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2013/3/19 2013年春号

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2013/3/19 2013年春号
宮ヶ瀬湖から
風のたより
2013年春号
NPO宮ヶ瀬湖ボートクラブ
発行人 鍋島久夫
目次:
● 会長ごあいさつ
(鍋島 久夫)
● 特別寄稿:2012年世界マスターズ
レガッタ参戦記
1
1
(池田 照樹)
● 初漕ぎはつらつ、初笑い
2
● エイト艇の更新
2
(立花 栄治)
● 事故寸前の実体験(登里貞治)
3
● 横浜ボートマラソン (弓場 常正)
3
● 新会員になって思う宮ヶ瀬湖との浅
4
からぬご縁
(舘 次郎)
● 心に残る映画「栄光と狂気」
8
(河口 道晴)
● 2012年紅葉レガッタ (三原 邦夫)
9
● 宮ヶ瀬湖で漕ぐ贅沢なひと時
10
(川上 利男)
● 思い出に残る宮ヶ瀬湖
10
(鈴木信太郎)
● ボートだけでない宮ヶ瀬ボートクラ
11
会長ごあいさつ
会長に就任して1年が経過し
ました。
会の運営は事務局はじめ多
数の会員諸兄姉のご尽力で大
過なくすごすことが出来ました。
ま た、この間、艇の更新につ
ましてはボート界各位のご好意
で順次進めることが出来ました。
山紫水明宮ヶ瀬湖の環境で生
涯スポーツの一環としてボートに
親しんでいただける様これからも
努力していく所存です。
特に今年も小中学生のボート
教室を通じて地域との交流を推
進しようと思います。
小中学生にはボートに親しん
でいただき、またシニア層には
適度な運動としてボートを活用し
て頂きたいものです。
私は鎌倉に住んでいますが、
会長
鍋島久夫
そこのNPO法人鎌倉シチズン
ネットの代表をしております。鎌
倉市との協働事業として不用品
登録制度(使わなくなったものを
市民同士で譲り合うシステム)の
運営をしております。
ボートも学校や企業などハイ
レベルの競漕に使われなくなっ
た艇は昔取った杵柄世代には
丁度よいものかもしれません。ま
た楽しみのためのレース用には
少し新しめをそろえたいです
ね。実際に30年以上使っている
艇も手入れ次第では十分に使
えます。
そのまま使えるリサイクルを今
後ともお願いしたいものです。
***
ブ「ハイキング」(村上寛治)
● 靴修繕奮闘記
(百瀬道夫)
● ボートだけでない宮ヶ瀬ボートクラ
ブ「写真」
11
12
(清水賢介)
ん?見覚えがあるぞ、この写真・・と思った
方、「正解!」 昨年秋号の記事に添えられて
いました。
再び、これを掲載するわけは、
① 美しいものでまず皆さんの目を引く。
② この写真が今年の魚沼市観光協会のカレ
ンダーに採用されたのでそのご紹介。
詳しくは撮影者、清水賢介さんによる記事
(P.12) をお読みください。
(編集局)
2012年世界マスターズレガッタ参戦記
池田 照樹
(ドイツ、デュイスブルグはドイツローイングの中心地。日本の戸田
のような存在。幾度となく世界選手権、欧州選手権が行われている
コースだ。2012年のマスターズの開催地となり、当クラブ会員、そし
てボート団塊号の主力メンバーでもある池田照樹さんがエイト、フォ
ア、シングルに出場という快挙を成し遂げた。今回、池田さんに特別
寄稿としてその報告をお願いした。それを春号と秋号に分けて連載し
ます。)
「2012年世界マスターズレガッタ参戦記」
I.勇躍ドイツへ!
2012年9月6日~9日、ドイツのデュイスブルグで世界マスターズレ
ガッタが開催された。自分としては3回目になる世界マスターズレガッ
タ参戦の旅は航空会社のストライキで長い長い旅から始まった。
ようやく夜が明けてきた9月4日早朝、サンドイッチとお茶をもって、
高尾発5時半の成田エクスプレス1号に乗り込んだ。僕の車両には誰
もいない。
(P. 5 に続く)
宮ヶ瀬湖から
Page 2
風のたより
初漕ぎはつらつ、初笑い
2013年の船出。初漕ぎとは新年事
始めにぴったりのことばです。1月5日
(土)は二十四節気の小寒。微風曇り
空、気温3℃の宮ヶ瀬湖。年が改まっ
ても昨日につづく山と森と湖。冷気が
ぴりりと肌を刺し、身の引き締まる思い
がします。漕ぎ納めからわずか2週間
ですが、懐かしさでいっぱいの再会。
総勢24名の愛湖者が参集。
オーストラリアからめぐみ・クリス夫
妻、そしてカリフォルニアから一時帰
国のメンバーが参加。熱い想いが伝
わってきます。
湖面に漕ぎ出すクオドルプル5
艇。「たのしみは虹の大橋くぐり抜け遠
き銀嶺仰ぎみるとき」。真夏の国から
やってきたカップルに自慢する湖水と
山脈。「たのしみは湖面をすべる櫂の
音に自ら酔ひて漕ぎ進むとき」。水飴
のような湖面を黙々と漕ぐも良し、時に
さざ波にたゆたうも良し。今年は何か
いいことがありそうな気がします。
漕ぎ終えてから、湖畔にテーブル
を出していつもの団欒昼食会。知者
楽水、仁者楽山ということばがありま
す。常連メンバーは知者仁者ぞろい
ですから、話題に事欠きません。歓談
の歓びをそのまま新年会へ。愛甲石
田駅近くの「焼き鳥どんと」が貸切会
今回も山に囲まれた綺麗な宮が瀬湖での練習に参加させていただき
ありがとうございました。なかなか練習に参加できないにもかかわらず、
いつも皆様に温かく迎えていただきとても嬉しく思っています。素敵な景
色を見ながらのボートの乗艇はとても気持ちがよく、リラックスして漕ぐ事
ができました。
今回は、乗艇後の新年会にも参加させていただき、皆様といろいろと
お話ができ、とても楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。ボート
を通してたくさんの方と出会い、いろいろな場所で漕ぐ事ができて、ボー
トを始めて本当に良かったと思います。
なかなか参加できなくて残念ですが、また帰国した際には是非参加さ
せていただきたいと思います。次回も皆様にお会いできる事を楽しみに
しております。
お世話になり、誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願いい
たします。
(Megumi Sonnex)
場です。すでに名誉会員の大島さん、
団塊号の皆さんがお待ちかね。料理
も酒も素晴らしく、舌鼓を打ちながら、
話に花が咲きます。恒例のひとりひとり
の年頭所感発表。ボートへの意気込
みやら処世訓に、皆が耳をそばだてま
す。この雰囲気がいいですね。つづい
て、差し入れ賞品獲得のじゃんけん大
会。クリスさんを中心にした稚気溢れる
じゃんけん合戦でわき起こる笑い声。
最後は弓場さんの発声で一本締め。
さあ、今年も安全第一の漕艇を楽しみ
ましょう。
下にオーストラリアに帰国しためぐ
み・クリスさんからのメールを紹介しま
す。
(立花栄治)
It was a pleasure to row with yourself and
everyone at Miyagase! Although it was very cold, it
was also very calm and relaxing to row once again in
the lovely surroundings. Your explanations are
always welcomed, as they are entertaining! :)
I shall make sure to stay healthy to ensure my
memory stays intact!
Meg and I intend to continue to row this year, and
we will make sure to keep in touch with everyone in
Miyagase upon our return to Japan next time.
