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現代シ アにおけるイス ム伝統についての研究

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現代シ アにおけるイス ム伝統についての研究
現代シ アにおけるイス
ム伝統についての研究
――アフマド クフタ ロ を事例として――
高尾 賢一郎
現代シ アにおけ イ ラーム伝統につい の研究
――アフマド クフターローを事例とし
目次
問題設定
1
現代シ アにおけ ウラマー
3
現代シ アとアフマド クフターロー
9
本論文の構成
17
人名録に見 ウラマー像
25
ウラマーと伝統イ ラーム諸学
26
シ アにおけ タ ーカと クシュ ンデ ー教団
34
シ アにおけ
41
ー デ ー系支教団の伝統
アフマド クフターローと
ー デ ー系 クシュ
マ カ におけ クフターロー家
ンデ ー支教団
51
52
アフマド クフターローの系譜
60
宗教的側面と政治的側面の交差
69
ーフ
ムをとおした 正統イ ラーム の構築
クフターローの ーフ
ム理解につい 述
ーフ ー シャイフとし の伝統的 ーフ
教育者とし の ーフ
資料
86
ム理解
90
ム理解
正統イ ラーム の宣布者とし の ーフ
85
99
ム理解
105
5 結論
127
参考資料
135
和文資料
135
i
欧文資料
136
アラビア語資料
144
インタビュー
147
別表
149
ウラマー人名録 取 あ ら
クシュ ンデ ー教団 ン ー一覧
149
ウラマー人名録 取 あ ら
ーフ ー一覧
156
現代シ アにおけ 主 タ ーカ
171
アフマド クフターロー関連年表
177
5 アフマド クフターローの外遊歴
179
ii
凡例
アラビア文字の転写
岩波
ラ ム辞典
大塚和夫 小杉泰 小松久男 東長靖 羽田正 山内昌之編,岩波書店,2002 年
方式に従う。
クルアーンの引用
タフ
ル
ル= ャラ ラ ン
中田香織訳,中田考監訳,日本サウデ
ャラ ラ ン クル
ラ
ン注釈
1-3 巻
ャラ ラ ン著,
協会,2002 年,2004 年,2006 年 に依 。
年代
基本的に西暦を用い 。原典資料 参照及び引用に限 ,必要に応 て
引用中の
と
ュラ暦を用い 。
の使い分け
原典資料 翻訳に際 て ,
と
を以下 とお 使い分け 。
(1)
,原文 理解 ために本論文 筆者によ
(2)
,原語,そ 転写,訳語,
明を補う場合。
方を示 場合。 た引用文中にクル
箇所を示 場合。
iii
ン 引用があ 際,そ
iv
問題設定
戦争
国
周辺諸国
最高
思惑
,
場合
指
乱
長い
束
示
い
いえ,現代
う
霊的指
者
者
言え
高さ
う
葬
あ
い
彼
冒頭
ン
党独裁体制
2014 年 3
敷
時
いえ,彼
,
A mad
活動
,現代
示
例
,彼
社会
葬儀
報
1
霊柩車
,さ
, 辺送
僚
あ
多
教育活
2
加わ
大統領
社会
。
知
彼
。
代
公人
行わ
。
後,
あ
府要人
訪
,厳
警備
印象
強
。
様子
,密葬
教的背
故地
社会的立場
原風
, う
示
一
示
公葬
う
教者
敷
晩年
対照的
あ
公葬
一転,
確立
現代
,彼
私人
い
3
。
側面
持
,世俗主義
社会主義復興党,Ḥizb al-Ba‘th al-‘Arabī al-Ishtirākī
党
い
いう
市街
担当
治
側面,あ
敷
持
際,
病院
公葬
行わ
執
世俗主義
。
,
葬
。
影響力
現代
え
要
以降
。
題
い
人物
端的
,
立場
後特段
え
人物
教教育
移動
務
報復
薬
就
,欧米諸国
2005-
あ
,
行
辞
,毒
。
新市街
,
務
攻撃
,
10 日,
う。
1964-2004
あ
自
言
最高
逝去
,
彼
最高
1日
人々
教職
教的指
前任
象徴
2011 年 10
最高
,20 世紀半
言え
ン
Kuftārū, 1915-2004,
2004 年 9
,
社会
い。
あ
立
出来事
1
者
い
うえ
治舞
職
人民
向
歴史
い
A mad Badr al-Dīn Ḥasūn, 1949-,
ン
,国内最高
い。
激
法裁定
攻撃
権
込
国家
ン
動
巻
現代
,彼
公的
教的指
側面
い
4
者
個人的歴史
私的
,さ
側面
1
国
注目
戦争
集
考え
事実
舞
一
い
機会
決
現
多
,現代
,あ
い
現代
世界
い。
公葬
限
葬儀
,
捉え
,
,豊
さ
求
的
視
葬
持
,彼
言え
場
い
委任統治,第
党
,
権
,
独立及び
経験
彼
う
び
い。
あ
教的指
者
思想
慎
活動
多角
。
後
確立
浮
教的立場
第一次世界大戦,
次世界大戦
置
社会的立場
側面
ういう
捉え
現代
治
,複雑
,20 世紀
像
,彼
教教育者
世俗主義国家
論文
者
一
一方,公共
析さ
的指
関
いう枠組
示さ
日
誕生
例
現代
教史
和国
教権威
ン朝
ン
治的混乱,
現代
思想
独立,
い
共
,
立場
う
人々
教
求
問
う。
思想
論文
立場,
論文
組
現代
教関係
示
策
あ
映
い。
世界
教情勢
問う
,共通
緊張
,
社会状況
あ
伝統
少
う。
映
形
あ
いう表現
対峙
教的特徴
う
さ
現代
う。あ
い
党
,
あ
論文
,
表現
承さ
思想
記2
言え
側面
あ
承さ
2
現代
い
う
基
合
多様
姿
現
方
あ
。
あ
源流
い。 伝統
慣習
あ
求
教界
。
いう言葉
。
,変
鑑
時代
側面
,20 世紀初頭
何
,
いう視
。
,歴史背
後述
伝統
,
あ
特徴
伝統
い
,
,歴史背
,現代
,人間社会
事実
時代,地域
基
方
者
論文
持
。
党
叙述
いう時代 地域
教関係
,
通常指
多
,現代
論文
変
,
要素
,
析
う。
教
時代
方
言い表
教的指
研究
20 世紀
論文
え
さ
公式
史
う
,
余儀
,彼
,
叙述
一党独体制
述
課題
治
対象
再編さ
,いわ
,近代以前
わ
い。
意味
,
現代
伝統
伝統
一方,
述
う
い。
承
,第
次世界大戦後
論文
求
変
見
伝統
,
異
的要素
及
統
実態
伝統
出
, 論文
組
方法
人々,
わ
明
内容
,
論文
い
述
,
,
理由
明
ン
章
う
関係
,
目的
あ
。
現代
先行研究
第1節
,
さ
過程
教知
最後
,
派
, 論文
事例
。
,何
あ
。
形
経
見
言
伝
‘ulamā’
第2節
あ
い
,現代
わ
,
明確
語
。
あ
当
。以
誕生
。
問う
焦
権
,現代
多数派
者
者
あ
構築さ
い
教的指
指
党
う。
基
,近代以前
新
,現代
派
写
独立,
様態
,国民国家
あ
ン
伝統
伝統
地
い。
,
近代以前
現代
一部
方
,
言え
担い手
学者
着目
論文
構
,
第3節
,
。
現代シ アにおけ ウラマー
節
,
体的
課題
研究
全体像
現代
い
述
。
現代
示
歴史的シ ア
始
い
文明
中間
ソ
Jumhūriyyah al-‘Arabiyyah al-Sūriyyah
一部
,
大
,
長
置
周辺一帯
含
う
ン,
ン,
,
, 肥沃
考察
内容
明確
あ
,
ら国民国家シ ア
文明
ン
指
伝統
地帯
教,
共和国 1961-,
,
ン
,長い人類史
うえ
一帯
語
日
現
一部
人類最
教,
。
日
あ
い
bilād al-Shām
農耕文明社会, 代
いう 3
3
立
歴史的
地方
al-Shām
,
系一神教
教
共
舞
教
帯
十
路
い
様々
歴史的
現
い
ン朝
支配
国境画定
独立
5
持
。
国民国家
変わ
第一次世界大戦
ン
委任統治
あ
伴う崩壊,
。
形
変
。現
共和国
歴史
経
地
ン
後,1946 年
,世俗主義者
国家
,
ン
,1958 年
, 連合
連合
解消さ
1961 年
始
。
う
歴史的背
史的
あ
延長線
。研究
会主義
,
論文
,現代
展望
検討
留
彼
含
事例
,
創設者
al-Muslimīn
弟子
7
胞団
。
以
関係
親
党
立場
党
あ
い
,
人物
党
あ
10
課
,
払わ
個人あ
琴線
触
い
特殊
立
あ
立場
焦
当
,
人々
胞団
者
立場
あ
ワ
あ
人物
,
8
論題
次的
研究
研究
,
Ramaḍān al-Bū ī, 1929-2013
氏
形
,現代
関心
いう両極
。
Ikhwān
Mu afā al-Sibā‘ī, 1915-1964
理論的指
ン
6
,言及さ
,現代
い
研究
従属
捉え
い
時
い。
注意
就任
あ
4人
あ
日
担い手
関心
あ
親
最高
権
。実際
党あ
体的
当
党
限
,
。
党
,現代
否定
多少
関心
,
献
。謙虚
い
日 2014 年 3
主
党
指摘
いい状況
場合
敷
治学
治学
歴
民族主義,世俗主義,社
背
,
,必
言
多
。
一部
,一次的
場
あ
関心
関心
教勢力
指
一党独裁体制
中心的課題
問題
。
究
事実
い
い
,1963 年
研究
,
言え
再独立
共和国
策
,彼
権
断絶
場合,
1961 年
,
党
対象
,
言
党
党
現代
あ
わ
掲
い
あ
,研究
現代
国民国家
題
う
用い
ほ
。
4
関心
寄
Sa‘īd Ḥawwā, 1935-1989
党
権誕生翌年
璧
当
言え
人気
9
。現代
1964 年
,概
教師
研
以
逆
言え
い
,際立
皆無
等
治的立場
示さ
い。例え
い人物
大学
翻訳さ
碩学
会
,
1 人
あ
限
11
語圏
。
,
彼
,
限
広
,彼
現代
直接
研究
法学部
Wa bah Mu afā al-Zuhaylī, 1932英語
い
,現代
代表顧問
著作
外
世界
扱う専門的
研究
枠内
研究
現時
研究
務
ワ
販売,あ
知
い
現代
あ
機
欧米諸国
日
い 12 。
現代シ アにおけ イ ラーム伝統の 創設
う
,現代
あ
研究
,
体的
一定
う
明
い
,
偏
教的側面
党
見
問題
関心
否定
。
付
い。
,
偏
,
論文
課題
検討
い。
第1
問題
,研究
関心
起
以
焦
当
論
研究
進
扱わ
,各
あ
。
2
党
権確立以降
関係
経歴
系譜
さ
,
浮
党
問題
捨
。
,現代
え
治的立
出
び
党
置
研究
教関係
前述
策,動向
中心
一面的
評価
研究
い
絞
記述
4人
時代的
限
党
1963 年以降
,
総合
び
。
権誕生
,
個々人
思想
浮
あ
い
関
関係
い
。
,彼
,現代
,
,
論考
増
教的
伝統
出
試
。
対
目指
Pierret
論文
わ
,
。
設定
,冒頭述
,現代
,
伝統
あ
党
終
あ
伝統
現代
参考
近刊[Pierret 2011]
,彼
世紀
研究
問題
彼
,個々人
背
い
全体像
いう問題
一方
限
第2
,
伝統
え
範
。
定着
党
時代
,始
,現代
。
関係
歴史的
全体
系譜
研究者
,現代
整理
出
5
出
置
T
Thomas
多
,
活動
党設立以前
試
目
唯一
遡
言え
, 20
研究
あ
。
前
見
法
界
,20 世紀
世俗教育
中心
中
流
46-48]。
教界
層
当
わ
時代
,新
新
1970 年代
い
勢力
教
層
層
誕生
言え
各
蜂起
主張
1979 年
59 年間
考え
教界
ン
教育
場
現
転換期
い。
再編さ
59 年間
開拓者
通時的
創設
出身
党
対
一定
あ
共時的
あ
創設者
始祖
現代
参考
前後,20 世紀初頭
方法
,18 世紀
紀
,
指
家系
置
。
従来
教育
,
場
変
属
払
形
い
人
21 世紀初頭
い
,
創設者
。
い
様子
う
え
。
,
指摘
始
い
あ
,第一次世界大戦
様子
考察
。
録
析
組
対象
,
,
さ
展開
,
指摘さ
ン
系譜
さ
論文
研究
否定さ
伝統
士
ashar al-hijriyy
言い表
, 創設者
現代
,
1
対
乱
期間
意味
あ
意識
伝統
論文
権
び,
あ
始
視
,
委任統治時代
いう意味
代表的人物
創設
自体
中心
人々
,彼
,
[Pierret 2011:
ン
Mu ammad Badr al-Dīn al-Ḥasanī, 1850-1935
師事
,代わ
[Pierret 2011: 44] 13 。
あ
一義的
意味,
頭
cheikhs fondateurs
言う 創設
1920 年
去
時期,
。
l’ère des fondateurs
時代
創設者
い
教界
。
[Weismann 2005d: 109-110]。
胞団
創設者
迎え
出身者
,第一次世界大戦後
わ
転機
士
あ
,
,第一次世界大戦
あ
誕生
指摘さ
特徴
,
,従来支配的
要
手工業者,地方商人,移民
い
1920-1979
誕生
。
時期
研究
研究
設
世俗教育機関設立
教
近現代
時代
入
状況
,
。人
録
暦 13 世
‘Ulamā’ Dimashq wa-a‘yān-hā fī al-qarn al-thārith
全 2 巻 [Abāẓah & al-Ḥāfiẓ 1991b; 1991c],
暦 14 世紀
歴史 Ta’rīkh ‘ulamā’ Dimashq fī al-qarn al-rābi‘ ashar al-hijriyy
全 3 巻 [Abāẓah & al-Ḥāfiẓ 1986a; 1986b; 1991a],
暦 15 世紀
士 ‘Ulamā’ Dimashq wa-a‘yān-hā fī al-qarn al-khāmis ashar al-hijriyy
6
全
1 巻 [Abāẓah 2007]
縁
あ
, 記
人
代
録
あ
。
一
編者
列挙
。
一部参考
宣教者
編纂さ
,題
人
録
,没年順
,
現
al-Du‘āh wa-d-da‘wah al-islāmiyyah al-mu‘āṣirah
宣教
全 2 巻 [al-Ḥim ī 1991a; 1991b]
al-munṭalaqah min masājid Dimashq
録
3種6冊
,20 世紀
舞
宣教活動
あ
組
。
人
人物
列挙
。
細
第 2 章第 1 節
含
述
,
中心
益
用い
資料
試
あ
献
3種6冊
人
,近現代
。加え
言え
,現代
方法論的
前者
果
伝統
,従来歴史学者
世界
対象
期待
録
, 創設者
浮
活用さ
研究
び
人
珍
時代
録
い
いう史料
,
研究
う。
創設者シャイフたち とアフマド クフターロー
,
探
問題意識
い
さ
わ
い
い人物
関心
口
, 創設者
必
挙
研究
様
時
指
者
,親
党
,
あ
伝統
前述
集約
父,
寄
いう
治的立場
教団
,彼
ン
者
いう事実
冒頭
ン
,
あ
ン
語版
Mu ammad
指摘
箇所
内容
い
一部改
さ
指
支教団
設立者
あ
ほ
いう
[Pierret 2011: 67]。
ほ
原著
要
2
支教団
う1
関係者
関心
持
い
英語版[Pierret 2013(2011)]
ン
,
中心
ン
ン
間
,
師事
。
人物像
後
Amīn Kuftārū, 1875/7?-1938
ン
現代
唯一
,
教団
用い
創設者
。
団体
録
系譜
い。
,従来
,
,人
加筆
教団
,後
あ
い
。1
系
現代
いう
あ
[ Pierret
2013(2011): 46] 14 。
ン
教団
,14 世紀
中央
7
興
,
,
,西
広
教団
中心
あ
後,
日
う
,
。
誕生,
大
含
系支教団
支部教団――後述
う
,
,
教団
教団
当
い
。
あ
中心
――
。
治
社会史
外来
支教団
創設者
系譜
着目
問題意識
系
連
,
討
彼
要
,い
鎖的,あ
い
系譜
排
い人
,2
う
,必
,いわ
論文
系
系譜
え,
検討
。
。
治
及
師匠
教育
状
教
関係
理解
系譜
,
い。少
う
人々
い
検
教団
い
,後述
完全
明確
終わ
う
閉
う
事例
い 15 。
考え
確認
系
いう作業
思想,活動
,総花的
,情報
能性
出
能性
,
。
中心
人物間
系譜
支教団
8
あ
示唆
,
録
多
背
人物列挙
伝統
,人
持
師事
思想,活動
支教団
場
,
彼
あ
ン
え
,彼
影響
現代
ン
う
う
系譜
始
,
様子
系譜
鑑
系譜
用い
含
支教団
わ
師事
創設者
録
あ
系
,
,門弟
あ
え,個々
系譜
う。
関
的
父
唯一
一歩
興
,
現代
社会
。
,
[Pierret 2011: 44-45]。
ン
現代
,
先行
い
い
得
研究対
。加え
示
教界,
,
人物――
意義
現代
,
示
能性
着目
機会
知
新
伝統
う
地域
1
一端
時代
現代
理解
,
述
携わ
社会史
要素
創設者
ン
。第 2 章
治
移
,いわ
系
あ
,
系支教団
端
異
況
教史
,
誕生自体
譜
――
活躍
治 社会活動
ン朝
系支教団
世界規模
,18-19 世紀
歴史
地域
持
,当時
由来
ン
象
各地域
確認
注目
加
系
譜
置
,
う
系譜
え
う
い
出
。
う
時代,社会背
あ
置
先立
,
いう,
研究
,
見
研究
。次節
明
い。
考察
事例
現代シ アとアフマド クフターロー
節
,現代
ン
伝統
支教団,
方法
あ
視
捉え
い
い
系
扱う
述
。
,
明
あ
,
う
背
いう人物
う
い。
アフマド クフターローに関す 先行研究
関
あ
専門
現代中東史
,
多
嚆矢
言
いい
。
ン
F
扱う先行研究
専門
論考[De Jong 1985]
J-P
A
影響力
持
史
指
,近現代
ワ
ン
,近現代
,
者――
事例
含
,
治学
専門
う
教団
,
例外的
知
ン
研究
史
後,
――現代
史,
Itzchak Weismann
現代
論考[Luizard 1996,Böttcher 1998]
希
得
史
Jean-Pirre Luizard
Annabelle Böttcher
現代
あ
現代
い
社会的
。2000 年代
研究
果[Weismann 2007a; 2007b
専門
]
I
目立
う
。
代
研究
,現代
焦
当
治
専門
際
背
党
置
解
1999; 2009]
一要素
,
蜜
現代
,
史
築い
専門
主
扱う傾向
E
教団
関係
研究
あ
Flynt Leverett
権
。
現代
,最高
F
2005; Zisser 2005]
基軸
史研究
指
巡
状況
い
ン
教団
9
理由
強い。
着目
え
中東
現
治学
研究[Leverett
,
御用学者
Leif Stenberg
参
,
,彼
Eyal Zisser
,あ
L
問わ
観察
捉え
研究[Stenberg
報告
貴
あ
,
い
う
教団
。
近現代中東史
研究
得
,
維持,
わ
以
J
社会的地
自体
,現代
問題
あ
,
い
様々
い
研究
治動向
問題
,2011 年 1
生
さ
目立
解
示唆
以
う
及
弟子
著
特
視
。彼
。
様々
研究
扱
格
確認
。
あ
いう枠
外
次的
述
あ
動向
注目
,
広い視
関心
含
。
研究
期待さ
勢力
総合的
解
,彼
妙
う
,彼
い
述
い
広
,あ
多
,
現代
う
展望
個
う
あ
前出
現代
性格
,
,近親者
研究
,
見
。
語
現代
党
弟子
党
関係
著
あ
検討
論文
,
近親者
16
,以
。
う
析
弟子
う
権
,各章冒頭
,
世界
偉人
捉え,
偏
視
問題
資料
,
執筆意
文脈
矮
批
方
資料
,
人物像
,
あ
歴史
,
研究
い,現代
述
論文
人
研究
乱
い例
処世術
い
,
,
い
。
抱え
問題
治
い
。先行研究
,
料
,現代
関係
捉え,
限
績
一要素
関
,近親者
関心事
研究[Khatib 2011],
,
御用学者
述
あ
あ
考察
L
党
[Pierret 2011]
,彼
教勢力
い。数少
能性
視
国内
教団
最大
人
例
う
以来
,
動
貴
治
わ
保
,
獲得
特
関
関係
Jordi Tejel
,
う
研究状況
好的
大
専門
[Tejel 2008]
,
党
う。
扱う
い
抱
一定
,資
人物像
評価
え
。
アフマド クフターローの ーフ ーの側面
17
,
党
権
10
誕生
翌 1964 年
,
共
和国
い
最高
年
職
務
執
行う,いわ
訪
際
教権威
国家
総主教
18
う
現代
うぶ
,1971 年
密接
1971-2000
7 年前
者
関係
う
,
う
。
教団
際
,
い
場合
析
う
背
法学者
教活動家
人物
適
以
就任以前
職歴
教育歴
教界
情勢
含
相応
い
あ
方
浮
社会背
び
考察
ン
shaykh
教団,
わ
教的背
言及
彼
着目
師弟関係
系譜あ
側面
系譜
持
い
,
ワ
。
関
,
ン
就任
。
わ
方
ワ
彼
[Stenberg 1999]
経歴
始
,
い。前述
権威
。さ
,
教育背
,一般的
思わ
あ
あ
,
教団
強
求
者,
言え
いう
権誕
,先行研究
持
あ
御用学者
教的指
silsilah,道統
以来,1930 年代
的
論文
指
彼
い
う。
。
教的背
傾向
関係
,最高
多い 19 。
い面
,
伝統
あ
組織
え
,
教団
いう実体的
いう
鑑
ほ
現代
関わ
担う
多い。
教関係
中心
敷
。
い
出自
,
要人
立場
明さ
い
基
教界
祭
Ḥāfiẓ al-Asad, 1930-2000,
,現代
問題意識
外
代表
。
指摘
うぶ
2004
暦
御用学者
就任
,彼
逝去
一党独裁体制
さ
最高
見
。
事実
捉え
背
払わ
析
,
代表
就任
,
御用学者
担う
就任
最高
権威
言え
大統領
暦
国家
明
さ
伴う
党
現代
,
関心
。
御用学者
方,
生
役割
,以
,
任
巡礼
務
い
置
最高
,断食
接伴
現代
あ
持
,
11
う
,彼
最高
,
,
外諸国
教間対
福祉活動
行う地域
篤志家
行う国際
持
い
。実際
映
題
20
あ
,彼
記述
。
少
教集
伝記
,一般的
,
学者
着目
意義
経歴
い
いう地
言及
,ほ
終始
計
あ
。後述
彼
。
,
場合,
。言い換え
思想的
表立
認
立場
教団
,
関わ
合う。
い
,彼
治性
1
い
党
あ
。加え
権
関係
い
考察
彼
い
求
環境
,40 年
う
解明さ
思想
教団
限
承さ
い
ーフ
考
地
立場
推
追及
あ
い
,
史
治的,社会的文脈
い
思想
多様
。
イ ラーム史におけ
弱
いう,
いう,いわ
い
い
少
。
,特定
表明さ
言及
最高権威
表明
強
治的立場
思想
伝統
関わ
い
一端
あ
公式
教勢力
いう
わ
,
現代
党
,あ
いう,長い
所
思想
関
現代
自然
含
場合,
資料
い。
方
いう意
教団
思想的関わ
考え
い
,
考え
教団
避
親
,彼
側面
ン
,
思想
要素
,彼
言及
鮮明
辻褄
う
,あえ
例
え
い
,
,
1
思想家
確認
問題
あ
い 21 。
教育方針
い
大多数
あ
対
断
見
探
色濃
。
,
出
背
理由
扱い
歴代
見当
活動
いい
求
いう組織
例
言
あ
注目
始
彼
い
影響
言
う
側面
個人,あ
,
系譜,
側面
先行研究
紐解
ム
12
あ
方
問題
問題,あ
踏
込
側面
義
持
,
。現代
え
補
史
線
,
1
歴史
個人的
伝統
概
派
実質
的
結び
え
周辺
al-Ba rah
統治者
規定
扱う法学
禁欲主義
あ
思想運動潮流
あ
22
わ
共
体
面
持
。当時
言行
思弁神学
治的影響力
進
時期
ン
ン
あ
言行録
。初期
学ぶ
後,
ン
Khurāsān
行論
い
ン
ン
,厳格
,
。
組織
,
来,
形
さ
場
道 ,
立
,農民
明確
実践
批
修
,商工業者
Ḥamdūn al-Qa ār al-Nīshābūrī, ?-884
執筆作業
形
,9-10 世紀
禁欲主義
23
,
特
聖者
行う場
い
あ
教育場
献
伝統
。
教科
ribāt
影響
。
直解主義
初期
解
修行
khānqāh ,
摂
編纂
伝統
起
現
,預言者
集
思想
時
Abū ‘Abd Allāh Mu ammad ibn Karrām, ?-874
ン
,中央
,
支持
Malāmatiyyah,
確立
聖
,公共
集
い
貧困層
Karrāmiyyah,
支持
持
Nīshābūr
伝統
。
集
表現方法
う
加え,
地方
依
adīth,
,
,思弁神学
。
人々
ン
sunnah,
。
Baghdād
ahl al- adīth,
ン
合わ
8-9 世紀
庇護
khalīfah,
神秘的
,後代
,
補完
原型
起
知
神
形
ン
,
い。
表現
法学
担い,外面的行
考
神学 kalām ,哲学 falsafah ,
教団
,
通史理解
神学派
形式
触
zuhd,
,
教集団
arīqah
統合
教体験
い
広
,禁欲主義
び各地
ン
訳語
Islamic mysticism
合一 fanā’,
意
置
簡
ta awwuf ,
文学
い
伝統
神秘主義
詩
問題
人
録
修行論
abaqāt
madrasah ,
宿坊
用語
生
出
ン
,12 世紀以降
集団
。
11 世紀以前
13
高
師
修行方法
意味
。
,
共
統
持
,
集団
語
学び,模
承
組織
確立
24
定着
後,思想的
,
ン
事例
以
軍事力
,後半期
い
関心
近代
,植民地
主国
軍隊
示
原理
信仰
あ
思想形態
27
28
。
見
者,
29
教的立場
1902 年以来
ワ
,対植民地運動
例
あ
察知さ
う。
個々人
社会活動
参加
背
,
,
世界
維持
歴史学
い
広
。
述
,1
伝統的
時代
al-salafiyyah
称
追従
由来
公式
行
掲
国
興
多い
ワ
運動
,神学者,法学
脱中世
ン
的
ン
思想的後見
,
興
日,
思想
い。
基
――
宣教活動,
多
14
言わ
否定
除
影響力
代表さ
あ
出版
あ
社会
あ
18-19 世紀
学問権威
運動
う
1744/5-1818, 1820-1889, 1902-
国教
牙城
,
教的世界観
治
衰
主義
第 3 次王国――
運動
1299-1922
持
,様々
,
。ワ
王国
一端
教団
Mu ammad ibn ‘Abd al-Wahhāb, 1703-1791
ワ
。
関
前半期
,以
い
あ
ン朝
25
[Geaves 2004: 67, Green 2012: 191-192]。
い
挙
勃興
意味
ム
arakah al-wahhābiyyah
思想
道
広大
扱う思想研究
あ
さ
背
携わ
,
,近代以降
必
各種社会活動
,
1
現代 ーフ
,
参加
,
個々人
寄
持
遡
教団
側面
,組織力
い
歴史的実体
衰退した とさ
教え
教
1526-1858 ,
,
独特
寄
,師
ン
朝建国
。
集団
,
朝
機能
記述
世界
治,軍事,
事例,
逆
簡略
大
い
26
え
,
組織力
集団
,預言者
いう集団的
1370-1507
う
,彼
, 道
教団
教団
参加
過程
現
。
諸王朝
朝
弟子
。
側面
圏
供
師
巡礼者
20 世紀前半
留学生
集
結
果,
影響
越え
主義
関
,復
広
世界
思想
主義的思想家
31
入
求
目指
。
側面
世俗教育
,現代
策
加担
扱い
教団
以
関
研究
移動
側面
え
主張
研究
的影響力,
日
変
,総
通
,中世
頭
あ
,
あ
33
。
近世
社会的影響力
,当然
。
国家
制
思想面
,現代
関
通常
ン
立場
派
,神
通
ほ
い,少
い
聖
主義
え
従来
依
思想
流
時
的あ
神秘主義
あ
合一
込
い。
減
ぶ
あ
意味
い
陳腐
[東長 1993: 85],思想
。
関
権
近代国民国家
例
一般
方
組織面
,
対象
,代わ
言い表
数
,
行わ
い
挙
評さ
う1
管理
敬遠さ
現
派的
社会状況
影響
傾向,
ン
衰
世俗主義的
軍事力
。
。
心
大
神秘主義的
掲
各国一様
失わ
思想的
敷
人々
遡
32
含
2
,
一部排除
組織力,
世俗教育
い
,
改革
,
,中世以前
側面
鎖
体制勢力
,大
い
抵抗思想
思想
求
国家
限さ
的
,脱
見
Mu ammad
,社会活動家
,20 世紀
代表さ
,従来
協
関係
備わ
少
い
,組織力
失わ
い,
,社会
国家
緊張
禁
あ
い
い
管理さ
あ
34
15
依然
見
い
う
相克
社会
。近代黎明期
研究
権
軍事力
影響
,
,
いわ
現代思想
関連
。
ン
ン
植民地主義
越え
挙
。
,西洋
, 脱中世
,中世
近代文明,
理由
調和
う
30
え
Mu ammad Rashīd Riḍā, 1865-1935
代表さ
近代文明
持
,
Jamāl al-Dīn al-Afghānī, 1838/9-1897 ,
‘Abduh, 1849-1905 ,
影響力
う
う
。加え
模索
い
,近代黎明期
活動
行
いう,
,人々
儀礼
力
,人々
研究
い
う
対
,いわ
求心力
権威
策
え
,
様子
踏
敷
貴
え
事例
いう疑念
指摘
。
。1
側面
,近年
出
傾向
一端
う。
い
。
多
。
寄
。
,
動
あ
傾向
備え
意味
,逆
。
的
,
意
見出
組
あ
移民
教社会
主
い
論文
,
,彼
解明
う
評価
者
,2001 年
見
増加
端
時
9.11/
islamophobia
研究
いう
,
,
者
模索
自己
関心
立場
内
37
積極的
う
対象
内的様態
,
型
持
恐怖,いわ
世界
言え
以
,彼
意義
研究
,
さ
あ
注目
作業自体
,西洋社会
思想 実践
対応
出
う1
,現代
種
。非
い
論文
思想的活力
姿勢
研究
意
積
。
研究
現代
以降,
問題
いう立場
大
。
世俗
あ
,
経歴
,現代
中心
,
いう議論
者
現実的
え
一部
36
理解
ほ
答え
教教育
教的指
代表
,
問い
,現代
捉え
西洋
見
いう,国家
側面
。
言及
。
,
再評価
的
影響
あ
々
彼
え
いう先入観
理解
い
。
,現代社会
意
さ
見
無視
言及
あ
前
最高
起
,あ
対
[高橋 2010] 35 。
,確
,
,彼
的
権
背
い
次
,
見
現代
彼
果
変わ
劣勢
,世俗主義
困
失わ
状況
あ
見方
社会
現代
役割
対
置
関心
,
。
研究
,2000 年代後半
相次い
刊行さ
論集[Malik Hinnells (eds.) 2006; Bruinessen & Howell (eds.) 2007; Raudvere & Stenberg
(eds.) 2009; Geaves, Dressler & Klinkhammer (eds.) 2009]
16
あ
。各論集
所
論文
当
わ
,
い
世界
い
主張
,論集
非
あ
。
あ
い
場
含
特徴
指摘
,世界規模
注目
以外
感覚
共通
世界
活用,
誕生
概
,
挙
日,
盛行
,著作刊行
開設
唱
儀礼
供
い
体験さ
,
市場
[Soares 2007]。
挙
特徴
,
あ
。1
主張
現代的 ,
世俗
特徴
ン , 消費
,
, 新
日
目
世俗
教社会
挙
親和的
日的様態
,
教運動
現代
現代
世俗的 ,
,
産物
教社会
形容さ
適応
,
果
形態
評価さ
[Klinkhammer 2009]。
西洋
,世俗
教――
問う
議論
,
研究
い
う
主張
気
教
方――
い
,
研究
あ
種外部
者
資
教現象,あ
い
配
あ
,
,
扱う
,
近代社会
い
う評価
教思想
理解
進
評価
,
うえ
現代的価
い。
本論文の構成
章
論文
最後
,
構
次
第2章
人
論文
構
い
あ
録
見
像
い
確認
人
あ
関連
研究
。現代
国
伝統
世紀強
いう常識的
,
由来
踏
え,次章以降,
わ
出
録
方法
析
あ
あ
党
,第 2 章
伝統
要
17
う
。
作業
21 世
,
章第
い
考
権
範
長い歴史
,
人々
,18 世紀
創設者
1963 年以来
,
,
い
。
言及さ
対象
考え方
内容
,近現代
逝去
1 節
察
い。
。
置
紀初頭
述
共和
大
うえ
視
越え
約 2
立
教界
変
――第一次世界大戦前,
検討
視
次
入
わ
あ
教
物
人
出
明
録
関心
党
権
省
あ
現代
う
一端
趣
学び舎
共通
要素
慎
体的
,
所属
いわ
,
活動
場
。
,
治的立場
係
理解
指
。彼
者
前述
距
感
機会
注目
叙述
い。
出
展開
教的指
要
体的
。
状況
,
現代
18
背
,
伝記
理解
少
鑑
辿
,
,彼
理解
過程
。
体的
資料
,彼
者
構築
集
,彼
,現代
い
う
録
系譜
教施設
持
背
対
言及
一定
,人
後,彼
正統
治
対
遡
持
相
思想的特徴
教
,
第3章
い
い多
第4章
内外
い。
う
果
い,幅広い機能
限
彼
所属
1
Jāmi‘ Abū al-Nūr
限
彼
ワ
全
あ
晩年
わ
,
い。
機能
限
,
学問的系譜
,
あ
あ
前
さ
あ
う
,
,
あ
系譜
ワ
意
系譜
系譜
い
人
う
作業
彼
伝記
理解
沿
系譜
評価
確認
。
基層
,
え多
者
出
視
系譜
教的指
学問的系譜
論文
,
い
う
大統領誕生以降
注目
社会
,
,
現代
。彼
,
,第 3 章
い。前述
,第 1
確立以降,
伝統
現代
趣
あ
支教団
伝記
,彼
考察
ン
,
。第 3 章
,第 2
置
交替――
。
活用
い
必
層
系
人物像
体
起
第3章
,第 2 章
比
20 世紀初頭
い
,
一環,あ
,第 4 章
国
明
論文
い
特徴
捉え
,
何
。
意義
主張
実際
い
, う
あ
う
,
い
ン
伝統
あ
あ
,彼
。
,あ
則
,
あ
い
理解
言い表
ほ
以
問う
1
あ
方
一端
浮
び
論文
,
思想
い
3
わ
教団
教義
側面
論文
示
いう
, う
,時代
地域
う。
い
系
考察
い
従来
い。
, 現代
意味
い
陳腐
ン
主張
い。
文脈
,
期待さ
像,
あ
,
派
的あ
ぶ
。
供
見出
現代
,
考察
ン
理解
神秘主義
え
,
,彼
新奇
,前述
い
,
譜,
見
外
思想潮流
伝統
え
い,少
大
枠組
ン
正統性
思想
[東長 1993: 85]
特定
種
理解
初期
務
,彼
派的
様々
いう
時
,
さ
現代
現代
。
ン
支教団
系
伝統
。
註
1
朝 661-750 時代 建設さ
最
。
面持
躍動的
う市民 姿 ,
弟
子
影
葬儀 映像
確認
。映像作品
団 2004 年 作
,
無い。
2006 年
9
旬,
日 相当
時期,
行わ
金曜礼拝 際 ,
葬儀 映像
映さ
。
3
ン
中部
Ḥalab 出身 ,彼 父
ン
ン Mu ammad Adīb Ḥasūn, 1913-2008
地 多
弟子 持
教育者 あ 。
ン
, 地
礼拝指 者
務
,いわ
国
内 一都市 代表
教的指 者 あ
。
4
語
復興
意味
。
党
いう 称 正式 称
い ,現地 報道
い
党 Ḥizb al-Ba‘th,あ い
al-Ba‘th
用
い
,以降, 論文
党
記 。
5
2013 年 8
刊行さ
関
一般学術 [黒木 編
2013]
,第一次
世界大戦後
第 次世界大戦終了
間,い
ン
委任統治
あ
ン , 肥沃
日 地帯
西
ン
言い表さ
。
地域
顕著 特徴
, 地球
最
的 人間
い 都市 多数あ
,農耕 術
文 ,
一神教 い
人類 文明史 画期的
ン
地 起
,
都
い 地域全体
定的 支配
国家 ほ
い
,地中 文明圏 一角 あ
内陸部
諸文明 影響 絶え
, 人口
教的多様性 非常 高い
, 常
2
痛
19
周辺
地域
関係
影響
い
6
挙
[黒木 編
2013: 4-6]。
6
治学者
論集[青山
近 編
2009] ,公的機関 外交 策顧問
研究
[Leverett 2005]
。
7
両者
胞団 研究
一括
語
多い[ Teitelbaum
2004; 2011; Weismann 1993; 1997; 2005b;
近 2005]。
8
共和国
最高
法裁定
原語
語
al-Muftī
al-‘ mm li-l-Jumhūriyyah al-‘Arabiyyah al-Sūriyyah 直訳
共和国最
高法裁定
あ 。英訳
the Grand Mufti 表記さ
多い ,邦訳
ン
,最高
,共和国
,大
,国家
,第 1
い
様々
称 用い
。
う ,原語
え 共和国
最 適
思わ
, 論文
一国家 最高
法裁定
務
ン
扱う
,彼
方 適用
称
最高
用い 。
最高
職 ,
ン朝
制度 , 朝崩壊後
立
個々 近代国家
引
あ 。 職
日,
,
ン,
ン
諸国
最高 公的 教権威 さ
。
職 設
い
,最高 公的 教権威
い例
, 職
教権威 設
大学総長
国王 ,
少数 あ , 職 一公的機関 法人格 持
い団体
代表
国々
,CIS 諸国
挙
。
9
関
[Christmann 1998; 2009]
,
関
[Pinto 2005,
2006, 2007a, 2007b]
,特定 研究者
論考 目立 。
10
例外
,
人民議会 日
国会 相当
議員,
ン
Mu ammad Ḥabash, 1962教的素養 活動 紹
論 あ [Heck 2007b]。
,
師事
人物 1 人 あ
, 教界
公的あ い
治的 立場
い 効果的 活用
人物 あ , 教的指 者
見
通常 い。
11
英訳さ
著作
,
法学
根
al-Fiqh al-islāmī wa-adillah-hu
[al-Zuhayli 2000(2003)] あ 。
12
彼 弟
法学者 あ
ン
Mu ammad al-Zuhaylī,
1941い
―― ほ
知
い い
―― 様 あ 。
13
創設者
厳密 定義
当者 限 わ
い。例
挙
人物 ,
第 2 章第 3 節参照 ,
āhir al-Jazā’irī, 1852-1920 ,
ン
