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ラテンアメリカにおける債務危機の原因 ― T.O.エンダースとR.P.マッチ

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ラテンアメリカにおける債務危機の原因 ― T.O.エンダースとR.P.マッチ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 ― T.O.エンダースと
R.P.マッチイオンの所説を中心にして ―
Author(s)
田口, 信夫
Citation
東南アジア研究年報, (28), pp.103-130; 1986
Issue Date
1986
URL
http://hdl.handle.net/10069/26505
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
103
ラテンアメリカにおける債務危機の原因
一T.O.エンダースとR.P.マッチイオンの所説を中心にして一
田
口
信
夫
1 はじめに
皿 債務危機に至るまでの過程
皿 債務危機の原因
(1)外的要因
(2)内的要因
(3)金融的要因
]V 債務危機緩和の方法
(1)輸出主導による景気回復
(2)資本逃避に対する対策
V おわりに
1 はじめに
1982年,国際金融界を震感させたラテンアメリカの債務危機が発生してから,早や4年余
が経過した。この間,さまざまの救済措置が講じられたこともあって,債務問題は一時峠を
こえたかのようにみえたが,しかし本質的には,問題の深刻さは数年前と少しも変っていな
い。いやそれどころか,この間にもラテンアメリカの対外債務は累増し,経済危機は一層の
深刻さを増している。たとえば,この間に対外債務は1982年の3,184億ドルから1985年には3,
680億ドルへ増大し,このような巨額の対外債務に制約されて,GDP成長率は1981∼84年に
はゼロ,1人当たりでは8.9%のマイナス成長となった。他方,この間に物価上昇率は,1981年
の57.6%から84年には184.2%に上昇した。つまりラテンアメリカは,この4年余にわたっ
て激烈なスタグフレーションにみまわれたわけである。
このような現状を前にして,キューバのカストロ首相は,1986年9月2日の第8回非同盟
諸国首脳会議で,r1人の男が1秒に1ドルの割合で金を返したとしても,途上国の累積債
務を返し終えるのに1万2千年かかる」と述べ,「いま先進国は,エイズ(後天性免疫不全
症候群)という新たな不治の病に苦しんでいるが,累積債務こそ世界経済にとってのエイズ
の
にほかならない」と決めつけているほどである。
104
いったい何が債務累積の原因なのか。債務危機はどのようにして作り出されたのか。おそ
らく,その原因はきわめて複雑で難解であろう。しかし,ただ1ついえることは,この原因
を真摯に解明することなく,ただカストロ首相のように,「レーガン政権が赤字財政と高金
利のたれ流しを続けていることが,第三世界の経済を一層深刻な状態に陥れている元凶」と
いうだけでは,問題解決へ向けての真の展望は開けてこないであろうということである。と
いうのは,債務問題には途上国自身の責任も大きくかかわっているからである。したがって,
今こそ,途上国自身の内部問題にまで鋭くふみこんだ原因の解明が強く求められるわけである。
本稿は,かかる問題意識の上に立って,1979∼82年期のラテンアメリカを対象に債務危機
の
の原因を総合的観点に立って分析したエンダースとマッチイオンの所説をとりあげ,もっ
て対外債務問題研究の一助としょうというものである。彼らの研究の特徴は,簡単にいうと,
債務危機の原因を外的要因と内的要因に分け,そのいずれが債務危機に大きくかかわってい
たかを計数的に明らかにするという,これまでの研究にみられなかったユニークな試みをお
ヨ こなった点にある。
本稿で彼らめ所説をとりあげたのはこのような理由によるのだが,ただし,本稿の行論に
当たっては,補足の意味で,脚注で,世銀『世界開発報告』(1985年版)をかなり参考にした。
皿 債務危機に至るまでの過程
第1表にみられるように,ラテンアメリカ諸国は,1970年代,2度にわたる石油ショック
にもかかわらず,年平均5%台もの比較的高い経済成長を達成し,1981年の終りに成長がス
トップしたときには,その経済規模は1960年の3倍以上にも達していた。この高い経済成長
の主役(または原動力)は活発な投資であり,ラテンアメリカ諸国は1970年代において高率
の成長を維持するために資源の大部分を投資にふり向けた。たとえぽ,1960年代において投
資のGDPに対する比率は平均して20.3%であったが,1970年代には23.7%に達した。また
第1表 ’ ラテンアメリカに関する特定の経済統計,1971∼80
引増加率
(%)
期 間
指 数
GDPに対する割合
(1970=100)
(%)
蟹騰物価粗投資二二二二常収峯
実質
為替相場b
1971−73
7.50
12.77
22.9 3.25
1.85
2.16
97.50
1974−75
5,47
94.97
25.3 5.45
2.02
3.74
87.39
1976−79
5.39
127,81
23,9 4.93
2.52
3。77
87,15
1980
5,73
86.82
22.2 5.21
3.34
5.04
76.20
Source:Inter−American Development Bank, E60πo漉。伽4 sooづα1乃og獅2s8勿Lα伽ノ4翅〃吻,1982
R砂。π(Washington, D.C.:IDB,・1983), pp.35,44,56,70.
a 資本収支
b 諸国家間の財およびサービスの輸出入合計によって加重平均した。指数は1ドル当たりの現地通貨
を示し,消費者物価指数と米国のGNPデフレーターでデフレイトした。
Thomas O. Enders and Richard P. Mattione,加伽14翅θ7加,丁乃θC7ゴsゑsげ1)θδ’αη4 G70ω飾,1984:
Brookings Institution, P.8.
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 105
投資に必要な資金は,1960年代には,その大半が国内的にファイナンスされ,1965∼70年に
かけての外国からの資本輸入は総投資額の8.8%を占めるにすぎなかったが,しかし次の10
年間において大規模な資本流入が:おこり,1970年代には投資の20.1%を占めるに至った。
このように,1970年代におけるラテンア、メリカの高成長は外資の導入によってもたらされ
たといっても過言ではないが,しかしこの海外からの借入に対する依存は,唯一借手国にお
けるイニシャティブによって生じたものではなかった。むしろ,それは供給側における重大
ラ
な変化なしにはおこりえなかったといってよい。その変化とは,1960年代後半と1970年代は
じめにおける商業銀行の与信基準の変化,オイルマネーの流入による貸付圧力,そして工業
国のインフレ高進による実質借入コストの低下である。ラテンアメリカは,1970年代に,経
常収支の赤字補填に必要な額より平均して25%以上もの借入をおこない,この10年間に毎年
外貨準備を積み増ししていったが,この事実はまさにこのような供給側における制約の欠如
を反映していた。
対外借入は,当初,投資の増加とマッチしていたが,その後投資は対外借入よりもかなり
急速に低下し,70年代の終りには,ラテンアメリカ諸国は対外信用を利用して国内消費を維
持し,もって成長を持続するという戦略に変っていた。このことは,対外信用の生産的利用
から非生産的利用への転化を意味した。
対外借入がラテンアメリカの経済成長に果たした役割については上記述べたとおりである
が,対外借入はまたインフレの緩和にも役立った。ラテンアメリカは全体で,1960世代,年
率12%という比較的マイルドなインフレを経験した後,物価の急激な上昇に直面した。それ
には多くの要因が関与していた。オイルシ。ック,工業国におけるインフレ,野心的な政府
の投資計画=このことによる公共部門の赤字,マネーサプライの増加,賃金のインデクセー
ション(物価上昇へのスライド)等がそれである。かくて,1970年代,ラテンアメリカのイ
ンフレは年率75%に達し,70年代の最後の4年間には平均128%にも達した一第1表参照。
このような状況のもとで,対外借入は通貨の切下げや輸入制限によって経常収支赤字を調
整するという,いわゆるインフレ的なプロセスを回避する手段としてラテンアメリカ諸国に
歓迎された。というのは,1つにはそれは実質為替相場を引き上げることによってインフレ
やオイルショックによるマイナスの影響を相殺する機会を与えたからである。しかしこの過
大評価された為替相場は,同時にまた,債務の償還や対外金利支払のための現地通貨でのコ
ストを著しく軽減することによって,対外借入に対してのインセンティブを一層強める結果
をもたらした。
最後に,対外借入はまた政府が公共投資をおこなうに際して,財政赤字や国内の銀行信用
を通ずるインフレ的な資金調達を軽減する手段を提供したり,国営企業がなんらかの大型プ
ロジェクトを遂行する場合,予算面における制約を回避するのを可能にした。とくに後者に
関しては,メキシコ,ベネズエラ,アルゼンチン,ブラジルにおいて顕著であり,1982年に
は,これら4ヵ国はそれぞれGDPの8.6%,8.3%,5.4%,5.0%に相当する国営企業の赤
106
字をかかえていた。
以上のようなプロセスがもたらした帰結は,当然のことながら経常収支の赤字増大である。
ラテンアメリカの全体としての経常馬蝿赤字は,1970年代の初め,GDPの2.16%であった
が,1970年代の後半にはGDPの3.77%へ上昇し,その後1980年と1981年越はGDPの5.04
%,6.57%へとそれぞれ上昇した。このような経常収支悪化の大部分は,197Q年代には,財
やサービスの輸入急増によるものであり,金利や外国資本に対する支払によるものは3分の
1弱にすぎなかった。しかしこのような経常収支悪化の原因は1980年代初頭には逆転し,経
常収支悪化に占める金利や外国資本に対する支払の割合は,1980年には56%,81年には62%
をそれぞれ占めるに至った。そして結局のところ,これら経常収支の赤字は,1982年末に3,
らう
000億ドルをこえるラテンアメリカの対外債務に転化したのである。
ラテンアメリカにおける国営企業の赤字,1978∼82(GDPに対する割合)
第2表
1978
国
ア
プ
ルゴンチ
フ ジ
チ
コ
ン ピ
口
メ
キ シ
ペ
ノレ
ベ
ネ
ズ
工
1979
1980
1981
1982a
ンb
2.O
2.9
3.1
3.7
5.4
ノレ
n.a.
n.a.
3.4
4.2
5.0
リ
0.1
0.4
0.0
1.8
1.6
ア
1.8
0.8
1.4
1.6
2.4
コ
2.8
3.5
4.6
8.0
8.6
1.2
1.1
3.5
3.7
4.9
6.3
1.4
−1.4
5.2
8.3
フ
Source:Unpubished Department of State data.
