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イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ: バタイユの
Kobe University Repository : Kernel Title イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ : バタイユの ラスコー解釈の可能性(La naissance des images et ses traces ≪informes≫ : Nouvelles approches pourl'etude de la grotte de Lascaux chez Georges Bataille) Author(s) 唄, 邦弘 Citation 美学芸術学論集,11:21-33 Issue date 2015-03 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81008811 Create Date: 2017-03-29 イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ ― バタイユのラスコー解釈の可能性1 唄邦弘 はじめに ジョルジュ・バタイユ (Georges Bataille, 1897-1962) は、生涯にわたって多くの芸術作品につい て論じている。なかでも 1955 年に出版された『ラスコーあるいは芸術の誕生』と題された大型 美術図版は、芸術の起源を解き明かす歴史的な書物となった 。 2 後期旧石器時代に誕生したと考えられるラスコー洞窟壁画は、これまで発見された遺跡のなか でも保存状態がよく、 いくつもの動物の姿がはっきりと描かれていた【図1】。この歴史的発見は、 これまでの芸術起源論を問いなおす新たな可能性を提示することになった。壁画を通じてバタイ ユは、図像を人間の遊びの痕跡として解釈しようと試みている。バタイユによれば、ラスコーは 動物とは異なる種として人間が誕生したことを示しており、それは同時に芸術=遊びという人間 固有の行為が存在していたことをも意味する。 だがその一方で、彼は壁画の図像解釈を行いながらも、このきわめて良質な状態で残された壁 画を過去の痕跡でしかない理解不可能な対象であるとみなしている。ラスコーにおいて立ち現れ たイメージの痕跡を前にしながらも、むしろバタイユは先史人の起源を辿り、そこから喚起され るさまざまな感情を論じていくのである。 本論文の目的は、このような一見矛盾するかのようなバタイユのラスコー解釈を分析すること で、彼のイメージに対する考え方を明らかにすることにある。第一章では、先史学的解釈に対す る批判から出発し、彼がどのように芸術の誕生を論じたのかを紐解く。そこで重要となるのがイ メージの生成プロセスとして語られる芸術の起源である。バタイユにとってイメージを描く行為 は、 人間性の誕生であると同時に動物性をふたたび獲得する重要な契機なのである。その一方で、 無数の人々の手によって描きつづけられることで、ラスコーの図像群は、洞窟を神聖な空間に変 貌させた。第二章では、神聖な空間におけるバタイユの芸術体験について論じる。それを基に第 三章では、洞窟という暗闇のなかでの彼の視覚的認識について論じる。1920 年代から 30 年代に かけて、 バタイユは雑誌『ドキュマン』のなかで、理想的形態に対する批判的な議論を行ってきた。 「アンフォルム」という概念は、その視覚中心主義的なフォルム解釈に対するアンチテーゼとし て提示される。それから約 25 年後、暗闇に覆われたラスコー洞窟のイメージ群を前にしたとき、 バタイユはかつてのように視覚的な認識の遮られた状態のなか、反視覚的なイメージをまなざし ていたのではないか。こうした議論によって、本論はたんに彼の視覚性のみならず、過去と現在 という時間の隔たりのなかでバタイユがどのように芸術を解釈したのかを明らかにする。 イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ / 唄邦弘 | 21 1.芸術誕生の瞬間 洞窟壁画研究は、20 世紀初頭のアルタミラ洞窟の発見に端を発する。多くの先史学者たちはラ スコー洞窟壁画を、先に発見されていたアルタミラ洞窟に並ぶ先史時代の優れた美術作品と評価 した。また、彼らは先史美術を「芸術のための芸術」というよりも、呪術的な儀礼を行うための イコンとして捉えている。フランスの先史学者アンリ・ブルイユ(Henri Breuil, 1877-1961)が論 じるように、洞窟壁画はたとえそのはじまりがたんなる個人的な行為によって行われたとしても、 最終的には「真の精神的統一性を示す社会的、集団的行為」のために利用されていたのである 。 3 美しいものへの情熱をもった芸術家気質がなければ、いかなる偉大な芸術も生まれないし、発展すること もない。しかし、自分たちの作品を重要な利益とみなす社会が存在しなければ、芸術家は生きることも、 その技術的発見や美への情熱が存続し、時や場所を経て伝達される一派も確立することもできなかった 。 4 ブルイユにとって芸術は、それを構成する社会によって生みだされるのであり、決して卓越した 芸術的気質が芸術を生みだすわけではない。そのため、洞窟壁画は芸術作品である以前に、何ら かの社会的機能を示す歴史的資料と解釈される。 洞窟壁画の社会的機能を重視するこのようなブルイユの先史学的解釈に対して、バタイユはあ る種の論理的な飛躍を見出している。というのも、少なくとも壁画が出現する前にそれを社会の なかで利用することは不可能であり、洞窟壁画の呪術的機能が存在するためには、最初にそれを 生みだした身ぶりが必要となるからである。先史学の解釈には、こうした図像を出現させること と、それを呪術として利用することとの混乱が生じている。それゆえ、「動物から人間への、不 分明な生命から意識への移行を総合的に問うこと5」を等閑視する先史学では、その発端となる 芸術の起源についてはまったく語られない。 