...

乙女ゲームに転生しました。

by user

on
Category: Documents
48

views

Report

Comments

Transcript

乙女ゲームに転生しました。
乙女ゲームに転生しました。
葉野菜
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
乙女ゲームに転生しました。
︻Nコード︼
N7076BY
︻作者名︼
葉野菜
︻あらすじ︼
のほほんと生きていたら30過ぎあたりで﹁あ、詰んだ﹂と呟い
たおばさんが転生してしまった。え、しかも乙女ゲーム?ライバル
キャラ?⋮道理で告白しても振られる訳ですよ。そんなおばさんが
達観しながらマイペースに学園ものを楽しむ。そんなお話。
1
振られました。
﹁好きです。付き合ってください﹂
﹁ごっ⋮⋮ごめん。透の事そんな風に見た事、なかった﹂
ひえんはると
はい、冒頭からいきなり振られました木下透といいます。お相手
は幼馴染の火媛晴翔くん。赤色の髪が特徴的なイケメンです。見た
目はチャラい感じに見えるが、根は至って真面目。まぁ、クラスの
盛り上げ役とかしたりするリーダー的な役割も担う男だ。取り組む
時は至って真剣で、徹底的にやり込む所が好きだった。小学校6年
生夏頃からずっと好きだった。今は中学3年生の卒業シーズン。高
校は意外なことに同じになってしまっていたが、これを機に告白し
ようと思ったのだ。良い返事がもらえればバラ色高校生活。悪い返
事なら友達に戻って別の男性にも目を向ける。良い機会だ。
案の定、振られてしまったんですがね。
ちなみに、透という名前だが、私はちゃんと女の子である。しか
も前世の記憶持ちという。なんとも痛い感じの人間だった。前世で
は怠惰な人生を送り、途中で﹁あ、これ詰んだわ﹂ってなった30
過ぎの女だ。生まれ変わって心機一転徹底的に何もかもやり込む事
を決意。漫画やゲームも徹底排除。小学生から関数や化学反応につ
いて学び続けた。女としても捨てるのは勿体ないと、茶道で所作の
綺麗さを学んだ。
弓道で上下関係について徹底的に体に叩き込んだ。精神年齢が4
0近くもなって、まさか小学6年生の子供に恋をするとは考えてい
なかったが、気持ちというのは体に多少引きずられるものなのだろ
うか。
2
たまに自分でも良く分からない癇癪を起すこともあった。
中学生になった⋮⋮いや、もうすぐ高校生だが、だから大分感情
のコントロールも上手くなってきた。
﹁そ、う⋮⋮ですか﹂
私は残念そうな声を出して俯いた。ショックだよ。結構仲がいい
と思っていたのに。まさかマジで女に見られていなかったとは。そ
りゃちょっとノリを良くしてた事もあったけれど。ううん。ここで
泣くようなマネは流石にしない。ああ、青春だね。こういう重い気
持ちも30歳位になったら笑って思い出せるものさ。
経験談ですが何か?
しっかし⋮⋮私も今世の容姿にそれなりに自信があったんだけど
な。いや、あの、ナルシストではなく、純粋に前世と比較してね。
晴翔は何か言いたげに口を開いてそこから声が出てこない。私は
それを首を振って遮る。これ以上晴翔が何か言うものではない。私
としてもこれからは気分を新しくしなくては。
﹁高校でも友達でいてくれると、助かります﹂
﹁あ、ああ⋮⋮それは、も、もち、勿論﹂
顔を見上げて目が合うと大いに視線を彷徨わせた。まぁ、気まず
いんでしょう。私も随分気まずい。しかし、同じ高校なんだから、
ギスギスするのは勘弁したい。同じクラスにでもなったら最悪だ。
大人の精神を持ち合わせても気まずいものは気まずいのである。
さて、失恋した私は春休みの間に背中の中腹まであった長い髪を
3
バッサリ切った。比較的整った顔をしているので少年に見えなくも
ないが、まぁ良いだろう。ここから新しい髪を伸ばそう。失恋で髪
を切るなんて昭和的考えだろうか。そういや生まれ変わってからそ
んな子見た事ないぞ。わぁ⋮⋮凄くい痛⋮⋮ま、まぁ、いっか。
細かいこと考えても仕方ない。
新学期になってさぁ、新しい制服に着替えるぞ!思ったら、男子
制服だった。いや、良く分からない。私は女なのです。透という名
前でも女なのです。これは確実に母の悪質で下劣で卑劣な悪戯であ
る。
﹁ごっめーん☆間違っちゃった﹂
母に言い詰めると、年に似合わない声色を出してペロッと舌を出
した。この舌引っこ抜いてやろうか。と本気で思った。なんで女物
と男物を間違える!?
だがしかし悔しいことに私は母の事が好きである。のほほんとし
た性格なんとかなるでしょうという心構え。なんとも前世の私に良
く似ているのである。昔から根を詰めすぎる私に息抜きと称した悪
戯を仕掛けてくる。大抵は笑って許していたが、今回はちょっと悪
質である。いやまさか。女子の制服を用意してないなどとホザかな
いだろう。
﹁こら、フザけてないでちゃんと謝りなさい﹂
出勤間際だった父が母を窘める。すると、急に母がしゅんとうな
だれた。
﹁透ちゃん、本当にミスなのよ。なんでも先方が透という名前で男
4
だと思ったみたいで男子制服作っちゃったみたいなの。私も確認す
れば良かったんだけど⋮⋮﹂
﹁ああ、そういうことね﹂
相手側の勘違いか、ならいいか。
﹁勿論無料で作り直して貰えるんだよね?﹂
﹁勿論よ∼でもなんだかちょっと向こうも忙しいみたいでしばらく
はその制服で我慢してくれないかしら﹂
私はホッと息をつく。この制服高いから、作り直して貰えるなら
いいや。
﹁丁度髪も切って男っぽいから、ちょっと徹底的に男で乗り込もう
かな﹂
﹁やだ、透ちゃんったらカッコいい﹂
﹁おおっお父さんも応援するぞ!﹂
どうせ男子制服を身にまとうならば徹底的にやらねば気持ちが悪
い。15年間徹底的に強制した性格はちょっと問題ありだ。まぁ、
事情は学校側も知っているだろうから大した問題にもならないだろ
う。
﹁母さん、もうちょっと髪短くして﹂
﹁ラジャーよ!ワクワクするわね!﹂
﹁くっ⋮⋮!出勤するお父さんを許しておくれ!いかねばならん⋮
⋮!﹂
﹁あら、安心して。ちゃんと写真と動画を収めるから!﹂
﹁⋮⋮任せた!﹂
5
なんともノリがいい夫婦だ。私も大概なんだけどね。なってしま
ったものは後悔しても仕方ないし、前向きに楽しんだ者勝ちだと思
う。私は完璧な男装を母とはしゃぎながら行った。
﹁きゃっあの人凄くイケメンよ﹂
﹁新入生にあんなイケメンがいるなんてラッキーね﹂
やれやれ、と私は息をついた。思いの他出来が良くなったからだ。
やだ、私ったら⋮⋮男に生まれた方が良かったのかしら。⋮⋮しか
し、可愛い子に頬を染められるのって気持ちいいな。
イケメンの気持ちってこんなんかな?
﹁と、透っ!?﹂
赤髪の幼馴染が目を見開いてこちらに叫んでいた。
﹁やぁ、卒業以来だな、晴翔﹂
﹁おま、お、お前、お、おと、おお男﹂
﹁いやだな、晴翔。それは幼馴染のお前が良く知っているだろう?﹂
少し男らしさをイメージした喋りと仕草をする。やるなら徹底的
に、だ。しかし、同じプールで泳いだこともあるのに何故男だと思
うのだろう。そんなに男っぽかっただろうか?だとしたらショック
だ。
何故こんな気持ちにならねばならない。
﹁は?ななななに言って⋮⋮﹂
﹁落ち着けよ。制服間違えて作ったんだよ。母が良くドジするの知
6
ってるだろう?作り直して貰っている間は、これで我慢してるんだ﹂
﹁⋮⋮そういえばお前の母さんはそういう人だった﹂
急に落ち着きを取り戻して納得する晴翔。お前の私の母への認識
はどうなっているんだ。まぁ、あながち間違っていないから良いん
だが。
結局私は晴翔と同じクラスになってしまった。まぁ、この制服の
おかげでなんだか気まずさが晴れたと思う。逆に感謝するべきなの
だろうか?いや、しないけどさ。私のクラスの女子は色めき立って
かねしろ
いる。イケメンが3人もいるからだ。私と、晴翔と、もう一人⋮⋮
他校の生徒とバンドを組んでいる金城という男だ。金髪でミュージ
シャンだなんてチャラい。チャラ過ぎる。私もびっくりのチャラさ
だ。
しかし、なんだか知らないが私たちは何となく仲良くなった。イ
ケメンが3人集まれば怖くない⋮⋮。いや、私はどう考えても可笑
しいだろ。制服出来たらスカートはくのですけど⋮⋮。ここは言っ
ておいた方がいいのだろうか。
⋮⋮しかし、このイケメンなんっか⋮⋮見た事ある気がする。
﹁えっ何々透?なんか付いてる?﹂
じっとりと顔を凝視していたら気になったようだ。そりゃそうだ。
私でも気になる。
﹁や⋮⋮どっかで会ったかなぁと思って﹂
﹁え、ナンパ?﹂
7
あはは、と爽やかに笑う金城。イケメンが笑うと周りの女の子が
頬を染める。イケメン効果半端ない。それはないな⋮⋮チャラいの
は好きじゃない。
﹁は?と、透突然何言って⋮⋮﹂
何故か晴翔が狼狽している。女の子がナンパしちゃいけないとい
うルールはないはずですが。金城くらいになると道を歩くだけで蟻
のように集られるに違いない。ファンもいるだろうし⋮⋮あ、そか。
バンドしてるんだっけ?
﹁バンドしてる所でも見た事あるのかなぁ⋮⋮﹂
﹁その可能性あるかも。路上ライブもする事あるし﹂
﹁へぇ﹂
なるほど、確かにその可能性はあるな。目の端に映っただけだと
してもこれだけイケメンなら多少記憶にも残っているだろう。しか
し、この人懐っこそうな笑顔⋮⋮金色⋮⋮。
ゴールデンレトリバーを連想するのは何故だろう。可笑しいな、
しっぽが見えるよ。
﹁ちゃんと許可してやってるんだ。良かったら今度聞きに来てよ﹂
﹁ああ、いいね﹂
許可とかあるのか。意外と真面目に取り組んでいるみたいだ。せ
っかく仲良くなったのだ。聞いてみたい気持ちはある。私はすぐに
頷く。
﹁お、俺も⋮⋮﹂
8
﹁勿論!うわ、なんか緊張するなぁ﹂
晴翔の言葉に嬉しそうに頷く金城。緊張すると言っている割には
楽しそうだ。きっと自信があるのだろう。ふふふ、私は前世で大量
のアニソンを聞いてきたのだ。そんじょそこらの歌じゃ褒めないぜ?
ふっと何かが心で引っかかった。ん?と思って首を傾げる。
﹁どうした?﹂
不安げな晴翔が訪ねてくる。
﹁いや⋮⋮なんかこう⋮⋮やっぱなんでもない﹂
もやもやっとした気持ちになった。なんだろう、疲れているのだ
ろうか?確かにいつもと違う動きで結構気疲れしちゃったかもしれ
ない。午後に弓道部に入部申請出してすぐに帰ろうかな。
9
振られました。︵後書き︶
主人公はまだ乙女ゲームの世界だと気付いていません。
10
生徒会入りしました。
﹁お前が透か。良く来た。まぁ座れ﹂
私は言われるままに座る。私が現在来ているのは生徒会室だ。何
故、と問われると、成績トップ入学者だからだ。生徒会ではトップ
の成績の者は必ずと言って良いほど生徒会に入る権利が出来る。勿
論断る権利もある。だが、今だかつて断ったものなど存在しない。
無言の強制圧力を感じます。
緊張で手に汗が滲んできた。目の前にいる生徒会長は2年の月島
先輩だ。彼は去年1年の身ながら生徒会選挙を勝ち抜き、見事生徒
会長の座に立った豪傑である。どっしりと構えて手を机の上で組ん
でいる様子はとても16歳の青年だとは思えない。落ち着き、貫禄
漂う姿に空気が飲まれる感覚すら感じてしまう。否、実際彼は場を
支配出来るだけの原動力と権力と言動と迫力を持っている。
40歳の精神年齢なのにも関わらず、素直に負けを認めてしまえ
るだけの圧倒的実力差だ。
その態度や言動もさることながら、その容姿も飛び抜けている。
彫刻されたような整った顔立ちは、さながら芸術品のよう。その体
格もまた武道を嗜むためにしっかりしている。
対面するだけでこの緊張⋮⋮。弓道の先輩に怒られるのなんて大
したことなかった。ああ、喉がカラカラになる。そう思っていたら、
机にコツンとお茶が出された。
顔を向けると、眼鏡を掛けた人の好さそうな男性がニッコリとほ
ほ笑んできた。彼は3年の生徒会副会長だ。彼は嘆息して月島先輩
に向きを変えた。
11
﹁月島くんが脅すから怯えているじゃないか。可哀想に﹂
﹁誰が脅している。誰が。座れと促しただけだろう﹂
﹁ああ、ほら。そんな低い声を出すなよ。さらに怯えさせるだろう
?﹂
柔和で大人しそうな印象と違い、意外と言うタイプのようだった。
凄いな⋮⋮流石は同じ生徒会に入るだけはある。まぁ、余程変な事
さえ言わなければ怒らないらしいが⋮⋮。流石に先輩に気軽な態度
なんて取れるはずもない。でも、副会長の御蔭で少し気が楽になっ
た。
﹁お気遣いありがとうございます先輩。ですがもう大丈夫です﹂
口元を緩めて副会長にお礼を述べる。そんな私の様子に2人とも
一瞬だけ目を丸めた。それは本当に一瞬だけで、その後は何故か会
長の目に猛獣の如き鋭い光が宿り、副会長はニヤリと腹黒そうな笑
顔をした。
あ、地雷踏んだかな。
﹁お前は生徒会入り決定だ﹂
﹁そうですね。これ以上ない後輩です﹂
ちょ、決定するんですかっ!いや、ほとんど断る権利がない事は
暗黙の了解であるのだけれども、こんな面と向かって言われると流
石に動揺する。
﹁上位者3名に声を掛けたんだがな。2位、3位は怯えるだけでと
ても使えん。流石はトップ入学者だな﹂
12
嬉しそうな笑顔で腕を組む生徒会長。目はまだこちらに見据えら
れていて、居心地が悪い。この会長やたら見目が良いのだ、そっち
の意味でも心臓に悪い。
でも⋮⋮なんだろう。デジャヴュがした。なんだかこの完全無欠
の生徒会長様に見覚えがある気がするのだ。それは金城を見た時に
感じた違和感と似ていた。もやっとして、何かがこう⋮⋮沸いてき
そうで⋮⋮ぐぬぬ、思い出せない。
﹁弓道部への入部申請があるな﹂
﹁はい﹂
﹁生徒会が忙しい時は来てもらう事になるが大丈夫か?﹂
﹁はい。大会の時は流石に出来ないと思いますが﹂
﹁ああ、それは計らおう。俺も去年やってたから、意外と平気だっ
たぞ﹂
平気⋮⋮たぶんビックリするくらいこの人の効率は良いんだろう。
両立し、さらには成績を落とした事もないという。成績に関しては
私はあまり心配はない。これでもかというくらい勉強しまくってき
たので、きちんと知識がしみ込んでいる。ちょっとやそっとじゃ忘
れない。問題は体力だろう。弓道は肉体と精神が両方いる。精神が
疲れていると軸もブレそうだ。まぁ、そこは精進するしかない。私
は今度の人生に手を抜くつもりは一切ないのだ。
﹁では、宜しくお願いします﹂
私は礼を言って生徒会室を後にした。
教室の戻るとイケメン2人が迎えてくれた。これは眼福ものであ
る。
13
﹁どうだった?超有能会長っ!﹂
嬉しそうに金城が尋ねてくるので苦笑した。駆け寄って来る様子
も完全に犬である。
﹁ああ、噂通りの圧倒的な迫力だったよ﹂
﹁お・お・お・おっ!!﹂
何がそんなに嬉しいのだろうかこのワンコは。苦笑したままチラ
ッと晴翔の方に目を向けると何故かちょっと不機嫌だった。
﹁生徒会入るのか﹂
﹁入るよ。内申書の評価にも繋がるからな﹂
晴翔は口を開けて、また閉じた。
﹁しかし透って成績上位だったんだな!俺勉強教えて貰おうかな﹂
﹁ああ⋮⋮いいよ。自分の復習にもなってとても良いな。忙しくな
りそうだから、たまにしか出来ないだろうが﹂
﹁おおっ!それでも助かるよっ!ありがとう!﹂
バシバシと力強く背中を叩かれた痛い。その力加減は男相手のも
のだろ。こんなに近くにいるのに女だって分からないのか?とても
ショックです。乙女︵笑︶の心が傷つきました。
﹁その時は晴翔もやるだろ?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
14
何か言いたげな表情をする晴翔は目を逸らすだけだった。
15
思い出しました。
弓道場で、私は経験者という事もあり、1年の指導を任された。
指導と言っても、ちょっとした監視なのだが。ゴムを引かせて、悪
い癖がつかないようにしてあげるのだ。基本って大事だよ。あまり
体力がなさすぎるのも困るので走り込みメニューがあるものもいる。
ゴムを引くのも慣れないうちは大変だ。ああ、きっと彼女達は明日
腕がプルプルするに違いない。
﹁ああ、右手が上がりすぎてるよ。もう少し、そう。いいね﹂
﹁へ、あ、あ⋮⋮いたっ!?﹂
なかなか良い立ち方で引いていた女の子に少し触れて右手を下げ
させて貰ったら、急に型を崩して引いていたゴムを盛大に顔に当て
ていた。うわ、痛そう。私は慌ててその子の顔を見てあげる。うう
ん。女の子の顔だし、一応手当した方がいいな。
﹁う、う、うあ⋮⋮﹂
赤くなっている所をマジマジと見ていたら顔全体が赤く染まった。
涙目で震えてしまっている。ああ、痛かったのだろう。仕方ない、
まじま
連れていくか。
﹁真島先輩、この子保健室に連れて行っていいですか?女の子なん
ですし、
顔に後でも残ったら大変ですから﹂
﹁うん⋮⋮いってらっしゃい﹂
真島先輩は何故か笑いそうになりながら私達を見送ってくれた。
16
弓道は5級から4・3⋮⋮と減っていき、1級の次は初段になる。
真島先輩はなんと4段の腕前を持つ。高校生で4段はかなり上手い。
3段までなら辛うじてちらほらと強豪にいるようだが、4段など聞
いたことない。生半可じゃない位上手い。こんなに上手いのに、世
の中にはもっと上手い人がいるから怖いが。ちなみに私は2段。高
校の間に3段取れればいいなぁと考えている。
まぁ、たぶん難しいだろうなぁ⋮⋮生徒会と合わせてしないとい
けないし。
﹁失礼します﹂
ぐだぐだ考えながら歩いて無事保健室にたどり着く。そこに透き
通るような白い髪をキラキラ靡かせる青年が立っていた。儚げなそ
の青年を見て、カチリと何かがハマッた気がした。
﹁⋮⋮⋮⋮あっ!!﹂
もやもやが!あのもやもやの正体が分かった!
かなり大きな声を出したのでその白い髪の青年と女の子がビクッ
と震えた。私は慌てて自分の口を塞いだ。保健室でなんて大声をあ
げるんだ。
﹁す、すいません﹂
声量を下げて謝罪する。私は女の子に軽く手当てしてあげながら
考えた。思い出した。思い出してしまった。完全にイカれた思想だ
が間違いない。月島、火媛、金城、今目の前に佇む日向⋮⋮彼らは
前世の乙女ゲームの攻略対象者である。怠惰な人生の中で買いあさ
った乙女ゲームの中に彼らはいた。攻略対象者は月・火・水・木・
金・土・日の名前が入っている。
17
つきしま
ひえん
かねしろ
ひゅうが
月は月島。火は火媛。金は金城。日は日向。
そして乙女ゲームの中では月島、日向は3年。火媛・金城は2年
のはずである。つまり現在は主人公が入学してくる1年前という事
だ。そのせいか、1年キャラであるはずのキャラがいない。それと
先生キャラである人間も見当たらない。
何てことだ⋮⋮普通そんな事に気付くだろうか?いや、気付くわ
けがない。えらいカラフルな髪の人間が多い世界だな、位にしか考
えていなかった。まさか自分がプレイしていた乙女ゲームの世界に
生まれ変わるだなんて考えもしなかった。
なるほど分かった。分かってしまった。私は火媛の幼馴染の、ラ
イバルキャラではないか。なるほどなるほど。そりゃ振られる訳だ。
もう彼の心は決められていたのだ。分かるわけない。彼が乙女ゲー
ムの攻略対象者で、のちに主人公を好きになるだなんて。
なんたる道化。失笑を禁じ得ない。ああ、通りで素敵でカッコい
い男なはずだ。彼は攻略対象者なんだから⋮⋮。私が彼を好きにな
ったのも、﹁そういう﹂事だったのだろう。
話の流れは大まか決まっていたのだ。純粋に彼の事を好きだと思
った私の心は偽物だった。なんて汚い、醜い心⋮⋮。私はこれから
主人公に対して酷い仕打ちをしてしまうのだろうか。
私自身そんな事したくないが、この世界が傍観を許してくれるだ
ろうか?否、許してくれないだろう。私が彼を好きになったように、
これから私は主人公に醜い嫉妬を覚えることだろう。
嫌だ、そんなのは。人の気持ちを何だと思っているんだ。
﹁き、木下くん?﹂
手当をしていた女の子が心配そうに見つめてくる。不思議に思っ
18
て、私は女の子の顔を見返す。
﹁なに?﹂
﹁え、えと⋮⋮顔色悪いよ?大丈夫?﹂
そう言われて私は自分の顔を触った。そんなに酷い顔をしている
のだろうか。ああ⋮⋮私は動揺している。このクソみたいな世界に
絶望している。
私が成績上位なのも、火媛幼馴染キャラだから。
私が弓道を頑張っているのも、火媛幼馴染キャラだから。
私が生徒会入りするのも⋮⋮。もう、もう嫌だ。すべて私の意思
だと思っていたものは世界が決めたレールに乗っていただけだった。
﹁ごめん⋮⋮一人で戻れるかな?ちょっと俺は休んでいくよ﹂
﹁う、うん⋮⋮本当に大丈夫?﹂
﹁ああ、大丈夫だよ﹂
ちょっと休もう⋮⋮ちょっと今弓道やってもロクな事にならない
事が分かっている。私は女の子を見送り、机に突っ伏した。気分が
悪かった。
全て決められていた人生だった。自分が決意したと思った出来事
は火媛幼馴染キャラとしてのモノだった。もう嫌だと叫んでしまい
たかった。
でも、そりゃそうか、前世であれだけ怠惰な人生を送っていたの
だ。そんな私があんな風にテキパキといろんな事に取り組めるはず
がなかったのだ。私の性格さえ、この世界は捻じ曲げた。だとした
ら、そうなんだとしたら何故前世の記憶だなんて残っているのだ。
このクソったれな世界の記憶なんざ
思い出す必要なんてなかったのに。
19
⋮⋮だめだ。泣きそうだ。
本気で晴翔を好きだったのに。頑張って努力して成績をキープし
ていたのに。弓道だって、茶道だって⋮⋮。それが全て偽物だった
なんて。
こんな酷い事ってあるか?私って一体なんだ?そんな事を延々と
ループさせていると、ポンと肩に手を置かれた。
顔を上げると、病弱キャラの日向が心配そうに眉を下げていた。
﹁大丈夫?そんなに辛いならベット使うと良いよ。今誰もいないし﹂
そういって空いたベットに視線を向ける日向先輩。その肌は透き
通るように白くて、髪も白くて光の中に溶けていってしまいそうだ
った。⋮⋮ライバルキャラである私でさえこれだけショックを受け
たのだ。
だとしたら攻略対象者たちはどう思うのだろう。彼は病弱キャラ
として設定つけられ、のちに入学してくる主人公に心奪われると決
められているのだ。それは彼らの本当の意思なのだろうか。⋮⋮分
からない。私も分からなかったんだ。彼らも問うてもきっと分から
ない。
私は主人公を苛めて転校させられる。成績にはなんら問題ない。
転校先でもなんとかやっていけるだろう。だが、この世界は現実に
起こり得る世界なのだ。世間にはきっと冷たい目で見られることだ
ろう、両親には悲しい思いをさせるだろう。
そんなのは⋮⋮嫌だ。なんで前世と同じような道を歩まなければ
ならない?なんでこんな思いを抱かなければならない?もう嫌だ⋮
⋮いやだ。
白くて長い指をした手から、スッと白いハンカチが差し出された。
20
私は疑問に思って日向先輩に顔を向けた。すると、日向先輩は困
ったように笑って、トントンと自分の目の辺りを突っついた。
﹁泣いてる﹂
そういわれてやっと私は今泣いているのだと気付いた。ハラハラ
と勝手に目から涙が溢れてくる。私は遠慮なく日向先輩のハンカチ
を受け取り、ひたすら泣いた。
今はもう、何も考えずに泣いてしまおう。
21
ライブで楽しみました。
泣きまくって少しはスッキリした。スッキリした頭でこれからの
事を考えた。思い出してしまったなら仕方ない。後はやれる事をす
るだけだ。ああ、貸してもらったハンカチがぐしゃぐしゃだ。
﹁すいません。後で洗って⋮⋮いや、新しい物の方がいいでしょう
かね?﹂
洗って返すのもどうだろう。見るも無残なハンカチを目の当たり
にしておいて返されても困るだろう。
﹁気にしないで。それより大丈夫?﹂
なるほど、やっぱり返すのは困るのだろう。そして買って返され
るのも困ると。分かりました。私も申し訳ないが、気にするなとお
っしゃられるなら気にしないでいよう。今は男みたいな容姿だしな
⋮⋮そういえば、火媛ライバルキャラって男装なんて設定なかった
よな?これってもしかして私が抗ってる証拠だったりするのだろう
か?
だとしたら救いである。私は自然に笑顔が出た。
﹁ええ、泣いてスッキリしました。ありがとうございます﹂
﹁そう、よかった﹂
柔らかくほほ笑む姿は目が焼けそうなくらいイケメンだった。な
んというイケメン。さすが攻略対象者である。私が熟女で良かった
ですね?若い娘ならきっと熱を上げて襲っている所ですよ。
22
2人でほのぼのとした空気を作っていると、保健室の扉が開いた。
﹁透。体調悪いって聞いたけど﹂
晴翔だった。まだ彼を見るのは少し辛いものがある。自分が彼を
好きになったのはきっと精神が体に引きずられているのだろうと、
納得させていたが。今思えば決められた気持ちだったのだ。
良かった!ショタコンじゃなかったんだね!
ちょっと安心したわ。だから疼く胸もすべて気にする必要はない。
心配で駆けつけてくれたその優しさで嬉しくて仕方がない事も気に
する必要はない。
それはすべて偽物だ。きっと時間がたてばダンディなおじ様に心
惹かれる事だろう。今からその将来が楽しみである。
﹁悪い晴翔。もう大丈夫だ﹂
そう言って立ち上がろうとすると、晴翔が私の顔に触れて来た。
突然の接触にピシリと固まった。心配そうに見下ろしてくる赤い瞳
に吸い込まれそうになる。おおお落ち着け。こいつは全く!どうせ
好きにならないくせにどうしてそういう事するかな!?私の事振っ
たよな?忘れたのかこの馬鹿は!
主人公が入学してきたらそっちの事を好きになるくせに、勘違い
させるような行動を起こすなよ。ああ、分かった。乙女ゲームの木
下透も彼のこういうところで勘違いしてしまったんだろう。だから
余計に主人公が許せなかった。嫉妬に狂ってしまった。もう私は騙
されないぞ。高鳴る胸を押さえつけて冷静を装う。
﹁透⋮⋮泣いた?﹂
23
﹁⋮⋮ちょっとな﹂
ああ、目が赤くなっているからか。晴翔は何故かキッと日向先輩
を睨みつけた。
﹁透に何したんですか﹂
﹁おい、晴翔。違う違う﹂
私は慌てて止めてやる。何をどう勘違いしたのか、晴翔の中で私
が日向先輩に泣かされている事になっている。勘違い甚だしいし迷
惑極まりない。彼は私にハンカチを貸してくれた親切な人だ。
﹁俺が勝手に泣いてただけだ。それを見かねてハンカチまで貸して
くれただけだ。ある意味被害者だ﹂
﹁そう、なのか?⋮⋮じゃあ、なんで泣いてたんだ﹂
﹁それは⋮⋮﹂
言えない。前世でプレイした乙女ゲームがこの世界である事を思
い出したとか。自分が頑張ったと思っていたものが設定通りだった
とか。
晴翔への思いすらも偽物だった事だとか⋮⋮。
﹁晴翔には、関係のない話だ﹂
思いの外固くて冷たい言い方になってしまった。案の定晴翔は固
まってしまった。その様子に笑ってしまいそうになる。恐らく関係
ないと言われてショックを受けているのだろう。
私に冷たくあしらわれてショックを受ける姿に不覚にも嬉しく思
ってしまう。まぁ、彼からしてみれば、友達に冷たく言われたから
24
なんだろうが⋮⋮。ああ、振られた時からこうするべきだった。友
達になれだなんて不可能だった。だって私は彼が好きなんだから。
その気持ちが作られたモノだとしても、どうしようもなく恋焦がれ
てしまうのだから。
﹁ごめん。でも、晴翔には言えない事だから﹂
私は晴翔からそっと目を逸らせてそう言っておく。彼から離れて
しまうべきだ。大丈夫、ただ私は忙しくしていれば良い。生徒会に、
弓道、茶道に勉強⋮⋮。
少しずつ彼と距離を置けばいい、簡単な事だ。
と、思っていたが今日は流石に近づく必要がある。金城のライブ
を見に来たのだ。2人で。少し気まずい。保健室で冷たい言い方を
してからあまり会話という会話はしていないのだ。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
周りが女性ファン達で溢れている中で、ただ静かに私たちはステ
ージを見つめていた。晴翔のカッコよさに気付いた女性ファンがひ
そかに晴翔の方を見つめている。そうでしょう、カッコいいでしょ
う。彼、攻略対象者なんだぜ⋮⋮?攻略対象者なんだからカッコい
いのは当然と言えば当然である。
ああ、女性にジロジロみられているというだけで嫉妬してしまう。
なんて醜い心なんだろう。やっぱり離れるべきだ。主人公が入学し
てくるまでに、転校するべきだろうか?⋮⋮そうするべきかも。果
たして可能かどうかは分からないが⋮⋮。
私は隣にいる幼馴染の顔を見上げた。
25
すると、バチッと目が合った。なので、さっさと視線を外した。
再びステージを見つめる。目があっただけでドキドキすんなよ。狭
い会場なので晴翔との距離は近い。くっついているので、晴翔のぬ
くもりが伝わってくる。ああ、もう⋮⋮ドキドキする。早くライブ
終われ。金城には申し訳ないが、今の状況はちょっとキツイ。
気まずい状況の中、ライブは始まった。はっきり言おう。うます
ぎる、かっこよすぎる。確か彼は後にプロデビューするのではなか
っただろうか。
上手いはずだ。もう殆どプロ入り決定みたいなものなんだから。
ファン達も熱狂的で、絶対に成功する事だろう。
﹁お疲れ、凄く恰好良かったよ。感動した﹂
ライブ終わりに舞台裏に言って感想を述べた。ペットボトルの飲
料水を飲みながら爽やかな汗をタオルで拭う姿は本当に惚れ惚れす
るほど恰好良い。
これが後のプロミュージシャンか⋮⋮。
﹁サイン下さい﹂
私は持ってきたサイン色紙を出して金城にお願いしてみた。アマ
チュア時代のサインなんてどれだけの価値がでるだろう。凄い自慢
出来そうだ。私の行動に金城は赤くなってしまった。
﹁くく、サインて⋮⋮有名人じゃないんだから﹂
﹁ダハハ!翼固まってるし﹂
ベースとドラムのメンバーが笑って金城を叩いている。
26
﹁有名人になりますよ。だから先行でサインを貰おうと思ったんで
す﹂
﹁おお、嬉しい事言ってくれるね﹂
﹁ダハハ!確かに!翼、この際だからどんなサインにするか決めよ
うぜ﹂
おお、マジか。嬉しい。でもそうか、サインとか考えてもいなか
ったのか。これだけのファンがいるのに珍しい。彼らは3人であー
でもないこーでもないと言いながらサインを完成させてくれた。
﹁うおぉ⋮⋮ありがとう。家宝にします﹂
﹁ちょ、透、何言ってんの﹂
顔を真っ赤にして狼狽える金城。それを笑ってからかう2人のメ
ンバー。このメンバーはとても仲が良い。それも人気になる理由に
入っている。絶対このサインはプレミアになるわ。3人をニヤニヤ
しながら見つめる。それを、複雑な顔で見つめている晴翔など気付
きもしなかった。
27
確かめてみました。
男子の制服で何となく男子で通っているが、男子と共に着替えな
んて出来るはずもなく⋮⋮。私は空き教室を探して体操服に着替え
た。
体操服は男女で色も変わらないので、全く違和感がない。そもそ
も、女だと言って着替えた方が手っ取り早い気がする。
素早く着替えを終えた後、周りを見渡しながら教室から出る。
⋮⋮面倒だなぁ。
階段を下りながら溜息を吐く。
と、階下に見慣れた赤い髪の男子が壁に背を預けた状態で腕組み
をしている。幼馴染の火媛晴翔だ。この間泣いた時から少しだけぎ
こちなくなってしまっている。この前ライブに行った時も殆ど喋っ
ていない。なので、ちょっと気まずい。
私が階段を降り切ると、晴翔は壁から背を離して私に向き合う。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
両者、無言。どう声を掛けていいものやら、ちょっと悩む。どう
して晴翔がここで待っていたのだろう。それも疑問だが、今は早く
体育館へ行った方が良いかと思う。
﹁えーと⋮⋮行こうか?﹂
﹁⋮⋮﹂
私が首を傾げつつ訊ねると、晴翔は何か言いたげに口を開けてい
28
る。しばらく口をぱくぱくさせていたが、やがて口を強く閉じて視
線を外した。ぎゅ、と拳を強く握っているので、少し怖い。
怖いだなんて晴翔の対して思った事がなかったのに。少しドキド
キとしつつ、晴翔の言葉を待つ。
だが、何時まで経っても返事が返ってこない。そうしている間に、
無情にも授業のチャイムが鳴ってしまった。
﹁まずいっ﹂
私は慌ててその場から走って行こうとする。生徒会役員なのに、
遅刻なんてしたくない。まぁ、廊下を走るなんて事もしたくはない
けれど。だが、走る事は叶わなかった。晴翔が私の腕を掴んでいた
から。
﹁ちょ、晴翔?﹂
﹁透﹂
名前を呼ばれてドキッとしてしまう。恐る恐る晴翔の顔を見上げ
ると、どこか怯えたような表情をした晴翔と目が合った。何故、晴
翔がそんな表情をするのか分からなくて、戸惑ってしまう。
﹁透は⋮⋮もう⋮⋮﹂
﹁⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮やっぱり、なんでもない⋮⋮﹂
そう言って晴翔が私の腕を掴んだまま走り出した。急だったので、
ちょっとよろめいたが、なんとか態勢を立て直して付いていく。晴
翔が言いたい事も何も分からないまま、ただその背中を追った。
29
﹁次はこの書類を頼む﹂
﹁かしこまりました﹂
月島会長から書類を受け取って黙々と作業をする。最近はずっと
生徒会室と弓道室を行き来している。晴翔とは教室で顔を合わせる
がほとんど会話をしていない。たまに何か言いたそうにしている事
があるが、無視だ無視。
しかし、もうすぐ制服が出来上がるのが楽しみだ。いい加減男子
制服も飽きた。女の子として幸せになってやる。あんな奴知るか。
晴翔以外を好きになってやる。世界に抗ってやる。
まぁ、簡単にはいかないだろうけど。
ちょっと息をついて顔を上げると、副会長とバッチリ目が合った。
ついでに湧きあがった好奇心を疼かせて質問してみよう。
﹁そういえば、副会長は弟さんいらっしゃいましたっけ?﹂
﹁ええ、いますが⋮⋮突然何ですか?﹂
﹁いえ、素朴な疑問があったもので﹂
みなづき
やっぱりそうか。副会長の名前は水無月。確か1年生キャラに水
無月という攻略対象者がいたはずだ。設定でも兄がいるという話だ
ったし、水無月なんて名前そうそう居るモノでもない。
今は中学3年生だろうか、3つ年下の弟は大人しく本を読むキャ
ラだったはず。
決して副会長のような腹黒さはない。下の名前までは思い出せな
いな⋮⋮。
﹁何ですか⋮⋮ウチの弟の噂でも耳にしましたか?﹂
﹁噂⋮⋮ですか?﹂
﹁おや、違うのですか?﹂
30
副会長は不思議そうに首を傾げている。穏やかそうに見えるが、
腹の中で何を考えているのやら⋮⋮。
しかし、噂⋮⋮噂か。弟くんは攻略対象者だけあって魅力的だ。
見た目は可憐な女の子のように綺麗で、本を読む姿は妖精のよう。
確か名称は。
﹁図書館の君⋮⋮﹂
﹁あれ、やはり知っているんじゃないですか﹂
私が零した名称に副会長が苦笑を漏らす。
﹁恥ずかしいですね。弟がこうも有名だと思うと﹂
﹁そういうもんですか﹂
﹁ええ、そういうものです。あれで、もう少し愛想が良ければいい
んですがね⋮⋮﹂
文句を言いつつ、どことなく弟を心配しているようだった。
弟は﹁図書館の君﹂と呼ばれる程、ほとんどの時間を本がある所
で過ごす。学校では図書室。休みの日は県立図書館。彼を攻略する
ときはそこに行けば会えるので割と予想しやすい。だが、彼は本を
読んでいる時、誰も寄せ付けない事で有名だ。
ファン達は不可侵条約を結んで、遠くから眺めるだけにとどめて
いる。近づけば嫌われると分かっているからだ。しかし、そんな彼
の壁を取り払うのは主人公様。
流石主人公我々に出来ない事を簡単にやってのける。そこに痺れ
る憧れる。
﹁そんなに有名なのか﹂
﹁そうですね、女性の間では有名のようです﹂
31
会長が顔をあげて会話に参加してくる。苦笑いを浮かべた副会長
がパンパンと手を叩く。
﹁はい、話はおしまいです。さぁ仕事です。僕は別室に行くとしま
す﹂
副会長は逃げるように生徒会室を出て行く。
会長に聞かれるのが、嫌なのだろうか?不思議に思いつつも書類
に目を落とす。
今生徒会室には私と会長以外誰もいない。普段から基本的に副会
長と生徒会長と私しかいない。書記とか補佐の人は他の教室で作業
している。用事は副会長を通して間接的に会長に届く。
皆会長と直接話せないらしい。異常に緊張して話がまともに出来
ないのだとか。
そんな馬鹿なと思ったが、本当の事らしい。
今、副会長は、別の役員の様子を見に行ったのだろうと思う。な
んて不便な。通りで私が採用されるはずである。会長と話せる人間
がこんなに貴重なものだとは思わなかった。
しばらく書類仕事をしていると、副会長が戻ってきた。
﹁おかえりなさい﹂
﹁ええ、面倒ですよ全く⋮⋮﹂
何故か黒い笑顔をしている副会長。何かあったのだろうか⋮⋮?
私は副会長の笑顔に寒気を覚えつつ席を立つ。
﹁ええ、と。お飲物をお淹れしましょうか。少し休憩しましょう﹂
32
﹁ええ、お願いしても良いですか?﹂
﹁はい。会長も、飲まれますよね?﹂
﹁ああ、頼む﹂
生徒会室には保温ポットと食器があるので入れるのは簡単だ。
食器は副会長の私物だとか。コーヒーは会長が買ってきているら
しい。私物を持ってきているのは良いのだろうか?まぁ、これくら
いは良いか。こっちも結構遅くまで書類仕事しているんだし。
私はコーヒーを3人分入れる。ミルクと砂糖があったが、誰も使
わない。
3人共ブラックだ。
﹁どうぞ﹂
﹁有難うございます、木下さん﹂
﹁有難う﹂
副会長と会長がそれぞれ礼を述べてくる。私は何となく2人を観
察してみる。副会長は特に何も気にせずにコーヒーを口にしている。
会長は⋮⋮コーヒーを口にした瞬間、ちょっとだけ顔を顰めた⋮
⋮気がする。瞬きすれば見逃しそうなほど一瞬だ。ともすれば気の
せいだと思ってしまうほど。
私は使われていないミルクと砂糖を見て、思案してみる。
あれは確か会長自身が持ってきているものだ。そして、現在は誰
も使っていない。にも拘わらず持ってきている?そんな無駄な事、
何故?
平然とコーヒーを飲んでいる会長と目が合う。
﹁なんだ?﹂
﹁いえ⋮⋮﹂
33
それだけ言って会長は書類に目を落としている。とても自然だ。
自然なんだけど⋮⋮なんだろう?会長ともあろう方が無駄なモノの
持ち込みをするだろうか?もしかして、会長、誰も居ない時はミル
クと砂糖を使っていたり⋮⋮?
いやまさか。似合わない。ものすっごく似合わない。
私は苦いコーヒーを飲み下す。そして再び会長に目を向ける。ブ
ラックコーヒーを口にする会長はとても様になっていて恰好良い。
威厳が溢れている。
もしかして、似合わないから⋮⋮とか?
﹁どうしました?﹂
﹁あ、いえ﹂
完全に行動を停止させていた私を不審に思ったのか、副会長が声
を掛けて来た。慌てて返事をする。私は空になったカップを回収し、
カップを洗う。
今度、こっそりミルクと砂糖を入れてみようかな。とか悪戯心が
沸いてきた。
34
確かめてみました。︵後書き︶
月火水木金土日の内、水の付く攻略対象者の兄が副会長。
乙女ゲームの内容とは無関係ですがちゃんと同じ高校に通っている
ようです。
35
腐っていました。
﹁透⋮⋮これ何?﹂
引き攣った笑いを漏らす金城翼。その手元には年号と出来事が掛
かれた紙。
﹁何って⋮⋮勉強、見るって言ったよな?﹂
﹁え、え⋮⋮﹂
手元のプリントと、私を交互に見てオロオロする翼。
﹁これを来週までに完璧に覚えてこい。テストするから﹂
﹁え・え・え・え⋮⋮!?﹂
絶望した顔を浮かべる翼。
﹁歴史は暗記だひらすら覚えるのみ。覚えやすいようちょっとした
ゴロ合わせのようなものも書いてあるから。大丈夫﹂
﹁お、おおう⋮⋮これ作ったの?わざわざ?﹂
﹁?⋮⋮ああ、そうだが。迷惑だったか?﹂
﹁とんでもございません⋮⋮﹂
引き攣った笑いを浮かべたまま項垂れている。やっぱり迷惑だっ
たかな。
でも翼の設定には、両親が厳しいという設定があったはずだ。その
成績を落としてしまったら、バンドを辞めさせられる。この進学校
に入学しなければ辞めさせられると言われて、必死になって勉強し
36
て入学した。生憎、バンド仲間達は落ちてしまって離れ離れになっ
てしまったが、バンドは続いている。
あんな素敵なバンド、成績が落ちたという理由だけで辞めさせら
れるのは我慢がならない。乙女ゲームの知識を思い出してしまった
から、放っておく事はできない。
生憎私は忙しいので、夜遅くに作ったプリントで我慢して貰うし
かないが、翼には頑張って欲しいのだ。
﹁木下くん、木下くん﹂
﹁ん?﹂
つんつんと裾を引っ張られて顔を向けると、顔を赤くさせた女の
子⋮⋮山中さんがいた。
﹁あの、その、そのプリント、私も貰ってもいいかな?﹂
﹁ん?え、いいけど⋮⋮いいよな?翼﹂
﹁それはいいよ。もとはと言えば透が作ったんだし﹂
コクコクと勢いよく頭を上下に振っている。そんなに振ると首を
痛めるぞ。
﹁じゃあ、コピーして⋮⋮﹂
﹁成績トップの木下の作ったプリントだと⋮⋮!?﹂
﹁俺も欲しい﹂
﹁私も﹂
ざわりと教室が騒がしくなる。その様子に若干引く。
なんだか皆の目がぎらついていて、怖いのですが⋮⋮!?
﹁え、エエト⋮⋮皆さんに、お配りした方が、宜しいノデショウカ
37
⋮⋮?﹂
﹁﹁﹁ぜひ﹂﹂﹂
クラスの心が一つになった瞬間であった。
意外にも皆に好評のプリント。覚えるポイントや、重要なポイン
トを分かりやすく抑えてあるらしい。私は、自分が説明されて分か
りやすいように書いただけだったのだが⋮⋮。
まぁ、喜んで貰えたようで、何よりである。皆さん進学校に通っ
てあるだけ、勉強の意欲が高くていらっしゃる。
私のクラスの平均点が上がったのは、また別の話だ。
放課後、今日は弓道部の方へと顔を出す。
﹁よぉ﹂
﹁あ、真島先輩。こんにちは﹂
﹁忙しそうだな﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
真島先輩は何故かニヤニヤしながら私に話しかけてくる。
そして、そっと肩を組んできた。
﹁⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮ほい﹂
真島先輩は他の人に見られないように手紙を手渡してきた。その
手紙は薄い桃色の封筒で、可愛らしい文字で名前が書いてある。明
らかに目の前の先輩が書いたものではない事は分かる。
真島先輩の字は雑な事は知っている。この前書いている所を見た
38
事があるのだ。私は不思議に思いつつもその手紙を受け取る。
﹁ラブレターだな﹂
﹁そのよう、ですね﹂
私の頭に衝撃が起こった。まさか、女の子からのラブレターが届
くとは思っていなかった。
﹁ま、頑張れ﹂
ニヤニヤした笑いを湛えたままポンと軽く背中を叩く真島先輩。
私は立ち去る先輩を半ば呆然と見送る。ブンブン頭を振って我に
返る。
﹁れ、冷静になれ﹂
可愛らしい封筒、可愛らしいハートのシール。
丸文字で二宮まどかと書かれている。頭が重い。
まさか、彼女も私が女だなんて知らないだろう。
こんな所で障害が起こるとは思っても見なかった。
彼女、断ったら悲しむだろう。その上後で女だと分かったらより
ショックを受けるだろう。そんなに自分が女性好みだとは思わなか
った。
どんなに想われても答えは﹁ノー﹂だ。それがどれだけ辛いか、
私には良く分かる。だからこそ、辛い。断るのは、辛い。けれどは
っきりと断らなければ、淡い希望を持たせるのは、より酷い事を私
は知っている。
私はちょっと影に隠れて、手紙を読む。明日の放課後、庭園で待
つ。そう書かれてある。
はぁ、と溜息をついて決意を固める。軽い気持ちで男装したは良
39
いモノの、こんな気持ちになるなんて。まさかいたいけな少女の心
に傷をつける事態になろうとは。
次の日の放課後、重い気持ちのまま庭園へと足を運ぶ。庭園には
様々な花が咲き誇り、とても美しい。私はあまりこの庭園へと足を
向ける事はないが、校舎からたまにみている。
綺麗だなと感じていたが、近くで見ると圧巻だな。乙女の夢が詰
まっていそうな庭園だ。だからこそ、手紙の女の子もここを選んだ
のだろう。
歩くところは、煉瓦で綺麗にされているので、歩きやすい。
ここは誰が手入れしているのだろう。
と、木の影に亜麻色の髪の乙女がいた。私の姿を捕えた少女は、
ハッとした顔をした。そして、小走りで私に向かってきた。頬は上
気し、今からの告白に緊張している事が手に取るように分かる。
﹁ええと、二宮まどか、さん⋮⋮?﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
それだけ言って、沈黙が落ちる。さわさわと爽やかな風が吹き抜
ける。
二宮さんはもじもじと手を動かしている。その様子に図らずもキ
ュンとしてしまう。
可愛い。恋する女の子って可愛い。これが、萌え、か⋮⋮。いや、
ちょっと待って。私は女だから。落ち着け、冷静になれ。
女の子は緊張をほぐすために深呼吸をしている。そして、意を決
して口を開く。
﹁す、好きです⋮⋮﹂
40
﹁⋮⋮っ!﹂
少女の強い視線に私は顔が熱くなるのを感じた。ドキドキする⋮
⋮これが、恋?いや待て。馬鹿か私は。
赤くなっている顔を少し手で隠して、私も口を開く。
﹁ご、ごめんなさい⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
少女は項垂れてしまう。顔は見えないが、泣いてしまったんだろ
うか。ああ、どうしよう。でも、私が優しくしても仕方がない。そ
んな残酷な事、私には出来ない。
﹁やっぱり⋮⋮﹂
﹁⋮⋮え﹂
﹁やっぱり、金城くんの事が好きなんですか!?﹂
﹁ええっ!?﹂
突拍子もない言葉に私は空いた口がふさがらない。
﹁それとも、会長ですか!副会長ですか!?私の好み的に会長とが
お似合いだと思うのですけれど、どうなのでしょうか!?﹂
﹁え、え、ええ、えええ?ちょ、ちょま待っ⋮⋮﹂
グイグイ押して来て、ついには後ろの木にぶち当たる。
涙目の女の子の目に強い情熱のようなものが伺える。
﹁大丈夫です。私、男同士の恋愛には寛容なんです!!﹂
﹁なんてこった!!﹂
41
残念なことに、この子の目は腐っていらっしゃったらしい。
42
誤解されました。
﹁ふぅ﹂
﹁どうした。珍しい﹂
ため息をついていたら会長が話しかけてきた。この会長にも大分
慣れてきたものだ。出会った時は冷や汗すら流れて来たというのに。
﹁いえ、人生とはままならないものだと思いまして﹂
﹁なんだ?成績も優秀生徒会でも優秀でモテる男が言うなよ﹂
﹁それがままならないのですよ﹂
私は苦笑した。女の私が女の子にモテてもしょうがないし。
流石に昨日の告白は衝撃が走ったけれど。まさか私も含めて腐っ
た目で見られていたとは⋮⋮。会長、私とカップリングされている
そうですよ?流石にそんな事言えまい。
﹁⋮⋮失恋か?﹂
﹁⋮⋮いえ﹂
ははは、まぁあながち間違っていないですけどね。失恋はしてい
るし。
晴翔が私を絶対に好きにならないと分かっているから、ある意味期
待を持たなくて良いかもしれない。けれど、この恋情が果たしてそ
んなに純粋なものだろうか?作られた感情、醜い嫉妬。振られた後
もしつこく残る。
﹁⋮⋮そうなのか﹂
43
何故かホッとした顔をする会長。私がそんな会長を首を傾げて見
つめていると、目が合った会長は急に顔を顰めさせた。おおう⋮⋮
見過ぎたかな?
ごめんなさい。
﹁少し休憩でもするか﹂
﹁そうですね。入れます﹂
﹁頼む﹂
ポットに手を掛けたあたりで、ふと思い出す。そういえば、まだ
アレを試していないな。今は副会長もいないし、丁度良いかもしれ
ない。
チラッと会長を見てから、コーヒーにミルクと砂糖をぶち込む。
﹁⋮⋮どうぞ﹂
﹁⋮⋮?﹂
どきどきする気持ちでそっと甘いコーヒーをお出ししてみる。案
の定会長が怪訝な顔を浮かべている。
若干背中に汗が流れる。外しただろうか?会長は険しい顔のまま
そっとコーヒーに口を付ける。
すると、ちょっとホッとしたような柔らかい表情を浮かべた。
直ぐに険しい表情に戻ったが、確かに見た。そして思った。会長、
甘党なんですね⋮⋮?
確か、主人公とケーキの食べさせあいとかあった気がする。
でも、その時は会長は甘いのは苦手で、主人公に合わせている、
みたいな設定だったはず。
あの時は主人公視点しか見ていなかったが、実は会長は甘いモノ
44
好きとういう設定だったのだろうか?主人公に対して見栄でも張っ
ていたのだろうか?
それとも本当に変わってしまった?それくらいの誤差はあっても
気にならないかもしれない。私も男装してしまっているし。
﹁⋮⋮甘いな﹂
﹁ええ、飲んでください。勿体ないですからね﹂
﹁仕方がないな﹂
肩をすくめて甘いコーヒーを飲んではいるが、どことなく嬉しそ
うだ。
そういう体で飲むつもりなのかこのお方は⋮⋮。なんという茶番。
バレてるんだから素直に言えばいいのに、難しいお年頃である。
威厳がある割に、面白い所もあるんですね。
﹁なんだ?﹂
まじまじ観察していたら会長が不機嫌そうにこちらを見つめて来
た。しまった、見つめすぎたか。この際だ。いっそ聞いてしまおう。
気になって仕方がないし、今は誰もいないし。
﹁会長は甘党なんですよね?﹂
会長はガチャッとカップを落とした。
﹁熱っ!?﹂
﹁うわわ、会長!?﹂
私は慌てて鞄からハンカチを取り出して会長に近づく。足に少し
かかってしまったみたいだった。そこにハンカチを当てる。
45
﹁火傷してませんか?ズボン脱ぎますか﹂
﹁ば⋮⋮してないから大丈夫だっ!﹂
会長の足を念入りに拭く。本当に大丈夫だろうか?保温ポットの
温度なので大丈夫だとは思うが心配である。
イケメンに傷でも作ったら怒られる。全世界の乙女ゲーム大好き
乙女達に怒られる。
怒られるならまだいい。殺されたらどうしよう。
﹁会長、やはり脱ぎましょう。火傷してたら大変です﹂
﹁ちょ、だ、大丈夫だからその手を放せ!﹂
私は会長のズボンのベルトに手を掛けるが、会長に慌てて止めら
れた。男の人の大きな手で握られて不覚にもドキリとしてしまう。
上を見上げると、思いのほか近い所に会長の顔があった。
﹁⋮⋮失礼しました﹂
パタンと開いてた扉が閉じられた。副会長が入ろうとしてやめた
のだ。
そこでふと我に返る。椅子に座った会長。それに跪いてズボンに
手を掛ける男子生徒。
そして2人は見つめあい⋮⋮うん。
﹁﹁副会長誤解です︵だ︶!!﹂﹂
2人で慌てて副会長の誤解を解くハメになった。
46
⋮⋮副会長視点、生徒会室⋮⋮
心臓が凍り付いたかと思いました。
とてもイケナイ光景を目にして背筋が凍りましたよ。ええ。
まさかガチなのかと思って本気で生徒会を辞退したくなりました。
2人が必死に違うと言ってきたが、それすらもガチに見えて仕方
がありません。
ガチは引く。ドン引きです。木下さんはどこか儚げで、受けっぽ
い。
そして月島くんは偉そうで、攻めっぽい。裏でどれだけ2人が噂
になっている事か。
まさか本当にカップルになっているんじゃないでしょうね?
いや、本当に2人は怪しいのですよ。どことなく月島くんは木下
さんを熱っぽく見ているし、木下さんも見つめられて目を逸らすし。
⋮⋮いや、考えるのはよそう、精神衛生上良くない。今後の為に、
誤解、という事にしておいた方が良いのかもしれません。
でもなるべく2人きりにさせるのは良くない気がしますよ。今日
のような事がまたあったら困りますから。
47
腐っていました。2︵前書き︶
腐った発言がございます。ご注意下さい。
48
腐っていました。2
﹁さて、ここまで誰か分からない方はいらっしゃいますか?﹂
教室の昼休み⋮私は黒板の前で同じクラスの人達に尋ねてみる。
皆プリントを見たり、問題を解いたりしていたり、頷いている者達
ばかり。
﹁では、次の⋮⋮あ、予鈴ですね。ここまでです﹂
﹁有難う木下ー﹂
﹁分かりやすかったわ﹂
私はまるで教師のように教卓の上の教科書を閉じる。何をやって
いるかというと、同級生に授業をしていたのだ。数的には10名ほ
どだ。勿論翼もいる。むしろ翼の為に教えていたのだが、なんやか
んややっている内に増えてしまった。
人数が増えた為に見て回るのも大変になってしまっていたが、﹁
黒板でやればいいじゃない﹂と誰かが言いだしたせいでこんな大仰
な事になってしまった。前世の私から言って考えられない事である。
﹁あの、木下君⋮⋮これ作ったの。食べてくれる?﹂
﹁え、良いんですか?﹂
相川さんが可愛らしい包みを私にくれた。包みからは香ばしくて
甘い香りがする。私はその香りを楽しみながら、頬を緩める。
﹁有難う、大切に食べますね﹂
﹁ううん、いいの!だって勉強教えて貰ってるし、その⋮⋮﹂
49
顔を赤くした相川さんは何故かもじもじしている。
相川さんはクラスでもかなり可愛い部類の女の子だ。少し赤みが
かった茶色の髪で、睫毛が長い。けれど、化粧は全くしていない。
天然美少女だ。性格も大人し目で、彼女を好きな男子は結構な数が
いるのではないだろうか?それにお菓子も作れて家庭的・・・理想
の嫁ですね。
﹁モテてるな!透!﹂
﹁ぐっ⋮⋮痛いぞ翼﹂
バシッと勢いよく背中を叩かれてせき込みそうになった。だから
その力加減は男向けだ。抗議の眼差しを向けると、何故か親指をグ
ッと立てられた。いや、なんですかそれ。
﹁そんな事より、理解出来たか?﹂
﹁くっ⋮⋮う、うん⋮⋮前より分かりやすくなった気がする﹂
﹁そう、良かった﹂
勉強の話を持ち出すと途端に苦い顔を浮かべる翼。けれど毎日予
習復習を重ねている為か、私の作った小テストもそれなりの点にな
ってきた。これならば堂々とライブが出来るな。
カッコよかったもんな∼あのライブ。将来の芸能人か∼凄いよな。
チャイムが鳴って教師が入って来たので、慌てて黒板を消す。
教師が微妙な顔をしていたような気がするが⋮⋮気にしたら負け
だ。
50
今日も生徒会室向かう。ノブに手を掛けようとした所で丁度生徒
会室の扉が開かれる。副会長だ。恐らく別室に行くつもりなのだろ
う。
目が合った副会長はちょっと顔を強張らせていた。何かあったの
でしょうか?