Take care, safe and happy rowing
With love,
Chris
エイト艇の更新
現在当クラブはエイト艇を4艇所有していますが、この
2月にそのうちの1艇を更新することができました。
これは紅葉レガッタで使用するエイト4艇の均質性を
揃えることをねらったものです。
そのエイト艇は、駿台艇友会から無償譲渡していた
だくことになったエンパッハ製で、2月16日に戸田の明
大艇庫から宮ヶ瀬湖に搬送されました。押し出される形
でエイト艇(「クラルテ」デルタ造船製)を放出することに
なり、いちはやく名乗りをあげた千葉大学ボート部に無
償譲渡することにしました。1月12日に搬送をすませ、
すでに江戸川で活用して、部員の皆さんに喜んでいた
だいているとのことです。
もう1艇のエイト(「摩利支天」桑野造船製)も更新した
いと考えていますので、情報があればお寄せください。
なお、現在の当クラブ所有艇は下記の通りです。
8+(4艇)、4ー(1艇)、4X+(1艇)、4X-(1艇)、
1X(1艇)、KF(3艇)。
到着したエイト艇を下ろしている様
子。
この艇に新しい名前をつけてあげたいで
すね。
トラックの前に先導車がつくという厳
重な態勢で輸送が行われた。長尺物の輸
送には警察の許可の他に国交省の許可が
必要で、その許可を得るのに1カ月以上
もの期間がかかったとか。
宮ヶ瀬湖から
Page 3
風のたより
事故寸前の実体験
(登里貞治)
昨年暮れに千葉県小見川でトレーニング中の高校生シングルスカルが強風のもと、多数転覆する事故がありました。
これを契機に、登里会員がかつて筆をとり、一部の人に配布されていた記事を改めて掲載する許可を得ました。
昭和35年(1960)3月、東大・一橋
大対校ボートレースのためのジュニ
アーエイト(両校共1年生クルー)の練
習中の出来事である。当時私達一橋
は対校選手を含め全ての選手及び
マネジャーが隅田川の向島艇庫で合
宿をしていた。
この日は早朝から快晴、ローイング
のトレーニングにはうってつけの状態
であった。ところが、朝の出艇前、準
備運動が終わりかけた頃、急に風が
強く吹き始めたのである。正に「春一
番。」台船上に集まって空と水面を見
比べながら、「出艇すべきか」、「中止
すべきか」の議論が始まった。結局、
前者の威勢のいい意見が大勢を決し
た。ここで、後者を主張することによっ
て弱虫視されたくないという暗黙の心
理的判断が優先したと思われる。
台船を蹴って実際に出艇する頃に
は、所謂「ウサギが飛ぶ」状態になっ
てきた。今更誰一人、「しばらく様子
をみよう」と言い出す者なし。出艇し
て500mも行かない内に、(1) 艇内に
浸水が始まった。(2) オールを持って
フ ォ ワ ー ドし たく て も そ れ が出 来 な
い。高い波頭が邪魔をするのだ。(3)
浸水と共に艇の喫水が下がり、益々
漕げない状態となる。(4) あっという間
に艇内が水浸しになってしまった。直
ぐ制御不能となった。(1)から(4)まで、
時間にして1分も掛からなかったとい
う印象である。
この後起きた人間の予想もつかな
い衝動的行動について述べてみた
い。
1.突然一人の選手が浅草側の岸に
向かって必死の形相で泳ぎ始め
た。すると、何人もが憑かれたよう
に後を追い始めた。オールも艇も
ほったらかして。岸壁まで100mぐ
らいだろうか。しかし、泳ぎ着いた
ところで水面から5mくらいあるコ
ンクリートの垂直な岸壁をよじ登る
ことは不可能。それを承知で岸に
近づこうと必死にもがく。
2.コックスはストップ・ウオッチを濡ら
さないように水面に持ち上げて立
ち泳ぎしている。
3.「艇が沈んだ時は艇を離れてはな
らない」と聞いたことがあったのを
思い出す。これを咄嗟に思い出し
た選手もいた。大声で彼らを呼び
戻す。
4.泳げない一人を艇内に残し、全員
水中に入ってオールとリガーを保
持して救助を待った。この状態で
は艇内は水浸しだが、これ以上沈
む怖れはない。艇は一応安定を
保っている。
5.艇庫のマネジャーから水上警察
に救援を求めたが、我々はその救
助艇到着前に偶々近くで作業を
していた浚渫船に救助された。寒
くてガタガタ震えていたが、船内
のシャワー室で生き返った。
6.幸い人身事故にはならなかった
が、艇はダメージが大きく結局、廃
棄せざるを得なかった。この艇は
勿論対校選手が使用した中古艇
ではあるが、当時、新艇は300万
円だったことを覚えている。
7.出艇前の一寸した判断ミスがこの
ように大きな犠牲を払うことになっ
てしまった。よく登山の途中で「引
き返す勇気」が求められることがあ
るが、正にこのことだ。
8.ローイングに未熟なジュニアー・ク
ルーに事故が多いのも肯ける。
9.天候の急変に注意が必要だ。特
に季節の移り変わり目の時。
10. 艇が沈没した場合、艇から離
れないで救助を待つのも良いが、
水温が極端に低い時は救助まで
の時間が勝負となる。そこは臨機
応変に判断すべきであろう。
2004‐07‐19
ます。
コースは鶴見川漕艇場をスタート
して森永橋、新鶴見橋、水管橋、末
吉橋をくぐり鷹野大橋の手前で折り
返しますが川幅が狭い上〈約80m〉
カープも橋桁も多くまた見通しも悪い
のでコックスは大変な気の使いようで
操舵技術を要します。
宮ヶ瀬湖が山に囲まれ水も綺麗
なカントリーコースに対し、鶴見川は
マンションやビルに囲まれ水質も綺
麗と言えないシテイーコース。
参加クルーは68クルー。その内
エイトは37クルーと最多。近年、エイ
トの出漕クルーが大幅に増えていま
すが、やはり花形種目で人気が高い
のでしょうか。
今回、コックスは「気合いと号令」
では誰もが認める児玉さん、漕ぎ手
は い つ に な く「や る 気 満 々」の 多 士
済々のメンバー。いつもは「ぶっっけ
本番」だが今回は宮ヶ瀬湖で1回だ
け練習をしました。
コンスタントレートは無理のないとこ
ろで25に。また要所々々でメリハリと
喝をいれる意味で「足蹴り5本」をい
れる事を全員で確認。同じカテゴリー
〈平均60~69歳〉には名古屋ローイ
ング、ボート団塊号、三菱、多摩川、
WKマスターズ、四神会、桜艇会、濃
青 会 な ど 強 豪・伝 統 ク ル ー が 1 1 ク
ルーも集う最大激戦区。
当日の天候は晴、無風の良コン。
スタートは5番目の9時12分でレース
は3分間隔。先行は名古屋ローイン
グ、後行はWKマスターズ。通常3分
間隔だとこのカテゴリーでスタート時
には600~700メートルの差は付き
ます。
中間の水道橋付近で名古屋ロー
イングに近づいたとコックスから声が
入る。折り返し地点では100メートル
の差。後からスタートのWKマスター
ズにはじわじわ接近される状態。
横浜ボートマラソンレース
年末恒例の「第11回横浜ボートマ
ラソン大会」に宮ヶ瀬湖ボートクラブ
から男子エイトと混成クオド「一葦会」
の2種目に参加しました。この大会も
11回目となり、いまや鶴見川の風物
詩となっております。
宮ヶ瀬湖ボートクラブは8年前から
参加していますが、エイトについては
単独チームとしては今回が初参加
〈今までは連合チームで参加〉。クオ
ドブルについては毎年のように男子
と混成クルーで参加しています。
クルーを紹介すると、エイトはC児
玉元、S村上寛治、7三原邦夫、6立
花栄治、5池田照樹、4弓場常正、3
高山修、2藤田正喜、B谷藤繁で、最
年長は鉄人の称号がふさわしい北大
OB谷藤さんの77歳、最年少は藤田
さんの48歳で、平均65歳。 クオド
ブルはC草間雅子、S新沼邦恒、3佐
藤正雄、2山口厚子、B新沼順子で、
平均63歳であった。藤田さんは遠く
浜松市から毎回のように参加してい
(次ページ に続く)
宮ヶ瀬湖から
Page 4
風のたより
新会員になって思う宮ヶ瀬湖との浅からぬご縁
宮ヶ瀬湖のレガッタにいつも一緒
に参加する仲間ともども昨年から宮ヶ
瀬湖ボートクラブの会員なりました。
小生にとってはこれまでの宮ヶ瀬湖と
の浅からぬご縁を考えれば遅すぎた
くらいで、自宅から頻繁に通うには遠
いことは否めませんが、今後はお客
様の立場からほんの少しでもクラブに
貢献する側になりたいと思います。同
時に、これまで以上に宮ヶ瀬湖を楽
しみたいと願っております。皆様よろ
しくお願いします。
もう何年も前から小生が所属する
東京外語艇友会は春と秋の年二回
の宮ヶ瀬湖のレガッタに参加すること
を 恒 例 行 事 に し て い ま す。ホ ー ム
コースの戸田では漕ぐのをためらう仲
間を、新緑や紅葉の観賞とレース後
のピクニックを餌に引張り出し、勝敗
は別として一緒に漕ぐのは何とも愉
快です。宮ヶ瀬湖の美しい自然に囲
まれて、きれいで軽い水で漕げる幸
