掃除いたします。 ︱︱お時間は取らせません、2時間だけで綺麗さっぱり埃の一つも 逃さない! ︱︱さらには風呂場などにこびり付いてどうしようもなかった汚れ まで! 0120−ABC−DEF ︱︱さあ、悩んでる暇はありません。今すぐ当社までお電話を。 ︱︱TEL: ﹁主、なんか変な顔をしておるぞ?﹂ ﹁なんでもない。ちょっと疲れてるのかな﹂ ﹁あの携帯食料を作ったり部屋を掃除したりとかなり無理をしたし、 少し休んだほうがよいぞ﹂ ﹁うん、そうするよ﹂ ベッドに腰を下ろし、バッグからカップを二つ取り出して市場で買 っておいたジュースを注ぐ。・・・テーブルが無いから置き場に困 るなぁ。 180 ﹁ありがとう﹂ ﹁どういたしまして﹂ 自分の隣に座るエルにカップを渡してからジュースを一口。 ショッキングイエローで激しく毒々しい色だがちゃんとストレート ジュース。 味は甘みよりも酸味が強調されているが意外と美味しい。 本当はコーヒーか紅茶が欲しいのだが、コーヒーは見たことがない し、紅茶は50gくらいの量で銀貨3枚とかとられるのでちょっと 買えそうに無い。 とはなんだ? たまに主の言う単語の意味がわか ﹁すっぱいけど結構美味しいね、疲れた体にはやっぱりクエン酸だ くえんさん よ﹂ ﹁ らぬ﹂ ﹁クエン酸っていうのは体に溜まった疲れを取る効果があるんだ。 もっとも、科学的に実証された話ではないから気のせいかもしれな いけどさ﹂ ﹁一つ説明されると知らぬ言葉が増えるのだが・・・﹂ ジト目で見られるが、なんと説明して良いのかわからない。 どうしたもんか。 結局のところ、僕は疲労と筋肉痛について一時間以上語ることにな ってしまった。 ワカラナイ、シラナ で通したけど、エルは結構満足していたみたいなのでよかった 理系とはいえ所詮学生なので細かいところは イ と思う。 181 2︵後書き︶ ﹁そういえばさ、エルみたいに人型を取れる精霊って高位なんだよ ね﹂ ﹁うむ、妾たちは人からそのように呼ばれているぞ。上下関係があ るわけではないので高位とか低位とかっていうのは少し間違ってい るのだがな﹂ ﹁あれ、そうなんだ。ちなみにほかの精霊たちってどんな姿をして るの?﹂ ﹁妾たちのような精霊はみな人型だが、そうでないものたちは光の 玉のような感じだな﹂ ﹁見てみたいなぁ﹂ ﹁彼らはちょっと恥ずかしがりやなのでなかなか姿を現さないと思 うが、主ならそのうち見れると思うぞ。なんせ主の魔力は妾たちと そっくりなのだからな﹂ 182 3 ﹁うーん、どうしようかな・・・﹂ ﹁名詞を言ってくれないと何がいいたいのかわからぬぞ?﹂ ﹁あんまり大したことじゃないんだけど。杖を新しく買ったほうが いいかなーと思って。なんだか魔術師のレベルと杖が見合ってない なんて言われちゃったからさ﹂ すっかりピカピカで快適になった宿で一晩過ごした僕はいまさらミ リアさんに言われた一言を思い出していた。 そう、この安物の杖でホイホイと魔術を使うと怪しまれるというこ とである。 ︵あの時、光って目立つスタンロッドは扱わないように注意してた のになぁ︶ もちろんEランクの冒険者如きがホイホイ魔術をつかっても怪しま れるとは思うが、﹁前からどこかで修行をしてました、ギルドに登 録したのは最近です﹂なんていってしまえば問題ないと考えている。 だが杖は違う。 杖は低品質な場合は高度な魔方陣を組めないらしい。 そんな中、安物の杖でスタンロッドだの氷柱の射出だの殺傷力の高 い魔術を使っていたら不自然極まりない。 銀貨3枚も出して買った杖が安物なんていうと、まともな杖は一体 いくらするのか戦々恐々としてしまうのだが、武技大会に出てあれ これつつかれないようにするにはソレを買う必要があるだろう。 杖の品質が見た目には判らないならこんなことで悩まずに済んだと 183 いうのに・・・。 ミリアさんはあっさりと見抜いてしまったからなぁ。 大体スタンロッドだって出来ることなら軍用懐中電灯から出力した いのだ。 夜の森で高出力かつスポットのキツイ懐中電灯を点灯すればわかる と思うけど、光の柱が出来るんだよ。これでイメージを補強してス タンロッドを出力していたからやり易かったのに、単なる木の棒と か金属の棒なんかでスタンロッドをイメージするのはなかなか難し いしフラストレーションが溜まる。 金属の杖の場合なんか下手すりゃ自分が感電してしまうんじゃない だろうか。 普通の魔術がどういうステップなのかは知らないけど、僕の魔術は 明らかにイメージが重要だ。 そういうことが無いとはとても言い切れない。 と、ここまで考えてからエルの顔を見るとちょっと悩んだ顔をして いる。 ﹁妾は人が扱う魔術については詳しくない。だから、どのくらいの 杖を買えば主の魔術が普通に見えるのかがわからぬ﹂ ﹁ブランクの杖なら金貨2枚も出しておけば良いんじゃないかな﹂ ﹁即答だったが何か根拠はあるのか?﹂ ﹁全く無い﹂ ﹁・・・堂々と言うことではないと思うぞ﹂ 絶句している間、次々とエルの額に縦線が入っていく様が見えた気 がした。 184 ﹁ごめんごめん、実際のところ根拠はないんだけどさ、今の僕の所 持金を考えた時に払える精一杯の額が金貨2枚なんだよ。これ以上 は逆立ちしたって払えない﹂ ﹁なるほど、そうだったのか﹂ ﹁納得してもらえて何より。・・・さて、武技大会が開催されるく らいだからそっちのほうに向かって歩いていけば魔術用品店くらい いくらでもあるでしょ。食事のついでに杖も買いに行こうか﹂ ﹁・・・主よ、杖の話をしていたはずなのにどうしてそれが食事の ついでになっているのだ?﹂ ﹁え? そりゃ重要度の違いって奴でしょ﹂ ◆ 殺しあう みたいな感じがあるから物騒だよ 武技大会が開催されるのは王都中央付近にあるコロシアムのような 建物。︵日本語的に ね︶ 武技大会が開催されるからかまだ午前8時過ぎだというのに道行く 人の数は多く、あちこちに露店が開かれていることもあって混雑に 拍車が掛かっている。 活気があって大変良いと思うのだけど、身長の低い僕とエルは随分 と歩くのに苦労してしまって非常にかったるい。 おまけに先ほどから﹁︵聞き取れない︶が一枚﹂や﹁リグの︵聞き 取れない︶﹂など、大声で商人たちが売りに勤しんでいるおかげで 185 まともに会話すらできやしない。 ちょっと売ってる物を見たいのだけど、人が多すぎてそれも困難と きてる。 ﹃すごい活気だよね、驚いた。歩くのにも困難なほどの人っていう のがちょっと鬱陶しいけどさ﹄ ﹃主の世界と違ってこの世界では娯楽がほとんどないし、皆が楽し みにしておるのだ﹄ ﹃娯楽っていうには結構暴力的な感じがしてならないんだけど、そ ういうものなのかな﹄ ﹃そういうものだぞ﹄ この通り僕らは念話ができるので会話が難しかったり、迷子になっ てしまったりという心配は無いのは救いだと思う。 ﹃歩くにくいしちょっと一本裏でも入ろうか、魔術用品店も定食屋 も定期的にメインストリートに戻って左右見れば済む話だし﹄ ﹃うむ、賛成だ。そこから裏道に入れるぞ﹄ エルの指差す方向に向かって歩き、裏道に入ると一気に雰囲気が変 わる。 左右に建物が並ぶせいか圧迫感のある細い道。 道を歩く人は少なく、やや薄暗い。 耳を澄ませばメインストリートの喧騒が聞こえるのだが、別の世界 に入り込んでしまったかのような錯覚すら感じる。 全体的に暗くジメジメとした雰囲気は治安も悪そうだし好きにはな れそうに無いが、メインストリートの混雑っぷりを考えると幾分マ シか。 186 ﹁言いだしっぺがいうのもどうかと思うけど、危ない雰囲気だよね﹂ ﹁妾も居るし、こんな場所で主が危なくなるはずがないぞ﹂ フンッ、と無い胸を張るエルが頼もしい。 実際に襲われたらさすがに自分も戦うけどさ。 ﹁今、なにか不埒なことを考えなかったか?﹂ ﹁ソンナコトナイデスヨー﹂ ﹁そんなことあるぞ、今妾を見て何を考えた?﹂ エルって胸無いよね なんて正直に言えるはずも無く、ど 心を読めるのか、それとも念話みたいに漏れたのか。はたまた女の 感か。 まさか ﹁キャッ!﹂ うやって言い訳しようか考えながら歩いていると ﹁おわっ!﹂ 軽い衝撃と共に少女の声。 どうもエルの方を見ながら歩いていたら気づかなくてぶつかっちゃ ったみたいだ。 ﹁すいません、大丈夫ですか?﹂ ﹁ちょっと! 何してくれるのよ。荷物がバラバラになっちゃった じゃない!﹂ 辺りを見ると荷物がバラバラと辺りに散乱している。 オレンジ、タマネギ、ピーマン、キャベツ、紙に包まれた何か︵た ぶん肉類︶。 散乱している荷物の種類と量を見る限り定食屋さんか何かの関係者 かな。 187 ﹁ボケッと見てないで手伝いなさいよ﹂ ﹁あ、はい、すいません・・・﹂ 散乱したタマネギを拾いつつ、自分より小さな少女のほうを見る。 ややツリ目気味だが、純朴そうな顔立ちに肩まで伸ばした淡い青色 の髪の毛と白いワンピースの姿はおとなしそうな印象を回りに与え ると思うのだが、ハッキリとした話し方や気の強そうな声、僕に対 する態度などからそんな印象が消し飛ぶまでに時間は掛からなかっ た。 ﹁ほら、エルも手伝ってよ。僕だけだと時間が掛かっちゃうから﹂ ﹁ん、ああ、済まぬ。主がタジタジとしているのが少し可笑しくて・ ・・﹂ ふわりと笑うエルとムスっとした知らない少女と僕で荷物を集める。 かなり大きい麻袋︵?︶に集まった荷物はやはりほとんどが食材で、 少女が持つと一抱えにもなる大きさ。 そりゃ前も見えないしぶつかるわけだ。 ﹁ほら、主。荷物を持つのを手伝ってやったらどうだ﹂ ﹁そうだね。・・・よいしょっと﹂ ﹁ちょ、大丈夫? それ結構重いのよ?﹂ あまりにもあっさりと持ち上げる僕を見て驚いたのか、少女は少々 間の抜けた顔をしてこちらを見つめている。 ﹁少なくともキミが持っていられるくらいなんだから余裕だよ。冒 険者をなめちゃいけません﹂ ﹁へえ・・・。あなた達冒険者なんだ。やっぱり武技大会でも見に 188 来たの?﹂ ﹁・・・非常に不本意なんだけど参加者なんだ﹂ ﹁主はいい加減覚悟を決めたほうが良いと思うぞ、だから今日も杖 を買いに来たのだろう﹂ ﹁え゛・・・本戦参加者、ですって?﹂ やっぱそうだよね。 身長は四捨五入で160cmしかないし、年齢だって低く見える。 体つきも傍目にはかなり華奢。 どーみても僕は強そうに見えない・・・っていうかむしろ弱そうだ。 パートナーのエルだって似たようなもんだ。 少なくとも強そうには見えない。強いけど。 の次に名乗られたら拒否とか結構難しいでしょ。 ﹁名前聞いてもいい? 私はアーミルよ﹂ 聞いてもいい? 出来ればかっこ悪いところ見られたくないし、教えたくないんだけ どなぁ。 なんていわれたら僕の脆い 大会で負けて結果が出た後︵多分出るよね、こういうのの結果って︶ あ、やっぱり初戦敗退だったんだー ハートが砕け散ってしまう。 でもまあ、名乗られて名乗らないのは失礼だししょうがないか。 ﹁僕はユートです。さっきの通り冒険者やってます﹂ ﹁妾はエルシディアという。主の従者をしているぞ﹂ ﹁エルシディアさんは冒険者じゃなくてユートの従者なの? 逆じ ゃなくて?﹂ ﹁うむ、そうだぞ﹂ 189 何故に僕は呼び捨てなんだろう。 いや、うん、別にいいんだけどさ。気にすることじゃないし。 そんなわけで裏道を10分も歩くとアーミルさんの目的地に到着、 予想通り定食屋だ。 肉が焼ける香りなど、お腹の減る香りがあたりに充満しているので、 朝から食事を取っていない僕たちにはある意味毒ガスのような効果 を発揮している。 表口から普通に荷物を抱えたまま入ると左手側にちょっとしたテー ブルがあったので荷物を置かせてもらう。重くは無いんだけど前が 見えないので結構辛かった。 荷物を置いて店の中を見回すと予想以上に清潔な店内で、細かいと ころまで掃除が行き届いていて埃などがほとんど無い。 雰囲気や清潔感などを考えると良い店だと思う。 ﹁ただいま﹂という可愛らしい声と共にアーミルさんが店の奥に入 っていったあと、しばらく待つとがっしりとした体つきの男性がや ってくる。 ﹁うちの娘の買い物の手伝いをしてくれたって言うのはアンタか﹂ ﹁え、ええ。まあそんな感じです﹂ ﹁主、妾は空腹だぞ。早く食事を取りたい﹂ ﹁エル、遠まわしに食べ物を要求しない・・・﹂ この食い意地のはった精霊は全くもう。 190 でも、アーミルの父は満面の笑みを浮かべていて、なんだかとても 楽しそうだ。 ﹁何だ、腹が減ってるのか。ウチで食っていくか?﹂ ﹁いただきます。そこいらの座席に座っていても良いですか?﹂ ﹁おう、そうしていてくれ﹂ 適当に選んだ二人用のテーブルに腰掛けてしばらく待つとアーミル さんがメニューを持ってやってきてくれたのだが、僕もエルもあま りメニューを読まずに毎回お任せにしてしまっているので悪いこと をした気分になってしまう。 そろそろ各食材の名前くらい覚えたいなぁ。 単語が違いすぎて料理の内容が揚げるか焼くか炒めるかくらいしか ↓前に食べたホロワ鳥のから揚げと同じ味。 ↓正体不明の肉。豚肉っぽいのだが、微妙に臭 わからないんだよね。 ウダエの炒め物 い。 ミーマのから揚げ 何が違うのかわからない。 こんな例は挙げていけばキリがない、文字が読めても意味が全く無 いのだ。 おまかせで なんて 今後の食生活の改善のためには是非覚えるべきであることくらいわ かるのだが、いかんせん面倒なのでついつい いってしまう。 ﹁メニューを持ってきてくれてありがとう。でも、あまりこの辺の 料理に詳しくないからお任せしちゃってもいい?﹂ ﹁んー、何か嫌いなものとかある? メニューが多いから嫌いな食 191 べ物とか混ざるかもしれないわよ?﹂ ﹁僕もエルも好き嫌いとかは無いから大丈夫。アーミルさんに任せ る﹂ ﹁妾も楽しみだぞ﹂ ﹁そうなんだ。ちょっと待っててね﹂ そういってアーミルさんが厨房に戻っていく。 と、思ったら2,3何かを話したあとに戻って来る。 顔には満面の笑みを浮かべているのだが、全くどうしてそうなって いるのかがわからない。 ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁今あんまり忙しくないから好きにしていいって言われたの﹂ ﹁何で僕たちのところへ?﹂ ﹁武技大会の出場者に会えるなんてめったに無いから話を聞いてみ たかったの﹂ ・・・話すようなことが思いつかない。 ﹁ちなみに、どんな話題を期待してるの?﹂ ﹁武技大会の本戦に出れるくらいならいろいろ語れることがあるで しょ﹂ ﹁・・・隠してもしょうがないから白状しちゃうけど、僕って冒険 者ランクがEなの。だから、そういう武勇伝とか話題とかってほと んど無いから﹂ 唖然とした様子のアーミルさん。 確かにその気持ちはわかる。 僕も武技大会に参加することが確定したときは口からエクトプラズ ムが出てたくらいだし。 192 ﹁え? は? Eランク? なのに本戦出場者?﹂ ﹁うん、驚いた?﹂ 僕の問いに対して回答はない。こりゃガッツリ混乱してるよ。常識 的に考えてありえないもんね。 そんなわけであーでもない、こーでもないとくだらない話をするこ と大体五分くらい。 ﹁おーいっ! アーミル、出来たからもって行ってくれー﹂ ようやくアーミルさんを呼ぶ声が厨房から聞こえる。 ああ、良かった。 これ以上突っつかれるとなんと回答して良いのか大分悩んでしまう ところだった。 ﹁なんだか疲れておるな﹂ ﹁うん、無理やり話題を引き出したから疲れた。でもご飯だから大 丈夫﹂ ﹁ふふっ、全くもって主は食い意地が張っておるな﹂ ﹁外から見た場合、エルも十分に食い意地がはってるタイプだと思 うよ﹂ ﹁おまたせっ﹂ ﹁待ってました﹂﹁楽しみだぞ﹂ アーミルさんがテーブルの上に料理二皿とバスケットを並べていく。 一皿目は肉野菜炒め。 二皿目は分厚い玉子焼き。 バスケットにはバケットがたくさん入っている。 193 エルが早速バケットに手を伸ばして一口。 ﹁うまいぞ、主も食べたほうがよい﹂ ﹁頂くよ﹂ 僕もバケットを一つ取る。 バケットは食べやすいように2cmくらいで斜めにスライスされて おり、さらに表面を焼いてあるので大変香ばしくて良い。一口齧る とリーナさんのとこのパンと違って若干例のエグ味があったものの、 十分に美味しいといえる。 もきゅもきゅとバケットを齧りつつ肉野菜炒めも食べる。 こちらは肉のうまみをうまく利用していて、野菜炒めにありがちな うまみ成分の欠ける味にはなっていない。美味し。 さらに野菜がしゃきしゃきとしていて、炒めてあるはずなのに瑞々 しくて美味しい。 こういう風にするには高出力のコンロで一気に炒めてやらなくちゃ だめ。 比べるのも失礼な話かもしれないけど、僕が作った家庭料理とはレ ベルが違うな。 相変わらず食い意地のはった僕らの食事は静かだ。 最初にエルにバケットを勧められた以外、僕らの間に特に会話は無 い。 次にスプーンで玉子焼きを掬って食べる。 ・・・そのとき僕に電流走るっ! これはアレだ、なんていうんだっけ。 194 玉子焼きの中に刻んだタマネギとひき肉を炒めてBBQソースで味 付けしたフィリングを詰めた料理。 どうでもいいや、感想を言うのもメンドクサイ。美味い、食べたい。 オムレツを掬った部分にちょっとソース溜まりが出来るので、バケ ットをディップして一口。 ソースとバケットの相性がいいのは昔から定番として決まってる。 当然美味い。 いやいやいやいや、これは美味すぎるでしょう。 こんな生活を続けていたら太ってしまうね。 この後バケットを二つほどおかわりしてアーミルさんを十分に驚か せた後、ようやく僕たちは満腹になって満足したのだった。 195 4 ﹁いやぁ、満足したなぁ﹂ ﹁ここのところ定食屋など入っていなかったからな。満足したぞ﹂ 王都に着てから、というより五日ぶりのマトモな食事だったせいか ちょっと食べ過ぎた気もする。 異世界に来たからといって爆発的に運動量が増えたわけではないの であまり無神経に食べ過ぎるといろいろと危険だ。今後はある程度 注意せねば。 ﹁んじゃあそろそろ杖でも探しに行こうか﹂ ﹁了解だ、会場のほうに向かうのか?﹂ ﹁そのつもり。終わったら観光したいし﹂ 食事を終えてメインストリートに出ると食事前に比べて人が増えた 気がする。 この中を掻き分けて店を探すのはちょっと厳しいのでやはり裏道か。 ﹁とりあえずまた裏道に戻ったほうが良いと思うぞ﹂ ﹁そうだね、露店も増えちゃってるみたいで混雑っぷりがヤバイ﹂ 僕はエルに連れられて再び裏道へ。 空腹で辺りをしっかり見回す余裕が無かった先ほどと違い、今の僕 にはかなり余裕がある。 雰囲気のあまりよろしくない裏道だが、まったりと見て回るとお店 があったり生活臭のある家などがあったりして意外と面白い。 196 ただし店舗の雰囲気はかなりアヤシイ。 何を売っているのかわからないが明らかにやばそうな感じだったり、 一見さんお断りとしか思えないような飲み屋などが大半を占めるが、 たまにファンシーな雑貨屋などがあるので油断ならない。 途中、武器屋らしき場所があったのでちょっと寄ってみたかったの だが、こういう雰囲気の場所で冷やかしもどうかと思ってあきらめ てしまった。 そんな風に周りをじろじろと眺めながら道を歩いていると突然肩を 叩かれて死ぬほど驚いた。 地元ならともかくこの世界で肩を後ろから叩かれるとは欠片ほども 思ってなかったよ。 ﹁ユート君じゃないの! それにしてもそんな驚くことかしら﹂ ﹁ミリアさんでしたか。驚いてしまってすいません﹂ ﹁気づいていなかったのか? あまり驚きすぎるのは失礼だぞ﹂ 相手がミリアさんでよかった。 コレが悪意のある人物だったとしたら結構危なかったんじゃないだ ろうか。 ﹁こんなところでどうしたの?﹂ ﹁ちょっと杖を買いに来てたんですよ。ミリアさんはどうしてこん なところに?﹂ ﹁私は武技大会でも見に行こうと思ってね。でもいくらお祭りだか らってさすがに今のメインストリートを歩く気にはなれないわ・・・ ﹂ 額を押さえつつメインストリートを見るミリアさんだが、その気持 ちは僕もかなりわかる。 197 会場から結構離れているこの場所ですらこの状態。 これが近づくほどに悪化していくわけだし、とてもじゃないが歩こ うという気にはなれない。 混雑した道っていうのはお祭りの醍醐味のような気もするけどね。 こう、女の子と歩くときに手を握ったりとかさ。 ﹁もう買っちゃった?﹂ ﹁まだ買ってないですよ。お店の位置がわからなくて迷ってるんで す﹂ ﹁ちょうど良かった! それならいいところがあるわよ。ちょっと 雰囲気暗いけど﹂ ﹁本当ですか! 場所を教えてもらっても良いですか?﹂ 渡りに船とはまさにこのこと。 宿といい食事といい最近ツイてるなぁ。 いつか反動が来なきゃいいけど。 ﹁そこの角を左に曲がって歩くと右手に酒屋が見えるから、そこを 右に曲がってすぐ。看板があるからわかると思うわ﹂ ﹁一本目の角を左、右手の酒屋を目印に右折、その後目的地周辺で すね。わかりました﹂ ﹁ユート君の試合は明日だし、そこでいいやつ買って頑張んなさい よー。知り合いが出るのは久しぶりだし期待してるんだからね﹂ ﹁え、ええ。なるたけ頑張ります﹂ ﹁さて、あんまりツレを待たすのもあれだしもう行くわ。またね! ユート君、エルシディアさん﹂ 唐突に現れて嵐のように過ぎ去っていったミリアさんをちょっと呆 然としたまま見送り、僕たちは交差点を左へ。 198 すぐに右手側に酒屋、というよりちょっと洒落た感じの酒場を見つ けたのでその角を右へ曲がる。 僕はあまりお酒は飲まないのであれだが、樽で作ったテーブルとイ ス。その奥には無数の酒が並んでいてなかなか雰囲気が良く、たぶ ん探せば日本でも似たような店があると思う。 ﹁どうやらここのようだぞ﹂ ﹁こ、これなの?﹂ エルが指差す先を見ると確かに魔術用品店っぽい看板が掲げられて いるのでそうなのだろう だが、裏道のお店のご多分に漏れず雰囲気は真っ暗アンダーグラウ ンド。 ミリアさんに教えてもらったとは言え、果たして一見如きの僕が入 って良いのか甚だ疑問である。 ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁いや、どう見ても微妙な雰囲気を漂わせてるし入っていいものか なーと﹂ ﹁良いに決まっている。紹介されたのに行かないほうが失礼だぞ﹂ そのままずるずるとエルに引き摺られるようにして店内に入ると、 予想通り暗い雰囲気。 あまり広くないが、大量の杖が所狭しと並ぶ店内はなんとも威圧感 がある。 ガルトの魔術用品店と違って単価が高いのが特徴で、安いものでも 銀貨8枚から。 信じられないことに高いのは金貨40枚というのがある。 こんなものをキャッシュでポンッと買える人がいるというのが信じ 199 られん。 長い杖ばっかり置いているので随分悩んだけど、ブランクと思しき 30cmくらいの杖を選択。 そのまま他人をしばくのにも使えそうな金属製でチタンのように軽 い。 ただし強度のほどはわからないのでしばいてみたらポッキリ折れた、 なんてこともありえるけど。 値段は金貨2枚。僕の払える限界。ああ、びんぼぅが近づく・・・。 正直な話今僕が使っている杖との差が素材以外わからないのでスペ ックシートが欲しい。 安物の杖︵魔力+30︶↓アプレンティスの杖︵魔力+50︶みた いなのがあればわかりやすくていいのだけど。 ・・・いや、意味ないか。どうせ魔法陣とか使わないし。高けりゃ いいんですよ高けりゃ。 カウンターに杖を持っていくと店長がこちらに振り向いて口を開く。 ﹁見ない顔だな﹂ ﹁知り合いに教えてもらったんです﹂ 店長は落ち着いた雰囲気のナイスミドルなのだが、長いローブのせ いでそれ以上はよく分からない。 僕が持ってきた杖を掴むと威圧感のある赤い瞳で僕を見る。 ロッド ﹁お前さんは冒険者みたいだが、これを戦闘で使うつもりか?﹂ ﹁はい﹂ ﹁その体格で長杖を持ち歩くのはきついかもしれないが、戦闘で使 う以上多数の魔方陣を仕込めるほうがいい。事実、戦闘主体の魔術 200 ワンド 師で長杖を持ち歩かない奴は居ない。短杖は携帯性こそいいが汎用 性が無くて戦闘に不向き、研究者向けだな﹂ やや僕を馬鹿にしたような口調。 見た目の都合もあるしコレばかりは仕方ないか。 ﹁主を馬鹿にしているのか?﹂ ﹁馬鹿に? 事実を述べているだけだ。重い杖を持って歩けないな らば魔術師として戦うのは難しい﹂ ﹁エル、落ち着いて。大丈夫だから﹂ 僕が怒らない代わりにエルが怒る。 申し訳ないけどちょっと嬉しく思ってしまう僕がちょっと嫌だ。 ﹁すいません、短いのを選んだのには理由があるんです﹂ ﹁・・・・・・﹂ ここで店長を説得すればエルの鬱憤も晴れるだろう。 店長は目を細めて僕の言葉を待っているかのようだし、折角だから 説明させてもらおうかな。 ﹁僕たちは冒険者ですが、見ての通りのパワーファイターじゃあり ません。というより両方とも魔術師です。当然どちらか・・・もし くは二人ともが近接戦闘を強いられます。こんなときに長くて取り 回しの利かないような杖では魔力障壁を展開しつつ近接戦闘を行う ことが困難でしょう? 僕たちが短い杖を使うのは携帯性ではなく 戦闘時における取り回しの良さがどれだけアドバンテージになるか を理解しているからなのです﹂ ちょっと息継ぎするタイミングがわからなかったので、一気に言い 201 切る。 杖を抜いてから小さくつぶやき、杖でスタンロッドと魔力障壁を展 開。 店内で魔術を使うのもどうかと思ったが、今のところ店には僕ら以 外誰も居ないしまあいいでしょ。 ﹁この通り、近接戦闘を行う上で短い杖は非常に有用です。長杖の 場合魔力障壁と干渉してしまって上手に戦えないことがわかっても らえます?﹂ 店長の顔を見ると目を見開いていて、随分と驚いているようだ。 説得に成功したっぽいのはいいけどそんな驚かれるようなことした かな。 ﹁ちょっと待ってろ。お前向けの杖がある﹂ そういうと店長はそのまま店の奥のほうへ。 いや、そういうの微妙なんですが。 店の奥にわざわざしまうような杖ってたぶん高価ですよね? 僕買えないですからね? ﹁さすが主だ、ちょっとスカッとしたぞ﹂ ﹁あんまりこういうのって良くないけどね。脅してるみたいでさ﹂ ◆ 202 ﹁あけてみろ﹂ どう見ても高級そうな化粧箱を持ってきた店長はそういうが、こん なの多分買えないぞ。 ﹁ちょっと予算オーバーな気もしま︱︱﹂ ﹁どうした?﹂ ﹁い、いえ。何でもありません。あまりに美しい杖なので驚きまし た﹂ 化粧箱に包まれた杖は長さ30cmほどで、青みがかった金属製。 エルゴノミクスデザインなグリップが異彩を放っているがそれ以外 DEFENDER﹂ は極めてシンプルな棒状の杖で、先端に近づくに連れて徐々に細く なっている。 何より僕が驚いたのは杖に刻まれた﹁COLT の刻印。 100003478﹂という もちろん刻印の両側にはコルト社のマークである馬が刻まれている。 そして杖の底面に刻まれた﹁S/N シリアルナンバー。 シリアルナンバーが記載されている以上それは明らかに工業生産品。 つまり、コルト社が冗談で作ったワンオフではないということ。 なんで異世界にコルト社製の武器があるんだ? しかもピストルやライフルじゃなくて杖だぞ? 僕が呆然と杖を眺めていると店長は満足げな表情を浮かべている。 ﹁綺麗な杖だろう。同時に複数の魔術を扱えるような高度な魔術師 には良く似合う。お前が持ってきた杖はウェルダーの製品でそれほ 203 ど性能が低いわけではないが、お前には合わん﹂ ん? 同時に複数の魔術を使うのって難しいのか? エルが普通にやっているからなんてことない簡単な技術だと思って た。 それよりあれだ、この杖の出所と値段が気になる。 まあ半分くらい予想はついてるんだけどさ。 ﹁この杖は一体どこのものなんですか?﹂ ﹁古代遺跡だ﹂ やっぱり・・・。 この分だと古代遺跡には僕の世界との接点がかなりありそう。 早いところ探索できるだけの技量等を身につけたいなぁ。 ﹁それってじゃあ、この杖ってむちゃくちゃお値段が張るんじゃな いですか?﹂ ﹁金貨60枚。意外と安いだろう?﹂ ﹁﹁ブッ!﹂﹂ 噴出す僕とエル。誰が買うんだ誰が。 そして金貨60枚のどこが安いっていうんだ。 この人完全に金銭感覚がかっとんでるぞ。 武技大会の優勝賞金をいくらだと思ってるんだ、金貨100枚だぞ! その優勝賞金の6割もの値段をつけておいて安いとはコレ如何に。 ﹁残念ですが完全に予算オーバーですね。とても買えません﹂ ﹁ウェルダーのミッドクラスを持って来るくらいだから金が無いの 204 はわかっている。お前、予算いくらだ?﹂ ﹁金貨2枚で限界ですね、これ以上は少しも出せません﹂ 今度は店長が固まった。 たっぷり5秒は固まった後に呆然とした表情のままぼそっとつぶや く。 ﹁・・・複数の魔術を同時に使用できるような魔術師なのに、なん でそんななんだ﹂ というか僕はEランク程度の微妙極まりない冒険者なんだけどそれ を言ったら完全にフリーズしそうだなぁ。 当たり前だがポケットを叩いても増えるのはビスケットだけでお金 は増えない。 店長はいくらか負けるつもりで例の杖を持ってきたっぽいのだが、 さすがに金貨2枚で売れる品じゃないのは僕にだってわかる。 そんなわけで結局僕は自分で選んだ杖︵ウェルダーだっけ?︶を購 入。 店長は最後まで納得してない表情だったがそんな表情をされても困 る。 しかしコルト社製の杖が古代遺跡から発見、か・・・。 予定通りといえば予定通りだけど、今後の指針はほぼ決定だな。 205 5 杖を買ってしまったので現在所持金が銀貨で9枚とちょっとになっ てしまった。 ここいらで依頼を受けることが難しい以上、これからはなるべく節 約して過ごさないとなぁ。 だが、現在は武技大会が絶賛開催中。 スパイシーな香りを漂わせるホットドック屋や最近少し暑くなって きたからかジュースを販売する屋台、昔から男をびんぼぅにさせる アクセサリーショップなどが当然大量にひしめいている。 是非それらを堪能してみたいのだが・・・。 ﹁なんでそんな落ち込んでいるのだ?﹂ ﹁節約生活をするに当たって屋台の堪能はあきらめなきゃかなーと﹂ ﹁さ、さすがに食べ物くらいは好きに買っても良いのではないかっ !?﹂ ﹁そりゃ食べ物くらいならイイケドさ、それ以外にもいろいろあり そうじゃない?﹂ 食べ物くらいは買うという僕の言葉を聞いて明らかに安堵するエル。 ここに来るまでに発生した10回以上にわたる携帯糧食の連食が効 いたのか、最近のエルの食に対する執着はかなりのものになってし まっている。 今後旅行を続ける上でフリーズドライの必要性が跳ね上がったかも しれん。 206 エルも大変そうだったけど僕も大変なんだよなぁ。 この世の摂理に真っ向勝負な方法で生産する以上、魔力の消費量も 半端じゃないし疲れるのも当然っちゃ当然なんだけどね。 それでもなんとか改善方法はないんだろうか、出来れば楽に作りた い・・・。 ﹁そういえば杖も買ったし食事も取ったしどうして会場のほうに来 たのだ?﹂ ﹁え? 観戦に行くんだよ? 幸い僕らは無料で見れるみたいだし﹂ ﹁観戦? 主が?﹂ 何をそんな驚いたような表情をしているんだろう。 日本人の全員が好きかと聞かれたらかなり微妙だが、少なくとも僕 は格闘技の観戦が結構好きだ。 当然、こんなファンタジーな世界で格闘技をやってるならばそれも 見てみたいと思うわけで。 ﹁なるほど、敵情視察というわけだな?﹂ ﹁いや、全く違うから。っていうかトーナメント表の反対側の人た ちの試合を見て敵情視察って全く論理的じゃないから﹂ ﹁そんなに否定しなくとも良いと思うのだが・・・。主は自分が思 っているほど弱くは無いぞ?﹂ ﹁そういわれてもなぁ。完全に身体能力に頼りきりの状態だし﹂ そういって試合が行われているであろう会場に眼を向ける。 先ほどから度々歓声が響き渡る武技大会の会場はローマのコロッセ ウムとよく似ているが、アレよりも幾分装飾が少なくてシンプルな 造りになっている。材質はコンクリートだと思うが、継ぎ目の無い 巨大な石と言われても納得しそうなほど綺麗。ブルドーザーもショ 207 ベルカーも無いようなこの世界では完成までに途方も無い時間が掛 かったのは間違いない。 前に見たときの記憶が曖昧で間違ってるかもしれないけど、多分こ ちらの会場のほうが若干小さいと思う。それでも人の背丈をはるか に越えるサイズのアーチが大量に組まれた形となっており、見るも のを圧倒させるような見事な景観だ。 たまに歓声が飛び交っている辺り、中では試合が進んでいるらしく て非常に楽しみだ。 ・・・明日僕が出なきゃいけないことは忘れてしまいたい。 ﹁すいません、大会の観戦に来たのですが﹂ ﹁チケットをお見せいただいてもよろしいでしょうか?﹂ ﹁主は本戦出場者だぞ﹂ ﹁は・・・?﹂ 大会スタッフは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして僕を見る。 この反応は想定の範囲内です。 ﹁あっ、これ、ギルドカードです。僕みたいな低ランクのカードを 偽造する人は居ないでしょうし身分証明書代わりにはなると思いま す﹂ スタッフの人がカードを見る。僕を見る。カードを見る。・・・そ して再び僕を見る。 ﹁いつまでじろじろと見ているのだ?﹂ ﹁す、すいません。ちょっと驚いてしまって・・・。間違いなく本 人ですね、ギルドカードはお返しします﹂ 208 ﹁通っても良いですか?﹂ カードを受け取り、バッグにしまってから尋ねるともうスタッフの 人は平常心に戻っていた。 どこかのギルドのオペレーターとは違うね。 ﹁はい、どうぞ。専用の場所が用意されていますので、右手側の階 段を上がって3階へどうぞ。そこからは看板がありますのでそちら をご利用下さい﹂ ﹁わかりました﹂ 会場へつながる廊下には、当然ながら蛍光灯なんてものは無いので あまり明るくは無い、と思っていたのだが外壁に巨大なアーチを使 ったり、採光用窓︵ガラスが嵌っていないので採光用穴かもしれな い︶を用意しているために意外と明るい。 階段を上がり、武技大会関係者用という文字列と矢印の書いた看板 を頼りに会場へ。 ﹁凄い・・・な﹂ それは凄まじい光景だった。 およそ奥行き200m、幅150mくらいの卵型の会場は大量の人 で埋まっていて空席が見当たらない。 人数はあまりにも多くて正確にはわからないが、3,4万人ぐらい だと思う。 ・・・ひょっとするとローマのコロッセウムより大きいかもしれな い。よく分からなくなってきちゃった。 直射日光を避けることが出来るように客席には布製の屋根が張られ 209 ていて非常に快適。 単に人の入る会場を作ったというだけでなくアメニティにも気を使 っているとはなんと素晴らしいのだろう。 ﹁少し遠いな﹂ ﹁まあ無料だしね﹂ 関係者用の観戦スペースは若干端のほうに位置していて、試合の行 われている会場まで50m近くあるので少し見辛い。 それでも周りの観客たちはわーわーと周辺に喧騒と熱気を振りまい ているのでおそらく楽しめているようだ。 僕としては出来ればオペラグラスでも・・・ってそうだあるじゃん。 エルには何時もお世話になっているし、喜んでくれるといいのだが。 ﹁エル、今から両目の視界が拡大されるからちょっと注意してね﹂ ﹁そんなことが出来るのかっ!?﹂ ﹁うん、僕だけ楽しむんじゃ申し訳ないし、多分エルの視界も調整 できると思う﹂ どうせ外部に影響が出るような魔術じゃないし、杖は使わずに意識 を集中。 対象はエルと僕。 イメージするのは双眼鏡。 指を鳴らしてスイッチON、もう一回でスイッチOFF。 ・・・よし、準備OK。 魔力を外に流して指を鳴らすと予定通り魔術が発動、視界がおよそ 5倍程度まで拡大されて試合が良く見えるようになる。 210 ﹁おおっ! 相変わらず主は無茶が利くのだな﹂ ﹁イメージの限りなら結構いろいろ出来るみたいだよ﹂ 光源が無い環境下でもわずかに反射する光を増幅して暗闇で活動し たり、熱源をもとに視界を取得することなんかも出来るかもしれな い。 ﹁凄いな、彼らは戦闘のプロだ﹂ ﹁確かに凄いな。剣が生き物みたいだぞ﹂ 今戦っているのは長剣を振るう重戦士、全身にアーマーを着ており なんとも威圧感があっておっかない。 対する相手は軽装の魔術師で、長い杖を振って魔力障壁を展開して 相手の剣を弾いたり避けたりして、たまに攻撃魔術を放って攻撃し ているようだ。 重戦士が剣を振るったり、魔術師が何か攻撃的な魔術を使うたびに 歓声が上がる。 僕もエルも剣による戦闘に詳しいわけではないが、それでも振り方 が洗練されていて無駄が無いことくらいわかる。 全体的に見ると徐々に魔術師が押されているような印象を受けるが、 もともと遠距離型の魔術師がこんな面と向かってヨーイドンな試合 でマトモに戦えている時点で凄いと思う。 というか全身にアーマーを着込んだ人間に非殺傷の魔術でどうやっ てダメージを与えればいいんだろう。これ、反則じゃね? 211 ﹁ねえ、全身にアーマーを着込んでいたら勝ち目無くない?﹂ ﹁そんなこと無いぞ、斬撃は防げても衝撃自体は防げない以上ダメ ージは通る﹂ ﹁んな無茶な・・・﹂ そうこうしているうちに重戦士がラッシュを掛ける。 右へ一振り、左へ一振り。 魔術師は素早く魔力障壁で弾いては居るものの徐々に後退している。 あと少しでリングアウトだ。 ﹁あー、決まっちゃうかな﹂ ﹁押されておるな﹂ ぎりぎりまで魔術師が押されて、決まったかな、と思った瞬間だっ た。 魔術師が魔力障壁を展開したまま突撃、くるりと重戦士の裏に回っ て攻守逆転。 重戦士はラッシュによる体力の消耗で鎧が重いのかちょっと反応が 遅れている。 もちろん反応が遅れているといっても数秒も時間は掛かっていない。 それでも魔術師には十分すぎる時間だ。 大き目の魔術の発動の結果大気が揺れ、緑色のエネルギーの塊が重 戦士に直撃。 貫通能力は低そうだったので確かに殺傷力は無いと思うが衝撃は十 分にあったらしく重戦士がふらついて後退する。 今戦っているのはリングの端、そんな場所で後退すれば当然︱︱︱ リングアウトだ。 212 会場は凄まじい歓声で包まれた。 ギリギリまで押された状態での一瞬での逆転劇。 観客を興奮させるには十分なものだった。 僕だってもちろん興奮している。 やはり僕も日本人なので牛若丸よろしく重武装の人間をひらりと倒 す様にはあこがれるものがあるのだ。 ﹁勝者はギリギリからの一瞬で勝利を掴んだぁっ! ヘルミ・ロン ドバーグだぁぁぁぁぁああああああ!!!!﹂ なにか魔術を使っているのか会場全体に審判の声が響き渡る。 そして会場は再び耳を覆わんばかりの大歓声。ちょっとうるさい。 ﹃凄かったねー﹄ ﹃久しぶりに手に汗を握ってしまったな、知らぬ者同士の試合でこ うなのだから主の試合が楽しみだぞ。周りの観客たちと同じように 妾もきっと声を抑えられぬだろうな﹄ あー、そうだった・・・。 試合に見入ってしまって完全に忘れていたけど僕ってコレに参加な んだよね。 でも、あの分だと意外と何とかなるかもしれない。 重戦士も魔術師もそうだったけどミリアさんほどの速度じゃないの で十分に目で追える。 もちろん攻撃が認識できるからといって対応できるかとは別問題な のだけど、それでも無抵抗にやられてしまう心配だけはなさそうだ。 仮に負けてしまったとしても、エルに申し訳くらいは立ちそうかな。 213 ﹁あー、うん、まあ頑張るよ﹂ ﹁そうだぞ、なんといっても妾の主なのだからな﹂ ◆ それから5試合を観戦して本日の試合は全て終了。 その全てが見ごたえのある試合で非常に面白かった。 ﹁来て良かった、帰り道のこの人ごみに目を瞑ればだけど﹂ ﹁多分それはあきらめるべき内容だと思うのだが・・・。それより も妾はお腹が減ったぞ﹂ 行きの段階であの人ごみだったのだから帰り道だって混むことくら いは予想してた。 ただ、これは異常だろう・・・。人波に乗ると帰ってこれないぞ、 たぶん。 幸いエルがご飯を要求しているし、どこかの屋台で時間を潰してし まうか。 ﹁屋台は結構種類がありそうだけど、なにか食べたいものとかある ?﹂ ﹁この人ごみだし、探すのは面倒だから近いところで良いぞ﹂ ﹁おっけ、じゃああそこにしよっか﹂ 僕が指した先には串焼きの屋台。 214 こちらの世界では初めて入るので結構楽しみかな。 ﹁こんばんは﹂ ﹁イラッシャイ! そこに席があるから座ってくれ。飲み物はどう する?﹂ ﹁適当にお勧めでお願いします﹂ よいしょとイスに座りメニューを拝見。 ・・・毎回のことながら不明なものばかり、知ってるのはホロワ鳥 の串くらいか。 かなり不思議に思ってることなんだけど、僕のところだと肉といえ ば牛か豚か鶏の3種類。 ほかにもいのししや熊、鹿など肉の種類は少なくないが常食されて いない。 この世界では常食される肉の種類がめちゃくちゃ多い。いろいろ楽 しいからいいけど名前を覚えるのは無理かもしれない。 若干淡白な味わいながら歯ごたえがとてもよいホロワ鳥のモモ肉な どは僕のお気に入り。 とりあえずコレの串は確定。 コレ っていうのはある?﹂ あとは・・・そうだな、エル次第かな。 ﹁エルは何か ﹁うーむ・・・。ウダエの串があれば後はなんでも良いぞ﹂ ﹁おっけ。すいません、注文良いですか?﹂ ﹁おう、なんにする?﹂ 言葉遣いはちょっと荒いが人の良さそうな30くらいのオヤジさん に串を注文。 215 ホロワ鳥とウダエの串以外は適当に頼みますというととても嬉しそ うに対応してくれた。 ﹁串のほうもすぐに焼きあがるから先に飲み物でも飲んで待ってて くれ﹂ ﹁ありがとうございます﹂﹁ありがとう﹂ テーブルに置かれたのはビールのような飲み物。 入れ物がグラスじゃなくて灰色の陶器なので色がよく分からないが、 多分赤っぽい。 ﹁主、これは酒だぞ﹂ ﹁こういうとこだし、普通ジュースは出ないでしょ。それに僕らは ちゃんと成人してるんだから大丈夫だよ﹂ カップに注がれた酒を一口飲んでみると予想通りビールっぽい味な のだが、その次に来るのは酸味と甘み。ベルビュークリークなどの チェリービールが近しい味だと思う。 ヒューガルデンホワイトやベルビュークリークみたいなタイプのビ ールは日本だとやや女性向けの扱いであまり好んで飲む男性は居な いらしいが僕は結構好き。 クリーミーな泡と華やかな果物の香りが嗅覚と味覚を同時に刺激し て大変美味しいのだ。 やや甘めなので串にはちょっと合わないところがあるかもしれない が、食前酒としては最良かな。 ﹁そういえばお酒飲むのってこっち来てから初めてだ﹂ ﹁そうだな、てっきり主は呑めないと思っていたぞ﹂ ﹁結構好きなんだけど今まで機会がなかったんだよね。比較的高い 216 しさ﹂ エルがリスのようにカップを両手で持って呑む姿を堪能しつつ僕も ぐいっと二口。 うん、このビール美味いな。 いまさら気づいたけどちゃんと冷えてるし。魔術万歳。 ﹁いい呑みっぷりじゃないか、串も美味いぞ﹂ 楽しそうな表情の店主がそういって4本の串をテーブルに並べる。 日本の串焼き屋や焼き鳥屋の串と違い、一本一本のボリュームが凄 まじい。 ちょうど高速道路のサービスエリアで食べられるような大きさ。 出来上がりを見るとどれがどの肉だかはさっぱりわからないが、一 番近い串を一つとってバクリ。 外側はきっちりと焼き上げられているのだが中央部は少し生に近く、 噛むごとに肉の脂とうまみが口の中に広がり大変美味しい。 やや塩気が強いが、ビールとあわせていただくとソレがまたちょう ど良い感じだ。 ﹁お酒を一つ下さい。出来れば同じような感じで甘くないのがあれ ばいいのですが﹂ ﹁二つだ、妾も呑むぞ﹂ ﹁いいね、いいのがあるぞ﹂ すぐさま新しいビールが注がれて僕の前に。 一口飲むと先ほどのものと違って日本のビールに近い味わいで、苦 味が強調されているのだがのど越しがよく串との相性が非常に良い。 217 先ほどと違う串を手にとってバクリ。 やや淡白な味わいの中に見え隠れするさらりとしたうまみ。 先ほどの肉と違って脂がじゅわっと出るようなことは無いが、これ はこれで美味しい。 ﹁美味いなぁ﹂ ﹁そうだな﹂ ﹁明日は武技大会だけど、思わず忘れちゃいそうだよ﹂ ﹁・・・明日に残るほど呑むのはだめだからな﹂ エルに窘められた気がするが、こう美味いものが出てきちゃったら どうしようもないでしょ。 ﹁喜んでもらって何よりだ。さあ、満足するまで食っていってくれ﹂ ﹁いただきます﹂ ﹁主、聞いているのかっ!﹂ ﹁聞こえてるし大丈夫だよ、コレくらいじゃ酔っ払ったりしないか ら﹂ 明日、頑張らなきゃなぁ。 エルはこちらをジト目で見てくるし、負けたらお酒禁止令とかでち ゃうかもだしね。 218 6 ああ、ついにこの日がやってきてしまった。 今日は武技大会二日目、つまり僕の出場日である。 会場を見上げて憂鬱な僕と楽しそうなエル。 何故にこの精霊はこんなに楽しげな表情なのだろう。 なんというか、こう、戦いに赴くパートナーに対する心配とゆーか そういうのはないのか? ﹁そういえばなんで僕が本戦に出るのが楽しみなの?﹂ ﹁主のとこと違ってこちらは娯楽が少ないのだ。そんな中でほとん ど唯一と言っても良いくらいの巨大なお祭りである武技大会に主が 出場者としているのだぞ? 楽しみにならないわけがないっ!﹂ 巨大イベントにかける心意気ってことなのかな? 納得できるよーなできないよーな。 ﹁楽しみにしているからな? 妾は主のカッコいいところが見たい ぞ﹂ ﹁・・・期待に沿えるようなるたけ頑張るよ﹂ 昨日と同じスタッフの人に挨拶をしつつ入り口を通過。 会場には本戦出場者用の案内看板がでかでかと置かれているので道 に迷う心配は無い。 観戦場所もそうだったけど、なんてユーザフレンドリーな仕様なん だろう。 この世界のこういうところは非常に素晴らしいと思う。 219 ﹁あ、そうだ﹂ ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁バッグを持っててもらってもいい? さすがに試合中に背負って るわけには行かないし、全財産がそこに詰まっている以上置いてい くのは怖すぎる﹂ ﹁うむ、了解だぞ﹂ 僕は半銀貨を一枚だけ取り出してからバッグをエルに渡す。 エルはさっとバッグを肩にかけてからくるりと回る。 ﹁どうだ、似合っているか?﹂ ﹁ばっちりだよ﹂ 僕の言葉に満足げな表情のエルを見ながら廊下を歩いて控え室の前 へ。 ﹁じゃあ一旦ここで別れようか。お金は銀貨1枚の範囲でなら自由 に使ってくれて構わないから﹂ ﹁わかった。妾は観客席で応援しているぞ﹂ ﹁ありがと、頑張るよ﹂ エルが階段を上っていくのを見送ってから僕は控え室の中に入る。 控え室の中は既に何人かの参加者が待機していてなんともピリピリ とした空気が辺りに漂う。 ああ・・・胃が痛くなってきた・・・。 遅くとも数時間後にはこんな剣呑な雰囲気をあたりに撒き散らすよ うな人たちのうちの誰かと戦わなくちゃいけないのか。 エルには頑張ると言った手前できないけどさ、可能なら今すぐ帰り 220 たい。 一番端のイスに小さく座って待つこと30分くらいだと思う。 ようやくスタッフの人がやってきてルールの説明を開始するが、一 度聞いた話なので全く面白みが無い。 要するに殺しは禁止ですよっていうのを念押ししているんだけど、 そんなことは百も承知である。 ふっと周りを見れば今日の参加者である16人が揃っていて驚いた。 人がこんなに増えているのにも関わらずそれに気がつかないなんて・ ・・。 どうやら僕は自分で思っているよりも周りの雰囲気に呑まれている らしい。 どうしたら落ち着けるかな、このままだときっとまともに戦うこと すらままならないぞ。 あまりに間抜けな試合運びをしてしまったらなんだかんだ僕を買っ てくれているエルが悲しむ。 それだけはなんとか避けたいところなんだけど。 ﹁︱︱︱トさん、ユートさん。聞いていますか?﹂ ﹁え? ああ、すいません、ちょっとボケッとしてました。なんで しょうか?﹂ ﹁ユートさんとスイークさんの試合は2番目です。よろしいですか ?﹂ ﹁あ、はい。了解です﹂ だぁぁぁぁ。 完全にやられてるよ。 思考がどつぼに嵌って周りが見えてない。 221 時おり聞こえる笑い声はきっと今の僕の醜態によるものだろう。恥 ずかしすぎる! それから僕はただでさえ小さく座っていたにもかかわらず、余計に 小さくなって待機。 ああ、早く出番よ来てくれ。恥ずかしくて死にそうだ・・・。 ◆ 小さく縮こまって待機すること1時間弱。 一試合目が終わり、ついに僕の出番がやってくる。 対戦相手のスイークさんはうらやましいことに身長が180センチ 以上、彫りの深い顔には青い瞳。同じ色の髪は短く整えられていて、 身に纏う雰囲気はエライ渋くてかっこいい。 扱う武器はその身長より長い槍。 シンプルながら金属製のそれは殺しに最適化されているようでなん とも物騒。 そんな大型で重そうな武器の割りに防具のほうは比較的軽装で、皮 と金属で作られた胸当てと前腕につけている金属製の籠手くらいし かない。 対する僕は知っての通りの普段着。 武器は短い杖が一本、防具にいたっては軽装どころか何も無い。 ・・・およそ武技大会に参加する服装と装備ではない。 222 傍から見たら そうだ。 あいつは試合を舐めてるのか? などと思われてい ﹁さあ、両者揃ったところで紹介と参りましょう!﹂ 相変わらず不明な魔術を使っているので会場全体に声が響き渡る。 頼むから僕の紹介はさらっと流してくれ。 しっかり語られたところで待っているのは笑いくらいしかないのが 目に見えてるってば。 ﹁まずはスイーク・カンディア選手だっ! 冒険者ギルドに所属す るスイーク選手はギルド内でも有数の実力者! 自らの身長より長 い槍を自在に操り数々の危機を乗り越えてきた選手です。今回の試 合でもその力を存分に発揮して皆様を興奮の渦に巻き込んでくれる ことでしょう!﹂ うわー、ギルド内で有数の実力者だってさ。 こりゃしんどいかもしれないぞ。 ただ、取り回しの悪い武器を使っているので十分に接近すればなん とかなる、かなぁ・・・。 ﹁対する相手はユート・カンザキ選手。聞き慣れぬ名前だと皆様も お思いでしょうかそれもそのはず、彼は今大会が初出場となります。 経歴、経験は一切不明。ですがここに立っている以上相当の実力を 保持していると見てもよいのでしょう!﹂ ﹃主! 主! 頑張るのだぞ!﹄ ﹃あはは、怪我しない程度にね﹄ ﹁両者準備はよろしいでしょうか! それでは武技大会二日目第二 223 試合︱︱﹂ 審判の人が手に持った黄色い旗を振り上げる。 準備がよろしくない場合この人はどんな対応をするつもりなのだろ う。 微妙に気になるところではあるけど、残念ながらその時間はなさそ うだ。 ﹁︱︱始めっ!!﹂ スイークさんは審判の声と同時にこちらに突撃。 そりゃどう見ても魔術師の僕と距離を置こうとは思わないか。 こちらへ走る速度はやや鈍重というところがあるが、あのやたらに 大きい槍を持っていることを考えればかなり早い。 さて、本来なら氷柱でも撃ち込んでおきたいところだけども仕様上 の問題でそれは御法度。 相手の武器は槍だし、接近すれば使いにくいだろうからとりあえず は突っ込んでみるか。 現在の相手との距離はおよそ3m程度。 全力で飛べばスタンロッドの射程圏内までワンステップで届く。 先手必勝って言葉もあるし、僕はスタンロッドを構えつつステップ イン。 そのままスイークさんを無力化するつもりで横なぎに振るうが、石 突の側を器用に使って受け流されてしまう。 さすがに最小出力だと武器に当てただけで相手を感電ってワケには いかないか。 224 もちろん最高出力にすればそれも余裕で実現できるのだろうけど、 そんなことをしてもし皮膚に当ててしまったらその時点で僕が失格 になるのは間違いない。 こんなところで人殺しや大怪我とかは勘弁こうむる。 僕の攻撃を受け流したスイークさんが後退しつつくるりと器用に回 って槍を振るう。 遠心力で十分に加速された槍による薙ぎ払いは広い範囲に対して十 分な殺傷能力を誇っており、受ける僕からしてみたら洒落にならな い。 ﹁うわっ!﹂ あわてて魔力障壁を展開してそれを受けるが、少し体が浮く。 信じられないことに魔力障壁の衝撃緩衝能力を上回るほどの衝撃だ ったらしい。 ・・・いや、ちょっと待て、こんなものをクリーンヒットした日に ゃ複雑骨折と内臓破裂であの世行きだぞ。仮に首に当たってたら文 字通り首が飛んでる。 武技大会で事故! 安全管理に問題は無かっ ポロリもあるよ か?︶ っていうテロップと同時に現場の映像が流れるに違いな 翌日のニュースでは たのか? い。︵もしくは ともかく文句の一言でも言ってやろう。 ﹁殺す気ですかっ!﹂ 言った、言ってやった。 ここが武技大会ってことも忘れて思いっきり。 あ、集中力が途切れたからスタンロッドが消えた。 225 ﹁おいおい、真正面から魔力障壁で弾いた奴がいうセリフじゃない ぞ﹂ ﹁そういう問題じゃありません﹂ ﹁そういう問題だろう? 俺は楽しい。真正面から俺の一撃を受け 止めるような奴を見たのは久しぶりだ。・・・全力で行かせて貰う ぞ﹂ 今の一撃は全力じゃないのか!? じょ、冗談じゃ・・・。 エルには怪我をしない程度に頑張ると言ったし、こんなとこで怪我 なんてしてられないぞ。 やってられないのでスタンロッドを再展開してスイークさんの方へ 切り込む。 先ほどと同じように器用に石突を使ってそれをかわしてくるが、今 度は後ろに逃がさない。 右へ薙ぎ、突き、さらに一歩近づいてからすくい上げるように左斜 め下から右上に叩きつける。 さらに最後の打撃の際の勢いを利用して相手のすねを蹴りつけるが、 残念ながらいずれの攻撃も有効打となることはなくて全て受け流さ れる。 おまけに最後の蹴りの隙を突かれて距離を取られてしまった。 身体能力に物を云わせての攻撃で技の欠片も無いからこういう結果 になるんだろうなぁ。 ﹁やるな、その年齢からは想像も出来ん。今度はこちらの番だ﹂ わざわざ喋ってから攻撃に移るあたり本当に楽しんでやっているら 226 しい。 表情も凄く楽しそうで、僕からすればおっかないことこの上ない。 そんな恐怖の笑顔のまま振りぬかれた槍を魔力障壁で受け流す。 先ほどとは違って斜めに弾いてやるので体が浮くようなことはない。 それでも衝撃が腕に伝わって来るあたりとんでもない威力なのがよ くわかる。 次々と振るわれる槍をなんとか斜めに弾いて受け流す。 たまに突いてくるので、それはスタンロッドで弾いてから体をステ ップさせることで避ける。 剣と剣で戦った場合はお互いが打ち合うサッカーのような試合にな るんだろうけど、近接戦闘に向いたスタンロッドと中距離戦闘に向 いた槍の場合は武器の特性の都合、どちらかが攻撃に入りだすとそ れを逆転するのが難しい。まるで野球のようだ。 それでもあんな金属製の槍を振り回せば当然疲れる。 一体何合受け流したのかもわからないくらいだけど、徐々に槍を振 るうスピードが落ちてきてるのは間違いない。 ﹁はぁ・・・・はぁ・・・。想像以上だな・・・﹂ ﹁一撃でも貰ったら死んでしまいそうですし、僕としては生きた心 地がしないのですが﹂ ﹁息も、切らしてないのに、よく言う・・・。だが、これからだっ !﹂ 突然、スイークさんの速度が上がる。 速度だけ見たら最初よりも明らかに早い。 227 ﹃主! 相手は生命力を使って身体能力を強化しているぞ﹄ ﹃それってまずくない? 放置したら死んじゃうんじゃないの?﹄ ﹃いや、明日の筋肉痛が酷くなるくらいだな﹄ ﹃・・・そうなんだ﹄ 一瞬スイークさんの心配をしたんだけど、凄く損した気分になった。 まあここまでやらなかったくらいだ、あまり持続しないとかそうい う別の問題もあるんだろう。 つまり、ここさえ乗り切れば勝てる。 足元目掛けた高速の横薙ぎを下に弾いてから跳んで避け、続けての 突きの乱打はそれぞれを冷静にスタンロッドで弾く。 遠心力を利用した袈裟切りは弾くのが難しいのでまっすぐ垂直に魔 力障壁を展開して受けると同時にバックステップで受け流す。 後ろに下がった僕に対して追撃を行うためにスイークさんがやや大 振り気味に槍で突く。 ・・・来た! ついに僕が待ち望んでいたタイミングがやってきた。 疲労で判断能力が下がったのか、らしくない大振りの一撃を受け流 しながら前進し、スイークさんの右肩にスタンロッドを押し付ける。 ﹁がぁっ・・・・!﹂ 全身の運動能力を一時的に無力化され、スイークさんは立っている ことすら困難でフィールドにしりもちをついてから動けない。 ﹁僕の勝ちですよね?﹂ ﹁ああ、降参だ﹂ 228 ややぎこちない感じの喋りだが、とりあえず僕もスイークさんも怪 我無しで終われてよかった。 しなくて良い怪我はしないに限る。 ﹁勝者は刃の嵐を乗り越え一瞬の隙を突いたユート・カンザキだぁ ぁぁあああああ!!!!﹂ フィールドの端で待機していた審判がこちらにやってきて僕の勝利 を宣言。 一瞬の静寂の後、次に来るのは熱狂的な歓声。 ふう、なんとか勝てた。これで次の試合に負けたとしてもエルに申 し訳くらいは立ちそうだ。 良かった良かった。 229 6︵後書き︶ ﹁そういえばさ、この世界の単位ってどんなのなの?﹂ ﹁単位? なんの単位が知りたいのだ?﹂ ﹁基本的にあれこれ全般なんだけどさ、特に時刻が知りたい。武技 大会で長時間待機してたんだけどこれが結構しんどくて・・・﹂ 何時 みたいな ﹁教えるといっても・・・、時刻については前に見せてもらった主 の腕時計と同じだぞ﹂ ﹁ありゃ、そうだったの? それにしてはあまり セリフを聞かないね﹂ ﹁それは当たり前だぞ。時計は高いし、およそ個人が持てるような ものではない。主のとこの道具はいつだって非常識だ﹂ ﹁じゃあどうやって時刻を知るのさ、概念だけあってもしょうがな いでしょ﹂ ﹁大体は教会の鐘だ、朝と昼と夕方に一度ずつ鳴るからそれで大体 の時間がわかるのだ﹂ ﹁・・・それってめちゃくちゃ不便じゃない?﹂ ﹁町に住む者たちからすればあまり不便は無いぞ、ただ、妾たちの ように冒険者は待ち合わせが多いから不便に感じることが多いだけ だ﹂ ﹁そ、そういうものなのかな﹂ ﹁そういうものだぞ﹂ ﹁僕の個人的考えだと現在時刻が30分単位でわからないのはかな りのストレスなんだけど﹂ 230 ﹁主のとこは一体どれだけ時間に厳しいのだ? 妾からすればそれ はむちゃくちゃだぞ﹂ ﹁んー・・・。学校に一分遅刻したら大目玉食らうくらいかな﹂ ﹁そんなにか・・・。主のところは大変なのだな・・・﹂ ﹁そんなことないよ、遅刻する人なんてほとんどいないし慣れちゃ えば余裕だよ﹂ ﹁そ、そうなのか? 妾は朝が弱いしちょっと自信が無いぞ・・・﹂ 231 7 ﹃エルー、どこいるー?﹄ スタッフの人に明日の流れを聞いてからエルを探す。 時刻はお昼前には少し早いくらいの午前中。 もうあと一時間もすれば飲食店には長蛇の列が出来上がるだろう。 そんな中でお昼御飯を買うのは面倒極まりないのでとっととこの辺 りからは離脱しておきたい。 ﹃今観客席を出て階段を下りた辺りだ。主は今どこにいるのだ?﹄ ﹃ありゃー。まだ中にいたのか。こっちはもう外にいるから一度中 に戻ろうか﹄ ﹃こっちは混雑が凄くてまともに歩けぬ、妾が行くから主はそこで 待っていて欲しいぞ﹄ ﹃ん、なら今朝通った入り口の辺りで待ってるよ﹄ ﹃了解だぞ﹄ 外はまだあまり混雑というほどではないが、会場内の廊下はあまり 広くないのでスループットが比較的低い。 そんな状況なのにもかかわらず僕らを含む少し気の早い人たちが一 斉に動いているもんだから廊下が詰まってしまっているらしい。 僕は都内の通学ラッシュで押し合い圧し合いにある程度慣れている が、たぶんエルは慣れてないだろうししばらく掛かるかな。 来た道を戻り、会場入り口で待つこと5分弱。 綺麗な銀髪が人の波に溺れているのを発見、これを確保。 232 ﹁お疲れ、大変だったね﹂ ﹁大変だったぞ・・・窒息するかと思ったのだ・・・﹂ ﹁頑張ったエルに質問、お昼は何がいい?﹂ ﹁うーむ・・・お腹も減ったしなんだか戦ってもいないのに疲れた し肉々しいのが良いな﹂ ﹁おっけ、じゃあ早速探しに行こうか﹂ 会場周辺だけでなく、今の時間帯ならばそこかしこで飲食店が開い ている。 リクエストは肉々しい料理とのことなのでそれっぽいお店を探すこ と30分。 知らない町でどうやって探すんだって話なんだけど、コレには秘策 があるっ! 狙うのは看板に食肉の絵かステーキなどの肉々しい料理が描いてあ るお店だ。 ガルトでそうだったからこちらでもそうだと思うのだけど、肉料理 メインの店は看板が肉料理だったり食肉の絵だったりしてるのだ。 そういうお店は内に入るなり鉄板が置かれたカウンターが並んでい たり、もしくはベーコンやハムなどがギャフのようなもので吊るさ れたりしていて見ているだけでヨダレが出た。 当然料理も美味しかった。・・・ちょっと高かったけど。 もちろんほとんどの店で肉々しい料理︱︱例えば鳥のから揚げや肉 汁滴るビーフステーキなど︱︱の注文が可能だが、やはり専門店と それ以外ではかなり大きな味の差がある。 今回は試合にも勝てたし、どうせなら美味しいものが食べたいわけ 233 で。 ﹁お、あの店はどうだろう﹂ ﹁ここからでも香辛料と肉の焼ける良いにおいがするな。とてもお いしそうだぞ﹂ よし、今日のお昼はここで決定。 やや重そうだけど今日は既にかなり運動してるし大丈夫だろう。 ﹁こんにちは、二人なんですけど入れますか?﹂ ﹁こんちには∼。ぜんぜん大丈夫ですよ∼﹂ なんかぽやっとした女の人だな。 果たして大丈夫なんだろうか。 店内はやや落ち着いた雰囲気。 カラフルな装飾品などは少しも無くて基本的には茶色か黒なのだが、 壁のみが白でアクセントになっていてとてもゆっくりとした気分に なれる。 案内等は無かったので適当に角に座るとすぐにメニューを抱えて先 ほどの女性がやってくる。 なぜ抱えているのかというと、ここは紙で出来たメニューじゃなく て黒板に文字が書いてあるタイプなのだ。 これは当たりを引いた確率が高いぞ、黒板に文字ってことはその日 仕入れたもので美味い物を使うからこそなワケで。 こういうところではお任せにせずにこの黒板の料理を選ぶのが僕の 中での常識。 ﹁エルは何にする?﹂ 234 ﹁ん、本日の肉料理のセットでトーブベーコンとオレーシアのパス タにするぞ﹂ ﹁僕も本日の肉料理でお願いします。セットのパスタはボロネーゼ で﹂ ﹁かしこまりました∼﹂ そういってパタパタと戻るのを見送ると驚いた表情のエル。 ﹁主がお任せじゃないのは珍しいな﹂ ﹁いや、こういうところなら僕も選ぶよ。黒板ってことは毎日の仕 入れでよかったものを書いてるんだろうし。何よりこっちにもボロ ネーゼがあるとは思わなくて﹂ ﹁ん? 主のところにもボロネーゼはあるのか?﹂ ﹁あるよ。ひき肉メインのトマトソースなんだけどこれが凄く美味 しくてさ﹂ ﹁ひょっとしたら主のところと同じような料理かもしれないぞ。ト マトというのはちょっとよく分からないが、ひき肉メインのソース なのはこちらでも同じだ﹂ ﹁エルの一言で凄く楽しみになってきた﹂ ﹁お店もいい感じだし、きっと美味しいと思うぞ﹂ やや空腹に耐えつつ待つこと20分程度。 先に僕らのテーブルの上にやってきたのはパスタ。 エルの前に置かれたのはベーコンとレタスを塩ベースで味付けした であろうもの、若干にんにくの香りがするので後に残りそうだけど 実に美味しそう。 僕の前に置かれたのは確かにボロネーゼだった。・・・色が緑であ ることを除けば。 235 ﹁久しぶりにこのタイプのカルチャーショックに出会ったな・・・﹂ ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁僕の知ってるボロネーゼは赤いの、これは緑だから違和感が凄い んだよ。多分味は一緒だと思うんだけど・・・﹂ フォークを使って一口。 うん、確かにボロネーゼだ。 ひき肉のとソースのうまみが合わさって舌の上で絶妙なハーモニー を奏でる。 ・・・これは相当気合を入れてソフリットを作ったと思う。旨みが かなり強い。 パスタはやや細めのスパゲティで肉が絡みやすくなっていて大変よ ろしい。 湯で加減もちょうどアルデンテになっているので文句なし。 そういえばこっち来てからはじめてのパスタだ。 これ、もし乾麺なら旅行に持ってけるんじゃないか? 普通の冒険者たちは水の都合難しいだろうけど僕の場合関係ないし。 ︵どこかの軍隊は砂漠の真ん中で茹でたおかげで行動不能になった らしいが・・・︶ ﹁どうなのだ?﹂ ﹁やっぱ予想通りボロネーゼだった。美味い﹂ 見ればエルの目線はボロネーゼに集中。 ﹁ちょっと食べる?﹂ ﹁いいのかっ!﹂ 小皿にスパゲティを乗せて、スプーンでソースをすくってからエル 236 に渡すとニコニコしながらそれを食べつくす。 毎度思うけどこのエルの表情は料理人冥利に尽きると思う。 ﹁お待たせしました∼、本日の肉料理です∼﹂ ﹁ありがとうございます﹂ テーブルに置かれた肉はおよそ250g程度のサーロインで、霜が あるかは定かではないが見た感じ実にジューシーで素晴らしい。 料理を乗せているのも金属製のプレートで肉を冷まさないための配 慮があってとても嬉しい。 早速ナイフで肉を切って一口。 ﹁これは・・・美味しいぞ﹂ ﹁肉料理の中では今まで一番のヒットかもしれない﹂ サーロインの端は脂身と肉のバランスが一対一程度で脂が多めなの だが、舌の上でとろけるような味わいがソースと混ざり合って絶妙 な味わいになっている。 さすがに若干の脂っこさがあるので昼にはちょっと重いけどこれな ら食べきれそうだ。 ◆ 食べきっても大丈夫。そんな風に思っていたときが僕にもありまし た。 237 ﹁ちょっと食べ過ぎたかも知れない・・・﹂ ﹁うぇっぷ・・・﹂ ﹁エル、そういうのは女の子らしくないからやめたほうが良いよ﹂ ﹁そうはいうがな・・・少しボリュームが・・・﹂ 昨日のやや遅い朝食の後に暴食はやめようと思ったのに、次の日に はこの様である。 ややどころでは済まないほどに満腹になった僕らはお会計を済ませ て散歩がてら公園へ。 ちなみに代金は銅貨40枚、美味しかったから文句は無いけどかな り高かった。 腹ごなしのために歩こうと思って二人で公園に来たのだが、お腹が 重くてしょうがない。 結局ここまで来たのはいいけどこれ以上歩くのは困難でベンチに座 ってしまう。 ﹁もう絶対暴食なんてしないぞ・・・﹂ ﹁それは結構難しいことだと思うのだが﹂ ﹁いやでもほら、こんなに食べてばかりだと太っちゃうよ﹂ ﹁妾は食べたものを全て魔力に変換しているから大丈夫だ﹂ エヘンとエルが胸を張る。 ﹁・・・すっごい羨ましい体質だね、それ﹂ ﹁ただし、変換速度は決して速くないからこのようにふらふらにな るのは主と変わらぬがな・・・げぷ・・・﹂ ﹁大丈夫?﹂ 238 どう見ても大丈夫そうではないのだけど、こういうときは聞くのが お約束でしょう。 ﹁大丈夫だ・・・それよりも武技大会での主はかっこよかったぞ﹂ ﹁ありがと。試合は見てて楽しかった?﹂ ﹁最高だったぞっ! 主の最後の一撃は素晴らしいものだったのだ !・・・うぇっぷ﹂ ﹁あはは・・・。なんだかエルが僕に対してそこそこやれる的なこ とを言ってたけどさ、なるほど理解できたよ﹂ ﹁そうだぞ、主は主砲が使えなくとも強いのだ。もっと自信を持っ てもらいたいぞ﹂ ﹁主砲ってそれはまた強烈な表現だね。あながち間違ってないけど﹂ 個人的に思うのだが、最大の勝因は武器の重量差だったと思う。 相手の武器は最低でも10kgはあっただろうが、僕の武器は30 0gもない。 どちらの武器もクリーンヒットが一発決まれば相手を無力化できる 威力を持っているのに重量差は最低でも33倍もの開きがある。 これは圧倒的なアドバンテージだった。 ︵スイークさんの槍がフルにスチール製だったとしたら20kg弱 だけど、さすがにそこまでの重量があったとしたら人には振り回せ ないでしょ︶ この武器の差があったから体力的に有利に立ち回ることが出来た。 仮に僕が同様の武器を持っていたら同じかもっと早いタイミングで 息が切れていただろうし、重い武器ゆえに動きが遅れるから攻撃を 避けることすら出来なかった。 この辺が魔術師の強みだと思う。 239 武器も防具も超軽量、というより杖が攻防一体で僕の場合は300 g弱。 相手からしてみたら反則だっ!って叫びたくなると思う。 ・・・少なくとも僕が相手だったら叫んでた。 ﹁試合に関しては明日以降も頑張るとして。結局、一体なんで僕は 武技大会に参加することになったんだろうね﹂ ﹁カーディス殿の推薦を受けたからであろう?﹂ ﹁いや、そうなんだけどその推薦を受けた理由だよ。僕とカーディ スさんとの接点って考えてみても多くはないよ?﹂ ﹁そういえば戦闘能力を見せた場面なんてリーナの救出のときくら いしかないな﹂ ﹁そうなんだよ、いっつも薬草採取ばかりだったしね。仮に若干実 力が見えたとしてもミリアさんを含め実力がハッキリした人なんて いくらでもいるでしょ?﹂ 二人して頭をひねるが情報が少なすぎて仮説すら浮きやしない。 馬鹿の考えなんとやらだし、気分転換にジュースでも買ってくるか な。 ﹁ちょっとそこいらでジュースでも買ってくるよ。なにか欲しいの はある?﹂ ﹁ありがとう。主と同じのが良いぞ﹂ ﹁ん、了解﹂ ﹁そんなに泣くでない、きっと大丈夫だぞ﹂ ﹁グスッ・・・ヒック・・・ホント?﹂ 240 両手にカップを持ちながら先ほどまでいたベンチに戻るとなぜかエ ルが7,8歳の少女を慰めていた。 買い物の時間なんて10分も無かったんだけど一体その間に何があ った? ﹁どしたの?﹂ ﹁主が買い物に行ってすぐにこの子が現れたのだが、あまりにも泣 いているものだから見ていられなくて思わず声を掛けたら余計に泣 き出してしまってな・・・。ようやく落ち着いてきたところだ﹂ やや憔悴したような表情のエルを見るに、随分苦労したことがよく 分かる。 ﹁その原因ってわかった?﹂ ﹁ちゃんと聞き取れているかが微妙なのだが、どうもプレゼントで 貰ったヌイグルミを近所の悪ガキに取り上げられてしまったらしい。 で、どうしようもなくなって泣いていたみたいだ﹂ ﹁なるほど、了解﹂ 僕は思う限りなるべく安心感を与えられる笑顔を浮かべてから少女 のほうを向く。 ﹁こんにちは﹂ ﹁・・・ヒック・・・こんにちは﹂ クリッとした茶色の両目にいっぱいの涙を溜めながらの挨拶は精神 的に結構辛いものがある。 悪いことをしているわけでもないのに悪いことをしている気分にな るぞ。 241 ﹁ヌイグルミの場所ってわかるかな?﹂ こくん、と少女が肯く。 どうやら場所はわかるらしい、これならさくっと済みそうだ。 ﹁じゃあそこまで案内してもらっても良いかな?﹂ ﹁うん﹂ ゆっくりと歩く少女の後ろを歩くこと10分弱。 少女が指差す木の上には確かに猫っぽいヌイグルミが挟まっていた。 木はやや細いがなんとか登ることができそう。 というかあそこにヌイグルミが挟まっている以上実績があるので大 丈夫。 ﹁よし、やるか﹂ ﹁どうするのだ?﹂ ﹁木に登って取ってくる﹂ ﹁・・・大丈夫なのか? 登るにはいささか木が細いように思える のだが﹂ ﹁んー、多分大丈夫でしょ。仮に落ちても死ぬような高さじゃない しね。あ、ジュースは持ってててもらえる?﹂ ジュースをエルに渡し、地面にバッグを置いてから木登り開始。 有り余る身体能力をフルに生かしてするすると登りヌイグルミをゲ ット。 楽勝って思った瞬間。 ﹁あぶない!﹂ 足元からボキリという音。 242 続いて浮遊感、その次の瞬間には地面に不時着。 強烈な衝撃が全身に伝わって視界にノイズが走る。 イタタ・・・結構きついな・・・。 ﹁主! 大丈夫か!﹂ ﹁けほっ・・・。うん、大丈夫大丈夫。それよりもコレ﹂ ﹁お兄ちゃんありがとう!﹂ ヌイグルミを少女に渡すと今までの表情から一転、花が咲くような 笑顔に戻って凄く嬉しそうだ。 ﹁もう取られないように気をつけるんだよ﹂ ﹁うん、お兄ちゃん、お姉ちゃん。ありがとう! またね!﹂ ﹁またね﹂﹁またな﹂ 走り去る少女を見送ってから満足げな表情のエルと僕。 今日はきっと良い気分で眠れそうだ。 243 ソフリット:甘味野菜をオリーブオイルで炒めて飴色にした 7︵後書き︶ ※1 砂漠パスタはジョークです。弱小で有名なイタリア軍もさす もの。洋食の定番 ※2 がにそんなことはしてません。 244 8︵前書き︶ あれ? 変な時間に起きちゃったな。 時刻はよく分からないが、夜の帳があたりを包み込んでいるのでま だ深夜だろう。 寝なおせる時間なのか腕時計を確認しようとしたのだが、なぜか体 が動かない。 あ、金縛りか。 国内海外問わず旅行に行くと結構頻繁に発生していたし、今回のだ って広義に解釈すれば海外旅行みたいなものなんだからそりゃ金縛 りにもなるか。 毎回重いんだよ・・・。 金縛りの経験者はご存知だと思うけど、やたらに重いナニカが乗っ てきてプレスされるような独特の感覚があって地味ながら大変鬱陶 しい。 大抵の場合数分もこの状態を我慢すれば体が動くようになるので我 慢が何より重要だ。 だけど、いつもと違うものが視界の端に映る。 目を凝らして見ればそれは月の光で艶かしく光るナイフの刀身。 世界は全てが黒で染まっていて、唯一ナイフの刀身だけが白く煌く。 なぜかナイフを持つ人は見えない、そこだけが黒で塗りつぶされた 245 ようになっていて酷く不自然な光景が僕の目に映る。 ナイフを操る黒い塊はゆっくりと僕の上にまたがり、見せ付けるよ うにナイフを振り上げる。 ちょ、ちょ、おまっ・・・! ﹁うわっ!﹂ ガバッと布団をまくりながら上半身を跳ね上げる。 僕がいるのは王都の宿、隣を見れば小動物のように丸まったエルが 気持ち良さそうに眠っている。 狭い部屋の中を見回したところでナイフを持った不自然な黒い塊な んてどこにもいない。 ﹁あぁ、酷い夢だった・・・。はぁ・・・寝なおそ。まだ2時じゃ ないか・・・﹂ いくら治安が悪いこの世界だからといって、金縛り+ナイフを持っ た犯罪者の夢なんていうのは勘弁してもらいたい。 こんなのが続いたら不眠症になりかねないぞ。 246 8 武技大会三日目。 一度やってしまえばそれに新鮮味はなくなるし、どぎまぎすること もない。 僕は昨日とは打って変わって落ち着いた雰囲気を維持したまま控え 室で待機。 もちろん試合の順番が決まった時にもきっちり対応、同じ失敗を二 度しないことはこの世で生きるために何より重要だ。 今回の順番は三番目。 どうも無名の選手や予選を突破した選手は前のほうになる傾向があ るらしい。 三番目だとギリギリお昼前か、前二試合のタイミングによってはお 昼過ぎに開始となる。 四番目以降の場合はお昼の後が確定するので一度控え室から出て好 きに行動して良いみたいなのだけど、僕はぎりぎりそれが許可され ない順番だ。 なんて微妙なタイミングなんだろう。 周りを見るとぶつぶつと独り言を呟く魔術師の男性や目を閉じてじ っとする剣士などしかいなくておよそ世間話が出来るような雰囲気 ではない。 ちなみに今日の相手はこの独り言を呟く魔術師の男性。正直大分怖 い。 茶色の髪に整った顔立ちなのでしゃんとしてればかっこいいだろう 247 納期が・・・ や 今のうちに予定だけでも・・・ になにかに追われて憔悴しきった表情はかなり残念なことになって いる。 たまに聞こえる などの声から何かに追い詰められているのは間違いないのだけど そんな状態ならそもそもここに居るべきではないのではないかと思 ってしまう。 そんなわけで、僕のやる事といえばエルと念話して時間を潰すくら いだ。 ﹃主、体調は大丈夫か?﹄ ﹃どしたの急に?﹄ ﹃今朝の主の顔色は相当に悪かったのでな。まるで病気のようだっ たぞ﹄ ああ、やっぱ顔色は悪かったか。 っていうか病気のようってそれ土気色ってことだよね。 あれ? 結構やばくない? この良好な体調はダメージを知覚して ないだけか? ﹃いやね、ちょっと変な夢を見ちゃってさ。別に病気ってワケじゃ ないから大丈夫だよ﹄ ﹃夢って・・・一体どんな夢を見たのだ?﹄ ﹃殺されそうになる夢﹄ ﹃・・・・・・﹄ ﹃いや、ほんとだから﹄ 僕のことをジト目で見つめるエルの顔が容易に想像できる。 頼むからレスポンスを返してくれ。 248 ﹃主が無抵抗に殺されるようなことはありえないぞ、少なくとも妾 が気づくのだからな﹄ ﹃あはは・・・。ありがと。期待してるよ﹄ 嬉しいような悲しいような。 可能なら女の子に守られるのではなく、女の子を守りたいっていう のは贅沢なのかな。 ﹃うむ。任せて欲しいぞ。だからちょっと面白い話をしてくれ﹄ ﹃ん、ひょっとして暇な感じか。でもエルには武技大会があるし見 なくていいの?﹄ ﹃主が居ないと遠くてよく見えぬのだ﹄ ﹃そっか。うーん・・・じゃあ今回は僕の世界における近接武器の 歴史についてでどうだろう﹄ ﹃おおっ! それは面白そうだぞ﹄ 楽しそうなエルの声。掴みはばっちりのようだ。 よし、これで暇な時間の対処はばっちりだな。 長々とエルと雑談することおよそ2時間強。 時刻はお昼を食べるのにちょうど良い時間。 そういった時間帯なので昨日に比べて観客の数は少ないのではない かと思ったのだが、予想に反して昨日と変わらぬ超満員でどこにも 空席が見当たらない。 パ・リーグの野球選手辺りが見たら号泣するのではなかろうか。 ﹁さあ、両者揃ったところで紹介と参りましょう!﹂ 249 昨日と同じセリフ。 僕にしろ相手にしろ一度説明されているだろうにまた説明するのか。 特に必要性を感じないのだけど、これがこの世界の様式美って奴な のかな。 ﹁まずはユート・カンザキ選手だ。魔術師らしからぬ身体能力で魔 剣を振るい、非常に高出力な魔力障壁で鉄壁の守りを見せるちょっ と変わった魔術師だ。この試合でもきっと皆様を驚かせるような戦 いを見せてくれるでしょう!﹂ あ、ちょっと内容が変わった。 さすがにでもこれ以上は変わらないかな。やること一緒だし。 ﹁対する相手はユリス・カルシック選手だ。こちらは正統派の魔術 師でなんと23歳の若さで宮廷魔術師の新人として活躍しています ! 一発の攻撃の重さは無いものの多数の魔術を効率よく使うその 戦闘スタイルには目を見張るものがあり、一瞬たりとも目が離せま せん!﹂ 戦闘向けの比較的長い杖を持ったユリスさんは先ほどから相変わら ずうつむきながらボソボソと何かを呟いている。 周りの喧騒で上手く聞き取ることが出来ないが、少なくともプラス 思考な呟きでないことくらいはさすがの僕にもわかる。 ﹁さあ! それでは武技大会三日目第三試合・・・始めっ!!﹂ 開始と同時に突撃するが、ぞわっとした感覚が背筋に走る。 慌てて右にステップアウトするとほとんど同じタイミングで足元か ら火柱が吹き上がり、辺りに炎を撒き散らす。 250 続いて正面から飛来する氷の礫を魔力障壁を使って真正面から受け 止め、さらに飛んできた火球を潜り抜けるように前進してユリスさ んとの距離を詰める。 ほとんどタイムラグ無しで次々に魔術が飛んでくるので休む暇がな い。 先ほどの魔術を受け止めた感じ一撃でダウンというほどのダメージ は負わない程度の威力だが、全て避けきるのはちょっと難しいかも しれない。 おまけにこういう魔術師ってもっと大きな声でキーワードを叫んで くれると思ったのに、ボソッとした呟きで発動するもんだから見て からじゃないと避けようがない。 ユリスさんが振るう長い杖に果たしてどれだけの種類の魔術が格納 されているのかはわからないが、このまま初めての魔術を連発され ると結構つらい。 火球を潜り抜けるように突撃したのはいいけど足元から出力される 氷の刃にたたらを踏んでるうちに再び距離を取られた。 今の距離は開始時から少しだけ離れて大体15m程度。 距離を縮めるどころか離れちゃったよ。 ﹁僕はこんなところで負けられない! 負けたらボーナスが無くな っちゃうんだぁぁ!﹂ 今、悲痛な叫びが聞こえた。 給料どころかボーナスが飛ぶって一体なにがあったんだろう。 251 しかし、悲痛な叫びと同時に複数の火球が発生してこちらに向かっ てくる。 え? それ、発動キーワードなの・・・? 慌てて魔力障壁を再展開して火球を防ぐが、再びゾクリとした感覚。 背後で発生したそれに反応したときにはもう全てが遅かった。 避けようがないタイミングで発動した魔術は強烈な衝撃波を辺りに 撒き散らして僕を吹き飛ばす。 ﹁けほっ・・・﹂ どういう手品を使ったのかはさっぱりわからないがどうも僕の背後 で魔術を炸裂させたらしい。 幸い威力は低かったのでやや脳が揺さぶられたくらいで今後の戦闘 に支障はない。 正面からの火球は防げているのでよかった。 アレは直撃したらちょっと不味いことになったと思う。 魔力障壁を全方位に展開しながら進むのは強度的な問題で結構厳し いし、その内側で魔術を炸裂されたら目も当てられない。 止めといわんばかりの氷の礫をごろごろ転がって避けつつ立ち上が りステップイン。 これはあれだ、全部の攻撃を避けるのはあきらめよう。 被弾したら決定打になりそうなやつだけ弾いて突撃、後は野となれ 山となれだ。 先ほどの魔術が直撃したのに突撃してくる僕に驚いたのかやや慌て たような様子で火球を放つが、精度が甘いので何をするまでもなく 252 命中しない。 すっころんだ際に消えてしまったスタンロッドを再展開してから杖 を横に一振り。 向こうは僕のことを知っているのかやや余裕を持って弾かれてしま うがそれでも構わない。 こういうときは何より距離を取られないようにするのが重要だ。 対戦ゲームなどでは自分のレンジで戦うことが非常に重要だったが、 それは現実でも変わらない。 ユリスさんはちょっと戦ってみた感じミッドレンジで効率的な戦闘 行動を行うことが出来る。 僕はもちろん1m以内のショートレンジだ。 だから一回近づいたら離されちゃだめだ。 この距離で全ての魔術を全て捌くのは事実上不可能だと言ってもい い。 つまり、相手が魔力障壁を展開しながら他の魔術を扱える場合それ を避けきるのがかなり困難ということ。 新人とはいえ相手は宮廷魔術師だ。たぶんそれくらいはやってのけ るだろう。 それでも距離を取られたら手がつけられないし、お互い消耗が少な い場合一方的に叩かれるので先に僕の精神がやられかねない。 それにこの距離なら爆発系の魔術は自爆するから使えない。 ダメージは最小限に抑えられるはず。 やや適当気味に右へ左へとスタンロッドを振るう。 割とサクサクと弾かれるが、ユリスさんの顔からは明らかに余裕が 253 消えている。 ﹁氷の礫よっ!﹂ ステップアウトしながらの魔術は予想通り殺傷能力が極めて低い氷 の礫。 だけど予備動作のない魔術が複数発同時に発動されればそれを避け きるのは困難。 右手の辺りにやっつけで展開した魔力障壁を使って決定打となりえ る頭部と鳩尾への直撃を防ぎ、左肩への直撃は甘んじて受けるが距 離は取らせない。 ・・・イタイ。 だけどこれでいける。 ユリスさんは僕が距離を取ってからしっかり防ぐと思っていたのだ ろう。 今のユリスさんは次弾装填のために魔力障壁を展開していないから いまさら間に合わないし、間に合わさせるつもりもない。 ﹁かはっ・・・﹂ 僕の振るった横なぎの一閃は薄皮のような魔力障壁を一瞬で食い破 り、わき腹辺りに命中。 ユリスさんはそのままぐらりと崩れ落ちる。 よし! これでベスト8進出決定だ。 確かコレ以降は負けたとしても賞金が出るはず。 なんだかんだこの大会に参加できたのはラッキーだったかもしれな いなぁ。 254 ◆ ﹁武技大会第二回戦勝ち抜きおめでとうございます。少々お怪我を なさっているようですので治療術師を用意してあります。こちらへ﹂ ﹁ありがとうございます﹂ 控え室に戻るとすぐにスタッフの人の声。 どうも左肩の怪我を治してくれるらしい。 そういえばこの世界に来て初めての怪我だ。 未だにアドレナリンが出ているのか痛みはそれほどでもないが、ほ っとくと多分痛くなるのでこのサービスは結構嬉しい。 控え室の隣のカーテンで区切られたスペースに入ると緑色のローブ の男性が待っていた。 30に満たないくらいの年齢の男性は僕と同じような短い杖を持っ ていて、およそ治療術師という言葉のイメージからはかけ離れた鋭 い眼光で僕を見る。 もっともそのイメージは僕が勝手に持っているものなので、この世 界の常識的にはこういうものなのかもしれないけど。 ﹁さて、ちょっと肩を見せてもらいたいから服を脱いでもらっても いいかな﹂ ﹁わかりました﹂ ジャケットとシャツを脱いでから男性の前に立つと肩をむんずとつ 255 かまれる。 ﹁あたたたたたた・・・。ちょっとちょっと。イキナリなにするん ですか!?﹂ ﹁すまない。ほとんど後が残ってないな。痛みがないかと思って確 認のため掴んでみたのだが﹂ ﹁痛いに決まっているじゃないですか! そういうのはもうちょっ とゆっくりやってください!﹂ 脳内で痛みの信号がちかちかと点灯してまともに思考ができず、思 わず口調も荒れる。 全く、患部を鷲掴みとかなんてことしてくれるんだろう。 ﹁もうしないから安心してもらいたい。・・・といってももうつか まれても大丈夫になるがね﹂ 男性が杖の先端を肩に向けて一言なにかを呟くと杖の先端に緑色の 光が集まる。 緑色の光は杖の先端から肩へと流れていき、妙にあったかいような 気持ちいいような、まるで温泉にそこだけ浸かっているかのような 感覚がしてなんとも不思議だ。 ﹁もう大丈夫だろう?﹂ 再び肩をぐりっとつかまれる。 ﹁イタッ!・・・くない?﹂ ﹁そうだろうそうだろう﹂ いつの間にか男性の表情は悪戯っ子のような表情になっており、と 256 ても満足げだ。 ﹁これは・・・凄いですね。こんな経験は初めてです﹂ ﹁私はこれでも一流だからな。その他の治療術師と一緒にされては 困る。もう大丈夫だろうから帰ってくれて構わないぞ﹂ ﹁本当にありがとうございます。びっくりしました﹂ 治療術か・・・これ、凄いな。 僕にも扱えるのかな? 可能なら是非取得したい技術No1だよこ れ。 コレさえあれば料理の際のちょっとした切り傷ややけどなどを簡単 に治せるし、あのちくちくとしたストレスフルな時間から金輪際オ サラバできる。 そういえばエルも使えるみたいなことを前に言ってたし、ちょっと 相談してみようかな。 257 9 大会のせいで対して広くも無い道は超満員だが、少し歩いてしまえ ばいつもよりやや人が多いくらいだ、というのはエルの話。 実際会場から離れるように1kmも歩いてみれば町並みはかなり日 常に近づき、路肩では婦人の方々が世間話に花を咲かせてその周り を子供たちが走り回る。 そんな日常を謳歌する人々のためにあるような小さな噴水とベンチ、 そこで僕らはジュースを飲みながらだらけていた。 天気は晴天、日差しはほどほど、気温は最適。 どうでもいい話題やネタをだらだらと話すには最適だ。 ﹁それで治療術か﹂ ﹁そうなんだよ。何とかならないかな?﹂ ﹁なんとかといわれても魔術と治療術は根本から異なる技術だから 一から勉強するようだぞ﹂ ﹁魔術がさらっと使えたから治療術もいけるかなって思ったんだけ どなー﹂ ﹁先ほどやってみて駄目だったではないか﹂ そう、あまりにも便利な治療術というメソッドを見た僕は早速エル にやり方を聞いて試してみたのだが全く発動しない。 どうも体内の生命力を相手に同調させてから重ねるという僕からす れば全くもって意味不明な行為をする必要があるらしいのだ。 ﹁うーん、一から勉強すると時間が掛かりそうだしあきらめるしか ないかなぁ﹂ 258 ﹁それでいいと思うぞ、治療術は妾も扱えるしそもそも主はあまり 怪我なぞしないであろう﹂ ﹁そうだね、あんまり怪我はしないと思う。危険なことをするつも りも無いし﹂ 話がまとまったところでジュースを一口。 青色一号をだばだばと入れたとしか思えないような真っ青なジュー スは実にさわやかな酸味と甘みを持っていてなんとも美味しい。 ちなみにこのジュース、金属製のカップごと販売しているのだが一 つ銅貨8枚もする。 ただしカップを返却すると銅貨5枚を返してくれるのだ。 紙コップやプラコップがないこの世界ならではの知恵だと思う。 ﹁主が気になるならばここの図書館にでも行くとよいと思うぞ。観 光地の紹介や小説などもあるから少なくとも暇はしないはずだ﹂ ﹁そんなとこがあるんだ、ちょっと行って見たいから案内してもら ってもいい?﹂ ﹁昨日もそうだったが武技大会はいいのか?﹂ ﹁どういうわけだか自分が実際にあの場に立ってからはあまり見る 気にならないんだよ。なんでだろう、格闘技は嫌いじゃないはずな んだけど﹂ ﹁妾に聞かれてもわからぬが・・・。まあ、主がそういうなら図書 館へ向かうか﹂ ◆ 259 図書館は本当に入っていいのか何度も確認してしまうほどに立派だ った。 建物自体に意匠を凝らしたレリーフが彫られているわけではないが、 石造りの太い柱で構成された建物はシンプルで質実剛健、硬い雰囲 気をあたりに漂わせている。 これがある程度の身分証明書を持つ人間には全て解放されていると いうのだから凄まじい。 図書館の中は大量の本棚が整然と並んでいて、その一つずつにみっ ちりと本が詰まっている。 