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近 代 遊 戯 理 論 の 変

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近 代 遊 戯 理 論 の 変
近 代 遊 戯 理 論 の 変 遷
-
教育 学 的視点 か ら-
信
田
森
(
下)
博
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(
2)
NoBUHI
RO M oRI
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目 次
は じめに
Ⅰ 近代社会成立期の遊戯理論
(
1)
啓蒙主義教育思想 に基づ く遊戯論
(
2)
ロマ ン主義 に基づ く遊戯論
Ⅱ 個別諸科学の解釈 による遊戯理論
(
1)
生物学 を基盤 とす る遊戯論
(
2)
心理学,社会学 を基盤 とす る遊戯論
(
以上前号)
Ⅲ 綜合的,全体的観点 に基づ く遊戯理論 (
以下本号)
(
1)
学際的解釈 による遊戯論
(
2教 育学 的視点か らの再評価
おわ りに
Ⅲ 綜合的.全体的視点 に基 づ く遊戯理論
(
1厚 際的解釈 による遊戯論
縦 割 りの科学 と して発展 して きた近代科学 は・多 くの 「
専 門分科学 」(
di
s
c
i
pl
i
ne
)が さ らにそ
の応 用学 と して 「
下 部 分科学 」(
s
ubdi
s
c
i
pl
i
ne
) に細分化 されて成 り立 って きた。 しか しこの細
分化 に伴 ない,隣接す る科学 との密接 な関連や共 同研究が必要 にな り, また従来で は考 え られ な
か った新 しい科学 の誕生 にまで到 った。サ イバ ネテ ィックスは, それぞれの対象科学 を横断 し,
。
D
Que
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s
c
mi
l
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S
S
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nS
C
haf
t
)である
それ らを貫通す る統一理論 を形成 した典型的 な 「
横断科学 」(
隣接 す る科学のいわゆ る横割 りの科学 のみな らず, 自然,人文,社会科学 にわ た る複数の科学
Kompl
e
xwI
S
S
e
nS
C
haf
t
)
,学
か ら得 られ た成果 を綜合的 にま とめあげるよ うに した,複合科学 (
際科学 (
i
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di
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z
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pl
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nar
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S
S
e
nS
C
haf
t
) と して,諸現象の全体解釈が試み られ るよ うになる.
この影響 は今世紀の四半世紀来,科学史 と哲学史 の状況の制約 の下 に,遊戯 を学際的 に同一化
しうる (
i
de
nt
l
f
i
z
i
e
r
bar
)を対 象 と して明確 にす ることや多 くの個 々の理論 を再 び全体解釈 の試
みに相対 させ る関心 を 目ざめ させ ることになる。 まず第一 に 「
現象学的 そ して人 間学的観点つま
St
r
ukt
ur
i
e
r
ung)を期待す るところの観点」 カで ある.
り新 しい構造化 (
遊戯現象を生理学的,心理学 的前提 な しに, さ らに偏見や世界観的前提 な しに 「
遊戯 とは何か
-
35
1
とい う遊戯の本質-の疑問,次 にどのような要因を通 して特徴づ け られ るか」 3とい う問題が前
面 に出 されて把握 され るよ うになる。
ポイテ ンデ ィクは,生物学的,心理学的観点 に加えて言語史的,現象学的観点か ら遊戯の本質
を考察 し, ホイジンハ は,従来の理論を文化史的観点か ら再検討 を し,カイヨワは社会学的観点
に,美学,哲学等を駆使 し,バ ー リィは,深層心理学,哲学的人間学 さ らに近代的環境論を拠 り
所 として,遊戯を人間の生現象 として把握 しよ うとす る。
a) ポイテ ンデ ィクの遊戯論
Buyt
e
ndi
j
k,F.
J.
∫.
‖ ま,「
機能的運動学」の提唱で体育学研究 にも多大な影
ポイテ ンデ ィク (
響を与 えているが,
遊戯 を有機体 と環境 との問の機能,
特 に若 々 しい有機体の ダイナ ミックな形態
を明 らかに しようとす る。遊戯 とは本来,何であるのか とい う問題 に,子供や若い晴乳動物の遊
戯行 動 の観察 か ら,遊 戯主体 の若 さ (
Jungl
i
c
he)の属性か らのみ理解 され ることを指摘す る。
4
この若 さのメルクマールを無志向性 (
Unge
r
i
c
ht
e
t
he
i
t
) 9と運動衝迫 (
Be
we
gungs
dr
ang) と把
握 し,そ こか ら不安定性 (
Ⅰ
ns
t
abi
l
i
t
at
) とい う属性 も導 き出す。
これ らの属 性 を持 つ 若 々 しい有 機 体 の環境世 界- の接 し方 は,パ トス的態度 (
pat
hi
s
c
he
Ei
ns
t
e
l
l
ung) と呼 ばれ る○感動 させ られ た り,かかわ りを持た された りし,情緒的な側面を特
gnos
t
i
s
c
he Ei
ns
t
e
l
l
ung)
徴 とす るのに対 して,パ トス的態度 と対比 され るグノー シス的態度 (
は,エモーシ ョナルで はな く,対象 とその客観的な現存在の認識 に向け られ る。 ゆ当然,子供 は
未経験や無志向性か らパ トス的態度が優位 とな り,新 しい経験や事物 に対 して,当惑 したははえ
Sc
hdc
ht
e
r
nhe
l
t
) 可を見せ るo
み, はにかみ (
ポイテ ンデ ィクは これを,両価値的 (
ambi
val
e
nt
)姿勢つま り往-復運動 (
Hi
n-und He
r
be
we
gung) と捉 え る○ ただ ビク ビク して引 っ込み思案 になるだけで はな く逆 に好奇心で大胆で
ぁった り恐 い もの しらずの態度であ り,既知か らの拘束 と未知-の挑戦 とい う両立状況であるo
これ ら若 さのメル クマ ールを持つ者の若 々 しい運動 は,概 して外的 目標を持たない意味のない
Kr
e
l
S
活 動 とな る。 母この 無 意 味 な運動 は,往一復 運動 で あ り・ 目標 の ない運動 は環 運動 (
be
we
gung) とな り, 目標 が な いため終 りな く繰 り返 され,ただ運動計画 (
Be
we
gungs
pl
an) の
外におかれた理由によって偶然中止 されることになるo Lか しこの運動の反復が基本的 ダイナ ミッ
クス と して,快感 さを生 み 出 し遊戯形態の重要 な条件 とな り,運動衝動 (
Be
we
gungs
ant
r
i
e
b)
の リズムを引き出す。功
しか しポイテ ンデ ィクはこの 目標のない無意味な運動 は,それ 自体ではまだ本来的な遊戯 とは
領とす るo そ こで遊 戯す る とは,常 に何か と遊戯す ること (
ni
t
考 えず 「
快 を強調 した運動 」1
e
t
wass
pi
e
l
e
n) とい う命題が提示 され るo遊戯主体が対象 とす るものは 「表象 (
Bi
l
°
)」であ り,
いいかえれば 「パ トス的な性格 を持つ事物 と事象の現象」が表象であ り・具象性 を存す る限 りに
おいてのみ遊戯の対象 となる。
こ こに遊 戯領野 (
Spi
e
l
s
ph丘r
e
) は 「表象,パ トス的,想像性,可能性」 とい う特徴を持つ こ
とが示 され る。 川そ して遊戯活動 は,主体 と対象の共存 によ り成 り立つ運動であ り,往-復運動
である。主体の遊戯運動 は対象 に伝 わ り対象の運動 は再 び主体 に戻 る訳だが,先行す る運動 は後
続の運動の原因 とは必ず しもな らないo経過は飛躍を持 ち,不可分で予測 Lがたい自発的な源か
掴
ら現 われ る。特 に,驚 き,冒険,偶然の要素を ともなっての 「
予想 しえない交代」が注 目される。
この交代の維持のために遊戯経過が行 った り来 た りす る限界が必要 とな り 「
遊戯の場」や 「
遊
戯の規則」が生まれ,確かな範囲の内部での自由な行為のや りとりが遊戯のメル クマール となるo
また 「
予想 しえない交代」をよ り リズ ミカルにダイナ ミックに進め るのが,緊張 と弛緩 の交代で
-3
6-
あ り,緊張刺激 の解放 が弛緩 とな り,快感 を もた らす。
これ らの遊戯のメル クマール は,幼 児のボール遊 び,毛糸の玉 に じゃれつ く子猫, ヨー ヨー,
ピンポ ンさ らに人間や動物 の恋愛 (ごっこ) に も,遊戯領野での遊戯主体 と対象 との間を経過す
る 「
機能環 (
Funkt
i
onkr
e
l
S
)