表 2-201
参照 ,
ン
,
第 3 章第 2 節参照
あ
[Pierret 2011: 47]。
14
当
人物
挙
,
ン ‘Abd Allāh Sirāj al-Dīn, 1923?-2002
ン
ン Mu ammad Nabhān,
1900-1974 ,
‘Abd al-Karīm al-Rifā‘ī,
1901-1973
ン
ン Mu iyy al-Dīn Abū al-Ḥasan al-Kurdī,
1917-2009
あ 。
15
系譜
異
伝統
,
能性 示唆さ
系
ン
支教団 あ
,
教団
系譜
, う
い
然
い。特定
教団 所属
,
教団 教育場
縁 失うわ
い
あ 。
第 4 章 内容
関連 ,誰
, いう問題
。実際,
社会
あ
否
明確 基準
,
研究
析概念 留
方法 あ [東長 2013: 22-28]。
,
明瞭さ 背
,
,
易
背 的 立場 捉え 視
,
20
社会
従来
関係
研究
い
,一般
閲覧者
見
指摘
理解
,
い。
い 紹
第 4 章第 4 節
。
16
,参考
編集
内容
言語
ン
う。
ン百科事
あ
Wikipedia
見
,
語,
語,
語,英語,
語 見
,最
細 記述
さ
い
語
あ 。
経歴,教育活動,思想的立場,弟子,師匠,
関連文献 い
情報 記載さ
, 論文
い 後述
超党派主義
教間対
,
ン的
言及 見
。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ahmed_Kuftaro 英語版,2014 年 3
20 日
。
17
表記 生年
い
論文
い 次
。
いう彼
関
,
邦
表記 統一さ
い い。
語
正則 音 正確 転写
, 日 語
,
い
様々
表記 見
。
欧米諸語
“Kuftaru,” “Kuftaro,” “Kaftaru”
様々 あ 。 論文
, 彼 設立
団 公式
http://www.kuftaro.org/,2014 年 3
20 日
日 語版 , 比較的多用さ
い
表記 統一
。
い
日 語
固
詞
表記 完全 統一さ
い
い。
生年 関
, 伝え
年
身 証明
記載さ
年
一
, 1910, 1911, 1912, 1915 年
, 資料
違い 見
[Ḥabash
1989; 1996; Kuftārū 1996; Sharīf 2003]。
指
広報資料
1915 年 最 多用さ
い
,
論文
生年
1915 年 統一
。
論文中
,
家系 人物
,父 あ
ン
祖父 あ
場
,彼
関
氏
表記
。
わ , 論文
述
場合,
指
。
18
代表的 例 ,2001 年 5
当時
法王,
2
世
訪問
際,
接伴役 務
あ 。 法王
訪問
い
, 細 記録集[ abbāgh 2001]
側
出版さ
い 。
19
指 者 指 語 あ
, 時 広
教育者
世俗的知識人
対称
い
指 語
あ 。前述
創設者
,広
,あ い
教教育者 指
用い
。 論
文
,
主
指 者 指
用い
,
先行研
究 引 合い 出 場合
限
い。
20
,
い
,総 山
う 信
統
機関,列聖
う 信
序列
制度,
公会議
う 教義
い 審議決定 行う場
い
い ,
い
概念 曖昧 あ
留意さ
あ 。
21
う
傾向 背
,後述
う ,彼 晩年あ い 没後 刊行さ
教
集 伝記
言及 少 い
,彼
思想
関心
払わ
あ 。
,
以
,
思想 持 社会的
価
前近代 比
いう 断
大 い。
22
通史 中心
あ
西洋 研究
,A J
Arthur John Arberry, 1905-1969 , J S
ン
John Spencer Trimingham,
1904-1987 ,A
ン
Annemarie Schimmel, 1922-2003 ,J
Julian
Baldic, ?,
東洋学者
20 世紀中盤以降 著さ
あ
[Abu Nasr 2007; Arberry 1950; Baldick 1989; Curry & Ohlander 2011; Ernst 1997; Green 2012;
Knysh 2000; Molé 1982 ; Renard 2005 ; Schimmel 1975; Sedgwick 2000; Trimingham 1971]。
21
並行
,西洋
久遠 哲学 perennial philosophy
伝統主義者 traditionalist
いう
枠組
語
,
研
究 著作 あ 。
代表
,
ン
I
Ivan Aguéli,
1869-1917 ,
ン
R
ン René Guénon, 1886-1951 ,
F
ン
Frithjof Schuon, 1907-1998 ,
T
Titus Burckhardt, 1908-1984 ,
M
ン
Martin Lings, 1909-2005
い
,後世 西洋
研
究者 少
影響 及
考え
,
人 改
中心
人々 あ [Burckhardt 1951; 1960; 1969; 1985, Guénon 1924; 1939, Lings 1952; 1961; 1975;
2004, Nasr 1964; 1972; 1978; 2004; 2007, Schuon 1961; 1969; 1976; 1980; 1981 ]。彼
立場,
思想 一様
,
え
ン
弟子 あ
ン
哲学
学界
参照さ
,
弟子 あ
ン 関
,
画家
活躍
い
,
思想
文 芸術 類
置
い 面 あ 。
彼
巡
,
ン 共鳴
S H
Seyyed Hossein Nasr, 1933う ,
世界
関心 寄
例 見
。彼
哲学,形而 学,
詩文学,芸術 い
関心,専門
扱い,
研究対象
,自
共鳴,あ い 信奉
思想形態――
思
想 芸術
個人的
込 形,近代
教 学ぶ
1
指針
形,近
代
教
棄
信奉
形
,
様態 様々 あ ――
記述
。
,
研究史
い
東長 包括的 論
い [東長
2008; 2013: 6-15]。
23
,領主
富裕層
支持 集
Abū ‘Abd Allāh
Mu ammad ibn ‘Alī al-Ḥakīm al-Tirmidhī, 820~830?-905~910
例 あ 。
24
, 12 世紀以降,組織 さ
伝統
変わ
[ Green
2012: 62-63]。
理解 あ
, 語 指 内容
い
歴史学
論文[堀川 2005] 参考
。
25
11 世紀
制度 さ
寄宿舎 う ,
辺境 設立さ
商人 交流
場所
,軍事要塞
用い
,
社会
関わ
多
要因 言え 。
26
,
朝
後
派 12
派
支配理念
,
影響
弾
策
[東長 2013: 74]。
27
展開
世界
大
,東
,
献
い
,
通史 研究[東長 2008; 2013; Knysh 2000; Trimingham
1971] 参照。
28
問題意識 基 い 編纂さ
瀚 論集[Syrriyeh (ed.) 1999] あ 。
29
西洋史 基
時代区
1
あ ,さ
1
あ
現代
整備さ
中世
史 文脈 用い 場合
,慎
必要 あ
。 論文
便宜的 ,預言者
ン
及び
後 者 あ 4 人 正統
後,
世界 広
,
王朝 林立
以降,
近代国民国家 誕
生 伴い崩壊,吸 さ
い
時代 ,
中世
指
。
文脈
中世
, 近代
対比
い 論
,
社会人類学者 大塚和夫
研究[大塚 2000: 241-248] 参照。
30
,
え
外交 策
い
論考[Goldberg 1985]
確認
。
31
,個々人 思想家
主義 含
近現代
思想 展開
い
論考[ 杉 2006]
確認
。
32
第4章
明
う ,
面性 ,
主義 特徴 あ ,
繁 誤
解さ
性格 あ 。
33
関
,J
ン ン 人類学者 V
ン 研究[Hoffman
1995; Johansen 1996] 代表さ
う ,蓄積 多い。
い
,現代史 研
22
究[Dam 1997(1979)] 触
程度 あ 。
34
掲 [Hoffman 1995; Johansen 1996; Syrriyeh 1999]
,人類学
祭性 変
研究[Saito 2004]
あ 。
35
え 近代
変
扱う歴史学者 高橋圭 論考[高
橋 2010] ,19 世紀後半
い ,入植
人
視
影響 あ ,
儀礼 徐々 自己批 ,規制さ
状況
出 。
36
ン諸国 い
歴史的
社会 あ
地域 事例 含
,
新
研究 対象
西
事例 扱う,いわ 非
世
界
論考 あ [Nielsen 1992; Vertovec & Rogers (eds.) 1996, Nonneman,
Niblock & Szajkowski (eds.) 1997, Modood, Triandafyllidou & Zapata-Barrero (eds.) 2006]。
37
,西洋
関心 ,必
世界 対象
研究 系譜 組 込
わ
い
意味
。
え
教学者 G
Gisela Webb
,20 世紀
潮流 次 3 段
[Webb 2006: 87-91]。第 1 段
20 世紀初頭,
植民地 策 影響 起
者
東洋
対
関心 基 い
。第 2
段
1960-70 年代 起
人種差
戦争 影響
ン
関心 基 い
。
ン
東
洋
いう 者
関心
, 従来
研究 土
推進力
。
方 第 3 段
述
,1980-90 年代以降 見
派
教 超え 共
体 形
大
指向 合
, 代替 教 的
関心
,前 2 段
異
,
自己
世界
起
わ
教現象
関心 延長
あ
言え 。
第3段
系譜
補足,あ い
承
第4 段
,
,
原理主義 ,
中東 争 , 9.11
い
表現 伴
,西洋
脅威 象徴
状況 ,例外的
西洋
世界 橋頭堡
期待
見方 あ [Beckford 1992: 16-17; Blée 2009: 181-185]。
研究 第 1-2 段
第3段
差異 特段強調
い ,
者
び自己
教 関心,
研究
関心
,
記号
機能
示 。
え,
世界
理解 必
連
い,非
世界 立脚
記
関心 洞察 ,概
日
盛行 認 ,
意義 強 主張
あ 。
23
24
人名録
章
い
見
像
,現代
伝統
理解
目的
像
理解
,一般的
う幅広い理解
,人
人
録
う
一
,
,次
,人
対象
人々
明
う
確認
第2節
例
,
見
教団
い。
世界独自
用い
意味
。
う
特徴
録
持
い
あ
,彼
,第 1 節
,
用い
,人
明確
い
異
現代
い
。既
特徴
出
意
う
肩
。
構
,現代
時代,社会情
見出
い
目的
,
一覧
わ
い。
,
指摘
さ
世紀強
間
う
第3節
,人
録
系支教団
絞
,
内訳
多
研究
あ
眺
人々
歴史
い
ほ
検証
い
見
,
人
録
さ
章
うえ
居
,人
主
人々
数
要
教団
25
教団
人
録
作業
ン
,現代
検討
ン
,
扱う 2
。
,さ
。
ン
録
見
目的
,
支教団
支教団
,
現代
支教団
,
明
考察
持
創設者
ン
ン
い。第 3 節
い
初期
教義
い
全体
ン
最後
い。
置
,
変わ
,
独自
系
う
鑑
い
必
扱わ
教史
系譜
,各
,
1
,例外的
。
う
確認
像
う
述
持
勢力
ぶさ
い
人々
背
論文
い
各種人物伝
指摘
録
学者,
,
従来用い
異
人
さ
あ
修
。
次
団
歴史学
録
見
,現代
諸学
。
世界あ
学問
録
伝統
確認
,
言及さ
あ
内容
, 論文
え
担わ
い。
う
事
理解
い
設
録
世界
人々
人
像,
,
人
踏
,
枠組
第1節
う
ン
教
情報
章
趣
鑑
ン
,現代
う
,
置
う
現代
像
以
現
3節
,
時代
,
時代
い
章
節
あ
,現代
突入
入
う
章
,各
出
そ
人物伝
語
示唆
い
教的背
。
経
言及
身
,
。
録[Ab ẓah & al-
,
抜
特徴
確認
出
fiẓ
。
,現代
知識人
伝統的
諸学
,ほ
後
う
付
人
あ
。
ワ
方,
,waqf
修
指
。
知識人
,特殊
意味合い
異
教知
世俗知
う
考え
認識
,少
教領域
多様
教
い
い
,世俗教育
限
理解
あ
。
教
領域
消費
意味
。
え,
い一般的
学者,さ
26
,近代
,
西洋社会
徐々
端
誕生
方向
教
,商品
,逆
い 1。
あ
進
特
。
広
。
曖昧
入,国民国家
活動域
視
進
見え
概
西洋法
実
杉 2001]。
近代特
曖昧
う
,
能性
う
人物
い
顕現
透
基準
,確立
[
,世俗
う
,確立さ
国
並行
日
思え
教領域
世界
時期
日
紹
いう形容
あ
い
,
知識
内容
学問
修
必要
,社会
独立
創設者
う。
,
,あ
,広
諸学
込
い
わ
明
人
,職業
知識人
教管
変
,
い。
語
世俗
特徴
過程,
用い
肩
像
込
誕生
人々
諸学
1986a; 1986b; 1991a; 1991b; 1991c, Ab ẓah 2007]
,実際
さ
国民国家
,
, 論文,
うえ
。
い
20 世紀
伝統
考察
い
,
あ
場
,
教
広
教
教領域
,
高度
専門的
い
識者,文
透
人
見方
い
定義
概念
う変
関心
2
目
あ
う
配
知
源泉
人
録
特徴
様々
明
あ
伝記集
あ
あ
記
肝要
。
形式
いう
世
地域
あ
現
人物
[
5
。
い
史料
史料
例
原義
sīrah ,
史
誕生
録
逝去
転
必
史実
視
,伝記
後
歴史
藤 2005: 69-70; 森山 2013: 62, 93]。
伝
数
あ
伝
あ
う
歴史研究
史料
沿
特徴
あ
。R
集団
価
立
時代
え
ン
ン
あ
,
27
い。
集
用い
一個人
い
見出さ
伝記
異
人物
,
一般
。
[Robinson 2003: 61]。
さ
挙
,
中心
い
人物
伝記集
人物
史料
捉え
専門
基
基準
人物
い
abaq t
預言者
うえ
枠設定
記述
言え
類
区
あ
社会史
,
映さ
筆頭
記述
明
明確
1人
誰
何
語
生涯
。
,人
,
個人
,
前
,当時
性格
い
属
含
論
供
え
区
思わ
伝記
[Humphreys 1991: 190]4 。いう
伝記集
称
,伝記集
情報
,
,
いう
ン
S
いう
語
彼
う
う
。
う
伝記集
う
,人物
持
[Robinson 2003: 55-60]。
記
いう
複数
見
,
,あ
基準
,
,
。人物伝
,
,
al-Sīrah
関
ta’rīkh ,
状況
案
区
研究
,
持
方法
,個々人
3
,
い。
Chase F. Robinson
,実際
対
意義
史料
いう区
前
,
さ
指摘
伝記
複数
研究
1
区
biography
prosopography
記
対象
う
。
ンソン
伝記
対象
tazhkirah ,
称
F
曖昧さ
治的,社会的影響力
,人物
tarjamah ,
持
い。近現代
近現代以前
。
世界
C
い
。
社会
録
語
,
払わ
当時
人
,
中心的課題
役割
多
研究
,
い
関
,
語
意味
う
,地方史
語
世界
史料
日
,
歴史叙述
関
特徴
限
映
,
語
語
層 ,
う
現
,特定
。
社会
い
, 世代
人々
史
研究
文
形
伝
語圏
固
活動
意味
対象
献
あ
う
人物伝
集
,時代
あ
置
うえ
人名録
人
録
,以
論文
編纂
事
い
章
活用
冠
[Gibb 1962: 56]。
,
論文
目的
適
伝記集
,3 種 6 冊
わ
限
。
,歴史叙述
,扱う 3 種 6 冊
,
内容
見
い
い
明
い。
社会,
人
性格
皆無
あ
録
,
,伝記
い。
内容
体的
内容
列挙
。
,1,373 人
。
,
暦 13-15 世紀
語
徹
あ
強調さ
思う。以降,
1種3冊
世
,
あ
人
理解
,地域
人々
あ
詩人列伝
伝記集
,伝記集
資料
,聖者列伝
,
複数形
abaqah
あ
複
人物
章
用い
6
い
人
,実際
録
,没年順
1,428 人
場
次
。
暦 13 世紀
士
第 1 巻[Ab ẓah & al-
fiẓ
士
第 2 巻[Ab ẓah & al-
fiẓ
歴史
第 1 巻[Ab ẓah & al-
fiẓ
歴史
第 2 巻[Ab ẓah & al-
fiẓ
歴史
第 3 巻[Ab ẓah & al-
fiẓ
1991b]:229 人
暦 13 世紀
1991c]:211 人
暦 14 世紀
1986a]:224 人
暦 14 世紀
1986b]:115 人
暦 14 世紀
1991a]:244 人
士 [Ab ẓah 2007]:405 人
暦 15 世紀
人
録
,題
,
28
何
縁
持
人
物
7
限
,
以外
編纂さ
定基準
,
党
い
う
問題
,逆
過
関
関係
親体制的
,
,
指
性格,
見
人物
,
所
見
性格
,人
報
,氏
育
構
さ
Mīshīl ‘Aflaq, 1912-89
[Ab ẓah & al-
[Ab ẓah 2007: 418]。
,人
党創設者 ,
録
社会
記載
い
共和
時代状況
映
あ
。
う
,出自
求
。
,学問的背
,
あ
う
,生没年,肩
約○○年
関
党創設者
録
機会
。前者
ワ
治家,
,
見
ぶ
前大統領
国大統領
え
体制的
あ
肩
う
,1980 年代以降
者
[Ab ẓah 2007: 188]
様子
い。
考慮
い
胞団
い。後者
特段設
う
あ
情報
家族,出身地,民族
移動歴
含
,確実
記載さ
う
,
教的背
fiẓ 1991c: 705]
。
,学歴
師事
,職歴,社会活動,弟子,著作
確定
一
い
氏
場合
あ
記載さ
没年
。
,
い例
挙
あ
部
ン
あ
人物,教
い
要素
,没年
人
。以
,
筆者
情
録
標準的
い
記述
明 。
Mu ammad al-Ghazzī
氏名
暦 1233-1291 年 生没年
西暦 1817-1874 年 生没年
派法学
肩書
ン
ン
ン
ン
ン
ン
=
=
尊称 kun’ya ,あ 名 raqab ,職業 出身地 部族名
暦 1233 年
育
ワ
,経済的援
庇護
29
7日
曜日
。
nisbah を含
生
。父
氏名
ン
,
,
ン
ン
身
学問,
多
教的規範
。 出自,家庭環境,学歴
父
い
法裁定
府議会
彼
罪
fatw ,
一員
次
著作
照
輝
ワ
携わ
。
あ
,
最高議会
代表,責任者
び
。 職歴
。 著作
――偉大
神
秘密
顕現
Bahjah al-nūr al-atamm fī bayān
sirr Allāh al-a‘ẓam
輝
――
喜
真珠
注釈
al-Kawākib al-durriyyah fī sharh
al-Durrah al-murḍiyyah
規範
要
人々
Hidāyah al-anām ilā khulāṣah
a k m al-isl m
規範
要
Khulāṣah al-aḥkām li-hidāyah
al-islām
詩集
Dīwān shi‘r
暦 1291 年
25 日
曜日
没
。 没年
了
以
あ
研究
い
指摘さ
見
顕著
人
録
一例
1991: 190]。
,
あ
う
特徴
章
見
,
,
,人
前
,
記
学歴
諸学
あ
録
例
示
う
様式
経歴
定型的
用い
,既
人物伝
述
いう,
語
[谷口 2005: 132-134; 森山 2009: 31-33; Humphreys
人
節
人
,
,被記載者
用い
。
録
録
,人
,従来
人
録
特徴
承
,伝統的
録
使
肩
う
人物間
見
い。
ン誦
師
師
,
ン
30
ン
確認
挙
。
う
,
。
人
派法学者
学
ン
学
遡
法学
,
学
,父
,叔父
あ
,
1991c: 564]。
肩
諸学
ン
う
間
関
系譜
肩
見
師
あ
い
返
,限
程度浮
,
fiẓ 1991b:
あ
関
師事
繰
fiẓ
assan
あ [Ab ẓah & al-
諸学
確認作業
[Ab ẓah & al-
派法学
,
派法学
諸
[Ab ẓah & al-
学
学
,
中心
Mu ammad al-Kizbarī, 1727-1806
う 1 人
al-Sha ī, 1790-1857
法学
8人
,
175]。一方,
。
あ
,
1991c: 506]。さ
確認
‘Abd al-Ra m n al- ayyibī, 1770-1847
,
肩
録
2人
師事
能性
高い,
時代範
情報
び
fiẓ
わ
,
いう推測
能
,
。
以
,各
い。
肩書
肩
,伝統
視
諸学
,職業一般,
関連
職業
総督 w lī
限
ワ
い複数
修
者
性
尊称
い
,専門
要素
構
さ
。
え
n ẓil li-awq f
管理
q ḍī
法
職,礼拝指
教師
kh ṭib ,
ン
唱者
含
者
q rī ,
儀礼職,法学者
文筆職,画家
あ
性
faqīh ,
い
場合
あ
者
い
手
関
,
,職業
,
え
様々
独
,
muftī
mu’adhdhin ,
shaykh al- arīqah…
muta addith ,
学術 教育職,作家 k tib ,詩人 sh ‘ir
芸術
記載さ
付
‘allamah al-Sh m
合
程度
見
職,法裁定
人
者
学者
内訳
行
び
教団指
あ
文
職,
者
商工業者,
い
合
。
尊称
者
職業
im m ,礼拝
基準
学問
ン朝時代
ūfī ,天文学者 falakī ,教師 mudarris
多様
暗黙
個人
裁
教育職
いう
あ
記載さ
信心深い者
,
。
士
場合
1人
,
,複合
場合
mu‘taqid
,複数
, 正
a ad al-a‘y n
性,尊称
31
記載さ
冠
い者
, 代表的
場合
性
尊称
li
,
学者
い
組
あ
。後
合わ
大学
‘ lim farḍī
基準
,
明確
い
,例外
任統治期
言え
い
冠
教者
,植民地支配
あ
shahīd
抵抗運動
参加
。
1920-1946 年
,逝去
人物
ン
一部
委
8 人
。
以
大
門
傾向
学派
便宜的
3
踏
示
大
え,肩
学問
構
,個人的資質
,
半世紀
没年/人数
業種
内訳
地
肯定的評価
示
職業 ,専
示
表1
他
8
あ
尊称
。
職業
学問分野
徳性 尊称
1786-1850/266
244
138
62
4
213
53
1851-1900/268
249
136
85
8
206
62
1901-1950/268
383
227
116
12
240
28
1951-2005/571
1,198
430
105
5
526
45
人数を,そ
以外
表 1:
そ
性
肩書 有
肩書 無し
肩書 を構成す 要素
※ 肩書 有
肩書 無し
肩書
言及さ
肩書
構
成要素を単位 す 。
表1
,各時代
要素
職業
学問
い
多
肩
あ
。
,職業自体
厳密
区
困
冠
,
学問
立
あ
,表 1
例
最
多い構
多
,職業
容易
析
高い
指摘
い。
いえ,最後
半世紀
い。学問
般
中心
構
,記者
い
9
さ
治家
時期
逝去
,人
録
学問
学問
人
,学問
言及
い肩
,20 世紀,
い
新
場
一般的基準
内訳
言及
体的
対
急増
誕生
直前
変
示
あ
伝統
諸学
表2
い。
32
性
尊称,
性
尊称
,最後
割合
い
20 世紀前半
。
内訳
あ
う
。肩
言及
。
記載さ
え
職業一
半世紀,あ
半世紀,
像
整理
,
特徴
肩
述
比率
半世紀
。
,あ
学問的資質
職業
,19 世紀以前
最後
い職業
多
,
さ
い
,
あ
学
,彼
造詣
個々
深
法学者
馳
い例
あ
。
諸学
各年代い
前後
,言及さ
10
占
団体
内訳
裁
い
人物
あ
断
うえ
関
,目
学問
。
,
出
引
う
,法学
い
所属
界,
多
能
挙
,
伝統
あ
。
3割
わ
実体的
所属機関
用意さ
いう実体的
あ
い。
5 割前後,
法
様
記載さ
多い
,
い
事柄
法学
,法学
所,法裁定機関,
学者
,表 2
全体
関
複数
,肩
,職業
組織
背
,加え
11
挙
諸学
。
そ
没年/
言及
聖典学 読唱学,
法学 法源
言語学
人数
無し
注釈学含
学
学含
他
語
1786-1850/266
6
12
57
29
2
33
149
1851-1900/268
7
3
57
38
2
31
151
1901-1950/268
23
9
84
50
9
53
100
1951-2005/571
25
3
85
53
18
215
257
表 2:
肩書
見 学問分野
※ 言及無し
人数を,そ
,
最後
属さ
い
大
割合
19 世紀以前
心
自然科学
持
,人
内容
変
以外
見
人々
統的
定型様式
肩
,いわ
半
詩文学,歴史学,天文学
最後
割合
高い。
備え
録
占
中心
い
扱わ
変
最初
情報
33
諸学
,
諸学
。
当
,最後
半世紀
,時代
場
変
学
学
諸学
従来
映
,
,
多
,歴史学
一方,時代
半世紀
,伝統的
肩
。人
い
い
以
半世紀
録
確認
変わ
全体
学問分野を単位 す 。
関係
。最後
,学問
西洋法学
言及さ
学問
多い
問
以
肩書
法学
い
学問的背
以外
諸学
半世紀
内訳
内訳
限
い
。
気
配
い
,伝記集
像
,20 世紀以降,
示
後半
中
伝
。彼
い
大
変
言及
,
諸学
,世俗教育
入
い
時代背
,従来
特定
録
当時
時代背
特徴
い
第3節
背
少
概念
い。
,伝統的
価
挙
録
活用
所属
。
経緯
引
い
あ
時代
,
章
用い
,
人
現代
変
知
。
,現代
系譜,
確認
自体
定型様式
要
い
学問
い
設定さ
背
い職業
基
基
,さ
い
,人
関係
治的配慮
映
,人物間
料
必
資
踏
え,第 2 節
い
。
い
見
い
。
教団
章
節
,人
課題
あ
時
的
録
見
現代
像
,
唱
事例
,
系
関
い
情報
教団
1人
,関わ
持
, ○○
場合
当
い。
肩
教団
体的
あ
確認
shaykh al- arīqah…
辿
示
。
,
視
録
。
師事
系譜
人
ūfī
言及さ
体
,
い
表2
,
情報
教団
あ
あ
。
支教団
一般的
a ad min al- arīqah…
言及
留
ン
,各人物
体的
見
検証
い
‘ lim ūfī
関係
創設者
見
学者
,
,
, ○○
各人物情報
文
示さ
。肩
個々人
学問的背
節
情報
焦
人名録
述
う
,
あ
個々
,共通
々
各
,修行集団
,道
師弟関係
1
源流
い
2
修行法
12 世紀以降
道統,
基
派, 大
要
特徴
面
わ
組織
さ
い
形
い 12 。
34
集団
面
さ
踏
確認
い
。
い
え
,
い。第 1
,
,
背
,
強い地域性
持
う
明確
特徴
必
独自
教義
体制
持
。中央
,西
個
あ
教団
,
者
統括
組織
教
場合
比
関
支教団
間
世界
制度
言え
勢力
あ
,
関係
定
,
,
人
教団
数多
。
,
い。
い
教集団
――
教
仏教
い
周辺
ワ
教団 al- arīqah al-Khalwatiyyah ,
様々
言及さ
一括
ン
あ
13
定着
,
教団
以外
教団
al- arīqah al-Sh dhiliyyah ,
教団,
,
,
al- arīqah al-Rif ‘iyyah ,
教団
録
誇
制度
,
教団 al- arīqah al-Naqshbandiyyah
中心
教団,
。表 3
,
。
4
内訳
整理
。
,表 3
計
び
関わ
情報源
人
録
文
い。
内容
複数
関わ
人数
必
言及
あ
持
場合
数
数 年代順
数
多々あ
35
見
和
,表 2
い
い
一
い。(4)以
示さ
,肩
連動
割合自体
,決
,
高
。
。
29,38,50,63
言及さ
基準
わ
設
数
関わ
言及さ
所属
見
見
。(1)
い。
持
1 割半,2 割強,2 割強,1 割強
言及
わ
言及さ
言及
断
4
。(2)特定
関わ
,特定
代,言及人数
,次
言及さ
,
和
,
年代順
必
関わ
(3) 1 人
表3
関
参考
,
言及
方法
肩
考慮
い
地域
様
,
,
教団,
3
い
う。
教団 al- arīqah al-Mawl wiyyah/Mevlevilik ,
14
,各
世界
al- arīqah al-Q diriyyah ,
あ
。第 2
地域的多様性,あ
,13 世紀以降
ン
い
異
い
持
――特徴
流入
ワ
教派
,
理解
え
う
い。
組織
派
う
地域
派
わ
,
正統,異端
的指
持
い。
ン
い。
,人
い
教団
録
年
割合
最
多い
顕著
特徴
挙
当
。
眺
特定教団
次
,
ン
教団
焦
い。
内訳
言及
没年
見
ワ
ャ
そ
/人数
他
人数
1786-1850/266
50 51
22
13
8
5
7
1851-1900/268
61(65)
25
12
11
10
14
1901-1950/268
58(64)
24
7
11
18
17
1951-2005/571
73(84)
34
4
6
19
18
表 3:
肩書
※
本文
見
内訳
/特定
い
1人
情報 肩書
い 複数
教団
ン
い
へ
発展
教団
集団
出自
帰属
,13 世紀
,
後,
始
ン
al- iddīq, ?-634
後
経由
教義
者
挙
あ
教団
ン
ン
心
, 日
教団
あ
15
Khw ja
。
多
‘Alī ibn Abī
あ
道統
唱
強い
道統
ン
派指向
視さ
zhikr khafī, 隠さ
い
修行方法
後,
,
Abū Bakr
,
lib, ?-661,
,
教団
い
声
,
出さ
特徴
教団
地域
16
確認
理由
ン
,
1
Khw jag n
ン
初代
ン
ン,
世界最大
。
Mu ammad ibn ‘Abd All h, ?-632
[Weismann 2007a: 17, 21-22]。彼
東
,複数回計上さ
誕生
い。
教団
確立
を単位 す 。し
あ
ン
ン
い
場合
,第 4 代
ン
言及さ
中央
因
預言者
経由
彼以降,
記さ
第7代
最初
派初代
本文
関わ
大
Bah ’ al-Dīn Naqshband, 1318-1389
様,道統
教団へ
広
18 世紀
,
日
。
流入
A mad Sirhindī, 1564-1624
関
,
ン
iy ’ al-Dīn Abū al-Bah ’ Kh lid
36
。
al-Baghd dī, 1776-1827,
要
表 1-9,2-26
挙
系支教団
弟子
ン
思想
,
掲
地域
17
ン
指
系支教団
者
,
中心
活動
Sulaym niyyah
朝
19
移
独立
い
師事
徐々
,
ン朝
策
根
辞さ
支教団
設立
,
う
当時
あ
正
権
。
系支教団
師弟関係
,
い
ン
人,
支教団
,
逝去後
,度
ン
戦争
状況打開
様々
興
改
系
ン
系支教団
従属
協力
,場合
え
教団
抗
歴史
,
整理
あ
ン
alīl al-Mur dī, 1759-1791, 表 1-2,2-7
強制追
,
。
加え,
多
,
務
人居
A mad B sh al-J z r,
,彼
関係
tekkeh
近郊
あ
糾弾
ン
い
[‘Askarī 2006a]
総督
。
う1
,
一方的
Mu ammad
承
ン
[Weismann 2007a: 85]。
権
研究
始
ン朝
い
支援
いえ,
教え
いう尊称
,
,
弟子
ン
持
減
,
,当時
源流
教師
。19 世紀
領土
う
,
,16 世紀以降,西
系
Ghur m ‘Alī, ?-1824
1775-1804
弟子
ン
支教団
,
支教団
対
。
あ
行
。彼
系
, ン
革
方
mujaddid alf al-th nī
革新者
革新
19 世紀
支教団
2人
ン
あ
讃え
信奉
18
寄
Baqī bi-All h, 1563-1603
, 第 2 千年紀
思想改革者
広
展
,
,従来見
多
半島
思想的
出身
あ
思想
教団
。
進出
視
いう,
修道場
最大勢力
強い教団形
遵
ン
教団
,
構え,
勢力
形
誇
支教団
行
教育
z wiyah
,
大
。
,
背
,
正統主義的指向
37
大
,
系支教団
備え
い
挙
20
。
う
,
ン
教団
16 世紀以降
団
系支教団
定着
捉え
,
見
い
。
類
情報
。
足
人
録
あ
支教団
う
系
明示さ
支教団
。
計
見
系
ン
。
支教団
例
あ
1
整理
。以
方法
17
5
0
1851-1900/268
25
24
1
0
1901-1950/268
23
18
4
1
1951-2005/571
34
26
8
0
表4
,人
う
103 人
録
,非
い
,支教団
含
個々人
能性
い
否定
情報
ン
ン
あ
わ
結果,
考慮
系
,人
104 人
1人
一方,
,支教団
38
。
系支教団
さ
明示さ
18 人
い。
,
人数 あ 。
教団
及ぶ。
精査
ャッ
数 あ ,
明
8 割強
則
内訳
ン
系支教団
85 人,全体
,
毎
明
21
22
本文 言及さ
支教団
,表 4
支教団不明
支教団
い
系支
1786-1850/266
教団内
断
,
総数
表 4:
否
明示さ
系以外
当
内訳
系支教団
支教団
,
系支教団
系支
,
系以外
計
,
2
,
言え
,肩書
い
,師事
没年/人数
※各数字
,
系支教
内訳
明示さ
断さ
,
い
,
前身
展開
19 世紀
録
系
明
示さ
教団
,人
系
,支教団
定着,
,
計
教団
内訳
背
教団
,
い。
支教団
支教団
通史研究
録
あ
系
明
断さ
う
ン
。
あ
支教団
系
,
ン
多勢
支教団
う
ン
え
占
議論
余地
い
系
多勢
。2006 年
出版さ
集[‘Askarī 2006b]
い 22 。
占
様子
,
,近年
,
,表 5
国内
主要
。
ャ
10
10
表 5:[‘Askarī 2006b]
※各数字
取 上
網羅的
全国
統計的資料
教団
,
言及
い。
う
う
いえ,
章
手段
い限
持
限
い
含
さ
い
用い
資料
,
,
論文
ワ
ほ
あ
極端
,
録
作
用い
行
,
,
人物
,
関わ
広
全体
24
,
いう新興
割合
い。
わ
ン
,人
。
統
視
,表 3
入
比
教団
録
割
,
い
当時
試
い価
数
定基準
国内
包括的
無視
10
ン
,
考え
,
的
い
公的機関
いう作業
国内
い
録
い。
い
,表 5
,
人
教団
除
合
,現実的
用い
多
管理,統括
網羅
,人
活用
数
修道場
計
い
勢力
い 23 。事実,
把握
1
数を示す。
集
様,
2
一覧
,取 上
ン
9
考え
教団
,支教団
。
,
都市,
整理
範
,表 6
。
表6
,表 5
系
明示さ
ン
10
。表 5
場合
様
39
,
直接
支教団
う
勢力
,9
活
用
い
系支教団
,
日
多勢
占
様子
見
,支教団
,国内
地域
。
東部
言え
部,
ン西部,
人居
定
地域
民族
確認
,
知
依
特徴
影響
い知
最
含
東部
地域
う
含
い
う
,
。
国内
え
うぶ
あ
あ
faẓah al- asakah ,
Kurdist n
系支教団
い
ン
。
東部
ン
,
,
教団
多い
mu
地一帯
ン
人
教団
流入
特
あ
歴史
関係
。
支教団
点都
分
範囲
ャ
備考
ッ
国内各地
ッ
派生
,
,
ッ
,
サ
系
国内各地,
コ
国内各地,
コ,
,
ッ
ッ
,欧米諸国
,UAE,
コ,
派生
ッ
言及無し
表 6:[‘A ka ī 2006b]
取 上
,
教団
現代
系支教団
中心勢力
教団一覧
体的
う
経緯
。
い
,次節
教団
活動
40
ン
時代
探
い。
系支教団
前節
い
,人
系支教団
う
確認
録
所属
経緯
ン
い
勢力
確認
大
,
権
恩恵改革,
,19 世紀半
抵抗姿勢
徐々
見
一定
距
わ
ン
後半
向
始
あ
要
第1
い
形
保
い
,伝統
。
要
25
面
見
い
。
ン
背
,
加
世俗
支教団
,1839
,西欧
策
,
見
支教団
。加え
機会
中心
,
供
土地
派法学
bidīn, 1748-1836,
あ
。当時
公式法学派
ン朝
ン
系支教
あ
いう
あ
2世
指
者
い
策
権
え
弟子
求
ン
,社会
影響力
ン
教団
言
わ
,
ン
,当時
始
講義
中
,
治的
あ
立場
含
系
ン
ン
いう
個人
,
学問的,霊的
いい 26 。
‘Abd al-Q dir al-Jaz ’irī,
,
1807-1883, 表 2-90
持
[Khoury
解釈
,
理由
考え
立場
[Weismann 2005a: 71-72]。
教え
出会
あ
出会い,神学
ン
機会
支援
ン
表 1-18, 2-39
。
あ
個人的
あ
接
あ
派
ン
最初
第 2
人々
[Weismann 2007a: 93]。
Mu ammad Amīn ibn
支教団
あ
ン朝
,
彼
資質
,首都
ン
彼
う
支教団
。
機会
系支教団
,
Tanzimat-i Khayriye
言え
,2
2003 (1983): 14],
ン
あ
自然
舞
節
展開
活動
含
故地
思想的特徴
え
踏
多
系支教団
代表さ
団
ン
支教団
系支教団
中心
教団
担
以後
ン朝
始
。
,
い。
以後
年
伝統
系支教団
41
ン
出会い
あ
。
,祖国
後
主国
対植民地運動
ン
年
集団
大
多
2 種類
接触
あ
,
家
,彼
比
響
,
著作
的
伝統
形
う
,
い
背
,
思想的展開
朝
新
者
一
誇
moderate and peaceful
改革主義者
思想
影
,
沿
文脈
支教団
,
中心
挙
。
,
,行
改革
推進
表 1-29,2-66
ン
個々人
,
ン
時代
伸張
さ
,勢力
表 1-15,2-34
,
Mu ammad Talalū, ?-1865,
追認
得
1808-1839
加え,
,総
え
。
,
あ
活動
ン
1839-1861
ン
2 世 İkinci Mahmud, 1784-1839,
う
,
活動
家
任
さ
。
主義
ン
指
い
ワ
運
