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来院した子牛の病態と治療
来院した子牛の病態と治療 酪農学園大学 獣医学部 小岩政照 1. はじめに 子牛の下痢と肺炎は,子牛の疾病の中で高被害率を示す主要な疾病であり,畜産農家の収益性を左右する重 要な問題になっている。特に,黒毛和種子牛とフィードロットの導入乳用種雄子牛における発生率と死亡率が 高い。子牛において下痢症と肺炎の発生率の高い原因としては,初乳を介して免疫を獲得する子牛の特異的な 免疫機構,出生後における多種の病原微生物の暴露,低保有エネルギー,遺伝的ならびに飼育環境が主要と考 えられる。近年,酪農牛群の大型化に伴って,酪農家においても子牛の下痢症と肺炎の発生率が増加傾向にあ る。また,新生子牛で汚染が拡がっている原虫性下痢症の原因の一つであるクリプトスポリジウムは,ヒトに 感染して急性腸炎を引き起こす人獣共通伝染病であり,環境汚染と公衆衛生上からも重要な疾病である。 2.来院例の動向 2003 年度の本学における来院頭数は,成牛 136 例,子牛 145,馬 20 例の合計 301 例である。成牛では第四 胃疾患,運動器病,乳房炎(Prototheca) ,Downer Cow の順に多く,子牛では虚弱・奇形,下痢,運動器病, 呼吸器病の順に多い。臨床では,子牛のクリプトスポリジウム下痢症,虚弱症候群,免疫不全症,牛ウイルス 性下痢粘膜病(BVD-MD 持続感染牛)が問題となっている。 3.子牛下痢の全国的病原検索 全国 18 診療所の協力を得て 157 例の子牛下痢便の病原微生物調査を行ったところ,157 例の 33 例(21%) ,36 例(22.9%) がロタウイルス陽性を示し,78 例(49.7%)からクリプトスポリジウムオーシスト(C. parvum) からコクシジウムオーシストが検出された。ロタウイルス陽性率は 1∼25 日齢が 22.7∼27.3%,26 日齢以降 は 10%以下に低下した。クリプトスポリジウムオーシストは,日齢に関係なく検出率 50%前後であり,コク シジウムオーシスト検出率は,6 日齢以降,直線的に増加し,36∼60 日齢で 62.5%を示した。地域別では, ロタウイルス陽性率は東北,北海道,沖縄で高く,クリプトスポリジウムオーシストは沖縄,東北,北海道, 四国,九州,近畿で検出率が高く,コクシジウムオーシストは東北,九州で高い検出率がみられた。 演者略歴: 1952 年 4 月 12 日生まれ、1975 年 3 月 酪農学園大学酪農学部獣医学科卒 業、同年 4 月酪農学園大学 獣医学科内科学教室助手に着任。1980 年 4 月千 歳農業共済組合 診療係長、1993 年 4 月石狩農業共済組合 江別診療所長、 1995 年 4 月石狩農業共済組合 北部統括所長を経て、1995 年 9 月酪農学園 大学 附属家畜病院 助教授、1999 年 4 月酪農学園大学 附属家畜病院 教 授に着任し、現在に至る。 1 4.下痢症 健康子牛では,水分と電解質は腸粘膜を通して移動しており,腸から血液への吸収が血液から腸への分泌を 上回っている。下痢とは,透過性の亢進,分泌過剰,浸透現象によって発現し,水分量の多い泥状あるいは水 様性の便を頻回排泄する状態である。下痢は種々の原因によって生じるが,原因未解明の下痢状態が持続する 際に,下痢症と総称して呼ぶことが一般的である。 腸の分泌過剰が主で生じる下痢は,腸の透過性変化,吸収性変化,外因性の浸透圧変化と無関係に体液と電 解質が腸から失われるものである。浸透亢進は,食物の吸収不良と消化不良を生じて,腸管での溶質の浸透圧 によって水分量が増加することによって発現する。吸収不良が主で生じる下痢は,腸絨毛の消化吸収細胞の変 性,壊死,萎縮による消化・吸収不全によるものである。 1)原 因 子牛下痢症を原因によって,細菌性,ウイルス性,原虫性,線虫性,母乳(食餌)性に分類できる。通常み られる子牛の下痢症の多くは,単一の原因ではなくいくつかの原因が合併して発病しており,この種の下痢を Acute undifferentiated neonatal diarrhea (AUND:急性原因病原体識別不能子牛下痢)と総称されている。 