一応文学や歴史、児童書などの分類に別れてはいるものの、大分類 以外の仕分けが一切なされていないために目的の書籍を探すには随 分と苦労しそうだ。 とりあえずこの図書館で見つけたい資料は三つくらい。 一つは僕のような人がほかに居ないかのチェック。これは住所不明 で不思議グッズを保有する人物が登場する本でも探して見ればいい かと思う。 次に適当な学術書、できれば物理がいいけどそこまで別れてなさそ うなので学術書。これは生活するうえで単位とかの詳細が気になる ので必要。 最後はちょっと見つかるかわからないが、この辺の地理の詳細を知 れる本。こういう世界では地図は軍事上の問題で公開されていない 可能性が高いのであればという位で良し。 観光名所についても調べておきたいが、見渡す限りのジャンルだと どれに該当するのか不明なため見つかればラッキーくらいのつもり で探しておこうかな。 260 ﹁主はどんな本を読みたいのだ? 探すのを手伝うぞ﹂ ﹁ありがと、じゃあまずは歴史書かな。長い歴史があれば僕みたい なのが一人二人くらい居てもおかしくないような気がするんだ﹂ ﹁なるほど、了解だぞ﹂ まとめて言うとジャンル入り混じりでドサッと来そうなのでさしあ さっては歴史書メインでいいかな。目的志向で考えればこれが最重 要だし。 無事にあっちとこっちを行き来する方法が見つかればベストなんだ けど、そう上手くは見つからないだろうしとりあえずヒントだけで も得られれば御の字か。 ﹁妾は向こうからそれっぽいのを探してくるぞ﹂ ﹁ん、了解。でもあんまり沢山だと僕が読みきれないから2,3冊 も見つかればもうそれで十分すぎるほどだと思うよ?﹂ ﹁さすがに持ってきたものを全て主に任せてしまおうとは思ってお らぬから大丈夫だぞ﹂ ﹁なるほど、じゃあよろしく頼むよ﹂ だと範囲が広すぎてち 向こうのほうに歩いていくエルを見送りつつ本棚に目を通していく。 ファルド王国の歴史6000年について 問題集編 ってこれ歴史 ょっとつらいかな。というかこの国の歴史って6000年もあるん 宮廷魔術師認定試験対策 か。滅茶苦茶平和な国だなここ。 28年度版 のジャンルなの? ためしに中をぺらぺらめくってみたらこの国の 歴史とか偉人の名前とかが4択問題になってた。なるほど。 この世界でも勉強は重要で大変だ。 しかも国立大学って一個しかないらしいしその苛烈さはきっと東大 以上な気がする。 261 そんな風に立ち読みにしながら探してみるものの、なかなかこれだ というものが見つからない。 見つかるのは年表や試験対策本、または現在までを300ページ弱 でまとめた教科書のような歴史本。 最後のはある程度人物などの紹介もあるが、そんな広く浅くな本に 異世界に行く方法や、そこから来た人物の紹介なんかが載っている とは到底思えない。 本棚を占める割合で特に多いのが試験対策本で、本棚によっては年 度別の試験対策本で埋まってしまっている。 さすが歴史の長い国だと思ってしまうが、探す側からしてみれば溜 まったものじゃないっていうか昔の試験対策本なんて誰も読まない でしょ。 もし僕が試験を受けるのなら読んだとしても5年前、これ以上古い のはまず読まないぞ。 それっぽい本を見つけることが無いまま時は過ぎ、気がつけば向こ うのほうに居たはずのエルがすぐ側まで近づいていた。 小脇に本を抱えている辺りどうやらそれっぽい本はあったらしい。 ﹁エル、こっちは駄目だった。見た感じ本もあったみたいだし一度 に沢山読むのは時間的に困難だからその辺で切り上げてちょっと確 認作業のほうに入ろう﹂ ﹁了解だぞ﹂ この図書館は結構ユーザビリティが考えられていると思う。 壁には複数の長机が並んでいるので手に取った本をすぐに読み始め ることが出来るし、あまり明るくないものの魔術による光源だって 用意されている。 262 長机の利用者は結構まばらで、見た感じ僕と同じかちょっと若いく らいの人たちが多い。 彼らは必死に本を読みながらなにかを書いていたり、ぶつぶつと呟 いたりしている。 ちょっと不気味なのだけど、この光景には思い当たる節がある。 そう、受験勉強だ。 僕だって3年前には毎日予備校に通い、休日は図書館で勉強したも んだ。 ・・・なんだかよくわからないが負けてられない気分になった。 ﹁さて、早速エルの持ってきた本を見せてもらっても良い?﹂ ﹁うむ。どれから読むのだ?﹂ エルの持ってきた三冊の本を見る。 ディンナの軌跡 ナンセナ村の悪夢 魔術の歴史 どうみても最後以外のが小説に見えるのだが・・・。 ディンナの軌跡 を手に取り、ざっとペ でもエルが折角持ってきてくれたのだし、何らかの理由があるんだ ろう。 ﹁これから読もうかな﹂ そういって一番近かった ージを開く。 厚みはちょっとした辞書並みだが、紙一枚の厚みがあるので実際の 263 ページ数はそこまで多くない。 これなら2時間もあれば斜め読みくらいできるだろう。 ﹁ふう﹂ ディンナの軌跡を読み始めて2時間弱、予想通り斜め読みが完了。 ページ数は500弱、異世界特有の言い回しが多く内容はあまりつ かめなかったが、とにかく僕と同郷らしき人物が登場しているのは 確認できた。 まずこの物語の舞台は500年前︵!︶の名も無き小さな村。 同郷らしき人物の名前はジュン・イノウエ。 最終的に彼は元の世界に帰るのをあきらめて宿屋の娘と結婚してい る。 魔術に関する描写は無かったが、そもそも戦闘に全く巻き込まれる ことなく話が展開しているのでその辺は不明。 ちなみに作中で使用されている単位系が完全にSI単位系だった。 ひょっとすると昔に僕の世界の学者か何かがこっちに飛ばされて広 まったのかな。 ﹁はぁ・・・。この人帰ってないよ。第二の故郷を自分で作っちゃ ってるよ・・・﹂ ﹁そうであったか・・・。ナンセナ村の悪夢に関しては妾が読んだ から説明するぞ?﹂ ﹁ありがと、お願い﹂ ﹁うむ、この作品はナンセナ村の村長が書いたものなのだが、ある 日村にサクラという黒目黒髪でこの世界の一般常識をほとんど知ら ない少女が登場する。興味を持った村長が村に泊めてどうのこうと 264 話が進むのだが、最終的に大量の魔獣に襲われて村が存亡の危機に 晒されたとき、彼女が強力な魔術を用いて村を救っている。この後 サクラという少女は帰る方法を探すといって村を出るので詳細は不 明だ﹂ おうふ。 彼女も帰り道を探す旅には出るけどその後の詳細は不明か。 ﹁なんというか僕と似た境遇の人が結構居ることにかなり驚いた。 出来れば会いに行こうかと思うんだけどどうだろう?﹂ ﹁それは難しいと思うぞ、この話はおよそ800年前のことで、吟 遊詩人の語りを本にまとめたものだし、サクラ自身も旅に出てしま っているのだからな。むしろディンナの軌跡のほうが会いに行きや すいのではないか?﹂ ﹁この人帰る方法探してないから意味無いし、それにこの話も50 0年くらい前の話みたいなんだ﹂ エルには悪いから言わないけど、この世界の技術レベルの進歩は遅 すぎるっていうか完全に止まってしまっているんじゃなかろうか。 おそらく中途半端に便利な︱︱物によっては現代日本よりも便利︱ ︱魔術のせいなんじゃないかなと思うんだ。 もしこの世界で科学技術が十分に発展すればコンセントのいらない ノートPCとか、念話を利用したどこでもインターネットとか開発 できそうだよなぁ。 なんだかそうやって考えると凄くもったいないような気がしてなら ない。 ﹁ちなみにこの本はどうやって探したの?﹂ ﹁ぺらぺらめくってあまり見ない名前の登場人物を探したぞ、見逃 してるのも多いだろうし探せばもうちょっとあるはずだ﹂ 265 ﹁なるほど・・・﹂ 名前か、意外な盲点だった。 こりゃ探せば100年に1人はこっちに来ているんじゃないだろう か。 ただ、不思議なのは最近風の名前だというのに話の舞台が何百年も 前ということ。 こっちに飛んでくる際に時間も合わせてかっ飛ぶのかな。 まあ、考えてもわからないからどうでもいいや。 ﹁うーん・・・。これ以上のことはちょっとわからなさそうだね﹂ ﹁そうだな。残念ながら主の帰り道はわかりそうに無いぞ﹂ ﹁だとまあとりあえずコレに関する調査はクローズで良いや、あと は観光本みたいなのがあればちょっと読みたいくらいかな﹂ ﹁観光本? どこそこの地方では景観地として何があるか、という ような本か?﹂ ﹁うん、一度ガルトに戻るのは確定として次の目的地が無いからそ れつかって探そうかと思ってるんだよ。どうせぶらぶらするなら楽 しい場所のほうがいいでしょ?﹂ ﹁主、予定が決まってないなら東のテューイに向かわないか? こ こから乗合馬車で乗り継いで二日くらいのところにある港町なのだ が、魚が美味しいと評判だぞ﹂ ﹁それはいいねえ。是非そうしよう﹂ 魚か、久しく食べてないな。 塩焼きにムニエルに香草焼き、それと魚介類のスープに地酒。 港町ってことは景観も今までの山と草原から随分と変わるだろうし 楽しみだ。 266 ﹁ふふっ、主は食いしん坊だな。顔がにやけておるぞ﹂ ﹁あはは・・・。否定できない。よしっ、こんな話してたらお腹減 ってきたからご飯食べに行こう。今日はまだお昼ご飯も食べてない のに15時回っちゃったし﹂ ﹁もうそんな時間になっていたのか。そういわれると凄くお腹が減 ってくるから不思議だぞ﹂ ﹁とりあえず図書館出て来た道戻ろうか、確か定食屋があったはず だ﹂ ﹁了解だぞ﹂ いまさら空腹に気づいた僕らはいそいそと図書館を出て定食屋へ さて、今日は何を食べようかな。 267 10 武技大会四日目、ついに準々決勝である。 大会開始当初はここまで勝ちあがれるとはとても考えておらず、正 直あまり現実感がない。 フィールドでは対戦相手の少女がこちらをまっすぐに見据えている ようだが、僕はふわふわとした気分で少女を眺めている。 相手の少女はエルほどじゃないがかなり整った顔立ちをしていて、 深い海の色の瞳とあわせてみればどこかのお嬢様のよう。 しかし、冒険者らしい動きやすい服装に長剣をぶら下げ、艶やかな チョコレート色の髪をポニーテールでまとめているためか少女の雰 囲気は快活という言葉がぴったりと当てはまる。 身長は僕よりも若干高いくらいなので女性としては高いほうだと思 う。 細い両腕からはどうみても剣を振り回すだけの筋力があるようには 見えないが、この世界では生命力を変換して身体能力を強化できる ので体格から筋力を予想することは困難だ。 ﹁さあ、いよいよ準々決勝となりました! フィーリア・ナルベル 選手対ユート・カンザキ選手です。準々決勝まで戦い抜いた彼らに もはや紹介は必要ありません!﹂ 審判が黄色のフラッグを振り上げる。 ﹁武技大会準々決勝戦・・・開始!﹂ 268 開始と同時に相手が距離を詰める。 小柄な体格からはとても想像が出来ないほどの速度、まるで砲弾の ようだ。 ﹁セイッ、ヤッ!﹂ 掛け声は姿相応の可愛らしい声だが、繰り出された内容は凶悪その もの。 ほとんど白い閃光にしか見えないほどの袈裟切りは魔力障壁を使っ てなんとか弾くが、連続した切り上げは途中から円軌道を描いて足 元へ。 慌ててスタンロッドでそれを受け流して距離を取る。 なんだあのむちゃくちゃな剣の動き方は・・・。 振り上げてきたはずの剣がグリッと回っていつの間にか足元を狙っ てきたぞ。 間違いなく今までで一番キツイ。 何がキツイって相手の武器もショートレンジ向けだから近づいても 一方的に叩けない状況がキツイ。 攻撃するのか防御するのかどちらか一方なら良い。これは結構慣れ た。 だけどサッカーのように防御しつつも攻撃するような行動にはまる で慣れてないから判断が遅れるし凄くやり辛い。 とはいえ防御だけじゃ詰んでしまう。 なんとか攻撃出来る状態に持っていきたいのだけど先ほどから続く 相手の剣がそれを許さない。 再び距離を詰められての胴薙ぎを魔力障壁で受けてからスタンロッ ドで引っ叩こうとするが、そのときには既に距離を取られてしまっ 269 ていて当たらない。 さっきから完全に翻弄されている。 袈裟切り、胴薙ぎ、足払い、切り上げ。 その何れも単体で避けるのは難しくないが、そうあるのが自然であ るかのように連続して技を振るわれるとどうにもこうにも相当厳し い。 結局できることといったらスタンロッドでの牽制くらい、まともに 攻撃に移れん。 もう何合避けたかわからないくらいに避けているが相手の動きは僅 かすらも遅くならないし、元気なままだ。 このままじゃ相手が疲れる前に僕が一撃貰ってダウンだな。 ちょっと変り種でいってみよう。 一度相手の攻撃を受けてから大きめにステップアウト。 5mは距離を取ってから意識を集中。 杖の先から4つの魔力球を生成。 イメージするのはスモークグレネード。 相手が僕を警戒して近づいてこなかったのはラッキーだった。 そのまま相手と僕の間に線を引くようにスモークグレネードを射出。 着弾と同時にイメージ通りの勢いで煙があふれ出してあっという間 に相手が見えなくなる。 これで準備はOK。 さらに魔力を流して集中。イメージするのはサーマルスコープ。 熱源感知式に切り替えられた視界はグレースケールで距離感を掴み にくいという欠点があるものの相手の姿をハッキリと視認できる。 270 どちらの魔術も初めての使用だったが上手く発動してよかった。 物によってはいくらイメージしても上手くいかないのもあるんだよ ね・・・。 たとえばテーザーとかをイメージすると非殺傷のはずなのに対象が 黒焦げになってしまう。 ま、そんなことはどうでもいいか。 すっかり煙に包まれたであろうフィールドを走り、相手の後ろに回 ろうとするのだが足音に反応しているらしく必ずこっちを向いてく る。 ・・・僕の相手は果たして本当に人間なんだろうか。 通常の視界だと2m先も見渡せないほど煙いんですけど。 そんなわけで後ろに回るのはあきらめ、正面から突撃してスタンロ ッドを振るう。 相手からしてみれば僕が突然現れたかのように見えるはずなのに対 処は恐ろしく冷静。 肩口を狙ったスタンロッドを最小限の動きで受け流すと相手はやや 大きめにステップアウト。 続いて大振り気味にこちらへ突撃。 ﹁ヤァァァァッ!﹂ 気合一閃なんて言葉が思わず出るような一撃を魔力障壁で弾こうと していまさら気づいた。 相手の武器が見えません。温度が無いので。 気にせずに正面に展開していれば問題なかったはずなのだが、敵の 武器が見えないということに驚いているうちに間に合わなくなって 271 しまい、気づけば相手は目の前。 振りぬかれた剣とわき腹への強烈な衝撃。 こういうのなんていうんだっけ・・・そうだ、自縄自縛だ・・・。 暗転する視界の中、最後に思ったのはそんなくだらないことだった。 ◆ 気づけば僕はベッドの上。 明るく清潔感のある室内はどこか病院のようだっていうかここは多 分病院だ。 右腕が妙にしびれて重いので見てみれば、頭を乗せたエルがすやす やと眠っていた。 右手でタオルを掴んでいるあたりどうやら側に居て看病してくれた らしい。 そう思うととても嬉しくて、思わずそのさらさらな銀髪に触ってし まう。 指に一切絡みつかないさらっとした髪、一体どうやって維持してる のか微妙に気になるところではあるなぁ。 ﹁んっ・・・あれ・・・主?﹂ ﹁ごめん、気持ち良さそうに眠ってたのに起こしちゃった。宿に戻 ろうか、まだ眠いでしょ?﹂ ﹁くぁ・・・。大丈夫だぞ。しかしもう朝か、どうやら一晩眠って 272 しまったようだな﹂ ・・・え? ﹁ちょ、ちょっと待って。一晩? 試合が終わって倒れたまま日が 変わっちゃったの?﹂ ﹁そうだぞ。なかなか目を覚まさないから心配したのだぞ﹂ ﹁それはなんというか・・・うん、心配かけてごめん﹂ ﹁主が無事ならそれで良いのだ。しかし起き抜けにしては随分と元 気だな、痛いところとかはないのか?﹂ ﹁ん∼﹂ 首を回して腰をひねる。 丸一日眠っていたせいか体が凝ってしまっていたみたいで結構気持 ちいい。 背筋を伸ばすとバキバキと音が鳴り、自分の体ながら驚いてしまっ た。 腹部の辺りに鈍い痛みがあるものの歩けないほどじゃないな。 ﹁うん、大丈夫。問題ない﹂ ﹁じゃあ出るとするか、一応挨拶くらいしたほうがよいと思うから 担当の治療術師を呼んで来るぞ。主はちょっと待っていてくれ﹂ そう言ってエルは部屋から退出。 ・・・急に部屋がさびしくなった気がする。 改めて部屋を見回してみるとベッドとイス以外には何もなく、辛う じてエルが座っていたであろうイスの側に僕のバッグがあるくらい。 あとは本当に何もない殺風景な個室だ。 273 起き上がって靴を履いてから待つこと5分弱だったと思う。 ノックの音と共に先日お世話になった治療術師の方とエルが戻って きた。 ﹁また会ったな﹂ ﹁お世話になっております﹂ ﹁あまりお世話にならないほうがいいと思うがね﹂ ﹁・・・全くその通りだと思います﹂ うわ、この人結構キツイ。 全くもって事実だから反論できない辺りがより厳しい感じだ。 ﹁体調はどんな感じだ?﹂ ﹁腹部に鈍い痛みがありますがそれ以外は大分良い感じですね。意 識が飛ぶほどの強烈な一撃を貰ったとは思えないほどです﹂ ﹁そりゃあよかった。だが、あんまり従者を心配させるんじゃない ぞ。お前さんがここに運ばれてきたときの彼女の取り乱しっぷりは 見ていられないくらいだったしな﹂ ﹁なっ・・・。そ、そんなことは無いぞ。妾はいつだって落ち着い ておるぞっ!﹂ ﹁まあ、そういうことにしておこうかね。ともかく体の調子がいい ならここに居る必要もないな。宿も別に取っているんだろうし戻っ てくれて構わないぞ﹂ ﹁ほら、主。術師もそういっているし早く行こう﹂ ﹁わかったわかった。だから手を引っ張らないで・・・。すいませ ん、ありがとうございました﹂ ずるずると手を引かれながら辛うじてお礼だけを済ませて部屋から 退出。 倒れたときに心配してくれたって言うのは僕としては嬉しいことな 274 んだけどエル的には恥ずかしいことなのかな。 それでもここは一つきっちりと感謝の言葉を言うべきだろう。常識 的に考えて。 なにより思ってるだけじゃ伝わらないしね。 ﹁エル﹂ ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁看病ありがと、それだけじゃなくて何時も感謝してるよ﹂ ﹁なっ、何をイキナリ言うのだ。妾は主が無事ならそれで良いのだ ! 改めて言われると恥ずかしいぞ!﹂ ﹁こういうのは実際に口に出して言うことが大事なんだよ。今後も よろしくね﹂ ﹁今後もなんていうのは当然だぞ。主と妾は契約によって結びつい 好き はLikeの好きであってLoveの好 といわれて一瞬思考が止まったが、冷静に考えてみれば今 ているし、何より妾は主のことが好きだからな﹂ 好き の話し方の場合の きではないだろう。 落ち着け、こんな美少女に言われるとLoveのほうと勘違いもし たくなるけど現実を見るんだ。 現実は甘くないぞっ! 幼馴染にいけると思って告白して失敗して凄く気まずくなったこと が昔あったじゃないか。 にならないように 二人旅という状況でそんなことになったら気まずいってレベルじゃ 契約で縛られているから一緒に居る すまないぞ。 ﹁今後も 頑張るよ﹂ ﹁別段頑張って何かをする必要は無いのだが・・・。むしろあまり 無理をして今回みたいに倒れられたらそっちのほうが駄目だぞ﹂ 275 ﹁うーん・・・それならとりあえず今日は真っ直ぐ宿に戻ろうか。 やっぱ体がちょっと重い﹂ ﹁うむ、そのほうが良いと思うぞ。妾は市場で果物でも買って帰る から主は先に戻っていてくれ﹂ ﹁了解、先戻ってるよ。お金は大丈夫?﹂ ﹁前に貰った銀貨がまだ残っているから大丈夫だぞ﹂ そんなわけでエルと別れて僕は宿へと一直線。 無視できるほど小さくはないが、声を上げるほどでもない鈍痛に辟 易しながら歩くこと30分程度でようやく自分の部屋へ到着。 うん、予想よりかなり時間が掛かった。 エルには問題ないって言ってしまったけど、やっぱダルイな。 どうせなら治療術で全部治してくれればよかったのにとも思ったけ ど、︵自称だが︶腕の良い治療術師でも治らないってことは内臓系 へのダメージは治りが遅いとかそういうのがあるんだろうか。 やれることがなにもないのでベッドの上で考えてみるが、治療術に 関しては調べることを放棄してしまったからよくわからない。 内出血系が駄目って言う理由なら前の試合の怪我はあんなにすぐに 治らないしなぁ。 ともかく痛みが残っている以上何らかの制限があるのはほぼ間違い なさそうだ。 世の中そんなに上手く出来てないってことなんだろう。 ・・・お、ドアが開く音だ。 ﹁主ー。ただいまだぞー﹂ ﹁おかえり、エル﹂ 276 ﹁いくつか果物を買ってきたのだ。ほら、主の好きなやつだぞ﹂ そういってエルから渡されたのはリンゴ。 真っ赤に熟していて見るからにおいしそうだ。 ﹁ありがと。今剥くからちょっとまってね﹂ バッグからコッフェルとナイフを取り出して受け取ったリンゴの皮 を剥く。 この世界の果物はもちろん無農薬なのでそのままかじっても問題な いが、剥いたほうが美味しいのは間違いない。 ナイフを使って皮を剥き、8分割してから芯を抜く。 ベッドの上で作業をしているので果汁をこぼさないようにするには 結構な集中が必要だ。 あんまり果汁をこぼすとベタベタなベッドの上で生活することにな ってしまう。 ﹁おっけ、出来た﹂ ﹁何度見ても凄いな、皮が途切れていないではないか﹂ ﹁慣れれば結構簡単だよ﹂ そういいながら手づかみでリンゴを一口。 シャリシャリとした食感と共にイチゴ特有の甘みが広がって実に美 味しい。 ・・・毎回脳が混乱する味だなぁ。 ﹁うん、美味い。数ある果物の中でもやっぱりコレが一番美味しい な﹂ ﹁確かに甘みと酸味のバランスが良いな。食感も悪くないし﹂ 277 ﹁お腹にたまるのもポイント高いね﹂ ﹁そうだな。朝食くらいならこれだけでも良いかも知れぬ﹂ エルが買ってきたリンゴは三つ、それを二人でバクバクと食べると 意外とお腹に溜まる。 うん、朝食にはやはりリンゴだな。ヨーグルトがあればなお良いけ ど今のところ見かけたことはないので諦めるしかないか。 ﹁明日以降体調がよければちょっと依頼でも請けに行こうか。武技 大会の賞金が出るといっても8位程度じゃあまりたいしたお金じゃ ないだろうし稼ぐに越したことは無いと思うんだ﹂ ﹁そうだな、確かにもう銀貨数枚しか残っておらぬしある程度仕事 を請けないことには別の町に行くことすら出来ぬぞ﹂ ﹁あはは、すっかり武技大会貧乏だよ。ここ来たときには銀貨30 枚以上もあったのに・・・﹂ ﹁大会期間中は仕事を請けられなかったし仕方が無いだろう。幸い 主は賞金が出るから一方的に損というわけでもあるまい﹂ ﹁そうだね・・・。そこだけは良かったと思う。というわけで明日 以降の予定が決まったところで僕は少し寝るよ。暇だったら音楽で も聴いていてくれて構わないから﹂ コッフェルを床においてベッドに横たわるが鈍痛は消えない。 はあ、この鈍痛が明日以降に治ればいいんだけど。 こういうあざみたいなタイプの痛みって長続きするんだよなぁ・・・ 。 ﹁おやすみ、エル﹂ ﹁おやすみ、主﹂ 278 1 ﹁本当に大丈夫なのか?﹂ ﹁大丈夫大丈夫。さすがに丸二日も寝てれば全く問題ないってば﹂ 武技大会で負けてから早三日目。 なんとあの鈍痛は一日寝ただけじゃまるで治らず結局丸二日という 長い時間をベッドの上で過ごす事になってしまったのだ。 おかげで武技大会の準決勝も決勝も見れずに終了。残念極まりない。 実は昨日痛いのを我慢して立ち上がったらエルにひっぱたかれて悶 絶した挙句倒れこんでしまい、言われた言葉は﹁ほら、まだまだ怪 我人ではないか﹂である。 正直文句の一つでも言いたかったのだけど、甲斐甲斐しく看病して くれたりするもんだから全く強く出れなかった。 決勝戦くらいは見るつもりだったのになぁ・・・。 今だって痛みが完全に消えたわけではないし、全く問題ないって言 うのは嘘なのだけど行動に問題があるほどの痛みは無いので今度こ そばれないだろう。 そういえば大会の賞金である金貨2枚はエルが持ってきてくれた。 普通こういうのって本人じゃないと受け取れないと思うのだが、エ ルが意気揚々と僕のギルドカードを持って出て行ったら一時間くら いで賞金を持って帰ってきた。 大丈夫かこの世界。オレオレ詐欺とか心配だぞ。 279 ﹁主は今日からギルドで仕事を請けるのであろう? 体の調子が悪 いと安全な仕事も危険になるのだぞ?﹂ ﹁さすがに一回怪我したくらいで心配し過ぎだって。危険度の高い 依頼を請けるつもりなんて欠片ほどもないから大丈夫だよ。いずれ にせよ宿の期限も今日で終わりだし、とりあえずギルドに向かおう か﹂ そんなわけでちょうど良い依頼はないかなーなどと考えながらギル ドへとやってきたのだが、なんだかいつもと様子が違う。 王都のギルドでは各種手続きを専用のオペレーターが担当している って奴か。 はずなのだが、なぜか今日はギルドマスターと思しき身なりの良い お前じゃ話にならんっ、上司を出せっ! 服装の男性が対応をしているのだ。 あれか、 そんなギルドの男性相手に啖呵を切っているのは冒険者というには いささか若いような気がしてならない少女。たぶん13,4歳程度 かな? 薄緑の透明感ある髪を短めにカット、勝気な瞳にキリッとした鼻立 ちでなんとも性格にマッチしていると思う。 その後ろには同じくらいの年齢と思われる金髪ショートヘアの少年。 若干たれ目で彫りの薄い顔はやさしそうな、という表現がぴったり だ。 ﹁どうして駄目なのよ?﹂ ﹁その金額で受ける冒険者なんて居ませんよ。ギルドに依頼をする のだって無料ではありませんし、それではあまりに意味が無いでし ょう?﹂ ﹁そんなのやってみないとわからないじゃないの!﹂ ﹁一度学園に戻ろうよ。そうすればお金だって何とかなるし﹂ 280 ﹁そんなことするくらいなら私達だけで行くに決まってるでしょう かっ!﹂ どうやら安値で冒険者を雇おうとしているらしい。 この世界の常識を無視した個人的な考え方だけど、少年少女を相手 に高額な報酬を期待するほうが間違ってると思う。 場合によっては命が掛かる以上無償でやれとはとても言えないが、 冒険者は基本的に大人なんだからある程度考えてあげればいいのに。 ﹃エル、ちょっと話を聞いてあげても良いかな?﹄ ﹃主ならそういうと思ったぞ。ただ、あまりに危険な依頼だった場 合は反対させてもらうぞ﹄ ﹃その場合はエルに反対されるまでも無く請けないから大丈夫だよ﹄ 話がまとまったところでにっこりと笑顔を作ってからご挨拶。 笑顔って超重要、たったそれだけで話し合いが簡単にまとまったり するからね。 ﹁こんにちは﹂ ﹁えーっと・・・どちら様?﹂ 少女は胡散臭い人物を見るような目で、少年と男性はやや驚いたよ うな目で僕を見る。 あ、あれ? 笑顔の効果が薄いな。こ、こんなハズじゃなかったん だけど。 ﹁依頼のことでもめていたので、ひょっとしたら力になれるかなー なんて思ってるんですけど﹂ ﹁依頼を請けてくれるの? ほら見なさい。やっぱりやってみない とわからないじゃないの﹂ 281 ﹁ちょ、ちょっと待ってもらえます? 内容を聞かないとなんとも 言えないですよ﹂ 少年と男性に対してエヘンと胸を張る少女に慌てて突っ込みを入れ る。 あんまり流されるのは困るのだっ! ﹁依頼の内容については私が説明します。端的に言ってしまえばチ ェネス周辺を探索する彼女達の護衛です。期間は移動込みで4日間、 報酬は銀貨12枚になります﹂ ん? 別に安くは無いんじゃないか? 前にやったガルトから王都までの護衛で銀貨14枚だったし、期間 も一日短いのだからそんなものだと思うんだけど。 ﹁もめるほど依頼料が安いとは思えないのですけど?﹂ ﹁報酬自体はそれほど安くありませんが、食費や医薬品などの補助 が無いためご自身で購入する必要があります。そうなると事実上の 報酬は銀貨8枚を割るか割らないかという程度まで落ち込んでしま うため、この手の依頼の中ではかなり割安になってしまっています﹂ ﹁あー・・・、そういうことですか﹂ 確かに銀貨8枚を割っちゃうときついな。 一日単価で考えると請けるのはFランクの冒険者くらいなんだろう けど、それを護衛につけるというのはさすがに不安があるだろう。 ただ、この依頼にも利点はある。 まずは食料品が自分もちということ、これならあのありえないほど 不味い携帯糧食を食べなくて済む。代用品はフリーズドライやクラ 282 ッカー、干し肉に燻製なんかもありだろう。 どれにしたってあの携帯糧食よりは幾らかマシ。仮にお金が掛かっ たとしても、だ。 医薬品に関してはバッグの中に衛生キットがあるし、エルの治療術 だってある。 少なくとも買う必要は無いので欠点にはなりえない。 なによりこちらを見つめる少年少女の瞳を見ればもうあまり断る気 になれないんだよなぁ。 ﹁最後の質問なんですけど、わざわざお金を出してまで護衛が必要 な理由って何でしょう?﹂ ﹁彼女達がチェネス周辺でゴブリンの集団に襲撃されたからですね。 ちなみにギルドはゴブリンの集団を調査するために冒険者を派遣し ています。なので別にユートさんがこの依頼を請けなかったとして も後数日もすれば結果が出るでしょう﹂ ﹁ん? 彼女達の依頼で、ではなくてギルドが自主的にですか?﹂ ﹁ええ、チェネス周辺は商人が多く通る地域でもあるので放置する のはギルドとしても問題がありますから﹂ 周辺の治安維持って僕のファンタジー知識だと国お抱えの騎士団と かそういうのが担当しているような気がするんだけど、この世界だ とギルドが受け持つのか。 なんだろ、国とギルドの間で何かしらの契約でも結んでるのかな。 ﹁思ったより結構いろいろやってるんですね。単純に依頼を仲介す るような組織かと思っていました﹂ ﹁意外とこういった仕事も多いですよ。ユートさんもそのうち担当 することになると思います﹂ 283 ﹁そうですか・・・。それにしても良く僕の名前なんてご存知です ね﹂ ﹁ユートさんはある意味有名ですから。ランクこそ低いものの仕事 ぶりは優秀、納期が早く丁寧とのこと。戦闘能力も武技大会を見れ ば明らかです﹂ ﹁そうだったんですか﹂ ﹁そうなんです、多分ご自身が考えているよりはギルド内で名前が 挙がっていると思っていただいて大丈夫ですよ﹂ ﹁えーっと、そこに大丈夫な要素が特に見つかりませんが﹂ ﹁・・・ちょっと脱線しました。話を戻しますとこの依頼を請けて いただけますか?﹂ 今、さらっと流されたが重要なことが混じってたんじゃなかろうか? 別にこちらから何かできるわけじゃないから気にしてもしょうがな いけどさ。 ﹃どう思う?﹄ ﹃ゴブリン如きいくら現れようと主と妾の敵ではないし請けてしま っていいと思うぞ﹄ ﹃ん、了解﹄ エルから見ても特に問題なさそうだし、断る理由が無いな。 ﹁ええ、請けます。よろしくお願いします﹂ ﹁こちらも助かります。ユートさんなら大丈夫でしょうけど無事を 祈っていますよ﹂ にっこりと笑ってうなずくと、男性は書類を片手にギルドの奥のほ うへと戻っていってしまった。 場に残るのは少年少女と僕達の4人。 284 とりあえずあれか、挨拶だな。 さっきちょっと失敗気味だったとはいえ、第一印象はヒジョーに重 要。 笑顔を作ってからぺこりと頭を下げる。 ﹁それではしばらくの間ですがよろしくお願いします﹂ ﹁よろしく頼むわ﹂﹁よろしくお願いします﹂ 軽い口調の少女と丁寧な口調の少年。 僕が言えたことじゃないけど少年に関してはもうちょっとフランク でもいいような気がする。 なにせほら、僕は雇われで彼らは雇い主なわけだしね。 ﹁まずは自己紹介ということで。僕の名前はユート。冒険者ランク はEで主に魔術を扱います﹂ ﹁妾はエルシディアだ。主の従者をしているぞ﹂ 僕らの自己紹介ってパブリックな部分がほとんど無いのであまり言 うことが無い。 エルに至っては一言だけだしほとんど自己紹介になってない。 これじゃあ暗く冷たいような印象をもたれてしまうかもしれない。 今後を考えると何か話のネタでも詰めたほうがいいんだろうなぁ。 ﹁私はアリアよ。ウィスリスの魔術学園中等部で主に攻撃魔術を学 んでいるわ﹂ ﹁僕はウィルと申します。アリアと同じクラスで魔術について学ん でいます。今回は依頼を請けていただいてありがとうございます﹂ ・・・うーん、なんだろう。 285 こう、なんていうかさ、この集団ってむちゃくちゃ攻撃力過多だよ ね。 魔術師4人で近接武器を扱える人がゼロって結構凄くない? ◆ 王都の市場をウィルが操作する馬車でゆっくりと進んでいく。 どうも学園が長期休暇の際、学生に格安でレンタルさせてくれるら しい。 ・・・っていうか今は長期休暇の最中だったんだ。 ウィスリスはエルから聞いた限りだと乗合馬車で7日間も掛かるか ら二人が王都に居るのは不思議だなーって思ってたんだよ。 馬車の中から市場へと目を向ければ相変わらず商人達が声を張り上 げて様々なものを販売している。 完熟しているのに緑のトマトとか色違いのナス、常識的な見た目の キャベツなど。 ともかく市場にはまだまだ驚きが沢山あるのでちょっとした娯楽だ というのは間違いない。 今回のお買い物の目的は食料品。出来れば保存が利いて美味しそう なのが狙い。 期間は4日間なので予備込みで6日分程度があれば十分かな。 286 んっふっふ・・・。 ちょっと前にスパゲティを食べた段階であるんじゃないかと思って いたけどやっぱりあったよ。 乾麺がっ!!! 素晴らしい! 素晴らしすぎる! エクセレンッ! コレさえあれば後は食用オイルとにんにくと唐辛子と塩とベーコン があればペペロンチーノが食べられる。 これらは全て市場で見かけたことがあるし、値段だって高くない。 むしろ需要の少ない携帯糧食のほうが高いくらいだ。 確かに毎回ペペロンチーノだけでは飽きてしまうかもしれないが、 飽きる ことが出来るのだ。 ソースは工夫次第でいろいろとなんとかなるレベルだ。 なによりあの携帯糧食と違って つまりそれは決して不味くないということ。あぁ・・・なんて幸せ なんだろう。 ﹁ねえ、ユートの顔がおかしな風ににやけてるわよ﹂ ﹁たまに食べ物の前で変になるのは主の特徴だから気にしないで欲 しい﹂ ﹁・・・貴方の主って大丈夫なの?﹂ ﹁うむ、立派でやさしい主だぞ。・・・食べ物が絡むといささか様 子が変わるが﹂ ・・・向こうのほうで微妙にひどい事を言われた気がする。 だが気にしない、今の僕はそれどころじゃない。 287 ニコニコしながらスパゲティのような乾麺を5kgほど購入し、大 事に抱えて馬車の中へしまいこむ。 お値段なんと半銀貨1枚。なんて安いんでしょう。 次に隣の店から大量のタマネギとにんにく、ジャガイモをあわせて 半銀貨1枚で購入。 僕の知っているそれらと同じであるならば常温で比較的長い時間保 存が利くので大変よろしい。 よしっ、あとは塩とか肉とか調理用オイルだな。 コレさえあればフリーズドライが無くても携帯糧食の悪夢から抜け 出せるぞっ! そんなわけで仲間達から若干白い目で見られつつも1時間半ほどで 食材の調達が完了。 当たり前だが水は用意していない。 ﹁ねえ、コレどうするのよ。水も用意してないのになぜか大なべが あるし、乾麺が大量に積んであるし、携帯糧食はないし、これが冒 険者の準備なの?﹂ ﹁あ、そういえば話してなかった。水と火に関しては今回心配して もらわなくて大丈夫﹂ ﹁なんでよ﹂ ﹁僕とエルが魔術でなんとかするから﹂ 唖然とした様子の二人。 ﹁ハハッ・・・何言ってるのよ。乾麺を調理できるくらいの水を何 度も作り出しても大丈夫なわけないじゃない﹂ ﹁いやいや、大丈夫だから。少なくともあの不味い携帯糧食は食べ 288 なくて済むよ﹂ ﹁確かにアレが無いのはちょっとほっとしますけど、大丈夫なんで すか?﹂ ﹁うん、水出すくらいならいくらでも大丈夫だよ﹂ バッグに突っ込んでいるカップと杖を取り出して水を注ぎ、氷を投 入してからごくごくと飲む。 魔力によって精製された水はなぜか若干硬めなので冷やしたりしな いとあまり美味しくない。 煮込み料理には向いてるから欠点ばかりではないけど、できれば選 択式がよかったなぁ。 ﹁いずれにせよ後でご飯を作るときにも使うからその辺で信じても らえると思うよ﹂ ﹁﹁・・・・・・﹂﹂ 289 1︵後書き︶ ﹁どうでもいい話なんだけどさ、魔術で水を精製すると驚かれるよ ね﹂ ﹁うむ﹂ ﹁ウィルから聞いたんだけど氷の礫とか氷柱を撃ちだす魔術はワリ と一般的らしいよ﹂ ﹁うむ﹂ ﹁じゃあ何でこんなに魔術で水を精製すると驚かれるんだろう﹂ ﹁主、あれは魔力を冷却してあの形にしているだけで水から作った 氷で出来てるわけじゃないぞ﹂ ﹁あれ? そうだったの?﹂ ﹁ひょっとして主が今まで使ってたアレは全て水から作った氷柱だ ったのか?﹂ ﹁うん、そのままだと折れやすいからちゃんと魔力で表面を覆って 強化はしてたよ﹂ ﹁・・・さすがの妾もそれには気がつかなかったぞ﹂ 290 2 チェネスという場所はどうも王都とガルトの間くらいで、そこまで は大体一日とちょっとで着くらしい。 依頼終了後にその辺で降ろしてもらってガルトまでのショートカッ トだ、なんて思ったんだけど周辺に集落なんてものは存在しないら しくて完全にぬか喜びをしてしまった。 ちょっと考えてみれば食べ物を前もって4日分も買っているし当た り前か。 交渉次第で分からないところもあるけど、おそらくこの依頼を終え てから一度王都に戻り、その後乗合馬車であちこち経由しながらの んびりとガルトに戻ることになりそうだ。 馬車の乗り心地は意外なことに前よりもかなり良好で、速度の割り に振動が非常に少なくて快適。 さらに木で出来た居室の上に座ったり寝そべったり出来るので風景 をパノラマで楽しむことだって出来る。 こんなだったら馬車の旅も悪くはないなぁ。 ・・・自分より若い人間に御者台を任せてボケッとするというのも どうかと思うんだけど、実際問題できることは何一つ無い。 僕に出来ることといえばご飯を作ることと何らかの敵が現れたとき にそれを迎撃すること位だ。 依頼の内容的には全く問題ないはずなんだけど、それでも心情的に・ ・・ね。 御者台に座るウィルとアリアの方に目と耳を向ければ相変わらず適 291 当な会話を続けているが、よく話の種が尽きないものだと思う。 あんまり聞き耳立てるのもあれなので微妙に聞こえる会話のみが頭 に入るが、学校の話が多くて思わず自分の大学生活を思い出してし まった。 ﹁主が学生だった頃はどんな生活をしていたのだ?﹂ ﹁いや、今も学生なんだけど・・・﹂ 既に一ヶ月以上自主休校してるけど僕は大学生ですからね? ﹁そういえばそうであったな﹂ ﹃なら、主の学生生活について教えてくれ﹄ エルは学生二人の話に触発されて随分と気になっているらしい。 わざわざ念話でってことはもう包み隠さず話してくれって事に違い ない。 が、今はともかくとしてただの大学生の生活にそれほど面白い点が あるかというとまた微妙なんだよなぁ。 げーむせんたー ﹃基本的に学生なんだから勉強してるだけだよ?﹄ ﹃どんなことを勉強していたのだ? ほかにも だったかで遊んでいたと言っていたではないか﹄ ﹃うーん・・・。まず僕はいわゆる情報系で主にコンピュータに関 する勉強をしていたよ。コンピュータっていうのは・・・なんだろ、 こちらの世界に対応するものが無いからちょっと説明しづらいんだ けど、人の生活を豊かにする形の無いものを作るための道具だと思 ってくれればいいかな﹄ ﹃形が無いのに豊かになる? 魔術のようなものか?﹄ ﹃ある意味近いのかも。たとえばこの世界で商売するときにさ、買 い物してもらった相手の性別、年齢、季節、金額なんかを全て記録 292 とか これはちょっとでいい コレを沢山仕入れと なんて自動的に判断し しておいてさ、来年からはその記録を使って けば売れる てくれたりしたら便利でしょ?﹄ ﹃そ、そんなことが出来るのかっ!﹄ ﹃いろいろ手続きが必要だけど出来るよ。とにかくコンピュータっ ていうのは膨大な量の情報を集めて丸めて扱いやすい形にするのが 得意なんだ﹄ ﹃・・・凄い、な。主はそういったことを勉強していたのだな﹄ ﹃うん、でも学生だからまだそんなにあれこれ出来るワケじゃない けどね。あとは一般教養とかだからこっちと同じだと思う﹄ あれこれ聞き続けるエルに対して律儀に答え続けること30分くら い。 話題はいつの間にか大学の内容から普段の生活に移り、僕のぐーた とはなんだ? ゲームと ら生活が半分以上あらわになってしまった。・・・エルが相手じゃ げーむせんたー なかったらまず話してないな。 ﹃なるほどな。じゃあ いうくらいなのだから遊ぶ場所なのだろう?﹄ ﹃ゲームセンターは僕らの世界における割りと一般的な娯楽施設で、 たとえば魔術で作られた仮想のターゲットが次々出てくるからそれ を魔術で迎撃し続けるとか、やっぱり魔術で作られた仮想の馬でレ ースしたりとか、そういうゲームが出来る場所だよ﹄ たぶん、間違ってないはず? 微妙に違ったとしてもエルは興味津々といった具合に目を輝かせて いるので期待には沿えたと思って良さそうだ。 ﹃魔術で遊ぶ、か。今まであまり考えたことが無かったが言われて みればいろいろ出来そうだな﹄ 293 ﹃出来ると思うよ。たとえば今から出来る手軽なので考えれば・・・ 。そうだな、一人が空に円盤状の氷を撃ちだしてもう一人はそれを 何らかの魔術で撃ち落すとかさ。やるとしたら円盤を投げるのは僕 じゃ無理だからエルにお願いすることになると思うけど﹄ 僕が投げると多分超高速でかっ飛んで行ってしまう。 調整の出来ない自分の体がちょっともどかしいなぁ。 ﹃それは面白いかも知れぬ、ちょっとやってみたいぞっ﹄ ﹃僕らだけでやるといろいろ問題かもだからアリアとウィルも巻き 込んでみようか﹄ ﹃うむ﹄ のそのそと居室の上から御者台に頭だけ出すと暇そうなアリアにそ れを優しい目で見るウィル。 なんとも仲が良さそうだ、というより長期休暇で一緒に旅行に行く くらいなんだから当たり前か。 ﹁暇ねー。なんか面白いこととか無いのかしら﹂ ﹁さすがに馬車だからね。でも魔獣の襲撃とかがないのはほっとす るよ﹂ ﹁来たら来たで片付けてやるわよ﹂ ﹁そういって前も危なかったじゃないか﹂ ﹁・・・まさかあんなにゴブリンの群れが襲ってくるとは思ってな かったのよ﹂ ん、幸い暇してるな。 これなら食いついてくれるかもしれない。 ﹁暇ならちょっとゲームを考案したからやってみない?﹂ 294 ﹁暇だしやるわ、ウィルは?﹂ ﹁僕は馬車があるから・・・﹂ ﹁それさ、ちょっと教えてもらえないかな? 簡単そうなら僕が代 わるよ﹂ ちなみにこの質問は最初馬車に乗るときにもしているのだが、ウィ ルに﹁唯でさえ安い値段で手伝ってもらってるのに∼﹂みたいなこ とを言われて断られてしまったのだ。 そんな気にすることじゃないのにね。 ﹁え、でも、ほんと申し訳ないですから・・・﹂ ﹁いいじゃない、ウィルだってずっと手綱を引いてたら暇でしょ。 折角代わってくれるって言ってるんだから﹂ ﹁そうそう、ウィルも遠慮しないで使えるものは使ったほうがいい よ。あとね、僕は今までの人生で馬なんてロクに触ったことがない から凄く興味があるんだ﹂ にっこり笑ってそういうとウィルはかなり悩んだあとにようやく僕 に手綱の引き方を教えることに納得してくれた。 馬車の手綱の引き方は意外と単純で、少なくとも直線がひたすらに 続くこの道ではほとんど操作がいらないことも同時にわかった。 これなら裏方作業︵魔術で氷の円盤を作る役︶をやりながら馬車の 操作も出来そうだ。 ﹁さて、それじゃあそろそろゲームの説明を始めるよ。ゲームのル ールはとても単純。エルがこのくらいの大きさの円盤を空に投げる からそれを魔術で撃ち落すだけ。速度のある円盤に魔術を命中させ るのは簡単じゃないと思うけど、その辺の難易度は円盤のサイズを 調整することで解決するから後で感想を聞かせて欲しいな﹂ ﹁わかりました﹂﹁やってやるわ﹂﹁待っていたぞ﹂ 295 馬車の速度をやや落とした後、杖から直径40cmほどの氷の円盤 を作り出して皆に見せるとすぐに納得したような表情で頷いてくれ た。 おっけ、掴みはよし。あとは実戦だな。 ﹁じゃあとりあえずデモってことで僕が一度やるよ。エル、円盤は コレを使ってくれ﹂ ﹁了解だぞ﹂ そういってからエルに作成した氷の円盤を渡して準備完了。 ﹁準備おっけ、いつでも飛ばしてくれて構わないよ﹂ ﹁主、行くぞっ!﹂ エルが前方というにはやや斜めに円盤を撃ち出す。 円盤を確認してから魔力を練り上げて直径3mm程度の極小の氷の 礫を無数に作成、着弾までのタイムラグから円盤の場所を予想して 発射。 相変わらず気の抜ける音と共に撃ち出された無数の礫は僕の狙い通 りに命中し、円盤を粉砕して空に氷をばら撒く。 ・・・あー、命中してよかった。これで外してたらカッコがつかな い。 ﹁と、いう具合かな。ルールは単純でしょ? ちなみにいまさら気 づいたけど馬は大丈夫かな。僕の知識だと馬って音に敏感らしいん だけど﹂ ﹁いつも魔術が飛び交う学院の馬なので大丈夫です、安心してくだ さい﹂ ﹁そ、そうなの? そりゃよかった﹂ 296 え゛・・・。いつも魔術が飛び交う? ま、まあ、あのおとなしいウィルが言うくらいだから僕が思ってる ほどの危険地帯ってワケではないんだろうけど・・・。 ﹁んじゃ僕は円盤を作っておくから適当に遊んでみてくれ、エルは 投げ方とか調整してあげると楽しみやすいかもしれないからよろし くね﹂ ﹁うむ、了解だぞ。さて、どちらからやるのだ?﹂ ﹁アリアからやったら? さっきから目がキラキラしてるよ﹂ ﹁ありがと、ちょっと待って、今杖を用意するから﹂ 楽しそうな声を背中に受けながら僕は馬車の操作、ちょっと地味か もしれないがコレが意外と面白いのだ。 たまに変な方向に進もうとしてしまうのを手綱を引いて調整したり、 速度をいじったりするのは単純ながらなんとも奥深い。 これをきちんと操作できるようになるには結構な量の訓練が必要に なりそうだ。 ﹁投げるぞ?﹂ ﹁大丈夫よ。・・・っ! 風よっ!﹂ 僕のときに比べるといくらか低速の円盤めがけてアリアが魔術を放 つ。 風の塊と思しき︵大気って普通見えないから︶緑の塊は円盤めがけ て吸い込まれるように進んで行くが、斜めに飛ぶ円盤の動きを予想 しきれなかったために失中してしまった。 ﹁おしい。これ、時間があれば杖の魔法陣を書き換えたいかも﹂ ﹁確かにユートみたいな散弾状の魔術に切り替えたほうが当てやす 297 そうね。ただあんまり威力を下げると今度は円盤が割れないかも知 れないわ﹂ ﹁その辺は調整していくしか無いと思うよ﹂ なんだか凄く魔術の学校の生徒らしいセリフが聞けた気がする。 僕もエルもそういうのいらないから気にしたことも無かったよ。 ﹁さあ、もう一度行くぞ。準備はいいか?﹂ ﹁もちろんっ!﹂ ◆ 途中ウィルと交代してもらって四人で遊びながら進むと時刻はすっ かり夕暮れ。 エルは自分で投げて自分で命中させるのを嫌がったので僕が試しに 投げてみたら予想通り円盤が空へと向かって高速でかっ飛んで行き、 あっという間に見えなくなってしまった。 ま、その代わりにウィルとアリアが交代で投げてくれたので結果オ ーライだとは思う。 ﹁いやー。面白かったわ。あんな大きい円盤に当てるのがこれほど 難しいとは思わなかったわ﹂ ﹁そうだね、面白いだけじゃなくて魔術の制御能力の訓練にもいい かもしれないくらいだった﹂ クレー射撃もどきはかなり好評、楽しんでもらえたようで何よりだ。 298 最初はなかなか命中しなかったのに、後半からはかなり当ててくる ようになったので円盤の直径を途中から小さくしたくらいだ。 ﹁楽しんでもらえてなにより、さて、とりあえずこの辺で野営しよ っか﹂ ﹁わかったわ﹂﹁はい﹂ と、いっても前と同じでやることは意外と少ない。 今回は全員が馬車の居室で寝れるほどなのでテントすら不要。 やることといえばかまどくらいだが、これも僕のバッグから取り出 した携帯用のグリル台でほとんど解決する。 大鍋はグリル台に乗らないので地面を掘って竈を作成したけど作業 量としては凄く少ない。とてもアウトドアしてるとは思えないくら いだ。 ﹁エルー、鍋に水を張っておくから沸かしておいてくれー﹂ ﹁了解だぞ﹂ エルに鍋を任せ、その間に僕はソースを作る。 グリル台の上に置いたクッカーに食用オイルと若干のにんにくと唐 辛子を投入。 オイルに十分に香りが移った段階で角切りのベーコンと塩を入れる。 数分でベーコンがカリッと焼き上がり、辺りに香ばしい香りを振り まく。 非常におなかが減る香りだが、状況としてみるならばまだ中盤もい いところ。 お湯が沸くまでじっと我慢で待つこと数分。 ﹁主、鍋の水が沸いたぞ﹂ 299 ﹁よっしゃ、待ってた﹂ スパゲティはどれくらい食べられるかわからないのでとりあえず4 人で1kgくらいでいいか。 どうせあまったら僕かエルが食べるし。 鍋の中に塩をどばっと入れてからスパゲティを投入し、待つこと7 分。 60秒ズレるだけで麺のコシがあっという間になくなってしまうの で茹で時間というのは正確に測るのが非常に重要。 ﹁どれどれ・・・。ん、まあまあ﹂ 麺を一本取り出して食べてみると大体アルデンテな感じ、太さがば らついているので若干危険かもしれないが食べれないほどじゃない と思うので全然おっけー。 ﹁主・・・﹂ ﹁いや、これは試食っていうよりも確認だから。そんな目で見ない でよ﹂ ジト目でこちらを見つめるエルに苦笑しながらも、茹で汁と固形鶏 がらスープをクッカーに投入し、残りの茹で汁を全て捨ててほぼ完 成。 スパゲティがさめないうちにクッカーの中のソースを沸騰させ、今 度はスパゲティを茹でた鍋にそれを投入してかき混ぜる。 これでベーコン入りのペペロンチーノが完成。いぇい。 ﹁いい香りだな。やっぱり主は料理が上手いと思うぞ﹂ ﹁ありがと﹂ 300 バイト代が入る前とか、そういうびんぼぅな時は毎回スパゲティだ ったからなぁ。 その経験がまさかこんなタイミングで役に立つとは全く思っていな かった。 人生何が役に立つかなんて全くわからんね。 ついでにクッカーに再度水を張り、携帯スープとベーコンを入れて 暖めておく。 凄く投げやりだが、これでスープも完成。 ﹁・・・今私が見ているのは現実かしら?﹂﹁・・・たぶん﹂ ﹁大丈夫? ご飯できたよ?﹂ ﹁え、ええ。作ってくれてありがとう。ほら、ウィルもいつまでも そんな風になってないでしゃんとしなさい﹂ ﹁すいません。今お皿の準備をしますね﹂ いそいそとウィルが馬車の中から食器の類を取り出して僕に渡して くるので、それにペペロンチーノをよそって出来上がり。 残念ながらアウトドアなので3品以上作る余裕は無いが、それでも この世界における野外料理よりは遥かにマシな物に仕上がったと思 う。 全員に食事がいきわたった後に一口食べてみる。 ベーコンとにんにくの旨みが染み込んだスパゲティはシンプルなが らも唐辛子のアクセントが後引く感じで結構上出来かな? ﹁このスパゲティは凄く美味しいぞ。塩味のソースなのに辛味が絶 妙で飽きが来ないようになっているところが特に良いな﹂ ﹁そういってもらえると工夫した甲斐があるよ。二人は大丈夫? 301 抑えたつもりだけど辛すぎたりはしてない?﹂ ﹁そんなことないです。まさか野外でこんな美味しいものを食べら れるとは思いませんでした﹂ ﹁そうね。十分すぎるほど美味しいわ。もし好みを言わせてもらえ るならばもう少し辛くてもいいと思うわ﹂ うん、どうやら好評のようでなにより。 自分が作った物を食べてもらうときって結構緊張するんだけど、こ う言ってもらえると胸のつかえが取れた感じがして凄くほっとする。 ﹁ユート達って携帯糧食とか食べるの? いや、食べられるの?﹂ ﹁食べられるけど食べたくないよ。あれ不味いし﹂ ﹁そうだな、あれを食べるのは追い詰められてからで良いぞ﹂ ﹁ま、そりゃそうよね。こんな美味い食事をする冒険者なんてたぶ んユート達くらいよ? ほとんどの冒険者達は携帯糧食で、運がよ ければ罠で取れた動物が食べられるくらいだもの。全くとんでもな い冒険者に仕事を依頼しちゃったかしらね。これからは一体どうや って携帯糧食を食べればいいのよ﹂ ﹁その辺は・・・たぶん努力じゃない? ユートさんみたいな真似 は僕らじゃ出来ないし﹂ ﹁うわっ、正論過ぎて言葉もないわね。確かに対応策なんて思いつ かないけど﹂ わいわいと会話をしながらも食事は続き、結局やや多めに作ったつ もりのスパゲティとスープは少しも残ることなく完食。 こんなにも綺麗に平らげてもらうのは嬉しくて、ついつい気合を入 れて食器類を洗ってしまう。 水はね防止のために魔力障壁を展開しながら高圧洗浄器で汚れを落 とし、エルの魔術で一気に乾燥。 新品のようにぴかぴかになったそれらを馬車に片付けて食事の後始 302 末も終了。 前と違って美味いものも食べれたし、今日はきっとよく眠れそうだ。 303 3 ただいま調査二日目のお昼過ぎ。 エルによるとどうも結構前からチェネスに入っているらしいのだが、 昨日から変化の無い景色が続いているためにそれがどこからなのか が僕には全くもってわからない。 この世界では一体どういう基準で地図を区切っているのだろうか? 謎は深まるばかりなり。 ﹁風が気持ちいいね﹂ ﹁そうだな、天気といい気温といい実に清々しくて良い感じだ﹂ 居室の上で涼やかな風を受けながらまったりと和んでいると、ヒョ コっと頭だけを出したウィルがこちらを見つめてくる。 なにか言いたげなその様子はまるで小動物かなにかのようでなんと も微笑ましい。 ・・・男の子に対してこの表現はどうかとも思うのだが、思ってし まったのだから仕方が無い。 ﹁そろそろ調査目標の洞窟が近いです。ここからは徒歩になるので 馬車は留めちゃいますね。・・・ほら、アリアも準備して﹂ ﹁あれ、この辺だったっけ? ごめんごめん、すっかり忘れてたわ。 先に準備してるわね﹂ そういうとウィルはその辺にあったちょうど良い太さの木に馬車を 留めて居室の中へ。 30秒もしないうちに似たようなバッグを斜めにぶら下げた二人が 居室から降りてくる。 304 おそらく杖もバッグも学校指定の何かだと思う。ややデザインが異 なるのは男女の差かな? それにしても準備が早いなぁ。 僕らと違ってきっちり居室内に荷物を置いているのにこの速度。 旅慣れっていうのはまさにこういうことを言うんだろうね。 ﹁エル、準備は・・・って荷物もないし大丈夫か﹂ ﹁うむ、妾はいつでも良いぞ﹂ 僕らは基本的に準備というものがないのでそのまま降りるだけ、非 常にイージー。 精々手に持っていたバッグを斜めに掛けるくらいか。 ﹁洞窟までは遠くはありませんが、なにかあったときはよろしくお 願いします﹂ ﹁了解、任された﹂ 大自然の森の中を歩くのはとても健やかな気分になれて非常に良い 感じだ。 主にブナのような木で構成されたこの森林は意外と明るくて開放感 があるし、木漏れ日の光はまるで乾麺のような一筋の光となって大 地を明るく照らし、森全体がキラキラと輝く様はまさに圧巻の一言 に尽きる。 こんなの日本で見ようと思ったら白神山地とかの奥まで行かなくち ゃだぞ。 それをこんな手軽に見られるなんてっ! 途中にやたら太い木があったり、どこかの配管工を彷彿とさせるよ 305 うなキノコがあったりとかなり新鮮な風景が広がっているのだが、 学生二人組みからしてみれば別にどうでもいいものらしく、さくさ くと歩いていってしまうのであまりゆっくりと見ていられないのが 残念だ。 ﹁そういえばさ、ウィル達は目的地の洞窟で一体なにを調査したい の?﹂ 聞く機会がなかったのでなかなか聞けなかったのだが、実は結構前 から気になっていた。 ギルドで話し込む彼らに割り込むようにして依頼を受けてしまった から詳しいところは良くわかっていないのだけど、ギルドへ報告を 入れなくちゃいけないようなゴブリンの群れに襲われているにもか かわらず再びその場所に足を踏み入れて調査をしたいって言うくら いなんだからそれなりの理由はあるんだろう。 ﹁あー・・・。笑いませんか?﹂ ﹁大丈夫。笑わない﹂ これは本当。 僕の事情を考えればこの世界ではどんな非常識なことがあったとし ても全くおかしくないし、それを馬鹿にせずに受け止める自信があ る。 なにより考え込むような表情のウィルを笑うとかまずありえない。 ﹁えーっとですね。今回の調査の目標はですね・・・﹂ ﹁なにを言いよどんでるのよ。ほかの荒っぽい冒険者達ならともか くユート達なら笑わないでしょ﹂ アリアに背中を押されたウィルは何かをつぶやくと意を決したよう 306 に口を開く。 ﹁今回の調査の目標は、 チェネスの洞窟には精霊がいる 噂の真偽を確かめることです﹂ という ﹁ハッキリ言ってしまうと私たちはその噂を事実だと思ってここま で来たの﹂ ・・・なんと、まあ。 ﹁すっごい興味があるんだけど。なにか理由とかあるの?﹂ ﹁実はこれだという根拠はありません。ただ、洞窟内にある湖には 大量の魔力が集まっているので昔からそういう噂があって、僕はそ れを実際に見てみたいんです﹂ ﹁誰か遭遇した人とかいないの? それだけ昔から噂になってるな ら誰かしらが知ってるんじゃない?﹂ ﹁たまに酒場とかで話題になっているらしいのですけど、まともに 調査されたことなんて一度もないんです﹂ ﹁調査されたことないんだ・・・﹂ ﹁ええ、お金も掛かりますし、確度の低い情報だとどうしても優先 順位が下がってしまって・・・﹂ ﹁世知辛い現実を考えるのはやめよう。せっかくのロマンにあふれ る探索なのに悲しくなってくる﹂ あれか、まともな調査機関がチェックしてないってことは扱いが徳 川埋蔵金レベルなのか。 うーん・・・。そんな扱いだと正直そこで精霊が見つかるとはとて も思えないなぁ。 ﹃エルはどう思う?﹄ ﹃どうだろうな? 精霊なんて全員好き勝手にしておるしな。ただ、 307 ひょっとして なの?﹄ 魔力が集まっている場所を好む者は多いからひょっとするといるか も知れぬぞ﹄ ﹃精霊が好む場所なのに確率の表現が ﹃うむ。そういう場所はほかにも沢山あるし、何より妾たちは数が 少ないからな﹄ ﹃なるほど。じゃあ会えるかどうかは完全に運しだいってことか﹄ ﹃そうなるな﹄ まあ会えればラッキーくらいでいいのか。 幸いこの辺の風景を見ながら歩くのは楽しいし、仮に何一つ見つか らなかったとしても無駄足ではないんじゃないかなんて思うよ。 お、あの花綺麗だな。5cm弱の細長い花弁の先端は深い蒼なのに 中心に近づくにつれて白くなっているのがいい感じ。 この風景を心の中でしか保存しておけないのはすごく残念。 バッグにコンデジが入っていればなぁ。・・・んにゃ、あっても電 池ないし駄目か。 そんな風に楽しみながら歩くことたぶん一時間とちょっと。 僕の目の前には広くも狭くもない洞窟の入り口。 岩と岩で挟まれるようにして作られたそれは暗く、明るい外から中 を伺うことは出来そうにない。 さすがに蛍光灯とかが設置された日本の鍾乳洞とかとは違うからな ぁ。 ﹁どうしたの? ひょっとしてユートって暗いところが怖いとか?﹂ ﹁そんなことないよ。ただ、崩落したらどうしようかなーって思っ ただけ﹂ ﹁・・・そんなこと言われると入りたくなくなるんだけど﹂ 308 ﹁昔からある洞窟みたいだし、たぶん大丈夫でしょ﹂ ﹁じゃあなんでそんなこと言ったのよ?﹂ ﹁特に意味はないけど﹂ ﹁﹁・・・・・・﹂﹂ さすがにここからは僕とエルが先頭だ。仮にも護衛だしね。 まずは杖の先端に魔術による照明︱︱便宜上松明と呼ぶことにしよ う︱︱を作成して光源を確保。 最初は軍用懐中電灯でも使おうかと思ったのだけど、アレはあまり にも明るい上にスポットがきついのでそこしか見えなくなってしま うのでたぶん駄目。 洞窟の中で明かりを使うたびに暗順応を待つとか面倒くさ過ぎる。 ついでに視界を熱感知式に切り替えるとか、光を増幅して視界を確 保するのも駄目。 あれをやると遠近感が無くなるので洞窟内では歩きづらいし、それ だといざって時に動けないので非常に困る。 ﹁んじゃ、先入るね﹂ 洞窟の中に足を踏み入れるとひんやりとした空気が僕を包み込む。 二人はここに来る途中でゴブリンの集団に襲われているわけだし、 こういう洞窟に危険な化け物が潜むのはある意味お約束だから注意 深く進まないと危ない気がする。 ﹁暗いね﹂ ﹁そうだな、今のところ魔術の照明の範囲以外はほとんど見えない ぞ﹂ ﹁何かに襲われて怪我するより、つまずいて怪我する可能性のほう が高そうなんだけど﹂ 309 とりあえずこの入り口の辺りは安全そうだ。 化け物に出待ちする知能があるとは思えないけど、同時にやられた ら一番危険な場所だから何もなくて良かった。 ﹁こういう洞窟なんて始めて入ったけど涼しいね﹂ ﹁そうね。これで湿気がなければ完璧なんだけど﹂ 二人は杖の先ではなく空中に光源を設置して明かりを確保している ようだ。 ふよふよと浮かぶそれは20W電球程度の明るさもなく、闇を切り 裂くとはとてもいえないが同時に必要十分。 おまけに彼らの動きに追従するので利便性は相当なものだと思う。 ﹁明かりとかも含めて大丈夫そうだね。先に進もうか﹂ ﹁わかりました﹂ ようやく目も慣れてきて薄暗いながらもなんとか辺りを見渡せるよ うになってきた。 松明を直視しちゃうとまた見えなくなっちゃうからその辺は注意し て、と。 洞窟内部の横幅は比較的広くて四人が並列に歩けるくらいなのだが、 いかんせん足元が悪くていけてない。 30cm程度の石︵岩?︶が無造作に転がっていたりするので油断 すると転んで捻挫とかになりそう。 こういう場所でそういう怪我はヒジョーにかったるいので極力注意 して進まねば。 ﹁きゃぁっ!﹂ ﹁アリアっ!﹂ 310 思った舌の根も乾かぬうちにこれだよ。 原因はわからないが何かにつまずいたのは間違いない。 隣にいたウィルがあわてて体を支えたおかげでひざを打ったりとか そういうことはなかったものの、足を捻ったりしてないか微妙に心 配。 ﹁大丈夫? 足とか捻ってない?﹂ ﹁大丈夫、全然問題ないわ。体支えてくれてありがと﹂ 大丈夫そうで何よりなんだけど一応見たほうがいいかな? ﹁少し休憩じゃないけど止まろうか。エルはアリアの足を見てあげ てくれない?﹂ ﹁了解だぞ。・・・ほら、そこらへんにアリアは座ってくれ。そう じゃないと足が良く見えないのだ﹂ ﹁え、ええ。わかったわ﹂ 洞窟の地面が乾いてて良かった。 これでジメッとしてたらなかなか座り難かったと思う。 目を閉じて集中するエルが何かをつぶやくと杖の先端に緑色の光が 灯る。 その光がゆったりとアリアの両足首に流れていく様子は薄暗い洞窟 の中ということもあってなんとも神秘的な光景だ。 ﹁うむ、大丈夫そうだな﹂ ﹁ありがと。エルシディアさんのおかげでもうばっちり大丈夫よ﹂ ﹁それは良かったぞ。こんなところで怪我をして進めなくなったら つまらぬからな﹂ 311 ﹁そうね、もうちょっと気をつけるわ﹂ ん、どうやらすっかり大丈夫らしい。 本当に治療術ってチートだよね。 山歩きでマメが出来たとしてもまったく問題なく一瞬で治療出来そ うだ。 この世界の外科技術って下手をすれば僕の世界より優れてるんじゃ ないだろうか。 ﹁ユートさん、アリアも大丈夫みたいですしそろそろ進みませんか ?﹂ ﹁そうだね。進もうか﹂ それからは特に何か変わったこともなく順調に進み、10分もしな いうちに目的地の地底湖に到着。 僕は一般的な地底湖を予想していたのだが、さすが異世界。レベル が違った。 サイズは直径30m程度の楕円形。 深さは不明。底が見えないのでおそらく相当深いかと思われる。 ﹁・・・・・・﹂ ﹁驚いた・・・﹂ ﹁綺麗、ね・・・﹂ ﹁こんなに精霊が集まっているのは久しぶりに見たな﹂ この地底湖には驚くべき点が多い まず一点目、小さい光の玉が無数に存在している。色は様々だが、 薄い蒼の光が一番多い。 次に二点目、おかげでこの辺だと松明がなくとも十分な視界を確保 することが出来る。 312 さらに三点目、エルの発言からこの光の玉は精霊であるらしい。 さらにさらに四点目、変な男が湖のそばに座って精霊と戯れてる。 いやいや、こんな水が精霊のおかげで文字通り蒼く輝く幻想的な光 景で精霊と戯れるのは何かの巫女っぽい人と僕の中の常識では決ま ってるのだけど。 ﹁よお、久しぶり﹂ ﹁へ?﹂ この間の抜けた返しはいったい誰がしたんだろう。 僕がしたような気もするし、アリアもしたような気がする。 ﹁誰か知ってる人?﹂ ﹁﹁﹁・・・・・・﹂﹂﹂ ちょ、え? 向こうは久しぶりって言ってるんだから誰か知ってな きゃおかしいでしょ。 身長180cmくらいの茶髪の男は端正な顔をゆがめた上で額に指 を当てて苦悩をアピールしているが、少なくとも僕はこんな人を知 らないぞ。 ﹁エル、さすがにその反応は傷つくんだが。俺だよ俺、覚えてない ?﹂ ﹁・・・・・・・・・あっ! お前アーウェか。確かに久しぶりだ な﹂ ﹁そうそう。思い出してくれた?﹂ ﹁なんとなくだがな。というかこんなところで何をしているのだ?﹂ ﹁今までいたところが飽きてきたから移動してぼけっとしてただけ。 何をしていると聞かれても何もしてないとしか﹂ 313 なんだこのニートは。 何もしてないとかドンだけなんだろう。 それにしてもエルのこと知ってるということは・・・。 ﹁ねえ、エル。ひょっとしてこの人って・・・﹂ ﹁こいつはアーウェ。一応精霊といわれる存在だな﹂ ﹁さっきの忘れさりっぷりとか、今の表現とかなかなか傷つくんだ けど﹂ ああ、やっぱりそうなのか。 じゃあ精霊と戯れてたのも不自然ではないんだな。ちょっと納得い かないけど。 ﹁大体エルはこんなところで何をやってるんだ? 人間を連れて歩 くなんて珍しいじゃないか﹂ ﹁なに、妾は主と契約しておるからな﹂ ﹁はぁ∼? エルが契約? あれだけ縛られるのを嫌がってたじゃ ん﹂ ﹁主は妾を縛ったりしないし、美味しいものは食べられるし、パー トナーがいるというのは心地よいぞ? 少なくとも一人で旅をする よりはずっと良い﹂ じろり、とアーウェが僕を見る。 その視線がとても嫌なので思わずウィルを見る。 ﹁え、ユートさん。その視線は何でしょうか?﹂ ﹁せっかく噂の精霊に会えたのにさっきから何もしゃべってないか らさ。なにか聞きたいこととかそういうのがあったんじゃないの?﹂ ﹁正直こんなにあっさりと会えるなんて思ってなかったので何も考 314 えてなくて・・・﹂ ﹁それよりも私はエルシディアさんのことのほうが気になるんだけ ど。さっきの話しからするとエルシディアさんも精霊なのよね?﹂ まあ、もはや隠すことでもないよね。大々的に言うことでもないけ どさ。 エルもまったく気にした様子を見せずにうなずいてるし。 ﹁うむ。妾は精霊だぞ﹂ ﹁歴史上になかなか出てこないからあんまりわかってないんだけど、 契約ってどういうことなの?﹂ ﹁うーむ。説明するのが難しいな・・・。単純に言ってしまえば相 手の魔力をもらって魔術的なつながりを持つことだぞ。そうすると いろいろ出来るようになるのだ﹂ それよりも とか言われて放置されてるアーウェ ああ、ついにアーウェが放置されてエルによる精霊説明会が始まっ てしまった。 ・・・アリアに が落ち込んでるぞ。 ﹁せっかくなんだから普通俺に聞くんじゃないの? 俺も精霊だよ ?﹂ ﹁じゃあいくつか質問﹂ ﹁よしきた。何でも答えよう﹂ フンッ、と胸を張るアーウェ。 エルと初めて会ったときもこんなやり取りだったよーな気がする。 ﹁12,3日前に二人がこの地底湖を探索しようとしたときにゴブ リンの群れに襲われてるんだけど何か知ってる?﹂ 315 ﹁・・・すまん、それはたぶん俺のせいだ。ここは魔力濃度が濃い からそういうやつらが集まりやすい。俺がここに来たときにそいつ らを全員追っ払ったのが原因だと思う﹂ ﹁おかげで冒険者が調査のために派遣されてるんだけど会ってない の?﹂ ﹁そんなことになってるのか。そいつらには会ってないな﹂ ﹁来たらどうするの?﹂ なんていってたけど本当にそ ﹁適当にその辺のものに同化してやり過ごす。ここにいるほかの精 精霊は恥ずかしがりや 霊たちも一斉に隠れるだろうな﹂ 前にエルが うなのか。 エルなんてあっけらかんとして人前に姿をさらしてるし、初めて会 ったときからそんな仕草しなかったからなぁ。 ﹁エルはあんまりそういうの気にしない性格なんだよ。普通精霊っ ていうのはもっと人前を嫌がるもんなんだけどあいつはいろんな意 味で別格。まったく気にしないで一人旅だぜ?﹂ ﹁・・・まったくしゃべってないんだけど﹂ ﹁さすがに顔見ればそれくらいわかる﹂ ﹁今回僕らを見て隠れなかったのは?﹂ そこ とかって言われて引きずり出されるだ ﹁エルがいるなら隠れても意味ないし。仮に隠れたとしても で隠れてる馬鹿。出て来い けだ﹂ ﹁なんとまあ・・・﹂ エルの意外とパワフルな一面を見た気がする。 まさか知り合いを引きずり出すような性格だったとは。 アーウェに聞くこともなくなってしまったので一息ついてぽけーっ 316 と地底湖を眺める。 視界の端には相変わらずエルに何かを質問し続けるアリアの姿。・・ ・良く質問が尽きないなぁ。 ﹁ウィル。これからどうしようか﹂ ﹁とりあえずアリアが飽きるまでちょっと休んでませんか?﹂ ﹁じゃあちょっとゆっくりしてようか。・・・お茶とかあればなぁ。 こういうところでまったりとするには最適なんだけど﹂ ﹁そうですね、でもゆっくりとこの光景を見るのもなかなかですよ。 こんな大量の精霊なんてこの先もう一度見る機会があるかわからな いくらいですし﹂ ﹁確かに凄いよね。水の中とかが蒼く輝いてる様はまさに神秘的っ て感じだよ﹂ ﹁大自然の驚異を感じますよね﹂ ああ、まったりだ。 出来ればお茶とお茶菓子があれば完璧だったんだけど。 今後の短期目標はお茶を携行出来るくらいのお金を稼ぐ、だな。 317 4︵前書き︶ ﹁そういえば襲われた原因がハッキリとじゃないけどわかったのに 全然落ち着いてたよね。こう、もうちょっと怒るかとも思ったんだ けど﹂ ﹁あれはそんな命の危機ってわけでも無かったですし、何よりこん な経験が出来たなら悪くないなんて思ってしまって。だから僕にと って今回の一連の出来事は幸運だと言っても良いと思います﹂ ﹁そういうものなの?﹂ ﹁アハハ・・・。何を言ってるんですかユートさん。いっつもアリ アに振り回されてればこんなの慣れっこですからね。ゴブリンごと きむしろマシなくらいですよ﹂ ﹁・・・大丈夫? 目が虚ろだよ?﹂ ﹁そうだ、今回だってそうなんだ。前回だってランドウルフに襲わ れたし、その前だって・・・﹂ ﹁・・・・・・﹂ ﹁きっと次だってこうなるんだ。安全なはずの場所を選んで通って いるはずなのになんでこんなトラブルばかり・・・なんで・・・﹂ ﹁・・・・・・﹂ 318 4 前回の精霊説明会が開始されてどれだけの時間がたったのだろうか。 時刻はすっかり夕方だ。 徐々におなかが減り始めてきた頃にようやくアリアが一息入れると すかさずウィルが帰りの相談を持ちかける。 二人とは少し離れていたので何を話していたのかはわからないが、 最終的に馬車に戻ることが決定。 そのあとアーウェと別れの挨拶を済ませてから僕らは馬車に戻り、 今こうして王都方面へ戻る馬車の上でまったりとした時間を過ごし ているというわけだ。 ﹁ねえ、エル﹂ ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁エルってさ、実はご飯を食べなくても生きていけるってホント?﹂ ﹁・・・・・・﹂ あれこれアーウェと話した結果、非常に衝撃的な事実が明らかにな った。 精霊というのは高密度の魔力で構成された生き物なので魔力さえ供 給されていれば生きていける。 つまり︱︱︱︱精霊に直接的な食事は不要。 冷静に考えてみれば当たり前だが普通の精霊は人里に下りてこない。 なので普通の食事だって無い。あって果物とか木の実とかそれくら い。 じゃあどうやって生活しているのかといえばその辺から魔力を回収 319 していれば大丈夫なんだそうで。 僕からすれば点滴で生きるようなものに思えるので酷く味気なく感 なんて最初のころから言 じてしまうが、精霊にとってはそれが普通なのだから気になるわけ も無い。 宿はどうでも良いから食事は取りたい ってたエルを考えればこの衝撃的な事実を理解するのに時間が掛か ってしまったのは仕方が無いことだと思う。 ちなみに食べ物を魔力に変換する場合、変換に必要な魔力と得られ る魔力の差がほとんどないので酷く非効率とも言われた。ナンテコ ッタイ。 ﹁えっとだな、確かに妾はそこら辺で魔力を取り込めば食事をせず とも生きることが出来る。ただ、生というのはただ無為に過ごすだ けでなく楽しむことも重要だとどこかの先人も言っているし︱︱﹂ ﹁エルの分の食事をカットするとかありえないからそんな焦らずと も大丈夫だよ﹂ やたらに焦ったようなエルを見たら頭で考えるよりも先に脊髄反射 で言葉が出た。 大体散々世話になっているエルに対してそんな仕打ちは出来ないだ ろう、常識的に考えて。 ﹁・・・実際問題、主の負担になっているのは間違いないのだぞ?﹂ ﹁負担ってもそんな高いわけじゃない。それにいまさら一人で食事 なんて悲しくなっちゃうよ﹂ ﹁ホントかっ!? あーもう・・・、心配して損したではないかっ﹂ まるで捨てられた猫のような姿から一転、花が咲くような笑顔を浮 320 かべるエルを見るとこちらまで嬉しくなってしまう。 これはがんばって料理を作らねば。 ﹁あはは、心配させたお詫びに今日もがんばって料理を作るからさ﹂ ﹁ありがとう。すごく楽しみだぞ。今日のメニューは何にするのだ ?﹂ ﹁オイル漬けのドライドトマトで作ったスパゲティと昨日と同じタ イプのスープかな﹂ ﹁ドライドトマト?﹂ ﹁あー・・・。そういえばその辺の固有名詞も違うんだよね。ほら、 ボロネーゼにも使うあの緑の丸っこい野菜だよ。あれを乾燥させて 食用オイルと塩と香辛料で漬けた食べ物。なんにでも合うから便利 なんだよ﹂ 小首を傾げるエルだったが、僕の説明で納得したのか﹁ああ、ソラ クムの実か﹂とつぶやいてから再び表情に笑顔が戻る。 なるほど、トマト=ソラクムね。ひとつ賢くなった。 ・・・とても全てを覚えきれる気はしないが。 ﹁それは凄くおいしそうだぞ。確かにあの香辛料の香りはなんにで も合いそうだな﹂ ﹁そうそう、あれは結構なんにでもいけるよ。パンに挟んでも良い し、塩を控えたタイプのチーズとの相性も抜群。ほかにも今回みた いにスパゲティに使ったりね﹂ ドライドトマト使い道は極めて多い。 そのまま食べることだって出来るし、サラダにも良し、ピザに良し、 基本的に和式な洋食にはなんにでも合う。 元の世界に居たときにはしょっちゅうデパートとかで購入していた ものだが、こちらの世界にもあるとは思わなくて見つけたときには 321 思わず飛びあがってしまった。 お値段は一瓶で銅貨13枚、美味しさと汎用性を考えると非常に安 いんじゃないだろうか。 ﹁うむ、どれも美味しそうだな。王都に戻ったらお店をめぐりたい ぞ﹂ ﹁ちょっと贅沢してなにか食べに行きたいね。・・・そういえばエ ルって昔からそんな風に食べ歩きとかを好んでしてたの? アーウ ェに聞いた限りだと人前を出歩く精霊なんて珍しい、というよりエ ルくらいしか見たことが無いって言ってたんだけど﹂ ﹁そうだな、確かに人前を出歩く精霊は少ないぞ。妾とあと誰だっ たか・・・もう300年くらい前のことなので名前が出てこないが そのもう一人くらいだったな。食べ歩きは最初から好きだったぞ。 自我がしっかりと出来上がった段階で既にあった外に対する興味が 食事に向いたのではないかと思う﹂ 自我が出来上がる? ひょっとしてあの光の玉の状態では自我が薄いのか? アーウェを認識して集まってたりしたから無いってわけじゃなさそ うだし。 あ、でも確かに会話する能力とかは無かったな。 ﹁自我がハッキリしたっていうのはいつぐらいからなの?﹂ ﹁この姿になってからだな。人で例えるなら物心ついたころって言 うのだと思う。その前の記憶も無いわけではないからなんとなくは 覚えてはいるのだが、ちゃんと筋道立てて思い出せるのはこの姿に なってからの記憶だぞ﹂ ﹁ああ、やっぱり光の玉の状態だとそういう自我っていうのは薄い んだ﹂ ﹁そうだぞ﹂ 322 ﹁僕のところじゃ全然そういう存在が無かったから、すごく不思議 な感じ﹂ ﹁妾からしてみれば主の所の人達は全員が精霊みたいなものなので はないかと思っているのだがな。ほんと主は妾たちと魔力の質が似 ているのだ﹂ 僕の世界の人々・・・。 魔術とか魔力なんて御伽噺の世界の住人だよね。 ガスコンロや電子レンジ、冷蔵庫のおかげである意味全員魔術師の ような存在だけどさ。 ﹁こっちじゃ魔力なんて全然だよ。前にも話した科学技術が発達し ているからね﹂ ﹁ふふっ、そうであったな。早く見つけたいぞ。妾は凄く主の故郷 に行ってみたいのだ﹂ ﹁前にも言ったけど歓迎するよ。こっちはこっちで良い所だけどあ っちも楽しいところがたくさんあるからね。・・・さて、そろそろ おなかが減ってきたな。ご飯作ろっか﹂ あ、そういえばエルと最初に会ったときって半透明だったな。 魔力の供給が∼なんてこと言ってたから魔力不足に近い状態になっ てたんだろうけど、そもそもなんでそんな状態になってたんだろ? ・・・ま、どうでもいいか。今はご飯を作るのが最優先事項ですよ っと。 ◆ 323 ナイフを握るのは何のため? そりゃあ飢えた三人組を満足させるためだね。 少なくとも武器としてナイフを握ることは今後も無いだろうと思う。 昨日と同じように大鍋に水を張り、火をかけてお湯を作ってから塩 をだばっと入れてスパゲティを茹でる。 普段より塩の量が少し多いが、今回のソースはスパゲティ側の塩気 をきつめにしておいてソース側を薄味にしておくと味のバランスが 取りやすいためだ。・・・やりすぎると大惨事になるので要注意。 魔術で作った氷のまな板を少し削って皿状にして、この中にオイル 漬けのドライドトマトを投入し、細かく刻んでおく。 次にタマネギをスライスしてからフライパンに投入。 面倒くさいので火力は強め、さっさとしんなりするまで炒める。 ちなみに僕の好みでにんにくを使用していないが、使用したほうが 好きな人は多い。 数分でしんなりとしてくるので、そうなったら細かく刻んだドライ ドトマトをオイルごと投入。 今度は火力を下げてからタマネギが完全にあめ色になるまで炒める。 水分が少なくなって焦げそうになった場合は水を投入してあげると いい。 そうやってタマネギがあめ色になるまで炒めた後に塩で味付け。 本音を言えば胡椒が欲しいが、無かったので仕方が無い。 同時にスープも作る。 こちらは簡単で、携帯スープを投入してから先ほど刻んでおいたタ 324 マネギを投入するだけ。 すごく・・・インスタントです・・・。 ただ、それでも作るのには数分の時間が必要なので、そろそろスパ ゲティもちょうどいい頃のはず。 ためしに大鍋から一本取り出して味見してみるとやはりちょうど良 い具合になっている。 本来はフライパンにスパゲティを入れるが、今回はフライパンのサ イズの問題でなべにソースを投入。 ソースを絡めてからしっかりと混ぜればタマネギとドライドトマト のスパゲティの出来上がり。 ﹁よし、いい感じだ。これで出来上がり、かな﹂ 馬車の傍で食事を待つ三人を呼んでお皿にスパゲティとスープを盛 って食事の準備は完璧。 ﹁香りが凄い食欲をそそるわね・・・﹂ ﹁毎回思うけどコレは反則的な出来だと思う﹂ ﹁おおう・・・。毎回美味しそうだ。主の料理の幅は凄いな、同じ 物食べた記憶が無いぞ﹂ ﹁なるべく飽きられないように頑張るよ。さすがにそろそろ限界が 近いけどね﹂ フォークでズルズルとスパゲティを食べる三人組みを見るとニヤニ ヤしてしまう。 自分の扱えるものが良い評価を受けるというのはやっぱり凄く嬉し いな。 ﹁野菜の甘みとドライドトマトっていうんだっけ? あっさりして 325 るのに妙にうまみがあるもんだから量があるのにぺろりといけそう﹂ ﹁ソース自体は薄味なのに噛み締めるとちょうど良い味加減になる のが不思議です﹂ 二人の感想でさらに顔がニヤける。 ちなみにエルは無言でバクバクズルズルと食べ続けているので感想 は食後じゃないと聞けそうに無い。 顔が楽しげなのでたぶん今回もなかなかの高評価を得ることが出来 ただろう。 結局、あっという間にスパゲティもソースも片手間で作ったスープ も完食されて鍋にはわずかな油が残るのみ。 これを高圧洗浄器でキレイにして馬車に積み込んで今日も無事に終 了。 明日は何を作ろうかな。 いや、ほんとそろそろレパートリーが底を突きそうだ。 パスタの具に使ってないのはフリーズドライのキャベツくらいしか 残ってないし、これも量があるわけじゃないからなぁ・・・。 326 5 ﹁いや∼、着いたね﹂ ﹁本当にありがとうございます。ユートさんとエルシディアさんの おかげで凄いものを見ることが出来ました﹂ ﹁ほんとね。果たしてほかの人に信じてもらえるか微妙なくらいよ﹂ 馬車を走らせること一日と半分。ようやく僕らは王都に帰還。 学生二人組みとの付き合いはごく短い期間だったが、イベント自体 は胸焼けしそうなほどに盛りだくさんでおなかいっぱい。 クレー射撃モドキで遊んだりとかエル以外の精霊が居たりとかバク バクと料理を食べる三人組とか。 終始そんな感じだったものだから、終わってしまうのが少しさびし い。 ﹁ユートさん。依頼の証明書を出してもらっても良いですか? そ ういえばすっかりサインするタイミングが無くて今になっちゃいま した﹂ ﹁あ、そうだった。よろしくお願い﹂ バッグから依頼の証明書を取り出してウィルに渡すと、ボールペン のようなものでさらさらとサインを書いて渡してくれる。・・・お お、達筆だ。読みやすい。 前の依頼のときはハンコで今回はボールペン。 ファンタジーな世界だけに違和感が凄いのだが、たぶんこれを感じ るのは僕だけか。 327 ついでに前回と違う点はほかにもあって、証明書がちゃんと紙で出 来てるのだ。 ガルトだと木札だったのに王都だと紙。 なんだか田舎と都会の技術格差を見せ付けられた気がするぞ。 ﹁ありがと。にしても字綺麗だね﹂ ﹁ありがとうございます。字の練習をしていたときはこんなのが役 っていうタ に立つのかと思っていましたが、こういう機会が増えるたびに練習 こんな勉強が何の役に立つんだ? していて良かったと思います﹂ 子供の頃に思った イプの知識は大人になると意外と役立ことを知って驚くよね。 漢字はもちろんのこと三角関数とかもたまに使うし、歴史なんかも 話のネタになって大変便利。 受験に不要だった地理をちゃんと勉強しなかったから大学で恥をか いて赤面したこともある。 ホント勉強って奴は馬鹿にならない。 ﹁は?﹂ ﹁子供の頃の勉強は大事だよね。僕も21になっていまさら実感し てるよ﹂ ﹁そうで・・・え?﹂ おうふ、久しぶりのこの反応。 そろそろ慣れてきたけど旅をする間は永遠にこの反応を見続けるこ とになりそうだ。 ﹁21ってことは・・・ひょっとしてユートさんって学園の卒業者 ですか?﹂ ﹁んにゃ、違うよ。二人の通ってる学園じゃなくてもっとずっと遠 くの学校を卒業してる﹂ 328 大学は留年か中退になりそうだけどね。 それでも高校はちゃんと卒業してるし、今言ったのはたぶん嘘じゃ ない・・・はず。 ﹁そうだったんですか。すいません、驚いてしまって﹂ ﹁このナリなのは自覚してるし、慣れてるから大丈夫だよ。でも実 際一番年齢と外見がかけ離れてるのはエルだと思︱︱イタッ! ご めんっ! 足踏まないでっ!﹂ ﹁いくら主でも言っていいことと悪いことがある。妾は永遠の15 歳なのだぞ﹂ ジト目でこちらを見つめるエルだが、その口調は軽快そのもの。 おかげで気にしてるんだか気にしてないんだか良くわからん。 大体15歳ってナニさ、冷静に考えなくとも60倍もの開きがある ぞ。 ﹁あはは、それにしてもユート達ってなにか目的があって旅してる の?﹂ ﹁古代遺跡に行ってみたいなんて思ってはいるものの、ほっとんど 観光目的だよ。基本的に美味しいものがあるところと観光名所は回 るつもり﹂ ﹁じゃあそのうちにウィスリスにも来る?﹂ ﹁うん、そのつもり。古代遺跡のヒントがあるかもしれないし、何 より都市全体が教育機関って聞いてるから凄く興味がある﹂ さらに馬車の乗り心地とかを考えれば技術レベルがほかの場所に比 べて優れている可能性が高い。 それならば当然興味が沸く訳で、行かないという選択肢はありえな いだろう。観光の常識的に考えて。 329 ﹁ならそのときは是非僕のところに来てください。名所の案内くら いならきっと出来ると思います﹂ ﹁そうね、ユート達にはかなり世話になったから私も歓迎するわよ﹂ ﹁今地図を渡しますのでちょっと待ってください﹂ 素早くメモを取り出したウィルがガリガリという表現がぴったりな 速度で筆を走らせている。 ・・・子供の頃の訓練の賜物ってレベルじゃないぞこれ、僕がこん な速度でモノを書いた日にはあらゆるものがスプーのようになって しまうがな。 ﹁どうぞ。ちょっと大雑把に描いてしまったのでわかり辛いかもで すが、たぶん大丈夫だと思います﹂ ﹁ありがと。多分そんな遠くないうちに行くことになると思うけど そのときはよろしくね﹂ 一分もしないうちに書きあがった地図は確かに大雑把な感じなのだ が、曲がる場所などを比較的詳しく書いてあるので意外とわかりや すい。 字が綺麗なだけじゃなくて絵心まであるのか、正直うらやましい。 ・・・あ、そうだ。 エルのことは黙っておいてもらうようお願いしておかないと。 あんま目立っても意味が無い上にトラブルの種になりかねない。 もっとも精霊が居るっていって信じる人間がどれくらい居るのかよ くわからないけどさ。 ﹁そうだ、ちょっと今後つながりで最後に2点ほどいいかな﹂ ﹁別にそんなかしこまったような言い方しなくてもいいんだけど。 330 たまにユートって変ね﹂ ﹁かしこまったっていうか、人にモノを頼むときはいつも大体こん な感じだよ。最初に重要な点がいくつあるのか言っておくと話がわ かりやすくてすっきりするからね﹂ ﹁そうなの? なら今度私も使ってみようかしら﹂ ﹁結構オススメ。特に目上の人と交渉ごとをするときに便利だよ﹂ だが2点といっておきながら3点4点話すと激しくげんなりされる から使用には若干の注意が必要。 ちょっといいです 少なくとも前もって話すことはきっちりまとめておかないと逆に悪 印象となってしまうだろう。 でゴリ押しすると楽かも。 ちなみに頭がまとまってないときに話す場合は か ﹁とりあえず一点目。馬車の食料は好きにしてもらって構わない。 僕らが持って歩くにはいささか重過ぎる﹂ ﹁それは助かります。でもスパゲティはちょっと食べられそうに無 いですね・・・﹂ ﹁あはは・・・。スパゲティは水がむちゃくちゃ必要だから確かに きついかもしれないね。ともかくそれが一点目で、二点目はエルの ことは内々に収めてもらいたいんだ。悪目立ちするのはトラブルの 種みたいなものだし、そういうのはあんまり好きじゃない﹂ ﹁わかりました。有名になるのは利点もありますが、ユートさん達 の場合それ以上に欠点のほうが目立ちそうです。特に精霊とその契 約者なんて事実が大っぴらになったら・・・﹂ 能力的にたぶんどこかの軍属にされてから火力支援役になるんだろ ーなー。 給金はいいかもしれないがアチコチ回れないといつまでたっても自 宅に帰る目処が立たないので困る。 331 ﹁そそ、意外と面倒なことになりそうだからよろしくね。さて、そ れじゃあそろそろ僕らはギルドに戻るよ。二人とも気をつけてね﹂ ﹁はい、ユートさん達もお気をつけて﹂ ﹁いい経験させてもらったわ。またね﹂ 馬車に乗る二人を見送って今回の依頼も無事に完了! あとはギルドに行ってお金を貰ってからご飯だな。 ﹁僕らもギルドに行って換金してからご飯を食べに行こうか﹂ ﹁うむ。了解だぞ﹂ 332 1 ロータリー状になっている王都の入り口近辺からギルドまではそう 遠くない。 精々20分も歩けば到着するのでゆっくりのんびりと歩いていたの だが。 ﹁露店・・・減ったね﹂ ﹁さすがに武技大会が終わって数日も経ってしまうとな。だがこれ が王都の日常だぞ?﹂ ﹁わかっちゃいるんだけどなんとなく納得出来ないっていうかなん というか・・・﹂ 武技大会期間中はアレだけ詰まっていた露店が今となってはほとん ど無い。 実際にはこれが日常で武技大会の期間中のほうが異常だったのだろ うが、僕がここに来たときの第一印象があの露店の数だっただけに、 今のこの風景がやたらと閑散としたものに見えてしまうのは仕方な いことだと思う。 ﹁前に食べた串焼き屋とか美味しかったけどあれももう無くなっち ゃってるかもしれないのか﹂ ﹁どうだろう、食べ物系の屋台とかはこの辺の店が出した可能性が あるからわからぬぞ﹂ そんな感じで表通りを観光しながらゆっくりと歩くとまもなくギル ドが見えてくる。 相変わらず市役所のような佇まいのそれはなんともいえない威圧感。 333 こう、背筋が伸びるような? ギルドの中は武技大会期間とそう変わらない感じで、掲示板の周辺 で次の依頼をどうするか考えている冒険者や、僕らと同じように一 仕事を終えた冒険者がU字型のカウンターで事務手続きをしながら 仲間達と談笑している。 