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第3章 ジェノアの小児救急
第3章 1 ジェノアの小児救急 大きな小児病院 ジェノアではガスリーニ小児病院を訪ねて、カルロ・ベルリーニ先生のレクチャーを受 けた。 この病院は由緒ある施設で、国立のガスリーニ小児医療研究所の一部である。1931 年イ タリアの大実業家ジェロラモ・ガスリーニが子どものための病院設立を希望して、政府に 建設資金の寄付を申し出てつくられた。寄付の申し出は、この人の子どもが幼くして病死 したことがきっかけだったという。 この申し出を受けたムッソリーニ首相は、建築家アンジェロ・クリッパに依頼して 1932 年から 38 年にかけて地中海の一部、リグリア海に面した丘の斜面に豪壮な建物をつくり上 げ、今から 20 年前の 1938 年に開院した。戦後 1949 年には、ガスリーニが全財産を投じ てガスリーニ財団を設立、病院および研究所の運営資金とした。運営にあたっているのは イタリア厚生省である。 その病院の美しい海を見下ろす部屋が、ベルリーニ先生の研究室であった。この先生は、 イタリアのヘリコプター救急について、わずかな間に拠点が急増し、48 ヵ所にまでなった ことをアメリカの「エア・メディカル・ジャーナル」誌に書いている。その論文を読んで、 われわれは先生を訪ねたのである。というよりも、これが今回イタリア調査行のきっかけ であった。 ベルリーニ先生の専門は小児医療もしくは小児救急である。したがってヘリコプター救 急のことは、本当はよく分らないのだがと云いながら、イタリアの課題について次のよう な話をしてくれた。 2 イタリアのさまざまな課題 イタリアのヘリコプター救急がかかえる課題は、近年急展開したことから、50 ヵ所に近 い各拠点に共通する基準がないことである。各地の組織、人員、使用機種(ヘリコプター)、 通信連絡、その他、めいめいが地域の実情に合わせて思い思いにシステムを組み立ててお り、標準的、統一的な基準ができていない。 たしかに航空法規、医療法規、行政上のガイドラインなどはあるけれども、全国 20 州に 同じように適用されているわけではなく、当面は全国的な統一基準をつくることが重要な 課題となっている。実は、2005 年2月3日「ヘリコプター救急医療サービスに関するガイ 13 ドライン」が作成されたが、そこには実務遂行上の手順も指針も決めてなかった。 たとえば心臓疾患の患者をヘリコプターで搬送する場合、飛行中に除細動が必要になる かもしれない。しかしイタリアでは一般に、飛行中のヘリコプターの中で除細動処置をし てはいけないと考えられている。これは間違った考え方で、除細動器の操作にあたって機 長に声をかけるなど正しい手順でおこなえば、除細動処置は可能なはずである。 あるいは感染症の患者搬送。この場合は病院間搬送であることが多いが、それでもヘリ コプターで搬送可能かどうか、あらかじめ判定しなければならない。特に伝染病の場合は、 2次的なリスクが大きくなるが、その判定基準もなければ密閉可能な搬送装置もない。 未熟児の場合も同様で、ヘリコプターで搬送するためのインキュベータも基準がなく、 各地の医師が手もとの装置を持ち込む例が多い。 さらに離島救急には、どのような準備が必要か。海上を飛ぶヘリコプターは万一の場合 にそなえて、緊急用フロートを装備しておくのはもとより、乗員はライフ・ベストを身に つけ、不時着水した場合の水中脱出の訓練も受けておくべきではないか。とりわけストレ ッチャーに固定された患者にとって、そのまま水没するなどは考えるだけでも恐ろしい事 態である。 3 標準化への試み イタリアでは救急ヘリコプターにホイストをつけ、医師を吊り降ろしたり、患者を吊り 上げたりすることが多い。