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ヨハネ21章15-25節

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ヨハネ21章15-25節
主日集会 2015.11.8
ぼく
れた。「わたしの羊を牧しなさい。」(16節)
ペテロの回復と殉教の予告
ヨハネ福音書21:15-25
かれ
しよく じ
す
い
こ
21:15 彼らがひと
食 事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。
「ヨハネの子シモン。あな
い じよう
あい
い
しゆ
わたし
たは、この人たち以
上
に、わたしを愛しますか。
」ペテロはイエスに言った。
「はい。主よ。
私が
あい
ぞん
かれ
い
こ ひつじ
か
あなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。
「わたしの小 羊 を飼いなさ
い。」
ふたた
かれ
い
こ
あい
21:16 イエスは
再
び彼に言われた。
「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。
」ペテロは
い
しゆ
わたし
あい
ぞん
かれ
い
イエスに言った。
「はい。主よ。私
があなたを愛することは、
あなたがご存じです。
」イエスは彼に言
ひつじ
ぼく
われた。
「わたしの
羊 を牧しなさい。
」
さん ど
い
こ
あい
21:17 イエスは三度ペテロに言われた。
「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。
」ペテ
さん ど
あい
い
こころ
いた
い
ロは、
イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」
と言われたので、心
を痛めてイエスに言った。
しゆ
ぞん
わたし
あい
し
「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、
私
があなたを愛することを知っておい
かれ
い
ひつじ
か
でになります。」イエスは彼に言われた。
「わたしの 羊 を飼いなさい。
つ
わか
とき
じ ぶん
おび
し
じ ぶん
21:18
まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分
ある
ところ
ある
とし
じ ぶん
て
の
ひと
おび
の歩きたい 所 を歩きました。
しかし年をとると、
あなたは自分の手を伸ばし、
ほかの人があなたに帯
い
ところ
つ
い
をさせて、あなたの行きたくない 所しに連れて行きます。
」
かた
かみ
えい こう
あらわ
しめ
い
21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を
現
すかを示して、言われたことであ
はな
い
したが
った。こうお話しになってから、ペテロに言われた。
「わたしに
従 いなさい。
」
ふ
む
あい
で し
く
み
で し
21:20
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの
ばん さん
みぎ がわ
しゆ
うら ぎ
もの
い
もの
晩餐のとき、イエスの右側にいて、
「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
かれ
み
い
しゆ
ひと
21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。
「主よ。この人はどうですか。
」
い
く
かれ
い
のぞ
21:22 イエスはペテロに言われた。
「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとして
なん
したが
も、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに
従
いなさい。」
で し
し
はなし
きようだい
あいだ
い
わた
21:23 そこで、その弟子は死なないという
話 が 兄 弟たちの 間 に行き渡った。しかし、イエスはペ
で し
し
い
く
かれ
い
テロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、
「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわ
のぞ
なん
い
たしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである。
もの
か
もの
で し
21:24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そ
わたし
かれ
しんじつ
し
して、 私 たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
おこな
か
21:25
イエスが
行
われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、
せ かい
か
しよもつ
い
わたし
おも
世界も、書かれた書物を入れることができまい、と 私 は思う。
【祈りながら考えよう】
(1)ペテロは失敗の経験から何を学びましたか。
(2)主イエスを愛し慕うペテロに、その愛の証拠として、何をするように命じましたか。
(3)ペテロの殉教はどうして神の栄光を現すことになるのですか。
【解
説】
(1)彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。
「ヨハネの子シモン。あなたは、
この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを
愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」(15節)
主はまず弟子たちのからだの必要を満たされた。からだが温まり、食事が済むと、主はペテロのほうを向いて、
霊的事柄の対処をされた。ペテロは主を3度も公然と否んだ身であったが、その後、彼は悔い改め、主との交わりに
回復された。
この節以降で、「愛する」には2種類の語が使われている。15節は次のように直訳できる。「ヨナの子シモン。あ
なたは、この人たち以上に、わたしを愛する(ギアガパオー)か」。ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私が
あなたを慕っている(ギフィレオー)ことはご存じの通りです」