せに加え、運営にあたる皆さんのい
つも変わらぬホスピタリティーに感激
し、沢山の顔見知りの“ボート敵”と挨
拶かたがた憎まれ口を交わし、名物
となった豚汁を味わい、採れたて野
菜の参加賞を貰って帰るのも毎度の
楽しみです。この数年はレース後に
必ず草上に筵を拡げ、酒と肴を持ち
寄りレースの余韻を味わいつつピク
ニックを楽しんでいます。“コンコル
ディア60”と言う平均60歳台のクルー
で初めてエイトに出漕し優勝したの
が?年前、それが今や70歳台になり
この数年間は「結果はともかく・・・」、
と言うことで、楽しみはレースよりもそ
のアフターのピクニックが重さを占め
平成25年度
当NPOの通常総会開催
3月3日、当NPOの平成
25年度通常総会が鶴見川
漕艇場会議室において開
催されました。
事前にご案内の第1号
議案から第4号議案はす
べて承認されました。ご協
力ありがとうございました。
るようになってきました。今年はレガッ
タ参加とは別に近くの温泉での一泊
を日程に加え文字通りの漫漕とピク
ニックを存分に楽しむ計画を進めて
います。ゆくゆくは更に周辺のハイキ
ングを加えるのも楽しそう。宮ヶ瀬湖
とのご縁は一生続くことになるでしょ
う。
そもそも小生にとって宮ヶ瀬湖との
最初のご縁は20年程前に遡ります。
ご存知の方も多いと思いますが、宮ヶ
瀬湖ダム建設計画には往時の建設
省技官であった東大ボート部OBの
宇塚さんが関わっていました。手
狭な戸田に加えて宮ヶ瀬湖を首都
圏の新たなボートの拠点にしよ
う、と宇塚さんは小生が理事を務
めていた東京都ボート協会に計画
を持ちかけてくれたのです。残念
ながら所在が神奈川県であり東京
都ボート協会としては積極的な関
与は出来ず傍観者的な立場でした
が、個人的には宇塚さんが熱心に
語る施設計画について意見交換を
させていただいたことがありまし
た。彼なくしては今日の宮ヶ瀬湖
のボート施設は在り得ず、従って
そ の 楽 し い ボ ー ト・ソ サ イ エ
ティーも存在し得なかったので
す。真に残念なことに病で数年前
に他界されましたが、今日の宮ヶ
瀬湖の盛況を誰よりも喜んでいる
のは宇塚さんでしょう。蛇足なが
ら鶴見川漕艇場も彼の置き土産で
す。
次の宮ヶ瀬湖とのご縁は10年程
前になります。日ボの施設委員長
を務めていた小生に鶴野先生から
(前ページ からの続き)
折り返し後はレートを2枚上げて27
に。内心「ソリャー無理や」と思いなが
らも必死で皆さん漕いでいるので
小生もアキレス腱痛だったが逆に
「気合い、集中だ」の怒鳴り声で自分
自身に叱咤激励。残り600メートルの
新鶴見橋付近では名古屋ローイング
の声も聞こえ始まり射程距離に入りい
よいよ佳境に。この頃からバウの谷
藤、2番の藤田さんから「足だ、足で
漕げ・・・」の声が頻繁に入る。
森永橋手前から猛然とスパート。
児玉コックスの「足蹴り、足蹴り、抜け
るぞ、抜けるぞ」の大号令。結果は半
艇身近くまで迫ったが抜くことは出来
お声が掛かり、宮ヶ瀬湖で初めて
となる航行標識ブイを敷設する作
業をお手伝いしました。“イタリ
ア半島”と言うその時初めて名前
を聞いた出っ張りがブイラインに
ぎりぎりであったのと、山びこ大
橋下の水が深くてアンカーがなか
なか止まらなかったのを覚えてい
ます。
宮ヶ瀬湖とのご縁を更に深めた極
めつけは、地元清川村住民である
某先輩の存在でした。同じ大学
ボート部の2年上で某製鉄会社の
ニューヨーク駐在員として国際的
な資金調達に活躍していたエリー
トサラリーマンだった先輩が、早
くして退職し皆を驚かせ高校教師
になって根を下したのが清川村で
した。ボートとは縁遠い日常で
あったはずのところにダムがで
き、そこにボートが浮かんだのを
機にボートに復帰し、そして今や
ボート三昧・・・、とここまで書
けば誰だかお解かりになるでしょ
うがお名前は明かせません。この
原稿の依頼を受けた際、某事務局
長からは某先輩に関わる話は抜き
にして会員になったいきさつなど
を書いて欲しい、ということでし
たので。しかしながら、この某先
輩に絡まる奇縁なくして小生の
宮ヶ瀬湖とのご縁を語り終わるこ
とはできませんので敢えて書きま
した。
東京外語大艇友会
舘 次郎
ず、土手から見ていた人からは拍手
喝采。
11クルー中5番目で満足のいく成
績でありました。即席クルーでは上々
かと。・・・・レース中にすれ違った混
成クオド「一葦会」からは熱い声援を
いただき有難うございました。
レースのあとは鶴見駅東口の
「蓬莱春飯店」にて懇親をはかっ
た。 来年もレースを楽しみましょ
う。
(弓場常正)
宮ヶ瀬湖から
Page 5
風のたより
特別寄稿 2012年世界マスターズレガッタ参戦記
池田照樹
(P.1 からの続き)
60歳を超えたというのに、緊張感
とわくわく感が入り交じったハイの状
態で成田空港に着いた。すでに多く
の仲間達が(ライバルの三菱の人た
ちも)到着していた。いつもの通り郵
船トラベルのブースに並び、説明を
聞く。ルフトハンザ航空がドイツでスト
ライキだとか、国際線は影響ないだ
ろ う と の こ と。ひ と 安 心。と こ ろ が チ
ケットを受け取り、並んでいざチェック
インと言うときになって様子がおかし
くなった。「コンピューターがうまく作
動しない。システムエラーとなってし
まう。」とのこと。ルフトハンザ航空の
すべての乗客がチェックインできなく
なった。このときすでにカウンターで
はストライキのことがわかっており、混
乱を避けるためチェックインを「一時
停止」にしたと思われる。しばらく待た
され、30分後に再度集合とのこと。
荷物を郵船トラベルに預け、コー
ヒーでも飲もうと喫茶店へ。どうせ飛
行機に乗るだけだからとビールにし
た。機内で食べることにしていたおつ
まみをそれぞれ出して時間を待つ。
日本のつまみ持参は僕だけかと思っ
ていたら、半分以上の人が持ってい
た。まるで遠足である。
情報収集に行ったが、あと30分
待ってくれとのこと。結局2時間くらい
待たされて、ルフトハンザはキャンセ
ル、エアフランス航空でパリに向かう
ことになった。長 い長い旅 の始 まり
だった。パリで荷物を受け取り、飛行
機を乗り換えた。パリからフランクフル
トに戻る形になった。同行した他のク
ルーと貸し切りバスでデュイスブルグ
へ。高速道路で3時間、ホテルに着
いたのは夜中の1時を過ぎていた。
へとへとだったが先遣隊の説明を聞
き、自分の部屋に入ったのは2時。部
屋では持参したリギングツールの組
立。翌日早朝からの練習前に使うの
で是非とも組み立てておかなければ
いけない。ベッドに入ったのは3時だ
がほとんど眠れないまま朝を迎えた。
II. 大会コース
Sports Park Duisburg with Regatta
Course
コース配置などは言葉の説明より
も上の写真、右上図を見れば一目瞭
然だろう。
III.大会コースを使った練習の様子
第1日(9月5日(水))
こ の 日 の僕 の 練 習 距 離 は エ イ ト
G、エイトF、フォアFの合計20kmに
のぼった。
朝食はドイツらしく、いろんな種類
のソーセージやハムがいっぱい。数
回はおいしかったが、毎日食べてい
るとみそ汁が恋しくなる。第1陣がホ
テルロビーに集合しタクシーで会場
へ。運転手はあまり英語が理解出来
ず、ドイツ語を話せる伊藤さんがたよ
りだった。運転手はトルコ人が多いと
のこと。会場付近はボートだけでなく
いろんなスポーツのための運動場も
整備されているところで、コースはレ
ガッタバーンと呼ばれ、8レーンある
2,000mコースはブイが整然と並び、
斜めから見てもこのブイが直線に見
える。4つのブイが作る形は正確に正
方形である。コースを目の前にすると
疲れも吹っ飛び、心臓が高鳴るのを
覚えた。
エイトクルーの練習
借艇は少し早すぎたのか準備が
できていなかったが、イタリア人のき
れいなお姉ちゃんとナイスガイ達が
応対してくれた。借艇はなぜか日本
人が圧倒的に多い。三菱、淡青会、
WKクルーの面々。艇はぴかぴかの
新艇。ロンドンオリンピックで使ったと
か。団塊号は平均体重75kgの軽い
艇を申し込んだ。ピンツーヒール(スト
レッチャー位置)を調整するギザギザ
はワンタッチロック式であった。ワーク
ハイト、ローロック角度などのリギング
調整後早速練習。エイトはGカテゴ
リー(65~69歳)とFカテゴリー(60~
64 歳)に エ ン ト リ ー し て い る。回 漕
レーンに漕ぎ出した。アヒルやカモが
泳いでいるのどかな雰囲気の川だが
こちらは、「大男の毛唐達といざ戦わ
ん!!」と武者震いしながら一本一本を
味わいながら漕いでいる。こちらはラ