」 の うちに明 らか とな る。
結局 の と ころポ イテ ンデ ィクは 「
遊戯の意味 と本質」を次のよ うにま とめ る。 「
遊戯 は,環境
世界の具体的 な客体 の把握 に とってふ さわ しいあ らゆ る生命体 に必然的 に現 われ るはずの事象で
Abl
auf
s
f
or
m)
あ り,ま た若 さの本質的 メル クマ ール と動物的な ことの基本的傾 向の経過形態 (
に制約 されて いる事象で あ る。 それ故 に遊戯 は独立性 と環境世界 との結合への衝迫 の現象形態で
あ り, ま さにいきいき した認識 を得 る道であ る。
」1
頚
この相 関 的 な基 本 見解 の一 部 は,す で にザ ツ ァル スによって兄い出 された ものであ ったが ,
1
4
ポイテ ンデ ィクは新 しい解釈 の可能性 を現象学的考察 に進 めなが ら,生物学 的,深層心理学的そ
して人間学 的考察を結 びつ けよ うとす る機能理論 を展開 したので ある0
b) ∫.ホ イジン- の遊戯論
Johan Hui
z
i
nga) は 「人類学,宗教学 ,古典古代学,哲学,心理学 および言語
ホイ ジン- (
学の各領域 を越 え」 1
9学 際的で哲学 的文化論 と言 え る視点か ら遊戯を考察す る。
l
m Spi
e
l
)遊戯 と して (
al
s Spi
e
l
)
」 姻発生 し展開 して きた とい
人間の文化が 「
遊戯 の中に (
う仮説 の証明を, いいかえれば人間の文化が どれ ほど遊戯的性格 を内包 して い るかの証明を試み
る。
ホイ ジン- は,なぜ遊戯 が行 なわれ るのか,何 のために遊戯 をす るのか とい う原因, 目的を明
らか に しよ うとす るので はな く,遊戯 自体 の本質,現象形態,遊戯主体 における意 味を問題 に し
ようとす る。遊戯が人を夢 中に させ た り,感激 させ た りす るのは 「あ り余 ったエネルギーの放 出,
努力 した後 の緊張の弛 み,生活 の要求への準備,果 されなか った欲望の補償 」川がそ うさせ るの
で はな く,遊戯 はすで に 「緊張,歓 び,面 白さ」を内在 して いるので あ り,特 に 「
面 白さ (
Spa
月,
Wi
t
呈) は 「どん な分析 も, どん な論 理 的解 釈 も受 けつ けない」 よ うな 「それ以上根源的な観念
に還元 させ る ことがで きない」遊戯の本質 といえ るものであ ると指摘す る。 1
4さ らに遊戯 は 「
無
Le
be
ns
kat
e
gor
i
e
) の一 つ」 1砂であ り誰 にで も簡単 に認 め られ ること
条件 に原 初 的 な生 の範 噂 (
がで きる ものであ る代 わ りに完全 に 「
独立的な もの」で あ り否定す ることはで きない。
e be
L
ns
be
t
at
i
gung)
つまり遊戯の中では,生 活維持 のための直接的 な欲求 を越 えて,生の営み (
の中 に一 つ の意味 を添 え る何 ものか (
e
t
was
)が,共 に遊戯 して いるのであ り,遊戯の本質をな
して い る積 極 的原 理 を ,精 神 (
Gei
s
t
) と呼 べ ば, これ は言 い過 ぎ にな る しまた それ を本 能
(
I
ns
t
i
nkt
) と呼んだので は,何一つ言 った ことにな らない と述べ ,2
q 遊戯を弁証法的性格 の生
のカテ ゴ リー と して捉 え る。
遊戯 は しば しば,真面 目さと 「よ り特別 な意味 と して な らば労働」2
Dと対立す るもの とされ る
が, ホイ ジン- は この遊戯 - 真面 目の対立 について, この関係 はけっ して等価で な く,遊戯 は
pos
i
t
i
v)で 真面 目は消極 的 (
ne
gat
i
v) であ り,遊戯 とい う概念 その ものが真面 目よ り
積極 的 (
も上の序列 に位置 していて,真面 目は遊戯 を閉め出そ うとす るが遊戯 は真面 目を も内包 した とこ
ろで容認で きると考 え,遊戯 を真面 目の上位概念 と位置づ けて いる。
吻
そ して遊戯一般 の形式的で主要 な特徴 を次 のよ うにあげ る0 2
詩
1)厳密 な意味での 自由性。命令 されてす る遊戯,有用性 を理 由や前提 と して行 なわれ る遊戯
はすでに自由の性格 を逸脱す る。楽 しさ (
Ve
r
gndge
n)だ けが原動力であ り, 開始 , 中止 , 延
Hande
l
n)で あ る。
期 もま った く自由で なければな らない行為 (
- 3
7
-
2)遊戯の非 日常性。 あ くまで 日常生活か ら, ある一時的 な活動の領域へ と踏み出 した虚構 の
世界であ る。「ただホ ン トの ことをす るふ りをす ること」であ り「ただ楽 しみのためにす ること」と
」
に対 して 「ただの楽 しみごと」 とい う遊戯の劣等意識が生 じるが,遊戯
い う,「真面 目な こと
一 真面 目という対照関係 は上述 したように,常 に浮動 している。つま り両者 は境を接 していて
遊戯は真面 目に転換 し,真面 目は遊戯 に変化す る状態が生まれる。
3)遊戯 の没利害性。必要や欲望の直接的満足 とい う過程 の外 にあ り, この欲望の過程 を一時
的に破棄す る。遊戯 はそれ 自身で完結 している行為でありその行為その ものの中で満足を得 よ う
として行 なわれ るものである。 あ くまで直接の物質的利害や生活 に必要な個人的充足 の外 に位置
づ け られ る。
4)遊戯の完結性 と限定性。一定の時間,空間の限界内で遊戯が始 ま り,その中で終了す るとい
う固有の経過 を有 している。この経過は緊張 と弛緩,周期的な転換,一定 した進行順序,凝集 と分
散の運動経過を示す。 さらに反復,繰 り返 し,順番 による交代 とい う要素 も生 じ固有の時間の経
過が現 われ る。遊戯 の空 間的限定性 は,現実 か ら切 り離 され完結す る行為 に捧 げられ るための
「
遊戯の場」であ り一つの固有な絶対的な秩序が支配 し,絶対的な秩序 による完壁性が保 たれ る。
この ことか ら遊戯の世界 は美的領域 に含 まれ ることが理解 され る。緊張,平衡,安定,交代,対
輿,変化,結合などの美的要素 は, リズムと- ーモニーによって調和 させ られ る。
5)遊戯の規則。遊戯の固有の秩序 と緊張は固有の規則 を必要 とす る。絶対の拘束力を持ち疑
問を投げか けることさえ許されず,規則が破 られ るや遊戯の世界 は崩壊す ることにな る。規則は
遊戯世界の相対性 の協調 と平衡 を保持 し,遊戯共同体 の存続を支えてい るのである。
ホイ ジ ン- は これ らの特徴 を次のよ うにまとめて遊戯の定義を述べ る。「
遊戯 とは,明確 に規
定 された時間,空間の範囲内で行 なわれ る自発的な行為 または活動であ り, 自由意志で受 け入れ
られた規則 に従 い,受 け入れ られた規則 は絶対的拘束力を持 って いる。遊戯の目標 はその行為そ
の ものの内にあ り,緊張 と歓 びの感情 に満た され, 日常生活 とは別の もの とい う意識を伴 ってい
」2
4
る。
ホイ ジンハは,芸術や哲学,詩や法律制度 さらに戦争の儀礼の一側面 にいたるあ らゆ る文化の
本質 を 「
遊戯の相の もとに」兄 い出そ うと,社会史,精神史,言語史を駆使 した広範 な文化論的
遊戯論 を展開 している。29
C) 良.カイヨワの遊戯諭
Ro
ge
rCai
l
l
oI
S
)
ホイジン-の この研究 に高い評価を与え,この研究を始発点 と したカイ ヨワ (
は,一方で ホイジンハの考察 は 「
遊戯の研究で はな く,文化の分野 における遊戯の精神の創造性
の研究,よ り厳密 に言えばある特定の種類の遊戯つま り規則のあ る競技を支配す る精神の創造性
の研究 」 姻であると批判 をす るが,それは遊戯の文化創造機能まで否定す るもので はな くむ しろ
ホイジン-を継承 し遊戯概念 の拡大の方向で考察を進め る。
またカイ ヨワは,ホイジン-が遊戯的な もの と聖 なるものを同一視ない しは混同 した ことを批
判的に取 り上 げ,遊戯は純粋形式であるのに対 し,聖 なるものは内容 その ものであることそ して
聖 と遊 は類似点を持 ちなが らも世俗 あるいは生活 とい うものを軸 に考 える時 には正反対の ところ
に位置す ることを指摘す る。つ ま り遊戯的な ものは生活 に くらべれば,楽 しみや気晴 らしで しか
な く,生活 は逆 に聖なるものに比べれば,あだ し事であ り,気晴 らしなのである。 それ故 「
聖な
るもの と遊び とは,二つ とも実際生活 と対立 しているとい う限 りでは共通 しているが, しか し,
」2
刀遊戯は生活を恐れ,生活 は 「
一撃に し
それ らは生活 を軸 と して対称的な位置を占めて いるO
て」遊戯を 「
打 ち砕 き,消滅」 させ,逆 に生活 は聖 なるものの持つ 「
至高の力 に対 して不安のま
-
38 -
ま」で あ る。 ここで カイ ヨワは 「
聖 な る もの - 世俗 - 遊戯」 とい う ヒエ ラル ヒーを想定 し,
これ によ って ホイ ジンハ説 の 「
構造 はバ ランスを保 つ」 と指摘す る。姻
次 に, ホイ ジン- は遊戯が いか な る物質 的利害 も伴 なわない行為で あ ると したの に対 して, カ
イ ヨワは賭 けや偶然の遊戯 も一つの形態であ り,経済的利害が ない どころか極度 の利害や損失 を