やはり全体的に人が減っているのでややすっきりとした印象だ。 ﹁こんにちは、仕事を無事に終えたので換金していただきたいので すが﹂ ﹁かしこまりました。カードと依頼証明書を出していただいてもよ ろしいでしょうか﹂ バッグから取り出したそれらを渡すとオペレーターがにこやかな笑 顔でそれを受け取り、カウンターの内側で確認作業となんらかの操 作をするのだが、なにやら様子がおかしい。 ﹁しょ、少々お待ちください﹂ 何度も僕のカードを確認したオペレーターが焦ったような顔をして 奥に引っ込む。 ・・・あれ? なんかあった? ﹁どうしたんだろうね?﹂ ﹁まったくわからぬぞ﹂ 二人で首を傾げるが、実に覚えがまったく無いのだから答えなんて 出そうにない。 オペレーターがあまりにも帰ってこないので一度U字型のカウンタ ーを離れてテーブルでしばらくほけーっとしてると誰かが近づいて 334 くる。 ﹁すいません。お待たせしました﹂ やってきたのはウィルとアリアへの対応に苦慮していた男性だった。 ﹁ギルドの方ですよね? 先ほどの方は?﹂ ﹁自席に戻ってますよ。今回の件は私が対応しますので大丈夫です﹂ ﹁そうなんですか。あ、イスをどうぞ。気が利かなくてすいません﹂ ﹁これはありがとうございます。前回のときにも思っていましたが 丁寧な方ですね﹂ そんな丁寧なんかな? 日本人的には普通だと思うし、こっちに来てから徐々に口調が荒く なってる気がするんだけど。 最初の頃はもうちょっと誰にでも丁寧だったよーな・・・。 ﹁あまり自分ではそう思っていないのですが、そう見えますか?﹂ ﹁ええ、とても﹂ ﹁主は普通の冒険者と比べると異常だぞ。酒を飲んでもろくに騒が ないし静かだし﹂ ﹁・・・・・・﹂ まあ、とりあえずマイナスポイントではないしいっか。 異常といわれつつも別に貶されたわけじゃないからね。 ﹁・・・失礼、話がズレました。とりあえず報酬とギルドカードを どうぞ﹂ ﹁ありがとうございます。・・・あれ? なんか色が違いますけど 間違ってませんか?﹂ 335 報酬は銀貨12枚。これはおっけー。 違うのはギルドカード、今までの茶色っぽいのと違ってやや青みが かったそれは光の反射で微妙に紫っぽく輝いていてなんとも不思議 で綺麗だ。 ﹁今回の件でランクを二段階上げさせてもらい、ユートさんのギル ドランクはCになりました。カードの色が違うのはそのためです﹂ ﹁え? さっきまでEだったはずなんですけど、なんで急に?﹂ ﹁いくつかありますが最大の理由は武技大会での結果です。対戦相 手のランクなどを考えればBランクにするのが正しいのですが、残 念ながら事務処理上の都合でそれは出来ません。なので今回はCま で上げさせていただきました。このまま依頼を受け続けて下されば 次の昇格審査の時点でBになるかと思われます﹂ ﹁なんだか僕らのことを高く評価してくださってありがとうござい ます﹂ ﹁いえ、実力のある方にそれ相応のランクと仕事を振るのがギルド の仕事です。今後ともよろしくお願いしますね﹂ ﹁こちらこそよろしくお願いします﹂ 男性がにこりと笑ってかえしてくれるが、端正な顔立ちと相まって なんともいえぬ格好良さ。 ふとずいぶん前に見た自分の顔を思い出して思わずため息が出てし まった。 この子供っぽい顔のおかげか女友達はたくさん出来ても彼女なんて 一度も出来たことがない。 友達としてはいいけど彼氏には・・・って言われるこの悲しさ、た ぶんこの人は経験したこと無いんだろうなぁ・・・。 336 ﹁どうしました?﹂﹁どうしたのだ? ため息なんてついて﹂ ﹁すいません、くだらないことを思い出しました。なんでもないで すし大丈夫です﹂ ため息の理由が理由だけに恥ずかしくてたまらんぞこれ・・・。 ﹁それなら良いのですが。さて、これで一応今回の依頼は完了とい うことで閉めてしまいますね﹂ ﹁了解です。では僕らも失礼させていただきます﹂ 冒険者ランクも上がり、タスクもひとつ完了。 あと王都でやることはご飯を食べてから乗合馬車でガルトのほうに 向かうだけだな。 こういう世界だから山手線のようなペースで馬車があるとは最初か ら思ってないけど、日に一本とかだったりすると今日はひょっとし たらお泊りになっちゃうかな。 ま、その辺はでたとこ勝負でいっか。 ﹁ん∼∼∼∼っ!﹂ ギルドを出てから背伸びを一回。 バキバキとなる背中と肩が気持ちいい。 別に肩肘張って何かをしたわけではないのだけど、市役所っぽい空 間に長く居ると肩がこってしょーがないのは僕だけなんだろうか。 ﹁お昼はなににするのだ?﹂ ﹁どうしようか。パスタの類は今回の依頼で十分に頂いたからいら ないとして、それ以外の食べ物ならなんでもいいかなって思ってる よ。エルはなんかリクエストとか無いの?﹂ 337 ﹁そうだな・・・。妾は新鮮な生野菜を豊富に使ったものが食べた いぞ﹂ 新鮮な野菜というとなんだろう。 サラダだけだと寂しいし、サラダ食べ放題のステーキハウスとかこ の世界にあったっけか? ﹁ん、じゃあその方向でどこか探そう﹂ ﹁了解だぞ﹂ と、いう方針を決めてお店を探しているのだが、これだというお店 が見つからないままかれこれ30分以上も歩いてしまっている。 どうやらこの世界には健康志向とかヘルシーなものを食べるという 習慣が少ないらしく、考えてみれば僕が食べたものも油を十分に使 ったものが多くて生野菜がメインなのは少ない。 辛うじて思いつくのはサラダの種類が複数あったような気がする定 食屋なのだが、そちらは場所が出てこない。たしか王都の裏道一本 入って武技大会の会場のほうに歩いていくとあったはずなのだが。 ﹁どこだっけか。たしかこの辺だったはずなんだけど﹂ ﹁ギルド近辺の食事処はほとんど行ってしまったし、どこがどんな メニューを用意しているかなんて妾は覚えておらぬぞ。というより 主はよく注文してないメニューまで覚えているな﹂ ﹁中身はわからないけどね。ほにゃららのサラダっていうのが確か 何種類かあったはず﹂ 辺りを見てもあるのは不気味なお店ばかりで僕らが入ろうと思うよ 338 うな店舗はどこにも無い。 あぁ、こりゃ駄目だ。 ﹁一度大通りまで戻ろう。この辺りじゃなさそうだ﹂ ﹁主よ。妾のために探してくれるのはうれしいのだが、そろそろど こかに入らないか?﹂ ﹁あー・・・。それでいい? 実は僕も結構おなかが減ってきてて・ ・・﹂ 適当なタイミングで裏通りから大通りに戻ると既に時刻は13時。 そろそろ食事を終えた人たちが定食屋から出て行くタイミングなの である意味ちょうどいい時間かもしれない。 ﹁んじゃ、そこのお店に入ろうか。確か野菜炒めとかが美味しかっ たはず﹂ ﹁主の料理も美味しいが、久しぶりの定食はやっぱり楽しみだぞ﹂ 今回入ったお店は王都の大通りに面した木造二階建ての定食屋。 スタンダードなメニューが売りで、比較的量が多くビジネスマン︵ ?︶の胃袋をがっちりとつかんでいるタイプのお店だ。 値段的にもそう高くなくて日本円換算で一食800円から、もっと も高価なステーキでも確か1500円くらいで食べることができる。 ﹁こんにちは∼﹂ ﹁いらっしゃいませ。お二人ですか?﹂ 店に入ると迎えてくれるのはお店の主人の娘。 看板娘 って奴なのだろう。異世界らしくて大変よろし ほかのお客さんに可愛がられていたりするので、日本ではあまり見 かけない い。 339 ﹁はい、席は大丈夫ですか?﹂ ﹁大丈夫ですよ。奥のほうが空いてるのでどうぞっ﹂ 言われるがままに奥のほうに進むと確かに二人分の席がぎりぎり空 いていたのでそれに座る。 周りのテーブルには食事を終えて水やワイン︵!︶を飲む男性など が居て楽しそうに何かを話している。 ﹁ぎりぎりだったね。これで満席じゃない?﹂ ﹁そうだな。ちょうどいい感じだ﹂ テーブルの備え付けのメニューをとりあえず眺める。 さすがにスタンダードなメニューなだけあってそろそろ僕でも味が 予想できるものが多い。 から揚げ、肉野菜炒め、オムレツ、ソーセージ、サラダ。 ・・・ん? サラダ? ﹁あ、エル。さっき探してたサラダのあるお店ってここだ﹂ ﹁探すのをあきらめた瞬間にこれか。運がいいのか悪いのかわから ぬな﹂ ﹁だねえ・・・﹂ 探し物は最初に探した場所にある。ただし最初に探したときには 見つからない こういうのをマーフィーの法則っていうんだっけ? まったく身を もって体験しちゃったよ。 ﹁僕はメルバドの肉野菜炒めにするけどエルは決まった?﹂ 340 ﹁うむ。コルム茸のチーズオムレットと今日のサラダにするぞ﹂ ﹁おっけ、じゃあ呼んじゃうね﹂ 喧騒にあふれる店内なので比較的大きな声を上げて呼ぶとすぐに応 答。 ﹁えっと・・・。チーズオムレットと今日のサラダ、あとメルバド の肉野菜炒めを一点ずつで、パンを二人分ください﹂ ﹁わかりました。料理が出来るまでもうちょっと待っていてくださ いね!﹂ ﹁ありがと、よろしくね﹂ とたとたと厨房のほうに戻っていく少女を見送りながらほっと一息。 店内の客は見た感じ食事を終えているようだし、料理自体は比較的 早く出てくるだろう。 ﹁ねえ、エル。キノコとか詳しくない?﹂ ﹁突然どうしたのだ?﹂ ﹁道中で材料を確保できればいいなーって思ってさ。その第一案﹂ ﹁あー・・・。なるほど。確かにそれはいい考えかもしれん﹂ まあ、キノコなのであまり栄養価は無かったような気もするけど、 美味しいというのがなにより重要だ。 ﹁でしょ? 取れたてのキノコとか絶対美味しいと思うんだよね﹂ ﹁そうだな。今後あるだろう徒歩での移動のときには少し探してみ よう﹂ その後も適当に今後について話してみたりして時間をつぶすと、看 板娘とは別の人が料理を持ってこっちに向かって歩いてきた。 341 ﹁お待たせしました。料理はテーブルの上に置いてっちゃいますね﹂ ﹁ありがと、お願いします﹂ こうしてテーブルの上に並んだ料理はもちろん出来ててほやほや。 都内の定食屋などとは違って作り置きなんてことも無くて実に美味 しそうだ。 まず目を引くのはどんと置かれた肉野菜炒めとチーズオムレット。 次にバスケットにたっぷり入ったパン、そしてサラダ。 サラダなんてこっちに来てから初めて注文したけど、意外と大きい な。 直径40cmくらいの皿にどかんと乗っている様はまるで野菜嫌い の子供を威圧するかの如し。 ﹁適当に取り分けて食べようか。せっかく複数種類を頼んだしさ﹂ ﹁そうだな、このチーズオムレットなんて凄く美味しそうだぞ、ほ ら、中にチーズときのこが詰まってる﹂ ﹁んじゃ早速一口・・・。ん、きのこの香りとチーズの相性がいい 感じだね。美味しい﹂ 半熟のために黄色に輝いているチーズオムレットはその見た目だけ でなく味も良い。 それ自体の味付けは薄めにセットされているのだが、チーズの塩気 がいい感じにマッチしていてとろけるような美味しさ。 もし主食がコメだったりした場合だとちょっと薄味に感じるかもし れないが、パンにあわせるならこれくらいがベストだろう。 ﹁オムレットもいいが、肉野菜炒めも美味しいぞ﹂ 342 左手にロールパン、右手にフォークを持ったエルがニコニコと食べ ている姿はなんとも微笑ましい。 つられて肉野菜炒めを食べると、コレもまたうまい。 ぶっちゃけ自宅で作ってた肉野菜炒めに近いのだが、こっちに来て からなかなかそういうのを作る機会がなかったし、オイスターソー スっぽいこの調味料の効果もあってたまらない。 ﹁うん、うまい。コメが欲しくなるけど﹂ しゃきしゃきとしたキャベツのような野菜とよくわからない固めの 野菜。 そして若干の甘みを持ったタマネギのうまみ。 パンとあわせても決してまずいわけではないのだけど、やっぱりパ ンよりもコメが欲しくなる味だ。 ・・・旅の目的を変えてコメを探しに行こうかな。 続いて珍しく注文したサラダをバクリ。 ドレッシングはシーザードレッシングライクなもので、トッピング には細かく刻んだフライドオニオン。 ややどろっとしたドレッシングがレタスっぽい真っ赤な葉っぱによ く映える。 ﹁うーん・・・。エルはこれ好み?﹂ 見た目的にはなかなかいい感じなのだが、僕はこのドレッシングは ちょっと苦手かもしれない。 決してまずくは無いのだが、味が濃くてクドイ。 僕としては脂っこいモノの後のサラダなんだからもっとさっぱりと 343 しているほうが好みだ。 ﹁む、主は駄目か? 妾は結構好きだぞ﹂ ﹁駄目ってわけじゃないんだけど、油モノの後に食べるなら塩とハ ーブベースの味付けのほうが好み。これは正直ちょっと味が濃い﹂ ドレッシングの影響が無い部分のレタス︵赤︶を3枚ほど取り出し てパンの上に載せる。 さらにチーズオムレットを載せて挟み込むようにして一口。 レタスとかはこうやって食べるのが一番うまいかもしれないなぁ。 しゃきしゃきとした食感のレタスと、うまみの強いチーズ、そして ほのかに香るきのこの風味。 それらがマッチして実に美味しい。 店で食べるご飯ってなんでこんな美味しいんだろう。 暴食しないの誓いを崩すには十分な破壊力を持っているよ。間違い なく。 ﹁あー、もう、駄目。おなかいっぱい﹂ ﹁うむ・・・。久しぶりだったから少し食べ過ぎてしまったな﹂ うぇっぷ となりながらも久し 結局武技大会前と同じようにパンを四人前ほど平らげて食事は終了。 胃の中で水を吸って膨らむパンに ぶりの店での食事で大変満足。 さあ、乗合馬車の駅のほうに向かうとするか。 次の駅はどこなんだろう、いずれにせよ初めての場所になるのは間 違いないから凄く楽しみだ。 344 1︵後書き︶ ﹁前々から思っていたのだが、コメって何だ? 主のところの食べ 物なのか?﹂ ﹁至高の主食だよ。単位面積当たりの収穫量も小麦より多いし、味 も良い。腹持ちも良いといいことずくめなんだけど育てられる条件 が厳しいから一部の地域でしか生産してない﹂ ﹁主がそんな表現をするなんて・・・是非食べてみたいな。この辺 にはないのか? 市場をずいぶんと歩いていたではないか﹂ ﹁穀物袋をいちいち開けて確認してないから言い切れない部分はあ るけど、たぶん無かったと思うよ﹂ ﹁うぅ・・・。それでは食べられないではないか﹂ ﹁そうだけどさ、テューイは港町なんでしょ? ひょっとしたら輸 入されてるかもしれないじゃないか。期待して探しに行こうよ﹂ ﹁そうか、その手があるな! 楽しみになってきたぞ。わくわくす るなぁ、主!﹂ 345 2 雲ひとつ無い美しい夕空の下に広がるのは草原と小さな川、そして その向こうには低い山と森。 蝶のような昆虫がパタパタと花から花へと飛び交い、小川を眺めれ ばたまに水面を跳ねる小魚を見ることが出来る。 後ろを向けば王都やガルトと比べると大分地味な家々が立ち並ぶ。 おそらく権力者のものと思われる家だけは石造りである程度立派だ が、それ以外は塗装などをしている家も少なく、どれもが木の色の 落ち着いた佇まい。 ﹁王都やガルトと比べるとのどかでこてん、と落ち着いちゃうなぁ﹂ ﹁確かにこの雰囲気は・・・のんびりとしたくなるものがあるな﹂ 僕らは今、王都から馬車で5時間ほどの距離にあるトリビットとい う町︵村?︶までやって来ていた。 ﹁にしてもやっぱり馬車はお尻に優しくない構造だと思う。ウィル たちのあれに乗ったあとだから余計に感じちゃうんだけど﹂ ﹁そればっかりは仕方があるまい。ウィスリスは技術的にも優れて いるからああなっているだけで馬車なんていったらどこもあんな感 じだぞ﹂ 王都から発車した乗合馬車は僕ら以外に4人の乗客を連れて出発し たのだが、荷馬車じゃないので速度がエラク速くてその分振動もき つい。そして当たり前のようにサスはナシ。 当然ケツの辺りが痛くなってくるわけで・・・。 346 ほかの4人はぶらり途中下車だったし、こんなに長く乗るというの は馬車の運用上考えられていないのかもしれない。 ﹁あのシステムを売ったら大分儲かりそうなんだけど売ったりしな いのかな﹂ ﹁たぶん売っても作れる場所が少ないのではないかと思う。金属製 の板で衝撃を吸収しているようだったが、あんな風に綺麗に金属を 加工できる職人はおそらく少ないぞ﹂ ﹁貴族とかお金持ちはどうしてるんだろ? さすがにアレに乗って るとは考えにくいんだけど﹂ ﹁大方何かしらの魔術でも使って緩衝しているのだろう。魔術師と かなりのお金が必要になるが衝撃吸収能力としては最優秀だからな﹂ ここでも魔術か。 もう少し不便ならば技術が発展するというのに・・・。 世の中ってやつは権力者の不便がないと技術にお金が流れないから 発展しないのよね。 僕もそれが出来ればいいのだけど、うまく出来ないのが最大の問題 か。 仮に空気のクッションみたいなのを作った日にゃ魔力のハンドリン グを終えると同時に中に詰まった魔力が大爆発してしまう。 そんないちいち魔力障壁が必須でデンジャラスなクッションなぞ全 くもって欲しくない。 そもそもそんなものをクッションと呼んでいいのか甚だ疑問である。 攻撃手榴弾とでも名前を改めてしまおうかと馬車の中で無意味に悩 んでしまった。 ちなみにエルがやっても同様の結果になるらしい。ナンテコッタイ。 ﹁しかし主よ。どうするのだ? 確かに風景は綺麗だし落ち着きた 347 くなる気分もわかるが現実逃避をしても始まらぬぞ﹂ ﹁僕も悩んでる。どうしようか、どうしようもないんだけどさ﹂ このひじょ∼にのどかな場所では僕らにとってクリティカルな問題 があった。 ここは観光名所もなく、ギルドも無い。完全に片田舎。 馬車の駅があるものの外部から人が来るというよりはココの人たち が帰ってくるためのものだ。 ガルトへの最短ルートでもあるのだが、そもそもそのガルトに向か う人間なんてほとんど居ない。 そんないくつかの事実が重なった結果、この町には宿屋が無い。不 要だから。 もちろん僕みたいな奴も多少は居るので完全に100パーセント不 要というわけではないのだが、明らかに需要と供給のバランスがつ りあわないので利益にならず、誰もやりたがらないようなのだ。 一応、近隣住人の協力の甲斐あって宿屋を併設している飲食店を見 つけることは出来たのだが、店主が旅行に出かけていて一時閉店中。 オーマイガッ! アチコチ回りながら帰るのも悪くないと思ってた数時間前の僕を今 すぐ殴り倒しに帰りたい。 ﹁たぶん、現状二つの選択肢があると思う﹂ ﹁うむ﹂ ﹁一つ目は町の中で野営というわけにはいかないので一度離れた森 に移動してから野営するという案。暗くなると準備するのが大変だ からやるなら早い段階でやったほうがいい﹂ 348 ﹁二つ目の選択肢にもよるが、選択肢としては悪くないと思うぞ。 街中でそんなことをしたら衛兵に連れられてしまうからな﹂ 治安のよくないこの世界の森で野営なんていうのは出来れば避けた い選択肢だけど、街中でホームレスのように過ごすよりは世間の目 を考えたときに幾分気が楽だ。たぶん。 ・・・衛兵の詰め所とか宿貸して︱︱いや、無理か。 ﹁二つ目はさっきの人すら知らない併設の宿屋を探して歩き回る﹂ ﹁時間的に見つけることは困難かも知れぬ。それに地理に明るくな い主と妾では店を探すのだけでも一杯いっぱいになるな。妾の意見 を言わせてもらえるならば悲しいが野営が良いのではないか?﹂ ﹁ぶっちゃけ僕もそれが良いと思う。幸い雨も降らなさそうだし、 準備は早いほうがいいからとりあえずそこらのお店で夕飯の材料を 集めつつ向かおうか﹂ ﹁うむ。日があるうちに準備などをしてしまおう﹂ 今日の夕飯はどうしよう。すっかり定食を食べるつもりだったから 何も考えてなかったよ。 ジャガイモとベーコンとサラダでジャーマン風とでも言い張ること にでもするか。 地味に定番なカレーとか作りたいんだけど香辛料が手に入らないん だよなぁ・・・。 ﹁こんばんは﹂ ﹁いらっしゃい。見ない顔だね。旅人さんかい?﹂ 先ほどの黄昏てた場所からすぐ傍、年季の入った古ぼけた看板のも とで八百屋を開くのは同じように年を重ねたお婆さん。 だが商品は見るからに新鮮でそのどれもが美味しそうだ。 349 特にそこのレタス︵赤︶は瑞々しさが半端じゃないし、土のついた ジャガイモは芽が出てないところをみるに取れたてっぽくて大分良 さそうな感じ。 ﹁ええ。今さら夕飯の材料の買出しです﹂ ﹁材料の買出しって今から外に出るのかい? いくらこの辺りの治 安がいいからといってわたしゃやめたほうがいいと思うがねえ﹂ ﹁しょうがないですよ。たまにはこんなことだってあります。・・・ あ、これとこれください﹂ ﹁はいよ。でも野営するなら気をつけなさい、世の中なにがあるか わからんからね﹂ エル以外に心配されるのってすっごい久しぶりな気がする。なんか ちょっと嬉しい。 ﹁心配してくださってありがとうございます﹂ ﹁うむ、主と妾ならこれぐらいどうってことはないぞ﹂ お代の銅貨6枚を出してから商品を受け取り、にっこり笑ってから その場を退出。 さて、お次はベーコンでも買いに行くか。 も ない。 おそらく規模的に不要なのだろう。ガルトや王都などとは違い、こ の村には市場 一応辛うじて僕らが居るこの辺りは商店が並んでいるものの、都内 のコンビニくらいの間隔なのでおよそ市場には見えないのが悲しい ところ。 近くのお店でベーコンとチーズを購入して野営の準備はとりあえず レベルで完了。 350 まだ辛うじて日が残っているので今のうちに向かって出来れば野営 の準備もしてしまいたい。 ◆ 買い物を終えてから町を出て歩くことおよそ30分。 若干予定が変更になったものの、ほぼ予定通り森の入り口まで到着。 既に日が落ち始めているので準備を急がねば。 ﹁そういえばなんで森の中でやるのだ? 安全を第一に考えるなら ば草原でやるほうが良いと思うぞ﹂ って思わ ﹁いくつか理由があるんだけどさ、最大の理由は草原でやった場合 町の人たちから僕らが見えるじゃない?﹂ なんであの人たち町のすぐ傍で野営してるんだろう ﹁そうだな﹂ ﹁ れるのが嫌でさ。この辺りの危険度はそれほどでもないらしいし、 それならこの辺で人目につかないように野営しようかな、と﹂ ﹁なるほど、確かにそれならこの辺りでやったほうが良さそうだ﹂ とりあえず納得した様子のエルを見ながら僕は野営の準備。 まずはテント︱︱といいたいがツェルトを広げてからパラコードで 木と木の間に吊るして組み上げる。 この世界の良くわからない皮で作られたものと違い、僕の世界謹製 の高性能ツェルトは軽くて水も通さないし畳めば信じられないくら いコンパクト。 ロゴなどが無いのでメーカーは不明だが、役に立つことは間違いな 351 い。 ﹁ほかの理由としてはちょっと弱いところがあるかもしれないけど、 僕の世界の一品をあまり見せびらかしたくないっていうのと、久し ぶりにちゃんと魔術の練習がしたいってくらい﹂ ﹁主の世界の一品はどれも非常識だから見せびらかさないほうがい いのはわかるが、魔術の練習?﹂ ﹁そそ、最近はすっかり練習してなかったからそろそろ練習しない と腕が落ちる﹂ 射撃の精度っていうのは撃った数に比例するし、撃たなくなればす ぐ落ちる。 僕はトイガンによるマッチでそれを嫌というほど経験しているので 練習量が落ちるのは怖い。 マッチなら負けるだけで済むが、この世界の戦闘で負ければ待って いるのはろくでもない事実のみ。 ﹁あれだけ高精度な魔術を放てるにもかかわらず練習か、主って意 外と細かいのだな﹂ ﹁こういうのって言うのは日々練習だと思うよ。焦らず急いで精確 にっていうのが魔術に限らず閉所での射撃の基本だから﹂ ﹁・・・妾からすればそれは無茶を言っているようにしか聞こえな いのだが﹂ ﹁そうでもないよ。たぶん﹂ 会話をしながらグリル台を組み、フライパンとクッカーを準備。 クッカーに水を注いでお湯を作ってジャガイモを投入、ベーコンを 炒めるのはこれが茹で上がってからじゃないと冷めちゃうので後回 し。 352 ﹁ん、エル。適当にそこの野菜を水洗いしておいてくれない?﹂ ﹁了解だぞ﹂ エルが両手でレタスを持つと40cmくらいの水球が現れてジャブ ジャブと空中でレタスを洗う。 僕にも出来るとはいえ、なんと非科学的な光景だろう。現代の物理 学者が見たら頭を抱えて倒れるに違い無い。 ﹁これでいいか?﹂ ﹁ありがと、ばっちりだよ﹂ 水を吸って十分に膨らんだレタスを受け取り、適当な大きさにちぎ ってから魔術で作った氷の皿に並べる。 今回のソースは超絶手抜き版なので粉末状にしたパルミジャーノの ようなチーズを上から掛けて終了。 既にソースというかフリカケだが、最後にカリカリに炒めたベーコ ンチップを掛ければ十分に美味しいので時間が無いならコレで十分 だろう。 ジャガイモのほうも大体良い感じに茹で上がってきたのでそろそろ ベーコンも炒めようか。 この世界のベーコンは当たり前だがスライスしてパッケージングさ れているわけではないのでなんとも迫力があって美味しそうに見え る。 これを適当な大きさにスライスしてフライパンで炒めるといい香り がして美味しそうなのだけど、これを単体で食べるとなると少し悲 しい。 一応細切れのベーコンはサラダと和えるつもりだが、やはりなにか 一手間足りてない気がする。 353 ﹁おっけ、とりあえず出来た。用意の時間が無かったからあれだけ ど明日はうまいもの食べよう﹂ ﹁そういいながらもサラダは結構いい感じに出来ているではないか﹂ ﹁ありがと。でもチーズとベーコンしか入ってないからやっぱり手 抜きだと思うよ﹂ ﹁いいではないか、美味しそうなことには変わりないぞ。食べても いいか?﹂ ﹁うん。召し上がれ﹂ 早速エルがサラダを食べるのを見ながらジャガイモに手を伸ばす。 収穫されてからほとんど時間がたってないと思われるそれはメーク インと男爵芋とサツマイモを足して三で割ったような感じで、ホク ホクさには欠けるところがあるものの特有の甘みがあったりして地 味に美味しい。 そういえば冷蔵庫とか無いから買ってなかったけど、バターとかが あればおやつとかにちょうど良いかもしれない。 いつもより大分さびしい食事を終えてから食器を洗えば太陽はすっ かり沈み、辺りは闇に包まれる。 光源となるのはぼんやりとした魔術による光と動物対策の焚き火だ け。 バッグの中にはガスランタンも入っていたのだが、ガス欠になると 同時に捨ててしまったので今はもう無い。 ﹁毎回見ても飽きないな・・・﹂ ﹁主は星を見るのが好きなのだな﹂ それでもこの満天の星を見れるのは結構良いところだと思う。 元の世界では天文系に対してほとんど興味が無かったのが悔やまれ 354 る。 恥ずかしながら北斗七星の場所もわからない、もう少し知識があれ ばエルに小話でも出来たのにな。 ﹁僕のところじゃ星なんて全然見えなかったから新鮮で、なんか圧 倒されちゃう﹂ ﹁むしろ妾からすれば星が見えないというのが不思議なのだが。瘴 気でも溜まっているのか?﹂ ﹁瘴気?﹂ エルの口ぶりからして異世界ジョークに近いのだろうけど、瘴気っ てなんだ? 納期寸前のシステムエンジニアやプログラマが吐き出すものとして 扱ってる人が多い気がするけど、正しくは病気の原因となる悪い空 気だっけ? 昔Webで読んだ携帯電話の開発部隊の話なんて文面からも瘴気が あふれ出していたような気がする。 ﹁黒い霧のように見える気体で、発生原因は良くわかっていないが、 一説によると大気中の魔力が変質したものらしい。大半の生き物に 有毒なのだが同時に攻撃魔術の媒体としては有効なために好事家の 間では瘴気を利用した杖などが凄まじい値段で取引されているな﹂ ﹁利用して杖にってことは瘴気を回収する部隊とかが居るんだ?﹂ ﹁うむ。国の騎士団などが住民のために行ったり、もしくは死んで も戦死者リストが不要ということで冒険者を利用することもあるぞ﹂ 戦死者リストが不要ってそれどこの民間警備会社なんだろう。 あ、でもそうか。考えてみれば昔の戦争って結構傭兵とか使ってた もんな。 別に考え方が現代風ってわけでもないのか。 355 ﹁報酬は良さそうだね。危険度も半端じゃなさそうだけど﹂ ﹁危険度は極めて高いな。瘴気で気が狂った魔獣は普段よりも恐ろ しく戦闘能力が上がるし、未制御の瘴気は攻撃魔術を暴発させやす くするからこちらの戦闘能力が下がる。おまけにさっきの通り有毒 だ。妾は冒険者として動いたことが無いからわからぬが、おそらく 報酬のほうもそれ相応だろう﹂ ﹁魔術の暴発ってちょっと人事じゃないんだけど﹂ ﹁確かに魔術が使いにくくなると戦闘能力が落ちる主と瘴気の相性 は最悪だ。基本的に瘴気を見つけたら逃げることを推奨するぞ﹂ 全くその通りだと思う。 魔術が使いにくい環境下で普段よりも強化された敵と戦うとか命が いくつあっても足りないがな。 ﹁全力で逃げるから大丈夫。さて、僕は魔術の練習でもしてるから 先に寝てて良いよ﹂ ﹁良いのか? じゃあちょっと失礼して・・・﹂ 光の粒子と化したエルが僕の中へと入り、同化完了。 最近は宿もお金もあったからこの感覚も随分久しぶりだ。 ﹃相変わらず主の中はあったかくて気持ちがいいな。おやすみだぞ、 主﹄ ﹃おやすみ、エル﹄ 時刻は9時前だから交代まで5時間くらいかな。魔術の練習時間と しては十分すぎるほどだ。 まずは近くの木と木の間にパラコードを張ってそこから木の枝をぶ ら下げ、それを魔術で凍らせて円形のターゲットを5枚作成。 356 このときターゲットの氷は魔術を当てても割れにくいように魔力で コーティングして強化しておく。 同時に複数の魔術を扱うのも訓練になるし、何よりいちいちターゲ ットを作り直すのは面倒くさすぎる。 光源は上空に照明弾を打ち上げて確保。これでおっけー。 準備は完了、あとはひたすら撃つだけだ。 目的は焦らず急いで精確に撃てるようになること。 両手を挙げた姿勢でカウント開始。 心のカウントがゼロになると同時に素早く射撃の姿勢へ。 右手の人差し指と中指に魔力を集中、左手は右手を包み込んでそれ を安定させる。 一番左のターゲットに照準︵なんて物はないけど︶合わせてからイ メージ上のトリガーを引く。 気の抜ける音と共に撃ち出された氷柱がターゲットに命中。軽い音 を立ててターゲットが跳ね上がる。 続けて一番右のターゲットに照準を合わせて射撃を行うが、ゆれる ターゲットに混乱して失中。 気にせずもう一度、今度はきっちりと命中してターゲットに氷柱が 突き刺さる。 同じように残りのターゲットにも命中させ、掛かった時間は5秒く らい。 氷柱は大体一秒に二発程度の射撃が可能なので理論上は2.5秒が 最短。 もちろん早いに越したことは無いが、3秒を切れば相当に早いとい っても良いんじゃないだろうか。 今後はそれを目指して頑張ろう。 357 あとは精度もか。 現実では撃てるチャンスは今よりも遥かに少ないし、そういう場面 で外したら目も当てられないことになってしまう。 今回は早速一発外してしまったが、これからはなるべく精確に当て ていきたい。 最後に最も重要なのはコレを定期的に行うことなんだろうなぁ。 一日でどうにかなるほど上手くなれるとはとても思えないし、継続 こそ力なりって言うもんね。 358 3 昨日の野宿︱︱気持ちとしては野営と言い張りたい︱︱からトリビ ットへと戻り、そこから馬車に乗って大体6時間とちょっと。 僕らが到着したのはリディーナという比較的大きな町で、規模感は ぱっと見の評価なので間違っているかもしれないけどおそらくガル トと同程度。 この分だとギルドのほかに観光名所や名産品だってあるかもしれな いのでちょっと楽しみだ。 ﹁ふう、ようやく着いたね。とりあえず適当に観光しながらご飯で も食べつつ、ついでくらいで宿でも探そうか。さすがにこの規模の 町なら宿無しとかそういうことにはならないでしょ﹂ ﹁うむ。了解だぞ﹂ 馬車の運転手に﹁ありがとうございました﹂と一言お礼をしてから 正面のメインストリートへ。 街中を出歩く人の数はそれなりに多く、それに伴って露店なども多 いのでご飯の種類はより取り見取りで何にしようか悩んでしまうほ ど。 肉類や野菜を使用したサンドイッチや謎肉の串焼き、惣菜パンにカ ットフルーツ。 この時間だからなのか酒をメインで販売するところは無いが、夜に なればおそらく居酒屋のようなものも増加するはずだ。 もしこの町を食べつくしたいのならば一日だと確実に時間が足りな いな。 359 ﹁なんにしようか? ありすぎて悩んじゃうんだけど﹂ ﹁妾が決めて良いならアレにしないか?﹂ ぴしりとエルの指差す方向にあるのは一軒の露店。 直径30cm、長さ60cm程度の謎肉を串にさしてゆっくりと遠 火で焼き、それの表面をこそぎ落とすようにスライスしたものをパ ンに挟んで売っているようだ。 ﹁先ほどから香辛料と肉の焼ける香りを外に振りまいておるものだ から溜まらぬ﹂ ﹁うん、僕も我慢できなくなった。アレにしよう﹂ 早速お店のほうに近づくと40くらいのおじさんが人の良さそうな 笑みを浮かべて挨拶してくれる。 その間にも肉を焼く手が止まってない辺りプロの仕事って感じがし て実に良い。 ﹁こんにちは、その美味しそうなパンを二つ貰ってもいいですか?﹂ ﹁あいよ、御代は銅貨で12枚だよ﹂ ん、意外と高いな。 この世界って僕のところに比べると食料品の値段が幾分安いのに。 これだと秋葉やお祭りの露店で買うのと値段がほとんど変わらんじ ゃないか。 とは言ってもいまさら買いませんなんていうつもりもないのでお金 を出して魅惑の異世界版ドネルケバブを二つ購入。 受け取ったそれの中には大量の肉と申し訳程度の野菜が薄い生地で 包まれていて、野菜はともかく肉に関してはかなり強力に香辛料が 振りかけられており、食欲を過剰に掻き立てられて涎が出るのを止 360 められない。 受け取ったうちの一つをエルに渡してからその場で早速一口。 強烈な香辛料の香りと共に口の中に肉の脂が広がって実にジャンキ ーで美味しい。 申し訳程度の野菜は風味としてほとんど残らず、あまり意味が無い のが残念な所か。 ﹁これは旨いね。こんな香辛料がカッチリ効いたのを食べたのは久 しぶり﹂ ﹁確かにこれは良いな、この香りが食欲をそそるぞ﹂ これはサルサソースベースで野菜多め、肉少なめとかにしたらまた 変わって美味しいと思うんだけどな。 もしくは野菜を抜いてヨーグルトを掛けるとか。 そういえばヨーグルトって見かけないな。僕の世界だと昔からある 食べ物だからこの世界でも出回ってるとは思うんだけど・・・。 ﹁もうちょっと野菜を多めにして辛みの強いトマトベースのソース と合わせるとまた違った感じになって美味しいかもしれないけど、 肉の部分の自作は無理っぽいのが残念だ﹂ ﹁・・・どうしたらそんな風に新しい料理の発想がポンポンと出て くるのだ?﹂ ﹁地元に似たような食べ物があったから思い出しただけで僕が発明 したわけじゃないよ。そんな風にぽこぽこ新しい発想が浮かぶなら 冒険者辞めて料理人してると思う﹂ メインを頂いたあとはデザート目指して町巡り。 先ほどからどこからともなくメープルのような甘い香りが漂ってき ていてたまらない。 361 甘いにおいにつられてとはまるでどこかの昆虫のようだが、それも 致し方ない。 ぶっちゃけてしまうとこの世界には甘味が足りないっ! なんせ蜂蜜か果物くらいいしか甘いものが見つからないのだ。 蜂蜜は製造コストの都合凄まじい値段がするし、果物ベースのフル ーツソースも蜂蜜ほどじゃないが一般人である僕が手軽に食べられ るほど安くは無い。 たぶん上流階級の方々が紅茶などと合わせて楽しんでいるのだろう、 そんなものは一冒険者に過ぎない僕には高級すぎて話しにならない。 ﹁うーん、さっきからメープルっぽい甘い香りがするんだよなぁ・・ ・。どこからだろ?﹂ ﹁確かに言われてみると何か甘い香りがするな。これをメープルと いうのか?﹂ ﹁僕のところだとね。たぶんこっちじゃ別の名前になってるはず﹂ 僕の嗅覚が間違いじゃないならばこれは久しぶりにメープルシロッ プとご対面出来るはずだ。 ・・・僕の世界では高級品のメープルシロップが果たしてこの世界 で僕の手が出せる範囲の値段に収まっているかというと甚だ疑問だ が。下手すりゃ蜂蜜より高いかもしれない。 メープルの香りを追いながら街中をフラフラと歩くと徐々に香りが 強くなってくる。 目的地に近づいているのは嬉しいんだけど、まるで犬か何かのよう だ。 ﹁ど、どうしたのだ? なんだか落ち込んでいるように見えるぞ?﹂ ﹁んにゃ、なんでもないし大丈夫﹂ 362 自分が犬みたいなんて考えを頭の中から削除してから再び歩くと随 分と高級そうな雰囲気のパン屋を発見。開け放たれた窓からメープ ルの香りがするので目的地はここで間違いない。 ﹁なんかやたらに高級そうなんだけど、これ僕入っていいのかな﹂ ﹁そんなしり込みしていても仕方あるまい。ほら、主。行くぞ﹂ エルに連れられて店に入るとやはり雰囲気がほかと違う。 なんていうんだろう、見れば中の店員さんもお客さんも縫い目の綺 麗な高級そうな服を着ていて、お金持ちな雰囲気を纏っているせい か凄く落ち着かない。 だけど店の中はメープルの良い香りで包まれていて、売っている物 も実に美味しそうだ。 だが ﹃ちょっと、高すぎる、かな?﹄ ﹃・・・このバターカップケーキというのはどうやら一個で銅貨4 0枚だそうだ﹄ エルが指差すマドレーヌ︵商品名:バターカップケーキ︶は直径1 0cmほどの白い陶製のカップに入ったまま売られていて、バター とメープルの溶け合ったなんとも甘くて美味しそうな香りがする。 自作してた頃は一個300円もしないで作れたのにここだと銅貨4 0枚。日本円でおよそ4000円。 ﹃何も買わないのは悲しいからどれにする?﹄ ﹃そうだな、一番安いのはクッキーのセットがひとつ銅貨24枚か。 これなら二人で食べられるしちょうど良いのではないだろうか﹄ 363 おそらく現代日本でも探せばこの値段のカップケーキやクッキーを 見つけることが出来るとは思うが、まさか異世界に来て最高級品の お菓子を食べることになるとは思わなかったぞ。 小さいが随分と洒落た紙袋に入ったバタークッキーをひとつ購入し てすごすごと退場。 あの雰囲気に長居は無理だ。僕という存在はあまりにも場違いで居 心地が悪すぎる。 さすがにあの店の傍で袋を開けて中を食べる気にはなれなかったの で、クッキーを食べるのにちょうどいい場所を探して歩くとメイン ストリートの真ん中に比較的大きな噴水とベンチが用意されていた ので二人で腰掛ける。 ﹁凄い場所だったね﹂ ﹁妾もあんなところ初めて入ったぞ。まさかこんな小さなもの一つ で銅貨24枚とは﹂ ﹁でも美味しそうだ。封あけてみよっか﹂ 紙袋をちぎると中には3cmくらいの小さなクッキーがおよそ10 個。 うわぁ。これで銅貨24枚かよ・・・。確かに良い香りはするけど さ・・・。 ﹁ほら、エル﹂ ﹁う、うむ﹂ エルは恐る恐るという感じに紙袋の中のクッキーに手を伸ばして一 つを口に入れると、黙ってむしゃむしゃと噛み砕く。 364 するとエルの表情からいつもの凛々しい感じが消え、にへらぁとい う表現がもっとも正しいと思われる蕩けたものになる。 ﹁これは、凄く、美味しいな。果物よりもずっと甘くて香り高くて 蕩けるようだ﹂ エルの感想を聞きながら一つ手にとって口に放り込むと確かに手の 入ったバタークッキーであることがわかる。 口の中でクッキーがぼろぼろになって崩れるということはきっちり とサブラージュしてから生地にしているということだし、その結果 メープルの香りと甘み、そしてバターの風味が全体に広がってなん とも美味しい。 特にクッキーというのはバターの比率がかなり高いタイプの菓子な のにべたついた感じが全く無いのはどういうことなんだろう。さす が高級品と言わざるを得ない。 ﹁高級なだけはあるよやっぱり。メープルの香りとバターの香りが こうもマッチするなんて﹂ ﹁凄く凄く美味しいのだ。もう一ついいか?﹂ ﹁せっかく買ったんだしどんどん食べちゃっていいよ﹂ ﹁そ、そうか。なら頂くぞ﹂ エルはすっかりクッキーに毒されていてなんとも蕩けた表情。 女の子は甘いものが好き、というのは全国共通どころか異世界でも 共通らしい。 気づけばクッキーはすっかり消えうせてエルと僕のおなかの中へ。 満足げなエルの表情を見れてとても嬉しい。 いっつもお世話になってばかりだもんな、こういうので少しずつで も返していければいいのだけど。 365 二人で高級クッキーを貪って満足してから宿探し。 何件か見つけた上で最終的に決定したのはメインストリートから一 本入った所にある二階建ての宿で、外観がかなり綺麗なのに二人部 屋が一晩で銀貨1枚と比較的リーズナブルな上に食事まで付いてい るとくればほかに選択肢は無かったというのが正直なところ。 宿の女主人にお金を払ってキーを受け取り、部屋に入ってばたんと ベッドに倒れ込む。 ポケットコイル式のベッドではないので少し硬いが、それが今では 逆に気持ち良い。 ﹁んぁ∼・・・。なんというか、ちと、疲れたな﹂ ﹁昨日は野宿であんまり寝てなかった上に馬車での移動までしたの だから仕方ないぞ。先に水浴びでもしてきたらどうだ?﹂ ﹁そう、だね。このままだとベッドを汚しちゃうから先にちょっと 浴びてくるよ﹂ 当初驚いたのだが、この世界のお風呂事情はそれほど悪くない。 入浴の習慣こそ無いものの水浴びをする習慣くらいはあるし、石鹸 もある程度普及しているのでにおいが気になることも無い。 全身とついでに衣類を洗ってから宿のガウンに着替えて再びベッド に倒れ込む。 実は客商売の冒険者家業をやる以上、少なくともある程度の清潔感 は必要不可欠だ。 ﹁エルも入ってきたら?﹂ 366 ﹁うむ。行ってくるぞ﹂ ガウン片手にシャワールームに向かうエルを見送ってしまうと、話 し相手が居なくなってしまうのでやることが無くて結構暇だ。 こういうときに携帯電話とかがないこの世界だと手持ち無沙汰で困 る。 何かしようかと思いつつも結局何もせずにごろごろとベッドの上で 過ごすと10分もしないうちにガウンを羽織ったエルがこっちにや ってくる。 その動きはどこかぎこちなくフラフラとしていて、傍目にものぼせ たのは明らか。 ﹁熱いのだ∼・・・﹂ 僕がお湯を浴びると快適なことを教えてからはエルもお湯を使って いるようなのだが、ちょっとやり過ぎな気がしてならない。 なんでシャワーしかないこの世界でこんな状態になるんだろう? とはいえ放置しておくのも良くないので、エルのカップをバッグか ら取り出してそれに水と氷を注いでから渡してあげる。 ﹁ほら、水でも飲んで﹂ ﹁ありがとう、冷たくて美味しいな﹂ しばらく二人でお風呂の余韻をボケッと楽しむ。 たまにエルが魔術を使って冷たい風を発生させるのだが、それがま た大変に気持ちが良い。 あー・・・。なんて贅沢な時間の使い方なんだろう。 ﹁そういえばギルドには行かないのか?﹂ 367 ふと、エルが思い出したかのように呟く。 ﹁うん、今のところ仕事が必要な状況じゃないし、それならガルト まで急ぎたいかな﹂ ﹁そうか、確かにそうだな﹂ ﹁正直ガルトまで戻る意味ってあんまり無いんだけどね﹂ あれこれ考えたところでガルトでのTODOっていうのは結局のと ころ二つしかない。 一つ目はカーディスさんに文句の一言でも言って今後こういう仕事 の振り方をやめてもらうこと。 二つ目はリーナさんにある程度付き合うといっておきながらほとん ど挨拶も無しにこっちまで来てしまったことを謝ること。 ﹁意味なんてどうでもいいではないか。妾は久しぶりにリーナに会 いたいぞ﹂ ﹁そうだね。僕もあの落ち着いた宿に行きたいな。あとはあの人生 史上最高に旨いパンが食べたい﹂ そしてその後は本格的に古代遺跡の調査︱︱の前にテューイに行っ てから魚料理を堪能だな。 ・・・あれ? プライオリティが古代遺跡の調査よりも食事が上に なってる気がする。 ま、いいか。美味しいご飯というのは明日への活力につながるしね。 368 サブラージュ: 3︵後書き︶ ※1 冷えたバターと小麦粉をすり合わせて砂状にしたもの。こうするこ とでグルテンになりにくくなるのでボロボロと崩れやすい生地にな る。バターの比率が高く、香り高いのでクッキーやタルト台に向く。 タルト台として使用する場合は砂糖を少なめにしておくほうがアパ レイユとの相性が良い場合が多い。 369 4 朝の8時にリディーナを出た馬車は3時間も掛からぬうちに次の町 であるキームへ到着。 昨日はちゃんとした宿で寝たもんだから元気もあったし、まだ午前 中なら次の町まで移動しても夕方前には着くからいいだろうという ことでカーダス行きの馬車に乗ったのが失敗だった。 途中からぽつぽつと雨が降り始め、あっという間にバケツをひっく り返したような雨に変わってしまったせいで道はデロデロ。馬車は ノロノロ。 おまけにゴブリンとその巨大バージョンのホブゴブリンという生物 にエンカウント。 迎撃自体は大口径の魔術をぶっぱするだけで大した問題もなく完了 したのだが、そいつら謹製の落とし穴に引っかかった馬が怪我。 これをエルが治療術で治すまでに1時間。 雨と馬の怪我という二点の問題が発生した結果、カーダスに到着し たのは日も落ち始めた午後6時。 幸い、一緒に迎撃作業を行った女性に宿の場所を教えてもらったの で宿無しの憂き目には遭わなくて済みそうだ。 もしこれで何の情報も無いままに馬車からほっぽり出された日には とんでもないことになっていたのだけは間違いない。 ﹁えっと・・・。この辺のはずなんだけど﹂ ﹁主、たぶんあれだとおもうぞ﹂ 370 エルの視線の先にはベッドと小麦が描かれた宿屋っぽい看板。 中に入ってみると大学時代に頻繁に行った大衆居酒屋とよく似た雰 囲気で、客の数がかなり多い上にお酒の力も相まって結構うるさい。 一応、こぢんまりとした宿屋のフロントっぽいところがあるので間 違えて居酒屋に入ってしまった、ということはなさそうだ。 ﹁こんばんは。宿を一晩借りたいのですけど空きってありますか?﹂ ﹁いらっしゃい。一人部屋が二つなら銀貨1枚と半分。二人部屋な ら銀貨1枚だけどどうする?﹂ ﹁二人部屋でお願いします﹂ 人受けしそうな笑みを浮かべるどっしりとした店の主人に銀貨を渡 してキーを受け取る。 ああ・・・。宿が取れて本当によかった。コレで満室ですなんて言 われた日には僕は泣く。 ﹁部屋は階段上って右手側の202号室だ。綺麗にはなっていると 思うが気になるところがあれば言ってくれ。それと食事はどうする ?﹂ ﹁あ、是非いただきたいです﹂ ﹁それなら先にそこらへんで座って待っててくれ、すぐに注文を取 りに行かせるから﹂ ﹁わかりました。よろしくお願いします﹂ 店の主人が指差すあたりに座ってまずはメニューを確認。 ・・・うん、酒以外なんも書いてないわ。なんぞこれ。 ﹁これさ、見出し部分に酒って書いてあるってことはメニューの中 身は全部お酒なのかな?﹂ ﹁あー・・・。どうやらそのようだ。ま、どうせオススメで適当に 371 頼むのだから問題あるまい﹂ ﹁確かにその通りで﹂ こちらの様子を伺うボーイさんを見ながら手を上げるとすぐにこち らに向かってやって来てくれるあたり、教育が行き届いてるなって 思う。 ﹁いらっしゃいませ。注文はお決まりですか?﹂ ﹁料理はなにかオススメの肉料理と野菜料理をそれぞれ二人前くだ さい。お酒は・・・正直あまり詳しくないのですが、果実酒は少し 苦手なのでオススメのビールなんてあります?﹂ ﹁ございますよ。ローデルキューやカルディアなどは香りがよく、 少し甘いために比較的華やかで食前酒としてぴったりです。肉料理 とあわせるならシクラやカルティなどがどっしりとしていて良いで すね。料理に負けません﹂ おうふ。 固有名詞が連続して出てくるとわけがわからん。 えっと、どうしたもんかな。とっさに覚えきれたのがローデルキュ ーくらいなんだけど。 ﹁じゃあとりあえず食前なのでローデルキューを一つで。エルはど うする?﹂ ﹁む∼・・・。妾も主と同じのにするぞ﹂ ﹁かしこまりました。それでは料理をお作りして参りますのでもう 少々お待ちください﹂ そういってにこやかにキッチンの方へ向かうボーイさんを視線で追 いながらため息を一つ。 372 ﹁ちょっと聞いただけであれだけしゃべられると内容を理解するだ けで精一杯。固有名詞を覚える余裕がないよ﹂ ﹁そうだな。メニューに酒しかない時点である意味お察しなのかも しれないが、どうやらここは酒飲みのための店のようだぞ﹂ ﹁っぽいね。ビールだけであれならワインなんかも含んじゃうとど れだけの種類があるんだろう﹂ ﹁無数に、という言葉がもっとも正しいのではないだろうか。これ だけあるならここの常連はさぞ楽しい思いをしているのだろうな﹂ エルの言うとおりほかの客を見ればみんながみんな凄く楽しそうだ。 左手に金属製のカップで右手には大きな肉と野菜が刺さった30c m近い串をもって騒ぐ男性。 1リットルは入りそうな特大の陶製ジョッキを逆さにして一気飲み をしている女性。 そしてそれをやんややんやと囃し立てる周りの男性達。 きっと普段の生活で溜まった鬱憤の類を酒の力で一掃しているのだ と思う。 こういう場に居ると、少し、大学生のときの友人に会いたくなる。 あいつら元気かな。今でも酒飲んでるかな。 ﹁主?﹂ ﹁どした?﹂ ﹁なにかあったのか? なんだか遠い目をしていたが?﹂ ﹁普通の大学生だったときはよくこんな場所に呑みに来てたからさ、 友人を思い出しちゃって﹂ ﹁そうか・・・。やはり早く帰る方法を見つけたいものだ﹂ ﹁ん、大丈夫だよ。そんなに焦っても結果は出ないし、僕は僕なり にゆっくりと確実にやってくから﹂ 373 あーっ! もうっ! わずか一瞬でテーブルの雰囲気がしんみりしちゃったよ。 実際問題それほど気にしてるわけじゃないんだけどな。ちょっと感 傷的になっちゃっただけで。 酒よ早くカモン。このままじゃ場が持たないぞ。 そんな僕の願いが通じたのかボーイさんがトレイを持ってこちらに やってくる。 なんていいタイミングなんだろうって思ったけど、ビールだけなら そりゃ1,2分で来るわな。 ﹁お待たせしました。ローデルキューです﹂ ﹁ありがとうございます。それじゃあエル、乾杯しよっか。主に今 後の旅行の成功を祈って﹂ ﹁う、うむ﹂ よどんだ雰囲気を壊すように軽くかんぱ∼い、とカップをぶつけて からビールを一口。 ローデルキューはややオレンジがかった明るい黄金色のビールで、 花のような香りがしてとても華やか。 味わいは柔らかな甘みが主体ながらややスパイシーな風味だけが後 に残るのでクドくないのが素敵。 前に飲んだベルビュークリークみたいなのとは違って果物っぽくな い甘みが非常に新鮮で面白いビールだ。 ﹁ぷはっ、これはなんというか旨いの一言に尽きる﹂ ﹁食前には最適といえるな。軽いから肉料理には合わないかもしれ ないがジュースのように飲めるぞ﹂ ﹁だね。これはほかのメニューが楽しみになってきちゃうな﹂ 374 がぶがぶとビールを飲みながら少し待ってやってきたのは野菜料理 が二品。 何かのチーズが乗ったグリーンサラダと薄黄色のみぞれが掛かった なにか。 ついでにビールの御代わりを適当に要求してからフォークでグリー ンサラダをバクっと頂く。 サラダのドレッシングは薄めだけどその分チーズの塩気が濃いので 意外としょっぱい。 今の僕のビールはやや甘いのでちょっと相性が良くないが、日本の ピルスナー系のビールと合わせればかなりの肴になるんじゃないか と思う。 ﹁この黄色いのなんだろ?﹂ ﹁たぶんラファーナだと思うが本命はその下の卵焼きだぞ。キノコ とひき肉が挟んであるおかげでうまみが加算されて実に良い感じだ﹂ ラファーナという黄色のみぞれはぴりぴりとした唐辛子に近い辛味 が特徴的で、その下に隠されたキノコとひき肉を巻いた卵焼きとの 相性が素晴らしい。 しっかりと火が通ったせいで卵自体はやや淡白なのだけど、きのこ とひき肉のエキスが混ざり合って実にジューシー。 ﹁ん∼っ! この店の酒が多いのも良くわかるよ。これは酒が進む﹂ 最近は肉々しいものばかり食べていたもんだから余計に美味しく感 じて仕方が無い。 やっぱり人間肉ばかりじゃ駄目だね。他のものも食べないと。 375 ﹁やめてくださいっ!﹂ 美味しい料理とお酒を出すお店に響き渡る女性の声。 はあ・・・。 なんかトラブルの予感。 後ろを振り向けば僕と同じくらいの男女のペアがガラの悪そうな男 二人に絡まれているようだ。 ﹁そういわないでさ、そんなのと呑むより楽しいよ﹂ ﹁そーそー。そんなん置いといて俺らと遊ぼうよ﹂ うわ、ナンパでももうちょっとやり方があるでしょうに。 なんでどう見ても彼氏持ちの人に声を掛けるのかな。 それとも奪うのが好きな下衆だったりするのかな。 ﹁主! 主! あの組み合わせはまるで演劇のようだぞ﹂ ﹁僕らに限らずテーブルの上の料理に被害が出なければいいけど﹂ ﹁なんだ、あまり興味がなさそうだな。助けに行ったりしないのか ?﹂ ﹁男女のペアにしゃしゃり出るとかどう考えても泥沼になるから駄 目でしょ。見た感じ男性のほうは落ち着いてるし放置でいいんじゃ ないかな﹂ どうみてもここは彼女を助けるために男が頑張るシーンであって、 僕みたいなのが出てってすべてを制圧して帰るシーンじゃない。ブ ーイングなんて欲しくはないぞ。 さすがに女性が連れ去られそうになったりしたらなんとかすると思 うけど、たぶんそんなことにはならずに終わると思う。あの男性強 そうだし。 376 ﹁お待たせしました。カルティと肉料理のオススメとして骨付きト ーブの香草焼きです﹂ こんな状況だというのにボーイさんは颯爽と新しい料理とビールを 持ってこちらに登場。 その表情には焦りや脅えのようなものは無く、エラク落ち着いてい るのが不思議だ。 ﹁店の中で喧嘩が始まりかねないのにエラク落ち着いてますね。ひ ょっとして日常なんですか?﹂ ﹁そうですね。お酒を多く出すのでどうしてもこういう問題は増え てしまいます。私も最初は驚きましたが今となっては日常の一つで す。ま、最悪は店長がシメるので大丈夫ですよ﹂ ﹁あ、そうなんですか。ちょっと安心しました﹂ どうやら大丈夫らしいので安心してビールを一口。 今度のはやや色が黒く、ボディが強烈な味わいで単独だと苦味とア ルコール分が少しばかり強い。 だけど濃い目の味付けのサラダとの相性は比較的良好で、サラダに 混じったチーズのまろやかさがボディの強さを押さえて全体のバラ ンスを整える。 全くここはビール党の僕には最適なお店だ。 明日にはここを出るのが少し残念なくらいに思えてしまう。 ﹁ビールとチーズの組み合わせって反則だと思う﹂ ﹁確かに。だがこの肉も相当に良いぞ?﹂ ﹁エル、アゴにソースが付いてるよ﹂ 377 骨の部分を指でつまんで豪快にかじりついてしまったせいで口元に はソースがだらり。 せっかくの美少女が台無しである。 ﹁こういうのはこうやって豪快に食べるものなのだから良いではな いか﹂ ﹁まあ、そうなんだけどさ・・・﹂ 若干変な味のするデミグラスソースのようなものがコレでもかとい うほどに掛かった骨付き肉を手でつかんでバクッと一口。 肉はとても柔らかくてジューシーで、噛むたびに肉の脂が溶け出し て実に美味い。 さらにハーブの香りで肉の臭い部分が殺されているので野性味あふ れる肉が苦手な人でも大丈夫。 さらにさらにいうならビールとの相性もバグツン。これはいい。 これで背後のBGMが人の暴れる音とイスか何かが壊れる音じゃな ければ完璧だったんだけど。 ﹁しっかしこのビールは美味いね。僕のところじゃビールなんてメ ーカーこそ違うけど基本的にピルスナーっていうのしかなかったか ら凄く新鮮﹂ ﹁それは少し味気ないな。妾はなんでも美味しく頂けるほうだと思 うが、それでも毎回同じでは飽きてしま︱︱主っ! 後ろっ!﹂ ﹁え?﹂ 最初に感じたのはどろりとした何かが僕の頭にだばっと掛かったこ と。 次に感じたのは香辛料が効いた美味しそうなスープの香り。 そして最後に感じたのは︱︱︱︱熱さ。 378 ﹁うわっちゃっちゃっちゃ・・・水っ! 水っ! うわらばっ!?﹂ 地面にのた打ち回ろうかと思ったあたりで大量の水がだばだばと全 身に掛かる。 おかげでやけどはしないで、もしくは最小限に抑えられそうだけど 全身ずぶ濡れ。 ﹁す、すまぬ。咄嗟だったから加減が・・・。主、大丈夫か?﹂ ﹁げほっ、けほっ・・・。うん、ありがと。おかげでやけどにはな ってないと思う﹂ ちくしょう。ナンテコッタイ。 誰に着せられたかもわからないフィールドジャケットだけど気に入 ってたのに・・・。 ずぶ濡れなら乾かせばいいけどこんな真っ赤なスープが染み付いち ゃったら終わりじゃないかっ! 真っ赤に染まった自分のフィールドジャケットを脱いでからゆらり と振り向く。 コレは仕返しの一つでもしないといけないよね・・・? ﹁主?﹂ ﹁ちょっと、仲裁でも、してこよう、かな?﹂ ﹁あ、その、えーっと・・・。ほどほどに、だぞ?﹂ 気づけば二人だったはずの原因は三人︱︱いや、床に二人ノビてる から合計五人か︱︱になって今もまだ戦闘中。 男性が軽やかに攻撃をかわすものだから彼らのテーブルとイスはバ ラバラ。 379 店長さん、これでもまだシメるような状況ではないのですか? ・・・なら、僕がやってもいいですよね。 ﹁ここは美味しい料理とお酒を出すお店ですよ。暴れるなら外でや ってくれませんか?﹂ ﹁やってくれたなぁぁぁ!﹂ ﹁まぬけ。相手は一人なんだから数で押せばいいだろうが﹂ ﹁・・・・・・﹂ 完全に無視である。 これでは暴力に出るもの致し方がないだろう。 ノロノロと動く原因1へ無造作に近づいてその腕を取って背負い投 げ。 僕は別に武術の心得とかがあるわけではないので綺麗なものとは口 が裂けても言えないが、それでもターゲットを無力化するという目 的を十分に果たすだけの威力があったみたいだ。 ﹁いきなり何をしや︱︱﹂ 間抜けにもこちらを向いて文句を述べようとした原因2はあっさり と男性にしばかれてダウン。 男性はたぶん僕と同じで20を少し超えたくらい、顔は年相応で普 通な感じ。 ビターチョコレートっぽい色の髪を短めに切り揃えていて、額には ガッツリと汗が浮いているので結構疲れているみたいだ。 この世界でよく見るポロシャツっぽい服装をしているのでおそらく 冒険者などの荒事担当者ではなくて普通の一般市民だと思う。 380 女性のほうは・・・っといけない、見てる場合じゃなかった。こっ ちに原因3が向かってきてるよ。 聞き取るのもいやになるような罵詈雑言を吐き散らしながらのハイ キックをしゃがむ様にして回避し、軸足を払ってやると簡単に転ん でしまったので軽く頭を蹴って継戦能力を奪っておく。とてもイー ジー。 不届き者共はコレにて制圧完了。 あとでめんどくさい事にならないように店員さんに説明でもしよう かと思ったけど、やり始める前から見られてたし別に必要ないだろ う。 ﹁ありがとう。助かった﹂ 正直、この人も問題だと思う。 そりゃ絡まれた以上どうしようもないのかもしれないけど、出来れ ば外で戦って欲しかった。 だけどにこやかな笑顔でそういわれると強く出れないよ・・・。 ﹁いえ、単なる仕返しだったので・・・。それよりもまたこういう のに遭遇しないように気をつけてくださいね。次はどうなるかわか らないんですから﹂ ﹁ああ、重々気をつけるよ。お礼といっては微妙かもしれないが食 事代くらい奢らせてくれ﹂ ﹁いいんですか? ありがとうございます﹂ たぶん今回のお会計はそれなりの値段のはずなので嬉しい、という かいいのかな。 病気と借金以外は喜んで受け付けるつもりなので断るつもりは無い 381 けどさ。 ﹁ん、主。お帰り﹂ ﹁ただいま。ねえ、エル﹂ ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁明日は馬車を諦めて服でも買いに行かない?﹂ ﹁そうだな。主の傷を抉るようで申し訳ないがそれはもう駄目だと 思うぞ﹂ ﹁だよねえ・・・﹂ はあ、中のポロシャツまで駄目にならずに済んだのを幸運と思うし かないか。 それにしても欲しくて服を買うのではなくて必要だから買うなんて 経験は初めてだ。 この世界の服屋なんて入ったことも無かったし、ちょっとだけ楽し みかもしれない。 382 4︵後書き︶ ︵宿の中で︶ ﹁あ、忘れてた﹂ ﹁何を忘れたのだ?﹂ ﹁ジャケットが台無しになる原因を作った彼らにある程度弁償して もらうつもりだったのに﹂ ﹁全員連行されたのだからもう間に合わないぞ﹂ ﹁服って高いんだよね?﹂ ﹁主の着ていたのと同じ品質のモノを買おうとしたら金貨数枚を出 す必要があるな﹂ ﹁うーん・・・。それだと適当に安いのを買うしかないか﹂ ﹁まあ、いいのではないか? 主ならどれを着てもそれなりに似合 うと思うぞ?﹂ ﹁ありがと。そういってくれると少しだけ心が軽くなるよ・・・﹂ 383 5 気に入ってたフィールドジャケットがスープまみれになるという比 較的不幸な一日があけて本日。 僕らは予定通り上着を購入するためのお店を探してアチコチを歩き 回っていた。 単純に服を買いに行くだけなら宿屋の主人に場所を聞いてしまった ほうが確実に早いのだけど、昨日とは打って変わって天気もいいの で散歩がてら探すことにしたのだ。 現在の時刻は10時過ぎ、朝とは違ってこの位の時間帯ならばポロ シャツ一枚でもあんまり寒くないので大丈夫。 市場で買ったリンゴを齧りつつ、まったりと店を探す間の話題はや っぱり服について。 驚いたのはこの中世っぽい世界における布のコストがそう高くはな いらしいこと。 エルも仕立屋を使ったことが無いので具体的な金額はわからないみ 新しい服を仕立て なんて会話が普通に飛び交っているそうだ。 たいだが、季節の変わり目に町を歩いていると なきゃ∼ ちなみに今の季節は春で、夏になるまでにはもう少し掛かる。 だからあんまり暖かい上着を買うとお金が無駄に掛かるだけであっ という間に使えなくなってしまうので気をつけないと。 ﹁結局のところ、主はどんな服が欲しいのだ?﹂ ﹁そういわれると何が作れるのかにもよるんだけど、ぶかぶかした 格好が楽で良さげかな﹂ 384 特にトレッキングやキャンプ、釣りなどに行くときは今まで着てた ようなぶかぶかとしたフィールドジャケットが好み。 やや丈が短いタイプならあんまり見栄えも悪くならないし、ポケッ トが多いので軍用懐中電灯などのアクセスが多いモノを入れておけ ば何かと役に立つ。 カーゴパンツなんかもある程度大きいほうが着てて楽だし、汗をか いても張り付かなくて良い感じ。 ﹁うーむ・・・。それなら上着を仕立てるのではなく適当な防具屋 あたりで外套を買ったほうがいいのかもしれん。服と違ってやや動 きづらいところがあるのは欠点だが、価格も安いし普通の服と違っ て寒いなら包まり、暑いなら開放することが出来るから結構快適だ ぞ﹂ ﹁そ、そんな便利そうなモノが・・・﹂ 外套って普通の上着とかも含まれるとは思うんだけど、エルの言い 方からするとたぶんクロークかマントのようなモノのことを指して いるのだろう。 そういえば冒険者の内の何人かに一人は使ってたよーな気がする。 フィールドジャケットと比べてポケットが少なそうなのは欠点にな るが、単価が安いとかベンチレーション機能︱︱構造上当たり前だ けど︱︱があるというのはかなり大きい。 仕立てるのではなく買うというのも地味ながら利点の一つか。 仮に仕立てに二日掛かるとしたらその間は身動きが取れなくなるし、 そうなると財布の具合がかなりよろしくない。 仕立ての間に仕事をすれば財布の問題は解決できるが、この外気温 でポロシャツ一枚というのはなかなかしんどいので可能な限り町か ら出たくはないわけで。 385 となれば選択肢はおのずと決まってくるというもの。 なによりファンタジーな世界観で冒険をやるならクロークは鉄板で しょう。常識的に考えて。 ﹁うん、それ良いかもしんない。ちょっと方針転換して外套を探す 方向で行こう﹂ ﹁うむ、きっと主にはよく似合うと思うぞ﹂ と、そんなわけでクロークを求めて入ったのは冒険者御用達と思わ れるギルドに隣接した雑貨屋さん。 比較的大きな床面積な上に、二階建てのおかげで商品の幅はかなり 広い。 一階は主に野外生活用のグッズや武器がメイン。 ちょうどWild−1などの総合アウトドア販売店のような雰囲気 で不覚にも懐かしいと思ってしまったのはここだけの秘密。センチ な気分を外に出すのは昨日だけで十分だ。 剣や杖などはさらっとしか見てないけど、グッズのところを見てみ れば虫や動物除けのお香とかコンパクトにたためるカトラリーの類 など、あったらいいなってモノが結構多い。 基本的に置いてあるのは冒険者向けのアウトドアグッズになるが、 魔力を利用したランタンなども置いてあるので一般の人にも有用な モノは意外と多いかもしれない。 全体的に値段はそれなり、あまり安くは無いので衝動買いなんかは 出来そうにないのが地味に残念だ。 386 階段を上がって二階のメインはシュラフやテントなどの布製品。 テントの類が設営された状態で展示されているので一階と比べて雑 然とした様子だが、それでも商品カテゴリごとになんとなく別けら れているのでクロークを見つけるのはそんなに難しくなかった。 ﹁うわ、結構あるなぁ﹂ ﹁さすがに店の規模が大きいだけは有る。これなら好みの一着が見 つかるのではないか?﹂ 棚に吊るされているのはかなりの数の外套。 袖があったり、フードがあったり、ポケットがあったりとデザイン の幅は広く、選択肢には事欠かないのは実に素晴らしいと思う。 色もオリーブやセージグリーン、カーキにコヨーテブラウンと地味 系カラーに限れば随分と豊富。 値段はピンキリ、明らかに布の品質が違うのとか銀糸の刺繍が入っ たのとかは恐ろしいことに単位が金貨となっている。 こんなものをアウトドアで使うなんてもったいなさ過ぎると思うの だが、ここに売られているということは使う人も居るんだろうなぁ・ ・・。 ともかく普通の品質のものに限れば銀貨2,3枚で購入が可能で、 なるほどコレなら普通に上着を仕立てるよりは遥かに安く済みそう だ。 ﹁うーん・・・。あんまり悩んでもしょうがないし、コレにしよう かな・・・﹂ なんとなく手に取ったのはセージグリーンのクロークで、袖やポケ 387 ットは無いがフード付き。 丈はそれほど長くないので僕が着ても不自然ではないはずだ。たぶ ん。 不自然じゃないかをエルに確認してもらいたいので羽織ってみると 想像以上に軽くて驚いた。 これなら動きを阻害することもないし、戦う上で問題が発生するこ とも無いだろう。 さすが冒険者用品店のクローク。よく出来てる。 ﹁どうだろ、変じゃないかな?﹂ ﹁どこが変なものか、むしろ主に良く似合っておるぞ﹂ ﹁ありがと。じゃあコレにしようかな﹂ うん、地味にこの世界の服装に切り替えられるのは嬉しいな。 ぶっちゃけ今までの格好ってこの世界にはちょっと似合わないと思 っては居たんだ。 きめ細かく頑丈に織られたコットンで出来たフィールドジャケット にカーゴパンツ。 笑っちゃうほど頑丈な1000D︱︱もしかすると500Dかもし れない︱︱コーデュラナイロン製のスリングバッグ。 要するに野球帽を被ってAR15でも携行していれば﹁どこの民間 警備会社の人ですか?﹂って格好だったのだ。 それが今日、ようやく異世界に溶け込めるような格好になった気が する。上着しか変えてないけど。 ﹁そういえばエルは大丈夫? といってもその格好に外套じゃあん まり似合わない気もするけど﹂ ﹁妾は大丈夫だ。意外とこの格好は暖かいのだぞ?﹂ 388 ﹁そうなのか。じゃあとりあえず今回は僕のだけでおっけーだね﹂ 一度クロークを脱いでカウンターで代金を支払う。お値段は銀貨2 枚と半分。 僕の世界でまともなアウトドア用のジャケットを買った場合、軽く 数万円を取られることを考えればコレはなかなかに安いんじゃない かと思う。 その後はひとしきり一階の商品を眺めて満足した後、隣のギルドへ と移動。 目的は当然お金稼ぎ。 今回の出費はそれほど痛いわけではないが、それでも仕事の一つや 二つを消化しておかないとそろそろお金がなくなってしまう。 それにギルドのランクがCになってから一つも依頼を受けてないし、 ここらで一つくらい受けてもいいんじゃないかなとは思っていたん だ。 だけど︱︱ ばいおれんす という言葉の意味はわからんが、さすがギルド ﹁これは、ちょっとバイオレンス過ぎやしませんかね・・・?﹂ ﹁ ランクがCといったところだな﹂ 乱雑で読みづらい掲示板の中からサクッと見つけたCランク冒険者 向けの依頼は以下の通り。 アルダ山で取れるココルスの確保 389 カーダス周辺の魔物の掃討作業 スカルナ地方における魔獣の分布調査 一番上の依頼は採取系のために一見安全そうだが、依頼を受けた冒 険者が予定日より7日以上経過しているのに帰ってこないことを示 す真っ赤なハンコが押されているのでこの中じゃ地味に一番危険。 魔物の掃討作業は近辺の軍人との共同作業なので恐らく傭兵のよう な扱いを受けるのだろう。 おまけに期日がはっきりして無いので長いこと引き摺りまわされる かもしれない。 正規兵の変わりに危険地帯に突っ込まされるかもしれないし、出来 れば受けたくないタイプの依頼だ。 魔獣の分布調査に関してはまず距離が遠い。 前人未到というほどではないが、それでも馬車で3日以上掛かると はエルの話。 その間ずっと学者のために炊事洗濯火力支援と行わなければならな いのは精神的にも肉体的にも結構大変。 ・・・あれ? 受けたい依頼がないぞ? 僕の理想としてはここで仕事を請けて即、もしくは明日早朝に出発。 目的地で依頼を遂行してからその場でお金かハンコを受け取り、ガ ルトに向かうというパターン。 比較的メジャーなタイプのフローだし、理想と言いつつも探せばあ るものだと思うのだが。 ﹁報酬面であんまり贅沢言うつもりはないんだけど、せめてガルト 方向に近づけるような依頼って無いのかな。別にDとかEの依頼で 390 も全く構わないんだけど﹂ ﹁む∼・・・。王都と違って掲示板が乱雑で読みにくいのだ﹂ ﹁確かにちょっと読みづらいね。依頼票が重なっちゃってるのはい くらなんでもまずい気がする﹂ ﹁全くだ。カーディスはこの辺をきっちりとしていたのだがな﹂ この町の冒険者が少ないのか、それとも依頼の量が多すぎるのか。 依頼の紙に募集期間の延長を示すハンコが無いあたり後者なのだろ うが、ともかく掲示板はその容量をあっさりとオーバーするだけの 依頼で埋め尽くされている。 こんな状態だと依頼を出したのにいつまでたっても発掘されず、そ して依頼を受ける冒険者が居ないという事態になるんじゃなかろー か。 そしてそれはギルドの信用的に考えて凄くヤバイ気がする。どうし ようもないけど。 ﹁お、コレなんてどうだろう﹂ ﹁どれどれ・・・。ん、ナルキスでの依頼ならガルトにそこそこ近 づくことも出来るし、主の目的にぴったりで良いと思うのだ﹂ 混雑極まりない掲示板と格闘すること約10分。 ようやく見つけたのはナルキス警備の予備要員の依頼。 概要を読む限りだと衛兵が村の周囲の魔物を制圧する間の空白を埋 めるのが役割で、期間もわずかに二日間だけ。 何も無ければ村に居るだけでいいみたいだし、それでいて報酬は銀 貨9枚となかなか。 エルと同意が取れたところで掲示板から依頼票をはがしてカウンタ ーへ。 ギルドの規模そのものはガルトのとそう変わらないと思うのだが、 391 受付には何人かオペレーターが居る辺りこの町の依頼の量がうかが える。 ﹁すいません、依頼を受けたいのですが﹂ ﹁おおっ! ちょうど良いところに来てくれたのですねっ! さあ、 どれを受けるのですか?﹂ ﹁・・・あ、えーっと、これです。よろしくお願いします﹂ ﹁それじゃあ処理をしちゃいますのでもうちょっとだけ待ってくだ さいね﹂ テンション高い人だなぁ・・・。 普段からこんなんだと疲れちゃわないのかな。 ﹁・・・よしっ。これで処理は完了です。この時期は依頼がわっさ りと来るので大変なんです。ほかの冒険者さん達もへろへろになっ ちゃいますし。だから機会があればまた来て下さいねっ!﹂ ﹁そ、そうなんですか。それは大変ですね・・・﹂ すいません、きっとそのリクエストには色の良いレスポンスを返せ そうにないです。 ﹁エル、手続きは済んだから早速向かおう。依頼票を見た限りあん まり遠くないみたいだから上手いこと馬車があれば今日中には着く と思うんだ﹂ ﹁うむ。了解だぞ﹂ 392 5︵後書き︶ ﹁ギルドの掲示板を見てたときに思ったんだけどさ、魔獣と魔物っ て何が違うんだろ﹂ ﹁あ∼・・・。きっちりとした線引きは恐らくないと思うぞ。瘴気 によって強化される生き物はみんなひっくるめて魔物と呼ばれてい るし、その中でも普通の野生生物に近いものが魔獣と呼ばれている のだとは思うが・・・﹂ ﹁そっか、あんまり区別ってされてないんだね﹂ ﹁うむ。人によっては敵対的な生き物なら何でもかんでも魔獣と言 い張るような者も居るしな。主のところと違ってあんまりそういう 区別がしっかりとしているわけでは無いのだ﹂ ﹁なるほど、だからホブゴブリンに襲われたときにも魔獣と魔物と 両方の呼び方が聞こえたのか。なんか凄く納得した﹂ 393 6 ナルキスはカーダス発キューライン行きの馬車に乗って二時間強。 前回と違ってトラブルなく進んでくれたのは本当によかった。 既に日も傾いた夕方なので急いで依頼で指定された建物に向かった のだけど、なんと依頼主の隊長さんが外出しているため、応接室で ファルド王国騎士団 ナルキス派出所 待機しながら紅茶を飲んでいるというのが僕らのスタッツ。 ちなみに建物の看板には とあったので、この村の施設というよりは国の施設のようだ。 地方が保有する自警団とか衛兵とかじゃなくて国所属の騎士が居る というのには驚いたが、考えてみれば総戸数100にも満たないよ うな小さな村で生産性の無い軍事ユニットを維持するのはそれなり に難しいのかもしれない。経済とか詳しくないので全く根拠とかは ないけどさ。 ま、そんなことよりも重要なのはここで出された紅茶が絶品という 事実だ。 紅茶を飲むの自体が久しぶりなので採点が甘くなっているとは思う が、水色はセカンドフラッシュ特有の濃いブランデー色、飲む前か ら感じられるほどの芳醇なマスカテルフレーバーと円熟した甘く香 ばしいコクのある味わいで、これはまさしく最高級品。 ハッキリいってコレだけ美味しい紅茶を飲むのは日本でだって簡単 じゃない。 ﹁主っ! このお茶はありえないほど美味しいぞっ!﹂ 394 ﹁僕もそう思う。こんなに美味しいのを飲んだのはどれだけ振りだ ろ﹂ ﹁ふふっ、気に入ってもらえて何よりだわ。そんなに喜ばれると隊 長に習った甲斐があったってもんね﹂ なのに僕らの感想をジョークかなにかと勘違いしたのか手のひらを 振って笑う女性はソフィアさん。 この村に派遣されている騎士見習いの一人だ。 赤い髪は肩の当たりで切り揃えられていて、切れ長で同色の瞳と合 わさって快活な雰囲気を漂わせる。 170cmくらいの身長に引き締まった体格のおかげでモデルかな にかのようだ。 ちなみにこの村に派遣されている人員は三名。 ソフィアさんと同じく騎士見習いのネイクさんと、上長である正騎 士のクレアムさん。 正騎士一人に見習い二人というのはやや戦力的に不安に感じるとこ ろがあるのだが、騎士の戦力を僕は知らないし、そもそもこの地域 で凶悪な生物が闊歩するなんて話はギルドでも聞いたことが無いの で恐らく問題はないのだろう。 ﹁そうだ、お茶代替わりってわけじゃないけど、もし差し支えなけ れば二人のことを聞かせてもらえないかしら﹂ ﹁僕らのこと、ですか﹂ ﹁ええ、今まで来てくれた冒険者たちと雰囲気とかが全然違うから ちょっと興味があるのよね﹂ うーむ・・・。あんまり語れるようなことって無いよーな気がする。 現状をありのまま話すのは論外だし、記憶喪失ネタとか使った場合 395 は場の空気が重くなりかねない。 どうしたもんか。 ﹁主は何を悩んでおるのだ? この間の武技大会の話でもリーナを 助けたときの話でも良いではないか。確かに主の冒険者として活動 した時間は短いかもしれないが密度だけなら誰にも負けておらぬ﹂ エルはそういってくれたのだが、リーナさんの話ってある意味トラ ウマだからねっ!? あらすじだけ紹介すればそりゃちょっとした物語かもしれないけど、 人殺し要素満載だからお茶を飲みながら語るような話題じゃない気 がするのは僕だけじゃないはずだ。 武技大会にいたっては何を話せばいいのかわからん。 一戦一戦の様子をラジオよろしく実況出来るならともかく、僕にそ んな技術はない。 かといって一回戦目がどうたらこうたら、二回戦目がうんたらかん たら見たいな話し方をしたところでとても面白みがあるとはとても 思えないわけで。 ﹁おっ! ユート君ってば今年の武技大会に参加したんだ。どこま でいけたの? 予選突破した?﹂ ﹁うむ、主は本戦に出場し、二回も勝ち抜いて賞金まで貰ったほど だぞ﹂ ﹁凄いじゃないの。それなら安心してここを任せられるってもんね。 だけど︱︱﹂ だけど? ﹁︱︱ウチの戦闘馬鹿がユート君に模擬戦を挑んでくるのは間違い 396 ないからそれをどうにかしなくちゃ。いくら馬鹿とはいってもこの 忙しいときに怪我なんてされたら困るのよね﹂ ﹁いやいや、ちょっと待ってくださいよそれ。なんかおかしくない ですか?﹂ おかしい、何がおかしいって模擬戦を受けるのが前提になってると ころだ。 くらいの認識だっ 怪我もなにも僕がそれを受けなければ全く問題ないだろう。 死なないから問題ない 大体僕は模擬戦なんてやりたくないぞ。 武技大会に出る前なら たかもしれないけど、終わってみれば鈍痛に耐えながらベッドの上 で三日間。これ以上そんな経験はごめんこうむる。 しかもこのタイミングで怪我しちゃうと当然依頼も失敗になるだろ うし、今まで少しずつ積み上げてきた信頼を失いかねない。 そうなってしまったら肉体的よりも経済的なダメージが甚大過ぎて ヤバイと思うのだ。 ﹁え? だって模擬戦受けないの?﹂ ﹁受けませんよ。ソフィアさんのいう通り怪我をしたりされたりし たらたまりません。依頼が受けられなくなっちゃいます。・・・っ てなんでそんな驚いてるんですか﹂ ﹁ごめん、武技大会に参加する人って模擬戦とかとにかく戦うのが 好きな人っていう印象があったもんだから驚いちゃって。でも良か った、それならウチの戦闘馬鹿が怪我をする心配もないわね﹂ なるほど、ソフィアさんが驚いた顔をした理由はそれか。 武技大会本戦出場という経歴は今後の自己紹介などで自分の能力を 証明出来るちょうど良い指標になるかと思ったのだけど、そんな風 に見られる可能性があるならTPOを考えなくちゃな・・・。 397 ﹁実はですね、そもそも僕が武技大会に参加することになった理由 は︱︱︱︱﹂ ◆ あれから約30分程度、僕の話はここの隊長であるクレアムさんが やって来たので一時中断となった。 ソフィアさんは若干不満げだったが、僕としてはボロを出さないよ うに話すのが大変だったので、地味に嬉しかったというのが正直な ところ。 クレアムさんは20代後半くらいの男性で、短めの髪の毛は濃いチ ョコレート色、力強さを感じられる瞳が青くて綺麗だ。 このヨーロッパライクな色の組み合わせ自体は比較的メジャーなの で町を歩けばよく見かけるのだが、顔のパーツ一個一個が優れてい るので随分とカッコ良く見えて羨ましい。 ただ、みょーに影があるっていうか、なんていうか。 たぶん、一地域の担当者となるまでの道のりは平坦じゃなかったん だろうなぁ・・・。 ﹁待たせて悪かったな。いつもならこの時間帯には帰ってきてるん だが、今回は魔獣討伐の下調べとかをしてたから遅くなっちまった んだ﹂ ﹁いえ、ほとんど待ってませんし大丈夫です。クレアムさんが下調 398 べをしたということは明日から早速依頼が開始されるという認識で よろしいですか?﹂ ﹁おう。まだ完璧とはいえないが、冒険者を待たせると余計に金が 掛かっちまうしな。明日から二日間でキッチリやるつもりだ﹂ クレアムさんはそういうとテーブルの上に小さな筒のようなものを 置いた。 筒の直径は3cm、長さは20cm程度、表面には小さな文字で︱ 緊急時以外使 と書いてあるので、恐らく発炎筒的なモノか? ︱こっちに来てから視力も上がったから読める︱︱ 用禁止 ﹁それは?﹂ ﹁こいつは緊急時連絡用の信号弾だ。まずないとは思うが、もし村 に大量の魔獣がやって来てユート君とエルシディアさんの二人で対 発射 といえば作動す 処が出来なくなりそうな場合にはそれを空に向かって放ってくれ。 使いたいときはこいつに魔力を通しながら る。一発限りだから使うときは注意してくれ﹂ コレ、横にして撃てば銃の変わりになるんじゃないか? 信号弾として十分な機能を持っているならば弾丸は十分な高度まで 打ち上げられるはず。 当然弾頭のエネルギーは相当量で、少なくともゴブリンくらいなら 余裕で無力化出来るだろう。 可能かどうかは知らないが、コレの作動条件をファイアリングピン で操作出来るようになれば異世界初の銃が作れるようになるわけか。 魔術を撃ち出す以上バレルは不要だし、最大の問題点はシアとハン マーの作成かな。 あの辺のパーツは磨耗しやすい上に製造には相当な技術が必要だ。 特にスプリングとかは熱処理が︱︱ 399 ﹁なんか考え込んでるみたいだが、何か気になることでもあったの か?﹂ ﹁・・・いえ、なんでもありません﹂ いかん、最近思考が暴走気味な気がしてならない。 この間のジャケットがおじゃんになったときも最初に思いついたの が武力行使だったし、気づいてないだけでストレス溜まってるのか なぁ? ﹁と、とりあえず信号弾の件は了解しました。ほかに依頼を受ける 上で注意すべき点などはありますか?﹂ ﹁依頼の範囲からは逸脱しているかもしれないんだが、もし良けれ ば村の子供達に冒険の話を聞かせてあげたり、勉強を教えてあげた りしてくれないか? 二人とも魔術師ならある程度以上の教育を受 けているんだろう? 村は二人で警戒しきれるほど狭くは無いし、 それならいっそ子供達の近くに居てもらいたいんだ﹂ ﹁教育の件も了解です。算術なら教えられると思います。一応、念 のため聞いておきたいのですけど村に魔獣が侵入してきたときの処 理の流れはどうなっていますか?﹂ ﹁あー・・・。ぶっちゃけあまり考えられて無いのが実情だ。この 村は強力ではないが魔獣などに対して忌避効果のある魔力障壁を常 時展開しているせいで襲われたことが一度も無いんだ。だから俺た ちが定期的に討伐を行えば問題ないという風な認識を持たれてしま っている﹂ おうふ、それは結構危険な気がする。 いくらこの近辺にあまり強力な敵性生物が居ないらしいとはいえ、 AC130のようなモノが空から常時見守ってくれているわけでも ないのだから油断するのは危険すぎる。 400 平和なのはいいことだと思うけど平和ボケはまずいだろう。常識的 に考えて。 これにはクレアムさんも苦笑い、などと現状をどこかの番組のナレ ーションのようにいってみてもまるで笑えないというのが異世界の 悲しいところだ。 ﹁はぁ・・・。冒険者をやってるユート君が呆れるのもわかるよ。 俺もいろいろ言ってるんだがね。緊急時に自動で連絡が来るような 魔道具は高いから買えないのも仕方ないとして、俺らに連絡を取る 仕組みくらい何とかなりそうなもんだが・・・﹂ ﹁えっと、なにも起こらないとは思いますがもし魔獣などが侵入し てきた際には臨機応変に対応していきたいと思います﹂ ﹁あぁ、そうしてくれると助かるよ。明日からはよろしく頼む﹂ ﹁はい、こちらこそよろしくお願いします﹂﹁うむ、こちらこそよ ろしくだぞ﹂ 401 7 あれから話はとんとん拍子に進んでいき、結局僕らのメインタスク は村の防備における予備要員というよりはすっかり教育担当のよう な状態になってしまった。 どうせ来ないであろう敵を待ってのんびりさせるよりは村の子供達 に勉強を教えさせたほうが費用対効果的に優れているだろうという 判断らしい。 なんだかんだ言ってクレアムさん達も結構のんきに構えているよう な気がしてならないぞ。 その結果、僕らにゃ個室とお勉強用の参考書の類が与えられてエル と二人で学習計画を構築中である。 とはいっても僕はこの世界の歴史や地理なんて欠片ほども知らない し、国語なんかもわからない。 国語に関しては文字の読み書きが出来るから大丈夫かと思ったのだ けど、エルとの契約による自動翻訳システムやこっちの言語が日本 語に聞こえる便利補正とかっていうのが異世界特有の言い回しに対 鍛冶屋に桶を投げる みたいな感じに読めるのだけど、も 応しないために意味が掴みづらいのだ。 例えば ちろん意味なんてわかりゃしない。 その後の文章を読んでいけば結果として意味がわかることは多いけ ど、こんな状態ではとても先生まがいの真似が出来るとは思えない。 むしろ僕が聞きたいくらいだ。 予想通り物理や化学に関しては資料無し。 402 前に見た図書館では辛うじてそんな感じのタイトルがあったから概 念くらいはあると思うのだが、子供向けの内容でまとまった参考書 などは無いんだろう。 大好きな有機や熱、運動量の勉強とかを教えられないのは残念極ま りないが仕方がないか。 その代わり魔術という新ジャンルが増設されているものの、これを 教えるのはやっぱり不可能だ。 自称魔術師が魔術を教えられないとかいろいろマズイ気もしたけど、 エル曰くメシのタネをおおっぴらに公開するような魔術師なんてほ とんど居ない上、エンドユーザとディベロッパが異なるなんていう のは良くあることだというので恐らく問題あるまいて。 それでも聞かれたら中途半端に習うのは逆効果と言ってしまう予定 で進めている。 子供達はこれからプロに習うことになっているわけで、やはり餅は 餅屋だろう。常識的に考えて。 となればやっぱり教えられるのは数学だけとなる。 参考書を見た限り中学受験レベルを薄めたような印象ではあるもの の、売り買いをした結果の利益率を求めるものや徒歩の旅人を馬車 鶴亀算を使いなさい というような但し書 が追い抜くのは何時間後かを問うものが多くて意外と実践的だ。 日本の教科書のように きも無いので連立方程式とか教えたらきっと楽になるんじゃないか と思う。 ﹁もうそろそろいいのではないか? 相手の学力がわからぬ以上、 あまりキッチリとやってももったいないだけだろう。妾が思うにこ ういったものは柔軟にやるのが一番だと思うぞ?﹂ ﹁んー・・・っと。それもそうだね。とりあえずある程度は済んだ からオシマイにしよっか﹂ 403 ぐったりとした様子でイスにしな垂れかかるエルを横目で見ながら、 同じように体を預けてぐいりと背筋を伸ばすと肩甲骨と首筋のあた りからバキバキと音が鳴り、あまりの心地よさに思わず声が漏れる。 うへぇ。気持ちぃ・・・。 ﹁ふふっ、随分疲れておったようだな﹂ ﹁そりゃこんな風な姿勢で長いこと作業してたら疲れるよ。さて、 それはともかくどうしようか? オセロでもやる?﹂ ﹁うむ、それは良いな。最近は何かとあって主と対戦する機会も少 なかったし、今日こそは主から5割の勝利を奪って見せるのだっ!﹂ えいやっ、という具合にエルが腕を伸ばして僕のバックからオセロ 用マットとコマのセットを取り出す。 もちろんこの世界にオセロなんてものはないからどちらもお手製な んだけど、コレが意外とよく出来てる。 マットは衣料品店で買った何かの動物の革をエルが器用に魔術を使 って焦がすことで、コマはそこらへんで拾った木材を元に片面だけ を焦がすことで作成。 さすがに手作りということもあってマットの端のほうがヨレてたり、 コマの形がいびつだったりするのだが、これまた愛嬌があっていい と思うのはさすがに身内贔屓だろうか。 などと考えているうちにテーブル上の参考書はベッドの上へとシフ トし、確保されたスペースにはオセロ用のマットとコマが鎮座する。 こうして僕とエルの真剣勝負が幕を開ける、はずだった。 ﹁・・・・・・むう、なんと間の悪い﹂ ﹁僕もそう思う﹂ 404 コイントスで先攻を決め、さあ勝負となった瞬間に鳴り響いたのは 軽いノックの音。 まさか無視するわけにもいかないので勝負は即時中断となってしま い、エルは若干不満そうだ。 ﹁すいません、お待たせしました﹂ そんなエルの様子に苦笑しながらドアを開けると待っていたのはエ プロン姿のソフィアさんだった。 エプロンにはついさっき出来たっぽい油汚れなどがチラチラと見受 けられるので恐らく夕食の準備などをしていたのだろう。 しまったな。一言手伝うと言えば良かったか。 ﹁や、ユート君たち。ご飯が出来たから居間のほうまで来てもらっ てもいい? ついでにネイクの奴も帰ってきたから適当に自己紹介 もお願いしたいんだけど﹂ ﹁了解です。参考書の類をまとめ終えたらすぐに向かいます﹂ ﹁ありがと、面倒かと思うけどよろしくね﹂ しかし自己紹介、か。 相手はソフィアさん曰くバトルジャンキーと聞くし。 ううむ、どうしたもんか。 ◆ 405 あれから参考書を片付けながら3分ほど考えてみたけどそんな短時 間でグッドな自己紹介案が浮かぶはずも無く、ややげんなりしなが ら居間に向かうとそこにはクレアムさんとソフィアさん、そして金 髪碧眼の青年︱︱恐らくこの人がネイクさんだろう︱︱が既に席に 座って待っていた。 部屋を明るく照らす魔術の光はオレンジ色の優しい印象で、チラつ きもなくて非常に目に優しい。 