。ペテロは、たとえ他の弟子のすべてが主を見捨て
ても、自分がそうすることなど決してあり得ない、と語ることはできなかった。ペテロは経験から学んだのである。
「わたしの小羊を飼いなさい」とイエスは言われた。イエスに対する愛を本当の意味で実際に示そうと思うなら、
主イエスの群れの年少の羊を養うことである。
2度目に主は、あなたはわたしを愛するか、とペテロに尋ねられた。ペテロは、自分が心底当てにならない人間で
あるという思いで、
「私があなたを慕っていることは、あなたがご存じの通りです」と答えた。今度は、主は「わた
ぼく
しの羊を牧しなさい」と言われた。主イエスの群れには小羊もいれば大人の羊もいる。そしてそれぞれが、大牧者
なるイエスを愛する人の愛の配慮を必要としている。
(3)イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、
イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。
「主よ。
あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになり
ます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい(17節)
ペテロが3度主を否んだのとそっくり呼応するかのように、主を告白する機会が3度ペテロに与えられた。今度は、
イエスが神であられること、そして、それゆえにイエスはすべてをご存じである、という事実にペテロは訴えた。
ペテロは3度目にこう言っている。
「私があなたを慕っていることはあなたがご存じです」。そして最後に、ペテロが
告げられたのは、主イエスの羊を養うことによって、それを示すことができる、ということであった。この個所の
教訓は、主イエスに対する愛以外に主に仕える動機としてふさわしいものはない、ということである。
(4)まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の
歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯
をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。
こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」(18-19節)
ペテロは、もっと「若かった時には」どのように動こうとも自由だった。自分の行きたい所に行けたのである。
しかし、ここで主は、ペテロは生涯の終わりに逮捕され、縛られ、連れ去られて処刑されると告げられた。
19節は18節の説明となっている。ペテロは殉教者として死ぬことによって神に栄光を帰す、というのである。
いな
かつて主を否んだ者に、主のために自分のいのちを捨てる勇気が与えられる、と言うのである。この節を読む時、
生きることだけでなく、死ぬことによっても、私たちは神に栄光を帰すことができることを知らされる。それから、
イエスは「わたしに従いなさい」と叫ばれた。そう口にして、主はその場を去って行こうとされたに違いない。
(5)ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐
のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。ペテロ
は彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」(20-21節)
ペテロが主のあとについて行こうとしたその時、振り返ると、ヨハネも「ついて来る」のが目に入ったようであ
る。ここでヨハネは自分を「過越の晩餐の時、イエスに裏切る者の名前を尋ねた者である」と紹介している。
ペテロはヨハネを見た時に、おそらく次のような考えがよぎったのだろう。「ヨハネはどうなんだろう。ヨハネも
殉教者として死ぬのだろうか。それとも、主が再び来られる時まで、ヨハネは生きているのだろうか」。ペテロはヨ
ハネの将来について主に尋ねた。
(6)イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、
それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(22節)
主のお答えは、ヨハネの晩年についてペテロは心配しなくてよい、というものであった。キリストの再臨の時ま
なが
で、仮にヨハネが長らえたとしても、それがペテロに影響を与えることはない、というのである。キリスト者の奉
仕において弟子が失敗するのは、主ご自身よりもお互いのことで頭がいっぱいになるためである場合が多い。
(7)そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、
その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望む
としても、それがあなたに何のかかわりがありますか」と言われたのである(23節)
主のことばは誤って伝えられてしまった。主は、ご自分が再臨される時までヨハネが生きている、と言われたの
ではなかった。たとえそうであったとしても、それがペテロと何の関係があろうか、と言われただけなのである。
(8)これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、
私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世
界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う(24-25節)
(2)イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエ
スに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言わ
ヨハネは、自分が書いたことが正確であることを自ら証言で補足している。「私は、真理以外の何ものをも語って
いないことと、私の証しが絶対的に信頼できるものであることを知っている」と。
イエスが行われたことを無限に書き記した書物を、世界と言えども入れることができない。記録されて私たちが
持っているものは、イエスが行ったことのほんの見本にすぎない。
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ガリラヤ湖畔における復活のイエスと弟子たちの朝食(想像図)
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