﹁ちょ、丁度いいです。木下さん、来てください﹂
﹁え?⋮⋮はい﹂
そう言われたので着いていく。なんだろうか?緊急な事柄なのだ
ろうか。
﹁夏休み明けの生徒会選挙で俺が生徒会を辞めるのは知っています
ね?﹂
﹁そうですね﹂
﹁ですので木下さんには生徒会室と生徒会別室の橋渡しの引継ぎを
覚えて貰います﹂
﹁ああ、成程﹂
確かに今の副会長が居なくなると生徒会の仕事が滞ってしまう。
実に不便だが仕方ない。副会長も良くやる。私がソレを引き継ぐの
か⋮⋮面倒ですね。頻繁に出入りをする副会長の姿を思い出してげ
んなりしてしまう。
しばらく副会長の言葉を聞きながら歩く。そうしていると、突然
ピタリと副会長の足が止まった。必然的に私も止まる。
﹁⋮⋮ところで﹂
﹁⋮⋮はい﹂
51
先程より真剣な声色だったので私も緊張してきた。先程副会長が
顔を強張らせていた理由の事だろうか。
﹁本当に、月島くんとは何もないの?﹂
﹁ぶふっ﹂
吹いてしまった。ついでにむせた。辛い。
﹁けほ⋮⋮誤解だとあれ程言ったじゃないですか﹂
﹁⋮⋮本当ですか?﹂
疑いの眼差しが晴れる事はない。何故そんなに疑われているのか
⋮⋮確かにそんな噂をチラホラききますけど⋮⋮。というか、私女
なんですよ?副会長の精神的安定の為に言っておいた方が⋮⋮いや、
もっと酷い誤解が生まれそうだ。今はやめとこう。
近くで見ると副会長も顔が整ってますね。流石攻略対象者の兄と
言ったところでしょう。
﹁ほんとーですよ﹂
﹁⋮⋮﹂
ちょっと投げやりな言い方になってしまった。すみません、何度
も聞きかれて面倒になってきてしまったのです。何か言いたそうに
口を開いた副会長の顔色が急に悪くなった。
﹁どうしました?﹂
﹁⋮⋮いえ、早く行きましょう⋮⋮木下さんと話しているとこっち
まで被害に会う﹂
52
どういう事でしょう⋮⋮?
良く分からないが、取りあえず着いていきましょう。少し早い歩
調の副会長に慌てて着いていく事にした。
⋮⋮???視点⋮⋮
﹁見た?﹂
﹁ふ、ふふ⋮⋮見たわ。嫉妬に狂った水無月副会長⋮⋮﹂
少女2人は先程の木下と水無月副会長の会話を見ていた。副会長
というダークホースに2人の興奮は止まらない。
﹁ああ!会長と2人きりにしたくないのね﹂
﹁やばい、両方穏やか系だけど、副会長攻めね。あの熱い眼差しが
やばいわ。YABAI。でも木下さんの敬語攻めも有り得る﹂
﹁ふふ、分かってないわね﹂
﹁﹁何奴!?﹂﹂
新たに出現した刺客に2人は振り向く。そこに亜麻色の髪の乙女
がいた。彼女は仁王立ちして偉そうに胸を逸らせている。
﹁今あの2人が出かけている事によって会長は嫉妬しているわ⋮⋮﹂
﹁なん⋮⋮だと﹂
﹁なにその美味しいシチュー﹂
﹁私、木下さんに告白したのよ。私が迫ると顔を赤くして狼狽える
の。だから彼が攻めになる事などないのよっ!!﹂
﹁﹁二宮会長⋮⋮!!﹂﹂
53
なんたら協会会長⋮⋮二宮まどか。彼女のその堂々とした佇まい
は2人に感動を走らせた。しかしそこに新たな敵が現れる。
﹁ふん、かと言って攻めにならないとは限らないんじゃなくって?﹂
﹁貴方は!﹂
えちぜんえりか
2人の取り巻きを率いた縦髪ロールのお嬢様がセンス片手に現れ
る。彼女は越前恵梨香⋮⋮二宮とは全く異なる派閥に属する敵であ
る。越前は﹁木下×会長﹂を主張しているのだ。
﹁会長×木下﹂派の二宮とは憎い敵同士である。
﹁赤い顔で会長に許しを請う木下。﹁触れても良いですか﹂と。会
長は断る言葉を飲む⋮⋮木下が勇気を振り絞って言っている事が分
かっているからだ。黙っている事を是とした木下は会長の頬にそっ
と手を伸ばす。会長はその甘く痺れるような感覚に僅かに身を震わ
せる。その僅かな震えを目にした木下は微笑んだ﹁ああ、この方も
私と同じ気持ちなのかもしれない﹂と⋮⋮﹂
﹁﹁﹁﹁きゃーー!!﹂﹂﹂﹂
取り巻きであった2人の少女と、さっきまで二宮のそばにいた2
人の少女。全員がその言葉に打ち震えた。
簡単に彼女達は敵に翻った。なんという事だ、と二宮は唇を噛み
しめる。
ちょっとソレも良いかもと思ってしまった事が悔しくて目を逸ら
した。
54
腐っていました。2︵後書き︶
彼女達は、幸せです。
⋮⋮乙女ゲーム仕事しろ。
55
女装でびゅーしました。
﹁透ちゃん!制服出来たわよっ!﹂
学校から帰宅すると、母がパタパタと嬉しそうに制服を掲げて走
ってきた。自分が着るはずだった女生徒用の制服だ。
うちの高校の制服はブレザー。なので上の服はネクタイからリボ
ンへ変更するくらいだろう。問題はスカートだな。
﹁ちょっと待て。何故そんな丈が短いっ!?﹂
﹁え?そお?可愛くていいじゃない?﹂
思わず頭を抱えてしまった。制服デビューではなるべく丈を長く
して挑むつもりだったのに⋮⋮母は切ってしまったようだ。解せぬ。
今男として認識されている。ただでさえスカートはいていくのが
ちょっと嫌になってきているのに、なんたる仕打ち。まぁその点は
自業自得でもあるんだけど、あそこまで気付かれないのも悲しい。
﹁まぁまぁ、でも透ちゃんは可愛いから大丈夫よ!﹂
ペロッと舌を出している。余程その舌を抜いて欲しいみたいだ。
むにっとその舌を掴む。きょとんとする母さん。無駄に可愛らしい。
﹁ほほるひゃぁん?﹂
﹁ふ、ふふ⋮⋮なんて事、なんて事を⋮⋮﹂
﹁透、その恰好で母さん襲うのはやめといた方がいいぞ?﹂
後ろを振り向くと、父さんがくたびれた様子で帰って来ていた。
56
﹁人妻を襲う若い少年⋮⋮なかなか見物な絵面になってる﹂
﹁父さん⋮⋮﹂
何時の間にかスマホを取り出して写真撮影している。やめて欲し
い。ついでに娘に向かってその言い草はどうなのだ。父さんに半眼
で見つめつつ、舌を掴んでいた手を離す。
﹁ふふー!あなたったら娘に嫉妬したの?﹂
﹁勿論さ﹂
ガシッと抱き合う似た者夫婦。いや、違うでしょ。楽しんでるで
しょ確実に。はーっと深い溜息を吐いて遠い目をする。ちょっと遠
出したい気持ちになった。
いよいよ、女子制服デビューの日がやってきた。
通学中、チラチラ視線を感じる気がする。気のせいだと思いたい。
﹁え、木下くん⋮⋮?﹂﹁やだ、マジなの⋮⋮?﹂
そんな声が聞こえて来て早くも家に帰りたくなる。
騒がしい周りを無視して廊下を歩く。こうなったら開き直れ、と
いうか、本来の姿に戻っただけなのだ。堂々としていればいい。
それでも流石に自分の教室に入るのは勇気がいる。ドキドキとし
つつ扉を引く手に力を込める。全員の視線が私に降り注ぐ。シンと
静まり返る教室にドキドキと心臓が早まる。
﹁え⋮⋮女装?﹂
57
翼が遠慮なくスパッと聞いてきた。その遠慮のなさにちょっとだ
け気が緩む。
﹁私の性別は女です。むしろ今まで男装してたんです。ちょっと手
違いがあって﹂
ざわざわっと教室が騒がしくなった。
﹁え、マジ?﹂
﹁マジです。学校側の手違いで制服を間違えられたのです。まぁ、
性別を伝えなかった私も悪いのですが⋮⋮﹂
男子や女子が色々聞いてきたので、根気強く答えてやる。しかし
信じられない女子たちが個室に連れ込んで私を裸にして確認してき
た。上半身だけだが、胸があるので疑いようがない。
﹁おお⋮⋮本当に女なのか?﹂
﹁ええ、まぁ⋮⋮﹂
翼が以前と変わらない位気軽に話しかけて来てくれる。人をホッ
はると
とさせるような雰囲気の子だな。
﹁でも⋮⋮そうか。成程、晴翔と幼馴染なんだってな?﹂
﹁え?⋮⋮うん、そうですよ﹂
﹁なるほど、なるほど∼﹂
翼はひたすら頷いている。良く分からないが、とても良い笑顔だ
ったので、私もつられて笑った。
学園の殆どの女子が落胆したなど私の知る由ではない。
58
生徒会室に入った時、バサバサと月島会長が書類を落としまくっ
た。
﹁おま、透⋮⋮そんな趣味が﹂
﹁いやいやいや、私は女子ですよ会長﹂
狼狽えている会長は、周りが噂をしているのを聞いていないよう
だった。しかし、そんなにショックを受けられると落ち込む。
﹁はぁ、そんなに男に見えますでしょうか?そう見えるようにして
いたのは確かですが、女子の制服でもそう言われるのは少しばかり
ショックです﹂
﹁い、いや⋮⋮でも﹂
﹁なんだったら戸籍でもチェックなされます?ちゃんと女ですよ﹂
あはは、笑っていると、月島会長に腕を掴まれた。え、あの、ち
ょっと痛いのですけど⋮⋮。
﹁会長?﹂
﹁脱げ﹂
﹁はっ!?﹂
とんでもない事言い出したぞこの会長。
﹁この目で見るまで確信出来ん!﹂
﹁それ、私に凄くリスクがあるんですけどっ!?﹂
59
2人でぎゃあぎゃあと縺れ合う。冗談じゃない。なんで男に見ら
れないといけないのか。誰か助けてっ。この人痴漢です!運が悪い
ことに今生徒会室に副会長がいない。
暴れていると、会長の手が滑ったのか、私の胸を鷲掴みにした。
﹁ひょわぁっ!?﹂
﹁っ!?﹂
目を見開いた会長はムニムニ胸を揉んできた。その感覚にビクリ
と体が跳ねた。
ドスッと肘で会長の鳩尾を突いて、距離を取った後、バシッと思
いっきり会長を殴った。会長は床に転げて、呆然と私を見つめてい
た。
私は震えた拳をなんとか抑えて、会長を睨みつける。
﹁⋮⋮会長。何か言いたいことは?﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
会長は土下座した。
全く本当に失礼な男である。男として接している時はそんな事思
ったこともなかったが、あんな事をする男だったとは。思い出した
だけで顔から火が出そうだった。
前世も含めて男と、そ、そういう事した事ないのに。
有能で優秀だと思っていた会長は思いの外抜けている所があるら
しい。
バシッ
60
精神を落ち着ける為に弓道をする。全く的に当たらないけどね。
﹁はぁ⋮⋮﹂
生徒に騒がれる事よりも精神に来たわ。胸揉まれるとは思いもし
なかった。顔を合わせたくなくて。最近は生徒会室には行っていな
い。
的が当たらないので気分が晴れない。
﹁ブレてるね﹂
真島先輩が声を掛けて来た。
﹁⋮⋮やっぱり噂のせいかな?﹂
﹁⋮⋮それもありますが﹂
﹁ふーん、それだけじゃない、か﹂
私はそれに緩く頷く。噂の方はいずれ消えるだろうと楽観視して
いる。だってもとはと言えば学校側の手違いだし、私はきっと悪く
ない⋮⋮はず。確かにちょっとやりすぎていた気もしなくもないが
⋮⋮。まぁクラスの人達は比較的暖かく迎えてくれたからヨシとし
よう。
﹁取りあえず、その様子じゃあんまり意味ないし。ちょっと散歩で
もしてきたら?﹂
﹁はい⋮⋮﹂
戦力外通知に若干ショックを受けつつ弓道場を出る。
61
中庭は結構花が咲いている。何となくそれを眺めて一息つく。ぼ
んやりしているとポンポンと肩を叩かれた。振り返ると会長が立っ
ていた。胸を揉まれた感覚を思い出して顔に熱が集まるのが分かっ
た。
会長も視線を合わせられないのか、目線が泳いでいる。
﹁すまない。悪いことをしたと思っている﹂
﹁⋮⋮別にいいんですけどね。ずっと騙すような事してた私が悪い
んですから﹂
﹁い、いや、だとしても揉む事はなかったと思う﹂
うん。ですよね。会長も思ってたんだそれ。反省してください。
いきなり女性の胸掴んで揉むとかないですから。半眼で会長を見つ
めていると、視線を泳がせて真っ赤に染まった。
真っ赤になった会長の顔が珍しくて、まじまじと見つめてしまっ
た。驚きで恥ずかしさが何処かへ旅立ってしまう。会長でもこんな
顔するんですね。レアな顔です。胸を揉まれてみるもんですね。
﹁せ、責任はとる﹂
﹁責任ですか?﹂
謝ってもらったから別に良いのに。揉むのはダメだけど、男だと
思ってたのなら仕方ないし。でも償ってくれるなら何か奢って貰お
うかな?そんな感じで軽めの事を考えていたのだが、会長の口から
は予想だにしないセリフが飛び出した。
﹁結婚しよう﹂
﹁わぁ、会長って馬鹿だったんだ意外﹂
驚いた。心底驚いた。何故そうなる。貴方の脳内で一体どんな会
62
議がなされたんですか。胸を誤って揉んだくらいで結婚できるなら
世の女性が全員胸を差し出すわ。会長は自分の価値っていうものを
もっと良く理解した方がいいと思う。
私は嫌だったが、彼に胸を揉まれて喜ばない女性の方が少ないだ
ろう。私は嫌だったが。大事なので二回いいましたよ。
﹁馬鹿とはなんだっ。これでも色々考えて⋮⋮﹂
会長のセリフの途中ではぁ、と大きくわざとらしく溜息をついた。
﹁結婚はしなくていいので、何か奢ってください。それでチャラで
す。勝手に人生を掛けないでくださいよ。重いです﹂
﹁そんなんでいいのか?﹂
﹁それがいいんですよ。私も悪かったですから﹂
ああ、びっくりした。とんでもない事言うなこの人。甘党を隠し
たりするし、意外と天然なのかもしれない。
63
オリエンテーションにいきました。︵前書き︶
クラスメイトの女子が暴走します。ご注意下さい。
64
オリエンテーションにいきました。
女装デビュー︵?︶しても相も変わらず昼休みの授業は続いてい
る。みんな向上心が合っていいね。服装の事も、あまり何も言わな
いし、本当みんな優しいな∼。
﹁木下さん⋮⋮これ﹂
﹁わ、いつもいつも有難うございます﹂
相川さんがお菓子をくれる。授業後の恒例行事のようになってし
まっている。
﹁大変じゃない?毎回作って来るの⋮⋮金銭的にも﹂
﹁ううん!家がケーキ屋だから。今から練習してるの﹂
﹁そうなんですか、どうりで美味しいはずです﹂
﹁ふふ、ありがとう﹂
顔を赤らめて微笑む姿は本当に可愛い。家がケーキ店だったとは。
そりゃ毎回美味しいはずだ。
﹁モテるねっ!﹂
﹁これはモテてると言うのか?﹂
翼が隣に来ていた。元気な翼はいつ見てもゴールデンレトリバー
に見える。
﹁えーモテてるよね?﹂
65
翼が相川さんに話しかけると、相川さんの顔がさらに真っ赤にな
った。ああ、翼よ⋮⋮自分の顔の良さを思い出しなさい。将来芸能
人になるくらいには恰好良いんだから。そんなに笑顔で話しかけら
れたら誰でも赤くなるよ。
⋮⋮そういえば金城翼のプロフィールに、自分の恰好良さが理解
出来ないってあったな。無自覚イケメンだ。性質が悪い。そのせい
で主人公がファンから嫌がらせを受けるんだよね⋮⋮。
無自覚イケメンに辟易しながらも、チャイムが鳴ったので大人し
く席につく。
生徒会室に行くと、副会長が爽やかな笑顔をしており、会長が頭
を抱えていた。なんですか、どういう状況ですか?室内に入るのを
戸惑ってしまう。扉の前で立ち尽くしていると、副会長が手招きし
た。え、なんですか?その笑顔が怖いんですけど。
﹁何故もっと早く言わなかったのですか?﹂
﹁あ、すいません⋮⋮﹂
どうやら、男装の件に関しての話だったらしい。それで会長が頭
を抱えている意味が分からない。胸揉み事件の話でもしたのかな?
それなら納得がいく。
﹁まぁ、今さら良いんですけどね﹂
いいんですか。そうですか。でも追及されなくて良かった。副会
長の黒い笑顔は怖いからな。
﹁これがオリエンテーションの予定表です。それぞれのクラスに持
って行ってください﹂
66
﹁はい﹂
副会長に冊子を手渡される。オリエンテーションは1年だけで山
登りをして、そこで2泊3日で泊まって親睦を深めあう行事だ。男
女で別れて泊まるので、こういう行事の前に制服が届いて良かった
な∼と思う。まぁ、届かなかった場合は口頭で言っただろうけどね。
流石に男部屋で寝るような事はしない。
おぎ
冊子はそれぞれのクラス委員長に手渡し、コピーしてクラス分作
る事になるだろう。私のクラスの委員長は荻という男子生徒だ。明
るくて中々にイケメンな印象を受ける。
﹁そうだ。木下さん、どうして食事に行く流れになったのか教えて
頂けませんか?﹂
﹁は?﹂
﹁何か失礼をしたという事は聞いたのですがね。吐かないのですよ、
月島くんが﹂
胸揉みの話ですね、分かります。会長が顔をあげて縋る様な目を
してくる。確かに、あれはかなり会長のイメージを損なう恐れがあ
る。何故会長があれだけ取り乱したか分からないが、あれは酷い。
﹁ええと、会長の尊厳の為に黙秘します﹂
私の尊厳の為にもですけどね。そうそう吹聴するような事柄でも
ないし、あんな風に泣きそうにみられたら流石に言えない。私がそ
う答えると、副会長は残念そうに溜息を吐き、会長は安堵の息を漏
らしていた。
﹁まぁ、どうせ脱がようとしたとかそこら辺でしょうけどね﹂
﹁なっ!?﹂
67
﹁⋮⋮おおっ﹂
近い、というかほぼ正解です副会長!思わず感嘆の声をあげてし
まった。会長は顔を真っ赤にして大ダメージを受けている!この分
だと副会長には甘党の件も知られていそうだな。敢えて言わずに泳
がせている⋮⋮そんな印象を受ける。流石副会長、黒いぜ。おっと、
あまり失礼な事を考えるとこっちまで飛び火しそうだ。
1年のオリエンテーションが行われた。
1日目は歩いて山を登り、アウトドアクッキング、宿泊施設のガ
イダンス、レクリェーション等を行う。2日目は山の探索。季節を
感じられる山菜などを観察したり、鳥を観察したりする。スポーツ
や川遊びなどもするが、しっかりしないと最終日にこの合宿での出
来事をプレゼンしないといけない。
﹁私上∼!﹂
﹁ずるーい!私も!﹂
みやけ
たまもり
班は4人1組。それは宿泊する部屋が4人用というのもある。私
の班は相川さん、三宅さん、玉森さんだ。
三宅さんは短髪で、背もスラッと高く、バレー部に所属している。
玉森さんは刑事の娘らしい。班を決める時にそう主張していた。
一つだけ括った三つ編みが印象的だ。
宿泊施設のベッドが二段になっているので、上に行きたいと主張
したのは元気な三宅さんと玉森さんだ。相川さんはもじもじしなが
ら三宅さんの下のベッドに行っている。
しかしあれだな。良くぞ無事に辿り着いたな。班決めの時、殆ど
の女子が物凄い勢いで私に申込してきた。その時の勢いは凄まじく、
68
班決めに不満を持った女子達と山登りの途中に諍いが起っていた。
しかし、三宅さんと玉森さんも強い。その戦いを掻い潜りながら
山を登り切った。相川さんは控えめなので、安全な私の所から離れ
なかったから助かっている。でも何故だろう、たまに相川さんをみ
る他の女子たちの顔が青ざめていた気がする。⋮⋮気のせいだな。
男装してたのにあそこまで好いてくれたのは正直嬉しかった。誰
も組を組んでくれなかったらどうしようとか思っていた自分を殴っ
てやりたい。
荷物を部屋に置いて、貴重品だけを持って大広間に集まる。まず
はここの施設のガイダンス等を行う。
﹁ここには多種多様な施設があり∼⋮⋮﹂
云々かんぬん。長いので説明は省く。
お次は夕食作り。ここは定番のカレーだ。学校側が用意してくれ
た材料や器具で作る。男子の班と女子の班が1組づつで作っていく。
力仕事は男子、調理は女子が担当する所が多い。
﹁私は薪を運ぶわ!料理とか出来ないし!﹂
と堂々と宣言するのは三宅さん。いっそ清々しいほど良い笑顔だ。
﹁えっと、じゃあ僕は料理するね。力ないし⋮⋮﹂
気弱気に言うのは深見くんだ。ちなみに男子の班は何故か晴翔、
翼もいる。何故晴翔と同じ班⋮⋮まぁいいけどね。相川さんと深見
くん、それと私と玉森さんが調理班になった。
私の料理の腕前は普通だ。普通に美味しい普通の料理だ。﹁すご
い!うまい!﹂とか感動される事もない。敢えて言おう、普通だと。
69
チラッと深見くんと相川さんの作業を見やる。
タタタタ⋮⋮シュルシュルシュル⋮⋮
はやっ!人参ってピューラーなしでもあんなに上手く剥けるんで
すね。玉ねぎ切るの早いな⋮⋮まるで芸術のよう。2人共料理がう
ますぎる。この速さだと私と玉森さんの出る幕がない。2人で唖然
としながら作業を見守る。
っといけない。自分の作業もしないと⋮⋮玉森さんもハッと我に
返ったらしい。
はん
玉森さんと顔を見合わせてニコッと笑った。うん、次元が違うよ
ね。私たちは私たちで頑張りましょう。
ごう
三宅さん達が火をつけて湯を沸かしてくれていた。その隣には飯
盒が置かれている。ご飯もちゃんと炊かないとね。
ルーの配合や隠し味は深見くんと相川さんに任せる。というか、
任せないと怖い。
2人が激論を繰り広げている。あんなにアツい深見くんと相川さ
んは見た事がない。
最終的にガシッと2人で握手していた。何やら和解したらしい。
そうして出来たカレーは凄く美味しかった。今までカレーなんて誰
が作っても同じでしょ、とか思っていた。これは美味しい。なんだ
これ。蕩ける様な肉、ほっくほくのじゃがいも、甘い人参⋮⋮え、
凄い。
素直に美味しいと絶賛すると、相川さんの顔が真っ赤になってい
た。でも嬉しそうに笑っていたから凄く可愛かった。やばいな⋮⋮
本当に嫁に来てほしいくらいだ。
そして夜⋮⋮。
70
﹁トランプ!トランプ!ジョーカー!﹂
﹁マキシマムドライブ!﹂
﹁ちょ!なんだソレ!﹂
普通のババ抜きなのにやたらテンションが高い三宅さんと玉森さ
ん。ちなみにマキシマムドライブ!と叫んでいるのが玉森さん。ど
うやら玉森さんはジョーカーを引いたらしい。クスクス笑う相川さ
んマジ可愛い。
なんか楽しいな。晴翔に振られてからあまり笑えてなかったから、
凄く楽しい。ご飯のときに同じ班になったのは誤算だが、まぁ他の
皆もいたので乗り切れた。明日も夜はバーベキューで同じ班になる
ので気を引き締めておこう。
2日目はメモ帳を片手に山を散策する。道はちゃんと舗装されて
いるので、森に侵入しなければどうという事はない。まだ春の心地
よい気温が頬を撫でていく。チチチ⋮⋮と小鳥の囀りが聞こえて心
が落ち着く。
﹁ふぁーはっは!私が貴様に倒されると?笑わせる!﹂
膝を付く女生徒に三宅さんが高笑いをしている。
﹁ふん、木下さんに出会いたければ私も倒していく事ね﹂
腕を組んで宣言しているのが玉森さん。2人共テンション高いな
!ずっとそのテンションが持つだなんて凄い。普通に尊敬する。膝
を付いた女生徒︵別のクラスの子だろう︶は、悔しそうに私を見つ
めてから走り去って行った。⋮⋮なんだろうか?何故そうまでして
私に会いたいのだろうか?
71
今度あの子に話しかけてみようかな⋮⋮。
テンションの高い2人とは正反対で、相川さんと歩いていると落
ち着く。なんだか縁側にいるお爺ちゃんとお婆ちゃんの気持ちが分
かるような気さえする。
﹁お茶いります?﹂
﹁え、あるのですか?﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
﹁ではお言葉に甘えて⋮⋮﹂
相川さんはポットにお茶を入れて来たらしい。用意周到ですね。
完璧な嫁だ。保温ポットらしく、暖かいお茶が差し出される。春と
言っても未だ風は冷たいので、その気遣いが嬉しい。
﹁桜はまた抜け駆けを⋮⋮!﹂
﹁私にもお茶入れてー!﹂
玉森さんが悔し気にしており、三宅さんは気軽にお茶の催促をし
ている。ちなみに桜とは相川さんの下の名前だ。名前も可愛らしい。
完璧女子。もうこの子が主人公で良いんじゃないかな?
ここの施設は所々にベンチがあるので、気軽に腰を落ち着かせる
事が出来る。結構広いよなここ⋮⋮どれくらいの面積あるんだろう?
相川さんは三宅さんにもお茶を差し出してあげている。手渡す瞬
間、何故かピリッとした空気が走った気がした。不思議に思ったが、
気にするほどでもないだろう。
﹁おー透!奇遇だね!﹂
翼が手をあげてこちらに駆け寄って来る。その姿は完全に犬だ。
72
私がそんな失礼な事を考えているなんて知らない翼は笑顔で近づい
てくる。翼もいるという事は晴翔もいるということだ。
しかし晴翔は遠い所にいるので、ちょっと安心。
﹁今日の晩御飯楽しみだねー!﹂
﹁そうですね﹂
﹁ねー!﹂
何がそんなに嬉しいのだろう。凄い良い笑顔だ。
﹁どうせ会ったんだから、俺達と回らない?﹂
﹁﹁ダメよ!!﹂﹂
翼の提案に三宅さんと玉森さんが即否定した。
﹁ドキドキランデブーの予定があるの﹂
﹁女子会よ女子会﹂
なんの話ですか、なんの。2人共テンション高くてついていけな
いよ。翼も2人の勢いに負けて困惑している。おお⋮⋮攻略対象者
すら退けるその胆力!見事なモノです。感動しちゃいましたよ。
﹁デートしましょう木下さん!それぞれ2人きりで!親睦を深めま
しょう﹂
﹁え?ええ⋮⋮か、構いませんが﹂
﹁﹁よっしゃぁ!!﹂﹂
ガッツポーズを決める2人。え、どうしよう。勢いに負けて言っ
ちゃったけど大丈夫なのだろうか?
73
まずは三宅さんとテニスコートでテニスをする事になった。
﹁ふふふ、まさか木下さんとテニヌ︵誤字ではない︶が出来るなん
て⋮⋮!﹂
揺らめく瞳に情熱が篭り過ぎて怖い。本当はバレーをしたかった
らしいのだが、バレーのコートはないのだ。
﹁マジカルばなな!バナナと言ったら黄色!﹂
そんな事を言い放ってから三宅さんはバシッとボールを打ってく
る。
﹁ええっ!?き、黄色と言ったらレモン!?﹂
咄嗟に言ってから打ち返す。
﹁レモンと言ったら酸っぱい!﹂
﹁酸っぱいと言ったら⋮⋮言ったら⋮⋮あっ﹂
狼狽えている間にボールが2回地面に落ちた。無理!なんという
無茶ブリ。三宅さんテンション高ぇええ。なんでラリー中にマジカ
ルばなな言い出すんですか。
﹁ウフフ⋮⋮私の勝ちね﹂
頬を赤らめながら微笑んでいる⋮⋮うん、楽しそうで良かったよ。
次は玉森さんと川沿いを歩く。もう嫌な予感しかしない。
74
﹁水を掛けさせあってきゃっきゃうふふしましょう﹂
ああ、うん⋮⋮構いませんよ。着替えならありますからね。ジャ
ージのズボンをまくり上げて川に足を入れる。流石にちょっと冷た
いかもしれない。
カシャ
﹁ん?﹂
音のする方を見ると、いつの間に用意したのか、玉森さんがカメ
ラを用意していた。
﹁あの⋮⋮玉森さん?﹂
﹁ああ!そのまま!そのままでお願い!﹂
﹁え、ええ⋮⋮﹂
なんだ?水を掛け合うんじゃなかったのか?確かにまだ水が冷た
いし、風邪を引きたくないから助かるけど。しばらく写真を撮って
満足したのか、握手を交わした。うん⋮⋮うん、テンション高いな。
次は相川さん。
相川さんは特に何も要求する事はない。ただのんびりと風景を眺
めるだけ、落ち着くなぁ。何故あの2人はあんなにテンション高い
のだろう。クラスでいる時はそんな印象受けなかったんだけどな。
でも私といてそれだけ楽しんでくれているのは嬉しい。ちょっとつ
いていけないけど。
落ち着いたところでメモをとる。最終日にまとめて発表するため
だ。発表はそれぞれのクラスで分かれてクラス内だけで発表する。
どうせ似たり寄ったりな内容になる上に人数も多いからだ。それで
75
も手は抜けない。
でもそうか、写真はいいアイデアだったな。分かりやすくて説明
もしやすくなるだろうし。そういうの忘れてたな。でもあれは後で
現像するタイプだしな⋮⋮。
﹁ふふ﹂
隣で相川さんが笑ったので顔を上げる。見ると、穏やかに微笑ん
でいる。
﹁木下さんって本当に良い方ですよね﹂
﹁え?そ、そうですか?﹂
﹁そうですよ。普通あんな無茶なフリを受けたりしませんから﹂
お、おう⋮⋮あれは勢いに負けただけなのです。
﹁木下さんがスカートをはいて来た時、本当に驚きました﹂
﹁それは、申し訳ありません﹂
﹁いいえ、木下さんが女性でも男性でも、木下さんである事は変わ
りはないのですから﹂
その言葉がじんと胸に染み渡る。なんていい子なんでしょう。ど
うやったらこんなに良い子に育つのでしょう。
﹁⋮⋮有難うございます﹂
私たちは穏やかな空気のまま時間を過ごした。
夕食のバーベキューも相川さんと深見くんの独壇場。良い焼き具
合の物を均等に分けて入れていく。はんぱねぇ、本当にはんぱねぇ。
76
﹁どうぞ﹂
﹁あ、有難うございます。お疲れ様です﹂
﹁え⋮⋮あ、イエ﹂
深見くんに手渡され、お礼を言うと、何故か顔が真っ赤になった。
⋮⋮別に何もしてないはずなのに。⋮⋮それにしても美味しいなぁ。
良い焼き加減だ。2人にばかり任せるのは、ちょっと申し訳ないな。
⋮⋮でも2人に勝てる気がしないのでやめておく。2人も嫌がりそ
うだし。
相川さんの元に帰った深見くんが﹁ひっ!﹂という声を出してい
た。⋮⋮虫でもいたのかな?
夜になって、4人でプレゼンに使う紙を大きく広げていた。明日
も作る時間は多少はあるが、ある程度は終わらせていた方が良いだ
ろう。
﹁ねーねー木下さんって好きな人いるー?﹂
三宅さんが鉛筆で用紙に下書きをしながら聞いてくる。おっと、
これは定番の女子トークですね。そのノリはまた随分と懐かしいで
すね。
﹁女の子?男の子?﹂
﹁げほっ!﹂
玉森さんの質問に咽る。何故その質問⋮⋮まぁ男装してたからな
んだろうけど。
77
﹁⋮⋮男の方でお願いします﹂
﹁﹁おおっ﹂﹂
三宅さんと玉森さんは何故か盛り上がっている。そして相川さん
が少し落ち込んでいるようだ。なんか不味い事言ったか?
﹁相川さん?﹂
﹁⋮⋮木下さん﹂
顔を覗き込むと、丁度顔を上げた相川さんと目が合った。そのせ
いで距離が凄く近い。綺麗な瞳に見つめられながら、そっと手を取
られた。その真剣な眼差しに何故か緊張してしまう。
﹁私の事は、桜と﹂
﹁は、はい⋮⋮では、私の事も透と呼んで下さい﹂
しばらく2人で見つめあう。
﹁ゆりんゆりんね﹂
﹁2人の世界に入らないで貰える?﹂
ハッとして三宅さんと玉森さんに向き直る。おお⋮⋮これが美少
女の実力。その圧倒的美少女力の前では私の防御力すら破壊してく
る。なんて恐ろしい。
気を取り直してプレゼンの用紙に4人で取りかかる事にした。
78
でぇとに行きました。
オリエンテーションも終わり、ゴールデンウィークがやってきて
いた。
とても憂鬱な気持ちで駅前の待ち合わせ場所に行く。すると予想
通り。そこには沢山の女性の注目を浴びて立っている生徒会長様の
姿が。
以前食事に行く約束をしていたのだが、律儀にも守ってくれたら
しい。いえ、嘘を言うような人ではないと分かってはいたんだけど
ね⋮⋮。
会長の装いは白シャツに黒いズボン、その上から灰色の薄手の上
着を羽織っている。それはシンプルで、どこにでもある様なファッ
ションであるが⋮⋮さり気なくつけられた腕時計、ベルト、ネック
レス⋮⋮それが会長の美貌と相まって、もはや芸術の域に達してい
る。
その様子に思わず眩暈がした。⋮⋮なんだアレは。本当に生物な
のか?同じ人類であるなど、誰が知っているだろうか?いや、彼は
2次元の人間だったな、そういえば。はっはっは。そりゃ恰好良い
わ⋮⋮落ち着け、私。
様になった動きで腕時計を確認する会長を、女性たちがポーッと
した目で見つめている。恰好良い会長だが、声を掛ける様な女性は
いない。会長の威厳というか、話しかけてはいけない神聖な雰囲気
を感じさせる何かがある。流石攻略対象者、私たちに出来ない事を
簡単にやってのける。
まだ約束まで30分近くある。彼はどれだけ時間に厳しいのだろ
う。30分前に来てまさか先に来られているとは⋮⋮あれか、1時
間前に来ないとダメなパターンだったか。なんだか上司を待たせて
いる気分で、今すぐにでも声を掛けたいのだが、そんな空気じゃな
79
い。なにあれ、こわい。
しかし、いつまでも待たせている訳にも行かないので、ちょっと
小走りで駆け寄る。ええい、ままよ!
﹁すみません、会長、お待たせしてしまって﹂
﹁いや、すまない。俺が早く来過ぎただけだ﹂
そしてちょっと嬉しそうに微笑む会長。⋮⋮おう、心臓に悪いお
方ですね。でも私は騙されませんからね!
会長は私の服装をチラッと流し見た。私はというと、ズボンをは
いてきている。髪がかなり短いので、スカートはちょっと似合わな
かった。これから伸ばす予定ではある。
私の姿を見た会長は、特に何か言う事もなく、笑みを浮かべてい
る。
﹁では、行こうか﹂
﹁はい。今日は宜しくお願いします﹂
﹁かしこまらなくて良い。元はと言えば俺が⋮⋮﹂
そこまで言って、会長の顔が若干赤くなった。ちょっと、思い出
さないで下さいよ。いつまで引きずってるんですか、乙女なんです
か。そんなに恥ずかしがられると、こっちも恥ずかしくなりますよ
⋮⋮。
﹁す、すまない。では、改めて行こうか﹂
﹁は、はい﹂
しばらく会長の半歩後ろをついていく。横に並ぶのは恐れ多い。
歩けば、誰もが振り返るその容貌は、本当に凄いと思う。女性の目
が会長から私に移る。しかし、嫉妬とかそういう目ではない。恐ら
80
く、付き添いの部下とでも思われているのではないだろうか?だっ
て殆ど男装状態だものね。スカートがしっくりこなかったという理
由もあるけれど、こういう嫉妬の目から逃れるという理由も勿論含
まれている。効果は絶大なようで、厳しい目線を頂く事はない。
﹁何故半歩後ろなんだ﹂
﹁え、いえ⋮⋮なんとなくですよ﹂
﹁何となくで半歩後ろを歩くのか、透は﹂
﹁まぁ、そうですね﹂
﹁本当に透は変わっているな﹂
機嫌を損ねている訳でなく、むしろ笑みを湛えている姿は、目が
瞑れそうだ。なんだってそんなに見目麗しいんですか。歩くだけで
こんなにも精神に来るとは。
会長が連れて来てくれたのは、おしゃれなカフェ。どちらかとい
うと可愛い印象を受けて、入っていく客は全員女性。なんでこんな
店を知っていらっしゃるのですか、会長?
人気のある店らしく、2、3組外の椅子で待っている様子。しか
し会長は待たずに店内へ。
﹁予約していた、月島だ﹂
﹁へ、あ、は、はい!﹂
店員の女性は声が裏返って、顔が真っ赤になってしまっている。
急に国宝級の美青年に声を掛けられたら、誰でもそうなるでしょう
ね。
店員さんの反応にほのぼのしつつ、店内を眺める。店内の内装も
中々凝っている。様々な所に雑貨が置いてあり、小さな値札がつい
81
ている。鑑賞してて気に入ったらレジで買える、そんな感じですか。
落ち着いた雰囲気で、今度また来たいくらいだ。
﹁行くぞ﹂
﹁あ、ええ﹂
よそ見していたら、会長に手を引かれる形となってしまった。お
い馬鹿やめろ⋮⋮今の私は嫉妬されないよう、男っぽい服装なのだ。
それで会長も男⋮⋮そしてこの可愛いカフェ⋮⋮嫌な予感がひしひ
しと伝わる。
店員さんの目が私達の手、私の顔、会長の顔と順番に渡っていく。
そして何かの結論に至ったのか、カァッと顔を赤くさせていた。⋮
⋮うん。
顔が赤い店員さんに予約席に案内される。私と目が合った店員さ
んがサッと逃げ出した。⋮⋮うん。
別にいいや。うん。ここだけの話だし。気を取り直して、メニュ
ーを見る。
メニューにはそれぞれ写真や説明があり、分かりやすい。どれも
凝ってて美味しそうだった。チラッと会長を見ると、何かを考えて
いるようで、真剣にメニューを見ている。何故そんな険しい顔で⋮
⋮会長のメニュー表をみると、ページはデザートだった。⋮⋮デザ
ートで悩んでらっしゃたんですか、そうですか。
﹁会長。お悩みなら、2つ注文して小皿で分けませんか?﹂
﹁⋮⋮っ!!﹂
私の提案に、ハッと顔を上げた会長の顔が真っ赤になった。
﹁い、いや⋮⋮別に、注文するつもりは⋮⋮﹂
﹁え、何故です?﹂
82
﹁⋮⋮﹂
私には甘党だとバレてるんですから、もう隠さなくてもいいのに。
その固いプライドはなんなんですか。
﹁私も2種類味わえるなら2度美味しいですし。むしろ私からお願
いしたいんですが、ダメですか?﹂
﹁そ、それなら、しょうがないな﹂
目線を泳がせた会長が詰まりながら答える。なんですかこの茶番。
まぁ別にいいんですけどね。なんとなく店内に目を向けると、女性
客の目がサッと逸らされた。⋮⋮今、殆どの客に見られていません
でしたか?見世物じゃあないんですよ。
パスタ2種とデザート2種注文した。
私のパスタはえびと枝豆のなんとかかんとか。名前長いよ、どう
してこう、ごちゃごちゃした名前なの?まぁ、美味しいですから、
いいです。
﹁美味しいか?﹂
とっても眩しい笑顔で会長が尋ねてくる。私は心臓に宜しくない
笑顔の会長に頷いて答える。
﹁はい。とても美味しいです﹂
﹁そうか、良かった﹂
蕩ける様な笑顔を放つ会長。なんだその笑顔は。周りの客たちが
頬を上気させてポーッとしてしまっているぞ。
攻略対象者は相手を勘違いさせる技術が高いらしい。そんな甘っ
83
たるい笑顔を向けられて惚れない女などいないだろう。私を除いて。
彼らは攻略対象者だ。彼らが主人公以外に目を向けない事なんて私
が一番良く分かっている。主人公が誰かのルートを選んだとしても、
選ばれなかった攻略対象者はずっと主人公を想い続けたりしそうだ。
叶わないと知りつつもずっと想いを寄せる。なんて切ないんでし
ょう。頑張ってください。私は主人公に危害を加えないようさり気
なく転校しますよ。今の所、転校先は見つかっていないけれど。
私はパスタに夢中のフリをして会長を盗み見る。食事も綺麗にこ
なすんですねぇ。やれやれ、これだから攻略対象者は。
﹁なんだ?俺の顔に何かついているか?﹂
﹁あぁ⋮⋮イエ、ナニモアリマセンヨ﹂
目が合ったので思わず逸らしてしまう。言葉が片言になったのは
ご愛嬌。食事も済ませ、次に紅茶とデザートでまったりする。
小皿で分けて、2種類の味を楽しめる。いいですね。プリンロー
ルと、ミリフィーユ。ちょっとミルフィーユは分けにくそうだ⋮⋮
と思ってたんですが、店の方で綺麗に半分に切ってくれていた。気
がきいてますね。もしかして会話聞いてたんですか?いやまさかね。
甘い物を食べている時の会長は柔らかい表情をするらしい。それ
がちょっと子供っぽくて可愛らしい。
﹁⋮⋮透﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮今は学校外だ。会長じゃなく名前で呼んで欲しいんだが﹂
﹁では月島先輩と呼ばせていただきますね﹂
﹁⋮蓮だ﹂
84
﹁は?﹂
﹁蓮で良い﹂
﹁えー⋮⋮と﹂
はい?なんですか?月島蓮会長を下の名前で呼べとおっしゃるの
でしょうか。なんとういう事でしょう。あらやだ。普通の若い女の
子なら絶対﹁え⋮⋮この人私の事好きなんじゃ?︵ドキッ︶﹂っと
なるところだ。
まぁ、会長も私が絶対勘違いしないと確信しているから言ってい
るのだろう。じゃないとそんな迂闊な事言う人じゃない⋮⋮たぶん。
結婚しようとか言ってたけどあれは忘れよう。金城からも翼って呼
んでいいよって言われたし。多分皆さん私など論外なのだろう。ジ
ャンルは男友達に区分されている事でしょう。決して女だとは思っ
ていないはずだ。あれぇ?おっかしいな⋮⋮顔はそこそこ綺麗だと
思うんだけどな?行動か?言動か?何がいけないんだ?男装ですか?
⋮⋮まぁ、攻略対象者は主人公にしか攻略出来ないからどうでも
いいか。
﹁では、蓮先輩﹂
﹁⋮⋮っ﹂
私は言われた通りに会長の事は蓮先輩と呼ぶ事にしよう。⋮⋮あ
れ?なんで会長は顔を逸らしているんだろう。言われた通りに言っ
たのに⋮⋮何が気に入らないのだろう。
あ、あれか。社交辞令の方だったのか。﹁タメ口でいいよ﹂﹁お
う、じゃそうするわ﹂﹁本当にする奴があるかっ!﹂的な。
そうだ。これに違いない。私は会長に向かってなんて失礼な事を
してしまったんだろう。いやでもまだ呼び捨てじゃないから辛うじ
て大丈夫な事を願いたい。
85
﹁⋮⋮会長?﹂
恐る恐る顔を逸らした会長に呼びかける。
﹁⋮⋮なんで戻ってる?さっきので良い﹂
﹁⋮⋮分かりました﹂
バッとこちらを向いた会長がそう言ってきた。うっそだぁ⋮⋮構
わないって反応じゃなかったよね?さっきの。会長って良く分から
ないなぁ。
86
怒られました。
ゴールデンウィークはどこに行くにも混む。正直どこにも行きた
くない。渋滞とか、凄く億劫だし。まぁ、弓道とか生徒会の仕事が
あるからどちらも無縁だけれど。
精神を落ち着け、的に向き合う。この瞬間は全ての時間が止まっ
てしまったかのような感覚がたまにある。あの時は少し不思議だ。
実際はそんな事ないんだろうけどね。半笑いで指を離す。タン!と
飛んで行った矢が刺さる。
その瞬間後ろで溜息というか、どよめきのような声が漏れる。後
ろを見ると、女性の先輩たちが私を見ていた。いえ、あの、外した
んですけど?そんなうっとりと見られるような事はしていない。ど
ちらかというと、さっきからずっと的に当ててる真島先輩の方が凄
いですよ。
外したところをうっとりと見られると凄く恥ずかしいです。自分
でも顔が熱くなるのが分かって、顔を隠した。
﹁まぁ、もうちょっと集中すれば、もっと上手くなるさ。頑張れ﹂
﹁すみません、有難う御座います⋮⋮﹂
真島先輩に励まされて練習に戻る。どうにも、じっくり見られて
いると集中力が⋮⋮うっ、また外した。何度も外すと、心が立ち直
らなくなる。
はぁ、と溜息をついていると、ポンポンと肩を叩かれた。後ろを
振り返ると、坂上さんがいた。長い髪を後ろでまとめてお団子にし
ている、ちょっと大人しいタイプの子だ。
﹁木下さんに来客﹂
87
﹁私に⋮⋮?﹂
人差し指が指す方向を見る。
﹁ひっ!﹂
と、思わず声が漏れた。あの人に聞こえていない事を祈るしかな
い。
﹁すみません、真島先輩。ちょっと出ます﹂
﹁おう、頑張れよー﹂
応援されてしまった。そうか、真島先輩は3年生だし、あの人と
みやがわうち さな
も同級生か。先程から言っているあの人⋮⋮とは3年。茶道部部長
の宮川内佐奈先輩の事である。
柔らかそうなふわふわの薄い黄緑色の髪をした女性で、部室では
いつも着物を着ている。彼女の早着替えは有名で、着物を10分で
着付けてしまう。
着物を着ている時の素早さとは裏腹に、普段はおっとりとしてて
穏やかな女性だ。今日もその素早さで着物を着たらしい。乱れがな
いのが本当に凄いと思う。
実は佐奈先輩は同じ茶道教室の先輩後輩だったりする。なので、
彼女がただ穏やかなだけの女性ではないという事は知っている。怒
ると怖いので、茶室で粗相をしてはならない。これは絶対だ。世界
の真理と言っても良い。
﹁透、なんだか失礼な事考えていらっしゃらないかしら?﹂
﹁とんでもない﹂
こ、怖っ!!なんでバレたんですか!!私は恐怖のあまり目を逸
88
らしてしまう。穏やかに笑っている佐奈先輩の目が笑っていない。
凄く怖い。
乙女ゲームでは名前も出てこないような人物でありながら、圧倒
的存在感を誇っている。でもそうか、佐奈先輩は今3年だから来年
卒業する。乙女ゲームで名前が上がらないのも当然なのか。どこか
納得しながら佐奈先輩の背中を追う。
茶道部に案内されて茶室に案内される。それだけで私の緊張は鰻
登りだった。黙々と茶をたてる佐奈先輩を見つめる。少しでも粗相
をすれば正座で粛々と説教をされるはめになるので、気を引き締め
ておかなければならない。
ドキドキしながら茶を飲み終えてほっと息を吐く。特に怒られな
かった。本当に恐ろしい。いきなり抜き打ちのような事するんだか
ら。茶器をそっと置いて姿勢を正す。そこに沈黙が落ちる。茶室の
外で弓道部が活動しているのが聞こえる程静かだった。
﹁髪﹂
思わずビクッとしそうになった。だがなんとか抑えた。良くやっ
た私。
﹁切ったのね⋮⋮綺麗だったのに﹂
ゴクリと生唾を飲んで耐える。冷や汗が出て来た。佐奈先輩は勿
論私が女性だと知っている。男装していたのも恐らくは知っていた
のだろう。それゆえの呼び出しなのだろう。
﹁あらぁ、可笑しいわね?きっと複雑な事情があるんだろうと思っ
ていたから黙っていたのだけど⋮⋮ふぅん?間違いで、男装?へぇ
?﹂
89
﹁す、すみま⋮⋮申し訳ございません﹂
そう言って頭を下げる。おっとり微笑む佐奈先輩の背後に般若が
見える気がする。そっと頭をあげて佐奈先輩を伺う。結い上げた髪
がとても色っぽい人で、高校生とはとても思えない。綺麗な方が怒
ると怖いって本当だ。
﹁私にも黙ってねぇ⋮⋮?どういうつもりなのかしら、透は﹂
ギロリと睨まれてビクッと震えてしまった。転生者すら怖がらせ
るその圧力⋮⋮感服致します。
﹁伸ばすわよね?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
﹁髪よ。伸ばしなさいな⋮⋮せっかく綺麗だったのに﹂
私からしたら、佐奈先輩の薄い黄緑色のふわふわの髪の方が綺麗
だと思う。黒なんて珍しくもない髪なんて⋮⋮あ、そうか。珍しく
ない事もないのか。ここは乙女ゲームの世界で、髪の色が多種多様
そろっている。前世だと奇抜で有り得ないと思っていたのだが⋮⋮
慣れって恐ろしいですね。最近じゃどんな髪色でもどんと来いな感
じになってきている。
﹁次何かやらかすときは言いなさいな。手伝えますし、フォローも
しますから﹂
﹁あ、有難うございます﹂
佐奈先輩の言葉に深々と頭を下げる。どうやら許してくれるらし
い。しかし二度目はなさそうだな、釘を刺されてしまった。ノリで
90
あんな事するもんじゃないな。うん。ちょっと母さんの影響なのか
もしれない。
考えなしな行動は控えて⋮⋮反省しよう。
91
相合い傘しました。
梅雨入りし、洗濯物が乾かなくなってきた。御蔭で今は部屋中に
洗濯物が干されている。じめじめとした湿気が不快極まりない。し
としとと降りやまぬ雨を見て憂鬱な気分になる。
﹁傘がない⋮⋮﹂
100円ショップで買った傘が紛失している。自分のモノだと分
かりやすいように持ち手の所にシールを貼ってあったのに⋮⋮良く
見ずに持って行ったのか、それとも忘れたから持って行ったのか。
⋮⋮盗むのは犯罪ですよーと、ちょっと言ってみる。どっちにしろ
ないものは仕方がない。
溜息をついて上を見上げる。暗澹たる気持ちと同様の暗い雲から
は容赦なく雨が降り落ちる。放課後からは結構時間が経っているの
で、数人程度しか人はいない。誰か見知らぬ人に声を掛ける訳にも
いかず、このままぼんやりしている訳にもいかない。鞄を頭の上に
かざして、いざ出陣。
﹁透!待った!﹂
出撃しようとした所で声が掛けられる。踏み出そうとしていた足
を戻して振り返る。そこに、手と足を出している翼がいた。嬉しそ
うに笑っているのが癒される。手と足の出し方がちょっと歌舞伎っ
ぽく見えたのは内緒です。
﹁どうしたんですか?こんな遅くに﹂
﹁えっとね、作戦会議してた﹂
92
私の質問に良く分からない返答をする翼。作戦ってなんの作戦な
のだろう。ビシッと親指を立てて爽やかな笑顔を振りまく犬⋮⋮じ
ゃなかった、翼だった。なんでこの子こんなにテンション高いので
しょう。
はると
﹁今傘なしで突撃しようとしてたね?﹂
﹁え、ええ⋮⋮﹂
﹁ふっふっふ⋮⋮!ここで晴翔の出番だ!﹂
靴箱に隠れていたらしい晴翔をグイグイ引っ張ってきた。案の定、
晴翔は不快そうに顔を歪めている。
﹁2人で相合い傘して行ったらいいよ!﹂
﹁は?﹂
どーん!という効果音が付いてきそうな程堂々と宣言する翼。無
性にイラッとしたのは私だけではないはず。ただでさえ晴翔とは気
まずいのに、相合い傘なんてしたくない。相合い傘をする位なら濡
れた方がマシである。
晴翔も眉間に皺がよっているし、嫌なのだろうと思う。⋮⋮落ち
込むなぁ、そう言う顔されると。まぁ、自業自得なんだけど。
翼は、黙っている私と晴翔を交互に見てオロオロしている。その
様子がやはり犬に見えるのは気のせいではないはず。事情を知らな
いとは言え、これは翼の言動が悪いですよ。振られライバルキャラ
が幼馴染と相合い傘するなんて間違っている。
﹁あれ?まだ帰ってなかったのか?﹂
この気まずい空気を壊してくれたのは会長だった。遅くまで生徒
93
会の仕事をしていたらしい。ご苦労な事で。私はというと、教師に
任された別件の仕事をしていた。なので遅くまで学校に残っていた
のだ。
会長の顔を見て思い出した。そういえば、生徒会に貸出し用の傘
の類もあったなぁと。
﹁会長⋮⋮貸出し用の傘ってありましたよね?﹂
ナイスな登場の会長に聞いてみる。まだ傘が残っているならば、
相合い傘するより余程健全で安全だ。凄く目線を泳がせた会長がポ
ツリと呟いて、傘を掲げる。
﹁⋮⋮これが最後だ﹂
会長の顔と傘を見比べる。もしかして会長は傘を忘れて来ていた
んですか?午後の降水確率があれだけ高かったのに?⋮⋮ドジっ子
なんですか?
⋮⋮最近会長のイメージが崩壊しているのは気のせいではないは
ず。あの土下座からの結婚発言からどうも、私の中の会長のイメー
ジが⋮⋮。
確か、乙女ゲームの中では会長はドS系俺様だったはずなのに。
いつからどうしてこうなってしまったのだろう?いや、もしくは主
人公の前でだけはいじわるになるとか⋮⋮ちょっと待て、何その小
学生男子のような行動は。やはり会長のイメージが壊れる。
﹁ないのか?﹂
﹁え、ええ⋮⋮どうにも、持っていかれたみたいで﹂
﹁そうか、入っていくか?﹂
会長の申し出はとても有難い。気まずい晴翔よりはマシである。
94
私は彼に振られているのですよ、ええ。そんな人間と笑顔できゃっ
きゃうふふ出来るとは思えない。翼の突拍子もない発言が心底恨め
しい。
チラッと晴翔を伺うが、目を逸らされる。ショックです。はぁ、
いつまで引きずってるんだろう、私。落ち込みそうになる心を奮い
立たせ、会長に向き直る。
﹁えーと⋮⋮お言葉に甘えて⋮⋮宜しいですか?﹂
﹁あ、ああ﹂
会長は何故か目を逸らしながら答える。
﹁ちょ、透?晴翔は?﹂
﹁すみません、誘ってもらったのに。でも⋮⋮まぁ、晴翔も嫌がっ
ているし、良いでしょう?﹂
翼は私が晴翔に告白して振られた事を知らないのか。まぁ、そう
言いふらすような人間じゃない事は知っているけれど。ちょっと勘
弁して欲しい。相合い傘なんて緊張するじゃないか。
﹁いっ、嫌じゃ⋮⋮っ﹂
大きな声で晴翔が叫ぶ。それを驚いた顔で皆が見つめたので、晴
翔は俯いた。えっと、嫌じゃ⋮⋮って嫌なのだろうか。それとも﹁
ない﹂という言葉を続けようとしたのだろうか。発音的に﹁ない﹂
が続きそうだったけど⋮⋮希望的予想はやめよう。それに﹁ない﹂
だとしてなんだというのか。所詮友達としてだろうな。
良くないですよ、そう言う事言うのは。ただでさえまだ好きなん
ですよ。期待持たすような発言は控えて頂きたい。いや、まぁ﹁嫌
じゃ﹂としか言ってませんけれど。晴翔は標準語なはずだから、言
95
葉に続きはあると思うの、うん。﹁∼じゃ﹂なんて言葉は晴翔から
聞いた事ないしな。
﹁行くぞ﹂
﹁え、あ⋮⋮はい﹂
会長が強引に引っ張ったので若干よろける。すぐに体制を立て直
してついていく事にした。翼に手を振って会長の傘に入れて貰う。
晴翔はなんだか落ち込んでいるように見えたけど⋮⋮ああ、もう!