もた らすの も 「
遊戯の運命 」で あ るとす る。 そ して金銭 の遊戯 の形態で あ って も,純粋 に非生産
的で あ る こととは矛盾す る訳で はない。2功
この よ うにカイ ヨワは ホイ ジン-の遊戯定義 を逐次評価 ない し批判的検討 を加 えて次 のよ うな
遊戯 の定義 を試み る。姻
・
1) 自由な活動。遊戯者が強制 されれば,たちまち魅力的で愉快 な楽 しみ とい う性質 を失 な って
しま う。
2)隔離 され た活動. あ らか じめ定 め られた明確 な空間 と時間の範囲内 に制 限 されているC
3) 不確定 の活動。
創意 の必要 の範囲 内で,あ る種 の 自由がかな らず遊戯者 の側 に残 されて いな
くて ほな らないか ら, あ らか じめ成行 が決定 されて いた り,結果が分か って いた り して はな らな
い。
4) 非生産的活動。財産 も富 も,いか なる種類 の新 しい要素 も作 り出 さない。遊戯者間の所有権
の移動 をのぞいて,勝負開始 と同 じ状態 に帰着す る。
5) 規則 のあ る活動。通常法規 を停 止 し,その代 わ りに, それだ けが通用す る新 しい規則 を一
時的に確立す る。
6)虚構 の活動。現実生活 と対立す る第二 の現実,あ るいは全 くの非現実 とい う特有の意識 を伴
う。
この カイ ヨワの定義を見 る限 り,不確定 の活動を除 いて, ホイ ジン-の形式的定義 とほ とん ど
類似 して いる。 カイ ヨワもその点 に関 しては, これ らの諸特徴 は 「
純粋 に形式的な もので,遊戯
Dと述べ る。
の内容 を予測 させ るもので はない」3
社会学的考察 を重視 したカイ ヨワは,次 に,実際 に行 なわれてい る遊戯の種 々相 を丹念 に集 め,
分析 を加 えて分類 を試み る。 その結果, さまざまな遊戯 を動機づ ける 「
本質的で他 に還元不能の
競争 (アゴー ン)
」「運
諸衝 動 」 に照 応 した遊 戯 の基 本 的 カ テ ゴ リーを提示す る。 カイ ヨワは 「
(ア レア)」「
模擬 (ミミク リ)」 そ して 「
舷皐 (イ リンクス)」 に分類 し, それぞれの領域 に二つ
の極 ,即 ち 「
気晴 らし,騒 ぎ,即興,気 ままな発散」の要素 (
パ イデ ィア) と 「
努力,忍耐,技,
器用 さ」の要素 (
ル ドゥス)を位置づ け, この両極 の間 に具体的 な遊戯 を配列 させ遊戯の分類 を
カ
試み る03
カイ ヨワの この分類 に従 えば,ホイ ジン- は遊戯の基本的カテゴ リーと して 「
競争」 と 「
模擬 」
をあげたに留 ま って い る。 その意 味で 「運 (ア レア)」 とそ して特 に 「弦章 (イ リンクス)」 こそ
カイ ヨワの独創 的 カテ ゴ リーで あ りホ イ ジン-を克服 した点 といえ る。 さらに各 カテ ゴ リーの親
9社会及び文化の様相 と動 向 に も考察を加 えよ うとす るO
和性の可能性 に も言及 し,3
カイ ヨワは,従来 の研究で はまった く問題 に されなか った 「
運や偶然 の遊戯」 そ して特 に 「弦
畢」の遊戯 に注 目 し独創 的 な分類論 によ り,遊戯の全体的解釈 に大 きな貢献をな した と言 え る。
d)G.バ ー リィの遊戯論
Gus
t
avBal
l
y) は, ホイ ジン-, カイ ヨワとは別の学際的視点,つ ま り行動科学,
バ 」 リィ (
環境理論,心理分析を軸 に,文化 的哲学的 な遊戯解釈 を試み る。
バ ー リィはまず動物 の行動 に着 目 し,オース トリアの動物学者 ロー レンツの提唱 した探索行動
(
Appe
t
e
nz
ve
r
hal
t
e
n)34理 論 に基 づ いて動物 の遊戯を考察す る。すで に周知 のよ うに探索行動
-
39 -
によ り, いわゆ る 「
す りこみ (
Pr
agung)」現象が形成 され,それぞれの種特有の本能的行動が
完成 され ると考 え られている。バ ー リィはこの探索行動 こそ,本能的行動 とは分離す ることはで
きない ものだが, グロースが指摘 したような本能行動や合 目的的な将来への準備で はな く,遊戯
その ものの源泉 と把握す る。
探索行動 は,本能的行動の前段階 とも考え られ るが,本能的行動 は直接的 目標を もち合 目的的
で経済的,限定的でいわば環境世界 に対 して緊張を伴 な った行動である。 これに対 して探索行動
その ものは,不確定で可変的,可逆的であ り 「
試み と錯誤,失望 と達成」絹 が生 じる環境世界 に
対 して弛緩 した行動であると考 える。
バ ー リィは,本能 的行動 が 「
激 しい渇望 (
Gi
e
r)の色 づ け」を持ちそれに対 して探索行動が
Ve
r
gndge
n)の色づ け」を持つ ことを指摘 し,両者の相違を明 らかにす る03
匂 この探
「
楽 しみ (
索行動 は,本能的行動 とは分離不可能の関係 にあるため,本能的行動が開放 され弛緩す る時には
Spi
e
l
r
aum) を開 く」3
可 ことになるo
じめて現われ,そこに 「自由が生 まれ遊戯空間 (
バ ー リィは生物 - 環 境 の関係で本能的行動が出現す る緊張状態の場面をまず想定す る。「
獲
3
頚などが考 え られ,本能の 「目標 に定め られた課題, 目標物,敵対,仲間そ しで 性的な状況」
の方法を兄い出す こと」が明確 に規定 され る。緊張 した本能的行動 は, 目標-の最短の方法を展
開 しわずかなメル クマール しか持 たず,形式的な行動様式 にとどまる。姻 逆 に獲物 を捕え,安全
な物 を兄い出 し,交尾のための相手を得 ると動物 は これ らの 目標 に接近す ることに努めないばか
りか, まった く問題 としな くな る。 この状態が生物 一 環境の関係で弛緩状態であ り, この時に
生物 は本能的要求に左右 されないさまざまな もの との多形態的な関係 を もち始め る。それは 「目
Of
f
e
nwe
r
de
n)
」4
頓で あ り,任意で多面的な運動系 (
Mot
or
i
k)を
標 の独立 した空 間の開放化 (
展開す ることになる。
このような動物 における遊戯 としての探索行動の特性 は,人間の遊戯 にもあて はまる。 しか し
人 間 と動物 の遊戯 で は,質的な相違が見 られ る。「
食物 の確保,敵か らの安全,社会的組織をお
びやかす よ うな性質 に対す る保 障」4
日 ま,人間にとっては動物のように単純 に与え られ るもので
はな く, 自 らに課せ られた ものである。従 って人間の場合は, 自らの責任を もって遊戯の特性で
Of
f
e
nhe
i
t
)」 佃 を保持 しなければな らない。人間の遊戯は 「自然,社会環境の強
ある 「
開放化 (
刺,拘束 に対す る闘 い」 4頚の克服か ら現われて くるとい って もよ く,人間の遊戯 はまさに 「自由
Be
we
gungde
rFr
e
i
he
i
t
)」4
4である○同時 に 「
生活の真面 目さか ら離れ,確 かな心的平
の運動 (
衡状態 」49 こそが真 に遊戯的状態 となる。
バー リィは ここに人間固有の文化を理解 し,常 に文化 は,あか らさまな強欲やむ き出 しの本能
の充足 をめざす成人の世界 とそれ らか ら保護 され る母親的世界の二重世界性 に成 り立ち,固定的
な一面的世界-の閉鎖を開放す る役割を遊戯が担 うことになることを指摘す る。つま り 「
動物的
不 自由さと束縛の一面的世界性 の危険は追放 されねばな らな く, 自由の遊戯空間がその境 目で常
」姻
に守 られねばな らないO
バー リィの遊戯論 は,本能的要求や拘束 に対す る闘争か ら勝 ち得 る自由の遊戯空間の重要性 に
ついての解釈 と考 え られ る。
遊戯の学際的解釈 による遊戯論 は,遊戯現象の因果関係の解 明ではな く,遊戯の本質 と意味を
全体 と して把握 しよ うとしたシラーの遊戯論 に帰着 され る。 しか しシラーのように ロマ ン主義に
陥 ることな く,哲学史,科学史の展開の もとで最大限の綜合化が試み られた。 これ らの解釈は,
現象 としての遊戯を,人間の生の問題 と捉え,人間の歴史,社会,文化の中での位置づ けを明 ら
かに しようとした。遊戯が人間理解 にきわめて重要な役割を もち,社会,文化の把握 に不可欠の
現象 と扱われ るよ うになったばか りではな く,人間その ものを遊戯現象 に見て とり,社会,文化
- 4
0-
を積極的に導 いて きた原動力 とも見 なされ るよ うになる。
この意味で,学際的な遊戯解釈 は, きわめて高い評価が与 え られ るが,それで も決定的な遊戯
理論 に成 り得 ない ことが,遊戯の形面上学的豊か さを浮 び上が らせている。
(
2)
教育学的視点か らの再評価
これまで概観 して きた遊戯論では,遊戯の教育学的評価 に関 しては 「
哲学的ない し専門科学的
理論的傾向を通 して」教育学的問題設定を兄い出 した
洞察 か ら教育 的帰 結」を引き出 した り,「
りしている。学際的解釈 において も教育学的帰結 は 「
人間学的 自明 さによって第二義的で しか も
その中で暗示的である生活の意味が直接的な行為の指摘 として触れ られている」4
可にとどまって
いる。
そ こで よ り新 し くよ り直 接 的 に教 育 学 的評 価 と関 連 した遊 戯 論 を検討 す る。「
遊 戯養護
(
Spi
e
l
pf
l
e
ge