祈祷のための手段として壁画を解釈するブルイユは、 現代に残された過去のイメージを事後的に捉え、壁画が描かれる瞬間を理解不可能な現象として 無意識に排除しているのである。 先史学批判とともに、バタイユは人類の誕生を形象の誕生に則して考えなおそうとする。とり わけ、アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル弁証法に基づく歴史概念は、彼に重要な視点を与 えた。コジェーヴによれば、人間は労働と道具の使用によって動物の状態から離れ、人間性を獲 得する段階で捨て去った動物性に禁止を与える。人間の歴史は、この存在の否定のプロセスによっ て形成される。そしてこの人間の歴史があらゆるものを否定し、それが終結したときに歴史は完 了するのであり、それこそがヘーゲルの絶対知なのだとコジェーヴは結論づける 。 6 しかし、バタイユは、コジェーヴが弁証法のプロセスにおいて否定したものを放棄することな く、むしろ「使い道のない否定性 (une négativité sans emploi) 」として引きだした。その否定性は、 7 総合(全体性)なき弁証法として、絶えず全体を脅す。それによってバタイユは、弁証法を絶対 知へと向かう「総合」とはまったく異なった次元で、さまざまな事物や事象に元来内在する否定 性を認識することができる新しい思考様式として捉えたのである。 ラスコー論において、人間/動物の対立は、道具の使用と労働から芸術や遊びへの移行に結び つけられる。人間性を獲得する段階で否定した動物性は、それが忌避されることにより魅惑的な 22 | ものとなった。芸術活動=遊びは、その動物性を回帰させる契機となる。「労働は遊戯によって、 芸術的活動というかたちで乗り越えられる 」とバタイユが述べるように、人間は有用な目的を 8 前提とした労働を否定することで、自由な芸術=遊びを行うことができるのである 。 9 洞窟壁画において、バタイユはこの芸術=遊びの誕生の瞬間を捉えるべく、壁画が出現する際 の生成過程に注目する。 形象の描線を描くことは、おそらくそれだけでは儀式ではなかったが、儀式の構成要素のひとつではあっ た。それは宗教的あるいは呪術的な操作であった。描かれた像、あるいは線刻された像は、おそらく持続 的な装飾の意味はなかった。〔中略〕形象が重なっているということは、新しいイメージを描くときには、 もう既存の装飾は重要ではなかったということである。そのとき古くそしておそらくより美しいイメージ が、新しいものによって損なわれるかどうかという問題は、まさに二次的であった。 Tracer une figure n’était peut-être pas, isolément, une cérémonie, mais c’en était l’un des éléments constitutifs. Il s’agissait d’une opération, religieuse ou magique. Les images peintes, ou gravées, n’avaient sans doute pas le sens de décoration durable [...]. L’enchevêtrement signifie que les décorations existantes étaient négligeables au moment du tracé d’une image nouvelle. A ce moment, il n’importait que secondairement de savoir si la nouvelle en détruisait une autre plus ancienne, et peut-être plus belle. 10 描線を描くという行為は、 「宗教的あるいは呪術的な操作」であり、その後に残った図像はもは や二次的にしか意味をなさない。無造作に重ねられた図像は、描く行為が終わり、完成したイメー ジの痕跡に他ならないのである。したがって彼の芸術=遊びとは、形象を描く行為そのもの、あ るいは形象を出現させることだったと言える。 ここで特筆すべきは、 バタイユが初期に『ドキュマン』で発表した論文「原始美術」(1930 年第 3 号 ) において論じた「変質 (altération)」という概念である。ドゥニ・オリエが指摘しているように、こ の変質という言葉はフロイトが用いた〈altus〉に多くを負っている 。 「原始語の反対の意味」に 11 おいて、フロイトは「聖なるもの (sacré)」に「神聖なる/呪われた」という二重の意味があるの をふまえて、この〈altus〉に対立的な意味(「高い/低い」)を与えている。変質 (altération) とは ラテン語の〈alter〉に由来する語であるが、バタイユはこの言葉を死骸のような部分的な腐敗を 表すのとともに、 「まったく別のもの (tout autre)、たとえば幽霊によって具現化されるような聖 なるものに通じる〔中略〕完全にある異質な状態への移行 」を示す語として用いている。した 12 がってバタイユの変質とは、腐敗のような破壊を意味するのみならず、 「まったく別なもの」へ と形態を変質させる移行プロセスと考えることができる。 さらにバタイユは、ジョルジュ=アンリ・リュケ (Georges-Henri Luquet, 1876-1965) による未開 人と子供の絵画の発達についての議論を援用しながら、描くという行為における衝動的な欲求に 注目している 。リュケは大人の「視覚的リアリズム」と、子供の「知的リアリズム」というふ 13 たつのリアリズムの対立を提示しているが、バタイユによれば、この対立は必ずしも先史美術に は適用しえない。リュケも指摘しているように、先史時代の芸術は、知的リアリズムの性格をも ちつつも、明らかに視覚的リアリズムに属している。とりわけ後期旧石器時代の人間の図像にお いては、著しい変形が加えられている。