知らん知らん!いつまでも振った人間の事考えるな!私よ!奴は攻
略対象者なんだから。いつまでも好きなままだと、将来主人公が来
た時にいじめたくなるかもしれない。それは全力で拒否したい。
﹁さっきの﹂
話しかけられて顔を上げると、顔を強張らせた会長が前を見据え
ていた。何故そんな怖い顔をしているのだろうか。怖いですよ。最
ひえん
初の威厳あるイメージが若干回復する程度には。
﹁赤い髪の⋮⋮誰だ?﹂
﹁え、と⋮⋮同じクラスの火媛晴翔です﹂
﹁⋮⋮透とはどういう関係なんだ?﹂
どういうって、どういう⋮⋮事でしょうか?今同じクラスの、と
いう前置きをしたはずです。それ以外の関係を聞いているという事
で宜しいでしょうか?
晴翔との関係⋮⋮難しいですね。友達と言ってもいいんですけど
ね。なんだか最近微妙な距離感なのですよね。会ってもあまり喋ら
なくなりましたし。
悩んでいる間、ずっと会長の視線を浴び続ける。ちょっとやめて
96
頂けませんかね。見目麗しい会長にみられると恥ずかしいのですが。
さて、どういう関係か、ですか⋮⋮強いて言うなら幼馴染ですね。
大事なので言いますが、今は特に親しくもない幼馴染です。しかも
私が告白して振られた相手でもあります。まぁこれは言う必要はな
いですね。
﹁えっと⋮⋮幼馴染です﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
それだけ言って黙々と歩く。それだけですか?何故晴翔の事を聞
いたんですか、会長。でもいっそその事はどうでもいいんですけど
ね。私はそんな事より突っ込む事があるのです。
﹁会長、駅はそっちじゃありません﹂
﹁⋮⋮すまない﹂
全く逆方向に歩き出す会長に指摘する。怖い顔から情けない顔に
変化する。うん、やはり会長はこの顔ですね。
97
相合い傘しました。︵後書き︶
乙女ゲーム内の月島蓮生徒会長。
主人公にたびたびちょっかいをかける。
高圧的な態度でからかったりする。
甘いものは苦手。けれど主人公の為に我慢して食べてあげる事多数。
好感度が低い時はツンツンだが、次第にツンデレに。
俺様なので、中々素直になれない。
98
腐女子達の話。︵前書き︶
女の子が暴走してます、ご注意下さい。
99
腐女子達の話。
﹁とんでもない事よ、これは⋮⋮﹂
﹁ええ、そうね⋮⋮﹂
越前恵梨香、二宮まどかはとても真剣な表情で斜め下の机をじっ
と見つめている。その机の上には噂の木下透の写真。穏やかな微笑
みはどこか女性的と言っても過言ではない。だからこそ、男だとい
う事にかなりの興奮を覚えたものだった。なのに、木下は、木下は
⋮⋮綺麗な女性でしかなかった。
お互い、木下が男だからこそ争っていた。だが今はどうだろう?
同士、いや、親友と言っても過言ではなくなった。互いの傷をなめ
合い、心を癒した。きっと傷付いたのは彼女達だけではないはずだ。
﹁私たちはなんて空虚な争いをしていたのかしら﹂
どこか遠くを見る目で呟く二宮に、越前は扇子で顔を半分隠しな
がら頷く。木下が女だという事に、何故だか納得する気持ちもある。
あれだけ綺麗なんだから女でも不思議じゃねぇよ、と。しかし腐っ
た彼女達の脳内はそれを拒絶していた。
﹁問題はこれよ﹂
ス⋮⋮と越前が写真を取り出す。その写真には、木下と会長が﹁
相合い傘﹂を
している姿だった。どう見ても目の保養。真っ直ぐに会長を見据え
る木下。それに狼狽えて少し目元が赤くなっている会長の姿が激写
100
されている。正直、このシーンを撮った新聞部部長に尊敬の念すら
感じる程素敵シーンだ。だが、それは男同士だったらの話だ。男同
士だと思っていたなら丼ぶりで飯が3杯ほど進むだろう。
だがしかし、駄菓子菓子!!
木下はただの女性。この相合い傘シーンは普通のカップルだ。
だがどうだろう、二宮の心は何処か凪いでいる。
その瞳はさながら赤子を抱き上げる母のようではないか。
﹁私はここに女体化を入れてみようと思う﹂
﹁馬鹿な⋮⋮!﹂
二宮の宣言に越前が戦慄を覚える。ついに、二宮が狂ってしまっ
たのだと確信した。越前は扇子を持つ手を痛い程握りしめる。
﹁心は男、体は女⋮⋮戸惑う木下、惹かれる会長⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
完全に悟りの境地に至った二宮の瞳は穏やかだった。二宮が狂っ
たのではない。この世界こそが狂っているのだ。木下が女だという
この世界こそ間違っているのだ。
﹁でも、女なんて⋮⋮!﹂
越前には許容できない。あの薔薇の空間に女など邪道。震える越
前の唇にスッと人差し指を添える二宮。そして糸に括りつけた5円
玉を揺らす。
﹁女体化にみえーるみえーる﹂
101
﹁⋮⋮女に⋮⋮はっ!あ、危ないわ!危うく引きずり込まれるとこ
ろだったわ!﹂
﹁ちぃっ!﹂
越前は背筋が凍る思いがした。まさか二宮が禁術を使ってまで自
分の心を取り込もうとするとは思っていなかった。しかし越前は気
付いた。二宮の目が腐ィルターによって腐っている事に。
︵ふっ⋮⋮なるほどね。まどか、貴方の気持ち、受け取ったわ!︶
︵ようやく心得たようね、恵梨香︶
2人は目と目を交わすだけで通じ合った。もはや心と心を分かち
合った無二の親友。口ではあんな事を言っていたが、本当の所、二
宮の根本は変わっていなかった。
﹁あ⋮⋮二宮さん⋮⋮﹂
丁度木下が廊下に通りかかった。伸ばしている途中の短い髪は、
今だに少年っぽさが抜け切れていない。そしてその少し伸びた髪が、
何故か色香を主張しているのだ。それこそが真の木下の恐ろしい所
だった。木下は、二宮を認めた途端頬を赤らめて、目を少し潤ませ
る。申し訳なさそうに眉を下げて、唇を震わせている。その女性の
母性をくすぐる不安そうな表情、仕草⋮⋮その全てが正義。
﹁すみません⋮⋮ずっと謝ろうと思っていたの、ですが⋮⋮﹂
﹁くっ⋮⋮!﹂
その木下の攻撃に膝を付いたのは隣にいた越前だった。まさか木
下の色気攻撃がここまでとは。告白した時に知っていた二宮は頬を
染める程度に済ませている。
102
﹁えっ⋮⋮!?あ、あの、大丈夫ですか!?﹂
二宮ばかり見ていた木下は、隣で膝を付いた越前に狼狽える。そ
りゃそうだ、いきなり膝を付かれたら誰だって驚く。二宮はスッと
木下を手で制する。介抱しようと近づこうとしていた木下は止めら
れてまた狼狽える。これはどういう状況なのかサッパリ分からない、
という顔だった。
二宮はスッと越前の耳元に顔を近づけ、囁きかける。
﹁分かったかしら?﹂
﹁え、ええ⋮⋮バッチリよ⋮⋮﹂
冷や汗を流している越前は不敵に笑う。木下の真骨頂を間近で見
て確信した。
木下は木下なんだから性別なんてどうだっていいじゃない。
答えは出た。彼女達はまた裏で暗躍するであろう。2人は高らか
に笑いあう。
103
腐女子達の話。︵後書き︶
深刻な突っ込み不足。
不敵に笑いあう少女2人を見た木下﹁どういう事なんですか⋮⋮?﹂
告白の件に関して謝ろうと思っていたら変な反応をされて困ってい
る。
104
約束しました。
前期期末試験の結果が返って来た。まだ高校1年の試験なので、
余裕だ。高校3年とかになってくると流石にちょっと難しいが、小
学校の時から大学受験の本をやっていたので、まぁそれなりに出来
る自信はある。内容を忘れないよう何度も復習している。
﹁透∼!﹂
パタパタと答案用紙を持って走り寄ってくる犬⋮⋮じゃない、翼
が凄く良い笑顔だ。顔見ただけで分かる。成績上がったんだな、と。
翼の笑顔にこちらの口元も緩む。
﹁ちょっと未だかつてない成績だったんだが!まじで透ありがと∼
!﹂
その場でぴょんぴょん跳ねる翼。テンションが異常に高いな。で
もまぁ、今日くらいは許そう。改めて翼の答案用紙を見せて貰う。
﹁57⋮⋮﹂
⋮⋮うん、上がってますよ。中間試験は24でしたからね。赤点
なので放課後残されてましたよね。⋮⋮良くこの高校受かったなと
思う。これが攻略対象者の強制力というものなのか?人生、成績だ
けが全てではない事を私は良く知っている。人柄や会話スキルなん
かも重要なのだ。その点において翼は問題がない。
しかし翼は成績を落とせばバンドを辞めさせられる危険性がある。
いくら攻略対象者であっても勉強しなきゃ成績は落ちるんじゃない
105
のか?
﹁翼⋮⋮﹂
﹁ひっ!?﹂
笑顔を向けたら悲鳴を上げられた。ふふ、翼。夏休みは覚悟して
おくといい。貴様の成績は私があげてやろう。ククク⋮⋮と悪い笑
みを浮かべていると、ポンポンと肩を叩かれた。振り返ると三宅さ
んがいた。ばーんと嬉しそうに現国の答案用紙を見せつけている。
えっと⋮⋮62点ですね。
﹁未だかつてない好成績!木下さんの御蔭だよ!ありがと∼!﹂
﹁そ、それは、良かったです⋮⋮﹂
三宅さん?三宅さんも翼と似たような状況だったのですか?もし
かしてこの高校は安易に入れるのでしょうか?いや、馬鹿な。ここ
は進学校ですよ?しかも県で3本の指に入る位の。
ちょっと頭痛くなってきました。皆さん大丈夫なのでしょうか?
いえ、まぁ⋮⋮三宅さんはスポーツ推薦も行けそうですが。確かか
なりバレーも上手いと評判でしたから。
三宅さんが私にお礼を言いに来たのをきっかけに、皆さんがお礼
を言ってきた。昼休み授業と、プリントで試験も分かりやすかった
らしい。笑顔でお礼を言われ、私も嬉しくなってしまう。
ああ、前の人生ももっと頑張っておくんだったなぁ。でも、前回
があるからこその喜びでもあるんだよね。ちょっと複雑な気持ちだ
が、素直に喜んどこう。
もうすぐ夏休みで、8月頭には弓道の大会もあるし、合宿もやる
らしい。まぁ基本的に2、3年が中心で出るので、今回はサポート
106
メインだろう。それに生徒会の仕事であまり練習にも出れていない
ので腕が鈍っているのも否めない。やはり会長のように両立は出来
ないという事か⋮⋮いっその事やめるか?
⋮⋮あ、思い出した。くそったれ。この考えも﹁設定通り﹂か。
ライバルキャラの木下透は夏休みを終えて弓道部を辞める。理由は
なんだったか⋮⋮ぼんやりしているが、おおよそ今の理由と同じだ
ろう。
小出しに設定を思い出すのはなんなのだろう。もういっその事意
地でもやめたくなくなってきた。絶対弓道はやめない。設定通りが
なんだ。抗ってやる。世界に抗おうとメラメラ燃えていると、会長
に声を掛けられた。
﹁どうしたんだ?怖い顔をして﹂
﹁申し訳ありません。ちょっと意気込んでいましたので﹂
﹁無理はするなよ﹂
強張った顔をムニムニ揉んで戻す。そんな私の様子を見て会長が
優しく微笑む。⋮⋮目が、目が瞑れそうです、会長。最近の会長は
やたら微笑むような気がする。気を許して貰っているという事なの
だろうか?だが心臓に悪いからやめて頂きたい。心が和らぐ犬のよ
うな翼と違って会長は彫刻のように美しい。まぁ、翼も十分恰好良
いんだけどね。
﹁ちょっとこの書類持っていきますね﹂
副会長が席を立つ。
﹁私が代わりに行きましょうか?﹂
﹁いえ、今回は大丈夫です﹂
107
席を立とうとした私を手で制する副会長。その目が笑っていない。
やばい、これは役員達が怒られるフラグだった。飛び火すると怖い
ので、大人しく席に座る。
しばらく黙々と書類を片づける。クーラーが付いていない室内は
暑い。髪も結構伸びたので暑苦しい。ゴムを買って括ろうか。もう
私を男なんて言う奴はいないだろう。いや、自業自得なんだけどね。
﹁とぉっ⋮⋮んんっ。と、透﹂
裏返った声を上げた会長。咳払いして声をなおす。⋮⋮なんか抜
けてるんですよね、この会長。乙女ゲーム内だともっとしっかりし
ていると思ってたんですが⋮⋮いや、まだ主人公は来ていませんか
ら、これからの成長に期待ですね。
顔を上げて会長の顔を見ると、恥ずかしかったのか、頬が若干赤
くなっている。
﹁最近、暑いよな?﹂
﹁そうですね、夏ですからね﹂
何を言っているんでしょう、この方は。もう夏だから暑いのは当
然だ。自然の摂理と言っても良い。暑いからなんだというのだろう。
もしかして生徒会室にクーラー完備してくれます?うわ、それすっ
ごく嬉しいですよ?
ちょっと期待しつつ、会長の言葉を待つ。机の上で組んだ手が落
ち着きなく動かされているのを眺める。しばらくした後、意を決し
て口を開く。
﹁海へ行こうと思うのだが、行かないか?﹂
﹁え?﹂
108
なんだその主人公っぽいイベントは。考えもしなかったお誘いに
若干間抜けな声が出た。何故、海。いや、夏と言えば海ですからね。
当然と言えば当然でしょうか?
﹁副会長とその弟、それと副会長の婚約者も来る﹂
﹁へえ﹂
知らない設定だな。副会長って婚約者いたんですね。まぁ攻略対
象者じゃない人に婚約者がいても不思議じゃないのか。というか、
副会長と会長ってそんなに仲良いんですね。休みにも会うくらいで
すか。知りませんでしたよ。
﹁副会長の別荘とプライベートビーチだそうだ﹂
﹁あー﹂
はい、それは分かりますよ。主人公の時もそういう話があったな
ぁ。なんて懐かしい。水無月は結構お金持ってるんですよね。だか
ら財産目的でも弟くんを狙う人もいたりしそうなくらい。それが余
計に女の子を毛嫌いする要因にもなるんだっけ。でもまぁ単純に弟
くんが綺麗なんだけどね。弟くんが勝手にお金目当てだと思ってい
るだけだ。
﹁ど、どうだ⋮⋮?﹂
﹁そうですねぇ⋮⋮﹂
弓道の予定表を取り出して見てみる。8月の大会まではみっちり
詰まっていて、その後は生徒会の仕事が多く入っている。
﹁この日だ﹂
109
トンと紙を指さす会長。その日は空白。だが、確かこの日は生憎
予定がある。実は休みの合間合間に翼の勉強を見る事になっている
のだ。私が遊ぶ事よりも翼の勉強の方が優先順位は高い。
﹁すいません、この日は⋮⋮﹂
﹁生徒会の仕事ついでに羽を伸ばそうと思ってな。生徒会の、仕事
だ﹂
﹁⋮⋮え?﹂
遊びのお誘いかと思ったら結局はお仕事だったのですね。でも言
ってる事が違うような気がする。
﹁生徒会の⋮⋮空白になってますよ?﹂
生徒会からもらった予定表では白紙だ。紙から顔を上げて会長の
顔を見上げる。会長は凄く目線を彷徨わせている。若干汗をかいて
いるようにも見える為、心配になってきた。
﹁み⋮⋮ミスだ。書き加えておいてくれ﹂
﹁は、はぁ⋮⋮かしこまりました。ではこの日は生徒会の合宿です
ね。準備しておきます﹂
﹁あ⋮⋮ああ、宜しく頼む﹂
微妙な顔をしつつ頷く会長。なんだか少し釈然としないが⋮⋮ま
ぁ会長はドジッ子属性があるからそういうこともあるのか⋮⋮?と
いうか、別に行かないか?って誘わなくても良かったのではないだ
ろうか。普通に生徒会の仕事として予定組んでるなら言ってくれれ
ばいいのに。すぐに断りそうになりましたよ。
生徒会と翼の勉強なら生徒会の仕事を優先します。翼には取って
置きの宿題を出しておこう。出来てなかったら罰としてさらに倍の
110
宿題を⋮⋮考えただけで楽しくなってきました。
でもまさか副会長経由であのビーチに行けるようになるとはなぁ。
実はちょっと楽しみだったりする。主人公と攻略対象者がきゃっき
ゃうふふしているあのシーンとか楽しそうだし。水着持って行って
もいいんだろうか?あの綺麗な海に入ってみたいなー。ゲーム内だ
からなのか、あの海はエメラルドグリーンだったし。⋮⋮日本って
言ってたけど、どうみても海外っぽい絵だったな。現実の海もそう
なっているか分からないが⋮⋮ちょっとは期待しておく。待て、仕
事ですからね。そこ重要ですから。
111
約束しました。︵後書き︶
普通に遊びに誘ったら断られそうになったから方向転換して焦る会
長。
生徒会の仕事でも変更できない用事だったらどうするつもりだった
のだろう。
翼の勉強会がなかったら即答で行くと宣言する程度には、そのイベ
ントで見た海が好きな透。
なので多少﹁ん?﹂と思っても生徒会の仕事という大義名分がある
ので行きたくなりました。翼には大量の宿題が出されます。
112
騙されました。
夏休みに入った。こちらの世界も夏が暑苦しくてイライラするの
は変わりがないようだ。どうせなら適温機能とか付けといて欲しい
もんである。
役員の仕事やら、弓道なんかで顔を出すのであんまり休みという
印象は低い。我ながら枯れた青春だな、と思う。
夏休みに入る前に翼に宿題を手渡してたら青ざめてた。それが無
性に笑えた。ついでにいうと、何個か大学入試問題も混ぜてある。
あれは解けないだろうな。解けない問題は飛ばしても良い。だが次
の問題も目を通す事を忘れない様に、と助言してある。パッと見て
解ける問題か、否かが分かるようになれば幸い。翼は詰まるとずっ
とそこに留まるみたいだからな。流すという事にも慣れて頂きたい。
勿論学校の宿題も欠かしてはならない、と笑顔で言ったら涙目に
なっていた。翼は相変わらず可愛いな。
弓道の合宿、試合と終え、いよいよ生徒会の合宿の日になった。
持ち物は筆記用具と着替え、水着くらいか。食事などは水無月の専
用のシェフがいるので問題なかろう。いやぁ、本当にこの日を待ち
わびていたんですよ。エメラルドグリーンの海、白い砂浜、照りつ
ける太陽。もう最高ですよね。あそこに行って泳がないとか嘘です
よね。
楽しみで水着を購入してみた。ビキニタイプでフリルがあしらわ
れている。母さんと購入しに行って、危うく紐同然の水着を買わさ
れそうになった。何故あんなに情熱を注いでいたのか謎である。と
いうか、娘にあんな破廉恥な恰好をさせるんじゃない。
まぁ、ビキニのこの水着も結構露出高いけどね。でも今の体型な
ら似合うよ。さすがライバルキャラだよ。スタイルは良い方からな
113
ぁ。自慢とかではない。これはライバルキャラだからだ。
ちなみに紐で解けるタイプではない。もし解けたら大変だからな。
そういうのは主人公にやらせとけ。
駅前で待ち合わせして、電車で所定の所まで移動する。そこから
は水無月の専用の車が迎えに来てくれるらしい。
待ち合わせ場所に行き、なんだかデジャヴを感じた。
そこには会長だけが佇み、女性がウットリと眺めている光景。こ
れ前にも見たパターンだ。待ち合わせ1時間前ですが、会長⋮⋮貴
方は何時こちらに来られたんですか!?ええ?1時間ですよ?1時
間前ですよ?なんでいるんですか?
しかも結構な時間いたのか、かなり汗をかいているようだった。
薄いTシャツを着ており、その鍛え抜かれた筋肉が美しい。まるで
彫刻みたいですね、ダビデ像と友達にでもなれるんじゃないですか?
自販機で冷たいスポーツドリンクを購入し、走って会長の元へ向
かう。
﹁か、会長!﹂
﹁ん?ああ、透。来たか﹂
汗をぬぐいつつ朗らかな笑みを浮かべる会長。顔が赤くなってし
まっている。ああ、熱射病にかかったらどうするんですか!日陰に
いればいいのに⋮⋮何故こんな日照りの良い所に佇んでいるんです
か。貴方は忠犬か何かなのですか。
持ってきていたタオルと、先程購入した飲み物を会長に押し付け
る。
﹁取りあえず日陰に行きましょう。まだ時間はありますし、喫茶店
にでも入って涼みましょう?﹂
114
﹁ん⋮⋮そ、そうだな。有難う﹂
余程喉が渇いていたのだろう、ペットボトルを半分以上飲み干し
てから頷く会長。汗を拭いている会長を促しながら質問をする。流
石に気になって仕方がない。
﹁前回も思いましたけれど、会長何時⋮⋮﹂
﹁蓮だ﹂
﹁は?え?ああ⋮⋮﹂
ああ、そう言えば前回名前呼びの事を言われましたっけ?その後
は殆ど学校で顔合わせしていましたし、すっかり忘れ去っていまし
たよ。今更名前呼びなんてどうでも良いような気がしますが、話が
進まなくなりそうなので呼び方を直しましょう。
﹁蓮先輩は何時からあの場所に?﹂
﹁そうだな、ほんの1時間前だ﹂
ほんの。ほんのなんですね。1時間帽子も被らず、日照りのキツ
イ場所で⋮⋮。ちょっと待って下さいよ会長。貴方馬鹿なんですか
?馬鹿なんですよね?なんで2時間も前に待機しているんですか!
?どれだけ海を待ち望んでいたんですか!私が時間通りに来ていた
らどうするつもりだったんですか!
﹁蓮先輩。時間は守ってくれると助かります﹂
﹁⋮⋮?守っているが﹂
﹁2時間前からあそこにいた事ですよ!馬鹿なんですか!!﹂
﹁ちょ、透⋮⋮声大きいぞ﹂
人差し指を唇に当てて﹁しーっ﹂ってされた。いらぁっとしまし
115
た。会長って本当に分からない人ですね。こんなに馬鹿だったとは
思いませんでした。
乙女ゲームではどうだったかな⋮⋮。デートの待ち合わせにはい
つも5分前行動の主人公でしたし、何時間前に来てたの?なんて質
問はしない。せいぜい﹁ごめんね、待たせちゃった?﹂﹁全然﹂位
の言葉のキャッチボールだけだ。
もしかして乙女ゲーム内でも会長は2時間前待機してたんじゃな
いかと思うとゾッとする。もし前の世界に戻れて乙女ゲームが出来
るようになったとしても、もう二度と会長ルートなんてやらない。
会長が可哀想すぎる。﹁主人公、約束2時間前に行けよぉ!﹂とや
きもきするルートなんて絶対嫌だ。
喫茶店に入って溜息をはく。会長、元気ですね⋮⋮流石攻略対象
者です。並の体力ではありません。私は会長の暴挙に早くも疲れて
しまいました。まだ電車にすら乗ってないのに。
会長はホットコーヒーを注文してようとしたので慌てて止めて、
アイスティー2つに変えた。なんで今ホット注文しようとした?
﹁透、なんだか疲れているな。無理はするな﹂
﹁誰のせいだと思ってるんです?﹂
無駄にヒートアップしちゃいましたよ。朝でも暑いもんは暑い。
しかも今日の気温はかなり高いですから、会長が元気な方が可笑し
い。
引き攣った笑いで言葉を返してみるも、きょとんとされただけだ
った。もうだめだこの人⋮⋮早く主人公なんとかしてあげて。
会長がチラチラケーキも見ていたのでそちらも注文する。モンブ
ランとシフォンケーキ。シフォンケーキは抹茶味だった。月ごとに
味が変わるらしい。今回もケーキは半分こする。
嬉しそうにケーキを頬張る会長が子供に見えて来た。それもかな
116
り不器用な子供。約束には2時間前に来るし、日陰にもいかないし、
好きな甘いものも隠す。はてさて、会長の家族関係はそこまで暗い
背景などなかったはずだけどな?
多少女子からの反感があっていじめ描写があったりするけど、基
本ほのぼのゲームだったはずだ。
なんだったら翼のルートが最も過酷だと言っても良い。翼のファ
ンって怖いんだよね⋮⋮。そう考えたら休みにも会おうとしてるの
って危険だったりするのだろうか?いや、でもあれは翼のバンドに
マネージャーとして入ってからの話だから、友達範囲なら大丈夫だ
ろう。
﹁⋮⋮と、透﹂
﹁⋮⋮ん、はい?﹂
思考していてちょっと反応が遅れてしまった。
﹁今日、可愛いな﹂
﹁⋮⋮⋮⋮はぁ﹂
何をいっているんだこいつは?と言いたくなってしまったのは秘
密だ。確かに今回白いワンピースを着ているので、前回と比べると
可愛い衣装となっている。
でも男と間違われてしまう私ですからね。察して下さいな。
でもアレですね。攻略対象者はちゃんと女の子のおしゃれにも目
を向けるのですね。乙女ゲームでも主人公が可愛い系や清楚系など
選べたりするのだ。好みのジャンルを選んでデートに行くと、先程
会長が言っているようなセリフを言ってくる。
ちなみに翼は可愛い系を着ていくと﹁う、わ。可愛過ぎてやばい。
ちょっと待って、今顔見ないで﹂というセリフが来る。ま、何個か
レパートリーがあるけどね。翼の攻略はいじめが酷いが、最もあま
117
あまの展開が待ち受けている。飴と鞭を使いこなす制作会社の戦略
にハマッた乙女も多いだろう。
なんで私にそのセリフを言うんですか、会長。会長のジャンルは
大人系だったはず。今の私は清楚系だろう。いや、詳しくは分から
ないけど⋮⋮ゲームで見た清楚系と似てるから多分そう。
いやいや、そう言う事ではなくてですね。私は主人公じゃないん
ですから、そう言う事言うのやめて貰いたいですね。恥ずかしいの
で。
じっと会長を見つめていたら、会長の顔がだんだん赤くなって来
ていた。あれ、恥ずかしかったんですか?なんで言ったりしたんで
すか。⋮⋮ま、社交辞令だったんでしょうけどね。
会長をいじめるのはこの位にして、話題を変えてあげましょう。
﹁待ち合わせ場所に行きますか?まだ20分ほどありますけれど、
日陰で残りのメンバーを待てば良いですし﹂
﹁⋮⋮﹂
会長にさっと目を逸らされた。
﹁⋮⋮蓮先輩?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮こ、こない﹂
﹁はい?申し訳ありません。聞こえませんでした﹂
強い口調で聞き返すと、会長がビクリと震えた。勿論先程の言葉
は聞こえている。敢えて聞き返したのだ。ちょっと信じたくなかっ
たというのもある。
﹁すまない。俺と話が出来るメンバーだけなんだ。話せない人がい
ても困るだろうと思ってな﹂
﹁⋮⋮﹂
118
私と目を合わせないままダラダラと汗を流している会長。確かに
他の生徒会メンバーは彼と話もまともに出来ない。そういうのは生
徒会役員の方も会長も負担になるだろう。副会長もせめてビーチに
行くときくらいは息を抜きたいだろうし、その判断は間違っていな
い⋮⋮のだろうか?まぁ、連れて行くかどうか決定するのは会長で
はなく副会長だろう。後で副会長に説明をしてもらいましょう。
この際、別に生徒会の仕事でなくても良くなってきました。翼に
は休みだと伝えてありますし、思う存分楽しむのもアリです。実際
楽しみでしたしね。
もしかして、会長は気でも使ってくれたのでしょうか?あまり頑
張り過ぎるな、と言葉を掛けて頂きますしねぇ。申し訳なさそうに
オドオドしてるのが可哀想になってきました。
﹁蓮先輩、怒っていないので、怯えないでください﹂
﹁す、すまない﹂
﹁ま、楽しみましょう﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
私が笑いかけると、ホッとしたように息をつく会長。だまし討ち
みたいな形になってしまってドキドキしていたのだろう。まぁ驚き
ましたが、心遣いは受け取っておきましょう。
119
海に行きました。
電車に乗り、最終の駅に辿り着いて降りる。
駅を出ると、黒塗りの車が⋮⋮ベンツだな。
ようすけ
﹁お待ちしておりました。陽介様がお待ちです。どうぞ﹂
黒いスーツ姿の男性が話しかけてきて、車に乗るように促される。
ちなみに陽介というのは水無月副会長の下の名前らしい。すいませ
ん、知りませんでした。ついでにいうと、攻略対象者である弟くん
の名前もド忘れしています。
人の流れが少なく、ちょっと田舎っぽい所を走る。ただ、道は綺
麗に舗装されているので揺れる事はない。もしかして水無月の所が
舗装しちゃったりしてるんでしょうかね?
⋮⋮やりそうですね。
走っている内に、木々の生い茂る所から、見晴らしの良い景色に
変わる。
﹁う、わぁ⋮⋮﹂
きらめく海に感嘆の声が漏れる。この景色が見たかったんだ。こ
れは絶景だな。遠くに白い砂浜と、建物が見える。恐らくは今から
あそこに向かうのだろう。まるで現実離れした光景に、やっぱりゲ
ームの世界なんだなぁ、と思わされる。
クスリという声が運転席から漏れてくる。
﹁あ、失礼いたしました。あまり可愛らしかったものですから﹂
120
﹁⋮⋮っ!﹂
男前にそんな風に言われて照れない訳がない。しかも彼は水無月
で働くエリートさんだ。彼は私が男装していたのを知らないんだろ
う。あの時にまるで気付かれなかった虚しさと相まって、凄く嬉し
い。やばい、この人凄く好みかもしれない。年齢も30前半くらい
でかなり好印象。
くい、と腕を引っ張られたので横を見ると、不機嫌な顔をした会
長が。え?どうされたんですか?何故ちょっと機嫌悪そうなんです?
その会長の様子を見て、また運転手さんがクスクス笑っていた。
会長が睨みをきかせていたが、まるで通用していなかった。おお∼
凄い。生徒会役員達が委縮する会長の美貌でも全く怯んでいない。
凄いよこの人。やっぱり攻略対象者の所で務めてるから耐性が付い
てたりして。
見えていた建物に着いた。上を見上げて息を吐く。
﹁す⋮⋮ごい、ですね﹂
金持ちってのはまるで世界が違うようだ。遠くに見た時には気に
ならなかったが⋮⋮この建物、かなり大きいです。ビーチも貸切、
海はきれい、住む所は広い。なんという快適空間。憧れるな。
﹁ああ、待ってましたよ。いらっしゃい、月島くん、木下さん﹂
ニッコリと穏やかな笑みを湛えて副会長が現れた。なんだか金持
ち特有の余裕ある笑みに見えて来て仕方ない。きっと僻みなんだろ
うと思う。
﹁宜しくお願いします﹂
121
﹁宜しく頼む﹂
副会長に頭を下げる。会長も同様に頭を下げる。
﹁木下さん、びっくりされたでしょう?人数が少なくて﹂
﹁あ、ええ﹂
﹁ですが安心なさってください。遊びだけではなく、ちゃんと仕事
も持ってきていますからね﹂
﹁はい﹂
おお、流石副会長ですよ。仕事は大事ですからね。あんまりハメ
を外し過ぎないように気を付けないといけませんね。
副会長の言葉に頷いていると、奥の方から綺麗な女性と、綺麗な
少年が出て来た。恐らく女性が婚約者、少年が攻略対象者だろう。
それにしても、2人共凄く綺麗だな。婚約者の方はストレートの
黄色の髪で、柔らかく微笑む姿がまるで聖母のよう。
不機嫌そうに唇を尖らせながら本を持っている少年も透明感のあ
かいと
る綺麗さだ。ただ、表情がちょっと残念だけどね。無理に連れてこ
られたのかな⋮⋮。
ありま かおり
﹁こっちが婚約者の有馬香織。で、こっちが弟の海斗﹂
お、攻略対象者くんは海斗くんっていうんですね。そう言えばそ
う言う名前だった気がしなくもない。
﹁宜しくお願いしますわ﹂
﹁⋮⋮よろしく﹂
有馬さんはふんわり微笑み、海斗くんは不機嫌そうにボソリと呟
122
いている。私たちも名前を名乗り、こちらこそ、と挨拶を済ませる。
﹁ふふ、仲良くして下さいな。香織って呼んでね。有馬って苗字あ
まり好きじゃありませんの﹂
﹁そうですか、では私の事も透とお呼び下さい﹂
近寄って来た香織さんは嬉しそうに笑っている。可愛らしい方だ
な。これが副会長の婚約者かぁ。副会長、幸せ者だな。しかもなん
だか良い香りもしてくるし。
わたくし
﹁こっちに来てくださいな。私が生けた花がありますの。私の家は
華道家ですのよ﹂
﹁おお、そうなのですか。有難く拝見させて頂きます﹂
﹁もー、透さんったらお堅いですわよ。もっと砕けてくださいな!
私、普通の家庭の喋り方に憧れてますの!﹂
うふふ、おほほと過ごす日常の中、テレビで見た学校の熱血ドラ
マにハマッてしまい、それで普通の学校に憧れているらしい。
香織さんの女学校ではそういう庶民らしいお友達ってのはいない。
お嬢様らしい友達ならいるが、はっちゃけたような⋮⋮三宅さんの
ような人間は近くにいないらしい。
﹁香織、木下さんに無理を言うな。ちなみに木下さんのその語り口
は通常営業ですよ﹂
﹁まぁ!そうなの?ちぇーっ!ですわ﹂
ちぇー!が凄く可愛らしかったです。お嬢様ってこんな可愛い生
き物だったのか。もっと高飛車な感じをイメージしてましたよ。し
かも語尾に﹁ですわ﹂とつけてるのが育ちがいいのか、ギャグなの
か見分けがつかない。多分、育ちが良過ぎて思わずつけているタイ
123
プだと予想。
﹁ふふ、お言葉に甘えていっちゃっても良いですか?﹂
﹁まぁ!透さん!﹂
﹁へへ、じゃあ行っちゃいましょうぜ、お嬢さん!﹂
﹁それ違うだろ。キャラが変わってる﹂
ちょっと江戸っ子風に言ってみましたよ。会長に突っ込まれちゃ
いました。会長に突っ込まれるなんて屈辱です。でも、このセリフ
はですね⋮⋮。
﹁ビ、ビリー⋮⋮!﹂
香織さんがハマッてる学園ドラマで転校してくる、ビリーくん。
何故外国人が来たのか未だに意味不明だが、明るくて楽しい性格の
キャラクターだったらしい。情報は母さんからなのです。
香織さんが案の定目をキラキラさせている。
﹁まぁまぁ!なんて茶目っ気のある方なのでしょう!うふふ。今年
の宿泊は楽しめそうですわ∼!﹂
﹁香織、あんまりはしゃぐなよ﹂
両手を上気したほっぺに付けてうふふと笑う香織さんを嗜める副
会長。でもその顔が恋人に向ける優しい顔だった。副会長ってこう
いう顔出来るんですねぇ。驚きです、てっきり黒い笑顔しか出来な
いのかと。
ちょっと天然っぽい香織さんにゾッコンなのだろうことは分かっ
た。リア充め、爆発してしまえ。
私?振られてますよ?なんですか?当てつけですか?⋮⋮おっと、
124
ちょっと醜い嫉妬が。
香織さんの生けた花はとても穏やかで心が温まる様な印象を受け
る。なんだか人柄が出ているんだなぁ、と思わせる花だった。いや、
そっちに詳しい訳じゃないけど、茶道教室で花って生けてあります
からね。私は茶道教室に生けてあった花よりもこっちの方が好きだ。
素直にそう伝えると、真っ赤になって喜んでくれた。可愛らしい方
です。副会長、爆発してくださいな。あ、香織さんは無傷でお願い
します。
その日はそれぞれで生徒会の仕事を黙々とこなして、水無月専用
のシェフの料理を堪能した。広いこの建物を探索するのも楽しそう
だ。夜寝る前にちょっとうろつこうかなぁ。そんな風に呟いていた
のを香織さんが聞いて、目をキラキラさせていた。香織さんも探検
したいんだそうだ。いや、香織さんって毎年来てるって言ってませ
んでしたか?いや、まぁ構いませんけどね。
夜には警備の人とか、掃除する方と遭遇した。なんというリッチ。
普通の宿泊施設の経営となんら変わらないですね。はいはい、金持
ち金持ち。
次の日は、いよいよ楽しみにしていた海だ。きらきらと太陽を反
射する海がとても綺麗だ。ここだけゲームの世界として切り取られ
ていそうなほど綺麗。
﹁うふふ⋮⋮揉んでも構いません事?﹂
手をワキワキさせながら香織さんが近寄ってくる。2人で水着に
着替えているのだ。香織さんの肌はとても白く、すぐに焼けて赤く
なりそうな程だった。
私は胸を隠しつつ、後ずさる。
﹁照れなくっても構いませんわ。これは女の子同士の定番イベント
125
でしょう?﹂
﹁いえいえ、しない方もいらっしゃいますよ?﹂
その情報はどこ情報なのだろう。お嬢様、はしたないですわよ。
しかしまぁ、楽しくて仕方ないのだろう。香織さんの楽しさがこち
らにも伝わってきて、笑みが零れる。
﹁えい!ですわ﹂
﹁あっ!やりましたね∼?﹂
つんつんと胸を突かれたので私も仕返しする。顔が真っ赤になっ
ているのが凄く可愛かった。副会長、爆発してください。
しかも胸が物凄く大きいですし。羨ましい限りです。
日焼け止めは、副会長に塗って貰うんだそうだ。
﹁焼けるとヒリヒリしちゃいますから。透さんも彼に塗って貰って
くださいませ﹂
﹁彼⋮⋮?﹂
﹁同行していた、月島さんですわ!いいですわ∼真夏のラブロマン
スですわね!﹂
きゃー!と興奮している所悪いですが、ラブを堪能してるのは貴
方だけですよ、香織様。
﹁いえ、あの⋮⋮﹂
﹁ああん!皆まで言わないで!うふふ∼後でこっそり見させて頂き
ますわ∼﹂
香織さんに塗って貰おうと思っていたんですけれど、香織さんは
聞く耳を持ってくれない。パタパタと部屋から出て行ってしまわれ
126
ました。さて、どうしましょうか。
仕方ありませんね。鏡で見ながら塗りましょうか。大きな鏡で自
分の姿を映し出す。きゅっと引き締まったウエスト、スラッと長い
脚、白い肌⋮⋮いやぁ、さすがライバルキャラですね。スタイルい
いです。昔はこんな体に憧れてましたっけ。塗り残さない様に念入
りに塗りたくる。
﹁⋮⋮わっ!?﹂
日焼け止めを塗っていたら、鏡に香織さんが映ってた。こわっ!
何時戻ってらしたんですか。
﹁もうっ照れていますの?さぁ、後ろは彼に任せましょう。さぁさ
ぁ!﹂
背中にもたつきながら塗っていたのを阻止されて、手を引っ張っ
てくる。
や、待って下さい。会長とはそう言う関係では⋮⋮。
外に追い出され、真夏の太陽の下に晒される。
じりじり焼き付ける様な熱さ、正しく夏という印象です。湿度も
あり、すぐに汗が滲んでくる程の暑さです。
香織さんに押し出された先に、会長の姿があった。
﹁⋮⋮っ﹂
﹁あ、蓮先輩⋮⋮どうも﹂
目を見開いて息を飲んでる会長。何にそんなに驚いているのだろ
う。
⋮⋮というか会長、めっちゃ体つきが男らしいですね。青の水着
を着ており、鍛え抜かれた美しい肉体が露わになっている。これが
127
高校二年生だと言うのですか。なんて恐ろしい。そこに立っている
だけで18禁の張り紙が必要な気さえしてきました。香り立つよう
なフェロモンに、目を逸らしてしまいました。
や、べ、別に動揺なんてしてませんよ。ほら、前世ではネットで
色んな男の水着写真なんて乗ってたじゃないですか。どうってこと
はないです。
﹁高2男子の色気じゃねぇええ!﹂とかって心で叫んでないです、
ほんと。
暑いので髪ゴムで髪をまとめている間に、香織さんが会長に日焼
け止めクリームを手渡していた。
﹁ささ、月島さん。塗って差し上げてください∼!﹂
﹁えっ!?﹂
ぎょっとする会長。まぁ、そうですよね。会長は私の体を上から
下まで見て、それから胸に目を止めてから顔を真っ赤にさせた。い
や、会長。胸は塗らなくていいのですよ。
手で顔を隠しながら僅かに震える会長。その姿が何だか、こう⋮
⋮色っぽいですね。暑さで汗が滲み、その姿は凄く⋮⋮男なんだな
ぁ、と実感させられますね。
というか、落ち着きましょう。存在が18禁の男、会長⋮⋮流石
攻略対象者ですね。攻略対象者には、ライバルキャラの存在である
私は勝てないという事ですか。
﹁なっ、塗る⋮⋮!?﹂
﹁うふふ∼2人でじっくり仲良くなさってくださいませ﹂
口に手を当てて面白そうに離れていく香織さん。しかし、影から
ちらっと覗いてきている。お嬢さん、楽しそうですね。これ⋮⋮本
当にしないとダメなんですかね?自分で塗ろうとしたらことごとく
128
邪魔されそうな予感がひしひしと感じる。
﹁⋮⋮﹂
顔を赤くさせた会長と向かい合わせのまま、しばらく沈黙。会長
もどうすればいいのか分からないようだ。
私も会長の良い体に動揺してて、どう声をかけていいものやら。
や、違います。動揺なんてしてませんよ。
流石に日焼け止めクリームを塗るのは無理難題すぎる。私は薄手
のパーカーでも羽織ればいい。むしろ会長にこそその肉体を隠して
欲しいモノですが。
﹁あの蓮せ⋮⋮﹂
﹁塗れば良いんだな?﹂
﹁え、は、ええ⋮⋮﹂
意を決したのか、ゴクリと唾を飲み込んでいる。その目が戦場に
向かう戦士のような壮絶さが滲み出ていた。なんか、凄い覚悟を背
負っているように見えるんですが。
あれ?やって頂けるんですか⋮⋮?嫌なら嫌だとはっきりおっし
ゃっても良いのですが⋮⋮。まぁ、後ろは塗りにくいですし、有難
いのですが⋮⋮男性に塗って貰うってどうなんでしょう?恋人な訳
じゃないんですから。
﹁後ろ向け﹂
﹁え⋮⋮えーと⋮⋮それでは﹂
やる気に満ちた会長に気圧される。
遠くで香織さんが興奮している。なんか監視されているようだ。
日焼け止めを塗るのに、どれだけの情熱を注いでいるのだろう。と
129
いうか香織さん?副会長が不満げに見てますよ?
香織さんも塗って貰ったのに⋮⋮自分の時より人の時の方が興奮
しているなんて。⋮⋮あ、そっか。副会長とのラブラブは日常的す
ぎて当たり前になってしまっているんですね。憐れ、副会長。ちょ
っと可哀想になってきました。
﹁では、さ、触るぞ?﹂
﹁あ、ど、どうぞ﹂
あ、ドキドキしてきました。会長の男らしい声が後ろから聞こえ
てきます。う⋮⋮まずいですね、脳内に会長の裸体が。ばかめ。
つつ、と指で背中をなぞられてビクッと体が跳ねた。
﹁ひゃっ!?﹂
﹁えっ!﹂
﹁蓮先輩!?く、くすぐったいです!﹂
何故指でなぞるんですか!?わ、わざとなんですか!ドキドキす
る胸を押さえて、会長に注意する。
﹁手の平でやってくださいよ、何故指でやってんですか!﹂
馬鹿なんですか。という言葉は飲み込んだ。頑張ったよ私。
﹁す、すまない。勝手が分からなくて⋮⋮﹂
かなり動揺している会長の声が後ろから聞こえる。ええ、ええ。
そうだと思いましたよ。真夏に日陰に入らずに2時間前待機するよ
うな方ですからね。うう、顔が熱い。
今度は手のひらに日焼け止めクリームを出して、背中に触れてき
130
た。
﹁んっ⋮⋮!﹂
あ、ちょっと冷たかったです。私の声に驚いたのか、また手を背
中から離す。
﹁え、な、何だ?﹂
﹁いえ、少しだけ冷たかっただけですので、お気になさらず﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
手が背中に再度置かれる。男らしい大きな手が直接肌に触れてい
る感覚。これは、これは恥ずかしいですよ?こんなハードな事を香
織さんは平然とやっていたんですか。なんという上級者なのでしょ
う。
会長の手が私の背中を傷付けないよう優しく撫でつけて来るので、
妙にくすぐったい。少し笑いそうになるのを堪えて、ぷるぷるして
きました。耐えろ、耐えるんだ。これが終わったら海に行くんです。
﹁お、終わったぞ﹂
﹁有難うございます⋮⋮﹂
振り返って礼を述べる頃には涙目になっていた。ぐぬぬ、これは
キツイです。もう二度とやりませんよ。海に行くときは女の子ばっ
かりで行く事にします。というか、鏡があったら自分でもできます
しね。まぁ、多少は荒くなりそうですけど。
バタ
会長が倒れた。
131
﹁え!?れ、蓮先輩!﹂
﹁あー⋮⋮キャパオーバーらしいですね﹂
私が倒れた会長に狼狽えていると、副会長が苦笑いを浮かべて近
くまでやって来た。
真夏の太陽に1時間照らされてもケロッとしている人が倒れるな
んて尋常じゃない。いや、もしかしたら昨日の内から気分が悪かっ
たのかもしれない。これは大変だ。
﹁副会長、た、倒れました。病院へ!﹂
﹁いや、大丈夫ですよ。日陰にほっておきましょう﹂
なんて冷酷な⋮⋮もし大変な事態だったらどうするんですか。
﹁大丈夫だから⋮⋮取りあえず放って置いてくれ﹂
倒れた会長から力ない声が聞こえて来た。あ、良かった。意識は
あるんですね。
﹁ですが⋮⋮﹂
﹁いいから、いいから。香織の相手してあげて﹂
渋っている私の背中を押し出す副会長。その後会長の隣に腰掛け
ていたので、副会長が見といてくれるのだろう。うーん、副会長に
任せておけば大丈夫でしょう。なんだか心配ですけど、海にも入り
たいですし。
﹁むふふ∼ん。見せつけて頂きましたわ∼ご馳走様です∼﹂
﹁ご満足いただけたようで、何よりです﹂
132
ええ、もうほっくほくの顔してます。凄く楽しそうですね。私は
結構精神ダメージが大きかったですけどね。まぁ、香織さんが楽し
んで頂けたなら、良しとしましょうか?
﹁ささ、準備体操ですわよ∼﹂
胸をぷるるんと揺らしながらラジオ体操する香織さん。なんだか
イケナイモノを見ている気分になったのは私の心が穢れているから
でしょうね。
あまり胸は見ない様に私も体操する事にします。はしゃいで運動
もせずに突っ込むような事はしないんですね。てっきりそのまま突
っ込んでいくタイプの人かと思いましたよ。
﹁準備体操せずに海に入ると足がつって大変な事になりましたの∼﹂
あ、やったんですね。学習したんですね。良い事です。副会長に
叱られたんだそうだ。大変ですね、副会長。
レインボー色のパラソルの下では、攻略対象者の海斗くんが本を
読んでいる。水着に上からパーカーを羽織って、海風に当たりなが
ら本を読む。流石図書館に出没する攻略対象者。ブレませんね。
海斗くんを眺めていたら、目があってしまった。軽く会釈をして、
海に入っていった香織さんを追う事にした。
しばらくしたら、会長も復活してきた。もう気分も悪くないよう
です。良かった。無理は禁物です、と言ったら、凄く狼狽えられて、
土下座した。いや、そこまで謝らなくてもいいんですよ。次から気
を付けてくれれば良いのです。
エメラルドグリーンの海は最高でした。というか、珊瑚があった
ような気がするんですけど⋮⋮本当にここは日本なのだろうか。澄
133
み切った海には小魚もいましたし、本当に凄い所です。
﹁お飲物をお持ちしました﹂
運転手さんが冷たい飲み物を持っていてくれた。白いYシャツが
目に染みる。ちなみに運転手さんの名前は鈴谷さんと言って、既婚
者だった。残念ですね。
まぁ、これだけ物腰柔らかで仕事もきっちりこなす方を女の人が
放って置かないですね。
メロンソーダを受け取り、口を付ける。乾いた喉が潤います。メ
ロンソーダの上にはチェリーが乗ってます。会長達も横に来て飲み
物を飲んでいた。皆さん喉が渇いていたんでしょうね。
その様子をクスリと笑いながらチェリーを手に取る。それを唇に
近づけていると、妙に視線を感じた。目を向けると、会長に凝視さ
れてた。
﹁え、なんですか?﹂
﹁い、いや、な、なんでもない﹂
慌てて首を振っているが、凝視していたのに何もない事はないだ
ろう。というか、あまり凝視して欲しくありませんよ。会長の今の
恰好は18禁ですからね。ああ、私の心が穢れてるだけですね、す
みません。ただの水着姿で動揺するほど私は若くないはずですよ。
テレビとかでも、若い男性の上半身なんて放送される事もありま
したし。⋮⋮まぁ、テレビより生で見たら想像よりはるかに生々し
くて凄い迫力でしたがね。ビビってませんよ、ほんと。
良く見ると、会長の視線はチェリーの方に向いています。会長の
飲み物には果物が入ってません。もしかして、これが欲しいでしょ
うか?
134
﹁⋮⋮欲しいなら、あげますよ?﹂
﹁⋮⋮っ!!﹂
会長がしゃがみ込む。
﹁え?れ、蓮先輩?﹂
﹁今のは木下さんが悪いですね﹂
﹁あらら∼、うふふ∼﹂
え?私何かしましたか!?副会長は苦笑、香織さんは凄く楽しそ
うです。良く分かりません。では、何故凝視していたのでしょう。
会長の肩に触れると、ビクリと震えられました。え、そんな怯え
られるような事しましたっけ?
﹁えーと、先輩?﹂
﹁しばらくそっとしておいてくれ⋮⋮﹂
﹁は、はぁ⋮⋮﹂
そんな感じで、会長からは怯えられ、良く目を逸らされるように
なった気がします。私は何もやっていませんよ?
なにはともあれ、水無月家のプライベートビーチは物凄く楽しか
ったです。
人生っていうのは何が起こるか分かりませんね。ちなみに香織さん
とは友達になれました。
135
海に行きました。︵後書き︶
﹁⋮⋮欲しいなら、あげますよ?﹂がクリティカルヒット!
会長が何を欲しがっていたかはご想像にお任せします。
136
少しだけ和解︵?︶しました。
蒸し暑く、蝉が大合唱している夏。しかし現在いる場所は涼しく、
蝉の声も幾分か遠く聞こえる。静謐な雰囲気が漂い、特有の古めか
しい古紙の香りがする。来ている客はまばらで、本を捲っている本
の虫さんもいれば、涼みに来ているだけのサラリーマンなんかもい
る。外回りの方だろうな。
そう、今いるのはこの街の図書館だ。県で最も大きい図書館で、
本の事ならなんでも揃ってそうだ。まぁ、流石にコミックはあまり
置いてないけどね。三国志のコミックくらいなら置いてあるのを見
たかな。堅苦しい歴史も、漫画にすればあら不思議。すんなり頭に
入って来ます。
前世の時に私も漫画で覚えましたよ。勉強は分からない事ばかり
で、退屈でしたからね。今、人に教えられるだけの能力がある事を、
とても誇らしく思います。
うんうん、と目の前で唸っているゴールデンレトリバー⋮⋮翼を
見て、クスリと笑う。なんだか懐かしいですね。私もあんな風に詰
まってましたっけ。
なんだかんだ言いつつ、翼は優秀な人間だった。8月中旬ですけ
れど、夏休みの課題は全て終えているようですし。私が出した課題
も終えたようです。まぁ、分からない問題は飛ばしてあったようで
すがね。それも作戦の内です。
分からない問題をいくつか自力で調べてみたみたいで、出会った
瞬間﹁大学入試出すとか馬鹿なのかぁ!﹂と、涙目で罵られました。
ばれましたか。怒られましたが、勿論私は笑いましたとも。お腹
がよじれそうになりました。だって凄い形相だったんです。言葉に
言い表せないけれど、とにかく笑える顔でした。でも、調べるなん
137
て凄いですね。これは夏休み明けのテストが楽しみです。
翼にいくつかヒントを与えて、その間に翼が書いた答えを見てい
く。何個か間違えているのはご愛嬌ですね。容赦なく再度解かせま
しょう。バツがついた問題が積み重ねられる度に涙目になっていく
翼を見て和む。
クスリと笑っていたら、視線を感じたので顔を上げると、晴翔と
目が合った。
そう、この図書館でも翼の勉強会は、何故かいつも晴翔もついて
きているのだ。いつも不機嫌そうに黙って問題を解いているんです。
そんなに嫌ならついてこなくてもいいんじゃないでしょうか。私も
顔を合わせるのはきまずいのです。
頻繁に目が合う事があるが、いつもすぐに逸らさせる。その度に
胸の奥が重くなっていく。
眩しい窓の外に目を向けて、現実逃避しましょうか。
﹁あ⋮⋮﹂
水色の頭をした美少年が図書館に入ってきている所だった。あれ
は、そう⋮⋮水無月副会長の弟であり、乙女ゲームの攻略対象者で
ある。水無月海斗くんだ。遠くからでも神々しい美しさが放たれて
いる気がする。まぁ、きっと気のせいでしょうが。
あちらもこちらの存在に気付いたのか、会釈をしてきた。
あらら?本ばかり読んでいたのでてっきり覚えられていないかと
思っていましたが、記憶されていたようですね。
あんな美少年に顔を覚えられるという出来事だけでも嬉しくなっ
てしまいますね。彼のファンの気持ちが少しだけ分かったような気
がします。可愛いですね。
会釈だけして、海斗くんは席に座って本を取り出していた。ブレ
ないですねぇ。会長はあんなにブレているんですけどね。何故なの
138
でしょう。もしかして、転生者である私が関わっているから?晴翔
は乙女ゲームの事を思い出すまでの付き合いでしたし⋮⋮乙女ゲー
ムを思い出してから接するようになった会長とじゃ、ちょっと変わ
ってきているのかも?⋮⋮うーん、よく分からないですね。
﹁知り合い?﹂
目ざとく私の行動を見ていた翼が声を掛けてくる。ちゃんと問題
解いてました?解いていないと、問題増やしますよ。
﹁ええ、生徒会副会長の弟さんですね。今は中学3年生だそうです
よ﹂
﹁ほーう、ふーん﹂
何やら言いたげにしながら頷く翼。なんだかちょっぴりイラッと
したので、課題をプラス。すると、急にしょんぼりしてしまった。
とても簡単な方法で大人しくなってくれる。うん、頭なでなでした
い衝動に駆られるのは何故でしょうね?やっぱり犬っぽいからでし
ょうね。
﹁なんで、その人の弟と知り合いになんて⋮⋮﹂
久し振りに聞くその声に驚いた。晴翔の少し低くなった声だった。
はっとして私から目を逸らす晴翔。気まずい沈黙。なんだか晴翔の
前ではいつもこんな感じになってしまっている気がする。
⋮⋮うーん、私もいい加減大人にならないといけないですかね。
腐っても転生者ですから。いつまでもうじうじしてても、仕方あり
ません。
根性を叩き直し、改めて真っ直ぐ晴翔を見据える。気まずそうに
目を逸らし、苦しそうにしている晴翔の顔。⋮⋮そう、そう⋮⋮で
139
すよね。気まずいのは私だけではありませんよね。
振られたからって大人げなかったかもしれません。今まで友達と
して接して来た訳ですから、急に冷たい態度をとった私が悪かった
です。ゴクリと乾いた喉をならせてから言葉を発した。
﹁ええ、実は⋮⋮先日、生徒会の合宿があったのです。その時に顔
見知りになりまして﹂
私の返答に晴翔は驚いて私の顔を凝視してくる。まともに顔を合
わせるなんて何か月振りでしょうか。男らしい赤色の瞳。うん、恰
好良いですね。無駄にドキドキしてしまいます。ええい、まだ忘れ
てないんですか、私は。
胸の奥でくすぶる想いを押し込めて、にっこり微笑む。すると、
晴翔が泣きそうな顔になって顔を逸らした。
﹁そ、そうか⋮⋮﹂
晴翔の声が震えていた。余程緊張を強いられていたのだろう。申
し訳ない事をしました。中学の時はいつも明るくて場を盛り上げる
ような人だったのに、今ではすっかり鳴りを潜めてしまっているの
だ。私はそこまで彼を追い詰めていたのでしょうか。
そこまで私を大事な友達だと思ってくれていたという事でしょう。
所詮は友達なのでしょうが⋮⋮もうそれで良いですよ。
沈黙が戻って来るが、先程よりは空気は軽い。まぁ、私の気分だ
けなのでしょうけれど。
夏休みが終われば、真っ先にテスト、その次には生徒会総選挙が
行われるんですよね。生徒会が慌ただしくなる期間です。
⋮⋮ん?そういえば、乙女ゲームのオープニングスチルには会長
の姿と、晴翔の姿があったんですよね。
140
あれ?って事は、晴翔が生徒会入りするって事で⋮⋮待て、どう
いう理由で生徒会入りしたんだったか。良く思い出せ。
確か、そうだ。確か幼馴染の木下透が入ってくれとお願いしたん
だったか。長い時間晴翔といたいから、という理由で嫌がる晴翔を
無理に立候補させたんだっけ。晴翔も渋々ながら、きちんとやる性
格だから当選するんだったよな。
⋮⋮私が誘う?何故?ホワイ?そんな理由は持ち合わせていない。
晴翔との関係は少し緩んだけれど、今だに気まずい事にかわりが
ない。というか、私が嫌だ。流石にずっと近くにいるような役職に
誘いたくはない。
﹁ねー透!﹂
その明るい声にハッとする。顔を上げると、翼がニコニコと笑っ
ていた。相変わらず元気な人ですね。
﹁次の日曜に花火大会があるよね?﹂
﹁え?⋮⋮ええ﹂
確かに今週の日曜日には河川敷で花火大会が行われる。かなり大
きな大会で、毎年混雑している祭り。それがどうしたというのだろ
う。
﹁行かない?俺達と、さ﹂
ウインクしてきた翼。なんだか、似合うのがイケメンの恐ろしい
所ですね。実際にウインクされて可愛いと思ってしまうなんて、不
覚です。流石攻略対象者、私たちに出来ない事を簡単にやってのけ
る。そこに痺れる憧れる。
俺達、とは⋮⋮晴翔も含まれているのだろうか。チラッと目を向
141
けると、サッと目を逸らされた。ショック。しかし、逸らしたらダ
メだと思ったのか、またこちらに向いてきた。その反応に少しほっ
とする。
しかし、花火、花火大会ですか⋮⋮。
いつも晴翔と行っていた花火大会。今年は行けないかな、と思っ
てましたけど⋮⋮多分、晴翔も行きそうですよね。なんせ最近は翼
とセットな事が多いですし、仲良いですからね。この際ですから、
そこで仲直りのきっかけが掴めるでしょうか。恐らく、来年は行け
ないでしょうからね。
主人公なんて入学しなければ良い。そんな暗い感情を消しながら、
私は﹁行く﹂と答えたのだった。
142
花火大会に行きました。
今日は花火大会当日。どこから人が集まって来たのか、いつも車
が走っている道路にも人で溢れかえっている。祭りの時はなんだか
ワクワクしてきますね。いつもと違う街の雰囲気が好きです。まぁ、
ゴミが落ちてるのは、ちょっとアレですが。祭りの後は、大変でし
ょうね。
﹁あ、透透!こっち!﹂
金髪さわやか犬系イケメンが浴衣を着て大きく手を振っているの
が見えた。周りの女の子をかき分けて翼と晴翔がこちらに来ようと
するが、色っぽいお姉さんが腕に絡みついてきた。
﹁えー!私たちと回ろうよぉ、ね?﹂
﹁ごめんねー今日は友達だけで遊ぶつもりだから!﹂
自分を知り尽くした完璧なまでの上目づかいだったが、翼はドキ
ッともする事なく、笑顔でスルー。その徹底したスルーぶりにお姉
さんの方が目を丸めていた。今まで、その﹁お願い﹂で落ちなかっ
た男はいなかったのだろう。だが、翼はそこらの男と訳が違う。
押し当てられた胸すら気にしていない様子に、お姉さんの方が憐
れに思うくらいだ。
結構綺麗で色っぽいお姉さんだと思うんですけど⋮⋮健全な男子
たるもの、その反応はどうかと思うよ、翼。私は思わず苦笑してし
まった。
翼はショックを受けているお姉さんの腕をやんわり離してからこ
143
ちらに向かう。
人懐っこそうな翼に声を掛ける女の子は多いけれど、明らかに不
機嫌な顔をした晴翔に声を掛ける人は少ないようだ。
でも晴翔も相当恰好良いので、メンタルの強い女の子が声を掛け
るも、シカトされていた。視線すら寄越さないなんて、ちょっと可
哀想です。
﹁あれ?透なんで私服なのっ!?﹂
﹁出かけるのに私服じゃダメですか?﹂
﹁ダメでしょ!?そこは浴衣でしょ!?﹂
その理屈はちょっと分かるんだけれども。動きにくいしなぁ⋮⋮。
それに、足も痛くなるんですよね。
翼と晴翔は浴衣を着ている。2人共良く似合っている。翼はクリ
ーム色の明るい浴衣で、青い帯をしている。可愛い男の子な印象を
受けます。ライブ中はあれだけ恰好良いのに⋮⋮そうですか、あれ
がギャップ萌えという奴ですね。あざとい人です。
晴翔はシックな赤の浴衣を着ている。少し不機嫌そうに目を逸ら
して腕を組んで立っている。彼の赤い髪に似合う落ち着いた赤の浴
衣は鼻血が出そうなほど似合っている。晒された喉仏、チラリと覗
く男らしい鎖骨、腕。
くっ⋮⋮!これが攻略対象者の実力という訳か⋮⋮!ダメですわ。
これダメなやつです。恰好良過ぎる。惚れ直した。私はスマホに手
を掛けたあたりでハッと我に返った。あ⋮⋮危な。思わず写真を連
射するところだった。
﹁もー透なら絶対可愛くなるのに!﹂
﹁ははは﹂
社交辞令に乾いた笑いで返す。いや翼、あなた男だと思ってたで
144
しょうが。
翼はクリーム色の明るい色の浴衣を着ていて、髪も金髪で派手な
ので似合っている。その色だと本当にゴールデンレトリバーに見え
てしまう。なんか可愛い。わんちゃん。
周りの女の子達の鋭い視線を浴びる。ああ、ええ、分かりますよ。
言いたい事は。﹁なんでこんな女と?﹂という感じでしょう。ちょ
っと顔が引き攣るのを、私は止める事が出来なかった。
それから適当に会話をしてから縁日を回った。基本的に翼がはし
ゃいで、私がそれに突っ込み、晴翔は後ろから着いてくる感じだ。
でも晴翔の機嫌は結構⋮⋮いや、かなり悪いように見える。ずっと
ムスッとしている。その事は翼は気にしていないように見える。
何か原因を知っていたりするのだろうか。もしかして私だろうか
?花火大会、私と行くのが嫌だった⋮⋮とか?