おまけにこの色味の照明というのは食事を美味しく見せかける効果 もあるのでこういった環境には最適といえる。 個室の明かりはもう少し白っぽい明かりだったあたりから予想する に、意識してこの色合いの明かりを選択していると見て間違いない。 恐るべし異世界、電気も無いのに部屋の雰囲気に合わせて光を選べ るとは。 既にテーブルの上には数種類の料理が並んでいて、すっかり食事の 準備が整っているのにもかかわらず箸をつけたような様子が無いあ たりわざわざ僕らのことを待っていてくれたらしい。 本当に頭が下がります。 ﹁来たわね。そんなところで突っ立ってないでまずは座ればいいん じゃない?﹂ ﹁あ、ええ・・・。ありがとうございます﹂ ソフィアさんは居間に入った僕らに気づくとすぐに声を掛けてくれ たのだが、案内された座席はなんと上座。 気にしていないのか、はたまた概念が無いのかは不明だが、中途半 端に自分のところのマナーが残っている僕としては多少座りづらい。 ただ、イスを勧められておきながら座らないというものおかしな話 406 なので着席はしたものの、違和感アリアリでなんとも落ち着かない よコレ。 ﹁はじめまして、ユートさん、エルシディアさん。オレはネイクで す。たぶんソフィアやクレアム隊長から聞いてるとは思うけど、こ の村の治安維持が主な仕事です。これから二日と短い間だけどよろ しくお願いします﹂ ﹁こちらこそよろしくお願いします﹂﹁うむ、短い間となるがよろ しく頼むのだ﹂ そんな落ち着かない僕らに対して簡単な自己紹介をするネイクさん の表情は明るく朗らかな好青年といった印象で、これがバトルジャ ンキーという評価を得ているような人とは到底考えることが出来な いのだが・・・? ﹁んじゃ、全員そろったところでご飯にしましょっか。ユート君た ちはお酒大丈夫? もし駄目なら水を取ってくるけど﹂ ﹁ご飯だけじゃなくてお酒まで頂いちゃってもいいんですか? 結 構高いものだと思うのですが﹂ 何故かやや申し訳なさそうにソフィアさんが聞いてくるが、コスト 的都合によりあまりお酒が飲めない僕らからすれば思わず顔がにや けるほどの事実だ。 ああっ! 本当にこの仕事請けて良かったっ! ﹁そんなこと気にしないで大丈夫よ。呑めるなら一緒に飲みましょ う﹂ ﹁ありがとうございます﹂ 407 そういってソフィアさんが注いでくれたお酒は茶色ながらワインの ような香りがする不思議なモノ。 あまりアルコール臭がしないあたり恐らく醸造酒なんだろうけど、 二日酔いしやすいお酒でもあるのでほどほどにしないとヤバそうだ。 まさか仕事中に酔っ払ってるわけにはいかんもんね。 ﹁ほら、あんまり気にしないで食べなよ。隊長なんてユート君たち が来たもんだから食べ始めちゃってるわよ?﹂ ﹁・・・んぐ。別にいいだろ、ソフィアの作る飯は美味いから冷め たら勿体無いんだよ。それに挨拶とかそういうのはガラじゃないん だが﹂ ﹁せっかくユートさんやエルシディアさんに来てもらったんだから 乾杯の挨拶くらいお願いしたかったんですけどね﹂ ソフィアさんとネイクさんはなにやら不満げな様子ながらも料理に 手をつけ始めたので、これはいよいよ僕らも食べていいよ的な感じ なのかな。 それならまずは前菜っぽい奴から頂こう。 ほうれん草とチンゲン菜を足して二で割ったような雰囲気の青菜と カリカリになるまで炒めたベーコンを卵で閉じたモノで、直径20 cmほどのそれにナイフを入れると透明な汁と共に湯気が立ち上が り、辺りに卵の香りが広がってなんともいえない気分になる。 思わず口の中に溢れる唾液を飲み込みながらエルの分と自分の分を 取り分けてまずは一口。 ﹁うわ・・・。おいしい・・・﹂ 半熟気味の卵は塩ベースで味が調えられており、それにほうれん草 の味わいとベーコンの肉汁がじゅわっと広がって口の中を満たす。 408 単純な塩味だけではなく、複雑な味わいになっているのは恐らく卵 にスープベースかなにかを利用しているからだろう。 次にソフィアさんに注がれたワインっぽい香りのお酒をちびりと口 に含んでみると、その華やかな香りの後にやってくる凝縮された果 実感が素晴らしい。 ややタンニンがキツくて後味に少し残るような感覚があるのが凄く もったいなく感じてしまう。 もしコレがワインと同等の代物であるならば適切な環境で数年間寝 かせることで劇的に美味しくなるのは疑いようがない。 ﹁主、これも凄く美味しかったぞ﹂ ﹁ん、ありがと﹂ 小皿に乗って差し出されたのは豚肉︱︱もはや正式名称はどうでも いい︱︱のソテー。 付け合せのタマネギと一緒に独特の香草の香り漂うソースがたっぷ りと絡み付いていて実に美味しそうだ。 それをナイフで一口大に切り分けてぱくりと頂けばこれはもう説明 不要の肉の美味しさ。 柔らかい肉が、ジューシーな脂身が、そのどちらもが素敵なソース と一緒になって素晴らしい味となって僕の脳内を駆け巡る。 ﹁凄い。肉の焼き加減と味付けが抜群でめちゃめちゃ美味しい﹂ ﹁そうだろう、そうだろう。妾が思うに今回の中で一番美味しいと 思ったのだからな﹂ ﹁そ、そんなに褒められると照れるわね。ユート君もエルシディア さんも冒険者やってるならアチコチで美味しいものとか食べてるん じゃないの?﹂ ﹁そんなことは無い。いくらアチコチ回れるといってもこれだけ美 409 味しいものを食べるのはとても難しいのだ﹂ エルがにっこりと笑ってそういうと、ソフィアさんは少しだけ顔を 赤く染めながら右手に持つカップの中身を一息に空けてさらに酒を 注ぐ。 あれか、恥ずかしいことや嬉しいことがあると酒が入っちゃうタイ プなんだな。きっと。 それからしばらく時間がたち、お酒の力も相まってすっかり場の雰 囲気がこなれてきた頃。 ﹁突然ですけど、ユートとエルに質問がありますっ!﹂ ﹁はい、なんでしょう﹂﹁うむ、なんでも聞くと良い﹂ ﹁オレが見た限りお二人は魔術師だと思うんですけど、正面から魔 物と戦う際に前衛無しで困ったりはしないんですか?﹂ 突然のネイクの質問はなるほど確かに疑問なところだと思う。 僕らの体つきはおよそ直接剣で殴り合えるようなものには見えない し、かといって強力な魔術を扱える長めの杖を携行しているわけで もない。 ﹁困ったことは今のところ一度も無いぞ。主も妾もある程度以上の 近接戦闘が可能でその間に魔術を組み上げることが可能だからな﹂ ﹁それは、凄いですね。その歳で戦いながら魔術を扱える人という のはほとんど居ませんよ? お二人に来てもらえたのは幸運ですね。 安心します﹂ ﹁うむ、主に掛かればどのような依頼であったとしても完璧にこな 410 すことが可能だ。だから安心するが良い。もし魔獣の類が村に侵入 してきたとしても人々には指一本触れさせぬよ﹂ うぅ、エルの信頼が微妙に重い。 確かに僕はこっちに来てからやたら強化された感はあるけど、その 強化された肉体を運用する精神はあんまり変わってないわけで。 かといって自信満々にそう言い切るエルを否定するのもなんかあれ だし、やっぱりここはひとつ全力で頑張るのが最善か。 ﹁そういってくれると思っていました。今までの冒険者達とは明ら かに雰囲気が異なりますからねっ!それで、どうでしょう。ここは 一つオレと戦ってみたりしませんか?﹂ ﹁それはお断りさせてもらうぞ﹂ 酔っ払っているのか、ネイクのワリと支離滅裂な僕らに対するリク エストに対するレスポンスは極めて早いものだった。 まさかこんな風に断られるとはカケラほども思っていなかったらし く、ネイクはあんぐりと口をあけてハングアップしてしまっている。 ﹁ん、聞こえなかったか? 模擬戦などはお断りするぞ。主も妾も 明日から仕事をする以上怪我なんてするわけにはいかぬのでな﹂ ﹁い、いえ。聞こえてます。まさかこんなにあっさりと断られると は思ってなかったので。しかし残念です。オレとしては是非戦いた かったのですが・・・﹂ ﹁ネイク、戦って強くなるのも悪いことじゃないが二人の予定を考 えるに模擬戦とかをする時間はほぼ無いな。諦めろ、その分俺がキ ッチリ稽古をつけてやるからさ﹂ ﹁ク、クレアム隊長・・・﹂ こうして、エルとネイクの話し合いは穏便に終えることが出来たの 411 である。 ︱︱︱微妙に薔薇っぽい光景をその目に焼き付けながら。 412 8︵前書き︶ さんさんと朝日が降り注ぐ中、ナルキス派出所の門前に並ぶは三人 の騎士たち。 もっともそのうちの二人は騎士見習いなので今の言葉はやや事実と 異なるのだが、それでもそう思わずにはいられないほどの存在感が あった。 やはり統一された装備を纏った兵隊というのは映える。いろいろと。 国からの支給品というだけあってあまり高価な装飾を施された武器 防具というわけではないのだが、必要な機能が凝縮されたものとい うのはそれだけで機能美があるもんだ。 バンテージのようなものが巻かれた無骨な長剣はいぶした木で作ら れた鞘に収まり、ところどころ黒光りする金属で補強された防具は 最低限ながら動きを妨げるようなところがなく、ブッシュの多い森 林で効率的に活動するためには最適があることが一目でわかる。 さらに腰周りにはコンパクトなポーチ類が取り付けられており、中 には最低限度の食料と必要十分なメディカルキットがみっちりと詰 め込まれているので万が一の事態にもある程度の対応が可能だ。 騎士は馬に乗って白銀のフルプレートアーマー、なんて考えを持っ ていただけに最初見たときはちょっとだけ面食らったものの、よく よく考えてみれば平地以外でそんな装備がまともに運用できるとは とても思えないし、なるほど確かに理想的な装備類だと思う。 ﹁それじゃあユート君、後のことは頼む。我々も夕方には帰ってく 413 る予定だからメシの心配はしなくていい﹂ ﹁了解です。お気をつけて﹂ ﹁任せておいてくれ﹂ そういうとクレアムさんはにっこりと笑って頷き、二人の騎士見習 いの肩を叩いてからゆっくりと森の中へ入っていく。 ﹁ついでにご飯の材料も取ってくるから期待しててねっ!﹂ ﹁ソフィアの作るご飯はきっと昨日以上に豪華ですよっ!﹂ ﹁・・・お前ら、これ。遊びに行くわけじゃなくて重要な仕事なん だからな?﹂ その、なんだろ。 締まらないオチっていうのはきっとこういうことを言うんだろうな。 たぶん。 414 8 ﹁ユートさん、これはどうやって解けばいいんですか?﹂ ﹁ああ、これはまずソラクムひとつの代金をX、ラファーナひとつ の代金をYと置き換えてしまえば見知った計算式になるでしょ? 文章問題はどうやったら計算問題に置き換えられるかを考えること が重要だよ﹂ ﹁初等魔術概論のこの部分なんですけどどうしても意味がわからな くて・・・﹂ ﹁わかりにくいかも知れぬが魔術回路の起動部分はここだ。コア部 分はこの四角いところだな。あとは教科書をしっかり追っていけば 大丈夫。面倒くさがらずにちゃんと一行ずつ見ていくんだぞ?﹂ ﹁この儲けと損の境目の出し方はこれで大丈夫ですよね?﹂ ﹁ちょっと待った。まずはこの商売に必要なお金の計算が抜けてる。 その後はこうやって線を引いてあげればほら︱︱﹂ ﹁この辺の歴史の流れが覚えにくいんですけど。いい手段があった りはしませんか?﹂ ﹁暗記物に近道などない。歩きながら復唱するか、復唱しながら書 き取りするかしかないな﹂ ﹁ユート兄、勉強のことより冒険のことを話してくれよ。エル姉か ら聞いたけど武技大会でもすごい結果を残したんでしょ?﹂ ﹁いや、今は勉強を教えるところだからね。そういう話は休憩中に 話したげるからまずはペンを動かそうってば﹂ 415 先生ってやつは本当にっ。 想像以上に大変だったっ・・・! いや、過去形にするのは止そう。 まだ一日目のお昼休みに差し掛かっただけなのだから。 今までに家庭教師のようなアルバイトをした経験が無かったとはい え、現代日本のそれなりの大学でまじめに勉強をしていたのでこの 仕事に関しては結構自信があった。 参考書も読んだし必要な点に関しては暗記して万全の対応が出来る はずだった。 身も蓋もない嫌な言い方をしてしまえば舐めていたのだ。この世界 の教育ってものを。 参加者はウィスリスの学校に通うことになる子供だけ、具体的な人 数は僅かに3名だというのに学習に関する意欲は一人を除いて非常 に高く、質問は留まるところを知らずにヒートアップして気づけば 対応し切れなかったタスクが溜まり続けるというとんでもない状況 が作り出されるまでにはさして時間を必要としなかった。 しかも、その学習意欲が控えめな子供だって別に勉強が出来ないわ けではなく、それどころか単純な数学能力では三人の中で最優秀だ ったりするから手が付けられない。 自分の状況が極めて劣勢であり、数学以外の質問に対して答えられ ないことのヤバさに気づいたときには全てが遅く、なんとか参考書 を片手に調べながら回答するというおよそ先生にあるまじき結果と なってしまったのだ。 416 ﹁ふう・・・。ようやくお昼だぞ。これは想像以上に大変な仕事だ ったかも知れぬ﹂ ﹁いやもうホントにそんなだね。こんな忙しいとは完全に予想外だ ったよ﹂ ﹁ま、来もしない魔獣を待ち続けるよりはよっぽどかマシではある な﹂ そういうとエルはソファに沈み込むようにして座り、テーブル上の 紅茶をだらしない体勢で飲みながらすっかりご満悦な表情を浮かべ ている。 そんなエルを横目にイスに座って紅茶を一口、そして参考書をぺら り。 ﹁なんだ、まだやるつもりか?﹂ ﹁僕個人としてはお昼以降にやることになっちゃった魔術の練習っ て辺りが新たな頭痛のタネなんだよ。デモも流さなくちゃいけない から今のうちに冒険者としておかしくないレベルのを見ておかない と再現すらおぼつかない﹂ ﹁そんなのいつも使ってるあれでいいではないか。その、ばとるら いふる、だったか?﹂ ﹁あれって高性能だけど凄い地味じゃん? だからたぶんウケない と思うんだ。実際問題ウケたところでどうなんだって話はあるとは いえ、せっかくの導入部だから傍目にも派手なほうがいいかな、と﹂ 最近使い込んできたせいで高性能化の一歩を辿っている僕の魔術で はあるが、地味であるのはもはや疑いようも無い事実だ。 炭酸飲料のプルタブを開けたかのような射撃音と共に毎秒700メ ートル前後で撃ち出されるのは直径25ミリ、全長100ミリ程度 の氷の砲弾で、命中時のエフェクトはただ突き刺さって残るだけ。 417 場合によっては貫通してしまうのでそれすらも残らない。 マニアックな方なら気づいたかもしれないが、これは.338la puaというボルトアクションライフルなどに利用されるかなりメ ジャーな弾丸とほぼ同等のスペックである。 もちろん実弾と比べると遥かに大口径なため距離による破壊力の減 衰は大きいが、至近距離でのソフトターゲットに対するインパクト は強烈の一言で、オークやレッサーオーガなどの耐久力の高い生き 物ですら命中箇所によっては一撃で無力化することが可能だ。 だが、酷く地味である。大事なことなので二回言いました。 ﹁そんなことを気にしておったのか。もうちょっと気楽に行かない とこの先もっと大変になるぞ? さらにいうとだな、主のアレは非 常に実戦的な魔術なのだから気にする必要すらあるまいて﹂ ﹁そんなもんかな?﹂ ﹁うむ。・・・ただ、主がもう少し見栄えの良い魔術を使いたいと いうならばこんなのはどうだろうか︱︱︱﹂ ◆ 魔術の練習、と聞いて最初に思い浮かべたのは光を生み出したりと か、水をちょろちょろと流したりするようなものだったのだが、実 際にはどうにも異なるようだ。 子供達もそれらの魔術は既に十分扱いなれており、冒険者の僕らに 求められたのはもう少し攻撃的な魔術︱︱火の玉を投擲するとか氷 柱を撃ちだすとか︱︱の類らしい。 418 個人的な感想を言わせてもらえるならば、実際にこういった魔術を 扱うというのはそれなりの危険性を孕むためにあんまりやりたいよ うな内容じゃない。 仮どころか思いっきり武器になるものを子供が持つのはどうかとも 思うのだが、すぐ傍に命の危険が転がっているようなこの世界では 子供が武器を持つということに関する嫌悪感はないのだろう。 マシンガンを撃ての会 に所属する小学生の女の もっとも、隣のお米の国では子供にピストルを撃たせたりするのも 珍しくないし、 子がパパの保有する軽機関銃をばらばらとばら撒いていたのを見た ことがあるのでこの感覚自体が日本人特有のものなのかもしれない けど。 そんなこんなでクレアムさん達も利用している魔術練習用の広場に 集まった子供達の様子を見ると、これから攻撃性の魔術を扱うんだ という期待感と緊張感が織り交ざった独特の雰囲気を感じる。 唯一の男の子であるアルトは三人の中で最も楽しげな表情で、まる で初めてまともなトイガンを買ったときの僕のようだ。うん、その 気持ちは良くわかる。 勉強中は人が変わったように集中するリンは、ややおっかなびっく りという感じ。 何事にも明るく丁寧な印象のフィーは杖をまじまじと眺めながらも 興味津々といった具合だ。 ﹁さて、それじゃあ魔術の練習を始めたいと思うんだけど。・・・ っと、その前に魔術を練習する上でとても重要なことを教えるので ちょっとだけ良い?﹂ ﹁﹁﹁はい﹂﹂﹂ 419 真剣な目つきで聞いたからか、しっかりとした返事がピシッと響く。 そんな三人の応答に満足しながら僕は地面に直径1メートルくらい の円を描き、その円の中心から120度前後の扇形をイメージした 直線を引いていく。 言葉だとややイメージし辛いけど、ちょうど円盤投げのフィールド のようなものだと思えばわかりやすいんじゃないかと思う。 ﹁突然だけど、魔術を練習する上でもっとも重要なのは安全性、こ れは個人的に譲れない。なので皆も安全性ってモノに対してかなり 気を使ってほしい。今から皆が練習するのは間違いなく人が死ぬ可 能性のあるものだからね﹂ そう言ってから円の中心に立って杖を構える。 ﹁大きく分けて三つのルールを皆には守ってもらう。まず一点目は 魔術を扱うことが出来る場所は今のところ僕が居る円の中だけとす る。二点目は僕かエルの許可が出るまで杖に魔力を流さない。三点 目は杖を向けることが出来る範囲はここからここまで、範囲外に杖 を向けるのは魔術を使用する気が無くとも禁止だよ﹂ ﹁﹁﹁はい﹂﹂﹂ うん、予想よりも三人が素直で良かった。 魔術の使用範囲が限定されるとか実戦的じゃないなんていわれても おかしくないと思ってたんだけど、どうやら素直に従ってくれるみ たいだ。 ﹁というわけでまずは練習の内容を僕がやるので少し後ろに下がっ てちょうだいな。エルも準備は大丈夫?﹂ ﹁ああ、いつでも良いぞ﹂ 420 エルが頷くと同時にフィールド上に魔力で作られた直径30センチ ほどの標的が五つ現れる。 標的までの距離はまちまちだが、もっとも遠いもので10メートル、 近いものだと2メートルくらい。 別に空中でふらふら動いたりしているわけではないが、まともに攻 撃魔術を撃ったことのない三人がバシバシとラピッドに命中させる のはかなり厳しい。 だから慣れるまでは一発ずつ丁寧に狙ってくことになるので魔力の 操作を学ぶ上で非常に良いだろう、というのがエルの意見だ。 ﹁主、準備は良いか?﹂ ﹁おっけ。いつでもいけるよ﹂ ﹁それでは。︱︱始めっ!﹂ エルのキリリとした声が響くのと同時に背中のスリングバッグから 杖を引き抜き魔力を集中、必要最低限の魔力が集まった段階でイメ ージを変換して氷柱を出力。 そのまま視線上のラインに杖を合わせるようにして狙点を定めてプ ルザトリガー。 カツン、とシアが落ちる感覚と同時に放たれた氷柱は標的の中心に 突き刺さり、緑の標的が命中を表す赤へと変化した。 普段と違って少なめの魔力で射撃を行っているため、余剰魔力が大 気を冷却してガスとなって視界を妨げたりすることも無く、次の標 的への照準速度は普段以上に軽快だ。 タタタタンと立て続けに脳内トリガーを引いて全ての標的に命中後、 杖にまとわりついた魔力を回収して安全を確保した段階でラウンド は終了。 421 ﹁おおぉ! すっげー!﹂ 喜んでいただけて何よりでございます。狙い通りなだけに非常に嬉 しく思います。 やっぱしこの手の訓練とかではインタラクティブ性の高さが興味を 惹かせる上で一番大事だよね。 声を上げたのはアルトだけだったが、ちらりと見た感じでは残りの 二人にもそれなり以上の興味を持ってもらえたみたいだ。 リンはともかくフィーにいたっては杖を握り締めちゃってるもんね。 ﹁と、いう風にするのが今回の訓練の目的です。最初は落ち着いて ゆっくりと狙って慣れてもらって最終的には移動射撃なども織り交 ぜた実戦的なやつも出来るといいなって思ってるよ。さて、世の中 百聞は一見に如かずなんて言葉もあるのでまずは皆にもやってもら おうかな。まずは誰がやる?﹂ ﹁あの、ユートさん。ちょっと待ってください。これを私たちがや るんですか?﹂ ﹁うん﹂ ﹁はっきり言ってしまうとユートさんのようなことは逆立ちしたっ て出来そうにないです。私たちではあんなふうに魔術を速射するこ とも出来ませんし、もし速射出来たとしても魔力があっというまに 尽きてしまいます﹂ リンが困ったような表情を浮かべてそういうが、それらのことは僕 らも十分に理解している。 だから今回に関しては対策だってばっちりだ。 ﹁魔力量に関しては心配要らぬよ。今回の目的は魔力量の向上では 422 なく構成速度と精度の向上だ。だから魔力自体は妾のものをある程 度利用することで消耗を低減し、三人にはひたすら魔術を撃ち続け てもらうぞ﹂ ﹁そ、そんなことが出来るんですかっ!?﹂ ﹁可能だ。といってもまずは体感してもらったほうが早いだろうか らな。リンはそこの円の中に入って準備をするが良い﹂ 困惑した様子のままリンが円の中に入って杖を構える。 ぱっと見ややへっぴり腰ではあるが、相手は女の子だから構えの修 正を僕がやるのは駄目か。 あとでエルにお願いしなくちゃ。 ﹁準備は良いか?﹂ ﹁はい。大丈夫です﹂ ﹁それでは始めるとしよう。杖に魔力を込めるのだ﹂ エルの言葉でリンが魔力を集中し、︱︱その表情が酷く驚いたもの へと変わる。 ﹁えっ、なんで・・・?﹂ ﹁驚くのはわかるがまずは落ち着いて魔力を操作せよ。そこを妾が やってしまうとリンの訓練にならぬ﹂ ﹁は、はい!﹂ 僕から見るとエルからリンに向かって魔力が流れていることくらい しかわからないのだが、どうやら想像以上に効果は絶大らしい。 あっという間に炎で作られた矢が出来上がり、それが標的に突き刺 さること五回。 途中3発ほど失中してしまったものの、初めてであるということを 考慮すればかなりのものだろう。 423 ﹁驚きました。こんな風に魔術を使えたのは初めてです﹂ ﹁大概の魔術師は最初の一歩としてこういう風に魔力の操作を学ん でいくのだがな。それなしでここまでやれていたということは随分 と才能があるのだろう。魔力量なんてものはこれからいくらでも伸 ばしていけるのだから、今日明日くらいは制御系の練習を頑張るが 良い﹂ ﹁わかりました。頑張ります﹂ リンは先ほどとは一転して楽しげな表情で戻っていったが、エルは 大丈夫なんだろうか。 ぶっちゃけなくともエルの負荷は、高い。 訓練者とパイプを結んで魔力を流しながら標的を作りつつ、さらに 魔術が命中したら標的の色を変える処理も走らせなくてはいけない。 エルが自分でやるからといっていたので任せてはいるものの、ちょ っと心配だ。 ﹃ねえ、エル﹄ ﹃ん、念話なんて珍しいな。どうかしたのか?﹄ ﹃さっきのぶっつけ本番だったけど大丈夫? 特に制御系でかなり 負荷が掛かりそうな処理をさせちゃってると思うんだけど﹄ ﹃ふふん、あまり妾を舐めないでもらおうか。この程度であるなら ば数人をまとめて相手をしたって大丈夫だぞ﹂ ﹃そっか、ありがと。こんなの僕だけじゃ絶対無理だったよ﹄ ﹃うむ。主に喜んでもらえたのならなによりだ。それよりもほら、 アルトもフィーも興味津々といった具合になっておる。早く続きを 進めるとしよう﹄ ﹃了解、午後も頑張ろう﹄ 424 8︵後書き︶ ※1 マシンガンを撃ての会 これはテレビの番組での紹介名であって、実際の名前じゃありませ ん。 Shootだと思うのですが・・・。 Sho かなり前の番組でしたが、あまりにも衝撃的だったので今でもはっ きりと覚えています。 and たぶんネバダ州リノで開かれているMachinegun w 425 9 僕らの提案した魔術の練習という名のシューティングマッチ練習会 ︵以下:練習会︶は盛況だった。 確かに楽しそうにやっていたとは思ったが、まさか一番おっかなび っくりしてたリンが﹁もっと魔術の練習がしたいです﹂なんていう とは思わなかったぞ。 やや主体性に欠けた印象のある娘からそういわれると妙に嬉しくて、 そのリクエストを快く承諾してしまったのはきっと仕方がないこと なのだろう。 エルは理由があれば僕に反論することはあまりないし、︱︱どうや らエルなりの主従関係的なモノらしい︱︱あっさりと練習会の開催 期間延長は確定した。 おかげで本日の座学部分でやろうと思っていたTIPS部分が全損 してしまったが、それはまあ仕方が無い。 どうせ内容も魅惑の二次関数紹介と二次方程式の解の公式を証明す るだけだったからオミットしたところでさしたる問題はあるまい。 小学生ならともかく中学生的内容であるならば、証明云々よりもテ ストでより高速に問題が解けたほうが絶対に良いのだから。 現在はエルに変わってアルトに文字通り張り付きながら魔術の支援 と、ついでに照準の仕方などを講義している真っ最中である。 やや申し訳なく思うのだが、エルには女の子二人をすっぱり任せて しまった。 思春期真っ盛りの女の子に対してボディタッチの多い魔術の射撃訓 練とかなかなかシビアでしょう。 426 せめて外見が21歳相応なら頼れるお兄さんになれたかもしれなか ったが、非常に、非常に残念なことながら僕は外から見た場合15 歳前後に見られるらしいし? 確か僕の記憶が間違いなければこういう時期に近しい年齢の異性が 居るのはいろいろトラブルのタネになりやすかったハズだ。 魔術的支援についてはやはりというかなんというか、操作精度の都 合エルのように標的の色を弄ったりすることが出来なくて泣けてく るけどその辺はほら、魔術に特化した精霊が相手だからどうしよう もないと思うんだ。 ﹁アルト、落ち着いて目線で標的を捉えてからその視線上に杖を持 ってくるんだ。杖を基点に頭を動かして照準すると毎回位置が変わ ってしまうからどうしても精度が落ちてしまうよ﹂ ﹁わかった。ユート兄のいうとおりもう一回やってみる﹂ 昨日基礎的部分を十分にやったからか、それとも子供ってやつは吸 収が早いのか三人の構築速度や精度の向上速度には驚くばかりだ。 さらにいくつかのアドバイスを入れながら一時間ほど射撃を続けて もらったのだが、アルトの命中精度が前日と比べて半端じゃないレ ベルで向上している。 たぶん最初に言った構えのこともある程度以上には出来ていたのだ ろう。そうじゃなきゃ言われてスグに対応なんてことが出来るはず が無いのだから。 少なくとも僕がシューティングマッチをやりだして標的にバスバス 当てられるようになるまでにはそれなり以上の時間が掛かってるん だけど。 出来の違いを見せ付けられたかのようで再び泣きたくなります。ぐ 427 すん。 ﹁うん、アルトは精度が特に良いね。これだけ命中するようになっ たっていうのはかなり狙えるようになってきた証拠だ。リンと比べ るとやや速度的に遅いのが今後の課題かな、これからは少し構成速 度も意識してみようか﹂ ﹁へへっ、そりゃもうユート兄にしっかり教えてもらったもんね。 でもこんな構え方とか魔術の使い方とか一体誰に教わったの? 前 にオレらへ魔術を教えてくれた先生の人はこんなこと全然教えてく れなかったのに﹂ ﹁たぶんその人にはその人の教え方があるんだと思うよ。僕は僕で 全く違う環境で育ってきてるからね。教え方が違うのはある意味当 然じゃないかな﹂ ﹁じゃあひょっとしたらさ、学校に行っても運が悪いとちゃんと教 えてくれない先生にあたるかもしれないってこと?﹂ ﹁いやいや、ちょっと待ってよ。おそらく相手は長い実績を持つ教 育者だよ? 僕なんかよりももっと遥かに優れた講義をしてくれる んだからそんな失礼なこと相手には絶対言っちゃ駄目だかんね?﹂ ﹁・・・わかった。言わない﹂ いや、その言い方は絶対にわかってないだろう。常識的に考えて。 これはひょっとして前任者がやってしまった系なのかもしれない。 冒険者によっては結構偉そうな態度を取ることもあるかと思うし、 そういうのってこの多感な時期の子供にはものすごくウケが悪いん だよなぁ。 ﹁でさ、ユート兄は誰にこんなすげーやり方を習ったの?﹂ ﹁んー・・・﹂ 428 むむむ、非常に答えにくい質問だから話をそらしたつもりだったの にいつの間にかどころか一瞬で話題が戻ってきてしまった。 僕の射撃技術には当然ながら元ネタがある。 それはもちろんCSATやMagpulなどが主催する射撃スクー ルの知識がベースであり、そこから杖で戦うために自分なりの解釈 を加えて今回の形が作られた。 だけどこれを説明しようとするとどうやって彼らインストラクター のことを説明するのかがかなり面倒くさい。 海外の先生に、なんて回答をしてから﹁何処の国?﹂などと聞かれ たらいろいろ詰んでしまう。 自慢じゃないが僕はこの国の名前すら危ういのだ。海外の名前なん て昨日使った参考書レベルでしか知らないし、具体的な説明が出来 る国家にいたっては一つすらもありゃしない。 だから僕は、 ﹁実はこれ、僕が勝手に考えた方法なんだよ。面白いでしょ?﹂ ウソを吐きました。 いや、ホントすいません。 これちっともオリジナルじゃないです。 ﹁やっぱユート兄って凄いよ。前に学校へ見学しにいったこともあ るけどこんな練習してるところはどこにもなかったもん﹂ ﹁あ、はは・・・。ありがと。さて、アルトの精度も十分に上がっ てきたことだから次の段階へ進むとしようか﹂ 嗚呼。やっぱ言うんじゃなかった。 429 アルトのこちらを見るキラキラとした目が痛いです。切実に。 ◆ ﹃む、主。どうもソフィア達のほうで討ち漏らしが発生したようだ。 こっちに向かってきているわけではなさそうだが一応片付けておく か?﹄ ﹃唐突かつクリティカルなその情報を一体どのようにして入手した のかが非常に気になるところではあるけど、とりあえずお仕事した ほうが良さそうだね。こっちに向かってきてないなら放置路線も無 くはないけど始末しておくのがベターでしょ﹄ ﹃そうだな。じゃあたまには妾が行ってこようか? 幸い相手はオ ークが二匹とそれに付き添うゴブリンが六匹だけだからすぐ済みそ うだ。これくらいならばわざわざ二人で行くことも無かろう﹄ ﹃あー・・・。それはやっぱ僕が行ったほうがいい気がする。なぜ ってほら、僕はエルに比べて教えるのも魔術支援も苦手だからね、 適材適所ってことでどうだろう。場所だけ教えてもらえればサクッ とやってくるよ﹄ ﹃別に主の教え方が下手というのはないと思うが、そういうならば お願いしてしまってもいいか? 場所はもう見えてないのでなんと なくしかわからぬが、大体だとこの道の先のほうになるな。時間か ら想像するにあまり距離が離れているわけではないから主ならいつ もの熱感知式の視界に切り替えてしまえばすぐに見つかるはずだ﹄ ﹃了解、こっちは任せて。そっちも任せたよ﹄ ﹃うむ、任された﹄ 430 しかし、漏れないもんなんだな・・・。 ぶっちゃけてしまえばたった三人で定期的な魔獣狩りをしていると いっていたので結構な漏れが発生するものだと思っていたのだ。 どうやらエルは三人の視界をジャックしているかのごとく見ている ようだし、それで漏れ報告がなかったということは今まで発見した 魔獣に関してはその全てを確実に倒し続けてきたのだろう。 どんなバケモノだと思わず突っ込みたくなるようなスキルレベルだ。 彼らは全員杖を携行していなかったし、それはつまり刃物だけで見 敵必殺を実行し続けているということなのだ。 その光景を想像するに・・・。うぅ、思わず寒気がっ。 ﹁ユート兄、どうかした?﹂ ﹁ん、ごめんごめん。ちょっと上の空だったね。実はなんでもない わけじゃなくて別件のお仕事が混じってたことを思い出しちゃって さ。今からわりと急いで出ちゃうんだけどその間の練習はエルが見 てくれるから安心してくれていいよ﹂ ﹁え、あ、そうなんだ。すぐ戻ってこれるの?﹂ ﹁もちろん。掛かっても二時間ってとこだね﹂ ﹁わかった。いってらっしゃい、ユート兄﹂ ﹁ういさ。ちゃちゃっとやってくんよ﹂ 魔獣が漏れた話に関しては黙っといたほうが吉かな。 無意味に怖がらせたり、全幅の信頼が置かれているであろうクレア ムさん達にマイナスイメージを抱かせたりするだけではまさに百害 あって一利なしだもんね。 アルト自身も詳細にはあまり興味がないのか気にした様子もないし、 ちゃちゃっと頑張るとしよう。 エルがなんとなしにスポットしてくれた方角に向かって進むこと約 431 30分程度。 常時ジョギングに近い速度で移動していたので距離にすると大体4, 5キロメートルといったところか。 村周辺の森というのは手の入っていない天然のわりには鬱蒼とした 様子はなく、逆に明るく健康に良さそうなハイキングコースのよう な印象が強い。 ただしそれは肉眼で見た場合の話であり、熱感知式の視界に切り替 えられた今の僕に見えるのはグレースケールでのっぺりと表現され た木々と草むら、そして遥か向こうに見える複数の動目標だけだ。 向こうには今のところ感づかれた様子はないと思うけど、ブッシュ の隙間から僅かに見える程度なのでそもそも本当にターゲットかど うかすら怪しいのが問題だ。 注意深く確認することなく射撃してそれが人だったら物凄くマズイ。 なんてなったら笑えないどころじゃないぞ。まったく。 藪の向こうで魔獣と人を勘違い。出所不明の魔術師が猟師を殺 害して逮捕 幸い向こうは村と反対方向に逃げているのでそれほど急いで追う必 要もない、なるたけ音を立てないように歩けばいいか。 たまに地面の枯れ木を踏んでパキッという音がなって腰が引けるが、 こういった高音はブッシュをほとんど抜けないので相手に悟られる 確率はかなり低い、ハズ。 そうやってステルスを気にしてるんだか気にしてないんだかわから ない感じに歩くこと数分、ようやくターゲットのシルエットがハッ キリと見え始めた。 エルの言うとおりならオークが二匹とゴブリンが六匹のはずだが、 見た感じオークが一匹しか見当たらないのはなんでだろう? 432 基本的に魔獣の類というのは戦闘能力で並べられたヒエラルキーが 存在するからこの状況でオークが雑用をするのは考えづらいのだけ ど実際問題居ないんだよね。 エルが見間違える可能性はかなり低いので、何らかの理由でオーク がどこかに出張ってると考えるのが正しいか。 とりあえず誤射の心配もなくなったからにはやるこた一つしかない。 近場のY字状になっている木とバッグを利用したレストを作成して まずは視界をズーム。 距離は100メートルも無いくらいなので照準を調整する必要はな いだろう。 指先に十分な量の魔力を集中したところで氷柱を出力、オークの頭 に狙いを定めてからイメージ上のトリガーを引き絞る。 練習会のときに比べると明らかに硬い感覚のシアが落ちると同時に 氷柱は射出され、余剰魔力で生じた低温の空気が周囲に飛び散り視 界を黒く染め上げる。 ︱︱悲鳴は、聞こえなかった。 弾丸が貫通したことで若干開けた視界の向こうに見えるのは首から 上が完全に無くなったオークが一匹と呆然とした様子のゴブリンが 六匹。 あまりに唐突な出来事だったからなのか今のところ混乱したような 様子は見られない。 さあ、この隙に残りもやってしまおう。 433 ◆ そんなこんなでひとしきり片付けてから村へと戻ってきたのだが、 どうにも様子がおかしい。 三人の子供達はエルの傍でくっついてなにやら騒いでいるし、その 傍には不自然なほどの量の灰が山盛りになっている上にクレアムさ ん達が検分みたいなことをしているのだ。 これを不自然といわずしてなんという。 ﹁おお、主。戻ったのか﹂ ﹁ただいま、エル。それよりもこれどうしたの?﹂ ﹁主が出てしばらくの後にオークが一匹侵入してきたから首を刎ね てやっただけだぞ。別に大したことはなにもしておらぬのだが妙に 子供らに気に入られてしまってこんな状態だ﹂ ﹁なんとまあ、こっちでオークが一匹足りないから探してたんだけ どまさかこんなオチが待ってるとは思わなかったよ。ちなみに死体 が見当たらないけどやっぱりそこの灰の山って・・・﹂ ﹁うむ、魔獣の死骸など子供の教育には良くはないからな、こうす れば肥料くらいにはなるだろう?﹂ ﹁えっ。いくら灰だからって魔獣を肥料にしても大丈夫なの?﹂ なんか、こう、毒々しい食べ物が出来上がるんじゃなかろうか。 食べると発狂しちゃうとか、エクソシストよろしくのた打ち回っち ゃうとか。 僕はあまり風評被害とか気にしないタイプだけどさすがにこれは実 害がありそうでちょっと・・・。 ﹁その、主? 肥料というのは冗談であって本気ではないのだぞ? 434 あんまり真に受けられたら困ってしまうのだが・・・﹂ ﹁あ、ああ、そうだよね。うん。いくらエルでもそんなことはしな いって信じてるよ﹂ ああ、良かった。 だからボソッと聞こえた﹁オークなら毒はないし別に大丈夫なのだ が﹂という台詞は聞こえなかったことにしてもいいよね。 たっぷりの魔獣から作った肥料 なんて言われた日にゃ僕は帰るぞ。 町の八百屋で買い物してるときに で出来た美味しいトマトです マジで。 そしてクレアムさん達は相変わらず灰の検分中。 指で摘んで何かをしていたりするし、まさか冗談抜きで肥料にでも するつもりなんだろうか。 ﹁あの、クレアムさん達は何をしてるんでしょうか? まさかとは 思いますがそれを肥料にするつもりではないですよね?﹂ ﹁肥料? さすがにオークの灰から取れた作物は食べたくないんだ が・・・。灰を調べてたのは純粋に驚いたからだな。話を聞いてい た限り二人の実力が冒険者ランク以上なのはなんとなくわかっちゃ いたけどまさかここまで出来るとはね﹂ ﹁ここまで、ですか?﹂ ﹁そりゃユート君はエルシディアさんの実力を知っているから驚か ないだろうけどさ、オーク一体を骨すら残さずに焼き尽くすなんて いうのはかなりしんどいことだから知らない俺らが見れば驚くだろ﹂ 確かに、言われてみれば。 人間の骨を灰にするにはどれだけの温度が必要だったのかは忘れた ものの、高温が必要であるという記述をどこかで読んだ記憶がある。 僕らが借りた魔術の参考書を読む限りそのような高温を作れそうな 435 魔術は見当たらなかったし、そんな中で年若く見えるエルが高度な 魔術を扱ったらそりゃ驚かれるか。 ﹁ほら、もう完全に灰になっていて骨の欠片すら残ってない。こん なことを出来る魔術は俺が知ってる限りでも多くはない。ま、冒険 者への詮索は禁止事項みたいなものだから根掘り葉掘り聞くような つもりはないけど少し注意したほうがいいかもしれないぞ。見た目 もいい上に高度な魔術を扱えるなんてことまで明らかになったら間 抜けで下品な貴族共から引っ張りダコだ﹂ ﹁それは非常にマズイですね。っていうか貴族の集団にそんな修飾 を付けちゃって大丈夫なんですか? 個人的な意見を言わせてもら えるなら非常に問題がありそうなのですが﹂ あんまりといえばあんまりな言い方に思わず﹁っていうか﹂なんて 言葉が出ちゃったけどこれ誰かに聞かれたら冗談抜きにヤバイんじ ゃなかろうか。 少なくともクレアムさんの言い回しを考えるに地球のそれと大差な いんだろうし、指先一つで命令を発動して対象を始末出来ちゃうよ うなのと関係は持ちたくないぞ。 ﹁いっそ聞かせてやりたいね。クビになりそうだが﹂ ﹁いまさらですね。だから王都の直属から外されちゃったんじゃな いですか﹂ ﹁そうですよ。月一の騎士定例会が終わるたびに愚痴を聞いてるん だからしゃんとしてください﹂ ﹁お前ら、意外とキツイよな・・・﹂ がっくりとへこむ正騎士と追い詰める見習い二人組み。 ﹁あんまり落ち込んでる場合じゃないですよ。ほら、これで依頼は 436 おしまいなんですから報酬を払わないと﹂ ﹁あ、ああ。生々しくて申し訳ないが今回の報酬だ。受け取ってく れ﹂ ﹁ありがとうございます﹂ クレアムさんから受け取った銀貨袋をバッグに突っ込んでぺこりと 頭を下げる。 受け取った直後に中身数えるのは冒険者的には基本かも知れないが、 見てて気持ちいいものじゃないのでパス。あとで確認すればいいや。 今日はここでもう一泊させてもらってから朝イチ出発でお昼過ぎに はガルトに到着出来そうだ。 結果だけ見れば直線で進める護衛か何かの依頼を見つけて帰ったほ うが早かったけど、これはこれで面白い旅路で良かったかな。 437 9︵後書き︶ ﹁そういえばどうしてあのときオークの集団が逃げたってわかった の?﹂ ﹁ああ、あれはこの森に住まう精霊にちょっとだけお願いしてソフ ィアの後ろをつけてもらって、その視界を利用していたのだ﹂ ﹁そんな便利なことが出来たんだ。今後の依頼とかで誰かを調査し てくれっていうようなのを積極的に取ってく? 名探偵エルシディ アみたいな感じでどうだろう﹂ ﹁主に期待されるのは嬉しいのだが、精霊が少ない町中などではま ともに機能しないからたぶんあまり役に立たなそうだ。︱︱あと、 仮にやるとしたら名探偵ユートのほうが良いな。妾はそれに付き添 う助手辺りがバッチリだと思うぞ?﹂ ﹁・・・それ、この間の図書館で読んだ本そっくりな気がするんだ けど﹂ ﹁妾だって女なのだから作中の登場人物に憧れてみたりもするのだ。 特にあの助手は美人だし胸もあるし身長もあるしで良いところしか 無いではないかっ!﹂ ﹁エルにはエルのいいところがいっぱいあるから気にしなくて良い と思うんだけど。特に身長は僕みたいなのが涙目になっちゃうから ね?﹂ 438 1 本日の天気も晴天である。 日本の場合初夏前というのはやや雨が多くなってくるころだが、こ の世界ではほとんど雨が降らない時期なのである意味当然なのだが。 それでも野外活動が圧倒的に多い冒険者としては最適な気温の中で 晴天が続くというのは嬉しいことであり、良い気分になるには十分 過ぎる。 ﹁なんかようやく戻って来れたね。見渡す限りの草原を歩くなんて いうのは僕のところじゃほとんど出来ないことだったから新鮮では あったけど、疲れた気がするのは何でだろ﹂ ﹁ん、そうか? 妾は陽の当たらない馬車でじっとしているよりは 良いと思うのだが。それに道中で売れる薬草を回収できたから戻っ たらちょっとした贅沢だって出来るぞ?﹂ ﹁ありがと、エルのおかげで今日のご飯は豪勢に出来そうだよ。余 裕があれば甘いものも買おっか? 蜂蜜とかバターがあればクッキ ーの類を作るのは難しくないからいけると思うんだ﹂ ﹁おおう、主の手作りか。それはすごく良さそうだ﹂ ﹁ちゃんとしたオーブンなんてないからあんまり期待せずに待って てくれると嬉しいかな。もちろん頑張るけどさ﹂ 王都と比べても、というよりは比べるほど距離が離れているわけで はないので食事のメニューや品質がほとんど変わらないのがガルト のいいところだ。 おかげでフルーツソースやらハチミツやらを手に入れるのは難しく ない。 おそらく探せば高級なお菓子を販売するような店舗だって見つかる 439 はずだ。買う気は無いけど。 ﹁まずは宿を取りにタミナさんのとこに行こうか。夕方に行って満 室でしたじゃ洒落にならない﹂ ﹁前みたく町に到着しておきながら野宿というのは避けたいからな﹂ ﹁全くあの時はどうなるかと思ったよ。幸い魔獣の類も出てこなか ったから結果的には問題なかったけど、ちゃんと眠れなかったから 次の日眠かったし﹂ 以前、娘のリーナさんを助けたということでタミナさんとはそれな り以上に良い仲を築けたような気もするけど、今回の件でほとんど 行って来い くらいで終わると思っ 挨拶もいれずに出てしまったから怒ってるかもしれないのが怖い。 王都への護衛を受けたときは てたんだけど、やっぱ見通しが甘かったか。 ﹁所詮大学生だもんなぁ﹂ ﹁いきなりため息混じりにそんなこと言われてもわけがわからんぞ﹂ ﹁あんま大したことじゃないとは思うけどさ、今回の王都までの護 衛依頼の総拘束時間はそんな長くないと思ってたからほとんど挨拶 くらいのノリで出てし も無いままに出ちゃったんだけど、現実には凄い時間が掛かってし ちょっと行ってくる まったな、って思って﹂ ﹁ああ、そういえば まったな﹂ ﹁そうなんだよ。ひょっとしたら心配かけてるかもだし、お土産で も買ってくれば良かった﹂ ﹁確かに主の言うとおりだ。ガルトと王都の品揃えはほとんど大差 が無いから誤魔化すことは出来なくないだろうが・・・﹂ ﹁こういうのって気持ちだからね。そういうのは駄目でしょ﹂ 結局、良い案が浮かばぬまま中に入ってみるとさすがはお昼時、三 440 つほどのテーブル席は満席でカウンター席もまばらに間が開いてい るのみ。 リーナさんはウェイトレスとして非常にあわただしく働いているら しく、今のところ僕らに気付いた様子は無い。 ﹃これは出直ししたほうがいいかな?﹄ ﹃さすがにこの状況で宿を取ろうとするのは迷惑になるだろう。・・ ・が、夕方になってから来るのは少し怖いぞ。迷惑かも知れぬが話 くらいはしたほうが良いのではないか?﹄ ﹃ん、それもそうだね。ならとりあえず挨拶しちゃおう﹄ やや申し訳なく思いつつもリーナさんに声をかけるとやたらに驚い た表情を浮かべてこっちにくるのだが、その手の料理をまずは置い てほしいです。切実に。 ﹁ユートさんにエルシディアさん! 一体いつ戻ったんですか!?﹂ ﹁ああ、今さっきだよ。忙しいところ邪魔しちゃってごめんね﹂ ﹁そんなことないですっ。この時間に来られたってことはご飯です よね? 今すぐ席を空けちゃうのでほんのちょっとだけ待っててく ださいね﹂ ﹁え、あ、うん。ありがと﹂ リーナさんがその手に持つ料理をお客さんへと配膳しながら、もう 片方の手でテーブルを片付けていく様はまさに職人技。 あっという間に片付けてからお客さんを移動させ、カウンター席に 二人分のスペースを作るまでに掛かった時間は僅かに数分である。 ﹁出来ました、座っちゃってください。ご飯はいつも通りでいいで すか?﹂ ﹁うん、よろしくね﹂ 441 ﹁パンは大盛りでお願いするぞ﹂ リーナさんはエルのリクエストに笑顔で答えるとくるりと回ってそ のまま厨房へ。 ﹁そういえば主よ﹂ ﹁ん、どした?﹂ ﹁あれだけ王都やらその帰り道やらで食べ歩きを続けたわけだが、 ここより美味しいパンを食べられる場所は無かったな﹂ いや、なんだ。 ひっさしぶりにエルがまじめな顔して言うものだからなにかと思っ たらそこかいっ! てっきりアルトやリン、フィーとのわりと感動的と言えなくも無い 別れの光景を思い出して反芻しているものだと思ったのに。 ﹁・・・あ、でもリディーナの露店で買ったケバブはそこそこ美味 しくなかったっけ?﹂ ﹁けばぶ?﹂ ﹁ほら、薄めのパン生地っぽいのにやたら香辛料が利いた肉を挟ん だヤツだよ﹂ ﹁ああ、あれか。確かにあれはほかでは味わえない良さがあったな。 妾には少し辛かったものの、あれが好きという者は多いだろう﹂ ﹁一個の値段がやたら高かったからあれで不味かったら暴動モンだ けどね。ほかの露店のと比べると三倍以上の開きがあったもん﹂ ﹁値段は仕方が無いぞ。いくらこの国で香辛料が高価ではないとは 言え、あれだけ大量に使ったら安くは出来まい﹂ ﹁それもそうか。思い出してみれば前に香辛料を買った時も結構な 値段してたような気がする﹂ ﹁うむ。塩や胡椒はたくさん取れるから大した値段じゃないが、そ 442 れ以外だと安くはない。特にレッドペッパーは別格だ。この辺は主 のほうが詳しいと思うが、どうも気候が影響しているようでこの辺 りでは上手く栽培が出来ないのだ﹂ あれ、唐辛子って生産になにかシビアな条件なんてあったっけか・・ ・? 収穫作業など手作業がどうにもこうにも多くて自動化が困難だから 日本ではほとんど生産しなくなってしまったらしいけど、それは今 回の話とは別件な気がするぞ。 ﹁気候、か。僕のとこじゃあちこちで生産してたみたいなんだけど ね﹂ ﹁なんとも羨ましい話だな。あんまりにも辛いのは好きじゃないが、 少量のそれは間違いなく料理を引き立ててるのだ﹂ ﹁だね。特にいくつかのパスタの類にはもはや必須じゃない? こ っちにタバスコがないのがほんと残念でならないよ﹂ エルとあれこれ最近の料理の話をしていると、テーブルの上にトン とカゴが差し出される。 ﹁お待たせです。とりあえずおなかが減ってるだろうと思ったので まずはパンとリエットだけ持ってきちゃいました﹂ ﹁さんきゅ、早速いただくね﹂ ﹁相変わらず美味しそうなパンだな。色も白くてふわふわとしてお る﹂ リーナさんが持ってきたのはパンがたっぷりと入ったカゴと小皿に 盛られたリエットが一つ。 焼きあがってから時間がたっていないのかパンからは湯気が立ち上 っていてなんとも食欲をそそる香りがテーブル付近を包み込んでし 443 まってたまらない。 リエットのほうは初めて見たが、僕の世界のそれと大差ないのでお そらくパンとの相性は抜群だろう。 ﹁リエットは新作なんです。ホロワ鳥を半日くらい煮て作るので時 間が掛かるんですけどその分だけ味のほうは保障します。スパゲテ ィももうしばらくしたら出来上がるので待ってて下さいね﹂ ﹁うむ、よろしくだぞ﹂ 再びぱたぱたと厨房のほうへ戻るリーナさんを見送りながらほかほ かのパンを一つゲット。 かごの中のパンはどれもふんわりとしたやさしい手触りの丸型で、 リエットを少量乗っけてからぱくりと頂くと素晴らしいパンの甘み とリエットの塩辛さがマッチしていてとても良い。 ﹁これは、想像以上にいけるかもしんない。リエットなんて食べた のは久しぶりだけどやっぱ美味しいよこれ﹂ ﹁主、あまり食べ過ぎると次のが食べられなくなってしまうかもし れぬよ?﹂ ﹁大丈夫、イけるイける﹂ 今日は朝からジャーキーを噛みながらずっと徒歩だったのだ。 それに加えてこのパンの美味しさといったら手が止まらないのも仕 方ないでしょう。 小麦の良い香りといい、舌触りの滑らかさといい、ちゃんとした小 麦粉から作られたのは疑いようがなく、日本のパン屋と比べたって なんら遜色ないほどの高品質っぷりなのが凄い。 リエットのほうもこれまた美味し。 444 脂肪分の少ない鶏肉の割にはとろけるような食感と程よい塩加減、 それを胡椒の実がきっちりと締めて全体を整えているおかげでクド さが全くなくてグッド。 しかし、既に三個も食べたのはちょっと食べ過ぎたかもしれない。 これがパンとおかずとリエットだけだったのなら全然問題なかった。 でも、にっこりと笑うリーナさんが持ってきたのはなんと大皿に乗 ったスパゲティだったのだっ! ﹁今日は市場で新鮮なキノコがたくさん手に入ったのでこれです。 冒険者さんはたくさん食べるから大丈夫 盛ってきた のかがイマイチわからないそれ って言ってた 一般的な人達だと多過ぎて食べられないかと思ったんですけど、お 母さんが のでもって来ました﹂ のか ﹁こ、これはまた美味しそうなスパゲティだな﹂ 持ってきた を前にエルは冷や汗を浮かべながらなんとか笑顔を浮かべているけ ど、やや引きつり気味なとこが隠せてないぞ。 リーナさんはそれに気づかずに引っ込んでしまったが、ほんと、こ れ、どうしよう。 ﹃どうするのだ? まだパンも少し残っている上にこれは拙いぞ﹄ ﹃んなこといっても食べるしかないでしょ。残したらもったいない しなにより申し訳ない﹄ 放置すると麺が延びて悲惨なことになるのでまずは半人前ずつほど お皿︱︱小皿にあらず︱︱に取り分けてみてもまるで減った様子が ない。 ﹁味は・・・、うん。いつもどおり美味しい。濃くないから食べて 445 もおなかに溜まりづらい、かな﹂ ﹁単に塩辛いだけでなく、キノコの香りや味を殺してないあたりは さすがはといったところか。麺が固めなのは食べるのに時間が掛か るのを考慮しておるのだろうな﹂ しゃりっというワリと珍しい食感のキノコはうまみ成分が非常に多 く、塩ベースの単純なソースとは思えないほどの奥深い味わい。 ぺペロンチーノのように油が強調されているものではないのでたく さん食べても鬱陶しくなることがなさそうなのは救いだけど、いか んせん量が多過ぎる気がしてならない。 ぱっと見た感じでは乾麺換算で600グラムくらいは茹でてる気が するんだよね。ホント。 ﹁うぅ・・・。魔力変換がちっとも追いつかないぞ﹂ ﹁そんな羨ましい技能を持ってるのならもっと頑張ってくれ﹂ 惣菜パンを4個、スパゲティが乾麺で300グラムほど。 これが、僕らの昼食だ。 キロカロリー換算は恐ろしくてとても出来ないが、夕食の必要ない くらいであることくらいは考えなくたって理解できる。 ◆ ﹁まだ、おなかが重いのだが﹂ ﹁僕もだよ﹂ 446 ﹁次はギルドだな﹂ ﹁うん、気張っていこう﹂ たっぷりとスパゲティが詰まった重いおなかを抱えながら向かう先 は冒険者ギルド。 目的はカーディスさんに対して今回の依頼の真意を問うこと。 何故僕が武技大会なんてものに参加する羽目になったのか。 単純な白兵戦能力だけなら一緒に護衛依頼を行ったミリアさんのほ うが優秀なのは明らかだったのだ。 盗賊団のアジトを壊滅させ というレベルではあると思うが、1on1の白兵 カーディスさんから見た僕というのは ることが出来る 戦が保障される環境下に僕を突っ込む理由は無い。 ならばそうなるに至った理由が必ずあるはずだ。 ﹁よう、久しぶりだな﹂ ﹁ええ、お久しぶりです﹂ ﹁たぶんだが、俺に聞きたいことがいろいろあるんじゃないか?﹂ ﹁ええ、その通りです﹂ ﹁ならこっちに来てもらおうか。カウンターじゃ話しにくいからな﹂ ガルトの冒険者ギルドは狭く、応接室のようなものがあるとは欠片 も思っていなかったのだがどうやらそれは間違いらしい。 カーディスさんに案内された先は落ち着いた雰囲気を持つ家具で統 一された応接室と呼ぶに相応しい洒落た個室だった。 ﹁まあ、質問はわかってる。なんでユートのことを武技大会に参加 させたかだろ?﹂ 447 ﹁その通りです。武技大会の参加中に考えたりもしてたのですが、 僕がわざわざ参加しなければならない理由がわからないんですよ。 しかもギルドマスターの権限を利用してまでってことはよっぽどな んでしょう?﹂ ﹁じゃあ答える前に聞かせてもらうけどよ。お前、何モンだ?﹂ そういって僕を見る目は鋭く、まさしくギルドマスターという職に 相応しいものだった。 ﹁何、と聞かれても僕にはただの一魔術師です。としか答えられな いのですが﹂ ﹁馬鹿言え、自分が不自然の塊なの気付いてるか? どう見ても子 供だっていうのに十分な教育を受けたようにしか見えず、魔術を使 わせれば恐ろしく優秀で薬草採取のついでに盗賊団の排除が単独で 魔法 可能なほど、おまけに衛兵の話を聞く限りじゃ杖も使わずに魔術を なんて言ってたよな﹂ 使うんだって? そういえば最初あったときも自分のことを 使いです ﹁・・・・・・﹂ ヤバイ。 名探偵にトリックを暴かれてる最中の犯人ってこういう気分なんだ ろうか。 たかがジャブのような一発を貰っただけなのに、何を言い返しても 上手く行かない気がしてならないぞ。 ﹁ユート、なにか隠してるだろ﹂ その言葉はもはや疑問系ではなく、確定している、というような言 い方だった。 448 ﹃どうするのだ?﹄ ﹃信じてもらえるかは全く別問題だと思うけど、もうここまで疑わ れちゃうと隠す意味なんてほとんど無いから話しちゃおうか﹄ 話すのも話さないのもリスクがある。 面と向かっても決定的な証拠を言われていない以上、詳細な調査は されていないとは思うが、これ以上隠していると何をされるかわか らない。 変に他国のスパイ扱いを受けて疑わしきは罰するなんて真似をされ たりしようものなら目も当てられないことになってしまう。 ならばそんなことになる前に話してしまうのも選択肢として悪くな いと思うのだ。 ﹁だんまりか?﹂ ﹁いえ、もう隠す意味もないので答えようとは思うのですが、どう いう風に答えれば信じてもらえるのかがわからなくて。説明を完全 に無視して端的に事実のみを言った場合、どうやら僕はこの世界の 住人じゃないと思うんです﹂ ﹁・・・すまんが、わかるように最初から説明してくれないか?﹂ プレゼンテーションの基本というのは聴衆を引き込むことらしい。 だから最初にこういうもって行き方をしたのは結果的にはおそらく プラスだったと思う。 強烈なインパクトを持った事実を前面に押し出しながら質問に答え るといったテンプレが自動的に作られたことで相手の疑問点を効率 的に解決していくことが出来たのだ。 449 ﹁なるほど、大体わかった。そりゃユートも話せないわけだ﹂ ﹁大体の内容について納得してもらえて何よりです。それでですね、 最初の質問に戻りたいのですけど、なんで僕は武技大会に参加する ことになってしまったんでしょうか?﹂ ﹁ああ、心配しなくても武技大会の参加自体には意味なんて無いか らな﹂ ﹁へっ?﹂ ちょ、え、どういうことなの? ﹁結局こっちじゃユートのことを調べても何一つわからなかったん だよ。となると疑うべきは他国の間者だろ? だから王都の諜報機 関に問題ないか調べてくれって依頼をして、ついでにそこへ留まら せるためにはちょうど良かったってわけだ﹂ ﹁じゃあ、ちょうど武技大会があったから突っ込まれただけで、も しそれが無かったら・・・?﹂ ﹁そのときは時間が掛かる依頼をぶつける予定だった。王都近辺に 居てくれればいいわけだからな﹂ オーマイガッ! 既に他国のスパイ扱いを受けていたとか死亡フラグ一歩手前だった じゃないかっ! 大体王都に滞在している間に監視されていたなんて全く気付かなか ったぞ。 ﹁そんな心配そうな顔をするな。わかったことはユート、エルシデ ィアの両名は他国の間者などではなく、全くもって善良な一市民で したってことだけだ﹂ ﹁この国の諜報機関がむやみやたらに攻撃的じゃなくて本当に良か ったです・・・﹂ 450 ﹁むしろユートの話だけ聞くと返り討ちに出来るだろ。あいつ情報 収集は上手いけど戦闘はからっきしだからな﹂ ﹁・・・お知り合いなんですか?﹂ 2 ﹁ああ、いい奴だよ。せっかくだから今度一緒に酒でも飲むか?﹂ ﹁機会があれば是非お願いしたいですね﹂ ﹁それと、依頼も一個受けないか?﹂ ﹁内容によりますけど、僕が受けられる程度ならば﹂ ﹁難易度自体は大したことが無いだろう、依頼の内容は単純で だ。興味あるだろ?﹂ 年前に発掘済みの古代遺跡だが、再調査を行いたいのでその間の護 衛を頼む 451 2 古代遺跡。 信じられないほど高度な技術を持った文明の残りもの。 滅びた理由はいまだにわからず、もっぱら演劇や歴史家のロマンの ネタになってあれこれ言われて本になっていたりもするらしい。 日本でも徳川埋蔵金だのムー大陸だのバミューダトライアングルだ の、なんだかんだ馬鹿にされながらもお茶の間のテレビで家族と楽 しく特集番組を見たことがある人は多いだろう。 ただし、オカルトチックなそれらと明らかに異なるのは確実に存在 していたということだ。 王都の武器屋では遺跡から出土した︱︱この言い方が正しいのかわ からないけど︱︱杖なんかを見たことがあるし、ギルドにはちょく ちょくそんな感じの依頼が張られていたりもする。 なにより重要なのは遺跡から発掘されたらしい武器にはコルト社の 刻印が刻まれていたという事実だと思うんだ。 開発者がこの世界に来てしまった後に開発したのか、それとも僕の 知らないところで異世界との交流が進んでいて、最近景気の悪かっ たコルト社がこの世界を新たなビジネスチャンスとしてやってきた のか。 ・・・いや、たぶん後者は無いんだろうけど。 それでも遺跡には僕の世界とこの世界を繋ぐ何らかの鍵がきっとあ るはずだ。 運が良ければ僕のような境遇の人達が時間軸をばらばらにされて存 在している理由だって見つかるかもしれない。 452 ﹁今回の遺跡はワナの類も回収済みみたいだし、なんかアトラクシ ョンみたいでわくわくしちゃうね﹂ ﹁あんまり油断するのは良くないと思うが、今回ばかりは大丈夫だ ろうな﹂ 古代遺跡の調査ということで一も二も無いままに即答して帰ってき たものの、その際に各種必要な情報を聞いた限りでは危険な要素は ほとんどなさそうだ。 発見当初はクリティカルなワナがいくつか存在していて重傷者も出 たそうだが、現在それらは全て破壊済みである上に、場所がガルト からそう遠くない森の中なので危険な生物だって存在しない。 ﹁ただ、主の目的を考えるにあまり意味がないのではないか? こ うも安全と言い切れるほどに発掘済みでは目新しいものが見つかる とはとても思えぬ﹂ ﹁でも古代遺跡だよ? 楽しそうじゃない?﹂ ﹁妾も遺跡に入ったことは無いから楽しみではあるが・・・。主は それでいいのか?﹂ ﹁最初から遺跡一発目でなにかが見つかるとは思ってないよ。それ に護衛の相手は学者さんだからあれこれ聞けるかもしれないし、割 はそこそこいいと思うんだ﹂ なんとなくエルを納得させるために理由をつけてしまったものの、 ぶっちゃけてしまえば見返りのありそうな遺跡探索なんて当面後回 しにしたところでかまわないと思っているのが正直なところ。 いろいろと重要な情報が手に入る可能性が高いのは理解しているが、 僕にしろエルにしろトレジャーハンティングなスキルを持っている わけでもなく、古代遺跡に関する造詣が深いわけでもない。 こんな環境下で正体不明のミステリー感溢れる未発掘な遺跡に突入 453 したところでワナに引っかかってあっさり死亡が関の山だ。そんな 未来はごめんこうむる。 ﹁さて、とりあえず依頼を受けるに当たっての準備くらいしに行こ うか。予定じゃ一泊二日程度とはいえ必要最低限の食料品とフリー ズドライの材料くらい買っとかないと﹂ ﹁うむ、了解だ。指定日は先方の要求で翌朝になってしまったし、 今はもう夕方だ。少し急いだほうが良いかもだぞ﹂ ◆ 翌朝。 一泊二日ということで簡単な準備を整えてからギルドへと向かうわ けなのだが、現在時刻は午前五時。 日も出たばかりの時間帯ということもあって出歩く人は少なく、閑 散とした町並みに薄く霧が掛かった様子はまるで異世界か何かのよ うだ。 たまに吹く風に身を縮こまらせながらテクテク歩いていくと遠目に 馬車が見える。 軽く視界をズームしてみるとカーディスさんの姿が見えたあたり、 恐らくアレが依頼人の馬車かな。 ﹁おはようございます﹂ ﹁おう、ユートか。急な依頼な上にこんな朝っぱらから悪かったな﹂ ﹁そんなことないですよ。僕も古代遺跡には興味があるのでむしろ 454 嬉しいくらいです﹂ ﹁そういってもらえると助かるぜ。リュースのヤツは馬車に入って るからあとは二人が入れば出発だ。細かいことは中で適当に聞いと いてくれ﹂ ﹁わかりました﹂ 馬車の中に入ると一人の男性がイスに座りながら分厚い本を片手に 集中していた。 僕らが入ってきたことにも気づいていないあたりかなり夢中になっ ているようで、その集中っぷりを壊すようなことをして良いのか悩 む。 大学にも居たけど、こういうタイプの教授や学者っていうのは一人 の時間を邪魔すると烈火のごとく怒ったりするものだからなかなか 手を出しづらい。 ﹁主はそんなところで固まって何をしておるのだ?﹂ ﹁いや、単純にこの集中された読書を邪魔していいものかと﹂ ﹁そんなのしていいに決まってるぞ。そうしなければ事が進まない ではないかっ!﹂ ﹁・・・・・・ん? ひょっとしてカーディスが言ってた冒険者か ?﹂ エルの声に気づいたのかこちらを向く依頼人。 うひぃ、目が光ったよ目が。 ﹁は、はい。僕はユートです﹂ ﹁妾はエルシディアだ。よろしく頼む﹂ ﹁俺はリュース。ウィスリスの第三研究所で主に古代遺跡に関係し た資料から現在に流用可能な技術を探っている程度のしがない学者 だ。今回は派手さのある依頼ではないと思うがよろしく頼む﹂ 455 良かった。怪しく目が輝いたときはどうしようかと思ったけど、こ の人は読書の邪魔をしただけで怒るようなタイプではないらしい。 ただ、手入れをすればカッコ良くなるであろう青髪はぼっさぼさだ し、衣類も研究者という比較的ホワイトカラーに近い職にも関わら ず薄汚れているあたり、研究者特有の興味があることだけに集中し てしまってほかはおざなりってタイプなんじゃないかとは思う。 リュースさんはパタンと本を閉じてから立ち上がり、御者台と客室 を区切る分厚い布から首だけを出すとなにやら一言。 お世辞にも滑らかとはいえない動きで馬車が動き出したあたり、出 発のお願いでもしたんだろう。 ﹁しかしなんだ、カーディスから若く見えるとは聞いてたが本当に 凄いな。冒険者としての能力に疑問を持っているつもりは無いが、 そんなんじゃいろいろ苦労しただろ?﹂ ﹁わかってもらえますか。これでも21歳なんですよ?﹂ ﹁マジかよ、俺とそう変わらないじゃないか﹂ もうそろそろこの驚かれ方にも見られ方にも慣れてきた気がする今 日この頃。 こう、赤い飴玉と青い飴玉のごとく身長を伸ばすような何かがほし いぞ。切実に。 ﹁んじゃ、見た目の話は置いといて今回の依頼で探索することにな るフェンドラナ遺跡の概要をざっくりと説明するわ。要点だけかい つまんでいくと、発見されたのは3年以上前、探索が2年前で見つ かった魔道具はなんとゼロ。無価値に近かったがために魔物除けの 魔道具を一切置いてないのが特徴だな﹂ ﹁となると中にはそれなりの量の敵がいるということですか?﹂ 456 ﹁わからん。魔物も雨の当たらない屋内を好んじゃいるが、罠が危 険なのも知ってるからな﹂ ﹁ううむ、それだとふたを開けてみるまでわからないですね﹂ ﹁だからそこ冒険者が必要なんよ。俺自身それなりに剣を扱えると は思ってるが二流がいいとこ、魔術に至っては解析系のヤツしか扱 えないから戦闘ではまるで役に立たん﹂ あまり戦闘は得意でないということを言うリュースさんの顔はあま りよろしくないように見える。 これは聞けないから予測になってしまうが、やっぱ戦う力が少ない のは色々な点でネックになってしまっているのかもしれない。 特に研究員という立場でありながら魔術で戦闘できないというのは 叩かれる原因になるような気がする。いや、完全に根拠の無い予測 だけどさ。 ﹁あとな、これからしばらくは依頼人と護衛というより協力して頑 危険ですから伏せてください 張る仲間みたいなもんだ。だから丁寧語とか敬語とか要らんぞ。ヤ バイ時に って叫んでもらったほうが早いしな﹂ なんていわれるよりも 伏せろっ ﹁そ、そうですか?﹂ いきなり依頼人にそんなことを言われたのは初めてでちょっと戸惑 ってしまった。 とはいえ、敬語とかが不要といわれたとしてもやはり最低限は守る べきであり、額面どおりに受け取るべきではないだろう。常識的に 考えて。 ﹁妾はそういった言葉遣いが苦手だから助かるな﹂ ﹁ちょ、エル﹂ ﹁いやいや、いいって。研究所じゃないんだから﹂ 457 ﹁主のそういうとこは長所だとは思うが、相手がこういっているの だからいいではないか。折角の古代遺跡に関することを聞く機会だ ぞ?﹂ ﹁そりゃそうなんだけどさ。・・・うん、おっけ。細かく考えるの はやめよう﹂ ﹁む、二人は古代遺跡自体に興味があるクチだったりするのか?﹂ ﹁そうだ。特に主は古代遺跡のあらゆることに興味津々だぞ﹂ ﹁素晴らしい。冒険者というのはやはりこうであるべきだろう。二 人とは仲良くなれそうだ﹂ といっていたあたりそれなりの地位の 笑顔を浮かべるリュースさんを見た限り言葉遣いに関しては本当に 大丈夫そうだ。 研究所じゃないんだから 人だと思うんだけど、ホントに気さくでいい人じゃないかっ! ﹁さあさあ、一体古代遺跡の何が知りたいんだ? 詳細な回答に関 しては遺物の説明くらいしか出来ないが、その他のことでも一般人 より遥かに詳しい自信があるぞ﹂ ﹁え゛・・・。な、なら、この国は6000年近い歴史があると思 うんですけど、それだけ昔なら遺跡の中の人とも交流があったりし たんじゃないですか?﹂ おうふ、折角の一発目がこんな質問になってしまった。 こういうときに素早く望む質問を頭から引っ張れない自分が恨めし い。 ﹁まず誤解を解いておくと、国が権威のために神話の時代も混ぜて 6000年って言ってるくらいでまともに資料があるのはここ20 00年くらいだ。それでも他国に比べりゃ長いんだけどな。んで、 もうそのころにはすっかり滅んじゃっててなんの交流も残ってない﹂ 458 ﹁そんな裏話が・・・﹂ なんということでしょう。この国の歴史が三分の一に圧縮されてし まいました。 あまり知りたくない歴史のTipsを知った気がするがな。 実際他国を押すときには多少のはったりが必要だったりするのはわ かるけど、いくらなんでも三倍は盛り過ぎじゃなかろうか。 ﹁ま、物品の伴わない歴史なんてもんは大雑把でいい加減なもんだ。 おかげで発掘された遺物の年代がまるでわからないのが悩みのタネ だったりな﹂ ﹁遺物っていうのはやっぱり杖とか剣だったりするんですか?﹂ ﹁武器の類ももちろん出てくるが、それ以外も結構あるぞ。例えば ︱︱夜に使う魔術式の明かりとか水道なんかはもともと遺跡から発 掘された魔法陣を解析して作られたもんだ﹂ ﹁意外と生活に密着してるんですね﹂ ﹁昔の人間だって武器だけじゃ生きてけないからな。使い方がまる で分からないものが発掘されることも少なくないが、きっとそれら も生活を豊かにするための何かだと思うし、それらを調査して人々 の生活をより豊かにするのが俺の夢であり目標なんだよ﹂ そう語るリュースさんの顔は楽しげで、その手伝いが出来ることが 少し誇らしい。 やっぱり依頼を受けるなら前向きな人と仕事したいよね。 459 2︵後書き︶ ﹃そういえばさ、精霊との契約ってメジャーだったりするの?﹄ ﹃めじゃー・・・ああ、知名度という意味だったか? そうだな、 基本的に魔術師なら誰でも知っているようなメジャーなものだ﹄ ﹃でも契約しちゃうと力を貸さなくちゃいけなくなるよね。正直、 精霊側にはあんまり利点が無いように思えるんだけど﹄ ﹃ん、主にはそう見えるのか。精霊側としてはなんといっても優れ た魔力の供給速度が利点だな。一般的な契約ですら魔力溜まりに居 るより数倍の速度で魔力が得られるのだ。さらに主の場合は魔力の 美味しさも素晴らしいぞ﹄ ﹃魔力が美味しいっていうのはいまひとつ良くわからない感覚だか ら置いとくとして、僕はエルに魔力を供給した覚えがまるで無いん だけど﹄ ﹃何を言っておるのだ? いつも主と妾の間には魔力の線が繋がっ てるではないか﹄ ﹃いや待ってこれ魔力流れて・・・るね﹄ ﹃うむ。いつも美味しく頂いておるぞ﹄ 460 3 カタカタと車輪の振動が鬱陶しい馬車に揺られること一時間とちょ っと。 フェンドラナ遺跡までの道のりは聞いていたとおりに短いものだっ たが、今までの街道と比較するとそれはそれは酷いものだった。 十分なのは広さだけ、遺跡の価値の無さが広まってからは恐らくま ともに整備をされたことがない様ですっかり荒れ果ててしまってい る。 もしこれが石畳で作られていたとしたら多少の整備不良は無視でき るのかもしれないが、残念ながら土を押し固めた程度の街道では放 置と同時に雑草などの影響により街道としての機能が徐々に低減し ていってしまうわけで。 シムシティなんかで後先考えずに建造物を構築した挙句、維持費が 払えなくなって壊れていってしまうのを見ている感覚というかなん というべきか、ともかく一度作るのに使ったコストを考えると果て しなくもったいない気がしてしまう。 ま。こんなこと考えてるのは僕だけらしく、リュースさんなんかは 馬車を降りてからずっと何かを探すようにあちこち見てたりするん だけど。 ﹁やっぱり前に来たときより荒れてんな。こういうとこって冒険者 達がキャンプ張ってたりするから普段は楽できたりするのにこの分 じゃイチから作るようだな﹂ ﹁もう帰っちゃいましたけど馬車を使うという選択肢は無かったん 461 ですか?﹂ ﹁御者さんごと馬車を抑えとくだけの予算があればそうなんだけど さ、経費節減の波が押し寄せるうちの研究所にゃそんな余裕は無い んだよ﹂ 遠い目をしながら馬車の帰っていったルートを見るその姿はまるで、 日本の会社で四苦八苦しながらなんとか必要機材を確保しているサ ラリーマンのようだ。 ﹁そんなどうでもいいことは置いといて遺跡行くか。こんなとこに 泥棒なんか居るはずないからテントとかは入り口に置いといて後で 組み立てよう﹂ ﹁了解です﹂ 木々の間にぽっかりと存在する洞窟の先、フェンドラナ遺跡の内観 は想像していたよりも地味で、個人的にそれはかなりの欠点だと思 うんだ。 現在よりも優れた文明の残り物ということでピカピカ光るSF的な 何かを予想してたのにざっと見た感じゃ廃墟と化した病院か学校の ような印象のほうが強い。 壁は触るとほのかに暖かいコンクリート、床はどう見てもリノリウ ムで作られているように見えるから当たり前といえば当たり前か。 驚いたことに室内は蛍光灯っぽいナゾ板が弱々しく光ってるので歩 くには困らないが、各個室をクリアする際には軍用懐中電灯を利用 したほうが良さそうだ。 あと不思議なことといえば壁とか床にも少量の魔力が常に流れてい ることか。 何が目的なのかはさっぱりわからないが、この遺跡の動力源となる 462 ような何かはいまだに生きてるんじゃなかろうか? もしくは︱︱ ﹁主、どうやら敵が居るようだぞ﹂ ﹁・・・そりゃマズイ。距離と対象はわかる?﹂ うん、あんまり考え事をしている余裕は無いみたい。 エルを見れば既に杖を握って戦闘準備までしてるし、僕のぬけっぷ りが際立った気がしてならん。 ﹁具体的にはわからんがすぐ近くに居るのは間違いあるまい。妙な 瘴気と足音から予測するにトロールやオーガなどの魔物だろう。な んでこんなところに居るのかはよくわからんがな﹂ ﹁了解。それだけわかれば十分﹂ 左手で腰のホルスターから軍用懐中電灯を、右手で杖を取り出して 戦闘の準備は万事おーけー。 狼だのゴブリンだのといった小型の生き物と違って耐久力の高い生 物を一撃で無力化するため、普段使いの二倍程度の魔力を集中させ てショットガンを展開する。 散弾一発あたりの攻撃能力は決して高くないが、発射される12発 のペレットの半分も命中すれば対象の内臓をズタズタに引き裂いて 致命傷を与えることが出来るので、ライフルのように致命部位を狙 う必要すらない。 おまけにこれは実物のそれとは大きく異なり、ゲームのようなパタ ーンを見せるので刃物でしばき合うような至近距離でだって便利に 扱える。 ﹁なら俺は前に出るか。いくら二流といっても時間稼ぎくらい出来 463 るんだぜ?﹂ ﹁オーガごとき主と妾に掛かれば一瞬だぞ。リュースは危ないから 下がると良い﹂ ﹁・・・。マジで?﹂ ﹁たぶん大丈夫です。馬車に乗ってる最中に襲われたことがありま すけど一撃でした﹂ ﹁そ、そうか。なら任せるわ﹂ ﹁俺の見せ場が・・・﹂なんていうリュースさんのボヤキを背中で 受けながら通路の先に照準を合わせてゆっくりと進む。 エルと二人だったなら杖の明かりを消して視界を熱感知式に切り替 えることでステルスも可能だけど、今回は消灯できそうに無いので いっそ盛大に照らしてやろう。 通路から部屋へと踏み込み、軍用懐中電灯のテールスイッチを押し 込むと高出力LEDから放たれる光の束が室内の暗闇を一掃して全 てを明るく照らし出す。 ﹁クリア。この室内に敵は居ないみたいだ﹂ 部屋は洒落た待合室といった感じで、直径30メートルくらいの半 球状の部屋の真ん中にはお立ち台っぽい何かとそれを囲うようにベ ンチが配置されている。 通路に関しては左右に一本ずつ、正面にはフロントらしきものがぼ ろぼろになりながら存在していた。 風化しているものとしていないものの差が激しいのは大方魔術によ る防護の差なんだろう。 ﹁ん、右かな?﹂ ﹁足音だけでなく瘴気も少しだが強くなった。間違いなくこの先だ﹂ 464 こっそりと通路の奥を覗くも再び敵影はなし。 響く足音から想像するに同じフロアだとは思うのだが、低音は指向 性が低くて距離感をつかみにくい。 ドン、ドン、とゆっくりとしたペースで響き続けているので僕らを 警戒していることはなさそうだけど、そもそもなんで動き回ってん だろ? ﹁その先は左手のドアの先に一部屋あるだけだ。通路にオーガが居 ないなら大方そこに居るんじゃないか?﹂ ﹁了解です。ささっとやってしまいます﹂ やはり危険物は早期発見・早期削除に限る。 通路の向こう側、室内ぎりぎりの左壁にぴたりと張り付いてから指 先に魔力を集中、フラッシュバンを生成して準備完了。 ﹁レディ?﹂ ﹁うむ、れでぃだ。主は左側を、妾は右を始末する﹂ ﹁了解。3、2、1︱︱突入っ!﹂ 室内へ投入されたフラッシュバンは手を離れてからきっかり二秒後、 小爆発と同時に込められた魔力の全てを強烈な光へと変換してその 役目を果たし終える。 直接的な攻撃力はないとはいえ、短時間ながら敵の視界を完全に奪 うことが出来るというのはこういった閉所での戦闘において凄まじ いアドバンテージだ。 部屋へ突入すると中に見えたのは灰色の巨人が四体。 身長はおよそ2メートル強、ボディビルダーよりもマッスル溢れる その姿はぱっと見た感じでは人のようだが、口から突き出た牙と溢 れ出す不気味な魔力はまさしくバケモノと呼ぶに相応しい。 465 今のところフラッシュバンによって視界をごっそり潰されており、 少なくとも一匹目の始末は簡単そうなので、まずは口に何かをくわ えてもがもがしている左手最寄のターゲットへ狙いを定めてショッ トガンを叩き込む。 体感ではゼロ秒後、初速のせいでドーナツパターン気味だったであ ろう12発のペレットはオーガ特有の強固な筋肉による防護をあっ さり貫通して内臓を引き裂き一瞬にしてその命を奪う。 ちらりと右を見れば首がぽろりと落ちたオーガの体から赤黒い血が 溢れているので残りは二体。 あれだけ硬そうな首をほとんど音も無く刎ねるエルの技術には全く 持って恐れ入る。 この調子で流していければ楽なんだけど、残念ながらフラッシュバ ンの独壇場はここでおしまい。 仲間が殺されたからか、それとも端からなのかはついぞ知らんが憤 怒に燃える真っ赤な瞳が二対ほど。 全力でショットガンのリロードを行うと障壁分の魔力がたぶん回ら ないので、近づかれる前に片付けるのはあきらめて障壁と最低出力 のスタンロッドを展開しつつ二匹のオーガへ走りこむ。 僕の行動を破れかぶれかなにかと勘違いしたのか、にやりとゆがむ オーガの顔を目掛けて軍用懐中電灯の光が直撃、狼狽しながら振る われた粗末な武器︱︱たぶん鉄パイプ︱︱は完全に射程外だったの で無視しつつ二匹目が振るった馬鹿に太い腕を魔力障壁で受け流す。 物はついでとオーガの腕にぺたりとスタンロッドを貼り付けてみる も効果のほどは残念ながらいまひとつ。やっぱ大口径の火器で吹き 飛ばさないと駄目だ。 466 この行為によって稼げた時間は正味五秒ほど。 決して長い時間ではないけれど、エルが魔力を集めて叩きつけるに は十分過ぎる。 ﹁このxxxxxxxxxxがっ! 主から離れよ﹂ ・・・でもその台詞はないだろう。女の子なんだから。せめて痴れ 者とかさ。 戦闘中だというのに思わずズッコケそうになっちゃったぞ。 あれか、僕がハリウッド映画の話題を酒のついでにしちゃったのが マズかったか。たぶん。 エルのカッターによって生まれた二つ目のぽろりを確認しながらオ ーガの側をステップアウト。 相手が魔術を警戒して詰めてこなかったので魔力障壁とスタンロッ ドを解除、直ちに魔力を再装填して脳内トリガーをゆっくりと絞れ ばオーガの左胸の辺りから血煙が吹き上がり、肉体はひねりを加え ながら後ろへと叩きつけられて絶命した。 ﹁鮮やかなもんだな。四体のオーガが10秒チョイとかなかなか見 れるもんじゃねえ﹂ ﹁だが主が突撃したときは肝が冷えたぞ﹂ ﹁各種火器を最低限に絞って残りを魔力障壁に回してたから殴られ ても大丈夫だったよ?﹂ ﹁それでもだ。やる前に一言くらいあってもいいではないか﹂ ﹁あー・・・。うん、確かにそうだった。ごめん﹂ ﹁まあまあ、そういうのは安全が確保された後でやってくれ。オー ガ共はどうやら食事中だったようだし、やりたかないけど調べない わけにもいかん﹂ 467 苦虫を噛み潰したような表情のリュースさんについて室内を調べれ ば、まさしくそこは出来の悪いホラー映画の場面そのもの。 そこいらに転がるグロ肉としゃぶられたのかつやつやとした骨とボ ロ切れなどから予想するにそれらがここ最近のうちに元人間になっ たのは疑いようが無い。腐臭とかないし。 あまりにも現実離れした光景に理解が追いつかないのか、この世界 にすっかり染まってしまったからなのかはわからないがこみ上げる ものも無ければ感じるものも特に無いのはラッキーだった。 ﹁こりゃ凄いですね。でもギルドに捜索依頼なんて来てましたっけ ? これだけ死体が転がってるとなると何件か来ててもいいと思う んですが﹂ ﹁んにゃ、少なくともここ最近にそんなことがあれば俺が来る前に なんか一言あったはずだ。・・・駄目だ、こんなボロじゃなんもわ からん。せめて身元がわかるようなものがあれば良いんだが﹂ 馬車すら無い僕らの装備では遺体を持って帰ることは不可能だ。 こんな場所で野ざらしにしておくことに感じるものが無いわけでは ないが、現状出来ることといったら後で人員を派遣してもらうよう に働きかけることくらいだろう。 ﹁しゃーない、ちと気分の悪いものを見ちまったが探索を続けると するか﹂ ﹁正直ここに長居はしたくないのでそれがいいと思います﹂ 468 4 遺物回収というものは想像以上に細かく行うものらしい。 いくら発掘済みの遺跡といったところで現代にまつわる物品、特に 見知った会社名が刻印された置物やガラクタくらい余ってるんじゃ ないかと思っていたのだ。 だが、現実は甘くなかった。 探しても探しても望む物品類が見つかるどころか本当の意味でのガ ラクタすら見つかることが無い。 すっからけとなった室内の寒々しさといったら涙が出そうなくらい だよ。ホント。 ﹁壁とかそこの蛍光板とかに関しても取れるやつは回収してるくら いだからな。片手で持って帰れるくらいのモノなんてたぶん何も無 いぞ﹂ 仕舞いにゃこんな衝撃的事実までもを聞いてしまったので、この遺 跡の中でなにかを見つけるのはもう完全にあきらめた。 まさかなんとか洗うが如しを地で行くような状況になっていたとは お天道様だって思いもよるまい。 そんなわけで現在は地下二階、最初のフロアで複数のオーガと死体 を発見した以外は︵物が欠片も残ってないから︶順調に探索は進ん でおり、このペースならば後半は野外生活を楽しむくらいしかやる ことがなくなってしまいそうな気がしなくも無いくらいだ。 ﹁なんか風みたいなの吹いてない? 臭うんだけど﹂ 469 ﹁こんな古い建物ならどこかに穴くらいあってもおかしくなかろう﹂ ﹁こんな地下に?﹂ ﹁⋮⋮うむ。不思議な事実だな﹂ ﹁なに言ってんだ? 地下で風なんて吹いてるわけ無いだろ﹂ ﹁﹁えっ?﹂﹂ リュースさんが不思議そうな顔をしてこっちを見てくるが、その発 言こそ僕らからしてみれば不思議なもんだ。 確かに風量はかなり弱いけど、それでも通路の向こうからやってく る若干の瘴気じみた空気は外のそれと違って排ガスを吸ってしまっ たような感じがするので気づかないとは思えない。 ﹁いやいや、風量は弱いですけど間違いなく向こうのほうから吹い てますよ﹂ ﹁やっぱわからん。大体その先ってただの行き止まりだぞ?﹂ ﹁⋮⋮これは警戒したほうが良さそうですね﹂ 足音を立てないよう、ゆっくりと警戒しながら通路を進んでいく。 チクチクと肺に刺さるような鬱陶しい空気を吸いながらなので集中 力が途切れ途切れだったような気がしなくも無いけど、幸いなこと に直接的な脅威は存在しなかったので結果オーライ。 ﹁前の探索ではここを調べたりはしなかったんですか?﹂ ﹁んー。確か調べたような気はするけどそんな風とかは無かったは ず。ちょっと待ってくれ、前回前々回の報告書は持ってきたから確 認してみる。その間に軽く調べてみてもらっても良いか?﹂ ﹁了解です。何かあったら呼びますね﹂ こう、遺跡的な何かだった場合は僕らだけで情報をハンドリングし きるのは不可能だったろうけど、今回のは風が吹いてる穴を探せば 470 いいだけの単純作業なのでたぶん大丈夫、だと思う。 僅かに青みがかったコンクリート製と思わしき壁は長い年月を経た 結果あちこちにヒビが入っており、風の吹き出し口を探すのはそれ なりに大変だ。 もちろんこんなのは手作業で調べる気になれず、魔力によって微細 な氷の粒を作って大気中に浮かべ、空気の動きをチェックするとい う非常に高効率かつ怠惰なやり方を思いついたのだが、これはうま くいかなかった。 ﹁なあ、主よ。今も風は吹いてるよな?﹂ ﹁うん、間違いなく吹いてるね﹂ ﹁じゃあ何で霧が動かないのだ?﹂ ﹁全くわからん。何でだろ﹂ この不思議な風を今も感じているというのに、白い霧は僅かばかり も流れない。 エルがひょいと手を振って風を起こせばその動きに合わせて白い霧 がゆらゆらと流れていく。 どうやら無意識のうちに氷の粒を固定したとかそういうことも無い らしい。 ﹁感覚を頼りに手作業で探すなぞ面倒だぞ。いっそのこと壁を吹き 道よ開け と壁を 飛ばしてしまうのはどうだ? 前に主がドアを吹き飛ばすといって 練習していたではないか﹂ そ、れ、だ。 不思議のダンジョンの行き止まり通路よろしく 吹き飛ばすのだっ! 471 ﹁リュースさん、遺跡の壁に穴を開けるような魔術を使っても良い ですか?﹂ ﹁壁自体に価値は無いから別に構わんよ。ただ、一般的な建物より も堅い遺跡の壁をやれるのか?﹂ ﹁ちょっと待ってください︱︱﹂ 魔力によって強化された氷柱がブスリと遺跡の壁に突き刺さる。 これなら円を描くように何発か叩き込んでから中心である程度の爆 発を発生させれば比較的容易に穴が空けられそうだ。 ﹁︱︱うん、大丈夫みたいですね﹂ ﹁⋮⋮何気にユートもすげーよな。もう何があっても驚かん自信が あるわ﹂ 晴れて許可も取れたところで作業開始。 直径50センチメートルほどの穴をイメージしながらバスバスと氷 柱を突き刺して壁をもろくしながら中心らへんに魔力の塊を張り付 けるだけ。 爆発性の魔術に変換していないのは単純な理由で、作業中に暴発し たらとてもとてもマズイことになるから。これなら制御に失敗した ところで魔力が霧散するだけで済む。 爆破時の小石や衝撃波を防ぐための魔力障壁をエルに展開してもら い、全員が隠れたところで準備完了。 破壊力に関してはどの程度がベストなのか予想しづらく、ブリーチ 後の目標物まで焼き払ってしまっては困るので若干弱めにセットす るのが吉か。 さあ、一発吹き飛ばすぞ。 472 ﹁爆破するんで耳はふさいどいてくださいね﹂ ﹁あいよ﹂ 左右と正面の壁に貼り付けた魔力から伸びる三本のラインにそれぞ れ爆発させるような命令を書き込んでからスイッチオン。 軽い爆発音にあわせて飛び交う小石の速度は思いのほか遅く、魔力 障壁にぶつかっても刺さることなく地面へと転がった。 うん、なかなかいい感じの結果だと思う。もしこれがコンクリート 製の壁ではなくて木製のドアだったりしたならば、特に破片が飛ぶ ことなくそれだけを吹き飛ばすことが出来たんじゃなかろうか。 ﹁こら驚いた・・・。行き止まりなのは間違いだったんだな﹂ ﹁夢のある遺跡だな。空気の不快指数は跳ね上がっとるが﹂ 爆破した壁のうち、右壁はほかの壁と異なり大人でも屈めば入れそ うなほどの穴が出来ていた。 ふさがれていただけあって照明は壊れてしまっているらしく、懐中 電灯なしでは何も見えそうに無いほど暗く。そして臭い。 いや、ホント臭い。なにこれ? 排ガスってレベルじゃないぞ? ﹁壁崩しちゃったから臭いがやばいことになってんね﹂ ﹁全くだ。嗅いでいるだけで頭が痛くなってくるぞ﹂ ﹁さっきからユートたちが言ってた匂いってのがようやくわかった 感じがする。どんな匂いかと聞かれると答えにくいが確かに居るだ けで頭が痛くなってくんな﹂ 正直、壁に穴を開けたのは失敗だったかもしんない。 昔ここに住んでた人達もこの臭いをどうにかこうにかしたくて通路 をふさいだんじゃないのか? 473 ﹁とりあえず鼻つまみながら中に入ってみるか﹂ ﹁あ、それなら僕らがやりますよ。中に敵が居たりしたら困ります し﹂ 意味も無く手で口元を押さえながら室内を照らしてみれば十畳ほど の部屋は埃まみれで頭を突っ込んだ瞬間に思わずむせてしまいそう になるほど。 隅っこのほうなんかは埃が山になってしまっているし、どれだけ長 い年月放置されてきたのやら。 ほかに変わったところといえば部屋の壁という壁全てが真っ黒に染 まっているくらいか。 ﹁ううむ。なんもない。あるといったら埃の山くらいか﹂ ﹁妾も見ていいか?﹂ ﹁うん。埃っぽいから中で呼吸はしないほうが良いよ﹂ エルは僕から軍用懐中電灯を受け取ると早速壁の穴に頭を突っ込ん で中を観察しだしたが、そもそも見るものなんて何も無い。 