)」を提唱す る,E. ホフマ ン,「
相互作用 (
I
nt
e
r
akt
i
on)」 とスポーツゲームの視
点か らK.デ ィー トリッヒそ して現象学的に遊戯を解釈 しなお し,改めて教育学的意味づ けを試
みる,H.シ ョイ エ ルルを取 りあげる。
a) E.ホフマ ンの遊戯論
ホフマ ン (
Er
i
ka Hof
f
mann) は, フレーベルの教育論か ら遊戯養護 (
Spi
e
l
pf
l
e
ge
) という概
念を導 き出 し,人間の陶冶や教育がま さに正 しい遊戯養護 によって始め られねばな らないと主張
す る。
子供 の遊戯 に注 目 し,確かな教育学 的手段 と して有用であることは,すで に汎愛派の実践で明
らかである。教授学的手段や方法論的補助 としての遊戯 は 「習得 した理解を確かな ものにす るた
頓遊戯の教育学的
め」そ して 「
学習 した ことを応用的に練習す るため」 には十分な資質を持つ。4
有用性を考察す る際 には,労働 との対比が取 り扱われ,子供 と大人の生活で はま った くの対照性
を見せ るが,長い文化の経過の中で,遊戯形態 と労働形態が どのよ うに変化 して きたのかを問 う
ことはきわめて重要であ ることをホフマ ンは示唆す る。
Bi
l
°)や形態 (
Ge
s
t
al
t
)を特徴 とす る芸術が
それ は,認識 や探究 を特徴 とす る科学 と表象 (
今 日ま った く異なる領域であ るよ うに見えるが,原初的文化では 「
神話,宇宙論,宗教的ダ ンス,
音 楽 」で 「
芸術 と も科学 と も呼ぶ ことので きない ものが しか し紛れ もな く両者の根源」であ り
「
科学よりも芸術により近 く位置す る第三の もの として」知識や認識の関心事を満足 させて きた,
Urf
or
m)
」か ら認識への努力が科学- と
畑と考 え られ る○ そ して 「
精 神的行 動 の この原形態 (
発展 し,残 った ものが芸術- と発展 した, とホフマ ンは指摘す る。
この芸 術 と科学 の関係を,遊戯 と労働 に見たて る。「
神話的表象や文化的早期の形態が科学の
噂し,
芽を含んで いた」よ うに,子供 の遊戯 は 「
芽を出 しつつある思考能力を織 り込んでいる」 5
大人の労働-の移行が,過去の社会ではE
:く自然 に しか も遊戯要素をよ り多 く含みなが ら展開 し
て きた ことが考え られ る。5
カ
しか し今 日多 くの親 は 「何かを子供 と共 に始め られ る時,つま り理性的で分別のあるようにな
るその時」を待 ち望み,子供が 「
何かを説明 した り,知 った ことを話 した り,で きることを証明
した り,何かに関心を もった りす ること」を期待す る。5
才 まさに子供 たちを大人へ と駆 りたて る
のみな らず 「
労働,打算的な知性,機械の世界」へ と駆 りたて る。
このよ うに子供の発達を教育学的手段で先-先- と促進 させ ようとす る傾 向に対 して、ホフマ
ンは 「
最初 の人生の時期」が深 い意味を もち, この時期 こそゆ った りと過 ごす ことがで きるよ う
に子供 を保 護す る ことを強調す る。「
細分化がよ り強 く進めば進む程,生活の発展が一面的でそ
- 41-
して専門的な労働 を強いれば強いる程」精神的能力は,未分化の状態で入念 に養護 されねばな ら
ない0
5
3 そ こに人 間の精神 力の最 頂 さ (
Auf
gi
pf
e
l
ung) と強 く張 りつめ られた緊張のバ ランス
が保 たれて いるか らであ る。54
ここに子供 をその環境で保護す ること,特 に遊戯養護 をす ることの意味が生 まれ る。 そ して ホ
9の手段 と位置づける。養護 され るべ き遊
フマ ンは, この遊戯養護 こそ幼児段階での本来の陶冶 5
戯について は,ホフマ ンは次のよ うに解釈す る。
遊戯 はまず,形態 (
Ge
s
t
al
t
) と象徴 (
Symbol
) として出現 し,事柄の意味,意義が明 らか と
された り言葉で示 され るので はな く,逆 に隠 され る。58学校での学習が常 に概念の形成 に努め る
のとは対照 をなす。子供 の遊戯では,考 え られたことは無意識 にとどま り,内的に凝縮 され るが,
他方で芸術 と同 じように 「自由にす ること,体験を浄化 させ ること,体験 を克服す ること」が展
開 され る。 そ こで最 っとも重要であることは 「その体験 が再び子供の表出と して,いつ どのよう
に示 され るかを静か に待 ち続 ける」 ことであ って,読み聞かせたメル- ンを翌 日絵 に置 きかえさ
せた りすべ きではないのであ る。5乃
遊 戯 は さらに運動性 (
Be
we
gl
i
c
hke
i
t
) という特性を示す。「常 に意外 な転回を引 き出 し」
,「風
によって動か され るよ うな,水面 に浮遊す る」 姻 よ うな傾向を見せ る. この特徴 は遊戯の 自由 さ
を導 き,「
子供 らしい即興 の 自由,想像力の広 さ」 59をよ り豊か にす る。
Le
i
s
t
ung) と方
学習は認識を育て,論理的直線的,事柄の秩序の帰結 を目標 とし,常 に達成 (
紘 (
Me
t
hode
) を課題 に してい る。 これ に対 して遊戯 は 「
結果を気づか うことな く没頭す る」 と
創 ることへ
い う自己 目的性 , 自己完結性 を示す。造形遊戯で も,比較や測定の調節ではな く,「
の喜び,手で何かを生み出す ことの満足 」 60の 自己行為 が,緊張緩和の機能 をはたす。
Dを駆 りたて る現代社会の緊張 した環境での遊戯養護は,ま
このよ うに 「
知性的な早期成熟」6
さに 「
幼児の特性 に適応す る唯一の陶冶形態 」 6
才と考 え られ るo
b)K.デ ィー トリッヒの遊戯論
Knut Di
e
t
r
i
c
h) 紘,遊戯の社会教育的機能 に関 して考察を試み る際 に, ス
デ ィー トリッヒ (
ポー ツ特 にスポー ツゲ ーム (
球技 )6
日 こおける相互作用 (
I
nt
e
r
akt
i
on)の形成過程を明確 に し
ようとす る。
ス ポー ツの社会教育的機能 に関 して従来か ら有意的な指摘が多い。勇気,責任感,忠実,正美,
健全で若 々 しい生命の根源的な表現」 と見
平等 ,忍耐 ,協力,開放性 などの属性があげ られ,「
なされ る身体修練 は 「
生徒の能力,姿勢を して性格を創 り出す ばか りではな く,生徒の内的,外
的な紀律を促進」 し 「
遊戯,訓練,競争 をす るグループの共同体秩序の承認 は,大人の社会組織
への同調のための重要な予備訓練」 とな り得 る,6
4 とい った ものである。
権威的でマゾ
これ に対 して批判 や疑問 も数多 く提示 されている。粗野,独善,盲 目的服従 ,「
,「思考のない従嵐
ヒステ ックに固定 した強迫特質 」
幼稚な依存」などがあげ られ る。6
9
ディー トリッヒは,この両解釈が共 に,スポーツに社会化の機能があることを認め るものであっ
て,その相違が 「
社会化の経過 によって獲得 され る効果の評価」 にあると指摘す る。つま り把握
の対照性 は,異な った社会理論 に起因す ると考 え,三 つ の社 会 理 論 即 ち ,構造 - 機能理論,
社会闘争理論そ して批判理論の立場でのスポーツの評価 を概観す る。8¢
構造 - 機能理論 は,社会体系の個 々の要素が機能的統一 と して社会全休の安定を維持す ると
説明す る。そ こでのスポーツない しスポーツゲームは,有効 な社会規範がスポーツ活動を通 して
内面化 され普及 され ることが明 白である場合には, この社会理論の重要な機能 と見なされ る。 ス
Sankt
i
on) によ って社会 的に妥当な役割や役割期待を内面化す るよ う
ポー ツに内在 す る賞罰 (
- 42-
な行為休系が示 され る,絹 ことは多 くの事実が証明す る。
次に社会闘争理論 は,社会を静的で調和の とれた均衡状態 と見なすのではな く,常 に 「
意見の
不一 致,葛藤,利害の対立」を示 し 「
合意であるよ りも諸集団が権力 と利益を求めて対立,闘争」
を行ない,これによって社会構造の変動を生み出 していると考える。6
g この理論 において,スポー
ツゲームは確かに闘争 ない しは葛藤の一形態 と見なされ るが,合理的に解決 され社会行為 自身を
変え ることがない,いわば強制的な役割体系 と見 なされ る.69
第三 の批判理論 は,象徴的相互作用主義 (
s
ymbol
i
s
c
hel
nt
e
r
akt
i
oni
s
mus
) に基づ く役割理論
を取 り上 げ相互作用の過程を考察の中心 に位置づ ける。個人間の均衡が とれ,比較的安定 した相
互作用 において, スポーツ行為体系は行為の可能 な自由度がおろそかにされていると し,社会的
コミュニケーションの病理的境界領域 に位置づ け られて いる。7
0また役割理論では,言語が コ ミュ
儀
ニケーション行為の中心媒体を担 うが,スポーツでは言語は副次的役割を演 じる場合が多 く,「
礼的に限定 された コ ミュニケー シ ョン形態」川 と見なされ る。
デ ィー トリッヒはこれ らの スポーツ評価をふ まえなが ら, スポーツゲームをよ り明確 にす るた
めに,社会的行為の異 な った典型である目的の合理的な労働構造 とコ ミュニケーション的な相互
作用構造を通 して 「
概念の細分化 」7才の必要を指摘す る.