﹁あ、俺ちょっとトイレ行ってくる﹂
﹁それなら向こうにありましたよ﹂
﹁じゃあ行ってくるっ﹂
翼がトイレに行きたいと言い出したので場所を教えてあげる。そ
の間は晴翔と2人きりだ。非常に気まずい。
私は沈黙を保ったまま晴翔をチラ見する。腕を組んでムスッとし
ている。そんな顔も恰好良くて困る。
じっと見ていたら眉がピクリと動いた。そして、どこに入れてあ
ったのか、スマホを取り出して何か見ている。
メールでも届いていたのか、目を見開いてから、私と目が合った。
すぐに逸らして、苦虫を噛み潰したような顔になった。そんなに嫌
ですか⋮⋮。まぁ私の態度も悪いから言えないけど。でもなぁ、や
っぱり好きな人と友達に戻るのはやぱり無理があったかな。
こういう2人きりの時にどうしても意識してしまう。この苦い気
145
持ちが設定通りという訳だ。そう考えると憂鬱な気分になってしま
う。
﹁と⋮⋮透﹂
﹁ひゃいっ!?﹂
晴翔に話しかけられて変な声をあげてしまった。恥ずかしい。晴
翔はそんな私の様子に気まずそうに視線を彷徨わせている。
﹁つ、翼が他の友達と合流したから。2人で回ってくれって﹂
﹁えっ﹂
翼め。謀ったな。うわぁ、晴翔と2人で回るとかなんという試練
なのだろう。チラリと晴翔に目を向けると浴衣姿の晴翔の姿が。や
ばい。恰好良い。ドキドキする。ええい。静まれ。どうせ作り物の
気持ちだ。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
2人の間に気まずい沈黙が流れる。
﹁﹁あのっ⋮⋮﹂﹂
同時に喋り出してしまった。
﹁な⋮⋮に?そっちから﹂
﹁あ、いや、晴翔からどうぞ﹂
﹁や、俺は大した話でもないし⋮⋮﹂
146
﹁それを言ったら私も大した話じゃ⋮⋮﹂
お互いに譲り合って話が進まない。その様子に、拭き出してしま
った。晴翔も可笑しいと思ったのか、笑っている。晴翔のこんな顔
をみたのはいつぶりだろう。しばらく2人で笑いあった。
笑いあっていたら、ドンッという音がした。花火だ。2人で上を
見上げて花火が上がるのを見た。結局会話はあまり成立しなかった
けれど、空気は柔らかい。
⋮⋮それにしても、好きな人と一緒に花火見上げるって凄い幸せ
だな。青春って感じで。まぁいいか。作り物でも。今確実に幸せだ
し。どうせ主人公を好きになるって分かってるけど、今だけは彼と
の時間を共有出来ている。
上を見上げている愛しい幼馴染を盗み見る。花火が空で咲く度に
明るく照らされる晴翔がとても恰好良い。思わずニヤけた。ふふ、
幸せだなぁ。
今度は花火を見つめる。これが最後の晴翔と過ごす夏休みになる
んだろう。来年は、きっと主人公が入学してくる。それまでは、こ
の幸せを噛みしめよう。
夏休みが終わる前に、晴翔とは何度か会うことになった。図書館
で、翼と晴翔の勉強を教えてあげる為だ。その度に必ずと言って良
い程水無月海斗くんがいる。流石﹃図書館の君﹄、ブレません。
﹁これ、透。これ何?﹂
﹁ああ、これはさっきの公式を代用するんだよ。さっき使ったやつ
だよ﹂
﹁まじで﹂
147
ぼんやり攻略対象者を見つめていたら、これまた攻略対象者に問
題を聞かれて答えてあげる。私の周り攻略対象者多いなぁ。会長、
晴翔、翼⋮⋮今見ている水無月。日向先輩は保健室でたまに見かけ
る程度だけど。会長、晴翔、翼。3人と多く接触している。まぁ晴
翔に関しては私が晴翔の幼馴染キャラで、ライバルキャラだからな
んだけれどね。生徒会入りも設定通りだ。
晴翔の生徒会入りはどうなるのかな。私が晴翔を誘うような事は
しないからな。晴翔が生徒会入りしなければ、ルートとかが変わる
かもしれないな。まぁ、それは私も見てみたい展開ではある。とい
うか、ライバルキャラである透の口調ってどんなんだったかな⋮⋮
もっと高飛車だった気がする。晴翔は私の事を好きでいてくれる!
という無駄な自信があったな。馬鹿だなー。
﹁ぐう⋮⋮﹂
あ、翼が寝ている。疲れているのだろう。バンドは結構体力いる
し、勉強で精神の方も疲れるのだろう。だが、今は私が勉強を教え
られる数少ない機会なので起きて貰おう。
取りあえず金髪ワンコの頭を撫でよう。髪に触れると、良い香り
がして、ふわふわした手触りがした。うわ、わんこだコレ。ずっと
ナデナデしておきたい。なにこれ凄い。
﹁⋮⋮あれ。これどういう状況?﹂
わんこが起きて眠そうな目で首を傾げている。可愛いなこの人。
翼がとある所に視線を向けた途端サッと顔が青ざめた。
﹁ひっ!?﹂
﹁?﹂
148
翼が視線を向けている先に私も視線を向ける。だが、その先には
真剣に勉強をしている晴翔しかいない。きょろきょろと他を見回し
てもそんな風に青ざめる原因が見当たらない。
﹁す、凄いや。眠気が全部とんだよ⋮⋮ははは﹂
﹁⋮⋮それは良かったな﹂
虚ろな瞳を漂わせて乾いた笑いを漏らす翼に、晴翔が労いの声を
掛けていた。眠気が飛んだなら、勉強も捗るだろう。でも、そんな
に震えるって⋮⋮何か怖い夢でも見ていたんだろうか?
149
動揺しました。
夏休みを終えて、まずはテストだ。夏休み中にサボっていなけれ
ばそれなりの点数は取れる。
翼も手ごたえがあったようで、達成感のある顔でグッと親指を立
てていた。あれで、解答欄ズレてたら笑いますけどね。あ、シャレ
になりませんね、それ。
﹁そこまで﹂
午前のテストが全て終わって、解答用紙が回収されていく。凝り
固まった体を伸ばす。芳しくなかったのか、三宅さんが撃沈してい
る。こんな事なら、勉強会に誘ってあげればよかったでしょうか。
でも、三宅さんバレーが忙しそうでしたしねぇ。
昼休み、私は生徒会室に向かう。今日から、生徒会の立候補を集
う紙を制作するのだ。テスト期間中に作るとか鬼畜でしょう。でも、
やり遂げるのだから会長は凄い。テスト期間の制作して、テスト終
了後すぐに公募する。
この生徒会選挙では1、2年だけが立候補する事が出来、3年は
出る事は出来ない。なので、副会長はここでお役御免。
勿論、引き継ぎなんかもあるので、すぐに来なくなるという事も
ないだろうが⋮⋮副会長の役割は私が引き継いでいるので、あまり
問題が無かったりする。正直、面倒なのでご遠慮願いたいところで
すが、会長と話せる人間がいないのが現状だ。
なんで話せないんでしょうね。会長はちょっと威圧感があるだけ
のドジっ子なのに。話してみると優しくてドジなんですけどね。
ゲーム中は﹁へー﹂って感じでスルーしてた設定が、現実だと違
和感ありまくりです。話せないって、人としてどうかと思う。
150
﹁透﹂
私が丁度生徒会室の扉を開けようとした時、声を掛けられた。そ
の声は予想外の人物の声で、とても驚く。
振り向くと、案の定晴翔が立っていた。走ってきたのか、少し息
が上がっている。
﹁え⋮⋮晴翔?どうしたんです﹂
﹁手伝う﹂
⋮⋮ん?何をでしょうか。私は良く分からず、少し首を傾げる。
晴翔は視線を泳がせて、僅かに躊躇してから口を開く。
﹁生徒会の仕事だ﹂
﹁⋮⋮なっ!?﹂
予想外の答えに驚く。
待て、なんでその流れになったんだ?私は誘っていないから、晴
翔の生徒会入りはなくなるはずじゃないのか?
なんで、私が誘ってないのに生徒会の仕事を手伝う必要性がある?
落ち着け、まだ生徒会入りするとは言っていないでしょう。
﹁⋮⋮ダメか?﹂
﹁⋮⋮い、いえ。手伝いは、助かるのですが、でも、何故急に?﹂
何故そんな事を急に言い出したか、訳が分からない。
妙な音を立てる心臓を抑えつけて質問を投げかける。本当に突然
の事で、晴翔が何を考えているのか、分からないのだ。思うように
言葉が出てこなくて、途切れ途切れにしか反応できない。
151
﹁⋮⋮生徒会に立候補しようと思って﹂
⋮⋮やっぱり、この世界は強制力が働いている。ライバルキャラ
が誘わなくても、晴翔は生徒会入りする事が決まっているのだ。そ
して、きっと主人公も入学してくることだろう。そうしたら私はど
うなってしまうのだろう。
主人公を追いかける晴翔を見て、嫉妬を持たずにいられる?分か
らない、分からないけど、怖い。もし苛めを率先するような事にな
ったら?
せっかくの第二の人生なのに、退学する事になる?
実際の所、ライバルキャラの木下透が退学や転校するルートは多
い。翼や水無月海斗くんのルートが発生したら転校する。現実に可
能かは分からないが、ハーレムルートなんかだと木下透は退学する。
ルートに入らなくても、ある程度晴翔の好感度が高くても退学する。
確立としては、それなりだろう。
勿論そうならないルートに入れば無関係なのだろう。けれどどの
ルートでも確実に何回かのイベントは起こるはずなのだ。だから晴
翔が主人公に最低限の好意を抱く事は必須。それだけ考えても頭の
痛い話である。
﹁そこまで﹂
その声にはっとする。テストの終了を知らせる合図だ。午後のテ
スト中にぼーっとしてしまっていたようだ。なんてこった。半分も
解けていない。やばい。これはやばいです。
呆然自失状態で教室に帰って、もやもやしながらテストを受けて
いたら、こんな事に。
﹁⋮⋮大丈夫か?﹂
152
﹁へっ!?﹂
晴翔に心配そうに声を掛けられて変な声が漏れた。
晴翔の綺麗な顔を前にして、震えが止まらない。やばい、ですね。
本気で転校を考えた方が良いかもしれません。でも強制力の働くこ
の世界で、果たしてそれは成功するのだろうか?
私は退学するしかない?そんな運命しか待っていない?そんなの
嫌だ。せっかく良いクラスメイトとも出会えているのに。
﹁⋮⋮っ来い﹂
﹁あっ⋮⋮﹂
晴翔は苦しげな顔をして、私の腕を掴んで歩き出す。
どこに向かうのかと思えば、保健室だった。私の今の状態が異常
だと気付いたのだろう。
﹁あらあら、木下さん顔色が悪いわね。休む?﹂
保健の先生が心配そうに顔を覗き込んでくる。20代の若い女性。
優しいので、男子生徒に人気があるらしい。先生に会う為にずる休
みする子もいたりするほど。
⋮⋮と、どうでも良い情報を考えてみたりしてみる。
﹁⋮⋮っこ、ここで、受けます﹂
﹁そう?辛そうだけど⋮⋮再試験受けられるわよ?テストの内容は
変わっちゃうけど、貴方なら問題ないでしょう?﹂
先生はスラスラと私の名前を用紙に記入しつつ、私の容体を窺う。
体温計を手渡されたけれど、たぶん測っても平熱だと思う。
153
﹁じゃあそこの君、担任に木下さんの事知らせて来て頂戴、そのま
ま教室に戻っていいから﹂
﹁⋮⋮はい﹂
先生は晴翔に指示をだして保健室から追い出す。晴翔は心配そう
に私を見つつ、担任に知らせないとと思ったのか、出て行った。
﹁じゃ、次のテストまで横になって休んでなさい﹂
﹁はい⋮⋮﹂
言われるままベッドに横になる。悪い考えがぐるぐると回る。
横になったら、気分の悪さが少しマシになった気がする。まぁ、
晴翔が出て行ったから、という理由もあるけど。
さて、本気でどうするか⋮⋮。まさか晴翔が生徒会入りを希望す
るなんて思ってもみなかった。生徒会には私がいるから、避けるも
のだとばかり思っていたのに。晴翔が生徒会に入らない事で、オー
プニングスチルは回避されたかもしれないのに。
それが回避できるという事で、乙女ゲームとは違う展開を期待し
ていた。だから晴翔は誘わなかったのに。でも、晴翔の生徒会入り
は決まっているのか。
ああ、もう、もやもやする。全て嫌になってきた。全て投げ出し
たい。せっかくの第二の人生なのに、なんで未来が決まっているん
だ。
強制力が、生徒会入りで、晴翔、私の退学⋮⋮と無限ループだ。
考えたって、どうしようもない。そのどうしようもなさが怖い。
そこで、優しく頭を撫でられる。先生かな?と思い目を開く。が、
そこにいたのは晴翔だった。
驚いてガン見してしまった。どうして、教室に戻ったはずじゃ。
優しく頭を撫でる晴翔の手が、苦しい。どうしてそんなに優しく
154
撫でるんですか。そういう事は、やめて欲しい。本当にやめて欲し
い。胸が苦しくなる。私はもう振られているのに、希望を持ちたく
なる。
﹁大丈夫だ﹂
﹁⋮⋮っ﹂
私の頭を撫でて、すこしぎこちなく笑う晴翔。思わず泣きそうに
なったが、耐える。こいつは本当に⋮⋮人を勘違いさせるのが上手
い男だ。
いや?これは世界の強制力なのかもしれない。私の心が晴翔から
離れない様に、という事なのだろう。まんまと引っかかっている自
分に辟易する。
⋮⋮イラッとしてきました。振った女相手に、その行動は頂けま
せん。正直説教してやりたい気分です。
怒って良いですか?良いですよね、これ。絶対不適切ですよ。
﹁ほらほら!君も教室に戻って!﹂
怒ろうと口を開いた瞬間、先生が晴翔を追い出しにかかった。な
んというタイミングの良さ。⋮⋮まぁ、良いでしょう。
怒って、また気まずい空気になるのもね。私が勘違いしなければ
いいだけの話です。
﹁ほら、いけそうなら木下さんもテストするわよ?﹂
優しそうな先生の笑顔に、私は頷いた。悔しいが、晴翔に撫でら
れた御蔭で気分は落ち着いた。本当に悔しい事だ。
155
真剣に考えました。︵前書き︶
シリアス回。
156
真剣に考えました。
職員室に呼び出されて、事情聴取を取られました。化学のテスト
が赤点だった事が問題になったようです。いつもダントツトップの
私が赤点なんて何事だ、と職員室は騒然としたらしいです。いえ、
私も完璧な人間ではないので、そう言う事もありますよ?
知らないと思いますけど、私の前世では赤点なんて日常茶飯事で
したから、真っ赤に染まったテストを見て﹁懐かしい﹂なんて感傷
に浸るくらいです。
流石に親の呼び出しまではされませんでした。化学のテストの後
に保健室に行った事は分かっているので、体調不良という事で片付
きました。
ですが、問題は次の話です。
体調不良になるほど無理しているなら、部活は止めなさい、と言
われました。
むしろこっちの方が酷い衝撃を受けた事は言うまでもないです。
生徒会の方と、部活のどちらかをやめた方が良いと言われ。部活
の方は私がいなくても成立するが、生徒会の方はそうもいかない。
新しい生徒会では私の存在は必要不可欠、と教師側も思っていたよ
うだ。
生徒の意思を尊重するべきなのだろうが、成績優秀な生徒が倒れ
るまで無理をするのはいけない、という事だ。
多くの教師に部活は止めた方がいいと言われて、強く反発出来な
い自分が悔しい。別に無理をしている訳ではない。晴翔の生徒会入
りにショックを受けただけだ。
真島先輩にも、会長にも、他のクラスメイトにも、やめた方がい
いと言われる。まるで世界が敵にでもなったようだ。
157
木下透は夏休み明けに、弓道部をやめる。
それが運命なのだと言わんばかりだ。絶対にやめないと思ってい
たのに、止めた方が良い状況になっている。
確かに部活の方へは全然力が入っていない事は分かっている。皆
が倒れた私の心配をした事も分かっている。けれど、どこかうすら
寒い。この世界はなんなのだろう。
何もしたくなくて、考えたくなくて、生徒会の仕事を放りだして、
適当にぶらつく事にした。
﹁はぁ⋮⋮﹂
世界の強制力が確実に働いている。逃げようと思っても、別の角
度から修正してくる。
乙女ゲーム内の木下透が部活を辞める理由はこうだ。
晴翔と長い間いられる生徒会にずっといたいから。
実に単純明快じゃないですか。いっそ清々しいくらいです。私も
それほど純粋になれれば良かったのでしょうが⋮⋮私は彼女とは違
う。なのに、部活をやめる状況になっている。
そもそも、晴翔が生徒会入りするとか言い出したのは何故なんだ。
あれでかなり動揺してしまった。こんな事になるくらいなら、考え
るよりも先にテストに集中しておくんだった。
まぁ、今さらですけどね。
というか、放り出した生徒会の仕事が気になって気になって⋮⋮。
大丈夫でしょうか、生徒会選挙の準備はどうなっているのでしょう
か。
今日ぐらい、休んでも、良いでしょうかね⋮⋮。ああ、もう、こ
んなに気になるくらいならサボらなきゃ良いのに。でも、今はちょ
っと学校にいたくない⋮⋮どうしろっていうんです。
158
﹁あらぁ?透ちゃん?﹂
﹁あれ?母さん﹂
ぶらついている時に、母さんと出会った。こっちの方に来ている
なんて珍しいです。電車使ってわざわざこっちに?洋服店の紙袋を
持っているので、近くにあるショッピングモールに行っていたんだ
と、すぐに理解した。
﹁透ちゃんったらサボりー?﹂
﹁え⋮⋮うん﹂
私は放課後、いつも弓道やら生徒会の仕事をしているので、この
時間にうろうろしている事はまずない。なので、なにかしらサボっ
ているのだろうと推測したのだろう。合ってますけどね。なんだか
後ろめたい気分です。
﹁うっふふ!さっすが私の子!﹂
﹁えっあ!ちょ、母さん!?﹂
サボりだと見抜いたのに、逆に嬉しそうな顔をして私の腕をとっ
て走り出した。その年で走り出すなんて!筋肉痛になっても知りま
せんよ。でもまぁ、凄く若い見た目なので、もしかしたらならない
かもしれませんが。
私の暗い気持ちなどお構いなしに、母さんがショッピングモール
内を引っ張りまわる。この服が似合うだとか、あの音楽が好きだと
か、正直、私よりも母さんの方が女子高生みたいな生活を謳歌して
いると思う。
﹁うふふ!久し振りにはしゃいじゃったわ!﹂
﹁⋮⋮﹂
159
何も言うまい。いつもはしゃいでるじゃないですか、という突っ
込みはしない。喫茶店に入って、少し休憩をしている。かなり遊ん
だので、もう外は暗い。
ああ、結局サボってしまいましたね⋮⋮まぁ、サボるつもりで出
たんですけどね。うん⋮⋮胃が痛くなってきました。これで生徒会
からも追放されると絶望的です。
﹁こらっ!若いのに眉間に皺はダメよっ!﹂
ツンと私の眉間を人差し指で突く母さん。その突き方、なんか嫌
ですね。⋮⋮あ、そうだ。父さんにやってるのと同じだからですね、
納得。
というか、眉間に皺よってました?確かにこの年で眉間に皺なん
ていやですね。しかも女性ですし。
私が眉間を揉んでいると、ふふ、と母さんが優しく微笑む。
﹁何を悩んでるか知らないけど、そんなに気にしなくても世の中な
んとかなるもんよ?﹂
実に母さんらしい呑気な言い分だ。いつもだったら﹁そう言う訳
にもいかないでしょ﹂と言い返すのだが⋮⋮おちゃらけた言い方で
はなく、諭す様な言い方だったために口を挟む事が出来なかった。
﹁透ちゃんが頑張ってるの、私は知ってるわ。頑張って頑張って、
がむしゃらになってるのを、私は小さい時から見て来たの。自分の
事はなんでも自分でやりきっちゃって、本当、手が掛からない子だ
ったわ。私の方が寂しかったくらいよ﹂
優しい顔、これが﹁母﹂の顔というモノだろう。紅茶に入ってい
160
る氷が溶けて、カランという音が鳴る。
﹁透ちゃんの頑張りは、皆も見てくれているわ。だからね、そんな
に悩まなくてもいいの。失敗してもいいの。無茶しなくていいの。
皆分かってくれているわ、透ちゃんがとても頑張ってる、良い子だ
って。だからちょっとくらいサボっても、皆笑って許してくれるの。
息抜きも必要でしょう?だって人間だもの、そんなロボットみたい
に休息なしで動ける訳じゃない﹂
私はただ黙って母さんの言葉を受け取る。
そんな私の手をそっと握って、真っ直ぐ私を見つめてくる。その
真っ直ぐな目に、吸い込まれてしまいそうだ。
﹁ね?だから⋮⋮楽しく生きましょ?﹂
﹁⋮⋮母さん﹂
﹃人生、楽しんだ者が勝ちでしょうっ!﹄
それが私の生き方なの。人生詰む?その時はその時考えればいい
じゃない!って、マジで詰んだ!?⋮⋮どうせならもっとチートな
人生が良かったのに。
⋮⋮私の生前の生き方だった。全力で楽しみ、全力で生きてた。
最後の最後で詰んで絶望してたけど、それまでは楽しくやっていた。
嫌な事からは目を逸らしたし、面倒な事はやらなかった。その結果
路上で死んだのだけど。
母さんの考え方は、私と凄く似ている。気楽に考えて、楽しい事
をやる。まぁ、私と違う事と言えば、嫌な事もきちんとこなす事だ
った。それが私と母さんの違い。
だから、またあんな風に死にたくなくて、私は今度の人生は全力
161
で頑張ろうと思っていた。好きな事はほったらかしにして、自分が
嫌いなものばかりを手にしてきた。ずっとやっていたら、得意なも
のに変わり、やがて楽しいものに変わった。
バリバリ仕事をするのと、気軽な生き方をする事。どちらの生き
方も間違っているとは言い難い。でも、どちらが楽しいかと言われ
ると、遊ぶ方が好きだった。責任ある仕事を達成するのも楽しいけ
れど、友達と話す事も面白い。
⋮⋮私は、どんな生き方を望んでた?
晴翔に告白して、ショックを受けた。
乙女ゲームなんて思い出して、感情が揺れた。
私の行動が全てゲーム通りなのだと、嘆いた。
そんな事を望んだ?
⋮⋮違うかも。
うん、違う。
確かに結果的にゲーム通りなのかもしれないけれど、ゲーム内の
透とは確実に違う考えを持って、違う行動をしていたと思う。今回
の赤点騒動も、ゲーム内の木下透は起こしていない。だから、私は
木下透であるけれど、﹁木下透﹂ではない。
私は私のやりたい事をやって来ただけだ。
だから強制力では私の考え方を完全には矯正出来ないという事。
うん?ちょっと混乱して来たかも。晴翔の事は好きになったしな
ぁ。
でも、いいか。もっと気軽に考えなければ、損だよね。ああ、う
ん。私はもっといい加減な奴だったよ。開き直る奴だった。こんな
に悩むのは﹁私らしくない﹂。
それに、私は母さんの血を引いてるんだ、多少ちゃらんぽらんで
162
も誰もが納得する。うん、母さんは私の母さんだ。流石。
私は母さんが握った手をぎゅっと握り返す。
﹁母さん、私が退学になっても生あったかく見守ってね!﹂
﹁もっちろ⋮⋮えええええ!?透ちゃん何やったの!?﹂
私の発言に、ぎょっとしている。母さんを驚かせる事が出来るな
んて、なんだか嬉しいですね。いっつも私が驚かされてばかりでし
たから。
﹁いや、正確には今からやる予定かもしれない﹂
﹁⋮⋮退学確定な事をやらかす気満々なのかしらぁ?﹂
母さんの口がひくついている。その様子が楽しくて、思わず笑っ
てしまう。
﹁ふ、ふふ。いや、分かんないんだけどね?まーその時は宜しく、
母さん﹂
﹁もー透ちゃんってば⋮⋮どんな風になっても、貴方は私の娘よ。
透﹂
﹁うん。ありがと、母さん﹂
そうだ、もう開き直ってこの状況を楽しめばいい。弓道止めれば
楽になるし、主人公が気に入らなければぶん殴ればいい。⋮⋮今か
ら殴る練習でもしよう。
どうしようもない強制力が働くのなら、より良い方向にもってい
けばいい。どうせ退学確定なら、陰湿ないじめじゃなく、堂々と病
院送りにしてやろう。⋮⋮その考えもどうかと思うが、陰湿にやる
よりは他の人の心証もまだマシだ。⋮⋮多分。いや、どうだろう?
まぁ、その時の状況によって変わるからな。その時になって考えよ
163
う。
それが私らしい。
たとえまた路上で死ぬ事になっても、それが私の人生だと笑い飛
ばしてみせようじゃないですか。乙女ゲームがなんだ、強制力がな
んだ。私は私の生きたいように生きる。
164
真剣に考えました。︵後書き︶
開き直ってみました。
165
選挙しました。
ドキドキしながら生徒会室の扉をノックする。中からは会長の声
が聞こえたのを確認してから、入る。
私の姿を捉えた会長は、ほっとしたような顔をした。副会長も腹
黒い顔ではなく、普通の笑顔をみせてくれた。
﹁体調は大丈夫か?﹂
﹁ええ、おかげさまで﹂
どうやら、2人共怒ってはいないようです。昨日無責任にも仕事
放り出してきましたからね。
﹁生徒会の方をやめられたら、と思うとヒヤヒヤしましたよ。勿論
やめないですよね?﹂
あれ、副会長の笑顔が黒くなっている。何故です。さっきまで普
通に笑いかけてくれてたじゃないですか。
﹁ダメだ、それだけは⋮⋮﹂
﹁え、えぇ⋮⋮﹂
辛そうな顔で言われる。そんな顔しないで下さいよ。ここで会長
を見捨てたら私が悪者になりそうだ。まぁ、やめるつもりで来たわ
けじゃありませんが。
﹁木下さんがいないと月島くんが﹂
﹁副会長!?﹂
166
副会長が何か言いかけたのを会長が大声で遮る。驚いて会長の顔
を見ると、顔を赤くさせていた。目が合うとサッと逸らされる。対
する副会長は爽やかに笑っていた。とても楽しそうですね。
⋮⋮何があったっていうんです?何回か副会長に聞こうとしたが、
会長に目で﹁やめろ﹂と訴えられたので、やめておく。
生徒会選挙には前から生徒会にいるメンバーと、新しく1年生が
3名加わる事になった。そこには勿論晴翔も含まれている。
晴翔は設定通り副会長に任命された。
そして、何故か晴翔と会長が無言で睨み合うという事案が発生。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
おおっ、晴翔⋮⋮会長の圧力に屈せずに睨みつけています。会長、
ここで片眉をあげる。それに対し、晴翔が眉間に皺を寄せる。おお
っと、会長はここで唇を片側だけ上げた!晴翔も負けていません、
晴翔もニッと笑いかけます。ただし目が据わっている。
2人の放つ空気が冷たくて、他の生徒会メンバーが誰も近寄れな
い。私は現実逃避で実況してみた。あの2人、知り合いなんですか
ね?何故あんなにも険悪なんでしょう。少なくとも傘を差して貰っ
た時は知らないようでしたよね。
﹁いやぁ、楽しくなりそうですね﹂
﹁いや、どこがですか﹂
前副会長の水無月先輩が朗らかに笑う。どこをどう見たら楽しそ
167
うなのだろう。もはや不安しか感じないのですが。水無月先輩のそ
の図太い神経を少し分けて頂きたいくらいです。
生徒会選挙の次は文化祭である。新規生徒会メンバーは習うより
慣れろと言った風で、めちゃくちゃ忙しく駆け回る。
前生徒会メンバーも流石に参戦して手伝ってくれる。実質前メン
バーが生徒会を卒業するのは文化祭体育祭が終わってからである。
﹁透、持つよ﹂
﹁ええ。有難うございます﹂
晴翔が私の荷物を持ってくれる。荷物が減ったので別の資料も抱
える。助かった助かった。晴翔とは忙しいのもあってか、仕事では
普通に話せるようになった。僥倖ですね。
いそいそと別の資料を持つ私をじと目で晴翔が見つめて来た。
﹁お前な⋮⋮﹂
﹁⋮⋮え?な、なにか?﹂
﹁はぁ⋮⋮なんでもねぇよ﹂
溜息を付いた晴翔に呆れが混じっていたので私は困惑した。何か
しただろうか?
﹁ここにいたか﹂
資料室の扉の前で会長が手を組んで立っている。そして会長は真
っ直ぐ私の方へ歩いてくる。足が長いので数歩でこちらに辿り着け
る。会長は迷いなく私の資料を全部持って行った。
168
﹁あ、有難うございます﹂
なんだろう、遅くて痺れを切らしてしまったのだろうか?だとし
たら申し訳ない。そう考えながらまた別の資料も頼まれていたんだ
ったと資料を探す事にした。
﹁透⋮⋮俺達が来なかったらそれだけの資料どうやって持っていく
気だった?﹂
﹁え?そうですね⋮⋮台車は駆り出されてますので、往復するしか
ないな、と⋮⋮だから助かりました。有難うございます﹂
会長の言葉に素直に礼を述べて頭を下げる。資料を持っているの
で深く下げられないのがちょっと申し訳ない。晴翔と会長から呆れ
た顔を向けられた。
﹁透、お前はもうちょっと人を頼れ﹂
﹁そうだよ、何のために俺も入ったと思ってる﹂
﹁ええと、2人共忙しくされていたので、声を掛けにくいじゃない
ですか﹂
2人共﹁分かってない﹂という顔をして溜息を付く。仲良いです
ね⋮⋮。3人で重い資料を抱えながら生徒会室に向かう。私と晴翔
の分の資料は別メンバーが使うモノなので会長だけが生徒会室に入
る。
2人で廊下を歩いて別室に向かう。
﹁不便だよな。なんでみんな別室なんだ?﹂
﹁そういうものなんですよ﹂
169
皆会長に怯えて仕事どころではなくなってしまうのだ。平気で会
話をしている晴翔の方が可笑しいくらい。⋮⋮まぁ、攻略対象者だ
からなんだろうなぁ⋮⋮。私はライバルキャラだから。副会長は⋮
⋮水無月だから⋮⋮ああ、もしかして攻略対象者の兄だからだろう
か?だと考えると攻略対象者の関係者は会長と会話できるって解釈
で良いのかな?
なんとも奇妙な話である。でもまぁ、乙女ゲームと同じ状況って
だけで十分怪奇現象だから。もう何も突っ込むまい。
﹁ありがとう﹂
2年の先輩がお礼を言って資料を受け取る。この人も会長に凄く
怯えてたな⋮⋮会長とは同い年のはずなんだけど。別室から出て、
仕事をする為に生徒会室に向かう。
この辺の廊下はそれほど賑わっていない。教室の近くなんかは生
徒たちが準備しているので色々なモノが転がっている。たまに足を
引っかけて転びそうになるので、片づけるよう注意を呼びかける事
も重要だ。
﹁あ、あのっ⋮⋮﹂
後ろから声を掛けられて振り返ると、大人しそうな男子がもじも
じしていた。新規生徒会メンバーの1年生である。こういう呼びか
けの時は十中八九生徒会長への用事を頼まれるときである。
﹁お、お願いします⋮⋮﹂
﹁はい、承知しました﹂
厚い資料を手渡されたので、快く受け取る。
170
﹁早く帰れ﹂
﹁ひっ!す、すいません!!﹂
赤くなっている男子を晴翔が冷たくあしらう。男子は赤い顔を青
くさせてさっさと帰って行ってしまった。
﹁晴翔﹂
私は少し咎めるように名前を呼ぶ。晴翔は軽く肩をすくめてから
さっさと生徒会室へと向かって行ってしまった。
はぁ、と小さく溜息をついて私も付いていく。晴翔は人任せにし
ている彼が気に入らなかったのだろう。すべて私に仕事を押し付け
ているので、私を心配したというのもあるのかもしれない。なので
私も晴翔を強く怒る事も出来ない。その怒りもごもっともだからで
ある。会長が怖くても、きちんとしたやる気があれば生徒会室でや
るものなのだ。なんの為に立候補したんだか、分かったモノではな
い。
生徒会室に向かうと、扉の前で話し合っている女の子たちが2人
いた。
﹁どうかされましたか?﹂
﹁あっすいません。これ申請なんですけど﹂
﹁あぁ⋮⋮確かに受け取りました。バンドですか。演奏の順番は抽
選になりますが宜しいですか?﹂
﹁は、はい。ありがと。じゃあね!﹂
女の子たちは慌てた様子でさっさと走って行ってしまう。⋮⋮廊
下は走ってはいけないんですよ。恐らく女の子たちは申請用紙を持
171
ってきたは良いが、会長が怖くて入れなかったのだろう。
何回もこういう事があってはいけないので、別室に他メンバーが
いる旨の張り紙でもしておくか。うん、良いアイデアだ。
そんな事を考えていると、横から溜息が聞こえて来たのでそちら
に顔を向ける。案の定晴翔が呆れた顔をしている。
﹁え⋮⋮と。なにかな?﹂
﹁⋮⋮お人好し﹂
﹁え?﹂
小さくて聞こえなかった。聞き返したかったが、さっさと生徒会
室に入って行ってしまったのでそれも叶わない。まぁ、大事な事な
らまた彼の方から言ってくるだろう。
生徒会室に入ると、会長が黙々と資料に目を通していた。私はお
茶を3人分淹れてから席につく。
私の席には申請書類やら何やらが山積みになっている。私は思考
を切り替えて集中してその用紙に向かう事にした。
172
文化祭の準備です。
﹁ただいまー﹂
﹁あら、お帰りー。透ちゃん!﹂
帰って来た私をむぎゅっと抱きしめてくる母。ふわりと花の良い
香りが鼻をくすぐる。母の抱きしめにちょっとよろけそうになった
が、母はしっかりと支えてくれた。
﹁んふふ、お疲れ様﹂
﹁うん﹂
文化祭での生徒会の仕事、自分のクラスの展示の手伝いなど、私
が手掛ける仕事は多い。流石にちょっと疲れた。最近帰りが遅い時
は体を支えるように母が玄関まで来てくれる。母も家事で疲れてい
るだろうに、本当に有難い事である。
母に少し体重を預けたままリビングへと移動し、腰を落ち着ける。
ほう、とやっと息がつけた。
﹁ふふ、お父さんみたいな溜息つくのね?﹂
﹁むぅ﹂
げ、それちょっとやだな。と思って頬を膨らませる。お父さんは
帰って来た時ぐでっとだらしがない。そんな感じが似てるって、女
子高生としては頂けない。中身はおばさんですがね⋮⋮。
しかし言い返す気力もない。机にぐったりと顔をつける。机がひ
んやりとして気持ちいい。目を瞑っていたら、ちょっと寝てしまっ
ていた。目を開けると、父さんが帰って来ていた。
173
対面に座って、私と同じように机に突っ伏している。うわ⋮⋮同
じ恰好だ。父と同じ態勢は嫌なので、私は慌てて体を起こして姿勢
を正す。
視線を彷徨わせると、母が嬉しそうな顔で私達を眺めていた。
﹁ごはんあるわよ?いる?﹂
﹁ん⋮⋮ちょっと食べようかな。あんまり食欲ないけど﹂
﹁そうだと思ってお粥にしたわよ﹂
流石母さん。私の事良く知っている。極端に疲れている時はあん
まり食事も喉を通らなくなる。それは父さんも同様である。でもそ
ういうときこそちゃんと食事をとらないと倒れてしまう。
粥を持ってきた母は、また隣で座って私をニコニコ眺めている。
私は気にせず粥を掬って食べる。体に栄養が染み渡るようである。
﹁ね、透ちゃんのクラスは何をやるの?﹂
﹁ん?んー⋮⋮執事喫茶﹂
﹁まぁっ!﹂
母さんの顔に明らかに喜色が浮かぶ。
﹁私のクラス、イケメンがいるから﹂
﹁まぁまぁまぁ!それはもしかして晴翔くんも入ってる?﹂
﹁そうだよ。あと金城翼ってバンドしてる子﹂
﹁いやだ、楽しみねっ﹂
うん、来てね。言わなくても、来ると思うけどね。
﹁私も数に入れられたけど﹂
174
﹁まぁまぁ、やっぱりね!透ちゃんはかっこよかったものね!勿論
透ちゃんは可愛さも持ってるけどね!﹂
私は微妙な気持ちですよ。可愛いだなんて、身内贔屓だろう。現
に、スカートをはく様になった今でもイケメン扱いである。悲しい
かな⋮⋮。
﹁父さん、有給取ったんだ⋮⋮﹂
﹁まぁっ!﹂
父さんの声が聞こえて来た。起きていたらしい。だが、体を起き
上がらせる気力はないのか、机に突っ伏したままである。
﹁くそったれ上司にそれ言ったら、山の様に書類持ってこられたよ
⋮⋮あいつ絶対嫌がらせだ﹂
﹁それで父さんも疲れてるのねー﹂
母さんは納得したようにうんうん頷いている。
﹁透ちゃん、文化祭2人で見に行くから!うふふ、楽しみね﹂
﹁うん、じゃあ気合入れて待ってるよ﹂
私は茶碗に入った粥を全部胃に納めた。そして気合を入れ直す。
文化祭の準備は着々と進んでいる。
役員は当然のように忙しい。
﹁この書類は?﹂﹁ここの計算どうなっている﹂
﹁つり銭が足りない﹂﹁材料の発注は?﹂﹁許可出た?﹂
175
私は額を流れる汗をぬぐいながら仕事をする。9月と言ってもま
だまだ暑いのだ。
﹁すみません、2年2組の方ですか?﹂
﹁?⋮⋮はい﹂
通り過ぎようとした女の子に声を掛けると、不思議そうな顔をし
つつも足と止めてくれる。そして私の顔を見て、何故か頬を赤らめ
ている。
その事に首を傾げつつ、女の子に話しかける。
﹁この看板、少し不安定なので補強して頂けませんか?どなたか、
力の強い方に言っておいてください﹂
﹁わ⋮⋮ほんとだ。気付かなかった。⋮⋮もう!あいつ適当にやっ
たわね?⋮⋮ありがとう、知らせてくれて﹂
﹁いいえ、では私はこれで﹂
私は先輩に微笑んでからその場を後にして見回る。こういう、細
かい所も見ないと、いざ本番で看板が落ちて来たなんて洒落になら
ない。
後ろで女の先輩がうっとりと私を見ているなんて気付かない。
﹁すみません、ここの方ですか?﹂
﹁ああ、そうっす、よ⋮⋮あ﹂
別のブースに来て、男の子に声を掛ける。
何故か驚いたように見られたので首を傾げる。
﹁何か?﹂
176
﹁い、いや!何⋮⋮えーとうちに何か?﹂
﹁⋮⋮ええ、ここの食器はどこからの物ですか?確かここまでの金
額は出していなかったはずですが⋮⋮﹂
喫茶と書かれてある場所には高級な食器が並べ立てられている。
とても学校側から支給されているものとは思えない。
﹁ああ⋮⋮あれな。水無月が実家から持ってきたやつなんだ﹂
﹁水無月先輩ですか﹂
知り合いの名前が出て思わず驚く。
﹁なんでも、本格的にやらなきゃ気が済まないって黒い笑い浮かべ
てたぜ﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
その黒い笑いは直ぐに思い描く事が出来る。
﹁そうですか。では後ほど先輩に伺ってみますね。有難うございま
す﹂
﹁おう﹂
先輩にお辞儀をしてその場を離れる。男の先輩は軽く手を振って
くれた。水無月先輩ならきっと大丈夫だろう。私物である申請もき
っと出す。
だがその場合、破損・紛失等の責任は学校は負えない。私物の持
ち込みは自己責任だ。それは生徒会を務めていた水無月先輩なら重
々知っているので、それも注意する必要もあるまい。念の為、本人
のものか確認するだけで良い。
用箋バサミに付けた紙に文字を記入しつつ騒がしい廊下を歩く。
177
汗が流れて来たので、タオルで拭う。
パタパタと男子2人が私の横を駆けて行った。
﹁あまり走るのは感心しませんよ!﹂
﹁はーい﹂
﹁おう﹂
その2人に注意を促して叫ぶ。その時、ふ、と自分に影が落ちる。
見ると、壁にかけてあったであろう木材が自分に倒れようとしてい
た。
﹁きゃ!?﹂
﹁ちっ﹂
その声で近くに女生徒がいる事も悟り、思わず舌打ちが出た。
がしゃーん!
という音が廊下に木霊する。周りで、悲鳴やら何やら、ちょっと
騒然としている。ズキズキと傷む左腕を押して木材を退ける。
﹁ふぅ⋮⋮怪我はありませんか?﹂
﹁う、あ、あう、た、多分。だ、大丈夫﹂
女の子は目に涙を貯めて真っ赤になって震えてしまっている。シ
ョックが大きいらしい。無理もない。ああ良かった。見た所怪我も
ないし。女の子をそっと立ち上がらせて埃を払ってあげる。
﹁だ、大丈夫、ですか?﹂
178
木材を置いていた部屋の扉から顔を出して男子生徒が不安げに聞
いてくる。
﹁ええ、取りあえずは。ですが不安定な状態で木材を廊下に放置す
るのはいけませんでしたね。ああ、先程走って行った男子生徒はご
存じですか?彼らにももう少し厳重に注意しないと﹂
﹁えーと探してみます﹂
﹁そうですね、私の方も探してみます。名前が分かりましたら、お
知らせください﹂
オロオロしている男子生徒にそう声を掛ける。
すぐ隣で悲鳴が聞こえた。
﹁き、木下さ⋮⋮!血、血が⋮⋮!﹂
先程助けた女の子が顔を青ざめさせて私の腕を凝視している。私
は結構酷い状態の腕をチラッと見て嘆息した。打撲と、ザラザラの
木が擦れたせいで傷が付いている。
全く、若い身空でなんという愚行。ああ、傷が残ったらどうしよ
うか。まぁ、人生2回目だし、どうでもいいけれど。こういうのは
まぁ、男の勲章とでも言うんじゃないかな?まあ女ですけど。
そんな事を考えていると、右手をグンッと強く引かれた。
﹁えっ!?﹂
﹁⋮⋮この馬鹿﹂
急に腕を引かれたせいで左手に持っていた用箋バサミを取り落し
た。力が入りにくくなっているのかもしれない。
﹁ちょ、書類!﹂
179
﹁そんなもん後だ!﹂
後ろを振り返ると、先程助けた女の子がその書類を持って﹁生徒
会室に持って行っておきます!﹂と言っていた。それは助かるけれ
ど、この腕を引くお方は少々強引だった。
抵抗しても無意味なので、大人しくその怒っているであろう幼馴
染の背中に付いていく。
180
怪我しました。
黙々と腕を引っ張られ、保健室まで連れて来られた。
しかし、養護教諭は他に駆り出されていると、置き紙があった。
どうやら他にも怪我人が出たようだ。
﹁こっち﹂
怪我した方の腕を取られ、水洗いされる。
今さらながら、痛くなってきましたね。当たった時はあんまり気
にしていませんでしたが、自覚するとどうにも痛さが⋮⋮。
﹁っ!﹂
痛みがして、思わずビクリと腕を震わせる。
流水が傷にしみますね。反射で腕を引こうとしてしまいましたが、
晴翔がガッチリ掴んでいたので引く事は出来ませんでした。僅かに
腕を引こうとしたのが晴翔にバレて、鋭い目で睨みつけられました。
⋮⋮そ、そんな目で見なくてもいいじゃありませんか。ただの条
件反射ですよ。ちゃんと洗いますから。
そして、距離が近いですね。
﹁えーと、自分で洗えますから﹂
﹁ダメだ﹂
晴翔との距離を離そうと、言ってみるが、すぐに却下される。い
や、出来ますよ。自分でできます。子供じゃああるまいし。
181
﹁どうせ透の事だ。この程度で良いだろうって適当にやってごまか
すんだろう﹂
﹁⋮⋮﹂
あっれぇ。どうしてそんなに信用ないんですかね?否定は出来ま
せんけれど。
この程度、大した事はありませんしね。骨にも異常はなさそうで
すし、抉れている訳でもありませんし。まぁ⋮⋮なんか見た目がグ
ロテスクになっちゃってますが、大した事はありませんよ、たぶん。
﹁人の心配ばかりするからな⋮⋮﹂
わぁ、否定出来ません。先程も、女の子の事や、走って行った人
の事考えてましたしね。怪我すらちょっと気付いてませんでした。
しばらく流水で洗った後、清潔なタオルで水分を拭う。その間、
晴翔のなすがままだ。無言で晴翔のやる事を見守る。
﹁木くずが刺さってるな⋮⋮﹂
息がかかるほど腕を顔に近づけ、呟く。
ひぃい。近いです、近いですよ。
妙に腕がくすぐったくて、慌てて腕を引く。私の行動に機嫌を損
ねた晴翔が、眉を顰める。
﹁しっかり治療しないとダメだろ﹂
﹁⋮⋮ですが﹂
私が反論しようとした時、バタバタと騒がしい音が外からしてく
る。その騒がしい足音がこちらに近づいてくる。
182
﹁透っ!!﹂
ガラッと勢いよく入って来たのは、僅かに息を荒げた会長だった。
焦りをにじませた様子に目を丸める。
﹁あれ?会長、どうされたんですか?﹂
﹁⋮⋮っどうしたも、こうしたも、ないっ!怪我したと聞いたぞ!﹂
ずかずかと私に近づいてきて、ベシッと晴翔の腕を叩き落とした。
その態度に晴翔が立ち上がって、半笑いで会長を睨む。
﹁⋮⋮なんでしょーか?会長殿?治療の途中ですが?﹂
﹁貴様では荷が重いだろう、俺が引き継ごう﹂
なんでしょう、本当に仲が悪いですね。でも仕事となったら息が
合うんですよね。なんだかんだ言って、実は仲が良かったりして。
喧嘩するほど仲が良いって言いますものね。
でもまぁ、喧嘩はいけませんよね。睨み合う2人に恐る恐る声を
掛ける。
﹁あの、もう大じょ﹂
﹁﹁大丈夫な訳がないだろう!?﹂﹂
おう。ハモりました。やはり息ピッタリです。
かなり怒った表情でこちらを睨みつける姿は、怖いですね。綺麗
な顔の方が怒ると怖いって、本当です。
﹁俺は職員室で親御さんと病院に連絡する。あとタクシーか﹂
﹁じゃあ俺は担任に伝えてくる。それと、養護教諭も探してくる﹂
﹁え、ちょ、待っ⋮⋮﹂
183
テキパキと2人が保健室から出て行き、保健室に取り残される。
いやいや、病院は大げさでしょう。
そう突っ込みたかったけれど、もう2人は出て行ってしまわれた。
恐らく止めても無駄なのだろう。大きく溜息をついて、項垂れた。
﹁うむぅ、結構大げさに⋮⋮﹂
私は病院で治療を受けた左腕を見て嘆息する。傷口に刺さった木
くずを丁寧に抜かれて、その上に包帯でグルグル巻きにされている。
怪我した範囲が広く浅いので、包帯の範囲も必然的に広くなる。そ
のせいで大怪我みたいに見える。白い包帯が明りに照らされて妙に
主張される。まぶしい。
﹁大げさじゃないわ!もう!乙女がなんて怪我してるの!ぷんぷん
!﹂
リアルでぷんぷん言われた時の腹立たしさと言ったら。しかし、
心配してくれているのが分かるので、多少イラッとしても許してし
まう。悔しい。それに、病院にもすぐに来てくれて嬉しかったし。
でも、ぷんぷんはないわー。母も絶対に怒られない時にしかやらな
いから⋮⋮そのTPOわきまえてるのが妙に腹立たしい。
﹁透ちゃんったら!男装したからって自分の性別をわすれちゃダメ
なのよ?可愛い可愛い透ちゃんが病院だなんて⋮⋮母さん倒れるか
と思ったわ!﹂
﹁ごめんなさい﹂
﹁無事だったからいいわ!許しちゃう!﹂
184
言い訳のしようもないので、素直に謝る。すると、母さんは私を
抱きしめて﹁うふふー﹂と笑っていた。母さんに抱きしめられると
なんだかホッとするなぁ。包容力が違うっていうか⋮⋮精神年齢的
には私の方が上なはずなのになぁ。やっぱり子供を産んだ母は強い
という事なのかな。途中で人生が詰んだ私とは経験が違うんだなぁ。
﹁じゃあ母さん有難う、学校に戻⋮⋮﹂
﹁ダメよ!今日はゆっくりやすみなさい!﹂
まだ時間が早いので学校に戻ろうと思ったが、母さんに食い気味
に否定されてしまった。
﹁いや、あの⋮⋮役員の仕事が﹂
﹁ダメ!そんな怪我したんだから今日くらいはゆっくり休みなさい
な。なんだか俺様で偉そうな生徒会長さんも許可するーって言って
たわよ?﹂
会長まで⋮⋮別に大した怪我じゃなかったのに。というか俺様で
偉そうって⋮⋮母さんの会長のイメージってそんな事に⋮⋮。ああ
でも、私も前はそんなだったなぁ。甘党だとか、土下座とかですっ
かりそんなイメージが崩壊してたよ⋮⋮。色々あって崩壊してしま
った会長を想像してちょっと感傷に浸ってしまう。
﹁あの会長さんと透ちゃんはどういう関係なの?﹂
﹁え?﹂
結局帰る事になり、タクシーに乗り込んでいる間にそんな事を聞
かれた。
なんか、前にも同じ事聞かれた気がする。皆にはどういう関係に
185
見えるというのだろう。どう考えても役員と生徒会長でしかないの
に。
﹁んー⋮⋮母さんには、どう見えた?﹂
﹁えーっ!?それ母さんに聞いちゃうーっ!?﹂
語尾が上がっていてイラッとした。ついでに動作も大仰でイラッ
とする。しかし許しちゃう、悔しい。
﹁んふふー⋮⋮あの会長さんはぁ⋮⋮完全に⋮⋮んふふー﹂
ニヤニヤしつつチラッチラッとこちらを伺う姿がイラッとする。
しかし、今は怒れないの⋮⋮。
﹁ああんっ!ダメよ!これ以上母さんに言えないわ!!﹂
バッと顔を覆っていやんいやんと首を振っている。本当に私の母
はテンションが高いな。最近ちょっとついていけないよマザー。
﹁良く分かんないけど、母さんが楽しそうで良かったよ﹂
﹁透ちゃん⋮⋮!﹂
何故かそのセリフでうるっと涙腺が刺激されたらしい。良く分か
らんが、ツボだったらしい。え、何故号泣。ギュッと抱きしめられ
る。タクシーの運転手さんとバックミラーで目が合った。何故かす
ごく生あったかい目で見られている。え、そんな風になるような事
言ったか?
ただ単に母さんのテンションについていけなかっただけなんだが
⋮⋮。
186
家について、タクシーから降りる時。
﹁良いお子さんですね﹂
なんてタクシーの運転手が言っていた。いや、なんで。子持ちに
しか分からない何かだったのか?誰か教えて、こわい。母さんはそ
のセリフで自慢げに胸を逸らせていたし、良く分からないよ。
その夜、帰ってきた父さんが、私の包帯を見て卒倒したのは別の
話だ。
﹁ダメだ。透。お前はこれをやっておけ﹂
﹁え、でも会長⋮⋮これ別に重くないですよ?﹂
軽いダンボールの箱を持とうとしたら会長に止められる。ふわふ
わした紙の花を詰めた箱なので重量はそれ程ない。私が渋っている
と、晴翔がダンボールをひったくっていった。いやいや、お2人さ
ん。ちょっと心配しすぎだよ。
ダンボールは取られたので、仕方なく会長に貰った書類に目を通
す。それも量が少ないのですぐに確認し終える。少しだけ計算が間
違っていたので訂正しておく。さて、次はまた見回りでも行きまし
ょうか。そう思って腰を浮かせる。
会長の目がギラリと向けられた。
﹁待て、どこ行く気だ﹂
﹁見回りを⋮⋮﹂
﹁そんな事は他の役員に任せておけ﹂
﹁いえ、あの⋮⋮﹂
187
いやいや、見回りとか、私の役目なんですけど⋮⋮特に他の役員
からの情報収集とかあるんですよ?なかなか重要な役目だと思いま
せんか?