山岳地や海上の遭難救助ばかりでなく、市街地の救急でも道路 がせまくて着陸できないようなときは、医師をホイストで降ろしている。そのための訓練 や経験をどの程度に定めるか。現状は各地ばらばらである。 無線通信の基準もできていない。 ヘリコプター、救急現場、病院、救 急本部などの間の迅速、的確な相互 連絡が現状ではきわめてむずかしい。 というのも周波数や無線機器が多種 多様で、複雑な規則があり、コスト もかかるからだ。 とはいえ、上のような医療や航空 の技術的な規則を具体的に定めるこ とは、州の行政担当者にできること ホイストによる吊上げ、吊り降ろしのもようを実演して見 せるトレビソ病院のドクターとホイスト・オペレーター。 14 ではない。航空局にもむずかしいで あろう。しかし、むずかしいからと いって厳しすぎる規則をつくって運航者に強制すれば、救急事業の発展や普及を阻害する 結果にもなりかねない。 したがって、ヘリコプター救急というような新しいシステムについて基準や規則をつく る場合は、政府や行政当局が一方的に決めるのではなく、運航者や医療者を含む関係者も 参加して相互に話し合いながら決めてゆく。そして一度決めたからといって、それで終わ るのではなく、話し合いを続けて、何か不具合が生じたときは規則の改定を考えるといっ たやり方が必要であろう。つまり関係者全員の協議の場を恒久的に設置することである。 そうした考え方にもとづき、イタリアでは 2007 年5月「HEMS 2007――標準化への試 み」と題するシンポジウムを2日間にわたって開催した。そこにはヘリコプター救急に関 係する国および州の行政当局、団体、医療機関、ヘリコプター運航者はもとより、外国か らも関係者を呼んで討議検討がおこなわれた。目下その結果にもとづいてヘリコプター救 急の運航と医療に関する基準や規定の原案が作成されているところである。 4 ヘリコプターで小児救急 ところで、ベルリーニ先生にはヘリコプターによる未熟 児の救急に関して苦い経験がある。2006 年1月 14 日午前 10 時頃、先生の勤務するリグリア州ジェノアのガスリー ニ小児病院に隣のトスカーナ州にあるポントレモーリの 病院から早産した赤ん坊の救急依頼電話がかかってきた。 ポントレモーリはジェノアから東へ 80kmほどの地点で ある。 しかし、ガスリーニ病院はベッドがいっぱいで、新しい 患者を受入れることができない。やむを得ず、ピサのサン タ・シエラ病院へ搬送することにした。ピサはポントレモ ーリからさらに東南へ海岸沿いに 100kmほどのところ リグリア州の新生児救急搬送シス テム STEN の 10 周年ロゴ。英語で は NETS (Neonatal Emergency Transport System)。1995 年の発 足以来 10 年間に 2,200 件以上の救 にある。 患者は 23~24 ヵ月で生まれた双子であった。通常 40 ヵ月の妊娠期間に対して、胎内に半分ちょっとしかいなか 急搬送をして途中の死亡は一度も ない。 った未熟児である。専門病院以外ではとても対処できない。ベルリーニ先生が電話を受け たときは、まだ1人目が生まれたばかりだった。ポントレモーリの医師は2人目が生まれ る前に、母親ごと高度医療の可能な病院へ搬送することを考えたのである。いわゆる母体 搬送だが、ヘリコプターの準備をしている間に、2人目も生まれてしまった。 ベルリーニ先生のいるジェノアでは、国際空港に拠点をもつ消防ヘリコプターが救急任 15 務にあたる。ガスリーニ病院までは、飛行時間にして6分。出動依頼から8分後に、イタ リアでライセンス生産したアグスタ・ベル AB412 が屋上ヘリポートに到着した。冬のこと で寒くはあったが天候は良く、機は 80km余りを 25 分で飛び、先方のポントレモーリ病院 上空に到着した。 ところが、ヘリポートがない。以前は病院のそばに草地があって、そこを使って未熟児 の搬送をしたことがある。