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糸井 郷 - 糸井地域自治協議会

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糸井 郷 - 糸井地域自治協議会
ふるさと但馬
い と い のさ
―
と
糸井郷
―
糸井地域は、朝来市の北東部に位置し、養父市・豊岡市及び福知山市と接する東西約 11k
m、南北約 4kmの谷間に細く開けた、中心部を県道と糸井川が貫流する約 37.4k ㎡の田
園地帯である。集落の大半は北側の山を背にしてその麓に形成されている。昭和 40 年代に
は、緑ヶ丘・秋葉台住宅団地が造成されている。
糸井の地名は、大陸からの渡来文化である養蚕が盛んなころ、蚕の糸を紡ぐのに適した
井戸水が豊富であったところから、糸の「糸」と井戸の「井」をとり「糸井」となったと
か、古代において糸井造が繁栄したことから名付けられたとも言われている。
この糸井は、但馬を拓いたとされる天日槍ゆかりの地でもある。近世においては、織田・
毛利の領国支配の間で大きく揺れ動き、江戸時代は生野代官所・出石藩・寺内京極氏によ
り統治された。
明治となり、久美浜県・生野県・豊岡県・兵庫県の管轄におかれた。昭和 30 年、大蔵
村と合併して南但町となり、翌 31 年、和田山町・竹田町と合併し和田山町となる。平成
17 年朝来郡 4 町の合併により朝来市域になる。
15 集落、世帯数:1,053 戸、人口:3,023 人。(平成 23 年 3 月末)
- 1 -
遺
林垣遺跡(林
跡
垣)
円山川右岸の上山古墳群や春日古墳の位置する丘陵から、糸井川に向けて形成され
た扇状地に立地する、弥生時代中期後半ごろの遺跡と考えられる。
宅地造成などに伴い遺物が単発的に採集され、遺跡として認識されたものである。
この遺跡からは、高杯とほぼ完形の環状石斧の 2 点が出土しているが、遺跡の詳細に
ついては今後の調査による。
遺物は、朝来市埋蔵文化財センターに保管されている。
寺内遺跡(寺
内)
糸井川が円山川に合流する地点から、上流約 1.5 ㎞の南に開けた緩やかな丘陵部に
位置する。昭和 24 ・ 25 年ごろ、糸井史研究会によって遺物が採集されたことにより
発見された遺跡である。遺構の詳細については不明である。
遺物は、縄文時代後期とされる土器片が数点知られているのみである。
- 2 -
室尾遺跡(室
尾)
室尾山に源を発する室尾川が山間部を流れ、糸井川に合流する地点付近の南に開け
た谷合部に位置する。昭和 54 年度に実施された寺内・室尾地区圃場整備事業に伴い遺
物が採集され、発見された遺跡である。弥生時代の遺跡であるとされているが、遺構
の詳細については不明である。
高生田遺跡
(高生田)
糸井川の右岸にあり、高生田城跡の東側山裾に位置している。昭和 29 年、旧糸井中
学校建築工事に伴い発見された遺跡である。遺物として、弥生時代中期とされる砲弾
形の石製品が出土している。
- 3 -
朝日金山跡(竹ノ内・朝
日)
床尾山系の鉱山(金山)は、戦国時代に発見されたと伝えられており、糸井鉱山と床
ノ尾鉱山の 2 鉱に代表される。
糸井鉱山小区には、円山川の支流・米地川の源流域に位置する掘場(ほっぱ)鉱山(朝
日金山ともいう)がある。床ノ尾鉱山小区には、同じく円山川の支流・糸井川の源流域
に衣谷鉱山・羅漢(らかん)鉱山・山ノ内鉱山・桐谷鉱山(馬上鉱山ともいう)・滝谷鉱
山などがある。また、東床尾山登山道沿いには衣谷鉱山精錬所跡が、西床尾山登山道
の羅漢谷には羅漢鉱山精錬所跡や抗道跡などが点在している。
き ぎんこう
せん あ え ん こ う
りゅうひてつこう
糸井鉱山は自然金・ 輝銀鉱・黄鉄鉱・閃亜鉛鉱・方鉛鉱・緑鉛鉱・ 硫砒鉄鉱・四面
銅鉱・砂鉱(砂金・磁鉄鉱・鏡鉄鉱)を産出し、床ノ尾鉱山は自然金・輝銀鉱・黄鉄鉱・
べっこう
閃亜鉛鉱(鼈甲亜鉛)・砂鉱(砂金、磁鉄鉱)を産出した。
これらの鉱山は、江戸時代(慶長~寛永年間)から金山として栄えていたが、昭和初
期で一応採掘は休止し、廃鉱状態となった。その後、第2次世界大戦前から国内鉱産