A mad al-Khatīb, ?-1834,
表 1-31, 2-71
[Voll 1994: 120,
Mu ammad
あ
任
ン
主義
担う
。
担当者
弟
代表さ
ン
Abdülmecid, 1823-1861,
修道場
ン
起
系
筆頭
ン
,
ン
半島
Mu ammad al-Kh nī, 1798-1862,
,
専念
[Weismann 2001: 270-271; Schwartz 2008: 135]。
潮流
後
,1855
ワ
教団内
展さ
経
教授
後,
,
当時
和的
,19 世紀
生活
系支
系支教団
穏健
,
人々
ン
い
al-Shawk nī, 1760-1834
あ
系支教団
Sh h Waliyy All h al-Dihlawī, 1703-1762
担い手
教育
人物
う1
Weismann 2001: 204-205] 27 。
動
弟子
教団
後述
ン
流
。1
。
教団
知
Bursa
。彼
移民
あ
者
虜囚生活,
移
子
指
う
ン
ン
招待状
系支教団
ン
支教団
立
ン
,
教
行う権限
。
う
,
,
ン
ン
ン
教団
打
,
打
立
い
視
,
系支教団
42
指向
派正統主義
基底
指向
結合
対抗
う
担
人々
いう思想
理論武装
込
経
,
系支教団
ン
あ
,
。表 5-6
初頭,
い
系支教団
,
現代
,さ
思想的特徴
形
人
録
状況
教
脈々
系譜
維持
系譜
う
現代
者
い
格的
系支教団
実態
検証
人
録
系支教団
論文
表1
あ
特徴
,人
表7
系支教団
派
関
う
,人
,
前
割合
び
教団
総数
基準
記 2 期間
い
い
あ
。
教団
ン
ン
。各数
,
,
確認
い。
人数
。
方
い
いう 2
ン
言及
指
例
,法学
1786-1850
,両法学派
言及人数
104
丸括弧内
当
派法学
法学派
人
。
後
,
総数
派法学
ン
,
ン
いう
,
浮
一覧
派法学者
ン
,表 7
3 人見
ン
支教団
,
い。
あ
教団
録
散見さ
派法学
,
次
い。
,
内訳
計
表7
占
記載
28
系支教団
い。
,
体的
1 人,1951-2005 年
回
い
,
節
い
法学派
,
3,
,
。
系支教団
特徴
年
1
20 世紀
い
明
々
述
う
数
時期
いう
,
人
高いわ
,
勢力
,
多い
所属
人物
教団
周縁
ン
う
,
い
,
意味
出
,
派法学
要素
層
次章
。結論
決
確認
録
あ
人
一定
日
基
。
いえ,
地
形
背景
見出
人
主義
,
,
い
数
ワ
要
連
輩出
勢力均衡
系譜
。
教団,
従来
教的指
思想
,言及さ
数
法学派
。
ン
教団全体
43
い
,
系支教団
い
,法学派
派法学
所属
言及
大部
人物
最
派法学
ン
5 割前後
占
。
多い
,法学派間
言及総数 28
わ
4
系支教団
,
高い確率
29
言え
う
系支教団
う
あ
ン
あ
所属
派法学
関
,
比率
。
,
系支教団
い
,
ン
派法学
い
系支教団
ン
教団
教団
,
所属
限
あ
い
いう
,
。
法学派
没年
総数
/
派法学
注目
,
いう
派法学
,
教団
総数
言及
数
ャ
1786-1850/266
22(17)
9(5)
3(2)
7(4)
0
1851-1900/268
25(24)
14(13)
9(9)
5(4)
0
1901-1950/268
23(18)
11(8)
5(5)
4(1)
2(2)
1951-2005/571
34(27)
16(12)
11(8)
8(5)
0
表 7:
教団
※丸括弧内
人
法学派
内訳
系支教団
いう背
ン
い
教団
支教団
法学派
系,法学派
あ
様
ン
情報
指摘
,
人
類
あ
所属
能
あ
。表 8
あ
。
例
明
結果,支教団
顕著
総数
表 1,
19 人
出
あ
多い
支教団
没年/
,
。
法学派
不明
ャ
1786-1850/266
2
1
2
1
1851-1900/268
6
0
2
0
1901-1950/268
4
0
2
0
1951-2005/571
3
3
4
1
44
,彼
表 8:
教団
さ
表9
人
割合
,範
内訳
系支教団
整理
あ
1
人
30
あ
,
う
ン
絞
,
,法学派
派法学
所属
例
わ
。
法学派
没年/
総数
系支教団
ャ
1786-1850/266
17(2)
2(1)
4(1)
1851-1900/268
24(6)
9(2)
4(0)
1901-1950/268
18(4)
5(1)
1(0)
1951-2005/571
27(3)
8(2)
5(0)
表9 :
人
※丸括弧内
表9
人
さ
人
割合
明確
割合
派法学
所属
ン
高
多
言わ
い
最後
,
確率
多勢
人
い
,法学派全体
え
依
度
。
人
質的
組
背
面
う
い
系譜
整理
あ
見
いう一般的
45
わ
的
行い,
一度振
踏襲
,
,割合
ン
え
論
う
認識
いう
。
活動
いう要素
う
像
章
合わ
言え
う
系支教団全体
,
う
系,
人
,次章
系支教団
い
主
い。一方
学者
占
いう
教団
録
者,
,
高い,
い
章
言及
派法学
支教団
派法学者,
い
人
い
ン
教団あ
法学派
派法学
,
い
, 9人
,
,
面
内訳
。
人
以
う
い。
,
,
び法学派
数
,19 人
人
強さ
系支教団
返
,伝統的
。
,
い。
諸学
,
修
20 世紀以降,
い
さ
。
人々
現
,
来
,
録
者
あ
関係者
見
像
人物
特徴
世俗的著
近代
あ
関係
人
問題意識
い
一定
いう
変
諸学
ン
い
教団
倒的
い
割合
応
経
変わ
考え
あ
支教団
一定
討
。
者
い
討
対象
焦
勢力
前者
維持
い
い
,
伝統的
探
あ
交代
,
定型様式
維持
。
,肩
人
言及さ
内訳
え
い
。全体
録
数
必要条件,あ
肝要
,
述
う
,
う
い
検
現代
口
当
,
支教団
,
彼
紐帯
,
ン
明
録
う
入
系支教団
変
所属
。
さ
者層
像
あ
見方
い
置
教指
確認
像
派法学
支教団
,
い
い
見
像
,人
見
質的
行
者,芸術家,
録
及
い。
,
支援
,従
,
,
,高い割合
見方
ン
変
法学
言う
治家
,20 世紀以降
現代
中心的要素
庇護
所属
。
わ
置
党
世俗教育
1
占
的
,
興味深い。人
確認
少
一方,
。
自体
多
,第一次世界大戦前後
変
資質
併置
,
い
無関係
。
学者以外
各種人
諸学
章第 3 節
初期,
言え
教団
人
ン
系
いう背
個々人
う
う
経緯
要素
あ
踏
え
伝統
指摘
絞
思想形
。次章
,後
,
検
,現代
い。
註
1
実際, 章 後述
う ,人 録
芸術家 記者, 治家 い
場
。
,
例 含
幅広い層 人々
さ
,
世界
多
初等教育 段
一定
教教育
あ い 家庭生活
少
礼拝
教経験 積
い
いう
う。
意味
, 伝統的
諸学 修
知識人
いう
46
人々
背
い ,
あ
い
明
内容
,
。
2
え
研究[Zaman 2002:
3
ンソン
原義
個人
4
伝記集 個々人
,
修
最 曖昧
いう
部
,
指
諸学
いう
あ
知識人
う
指
思わ
像 出版文
展
含
供
ン
10-11] 参照。
い ,後述
人物伝
区
, 記念
偉業 述
,伝記
。
生涯
い
細
情報 記述中心的意義
い
,
起源
う
う
。東洋史 専門
谷口淳一
,
世界
伝記集 起源
,
次
指摘さ
。
,預
言者
ン
言行 関
伝承 あ
真贋 確認
史料
。
,あ
当
ン
言行 あ
う
断
手
,伝記集 ,伝承者 さ
人物
定 ,伝承経路 確認
献
い
う
あ 。
地方史
人物
定基準
い
一部言え
あ [ 藤 2005: 69-70]。 い ,
以前
人 間 あ
系譜 伝
記
関心 一端
。
,
学 興隆以前
伝記集 あ
根
,
学 伝記集 関連
い。谷口自身 ,以 2
方,
わ
以前 以後
方 要素 含
[谷口
2005: 119-120]。
,人物伝 研究
[森山 2009; 2013; Gibb 1962; Rosenthal
1968; al-Qadi 2006]
参照。
5
現
,
,
,
ン,
,
ン,
ン 諸
都市 対象
,多
地方史 編纂さ
。
15 世紀
人歴史学者
Shams al-Dīn Mu ammad al-Sakhawī, 1428-1497
著作 歴史家批 者 対
批
声明 I‘lān bi-tawbīkh li-man dhamma ahl al-ta’rīkh
一覧さ
[al-Qadi 2006:
40 (Rosenthal 1968: 381-408)]。
6
複人数
複回数
15 人 15 回 ,
39 人 39 回 ,
3人 3
回 。
複
複 内,1 人 2 回
複。
複
15(15)+39(39)+3(3)-1(2)=56 人 57 回
。 場回数
場人数
数
1,428
, 複
15+39+3-2=55 人
差 引
,人 録
総
数 ,1,428
55 引い 1,373 人
。
7
体的
,
生
,
訪問あ い 滞
目的
様々 あ
,
教育
,
教育 行
事例 中心 あ
,
逝去
い
当
人物 あ 。
地方史人 録 あ
いう
,前述
個々人 生涯 歴史事実
い
記述 少 い
あわ ,
論文 用い 人物伝 特徴あ い 限界
留意
い。
8
表
類
,彼
肩
構 要素
類 趣
,次
基準
作
あ 。(1)
肩
無 数 制限
い。(2)1
肩
複数 要素
構 さ
場合,
計
例: 敬虔 伝承学者
→ 学者 =職業×1, 伝承学 =学問
×1, 敬虔
= 性 尊称×1 。(3) 学問
自明 あ 職業 関
職業 学問
計
例: 誦 者 →職
業×1,学問
聖 学 ×1 。(4)学問
職業 複数回記載さ
場合 ,
学問
数 1
,職業
回数 計
例:
地区裁
地区裁
→職業×2,学問
法学 ×1 。(5) 一 職業 複数 学問
記載さ
場合 ,職業 数 1
,学問
回数 計
例:
学者
学者 →職業×1,学問
×2 。(6)行 職 担当
学問
計
い 例: ワ
管理
→職業×1 。(7)数 少 い ,民族 家系 要素
類
設
。
民族
肩
挙
例
人
あ 。(8) 複
人物 関
,
総数 関わ 列
没年/人数 ,
肩
, 肩
無
複
差 引
,肩
構 要素 関
語
47
完全 一
除い
計
。
参考
,肩
性 尊称
構 さ
数 ,1786-1850 年 266
人中
5 人,1851-1900 年 268 人中
14 人,1901-1950 人 268 人中
2 人,1951-2005
年 571 人中
2人 あ 。
10
,
対
いう構 ,
関
人物
い
見方 あ
, 日
構
限定的
用い
い[東長 2013: 83]。
11
神学 法学,
並
,中世以来
ン 派学問体系 構
あ
,実質的 法学者 担わ
経緯
,法学 一部 さ
あ う 。肩
神学者
いう記載 見
, 文 学歴情報 見
,特定 神学派 言及
さ
Ibrāhīm al-Ḥusrī al-Shahīr, ?-1786,
派
神学 [Ab ẓah & al- fiẓ 1991b: 12]
ālih Shams, ?-1802,
派神学 [Ab ẓah & al- fiẓ 1991b: 106-107] 2 人
あ 。
12
述
う ,多
預言者
ン
始 ,
初代
,彼
遡 系譜
組織
段
設
あ 。
13
各教団
体的 情報
い
,従来 代表的
研 究 [ Abun-Nasr 2007;
Trimingham 1971] 参照。
14
,
教団 al- arīqah al-Rif ‘iyyah ,
教団 al- arīqah al-Sa‘diyyah ,
教団 al- arīqah al-Dusūqiyyah ,
教 団
al- arīqah al-Rashdiyyah
,
教 団
al- arīqah
al-Mawl wiyyah/Mevlevilik
。
,中心
4
い
体
支教団 ,
教団 含
計
例: ン
教 団 al- arīqah
al-Dandar wiyya →
教団 。表 3 計
264 人 概要
い
表 2 参照。
15
ン
いう教団
彼
因
時 ,原語
語
基
ン
語源 明,
心 神
深 刻
試
,
ン
人 創造主
意味
いう 明
権威
。必
1
い ,以
中心 活動
ン
教団
1 人 あ
Hisham Kabbani,
1945明 あ [Kabbani 1995: 4]。
ン
教団 通史
い
[Algar 1985a; 1985b; Kabbani 1995] 主 参考
。
教団 歴史
[al-‘Askarī 2006a; 2006b,Weismann 2001; 2004; 2005a; 2007a] 記述
。
16
Abū al-Q sim ibn Mu ammad ibn al-Junayd al-Khazz z, ?-910
,
活躍
初期
,
経由
道統
。
17
mujaddid
新
者
意味 ,
ン
生
時代
暦 第 2 千年紀 始
あ
う
。
人物 1 世紀
現
い
,W
Wael B. all q
法学史 研究[
2003: 56-60] 参照。
問題
い
,
新,tajdīd
関連
,第 3 章第
3 節 再度言及
。
18
系支教団
ン朝
流入 背
,
ン
代理人 弟子 活躍 あ
。
dam al-Banūrī, ?-1663 ,
ン
Mu ammad al-Ma‘ ūm, ?-1663 ,
A mad
al-Jurj nī, ?-1707 ,
Mur d Bukh rī, 1640-1720
代表的人物
挙
。
中心
半島西部
地方 ,
ン
中心
,
ン総督
協働関係 築
,
系支教団 ン
入
植活動 進
。
,
ン
ン
教団 修道場
,
tekke
管理人 務
ン
Mehmet Amīn Tukdi, ?-1745
9
48
代理人
え
あ
,多
現地協力者
い
様子
う
。
19
活動
い
,彼
人 あ
,
人 利益 代表
権 抵抗
性質 持
い
評価さ
場合 あ 。例
え 露土戦争 第一次世界大戦
抵抗運動
後 者 関わ
体的 例
,M v
ン Martin van Bruinessen
,
系
ン
支教団
運動
持
い
指摘
[Bruinessen 1985: 337]。
実際
, 権
協働関係
築い い
考え
, う
評価
人 あ
視
あ 。
人
,
人全般 関
[ Blau 1985;
McDowall 2004: 50-53, 466ff., Özoğlu 2004]
い。
20
正統主義的指向
,
系支教団 ,18 世紀以来
半島 中
心 勢力 誇
い ワ
主義 対抗 う
ン 派思想潮流
,
ン朝
権側
内部
方
,期待さ
注記
あ う
[Weismann 2007a: 88]。
21
複
人物 関
,
複
場合
差 引 ,異
場合
計
。
22
表4 計
,
ン
教団
104 人 概要
表 1 参照。
23
教団 関
ワ
ン 論考[Weismann 2005c] 参照。
24
,第 4 章 活用
う ,
最大 特徴 , ン
集
各
い
細 回答 聞 出
い
あ 。
25
い
,
最初
あ
,あ い
徐々
移
いう疑問
。 章
問い 対
明確 答え
出
い ,述
う ,彼 交流
人物,埋葬場所,彼 弟子
修道場,
彼 後 者
見 限 ,少
晩年
あ
疑い 無い。
26
ン
ン
言及
著作 多
い , 迷え 者
真珠
送 出
Radd al-muḥtār ‘alā al-durr al-mukhtār
,
A mad Gh zalī, ?-1126 ,
ン
Mu ī al-Dīn ibn al-‘Arabī, 1165-1240 ,
ン
Jal l al-Dīn al-Suyū ī, 1445-1505 ,
‘Abd al-Ghanī’ al-N bulusī, 1641-1731
い
思想 支持
,
的真理
目的
,互い
方 必
要
明言さ
[Weismann 2005: 74-75]。ワ
ン ,
系支教団
脱
異端 非
ワ
‘Abd
al-Wahh b al- ū ī, ?
,
権威 否定
ワ
主義 勢力
,
ン
ン 以
主張 ,
擁護
見
。
ン
ン
個人
批
対
,
系支教団
正統
論
。
系支教団 擁護
自体 ,
ン
策支援
任
両者 協働関係 あ
,
ン朝 対
治的 駆
引
見
い。
ワ
主義
論
治的 立
置
明
い。聖者信仰批
ン
ン 部 的 ワ
主義
主張
あ 。
,
ン
ン 主張
,ワ
主義 自
正統主義
板
え 擁護
指
摘
。
現
保
系支教団 思想的特徴 形
う 1
機会 関係
。
27
家
,
子供
教育 保護 任さ
[Weismann
2005a: 207],
交流 個人的 一定 信
立
い 様子 う
え 。
28
ン 派 4 法学派
,
,
, ン
う ,
49
ン
29
30
う
合
派法学
当
例
い。
派法学
い
10 割
, 当
例 少 い
案
い。
表7 見
,
派法学
派法学
方 言及
4人
,1786-1850 年 1 人,1951-2005 年 1 人,合計 2 人
人 あ 。表 7 場
様 ,
い
,両法学派
計
。
50
マド ク
章
ロ
,第 2 章
け
現代
そ
く
さ
ま
とハ
人
録を
像,
く
形成
過程
出
伝統を探
。
第1節
ン
, 創設者
維持
あ
ン
を
った契機
ま
視点
あ
い
求
た
以
3 節を
掲
う位置
け
を明
。そ
っ
必要
要
系
人
,彼
伝統
い宗教的指導者たち
ク
ン
勢力を
指摘
た
同支教団
伝
目を向け
人物
。
強く知
いった伝統的
あ
同時
。
活動面
要
あ
答え
いう,前章第 3 節
着目
たク
。
ま
う
変化
,
ク
一定
いう問い
を探
た
,同支教団
い
,
ン
。
あった
いった
こ
, 章
相応
た,
ク
え
たい。
系
う
た背景
た新
始
,
前章第 3 節
現代
影響を
こ
理解
,また彼を
を
大
目的
,
宗教界を代表
従来
,彼
初期
うえ
い
っ
現代
押
,現代
ク
独自
章
第一次世界大戦を経た
こ
を基盤
,彼
い
理解を深
広
ク
,
述
期
背景をク
,
1
ン朝
派法学者
う
た活動
い
を
,
第3節
関わ
状況を把握
。こ
を質的
一方
こ
い
社会
系支教団
そ
あ
ク
た彼
統を備え
考察
録を用い
現代
あた
こ
,
。そ
。そ
い
初期
考察
,
着目を
理
,
伝統を踏まえ,
以
背景
ク
たち
第2節
章
支教団
。人
たち
び
道統を確認
を
21 世紀初頭
けを考察
言う 創設者
経
支教団
,
系譜
た時代
エ
ク
支教団
い
異
同支教団
生
支教団
ン
位置
,個々人
系支教団
委任統治期, ま
ン
を中心
ク
ク
同支教団
経
ク
ン
け
,ク
ン
ン
った,18 世紀
系
こ
至った
ク
明
人々を扱った前章
系譜を
た父
系
う
宗教的指導者
,ク
た
う
活動面
,またそ
過程
政治的,社会的立場
。
,現代
い
51
伝統
形成さ
過程を,
ク
を事例
マ カ
明
おけ ク
ロ
ク
。
節
祖父
ロ
家の経歴を述
ま
章
著作
徐々
用い
現
代を始点
資料
い
住
,父
述
限
始
ン
ク
た人物像を探
。
ク
高弟
ン注釈
主
1人
会議
海外
説教
少
行わ
た講義をま
ン
彼
晩年あ
い。彼
生前
た
預言者伝
,
うち,彼
人
い
そ
出た単著
ク
注釈
け
祷
弟子
っ
,
他,生前
宗教団体
共催
出版さ
ク
始
猊
一般市民
政治社会団体
ク
関係者を交えた公
系譜を理解
た伝記
語録集
ン
いく
た
あ
。
ン
伝記
あ
た宗教 文化活動
役立
資料
論文
参考
場
ク
係
行わ
Amīn Kuftārū fī dhikrā murūr khamsīn āmm ‘alā wafāt-hu
ン ク
た国
い
。そ
意
さ
た対
一環
行わ
う
,
た
猊
講義 Muḥādarāt
あ
,近親者
1
,宗
以外
,
。
び弟子
代表的
ま
,ま
ク
ン ク
行わ
[Kuft rū M. 2008a]
教
。
L’importance des
要性
[Kaftaro & Dib 2007]
団体
,近親者
銘打た
現
al-Sīrah al-rasūl
fī al-islāmī al-maṣīhī li-samāḥah al-shaykh Aḥmad Kuftārū [Kuft rū M. 2008b]
iw r al-ady n
逝去後
共編
ク
時
あ
を
あ
iwārāt hādifah ma‘a samāḥah al-shaykh Aḥmad Kuftārū
教間対
出身
道 The Way of Truth [Kuftaro 1997]
講義,また海外
多く
資料
Rajab Diyb, 1931-
講演録
た講演
数
講義
あ
ク
ン
行わ
説教
そ
invocations dans le Coran et Tafsir des Rabbana
た金曜礼拝
経
関
,ま
Allāh [Kuft rū 1996] ,説教集 真理
,彼
家系
たい。ク
。一部
い
,
没後
たい。
資料
い
編纂,刊行さ
を考察
代
宗教的背景を
ク
特
家
,祖父
,そ
ク
,そ
――50 周忌を記念
親子
そ
al-Shaykh
[ abash 1989],
――1875-1938 年 al-Shaykh Amīn Kuftārū: 1875-1938 [ abash 2008],
52
ク
――
wa-manhaj-hu fī al-tajdīd wa-l-iṣlāḥ
散漫
承
あ
,ク
者
を項目
,彼
師事
また,ク
あ
程度触
,そ
を務
っ
彼
高弟
た
以
。そ
綴った
た人物
た
ク
い
1人
い
伝記
[
いう
教え]を継
情報
あ
2
あ
。
え
前章
,
。同書
用いた,ク
国内
,今日
加え,ク
う
指導
た
寧
A mad R ji , 1934-
説明
。
経
著
筆者
を分析
こ
を目的
た
以降, 論文
ック部分
ン
,た
支教団を含
あ
うち,ク
あ
他,伝記
,現代
資料
ン
い
ン
法
分け
を行った資料[al-‘Askarī 2006b]
い
挙
系譜を確認
全体像
al-Shaykh Aḥmad Kuftārū
方法
た Riḥlah wafā’ ma‘a al-wārith al-Muḥammadiyy [Dahm n 2008] ,
同時代を過
ン
改善
[ abash 1996]
経
満たさ
ク
新
節
ク
方法
記
数
第2版
説明。
。以
,同書
用い
――
内容を簡単
主た
資料
,
新
改善
方
紹
たい
。
序 13-19 頁
第1章
戦い
物語 23-258 頁
家系,家族,他のウラマ
宗教間対話
との交流を中心とした幼少期
壮年期ま ,また外
や
いての記述
第2章
公職
ャ
3
活動
就いて
け
方法 259-414 頁
の活動を中心とした中年期以降,また宗教,政治,社会
の姿勢
いて
の記述
第3章
さ
た彼
第1節
宣教
今日見
,
第2節
今日見
績 415-458 頁
教育 417-442 頁
ク併設の神学校の教育方針 課程
いての記述
社会活動 443-450 頁
,
ク併設の慈善団体を中心とした福祉 活動
述
53
いての記
第3節
思想 451-458 頁
出版活動
付記
方法
年期
要
彼
いての記述
目次 459-560 頁
特
1
,ク
壮年期
け
,エ
資料
。また同書
学者,教育者
こ
趣
ソ
掲載さ
共和国
う
え
。そ
5人
首相
教派
孫
,政治
社会活動家
。序
,著者
,
こ
声
, 方法
,欧米を含
う広い範囲
経
を確認
カ
マ
ほ
い
出口京
系
属
多面的
高
を示
サ
人地区
家
移住
た
al-Zaynabiyyah
ン
1人
っ
述
,
,5 人
著
出
。
人
手
,
5
Robert D. Crane, 1929-
あ
出口王仁
郎
,日
ン
あ
ま
。こ
,彼
5人
交
内容を
文章を掲
関係,あ
い
学者
い
指導者,国内
, 方法
4
1871-1948
,そ
人物像,
,海外他宗教
。そ
ク
ク
ロ
ク
1894 年
ク
,現
コ
,
ッ
ン山
移住
東部,
Rukn al-Dīn
,
,
家
県
あ
た[Sharīf 2003: 1138] 6 。一
移住
alン
人
ン山 jabal al-Q siyūn
周辺, く
地区
たク
国境付近,
市内
ン
Mūs Kuft rū, ?-1894/1900
時代
1877-1938
al-Karmah
ク
青
たい。
ク
麓
く
あ
1936-
,祖父
。一家
,
郎
ク
ク
ン
別
学部副学部長,当時
いたこ
章
方を
著
教祖
あ
た諸外国
の移住とム
,父
ン
序
,
い
側面
ク
幹部
述
。
クソン Richar M. Nixon, 1913-1994, 位 1969-1974
R
大学
載
宗教活動
あ
Hamid Algabid, 1941-, 位 1983-1988 ,
大
大
紙幅を割く点
政治 社会活動
あった,
道系教団
,現
を交えた彼
あ
合衆国第 37 代大統領
外交政策顧問
多く
,ク
側面
序
文章
経
li iyyah
,
いった著
54
,聖者,
住
た地区
移住
廟
知
間
7
い
いあ
た足を休
時,
界隈
,彼
た。
東
方向
こ
伸
人々
伝わ
さい
た
場
,逝去後,息子
あ
サ
移
聖者
語
廟
,そこ
けた
教育
場
ン
たまま寝入っ
現
,
々
,
,
ク
広ま
こ
った。
継承
た。
た当時,
ン ク
何人
人物
ク
ン
系
ま
師事
20
いた。師事
前後
若
た
,
支教団
あった
‘ s al-Kurdī al-Naqshbandiī, 1831-1912,別表 1-55,2-134
ク派法学者,そ
ッ
ン
当時
教団
け
そ
自分たち
を集
講義を行っ
,
ン
あ
いう,
Badr al-Dīn al- asanī, 1850-1935,別表 2-156
1986a: 284-291, 473-494;
廟
いう[ abash 1996: 42]。
った。
ク
,
林立
ク
,彼
諸学を学ぶた
学者
8
ク
逝去
ク
碩学
教育
知
た2人
あ [Ab ẓah & al-
fiẓ
im ī 1991a: 151-158; 1991b: 803-808] 9 。2 人
abash 1989: 37-41;
場を持っ
,
ン
ク
を含
多く
弟子
いた。
学を専門
中腹
好
クを訪
ク
派法学者
た法学
ン山麓
困惑
,そ
く逝去
と
人移民
夢
後間
,
った
あ
こ
彼を敬う者たち
ロ
ク
,高
良い。気を楽
ク
ったた
った。
そ
ン ク
廟
廟を構え
秘体
教育
多く
,
ī, ?-1188
足を向け
ク
彼
く
ク
そこ
方向
足を向け
彼
た
,
。
Abū al-Nūr Qar j al- al
疲
林立
加え
た
,ク
を置いた 10 。ク
教育
あ
廟
ン
支教団
修行
け
く,様々
立っ
いった。た
え
を指導
住
,
学問を教えたた
,
派法学を中心
ン山
込
諸学を教授
,ク
ン
55
ク
弟子
巣
た。
修道場
ン
系
Fay al ibn
多様
usayn, 1883-1933
統治
al-Mamlakah al-‘Arabiyyah al-Sūriyyah, 1920
王国
った,
‘A
派法学者
All h al-Q sim, 1844-1938
al-‘Ulam ’
議長
った
11
,同
ン
ッ
く
派法学者
裁
Mu ammad
連盟
説教師
活躍
12
,
,1911 年
郊外
った
派法学者
ン
あ
13
あ [Ab ẓah
,
fiz 1986a: 517-522; 1986b: 687-692, 720-732, abash 1989: 29-34]。注目
弟子
団
郡 Min aqah
同地
Ibr hīm Ghar ‘īnī, 1884-1958,別表 1-76,2-191
& al-
R bi ah
Mu ammad Abū
ン
al-Khayr al-Mīd nī, 1875-1961,別表 1-78,2-198
Qa an
最高
含ま
く,
い
う
こ
,そ
ク
,こ
全員
個人
系支教
師事
た人物
いたこ
。
ン
ク
ク
師事
た 1897 年以降, ま
彼
た
ク
,
逝去
ン
後
ク
結婚
あ [ abash 1989: 37]。
Mu ammad Amīn al-Zamalk nī, 1853-1927,別表 1-60,
ン
,ク
2-147
年
弟子
系支教団
突出
後継者
た
った。両者
免状をク
[ abash 1989: 37], ち
ク
授
直後
1911
ったこ
後継者
確認さ
定まっ
い
い 14 。
ク
ロ
家
よ
ク
カ継承とその教育
後継者
父
ったこ
受け継い
,ク
クを離
引
彼
いた。そ
教育活動
活動を,
多彩
弟子
性格を
教育
け
超党派主義的性格を示
教
を挙
こ
び
教育
場
,
廟
ン ク
,
対
ン
,ク
,
継い
行うこ
,そ
,
ク
引
一
集う場所
超党派主義
指導
受け継い
た
ク
ク
掲
継い
ク
ク
生前,
命
ク
教団
ン
ク
った。
2
幾
,
ク
った。結果的
教育
,多様
学問
ン
,
混合を
いく。
例
,
ン
ク
用いた
‘Abd al-Wahh b al-Sha‘ar nī,
。ここ
56
法学書
1492-1565
最
偉大
Abū al-Walīd ibn Rushd, 1126-1198
を
al-mujtahid
法学派
学説
等
法学派間
学派間
連
同様
う。前者
ン
こ
を特
指向
穏健
く用い
調和
ン
土地
いう
法学者
け
自身
多く
ク
ワ
あ
見
方
批
集合礼拝
特定
場合
調和を説
。
ン
派 4 法学派間
論
学派
そ
,
こ
固執
伝えた。
比較を行っ
固執
いこ
法
,著者
を特
い立場を明確
示
礼拝を省略
こ
。
た例
,
派法学者
あった
可能性
複数
ク
ワ
を浴び
,論
可能性を弟子たち
集合礼拝後
。そ
多発
ン
ク派法学
ン ク
Bidāyah
立場を汲
,
属
また,
1
派 4 法学派
15
ン
端緒
調和
端緒
,
法学書
,そ
後者
あ
al-Mīzān al-kubrā
秤
,
派
ン ク
を
礼拝
, 一
代わ
こ
土地
を説明
書
簡 Risālah fī jawāz ta‘addud al-jum‘ah fī al-balad al-wāhid wa-bayān annahā taqūm maqām fard
al-zuhr
1923/4 年
念
作
,自身
書簡自体
現
派法学
祖
い
,そ
ワ
住時
Ism ‘īl ibn Ya y al-Muzanī, 791-878
を何
,
ち
以
を知
ま
う
者
け
自
た。
々
言った
時
獲得さ
た見解 を何
何
見
。そ
。
信頼
を
問題
根
盲目的
見解
実践
憶測
う
選
実践
あ
いこ
過
法源
否
いう
。
く知
い
こ
た
い 。こ
を実践
1
獲得さ
57
い
法学解釈を行う者
た見解
憶測
知
あ
発言
こ
関わ
言葉
ク
い。
断
,
を
弟子
解釈,
言葉を
々
ン
たこ
う
結果生
,そう
,
根
向けた以
実践
問題
問題
い
Abū ‘Abd All h Mu ammad
,エ
言うこ
内容
見解をそ
,
私
た 16 。
を弁護
あ
ibn Idrīs al-Sh fi‘ī, 767-820
見解
ワ
い
確実
許さ
い
。
い
あ
[ abash 1996: 44-45] 17 。
記引用文
説明
い
い。
許さ
そ
い
学説をま
ここ
い
学説,法学派
内容
あ
学派内
,
ン
忌避
ン
況を反映
ッ
。
そ
ン
間
わ
4 年後
宣言
1920 年
ン
目ま
け
世紀
,彼
基礎
,あ
現化
見解,
教
,ク
たさまを見
た
,
込
当時
た。
言葉
対
朝
混乱
。そ
そ
革命思想
伝播
所
誕生
た。
2
聖
ク
を経
入
始ま
替わ
解体,消滅
た時代
58
ク
=
あ
代表さ
あ
込ま
,
ン
言わ
[
あった 18 。
朝
いった,近代以
1299-1922
反植民地運動
ク
た。
世紀
,
。
1946 年ま
1526-1858 ,
ン朝
勢力
主
王朝
,そ
巻
朝
,
た
混乱期
少
,
また,
見
建国さ
世界解体
1796-1925 ,
王朝
あ
王国
反乱を起こ
委任統治
く統治者
意味
社会状
,
,西暦 19 世紀
世界を代表
支配
あ
。以
継承さ
全土を巻
1917 年
そ
先行
1501-1736 ,
前
場
ン朝
び
杉 2006: 188 ]。 そ
分
い
く,
ク
,そ
こ
ク
ン
く。20 世紀初頭
こ
追従
く,特定
こ
al-Madīnah
ン
1916 年
び
た思想を
Makkah
あった
コ協定
,調和
いう教育方針
,
産ま
,
形態を
ク
見
ク
王国
い
い
教育
連
いうこ
け
こう
ン
面
盲目的
て
一方,
た別
明確
諸学を教え
動をめ
け
固執
ク
クを広く
そ
法学派間
強く基礎
,次第
あっ
著者
く。
法学派
1
方法
,端的
受け継
一般教養を身
。
教育活動
。学問的権威
学ぶ,いわ
こ
い
見解
掲
ク
対植民地主義
あ
ク
側面
こ
ク
,学問的権威
た
固執
ワ
ン
いう考え
学派を総花的
ン
,
ッ
,
諸国
植民地
内部
そ
携わった活動家
機関
身を置く
け
い
反植民地運動
を中心
務
,あ
多く
,
世俗機関
,
た学者を主体
あった。運動
ク
,
ン
活動家
魅力を備え
後
活動家
た
,
ン
た結果
評
こ
,
う命
た[ abash 1996: 32] 23 。
け
活動
ク
ン
専心
,父以
こ
う
,
い
あ
熱心
訓示を
ク
ン
う
命
た。そ
真意
教育活動を疎
。
ン
ク
を見
,教育活動を
,
ン
系
ク
父
ン
ク
こ
ク
59
意味
, 学
ク
,父
戦乱
を決意
た
支教団
命
目指
渦
た法学派間
あった
あ
宗教的背景,あ
ン
特別
,
ク
尽力
逃亡
えた影響
ク
た。そ
を連
活動
一方
いう,
っ
ク
を
調和,さ
う
世界全体
,幼少期
わ
。
ク
地方
ン ク
教育活動
,
,
あ
反植民地運動
った 24 。
分
加え
女装
調和,
以
,師
確
くさ
い。彼
連
学問的素養
ク
いたこ
た
を見た。そ
た内容
含ま
く
逃
者
ン
Midhat Shaykh ‘Arḍ, 1900-2001
,
ク
,少
軍
影響を持た
fiz 1986a: 385-386]
ン
クを離
い
結果
く
た
あった
を余儀
b, 1847-1941 [Ab ẓah
。
。前述
い
ン
少
22
い
反植民地運動
あった
こ
ッ
いた[ abash 1996: 37]21 。同様
ク
事態
,評議長を
いた
っ
高い評価を受け
対
,
説教師を務
,
,当時
,弟子
ン
いた[ amīd n 2007: 24] 20 。そ
く
こ
た
‘Abd al-Q dir Qa
ク
法学者,
ク
,
‘Abd al-Q dir al-Qayw n, 1875-1920 [Ab ẓah & al-
ン
加え,多く
参加
く,世俗
た 19 。
運動を展開
例外的
ッ
ワ
修道場
接触を
fiz 1986a: 539-550],
反故
,
世界
いた
& al-
ク,
いう特定
祖国
。
い
教育者
属
示さ
,
師
いう姿勢
政治的
あ
ク
伝え
,当時
ク
。同時
,彼
社会 時代状況を反映
限った
像を
様子
った,開
っ
対植民地抵
。
ク
マド ク
運動
携わ
,こ
教育姿勢
う
たこ
行ったこ
え
ン
ク
け
こ
ロ
ク
っ
彼
社会
点
断絶
,父
世代
理,分析
の
た学者
異
ク
他
教育活動
こ
わ
た。
ったわけ
方法
を見
い。
社会
ン
ン学を,そ
諸学
,
ン ク
継承
後継者
要人
。加
彼
,
関係を築いた。
派法学
系支教団
び周辺各地
背景を
を,
あ
ン
Mu amma Salīm al- alw nī, 1888-1944,別表 2-174 [Ab ẓah &
指導
集
た教育を積極的
要
教団
fiẓ 1986b: 603-605]
意志を一手
ク
活動
ン ク
ワ
ク
。
カ継承とその展開
,父
そ
こ
。
派法学者
al-
冠さ
党派主義を排除
ク
過程を
マド ク
評価
土地背景を継承
た
ク
父
,そ
ン
戦士
ン
各種
壮年期
クを
節
,
,当時
いう肩書
時代
いう,非常
うこ
ク
,青年期
いえ,そ
う
携わ
の系譜
,
,ク
い
活動を展開
系支教団
継承さ
。こ
活動家,
教者
,
ロ
運動
見
録
教育
対植民地抵
例
た,人
,確認
った
た性格
いこ
,前章
あわ
教育活動
た
た新
ン
語を学
を含
た
た
1932 年
講義
[Ab ẓah 2007: 492-495]。ク
依頼を受け
法
[ abash 1996: 51]者
う
60
教育指導
立場を
あ [Nadd f 2005: 84]25 。彼
真理,
示
ク
あった
ク
,また
い思想を
派法学者
。た
,彼
ン
知識,若者
,
教育活動
中心
あ
くま
ク
同世代
人々
あった。 方法
,著者
次
。
聞いた思い出
私
父
綴
,夜明け
礼拝
ク
遠く
礼拝
村
住
い
一緒
参加
村
渡
歩
ン
者
,
‘Ayn
い
そこ
参加
彼
雪
い
い
masjid ‘Ayn al-Khadhr ’,
,
ン
夜明け
講義
行わ
ク
同胞
ン
Yūsif
た日々
。
時
同
道を通
獣,そ
った。
ン
礼拝時
た
感
った。
細部
さ
,ここ
挙
い。似た
う
無い。自
危険を顧
,山を越え
朝
恐
疑う余地
払い
ッ
言った。彼
洪水
わ
を振
いた。
ク
いた
3 時間
エ
あ
った。寒さ
こ
杖を
向
ク
,当時
知っ
ク
,道中,狼
,朝
ク
Na r All h
け
家を出
いた。彼
た
郊外西部
性
1 時間前
そ
いった地区を通っ