イトバドルで漕いでいても、(若く見え
る)女子エイトクルーのノーワークの
方 が 早 い。そ う こ う し て い る う ち に
1800mの回漕レーンから本コースへ
さしかかった。結構混んでいた。他の
クルーも皆さん紳士的で、決してどけ
どけと言った感じはしない。本コース
で1時間くらいの練習を行った後、G
クルーからFクルーへ交替し、ほぼ同
じくらいの練習を行った。
フォアの練習
問題は舵付きフォア(4+)である。
日本にいるときからバランスが取れず
苦労した。エイトのストロークフォアで
クルーを組んでいるし、玄武で4年ほ
ど一緒に漕いでいるが、バタンバタン
とどちらかに傾いてしまう。それでも
なんとか練習をこなした。
シングルスカルの練習
練習は翌日に回してもらった。睡
眠時間も数時間で、昼もろくなものは
食っていない。エイトとフォアの練習
で20kmも漕ぎ、エネルギーは使い
果たした。
海外遠征でもっとも楽しみにして
いるのは現地の食事である。と言っ
てもドイツ料理はあまり期待出来ない
ので1日目は結局イタリア料理店と
なった。それでもワインやビールはお
いしいし、パスタやピザも日本よりお
いしい。日本にもおいしいところがあ
るのだろうけど、炭水化物とタンパク
質、野菜をバランス良く摂ることのみ
を考えているからおいしさは二の次
になってしまう。とにかく1日目の練習
は寝不足であったがなん とか消化
し、おいしいビールと食事で元気を
取り戻した。
第2日(9月6日(木))
午後からレースが始まるので練習
宮ヶ瀬湖から
Page 6
風のたより
は午前中のみ。G,Fエイトの練習と
シングルスカル。エイトとフォアはコッ
クスの言うとおりに漕いでおれば良
かったが、シングルスカルは自分で
すべてのことを判断し、行動しなけれ
ばいけない。僕はこの歳になっても
小心者で信念や確信を持って行動
するということが苦手。かといって他
人の言う通りにするかというとそうでも
ない天の邪鬼。頼れるのは世の中の
ルールくらいか。漕艇でも似たような
ルールがあるから便利。回漕レーン
はレースが近づいてくるとどんどん混
んできた。エイトの練習のときはそれ
ほど気にならなかったが、回漕レー
ンは意外と狭く、小艇がつながって
いるので止まることもできない。やっと
本コースに出て練習。そこでも止まっ
ているとどこかの艇がぶつかりそうに
なる。なんだか年寄りが多い気がし
た。少なくとも僕よりはよぼよぼしてい
る。この爺さんには勝てそうかなと思
い つ つ、ど ん ど ん 譲 っ た。向 こ う も
きっとこの白髪じじいには負けないだ
ろうと思っていたのでは。僕はとにか
くスタートで失敗しないように、集中
的にスタート練習。なんとなく軽く感
じ、調子がよさそう。10本での加速力
もよし(GPSで16km/時:500m換
算 1 分 5 2 秒)、艇 速 も 出 る(落 ち な
い)。おそらく艇が軽いのだろう。相
模湖のボロ練習艇(相模湖の方、ご
めんなさい)は重く、いつもバーベル
をつんでいる感じがする。
コース設備 「シュースタートシステ
ム」について:
午後からレースが始まったので
(FISAホームページの説明ビデオから)
シュースタートシステムを見学した。
北京オリンピックのDVDで見ていた
が、ビデオではよく見えなかった。実
際は25㎝大のコの字型の透明なアク
リル板みたいなものがスタート10秒く
らい前に水中からドーっと出てくる。
「シ ュ ー シ ス テ ム !!」と ア ナ ウ ン ス が
あって、ピストルがなるような大きな音
と共に浮き上がってくる。クルーはそ
のコの字にトップボールを入れて方
向をただすのだが、システムに不慣
れで手こずるクルーが多い。入れば
自動的に方向が決まる。ウォーター
マンの子供達がスターンを持ってい
るので艇を前後して調整してくれる。
その後各クルー名が呼ばれて、アテ
ンション、ゴー。風があるときなどは便
利。コの字の箱にいったん入るとまず
外れない。エイトとシングルスカルは
長さが異なるので、ウオーターマンが
乗っているポンツーンが前後に動く
システムになっている。スタートは緑
ランプとホーン。同時に箱が瞬時水
没しスタート。日本にもこんなシステ
ムがあればいいのにと思う。
この日の午後、瀬田ローイングクラ
ブの安達さん、古川さんのペアが出
場した。三菱の大井さん(僕と同年齢
でシングルスカルのライバル)が本来
はカテゴリーFだが、ひとつ下げてシ
ングルEで参戦、3位だった。全日本
マスターズではできないが、世界マス
ターズでは若いカテゴリーでのエント
リ ー は 可 能 だ。ム ム ー、や る な と 感
激。彼がやるならと闘志がわいてき
た。
IV. レース
9月7日(金)、エイト(Gカテゴリー)
日本より気温が低く、さわやかな朝
であった。ソーセージたっぷりの朝食
を取るとトルコ人運転手のタクシーで
レース場へ。
レーススタートは9:36。約1時間前
に乗艇。やや順か無風、静水の絶好
のコンディション。
クルーは、C川崎 S須田 7池田 6
伊藤 5折井 4柳 3塩見 2佐野 B堀内
の 団 塊 号 と 濃 青、淡 青 会 の 混 合 ク
ルー。
艇はFilippi借艇(設計体重76kg)。
練習からレースまですべてこの艇に
乗れた。アップ は 変化漕、加速漕、
短力及びスタート練習を行い、残り時
間をLW中心に調整した。2000mコー
スのうち0-1000mをぐるぐる回るのだ
が、大変な混雑でブレード同士がぶ
つかるのがあちこちで起きている。さ
すが国際大会。回転もままならない
が、大きな危険もなくスタート近くへ
移動。次の組みとその次の組みは呼
ばれてからスタート近くの待機場所
に入った。
レース展開
シュースタートシステムに速やかに
つけられないクルーが多いようで、
レース間隔3分では進行が常に遅れ
気味。我がクルーは2-3回で入った。
世界マスタ ーズレガッタ のスタート
コールは日本より落ち着いた声であ
る。要 す る に 気 合 い が 入 っ て い な
い。気合いを入れるのは漕手であっ
て、審判員ではないから当たり前の
話だが、チョット落ち着きすぎ。「アテ
ンション」後、緑のランプ点灯と同時
にブザー(ホイッスル?)。年は取っ
ているが大男達が猛烈にこぎ出す。
こちらもスタート力漕のレートが40-39
と練習より高く、大きく乱れることもな
くコンスタントへ。35で入ったので予
定通りに2段落としで32.5程度。6、7
番、整調のブレードが各1回潜った
(ごめんなさい、わかっていました。)
がバランスを大きく崩すほどでもな
く、大きなミスなく、言ってみれば予
定通りにスタート。蛇行もなく真っ直
ぐ走った。300m地点で7レーンのドイ
ツ が 逆 カ ン バ ス 程 度、他 は 水 が 開
き、すでに2艇身以上先を行ってい
た。500mでは7レーンとの間も1艇身
半と少し水が開き、その辺りで引き
波、その後600m位では7、8レーン
の引き波もかぶる様になり、艇が不
安定になった。加えてほんの1-2本
宮ヶ瀬湖から
Page 7
風のたより
の間に急激に7レーン側に曲がり、Bサ がらではあるが蛇行を防いで真っ直ぐ
午後、コンディションは相変わらず:
イドがブイを叩く。7、8レーンの引き波 走っていた。ミスオールはないがスト 無風で天気も良かった。これで3日続
に乗ってしまい、少し艇が7レーン側に ローク中に常にBサイドに傾き、Fwdは けてベストコンディション。
向きかけた時にSサイドが揃い、Bサイ
ドが少し乱れたか?、その後に足蹴り2
回目、2枚上げ、前大きく3本などを入
れたが、差はドンドン開きレートも33ま
でしか上がらず、ラスト100へ。既にドイ
ツと2艇身半ほど差がついているのだ
が、迷わずスパート。これでレートを35
に 引 き 上 げ て ト ッ プ と 21 秒、ド イ ツ と
10.9秒差でゴールした。
レース 結果
レーン
クルー
3
デンマーク
4
ドイツ
5
イギリス
タイム
3分25秒
3分24秒
3分25秒
順位
3
1
2
6
濃青団塊号
3分45秒
6
7
ドイツ
3分34秒
5
8
多国籍
3分28秒
4
クルーからは、「やはりレートをもっと
あげないといけなかった」や「レートを
上げても艇速が伸びないのは漕ぎが
揃っていないためで、あげる前にレン
ジや踵や膝角度などの確認コールを
いれて、意識させてから上げないと上
がるものも上がらない」などの意見あっ
た。ただ、練習以上のものは出せない
のがスポーツの宿命。そういう意味で
は力を出せた方かも知れない。目標の
3分30秒を出していたなら、ビリではな
かった。この「ビリにはならない」はエイ
ト種目日本クルーの長年の悲願でもあ