﹁取りあえず休みにしよう。コーヒーを入れてくれ﹂
﹁え、ええ⋮⋮﹂
確かに休息を取っていないので、その提案は受け入れましょう。
でも、果たしてこの休息が終わった後、私は見回りに行けるだろう
か?
どうにも、怪我してから2人共過保護になっている気がする。い
つもいつもあんな危険な事がある訳でもないのに。
聞こえないように小さく嘆息しながらコーヒーをいれる。晴翔と
会長には砂糖を、自分は何も入れない。会長は、晴翔がいる時はミ
ルクを入れるななんて言っていた。余程甘党なのがバレるのがお嫌
らしい。砂糖もバレないようにこっそりと。
別にバレても良いと思うんだけどなぁ、そういうお年頃なのかな?
会長と晴翔の前にコーヒーを置いて、私も自分の席に戻る。
﹁怪我の具合はどうだ?﹂
﹁ええと、はい。順調ですよ﹂
包帯が大げさに見えるけれど、今はさほど痛みもない。打撲のダ
メージが大きいみたいで、色は結構グロいが、触らなければあまり
痛いという事はないのだ。骨に異常もなかったし、良くヒビが入り
ませんでしたねーなんて言われたけど。まぁ、そこまで心配するよ
うなものでもない。
会長がおもむろに立ち上がって、私の席の隣に腰掛けた。
188
﹁傷が残らないといいが⋮⋮﹂
私の腕にそっと触れて呟く。まぁ、取りあえず女性だからねぇ。
会長も気になるのだろう。しかし⋮⋮優しく触れてくるその手が、
凄く丁寧で、大切にされているようで⋮⋮とてもくすぐったい。
うわぁ、会長、やはり近くで見れば見る程肌が凄く綺麗ですね。
羨ましいです。
じっと会長の顔を見ていたら、会長と目が合った。なんだか真剣
な表情にドキリとして、真っ直ぐ見られなくて僅かに視線をそらし
てしまう。
﹁会長﹂
だんだん恥ずかしくなってきた所で、横から晴翔のトゲトゲしい
声が聞こえてくる。
﹁なんだ?﹂
会長は晴翔に目線すら寄越さずに答える。
ひえん
﹁さっさと仕事に行ったらどうですか﹂
﹁火媛に言われるまでもない﹂
空気がピリッと冷たくなった。うう、なんだか寒いです。この空
気はなんなんだ。良く分からないですけど、触らぬ神に祟りなし、
です。
189
試着しました。
﹁おおー!﹂
私のクラスで歓声が上がる。現在私の教室では﹁執事喫茶﹂で使
われる執事服の試着が行われているのだ。
少し甘い感じで緩くて可愛い執事。その名は金城翼。彼の恰好良
さと可愛さを兼ね備えた執事姿にクラス全員が見惚れる。翼が執事
をやったなら、小さな失敗も笑って許しそうだ。
少し気だるげな執事。その名は火媛晴翔。赤い髪と瞳には燃える
様な熱さ感じさせる。少しだけ着崩すその姿は妙に色気を感じさせ、
主と執事の禁断の愛を想像するに容易いだろう。
穏やかな微笑を湛える男装執事。その名は木下透。どこまでも研
ぎ澄まされたその所作には誰もが見惚れる。完璧な執事であるその
姿からは想像しにくいが女性である。惜しい、何かが非常に惜しい。
でもある意味美味しい!
﹁どんなナレーションだ﹂
﹁いたっ﹂
おぎ
クラス委員長の荻くんのナレーションに晴翔が突っ込みを入れる。
荻くんも中々恰好良いので、執事の恰好をしている。かなりノリが
良い男子のようだ。
翼、晴翔、私が並ぶと、写真撮影大会が行われる。女子の鼻息は
荒い。執事の服を制作した女の子たちは寝不足みたいで目を血走ら
せてはぁはぁ言っているので怖い。その中に相川さんも入っている。
大丈夫ですか、相川さん。
190
チラッと晴翔を伺う。少し窮屈なのか、首元を少し緩める姿が色
っぽい。いやいや、ダメだ。諦めるんじゃなかったのか。いい加減
諦めたいのに、やっぱり晴翔と話していると嬉しいのだ。まだぎこ
ちなさは残っているけれど、話せるまでにはなった。でも、それだ
とまた諦めが付きにくくなってしまう。つーか恰好良過ぎだろ、そ
れ⋮⋮。ドキドキしてしまう自分がなんだか負けた気分だ。ハアと
溜息をついてしまった。いけませんね、幸せが逃げてしまいます。
カシャ
翼が私と晴翔を撮影してきた。その写真を眺めてニヤニヤしてい
る翼。なんだ、どうした。翼も欲しかったのか?じゃあ3人で撮り
ましょう。
﹁翼、3人で撮りましょうか?﹂
﹁いやぁ?べっつにー?﹂
私の提案に首を振っている。⋮⋮良く分からないなぁ。ニヤニヤ
した翼は意味ありげに晴翔を見つめている。
﹁翼、ちょっと﹂
﹁ぐえっ!?ちょちょちょ!首は掴んじゃダメだろぉっ!?﹂
翼の顔にイラッとしたのだろう。晴翔が翼を引きずって出て行く。
それを見送った後、私は着替える事にした。サイズもこれで大丈夫
だし、生徒会の仕事もあるからな。他の執事服の男子も晴翔達の後
を追って着替えるようだ。
教室の隅で仕切りを作ってあるので、そこで着替える。
執事の服を脱ぎ終えた所で、スマホがチカチカ光っている事に気
191
が付く。
﹁翼⋮⋮?﹂
翼からメールが届いたらしい。なんで?
バタバタバタ⋮⋮﹁キャー!?﹂
﹁透っ!?﹂
慌てた様子で走ってくる音と共に女の子の悲鳴が聞こえてくる。
その後すぐに仕切りが開けられた。そこには半裸の晴翔が立ってい
た。余程慌てていたのか、ズボンも脱げそうだ。多分悲鳴はこれだ
ろう。イケメンがこんな姿で走ってたらキャー!ってなるわ。
﹁あ﹂
晴翔は目を丸めて私の姿を上から下まで見た。それはもうはっき
りと。丁度執事服を脱いだ所で、スマホに手をかけていたので、下
着姿である。これは、なんというイベントですか?
私は無言でスマホを投げた。
晴翔の額にダイレクトに当たって、カツッと良い音がした。いつ
までも開け放ってられると恥ずかしいので、仕切りを閉じる。仕切
りが開けられた時に、教室には晴翔以外では女の子しかいなかった
のが救いだ。
﹁と、と、と、透、ごめん、ほんと﹂
仕切りの向こうから動揺しながら謝る声が聞こえてくる。しまっ
た、スマホ投げてしまった。壊れてないかな⋮⋮他に投げられそう
192
なモノがあったら良かったのに⋮⋮じゃなくて。
見られた。
し、下着姿、見られた。
じわじわとその事実が頭に浸透してきて、全身が熱くなるのが分
かった。うぎゃー!?ちょっと待って!それ何?なんで晴翔が!し
かも晴翔の半裸見ちゃったし!運動部に入ってないのに凄く良い筋
肉⋮⋮おあああ!自分の変態じみた思考に身もだえる。耳年増だっ
たから想像力も豊かである。
﹁はいー晴翔?その恰好じゃー変態だからー!取りあえず着替えて
こい!﹂
という翼ののんびりした声でハッとする。そうだ、私も早く服を
着ないと!私は慌てて制服に手をかけて着替える。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
着替え終わり、2人で無言で廊下を歩く。廊下は賑やかな文化祭
ムードなのに、2人の間に流れるのは無言である。これから生徒会
の仕事なので、生徒会室まで2人になるのは避けられない。最近よ
うやくまともに話せるようになったと思った矢先にこうだ。
﹁ご、めん。透⋮⋮わざとじゃ⋮⋮いや、わざとなのか?﹂
﹁⋮⋮﹂
193
いや、聞かれましても⋮⋮私じゃ分からんよ。晴翔の微妙な謝罪
に反応に困る。
﹁あ、これ、スマホ⋮⋮﹂
﹁あ、ども⋮⋮﹂
ぎこちなくスマホを受け取る。スイッチを押すと、普通に動く。
良かった、壊れてないようです。安心してホッと息を吐く。
しかし少し違う事に気付いて、首を傾げる。
﹁あれ?﹂
﹁壊れてたか?﹂
﹁翼からメール来てたはずですけど、消え、てる⋮⋮?﹂
チカチカ光ってるのが見えていたのでそれは確かだ。あれかな?
内容がぶっ飛んだとかかな?でも、他のメールは残ってるし、アド
レス帳も名前があるし⋮⋮いくつか飛んでるのだろうか?
えーうわ、投げるんじゃなかったなー。翼はなんのメール送って
来たんだろう。後で聞こう、うん。
﹁そのメール、見たか?﹂
﹁え?﹂
パッと顔を上げると、晴翔が苦虫を噛み潰した顔をしていた。何
故そんな顔をしているのか分からないが、首を振る。
﹁いえ、見ようと思ってた所に晴翔が⋮⋮﹂
入ってきた。と言う前に顔がカァッと熱くなるのが分かった。翼
194
のメールで気を紛らわせていたのに、また思い出してしまった。
﹁ごめん﹂
﹁いや、うん、事故。事故ですよ⋮⋮﹂
晴翔の謝罪に居たたまれなくなって目を逸らす。それからは黙々
と生徒会室に足を動かした。
195
翼視点&女の子のお話。︵前書き︶
翼視点のお話は花火大会の所に逆のぼります。
後半に腐ったお友達のお話が入るので、苦手な方はブラウザバック
を推奨します。
196
翼視点&女の子のお話。
﹁はぁ?何も話さなかった!?﹂
俺はあまりの事に大きな声をあげてしまった。怒鳴られた方の晴
翔は気まずそうに目を逸らしている。
今は俺の部屋で、2人で花火大会の時のミッション結果を会議し
ていた所なのだが⋮⋮あまりの晴翔の情けなさに絶句した。
花火大会の作戦はこうだ。3人で仲良く出かけて、ほどよいタイ
ミングで俺だけが抜けて2人っきりにさせる。そして2人でじっく
り話し合い、花火の素敵な雰囲気で親睦を深める。そんな作戦だっ
たはずだ。
晴翔に何も話していなかったのは、ちょっと悪かったかなと思う。
でも、前もって言っていたら、晴翔が逃げ出しそうだったのだ。仕
方ないよね。
しかし、結果を聞いて唖然とした。透と殆ど話をしなかったなど
と抜かすのだ。せっかく2人になったのに、チャンスだったのに、
無駄にしよった。
友達のヘタレ具合に、頭が痛くなる。
思えば、ずっと晴翔はヘタレだった。透に話しかけたそうに見つ
めているのに、いざ目が合ったら逸らす。声を掛けようと口を開閉
させるが、結局話しかけない。なのに、しっかり俺には牽制してく
る。
⋮⋮ダメダメだ。
透が男だと思っていた時は、喧嘩かな?と思っていたが⋮⋮女の
子だと知った後は﹁なるほど﹂とストンと納得出来た。
確かに、時折ドキリとするほど綺麗だなぁとは思っていたので、
197
あまり驚きはなかった。恐らくクラスのみんなもそうなんだろう。
すぐに受け入れて、仲良くなっていた。たまに女の子たちの目がギ
ラついているのは怖いけどね。あれはなんなのだろう⋮⋮。
それはそうと、晴翔はヘタレだ。
俺は好きだと思った子にはガンガン押していくタイプなので、正
直じれったい。普通に話しかければ良いのに﹁でも⋮⋮﹂だとか﹁
だめだ⋮⋮﹂とか言って、うじうじしている。傘に入れてあげろっ
て言った時も、気まずそうにするだけだった。
モヤモヤしてくる。
晴翔はうじうじしている間に、透は会長さんと仲良い感じになっ
てしまっている。実際、会長さんの目は透をちゃんと女の子として
見ている。このままうじうじしていたら、会長さんに横からかっさ
らわれる。そう思って今回2人きりにしたのに⋮⋮。
﹁晴翔のヘタレあほう⋮⋮﹂
﹁⋮⋮うるせぇ⋮⋮﹂
罵ると、力なく項垂れる晴翔。反論も元気がない。自分でも情け
ないと思ったのだろう。
﹁でも、ちょっと笑いあえたんだよ⋮⋮﹂
﹁う、うーん⋮⋮そもそもなんでそんな気まずい状態なんだよ﹂
透は微妙に晴翔を避けているように見える。梅雨の時も気まずそ
うに目を逸らしていた。喧嘩にしても、期間が長すぎる。もっとこ
う、透も歩み寄ってくれないものだろうか?あちらから来てくれな
いと、晴翔はヘタレだから進展出来ない。
﹁⋮⋮振った﹂
198
﹁⋮⋮ん?今なんて?﹂
ちょっと意味が分からなくて、聞き返す。
晴翔は机に顔を伏せたまま、答える。
﹁⋮⋮告白されて、振ったんだよ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮ワッツ?なんて?今なんて言った?
晴翔は恐る恐る顔を上げて、俺の反応を窺う。
﹁透が晴翔に告白して、晴翔が振ったって事でいいのかい?﹂
﹁⋮⋮﹂
晴翔は無言で頷いた。
⋮⋮よし、言って良いかな?
﹁馬鹿だこいつーーーーーーーー!?﹂
﹁う、うるさいなっ!?分かってるよ、んな事!﹂
いやいやいや、分かってない!分かってないよ本当に。
うわ、透マジごめん。喧嘩くらいでいつまでも避けてて心狭い、
とか少しでも思ってごめん。土下座して謝る。
そりゃ避けるわ。告白して振られたんだから、そりゃ気まずいわ。
なるほど納得した。うわぁ、相合い傘しろとか、俺超無神経な事言
ってしまったじゃん⋮⋮。あの微妙な空気はそう言う事か⋮⋮。
海よりも深い溜息を吐く。
﹁マジ⋮⋮もうほんと、馬鹿じゃね?なんで振ったんだよ?﹂
﹁⋮⋮その時は、そんな風に見た事なかったんだよ﹂
199
﹁で、そのままの気持ちを伝えて振っちゃった訳だ。⋮⋮ばっかだ
ぁ﹂
あまりの馬鹿さ加減に頭痛がしてくる。
﹁告白しちゃえばいいのに﹂
﹁振ったのに、今さら好きだって?都合良過ぎねぇ?それ﹂
ああ、もうそうやってまたうじうじして⋮⋮。少なくとも、透は
晴翔の事が好きで告白したんだから、告白返ししたら可能性はある
と思う。
でも、結構時間経っているので、今さら告白しても微妙だ。恋愛
はタイミングが大事だからな。今は会長と良い感じだし、まだまだ
気まずい晴翔はかなり分が悪い。
なんて馬鹿な男だ。これが俺のお友達か⋮⋮。何度もため息が零
れる。
﹁こうなったら⋮⋮生徒会にでも入れば?﹂
﹁⋮⋮はぁ?﹂
咄嗟に出て来た言葉だったが、案外良い案のように思えて来た。
透と同じ生徒会に入る事で、必然的に顔をあわす機会も増える。つ
いでに同じ仕事やってるから会話も出来る。必要に迫らるものだか
ら、晴翔でも会話が可能となるだろう。あちらも事務的に会話する
くらいなら普通に出来そうだし、うん、良い案だ。
早速今から根回ししとくかぁ。
晴翔が副会長として当選して、ほっと息をついた。これで親睦を
200
深められる上に、会長に牽制を掛けられる。俺って凄く良い人じゃ
ね?全く、普通ここまで面倒見ないって。
透も良い子だしなぁ、お似合いだと思うんだけど。そもそもなん
で振ったのか意味不明だ。
クラスの出し物、執事喫茶の執事服を試着した。サイズもピッタ
リで、かなり出来がいい。こういうの得意な女の子って凄いなぁ、
と素直に感心する。寝不足みたいで、幽霊みたいな顔色は心配にな
ってしまう。
でも本当に凄いなぁ。
クラスの人達も興奮して、写真を撮りまくる。何故だか分からな
いけど、俺と晴翔、透の3人で並んで撮られた。他にも男子はいる
のに⋮⋮全員で撮ればいいのになぁ。
まぁ俺も晴翔達との写真は欲しい。スマホを取り出して、誰かに
撮って貰おうと思ったのだが⋮⋮。
他所を向いてぼんやりしている透を、晴翔が熱心に見つめていた。
それはもう、あつ∼い眼差しだ。正直こっちが恥ずかしくなるくら
い。
思わず写真を撮ってしまった。
﹁翼、3人で撮りましょうか?﹂
﹁いやぁ?べっつにー?﹂
首を傾げる透にニヤニヤしながら答える。撮った写真は保存した。
これは﹁透が好きで好きでたまらない﹂って顔だよね。これで告白
して振ったんだからますます訳が分からない。
﹁翼、ちょっと﹂
﹁ぐえっ!?ちょちょちょ!首は掴んじゃダメだろぉっ!?﹂
201
首を掴まれて後ろに引っ張られる。慌てて向きを変えて機嫌の悪
そうな晴翔についていく。
﹁何を撮りやがった?﹂
﹁ととと、撮ってないよ?﹂
胸倉を掴まれてガンをつけられる。慌ててブンブン首を振るが、
視線が緩む事はない。
﹁着替えるぞー﹂
クラスの男子ががやがやと出てきて、移動している。
﹁き、着替えよう、と取りあえず!ほ、ほらぁ衣装掴んじゃダメだ
ろ?﹂
﹁⋮⋮﹂
俺の言葉にしぶしぶ掴む手を緩めて、ほっとする。
別室に入って渋い顔で着替える晴翔に、思わずニヤけてしまう。
﹁まぁまぁ⋮⋮撮った写真は晴翔に送るから、ほらこれ﹂
﹁⋮⋮﹂
写真は、物憂げな色っぽい透。その後ろに熱っぽい眼差しを向け
る晴翔。それを見て、僅かに頬を染める晴翔。⋮⋮透の写真が欲し
いようだな。2人で撮ろうとか言えない所がヘタレだよね。
とりあえず晴翔に写真を送ろうとスマホを操作する。
﹁あ﹂
202
﹁⋮⋮?﹂
送信ボタンを押した後に気付いた。送り先が透だという事に。俺
は爽やかな笑顔でこう言った。
﹁ごめんね晴翔。間違えて透に送っちゃった﹂
半裸の晴翔が走り出して教室を騒がせたのは言うまでもない。
⋮⋮視点切り替え⋮⋮
﹁話をしましょう⋮⋮あれは今から3日⋮⋮いえ、7日前だったか
しら⋮⋮まぁ、いいわ。私にとっては昨日の出来事なのだから﹂
﹁お、おう⋮⋮﹂
えちぜん えりか
唐突に話し出した親友、越前恵梨香に、ちょっとドン引きを隠し
通せない。ノリの良い私でもいきなりこられると素に戻ると言うの
が道理というもの。しかし、長年鍛えてはいない。すぐに持ち直す。
キリリとした表情を作り、親友に向き直る。
﹁で、今度はどんな美味しいネタなの?﹂
﹁これよ⋮⋮﹂
ひえん はると
スッ⋮⋮と提出されたのは服が淫らに乱れた火媛晴翔という男子
のものだった。つい先日の生徒会選挙で見事副会長に当選という快
挙を成し遂げた。まぁ、会長には遠く及ばなかったが、副会長に当
選したのは凄い事だ。まぁ、木下透が副会長に立候補していたら、
確実に跳ね除けられていただろうが、実際は副会長に立候補しなか
203
った。至って地味な事務補佐の役目を買って出ていた。その勤勉さ
や真面目さがさらなる人気を博しているのだが⋮⋮まぁ、これは言
うまでもないか。
そして、ついこの前は女生徒を庇って助けたという。彼女はどこ
まで極めれば気が済むのだろうか。もはや彼女が女性というだけで
排除する事は叶わない。
むしろ﹁女でもイイジャナイ﹂という完全に極める者まで出てき
ている。女が女に恋をしている状態だ。なんとも罪作りなものであ
る。
しかしまぁ、今は木下透の話ではない。火媛晴翔の話だ。
﹁こ、こいつぁ⋮⋮くっ!﹂
その写真を見た瞬間⋮⋮もう、込み上げてくる情熱というか、パ
ッションというか、愛が鼻から溢れ出しそうだった。
この火媛と言う男、こう⋮⋮色気が半端ないのだ。気だるさやス
ッと通った瞳、男気が溢れてきそうな雰囲気。彼が副会長の座にお
さまれたのも、その容姿が大いに関係するかもしれない。
そう、彼はとても恰好良いのだ。誰がどう見てもイケメンである。
だからなのか、彼は私達の新しいご飯となっているのは言うまでも
ないのだが。
だがこの写真はなんだろうか。半裸で、ズボンが今にも落ちてし
まいそうで、でも必死に前を向いて走る懸命さ。やっている事は変
態チックでマヌケなのに、彼が見せる真剣な眼差しや容姿の素晴ら
しさで、とても良い写真に出来上がっている。
やはり新聞部部長は素晴らしい。来年卒業するのが非常に惜しい
人材だった。どうやら新人教育にも力を入れているらしいので、後
輩の成長に期待したい所。
スッと恵梨香が別の写真を机に差し出す。
204
﹁はうっ⋮⋮!﹂
胸を貫かれた気分になった。
レジェンドだ。
さすがレジェンド木下。
その身に纏った執事服、綺麗にポットを持つ姿。やんわり微笑ん
だ表情。穏やかな雰囲気、これは︱︱︱完璧な執事。
恵梨香は赤いハンカチを鼻に抑えつけながら、次の写真を置く。
︱︱︱おう。
これは、うん。これを撮った新聞部に賞賛を与えよう。
憂いを帯びた表情、少し潤んだ、その切なげな瞳。
連射したのだろう、動作が次々にわかる。手袋に手をかけ、片方
を口にくわえる。その際、整った唇が開けられ、僅かに舌が見えて
いる。手袋をくわえながら、もう片方を着用する姿。
そこで目が合ったのだろう、こちらに向く綺麗な瞳が柔らかくな
り、微笑を浮かべる。僅かに頬を染め、照れくさそうに顔を僅かに
隠すその動作が全て連射されている。
﹁⋮⋮高かった。だけど、買う価値はあると思ったわ﹂
確かに。これは買わねばいけない代物だろう。もはや伝説と言っ
ても過言ではなかろう。私は食い入るように写真を見つめていたが、
はっとして顔を上げた。
﹁高かったのに、良いの?私に見せて⋮⋮﹂
﹁私と貴方の仲じゃないの﹂
えりか
ふ、と柔らかく微笑む親友を見て、涙が溢れだしそうだった。大
切なアイテムが涙で汚されないように、そっと机に戻す。
205
﹁少しだけど、払うわ⋮⋮﹂
﹁いいのよ、共に地獄まで歩んでくれたら、ね﹂
にこりと爽やかに笑う恵梨香。それに私も全開の笑顔で答えるし
かあるまい。
﹁ええ、共に墜ちましょう﹂
しばらく写真鑑賞をする。他にも、なかなか良い逸材がいるよう
だ。それは金城翼という男だ。何故今まで気付かなかったのか⋮⋮
視野狭窄に陥っていたらしい。こんなに美味しそうな素材が木下と
同じクラスにゴロゴロと。
金城翼は人懐っこい笑みを浮かべる、ワンコ系アイドルのような
ものだろうか。木下や火媛のような大人の色気はあまり感じない。
その代り、守ってあげたくなるような、母性本能をくすぐられるよ
うな男であった。これは総受けだろう、常識的に考えて。
﹁豊作ね、これは⋮⋮﹂
エリカの言葉に重々しく頷く。恐らく今世紀最大の幸福な学園に
入学したと言えるだろう。こんなに幸せで、残りの人生の色褪せた
空気に耐えられるだろうか。否、今の内に堪能して、写真を収集し
なければならないだろう。
私は今全力でバイトしている。恵梨香の家はそれなりに金持ちな
のでホイホイ買えているが、私はそうはいかない。恵梨香が代わり
に出そうか?と言ってくれることがあるが、もし返せなかった場合
や忘れてしまった場合、親友との絆に傷が付きかねない。私はそう
いうのは好きじゃないのだ。
今は文化祭や体育祭の写真を大量に収穫しようと貯めている最中
である。あんな美味しいイベント、逃す手はない。
206
しかも今は、なんだか知らないが会長と副会長が頻繁に熱い瞳で
見つめあう事があるという。これはもしかしたらもしかするかもし
れない、ともっぱらの噂である。なんという入れ食い状態。これは
どれを応援してしまえば良いのか分からない。
裏取引される漫画も様々なジャンルになっている、まさに混沌。
カオスだ。だが、こんなに素晴らしい事もない。誰もが狂喜乱舞し、
目を赤くして書き綴る漫画。
﹁会長の所は劇をするようね﹂
﹁なにそれ美味しい﹂
白雪姫という劇をするらしい。1日1回、文化祭は3日間開催さ
れるので、計3回。魔女は鏡に話しかけ、最も美しいのは誰かと尋
ねる。いつもは魔女と答える鏡がある日﹁白雪姫﹂と答えるように
なる。魔女はその白雪姫を殺そうと毒りんごを食べさせる。
なんやかんやで王子がキスして復活するのだが⋮⋮これはもうキ
ひゅうが
スさせたいだけだろう、とは誰もが考える事である。
しかも相手役は2年の日向という青年らしい。病弱な感じで、い
つも保健室にいる色の白い男だ。あの人ならまぁ、確かに相手役に
申し分なかろう。病弱なので、イメージとも合う。
もうこれ完全に誰かが趣味に走ってんだろ、と思わなくもない。
まだん
まおとこ
何故男同士なのか。姫はどこ行った。そんな馬鹿な事は誰も喋らな
い。
むしろ魔女すら男という噂だ、魔男?いいや、間男にしよう。と
言いだし、間男と白雪姫︵男︶と王子の話になっているそうな。な
んだこのカオス。
この魔窟とも呼べる文化祭で、果たして無事に生還できるか謎で
ある。だが、行かねばならないだろう。行かねばきっと。死ぬより
後悔するのだから。
207
﹁やるわよ、まどか﹂
﹁ええ、行きましょう﹂
友と駆ける、戦場という名の文化祭を。
208
演技しました。
真っ直ぐで強い眼差しを受けて、私は息をのむ。彫刻のように整
った彼の顔に目を逸らす事ができない。
﹁⋮⋮だから、透。付き合ってくれ﹂
﹁⋮⋮ええ、そう言う事なら、引き受けましょう﹂
なんだかここだけ聞くと誤解を招きそうな会話だった。
説明しましょう。会長のクラスでは﹁白雪姫﹂という劇をする事
ひゅうが
が決定している。そして王子役は勿論会長。そして姫役は、攻略対
象者の日向先輩。そう、男の人なのだ。何故、白雪姫が男なのだろ
う。
確かに日向先輩は華奢だし、ドレスとか来たら似合ってしまいそ
うな予感がヒシヒシと伝わってくるが。だからと言って男にする必
要性はないと思う。誰かが趣味に走っているのは言うまでもないだ
ろう。
でも、誰か女の子を入れようにも、会長を前にして演技など出来
ないとのたまうのだ。確かに男でも委縮してしまうようなその美貌
の冷たさは分かる。じゃあ何故王子役にしたのだ。もっと気安く接
する事の出来る男子でも良かったはずだ。
まぁ会長の美貌ならばさもありなん。集客率は高くなることだろ
う。いわば観賞用イケメンだ。まさに彫刻。まぁ普通に動きますけ
どね。
そして、何を付き合ってくれというかというと、舞台の稽古を付
き合ってくれという事らしい。
そう言う事なら、全然付き合えます。
台本を覗くと、なぜか魔女がいなかった。
209
代わりに、間男という登場人物が多くをしめている。え、マジで
なんですか、これ?誰なんですか、これ?え、え⋮⋮?し、白雪姫
なんですよね?
と、思わず台本の表紙を確認してしまう。
﹁鏡よ鏡⋮⋮世界で最も美しい男はだあれ?﹂
ちょっと待て。何このセリフ。
バッと顔を上げて会長の顔を見ると、サッと目を逸らされた。ど
うやら、会長も可笑しいと思っているようです。この台本を書いた
人は誰なんでしょう。続きを読むのが恐ろしいですね。
会長と日向先輩の会話が多いようです。なんというか⋮⋮うん。
こういうのが好みな方は喜びそうですね。
軽く先を読んで、溜息が零れる。
これは誰の趣味なんでしょうね⋮⋮?日向先輩も、お可哀想です。
会長は日向先輩のシーンだけじゃなくて、間男とのセリフもありま
すね。間男と言い争うシーンとか長いです。大変ですねぇ⋮⋮。
﹁えっと、取りあえずセリフが間違えていないか。とかを確認すれ
ばいいんですよね﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
取り合えず会長のセリフ確認。
﹁何故、何故だ間男⋮⋮!何故白雪姫に手を出した!﹂
﹁ごほっ﹂
⋮⋮凄く上手だから、余計に笑いがこみあげてきました。咳をし
てごまかしましたが、胡乱な目で見つめられてしまいました。だっ
て仕方ないじゃないですか。こんなの笑うしかないでしょう。
210
﹁⋮⋮透?今笑っただろう﹂
﹁⋮⋮わ、笑って、いません﹂
若干声が震えてしまいました。すみません、耐えてはいます。
﹁下手か?﹂
﹁⋮⋮い、いいえ。とても上手です、とっても﹂
﹁嘘付け﹂
いいえ、嘘じゃないですとも!とってもうまかったです!ただ、
上手くて笑えると言うのが難儀な所です。
顔を逸らしていると、会長に腕を掴まれてしまいました。
﹁ちょっと透も言ってみろ。なんで俺ばっかり言わなきゃならない﹂
﹁いえいえいえ、私は出ませんし!﹂
﹁⋮⋮言え﹂
会長に詰め寄られる。会長の美麗な顔が間近に迫って、心臓に悪
い。押し返そうと思ったのだが、両腕を掴まれているのでそれも叶
わない。流石に力が強いですね。
﹁⋮⋮っ近いです、会長⋮⋮!﹂
﹁言うまで離さない﹂
迫る会長の顔も赤い。余程私にセリフを言わせたいようですね。
羞恥に頬を染めてまで言わせたいんですか。
⋮⋮ええい、分かりましたよ!仕方ないですね。⋮⋮ええと、台
本⋮⋮は今は取れないですし。今覚えているセリフを言えば良いで
すかね。
211
﹁だって、ずるい⋮⋮私だって貴方の事が好きなのに⋮⋮白雪姫ば
っかり⋮⋮﹂
う⋮⋮恥ずかしいですね。顔が熱くなるのが分かる。間男、なん
てセリフを吐くんだ。会長がさっき言ったセリフの次のセリフです
ね。丁度見ていたので、これくらいしかパッと浮かびませんでした。
﹁⋮⋮っ!!﹂
上を見上げると、会長がぎょっとした顔を浮かべた状態で真っ赤
になっていた。
パッと私から腕を離して、後ずさる。
﹁あ、かいちょ⋮⋮あぶなっ﹂
﹁え、うおっ!?﹂
後ろを見ていなかったせいで、下に置いてあった段ボールに足を
突っ込んで転びそうになる。慌てて会長の腕を掴みましたが、男の
体重を支え切る事は出来ずに、私までこけてしまった。
その勢いで会長の鎖骨に口をぶつけてしまった。
﹁∼∼∼っ!﹂
痛くて唸った。口を覆って涙目になる。歯、かけていませんよね
⋮⋮?あ、鉄の味がします。これは切りましたね。まぁ切るくらい
ならいいですけど⋮⋮。
﹁⋮⋮つつ。透、大丈夫か?﹂
﹁ええと、はい。すみません、余計な手間をかけさせてしまったよ
212
うで﹂
﹁いや、御蔭で頭は打たなかった、ありがとう﹂
﹁そういって頂けると助かりま⋮⋮あ﹂
なんて事でしょう。会長の鎖骨に傷が出来てしまったようです。
これは全国の乙女ゲーム好きの女の子に殺される。ポケットからハ
ンカチを取り出して傷を抑える。
﹁わぁ!す、すすすみません!傷が⋮⋮!﹂
﹁え、あ⋮⋮そう、なのか。って透!唇から血が﹂
会長の無骨な手が唇をなぞる。
﹁⋮⋮すみません。口が当たってしまったようで﹂
﹁⋮⋮え﹂
ピシリと固まった後、先程よりも赤くなった。変な汗をかいてお
り、口をパクパクさせている。え、なんか打ちどころが悪かったの
でしょうか。会長の顔色を覗こうとするが、サッと顔を逸らされて、
肩を押された。
﹁とり、とりとり﹂
﹁⋮⋮鳥?﹂
肩を押す手が震えている。服越しでも分かる位会長の手が熱い。
心配になって会長の手を触ると、とても熱くなっていた。え、大丈
夫でしょうか、これ。
手を触られた会長が、ビクリと震える。
﹁透!﹂
213
﹁は、はい!﹂
大きな声で呼ばれて驚く。とても深刻で切実そうな叫びに、なん
だか不安になってきました。やはり、どこか打ちどころが悪かった
のでしょうか。
﹁とり、とりあえず、俺の上からどいてくれないか﹂
﹁⋮⋮あ﹂
自分の今の体勢を見て、私も顔が熱くなった。転んだ拍子に会長
の上に座っていたのだった。馬乗りの状態のまま、会長と会話して
いた。
なんという失態。慌てすぎてました。自分の間抜けさ加減に、眩
暈がしそうです。慌てて会長の上からどきます。
⋮⋮会長の腹筋、とても良いモノでしたね。鍛え上げられてて、
良い感触でしたってうわぁああ!今私は何を考えているんです!?
思わず頭を抱えて、謝罪する。
﹁⋮⋮度々、すみません﹂
﹁⋮⋮いや、俺の方こそ⋮⋮﹂
ん?会長はなにも悪い事をしていないはずです。私が会長の腕を
掴んだせいで鎖骨に怪我させちゃいましたし、いつまでも上に乗っ
かっちゃってましたし。それに、若干変な事も考えた罪悪感が⋮⋮
本当にすみません。
会長は赤い顔のまま、鏡の所に行って、鎖骨を確認しているよう
です。怪我している周りをなぞって⋮⋮。
﹁すみません﹂
﹁うわっ!?﹂
214
後ろから声をかけてビクリと震えて驚かれる。
﹁ななんだ?﹂
﹁鎖骨、すみません。消毒させて下さい﹂
﹁⋮⋮い、いや。⋮⋮いい﹂
怯えたような顔をされて断られた。いや、なんでですか。なんで
怯えているのですか。攻撃なんてしませんよ。この怪我だって不可
抗力です。
﹁せめて消毒くらいさせて下さい。罪滅ぼしです。自分ではやり辛
いでしょうし﹂
﹁じゃあ⋮⋮透の唇の消毒は、俺が﹂
会長のセリフに首を傾げる。
﹁え?いいですよ。口なんて、舐めとけば治ります﹂
﹁⋮⋮じゃあ、俺の消毒もしなくていい﹂
え、なんですか?その子供みたいな理屈は。むっとして会長を睨
むと、さっと顔を逸らされた。
﹁⋮⋮分かりました。口の消毒していいですから、頼みますから鎖
骨を手当てさせて下さい﹂
傷でも残ったら大変ですからね。せっかく綺麗な肌をしているの
に、私のせいで⋮⋮なんて恐ろしいです。口の消毒で納得してくれ
るなら、いくらだってさせてあげます。
215
﹁え?い、いや⋮⋮﹂
何故か狼狽えている会長を水道の横に立たせる。ハンカチを水で
濡らせて傷を優しく拭う。水が冷たかったのか、それとも傷が染み
たのか、会長の体が僅かに後ろに下がる。
会長の顔を睨むと、﹁うっ﹂という声を漏らして顔を背けた。
幸いにして傷は深くありませんね。どちらかというと、私の血が
付いてたみたいです⋮⋮本当に重ね重ね申し訳ないですね。でもこ
れなら水で洗う程度で大丈夫ですかね。洗いにくいので濡れたハン
カチでぬぐいましたが、こういう処置で大丈夫でしたかね?
﹁念の為保健室で⋮⋮﹂
﹁いや、大げさだろう﹂
慌てて会長が私を止める。大げさじゃないですよ⋮⋮会長に傷な
んて絶対ダメです。もうちょっと大事にした方がいいですよ。そう
してくれないと、私の命が危ないですからね。乙女ゲーム大好きな
乙女に命を狙われそうだ。
﹁それより、今度は透だ﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
そういえば、そんな事も言ってましたっけ。どうしても手当てし
たくて、言いましたが⋮⋮まぁ二言はありません。
会長が私の手からハンカチを奪い取り、水で濡らせる。そして私
の顎をすくい、上に向かせる。
会長の美麗な顔が近過ぎる。顔を背ける事も出来ないので、目を
瞑る事にした。
﹁⋮⋮っ﹂
216
会長から、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
顎に添えられている手が僅かに震えている気がする。
ガチャッ、ガタガタガタッ!
﹁か、会長!?﹂
誰かが扉から入って来た音がして、目を開いたら、会長が盛大に
段ボールの箱に埋まっていた。何が起こったのか分からないが、私
も良く分かっていない。
﹁⋮⋮何してるんだ?﹂
晴翔が怪訝そうな声をあげる。
いや、本当⋮⋮私の方が聞きたい位ですよ。とりあえず、会長を
救出しましょう。
217
文化祭がスタートしました。
いよいよ祭りが近づいてきた。椅子やテーブル、紙コップなどな
ど、沢山のモノが持ち込まれている。
﹁⋮⋮すごいですね﹂
持ち込まれた業務用の冷蔵庫と冷凍庫を見てため息が漏れる。相
川さん、つまり桜さんの家から持ってこられたものだ。そこに紅茶
やアイスなどがこれでもかと詰め込まれている。
まだ蒸し暑い日が続いているので、冷たいモノは売れるだろう。
アイスはケーキに添えられる。ケーキはシフォンケーキで、プレー
ン、抹茶、チョコの3種類焼く。夜通しで焼いて持ってくるそうな。
⋮⋮無茶しますねぇ。
試作品を食べさせて貰いましたが、ほわりと解けてふわっふわで、
それでいてしっとりしているという、正直市販のシフォンケーキよ
り美味しい仕上がりだった。
生地を作ったのは深見くんと桜さんらしい。なんというかもう、
流石としか言いようがありません。
ショートケーキという提案もあったが、生クリームが不安なのと、
手間がかかってしょうがないから却下だそうだ。妥協したショート
ケーキか、究極のシフォンケーキかと言われたら、まずシフォンケ
ーキをとると断言していた。深見くんと桜さんの情熱に、他の人が
口を挟む余地はなかった。まぁ、2人がつくるショートケーキなら、
まず間違いなく美味しいでしょうけどね。何か2人のこだわりがあ
るんでしょうね。
後は、クッキーを数種類⋮⋮こちらは深見くんと桜さんの指導で
他の子が焼いてくるそうだ。
218
⋮⋮桜さん、衣装の方も作ってませんでしたか?倒れますよ。
つまりは、この文化祭に全力を出して来ているという事だ。私も
ウェイターとして全力を尽くしましょう。
﹁髪を切って来た方がいいのでしょうか⋮⋮?﹂
自分の長くなった髪を見て呟くと、桜さんが凄い勢いで首を振っ
た。
﹁ダメです!?後ろで括ってて下さい、そっちの方が絶対素敵です
よ﹂
﹁えと、そういうものでしょうか?﹂
﹁そういうものです﹂
力強く頷く桜さんに、私も納得する。桜さんが言うならそっちの
方が良いでしょうね。シンプルな黒いゴムでいいでしょう。執事服
も丁度黒ですし。まぁ、いつもの髪ゴムですね。
文化祭は1日目は学校内の生徒だけで行われ、2、3日目はチケ
ットを貰った知り合いなどが招待されるというシステムになってい
る。まぁ、必ずチケットを持っていない輩が毎年紛れ込むようです
けれどね。1人に付き5枚まで配られているので、結構な人数呼べ
るんじゃないでしょうか。私の場合、母と父それと、母の友達の分
も欲しいと言われて3枚使った。あと2枚は三宅さんにあげてしま
いました。
チケットをあげるのはルール的にダメだとされているんですけど、
黙認されています。友達が多い人にあげるのはそれ程悪い事でもな
いですしね。
⋮⋮別に私が友達少ないという訳ではないです。他の人からチケ
ットを貰ったらしいから、仕方ないです。
219
文化祭の1日目がスタートしました。
学校内の生徒だけのものですが、とても賑わっています。むしろ、
今日楽しんでおかないと、明日明後日になると込みますからね。生
徒は今日の内に全力で楽しむだろう。
制服で見回りをしていく。2人1組で周囲を警戒する。風紀委員
や体育委員もその役割を担う。
お化け屋敷があるところから、悲鳴が聞こえてくる。どこか楽し
気な悲鳴に、口が緩む。良いですね、こういう雰囲気。なんだかほ
っこりします。私も学生の時はこういうイベントの時だけ頑張って
いたなぁ⋮⋮おっと、今も学生でしたね。なんだか教師のような気
分で見てましたよ。
今回見回りしているのは生徒会選挙で当選した1年の役員である
浦池くんという方です。中学の時までバスケをしていたらしく、体
格は結構良い。背が凄く高いので、確かに重宝されそうだった。こ
の高校では卓球に情熱を注いでいるらしい。⋮⋮なんででしょうね。
玉つながりでしょうか。
聞いてみたら、卓球の映画を見て感化されたらしい。燃える様な
スマッシュを決めたいと言っていた。⋮⋮面白い映画だったんでし
ょうね。
談笑しながら回っていると、何やら男子生徒がもめている声が聞
こえて来た。私は浦池くんと顔を見合わせ、声のする方に向かった。
もめている所に到着すると、男子2人が言いあっていた。どうや
ら、最後に残していたクッキーをとってしまったらしい。包装紙を
見ると、ウチの所のクッキーですね。美味しかったので、とられて
ショックを受けてつい怒鳴ってしまったみたいだ。
どちらも反省したみたいで、すぐ大人しくなってくれた。
220
﹁ふふ、また買ってくださいね。今度は食べちゃった方が奢ってあ
げて下さい﹂
﹁﹁は⋮⋮はいっ⋮⋮!﹂﹂
ピシリと背筋を伸ばして顔を赤くする男子生徒。
クッキーで揉めるって、相当気に入ってくれたんですね。確かに
あのクッキーは美味しかったですもんねぇ。
でも真の主役はシフォンケーキなんですよ⋮⋮!あれを食したら
クッキーなんてどうでも良くなりますよ。
﹁凄いですね⋮⋮﹂
﹁ん?何がですか?﹂
﹁いやぁ、なんでもありませんよ﹂
曖昧に笑って手を振る浦池くん。凄いってクッキーがですかね?
確かにあのクッキーも美味しいですし凄いんですよね。素人でもあ
れだけ焼けるものなのですね。⋮⋮いや、深見くんと桜さんの指導
が凄かったのかもしれませんが。あの2人の情熱溢れる指導⋮⋮そ
う考えると、ちょっと恐ろしいモノがあります。
巡回を終えて教室に行くと、行列が出来ていた。
﹁並んでくださーい!待ち時間40分です!お席のお時間は30分
までとなっております﹂
⋮⋮なんか凄い事になっていますね。まだ午前中なんですけど⋮
⋮。行列は女性が大半を占めている。
221
﹁わっ⋮⋮帰って来た!﹂
﹁うはわっ!運良いっ⋮⋮!﹂
とか言うのがチラッと聞こえたので、ニコッと笑いかけるとサッ
と目を逸らされた。え、なんでしょうその反応⋮⋮ちょっとだけシ
ョックです。変な顔してたでしょうか。
若干心にダメージを負いながら教室を覗くと、やはり満席だった。
男子があわあわと動いて、晴翔と翼は写真撮影なんかもやっている。
﹁おおっ!レジェンド!﹂
﹁⋮⋮レジェ⋮⋮?﹂
﹁こっちの話!さあ、さっさと着替えて来て!﹂
三宅さんにグイグイ押されて控室の方に向かう。
﹁あ⋮⋮﹂
控室の椅子の所に、桜さんがぐったりして寝ていた。目の下に隈
が出来ているので、相当無理したのだろう。起こさないようにゆっ
くり移動して着替える。
執事服を着こむと、なんだか本当になり切った気分になれますね。
気合を入れて行きましょう。ここからが正念場です。
私はきゅ、と髪を結び直してパチリと頬を叩いた。
足を踏み出そうとしたら、後ろからソッと抱きしめられた。背中
に柔らかい感触がして、ドキリとした。
﹁桜⋮⋮さん?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
呼びかけると、桜さんの疲れた声が聞こえて来た。やはり桜さん
222
らしい。まぁ、この部屋に桜さんしかいないので当然でしょう。
私は後ろから腰に回された腕に触れる。
﹁すみません、起こしてしまいましたか?﹂
﹁いいえ⋮⋮ただ、今起きないと凄く後悔する気がしたの﹂
⋮⋮?どういうことでしょうか。良く分かりませんが、起きても
大丈夫なのでしょうか。
背中にグリグリと顔を押し当てられている。なんでしょう、寝起
きで甘えん坊になっているのでしょうか。
﹁桜さん⋮⋮離して頂けますか?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
桜さんは、名残惜しそうに私を解放する。私は振り向いてその手
を取って、抱きしめ返す。
抱きしめた桜さんは、ピシリと硬直した。
﹁ふふ、仕返しです。桜さんは悪戯好きなのですね﹂
﹁⋮⋮﹂
そう囁くと、桜さんの体に力がなくなった。慌てて支える。
顔を見ると、眠っていた。余程疲れが溜まっていたのでしょう。
寝ていた場所に戻して、髪を撫でる。
﹁お疲れ様です、後は私達に任せて下さい﹂
音を立てないように扉を閉めて、いざ教室へ。
223
文化祭︵別サイド︶︵前書き︶
全く関係ない他校の生徒から見た文化祭です。
後半から僅かに腐臭がします、ご注意下さい。
224
文化祭︵別サイド︶
西南高校の文化祭は、とても活気が溢れていて、その人気は高い。
その学校にお金持ちが多く通っているのもあるが、まず人柄が良い
人が集まる。イケメンや可愛い子がいるというのも人気が出る要因
だろう。
その文化祭のチケットは高値で取引もされたりする貴重なものだ
ったりする。
あたしの場合、普通にトモダチが通っていたから、くれた訳なん
だけど。そんな貴重なの、売ったら高いでしょうに。そのトモダチ
ってのは所謂フジョシってヤツみたい。漢字は分かんないけど、あ
んまり良くないとは聞いた。フジョシって婦女子とは違うのかなぁ。
文化祭の凝った作りのパンフを覗き込む。トモダチのクラスは1
年C組だったよね。ふーん。﹁執事喫茶﹂ね。あーあー、あの子が
好きそうなヤツよね。熱弁してたもの。正直スルーしてるけど。
トモダチの所に行く前に色々見て回る。
おおっ⋮⋮恰好良い人だなぁ、俳優みたーい。あの人は物凄く美
人。女優とかアイドルとかになれそう。うわーハードル高いなぁ。
私普通の学校行って良かったカモ。あの子もかなーり可愛い部類だ
からなぁ、この学校顔で選んでる訳じゃない⋮⋮よ、ね?⋮⋮うー
ん。なんかこれだけ美人とイケメン揃いだと否定できないなぁ。
垂れ幕や、凝った飾り、まるで本物のような花などあったりする。
この花⋮⋮紙か。何この技術、どっからわいてくんの。プロなの?
プロになる気なの?
適当にフランクフルトの所にくる。美味しそうな香ばしい香りが
食欲をそそる。3人ほど並んでいたので、そこに並ぶ。
わいわいとした賑わいは、いかにも祭りってカンジ。
225
﹁みんなぁ!きいてるかぁ!?﹂
﹁﹁きゃああっ!﹂﹂
ジャイーンというギターと音と共に男が叫んでいる。その後、女
性の黄色い悲鳴があがっていた。なんかどっかでライブやるみたい。
えっと、この時間のライブってなんだろ。パンフ開こうとしたけど、
丁度前の人が商品を受け取っている所だった。
パンフは取りあえず後にして、取りあえず注文する。
﹁フランクフルト1つ﹂
﹁はい毎度ぉ、何味にしますか?﹂
﹁何⋮⋮味?﹂
その言葉でようやく張り付けた紙を見た。
腸詰めから手作り!松本農業のソーセージ!
・プレーン
・バジル
・カレー
・激辛スパイス
・内臓
あたしの顔が引き攣る。
え、なにこれ。フランクフルトはフランクフルトじゃないの?後
ろに人が来た気配がして、慌てて注文する。
﹁ば、バジルッ﹂
﹁はい、500円です﹂
小銭は沢山持ってきているので、500円玉を手渡す。それと引
226
き換えにバジルソーセージなるものが手渡された。
後ろがつまるといけないので、横にずれる。
あらためてその店内を見る。そこに生徒が手ずから機械に腸をセ
ットして作っている姿の写真があった。
⋮⋮の、農業高校、じゃない、わよね⋮⋮?
そう、ここは農業高校じゃない。進学校だ。もう1度言おう、進
学校だ。普通は冷凍のモノを焼くくらいのものだろう。私が中をま
じまじ眺めているのに気付いた店員さんが、ニコッと笑いかけてく
れる。もはやこの人が職人のように見えて来た。それほど熟練した
雰囲気を醸し出している。
﹁バジルはなんのソースもいらないと思うよ?取りあえず、味わっ
てみなって﹂
﹁は、はひ⋮⋮﹂
何か勘違いされている気がする。あ、ここにケチャップとマスタ
ードがあるからかな。私が何かつけようとしていると思ったらしい。
そうか⋮⋮ケチャップもトマトから作っているのか⋮⋮なにこの店。
取りあえず、騙されたと思って1口。
ぷちっぷりっじゅわっ。
噛んだ時は皮がプチッとはじけ、中の肉質はふんわりと柔らかく、
それでいてぷりっとした食感もある。肉汁が滴るほど溢れてくる。
その肉汁でもさっぱりとしていると感じるのは、やはりバジルの御
蔭か。爽やかなバジルが絶妙だった。
ハッとして店主を見ると、満足げに頷いた。
⋮⋮い、イカン。なんか幻覚みえたきがする。
完全に肉屋の店主に見えたワ⋮⋮ここ、怖い。
美味しい、とても美味しい。でも、これは学生の作るレベルでは
ない。他の場所も見てみると、焼きそばは麺から、綿あめは砂糖の
現地まで行くという。⋮⋮ここ、マジでなんなの?普通じゃない。
227
普通の学校じゃない。
人混みを早足で歩き、少し空いている所にきて、心を落ち着ける。
﹁いぇえええええっ!﹂
ジャーンとバンドが歌っている声がする。
その歌声はプロ並みだった。どこに出しても恥ずかしくない程の
声。思わず聞き惚れる歌声だった。
これって、プロが来ているの⋮⋮?恐る恐るライブの音がする所
に近づいて行く。遠くの方に、金髪のボーカルが歌っているのが見
えた。正直、それ以上向こうに行けない。熱狂的過ぎる女子達の壁
で。
パンフを見て確かめる。
別に、プロを呼んだとかは書かれていない。という事は、こちら
も学生なのだろうか。
﹁な、なんなの、ここ⋮⋮﹂
呆然としたまま、トモダチのクラスに早めに行く事にした。取り
あえず顔を見せて帰ってしまおう。ナニヤラ自分の価値観がすべて
塗り替えられてしまう恐怖が襲う。
したした歩いていると、男2人が前に出てくる。
なんだ?と思って横にずれたが、同じ方向にずれてくる。避ける
方向が被ったのかな?とおもって男の顔をみると、ニヤついていた。
明らかにワザと塞いでいると、すぐに分かった。そんでもって、
こいつらは他校の人間だともすぐに分かった。なんか、オーラが違
うのだ。チンピラオーラだ。さっきの職人や、イキイキしている他
の生徒とは明らかに違う。どちらかというと私が通っている学校の
フツーの価値観の持ち主と言っても過言ではないだろう。この雰囲
気にアテられてちょっとハイにでもなったのか。
228
﹁お嬢ちゃん、1人?俺らと回らねぇ?﹂
﹁いえ、あの﹂
﹁あはは、大丈夫。ちょっと案内するだけだし﹂
﹁と、トモダチんとこ行くところなんで!﹂
﹁あーその子もかわいー?なんだったらその子も回ろうよ、ね?﹂
ヘラヘラ笑いながら私の腕を掴んでくる。ちょ、やめろ!と叫ぼ
うと思ったその時。
﹁待ってください﹂
高すぎず、低すぎない、それでいてとても澄んだ声が響く。そし
て、黒い衣装をまとった人が私の腕を掴んだ男の腕を掴む。いや、
ヤヤコシイな。取りあえずなんか知らない人が仲裁に入って来たら
しい。
パッと顔を上げて驚愕した。
強い意思を持った綺麗な瞳、整って潤った唇、艶やかな黒髪を後
ろで縛り、執事服をその身に纏ったとても麗しい男性だった。
﹁﹁﹁ひっ!?﹂﹂﹂
超絶綺麗な男性を前にして、ナンパ男達が悲鳴をあげた。いや、
私の声もちょっと混じった。私の悲鳴を聞いて、綺麗な人は困った
ように目線を彷徨わせている。
﹁えっと、助けて良いんだよ⋮⋮ね?﹂と目で訴えて来ていて、
無性に可愛かった。
私は無言でコクリと頷く。
綺麗な人は、それでホッとしたようでナンパ男に向き直る。ナン
パ男の手はもう離されている。綺麗な人の登場に驚きすぎて離した
229
ようだった。いやぁ、うん、私もビビッたんだよ。気持ち、ワカル。
﹁無理な勧誘はいけませんよ﹂
﹁な、なな、お、お前には、関係ない、だろ﹂
もうナンパ男には全く気迫がない。完全におされているんだけど
⋮⋮なんかプライドでも働いているのか、逃げ出したりせずに言い
返している。そんなプライド捨てちまえ。絶対勝てないよ?
言われた美麗超人は、クスリと周りを魅了するほど素敵な笑みを
浮かべて、緩く首を振った。
﹁関係あります。私はこの学校の生徒会に務めておりますので、不
埒な行いの多くはこちらの裁量に委ねられ、判断されます。宜しけ
れば、チケットの確認をさせて頂きたい。それと、それを渡した生
徒についても詳しくお聞きしたいのですが﹂
﹁な、な⋮⋮﹂
淡々と事務的に話す美麗超人と違い、ナンパ男は顔を青くさせて
いっている。なんかその反応だと、チケット持ってないように見え
るなぁ。チケット貰えなかった人間がたまぁに潜り込むって聞くし。
﹁う、うるせぇっ!顔が良いからって調子に乗るなっ﹂
腕を大きく上にあげて美麗超人を殴ろうとして⋮⋮スッと空気が
冷えた気がした。
そして、賑やかだった音が⋮⋮消えた。
いや、完全に消えた訳ではない。遠くでは賑わった声が聞こえて
くる。そう、この周りだけ静かになっているのだ。
周りをみると、ここの生徒と思わしき人々が、静かに怒った目線
を向けている。ナンパ男達は、四面楚歌のような状態に気付いて青
230
ざめた。
ここにいる生徒の視線に敵意がこもっている。﹁分かっているよ
な?それを振り下ろしたらお前は海の底に沈むけど、覚悟はあるん
だろうな?﹂という心の声まで伝わってきそうだった。
それほどの憎しみをナンパ男に向けている。
私が向けられた訳ではないのに、背筋が凍る。
こ⋮⋮怖い!
﹁す、すいませんっしたぁ!﹂
2人が慌てて逃げ出す。
美麗超人は、冷たい目線を向けながら、スマホを取り出して何や
ら呟いている。﹁拒否者脱走、2名、南館へ向かう。特徴⋮⋮﹂怖
いのでこれ以上は聞かない。
そっとこの騒ぎから抜け出そうとゆっくりと動く。
﹁あ、待ってください﹂
捕まった。もう逃げられない。だめだ解放してくれ。恐る恐る顔
を上げると、目が瞑れそうな笑顔を向けられた。グゥッ!これは生
物なのか!?モデルでもやってろ!