(注)チリ,コロンビア,ペルーおよびベネズエラにおける国営企業の赤字は,公共部門全体の赤字か
ら中央政府の赤字を引いたものに等しい。メキシコにおいては,国営企業の赤字は,公共部門全
体の赤字から連邦政府の赤字を引いたものに等しい。
a 1982年の数値は暫定的な見積りである。
b アルゼンチンについての数値は金利の支払を含む。
Ibid.,p.65。
しかし,エンダースとマッチイオンによれぽ,ラテンアメリカ諸国がこのような巨額の経
常収支赤字としたがってまた対外債務を抱えるのは避けられないことではなかった。彼らに
よれば,もし公共部門の赤字がきびしくコントロールされ,実質為替相場が適正な水準(す
なわちインフレ率にあわせて)に維持されていたならば,輸入はおそらくそれほどの増加を
示さず,したがって経常収支の赤字や対外借入の必要性はそれほど大きくならなかったはず
であった。
したがって,もし適正な国内政策が早くからとられていたならば,それはラテンアメリカ
をおそった債務危機を軽減ないし回避できたと思われるのであるが,なぜそのような政策が
試みられなかったのであろうか。この理由(とくに為替の過大評価)について,エンダース
とマッチイオンは,過去30数年にわたって増大してきたラテンアメリカにおける膨大な都市
人口,なかんずく首都圏における都市住民の利害関係をあげている。彼らによれば,いくつ
かの場合一カラカスがもっとも顕著な例であるが一首都は外国の食糧源に頼るようになつ
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 107
回目また,ほとんどの場合において,これらの首都は食糧以外にも消費財を外国へ著しく依
存するようになった。そしてまた,海外旅行,海外でのショッピング,海外での資産所有は
ブルジョワ中産階級の共通した特権になった。したがって,為替相場の切下げ(これは輸入
消費財や食糧の価格を上昇させ,また海外での行動費用を高める)は,政府に対して容易に
の
圧力をかけえるこれら利益集団との衝突を意味するものであった。
過大評価された為替相場は,また,ラテンアメリカがGDPのほぼ4分の1を工業製品か
らえているにもかかわらず,工業製品の輸出が小幅にとどまった1つの主たる理由であった。
さう
もう一つの理由は,系統的な輸出指向の欠如である。ほとんどすべての国がさまざまの輸出
奨励措置を講じたが,これらの措置はしぼしぼ過大評価された通貨や為替管理,輸入に対す
る数量制限によって無効にされた。この結果,製造業者たちは外国品との輸入競争に直面す
ることがなく,そのために製品開発やマーケティング技術は停滞した。
この点で,ラテンアメリカの経験は,1970年代に通貨の過大評価をおこなわなかった東ア
の
ジアの輸出指向型の戦略をとっている途上国とは著しく対照的であった。これは次の数字に
も現われている。すなわち,東アジアにおいては,財およびサービス貿易のGDPに対す
る割合は77.1%に達していたが,ラテンアメリカに:おいては25.6%にすぎなかった。しかも
特筆すべきは,ラテンアメリカにおいては貿易に占める一次産品のウエイトが著しく高いと
いうことである 第3表参照。この結果,エンダースとマッチイオンによれば,工業国と
ラテンアメリカのもっとも重要な結びつきは,一次産品価格と金利という間接的なものに限
定されてしまい,したがって工業国の成長がラテンアメリカにおよぼす影響は,全般的な景
気上昇局面にわたって作用するというよりもむしろ,一次産品ブーム期に集中する傾向があ
った。
第3表
ラテンアメリカおよび東アジアの一次産品に対する依存度
1960, 1978, 1980
商品輸出に占める一次産品の割合
国
1960
東アジア(7ヵ国平均)
香 港
インドネシア
,マレーシア
フィリピン
シン/ガ’ポーノレ
韓 国
タ イ
ラテンアメリカ(7ヵ国平均)
アルゼンチン
ブラジル
チ リ
コロンビア
メキシコ
ペ ノレ 一
ベネズエラ
20
100
94
96
74
86
98
96
97
96
98
88
99
100
1978
1980
49
51
3
7
98
79
66
98
54
11
75
79
74
66
95
83
70
89
98
81
63
46
10
71
76
77
61
80a
80
61a
84
98
Source:World Bank,既7」4 D6〃θ1(卿魏1吻。π.1980/1981∫1982∫1983(Washington, D.C.:World
Bank), tables 8,9, and l O. 但し, aは1979年のデータ。
Ibid.,p. 14.
108
皿 債務危機の原因
以上のように,ラテンアメリカは「ラテンアメリカ型の開発モデル」ともいえるこの地域
特有の開発戦略(①輸入代替,②一次産品の輸出,③大規模な国営企業,④大規模な資本輸
入または対外借入)にもとづいて,1960年代,1970年代に高い成長率を達成してきたが,1981
年に入ると成長はストヅプし,1982年には多くの国が債務の返済をおこなうことができなく
なった。いわゆる債務危機の発生である。何がこの原因であったのか。これは,われわれ対
外債務問題を研究する者に課せられた最大の課題であり,これまでもさまざまの指摘がなさ
れてきたが,エンダースとマッチイオンはこれを3つの観点から説明している。1つは,そ
の原因は,ラテンアメリカにとって主要には外部的なものであったというものである。たし
かに,1979∼82年にかけての金利上昇,第2次オイルショック,1979年に始まった非石油一
次産品価格のはげしい下落=交易条件の悪化,1980∼82年にかけての世界不況はラテンアメ
リカに返済能力以上の借入をおこなわしめ,苛酷な調整を余儀なくさせた。第2の説明は,
危機の原因は,大部分,由内字なものであり,ラテンアメリカ諸国は過去5年間,外的ショ
ックに適応できなかったばかりか,むしろ国内政策のまずさによって経常収支を外的ショッ
クのインパクト以上に悪化させたというものである。たしかに,ラテンアメリカ政府は,古
典的な調整i戦略一輸出の促進,為替相場政策を通ずる輸入の一層の抑制,民間貯蓄の奨励
と公共赤字の削減,国営企業に対する厳格なコントロール等一を採用するかわりに過度に
拡張的で放漫な政策を採用し,もって経常収支のポジションをさらに悪化させた。第3の説
明は,危機はラテンアメリカが信用に対する需要を増加させているときに,貸手が貸付を制
限したために引きおこされたというものである。
これらは一般によく指摘される要因であるが,問題は,これら要因(とくに外的要因と内
的要因)のうち,いずれがラテンアメリカの債務危機に大きくかかわっていたかということ
である。そこで本節ではこの点を,エンダースとマッティオソに依拠して分析してみたい。
このような分析を試みることの意義は,ラテンアメリカが成長を再開し,債務返済能力を高
めるのにどれくらいの困難がともなうのかを予測するについて,一定の判断がえられるとい
うことである。もし外的ショックのみが危機の大きな原因であるとすると,それは現在,解
決の途上にあるといえるかもしれない。というのは,金利と石油価格は目下のところ低下の
傾向にあり,米国経済の回復にともなって一次産品価格も高くなる可能性がでてきているか
らである。しかし,もし過度に拡張的で放漫な国内政策(いわゆる内的要因)が危機の重要
な原因であるとすると,これらが構造的要因であるだけに,ラテンアメリカにおける持続的
な成長への復帰は,多くの老が現在予想しているよりはるかに困難であると判断できるかも
しれない。
分析の方法はおおむね次のと:おりである。まず,1979∼82年にかけてラテンアメリカが
ラ
外的諸要因によってこうむったショック度を,1976∼78年を基準期間 (base period)として
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 109
算出する一算出の具体的方法については後述。次に,このようにして算出された外的ショ
ック度を,基準期間とこの期(1979∼82年)との間おける経常収支の変化(およびそれに資
本逃避額を加えたもの)と比較し,そのことによって内的ショック度を算出する。もし経常
収支が外的ショック以上または以下の変化を示していたら,その部分の変化は国内的な要因
によってもたらされたということになる。エンダースとマッチイオンは,このような方法に
よってラテンアメリカ債務危機の原因をさぐっていこうというのである。
(1)外的要因
まず最初に,外的要因がラテンアメリカの経済にどれほどのショック(プラスまたはマイ
ヨラ
ナスの)を与えたかをみてみよう。1979∼82年にラテンアメリカを:おそった外的ショックは,
大きくは次の3つのカテゴリーに分けることができる。’
①交易条件の変化(これは⑦石油だけについてのものと,◎石油を含む全一次産品につ
いてのものに分けられる)がおよぼしたショック
②西側諸国の不況がラテンアメリカの輪出におよぼしたショック
③高金利がおよぼしたショック
以下,具体的に算出の方法についてみていこう。
1 交易条件ショヅク
交易条件の変化がラテンアメリカに与えたショック度は2つの面から考察される。1つは
輪出価格の変化を反映したものであり,もう1つは輸入価格の変化を反映したものである。、
まず前者についていうと,輸出価格の変化がもたらしたショヅク度は次の数式によって示
される。
XS t= (P釜一PB葦)×XVoL t
ここでXStはドルで測ったt年(1979∼82年期における所与の年)に:おける輸出ショッ
ク度,麟はt年における実際の輸出価格,P琳は基準期間に:おける輸出価格(基準期間と
t年間のインフレを調整したもの),XVoltはt年に:おける実際の輸出量を示す。 XS tがプ
ラスであれぽ,それは輸出価格の変動によってt年に好ましい影響(すなわちプラスのショ
ック)を受けたことを意味する。
同様に,輸入価格の変動がもたらしたショック度は次の数式によって示される。
MS t=(PB甲一P聖)×MVoL t
ここでMS tはt年における輸入ショック度, PB碧はインフレ調整ずみの基準期間に:おけ
る輸入価格,理はt年の輸入価格,MVoL tはt年における実際の輸入数量を示す。 MS t
がマイナスの場合,それは輸入価格の変化によって国家が不利益な影響(マイナスのショヅ
ク)を受けたことを意味する。
かくて,上記2つの式から,国家が受けた総交易条件ショック(total terms−of−trade
110
shocks)がえられ,それは次のような数式で示される。
TOTt=XSt十MSt
ここでTOT tはt年におけるドルで測られた総交易条件ショックを表わす。 TOT tがプラ
スであれば,それは輸出入価格の変動によって好ましい影響を受けたことを,マイナスであ
れば不利な影響を受けたことを意味する。
2.石油価格ショック
次にエンダースとマッチイオンは,第2次オイルショヅクが1979∼82年期のラテンアメリ
カの経済に与えた影響の大きさにかんがみて,総交易条件ショックとは別個に石油価格ショ
ックを算定している。その算出方法は次のとおりである。まず,石油輸入国については次の
ような数式がえられる。
OIL!普= (PB噌L P望1)×OVoL?