る。
このレースで本日のレースは終了の
バウフォアは、1人1杯の生ビール無
料サービスを満足感をにじませながら
味わっていた。僕らは午後のレース、F
カテゴリー4+があり、ビール券はコッ
クス預かりとなった。
つきフォア(Fカテゴリー)
キャッチ前に傾く癖がこの辺から出始
めた。500mでエストニアに1艇身。そ
の後もジワジワ離されつづけた。レート
は30位に落ちた。2枚上げの指示がで
たが31位までしか上がらない。足蹴り
も3本前に予告しカウントダウンで足蹴
りを入れた。その後にも足蹴りを繰り返
し、2枚上げ、前大きく3本などを入れ
て艇速は持ち直したように思うが、差
はドンドン開きラスト300へ。この時点で
既にエストニアと3艇身以上の差がつ
いていたのだが、コックスは「水は空い
ていない。追いつけるぞ」 とニセコー
ル。横を見れば誰もいないのはわかっ
ているのにと漕ぎ手は冷ややかにその
声を聞きながらも、力を振り絞って2枚
あ げ た が・・・。ラ ス ト 100 m は(明 日 も
レースがあることなどかまわず)迷わず
スパート。これでレートを35に引き上げ
てトップと30秒、エストニアと15秒差で
ゴール。結局、前半はエイトよりも食い
下がり、後半はエイトより離されたこと
になる。あ~あ、とガッカリ。こんなもん
かな。エイトよりまとまっていると思って
いたが、バランスが取れず、漕ぎは不
本意、100%の力を出し切れなかっ
た。
一昨日の練習でのドタバタから、どう
やって立て直すかが未解決のまま、
「大きく漕ごう」 程度の申し合わせしか レース 結果
できずにスタートした。スタートは練習
レーン
クルー
タイム
順位
からBサイドが強くSサイドに曲がってい
2
ドイツ
3分50秒
5
たので、コックスからBサイドに手加減
指示が出されたが、それでも曲がって
3分40秒
2
3
イギリス
しまった。本当に僕(3番)は手加減し
4
多国籍
3分39秒
1
たのに。スタ力は35-33とかなり低いの
5
ドイツ
3分43秒
3
だが、低い分、乱れることもなくコンス
6
エストニア
3分55秒
6
タント32に入った。300mでトップから1
7
ドイツ
3分45秒
4
艇身、ブービーから半艇身差に着けて
いた。コックスから「エイトよりいいぞ」の
濃青団塊号 4分10秒
8
7
声。(ウ ソ つ け !!)と 思 い つ つ、そ う か
も。コックスもラダーをこまめに使いな 9月8日(土)、エイト(Fカテゴリー)
クルーはC川崎 S須田 7池田 6伊藤
5折井 4柴田 3塩見 2斉藤 B小林のメ
ンバー。
艇は三菱、WKとの取り合いになっ
たが、うまい具合にG8+と同じFilippi
借艇となりラッキーであった。
● とにかくリズム優先
● リズムを作ればレートを上げるも下
げるも自由自在だから、レートはそ
の時の状況でコックスが決める。
● イベントは早め早めに入れる。
● もしレートが練習よりも高い時は、ク
ルーは途中で潰れてもいい という
覚悟で望んで欲しい、
等を申し合わせて蹴り出した。
レース展開
14時半頃スタート、スタ力ともにうま
く入り、コンスタント34-35、予定通り、2
段落としのコンスタントへ、といっても1
枚だけ。高めだが、ほぼノーミスでリズ
ム良好。この時点でトップの2クルーは
既に先行したようだが、残りのクルーは
キャンバス差内のダンゴ状態。200mで
は隣の4レーンが最後だが、少し出始
めたので早速足蹴りを入れた。それで
もジワジワ離され、気がつくとその向こ
うの3レーンが転落してきたので、ター
ゲット変更。一方こちらは350mを過ぎ
てもミスなく漕いでいるのだが、やはり3
レーンにもジワジワやられている。コッ
クスが「前大きく3本」や「足蹴り」を連発
し食い下がる。特に足蹴りは1-2本前
に予告し、一本目を狙いすませてさあ
行こうをコール。500m地点、差は1艇
身少しか?艇も全く蛇行せず、真っ直
ぐに進んで食らいついていた。R32.5
に落ちかけたので蹴り上げ、足蹴り、レ
ンジ大きく3本を立て続けに繰り出す。
ラスト300m、2枚上げて追撃したが、相
宮ヶ瀬湖から
風のたより
手の方が更に速いので差はぐんぐん
大きくなる。ラスト100mでスパート。コッ
クスがレートを34、4.5、5.0、6.0・・・・と
読み上げてちょうど騎手が馬にムチを
入れるようにカウントアップしたことも
あってかグングン上がり37-38まで上
がった。全員がフィニッシュで元気に
声を出し、リズムは全く崩れなかった
が、最下位3艇身半差でゴールした。
レース 結果
レーン
クルー
タイム
順位
3
ウクライナ
3分28秒
5
Page 8
● 足に来ているという意味で出し切 もがき苦しみ、漕姿が乱れてしまった
れたと思う
などの声が上がったが、
ミーティングのさなかに誰かがビー
ルビールと叫んだためビール配給場
にみんななだれ込み、ミーティング崩
壊。
結局は日本のマスターズレガッタの
域を出ていない。クルー全体でも個人
的にもきびしく総括し、反省すべきとこ
ろはいっぱいあるだろう、と不満に思
いながら僕もビールに走っていた。
のはそれだけ力を使い果たしてローア
ウト寸前だったからではないだろうか。
この三菱クルー(我々より9秒速い)で
もビリだった。
海外クルーと戦うには「スタ力のス
ピードで突っ走る必要がある」とまでは
言わないが、綺麗に漕ぐ、リズムよく漕
ぐ、気持ちよく漕ぐ、と言うことが強調さ
れ過ぎている気がする。あくまでも基
本になっているのは体力である。それ
も強い筋力を長時間使う「有酸素運動
能力」だ。体力があれば余裕を持って
漕げるし、全体のユニフォミティはどん
どん良くなる。体力の限界で漕いでい
たらどこかで歪みが生じ、120本を同
じ動作、同じリズムで漕ぎ通せない。し
かしながら、マスターズエイトでこんな
ことを強く主張すると嫌われる。そんな
こともあり、一人で思い切り漕いでみた
くてシングルスカルを始め、それなりの
レベルに来た。それでもエイトの面白さ
はシングルスカルにはなかった。嫌わ
れ続けてもエイトを漕ぎつづける。
ところでタイムでは我々よりも速かっ
た三菱はR36(3分34秒)で漕いでいた
濃青団塊号
5
3分43秒
6
のだが、ゴール前は漕ぎが乱れていた
6
ドイツ
3分13秒
2
ようで、観覧席で見ていた日本人から
7
アメリカ
3分12秒
1
は、「濃青団塊号の方が綺麗にしっか
8
ドイツ
3分26秒
4
りと漕いでいた」と言われる漕ぎだった
ようだ。ご婦人方も応援している中、得
クルーからは
意顔になっていた人もいたが、僕は割
● 2回落としせずに突っ走った方が
り 切 れ な い 気 持 ち だ っ た。ス キ ー の
良かった。 の意見もあったが、
ジャンプみたいに漕ぎの綺麗さで得点
● いや、落としたから最後まで持った
をくれるのだったら良いかも知れない
のだ。
が、ローイングでの「きれい」は何の意
***
● 足にかなり来ていて久々に船台で
味もない。僕はあまり嬉しくなかった。
(シングルスカルのレース、および大
ガクガクになった。
三菱クルーが観覧席前(約750m)で 会余談は次号に連載します。)
4
多国籍
3分24秒
3
心に残る映画「栄光と狂気」
心に残る映画の一つ
に1996年に制作され
た「栄光と狂気」があ
る。監督・原田眞人。
米、日 本、カ ナ ダ 合 作 映 画。
原作ハルバースタム著のノンフィク
ション、“THE AMATEURS”。
新聞の片隅に書かれた評論を
見て、ボートの映画と知り、封切に
なると直ぐに、新宿ピカデリーに観
に行った。一回目の上映時間の為
か、広い映画館の席に座っていた
のは4~5人、ボートの試合の観覧
席と同じだった。映画を見るとこの
時代は木艇、木のオール、コックス
のメガホンが出てくる懐かしい光景
だ。飾りのないボート競技を淡々
描いている。
チームボートとシングルスカルと
の違いが面白い。
コーチのハリ―パーカーは師弟
のティフ・ウッドを心では応援して
いるのだが、私心を抑え、迷いな
がらも厳格に強い者だけを選んで
行く姿はシングルスカルと相通じ
る、孤独さがある。
内容は、学生時代の1975年か
ら1984年のロサンゼルス、オリン
ピックまでのティフ・ウッドのボート
を通じての人間模様である。1980
年のモスクワ、オリンピックを目指
し、黙 々 と 練 習 を 続 け る が、カ ー
ター大統領は、ソビエトがアフガニ
スタンに侵攻するとモスクワ・オリン
ピックをボイッコトした。
次のロサンゼルス・オリンピックま
で4年ある。ティフはシングルスカ
ルでオリンピックを目指し、ボート
競技を続けるが、ニューイングラン