もはやそれは、知的リアリズムでも視覚的リアリズムで イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ / 唄邦弘 | 23 もない。むしろこの造形的表現において問題となるのは、 「変質」そのものだとバタイユは論じ るのである。 さらに彼は、この図像の発生の要因となる「変質」のプロセスを三つに分類する。 (1) 壁や紙といった支持体の破壊 (2) 類似した新たな対象を生みだす偶然の反復 (3) 反復的な対象の個別化 図像誕生にかかわる第一の変質の例として、バタイユは少年期に前の席に座る生徒の背中に衝動 的に落書きをしたという思い出を語る。その悪戯に満ちた行為は、まず何よりも手持ちのものを 汚し、変質させることで、 「最もたちの悪い至福感 」をもたらすという。このような感情の別 14 の例として挙げられるのが、エチオピアの子どもたちが教会に描いたグラフィティ(落書き)で ある【図 2】 。彼らは、大人に叱られながらも落書きを止めなかったという。第一段階の変質は、 現にあるものを汚し、破壊するというサディスティックな欲望であり、バタイユはこの反抗的な 行為を芸術の根源的衝動と位置づける。 さらに、この衝動的欲望が徐々に何かに似た「新たな対象」 を生む第二変質へと移行する。第三の変質では、支持体を破壊することなく、 「近似的な造形か らたとえばある動物についての漸進的に合致したイメージへの移行 」が行われるという。ここ 15 で問題となる形象の変質は、破壊から再生へという形象の誕生である。それは、破壊することで 形象を無へと還元することでも、 「まったく別なもの」へと変形させることでもない 。形象の 16 解体とその偶然の反復によって、類似した形態へと変化する過程こそが重要なのである。 この論文から 20 年を経てラスコー洞窟壁画について語るとき、バタイユはこの「変質」概念 を想起していたと考えられる。形象の生成プロセスについて彼がとりあげたのは、≪マカロニ≫ 17 と呼ばれる岩肌を指でなぞって描かれた図像である【図 3, 4】 。最初は偶然の手の動きが線を 描く。その後、「ときにこれらの線が形象となる。そして、壁面の偶発的な線それ自体が(形象 化の)出発点の役割を果たす解釈可能な対象となった 」。これらの一連の身ぶりは、変質の第 18 一段階から第二・三段階へのプロセスを前提としていたと言うことができるであろう。 「たどたどしい行為に駆り立てたものは、遊び以外にはないだろう 」と述べるように、バタ 19 イユはこれらの形象を生成するための衝動が芸術的活動である「遊び」によって起こったと考え る。それは労働の乗り越えであり、 「宗教的あるいは呪術的操作」としていかなる持続的な価値 をももってはいなかったのである。したがって、このようなイメージ生成論をバタイユの芸術論 のひとつと考えることができる。それは人間の誕生であり、芸術=遊びの誕生でもある。 2.壁画空間における「全体の効果」 イメージの変質=生成論と並行して、バタイユは洞窟壁画を見るまなざしについても論じてい る。当然ながら、洞窟は外部の光から遮断されている。先史人たちは暗闇のなかで、手元のわず かな灯りをたよりに、さまざまな図像を描き、眺めていたのであろう。この非日常的な空間が何 24 | らかの集団的儀礼を執り行うために利用されていたことは、バタイユも論じている。たとえば、 四頭の巨大な雄牛が壁面全体に描かれた〈雄牛の広間〉と呼ばれる空間について、以下のように 述べている【図 5】 。 これらの図像を次々に配置した人々は、諸形体の全体のまとまりを決して目指したわけではないのに、最 終的にはその全体が形成されるように、本能的に図形を配置したのである。おそらく彼らは全く異なった 時期に描き、〔中略〕しばしば、以前に描かれた部分を浸食したにもかかわらず、広間の壮麗さに寄与し ていた以前に存在していた部分を邪魔することは滅多になかった。 Ainsi les hommes qui, l’un aprs l’autre, ordonnèrent ces figures, bien qu’ils n’aient jamais eu leur ensemble pour objet, les disposèrent d’instinc(t) de telle sorte que cet ensemble à la fin se formât. Selon vraisemblance, ils peignirent à des dates très différentes, et [...] ils empiétèrent souvent sur les parties peintes auparavant, néanmoins ils dérangèrent rarement ce qui, existant avant eux, contribuait à la magnificence de la salle. 20 複数のイメージが遍在する洞窟空間は、長きにわたって新しい図像がかつてあった図像の上に描 かれており、まったくの無秩序であるかのように見える。だが〈雄牛の広間〉では、それぞれの 図像は以前のものを消し去ることなく配置されている【図 6】 。たとえば、赤色に塗られた馬の図 像は、鼻の先が雄牛の角のあいだに描かれ、またその他の図像に配慮して、頭部と腰部だけが彩 色されている。バタイユ曰く、 「ここでは諸要素は、全体の効果に帰属している 」 。つまり、こ 21 の広間では各々の図像が全体へと寄与することで、統一的な空間が保持されているのである。暗 闇でのそうした景観が非日常的な感情を引き起こし、 「接近不可能な領域 」へと介入しているか 22 のような感覚を喚起させるのである。 また、彼はこの非日常的な空間に配置された壁画イメージが美的対象として、強く私たちの感 情に訴えかけてくることを強調する。 これらの壁画は、奇蹟としてわたしたちの前に存在し、わたしたちに強く親密な感情を交感 (communiquer) させる。しかし、その分よりいっそうそれらは理解不可能なものなのだ。