ここでOIL?はドルで測った石油価格ショック度, PB噌1は基準期間における石油価格, P雫1
はt年における実際の石油価格,OVoL?はt年における実際の石油輸入量を示す。
次に,石油輸出国に対しては次のような数式がえられる。
OIL釜= (P望L PB望1)×OVo:L釜
ここでOI:縫は輸出国が受けた石油価格ショック度, PB停1とP曽1は前と同じであり, OVo
瑳はt年における実際の石油輸出量を示す。
OIL葦, OIL聖いずれも,それがプラスであれぽ,石油価格ショックが好ましかったことを
意味する。
3.西側諸国の不況による需要ショック
の
次に,西側諸国の不況がラテンアメリカの輸出(石油を除く)にどのようなインパクトを
与えたかということであるが,これは次のような数式によって示される。
DEM t=XVoLB×PB¥×(GR r GRB t)
ここでDEM tはt年に:おけるドルで測った需要ショック度, XVoLBは基準期間における
輸出数量(除・石油),PB釜は基準;期間における輸出価格, GR tはt年までの現実の貿易成
長率,GRB tは1976∼78年における平均経済成長率がt年まで続いたとした場合生じたであ
ろう世界貿易の成長率を示す。もしGR t<GRB tであれぽDEM tはマイナスであり,この
ことは西側諸国の不況によって世界の貿易成長率が低下し,ためにラテンアメリカの輸出に
対する需要が減退したこと,すなわち需要ショックが不利だったことを意味する。ただし,
この需要ショックの計算に当たっては,世界全体の貿易水準がいかなるものであろうとも,
ラテンアメリカ諸国が基準期間における世界市場シェアを維持するという仮定にもとづいて
いる。
111
ラテンアメリカにおける債務危機の原因
4.高金利ショック
最後に,高金利が与えたショックは次の数式によって示される。
INTtニ(RR B−RR t)×DEBTt_1
ここでDEBTt_1は前年末(同じことではあるがt年の初頭)における対民間銀行債務残
高,RRtはt年における実質金利(すなわち, t年に:おける名目金利とインフレ率との差),
RRβは基準期間における実質金利, INTtは高金利ショック度を示す。もしRRB<RR tであ
れば,INTtはマイナスであり,このことは金利の高騰によってラテンアメリカ諸国が不利
な影響を受けたことを意味する。
さてこのようにして計算された外的ショックに関するデータは第4表と第5表に示されて
いる。これらの表によると,ラテンアメリカ7ヵ国は,1976∼78年期と比較して,1979∼82
年間に累計で423億ドルのマイナスの外的ショックを受けた。しかし,ショックの性格は国
ごとによってかなり異なっている。,第5表にみられるように,アルゼンチン,ブラジル,チ
リ,コロンビアはマイナスのショックを受けたが,メキシコ,ペルー,ベネズエラはプラス
のショックを受けている。すべての国が高金利と西側諸国の不況によってマイナスの影響を
受けているので,この対照的なショックの理由は,大部分,石油価格ショックの正反対方向
への作用によ.って説明される。すなわち,当然のことであるが,石油価格の上昇が産油国に
は有利に,非産油国には不利に働いたことが総ショックにおけるこのような結果をもたらし
たと考えられるのである。このように,ラテンアメリカにおいては,交易条件ショックが総
ショックに対して支配的な影響をおよぼしているのだが,エンダースとマッチイオンはこれ
を,ラテンアメリカ諸国における一次産品輸出への高い依存度とアルゼンチンとコロンビア
を除いたすべての国における石油輸出入のもつ並みはずれた重要性に帰している。
第4表
ラテンアメリカ7力国がこうむった外的ショック,1979∼82
GDPに対する三野
外的ショッ 貿易に対する外
1982携無灘町齢善1聯
国
1979
1980
1981
コロ ンビア
一2.79
一3.48
一5.58
一7.13
一4.94
一6.8
一22.7
ブ ラ ジ ル
−1,43
−3.78
−5.73
−6.52
−4.56
−48.5
−30.1
チ リ
1.97
−0.06
−7.93
−10.89
−4.61
−4.8
−14.9
アルゼンチン
0.11
−2.26
−3.72
−8.26
−3。00
−13.4
−21.9
ペ ル ー
2.46
3.01
0.72
−2、69
0.53
0.4
1.6
メ キ シ コ
0.24
1.76
1.63
2.47
1.60
11。7
8.8
ベネズエラ
5.40
9.99
9.87
5.58
7.79
19.1
16.6
(注)マイナスの符号は不利な(㎜favorable)なシ』ックを示す。
外的ショック累計額は1979∼82年間の数字を合計したものである。
(ただし,ドル高に対しての調整はおこなわれていない)。
a.貿易は財のみの輸出入合計から成る。
Ibid。,p.16.
112
第5表
次に金利ショックにつ
ラテンアメリカ7力国が受けた外的ショックの源泉と大きさ
(10億ドル)
いてみると,これら7ヵ
国
外的ショ
ック総計
交易条件の変化
全貿易石油貿易
国の中でもブラジルとメ
高金利黛輸墨
コ ロ ン ビア
一6.8
一4.3
一〇.9
一〇.9
一1.6
ブ ラ ジ ル
−48.5
−31.7
−17.9
−8.9
−7.9
チ リ
−4,8
−1.9
−1.4
−1.5
−1.5
アルゼンチン
−13.4
−6.2
−0.6
−3.7
−3.6
ペ ノレ ー
0.4
2.3
1.2
−0.8
−1.1
メ キ シ コ
11.7
22.5
21.0
−8.4
−2.4
ベネズエラ
19.1
24.0
29.4
−4.6
−0.3
(注)マイナスの符号は不利な外的ショックを示す。
総計はドル高に対して調整されていない。
Ibid.,P.19.
キシコがとりわけ大きな
マイナスのショックを受
けている。エンダースと
マッチイオンはこの理由
について特別に説明して
いないが,補足の意味で
説明してみると,これは
両国における次のような
事情を反映していたとい
う
える。
まずブラジルについていうと,同国は1975年に「第2次国家開発計画」(1975∼79年),1980
年に「第3次国家開家発計画」(1980∼84年)を策定し,この間,積極的な開発政策の一環
として多数の大型プロジェクト,とくに資源開発型のプロジェクトを推進してきた。ところ
が,従来,多額の資金を必要とする長期の開発プロジェクトに対しては,世界銀行,米州開
発銀行,二国間の政府援助などから資金を調達するのが通例であったのに,この時期のブラ
ジルにおいては,商業ベースのしかも高利のユーロ資金が当てられたのである。
次にメキシコについていうと,同国は1979年初め「国家工業開発計画」を発表し,積極的
な工業化政策を開始した。この中でも特に注目されるのは,四大臨海工業地帯の建設,製鉄
や石油化学等の重化学工業の建設である。しかしこのような積極的な開発政策の推進は,
PEMEXの場合のように直接外国からの借款を増加させた場合もあるが,一般に中間財・資
本財輸入の拡大を通じて間接的に借款の増大をもたらした。しかもメキシコの場合,ブラジ
ル同様,借款に占める民間銀行の割合がきわめて高く,1982年には公的債務だけに限っても
70%に達していた。
かくて,このような積極的な開発政策の推進,対外借入の急増,対外借入に占める民間銀
行のウエイトの高さが,両国においてマイナスの高金利ショヅクを著しく高めた最大の要因
であったと考えられるのである。
次に国ごとに特徴点をみると,次のような点が指摘できる一千4表参照。まず外的シ
ョックによってもっとも大きなマイナスの影響を受けたのは,ブラジルであった。同国が受
けたマイナスの外的ショックは累計で485億ドルであるが,これは商品輸出合計の30.1%に
相当した。またブラジルの外的ショックの大部分は交易条件ショックによるものであり,と
りわけ石油価格ショックは外的ショック総額の3分の1以上を占めた。
GDPとの対比でもっとも大きなマイナスの外的ショックをこうむったのはコロンビアで
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 113
あり,もっとも大きな変動を経験したのはチリであった。
ベネズエラは外的ショックによってもっとも大きな恩恵を受けた国であり,同国のプラス
の外的ショックは,貿易との関係でみると,1979∼82年における商品輸出合計の平均16.6%
に相当した。またGDPとの対比でみても,ベネズエラはもっとも大きなプラスの外的ショ
ックを受けており,1980年にはピークの10%に達した。
メキシコは石油価格ショックによって,ベネズエラ同様,大きな利益をえたが,GDPと
の対比ではわずかのプラスのショックしか示していない。これはメキシコの経済規模と比較
して,プラスの外的ショック(大部分は石油価格の上昇によるものであるが)がそれほど大
きなものではなかったことを意味する。ペルーにおいては,1982年におけるマイナスのショ
ックがそれ以前の期間におけるプラスのショックのほとんどを相殺した。
(2)内的要因
以上,外的諸要因がラテンアメリカにいかなるショックを与えたかをみてきたが,ところ
でラテンアメリカの債務危機に影響を与えたのは何も外的ショッグだけとは限らない。国内
的な諸要因(内的ショック)もそれに大きく関係している。では国内的要因はラテンアメリ
カの債務危機にどのように関与し,またその関与の度合はどのようにして測定可能だろうか。
まず後者についてみてみよう6
エンダースとマッチイオンによれば,まず第1にこれは測定された外的ショックの大きさ
を経常収支の悪化あるいは(プラスのショックの場合には)経常収支の改善と比較すること
によってなされる。もしある国が,マイナスの外的ショックを受けているが,経常収支は外
的ショックの大きさほど悪化しなかったとすると,その国は積極的な調整によって経常収支
の悪化をくいとめたと定義される。他方,もしプラスの外的ショックを受けている国の経常
収支が,外的ショヅクの大きさ以上に改善したとすると,その国は積極的な調整をおこなう
ことによって,経常収支を一層改善させたと定義される。しかしながら,もしある国が急激
な拡張をおこない,経常収支を外的ショック(プラス,マイナスにかかわらず)以上に悪化
させるならば,その場合,その国の経済調整は不適切であり,そのことによって経常収支は
一層悪化したと定義される。
ここで経常収支変化の算出方法について説明すると次のとおりである。まず経常収支は金
融的項目(金利および配当金の支払)と非金融的項目に分けられ,これは次の数式によって
示される。
CA=NCB十NI
ここでCAは経常収支, NIは金利と配当金の支払, NCBは他のすべての経常収支項目を
示し,これらは外的シ。ヅクと比較できるように,インフレに対して調整される。
次に,これら2つの項目のt年におけるノーマルなポジションを算出するために1976∼78