ド大会で、成長著しいジヨン・ビグ
ロウに負ける。1983年西ドイツで
行われた世界選手権大会ではティ
フはモスクワ・オリンピック銀メダリス
ト、ヤクーシヤに勝って優勝。ジヨ
ン・ビグロウは4位。この時期がティ
フの最盛期だった。
1984年シングルスカルの選抜
大会ではジョン・ビグロウに負ける。
ティ フは ダブル スカル でもオリ ン
ピック出場を目指すがシングルス
カルを漕いできた者が急にチーム
ボートに乗っても上手くいかない。
熾烈なシート争い、仲間割れを
繰り広げるがティフは、ダブルスカ
ルでも選ばれず合宿を出る。残さ
れた最後のチャレンジ、ダブルスカ
ルで急遽ポーラー・ベアと組んで
出場するが、オリンピック出場を逃
す。ティフは燃え尽きた。
映画の始めの方でパブの未亡
人スリムがティフに死んだ亭主が
言っていた話をする。「ダブルは最
高だ、シングルは怖い、自分は孤
独に耐えられない。ダブルスカル
からシングルに行くのは良い。しか
しシングルからダブルに行くのは
難しい」
ティフが疲れた体に鞭打って、
朝早く練習に行く為に、自分に呟
く言葉が良い。「ベッドから出れば
歯ブラシまで行ける。歯ブラシまで
来たら、次はキッチン。玄関まで来
たら、車まで行ける」
(河口道晴)
宮ヶ瀬湖から
Page 9
風のたより
2012年紅葉レガッタ
2012年の紅葉レガッタは第10回
の節目の大会だった。常連のクルー、
初めてのクルー、それぞれ適度にま
じって、天気に恵まれたこともあってよ
い大会になった。
特筆に値するのはダブルスカルの
中学生コンビ。タイムも日頃しっかりト
レーニングに励んでいるシニアクルー
よりも速かった。(紅葉レガッタ特有の
年齢ハンディキャップシステムのため
に決勝進出はできなかった。)土屋君
と藤井君のコンビは河口湖がホームグ
ラウンドだ。昨年5月に土屋お父さん
に連れられて宮ヶ瀬湖で練習したこと
がある。この大会に向けて、同じく大
会 に 出 場 し た Shirakabe Rowing
Serviceの在原氏に指導してもらったそ
うだ。今頃は進学先も決まっていること
だろう。彼らの今後のローイングでの
活躍を期待したい。
Shirakabe Rowing Serviceの在原・
中村組のダブルスカルは、予選結果
ながら実タイム1分40秒87で、エイト、
クオドなどを押さえて、全種目を通して
最速のタイムを叩きだした。素晴らし
い!
男子KFでは、東海大学海洋学部
が予選4位のタイムだったのに、決勝
では圧勝。予選では猫をかぶってい
た?
エイトでは平均24才と若い
TKU&SRS連合が予選、決勝とも他を
まったく寄せつけず優勝。宮ヶ瀬湖の
年齢ハンデは年寄り有利の噂がある
が、そんなことはないという反証になり
そうだ。
年齢ハンデ制とか、予選・決勝方式
とか、いろいろ議論のある大会運営で
あるが、まあいいんじゃないの・・という
のが主催者としての気持ちだ。
大会進行につれて予選結果が逐次
入って来るが、予選はタイムレースだ
から、レースを済ませたクルーにとって
は決勝に進出できるか気がかりなこと
だろう。アルペンスキー大会でも良い
タイムを出した選手は後続の選手が
自分の記録を上回るか、じっと見守っ
ている。各クルーも同じ気持ちだろう。
待ち時間、そしてそんな気分を少しで
も紛らわせて上げようと、今回は本大
会の2か月前のロンドンオリンピックの
決勝の模様をDVDにして艇庫内で上
映した。音声(英語)入りで大 画面に
映し出される世界トップ級の素晴らし
いレースぶりには感嘆した人が多かっ
たようだ。市民大会であるから、今後も
こんな気遣いで参加者に喜んで頂け
る工夫をして行きたい。
(三原邦夫)
第1 0 回 宮ケ瀬湖紅葉レガッ タ 決勝結果ま とめ
計測タイム
種 目
ク ル ー 名
平均
年齢
タイム
(ss. 0 0 )
男子
8+
エルゴ1台を購入、艇庫に設置
男子
今年度予算計画に、エルゴマシン
を1台設置する措置が盛りこまれて
いた。総会において議案が承認され
たことを受けて、新古品(大会に一
度だけ使用されたもの)を有利な価
格で購入できた。
現在、艇庫にあるものはいずれも
旧型の払い下げ品でモニターが作動
しない など 品 質的に 不十 分 なもの
だった。新規購入品をトレーニング
に活用してもらいたい。(事務局)
4X+
混成
男子
2X
混成
男子
KF
タイム
順位
(m : ss. 0 0 )
24
0.00
1:37.27
1
1:37.27
ボート団塊号
65
14.45
1:53.59
3
1:39.14
2
矢切ローイングクラブ 白鬚会
53
6.75
1:47.56
2
1:40.81
3
日本ボートマンクラブ
70
18.50
2:02.67
5
1:44.17
4
多摩川シニアタマちゃんズ
63
12.95
2:01.85
4
1:48.90
5
WKマスターズ
74
22.10
2:11.80
6
1:49.70
6
66
15.20
2:24.97
1
2:09.77
1
お風呂入らない人達
22
0.00
1:52.25
1
1:52.25
1
覚王山高願寺の秘蔵っ子
21
0.00
1:57.27
2
1:57.27
2
メラ
22
0.00
1:57.80
3
1:57.80
3
メガネにワイパー
21
0.00
2:08.98
4
2:08.98
4
濃青会 ホッシイ
68
18.15
2:06.99
3
1:48.84
1
ABC(Ajinomoto Boat Club)-1
27
0.00
1:53.29
1
1:53.29
2
矢切ローイングクラブ 白鬚会
47
4.30
2:05.34
2
2:01.04
3
日立インスパイアA
48
5.50
2:21.36
4
2:15.86
4
team seri the one
23
0.00
2:04.47
1
2:04.47
1
MRCいきまっしょい+3M
40
2.10
2:31.70
2
2:29.60
2
SHIRAKABE Rowing Service (A)
24
0.00
1:49.37
1
1:49.37
1
ボート団塊号
63
16.20
2:08.12
4
1:51.92
2
ABC(Ajinomoto Boat Club)-2
29
0.05
1:53.96
2
1:53.91
3
team seri the one
22
0.00
1:57.95
3
1:57.95
4
27.5センチ☆
29
0.05
2:06.90
1
2:06.85
1
アメンボウ☆キュリオシティ
39
1.80
2:17.22
2
2:15.42
2
東海大学海洋学部
19
0.00
1:57.72
1
1:57.72
1
ときおまりーん 1号
24
0.00
2:03.82
2
2:03.82
2
ショートレンジ2号
55
9.80
2:19.99
4
2:10.19
3
HARAKIRI SAMURAI BLUE
26
0.00
2:12.87
3
2:12.87
4
26
0.00
3:10.33
1
3:10.33
1
多摩川ミックスタマちゃンズ
30
0.10
2:17.62
1
2:17.52
1
ときおまりーん 3号
26
0.00
2:22.32
2
2:22.32
2
パワーズ・ミックス
46
4.50
2:40.43
3
2:35.93
3
日立インスパイアB
37
1.25
2:49.79
4
2:48.54
4
女子 ときおまりーん 2号
混成
順位
(m : ss. 0 0 )
TKU&SRS連合
女子 スリーダイヤモンド・レディース
混成
修正タイム
ハンディ
1
宮ヶ瀬湖から
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風のたより
宮ヶ瀬湖で漕ぐ贅沢なひと時
NPO宮ヶ瀬湖一葦会に所属してい
るメンバーが、毎週土曜になると足繁
く通ってくる。会のメンバーの平均年
齢 は、約 60 歳 を 中 心 に 分 布 し て い
る。最高年齢は77歳の老人とは言え
ない人もいる。精神的にサポートして
いただいているボート部OBの方々、
会長のNさん、事務局長兼人事担当
部長のTさん、渉外担当部長のYさ
ん、参謀本部長のMさん、ボートの保
守点検担当のIKEさん、総務部長兼
広報担当部長女性のNさん等のメイ
ンスタッフを中心に個性豊かな面々
が勢ぞろいしている。新年会に始ま
り、毎週土曜の漕ぐ会の昼食時の雑
談は、ノンセクションいかなるテーマ
にも飛び火し、それなりの講釈が飛
び交う。誠に楽しいひと時である。会
員の多くは学生時代からずっと続け
ている人が多いけれど、やり始めて3
年前後の新入りのオアズマンもいる。
そういう私もその内の一人だ。