ところが今では駐車場に変わってしまい、車がいっぱいで着陸 できない。「そのことを、消防もわれわれも知らされていなかった」と、先生はわずかに不 満の表情を見せた。 ヘリコプターはしばらく病院の周囲を旋回して、着陸場所をさがした。パイロットは最 終的に、やや離れた小川のふちを通る細い道に着陸する決心をした。道の周囲には立ち木 が多く、誰もが不安を感じたが、やむを得ない。ヘリコプターは数分後に無事着陸し、医 療チームは大急ぎで病院へ駆けこんだ。 5 未熟児にも生命の尊厳 生まれたばかりの双子は、体重が 480gと 520gであった。直ちに小さな気道に挿管し、 空気を送りこみながら、インキュベータに収容した。ここからピサまでは飛行時間にして 約 30 分。とすれば途中で肺コンプライアンスが低下して呼吸窮迫が起るかどうか分からず、 サーファクタント(肺胞表面活性物質)は使わぬことにした。その検討を含めて、赤ん坊 の状態が安定するまで 25 分ほど待ち、インキュベータをヘリコプターに乗せた。 ピサまでの飛行中は何の問題も起らなかった。脈拍も正常で、体温の低下もなかった。 ヘリコプターはできるだけ低く、高度 300m以下で飛び続け、27 分でピサのサンタ・シエ ラ病院に到着した。赤ん坊は2人とも安定した状態にあった。その小さな患者を先方へ引 渡すと、ヘリコプターは 50 分ほど飛んでジェノアへ戻った。しかし、それから 36 時間後、 双子の2人は集中治療の甲斐もなく死亡したという知らせを受けた。 体重 2,500g 未満の新生児については近年、急速に医療技術が進み、正常に生育できる可 能性が高まった。しかし出生体重 1,000g 未満の未熟児では、まだまだ問題が大きい。その うえ如何に早く適切な治療をほどこすかという課題が残る。ガスリーニ病院のように、そ のための施設や医療スタッフがそろったところでは、異常分娩にも直ちに対処できる。し かし、今回のようにヘリコプターを使っても本格治療までに1時間以上かかるような場合、 ましてや体重 500g前後の双子という悪条件が重なると、事態はきわめて深刻になる。世界 保健機関(WHO)も、体重 500g未満、妊娠 22 週未満の未熟児については、生存限界以 下とみなしている。 しかし、こんなとき母親や家族は気が動転し、周囲の医療関係者も大きなあせりを感じ 16 る。誰もが、何とかして助けたいと思う。けれども、しばしば異常分娩に立ち会っている 医師や看護師は、死亡の危険性がきわめて高いことをよく知っている。といって何もしな いで放置するのは無論のこと、いい加減な処置ですますことはできない。 だが、ついに赤ちゃんが死ねば、家族は医師に対して、異なった感情を持つようになる。 その間を取り持つのは、お互いの倫理感であろう。どこかで我慢せざるを得ない。それで も我慢できないときは、イタリアの場合、牧師さんなどの聖職者を含む仲介者を立てて話 し合う。それでも解決しなければ医療倫理委員会といった公的な機関にゆだねざるを得な い。 ベルリーニ先生はそこまで話を進めたうえで、そんな事態に立ち至る前に、実務的にも 感情的にも効果があるのは「やはりヘリコプターでしょうね」と話を戻した。未熟児の赤 ちゃんを、ヘリコプターによって適切な病院へ迅速に運ぶことができれば、家族の眼から 見ても、これは最高の緊急手段を取ったものと納得することができる。もとより、形だけ ではなく、実際に助かるかもしれないのだ。 「それにしても」と先生は続けた。 「1世紀(100 年)も生きる人がある一方で、1日で死 ぬ赤ちゃんもいる。人の誕生、人の一生、人の死亡は、この世の神秘ですね。誰ひとり同 じではありません。それでいて世の中の調和が取れている。そうした生命の本質や生命の 神秘は、如何に未熟児といえども生命の尊厳、すなわち生きる権利を絶対的に肯定してい るものと思います」 17