それらの壁画は、生きるために 獲物を殺害する貪欲な狩人達の呪術的効果に関係するとも言われるが、わたしたちが彼らの貪欲さに無関 心であっても、それによってわたしたちは心を動かされるのである。それゆえ、図像の比類なき美と、そ の美がわたしたちに引き起こす共感は、胸苦しくも宙吊りのままになる。 Ces peintures, devant nous, sont miraculeuses, elles nous communiquent une émotion forte et intime. Mais elles sont d’autant plus inintelligibles. On nous dit de les rapporter aux incantations de chasseurs avides de tuer le gibier dont ils vivaient, mais ces figures nous émeuvent, tandis que cette avidité nous laisse indifférents. Si bien que cette beauté incomparable et la sympathie qu’elle éveille en nous laissent péniblement suspendu. 23 ここで語られているのは、壁画を理解することの困難さである。呪術的側面を主張する先史学の 洞窟壁画解釈がたとえ緻密な調査に基づき行われていたとしても、決してそれが現前する壁画を 理解したことにはならない。むしろ、そうした解釈を放棄してこそ、洞窟壁画はわたしたちを惹 きつけてやまないのである。 イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ / 唄邦弘 | 25 ところで、ラスコー洞窟壁画を前にして経験するこの「親密な感情」が引き起こされながら も、宙吊り状態にあるとはいかなる様相なのか。バタイユの言葉を用いれば、洞窟壁画には「宗 教的で美的な」作者の意図が刻まれており、そこには「芸術が常に変わらず目的としてきたもの が含まれている。すなわち、 〔それは〕人間存在の本質に含まれる驚異への欲望 (désir de prodige) に応答する仕方で世界を変革させつつ、感覚的現実を創造すること 」である。ここでは描き手 24 というよりも、作品と鑑賞者の関係性が問われている。バタイユの解釈に従えば、芸術とは、本 来人間に備わっている驚異的なものへの欲望を掻き立てるものであり、感覚的にしか享受されえ ない。そこでは、先史学が提示するような解釈はまったく意味をなさず、鑑賞者はその作品を感 覚的にしか理解することができないのである。したがって、バタイユの言う「親密な感情」とは、 過去と現在のふたつの時間を超越して生みだされる、形象との感情的な交感=コミュニケーショ ンを表している。バタイユにとってラスコーは、歴史的資料以上の価値をもっていた。一方的な まなざしによって現在から過去へと壁画を扱うのが先史学であるとすれば、過去を現在へと呼び 戻し先史時代の人々が育んだその感情の痕跡を捉えるのがバタイユの芸術論である。ラスコーは 何万年も前に描かれたにもかかわらず、未だに現在の私たちに驚異的な感覚を引き起こす。それ によって、私たちは先史人が感じたであろう驚異的なものを同じように経験することができるの である。その時間を超えて経験される美的感覚は、奇蹟にも値するものだったと言えよう。 以上のように、バタイユのラスコー論にはふたつの観点が存在している。一方は、描くという行 為とその生成過程としての壁画であり、他方は、統一空間としての壁画ならびにその鑑賞方法で ある。つまり、バタイユは壁画の作者と受容者とを同時に思考しているのである。次章では、さら に彼の洞窟体験をもとに、洞窟壁画を前にしてのもうひとつのまなざしについて論じてみたい。 3.動くものとしてのラスコー 上述したように、バタイユはイメージの生成的価値と鑑賞的価値を同時に論じる。ラスコーの イメージは、形象化の瞬間に生まれ、時を経てふたたび芸術作品として私たちの感情に訴えかけ てくる。ところで、私たちはどのようにして、このイメージの痕跡から過去の身ぶりを想起する ことが可能なのだろうか。つまり「形象との感情的な交感=コミュニケーション」とは何を意味 しているのか。 実を言えば、ラスコー洞窟全体を見渡せば、必ずしもすべての図像が統一性をもって配置されて いるわけではない。 〈雄牛の広間〉以外の場所では、至るところに図像が混在して描かれており、場 合によっては以前の図像を消し去るかのように重ねられている。また自然の岩肌の凹凸が全体的な ヴィジョンを奪い、美術館で絵画を見るような一定の方向や距離を保つことは非常に困難である。 リピット水田堯は、ラスコーに見られるイメージの錯綜状態をアナモルフォーズと解釈する 。 25 エルヴィン・パノフスキーが論じたように、ルネサンス期に発明された遠近法とは、不動の主体 から対象を視覚的に認識することで、 「見る主体」と「見られるもの」という関係を構築する技 法である 。この関係のなかで、見る主体は世界を客観的に把握することができる超越的な観察 26 者として位置づけられる。対して、絵画におけるアナモルフォーズとは、平面状にイメージを歪 26 | めて表現する技法である。それによって鑑賞者は、一見すると不自然なイメージでありながら、 ある一定の視点から見る場合に限り、そのイメージを正しく認識することができる。自ら対象と の距離を推し量ることで、図像の存在に気づかされるのである。そのため、見る主体は一定の視 覚的認識に基づいて対象を捉えることができず、対象を正確に認識することもできない。 隔絶した真っ暗な洞窟がもたらす感覚遮断状態では、このようなアナモルフォーズの状態が至 る所で生じる。というのも、洞窟の暗闇ではもはや遠近法に基づく一定の関係は崩壊し、鑑賞者 を光の変化に応じたイメージのイリュージョンに巻き込むからである。壁画の意味解釈に従事す る一方で、おそらくバタイユはラスコーを形作っているこのアナモルフォーズのイメージに強く 惹きつけられたのであろう。