武蔵野にある井の頭公園のすぐ
そばで22才頃まで育った私は、暇な
ときに、よく公園の池でボートを漕い
でいた。その後、静岡県沼津市と座
間市との二重生活で、沼津では延15
年ほど過ごした。仕事の傍ら、休日は
大型ヨットで西伊豆を中心に富士山
を見ながらクルージング、30数年間
過ごした。その後、座間市に舞い戻
り、清川村と座間市の生活し、ボート
に乗る機会は、宮ヶ瀬湖に来るまで
は全くなかった。
漕艇という単純に見えるスポーツ
も、やってみるとなかなか奥が深く、
未だ試行錯誤している。
近年 東日本大震災が起きて 原
子力発電事故を誘発し多くの人命、
財産、土地が失われ、さらに世界的
な不況が追い討ちをかけ、世の中は
行き場のない迷路をさまよっている感
がある。このような虚無感漂う世相か
ら脱出して自然の中に身をおいて、リ
フレッシュしたくなる。
湖岸の緑を溶かした湖面に葦船の
ように長い艇を浮かべて、ゆっくりと
艇を漕ぎ出す。日常の生活から脱出
して、水上にボートを浮かべ身を任
せる開放感が何とも言えない。艇は
静かに湖面を切り裂きながら静かに
進む。空高くトンビが、大きく円を描き
ながら、旋回している。風がない凪の
湖面は、静まり返っている。このよう場
面に出会うとき、宮ヶ瀬湖に憩う贅沢
を感じる。お金では買うことのできな
い心の自由を得る贅沢さを肌で感じ
る。艇 を 漕 ぐ ロ マ ン こ れ を 櫓 マ ン
派???の人々といえるのではない
か と。メ ン バ ー は、過 去 の 職 歴 も
様々、メンバーの性格も様々、話題も
様々、されど湖に出ると、ボートは呼
吸を一つにして力強く進む。ボートと
人が一体になるとき、艇は命を与えら
れた生き物ようだ。
早春は、萌黄色の木々の芽吹きか
ら始まり、新緑の湖畔を見ながら本格
的な春を迎える。
一年で一番幻想的な季節は梅雨
時で、霧雨の中湖の奥深く、漕ぎ進
むと、小高い山の中腹あたりに雲が
た な び き、山 の 輪 郭 が 見 え 隠 れ す
る。湖畔の裾がしっとりとした筆で描
かれたように淡い緑の濃淡で彩られ
ている。静かにボートを進めると、水
面にV字型の波紋を広げ、霧の陰影
を映し出す。
焼き付くような太陽に照らされる真
夏 は、水 を 頭 に か け な が ら 漕 ぎ 進
む。
秋の紅葉に人生の黄昏を感じつ
つ、冬は寒さに一層身を引き締めな
がらこれからも四季を堪能し続けてい
きます。
(川上 利男 )
思い出に残る宮ヶ瀬湖
ボート競技から離れて略30年を経過
して人生の転機を迎えようとしていた
時期に艇友から「そろそろボートを再
開しないか」との誘いを受けました。
2004年6月、他の趣味にも目移りし始
めた時期でもあり逡巡する気持ちを払
拭して鶴見川に出掛けて恐る恐る2X
を橋本さんと漕ぎました。
その年の9月宮ヶ瀬湖を初めて訪
れました。 神奈川県のボートコースと
言えば相模湖しか知らなかった小生
にとり自然の豊かさが湖面の碧さとと
もに強く心を惹きつけました。聴けば
11月21日に第二回紅葉レガッタが開
催されるとのこと、鶴野さん、橋本さん
の誘いに二つ返事で助力を約しまし
た。
これを契機として思わぬ経験をした
のです。宮ヶ瀬湖紅葉レガッタはシニ
アスペシャリスト集団による手造りの
レースでした。年季の入った艇を補修
しレースに備える才人、測量とコース
作りの才人、モーターボートを運転す
る才人、レース運営に年齢ハンディ
キャップを導入した才人等々。
時代は変わりボート界は大きく様変わ
りしていました(単なる小生の不勉強
に起因する事柄でしたが)。デルタ造
船所で造られた名人芸のシェル艇が
工業生産艇に転換されていたこと。
ローロックもプラスチック化していて往
時の様にグリースで着衣が汚れる心
配はなくなったこと。 オールもマコン
からチョッパーに、更には数値化され
管理が容易になったこと。正に今浦島
の感が無きにしも非ずでした。(先達
はあらまほしきものなり)
その中でのコース作りは前日、冷
気漂う中で進められましたが、湖岸で
従事した経験は忘れ難いものでした。
即ちセメント袋(20KG)を担ぎモー
ターに乗り対岸に渡り所定の位置に
杭を立てセメントを流し込み固める作
業でした。スコップで固い土を掘り、現
場に持ち込んだセメントを砂利と混ぜ
る作業をマスクも着けず進めたもので
した(氷見さん監督)。しかもこの杭は
レース終了後、引き抜かれる運命に
あったのです。
明けて21日のレースは大成功裏に終
わり、多数の参加者の方々に喜んで
頂けました。
レース終了後の撤収作業がまた大
変でした。釣瓶落としの日没と競争す
るように、閉会式を尻目にロープの回
収 作 業 に 入 り、薄 明 か り の 中 を 皆
黙々と懸命に撤収作業に専心しまし
た。漆黒の闇が迫る頃、湖面を振興
事業団事務所が照らすライトを頼りに
帰途につきました。
十年一昔と良く言われてはいます
が、シニア世代を含めたボート人口の
増加に伴い各地でボート大会が数多
く開催されるようなったことは喜ばしい
限りです。
その中で横浜から50km範囲で自然の
残る風光明媚な宮ヶ瀬は以前の感慨
とともに今後も折に触れて訪れたい
ボートコースです。
(鈴木信太郎)
宮ヶ瀬湖から
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風のたより
ボートだけでない宮ヶ瀬ボートクラブ「ハイキング」
私が初めてオールを握ったのはも
う10年近く前だったと思います。 高
校時代の友人に誘われて宮ヶ瀬湖
でナックルを漕いだのが最初でした。
あまり興味が持てないまま3年ほどは
年に数回程度漕いでいましたが、そ
の後徐々に回数が増えてきて、昨年
は何と50回も宮ヶ瀬湖に通い、すっ
かりボートに嵌まってしまっておりま
す。
何が私を宮ヶ瀬湖に通わせるの
か・・、思うにそれはそこに行くと私を
穏やかにしてくれる何かがあるから
で、その何かとは宮ヶ瀬湖の清流も
然ることながら、そこに集まってくる皆
ですが、嬉しいことに宮ヶ瀬湖には当
該法人活動以外に“一葦会”という愛
好会のようなものもあり、そこには登
山部(ハイキング部といった方が適切
の よ う で す が)や ラ ン ニ ン グ 部 等 が
ひと
あって、人間 の交流を更に盛んにさ
せてくれる環境があるのです。
個人的にハイキングが好きな私は
進んで登山部長の座に着き、毎年2
~3回の登山計画を立てては一葦会
ひと
さんが醸し出す豊かな人間の気の流
れではないでしょうか。
漕艇では漫漕を通して身体を動か
す喜びと同乗者との一体感を覚え、
漕艇後においても艇庫の前でテーブ
ルを囲んだ昼餉の団欒は笑いと元気
をいただき、心身共に何とも心地よ
く、穏やかな気持ちで宮ヶ瀬湖を後
にするのは私だけではないと思いま
すがいかがでしょう?
多くの方はご存知かと思います
が、当NPO法人の目的は「・・・ボート
を通じ広く生涯スポーツ(*)の普及・
定着と振興を図り、・・」とあり、その目
的達成の一環として上記のような素
敵な環境を与えてくれていると思うの
の皆さんに声をかけて近辺の山や丘
を歩いております。
最初に企画したのが2007年3月の
“鎌倉アルプスツアー”で、参加した7
名は道の辺に咲く山野草を愛でなが
らゆっくり歩き、和やかに会話をしな
がら最後には鎌倉駅の近くの居酒屋
で乾杯したことを覚えています。
その次が同年12月の伊豆の達磨
山1泊の旅。 快晴に恵まれ、そこか
ら眺めた見事な富士山に参加者9名
は感嘆の声をあげ、中腹でN里さん
の吹くハーモニカに合わせて歌った
「宮ヶ瀬湖漫漕歌」は忘れられませ
ん。
その後も城ケ島・岩殿山・弘法山・
江の島・湯河原城山等々、年に2~3
回くらいの頻度で皆さんとのんびり山
を歩いております。
この“歩き”の間のお喋りがまた何
とも心地よいのです。
ゆっくり流れる時間の中で、誰にも
急かされることなく、感じたことをのん
びり話せば良いのですから高齢者と
なってしまった私には随分都合の良
い環境となっています。
とはいうものの実は私が企画する
ツアーにはいつも“慰労会”が設定さ
れており、白状しますと“歩き”はこの
ための“出汁”となっているようなとこ
ろがあります。
もちろん、コンブでとられた“出汁”
のない“うどん”は食えたものではな
く、皆さんその重要性を良くご存知だ
と思っており、今後も、この“出汁”付
のハイキングを企画し、皆さんに声を
かけていくつもりでおりますので、どう
ぞ多くの方にお付き合いいただき、
定年後カミさんの尻に敷かれて(内
緒ですぞ)萎縮している私の心を癒
やしていただけることを期待しており
ます。
ハ レ ル ヤ 宮 ヶ 瀬 湖! ハ レ ル ヤ
ボート仲間よ!
