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タイ 王国およびビルマの地質と宝石 (特にヒスイ ) 事情

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タイ 王国およびビルマの地質と宝石 (特にヒスイ ) 事情
新潟応用地質研究会誌,第30号(198B年7月)
タイ王国およびビルマの地質と宝石(特にヒスイ)事情
茅原一也*
まえがき
タイの一部を含むビルマ地域は,インドプレートとユーラシアプレートの接合部にあたっており,地
質学的に極めて興味ある地帯である。北ビルマは世界最大のヒスイ(硬玉)産地であり,また,タイ王
国はルビー・サファイアなどの宝石の産地として有名である。北部タイは古くより,北ビルマからヒス
イの原石が移入する拠点となっていることから,ここでヒスイ原石の見学,加工過程および製品の視察
をするのに好都合である。北ビルマはユ962年,ビルマに社会主義政権が樹立されて以来,外国人に対し
ては鎖国状態であって入ることができない状態が現在まで続いている。そこで上記の目的をもって,ヒ
スイの愛好家7名,カメラマン1名,通訳1名を加えて計10名で,特に北部タイのチェンマイ・チェン
ライおよびビルマ国境のマエサイへの視察旅行が計画され,筆者にも同行するよう依頼があったので,
休暇をいただき参加した次第である。6泊7日の強行軍であった。
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*新潟大学名誉教投 北日本技術コンサルタント㈱最高技術顧問
一8一
日 程
11月27日 大阪→香港→バンコック→チェンマイ(泊)(10時間の飛行)
11月28日 チェンマイ(空路)→チェンライ(バス)→マエサイ→ビルマ国境→チェンライ(泊)
11月29日 チェンライ(バス3時間半)(地質観察)→チェンマイ(ヒスイ工場,市場見学)(泊)
11月30日 チェンマイ (空路)→バンコック(泊)
12月1日 バンコック(空路)→香港→ヒスイ市場見学(香港泊)
12月2日 香港(空路)→大阪
12月3日 大阪(空路)→新潟
1.ビルマおよびタイの広域地質区分
1.1プレート境界
プレートテクトニクスからみたビルマータイ地域の広域地質構造を図一2に示してある。大局的にみ
ると,東側のユーラシアプレートの下にインドプレートがぶつかって沈みこんでいる状況となっている。
ビルマの東側高地(Eastern Highland)はタイの西側山地にまで連続しており,大陸地殻からなっ
ていてユーラシアプレートに属している。一方,ビルマ中央部から西側山地(インドーピルマ山脈)は
2つのプレートの境界地域を構成しており独特の地質構造帯を形成している。
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図一2 ビルマ・タイ地域の広域地質構造区分(Mitchel1&McKerrow,1975)
実線:地形区分の境界あるいは断層,破線:プレート境界,矢印は中国プレート
の下へのインドプレートのアンダースラストする方向を示す。
一9一
1.2 ピルマ・タイのオフィオライト帯
東南アジアのオフィオライト帯については多くの研究があるが,全体的にはHutchison(1975)によっ
て総括されている(図一3)。
図一3 東南アジァのオフィオライト帯および他の苦鉄質・超苦鉄質岩の分布
(Hutchison,1975)
1.現在の活動的トレンチ 2.主な露頭とその延長線 3.明らかなオフィオライト 4.不明確なオフィオライト
5.非オフィオライト 6.古期クラトン 7.前カンブリァ紀 8.古生代 9.後期古生代∼早期中生代 10.中生代
1L第三紀 12.断層 13.サブダクションの方向
ビルマ∼タイには大きくみて4つのオフィオライト帯がある。ビルマでは2本のオフィオライト帯が
あり,西側はアラカン・ヨマ オフィオライト帯(E2),東側はマンダレー・オフィオライト帯(E 1)
である。
マンダレー・オフィオライト帯は,北方で2つのオフィオライト帯に分岐している。ここではランセ
ン石片岩と超苦鉄質岩(主として蛇紋岩)が分布し,蛇紋岩の中にヒスイ輝石岩が脈状をなして含まれ
ている。これが世界最大のヒスイ鉱床である。しかし,実際は原位置鉱床から由来したヒスイ礫を含む
第三紀および第四紀の礫層が採掘の対象となっている。
一方,タイには2つのオフィオライト帯が分布しているが,超苦鉄質岩や苦鉄質岩が帯状の分布を示
しているのであって,オフィオライトとして完全なメンバーがそろっているかどうか疑しいものである。
西側のオフィオライト帯は,チェンマイ東方から,ラオスのHouei Saiにかけて北東方向に分布し,
東但‖のオフィオライトは更に2つの帯をなして北北東方向に帯状分布をなし,1つはタイのUttaradit
からラ才スのLuong Probongにのび,他の1つはLoeiから北北東方にのびて分布している。この帯
からヒスイの産出は知られていない。
一10一
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図一4 タイおよびビルマの花こう岩の分布図 .