﹁怖かったでしょう。どうですか?私のクラスは喫茶をしているの
です。少しお茶をしてみては?美味しいですよ﹂
﹁いや⋮⋮い⋮⋮いきます!よろこんで!﹂
断ろうと思ったが、周りの﹁え?まじで?こいつ断っちゃうの?﹂
という目線に耐えきれなくて行く事になった。
弱いあたしを許して⋮⋮。
怖々ついていくと、案内されたのはトモダチのクラスだった。
231
﹁あれぇ、ここ⋮⋮あ、トモダチがこのクラスにいるんですよ﹂
あたしの反応に小首を傾げているので、答える。
﹁ああ、そうでしたか。良かったです。図らずも、ご案内する事が
出来たようで﹂
ほんわりと和むような笑みを浮かべられて、心臓が跳ねる。いや
いやいや、イケメンだからってそんな、ねぇ?周りをみると、ポウ
ッとしていた。
ウン、まともだったわ、あたし。
普通にドキッとするよね、こんなイケメン。いや、綺麗系?女装
したら普通に女の人でもイケソウ⋮⋮。
さえき ももこ
﹁そのお友達のお名前をお聞きしても?﹂
﹁あっと⋮⋮佐伯桃子っていうんですけど﹂
﹁ああ、佐伯さんの⋮⋮ここに座って待ってて頂けますか?お呼び
してきます﹂
執事服で恭しくお辞儀をされて、なんか⋮⋮。何これ⋮⋮なんか
無性に嬉しいんだけど。しかもその執事は超絶美麗で穏やかそうで、
ちょっぴり可愛らしいとか。やっばいなぁ、マジで価値観かわりそ
う。
ちょっと俯いてもじもじしていると、目の前にアイスティーとシ
フォンケーキが出される。
﹁え、なんで⋮⋮﹂
﹁今宵はサービスですよ、お嬢様﹂
232
おぎ
バッと顔をあげると、明るい黄緑色の髪の青年がウインクしてき
た。この人もイケメン!荻っていうのか⋮⋮。ネームプレートをチ
ラッとみて確認。
﹁なんか襲われたんだって?これはさっきの、木下っていうんだけ
ど⋮⋮木下の奢り﹂
﹁え、え、そんな!悪いです﹂
﹁まぁまぁ、受け取ってぇ。受け取って貰わないと俺も困るしぃ﹂
ひらひらと手を振って他のお客の所にいくイケメン。良く周りを
見ると、殆どイケメンだった。眼鏡インテリ、寡黙系、チャラ男系、
爽やか系⋮⋮。なんなのここ⋮⋮。イケメンしかいないのか⋮⋮。
はぁ、と溜息をついて下を向くと、アイスが溶けていっている。
うえっ!?アイス?ちょっと待って、冷凍庫完備してるの?
勿体ないし、美味しそうだから、食べてみる事にした。
ほわんほわっふあっ。
口に入れると解けていくほどに柔らかい。なのにパサパサとはし
ていない。しっとりと、どこかもっちりしているのに、ふわっとし
ている。あまり甘さを主張しておらず、隣のアイスと共に頂くと、
また格別。
こんなに美味しいシフォンケーキ、食べた事ない!
きっとどんな店に行っても食べられない程の仕上がりに、興奮を
隠せない。これが、これが学生の作ったお菓子だっていうの?ああ、
美味しい⋮⋮全部食べるのが勿体ない⋮⋮でも残したら勿体ない⋮
⋮。このシフォンケーキを作った子は誰なの!?友達になりたい!
ほふほふと口を緩めながらケーキを食べていると、良く見知った
トモダチがこちらに来ていた。
私の向かいの席に座り、ゲン○ウポーズを決める。ゲ○ドウって
誰なんだろうね。前に彼女が言っているのを覚えているだけで、ゲ
ンド○が誰なのかは知らない。
233
少しだけ眼鏡がずれているのはいつものこと。ちょっぴり根暗で、
でも内に秘めた魂と情熱は計り知れない。それがモモコだった。
﹁どやぁ﹂
﹁いや、うん⋮⋮﹂
いきなりどやぁ言われても普通分からんし。文化祭どうだったか
?って聞きたい訳ね?伊達に長年トモダチやってないよ。
﹁楽しいよ。えっと⋮⋮さっきの木下くんって子に助けられたし﹂
あたしの言葉に、モモコがニヤリと笑う。
﹁知っているか?木下さんは⋮⋮女の子なのよ﹂
﹁ごふっ﹂
咽た。丁度飲み物を飲んでいた時だったので、口内のアイスティ
ーを彼女の顔にぶちまけた。
しかし彼女は、ふっ、と溜息を漏らすだけで怒ってはいない。昔
から、フジョシ向けのモノを侮辱しない限りは穏やかなモモコだ。
顔に何をぶちまけても怒らないだろう。いや、まぁ普通に謝るけど
も。
﹁げほっ⋮⋮ごめん﹂
﹁いいのよ、誰もが通る道よね﹂
そう言って、遠い目をするモモコ何やら深い事を考えていそうな
顔をしている。こういう時は大抵ロクでもない事を考えている。深
くは突っ込むまい。
⋮⋮でも、女の人だったのか。確かに、綺麗だったよ。うん、イ
234
ケルイケル⋮⋮。
﹁きゃあっ﹂と黄色い悲鳴があがったので、そちらに顔を向ける。
すると、これまた驚く。まるで彫刻のような完璧な顔をした男が、
王様のような恰好で教室の入り口に立っていた。その髪は漆黒⋮⋮
そして瞳は夜空に浮かぶ月のような色をしていた。
イケメン⋮⋮だが、話しかけられるような雰囲気の持ち主ではな
い。完璧すぎて、どこか冷たささえ感じられるのだ。他の人も同様
に、話しかける勇気はでないようだ。
﹁キタワコレ﹂
何やら密かに興奮しているモモコ。これは非常に興奮している時
の顔だった。なんだろう、あの男の人が好きなのかな。
すると、さっき私を助けてくれた美麗な⋮⋮えっと女の人、なん
だよね?木下さん⋮⋮がイケメンに話しかけている。
すると、鋭い雰囲気が急に柔らかくなった。彼が木下さんを前に
すると、僅かに笑うのだ!
でも、なんか、その⋮⋮言ってはなんだが、なんだか男の人同士
がいちゃついているような⋮⋮そんな空気で。あれ、でも女の人だ
から普通なのかも。だとしたら健全⋮⋮?いや、でも彼らなら男同
士でもアリな気がしてきた。美し過ぎるのだ、2人共。性別の域を
超えている。
こんなのってアリなの⋮⋮?
﹁到達したか、我が同士⋮⋮﹂
﹁えっ⋮⋮?﹂
モモコが嬉しそうに微笑んでいる。○ンドウポーズだ。
﹁男同士、アリならフジョシ⋮⋮それすなわち、腐った女子である﹂
235
唐突に、理解した。
そうか、これが⋮⋮腐⋮⋮。
この気持ちがそうなの?
くっ⋮⋮でも、それはイケナイことでしょう?
あたしが耐えていると、モモコがすっと写真を出してくる。それ
は、あの王様と執事が制服で相合い傘をしている写真。
天啓がおりた。
私はモモコと握手を交わす。
﹁腐腐腐⋮⋮ようこそ、こちら側へ﹂
あたしはイケナイ扉を開いてしまったようです。
お母さん、親不孝なあたしをお許しください。
236
文化祭︵別サイド︶︵後書き︶
他校の生徒も犠牲となったのだ⋮⋮。
237
文化祭をしました。
﹁え?なんですか﹂
﹁だから、ミスコンだ﹂
私のクラスに王様コスプレで登場した会長。いえ、劇中だと確か
王子役のはずですから、これは王子コスプレのはずなんですけれど
ね。
でも威厳というか、そういう雰囲気が漂っていて、王子には見え
ない。
﹁出場者が少ないから役員が困っているそうだ。俺は男の部の方に
出る﹂
﹁えぇと、そんな事急に言われましても、ですね⋮⋮﹂
確かに文化祭中には恰好良い男子を決めようコンテストと、好み
の女の子はどの子?というコンテストがある。まとめてミスコンと
呼んでいる。毎年微妙に呼び方が変わるらしい、まぁそこはどうで
も良いですが。
どうやら、そのミスコンに出場して欲しいと依頼が来たらしい。
ミスコンは明日の午前中にお披露目をして、午後までに集計してト
ップを決める。
会長は出る事を決めたらしい。もう、これはトップの座は彼で決
まりですね。彼以外でトップになれる男などそうそういないだろう。
いるとすれば他の攻略対象者くらいか⋮⋮。
しかし、私にも出場依頼とは、随分と出る人が少ないのでしょう
か?まぁ、男性の部に出てくれと言われなかっただけマシですけれ
ど。私が出ても無残な結果が目に見えている。
238
﹁私にも、見回りとかありますからね⋮⋮﹂
﹁その点については考慮してある﹂
そうなのですか、仕事がはやいですね。
ううん、あまり出たくはないのですけれどねぇ⋮⋮。
﹁仕方ないですね、では出ましょう﹂
﹁助かる﹂
会長はホッとして少し微笑んだ。その微笑が、驚くほど目が瞑れ
そうになる。チラッと店内を見ると、皆ハッとしたように会長を見
つめている。勿論、殆どの女の子の顔が赤い。
先程助けた佐伯さんのお友達も、楽しそうに会長を見つめている。
めったに出会えませんものね、こんな彫刻のような人。
﹁では、その旨を役員に伝えれば良いですか?﹂
﹁ああ、頼む﹂
そう伝えて、私は教室に戻ろうとした。が、服の袖を掴まれた。
振り返ると、会長がもの言いたげな顔でこちらを見ている。
⋮⋮ん?まだ何か用件があるのでしょうか。
﹁その、あの⋮⋮だな﹂
﹁⋮⋮はい﹂
しばらく目を泳がせながら﹁あの、その﹂言っていたが、根気強
く待つ。⋮⋮というか、早くして下さい。結構混んでて忙しいのが
見えませんかね?
ちょっといらぁっとしかけた時、会長が意を決して口を開く。
239
﹁その、衣装、似合ってる⋮⋮綺麗だ﹂
﹁⋮⋮は、はぁ⋮⋮﹂
少し顔を赤らめて、目が合うと逸らされた。⋮⋮それだけ、です
か?何か用件があった訳ではないのでしょうか⋮⋮。会長も律儀な
人ですね、そんなお世辞言わなくてもいいんですけど。
というか、それ言うのにこんなに時間かかったんですか?
照れるなら、言わなくてもいいんですけど⋮⋮。
うん、最後の綺麗だ、は反応に困りますね。会長の方が余程綺麗
ですからね。これは、私も何か返さないといけないでしょう。
﹁会長も、その衣装とても似合っていらっしゃいますよ?会長の良
い所が引き出されていて、恰好良いと思います﹂
﹁かっ⋮⋮!?﹂
私の返答で、会長の顔がさらに赤くなった。
⋮⋮なんでしょう、その乙女のような反応は。そんな反応される
と私も困っちゃいますよ。何か変な事言いましたっけ⋮⋮?
会長は、赤い顔のまま私の腕を掴んで来た。
﹁⋮⋮俺の事を、恰好良いと思ってくれているのか﹂
﹁⋮⋮え?ええと、はい、誰が見ても会長は恰好良いと﹂
﹁そうじゃなくて、透がそう思っているのか?﹂
﹁⋮⋮え、と⋮⋮か、恰好良いと、思っています⋮⋮よ?﹂
ええ、そう何度も聞かれると恥ずかしくなってくるじゃないです
か。これはなんの拷問ですか。
私はちょっと照れて、頬が熱くなるのを感じた。
会長はすぐ近くで私の顔を見ていたので気付いただろう、私の反
240
応に僅かに目を見開いている。
﹁とお⋮⋮﹂
﹁会長、混んでいるんだから、さっさとそこをどけ﹂
﹁ああ⋮⋮晴翔、おかえりなさい﹂
会長の言葉を遮るように、晴翔が帰って来た。顔を洗ったのか、
前髪が僅かに濡れてて、色気を醸し出している。首に掛けてあるそ
のタオルでちゃんと拭いて下さい。目の毒ですよ、乙女たちの。
案の定、お客の女の子たちがノックアウトしている。しかも会長
とセットだからな。
うわ、行列が伸びてます!これは急いで戻らないといけません。
﹁では会長、ミスコンの件は私から伝えておきますね﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
そう言って、教室に戻る。
﹁ミスコンに出るのか?﹂
シフォンケーキを受け取っていると、晴翔がそう聞いてきた。
﹁ええ、そうです﹂
﹁なんで﹂
﹁人手不足だそうですよ﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
それだけ言って、注文した客の所へ向かう。
女の子は2人連れで、他校の生徒みたいだった。
241
﹁ふわあっ!執事様、執事様よ!﹂
﹁さっきの王様付きの執事様ね、分かります﹂
なにやら興奮しているようで、苦笑する。ああ、さっきの王様っ
て⋮⋮なるほど確かに、王様と執事だからお似合いと言えばお似合
いかもしれませんね。自分の今の恰好を僅かに忘れる所でした。
﹁透ちゃん!来たわよ、うふふ!﹂
﹁透!父さんだぞ!愛する父さんだぞ!﹂
その呼びかけに、力が抜けそうになりました。入り口を見ると、
両親が嬉しそうに手を振っている。
大声で叫んだので、物凄く注目されている。父さんと母さんは相
変わらずのようですね⋮⋮。
近寄ると、父さんと母さんが抱き付いてきて、キスしてくる。半
眼で睨みつけつつ、教室へ案内する。親戚とか友達優先の席を設け
ているのです。他の客から見えない所にご案内。
﹁うふふ!素敵な執事ね!﹂
﹁おう、父さんなんて王様にでもなった気分だ﹂
飲み物とケーキを出しつつ、私も席に座る。
﹁どうぞ、美味しいよ﹂
﹁﹁いただきます﹂﹂
両親はとても美味しいとニコニコとしながら食べてくれている。
そうでしょうともそうでしょうとも。まぁ、私が作った訳じゃあり
ませんけれどね。
242
﹁うふふ、透ちゃん可愛い﹂
﹁さすが我が娘﹂
母さんと父さんがニヤニヤしながら言ってくる。身内贔屓ですよ、
それ。可愛いと思われていたら執事の恰好なんてさせられません。
﹁学生のころを思い出しちゃうわね!﹂
﹁ああ、母さんは今でも可愛いが、昔も可愛かったな﹂
﹁もう、父さんったら!﹂
⋮⋮よそでやってくださいませんか。
両親が来たという事で、時間を貰って文化祭の案内をした。
ある程度案内した後、生徒会の見回りをして、また教室に戻り執
事ウェイトレス。とまぁ、忙しいながらも充実していた。見回りの
最中、いちゃいちゃしているカップルを見て、羨んでなんていませ
ん。ええ、断じてないです爆発しろ。
243
ミスコンにでました。
文化祭最終日がやってきていた。ここまで、大きなトラブルもな
くやり遂げている。最後まで気を抜かずに行きましょう。
最終日の午前はミスコンに出なければならない。衣装は安定の執
事服です。それ以外に着るモノもありませんしね。制服でもいいん
ですけれど、参加者は毎年何らかの衣装を着ているらしいので、制
服だとちょっと浮くかもしれないのだ。
女子用の控室に入ると、皆それぞれコスプレ衣装を身に纏ってい
る。私はもうすでに執事服に着替えているので、椅子に座って出場
を待つ。
あんまりキョロキョロして人の着替えを覗くのも悪いので、床を
見つめておく。
⋮⋮なんだか、凄く視線を感じます。
下を向いていても分かる程度にガン見されている気がします。き
っと気のせい⋮⋮ではないのだろうか。
顔を上げると、沢山の女の子が目を逸らした。どうやら、本当に
気のせいではなかったようです。女の子達はそわそわしつつ、顔を
赤らめて着替えている。着替えている最中に、チラチラとこちらを
窺っている子もいる。
⋮⋮えっと、なんでしょうか。もしかして、私の恰好は可笑しい
のでしょうか。いえ、桜さんにもお墨付きを頂いていますし、大丈
夫なはず、です。
目を瞑って周りの会話に耳を澄ます。
﹁ああ、女の人って分かってても恥ずかしい⋮⋮﹂
﹁分かる⋮⋮何この視姦プレイ⋮⋮なにかに目覚めてしまいそう﹂
﹁イケメンにみられつつ着替える⋮⋮ドキドキする﹂
244
おっ⋮⋮とぉ⋮⋮⋮⋮。
私は無言で立ち上がる。
女の子達がビクリと震えて胸やら何やらを隠す。とても恥ずかし
そうに。
そのまま扉に向かい、出て行く。
扉がキチンと閉ったのを確認して、大きく溜息を吐いた。
いやまさか、そんな風に見られているとは思いませんでした。私
のイケメン枠って取れないのですかね⋮⋮もう手遅れですか、そう
ですか。
⋮⋮ま、まぁ、いっか⋮⋮。これは多分、票が入らないだろうな
ぁ。出場するのは可愛い女の子ばかりだったし、勝ち目なんてない
だろう。
確か、上位3名が同じ衣装を午後でも着てミスコンの発表に出な
ければいけないので、面倒がなくなっていいんじゃないでしょうか。
私はライバルキャラでそこそこ顔も良いが、イケメンと思われてい
たら可能性は皆無だろう。何故、何故私に出場要請を出した。
なんだか無性に恥ずかしくなってきましたよ⋮⋮。壇上に上がっ
たら﹁え、男⋮⋮?﹂という観客の呟きが今からでも聞こえてくる。
ま、ここまで来てしまったものは仕方ありません。腹を括ってで
ましょう。
ミスコンは男性が7人、女性が5人エントリーしていた。私を除
くと女性は4人となる。確かに4人は少なすぎるでしょうね。でも
私を出すのはどうかと思うんです!
ふむ、女性だと私と、あと1人が上位3名から外されるんですね。
その子とは、ちょっと仲良くなれそうです。
それと、驚いた事に晴翔も出場していた。男性控室に行く前に、
会長と睨み合っていた。これは、1位2位は会長と晴翔のものにな
るでしょうね。
245
ちなみに、このミスコンの優勝者は、デートする権利が与えられ
る。⋮⋮誰となのかというと、優勝者同士だ。最も恰好良い男子と
最も可愛い女子とのデートだ。これで恋が生まれない訳がない。
そういえばこの文化祭のミスコンで優勝した者同士は永遠の愛で
結ばれるどうのこうのって伝承がありましたね。大きな木の下で告
白すれば絶対に成功するとかどうとかそういう系の噂話です。
信じてる女の子もいたりするんじゃないでしょうか。その割には
出場者が少ない気がしますが。男性の部の方は、可愛い女の子とデ
ート出来るかもしれないという下心もありそうです。
乙女ゲームだと、主人公が出場してダントツトップになる。男の
方は好感度の最も高いキャラが出場し、優勝する。そしてそのまま
デートイベントに突入し、良い感じになっていくのだ。まぁ、今は
まだ全然関係なさそうですけどね。
さて、男性の部の方は会長か晴翔ですけど⋮⋮女の子は誰になる
でしょうか。
﹁もうすぐです!﹂
という声がかかって壁から背を離す。
女の子とデートする。その単語で胸にチリチリとした痛みが走っ
た事から目を逸らした。
さて、ミスコンですけれど。
壇上に上った瞬間どよっとされたのは予想済みです。心に軽微な
ダメージを負うだけで済みました。アピールポイントの発表では、
料理得意、裁縫得意、家事全般大好き、趣味はお菓子作り⋮⋮等な
ど女子力が高いコメントばかり。私だけですよ、アピールポイント
が生徒会の仕事云々という事を言ったのは。
いや、料理は出来るんですけど、得意って訳でもないです。もう
料理は普通の極みなんです。さすがに普通なのに得意です!とは言
246
えない。
裁縫?⋮⋮ボタンつけくらいなら出来ます。
家事なんてメンドウでやってらんない⋮⋮必要に迫られれば最低
限はするでしょうね。うああ、前世の悪癖だこれ。直さないと本当
に結婚すら出来ないかもしれない。
ってなわけで⋮⋮こんなイケメン枠の男認定で淡々と仕事の話を
したんですけれど。だからたぶん、呼ばれる事はないと思う。
ミスコンも終わり、見回りをして昼休憩に入る事になった。この
文化祭での出し物はすべて美味しそうで、かなり凝ったモノが多い。
なので、文化祭期間中はお弁当はナシだ。どうせならこの雰囲気を
味わいながら食べたいですしね。
たこ焼き、焼きそば、りんご飴などなど、屋台の定番が並んでい
る。どれも本格的で、普通の出店と同じくらい⋮⋮いや、昨日食べ
たフランクフルトはそれ以上の出来だった。全部制覇したいところ
ですが、流石にそこまでお腹に余裕はない。
さて最終日は何にしようか、と悩みながら歩いていると行く手を
遮られた。顔を上げると、そこには会長が立っていた。
﹁昼休憩か?﹂
﹁ええ、そうですよ﹂
﹁じゃ、じゃあ俺も回ってもいいか?﹂
﹁あ、はいどうぞ﹂
会長は演劇なので、決まった時間以外は案外暇なんだそうだ。だ
から自主的に見回りしていた時に私をみつけて声を掛けて来たらし
い。
﹁そうだ、会長。たこ焼きと焼きそば食べました?﹂
247
﹁ん?⋮⋮いや、まだだが﹂
﹁実はどっちにしようか迷っていたんです、半分こしませんか?﹂
﹁⋮⋮ああ、いいぞ﹂
﹁ありがとうございます﹂
やった!両方食べたかったけれど、全部食べきらないと勿体ない
しお腹が苦しくなりそうだったのだ。それなりに量もありそうでし
たし。それに、デザートのほうも気になっていたので、会長と半分
出来るのは嬉しい。
私が喜んでいると、会長が何故か胸を押さえて呻いていた。
﹁あれ、体調悪いんですか?﹂
﹁い、いや。平気だ。⋮⋮むしろ精神の方が﹂
﹁え?﹂
﹁なんでもない。たこ焼きと焼きそばだな、行くぞ﹂
少し心配だが、大丈夫なのだろうか。
顔が若干赤くなっているので、暑さにやられたのでしょうか?⋮
⋮いや、炎天下で何時間でも待てる人ですから、それはないでしょ
うか?
まぁ、ちょっとでも体調が悪くなっていそうだったら強制的に休
ませましょう。
たこ焼きと焼きそばを購入して、ベンチに2人並んで座って食べ
た。両方凄く美味しくて病みつきになりそうだった。これが学生の
文化祭クオリティ?⋮⋮否。これはプロの犯行である。私の所のシ
フォンケーキもプロの犯行ですけどね。反則レベルで美味しいです
248
から。桜さんの場合、実家がケーキ屋のようですから、プロと言え
ばプロですよね。
﹁会長、体調はもう大丈夫ですか?﹂
﹁ああ、というか特に問題はない﹂
﹁そうですか?﹂
確かにもう赤くはない。じっと見つめていたら少しだけ赤みが差
してきたが、これは単に照れているだけだろう。会長は照れ屋です
よね。
屋台で買った飲み物を飲みながらマジマジと見つめる。やっぱり
綺麗ですね。これが攻略対象者ですか、そうですか。
﹁デザートも半分しません?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
会長の目に若干喜色が浮かんだ。やっぱり甘党ですね。もういい
加減宣言すればいいのに。
わらびもちと、ショートケーキを購入して、再びベンチに座る。
安定の半分こです。なんか会長と2人だといつもこういう事してい
る気がする。
それにしてもこのわらびもちおいしいですね。ショートケーキも
美味しいです。厳選素材って⋮⋮いや、もう何も突っ込むまい。
わらびもちをパクリと食べて、口元を緩める。
﹁嬉しそうだな﹂
そう言っている会長の口も緩んでいる。私を見つめるその目は優
しい。いつも晴翔を睨んでいる目とはかけ離れた優しさだ。やっぱ
り女性相手と男性相手では違うのでしょうか。まぁ、晴翔とは特別
249
険悪な気がしなくもないですけれど。
私相手の場合、会長は甘党を隠さなくて良いからデザートが半分
出来て嬉しいとかそういう感じでしょうね。
﹁ええ、会長と食事する事ができて私も嬉しいです﹂
﹁えっ﹂
正直に答える。ばったり出くわして本当に良かったです。御蔭で
種類も多く制覇出来ましたし、デザートも色んな味を楽しめました
し。会長が甘党で良かった。私もこうして楽しめますし、会長が甘
党だと見抜いた自分を褒めてやりたい。
﹁お、れも⋮⋮嬉しい﹂
﹁有難うございます﹂
顔を赤くさせた会長が口を手で隠しながら言う。視線は私と反対
の方向を向いてますけど、照れ隠しでしょう。
﹁透は、俺が喜ぶ事を、なんでもない事のように簡単にしてくる﹂
﹁⋮⋮私ですか?何かしましたっけ⋮⋮﹂
特に特別な事はしていない。強いていうなら甘党と気付いても言
いふらさなかった事でしょうかね。後はそうですね⋮⋮照れて注文
しない会長の為にケーキ2つ注文して分けるとか。その事でしょう
か。
会長は、クスリと笑った。会長の笑みに前を歩いていた人が足を
止めてボウッとしている。なんという破壊力なんでしょう。私には
真似出来ません。私も多少耐性がつきましたが、依然ドキッとしま
すからね。めちゃくちゃ恰好良いですから、仕方ない事です。
250
﹁そういうところだ﹂
﹁⋮⋮?﹂
どういう事でしょう。
私は首を傾げて会長を見つめる。会長も、顔を赤くしてこちらを
見つめる。
笑顔だった顔に、ふと真剣さが入る。思いつめているようで、何
か大切な事を言う前のようで、こっちまで緊張してきた。
﹁その⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
周りはとても賑やかなのに、ここだけ妙に静かだ。会長からゴク
リと唾を飲み込む音まで聞こえてくる。
﹁透、見つけた﹂
と、ここで晴翔の声がしてきた。
前にいる会長から﹁チィッ!﹂という盛大な舌打ちが聞こえてき
た。びっくりして会長の顔を見ると、苦笑いを浮かべていた。
﹁こんな所でどうした?もうすぐ時間だぞ﹂
﹁え、あ!﹂
スマホの時計を確認して驚く。もうすぐ執事喫茶の時間だった。
というか、ここからだと遅刻である。思いの外会長と話し込んでい
たようだ。探しに来てくれた晴翔にお礼を言う。
﹁会長すみません。お話はまた今度で良いですか?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
251
慌てて教室の方に向かった。
そういえばミスコンですが、予想外の事が起こりました。
なんと、午後の発表に出て下さいと声がかかったのだ。
ちょっと待って下さい。ナイでしょう!私でもナイわぁ、とか思
ってたって。私より可愛い子いたでしょう!?なんで!?
私が動揺していると、クラスメイトの女の子たちが良い笑顔で親
指を立てた。
﹁女の子の票ですね!﹂
﹁私もいれました﹂
そうかあああああああっ!?
投票は匿名なので、男子の部でも女子の部でも、男女両方入れら
れるのだ。
そうつまり⋮⋮男性はまばらに色んな女の子に投票して別れてし
まったが、女性の票は確実に私に入っているといっても過言ではな
い。だとしたら⋮⋮だとしたら私が優勝もあり得るかもしれないの
だ。
いや、ナイでしょう⋮⋮いやホント。男性客からブーイング起こ
りますよ。
心で滝汗を流しながら、壇上へと向かう。
案の定、会長と晴翔の姿があった。やっぱり、2トップでしょう
ね。さて、どちらでしょうか。晴翔だけは勘弁してください⋮⋮も
し私が優勝したらデートする事になるかもしれないのだ。何その苦
行⋮⋮振られた相手と義務デート?凄く嫌だ。
勿論私が優勝するとは限らない⋮⋮限らないが⋮⋮壇上に登った
時、女性客から黄色い悲鳴があがった。﹁素敵!﹂とか﹁男装の麗
人!﹂とか﹁抱いて!﹂とか言っている。嫌な予感がヒシヒシと伝
252
ゆみこ
わってくるのは言うまでもない。
てしがわら
﹁3位、勅使河原由美子さん﹂
金髪ストレートの、少しつり目の美人さんが呼ばれる。
心臓が嫌な音を立てた。いや、ええと、なるほど?私は3位では
ない、と。
次に私が呼ばれないと、優勝ということになってしまう。2位こ
い2位こい2位こい⋮⋮。
ますい ちづる
﹁2位、増井千鶴さん﹂
きたぁ⋮⋮⋮⋮!
なんてこった!
呼ばれなかった!なんで、どうして。
いや分かってる。女性たちの爛々とした目を見れば分かる。貴方
たちまじで何やってんのぉっ!?
案の定、男性客からざわざわというどよめきが。ですよね、分か
ります。私もこんな女嫌ですもん。どう見てもイケメンな女なんて
論外でしょうに。ごめんなさい。
女の子に好かれているのはよぉくわかりました。本当に有難うご
ざいます。
﹁優勝は、木下透さんです!おめでとうございます!﹂
わぁっ⋮⋮!と女性客から歓声があがる。男性客は不満げだ。ご
めんなさい。私にはどうする事も出来なかったのだ、許して。
次に男性の発表になる。
案の定、3位は会長と晴翔以外の人だった。彼もなかなかイケメ
253
ンなのだが、会長と晴翔には遠く及ばない。
﹁優勝者なんですがなんと!今回同票で月島蓮会長と、火媛晴翔副
会長が2人共優勝です!﹂
会場から女性の歓声があがる。
同じ票?そんな馬鹿な事、起こるはずがない。1票くらいは差が
でてもおかしくないだろう。ましてや不特定多数の人間が投票して
いるのだ。有り得ない⋮⋮。
今年のミスコンはありえない。
女性の部は、男にしか見えない私が優勝し、男性の部は2人優勝
者が出たなどと⋮⋮。
﹁ってことで⋮⋮デートはこの3人でしてもらいます!﹂
会場が未だかつてないくらい白熱する。主に女性からの熱気だっ
た。もうどうしてくれようコレ⋮⋮。
頭に﹁腐女子の策略﹂という文字が浮かんで、膝を抱えて呻きた
くなった。
254
ミスコンにでました。︵後書き︶
﹁腐女子の策略﹂です︵確信︶
255
優勝者デートしました。
休日。晴天。綺麗な青が広がり、次第にこの空も秋の色に染まる
だろう。しかしまだ風は蒸し暑い。地球温暖化か、まさか乙女ゲー
ムの世界でまでそれを採用してるのか。やれやれ、困ったものだぜ。
という現実逃避をしながら目の前の光景を眺める。
腕を組んで眉を顰めている会長と、右手を腰に当てて下から睨み
つける晴翔。
2人の只ならぬ空気に、周りが息をのんでいる。凄いイケメンが
睨み合うって威圧感が半端じゃない。皆遠巻きに見ている。
だれか、誰か助けて下さい。誰でも良いんです、誰か2人を止め
てください。
⋮⋮私しか、いないんでしょうね。
そう、今日はミスコン優勝者同士のデートの日である。
しかしデートと言って良いのか甚だ疑問ではある。今回は、文化
祭の後の体育祭についての打ち合わせだ。生徒会長と、副会長と、
事務補佐ですからね。普通に生徒会主要メンバーですから、やる事
はやります。体育祭ももうすぐですから、のんびりとはしていられ
ませんからね。⋮⋮うん、デートじゃないですよね、これ。
遠くでビシバシ火花を散らしている2人を見て溜息を零す。あそ
こに行きたくないですねぇ⋮⋮。まぁ、生徒会の仕事と思えば良い
でしょう。割り切って、うん、頑張っていきましょう。
ちなみに今日の服装はどちらかというと男っぽい恰好だ。イケメ
ン2人と肩を並べて歩く勇気は私にはなかった。私、イケメンで良
かった。これなら女性の厳しい視線を貰う事はないよ!⋮⋮虚しい。
ところで、今回は30分前に来てますけど、2人共いつそこに来
たんでしょうね?8月よりは暑さも少しやわらいでいますが、無理
は禁物です。そうか、イケメンは待ち合わせ場所に早めに来るもの
256
なのか、そうなのか。女性を待たせてはいけないという謎のプライ
ドでもあるんだろうか。
そういえば乙女ゲームでも待ち合わせ場所に行くと必ずといって
良い程相手が先に来てますよね。あれはこういう裏事情か。全員早
めに来てるのか!⋮⋮もう乙女ゲームなんてやらねぇ!なんでそん
なに無駄に早く来てるの!私にはいつ来ているのか気になって、も
うプレイできる気がしない。
重い足を運んで睨み合うイケメンの所へ向かう。
﹁⋮⋮お待たせしました﹂
﹁来たか﹂
﹁別に待ってはいない﹂
会長と晴翔がパッとこちらに向いて良い笑顔になる。わぁ!心に
ダイレクトにダメージが入ったよ!何この破壊力。やめてください、
本気でやめてください。
イケメン2人から目を逸らしつつ、2、3言話をしてファースト
フードに行く事になった。そこで打ち合わせもするらしい。
そこでちょっと注目を浴びた。彫刻のようなイケメンと、色気を
振りまくイケメンが並んでいる光景は凄く目立った。2人共、俳優
とかモデルになっても可笑しくない程容姿が端麗なのだ。確かにこ
んなイケメンがファーストフードにいたらビックリするだろうなぁ
⋮⋮。
生徒会の役員だから頻繁に顔をあわせているけれど、前世の私だ
ったら会話する事すら出来なかっただろうな。そう思うとなんだか
ライバルキャラも悪くないですね。
ファーストフード店に似つかわしくない2人だが、慣れているよ
うで簡単に注文していた。という事は、普段から利用しているとい
う事か。晴翔は知っていたが、会長もか⋮⋮。似合わないな⋮⋮。
でも確かに、会長の家はお金持ちという設定はなかったからな。フ
257
ァーストフードやファミリーレストランにも通うのか。⋮⋮似合わ
ない!会長、甘党と同じくらい似合わないですよ。
皆でバーガーとポテトのセットを注文して席に座る。視線が凄い
ですね。まさかこんなに注目されるとは。⋮⋮うん、男装してきて
正解でしたね。イケメンと出掛ける時は男装、うん。
黙々と食事をする。すると、会長の口にマヨネーズがついた。気
付いていないようなので、ティッシュを取り出して拭いてあげる。
﹁す、すまない﹂
﹁いいえ﹂
﹁⋮⋮っ!﹂
恥ずかしそうに目を逸らしながらお礼を言われる。晴翔は驚いた
ようにこちらを見ていた。私と目が合うと、苦虫を潰したような顔
をして、目を逸らした。そして会長を睨みつける。何をそんなに憎
んでいるんだと言いたくなるような睨み方だ。
睨まれた会長は、どことなく自慢げ笑っている。その笑顔が気に
喰わないのか、晴翔はギリギリというほど歯を噛みしめている。ど
うしたんでしょう、若干怖いんですけど。
﹁透⋮⋮﹂
﹁は、はいっ!?﹂
地を這うような低音で話かけられてビクリとした。あれ、何か怒
らせるような事しましたっけ。
﹁会長と、付き合って、いるのか⋮⋮?﹂
﹁は?⋮⋮いや、付き合ってはいませんけれど﹂
何を言っているんでしょうこの人は。
258
そこではたと考え直す。
男の人の口元にマヨネーズがついて、女の人が﹁ここについてる
よ﹂と言って拭いてあげる光景⋮⋮どこのラブラブカップルですか!
自分の行動を思い返して、カッと顔が熱くなった。頬に手の甲を
当てて冷ます。
いやほんと、ほぼ無意識にやってましたけど、ないわぁ、私!い
えだだだ大丈夫です。精神年齢は母子くらい離れているし、ノーカ
ンです。会長もそういう意図じゃないと知っているでしょうし。
⋮⋮あれ、会長から何も聞いてませんけど、もしかして迷惑とか
思われてたりして。今度は熱かった顔から血の気が引く。
﹁ああの、会長?迷惑でしたでしょうか﹂
﹁いや、そんな事はない⋮⋮嬉しかった﹂
柔らかく笑いかけられて、ほっと息を吐く。
良かった、嫌がられてたらどうしようかと。
﹁透﹂
立ち上がった晴翔に両手で顔を挟まれて、無理に晴翔の方に向か
される。
﹁⋮⋮っ!?﹂
え、何でしょう突然。晴翔の深刻そうな顔と向き合った瞬間、シ
ュタッと会長の手刀が晴翔の頭にヒットした。
御蔭さまで私の顔が自由になりました。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
259
無言で睨み合う2人。ああもう、なんなんでしょう。周りを見る
と、案の定注目を浴びてしまっている。
パンパン!
手を叩いて睨み合う2人の注意をこちらに向ける。
﹁ここは公共の場です。諍いを起こすなら、どうぞ帰ってください。
晴翔、貴方の事ですよ﹂
﹁⋮⋮!﹂
全く意味が分からない。正直優勝者デート特典じゃなかったら出
掛けたくはない。やたら気まずいし、なんかずっと怒ってますし。
晴翔にはご退場願いたい。
﹁ああ、そうだな。帰って貰おう﹂
﹁⋮⋮﹂
何故か会長が勝ち誇った顔で頷いている。晴翔は黙って座った。
顔色が悪い。これ以上騒ぐと本当に帰らされると思ったのか。そも
そも嫌なら辞退してくれても良かったのんですけど、律儀というか
なんというか。
しばらく無言で食事をして、体育祭の予定表を取り出す。雨天の
場合次週に延期になり、次週も雨なら体育祭は中止になる。大抵決
行されるので、これはあまり気にする必要はない。生徒的には体育
祭の後のテストの方が大変そうですけど。体力が減った後のテスト
ってキツイですよね。すぐにテストというのもどうかと思いますけ
ど。
えっと、テントの数と進行司会のセリフなどなど、去年のものと
同じでも大体いけますね。細かい所はもう少し変更しないといけま
260
せんが⋮⋮。
黙々と紙を覗き込んでいると、視線を感じたので顔を上げる。
すると、お客さんと目が合った。凄く興味津々に見られている。
目があうとサッと逸らされる。お嬢さん方、今さら取り繕っても遅
いですけど?⋮⋮会長と晴翔の方に視線を向けると、凄く睨み合っ
ていた。
水面下で戦いが⋮⋮いや、机の下で何か戦っている。足で蹴った
り抓ったり⋮⋮。
﹁⋮⋮帰りたいんですか?﹂
私が睨むと、パッと距離を取る。
仲悪いのやら、仲良いのやら。
2人は気まずい様子で書類に目線を落とす。
机の下で蹴り合うとか⋮⋮小学生ですか。全く⋮⋮。なんか女の
人が悶えている気がするんですけど、なんなんでしょう。どこに悶
える要素があったんでしょう。良く分からない、最近の若い子の考
えている事が分からない。
﹁場所を変えましょう﹂
あまりに注目されているので、場所を移す事にする。
図書室にでも行きましょうか。ちょっとここだと迷惑になるかも
しれないですからね。
図書館に移動すると、やはり静かで落ち着ける。やっぱり食事の
所ではダメでしたね。混んでいる訳ではなかったのですが、妙に注
目されてたのが居た堪れない。
図書館に入ると、水無月先輩の弟くんがいた。相変わらずブレな
261
い人で。
私達が入った瞬間に、慌てて場所を移動して、こちらをみて若干
ホッとしている。そして会釈してきたので、こちらもお辞儀をする。
席に座って、先程弟くんがいた所を見つめてみる。そこには本と
ノート、筆記用具などが広げられている。しばらくすると、財布と
携帯だけ持った大人っぽい女の子がその席に戻ってきていた。
⋮⋮これはどういう事なのでしょう。
弟くんは、その女の子の事をチラチラと見ていて、気にしている
様子だ。あの女の子は恐らくトイレか何かに行っていたのだと思う
が⋮⋮。
女の子の方は、弟くんが見ている事に全く気付いていない。恐ら
く弟くんが自分の席に来ていた事にも気づいていないだろう。とい
うか弟くんの名前を知っているかも謎なくらい他人っぽい。女の子
は黙々と本を読んで、たまにノートに書き込んでいる。⋮⋮普通に
勉強しているだけですね。
﹁⋮⋮透?﹂
﹁へ?あ、すみません﹂
真面目に2人が話していたのに、私だけ弟くんをガン見していた。
申し訳ないです。慌てて体育祭の書類に目を落とす。
ですがなんでしょう。凄く気になります。
あんな風に必死に女の子覗き込むなんて、興味ない女の子にはし
ないだろう。ましてや彼はあまり女性に良い印象を持っていないの
だから。でもあれじゃあまるで⋮⋮恋しているようじゃないか。
本で顔を隠しながら、チラチラと覗き込んで。赤い顔で口元を緩
めている。あの顔が恋じゃなかったらなんなのか。
私はその様子に衝撃を受けた。
弟くんは攻略対象者なのに、主人公以外に恋している。
主人公は桃色髪のツインテールで、幼く可愛い印象を受ける女の
262
子だ。だがあそこに座っている子は違う。ストレートの黒髪で、緩
く後ろに髪を縛っている姿は大学生くらいの落ち着いた雰囲気を醸
し出している。しかしとても美人ではある。確かに清楚な感じの女
の子だ。近くで勉強しているのに、弟くんに目もくれない所もなか
なかに好印象。そこが弟くんにとっては受けたのだろうか。なんに
せよ、弟くんはこの強制力のある世界からはずれているという事に
なる。
⋮⋮どういう事なんだ?
攻略対象者は必ずしも主人公に恋をするわけではない?
なんか頭痛くなってきました。
﹁大丈夫か?顔色が悪いが﹂
会長が心配そうに覗き込んでくる。
晴翔も私を心配そうに見つめて来ている。
手で顔を隠して溜息を吐く。
﹁いえ⋮⋮確かにちょっと調子が悪いかもしれません。休ませても
らっても?﹂
﹁ああ、構わない。大丈夫か?﹂
﹁⋮⋮ええ﹂
会長に支えられながら、長椅子の所に案内される。私はそこに横
になり、考える。
弟くんに直接聞いたわけじゃないので、早とちりなのかもしれな
い。けれど、弟くんが主人公以外に興味を持っているのは確実なの
だ。そこは曲げようのない事実だ。それが親愛なのか、友愛なのか、
恋なのかは分からない。
ここは現実の世界でもある訳で、主人公以外に女の人が全くいな
いわけじゃない。攻略対象者が好みそうな女の子だって腐るほどい
263
るだろう。それでもゲームでは必ず主人公に目を向けていた。そう、
それはゲームだからだ。
何の事はない。私はゲームと現実を混同しすぎていたらしい。設
定とか役職とか、全く同じと言って良いこの状況で、思い付きもし
なかった。ここは現実だ、生きている人間がいる世界なのだ。ゲー
ムと多少違う事が起こっても可笑しくはない。ましてや今はまだゲ
ーム中の話ではない。
だとしたらどうなるのだろう。
主人公と共に入学した時、果たして弟くんはどうするのか。今目
の前にいるあの女の子の事が好きなままなのか、それとも感情を捻
じ曲げられるのか。今は分からない、分からないけれど⋮⋮確実に
言える事がある。
私は別にライバルキャラだから振られた訳じゃないって事だ。
単純に、私に興味がなかったから振られただけ。
普通なら、そう考えるはずだ。普通なら。
でも私はゲームの世界のせいにして逃げていたのかもしれない。
ゲームの通りになって悲しいとも思っていたが、晴翔に振られた事
の方が余程こたえた。だから逃げ出した。
後で笑い話になるはずだと軽く考えていたが、私は私が思ってい
るよりずっと晴翔の事を好きだったみたいだ。この感情も、本物だ
ったという訳だ。なにせ、弟くんが他の女の子に興味を持てたのだ
から。
うわぁ、なんか馬鹿だなぁ、私。普通に考えれば当たり前なのに、
勝手に被害者ぶって悲嘆にくれて。⋮⋮無性にしにたいですよ、う
ん。
そうか、私に魅力がなかっただけか。でもそりゃそうだよね、男
装したら全くと言って良い程女だと気付かれなかった訳ですし。今
でも腐ったお友達の良い題材にもされているようですし。そんな男
みたいな奴好きになるわけがないのだ。
私の失恋は乙女ゲームで決められたものでもなんでもない。普通
264
の失恋だ。馬鹿だった。
延々と自己嫌悪に陥ってネガティブになっていると、頬に冷たい
モノが当てられた。
驚いて目を開くと、会長がお茶を買ってきたようだ。
﹁少しは良くなっ⋮⋮てないみたいだな﹂
私の顔を覗き込んで苦笑している。よほど顔色が悪いらしい。心
配かけさせたみたいですね。
起き上がって、有難くお茶を頂く。
﹁開けようか?﹂
﹁いえ、そこまで心配なさらなくて大丈夫ですよ﹂
﹁そうか﹂
ペットボトルの蓋を開けて冷やされたお茶を流し込む。冷たいお
茶がひんやりと喉を通っていき、僅かに気分が良くなる。
会長も自分のお茶を買って来たのか、お茶を飲んでいる。外に買
いに走ったのか、汗をかいているようだ。
私はハンカチを取り出しながら素朴な疑問を口にする。
﹁そういえば会長って好きな人とかいますか?﹂
﹁げぼぉっ!?﹂
﹁うわ汚っ!⋮⋮だ、大丈夫ですか!?﹂
飲んでいたお茶を思いっきり吹き出した。幸いにもここは休憩ス
ペースなので、本にかかってはいない。
お茶で溺れたようにむせかえる会長にハンカチを渡し、背中をさ
する。結構思いっきり気管に入ったみたいで、半泣きでむせまくっ
ている。とても苦しそうだ。大丈夫でしょうか。
265
﹁けほっけほっ⋮⋮なっ、んで、そんな質問﹂
﹁ええと、なんとなくです﹂
説明すると面倒だし頭可笑しいだろこいつってなるから省きます。
攻略対象者である弟くんが誰かに恋におちているならば、会長も
誰かに恋していてもおかしくはないだろうと考えたのだ。主人公が
入学してからはその感情がどうなるかは分かったものじゃないです
けど、少なくとも現時点で設定どうあれ、恋愛は出来るらしいです
し。会長も誰か主人公以外に恋しているなら、その推測はより確信
になる。
﹁その、なんだ、ええと⋮⋮﹂
視線を彷徨わせて、顔を赤くさせている。
あれ⋮⋮?もしかして本当にいる感じですかね?やっぱり推測は
当たっているようです。
私は普通に魅力がなくて振られたようですよ!⋮⋮虚しい。
﹁いるんですね⋮⋮どんな方なんですか?﹂
﹁へぇっ!?え、どんなって⋮⋮﹂
なんか会長のリアクションが面白いですね。
会長の事をじっと見つめていたら、どんどんと顔が赤くなってい
く。会長は慌てて手で顔を隠したが、顔が真っ赤なのはバレバレだ。
照れ屋さんですねぇ、それとも、好きな子の事でも考えているので
しょうか。
青春ですね、けっ。おっとやさぐれそうでしたよ、うん。
リア充爆発しろ。
266
﹁何してるんだ?﹂
半ばあきれたような声が聞こえて来てそちらに顔を向けると、晴
翔が立っていた。その手には氷水の入ったビニール袋。どうやらわ
ざわざ作ってきてくれたようだ。どこから入手したんでしょうか⋮
⋮謎です。
それを私にそっと手渡してくれた。ひんやりしていて、気持ちい
い。
﹁有難うございます﹂
﹁ん﹂
少し目元を赤らめて僅かに微笑んで頷く。
会長はまだ隣でむせている。
晴翔は私の隣に腰掛けてくる。会長と挟まれている状態だ。通り
過ぎる人が何度も振り返ってきている。ここでも結構注目浴びてる
ようです。
図書館の受付のお姉さんがずっと悶えている気がする。どこで悶
える要素が!?
お姉さんの反応に頭を抱えていると、つんつんと肩を突かれる。
顔を上げると、晴翔が心配そうに見つめて来ている。こちらも走っ
たのだろうか、汗をかいていて色っぽい。
﹁大丈夫か⋮⋮?﹂
﹁あ、はい⋮⋮大丈夫です﹂
居た堪れなくてそっと目を逸らす。今更失恋について落ち込んで
いたとか情けなさ過ぎてあわす顔がない。はぁ⋮⋮どうしましょう
かね。
というか、晴翔も別の人が好きだったりするのでしょうかね。そ
267
ういえばもうすでに主人公と出会っていても可笑しくはないんです
よね。絶対会わないとは限らないですからね⋮⋮。はぁ⋮⋮落ち込
みますね。
ううん、設定や生まれ、職業や容姿は定められたものだけれど。
感情については強制力がないかもしれないのか。なんだか難しい話
ですね。主人公が入学してきたらどうなるんでしょうね。なんだか
それを知るのが恐ろしいです。
どうか弟くんや会長の想いが踏みにじられる事がないと願いたい。
268
体育祭をしました。
もうすぐ体育祭です。
すでにグラウンドにはテントがスタンバイされている。足は折り
たたんだ状態なので、伸ばせばすぐに使えるようにしている。
週末には開催される。天気予報では晴れという事なので、心配は
何もないだろう。
体育祭は、親族のみ入場可能という事になっているが、まぁ友達
を呼び込む人も多い。
文化祭よりはナンパとかは少ないが、怪我人が多いのが難点か。
体育祭は、1人に付き大体2、3種目出る事とされている。そし
て、卓球など部活に入っている者はその競技には参加できない。競
技に勝つためだけに部活をやめたりする前例があるので、今ではや
めたとしても禁止という事になっている。具体的には半年以内に入
っていた部活の競技には出れない⋮⋮という具合だ。そこまでして
勝ちたい⋮⋮んでしょうね。こういうルールが存在するという事は。
後は怪我人を運び込む所や熱中症の人への対策などなど、生徒会
の方は大変ですね。養護教諭だけでは大変な事もあるので、この時
だけは近隣の医師が自主的に来てくれるそうだ。顔合わせに行って
みたら、白髪の眼鏡をかけた人の良さそうなおじいさんでした。ボ
ランティアで毎年参加してくれるそうで、とても良い方です。
真夏の暑さも少し和らぎましたが、油断は禁物です。やはり運動
するのですから、飲み物はきちんととらないといけません。
私は卓球に出る予定です。卓球は普通にへたくそなので、1回戦
敗退でしょうね。
総合でトップのクラスは焼肉を食べられるそうで、毎年かなり熱
気があるそうです。怪我人が多いらしいので、気を引き締めないと
いけません。
269
学年それぞれ5クラスあるので、3年のA組、2年のA組、1年
のA組が1チームとなっている。そのなかで順位を決めてポイント
が入っていく。それを集計するのが最も面倒ですよね。
晴翔は確か借り物競争と障害物競争、あとリレーに参加してまし
たね。
翼の方はバスケと50メートル走、卓球でしたか。勝てると良い
ですね。
大会はグラウンドやら体育館やら色々な所で開催するので、被る
人もいる。なので、補欠要員として多めにカウントしている。まぁ、
そのせいで全部の競技で補欠とかありますけどね。
最終的な点検を済ませて、生徒会室に戻る。
生徒会室を空けると、むわっとした熱気と共に風が吹き込んで来
た。風が通るようになったせいで書類が散らばる。
﹁わ、わわっ!﹂
慌ててドアを閉めてるが、生徒会室は酷い状況になっている。
﹁だから窓は閉めていた方が良いと言ったんだ﹂
﹁あんたも暑いだのなんだの言ってただろ!﹂
﹁透が戻ってくる時こうなるとは考えなかったのか?﹂
﹁結局開けたのあんただろ!?﹂
会長と晴翔が言い合いつつ書類を拾い集める。
﹁すみません、ノックしていれば良かったですね﹂
﹁いや、そうじゃない。晴翔のせいだ﹂
﹁だから開けたのあんただろ!?﹂
270
神妙にしている会長が突っ込まれているのをみて、思わず笑って
しまった。なんだかんだと仲は良いらしい。
そして会長は開けた責任を晴翔になすりつけたいらしい。それが
バレバレで妙に微笑ましい。
﹁ふふふ、いえ、きっと誰のせいでもない。そういう事にしましょ
う?﹂
﹁あ、ああ。そうだな﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
私が笑ってそう締めくくると、会長と晴翔が僅かに顔を赤くして
頷いた。両方大人げない自覚はあったらしい。恥ずかしそうにして
いる。
最後の書類を拾い終わり、溜息を吐く。
﹁でも、本当にこの部屋は暑いですね。どうにかならないのでしょ
うか﹂
﹁そうだな⋮⋮冬はストーブでなんとかなっているが、夏は確かに
暑いな﹂
﹁扇風機くらい置こうぜ﹂
﹁ああ、それいいですね﹂
クーラーまでの贅沢は言わない。せめて扇風機が欲しいです。で
も書類が飛ばないようにしとかないといけませんね。まぁその時は
その時に対策するとして、扇風機があればこの蒸し暑さもマシにな
るだろう。この部屋、なんでこんなに暑いんでしょうね⋮⋮?廊下
の方が涼しいんですけど⋮⋮。
﹁それくらいなら⋮⋮俺の家から持って来よう﹂
271
会長が快く頷いてくれた。
むしろなんで今まで扇風機を置かなかったのだろう。すぱっと抜
け落ちていましたよ。
﹁いえ、もうすぐ秋ですし⋮⋮面倒じゃないですか?﹂
すぐにこの暑さもやわらぐだろう。もうすぐ使わなくなるのに、
持ってくるのはどうだろうか、ううん。
会長は緩く首を振って笑った。目が瞑れそうになる笑顔だった。
﹁使わなくなったら持って帰ればいいだけだ。俺は透に体調を崩さ
れる方が堪えるからな﹂
﹁え、ええと⋮⋮有難うございます﹂
ストレートにそんな事を言われると、照れてしまいます。私が照
れていると、ごほんという咳ばらいが近くで聞こえて来た。見ると、
晴翔が苦い顔を浮かべている。
首を傾げつつ、書類を机の上に置く。
さて、体育祭も何事もなければいいですね。
体育祭が始まった。
天気は雲1つない晴天。まるで夏に戻ったかのような暑さだ。御
蔭で校長のスピーチで倒れる人もいたほどだった。これは結構大変
になりそうですね。
1組チームの青色のはちまきを頭に巻きながら溜息をはく。体育
館も窓を全開にしてても熱い。熱中症になりそうですね。こういう
行事の時って、曇りが良いですね⋮⋮。雨は降らないような曇り空
が理想的です。
272
体調が良くなった者は、競技に参加しているが、また崩す事もあ
りそうなので注意はしている。
楽しそうに笑いあいながら、時に悔しがりながら、大会は続いて
いる。いやぁ、青春ですね。
二人三脚で男女が照れながら走っているとか、爆発しろとしか言
えない。
卓球の試合は、普通に1回戦敗退した。相手が上手いのなんのっ
て。いや、私がへたくそ過ぎたんでしょうけれど。相手の子は勝っ
たのに何故か顔色が悪かった。なんででしょうね。
バレーは1回戦は勝ち進む事が出来ている。周りの方が凄かった
からですね。
順位の中間発表では5組のチームが1位で、あるらしい。私の所
はA組なので、現在3位だ。ここからまだまだ盛り返す事は可能だ
ろうが⋮⋮ううん、しかしE組はかなり強いですよね。50メート
ル走でも結構E組の方が1位取っていましたからね。
﹁透ちゃんっ!﹂
母が手を振ってこちらに走ってくる。動きが若々しいですよね。
母のその手にはお弁当が。
丁度昼休憩の時間帯で、皆がそれぞれ家族や友達とご飯を食べて
いる。私も母と昼食をとる事にした。ちなみに今回、父は仕事であ
る。すごく悔しそうにしていた。代わりに母がビデオを回す約束を
したらしい。余計な事を。負けてる所を録画なんて⋮⋮まぁいいで
すけど。
お弁当をつついて、楽しく談笑する。
﹁あっ、んふふふふふ﹂
クリーム色のふわふわした髪で、青い瞳のお嬢さんが自然な感じ
273
で私達の所に入って来た。
若々しい感じのおっとりした人だが、母と並ぶと同い年くらいに
も見えなくもない。というか、母が若々しすぎるのだ。
謎のお嬢さんはお弁当を広げている。彼女だけでは食べきれない
だろうほどの量がある。
⋮⋮えっと、なんでナチュラルに入ってきているのだろう。私の
知り合いという訳ではない。母と目を合わせてみたが、母も知らな
い人らしい。
﹁えっと⋮⋮﹂
恐る恐る声を掛けてみる。
すると、丁度のタイミングで彼女の電話が鳴った。
﹃どこにいるんだ﹄
﹁んふふ、貴方がとぉっても気になってる所よ?﹂
﹃はぁっ!??﹄
電話の向こう側の声は男性の声だ。
お嬢さんは満足げに電話を切って、こちらに向き合う。
﹁改めましてこんにちわ?いつも蓮がお世話になっております﹂
﹁えっ、あっ⋮⋮ど、どうもこちらこそお世話になっております﹂
あ、蓮って、あの?会長のお姉さんなのだろうか。なるほど瞳の
色が同じではある。人形のような精巧な顔の作りは少し似ている。
﹁⋮⋮母さん!﹂
息を荒げた会長が登場した。
274
⋮⋮え!?
会長の言葉に思わず二度見してしまった。今、母さんと言いまし
た!?どう考えても無理ありませんか!?若すぎるでしょう!