(村上寛治)
靴修繕奮闘記
宮ヶ瀬ボートグラ
ブ使用艇のほとん
どのシューズは、
新規購 入時 装 着
されていたものが
古くなって交換さ
れたスニーカーで
す。
穴が開いたり、靴紐が切れたりして
緊急に取り替えないといけないものか
ら、古くなっているがかろうじてボートを
漕げるという状態の靴を取り替えてい
ます。
一昨年からシューズの交換を始め
本年中には交換を完了する計画で
す。
裕福なローインググラブではありま
せんので交換のシューズは1万円もす
るローイングシューズではなく、安価で
すが足回りがしっかりしたスニーカーを
通販で購入しています。
シューズの選定基準は足の甲の部
分が固めに支えられ、紐締めでなくマ
ジックテープ止めタイプで底が極力薄
いものです。紐締めのシューズは艇が
沈した際、簡単に足が抜けない懸念
がありますので選択はしていません。
通販でまとめ買いするようにしてい
ますが、より条件に合った靴が発売さ
れる事が考えられますので、一回の購
入は8足程度に留め情勢の入手を続
けながらその時点でベターなシューズ
を選択し纏めて購入するようにしてい
ます。
候補のシューズ情報はほぼ毎日曜
日に別に所属しているローインググラ
ブの乗艇のため通っている横浜市鶴
見川漕艇場の岡井さんからの情報や
高校ボート部の情報を参考にしていま
す。
シューズの交換は、新しいシューズ
を取り付けた際の上下左右の位置、両
足先の開きに注意して、ストレッチャー
への取り付け穴を靴底に2個開けま
す。また、安全紐取り付け用穴も2個
開けます。
この作業が一番厄介な作業で、一
昨年初めて取り替え作業を行った際
は取り付けてみたら左右の向きが若干
違ってしまって穴を開け直したこともあ
りました。
最初の頃は穴開けを先の尖った千
枚通しやドライバで行っていましたが、
6ミリ程度のボルトが入る穴を開けるの
は大変で、現在は電動ドリルで行いま
す。
電動工具の使用で本当に楽にな
り、穴開けが正確になりました。穴開け
は電動ドリル操作に慣れた川上さんに
専らお願いしています。
多士多彩のメンバーのいるグラブな
らではの分業です。
(次ページ に続く)
宮ヶ瀬湖から
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風のたより
ボートだけでない宮ヶ瀬ボートクラブ「写真」
早いものでボートと出会って丸2年
が経ちました。
今日まで続ける事ができたのはや
はり春夏秋冬それぞれに美しい顔を
見せてくれる魅力ある宮ヶ瀬湖、そし
て懇切丁寧に指導して頂けるコーチ
の方々との出会いに尽きる事は言う
までもありません。この2年間、朝4時
半起床で5時に自宅を出発。9時前
に宮ヶ瀬湖着。千葉・東京・神奈川の
3県を横断する小さな旅路。皆さんか
らよく言われるのですが朝早く起きて
よく宮ヶ瀬湖まで来れますね。朝出
発する時はまだ暗いでしょう・・・と。
確かに冬季は真っ暗闇の中を自
宅から流山の駅まで自転車で突っ走
ります。
この早朝起床が可能なのはやはり
これまで約20年間趣味としてきた写
真にあるのだろうと思います。流山市
の写真部に入部し、部員の方々の作
品から学んだ事は早朝の光、夕方の
光を生かした撮影術。特に早朝の光
を捉えた作品は素晴らしいものでし
た。自分もこのような感動的な作品を
作るために早起きを決意。最初にトラ
イしたのは、流山を朝2時に出発し夜
明 け の 富 士 山 撮 影。高 速 道 路、常
磐・首都高・中 央を抜け本 栖 湖へ。
所要時間は約3時間。夜明けの美し
さに魅了され、富士五湖へ何度か通
いました。残念ながら富士山が顔を
出してくれない時もたびたび。次にト
ライをしたのは幻想的な朝霧求めて
日光の小田代ヶ原湿原へ。この場所
へ は 朝 1 時 頃 家 を 出 発。常 磐、外
環、東北、日光を抜け、イロハ坂をの
ぼり、湿原目指して徒歩で1時間。そ
して撮影ポイントに朝4時頃着。あた
りは真っ暗闇。しかし既にカメラマン
が100名前後はいる気配。三脚を置
く場所を何とか探し出す。約2時間待
ち、ようやくあたりが見え始める頃、朝
霧が湿原をゆっくりと流れている。心
ワクワク。霧が貴婦人と呼ばれる1本
の白樺の木にまといつき、そこに山の
谷間より一条の光が差し込む。今が
チ ャ ン ス!震 え る 手 を 押 さ え シ ャ ッ
ターを切る。勝負は15秒前後。撮影
したらすぐその場で見る事が出来る
デジタルカメラと違いその当時はフィ
ルムカメラなので結果は現像してから
のお楽しみ。せっかく現地に着いて
も霧、太陽が出ない時も何度もありま
した。それゆえに懲りずに通う訳で
す。また撮ったネガカラー写真を自
宅でプリントするという自家現像も楽
しみのひとつでした。暗室の中での
作品作り。自分の気に入った色に仕
上げるのは容易ではなく、夜9時頃
暗室にこもり翌朝の5時~6時頃まで
かかる事もしばしば。現在は時代の
流れには逆らえずデジタルカメラで
撮影しパソコンを通しプリントアウト。
これもまた楽しいものです。写真は撮
る、プリントする、観賞する楽しみだけ
では無く体力をも鍛えてくれているよ
うにも思います。
そうそうもう一つ楽しみがありまし
た。それはフォトコンテストに応募し入
賞した時の喜びを味わえる事です。
ここのところ入賞には縁遠い状況でし
たが、財団法人宮ヶ瀬ダム周辺振興
財団主催の「宮ヶ瀬湖水と緑のふる
さと写真コンテスト」に応募し昨年、一
昨年と2年続けて賞を頂き、両方とも
カレンダーに。また、昨年の奥只見
湖ボートツアーの時に目にした魚沼
市観光協会主催の「魚沼市フォトコン
テスト」で一葦会のメンバーが奥只見
湖 を 漫 漕 し てい る 写 真 を 応 募 し 入
賞、そしてこれまたカレンダーに掲載
されました。このようにボートとの出会
いが写真とつながっている事に驚き
と喜びを感じております。これまであ
まり意識はしていませんでしたが、
ボートと写真の共通点を発見しまし
た。
それは・・・ボートは足で漕ぐ。写真
は足で撮る・・・と言うこと。
(清水賢介)
決めましたね、締めを!(編集局)
(前ページ からの続き)
必要な作業であり、満足出来るローイ
シューズの取り付け後はヒールデプ
ングを思い浮かべながら時間を見つけ ス、ストレッチャー角度の調整が必要
穴開けが終わればボルトによるストレッ て作業を行っています。
ですがこれは池田さんをリーダーとす
チャーボードへの取り付けを行い、
取り替え作業は簡単ではありません るリギング作業の中で行っています。
安全紐を付けて作業終了です。
が趣味でもあるボートに絡む作業です
(百瀬道夫)
一足交換するのに20分から30分か ので苦労とは思いませんし楽しい時間
かりますが、大事な足回りの確保には です。
会費納入のお願い!
老朽化する保有艇、オールの整備、日常使用において発生する故障修理に伴う費用が激増しています。紅
葉レガッタなどで来湖する参加者に満足いただける環境を整備するために会費納入をお願い致します。
会費は、 正会員3000円、賛助会員10,000円です。なお、NPOでは今年も継続して金額自由の寄付金を募る
こととしました。
今年度会費未納の方には振込用紙を同封しました。会費と寄付金の合計額をご記入ください。
お問合せ
立花栄治(宮ヶ瀬湖ボートクラブ事務局長)宛 電話:0462-88-2151
e-mail: [email protected]
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