114
年期を基準期間として用い,この期におけるNCBとNIを,それぞれNCBB, NIBとして示
す。そうすると,インフレに対して調整をおこなったt年における非金融的項目のノーマル
なポジションは次の数式によって示されることになる。
NCB¥=NCBB xPIt
ここでPl tはt年における価格水準, PIは基準期間に:おける価格水準で,これを1.0とす
る。
次に,t年における金融的項目のノーマルなポジションは次の数式によって示される。
NI甲=NIB× (△PI t十RRB)/RB
ここで△PI tはt年におけるインフレ率, RRBは基準期間における実賃金利, RBは基準
期間における名目金利を示す。RB=△PIB+RRB(ここで△PIBは基準期間におけるインフ
レ率を示す)なので,N岬はもし名目金利がインフレ率と同じほど上昇したならぽ生じたで
あろう金融的項目のノーマルなポジションを示すと考えることができる。したがって,イン
フレを調整した後のt年におけるノーマルな経常収支ポジションは,
CA甲=・NCB甲+NI噌 となる。
かくして,経常収支の変化は次の数式によって示されることになる。
CAD t=CA t−CA¥
ここでCA tはt年における実際の経常収支, CA甲はインフレに対して調整をおこなっ
たt年におけるノーマルな経常収支ポジションを示し,CAD tがプラスの場合にはそれは経
常収支ポジションの改善を,マイナスの場合には悪化を意味する。したがって,もしCAD t
が外的ショック総額より大きい場合,すな:わちCAD t>TOT t+INT t+DEMtの場合に
は,團家は外的ショックが経常収支におよぼしたマイナス(プラス)のインパクトを減ずる
T(プラスの場合には増加させる)ように政策の調整をおこなったということになる。
逆にもし,CAD t〈T6T t+INT t+DEMtであれぽ,国家は外的ショックのマイナス
(プラス)のインパクトをさらに増大させる(プラスの場合には減ずる)ように政策を変更
してきたということになる。このことは,国家が外的ショックに対して適正な国内政策の調
整iをおこなわなかったということを意味する。
さて,エンダースとマッチイオンは,このように,経常収支の変化と外的ショックの大き
さを比較することによって,内的要因が経常収支の変化にどの程度かかわっていたかを測定
しようとしているのだが,しかし彼らはこれだけでは,内的要因がラテンナメリカの債務危
機におよぼした影響を知るには不十分だという。というのは,ここではラテンアメリカ(と
くにメキシコ,アルゼンチン,ベネズエラ)の債務危機において大きな役割を演じた資本逃
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 、 115
避が看過されているからである。したがってラテンアメリカの債務危機に内的要因がどの程
度かかわっていたかをより正確にみるためには,経常収支の変化とともに資本逃避が考慮さ
れなけれぽならない。
このような目的のために作成されたデータが,第6表と第1図である。第1図は第6表か
らえられたものであり,斜線の棒グラフは経常収支の変化を外的ショックの大きさと比較し
ている。黒い棒グラフは経常収支の変化+資本逃避額(これを対外資金調達必要総額,
total financing requirementとする)を外的ショックの大きさと比較している。
第1図にみられるように,マイナスの外的ショックの影響を完全に減殺した国はない。ブ
ラジルはもっとも大きな調整努力をおこなったが,コロンビアはほぼ中立的であった。チリ
の
とアルゼンチンにおける国内政策決定は,悪化している対外環境の影響を著しく増大させ,
両国における対外ポジションをマイナスの外的ショック以上に悪化させた。とくにアルゼン
チンの場合は,資本逃避額を加えると,その悪化はさらに著しいものとなる。
ベネズエラは,第2次オイルショック以降,石油収入がふえたにもかかわらず,それ以前
第6表
ラテンアメリカ7力国が受けた外的ショック,
経常収支の変化,資本輸出の大きさ (10億ドル)
外的ショック
1982
1979
1980
1981
コ ロ ンビア
外的ショックの大きさ
一〇.8
一1.2
一2.1
一2。8
経常収支の変化b
*
−1.1
−2.5
−3.0
−6.6
資本輸出。
一〇.1
0.3
0.5
*
0.7
ブ ラ ジル 外的ショックの大きさ
−3.3
−9.4
−16.5
一19.3
−48.5
経常収支の変化b
−4.1
−6.0
−4.7
−8.8
−23.6幽
資本輸出。
1.3
1.6
−0.3
−0.7
2.0
リ 外的ショックの大きさ
経常収支の変化b
0.4
*
−2.6
−2.6
−4.8
−0.7
一1.5
−4.3
−1.9
−8.5
資本輸出。
1.0
国
チ
ショックの結果
累 計 額
一6.8
0.4
0.5
0.9
−0.8
外的ショックの大きさ
アルゼンチン
*
−3.5
−4.6
−5.4
−13.4
経常収支の変化b
一2.1
−6.5
−5.9
−4.4
−18.9
資本輸出。
ル 外的ショックの大きさ
経常収支の変化b
1.7
−2.3
−8.7
−5.0
−14.3
0.3
0.5
*
−0.5
0.4
1.5
0.9
一〇.6
−0.5
1.3
資本輸出。
*
0.2
0.5
0.6
1.3
メ キ シコ 外的ショックの大きさ
0.3
3.3
3.9
4.2
11.7
経常収支の変化b
−2.8
−4.8
−10.1
−1.0
−18.7
資本輸出。
−0.8
−1.1
−4.9
−8.3
−15.2
外的ショックの大きさ
ベネズエラ
2.6
5.9
6.7
3.9
19.1
経常収支の変化b
3.6
8.3
7.9
−0.2
19.5
資本輸出。
2,4
−3.1
−4.9
−7.4
−13.0
ぺ
㈱ a.*は一5千万ドルから5千万ドルの間の数値である。
b.インフレに対して調整している。
c.マイナスの符号は資本逃避を示す。
Ibid., p.20.
116
外的ショックに対する①経常収支変化の割合,②および
それに資本輸出 (マイ ナスの場合は資本逃避)
第1図
的ショックに
する割合
藁
(%)
襲
600
藝
300
國
嚢
外的シ :1 クに対する経常収支変化の割合
クに対する経常収支変化+
O的シ
資本輸出量の割合
鐸
馨隷
100
嚢襲
0
ブラジル
コロンビア
チリ
アルゼンチンメキシコ
奮
霧馨
蓑.1・
鵜緊雪●
灘
:i霊
ベネズエラ
ペルー
’ii
● ■
義鮪
一100
i,.
繋
難
P:
菱
…
・:・.
叢.
…
一200
鯨≡
蓬=.
●
鍋
●
自・
・:・:
一300
引用者(注): この図の意味するところは次のとおりである。
斜線の棒グラフを例にとると,これが一100%をこえると経常収支が外的シ
ョック以上に悪化したことを意味し,+100%をこえると外的ショック以上
に改善したことを意味する。
Ibid., p。22.
の経常収支赤字によって課せられた制約のゆえに,期待されたほどの拡張をおこなわなかっ
た。それゆえ,1979∼82年期におけるベネズエラの経常収支パフォーマンスは195億ドルの
黒字と満足ゆくものであったが,しかしその大部分は,人為的に高い為替相場や企業経営の
まずさ
失敗等によって引きおこされた資本逃避によってそこなわれた。
ペルーはプラスの外的ショックにもかかわらず,大々的な調整努力をおこなうことによっ
う
て,経常収支ポジションをプラスの外的ショック以上に改善させた。さらに,これにプラス
の資本流入を加えれば,ペルーの国際収支の改善は一層著しいものとなる。メキシコは石油
価格が今後も上昇し続けるだろうという確信をもっていたが,国際収支は,プラスの外的シ
ョックにもかかわらず,著しく悪化した。これには,貿易の自由化,ペソの過大評価のもと
での消費財の輸入増加,石油ブームを背景とした石油開発および重化学工業化政策のもとで
け
の中間財・投資財の輸入急増が大きく関与していたと考えられる。またメキシコの場合に
は,アルゼンチン同様,資本逃避額が大きく,これを含めると同国の対外ポジションの悪化
ヨラ
は一層大きいものとなった。
さて,各国別のサーベイは以上のとおりだが,地域全体としてみた場合,以上のサーベイ
から引き出される結論は,ラテンアメリカの債務危機においては,外的要因よりも内的要因
う
の方がより大きなかかわりをもっていたということである。この点をもう少し詳しくみる
と,1979∼82年期におけるネットの外的ショック累計額はマイナス423億ドルであった。し
かしこの期における対外資金調達必要総額(経常収支の悪化と資本逃避による)の増加分は
932億ドルであり,そのうち557億ドルは経常収支赤字の増大分であり,375億ドルは資本逃
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 117
避額であ?た。このことは次のことを意味する。すなわち,ラテンアメリカ7ヵ国は1979∼82
年期に対外借入の必要性を累計で932億ドル増加させたが,このうちマイナスの外的ショッ
クによって生じた増加分は423億ドルであり,残りの509億ドルは資本逃避を含む内的要因(内
的ショック)から生じたということである。ラテンアメリカの債務危機において,外的要因
(外的ショック)より内的要因(内的ショック)の果たした役割の方が大きかったというこ
との意味はこのようなことであるが,このことに端的にいえば,国内調整がうまくいかなか
った,いいかえれば国内政策がまずかったことの結果である。
では,国内政策のどの点にまずさがあったのだろうか。この点をさらにエンダースとマッ
チイオンによってみてみよう。
らく
まず第1は公共部門の赤字である 第7表参照。公共部門の赤字は,大型プロジェ
クトを通じて中間財や投資財の輸入を増加させたぼかりでなく,またインフレーションを激
化させることによって通貨の過大評価をもたらし,貿易収支(したがってまた経常収支)を
の
悪化させた。エンダースとマッチイオンは「公共部門の赤字は,内的ショックを生み出すう
えにおいて,決定的な疫割を演じた雪}(p.30)と述べている。
第7表
ラテンアメリカにおける公共部門の赤字,1978∼82
GDPに対する割合(%)
国
ア
ル,ギンチ
ブ
フ ジ
チ
1978
1979
1980
1981
1982a
ン
6.9
7.2
8.6
14.3
14.2
ノレ
6.1
8.1
7.1
12.1
13,8
リ
−2.1
−4.8
−5.6
−1.1
4.0
コ ロ
ン ビ
ア
1.1
1.2
2。5
3.6
5.8
メ キ
シ
コ
5.7
6.8
7.7
14.8
18.6
6.3
1.7
6.4
8.6
8.8
10.4
−1.1
−1.2
3。4
11.0
ペ
ノレ
ベ ネ
ズ ェ
フ
Source:Unpublished Department of State data.