まず スポーツゲームの 「
行為を規定 した規則」 は,労働過程 に 「
技術的規則 」
,相互作用 に 「
社
会規範 」を兄 い出す ことに照 らし合わ され る。「
技能 と質の学習」は,労働構造の 「
取得のメカ
7
斗
ニズム」であ り相互作用では 「
役割 と役割期待の内面化」つま り社会規範 の内面化 となる。
また技能 と属性の積 み重ね られた習得 と しての トレーニ ングは,最 も明 らかに労働構造 を具現
化す る。特 にチームゲームの場合の トレーニ ングは,技術,戦術,戦略を通 して分業過程の最良
の調整をめ ざす ものである. そ して スボ-ツゲームの動機 は,労働の視点で は富 と権力 (ゴール
の達成,相手の克服)であ り同時 に達成能力の判定競争である。相互作用か らは 「緊張の中での
協力」 とい う相互の行為を兄 い出す
0
7
4
この ことか らもスポーツゲームは,価値の方向づけが参加者の欲求 に適合 し, きめ られた役割
と実 際 に示 された行為が 明確 に適 合,効 力 のあ る規範が行動制御 と一致す る時 には,言葉な く
(
s
pr
ac
hf
r
e
i
)経過 す る ことがで きる。非言語的行動で はな く,言語以外の コ ミュニケーション
(
身ぶ りや部分行動)や一定の競技状況 においての行為計画 (
Handl
ungs
pl
an)が生み出される。79
このよ うな競技達成力は,競技 グループで学習 しなければな らない。問題解決的状態を戦略的
に解釈す ること,二者択一の行為計画を発達 させ ることそ して手段を象徴的伝達 と して考察す る
0 この学習の過程で,人間の運動が コ ミュニケー ションの象徴 として行為の相互の
ことである。7
関連 性 を導 き,矛盾 した役割契機 (
Rol
l
e
nmome
nt
)が明白にされ,承認 され た機能が満 された
行動規範が適応 されてい く。 ここに相互作用の形成を見て とることがで き, スポーツゲームはこ
のよ うな 「
学習過程の産物」印 と して生み出 されてい く。
C) H.シ ョイエルルの遊戯論
Hans Sc
he
ue
r
l
)紘,今 日遊戯 に関す る論議がむ しろ産業,経済 さらに政治の
ショイエル ル (
問題へ と多面化 していることを認めなが らも,7串問題意識 と方法論を次のよ うに述べ る。79
1)遊戯 とは何か。
2)遊戯 はどのよ うな現象形態 (
Er
s
c
he
i
nungs
f
or
me
n)で我々に生 じるのか。
3)遊戯の純粋な相在 (
Sos
e
i
n)か ら,教育学 にとって どのような結果が生 まれ るのか。
ショイエルルの考察は,遊戯 の教育学的視点か らの検討であるが,まず遊戯 とは何か とい う疑
問には 「
遊戯その もの」への現象学的 アプローチを試み る。
- 43-
さまざまの遊戯 8
恒こ同一で一定の行動様式の心理的 メル クマールを兄い出せない ことか ら,ショ
s
pi
e
l
e
n」が全般 的 に定義可能 な活動 を示 しているか どうかを疑問にす
イエ ル ル はまず,動詞 「
る。叫 っま りある人が遊戯をす るとい う時,彼 はいったい具体的 に何を行 うのか, どんな時にも
頚遊戯 と名づ け られ る種 々の現象 には共通
観察がで き,記録がで きる活動形態が示 され るのか.8
したメル クマールの基本要素があるのかを問 う。
これ らの疑 問 に対 して シ ョイエルル は,動詞 「
s
pi
e
l
e
n」が根源的には自動詞 と解釈で き,疏
Be
we
gungs
abl
auf
)を持つ と
れ ること,登 ること,浮ぶ こと,呼ぶ ことと同 じよ うな運動経過 (
Ge
s
c
he
he
n) と名づ け られ ることを指摘す る。姻 それ故遊戯は,活動 (
Tat
i
gke
i
t)8
4
ころの生起 (
で も形 態 (
Ge
s
t
al
t
)で もな く,第三の もの として運動 (
Be
we
gung) として捉え られ る。「
遊戯
は遊戯者の主観的構えか ら独立 きている。む しろ遊戯者 な しにも実現 され うる遊戯 さえある。遊
Spi
e
l
e
n) は原初 的 には他 動詞ではな く、 自動詞で ある。遊戯者の活動<何か と遊
戯す る こと (
戯す ること>は,ただ遊戯を押 し進めるだけであ り,行動か ら分 け られそれ 自身で遂行 され る。
遊戯者やその活動が遊戯を規定す るのではな くむ しろ遊戯が遊戯者を規定 し,遊戯者 は総 じて把
f
aBbar
)主観 と して そ こに存在す る。」 89だか ら 「私 は何かを遊戯す る」 という積極
握 され た (
的な活動形態 もすでに派生や転用 と考え られ る。
行為者の主観がかかわ らない遊戯の根源現象を, ショイエルルは,例 えば風 にたわむれ る波の
動 き,波間 に映 り漂 う月の光や影などをあげる。細 そこか ら律動的な運動構造を持 った遊戯経過
のメルクマールを次のように指摘す るo
1) 自由性の要素。波の上の光の運動は拘束されず自由に思われる。そ こに遊戯の持つまった く強
8
や
制 の ない こと,外部 か らの必 要 の ない こと,無 目的,無意図 そ して無予測性が兄 い出され る0
同時 に衝動,本能的欲求か らも自由であ り,遊戯の 自由 とは遊戯現象その ものの 自由である。
2)内的無限性の要素。遊戯は,その原因や物理的条件 といった実際的なものを越えて 自分 自身の
地平で,いわばたえず大 きさと形態を変化 させなが ら 「明 るい場所 と暗い場所の き らめきそ して
すべ るよ うな揺れ動 くよ うな運動 」,8時 上 - 下,往 - 復の運動 として永遠的循環性 を示す。
目的,欲求行為が常 に目標-の直線的運動であるのに対 して遊戯 は,円環的で 自立的性格の 「内
的無限性の運動 」89と捉 え られ る。
3)仮構性の要素。現実性や目的か ら独立する遊戯は仮構成を示す。 しか もシラーの述べ る美への
動機 となる 「
純粋 な仮構 」9
碑に積極的な意味を兄 い出す0
4)両価値性 (
Ambi
,al
。
nz
)の要素。遊戯は,遊戯空間の内部で均衡を保つような力の相対性 に
ょって特徴づ け られ る。 しか も固定 した二元性の形態で はな く,上-
下,往 - 復,循環 と し
て回転 しリズ ミカルに往復運動 を示す。叫
5)完結性の要素。内部無限性を持つ遊戯は,現実か らの独立によって必然的に,遊戯 自身に とっ
て 外 部 に あ る力 に よ って 完 結 させ られ るO昭 どん な場 合 も遊 戯 自身 の形 態 上 の 経 過 形 式
(
ve
r
l
auf
s
f
。r
m) か らではないが,限定 された遊戯時間,空間内で常 に完結で きる特性を持つ0
6)現在性の要素。遊戯経過には独 自の時間構造がある。つまり日常の直線的時間経過か らはずれ
て,何 ものに も到達 しない見せかけの時間を取 り去 った無時間的現在性 咽を示す。遊戯経過は,
常に現在で あ り,弛緩 した状況で,前 もって把握で きることはな く,我 々を無鞘 こさせ る可能性
を持つ。
シ ョイエルルは, これ らの要素 は相互 に内的連関を持 ち一つで も欠 けた り,妨 げ られ ると遊戯
その ものが成 り立たな くなるとまとめ る。
根源現象 としての遊戯は,人間の主観を越えた自動詞的独立運動 と理解 され るが,現象形態 と
して我 々とかかわ りを もって現われて くる。 ショイエルルは,遊戯を主観の視点か ら次のような
- 44-
分類を示す。
まず無主観 的遊戯 で,
主観が意図,
意識す ることな しに生 じる遊戯で, いわば現象世界のあ らゆ
る領域 に 「白か ら」現 われ る遊戯で あ る。9
4
第二 に,主観か ら生み出 された遊戯で,主観 自体 に遊戯 と して出現 しない もの。狭義 の演劇 の
よ うに,役者 自身 に とって は観客 を魅了す ることに気 を配 った 日々の仕事であ り,遊戯 と しては
現われ ないが,観客 にはまさに遊戯現象 と して現われて くる遊戯で ある。
第三 に,主観か ら生み出 された遊戯で,主観 自体 に遊戯 と して出現す るもの。遊戯 を推 し進め
る主観が, 自身が生み出 した生起の観察者 にな るよ うな遊戯で,従来多 くの遊戯研究者 に注 目さ
れて きた遊戯で あ る。
この人間の主観 との関連 での分類 は,遊戯の現象形態 を明 らか にす るためで あ るが,遊戯の本
質 はあ くまで無主観的遊戯であ り,主観 を視点 にす ることにはすで に矛盾を含んで いる。 しか し
ショイエルル に とって は,遊戯 の教育学 的意味づ けを試 み る前提 と思われる。ショイエルルは,
主観
とのかかわ りに関連 して,2
0世紀初頭か らの一連 の教育 改革運動 9
9での遊戯の役割 を総括す るo
そ して シ ョイエルルは遊戯の教育学 的評価 を次 のよ うに三つの観点か ら指摘す る。
遊戯 は・学 習の前形式 (
Vor
f
or
m)で はな く,それ 自身学 習を前提 と してい る。 9ゆっ ま り遊戯
活動 は, 目標 を きめ意味のある調和が とれ た行為を必要 に し,常 に遊戯 のはかで習得す るか,よ
り簡単 な遊 戯ですで に獲得 され た最少限の認識 と技能 を要求す る。
Vor