とりわけ〈軸の間〉では、それぞれの図像が全体へと寄与すること なく無秩序な配置が成され、 「構図はたしかに存在するのだが、微妙なものであり、不協和な要 素のモザイクとして存在 」しており、それが〈雄牛の広間〉とは異なった印象を与えているの 27 である。 バタイユは、 〈身廊〉に描かれた五頭の鹿の頭部について次のように述べる【図 7】 。 これらの図像は、それ自体まどろみのような印象を与えるものであり、ある種の変化のなかで境界という 感覚を消し去ってしまう。このとき、図像を見つめるまなざしと見つめられるこれらの生物との間にはな んの差異もなくなるのである。 Elles donnent elles-mêmes une impression de somnolence et suppriment en un glissement le sentiment de la limite: nulle différence, dès lors, entre le regard qui les envisage et la présence de ces êtres envisagés.28 これらの図像は、光の加減と鑑賞者の視点の変化に応じてその表情を変える。というのも、たん に鹿という動物を描いているだけではなく、それらは壁面の黒い窪みを水面に見立てることで、 水面から首を出して泳ぐ鹿の群れを表現しているように見えるからである。またその他にも、 〈身 廊〉にはさまざまな図像が全体に配置されている。そのため、鑑賞者はもはや見る主体という超 越的な位置を誇示できず、絵画空間に没入し、光のなかでその都度現れるイメージを受容するの である。 〈身廊〉は〈雄牛の広間〉とは異なり、 全体への配慮には欠けている 。また、過去のイメー 29 ジの生成過程を読み解くことすらできない。にもかかわらず、バタイユはこの錯綜したイメージ を高く評価しているのである。 おそらくバタイユのこうした壁画解釈は、彼の特異な視覚的認識に基づいていると言うことが できるだろう。 『ドキュマン』以降のバタイユは、従来の哲学的伝統に基づくデカルト的視覚中 心主義を真っ向から批判していた。バタイユの視覚とは、距離を置いて対象をまなざすようなも のではない。むしろ、 見ることを放棄しつつも視覚的欲望に惹きつけられることである。マーティ ン・ジェイは、バタイユの視覚性を「アンフォルム」という概念によって的確に論じている。 彼〔訳者注:バタイユ〕は、〔中略〕物質の視覚的イメージに基づいた唯物論を拒否し、物質性の身体的 経験から生じる唯物論に賛同する。同様に、彼は過度に視覚的距離に依拠した古典的 —— これは高級モ ダニズム的でもある —— 形態 = 形相 (form) のフェティッシュも拒絶する。それに代わって、彼は「アンフォ ルム」—— 痰や腐敗において明らかな形なきもの (formlessness)—— を特権視する 。 30 イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ / 唄邦弘 | 27 ここで「アンフォルム」が意味するのは、決してフォルムの反対でも否定でもない。むしろ、対 象との距離を維持する遠近法的伝統に則したフォルムのあり方を否定しているのである。彼が主 張するには、「アンフォルム」という語は確定的なものを意味するのではなく、「無 (rien)」とい う非形象的な次元と 「何か (quelque chose)」 という形象的次元を媒介するひとつの働きである。 「宇 • • • • • • 宙が何ものにも類似せず、アンフォルムなものでしかないと断言することは、宇宙が蜘蛛や唾に も似た何かであると述べていることになる 」とバタイユがいうように、アンフォルムとは、 「何 31 ものにも類似しない」ものでありながらも、もはや「蜘蛛や唾に似た何か」—— あるいは「形 なきもの (formlessness)」—— としか呼ぶことができないものである。それゆえ、バタイユにとっ て対象との距離を置いてフォルムを理解することと、それをまなざすこととは決して同じではな い。アンフォルムは、視覚的認識に基づく理想的なフォルムの分類をかき乱し、対象との距離を 破棄し、視覚さらには身体的経験へと働きかけるのである。 ラスコー洞窟壁画において、バタイユは絵画空間で経験されるこうしたイメージの変化に魅了 されていたのではないだろうか。 • • • • ラスコーにおいて感覚に訴えかけてくるもの、わたしたちの琴線に触れるもの、それは動くものである。 惰性ではなく、熱狂的な運動から美を放射するこれらの作品の前で、精神の舞踏という感覚がわたしたち を昂揚させる。壁画を前にしたわたしたちが強いられるのは、存在とそれを取り巻く世界との自由な交感 であり、人間は自らが発見した豊かな世界と一致することで、その世界へと自らを解き放つ。 Ce qui est sensible à Lascaux, ce qui nous touche, est ce qui bouge. Un sentiment de danse de l’esprit nous soulève devant ces œuvres où, sans routine, la beauté émane de mouvements fiévreux : ce qui s’impose à nous devant elles est la libre communication de l’être et du monde qui l’entoure, l’homme s’y délivrer en s’accordant avec ce monde dont il découvre la richesse.32 洞窟内に配置されたモザイク状のイメージは、見る者の多様な視点により、変化し新たなフォル ムで立ち現れる。また岩肌の隆起や陰影がイメージを変化させる。かつては暗闇のなかで照らさ れる炎の揺らめきが、さらなる変化を生みだしていたのかもしれない。それは瞬時にイメージに 運動を与える。その運動こそが「動くもの」としてバタイユを惹きつけたのである。 