(注)金利の支払を含む。
a.1982年の数値は暫定的な見積りである。
Ibid., p.65.
第2は民間貯蓄率の低さである。第8表にみられるように,民間貯蓄率はこの期メキシコ
を除いたすべての国で減少した。この原因の1つは,1981年と82年における経済活動の停滞
に求められるが,過大評価された実質為替相場もまた,将来の為替切下げをみこして商品の
輸入を促進し,低い貯蓄率に貢献した。しかし低貯蓄率の最大の理由は,ラテンアメリカ諸
国が国内金利をインフレ率以下におさえたことであり,そのことによって国内の投資資金給
供(すなわち貯蓄)は制約され,借手の海外への資金依存度をより一層高めることになつ
ジ
た。さらに,金利がインフレ率以下におさえられたことは,海外への資本逃避を促す原因に
もなった。
第3はインフレーションである 第9表参照。インフレは公共部門赤字の結果である
が,ほとんどの国が大幅でかつ変動の激しいインフレ率にあわせて為替相場を調整しようと
118
ラテンアメリカにおける民間貯蓄,1978∼82.
第8表
GDPに対する割合(%)
国
1978
1979
1980
1981
ア ル ゼ ン チ ン
21.7
20.0
21.0
21.3
チ リ
2.0
2,9
2.7
1.5
1982a
17.8
n.a.
コ ロ ン ビ ア
13.3
12.7
12.4
9.4
9.4
五 キ シ コ
17.3
18.8
22.0
24.1
25.6
ヘ ノレ
13.4
15.6
16.0
13.4
12.8
ベ ネ ズ ェ フ
15.8
16.0
12.8
15.0
n.a
Source:Unpublished Department of State data.
a.1982年の数値は暫定的な見積りである。
Ibid., p.64.
第9表
ラテンアメリカにおけるインフレーション,1978∼82
(年,%)
1978
国
1979
1980
1981
1982
164.8
ア
ル ゼ ン チ
ン
175.3
159.6
100.8
104.5
ブ
ラ ジ
ノレ
38.7
『52.7
82.8
105,6
98。0
リ
40.1
33.4
35。1
19.7
9.9
ア
17.8
24.7
26.5
27.5
24.6
コ
7.5
18.2
26.4
27.9
58.9
57.9
66.7
59.2
75.4
64.4
7.0
12.4
21.5
16.2
9.9
チ
コ
メ
ペ
,べ
ピ
1コ ン
キ シ
ノレ
ネ ズ
工
フ
Source:Constructed from consumer price indexes in IMF,翻θ㍑α≠伽1 F吻珈αZ Sホα’翻03,1983
艶α7δoo々(Washington, D.C:IMF,1983)
Ibid., p.65.
しなかったし,またできなかった。そしてこのことがラテンアメリカ通貨の実質為替相場の
上昇,すなわち過大評価をもたらしたのである。さらにインフレは,海外への資本逃避と低
貯蓄率の原因にもなった。
第4は為替相場の過大評価である。これはいわばインフレーションの所産ともいえるもの
であるが,貿易収支に悪影響を与えることによって対外ポジションを困難にした。また過大
評価された為替相場は資本逃避を促進し,アルゼンチン,メキシコ,ベネズエラを危機に陥
しいれた。
以上がラテンアメリカに債務危機をもたらした主たる内的要因であるが,みられるとおり,
ラ
これらの諸要因は相互に関係し,相互に規定しあいながら危機を醸成しているといえる。し
かしこの中でも他の諸要因を規定するもっとも根源的な要因はインフレであり,エンダース
とマッチイオンは,このインフレの問題に対処することなしには,財政・為替相場・貯蓄政
策の誤りを是正するのは困難であろうと述べている。(pp.30∼31)。
(3)金融的要因
以上,ラテンアメリカの債務危機において外的要因と内的要因がどのようなかかわりをも
っていたかみてきたが,エンダースとマッチイオンはこれをさらに金融的側面からも分析し
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 U9
ている。彼らによれば,まず金融機関の行動も,ラテンアメリカ諸国がこうむった債務危機
において重要な役割を果たした。というのは,これら7ヵ国に対する銀行貸付は1978∼81年
にかけて年28.7%の割合で増加していたが,1982年には10.3%の増加しか示さず,このスロー
ダウンによってこれら諸国の多くが∼時的な債務返済難,すなわち流動性危機に陥ったから
である。しかしこの貸手の行動は,危機のタイミングを決定するという意味では重要であっ
たけれども,危機の本質的な要因ではなかった。もっとも本質的で重要であったのは,借手
自身の行動であった。彼らによれば,いやしくも国家が外国から借款を受ける場合,−
搗z的
には,その国は投資対象に応じて借入の期間を決めなければならない。たとえば,短期の貿
易金融は貿易のために,中長期の借款はプロジェクトのために利用されなければならない。
さらにいえば,銀行借款は長期の投資(たとえぽ,水力発電所や鉱業プラントのような)を
ファイナンスするたあに利用されるべきではない。というのはそれらは,しばしば,銀行借
款にゆるされる最大限の借入期間をこえる長期の建設期間を要するからである。しかし長期
の儀券発行による資金調達は,通常,これら諸国にとってあまりにもコストがかかったので,
彼らは投資資金をまかなうために短期および中期の銀行借款を利用したのである。この点は,
発展途上国の債務残高に占める短期債務の割合をみた第10表によって確認できるが,ラテン
アメリカの場合,さらに注意を要するのは,輸出との関連でみた債務水準(債務/輸出比率)
が他の途上国よりはるかに高いということである。
このような傾向のなかで,借入計画において一貫して中長期の借款に力をおいてきたのは
ブラジルだけであった。コロンビアとチリは1977∼82年置に借款の期間構成をかなり改善し
たが,ペルー,メキシコ,ベネズエラは最悪の戦略を追求し,・債務全体の急激な増加のなか
で,短期債務のウエイトを増大させていった。かくて,短期借款のウエイトの増大は,高い
債務/輸出比率とならんで,ラテンアメリカ諸国をして,債務危機に陥りやすい体質につく
りあげてしまったといえるのである。
第10表 ラテンアメリカ7ヵ国の対銀行借入残高と期間構成
(借入講鍵興る割合)
借入残高
(10億ドノレ)
国
1977 1979 1981 1982 1977 1979 1981 1982
全発展途上国
127.7
235.6
326.7
361.9
48.1
46.3
49.8
49.4
ラテンアメリカ7ヵ国
66.0
115.9
181.1
199,8
42.6
41.1
45.9
45.8
アルゼ’ンチン
4.9
13.4
24.8
25.7
57.4
51.7
46.5
54.3
ブ ラ ジ ル
25.0
38.6
52.5
60.5
31。5
29.2
34.7
34.9
チ リ
1.6
4.9
10.5
11.6
60.7
40.7
39.5
39.6
コ ロ ン ビ ア
1,8
3.6
5.4
6.3
58.9
60.8
48.7
46,1
メ キ シ コ
ペ
ノレ
20.3
30.9
57.1
62.9
41.0
34.5
48.7
47.6・
3.4
3.8
4.4
5.4
47.7
50.5
60,4
59.2
9.1
20.8
26.2
27.5
60.6
60.9
’61.4
57.5
ベネズェ;
Source:Bank for International Settlements, ル勧π7勿1万s渉励漉。πqプ1痂θ7πα’∫θπα!Bα励Lθ%一
4勿9(Basle:BIS, July 1978, July 1980, July 1982, December 1983).
㈹ すべての数値は年末についてのものである。
a.満期が1年未満のもの。
Ibid.,p。32.
