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第28回 他館見学会:三の丸尚蔵館と東御苑
平成 18(2006)年 10 月7日 第 40 号 第28回『他館見学』三の丸尚蔵館と東御苑 「6月江戸城を歩く」の記 2年ほど前に、「ガイドブック(週末を楽しむ東 迫 一美 平成18(2006)年6月24日土曜日 盛り沢山の場所を回っ 京散歩)」を片手にほぼ同じルートを歩きましたが、 て時間の猶予も少なくな 殆ど忘却の彼方に行ってしまいました。 ったため、予定ルートに 今回は浄光悦然様の軽妙洒脱な解説により、遠く はなかった清水門(私自 江戸時代に思いを馳せるとともに、日本歴史を探索 身初めて通過)から食事 できました。 場所である九段会館へと 小江戸と呼ばれる川越(1昨年)と佐原(7月) ショートカットしました。 を散策しました。川越城は、江戸城を築城したあの ところで三卿の一であ 太田道真・道灌父子が1457年に築城し、江戸時代は る一橋家が住んだという 柳沢、松平などの譜代大名が配置され、江戸城の北 一橋門が、地図に登場し の守りとして重要視されたと言われました。現在、 ませんが、撤去でもされ 市内には蔵造りが多く残されて観光地となっていま たのでしょうか? 三の丸尚蔵館の企画展 「花鳥」パンフレット す。一方、佐原は、江戸時代、江戸と銚子を結ぶ水 運の河港として醸造業などが盛んであり、名主を勤 二の丸庭園には、色々な花が咲き乱れていて、同 めた後、日本地図の完成に尽力したあの伊能忠敬の 行した女房は、デジカメで接写し、我が家で咲いた 住んだ地でもあり、今年7月、佐原の大祭(今年は 月下美人などと、花の写真集に綴じ込み、「きれい 3年毎の本祭)を見学し、江戸城との関連を偲ぶこ に撮れた」と自画自賛(?)して見惚れています。 260年有余の間、日本列島を支配続けた江戸徳川 とがきました。 ところで、江戸城を歩いた当日は梅雨の中休みで 幕府の統治機構は、我々が日本歴史で学んだように、 天候にも恵まれ、最初に三の丸尚蔵館で若冲の鮮や 参勤交代による地方大名のコントロールなど強固な かな動植物画に感銘を受けました。説明によると所 ものであったことが想像できます。今回の歩く会に 蔵品は皇室からの寄贈だと聞いてびっくりしました。 参加した後、江戸城に関する文献を図書館で検索し 次に将軍を守るための、同心番所、百人番所、大 ていたら、「江戸城御庭番」(深井雅海著、中公新 番所と多重の番所によるセキュリティチェックがな 書)という本に巡りあいました。御庭番とは将軍直 されていたことを確認できました。 属の隠密であり、この役割が、「目付」とともに統 配布されたカラー刷りの江戸城の絵は見易く、こ れと睨めっこしながら歩きました。 松の廊下では、吉良上野介邸に討ち入った赤穂浪 士や忠臣蔵に思いを馳せました。 夏草や 大奥どもが 治に大いに貢献したのだろうと改めて思いました。 散策は体と脳の両方のジョギングに効果がある! 最後は、ビールのお相伴にもなり、楽しいひと時 を過ごすことができました。 夢の跡(大奥跡にて筆者) 江戸時代の火事では最大級で町中の60%が消失し たとされる明暦の大火(振袖火事)により、1667年、 江戸城の天守閣も焼け落ちてしまい、時の将軍(家 綱)の経費節減の命により、二度と再建されなかっ たと説明受けました。江戸時代もまだ始まって間も ない時期から、江戸幕府のシンボル(と思っていま した)であった天守閣は存在しなかったのだという ことを初めて知りました。ただ番所も幾重ものセキ ュリティガードがなされていたというのに、大火か らは守るすべがなかったということでしょうか? 4 三の丸尚蔵館前にて