資源の開発振興によって採掘が再開された。
鉱脈略図
坑道跡
鉱山臼
精錬所跡(石積み)
- 4 -
人口・世帯数
○人口(人)
行 政 区
町村制以前
明治22年
昭和5年
昭和33年
昭和45年
平成元年
平成12年
平成23年
林
垣
486
679
543
498
417
354
寺
内
336
358
286
279
331
345
室
尾
不詳
56
47
43
31
29
高 生 田
288
329
274
310
302
296
市
場
202
210
173
160
138
138
和
田
319
301
258
210
207
171
竹
ノ 内
535
508
421
375
260
253
190
150
122
100
64
240
148
65
42
34
157
172
161
内
海
朝
日
緑
ヶ 丘
資料保存
資料保存
なく不詳
なく不詳
185
240
秋葉台1区
165
秋葉台2区
303
839
1012
秋葉台3区
262
秋葉台4区
253
万 葉 台
合 計
2591
2871
2300
3058
178
195
3190
3023
○世帯数(戸)
行 政 区
町村制以前
明治22年
昭和5年
昭和33年
昭和45年
平成元年
平成12年
平成23年
林
垣
124
128
137
134
126
125
125
129
寺
内
86
85
79
81
74
76
96
104
室
尾
不詳
9
9
10
9
9
9
10
高 生 田
66
58
59
62
62
74
85
94
市
場
45
48
46
41
40
39
35
37
和
田
68
68
67
61
56
55
57
60
竹
ノ 内
112
117
115
95
93
90
82
96
内
海
42
43
41
37
34
33
30
28
朝
日
50
49
53
47
43
28
20
18
緑
ヶ 丘
52
60
63
秋葉台1区
67
秋葉台2区
108
238
339
秋葉台3区
93
秋葉台4区
85
万 葉 台
合 計
593
603
606
568
- 5 -
537
819
53
61
991
1053
徳川時代は、生野代官所、出石藩、京極氏(寺内陣屋)の三者に分割統治されていた。
明治になって久美浜県(旧京極家領)生野県(旧代官所領及び旧仙石家領)に所属する。
明治6年豊岡県に所属、同9年に兵庫県の管轄となる。
糸井郷
林 垣
寛文3年(1663)一部が京極氏、明治2年(1869)久美浜県
寺 内
寛文3年(1663)京極氏、明治2年(1869)久美浜県
室 尾
生野代官所、元禄年間から幕末まで一部が出石藩(仙石家領)
高生田
寛文3年(1663)一部が京極氏、元禄年間から幕末まで一部が出石藩(仙石家領)
明治2年(1869)生野県、その後久美浜県
明治2年(1869)久美浜県
市 場
生野代官所、元禄年間から幕末まで一部が出石藩(仙石家領)
和 田
生野代官所、元禄年間から幕末まで一部が出石藩(仙石家領)
竹ノ内
生野代官所、明治2年(1869)生野県、その後久美浜県
明治2年(1869)生野県、その後久美浜県
明治2年(1869)生野県、その後久美浜県
内海
朝 日
明治12年(1879)に独立
生野代官所、明治2年(1869)生野県、その後久美浜県
兵庫県出石郡に属し明治15年養父郡に編入
糸井村(養父郡)
明治22年(1889) 町村制の施行により誕生
南但町(養父郡)
昭和30年(1955) 糸井村と大蔵村が合併し南但町が誕生
和田山町(朝来郡)
昭和31年(1956) 南但・和田山・竹田の3町が合併し、新生・和田山町が誕生
緑ヶ丘
昭和48年12月(1973) 勤労者住宅団地(40戸)の行政区が誕生
秋葉台1区
秋葉台2区
秋葉台3区
秋葉台4区
昭和57年3月(1982) 秋葉台住宅団地の4行政区が誕生
万葉台
平成7年10月(1995)開設(11戸)の行政区が誕生
朝来市
平成17年4月(2005)和田山・山東・朝来・生野の3町が合併し、朝来市が誕生
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