った。父
向
け
父
会いたい一心
al-Kirsh
深夜
び
自身
駐留軍
襲わ
講義を逃
こ
信頼
多く
遠方
ク
危険
,道中
以外,彼
降
掛
人物
聞いたうち
く
,語
継
,そ
信憑
いい。
た
さ
問う
ク
通い
け
人
こ
無駄
そ
を
う
[ abash 1996: 64-65]。
ク
,
ン
jamī‘ al-ummah
,
を教
った学派間
,父
た。そ
次節
彼
触
講義
う
う暗雲
ン
魅
,一部
教団
全体を
払
端緒
Kashf al-ghummah ‘an
Bidāyah al-mujtahid
調和を説く教育活動を
た多く
若者
先行研究
こ
Kaft riyyah
,
,
ま
61
ク
数日間をそこ
ク
系
過
う
ク
教育
ク
ン
開始
った。
集ま
支教
団
26
誕生
。
教育活動を
動
力を注い
あ
。彼
。そ
格的
,
た。そ
く,政治家
過程
宗教的指導者
人物を輩出
そ
戦略
場所
社会
出入
う
そ
後
を目指
た
,ク
1,2 年を過
派遣
た。教育活動
社会,あ
あ
こ
着手
援を受け
,
た。そ
困者支援
al-Khayriyyah al-An r
事績
従事
を
け
ク
ク
び
学院
関を擁
,宗教
マド ク
ロ
,交流
たこ
財団
,
う1
,ク
機能を
ン
27
実体的
拡
たち
支
慈善協会
。こ
そ
Jam‘iyyah
後,1970 年代
Mujamma‘ al-Shaykh A mad Kuft rū
第一歩
ク内部
社会活動
いった各種法人機
あった
政治的活動
免状を受け,
ン
言え
。
,
そ
数学,地理学,外国語
また
協会
1
知
を
教育,また
,1944 年
。
基礎を知
ク
近郊
た
連盟
,
62
った
を
た
要
。
逝去
間
く,ク
加わった。
b, 1873-1954
ン
振興を行っ
結成さ
た
組
Mu ammad K mil al-Ka
ッ
た団体
を
外部
Jam‘iyyah ‘Ulam ’ al-Sh m
協会
ン
組
ク
ク
継承
設立
交
と政治 社会との関わ
,こ
,
並行
あ
あ
誕生
社会活動
1
け
伝統を担う
J mi‘ Abū al-Nūr al-Isl mī
ン
弟子
。
公益法人団体
併設
開
弟子を,
い
ク
代表的
あ
彼
た一部
1950 年代以降,ク
張
た
諸学
社会的指導者
こ
を
点
ク
ク
ク
身
向け
,
社会的指導者
社会活
諸学を学ぶ場
た。また
周辺地域
組
生涯学習
こ
流を継
並行
ク内部
クを,宣教
た場
た 1940 年代,ク
,
1
った
年
始
連盟
た
協会
1938
諸学,
いた 28 。
R bi ah al-‘Ulam ’
主導
前
1945-47
年
間
組織化さ
た大衆
組織,
体,多く
団体
合体
設立さ
任統治
独立
た後,同胞団
連盟
初期
主要
た組織
同胞団
あ
国政参加を
ン
,
,同胞団
っ
,彼
校
あった
1949 年
起こ
盟
政治勢力
成
あたっ
場
ッ
ク
出身
目立った活動
側面を強
連盟
いく。1948 年
1950 年
県
彼
あ
こ
育
滞
う
場
年代以降
面
こ
く
目
同時
いた
,自身
え
祖国
系譜
い
たこ
あ
個人
自身
,
公人
宗教教師 mudarris dīnī ,
,
,1964 年
ク
共
後
,1958 年
再独立,そ
1940-50 年代
進行
譲
面
社会進出
,
ク
側面
あ
見
ク
,ここま
確認
。
63
,
一体化
歩
面
j nib
[ abash 1996: 78]。こ
主張さ
た
政治的側面
,以
,1950
, 宗教間対
一体化
独立
いう教
。
j nib al-wa anī
た
あった
党
公人
た時期
, 祖国
を
連合共
1963 年
ク
エ
。
いう 3
連
将
連
任命さ
言え
,そ
,そ
次節
中断さ
,
公人化
宗教間対
議論
委任統治政府
同県
j nib al-sa‘ī il al-wa dah al-isl miyyah
面
い
ン
faẓah Qunay rah
絶
あ
活動
iw r al-diy n t
密接
い
,同時
後,
,ク
起こった。
っ
al-sa‘ī il
,た
停滞を
。国内
絶え
ク
歩
い 31 。
た。そ
,ク
改革
活動
共和国
いった政変
間
同胞団
1951 年
進出
を連
u nī al-Za‘īm, 1894-1949
同職,そ
和国 ,1961 年
そ
そ
側面
30
あ
生
al-Jumhūriyyah al-‘Arabiyyah al-Mutta idah, 1958-1961,
国家連合
ク
立場
た。た
県 mu
就任
門
いた。観念的
供
ク
公式宗教界
和国最高
就い
い
行っ
委
た 29 。
選挙活動を支援
ク
人,
影響
,
任
機能
たク
ン
連盟長
学問的素養を
政治参加
。同胞団自
,
連盟議会副議長
連盟
あ
連盟
いった,
,ク
系列団体
側
,またそ
い。
方法
そ
浮
び
。こ
内容を振
返
,ク
点
マド ク
前章
ロ
をめ
系譜
用いた
節冒頭
述
た
人
録
,ク
ン
ク
,
ン
。そ
そ
前述
う
3人
,
ン
ク
あ
ク
2 人。
Salīm al-‘A
[Ab ẓah & al-
32
ク
人物
弟子
そ
語
社会
ク
,
必
いた
r, 1834-1902,
。
考え
こ
場
ま
派法学者
6 人 33 。そ
師弟関係を
内容を持
宗教教育
ン
あ
珍
開
彼
ク
い。曖昧
系
あ
た
く,実
,高
い
向け
弟子
al- arqajī, 1912-1993, 者,
く
,あ
た
弟子
くわけ
。一般
一度
系譜を逆方向,
人物
1人
,ほ
伝統的
fiẓ 1986b: 89-93],
Mu ammad al-Munīnī, 1835-1898,
師事
薫陶を受けた, いった類
ッ
fiẓ 1986b: 197-204],
ン
系譜
挙
ン
Bakrī al-‘A
他
多く
そ
ッ
ク
語
録
語学者,
r, 1826-1890,
,
,
fiẓ 1986a: 36-38],
fiẓ 1986b: 157-162]
録
人
ッ
派法学者 [Ab ẓah & al-
,人
師
派法学者 [Ab ẓah & al-
fiẓ 1986b: 102-104],
Ma mūd al- amz wī
,
A mad al-Munayyar,
派法学者 [Ab ẓah & al-
い
3人
ワ
r, 1817-1889,
‘Umar ‘A
ッ
挙
ワ
派法学者 [Ab ẓah & al-
1812-1885,
ち
師
何
形
,真偽
疑わ
,否定
,人
そ
師
い一方,
い面
録
あ
彼を師
‘ rif
あった
ク
ン
。
支教団,別表 1-98,2-249 ,
‘ dil al-D d , ?-1993,商人 [Ab ẓah 2007: 258],
A mad al-Kan kirī, 1931-1995 [Ab ẓah 2007: 283-284],
Shīkh, 1940-2001 [Ab ẓah 2007: 454]
子
録
う
各
学
人々
いたこ
記述
え
,ク
継承者
紙幅
以
4人
あ
。
疑い
い。こう
限
い
強く師事
う
こ
64
Marw n
,実
た人
録
命中
多く
実態
,一部
た人物を持っ
,編纂時
ワン
差
弟
,人
ク
いたこ
あったた
,またク
人
録
掲載
さ
いこ
,様々
ク
理
を中心
た系譜
ッ
ウ
考え
ク
。い
く
,
ッ
ッ
ン
クフ
カ
1
彼
系譜
,あくま
ク
いく
特
派法学者
明記さ
を中心
を探
ン
言っ
デ
ロ
フ
道統
系譜
当
少
例
,こ
ン
た
ま
ク
。た
え
,少
く
い
,
灰色背景色
教団
人
要素
録
情報
,
,ク
,斜体
ク
た3
要素を
系譜
人
あ
。
持ち合わ
,そ
ク
た
系支教団
く
焦点を当
以来,継承さ
系支教団
過
いたこ
いう 2
要素
たク
34
分
,前
系譜,
述
。
た,
連盟
見出
,
いたこ
を含
指導
。
要素
い
ク
派法学
活躍
。少
いう 2
び
,3
また,
あ
, ク
浮
あ
ン
系支教団
,
3 人を並
わち
益
師弟関係を示
ク
系支教団
。そ
た一部
人物
う。また
,ク
ン
クフ
うぶ
明記さ
いい
た人物
団
。
ク
キ
人物,
派法学
混乱期
こ
ロ
カ
法学派
当
示
を中心とした師弟関係の系譜
系支教団
特
たち
1
,
ウ
フ
ロ
情報を
ヤ
ワ
図 1:ク
,こ
分
背景
あ
連盟
中
。同
く
連盟
活躍
派法学者
。
65
た
ク
系支教
こ
う
,
全体
要素を
伝統
要素を持ち合わ
あ
見た割合
。密度
主流
た人物
活躍
関連
,
いう点
さ
鑑
背景
,以
位置
け
い
2
こ
い。一方,そ
た割合,
わち密度
節
,
ッ
ン
契機
った
,第 1 章
最後
3
高さを指摘
こ
可能
触
たい。
系譜
いての量的理解と質的理解
論文
ッ
エ
け
ン
指摘,
ま
[Pierret 2011: 48]。
け
を代表
加
た憂国
彼
青年期以降
あ
戦士
大衆説教師
行っ
ン
強調さ
,前述
,
人
ほ
代を過
た人数,
事
差
た
い
扱わ
学
彼
教育者
師事
。人
人数
教育者
分
け
他
統一
講義を
対植民地運
35
側面
多く
録
。
弟子を持っ
節
いたこ
, ま
明記さ
場
逝去
,最大
あ
たこ
た人物
983 人
。同時代人
1936 年以降
あ
比
。そ
あ
た場合
生ま
た人物を
うち,
た割合
師
1 割を
総数
た可能性
66
36
同時
生涯
対象
比
,
うち,
役割を担った時期
い数
た
考えたい。
85 人
録
統一を支援
ク
運動家
,彼
師事
,人
,
[Weismann 2005]。
。一方,
わち 1850 年以前
少
参
区分
側面
録
1 割を超え
っ
いわ
い
明記さ
983
運動
論
1880-1914 ,
時代 1925-1927
弟子
交流を
を確認
実
実
う
引いた
,
,抵
,そこ
側面
意味を持
,多く
い
各地区
た
う
い
あった時代
植民地運動
20 世紀初頭
た人物
,
た
位置
19 世紀
学を専門
ン
紹
いう
委任統治
教育者,学者
た
総数
ン
的
,
,
運動家
ま
う
象
く
生涯を,大衆説教師
た,彼
時代
,
た
声を得た。ワ
時代
いた面
たち
述
。また
時代 1914-1920 ,対
動
創設者
あ
を持った教育者
言
回
短い
,そ
,
結果,
。
師事率
高さ,あ
い
さ
,人
。他方,彼
こ
肩書
録
確認
教育者
現時点
を
特
可能
あ
を,そ
。そ
師弟関係を
理
弟子
く,弟子
方法
,彼
,職業,法学派,また
教
ク
ン
師事
情報を
ラ
礼拝指
数
理
師
唱者
3
10
7
あ
構成を
分析
明記さ
た
,表 10
37
あ
。
ム諸学関連
ハ
言語
ム
導者
た
分
法学者
学者
学者
職業/
2
3
13
16
2
肩書き
その他
作家 詩文学者
歴史学者
政治家
医者
他
4
1
1
1
1
ャ
ハ
マ
ク
ハン
法学派
12
8
ク
カ
ハ
3
ン
ハ
ワ
カ
2
,
た様子
性格
突出
う
え
面
師事
。そ
師事
た
え
学者
た
,そ
11
カの内訳
職業,学問分類,また
教団
,
,信仰
場を用意
,少
いう彼
主た
っ
, 創設者
そ
,そ
要素
学問分
あ
っ
注目
67
背景
多い
彼
器
言え
1
いたこ
数
いく
教育者
基礎
う 38 。
指摘
,特定
幅広い背景を持った
理
面
教育
見方を
12
の職業/肩書き,法学派,
,全体
来
2
1
派法学,
割合
た個人的資質
逆
ウラマ
,法学派
,そ
他
1
師事したと明記さ
表 10
い
ャ
ム ャッ
7
表 10:ハサ
1
師事
信頼性
いっ
いう学問分
持
たち
いう面,
あ
言うま
ま
い。
背景を持
彼
系譜を限定
,表 2
こ
び表 10
困
あ
分
。
う
,彼
同時代
い
数
学
少
系譜
た
そ
く,
論
ぶこ
対
系譜
,さ
確認
。
民族
何
言
基礎学問
性格,ま
学
特
さ
系譜を
系譜
系譜
影響力を持ちう
そ
付
対
,
最初
関
,そ
見出
い
目立た
いう一応
系譜,後者
質的
,
示
エ
述
考え
た
う
結
頭
た
た新
分析概念
たち
,一定
,1920-70 年代
たち
あ
考え
合わ
た特定
少数
系譜を比較
影響力を持ちう
た
系譜
創設者
背
,前者
言い表
こ
たち
いう理解,
いう系譜
ク
ン
支教団
たち
,
公
い宗教的指導者層
。
た
っ
いう時代設定
創設
,教育
, 創設
確実さを伴うこ
,いわ
述
び
指摘
。
, 創設者
1920-70 年代
たちを捉え
あ
1
,前章
組
ク
系
論文
特
いった,限定的
ま
い。こ
さ
肩書
場を設立
た教育
。
ま
時代,そこ
エ
た
至
ま
,
唯一確実
着眼
活躍
た
場
。他方,そ
あ
く,
た
示さ
, 創設者
たち
あった
。
そ
関
節
力
,前章
系譜
初頭
け
端緒
た
内容を踏まえ,現代
位置
け
いう点を,
を現代
伝統
た相対化
複数
方法論
,また系譜
系譜
分
連
何人
エ
理解
共
問題を
足跡を
こ
う
単線的
そ
た一部
,19 世紀
創設者
必
立
わけ
う扱う
いった,さ
いう史料
持
20 世紀
。他方
,他
い,
系譜
比較を
ま
いく
,そ
多く
作業を経
け
い。
関
言え
,人
系支教団
人
学
,彼
系譜
,ク
法学派,
的
彼を起点
。
広さ
,
学者
見
あ
門戸
肩書
。
そ
景
い
録
い
あ
導
時代
人
教育者
い可能性
以降
いう要素
,そう
た制約
録
いう 2
あ
特
限界
系譜,また
現時点
68
絞
出
起因
問題
派法学者
こ
た,現代
あ
。
ク
伝統
論
わ
,
こ
景
一部
あ
。こ
点
い
,第 5 章結論部
改
たい。
,ク
た
要
。次節
ったこ
を確認
そ
的
影響力を持ちう
,そ
系譜
わけ
ク
い系譜を
政治
う
社会的立場
っ
活用
要
背
たい。
宗教的側面と政治的側面の交差
節
,
現代
章
前2節
内容を踏まえ,
を代表
識さ
た
述
学者
を,彼
宗教的側面
た
,ク
う
た人物
あ
。彼
触
た
う
節
研究
い
,
,彼
,同様
政治的立場
先行研究
見
関連
カ
ク
をめ
父
身を投
こ
身を投
こ
っ
え
を背景
,ク
期を 1960-70 年代
議論
。そ
を
こ
た彼
宗教的側面
始
。そ
いた様子を確認
たい。
経緯
っ
そう認
たい。
寄
った理
。こ
う
明
関心
寄
想さ
,資料説明
宗教的素養
問題意識
掘
基
関心
,
った契機
そ
っ
,彼
宗
加え,様々
政治
社
,政治
社会活動
認識
た後,従来
,
関
364; Zisser 2005: 50-51]。そ
注目
,等閑視さ
を展開さ
主流
,また何を
政治的立場を
再検討
を継承
会活動
交差
関心
関心
あったこ
密接
至った
いこ
政治的側面
社会化
そ
そう多く
また一様
,従来
教活動
政治的側面
宗教的背景
起こさ
認識さ
主
一様
ク
教育活動
た。別
見方を
特化
た活動
目立た
初期
研究
,彼
く
った
言
形成時
あった[De Jong 1985: 594-595, 600-601; Luizard 1996:
,1960-70 年代,
擁
いう
ク
ク
ン
支教団
,ク
誕生
た。
い
ッ
ワ
Bayrūt ,
ク
構築,
,
い
そ
そ
を
を,
た両国
Tar bulus ,
ayd
69
ン
関係強化
いった
た
ン
また
教団
,ベ
諸都市
様々
社会活動を展開
た
ク
述
[Luizard 1996: 364]。また
最高
こ
あ
,
こ
例外的
[De Jong 1985: 600]。そ
た
説明
両者
。
背景
,
成立を 1960 年代以降
そ
遺産
,
継承
ン
言い表
求
こ
,指導者
を効果的
利用
た
述
を 1960 年代
ッ
関
あ
接触を可能
2人
学院
成立
人
政権
成立を 1970 年代,
ンベ
,ク
ン
大
く異
傾向
,
異
設立
ク
,
後
置く [Zisser 2005: 51],
見解を述
ンベ
成立
い。こう
た,
研究以来,徐々
少
く
ク
こ
そ
継承
時期
思想的
あ
った。
を
を強調
,
1930 年代
設定
いう
,
霊的
成立をク
こ
を主張
[Stenberg
1999: 105]。
こ
,そ
い。加え
そ
,ク
あ
い
。そこ
ったこ
いった議論
見方を変え
,
,
果た
ほ
1960 年代以降
う
手
いう
体的
,
,
方農村
含
年
事実
あ
説明
見
。こ
点
1967 年以降,
設置
く
広
意味
ン
支教団
ク
あった
,そ
そ
,
疑問
ク
注目さ
を冠
ほ
女性,子
を対象
,ベ
郊外
現地
た
認識
ン
情報
ン
け
現地調査
報告さ
39
ン国内
ン
触
人々
あ
交流
1967 年
,
活動
関
組
け
そ
く
現地調査
ン
ン
活動を開始
た
,そ
社会活動
あ
70
。活動
地
ン
地
民
ン
,
,
をベ
,
。
社会活動
,そ
ン
1981 年
結果
様々
abr
った[De Jong 1985: 600-601]。
,彼自身
た,
ク
う
終わった
用い
を問いたい。
,
た,
自称
何
いう独自
た背景
を展開
系
を考慮
,そ
さ
今
1930 年代
免状を受け
成立時期
称
主張
1982 年前半
活動
研究を資料
。また
ク
ン
1982
支教団
両者
ン
増加
研究
,着目点
関係強化
ッ
連
微妙
いう外交政策
,1970 年以降
そ
対勢力
団
いう見方を
結局
研究
そ
評価
場
見
声明
そ
言
を踏まえ,
,現代
ク
確立
支持表明
,
御用教
[Zisser 2005: 51]。
対
た
認識
,1963 年
大統領政権,またそ
政治的背景
視角を
評価
ン
再考さ
た
,そ
間
あ
御用教団
。
あ
の政治的立場
研究を経
たこ
覇権
く再評価さ
ロ
政治的側面
たわけ
方
た。
こ
い。
側面
多く関心
,
を述
先行
,
たこ
成立時期を
たク
ンベ
い
た
いっ
ワ
ン
党
い
地位を築いた,優
ま
ク
,
,ク
確認さ
親
寄
,彼
ク
側面,
ン
政治的側
感覚
わち宗教的立
長けた人物
,
い
言え
。
。
こ
た
。そ
明確
ク
党
う点
非
い
ワ
政治的立場
い
ン
大統領
マド ク
宗教的側面
著
共通
彼
い
ンベ
活動を
いた 40 。
,先行研究
う背景
点
就任,こ
の評価と
そ
見
同胞団
いう認識を出発点
面
一環
最高
以
加え [Luizard 1996: 364]。
,
党政権,1971 年
,そ
を評価内容
ク
,以
ク
カ
たこ
対
た
言い換え
た
異
あった
こ
誕生
感を
視
,今日
え
ク
,
,
2009]41 。
たうえ
ンベ
,ワ
理
け
写
け
,ク
ン
研究成果を総合
ン
関
始
絶
を迎えた
ク
1970 年代以降,
1970 年代以降
論
様式
い
た見方を
ク
ン
党
支配的
た
,ク
ン
ち,そ
人情勢を
人物
,
を前
経
至
,
示
継承さ
いったク
あ
,そ
[Tejel 2009: 65]。ここ
時期
71
たこ
彼
視さ
,
継承
ク
[Tejel
人宗教エ
ク
びク
大統領
ン
蜜
関係
起源を持
,
ク
経
絶
を示
ク
機
言い表
を
経
こ
政治的立場
顕
たそ
転機,こ
変質
各種活動
こ
過程
誕生
最高
代表さ
ク
ン
ン
ン
ン
連盟を
伝統墨
た
あ
そ
方
っ
少
当時若く,兄団体
あた
エ
異
っ
念
1970 年代
激化
党政権
同胞団
利
言え
あった
指導者
性格を持った
あ
,
,同胞団
こ
伝統を持
っ
理想
勝利
,以降,ク
反体制
,1982 年
主義勢力
先行
,
公式
静観主義
,政治
適応力
反体制勢力
am h
終わった。そ
代わ
現代的
活動領域
いた[Khativ 2011: 38]。
社会参加を
ク
さ
った。同胞団を中心
識
継い
,
姿勢を
い
対
勢力拡大,そ
同士
っ
党政権
近
。
,同胞団
っ
43
間接的
同胞団
的要素を強く引
鑑
消長
い
同胞団
同胞団
,同胞団
た社会改革,また倫理的陶冶
あ
転
。
た
目指
ち
除
断絶
う。同胞団
同胞団
,独立後
,
。
誕生,ク
け
就任以降,ク
政治活動
42
あ
政治的立場
。ク
関
変質
,ク
頭
党政権
いう,そ
,
関わった。
同胞団
た
政権
ワ
3
見
を求
関
化
う。1970 年代,
一
国内連
形
1
党
形成
関
い
富
いう意味
指導者
政府
蜂起
鎮
さ
対立
たこ
同胞団
組
いた。
霊性,精
庇護
主義
的威
た
体的
,政治
を備え,また 学
あ [Pinto 2007b: 109,
Khativ 2011: 89-90]。
そ
指導者
庇護を受けた
あった。彼
特定
性格を持ちう
抵触
い形
立場を国内
国家
団体
広く流
い
そ
さ
立場を国外,
支援
こ
く
あ
宗派,教団を広報
言説を宣
,あ
,ク
こ
,
両立
たち
勤
,反体制的
党
諸国
72
基
,自分たち
。また,そ
周辺
,また
ン
超国家主義的
的
主張,政策
統
っ
対
喧伝
た 44 。彼
,
まさ
党
求
た
こ
う
最
先鋭化
前段
言い方を
,
別
,
誕生
広く中東地域
を
要件を満た
場
ク
さ
あ
自身
,国内
政治的立場を確立
,ク
た要素
あ
。
現代
あ
同時
た時期
言え
立場
う
う
影響を
。
社会,あ
い
研究
彼
活動を展開
,
,現代
国内
け
政治的利害関係
を現代
,そ
社会
。
た 1960 年代
,ク
知
た要素
いた
えた
。
形成さ
た。
の誕生
集ま
意識さ
ま
含
人々
,彼
,
いう新奇
いった
。指導者
ン
適当
あ
称
っ
っ
,ク
た
第 37 代
見
者
う
37 番目
いう言葉
っ
,彼
45
,
ク
称
た。こ
数
ク
伝統を備えた
こ
趣
考え
後継者
関
あ
ク
37 代
集団
意識
ま
た新奇
ン
い
異
活動を
い。
遺
確認
ク
た
ッ
過
伝統的
あ
方
去
保持
。
。次章
特
史
,
,ク
っ
あ
対
を
離さ
教団
問題
,自
場を伝統
教育
異
他称
,表向
いたこ
た
背景
指導
ク
,そ
う
さ
っ
た複雑
。
教団
忌避
政治的要素
固
ン
述
詞
っ
教団
う
,ク
っ
自
,従来
教団
いう
称
,
教育
い
,
こ
,また表現さ
こ
を
概念を超え
側面を持ちう
を表現
こ
。
,そ
側面
そ
あ
。そ
を示
要
まま
いう,ク
あ
ま
。今日,当事者
ク
いう特定化
,
ク
集ま
人々
そ
っ
関わった 程度
場を
用い
意味を超え
73
称
ぶ
い点
わ
最大公約数的
自称
因
,そ
い
形容詞,
う。
こそ
認識,共
,
びそ
さ
称
46
あ
併設さ
,
間対
学校
あ
一大宗教
統
っ
政治的側面
変質
こ
宗教的側面
交差
た
,
。逆
た効果的
活動を
可能
。以
,そ
た
う
っ
ク
手
始ま
48
。そ
,そ
現代
後
,1960 年代
,ク
た中東地域
い
従来
論文
問う現代
を訪
,
活動
活
いた宗教的観
,ク
方を継承
国民国家
伝統
行わ
あった所以を見出
ク
対
顕著
たい。
,1950 年代以降
を
活動
った
国内
1
,さ
を補強
ク
ソ
海外
教を交流相
他宗教
対
を相手
性格を持っ
あ
Mu ammad Amīn al- usaynī, 1893/5/7-1974
を
エ
激化
al-Quds
。実
74
7 億
ク
あ
,
いた。前述
た時期
対立
展
た対
た時期
エ
強固
代表
始
,王
明確
いうエ
周辺国
海外
政治的立場
手引
こ
を紹
2
側
1
を
孤児支援
状況
。1950 年
対
諸国
党
,
見
あ
宗教
現代
伝統
宗教権威
け
海外
長
,礼拝所を軸
の政治的背景
教
政治方針
いった,1950-70
,また 福
っ
,逆
,宗教間対
位置
1
学院
た
屈指
ロ
慈善協会,
,
た
。そこ
を反映
ン
。そ
あ
iw r al-diy n t/al-ady n
ン
民族運動指導者
あ
,そ
マド ク
党
詞
た,ク
あった。
誤
事例
うち,1960 年代以降
いう
al-Aq
,彼
活動
固
。また
発信を求
[ abash 1996: 81-82],彼
民族主義
,
,そ
masjid Yalbagh
う
年
見
,宗教間対
主た
さ
開
あ
47
あ
実態を見誤
ま
活動
宗教間対話をとおして見
前述
ン
解く
う
面を示
修道場
機関
を
語
,
複合組織を指
,
国内外
立場を体現
点
活動を包
ク
た機関を加えた複合施設
を行う
動を政治的観点
ま
財団,
諸学
協働関係
さま
,
ク
け
囲
。
体的
年代
を
あ
。彼
う
,ま
1966
た
ク
た方を戦士
masjid
見
い
様
。自分たちを率い
例
そ
後
見
将軍
,た
題
見
え
い
1980 年
対
民族主義
,
を反映
党
た
っ
を
1962-1965
政治方針
い
。そ
異
, 1
ック
諸国
活動
問題
1990 年代以降
潮流
,世界
欧米諸国
醸成さ
和,環境保護,基
国家公務員
い
活動
教活動家
携わっ
組
語,
語
を訪問
初期
期
け
見
主張,あ
い
党
目指
風潮
た
含ま
別
人物像
反映
,次章
活動
50
,そ
党
政策推進
ま
政府
任命さ
た
一宗教学者,宗
,教育を
先行
出版さ
渡さ
関係改善
いえ,ク
終始
英語,
ン
語,
[Kuftaro 1997],
。こ
活動を,
触
多様化
いう政策方針を間接的
対
わけ
く,た
活動
え
以
日
後押
う
大
ク
政治的
交流
思想を理解
たい。
の位置
意味を持ちえた。宗教間対
困者支援
活用
,
た。
た
語版
た,欧米
孤児支援をとおして見
ク
あ
あった。そこ
た
,世界
大統領 Bassh r al-Asad, 1965-, 位 2000-
う。
宗教思想を
手
ッ
World
た講演を
,彼
を可能
,
あった。
土産物
次
世界
い
を経
背景を効果的
,
対
。そ
,原語
来
こ
交流を深
和会議
1987-
を掲
最高
いった欧米諸語版
欧米
政権
いった多様
種
活動
課題
ン公会議
ッ
組織
講演録
び周辺諸国
,第 2
そ
社会指導者
,こ
一方,
対
。ク
いた点を特
宗教活動
ク
あ
ク
いた
銘打た
aggiornamento ,世界宗教者
的人権
宗教的指導者,また政治
性格を持った対
た各種
た時期
1
を 訴えた[Kuftaro 1997;
,ク
Conference of Religions for Peace, 1970- ,また比叡山宗教
宗教間対
く
いう国家
。 1990 年 代
現代化
連
,宗教間対
エ
展開を見
以降
た[ abash 1996: 107-109]。同
ク
た講演を行い,
Kuft rū M. 2008: 129-136]49 。こ
いう
演説
け
寄
た活動
,孤児支援
同様
,1950 年代
始まった
初期
を
75
宗教間対
ン
展開さ
慈善協会
た。
また
1997 年
刊行さ
た
ン
慈善協会
活動綱領
[MANI 1997]
Jam‘iyyah al-Anṣār al-Khayriyyah bi-Dimashq
次
51
あ
次
慈善協会
,協会
活動目的
。
ク
ン
善いこ
ン
招
聖
を実行
,善を命
こ
。 あ
,悪を禁
う
た方
。そ
一団
人たち
, 人々を
成
者
あ
ン家章 104 節
文化
伝播
教育機関
設立,識
率
敬虔
善
行
,
援
活動綱領
,
中心
強く宗教的
教育
新た
動機
講
2009 年 10
市民
対
53
基
。
別
内容
いた様子
う
え
高い教育
教育
,広く
則
困者を対象
ク地
食事
,20
分
あわ
, ン
振
舞わ
満た
い数
あ
価
,ま
っ
,そ
慈善協会
,
,1990 年代以降,外国語
実化を
,
無料
法学を
いう表現
う。加え
いう趣
供,道
く
敬虔
手段
以前
時点
また孤児院
い
あ
,質
を設け,職業訓練
また教育課程を導入
辺
文化を,
困発生を防
コン
困者
文化
いう補足説明
活動
共
向
た活動
継
さ
食堂
併設学院
っ
い
い
。た
生
,生活必需品
52
え
他,周
行わ
学院
学ぶ留学生
寝
。
用意さ
。
ン
慈善協会
活動
,宗教団体
活動
孤児
いった人道的活動
支援
意義を示
社会
あたっ
う
点
要
を
た
た点
慎
態度
広く社会
あ
そ
人道的側面
要求さ
い
見出さ
現代
う。他方
い
認
,
く,
。
困者
組織
,宗教的基盤を強く維持
,宗教施設
,慈善
福
団体
立
った。
っ
ま
ま
ッ
。
そ
要性を増
ン
ク
,
た面
ン
慈善協会
あ
al
。2004 年 9
意義
彼
al-Dīn Kuft rū, 1957-
76
,ク
逝去
た後, 子
逝去後
あ
統
者
った。
彼
,2009 年 6
ワク
人事編成を余儀
,宗教間対
型
活動
そ
そ
地域
そ
た
,
54
資金
wiz rat al-awq f,
省
くさ
た。そ
代表さ
専念
こ
当局
逮捕さ
宗務を管轄
省
指導
,資金
運用
う
,代わっ
以後,
対外活動
を求
制限
た[
活動を出発点
ン
ク
領容疑
設け
ン
ン
慈善協会
慈善協会
地域密着
活動
再出発を象
そ
機関
性格
強い。
言え
あ
。
以
う
,ク
経
組織的展開
,
章全体
目的
譜
節
関
対
う
活動を
い
明
った
,第 1-2 節
い
を明
社会的側面
時代
え
っ
さ,捉え
そう
,彼
涯を
離
まうこ
支教団
第 37 代
ったこ
を意味
伝統
,ク
を事例
伝統
備え
た
,また何
形成
可視性を根
い。次章
け
理解
彼
,
地位を築
過程を探
言っ
展開
け
思想面,
っ
曖昧,あ
彼
系
,そう
ク
い
,そ
見
そ
生
い 55 。
。見え
,ク
た
系
側面
,そ
こ
いうそ
う
彼
あった事実を無視
さ
適った
彼
側面を捨象
い
。そ
そ
,
た。いわ
特
わけ
,
思う。
け
また述
あ
政治 社会状況
位置
さを最大
いっ
いう
自身
た。一方,第 3 節
たこ
背景
人脈
両立さ
宗教的背景,また
可視的
形成
,ク
,現代
,現代
見
政治
,政治的側面
大統領
ク
,
そ
た方法
党政権,そ
いた
く
あった。そこ
宗教的側面を維持,活用
無
く影響
,
2009]。
, く
大
,
系譜
ク
さ
を
ン
捉え
見
さ
現代
たク
ま
理解を
。
註
1
猊
sam
ah al-shaykh
語 尊称 あ
英語
。
His Eminence
77
,最高
対
用い
2
前出
伝記[ amīd n 2007] そ
当
。
戦い kif
指
,彼 教育 宣教活動 あ 。またそ 戦い 相手 ,後
述
彼 教育 宣教活動 指針 鑑
,党派主義者を指
考え
。
序
い 次
う 述
。
ク
そ 生涯を
た 1
目標を び けた。そ
ッ
導
あ ,新た 党派を設け こ
く,既
諸学派
啓 諸宗教
調和を
こ
あ
[ abash 1996: 21]。
4
そ 他,ク
ン
国家安全保 会議 次席大統領補
,また駐
首長
国連邦
大使を 任 ,
国内
啓蒙活動
携わった。
,
改宗 た 確 時期
明 あ
,改宗後
ク
ック F rūq ‘Abd al- aqq
あ 。
5
以
記 出口京 郎 寄稿文 ,彼
クを訪 た
そこ
た
あ [ abash 1996: 11]。出口京 郎 ク
交流
い
第4
章第 4 節を参照。
3
私
ッ
を証言 ま
々
他
い
いこ
,そ
ン
使
あ
こ
。
び け 応
こ 国 来ま た。
,こ 霊性 満ちた園
輝
ン 日々を過
々
ク
学
う
,ここ 素晴
い師匠
学
い あ た方を ま く思いま 。彼
通
1 人 人間 あ
,偉大
創造主 あ
ッ
預言者
ン
――彼
ッ
福
安あ ――
霊的 結び
そ を
た大
感性を持った人物
。
1,400 年 時を経た後,預言者
ン
――彼
ッ
福
安あ
―― 教え 日
届いた後,あ た方 大
家族
こ
い ,私
何
思議 思いま
。
出口京 郎
大 総長
1991 年 4
19 日,
ク
発言
1
あ こ
証言を伴った結び 言葉
そ
い
ク
猊
ク
ま
け
た。
6
ク
人 移住 ,1916 年
ク = コ協定 基 いた
ン朝 分
断 起因 た
あ
,そ
先行
,移住 集中的 行わ た時期 何度
確認さ
[Yildiz 2005: 12, 25-26]。た え 12 世紀以降 ,対十 軍戦士 英雄 あ
,
移住 たク
人 あ
ッ
ン
al
al-Dīn al-Ayyūbī,
1138-1193
朝を創設 たこ
く移住 あ 。また,18 世紀
断 的
起こった,ク
戦争 代表さ
帝国
ン朝 一連 戦争を避け た
移住 あ 。ク
家 移住 ,
ン諸国
独立 問題
った 1877 年 露土戦争
被害を避け
あった[ abash 1996: 41]。
7
ン
現
ン
生ま た
, ン
を経 最後
居住 ,逝去 た。
生
ま た
,
ン
関
研究 知
。
い
前章を参照。
遺体 1968 年 祖国
移さ た ,当初
人 希望
ン
廟
葬
た。
8
ッ
ン 部
1人 あ 。
9
ワ
ン
,ク
をそ
直接
た論考[Weismann
2003; 2005d] あ 。
10
ク
地方
川 流域
部,
ク
Diy r Bakr
郊外 あ
Tarham
いう
生ま た。そ
1877
年
帝国
ン朝
戦争 直後
地区
移住 ,
78
同地
Ma mūd
あ
た
51-58]。
11
生ま
終わ ,
amzah, 1821-1887
,前章
師事 た[Ab ẓah & al- fiz 1986:
派法学者 あ 。彼
1918 年,
ン朝
統治
ン
ン
王国 誕生 た
,
任命さ た[Ab ẓah & al- fiz 1986a: 517-522]。
12
派法学者
ク
ン
教団
ン
あ 。1945 年
,
ク
連盟を設立 ,そ
代表
び評議会議長を務 た[Ab ẓah & al- fiz 1986b: 720-732]。
13
郊外,
郡
い 裁
,教師,説教師
活躍 ,1911 年 同
郡を管轄
任命さ た[Ab ẓah & al- fiz 1986b: 687-692; abash 1989:
29-34]。
14
ン ク
2 人 ,弟子
体的
点 抜
いた
,また
う 経緯 彼
後継者 選
た
わ
い。
,彼
ク
,
派法学者 ク
人 いう点 共通
。前
章
論 た う ,ク
人
派法学者 いう特
,
系
支教団を軸
伝統
い
一定 注意 払わ
要素 あ
。こ 問題
,ク
系譜を分析
次節 再度言
。
,
ン
ク
直接ク
後を継い
資料
を挟
ン ク
を継い
資料 両方
。ク
を
ン ク
直接継い
資料 [Nadwī 1999a: 169; Nadd f 2005: 65],
を経
た
資料 [ im ī 1991: 101-102; Dahm n 2008: 419] あ 。
15
い
,エ
史を専門
M
ン
研究書[Winter 1982]を参照。
,そ
, 秤 mīz n , ま 均衡 balance
,
法学
け 基 的見解 あ ,そ
学派 始祖たち 間
,彼
子弟たち 間 あ ほ
実質的
い
い。あ
た ,唯一
を
解釈
厳 く解釈
い う 姿 勢 差 あ [ Winter 1982:
181-182]。
16
派法学 ,1
土地 多く
ク あ 場合 ,集合礼拝後
礼拝を省略
こ を認
う こ
い
,
[Kha r Mu ammad 2003: 619-620]を
参照。そ
簡単
, 集合礼拝 1
場所 多数行わ
いう条件
,
礼拝を行うこ
いう命題 解釈を巡っ
法学論争 あった。
派法学 集合礼拝
1
土地 複数 場所 行わ
可能性 あ
立場
来
1
行わ
望ま い ,複数 箇所 集合礼拝 行わ た場
合
集合礼拝 完遂さ
い い 解釈さ
た ,そ 補い
,
礼拝
行わ
け
い
考えた
礼拝を行うこ
推奨 義務 両方を含 ,後者 義務 方を
派法学
。条件 集団礼
拝
完遂を意味
, 結節 そ を補うこ
義務 あ こ を言い表 こ
。そ
対
ク派法学 通説
び
派法学 , 集団礼拝 1
場所 複数回行わ
こ
あ え い あ い 複数回行わ
こ
い
立
場を
,条件そ
成 立た く
。条件 成 立た け
結文 い
う
解釈
こ
。
派法学内部 ,
礼拝を行うこ
を
派法学
う 義務
解釈
礼拝を行わ け
い , 推奨行
解釈
礼拝を行った方
い
見解 別 た。
ン ク
説 ,前半部 条件
派法学,後半
派法学 見解 あ 。こ
衷主義的 理解 , 方 法学派
批 さ た所以 考
え
。
17
こ 見解
い
,
学者 あ 中 考 解説[中
2003: 13-14] 参考
。学派主義を忌避
立場 ,次
,法源
演繹さ た
79
法見解
対立
安定さ あ
彼
い 職を
信者 ,ク
ン
うぶ
あ ,ク
ン
ン
い。
演繹さ たこ
い
あ ,そ 故
法学者間
者。
見
い こ
う
え 。 修行者,あ
ン
明言さ たこ
けを行 っ い
推論
っ
演繹さ たこ を行 う必要
,い 高
ッ
無謬
見解 対立 生
あ
。丸 弧内補足著
18
,
ッコ
‘Abd al-Karīm al-Kha bī, 1882?-1963 ,
朝 滅亡 影響を受け
た
ッ
ン
,エ
ン
,そ
同胞団 創設,展開 関わった
ン
ン
assan al-Bann ,
1906-1949
い 。
19
主義
近代
運動を,一面的 復 主義
回
捉え こ
い所以 あ [大塚 2004: 97]。運動家 性格を示 例
,エ
保 派
袂を分 ち,
ン
ン
ン
ク
Mu ammad Iqb l, 1877-1938
大学 哲学を専攻 , ホ
った後 弁護士を務 た。また
ッコ
‘Abd al-Karīm al-Mur d, ?-?