dbung) と して よ りも,復 習 (
Nac
hdbung)の機会で あ る09
カ遊戯
遊 戯 は,学 習 の予習 (
活動で は,すで に獲得 した知識,技能 を遊戯者 に定着 させ る役割 を果た し, いっで も利用で きる
ように練習す ることがで きる。
さらに遊戯 は,学 習 における反復練習 にとどま らず,新 しい ものの獲得,狭義 の学習の可能性
を もつ。 ただ しその条件 は,生起 の流れを中断す る ことな く,遊戯の枠 を拡大す ることが可能 な
場合で あ る。 そのため に,予備知識 と技能を再 び前提 とす るよ うな遊戯 の客観 的可能性での出会
い と発見が必要 とな る。 この よ うな状態 は 「
遊戯 しなが らの学 習 (
dass
pi
e
l
e
ndeLe
r
ne
n)」 と呼
ばれ,他 の学 習 と異 な り新 しい ものの獲得 と練習を区別す るもので はな く, その両者が たちど こ
ろに把握 され る。姻
教育学 的視点か らの遊戯 の評価 は,一連の教育改革運動 の成果 に基づ いて の考 察で あ り, きわ
めて多彩 な拡が りを示 して い る。
その中か ら就学前の幼児のための カ リキュラムの効率化 や制度化が推 し進 め られ るのに対す る,
E・ホ フマ ンの 「
遊 戯 養護 」の提 唱 は,未分化で将来- の限 りない 「
可能態」 と しての幼児-の
遊戯の好意 的な再評価で あ る。
K・デ ィー トリッ ヒは, スポ ーツゲーム (
球技)の教育学的評価 に関す る論争 を もとに,遊戯
のよ り新 しい社会学的 そ して行動理論的視点か らの教育 的評価 を試みて い る。 そ して多 くの教育
学的論証に明 白な対照 を持 たせ,象徴 的相互作用 に基づ く理想 と しての学 習過程 を提示 して い る。
H・シ ョイエルル は,遊 戯 を根源的現象 と捉 え ると同時 に教育学的な可能性 と限界 に注意を紘
う。つ ま り 「自由な遊戯 と子供 の発達の問の何か予想 され るよ うな ものを当て にす ることや遊戯
における教育学的自己制御 の 自動性 をまった く信用す る」姻 ことの過剰 な期待 を改めて検討す る。
おわ りに
近代以降の遊戯論 を概観 し, その時 々の遊戯の定義が どのよ うで あ り, どの よ うに変遷 し, ど
んな限界を含 んで いたのかを考察 して きた。
「
遊戯」を とりま く連想領域 は広範囲で多様で ある。空想力で夢の世界 に打 ち込 んで いる子供
- 4
5-
の姿 の一方で,スロッ トマ シー ンやルー レッ ト,工作や組み立て,スポーツ,演劇,音楽の領域,
変装,仮装行列,厳格 な式典の経過,小猫の じゃれつきさえ遊戯の現象 と見なされ る。まった く
単純で基本的であると同時に多様で高度の問題性 を含むパ ラ ドックスである。
遊戯の明白な概 念を問 う人は言葉のそそのか しに陥 るのみであ り,せいぜ い遊戯の個 々のグルー
プ間の類推だけであ る,1
0
0 とヴ ィ トゲ ンシ ュ タ インが 指 摘 す るよ うに, これまで概観 して き
た遊戯論 において一 つの遊戯論が遊戯その ものを適確 に定義す ることを成 し得て いない。 それば
か りか,個 々の遊戯の定義の応用範囲が対立 し,矛盾を生 じ,まった く逆の定義 も成 り立つ こと
が兄い出 され る。
啓蒙主義時代の哲学者や教育学者 は,近代市民社会の合理主義 に基づいて遊戯を正当化 し休養
の一形態 とみな し,教育的有用性 を兄 い出そ うとす る。 しか し,人は疲労困億す るまで遊戯 し,
欲情 や悦惚 に堕落す る。
ダーウィンニズムの影響を受 けた進化論者 は,遊戯を生存闘争 と現実の危険か ら免がれ るよう
な安全で 自由な空間で,生活 に不可欠な機能の準備や練習を行 な うための機会で あると生物学的
合 目的性を明 らかにす る。生物学的 目的のために練習す る訳ではない遊戯 も多 くあ り,遊戯 はそ
れが行 なわれ る前 に,すで に練習や訓練を前提 に している。
心理分析学者 は,遊戯 に浄化,余剰能力の解散 さらに治療的価値を兄い出す。 しか し攻撃的な
行動を取 り去 られないよ うな遊戯があるばか りか,遊戯を行 な うことによって攻撃性を習得 した
り, よ り強め られた りす る遊戯を数え上げ ることはさほど困難な ことではない。
また人間の生活の基本現象,例 えば労働,闘争,芸術,スポーツ,儀礼 との対比で遊戯を特徴
づ けよ うとす る,が それ らの最高の状況 においては,それ こそが遊戯 と見なされないかが疑問 と
なる。
哲学的に世界象徴 と定義 し形而上学的な規範 として完全でよ り高い生活の比輪 と見なす定義 も
ある。現実 には,子供 じみた,精神のない,機械的で,愚かで,欲情 を引き起 こす遊戯 もまたあ
る。
これ らの諸定義 は,特徴的な条件の もとで可能 となる意味 と個 々の傾向を含んだ もの と理解す
ることができる。遊戯の もとに何を理解 しよ うとす るか とい う立場の違 いを示唆す るものであ り,
その意味で限界をあ らわ している。 それ故,遊戯の定義を試み ることは必要 な ことであろうが,
けっ して十 分な もの とは成 り得 ない。定義す ることは, その立場を明確 にす るとい う意味が生 ま
れ る。
これ らの ことか ら,遊戯 その ものを明 らかにす るためには,異質の理論を相互 に連関づ ける新
しい方法論を検討す ることさらに新 しい地平を開 く理論の構築を求め ることであろう。 そ して教
育学 的意味づ けを試み る際 には,遊戯が内包す る契機 の明確化 と遊戯の現象形態をどの範囲にま
で兄 い出すのかが前提 となる。 そ して教授 - 学習過程 との相対化 さ らに遊戯教育 と しての独 自
の過程が明確 にされ ることが求 め られ る。
脚註及引用文献
1)岸野雄三 :スポーツ科学とは何か,
Fスポーツの科学的原理』大修館,1
9
8
0
年 7
8頁
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1 4
6-
5)ポイテ ンデ イクは次のよ うに指摘 している。
子供は , a) 一定の方向を示 さない。 b)意味のある方向転換を示 さない。 C) 簡単 に他の ことに
向か う。 d)外的状況への対応が無器用である。そ して環境世界 との関係 に志向性が とぼ しい。
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7)ポイテ ンデ ィクは,この 「はにかみ」の現象の根拠を誕生 に遡 っている。母 と子の生の統一の解決は
「
He
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Zuri
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k」の傾 向で あ り,誕生 を通 して 引き起 こされ る新 しい自立 ,自覚は 「
Hi
n」の傾
向つ ま り新 しい生 の共 同体 (
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) の確立への傾向が与え られた もの となる。子
e
t
was
) と結びつきそ してそれか ら解放 され
供や若 い動物がまた再びある新 しい生の共同体で何か (
た時には,常 にこの両者反対方向の傾向の態度が繰 り返 され,情況により両価値的なはにかんだ行動
が現われ る。
(
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)
8)例えば,ソワソワす ること (
Zappe
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n),ひっか き回す こと (
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n),はい歩 くこと (
Kr
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はね回 ること (
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1
0) ポイテ ンデ ィクは,遊戯活動 に関する運動を a)快を強調 した運動
b)純粋な遊戯 (
狭義の遊戯)
C) スポーツ (
高度の遊戯) と分類す る。快を強調 した運動 は,無志向,無意味 とい う点で純粋な遊
戯に似ているが ,
「
運動 自体の経過ゲ シュタル トの変化」を示 さない点で異なる。純粋な遊戯 にスポー
Le
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ung) と 「
競争 」(
we
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t
kampf
)であ りその ことか ら運
ツを区別するメルクマールは 「
達成」(
動規則の意味づ けが異な り,スポーツでは運動の自由の制限の役割をなす。厳密にはスポーツを遊戯
形態か ら区別 している。 (
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4.