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2.タイの基盤地質
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タイの西部は山地が南北に連なっており,その西
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方はビルマの東側高地に属するシャン高原に続いて
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いる。この地帯には花こう岩類が広く分布している
(図一4) タイ東部は平原地帯である。
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山地の浸食の進んでいるところは岩石が露出して @ロ花こう岩 図謄質繁いは’
いるが,丘陵や平原地帯は広く,厚く紅土(ラテラ
イト)によって覆われている(写真一7)。このた 図一5 ビルマの主な地質構造区分
め河川の水はすべて黄褐色の泥水である.筆者はチェ(Mit・h・U&M・Ke…・1975;EvanS 1964)
ンライーチェンマイ問をバス旅行したので,この山地の露頭を数ケ所みることができた。それらは花嵩
岩・千枚岩・黒色粘板岩などであって,いずれも風化が著しかった(写真一4)。チェンマイ西方の山
地では,花商片麻岩・石灰岩などをみた(写真一5・6)。タイの花嵩岩帯は図一4に示したような3
帯の区分がなされている。いずれも生成時代はジュラ紀前のものである。
東部平原地帯は飛行機の窓からみる限り赤土の連続であった。平地はすべて水田地帯である。米作は
2毛作で;コシヒカリの栽培試験に成功したといわれる。
一11一
3.ビルマの地質
3.1地質構造区分
ピルマは3つの主要な地質構造区とそれに対応する地形区に区分される(図一2,5)。それらは,
東側から,次のようである。
東側高地(Eastem Highland)
中央低地(Central Lowland)
インドービルマ山脈(lndo−Burman Ranges)
このうち,東側高地は3種の岩系からなる。すなわち,東のシャン高原炭酸塩岩,カラウ(Kalaw)
向斜の珪質砕屑岩類,西の変成岩類である(図一5)。
白亜紀後期および第三紀早期の花簡岩がKalaw向斜の岩石類および東側高地の一部の岩石中に貫入し
ている(図一4,5)。
シャン縁辺断層(Shan Boundary Fault)が東側高地西側の変成岩類と中央低地の東側トラフとを
明瞭に分っている。この断層の北部ではマンダレーオフィオライト帯が伴っている(図一3)。この断
層の西側では,中央低地は17㎞に達する第三紀海成および河成堆積物で埋積されている。中央低地帯は
主として安山岩質のビルマ中央火山帯によって東および西の2つのトラフに分れている。西側トラフの
堆積岩類はインドービルマ山地の東側岩体の上に東向きの傾斜をもって衝上している。この山地は主に
後期白亜紀と早期第三紀のタービタイトの重なりから大部分が構成されている(図一6)。
ビルマ造山帯の幅は約350㎞以上であり,東側高地帯の東縁はタイまで拡がっているが,その境界は
明らかでない。
東側高地には多くの花陶岩のバソリス状貫入体がある。特にKalaw向斜地帯およびシャン高原の地層
群内には後期白亜紀および前期第三紀の花周岩類が幅50㎞の貫入帯を構成しており,これに伴って錫お
よびタングステンの重要な鉱床が分布している(図一4,6)。 .