,
法裁
父
育った ,
ン 飛地領 あ
新聞編集者を務 た。
特
,彼 自 を 信
長 amīr
宣言 ,
教団を率いた ,そ
伝統的
活動
った いう点 ,以
例 共通
。他 植民地
け 抵 運動 比
わけ長期化 た
抵 運動 主た 担い手 ,
指導
を
た
教団
, く 20 世紀以降
ン
‘Abd al- amīd ibn B dīs, 1889-1940
率い
協会
Association des Ulémas Musulmans Algériens, 1931あった。独立後 ,運動 主体
知識層
民衆
移行 ,国家
宗教政策 管理 世俗化政策
っ
影響力
顕著
った。 細
史を専門
私市 年 研
究書[私市 2004: 67-68]を参照。
20
そ 他,[Gelvin 1994; Nadwī 1999a; ‘Abd al-Ra īm 1992: 38-40]を参照。
21
人物像
い
章第 2 節 触
。
22
,
人 録
ン ク
項
,そう た活動家
情
報 記載さ
い い[Ab ẓah & al- fiẓ 1986a: 515-516]。
23
生ま ,
大学 当時
大
学
学を修 た内科
あ 。彼 1923 年 大学を卒業 た後
法学を学
び,法学
両面
ン ク
師事 た。
ン ク
弟子
ン 軍 度
戦闘を繰 返 た武闘派 あ ,
ン
軍 捕獲,投獄さ ,死刑執行 寸前 脱走
地方 逃亡 た。
渡っ
,同国
け
家 復権
力 た[Ab ẓah & al- fiz
1986a: 453-454; im ī 1991: 901-902]。
24
ン朝 解体
っ ,国民国家制度
民族,国家,宗教を
さま
ま 思惑 分極化 た
い
,
主体 素朴,純粋 抵 運動
ン
影響力を持た
った 評さ
[ 近 2005: 81]。
25
免状 ij zah
日付
暦 1350 年
ン 24 日 あ 。
26
他称 あ ,ク
,そ 近親者
び弟子
っ 用い
称
い。同語 用い
う
った背景,また同語 孕 問題
い
, 章第 3 節 論
。
27
ン
慈善協会
い
次節を参照 こ 。
ク
ン
慈善協会 創設 関わった
,
ッ
ワ
‘Abd
al-Ruwūf al-As aw nī, 1913-1968 ,
ン
Mu ammad Bashīr
ッ
80
al-B nī, 1911-2008 [Ab ẓah & al- fiẓ 1986b: 816-818],
‘ rif
al- arqajī, 1912-1993,別表 1-98,2-249
3人 挙
[ abash 1996: 83-84]。
2人
ン ク
師事,そ 後
ク
師事 た
あ ,い
系 ク
ン
支教団
ン
あ 。
関
,第 5 章 述
う
ク
を継い 人物 1 人 あ 。
28
ッ
エ
大学 留学
,
ン
を中
心
た改革主義的
思 想 影 響 を 受 け た 人 物 あ [ Ab ẓah & al- fiz
1986b: 657-667]。
29
同胞団 ,
大学留学中 エ
同胞団 影響を
受けた
国後 設立 た。
同胞団 活動を含 た
生涯
い
[ 近 2005: 158-164]
い。1947 年 7
行わ た
独立後 最初 総選挙
い ,同胞団
ン
ク
選
挙区 ,
ワ
ッ 選挙区 ,
選挙区
3 人を当選さ ,議会
発言力を強
こ
成
た[ 近 2005: 187]。
30
,
連盟 預言者 以
を出発点
。 2 種類
人々 い 。そ 2
良く
ン 全体 良く
。悪く
ン 全体 悪
く
。そ 2 種類
,
執権者 umar ’
あ 。 [ abash 1996: 69]。
31
1961 年
逝去 た後 ,
ク派法学者
ン
ッ
Mu ammad Makī al-Ki nī, 1897-1973 [Ab ẓah & al- fiz 1986b: 909-914] 連盟長を務
た。
32
筆者 こ 人物 身 を確認
った ,同年代
前述 たク
師
1
人 あ
Ma mūd amzah, 1821-1887 [Ab ẓah & al- fiz 1986b: 51-59]
い 。
を務 ,多く 弟子を持っ いた
,同一人物 あ
氏
誤植 あ
可能性 考え
。
33
誰
学問を教育 た
い
明 あ 。
34
ク
次代
継承者 関
,そ を
ン ク
く
ン
資料
こ を前節 述 た ,既述
う
そ 3
背景を持ち合わ
。
35
人 録[Ab ẓah & al- fiẓ 1986a: 473-494]
け 彼
い
情報 ,
学を主
た学者 側面 中心 あ 。
36
人 録
生年
明 例 あ ,
逝去後 誕生 た人物 実
多い
可能性 あ た , 最大
いう表現を用いた。
37
表 10 ,
師事 た 明記さ
85 人を分類 た
く,彼
い
情報
言 さ
職業,法学派,
をそ
計
た
あ 。
38
こ こ
,決
学 容易
あ こ を示 わけ
い。
学 中心 , 文 伝承経路 検証を
たそ 真贋 識別 あ ,
他
諸学 比
習得 困
あ
言わ
[ 杉 2001]。
39
1982 年 ベ
言え ,秋
エ 軍
,
Sh tīl
いった
民
ン を包囲 ,
ン
教
ン派 民兵
組織 を使っ 虐殺を行った時期 あ 。少 く
活
動撤
こ こ
起因
可能性 高い。
40
っ
,
った直後
ク
展開
組
こ を背景 ,そ 集団
活動 1960 年代以降 変質 ,
誕生 た いう
あ
,1940-50 年代
け
意義 ,主
ク
, ま 集団
く 思想
行
流儀
あ ,1960 年代以降 そ
集団
顕現 た, 考え こ
可能 あ 。
41
関心
け ク
人 社会 政治参加 実態を
出 こ
あ
81
,必
宗教界
42
同様
論文 主た 関心
け ク
人 注目
内容を
端的 述
認識 共通
体制 敷
たこ
,
合
研究
い。
ク
系譜 鑑
あ 。
研究[Khativ 2011: 90] あ 。
,1970 年代,
党政権 確立 ,
っ 大
転機
った いうこ
,
貴
あ
。
43
エ
同胞団
ン
ン
い
[
2009: 33]
を,
同胞団
ワ
い
[ 近 2005:
226-229]を参照。
44
ク
関
,後述
宗教間対
い こ 例 確認
。
45
ク
後継者問題 関
結論部 触
。
46
ち
,前節 挙 た,人 録
い ク
師事 たこ
明記さ
4
人 うち,
ク
学
記載さ
人物 1 人 い い。唯一
関
,
ク 追悼礼拝 行わ た
記載さ
い 。
47
こう た,いわ 宗教文化 ン
焦点を当
資料 ,
い 散見さ
[Wardah 2006]。
48
海外
対
い 強調さ
側面 ,非 ン 派を相手
た点 あ 。
た え 主
ン,
ク,
ン
派,広義
派 いう点
,
ン
派
ン
派, エ ン
派
ン
派
対
含ま
。また海外 他宗教
対
,
教 東
新
宗教 大 ,黒住教,世界基督教統一 霊協会
宗教指導者を相手
た
あ
。こ
い
,比叡山宗教
ッ
1987 年,京都
世界宗教者 和会議 1992
年,京都 ,そ
2001 年 5
法王
2 世 中東訪問 いった機会
を活用 た交流 見
[ abb gh 2001]。
ク
宗教界あ
い
聖職者を代表
人物
,そ
催
積極的 参加 た。 ク
外
い
別表 5 を参照。
49
連 を 1980 年 訴えた背景
,1979 年
ン革命,またソ連
ン侵攻 いった背景 考え
。
50
ン
慈善協会 ,ク
困者
援
困状況 打開 を掲
1951 年 創設 た団体 ,1959 年 認可さ た公益法人 あ 。そ 活動
市内 数百世 を調査 ,そ うち, く
困層
当
165 世
生活
資金 衣類
生活必需品を支給
こ
始まった[ abash 1996: 83-84, 443-444]。
そ 後
困家庭 子供を対象
た
教育活動 着手 ,1970 年代
ン
慈善協会 教育場
そ 600 人 生
集ま ,国内外
寄付金 集ま
始 た。こ
っ
ン
慈善協会 ,
郊外 孤児支援を目的
た土
地を購入 ,1995 年,少 く
当時 中東地域
け 公益法人 資産
最大規
模 あ
いう約 300 万
ン
資 を蓄え ,男児用 孤児院を建設 た。
51
ン
,
語 援 者たちを意味 ,
ッ
迫害を受け
移住 た預言者
ン
一行を受け入 た
人々を指 。
52
2009 年 10 時点 ,語学
語,
ン 語,英語 教
設け
,
語 外国人 受講 可能 あ 。
語
ン 語 公立学校 春休 期間 朝
日夜 開
,英語 公立学校 春休 期間 朝
あ 。 ソコン教
OS
基 操作 ワ
,エク
ソ
習得を内容
,春休 期間 朝
開
い 。受講対象者
く 子供 あ ,彼
無償 ,男女別 教
そ
を受講
こ
。そ 他,青年向け 救命処置教
9 日間 集中講
設け
。 ン
慈善協会 職員
,そ
完全 世俗教育
あ 。こ
背景
,国 協力機構 JICA: Japan International Cooperation Agency
事務所を
た日 政府
政府開発援
ODA: Official Development Assistance
獲得 あ 。
82
ン
慈善協会 2005 年 日 外務省 草 根 人間 安全保 無償資金協力
NGO
択 さ
, 約 1,000 万
資 金 援
を 受 け た
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/h_16/gctb_0503.html 2013 年 8
25
日 ク
。日 外務省ホ
, 締結日
2005 年 3
10 日, 分
教育研究, 案件
ク ッ
ン地区 困者 び孤児対象職業訓練所設置計
,
被供 団体
ン
慈善協会, 団体 性格
NGO ,支給
邦
9,970,950
あ 。こ 資金 コン
設備費
当
,
ン
慈善協会 活動 ODA 推進
ベ
ック
ン
BHN: Basic
Human Needs , ま 食料 衣類
,人間 生活 最 限必要 さ
を中心
た援
方向 け
た。
JICA
事務所 2011 年
ン 移転
い 。
53
2007 年
,
ク 至近 女児用 孤児院 新設さ た。孤児院
2008 年 3
時点 約 150
人児童を受け入
,教育
戯 場を 供
。孤児院 入所条件
両親 い
を亡く た女児
,宗教 人種 別 問わ
い。院内
女性職員
さ
,児童
家族生活
実践さ
。
生活面 支援
衣類 文
日用品 支給さ
他,料理 洗濯を共同 行う
こ
家事教育 機会
供さ
。娯楽
映 鑑賞
紙教
JICA
事務所
活動
行わ
。また教育支援
,初等教育 関
市
内 公立学校を紹 ,斡旋
,
教育
学院
を適宜活用
。卒院時期 就職 結婚 あわ
柔軟 対応
,
国内 他 孤児院 卒院時期を 13
定
い こ を考え
, ン
特色 言
え 点 あ 。ち
ク
っ ,1995 年 男児用孤児院 設立
い 女児用孤児院を設立
こ
, ン
慈善協会 活動
悲願 あっ
た 言わ
。従来ク
女子生
教育 熱心 あ こ
知
,生
前,
ク 側 道路を一 挟
女子寮 女子学生 一時期同居
いたほ
あ 。
54
現代
研究者 あ P
ン
Paulo G. Pinto
, ン
慈善協会 活動
素地 あ
述
[Pinto 2006]。こ
意
こ
, 節 述
た
いう組織
素地
く,
道 的側面
素地を
供
, いう
あ 。
55
以
内容を踏まえ, 方法
題
用い
た
新 改善 al-tajdīd wa-l-i l
語 意味
内容
い 触
たい。
新 改善
ク
方法
manhaj ,
わち行動様式 過程,
組
姿勢
い
説明,評価 あ 。そ
内容
章第 1 節 紹
た う 多岐 わた ,そ
え 同書 ク
伝記
価 を持
至 。 た っ 何
新
び 改善 さ た
いう問い 対
,1
明確 答えを出 こ
困
あ 。 章註 3 述 た う ,
彼 生涯 教育活動 あたっ 党派主義 戦うこ
始まった。そこ
体的 党派
主義者 引 合い 出さ
わけ
い ,当時
,
,また ン 全
体を う暗雲
そ
排除 訴え
た。そう
,
新 tajdīd
語 意
,前出
ン
場合
う ,
世界 1 世紀
現
いう革新者 mujaddid
,ク
を位置 け こ
い
う , そ くそう
い
う。ク
対
そ 種
ッ
い
う評価 管見 限
え
,また 方法
け 彼 教育活動 いわ 法裁
定理論
け
ッ
,
,
議論を越え
他
方,
ン ク
関
法学者
側面 多く記述さ
。こ
状況 鑑
, そ く
新
語 意味
,そ を価 中立的 一般 詞
捉えたうえ ,後
改善
っ 形容さ
,
わち 改善 いう 新
あ
推測
。
83
84
ムをとおした 正統
章
,
出
ク
世紀前半
政治的地
問い
料
い
理解
降
ある
い
る
章
彼
差異
析出
る
章
記
る理解
彼
め
わ
的立場
,彼
,
3
う
齟齬
活動面
検証
検証
涵養
要
育
め
め
環境
少
置
常道
る理解
踏まえ
教育背
教育者
特性
代表
あ
る理解
置
比
る資
称
連動
第2節
,
,伝統的
,ま
伝統的要
,言い換える
踏まえ
,彼
確
る作業
える,現代
称
伝統的
,教育方針
作業
教育者
用語
ある
見出
る
映
あ
る
理解
,
め,前 2 節
主
立場
る
,超党派主義的
方
め
,
要
,特定
党派主義
る
,
否定的側面
,現代
る
大
扱う
る
る
現代
案
い
析
うる霊性
見
る
側面
いわ
析
一方
統
維持,
ある
,
る,一種
る
理
ある
断
第4節
,宗教活動
多様
3
共通
,第 3 節
彼
あ
思想面
用い
,
理解
,いわ
え
,
理解
的
理解
理解
側面,20
方
理解
ク
歴史
対
い
承者
,
章
解
諸学,学問,宗教
点
根
教育
い
前章第 3 節
理解
最高到
排
,ク
理解
降,
,19 世紀
伝統
現代
対
伝統
ある
多角的
第2節
言え
側面,
答え
第1節
明
党政
問う作業
,現代
いう,
党派主義
現代
答える
,ま
端的
る
築い
問い
章
経験
側面,
る
る
支教団
混乱
並立
事例
目的
ン
祖国
教育者
ム の構築
ク
体的
系
ラ
国家
ある
必
現代
うる,い
ク
政治
直接
る
85
公式
析
明
あ
方,
る
い
現代
伝統
4節
う
示
,
あ
方
る
ク
見
あ
章
る
章
,言い換え
ム理解
様,ま
出
る
章
期待
伝統
代表
の
一端
現代
現代
ロ
方
1
,ク
う
る
明
いて述
用いる主
組織
中心
思想
析
ク
,現代
研究
る資料
明
始め
思想
ク
言
[Ḥabash 1996]
る
参考
述
落
いる
,
知る
,
る
研究,
,ク
,
,
ク
る 伝記
思想自体
論
い
近親者
弟子
,
め
わ
ン
信
語る
る資料
,
ン
る
直接言
ン
教えへ
回
るク
,
いる
ク
思想
理
資料
ク
思想
宣教
言
るわ
神学校
い
教育
,彼
担当
教育
あ
師事
る
教
Mu ammad Khayr Fā imah, ?,ク
ン
る
al-Manhaj al-ṣūfī fī fikr wa-da‘wah al-shaykh Aḥmad Kuftārū
,ク
,
Abū al-Ḥasan ‘Alī Ḥasanī Nadwī, 1913-1999
サン
る
ク
方法
ク
新,ク
al-‘amal al-ṣūfī
効
ある
Tajdīd al-taṣawwuf wa-i‘dātu-hu ilā qawā‘id al-Qur’ān wa-l-Sunnah wa-mīthāq
動憲章
設
,
る
ン
講演
,
ク
al-Shaykh Aḥmad Kuftārū yataḥaddathu [Naddāf 2005] 最
ま
,
いる
い
書
研究
ある
言える
る資料
ク
先
,現代
大
思 想背
い
扱う研究
研究
い
る
資料
ク
関心
る
う
方法
[Nadwī 1999a]
ある 1
ま
ク
併
,
ン
[Khayr Fā imah 2006a; 2006b; 2008]
承
いる
確
敷
る
る
あ
う
理解
現代
思想
86
程
,
サ
論
主義
関
る
る
中心
著
資料
簡潔
紹
数
近親者
弟子
著
資料
あるク
遺
,
料
方
思想
思
活動
断
丹念
紙数
,ク
紹
る
承
る
意味
伝
役割
,
果
著
資料
直接
教え
,
余念
い
め,ク
資料
,著作
いる
あま
言える
理解
考察
益
資料
る
資
い
一次資料
いう点
, 章
最
語る [Naddāf 2005]
,題
目次
自身
人物像
ク
書
近親者,弟
,ク
績
ク
面,ま
al-Tarbiyah al-rūḥiyyah bayna
ク
彼
あ
る
,
多い
思想
,活用
参考
承
ク
論文
霊的教育
[Shaykhānī 1995]
活用
師
理解
間
論文
子
,ク
サ
al-ṣūfiyyīn wa-l-salafiyyīn
,
い
察
び内容
る
次
う
活用
降, 論文
ク
へ
ある
ック部
語る
ン
筆者
る
明
,
記
ある
含ま
,
頁数
第3版
序文 5-14 頁
第1章
思い出 15-44 頁
編者とク
ロ
との会話,その思い出,ク
第2章
ク
の教育観,政治観,
第3章
の日常の
航海
国際関係,とく
書
国内
付記
資料
特
,
事
いての記述
ン
観,また宗教間対話
いての記述
生活 183-230 頁
ロ
第4章
の評価
対話 45-182 頁
ロ
ク
ロ
外
ソ
ド
る
いての記述
船 231-318 頁
各国の軍事や紛争
いての記述
目次 319-464 頁
巻
ま
多
資料
わる写真
添付
掲載
87
いる
いる
あ
,外
,ク
歴
学歴
得
照的
誉博士号
概要
,経歴
い
細
簡潔
いる
ま
う
ン
い
述
る
回
述
ク
弟子
著
物語
1節
う
ま
る 一方,
思想
宣教
面
める 3 講演
い
活用
教育
面
宣教
い
方法
質
る
新,ク
,第 1 章
,
少
活用
い
内容
ック部
戦い
ク
資料
る
,
ク
方法 [Nadwī 1999a]
記
現存
特化
る
扱う
目次
講演録
64-68 頁
ク
宣教
1節
,前述
少
対
構成
,ク
,頁数
資料
言
思想
中心
動憲章
る
方法
対話
当
,
役割
扱
ン
る
焦点
基礎へ
思想
,
前章
,第 2 章
,例外的
ン
め
い
63-85 頁
る2
記
次
,
筆者
る
全章
ある
わ
降,
論文
ク
明
序文 5-32頁
第1部
入 33-34頁
第1章
家系
源泉 35-39頁
第2章
ク
第2部
開示
第1章
用語
第2章
関
生涯
る
廃棄
新的
ク
る内面
奇跡
第2節
禁欲
清貧
70-78頁
第3節
独居
群居
79-62頁
第3章
一部
第4章
教団間,
第6章
考え
展開 41-46頁
方法 47-55頁
回
57-59頁
拒絶 61-63頁
真理 64-69頁
賢人
第5章
ン用語へ
誤
第1節
第4節
る輝
63-94頁
い
サ
時間
結論――
子供
主義
ある 123-135頁
来 136-140頁
88
95-112頁
調和 113-121頁
付記
思想
資料 141-173頁
宣教
いう
方法
あ
う
語る
著者
決定的
異
る
,著者
サン
,1941
Jamā‘at-i Islāmī
主義的政治団体
学,法学
修め
学者
る現代南
主義運動
系
ク
講義
者
思想
立場
共
携わ
人
ク
立
,
支教団
人間
ある
,
考え
称え
う
思想
弟支教団
人物
る,彼へ
,
ン
教え
ン学,
Deobandī
1人
ある
姿勢
接
者
ン
会い,超党派主義的
ク
,ク
ン
る理論的指
ン
教
える宗教的指
治運動
著
ク
創設
師事
Abū al-‘Alā Mawdūdī, 1904-1979
ッ
著
ある 4
ま
彼
,
彼
基
,
言わ
,いわ
宣教
代表
,
所属
る
評価
含め
研究書
承
る者
敬虔
間
連
ク
世代,
政
,ま
性格
外国
顕
ある
最後
あ
る
ma‘a al-wārith al-muḥammadiyy [Dahmān 2008] ある
書
ック部
次
, 方法 , 語る , 思想
筆者
る
明
序文 3-17 頁
第1章
幼児期 17-18 頁
第2章
少
第3章
知識
第4章
青
第5章
性格 26-45 頁
第6章
性 46-57 頁
第7章
教育 58-62 頁
第8章
聡明
第9章
洞察力 79-81 頁
期 19 頁
求め
20-24 頁
期 25 頁
63-78 頁
89
宣教
降, 論文
い
異
旅 Riḥlah wafā’
旅
る構成
記
持
第 10 章
宣教 82-88 頁
第 11 章
外
89-91 頁
第 12 章
用
92-95 頁
ク
ロ
よ て引用さ
たハ
の列挙
第 13 章
崇高
る善
第 14 章
逝去 110-112 頁
第 15 章
逝去直後 113 頁
第 16 章
辞 113 頁
第 17 章
胞
付記
資料
96-108 頁
見
121-377 頁
目次 379-427 頁
書
,多
立場
項目
,一宗教家,あるい
経歴
挙
,弟子
る
章立
一教育者
追悼文
寄
る
柄,宗教間対話
ク
い
扱わ
いる
言
列挙
る,いわ
書
3
る資料
い
ク
ク
考察
降
ある
体
持
特
人物
非
語圏へ
,18 人
qbīq, ?-
105-108 頁
関
捉える
あ
章
側面,
わ
び
90
教育者
伝統的
土地背
る
,ま
現代
る
用いる主
,ク
,ク
時代
外
ある
ム理解
必
1人
語 英語
い
る
理解
書
,ク
側面
3
としての伝統的
2
ク
い
立場
扱う
ま
る
通訳
ク
Fārūq
4頁
,冒頭掲
明
述
いる
ク
理解
い
付
1節
,
理解
,次節
含め
わ
金言
ある 5
理解
活動
,ク
ャ
節
節
中心
政治的
承
,長
,第 13 章
中的
多
資質
社会的立場
,ク
め
職
彼
る追悼文 第 17 章
ある
め,
,ク
いえ,
,
言う伝統的
ま
い
史
独自性
理解
浮
理解
解
び
う
基礎
る
い
ある
掘
並び,
宗教知
点
い
,
理解
あ
,ク
節
霊
rū
6
節
完結
要
,伝統的
教育者,現代
,
,ま
,
,
,ま
一角
扱う
い
起
,
まる
諸学
る
関連
る部
諸学
見
改め
側面
述
理解
い
彼
い
,
聖典学,伝承学,法学
担う
思想
理解
いう点
魂
あ
う
節
,伝統的
いう,信仰
nafs
見る理解
,
涵養
関わる部
彼
理
ある
霊的側面の重要性
ま
,ク
価
い
る
指
自体
入
世俗教育
宗教
う法
彼
宗教教育
動機
精神的
要性
主張
,彼
彼
魂
専門家
あ
備え
い
浄化
,
……
教育
学び,
配置
る
師
配置
人事
携わる学校
い
学部
師
入
る
う
述
る
,
1
taqwā
畏
来, 畏
学部
主張
規範
mu‘āmalāt
魂
い
学ぶ
工学
満
あ
91
側面
教育
nā iyah rū iyyah
,道
的資質
初等,中等,高等
いう
浄化
め
涵養
る
い
科目
様,理論的科目
理論的
扱
扱い,
う 1
へ
い
る[Naddāf 2005: 68] 彼
次
‘ibādāt
神事
日,宗教教育
教育課程
,20 世紀
tazkiyah al-nafs ,霊的側面
ッ
意義
見
置
語る
fuqahā’
る
背
指摘
い
あ
い
,
専門家
専門家
る
要性
い
側面
主張
,
見える
る憂慮
あるい
あるク
ある
,
対
霊的
自然
者
う
,ま
,
akhlāq
う
公
師
工
dirāsah naẓariyyah
師
学
理論的
側面
学び,実践的
得
課程
何
視
選ぶ
人
学問
る
い[Naddāf 2005: 67-68]
,ク
指摘
構成
る次
言葉
あ
,満足
る
,
教育課程
向
込ま
学ぶ
見る
,
う
,求める目的
涵養
,
る
言う
,
魂
教育
現場
,
批
成
落
教育
近代的教育
示唆
支配
る
育
る
証
,文盲
者
彼
金曜
彼
る
,
支える
留ま
述
理性
,誤
,悪,罪
学問
次
高
魂
浄化
,彼
人間
聞
域
,
浄化
,清め
含ま
い教育課程
学び舎
文盲
う
人々
門
叩
人
人
ある
理
彼
ッ
使
遣わ
給う
御方
清め,彼
啓典
英知
教え
,
,
者
人間
時,
う
人間
る 信仰告白 shahādah
満足
いる
い
書
悪
,
,
々
学び舎
?
歴史
学ぶ
学校
求め
中学
う
実現
!
能
者
る
る
給う
ッ
学び舎
知恵ある者,偉大
る
遣わ
修め
,彼
浄化,清め
使
聖句
る
神
?一体
う
者
るま
英知ある者
高等学校
い
ン
う
,彼
うぶ
ッ
る
魂
るク
彼
諸
英知
いる
校
ākim
,理性
合章第 2 節
知識
いる
,肉体
英知ある者
あ
,彼
う
得
ある
い
思わ
,
ある
育
る
る結果
霊性
組
え
性
あ
理性ある者
,
学習計画
識
い
い
考察
う
いる
る
側面
ッ
御方
92
え
書
知
知識人,使
,文盲
ク
,
ン金曜
者
合章第 2 節
浄め
彼
う
彼
教え
誰
?
超越者
あ
実
者
ある,創造者
御方
ある[Naddāf 2005: 68]
文章
え
見る
,ク
いる
い
明
源的
活用
ク
いう教育
い
育
ある
る
彼
科目
教育現場
る
伝統
期待
場
設
霊性
根
,彼
運営
,ま
後
神学校
併設
無関
う
,
う
,各教育機関
霊性
あるい
いう
精神
語る
涵養
,
諸宗教
留める
あ
魂
ン
rū
精神
ま
蟻章第 80 節
,
び
目
諸
まえ
る
見え
い者
信
節
力
耳
傾
利
抑
語る
ま
墓
訪
迷い
う
る動物的
wujūd ,
魂
失
体
意味
ま
者
い
る
ゆえ,聖典
死者
失
肉体
向
る
聞
る
聞
え
る
,
蟻章第 80-81
完成
ッ
び
傷
欲望
者
ま
聞
ある
る
話
去る時
まえ
者
,人々
ッ
る
い,ま
依
魔的
物理的
う
,あ
背
霊的側面
欲望
方
,彼
流
る
あ
al-nāhiyah al-rū iyyah
側面
動
儀礼
る
,彼
精神的
る
ある
,魂
聞
い
,肉体
る
死
死者
る者
霊的
ま
預言者
預言者
聞
生活
う
述
al-adyān
,
次
次
精神的
いる
ッ
い
諸
い
失い,人々
肉体
まえ
点
,諸宗教
魂
ク
,
,害
,ま
う
阻
向
る
ある[Naddāf 2005: 66-67]
諸宗教
教
基礎
ある
精神
る種
人
ッ
rū
ある 畢
美
知
93
ある
al-adyān
,
ッ
,
美
い愛
ま
宗
い
知 ma‘rifah
うえ
形成
,誕
る[Naddāf 2005: 79]
生
サ
い
魂
いう
ta awwuf
浄化
成
ある
る
tazkiyah al-nafs
陽章第 9 節
聖典ク
ま
誤
魂
,悪,
義
魂
ン
清め
浄化
る
ある[Naddāf 2005: 79]
ク
,
愛
気
うえ
限
る
言動
,
目
固執
る
方法
第2
日的
意味
広
学派
あ
根
fiqh
,様々
学派
目
,
柔軟
い
ゆる問題
対応
al-mukhtalifah
,
知識
非宗教的
ある
点
い
ン
ある
諸学
,
ま
う
,
,彼
う
信仰
ま
明
い
道
い
進
,思
,
,学問,社会,教育,経済
明
ある
見解
既述
う
用
奨
る
ク
,特定
奨
宣教
紹
る,次
言
ある
う
る
答え
あ
ある問題
,
無
あ
抱え
,ま
訪
る[Nadwī 1999a: 99-100]
‘ulūm ,
ま
様々
,ク
霊的,理論的,哲学的
Mu ammad al-Fārābi, 870?-950 ,
ン
あ
ン
ン
,
94
る
対象
訪
る
ma‘ārif al-‘a riyyah
い
ゆる
ゆる人
場合,最初
薬屋
知識
,
るク
,
ある人
現代的
学派
法学
思想
ある薬屋
び霊性
る[Nadwī 1999a: 96]
る
用いる
る
薬屋
3
る
あ
献
いう
神
る7
法学
,各法学派
ある
al-adyān
結び
る
,ま
る神秘道
示唆
預言者
る第 1
拒否
う
諸宗教
明
ン
,
知識
言葉
ま
る
,聖典ク
規範
2
ある
清めるうえ
いる
ク
4
目
1
道
要
宣教
魂
置
信仰
想
,
1
,
,
ン
あ
い
明
専門家
あ
,
学ぶ
時
る
文明
目的
広
,理性
びあ
方
用い
学ぶ
神
存
証
ある[Nadwī
1999a: 106-108]
目
4
,
清め
,
端的
う
wuḍū’
う
準備
る信仰
う
,
ま
置
う
,ク
基盤
理解
言動
い
る,
方
,霊性
わ
,
涵養
特化
いう方法
点
ラ
い
語
理解
る
め
沐浴
,人
,
4
言わ
る
ある
る際
,
る
,
う
示唆
るク
,
る
霊
8
時
姿勢
る
理解
い
理解
あ
,次
る
,
価
示
, 心
i sān
ムの最高到達点
関
見
īmān
ン
サ
拒否
述
る
い
,
理解
一部
る
いう
る
通底
一部
いえ,
評価
真
わ
る金言
,あるい
る内面的,補完的側面
述
あ
直前
alāt
い[Naddāf 2005: 80; Nadwī 1999a: 95]
節
旅
る[Dahmān 2008: 106]
る
1
, 礼拝
ある
tazkiyah
ン
る
,
当
う
ン
述
る
ン
合い
側面,
3
サ
繁
i sān
び変える 10
,
サ
ン
う
明
る
意味
う
見
,ク
る
ま
る一側面
記3
い
9
,
,
,
, 信仰
構成
方法
islām
ある
広
依
る理解
ま
いう
いう理解
出
意味
る
る
,ク
語る
参照
い
威ある
,
[信仰
ン ,
書
真
サ
ン
い
38 ]:
理解
る
95
,
aḥīḥ al-Bukhārī
ある
,ある日,預言者――彼
ッ
彼
使,彼
男
福あ
――
ン
何
出会う
人々
前
姿
預言者
言
,彼
言
使
い,
偶像
ン月
何
預言者
断食
言
えあ
復活
預言者
言
い
ある
礼拝
る
ある
ま
ッ
ッ
見
ま
ある
録
信
い
男
来
る
ッ
ある
,
次い
い,定め
男
サ
彼
ッ
える
確
ッ
喜捨
言
う
,
,
言
,
見る
ある[Bukhārī, 1999: 12;
る
際,1 人
ン
,彼
何
え,彼
現
ン
ある
あ
見
い
2001: 46] 11
サ
aḥīḥ Muslim
いる
[信仰
書
93 ]:
ン
御使い――彼
服
真
黒
知
髪
い
――
所
彼
い男
あ
い
――
御使い
ある,
証言
る
,
あ
館
ッ
預言者
,審
ある
男
言
教え
預言者
える
ある
ある
乗
教え
神
御使い
,
ッ
――
,彼
る
,
ある
使,彼
qadar
教
啓典,彼
使
信
る
い
あ
サ
見
,
ッ
男
い
言
見
ッ
,喜捨
巡礼
ッ
96
脚
ン
言
12
福あ
言
ある
あ
誰
ッ
礼拝
定
白
,ま
福あ
ある
悪
通
見
ッ
,真
言
ッ
善
いる
両手
聖殿
次い
許
ッ
言
日,
,
い
――彼
え
跡
!