息苦しくなったのか30秒もしないうちに穴から頭を出したエルの 表情は酷くぶ然としたものだった。 ﹁これはあれだな。居るだけ無駄だな﹂ ﹁折角お宝が見つかるかと思っただけに、ね﹂ ﹁全くだ。妾のこのドキドキ感をどうしてくれ︱︱︱︱﹂ 唐突に言葉は途切れ、ぐらりとエルの体が揺れる。 ﹁エルっ!﹂ ﹁ある、じ⋮⋮?﹂ 474 慌ててエルの体を支えるために伸ばした手からはインフルエンザ患 者のような高熱を感じて、それがさらなる焦りを生んでいるのが自 分でもわかる。わかるんだけどどうしようもない。 原因は何だ? この正体不明な排ガス臭か? もしそうだとしたら どうしたらいい? ﹁ユート、主のお前が慌ててどうするんだ。まずは安全な場所まで エルを担げ。移動するぞ﹂ ﹁は、はいっ﹂ 苦しそうに喘ぎ、体に力を入れることすらままならないような状態 ではおんぶすらも難しい。 仕方が無いのでひざ下と肩甲骨に手を回して体を持ち上げ、首がぶ らっとしないように肩で受け止める。 体勢が安定したところでエルを揺らさないよう、来るときに掛けた 時間の二倍以上を使ってゆっくりと歩くことでようやく遺跡入り口 の平坦なところまで到着することが出来た。 ﹁ほれ、毛布を敷いとくから横にさせてやんな﹂ ﹁ありがとうございます。ほら、エル。ゆっくり降ろすよ﹂ ﹁⋮⋮ん。ありが、と﹂ 高熱で体が痛むのか、苦しげな表情を浮かべるエルにダメージを与 えないよう慎重に即席ベッドへと降ろしてほっと一息。 ようやく落ち着いてこれからの対応を考えることが出来そうだ。 まず、僕が出来ることといったら何だろう。 治療術︱︱論外。最近わずかばかり出来る様になったからといって も実用レベルではない。 475 冷たい濡れタオルを額に当てる︱︱これはやるべきだろう。 解熱作用のある薬草を見つけてくる︱︱見つけたところでどうやっ て使うのかわからんし、この状態のエルを一人にしておくなんてい うのはどう考えたとしてもマズイ。 いや、まて。 そうだよ。解熱剤ならあるじゃないか! こっちに飛ばされてから最初にメディキットを確認したとき、確か 解熱剤 の三 止血剤やテーピング類とあわせてそういうのが混じってたはずだ。 やや慌てながらメディキットの中身を確認すれば、 文字がしっかりとプリントされた白いティーバッグのような袋が全 部で4つ入っていた。 封を切って中を確認すると細かく書かれた説明書と薬包紙に包まれ た白い顆粒状の薬、白いシールの三つでワンセットらしい。 説明書を読むとこれは間違いなく解熱および鎮痛作用のある薬で、 高い効果を持つために白いシールを首に張って赤く変色する程度の 発熱が無い対象へ使用することはやめたほうが良いとある。 なるほど、こいつは体温計の代わりか。 図の通りにエルの首筋にシールを張れば、あっという間に赤く変色 しだしてるあたり使用するのはマストで問題なさそうだな。 用法と用量は︱︱ 用量:15歳以上は一回一包。 連続で服用される場合は最低でも4時間以上の間隔をあけてくだ さい。 服用後、乗り物または機械類の運転操作を行わないでください。 本剤は人間および精霊、人工精霊向けに開発されました。それ以 476 外の方は服用しないでください。 ⋮⋮なんだ、これ? 用量や服用後の乗り物に関する記載は、良い。解熱剤に良くあるよ うな記載だ。 だけど、その一番下の注意書きはどう考えたって変だ。 この薬は、このバッグの中身は、現代で作られたものじゃないのか? でも、まあ、いいか。 何処で作られたかなんて今は無視したってなんら問題ないほど些細 なことで、重要なのはこの薬がエルに対しても恐らく有効であると いう事実だけだ。 毛布に横たわるエルの体を抱えるように起こしてカップと封を切っ た薬を渡す。 ﹁これは?﹂ ﹁バッグに入ってた薬だよ。熱を下げて体の痛みを軽くする効果が あるんだけど、飲める?﹂ エルは小さく頷いてから薬を含むと水で流し込んでいく。 この手の薬のご多分に漏れずやっぱり苦いようで、水を含んだ瞬間 に苦味が口中に広がったのか目を白黒させていたが、それでも吐き 出すことなく飲み干してくれた。 ﹁うぅ、苦いのだ﹂ ﹁そりゃ薬だからね。効いてくればかなり楽になるからもう少しだ け我慢してくれ﹂ 477 薬を飲み終えたエルを再び寝かせて額には氷水で冷やしたタオルを 乗せる。 解熱剤が効いてきたら外さないと体の冷やし過ぎになるかもしれな いけど、少なくともしばらくの間は乗っけておいたほうが良さそう だ。エルも目を細めて気持ち良さそうにしてるし。 そうしてしばらくの間タオルの交換などをしていると薬が効いてき たのか、気づいたころにはすぅすぅとした寝息を立てていた。 表情も苦しげなものから落ち着いたものに変わっているあたりかな り良い感じなので、起きたときに食べられるような簡単なものでも 作っとこうかな。 ﹁なあ、ユート。ちょっといいか?﹂ ﹁なんでしょう?﹂ ﹁今回の件なんだけどな。前例があったんだよ﹂ ﹁︱︱っ! それは、どんな前例だったんですか⋮⋮?﹂ 聞きたいような、聞きたくないような。 もしもエルの身に深刻なことが告げられたりしたらと思うと怖い。 だけど聞かなきゃ何の手も打てないわけで。 ﹁おいおい。そんな顔するな。普段がぽやっとしてるだけに怖いが な。心配しなくても彼女の体は大丈夫だ。少なくとも前例では全員 が数日寝込んだだけで無事に復活したよ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮そうだったんですか。教えてくれてありがとうございま す﹂ ﹁あいよ。一応概要だけ説明しとくとだな。遺跡のと似たような臭 い、文面にゃ腐臭とあるがともかくそれを嗅いだ人間の三人が高熱 を出して倒れたらしい。それを助けたヤツもしばらく頭痛に悩まさ れたとあるがそれも一週間以内に健康になったってよ﹂ 478 ﹁リュースさんの体調は大丈夫なんですか? それだけ聞くと僕と リュースさんにもなんらかの悪影響がありそうなんですが﹂ ﹁多少頭痛がするけど概ね問題ないな。ユートはどうなんだ? 壁 の穴に頭突っ込んでたろ?﹂ ﹁僕は全く問題ないですね。極めて健康です﹂ ﹁そうか。⋮⋮なぁ、ユートよ。これは個人的な依頼になるんだが、 ウィスリスまでの帰り道の護衛についてくれないか?﹂ それは、ひょっとして、人体実験がしたいということでしょうか ? 思わずそう聞き返したくなるが、この依頼を受けた場合の僕のメリ ットは意外と多いかもしれない。 まずは古代遺跡に関する調査のためのパイプが出来る。 ついでに調査の最前線にいけるわけだから想定外の情報を入手でき る可能性がある。 さらにはいつか行こうと思ってた学園都市と謳われるウィスリスに 金を貰って行ける。 逆に明確なデメリットに関しては特に浮かばない。 この会話の流れだと僕の体を調査したい気持ちがあるのはほぼ間違 いないが、それだって健康診断みたいなもんだろうし、別に悪いも のじゃない。 ﹁その依頼、受けましょう﹂ ﹁微妙に間があったのは気がかりだが助かるわ。んじゃ報酬とかの 話から進めていくか﹂ ﹁了解です﹂ 479 5 ﹁んっ⋮⋮ぅう⋮⋮。あれ。主?﹂ ﹁おはよ、エル。体調はどう?﹂ つい半日ほど前まで高熱にやられていたというのに、エルの顔色は 決して悪いものじゃなくなってるあたり解熱剤は説明書通り精霊に も効果的だったらしい。 ﹁そう、だな⋮⋮。倒れたときに比べたらかなりマシな感じか。ま だ不自然なところが残ってはいるが、少し体を動かすくらいならき っと大丈夫だ﹂ ﹁どれどれ⋮⋮。うん、確かに良い感じに熱が下がってるね﹂ 額に掛かった髪を軽くよけて額に手のひらを乗せれば、顔色に見合 った程度の熱を感じる。 手のひらの変わりに額をくっつければもうちょっと詳細にわかるの かもしれないけど、それはちょっとだけ恥ずかしいのでパス。 ﹁ふなっ! ぁ、主、一体なにをっ!﹂ ﹁え? 熱をチェックしただけだよ。まさかわきの下とかに手を突 っ込むわけにはいかないでしょ﹂ ﹁だ、だからってそんな額にくっつけぅ、くっ付けるなんて﹂ ﹁そんな顔赤くするようなことじゃなくね?﹂ 前にエルの髪を手で撫でたときも額に近い場所を触っていたような 気がするんだが、この反応を見た限り、どうやら髪を触られるのと 額を触られるのの差は想像してた以上に大きなものらしい。 480 わたわたと慌てるその体で毛布が飛ばないようにやんわりと抑えて いると ぐぎゅるるるぅぅぅ 鳴った。それも盛大に。しかも僕じゃない。 盛大に鳴らした本人は先ほどまでの暴れ方がウソのように静まり返 ってしまった上、毛布で顔を隠してしまったが、そんなことしたと ころで鳴ってしまったお腹の音を隠せるはずも無く。 ﹁⋮⋮くぅ﹂ ﹁エルは倒れてから軽く見積もっても半日近い時間が経過してるか らね。そりゃおなかも減るよ﹂ ﹁だからってこのタイミングは無いだろうっ! いろいろ台無しだ っ!﹂ ﹁まぁまぁ。スープが余ってるからそれ食べてちょっと落ち着こう か﹂ 起きたときに食べるだろうと思って用意しておいたキャベツとバラ 肉のコンソメ煮はすっかり冷えてしまったせいでバラ肉の油が白く 固まって酷い見た目だが、魔力コンロ︱︱グリル台の下で魔術を使 っているだけ︱︱にかけてしばらく暖めるとその油が溶けてコンソ メ特有の良い香りが辺りへと広がりだす。 我慢できなかったのか、途中で鳴ってしまった二度目は聞かなかっ たことにしよう。 ﹁ほら、熱いから気をつけて﹂ ﹁⋮⋮うぅ。ありがとう﹂ 481 顔を真っ赤に染めたエルがゆっくりとカップを手に取り、はふはふ とスープを食べだす。 一度温度が下がったおかげでコンソメがバラ肉やキャベツの奥深く まで浸透し、その代わりにコンソメスープにはバラ肉のうまみやキ ャベツの香味が染み出すのでアウトドアで食べられるようなものの 中ではそれなりに上等なメニューだと思うんだ。 ﹁凄く、美味しいぞ。体に染み渡るようだ﹂ ﹁良かった。しばらく無言だったから口に合わなかったのかと思っ たよ﹂ ﹁主が作ってくれたのだからそんなことがあるはず無かろう。それ より主は食べないのか?﹂ ﹁僕はちょいと前にリュースさんと食べちゃったから大丈夫﹂ ﹁そうか。それならもう一杯貰っても?﹂ ﹁もちろん﹂ 今度は先ほどより多めに注いだスープを渡し、僕はポケットから取 り出した軍用懐中電灯で利用するリチウム電池を取り出してため息 を一つ。 ﹁ため息なんて珍しいな。妾が寝てる間になにかあったのか?﹂ ﹁あのさ。今まで僕はこのバッグが現代日本のものだと思ってたん だけど。ひょっとするとそれは正しくないんじゃないかと﹂ エルが倒れてからおよそ半日ほど。 リュースさんはひたすらに資料を読みながら何かのレポートらしき ものを書いていたので邪魔をすることも出来ず、解熱剤の件があっ たので自分の持ち物の再チェックをしていたのだが、自分の世界の ものと言い切るにはちょっとしんどい文言が多々見受けられてしま ったのだ。 482 爆発しかねないから魔力を込めて使うな というような文言が 携帯用浄水器の裏面やリチウム電池のラベルには非常に小さな文字 で 魔力を注 などと、現 記載されていたり、スティック状のケミカルライトには ぐことで持続時間と明るさを向上させることが出来る 代にはありえないような魔力に関する記述があったのだから。 そんなことをぺらぺらと掻い摘んで話したのだが、よくよく考えれ ばエルは英語が読めないのでリチウム電池を渡したところで渋い顔 をされただけで終わってしまった。 ちなみにケミカルライトに関しては試しに一本折ってみたところ全 く光らず、首をかしげたところでパッケージを確認したらカラーが IR︵赤外線︶だった。 そりゃ光らんし、本体の樹脂も妙な赤紫色だったワケだ。 ﹁仮に主が言っていたことが正しいとしても最終目標を考えるとこ れからやるべきこと自体は変わらないのではないか?﹂ ﹁うん。エルの言うとおり僕の取れるアクションに関しては全く持 って換わらないんだけど、こう、なんだ、心の拠り所的ななにかが ガラガラと崩れちゃった気がして﹂ ﹁なぁ、主よ﹂ ﹁どした? 塩っ辛いスープでのどが渇いたのなら水もあるよ﹂ ﹁主のスープはそんなことなくて美味しい。ってそうじゃなくて、 心の拠り所というのはだな、その、妾じゃ駄目なのか?﹂ 凄い。 何が凄いって熱のせいか薄く染まった頬と潤んだ瞳、そんな普段と 違った印象のエルにそんなことを言われると普段とのギャップが凄 483 い。 思わず抱きしめてしまいたいなんて思ってしまったのを何とか留め る。 ﹁心の拠り所というのは頼れる相棒ということだろう? 確かに妾 は今回の依頼でマヌケなミスを犯したせいで依頼失敗の直接的な原 因になってしまったと思う。だが、だがだぞ? そんな意思も持た 心の拠り所的な何か の意味が頼れる相 ないようなモノのほうが主は良いというのか?﹂ ﹁待って待って、なんで 棒になっちゃうんだよ。前にも言った気がするけどエルは僕にとっ てベストで無二の相棒だかんね﹂ ﹁そ、そうか? でも今回の依頼は妾のせいで失敗してしまったぞ ?﹂ ﹁それ言っちゃうと僕のほうがミス出しまくりなんだけど。それに 依頼自体は失敗だったけど室内のオーガを倒して今後の安全に貢献 したということで報酬はむしろ増えてるんよ﹂ ﹁⋮⋮それ、大丈夫なのか?﹂ ﹁いいんでね? 失敗は失敗だからギルド内での評価は気持ち程度 あるかもしらんけど、もともとノーミスを維持できるような冒険者 なんて限られた上位さんだけだから土台僕らにゃ関係ないし、これ から頑張ってけば全く問題にすらならない程度のモンでしょ﹂ ﹁そうか、そうだな。うむ、妾も頑張るぞ﹂ ﹁頑張るのはいいけどまずは寝てくれ。さっきの感じだと熱も残っ てるし、体だってまだまだかったるいところがあるんだろ?﹂ くるくると表情の変わるエルの頭をぐりぐりと撫でながらいつの間 にか吹っ飛んでいた毛布をエルの体にかける。 ﹁主、ありがとう﹂ 484 ﹁ん、どういたしまして﹂ ◆ 翌朝、意外と早い時間に到着した迎えの馬車に乗り、さくさくとガ ルトまで帰って依頼失敗の報告を入れるとカーディスさんはかなり 驚いた顔をしていたが、その後の報酬を見たときはさらに目が点に なっていて笑ってしまった。 ま、細かいことは全てリュースさんがぺらぺらと対応していたから 具体的に何を話したのかとかはわからんけど、あの表情を見た限り そうとしか思えない。 その後はゆっくりする間も無く、とんぼ返りのように再び馬車へ乗 り込みウィスリスめがけて出発。 病み上がりのエルには多少キツイかもとは思ったが、本人曰く元気 満点で今すぐ全力で活動が出来ると言い切ってくれたのでそれを信 じることにした。 実際、昨日の姿が実は幻だったんだよ説が頭の中に浮かぶほどなの で心配は要らない気がする。 そんなエルは相変わらずがたがたと揺れる馬車の屋根の上で揺られ ながらもガルトで買ってきた謎肉入りの揚げパンを齧りつつ、周辺 だったっけ?﹂ で済むはずが無いことは主だってわかって やや危険 の警戒をしてもらっている真っ最中だ。 やや ﹁いやはや、まったく。この街道は ﹁少し考えれば 485 いただろう?﹂ ﹁本当に二人を雇ってて良かったわ。こりゃ想像以上にヤバイ﹂ ガルトからの場合、ウィスリスへのルートは二本あるそうだ。 一本は王都を経由して向かうスタンダードなルート。 もう片方はガルトからウィスタ大森林を突っ切るようにしての直通 ルート。 前者は7日程度、後者の場合は2日程度で到着できるのだから確か にその価値は大きい、それは認める。 だが、最近ウィスタ大森林の外側辺りに魔獣の集落が出来ており、 それを制圧するために冒険者を集めているような状況下で後者のル ーティングをとるメリットは果たしてあるのだろうか? ﹁本当に安請け合いしなくてよかった。これをいつも通りのコスト で受けてたら割に合わない﹂ ﹁妾としてはたまにならこんなのを受けるのも悪くないと思うのだ が﹂ ﹁⋮⋮女の子にこういうのもどうかと思うけどさ、エルって本当に たくましいよね﹂ ﹁妾を女の子扱いしてくれるのは嬉しいが、それは本当に言うよう なことじゃないぞ﹂ ジト目で見つめてくるエルに笑い返しながら進行方向右手より突撃 してくるオーク二体に対して氷柱による射撃を試みる。 .338lapua並みの破壊力を持ったそれは小枝や葉っぱなど で構成されたブッシュをティッシュのごとく突き破り、十分なエネ ルギーを維持したままオークの大腿部へと命中する。 デカくて白いシルエットが地面とお友達になって悲痛な叫び声をあ げたので追撃の必要はあるまい。 486 続いて二匹目のターゲットへと氷柱を射出。 先ほどのズレを調整してから放った結果、狙い違わずオークの頭に 突き刺さって脳漿を撒き散らしながら地面へと転がる。当然ながら 悲鳴は無し。 ﹁ほれ、主。10時方向から狼の類がわっさわっさと出てくるから 早く迎撃の準備を。数が多いので爆発物の投入を薦めよう﹂ ﹁了解。距離は︱︱120くらいか。魔力障壁は任せた﹂ ﹁任された﹂ 全くもう。多過ぎるだろう。 異世界初日だったらゲロをだらだらと吐き出してしまいそうなこと ですら、十分な数をこなせば何も感じなくなってしまう。 グレースケールの視界の遥か向こう、複数の動体によって揺れるブ ッシュの先へと狙いを定め、ライフル弾の数倍以上の魔力を込めて 作られた40ミリグレネードを放り込む。 ︱︱吹き上がる閃光と白煙、一瞬遅れて聞こえてくる爆発音 ハッキリと目で追えるほどの速度で放物線を描きながら飛ぶ光の弾 は狙点通りの命中となったが、残念ながら移動目標の中心に命中す ることは出来ず、敵グループに対する決定打とはならなかった。 それでも大多数は深刻なダメージを負って行動不能なので残りに対 して氷柱を叩き込んで終了。 ﹁ざっと見回した感じほかには居ないけどとりあえず一息つけそう ?﹂ ﹁そうだな。周囲200メートルくらいに敵は居らんからオールク リアといえるだろう﹂ 487 ﹁おっけ、それなら買ってきたクッキーの封をあけよっか。魔術を ばすんばすん撃ったからおなか減っちゃったよ﹂ ﹁お疲れさん。それなら紅茶が荷台においてあるからあわせて飲ん だらどうだ?﹂ ﹁ありがたく頂きます。リュースさんのカップは同じとこにありま す?﹂ ﹁いや、茶器はその隣の木箱に入ってるからそれを使ってくれ﹂ 僕らの戦いは一般的な冒険者と異なり、血の臭いがほとんどしない のがせめてもの救いか。 これで血みどろだったらおちおちこうやってクッキーを食べること すらままならないのだから。 馬車の居室からポットを取り出して紅茶をざくっと投入。 グリル台に置いたクッカーの上に水を注ぎ、その下で魔力による小 さな炎を作ってお湯を作る。 この手の作業はエルのほうが圧倒的に上手く出来るんだけど、周辺 の精霊を利用してAWACSのような真似をしている以上僕がやる しかない。 何度か馬車の床を焦がしそうになりながらなんとか作ったお湯をポ ットへと注いでからクッキーを取り出すと思わずぺろりと舌なめず り。 いや、食べないけどさ、でも袋の中に入ってた粉なら⋮⋮。いかん いかん、子供じゃないんだから。 ﹁リュースさん、お茶どうぞ﹂ ﹁あんがとさん。その茶器便利だろ?﹂ ﹁え? そうですね。丸みを帯びた形なので茶葉がちゃんとジャン ピングしますし、確かに良い茶器だと思います﹂ 488 ﹁だろ? 水を入れるだけで自動的にお湯にしてくれるなんて珍し いよな? 同期は味が落ちるとか言って使わないけど俺は面倒だか らいつもこれを使ってるんだ﹂ 微妙に話が繋がってないのですが、衝撃の事実が発覚しました。 この茶器は水を注ぐとお湯になるそうです。信じられん。 僕の努力は一体⋮⋮。 こんなくだらない事で落ち込んでいるのも馬鹿らしいので軽く頭を 振ってからエルの元へ移動。 折りたたみ式のフライパンの上にクッキーを転がして紅茶を渡すと 目を爛々とさせたエルが早速クッキーを一つつまんで口の中へ。 ﹁おおっ。これはっ! ︱︱んまい﹂ ﹁確かに美味しい。前に買ったあれのほうがたぶん美味しいけど、 これもなかなか﹂ 紅茶は前に飲んだやつとは大きく味わいが異なり、水色自体は薄い オレンジ色、香りはもぎたての葡萄を思わせる強烈なマスカテルフ レーバー、一口ごとに来るまろやかな甘みとそれに続く切れの良い 渋み。 前回飲んだ高級なダージリンに匹敵するようなお味な辺り、やはり リュースさんはそれなり以上の立場の人なんだろう。 クッキーのほうだって負けてない。 カントリータイプ特有のしっとりとした食感は良くあるような渇き を感じさせずに滑らかな甘みと香りを楽しませてくれる。 やや値段が安かったせいかバターの香りがいまひとつなところはあ るが、香料として追加されたリンゴの香りがそれを補ってなお素晴 らしい。 489 ﹁しっとりなめらかで美味しいのだ﹂ ﹁この食感は紅茶との相性もいいよね。ちょうど舌の上に残る野暮 ったさが流されて良い感じ﹂ ﹁しかも種類があるのが良いな。これなんてカターラの皮が入って るおかげで凄く良い香りだぞ﹂ カターラは柑橘系の香りがする果物で、単価も安いので庶民に愛さ れている逸品だ。 今回はクッキーの中に仕込まれているので酸味がまるで目立たずに 香りだけが出るので大変美味しい使い方だと思う。 ﹁これで銅貨15枚はなかなかお値打ちだと思うんだ﹂ ﹁良い買い物だった。ってこれが最後の一枚か。ちょっと無くなる のが早過ぎないか?﹂ ﹁あんまり数入ってなかったからこんなもんでしょ。最近は収入も 安定してきてるし、次はもうちょっとたくさん買おう﹂ 490 5︵後書き︶ ﹁そういえば、ちょっと疑問だったんだけど﹂ ﹁なにがだ?﹂ ﹁冒険者で弓矢を使う人を見た記憶がないんだけど流行ってないの ?﹂ ﹁弓矢? ああ、あの微妙な武器か。一部の狩人達が使うくらいで ほとんど使われてないぞ﹂ ﹁なんで? 剣とか槍とかに比べればめちゃめちゃ射程が長いから 便利だと思うんだけど﹂ ﹁そりゃ便利ではあるがあれって難しいからな。まともに扱えるよ うになるまで何年も掛かることを考えたら同じ時間を使って魔術を 覚えたほうがよっぽどか効率的だ﹂ ﹁あぁ⋮⋮。なるほど、理解した﹂ ﹁おまけに連射も効かない、魔力障壁はまず抜けない、魔獣を相手 にするには火力不足といいとこ無し、なんていうと使ってる者に怒 られてしまいそうだが実際そんなもんだ。⋮⋮ただ﹂ ﹁ただ?﹂ ﹁毒と併用して暗殺者が使うことは結構多いと聞く。おっかない話 だな﹂ 491 1 王都を見たときに都会的な印象を持った人がこの都市を見たとした ら、その第一印象はきっと大学の構内を見た、というようなものに なるのだろう。 住民の息を詰まらせたりしないように配慮したのか建物の類はかな り分散されており、その結果生まれたスペースには花壇やベンチ、 噴水といった設備があちこちに用意されていてその美しさに思わず 目を奪われる程。 そういった内向きのインフラにお金が使われているわりに、外向け の設備は見た感じ少ない。 所々に防衛用と思しき石造りの塔が建っていたりするものの、ほか の都市とは異なり全体を市壁で覆っていないのだ。 魔物が跳梁跋扈するこの世界、無防備都市宣言は安全保障上の不安 を感じなくも無いのだが、この都市が長い歴史を生き残ってきたと いうことは何らかの見えないシステムがあるんだろう。 ﹁うわ、凄いね﹂ ﹁今までの街とは比べ物にならんな﹂ ﹁そうだろう、そうだろう。なんたってこの国唯一にして最大の学 園都市だからな。住民も大半が学生だし、ほかも俺らみたいな研究 職の奴らが集ってるから年齢層やら職種やら、何もかもがほかの場 所とは違うんだ﹂ リュースさん言葉を受け、街並みそのものではなく街路を行き交う 人々の姿を見てみれば確かに学生くらいの年齢層が非常に多い。全 体の六割くらいか? 492 ほかには商業系の人達がベンチで談笑していたり、地面を使って学 生の質問に答えながら講義を始めてしまっている教授などを見るこ とが出来るが、夕飯の材料を求めて店主としばきあうご婦人の姿な どはほとんど見られない。 ﹁ほら、こんなとこで呆けてないで喫茶店でも行こうぜ。アレだけ の魔物から守ってくれたというにはいささかショボイお礼だがおご るからさ﹂ ﹁それは嬉しいな。ついでに宿の場所も教えてくれないか? 主も まさかとんぼ返りするつもりはないのであろう?﹂ ﹁もちろんそのつもり。前の依頼で一緒だったウィル達と会う約束 もあるし、しばらくは観光かな﹂ ﹁ふふっ。楽しみだ﹂ 喫茶店で奢られるケーキを頭の片隅に浮かべているのか、にやにや とした表情のエルと共に向かった先はなかなかの高級感を持ったと ころだった。 パステルカラーをフル活用した明るい店内は木の温もりを感じさせ つつも落ち着いた印象で、ケーキやクッキーの焼きあがる香りとの 相性も良い。 店内は午後のまったりとした時間を喫茶店で過ごすことに決めたら しい学生グループがいくつかある程度、座席の埋まり具合がまばら なのは店主的にはともかく僕らには嬉しい。 ﹁ここのベークドチーズケーキが美味いんだよ。ユートやエルもこ れでいいか?﹂ ﹁オススメされたからには選ばない理由がありませんね。美味しい ならなおさらです﹂ ﹁うむ。主の言うとおりだ﹂ 493 席に座るとメニューを見る間も無く注文を取りにウェイトレスがや ってきたのでこれは助かった。 周りのグループを見ても同じメニューっぽいのでもっぱらこれを頼 む人が大半なんだろう。いかにも学生街らしいなぁ。 ﹁にしてもケーキなんて奢ってもらっちゃっていいんですか? ガ ルトや王都じゃクッキーみたいな単純な焼き菓子ですら高級品でし たし、ケーキとなるとエラい値段がしそうなんですけど﹂ ﹁そうじゃなきゃ格安で護衛を受けてくれたお礼にならん︱︱って 言いたいんだが、ぶっちゃけここ学生街だから安いんだよ。ここの ケーキも一個銅貨5枚なんだ﹂ ﹁なんですと﹂﹁なんだとっ!﹂ いかん、思わず机に手を突いて顔を近づけてしまった。 ﹁うわっ、近い近い。最近の話だが砂糖を精製する魔道具が開発さ れたおかげで手軽に使えるようになりつつあるんだ。研究開発した 製品の恩恵が最初に得られる、まさに学園都市って感じだろ?﹂ ﹁主! これはしばらく滞在してこの都市を食べ尽くす必要がある ぞっ!﹂ ﹁非常に同意できる意見だっ!﹂ ﹁⋮⋮おまえら真面目そうな顔つきに似合わず意外とノリがいいよ な﹂ そりゃあもちろん食べるために生きてる二人ですから。 おいしいものがあるならたとえ火の中水の中、瘴気溢れる危険地帯 にだって行ってみせる。 ﹁お待たせしました。チーズケーキと紅茶になります﹂ ﹁あぁ、ありが︱︱﹂ 494 ﹁どうかされましたか? リュース教授。職務を完全に放棄して学 生と遊んでいたことなら、怒っていませんよ?﹂ ケーキと紅茶を持ってきた人は先ほどのウェイトレスの人とは違う 人だった。 特徴は︱︱鬼の形相でリュースさんに対して怒りを振りまいている ところか。 切れ長の目はエルと同じ緑色で薄青の髪は肩までのセミロング、全 体的にキツそうな雰囲気をかもし出しているものの美人、だと思う んだ。たぶん。 所々赤茶けたシミのある白衣を身に纏い、女性としては平均的な体 全てを利用して怒りを表現している姿は確かに恐ろしいものがある。 ただし、なんだろうこの違和感は。 ほのかに香るラブコメ臭とでも言えばいいのか。 確かに鬼の形相で怒っているし、リュースさんが口答えをするたび に頭を引っ叩いているのだけどその勢いが少ないというかなんとい うか。 怒りの裏に見え隠れする好意みたいなのがチラついてるような気が してならないのだ。 ﹁ちがっ、二人は俺の護衛の冒険者で︱︱﹂ ﹁そんな格好をした冒険者が居るなんて本気で言っているんですか ? どう見ても魔術科中等部の学生でしょう﹂ ﹁ユートからも何か言ってやってくれ!﹂ ﹃なあ、主よ。これはひょっとして痴話喧嘩ってやつじゃないか?﹄ ﹃実は僕もそうなんじゃないかと思ってる﹄ 495 もてる男は限りない苦労をすればいいのに。 なんて思わなくも無いのだけど、これ以上あれがエスカレートする のは頂けない。 スープの次は紅茶を頭から浴びるとか避けたいし。 ﹁リュースさん、これどうぞ﹂ そういって渡したのはギルドカード。 これを見ればそこの人も僕らが学生ではないことくらい納得してく れるはずだ。 学生が冒険者ギルドに所属可能な場合はその限りじゃないが、僕ら の身分証明書ってそれくらいしかないからなぁ⋮⋮。 ﹁助かったっ! ほら、ミレイ。これでも二人は一流どころの冒険 者なんだって﹂ 鬼の形相をした女性︱︱ミレイさんはギルドカードをちらり、そし て僕とエルをちらり。 再度ギルドカードに目を通してから再び僕をちらり。 ﹁信じられません⋮⋮﹂ ﹁わざわざカードまで出してもらった二人に悪いから最低でもそこ は信じてくれ。大体どうして俺の居場所がわかったんだよ﹂ ﹁門番のタイラルがすぐに連絡してくれましたよ﹂ ﹁くそっ、あいつなんてことを﹂ ﹁しっかしホント美味しい。こりゃ本格的に食べ歩きが必要でしょ﹂ ﹁この町にあるかは知らんが、妾としては主が前に話してたフラン ボワーズのクリームチーズケーキが食べたいな﹂ ﹁なるたけ探してみよっか。見つからなかったら僕が作るよ﹂ 496 ﹁いいのかっ!?﹂ ﹁うん。フランボワーズはこっちだとフリアって名前で売ってるの はもう確認してるし、フィルチーズはたぶんクリームチーズに近い 感じっぽいから何とかなると思うんだ。そういえばゼラチンってあ るんかな?﹂ ﹁えっと、ゼラチンというと確かスープとかを固めたりするときに 使うアレのことだよな?﹂ ﹁そうそう、その様子だとありそうだね。クッキーは結局作る時間 が無かったから駄目だったけど、今度は長居する予定だから適当に 時間を見つけよう﹂ ﹁なんでこの状況でケーキの話で盛り上がってんだよっ!﹂ ﹁むしろ食べ物の話をしないで何をしろと? 甘味が気軽に食べら れるというのは恐ろしいまでのインパクトを秘めた事実なんですよ ?﹂ ﹁いや、そんな風に力説されても良くわからんし、たぶんそうじゃ ねーから⋮⋮﹂ ◆ ﹁さて、俺らは帰るけどユート達はどうする? 古代遺跡のことを あれこれ聞きたいんであれば一緒に来てもらっても構わんけど﹂ ﹁それはそれで興味アリですがまずは宿を取らないとなのでそっち 行ってきます﹂ ﹁そうか。ま、第三研究所なんていつも閑古鳥が鳴いてるような泣 ける状況だからな、適当に暇になったら遊びに来てくれ﹂ 497 ﹁ええ、それではまた﹂ 馬車に乗り込んで中央の研究所に向かうらしいリュースさん達に手 を振ってさようなら。 あの様子だと帰ってからもきっと大変だろうな。きっとビシバシや られるに違いない。 ﹁んじゃ、僕らも行こっか﹂ ﹁そうだな﹂ きっちりとした区切りはないが、この都市の北側は研究所および学 校が集中して乱立したコア部分となっており、南側の一部区画にの み一般人が利用するための宿屋などが用意されている。 また、一部区域は事実上貴族専用らしいので都市観光を行いたいな らその辺に気を使わないと非常にめんどくさいことになってしまい そうだ。 リュースさんからオススメされた宿はいくつか存在していたが、そ の中で選んだのは南区の中級クラス。 一泊銀貨一枚半と決して安くは無いが、バックパッカー向けですか と聞きたくなる様な安宿に泊まるのは治安衛生その他もろもろの都 合で嫌なのでほかに選択肢は無かった。 ﹁なかなかいいところではないか﹂ ﹁同感。リュースさんがあんまり綺麗じゃないって言ってたけど十 分過ぎるほどだよね﹂ 推薦されただけあって内装が充実していたのは嬉しいところ。 イスもテーブルも用意されているので前みたいにベッドの上でリン ゴをむいたりする必要も無く、埃まみれの室内を自分で掃除する必 498 要も無いし、水浴び場がカビだらけということだって無い。 ﹁一階に下りれば浴場もあるし、一通り必要なものは揃ってるっぽ い?﹂ ﹁うむ。強いて言うなら食堂が無いな﹂ ﹁それは食べに行く楽しみがあるということで︱︱とうっ﹂ 毎度おなじみふかふかのベッドに向かってダイブ。 うつぶせに突っ込むとさらりとした清潔なシーツの肌触りがめちゃ めちゃ気持ちいい。 ベッドも綿がしっかりと詰まったグッドな品質で、体を包み込んで くれるのが快感だ。 ﹁ぬぁー⋮⋮。快適だ⋮⋮﹂ ﹁確かに気持ちいいのはわかるがちょっと行儀が悪いぞ?﹂ ﹁ん、確かに﹂ もっともな意見なのでベッドに足をつけないように注意しながらぐ るりと体を反転させて起き上がる。 ﹁さて、これからどうするのだ?﹂ ﹁んー⋮⋮。野宿になる危険性も無くなったところでウィルのとこ ろに顔出しに行く? ついでにこの都市の見所でも聞いちゃおっか ?﹂ ﹁それはいいな。何も知らないであちこちを回るより、ここを良く 知る者に見所を聞いてから歩くほうが何かと楽だ﹂ 楽しげなエルの同意を得られたところで貰った地図を頼りにウィス リスの街路を歩く。 これ自体は非常にわかりやすく作られていて、実際途中までは非常 499 にスムーズに歩くことが出来た。 ﹁おかしい、この辺のはずなんだけど﹂ ﹁確かにこの向こうは建物なんだろうが⋮⋮﹂ 最後の一歩︱︱ウィスリス魔術学園中等部正門︱︱が見つからない ってどういうことなんだろ。 目的地に到着しました。案内を終了 なんて音声が出力されてもおかしくないほど近づいている カーナビでいうならそろそろ します はずなのだが、一向にその右折ポイントが見えてこない。 なんせ、右に入ろうにも豪邸としか思えないの施設の生垣がずーっ と続いてるのだ。 入るに入れん。 ﹁通りの右手側に入り口があるらしいけどさ、最後の目印曲がって から生垣以外に何も無いんだけど﹂ ﹁一体入り口は何処にあるのだろうな。⋮⋮大体この生垣って何の 意味があるのだ? 超えたところで森が広がっているだけではない か﹂ ﹁きっと中は遊歩道になっててお金持ちたちが安全にネイティブな 環境を楽しめるようになってるんじゃない?﹂ ﹁おい、そこの二人。こんなところで何をしてる﹂ 警戒心というものをあらん限りに詰め込んだ印象の呼び声が聞こえ て足を止める。 僕らを呼び止めたのはこの都市の警備員と思しき若い金髪の男性。 丈夫そうな皮で作られた上下に銀色の胸当てがアクセントになって てなかなかカッコいいんじゃないかと思うのだけど、お腰に付けた 500 刃物に手を掛けながら話しかけられるとなるとなかなかシンドイ。 ﹁何って言われても友人に会いに来たくらいですけど﹂ ﹁証明できるものはあるのか?﹂ ﹁んなものあるわけなかろう﹂ ﹁⋮⋮エル。あんまり攻撃的な切り返しはマズイでしょ﹂ お前盗人だろ みたいな目線で呼び止 ﹁主だって普段と違ってイラっとした様子で返していたではないか﹂ ﹁そりゃあんなどう見ても められたらああもなるよ﹂ 刃物に手を掛けた男性がこちらに近づいたときの感情が恐怖ではな く怒りになってるあたり随分異世界慣れしてきたなぁ、なんて。 ﹁悪いが少し来てもらおうか﹂ ﹁ええ、構いません﹂ ふと思ったのだが﹁証明できるものはあるか?﹂という問いかけは 身分証明書のことだったんじゃなかろうか。 もしそうだとしたらさっきの回答はこちらに対する警戒心をイタズ ラに上げるだけの結果となってしまった気がする。失敗したかもし れん。 覆水盆に返らずな気持ちになりながら男性の後ろについて歩いてく と︱︱警戒してるのかしてないのか良くわからん︱︱やがてたどり 着いたのはウィスリス魔術学園中等部の警備室。 良くある中学校の用務員室のような感じの室内には掃除用具もあっ たりするのであながち僕の想像とそう変わらない目的で利用されて いてもおかしくはない気がする。 ︱︱ちなみに、僕らの目的地はウィスリス魔術学院中等部である。 501 テルミル魔術用品店 で右折し 何故僕らが目的地に到達できなかったかというと、恥ずかしい話な ではなく のだが曲がる場所を間違えていた。 テルミラ魔術用品店 てしまっていたのだ。 なんともマヌケなことで。 ﹁こりゃなんかあったのかもね。いくら僕らが不審者に見えたとは いえこれはやり過ぎだよ﹂ ﹁確かに。詰め所の中も妙にピリピリとしたいただけない雰囲気を 感じるぞ﹂ ﹁来るときは魔物の列を突破してついてからもこれとか、タイミン グ悪いなぁ⋮⋮﹂ セキュリティ意識が欠片ほどもなさそうな先ほどの男性は僕らをイ スに座らせるとどこかへと消えてしまったのが他人事ながら心配で ならない。 もし僕らが悪意あるユーザーだったとしたらとんでもないことにな りかねないぞ。 実際にはそんなことせずにおとなしく待っているとドアの向こうで なにやらやり取りが始まった。 片方は間違いなく先ほどの僕らを連れてきた男性で、もう一人はど こかで聞いたことのある少女の声。 ﹁なあ、主。この声ってまさか﹂ ﹁うん、たぶんそうだよね﹂ ﹁大体呼んどいて危険がどうのってそれこそどうなのよ。そもそも 自分で何とかできたくらいなんだからこれくらい大丈夫に決まって 502 るじゃない﹂ ﹁で、ですが﹂ ﹁ですがもしかしも︱︱って、ええっ!?﹂ ガチャリとドアを開け放った少女には確かに見覚えがあった。 ﹁ひょっとして、アリア?﹂ ﹁ええ、私だけど﹂ ﹁こんなところで会うとは思わなかったぞ﹂ ﹁私も思わなかったわ。っていうか何で捕まってるの?﹂ ﹁僕らも良くわかってないんだよ。二人に会いに行こうと思ってウ ィルの地図を参照しながら歩いてたらとっ捕まった﹂ ﹁⋮⋮ごめん。それ、私のせいだと思うわ﹂ 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら肩を落としてため息を つくその姿を見て﹁僕らに手伝えることはある?﹂なんて聞いてし まったのはきっと仕方が無いことだと思うんだ。うん。 拝啓、今も茨城で脳みその研究に勤しんでいるに違いないお父様、 お母様。 どうやら僕は、この都市でも若干ながらトラブルに巻き込まれにい ってしまいました。 たまには何のトラブルも無く観光を楽しみたいと思っているのです が、なかなか世の中上手くいかないみたいです。 503 2 ﹁︱︱と、いうわけなのよ﹂ ﹁なるほど、こりゃ確かに僕ら捕まるわ﹂ ﹁先の警備員には謝らねばならんな。こんな事情があれば剣に手を 掛けるのも頷ける﹂ アリアから聞いた大雑把な概要はこうだ。 二日前にアリアを含む三人で実習用の森からの帰還中、ちゃちな暗 殺者四名とエンカウント。 魔術師相手だというのにロクな防備も持たないで襲ってきた彼らを アリア達が一掃して全員逮捕したのだが、次の日には全員が脱走と いうトンでもない事態に。 当然警備主任はブチ切れ寸前で探せとわめいているようで、そりゃ あ警備室の雰囲気も悪くなるわけだ。とても納得できる。 そもそも学校の警備部なんて小さな部署が重大な犯人を保持し続け ることに問題を感じなくもないんだけど、その辺は郷に入っては郷 に従えってことなんかな。 気になるけどさすがに当の警備室の中で堂々と聞くのはあれだから あとでいいや。 結局、この事件が発生したせいで周辺の警備は物々しく感じる程度 まで強化され、IDを持たない僕らなんかが人気の少ない路地を歩 けば後はお察しという状況だったわけだ。 ︱︱そう、この都市にはIDを用いた入退管理システムが存在する のだ。 504 やり方はぶっ飛んでるがいたって単純で、ユニークIDを保有する 魔道具と市壁の変わりとして用意された非常に薄っぺらな魔力障壁 チックなものを組み合わせることで実現している。 何かが魔力障壁を通過するタイミングでIDチェックを行い、当該 ユーザが存在する場合はそのユーザ名を出力し、そうでない場合は 状況に対応した応答を出力する。 この応答を管理するのが門番という役職でなかなかに競争率の高い 職らしい。 なんでも仕事の負荷が軽いのに高給金などといった噂と事実が入り 混じった話が関係各位に広まってるのが原因だそうで。学生のうち からそれとか世の中世知辛いです。 データセンタのインターンに参加した一つ上の友人の様子を見る限 り監視という職務は決して楽な仕事ではないと思うのだが、夢を見 るのは学生の特権ということか。 僕らとしてはそんな巨大な魔力障壁をどのように展開しているのか が気になって仕方ないけど、非常に高レベルの軍需機密であること は疑いようが無いので諦めた。 ﹁とりあえずここに居るのは息が詰まるわね。場所変えましょ﹂ ﹁ん、了解﹂ その意見には激しく同意。 こんな空気の悪いギスギスとした環境に長居してたら気分が悪くな りそうだ。 さくさくと迷い無く歩くアリアの後ろをひな鳥のように着いていく ことおよそ10分強。 505 多少という表現では生ぬるいほど広大な面積を持つ学校には恐らく 多種多様な施設が存在することが容易に予測できるが、たどり着い たのは何処の学校にも存在するごく当たり前の施設だった。 ⋮⋮要するに図書館のことなんだけど。あまりにも学校が広いので こんな表現をしてみたくなったのよ。 図書館はちょうど大学の施設のような感じで、物凄く広いというこ とも無ければ海外のみたくむやみやたらに荘厳ということも無いが その分利便性は高そう。 オーストラリアのミッチェル図書館とか本を持ってくるだけで一苦 労だったからな、ああいうのじゃないのは良いと思う。 なんで図書館なのかといえばそれは単純で、パブリックかつウィル が居るから。 ﹁相変わらず真面目ねえ。ウィルってばそんなんで息つまらないの ?﹂ ﹁長期休暇明けであんまり頭がサッパリしてないからね。こういう ときこそ勉強が大事︱︱って、ええっ!? ユートさんにエルシデ ィアさんじゃないですかっ!﹂ ﹁久しぶり、っていうほどでもない気がするけど﹂ ﹁あれから一月も経ってないからな。でもまあこういう再会の表現 としては間違って無かろう﹂ ウィルの机の上には平積みになった参考書と開きっぱなしになった ノートがいくつか。 ノートにはカラーペンで彩られた小さな字がみっしりと書き込まれ ていて努力のほどが伺える。 僕らが来たことで勉強する気がなくなったのか、手に持っていた本 506 をパタンと閉じてから参考書の上に重ねると僕らにも席を勧めてく れた。 ﹁でね、ウィルのとこに来たのは例の事件でユート達にも協力して もらおうと思って﹂ ﹁あのさ、アリア。確かに僕も会えたのは嬉しいけど協力してもら うのはまずいでしょ﹂ ﹁え、でも﹂ ﹁冒険者の二人に払えるお金は⋮⋮実家に頼めば確かにあるんだろ うけど、僕らの範囲では前みたいな額しか払えないし、なにより何 をしてもらうつもりなのさ﹂ 確かにウィルの言うとおりだ。 まさか学生である二人についているわけには行くまい。授業参観じ ゃあるまいし。 手伝えることが って言った手前言い出しづらいんだけどさ、こ ﹁お金のことはともかく置いといて、アリアには あるなら手伝うよ の事件って僕らの関わる余地がほっとんど無いよね⋮⋮﹂ ﹁もう事件として認識された上で専門の機関が動いてしまっている からな。専門技能を持たない一介の冒険者に出来ることといったら 護衛代わりにくっついて回ることか、指定された目標を吹っ飛ばし に行くことくらいしかないぞ﹂ ﹁むしろ僕としては折角ウィスリスまで来てもらえたんだから名所 の案内とかしたいですよ。こんな事件に関わってあれこれするより も絶対楽しいです﹂ ﹁あ、それ僕ら助かる。でもそれだけだとやっぱ悪いから今回の件 でなにかしら協力できることがあればすぐ言ってもらって構わない よ﹂ ﹁なんだか割に合ってない気がしますけどユートさんがそういうな 507 ら⋮⋮﹂ さあ向かうぞ というところで図書館のドアががら それなら早速行きますかというウィルがてきぱきと参考書を本棚に 戻していき、 りと開いて一人の男性が入ってきた。 しばらく何かを探すような目つきで見回した後にこちらを発見する と視線がロックアップされたのでウィルかアリアに対してなんらか の目的があるようだ。 ﹁グレイ⋮⋮﹂ ﹁こんなところでまた勉強か? あまり意味があるとは思えないな﹂ ﹁そんなのウィルの勝手でしょ。私ら今から遊びに行くんだからほ っといて﹂ ﹁大体その後ろの見慣れない二人はなんだ。まさか神聖な学び舎に 冒険者風情を入れたというのか?﹂ ﹁ここは学び舎じゃなくて図書館、一般の人も入れるのよ?﹂ あの、会話からは少しも同級生、もしくは同学校のよしみってもん が感じられないんですが。 施設の性格を考えるとグレイという少年の年齢はウィルと同じくら いだと思うのだが、独特の偉い人オーラが漂っているせいでやや高 めに感じられる。 暗めの赤髪に青い瞳、顔つきは鋭く眉目秀麗という言葉がバッチリ 来るほどなんだからもう少し愛想を見せればいいのに。 こちらを見るときの蔑んだような目つきもなかなかにレベルが高い と思うよ。 この世界に来てからいつもいい人にばかりに会ってきたけど、今度 こそ外れを引いた気がする。 508 さすがに21年も生きてればこんなの笑って流せるくらいのものだ けど中学生かそこらのウィルやアリアにはかなりの負担になってし まうだろう。 ﹁アリア、あまりそういう低俗な人間と触れ合うのはオススメしな いな﹂ ﹁それこそ私の勝手ね。ほら、ウィルも引っ込んでないで行きまし ょ﹂ いらだった様子のアリアが彼を無視して進もうとしたところで手首 が掴まれる。 ﹁待ちたまえ﹂ ﹁はぁ⋮⋮。もう面倒だから用件があるなら全部言ってくれない?﹂ ﹁この間の件で暗殺者の逃げた先が分かった﹂ ﹁で、それは警備主任に言った?﹂ ﹁あんな間抜けに任せられるはずが無いだろう。俺達で捕らえに行 くほうが良いに決まっている﹂ ﹁今から遊びに行くんだけど﹂ ﹁そんなことよりも優先されることがあるのが分からないのか?﹂ ﹃これはいきなり僕らの出番じゃない?﹄ ﹃うむ、これはまさしく主と妾の出番だな。いつまでも付きまとわ れるとおちおち観光もしてられんし、さらっと済ませてしまおう﹄ ﹃全くだ。警備の人には伝えなくても大丈夫かな?﹄ ﹃一夜にして逃亡させるような存在がどれだけ役に立つか分からん。 案外そこのグレイとかいうのの言葉は正しいのかもしれないぞ﹄ ﹁二人ともそれ受けちゃいなよ。案内代金ということで僕らが前に 出るから。本音を言えば警備の人に話して一緒に行くのがいいと思 509 うけどそっちの彼はそれが嫌なんだろ?﹂ ﹁ちょ、ユート?﹂ ﹁確かにユートさん達が一緒に来てくれるなら幾分気楽ですけど⋮ ⋮﹂ ﹁なら決まり。僕らとしてはさらっと流してさっさと観光の案内を お願いしたいからね﹂ ◆ 僕らに対しては﹁冒険者風情がっ﹂なんて態度を取るグレイ君だが、 どうもアリアには弱いようでいまひとつカッコがつかなかったりす るのには笑ってしまう。 本人の実力がどの程度かは想定しかねるが、少なくともウィルやア リアよりも攻撃魔術に優れた素質を持つとは本人談。 やってきたのは学園都市の北端ギリギリ、この辺りになってくると 利便性の低さから人の流れもかなり減少してくる上に建物のデキも 悪く、半分崩れてしまった家なんかも結構目立つ。 単体で見ればきっと魅力的な廃墟だと思うのだけど、なまじ中央部 および南部の整然とした都市がある分かなり不気味な印象が強い。 嫌々といった様子のグレイに案内されて到着したのはそんな寂れた 区画に存在する一軒家。 大きさは日本の二階建ての住宅くらいで、ほかの建物とは異なり人 売り家 の看板が掛かっていたのと、これ自体がグ が住んでいてもおかしくない程度まで整備されている。 門のところに 510 レイの一家が保有するものでなければ入ろうとも思わなかっただろ う。 相手さんが逃げ出したときのことを考えて学生三人組には正面入り 口に待機してもらい、僕らは裏口へと移動。 残念ながらバックドアも無ければ窓も開かないので窓ガラスを割る 許可をグレイに貰ってから侵入開始。 かんぬきで閉ざされた換気用の窓の一部を炎でめらめらと暖め、次 に冷水を利用して一気に冷ますと小さな音を立てて窓ガラスが砕け てピンポン玉ほどの穴が出来る。 あとは怪我をしないように注意しながら手でかんぬきを外せば簡単 に窓が開く。いっついーじー。 ﹃さくっと侵入しますかね、っと﹄ ﹃こんなやり方を知っているなんて⋮⋮主は本当に学生だったのか ?﹄ ﹃失敬な、僕は間違いなく情報系の学生だったとも﹄ するりと体を滑らせるようにして室内へと侵入。 入った部屋はどうやら調理場みたいなのだが、売り家にも関わらず ベーコンや小麦などの食料品が詰まった袋があったりして、既に誰 かがここを利用していたことが見て取れる。 ただし、このむせ返るような血の臭いだけは頂けない。 腰のホルスターから軍用懐中電灯を引き抜いて調理場のドアへと向 けながら右手の指先に魔力を集中、いつでもショットガンを発射可 能な状態にする。 ﹃エル、引いてくれ﹄ 511 ﹃うむ﹄ 調理場のドアをエルに引いてもらえばその先は地獄のような光景が 待っていた。 初めの内はそれ理解できずに趣味の悪い内装くらいに思ったのだが、 よく見ればあちこちが黒ずみ始めているせいでそれが血液だとよう やく理解できた。 壁という壁、床という床の全てに赤黒い血痕が飛び散っている。 一体どんな神経をしたやつならこんな光景を生み出せるというのか。 ﹃エル、こりゃマズイ﹄ ﹃腐臭が無いということはごく最近だな﹄ ﹃暗殺犯があっさり逃げ出したことや居場所が簡単に分かったこと も含めるとこれ自体が学生を狙ったトラップだったかもしれない。 エルは一度戻ってくれ﹄ ﹃了解だ。⋮⋮主なら大丈夫だと思うが、気をつけるんだぞ﹄ ﹃ありがと、こんなとこで死にたくないから重々気をつけるよ﹄ 急いで学生達の所へと戻るエルを見送り、再び僕は室内へと踏み込 む。 ﹃エル、そっちは大丈夫だった?﹄ ﹃全く問題ない。せいぜいグレイがわめき散らしてるくらいか。そ っちはどんな感じだ?﹄ ﹃階段の段々まで全て血まみれな件について。一体何をやったらこ んな風になるんだろ﹄ ﹃世の中には血を塗料代わりにして楽しむような悪趣味極まりない 危険物が居るってことだろう﹄ 512 薄暗い室内を軍用懐中電灯の光で照らしながら二階への階段をゆっ くりと上る。 上がった先は左右に二部屋で、死体を引き摺ったような後が左の部 屋へと続いていた。 ﹁うわっ⋮⋮﹂ 覚悟を決めて左の部屋のドアを開けると二段ベッドが二つ。どうや らここは寝室だったらしい。 右のベッドは全く使われておらず、左のベッドには抱き合った男女 の死体が転がっている。 どちらも首の辺りがばっさりと切られているせいでギャグのような 首の向きになっていて余計に気持ち悪い。勘弁してくれ。 正直正視に堪えないので隣の部屋を見たが、こちらには何も無しで がらんどう。 血もなければ死体も無く、気持ち血臭も薄い気がして思わず深呼吸 してしまった。 再びねちょねちょとした階段を降りて調理場の隣の部屋へと移動。 暖炉にテーブル、イスが六脚。小さな本棚にはいくつかの娯楽小説 が詰まっているところをみるとここはリビングか何かだったのか。 安楽イスにはこちらに背を向けた男性が居るが生存は絶望的だろう。 ショットガンからフル出力のスタンロッドに切り替えてゆっくりと 近づき、男性の肩を叩くと予想通り冷たくて安心してしまった。 その後全ての部屋を確認したが多少血が飛び散っている程度で何も 無し。 ﹃三名確認した。全員死んでる﹄ 513 ﹃これ以上はどうにもならんな。一度戻ってきてもらっても良いか ?﹄ ﹃了解。すぐ行く﹄ 入るときとは違って玄関の鍵を開けてそのまま退出。 急いでエルのほうへと走ると学生らの顔色は全くもってよろしくな い、グレイにいたっては顔面蒼白で見てるこっちが心配になってし まうほど。 ﹁エルから聞いてるかもしれないけど中は血まみれでそこらに死体 が転がってるとんでもない有様だったよ。教育上よろしくないので 中の見学は諦めてもらっても?﹂ ﹁こんなことに巻き込んでしまってすいません⋮⋮﹂ ﹁ウィル、これは自分で関わりに行ったことだから気にしてないよ。 それよりも今は皆が危険だから急いでここから離れよう﹂ ﹁それがいいわね。︱︱ほらっ、グレイもしゃんとする﹂ ﹁あ、あぁ⋮⋮﹂ これからのことを考えるとため息を吐きたくなってしまうが頑張ろ う。 まずは警察相当の人らに懇切丁寧な状況説明からだな、きっと。 514 3 ウィスリス学園都市一家殺人事件、なんていうとまるでどこかの探 なんてい 偵モノの漫画に出てくるタイトルみたいに思える。もっとも死んで この間図書館で読んだ本みたいじゃないか たのは一家じゃなくて暗殺者一味なんだけど。 エルなんて いながらエコーっぽい魔術を使って室内の検分らしきことをしてい たし。どうしたもんか。 あの手のものはフィクションだから良いのであって現実のものにな るのは酷く困る。 ピタゴラスイッチも真っ青なトリック相手に一個しかない命を賭け るのも馬鹿みたいだし、なによりスマートじゃない。 何が言いたいのかって言うと、理想的な引継ぎを行った上でこの件 から手を引きたいのだ。 これは僕だけが安全圏に逃げたいというわけではもちろんなく、ウ ィルやアリアもそれに含まれる。 だが、偶然狙われた可能性が低くなってしまった以上この淡い希望 はどうやら叶わないようだ。 ちらりと学生二人を見れば罪悪感を感じ取れる微妙な表情をしてい るのがよくわかる。 ﹁ええっと、騙してたみたいですいません⋮⋮﹂ ﹁別に意図して隠してたわけじゃないんだけど冒険者の間で私らの 評価が低過ぎない? あれじゃおちおち身分も明かせないわよ﹂ なんていうか、ウィル・キースト・ポートネイおよびアリア・ヒュ 515 ース・オルネリーの二人は貴族だった。ついでに言えばグレイ・フ ァームイト・マグナスも同じである。 僕ら冒険者の間での貴族といったらあらゆることをアウトソージン グしておきながら高慢ちきで鼻持ちなら無い存在のことといっても 過言じゃないのでこれには凄く驚いた。 ﹁確かに貴族の中には平民に対して差別的ではない者が居るかもし れん。⋮⋮が、もうこんな表現をされる時点でどうしようもないぞ﹂ ﹁まぁ⋮⋮そうよね﹂ ﹁僕らの間での貴族へのイメージなんてものは置いとくとして、重 要なのは二人がたまたま狙われたわけじゃなさそうなところだよ。 一般人ならともかく貴族なんてそれだけで狙われる理由になっちゃ うんだから。このままじゃ警備の引継ぎとかをしたところでなんら 抜本的解決になりえなくてマズイ﹂ しかも失敗した人間を始末しているあたりそれなりの規模の集団で ある可能性も否定できない。 これは由々しき自体だ。 一般的に暗殺を防ぐのは極めて難しい。 脳みそヨーグルトな国民から民主的な選挙で選ばれたどこかの独裁 者じゃあるまいし、本人近くに送りつけられた二つの時限爆弾が両 方とも機能しなかったり、車が故障して修理をしている最中に演壇 が爆砕されたりなどという幸運が数十回も続くことはほとんど無い。 だからこそ叩ける根元があるならば叩かねばならない。この世界に おける数少ない大切な友人をこんなくだらない事で失いたくないの なら。 それを僕とエルの二人で行うのは非常に困難なことだが、ウィルと アリアの人脈と権力を利用すれば不可能なことでもないと思うんだ。 516 ﹁それに二人が貴族だったおかげで事情聴取があっさりと終わった わけだしね。僕らだけでやってたらエライ時間を取られたりとか拘 束されたりとかしちゃうからホント参っちゃう﹂ ﹁あれは笑いを抑えるのだけで精一杯だったな。二人が貴族だと分 かった瞬間の守衛の顔色といったら無かったぞ﹂ ﹁ちょっとユートさんにエルシディアさん。それじゃまるで僕の人 が悪いみたいじゃないですかっ!﹂ ﹁いや、だって、なぁ⋮⋮?﹂ にやりと笑みを浮かべるエルがこちらを見てくるのでとりあえず同 意のために頷いておいた。 確かにウィルは意図的に権力を笠に着て何かをしたわけじゃない。 ただフルネームを教えたのが最後だっただけだ。 街の守衛さんは僕らのことを疑うような感じで散々高圧的に質問を 繰り返し、ウィルもアリアも自分が貴族であることを言わずに名前 を聞かれてもファーストネームしか答えなかった。 だから二人が貴族であるなんて欠片も思わなかったに違いない。 一通りの質問が完了した後、調書へ二人が名前を書き込んだあたり からエルの顔が緩み始め、その調書に書かれた衝撃的な名前を見て 真っ青になった彼の姿を見たあたりでは明らかに笑っていた。 なので人が悪いのはエルであり、ウィルではないのだが焦る本人は そのことに気づいていない。 ﹁そ、そんなことより観光案内してるんですからそっちに集中して くださいよ。⋮⋮ほら、ここがさっき話してたパートクースの噴水 ですよ﹂ 517 呈の良い話のそらし先を見つけたウィルがそう言ったので視線の先 をそちらへと向ければ確かに優れた景観の人工池が広がっていた。 ﹁おおう、これは⋮⋮﹂ ﹁綺麗、だな⋮⋮﹂ 直径30メートルほどの人工池には噴水口が全部で四本、正三角形 の各頂点と中点から勢い良く数メートルにわたって水が吹き上がっ ている。 晴れ上がった雲ひとつ無い晴天の中で水しぶきがキラキラと輝きな がら虹を作っている水景はまさに幻想的というに相応しい。 噴水周囲の風景も秀逸で、華やかなデザインのプランターにはマリ ーゴールドのような花が咲き乱れていて公園の雰囲気を明るく彩っ ているなど抜かりは無い。 ﹁本当は夜に来たかったんですけど﹂ ﹁夜って⋮⋮。まさか光るの?﹂ ﹁はい、夜は噴水口に仕込まれた魔術が作動して綺麗に輝くんです よ﹂ ﹁だからここはデートスポットでも有名なのよ。私らも周りからは そういう風に見られてるかもね﹂ ﹁どうだろ? 僕ら四人だしそんなことないんじゃない?﹂ ﹁⋮⋮そうね﹂ アリアは少し頬を赤らめながらなにかを期待するかのような口ぶり で、しかも目線をウィルに合わせながら言ったのにも関わらずこの 有様。 顔色一つ変えずにばっさりと即答された彼女が忍びないです。 友人という贔屓目で見なくともアリアは立派に美少女だと思うんだ 518 けどウィル的にはそういうところはあんまり気になるようなファク ターになっていないらしい。 思い返してみれば前に精霊を探しに行ったとき、ご飯を食べるとき に盛り付けを手伝ってくれたりとか、馬車内の掃除とか、とにかく 女性らしいことをワリカシ頑張っていたのに尽くスルーされていた。 ような気がする。 ﹃アリアがウィルに好意を持ってるのは見れば分かるというのに。 ⋮⋮不憫だ﹄ ﹃なんか一緒に居る時間が長過ぎるせいで気づいてもらえてない気 がする﹄ ﹃むむむ。妾としてはなんとかしてくっつけてやりたいものだが。 いっそこの場に暗殺者の連中が来てくれれば良いのに﹄ ﹃仮に来たとしてもそんな上手くいかないでしょ。だって二人はも う既に一回襲われてるんだよ?﹄ ﹃そ、そういえばそうだったな⋮⋮﹄ ﹁あ、そうだ。ウィルはあれ、ユートとエルに話さなくていいの?﹂ ﹁話してなかったっけ?﹂ ﹁全然。二人のおかげで貰えたような物なんだから報告だけでもし ときなさいよ﹂ ﹁ん、何の話?﹂ ﹁以前依頼を受けてもらったときに高位精霊のアーウェさんに会い 契約 ましたよね。嬉しいことに好印象だったらしくてあの後僕のところ に来て通常契約を結んでくれたんです﹂ などと言っておったのだが﹂ ﹁どういう風の吹き回しだ? アーウェのやつは妾に対して とかあり得ん ﹁なんかエルのこと見てて楽しそうって思ったらしいわよ﹂ ﹁あいつも良くわからんな⋮⋮﹂ 519 ああ、思い出してみればあの時ウィルとアーウェがずっと話してた っけか。 アリアはずっとエルと話をしていたし、僕は途中から精霊の光が綺 麗で見入ってたからあんまり良く覚えてないけど。たぶんそれが逆 にウィルの高評価の原因な気がしなくも無い。 それよりウィルはこの事実を何処まで話しているんだろうか? 高位精霊との契約っていうのは結構なインパクトを持った事実だっ たはずだ。 だから僕もエルのことを大っぴらにはしてないわけで。 そういう意味だと今の会話だって結構危ないワードが多い。 エルのことだから周囲に人が居ないことを確認した上で話してるん だろうけど、ウィルはそこまで周囲に対する警戒心を持っていない 気がする。 ﹁ウィル。この話って何処まで広がってるの?﹂ ﹁直接言ったのは家族と学園主任くらいですね。ユートさん達のよ うな特殊な契約ならともかく通常契約程度だと学園で一人ってこと もないですし、専用の学習が必要になってくるので隠し切るのは困 難かと思います﹂ ﹁ありゃ、そんな数少ない存在ってワケじゃないのね。今回襲われ た原因に該当するのかと思ったんだけどその分だとハズレっぽいか﹂ ﹁そんなの考えても分からないわよ。だからこそこうやって町を歩 いてるんだから﹂ ﹁あ、うん。そうだったね﹂ アリアの一言で現在の目的をいまさら思い出した。 そうそう、僕ら四人の目的は観光︱︱じゃなくて友釣り的な暗殺者 の誘導が目的なのだ。 520 最初の暗殺者は四名で三名が死体、だから少なくとも一名はまだ生 き残っている可能性がある。 そんな理由もあったから当初は観光案内を取りやめるつもりだった のだが、話してみればやんわりと断られた挙句、逆に暗殺者の残り 一人を誘き出すために出歩くので捕縛を手伝ってくださいといわれ てしまうこの始末。 ﹁ハッキリ言ってこの作戦はどうかと思うけどね。二人の両親に話 したら絶対反対するよ?﹂ ﹁警備にも反対されたわね﹂ ﹁でも僕らが狙われている可能性が高い以上これが一番だと思いま す﹂ ﹁はぁ⋮⋮。僕らも精一杯やるからウィルもアリアのことをしっか り守るように﹂ ﹁もちろんです。アリアには指一本触れさせません﹂ ﹁⋮⋮そ、その。私も頑張るわよ?﹂ ◆ まあ、気合を入れたところでこんなもの相手次第なわけでして。 結局のところ暗殺者の残りが現れることは無かった。 エルはその結果にやや不満な様子だったが、僕としては心行くまで 都市の観光が出来たので結構満足しているといってもいい。 パートクースの噴水から始まり、ちょっとした王宮のような印象を 521 受けるウィスリス第一研究所や国立図書館などは観光可能なコース が存在しているおかげで楽しかったし、都市内部に存在する自然公 園にはしっかりと整備された遊歩道とそれを飾る数々の植物が綺麗 で感動的だった。 そんな風に観光を楽しんでいたら流れるように時間が過ぎていって しまって気づけば時刻は16時。 すっかり日が落ちてきたあたりで僕らの観光一日目は終了の運びと なってしまった。 強固なセキュリティシステムに守られた学園まで彼らを送り届けた あとは市場で生活に必要な各種材料を買いあさってから宿まで帰還。 ﹁さあさあっ! 主、早速作ろう!﹂ ﹁お菓子は逃げないからまずは落ち着いてくれ﹂ 重い思いをして買ってきたのは和三盆みたいな味のする黒砂糖とそ れを精製して作られた上白糖、それにクリームチーズや生クリーム などの乳製品と各種果物類多数プラスいくつかの調理器具と多岐に わたる。 この宿には調理場も無ければコンロも無いというおよそ調理に向い た環境ではないとはいえ、幸いなことに僕らは魔術師なのでそれら の心配をする必要は無いのが素敵。 ﹁まずエルにはシロップを作ってもらおうかな。上白糖と水を混ぜ て115度まで煮詰めてあげれば完成だから頑張ってくれ。僕じゃ 器用に温度調整が出来ない。﹂ ﹁うむ、任せろ︱︱ってそんな器用な真似出来るわけ無かろうっ! 主のとこと違って高性能な温度計なんてものはこっちに無いぞっ !﹂ ﹁そういうと思って対策もあるから大丈夫。とにかくこのクッカー 522 でゆっくりと煮詰めてくれれば絶対大丈夫だから﹂ エルはイマイチ納得していないものの作業を開始してくれたので、 その間に僕はムースフロマージュの作成準備に取り掛かる。 ⋮⋮などというとちょっと格好良く聞こえるが、要はクリームチー ズと卵白と生クリームをそれぞれ別立てで攪拌するだけだ。 魔術によって作られた氷製のボールの中にそれぞれ分けて材料を叩 き込み、やっぱり魔術によって作られた氷のミキサー︱︱触れたも のを切り裂くだけの性能を持つので取り扱いには細心の注意を要す る︱︱で材料の攪拌をし続ける。 しばらくそれを続ければ右手のボールにはメレンゲ、左手のボール には六分立ての生クリームが出来上がったので大体いい感じ。 ﹁主、シロップ鍋が沸騰してしばらく経過しているんだが﹂ ﹁ちょいまち。⋮⋮うん、ちとカラメル気味だけどいい感じだ。あ りがと﹂ ﹁そんなので温度が分かるのか?﹂ ﹁いぇす。ばっちり﹂ フィンガーボールくらいの大きさのカップに氷水を注ぎ、その中に スプーン一匙ほどのシロップを落として指先で球を作るように変形 させると感触で煮詰め具合が良くわかるのだ。 今回のはややカラメル気味なので普段のと比べると若干固い感じが するけど、実際使う分にはマズ困ることはあるまい。 指先で作った球状のシロップをクッカーに戻し、再びそれを溶かし てから白くなるほどまで泡立てられた卵黄の中に少しずつ注いで混 ぜ合わせていく。 この卵黄ベースのシロップはお菓子にコクを出してあげたいときに 523 非常に便利で汎用性が高く、たしか巷ではパータボンブなんて名前 で呼ばれていたような気がする。 軽くシロップの荒熱を取ってからムース上になるまで攪拌したクリ ームチーズなどの各種素材を順番に混ぜていき、最後にメレンゲと 合わせてあげたらお手製ムースの出来上がり。実に簡単だ。 途中投入したゼラチンが果たして自分のところと似た物質なのかが 激しく疑問で懸念なポイントではあるけれど、香りを嗅いだ感じた ぶん大丈夫に違いない。 ﹁む、これで出来上がりなのか?﹂ ﹁うん﹂ ﹁じゃあ早速食べられるのか? さっきからシロップの良い香りが たまらんぞ?﹂ ﹁むり﹂ ﹁⋮⋮は?﹂ ﹁ムースは冷やさないと固まらないし美味しくないよ? 今から冷 蔵ボックス作るからその中で少なくとも三時間は冷やさないと。︱ ︱そうそう、シロップの香りが隣とかにうつると迷惑だから室内を 換気してもらっても良い?﹂ ﹁さ、三時間⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮あの、エル?﹂ そこには、いつもより銀髪を白くさせたように見えるエルが呆然と した様子で立ちすくんでいた。 524 3︵後書き︶ ︵数時間後︶ ﹁あのさ、通常契約と僕の契約って何が違うの?﹂ ﹁一言で丸めてしまえば一緒にいるか居ないかの違いだけだな。そ れによって引き出せる力の量にかなりの差が出るのだ。精霊によっ ては共有する知識の量にも差異が出たりするから詳細に関しては人 と精霊による、としか言えん﹂ ﹁そういうことか﹂ ﹁うむ。主にはほとんど意味が無いがな﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁精霊の魔力を利用した魔術の最適化も出力強化も精霊と同じステ ップで魔術を発動する主には無用の長物だ。せいぜい知識の共有く らいか? それも若干しか出来てないみたいだし⋮⋮﹂ ﹁その、落ち込んでる?﹂ ﹁落ち込んでなんて無いぞ。だた貰ってる魔力量の割りに不甲斐な いと思っただけだ﹂ ﹁僕としてはそばに居てくれるだけで凄い助かってるんだよ? も しエルが居なかったら最初の人殺しとかのショックで潰れちゃって る自信があるもん﹂ ﹁⋮⋮そ、そうか?﹂ ﹁うん、もちろん。というわけでそろそろケーキが出来上がるよ。 食べる?﹂ ﹁食べる食べる。絶対食べるぞっ! さっきはお預けを食らってし まったし、これは期待しちゃうんだからなっ!﹂ 525 4 やや古くなったカーテンの隙間から降り注ぐ陽の光と、昨日開けっ 放しだったらしい窓から入る風が室内の空気を心地良いものへと変 化させる。 このままベッドに戻って二度寝というのも悪くはないのだけど、あ る意味何一つ制約が存在しないこの状況で一度でもそれをやりだす と二度と戻れなくなる気がするのでやっぱりあきらめよう。 ベッドから降りて軽く背伸びを一つ。 背骨がぐりぐりと伸ばされていく感覚が凄く気持ち良い。 鏡も無い排水溝だけが辛うじて用意された簡素極まりない洗面台で じゃばじゃばと頭と顔を洗ってから髪を乾かしてしまえば最低限の 身だしなみは整うので男は楽だ。 逆に女性であるエルはその辺が結構大変で、毎朝ベッドの上で胡坐 かわいいは作れる なんてフレーズ を書きながら温水スプレーと温風をフル活用して髪の毛をセットし なおしてたりもする。 昔、テレビのコマーシャルで を聞いたことがあるけどそれは間違いなさそうだ。︱︱そのために は裏で必死な努力が必要になるが。 ﹁あんまり身だしなみ真っ最中の女を見るもんじゃないぞ﹂ ﹁いや、寝室のほかには洗面台しかないこの宿でそれはなかなかし んどいでしょ﹂ ﹁⋮⋮全くもってその通りでぐうの音も出ない。が、なんだろうこ の腑に落ちない感は﹂ ﹁気のせいだよ。それより今日はリュースさんとこでも行かない? 526 昨日見学コースで通った第一研究所も凄かったから期待出来ると 思うんだ﹂ ﹁確かに研究所とは思えないくらい豪華絢爛だったな。あれで本当 に研究が加速するのか妾にはサッパリわからんが﹂ ﹁直接生活するとこ以外にお金がかけられるっていうのはいいこと だと思うよ。特に平民から搾取しましたって感じでもないしね﹂ ﹁そういうものか?﹂ ﹁そういうもんだよ。僕の国なんて誰もお金を使わなくなってしま ってせいで一時期凄い問題になってことがあるんだから﹂ ◆ 学園都市にだってきっちりと存在する飲食店通り︵仮称︶で稼動す るいくつかの屋台で買ったホットドックとサンドイッチとガレット とパンケーキを食べながら向かう先は第三研究所。 スモークしたゆで卵と豚肉にしゃきしゃきのレタスを載せた素晴ら しいガレットを売ってくれた店主によるとこの道をまっすぐ歩いて いった先の第一研究所からさらに数百メートル歩いたところに目的 地はあるらしい。 ﹁なあ、本当にあの親父の言ってたことは本当なのか?﹂ ﹁あそこでウソつく意味は無いからホントの事だと思うんだけど⋮ ⋮﹂ 思わず語尾がにごる。言い切れない。 なぜなら⋮⋮ 527 ﹁そりゃ妾だってこの看板に ウィスリス学園都市第三研究所 と 書いてあるのは分かる。分かるが︱︱こんなのただのボロ屋ではな いかっ!﹂ ﹁ちょ、中の人に聞こえるかもしれないから声は小さくっ﹂ 看板のついた建物はやたらチープなものだった。 いや、それは昨日見たウィスキーホテルもビックリな第一研究所と 比較してしまっているからそう感じるだけなのかもしれない。 たとえるなら中途半端な田舎にある公民館みたいなもので、綺麗と は口に出来ないがエルの言うようなボロ屋というのもなんか違う。 木造二階建てと思われる建物は白ベースで屋根はオレンジ色と周り との調和を意識したカラーデザインでなかなか品が良く、掃除して も取れない染み以外はきちんと清掃もされている。 周囲に植えられたショッキングイエローの葡萄とよくわからない形 をした果物の木のために雑草はきっちりと抜かれているし、その脇 に用意された木製のテーブルとイスも風景によく合っている。 こまごまとミクロで見ればこうやって良い所もたくさん見つかると いうのに、全体で見るとくたびれた印象を受けてしまう理由がよく わからないが、気にしたところでどうしようもないし、たぶんどう にかする意味も無いのだろう。 という旨の文 我ながらかなり失礼な印象を抱いてしまったが外に出さなければ問 題あるまい。 ﹁とにかく、中入るよ﹂ 用があるなら中でベルを鳴らしてくれ ﹁そうだな﹂ 玄関口には 528 章が記載された看板があるので遠慮なくドアをスライドして中へと 入り、テーブルの上にちょこんと置いてある銀色のベルを軽く叩く と金属製とは思えない涼やかな音が鳴って中の人へと来客を通知し てくれた。 体重の軽い人間が小走りで来る音が聞こえて、やってきたのは見覚 えのある薄青の髪色をした女性。 あのときより幾分やわらかい印象を受けるのはやはり怒っていない からか。美人は怒るとなんとやらって言うもんね。 ﹁こんちには。ミレイさん﹂ ﹁こんにちは。ユート君、エルシディアさん。二人ってことはリュ ースに用かしら?﹂ ﹁うむ、そうだ。古代遺跡の逸品を見せてくれるって話をしてくれ たのでな﹂ ﹁わかったわ。今呼んでくるからそこの部屋で待っててちょうだい ね﹂ ミレイさんに案内された応接室らしき部屋に入って待つこと数分。 前のときとは異なり、きちんと白衣を纏った︱︱研究者なのでパリ ッとしたものではない︱︱リュースさんが頬を軽く掻きながら入っ てきた。 ﹁よお、久しぶり。ってワケでもなさそうだが早速問題に巻き込ま れてんのな﹂ ﹁確かに早速巻き込まれちゃいましたけど良く知ってますね﹂ ﹁おいおい、一応だけど俺ってここの教授職だよ? 学内でトラブ ルがあれば大抵知ってるって﹂ ﹁そうなのか? 第一研究所を見学したが大抵の職員は自分の仕事 以外にはロクな興味を持ってなかったぞ?﹂ 529 第一研究所の見学ルート上にはいくつかの研究成果発表スペースが 用意されており、それらに近づくと病的な表情を浮かべたアシスタ ントさんにチェーンガンのごとく内容を説明してもらえるのは面白 かったけど怖かった。 喋るペースが速すぎてあんまり意味も分からなかったし、エバンジ ェリストのプレゼンハック集とか読めばいいのに。 ﹁あそこはそういう自分の研究以外はどうなったって構わない連中 が集ってる場所だからな。普通教授っていうのは授業や研究だけじ ゃなくて問題発生時に積極的な対応を取れる人間が集まってるはず なんだが⋮⋮﹂ ﹁見学してて面白かったですけどね。一研﹂ ﹁確かに。特にあの資料発表はなかなかだった﹂ ﹁なに見たんだ?﹂ ﹁古代と精霊の関係についての資料だったのだが、精霊を英雄かな にかのように扱っていて笑いをこらえるので精一杯な気持ちになっ たぞ﹂ ﹁何気に前々から思ってたんだけどさ。二人って学あるよな﹂ そりゃ一応全員が高度教育を受ける日本人と凄まじい年月を生きた 精霊のセットですから。 あ、エル。こっちを睨むのは止めてください。怖いので。 ﹁やっぱ珍しいですか?﹂ ﹁あ、うん。気を悪くしたなら謝るけど﹂ ﹁そんなことないですよ。やっぱりギルドでも自分らが変って思う こと多いですし﹂ ﹁そうか。まあこの話題は置いとくとして、二人は遺跡の何に興味 があるんだ? やっぱ冒険者なら強力な武器や魔道具か、それとも 530 好事家が高く買い取るような価値の作られた逸品か?﹂ ﹁むぅ⋮⋮。そうですね、武器にも興味があるっちゃあるんですけ ど、そのものというよりはその武器に刻まれたロゴとかのほうが気 になります﹂ ﹁ロゴ?﹂ ﹁ええ。前に武器屋に行ったとき、所持金じゃとても買えないよう なとんでもない杖を進められたことがあったんですけど、その杖に は普通刻まれてないような変わった刻印が入ってたんですよ。僕ら はそういうのに興味があるんです﹂ ﹁やっぱ変わってるわ。武器自体に興味はないんかいっ!﹂ ﹁ありますよ。ただ、ちょっと優先順位が低いだけで﹂ ﹁そういうのをないっていうんだよ。ま、少し待っとけ。あんまあ んま危険なのは一研の保管庫に突っ込まれてるけどある程度の品な らここにもあるんだ﹂ リュースさんはそれだけ言うとポケットから鍵を取り出して倉庫と やらのほうへと向かっていってしまったのでここに残るのは僕とエ ルの二人だけ。 ﹁こりゃツイてるかも分からんね﹂ ﹁武器でも道具でも構わんが未来に希望が持てるようなものがあれ ば良いな﹂ ﹁だね。ひょっとしたらこれの類似品とかがあるかもしれない﹂ ﹁いつも主が使ってる懐中電灯だな。類似品があるとなにか嬉しい ことでもあるのか?﹂ ﹁あんまり無いんだけど、いつ壊れるか分からないから代替品があ るなら買い取りたいんだよ﹂ ﹁ん? これ、壊れるのか?﹂ ﹁うん。これはLEDだから球切れの心配は必要ないけど、武器と して使ってるからレンズが割れちゃうかもしれなくてさ﹂ 531 ﹁ああ、そういえば主ってこれで魔物をぶん殴ってたりもしたな。 まさか先端の突起は最初からそのために用意されたものなのか?﹂ テーブルの上に置かれたSurefire社製の軍用懐中電灯のベ ゼル部に存在する突起を恐る恐る撫でる。 ﹁そうそう。こうやって相手の肉に押し付けてからぐいっと捻るよ うにして使うんよ﹂ ﹁⋮⋮心もち綺麗なレンズが赤黒く見えてきたのは妾だけだろうか﹂ ﹁た、多少赤くても明かりとしての機能に問題はないよっ!﹂ 普段からスタンロッドもどきでしばいたり、ライフル弾も真っ青な 射撃を行ったりしているにも関わらず妙にエグくみえるのはやはり 本来の目的が武器ではないものだからなのだろうか。 ともかくあんまり見られてるとエルに引かれそうなのでホルスター に押し込んで証拠隠滅。 ﹁それよりここである程度遺跡の物品を確認し終えたらなにしよっ か?﹂ ﹁露骨に話を逸らされた気がするが⋮⋮。そうだな、来る途中にあ った肉屋で久しぶりにステーキでも食べないか? 来る前から香辛 料の香りが通りに漂っていて美味しそうだったし、実際に並んでる 者も居たところを見るに素晴らしい店である可能性が高いぞ﹂ ﹁そりゃあいい。確かに最近は野菜か穀物ばっかりで肉々しいもの を食べた記憶がないから凄く満足できそうだ﹂ なんとか話の流れを転換させることに成功したので今日の朝ごはん の内容を二人で反芻しながらのんびりとしていると、一般的な大き さのアタッシュケースを持ったリュースさんが戻ってきた。 532 ﹁ほら、ユートが使ってた武器とか道具に近いのが何本かあったか ら持ってきたぜ﹂ ﹁あけてみても?﹂ ﹁もちろん﹂ 恐る恐るケースを開けると中には杖やハンディーサイズの懐中電灯 らしきものが葉巻ケースっぽい感じで整頓されていた。 そのうちの一本に見慣れたものがあったので手にとって確認してみ ればやはりいつぞや見たのと変わらないコルトさんが提供する杖だ った。ちなみにシリアルは100004486だったので前のより 新しい。 ほかにもシグやS&Wなどの名だたるメーカーの杖がごっそりと存 在しているのは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか良くわからない。 だって僕の知りうる限り、それらって銃器メーカーじゃないかっ! なんでこんな魔力がないと人の頭を引っ叩くのにしか使えないよう な金属製のスティックをまじめに製造してるんだろ? 現代社会に 魔力なんてものは無いんだぞ。 懐中電灯かと思った黒いのもただの短いだけの棒だったとか、もは や何に使うのかも分からない。 アタッシュケースの中には一本だけ象形文字みたいな読めない刻印 が刻まれた杖が転がっていたが、たぶんこれだけが純異世界産の杖 なんだろう。 うん、この世界の古代遺跡と僕の世界に何らかの関係があるのは疑 う余地すらないな。 それがどういうような繋がりなのかはまだ全く予想すら出来ないよ うな状態だけど、きっと調べれば何か出てくるはずだ。 火の無いところに煙は立たない。なんか誤用な気がするけど自分を 奮い立たせるには十分過ぎる。 533 ﹁あの、これらってたぶん武器だと思うんですけど一介の冒険者に 過ぎない僕らに見せても大丈夫なんですか? 前に武器屋さんでは 金貨60枚くらいで売りつけられそうになったのも混じってますし﹂ ﹁この中のは使い物にならないから大丈夫なんだよ。捨てるのもも ったいないから保管してるだけでちゃんと武器になるのは一研の保 管庫で厳重に管理されてる﹂ ﹁使い物にならない?﹂ ﹁ああ、どういうわけだか魔法陣を仕込めないから使えないんだよ。 同じような刻印が刻まれたのでも使えるのと使えないのがあって、 その原因は今のところ不明だ﹂ ﹁そうだったんですか﹂ むむむ⋮⋮。 使えたり使えなかったりか、前のやつとか大丈夫だったんだろうな? あんまり知識が無い状態で武器を買うのは危険な気がしてきたぞ。 ﹁お、おい。どうかしたのか?﹂ ﹁いえ⋮⋮。大丈夫です。どうもしてません﹂ ﹁武器を握り締めて頭下げられると見てて怖いから止めてくれ。気 に入ったならそれやるから﹂ ﹁は?﹂ ﹁ガルトから護衛をしっかりしてくれただろ? あんだけ魔獣が居 る中をさ。使い物にならない杖とはいえ好事家相手に売ればそれな りのお金になるはずだから持ってってくれて構わんよ﹂ ﹁⋮⋮もう返しませんよ?﹂ ﹁おうよ。昔俺が個人的に遺跡潜って見つけたもんだしな。エルも 一本持ってくか?﹂ ﹁それなら一本貰うぞ﹂ 534 結局、僕はDEFFENDERの名が刻まれたコルト社製の杖を貰 い、エルは散々悩んだ挙句にデザインで決めたらしい細やかな装飾 が入った一番高そうな杖を選んでいた。 もっとも使えないからといってこれらを売るつもりは毛頭無く、お 守りとしてもっていくつもり。 元の世界に還れたらアメリカ行きのチケットを買って聞きに行くん だ。︱︱なんでこんな子供のおもちゃみたいなものを真面目に製造 しちゃったんですか?ってね。 535 5 タダより高いものは無い。 これは、僕が思うにかなりの名言だと思う。 貰うものだけ貰ってあとは知らん振りが出来るのなら問題ないのだ が、それを実践するのはなかなか以上に難しい。 護衛の代金といいながらも報酬自体はギルドからしっかりと出てい る以上、やはりこの古代遺跡の杖はどう脳内補正を入れたところで 貰ったものという認識が変わるはずも無く、何らかのトラブル発生 時に対応してくれといわれたら断れないのが日本人ってやつだと思 うんだ。 ﹃だからってこんなとこ来ても良かったんかね。現状の僕らって完 全無欠の部外者なんだけど﹄ ﹃着いてきてくれといわれた以上良いのではないか? 確かにこの 雰囲気はあまり長居したくなるものではないが﹄ ﹃リュースさんにも話しかけられるような雰囲気じゃないし、正直 帰りたい﹄ ﹃まあまあ、良いではないか。こんな場所に来れるなんて滅多に出 来る経験じゃないぞ﹄ ﹃いやまあ、そうだけどさぁ⋮⋮﹄ 訪れた先はウィル達が通う学校の三階にある豪華な一室。 日本でなら高価なアンティークショップでしか見かけることが無い ような装飾入りの壁には思わず目を奪われそうになるし、重厚で高 級感のあるテーブルは一つ売り払うだけで一般市民の当面の食費に なりそうなものだった。 そんな居るだけでも遠慮してしまいそうになるほどの空間に居るの 536 はやはりそれなりの立場の人間で、一目見ただけで分かるほどに品 質の良い豪華な服を羽織った12名の男女とプラスアルファとその オマケがこれまた豪華なイスに座ってお茶を飲みながら何かについ て議論を交わしている。 ちなみに、プラスアルファとはリュースさんのことで、そのオマケ とはもちろん僕とエルの二人のことである。 ついさっきまでは第三研究所二階の図書館で、どう見ても日本人が 書いたとしか思えない異世界の文字で書かれた絵本を読んでいたの に、突然慌てた様子のリュースさんに着いて来てほしいといわれた ので二つ返事で来た先がこんなんだからどうしたもんか。 ﹁ですから、人質の安全のためにはある程度でも相手の要求に応じ る必要が︱︱﹂ ﹁相手は名前も聞いたことの無い三流の集団だ。まずはこちらの密 偵を使って状況を把握してからでも遅くはあるまい﹂ ﹁今は一刻を争う事態なのですよ。そんな悠長なことをしている時 間はあるのですか?﹂ ﹁こういった重大な事態だからこそ冷静な対処が必要だ。ファルメ ラ卿は少し急ぎ過ぎている﹂ ﹁ならばハルマルト卿はどのような手段でもって今回の事件を治め るつもりなんですかっ!﹂ ﹁だから先ほど述べたとおりだ。誘拐された娘を心配するのは母親 として当然なのも理解できるが、今は抑えてもらいたい﹂ ま、また始まってしまった。 仮にもこれは議論だと思うのですが、相手の意見の最中に口を挟む のはどうなんでしょうか? 僕が口を出したところで何のあれにもならないですし、不敬罪扱い 537 で色んな物がレッドなインクと共に飛びかねないから口に出すつも りなんてダンゴムシの触角ほどもないんですけどね。 女性のほうは青筋立てて怒ってますし、おっかないです。はい。 ﹃む、何気に主は言いたいことがありそうだな﹄ ﹃そりゃあるでしょ。例えば今みたいに人が意見を述べてる真っ最 中に口出しするのは最悪なのでどんな意見だろうとまずは傾聴しま しょうよ、とか﹄ ﹃どうも話を聞いてる限り誘拐らしいしな。大事な娘が誘拐された となれば心中穏やかでないのも仕方があるまい﹄ ﹃心中どころか思いっきり外まで心配オーラ出しちゃってる件につ いて。なんかちょっと羨ましいわ﹄ ﹃その、あまり聞いて良いのか分からないからもし気分を害してし まったのなら謝るのだが⋮⋮﹄ ﹃いまさらそんなの気にするような仲じゃないでしょ。むしろそこ まで言いかけて止められたらそっちのほうが気になっちゃうよ﹄ ﹃う、なら聞くぞ? ひょっとして、⋮⋮主は家族と仲が悪かった のか?﹄ 場所が場所だけにお互い顔を合わせて話をしているわけではないの 発言で気になってしまった でハッキリとは分からないが、口調から察するにかなり遠慮した聞 ちょっと羨ましい き方だったことくらいは分かる。 たぶん、さっきの のだろう。元の世界のことならともかく僕自身のことなんてほとん ど話したことが無かったから。 父親にしろ母親にしろとにかく仕事︱︱人を含む動物の脳みそを研 究する職業らしい︱︱が大好きで、世間一般で言うところの家族旅 行なんかは全く経験が無いとはいえ、極力時間を作るようにしてく れていたのは傍目にもあきらかだったのでそれほど仲が悪いという 538 のは無いのだが。 うぅむ、どう説明しよう。 この世界の住人の常識を考えるに、ありのまま家族関係を話したら きっと超仲が悪い家族みたいな風に思われるに違いない。 ﹃うぅん、どうだろ。特に世間一般から見て仲が悪いって事は無か ったと思うよ﹄ ﹃ならば何故?﹄ ﹃仕事一直線な人達でさ、病気になって倒れかけたときとか、誕生 日のときとかでもあんまり構ってもらえた記憶が無いんよね。だか らこんな風に気を掛けて貰えるのがちと羨ましいな、って﹄ ﹃妾の常識で物をいうのもどうかと思うが、それはやっぱり仲が良 いとは言わないのではないか?﹄ ﹃やっぱそう見える?﹄ ﹃うむ。⋮⋮だ、だが。今は妾が一緒に居るから大丈夫だぞっ! 主が病気になったらしっかりと看病するし、お祝いの時には一緒に お酒とか飲めるんだからなっ!﹄ ﹃あ、うん。それ自体は嬉しいけどそんな慰めが必要なほど落ち込 んじゃうような話じゃないから大丈夫だよ﹄ ︱︱そんな僕の家族の話や ﹃それにしても中央通りのガレットは絶品だったな。スモークされ た鹿肉の香りも良かったし、挟み込まれていた野菜も多くて満足な 出来だと思う﹄ ﹃あれは特に美味しかったね。ほかの屋台と違って野菜を強調して るとこが良かった﹄ ﹃なんであれがあんまり売れてないのかが分からんぞ。隣の胸焼け しそうなほど肉が挟まったサンドイッチには大量の人が入っていた というのにっ!﹄ 539 ﹃健康的でいいと思うんだけど客層と商品内容があってないんじゃ ない? なんだかんだこの街って圧倒的大多数が学生だから肉々し い物のほうが受けるんだと思う﹄ ﹃うぅ⋮⋮。このままではあの店の未来がピンチだぞ⋮⋮﹄ ﹃こればっかりはさすがになんとも⋮⋮﹄ ︱︱なんていう美味しかった屋台の話とか ﹃実は今朝から気になっていたのだが。主が朝から夢中で読んでい た絵本はなんだったのだ?﹄ ﹃あぁ、あれか。実は内容が僕のところにあった童話と話の流れが 同じだったんだよ﹄ ﹃なるほど、道理で熱心だったわけだ﹄ ﹃懐かしかったよ。あんまり帰還の役には立ちそうにないけど﹄ ﹃まあ、だろうな。童話だし。ちなみに妾としては内容がちょっと 気になるな﹄ ﹃一個一個が短いけど数がたくさんあるものだから概要を説明する とそれが本編になっちゃうんだけど⋮⋮そうだな、大雑把に一個説 明するとしたら迷路の道しるべとしてパンの切れ端を使ったけど途 中で鳥に食われてどうしましょ? みたいな?﹄ ﹃⋮⋮そいつ、タダの間抜けにしか見えんのだが﹄ ﹃ごめん、僕の語録が足りなくてこんな貧弱な表現しか出来なかっ た。ホントはもっとちゃんと物語仕立てになってるから面白いんよ。 読んでみれば分かるから﹄ ︱︱ヒントになりそうでならない僕の世界とこの世界の接点の話とか ともかくそんな感じであんまり状況に相応しくない念話をぺちゃく ちゃと続けている間にも彼らの議論は徐々に集約されていって、つ いに各自のアクションアイテムを定めるところまで来ているのだが 540 相変わらず僕やリュースさんに意見が求められたことは一度も無い。 そろそろ何のために呼ばれたのか良くわからなくなってきたぞ。 当たり前の話だが、リュースさんは何らかの目的を持った上で僕ら をこの場に出してきたと思うのだ。 ほかの貴族の方々が連れてきたと思われる数人の従者は壁側に突っ 立ってる以上、イスまできっちりと用意された現状を鑑みる限りそ ういう扱いをしたかったというわけでもないだろう。 そもそも今回の話っていうのは︵半分くらい聞き流したとはいえ︶ 明らかに高レベルの機密情報であり、他人に聞かせるのはかなりの リスクがあるわけで⋮⋮。 ﹁では、当面の方向性としてこの手紙にある三日後の日付までは各 家の人間で敵の隠れ家を探すこと。そして当日は動き出した犯人を 包囲および殲滅ということで問題ないか?