120
]V 債務危機暖和の方法
以上,ラテンアメリカの債務危機の原因を外的側面,内的側面および金融的側面から検討
してきたが,ではこのラテンアメリカの債務危機はどのようにして解消されるのだろうか。’
いいかえれば,ラテンアメリカが成長を回復し,債務返済能力を改善するにはどうしたらい
いのだろうか。この問題についてエンダースとマッティナンは,たしかに,西側諸国の景気
回復や世界的な金利の低下は,そのことに貢献するだろうが,しかしあらゆる注意をこれら
2つの要因に集中するのは賢明ではないとして,次の4つの実行可能な方法を提示する。す
なわち,①追加融資,②輸出主導による景気回復を促進させるための貿易・為替相場政策,
③逃避資本を還流させる政策,④債務の再編成である。①と④についてはそれほど目新しい
ことでもなく,また多方面でも主張されていることなので,ここでは彼らの提案の核心にな
ると思われる2つの方法,すなわち②③についてみていぎだい。
(イ)輸出主導による景気回復
エンダースとマッチイオンによれば,ラテンアメリカにおける輸出部門の強化(いわゆる
NIC、型の戦略)は,工業国のラテンアメリカへの輸出を促進すると同時に,ラテンアメリ
カが成長を回復し,債務返済能力を高めるためのかなりの可能性を与える方策である。しか
し彼らによれば,この戦略にはいくつかの間題がある。というのは,輸出主導型の景気回復
はインフレをひどくしたり,輸入された財やサービスの利用者のウエルフェアを低下させる
のみならず,もしラテンアメリカ政府が長年にわたって必要な措置を持続的に講じないなら
ば,実行不可能なものとなるからである。さらにまた,輸出主導による景気回復の試みは,・
もし工業国がラテンアメリカの加工品や工業製品をより多く輸入するという便宣を図らなけ
れば成功しないかもしれない。そのことは,最低限,ラテンアメリカの輸出品に対して保護
主義的な措置を新たに講じないということを意味する。しかし,にもかかわらず,エンダー
スとマッチイオンは,東アジア発展途上国の高い世界市場参入度と輸出指向にかんがみて,
現行の保護水準でもラテンアメリカが世界市場に参入する余地はかなり残されているとい
う。
この点で,彼らがとくに強調するのはアメリカとの貿易関係である。彼らによれば,アメ
リカは,ラテンアメリカや他の途上国の輸出部門の多くが近代化を図かり,高い競争力をつ
けてきているという事実に呼応して,一般特恵関税(GSP)を手直し始めてきた。現行のゼ
ロ関税条項(zero−duty entry provisions)は,多くの場合,撤廃されてきている。他方,ラ
テンアメリカ諸国は,危機を管理する手段として,保護主義的な政策を強化している。
このような保護主義化の傾向のなかで,エンダースとマッチイオンは,アメリカにおける
GSPの改正は,債務危機を克服するための機会を提供するかもしれないという。というの
は,もしアメリカの交渉上の立場が,ラテンアメリカにおける保護の軽減とみかえりに,ラ
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 121
テンアメリカの一定の輸出品に対して部分的あるいは全面的なゼロ関税取り決めを維持ない
し拡大するという条項を含むものならば,関税および非関税障壁の譲許に関する交渉が開始
され,これらの条件下において,アメリカはラテンアメリカ諸国と,双方にとってもっとも
利益のある製品について2国間の取り決めを締結するだろうからである。かくて,エンダー
スとマッチイオンは,現行の関税協定の下におけるラテンアメリカの米国に対する輸出
(1982年で280億ドル) 第11表参照一,さらに米国のラテンアメリカに対する輸
出の大きさ(1982年で301億ドル)等を考慮すれば,そのような交渉は危機の克服に対して
重要な貢献をし,さらにラテンアメリカにおける保護の軽減は,競争力を強めることによっ
て長期的な輸出促進効果をもたらすだろうというのである。
第11表
(単位:100万ドル)
アメり力のラテンアメリカ7力国からの輸入,1982
最恵国待遇条項
一般特恵関税(GSP)
コでの輸入
有税品目 G S P 免税品目
K格品目
コでの輸入
国
米国の
A入総額
免税品目
GSP下での免税品目
フ輸入
輸入総額に
GSP適格品目
ホする割合(%)
ノ対する害拾(%)
53
U8
R8
アルゼンチン
1,065.8
171.2
894.5
329.1
173.2
16
u ラ ジ ル
S,171.4
P,420.8
Q,750.6
T63.9
P4
@668.6
@799.5
@223.9
@494.2
@444.7
@305.3
P50.0
Q2
Rロンビア1
@829.6
@391.9
@154.7
=@キ シ コ
P5,488.0
Q,724.7
P2,763.4
Q,954.1
T99.5
Q0
y ル ー
P,072.5
@695.0
@136.4
P04.0
xネズエラ
S,757.3
@377.5
@281.8
S,475.5
@50.1
S6.0
V6
X3
` リ
U3.5
W4101
S1
Source:Office of the United States Trade Representative.
Ibid.,p. 54.
しかし,この場合のもっとも重要なポイントは為替相場であり,彼らは,そのような交渉
が実現しようとしまいと,ラテンアメリカ諸国は成長回復の試みにおいて,現実的な為替相
場のもつ重要性を慎重に考慮しなければならないと主張している。
(・)資本逃避に対する対策
資本逃避がラテンアメリカの債務危機にいかなる役割を果たしてきたかということについ
ては,これまでみてきたとおりであるが,エンダースとマッチイオンによれぽ,1979∼82年
ヨリ
間に370億ドル以上もの資本が7ヵ国から逃避した。彼らは,もしこれら資本のいく分かで
も引き寄せることができれぽ,メキシコ,アルゼンチン,ベネズエラの対外的な資金調達の
必要性はかなり軽減されると主張し,この逃避i資本を還流させるために以下の4つの条件を
提示する。
①国内経済の安定化においてすぐれた実績をあげること
②現実的な為替相場を確立し,それを維持すること
ヨ ラ
③国内における通貨投資収益率がインフレと歩調を合わせること
④資金が没収されたり,不当に課税されたり,凍結されたりしないことを確約すること
122
このような条件が逃避資本の還流と同時にまた,資本の海外への逃避を阻止する効果をも
つことはいうまでもないことであるが,しかしエンダースとマッチイオンは,最後の④の条
件については,多くのラテンアメリカ諸国が,近年,ドル建預金勘定を凍結したり,為替管
理をおこなっているので,この条件をみたすのは困難であろうと考えている。
V おわりに
さて,以上,われわれはエンダースとマッチイオンに依拠して,ラテンアメリカにおける
債務危機の原因をみてきた。彼らが企画した1つの大きな課題は,外的シ。ックが一般にい
われるように,ラテンアメリカ債務危機の最大の要因であったかどうかを検証することにあ
ったが,彼らが引き出した答えは否であった。彼らによれば,むしろメキシコ,ベネズエラ,
アルゼンチン等から大規模な資本逃避を促した遺戸に抜喪的セ放痩な由内政叢が危機の大き
な原因だったのである。
おそらく,このような結論は今までの見方をくつがえすものであり,外的ショックの大き
さや先進国側の責任を強調する第三世界の指導者や従属学派の理論家には到底受けいれがた
いものであるかもしれない。事実,私自身も,彼らの研究にアクセスするまでは,このよう
な見方をしていた。しかし,冷静な分析もなく,ただ対外環境の悪化や先進国側の責任
むろん,これはこれで大きな要因にはちがいないが のみを主張するだけではあまりにも
無責任的すぎ,このような立場からは,問題解決へ向けての自助努力も真の展望も開けてこ
ない。
このような意味で,債務危機における国内要因の重要性を指摘したエンダースとマッチイ
オンの研究は有意義なものであったといえるのであるが,しかし彼らの主張にも問題がない
わけではな:い。まず第1に彼らはラテンアメリカ債務危機の最大の要因をこの地域における
過度に拡張的で放漫な国内政策に求め,公共部門の赤字がきびしく統制されていたら,ラテ
ンアメリカはそれほど多くの借入を必要としなかったと主張するのだが,気になるのは,そ
の場合,成長と雇用の問題はどうなるのかということである。
周知のように,ラテンアメリカでは人口の増加率が大きく,雇用問題は深刻化している。
たしかに,成長率を下げれば,公共部門の赤字も貿易ギャップも投資貯蓄ギャップも縮少し,
その分,外国からの資本流入(または対外借入)の必要性は減少しようが,雇用問題は未解
決のまま残されることになる。すなわち,周知の国際均衡と国内均衡の矛盾につきあたるわ
けである。彼らは輸出主導の景気回復,すなわちNICs型の輸出指向戦略をとることによ
ってこのような矛盾は解消されると考えているようだが,果たしてNICs型の戦略はラテ
ンアメリカの救世主になりうるのだろうか。この点,NICs型の輸出指向戦略については
ヨの
否定的な見解もあるので,十分な検討の必要があるように思われる。
もう1つの問題は,ラテンアメリカの債務危機をこの地域だけの問題としてとらえていい
ものかどうかということである。たしかに,1970年代における高成長,したがってまた公共
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 123
部門の赤字がラテンアメリカにおける債務危機の1つの大きな要因であったことにはまちが
いないが,考慮すべきは,このことが先進国の経済にどのようなインパクトを与えたかとい
うことである。周知のように,この期,先進国の商業銀行は過剰資金に悩み,先進国側経済
は戦後最悪の不況に直面した。しかしこれが1930年代ほどの深刻な危機に至らなかったのは,
この期,ラテンアメリカをはじめとする途上国が大々的な借入(=先進国側の過剰資金また
は商品に対する有効需要の創出)をおこなったからだといえなくもないのである。
エンダースとマッチイオンは,公共部門の赤字,したがってまた成長率が減少すれば,債
務問題は軽減されると考えているようだが,このことが慢性的な不況に悩む先進国経済にど
のようなインパクトをおよぼすのかの配慮も必要だろう。すなわち,ラテンアメリカをはじ
めとする途上国の債務問題は,これら地域の問題としてだけでは片づけられないもっと複雑
ヨ エ
な要素を内包していると考えられるのである。
(注)1) 毎日新聞,1986.9.4付
2) Thomas O. Enders and Richard P. Mattione,加伽一A耀7ガ。α,丁肋C7ゴsゴsげDθ配απ4 G70ω漉,
1984:Brookings Institution.