ン
通
いる
乗
い,
能
旅
,ある日,
――
預言者 ――彼
両膝
福あ
言
彼
両脚
ッ
断食
い
彼
ン
神
る
福あ
男
言
る
ッ
,自身
――彼
ッ
いる
ン
う
あ
,
見
見
明
る
ン
う
,
ン
派
根
信仰告白,礼拝,喜捨,断食,巡礼
者
使
,
方
,神
比
2
使,定
臨
る
気
信仰,あるい
内面
いう
置
る
後者
ン ,
サ
ン
ン
霊的
善
“virtue”
意味
理解
い
基
教義
る
る
前
あ
サ
ン ,
,
訳
局面
え
,
サ
方法
比
実践
“faith,”
内面的,道
的,
当
る
る
踏まえ
ま
ン
うえ
,
サ
,段
的
ン
派
いう,
ン
捉
ある
実践
ン
,
後
,
段
2
いう宗教
ゆえ
ま
時
信
,
信
ある
る
る者
,
2
実践
応用段
最終段
真理
点
る[Shaykhānī 1995: 219-220]
,
い
境地,
段
ある 13
W
,ク
,
辿
ン
ン
,
,
ン
捉え
,
,
あ
研究者
ン
,
dhurwah
段
補完関
え
理解
ある
基
,
る[Chittick 1992: 4, 9-10]
主張
,
,
,
“submission,”
“doing the beauty”
ある
当
関
,預言
い
多い[東長 1996: 58-59]
,相互補完的
る
内容
い
うえ
ッ
る
体的
2
,
含
3
え
ン
研究
合
いう 3
ック William C. Chittick
サ
サ
当
ン
ま
ン
信
い
外面
る
,
る
伴う
体
対応
る
,来世,啓典
へ
教義
,預言者
超え
ま
ま
サ
ク
い価
,信仰
最高段
ン
証,
,前述
いう
基
修め
涵養
いう側面
ン
,ま
知識
る
応用段
理解
サ
いる
霊性
ン
ン ,
い
後
いる
置
97
証明
る
あ
,先
る
1
いう点
道
歩
,
サ
るク
ン
価
信仰
,
る
ン
,
る
サ
ン
ン
いう宗教
ン
,
知識
価
,ある種
付
ン
理解
ク
ン
見る
ベ
ま
まえ
う
い
,彼
ま
,
要
3
信仰箇条
問う
14
い
記
ク
い
い
,
まえ
い
,
ッ
赦
サ
沿
ン
,信仰者
,両者
個
語る
成熟
う
間
段
,
いう面
更
置
る
る箇所
,
主張
いう
想面
い
へ
,前章
敷
述
る
関わ
あ
部
い
,
問う
る信仰
聖句
,必
見
る
拾
,彼
析出
的
信仰生活
霊性
涵養
要
ある点
いう
,
い
,ク
人
,ク
い
あ
いう
,必
う
側面
,
抑
る
視的性格
98
ある
う
背
言い
見え
ク
見る
る
倫理
理性
る趣
ク
視化
思想
拙
記
,資料
主張
性急
身体 , 理性 , 霊
ある
,後者
ある
理解
い
設
,
確
給う
部屋章第 14 節
依
うる
伝統的,基礎的
ン
阻
使
学
る
基
サ
まえ
伝統的
示
彼
問う 法学 法源学,u ūl al-fiqh
優先
,
心
ッ
,精神修養,あるい
捉え
言
ある点
弟子
規範
言え,
言え 信仰 īmān
人間
, 身体
うる
理解
ま
,
優劣
āmannā
慈悲深い御方
,
捉える
う
まえ
わ
ン
差
参考
aslam-nā
,
いう学問体系
,ク
面
い
る
的側面
信仰
,服
入
ン
い
い
,ta awwuf
段
, わ
心
いう理解
,
聖句
宗教基礎学,u ūl al-dīn
神学
霊学
言
ン ,
る
い
理解
え
牧民
信仰
備わ
差
る
ン
まえ
価
議論
め
,ク
持
次節
思
点
い
る
,彼
教育者としての
節
あ
見
るク
理解
る
自体
端的
評価
い
異
,彼
る
明
い
る語
,
否定的評価
環境
,
向
い
サ
代表
,教義
日的文脈
,ク
言え
述
表現
巻
理解
強
ま
否定的評価
彼
否定
る
自体へ
前節
映
る
文脈
,彼
へ
る
依
的側面
う
沿
否定的視点
理
点,
節
うえ
最
る
特
持
背
い
党派主義としての
ム
前章第 1 節
,
源
理解
ム理解
,
解
教育者
い
ン
ク
ン
ク
,
ク
経
当時
世界全体
,あ
ま
ク
針
関わ
ゆる
い
再
考え
い
思想
個々
混乱
構成員
生
運動
老境へ
,主流化傾向
専門用語
着目
ある
踏まえ,
ある
解
,
述
る
性格
ある
希望
活動力
奮闘
来持
いる若
, 方法
化
周縁化
力
彼
教育指
る,ク
る
運動
運動
疎外
意識
まう
…
中略
…
生
る
何
主流
め
[Ḥabash 1996: 67]
程
形骸化
,
う
,
皮肉
自身
る
根
踏まえ,
まう
能動的
99
述
形骸化
変え
る
点
思想
口
来
超党派主義
る脱学派主義
,ク
入
ク
明
関
目指
サ
ある
霊的側面,実践的側面
運動
運動
否定
ク
る超党派主義
え
新
党派主義
連
経歴
教育方針
運動
生
る
修辞
富
明
い
あ
あ
涵養
活動
運動
明
,
形骸化
,
,
伴わ
い活動
生
ク
霊性
述
涵養
る,次
語
廃
排除
る
涵養
的側面
17
専門用語
ま
ン
ン
諸々
サ
見
いう
る表現
戻
用語
,
好ま
結び
15
る
い
,自身
道
形骸化
,父
能性
意味
ある
ン
時
ク
る
必要
,彼
復
16
懸念
ま
,
いう皮肉
い
,
あ
ある
,
び
1
る
信仰
ある
め
党派主義
確立
意味
霊性
ある
弟
,
批
る
個々人
へ
講義
る
わ
抑
明
関わる問題
,
サ
領域
え
い
いる[Naddāf 2005: 85]
復
面
,
ク
意図
的
専門用語
い
いる
,
ある
参考
,
る
ク
排
いう
言
,ク
自身
いる
い
非
示唆
優先
る
び
び
う
う
,サ
用語
指
ある
妨
私
何
用文冒頭
,
1
個々人
体的
程
1
,
霊的側
霊的側面
結果
うる
,逆
霊
診断
思わ
る
伴
専門用語
,党派化
涵養
妨
思想
宣教
ク
まう立場性
まい,
関わ
霊性
る
る
ム用語の置換
, 体的
ク
う
廃
置換前
サ
用語
用語
用語
→
al-ta awwuf
置換後
→
廃
対象
次
挙
用語
サ
ン
100
i sān
る[Nadwī 1999a: 58]
い
,
18
al- arīqah
→
ク
→
al- aqīqah,真理
ワ
tarbiyah,教育/修
al-ma‘rifah,霊知
紐
rābi ah,教団員
,
al-zhikr,唱
→
ッ
へ
ッ
ma abbah,愛
al-ukhuwwah,友愛
サ
,置換前
る用語
ある
語
用語
存
確
薄まる
期待
,
点
い
[‘Askarī: 2006b]
ま
る回答
参考
問答
承
,
う
用語
へ
る
置換
1人
る
い
関
考える手
所属
否,
る
い
持
う
い
立場
ある
え
理論的基礎
実践,自
域
知識
々
職
手
師
ある
ある
自
,
職
101
あ
murshid
ある
最
,理論的
地
地
手
先
必
手
必要
る
理論的基礎
る
い
,
的
る指
理論的
言う者
師匠
び
め
根
問題
教育者
学ぶ
得る
出る
い
あ
義
宗教,信仰,生活
mu‘allim ,ま
知識獲得
ある
,
い
ustādh ,先生
言
,ま
い
定め
人間
る教育者
教師
習い
い
ある
自立
ある
手
要
見
?
答:
い
ン
ある
る回答
所属
答え
る
ン
ク
問:
う思う
置
へ
所属
,
使わ
る
る
地
繁
,言
る
,後
いる
除
団
,
見
文脈
文脈
一方,実体
回答
い
ある
,彼
い
学ぶ
,2
あわ
人
真
,
理論
持
,見
職能者
独
ク
ン
う問わ
る
ある
うぶ
ッ
使
ある
団
次
聖典ク
一部
出征
い
彼
許
,彼
,書物
大学
う
う
?
々
う答え
来
いう
う
ン
見
ある
ある
持
い
る存
姿勢
党派性
いう
闘士
指
るわ
る師
必要
能
ある
得る
者
うえ
問題
い
指
悪魔
救わ
力
る理解
必要
無駄
い
サ
ク
,bay‘ah
誓い
![‘Askarī 2006b: 32]
学ぶ
ま
示
一方
,
学び舎
,あ
ま
適
換える
除
ある
102
要
, 預言者
資質
ま
,
ある
,ま
備え
師
含ま
る
教団
用語
置換
相
ク
存
用語
,
20
示
必要
対象
称
,
存
必
居
いう
置
,
学者
る
い,
廃
る用語
外面
う
い 師弟
要
開
人
点
々
いう教団
,ク
誰
存
ゆえ,ク
ン
,彼
るま
団
い
ある
ある
民
限る
出
冠
来
,
教団
深め,彼
理論
者
い,
称
い 19
学ぶ
必要
指
最優先事項
ン
各
,
い
々
る師
う
,一体
点
,ク
条件,あるい
彼
悔悟章第 122 節
勇士
う
出
る必要
人
る
いる
立
闘士
理論的
理論的
ン
相
エン
伴う真
人々
慈悲
い
いう意義
教師
動
身
必要
学び舎
ある者
相
預言者
る
理解
ある
い
様
,
め
彼
ッ
語
い
い
る
述
い
るわ
問題
理論
ク
宗教
当
理論的
ある
う
警告
使
闘士
胞
次
時
人
,
言わ
彼
ッ
霊的教育
うぶ
ン
い
る
い
戻
相
内面
要
う
ま
ン
人
,
,
彼
用
独自性
抑
,
,
開
る
回答
含ま
る
的陶冶
必須
回答
果
門用語
塗
組
いる
め,
,
憂
,
い
る
理解
,文脈
所属
る
る問題
,
る
述
要性
持
あ
,
る
試
存
確
否定
る,あるい
る
理論的側面
ク
世俗教育
る
霊的側面
問題
理論学習
宗教教育
批
い一方,
用語置換
いう視点
批
わる
含め
依存
捉え
あ
る
ま
所属
,
い
生
問題
う
う
置付
る
踏まえ
,教育者
前節
内容
ま
め
,
特
教団
迎え
踏まえ
,
廃
,ク
,
ク
める
人々
限
,
び
青
指
る
時代
環境
約
いる様子
育ま
彼
特
潜
的
修養
置
る
いう
,
う
諸学,あるい
党派
る
ある
映
う
理解
,彼
内面
る,際立
立場
,専
持
々
,自身
いる
い
治的混乱期
原因
,彼
ン
擁
と制限
実践
る
社会
いう
能
,ま
経歴
確
ク
対
空間
深める
挙
ムの開
者
閉
章第 2 節
知識
質的
える側面
体的
ま
否
い
団
ある
,
る
,
,
る指
い
除去
あ
独学
あ
ま
る点
う
当
ある,
示唆
い
点
理論的側面
ク
躊躇い
党派的独自性
批
う
へ
る
え
,
,
備え
わる
言い換え
必須
,強い師弟関
々
理解
持
躊躇う理
価
価
者
う
わる
び
前章
次
々
々
へ
指
い
る
内容
,ク
避
,
,彼
時
宗教的指
言える
伝統ある
,世俗教育
者あるい
入
,政
教育者
える
へ
103
態
,開
抑
いう
面性
見
る
わ
,
え,ま
方
,用語
置換
,あるい
特
修
見
る
る
団
書
用い
新,ク
る
存
る
ある
次
う
述
新
対
用い
る標語
ン
基礎へ
回
必要
ある
見える
自体
う
う
著者
含ま
る 21
組
方法
ある
言
要
理解
見
根
ン
指
る
ある
,人間
指
サ
彼
る
害悪
組
内面
清める
理解
見
用語
課題
え,
る開
限
ある
置換
,
,ワ
ン
組
含め
要
主張
る
換え
,預言者
ン
,1980
サ
意味
置
ン
,
代初頭
る
,彼
,ま
思想
いう言葉
語源
誰
確証
い
教友
ク
持
述
語る,
ン
見
ン
, 内面
る
い
魂
サ
浄化
ま
ン
ン ,ク
法 fiqh al-bā inī
104
,あるい
ン
内面
サ
金曜
tazkiyah al-nafs
い
語
る
[Ghawrī 2005: 770; Nadwī 2000: 13-14],
ン
い
サ
ぶ[Weismann 2007b: 125] ワ
い言葉
,ク
る 23
節
改善
ある
,
サ
来
る 22
瞥見
い
サ
る
,ク
,
彼
影響
る
い
,
講演
動憲章
,ク
ン
ク
,
組
サ
見
ある
関
Sufism without tasawwuf
ン
方法
自身
,ク
,ク
宣教
,排除
ある[Naddāf 2005: 304]
教育
,
る一
,
ク
除
,
面性
主張
捉
る
清める
う
る霊性
言え
言い方
ある
い
端的
性
,
tajdīd
新
言
通底
開
,抑
,
ン
い
う
確
人間
魂
合章第 2
浄化
知 ‘ilm al-bā inī
び,
一部
人間
る精神修養
表現方法
多
部
共
資料
,
連盟
指
者
る試
い 24
中
歴へ
主張
一方
,ワ
ン
1980
代初頭
い
論文
次節
慎
ク
わ
ク
ク
教育
宣教
終始
,
る
関心
共
へ
宗教的側面
ラ
節
述
るク
,宗教知
威
る点
る
側面
見え
理解
,
交差
的
サ
要
要
あ
検証
,
論文
繰
検証
る鍵
いう点
宗教言
返
述
1
へ
理解
,ク
検証
次節
論文
,
る
協働
うる宗教言
統性
担う宗教言
構築,宣
新
,
う
う
問い
,
答え
検証
い
ム理解
映
党体
あ
ク
いうワ
ま
いう
理解
いう立場
必要
,
い
承
,現代
言い表
伝統
冒頭
関わる言
ま
組織面,
交え
伝記
,思想面
時
視性
政治的側面
,
点
深める
ム の宣布者としての
,対内的
国
高弟
関わる構想
る検証
部
,
教育歴,博学ぶ
言
い,現代
正統
置換
肝要
ある
出席
ク
用語
る
前章第 3 節
思想面
い
,
主張
ク
る
伝える資料
[Ghawrī
教
,
扱わ
ク
あ
出会
交流
用語
ン
ク
ある [Ghawrī 2005: 31-33],
賛辞
訪
胞団
まる[Ghawrī 2001: 309-310]
る寄稿
外
う
1951
ク
伝える
め
摂
,
市内
ク
彼
ある
ク
歓談
意識
,
2005: 249-250] 滞
宣教
置換
見出
議長
,ク
,ク
ある
,ま
る[Nadwī 1963: 23-27]
明
理解
る
用語
,現存
終着点
,
理解,ま
い
偉大
統
現代
彼
立場
る
求め
,対外的
る
形成
105
代表
共和
ある
寄
前節
る
指摘
,
い
,
沿
統
ク
革新
宣
思想
理解
い
含め
自身
掲
現代
比較
る
含
実態
統
捉える
う
統
うる
思想的立場
断基準
統
思想
う
性
析
主張
目的
, 章
明
る
め,彼
る
後,彼
例
,代表的
,
,
統
あるサ
1
ま
主義
う
正統 と 非正統
,教義
る機関
る
い
い
要
統
統
,
い
,専門用語
塗
統
統
非
ク
る
指
る
,彼
ま
,彼
当
いる
い
非
ま
非ク
ク
用語
含め
,高
, 思想
ま
要
必
宣教
述
い
一部
述
自身
言い表
い
る[‘Askari 2006b: 29]
106
章
次
涵養
方法
要
2
側面
,
ある[Nadwī
るわ
一部
る
ク
思想
奇跡
,秘教的
理
,
理
う
哲学的
,前出
,
着
い
用語
否定
る霊性
弟子
精査
う
指摘
思弁的
,
概念
除
見
統
[Shaykhānī 1995: 292] 25 ,
ある
見
非
る
一部
ある
節
奨
る
ン的
要
,
,
いる
,
表現
統
呪術的様相
う
る 26
め
る要
述
ク
1999a: 61-69]
含ま
逆,
歴史
前述
忌避
異端 , ま
理解
,
karāmah
あるい
統
る
る,あるい
ある 逆
包括
特
挙
知
,
理解
,あるい
al-ta awwuf al-Qur’ānī
理解
内容
公式
義
る
出
る
,
え
郭
ン的
挙
宣教
1
禁
彼
,前節
彼
節
い
,彼
,
考える
,
出来
る
決定
,ク
あわ
目
異端
い
哲学的
ン
多
問題
る
いう
,哲学的
ある
師弟
前節
理解
誓い
用
言
必要
い
あ
目
閉
,
心
作法
る
る,
い
う
,ク
必
見る
握
弟子
向
述
後,両者
ク
,あるい
方法
一部
実践
い合
3回
ッ
支教団
,
接吻
る方法
用
う
,弟子
,
ン
手
忌避
儀礼
個人
,宗教的
る
る
耳
る
強い忠誠
簡
化
示
背
へ
る
彼
費用
る宣教
財
いま
,師,
含ま
方法
ま
用文
信仰
あ
見る
指
方
見
ある
ま
者
場
擁
28
, ク
手
膝
るあ
愛
接吻
念
抱
文脈
,儀礼
排除
,
語
る
ン
教団
う 29
107
い
,
う
?手
敬意
,
る
示
る
いう理解
,
必
合わ
う
接吻
々
ッ
異
信仰
考え
,
個人崇拝
形
える
統
伝統
胞
,
,
,ク
い
[‘Askarī 2006b: 26-27]
う
惧
愛
生ま
ま
る
る儀礼的側面
時
対
,
1 人
買い
あ
強い敬慕
進
出
,師
ある
,特定
差
用い
個人
い
る
私
あ
禁
前
々
拒否
,彼
う言
実践
例
厳
入
弟子
い,誤
ある
ク
ン
入
,大広間
いう
,
る
理性的
え
手
入
特
置
述
,
う
う
ン
ある 27
る
,
あ
々
道
,
ッ
,ク
述
否定的見解
1
出
手
,
式主義的
例
ある
弟子
ある
記
め
唱える簡潔
方法
る
る
う場合
神
後
自体
う
形成
る
試
ク
除去
厭世的側面
ク
う
試
ある[Nadwī 1999a: 70-81]
禁欲 zuhd,
例
,
い状態
貧
い
ッ
真理
友
う
る
意味
満
見出
る
知
,満
あ
う
る
,来世
,清貧
群居/
貧
い
対
根
ク
的
異
,
ゆえ
指向
家 ikhtilā ,
,
,
faqr,
,
ある
る
,
る
批
る主張
貧
挙
ク
実践
自
要
独居/出家 ‘uzlah,
,ま
うえ
う1
ク
貧
,預言者
現世
る
い
ン
満
教
る状態
指
[Nadwī 1999a: 70]
ま
,必
る
社会
る
ッ
一個人
隔
交流
開
場
,あ
活動
ま
あ
見
金曜日
30
中心
批
伝統
対
担
彼
存
要
初期
あ
ある
い
多
,現
修
修道場
る
,
ン
る[Nadwī 1999a: 79-81] ク
批
礼拝,
修道場
,修道場
ある
る
,
初期
伝統自体
まる場所
棄
わ
い
る
る,社会
め
指
ッ
批
宣教
法
史
ク
人々
修
ま
ク
,
ク
外
講義
活動場所
合礼拝
修道場
持
[‘Askarī 2006b: 26]
い
う
関
あ
ン
文言
真
方
理解
道
る
る要
真理
khulq
形成
程
, 迷信的
al-rahbānī
異端的 al-bid‘ī
い
,ク
会得
両
ta aqquq
銘打
修道的
捨選択
様々
成
自身
言え
ク
ン
立
ク
ン的
批
あ
,
, 新奇あるい
al-khurāfī
称
方
言い表
[Dahmān 2009: 14-16]
31
う
見方
統
ある 主
聖者信仰,道
思想史
3極
あ
専門
る
る
いう
方
,近現代
研究者
理解
108
1
東長靖
援用
示
典型
る
る,神秘主義,
[東長 2013: 37-45],
ク
道
特化
え
,
あ
多様
あ
方
思想,民間信仰,
明
側面
東長
眺める方法
る
道
側面
まる
体的
批
意味
理,
いう点
道
掲
るク
見解
ある
いう問題――
え
,
方
枠内
あ
,いわ
対象
立場
点
関
あ
いう立場
1
,個
事例
検討
限定的
――
生
語
る問
,
党派主義
め
る
,
特
通史
る
社会
文脈
う扱う
衰
いう点
当
方
含め
方
,
方
近現代
法学派
,
方法
聖者信仰
統
ある
論文
,道
あ
通史
いう
,
,
ある[東長 2013: 46-47]
,
背
程
用い
現
[東長 2013: 42-45],思弁的,秘教的,
える
当然
る
い
う
,
歴史
あ
あ
,結果
, 神秘主義
る
生ま
析
側面
理解
強調
生ま
教育者
示
3
指
ク
文脈
る姿勢
1
3
方
排除
析概念
特
何
うる
少
聖者信仰
,
,ク
る
い
東長
近現代
道
時代背
る
通史
否定
題
方
日常的倫理
強調
論
,神秘主義
る
言う
厭世的
理解
,あるい
うる
積極的
指摘
い
ゆえ
識論的
,党派性
抑
否定
い要
基盤
立場
見
彼
る
ま
持
霊性
涵養
接的
ある
評価
,社会
,彼
道系教団,大
築
る態
る
,
おけ
聖典
いう
あ
自体
日的
い
儀礼的要
例
,直接
排除
ム
109
様々
,彼
る,京都
い
い
大本との交流
,ま
る,ク
,最高
視
交流
関
述
意義
立場
,
ある
告
見
宗教間対話
合性
い
綾部市,亀岡市
る
方
い
間
教派神
,参考
大
交流
神的
交流
互い
大
,ク
数多い宗教間対話
あ
る[
教義
強い親和性
交流
1990
際 33 ,ク
談
う
世界,1
1
預言者
預言者
る
次
訪問
,大
る
滞
,ク
いる
中道
弟
現世
歩
,人間
いる
精神面
義
ま
現世的
利
いる
向
源
神,
彼女
,大
聞い
信
あ
ク
,あ
態
実践,実
何
示
当然
伴わ
方
断食
める
一方
実践
意味
ン
い信仰
る価
比較的
あ
純
理解
要約
創
,肉
犠牲
いる
いる
結
田中
う
る幸福
想定
中略
一
,
め
め
…
学
均衡
,何
場合,信
,物質面
,
…
利益
い
う
信
精
人生
善
い
…
中略
…主要
主
る関心
あ
ある
る
,何
ある[田中 1999: 208-209]
教義内容
田中
調和
いる
信
,
一
来世
全体的
う
うる
一
関心
大
言
る幸福
い
神的満足
い
大
い
時
含
え方
, 1
34
中,ク
精神
実践
会
,
述
, 私
ある 35
訪問
ッ
大
驚
大
体
彼女
対
出会
訪問
1935-2001
ク
いる
大
述
い 36 ,約 1 ヶ月間
道
回答
理解
弟
ある
ある出口聖子
彼女
1 人
,初め
最初
対
端的
大
ある
相互訪問
第 4 代教主
霊的 精
,ク
いう経緯
彼女
う理解
神
背
あ
後3
大
いう標語
ン
ン
,
郎
宗教
言葉
表明
32
始ま
,
2006]
ある
出口京
,大
ン
活動
, 魂
浄化
敷
いう
110
る,いわゆる神
理解
,大
合一
教義
い
考
言え
霊主体
味
相当
実感
大
る
理解
,ク
大
[田中 2005: 152-153;
親和的
関
構築
ン
果
2008b] 田中
要
弟
道
,
言
意
,ク
価
次
述
る
原
文
形式
る方々
精神
,大
る
手
学派
る教え
携え
世界
あ
あ
一
,
う
結
,
教え
う
互い
信奉
る
親密
感
あ
る
い[田中 1999: 208-209, 211] 37
う
要
,田中
,大
役割
諸宗教
霊
語
側
ま
交流
指摘
宗教間対話
節
ク
地
――
ある
い
あ
結果
ま
示唆
,実際
点,田中
るク
活動
る
い
組
,
,大
,
――前章第 2
積極的
へ
特
資料
言
寄
いう
少
側
宗教間対話
ク
存
,
,
うる
る機会
述
る
い
評価
,ク
,見方
変え
ま
,
顕現
交流
い
機能
抑
見る
る
統
あ
非
方
対
統
いう問題
る田中
関連
評価
る
う
,大
交流
,
う
え
応える
い立場
い
明
い
存
表現
開
結実
自体
全否定
る
サ
1
る姿勢
言う
対
,ク
主義
111
め
る
る理解
う
霊
諸宗教
掲
ある
主義
い
ムとサラ
諸宗教
,超党派主義
疑い
,ク
,
,
明確
言え
入
る
える
ク
指
範
問い
答
ク
る
ン的
,
ク
る
,ま
,
サ
サ
主義
第 1 世代
詞化
主義へ
,
含
表
,中世
ン
辞
理解
bid‘ah ,
的
派
要
排除
前
慣
否定
威へ
追
党派主義
伝統全体へ
預言者
,サ
果,サ
詞
地域
法
ijtihād
詞
主張
代表的
掲
近代
化
い
主義
い
幅
断へ
拒
追
語
宗教改革者
通底
見
確立
神学,法学,
特
,いわ
中世
いう語
al-salafiyyah
る
語
新奇
,非
来
ン
非常
多義
概念
あ
,サ
,
激主義
日
るま
思想
見
主義
影響
団体
標語
39
多様化
主張
る運動
る,特定
,い
結
文脈
,誰
沿
語
,
主義
両立
新
的概念
法
盲
taqlīd, ク
断
演繹
能
再構築
19 世紀
,活
る内容
主義
,法源
影響
主義
う 40
関
,西洋近代文明
示唆
思想家
主義
政治活動
サ
念頭
う
,
112
掲
る
,
置
大
20 世紀前半
外
る
,
る
20 世紀初頭
るワッ
ワッ
ン
る[Shinar
ある[中田 1989: 6]
サ
要
サ
え,後者
ある
ン
う
,
ま
ま
る[Johansen 1996: 60] 前者
影響
,
時代
世界
る意味内容
奨励
来
る
困
改革主義
18 世紀
語
活動家
主義
近現代
大変
既存
広
意味把握
語る
形容
ン
, サ
各地域
合
いう点
者
る
主義
固
い 38
直接
詞化
,
否定
るうえ
, サ
降,サ
世界
ま
サ
論
始め
ン
端緒
用い
時代
る
潮流
中世
聖者信仰
理解
理論的基礎
,
,実際
的
る
ン
主義
批
述
抽象
改革主義的
ま
い
,預言者
付
近 2001: 418] サ
,
意味
日ま
,近代
関
る
世代――概
派法学者
ワッ
1995: 906;
要
3 世代――
接
ン
主義
理解
初期
,
後,主義主張
一般的
サ
胞団
中東諸国
多様性
等閑視
一
ン
,
い,世俗教育
サ
ま
主義
ま
立場
論者
伝統的
い
サ
主義
一
多義性
鑑
対関
ある 42
方,例外
言える
主義
理解
あるい
231-237],少
ある
識
,
う
大勢
占める
る
へ
表明
見解
論
め,
一例
,
,
い
[東長 2013:
サ
相容
,サ
い存
前最高
対話
,サ
主義
見
,ク
る
る貴
あ
私
対話
聞い
先人
皆,サ
いる
あ
ッ
述
う
い
いる
サ
ン
ある
,私
追
る者
salaf āli
い
想う点
ある
,
い
々
,
両立
,
共通
自身
魂
サ
ある
る
い
々
ッ
い
ク
清め
浄め
ある ま
々
魂
サ
る
ta awwuf
ある
皆,
あ
言
サ
想う
ン
ッ
専心
る
,
記述内容
い
[‘Askarī 2006b: 32-33]
サ
思わ
併記
ン
るサ
理解
tazkiyah al-nafs , ま
め
改め
‘Abd al-Azīz ibn Bāz, 1912-99
ク
る
徐々
い
ある
異
明
一様
ン
一
支配的
,ク
紹
あ
,
,
ある
誰
る
ン
対話
い
め
側
,ま
研究
全否定
否定
ある
批
,
ある
う
いる 41
いう
サ
いう
,サ
含
見
ある
側
頭
,政治的
い
主義
ワッ
う
点
サ
わ
主義
親和的
サ
う
る
る対話
思想
宣教
用
若
る
あ
い
矛盾
113
情報
理解
い
ある者
あ
,ま
ある者
あ
サ
言う
一体
あ
,サ
い
ク
い
私
ある
ン
両立
ク
め
私
あ
tazkiyah al-nafs
言わ
確
成
い
拝
者
……
清め
者
成
節
43
ン
立場
い
える
いる
両立
,
ク
,己
高
清め
,
見
1967
用
, ン
側
ある
う
,ク
彼
,サ
気
いう
的
示唆的
,原理的
払い
用語
――
使わ
サ
いる
ッ
如
ッ
あ
い
う
見
び
ある ま
るク
い
々
,
ある
回答
,
る
批
い
,両立
,
ある
教友
あ
陽章 9-10
ク
ある
い
関
彼
免
ある
える
いえ,
め
自身
主義
背
る
能
ある
サ
主義
ある
見
al-salaf al- āli
,
114
対話
称
サ
考え
標榜
特
い
称
いう
識
わ
否定
,
示
る
エ
主義
いる
ク
る
るH
サ
終わ
サ
サ
考え
唱え,礼
ある
,
る
対
見え
側
求め
指摘
い
御
魂
見
,自身
,
点
る方
失敗
め
いる
る
め
問い
資料
言い
ま
戻る
いる
高
浄
[Nadwī 1999a: 118-119]
ク
ン
言葉
,
対話
い
ン
魂
言わ
ッ
断
ta awwuf
主
福
称
る
己
う
者
ta awwuf
ン
,
あ
ッ
私
記
ッ
ある
あ
者
葬
,預言者――彼
想う
ン
御方章 14-15 節
あ
ま
い
何
意味
る
Khaled Abou el-Fadl
,
い
いる
び敬虔
初期
世代
わめ
根
,預言者
彼
先人
慣
う
いう考え
意味
,直感的
る
主義
ある[Abou El Fadl 2005: 75]
,時
識論的
世界観
える
困
,
理解
いう指摘
る
,ク
先人
主義
最
知
い部
存
暗示
非
端的
主義
い
る箇所
る一部
示
挙
サ
前出
挙
,
言
述
偉大
先
,彼
教員
ま
る者
る
称
へ
人々
現
述
う
サ
主義
わ
概念
人々
純化
る
曲解
的
示
価
ある
る者
め
いる
う
,
観
うえ
置
,ク
,
る者
る
者
い
持
え目
,
化
,一部
意
サ
主義
,ク
ン
視
自
合わ
統性
ある
主義
基
的
び
性
る
る
,
主張
る
通
る
,サ
述
応
主義
置
一
立場
2点
いうサ
理解
根
る
要
る
基盤
通
ま
,サ
理解
ン
サ
主張
るク
ン
曲解
,彼
,ク
,
性
ま
,
結果
多様性
る
対的
支持
,
,
う1
自
る[Ḥamīdān 2007: 70] 45
追
最大公約数的性質
る
知見
ま
サ
捉え
,サ
1
用い
ン
る
彼
似非サ
る[Khayr Fā imah 2006a]
述
いう
主義
意味
る[Shaykhānī 1995: 193] 44
曲解
サ
ま
高弟
い
ある
る
通
ある
,誤
主張
持
指摘
い
い
学院
方
いる
誤
う
立
性格
エ
いう語
例
る
,
る時,
,サ
いわ
異議申
る最大公約数
る者
色々
[Abou El Fadl 2005: 75] サ
主義理解
否定
主義
, 否定あるい
い
追
,ク
能
言い表
サ
サ
サ
,否定
,サ
主義
,
相
,
最高段
る
サ
主義理解
115
,
る
擁護
ま
,
統
ン
派
る
自
自
統性
いる
,
あ
あ
置
統
立場
根
掲
るサ
形成
,ク
る
統主義
,自
主義,
,
主義
依
サ
批
含め
サ
いわ
中心
立場
奪
据え
,
る
統
統
あ
方
る
,
党派主義
ッ
ワ
宣
ク
ク
持
い
対
相
様々
政治的立場
距
方,
静観主義
威
うる方法
選択
,現代
ある
強
い架空
考え
る
るサ
野
存
,
実態
ま
,現代
現実
誤
ン
法源学
扱う多筆家
福
い
,
,彼
意味
補完的
,
役割
あ
時代
宗教知
選択
ン
方法
即
異
理解
存
,彼
彼
ある
,超党派主義
う 46
時
る
洞察
る
サ
る作業
め
,
ある
主義
い
ある,
広い
いう,
伝統
主義
る
時代
挙
担う
,
璧
持
主義理解
,彼
あ
少
あ
方法
,現代
捉える
め
る
,ク
よ 超党派的サラ
述
例
主張
共通点
ク
深める
る機会
広い
統
る思想的立場
ク
ン
依
威, ま
語
公式
海外
超
う
ある
サ
承者
既述
宗教思想
1
確
ク
ク
求め
言う
ク
主義理解
ラマ
,能動的
,国家
政治的立場
宗教知
通
関
立場
ク
長 社会あるい
,彼
持
ン
ン
現代
静観主義的
,彼
,
宗教活動家 ,
ある
政治
ま
教団
る教育者 ,宗教
者
政治
ン
掲
政治的立場
派
るサ
彼
サ
サ
中心
表現
主義理解
主義理解
サ
サ
主義理解
ン
神学,道
,
言
著書
教育
サ
ッ
い
考察
示
1929-2013
問題
主義――
,
い
幅
学
al-Salafiyyah: marḥalah zamāniyyah mubārakah lā
116
mazhhab islāmī
自身
[Bū ī 1998]
サ
降,
主義理解
明
活躍
,
関わ
師事
父
い
47
彼
, 激
程
,徐々
派
ン
る,
人気
記
,
教師
象
世俗主義
, サン
,
主義
ッ
来
る
サ
る
国営
盟
論文
胞団
持
立場
連
Ḥasan al-Ḥabannakah, 1908-1978
ン
関わ
強
活動的
思想家
[Abāzah 2007:
あ
199] 48
化
る
基
, 胞団
胞団蜂起
賛
義
使
胞団
非
際
共感
立
,1970
関わ
弱め
襲撃
殺害
る声明
国営
表
サ
る声明
表
宗教的指
者
大統領
党
胞団
,
党
,彼
情報省
1982
,
1979
際
掲
対立
構成
激
る
要請
る
主義武装組織
声明
2
いう
代
い
胞団
,
,支持
先鋒
武力
,
戦い
世俗主
[Bū ī 2006(1995): 140-141; Christmann
失
1998: 152-153]
青
期
連盟,
胞団
通
る部
経歴
,ク
時期
遅
立場
転向
歴
見
,
似通い
,
,
体的
サ
サ
模範
ン
,ま
党
る
否定
ン
,
い社会
再現
,近代科学
る
,サ
内容
的理解
転向
親
党
ある
経
主義理解
う
ま
否定
要
,
い――
後代
い
彼
優
福
主義
見
る
,サ
う
る
る
サ
,サ
近
指
両立
る
基
時期
いう
る
い
,サ
いう言葉
あ
強い面
追
い――
預言者
ittibā‘ al-salaf
語
転向
比
熾烈
想
記述
いう
党
,ク
あ
主義
親
ク
主義理解
[ Bū ī 1998: 224 ]
出
わめ
いう
体的
後
,ク
対立
サ
,彼
,
多い 49
胞団
め,御用学者
派
いる理
関わ
サ
う
,サ
,世俗教育
能
立場
る
戻る
117
う
――
,サ
う
時代
降,近代ま
立場
積
伝統
授
福
能
再解釈
る
福
サ
限
う
,
内容
唯一
回
る
,
変わ
ま
主張
,サ
側面
2
主義
る
意図
新
い
, 預言者
彼
え
種
ン
サ
主義者
個人
人格
る人々
る
者
,あ
付
忠実
主義者
うサ
追
る
,聖句
へ
密
追
る
る,あるい
いう
る
る預言者へ
追
る人々
一派
批
る 50
Mu ammadiyyūn
あ
解釈
一環
る規則
称
いる
,彼
固執
必
ン
含め
預言者
模
限
,
先人
作る
,
想い
,
彼
,預言者
属
示
預言者
, 19 世紀
胞団
活動
対象
サ
,預言
い
,
源流
る党派主義的
う
,
動主義
サ
る
義
追
あ
サ
サ
る
ま
追
,
自
課
政治
い
議論
サ
主義
,個々人
る
,
批
る[Bū ī 1998: 232-233]
ま
援用
主義
端
自
ン
自
主義的
る,政治
サ
,自
主義
サ
118
厳
,
降
ワッ
代表
捉え,
固執
[Bū ī 1998: 224]
あ
追
20 世紀
サ
自
へ
い預言者個人,ま
外
る
称
統治
,
る
ま
標語
社会
ン
理解
,
あ
主義
信奉者
人々,ま
見
る
誤
わ
姿
, サ
ン
ま
る
,ま
る[Bū ī 1998: 221-222] 彼
糾弾
う
,
る改革主義
ある
tamazhhub bi-mazhhab ‘al-salafiyyah’
へ
主義
立場
ン
る
容,
いる
,サ
いうク
承
ン
否定
い思想朝流
,サ
,サ
る
ン
個々人
い
ある
わ
ワッ
主義
世界全体
る
損
ク
る[Bū ī 1998: 55-56]
サ
ある――
う
意味
いう,サ
考える
あ
批
生
ある
,自
学派
生
mazhhab
え,
主義
出
胞団
批
51
既存
社会
掲
打倒
る
定
ク
ロ
サ
派勢力
否定
うる批
明確
支持
る
い
と
返
ン
い
る方法
伝統的
あ
,
種
暗黙
う
何
特
,党派主義的
含ま
いサ
サ
び
理解
,ま
,
現代
ま
通底
要
ン的
,
る要
,
あ
意義
言うま
,
1
ある[Shaykhānī 1995: 291-297]
サ
め
主義理解
う
わ
あ
節
最
ク
い
用語
廃
,
文脈
サ
サ
い
ま
合
いう用語
述
ある
用い
い
いわ
いう[Weismann 2007b: 119],ク
いう 用語置換
, 中道 middle-strand
宗教的立場,ま
政治的立場
ある
1
,
い ワ
超党派的
捉える
ク
調和
,
問題
見出
代替
政治
,現実味
理解
主義
出
いわ
,ク
1
意図
ま
,
サ
,
前節
立
主張
ク
置
い
即
言う
作業
い
ある
性格
,あるい
あ
い
前
主義理解
あ
サ
後
う
,
ム
主義理解
いう立場
ワ
い
言
る点
静観主義的
胞団,
,
き
サ
理解
るある種
批
ある
サウウ
,彼
対
主義,
統主義的
る試
主義
主義批
派
サ
振
,政治
,ワッ
唱
ク
持
えるサ
主義批
いう点
主義
建設
主義
教派,宗派,団体
い
い社会
統サ
る
サ
,新
ン
サ
必
,
サ
合い
出
う
立場
目指
点
明
る
2人
ク
‘Abd al-Fattā Abū Ghuddah, 1917-1997
サ
胞団
指
ワ
ン
党
恊働関
枠組
ある
維持
119
外
,
ッ
2人
るわ
2人
ッ
ワ
,ク
築
め,
いう,
ッ
る
世俗主義政
め
草
掲
根
的伝統
ッ
ワ
ク
作る
ン
代初頭
め,
め,
ワ
体
打倒
サ
サ
る
枠内
,
,
来
い
能
サ
党政
伝統
,
点
鑑
,
関
る
,
論文
果
記3人
確
,後者
い
系
,近代
会状況
適合
る
る
うる
ある
要
前
再形成
掲
る
ま
論文
え
言え
,
い
,
あ
方
る
時
置
教育背
ま
る
ク
主義
あ
確立
ン
支教団
い
果
要
形成
理解
置
問う
浮
基
,
び
日
言
ある
い
120
政治
1
根
超党派主義
指針
る彼
成
教育背
い
現代思想
調和
う
る処世術
社
う
伝統
,
果
,現代
え目
る
主流
現代
サ
意義
あ
,伝統的
価
サ
,ク
能
サ
サ
る
る時期
伝統
,現代
,
,彼
積極的
代初頭
ま
る
彼
文脈
後
,異
ク
立場
,ク
活用方法
,1980
完成
ある
展開,
改め
資源
外
覇
,
う
い
い
承者
いう
る
内容
新
伝統
い
サ
前者
う
作
る,ま
る
え
,
ある
維持
方法
1
ま
ゆえ
大統領
る
一形態,
,
る
る立場
理解
まる
文脈
ある
いう,
彼
除い
1980
根
る
何
生ま
埋め込ま
置
置
解釈,あるい
1
模
要
現代
現代的
い
,
要
,必
史
新
,前述
言
サ
る
る
[Weismann 2007b: 127-128]
,ワ
異
復興
根
い
衰
,
批
へ
掲
統
あ
方
批
る
あ
出
る宗教的立場
,ク
,
修辞的表現
い
論文
現代
いう事例
持
問う
価
言う
経
統
伝
う
註
1
サン
い
章第 3 節 述 る
あ
部
, 方法
様
ク
ン 寄稿 掲載
いる
3
1995
3 月 21-23 日,
ン 首都 ク
,世界
指 者会議
al-Qiyādah al-Sha‘biyyah al-Islāmiyyah al-‘ lamiyyah
主催
わ
教団
運動 秩序 持
め 委 員 会 会 議 Ijtimā‘ Lajnah al-Tansīq wa-l-Mutāba‘ah
al- urq wa-l-Ḥarakāt al- ūfiyyah
講演
4
ま
,
師事
後,エ
,
ン,
,
ン,サ
,
,
, ン
歴
現
代
碩学 1 人
,
諸学,神学,法学,地誌,比較宗教学,現
代史 い
ま ま
関 る著作 多 遺
,
う 代表的
,彼 生涯 編歴
[Ghawrī 2002, 2005; Nadwī 1999b]
い
,
,
,
び近現代南
系運
動
い
多
研究 ある[山根 2003; Grare 2005(2001); Upadhyay 2008; Nadwī, A.