﹂ この席での最高責任者なのか、他人の意見にかぶせて物をいうこと が目立った男性︱︱たしかハルマルト卿と呼ばれていたはず︱︱が 結局最後まで意見を曲げることなく貫き通し、この約一時間程度行 われた会議も終わりを迎えようとしていた。 反対意見を述べていた人達もここで話を蒸し返すのを嫌ってか、表 情はともかくその意見に対して賛成のスタンスを取っているようだ。 その光景を見て満足げに﹁解散﹂と一言付け加えちゃう辺り、なか なかいい性格をしていると思う。 何はともあれこの堅っ苦しい会議もこれでオシマイ。 軽く会釈をしてからリュースさんの後ろに着いて歩いていくと、続 いて到着したのはやや離れたところに存在する休憩所。 現代のオフィスとかなら自動販売機が置いてありそうな小ぢんまり とした十畳ほどの空間で、個人的な意見を述べるならば先ほどの空 541 間よりも遥かに落ち着ける。 ﹁いやぁ、ユートにしろエルにしろ慣れない場に連れてきちゃって 悪かったな﹂ ﹁急ぎのタスクがあったわけでもないですし、別に構わないですよ。 でも良かったんですか?﹂ ﹁なにがよ?﹂ ﹁なんら社会的地位を持たないような僕らがあの場に居て、しかも 機密に近い情報を聞くというのはそれなりの問題になるかと思った んですが﹂ ﹁あぁ、良いんだよ。なんせ二人の参加はファルメラたっての希望 だからな。︱︱というわけで残りの気になる質問は彼女にしたほう が手っ取り早いぞ﹂ ﹁﹁へっ?﹂﹂ ややにやついた感のあるリュースさんの視線の先を見れば、いつの 間にこの休憩所に入ってきたのやら、一人の女性がやわらかい笑み を浮かべながら浅くイスに座っていた。 こっちに来てから気配なるものにやたらと敏感になってるつもりな のだが、全く気づくことすら出来なかったのが微妙に恐ろしい。 ﹁こんにちは、ユート君にエルシディアさん﹂ ﹁⋮⋮つかぬ事を聞きますが、何故僕らの名を?﹂ ﹁そんなに警戒しないでくれると嬉しいんだけど。二人の名前を知 ってるのはそこに居るリュースからちょこちょこ聞いてたのと、な により娘が帰ってきてから何回も二人の話を聞かせてもらったから ね。噂によると凄く優秀な魔術師だって聞いてるわ。今回の事件は 本来ならば私達の中で解決しなければならないことなのは重々承知 してるんだけど⋮⋮それでも、今回だけは万全を喫しておきたいの よ﹂ 542 ﹁は、はぁ。⋮⋮って、娘!?﹂ ﹁ええ、そういえば名乗ってなかったわね。私の名前はファルメラ・ ヒュース・オルネリー。我が家の娘であるアリアが依頼とかであれ これ迷惑を掛けちゃってごめんなさいね﹂ 驚いた。凄く驚いた。 年齢と顔が一致しないことがあるのは自分自身のおかげで重々承知 しているが、自分以外にもそんな人が居るとは全く予想していなか った。 確かに言われてみればどことなくアリアに近い印象を受ける顔つき をしているのは理解できるが、いささか若過ぎやしないだろうか。 いくつで作ったのかはさすがに予想できないが、外見はどう見たっ て二十代の前半だ。 先ほどの青筋立てて喧嘩口調で話していたときは眉間のしわとその 他色々のせいで随分と歳を重ねたように見えてしまっていたが、そ れらが取り払われた今の顔は子持ちとは思えないほどに若々しい。 ⋮⋮いや、重要なのはそこじゃなかった。驚いたけど。 今、重要なのは誘拐されたのがファルメラさんの娘。つまり、アリ アだということだ。 言われてみれば暗殺者に狙われたりと散々な直近だったのだからそ んな目にあっていてもそれほどおかしくは無いのかもしれない。 それでもつい数日前まで一緒に居た友人がそんな状況になっている と思うとなんともいえない気分になってきてしまう。 ﹁そんなにまじまじと見られると少し恥ずかしいのだけれど﹂ ﹁す、すいません。︱︱イタッ! わき腹抓らないでっ!﹂ ﹁妾の主が失礼してしまい申し訳ない﹂ ﹁そんな気にしていることではないわ。そんなことよりも私からお 願いしたいことがあるのだけど構わないかしら﹂ 543 ﹁普段なら内容によるっていっちゃうんですけど、今回の件ってア リアの話ですよね? それならもちろん協力します。エルもそれで 構わないよね﹂ ﹁もちろんだ。アリアは主の数少ない友人だからな﹂ ﹁ありがとうね。報酬とかもちゃんと考えてあるからそこらへんは 心配しないでくれると嬉しいわ﹂ ﹁報酬は助かりますけどまずはキチンと仕事をしなくちゃですね。 この後の具体的な行動プランは決定しているんですか?﹂ 出来れば、情報がほしい。 特にアリアを監禁している施設の詳細が分かればあとは僕とエルを ポイントマンにして突入する事だって不可能じゃない。 無駄にある魔力をふんだんに使って各所に設置されているであろう 魔力障壁を突破し、壁に穴をぼこぼこ空けて突入してくるような規 格外を相手側が想定しているとはさすがに考えにくいはずだ。 ﹁期待を裏切るようで申し訳ないんだけど。あんまりちゃんとして ないのが実情ね。もう四日も部隊に調査させているけれど、見つか った情報なんて何も無いのよ⋮⋮﹂ ﹁それはマズイぞ。仮にアリアが取引現場に来なかった場合、助け るのが凄く難しくなる﹂ ﹁ただ、彼女が取引現場に来てくれさえすればそんなに難しいこと じゃないかもしれません。一つ確認したいのですが、その取引現場 の場所というのはハッキリしているんですか?﹂ ﹁ここから馬車で一時間ほど行った所にある山の中よ。向こうの要 求をそのまま飲むとするとウィル君に金貨三千枚を持たせて護衛無 しで向かわせることになるわ﹂ 取引場所が周囲数百メートルにわたって何も無いような平地じゃな くて良かった。 544 山ならば隠れようとすればいくらでも隠れることが可能だろう。 それに、どうやら今回の件はウィルまで関係してきているらしい。 これはますます外せなくなったぞ。 覚悟を決めて気合を入れろ。神崎悠人。 当日、アリアを拘束する人間を数百メートル離れた地点から即死さ せることが出来るならばこの作戦の成功率は決して低いものではな いぞ。 もちろん失中のリスクは考慮する必要があると思うが、ある程度の 距離までは失中する可能性が無視できるほど低い上、仮に失中した としても相手に狙撃を気づかれてしまうリスクはこの世界の魔術の 常識を考えると低い。最悪アリアに当たらなければどうでもいい話 なのだ。 エルによれば、派手なエフェクトと数十メートル、長くても百メー トル程度の射程距離というのがこの世界における魔術の常識となっ ている。 地味 な弾丸が飛 それを遥かに超える距離から五千フィート重量ポンドに近い運動エ ネルギーを持った、目視することも困難なほど んでくるとは夢にも思うまい。 ﹁少し、僕からの提案があるのですがよろしいですか?﹂ ﹁ええ、理にかなっていればお金のかかるような提案でも構わない わ﹂ ﹁それなら︱︱﹂ こうして、準備は進む。 僕の大切な友人達に対して多大なる迷惑を掛けたことを後悔させて やるために。 545 6 あらかたの準備を終えた三日後、僕らは現在山林を縦走中である。 ふと、暗闇の中で腕時計を確認すると、放射性物質によって輝く短 針と長針によって現在の時刻が20時18分であることを知らせて くれた。 プリピャチなどの緯度が50度オーバーの地域ならともかく、この 地方でこの時間となればとっくに日も落ちてしまい、森の中での光 源なんていうのは月の光くらいしかない。 最近ではすっかり見慣れた二つの月のおかげか、少なくとも日本の 森に比べれば幾分明るくて歩きやすいのだが、その分被発見率も向 上してしまうので素直に喜べないのが残念だ。 こんな綺麗な満月、何にも無ければエルと二人でテラスのあるバー にでも行って月見酒としゃれ込んでたに違いないというのに、これ から僕らがやるのはそういう文化的な行動とは間逆なんだから泣け てくる。 ﹁全く、この距離を歩くのはなかなかに疲れたな﹂ ﹁そりゃどうしようもないでしょ。まさか馬車を使って移動するわ けにも行かないし﹂ 彼らとの取引場所である山間に存在する廃屋までは馬車で一時間弱、 徒歩に換算するとおよそ三時間ちょい程度の距離なんだけど、ある 程度周囲を警戒しながらゆっくりと歩いていたせいで想定していた よりもかなりの時間が掛かってしまった。 予定じゃ七時前には着いてご飯を食べつつ、ゆっくりと武器の調整 を行ってから事に望むつもりだったはずが、この分だと大雑把な調 546 整しか出来ないかもしれない。 せめて疲れた体に回復をと、スリングバッグから某製薬会社謹製の エネルギーバーを二つ取り出し、一つをエルに渡してからパッケー ジを開封する。 ﹁ちょっと遅れたけどまだ相手さんは到着してないみたいだね。今 のうちにご飯食べておこうか﹂ ﹁そうだな。でもこのエネルギーバーを食べちゃっても良いのか? もうこれで最後なんだろう?﹂ ﹁こんな重要な場面で冒険者印の携帯食なんて食べたくないよ。ク ッキーとかでも悪くは無いけどこの先の集中力の維持を考えるとこ ういうののほうがたぶん安定するから﹂ もしゃもしゃとフルーツの香りがするクッキーライクなエネルギー バーを齧りつつ、バッグの横に括り付けるようにして持ってきた武 器を取り外して近くの木に立てかける。 ﹁何度見てもむちゃくちゃな形状だ。妾の常識からすると考えられ ん﹂ ﹁えー、でもエルもハンドリングしてから納得してたじゃないか﹂ ﹁確かに握れば分かるこの扱いやすさなんだが、こんな携行性の無 い形だと一般の魔術師にはほとんど受けないぞ。そもそも主みたい な射程が無い限り安定させてから撃つ意味が無いってのがネックだ な﹂ ﹁確かに携行性は全然だね。ちゃんとしたスリングがあればいいん だけど⋮⋮﹂ 満月の光を受けて鈍く銀色に光る杖のシャフトは長く、僕の身長ほ どもある。 ガーツ鋼という魔力伝達能力に優れた金属から造り上げられたこの 547 杖はたった一本で高級車とほぼ同等の価値を持つとんでもないもの だった。 しかし、本来美しかった杖はあちこちにパラコードが引っかかるく らいの傷をつけて無理やりサムホールタイプのライフルストックが 取り付けられていて、杖の先端部にあった細やかな装飾が刻まれた 飾りの部分はばっさりと切り落とされてしまっている。知る人が見 たら卒倒するに違いない。 もともとの杖の長さのせいでアンバランスな印象を受ける人も居る かもしれないが、ロングバレルはその長さのおかげで銃身の振れが スローになってタイミングが取りやすくなる上、重量の面からも手 振れを軽減する効果があるので、ここを切り詰めてカービン化みた いな真似をする気は毛頭無かった。 ︱︱もう、いまさら説明するまでも無いが、これは杖ではなくて僕 専用の狙撃銃なのだ。 本音を言えばもともと僕が使っていたフルアジャスタブル極まりな いストックが欲しかったのだが、まともに樹脂を加工する技術すら 存在しないこの世界でそんな便利なものが手に入るわけも無く。あ えなく木材加工で一発勝負という凄まじいことになっている。 ライフルストックに関しては自分で作り出せるとは到底思えなかっ たので、ファルメラさんに形だけ説明して職人を探してもらったと ころ、非常に良い品質のストックが手に入ったのは非常にデカイ。 その分工賃も材料費も目玉が飛び出るほど高かったが、この体に張 り付くような感覚すら覚えるストックはライフル射撃において非常 に重要なファクターとなるので無視するわけにはいかなかった。 548 ⋮⋮だからこのストックの工賃だけで金貨を四枚も使ってしまった ことを許してください。必要だったんです。本当です。お願いしま す。 ﹁主、どうかしたのか? そのライフルをまじまじと見つめている のは気味が悪いのだが﹂ ﹁いや、なんでもないよ。お金使っちゃったなぁ⋮⋮って思ってた だけだから﹂ ﹁ファルメラ卿の顔が引き攣っていたのを妾は覚えているぞ?﹂ ﹁⋮⋮さて、向こうさんが出張ってくる前にライフルの準備をしよ うか﹂ ﹁⋮⋮うむ、了解だ﹂ 廃屋辺りを漏れなく監視できるような少し小高い、それでいて自分 らのシルエットを隠すことが可能なブッシュにも恵まれた立地を何 とか見つけ出し、スリングバッグとは別に持ってきた大き目の巾着 袋から硬めに綿を詰めたマットを取り出して二人分のスペースを確 保する。 あれこれと手が込んでいる分これも低コストとは口が裂けてもいえ ないが、その分効果も大きい。 地面の冷たさや石ころなどが肘に当たることによる痛みなどが軽減 されるために集中力が向上し、結果として精度向上に繋がる。 副次的な効果として服が汚れなくなるというのもあるが、これはま あ、オマケみたいなもんだ。 最後にスリングバッグの中へ巾着袋を押し込み、膨れたそれを土嚢 代わりとすることで狙撃の準備は完了した。 549 ◆ ゆっくりと、人が歩くほどのペースでやってきた荷馬車が廃屋の前 で止まる。 幌馬車などとは異なり、荷馬車には隠れるようなスペースが一切存 在しないため、今そこに居る人間は御者であるウィルだけだ。 陰になってしまって表情はよく読み取れないが、先ほどから何度も 水筒に手を伸ばしているので重度のストレスを感じ取っているのは 間違いない。 その周囲には恐らくウィルの護衛と思われる集団が10名ほど。 さすがに草むらに隠れてはいるみたいだが、時折草木が揺れている のであんまり迷彩効果がなさそうでちょっと心配なんですけど。 ﹁廃屋の中からアホ共がやって来たぞ。数は七名でアリアは真ん中 だ﹂ ﹁こっちでも確認した。タイミングを見計らって撃とう﹂ 普段使いのサーマルスコープだと本人確認が出来ないので、今回ば っかりは暗視モード。 さすがに第四世代クラスの暗視性能だとはいえないだろうが、それ でも第三世代のそれとほぼ同等の視界を確保できているので十分に 実用的ではある。 そんな緑の視界の向こう、ターゲット達が下衆っぽい笑みを浮かべ ながらウィルの持ってきた荷馬車の中を漁りながら騒ぎ立てている のがとにかく不快だった。 今すぐあそこに居る全員を撃ち殺してやりたくなるが、まだその時 550 じゃない。 やるのはアリアの安全を確保した後でも全く問題ないのだから。 ﹁あいつらなにを言ってんだろ﹂ ﹁少なくともまともな台詞じゃあるまい。アリアの首に刃物を押し 付けおって⋮⋮下衆が﹂ エルが忌々しげにそう吐き捨てるが、僕も似たような気持ちなので ちょっと共感してしまった。 ライフルは構えている。距離は200メートルしかない。 肉眼で見れば人間の大きさなんて小指の爪の先くらいしかないが、 拡大された視界に映るターゲットの姿は十分に大きく、普段どおり の射撃を行うことが可能ならば目玉どころかその中央の黒目に命中 させる事だって難しくない。 それでも、失中してアリアに当たったらなんて思うと手が震える。 昔読んだ小説でFBI所属の狙撃手がたった100メートル弱の狙 撃に失敗して人質が死んでしまうエピソードがあったが、今になっ てその理由が理解出来た。 ﹁なぁ、エル。あれやばくね?﹂ ﹁あぁ、かなり不味いな﹂ ウィルが何かを言った瞬間、今まで金貨に夢中だったターゲット達 が逆上してしまって今じゃ刃物まで持ち出しているような状況とな っていた。 大方、金を払ったんだからアリアを開放しろ的なことを言ったのだ と思うけど、これは本当にマズい。 このままだと近いうちにウィルの護衛が登場することになるだろう。 551 そうなれば囲まれていることに気づいたターゲット達が何をしだす か分からない。 ﹁主っ! 今なら撃てるぞっ!﹂ エルの声に反応して視線を移せば、アリアを地面に転がして頭を踏 みつけるターゲットの姿がちらり。 殺した後に落下した長剣で多少怪我をする可能性は否定できないが、 撃つチャンスとしてこれ以上は絶対に無い。 銃身に装填しておいた魔力から即座にライフル弾を作り上げ、照準 は体の中心である心臓をしっかりと。 ゆっくりと大きく息を吸い込み、体の力を抜いて余分な空気を肺か ら全て追い出し、全身から余分な力が抜けたこの瞬間だけ、僕とラ イフルは完全に静止する。 暗夜に霜が降るごとくなめらかに、魔術を撃発。 放たれた弾丸はおよそ認識するのが不可能な速度で空間を飛翔し、 大気をかき混ぜて直径30センチメートルほどの円形のゆがみを作 りながらターゲットの胸へと一直線に突き刺さり、人間が生きるた めに必要な臓器たちを破裂させるようにして引き裂いてしまう。 ﹁命中だ。馬車から見て左奥の一番離れた奴がやや冷静だな。次は こいつをやってくれ﹂ ﹁了解﹂ 本当にあっさりとアリアの命を脅かしていたターゲットは命を散ら し、代わりに彼女の命が保障された。 エルの言葉で命中を確認し、次のターゲットへと照準を合わせる。 気づけば手の震えも無く、これなら外す理由は全く無い。 552 大した気負いもせずに弾丸を発射。 ﹁命中だ。少し左にズレてしまったが恐らく即死しただろう﹂ ﹁ちょっと適当だった。気をつけるよ﹂ ﹁うむ。残りはどれもほとんど変わらんな。撃ちやすいものからや ってくれ﹂ ﹁あいさ﹂ 相変わらずターゲット達は自分たちが僕らのキルゾーンの中に存在 していることを理解しておらず、ウィルに対してとうとう暴力を振 るおうとした瞬間︱︱そいつの頭が無くなった。 高威力の弾丸は人間の頭を吹き飛ばすだけでは威力を抑えきれず、 その後ろにあった馬車を貫通して積荷の金貨をあたり一面に飛び散 らせる。 飛び散る金貨と脳漿が作り出す光景は果たして幻想的といえるのだ ろうか。 もっとも、噴水のように飛び散ったそれらを呆然と見つめているの は彼らの人生における最大の失敗となるのだが。 立て続けに三発。 ロクに音もたてることなく放たれた弾丸によって一名が死亡、残り の二人は尋問に必要かと思ってそれぞれのヒザを打ち抜くに留めた。 この場所は生命の維持に致命的なダメージを与えるようなものでは ないが、神経が集中しているために絶え間ない激痛に襲われること になる。 少なくともこの状態でウィルやアリアに対して何かを行うことは不 可能だろう。 仕事が一通り終わった後、慌てた様子で飛び出してくるウィルの護 衛たちを見てホッと一息。 553 ﹁ふぅ、オールクリアだね﹂ ﹁あぁ、完璧だ。近くには敵も魔獣も居らんぞ﹂ ﹁それなら帰ろうか。ウィルの護衛の人達が居るから後は任せちゃ っても大丈夫でしょ﹂ ﹁そうだな。どうせなら少し飲んで帰らないか? もう遅いからお 店は駄目かもしれないが、ギルドの物販に行けば多少は置いてある と思うのだ﹂ ﹁いいね。折角だからそこらの公園で月見酒でもしよう。名目は⋮ ⋮うん、考えるまでもないか﹂ ﹁名目なぞウィルとアリアの無事を祝ってに決まっておろう。さあ さあ、早くマットとライフルを片付けてさっさとお酒を買いに行く ぞ﹂ ﹁ちょちょ、待って待って。なるはやで片付けるからっ!﹂ ごく当たり前のように人を殺しておきながら平然とお酒でお祝いと いうのは、日本でならありえないことに違いない。 だけど、この世界でならきっとそれでもいいと思うんだ。 554 7 学園都市ウィスリス西部。 なんだかんだでやっぱり存在するお金持ちのための区域で、噴水や らベンチやらの類もピカールあたりで磨いている人でも居るのかや たら艶々と輝いていてなんとも高級感がある。 もちろん道を行き交う人々の服装も高品質なものが多く、町並みと あわせてみればいろんな意味で世界が違うなんて感想を抱くのも致 し方無し そんな日本で例えるのがちょっと困難なほどの高級住宅街の中の一 つが今回の目的地であり、僕の頭を悩ませる最大の問題でもあるの だが⋮⋮ ﹁あぁ、どう言い訳しよう⋮⋮﹂ ﹁別にそんなことする必要があるとは思えんのだが﹂ ﹁あれだよ? 今回の件だけでトータル金貨68枚も使ってるんだ よっ!? こういうと悲しくなっちゃうけど僕がこっち来て働いて 得たお金の合計の数倍なんだよ、数倍。これで言い訳の必要が一切 無いって言い切るのは何気に難しいでしょ﹂ ﹁なに、ファルメラ卿だって立派な貴族の一人だ。これくらいは笑 って流してくれるのではないか?﹂ ﹁⋮⋮ライフル見せたときは顔が引き攣ってたけどね﹂ ﹁さあ、主。もたもたしている暇は無いぞ。時間に遅れてしまう﹂ が見えてくる。 エルに背中を押されるようにしてしばらく歩くとようやくアリアの 別荘 建物は何に使うのか三階建て、壁面はツライチの石造りで紙を差し 555 込む隙間も無い、バレーくらいなら余裕で出来てしまうほど広い庭。 門の前には執事っぽいタキシードライクな服装をした男性と、その 脇にはどう見ても戦闘能力を十分以上に保持していると見られる警 備さんが二人。 どう見ても豪邸です。本当にありがとう御座いました。 ﹁お待ちしておりました。ユート様、エルシディア様。本日はオル ネリー家主宰の懇親会にご参加頂きありがとうございます。さて、 お客様であるお二人をこのような場所で立たせるわけには参りませ んので、まずは客室まで案内させていただいてもよろしいでしょう か﹂ ﹁え、あ、はい、ありがとうです。お願いします﹂ 門に近づくなり執事っぽい人が極めて丁寧な挨拶と、有無を言わせ ぬ力を込めた口調にややタジタジとしながらその後ろを着いていけ ば、これまた内装も悪趣味にはならない程度に豪華で段々と気が滅 入ってくる。 もともと僕は極々普通の一般人だったわけなので、いきなりこんな 超高級ホテル︵なんて行ったことも無いけどテレビで見たことがあ る︶みたいな場所だと凄く居心地が悪い。 激しく贅沢な物言いなのは重々承知とはいえ、自分自身にウソをつ くのは不可能だ。 ﹁なんか意味も無く緊張するよね。こう、胃がきりきりするような﹂ ﹁そうか? 妾としては結構快適なのだが。特にほら、このクッシ ョンなんてふっかふかでさらっさらだぞっ!﹂ ﹁ちょ、ちょ、そのクッションがぶっ壊れかねないからちょっと落 ち着いてっ!?﹂ この国の技術水準でふっかふかのソファなんてどうやって作ったの 556 か想像するのも恐ろしいし、ローズウッドのような色合いの重厚な テーブルなどに傷を一つつけただけで無一文どころじゃ済まなくな る可能性が存在する。 先ほど屋敷のメイドさんが持ってきてくれたお茶だって普段の陶器 とか木製カップなどとは異なり、ロイヤルコペンハーゲンも真っ青 な、傷どころか染み一つ無い茶器が使われていてカップをソーサー に置くことすら躊躇われるほど。 とにかく、根が貧乏性なのである。悲しいことに。 むこうとしては最上級のサービスを提供しようとしているのが分か るので凄くありがたいのだけど、その結果落ち着けないのだから残 念過ぎる。 その点エルは見た目も大変に宜しい上、服装も普段使いのアッパー を取っ払ってしまえばどこぞのお嬢様ちっくなワンピースでそれっ ぽいし、そもそもこういう雰囲気に物怖じしない性格なので現状を かなり楽しくやっているようで羨ましいったらない。 ﹁普段の宿が悪いというわけじゃないが、こんな機会めったに無い のだから主ももっと楽しんだほうが良いのではないか?﹂ ﹁楽しむってもなぁ⋮⋮﹂ ﹁実際今回の件では金額にだけ目を瞑っておけば完璧な仕事をした わけだからな。もっとこう、堂々としておけば主は格好良いし、妾 としても満足なのだぞ?﹂ ﹁そりゃ贔屓目に見すぎだよ。⋮⋮しかし格好で思い出したけどさ、 ドレスコード大丈夫なのかな? 周り全員が礼服だったりするとポ ロシャツとカーゴパンツの組み合わせとか論外なんだけど﹂ ﹁大丈夫ではないか? 聞けば騎士達も平服どころか普段着を使う とかと聞いてるし、普段使いのマント姿ならともかく、今みたいに 脱いでおけば特に目立ってしまうようなこともあるまいて﹂ 557 ﹁ん、ならいっか﹂ ホッと一息ついたところでお茶を一口。 今回のはフレーバー入りの紅茶らしく、チョコレートのような甘い 香りとタンニンの渋みがよくマッチしていて素晴らしく美味い。 水色がやや薄めなので最初はこんな濃いものだとは思わなくて思わ ず面食らってしまったが、慣れてしまえばこんなに美味しいのも少 ないだろう。 ﹁ほら、茶菓子も食べよ。まだ一つも食べてないではないかっ!﹂ ﹁エルが早過ぎるんだよ。なんでもう無くなってるのさ﹂ ﹁⋮⋮その、やたら美味しくてだな。うん﹂ ﹁そんなもの欲しそうな目で見なくても食べていいってば﹂ 茶菓子の乗った小皿を軽くエルのほうへ動かせば、ひょいとクッキ ーを一つ取ってぱくり。 甘いものでにやける顔を必死に抑えようとするその感じがやたらと 可愛らしくて思わず吹いてしまったのはたぶん、仕方がないことだ と思う。 ◆ 貴賓室という名前に十分過ぎるほど見合った空間で待機することお よそ二時間程度。 懇親会の準備が整ったということで案内されているときには既に夜 といっても差し支えない頃合となっていた。 558 電気や蛍光灯もないとはいえ、しっかりとそれ用の魔術が存在して いるので会場はそれほど暗いということも無く、むしろシックで落 ち着いた雰囲気に一役買っていると感じるほど。 内装は想像していたのと大差ない感じに豪華で、蛍光灯の代わりに シャンデリアが吊られてる空間なんてホント生まれて初めて来た。 広さは一般的なパーティー用の部屋という感じで、大雑把にたとえ てしまうとたぶん学校の教室二つ分くらいだと思う。 入って左奥の方はお酒を提供するためのスペースとなっており、あ ちこちに散在している丸テーブルには果物だったり何かの丸焼きだ ったりが乗っていて実に美味しそうでたまらない。 しかしまあ、なにより最大の驚きといえば︱︱ ﹁なあ、なんでもう始まっちゃってるんだ?﹂ ﹁さあ、僕にはサッパリ。でもまあ最初から居てアレな扱いを受け て衆目を集めるよりは良いかな。お酒入っちゃえば部外者で不審者 な扱いを受ける可能性も減るんじゃない?﹂ ︱︱既に懇親会が始まっていたことだ。 高貴な雰囲気をかもし出してしまっている男性や、明らかに金の掛 かったドレスを身に纏う妙齢の女性達がぶどう酒を片手に立食形式 で談笑しているところにぽつんと放り出されてしまった気持ちはな んと言っていいのか良くわからないが、意外と悲しい気持ちではな いのだけは確かだ。 ﹁まずは⋮⋮やっぱりアリアとウィルに一言挨拶でもしておかなく ちゃマズイよねぇ⋮⋮﹂ ﹁うむ。あそこでイチャイチャしてるのに水を差す勇気があればだ 559 がな﹂ ウィルとアリアは、出来上がっていた。多少は予想が出来てたけれ ども。 それが酒によるものなのか、それとも違う原因によるものなのかは 判別のつけようがないが、とにかく無事にカップルになれたようで 個人的には何よりである。 ﹁おおう、主。今の見たか?﹂ ﹁見た見た。あーんってやってたね。終わってから二人とも真っ赤 になってて微笑ましいんだけど﹂ ﹁全く青春って奴は素晴らしいな。なんとも甘酸っぱい気持ちにな れる﹂ ﹁でもこの分だと割り込みは無理そうだし、折角だから料理と酒で も取ってくるか﹂ 後で二人を存分にからかうことを心に決め、マズはそのために腹ご しらえと行こうじゃないですか。 良い感じにお酒で脳みそがとろけだした周りは僕らのことをどこか の貴族の関係者と勘違いしているみたいで、わりと皆様僕らに対し て良くしてくれる。 小皿を持って歩いていると貴族っぽい男性が﹁このチキンの丸焼き は最高だ﹂といって、どかっと料理をもってくれたりとか、女性か らは﹁お肉ばかりじゃなくてお野菜も食べなくちゃ駄目ですよ﹂な どといわれ、こんもりと野菜が持った中皿を渡してくれたりとか。 気づけば立食テーブルの上には三人前分くらいのサラダとメインの 類がぎっしりと。 言うまでも無くエルだって料理を並べてしまっているので合計する とたぶん五人前くらい。 560 実は大食いな二人だから特に問題になることはありえないけど、も しこれが普通の人だったら結構大変なことになってたかもしれない。 ﹁んじゃ、随分一杯あるけど食べよっか﹂ ﹁うむ。頂きます﹂ 胃腸を考えた上で重い食事をする場合、最初に頂くべきはサラダで ある。ということをどこかで聞いた記憶があるのでカラフルな野菜 スティックに付属のソースをディップしてぱくり。 バターの香りと味の素がだばだばと入った、という表現がぴったり な不思議味のソースはシャリシャリとした野菜に良く絡んでなかな かぐっど。 確実に言い切れるのはバーニャ・カウダが近い料理だけど、あれっ て確か冬料理だったような。 ⋮⋮あ、でもソースは常温で特に温められたりしてることもないか らそうでもないのか。 ちなみに、黄色いスティックはかなり甘みが強くてたぶんあんまり 相性が良くない。 もしこの世界に訪れることがあるのなら避けることを推奨します。 ﹁さすが貴族の食事なだけはあるな、どれもこれも一級品じゃない か﹂ ﹁確かに。野菜スティックも美味しかったよ﹂ ﹁⋮⋮なんで主はさっきから野菜しか食べてないんだ? 折角の機 会なのだから肉も食べたほうが良いぞ?﹂ ﹁いやいや、ちゃんと肉も食べてるよ。ほら﹂ ﹁それ、肉みたいな見た目してるだけでガンガ芋という野菜を加工 したものなのだが﹂ 561 ﹁⋮⋮マジで? 完全に鶏肉だと思ってたんだけど﹂ たった今口にした茶色い物体は噛み切れば細い繊維が見えるし、よ く味わったところで鶏肉をコンソメで煮付けたものとしか思えない。 信じられないものを見つけた気持ちでポカンとしているとエルも気 になって仕方なくなったのか、それをフォークに突き刺してぱくり。 そしてポカン。 ﹁⋮⋮主、これは肉だろう。知らなければ﹂ ﹁だよねだよね。完全に肉だよねこれ。日本で売れば超売れるから っ!?﹂ などと二人して盛り上がっていると、こちらに近づいてくる気配が 二つほど。 なんていうと格好良く聞こえるのかもしれない。が、タネを明かし てしまえばこちらに近づく影が二つ見えただけなのでなんてことも ありゃしない。 ﹁近づいただけで反応するとかどんだけだよ。普段から後方警戒用 の魔術でも使ってるのか?﹂ ﹁さすがの二人ね。クリムなんてあの時のことをベタ褒めしてたく らいだもの﹂ ﹁いえ、その⋮⋮。ありがとうございます?﹂ ⋮⋮事実を言うと場がしらけそうなのでやめとこ。 ﹁今回はほんと二人のお世話になっちゃったのに色々ごめんなさい ね。本当なら今回のパーティも最初から参加してもらって、ちゃん と表彰みたいなこともしたかったんだけど⋮⋮﹂ ﹁あ、やっぱり遅れていたのには理由があったんですね?﹂ 562 ﹁ええ、平民に対して酷く高圧的に振舞う奴が今日も来ててね。今 回来てもらってそんな扱いを受けさせるわけにはいかないからちょ っと退場してもらったんだけど、それに手間取っちゃって﹂ ﹁あんまり心配しなくても酒を注いで潰しただけだからな? ファ ルメラの言い方だと何をしたんだって気分になるだろうけど﹂ 少なくとも僕がこの屋敷に来たとき懇親会は始まっていなかった。 となると最長で二時間程度のディレイというわけになるが、それで 人一人を潰すとは一体どれだけのアルコールを投入したのだろうか。 いくら僕ら平民に対して残念な扱いをするであろう人とはいえ、急 性アルコール中毒とかが心配です。 ﹁ま、そんなどうでもいいことは置いといて、二人はお酒大丈夫か しら?﹂ ﹁ええ、僕もエルも頻繁にってワケではないですが飲みますよ﹂ ﹁良かった。今日みたいな祝うべき日に開けるべき葡萄酒があるの よ。グラスと合わせて持ってくるから少しだけ待っておいて﹂ ファルメラさんはそれだけ言うと楽しげにカウンターへと向かい、 さっきまで色々な人にお酒を提供していた人と共に姿を消してどこ かへ行ってしまった。 先ほどの話を考えれば恐らくワインセラーから一本何かを持ってく るのだろう。 ﹁そういえば結局二人って何をしたんだ? ファルメラとクリムっ ていう現場に行った奴から話だけ聞いたんだけどあんまり意味がつ かめなくてさ﹂ ﹁一言でまとめると誘拐犯の皆殺しだな﹂ ﹁エル、皆殺しじゃない。ちゃんと二人生き残らせたから﹂ ﹁⋮⋮いや、あんま変わんねーから。やっぱいいや、どうせ詳細を 563 説明してもらっても俺の理解の範疇外だろうしな﹂ それ以前の問題として食事を取るこの場面でそんな血生臭い話をす ること自体が間違ってる気がする今日この頃。そろそろバイオレン スな内容にも慣れて参りました。それが果たしていいことなのか悪 いことなのかはぶっちゃけ良く判らないけど。 エリア88の主人公のように、安全な場所に帰ってきたとしてもち ょっとしたことで跳ね起きて生きるようになるのは勘弁してもらい たいが、今はそれが出来ないと死ぬかもしれないしなぁ⋮⋮。 救急車のサイレンで跳ね起きる自分という嫌な想像を頭から追い払 い、サラダ皿に載せてきたカプレーゼみたいなのを摘みながらしば らく待っていると、葡萄酒の入ったグラスを持ってきたウェイター さんとビンを持ったファルメラさんが戻ってきた。 ﹁乾杯をするような雰囲気でもないし、美味しいはずだから呑んで ちょうだい﹂ ﹁頂きます﹂ ワイングラスを傾けてガーネット色の液体を一口。 およそワイン好きからぶん殴られてしまいそうな飲み方かもしれな いけど、あのテレビでやってるような真似をしたところでまるっき り似合わないのが判っているので止めておいた。 味のほうも完璧に理解できるわけではないが、赤ワインらしい濃縮 した果物の香りからスパイシーな味わいへとグラデーションのよう に変化していき、最後にワイン特有の渋みが全てをしっかりと締め ることで全体を整えている。 端的にいってしまえばフルボディに近いのに飲みやすく、非常に美 味しいと思う。 564 ﹁これは素晴らしい葡萄酒だな。お金を払ってもなかなか飲めるも のじゃないぞ﹂ ﹁気に入ってくれたのなら嬉しいわね。まだ残ってるから空けてし まっても構わないわよ﹂ ううむ。エルはお代わりまで貰ってがぶがぶと呑みだしてしまった し、僕自身しばらくの間は喋ることなくワインを楽しんでいたい気 持ちはあるが、そろそろこれは大量の金貨を使ってごめんなさいの 時間ではないだろうか? 周りはそこそこ騒いでいてほかの人に声が漏れるような状況でもな いし、お酒が入った現状ならわりとさらりと流してくる気がしなく もない。 いやでもしかしとウネウネ頭を悩ませていたら、先に口を開いたの はファルメラさんだった。 ﹁ねえ、ユート君とエルシディアさんはこれからとかって決めてる のかしら﹂ ﹁これから、ですか。⋮⋮古代遺跡を調べるっていう大まかな目的 くらいしか決まってないですね。具体的な行動内容はここで色々調 べて見つけようと思ってたので﹂ ﹁それなら私も協力できそうね。図書館用の許可ならいくらでも発 行できるから調べモノをするなら使ってもらえないかしら﹂ ﹁いいんですか? 金銭的にも作業的にも手間を掛けてしまって申 し訳ないのですが⋮⋮。ありがとうございます﹂ ﹁これくらい気にしなくても構わないわ。それと、ユート君が作っ た杖のことなんだけど︱︱﹂ 来た。来てしまった。 565 総額金貨68枚という高級車が余裕で、モノによっては即金で買え てしまうような金額を飛ばした僕に対する猛烈な言葉が飛んでくる のかと身構えていると、 ﹁︱︱進呈するわ。少なくともユート君はそれだけの価値のあるも ふざけるな とか 金返せ みたいなことは のを使うだけの技量を持っているって我が家の警備隊長が言ってた からね﹂ ﹁⋮⋮え? その、 言わないんですか?﹂ ﹁無意味なことにお金を使うのは無駄以外の何者でもないけれど、 意味のある行為にお金を使うのは無駄じゃなくて投資っていうのよ ? 二人は結果を出している以上、私はアレが無駄だとは思わない わ。⋮⋮ってなんでそんな驚いてるのかしら﹂ ﹁ほらみろ主。やっぱり杞憂だったでは無いか﹂ 僕は、あまりの驚きに声も出ない。 進呈するっていうのはつまり、えっと、どうやらアレが僕のものに なるということで。 それからのことはあんまり良く覚えてない。でも、にやける顔を抑 えようとした僕の姿はそこそこ面白いと後日リュースさんが教えて くれたので、たぶんそんな風だったんじゃないかなって思うんだ。 566 1︵前書き︶ ウィスリスにも当然用意された馬車の駅。 都市の性格上、想い人かそれに相当する人を迎える明るい雰囲気と、 それらを見送る人のなんとも言えない雰囲気が交じり合った微妙な 空間がそこには間違いなく存在していた。 ﹁私としてはこの辺りでもうしばらく冒険者稼業をやってもらいた いと思わなくも無いけど、それじゃあ二人は駄目みたいだしね﹂ ﹁ええ、すいません。次はどうやらフマース城塞都市って所まで行 かなくちゃならないみたいなので﹂ ﹁別にこれが今生の別れってワケじゃないぞ? 主がある程度調べ て煮詰まったらまた戻ってくるのだからな﹂ ﹁そうだったわね。戻ってきたらまたお茶でもしましょうか﹂ ﹁本当にお世話になりました。ユートさんが居なかったら今頃僕ら はこうしていることが出来なかったかもしれません﹂ ﹁ん、そんなこと無いよ。たぶん元居た面子でどうにかはなったん じゃない? 僕は手伝いたかったから参加しただけだしね。そんな 改まってお礼を言われるようなことじゃないって﹂ ﹁それでもお礼くらい言わせなさいよ。あの時ウィルが来てくれた のは嬉しかったけど丸腰だったんだもの。私顔真っ青よ? ユート とエルが居てくれて本当に助かったわ﹂ ﹁ふむ、確かに好いた男に助けられるというのはなかなかクるもの があるな。⋮⋮ただまぁ、助ける側のことを考えれば今後はもう少 し気を使うことを勧めておこう﹂ ﹁う⋮⋮。そ、そうね。確かに気をつけるわ。杖の無い魔術師の無 力さを良く理解出来たしね﹂ 567 ﹁向こうは柄の悪い一攫千金狙いのゴロツキまがいが多いせいで、 あんまり治安がいい場所じゃないから気をつけたほうがいい。前に 出張で行ったときなんて、あちこちにある酒場で始まるケンカが数 少ない娯楽扱いになってたくらいだからな。ほんとうんざりした﹂ ﹁うぅん、ケンカですか。おっかないしなるべく避けたいですね⋮ ⋮﹂ ﹁ふふん、ケンカなんて主が出張るまでもなく妾が始末して見せよ うっ!﹂ ﹁待った待った、ケンカだからこそ始末しちゃ駄目だかんね? ス タンロッドだってマイナス要素が重なれば死んじゃうんだから﹂ ﹁実際二人ならなんてこた無いんだろな。遺跡が多めで冒険者的に は外せない場所だから行きたがるのはわかるんだけどさ、たまには 顔見せに帰ってこいよ。もちろん生きてだぞ?﹂ ﹁⋮⋮そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ﹂ 568 1 客観的に見た場合、おそらく感動的だったであろう別れから早10 日以上。 目的地であるフマース城塞都市への道のりはなかなかに長いものだ った。 そもそも街道の整備が今二つくらいのおかげで馬車の速度もそれな りなのがマズ第一の原因。 そして何度か魔獣に襲われてしまったことが第二の原因。 さらにエンカウントのおかげで早めにキャンプ地点を探したりして しまったせいで一日あたりの移動時間がかなり減少してしまったこ とが第三の原因。 僕の記憶が間違ってなければ近代の駅馬車は毎日100キロメート ル程度移動できたはずなので、やはりこの世界の馬車はあんまり早 くない。 文句を言ったところで代替品も無い以上なんともならんのですが、 やっぱマナーの悪い人間が混じってる環境でじっとしているのはそ れなり以上に神経を使うものできつかった。 例えば酒を飲んで暴れるとか︱︱御者に蹴りだされてたけど。 例えばエルに絡んできた商人とか︱︱僕が馬車から蹴りだしたけど。 例えば全然知らない女性を襲った馬鹿とか︱︱近くの冒険者にボッ コボコにされてたけど。 基本的に毎日毎日何かしらのイベントごとがあったのでもうおなか 一杯です。 このペースであれこれあると日記帳のページがなくなっちゃうので 569 止めてください。切実に。 ﹁うん、結構疲れた。宿探そっか﹂ ﹁賛成だ。次はもう少し静かな馬車があるといいな﹂ ﹁個人で保有しないと駄目かもね。予算的に論外だけど﹂ ﹁⋮⋮そんな夢の無いことを言うでない﹂ ふてくされた振りをするエルの肩を軽く叩いてから町の中央部へと 進む道を行く。 まだ日も高いし、何か美味しそうなものを見つけたら宿を取る前に 食べるのだって良いかもしれない。 道を行く人々は学生メインだったウィスリスから一転、冒険者が非 常に多いせいかそれに関係した道具を扱う商人も多く、露店をちら 見すると刃物を扱ってないところのほうが少ない程。 そんな僕の男の子の部分を刺激するお店が多い反面、町自体の飾り 気は少なくて、先ほどから既に結構な距離を歩いているのにも関わ らず公園どころかベンチの一つもないのはちょっと残念だ。 ﹁なんかさ、あんまり飾り気がないよね。都市って言われてるくら いなんだからもう少し生活インフラ系があってもいいと思うんだけ ど﹂ ﹁もともとこの都市は隣のクシミナ聖王国との戦争で利用するため の砦から始まったものだからな。大方実用的ではないものは敷設し ない風潮でもあるのだろう﹂ ﹁あー⋮⋮。そういえばそんなことがウィスリスの図書館の本に書 いてあったような気がする﹂ ﹁いつもなんだかんだで観光を優先してしまっているし、たまには 遺跡探索を主目標にして動くのも悪くは無いと思うぞ? 珍しくち ゃんと目的もあるのだしな﹂ 570 ﹁ん、そうだね。たまにはこんなのもアリか﹂ そもそもこの都市に来る目的が普段とは異なり明確である以上、エ ルの言う通りあまり観光している時間は無いのかもしれない。 昼は冒険者として雑事をこなし、夜はウィスリスの図書館に篭る生 活を続けることおよそ40日。 ようやく見つけた二行の文字を確認しに来たのだから。 ︱︱北緯43度59分49秒、東経36度48分58秒。 ︱︱GPSは裏蓋を開けて電池に魔力を注入しろ。 随分と薄汚れた古代遺跡の考察本に挟み込まれるようにして、一枚 の黄色くなったルーズリーフの切れ端にはそんな走り書きが日本語 で残されていた。 ◆ ﹁マスター。おかわりだ﹂ ﹁お嬢ちゃん、もうそれくらいで止めときな。倒れちまってもウチ じゃ面倒見切れん﹂ ﹁こんなアルコール度数の低い酒で酔うはずが無かろう。妾を酔い 潰したいのなら蒸留酒でも持ってくるんだな﹂ ﹁エル。そろそろ飲み過ぎだって。さっきから魔力が乱れてるのか 外に漏れちゃったりしてるし、危ないからっ!?﹂ ﹁主まで何をいうか。妾はまだまだ正常で大丈夫だ﹂ 571 明らかに目が据わったエルを見ると思わず頭を抱えたくなる。 エルがこんな風になったのは半分くらい僕に責任があるとはいえ、 まさかこんなに酔っ払うほど飲み続けるとは思わなかった。 ﹁大体な、主はもっと怒るべきなのだ。そうじゃないと周りに舐め られてばっかりになっちゃうんだぞ? 実力的には誰にも負けてな いのに、たかがギルド如きにあんな扱いを受けてたまるものか﹂ ﹁目標の遺跡探索の許可はちゃんと出してもらえたんだからあとは どうだっていいじゃない。変に絡まれるよりはよっぽどマシだって。 たぶん﹂ ﹁だからってギルドカードを出したのに信用されずに仕事を振って もらえないなんてあんまりじゃないか。いまさら雑用系の依頼でも 受けろとでも?﹂ あぅ、これはもういい感じに駄目だ⋮⋮。 こうなった酔っ払いに言葉が通じないのは短かった大学生活でも十 分に理解してるつもりですって。 到着してからとりあえず宿を確保し、じゃあ次は遺跡探索ついでに 受けられる仕事でも貰おうと思ってギルドに立ち寄ったのは後にし て思えば良くない選択肢だった。 入るなり受けたのは久しぶりの友好的ではない視線といくつかの声。 リュースさんの言っていた通り、近くに一攫千金の危険地帯がゴロ ゴロしているせいか層が宜しくなく、力こそ全てのような雰囲気す らあって感動してしまった。 ⋮⋮いや、僕が罵られ好きなMとかそういうわけではもちろんなく。 悪い ものではなかったが、 ギルドの雰囲気が当初僕の思ってた冒険者ギルドという感じのもの だったのだ。 初めて入ったガルトの雰囲気もそう 572 ギルドマスターであるカーディスさんの性格からか人を含めた管理 が行き届いていて、その結果空気も言うほどそれっぽくはなかった。 ただし、フマース城塞都市のギルドは違う。 タバコの煙で薄汚れた壁面にはよく判らない飾りが並び、 もともとは飴色だったかもしれないテーブルは酷く汚れてべたべた とした輝きを放ち、 小汚い掲示板にはさらりと命の危険を感じさせる依頼が貼り付けら れており、 昼間から酒を飲む冒険者の姿からは澱んだ空気を感じ取ることすら 出来る。 これぞ⋮⋮。これぞ、冒険者ギルドって奴だろう⋮⋮っ! と、地味な感動を胸に秘めながら最低限必要だった遺跡への調査許 可︱︱Cランク以上の冒険者なら特に審査も無く発行してもらう権 利がある︱︱を貰って帰ってきたのだが、それがとにかくエルのお 気に召さなかったらしいのだ。 あれこれと理由を見つけてはプリプリと怒るエルを静めようとお酒 を勧めたのは更なる失敗だったといえるだろう。 怒りを理由にがぶがぶとハイペースに飲みだすエルを止める手立て は結局見つからず、居酒屋の中ジョッキとさして変わらない容量の それをいくつ開けたのか、もはや数える気にすらならない。 ﹁ともかくエルはそろそろお酒飲むの止めないと。明日辛くなっち ゃうってば﹂ ﹁このストレスを吹っ飛ばすには酒しかあるまいっ! ほら、主の 分も頼んでおいたのだぞ﹂ ﹁よう、仕事も振られない新米冒険者のわりには随分と金回りがい 573 いな。俺らにも分けてくれよ﹂ ﹁ありがと。でもそれでオシマイね。今日はもう帰るよ﹂ ﹁むむむ、折角美人が酌をしているというのになんてことだ。普通 そんなにあっさりと流すか?﹂ ﹁自分がそういう存在だと理解しているならもう少しセーブしよう ね。お酒飲む機会だって今回がラストってワケじゃないんだから﹂ ⋮⋮ん? いまなんか誰かに話しかけられたような? ﹁しかしだな主。たぶん今日を過ぎると明日からは遺跡の探索をす るわけだよな?﹂ ﹁うん。なんだかんだギルドには言われたけどモノは売ってもらえ たから探索準備はレディだし﹂ ﹁距離は確かかなり遠かったよな?﹂ ﹁うん。目的地までは直線距離で27キロメートルも離れてる﹂ ﹁となると毎日は戻って来れないよな?﹂ ﹁うん。戻れないね﹂ ﹁お前ら人のこと無視してるんじゃねぇよ﹂ ﹁それじゃあある意味今日がラストではないかっ!?﹂ ﹁うん。⋮⋮って違う、そんな縁起でもないこと言うんじゃないっ !?﹂ 明日から何が起こるかわかりゃしない遺跡に行くっていうのになん てことを。 神様なんてなんとかの大予言ほども信じてない僕とはいえ、さすが にこっちに来てからはゲンくらい担ぐつもりだったのにっ。 ﹁あと後ろ﹂ ﹁あ?﹂ 574 ﹁やかましいぞ。妾は今、主を説得するので忙しい。声を掛けるな ら後にしてくれ﹂ ﹁クソ⋮⋮ッ、人が下手に出てれば付け上がりやがって。裸にひん 剥いて輪わしてやろうか?﹂ ﹁その態度のどこに下手に出た要素があるというのだ? まあ、い い。妾が酔っ払いではないことを証明するいい機会か﹂ くるりと振り向いたエルが不敵な笑みを浮かべ、右手には人間を殺 傷するのに十分な魔術を構築可能な魔力がぐにょぐにょと蠢く。ち なみに、左手にはもちろんビールジョッキである。 いつの間に来たのかは良くわからんが、随分といらっとした様子の 相手さんもエルと同じく酔っ払ってるとかそういう理由あたりで魔 力の知覚能力にかなり劣っているようで、チェックメイトも大幅に 過ぎたようなこの状況でもやる気満々なんだから救えない。 ⋮⋮いかん、このままだと文字通り致命的な失敗に繋がってしまう。 町のおまわりさんに激しく問い詰められるという嫌な妄想を頭から 振り払い、今すぐにでもピンク色のシェークが作り出せそうなエル の腕を軽く押さえて席を立つ。 ﹁折角の見せ場だというのに何をするのだ﹂ ﹁まずはその物騒な魔力を抑えてくれ。そして今の行動でエルが完 全無欠の酔っ払いであることが明らかになったので今日はもうとに かく何をしても終わりです﹂ ﹁ば、馬鹿な⋮⋮。妾の完璧なる作戦が⋮⋮﹂ 再度イスに座りなおしてからテーブルに肘をつけて打ちひしがれる エルは放置するしかないか。 575 さて、こちらに向かって小汚い顔でガンを飛ばしてくるはこの街で はあちこちで見かけるような男性三人組の恐らく冒険者。 どこかの遺跡でも潜った帰りなのか、動物の革で作られた鎧には黒 く変色した血液が付属していてなんとも生々しくて気持ち悪い。せ めて食べに来る前に着替えるとかあると思うんですが。 ﹁そろそろ僕は彼女を連れて帰ろうかと思うんですが﹂ ﹁そうかい。なら提案があるんだがな﹂ ﹁その顔で提案なんていわれましても困っちゃいますね﹂ ︱︱っ! まさかいきなり無言で殴りかかってくるとは思わなかった。 何より初日でいきなり絡まれることになるとも思わんかった。 リュースさんの言っていた通り、ここはヨハネスブルグのガイドラ インが出来そうなほど酷く治安の悪い地域らしい。 ﹁おい、なに外してるんだよ下手糞﹂ ﹁馬鹿、ワザとだよワザと﹂ ちらりと後ろを見れば店のマスターは居なくなってるし、エルはこ んな状況で眠りだしたのかすぅすぅと上下に肩が揺れてるしでどう したもんか。 幸いなことに夜も遅く、僕ら以外にお客は誰一人としていない。 過剰防衛すらロクに取られないこの世の中、鎮圧するのはきっと悪 い選択肢じゃないだろう。 のろまなパンチを外したにもかかわらず下卑た笑みを浮かべたまま の間抜けにステップイン。 そのまま勢いを落とさずに男性の大事な部分をサッカーボールか何 かのように蹴り上げる! 576 ﹁ぁ⋮⋮がっ⋮⋮!﹂ ﹁女の子に手を出そうとしたんだからこれくらい仕方ないですよね﹂ ﹁ふざっ⋮⋮ぁ、ぅ⋮⋮﹂ 例のアレは比較的簡単に潰れてなくなると聞いたことがあるので全 力ではもちろんやってない。 それでもケブラーと硬質ゴムで構成されたトレッキングシューズは 先端付近が下手すりゃ安全靴並に固くなっているのだ。 そんな危険物で蹴りつけられた彼の悶絶っぷりと来たらいくつかの 意味で言葉に出来ない。 残りは二名。 個人的には僕に敵意を向ける前にノックアウトな彼をどうにかした ほうが良いと思うのだが⋮⋮。 ︵彼にとっても︶残念なことに相手側はまだまだやる気という意味 では十分らしい。 ﹁やってくれたじゃないか。こりゃ手足の一本は覚悟してもらおう か?﹂ ﹁最初からそのつもりだったくせに﹂ 軽く姿勢を下げてからの体当たり、よくレスリングなどであるよう なものかと思いきやランプによって輝いたのはギラリと煌く白刃が 一つ。 慌てて魔力障壁を展開して刃物を止め、カウンターのつもりで入れ たハイキックはあっさりと回避されてしまった。 ﹁ちょっ、危なっ⋮⋮!﹂ ﹁どうした。反撃が甘いんじゃないか? そりゃそうか、魔術師だ 577 もんなぁ?﹂ 風切り音を立てて振り回されるナイフを避けて、避けて、避けられ ないものを障壁で弾く。 畜生、こうなる前にスリングバッグから杖を取り出しておくんだっ た。 あ、でも仮に魔術がおーけーだったとしても殺傷するのはまずいか ら結局あんま変わらんね。 大体もう一人はどこに行ったのかと視線を横に走らせれば、信じら れないことに動けないエルのほうへとゆっくり近づいているじゃな いか。 カッと頭に血がのぼる感覚がして、気づけば腰の軍用懐中電灯から スタンロッドを展開していた。 ︱︱ふざけるな。叩き潰してやる。 まずはナイフを振り回す一人の手首にそれを叩きつけ、バチリとい う音と共にひざを突いたので側頭部めがけてのやくざキックで地面 へと押し倒し、さらにぐしゃりと顔面を踏みつける。 これで二人目もしばらくは動けなくなっただろう。仮に動けたとし たらもう一回スタンロッドでも押し当てておけば良い。 二人目が倒れたのを見て慌ててエルの方向へと向かいだしたが、も う遅い。 飲食店ならではの豊富な投げ物のうちの一つ、つまりイスを右手で 掴んで敵の方向へと全力で投擲。 ﹁なにエルに近づいてるんだ、よっ!﹂ 578 小さな悲鳴とイスがバラバラになる比較的と大きな破砕音の反響音 がなくなったとき、残った音はうんざりするような三人組のうめき 声だけだった。 579 1︵後書き︶ ︵翌日の宿で︶ ﹁ぬわぁぁぁ⋮⋮。失敗した。また失敗してしまった⋮⋮﹂ ﹁そんな頭抱えて呻かなくてもいいんでね? こんなの普通の大学 生からみれば失敗にすら入らない些細なことなんだけど﹂ ﹁だからって主の危機にただ寝ていただけなんて⋮⋮主が許しても 世間体が駄目だめじゃないか⋮⋮﹂ ﹁あ、うん。確かに世間体って意味じゃ失敗だとは思うけど、僕と してはちょっと嬉しかったりもしたんだよ?﹂ ﹁⋮⋮え?﹂ ﹁ギルドとか実力主義のところで馬鹿にされるのは、見た目が子供 っぽいから仕方ないってあきらめてる所もあるにはあるけど結構う んざりするのは事実だもん。エルが怒ってくれたからこそ冷静にな れたってところもあるわけで﹂ ﹁そうなのか?﹂ ﹁もちろん。というわけで気が楽になったら下でご飯食べて遺跡に 向かおうか﹂ ﹁う、うむ。了解だ。今度こそ頑張るぞっ!﹂ 580 2 聞いたことのない鳥の鳴き声と虫の音が聞こえる森の中を一歩一歩 確かめるように歩く。 途中までは獣道くらい残ってたのに、気づけばそれすらなくなった 天然の森はおよそ人が歩くのには向いてなくて、一部のふかふかと した地面や、木の根とかツタに足を取られないように気をつけたり するおかげで移動速度は決して速くない。 現段階での移動距離は直線換算で20キロメートルとプラスアルフ ァ。 手の入っていない山林を移動する難しさが露呈した形となってしま った。 いくら長い期間スカウトをやっていたとしても所詮それは日本国内 でのことだもんなぁ⋮⋮。 ﹁だあぁぁぁっ! 直線距離で指定されたって崖とか沢とかなんて 進めんて⋮⋮﹂ ﹁妾からしてみればそれだけでも随分高性能な案内人だと思うのだ がな。それ﹂ うがぁーっと首を振ってからスリングバッグに取り付けたGPSを 見れば、目的地までの残り距離が4.2キロメートルであることを 教えてくれた。 ちなみに、目的地を示す電子コンパスの矢印は正面を指しているが、 残念ながらその先は落差10メートル程度の崖である。僕がベア・ グリルスではない以上、迂回しないと先に進むことは不可能だ。 581 Foretrex301に良く似たデザインの癖に、最近流行の中 国産の劣化コピーといっても苦笑しながら頷くことしか出来ない程 度の機能しか持っておらず、信じられないことにウェイポイントの 設定をすることくらいしか出来ないこの体たらく。 おまけにそのウェイポイントだって一個しか登録できない上、軌跡 ログすら残らないこの仕様では道に迷ったときに帰還することすら 困難ではないか。 突き刺さってはじけるロケット花火のようなシステムもここまでぶ っ飛んでれば潔いといってもいいのかもしれないが、現物の利便性 を知ってる僕からすればかなり残念の一言に尽きる。 ﹁まずいな⋮⋮。そろそろ日が落ちてきた﹂ ﹁十分な視界を持って歩けるのはあと一時間と少しか。今までを省 みるに目的地まで歩く場合夜間の移動が必要になるがどうする?﹂ ﹁何かあれば途中でもいいけど、出来ればウェイポイントでキャン プしたい。土地勘って意味じゃ危ないけど魔獣は少ないみたいだか らいけると思うんだ﹂ これがアマゾンのような密林だったら夜間の移動なんてとても出来 るものではないが、落葉広葉樹林ちっくなこの辺りの森林はブッシ ュなどが比較的少なくて見通しも良い。 おかげで先ほどあった突然の崖などにさえ注意しておけば、懐中電 灯と簡単な魔術の二つを併用するだけで意外なほど野外での活動時 間は長くなる。 ﹁こうして森の中を歩いてると最初を思い出すな﹂ ﹁思えば最初がある意味一番アウトドアしてたような気がするよ﹂ ﹁そりゃあんな場所に来てしまったのだから仕方があるまい。むし ろ一番驚いたのは主じゃなくて妾なんだぞ﹂ ﹁本当にあの時はどうなるかと思った。辛うじてキャンプ用品が一 582 式あったら良かったけどさ﹂ ﹁主のことだから無ければ無いで結構何とかなったんではないか?﹂ ﹁いやいやっ! 道具もなしじゃ普通に木の陰で寝るくらいが精一 杯だから﹂ エルの真剣みをガッツリと帯びた勘違いをしっかりと矯正しつつ、 黄金色に染まりつつある広葉樹の葉を楽しみながら小幅でゆっくり と歩いて進む。 多少程度のアップダウンしか存在しない地形だと馬鹿にせず、山道 の基礎を守りながら歩くことは疲労軽減にも有効だし、何よりもこ んなにも美しい風景をただ流すだけなんていうのは勿体無い。 ﹁む、主。そこのキノコは美味だぞ﹂ ﹁おっけ、回収確定で今日のご飯はキノコ鍋だ﹂ ついでに食欲までもが満たせてしまうのだ。 こんな素晴らしいトレッキングが今までにあっただろうか。 ﹁ただし毒キノコが混じってる可能性があるから食べる前に茎の部 分を割ってくれ。黒い斑点があったらそれは食べちゃ駄目だ﹂ ﹁⋮⋮なんか凄く採りにくくなっちゃったんだけど﹂ ﹁大丈夫だ。この形のキノコでほかに毒を持つ種類は無い。苦くて 美味しくないのは混じってるかもしれないが危険性という意味では 問題ない﹂ 見た目がムキタケに似てるだけあってツキヨタケに相当するものも 混じってるって事か。 コケの生えた倒木に群生した薄茶色のカサが非常に美しいハズ、な のに急に恐ろしく見えてきてしまった。 583 ﹁その辺は悪いけどエルにお任せしちゃおうかな﹂ ﹁うむ。任された﹂ 天然モノのキノコは同じものと思えないほど美味しいという話だけ は聞いていたが、日本国内では毎年100件以上発生している毒キ ノコ中毒とその症状のせいでついに食べることは無かった。 しかし、経験知識共に豊富なエルが判定をしてくれるのなら安心し て食べることが可能である。 果たして異世界のキノコの味とはどんなものなのか、楽しみでなら ない。 その後もあちこちに群生しているキノコや山菜に目を奪われつつ、 気づけばAR15のマガジンが8本は余裕で入るドロップポーチか ら溢れそうなほどの山の恵みを確保した僕らは食欲に押されながら 無人の森林を突き進み、指定されたウェイポイントまで到着するこ ととなった、のだが︱︱ ﹁さすがに暗過ぎて判らんな。本番は明日か﹂ ﹁実は何も無いハズレでした。ってのが怖くなってきたんだけど﹂ ﹁もしそうならあのメモ書きを残した奴を地の果てまで追わないと 気がすまんぞ﹂ ︱︱GPSで指定された地点にあったのは平地に均された小さな広 場とごく浅い洞窟が一つあるのみで、いわゆる遺跡っぽいものなど は何もない閑散とした空間だった。 到着時はその明らかに人の手が入った広場に心が躍ったものの、僅 か半時間も経たないうちに表面的な探索は終了し、その結果得られ たものは何一つ無いというこの有様。 わざわざ丸一日掛けて到着したにはあんまりな結果に思わず肩を落 としそうになったが、現時刻は月もすっかり顔を出した夜というこ 584 とで、一応心の平静を取り戻すところまでは何とか頑張った。 ﹁とりあえず探索は明日に置いとくとして、まずは夕飯にしよう﹂ ﹁賛成だ。とりあえず妾はキノコを選別するから袋を渡してもらっ ても良いか?﹂ ﹁了解。よろしく﹂ ベルトから取り外したドロップポーチと小皿を渡すと、エルは指先 に発生させた小さな魔力による刃を使って器用に根元を裂いてキノ コの安全性を確認していく。 たまに軸の無いキノコなどが混じっているが、そういうのを躊躇無 く一瞬で捨てるその作業速度は素人目にも熟練していて、見ている だけでも面白い。 反面僕は何が出来るのかといえば大したことはロクに無く、せいぜ い今日のメニューを考えることと実際に作ることだけ。 しかもバックパッカーの料理なんてものは昨今省エネ化が激しく、 水が豊富に使えるとは言っても限られた食材しかないこの環境で出 来るのはキノコスープとキノコソテーくらいなものだ。 キノコ以外の食材ということで採取した山の定番である山菜はどれ も生で齧った瞬間に人生を後悔したくなるほどの猛烈な苦味で、ま ともに食べるにはしっかりと木灰で灰汁抜きをしてやらないととて も食べられない。 洞窟の石とグリル台で簡易かまどを作り、クッカーでお湯を沸かし、 エルが検分したキノコを放り込み、湯だったところで携帯スープを 投入してあっさり完成。 なんてイージーなんでしょう。それでも内心まだ手が込んだほうか とも思ってるけど。 585 スカウトをやっていたころの基本的な夕飯は焚き木の中にアルミホ イルを巻いたジャガイモとなにか︱︱おもにソーセージ︱︱を突っ 込むだけのお手軽かつノー洗い物な食事がメインだったからかもし れない。 ﹁うーむ⋮⋮。調味料が塩しか無いから焼き物がきつい。香辛料く らい持ってくれば良かった﹂ ﹁こればかりは荷物を最低限に抑えてきてしまったから仕方がある まい。ただ味は決して悪くないな﹂ ﹁確かに。キノコ旨し﹂ なんてこと無いただの携帯スープがキノコ一つでこれほどまでに美 味しくなるとは誰が予測できただろう。 厚めのしいたけにも似た外見ととろりとした食感に続くのはキノコ に含まれるうまみ成分で補完されたスープの塩味。まろやかで素晴 らしく旨い。 ほとんど香りが無いのは好き嫌いが発生しにくいことを考えればむ しろプラスの要素か。 香りマツタケ味シメジなんて言われ方をしているほうのシメジを食 べる機会が昔あったのだが、それとほぼ変わらないほどの非常に強 いうまみ成分を感じるので、これを日本に持って帰ったら馬鹿みた いな値段で売れること間違いなし。 凄く、凄く醤油が恋しい。バターとあわせてこいつを炒めてビール で一杯やりたい。 そう思ってしまうほどのキノコを食べたのは本当に久しぶり。 こりゃ毎年命知らずたちがキノコ狩りをするわけだ。自分で食べて ものすごく納得した。 586 あっという間にクッカーに一杯だったキノコ汁は底を尽いてしまい、 その代わりに得られた満腹感が僕を満たしていて気持ちが良い。 ﹁今日と明日午前中まではキノコがあるから良いとして、思えば最 初からまともな食事を取りたいなら現地調達が前提っていうのも結 構あれだよね﹂ ﹁そうか? 妾はこういう、主の言葉を借りるならサバイバルな生 活も結構好きだぞ?﹂ ﹁気づいたら野生児に戻っちゃいそうなエルが怖いんだけど﹂ ﹁たぶんそのときは主も一緒だな﹂ ﹁あ、あながち否定できない⋮⋮﹂ ◆ 翌日、今日も天気は快晴ナリ。⋮⋮と言えればよかったのだが残念 ながら曇天である。 朝食は昨日使わなかったキノコを塩で簡単に炒めたものと相変わら ずのビスケット。 乾飯みたいに連食しても大丈夫な主食が欲しい今日この頃。利便性 を考えると選択肢が無いことくらい理解できるけどさ。 山菜は朝の段階ではまだ苦過ぎて灰汁抜きが全然十分じゃなかった のでパス。 深夜に見たらクッカーの水が真っ赤になってたので交換したのにま た真っ赤になってたんだからたまらない。この分だと食べられるの は最速で今日の昼食あたりかもしれない。 587 ﹁さあ、日も昇ったことだし心機一転今日も頑張ろう﹂ ﹁最低でも何らかの痕跡は見つけておきたいところか﹂ ﹁最悪オリエンテーリングみたいな真似をさせられるかもね﹂ ﹁なんだそれ?﹂ ﹁地図上で指定された複数の地点を通過しながらゴールを目指すレ ースなんだけど、色々派生ルールがあってさ。ちょうどこんな感じ でヒントに書かれた先にまた次へのヒントがあって、あちこち歩か せて最終的なゴールに到着できる、みたいなのがあるんよ﹂ ﹁もしそうだとしたら随分と性格の悪いやり方だな﹂ ﹁うん、だからそうじゃないことを祈ってる﹂ だがこの世界に来てから初めて見た日本語のヒントなのだ。何かあ るに違いないっ! と、どんな風に意気込んだところで歩いて一分もしないうちに最奥 まで到達してしまうような洞窟で出来る探索なんてものは限られて いる。 壁面および天井は岩石で作られたごく一般的な洞窟で、軍用懐中電 灯で照らしてみればごつごつとした岩肌以外に見えるものは何も無 く、浅過ぎるせいでコウモリなどの洞穴生物すら居ない。 ﹁洞窟っていうか、穴?﹂ ﹁むぅ、あのメモを残した奴はきっと性格が悪かったに違いない﹂ ﹁少なく見積もっても十年単位で昔の紙に書かれた言葉だよ? 最 初はなにかあったかもしれないけど風化しちゃったのかもしれない﹂ ﹁本当に風化してしまってたとしたらここに来た意味がなくなっち ゃうぞっ!﹂ ﹁全くその通りで。どうしよ、多少トラウマが残ってるけど爆破で もする?﹂ 588 ﹁賛成だが、⋮⋮妾は念のため安全が確認されるまで中には入らな いでおこう﹂ ﹁ん、了解﹂ 前回のあの光景が脳裏に浮かんだのかげんなりとした様子のエルに は悪いが他に手が浮かばない。 最奥、側面にぺたぺたと爆発性の魔力を貼り付けて起爆用のライン を引いて洞窟外に退避。 二回目となれば慣れたもので特に気負うことも無くスイッチオン。 ズドン。 前回と違って外に避難しているからか爆音は想像以上にちゃちで一 瞬失敗したかと思った。 実際にはもうもうと立ち上がる粉塵が洞窟の入り口からまるで火口 のように溢れ出ているからそんなこと無いんだけど。 ﹁例の臭いは無いね。この分だと大丈夫かな﹂ ﹁よく主は平気でいられるな。臭い以前に⋮⋮ぺっぺっ、煙いし埃 だらけだ﹂ ﹁口元に布を当てとけば意外となんとかなる、というかエルなら換 気出来るんじゃない?﹂ ﹁出来なくはないが見える範囲くらいしか出来んぞ﹂ ﹁魔力が必要なら僕のを持ってっても構わないからやってくれ。複 数回もやれば中入れるくらいにはなると思うんだ﹂ 軽く頷いたエルが器用に魔力を操作して粉塵交じりの空気を見る見 るうちに洞窟の外へと放出し、徐々に見えてきた洞窟の岩肌は⋮⋮ そのままだった。 発破によってかなり抉れてはいるものの、その向こうに隠されてい 589 たかもしれない何かに繋がることも無く、相変わらず面白みのない 岩肌が覗いているだけ。 中に入って爆破した壁の辺りを触っても、実はカモフラージュされ た壁だったなんて落ちも無く、爆発によって脆くなった岩がぼろぼ ろと崩れ落ちていく。 ﹁労力の割りに何の意味も無かったりするとへたり込みたくなるん だけど﹂ ﹁主、しっかりしろ。まだ外の探索は終わってない﹂ ﹁あ、うん。そうだ⋮⋮ね?﹂ 地面に座って視線が低くなったからこそ気づく微妙な違和感。 壁面から少し離れた、ちょうど爆破前は洞窟の中央だった場所が他 の場所と比べるとやけに膨らんで見えるのだ。そう、ちょうどマン ホールでもあるみたいに、だ。 慌てるようにそのあたりの土を手で払っていくと指先に岩肌とは明 らかに違うつるりとした金属のような手触りの何かがある。 ﹁突然どうしたのだ?﹂ ﹁エル、当たりだよ当たり﹂ エルは未だ釈然としない様子だが、この明らかに不自然な地面に気 づいていないのだろうか。 さらに土を払っていくと金属製のふちが段々と浮かび上がってきた。 大きさは直径一メートルほどで、外見だけなら本当にマンホールと 大差ない。 ﹁これ、は⋮⋮﹂ ﹁入り口だね。悪いけどエルは離れてて﹂ ﹁うむ﹂ 590 エルが十分に離れたのを確認してからマンホールに取り付けられた 取っ手をゆっくりと、だが力を込めてぐりぐりと引っ張る。 どうもかなりの時間が経過していることは間違いないようで、あほ みたいに重い。 数分の時間を掛けてなんとか取り外したが、なんと厚さが5センチ メートル以上もあるのだ。 まったく当時の人間はどうやって中に入っていたのやら。 ﹁こんな重いもの持ったの生まれて初めて⋮⋮﹂ ﹁腰とか大丈夫か?﹂ ﹁あぁ、大丈夫大丈夫。さすがにこんなので痛めるほどやわじゃな いよ﹂ 思わず飛び込んで中に突入したくなる心を抑えて覗き込んだ先に見 えたのは以前の古代遺跡とさして変わらないリノリウム製の床と壁。 床までの落差はおよそ二メートル程度、一応ハシゴがついているか ら一人で脱出することも可能だし、仮にそれが映画よろしく折れた りしたとしてもエルと二人でなら登ることも難しくない。 ならば︱︱ ﹁降りても大丈夫そうだ。行こうか、エル﹂ ﹁おーけーだ。カバーは任せろ﹂ ︱︱突入して中の調査をするしかあるまいっ! 591 3 完璧に密閉された空間でない限り、掃除もしないで放置された場合 には大量の埃が溜まってしまうことは避けられない。 当然、今回入った遺跡の内部もその例に漏れることなく、キャビネ ットあたりを人差し指でさっとひと拭きすれば指紋が見えなくなる ほどの埃が溜まってしまうわけで⋮⋮。 ﹁うわ、埃っぽいなぁ⋮⋮﹂ ﹁ちょ、主。やめ、⋮⋮は、はっ、ハックシュン!﹂ ﹁ごめん、やり過ぎた﹂ 手に持ったコクヨ製のフォルダに溜まった埃を吹き飛ばそうとして 発動した魔術は、魔力のハンドリングが正しく行われていた場合は エアダスター互換となるはずだった。 結果としては残念ながら投入した魔力が多過ぎたせいで効果が大幅 に向上してしまい、フォルダと本棚上の埃が全て吹き飛んでゲーム の散弾銃のように拡散し、さらに運のないことにその先にはエルが 居て︱︱ ﹁いきなりなんて事をするのだ﹂ ﹁いや、ほんと申し訳ない﹂ ﹁まあ今回ばっかりは主が焦ってしまうのもわからなくはないが、 少し落ち着いたほうが良いと思うぞ? この間の妾じゃないが今の 主は酒に酔っても居ないのに魔力が漏れ漏れだ﹂ ﹁ごめん、それはちょっと難しい。後少し、後少しなんだ。ドキュ メントさえあればきっと帰る為の手段か、もしくは⋮⋮帰れないの かがはっきりするんだ﹂ 592 ﹁⋮⋮まったく仕方のない主だな。なら妾はあっちの本棚でも漁っ てくるか﹂ ﹁うん、ありがと﹂ 変に気負わず、場を明るく保たせてくれるエルには本当に頭が下が る。 何かを返せるほどのものを僕は持っていないけれど、せめて今日の 夕飯は頑張ろう。 そう心の中で強く決意してから、手に持ったフォルダを開いて中身 を確認する。 日焼けするような環境ではないからか意外なほど綺麗なそれの中身 はやはり、空だった。 思わず破り捨てたくなって実際に実行したのが一回目、二回目は魔 術でバラバラに、そしてそれ以降はちゃんと元の場所に戻している。 ⋮⋮もし次に来る奴が居たら同じ感情に囚われるといいや、などと は思ってない。 むしろ僕と同じで懐かしいロゴを見て感動してくれ。って思ってる よ。たぶん。 微妙な気持ちになりながらもこの周辺の本棚を丸々調べ終わった頃、 同じくエルもひと段落着いたのか戻っては来たもののその表情は今 一つ。 ﹁駄目だ、この本棚には紙の一枚どころか羊皮紙すらないぞ﹂ ﹁こっちも同じですっからけ。古代遺跡と僕の世界に関係性がある のはもはや疑いようがないけど、こうまで情報管理を徹底している となると調査は難航しそうだ﹂ 593 見慣れた国内メーカー製の見慣れない本棚に残った各種ドキュメン トケースはそれほど多くは無い。が、それでも文書一枚残っていな いこの場はどう考えたってまともじゃない。 施設に保管した全ての文書を廃棄しろなんて命令が下されたのか、 それとも第一発見者の日本人が潔癖症パワーを炸裂させて物を回収 したのか。 どちらにせよドキュメントがないという事実だけが僕に残されたも のであり、出来ることはこの場所の更なる調査以外には何も無い。 ﹁とりあえず次の部屋に行こうか。ここに居ても時間がもったいな い﹂ ﹁ん、そうだな﹂ 恐らくではあるが、あの馬鹿に重いマンホールの先は紙ベースのス トレージとして利用されていた区画だったのだろう。 その次に入った部屋も、その更に次に入った部屋も同じようなパー ティションを切られた空間で、同じように何一つ発見物も無し。 ﹁ま、まぁまぁ。こんなこともあるよね﹂ ﹁イラつくことに変わりは無いがな﹂ 手探り感とはゲームだから面白いものであって、現実でそんなこと になってもまるで面白くないという事実を生まれて初めて知った気 がする。 空箱だらけのストレージエリアから歩いて階段を下った先、ややモ ダンなデザインに変化した扉の中身は個人用の寝室のようで、サビ だらけのパイプベッドや洗面台などが用意された殺風景な部屋がか なりの数用意されていた。 二時間以上にわたる細やかな調査の結果、白骨が転がっていたベッ 594 ドの下には保管庫が一つだけあったので気合を入れてベッドを動か して中身を確認したら、大量の空き瓶と一枚のメモが転がっている だけとか本当にありえんわ。 ︱︱ハズレです! 一体これは何年越しのイタズラだったんだろうか。 埃まみれになりながらあちこち探して、重い思いをして頑張った結 果がこれだよ。 思わず、手が滑って焼き払ったところで何の問題もないんじゃない でしょうかね? ﹁なあ、主﹂ ﹁ん?﹂ ﹁この部屋だけでいいから焼き払っても良いか?﹂ ﹁駄目、崩れたりしたら困る﹂ ﹁ジョークだジョーク。あんまりにもイライラしたからつい、な﹂ ﹁なまじ出来る能力があるだけ冗談に聞こえないんだけど⋮⋮﹂ ジョークといいながらもエルの表情は僕と同じように憮然としたも ので、その気持ちも当然良く分かる。 既に調査開始から四時間以上が経過しているのだ。腹も減ればスト レスも溜まるさ。 最初の15分で自分の世界とこっちの古代遺跡に深い関係性がある ってことが分かった以降、残念ながら何一つ進展なんてありゃしな い。 その結論すらウィスリスの学園都市である程度見えていたのだから、 具体的な進展なんて言葉に置き換えた場合、現状得られたものなん て古代遺跡の雰囲気くらいなもの。 595 果たして帰れるのか、帰れないのか。 はっきり言ってしまえば、あまり認めたくはないけど、 この廃墟となった施設を見る限り、たぶん駄目なんだろうな⋮⋮。 ﹁少し、疲れた。お茶でもしない?﹂ ﹁賛成。さすがに疲れた﹂ 気づけば思考がどんどんとマイナス方向に傾いていくのが自分でも 良く分かる。 こういうときは甘めのお茶と茶菓子に限るのは僕だけだろうか? もちろん歌を歌うであるとか、音楽を聴くとか、もしくはスポーツ をするなんていうのも手段としてはあるのを理解した上で、最初に 出てきたのが食べ物ってあたり食い意地張ってると自分でも思う。 何せここ最近運動量の向上が著しいせいか、とにかくおなかが減る んですよ。 と、脳内で言い訳と自己正当化が完了したところでなべにお湯を沸 かしてお茶を淹れる。 今日の茶菓子はニルバというやつで、味も見た目も特徴もヌガーバ ーとよく似ているおかげで携行性に優れ、トレッキングが混じるア ウトドアではある意味定番と言っても良い。 ﹁おなか減ってるから美味し⋮⋮﹂ ﹁確かに濃厚でどっしりとしてるからまるで食事を取っているかの ようだな﹂ ペットボトルのキャップくらいのサイズが15個で昼食二回分のコ ストが掛かるという点に目をつぶることが可能であるならば、これ 596 はきっと最良のおやつとなりえるだろう。 砂糖の精製が可能となったウィスリスですら、ハチミツやメープル を多用したこの手のお菓子の値段は相変わらずなのだ。残念過ぎる ⋮⋮。 ﹁でさ、これからなんだけど﹂ ﹁ん?﹂ もきゅもきゅと歯に引っかかるヌガーを食べているせいか、口をあ けずにエルが反応する。 ﹁もう全部まともに調査するのめんどくさいから、まずは地図を埋 めるつもりで探索しようかと思うんだけどどうだろ?﹂ ﹁んぐ⋮⋮。いいのではないか? 資料室らしきあの区画で何一つ 物がなかった以上、それ以外を詳しく探るのは時間の無駄だ。食料 も絞ったところで後二日分もない現状なら今の主の判断は最良だと 思うぞ﹂ ﹁そっか。じゃあお茶が終わったら気を取り直して頑張ろう﹂ ヌガーバーを食べたことでおなかが膨れて元気が出たのか、再び上 昇傾向となったやる気を利用して探索を再開。 寝室が続く廊下を抜けて歩いた先は円形をしたそれなりの大きさの 空間で、骨組みしか残っていないベンチがいくつか残っているとこ ろを見るにロビーのような扱いを受けていたのかもしれない。 わざわざ地下に広間を作る先人たちの目的に首を傾げつつ、特に考 えることもなく右手側のダブルドアを開いてさらに進む。 ﹁しかしこの遺跡、ちゃんとした入り口はどこなんだろ。まさかあ のマンホールが正規ってことはありえないよね﹂ 597 ﹁恐らく崩落でもしているんじゃないか? そうじゃなければこん な居心地の良い空間に魔獣の類が一匹たりとも居ないなんてありえ るはずがない﹂ ﹁あぁ、なるほど﹂ ﹁もしくは魔獣が入って来れないような強力極まりない防衛網がい まだに機能しているとかな﹂ ﹁⋮⋮さすがに何百年単位で時間が経過してそうなこの施設でそれ はないんじゃない?﹂ こういう施設防衛用の兵器といえばやはりQuakeやDoomと いったシリーズに登場するようなレーザー照準式のセントリーガン が有名だと思うけど、あんなんに狙われたら命がいくつあったとこ ろで足りないので止めてください。死んでしまいます。 ﹁ま、どんな風な状況だったとしても出来ることなんて魔力障壁を 即時展開できるようにするくらいしかないか﹂ ﹁主と妾で二重に張れば大抵の攻撃は回避できるしな。あんまり気 にしないことを推奨しよう﹂ シーフスキルをもった人間が解除判定を行ってじりじり進む。 これが各種遺跡探索におけるスタンダードな方法だと思っていたが、 強力な防御能力があるならそれを当てにして突っ込むのもひょっと したらありなのかもしれない。 そもそも僕らに出来るトラブルへの対処はごり押し以外存在せず、 ゆえに先ほどと明らかに雰囲気が異なるような場所に来たとしても 行動自体が変わることはない。 つまり、どう見ても爆破によって無理やりこじ開けられた分厚い扉 の向こうを探索しに行く場合でも、特に下調べなどをすることなく 中へと突入してしまうわけだ。 598 ﹁へぇ、やっぱりここってなんかの研究所だったんだ﹂ ナッツエイド第八研究所 ﹁何でそんなことが分かるんだ?﹂ ﹁そこの看板に日本語と英語で いてあるんよ﹂ ﹁⋮⋮妾は主の世界の文字が読めないのが残念でならん﹂ ﹁何かあれば共有するから大丈夫﹂ って書 ﹁しかしだな。この分だと主の世界に着いてったとしても言葉の壁 が分厚過ぎて素直に楽しめないではないかっ!﹂ ﹁喋れるんだからそこまで影響ないと思うんだけど⋮⋮﹂ 大方定食屋のメニューが読みたいとか、テキストベースのインター ネットでレシピが調べられないとか、たぶんそんなんなんだろうけ ど目がマジだ。 つい、とエルから目を逸らして遺跡の内部を確認してみると、恐ら くここは製品開発を行う人らの居室だったのか、十字に切られたパ ーティションが数十人分用意され、壁の端には打ち合わせ用のフリ ースペースがいくつか並んでいる。 どうせ何も入ってないだろうし、キャビネットの中まで探索するの は面倒くさ過ぎるので早々にあきらめ、机の上だけをさらりと見回 しても埃の層くらいしか残ってない。 せめてクリスタルガラスで出来た文鎮とかそういう高値で売れそう な小物があれば今回の調査費用のいくらかが補填できるというのに ⋮⋮。 ダラダラと益体もないたらればを頭に浮かべつつ、隣の部屋へと移 動。 大概こういう場所には会議室が併設されているために期待はしてい なかったのだが︱︱ 599 ﹁あら? なんだこれ?﹂ ﹁どう見ても冒険者用の外套とクッカーの類だな。ただし、凄く古 いぞ﹂ ﹁こっちには空のガス缶とエネルギーバーのパッケージも転がって るよ﹂ 部屋の大きさといい、見慣れない形のスクリーンがあったりといい、 ここがもともと会議室として利用されていたのは間違いない。 それを元居た人が生活用の空間として利用していたわけだ。 ﹁主、この赤いところって押せそうなんだが押してもいいか?﹂ ﹁今、押してから聞いたよね?﹂ ﹁⋮⋮すまん。興味が先行した﹂ 幸いというか当たり前というか、生活空間に爆発物があるわけない ので心配していたようなことは起きず、ちょうどプロジェクタが起 動するような音と共にスクリーンが輝いて何かを映し出す。 しかも自己発光式。カッコいいけど現代にこんなもんなかった気が するんだけど⋮⋮。 ﹁地図?﹂ ﹁地図だな﹂ 最初は何が出力されているのか映像がブレブレで全く分からなかっ たが、しばらく待つと徐々に画質が鮮明になってくれたおかげで辛 うじてそれが何であるか分かった。 緑色のラインで精密に描かれた大陸が三つ、前にウィスリスで見た 世界地図と大体似たような形なので間違いない。 600 ﹁なんというか、恐ろしく正確な地図だな。この黄色い光点は恐ら く現在位置か﹂ ﹁僕もそうだと思う。となると残りの緑とオレンジ光点が分からん ね。片方はここと同じような性格をした重要拠点だと思うんだけど ⋮⋮﹂ ﹁何の説明もない以上全部周るしかあるまい。幸い主用に各座標が ちゃんと載ってるぞ﹂ ﹁丁寧なんだか投げっぱなんだかよくわからん。わざわざここの座 標を書いて本に挟むくらいならここの使い方もメモとして残してく れればいいのに﹂ ﹁もしかしたら有ったんじゃないのか?﹂ ﹁あー⋮⋮。有り得そう。ウィスリスの図書館にあったメモとか僕 も持ってきちゃってるもんね﹂ 僕と似たような境遇の人が複数、しかも数百年も前から居るのは間 違いないので、ここの第一発見者が僕である可能性はかなり低い。 というより物品の持ち去られ具合を見た限りゼロといっても良い。 そしてこの施設の情報が行き渡っている以上、この地図上の施設類 は全て探索されてる可能性も決して低いものじゃない。 あれ? 全然気づいてなかったけど急いで探索する意味って全くな いような⋮⋮。 ﹁この分だと急いで周ってもまるで意味がない気がする。既に周回 遅れの身で探索してもお金にならんし、それだと旅が続けられん﹂ ﹁うむ。主はのんびりといろんな場所をめぐりながら手近な場所か ら探索すれば問題あるまい﹂ ﹁ふはぁ⋮⋮。入る前の意気込みが馬鹿らしくなってきた⋮⋮﹂ ﹁ふふ、そう腐るでない。頑張る主はカッコいいぞ﹂ ﹁あんがと。これからは切羽詰らない程度に頑張るよ。冷静に考え 601 ればそりゃそうだよね⋮⋮﹂ 602 4 アウトドアなトレジャーハンティングから健康で文化的な生活に戻 ったとき、何が一番嬉しいかと聞かれればそれは間違いなくベッド の良さであると言い切れる。 サーマレストのマットレスでもあれば話が違ってきたんだろうけど、 そんなものいくらお金を積んだところでこの世界じゃ手に入らんて。 苦労して平らに均した地面の上に大して厚くもない布を一枚だけ敷 いて、寝袋に包まって仮眠を取ることのつらさを誰かと共有したい です。 ﹁ふぁ⋮⋮﹂ ﹁ん、眠そうだな。もう少しゆっくりすれば良かったか﹂ ﹁平気平気。むしろこれ以上寝たらむしろ体がなまっちゃう。あく びが出たのはここ最近の不規則な生活が原因なんであって、今日の 睡眠時間とは直接関係ないから大丈夫﹂ 別に強がりってワケじゃない。実際、本日の睡眠時間はざっと10 時間以上もあるのだ。 いくら宿のベッドがアウトドアな寝床と比べて高品質だといったと ころで、アイシン精機やシモンズのような超高品質な、一度寝たら 起き上がりたくないようなマットレスであるはずもなく、あまりに 寝すぎた場合は腰痛の元にもなりかねない。 ﹁それよりほら、折角回収してきた薬草の類を売らないと僕らの明 日がピンチだよ﹂ ﹁ギルドか⋮⋮。あんまり気は乗らないが⋮⋮﹂ 603 前回の出来事を思い出したのか、エルが顔をしかめる。 ぅうん、こんなに嫌がられるなら前回のファルメラさんからやっぱ り金を貰っておくべきだったかもしれない。 ⋮⋮いや、駄目か。 高級車一台分というとんでもないコストのライフルを貰い、数十日 分の生活費を支給されて悠々とした生活を送った上、さらにこれ以 上なんてどう考えたってボリ過ぎだ。 仮にももうすぐ22歳になる大人が他者からの施しだけで生きると か論外だろ。常識的に考えて。 僕自身、やや面倒くさい思いを抱きながらも訪れた数日振りのギル ドは合いも変わらずタバコの紫煙と酒の香り、そしてごたごたとし た依頼がひしめく素敵な空間なのだが。 なんだが、様子がおかしい。 前回同様入るなり嘲笑の一発でも貰うかと思ってたら目が合った瞬 間にそらされるし、別の人を見たら好意的な視線が返ってきちゃう し。それ見てエルはご機嫌だし。 これはあれか、この間の飲みのときに絡んできたKYたちをぼっこ ぼこにして警備の人に突き出したのが効いてるのだろうか。 ﹁ふふん、ようやく主の実力を理解したようだな﹂ ﹁なんというか僕ら、人によっては恐れられてるよねっ!?﹂ ﹁たまにはこういうのもいいではないか。恐れられ、人に避けられ るなんて人生でもなかなか経験できることじゃないぞ﹂ ﹁ぶっちゃけそういう経験は出来なくても人生において全く影響な いでしょ﹂ 604 ずかずかと肩で風を切って歩くエルの姿を、何人かの冒険者たちが 引き気味に見送りつつ僕らはギルド付属の買い取りカウンターへ。 不幸中の幸いというべきか、ギルドの職員に避けられたりするよう なことはなかった。 一時はキノコでパンパンに膨れ上がってた代わりに、今は薬草をわ しゃわしゃと詰め込んだドロップポーチは少なくとも一週間の生活 費になるのだ。 こうやって、変に扱われたりしないのは本当に助かる。 これがアトードナで、これがなんとかで。 なんて解説を入れつつ、ポンポンと手品のようにドロップポーチか ら薬草を取り出していくと、最初はうんうん頷いてくれてた職員の 表情がぽかんとしたものになっていくのは面白かった。 ﹁ず、随分沢山取ってきたんですね。多少しなびてはいますが、価 値が落ちるほどではありませんし、これならそれなりの値段で買い 取ることが出来そうです﹂ ﹁ありがとうございますっ! 今回の探索ではハズレばっかりだっ たのである程度の値段がつくと嬉しいです。よろしくお願いします﹂ ﹁はい、それでは査定してまいりますのでしばらくそちらでお待ち ください﹂ ドロップポーチから出したせいで大きく膨らんだ体積のそれをえっ ちらおっちらと運ぶ姿を目で追いながら、近くに用意された喫煙所 と飲み屋と待合スペースを兼ねた丸イスに腰掛ける。 この丸イスとテーブルのセットに限らず、特に分煙を考慮しない室 内のおかげでやや煙臭いし酒臭いのは欠点だが、選択肢がない以上 それは避けられない。 605 ﹁さて、と。アレだけあるとなればそれなりに時間も掛かるだろう し、どうしようか?﹂ ﹁まずは次の目的地じゃないか?﹂ ﹁そういえば何も決まってなかったね。⋮⋮ぱっと思いつくのは川 下りするか、もしくは南下して港町観光あたりに手をつけるか。ど っちがいい?﹂ ﹁川下りだと最寄りはクシミナ聖王国のハイトアルトか。出入国に はそれなりに手間も費用も掛かるからもう少し後でも良いと思うが、 宗教色の強い国だからたぶん観光って意味じゃ面白いだろうな﹂ ﹁無宗教を地で行く日本人の場合、意図せずしてトラブルのタネに なりそうで怖いんだけど﹂ ﹁向こうでむやみじゃなくても神を馬鹿にしたら投獄されちゃうか ら気をつけなくちゃ駄目だぞ?﹂ ﹁⋮⋮うん、とりあえず港町観光で。魚介類食べたいし﹂ ﹁そうか。でも例の座標をプロットした地図を見た限りそのうち行 かなくちゃならないのは間違いないんだが⋮⋮﹂ などと適当な会話を続けた結果、次の目的地はフマースから南下し、 徒歩で一日半ほどの位置に存在するタルノバという港町となった。 わりと国際色も豊かな大型の都市で、このあたりで発掘された遺物 などを主に輸出し、逆に海外の様々な物品を輸入しているらしく、 色々楽しみでならない。特に魚介類が。 ﹁ん、主。どうやら鑑定は終わったらしいぞ?﹂ ﹁ほんとだ。思ってたよりも結構掛かったね﹂ ﹁向こうで間違えてないか判断でもしてたんじゃないか? 特にヒ オスナミンは良く似た毒草があるからな﹂ 向こうのほうから堂々とした様子で歩いてくるのは銀貨袋を持った ギルドマスター。 606 がっしりとした体格は全体的に浅黒く日に焼けており、顔つきは年 齢を感じさせないほどに力強い。 およそこういった環境の管理者としてあるべき姿なのは間違いなく て、カッコがいいのが凄く非常にとても羨ましい。 ﹁よう。待たせたな﹂ ﹁ええ、多少は﹂ ﹁⋮⋮意外と根に持ってんのか?﹂ ﹁まさか、そんなことはありえません。もともとの信用がカラの環 境からなら薬草の確認に多少時間が掛かることは理解できます﹂ ﹁悪いな。こればっかりは間違えて死人を出すわけにはいかない。 特に重症患者に使う種類の薬草を間違えたりしたら笑い話じゃ済ま ねぇ﹂ ﹁ちなみに毒草は混じってました?﹂ ﹁全くねえよ。あれだけ回収してきて毒草どころか薬草以外が一本 一枚すらもないのは驚いた。お二人さんのうちのどっちかは錬金術 師だったりするのか?﹂ ﹁その手の職業ってワケじゃありませんが、エルの知識はちょっと したものですよ﹂ ﹁主に褒められるとちょっと恥ずかしいぞ﹂ エルが顔を赤くしながら下を向く。 誰がどう見ても誇れるスキルなんだからもっと胸を張っていいと思 うぞ。 ﹁オマケに戦闘力もそれなりなんだから驚いた。この間の三馬鹿な んて今じゃお前の腕っ節に心酔しちまって本人無視で兄貴扱いなん だぜ?﹂ ﹁は?﹂ 607 えっと、三馬鹿といわれて出てくるのはこの間のアレしか思いつか んのですが⋮⋮。 ぼっこぼこにされておきながら兄貴扱いとか意味不明なんですけど ⋮⋮。 ﹁あの、それって僕が鼻潰しちゃった人達の集まりですよね?﹂ ﹁おう、おかげで一日大爆笑だった。今じゃ治療術師のおかげです っかり元通りだけどな﹂ ﹁恨まれるならともかく心酔されるとか僕の理解の範疇外なんです けど﹂ ﹁俺にもあいつらの頭の中は理解できん。⋮⋮それよりも、その、 悪かったな。最初に来たときにギルドカードも何もかも信用してや れなくて。