﹁んふふ、気になっているトコロでここに来ちゃうなんて、正直な
子ね﹂
むふふっと本当に楽しそうに笑っている会長の母君。
会長はずんずんと母のところに入って、肩を掴んだ。楽しそうな
母の肩をガクガク揺らす。
﹁な、ん、で、こ、こ、に、い、る﹂
﹁むふ、むふふふふふふっ!まぁいいじゃない﹂
﹁良くないが!?﹂
若干涙目になっている会長。
﹁むふふ、まぁご飯食べましょうよ!冷めちゃうわよ?﹂
﹁弁当だからもう冷めているだろう⋮⋮?﹂
会長を無視してお弁当を手渡す母。母には勝てないようで、会長
もここに入るらしい。
気まずそうにこちらにお辞儀してきた。
﹁す、すまない。母がお邪魔してしまったようで﹂
﹁いえいえ、お若いですよね、お姉さんかと思ってしまいましたよ﹂
﹁うふふふふっ!﹂
むぎゅっと抱きしめられて、胸があたる。すごく胸が大きい方で
すね。私もこれほど大きければ男だと間違われる事もなかったので
275
しょうか。いやでも小さすぎるという訳でもないんですけどね。
何故か会長の家族と共に食事する事に。なんででしょうね⋮⋮。
まぁいいんですけど。
﹁蓮ったら分かりやすい馬鹿なのよね﹂
﹁おい待て﹂
﹁すぐばれる癖に甘党なの隠すし﹂
﹁爆笑して隠せって言ったの母さんだろう﹂
﹁見た目詐欺よねぇ﹂
﹁⋮⋮﹂
ピシピシと会長が怒りをあらわにしているが、母はどこ吹く風だ。
お母さんはやはり強いですね。
﹁ええと⋮⋮会長は凄い方ですよ?その、生徒会長も完璧にこなし
てますし﹂
﹁⋮⋮甘党なのは知っているのね?﹂
面白い獲物を得たかのように目を光らせる母親。私に迫ってきて、
思わず後ろに下がる。
﹁えと⋮⋮はい﹂
﹁むふ、むふふふふ。良い娘さんね﹂
﹁そうでしょうとも﹂
母同士が手を握り合っている。
それを子供である私と会長が眺める。全く意味が分からないが、
仲良くなったらしい。会長と目が合って、苦笑した。
276
お昼休憩も終わり、見回りをする。途中、気分の悪くなっている
人を見つけて保健室に運んだりしていた。うん、男女のカップル見
つけたら爆発しろと思うのは私の心が相当腐っていますね⋮⋮。わ
ぁ、楽しそう。彼女のお弁当とか貰って嬉しそうにしているそこの
男に弾丸をぶち込みたい。⋮⋮疲れてるのでしょうか。
しばらくうろついていると、廊下に蹲っている人を見かけた。す
ぐさまかけより、声をかける。
﹁どうしました。大丈夫ですか﹂
声をかけてすぐに気が付いた。あ⋮⋮日向先輩だと。
病弱設定の彼は、この暑さでやられてしまったらしい。白い肌と
白い髪が彼の弱々しさを強調している。実際、彼は弱いのだろう。
確か文化祭の最後もぐったりしていたと噂で聞いている。⋮⋮嫌な
設定です。
こんなに暑いのに、彼の顔色は青い。彼の顔だけ見ると真冬のよ
うだ。汗をかいているから、たぶん熱中症なのでしょうけど。
﹁ん⋮⋮ああ、君は⋮⋮﹂
朦朧としつつも私の事を覚えてくれていたらしい。
﹁気分が悪いのでしょうか。肩をかしましょうか?それとも養護教
諭を呼んできましょうか﹂
﹁ああ⋮⋮ん、どうしよっか。情けない事に力尽きてね。呼んでき
てもらえるかな﹂
﹁はい、ではお待ちください。すぐ行ってきますね﹂
277
日向先輩をその場に残し、廊下を走る。
走って保健室に着いたが、駆り出されているのか、医者のおじい
さんの姿も養護教諭の姿もない。
さて、どうしましょうか。暑さにやられたなら冷たい水でも買っ
て冷やしましょうか。でも日向先輩の容体も分かりませんし。とり
あえず戻って日向先輩に聞きましょうか。
走っていると、廊下の角で誰かとぶつかる。後ろにこけそうにな
っていると、腕を掴まれて引き寄せられる。男らしい胸板と腕に力
強く抱きしめられて、少しだけ動揺する。
﹁と、すいませ⋮⋮て、透っ!?﹂
私と気付いた瞬間、距離をとって勢い余って尻餅をついた。
﹁ぐ⋮⋮﹂
﹁あ⋮⋮すみません。大丈夫ですか?晴翔﹂
強く打ち付けたのか、顔を顰めている。というか、私と気付いた
後の反応が酷過ぎる。そこまで嫌がらなくても良いのに⋮⋮もう気
にしていませんよ、たぶん。って、ショックを受けている場合じゃ
ありません。
﹁そうだ、養護教諭か、お医者様見かけませんでしたか?日向先輩
が体調が悪いんです﹂
﹁え⋮⋮ああ、あのじいさんならさっき保健室向かってたよ。体調
不良の人連れて﹂
私が差し出した手を戸惑いがちに取りながら、立ち上がる。久し
振りに握ったその手は少し大きくなっている気がした。
278
﹁体調悪い人⋮⋮日向先輩でしょうか?﹂
﹁さぁ⋮⋮?白髪の弱そうな人だったよ﹂
ふむ、白髪で弱々しいといったら日向先輩かな?すれ違いません
でしたけど、違うルートから行ったんでしょうね。確認のためにま
た保健室に行ってみましょうか。
﹁有難うございます、また保健室に行ってみる事にしますね﹂
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮?つないだ手が離れません。私はもうすでに力を入れていな
いので、晴翔が握っている状態である。えっと⋮⋮離してもらえな
いと日向先輩も心配だし、困るんですけど⋮⋮?
﹁あのさ、なんでそんな態度なんだ⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮はい?﹂
そんな態度ってどんな態度でしょうか。前より随分と改善してい
る自信はあるんですけど。
晴翔はなおも私の手を取ったまま話を続ける。
﹁前はもっと、さ。くだけた喋り方してた⋮⋮最近ずっと、他人み
たいにさ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ああ、まぁ⋮⋮それはなんか仕方ないじゃないですか。普通に話
せているだけでヨシとしてもらいたいんですけど。
﹁⋮⋮すみません﹂
279
謝罪して、晴翔の手を解く。そこまで力を入れていなかったのか、
簡単に離れた。
もう晴翔に笑顔でため口を聞く事もないだろう。晴翔と話してい
て、また心惹かれでもしたら立ち直れる気がしないのだ。同じ人に
2回振られるって、結構キツイですから。
そのまま保健室へと向かう事にする。
﹁それが透の答えか⋮⋮?﹂
後ろで晴翔が何か言っていたようだが、無視して歩く。普通に友
達に戻れているだけマシですよ。あなたは私を振ったんです。忘れ
て貰っては困ります。余程私を大切な友達と思ってくれていたよう
ですけど、私はあなたを友達としては見ていなかった。男性として
見ていたんです、申し訳ない事ですけど。
はぁ、なんで晴翔だったんでしょうね。精神年齢離れているのに
な⋮⋮でも強制された訳でもないんですよね。水無月弟くんは主人
公でない子を気にしてましたし⋮⋮。
保健室に行くと、すでにお医者様と日向先輩が到着していた。不
甲斐ないです。私はまるで役に立てなかったようです。
日向先輩は体調不良はいつもの事だからと笑っていた。その笑顔
がなんとも儚げで頼りない。
午後になって、借り物競争が行われている。順番に走って行き、
予想外の借り物に大慌てだ。教頭のかつら、とか絶対無理でしょう
!?誰ですか書いたやつは!
やっぱり借り物競争は盛り上がりますね。色々持っていくものが
変わってて見ていて面白い。たまに﹁好きな人﹂というお題がある
事があって、連れて行く前に玉砕している人なんかもいた。あれは
公開処刑ですよねぇ⋮⋮。可哀相だ。
280
晴翔のお題は﹁親友﹂で、翼を連れていっていた。スペックが高
いのか、前を走っていた人を抜いて1位になっていた。凄いですね、
やっぱり。
しかし隣にいたカメラマンが興奮していた。﹁親友﹂でどうして
そこまでアツくなっているのか謎である。
281
誘われました。
体育祭も終わってちょっとだけのんびりできるだろう。他の生徒
はテストでひぃひぃ言っていますが、私には割と関係のない事だ。
テストが数回、そして確か毎年ハロウィンイベントがあったんでし
たか。
仮装して、持ち寄ったお菓子を交換する楽しいイベントです。こ
れはさほど生徒会が苦労する事もありません。なので、いよいよ本
格的に前生徒会メンバーはお役御免という事ですね。本当にお疲れ
様です。受験勉強もあるのに、手伝ってくださって本当に感謝した
いです。御蔭で無事に乗り切る事が出来ました。文化祭は何人か偽
造チケットを持っていた人だとか、チケットすら持っていない人も
いたりしましたが、迅速な対応で事なきを得ました。
それにしても、もう随分と秋も深まってきましたね。こういう時
はなんでしょうね。食欲の秋、芸術の秋、行楽の秋⋮⋮あとはなん
でしょうね。まぁいいですけど。
別室生徒会部屋から出て、空を眺める。これから冬が来て、春に
なって主人公が来ますか⋮⋮そろそろ本格的に転校先でも検索かけ
てみますかね。ううん、出来るんでしょうかね。設定は忠実っぽい
ですからね⋮⋮。
のろのろ歩いていると、前から前副会長の水無月先輩が来た。
﹁お久しぶりです。あれ、なんだか晴れない顔ですね﹂
﹁お久しぶりです、そうでしょうか?﹂
確かにちょっと憂鬱な気分ではありましたけど。顔に出てました
か⋮⋮修行が足りませんね。
282
﹁ちょっと疲れているんですよ﹂
﹁まぁ、イベント続いてましたからね⋮⋮当然と言えば当然か⋮⋮﹂
水無月先輩のしみじみとした呟きに苦笑する。去年も色々大変だ
ったようですからね⋮⋮。
水無月先輩とわかれ、生徒会室に戻る。
﹁おかえり、透﹂
﹁おかえり﹂
2人がほぼ同時に喋り、睨み合う。この2人はいつもこんな感じ
ですねぇ⋮⋮。
作業に戻る2人にコーヒーを入れる事にする。会長にはこっそり
砂糖を入れましょう。バレても大丈夫な気もしますけど、本人が嫌
なら仕方ないですものね⋮⋮。
作業している2人の所に飲み物を置いて、私も作業に戻る。
静かな生徒会室に、紙とペンの音がよく響く。文化祭と体育祭の
後処理の書類が大半だ。うう、面倒ですよねこれ。生徒がしないと
いけないのでしょうか⋮⋮。
テストが返却されたが、私のクラスだけは平均点が高かった。そ
れは私の授業の御蔭なのか、なんなのか⋮⋮皆の頑張りの御蔭です
よね。いくら私が勉強を教えても、本人のやる気次第ですからね。
皆さん本当に勉強熱心で嬉しいです。
恒例の昼授業を終えて、首を回す。
今の所、分かりにくいという苦情はよせられていないが、どうな
んでしょうね。成績が上がっているんですから、それが証明なので
283
しょうけど⋮⋮。
﹁はい、透さん。甘いもので休憩しましょう﹂
﹁あ⋮⋮有難うございます、桜さん﹂
今日の昼授業ははやめに切り上げたので、お菓子を頂く事にしよ
う。毎度手の込んだケーキを頂いて申し訳ないですね。しかし、だ
んだんと上達している気がします⋮⋮。前よりさらに上手くなるっ
てどうなっているのでしょう。
桜さんは私が食べる所を嬉しそうに眺めている。
﹁はい、お茶です﹂
﹁ありがとうございます﹂
有難くお茶を貰い受ける。桜さんが入れたお茶は美味しいですか
らね。ゆっくりと熱いお茶を飲み、喉を潤す。ケーキの甘さと、こ
のお茶の渋みが丁度良い感じですね。なんか、私の好みを熟知して
いるかのようなお茶の味です。
桜さんに目を向けると、必ず目があう。そのたびに嬉しそうに微
笑まれて、ちょっと照れくさい。
﹁ふふ﹂
﹁ふふふ﹂
2人で笑いあっていると、予鈴のチャイムが鳴った。
なんだか桜さんとお茶していると、穏やかな気分になれますね。
﹁透さん﹂
﹁はい?﹂
284
自分の席に帰ろうとした所で、桜さんに呼び止められる。
桜さんの方に向き直り、桜さんの言葉を待つ。桜さんは少し俯い
て、顔をあからめてもじもじしている。なんだか乙女、という印象
を受けて和んでしまう。
﹁あ、あの、デートしませんか⋮⋮?﹂
﹁デート、ですか?﹂
﹁は、はい⋮⋮!﹂
両手を組んで祈るようにして目を瞑っている。断られたらどうし
よう、と思っているのか、僅かに震えている。それが微笑ましくて、
頬が緩んだ。
﹁ふふ、いいですよ。いつにしましょうか?﹂
﹁い、いいんですか!や、やった!﹂
凄く喜んでいる様子に、こちらまで嬉しくなってきた。
ハロウィンイベント用のお菓子の包装とか、材料を買いに行くの
だとか。⋮⋮ううん、私もお返し用の何かを買わないといけません
ね。桜さんに誘われたのは丁度良かったです。そういえば友達とあ
まり遊んでいませんでしたし、なんだか今から楽しみになって来ま
したね。
返却された自分の満点のテストを机に入れながら、息を吐く。取
りあえず、近場の高校は調べてみた。しかし、両親と話すにしても、
担任と相談するにしても、色々理由が必要ですよね。
乙女ゲームの世界で主人公が転校してくるからって理由はありえ
ないとして。どうしましょうかね、本当に⋮⋮。学力もこちらの方
が高いですし、就職も大学へ行くとしても有利だし。それに今は生
285
徒会もしていますし、それを放り出していいものやら。理由をつけ
るのにしても相当の理由が必要ですよね。
ううん⋮⋮ううん⋮⋮。できれば転校して、私のいないところで
好き勝手して欲しいものですけど。難しいんでしょうか。良い案が
あればいいんですけど。
﹁何悩んでるんだ?﹂
唸っていると、晴翔が話しかけてくる。しかしそれの答えを持っ
ていないので、苦笑いするしかない。
なにかいい案があればいいんですけど。なかなか思い浮かびませ
んね。
﹁ううん⋮⋮なにもないですよ?﹂
﹁⋮⋮俺のせいか?﹂
ヒット!的確なところを突いてきますね。取りあえず苦笑してお
こう。お前のせいで悩んでんだよっ!とは流石に言えないです。
ですが、晴翔だけの問題でもない所がまた問題というか。誰かに
相談したら精神科の病院に連れて行かれる可能性がなきにしもあら
ず。主人公が入学した後、本当にどうなる事か。
﹁いえ、それだけではありませんよ?﹂
﹁という事は、俺も含まれているのか⋮⋮﹂
あ⋮⋮すみません。言い方が悪かったですかね。でも嘘は言えな
いですからね⋮⋮。がっくりと項垂れる晴翔。体全体で﹁ショック
を受けてます﹂と表現してくるのが凄いと思います。
暗い表情の晴翔と並んで生徒会室の方へと足を運ぶ。廊下に心地
よい秋の風が吹き込む。
286
﹁気持ちいい風ですね⋮⋮﹂
立ち止まって開いている窓に近づく。窓枠に手をかけて、少しだ
け窓から顔を出すと、爽やかな風が私の頬を撫でていく。
秋の色に色づいてきた景色をぼんやり眺めていると、晴翔が私の
頬に触れて来た。
﹁ん⋮⋮え⋮⋮?﹂
僅かに苦し気に私を見つめてくる。その表情が妙に色っぽくて、
思わず心臓が跳ねた。
え?え?何でしょう、今なんで触られているのでしょう。 僅か
に震えた晴翔の手がスルリと肌を撫で、首の方に移動する。その感
触にビクリと反応してしまった。
私の反応を見た晴翔が目を細める。
﹁あ、の⋮⋮晴翔?﹂
晴翔の指の熱さがこちらに移って来たような感じがしてくる。晴
翔と視線が絡まり、動けなくなる。
﹁もう透が俺の事をどうでもいいと思ってても、俺は⋮⋮透の事を﹂
ん、ん⋮⋮?
﹁透!﹂
会長の叫びでぱっと晴翔が離れる。後ろから会長の手が伸びて私
の肩を抱きしめてきた。ぐっと抱き寄せられて、会長の男らしい筋
287
肉の感触がよく分かる。
﹁何していた⋮⋮?﹂
怒りを孕んだ会長の声がすぐ近くで響く。背の高い会長の声が耳
の近くでするので、少し屈んでいると予想。というか、息が僅かに
かかってくすぐったい。でも強く抱き寄せられているので振りほど
く事も出来なさそうだ。
回された腕に手を添えて僅かに首を動かし⋮⋮いや、近い!むり
むりむり、振り向けません。会長の美麗な顔がもの凄く近いです。
目が瞑れそうでしたよ!
慌てて前を向いて視線を晴翔に戻す。目の前にいる晴翔は会長を
睨みつけている。
﹁その手を離せよ﹂
﹁断る﹂
晴翔が寄って来るので、じりじりと後ろに下がっている。
え、どういう状況なんですか?
あはは、まるで男2人に取り合われている女性のようではありま
せんか。自分で言っててなんですけど⋮⋮絶対ナイと思ってしまっ
た。⋮⋮すごく虚しい。晴翔は私を完全に友人として大切に思って
いるだけですし、会長は好きな人がいるはずですしね。そして会長
が現在怒っているのは私が困っている様に見えたからでしょうし。
それにまぁ、実際困っていたので助かりましたが。
会長の拘束が緩んだと思ったら、今度は手を掴まれて歩き出す。
歩き出して少ししたところで、もう片方の手が掴まれて立ち止まる。
勿論掴んだのは晴翔だ。
驚いて振り返ると、晴翔は一瞬私から顔を背けたものの、再びこ
ちらに視線を戻してきた。燃えるような赤い瞳が僅かに潤み、私を
288
見つめて来ている。その瞳の強さが印象的だ。
ん?なんかデジャヴ?前にもこうやって腕を掴まれたような気が
します。結構前だったような⋮⋮。
﹁⋮⋮痛いのですけど﹂
﹁⋮⋮!﹂
私がそういうと、慌てて手を離してくれた。その隙に会長が私を
引っ張っていく。
でもね会長。私達今から同じ場所行くんですけどね?苦笑を浮か
べながら、会長に腕を引かれていく。勿論晴翔も後ろからついてく
るのを感じながら。
289
デートしました。
今日は桜さんとのデートの日である。
とても心地よい空、噴水の前で待ち合わせをしてる。桜さんは清
純な感じの可愛らしい女の子なので、ナンパされる恐れがある。な
ので、今日はちょっと気合を入れて男装してみた。髪が長いけど括
るだけで男っぽいってどうなの。いや、この際気にしまい。
噴水の前にある段差に腰掛けつつ腕時計を確かめる。待ち合わせ
30分前だ。案の定、桜さんは来ていない。その事に少しだけホッ
とする。あんな可愛い子ほったらかしにしてたら心が痛いですから
ね。
というか、会長とか晴翔が早く来すぎなんですよ。やっぱり30
分前は普通に早いですよね。なのにスタンバイしてるなんて⋮⋮イ
ケメンって恐ろしい生き物です。
手をついて後ろに僅かに体重をかけて上を見上げる。空がだいぶ
ん高くなってきています。こうやって太陽の下で待っていても苦で
はありません。半そでだと少しだけ肌寒いでしょうが、長袖を着て
いるので寒くはない。
少しだけぼんやりしていると、誰かが近づいてきた。2人組の女
の子だった。そこに桜さんの姿はない。
﹁あ、あの。写真撮って貰っても良いですか?﹂
﹁ん⋮⋮ああ、はい。構いませんよ﹂
嬉しそうにしている女の子を見て、少し和む。写真撮るだけでそ
んなに喜んで貰うとは。なんか観光でここに来たんだろうか。私は
女の子2人を写真におさめようと思い、カメラを待っていたのだが。
片方の女の子がこちらに寄って来て、もう1人がスマホを構えてい
290
る。
ん?あれ?もしかして、私と撮る気だったんですか!?
苦笑しつつ、2人と写真を撮り終える。礼を言われて握手までし
た。⋮⋮すっごく複雑な気分ですよ。まるでアイドル的扱いです。
気合を入れて男装しすぎたようです。なんででしょうね、とても虚
しいです。
と、丁度そこに桜さんが慌てて走ってくる。
﹁す、すみません!お待たせしてしまったようで﹂
﹁いえ、待ってないですよ。さっききたとこです﹂
なんだかカップルのような会話をしつつ、桜さんを見つめてみる。
恥ずかしそうに微笑んでくる桜さん。その頬も唇も桜色に染まっ
ていて、可愛らしい。カチューシャをしていて、桜色のゆったりと
したカーディガンを着て、膝丈のシフォンのスカートがふわりと揺
れる。
はっきり言おう。この子がこの乙女ゲームの主人公だわ。はい。
そう思えるくらい可愛らしい。
何故か胸がときめきます。これは、萌えって奴ですね。久々にき
ました。お互い、照れたように笑いあう。
﹁あ、あの、透さん恰好良いです﹂
﹁ふふ、桜さんもとても可愛らしいです﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
﹁ふふ、こちらこそありがとうございます﹂
顔を真っ赤にさせる姿が愛らしいです。うわ、こんな子彼女に出
来る男って凄く幸せなんじゃないでしょうか?なんだか今、私すっ
ごく幸せですよ。顔にやけそうです。
291
﹁えっと、どこへ行くのでしょうか﹂
﹁あ、はい。私に任せて下さいっ﹂
ぽんと柔らかそうな胸を叩いて自信満々に答える桜さん。私はそ
の姿に和みつつ、ついていく事にした。
つれてこられたのは雑貨店。ここで可愛い梱包用の可愛らしい包
みを買うのだとか。
雑貨店はさすがにハロウィンが近いせいか、梱包用紙がハロウィ
ン仕様になっているものもある。こういうのって見てるだけで楽し
くなれちゃいますよね。
うろうろしつつ、考える。色々あって悩むが、結局シンプルなも
のを買っちゃうんですよね⋮⋮。この透明なだけのヤツとかね!し
ろくろだったりね。あまりに可愛らしいものは私に似合わないので
はないだろうか。最近男にしか見られてないっぽいですし。おっか
しいですね。ライバルキャラの木下透は綺麗なお嬢様タイプだった
はずなのに。
顔は悪くないはずなんです、顔は。性格の問題ですか、そうです
か。そこはもう今さらどうしようもないんですけど。前世からずっ
とこれですもん、もう変えようがありませんよ。
桜さんの姿を見つけると、とても真剣に入れ物を見ています。と
ても深刻そうに悩んでいる。ハロウィンイベントはもっと楽しんだ
ほうが、いいです、よ?まぁ妥協を許さない桜さんの事ですからね。
文化祭では入れ物まではこだわる事ができませんでしたから、次こ
そはと考えていそうです。
さて、私ももう少しだけ真剣に探してみましょうか。
﹁こっちとこっち、どっちが良いでしょうか?﹂
ハロウィン仕様の可愛らしい箱と、ストライプのシンプルな箱を
292
持ってきて私に見せてくる。
ふむ、私はどちらを選べば正解なのでしょう。顎に手を当ててし
ばし考えてみる。ありきたりなハロウィン仕様の箱じゃなくて、あ
えて季節感ゼロの箱を持ってきたって事はこれが気になっているの
だろうか。たしかにストライプはシンプルだけれど所どころに、細
やかなデザインがとても良い。でもハロウィン仕様の方もかぼちゃ
お化けや魔女、可愛らしい骸骨などなど、とても良いモノだと思う。
﹁ふふ、透さんが良いと思った方を選んでください﹂
悩んでいるのがバレたのか、なんだか僅かばかり恥ずかしい気分
です。
﹁ええと、では主観で申し訳ありませんが⋮⋮私はストライプの方
が好きですね﹂
﹁分かりました、決定ですねっ!﹂
私の回答ですぐに良い笑顔でストライプの方を買う事を決定した
ようだ。その決断の速さに少し驚く。悩んでいた割にはすばやいで
すね。
私が思った事を正確に感じとった桜さんが、ストライプの箱で口
元を隠しながらクスリと目を緩ませた。
﹁これは透さん用なんですよ﹂
﹁ああ⋮⋮それで﹂
なるほど、私にあげるものだから私が良いと思った方を選んで貰
ったという訳だ。なんで私の好みを把握しているんでしょうか。桜
さん凄いですよね。
293
﹁私はこっちのハロウィンが好きなんですけどね﹂
ふふ、と微笑んでいる桜さん。つられて私も微笑む。
そして、私は桜さんの持っている箱を手に持った。
﹁じゃあ、これは桜さん用に私が包んでプレゼントしますね﹂
﹁えっ!あ⋮⋮ありがとうございます!﹂
かあっと顔を赤らめて喜んでいる。いや別に箱選ぶのが面倒とか
ではなかったんですよ?ただ、桜さんが好きだと思っているもので
プレゼントした方が嬉しいじゃないですか。
と、ですが⋮⋮この箱に既製品を入れるのはどうにも味気ないで
すよね。適当に飴とかお菓子を買って袋に小分けにして入れようと
思っていたんですけれど⋮⋮。
まぁ、桜さん専用って事で、手作りしますか。
⋮⋮ううん、お菓子のプロに手作りお菓子を手渡すのはちょっと
気が引けますが⋮⋮ハロウィンまでに練習しておきますか。
雑貨店を出て少し疲れたので、カフェでお茶をしつつ談笑する。
﹁透さんて優しいですよね﹂
﹁え、そうですか?普通じゃないですか?﹂
﹁そういう無意識なところですよ﹂
くすくすと笑う桜さんマジ主人公。
それにまぁ、可愛い子には特別優しくしちゃいたくなりますよね。
桜さんとても可愛いから、つい⋮⋮多分他の男性もそんな感じでデ
レデレになるんじゃないでしょうか。料理も裁縫も出来て、優しく
294
て気遣いの出来る完璧な嫁ですからね。他の男が放って置かないで
しょう。
私もこれだけ可愛ければモテたんでしょうか⋮⋮へこみます。
﹁でも、ちょっと妬けちゃいます﹂
﹁え⋮⋮?﹂
﹁ほら、私が来る前、写真撮ってあげてたじゃないですか﹂
﹁あ、見ていらしたんですか。お恥ずかしいです﹂
うう、もっと早く声掛けて下さいよ。
﹁私が特別なんじゃないって思い知らされちゃうんですよ⋮⋮﹂
﹁え?﹂
ボソリと何かを呟いたが、良く聞こえなかった。
﹁なんでもないです﹂
少し寂し気に微笑んだ桜さんの顔が印象的だった。
295
ハロウィンしました。
さて、ハロウィンですが、お菓子作りをしようと思います。桜さ
ん宛てのプレゼントですから、多少でも美味しくできればいいなと
思っている。桜さんレベルは流石に無理ですが、出来得る限り頑張
りたい。
﹁張り切ってるわね、透ちゃん﹂
﹁あ、うん⋮⋮まぁ﹂
エプロンをつけて材料を前にしているので、確かに気合入ってい
るようにみえるだろうな。
﹁彼氏?﹂
﹁や、違うけど?﹂
﹁ほんとぉかしら﹂
﹁ほんとほんと﹂
苦笑しながらお菓子の分量を量る。作るのはクッキーにした。誰
でも作れるし、ふくらみ具合とか気にしなくていい。料理は多少適
当でも後から味を付け足したりして調整できるけれど、お菓子だと
そうもいかない。作ってる途中で味見しようにも生だとお腹壊しま
すしね。
とりあえず、練習のために1回焼いてみた。レシピは文化祭で使
ったやつだ。なので、私が作ってもそれなりに美味しく焼けた。も
うちょっと焼き時間少なめでも良いですね。という事で2回目はも
っと美味しく焼けた。
296
たぶん、これならいける⋮⋮!
すごいよ、桜さんと深見くんのレシピ!こんなに美味しいお菓子
が私にも作れるなんて!
うん、どうせ桜さんのレシピなら一緒に作っても同じだったかな。
まぁでも、自分で作る事に意味があるって信じてる。
さて、結構たくさん焼いちゃいましたが、余った分はどうしまし
ょうか。深見くんと、三宅さん、玉森さん、あと翼と⋮⋮会長くら
いにあげましょうか。それくらいで数も丁度良いでしょうし。ちな
みに晴翔にはあげる予定はない。何が悲しくて振られた相手にお菓
子をプレゼントしなければならないのか。そりゃまぁ、トリック・
オア・トリートと言われたら買ったお菓子の詰め合わせでもあげま
すよ。
さて、お菓子を袋に詰めますか。
ハロウィン当日。
私の衣装は文化祭の時の執事服に帽子を付けたもの。ドラキュラ
的な何かだと思ってる。て、手抜きではない。有効活用と思ってて
ほしい。
私の所にはたくさんの女の子が来た。
勿論晴翔や翼の所にも沢山きている。私が同列ってどういうこと
なの。イケメン枠ですか、ソウデスカ。
﹁桜さん、トリック・オア・トリート!お菓子くれないといたずら
しちゃいますよ?﹂
﹁っ⋮⋮!﹂
桜さんが顔を赤くして口を押えた。
その反応はなんなのでしょう。
297
﹁え?だ、大丈夫ですか?﹂
﹁ふ、ふふ⋮⋮ええ、大丈夫です。これ、お菓子です﹂
﹁あ、有難うございます﹂
桜さんの衣装は魔女っこでしょうか。いつもの清純なイメージと
は違い、小悪魔系だ。それがなんだか色っぽい。
手渡されたプレゼントからは、甘く良い香りがしてくる。どう考
えても美味しい。香りからして美味しい。なんだか、私のお菓子で
いいのか申し訳なくなるくらい。
そして今度は桜さんの番だ。
﹁透さん、トリック・オア・トリート、です﹂
もじもじしながら言う桜さんはとても可愛い。
思わずクスリと笑ってしまいました。
﹁ふふ、私の手作りですから、出来は保障しませんけれど、どうぞ﹂
﹁あ、ありがとうございます!﹂
まるで宝物のように胸に抱えてくれる。いや、本当に桜さんは良
い方ですよね。桜さん以上に美味しくお菓子が焼ける方なんていな
いんですけどね。いるとすれば深見くんですか。深見くんは男子に
人気があるようだ。美味しいお菓子目当てですね、分かります。深
見くんや玉森さん、三宅さん、翼にも手作りを渡す。
さて、あとはいつもお世話になっている会長だけですか。
周りを見渡すと、皆お菓子を配って楽しそうにしている。定番の
かぼちゃとか、なんか日本の妖怪もいるようですけれどね。まぁ、
そこはご愛嬌という事で。しかし、妖怪大戦争出来そうな顔ぶれで
298
すね。そんな衣装を作るだけの財力があることが凄い。
歩いてる途中、何度か知らない人に声を掛けられて、お菓子を交
換する。皆楽しそうですね⋮⋮こんな大々的なハロウィンイベント
なんて中学の時はしませんでしたけどね。はぁ、確か乙女ゲームだ
と、このイベントで好感度上げるんでしたっけ。詳しくは覚えてま
せんけど⋮⋮衣装はずっと変えないとさっき翼は言ってましたから、
来年も晴翔はおばけ、翼はかぼちゃお化けになるんですかね。
というか、本当に良く女の子に呼び止められるんですけど、私っ
て何なんですかね⋮⋮。
生徒会室に到着して、扉を開けると会長がお菓子の山の向こうに
佇んでいた。随分たくさん貰ったみたいですね。
﹁きたか﹂
若干顔が嬉しそうなのは、お菓子を沢山貰えたからでしょうね。
甘党ですもんねぇ⋮⋮。
﹁会長⋮⋮お茶入れましょうか?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
もう早速開いて食べてるんですね⋮⋮。なんというか⋮⋮あれ、
もしかして好きな子からもらった奴だったりして。緑茶を淹れて、
取りあえず落ち着く。静かにお茶をすすっている会長の隣で私もお
茶を飲む。
多少肌寒くなった方が丁度良い室温になりますね、この部屋は。
これだけ多ければあげなくてもいいんじゃないでしょうか⋮⋮。ま
ぁ、気持ちだけでも渡しておきましょうか。
ゆっくり会長の方を向いて、定番の言葉を投げかける。
299
﹁会長、トリック・オア・トリート、です。お菓子くれないと悪戯
しますよ?﹂
﹁⋮⋮﹂
お茶を飲んでいた会長は、静かにゆっくりとお茶を置いて、綺麗
な顔を赤くさせた。今なぜ赤くなったのか謎ですが⋮⋮取りあえず
返答を待つ。
お茶から手を離し、両手を組んで膝の上に置いて、指をもじもじ
動かしている。何かいいたげに口を開いては閉じ⋮⋮を繰り返して
いる。
埒があかないので、首を傾げつつまた声をかける。
﹁⋮⋮あの?会長⋮⋮?﹂
﹁ちなみに⋮⋮﹂
﹁はい﹂
﹁ちなみになんだが⋮⋮﹂
﹁ええ﹂
そしてまた黙る。え、なんなんでしょう。もうしばらく待ってみ
てダメだったら、普通にお菓子を出しましょうか。
会長、そんなにお菓子を他の人に渡したくないんでしょうかね。
しかし、しばらくしたら会長が袋を取り出して、ソッと机に置い
た。袋を置いたその手をそのまま口元に持っていき、目線を窓へと
向ける。
﹁もっていけ⋮⋮﹂
﹁ああ⋮⋮有難うございます﹂
300
どうやらくれるみたいです。
﹁何か言いかけていませんでしたか?﹂
﹁いや、なんでもない﹂
﹁そうですか?﹂
﹁ああ、なんでもないんだ⋮⋮﹂
疲れたように首を振っている。彼の中で何があったのか。ふう、
と溜息を付いて改めて私に向き合う。
﹁透、トリック・オア・トリート﹂
﹁ああ、はい。それでは私からもどうぞ﹂
会長からのお菓子を受け取りつつ、自分のお菓子も手渡す。
﹁ありがとう﹂
﹁いえ、あまり自信はありませんが⋮⋮よろしければどうぞ﹂
私からの袋を受け取った会長は、僅かに驚いたように目を見開い
ている。手元にある袋を一瞬みつめてから、私の方に視線を戻す。
﹁手作りなのか?﹂
﹁ええ、まぁお恥ずかしながら﹂
﹁そうなのか⋮⋮﹂
﹁レシピはとても上手なかたから頂いたのでそれなりに美味しいで
すよ。文化祭の時に作ったクッキーと同じレシピですから。いつも
お世話になっているので、良かったらと思いまして﹂
301
﹁あれか⋮⋮いや、食べられなかったから、素直に嬉しい。それに
⋮⋮﹂
そこで一旦言葉を止めて逡巡する。私の目を見て、瞳が揺れるの
が分かった。目元が僅かに赤くなっていく。そして覚悟を決めたの
か、口を開く。
﹁⋮⋮透の手作りっていうのが、嬉しい﹂
恥ずかしいのだろう、段々と顔全体が赤く染まっていく。しかし
その瞳は真っ直ぐこちらをみつめている。絶対に目を逸らさない、
という強さが見えて、私の方が目を逸らしたくなる。真っ直ぐな視
線に思わずドキリと心臓が跳ねる。その瞬間、何故か会長の筋肉の
逞しさだとか、男らしい手で背中を撫でつけられた事が思い出され
る。
妙に騒ぐ胸を抑えながら、苦笑する。そういう言い方は、相手が
勘違いしそうだからやめておいた方がいいんじゃないでしょうか。
妙にドキッしちゃいましたよ。攻略対象者っておっそろしいですね。
翼も人懐っこく近づいてきますし⋮⋮あれはまぁ、私を完全に男枠
に入れてますけど。
胸も落ち着いたところで、ニッコリと笑いかける。
﹁そういって貰えると、私も嬉しいです﹂
会長は普通に文化祭の時のクッキーが欲しかっただけで、私の手
作りが嬉しいというのは社交辞令だろう。ふう、危なかった。危う
く﹁あれ?この人私の事すきなんじゃ?﹂と勘違いするところでし
た。普通の女の子なら当然勘違いしているでしょうね。良かったで
すね、私がおばさんライバルキャラで。今やイケメンライバルキャ
ラになってますけどね⋮⋮いや、もう自分の傷を抉るのはやめよう。
302
会長としばらく談笑した後、晴翔が乱入してきて何故か口喧嘩を
していた。この2人はいつも仲が良いですね。
303
祝われました。
ハロウィンも終わり、もう冬になりつつある。なんで秋ってあん
なに終わるのがはやいんでしょうね。春もそうですけど、心地よい
気候の季節はあっという間に過ぎ去りますね。ただ、この生徒会室
は今が割と適温ですけれど。夏が暑過ぎたんですよ⋮⋮若いから耐
えられたけど、前世の体だったらすぐに熱中症にかかっててもおか
しくない。今の体は健康体ですよね⋮⋮。実に良い事です。
丁度良い室内の温度に、なんだか眠気が襲ってくる。手で口を押
さえてあくびをしてしまった。横でペンを走らせていた会長が手を
とめて顔をあげた。
﹁珍しいな﹂
﹁ああ、すみません。おみぐるしい所をみせてしまって﹂
﹁いや、大丈夫だ。疲れているのか?なんだったら横になってもい
いが⋮⋮﹂
﹁お気遣い有難うございます、心地よくてつい⋮⋮ですが大丈夫で
すよ﹂
そうやんわり断って作業を再開する。
ガタタッという大きな音でハッと顔を上げる。周りを見ると、晴
翔と会長が立ち上がって睨み合っていた。まるでいまからカバディ
カバディとでも唱えそうな構えである。あれ、カバディってこっち
の世界に競技あったかな⋮⋮。ってそれは置いといて、私はどうや
ら寝てしまっていたようです。資料の作業途中に寝たんだろう、中
304
盤から机にかけてシャーペンの線が走ってしまっている。幸いにも
ボールペンでなかった事が救いか。
口元に手を当てて、よだれが出てないかチェック。うん、でてま
せんね。良かった⋮⋮最悪の事態は免れたようです。
資料から晴翔と会長の方へと再び視線を向けると、今度は手を組
んで力比べをしている模様。なんの競技でしょうね。シャーペンの
上の部分を押して、トンと芯を引っ込める。そして咳払いをした。
﹁こほん、すみません。寝てしまっていたようで⋮⋮状況が掴めな
いですけど、今何をしているのです?﹂
私の声でハッとした2人が慌てて離れる。
﹁いや、これはなんというか﹂
﹁会長がいやらしい視線を向けてたから⋮⋮﹂
﹁いや、それはお前だろ﹂
﹁会長の方が⋮⋮﹂
とかなんとか言い合っていて、良く分からない。
とりあえず放って置いて、遅れてしまった資料でも読みますか。
黙々と作業を再開すると、2人共大人しく椅子に座って作業する
事にしたようだ。
﹁誕生日、おめでとうございます﹂
ある日教室に登校したら、桜さんがとても良い笑顔で私にそう言
305
って来た。
﹁え、あれ⋮⋮ご存じだったんですか?﹂
確か言っていなかったはずなのに。たしかに今日は私の誕生日で
すけれども。桜さん、なんでもお見通しなんですね⋮⋮。桜さんと
いう名の通りの桜色の可愛い包みに入ったプレゼントを頂く。
﹁有難うございます、とても嬉しいです⋮⋮開けてみてもいいです
か?﹂
﹁ど、どうぞ﹂
胸を押さえて、緊張した面持ちで頷く。
相手にプレゼントした時、ちょっと緊張してしまうのは分かる。
気に入って貰えなかったらどうしよう、とかって考えてしまいます
よね。
包装用紙を破いてしまわないように、丁寧に開けていく。時折、
お菓子の香りが移っているのか、甘い香りがしてくる。ですがまぁ、
お菓子ではないでしょう。なんか長細い感じの箱ですし。桜さんの
家はお菓子屋ですから、置いておくと移るんでしょうね。甘くてい
い香りですから、良いですね。
桜色の包装から、透明の箱に入ったペンがみえた。黒色の布に埋
め込まれるようにきっちりと詰められていて、見た所かなり高そう
なペンに見える。深い青色の落ち着いた色合いで、金属部分は金色
になっている。流石に本物ではないだろうが⋮⋮重厚感があって高
そうでです。
ペンから顔を上げて桜さんの顔を見上げる。
﹁え、と⋮⋮いいんですか?こんなに良さそうなもの⋮⋮﹂
﹁だめ⋮⋮でしたか?﹂
306
手を組んで、しょんぼりと目を伏せてしまう桜さん。長い睫毛で
目元に影が出来る程だ。やはり桜さん美少女。
私は慌てて首を振る。
﹁い、いえ!そんな事は!ただ、高かったのではないかなと⋮⋮﹂
﹁気にしないでください﹂
ペンをそっと両手で押し戻してくる。
ううん⋮⋮本当に貰ってもよいのでしょうか⋮⋮桜さんの誕生日
も祝っていないんですけど。あ、そうですね。私も桜さんを祝えば
いいんです。
﹁桜さんの誕生日っていつなんですか?﹂
﹁⋮⋮4月です﹂
うわぁ、とっくの昔に過ぎてるんじゃないですか⋮⋮。
﹁気にしなくてもいいんですよ。そんなつもりで送った訳じゃあり
ませんので﹂
﹁⋮⋮そう、ですか﹂
うう、良い人です⋮⋮。でも、何か用意させて頂きましょう。も
うすぐ冬ですしね⋮⋮暖かくなるものが良いでしょうか。桜さんは
遠慮していらないって言いそうなので、こっそりと購入しておきま
しょう。
307
昼休みに廊下をうろついていると、突然腕を引かれた。驚いて振
り返ると、僅かに息を乱した会長が立っていた。なんだか慌てた様
子で、何かあったのかと心配になる。
部活をしていたのか、剣道着と竹刀を持って、汗をかいている。
あれ、会長って剣道部なんでしたか⋮⋮今気が付きましたよ。会長
の手って確かに皮が厚いっていうか、良く使われてるなぁとは思っ
てましたが⋮⋮っていうか部活やっているんですね。私と違ってき
ちんと両立できているんですね。と、感心してしまう。
﹁会長、どうかされたんですか?﹂
﹁聞いてきた⋮⋮﹂
はぁ、と息を吐いて息を整え、私に目線を合わせる。慌てていて
もその恰好良さは乱れないんですね⋮⋮さすがイケメン。
﹁今日、誕生日だと⋮⋮﹂
﹁ええと?⋮⋮はい、そうですけれど⋮⋮?﹂
掴んでいた腕がゆっくりはずされる。
少し気まずそうに瞳を逸らし、コホンと咳払いする。僅かに顔を
赤くさせて、視線をどこか彷徨わせてから⋮⋮私に戻る。
﹁⋮⋮祝う﹂
﹁⋮⋮えぇ?﹂
突然の事に驚く。
会長が私の誕生日を祝う?えっと⋮⋮何故でしょう。祝われるの
が分からない。口元に手を当てて、首を傾げる。
﹁ええ⋮⋮と、その申し出は嬉しいですけれど⋮⋮﹂
308
﹁⋮⋮祝いたいんだ﹂
そんな縋るような目で言われると強く断れませんけど。
親しくさせて貰っている事は分かりますけれど⋮⋮親しかったら
誰でも祝うタイプ⋮⋮なのでしょうか?会長ってそんなキャラでし
たっけ⋮⋮。まぁ、かなり会長がブレてるのは知っているので、今
さら気にしまい。
﹁ええと、じゃあ⋮⋮私も会長をお祝いさせて下さい﹂
﹁⋮⋮ああ、それでいい﹂
なんだか、今年は誕生日を祝ってくれる人が多いですね。
﹁良かったら、今度出掛けないか⋮⋮その、プレゼントを選んで欲
しい。ほら、女性にプレゼントなんてした事ないから、直接選んで
貰おうと思ってな﹂
﹁⋮⋮ああ、本当は気を使ってくれなくても良いのですが⋮⋮そう
いうことなら、私も会長に選んで頂きましょう。私もどれを選んで
いいか分かりませんし﹂
﹁じゃあ、今度の日曜日に﹂
﹁ええ、はい。宜しくお願いします﹂
週末に会長と出掛ける約束をしました。しかも誕生日プレゼント
を選ぶために⋮⋮でも、なんかちょっと照れますね。そんなこと前
世でもやったことないな。気心の知れた女友達となら何度もやった
けれど、男性相手ってのはなかなか⋮⋮。
今世では、勿論晴翔は送った事あるのだが、それほど相手の事を
知らない状態で送るって事がまずない。そりゃ、確かに乙女ゲーム
での知識で会長のデータは知っているが⋮⋮果たしてそれが本当に
309
反映されているか疑問ですし。今現在もかなりぶれてますからね。
お菓子あげればいいじゃないって発想が思い浮かんでいる時点で
ちょっとアレですけど。でもそれ以外に思いつかないんですよね⋮
⋮。乙女ゲームだと何が好きって書いてましたっけ⋮⋮。銀食器だ
ったかな?ううん⋮⋮今はどうでしょうね。
放課後になった。沢山の人におめでとうと祝われて、とても嬉し
い。こんな充実した人生になるなんてね⋮⋮思いもしませんでした。
果たして来年⋮⋮無事に祝って貰えるでしょうか。
自分が正しいと信じて疑わず、主人公を苛めて。もし親しくして
貰っている方々全員に冷たい視線を投げかけられたら。ブルリと寒
気がして、自分の体を抱く。
⋮⋮こわい、ですね。そんな結末、嫌ですよ。せっかくクラスの
方達とも仲良くなれたのに⋮⋮。
机に入っている教科書やノートを鞄に入れつつ、深い溜息を吐く。
この楽しい学校生活も終わりをつげるかもしれない。そう思うと、
今年の冬はずっと終わらなければ良い⋮⋮そう思ってしまう。
﹁と、とお、る﹂
つまりぎみに、言いにくそうに声をかけられる。その艶やかで色
っぽい声の主は晴翔のものだ。声をかけられてぎくりと肩が跳ねる。
ゆっくりと見上げると、そこには気まずそうな顔をした晴翔が立
っていた。私と目が合った瞬間に、目を逸らして眉を寄せている。
なんだかここだけ空気が張りつめている気さえしてしまう。
﹁え、と。⋮⋮なんですか?﹂
沈黙が痛くて、話を促す。いえ、まさかね。毎年、晴翔と誕生日
310
を祝っていましたけれど、今年は晴翔の誕生日に何もあげてません
し。ちなみに晴翔の誕生日はすでに夏休み中にとっくに過ぎている。
そうですね、自意識過剰ですよねきっと。ごくりと唾を飲み込ん
で、返事を待つ。
すると、晴翔が黙って机の上に包装された箱を置いた。
えっ⋮⋮いや、え⋮⋮?驚いてその箱と晴翔の顔を交互に見つめ
る。
﹁誕生日、おめでとう⋮⋮﹂
﹁ええっ⋮⋮﹂
まさか本当に誕生日プレゼントを⋮⋮?え、うそでしょう。ざっ
と血の気が引く。私は誕生日を祝っていなかったのに⋮⋮ちょっと、
私がかなり薄情な人間のようじゃないですか。震えそうになる手を
強く握りしめて、晴翔を見上げる。
ですが、ですが⋮⋮ですよ?普通、振った相手にプレゼントって
⋮⋮どう考えているんですか。告白してきた相手に⋮⋮プレゼント
して、相手が勘違いするとか、考えないんですかっ!だめですよ⋮
⋮ほんと。プレゼント貰って、普通に嬉しいんですけど⋮⋮。
溜息が零れそうになるのを抑えて、微笑む。
﹁すみ、ません⋮⋮私は何も用意してませんでしたね﹂
﹁いや、気にしてない。俺が祝いたかっただけだから﹂
﹁有難うございます⋮⋮﹂
﹁⋮⋮うん﹂
それだけ言って、立ち去られる。机の上には綺麗に包まれたプレ
ゼントが。シックな赤色の包装紙に金色のシールが張られている。
確かに告白する前は毎年贈り合っていたけれど⋮⋮まさか、告白
311
して振られた後もこのようにプレゼントされるなんて。それは告白
なんて意にも介していないということなのだろうか、それとも大事
な友人であるから?⋮⋮私にはこのプレゼントは少しばかり重たい
です。
晴翔が教室から出て行くのを見届けてから、溜息を吐く。頬杖を
ついて、なんとなくそれを眺める。つんつんと箱をつついてみる。
まぁ、意味はないですけれど。
﹁透!﹂
﹁わぁっ!?﹂
いきなり両肩を後ろからガシッと掴まれて飛び上がるほど驚いた。
慌てて振り向くと、翼が良い笑顔をしていた。僅かにホッとする。
いえ、なんか貰ったプレゼントを意味もなくつんつんしてるところ
なんて晴翔にだけは見られたくないですもんね。
居住まいを正し、翼に向き合う。
﹁こほん⋮⋮えと、突然なんでしょう﹂
﹁ふっふっふ!じゃじゃん!実は俺も透にプレゼントを買って来た
!おめでと!﹂
﹁え!あ、有難うございます!﹂
バッと目の前に差し出されて、反射的に手を出して受け取って礼
を述べた。うわ、本当に私って薄情ものですね!翼の誕生日も祝っ
てないなんて⋮⋮えっと、じゃあ会長が私の誕生日祝うのも普通っ
て事なのでしょうね。ううん、誕生日とかそういうイベントに疎か
ったですからね。誰の誕生日もロクに覚えてないんですよね⋮⋮。
というか、聞く事もしてなかったですね。全く翼たちの誕生日を覚
えていない⋮⋮。はぁ、なんだか申し訳なくなってきました。む、
312
胸が痛いです。
﹁翼の誕生日はいつなのでしょうか⋮⋮?﹂
﹁ああ、気にしないでよ!いつも勉強見て貰ってるし、そのお礼だ
から﹂
﹁ですが⋮⋮﹂
﹁いいんだって!貰っておいてよ!俺の良心がいたむから﹂
ぐっ⋮⋮翼、あなたとても良い子ですね。ちょっと泣きそうにな
りました。
私はそっと微笑み返す。
﹁そうですね、では勉強で倍返ししてあげますね﹂
﹁なんという罰ゲーム!﹂
翼が頭を抱えて呻くので、思わず声をたてて笑ってしまった。翼
のためにとっておきのプリントを用意させて頂きましょう。目指せ
全教科上位ですよ!頑張りましょうね。両親に文句なんて言わせま
せんよ。早速新しい問題集でも作りましょうか。特に苦手な所を集
めて繰り返し⋮⋮ふふふ。
家に帰って、晴翔からもらったプレゼントを机に置く。しばらく
開ける気にならず、眺める。ううん⋮⋮去年のプレゼントはノート
を貰いましたっけ。
机の上に置かれてある箱は、ノートではないだろう。ではなんで
しょう?長方形ですけど、ペン⋮⋮ではないですね。あれほど細い
形状のものでもないんですよね。
⋮⋮いいえ、考えるより開けた方がはやいですね。ごくりとつば
313
を飲み込み、包装紙に手をかける。ぺりぺりと剥がれていくテープ
の音が妙に響く気がする。包装紙を綺麗に剥ぎ取り、紙を折りたた
む。
中に包まれていたのは白い箱だった。
はぁ、と1つ息を吐いて気合を入れる。そっと白い箱に手をかけ、
固定されたテープを剥ぎ、開ける。
そこにあったのは、ネックレスだった。シンプルなクロスにハー
トが重なったデザインで、ハートにはピンクの石がおさまっている。
シンプルでいて、それでいて可愛らしいデザインのものだった。
﹁えっ⋮⋮?﹂
今まで送られるものといえば色気も何もない文房具だとか、問題
集だったのに⋮⋮。なんで今さらこんなものを?
持ち上げて光にさらすと、きらきらと輝いている。
こんなの⋮⋮もらったところで。え、っていうか、え?なんでこ
んなものを⋮⋮?いや、いやいやいや、意味分かりませんけど。見
なかった事にして、そっと箱に戻す。
さて、翼は何くれたんでしょうね。⋮⋮お菓子ですか。そうです
ね、形の残るものでもないし、誰にでもあげられる無難なプレゼン
トだと思います。ですね、そういうのが良いんですよね。普通はね。
⋮⋮いや、もう忘れよう。
314
買い物にいきました。
今日は会長と出掛ける日だ。寒くなってきているので、上から薄
手のコートを羽織る。ズボンにブーツで、寒さ対策も万全。そして
男装も万全だ。もう手慣れたものだ。こんな事に馴れたくはなかっ
た。
溜息を吐いて、待ち合わせ場所に向かう。約束1時間前に行く。
いや、正確には1時間前と言って良いのだろうか?会長には私が今
から行く時間より1時間遅い時間を伝えてある。
会長、いっつも早くきてますからね⋮⋮。遅く伝えないとどんど
ん早い時間になる恐怖。もっとまともな時間に来てくださいよ。嘘
までついて遅らせないといけなくなるのは勘弁して欲しいところ。
待ち合わせ場所には、誰も来ていなかった。あれ、珍しいですね。
会長来てないんですか⋮⋮なんかちょっと勝った気分です。
空も高くなって、寒いですね。じっとしてたら流石に寒くなって
きました。もうちょっと厚いコートにすればよかったでしょうかね
⋮⋮。そうだ、ちょっと散歩しましょう。そうしたら体もあったま
りますよね。
そう考えて、少し歩く事にした。歩いていると、やはりあったま
りますね。丁度良いかんじです。人通りは、割と少ない方だ。殆ど
の人間に振り返られている気がするが、自意識過剰だろう。
5分程歩いて、そろそろ戻ろうか⋮⋮と思った時。女の子が男2
人に絡まれているのを発見した。あれ、なんかデジャヴ⋮⋮。文化
祭の時もありましたねぇ⋮⋮っていうか、あれ?あの女の子どこか
で見たような⋮⋮。どこでしたっけ⋮⋮ううん⋮⋮いやだめだ、思
い出せない。
しばらく悩んでいる間に、女の子の彼氏らしき男性が来て男達を
追い払った。なんともホストっぽい男で、ちゃらちゃらしている。
315
でも悔しい事に凄くイケメンだ。これはあの女の子も惚れちゃうで
しょうね。
⋮⋮あれっ?おっかしいですね。なんかあの男性も見た事ある気
がする。もやもやします⋮⋮疲れてるのかな。デジャヴって疲れて
いる時に出るって言いますものね。
それでも何となく気になってじっと2人を見つめていたら、突然
視界が暗くなった。後ろから誰かに目を塞がれたみたいだ。
﹁!?﹂
﹁何見てるんだ?﹂
痴漢か!?と思って慌てた心が急に落ち着く。その声は会長のも
のだったからだ。ふしくれだった手に触れて、ゆっくりとどける。
後ろに振り向くと、険しく眉を寄せたお綺麗なお顔が。その視線は
先程私が見ていた方向を向いている。
どける為に持っていた手を離そうと思ったのだが、逆に握られて
しまう。
へ。なんで握られてるの。手と顔を交互に見て困惑中。会長は相
変わらず例の2人組を眺めている。取りあえず握られた手は放置し
て、会長に声をかける。
﹁すみません、探させてしまったようで﹂
﹁そんなことはない。それに、時間もまだだしな﹂
確かに、会長に伝えてある時間にはまだ余裕がある。
ホスト風の男と女の子は知り合いではなかったのか、その場で解
散してしまった。ホスト男はこっちの方に向かって来て、通り過ぎ
る際、会長がガン見していた。
ちゃらいホスト男と会長を同時に視界に収めることで、乙女ゲー
ムのパッケージを思い出す。
316
そうだ!あの人、攻略対象者じゃないですか?緑色の髪で、ホス
トの人。確か先生の攻略対象者ですよね。ホストっぽいのに性格は
かなり真面目な方なんですよね。そういえばまだ学校にいないんで
すね。あれ、じゃあ来年に主人公と同じように入学してくるんでし
ょうか。
﹁透﹂
﹁あ、はい﹂
攻略対象者の背中をずっと眺めてぼうっとしていたら、僅かにい
らだったような
会長の声で呼び戻される。
﹁すみません、ぼんやりしてしまって﹂
﹁⋮⋮いや﹂
ゆるく首を振って、眉を下げている。
その間、ずっと手は握られっぱなしだ。
申し訳ないですがそろそろ離して頂きたい。
﹁あの、会長、手を﹂
﹁⋮⋮え?あ、うわっ!す、すまない﹂
無意識に持っていたようで、慌てて手を離す。赤くなってしまっ
た顔を手で半分おおって隠している。相変わらず照れ屋さんで。こ
っちまで照れてしまうじゃないですか。
そんな行動ばかりしてると意中の相手も勘違いしますよ?まぁ今
は完全に男になり切り中ですから良い⋮⋮いや、より変な誤解を招
かないか?え、えーと、、まぁきっと誰にも見られてないでしょう
!うん。
317
﹁え、と。それじゃあ、行きましょうか﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
いつまでも突っ立っていても埒が明かないので、場所を移動しま
しょう。
はぁ、まさかこんな所で攻略対象者に会えるとは。偶然って凄い
ですね。緑色の髪の毛だから、木のつく攻略対象者だったかな?た
しか、ええと、普通っぽい名前の、高木でしたっけ。あれ?木村だ
ったかな?ううん、名前までは覚えてないな。そこまで好きなキャ
ラでもありませんでしたし。
﹁プレゼントは何が良い?﹂
会長に声をかけられて顔を上げる。相変わらずお綺麗な顔ですね。
心臓に悪いので、真っ直ぐにみるのはやめておこう。僅かに視線を
そらしつつ、頷く。
﹁ええ、問題集でも買って貰おうと思ってます﹂
﹁もん、だい、しゅう、か⋮⋮そんなので、いいのか?﹂
﹁ええ、結構な値段ですし、覚悟しておいてくださいね?ふふ﹂
﹁⋮⋮まぁ、ああ、うん⋮⋮それがいいならいいが⋮⋮﹂
会長はなんとも歯切れが悪い。もしや、なにかすでに買っている
のだろうか。だとしたら、それを頂くという形でもいいのですけど。
﹁ええと、不都合があるならやめますが﹂
﹁いや、大丈夫だ。それでいこう﹂
318
目が泳いでいるが、大丈夫だろうか。心配で、少しだけ俯いてし
まった顔を覗き込む。綺麗な月色の瞳がこちらを向いて、笑む。
﹁大丈夫だ﹂
﹁えと⋮⋮そう、ですか﹂
その表情があまりに煌びやかだったので、言葉に詰まりつつ、目
を逸らす。ああ、こわい。なんでそんな美しいんでしょうね。さっ
きの木のつく攻略対象者もそうですけど、むやみに恰好良過ぎなん
ですよ。ドキッとしますよね。芸能人に会ったら同じような気持ち
になるんだろうな。でも、前世の時よりは落ち着いて対応出来るだ
ろうな。毎日のように会っていますから、会長の顔は随分と慣れて
きましたし。晴翔に告白する前は晴翔というイケメンと幼馴染なん
てやってましたからね。イケメン耐性なら、ありますよ!