中央低地:ビルマの中央低地帯には第三紀から第四紀にわたる厚い地層が発達している。その北部で
は蛇紋岩,ランセン石片岩が分布し,アルバイトーヒスイ輝石岩が伴っている。これは一方ではマンダ
レー・オフィオライト帯の北方延長に当っている(図一5,6)。
西側トラフでは上部白亜系から中新統の海成および陸成の厚い堆積物があり,中央低地全域を通じて
鮮新∼第四紀の河成堆積物が分布している。東部トラフは中新∼鮮新統である。
ピルマ火山帯:中央低地を2分する形で中央部を南北に走り,大部分に鮮新∼第四紀の安山岩類が分
布している。
インドーピルマ山脈:地形的には,北から,ナガ丘陸,チン丘陵およびアラカン・ヨマ丘陵に区分さ
れる(図一5)。
この山脈を構成するものは後期白亜紀から始新世に形成された変形したタービタイトが主である。更
に中央低地の方向に東傾斜の衝上断層によって切られている。それぞれの地質体の中には,局部的にオ
フィオライトあるいは超苦鉄質岩やチャートが介在している。南部では,超苦鉄質岩やチャートは主に山
脈の東側に分布し中央低地に向って傾斜して存在する(図一6)。
インドービルマ山脈の南部では大陸のコリージョンの影響を受けなかった。一方,その北部ではより
大きい変形作用を受けている。ナガ丘陵の東側ではモラッセ堆積物によって覆れる変成岩類が北西方向
に上部白亜紀および始新世のタービダイトおよびオフィオライトの上に衝上している。更に西では第三
一12一
紀層が鮮新統の上に衝上しシュッペン構造を形成している(図一7)。
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図一6 ビルマ造山帯の模式断面とその発達史(Mltchel1&McKerrow,1975)
Pc:前カンブリア紀後期, D:テボン紀, P:二畳紀, T:三畳紀, J:ジュラ紀・
C:白亜紀,E:暁新世∼始新世,01:漸新世, M:中新世, P1:鮮新世,
NICr:ニッケル・クローム鉄鉱, SnW:錫・タンクステン
一13一
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}一7インドービルマ山脈北部,ナガ(N。ga)山地を含棟西断面NE
(Mitche11&McKerrrow,1975)
右側のオフィオライト帯にヒスイ鉱床が伴っている。
3.2 ビルマ造山帯のプレートテクトニクス
{1)シャン高原(東側高地)の二畳紀∼ジュラ紀中期の炭酸塩岩,頁岩および少量の蒸発岩は,イン
ドの北方への漂移と東部テーチス海の閉鎖に先立って,南東アジアの西大陸縁の近くでブロック断層運
動を蒙った。Kalaw向斜においてジュラ紀中期の赤色岩層上へのり,タイトに摺曲したタービダイトの
形成は,白亜紀における大陸縁の下への沈みこみ(subduction)の開始とおおよそ関係している。また,
摺曲作用と衝上運動はシャン境界断層に沿った走向スリップ運動に関係していた可能性がある。東側高
地における白亜紀後期∼始新世早期の花商岩および局地的なデーサイト(石英安山岩)の形成は大陸地
殻の下部のべニオフゾーンの上で起った可能性がある。
新しいビルマ中央火山帯の東側に分布する花闇岩類の位置は,始新世早期のべニオフゾーンが新生代
後期の沈みこみ帯のやや東の表面に近づいたとすると説明できるだろう。
② 次に,インドービルマ山脈の新生代での発達過程についてみよう。
この山脈を構成する上部白亜紀∼始新世のタービダイト系はベンガル・デルタ扇状地および先扇状地
の堆積物からなり,西方では海洋クラストの上に堆積したものである。これらの堆積物は下の海洋地殻
の断片スライスと共に,順次,沈みこみ帯の上の同様にして形成された古期岩類の下に入りこんだ。こ
うして,少量のオフィオライトを伴いながら上昇するタービダイトの構造的な積み重なりを形成した。
インドービルマ山脈の深部における大陸地殻の存在状況は,北部と南部で異なっている。南部では,
中国プレートはアラカン・ヨマや西側トラフの下では存在していないらしい。しかし,北のチン丘陵の
東側では中国プレートの西縁が一部に衝上している可能性がある。
北部のナガ丘陵は他より一層強い衝上運動の影響のあったことを示しており,これはインドプレート
と中国プレートの間の衝突(collision)の結果であると解釈できよう(図一7)。
これに対して,インドービルマ山地の南部で見られる構造は,約40m.y.(百万年)の間に発達したも
のであり,大陸相互の衝突は含まれず,厚いタービダイト層によって覆われた海洋物質の沈みこみのみ