また,母乳や人工乳が原因で発病する非感染性の母乳性下痢も存在する。 諸々の原因で発生した子牛下痢症は, 発見が遅れたり適切な治療が施されないと慢性化して難治性下痢症に 陥って低栄養状態になる。低栄養状態に陥った下痢症子牛は,下痢が完治したとしても発育不良となり産乳性 や肥育効果があまり期待できない。 (1)細菌性下痢症 大腸菌: 毒素原性大腸菌(enterotoxigenic Escherichia coli :ETEC)の感染によるものであり,一般 的に「白痢」と言われ,生後2週間以内の子牛が発病する。生後5以内の子牛に発病する死亡率の高い早発性 大腸菌下痢は,毒性の強い大腸菌 ETEC(K‐99)の感染による。ベロ毒素産生性大腸菌(Verotoxin‐producing E. coli: VTEC)の感染に起因する「子牛赤痢」は,2ヵ月以内の子牛に散発する。 サルモネラ salmonella: サルモネラ菌(S. Typhimurium,S. Dublin,S. Enteridis)の経口感染によっ て発病する。S. Typhimurium,S. Dublin,S. Enteridis の感染によるサルモネラ症は,届出伝染病に指定さ れている。 (2)ウイルス性下痢症 ロタウイルス: ロタウイルスは抗原性の違いにより A∼F 群に区分されるが,牛ロタウイルスは A∼C 群の 3群であり,生後4から14日齢の子牛にウイルス性下痢症を起こす最も一般的なウイルスである。 コロナウイルス: 牛コロナウイルスは低温が生存に適していることから,冬期間に多発し,感染後1∼2 日目に軽度の発熱を伴って発病する。またコロナウイルスは成牛の伝染性下痢の主原因であり,winter dysentery(冬季赤痢)と呼ばれている。 カリシウイルス: 1ヶ月齢以内の子牛に発生する下痢であり,原因不明の下痢症の40∼50%からウイ ルスが検出される。季節的な発生はない。 トロウイルス: 原因不明の子牛下痢症の30∼40%からウイルスが検出されており,実験感染で下痢症 の発生が証明されている。 (3)原虫性下痢症 2 コクシジウム: 子牛下痢症の原因となるのは,Eimeria zuernii(E. zuernii) ,E. bovis であり,腸管 粘膜で増殖してオーシストを糞便中に排泄する。 クリプトスポリジウム: コクシジウムと近似の原虫で,牛には Cryptosporidiumu parvam(C. parvam) と C. muris の2種類があり,子牛下痢の原因となるのは,C. parvam である。C. parvam の感染は,回腸末端 部の腸上皮細胞に限局し,感染部位の腸上皮細胞のアポトーシス誘導,杯細胞の粘膜上皮細胞やパネート細胞 の消失と著しい絨毛丈の萎縮を引き起こす。またヒト型およびウシ型の C. parvam はヒトにも感染し,38.5℃ 前後の発熱,激しい腹痛,下痢,嘔吐などの症状を呈する。 (4)線虫性下痢症 消化管内線虫の寄生によっても下痢症状が高頻度に認められる。その他として,経皮,経乳,経口感染する 乳頭糞線虫の寄生によっても下痢症状がみられる。乳頭糞線虫症には,心臓突然死 cardiac sudden death す る突然死型と重度の下痢を呈する衰弱死型がある。 (5)母乳(食餌)性下痢 黒毛和種子牛では,母乳成分異常に起因する「母乳白痢」と呼ばれる非感染性下痢症が存在する。 (6) 虚弱子牛症候群 本症は,胎子期のウイルス感染,妊娠期のビタミン不足,初乳量不足,先天性免疫不全,難産による酸素欠 乏などの原因によって発病し,下痢症に罹患しやすく死亡率が高い。また,下痢が一時的に治癒しても再発を 繰り返して発育不良となり,産乳性や肥育効果が期待できない。本症の特徴的な症状,血液変化,病理学的所 見は次の通りである。①症状:低体重,出生後の起立時間の遅延,吸乳意欲・吸乳力の減弱,下痢,肺炎。② 血液変化:Ht 低下,血清γグロブリン量低下,血清免疫グロブリン(IgG)濃度低下,好中球数の増数に伴う 白血球数の増数,好中球機能低下,T リンパ球細胞の減少,低血糖。③病理所見:悪液質,免疫細胞生産臓器 (胸腺,リンパ節,脾臓)の萎縮,第一胃パラケラトーシス,真菌性胃潰瘍,胸膜肺炎。 