「これらの壁画は、奇蹟としてわたしたちの前に存在し、わたしたちに強く親密な感情を交感 させる。しかし、同様にそれらは理解不可能なものなのだ」と述べるように、バタイユは先史学 的な図像学的解釈を批判している。それとは対照的に、意味解釈を放棄し、フォルムに多様な様 相を提示することで、過去をまなざす現在的な経験に留まるのである。 形象の誕生する瞬間、それは遊びとして機能し、後には持続的なものとして呪術に利用される。 しかし、時を経て新たな像が描かれる。それによって、最初のイメージは持続的な力を失う。そ れらが何度となく繰り返されモザイク状態が生まれる。そうした錯綜状態が与えられると、イメー ジはその全体において別の機能を生みだすのである。バタイユにとって、それはまさに変化する 「アンフォルム」な壁画なのである。ラスコー洞窟でのバタイユの視覚的経験とは、痕跡として のイメージのあり方を問いなおす試みだったのである。 28 | 結びにかえて 先史学においてしばしば芸術は、人間の進化を示すひとつのメルクマールとなっている。洞窟 壁画の誕生は、オーリニャック期にはじまる後期旧石器時代に位置づけられ、それまでの文化と はまったく異なった特質をもつと考えられた。多くの研究者が論じるようにホモ・サピエンスは、 ホモ・ネアンデアルターレンシスにはない言語能力や社会的組織を形成し、芸術を創造していた という 。このような進化論において、壁画解釈は地理的な条件とともに西欧を中心に発展して 33 きた。伝統的に先史学では、芸術とは唯一人間が生みだすことができる創造的行為であるという 前提を踏襲している。ホモ・サピエンスを私たちに直接繋がる進化の出発点(到達点)と位置づ ける根拠はこの前提にあると言えよう 。 34 たしかに、ホモ・サピエンスに芸術/人間の誕生を見出すバタイユの洞窟壁画論は、西洋を中 心とした芸術起源論に基づいていると言うことができる。また、なぜホモ・サピエンスだけが芸 術を生みだすことができたのかについては、必ずしも明確に論じられていない 。むしろ先史学 35 者ミシェル・ロルブランシュが論証しているように、芸術は先人のネアンデルタール人との共存 のなかで誕生したのであり、必ずしもホモ・サピエンスだけが芸術活動を行っていたと定義する ことはできないであろう。彼のラスコー解釈は、むしろ人類の起源を暗示するとともに、禁止と 侵犯という後の「エロティシズム」理論を補強するものとなっている 。彼の議論の核となって 36 いる動物性とは、人間性そのものを問いなおすものであり、ラスコーはそれを示す貴重な事例と なりえたのである。 しかしこれらの批判を考慮しつつも本論が注目したのは、バタイユのラスコー論において、イ メージの意味解釈そのものよりも、洞窟壁画という空間メディアがいかに重要であったかを考察 することであった。というのも、暗闇に覆われた壁画が何万年もの時を経て現在に提示されたと き、バタイユ曰く、動くものとして美的な感覚を引き起こすからである。その意味において、ラ スコー洞窟壁画は、たんなる歴史的な遺物ではない。過去と現在との時間の隔たりが、新たな壁 画イメージを生みだしたのである。そうした状況でバタイユは、認識を越えて感じられる視覚的 経験をある意味素直に語っている。ときに明確な形象として、ときにアンフォルムなものとして、 バタイユは、 驚異とともにイメージをまなざしていたのである。したがって、彼にとってラスコー が魅力的だったのは、たんにそれが人間の起源を明らかにする人類史的な証拠としてだけではな く、時間の経過のなかで現代にまで訴えかけるアナクロニックな経験を生みだしていたからでは ないだろうか。またそうしたまなざしは、バタイユのテクストを介して現代のわたしたちをラス コーへと誘うのである。 (ばい くにひろ:神戸大学) イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ / 唄邦弘 | 29 1 本論文は、博士論文「ジョルジュ・バタイユの反視覚性 ―20 世紀フランスにおけるイメージの破壊と再生 ―」(2013 年 9 月 ) の一 部を抜粋し、加筆・修正を加えたものである。 2 Georges Bataille, Lascaux ou la naissance de l'art, Skira, Genève, 1955, (Œuvres Complètes, IX 1979, pp. 9-81.) 以下、 『ラスコーある いは芸術の誕生』の引用は、一九五五年度版を使用し、Las と略記する。その他のバタイユの全集からの引用は Œuvres Complètes, I-XII, Gallimard, 1970-1988. による。また本文内では OC と略記し、著作が重複する場合は、括弧内に示した。 3 Henri Breuil, Quatre cents siècles de l'art pariétal : Les cavernes ornées de l'Âge du Renne, Centre d'Études et de Documentation préhistoriques, 1952, p. 22. « un fait social ,collectif, témoignant d’une véritable unité spirituelle ». 4 Ibid., p. 23. 5 Bataille, Las., p. 31. (OCIX, p. 32.) « Ils ne posent pas, dans son ensemble, la question de passage de l’animal à l’homme, de la vie indistincte à la conscience. » 6 とりわけ第八章 『精 「ヘーゲルにおける実在するものの弁証法と現象学の方法」 を参照。アレクサンドル・コジェーヴ 『ヘーゲル読解入門 ― 神現象学』を読む』上妻精 / 今野雅方訳、国文社、1987 年、248-359 頁。 7 Bataille, Le coupable in OCV, p. 370. 