二人だけでドーラ山脈周辺を歩って来れるなら冒険者と してやってくには十分過ぎる﹂ ﹁なんで僕らの歩いた辺りを知ってるのかが気にならなくもないで すけど⋮⋮。とりあえずそれは置いときます。信用に関しては⋮⋮ 悲しいことに慣れてるのでいいです。あきらめてますから。でも、 良ければそう判断するに至った理由だけでも聞いていいですか?﹂ ﹁そういうのはあんまりいいわけ臭くて言いたくないんだが⋮⋮。 まずはその手だ﹂ おもわず自分の手のひらを広げてまじまじと見つめてしまったが、 特に何かあるはずもない。 エルもワケが分からないといった様子で首を傾げてて不思議そうだ。 ﹁冒険者ってのはな、少なくとも一人前程度になればどいつもこい つもそれっぽい手になるもんだ。男だろうと女だろうと長いこと剣 や杖を握ればどうしてもそうなっちまう。次点だとその年齢。ちょ うどそのくらいの御貴族様は自分の力を過信して依頼を受けたがる。 大抵の場合、危機に陥る前にビビッて逃げだしちまうし、それでい 608 て責任を取るなんてこともないから始末が悪ぃ﹂ 畜生。ここでも貴族か。 最初のガルトのときもそんな扱いを受けたような記憶があるし、次 の王都のときもやたらと丁寧ながら依頼は受けさせないような雰囲 気があったんだよっ! 自分の行動に問題があまりない場合、それを解決するのは想像以上 に困難なんだぞ⋮⋮。 ﹁ま、結局どんな理由をつけたところでお二人さんの力と知識を見 抜けなかった俺がマヌケなだけなんだけどな⋮⋮﹂ ﹁現実的かどうかはさておいて、問題解決のためには徐々に難度の 高い仕事をして名声なりを集めるくらいしか手の打ちようがないで すよね。それ﹂ しかも仮に苦労して有名になったとしても、今度はそれが原因でト ラブルになることだって決して珍しい話じゃない。 中途半端な奴から決闘を挑まれたりであるとか、パーティに入れて くれとせがまれたりであるとか、難度の高い依頼を勝手に振られた りであるとか。たまにパチモノが出てきたりであるとか。 下手をすれば貴族よりもいい生活が出来る身分だけあって、気の休 まる暇がなさそうだ。 そもそも僕らじゃそういう風になれないので考えるだけ無駄なんだ けどさ。 ﹁せめて拠点間で情報のやり取りを行う魔道具が完成してくれれば また話は変わって来るんだがな⋮⋮﹂ ﹁ウィスリスで現物見てきましたよ。一日稼動させるための魔力を 用意するのに必要な触媒だけで立派な邸宅が建つくらいの費用をど うやって抑えるのかで議論になってましたけど﹂ 609 ﹁俺が生きてるうちに手に入ると思うか?﹂ ﹁もともと古代遺跡では利用されていた技術みたいですし、基礎構 造自体もそれほど難しくはないみたいなので意外とスパッと行きそ うな気もします。ある意味その辺は僕ら冒険者の活躍具合に影響さ れそうですね﹂ ﹁なるほどな。︱︱さて、話は変わるが二人はしばらくこの辺りで 活動するつもりなのか?﹂ ﹁いえ、狙ってた遺跡が空振りだったので移動します。次の目的地 はタルノバ辺りですよ﹂ ﹁⋮⋮そうか。なら一つ俺から依頼を受けないか?﹂ ﹁えっと⋮⋮、移動しながら受けられるのであれば﹂ ﹁なに、大した依頼じゃない。タルノバに向かう最中に東側の街道 を通りつつ適当に魔獣を片付けてくれればいいだけだ。依頼報告を 向こうでやればある程度の信頼だって確保できるだろ?﹂ うん、これは、凄く助かる。 単に始末しただけでは信用されない可能性が高いが、トロフィー代 わりに適当な換金部位を切り取って持ち帰れば問題あるまい。 ﹁うむ。素晴らしい依頼だな。森林戦での殲滅力に定評がある主に 任せれば一発だ﹂ ﹁確かに遺跡探索とか物品の護衛とかよりは向いてるけど殲滅力に 定評ってなによ﹂ ﹁ん、リュースが主のことをそう評価してたぞ? ほら、ガルトか らウィスリスに来る途中の道でバチバチ迎撃していたではないか﹂ ﹁なんだか良く分からんが自信がありそうで何よりだ。よろしく頼 むぜ﹂ ﹁ええ、任されました﹂ 突き出されたギルドマスターのこぶしを軽くグーで叩き、にやりと 610 笑う。 そのしぐさがあまりにも似合ってなくて、後でエルに笑われたのは ご愛嬌って奴だよね? 611 1 街道、という言葉を聞いたときに思い浮かべるものといえばなんだ ろう。 たぶん日本史が好きなら江戸時代の五街道、世界史が好きならロー マ帝国時代辺りのアッピア街道なんかを思い浮かべる人が多いんじ ゃないかと思ってる。 いずれにせよ国家レベルの組織によってきっちりと整備された、ヒ なんて言葉をフマース トモノカネが大量に動く国家の大動脈的なものであることを否定す 東側の街道での清掃作業 る人は少ないはずだ。 だからこそ僕は のギルドマスターから聴いたとき、ある程度トロフィーを探して森 林地帯に立ち入る必要があるかもしれないとすら考えていたわけな んですが。 ﹁正直に述べさせてもらうならば、いつのもワンピースをやめてカ ーゴパンツに履き替えたのは大正解だった。こいつを着たままだと 主と同化出来ないのが多少不便ではあるが⋮⋮﹂ ﹁これをいつもので歩くのは素足でガラスの敷き詰められた道を歩 くのと大差ないって。しっかし丈夫な服装は野外生活の基本だけど、 ここまでそれが必須と言い切れるような場所を街道と言い張るのは どうなんだろ﹂ 日本国内ではありえないほどの太い幹の樹木が乱立し、日が少しし か届かない地面にはヒザ下くらいまでの小低木が全てを覆い隠すよ うに茂っている。 612 多くが蔓のようなもので構成されたそれらの表面には無数のトゲが 生えていて、油断していると容赦なく皮膚を切り裂き、チリチリと した痛みによって自己主張をしてくるのが鬱陶しい。 歩き出した当初は人よりやや細いくらいの幹が目立つ落葉広葉樹林 が広がっていたのに、半日も歩いてきた辺りから徐々にスギと良く 似た︱︱それよりもかなり太く、大きいが︱︱樹木が目立つように なり、同時にこの有害で危険な植物が大地を席巻するようになって きたのだ。 これで安全地帯は二人が並列にぎりぎり歩けないくらいの太さの獣 道しかないんだからツライ、っていうかこれを街道と呼ぶしかない のは即刻庭師を呼んで管理をしてもらいたい程度に遺憾である。 ﹁出る前に聞いたが、西側の街道が出来てからは利用率が極端に下 がったらしい。予算に厳しいこの国が利用率の低い道を整備する可 能性は⋮⋮まあ、あまり期待しないほうがいいぞ﹂ ﹁おかげで魔獣の数には困らないのが唯一の利点か。涙出そう﹂ ﹁無理に換金部位を取らなくても大丈夫なんて言ってたのはたぶん これが原因だな。⋮⋮ん、10時方向に再びターゲットだ。距離は 250でこちらにはまだ気づいてない。遠くて分かりにくいがたぶ んリザードマンが二匹程﹂ ﹁了解。叩いた段階でもう一方は逃げるだろうから狩ったとしても 獲られる対価は一匹分だけか。また剥ぎ取りに行くだけで痛い思い するんだろうなぁ⋮⋮﹂ これで今日に入ってから既に5回目のエンカウント。 普通の街道なら三日に一度、自然林でも一日に二度くらいあれば多 いほうだというのに、瘴気が多いこの辺りでは魔獣が大変に生まれ やすく、自然と触れ合うには本当に最適だ。 613 脳みそのどこかで勝手にループしていたサファリパーク専用のBG Mを意識してカットし、肩にかけたライフルをゆるく構える。 リザードマンのようないくつかの生物は、体温と外気温に大差がな マン なんて単語がつくとは到底思えない、くすん いので熱感知によるターゲットの強調表現が出来なくて狙いづらい のが欠点か。 名前の末尾に だ刃物を持った人間サイズの二足歩行式トカゲが木々の間を縫うよ うにして進んでいくのをじっくりと観察すれば、そのうち撃つのに 最適なタイミングだって見えてくる。 進行方向を予測し、射線の通る場所に照準を置いて軽く一息。 あとはもう簡単なもので、ターゲットがレチクルの中心より僅か手 前に来たタイミングで魔術を放つだけ。 シアの落ちる︱︱細いガラス棒を折るような︱︱感覚と共に放たれ た、音速の二倍以上の速度で飛翔する氷柱がリザードマンの致命部 位である首の辺りに突き刺さり、それは糸が切れた操り人形のよう に地面へと崩れ落ちる。 ﹁ダイレクトヒット。頭が飛んだぞ﹂ ﹁ん、もう一匹は見える?﹂ ﹁いや、主の予想通り森の奥へ逃走したみたいだ。探すか?﹂ ﹁いいよ。面倒くさいしかったるい。街道を歩きながら見つけた奴 以外を何とかするのは依頼の範疇外だからどうでもいいし﹂ どの道、戦果確認用のギルド員も同行しないこの依頼じゃ大した額 にもなるまい。 目的だってお金じゃなくて、単にこの手の依頼を達成できるだけの スキルがあることをタルノバのギルドで証明することなんだから、 614 最低限の条件さえ満たしているならあとは楽なほうに流れたい。 触っただけで軽い怪我をしかねない蔓の大地を、高出力のスタンロ ッドで焼き切りながら進むこと数分程度。 ようやくたどり着いた首の無いリザードマンの死体から、換金部位 である尻尾の先にくっついたクリスタルのように輝くなにかで出来 たトゲトゲを切り取ってドロップポーチへと放り込む。 ﹁ふぅ、これでまた先に進め︱︱﹂ ﹁ないみたいだな。今の音は魔術か?﹂ ﹁しかもなんか全力でこっちのほうに向かってきてる気がするんだ けど﹂ ﹁ついでに馬のいななきと車輪の音も聞こえたぞ。こんな細道を馬 車で全力疾走なんてまともな神経をしてたら出来ないと思うんだが﹂ ﹁出来れば助けてあげたいんだけど⋮⋮﹂ 逃げる馬車を助けるなんていうのは冒険者の臨時収入的にも大変宜 しいのだけど、一点問題が。 歩行者優先なんてルールは地球の、しかも一部の先進国にしか存在 しない。 こんな見通しの悪い道では僕らがいたとしても気づけないで轢くか、 気づいた上で轢くかの二択しか有り得ないわけで。 ﹁とりあえず、様子見で﹂ ﹁うむ﹂ 茂みに身を潜めてしばらく待つと、大地を揺るがすような馬蹄音と 共に二頭立ての馬車が馬鹿に細いこの街道を通過しようとしている のが見えてきた。 圧倒的に街道の幅が足りないので、そこらの小低木を引きちぎりな 615 がら進む様はショベルカーかロードローラーのような印象すらある。 その後ろには意外な速度で馬車を追い立てるトロールが四匹、イノ シシと馬を足して二で割ったようなデザインの乗り物に乗っている のがハチャメチャにミスマッチで思わず三度見直してしまった。 ﹁なにアレ?﹂ ﹁トロールが育てている騎乗用のナードラーだ。単独でもある程度 の戦闘力を持つ危険な魔獣として世の中ではそれなりの知名度なの だが、トロールが乗るともう一般人には手が付けられんな﹂ ﹁めっちゃ興味があるから後でいろいろ聞きたいんだけど、まずは あれどうしようか? 援護しようにも当たるか分からんし、仮に一 騎撃墜したとしても残りに素通りされるよね?﹂ ﹁うむ、打つ手が無いな。早過ぎる﹂ 何せ早いといっても騎馬と比べれば鈍重な馬車だ。 オマケにこんな腐った環境では距離も縮む一方で離れるような要素 は無い。 だからなのか、僕らを通り過ぎてしばらくした馬車は相手を遅延さ せるためのナニカを荷台から蹴りだし、更に速度を上げた馬車が死 に物狂いで逃げてゆく。 しかし、あれはまるで︱︱ ﹁なあ、蹴りだされたのって人じゃないか?﹂ ﹁︱︱っ、間に合うかっ!?﹂ ﹁ちょ、主、待て!﹂ スプリンターも真っ青になるような速度で跳ねるように疾走し、薄 汚い格好をした子供の前まで到着、もうトロールまでの距離はほと んど無い。 616 しかも相手を遅延させるはずだったそれはまるで目標を達成出来そ うになくて、僕らを路傍の石か何かと勘違いしてるとしか思えない 速度で突っ込んでくる。 ︱︱スモーク展開。 ︱︱熱感知眼鏡展開。 ︱︱魔力障壁展開。 煙幕で相手の視界を潰して速度を低減させ、熱感知眼鏡でこちらは しっかり相手を認識、あとは轢かれたとき対策で魔力障壁を展開。 俗に言う、後は野となれ山となれ作戦である。 飛び込んでくるナードラーのうちの一匹を回避して子供もろとも蔦 の海へとダイブ。 狙い通り相手さんの速度はかなり落ちてたので避けるのは難しくな かった。 ついでに煙幕で幻惑してもらって僕らと馬車を見失ってどっかに行 ってくれるとすっごく嬉しいんだけど⋮⋮えぇ、こんなことしたら 相手さんにケンカを買われることくらい覚悟してたよ。 煙の中身を警戒してるのか、少し先から動かずにこちらを見つめる 三対の瞳。 一匹は僕らを無視して馬車のほうに突っ込んでったので、相手にし なくてはならない戦力は先ほどに比べれば多少マシになったか。 ﹁大丈夫。だからちょっとだけじっとしてて﹂ ﹁⋮⋮っ﹂ ぼろぼろの布を被っただけという、およそ服とも呼べないようなシ ロモノの隙間からはがりがりに痩せた貧相な体つき。唯一のアクセ 617 サリーといえば首についた趣味の悪い真っ黒なネックレスくらいで、 あとは本当に何も無くて。 ⋮⋮それに、軽く頭を撫でただけでビクリと全身を強張らせるなん て、この子は一体今までどんな目に遭ってきたんだろう。 でも、考えるのはここまでにしてまずは一セット取らなくては。 蔦の海の中で指先に集めた魔力を展開、発射。 十分な殺意と魔力を込めた12発のフレシェットはブッシュに弾か れることなく、粗雑な金属鎧なんてものをあっさりと貫通して人馬 両方を引き裂く。 瞬間空洞がほとんど発生しない弾種とはいえ、ほんの数十メートル しか離れていない標的にブスブスと複数本も刺されば体内の臓器は グシャグシャだし、当然耐えられるはずも無い。 その場に留まることの危険性にいまさら気づいたのか、二騎のトロ ールが回避機動を挟みながら回り込むようにこちらへと近づいてく るのを確認してから子供を脇に抱えてターゲットへとステップイン。 言うまでもないがここは森の中。 街道を走る馬車を追うならまだしも、こんな場所で直進性に優れた 乗り物を使って回り込もうとしたところで旋回半径は高が知れてる。 だからこうやって相手に近づいてしまえばしばらくの間は1on1 の状況が簡単に作り出せてしまうし、馬上攻撃なんてものは振り下 ろすしかないから威力ばっかり高くても単調で、重装甲に定評のあ る僕の場合だと防御するのは難しくない。 猛烈な風切り音と共に振るわれた馬鹿でかい釘バットによる攻撃を 魔力障壁で軽くいなし、お返しにとばかりに馬のケツをスタンロッ ドで引っ叩いてやればバランスを崩した残念なバディがすっころび、 それぞれの愛する杉の木へダイレクトキス。おぉぅ、痛そう。 618 そして最後の一騎。 挟み撃ちは見事に失敗して傍目にも形勢が不利なことくらい分かる だろうに、復讐の光を目に宿らせてこちらへ飛び込んでくるが︱︱ ﹁むぅ、主は急ぎ過ぎだ。妾が間に合わないではないか﹂ ﹁ごめんごめん、でも結果オーライじゃない?﹂ ︱︱遅れてやってきたエルの魔術によってスパン、と首が刎ねられ 途中で大地に倒れ付す。 毎度おなじみながら威力精度の両面で申し分なく、欠点といえば吹 き上がる返り血を防ぐために魔力障壁を再度展開する必要があるこ とと、ちょっと15歳以下には見せられないような物体が出来上が ってしまうことくらいか。 ﹁確かに主が走らなかったらその子が危なかったかもしれんが⋮⋮。 心配したんだぞ?﹂ ﹁う⋮⋮、ごめん﹂ ﹁ほら、とにかく腕を見せよ。主もそっちの子供もあちこち傷だら けじゃないか﹂ なんの冗談らしいものも含まれず、純粋に心配されるのはくすぐっ たいけど嬉しくて、返せる言葉が思いつかなかった。 そうこうしているうちにエルの治療術による緑色の魔力が僕の腕に 巻きつき、ビデオの早送りでもしているかのような速度で小さな傷 が見る見るうちに消えていく。 ﹁久しぶりにお世話になった気がするけど、やっぱり凄いわ⋮⋮﹂ ﹁ふふん、少なくとも治療に関しては妾に任せておけば万事安心だ。 619 これでも主の言葉で言うところのエキスパートって奴だからな。⋮ ⋮どれ、後はこの子だけか﹂ ﹁⋮⋮﹂ 話しかけても、首輪に触れても、全身に治療を受けて体中から痛み が消えたとしても。 大した反応をすることも無く、歳相応の感情を一切感じさせない虚 ろな瞳はまるで僕らの姿が見えていないかのようだった。 ﹁なあ、主。この子、⋮⋮どうもどこかの奴隷みたいだぞ﹂ ﹁は?﹂ ﹁ほれ、この首輪は奴隷用の⋮⋮名前が思い出せないが、なんとか の首輪といってな。主人の命令違反を行うと様々な罰が与えられる ようになったものだ﹂ ﹁いやいや、ちょっと待ってよ。こんな首輪つけた人なんて結構一 杯居たじゃん。ウィスリスじゃ見た記憶が無いけど王都でもガルト でも見たことあるんだけど﹂ ﹁ん、ひょっとして⋮⋮主の世界だと奴隷って一般的じゃないのか ?﹂ ﹁全然一般的じゃないよ。そういうの使ったら犯罪だから﹂ ﹁それじゃあ犯罪者が罪を償えないではないか﹂ ﹁あぁ、そういう用途がメインなのね。こっちだといろんな処理の 方法があるけど一般的なのは小さい檻に数年突っ込んで洗脳ライク なことするのが普通なんだよ﹂ ﹁⋮⋮それは、残酷だな﹂ ﹁そう? それは置いとくとして、奴隷が大丈夫な国なら持ち主に 返却しないといらん問題のタネになりかねないし、どうしようか?﹂ ﹁それなんだがな。たぶんこの子は正規の奴隷じゃない﹂ ﹁理由は⋮⋮いいや。エルが間違ったこと言うとも思えないし。⋮ ⋮なんか、すっごいトラブルの予感なんだけど﹂ 620 ﹁大丈夫だ。うん、違法奴隷商くらい主と妾が居て何とかならない はずが無かろう。どうせこの先にある街なんてタルノバしかないん だ。途中で馬車が潰れてなければ相手側からぺちぺちとちょっかい が来るだろうて﹂ 楽しげに笑うエルを見ると僕自身も段々と気持ちが上向きになって くる。 考え方を変えれば結構な報酬を貰うチャンスだったり、最近不足に よるデメリットを感じるようになってきた知名度を向上させるチャ ンスでもあるわけだしさ。 だったら隣を歩く無表情な子供のために一肌脱ぐってのも、決して 悪いものじゃない。 621 2 タルノバはもともとフマース城塞都市に物資を供給するための軍港 だった。 だから国全体で見ればかなり辺鄙な場所にあるというのに、港の水 深は軍用の補給艦が余裕をもって運用できるようになっているし、 そもそも規模だって全国の港と比較してもかなりデカイ。 クシミナ聖王国との戦争が終わって数百年が経過した今、ほとんど 破壊されずに残ったインフラは民間で大いに利用され、貿易および 漁港の両面から利用可能な数少ない港として地域住民だけでなく、 国内外の商人たちにも重要な拠点として愛されている。 主だった生産物は魚介類とその加工品、そして海外から輸入した陶 器や紅茶などとなっており、特にガルドラ地方の繊細な意匠がこら された磁器は貴族たちの間で人気があり、国内で手に入れようとし た場合は目玉が飛び出すような価格を支払わなくてはならないこと で有名。 と、ウィスリスの図書館で読んだ地理の試験対策本には書いてあっ た。 実際に街路を歩けば確かにその通りで、王都並みに広く作られた道 を馬車が定期的に行き交ってたり、露店やその他一般の店舗でも見 たことが無いような異国の品物がこれまた手の届きそうな値段で販 売されてたりするので、ただそれらを眺めているだけでも何日か潰 せてしまいそうなほどの観光都市ってのも間違いじゃない。 あぁ、言うまでもないが今もっとも重要な事実は、今居るフードコ ートライクなメインストリートで朝取れたばかりの新鮮極まりない 622 魚介類があちこちで焼かれて美味しそうな煙を立てているというこ とに他ならないんだけど。 ﹁おっちゃん、そのホタテみたいな串三つ﹂ ﹁まいどありっ!﹂ 網の上で焼かれたホタテっぽい貝からは零れ落ちたエキスが木炭の 上に落ち、じゅうじゅうと香ばしくも美味しそうな香りを立てて周 囲の人間の食欲を著しく刺激する。 直径5センチはあるだろう焼きたてのそれを一本の串に二個刺して 販売されるお値段なんと日本円換算で300円ほど。 冷凍物でよくあるような水っぽさを感じさせない魅惑の貝柱は、噛 むたびに旨味の詰まったエキスが溢れ出てくるおかげで少ない調味 料による寂しさを一切感じさせず。非常に、美味しい。 ﹁むぐ⋮⋮。採れたてだから繊維もしっかりしてて歯ざわりもいい し、言うこと無い。幸せだ⋮⋮﹂ ﹁バターを乗せるなんて脂っこいかと思えば全然そんなことも無い な。これなら幾らでも食べられる自信があるぞ﹂ ﹁⋮⋮むぐ﹂ もそもそとホタテを食べる彼女の姿は相変わらずで、目に光も無け れば声も無く、そして表情すらも無い。外見から年齢を予測するに 10歳前後だというのに、だ。 性別が分かったのだって全身が薄汚れたのを鬱陶しく思ったエルが すっぽんぽんに彼女を引っぺがして上から下までじゃばじゃば洗っ たときにあるべきものが無かったから気づいたくらいなのだから。 現在はもともと僕が羽織ってたセージグリーンのクロークを頭から すっぽりと被り、ぼさぼさだったハチミツ色の髪の毛もエルがそれ なりに手入れをしたおかげで随分とマシになったと思いたい。 623 ﹁ほいうか、んぐっ⋮⋮ギルドには行かなくて良いのか? その子 の話をしなくてはなるまい﹂ ﹁まだいいんじゃない? どうせって言っちゃうとマズイ気もする けどこの様子じゃ自分の町に戻ってきたってワケでもなさそうだし﹂ ﹁そうか、その辺のハンドリングは主に任せる﹂ ﹁ん、了解。ということで次はあそこのエビにしようか。さっき向 こうのほうから今年のエビは例年よりも丸く肥えてて美味しいって 話し声が聞こえたから楽しみだ﹂ ﹁⋮⋮その聴覚って他に役立てたらもっと役に立ちそうだな﹂ 結局︱︱ 丸々と太った剥きエビを二串、ホタテを三串、あわびみたいな食感 の微妙に香りとかが違う貝を一枚、ニシンくらいの大きさの魚の干 物を丸まる一匹、油の乗った牛肉のような串を二本、アンチョビの ような味わいの塩蔵魚類を使ったサンドイッチが一つ、近くで取れ たキノコを大量に使ったチキンスープが二種類あったのでそれぞれ 一杯ずつ。 ︱︱以上、僕とエルの朝食兼お昼ご飯でした。 途中から元奴隷の彼女が食べなくなったせいで、いつもよりハイペ ースに食べ物を消費したような気がしなくも無い。 ﹁うはぁ⋮⋮。おなか一杯⋮⋮﹂ ﹁久しぶりの海の幸だったからな⋮⋮﹂ 胃の中にどっさりと美味しい食べ物が詰まった多幸感に包まれなが ら、ベンチに背中を預けてぐったりするのは冒険者の数少ない贅沢 だと僕は本気で思っている。 こんなに食べても今のとこ肥える事も無く、運動量が大量に増加し 624 たおかげもあってむしろ体つきは引き締まってきた今日この頃。 食べたいだけ食べての異世界ダイエットとかどうだろう。 多少の命の危機とトレードオフになるが確実な痩身効果があると分 かればやりたがる人は意外と居るんじゃなかろうか。 ﹁このままお昼寝なんて、っていうのもいいんだけど﹂ ﹁いい加減ギルドに行くべきか。あんまり遅くなって担当者が居な かったりすると面倒だからな﹂ ◆ タルノバのギルドは海に面した通りから少しだけ離れたところに存 在していた。 近くに宿が無かったり、外郭から意外と遠かったりするのでその他 の都市のギルドに比べるとアクセス面で宜しくなくて不思議だった のだが、どうも最初はこの辺りが一番端っこだったらしい。 戦争終了後に利便性を認識した商人達やそれに釣られて移動した一 般の人達が増加し、その結果収まりきらなくなった外郭を崩して新 しく作り直し、そしてまた人が増えてなんてループを百年単位で繰 り返した結果だといわれると非常に感慨深いものがある。 ﹁あら、いらっしゃい。依頼の方かしら?﹂ ﹁こんにちは。突然なんですが少し調べてもらいたいことがありま して⋮⋮﹂ 625 想像していたよりもずっと重い内開きのドアの先はギルドらしから ぬ清潔感のあるものだった。 内壁はストーブの煙で多少あれだが、落ちる汚れは綺麗にふき取ら れているおかげか汚いというよりも燻されたなんて表現がぴったり で、格好いいイメージが強い。 室内では食べ物も扱っているのに床は綺麗でゴミも落ちてないし、 掲示板もどこかと違って整然とまとめられていて好印象。 ぶっちゃけ潮風で随分とやられていた外壁や看板から想像していた ものより遥かに綺麗で、それを顔に出したら心象がいきなり最悪に なりそうだったのでポーカーフェイスを維持するのに苦労した。 ﹁なになにっ!? 三人とも可愛いから依頼ならなるべく安く受け 付けてあげるわよ?﹂ ﹁⋮⋮いえ、そういうのじゃないんで﹂ 珍しく年若い女性のギルドマスターらしき人だったから思わずじっ くりと見てしまったから気づけたが⋮⋮。 にこやかな笑みを浮かべて声も楽しげなのに、目だけはこちらを探 るように上から下まで見られるとか⋮⋮少し、不愉快だな。仕方な いんだけど。 ﹁じゃあ少年の知りたいのは奴隷の取り扱いとか管理とか?﹂ ﹁よくわかりますね﹂ ﹁その子の姿を見れば大体ね。がりがりに痩せた、酷い扱いを受け た奴隷にしては着てる外套の品質が高過ぎるわ。まあ、あちこち回 る冒険者が拾ってくるのはそう珍しい話じゃないから予想できたっ ていうのもあるけど﹂ ﹁なら、まずはこの子についての話を進めさせてもらっても良いで 626 すか?﹂ ﹁構わないわ。あんまりほかの人に聞かれたいものじゃないから奥 まで着いてきて﹂ ﹁お願いします﹂ ﹁⋮⋮ん﹂ カウンターの向こう側へと歩き出したギルドマスターの後ろを着い ていこうとすると、彼女が無表情ながら不安げな様子で僕のポロシ ャツを掴んできたので、安心させようかと思って頭を撫でようとし たら全力で逃げられて今度はエルに張り付いた。 ぁぅふ、ショック⋮⋮。 ﹁主、こういうのはゆっくりと慣れさせなくちゃ駄目だぞ﹂ ﹁精進するよ⋮⋮﹂ たぶん、外から見て分かる程度にはがっくりと肩を落としながら到 着したのは防音性を十分に感じさせるほどの重厚な扉の先、十畳ほ どの空間には三人ほどが座れるふかふかの本皮製ソファ︱︱たぶん 魔獣の革だけど︱︱が二つ、間には飴色で重そうなローテーブルが 一つあって茶菓子まで用意されていた。 ﹁さてさて、じゃあどういう理由でこうなったのかを聞かせてもら おうかしら﹂ ﹁先に言っておくとこれは僕らの視点の話なので、正しいかがイマ イチ判断つきません。なのでその辺りも加味しながら聞いていただ ければと思います﹂ ﹁任せなさいっ。伊達にギルドマスターを20年もやってな︱︱い やいや、うそうそ。伊達にギルドマスターになれたばかりじゃない わよ﹂ ﹁⋮⋮﹂ 627 燃え上がるような赤髪は軽くウェーブがかったセミロング、瞳も同 色で見た人に活力を感じさせるような印象が非常に強い。 どことは言わないけど出る所もでてるし大変に女性らしい体つきを していて、顔やあちらこちらの肌のつやを見ても年齢を感じさせる ような要素は無い、のだが。 ﹃こうも年齢を感じさせないとか精霊みたいなんだけど﹄ ﹃向こうは間違いなく人間だがな。ギルドマスターということはあ れで四、五十台の可能性が高いんだから恐れ入る﹄ ﹃やっぱり⋮⋮﹄ 化粧の技術が凄まじいのか、はたまたファンタジックな魔術的要素 が凄まじいのか。 いずれにせよ相手さんが洞察力に優れていることを省みれば、おそ らくこれ以上考えるのは今回の事件を片付けるためにプラスでない ことくらい分かるので、これ以上は止めとくが吉か。無駄だし。 ﹁えっと、事の始まりからですが⋮⋮﹂ ︱︱カチャリ、とカップを置く音が僕らしか居ない室内に響き渡る。 その場に居るのは僕とエル、そしてギルドマスターであるアナッサ さんの三人だけ。 首輪の調査のために最初は別室であれこれしていたのだが、それが 終わった辺りで緊張の糸が切れたのかベッドに倒れこんでそのまま 眠り込んでしまった。 628 微妙に脱線しつつある空気をなんとか戻そうとしたせいで、しっか りとした説明用のストーリーが頭に浮かぶ前から始まってしまった 解説ではあったが、しばらく話せば相手側の聞きたいことや想定し たいことも見えてくる。 途中でお茶と茶菓子の交換︱︱蜂蜜をたっぷり使ったラスクで、非 常に美味しかった︱︱した頃にはすっかり打ち解けながら必要なの 情報の伝達くらいは出来ただろう。 ﹁なるほど、大体つかめたって感じかしら﹂ ﹁⋮⋮質問の大半が僕とエルの個人情報ってところに不安を感じて しまうのですが﹂ ﹁だってこんな可愛い子が冒険者やるなんていわれたらそりゃ気に なってしょうがないでしょ。正常よ正常。これこそが普通っていう か結局全部は喋ってくれないのね﹂ ﹁世の中には個人情報保護法という比較的最近出来た法律があって ですね﹂ ﹁少なくともファルド王国にそんなもの無いわよ。全く何処の国の 人なのかしら﹂ ﹁まずそういう時は僕が嘘ついてるってことを考えましょうよ﹂ ﹁私にはそう見えないわね。ユート君が童貞なのは間違いないみた いだけど﹂ ﹁⋮⋮微妙に悲しいのでそういうの繰り返すの止めてもらえません ?﹂ ﹁全くだ。主が童貞であることの何が悪い﹂ もう帰りたい。三割くらい冗談だけど。 ﹁もう、もういいですから⋮⋮。それで、奴隷刻印の確認って取れ ました?﹂ ﹁たぶん模造品ってとこまではね。実際に確認して首から取るのに 629 専用の技術者を呼んどいたから。大体一週間くらいは待ってもらえ るかしら﹂ 奴隷刻印の首輪を無理に外した場合、中に詰まった魔力によって体 内の各器官に重篤な障害を与えるということで、その致死率は非常 に高い。 確かに密着状態では魔力障壁もさして役に立たたんし、体内で発動 する魔術だった場合は防ぐことすら不可能なので良く考えられてい る。 最悪奴隷をいびるために利用するコマンドを見つけた上で連呼して、 首輪の魔力を完全に消費した状態で無理やり取るなんて手法しかな い可能性もゼロじゃなかったので、ちゃんとした技術者が来てくれ るというのは正直、ホッとした。 ﹁後、違法奴隷商に関して警備隊に連絡するときユート君とエルち ゃんの話しもしちゃったから、もし向こうから何か聞かれたらなる べく協力してあげてくれないかしら?﹂ ﹁了解です。僕らはそろそろ彼女を連れて出発するので、何かあれ ば⋮⋮あとで宿の場所を連絡するのでそちらまでお願いします﹂ ﹁ええ、もろもろよろしくね﹂ 長いようで短かったギルドでの打ち合わせもこれにて終了。 思えばノントラブルで依頼の話を出来たのって今回が初めてだった ような気がする⋮⋮。 フマースでも言われたとおり、初見のギルドに行く場合はある程度 実力を証明した上で話すのが極めて有効というのは嘘じゃなかった。 万歳。 630 2︵後書き︶ ﹁夕食のチキンソテーは美味しかったよね﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁ねえ、いつまでも君とかじゃよろしくないし名前を聞いちゃ駄目 かな?﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁その、無視とか酷くね? 僕泣くよ?﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁駄目だ。全くコミュニケーションが取れないっ⋮⋮!﹂ ﹁なんせなんの反応も無いからな。喋れないなら首を振るとかある と思うのだが、それすらもしないなんていうのは妾も初めてだ﹂ ﹁体に触ろうとしたときに嫌がられる以外だと基本無反応なんだも ん。半ば無理やり負ぶって来ちゃったから嫌われてるんだろうか⋮ ⋮﹂ ﹁こればっかりは時間が解決するのを祈るしかあるまい。とりあえ ずいつまでもあの子とか君なんて呼び方も良くないからあだ名くら い必要なんじゃないか?﹂ ﹁確かに、それは僕も思ってた。でもなかなかいいのが思いつかん のよ﹂ ﹁うぅむ⋮⋮。あんまり変なのは駄目だし、意味が無い名前なんて 酷いし、そう言われるとどうしたものか⋮⋮﹂ ﹁あとで思いついたの言ってぴったりなのを見つけよっか﹂ ﹁ん、了解だ。きっといい名前をつけて見せるぞ﹂ 631 3 ﹁聞いてはいたし、ある程度なら予想もしていたけどこれは⋮⋮﹂ ﹁想像以上、だな﹂ 境界線が見えなくなるほどの青い海と青い空。 沿岸部から伸びる木造の桟橋には馬鹿でかい船が大量に連なり、辺 りを行く船乗り達の雰囲気は久々の陸ということもあってか底抜け に明るく、酒に酔ったような雰囲気すら感じられる。 もちろん仕事中なので大変そうにしている人達も多いが、休憩中の 船員たちは楽しげに仲間たちとパイプを吹かしてたり、何かで盛り 上がってしまったのか海へと飛び込む人もちらほらと。 後ろを見れば無数の露天商たちが自慢げにガラクタにしか見えない 何かを観光客と思しき人々に売りつけてたり、価格交渉をするカッ プルなんかも居ちゃったりする。 そんなエネルギッシュ極まりない光景を日常的に見られるのがタル ノバ第三区域、地元民には交易広場と呼ばれてるここが今回の僕ら の目的地である。 ﹁さあさあっ! 主、海ばっかり見てないで早く行くぞっ!﹂ ﹁待ってよ。そんな急がなくたって露天商は逃げないからっ!﹂ ﹁何を言う。売り物は有限なんだから急がなくては売り切れの憂き 目に遭う可能性が増してしまうではないか﹂ 元気よく引っ張るのがエル、それに引きづられるかのごとく進むの が僕とファム。 632 そしてそれを獲物か何かのように見つめる露天商が何人か。 たぶん、年頃の女の子に引率される少年とそれをテクテク追う少女 の組み合わせなんてもんは周りの目を集めるのに十分過ぎたんだと 思う。 特にエルはぱっと見た限り世間知らずなお嬢様のように見えなくも 無いので、年若い従者二名︱︱真に遺憾ながら僕とファムのこと︱ ︱を連れているように思われたとしたらそれはもうしょうがない。 しかも、あれこれ使い道も分からないような交易品を見ながら目を キラキラと輝かせたりするものだから、商人の目からすればそれは それはカモりやすいように映るだろう。 悲しいことにエルは目的の品以外を買うつもりなんて欠片ほども、 それこそ梅干の中に含まれる青酸配糖体ほども存在しないので、彼 らのアクティブな営業活動が報われる日は永遠に来ないけどさ。 どうでも良いけど実は僕、あの梅干の中身が意外と好きで⋮⋮って いかん。下らんことを考えてる場合じゃないし、気づいたら後ろを ついてくる彼女の、ファムの速度が遅くなりつつあるではないか。 ﹁エル、ストップストップ。あんまり急ぐとファムが間に合わない﹂ ﹁う、そうか⋮⋮。それならばこれ以上急ぐのは駄目だな⋮⋮﹂ ファム︱︱奴隷だった彼女に対し、僕らがわりと意味などを考慮し ながらつけた愛称は、果たして気に入られたのだろうか。 この世界の神話に登場する農耕関係の女神様の名前をアルファベッ トに置きなおした上で多少改変した程度なのでそれほど悪くないと 思うのだが⋮⋮。 とりあえず名前を呼ぶと振り向くくらいはしてくれるようになった し、適当な質問対してに頷く程度にはなったので、僕らとの関係と いう意味だと一歩前進だと思いたい。相変わらず触ろうとすると逃 633 げられるけど。 ﹁いくら楽しみだからってそんな焦らんでも大丈夫だよ﹂ ﹁しかしだな。主の話を常日頃から聞いている妾としては今回の探 索は楽しみで仕方が無かったんだ﹂ ﹁そんなにお米と醤油が気になる?﹂ ﹁もちろんだっ!﹂ 即答だった。 ⋮⋮少し、地元の調味料について熱く語り過ぎたかもしれない。 以前から醤油が欲しいだの味噌が欲しいだの米が欲しいだのと僕が 言ってたせいで、エルの輸入の穀物に対する期待感は留まるところ を知らず、思い出してみれば今日は朝からやたらとテンションが高 かった。 タルノバ到着初日は海の幸を食べて満足してたものの、二日目三日 目とギルドの依頼でハイキングがてらファムを連れて薬草採取をし ていたもんだから、実はエルに見えないストレスが溜まってたとし てもおかしな話じゃない。 ﹁んじゃ一個いっこ見てこうか。これだけあれば醤油だの味噌だの は無かったとしても見慣れない調味料の一つや二つはあるだろうし、 そしたら次のハイキングでは美味しいかはさておき新しい料理が食 べれるよ﹂ ﹁妾ならともかく主が作って不味くなるというのは少し予想がし辛 いな﹂ ﹁味見しながら少しずつ調味料を足せば食べれなくなるようなもの が出来る可能性は低いよ。エルはめんどくさがってまとめてどばっ と入れちゃうからたまに失敗するんだって﹂ 634 エルは、料理の工程のうち味付けが苦手だ。 これに気づいたのはいつだったか。結構昔だったような気がする。 魚を炙って塩を振るくらいならなんでもないが、調味料を一度にま とめて入れる癖があるせいで時折大失敗の憂き目に遭う。 ﹁だって味見をしてたらその分完成品が減るではないか﹂ ﹁美味しいもののためにはそれくらい許容しようよ。⋮⋮それより、 あの辺で売ってるの穀物じゃない? しかも販売してるのは異国風 の男性。これは期待出来るかも﹂ 大通りの少し向こうで麻袋に入った穀物をはかりで売る露天商が数 名ほど。 全員がややだぼっとした薄オレンジのローブに身を包んでて、この 辺りではやや見慣れない印象を周囲に抱かせる。 僕もエルと同じようにわくわくしながら近づいてみれば確かに見慣 れない穀物もあり、いくつかのものに至ってははどうやって調理す れば良いのかすら分からない。 ただ、ソラマメサイズの小豆なんて普通に茹でて塩を振っただけで 美味しいだろうし、茶豆ソックリのそれは恐らく同じようにしてし まえばビールの親友になることは間違いあるまい。 ﹁これは随分と珍しいお客さんですね﹂ ﹁そうですか?﹂ どれを買ってビールのつまみにしようかとニヤニヤしてたもんだか ら、急に話しかけられてビックリした。 ﹁ええ、穀物を買いに来てそんな笑顔を浮かべる人なんて居ません 635 よ。あっちで売ってる菓子類ならともかく﹂ ﹁意外と豆類が好きな人は多いと思いますけど﹂ ﹁それよりも主。コメはないのかコメはっ!?﹂ ﹁んー⋮⋮。たぶんここにはないんじゃないかな。店の穀物ってこ れで全部ですよね?﹂ ﹁残念ながら。これでもこの辺りじゃ種類の豊富さが自慢だったの ですが。少し悔しいので差し支えなければどんなものなのか伺って もよろしいですか?﹂ 自分の知らない新たな商材に興味があるのか、悔しいといいながら も楽しげな表情を浮かべる青年に対して大雑把な米の説明をしてい くと、一言僕らに教えてくれた。 ﹁それは、ひょっとするとラルラの実が近いかもしれません﹂ ﹁なん、ですと⋮⋮?﹂ ﹁この辺りだとあまり人気がないので取り扱ってる商店はほとんど 有りません。どちらかといえばお酒に加工された物のほうがいくら か有名なので、酒屋に行ってシードラというお酒を探してみてはい かがでしょうか? ひょっとすると手に入るかもしれませんよ﹂ ﹁重要な情報ありがとうございますっ!﹂ ﹁今後も私共の店を贔屓にしていただけるならこれくらいなんてこ とはありません﹂ にんまりと笑う穀物商人へのお礼の意味も含めて興味のあったいく つかの豆類を大目に購入し、続いて向かうのはお酒を取り扱う商人 が多いエリア。 世界が変わったくらいじゃ船員が浴びるように酒を飲む事実は変わ らない。 だからタルノバにはお酒を飲める場所がアホみたいに多く、僕らの 636 所持金では一度入っただけで素寒貧になるような超高級店から貧民 でも問題ないような立ち飲み形式のお店までその種類は様々。 当然、販売されているお酒のカテゴリも多く、今まではワインかビ ールくらいしか選択肢が無かった中、ここでは数多くの蒸留酒や異 国の酒類が並んでて、ボトルを見るだけでも楽しいくらいなのが素 敵。 そんな無数に存在する飲み屋さんの中にあった一本。 緑色のビンに入ったシードラは先ほどの商人の言うとおり、確かに 日本酒と良く似たものだった。 ﹁ふむ、良い香りだ﹂ ﹁僕はまさかこんな形でお米に再会することになるとは思わなかっ たよ﹂ 水色は他の酒類と比べて薄く黄色に濁ってるおかげで良いとは言え ない。 だけど、グラスから香る果実のような芳香と水のような舌触りは滑 らかで、一度口に含むとバナナのような含み香が感じられる。 飲み終えた後にふわりと香る吟醸香は主張し過ぎずさらりと流れる 辺りが非常に素晴らしく、自分の中での日本酒のイメージがスコン ッと変わってしまった。 ﹁これが主の国のお酒か。かなり、美味いな﹂ ﹁僕もビックリした。こんな美味いなんて﹂ ﹁⋮⋮なんでビックリしてるのだ?﹂ ﹁日本酒といったら安い・不味い・悪酔いの三拍子揃ったイメージ が強くて、こんなにも美味しいもんだとは毛ほども思ってなかった んだよ。ひょっとすると高かったからこんなに美味しかったのかも しれないね﹂ 637 ﹁そういえばこんな小瓶一本でも半銀貨一枚。冒険者をやってなけ ればなかなか飲めるような酒じゃないのも確かだな﹂ ﹁あとエル。この酒のアルコール度数は低くないからそうやってフ ァムに飲ませようとしないこと﹂ ﹁主と妾だけが楽しむのは不公平が過ぎるじゃないか﹂ ﹁そういうと思ってさっきジュース買ったじゃないか。あれだって 負けず劣らずの最高級品だよ?﹂ 相変わらず冷めた目の彼女が持つのはきらきらと輝く一本のビン。 僕らの日本酒と比べれば遥かに意匠を凝らしたデザインのそれの中 身はやはりそれ相応で、フィフィと呼ばれる洋ナシに良く似た馬鹿 に高い果実のストレートジュースが缶ジュース一本くらい入ってい た。 売り文句は健康に良いとか万病に効くとかそういうのだったので、 あまり調子が良さそうには見えないファムにぴったりだろうと思っ て買ったのはたぶん正解だったと思う。 ﹁昼間っから気前の良い兄ちゃんだな。どっかの船員か?﹂ ﹁これでも一応冒険者なんですよ。最近一仕事終えたので市場を見 て周ってたら興味深いものがありすぎてこんな有様ですけど﹂ そうかそうかなんて楽しげに笑う店主に適当な愛想笑いを返し、さ てさて次は僕もジュース辺りを飲んで誤魔化しておこうかと思った とき、大きな音を立ててドアが開かれる。 入ってきたのはおよそ酒を飲みに来たとは思えない様子の衛兵が数 名、全員が帯剣していておっかないことこの上ない。しかも目が合 ってしまった。 ずかずかと近づいてくる武装集団に嫌な予感を感じつつ、間違いで 638 あってくれなんて願いが叶うはずもなく︱︱ ﹁お前さんがユートだな﹂ ﹁そ、そうですが⋮⋮何用でしょう?﹂ ﹁例の件で進展があったから少し話をしようと思ってな。面倒だと は思うが兵舎まで来てくれ﹂ その、なんだ。ファムが居るから行くのはやぶさかじゃないんです よ。 ただ、明らかに血によって出来た黒いシミが散見されるような服装 で人のことを呼ぶのは出来れば止めていただけないでしょうか。非 常に恐ろしいのです。 639 4 ふわりとタバコの紫煙が狭い室内の天井へと昇っていく。 タルノバの警備を一手に引き受ける警備の方々に連れてこられた先 は小さな部屋だった。 光のほとんど入らないくすんだフィックス窓と最低限の工数で作ら れたに違いない簡素なイスの座り心地は今二つ、同じく微妙な出来 の机にはたっぷりの吸殻が残っていたりするものだから居住性に関 してはお世辞もいえないほどによろしくない。 ついでに言えば真昼だってのにトリチウムの光が薄ぼんやりと認識 できる程度には暗いのもマイナスポイントだと思うんだ。 ﹁これが応接室っていうんだから申し訳ないよ。ほんと⋮⋮﹂ ﹁いえ、その、なんというか。大丈夫です﹂ 申し訳なさそうな様子の若手の人に対してマトモなフォローすらで きないこのありさま。 しかも、先ほどから何人かの衛兵たちが紙巻タバコに近いものを吸 っては部屋から出て行ってる辺り応接室とは名ばかりで、実際には 喫煙室なんて呼び方が正解なんだろう。 ⋮⋮しっかし暇だ。 いまいち要領を得ないまま捕まってから待機することもう二時間に なろうかというところ。 何か事件が起きたのか、いつでもそうなのかはわからんけど、署内 が蜂の巣をつついたような騒ぎになっているにも関わらずタバコを 640 勧められたり飲み物を勧められたりと、先ほどからの扱いを考える に少なくとも犯罪的な何かで確保されたわけではないようなのだが。 この状況に耐えられなくなったエルがファムにオセロを教えながら 遊び始めたのが一時間前、こうなると二人に声をかけて邪魔するの も気が引けるし、かといって目の前の衛兵さんと気楽に世間話が出 来るような状況でもない。 外ではお昼を告げる鐘が鳴ったりしてるのでそろそろ動きがあって もいいとは思う今日この頃。 ﹁う、そこはっ⋮⋮!﹂ ﹁⋮⋮﹂ いつの間にかルールを十二分に把握したファムとエルの白熱したオ セロ対決に羨ましい思いを抱きながら、近くで買ってきた周辺観光 ガイドをぺらりぺらりとめくっていく。 魚介は十分堪能したから次は山の幸か、それともあちこちの地ビー ルや果実酒を狙うか、それとも風光明媚な観光名所を狙って次の国 に移動したりとか。 あとは⋮⋮。 ﹁うぅむ、近くに温泉があるのか⋮⋮。日本人としてこれは、是非、 行っときたいかもしれん﹂ ﹁ラルティバだよね。なかなか良かったからボクからもオススメで きるよ。一般庶民が暖かいお湯に浸かる機会なんてほとんど無いか らさ﹂ ﹁うえっ?﹂ 大学の研究室でつぶやいたのならまだしも、こんなところでの独り 言に反応が返ってくるとは毛ほども思ってなかったせいで思わず間 641 抜けな顔を晒してしまった。 ﹁久しぶりだな。そっちは覚えてないかもしれないが﹂ ﹁ユート君が居るって聞いたからボクらは来たんだけどな。覚えて ない?﹂ ようやく目が合ったときに言われた台詞がこれとか申し訳ないやら 情けないやら⋮⋮。 いつの間にこの部屋に入ってきたのかすらわかってないんですけど。 一人は彫りの深い顔をした男性。 最近では随分と見慣れてきた薄青の髪の毛は短く揃えてあるおかげ で清潔感にあふれている印象。 何より高身長なのが本当に羨ましいったらない。 もう一人はその相棒と思しき少女で、深い海の色の瞳を楽しげに輝 かせながら男性の背中を軽く叩く仕草が妙に印象的だった。 艶やかなチョコレート色の髪の毛をポニーテールにまとめているの がその行動とバッチリマッチしてて快活な印象を辺りに振りまくん じゃないかと思う。 一言で片付けてしまうなら見覚えがある、というかこんな印象に残 る人達を忘れるとかありえんて。 ﹁ばっちり覚えてますよ。お久しぶりです。スイークさん、フィー リアさん。武技大会以来ですね﹂ ﹁ふふん、やっぱりボクの言った通りじゃん。賭けに負けたんだか ら今日の飲み代はスイークの奢りだね﹂ ﹁くそ、俺だったら絶対に覚えてない自信があったんだが⋮⋮﹂ 642 頭を抱えて困ったフリをするスイークさんとそれを見て笑うフィー リアさん。 先ほどの発言を考えるにおそらく僕らに対して何かしらあるんだろ うけど。 ﹁ま、待ってくれファムっ!? 四つ角が取られると妾の勝算が限 りなく薄れてしまうのだがっ!﹂ ﹁⋮⋮﹂ 未だオセロに白熱する二人を見てたら考える気すら起きなくなっち ゃったよ。 ◆ ところ僅かに変わって案内されたのは詰め所の会議室。 さすがに先ほどの応接室とはあらゆる点で異なり、什器の類は色や デザインも揃ったちゃんとしたもので室内の雰囲気だって相応に硬 くてらしいのがいい感じ。 一点だけ意見を述べさせてもらえるなら、もう少しパーティション の出来を気にしてくれると会議の品質が大幅に上がると思うんです がどうでしょうか? お隣の居室の喧騒がほとんど防御なしで漏れてくるのは集中力に確 実なマイナス補正となりますし、何よりセキュアじゃないと思うん です。 643 もっともこんな六名しか居ない、しかもそのうち五名は冒険者ギル ド関係なんていう状況じゃ騒音とかセキュアとか気にするのも馬鹿 らしいのかもしれないけど。 ﹁遅れちまって悪かったな﹂ ﹁全くだよ。でもサージンが遅れるなんて何かあったの?﹂ ﹁今回の問題でいろいろとな。それも含めて今から話すから適当に 聞いてくれ。何か疑問点があればその時点で適宜聞いてくれて構わ ない﹂ サージンと呼ばれたこの中で唯一の警備側担当者は疲れたような口 調と仕草で今日の日付だけを黒板に書き込んでくるりと振り向く。 ﹁んじゃ、まずは現状からだな。これに関してはぶっちゃけあまり 良いとはいえない。というのも元々警備隊の人間はぎりぎりで構成 されてたからなんだが急な事件が起きるととにかく人が足りん﹂ ﹁縄張り争いであんま仲良くないはずの冒険者に仕事振ってるくら いだもんね﹂ ﹁街の治安維持とかならともかく、外回りに関してはガンガン投げ ちゃってもいいと思うんだけどな。特にこの時期は流通が増加する 時期だから部隊を送り込むにも人材がロクに居ねえんだし﹂ ﹁といっても警備隊と違って冒険者は腕一本で稼いでるゴロツキ紛 いも少なくないから仕事を投げにくく思うのも仕方ないだろう﹂ ﹁まーな⋮⋮。俺もお前らとのつながりが無かったら冒険者使おう とはたぶん思ってなかったし﹂ ﹁そういうこった。で、あまりよろしくない状況ってのはどんなん なんだ?﹂ スイークさんの言う冒険者像があまりにも的を射てて思わずうんう んと僕まで頷いてしまった。 644 ﹁実はさ、一昨日くらいに野盗の住処を叩いてもらったじゃん?﹂ ﹁あぁ、ちゃんと要求どおり捕獲もしたから良く覚えてる﹂ ﹁今日の朝行ったらあいつら殺されちゃってた。いや、ほんと参っ たよ﹂ さらっと。 ともすれば﹁あ、そうなんだ﹂で聞き流しかねないほどあっさりと した口調で放たれた衝撃的な一言は冒険者組みの顔を見る限りに強 烈なインパクトを与えたに違いない。 ﹁ボ、ボクらが盗賊を持って帰るのにどれくらい苦労したか知って る?﹂ ﹁いや、スイークとフィーリアで苦戦してる姿とかちょっと予想す るのが難しいんだけど﹂ ﹁だってあいつ等垢だらけでお風呂も入ってないし汚いんだよっ! ロープで引きずって帰ったらたぶん死んじゃうじゃん? それを 担ぐボクの気持ちにもなってよっ!?﹂ ﹁ってか殺されたってまさかここの牢屋をぶち抜かれたのか?﹂ ﹁あぁ、それとこれはあんま言いたくないんだが⋮⋮。内通者が居 るみたいでさ﹂ 最後の部分は小さな声だったし、聞き間違えだと思いたいんだけど。 普通に考えたら牢屋に侵入されるとかそういうのなしで出来るもの じゃないよな⋮⋮。 ﹁⋮⋮本当に大きな声じゃ言えないな﹂ ﹁全くだ。おかげで今朝から署内は大騒ぎであれこれ全体の方向性 を定めようと頑張ってるみたいだけど上手く行ってないのが実情っ てあたり涙出そう﹂ 645 ﹁おまけにサージンの上司はあのルストークと来たもんだ﹂ ﹁馬鹿、聞こえたらどうすんだよ。スグ近くに居るんだぞっ!?﹂ ﹁そう思うならもう少し防音を気にした部屋を取ってくれ。ギルド の談話室より音が漏れてるじゃねーかこの会議室﹂ ﹁まともな部屋は全部使用中で仕方なかったんだよ! 俺だっても う少し、お茶くらい出るような部屋を使いたかったんだって﹂ ﹁落ち着けって。サージンが遅れた理由も想像ついたし、大事なの はこれからどうするかだろ? その辺は決まってないのか?﹂ ﹁はぁ⋮⋮。さっきも言ったけど組織としての方針は決まってない。 だけど俺の方針って意味なら話せるけどそれでもいいか?﹂ ﹁おう、サージンなら大丈夫だ。信用出来るからな﹂ ﹁ボクも賛成。前線に突っ込ませてくれるなら文句ないよ﹂ ﹁そうかぃ。前線に突っ込めるかはわからんがじゃあ書くぞ﹂ そう言って黒板にこの周辺の地図を書き出すサージンさん。 滑らかに止まることなく動くチョークは見る見るうちに点と線をつ ないで都市と街道、そしてターゲットと思しきの施設が赤チョーク でピックアップされるまでに掛かった時間はほんの数分。スゲェ。 ﹁野盗は確かにぶっ殺されたが別に何の情報も取得してないわけじ ゃない。具体的に言えば奴隷小屋の場所を聞き出すところまでは行 けてるんだ。ただ⋮⋮﹂ ﹁ただ?﹂ ﹁こういうのは大抵の場合で近くに罠があるし、無かったとしても 敵勢力の確認なしで突っ込むのは危険過ぎる。だから冒険者以前に 友人である二人にこんな不確定情報で動いてもらおうとはとても思 えないのが今の俺の考え。ついでに言えばもう斥候も出してあるか ら一週間かそこら待てば詳細な︱︱﹂ ﹁いいじゃん。やろうよスイーク﹂ ﹁お前最初からそれ言うつもりで来てたろ﹂ 646 ﹁この手の奴隷とかを買うのって金持ちか貴族だし、ボクがそうい うの嫌いなのはスイークだってしってるでしょ?﹂ ﹁知ってるし今回ので待ったをかけるつもりもない。相手さんが口 封じするほどに焦ってるってことは斥候の調査を待った場合逃走さ れる可能性だって無視できんしな﹂ ﹁あぁもぅ⋮⋮﹂ 肩を竦めて軽く笑うサージンさんと肩を回してヤル気に満ち溢れた チーム冒険者の二名が仕事の詳細な場所や攻める方法、目的、準備 などについてぺらぺらと話しているのだが、時折チラチラとこちら を見ながら森林での活動になれた冒険者が∼なんていうくらいなら 普通に誘って欲しい気がするんです。 ﹃ってかギルドの情報って近ければ意外と広まるの早いのね。驚い た﹄ ﹃妾もビックリだ。こっちのギルドでの活動なんて初日のなんてこ とない討伐と昨日一昨日のハイキングのついでに採ってきた薬草だ けだろうに﹄ ﹃だけどファムが居るとなるとあんま出たく無いような気もするん ってい こんな厳重な牢屋に捕らえた人間をステルスキルするような化 だよなぁ⋮⋮﹄ ﹃ け物が居る町に居られるかっ! 妾は宿に引きこもるぞ! うのも危ない感じがしないか?﹄ ﹃いや、それは推理モノの漫画とかだとありがちな展開だけど現実 はきっちり引きこもるほうが安全でしょうに﹄ ﹃そうでもないぞ。精霊が多く存在する森の中でキャンプした場合 は妾の知覚範囲が大幅に向上するから不意打ちの危険性がほぼ無く なる。もちろん主みたいな長射程の武器を相手側が保有していない のが前提になるが﹄ ﹃あ、そういわれると確かに。野盗の類が攻城戦用のバリスタとか 647 を持ってるなんて聞いたことないし、意外と安全かもわからんね﹄ ﹃さっきからこっちを誘おうとしてチラチラ見てきてるしな。最初 から話がしたいというよりは今回ので主を連れてきたかったんじゃ ないか?﹄ ﹃じゃあ混ざろっか?﹄ ﹃うむ。賛成だ﹄ 結論から言えば僕らの参加表明は快く受け入れられ、決行日時は明 日の早朝︱︱冒険者の言う早朝ってのはもっぱら日の出前を指す︱ ︱と決まってしまった。 ん、んんっ!? 早くないかそれっ!? 今までお日様がシッカリ出るまで寝る生活を続けてたから起きられ るかがすごく心配になってきた⋮⋮。 ﹁大丈夫だ主。妾がちゃんと起こしてあげるぞ﹂ ﹁社会人寸前で人に起こされるとか情けなくて死んじゃうから頑張 るっ!﹂ 648 5 暗い闇の中に光る白刃とベッドの上で指先ひとつも動かせない体。 にやりと笑ったようにも見える黒い物体の一撃を避ける手段なんて あるはずも無く、それは勢い良く振り下ろされ︱︱ ﹁あぁもぅ、酷い夢だった⋮⋮﹂ もう何度見たかも分からない金縛りとセットでさくりと殺されそう になる夢はいつも同じストーリーでいい加減鬱陶しくてしょうがな い。 昨日はファム用にと山歩きで使うクロークや食料品などを買ったり、 近くで催してた大道芸を三人で見てたりしてたから結構疲れてたの だろう。 特に大道芸では聴衆の中から選ばれてしまったおかげで芸人達が全 力でブン投げる刃物の間に立たされてたし、たぶん夢の原因はこれ だ。間違いない。 でもまぁ、今日はいつもよりずっとずっと早く起きなくちゃならな いのだから例の夢を見るのも悪くは無かったかもしれない。 と、何事もプラス思考でやっていかないと冒険者家業なんてものは とても勤まらんのですマジで。 ﹃おはよう、主﹄ ﹃おはよ、エル﹄ ファムを起こさないようにするためか、珍しく念話で行われた挨拶 を返してから軽く背伸びを一つ。 649 時差ボケもどきが起きてもおかしくない程度の時間に起きたという のに体は思いのほか快調で、むにっと伸びる背骨が気持ちいい。 ﹃もう少し起きるのが遅かったら妾が起こしてたぞ﹄ ﹃さすがに早すぎでしょ。まだ午前三時にもなってないんだけど﹄ ﹃いやいや、早速敵さんがお出ましだからな。まさか主を寝たまま にしておくわけにはいくまい?﹄ ﹃へ?﹄ あまりにも想定外な答えに思わずエルを見れば真剣な眼差しを唯一 の出入り口に向け、⋮⋮てるだけなら良かったんだけど、発動寸前 の魔術を待機させた状態が酷く物々しくておっかない。 ﹃エ、エル。ちょっとなにやってんのっ!?﹄ ﹃うむ、今言った通り敵が居るからな。ドアの向こうで数は三。突 入員が二名で一人はバックアップか、なかなか考えられているでは ないか﹄ ﹃ここ街中なんだけど﹄ ﹃あちらさんからしたら問題ないらしいな。揉み消せるくらいの地 位のやつがトップなのか考えなしのアホなのかは賭けの対象に出来 そうだが、まずは迎撃しなくてはならん﹄ ﹃宿のおばさんって可能性は⋮⋮こんな時間で三人じゃあり得ない か﹄ ﹃一応撃つのは相手を確認してからのほうが良いと思う、主のフラ ッシュライトを使えば割と良い感じなんじゃないか?﹄ ﹃ん、了解。構えとくよ﹄ ﹃さて、なら後は待つだけだな。⋮⋮主の寝込みを襲ったことを後 悔させてやる﹄ ﹃ほかのお客さんに当たると面倒なことになるから弾は外に流さな いように﹄ 650 ﹃大丈夫だ。⋮⋮っとようやくかんぬきにナイフだ、そろそろ来る ぞ﹄ ゆっくりと部屋の鍵が押し上げられ、やがて軽い金属音を立ててそ れが外れる。 目の前でピッキングされるのをまじまじと見るなんて経験が今まで にあるはずも無く、思わず見入ってしまったのは心の中にそっとし まっておこう。 次の瞬間、ドアが荒々しく開け放たれ︱︱ ﹁いらっしゃいませですよっ!﹂ ﹁その果てしなく明るい挨拶はたぶん相手を間違ってるんじゃない かっ!?﹂ 侵入してきたファッションセンスの欠片もない真っ黒二名に対して 軍用懐中電灯のベゼルを向けてテールキャップをぐいりと押し込む。 夜の闇を容易に切り裂く強烈に明るい挨拶は侵入者二人の目を完全 に眩惑し、たたらを踏んだ一名に対しては僕のスタンロッドが、ぎ りぎり頑張ったもう一人にはエルの控えめな魔術が直撃。 部屋の壁に叩きつけられた残念な暗殺者は魔術のインパクトに耐え 切れずに意識を飛ばして床へと倒れこみ、あっという間に行動不能 状態へとチェンジステート。 血も流れてれば首も変な方向に曲がってるので生きてるか生きてな いかだと後者な気がしてならない。どうせ喋ってくれはしないだろ うからどうでもいいけど。 もう一人に対しては最高出力のスタンロッドが直撃したので生存し た可能性は全く無い。 651 LiveLeak.comに載っててもおかしくないような焼け焦 げた死体は教育上大変によろしくないのでファムが起きる前に部屋 の隅にまとめて布団でも掛けとかなくちゃ。 ﹁えねみーにゅとらーいずっ!﹂ ﹁うん、大体合ってる⋮⋮けどなんだろう、この違和感は﹂ ﹁うむ、それはたぶん気のせいだな。あとラストは逃げおったか、 ⋮⋮やる気の無い奴め﹂ Kill Confirmed!! などと返 まさか異世界でCQB的なナニカをやることになるとは欠片も思っ てなかったぞ。 あれか、あわせて したほうが良かっただろうか。 ﹁僕としてはどこから情報が漏れたのやら、それを考えるだけで嫌 になるよ。依頼受けたのは正解だったか正解じゃないか微妙なライ ンな気がしてきた⋮⋮﹂ ﹁だがあの場に居た段階で狙われたのはほぼ間違いない。なら依頼 を受けただけ後で銀貨が出るんだからいくらかマシじゃないか?﹂ 二人して軽くため息、そして続くのは疲れた笑い。 とりあえず、この血と焦げ後で汚れた室内の清掃予算とかどうしよ ⋮⋮。 ﹁ともかくファムを起こして移動しようか。市街戦は死角が多いか ら危ない。出来れば町の外に出てロングレンジ主体の野戦と行きた いとこだけど、その前に一度スイークさん達と合流したほうが良い かな﹂ ﹁一応冒険者として依頼を受けての話になるから行っといたほうが 良いのではないか? 主と妾だけでカウンターすると報酬で揉めか 652 ねん﹂ ﹁おっけ、じゃあ方針はまず合流、次に敵戦力の殲滅で﹂ ﹁了解だ﹂ ◆ 心配していた市街地での交戦も無く、黒装束のお客さんを外に捨て ていたスイークさん達との合流も果たした現在は件のアジトに向か って暗い森の中をテキパキと侵攻中である。 ﹁アナッサから偵察技能に二重丸なんて話を聞いてはいたがこれは ⋮⋮﹂ ﹁ボクら二人で四苦八苦しながら夜間の移動をしてたのが馬鹿らし くなるんだけど﹂ ﹁一応どころか思いっきり偵察要員で入っておきながらこれくらい 出来なかったら報酬泥棒になっちゃいますって﹂ 実際、暗視モードを自由に使える僕やエルにとって夜闇は活動を完 全に自粛するような要因にはなりえず、それどころかこの手の作業 の最中なら夜間のほうがいくらか活動しやすいくらいだ。 欠点といえばNECで作ってる暗視眼鏡と大差ない程度の解像度な ので、細かい地図を見たり壁を触って確かめるような遺跡の探索作 業には多少使いにくいかもしれない、なんて感じる程度。 ﹁さてと、そろそろ目的地に近づきつつあるはずなんですけど﹂ ﹁松明の明かりすら見えないね。匂いも無いし﹂ 653 ﹁匂いですか?﹂ ﹁なんていうのかな、こう、敵が居る直前って っていうような匂いがするじゃない?﹂ ここにいるぞー 僕の同意が得られないとは欠片ほども思っていないのか、フィーリ アさんはまるでそれが当然であるかのような顔つきでそう言い切っ てくれたのだが、さっぱり分からん。 だって匂いってそんな。シュールストレミングだって50メートル も離れたら匂いが分からなくなるってのに⋮⋮。 ﹁あぁ、ユート。フィーリアは少し、いやかなりいろんなところが 人と変わってるからあんま気にするな﹂ ﹁あーっ! それ失礼じゃない?﹂ ﹁そう思うならもう少し女らしくしたらどうなんだよ。お前確か今 年で十七だよな﹂ ﹁実家のお母さんじゃないんだからもう﹂ ﹁長い付き合いだから冒険者辞めろとかは言わねえけどさ、せめて 洗濯くらい出来るようになれよ。お前の下着まで洗ってんだぞ?﹂ ﹁いいじゃん。役得でしょ役得﹂ ﹁いろいろ知らなかったあの頃ならそうも思えたかもしれん﹂ ﹁そこでバッサリ言い切らないでよ。ボクが残念な娘みたいじゃな いかっ!﹂ これ以上は聞かなかったし聞こえなかった。⋮⋮聞こえなかったっ てばっ! しかも緊張感をまるで感じさせないような会話を続けているにもか かわらず、エルの報告が入った瞬間にスイッチが入って敵を狩って くるもんだから何か言うことすら出来やしない。 ⋮⋮それに、もうそろそろこんな風に会話をするのも終わりなのだ からやっぱり止める必要も無いか。 654 ﹃エル、見えた?﹄ ﹃何がだ?﹄ ﹃目測600メートル程度、二時方向に一人。たぶん用を足してる﹄ ﹃⋮⋮全く見えないぞ﹄ ﹃直接の光は見えないけどブッシュの先が明るくなってるからほぼ 間違いないよ。とりあえずは撃ち殺すより追跡でいい?﹄ ﹃うむ。こちらに気づいてるならともかく気づいてないならそいつ に案内してもらうことにしよう﹄ ターゲットを発見した事を二人に伝え、一気に静かになった僕らは 静かに急ぎながら仄かに見える松明の光を追ってさらりと歩みを進 める。 想定していた罠の類も大したものは何一つとしてなく、隠すつもり も無いトラバサミや魔力線を利用したトリップマインなど、魔獣用 のがちらほらとあっただけ。 どうも、ここを感づかれたとは欠片ほども思ってないらしい。向こ うさんの数名がこちらに捕まって尋問を受けていたというのにであ る。 ﹁なんか意外と村っぽくなってて驚きなんですけど﹂ ﹁そういう意味じゃ意外と攻めにくくて厄介だな﹂ ﹁監視塔まで立ってるとはね﹂ ﹁近くの木を切り倒して視界を確保してないのが不幸中の幸いって とこか﹂ もしくは、感づかれたとしても大丈夫だと思っているのかも。 建物の数は多くないが、魔力灯を利用した明かりのおかげで近づく だけでほぼ間違いなくこっちの姿が確認されてしまうし、監視塔に 655 関しても無力化はともかく交代の時間を把握してない現状で撃った りした日には交代の時間や定期報告ですぐに気づかれて大騒ぎにな りかねない。 ﹁ん﹂ ﹁どした?﹂ ﹁なんかあれ、騒ぎになってませんか? 最初は祭りでもやってる のかと思ったんですが⋮⋮﹂ 奴隷村︵仮称︶の中央に用意されたコンパクトな広場。 四方に設置された魔力灯によって煌々と照らされたそこには小奇麗 な格好をした十名ほどの集団と、ワザとやってるのかと聞きたくな るくらい小汚い格好をした二十名ほどの集団が居て、何かを言い争 っているようにも見える。 さすがに距離が離れすぎているせいで指向性マイクを構築しても上 手いこと内容が聞き取れないので何を話しているのかはさっぱり分 からんけど、少なくとも和やかな雰囲気じゃない。 ﹁なぁ、ユート。もう少し近づくことは出来ないか?﹂ ﹁発見される可能性が一気に上がるのでこれ以上はオススメできな いです。バレたら突入になっちゃいますよ?﹂ ﹁大丈夫。そういうの俺ら得意だから。な、フィーリア﹂ ﹁うん、いけるよ﹂ ﹁⋮⋮いやいや、さらっと突撃前提みたいになってますけど僕とエ ルはあんま前に出ないですし、相手側見る限り後ちょっとで移動し てもおかしくないですから、各個撃破ってわけには行かんですか?﹂ ﹁ちと、こっちにも事情があってだな⋮⋮﹂ 歯切れ悪く頭を掻いたスイークさんの手は少しだけ震えていて、い つの間にか鈍く銀色に輝く槍を背中から引き抜いていた。 656 その、なんだ。こういうの見ると止められんわ。 ﹁あー⋮⋮。そういうことなら僕らとしては止められないです。エ ルもそれでいいよね?﹂ ﹁うむ、もちろんだ。妾も最大限の支援を行うからな。出来ればこ っち側で戦ってくれると助かるぞ﹂ ﹁ありがとな。当たり前だが俺らが劣勢になったらどうしようもな くなる前に撤退しろよ? これは俺らのわがままみたいなものなん だからな﹂ ﹁⋮⋮そうならないことを祈ってます﹂ ﹁おうよ﹂ ﹁荒事はボクらにおまかせってね!﹂ 斜めに差し出された右腕をクロスさせるように当ててから軽く手の ひらで叩き合う。 一応、冒険者印のグッドラックに相当するものだとか。実は初めて やったのであってるかわからなくて少し焦ってしまった。 それが終わるとスイークさんとフィーリアさんの二人は静かに動き 出す。 ﹁先に監視塔だけでも無力化しとこう。騒ぎになるのは少しでも遅 いほうがいい﹂ ﹁了解。右風三メートルだが⋮⋮近すぎて関係ないか﹂ ﹁バレたりしたら二の矢はお願い﹂ ﹁ん、任せろ﹂ 近くの木の横木にライフルを置いて軽く一呼吸。 いつも通りの平常心のまま、適度な緊張感だけを携えながら左手で フォアアームを、右手でグリップを、そして右脇の筋肉でがっちり 657 とストックを固定する。 視界に映るのは楽しげに談笑する二人組みのやぐらと、キッチリと 周囲を警戒してるやぐら。 言うまでもなく最初に撃つのはちゃんとお仕事をしてるほうであり、 逆はそれこそ放置したって構わないだろう。 特に何かを考えることも無く、魔術を撃発。 ﹁命中だ。幸い周りには気づかれて無いぞ。次はやぐらじゃなくて 入り口近くの二名にしよう﹂ ﹁了解。スイークさん達が僕らと通信できる無線でも持ってればな ぁ⋮⋮。あのままじゃ敵にばれちゃうじゃないか﹂ ﹁一応念話の魔術自体は確立してるんだが消費魔力の問題が解決出 来てないんだから仕方あるまい﹂ ﹁そういえばウィスリスのアレって僕が使ってもたぶんしんどいと 思うよ?﹂ ﹁⋮⋮それ、使い物にならんな。あとナイスショット﹂ ﹁さんきゅ。それと別の奴に一瞬こっち見られた。バレたかも﹂ ﹁大丈夫だとは思うがそれならこっちから騒ぎを起こすか。主、次 の的は広場の右から二番目、小汚い格好チームの鳥の羽をかぶった のが副官っぽいからちょうど良いと思う﹂ ﹁あぁ、この状況で片方の人間が死んだら素敵なことになるね﹂ ﹁うむ。命令系統は残っちゃうからな。そりゃもう素敵なことにな るだろう﹂ にやりと悪い顔で笑うエルを見てから、鳥の羽を飾った帽子をかぶ った男性の頭へと25mmの素敵なプレゼント。︱︱その効果は劇 的だった。 瞬く間に煌く白刃と怒号、それを止めようと動く人間よりもやられ 658 る前に相手をやろうとする人間がほとんどで、もう戦闘を止めるこ とは誰にだって出来やしない。 ﹁おおう、お互い剣を抜いてしまって﹂ ﹁これはもう後戻り出来んぞ。向こうの二人も動き出したしな﹂ ﹁実戦の動きなんて当然初めて見たけど⋮⋮あれは、凄いね﹂ こちらまで音が聞こえてきそうなほどの勢いで振られた銀色の槍は 敵の武器ごと首を刎ねてくるりと回り、さらに後ろから攻撃を仕掛 けた奴の胴体へと突き刺さる。 しかも死にかけながら叫ぶ肉体をBBQの具材かなにかと勘違いで もしてるのか、そのまま別の奴までぶすっとやってるんだから洒落 にならない。 あまりにも非現実的な光景過ぎて﹁あ、槍丈夫ですね﹂とか﹁腕疲 れないんですか﹂みたいな感想しか浮かんでこないのですが。 フィーリアさんだって負けてない。 身体強化によって向上した速度はちゃんと見てないとスコープ状に 拡大された視界からフレームアウトしてしまうほど早く、速度が乗 れば二分のMV二乗の理屈にしたがって威力だって跳ね上がるわけ で。⋮⋮あ、盾ごと上半身泣き別れですか。そうですか。 僕の知ってる限りじゃもっとも切れる日本刀でだってこうは行かな いんじゃなかろうか。 よくもまあ僕は武技大会であんな人らと戦ったもんだ。知らないっ て怖い⋮⋮。 ﹁主、どうもさっきの見られたかも、は大丈夫じゃなかったらしい。 一人だがこっちに向かって来る﹂ ﹁ごめん、やっぱミスってたか。迎撃するからエルとファムの安全 659 を確保してもらってもいい?﹂ ﹁主と妾の可愛い子供だからな。ばっちり守るぞっ!﹂ ﹁重要なところが抜けてるよね。それ﹂ ﹁そんなツッコミが出来るならやっぱり余裕だな﹂ ﹁おかげですっかり平常心だよ、ありがと﹂ 軽く熱感知モードで敵を探すと確かに一人、こちらへと向かってき ている。 こちらの位置情報なんて射撃時に発生するガスくらいしかないのに 迷わず、しかも随分と近づいてきているのに足音も無ければ草木が 揺れる音もしないなんてことから相手の偵察能力が優秀なのは間違 いない。 ﹁あちゃー、気づかれちゃってた?﹂ 各種ゲームの影響か、こういうときは相手の射程に入ると同時に毒 でも塗った投げナイフが飛んでくると思っていただけに、まさかこ んな気の抜けた言葉が飛んでくるとは予想してなかった。 ﹁⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮主、暗殺者の代わりに変態が来たぞ﹂ ﹁こら、そういうのは思ってても言っちゃ駄目だ﹂ ﹁⋮⋮え、なんで? オレ変態じゃないよ?﹂ 分厚いブッシュからもぞりと現れた相手は、漆黒の全身タイツ姿だ った。 ⋮⋮女の子ならともかく明らかに二十代後半の男性が着るそれは誰 にも求められてないからっ! せめてサポーターくらいちゃんとつけてっ!? 夜間だからほかの 660 人らにはともかく、僕とエルには見えてるんだよ。ナニとは言わな いけど形が。 と言い掛けたのは秘密。 ﹃主、あれ撃っちゃ駄目か?﹄ ﹃まだ駄目﹄ やってしまおう ﹃むう⋮⋮﹄ 思わず ﹁ほとんど全裸と変わらないような服を着ておいて変態じゃないっ てのもおかしな話だと思いませんか? 僕が指摘するのも嫌ですけ ど大きさまで丸分かりなんですけど﹂ ﹁⋮⋮帰るわ。さよなら﹂ ﹁待て、こちらの顔を見ておいて生かして返すと思ってるのか?﹂ ﹁悪役のセリフだから、それ﹂ ﹁でもさっ、ユート君らもアーダルテ盗賊団を叩きに来たんだろ? ならオレって味方だよ?﹂ ﹁失礼な話なんですが、証明できるものは何か持ってます? それ と、ならなんで極力隠れたままこちらに接近したのかも疑問です﹂ ﹁一仕事終えた冒険者に影から語りかけるってのが格好良いと思っ て﹂ ﹁それで気づかれてたら世話ないですよ⋮⋮﹂ ﹁あと体を上下に揺らすでない。ファムが怯えてしまうだろうがっ !﹂ ﹁あ、すいません﹂ ﹁⋮⋮とりあえず害意は無さそうなので僕ら帰りますけど﹂ ﹁待って待って、そしたら本来の目的も達成できないじゃんかっ! ?﹂ ﹁目的?﹂ ﹁今おちゃらけてゆっくり話したりしたらそっちのお嬢さんに頭を 661 射抜かれそうだからさっさと言っちゃうけどさ。⋮⋮その子の正体 が知りたいならハートルード山地に行くと良いと思うね。うん﹂ ﹁何ですかそれ?﹂ ﹁正直なところオレもよー分からん。ただ、その子を捕まえたのは そこだってさ﹂ ⋮⋮なんか違和感が。 僕らのことを明らかに知ったようなしゃべり方とか、味方発言をす る要素に思い当たるフシが⋮⋮。 ﹁あの⋮⋮、間違ってたら指摘して欲しいのですが﹂ ﹁なにさ﹂ ﹁ひょっとして、その、サージンさんの言ってた斥候ってあなたの 事だったりはしませんか?﹂ ﹁あ、やっと気づいてくれた?﹂ ﹁す、すいません。あんまりにもな格好をしていたのでついっ!?﹂ ﹁主、それは相手の傷口に塩を塗りたくったようなもんだぞ?﹂ ﹁だってまさか盗賊の衣類を着たままこっち来るわけには行かない じゃない。二人とも信じられないくらい遠距離からバチンバチン当 てて来るんだもん。監視塔を守ってた奴が死んだ段階でオレだって 必死で逃げるよ⋮⋮﹂ 662 6 奴隷商人兼盗賊団のアジト襲撃から既に三日。 あの時、なんで彼らが買い手側の連中と揉めてたのかは未だに良く 分かってないが、スイークとフィーリアが捕縛した組織メンバーの 中にはそれなりの地位を持った人物が居たらしくて政治的な圧力が 掛かったとか掛からなかったとか。 ⋮⋮僕自身関係者だっていうのに我ながら酷く他人事のような表現 になってしまった。 いや、実際その手の会議そのものには参加させてもらったし、確か にそんな感じに圧力をかけようとした脂豚みたいなのが居た記憶も あるのだが、そもそも僕らはヒートアップする話題のバックボーン をろくすっぽ理解することなく参加してたため、雨後の筍のように ぽこぽこと現れる初耳の人名や勢力名が登場しても全く理解できな かったのだ。 ぶっちゃけてしまえば僕らにとって変わった事なんてスイークやフ ィーリアと仲良くなり、お互い名前で呼び合うようになったことく らいなんじゃなかろうか。 その後も僕らは空気のような存在となって流されるままに話が進み、 強引な力押しを含む何件かの面倒な事後処理が完了したところで本 案件は無事に収束した⋮⋮と思う。 ならばそう、当然発生するのが部署どころか全体を巻き込んだよう な宴会であり、現在僕らが居るのはタルノバ警備隊の面々がこよな 663 く愛する居酒屋なんていうのもおかしな話じゃないだろう。 ﹁じゃ、無事に違法奴隷商の隠れ家を制圧できたってことで。︱︱ 乾杯っ!﹂ 既に手元のお酒を飲みたくてどうしようもない様子のフィーリアが いつの間にか壇上に躍り出てそう叫んでグラスを掲げれば、周囲の 参加者達も同じようにグラスを掲げて周りのテーブルのメンバーと グラスを重ね合う。 ﹁主も乾杯するぞ﹂ ﹁うん、乾杯。ほら、ファムもせっかくだから﹂ ﹁中身は柑橘系の果実を浮かべただけの水なんだけどな﹂ ﹁そりゃしょうがない。未成年だもん﹂ 分厚いガラスで出来たゴブレットを軽くエルのとファムのに当てて からまずは一口。 凍る寸前まで冷やされた金色の液体が舌の上で温まると共にホップ の香りが鼻腔をくすぐり、苦味の中に見え隠れするシナモンらしき フレーバーの味わいがまた美味い。 アルコール度数はおそらくビールとしてはやや高め、しゅわしゅわ とした滑らかな泡と液体がのどを流れていくのがこれまた爽快で、 乾杯のビールとしてはおそらく最適の一言に尽きる。 ﹁さすが地元民推奨の飲み屋じゃないか。アテも美味い﹂ ﹁納得。特にこのパテなんてほら。たぶんチーズが練りこまれてる んだろうけど後味はスパイシーで肉の旨みも凝縮されてるなんて。 これ以上ビールに合うものとか有り得ないよ﹂ さらにそれだけじゃないっ! なんて言った日にはまるで店の宣伝 664 みたいだけど、あれこれ食べても美味しいのだからどうしようもな い。 海草と小エビのサラダだって変な臭みを感じさせないように工夫さ れたトマトベースのドレッシングがまた非常に良い具合で、小鉢に 入ったナッツは⋮⋮まぁ、これはどこで食べても同じか。うまいけ ど。 これでまだ前菜だけなのだからこの先を期待しないはずもなく、ひ ょいひょいと進むグラスの中身が見る見るうちに減っていくのだっ て当然だ。 ﹁なんてことだ⋮⋮。もうビールがなくなってしまったぞ﹂ ﹁大丈夫。明日は仕事するつもり無いから存分に飲もう﹂ ﹁なるほどそれは名案だっ! ならば足りなくなったビールをもら ってくるから少し待っててくれ﹂ ﹁ありがと﹂ そう言ってエルが席を立とうとしたとき、木製の分厚いテーブルを 大型のデキャンタで叩く景気のいい音共に肩を叩かれる。 びっくりして見上げればスイークがこっちへと来ていたらしい。最 初から見通しの悪い端っこに居たから全く気づかなかった。 ﹁よう。飲み足りなさそうだったから持ってきたんだがちょうど良 かったな﹂ ﹁あれ、サージンさんとフィーリアは?﹂ ﹁サージンは上司に酌をしながらひっそりと飲んでる。フィーリア は向こうで一気飲み対決してるから近づきたくねえ﹂ ﹁あー⋮⋮﹂ ﹁別に他人に注ぎ続けるってわけじゃないんだが⋮⋮。二十にも満 たないような女が一気飲みで次々空けちまったら周りだって飲まな いわけにはいかないって雰囲気になるもんだ。後はお察しなんだが 665 な﹂ 飲み会で周囲に居ると危険なタイプですね。わかります。 お酒は自分のペースでゆったりと。これが倒れず吐かず後に残させ ず楽しく飲むためのコツであり、常識なのはこっちの世界でだって 変わらない。 が、この手の打ち上げにおいてそれが守られることはほとんどない のもまた事実。 ﹁どうせ暇になったら向こうから来るだろうし、まずは飲めよ。そ れ一杯目だろ?﹂ ﹁ほいよ。今日はもうどんどん行っちゃうよ﹂ ﹁酒も飲むが肉も食べるぞ。ついでに魚も野菜もな﹂ エルがまだ出来てから間がたっていない肉の丸焼きにナイフを差し 込むと、透明な肉汁がじゅわりとあふれ出し、同時に香辛料の食欲 を掻き立てる香りが僕らのテーブルを包み込む。 思わずあふれ出た唾液をそのまま飲み込むのもなにかに負けた気が するので、スイークに注いでもらったビールをごくりと飲めばまた これも香りが良くて大変にグッド。 色が黒に近い茶色なだけあってどっしりとした味わいと苦味が特徴 的で、単体で頂くには少々濃いぃが塩っ辛い味付けに仕上げられた 焼き物との相性は大変に良さそうだ。 ﹁む、これ何の肉だ?﹂ ﹁なんかしゃりしゃりするね。砂肝っぽくて不思議﹂ ﹁それはあれだ。もうちょっと先の国境を越えた辺りで取れる魔物 の肉だったっけな。たぶん今日昨日あたりで冒険者が持って帰って きたんだろう﹂ ﹁野生生物の肉がこんな美味いとかちょっと衝撃的﹂ 666 ﹁主や妾が狩ってきたところで調理出来んしな﹂ ﹁鶏くらいならともかくそれ以上となると知識が足りん。どっかで 教えてくれるといいんだけど﹂ ﹁⋮⋮驚くのって家畜の肉じゃなくて魔物の肉ってところだと思う んだが﹂ ﹁あんま変わらなくね? 肉になっちゃえばどれも一緒だよ﹂ ﹁うむ、美味しければ問題あるはずなかろう﹂ 全くなにを驚いているのやら。 それより駄目、どろりとした真っ黒なソースにどっぷりとつかった さっきの肉が美味すぎてビールの消耗速度が速すぎる。 誰かに注いで貰うまもなく自分でツライチまで注いでさらにもう一 口。 あぁ⋮⋮。至福だ⋮⋮。 ﹁まあ、良く飲み良く食べるってのは冒険者らしいけどな﹂ ﹁ただしやってることはほぼ観光。仕事は安全確保の上で最小限、 趣味は旅行です﹂ ﹁いいんじゃないか? 一攫千金狙いで無茶する奴らなんて掃いて 捨てる勢いで増えつつ居なくなるし、知った顔が居なくなるっての は分かっててもキツイから俺らの精神上もそうだと助かる﹂ ﹁そう思うならこの間みたいな無茶は避けようよ﹂ ﹁あんなの取り逃がす危険はあっても命の危険なんてありえないだ ろ﹂ ﹁人って斬られれば血も出るし場所によっては小指ほどの穴が開い ただけで死ぬんだけど﹂ 寝てたら避けようがないだろ ﹁大丈夫だ。山賊崩れのナマクラなんて寝てても当たらん﹂ ケラケラと笑うスイークに対して 667 なんて突っ込んでやろうと思ったのだが、この間の戦闘の光景を思 い返してみると意外と有り得そうで笑えなかった。 なにせ背中に目玉がついてるとしか思えないような変態機動だった もんな。 そうそう、変態といえば︱︱ ﹁スイーク。ちと知ってたら教えてほしいんだけどさ﹂ ﹁どした?﹂ ﹁ハートルード山地って知ってる? 実はファムが捕まったんだか 関係があるんだかって場所なんだ﹂ ﹁知ってる奴はいくらでも居るだろうが行ったことのある奴は俺含 めてこの場には一人も居ないだろ。そこ﹂ ﹁地図見た限りじゃ馬鹿でかい森って感じだったんだけど⋮⋮。入 ると帰れないとか?﹂ ﹁まさか、地図見たなら分かるだろうが単純に僻地なんだよ。特に 目立った産業も鉱物も遺跡も無いただっ広いだけの森。って評判な んだがファムちゃんに関係あるのか⋮⋮。なんだろな?﹂ ﹁地味な集落でもあるんじゃない?﹂ ﹁一応国境も近いからある⋮⋮かもな?﹂ ﹁そこを疑問系で返されるとなるとやっぱ試しに行って見るしかな いか﹂ ﹁探索するなら食料とか水とか十分に持ってけよ? 馬鹿に広い自 然林が相手じゃ魔獣よりも遭難のほうがよっぽどか恐ろしいもんだ﹂ ﹁また冒険者印の携帯糧食が手薬煉引いて僕らを待ち受けるわけで すね。わかりたくないっ!﹂ ﹁そんなげっそりした顔で叫ぶなよ﹂ ﹁荷物持ちは二名で馬車の類も使えないとなると食料品の携行だけ で死んじゃいそう。せめてこっちにMCWがあれば⋮⋮﹂ ﹁なんだか良く分からんが移動中に美味いものは食えないだろ﹂ ﹁それをどうにかするのが人類の英知じゃないかっ!﹂ 668 ﹁不味い飯を食べて生きるなんて死んでるのと変わらんぞ?﹂ ﹁冒険者向いてるんだか向いてないんだかほんと分からんやつらだ ⋮⋮﹂ 呆れ顔をしたスイークはいいとして、僕とエルのバックパックの容 量を考える限り携帯糧食を利用しないならどう頑張っても三日程度 が活動限界、利用したとしても一週間持てば良い方だよなぁ⋮⋮。 動物や野草、キノコ類などを回収すればもう二日くらいは何とかな るんだろうが、採れるかも分からない不確定要素を最初から入れて 行う野外活動は危険な上にアホらしいので遠慮したいです。 ﹁いずれにせよ近くの町に移動しないとおちおち探索も出来やしな いか﹂ ﹁それなら次はラルティバ辺りがいいんじゃないか?﹂ ﹁ラルティバってあの温泉で有名な? 確かに近づくけど山地まで はまだ結構遠くね?﹂ ﹁遠いな。歩きだと大体片道で二日くらいか。別に村があるなら探 したほうがいいんだが﹂ ﹁あんまり小さい村だと今度食料を分けて貰えなくなっちゃうよね﹂ ﹁その辺のさじ加減はユートが何とかするしかない。そもそも僻地 に行くって言うのはそれだけで結構大変な冒険になっちまうもんだ﹂ ﹁でもやっぱり行かないって選択肢は有り得ないから頑張るよ﹂ 何か嫌な経験でもあるのか、スイークは遠い目をしてそう言い切っ てしまった。 わりかし直接的にやめておけみたいな雰囲気だったが、実のところ 行かないという選択肢は無い。 というのも前回の遺跡で見つけた光点のうちの一つがハートルード 山地にあるのだ。 だから仮にファムのことが無かったとしてもいつかは行かなくちゃ 669 ならん場所ではあったし、こういう現状ならば優先度高めで動くの は間違いじゃないだろう。 ﹁財布の中身を気にしないなら行きは馬車を御者ごと借りてしまえ ばいくらか楽かもな﹂ ﹁予算厳しいってそれ﹂ ﹁だからまあ今日は食って飲めよ。面倒なことなんて忘れちまえ﹂ ﹁ちくしょう。まったく気楽に言ってくれる﹂ ◆ 現代日本での飲み会の締めが大抵の場合﹁宴もたけなわ﹂で始まる ように、この手の宴会は誰かがキッチリと締めない限りひたすらに 続くのも珍しくない。 羽目を外しやすい大学生なんて気づいた時には終電が無くなってし まい、友人の家に泊まったことがあるような人も少なくないだろう。 とどのつまり。 夕方に近い時間に始まった宴会はそろそろ日付が変わろうとしてい るにもかかわらず続いており、アルコールに耐えられなくなった人 間から脱落してテーブルまたはソファでお休みモードに突入してい ったのだ。 死屍累々。 この状況を表す言葉としてこれ以上のものはきっと無い。 670 フィーリアはペースこそ落ちたものの相変わらず飲んでるし、スイ ークは早々に耐えられないからといって宿へと一人帰っていった。 サージンさんは僕の隣のテーブルに突っ伏して眠りながら時折厳し い現実をうらむような寝言を吐いているのが聞こえてなんとも言え ない気持ちになる。 例の全身タイツの変態さんにも挨拶くらいしておこうと思ったのに、 スイーク同様自宅へと帰ってしまったせいでそのタイミングも逃し てしまい、次はいつに会えるのかも分からない。 今のところこの場所に居ながら平然としているのは飲むペースを制 限した僕と最初から飲んでいないファム、そして嫌な顔一つしない 店の従業員くらいなもので、楽しげにがぶがぶと飲んでいたエルも 今では僕の肩を枕代わりにしてうつらうつらと意識があるんだか無 いんだか。 ﹁さて、そろそろ僕らも帰ろうか﹂ コクン、と頷いたファムは両手で持っていたグラスの中身を飲み干 してから席を立ち、シンプルなデザインのポシェットを肩に掛けな おすとくるりと振り向いた。 たぶん、話すことの出来ない彼女なりの準備完了の合図だと僕は思 ってる。 ﹁ほら、エルも﹂ ﹁もう少しだけ⋮⋮﹂ ﹁こんなとこで寝てたら風邪引いちゃうよ。ほら、おんぶしてあげ るから﹂ ﹁ぅ⋮⋮﹂ なんとか体を起こしたエルを背負ってから外へと出る。 671 初めてこの世界に来たときと比べれば随分と暖かくなったものの、 そこまで季節での気温に上下がないこの地域の夜は結構涼しくて気 持ちがいい。 ﹁ファム、辛いと思うけどもう少し頑張ろう。そしたらきっと変わ るから﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁状況がわからないから快刀乱麻に問題解決ってわけにゃ行かない かもしれない。それでも僕らはファムのことを見捨てないし、最後 まで手伝うから﹂ ﹁︱︱して﹂ え? ﹁どうして、そこまでしてくれるの?﹂ ﹁ファム?﹂ ﹁きっと私にそんな価値は無い! ユートもエルも優しいけど私は きっと何も返せない。それが悲しくて苦しいの。なのに捨てられる のも怖い﹂ そういえばファムの症状って失語症だっけ、それとも失声症だっけ? どうでもいいんだけどいきなり話しかけられるとむしろ僕がパニッ クで頭真っ白でどう返してやればいいのかがさっぱり思いつかない のでどうしたらいいんだろこういう時って慰めるべきか窘めるべき かほんとに︱︱ ﹁主、背負ってくれてありがとう。だがこの体勢だとちと格好がつ かんので降りるぞ﹂ ﹁あ、うん﹂ ﹁ファム、おめでとう。喋れるようになったではないか﹂ 672 ﹁⋮⋮﹂ ﹁レスポンス︱︱じゃない。反応が無いのは悲しいな。⋮⋮と、と にかく妾とて主にみたく驚いてるし、心の琴線に触れる一言を都合 よく口に出せるほど優れた頭の持ち主ってわけでもない。だがな、 自分自身の価値なんて誰にもわからん。それだけは間違いない﹂ ﹁でも、私、二人みたいに戦えない﹂ ﹁ならば妾がファムを鍛えよう。もしも魔力が無いなら妾と簡易契 約をつないでしまえばいい﹂ ﹁⋮⋮いいの?﹂ ﹁もちろんだ。簡易とはいえ世間ではむやみやたらに神格化されち ゃった上位精霊の契約だぞ? なかなか素敵だと思わんか?﹂ ﹁︱︱っ!﹂ 瞳に涙を浮かべ、再び声を出せなくなったファムのことをエルは優 しく抱きしめる。 時折聞こえてくる嗚咽はきっとこれからの彼女を強くするのだろう。 願わくばハッピーエンドを。柄にも無く、そう思ってしまった。 673 MCW︵Meal 6︵後書き︶ ※1 Cold Weather︶: 寒冷地でも食べられるようにフリーズドライで構成された軽量糧食。 ビーフ照り焼きライスが美味いらしい。食べたい。 674 1︵前書き︶ お金って奴はさ、寂しがり屋なんだよ。 だから一人ぼっちの奴はすぐにどこかへ飛んでいってなくなってし まうし、たくさんあるところにはどんどん仲間が増えていく。 世の中のシステムがそうである以上どうしようもないことだし、現 状を嘆いて歩みをやめることがどれだけ非生産的でくだらないこと だかも自分自身良く分かっている。 でもな ﹁主、そんな肩を落とすんじゃない﹂ ﹁落としてないから。全然﹂ ﹁そんな様子で嘘をついたってバレバレだぞ? ファムだってそう 思うだろう﹂ ﹁ごめんなさい、私のせいで⋮⋮﹂ ﹁違う違う、そうじゃないだろう。一人分の経費が増えたくらいじ ゃどうにもならないような事態なのだ。最大の原因は最近冒険者稼 業をほったらかしにしてあちこち歩き回ってたことだな﹂ ﹁と、とにかくこの状態を嘆いててもしょうがない。回避のために は活動するしかっ!﹂ ﹁うむ、やるぞ。目標は⋮⋮そうだな、金貨で十枚くらいか?﹂ ﹁わ、私も頑張る!﹂ 675 1 身も蓋も無い言い方をすれば、ラルティバはお金持ちのための町だ った。 