2006]
5
章
,前 2 章 用い 人 録 活用
い ,
人 録
ク
い
明 思想面 特段
扱わ い
ある
6
日
研究
,
語
rū
霊
精神
邦訳
る
通常 ある 一方, 魂
訳
る語
nafs
ある
訳語
英語 spirit
soul 相応 る
,
うぶ
日 語
霊
魂
検討
うえ 使用
いるわ
い
え ,伝統的
文献
現代
言
る
ある保証
い 近現代 精神 霊魂 捉え方 変質
能性 高い ,
析
論文 範
大
超える
7
[Nadwī 1999a: 96-113]
筆者 理
8
法学 外面的
形
,
内面的
心
る理解 あ
る[東長 1996: 58]
9
指
,宗教
総体
,
依
islām
ある
10
,
ン,
サ ン 理解
い
, 筒俊彦 研究[ Izutsu 2006]
参照
11
い
[Bukhārī, 1999: 12;
2001: 46] 参照
12
aḥīḥ Muslim, 2000, pp. 24-25.
13
ク
ま ,
形而
形而
る
る信仰 形態 ,
び
外 知識
ある
言い表 [Naddāf 2005: 78-79]
14
[
=ク
1995: 233] 訳者 ある中田考
る解
参照
15
え
次
う 述 る
わ
彼
ク
自身
運動
箱
選
[Ḥabash
1996: 68]
16
日,
ク 併設
学院 教育
課程
,
独立
科目
い い
2
121
大学前教育
宣教
め 法学教育
入
13
男女 対象
学 中心
中等教育 3
就学
教育専修
外 中等教育 免状 持 男女 対象
中等教育 所定 課程 終える
学 高等教育
る め 必要
教育免状 授
定時
教育
学 中心
教育全般
供 る,男女 対象
定時
中
等教育
語
び
教育
語
語
い男女学生 対象
中等教育
語圏 宗教系大学へ
入学準備 目的
,預言者伝,法源学,
学,宣教学,霊学
幅広
扱う 3
就学
語教育
語
語
い男女学生 対象
語学専門教育 6 段
ク
会話,
書
教育
大学教育
宣教学
学 大学前教育課程修了免除 条件
文化学,宣教学 中心
4 課程教育
学士 lisans
授
宗教基礎学
学 中心
伝統
士 授
学
学 中心
,エ
学 学士 授
試験
大学
学部
学,文学,商学
中心
ベ
携
る 4 間課程教育 学部課程
ある
扱い ,学士授
い
学,
修了者
関
る4
大学
う
語,
語
学
課程教育
交換 4
規
学
学
課程教育
学部へ
大学
転入準備課程
大学院教育
宗教基礎学
学,ク
基礎学部 課程 修了
ン注釈学,法源学,比較法学 中心
教育 宣教学部 宗教
学生
成る
研究科
法源学,ク
ン注釈学,
学 中心
教育 宣教学部,宗教
基礎学部,
学部 課程 終了
学生
成る 世俗教育 大学院修了者 修
士
入学
能
ク
ク
ン
17
存
18
ン学,暗唱学,朗誦学
暗唱 朗誦 免状付
[Naddāf 2005: 460-462]
,自身 指
る
るわ
ある ,
挙
る
め
点
,
特
課程
筆者 理
例外
,
い
明 次節
団
122
状況
克服
る稀
道,
わ
譲る
,
修
法
19
指
弟子 murīd
う
へ 忠誠 誓い 儀礼 ある 方
,檀家
教会
持
い
あ
,
実績
規模 計る 1
目
る
,ク
ン
時点 25,000 人
述 る[al-‘Askarī 2006b: 26]
20
ク
ン
いう 称
必要 い
る姿勢
関連
,ク
近親者
び弟子 , ク
ン
教団 特定
自
う
先人
合い 出
い
ま ,
党派
主義 見る意識 う
含ま る
あ う
21
へ 否定的視点 ,
党派主義
る
へ 意識,
排除 る め 教育方針 考慮
, 方法
題
い 言い表
新 改
善
う
含ま る ク
,前章第 2 節 触
ッ
法学理論 議論
異 る
ある
改め 理解
る
22
ま , 節 内容 振 返る ,ク
宣教 da‘wah
多義的
性格 見え
る
思想 宣教
題
用い
ワ
主 教育活動 意
味
いる ,
文脈 用い
る
考え
,
自
己教育 人間 内面
自体
含
る
23
典
用
る
,前出
次 ク
ン 聖句 ある
彼
ッ
,文盲 者
中 彼
う
使
遣わ 給う 御方 ,彼 彼
彼
諸
聞
,彼
清め,彼
啓典 英知 教える 金曜 合章第 2 節
聖
句
典
用
る[Shaykhānī 1995: 213]
24
ワ
ン ,
ク
交流
個人的
捉え
いる一方 [Weismann 2007b: 126],両者 直接 交流
い い い
25
,
用い
る ク
ン的 al-Qur’ānī
いう語 ,
ク
ン
いう,
常識的 意味
持
い
い
,彼 考える 非 統
, 非ク
ン的
ある
考える ,彼
理解 捉える め
うぶ
手
う
26
哲学的
関
,
へ
ン
,
ン
思想
い
う思う
いう問い 用意
いる
対
,
哲学
生ま
,純粋
生
ま
い
回答 ,
自体 対
肯定 否定
い[al-‘Askarī 2006b:
36]
27
方法 ,
ン ク
時 来 用
ある[al-‘Askarī
2006b: 26]
28
,
教団 代表
る,剣 身体 刺 ,蛇 飲 込
い
儀礼 修
,
激
批
る[al-‘Askarī 2006b: 29-30]
29
ク
, ク
ン
教団 特
ある 心
ク
実践
いる
彼
活動内容 ,
ク
日没開
始時 礼拝 後 ク
講義
い,
後
ク
再
礼拝
う いう
簡
ある
ク
ン
教団
ク
い
[
ン
=ク
1995b] 参照
30
特
ま ,催 ,儀礼
わ い いう
筆者 出会
教団 ン
1人 次
う 述
確
々
ク
ン
教団
ン
ある
活動 中心 金曜礼拝 講義 ある
々
ク
う
基
1 日 5 回 礼拝 ある
31
筆者 ,
ン
誘わ
初め
講義
ク
参
る あ
,
人物
々
ま
回転
回転 る儀礼
う
教団 想定
言 ,何
奇術
ま
言わ
法
,
一様
い
ン
123
言 真意 問う
,彼
言え
う 儀礼 想定 る人
多い
いう回答 返
32
1990
1月
クワ 開
国際
生存
め 環境
展 関 る国
際
Global Forum on Environment and Development for Survival
,ク
人間 自身 対 る 任 The Responsibility of Man towards Himself [Kuftaro 1997:
55-62] 題 る講演 終え 際,出口京 郎 出口王仁三郎 孫,大 総長
ク
近
, あ
私 霊的 師
You are my spiritual teacher
述
彼 手
接吻
ク
通訳
め
ク
ク
ク
,当時
ク
大
存
ま
知
,
宗教 信
自
突如
敬
意 表明
大変驚い
いう[ ン
2006]
33
1990
11 月,
ク
出口京 郎 誘い
,京都府亀岡市 あ
る大
部 訪
訪問
ク
,通訳
ク
ク,ク
主侍
3 人 ある
訪問
い
[田中 2005: 151-152] [ ン
2006;
2008b] 参照
34
言 大
万教 根 思想 基
ある 万教 根 思想 ,大
大教祖 ある出口
1837-1918
言 ま め
大 神諭
出口王仁三郎
1871-1948
著
霊界物語
いう,大
大教典
来 る
,
大 神諭
現実世界 立 直
目指
一神
金神
論 述
, 霊
界物語
大 神諭
解
諸宗教 源 一
ある
述
る
明
治 十
出口直 申
,神
一株 ある,神 道
一
ある
, まい
一
る
大 神諭 明治 32
月 , 無限絶対,無
始無終 ま ま
霊力体 大 霊 あ わ 給う ま
神
一柱 わ
霊界物語 第 64 巻第 4 章 山 訓
, 大 神諭 明治 25
月, 霊
界物語 第 6 巻第 23 章
第 47 巻総
参照 思想 解
[大 教学研鑽所 編
1969; 伊藤 1999: 66; 106-107; 斉藤 2005: 154] 参照
35
1991
4月 大
訪問 ン
,出口京 郎
弟 出口尚 ,田中 道 西野
祥隆 4 人 ある
36
1991
4 月
暦 断食月 相応 る 大 一
交流 ,互い 宗
教 理解 ,学ぶ
進展 る機会
考え,
断食
[ ン
2008b]
37
学派
例
田中 , 音曲 流
,旋回 踊
う
挙
る ま 彼 ,
ク
う 宗教実践
い
,自
大
参
る
う 述 る[ ン
2008b]
38
論文
,原語
語
サ
salafiyyah
,日 語
サ
主義 , サ
, サ
表
る
, サ
主義
いう表記 統一 る
39
語
形態論的 点
見
,形容詞化
サ
語 サ
主義
者
指
用い
る
, 語 サ
う
,サ
主義者
う
,あるい
支持 る立場一般 い
指
明瞭
,サ
主義 多義性 要因 1
ある
40
え
関連
るサ
主義 ,
現代
研究 関心 的
,
研究蓄積 植民地化へ 抵抗
近
代黎明期 改革思想 いう特定 時代状況 依
る
, 日
言
サ
主義 持 意味内容
確
映
い
41
う
状況
, 日 サ
主義 め る研究
,
概念 包括的あ
るい
質的 規定
, 語 当 社会
い
う
ベ
ン
る
問題
る動
見
る[Roy 1994; Ayubi 1993; Fuller 2003; Stenberg S.
2004; 見市 2004; Abou el-Fadl 2005; Meijer 2009]
うえ ,
ワ
う サ
主義 宣教型 da‘wiyyah ,学術型 ‘ilmiyyah ,
型 jihādiyyah ,活動
124
型
類 る研究[Bonnefoy 2011: 44] ある
主張 サ
主義 主張 接近
いる いう 1980
代 エ
事例 ,社会人類学者 大塚和
報告
[大塚 1989: 219-223]
傾向 エ
全土 わ
観察
る
う ,ま
う
変容 サ
主義
場 近代
触
初め 成立
う
い
断
い
サ
主義
対関
い
う言
留保 付 る
ある
――少
両者 近似,融合 え い対極
言い
い
,ま
サ
主義 決
無関
,サ
主義 何
課題
突
い 様子 う
える
報告 ある
43
前出
=
ン
基
,
2 句 概要 次
ある
ッ
全
公然
隠
知 給う 信仰 持 者
来世 報償 授
,持
い者 地獄 火 焼
る 即 ,信仰
己 浄
化,清め,主 賛美 ,礼拝
め
者 確
成就 る
信仰 持
葬
者 確
報償 失
失敗
44
ま
,ク
様 ,
い
あ サ
ある現代
,エ
大学総長,
‘Abd al-Ḥalīm Ma mūd, 1910-1978
挙 る
彼 ,
極点
置
偉大
, サ
評 る[Shaykhānī 1995: 285]
45
いう 一部
意 持
人々
,文脈 ,
全般 批
る 誤
サ
指
考え
る
46
Jilkah
生ま
ク
人 ,彼 一家 1934
ク ッ
ン地 へ移
降
,
派
法学者 父 ッ
ン
Mullā Ramadān al-Bū ī, 1888-1990
諸学 教育
[Bū ī 2006(1995): 13-14]
,ク
語
ン Bū ān 中 ,
語
ン
Ibn ‘Umar 中
る地
域 ある村 あ ,
いう
前者
因
ある
47
ン
, ク
ン
教団
ッ
ン
サ
私塾 い
複数 教育 場 哲学,
派法学,
学,
修
め,
ン
外
多
弟子
出
[Abāẓah & al-Ḥāfiẓ 1991a:
401-403; Bū ī 1998: 131ff.]
48
え
経歴
,後 最
知
る
る
大
学
学部長
いう肩書
,彼
学問的 養 証明 る
時 , 職 前任者 あ ,当時
胞団指 者
あ
彼
親近性 示
職就任 1956 ,
1960
学部
手
大学 1958
大学
改め
ある ,
学部 先
1955
設立
,
初代
学部長
る
49
A ク
ン Andreas Christman
,
学問的 養
サ 大統
領
親和関
,
ク
後
い 最高
る 能
性 示唆
い [Christmann 1998: 163] 実際 約 1
空 期間 経 ,前
ッ
あ
ッ
ン
ン ワク 省
最高
任
50
預言者
う
ク
ン
る例
,
次 聖句
用 る
使
まえ
え
あ
,
,彼
まえ
禁
あ
,避
追い め章第 7 節
51
ク
間 ,批
るサ
主義 内容 異 る理
経歴
察 る
,
あるク
サ
主
munazzama
42
125
義批
矛先 ,サ
主義
主張
,明確
る
,ある意味 自然 ある
関
い
考察 余地 ある
胞団 武装 動 公 場 批
胞団 対
強 向
い
批
基底 ま ,党派主義
理念自体
共鳴
い
能性
時
全否定
,言
方,
生
並
出
126
真理
掲
サ
主義 主張 向
表面化
いク
るサ
主義批
測
る う ,
批
矛先
い
思わ る
いえ,彼
追 へ 熱狂 ある
,彼
考察
い
う
胞団
る現代
胞団
,
胞団
胞団
5 結論
論文
論文
結論部
,
目的を改
論文
確認
,そ
そ
た
あ
例
ま
,ま
支教団
こ
た
く
た
人々
霊的指導者
後
った
領
関係を築いた御用学者
た
党
ク
ク
教団
ン
師
あった
祖国
――を彼
直面
掲
多く
ク
あ
系
そ
宗教界
いう評価
社会活
った ,T
エ
いう紐
,彼
たこ
ま
党
覇権完成
,伝統的
恊働
可能
背景
,
ま
を
諸学を
あった。
諸学を修
,
分析を必要
伝統的
を確認
うえ
,超党派主義
教育方針――そ
,た
いた政治 社会状況を強く反映
ン
教育活動
教育論
た
。
教育を受け,ま
た。そ
け
た
前大統
い,広範
,
127
ン
去ったこ
道統
任命さ
そ
中心的
ク
。
権威
最高
,そ
を
た。
役割を
,1980 年代,
受け継い
たこ
出
広く政治
担い手
党
ク
一端を
,
け
え,
ク
た。そ
た。
時代
伝統を継承
を試
検証を
い
公的宗教界を担った
経
ン
いう,父
あ
っ
い
,彼
宗教的指導者
い
特
ク
いった組織を
新た
進出を試
百花繚乱
。そ
こ
あった
望家たち
そ
,近現代
,
同胞団
たち
け
伝統
至った
創設者
を迎え
,ま
び
連綿
碩学,あ
論文
系譜を浮
宗教的指導者
教育
,ク
蜜
,
再形成さ
,現代
ま
。第一次世界大戦後
終わ
筆頭
。ま
,国民国家
方法
,20 世紀
公共領域
,そう
ま
現代
け
,
い
言い表
った
系譜
あ
伴い,
を持っ
っ
連盟,
携わったこ
っ
を
そ
そう認識さ
明
団,
を
た
を代表
う
ン
言う
そ
,現代
を経
た。そ
再形成を担った人々
,彼
そ
方を継承
伝統
掲
事例,
扱った課題
たい。
を課題
像を
動
論文
様態を
を問うこ
そ
,
,近代以前
た現代
た
章
あ
流
ク
を汲
く,20 世紀前半
こ
を明
た。
ク
他
過
を分
,
いう,多く
側面を持ちえたこ
あ
あ
け
こ
萎縮
い,こ
を
いう語
込
た
あ
,
彼
幅広い宗教的背
あ
,また
展開を
あった。
要因
いこ
い。そ
う
。現代
除
を暗
一端
示
現代
いう時代
訴え
基
く
積極的
,
こ
教育
を
こ
,そ
た
思想,活動,立場
挙
あ
,ク
伝統を,ク
伝統をそ
論文
,伝統的
教え
,また超党派主義
融合
時代を
宗教的指導者
っ
示
た伝統的
あ
思想
い
た。彼
一形態
現代
たち
ぶ
,
他
点
受け入
真
い
着目
宗教文化を築く
,伝統的
い
。そ
立場を
ン
, 創設者
教育者,現代
あ
方
現代
ワ
要素
,
景
I
最大
打ち出さ
見た場合,以
いう
論文
結論
。
,そ
あ
いう問い
た
う
事
答え
,
こ
うこ
あ
,現代
あ
。そ
基
け
方
そ
,そう
こ
,
く
い
必
示
活動を
検証
いたこ
拡大
た
問題
,後者
を明
,あ
評価
こ
選択
ク
伝統
一端
棄
こ
あ
いう彼
自
あ
点
い
,彼
た。そ
意味
,ク
利
鑑
選択肢
,
。 論文
,こ
わ
2 点を彼
例外的
例外的
128
い
い
えた。彼
そ
記背景
経
所以
示
連
勢力を維持,
ク
いこ
論文
,思想,
効果的
見
分析を経た
評さ
従
政治的側面
い
い。
宗教活動
いう純粋
いう,先行研究
い
述
を
宗教的側面
,現代
,最初
,ク
あ
う1
,
条件
を維持
。そ
けた
背景
いう立場
受け継い
側面
個人
う
指導者
御用学者
い
,彼
生
特定
,現代
,父
継承者
適う
動
,1
た問い
政治的,社会的
地位を
った理
伝統
あ
。そ
教団
を
,ク
分
。
た現代
迫
こ
辿
着
いた
っ
あ
。
,
論文
用いた資料,方法,事例
課題を示
。
論文
展望
,以
内容
,最後
そ
ま
点
い
い,さ
述
たい。
本論文の展望
ま
ン
あ
論文
,現代
教団
挙
こ
た人物
を確認
こ
を明
至
系譜
面
い。
そ
論文
人
た
見え
証を
絞
い
こ
,
像
同胞団
いう点
緊張関係
言え
,
識を求
関係者
資料
録
1,373 人
,
論文
あ
ン
た
え
論文
ク
注目
た。そ
,
記
あ
。幅広い検
一部
系譜――た
伝統
地
――
浮
あ
い
い
け
ワ
旅を繰
着目
,
こ
こ
クを持
返
特化
現代
た中世
近代化
た
益
,後者
まった。
研究
ッ
系譜
,そ
耐えう
何
着目
当
を指摘
宗教
的
いう
,人
伝統
関
別
こ
統計的分析
た現代
あ
現
いう系譜
こ
制約
えそ
現
ま
び
い。
別
また
人
活躍
,近現代
た
制限を考慮
,現代
思議
系譜
地域
社会
,社会
点
活用
厳密
。た
法学派
い
録
た
。
うぶ
考え
ク
こ
た結果,他
い
時代
うぶ
出
けた。以
突出
見
い
あ
論文
人
いう要素
大多数
った
そ
後現代
人
伝統
法学派
現時点
び
,そ
録
ク
く
こ
教団
国
う
,そ
感を保ち
録を
ク
系支教団
多様
同支教団
浮
用いた人
を
あ
内
系譜
録を
述
要素を持
面
う
,
法学者
,資料
以外
そ
数,割合
を扱う人
い。また
,さ
宗教的勢力
,
た影響力
う
一定
た。同支教団
た。そ
活躍を
い
関
そ
要
,前近代
。
論文
,前者
20 世紀以降
け
諸相を探
たち
あ
,
世俗的知識人
,現代
け
入
う。さ
口
現代を対象
た
政治
人
録
育成
諸制度[Zaman 2002: 173-177]
状況
を
129
び
関
け
考え
た
資料
,
,知
こ
期待さ
また
論文
。
,現代
想を明
た。ここ
法学者
権威
たこ
あ
枠内
位置
言う
あ
語
。そ
け
ま
側
価
教団
た現代
宗教権威
詰
を説明
理解を通
,こ
掲
超党派主義
形成
足
く
そ
状況
社会
政権
顕著
あ
,彼
組
統
理解を潜
あ
事例
方
離さ
全般
け
ま
備え
た
ク
あ
対
く,
いうこ
いう個人
,ク
政治
社会的展開,また超党派的
形成
あ
。
顕
化
さ
要因
う
いう点
価
う。こ
。潜
,現代
関連
い
深
,第 1 章
評価を再考
こ
評価
可能
,そ
そ
た
顕
化
潜
化
た
い
けを対象
いう問いを惹起
た
う。そ
霊性
,表面化
化
化
評さ
隆盛
妥当
潜
く全世界
い
,
わ
密着
思想
,極端
内容
評価
け
価
化
形態を問題
衰
そこ
1
た影響力を失っ
現代
扱い[Howell 2007],現代
示唆
発揮
現代
ク
う
世界
思想
,現代世界
い
思想
彼
対
を
,伝統
,法学
現代
理解
位置付けをさ
用語
を務
秘主義
結果論,あ
,ク
うそ
思
,彼
支教団
。
た
た,伝統
現象を主
いこ
ン
,ク
た。そ
両方向を含
研究
述
ク
,彼
見
を示
世界,
化
法学派を指
い,伝統
組織力,軍事力を
ち
超党派主義的
。
固
顕
っ
一潮流
,ク
,た
同時
思想を
いこ
党派
最高
明
そ
伝統
,現代
。ク
事績
命脈を保ち,
いく
伝統
いう
離さ
姿
た
わけ
見出さ
い
た。
姿
。
関
,政治的立場を中心
言え
,
,いわ
130
述
た
う
党
着目
,彼を筆頭
た現代
現代
政治研究
関心
1
い
通
た。そう
, 論文
識人研究
以来
寄
いわ
,今後ま
現代
ま
い
いこ
くさ
う。そ
代
宗教界
世紀
共和国
乱
,今後
あ
同
乱
。仮
う1
理
いこ
党体制
,従来
あ
伝統
再形成
過程
,ク
あ
誰
点
た彼
い
,ク
逝去後
状況
ク
何
全体
あ
総長,
考え
宗教
ン
ま
,最高
述
触
論文
い現
扱った 20
現代
い
眺
機会
たい。
い
ま
慈善協会
関心
対象
あ
,
,
会長,
指導者
代表さ
,そ
,また現
就任
を一手
った 2 。彼
こ
,
ッ
県
引
,同国
新た
あ
。そ
宗教的指導者
40
,
若く,父
ク
職責を
くワク
省
ッワ
ッ
役職
後継者
ま
就任
そ
親近者
嫡男
血統を活
った。
彼
指示
っ
就任
た。
ン
持
ク
,ま
ッ
長
た。
異
ン ク
ク
131
,
運営,経営
後任
学院
,
あ
あった
役
,そ
ン
当時,
世俗教育を受けた
逮捕さ
,
財団,
子
,
2009 年 6
最高
ン
,ク
ッ
こ
ン
ク
学院
ン ク
代
後継者をク
あった
た 3 。また
ッ
継
そ
慈善協会,
面
,新
う。
,先行研究
ン
国
頭
人物像を改
校長,
新た
再編を余
人々
く宗教権威
簡単
見
少
あたっ
知
。
結論
ま
分析
種
宗教情勢
を経
後継者
学院
政治情勢
代わ
参考
限
,2011 年 1
1
た公的宗教界
,そ
後継者
財団
け
っ
数
。こ
理
後,政権交代
った[Stenberg 1999: 114-115]。ク
ク
同地
逝去後,彼
。こ
,後継者問題を含
。そ
宗教的指導者層
いく
研究
開く試
あ
形成さ
形成さ
け
研究を
可能性
家体制を築く場合,従来
儀
い
知識人
貴
く
立っ
た特定
教員
あ
金曜礼拝
時
行
わ
説教
担当
いた
役割をク
,そ
直前
た
,
継承
行
弟子たち
ン
継者
日
い
免状
同胞
ク
,
人物
いう点を挙
たこ
指導
た
う
,ク
述
後継者
発言
たうえ
え
高齢 70-90
た
系
自身
た
ク
た5人
講義
ク
生前,
後
指導者
述
,
代,
3 人を含
,同時
[Naddaf 2005: 84]
こ
,
水曜日 ,夜
真
,またク
った。講義
そ
現
属
い
。
た
者
担当
い,そ
[Dahmān 2008: 107]。
消滅
[
あ
いた。前述
,自身を継
近
,ク
5 日間 土曜日
指導
問題
こそ
継承者
,彼
を日替わ
わ
,彼
教団
継承
承
4
あ
講義
,
いった,ク
当時
わ
た。また後継者
道
振
条件
舞いを体現
5人
い
, 37 番目
, 今
を継
数
過
こ
弟子
く,
あ
述
た
2008a] 5 。
ン
別
5
た
活動内容
わち
説教を聞
ク
独立
,
,心
生前
説教を
意識
っ
ク
ク
流
い
。
ン
を行う
。
こ
ま
教団
伝統
,一部
そ
,ク
活動内容
沿った
前半
を系譜
長く
説教時
最後
いた場合,そ
た支教団
,
いう自称を用い
,宗教的立場
政治的立場をい
高い
ベ
後継者
い
,
こ
,
た
一部
あ
い。
こ
う
現代
け
近い立場
特
立場
あった
,一方
あ
体制支持
御用学者
用学者
った 6 。また最高
動
機会を持た
携わ
別
見方を
を形成
った
い
,国家
,そ
ン
,いわ
任命さ
長
た
ン
言う
立場
,1970 年代以降,ク
,1982 年
政府
政教をまた
っ
をそ
同胞団を掃討
,2004 年,
立場を継
者を最
い。彼
ま
立場
,最高
いう
宗務儀
備えた,ク
たこ
132
,市井を対象
い御
た教育活
。
据え
国家
公式
反体制勢力
伸長
芽を摘
ク
必要
政治的地位を持た
あ
中心
任命さ
没年
った
時点
い
い。そ
,ク
可能性
を考慮
思想
,
事績
党
統治体制
あ
こ
揺さぶ
を
け
非常
要
意味を持
い
現時点
言え
,ク
う。
註
1
いった周辺を見回
,現代 知識人 特化 た研
関
,人類学者 相島葉
,
大学総長
研究[Aishima 2001; 2005]
今後ま ま 期待さ
。
,第 4 章註 51
あ た う ,ク
共通 た思想的背景,また政治的背景を持った
あ 。
2
実
こ ,ク
く
長男 あ
ク
Zāhir
Kuftārū, ?-1979
英才教 育を 施
,そ
斐あ っ
ク
1970 年代
ク 講義を行う
,そ 頭角を現 た。
,
1979 年 彼 逝去 た。そ
関
,裏 け 資料
い
,
ク
政府当局
っ 暗殺さ た いう
暗黙 事実 さ
,そ 轍を
踏 まい ク
そ 後,あえ 特定 人物を後継者
教育
った
言わ
。
逝去
い
,
方法 第 1 章
1節
ク
逝去
語
[Ḥabash 1996: 181-189]。
3
弟子筋
,ク
生前 ワク 省 対
ンを推挙 た
言わ
。
ン ,2004 年 9
1日
市街
ク 行わ
たク
公葬 あたっ ,
ン
ワク 大臣,当時
辞を述 た。
4
ン ク
弟子
あ ,ク
々
兄弟弟子 関係 あった。
5
特定 1 人 後継者
ったこ
い
,そ をク
超党派主義
的 思想 還
評価
こ
ち
可能 あ う。実
こ ,多く 弟子
分担
ク
後任者
ったこ を,そ 論点
っ 語 向
ク
弟子たち 側 見
い ,そ 背景 ,ク
後継者候補を 期 亡く
た いう陰 あ こ
,
述 た
あ 。
6
2013 年 3 21 日 ,
市内
ク 反政府勢力
弾攻撃 起 た ,
巻 込ま
逝去 た。
究
ン,
ほ
ン,エ
見当た
い。エ
133
134
参考資料一覧
和文資料
青山弘之,
近浩
編
現代
2009
=ク
,
ン
則
宗教学
初め
ン
ン
学ぶ者
政治構造
岩波書店
=
1995
悦び 訳注 2
師
中田考訳
道
学派
東洋文化研究所紀要
128 冊,東京大学東洋文化研究所,179-257 頁
伊藤栄蔵 1999
大塚和
1989
――― 2000
大
大
出口王仁三郎
異文化
人類学
編
大
1969
杉泰 2001
いる
脅威
共存
佐藤次高 2005
歴史
桝屋友子編
伝える
2001 サ
64 章
明石書店
問い , 増補:
杉泰編
何
凡社,16-41 頁
屋大学出版会
ま
――大
記録
主義
教学研鑽誌 7 巻, 声社,153-158 頁
表象――史料
岩波
,山内昌之編
――― 2005
現代
高橋圭 2010
近代エ
語る
世界
辞典
大塚和
林佳世子,
道 1999
批
転換点――1881
53 巻 1 号,日
い
久男,
出版
る
エン
, 杉泰,
岩波書店,418 頁
国家変容
る議論
4 巻,
白水社
東京大学出版会,55-79 頁
東長靖,羽田
――十億人
エン
世界宗教
サ禁
め
学会,58-81 頁
ま
――大
教学研鑽誌 ,
声社,201-211 頁
——— 2005
大
教義
歴史
め
第三項
世界論
基
知る
復興
現代
斉藤泰 2005 大
田中
?
――現代世界
——— 2006
近浩
ン
2008
文館
声社
主義運動
編
声社
東京大学出版会
え
2004
黒木英充
生涯
――社会人類学的視点
近代
教学研鑽所
私市
教祖伝――出口
大
教学研鑽誌 ,7 巻,
谷口淳一 2005
世界
人物
対話―大
人類愛善会
宗際活動史
ま
――
声社,149-153 頁
伝える――
林佳世子,桝屋友子編
語伝記文学
記録
表象――史料
東京大学出版会,113-140 頁
135
語る
東長靖 1993
教団
学ぶ人
め
大塚和
,山内昌之編
世界思想社,69-85 頁
——— 1996
え方
山
出版社
――― 2008
世界研究
林佳世子,東長靖編
杉泰,
屋大学出版会,102-110 頁
——— 2013
――神秘主義
聖者信仰
道
屋大学出版
会
中田考 1989 サ
場合
主義
日
論――
サ
協会報
ン
サ
142 号,日
ク
サ
協会,1-7
頁
——— 2003
法
——— 2004
宗教学
中村廣治郎 2004
ッ
存立構造――
宗教学
ク,ワ
理論
研究
奥田敦訳
聖者信仰
遺産
現状
ン
――
地方史人
録
人物記録
地方史人
柳橋博之編
田貴之 2009
意図
78 巻 2 号,1-26 頁
閉
成
――
法
歴史
一巻
牧野信也訳
中央公論社
録――
神秘主義
東京大学出版会,161-185 頁
主義
ゆ
特
性格――中世
東洋學報
学者
え
凡社
世界
90 巻 4 号,27-54 頁
地方観
世界観
――知
東京大学出版会,61-94 頁
地
政治運動
原理主義
徹編
伝記記事
山根聡 2003 南
思想
出版
展望――道,流派,教団
幸,東長靖,堀
地域
――― 2014
宗教研究
伝承
赤堀
森山央朗 2009
神事編
慶應義塾大学出版会
―
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al-Zuhaylī, Wahbah. 2000(2003). al-Fiqh al-islāmī wa-adillah-hu. Dimashq: D r al-Fikr;
Financial Transactions in Islamic Jurisprudence. vol.1/2. Mahmoud A. El-Gamal (trl.). n.p.