が見られる(図一6)。
㈲ 東側高地の上昇は,西側の沈み込みの開始に続いて,始新世あるいは後期白亜紀に始まったもの
であろう。そして,この上昇とともに変成岩帯の上昇を伴った。
{4}中央低地の西側トラフは,第三紀の全期間を通じて間けつ的に沈降した。しかし,東側トラフの
沈降は早期中新世にのみ開始された。
一14一
{5}シャン境界断層は,後期白亜紀あるいは早期第三紀にdextralなトランスカレント断層として出
現した。従って,西方での下降を伴う垂直変位は中∼後期第三紀に最も顕著であった。
(6}ビルマ中央火山帯の存在は中新世から第四紀にわたる時期に沈みこみのあった証拠を示している。
しかし,始新世から中新世の間ではわずかの火山岩しか知られていない。
(7)北部ビルマのヒスイ鉱床とその構造地質的環境を図一7に示してある。北ビルマのマンダレー・
オフィオライト帯は超苦鉄質岩(主に蛇紋岩)と,これに伴うランセン石片岩その他の低温高圧型の変
成岩類からなっている。このオフィオライトはシャン縁辺断層の延長にあたる衝上断層に沿ってプロト
ルードしたものであろう。この蛇紋岩体の中に脈状のヒスイ輝石一アルビタイトが含まれている。この
オフィオライト帯を覆って中央火山帯の火山岩類が分布している。
ナガ・オフィオライト帯は,上記のものとは異なり,ヒスイ輝石は産出しない。
4.タイの印象とビルマのヒスイ事情
4.1 タイの宝石一特にヒスイ事情
タイ南部のバンコック西方のカンタブリ地方はサファイアの産地であり,南東方のチャンタブリート
ラート地域はサファイア,ルビーの産地である。これらは花こう岩の分布と密接に関係している。
一方,タイ北部のチェンマイ・チェンライ・マエサイはヒスイ市場の中心として古くから知られてい
る。しかし,タイ国内にはヒスイは全く産しないのであって,市場のヒスイはすべて北ビルマ産のもの
である。北部タイは西はビルマ,北はラオスと国境を接している(写真一12,13)。これらの国境山岳
地帯にはヤオ族その他山地民族と一般にいわれる人達が住んでおり,彼らは国境にかかわらず自由に往
来しているといわれる。これらの人達を通じて北ビルマのヒスイやルビー・サファイアが北部タイに入っ
てくるわけである。
この山地民族は金銀細工が巧みであるといわれる。彼らは頭部に金属製の飾りを例外なくつけており,
ある人達は夜寝る時でも身から離さないそうである(写真一9)。
このようなことから,マエサイはヒスイの加工中心の一つであり,専門商店のほかに露店や小店が街
に並んでいる。ここでの宝石は,ビルマ・マンダレー北方のモーゴク地方(世界の最大産地)のサファ
イア・ルビーおよび北ビルマのヒスイである。そのほか,金・銀細工も多く販売されている。いずれも
この現地で買えば非常に安い(写真一14,15)。
4.2 ビルマのヒスイ事情
北ビルマは世界で最大のヒスイ産地である。このヒスイ原石は,一部は前述したようにタイ北部に移
入されている。また,一部はラングーンに運ばれて,年1回,政府主催のエンポリウム(入札会)が開
催されている。このエンポリウムの参加者は香港からの人達が最も多く,次いで中国,日本である(写
真一16,17,18)。
4.3雲南のヒスイに関する最新情報
古くより中国雲南省からヒスイが産すると誤り伝えられてきた。しかし,最近,今度の旅行出発前に
昆明の西方で採掘しているとの話を聞いたので,これを確かめるため,香港の李虎威氏を訪れ,詳しい
事情を聞くことができた。同氏は86年8月に,昆明から国境を経て北ビルマのミートキーナ北方ヘヒス
イ視察に行かれ,写真撮影もしている。これによれば雲南からはヒスイは産せず,’すべて北ビルマ産で
あることが確認できた。この度の旅行の重要な収穫の一つであった。
一15一
4.4 タイの印象
チェンマイの印象 チェンマイは首都バンコックの北方約750㎞のところにある。海抜300mの高原
にあり,周囲を600∼900mの山々に囲まれた谷間の都会であり,タイ北部の中心地である。人口約110
万人。森の都であり,樹々の間にかなり立派な家が立ち並んでおり,庭はいずれも広い。チェンマイは
13世紀メングライ王朝の古都であって古い城壁が残り濠も一部に残っている(写真一8)。チェンマイ
大学は北部タイの中心校であり,そのキャンパスの広さは500エーカーで東洋一といわれる。7っの学
部と山岳民族研究センターからなる。ここでは各種の国際的なシンポジウムも開催されており,学術的
なレベルは高い。