そもそもこの世界における旅行なんてものはそれほどメジャーにな っているようなものではない。 まともな移動手段は馬車くらい。しかも移動するだけで馬鹿になら ないランニングコストが掛かる上、地球よりも遥かに多くの︱︱そ れもカバ以上に危険な︱︱生き物が生息し、雨が降った後のボウフ ラ並みの勢いで野盗が湧くおかげで身を守るための護衛だって必要 になる。 そりゃ旅行なんてものが一般的になるはずもないし、周囲から人生 の一大イベント的な扱いを受けることもなるほど納得できる。 この世界の住人で好き勝手に旅行を楽しみ、やれあそこの風景が美 しいから見に行こうであるとか、どこそこの土地には魔力を増す泉 があるらしいから行ってみようなんて事が可能なのはどうしてもお 金持ちの貴族や商人、またはセルフディフェンスが可能な冒険者な どに限られてしまうのだ。 しかも、冒険者なる生き物は基本的に遺跡や危険な未開の地で危険 な生き物と戦い、高額な報酬を得ることに興味を持つが、温泉に行 こうなんて思う奴は多くない。 だから温泉街の住人達がお客に合わせて自分達のサービスを変化さ せていくのだって当然だ。 ⋮⋮だけど、まさか宿を含むいくつかの物価が三倍近くまで跳ねる 676 とは想像すらしていなかった。恐るべし温泉街価格。 食料品の類すら温泉の影響か付近で生産せずに他所から持ってきて るおかげでコストが跳ね上がってやたらと高く、生活するだけでお 金が磨り減ってしまうとかまじで信じらんない。 ﹁幸いここにもギルドはあるのだな﹂ ﹁良かった。この前のおかげで二、三日は大丈夫だけどそれ以上は ⋮⋮。うん、ある程度日数が掛かってもいいから報酬の良い奴を貰 おう。金欠による町付近での野宿とか涙出ちゃうから駄目﹂ ﹁どの道報酬が良い依頼なんてのは一日で終わるものでもないだろ う。折角の機会だから主の目的も並列に進めてしまっても良いので はないか?﹂ ﹁そうだね。⋮⋮よし、入るか﹂ 周囲の建物に見劣りしないよう意識したのか、赤茶けたレンガを組 み合わせて造られたギルドは堅牢な印象を見る人に抱かせ、入る人 へ安心感のようなものを提供している気がしなくもない。 といっても中はいつもの通りに雑然としていて、お昼時だからか冒 険者の数が予想していた以上に少ないくらいしか特徴は無いんだけ ど。 ﹁もしかして冒険者の方ですかっ!?﹂ ﹁え? あ、はい。そうですけど﹂ 入るなり声を掛けられるとは思わなかったせいでものすごくシドロ モドロな受け答えになってしまった⋮⋮。 なのに受付さんは顔をぱあっと明るくしているもんだから、少し、 嫌な予感がする。 ﹁最近ラルティバで依頼を担当してくださる冒険者さんが全然居な 677 いんです。だから私達ラルティバ支部の面々は御三方を歓迎します っ! ささっ、どうぞこちらへ﹂ ﹁ちょ、ちょっと待って⋮⋮﹂ ﹁待てません。タダでさえ外から冒険者の方を呼んで依頼を消化し ているくらいなのに、こんな機会滅多にないんですから﹂ 僕らとしても変な扱い︱︱は受けてるけど依頼を受けられるのは万 々歳だから今の状況にストップをかけるなんてのは有り得ない。 が、この手の扱いを嫌うような冒険者だったらどうするつもりだっ たんだろうか。 そんなどうでもいいことを思いながら押しの強い受付さんに引っ張 られるようにして進んだ先は大抵のギルドが保有する応接室。 茶器が格納されたガラス張りの棚があったり、スタンドライトの軸 にエングレーブが彫られてたりするあたり、他部署に比べて金の回 りは随分と良さそうに思える。 ﹁依頼書を持ってまいりますのでしばらくお待ちくださいね﹂ ﹁僕のギルドカード忘れてますよっ!?﹂ ﹁大丈夫です。上から下までより取り見取りですから﹂ 何が大丈夫なのやら聞く暇すらなかった。 音を立てて閉まるドアを見送ることくらいしか出来なかったくらい ですから。残念。 ﹁なんかあわただしいなぁ⋮⋮﹂ ﹁でもラッキーだったぞ﹂ ﹁確かに。言われてみればラッキーだったかも﹂ ﹁らっきー?﹂ ﹁あぁ、幸運だったってことだぞ﹂ ﹁そうなんだ。じゃあ私もらっきーだね﹂ 678 ﹁んー⋮⋮。それは、どうだろ?﹂ ﹁ちょっと主。それを妾に振るかっ﹂ 彼女自身については聞けば答えてくれそうではあるものの正直聞き づらくて、おかげであんまり事情が分かっているとはいえない。 おそらく両親に売られてしまったとかそういうのでは無さそうで、 ついでに奴隷刻印までつけられてしまいにゃトロールにぐもっとや られそうになったことを考えるに幸運と言って良い⋮⋮いや、良い 筈が無い。 なのに彼女は笑顔を浮かべたまま言い切った。 ﹁だって私生きてるよ? 奴隷刻印だって外して貰って今では魔術 だって教えて貰ってる。これをらっきーじゃないなんて言ったらき っと神様に怒られちゃう﹂ 参った。とても十歳前後の女の子が吐き出していいようなセリフじ ゃない。 こういう時ってどういう言葉を返してやればいいんだろ? まず僕が同じくらいの頃ってどうしてたっけか。 もう随分と昔のことだからおぼろげながらにしか覚えてないけど、 釣りに行って少しデカイ魚が釣れて大喜びしたりとか、下らないこ とで喧嘩して喚いてたりとかそんなだったような気がする。 彼女と同じ状況に当時の僕がなったとしたら、ひたすらにぎゃーす かと喚き続けて他の人達に笑えるほどの迷惑をかけていたことだけ は疑う余地がない。 ﹁そうか。依頼も一緒に頑張ろうな﹂ ﹁うん。なるべく早く一人前になれるように頑張る﹂ 679 ﹁うむうむ、良い心がけだ。よろしい、ならば勉強だ﹂ ﹁⋮⋮勉強なの?﹂ ﹁あぁ、冒険者たるもの最低限の算術と地理くらい出来ないと変な 依頼を貰っちゃうからな。それに魔術をやるなら図形の知識と最低 限の弾道計算能力は必須なんだぞ﹂ ﹁うぅ⋮⋮。がん、ばる⋮⋮﹂ エル、ナイスフォロー。 僕なんて背中に薄く汗感じながら﹁そっか﹂なんていう風に返すだ けで精一杯だったので大変に助かりました。なるほど、前向きな子 にはああやって返してあげればいいのか。 一つ勉強になった。 ﹁それで主﹂ ﹁どした?﹂ ﹁どうも依頼は大量にあるらしい。後ろを見るんだ﹂ 多少焦ったようなエルの声に振り向けば見えたのは分厚いバインダ ーの山。 受付さんのお世辞にも肉付きが良いとは言えない細腕は見た目どお りの筋力しか持っていないのか、ぷるぷると震えて今にも崩れ落ち てしまいそうだ。 ﹁さあっ、この中からどうぞお選びください!﹂ ﹁りょ、了解です﹂ なんとか崩落を免れ、テーブルの上に重ねられた依頼書の一番上の バインダーを手に取ると、あるわあるわ、大量の依頼が信じられな いほどスタックしている。 討伐だったり薬草採取だったり、探索だったりと種類は豊富。たま 680 に護衛の依頼が混じってるのが恐ろしい。これどう考えても間に合 ってないぞ。 ﹁これ、全部未達なんですよね? もちろん⋮⋮﹂ ﹁はい⋮⋮。新年祭が始まる前の依頼すら混じってます﹂ あんまり放置しちゃうと冒険者ギルドの信頼にも影響しちゃうと思 うんです⋮⋮。 大分昔にあった﹁この豚肉、日付が昭和です﹂ってセリフが印象的 な旭化成のCMを思い出しちゃったよ。 ﹁数ヶ月に一度ギルドから派遣されてくるSランカーさんが温泉の タダ券目当てで大量に受けてくださるのですが、今年に入ってから 一度も来られてなくて⋮⋮﹂ ﹁王都の本部とかからは何も無いんですか?﹂ ﹁念のため別要員を割り当てして貰おうとお願いだけはしています が、いつ来るかに関しては全く分かりません。お願いです、出来れ ば複数件受けていただけないでしょうか?﹂ 涙目になった受付さんの姿なんて生まれて初めて見てしまった。 とはいえこちらとて生活が掛かってる。あまりに単位時間当たりの 報酬が低い依頼では宿に泊まることすら間々ならんし、ある程度は 選別せねば。 ﹁これ、⋮⋮この薬草採取の依頼なんてやるだけで一日経過しちゃ いますし、それで報酬が銀貨二枚とかじゃ誰も受けないんじゃない です?﹂ 別に複数同時に取れるような依頼なら良い。並列に受けれるから。 でもこのロフォフォラの根︱︱高い鎮咳作用を誇ることで有名︱︱ 681 の採取なんて血眼になって探さないとまるで見つからないから適当 な気分で回収するのはほぼ不可能なんよ。 それでいて報酬は宿一泊分にも足りないとか需要と供給を勘違いし てるとしか思えん。 ﹁そうなんです⋮⋮。なので、ギルドとして優先的に消化したい依 頼をまとめさせて頂きました。こちらの赤い冊子もご覧ください﹂ ﹁ありがとうございます。お手数かけてしまって申し訳ないです﹂ も、という言葉には突っ込まず、僕は再び頭を下げる受付さんから 真っ赤に染まった、不穏な要素すら感じられる冊子を受け取って中 身をぺらり。 冊子は依頼一つに付き大体A4二枚程度にまとまっていて、ページ 数はざっと50ページほど。前置きが長いのも混じってたから依頼 件数はおよそ十数件ってところだろう。 ﹁これは⋮⋮﹂ ﹁どうしたのだ?﹂ ﹁確かに緊急度が高い。ほら、これとか見てみ?﹂ 僕の指差す依頼票を見たエルは真っ青になった。 ん、そこまで青くなるようなことじゃないと思うのだが。 ﹁魔獣化した狼の排除じゃないかっ!﹂ ﹁来るとき襲われても全然不思議じゃないって治安的にどうなんだ ろ﹂ ﹁うぅ⋮⋮。すいません。本当にごめんなさい﹂ 魔獣化した生物はより自身の魔力を高めようとして魔力を持った別 の生物を喰らおうとする傾向があり、大抵の場合そのプライオリテ 682 ィのトップに位置するのは人になる。 特に狼なんて移動速度も速ければ数も多いので放置すると商人が犠 牲になりやすく、そうなれば当然物流が滞るので物価が上がり、最 悪スタグフレーションしかねない。 おかげで僕らは温泉の蒸気を利用した蒸しパンを食べ損なった、か もしれない。叩き殺してやる。 ﹁まずこれ受けます。町の食料品が高いのはこの辺も原因だと思う ので﹂ ﹁助かりますっ!﹂ ﹁あと並列に受けられるとなると雑多な魔獣の討伐および換金部位 の回収、努力目標で薬草採取程度に収まるかと思いますので、その あたりは行動後に可能な報告だけしていく流れで良いですか?﹂ ﹁もちろん問題ありません。依頼などについて何か質問などはあり ますか?﹂ ﹁あ、それなら安い宿などを紹介して貰えませんか? 特に温泉な どは不要なので普通程度に綺麗なベッドと安全が保障されてれば問 題ありません﹂ このお願いは結構切実。 どの依頼も内容的に一日で終わるようなものはおそらく無いし、魔 獣化した生ものが存在する区域でキャンプするとか冗談にしても笑 えない。まだ馬小屋レベルの宿のほうがマシですぞ。 ﹁あ、主っ! 折角ここまで来たのに温泉無しなのかっ!? 妾は 残念だぞっ!?﹂ ﹁ほかに無ければ選ぶけど泊まらなくても温泉には入れるじゃん﹂ ﹁あ、う⋮⋮。そうだ。ファムだって温泉入りたいだろう?﹂ ﹁私は高いとこは嫌⋮⋮かな。ごめんなさい、エル﹂ 683 全く何を言ってるのやら。 温泉には入る。これは確定事項だ。僕も日本人だし。 だけど一泊数万円もするような高級旅館クラスの宿に泊まる必要性 は全く感じないぞ。 ちゃんとアウトドアした先に秘境の温泉があるのも確認してるし、 個人的にはむしろそっち方が楽しみ。 ﹁大丈夫です。ギルドが契約している宿がありますのでそちらをご 利用下さい﹂ ﹁ありがとうございます。ここらの宿が全部高給取り向けのだった ので助かります﹂ ﹁あのあたりのは仕方が無いですよ。そもそも狙ってる層が層です から﹂ ﹁依頼もたくさんあるみたいなのできっとしばらく滞在することに なると思います﹂ ﹁いつだって歓迎です! 今からもっと持って行ってくれてもいい んですよ?﹂ ﹁⋮⋮いや、それは消化不良を引き起こしそうなのでやめときます﹂ 684 2 さくり、さくりと大地を踏みしめながら見通しが良くて明るい広葉 樹林の中を歩く。 日陰を通過して冷やされた風は外と比べれば遥かに涼しく、見上げ た木々の間から差し込む乾麺のように細い太陽光がきらきらと輝い ている。 数百メートルお隣の草原と比べれば酷く僅かなそれをなんとか効率 的に受け取ろうと目一杯に枝を広げる小低木が何気に良い感じ。 レジャーシートなんかがあればクッキー片手に紅茶を飲みつつ、し ばらくボケッとするのもきっと悪くないだろう。 少し見晴らしの良い場所に着いただけで車道や電線、そして誰かが 捨てたコンビニのビニール袋が見えちゃったりする日本とは異なり、 木々の向こうに見えるのは人っ子一人居ない大草原。 風に流れる草木の光景なんかも異世界アウトドアらしくて大変よろ しいです。 そして何よりゴミの一つも転がっていないのだ。素晴らしいっ! ⋮⋮。 こっちに来てからもう半年近く、すっかり馴染んでしまったこの生 活の中でもそういう風に感じるぐらいなのだから自然なんてもんは 侮れない。 実際、森林の中で晴れやかな気持ちになるのはどこかの科学団体が わりとまじめに調査して定量化してたはず。具体的な内容はすっか り忘れちゃったけど。 685 ﹁森の中に居ると日頃のストレスが解れてくなぁ⋮⋮﹂ ﹁うむ、特にこの辺りの森は魔力が多くて妾としても快適だ﹂ ﹁そういえば確かに濃いね。この分だとルクル草とか見つかっちゃ うかも?﹂ ﹁探す価値はあるな。うまい事見つけられればしばらく分の宿代に なるぞ﹂ ﹁ルクル草?﹂ ﹁物凄く苦いけど食べると魔力が増える草だよ。結構な高値で取引 されてるから一束でも見つければ数枚の金貨に化けるんだ﹂ ﹁どんな見た目?﹂ ﹁うーむ⋮⋮。それは絵があったほうが分かりやすいと思う﹂ 好奇心で目を光らせるファムのため、スリングバッグから防水ノー トといざって時には人を殴ることも考慮されたボールペンを取り出 して大雑把に線を引いていく。 地面に張り付いたワラビなんて表現がぴったりなルクル草は地味で 目立たないが、形自体は特徴的なおかげで子供心と共に絵心が育た なかった僕ですら結構容易に書き分けることが可能であるっ⋮⋮と 思いたい。 ﹁こんな感じでどうだろ﹂ 自分から見ても出来が悪い、線がブレブレで残念なスケッチが描か れたノートを渡すと無言のままファムは周囲に目を光らせる。 視線が何度かノートと周囲を行き来した頃、道から外れた草むらの ほうへとふらふらと歩き出したファムをあわててストップしようと した。 ﹁ユート、あっち﹂ ﹁待って待って、薮は危ないからっ!?﹂ 686 想像以上に力強いファムに手を引かれて進む先は獣道にすらなっち ゃいない薮の中で、油断すると分厚い生地で作られたカーゴパンツ を貫通して足の裏や太もも辺りに茎が刺さりかねない。 ちなみに、こういう場所で適当な薮払いをすると先端が鋭く尖った 茎が大量発生するのでやる場合は丁寧にやらねばならない。 まだ中学生くらいの頃、釣りに行ったときにそれをやってしまった 結果、太ももにザックリと太く鋭い薮が刺さったのは今でもよく覚 えている。あれは本当に痛かった。 ﹁探してたのってこれだよね?﹂ ﹁⋮⋮マジ、で?﹂ 魔力障壁で押しつぶすようにして薮を分けた先にはコケと色鮮やか なキノコが生える倒木が一本。 ファムの指差した木の根の先にはどういうわけだかルクル草が確か に存在していた。 確かにルクル草は食べれば魔力が増えるなんて効果を持つだけはあ り、近づけば魔力のうねりみたいなものを感じ取ることが可能では ある。 でもそれはあくまで十分に訓練を積んだ魔術師やエルみたいな存在 にのみ許されたものであり、ごく最近魔術を初めたような人間に可 能は技術ではない、はずだ。少なくとも僕の知識ではそうなってい る。 となるとファムはエルをも凌ぐ高度な魔力感知能力を持っているか、 または︱︱ ﹁ファム、偉いぞ。こいつは間違いなくルクル草だ﹂ ﹁さっきからこの辺だけ凄く変な感じがしてたの。良かった。私で 687 も役に立てるよ!﹂ ﹁おおう、私でもなんて言葉は使っちゃ駄目だ。自分自身を卑下し てしまうと成長が止まってしまうのだっ!﹂ ﹁そ、そうなの?﹂ ﹁うむ、世の中で万人に認められている事実だ﹂ ⋮⋮胸を張って﹁むふー﹂と言い切るエルを見てたら考えるのがめ んどくさくなった。 たしか日本にも四葉のクローバーを探すのがやたらにうまい小学生 の女の子とか居たし、少なくともファムの表情を見る限りではこれ だって似たようなもんなんだろう。 ﹁にしても全部で三本もあるのか。ギルドで売ったら金貨で二枚は いけちゃうよ﹂ ﹁帰ったらお祝いの一つでもしたいところだが滞在費を考えると⋮ ⋮﹂ ﹁大金を見つけてくれたファムには申し訳ないけどしばらくはその 辺我慢。ギルドで借り上げてる宿にも小さいながら温泉あるんで今 はそれが最大の贅沢って事で﹂ ◆ 結局、本来の目的であったはずの魔獣化した狼の討伐は全く進まな かったものの、今日は高価な薬草を回収できたこともあって収支を 考えたら大きくプラス。 688 ほかにも滋養強壮に優れたケイヒラの根っこもそれなりの数を回収 できたのが結構デカイ。 これが群生する辺りにはその他にもよく売れる薬用植物が多く生え てるので、明日はその辺りを探索することである程度の利益をあげ ることが出来そうだ。 こう、パイを食い合う冒険者が居ないというのはギルド側からすれ ば無視できない問題点だけど、僕らからすると意外と良いのかもし れん。 何よりこの町には温泉があるのだ。こんなに嬉しいことは無い。 ﹁うぁぁああぁぁー⋮⋮。快適だぁ⋮⋮﹂ うっすらと白く濁った温泉は滑らかなさわり心地でお肌にも良さそ う。 治安やその他もろもろの事情でこの温泉は内湯しかないのだが、一 部の超高級宿では風景にすら手を加えた露天風呂があるらしい。 そこで冷たいワインやら料理やらを食べながらまったりと過ごすの が貴族の嗜みだとか。 ギルドで酒を飲んでいた女性冒険者が﹁下らん趣味﹂だと馬鹿にし てたが、僕は一回その経験をしたらもう二度と戻って来れなくなる 自信があるぞ。 もちろんそういうが無かったとしてもややぬるめで炭酸ライクなお 湯につかるのは猛烈に快適で、今までの疲れが抜けていくのがはっ きりと自覚できる。 広さだって十分。恥ずかしいからやらないけど泳ぐことだって不可 能じゃない。 おまけに今この場に居るのは僕一人だけとか贅沢すぎるでしょう。 689 ﹁おぉっ! なかなか良い具合のお風呂ではないかっ!﹂ ﹁⋮⋮えっ﹂ ガラリとドアの開かれる音がしたので出入り口を見れば、そこには バスタオルみたいな大きさの布を体に巻いたエルが何故か居た。 思えばこの宿に温泉は一つしかないわけで、それで男女が利用する となれば時間で区切るなりしてるだろうと思っていたのだが、どう もエルの様子を見る限りそんな事実は無い、のか? ﹁何でそんな固まってるのだ?﹂ ﹁いや、混浴とは難易度高いなぁみたいな?﹂ ﹁風呂上りにガウン一枚だけを羽織ってぐてっとした妾に対し、顔 色一つ変えずに水を渡してくるような主が混浴ごときでそんな驚く とはむしろ妾が驚いたほうが良いのか?﹂ ﹁あー⋮⋮。思い出してみると確かに⋮⋮﹂ 今更かもしれない。 ﹁それよりもだ。もうすぐほかの冒険者たちも帰ってくる時間にな るらしいからゆっくりと湯船につかるとしたら今しかあるまいて﹂ ﹁そっか。なら後ろ向いてるから軽く体流してから湯船に入るとい いと思う。ホント快適だよ﹂ ﹁妾も先ほど宿の従業員にそう言われてな。すっごく楽しみだった んだ。︱︱ぷはっ!﹂ 僕と同じように魔力で精製したお湯をかぶっているのか、温泉を頭 からかぶるというよりは虚空に突然現れたシャワーを垂れ流しなん て表現のほうが似合う音が聞こえてくる。 大分昔、水も滴る良い女なんて話を友人としたときは確かにと笑っ てたような記憶があるんだけど、いざ実際に体験するとそれほどで 690 もないような⋮⋮。 シャワーが終わるなりざぶんっ、と湯船に入ってきたエルを見ても 特に何かを感じるようなことも無し。もちろん体にバスタオルを巻 いたままだからっていうのもあるだろうけど。 ﹁正直、チラチラとこっちを見るようなのを期待しなかったわけで もないのだが﹂ ﹁湯船に突入するなり言うセリフじゃなくね? っていうかそれ見 られると嬉しいの? それとも恥ずかしいの?﹂ ﹁足して二で割ってくれ。少なくとも主に魅力的な女性と見られる のはそう悪い気分じゃない﹂ ﹁そーですか⋮⋮﹂ 自分自身の羞恥心をガリガリと削りながら聞いた質問にケラケラと した笑顔を浮かべて返してきたエルを見てると、なんかもう意識す るだけ負けな気がしてきた⋮⋮。 ﹁まぁ、そんなことより重要なのはこっちなのだが﹂ ﹁どしたの?﹂ ﹁見よ! 地ビールと冷たく作った鶏の和え物だ。特産なのだぞっ !﹂ 大きめの器に盛られた和え物は和風と洋風のちょうど中間といった 雰囲気の一品で、蒸した鶏胸肉を薄くスライスしたものとたくさん の野菜が折り重なってるおかげで見た目だって鮮やか。 きっとお隣に置かれてる赤茶色の液体との相性だって良いのだろう。 十分に冷えているのか湯気と同じ原理で発生する水蒸気が上がって いて、火照った体にこれ以上の飲み物とか有り得ないって。 691 ﹁ぐっじょぶ。でもどこで貰ってきたの?﹂ ﹁従業員と温泉の話をしてたら仲良くなってしまったみたいでな。 長湯するなら冷たい飲み物は必須だからと渡されてしまったのだ﹂ ﹁後でお礼を言いに行かなくちゃ。でも今は早速頂いちゃおうかな﹂ 久方ぶりに見た透明なグラスはぶつけると割れそうでおっかなかっ たので乾杯は無し。 痛いほど冷えたそれをぐりっと飲み込むと炭酸が激しく弾けるのが 爽快なんだけど、あんまりにも冷たいせいで味が良く分からん。た ぶん美味いんだと思う。 ﹁鳥のほうもなかなか⋮⋮﹂ ﹁これは当たりだな。温泉町というだけあってこの手の蒸し物の研 究が進んでいるのだろう﹂ ﹁ん、これひょっとして温泉の蒸気で蒸してるんだ?﹂ ﹁うむ、温泉の蒸気を使うことで余分な脂が落ちる上、健康にも良 いらしいぞ﹂ きりりと冷やされても薄れることの無い鶏肉の味わい、しゃきしゃ きとした野菜の歯ざわりのバランスは良好で、酸味が利いてさっぱ りとした味わいのドレッシングがそれらをさらに引き立てる。 こういうとあれかもしれないが、さすがに宿代が高いだけはある。 飯が美味い。 ﹁うはぁ⋮⋮。幸せ﹂ ﹁ふふっ、主は大げさだな﹂ 気づけば頂いた和え物もビールもすっかり無くなり、温泉によって 広がった血管にアルコールと栄養素がじゃらじゃらと流れてくのが もう少しで実感できてしまいそうだ。 692 ﹁大げさなもんか。ずっとこんな日が続くといいんだけど﹂ ﹁良い具合の依頼がたくさんあれば何の心配も無くそれが続くと言 い切れるのだがな﹂ ﹁全くその通りで。なるはやで古代遺跡も探索したいし、ファムの ことも調べたい﹂ ⋮⋮あれ? そういえば。 ﹁エル、ファムはどしたの?﹂ ﹁そういえば言ってなかったな。初めての薬草探索で随分と疲労が 溜まったのかソファで寝てて起きないものだからベッドに寝かせて から妾だけこっちに来たのだ﹂ ﹁うーん、無理させちゃったかな⋮⋮﹂ ﹁何もしなければいつまでも体力は付かんのだから安全が保障され ているなら体力目的で歩くのだってきっと悪くないと思うぞ﹂ ﹁なんにせよ体力がないと後々困るのも本人だからその辺はあきら めて貰うしかないか。後で滋養強壮に効果のある飲み薬だけ買って くるよ﹂ ﹁了解だ﹂ ︱︱ちなみに、僕が買ってきた飲み薬は確かに効果覿面で体調も随 分良くなったらしいけど、物凄く苦くて美味しくなかったおかげか ファムには不評でした。 もちろんあまり主張しない彼女が直接そんなことを言うわけも無く て、僕にお礼を言ってきたんだけどその様があまりも挙動不審だっ たので間違っていないと思う。 今後、この手の薬を買うときは注意しよ⋮⋮。 693 2︵後書き︶ ﹃エル﹄ ﹃どうした?﹄ ﹃ファムが見つけてくれたルクル草だけど、あれはこの先の彼女の お金として取っておきたいと思うんだけどどうだろ?﹄ ﹃予算、ぎりぎりだな。大丈夫か?﹄ ﹃大丈夫。ノートにざっとまとめてみたけど何とかなる。だから夜 間にアルバイトがてら薬草採取でもしてくるよ。エルにまで出て貰 うとファムが一人になっちゃうし﹄ ﹃⋮⋮それは全然なんとかなってないし大丈夫じゃないと思うのだ が。というかそこまでならば使ってしまっても構わないと思うぞ。 何か考えでもあるのか?﹄ ﹃んー、最終的にはファム次第なんだけど、学校行くかな? って 思って﹄ ﹃学校って言うとそこらの私塾じゃなくてウィスリスのことか。確 かに奨学生が前提ならば結構何とかなるかもしれんな。でも何でそ んな急に?﹄ ﹃ほら、僕は最終的に帰るつもりで居るし、ファムがきっちり成人 はい、さよなら じゃあまりにも無責任が過ぎるし、前々から するまで一緒に居れるとは限らないと思うんだ。その時になってか ら 打てる手については考えてたんだよ﹄ ﹃そう言われてみると確かに⋮⋮。帰る手立てがついた段階でしっ かりファムと相談したほうが良さそうだな﹄ ﹃そうだね。でも現状だと方針決めくらいの意味しかないからあん まり深く考えないでもいっか。少なくとも直近の話じゃないだろう しさ﹄ 694 3 最近、僕らの居るラルティバ近辺では少数精鋭の盗賊活動が流行し ているらしい。 普段なら選りすぐりとはいえ所詮は野盗。高度に組織化された貴族 の私兵の方々が始末に向かうところなのに、貴族や護衛付の馬車を 絶対に狙わないなんてプランを実行することでそれを回避してるそ うで。 貴族が割合多めな町なのにもかかわらず、治安が優れるなんて神話 が崩れつつあるのは明らかな問題だとギルドも認識していて、掲示 板にその手の依頼が貼られたおかげで冒険者の間でも話題にだけは なっているのだが。 ⋮⋮前述の理由もあって治安の悪化なんてものを感じ取れる冒険者 はほっとんどいないのが現実である。 実際その賞金につられた冒険者グループが毎日野盗を探して野山を 健康的に駆け回っているのに全く成果は上がらず、毎日酒場で﹁敵 が見つからねぇ⋮⋮﹂って嘆いてるのだから危機感を持てってほう が難しいです。 ﹁さあさあ、主。どうやら出発みたいだぞ﹂ ﹁毎回このがっつんがっつんした衝撃には慣れんなぁ⋮⋮﹂ ﹁現状を冷静に考えて予測すると普通の馬車にまでサスペンション が回るのは大分後だな。妾と一緒に三百年くらい寝てればその頃に は解決してるかもしれん﹂ ﹁いやいや、それ僕死んでるって﹂ ﹁む、そういえばそうだったな﹂ 695 付き合いが長くなってきたのもあるのだろう。 時折エルは僕を人ではなく精霊か何かのようなイキモノだと思った 発言がぽろりと出るようになってきた気がする。 ちょっとした冗談なんかも言わなかった出会った直後なんかを思い 出してみると、遠慮がなくなってきたみたいにも思えて嬉しかった り。 ﹁でもまあ、多少尻が痛いくらいで済むんだから運が良かったと思 うぞ?﹂ ﹁全くその通りで。⋮⋮背中に詰まった携帯糧食が役立たずになる ことを切に願っても大丈夫かな?﹂ ﹁向こうについてみないと分からんな。話だけ聞くと寒村ってわけ でもないらしいから宿はともかく食料くらいは何とかなるだろう﹂ ﹁ちなみに今の発言は何割が願望?﹂ ﹁もちろん十割だ﹂ ﹁駄目じゃん。自信満々に言い切ることじゃないぞそれ﹂ ﹁私は美味しいと思うよ?﹂ ﹁そりゃ主が何とか味を調えてくれてるからだ。ソースが尽きて単 体で食べざるを得なくなったときの味わいといったら⋮⋮﹂ ﹁そ、そうなんだ﹂ ﹁もちろんそれだけではないぞ? 見た目は悪いが保存性にだって 優れた︱︱﹂ グラム当たり、というよりは体積当たりのカロリーに優れるアレを 何とか不味くない程度の気持ちで食べれるようになろうと、そりゃ もう苦労した。 あらゆる臭みを無力化し、野生のヘビやカエルですらご馳走に変化 させることが可能なことで有名なカレー粉があればなんてことも無 いのだろうが、残念ながら港町のタルノバですら発見することが出 696 来なかった以上、僕らで独自の対策を打たねばならないわけで。 セットで食べることによりイギリス的な苦しみを振りまいたビネガ ーや、意外とエルには好評だった自作のマヨネーズもどきなどを使 い、どうにか美味しく頂くことが出来ないのかと研究した結果、唐 辛子を効かせたドライトマトのスープ煮が最適であることが判明し たのだった。 ある意味僕らの生命線といっても過言ではない。 そんな風に熱弁をふるってるエルを見てると、緊張感が金属ヤスリ で削られるアルミのような勢いでなくなってきてしまって何だがと っても眠たくなってきたのだが、残念ながら今日はこのまま眠るわ けには行かないだろう。 なんたって今日は馬車の護衛をしなくてはならないのだから。 しかも今回のは僕らの目的地であるハートルード山地方面に存在す る、極めてマイナーな村へと荷物を運ぶ馬車への同乗なのだから当 然気合だって入る。 ﹁さて、じゃあ僕は御者台に行くからエルは周辺の警戒とかよろし くね﹂ ﹁少し待て。妾が思うに最近の主はいささか働きすぎていると思う のだ﹂ ﹁そうでもないよ?﹂ ﹁ねがてぃぶだ。今の今だって眠そうだしな。というわけで今日は 御者も周辺探査も妾がやるから主は少し休んでおくと良い﹂ ﹁仕事を投げっぱとか人として駄目な気がするんだけど﹂ ﹁⋮⋮ふむ、一週間くらい前から主のやった仕事を思い出してみよ﹂ えっと、何だっけか。 697 まずは確か森に居た各種魔獣を討伐して証拠品とかを持って帰って から居酒屋で荷物の搬入をやってみたり、湯治に来た人向けに必要 だった薬草の採取とエル手製の湿布を割高でばら撒いてみたり、ほ かにも森を通過する商人たちの護衛なんかもしてたような気がする。 あとは料理店でヘルプやって新しい異世界料理を覚えてみたり。 って今更日数を数えてみるとラルティバに来てから二十日くらい経 過してるのな⋮⋮。忙しくて全然気づかなかった。 基本的に時間単価に注目して日夜問わず手当たり次第に回収してい るので依頼のレパートリー自体は豊富極まりないのがせめてもの救 いか。 刺身の上にタンポポを乗せるようなのがひたすら続いていたら発狂 してたかもしれん。 ﹁責任感があるのは良いことだと思う。だけどもう少し妾を頼って くれたって罰は当たらんぞ?﹂ 心配そうな表情を浮かべてるエルを見ると罪悪感がこう、むくむく っともたげてきたんだけど同時にやる気も出てきちゃったのが大分 駄目な感じ。 今ならいつも以上に頑張れる気がする。場の雰囲気的にいえないけ ど。 ﹁あ、うん。じゃあ今日はお任せしちゃおうかな﹂ ﹁よろしい。では行ってくる﹂ 颯爽と荷台と御者台を分ける分厚い革を潜っていくエルを見送って から軽く背伸びを一つ。 やることがすこっと抜けてしまったものだからどうしたもんかと小 一時間ほどぼけっとしていたのだが、エルが御者台に行ってからず 698 っと落ち着かない様子だったファムが隣にちょこんと腰掛けてこち らを見てくる。 ﹁ファム、さっきからどしたの?﹂ ﹁ユート、少しだけ私のことを話しても良い?﹂ ファムは僕の右手を包むように握りながら、無理やり作ったように しか見えない笑顔を浮かべながらそう聞いてくるが、どう答えたら 良いかなんて考えたって分かりゃしない。 だから、うまくいくことを信じて小さく頷いた。 ﹁ありがと。実を言うとね。ユートがそんな風にいろいろ思ってく れるほど私の生活なんて大したものじゃないの。毎日決められた時 間に運動して、それ以外は部屋に一人で時々渡される薬を飲むだけ。 今にして思えば両親に売られたおかげでいくらか健康的だったかも﹂ ﹁売られたって⋮⋮﹂ 何もいえないよ。 何の不自由も無く今まで生活してきた僕には。 セーフティネットなんて高尚なものがほぼ存在しないこの世界にお いて、何らかの力の無い人らの扱いは思いのほか残酷だ。 飯だってろくに食べることも出来ず、服装だってボロ以下で下手を すれば奴隷よりも酷い。 かといって自ら進んで奴隷になったとしてもうまくいくとは限らな い。 一応この国の法でも禁止されているとはいえ、運が悪ければ魔術の ターゲットにされて弾丸の威力調査に使われるような運命をたどる 可能性だって存在しているのだから。 ⋮⋮精神衛生上、あえて見ないようにしていた風景を思い出してし 699 まってファムより先に僕がナーバスになりそうだ。 ﹁名前も貰えないまま抜け殻みたいな生活をしてたら気づいたとき には喋れなくなってて。でも、それも幸運だったのかも。⋮⋮あれ、 なんでだろ? 凄く駄目な感じになっちゃった。こんな暗い雰囲気 にするつもりは無かったのに﹂ 視線を馬車の外に向けるファムは未だ笑顔のままで、それがまるで ロボットみたいで少しだけ、ほんの少しだけ恐ろしく思えた。 ﹁気の利いたセリフとかが思いつかないなぁ⋮⋮﹂ ﹁そんなの大丈夫だよ。でもユートは凄いね﹂ ﹁今までの話の中に凄い要素が僅か一点すら存在しないんですが﹂ ﹁カッコいい雰囲気? 一緒に居ると何とかなりそうって気がして くるもん﹂ ﹁全然格好良くないよ、それ全然格好良くないからねっ!?﹂ なんと不甲斐ないことでしょう。 慰めるべき立場の人間が逆に慰められてしまった。 ⋮⋮ぼ、僕には人生経験が不足しているっ! ◆ ﹃主、緊急じゃないがお知らせだ。進行方向右手側に複数の敵が引 っかかった﹄ ﹃ギルドのレポート読んでる限りこっちが見られてるとは思ってた 700 よ。どうせ来やしないだろうから放置でいいんじゃない?﹄ ﹃それがな。どうやらこちらを襲撃しようとしているみたいなのだ﹄ ﹃ひょっとしてエルが冒険者の護衛だとは認識されてない?﹄ ﹃うむ。⋮⋮護衛をやると自信満々言っておきながら面目ない﹄ ﹃そればっかりは僕が出てても変わらんのよね⋮⋮。んじゃ今度こ そお仕事行ってくるよ﹄ ﹃了解だ。ファムは妾に任せておけ﹄ ﹃あいさ﹄ あぁ、もうっ! 折角ファムと親交を深めつつあると思ったらこのザマですよ。 とっとと片付けてこよ。 ﹁ファム、どうも近くに野盗が近づいてるみたいだからちょっと行 ってくるね﹂ ﹁大丈夫?﹂ ﹁お任せあれ﹂ 心配そうに僕を見てくるファムに笑顔を返してからゆっくり深呼吸。 ⋮⋮よし、行くか。 馬車の荷台から軽いステップで飛び降り、極力自身のシルエットを 隠せるようなブッシュへと滑り込む。 普段と違って背中にスリングバッグがないから硬いツタが引っかか ったりすることも無くて非常に快適である。 木の枝を踏んで乾いた音を立てるような間抜けな真似をしないよう に注意しながら、そろりそろりとターゲット達へ近づいていく。 今日の天気は曇天。タダでさえ光の届きにくい森の中はステルスに 十分なほど暗く、自分らが狩られる側に回っていることに気づいて 701 すらいないなら意外と近くまで接近できるかもしれない。 野盗の生け捕りはそこそこ儲かるんだよなぁ。 ︱︱何せ合法的に人体実験が出来るのだから当然だけどさ。 ﹁なぁ、なんか嫌な予感がしないか?﹂ ﹁ビビってんのか? むしろお楽しみの予感ならビンビンだけどな﹂ ﹁御者の隣の女は杖みたいなのを持ってるって話が聞こえたぞ﹂ ﹁どうせ飾りだろ? 少し前だってそうだったじゃねえか﹂ やれやれと首を振る野盗さんとニタニタ楽しげな笑みを浮かべる盗 賊さんの二人組みは想像以上に小奇麗な服装をしてるのが驚きで、 ぽかんとしてたときに嫌な予感なんて言われたもんだから思わず上 がりそうになった声を抑えるのに苦労した。 多少周囲を観察すれば、大分離れたブッシュの先に白いシルエット が一人分チラチラと浮いてるのが見える程度。 ということでこちらから見て少しだけ遠い右側の、嫌な予感を感じ ていた野盗さんの後頭部にいつもより小ぶりな氷柱を射出。 炭酸飲料の気が抜ける音のコンマ数秒後、氷柱は軽い音を立てて頭 蓋骨を貫通し、横ぶれしながら脳みそをかき回して元人間を作り出 す。 ﹁お、おい。急に倒れてどう︱︱むがっ!﹂ 血も僅かにしか出ていないせいで、死んでいるのか躓いてコケたの かすらも分からなかったらしいのは個人的にラッキーだった。 倒れた仲間の様子を探るなんていう、これ以上ないほどの隙を見せ たもう片方の後ろへと近づき、手のひらで口を無理やり押さえつけ てから無防備な背中へとナイフを突き立てる。 702 哀れな被害者は最後の力を振り絞ってこちらを見るも瞳は恐怖に震 えていて、それもすぐに消えた。 ﹃とりあえず二名クリア。そろそろそっちは接敵した?﹄ ﹃うむ。妾の目の前には三人の盗賊共が居るぞ。真ん中が頭領で左 右にそれっぽい仲間が揃ってるあたりが基本に忠実って印象で良い。 今はのんびりと時間稼ぎをしているところだ﹄ ﹃⋮⋮なんか楽しそうだね﹄ ﹃ちょっと怖がってやるだけで馬鹿みたいに反応するのが面白くて な。折角こちらを囲っているのだからほかにやるべきことがあるだ ろうと説教でもしてしまおうか﹄ ﹃可愛そうだからやめたげて﹄ 死体を隠してるときからたまに聞こえるようになった雄叫びはそれ が原因か。 こいつら、実は馬鹿なんじゃないのか? ﹁ぁっ⋮⋮ぅ⋮⋮﹂ さっきの地点から街道沿いに数十メートル進んだ先で野盗の首を締 め上げてる今この瞬間にだってそう思う。 あちらさんからすれば大切な馬車を襲撃するタイミングのはずなの に、一人で刃物を持って薄ら笑いを浮かべるとか何を考えてるのか さっぱりわからん。 この分だと少数精鋭って話も完全に誤報で、おそらく見切りや逃げ が早いからそういう風に表現されてただけなのだろう。 意識を奪った後は手足をパラコードで縛ってキッチリ無力化。 これで残りの敵勢力はエルの目の前の三名だけ。 ついでに生き残りの野盗はギルドか騎士団派出所に提出すればしば 703 らく分の滞在費になるだろう。一石二鳥で大変よろしい。 ﹃さて、こっちは片付いたよ。そこの間抜け三兄弟はどれから撃て ば良い?﹄ ﹃いやいや、大丈夫だ。もう主に動かれてしまったとはいえ、今日 はさっき言った通り妾が活躍する日なのだからそこでばっちり勇姿 を見ていてくれ﹄ ﹃ありゃ、そう?﹄ ﹃うむっ! では行くぞ﹄ 精霊も人と同じようにフラストレーションとかって溜まるのかな⋮ ⋮? 意外なほど気合の入ったエルは目にも留まらぬ素早さで杖を振るポ ーズをしてから魔力を展開、不可視の衝撃波を生み出して一名を吹 き飛ばす。 ﹁高度に訓練された盗賊、などとは随分笑わせてくれるではないか﹂ 先ほどまでとは全く異なる光景に圧倒されたのか、ぽかんとした様 子の野盗に駆け寄って強烈なハイキックを叩き付けると、よろめく ボディに拳を数発叩き込んでからアッパーカット。 ﹁実際には魔術へ反応も出来ぬ三下だったとはなぁっ!﹂ ようやく自分が窮地に立たされてることに気づいたのか、慌てて腰 の短剣を抜いた野盗ではあったがもう全てが遅かった。 エルは相手の右手を捻り上げて自由を奪ってから男の大事なところ をやくざキックで蹴り付ける。 ︱︱見ていた僕のもキュンってなった。 704 短剣を手放して悶絶する男の胸倉を掴んで大地に叩きつけた上での 顔面ストンピングは誰がどう見ても完璧なトドメ。むごい。 ﹃うむ、オールクリアだぞ﹄ ﹃ぐっじょぶ。エルが真正面から戦ってるのを見たのは久しぶりだ ったけどやっぱり鮮やかだなぁ﹄ ﹃ふふん、そう言われると照れるではないか﹄ ﹃照れない照れない。エルが頑張ってくれた分、僕も夕飯を頑張る から期待して欲しいな﹄ ﹃ホントかっ!? なら妾は魚の塩漬けを使ったスパゲティが良い と思うのだっ!﹄ ﹃ん、おっけ。任せてくれ﹄ 705 4 ﹁さてと、それじゃあ私はここで﹂ ﹁今回はご利用ありがとうございました。今後もラルティバ地区冒 険者ギルドをご贔屓にして頂けたら幸いです﹂ ﹁その台詞、まるで私ら商人みたいだよ﹂ ﹁ギルドもお金を貰って運営している以上商売そのものですから。 ⋮⋮売り物が多少暴力的ではありますが﹂ ﹁違いない。またよろしく頼むよ。期待してる﹂ ククっ、と楽しそうにのどを鳴らす商人さんを笑顔で見送り、見え なくなったところで肩の力を抜いて軽く一息。 道中多少の問題はあったものの、荷物に被害も無く目的地のキッカ 村まで到着できたのだから完璧に依頼を完了させたといっても問題 あるまい。 ﹁しっかしエル。キッカ村って予想してたよりも大分⋮⋮﹂ ﹁整った村だな﹂ 広さはそれほどでもなく、人口だってそれに比例する程度なのだが。 建造物は木造だったり石造だったりして統一感は殆ど無いものの、 そのどれもがしっかりと作られているのが見ただけで分かるし、道 は十分な広さが確保されているおかげで商業用の大型馬車ですら問 題なく通過出来てしまうだろう。 総戸数が少ないのも相まって、見た人によっては軽井沢の別荘地区 のように思えたりもするんじゃなかろうか。 ﹁村の中央を流れる川を船が流れてたりするあたり、結構大っきな 706 産業があるみたいだな﹂ ﹁前情報じゃ特に目立つような産業とかはなかったはずだけど、な んだろね。旅行本情報だとこの辺の川を上った先に秘境の温泉があ るって話だけは聞いてるんだけどそれ以外は全然だ﹂ ﹁どうも積荷を見る限りでは何かの薬草みたいだぞ﹂ ﹁川で輸送する価値のある薬草か⋮⋮。エルは護衛中に商人さんか ら何か聞いたりしなかった?﹂ ﹁いや、道中は周辺の警戒で忙しかったから特に何も﹂ ﹁そっか。後でそこらへんの人にでも聞いてみよっか﹂ ﹁うむ。⋮⋮それより主﹂ ﹁ん?﹂ ﹁この川の先には温泉があるのか。それは、是非、行っとかねばな らんな﹂ ﹁もちろん。秘湯めぐりは日本に居たときからやりたかったことだ からある意味旅の主目標っても過言じゃない﹂ ﹁あ、その⋮⋮。私のことはともかく古代遺跡は良いの?﹂ ﹁どうせ僕らが最初じゃないし、急いだところで疲れるだけだと前 回思い知らされたから今回はゆっくり行くつもりだよ﹂ ﹁そうなんだ⋮⋮。前人未到の遺跡だとばっかり思ってた﹂ ﹁実は意外と生活臭があったりするもんだからファムの期待には答 えられないかも。たぶん魔獣とかも居ない﹂ 思い返してみれば、インスタント麺のリフィルとかエネルギーバー の空箱が転がる古代遺跡ってどうなんだろ。 そりゃプラスチックやビニールは微生物に分解されないんだから残 るのも当然だけどさ。ロマン的な観点で考えると凄く納得しがたい。 マジで。 ﹁さて、遺跡の中身は後で話すとしてまずは宿を探さねば﹂ ﹁前回似たような状況で野宿だったことは心に深く刻んであるよ。 707 今回はちゃんと入れる宿があるといいんだけど﹂ ﹁全くだ。あんな経験はもう二度と御免だぞ﹂ やや焦ったようなエルに手を引かれて小走りで移動することおよそ 十数分。 ﹁探し物は最初に探した場所にあるが、最初に探したときには見つ からない﹂なんて迷言があるように、焦りから来る洞察力の低下に よってしばらく宿が見つからなかったのは、十分な笑い話のタネに なってしまうに違いない。 そんなしなくても良かったはずの苦労をして見つけた宿は一階が食 堂、二階が宿になっている比較的スタンダードなところで、温かみ のある内装が落ち着きを感じさせて良い感じ。 ただ、まだまだ夕方になりはじめたとこだというのに、数人の村人 達が既に酒を飲みつつ談笑中だったのには面食らってしまった。仕 事はいいのだろうか。 ﹁おや、見ない顔だね﹂ ぽかんとした僕らに近づいてきたのはおそらくこの宿の女将さん。 ふくよかな体形とそれに見合った声は妙な安心感みたいなのを感じ させるが、まずはその両手の料理を向こうのテーブルに出したほう が良いと思います。 ﹁今さっき商人さんの護衛でやってきたばかりなんですよ。宿をお 借りしたいんですが空きはありますか?﹂ ﹁部屋なら十分に余ってるよ。まったく外の人に宿を貸すなんてい つ以来だったか⋮⋮。掃除は欠かしてないつもりだけど何かあれば 言っておくれ﹂ ﹁了解です﹂ 708 ﹁それと、どこかに移動するなら朝イチでタルラのところに乗せて もらいな。馬車は二、三日に一度しかないからそっちのほうからど こかに行ったほうが早いんだ﹂ ﹁ありがとうございます。でも今回はちっちゃいんですけど目的が あって﹂ ﹁目的? 言っちゃ悪いがこの村に冒険者が期待するようなものな んて無いよ?﹂ ﹁いえ、川を上ったところに温泉があるって話を聞いてきたんです。 明日からはそれを目指して直進ですっ!﹂ ﹁まさか、三人はそのためだけに?﹂ 目を丸くし、唖然とした様子でこちらを見る女将さん。 確かに珍しいとはいえそこまで驚かれるとは思わなかった。 ﹁冒険者は冒険がお仕事なんです。何か知っていることがあれば教 えて貰えませんか? さすがに前情報だけで探すとなると大変な気 がして﹂ ﹁あんまり私らも詳しいわけじゃないけど、川を上った先に湯気を 立てて流れる支流があるって話は聞いたことがあったねえ﹂ ﹁おお! 主、いきなり有力情報だぞっ!﹂ ﹁そう褒めないでおくれ。間違ってたときに恥ずかしいじゃないか﹂ 女将さんがくねくねと揺れるたびに床板が僅かに同調しているのを 突っ込まないように注意しつつ、チラチラと感じる視線の方向へと 目線を向ける。 ⋮⋮ええ、大方予想がついてたけど頼んだ料理が出てこないことに 気づいた男性陣のものでした。 しっかり骨まで食べられるかもしれない川魚の素揚げはぬらりとテ カるソースで味付けがされてて、見てるこっちのおなかが減ってし 709 まうようなものなのだから仕方なし。 後で落ち着いたら僕もこれ頼も。 ﹁すいません。ちと視線が痛いので鍵だけ先に貰っても良いですか ?﹂ ﹁あら、気を使ってもらって悪いわね。それじゃあ鍵はこれ。お金 は出るときに払って貰うけど二晩で半銀貨一枚だから﹂ そう言ってカウンターの上に転がされた鍵を拾って二階の客室へ。 小さいながらも清潔感のあるベッド、隣には備え付けの机と椅子が 用意されてるおかげで日記を書くのも楽でポイント高し。 ﹁主、入っても良いか?﹂ ﹁入ってから聞く必要ないよねっ!?﹂ 瞬く間に僕のベッドの上を占領したエルが気持ち良さそうに寝転が って息を吐く。 ﹁こう、少なくとも見た目だけなら年頃の女の子なんだから﹂ ﹁今さらではないか。それより主、ファムに魔術を教えるからちょ っと手伝って欲しい﹂ ﹁もう夕方なんだけど大丈夫?﹂ ﹁使い切れなかった魔力を使うだけだから大丈夫だ﹂ ﹁全然手伝うけどさ、あんまり子供のうちからそういう訓練ってし てても平気なもの? 筋肉とかは鍛え過ぎると発育に影響しちゃう って聞いたことあるよ﹂ ﹁肉体に直接影響するようなものではない。が、やりすぎは正直宜 しくない。魔力を使うときに必要以上に体から放出する癖が付くと マズイ﹂ ﹁でも最悪一人でも出来ちゃうし、本人が強く望んでたりするなら 710 しょうがないか﹂ おそらくエルを待ちきれなかったのだろう。 半開きだったドアの向こうにはファムが居て、ちらちらと見える限 りでは杖とコップと初級の魔術書を持ってるのだから。 ﹁ファム。おいで﹂ ﹁ごめんなさい﹂ ﹁謝るようなことじゃ無いけど無理は駄目だよホントに。こう言わ れるのは嫌かもしれないけど身体だってまだまだ細いし、年齢で考 えても子供なんだから﹂ ﹁うん。でもユートだってそんなに年齢が離れているわけでもない のに、あんなにも強いから私も頑張りたくて﹂ あれ? ﹁いやいやっ! 僕ってば既に22歳だからねっ!? ファムと比 べちゃうとちょうど10も上なんだから基礎的なものが違うって﹂ ﹁えっ﹂ ﹁えっ﹂ ﹁⋮⋮いや、ファムが驚くのはまだしもエルが驚くのはおかしい﹂ ﹁前に話をしていたときは21歳だったろう?﹂ ﹁こっち来てからもう半年以上経過してるんだから年齢だって増え るがな﹂ ﹁な、なぜ話さなかったっ!? 主のとこじゃ誕生月にお祝いとか しないのかっ!?﹂ ﹁人によるけど周りを含めて20を超えたあたりから祝わなくなっ たと思う﹂ ﹁まさかそんなにさらっと流されるとは⋮⋮﹂ 711 がっくりといった感情をありありと外に放出しながらベッドの上で orzのポーズを取るエルを見てるとなんだか悪いことをしてしま ったような気になってしまう。 そういえば僕もエルの誕生日を知らないし、ひょっとするとそろそ ろなのかもしれない。 ﹁んじゃ逆にエルは何時なの?﹂ ﹁この状況で言うのは妾が祝い事を要求しているようで非常に言い づらいのだが﹂ ﹁僕とエルの仲で気にするようなことじゃなくね? ひょっとして 近かったり?﹂ ﹁いや、そんなに近くは無い。といっても妾の場合は正確な日付な んて分からなかったから適当なのだが一応、ジルバの月ってことに している。なので誕生月まではまだたっぷり四ヶ月はあるぞ﹂ ﹁そこは忘れないようにしとこ。折角のタイミングだから聞いちゃ うけどファムは?﹂ ﹁私は、えっと﹂ ﹁直近の場合、申し訳ないけどケーキくらいで一杯いっぱいになっ ちゃうかも。そうじゃなければ僕らの頑張り次第で結構何とかなる﹂ ﹁実は、その、ちゃんと覚えてるわけじゃないんだけど、たぶん再 来月くらいだったと思う。⋮⋮売られる前から誕生月を祝えるほど 裕福でもなかったから﹂ 極力心配されないようにか、平気そうにへらへらとした笑顔を浮か べて言い切るファムの姿を見るといよいよちゃんとイベントごとに しようかって気分になる。 後でエルと相談しなくちゃ。 ﹁そっか、じゃあ今回こそは期待してもらえたら嬉しいな﹂ ﹁何でもかんでも主や妾に任せてると食べ物しか出てこないから欲 712 しい物があれば前もって考えておいたほうが良いぞ?﹂ ﹁欲しいものなんてそんな。本当なら魔術を教えて貰うだけでもお 金が掛かるのに﹂ ﹁ならば魔術用の高機能な杖とか、いざって時の魔力充填用に調整 された貴金属などがわりとオススメできるな。特に杖の扱いやすさ は重要で、あるとないじゃ大違いだ﹂ ﹁⋮⋮少し前に武器の性能差は決定的なものではないってエルが言 ってなかった?﹂ ﹁⋮⋮そんなことも言った気がするな﹂ ﹁と、とりあえず魔術の練習を始めようか。室内だからあんまり派 手なのは出来ないけど魔力の操作と効率化を目的にした訓練は僕と エルで用意してるから﹂ 713 4︵後書き︶ ﹃寝る前に考えてたんだけど誕生月って何さ?﹄ ﹃主のとこでも祝ってたんじゃないのか?﹄ ﹃僕のとこは誕生日なんだ。時間はともかく日付くらいならあちこ ちで確認出来るのにわざわざ月で括る理由がわからなくて﹄ ﹃あぁ、そういうことか。あんまり大した理由じゃないぞ?﹄ ﹃そうなん?﹄ ﹃うむ。昔は日付とかも月の満ち欠けでやってたから結構いい加減 だったりしたのだ。だから誕生した日の次の満月にお祝いをするっ て文化がこっちにはあってだな﹄ ﹃残ったんだ、それ﹄ ﹃その通り。結局風習なんてものは世の中が便利になっても変わら ず残りっぱだ。とはいっても正確な日付が出るようになったのは間 違いないので最近の貴族達の中には誕生日と誕生月でそれぞれプレ ゼントを貰おうとしてるのも居るみたいだぞ?﹄ ﹃逞しいなぁ⋮⋮﹄ 714 5 ズドン、パカッ、プシュ 僕がお昼ご飯を作るのに必要な時間を最大限有効に活用したいと、 ファムの要求に応えるかたちで始まった魔術の訓練を口で表現した 場合、大部分の人がこんな風に言うのではないかと思う。 ﹁ズドン﹂は少なくない魔力を利用して作られた障壁にそれ以上の 魔力をぶつけてむりやり穴を開ける音。 ﹁パカッ﹂はエルが出来た穴の中に投げ込んだフラッシュバンの炸 裂音。本来強烈な爆音が発生するはずだったそれは、小さな穴から 漏れるようにして出てきたせいが妙に軽く馬鹿っぽく聞こえる。 ﹁プシュ﹂は突入員と化したファムが障壁内部に設置されたターゲ ットへ風穴を開ける際に利用するようになってしまった氷柱の射出 音。 室内への突撃を滑らかに行うための下準備をキッチリこなすエルと 比較するのはさすがにアレだが、射撃精度や各種魔術の選択速度と いった弱点を凄まじい速度で克服し、ファムは一人前の突入員へと 近づきつつあると思う。 その最大の要因はやはり精霊との簡易契約だろう。 一般的な魔術師見習いと異なりファムには魔力の使用制限が実質的 に存在しない。そりゃ錬度の向上っぷりが凄まじいのも理解できる。 さっき様子を見てきた結果を鑑みるに、もう少し上手く室内を清掃 できるようになってきたら僕と一緒にやるのも良いかもしれない。 ただそれは平原での会戦が未だ主流のこの世界において、およそら 715 しいとは言えない訓練風景なんだろうなぁ⋮⋮。 って、いかんいかん。なべが焦げる。 ワイン樽に一滴の泥が混じればそれは泥水なんて言い方をされるよ うに、この手のソースは底が焦げたら目も当てられないことになっ てしまう。 ﹃エル、御飯できたよ。すぐ食べれそう?﹄ ﹃もちろんだっ! 可能な限り急いでファムと汗を流してくるから もうちょっとだけ待っててくれ﹄ ﹃了解。待ってる﹄ さて、今日のお昼ご飯もパスタの類である。 米粒があれば主食のバリエーションが広がって望ましいのだけど無 いものねだりをしたってどうにもならん。いつかはこちらでラルラ の実なんて呼ばれてるお米を目指して東へ向かいたいと思ってるの だが⋮⋮。 生産地とうわさのガルドラ方面︱︱つまり東行きの船代は決して安 いものではなく、道中は海の魔物や海賊といった危険な要素が豊富 で、今のところGPSの座標が刻まれた古代遺跡も存在しない。 とにかくリスクとリターンの兼ね合いが悪すぎて、他に何らかの理 由が出来ない限り行き辛く感じてしまってるのが現状だ。ぐすん。 ﹁お疲れ、汗を流してくるにはやたら早かった気がするけど﹂ ﹁寝癖とは違うからな。じゃばっと水を浴びてぶわっと風で乾かせ ば一瞬だぞ?﹂ ﹁良くそれで髪の毛ボッサボサにならんね﹂ ﹁栄養の整った美味しい御飯を毎日食べていれば大体大丈夫だ。ウ ィスリスでよく見かけた貴族には美男美女が多かっただろう﹂ 716 ﹁ものっそい納得いかないけど反論できないから納得する﹂ 少し大きめのクッカーから皿にパスタをたっぷりと乗せて二人へと 渡す。 ﹁うわぁ、良い香り﹂ ﹁毎度ながらお昼も美味しそうではないか﹂ ﹁お昼はチキンブイヨンを使ったトマトソースのパスタ。今回の探 索は比較的短期間で切る予定だから材料も贅沢に使っちゃおうと思 って﹂ 村で余分な携帯糧食を売り払い、代わりに各種濃縮スープを作成し たおかげで僕らの食糧事情は今のところ大変に良好です。 これに加えてキノコや灰汁の少なく短時間で食べれるようになる野 草を採取していけば、ビタミンや食物繊維といった普段野外では摂 取しにくいような栄養素まで得られるのだから気分はもうハイキン グといっても問題あるまい。 全員にパスタが行き渡ってから自分の皿のをぱくりと一口。 この世界のトマトは完熟状態でも緑色のままなおかげでナポリタン というよりはグリーンカレーの様相を呈してるものの、食べて見れ ば青臭さも無くしっかりとしたトマトソースの味がする。 こっちに来て大分経ってもうすっかり脳みそも慣れたのか、この手 のギャップにもはや違和感は覚えない。 ﹁ん、なかなか﹂ ﹁肉が入ってないのに鳥肉の味がするのが不思議⋮⋮﹂ ﹁じっくりことこと煮込んだ結果、形が崩れて繊維状になった鳥肉 がちゃんと入ってるよ﹂ ﹁そうなのか。色の濃いソースだからさっぱりわからなかったぞ﹂ 717 ﹁これどうやって作ったの? ユートもエルも生の野菜とか鳥肉と かなんて荷物に入れてなかったよね?﹂ ﹁ふふん、僕とエルの莫大な魔力を持ってすれば前もって作ってお いたスープを粉末状にして保存しておくなんてことも出来ちゃうん だ﹂ ﹁あんまりにも魔力を食うものだからやるとグッタリしちゃうのが 欠点なんだがな﹂ ﹁ひょっとしてたまにある二人とも疲れた様子の日って﹂ ﹁うむ。大抵これが原因だ﹂ この味わいは僕らが他の冒険者達に対して大っぴらに自慢できるポ イントである。 遠距離の狙撃はいろんな意味でインパクトが大きすぎて自分から話 す気にはとてもなれないし、フラッシュバンは試しに使おうにもイ ンスタントなパーティでは連携の壁が高すぎる。 ﹁私じゃ手伝えない?﹂ ﹁しばらくは魔力増強の訓練を続けてからじゃなきゃ駄目だ。妾は ファムが干からびるとこなぞ見たくは無い﹂ ﹁うぅ、先は長いなぁ⋮⋮。魔術を教えて貰って上手になるたび二 人が遠くなっちゃう⋮⋮﹂ ファムは頭を抱えるようなポーズを取りながらも、片手を器用に振 って自分専用のマグカップに水を満たして喉を潤す。 自身の魔力だけでは到底実行不可能なその行為は、契約精霊である エルの魔力をほとんどロスも無いままに扱う彼女の技術によって成 り立っているのだが、本人はそういうところに気が付いていない。 ﹁魔力の取り扱いは一部の例外を除けば一日で上手くなるようなも のではないからな。⋮⋮さぁ、腹ごしらえも済んだところで再び温 718 泉目指して出発するぞっ!﹂ ﹁夜までにはある程度、出来れば湯気の立つ支流くらいまで到達し たい。そしてお風呂に入りたい﹂ ﹁私は温泉卵が食べてみたい。ユートの故郷だと何でも温泉で蒸す んだよね?﹂ そういえばファムは自分のバッグの中に生卵を入れていたけどこれ が目的だったのか。 ﹁大丈夫。ユートとエルの分も持ってきてるよ!﹂ ⋮⋮段々と、ファムが僕らに似てきた気がする。 ◆ おそらくキッカ村の女将さんが知らなかっただけで、うわさの温泉 は周辺地域でそこそこの知名度があるのではないかと思う。 というのも村を出て川の上流方向へと半日ほど進んだ結果、道っぽ いものが出来てきたのだ。 ﹁もう少し村で情報を集めておけば良かったかも﹂ ﹁随分と古いが馬車の轍みたいなのも残ってるな﹂ ﹁うわっ、ホントだ。秘境の温泉のつもりが実は普通に観光地とか だったら嫌だなぁ⋮⋮﹂ ﹁そうなったらそうなったで名物を食べ尽くすチャンスではないか﹂ ﹁意外とお隣クシミナの人たちが生活する村だったりしてね。この 719 あたりの国境って確かかなり曖昧だったよね?﹂ ﹁目立った特産品も無ければ最初から人の集まるような場所でもな いからな。非管理区域なんて呼んでしまっても良いかもしれん﹂ ﹁そりゃいよいよその可能性がありそうだ。とりあえず向こうの人 たちが信仰してる神様を馬鹿にしたら不味いのだけは覚えてる﹂ ﹁大体それで大丈夫なはずだ。数百年の時を経て変わって無ければ だが﹂ 意外と不安だ。 人間社会は比較的短期間でコロリと変わっちゃう可能性が否定でき ないのですが。 ﹁他国に行こうとする機会もなかったからあんまり考えてなかった けどさ﹂ ﹁む?﹂ ﹁過去の戦争の影響って結構でかいのかもね﹂ ﹁そりゃつい最近の話なのだから影響くらいあるだろう﹂ ﹁人間の視点からすると数百年前を最近と表現するのはかなり抵抗 が。︱︱ともかく当事者が誰も生き残ってないような状態なのにク シミナに関する資料がめちゃめちゃ少なくてさ。その先のセーファ ート連合とか海を挟んで向かいのガルドラ地方なんて卓上観光出来 ちゃいそうなほどなのに﹂ ざっと表面だけ見た場合、ファルド王国とクシミナ聖王国の仲は悪 く思えない。 少なくともタルノバではお互いの国の船員が和やかにやり取りして いて、同じ卓で酒を飲んでることすら珍しいものではなかった。 ﹁国民と国そのものだとやっぱり係わり合いそのものが変わっちゃ うんだろうなぁ﹂ 720 ﹁お互いにいつか向こうが攻めてくるかもしれないと思っているの だから仕方があるまい﹂ ﹁最近は魔獣が増えてるからそれどころじゃないような気もするん だけど﹂ ﹁そのうち押し付け合いが始まるのかもしれんぞ﹂ ﹁やだやだ。そのしわ寄せは確実にギルドに来るじゃん﹂ ﹁複数国を跨って中立の存在が無視できない程度の戦闘力を持って いるのだから仕方あるまいて﹂ エルは腰に付いた水筒から水出しの紅茶を少しだけ飲んでから、わ さりと幸せが抜け出して言ってしまいそうなほど大きなため息をつ いた。ぶっちゃけ僕の同じ気持ちである。 ﹁⋮⋮うん、そろそろ現実逃避は駄目じゃね? たぶん﹂ ﹁やっぱり主もそう思うか?﹂ ﹁個人的には一番来るべきじゃないと思ってたとこに来たよ﹂ つい、と視線を横に向ける。 ︱︱黒コゲの廃墟があった。 元々は数十人が余裕を持って生活できたであろうかなり大きなお屋 敷は、すっかり炭だらけで住むにはおよそ適さない風通しの良いも のへと生まれ変わっていた。 整備された道や柵などを見るとごく最近まで使われていたはずのそ れらは火災によってほとんどが焼かれていて、時折生々しさすら感 じる。 歩きやすい道を好んで進んだ結果、例の古代遺跡に近づいているこ とに気づいたのは日も落ちかけた本当についさっきのことだ。 路面もあぜ道のような適当なものから進むにつれて十分に踏み固め 721 られたものになり、休憩所のような無人の施設を見つけてからファ ムの様子はおかしくなった、⋮⋮と思う。 温泉に浮かれてファムに意識が回ってなかった数時間前の僕をぶん 殴ってやりたい。 様子を見る限り、積極的に来るつもりが無かったはずのファムの軟 禁場所に来てしまった可能性が高いのだ。 いくら自身が売られて来たような場所とはいえ、重労働や身体を要 求されることも無く食事を出してくれた存在が居た場所に何も思う ところが無いなんてありえないだろう。建物が人為的な炎で焼かれ ていたとしたらなおさらだ。 だが、僕はこの施設が燃えていて幸いだったとすら思っている。 こんなことファムには口が裂けたって言えたもんじゃないけど、こ の施設がまだ稼動していたとしたらそこに住まう彼らはきっと彼女 の身柄を要求したと思うのだ。 果たしてどんな思想で何をしていたのかなんて火災の影響でさっぱ りわからんけど、日本なら中学生にも満たないような女の子を軟禁 して失声症を引き起こしてしまうような奴らにファムを引き渡すつ もりなんて全くこれっぽっちすらも存在しなかったわけで。 ﹁キナ臭いよね。状況﹂ ﹁錬度の高い盗賊、ほとんど物流が無いはずなのに裕福な村、付近 に蔓延る奴隷商。誰がどこまで関わってるのかはわからんが全部が 無関係ってはずはあるまい﹂ ﹁いっそこの段階で襲われたほうが気楽だったかも。近くに敵の反 応はある?﹂ ﹁全くのゼロだ。周囲の警戒は朝からずっと続けているがここまで 722 無反応だと逆に不気味だぞ﹂ ﹁太陽の傾き加減もあんまりよろしくない。ここで野営はしたくな いからもう少し持ちこたえてくれるといいんだけど⋮⋮﹂ ﹁最悪夜戦に持ち込めば鴨撃ちになるだろうに﹂ ﹁そりゃ近づいてきた奴を問答無用で必殺するのが許されてるなら ともかく、無関係の冒険者とかだったらかなり不味い。もちろんそ ういう風にされるのも含めてだよ﹂ 殺傷能力の高いライフルを持って初めてわかる事実。 ブッシュの向こうで動く生き物が居たのでイノシシかと思って撃っ たら実は人間でした。という事実は意外と身近にあるという事。 現状近接戦闘のプロフェッショナルと鉢合わせしたら非常に危険な のが判明してるので、敵味方識別装置が存在しないのは射手として 非常にストレスが溜まって鬱陶しい。 冒険者のROEとかギルドでガイドラインを作ってくれたりしない のだろうか。 ﹁いっそ遺跡までは間に合わないか?﹂ ﹁いや、直線で12キロメートルだから急げば間に合う。暗くなっ てきたらこっちが有利なはずだからその意見には大いに賛成﹂ ﹁了解だ。⋮⋮ファム、悪いが考えるのは後にしよう。このままじ っとしていても何も得られないし、今は行動するべきだ﹂ ﹁あ、うん。ごめんなさい。少し頭が混乱してて。元気が無いわけ じゃないの、大丈夫﹂ ﹁うむ、いい返事だ。最終的には主と妾でズバっと解決してみせる から期待していて欲しいぞ﹂ 再びForetrex301モドキを起動して電子コンパスを確認。 おっけ、ラッキーなことにしばらくは道を走れそうだ。これなら日 が落ちる前にたどり着けるかもしれん。 723 ROE︵Rules 5︵後書き︶ ※ of Engagement︶: 軍隊や警察で利用する戦闘のルール。 どういう条件なら敵と思われるものに対して攻撃しても良いかを決 定するためのもの。 これが曖昧な組織では敵に頭を抜かれるまで反撃してはいけないな んて意味不明なルールが出来上がることも。 724 6 黒焦げハウスから古代遺跡まで、実際に走った距離はおよそ15キ ロメートル弱。 これは元々アウトドアが好きだった僕にとってそれほど長い距離で もなく、仮にこっちに来てから知らぬ間に増強された体力が無かっ たとしてもそれほど時間が掛かることは無かっただろう。 とはいえ今回みたいに日が落ちきる前に到着しようと急いで走れば エルはともかく僕とファムの二名は結構な量の汗をかいてしまうし、 軽量化最優先でろくな着替えも携行しない一般的な冒険者装備を持 つだけに過ぎない僕らのアウトドア生活では、二日目以降不快な思 いを我慢する必要がある。はずだった ﹁はふぁ⋮⋮。まったくここは極楽だぞ。まさかこんなに気持ちよ く汗を流せる場所があるとは思いもしなかった﹂ ﹁色々考えなければ快適で寝ちゃいそう。特に昨日なんて疲れたか らもう﹂ ﹁ふふ、川のせせらぎにきらきらと光る木漏れ日なんて風流じゃな いか﹂ ﹁ほんとめっちゃ贅沢な温泉だよコレ。当たり前だけど誰もいない から開放感もぐっど﹂ じゃぶじゃぶと贅沢に流れ出す源泉。 ここ半年ほどで徐々に聞き慣れてきた異世界の野鳥の声。 ただ、エルは温泉で泳がないでくれ。それはたぶん風流な行動じゃ ないぞ。 ファムは⋮⋮先ほどから源泉に突っ込んだ卵を眺めてはうねうねと 725 体を動かしている。たぶんもうすぐ出来上がる温泉卵が楽しみなの だろう。 ともかく僕らは今、おそらく噂されていた秘境の温泉に入ってそれ ぞれの楽しみ方をしているわけだ。 だからこの小旅行の目的は完璧に達成されたと言っても過言ではな い。湯加減最高です。 温泉発見の経緯はこんな感じ。 予想通り洞穴の奥にあった遺跡の入り口でキリキリ警戒しながら一 晩を明かす。 疲れたので肉が食べたいとごねるエルと一緒に川魚を探しに行く。 魚の変わりに湯気の立つ支流を発見、さらに明らか人の手の入った 形跡がたっぷりの池までが用意されていたという話。 ﹁ビールの類が無いのが残念でならん。きっと凄く美味しく飲める と思うのだが﹂ ﹁持ってくると温くなっちゃうから僕なら日本酒が良いなぁ。ぬる 燗を露天風呂で飲むっていうのを僕は一回で良いからやってみたく て﹂ ﹁むむ、確かに日本酒も香りが良くて美味しそうだ。でも主や妾の 鞄の容量を考えるに完全な嗜好品を持ち歩く余裕はやっぱ無いな﹂ ﹁うぅむ、夢の無い話だ﹂ ため息を温泉に吐いてぶくぶくと泡を立ててから、空中に魔力を集 中して作り上げた水をごくりと飲み干す。ぬるい水もお風呂で火照 った体には冷たくて美味い。 ﹁でもやっぱどうにも個人的な思いをぬかすと工業廃水に浸かって るようでイメージ悪いよコレ﹂ 726 ﹁言うな。水質に問題が無いことは魔術的にも科学的にも確認して 大丈夫だったではないか﹂ ﹁いやまぁ、そりゃそうなんだけど﹂ 湯量も、温度も、風景だって抜群だ。間違いなく。ただし︱︱。 湯気の立つ支流がコンクリ製のU字溝で構成された排水路だったこ とと、源泉がどう見ても排水管だったことに目をつぶる必要がある のは果たして温泉といえるのか甚だ疑問であるし、水質調査の出来 ない旅人が楽しむには少しばかりハードルが高すぎる気がしてなら ない。 ﹁確かに水質とかどうのってよりはこの後の遺跡のことのほうが幾 分建設的か﹂ ﹁全くだ。なんたって半開きのドアの向こうからは僅かながらの血 臭が漏れ出していたわけだからな。前回やその他資料から想定する にあまり好ましい状況ではあるまい﹂ 先ほどからずっと源泉に沈めた鶏卵に夢中のファムに気を使ったの か、小さな声でそっと耳打ちされた事実が僕の中に圧し掛かる気が した。 明らか危険が存在するような洞窟へ大した装備無しで突入して、大 したことないメリットを目指すような奴は英語圏でスペランカーな んて呼ばれちゃってるわけで。 えぇえぇ、良く死ぬアクションゲームとして有名なアレの元ネタで すよ。 幸いにも僕は自分の身長の半分ほどの高さから滑落しても死ぬこと は無いが、魔術で身体をぶち抜かれたり刃物ですぱっと切断された りすると必ずではないが場合によって死んでしまう。 727 ﹁どしたもんか⋮⋮﹂ ﹁何を悩んでるのかわからんがとりあえず入ってみれば良いのでは ないか? ドアが開きっぱなしという事は退路がなくなるなんてこ とはあるまい﹂ ﹁そう思う?﹂ ﹁うむっ! 今回は前回と違って何かありそうだからワクワクする なぁ﹂ ﹁僕は結構びびってるよ。マジで﹂ ﹁大丈夫、妾が守るぞ。ただし瘴気らしきものだけは勘弁して欲し いが﹂ ﹁前にも言ったけど守られるよりは守りたいってば。あと瘴気の類 を確認したら全力で撤退の方向で﹂ ◆ かしゃん、かしゃんと妙ちくりんな機械が壁の向こうで動いてるら しき音。 不規則に点滅する蛍光パネルが織り成すローライトコンディション。 低温低湿で快適極まりない室内。 生きた遺跡だからと最初は音が鳴るたびにみんなで障壁を展開して いたものの、探索開始から既に二時間が経過した今では誰も気にし ないこの状態は果たして良いのか悪いのか。 ﹁涼しくて気持ちいい﹂ ﹁遺跡ってこんな涼しいんだね﹂ 728 ﹁そりゃ地中に埋まった建物だからな。一部地方なんかじゃこうい う保存施設を立てて野菜を保存していたりもするんだぞ﹂ ﹁野菜を地面に埋めちゃうの?﹂ ﹁うむ。施設で塩漬けされた野菜は独特の味わいで葡萄酒との相性 が最高なのだ﹂ 涼しくて快適な施設の話を振ったつもりなのにどうして漬物談義が 始まってしまうのだろう。 こっちのは塩漬けに酢が加えられてるおかげですっぱしょっぱくて、 日本の漬物と同じ気持ちで口に含んだときの落差が半端じゃないん ですよ。美味しかったけどさ。 ﹁こんな話をするとこの前タルノバで主が作ってくれた生魚の酢漬 けを思い出しちゃうな。あれは美味しかった。また作ったりしない のか?﹂ ﹁あれをタルノバ以外で作ったら腹を下して上下マーライオンの憂 き目に遭うかんね﹂ ﹁マーライオンの意味はよくわからんが言いたいことはわかるぞ。 でもこの辺なら川魚が獲れるではないか﹂ ﹁川魚を生で頂くのは健康面のリスクがでか過ぎ。胃袋が丈夫な僕 やエルなら何とかかもだけどファムが倒れちゃうよ﹂ ﹁うぅむ、残念だ﹂ ﹁それよりほら、またドアだ。開けちゃうからカバーは任せた﹂ ﹁ん、任された﹂ 最低でも数百年は過去の遺物というには綺麗なドアノブをひねり、 ゆっくりとドアを開いていく。 その先には ﹁休憩所っぽい?﹂ 729 ﹁ベッドと安楽椅子か。ずいぶんと贅沢な場所だ﹂ ﹁あっちには椅子もいっぱいあるね。寝る人はうるさくなかったの かな﹂ ﹁たぶんうるさかったんじゃない? こういう場所で寝るときは僕 も耳栓を自前で用意してたし﹂ ﹁ユートもこういう場所で寝たりしたことがあるんだ﹂ ﹁そりゃあるよ。船旅とか最安プランだと雑魚寝になっちゃうもん﹂ ﹁なんだか意外﹂ こういうときにファムが微笑むのを見るとちょっとうれしい今日こ の頃。 この調子で行けば社会復帰もそう遠くはあるまい。 反面僕の社会復帰、もとい学生生活はどうだったっけか。 たしか、学則で一年間単位ゼロの場合退学だったような? げぇ、あと半年も残ってないじゃないですか。受験頑張ったのに。 このままじゃ安定した企業に入ってかわいい嫁さんもらって幸せに 暮らす僕の人生設計が非常にマズイ。 ﹁どしたの? なんか顔青いよ?﹂ ﹁いや、大丈夫。こっちに来てからはいつだって健康。ほら、向こ うのドアを開けて次の部屋の探索に移ろう。⋮⋮エル、なにかあっ た?﹂ 若干挙動不審になりながらドアへと向かう僕に対してエルがストッ プのハンドサイン。 ただ、エルの表情があんまりにも真剣だったものだから頭が冷める までに時間は掛からなかった。 すぐさま杖に魔力を装填、馬鹿馬鹿しいまでの殺傷力を秘めた金属 棒が出来上がるまでわずか数秒。 730 可能であればSWのライトセーバーみたいに滑らかな光が放たれて くれれば、蛍光灯の代わりになって便利だというのに物騒な光は紫 電が跳ねてチカチカするものだからとてもそういう用途じゃ使えな い。 ﹁こう、軽い雰囲気からあっという間に準戦闘状態に移行できる主 はなんだかんだ凄いと思うぞ﹂ ﹁それ、褒めてないでしょ﹂ ﹁むぅ、妾としては褒めたつもりだったのだが⋮⋮。ともかくさっ き主が進もうとしたドアの先から物音だ。敵の可能性がある﹂ エルの言葉に頷いてからドアに左壁に張り付く。 ﹁いつでもいいよ﹂ ﹁ん。では、3、2、1﹂ エルがドアを蹴り破ると同時に内部へとフラッシュバンを投擲。 五感を塗りつぶす猛烈な光の奔流と炸裂音が収まると同時に内部へ 突入、床にうずくまる生き物に向けてライフルの照準を合わせて。 ⋮⋮っておい。 ﹁エルっ! すとっぷすとっぷ。中に居たのは人間だっ!﹂ ﹁うむ、まずは無力化だな﹂ え? ここは状況を聞いてから場合によっては脱出をって話じゃないの? 混乱する僕をよそにエルは生き物の背中を踏みつけてから腕を縛り 上げてミノムシを作り上げる。 731 ﹁こういう場所に一人で居るなんて怪しすぎるだろう。盗賊の類か もしれぬ﹂ ﹁言われてみると確かに。すいません、荒っぽくなっちゃいました けど所属を伺ってもよろしいですか?﹂ ﹁あいたたたた⋮⋮。光が収まったと思ったら抵抗する間もなかっ たわね。ウィスリス第一研究所ハフマン分室所属のセーラよ。あま り痛くないようにしてもらったのは嬉しいけどもう少しお願いでき るならこの拘束は解いてもらえないかしら﹂ ﹁第一研究所の所長さんの名前はご存知ですか?﹂ ﹁クズ⋮⋮じゃなくてクーヴ・ダリア・パルミルよ。私の身元が心 配なら向こうのバッグを漁ってもらっても構わないわ﹂ クズって言った。 絶対今この人自分のとこの所長をクズって言った。 思い返してみるとリュースさんもあんまり良い言い方してなかった 人だけどさ。どんな人なんだろ? ﹁あ、その。試すようなことをしてしまって申し訳ないです﹂ ﹁大丈夫。こんな怪しい人間を見たら私だってそうすぅ、けど、⋮ ⋮ぐっ、も、もうちょっと優しく﹂ ﹁何度も何度もすいません。タイラップははめる時はともかく外す のが難しいんです﹂ ﹁あだだだだだぁっ!?﹂ 指でぐりぐりやって外してから思ったけど、刃物を使って取ったほ うが痛くもなけば安全だったかもしれん。 ようやく外し終えたときには二人の指が真っ赤になっちゃったんで すけど。 ﹁はぁ、ようやく人心地つけたわね﹂ 732 ﹁しかし何でこんな辺鄙なところに。まさか一人ってことはないと 思ってますがほかのメンバーはどうしました?﹂ ﹁全員死んだわ。たぶんね﹂ ﹁奥に何か危険なトラップでも?﹂ ﹁奥にもあるんでしょうけどまず遺跡に入るなり光の矢に貫かれて 一人目が死亡、二人目は女性型のオートマトンに襲われて。それ以 降はこの部屋に逃げ込んだからわからないけど無事に逃げ出せたの かしら⋮⋮﹂ セーラさんは目を伏せてそう言うが、なんかちょっとおかしいぞ? ﹃この話し方だと死体を担いで移動なんてとてもやってなさそうな んだけど入り口に死体なんて転がってたっけ?﹄ ﹃骨すら無いな。入り口付近に残っていたのはリザードマンの死体 くらいだ﹄ ﹃危険なオートマトンに関してはともかく、こんなすぐバレる様な 嘘をつくは意味あると思う?﹄ ﹃無いぞ。なんだか嫌な予感がひしひしとしてきたのだが﹄ ﹃⋮⋮こりゃ悔しいけど撤退の方向で。話が聞けてよかった﹄ ﹃異議なし﹄ ﹁セーラさん、幸い僕らが入ってきた段階では光の矢も無ければそ のオートマトン?も居ませんでした。撤退するなら一緒に行動しま すか?﹂ ﹁三人は冒険者なの?﹂ ﹁僕とそっちのエルはそうですよ。一番奥で入り口を警戒してるフ ァムは僕らの教え子なんで違いますけど﹂ ﹁行きの冒険者を見捨てて逃げたような人間がお願いするのもどう かと思うけれど、帰り道までの護衛をお願いできないかしら﹂ ﹁探索とかをせずにこのまま帰るなら構わないです。僕らとしても 733 この遺跡を探索できないのは悔しいですけど命あっての物種なので 今回はあきらめます﹂ ﹁ありがとう。本当に恩に着るわ。報酬に関してはウィスリス到着 後に上に掛け合うから期待して頂戴ね﹂ いや、めっちゃ頭下げられちゃったけどさ。 状況のせいで気づいてないみたいだけどさ。 どっちかっていうと冒険者を見捨てたっていうよりこの人が見捨て られた気がしてならんぞ。 なにせ死体とか無かったし、戦闘の痕跡なんて全く無かったし。 この人を連れて逃げ帰ることには何の反論も無いけれど、後で気づ いたときにどうやって言い訳したら良いのだろうか。 そこだけがちょっと不安だ⋮⋮。 734 7 危険は見えないところにある。 これは冒険者の標語というわけではなく、都の運転免許センターに 張り出されていた手作り感溢れるポスターに書かれていた言葉なん だけど、今の状況には良く合っていると思うんだ。 敵の存在が明らかだというのにその具体的な位置が分からない。と いうのは想像以上にストレスが溜まるものらしくて、もしこれが長 時間に渡って続いたとしたら日常生活その他もろもろに大きな影響 が出ることは間違いあるまい。 ﹁クリア。室内廊下共に安全だ﹂ ﹁次は突き当たり右のドアで﹂ ﹁了解﹂ 足音に気を払い、壁に張り付き、ドアノブをゆっくりとひねって内 部を確認する。 内部は来たときと変わらずガランとした広間のまま。だけど⋮⋮。 ﹁ん、エル。なんか聞こえた﹂ ﹁何がだ?﹂ ﹁たぶん魔術が発動する音だと思うんだけど。遠すぎてちょっと良 く分からなかった﹂ ﹁良く聞こえるな。妾じゃ直接面と向かった状態でようやく聞こえ るくらいなのに﹂ ﹁あれ? ほら、ファンが高速回転したときに鳴る風切り音みたい な感じなんだけど聞こえない?﹂ 735 ﹁うむ、わからん。あと主のとこに行ったら見たいものがまたひと つ増えたな﹂ ﹁ファンの風切り音なんてそんな良い物でもないんだけど⋮⋮。と もかく音は出口のほうだったからそのうち当たっちゃうかも﹂ 排熱のために耳障りな音を周囲にプレゼントするサーバPCを前に、 悦に浸ったような表情をするエルを脳裏に浮かべてしまった。 たぶん、僕は今微妙な顔をしていると思う。 軽く首筋を叩いて意識を再集中。 神経を澄ました状態で広間、ストレージ、休憩室と来た道を戻るに つれて魔術の発射間隔は長くなり、代わりに血臭がしてきたのだか らこれはもうタダ事じゃない。 ﹃物音無し、血臭有り、トラブルは⋮⋮あるかも﹄ ﹃うむ。すていしゃーぷだな﹄ 意を決してドアをオープン。 ﹁うへ。こりゃまた、酷いな﹂ ﹁なんとかここまで逃げてきたみたいだが﹂ ﹁ど、どうしたの。⋮⋮って、わわっ! 見えないよっ!?﹂ ﹁エル、目隠ししてもしょうがない。光景が教育的じゃないのは間 違いないけど﹂ 廊下には少しばかり生暖かい死体が二つ。 どちらも腹に直径数センチの穴が開いているものの即死はしなかっ たのか、血を流しながら這いずった痕が向こうのドアから一直線に 伸びているのが見えて、昔やったホラーゲームと良く似ていた。 むしろ気になる点といえば薄汚れた姿格好や保有するアウトドア用 736 品の少なさか。 生きていれば印象が違ったのかもしれないが、ぱっと見じゃ野盗だ と判断されるのも仕方なし。 ﹁もしかして僕らを追ってきたのかな。こいつら﹂ ﹁どうだろうな。もしそうなら運の無い奴らだ﹂ ﹁すっかり魔術の音も聞こえなくなっちゃったし、後ちょっとで出 れるから頑張ろう﹂ ﹁それで、死体より正面のはどうする?﹂ ﹁へ?﹂ おそらく気づいていなかったのは死体を検分していた僕だけだった のだろう。 エルも、ファムも、セーラさんも杖を握りながら正面の奇妙な女性 と対面していた。 顔つきそのものはエルと良く似ていて、信じられないくらい整って いるにも関わらず、顔の筋肉が無いんじゃないかと思うほどに無表 情なおかげでよく出来た人形のようにしか見えやしない。 何より右手に血のついた金属棒と左手に簀巻きにされた男性を持っ ているのが不気味だった。 ﹁えっと、こんにちは?﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁念のため聞きますが、同じ冒険者の方ですか?﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁大変失礼ながら僕は皆様方を野盗か何かだと思っているので、こ のまま無視して帰ろうかと思っているのですが﹂ ﹁た、助けてくれっ! まだ死に︱︱﹂ 737 男性の悲鳴染みた声が強制終了。 ブスリ 言葉にすると冗談みたいな音だけど、僕らの見た光景そのものだっ て負けちゃいない。 女性の指先から伸びた光の筒が男の額に突き刺さり、おまけに脳み そでも啜ってるのかじゅるじゅると水音を響かせてくれる。トラウ マになりかねないから止してくれ。 やがて女性は満足したのか、ようやく口を開き ﹁新たな脅威を発見しました。警告します﹂ ﹁セーラさんっ! 僕の後ろにっ!﹂ 畜生。相手は思いのほか好戦的だった。 大慌てでセーラさんの前に移動してから展開した魔力障壁に音を立 てて光の矢が突き刺さる。 あぁくそ、なんで警告だってのに殺傷力のあるモノをこっちに向け てぶっぱしてくるんだよっ!? ﹁しかも魔力障壁が二枚も貫通したんですけど。信じらんない﹂ ﹁私としてはさらっと複数枚障壁を展開しながら平然として居られ るユート君にびっくりなんだけど﹂ ﹁分厚いの一枚じゃ爆発物を刺し込まれたときにスグ割れちゃうじ ゃないですか。というかのんびりしてる場合じゃないですって﹂ 無言で放たれたエルの迎撃に合わせて氷柱を2本ばかし相手へと撃 ち込んでみたものの、相手側の障壁表面で氷柱が砕けるなんて有様 738 で、火力の差が如実に出てしまった。 ﹃むぅ、無駄に硬いな﹄ ﹃面倒だからまずは逃げよう。軽く殴って足止めしてくるからその 隙にファムとセーラさんを移動する感じで。二人の安全を確保した ら戻ってきてくれ。僕とエルの二人でなら何とかなるでしょ﹄ ﹃わずかな時間でも主を置いて逃げるのは嫌なのだが、だが、だが ⋮⋮。わがままを言えるような状況ではないな。絶対に無理はしち ゃ駄目だぞ?﹄ ﹃しないしない。痛いのは嫌だから消極的にやるつもり。ファムが 居ると余計に危ないからなるはやでお願い﹄ ﹃任せろ。直ぐ戻ってくる﹄ ﹃よろしくっ!﹄ 動き出したエルを視界の端に押さえつつ、相手の照準をこちらに向 けるため杖を片手に相手のほうへと踏み込む。 飛んでくる光の矢を魔力障壁で防いでまた一歩。次を弾いてまた二 歩。 美しさの欠片も無いごり押し戦法は近接戦闘能力に欠ける僕にとっ ては最適な戦術で、高火力なスタンロッドとの相性も何気に良い。 最大出力の、触れれば人が焦げるほどのスタンロッドを叩きつける。 が︱︱ ﹁げっ、硬柔らかい⋮⋮﹂ ﹁主っ! 頭を下げよっ!﹂ スタンロッドは相手の障壁にぶつかると同時にただの金属棒へと逆 戻りし、物理的な衝撃はあっさりと受け止められてたたらのひとつ も踏ませられなかった。 739 続いて退避中のエルが時間稼ぎのために放った数本のフレシェット が魔力障壁に突き刺さるも爆発はせずに消滅する。 厄介なことに、どうも正面の魔力障壁で魔力そのものを吸収か無力 化でもしているらしい。 僕の攻撃をものともせずに飛ばしてきやがった光の矢を受け止める とコンマ数秒後に小爆発。 ﹁あっぶな﹂ 今のところなんとか問題は無いものの、こんな当たった後に炸裂し ちゃうようなモノを受け止め損なったら目も当てられないことにな っちゃうぞ。 だがこれでエル達は問題なく外へと脱出することに成功したわけな ので、あとは魔術をばら撒きながらゆっくりと後退し、エルが戻り 次第反撃すれば何とかなるだろう。 ⋮⋮最悪施設崩しちゃおうかな。 直撃させたところで無力化されるだけなので、相手の周辺に爆発性 の魔力を仕込んでみる。 えぇ、仕込んだ瞬間に相手の障壁だったものが触手のように動いて 無力化してくれました。 ﹁な、納得いかない⋮⋮﹂ 相手の攻撃を受け止めればスパークや小爆発、魔力を霧散させる液 体がはじけ飛んで魔力障壁をカラフルに彩っていく。特にスパーク は濃い赤から薄い青までと色合い豊富で美しいんじゃなかろうか。 ガリガリと音を立てて削られていく命綱を必死に補修しつつ後退し 740 てついにはホールへと移動してしまった。たぶんまだ5分も稼げて ないぞ。 エルが二人をどこまで誘導したのかは分からないが、これ以上後退 してしまうと撤退が壊走にランクアップしてしまう可能性が否定で きなくなる。うぅむ⋮⋮。 ﹃主、良い知らせと悪い知らせがある﹄ ﹃オチがありそうなんだけど﹄ ﹃そう言うな。良い知らせは無事遺跡の外まで脱出した。︱︱っと﹄ ﹃なんか騒がしくない? 悪いほうは?﹄ ﹃外に盗賊共が待ち構えていた。どうやら最初からファムでは無く セーラを狙っていたらしい。今片付けている最中だ﹄ ﹃こっちは後退しながら睨み合い中。⋮⋮いや、ちょっと待って﹄ 見れば女性の輪郭が淡く発光しながら薄くなっていく。 ﹃どうしたのだ?﹄ ﹃良く分からないんだけどあのヒトの姿が薄くなって。⋮⋮あ、消 えた﹄ ﹃なぁ、主﹄ ﹃ん?﹄ ﹃今、主の前にはあの女は居ないのだよな?﹄ ﹃たった今消えちゃったね﹄ ﹃⋮⋮﹄ 嫌な予感がする。 ﹃エル?﹄ ﹃どうも、最優先攻撃対象はこちらだったらしいぞ。たった今、目 の前に現れおった﹄ 741 ﹃ちょっとそれヤバイんじゃ﹄ ﹃ん、主。非常に申し訳ないがファムを守りながらアレと交戦する のは不可能だ。周辺の野盗を盾にしつつ一度撤退をしたいのだが﹄ ﹃もちろん撤退で。こっちは一人で身軽だからどうとでもなる。集 合地点は黒コゲ抜けた先の休憩所。それも駄目ならキッカ村まで戻 ろう。エルも気をつけて﹄ ﹃主も気をつけるんだぞ。なにせで︱︱﹄ ﹃エル、聞こえないんだけど。⋮⋮エル?﹄ ﹃ある︱︱だ︱︱︱えないぞっ!? しんじ︱︱︱︱﹄ 特小無線を使ってぎりぎりの範囲で会話をしているような、ノイズ が多すぎてまともに聞き取ることが難しくて使い物にならないのは 初めてだった。 雰囲気から察するにエルが致命傷を負ったなどではなさそうだった が、たぶん急がないとやばい。 ホールのベンチを飛び越え、階段を駆け上がり、ドアを蹴り飛ばせ ば出口までは1分も掛からない。 飛び上がるように遺跡を出れば、おそらくエルが散々打ち込んだの だろう、あちこちに魔術による破壊の痕が残り、築地のように死体 が転がり、そして⋮⋮例の化け物が無表情のままこちらを見つめて いた。 あー⋮⋮。エルや野盗を追ったりするわけじゃないのね。 集合地点を黒こげハウスなんて遠くにするんじゃなかったか? いやでも、あんまり近かったら意味ないし、やっぱ駄目か。 でもでも、これでエル達の安全はほとんど確保できたようなもんだ から何でもかんでも悪いわけじゃないよね。 杖を落とさないように手のひらにぎゅっと力をこめて魔力を再装填。 742 これで体の外に展開した魔力とあわせれば極短期間だけ魔術を速射 できる。 そのまま撃ったって無力化されちゃうけどさ、それでも防御網の範 囲外から高威力の爆発物で削りきってしまえばいいと思うんだ。地 面の小石とかが刺さればなおベターなり。 手元に魔力を引っ張り出して爆発物に変換、さらに威力を高めるた めに︱︱ ﹁当施設の安全確保が完了いたしました。これより再度スリープ状 態へ移行します。[##UserID##]は施設法381により、 速やかに自室へ戻ることを推奨いたします。守られない場合、死亡 する恐れがあります﹂ ⋮⋮なにそれ? 既に死亡する恐れがあった気がするんだけど。 ユーザIDとか言ってるとこだけ口調がまるで別人だったのも気に なるし、施設法なんてものを僕は知らないし、自室なんてものがあ ることだって知りゃしないんですがそれは。 あまりの事態にぱくぱくと口だけが動いて声を出すことも出来ない まま、化け物の輪郭が薄く光ながら姿が薄くなり、結局文句のひと つも言う間もないまま見えなくなった。 ⋮⋮⋮⋮。 ⋮⋮⋮。 ⋮⋮。 ⋮。 一回目、エルが倒れて撤退 二回目、オリエンテーリングのようにほかの施設の座標をゲット 743 三回目、化け物に追っかけられて何とか撤退 まだ探索してない遺跡が沢山あるのに、あんまり行く気がしなくな ってきちゃうな⋮⋮。 いいや、今後はエルと相談しよ。 744 7︵後書き︶ ﹃あるじっ! 大丈夫かっ!?﹄ ﹃お、ようやく聞こえたか。こっちは大丈夫だよ。そっちは?﹄ ﹃⋮⋮無事で良かった。こっちも大丈夫だ。被害といえば妾の腹に 多少穴が開いたくらいか﹄ ﹃いや、それ、無事じゃなくね? ほんとに大丈夫?﹄ ﹃妾は治療術のエキスパートだぞ。敵に追われてないならこのくら いなんてことは無い﹄ ﹃まだ敵が居たらまずいってことじゃん。ちゃんと逃げれたんだよ ね?﹄ ﹃もちろんだ。こう、妾が敵をちぎっては投げ、ちぎっては投げす るとこはなかなか爽快感のある光景だったと自負している﹄ ﹃物理的にちぎってないよね?﹄ ﹃⋮⋮⋮⋮﹄ ﹃ちょっとエル﹄ ﹃あ、あまり気にしないでくれ。ところで今日の夕食は出来れば肉 以外が良いとセーラが言っていたな。逃げる途中で野菜を確保でき たから今日は色鮮やかなパスタが食べれるぞ﹄ 745 PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n6133r/ 異世界で生活することになりました 2017年1月12日17時23分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 746