8 Bataille, Las, p. 37.(OCIX, p. 39.) « le travail fut dépassé par le jeu, sous forme d'activité artistique, celle-ci tout d'abord était travail ». 9 バタイユは、このような移行によって登場した人間をホイジンガに習って「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と名づけた。バタイユのホイ ジンガの読解と詳しい遊戯論については、« Sommes-nous là pour jouer? ou pour être sérieux? » in OCXII, pp. 100-125. を参照。この論考 でバタイユは、ホイジンガにおける遊戯の「規則」を批判し、逆に遊びを「制限された無秩序」と定義している。 10 Bataille, op cit., p. 129. (op cit., p. 79.) 11 ジークムント・フロイト「原始語の反対の意味」『失語症と神経症』所収、安田一郎編訳、誠信書房、1974 年。また以下を参照。 Denis Hollier, La Prise de la Concorde. Essais sur Georges Bataille, Gallimard, 1974, p. 240. 12 Bataille, « L’art primitif » in Documents, par Georges Bataille, Michel Leiris, préface de Denis Hollier, Jean-Michel Place, 1991, vol. 2, 7, p. 397. (OCI, p. 251.) « Le terme d’altération a le double intérêt d’exprimer une décomposition partielle analogue à celle des cadavres et en même temps le passage à un état parfaitement hétérogène correspondant à ce que le professeur protestant Otto appelle le tout autre, c’està-dire le sacré, réalisé par exemple dans un spectre. » 13 Georges-Henri Luquet, L'art primitif, G. Doin & cie, 1930. 14 Bataille, op cit., p. 396. (op cit., p. 252.) « une béatitude du plus mauvais aloi ». 15 Bataille, Ibid., (Ibid.) « On passe par ce moyen, assez rapidement, d’une figuration approximative à l’image de plus en plus conforme d’un animal, par exemple. » 16 ロザリンド・クラウスとイヴ=アラン・ボワは、この「変質」概念を対象の完全に異質な状態を表す語として用いている。そのため彼 女らの議論では、変質の第三段階、何らかの形象化のプロセスは排除されている。 「 「変質」という語には二つの使い方がある〔中略〕 。だ が何よりもまず、この語自体が反則技を意味している。」 イヴ = アラン・ボワ、ロザリンド・E・クラウス『アンフォルム 無形なものの 事典』加治屋健司 / 近藤學 / 高桑和巳訳、月曜社、2011 年、52 頁。 17 フランス南部ガール県近郊のボーム=ラトンヌ洞窟の象や蛇と、バイヨル洞窟の鹿の群れ。 18 Bataille, Las, p. 35. (OCIX, p. 38.) « Parfois ces lignes prennent figure. Les lignes accidentelles des surfaces rocheuses purent ellesmêmes être l’objet d'une interprétation servant de point de départ ». 19 Ibid. (Ibid.), « Le jeu seul pouvait, en premier lieu, conduire à ces balbutiements. » 20 Ibid., p. 53. (Ibid., p. 45.) 21 Ibid., p. 59. (Ibid., p. 46.) « Ici, les éléments se subordonnent à un effet d’ensemble. » 22 Ibid., p. 56. (Ibid., p. 46) 23 Ibid., p. 13. (Ibid., p. 14.) 24 Ibid., p. 34. (Ibid., p. 37.) « ce que l'art eut constamment pour objet : la création d’une réalité sensible, modifiant le monde dans le sens d’une réponse au désir de prodige, impliqué dans l'essence de l'être humain. » 25 リピット水田によれば、ラスコー洞窟壁画は、単眼的遠近法、アニメーション、歪像に分類することができるという。Akira Mizuta Lippit, “Arche texts: Lascaux, Eros, and the Anamorphic Subject”, Discourse, 24.2, 2002, pp. 25-26. またルロワ=グーランの分類も参照の こと。