ポイテ ンデ イクは遊戯の対象 として,次のような ものをあげる。
・ボール :台 とのわずか な接触 面 できわめて不安定であ り,なめ らかで丸 くてまとまっているその
運動 は意外で思い もよ らない ものである。
・紙 の玉 ,ほ うき,毛系玉 ,葉 を もった枝 ,赤ん坊のガ ラガ ラ :非常に不規則で角ぼ っていて注意
力を散漫に し,繊維状で こんが らが った形態であ り,原初的な遊戯をさそい出す。
・水 ,雪 ,砂 ,粘土 ,小石 ,ひか らびた葉 :触覚による接触ですでに独特の運動系メルクマールを
もっている。無定形物質のパ トス的効果は,へ こんだ り,可塑性があ った り,多様であ り,我々の
運動の消極 さを受 け入れ ,すべ った り流れた り広が った り一つになった りしてある形態を受 け入れ
た り再び くずれた りす ることができる。
・生 きた もの :生 きて い るあ るいは外見上生 きている物体 は人気のある遊戯対象である。さらに母
親などと遊戯す ることは,遊戯の仲間の運動ゲ シュタル トの理解を必要 とす るよ り高度な形態であ
る。
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3
2.
高橋英夫訳),中央公論社 ,昭和4
4年 ,3
6
4
頁
1
5) ホイジンガ,J :ホモ ・ルーデ ンス (
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4)Hul
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2
5
) ホイジンハはスポーツについて次 の よ うに述べている。1
9世紀の最後 の四半世紀 にな りスポーツの変質化
が指 摘 で き ,「競技 が だんたん真面 目な もの と して受 け取 られ る方 向に向 って いる。規則 は次第 に厳
重 にな り細 目に至 るまで考察 され るよ うにな ったO .(中略)-長 い間には純粋な遊戯内容がそ こか
ら失 われ て ゆ くのであ る。」 そ こにプ ロとアマチュアの分離があ らわれ るが ,プ ロには 「真の遊戯精
神」 はな く 「自然な もの ,気楽な感 じ」が欠如 し,スポーツが現代社会で は 「
純粋 な遊戯領域か ら遠
ざか ってゆき,<それ 自体の>一要素」 とな り 「もはや遊戯ではない しそれでいて真面 目で もない」
とい うことにな るばか りか 「
何か実 りを生 む共 同体社会 の精神 の-因子 とい うよ りむ しろ闘技的本能
ただそれだけの ,独立的な表 われ」であ り 「
遊戯内容 の中の最高 の部分 ,最善の部分 を失 ってい る」
ものであ るとしている。
(
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(
清水幾太郎 ,霧生和夫共訳 )遊 び と人間 ,岩波書店 ,昭和4
5
年 ,4頁
971
年 ,3
2
頁
(
多 田道太郎 ,塚崎幹夫共訳 )遊び と人間 ,講談社 ,1
2
7
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多 田他訳)前掲書 ,31
2
頁
2
8)Cal
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多 田他訳)前掲書 ,31
2
頁
2
9)儲 けの総額 は,最高の場合で も遊戯者 たちの損失の総額 を越 え ることはない。儲 けの額の方が少 ない
のが 大方 の常 で あ る。 (
中略) そ こにあるのは所有権 の移動であ って富の生産ではない。 しか もこの
所有権 の移動 は,遊戯者 たちだ けに問われ ることで ,一勝負 ごとに自発的に決心を しなおす ことによ
り,移動 の偶然性を承認す ることになる○資本が増加 したわ けで もな く・物が作 り出されたわ けで も
な く遊戯 は純粋な消費 の機会 である。
(
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遊 び の 分 類
ア ゴ ン
〔
競 争)
(
遊 戯)
騒ぎ
バイデイア
はしゃぎ
トランプの一人占い
凧あげ
ばか笑い
穴送り
ゲーム
クロスワード
注
ボクシング
ア レ ア
〔
〕
垂)
ミ ミク リ
(
模
擬)
(
肱
牽)
裏か表か遊び
空想の遊び
賭け
人形,おもちゃの武具 メリ.ゴー.ラウンド
玉突き 鬼をきめるじゃんけん 子供の物真似
フェンシング チェッカー
単式富くじ
ルーレット
仮面
サッカー
複式
仮装服
漬演
チェス
イリンクス
′′
「ぐるぐるまい」
子供の
ぶら
んこ
スキー
縁日
ヴオラド
ワルツ
レス
登
山の乗物穫械
縦の各欄内の遊びの配列は,上から下へパイディアの要素が減少し,ル ドゥスの要素が増加していくおおよその順序
に従っている。
- 48-
(
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,p.3
6.
多 田他訳 ,前掲書 ,8
3頁)
各カテゴ リーの主要素は次のよ うになる。
・競争 (アゴー ン,Agon) :ギ リシア語の試合,競技を意味 し,競争 ,闘争の形態の一群の遊戯。
平等の機会が人為的に設定 され,一つの資質 (
例えば速 さ,忍耐力 ,強 さ,記憶力 ,技 ,器用 さなど)
に関 して,一定の限界の中で ,自力のみで行なわれ る競争である。専門的能力 ,規則性 ,訓練を要求
す る。
e
a):ラテ ン語 のさいころ遊戯の意味で,偶然 さや運が主要素 となる一群の遊戯。
・運 (ア レア ,Al
アゴー ンとは対照性を もつ。
mi
c
r
y) :英語 の擬態 ,真似 ,模倣の意味で,虚構の世界 に一時的に入 り込
・模擬 (ミミク リ,Ml
むよ うな一群の遊戯 ,架空の環境 ,架空の人物 にな り,それにふさわ しく行動す る
。
・弦牽 (イ リンクス ,I
l
l
nX) :ギ リシア語の渦巻の意味で,一時的に知覚の安定を破壊 し,めまい,
荘然 自失 ,失神状態をまね くような一群の遊戯。
(
Cai
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s,R∴ I
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d.p.l
l- 3
6)
3
3)競争 と運の組み合わせ ,模擬 と弦車の組み合わせのみが根源的な組み合わせで,その場合 も,前者で
は競争が,後者では舷車のみが 「
創造的」なカテゴ リーとなる。その他の組み合わせ ,例えば,競争
と紋章 ,模擬 と運の組み合わせはあ り得ない し,禁止 された ものとなる。そ して競争 と模擬 ,運 と乾
草の組み合わせは 「
偶発的な組み合わせ」になる。
3
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yは,オ ガ ワコマ ドリ,ツグ ミのさえず りを ロー レンツか ら引用する。彼 らは適度の興奮 と 「ひ
とりひそかに」 さえず る時 には,まった く巧みに美 しくしか も優雅 に歌 う。 しか もそのさえず りのパ
ター ンも多彩をきわめる。 しか しさえず りが機能的になる時 には,例えば相手をはめたたえた り,哩
の前で歌 った り,緊急の時 には,優雅 さはな くな り,大声で単調な繰 り返 しのさえず りにな って しま
う。
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2)Bal
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3
)鬼頭三雄児 :遊びと幼児期 ,福村 出版 ,1
9
7
5
年 、 66頁。
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4)Bal
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5)Bal
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0年 ほど前 の子供の環境 は一 目瞭然の表象 (
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)で満ちていた。手や工具を伴 った労働がいた
る所で子供 たちに観察 され ,理解 されるようになっていた。糸を通 した針で裏か ら素材の部分を包み
こむ ことや水が井戸か ら汲み上げ られることや ランプが炎で点火 され ,オイルタンクか ら燃料を燈J
L
、
- 49-
によって大き くす ることなど。今では器械 ,レバー,- ン ドル,ボタ ンがそれに代わ り,機能 してい
るところは もはや見 ることができない。 これは疑問 ,探究を刺激す るが,表象は消えさって しまって
いるか,ほとんど消えかか っているとホフマ ンは子供 を とりま く環境の変化を述べ る。(
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3)Hof
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7
2.
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4)Hof
5
5) ホフマ ンは陶冶 とは,成長 しつつあ り成育 しつつある若い生命 と経験 によって満 された円熟 との協調
であ り,成長 しつつある若い生活 と老いた生活の補償 による神秘的で内的な成長であると考える。そ
して陶冶的授業は,学習す ることと教授す ることの個人的出会 いか ら生 き続 け,ただの知識の伝達で
はないと指摘す る。
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5.
5
6)Hof
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8)Hof
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0)Hof
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61)Hof
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8.
6
2)Hof
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6
3)Sport
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は明確な競争行為 ,達成力行為を伴な う,運動遊戯 (
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pl
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)の典型であ り,
技術的熟練 ,仲間 との協力 ,作戦力を前提 とす るチームゲームまたは集団ゲームである。内容 は以下
のよ うに通常分類 され る。(
1)
ゴール型 ,界標型 ,バスケ ッ ト型 (
2)
打 ち返 し型 (
3)
シュラーグパルあ
るいは ドッヂボール型 (
4)
標的型 ,ゴル フ型
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参照)スポーツ遊戯 と直訳 され るべ きであろう
が内容的 には 「競技化 されたボールゲーム (
球技)」 と考え られる。当研究では球技 とせず,スポー
ツゲームとす る。がスポーツと (ボール)ゲームが結びつけ られ語 と理解 される。
6
4)Di
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9.
6
5)Di
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7
9.