チェンマイではChiang Mai Orchid Hote1に泊ったが,フランス風のきれいで清潔なホテルで
ある。外国人,特にフランス人・ドイツ人が多い。山手にヒスイの専門店がある。チェンマイの一夜,
チェンマイ文化センターにおいて北部タイの民族舞踊をみる機会を得た。中央ステージでは,きらびや
かな民族衣裳で身を飾った娘さん達が数々の踊りを見せてくれた(写真一10)。このステージの周りで
タイ料理を飲食しながら見るようになっている。
よくチェンマイ美人といわれるが,確かに美人が多い。北部タイでは,女子は14∼5歳から働きにで
る。30歳ぐらいになると日本でいえば40歳ぐらいの感じとなる。また,一般に男女とも40歳ぐらいにな
ると,日本での70歳ぐらいの顔付きになるといわれている。このようなことで老人達が非常に多いよう
に感じるのであろう。しかし,タイでは老人は大変大切にされるそうである。
チェンライの印象 北部の静かな街である。ランナータイ王国,メンライ王の居城があった。同様に
森の町であるが,市場もあり賑わっている。チェンマイとは別の平野の中心地となっている(写真一11)。
マエサイの印象 ヒスイ市場の一つの中心である。幅約30mのメコン川支流を隔ててビルマであり
(写真一12,13),この橋は山岳民族の露店商もあり,観光客の人通りが絶えない。タイ側からビルマ
側へ向けての写真撮影は禁止である。ここまで来ると日本人観光客はいない。山地民族の写真撮影料は
10バーツ(60円弱)であった。可愛い子供達に写真をねだられると写さざるを得ない。
文 献
Aung Khi・’and Kyaw Wi・(1969)・G・・1・gy and hyd…a・b・n p…pec徳・f th・B・・m。 T,rti。。y g,。−
syncline:Union Burma Jour. Sci. Tech., v.2, p.53−81.
B・tes…J・H・・Mit・h・11・A・H・G・, and C1・・k・, D. A.(1972)・G・・1・gi,a1。。d g,。,h,mi,al
reconnaissance of the Seikuphudaeng−Padatgyawng area of Central Burma:[Great Britain]Inst.
Geol. Sci., Overseas Div.,54p.
B・・n・schw・i1…R・0・(1966)・O・th・g・・1・gy・f th・1・d・b・・man R。。ges、G,。1. S。,. A。、t。ali。
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一16一
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一17一
写真一1 タイ北部マエサイ近くのビルマ国境山 写真一4 チェンマイーチェンライ間の千枚岩質
岳地帯.花こう岩,変成岩からなる山地,山中 頁岩の露頭
には山地民族が住んでいる
写真一2チ・ンマイーチ・ン・個の地形 写真一5チ。ンマ個方山地の花.う片囎の
露頭
一〔已=・一一…『=馳.一二..._コ_ 配 . ・
写真一3チェンライ周辺の風景 写冥一6チェンマイ西方のエレフ。ント.ガ_
デン
一18一
トの露頭 ミ い
写真一佃 北部タイの民族舞踊
鳥の踊り,チェンマイ民族舞踊
研究所の踊り子達,良家の娘さ
んとのこと,チェンマイ文化セ
ンターにて
誕ユ.・,=,鋤娼蹴鱒ご』…蝕《.:二警
写真一8 チェンマイの古城跡
≡i三
写真一11チェンライの風景
写真一9 チェンライ北方山地民族の婦人
一19一
写真一12 タイ・ビルマ国境のメコン川支流とそ 写真一15 マエサイのヒスイ加工場(北ビルマ産
れにかかる橋,対岸はピルマ領である。 ヒスイ原石)
写真一13右側はビルマ領,左側はタイ領である。 写真一16 ラングーンのヒスイエンポリウムにお
ここには小さなレストランがある。川水は黄色 ける展示,1ロット(一山)ごとに入札の対象
で泥混りである。 となる
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写真一14 マエサイのヒスイ加工場 写真一17 ラングーン・ヒスイエンポリゥムにお
けるインペリアルヒスイ(最高級品)のロット
一20一
写真一18 ラングーンのヒスイエンポリウムにおける展示状況
一21一
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