André Leroi-Gourhan, L'art pariétal. : Langage de la préhistoire, Jérôme Millon, 1992, pp. 349-357. 26 エルヴィン・パノフスキー『“ 象徴 ( シンボル ) 形式 ” としての遠近法』木田元監訳、筑摩書房、2009 年、第三章。 30 | 27 Bataille, Las, p. 83. (OCIX, p. 51.) « Elle [la composition] existe pourtant, mais subtile, en mosaïque d'éléments discordants. » 28 Ibid., p. 106. (Ibid., p. 58.) 29 荻野厚志は、バタイユのラスコー論においては、奥洞も含めてすべての壁画の配置が全体への効果へと帰属していると考える。それに 対して本論は、たとえ洞窟内に描かれた図像が共通の秩序を持っているとしても、それぞれの空間は異なった印象を与えるのではないかと 考えている。荻野厚志「ジョルジュ・バタイユにおける「呪術的芸術」について」『美学』第 59 号、2008 年、21 頁。 また以下も参照。 荻野厚志「ジョルジュ・バタイユと先史時代芸術 ― 遙か遠いコミュニケーションについて ―」一橋大学大学院言語社会研究科博士論文、 2008 年。 30 Martin Jay, Downcast Eyes-the Denigration of Vision in Twentieth-Century French Thought, University of California Press, 1994, p. 228. 31 Bataille, « Informe » in Documents, par Georges Bataille, Michel Leiris, préface de Denis Hollier, Jean-Michel Place, 1991, vol. 2, 7, p. 382. (OCI, p. 217.) « ...affirmer que l’univers ne ressemble à rien et n’est qu informe revient à dire que l’univers est quelque chose comme une araignée ou un crachat ». 32 Bataille, Las, p. 130. (OCIX, p. 81.) 33 考古学者ポール・メラーズの分析は、中期旧石器時代から後期旧石器時代への移行の特徴を列挙している。また以下も参照のこと。コリン・ レンフルー『先史時代と心の進化』小林朋則訳、ランダムハウス講談社、2008 年、120-123 頁。Paul Mellars, ”Cognitive Changes and the Emergence of Modern Humans in Europe”,Cambridge Archaeological Journal, Volume 1, Issue 01, April 1991, pp 63-76. 34 先史学と美術史との関係を批判的に論じたものとして、たとえば以下の論文がある。Emmanuel Guy, « Esthétique et préhistoire », L'Homme 165, éd., EHESS, 2003, pp.283-290. 35 ロルブランシュはこのホモ・サピエンスを中心とする芸術起源論者の代表としてバタイユを挙げ、次のように論じている。「人間は洞窟 壁画を描きながら突然、芸術家になったのだろうか?はたまた、そのはるか起源から、人間はすでに無自覚な芸術家だったのであろうか?」 Michel Lorblanchet, Les origines de la culture, Les origines de l'art, Le pommier, 2006.p. 9, 15-30. 36 cf., Bataille, « L’Erotisme, chap.6 » in OCX, pp. 73-82. 図版目録 【図1】デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ『洞窟のなかの心』港千尋訳、講談社、2012 年、424-425 頁。 【図2】Documents, par Georges Bataille, Michel Leiris, préface de Denis Hollier, Jean-Michel Place, 1991, p.394. 【図3】Georges Bataille, Lascaux ou la naissance de l'art, Skira, Genève, 1955, p.133. 【図4】Georges Bataille, Lascaux ou la naissance de l'art, Skira, Genève, 1955, p.133. 【図5】Georges Bataille, Lascaux ou la naissance de l'art, Skira, Genève, 1955, pp.46-47. 【図6】Georges Bataille, Lascaux ou la naissance de l'art, Skira, Genève, 1955, p.52. 【図7】フランス文化通信省のサイトより。http://www.lascaux.culture.fr/ イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ / 唄邦弘 | 31 【図1】ラスコー洞窟平面図 【図2】エチオピアの子どもたちのグラフィティ マルセル・グリースによりゴジャム(エチオピア)の教会で 発見されたもの 【図3】ラ・ポーム=ラトローヌ洞窟の象と蛇 32 | 【図4】バイヨル洞窟の鹿の群れ 【図4】〈大広間〉の左壁 ( 左 ) と右壁(右) 【図6】〈雄牛の広間〉部分 【図7】〈身廊〉の全体(左)と右側の五頭の鹿の群れ(右) イメージの生成からアンフォルムな痕跡へ / 唄邦弘 | 33