3) ただし,ここでの分析期間は1979∼82年であり,その後のラテンアメリカをとりまく内外の環
境は若干変化している。たとえば金利や石油価格の低下などがそうである。したがって,1982年
以降の債務問題の考察に当たっては,この点を十分配慮する必要がある。
4) この点については,拙稿「発展途上国の対外債務累積と国際金融不安」関下稔・奥田宏司編『多
国籍銀行とドル体制』有斐閣,1985年,参照。
5) 参考のためにラテンアメリカの対外債務総額を示すと,第A表のとおりである。
第A表
ラテンアメリカの対外債務総額(各年末)
ラ テ ンア メ リ
カ
ア ル ゼ ン チ
ン
ブ ラ ジ
ノレ
メ キ シ
コ
コ ロ ン ビ
舌
ア
リ
へ ノレ
ベ ネ ズ
エ フ
ボ リ
ビ ア
エ ク ア
ド ル
リ カ
コ ス タ
ラノ∵惨 バドを
ハ イ
ホ ン ジ ュ
鷲1
マ享
〆手
ア7
ドミ ニカ共和国
ウ ル グ
ア イ
1975
685
60
208
億ドル
1978
1981
1982
1983
1984
1,509
2,754
3,184
3,440
3,604
125
523
339
357
786
720
436
876
850
478
42
67
93
79
94
96
290
171
110
310
455
965
900
104
174
124
335
8
6
7
4
3
18
30
19
10
25
59
34
15
14
24
62
35
17
15
31
67
38
20
18
28
69
41
20
22
4
7
10
10
18
17
22
23
13
12
18
31
18
28
28
12
19
43
21
34
33
15
26
46
23
39
50
17
26
47
173
36
45
41
43
0。8
12
2
5
8
164
8
2
7
155
4
9
4
4
1,020
967
116
189
134
313
6
(出所) 1975年については,CEPAL, Bα伽。θ.P7躍〃珈α74θZαEooπo〃磁Lα’∫ηoα〃zθ7加ηαD%鵤漉
1981,Dec.1981.1978∼84年は表3に同じ。1984年については最近の確定値で修正1985年に
ついては第5章表参照。
細野昭雄,恒川恵市『ラテンアメリカ危機の構図』有斐閣,昭和61年,12頁。
124
6) 公共部門の赤字がなぜ経常収支の悪化をもたらすのかというそのプロセスについては,次のよ
うに考えることができる。ヒ
まず第1に,公共部門の赤字の1部は大型プロジェクトの推進によるものであるが,これは直
接的に外国からの資本財・中間財の輸入を増加させる。第2に,公共部門の赤字はインフレを高
進させ,為替相場がそれにみあって切下げられないならば,輸出価格を上昇させることによって
輸出を阻害し,他方で輸入を増加させる。第3に,公共部門の赤字は対外借入の規模を大きくす
ることによって,金利の支払を増大させる。
7) 為替相場が過大に維持されてきた理由として,エンダースとマッチイオンは,このような理由
のほか,ラテンアメリカにおいては国家的プライドとか政治家のパーソナリティといったものが
重要な役割を演じ,政治的指導老の力量が強い通貨を維持する能力によって判断され,また自ら
も判断してきたことをあげている。
8) このことはラテンアメリカが一貫して進めてきた輸入代替工業化のことを指すと思われるが,
これがラテンアメリカの貿易構造にどのような影響を与えたかについて,細野昭雄氏は次のよう
な指摘をおこなっている。
「ラテンアメリカ諸国の長期にわたる輸入代替工業化は多くの研究が指摘するように,保護さ
れた国内市場を対象とする工業化故に国際競争力を持たない非効率な工業を生みだすことが多
く,それが一方で資本係数を高めるとともに,他方で製造工業品の輸出拡大を困難にするために
輸出については長期的に一次産品輸出に依存せざるを得ない貿易構造が出来上がり,そのもとで
一次産品の輸出停滞が生ずれば,貿易ギャップが不可避とならざるを得ないのである。このこと
は,特に消費財を中心とする軽工業品部門の輸入代替が一巡し,重化学工業の分野での輸入代替
へ進むときに一層顕著に現われると言うことができる。(細野昭雄・恒川恵市『ラテンアメリカ
危機の構図』有斐閣,昭和61年,135頁)。
9) この点について,世銀r世界開発報告』(1985年版)も同じようなことを述べている。
いわく。
「ラテンアメリカ諸国の多くが,1980年代初期に直面した困難は,東アジア諸国の成功と著し
い対照を示している。外部志向型の政策を採用したことで,東アジア諸国が外部衝撃を受ける機
会は増えたものの,一方で国際貿易から多大の利潤が得られることになり,その結果,成長率は
高くなった。ある研究によれぽ,外部志向型の開発途上国では,1976∼79年の年間成長率が平均6.
2%であったのに対し,内部志向型の途上国では2.4%にすぎなかった。また,1979∼82年の景気
後退期の年間成長率は,それぞれ1.0%と0.2%であった。
東アジア諸国の経験が示唆していることは,外国資本を生産性の低い投資のファイナンスに用
いることを抑制する最も確実な方法は,競争力ある為替レートを維持し,過度な輸入代替を回避
することである」(53頁)。
ちなみに,同『報告』は,韓国について次のような評価をおこなっている。
「韓国は,外部ショックによる被害が最も大きかった開発途上国の1つである。1973−74年
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 125
の石油価格高騰時には,同国の交易条件悪化による損失は,GDPの約10%にも達した。この衝
撃を緩和するため,同国は対外借入を利用するとともに,通貨を22%切下げた。通貨切下げと,
長期にわたり確立された輸出促進政策に助けられて,工業製品輸出は,劇的に増加した」(66頁)。
10) ここでいう東アジアとは,インドネシア,マレーシア;フィリピン,シンガポール,韓国,タ
イの6ヵ国を指す。
11) ここでは,ラテンアメリカ全体のGDPの90%を占め,そしてまた最大の借入国を形成してい
るアルゼンチン,ブラジル,メキシコ,チリ,コロンビア,ペルー,ベネズエラの7ヵ国に焦点
があてられている。
12) エンダースとマッチイオンが1976∼78年を基準期間として選定した理由は,この期,ラテンア
メリカ諸国が第1次オイルショック後の世界環境にたくみに順応していたからである。彼らによ
れば,ラテンアメリカは第1次石油ショヅクやその後の1974∼74年世界不況を,そのダイナミズ
ムや(国際金融市場における)信用力を失うことなく,乗り切った。成長はいったん停止したも
のの,その後回復をみせた もっとも1973年以前の水準とまではいかなからたが。経常収支の
赤字はいったん増大したが,その後減少しはじめた。輸出数量は1975年以降急速に増加し,3年
間にわたって25%以上の増加を示した。対外公的債務の構成についていうと,当初は短期借款の
ウエイトが高つたが,その後長期借款の方ヘウエイトを移しはじめた。すなわち,第2次オイル
ショック(1979年)前夜のラテンアメリカ経済(1976∼78年)は,第1次ナイルシ。ック後の世
界にたくみに順応していたようにみえたのである。
13) 外的ショックが途上国の国際収支にいかなる影響をおよぼしたかは,『世界開発報告』(1985年
版,53∼54頁)でもとりあげられている。
14) ここで石油輸出は,輸出量のかなりの落ちこみが,西側諸国の不況によるというよりもむしろ
産油国の恣意的な:決定によって引きおこされたという理由で,除外されている。
15) ただし,この計算に当たってはユーμダラー預金金利のみが考慮に入れられており,スプレッ
ドの変化に対する調整はおこなわれていない。エンダースとマッチイオンによれば,発展途上国
に適用されるスプレッドは1976∼78年期は平均して1,49%であったが,1979年に低下し,以後
1982年までこの基準期間における水準をこえることはほとんどなかった。彼らによると,もしス
プレッドの変化を含めて計算しなおすと,金利シ。ックは1979∼81年には軽減し,1982年には1
%ほど増大した。
16) 細野昭雄・恒川恵市,前掲書による。
17) なお,ここで経常収支の定式についていうと,原書(Appendix A)ではCA=NCB−NI, CA甲
=NCB甲一N理となっているが,金融的項目(NIとNIめは明らかに経常収支項目に含まれるの
で,これはCAニNCB十NI, CA早=NCB甲十N理のミスプリントと思われる。ちなみに,マッチ
イオンはM.P.クロードン編の著書に同様の趣旨の論文を寄稿しているが,ここでは
CA=NCB−NI, CA苓=N理+NCBサとなっている。これもミスプリントと思われる。
R.P.・Mottione.,Managing World Debt:Past Lessons and Future Prospects, in M. P.
126
Claudon(eds),防7」41)θ∂’Cγゴsなinternational lending on tria1,1985, PP.61∼62参照。
18) たとえば,細野・恒川,前掲書によれぽブラジルは1980年11月,国際収支の困難が強まったこ
とやインフレの高進に対処するため,それまでの成長政策から』課して引締政策へと政策の転換
をおこなった。これによって1981年の成長率はマイナス1.6%となったが,商品貿易収支は黒字
となり,野寄の増加も比較的低い率にとどまった。細野氏は「この意味で,ブラジルは債務麓機
が生ずる前に,債務拡大を抑制するための対策を一応は行なっていたと言うことができる」(70
頁)と評価している。
19) ここで中立的(neutra1)であるという意味は,マイナスの外的ショックと経常収支赤字がほぼ
同額であったということである。
20) チリとアルゼンチンは,自由主義経済政策をとった国として知られる。まずチリについては,
次のような政策が実行された。
①関税の引下げ,②非関税障壁の撤廃,③為替の自由化,④資本の自由化,⑤金利の自由化,⑥経
済活動に対する政府介入の縮少。
次にアルゼンチンでは次のような政策が実行された。
①関税の引下げ,②各種輸入制限の撤廃,③為替の自由化,④直接投資・技術移転の自由化,⑤価
格統制の廃止,⑥金利の自由化と金融の再編成,⑦公共料金の適正化,補助金の撤廃
以上が自由主義経済政策のおおまかな内容であるが,対外ポジションを一層悪化させた最大の要
因は,関税の引下げと為替の過大評価に求められる。このことが両国の輸入急増をもたらし,経常
収支を悪化させたと考えられるのである。
21) エンダースとマッチイオンによれぽ,ペルーのこのような大々的な調整努力は,1979∼82年期
の条件に規定されたものではなく,1976∼78年期に同国が直面した深刻な対外不均衡に対処した
ものとして説明される。
22) 細野氏は,この点について,「メキシコの場合にはこれら投資財の生産能力がアルゼンチンや
ブラジルよりも低く,そのため急速な開発政策は,両国以上に資材や機械の輸入の急増を引きお
こしたと考えられる」(細野・恒川,前掲書,99頁)と指摘している。
23) 米モルガン・ギャランティ・トラストはメキシコの資本逃避額は85年までの10年間で500億ド
ルと推定し,資本逃避さえなけれぽ,,同国の対外債務残高は85年末で120億ドル,実際(920億ド