2)急性下痢症の症状 急性下痢症の主病態は,脱水,体液異常(低ナトリウム,低カリウム,低クロール) ,酸血症(pH 7.38 以 下)であり,初期には高血糖を呈する。下痢症子牛にみられる酸血症は,糞便中への重炭酸塩損失と血液量の 減少による組織中の乳酸蓄積,循環血液量が低下した腎臓における酸排泄低下,大腸における非吸収栄養素の 発酵による有機酸産生に起因する。 3)慢性下痢症の症状 子牛は成牛に比べて成長に必要な栄養要求量が高く, また体内における脂肪などの栄養貯蔵量が少ないため に,短時日に下痢が治癒しないと低栄養状態に陥る。 慢性化した難治性下痢症に移行した子牛は,低血糖,低蛋白血症,必須脂肪酸(リノール酸)欠乏を伴った 低脂肪血症,続発性乳糖不耐症,単糖類不耐症の病態を呈し,削痩や体温低下,元気沈衰,落屑,脱毛,心音 細弱,四肢(特に後肢)下部の冷性浮腫の発現,起立困難あるいは不能の臨床症状を示す。低血糖は,寒冷地 の冬期間におけるカーフハッチ子牛での発生が多い。慢性下痢症に移行したほとんどの子牛において,第四胃 幽門部における潰瘍が認められ,血中ガストリン濃度が健康子牛の約10 倍(700pg / ml 以上)に増加する。 4)代謝性アシドーシス 下痢症の治療経過中に, 脱水が軽度であるのにもかかわらず起立困難あるいは不能状態の症状を呈する子牛 は,単純性代謝性アシドーシス(HCO3−22mmol / l 以下)に陥っている例が多い。単純性代謝性アシドーシ 3 スは HCO3−の低下が唯一の原因で,酸血症(pH 低下)が生じている場合であり,血液 HCO3−著減,pH 低下, PCO2正常あるいは低下が特徴的である。 子牛に単純性代謝性アシドーシスが認められる主な原因は,消化管からの HCO3−の喪失であるが,成牛に 比べて子牛の腎機能が未形成であることに起因する腎からの HCO3−の再吸収機能低下もその発現誘因になっ ている。 HCO3−欠乏量の算出: HCO3−欠乏量(mEq)= (30− HCO3− 測定値)× 体重 kg × 0.6* 注1) *:ECF(細胞外液変換係数)子牛 0.6 注2) 7%重炭酸塩 Na: HCO3− 835mEq / l 7%重炭酸塩 Na 輸液量 = HCO3−欠乏量 × 1.2 注 3) 重炭酸塩 Na 1g = HCO3− 12 mEq 5)治 療 (1)輸 液 ① 欠乏量の求め方: 子牛下痢症の主な病態は,脱水,体液異常,酸血症であり,この病態改善の 目的で輸液を行うためには,欠乏量を算出しなければならない。 水分量:下痢症では,1日に約 150ml/kg の水分が喪失するといわれており,脱水程度の評価法から喪失量 を算出して維持量と予想喪失量を補う輸液量を供給しなければならない。 水分欠乏量(L)= 健康時体重(kg)× 0.6* × (1−健康時× / 現在×) 注)*:ECF(細胞外液変換係数)子牛 0.6 × :血清 Na,Ht,血清総タンパク量,血漿浸透圧 ② 経口補液: 眼球陥没が軽度である脱水5%以下の子牛に対しては,断乳して経口補液を行う。 断乳の目的は,損傷した腸粘膜の自己修復と吸収不全によって生じる浸透圧性下痢の軽減である。断乳しての 経口補液の投与期間は,3日以内に止めるべきであり,ミルクと経口補液剤を混合して給与してはいけない。 その理由は,経口補液剤に含まれている重炭酸塩が第四胃液の酸を中和して,レンネットによるミルクの凝固 を阻止し,蛋白消化能の低下と第四胃内のカルシウムイオンが希釈されて,第四胃内の凝固形成が阻止される ためである。抗生物質や生菌剤,健胃剤を併用する場合には,経口補液と異なる時間に給与する。3日間,経 口補液療法を行っても下痢が完治しない例に対しては,断乳を中止して便性を観察しながら,適宜母乳を哺乳 させるか代用乳を希釈して給与し,生菌剤を主剤とした内服療法と低栄養に陥らない高カロリー輸液を行う。 ③ 輸液療法: 輸液量: 脱水8%以上の子牛に対しては,輸液療法を行う。輸液量は,維持量+欠乏量の1/3∼1/2量 を投与する。脱水 8%では 50ml / kg (2.5 L / 50kg),10%では 80ml / kg (4.0 L / 50kg),10%以上では 80∼120ml / kg (4.0∼6.0 L / 50kg)が基準である。 