インタビュー
9 月 3 日,筆者
2006: 2006
ク
る,
大
ク
交流
い
ク
非常勤教員
2008a: 2008
へ
ク
2009: 2009
ン
へ
支教団
財団
,
支教団
い
ク礼拝講義担当者,
,
ッ
部長
る,京都府亀岡市,大
へ
ン
る,
サッワ
6 月 30 日-
恩郷
,田中
道氏
財団
,
大
ン
11 月 3 日,筆者
2009
qbīq,
ン
学院
総長
ン
A mad R ji ,
5 月 2 日,筆者
ン
ク
ク
氏
部国際部
ク氏 F rūq
学院
る,
指
,
2008b: 2008
ク
ン
ク
者
ク
財団私設秘書,
3 月 18 日,筆者
ク礼拝指
,
,
氏
ク
Mu ammad Sharīf ‘Adn n al- aww f,
学部教員,
へ
ン
147
ク
財団
148
別表
人 録 取 あ
※支教団
い
氏
教団
後
を参照 K=
氏
生没
A mad
1
法学派
一覧 没 順
,X=不明,M=
師匠
備考
1711-90
al-Baq ‘ī X
1759-91
2
Mu ammad alīl al-Mur dī X
‘Abd
3
1747-97
All h al-Mur dī X
li al-Kurdī
4
人
1740-1803
X
Kh lid
5
?-1824
al-Jazīrī K
?-1824
6
‘Abd All h al-Arzanj nī K
hir al-‘Ulaymī
7
?-1825
礼拝指導者 説
al-Mughnīsī K
教者
8
?-1826
Ism ‘īl al-An r nī K
Kh lid
9
10
1779-1826
al-Baghd dī K
Mu ammad
?-1826
Mu ammad
?-1826
Abū
?-1826
al-‘Im dī K
11
al-N i
12
K
Bakr al-Baghd dī K
Ism ‘īl
13
1792-1831
al-Ghazzī K
149
人
14
― ‘Abd
?-1831
A mad al-Khatīb
?-1834
All h al-Harwī K
15
al-Irbilī K
人
?-1834
16
17
‘Abd al-Ra m n al-Kurdī K
alīmah
?-1835
al-Kiy lī al-Kh lidī K
1748-1836
18
Mu ammad Amīn ibn ‘ bidīn K
派
‘Umar
1764-1838
‘Abd
?-1843
Yūsif
?-1846
Ism ‘īl
?-1847
19
al-Mujtahid K
20
21
al-All h ‘ bidīn K
al-N bulsī X
22
礼拝指導者
al-Qawlī K
23
Abū Bakr
人
?-1853
al-Kil nī al-Kurdī K
asan al-Bay r
24
1791-1855
K
25
26
Mu ammad
?-1857
― ‘Umar al-A ba ī
?-1858
人
Sh mū K
al-Q dirī K
1729-1858
27
28
29
30
Najm al-Dīn al-Naqshbandī K
Mu ammad
1788-1861
Mu ammad
1798-1862
Mu ammad
?-1863
al-Sharīf al-Makkī K
al-Kh nī K
,
al-Far qī K
150
人
Mu ammad
?-1865
‘Abd
?-1866
31
alalū K
32
al-Fatt
al-‘Aqrī K
Ma mūd
1782-1866
F imah
1782-1869
33
ib K
al34
35
人
al-Kh lidiyyah al-Naqshbandiyyah K
‘Alī al- uzūrī
?-1872
al- im ī K
?-1879
36
‘Abd al-Rasūl al-Bukh ralī X
A mad
?-1881
人
1834-1884
人
37
al-Kurdī K
―
38
h al-Buzūrī
al-Kurdī K
1825-1888
39
40
Mu ammad al- an wī K
A mad
1823-1889
Mu af
1795-1891
‘ bidīn K
41
al-Na‘īmī K
?-1893
Mu ammad aqī al-Dīn al- u nī
42
K
Ibr hīm
1816-1896
43
al-‘A ar K
ワ
44
Khalīl
al-Muwa alī K
説教師
Mu ammad
45
?-1896
1831-1898
父
1846-1899
父
al-Kh nī K
A mad al-Kh nī
46
K
151
47
‘Abd
1847-1900
al-Majīd al-Kh nī K
父
1839-1901
48
Ma mūd Shafīq al-Kh nī K
ワ
49
Khalīl
?-1902
usayn
1824-1904
al-Muwa alī K
叔父
50
al-Ghazzī K
Amīn al-Bay r
51
1818-1908
K
A mad
52
1861-1911
Bah ’ al-Dīn al- asanī K
人
?-1912
53
li ah Mull Jawfar K
asan
54
?-1912
al-‘A r al-La m X
‘ s al-Kurdī
55
1831-1912
al-Naqshbandiī K
asan al-‘A r
56
?-1916
X
Mu ammad
57
Adīb al-Jar
?-1918
X
? -1920
58
‘Abd al-Razz q al- al bulsī K
‘Abd All h
59
al-Kh nī
1848-1924
K
1853-1927
60
Mu ammad Amīn al-Zamalk nī K
Mu ammad
61
人
As‘ad al-
1855-1928
,
ib K
礼
1860-1932
62
‘Abd al-Ra m n al-Burh nī X
拝指導者 説教師
1882-1932
63
人
Mu ammad Mufīd al-S ‘ tī M
支教団
152
64
65
66
67
68
69
Mu af
1860-1937
al-Kh nī K
Mu ammad
1877-1938
Mu ammad
1865-1943
人
Amīn Kuft rū K
al-Sharīf al-Ya‘qūbī
叔
父
K
afiyyah
1882-1943
Nūr
1883-1945
‘Abd
1889-1947
al-Kh nī K
al-Dīn al-Dawjī K
al-Ra m n al-Khatīb K
礼拝指導者
1846-1950
70
Mu ammad
li al-Amadī K
1875-1951
71
Mu ammad Sh kir al-Mi rī al- im ī
X
72
73
74
Ma mūd al-Qarah
1879-1952
Na‘īm
1880-1954
Mu ammad
1869-1955
Mu ammad
1884-1957
人
Kawwī K
al-Baghj tī K
Shakrī al-As w nī X
人
75
Jazzū X
郡
1882-1958
76
Ibr hīm al-Ghar ’īnī K
,
,
説教師
Mu ammad
1892-1960
77
al-Ashmar K
連盟委
78
Mu ammad Abū al-Khayr
員長
1875-1961
al-Mīd nī K
153
79
li al-Rif ‘ī
1878-1961
F imah
1886-1961
al- ab l K
80
人
al-Kurdī K
1890-1964
81
Mu ammad Amīn Shīkh K
1878-1965
82
Y sīn al-Jawīj tī K
1872-1965
83
Mu ammad ‘ rif ‘Uthm n X
1892-1967
84
Mu ammad Sa‘īd al-Burh nī K
A mad
85
am mah K
ワ
86
1907-1967
1893-1969
‘Abd al- amīd al- aw ilī K
1886-1972
87
Mu ammad Farīz al-Kīl nī K
asan
88
1908-1978
abannakah al-Mīd nī K
最高
1889-1981
89
Mu ammad Abū al-Yasr ‘ bidīn X
1897-1981
90
91
92
Mu ammad Sahīl al-Khatīb K
Khadījah
1908-1984
al-Kh nī K
―
叔父
D wūd
1912-1986
im ī K
A mad
93
1909-1982
Maẓ’har al-‘Aẓmah K
154
娘
94
95
96
97
1888-1990
人
‘Abd
1910-1990
人
Y sīn
1907-1991
‘Abd
1910-1992
Mull Ramaḍ n al-Bū ī X
al-‘Alīm Zankī X
‘Arafah K
al-La īf al-Diqr K
‘ rif al- arqajī
1912-1993
ワ
A mad
1930-1993
Rashdī
1904-1994
Daryah
1911-1995
Y sīn
1922-1995
98
K
99
al-Sīraw n K
100
al-‘Alabī X
101
102
al-Khuraf n K
al-M li
K
Munīr al-Kasim
1909-1996
103
K
A mad
104
最高
1910-2004
Kuft rū K
[Ab ẓah & al-
,
,
fiẓ 1986a; 1986b; 1991a; 1991b; 1991c, Ab ẓah 2007]を
155
筆者作成
人
人 録 取 あ
※
一覧 没 順
い人物 肩書
関す 言及 見
氏
1
2
3
生没
Ibr hīm al- u rī
al-Shahīr bi-Na arī
‘Abd
al-‘Azīz al-Balb nī
‘Umar
al-Safrjal nī
Mus af al-Kurdī
4
A mad al-Baq ‘ī
5
人物
法学派
?-1786
ワ
1717-1786
ワ
?-1786
1708-1787
ワ
,
1711-1790
mid
6
7
,
1740-1790
al-N bulsī
ワ
1759-1791
Mu ammad Khalīl al-Mur dī
‘Abd All h
8
1747-1797
al-Mur dī
h al-Kurdī
9
1723-1799
10
usayn al-‘Umarī
1749-1801
11
li al-Kurdī
1740-1803
,
asan
12
‘Umar al-Tighlibī
13
14
?-1805
al-Safrjil nī
1744-1807
Mu ammad Sh kir al-‘Aq d
‘Alī al-Dimashqī
15
系
1704-1805
ワ
?-1811
‘Abd
16
‘Umar al-Y fī
17
1759-1817
ワ
?-1821
ワ
Mu ammad
18
al- abb kh
系
1737-1813
al-Q dir al- am dī
156
ワ
19
Ibr hīm al- alabī
al-Q dirī
21
22
系
Kh lid al-Jazīrī
20
?-1824
li
al-Safrjal nī
‘Abd
All h al-Arzanj nī
hir al-‘Ulaymī
23
1739-1811
系
1717-1824
系
?-1824
系
?-1825
al-Mughnisī
Mu ammad
24
?-1825
al-Dusūqī
Ism ‘īl
25
系
?-1826
al-An r nī
26
Kh lid
al-Baghd dī al-Naqshbandī
系
1779-1826
系
Mu ammad al27
?-1826
‘Im dī
系
Mu ammad
28
?-1826
al-N i
29
30
Abū Bakr
al-Baghd dī
‘Abd
al-Ghanī al-Baq ‘ī
Ism ‘īl
31
系
?-1826
?-1827
系
1792-1831
al-Ghazzī
― ‘Abd All h
32
系
?-1831
al-Harwī
Mu ammad
33
1774-1832
‘ d al- ‘ nī
系
A mad al-Khatīb
34
?-1834
al-Irbilī
35
li al-Y fī
?-1834
157
ワ
ワ
36
‘Abd
al-Ra m n al-Kurdī
Mu af al- alabī
37
系
?-1834
?-1834
alīmah al-Kiy lī
38
,
al-Kh lidī
系
Mu ammad
39
1748-1836
Amīn ibn ‘ bidīn
‘Umar al-Mujtahid
40
41
42
43
44
45
系
?-1835
系
1764-1838
,
ワ
1785-1844
A mad al-Bakrī
?-1844
‘Abd All h bin ‘Abd al-‘Azīz
‘Abd All h
‘ bidīn
A mad Kashūrah
al-A ba ī
Yūsif
al-N bulsī
系
?-1845
?-1846
?-1846
A mad
46
1756-1846
al-‘Ajlūnī
47
Ism ‘īl al-Qawlī
48
Khalīl al-Sa‘dī
49
50
51
52
1784-1846
A mad al-‘Umarī
系
?-1847
?-1847
Mu ammad H shim
al-T jī
Sh kir
al-Majzhūb al-Rif ‘ī
Abū Bakr
al-Kil nī al-Kurdī
?-1847
系
?-1853
54
?-1853
al-Mub rak
asan al-Bay r
ワ
1766-1849
Mu ammad
53
ワ
,
系
1791-1855
158
ワ
系
Mu ammad
55
56
57
58
?-1857
Sh mū
Khalīl
al-Safrjal nī
‘Umar al-A ba ī
al-Q dirī
Mu ammad Jalbī
al-Safrjal nī
1725-1858
Mu ammad al-Zuhrī
60
?-1860
al-Y fī
ワ
Mu ammad Sa‘īd
61
?-1861
al-Jaz ’irī
系
Mu ammad
62
1788-1861
al-Sharīf al-Makkī
Mu ammad
63
1785-1861
al-Mahdī al-Zaw wī al-Sukal wī
ワ
Mu iyy
64
1804-1861
al-Dīn al-Idlbī
‘Umar al-Tighlibī
65
?-1862
1798-1862
al-Kh nī
‘Umar al- arīrī
67
?-1863
al-Rif ‘ī
?-1863
al-Far qī
Mu ammad
69
,
系
Mu ammad
68
系
系
Mu ammad
66
h
1805-1864
Ghaz l
Ibr hīm
70
1802-1865
al-Sa‘dī
71
Mu ammad Talalū
系
ワ
系
1729-1858
Najm al-Dīn al-Naqshbandī
ワ
?-1858
系
59
系
1790-1858
系
?-1865
159
‘Abd
72
al-Fatt
al-‘Aqrī
系
Ma mūd al-
73
74
系
?-1866
ib
Sa‘īd al-A madī
al- li ī al-Mawlawī
1782-1866
?-1867
Mu ammad
75
?-1868
al-Sa‘dī
76
F imah
al-Kh ladiyya al-Naqshbandiyya
系
1828-1869
Mu ammad
77
1817-1871
Abū al-Fata al-‘Ajlūnī
Mu ammad
78
1789-1871
aby n al-Kil nī
‘Alī al- uzūrī al- im ī
79
‘A
80
All h
系
?-1872
?-1873
al-Mawlawī
A mad al- abb kh
81
?-1873
ワ
1793-1875
ワ
‘Abd All h
82
al-Kan nī
Ma mūd al-‘Aẓm
83
1836-1875
Sa‘īd al-Kh lidī
84
1806-1877
Mu ammad
85
1824-1877
al-Kiy lī
86
Amīn al-Jandī
87
Yūnis al-Tighribī
1813-1879
ワ
?-1878
‘Abd
88
?-1879
al-Rasūl al-Bukh ralī
系
89
90
A mad al-Kurdī
al-Amīr ‘Abd al-Q dir al-Jaz ’irī
?-1881
1807-1882
160
h
91
al-Buzūrī
系
1834-1884
al-Kurdī
92
Sa‘īd al-Ghabrah
?-1885
93
asan Sakkar
?-1887
系
asan Junaynah
94
,
1825-1888
al-Dusūqī
95
‘Al ’
al-Dīn ‘ bidīn
ワ
1828-1888
系
Mu ammad
96
1825-1888
al- an wī
A mad ‘ bidīn
97
As‘ad amzah
98
系
1823-1889
1822-1889
Mu ammad
99
,
?-1889
al- iddīq al-Ya‘qūbī
Mu ammad al- ayyib
100
1839-1890
al-Jaz ’irī
Mu af
系
1795?
101
-1891
al-Na‘īmī
Mu af
ワ
102
?-1892
al-Ruhw njī
Bakrī al-Baggh l
103
ワ
1834-1893
系
104
Mu ammad Taqī al-Dīn al- u nī
‘Alī al- alw nī
ワ
105
106
?-1893
Ibr hīm
al-‘A r
,
系
1812-1894
ワ
,
系
,
1816-1896
系
ワ
,
Khalīl
107
?-1896
al-Muwa alī
ワ
,
系
108
Mu ammad al-Bazrah
?-1897
109
abrī al-Mawlawī
?-1897
161
,
,
110
‘Abd
al-Ghanī al-Bay r
1824-1897
系
Mu ammad
111
112
1831-1898
al-Kh nī
1821-1898
Mu ammad Sa‘īd al-Kil nī
113
A mad al-Tighlibī
系
A mad al-Kh nī
114
?-1899
1836-1899
Mu af Kam l
115
1846-1899
al-Sharīf
‘Abd
116
系
1847-1900
al-Majīd al-Kh nī
Mu ammad
117
1829-1901
al-Murtaḍ al-Jaz ’irī
系
118
1839-1901
Ma mūd Shafīq al-Kh nī
A mad
119
1833-1902
al-Jaz ’irī
Khalīl
ワ
120
121
系
?-1902
al-Muwa alī
Ma mūd al-Mawqi‘
,
1841-1903
ワ
,
122
usayn al-Ghazzī
,
系
1824-1904
,
ワ
Kam l
123
124
125
126
127
?-1904
al-Dīn Zub rū al-Dahh n
Salīm al-Musūtī
Amīn al-Bay r
Salīm Sam rah
Mu ammad Bah ' al-Dīn al-Bay r
,
1832-1906
系
1818-1908
,
1838-1909
1848-1910
162
ワ
系
A mad
128
1861-1911
Bah ’ al-Dīn al- asanī
‘Abd All h
129
,
1814-1911
al-Sakarī
Mu ammad
130
1847-1912
al-Mub rak al-Jaz ’rī
Sa‘īd
ワ
131
132
al-Muwa alī
li ah
Mull Ja‘far
ワ
?-1911
系
?-1912?
asan al-‘A r
133
?-1912
al-La m
135
系
‘ s al-Kurdī
134
1831-1912
Adīb
al-Qabb nī
?-1914
136
Rashīd Sann n
?-1914
137
asan al-‘A r
?-1916
138
Mu ammad
‘Abd
al-B qī
al- asanī
1850-1916
系
al-Jaz ’irī
Mu ammad
139
?-1917
al- akīm
Mu ammad Adīb
140
141
?-1918
al-Jar
‘Abd
al-Razz q
al- ar bulsī
Ghall
系
?-1920
al- alīb
Ma mūd
142
1849-1922
Abū al-Sh m t
‘Abd All h
143
al-Kh nī
系
系
1848-1924
163
144
145
146
Ibr hīm
al-Sa‘dī al-Jab wī
?-1924
?-1926
Mu ammad Sa‘īd al-Farr
Sharīf R ‘ī
al-Ghaz lah
ワ
?-1927
系
147
1853-1927
Mu ammad Amīn al-Zamalk nī
Mu ammad
148
1847-1927
al-Talmas nī
Mu ammad As‘ad
149
al150
151
系
1855-1928
ib
‘Abd
al-Ra m n al-Qa
r
1838-1931
Mu ammad ‘ d al-Safrjal nī
152
1868-1930
?-1931
A mad al-Sūsī
‘Abd
153
1860-1932
al-Ra m n al-Burh nī
系
154
Mu ammad Mufīd al-S ‘ tī
Sa‘īd al-Karamī
155
156
1882-1932
1852-1935
1850-1935
Mu ammad Badr al-Dīn al- asanī
ワ
157
Mu ammad Bakrī al-Shwaykī
1880-1935
‘Abd
158
1876-1935
al-Q dir al-Kh nī
Rashīd al-Mujallid
159
1847-1936
al-Jandalī al- ab l
ワ
160
Amīn Suwayd
Mu ammad
1855-1936
164
,
161
Mu af al-Kh nī
162
Ma mūd
ワ
163
al-Muwa alī
系
1860-1937
1852-1937
系
Amīn Kuft rū
164
165
1859-1937
Mu ammad Amīn al-Kharbū lī
1877-1938
‘Abd
al-Ra m n al-Khatīb
1871-1940
,
1865-1940
系
Mu ammad
166
al-S ‘ighī
‘Abd
167
?-1940
ワ
系
al-Mu sin al-Tighlibī
,
‘Umar al-‘Aytah
168
,
Mu ammad
169
171
系
1865-1943
al-Sharīf al-Ya‘qūbī
,
afiyyah al-Kh nī
170
系
1865-1941
Mu ī
al-Dīn Abū Sallū al-Mawlawī
ワ
系
1882-1943
?-1943
Badr al-Dīn
172
173
?-1943
al-Sa‘dī al-Jabawī
Salīm Abū
Sallū al-Mawlawī
?-1943
ワ
174
Mu ammad Salīm al- alw nī
1868-1944
Nūr al-Dīn
175
系
1883-1945
al-Dawjī
,
‘Abd
176
al-Ra m n al-Khatīb
1889-1947
165
系
,
,
‘Abd al-Jalīl
177
系
?-1947
al-Dar
Ma mūd al-Sa‘īd
178
1885-1949
Th bit Ni‘m n
179
1860-1950
Farīz ’ī al-Arn wū
,
180
Mu ammad
系
1846-1950
li al- midī
,
,
,
181
1875-1951
Mu ammad Sh kir al-Mi rī al- im ī
Ibr hīm
182
1872-1951
al-Ghazzī
Ma mūd al-Qarah
183
Kawwī
u nī al-‘Aḍmah
184
185
186
1866-1954
Na‘īm
al-Baghj tī
Mu ammad Shakrī
al-As w nī
Mu ammad ‘ d al-B rī
187
系
1879-1952
系
1880-1954
1869-1955
1876-1957
‘Abd
188
?-1957
al-Karīm al- wī
Mu ammad Jazzū
189
‘Abd
ワ
190
191
al- amīd al-Qanaw tī
Ibr hīm
al-Ghar ’īnī
Mu ammad H shim
192
1884-1957
?-1957
,
1882-1958
1890-1958
al-Khatīb
193
asan al-Tighlibī
―
194
1877-1959
A mad
1899-1959
al-Talmas nī
系
Mu ammad
195
系
1892-1960
al-Ashmar
166
系
Mu ammad
196
1861-1960
al-K fī
Ism ‘īl
197
1882-1960
ワ
,
al-Ya‘qūbī
系
198
199
1875-1961
Mu ammad Abū al-Kahyr al-Mīd nī
li
al-Rif ‘ī
al- ab l
1878?
系
-1961
F imah al-Kurdī
200
系
1886-1961
Mu ammad
201
202
1880-1961
al-H shimī
‘Abd
All h Abū al-Sh m t
Ma mūd al- af r
203
204
A mad al-
‘Abd
ワ
205
rūn
al-Wahh b al- al ī
1880-1962
系
1882-1962
1900-1962
1890-1962
Mu ammad H shim
206
Abū awq
1847-1962
Mu ammad al-‘Arabī
207
1874-1963
al-Ya‘qūbī
Sa‘d All h
208
al- arīrī
1845?
-1964
系
Mu ammad
209
1890-1964
Amīn Shīkh
ワ
210
al- alw nī
A mad
1903-1964
系
211
212
Y sīn al-Jawīj tī
Mu ammad ‘ rif ‘Uthm n
1878-1965
1872-1965
167
ワ
213
amadī al-Rif ‘ī
al- ab l
?-1966
系
214
1892-1967
Mu ammad Sa‘ī d al-Burh nī
系
A mad am mah
215
1907-1967
ワ
216
217
Mu ammad al
1889-1968
‘Abd al-Ra īm Abū al-Sh m t
‘Abd
ワ
218
1897-1968
al-Dīn Kayw n
系
1893-1969
al- amīd al- aw ilī
ワ
219
1875-1969
Mu ammad Naj al- alw nī
Rajab
220
?-1969
‘Abd al-Mat‘ l al-Rab
ワ
221
1911-1969
Mu ammad Sa‘īd al- alw nī
Ma mūd Waḍa -hu
ワ
222
1890-1970
al-Munīnī
系
223
224
Mu ammad Farīz al-Kil nī
‘Abd
al- asīb ‘Addī
Th bit
ワ
225
al- alw nī
asan
226
1886-1972
1908-1976
1892-1977
系
,
abannakah
1908-1978
al-Mīd nī
,
F imah
227
1890-1980
系
al-Yashra iyyah
228
Mu ammad
1892-1981
li al-Kha īb
Mu ammad
229
Abū al-Yasr ‘ bidīn
1889-1981
168
,
ワ
,
230
系
1897-1981
Mu ammad Sahīl al-Kha īb
A mad Maẓhar
231
1909-1982
al-‘Aẓmah
ワ
232
233
Zakī al-Muwa alī
ワ
1880-1982
系
1922-1983
‘Abd al-Ra m n al-Talmas nī
Khadījah
234
235
系
1908-1984
al-Kh nī
Mu ammad Shams al-Dīn al-Mawlawī
?-1984
‘Abd
236
1917-1984
al-Karīm Zuhūr
,
H shim al-‘Ay ah
237
A mad N īf
238
,
1914-1984
1892-1985
Ibr hīm
239
1924-1985
al-Ya‘qūbī
‘Umar al- im ī
240
241
八
242
1872-1985
系
D wūd im ī
1912-1986
abīb al- all q
1913-1987
‘Alī Salīq
243
系
1900-1989
Mull
244
1888-1990
Ramaḍ n al-Bū ī
,
‘Abd
245
1932-1990
al-Satt r al-Sh sh
‘Abd
246
1910-1990
al-‘Alīm Zankī
Y sīn ‘Arafah
247
系
1907-1991
‘Abd al-La īf
248
系
1910-1992
al-Diqr
169
ワ
250
系
‘ rif al- arqajī
249
1912-1993
1930-1993
al-Sīrw n
A mad al-Sh mī
251
1904-1993
‘Abd
ワ
252
1914-1993
al-Wakīl al-Durūbī
Rashdī al-‘Alabī
253
254
Daryah al-Khurf n
255
,
系
1909-1996
Bashīr al-Qahūjī
258
系
1922-1995
Munīr al-Kasim
257
,
1911-1995
系
Y sīn al-M li
256
1904-1994
1911-1994
‘Abd al- akīm ‘Abd al-B si
Riy ḍ al-M li
259
系
A mad
1916-1999
1939-1998
ワ
260
系
A mad Kuft rū
261
262
1938-2000
Muwaffiq al-Nashūq tī
1910-2004
‘Abd
al-Ra m n al-Sh ghūrī
Jih d Burh nī
263
系
1910-2004
1925-2004
ワ
264
Mu ammad Wajīh Darkal
[Ab ẓah & al-
1922-2004
fiẓ 1986a; 1986b; 1991a; 1991b; 1991c, Ab ẓah 2007]を
170
筆者作成
ワ
現代
主
教団 [‘Askari 2006bī] 取 あ
い
概要 道統
訳出
※道統 順番 現在
始ま
教団
a.
系支教団。
道統:
県
クを 点
ン
,
,
ワ ン
ン
,
。
,
ン
,
,
,
,
,
ン
ン,
b.
県
を 点
以外 細
。
c.
系支教団。 ッ 県を 点
道統: ッ
ン
ン
全域
,
,
ッ
,
ッ
コ 広 っ い 。
, ッ
, ッ
,
び
ン
ッ
ン
ン
ン
,
ッ
,
ッ
,
ン
ン
ン
d.
系支教団。
た
活動
を擁
。
ン ク
を師
市内
た,
ン地区 あ
ク
兄弟子 当
ッ
クを 点
。
道統:
ン ク
,
,
ク
,
ン
ン
ン ク
,
,
,
e.
系支教団。
道統:d
クを 点
同 。
171
。
f.
系支教団。
,
県
を 点
各地,
コ,
ン,
ク,
ッ 各地 広 っ い 。
道統:
,
,
ッ
ン,
ン
,
ン
ッ
ン
,
ン,
ッ
,
ッ
,
ッ
,
,
g.
系支教団。
兄弟
を師
あ 。
県
記
を 点 ,
,
ン地区を 点
ッ ,
首長国連邦,
コ,
ッ 各地 広 っ い 。
道統: f
同 。
h.
系支教団。
ッ
あ
,
,ホ
,
全域 広 っ い 。
道統:
,
ン
ン
,
ク
,
,
i.
系支教団。
あ
地区を 点
各地 広 っ い
。
道統:
,
ン
,
ク
,
ン
,
j.
系支教団。
道統:
ッ
ン
ン
ン,
,
系
ン
ン
ク
。
,
,
教団
教団 ,12 世紀
広
クを 点
を開祖 し 興 ,
教団 ,
を 祖 し
172
,
,
14-15 世紀 興 ,
,
,
広
a.
1925 年頃,
ッ 周辺地域 流入。
各地,
道統:
,
あ
,
ン
,
,
,
ッ
を含 た
,
ッ
ン
ン
,
ッ
,
,
,
,
ン
ン
ク
,ワ
クを 点
コ 広 っ い 。
ン
ワッ
ッ
ン
,
ッ
ン
,
,
ンッ
ン
ク
ッ
ン
,
ン
,
ン
ッ
,
,
ワ
b.
地方を 点 活動
手
っ
ッ
道統:
い 。1864/5 年
川流域
設立さ た。 ッ ,
,
ン
,
ッ
,
,
ワ
,
ッ
ン
ン ン 広 っ い 。
,
,
,
ッ
ッ
c.
ッ 県を 点,拡大範囲
以外
細無 。
d.
20 世紀 流入 た
道統:
, ッ 郊外,
ン
ッ 郊外 広 っ い 。
ク,
ン
ン,以
コ
e.
20 世紀 流入 た
道統:
,
県を 点
。
系 強く依った
,
,
,
,
,
,
。
ッ
,
ン
,
ッ
173
,
ン
ン
,
ッ
,
,
ン
,
ク ,
,
ッ
ン
,
ン
ク ,
ン,
,
ン,
f.
郊外 広 っ い 以外 細無 。
g.
ッ 郊外,
ッ
周辺,
道統:
,
周辺,
ッ
,
ン
ン
,
,
,
ク
ン
,
,
,
ンッ
ン
,
ッ
ッ
ン
,
,
ワッ
ン
,
ッ
周辺 広 っ い 。
ン
ン
ッ
,
ン
,
ッ
,ワ
ッ
ン
ッ
,
ク,
h.
ッ , ッ 周辺 広 っ い 以外 細無 。
i.
ッ を 点
以外 細無 。
教団
13 世紀
を開祖 し 興 ,
広
a.
20 世紀初頭 流入。
を 点
ッ ,
ッ
,
,
道統:
b.
ッ
道統:
ク
クを 点
,
広 っ い 。
,
174
ン
コ 広 っ い 。
c.
ホ
を 点 活動。
道統:
,
,
ン
d.
,ホ
道統:
,また
ン
ワッ
,
―
,
,
,
,
ン
広 っ い 。
ン
ン
ク
ン
ン
ッ
,
,
,
,
ッ
,
ン
e.
クを 点 活動
い 以外 細無 。
f.
ン
クを 点 活動
い 以外 細無 。
g.
ッ
クを 点
ン,
ン,
道統:
,ク
,
,
首長国連邦,
コ 広 っ い 。
,
ン
h.
ホ
,
ン 広 っ い 。
道統:
ッ
ン
ン
,
ン
,
,
,
ン
教団
教団 ,
教団や
教団
a.
ッ 他,国内西部 広 っ い 。
175
統
言わ
教団
,詳細 不明
道統:
ン
,
ン
,
ン
ン
ン
ン
,
ン
ン
,
,
b.
,
,ホ
,
ン 広 っ い 。
道統:
ン
教団
13 世紀
ン
教団
を開祖 し 興 ,
朝下 隆盛を誇
教団
a.
暦 923 年 流入。
道統:
,
ッ ,ホ
ッ
ン
176
,
ン
ン
,
広 っ い 。
関連 表
1894 年
ン朝 戦争 影響 ,ク
移住。
家
東部
県
ク
ク 教育活動
を開始。
1900 年
ク
逝去。
ン ク
ク
教育活動 指導を継承。
1911 年
ン ク
ク
支教団
系 ク
ン
免状を授 。
1912 年
ク
1915 年
ク
逝去。
誕生 1910, 1911, 1912 年 諸説
。1915 年 身分証明証
記載さ た生年 。
1918 年
ン
ン
入城。
王国
1920 年
ン
委任統治領
ッ
1932 年
ン朝
独立。
。
ン
ン ク
ク
ン ク
ン ク
子たち
ク
ク
逝去。
ッ
1946 年
学 師 あ
対植民地運動 参加。
免状を授 。こ 頃
1938 年
,彼を初代国王
ン
教団
教育活動を開始。
ク
ン ク
弟
聖地巡礼。
共和国
ン
独立。
ク
連盟 参加。
1948 年
ク
1950 年
ク
ク
県 宗教教師 就任。
県 宗教教師 就任。
あ
ク ,
ン
市 中心
教指導者を招い ク
を う。
1951 年
ク
ク
県
ン
就任。
慈善協会を併設 1951 年 公益法人
認可を得
,会
長 就任 至逝去 。
1952 年
ク
最高
1958 年
共和国 エ
共和国 連合国家 あ
1961 年
エ
1963 年
ワ 委員 就任 至逝去 。
国家連合を解消,
連合共和国
共和国
誕生。
再独立。
党政権 樹立。
1964 年
ク
1967 年
ク
共和国最高
ン
就任 至逝去 。
教活動を開始 至 1982 年 。
177
1971 年
ク
ク
財団
ク
学院を併設,代表 就任 至逝去 。
共和国大統領 就任。以降,
党政権
同胞団
武装対立 激化。
1976 年
ン
1981 年
駐留開始 至 2005 年 。
ク
ク
1982 年
ク至近
ン ク
ン暗唱学校 後 女子学生寮 設立,校長 就任。
ク
初
学院 設立。
教団 活動を停 。
宣教学部を
エ
市
ン侵攻 伴い,
い 政府軍
ン
同胞団を中心
反体制勢
力 衝突。政府軍 反体制勢力を鎮 。
1990 年
1991 年
ク
京都府亀岡市を訪問。大
大 代表団
ッ
1995 年
クを訪問。
案内 ,
ン
法王
2世
界 代表
接伴を務
ク
9
2004 年
同 市街
大統領 就任。
訪問。
1 日 逝去。棺
ク
代表を,
ン ク
慈善協会 日
宗教
市新市街
ク,そ
ク 併設さ た団体
ン
ク
。
制を伴った大規模 公葬 行わ ,多く 市民
ッ
郊外 男児
至近 女児用孤児院 設立 。
大統領 逝去。 ッ
2001 年
大 代表団を
慈善協会 活動 一環
用 孤児院を設立 2007 年
2005 年
ク
聖地巡礼を行う。
ク
2000 年
交流 始ま 。
辺
病院
移動
,交通規
参加。
ク
子 あ
継承。
ODA 外務省 草 根 人間 安全保 無償資金協力 を
受け 。
2007 年
2009 年
ン
慈善協会
ッ
ン ク
ン
[Dahm n 2008; Nadd f 2005; abash 1996]を
ク至近 女児用 孤児院を設立。
公的資金 領 容疑 逮捕さ
ッワ
筆者作成
178
後任
任命さ
。ワク 省
。
,
外 歴
外 先
内容
世界
1951
会議
代表団
し 参加
教間 連帯 会合
1954
国家連合 際し
1956
1957
世界
会議
1962
世界
会議 参加
1964
世界
会議 参加
し 参加
代表団
代表団
会議
代表団
し 参加
し 参加
代表 し 参加
会議
会議,1955
会合
代表団
1965
し 参加
1966
中東情勢をう
,
中東情勢を y
,
指導者 謁見
大学 出張講義
会議
し
会議,1955
代表団
参加
中東情勢をう
1967
会合
,
最高
謁見
大統領 1907-74,在位 58-69
招聘
学
会議 参加
会議
し
1968
会議,1955
会合
代表団
参加
連 現 CIS 諸国
を中心 し 現 CIS 諸国
派指導者
出張講義
謁見
1969
連
世界諸 教会議
代表団 代表 し 参加
会議
し
1970
会議,1955
会合
代表団
参加
思想教育
会合
代表団 し 参加
大学他 出張講義
1972
ワ
問題省 招聘
派 会議
,
代表団代表 し 参加
1973
連
1974
代表団代表 し 参加
諸団体 会議 参加
179
期間
教会合 参加
首長国連邦
1974
ワ 分野
聖
1975
協力
会議 参加
会議 参加
大学 法学 法源学会議
参加
1976
中央
会議設立 30 周 記念 会合 参加
教会議 参加
1978
大学
1979
連
世界
教
い 出張講義
会議 参加
1980
民主共和国
ワ
大学神学部 代表団 意見交換
連
ワ
出張講義
1981
宣教会議
ワ
連
教者会議
代表 し 参加
代表 し 参加
連盟 祭典 参加
1982
諸大学 出張講義
世界 和会議 参加
1983
ワ
連
和
持続的 発展
世界
ワ
1984
連
会議
和
会議
代表 し 参加
代表 し 参加
持続的 発展
会議
代表 し 参加
宣教協会 務局を訪問
東
教政策 関し 政府高
謁見
思想 関す 会議 参加
1985
市国,
法王
2 世 謁見
大学 出張講義
教世界対話会議 参加
ワ
連
和
持続的 発展
連
会議
代表 し 参加
会議 参加
1986
最高
首長国連邦
招聘
法源学会議 参加
文化情報 務局 招聘
東
会議 参加
政府 招聘
表敬訪問
諸大学 出張講義
諸大学 出張講義
1987
最高
外務省 招聘
出張講義
180
出張講義
市国
ワ
連
法王
2 世 謁見
教問題省 招聘
国際 和会議 参加
世界 教会議 参加
大学開校式 参加
首長国連邦
民主共和国
問題ワ
地域
省 招聘
期間 行
参加
脱原子力会議 参加
1988
大学 出張講義
宣教協会 務局 出張講義
Ejido 協会 招聘
,現代世界
和 持続
市国,
会議 参加
連
系団体
び大学 出張講義
系団体
び大学 出張講義
系団体
び大学 出張講義
1989
情勢 関す 会議 参加
最高指導者他
謁見
首長国連邦
問題ワ
省高
意見交換
世界連盟を表敬訪問
ワ
連
世界 教連盟 会議 参加
世界 教会議 参加
世界 教会議 招聘 出張講義
1990
東京 京都 日本
首長国連邦
世界 教者 和会議 参加 京都 大本本部を表敬訪問
出張講義
教系会議 参加
教会議
代表団代表 し 参加
最高
宣教 善導省
首長国連邦
1991
,
会議 参加
問題省 招聘
出張講義
京都 日本
京都府亀岡市 大本本部を表敬訪問
韓国
現地
系団体を訪問
中国
現地
系団体を訪問,出張講義
宣教 務局を訪問
世界 教者会議 参加
情勢 関す 会議 参加
人民会議 参加
181
世界連盟,
問題 ワ
教会議 参加
問題 情報省 招聘
世界
祭典 参加
諸大学 出張講義
宣教 救済
世界
評議会 参加
1992
財政会議 参加
最高
謁見
国際連合 会議 参加
人道
日本
和会議 参加
生存
価値変化 関す 国際会議 参加
Ejido 協会会議 参加
日本
各地 出張講義
世界
会議
代表団代表 し 参加
ワ 評議会 出張講義,
最高
1993
連合
国王 謁見
評議会 出張講義
会議,司法 ワ
省 出張講義
問題最高評議会会議 参加
連盟,
評議会 出張講義
問題省 出張講義
京都 日本
大本を表敬訪問
各種表敬訪問
系大学を表敬訪問
大学総長 招聘
宣教 救済
世界
評議会
会議 参加
1994
を行う者
い
会議
代表団代表 し 参加
大学を表敬訪問
連盟会議
代表団代表 し 参加
国王他 謁見
国王他 謁見
教諸指導者を表敬訪問
情報省,人民諮問法議会,
1995
最高
,
世界
大学総長
問題省
を表敬訪問
会議 参加
世界
宣教協会 務所を表敬訪問
世界
指導者会議 参加
182
を表敬訪問
ワ 分野
国間協力
各種表敬訪問
宣教会議 参加
協会 務局を表敬訪問
首長国連邦
分野
国間協力
各種表敬訪問
1996
地域間協力
各種表敬訪問
世界
諸 動 団体 連帯 協力
世界
指導者会議 参加
会議 参加
教会議 参加
首相 謁見
首長国連邦
首長 謁見
皇太子 謁見
最高
首長国連邦
謁見
会議 参加
問題最高評議会 参加
1997
首長国連邦
現代世界
会議 参加
首長 1933-99,在位 1961-99
香港
連帯
京都 日本
首長国連邦
宣教委員会 参加
世界 教
世界
謁見
参加
会議 参加
各種表敬訪問
1998
京都 日本
2000
大本を表敬訪問
世界
指導者会議 参加
[Nadd f 2005: 425-437]を
183
筆者作成
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