ル)の8分の1におさまつたはずだと試算している。(毎日新聞,1986年7月2日,3日付けで
掲載された「メキシコ債務危機の構造」上・下による)。
24) この点については,世銀『世界開発報告』(1985年版)も同様の評価をしている。
いわく。
「一般に,1981∼82年の高金利と景気後退の複合による衝撃は,途上国が成長を維持し,債務返
済困難を回避する能力を阻害したという点で,1970年月央及び後期の2度にわたる石油ショックよ
り,遥かに大きかった。
しかし,債務返済困難に陥った諸国が,必ずしも最大の衝撃に見舞われた国ではなかった。衝撃
ラテンアメリカにおける債務危機の原因 127
の大きかった国は,むしろ,それ以前の困難に対する自国経済の調整を怠っていたり,新たな問題
に十分迅速に対処し得なかった国である。債務リスケジュールを余儀なくされた石油輸入開発途上
国の受けた衝撃は,一般にリスケジュールを回避できた諸国を上回るものではなかった。そして,
石油価格高騰で利益を得た石油輸出国の一部にも,石油輸入国と同様の困難に陥った国がみられた。
例えば,韓国は,3つの期間(1974−75,1979−80,1981−82)のいずれにおいても,大きなマイ
ナスの衝撃を受けたが,ナイジェリアは,累積的に大きな利益を得ている。それにもかかわらず,
ナイジェリアと異なり,韓国は,深刻な債務返済困難に陥ることがなく,GDPは1973−83年に実
質年平均8%の成長を記録している。
従って,債務返済困難の原因を考える際に,外部環境の混乱という要因が,過大評価されてきた
といえよう」(53頁)
本稿との関連でいえぽ,メキシコはまさにこの典型例であるといえる。
25) 『世界開発報告』(1985年版)は,途上国における財政赤字の要因として,次の3点をあげている。
(・)公共部門の過大投資,(b)政府消費の増大,これは国営企業への補助金の形で,価格調整の遅
れに起因する営業赤字の補填を目的として支出された場合が多い,(・)支出増加に応じた増税の遅
滞(59∼60頁)。
これらの要因はラテンアメリカにすべて該当するものであるが,『報告』は,また,多額の公
共部門赤字は単に維持不可能であるだけでなく,しばしば非効率な資源配分を生み,公共支出の
急増が効率的に実施されることはめつたにないと述べている(60頁)。
26) 第B図はアルゼンチンとメーキシコの財政赤字と経常収支赤字の関係をみたものであるが,明ら
かにこの両者の間には明確な相関関係があることを示している。
第B図 アルゼンチン,メキシコの公共部門の赤字,及び経常収支赤字,1970−83年
対GDP比(%)
20 20
15
10
アをゼンチン
15
財政赤字
5
10
5
経常収支赤字
0
0
一5
一5
1790 1795 1980 1983 1790 1795 1980 1983
注: アルゼンチン及びメキシコについては,財政赤字データは公共部門全体を対象としている。
マイナスは黒字を示す。
世銀『世界開発報告』(1985年版),60頁。
128
27) ここでいう内的ショック(internal shocks)とは,内的要因が国際収支に与えたインパクトの
ことをいう。なお,この点に関いては,r世界開発報告』(1985年版)も次のように述べている。
「経験の示すところでは,慎重な財政政策を遂行している国が長期にわたる対外支払上の困難に
遭遇するケースは殆んどみられない。1970年代及び1980年代の主要な返済危機は,事実上,そのす
べての場合に,巨額の,かつ膨張を続ける財政赤字が先行している。いくつかの例では,外部衝撃
が返済及び財政危機を生み出す直接的な要因であった。しかし,その他のケースでは,財政赤字は,
不況脱出を目的とする政府の意図的な景気刺激等,もしくは,予算に対する政府のコントロールの
欠如に起因している」(59頁)。
28) 貯蓄…率の減退と外資流入の関連性について,『世界開発報告』(1985年版)は次のように述べて
いる。
「(1960∼83年期に),石油輸入開発途上国は,外資流入への依存度を増加させた。・これは,当初
には,増大した投資のファイナンスが目的であったが,後には,減退する国内貯蓄の代替が目的と
なった。ラテンアメリカ諸国はこのパターンの典型的な例である」(43頁)
なお,ラテンアメリカ7ヵ国の対外借入依存度は,第C表の示すとおりである。
第C表
ラテンアメリカ7力国の対外借入依存度
外国信用/信用総額a
甲
中
ブ
メ
ペ
ベ
1979年
1982年
b
51.7
ル ゼ ン チ
ン☆
32.6
41.7
ラ ジ
ノレ☆
43.5
66,9
76.9
リ☆
43.8
69.6
b
73.0
ア
56.4c
67.6
64.8
51.8
70.0
71.4
89.4
83.8
39.9
69.7
60.3
チ
コ
1972年
ロ ン ビ
キ
シ
コ☆
ノレ
ネ ズ ェ
ラ☆
注: 星印は,国際金融市場からの商業借入額(1982年末現在の米ドル換算額)の大きい上位10
ヵ国に含まれることを示す
a. 信用総額はネット国内信用と外国資金源からの信用の合計である。国内信用は,さらに細
分するなら,公共部門(中央政府)及び民間部門のそれぞれに対して通貨当局及び国内商業
銀行が保有する純債権である。ネット国内信用は,国内信用から通貨当局及び国内商業銀行
の対外負債を控除した残差として定義される。これらの対外負債は,外国資金源から供与さ
れた信用として定義され,公的・民間両部門による長期の対外借入,及び国内銀行制度によ
る短期借入が含まれる。対外負債をドル額から国内通貨セと換算する際には,各年禾の為替レー
トを用いている。
b.データは1981年のもの
。.データは1973年のもの
出典: IMF, International Financial Statistics;モルガン・ギャランティ銀行データ;及び世
界銀行データ。
世銀『世界開発報告』(1985年版),57頁の表より作成。
29) 細野氏は,内的諸要因が相互にからみあいながら危機を醸成していく過程を次のような図で示
している。
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ラテンアメリカにおける債務危機の原因
第D図 ラテンアメリカにおける自由経済政策の効果
〔財政赤字(チリを除 〔石油・食糧輸出国で
く),その他構造的要 あること,中進国で
因〕 あって成長が期待さ
一主要な政策一
(インフレ」町1制策)
れたこと〕
為替レート固定
国内インフレ 国の信用度の上昇
〔礁正月遣り1
寿
鍵
聡謹.御内外金利差
邑
資本流入増加(→債務累積) 資本収支黒字
資本移動の自由化
貿易の自由化
輸入
増加
輸出減少
臨翅
経常収支赤字
貿易収支
外貨準備
増加
\画
赤字
醜
1帥一一胃『層…一一…一一一…一一…一『噛 「幽一一一一一『…一一一一一一
国内企業・不蹴一…国内金融・・一速壷]
㈱ 点線はひとたび悪循環が始まってからのプロセスを指す。
細野・恒川,前掲書,125頁。
また,『世界開発報告』(1985年版)は,「貯蓄率の低下,慢性的な財政赤字,あるいは為替…の
過大評価は,借入資金が,調整を促進するよりむしろ,その延期のために用いられていることを
明瞭に警告している」(67頁)と述べている。
30) もっとも,債務/輸出比率(債務残高/財およびサービスの輸出),または債務返済比率(債
務返済額/財およびサービスの輸出)が高いからといって,それが直ちに債務危機に直結するわ
けではない。たとえぽ,この点について,『世界開発報告』(1985年版)は次のように述べている。
「債務返済比率は,従来,一国の債務問題の適切な指標であるとみなされてきた。しかし,・
・債務返済比率の高さと,債務リスケジュールに至った国の間に,明瞭な相関があるわけではな
い。経験の示すところでは,需要の変化に対し,経済政策及び経済構造の反応が柔軟性に富んで
いるほど,債務返済比率の高さを優先する必要性は少い。債務返済比率は中程度であるが柔軟性
の低い経済と,返済比率は高くても,成長と輸出に脅威が及んだ時に政府が迅速に調整行為をと
り得る経済を比較すれぽ,前者の方が危機に陥りやすい」(41∼43頁)
しかし,ラテンアメリカに関していえぽ,これら地域の経済政策なり経済構造は,需要の変化
に対して,柔軟性に富んでいるとは思えないから,やはりこの高い債務/輸出比率は,.債務危機
をもたらす1つの要因だとみなしてよいだろう。
31) 資本逃避を促した要因については,本文でもこれまでたびたび指摘してきたが,『世界開発報
告』(1985年版)も,次のような指摘をおこなっている。
「大規模な資本逃避は,1980年代初期に,いくつかの国で国際収支を悪化させる重大な要因と
なった。資本逃避が生じるのは,資金の国内留保よりも,国外における収益が大きいと期待され
る場合,もしくは,安全性が高い場合である。これには,通常いくつかの要因が関係してくる。
第1に,為替レートである。通貨が過大評価されている場合には,海外資産が割安にみえるだけ
でなく,切下げの懸念も生じる。第2は,高率で,かつ変動の激しいインフレである。これは不
確実性を生むとともに,実質金利を低下させる。第3に引締め気味の金融政策がある。これは,
130
急激なインフレ時には実質金利をマイナスの水準に保つ。最後に,高度の国内産業保護がある。
これは対外債務の返済を困難にする」(61頁)
なお,世銀推計によれば,特定国の資本逃避額は第E表のとおりであり,メキシコ,アルゼン
チン,ベネズエラの資本逃避額はエンダースとマッチイオンの推計よりかなり大きい。
また,この表は,これら3国の対外借入資金(=資本流入)の大半が資本逃避に用いられたこ
とを示している。
資本逃避と資本総流入,特定国,1979−82年
第E表
資本逃避
(10億ドル)a
国
管網弊
資本逃避の対
資本総流入比
(%)
ベ
ネ ズ ェ
ラ
22.0
16.1
136.6
ア
ル ゼ ン チ
ン
19.2
29.5
65.1
メ
キ シ
コ
.26.5
55.4
47.8
ウ
ル グ ア
イ
0.6
2.2
27.3
ボ
ル ト ガ
ノレ
1.8
8.6
20.9
ノレ
3.5
43.9
8.0
コ
0.4
7.9
5.1
国
0.9
18.7
4.8
ブ
ト
韓
ジ
ラ
ノレ
a. データは推定値。資本逃避は,資本総流入と経常収支赤字の合計から公的外貨準備の増加
分を引いた額として定義されている。この推定は,いくつかの国(特にアルゼンチン及びベ
ネズエラ)については,資本逃避を過大に評価しているかもしれない。そこには,報告され
ていない輸入と通常の対外証券投資も含まれているからである。
b. 公的及び民間対外債務(グロス)の増減と外国直接投資(ネット)との合計として定義さ
れている。
世銀『世界開発報告』(1985版),61頁
32) 原書では,rate of return on demestic currency investmentsであるが,これは貯蓄など資金
運用における収益率を指していると考えてよい。
33) この点については,中村雅秀「輸出主導型工業化と多国籍企業一従属的発展の構造分析
一」,本山美彦「NIC、現象をどうみるか」(本山美彦・田口信夫編著『南北問題の今日』同
文舘,昭和61年)を参照のこと。
34) この点については,拙稿「発展途上国の対外債務累積問題と現代世界経済」同書,参照のこ
と。
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