粂野は,ユネスコのスポーツ宣言でのスポーツにまつわ りつ く危機 として ,(
1)
若者たちによる過度
の参加 ,(2廉 い社会的方向づけ ,(
3)
盲 目的愛国主義 ,(
4)
商業化をめ ぐる問題をあげ,スポーツと社会
の係 り合いを論 じさらにスポーツのパ ーソナ リティ形式の効果的側 と望ま しくない結果物の二重性を
指摘 している。
(
粂 野豊 :スポーツの社会的構造 と機能 ,
Fスポーツ社会学の基礎理論』
,不味堂 ,昭和5
9年 ,6
0-6
4
頁参照)
6
6)1
9
7
0年代か ら現代社会学の新 しい動向の次のような潮流が生 まれた。
(
1) アメ リカで見 られる傾向で,闘争理論 ,交換理論 ,機能主義理論の精轍化。
(
2) アメ リカで展開 している,象徴的相互作用論 (
s
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S
m),現象学的社会学。
(
3) 構造 -
機能主義批判の うえに立つ,広義で新 しい内容の構造主義がイギ リス,フランスであ ら
われ る。
(
4) ドイツのフランクフル ト学派の考え方をひいた批判理論。
(
5) フランスにおいての,マル クス主義理論の創造的展開。
(
現代社会学辞典 ,有信望高文杜 ,1
9
8
4,41
頁参照)
6
7)Spor
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は,発生す る緊張 に もかかわ らず休系の均衡条件を自己規定 して回復 させ るように,安
定 して練 習 され る相互作用の範例 と見なされる。 ドイツの社会学者 Kr
oc
kow は 「達成 ,競争そ し
て平等を,スポーツにおいて と同 じく近代産業社会 において も有効な基本原理」 と位置づけ られてい
-
50 一
る。
6
8)現代社会学辞典 ,有信常高文社 ,1
9
8
4,4
8
3
頁
6
9)Di
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82.
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87.
7
3
)Di
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4)競技者の反則行為 は,労働の視点では目標が異なる不経済な支障 として,相互作用の観点では社会的
7
Di
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87
)
闘争を導 く違反 と捉え られる。(
7
5)独走す る競技者は,ポール保持者 に,彼 自身が一つの役割を演 じることによって行為計画を提供す る。
このよ うな場合には,与え られた競技状況でどの くらいの部分戦略が発展 させ られそ して どのような
非言語的 コ ミュニケーションを通 して伝え られ るか とい う競技の競技達成力が測 られ ることになる。
7
6)Di
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,H :The
or
l
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‥a.a .
0.
,S.1
8
9-1
9
0.
7
9)Sc
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,H. :Das Spi
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4,6.
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8.Auf
l
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9
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8,Ve
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l
agJul
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usBe
l
t
z,S.5.
8
0)例えば,運動遊戯 ,想像遊戯 ,個人 ・集団遊裁 ,社会的遊戯 ,競争 ,追 いかけっこ,運あるいは恋愛
遊戯 さらに役割 ・劇遊戯 ,人形 ,遊具での遊戯など。
81
)Sc
heue
rl
,
H∴ The
orl
ede
sSpi
e
l
s.
.
.a.a.0.
,S.1
97.
82)例 えば動詞 「
s
c
hr
e
i
be
n」(
書 く),「
hamme
r
n」(ハ ンマーで打つ)紘,どんな時に も観察可能でカ
メラなどでの記録 もできる し,ピアノの演奏 も鍵盤 に限定 されているが ,舞台でメフィス トを演 じる
時には,彼の行為はま った く別種の活動 として成 り立 ち,言語,運動 ,身ぶ りによる性格や運命の表
出として成 り立つ。またある子供が模型列車で遊戯 し,他の子供が人形遊戯を していると,まった く
別の活動 と経過 となる.それは心理的態度 ,姿勢 ,動機 ,関心の全体のスケールを通 して明 らかにな っ
た りあるいはカムフラージュす ることができるような ものになる0
(
Sc
he
ue
r
l
,冒.:e
be
nda,S.1
9
7
参照)
8
3)Sc
he
ue
rl
,H∴ e
be
nda,S.1
9
8
8
4) シ ョイエ ル ル は,活動 (
T益t
i
gke
i
t
)を動機上の拠点を持たない機能的 ,実質的な運動 と捉えそ して
そこに属す る心的姿勢 ,動機 ,構 えあるいはそれに付随す る快感を含めている。
8
5)Sc
he
ue
rl
,H∴ DasSpi
e
l.
‥a.a.0.
,S.1
91
.
8
6)Sc
he
ue
r
l
,H∴ The
or
i
ede
sSpi
e
l
s.
‥a.a.0.
,S.2
01
-2
0
2.
8
7
)労 働 ,生 存 闘 争 ,困 窮 や 憂 慮 ,真 面 目さ,客観 的価値 ,目的系体 とはま った くの対照 をなす。
(
Sc
he
ue
r
l
,H∴ DasSpi
el‥.a a.0.
,S.6
0-7
0.
)
l
,H.:The
or
i
ede
sSpl
e
l
s‥.a.a.0.
,S.2
0
3.
8
8)Sc
heue
r
8
9
) 目的 - 欲求行為は,図 1のよ うに表わす ことができるのに対 して,遊戯 は,図 2のよ うに示 される。
図1
三二
(
sche
ue
r
l
,H∴ DasSpi
e
l‥.a.a O‥S.7
8)
9
0)Sc
heue
rl
,H.:DasSpi
e
1.
.
.a.a.0"S.8
4.
91
)Sc
he
ue
r
l
,H∴ The
or
i
ede
sSpi
e
l
s‥.a a.0‥S.2
0
4.
-
5
1
-
.‥・
しノ
9
2
)風は止み月は身をつつまれあるいは朝 となる。子供 たちの遊戯 も,母の呼び声 ,空腹 ,疲れ ,い らい
ら,落 ち着 きのな さによって終 りを求め られる し,勝利か敗北によって終 ることがはっきりさせ られ
てい る規則遊戯 (
Re
ge
l
s
pi
e
l
)で さえ ,遊戯 の外部の時間や得点の申 し合わせによって制限 されて
いる。(
Sc
he
ue
r
l
,H
:
e
be
nda,S.2
0
5
)
9
3
)Sc
he
ue
r
l
,H.:DasSpl
e
1.
.
.a,a.0"S.9
8・
9
3
)遊戯者がその役割 を意識 していない劇や 自然の力の景観 ,うごめ く大都会の交通 ,混戦 ,大火事 ,空
の現象など。(
Sc
heue
r
l
,H∴ e
be
nda,S.1
3
4参照)
9
5) シ ョイエルル は ,教育改革運動 として芸術教育運動 ,経験教育学 ,青年運動 ,B・オ ッ トーとその後
継者
Ll
gt
har
t
),
自由 ヴ ァル ドル フ学園 ,M.モ ンテ ッソ リー,0.ドクロリーとJ.リグアル ト (
労作学校 と郷土教育 ,イエナプ ランをあげている。
(
sc
he
ue
rl
,H∴ e
be
nda,S.l
l
-5
0.
)
そ して遊戯の教育学的意味づけを次の 7つの視点か らま とめる0
(
1) 自由に遊戯す ること (
dasf
r
e
i
eSpl
e
l
e
n)
0
この場合の 「自由」 とは,遊戯現象その ものの特性ではな く,子供が 自由に遊戯活動を選択す ると
い う意味。大人の労働が図 1とすれば,遊戯 している子供 は図 2のような傾向を示す。
図2
図1
(
2) 拘束 されて遊戯す ること (
dasge
bunde
neSpi
e
l
e
n)
0
課題 を与え られて遊戯す ること。無律的な浮遊運動 に形式を与える。
(
3)
実験 (
dasExpe
r
i
me
ntl
e
r
e
n)
0
遊戯 と実験 は,現象 として明確 に区別 される。 しか し実験が前 もってその結果をはっきり知 ること
ができない し,限定 された場の設定で ,刺激に対す る自立的な経過を観察す るとい う特徴を指摘でき
る時には,その内的構造 は,子供の積極的な遊戯構造 に似ていて ,相互転換が可能 となる
。
(
4) 学習遊戯 (
dasLe
r
ns
pl
e
l
)
無意識的に遊戯 しなが ら学習す るというものではな く,遊戯の中での真面 目な活動の学習を意味す
る。純粋な知識の訓練的準備の領域 に限定 され る。
(
5)
遊戯的表出 (
dass
pi
e
l
e
r
i
sc
heEl
nkl
e
l
dung)
学習遊戯が知識 ,技能の短縮化 と機械化-の訓練的達成を求め事物認識の抽象化が課題 とされるの
に対 して,遊戯的表出は形象的豊かさ (
bl
l
dhaf
t
eFi
i
l
l
e
) に満ちた空想の世界であるO
(
6) たわむれ (
di
eSpi
e
l
e
r
ei
)
。
遊戯者を拘束せず ,真剣ではな く,緊張せず に行なわれ,遊戯者の水準を下回 る活動であ り,客観
的な遊戯-の主観の可能な関連にかかわる。
(
7) 遊戯姿勢 (
dl
eSpl
e
l
hal
t
ung)
。
たわむれ とも関連す るが ,主観 との結びつきが不可能であるのが,遊戯姿勢である。労働の姿勢が
「
禁欲的」 と特徴づ け られ るのに対 して,遊戯姿勢は 「自主独立的」 とされる。(
Sc
he
ue
r
l
, H・ :
DasSpl
e
l… a.a.0.
,S.1
9
5-2
2
7. 鬼頭三雄児 ‥遊びと幼児期 ,4
7-4
9頁参照)
9
6)Sc
heue
r
l
,H∴ DasSpi
e
l‥.a.a.0.
,S.1
93・
9
7)Sc
he
ue
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l
,H∴ e
be
nda,S.1
9
4.
9
8)Sc
he
ue
r
l
,H∴ e
be
nda,S.1
9
4.
9
9)Sc
he
ue
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,H.:The
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s.
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.a.a.0.
,S.1
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8・
1
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0,S・3
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4・(
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ede
s
spi
e
l
s.
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.a.a.0.
,S.1
97
f
)
一 52-
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