4 輸液速度: 投与速度は,50ml 以下/kg/時間が適当であり,80ml/kg/時間が限度である。脱水 8%以上の症 例に対しては,血流量低下によるショックをできるだけ早期に改善する目的で,約1L / 50kg を急速に投与 し,その後点滴輸液するのが望ましい。 一般輸液剤: 輸液剤は,等張リンゲル糖液か低張リンゲル液を主体に選択する。ショック初期には,肺循 環系の悪化防止の目的で高張液も効果があるとの報告もある。子牛は腎臓における糖閾値が低く,高血糖によ る糖尿性利尿を誘発しやすいので,ブドウ糖濃度は1∼2%に維持すべきである。 アルカリ剤: アシデミアの更正の目的で投与するアルカリ剤には,重炭酸塩,グルコン酸塩,クエン酸塩 があるが,子牛では重炭酸塩が最適である。下痢子牛は,L 型乳酸の代謝能力が減少しており,下痢によるア シデミアをスムーズに補正するためには重炭酸塩の方が優れている。 急激な代謝性アシドーシスの補正によっ て,①代謝性アルカローシスの誘発(Overshoot alkalosis) ,②Na 負荷による体液量過剰・血漿浸透圧上昇, ③低カリウム血症(筋力低下,不整脈,イレウス) ,④イオン化カルシウムの減少,⑤細胞内酸性化による意 識レベルの増悪・呼吸抑制(骨髄液の Paradoxical acidosis)などの副作用が生じる危険性があることから, 1.4%等張重曹注による緩序(24 時間)な酸塩基平衡異常の補正が推奨されている。しかし生命の危険性が危 惧される血液 pH7.200 以下,血漿 HCO3−10mEq/l 以下の重度の代謝性アシドーシスに対する緊急的な治療とし ては,7%重曹注を静脈内に投与して血液 pH7.250,血漿 HCO3−16∼18mEq/l を目標に短時間に補正する必要が ある[ HCO3−欠乏量の算出= (30− HCO3− 測定値)× 体重 kg × 0.6 ]。7%重曹注を使用する際には, 急激な血液のアルカリ化(細胞外 H イオン低下)に伴う K イオンの細胞内への移行による低カリウム血症(< 3.5mEq / l)を継発する可能性が高く注意を要する。7%重曹注の単独投与に伴う低カリウム血症の防止対策 としては,KCl 10mEq/7%重曹注 L の K 製剤の併用を考慮する必要がある。 高張ブドウ糖液: 低血糖症の例に対しては,高カロリー輸液用カテーテル(16∼18G)を留置して,25% ブドウ糖液 500ml または高カロリー輸液剤(ブドウ糖 125g 含有)にアミノ酸製剤 200ml とビタミン B 剤を加 えて,ブドウ糖 0.4∼0.5/時間/体重 kg(ブドウ糖 20∼25g/時間/体重 50kg)以下の速度で点滴投与する。 脂肪乳剤: 血清総コレステロール量が 50mg/100ml 以下の低脂肪血症の症例に対しては,糖の2倍のエネ ルギーを有する 10%脂肪乳剤 (大豆油 10g/100ml, 卵黄レシチン 1.2/ 100ml, グリセリン 2.5g/100ml) を 200ml/ 体重 50kg/時間以下の速度で点滴投与する。 (2)経口添加剤 サルファ剤: コクシジウム症の治療として,サルファ剤を経口あるいは静脈内投与するが,スルファジメ トキンとスルファモノメトキンの2種のサルファ剤を3∼5日交互に投与した方が,治療効果が高い。また, サルファ剤は腎毒性が強いので, 使用指針に基づいた量以上を投与すると腎尿細管変性に起因する腎不全を継 発する危険性があるので注意を要する。 その他: Cp に有効な治療・駆虫薬はないが,複合整腸剤 10g と生菌製剤 10g に,牛個体の腸管内における 乳酸菌増加効果を有する樹皮熱処理抽出製剤 10g を加えて代用乳給与後に経口投与したところ, 高い便性改善 効果が得られた。また Cp オーシスト排出抑制はラサロシドナトリウムが有効である。 抗胃潰瘍剤: 血中ガストリン濃度が 300pg / 100ml 以上の増加している症例は,第四胃潰瘍を併発してい る可能性が高いので塩酸セトラキサート 1.6g/体重 50kg/日を経口投与する。塩酸セトラキサートには,胃粘 膜微小循環の改善,胃粘膜成分の増加,胃粘膜関門防御および胃液分泌抑制効果がある。 5