﹁そうだ。会長は何がいいですか?⋮⋮と、そうだ。それ以前に会
長の誕生日をお聞きしてもよろしいですか?﹂
﹁6月22日だ﹂
ああ⋮⋮もう随分と前の話じゃないですか。しかし、まぁその時
は誕生日なんて考え付きもしませんでしたが。こんなに仲良くさせ
て頂くなんて思ってもみませんでしたからね。
﹁それと、俺も参考書でいい﹂
﹁え?でも⋮⋮別に私と同じようなものでなくても良いんですよ?﹂
﹁いいんだ、それと、何度も言うが名前で呼べ﹂
﹁あ、すみません。蓮先輩﹂
ああ、いっつも忘れますね。すみません。
319
結局、会長も問題集を買う事に。
2人で本屋さんに寄るだけだったので、さほど時間はかかってい
ない。
﹁このあとどうする?﹂
﹁えっと、はやいですが解散でも良いですか?﹂
﹁何か用事でもあるのか?﹂
﹁用事というか、誕生日にプレゼントを沢山いただいたので、その
お返しを買いに行こうかと思っているんです﹂
﹁それなら、俺もついていく﹂
﹁え?ですが、完全に私用なんですけど、大丈夫ですか?﹂
﹁ああ、かまわない﹂
なんだか嬉しそうにしてますけど、何も楽しい事はないですよ?
本当にプレゼント選ぶだけなんですから。男性って普通、女性のシ
ョッピングに付き合うとか嫌がると思ってたんですけど。⋮⋮会長
は私が女だって分かっているんでしょうか。
そういえば、会長の好きな人はどうなってるんでしょうね。女と
出掛けてて、もし目撃されて勘違いでもされたら⋮⋮。そこまで考
えて、自分の今の恰好を思い出す。
うん、大丈夫ですね!
⋮⋮うん。
可愛い感じの服屋さんや雑貨屋を見て回る事にした。もう冬なの
で、小物も暖かそうなものが置いてあったりする。マフラーとか、
手袋とか。そういうものにしましょうかね。白とか、薄い茶色、あ
320
とは薄いピンクも似合いそうですね。ふわっとした生地がなんか桜
さんに似合いそう。ぬいぐるみは流石に子供っぽすぎますしね。な
んか、落ち着いた方ですからね。文房具貰ったんですから、文房具
を選んでも良いですね。ううん、でも⋮⋮桜さんはすでに可愛いシ
ャーペン持ってましたしね。
私が悩んでいる間、会長はずっと私の後ろをついてきている。女
性客が多い雑貨屋だから落ち着かないのか。いや?でも前カフェ行
った時は落ち着いてたのにな。
ううん、嫌ならば帰ってもいいんですけどね⋮⋮。
しばらく悩んだあと、手袋を購入した。桜さんと同じ髪色のふあ
っふあした手袋だ。会長も何か購入したらしい。ものっすごく注目
されてましたけどね。でも仕方ないですものね。会長、あの店に似
合わないですもん。まぁ、私も男装してるからすっごくみられてま
したけどね!!凄い注目されてましたよ、ええ。
あと、お菓子を翼に買ってあげましょうか。それとプリントをた
くさん作りましょう。翼がしょんぼりして尻尾が下がるのが今から
想像に容易い。いや待て、彼に尻尾はない。幻覚だ、しっかりする
んだ。
お昼になったので、ファミリーレストランに入る。並んでいる人
がいたので、名前を書いて立って待つことにした。日曜のお昼なん
てどこも満席ですしね。
それにしても、やっぱり子供づれの家族が多いですね。乙女ゲー
ムの世界でも同じなのか。
ぼうっと店内を眺めていると、足に軽い衝撃がはしる。
﹁いたっ⋮⋮!ふえ⋮⋮﹂
後ろで声のした足元の方に視線を向けると、小学校低学年くらい
321
の女の子が地面にお尻をついていた。どうやら前を見ずに走ってい
たらしく、私にぶつかって転んでしまったらしい。
転んだ時の痛みで今にも泣いてしまいそうだ。私はしゃがみこん
で、女の子の顔を覗き込む。
﹁ごめんね、痛かった?大丈夫?﹂
﹁うぇっ⋮⋮⋮⋮っ!?﹂
ぎょっとしたように私の顔を見て石のように固まっている。じっ
と私の顔を見つめて、泣く事も忘れてしまったようだ。
﹁え、と⋮⋮だ、大丈夫。なのかな?﹂
﹁もー!どこ走ってるの!⋮⋮すみません、ぶつかったみたいで⋮
⋮⋮⋮っ!?﹂
流石親子というべきなのか、女の子と同じリアクションをしてい
る女性。似ているので、もしかいなくても親子だろう。
私は訳が分からず親娘を交互に見つめる。
﹁あの、すみません。ぶつかっちゃったみたいで、その﹂
﹁﹁なんてイケメン!﹂﹂
親娘の声が被る。
両者の頬が赤く染まって、母親の方はやたらわたわたしている。
﹁えー!いえいえー!いいんですよー!うちのバカがぶつかってっ
ちゃったみたいですからっ!ね?けがもしてないですしっ﹂
﹁いたっ!ままいたいっ!もうっ!﹂
バシッバシッと娘の背中を叩きながら私に話しかける。
322
﹁⋮⋮大丈夫か?﹂
会長が隣にいるのをすっかり忘れてました。声をかけられてよう
やく思い出せましたよ。
親娘もその時ようやく会長の存在に気付いたようだ。会長の顔を
見た瞬間、また時がとまったように動かなくなった。まったく同じ
表情をするものですから、思わず笑ってしまいそうになる。分かり
ます分かります、びっくりしますよね。すごく綺麗ですものね。
気持ちが物凄く分かるので、頷く。最近は雰囲気が和らいできて
いるし、眩しさに拍車をかけてますから。
﹁﹁⋮⋮いけめん﹂﹂
親娘共に私達2人の顔を見て何かを悟ったようだ。2人顔を見合
わせて頷いた。
﹁いや、おじゃましてしまってすいませーん。怪我してないのでも
う大丈夫です!失礼しましたっ﹂
﹁失礼しましたっ﹂
﹁あ、えっと⋮⋮あ⋮⋮﹂
ええと⋮⋮大丈夫なのでしょうか?まるで逃げるように立ち去ら
れる。
﹁なんだったんだ⋮⋮?﹂
﹁えと、さぁ⋮⋮?﹂
怪我がなければいいんですけど⋮⋮。ううん、ですが元気に走っ
323
ていましたし、大丈夫でしょう、たぶん。頭も打ってませんでした
し、私は動いてませんでしたからね。
しばらく待っていると、﹁月島様﹂と名前を呼ばれて席へと案内
される。店員さんガン見です。まぁ、いつもの事です。可愛らしい
カフェの時よりはマシなので、全然気にならないです。さも男同士
の恋人を見る目でしたからね、あの時は。今回はイケメンの友達が
2人で食事に来てるって目ですよ、やりましたね。⋮⋮うん。
ドリンクバーを2つ注文して、会長はチーズ入りハンバーグ、私
はさばの味噌煮を注文した。それと、食後にパンケーキと抹茶パフ
ェ。もちろんいつものように2人で分け合います。
食事が来るまでの間、生徒会の仕事の話をする。相変わらず色気
のないはなしだ。まぁいいんですけどね。
注文した食事が届いて、黙々と食べる。
ハンバーグからチーズがとろっとでてきて、とても美味しそうだ。
私が見ている事に気付いた会長が、実に眩しい笑顔を向けてきた。
﹁いるか?﹂
﹁ええ⋮⋮すこしだけ﹂
いや、お恥ずかしいです。全部とかは食べきれないけれど、ちょ
こっとだけシェアしたくなるんですよね。しかもいつも会長とは分
け合ってますからね。癖になってくてるんでしょうか。
﹁ん﹂
フォークにハンバーグのせて、差し出してくる。勿論そのフォー
クは会長のもので、所謂あーんというヤツだ。会長の顔を見ると、
どこかからかい交じりに笑んでいる。が、やはり恥ずかしいのか、
僅かに目元が赤くなっていた。
何が会長を駆り立てるのだろう。いつも思いますけど、はずかしい
324
ならやらなければいいのに。
落ちないよう手を下に添えつつ、パクリとハンバーグを口にする。
一瞬、会長の手がビクッと震えた気がした。
口の中にジューシーな肉の味とチーズの濃厚な味が広がる。うん、
やっぱりおいしいですね。
私は少しだけさばを箸で切り分けて、会長に差し出す。
﹁蓮先輩もいかがですか?なかなかおいしいですよ﹂
﹁え、あ⋮⋮﹂
先程とは比べ物にならない程に顔が真っ赤になっている。どうで
すか、あーんは。はずかしいでしょう、ふふふ。仕返ししてやりま
した。勝った!
ガタッ!
誰かが勢いよく立ち上がる音が聞こえて、驚いてそちらに目を向
ける。すると、帽子を目深に被った青年がこっちを見⋮⋮ってあれ
晴翔じゃないですか。なんでここに。
立ち上がった晴翔を抑え込もうとしているのは翼だ。猫の耳つき
のフードとかなにそれあざといんですけど。2人ともイケメンオー
ラはんぱないな。凄く注目を浴びている。いや、まぁ大きな音をた
てて立ち上がったんですから、誰でも見ますよね。
﹁はぁ⋮⋮あいつ、ついてきてたのか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮いや、偶然かもしれませんよ?﹂
﹁それはないだろ、だってあいつ⋮⋮いや、なんでもない﹂
﹁⋮⋮?﹂
325
知り合いを見つけたので、何となく同席する事になった。私の隣
には翼、前には会長、会長の隣が晴翔だ。
﹁初めまして、会長さん!俺、金城翼っていいます。晴翔と透の友
達なんです!会長さんは有名だから自己紹介とか大丈夫ですよ。知
ってますし﹂
﹁そうか⋮⋮あ、いや。俺も君の事は知っている。有名なバンドし
ているそうじゃないか。若いのに、とても人気があるそうで、感心
していたんだ﹂
会長って翼の事知ってたんですねぇ⋮⋮って会長、なんかその言
い方じじいくさいです。私も人の事言えませんが。
翼も予想外だったみたいで、目を丸くしている。そして、ふにゃ
って感じに笑顔を作る。全力で﹁嬉しい﹂って顔をしていて、めっ
ちゃ撫でたい。
﹁え、うわ、へへ⋮⋮なんか照れますね!知ってたとか、そんな有
名でもないんですけど、有難うございます!﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
会長が机の下で手を押さえている。会長も撫でたいんだな、分か
ります。そういう会話をしていたら、食後のデザートが運ばれて来
た。
なので、私が先に半分パフェを、会長はパンケーキを食べる。半
分するのはもういつものことだ。
﹁すげー負けてる⋮⋮うっ!?﹂
何か小さく呟いた翼が脇腹を押さえて呻いている。
326
﹁どうかされたんですか﹂
﹁い、いや、なんでもないよ⋮⋮もうちょっと手加減しろって﹂
﹁うるさい﹂
後半は晴翔と翼で仲良く小声でしゃべっているので、聞こえなか
った。この2人は本当に仲が良いですね。会長と晴翔とはまた違っ
た仲良しというか。休日も2人で遊んでるんですね。ゲーセンとか
行ってるんでしょうか。
デザートも食べ終わったところで、お茶を飲みながら一服する。
﹁この後はどうしましょうか﹂
特に予定も決めてない訳ですけど。あ、翼に誕生日プレゼントの
お返ししましょうかね。手荷物が減る。とても良い事です。と、そ
こで思い出した。晴翔にネックレスプレゼントされてた事を。素で
忘れてしまっていた。あれは本当になんなのでしょう。どう反応し
て、どんなモノを返せばいいのでしょう。何も買ってない今の状態
で翼だけ返すのも気が引けますね⋮⋮あとでにしましょう。
﹁どうせあったんだから!4人で回らない?﹂
と提案したのは翼だ。
﹁⋮⋮透はどうする?﹂
自分の意見は述べず、私へと話を振る会長。
晴翔は涼しい顔でコーラを飲んでいる。何考えてんでしょうね。
﹁ううん⋮⋮特に予定がある訳じゃないので⋮⋮会長が嫌なら別行
動でもいいんですけど﹂
327
﹁それはもちろん嫌、ごほん⋮⋮いいぞ。金城ともう少し話がした
いしな﹂
翼と⋮⋮あ、そうか。忘れ去っていたが、会長と話せる人間とい
うのは少ないんでしたね。やはり攻略対象者だからなのか、翼も普
通に話せるみたい。それが嬉しいのだろう。なるほど⋮⋮。
﹁じゃあ4人で少しぶらつきますか﹂
ということで、少し気まずいメンツとぶらつく事になった。翼が
積極的に会長に声をかけて、楽しそうにしている。そんな2人の会
話を後ろでそっと見守る。
晴翔が隣でむすっとしたまま、黙ってついていっている。帽子か
ら燃えるような赤い髪がちらりとこぼれていて、なんともいろっぽ
い。道を歩いているだけなのに、注目度がひどい。全員眩しいイケ
メンですもんね⋮⋮。私も含まれてますけど。
﹁あーっと!会長さん!ちょっとちょっと来て!﹂
と、何やらわざとらしく大声をだして会長の腕を掴んでを引っ張
る翼。まるで﹁あっUFO﹂的なノリを感じた。
﹁あの、翼?﹂
﹁あ、2人はここでちょっと待ってて!すぐ戻って来るし!﹂
あっというまに会長を連れて歩き去ってしまう翼。
気まずい代表・晴翔と2人きりにされる。なんだか急に心細くな
る。置いて行かないでくださいよ⋮⋮。
とりあえず、突っ立っているのもあれなので、ベンチへと座る事
328
にした。その間ずっと黙っている⋮⋮き、気まずい。すごく気まず
いので、生徒会の仕事についての話をふる。あとは、翼と休日でも
遊んでるんですね、とか、なんとか。すぐに沈黙が落ちますけど。
妙に緊張しますね⋮⋮。
⋮⋮ええい!この際聞いてみますよ。もう思い出してからずっと
気になっているんです。
﹁あの⋮⋮晴翔?﹂
﹁な、なん⋮⋮だ?﹂
晴翔の方も強張った顔をしている。すごく緊張した空気が。
﹁あれ、なんでしょうか﹂
﹁あれ⋮⋮?﹂
私の言葉に首を傾げる。
こほんと咳払いして、口を開く。
﹁あの、ネックレス、です。なんで、あれなんですか?なぜあれを﹂
﹁何故って⋮⋮似合いそう、だったから﹂
⋮⋮今までそんなもの送ったことないくせに。あんなの貰っても、
私は使いたくないんですけど。振られた相手にプレゼントされたモ
ノを身に着けるほど吹っ切れたわけでもないんですよ。心狭いので
すか?私が変なのですか?
﹁ただいまっ﹂
﹁あ⋮⋮おかえりなさい﹂
満足げな顔をした翼と、少し顔を赤らめた会長が帰って来た。親
329
し気にしているので、随分と仲良くなったようですね。
会長と翼が合流し、再びうろうろする。今度は男物の服屋さんに
入る事にした。このメンツだとこっちの方が違和感ないですね。け
れど、キラキラしているイケメンばかりで、男の店員さんが恐れ戦
いている。まるでモデルの撮影の為に来ている⋮⋮みたいな感じで
すもんね、彼ら。はいはい、イケメンイケメン。
しかしこの店、カッコいい服多いですね。ううん、まぁ、翼っぽ
くはないですけど。どちらかというと会長と晴翔の方が似合う感じ
の店だ。
3人が店を回って服を見ているのを眺めてぼんやりする。晴翔が
服を取り出して体にあてている。晴翔好みのシャツですね。でも買
う気はないのか、元に戻している。
ん⋮⋮買わないんですか。
﹁透﹂
﹁はい?﹂
﹁どっちのほうが似合うと思う?﹂
後ろに振り返ると、会長の手には白い上着と黒い上着が。
﹁ええと、そうですね。黒い方が会長の髪色とも合ってますし、ち
ょっと金色入ってますので、目の色とも合ってて似合うと思います
よ﹂
﹁そうか﹂
満足そうに頷いて、白い上着を元の位置に戻しに行く。それで、
黒い服をもってレジに向かう。
それを見届けてから、私は足を動かして、先程晴翔が見ていた服
を手にする。
330
はぁ、これをお返しにしますか。適当過ぎる気もしますが、まぁ
いいでしょう。ネックレスとかプレゼントしないで欲しかったなぁ。
もっと、翼みたいにお菓子とか、会長のように参考書でもいいです
けど。なんでネックレスかな⋮⋮嫌がらせなのだろうか。⋮⋮まぁ
いっか、これお返しに渡したらもう忘れよう。
331
クリスマスでした。
誕生日プレゼントのお返しをあげたら、桜さんに泣きそうな程喜
ばれた。そんなに喜ばれるとは⋮⋮こちらも嬉しくなります。しか
も美少女ですからね。男ならば誰でもハッとして振り返りそうな程
ですから。そして穏やかで優しいときたものです。これは嫁が完璧
すぎて生きるのがつらくなるレベルですね。
翼へのお返しは顔を引き攣らせられました。まぁ、すごい分厚い
資料渡しましたからね。これであなたも優秀な人間に!っていうか、
翼は元から優秀ですけどね。はっ⋮⋮勉強ばっかりで音楽がおろそ
かになってはいけませんね。これは盲点でした。今度から程ほどに
しておこう。
晴翔は⋮⋮なんかすごく微妙な顔をしていた。なんとも言えない
ような、そんな顔で。まぁ、こちらはどうでもいいですか。
﹁透、これ⋮⋮﹂
生徒会室に入って早々に会長に袋を手渡される。その包装用紙は、
先日遊びに行った時、雑貨屋で包んで貰った袋だった。前に突き出
されて、おずおずと受け取る。
しかし、いや待て、と首を傾げる。
﹁えと、会長、なんですか?これ⋮⋮﹂
﹁なんだ、その、問題集だけじゃ味気ないと思って、それもプレゼ
ントしようと思ってな﹂
﹁ええっ⋮⋮!?﹂
332
え!?気になる女の子へのプレゼントじゃなかったんですか!?
けっこう可愛い感じの店でしたし、てっきり会長が好きだと思って
いる子のものだと。というか、自分宛てのモノだと気付く訳がない。
すでにプレゼントも買ってもらった後だったのだから。
﹁いや、良いですよ!そんな気を遣わなくても﹂
﹁⋮⋮俺はいらないから、貰ってくれないと捨てるが﹂
なんてもったいないことを!
まるでセレブみたいなこといって!
なんだったら気になる女の子にでも⋮⋮いやまて、他の女の子の
為に買ったものをいらないからって手渡されるのはいやですね。正
直、真実を知ったら幻滅するレベルです。
なら、仕方ない、のでしょうか。
自分の手元にある可愛い包みを見て、唸る。
﹁う、ううん⋮⋮ええと、じゃあ私も何か⋮⋮﹂
﹁いや、それだとキリがないだろう。いつも世話になっている礼も
含めているんだ、貰ってくれ﹂
﹁え、え、と⋮⋮じゃあ、すみません。有難く頂きますね﹂
私がまたお返しをすると、会長ならまた返って来そうで怖い。
このイケメンは本当にやりかねない。2時間前待機とかするくら
いですからね⋮⋮。申し訳ない気がするけれど、貰っておきましょ
う。このご恩は忘れませんよ。
﹁開けてみても?﹂
﹁ああ﹂
333
会長にもらったのは、スノードームだった。
ラメが中に入ってて、キラキラしている。なんとも、可愛いです
ね。昔はこういうの持ってましたっけね。いやはや、懐かしいです
ね。
しかしまぁ随分と乙女チックなものを⋮⋮まぁ、身に着けるもの
ではないので、部屋に飾って置けますから良いですけど。会長が私
に対してどのような印象を持っているか、若干気になってくるプレ
ゼントです⋮⋮。
テストも終わって、もうすぐ冬休みがくる。夏休みに比べると随
分と短い休みですが、それでも遊びたい盛りの高校生には嬉しいも
のです。それに、冬休み前にクリスマスがきますものね。
恋人のいる人達はとても楽しそうに計画を立て、恋人がいない者
はいないもの同士で打ち上げをするらしい。クリスマスがなんだ!
聖夜がなんだ!とジュースを飲んで騒ぐみたいです。
私は呼ばれなかったんですけど、どういう事でしょう。ハブられ
ているんでしょうか。私だって騒ぎたいです。リア充爆発しろ。
まぁ、誘われてもその日は生徒会の仕事が入っているんですけど。
今年は最後まで色気がなかったですね!青春のせの字もない。ああ、
何もしらぬ中学時代に戻りたい⋮⋮。
まだあの時の方が青春してたよ⋮⋮。
クリスマスイブの日。休日がクリスマスイブという事で、街は賑
わっている。恋人たちが頬を染めて囁き合い、手を繋いでデート。
けっ。
あ、ちょっと本音が。
いーいーですよねー。私なんて、前世も含めて振られてばっかで
334
すよ。毎年毎年、この時期はちょい辛いもんがあります。しかも年
々胃の痛みが増す様な気がしてました。30こえたら死にたくなっ
てきましたっけ、ふふふ。
ですが!今の私は高校生ですからね!中身とか残念ですけど、ラ
イバルキャラで見た目も良いですからね!⋮⋮いや、見た目も残念
なのか、イケメンって認識されてますもんね。どうやら、今回の人
生も色々ダメだったみたいですよ⋮⋮親不孝な私を許して下さい。
だいたいね、クリスマスってもっと神聖なものなんですよ。それ
を恋人イベントだなんだって、恥ずかしくないんですか。企業の戦
略にのせられているんですよ!
悔しいから言ってる訳じゃないんですからね!勘違いしないでく
ださいよね!!
⋮⋮あれ、なんか死にたくなってきました。
いいえ、まだあきらめちゃいけない。今どき晩婚化なんて珍しく
もありませんし、30⋮⋮いや、40まで諦めたりしないんですか
ら。今度こそ⋮⋮今度こそ、え、でも私ライバルキャラでしたね。
いじめて転校させられて、その先の人生果たして明るいのだろうか。
ああ、どうすればいいんですか。
賑わっている街を歩きながら、勝手に鬱になる。なんせ前世から
ずっとそういうものと縁がなかったものですからね。気分が落ち込
みもします。
街には煌びやかなイルミネーションが目に優しくない。まだ今は
昼だからイイですけどね。生徒会がなかったら家で引きこもってい
るところです。なんでこんな日に出かけにゃならんのですか。今な
ら会長を軽く恨めそうです。
﹁透?﹂
﹁⋮⋮はる、と﹂
335
ドキッとして肩が跳ねた。まるで不審者に声をかけられたような
反応をしてしまい、晴翔が怪訝な顔をしている。すみません、ちょ
っと過剰に反応してしまいました。振られてるんで、ちょっと晴翔
には会いたくなかったです。でも今日は仕方ないですね、生徒会の
仕事ですもの。
﹁どこいってるんだ?﹂
﹁どこって⋮⋮学校ですよ?生徒会の仕事⋮⋮って晴翔に伝えられ
てなかったんですか?﹂
会長が、後で伝えておくって言っていたのに、忘れてたんですか
ね。うっかりさんです。相変わらずドジっ子です。
晴翔は眉を顰めた後⋮⋮ニヤリと片方の唇だけあげて笑った。実
に悪そうな笑顔です。
﹁⋮⋮いや?忘れてた。さっきまで。じゃあ行こうか﹂
﹁え、ええ⋮⋮﹂
忘れていたんですか、ね?なんか違うような気がするんですけど。
まぁ、別にどっちでも構いませんけれど。
はあ、と息を吐きだすと、白く染まる。いやぁ、寒いですね。も
うすぐ年越し、そして、主人公が入学してくる年です。今からドキ
ドキと心臓が変な音を立てている。胸に手をあてて、はああああっ
と深い溜息を吐きだした。
﹁どうした?﹂
振り返って心配そうに綺麗な形の眉を寄せる晴翔。彼の顔を見て、
もっと溜息を吐きたくなった。ぐっと堪えて、苦笑いを浮かべてお
こう。
336
﹁なんでもないです﹂
まだ、何もないですよ。まだ、ね。
これからどうなるんでしょうね⋮⋮。
﹁なんで火媛がここにいる﹂
もの凄く不機嫌そうな顔をした会長に晴翔が爽やかな笑みを向け
る。
﹁生徒会の集まり、なんだろ?﹂
晴翔のその言葉に苦虫を噛み潰した顔をする会長。
この2人のやりとりはいつも通りなので、とりあえず資料を読む
事にしよう。
石油ストーブで温められた室内はなんとも眠気を誘う。さっきま
で寒い所にいたら、なおさら。いや、もう失態はおかしません。頑
張ります。
黙々と仕事した後、顔を上げて息を吐く。
﹁と、ちょっと換気しましょうか﹂
﹁ん、ああ、そうだな﹂
こまめに換気はしないとですね。ついでにコーヒー入れて一息い
れますか。窓を開けると、外の冷たい風が入り込んできて、鳥肌が。
う、さむっ⋮⋮でも換気はしないといけませんから、仕方ないです
ね。空気も十分入れ替わった所で、窓をしめる。
337
さて、コーヒーでも入れますか。
仕事をしていたら、少し空が暗くなってきた。
冬はやはり日の入りがはやいですよね。
﹁暗くなってきましたね⋮⋮﹂
﹁そうだな、そろそろ切り上げるか﹂
﹁ですね﹂
書類を綺麗にまとめて、いつもの所へと片づける。晴翔が凝り固
まった体のほぐすために伸びをしている。会長も文字を書きまくっ
た手を揉んでいる。なんていうか、ここだけサラリーマン集めたみ
たいですね。もう高校生じゃないみたいです⋮⋮。私とか特におば
さんですし。
荷物をまとめて、下駄箱までくる。
靴を履きかえて外にでると、冷たい風にさらされた。いやぁ、寒
いですね⋮⋮。イルミネーションみてるともっと寒くなるような気
がします。
上を向いていると、ふわりと何かが降り落ちて来た。
﹁雪⋮⋮っ﹂
なんてこった!ホワイトクリスマスだとぉおおおっ!
こんなの恋人が盛り上がっちゃうじゃん!
綺麗⋮⋮とかって恋人が見とれて、そんで男がお前の方が綺麗と
か言うんでしょう!
ハッ、落ち着こう。冷静になるのよ。イライラしちゃいけない。
この余裕のなさが恋人が出来ない理由っていってたし。余裕をもっ
ていきましょう。まぁ、そんな事言ってのんびり構えてたらあっと
いう間に30突破しますけどね。はは⋮⋮もういいんですよ。
338
﹁綺麗だな⋮⋮﹂
と呟いたのは会長だ。
うん、綺麗デスネ。雪が舞い散る姿を眺める彫刻のようなイケメ
ン。貴方が最も綺麗ですよ、なんて言わないですよ。むしろセリフ
は逆ですし。会長、ロマンチストなんでしょうか。
﹁さみ⋮⋮﹂
晴翔は寒いのが苦手なので、雪など気にせずに震えている。
さて、帰りましょうか。本降りになる前に帰らないと濡れて風邪
引いちゃいます。
339
風邪引きました。︵前書き︶
前半過去の話がはいります。
340
風邪引きました。
﹁おまえ、なまえなんていうんだ?﹂
そう、声をかけて来たのは、幼い男の子だった。その髪はハッと
するほど色鮮やかな赤で、その瞳も同様に、赤く染まっていた。愛
らしいその顔立ちは、将来は期待のイケメンになるだろうな、と分
かった。
私は開いていた本から顔を上げて、少年を﹁将来有望そうなイケ
メン﹂と評していた。少年は小学1年生で、対する私も同様に小学
1年生であった。
私はその時にはすでに﹁前世の記憶﹂というモノを思い出して少
なからず混乱していて。30代で死んでしまった記憶が邪魔をして、
小学生たちと馴染む事ができていなかった。はっきりいって、前世
ではそれほど子供が好きな方ではなかったし、子供を産んだ経験も
なかったのだから。子供というものは未知の生物、というのが私の
認識だった。
だから今のこの状況に少なからず退屈していた。
﹁なぁなぁ、だまってないで。なまえ、おしえてくれよ﹂
私がひらけたつまらない本をパシパシ叩きながら、彼はそう繰り
返した。この少年の名前は確か火媛といったか。目立つ容姿と名前
なので、よく覚えている。
﹁木下。木下透﹂
﹁ふーん、よろしくな!とーる!俺は晴翔!﹂
341
それが、私と晴翔が交わした最初の言葉だった。
晴翔は、孤立している人というのが放って置けないタイプで。引
っ込み思案な子供などにも声をかけて、教室を明るくさせる天才だ
った。私のように1人で読書している子など、特に気に掛けてしま
うのだろう。その元気さや勢いのよさ、また恰好良い容姿から、そ
りゃあもう女の子にモッテモテだった。
﹁かっこいーよね!﹂
﹁うんうん、笑ってるのかわいいし﹂
﹁つきあいたいよね!﹂
最近の小学生はすすんでますねぇ、と若干引く。私が小学生の時
はどうだったかなぁ⋮⋮と思いを馳せてみるが、小学生どころか大
学生の時にもロクな恋愛をしていない。
⋮⋮まぁ、いい。私は私で勉強していい大学入って、今度こそ成
功してやるんだ。そう意気込んで漢字の書き取りをする。そこにふ
と影がおちる。
﹁遊ぼうぜ!とおる!﹂
腕を取られて、無理矢理立ち上がらせられる。
その強引なやり口に溜息を禁じ得ない。私は今から色々と覚えな
きゃいけない事が山積みなのに。もうあんな思いはしたくないのに。
しかし、この教室で最も人気のあるこの少年の事を無下にはできず、
しぶしぶ付き合う事に。子供ってなにからいじめに発展するか分か
りませんからね。
いつも泥だらけになるまで遊んだ、私もなんだかんだいいつつ、
結構楽しんでいたな。
子供らしくない私をいつも気に掛けてくれた。そんな晴翔は私よ
りもコミュニティ能力も気遣いも出来る子だったのだろう。大人の
342
記憶が聞いてあきれる。まだ小学生の晴翔に気を使わせるなんて。
晴翔はいつも本を読んでいる私を眺める。
﹁なぁなぁ、そんなもんばっか読んでてたのしいのか?﹂
﹁⋮⋮たのしくは、ないよ﹂
少し考えてから返答する。正直、楽しくはない。
しかし将来的に楽になる予定だ。社会に出てからの話だけど。
﹁じゃあなんで読んでんの﹂
﹁⋮⋮必要だから?﹂
﹁そういうもん?⋮⋮んーむずかしそうだな﹂
私が読んでいた本を覗き込んで唸る。そりゃそうだ、今私が読ん
でいるのは中学生が読むようなものなのだから。流石に、いきなり
高校の問題はダメだった。だいぶん忘れていたなぁ⋮⋮。まぁ前世
はあまり頭の良い方ではなかったしな。今の脳みそは随分と物覚え
が良い。なので勉強もし甲斐がある。
晴翔とはずっと同じクラスになり、いわば腐れ縁という関係にな
った。
いつも茶道や弓道、勉強ばかりの私に根気よく話しかけてくれて
いた。習い事やなんやと理由をつけてことわる様な奴をつけ回して
なにが楽しいのだと思っていたが、私も、そんな彼の事を友達とし
て好きだった。私は私みたいな愛想のない子供なんて友達にすらな
りたくないけど。
晴翔は変わり者ですね。
とある日に、熱を出した。
343
高熱で、うなされる。前世での辛い出来事がなんども夢に出て来
て、泣いてしまった。死ぬ瞬間の絶望なんて、もうすっかり忘れて
いたのに。恐怖で震えた。まるで子供の様にないて⋮⋮いや、実際
見た目は子供なのだが⋮⋮枯れるまで泣いた。
起きていても、もう死ぬんじゃないかと不安で不安でたまらなか
った。その時、晴翔が見舞いに来てくれて、手を握ってくれていた。
私よりも子供なはずなのに、頭を撫でてくれて、大丈夫とずっと言
ってくれて。母もつきっきりという訳にもいかなかったその時、晴
翔が支えてくれたのだ。
優しくゆっくり撫でられ安心する。今思えば笑える程、私は子供
っぽかっただろう。体が小さいと、精神まで引っ張られる事はある
と思う。私の場合、30歳と年を重ねているがあまり大人らしい大
人でもなかったと思う。
﹁晴翔﹂
風邪でかすれた声で呼びかけると、優しい声で﹁何?﹂という返
事がくる。子供なのに、随分と大人びた奴だ。という印象が強い。
だからなのだろうか。こんな風に心が惹かれてしまうのは。
そこにいてくれて、私を安心させようとしてくれる彼を好きにな
ったのだ。
そうだった。私はこの時、彼が好きなんだと気付いたのだった。
小学生なのに、とかそんなのはその時に浮かばなかった。隣にい
る事が当たり前で、傍にいると安心して嬉しくて⋮⋮ただ、好きな
んだなぁ、という気持ちが強かった。まぁ、後で頭を抱えるんです
けどね。
はっと目を覚ます。
体が鉛のように重く、ガンガンと頭が痛い。
どうやら、風邪を引いてしまったようだ。
344
いやぁ、先日は寒かったですからね、ちょっと濡れちゃいました
し。これは、終業式に出られなさそうです⋮⋮なんてことなの。ま
ぁ、このまま休ませてもらいますけど。
あー⋮⋮頭痛い、だるい、体痛い、疲れた、もういや。もうやだ
やだ。出たくない、引きこもりたい。昔の夢みちゃいましたし。
乙女ゲームのライバルキャラが退学させられる夢もみて、気落ち
する。
学校やだです。いじめよくない。やりたくない。けれど、やはり
してしまうのだろうか。ぽっと出の女にずっと好きな人を取られた
ら誰でもイラッとするでしょうし。
うわだめだネガティブになってきた⋮⋮。
瞼を閉じていると、少し寝てしまったようだ。
まだ体は痛い。どれくらい寝ていたのだろう。動くと体が悲鳴を
あげる。うぐ、いたい、いたいです。でもトイレにいきたいんです
よ。風邪引いた時ほどトイレにいくのがめんどくさいことはない。
﹁あ、透。起きて大丈夫なのか?﹂
﹁っ!?!!?﹂
部屋に入って来た人物をみて、思わずせき込んでバランスをくず
す。倒れそうになった所を、しっかりと抱き留めて支えてくれたの
は、晴翔だった。
密着して、晴翔の体温、息遣いなどがまるわかりで、思わず悲鳴
をあげそうになる。しかも今はパジャマ姿なのだ。見られたくない。
そう思ってしまうのも仕方ないだろう。
肩に手を回されて、支えられる。心配そうに、優しく。丁度さっ
き夢でみたものを思い出して、熱い頭がさらにあつくなる。
いや違う、これはさっき変な夢みちゃったからで!それに、風邪
も引いてるから、胸が締め付けられるように痛いのも、きっと気の
345
せいだ。
﹁ああ、ほら。まだ起きちゃダメだ。熱も⋮⋮まだ、高い、な﹂
晴翔の手が私のおでこに触れて、熱をはかる。
ひいいいいいいっ!
声に出したいが、ヒュ、という音しか出なかった。喉も凄く痛い。
まだ晴翔と仲良かった時は、確かにこうして、お互いの家にあが
って看病した事がありました。でもそれは中学をあがってからしな
くなったはずだ。
なんで家にきてるなんで家にきてるなんで来てる!!頭の中では
その文字がずっと回っている。
晴翔が私をベットに戻そうとするのを、胸を叩いてとめる。
ハッそうだ!トイレ行きたいんですよ!邪魔です!帰れ!喋りた
くないので、黙って上を見上げてキッと睨みつけたら、晴翔は目に
見えて狼狽えた。
﹁なにをやってるんだ﹂
そこでまた頭が混乱する。その不機嫌そうな低い声は会長のもの
とそっくりで。
声のした方に顔を向けると会長の姿が⋮⋮ってほんとにいるじゃ
ないですか!どう、どうして会長まで!驚きで固まっていると、会
長がずかずかとこちらに来て、グイッと私の肩を抱いて自分の方に
寄せた。なんか皮膚がヒリヒリするので、いたいです。会長の固い
体がすっごい不愉快ですよ。
﹁姿が見えないと思ったら、何やってるんだ﹂
﹁熱はかってただけだろ﹂
346
﹁そこまで密着する意味が分からない。変態なのか﹂
﹁お前、今の自分の行動みてから言えよ!?﹂
﹁俺はいいだろ、俺は﹂
﹁なんだその俺様理論は!﹂
だのなんだの頭の上で議論している。いつもの事なのだが、今は、
今はやめて、くださ。
痛い、いたいです頭がわれる。
﹁うるっざいで、す!︱︱︱げほげほっ!?﹂
あんまりうるさいので大声を上げてしまった。
叫んだせいでせき込む。あちこち痛くて泣きたくなってきた。
声を発したけど、ガラッガラでしたね。うわ今ので体力使った。
もう動きたくない、でもトイレ行きたい。
﹁大丈夫か?!﹂
﹁透っ⋮⋮!?﹂
2人共心配そうに私を支えてくれる。心配してくれるのは有難い、
ですが、ですよ。
﹁じゃま、どけっ﹂
単語だけで用件を伝えたらすごい物騒になった。声も低くなって
いるからドスがきいている。でも仕方ないです、もう、喋りたくな
いんです。敬語なんて文字数多い言葉言えない、言いたくないんで
す。
私の言葉に2人共固まった。
347
よし、今の内にトイレです。母さんはなにをしているのでしょう。
なんで2人を家にあがらせたんでしょうね⋮⋮。
トイレからでると、母さんと会った。
﹁あれ、おきたの﹂
喋るのも辛いので、頷く。
﹁喉痛いのね⋮⋮﹂
これもまた、頷く。母さんは心配そうに眉を下げている。普段は
結構元気だけれど、熱を出すと結構こじれますからね⋮⋮。
﹁さ、まだ寝なさいな﹂
母さんは私を支えて、部屋までついてきてくれる。喋らなくても
会話が成立している。さすが母さんです。トイレに行くのをことご
とく邪魔してくる人達とはえらい差です。
部屋に戻ると、今だに硬直した男2人の姿が。
私は母さんに目くばせした。﹁帰らせろ﹂と、目で物語る。母さ
んも分かったみたいで、苦笑している。
私はベットで横になり、母さんが2人を追っ払っている声を聞き
ながら目を閉じた。
348
別視点の話。︵前書き︶
過去話別視点。
後半翼視点入りますご注意下さい。
349
別視点の話。
﹁おまえ、なまえなんていうんだ?﹂
俺はそう話しかけた。
いつも隅っこで本を読んで難しい顔をしている子だった。漆黒の
髪に濡れた瞳、桜色に色づけられた綺麗な唇。澄み切った綺麗な白
い肌、そのどれもが完璧に配置されている、人形のような女の子。
何処か遠くを見つめているような大人っぽい子だった。
1人でいるが、それが自然で、というか大人っぽい雰囲気が近寄
りがたいのである。でも俺はどうしてもその子が気になったのだ。
声をかけた事によって、彼女と目が合う。
その瞬間、時間がとまったかのようだった。ほんのわずかな時間
だったのかもしれない。でも俺には永遠のように思えた。
彼女の瞳に見惚れていた。
が、彼女は何も答えてはくれなかった。
少し戸惑いがちに口元に手を当てて、俺の様子を窺っている。彼
女の視界におさまっている、という事が、妙に緊張した事を今でも
覚えている。
﹁なぁなぁ、だまってないで。なまえ、おしえてくれよ﹂
彼女が黙っている事に耐えられなくなって、彼女の本を叩いて気
まずさをごまかす。妙に緊張する雰囲気を放つ子なのだ。
彼女はゆっくりと、口を開く。
﹁木下。木下透﹂
﹁ふーん、よろしくな!とーる!俺は晴翔!﹂
350
今でも、その時の事は覚えている。彼女と会話できたことが嬉し
くて、にやけた顔が戻らなかった。
落ち着いた雰囲気の彼女は、男子生徒から密かにもてていた。実
際に喋るといつも難しい言葉をしゃべって、本当に大人みたいな子
だった。いくら勉強しても、透の読んでいる本を理解する事は出来
なかった。いつも彼女の背中を追いかけていた気がする。
﹁遊ぼうぜ!とおる!﹂
難しい本を読む透の腕をとって強引に遊びに誘う。透は困惑しな
がらも、やれやれ、と肩を竦めながらついてきてくれる。習い事を
沢山している透は、なんだかんだいいながら時間を作って俺と遊ん
でくれる。とっつきにくいが、彼女がとても優しい事を俺はしって
いる。その優しさに甘えて、俺は無理矢理彼女を引っ張り回してい
た。
そんな時、彼女が熱を出して休んだ。
熱が高くて今にも死にそうにうなされてて、気が気じゃなかった。
今まで彼女のそんな姿を見た事がなくて、落ち着かない。ずっと手
を繋いで、彼女をいる事を確かめたかった。﹁大丈夫﹂と自分に言
い聞かせるように口に出す。そうすると、本当に大丈夫になる気が
するのだ。
﹁晴翔﹂
辛そうな声を出されてハッと顔を上げる。ちゃんと起きていてく
れて、思わず声に安堵が混じる。
﹁何?﹂
351
目が潤み、顔も赤くなっていて、つらそうだ。しかし彼女の理知
的な瞳の色は変わらない。
目が合った瞬間、彼女が微笑んだ。
いつも笑っている表情とは少し違って見えた。なんだか、ずっと
見ていられないような、でも見ていてほしいような。
﹁そばにいて⋮⋮﹂
それは彼女の初めての弱音だった。
俺は慌てて手を握り返してしっかり頷く。
﹁うん、いる。いるから!早く元気になれ!﹂
速まる心臓に気づかないまま、俺は彼女を看病し続けた。
⋮⋮翼視点⋮⋮
﹁今思えば、あの時から好きだったのかもしれない﹂
俺の部屋の中で神妙な顔で頷く友人を前にして、苦笑いしか出て
こない。それを俺に告白されて、俺はどんな顔をすればいいんだ。
引いた。ドン引いた。
ずっと気付かないフリをしていたけれど、ずっとずっと好きで、
自分では気づかないようにして、隠してきた。
透に告白されて酷く動揺して言葉が出なかった。零れてしまった
言葉は告白をことわる言葉で、家に帰って呆然としてしまう。
家で落ち着いた所でようやく自分のした事に気が付いて、後悔し
て家中の床を転げ回ったそうだ。
352
どうしてその後すぐに告白しなおさなかったんだろう。
告白されたから告白しなおすなんて、都合が良過ぎるというのと、
単純に緊張しすぎて出来なかっただけというか。
なんというかもう、筆舌にしにくい馬鹿である。
それで今でもうじうじと⋮⋮俺の前でだけ透への愛を語るこの友
人の尻に火を付けて走らせたい。
﹁いや、俺に言われても﹂
男の愛の語らいほど苦痛な事はない。
あんまり熱くかたらんでくれ、鳥肌が立つ。その情熱を少しでも
透本人にでも伝えていたら、何かが変わるかもしれないのに。俺が
透にいうのはなにかおかしいし、晴翔の口から語ってもらうのがい
いのだが、当の本人はいじけている。
先日はあの生徒会長と話をしたが、ストレートな彼の愛情が伝わ
ってきて生徒会長の方を応援したくなってきた。透の話をする時、
生徒会長の表情が緩んでいるのを俺は見逃しはしなかった。透の態
度は普通なので、まだ恋人未満ではあるのだろう。
しかし、このまま会長の猛攻がとまらなければ圧倒的に不利な事
は分かる。どうしたものか、まぁ自業自得なんだけど。今でもこう
して悩んでいるのを見ていると、やはり応援したくなるのが人情と
いうもの。長い間応援している身としては会長よりもやはり晴翔と
上手く行って欲しいところ。
彼が深く反省し、後悔している事を知っているのだ。
覆水盆に返らずとはよくいったものだ。出してしまった言葉はも
う戻ってこない。やってしまった今までの事柄も勿論戻ることはな
い。
でもこれからの事でどうにか挽回しなければならないだろう。真
っ直ぐ透を思っている会長の心情など聞くものではなかった。あん
な良い人応援したくなるじゃん⋮⋮!透と晴翔を2人っきりにする
353
ために会長と話したけど、イメージと違って偉そうでもないし穏や
かな優しい感じの人だったし。いつも壇上に上がっている所しか見
た事なかったけど、とても人が良さそうだった。もう、あの人でも
いいんじゃないかな、という気分になるのも仕方ないだろう。しか
し是が非でも晴翔には頑張ってもらわなければならない。
でもどうするかなぁ⋮⋮想いは伝えないくせにネックレスとかプ
レゼントしちゃうようなやつだしな。先に俺がみておくべきだった。
いや、でもまさかあんなものプレゼントするとは思わないだろう。
あれをプレゼントできるなら何故告白しない!透完全に引いてたけ
どね!
まだ指輪じゃなくて良かった⋮⋮とこぼしたら、﹁指輪のサイズ
が分からなかった﹂とのたまった。張り倒してやりたい気分になる
のも仕方ないと思う。
その前にやる事があるだろうこの馬鹿が。
透が告白した時、晴翔は気付かなかったが、その時すでに両想い
だった、という訳だ。ああ、もうほんと、馬鹿だ。馬鹿野郎だこの
やろう。
深く溜息をついていると、メールの返信が来た。透だ。
透の初詣の誘いをしてあったのだ。さてはて、この誘いも毎度俺
がしなければならない情けなさにまた溜息がこぼれそうになる。
メールを開いて内容を読むと、了承だと書いてあった。もう風邪
も良くなったらしい。
﹁透。初詣行けるってさー﹂
﹁⋮⋮そ、そうか﹂
考えただけで緊張するのか、顔がこわばっている。そこまで固く
ならなくても⋮⋮もうちょっとリラックスしなければまた行動が裏
目に出るというのに。
冷や汗をながしている友人の頭に手刀を入れる。
354
﹁もうちょっと肩の力抜けよ、だから失敗すんだよ。ばーか﹂
﹁抜けるもんなら抜いてるわばーか!﹂
涙目で反撃された。まぁ、そんな器用な男ならこんなことにはな
っていないのだから、それも仕方のない事だろう。
晴翔と話していると、溜息ばかり出てしまう気がする。これだと
俺の幸せも逃げそうだ。
﹁つか、いけそうか?また2人になる作戦だけども﹂
﹁⋮⋮﹂
苦虫を噛み潰したような顔をしている晴翔。
そんなに緊張するか、そうですか。でも2人にしないと会話すら
しないんだよ⋮⋮。透も晴翔も俺にしか話しかけないのだ。2人に
挟まれていると、まるで翻訳家のような気分になる。
﹁まぁ、どうせ今回もダメだと思うけど、出来る限り頑張れ﹂
﹁⋮⋮ありがとう、翼﹂
﹁どういたしまして﹂
拾ったからには最後まで面倒みてやるよ、頑張れ。
355
神社に行きました。
風邪も全快して、冬休み宿題を手軽にすませる。年末年始はさす
がに生徒会の仕事もないので、のんびりと家事を手伝い、勉強をす
る。赤本と向き合いながら、忘れているものがないか何度も繰り返
す。たまにやっておかないと、人間ってなんでも忘れますしね。ま
ぁ今のところ大丈夫みたいですけど。ついでに翼宛てのプリントも
作ろう。あんまりやりすぎないようにしないとですね。
ん、久しぶりに翼の音楽聞きたくなってきましたねぇ。将来はプ
ロのミュージシャンですから、やはり凄く上手いんですよ。
静かに勉強していたら、スマホが震えた。メールかな、と思い手
に取ると、翼からだった。なんというタイミング。ちょうど翼の事
を考えていた時だったので、若干驚く。メールを開いて読むと、初
詣のおさそいだった。ああ、いいですねぇ。でも、きっと翼の事だ
から、晴翔も来るんだろうな。お見舞いに来てくれた時の晴翔の体
温を思い出して、首を振る。
あんなに密着したら誰だってドキリとしますよね。いい加減普通
に接しなければいけません。晴翔もいつまでも私がこんなんじゃ迷
惑でしょうし。
晴翔からもらったネックレスが入れられている引き出しをチラリ
と見て、息を吐きだす。
ずっとつけないというのも申し訳ないんですかね⋮⋮好きなデザ
インですし、この際つけていきましょうか。いえ、でも⋮⋮引かれ
ないでしょうか。振ったのに付けて来てるとか、いやでもそれだと
似合うからって送るでしょうか。いや、うん⋮⋮そうやって悩む事
ももうやめましょう。そうやって意識するのがダメなんですよ。も
う何も考えずにつけましょうよ。せっかくあげたモノが使われない
ショックですしね。⋮⋮でも、なぁ⋮⋮いや、もういいか。
356
悩みながら過ごしていると、あっという間に年を越した。メール
を見ると、あけましておめでとうメールが沢山届いていた。最近の
子はメールで済ませますからね。はがきが売れなくて困ってるとか、
どうとか。はがきもいいものですけどね、如何せん、手間がかかり
ますから。そうですよね、まぁ、私もメール派ですから。とてもめ
んどうなんですよね。いいものなんですけどね、はがき。形に残り
ますし、あとで眺めたりもできるんですけども。
いやぁ、来てしまいましたね。今年がやってまいりました。人生
が終わるカウントダウンがスタートしました。いやぁ、爽やかな朝
ですね。とても爽やかです、ええ。
初詣に行くために準備をする。ちなみに普通の服で行くつもりだ。
適当に男っぽい服を手にして、準備する。晴翔のネックレスは⋮⋮
いや、似合わないですね。やめときましょう。
そっとネックレスを閉じて、待ち合わせ場所へと向かう。
寒いですねぇ⋮⋮。白い息を吐きだす。冬の寒さは染み入ります
ねぇ⋮⋮。マフラーを口元まで上げ、手を片方だけコートのポケッ
トに入れる。毎年、混んでるんですよねぇ。
待ち合わせ場所にいくと、翼と晴翔が女の子達に囲まれていた。
あれ、デジャヴ⋮⋮まぁ、あれだけ恰好良いですから、仕方ないで
すね。
女の子達から抜け出し、翼達と合流する。
神社には出店が出ている。人が沢山いますねぇ。
﹁あの、プリントもう終わったんだけど﹂
﹁ん?ああ、もうですか。だんだんはやくなってきましたね﹂
﹁うん、まぁ⋮⋮慣れたというか。慣れさせられたというか﹂
今回はちょっと少な目にしたけれど、翼はもう終わらせたらしい。
357
はは⋮⋮と少しだけ苦い笑いを浮かべている。
雑談をしつつ、混みあっている賽銭箱の所まで行って、願い事を
神様に送る。かなり人が多いのではぐれないようにしないといけま
せん。2人共目立つのでまず問題ないでしょうけれど。願い事は⋮
⋮そうですね。今年も無事に平穏に過ごせますように。無事に!ち
ょうぶじに!何事もなく!本当に本っ当にお願いしますっ!いじめ
とかナシの方向で!できれば安全策で転校したいです!転校!いじ
めた後の転校じゃなくて、いじめる前に転校したいです。
なんかこう、問題起こしてからじゃ遅いんですよ。早めの対策が
いるんですけど、もう年越しちゃいましたよ!どうしましょう!今
から転校の手続きっていけるんですか?!うわああ!
﹁透、後ろつかえてるから﹂
うんうん唸りながら願っていると、翼に腕を引っ張られて泣く泣
く賽銭箱から離される。願ってたらついつい熱が入ってしまいまし
た。だって、今年はほんとにこわいですからね⋮⋮。
次はおみくじを引く事にした。神社ときたら定番ですね。去年は
吉でした。まあまあです。今年はどうなるでしょう。凶とか大凶と
か出たら泣くかもしれない。
じゃらじゃらとおみくじの箱を振って、番号を巫女さんに伝える。
持ってこられた薄い紙を受け取り、翼や晴翔がおみくじを引くのを
待つ。
全員引き終えた所で、同時におみくじを開く。
大吉。
二度見する。しかし何度見ても大吉な事に変わりがない。ば、ば
かな⋮⋮私の今年の未来は明るいというのか!いや、嬉しいんです
けどね。はっ、そ、そっか、今の状態が最高の状態って事で後は転
げ落ちるだけなんですね!?うっかり期待しそうに!いや、でもち
358
ょっと期待してもいいですか⋮⋮。
翼と晴翔の方を見る。晴翔はおみくじの紙を持ったまま固まって
いた。翼はというと、晴翔のおみくじを覗き込んで苦笑いを浮かべ
ている。その反応は⋮⋮あまり芳しくなかったのかな⋮⋮そう思っ
て覗き込む。
凶。
えっと、はい、なるほど。
﹁えっと、翼はどうでした?﹂
﹁だいきちっ!﹂
びしっと掲げて自慢げだ。
そんな可愛らしい姿を見て和みながら、私もおみくじを見せる。
﹁おおっ透もかぁー!﹂
﹁ふふ、そうですね。なにか良い事あると良いですね﹂
﹁だよねーって晴翔は?﹂
キョロキョロとしている翼、そこでようやく私も晴翔の姿がない
事に気付く。見失ったのだが、赤い髪のイケメンはすぐに見つかっ
た。先程まで私達がおみくじを買っていた場所だ。あれっ!二回目
買ってる!おみくじ二回目買っていいんでしょうか。
買ったおみくじを薄目で恐る恐る開いて、結果を見た瞬間その場
に崩れ落ちた。
慌てて走って近づき、翼がおみくじ結果を晴翔の手から奪い取る。
﹁う、わぁ⋮⋮﹂
﹁大凶⋮⋮﹂
2回目が大凶⋮⋮これはひどいですね。1回目でやめといた方が
359
良かったのに⋮⋮どうして引いちゃったんです。ど、どんまいです。
プルプル震える手で大凶と凶のおみくじを木に結びつけていた。
私と翼も大吉のおみくじを境内にある専用の木枠に付ける。良い
モノでも悪いモノでも括りつけるといいんですっけ?人によると持
ち歩く人もいるらしいですけれど、私はつけていくタイプです。持
ち歩くのが面倒なんておもってませんとも、ええ。
しっかりと括りつけた所で一息つく。
﹁今からどうします?﹂
と、翼に聞いてみる。
翼はスマホをいじりながら、私に返答した。
﹁んー、俺は、今から友達の所に行こうかと思ってる﹂
ニッコリと、実に良い笑顔だ。
思わず苦笑する。前回も似たような事しませんでしたか。
﹁じゃあ解散でいいですかね?﹂
私もニッコリと笑って断言しましょう。
翼がいないなら気まずいだけですし。当然といえば当然でしょう。
すると、翼と晴翔があわあわと慌てだした。
﹁ととと、透?いやでも晴翔と2人でその、なんというか!えっと﹂
あまりに翼がわたわたしているので思わず笑ってしまった。クス
クス笑っていると、周りの目が集まりだしたので、コホンと1つ咳
払いして笑いを抑える。
360
﹁冗談です。気を使って頂いてすみません﹂
﹁え、うん。いや、そんなんじゃないけども、あれ?そういうこと
なの?﹂
晴翔とは、ゆっくり話をしないと思ってました。
ずっと気まずいままでもダメですから。翼は恐らく、仲直りさせ
たいんだと思う。なんだか申し訳ないです。
翼とわかれ、晴翔と2人きりになる。
﹁どっかで腰かけますか﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
僅かに緊張した声が低く響く。
歩き出そうとして、やめた。
すると、後ろにいた晴翔が軽くぶつかる。
﹁あっ⋮⋮悪い﹂
﹁あ⋮⋮いえ、こちらこそ。立ち止まってしまって﹂
互いに向き合って謝罪をする。
なんだかその様子がサラリーマンのようで少々笑ってしまった。
私が笑っているのを見て、僅かに驚いていたようだが、晴翔も口元
を少しだけ緩ませた。
﹁ふふ⋮⋮ああ、そうそう。少しお腹すきません?何か買ってから
座りませんか?﹂
﹁あ、ああ。そうだな⋮⋮何を買う?﹂
﹁そうですねぇ⋮⋮﹂
少し考えて、あるものが思いついた。
361
﹁﹁たこ焼き⋮⋮﹂﹂
晴翔と声が重なった。
そうそう、晴翔と来ると必ずたこ焼きですよね。分けやすいです
し。お好みとか焼きそばは家でも出来ますけど、たこ焼きはたこ焼
き器がなかったらダメですからね。そんな頻繁にたこ焼き作る事も
ないですし、祭りにきたら食べるモノなんですよねぇ。
なんだか晴翔との思い出が懐かしくて、またついつい笑ってしま
う。
﹁⋮⋮っ﹂
目の前にいる晴翔が胸の所をギュッと掴んで目を逸らした。その
様子に、首を傾げる。
﹁晴翔?﹂
﹁透さん⋮⋮!?﹂
私が晴翔の様子を窺っていると、後ろから可愛らしい女の子の声
が聞こえて来た。
振り向くと、そこには着物を着て髪を綺麗に結った桜さんがいた。
寒さのせいで、ちょっぴり鼻が赤くなっている所がまた可愛らしい。
チラチラと男達が桜さんを見ている。その気持ち、わかりますとも。
めっちゃ可愛いですね。なんでしょう、薄く化粧をして、大人っぽ
くも見えて⋮⋮ドキリとするような色香を感じさせます。
﹁き、奇遇ですね!こんなところで会えるなんて!﹂
﹁ええ、偶然。こんなに人も多いのによく見つけてくださいました
ね。嬉しいです﹂
362
桜さんが私の手を取って興奮している。そんなに嬉しいですか、
そうですか。私も嬉しいですよ。
私が桜さんと手を握りながら周りを見ると、男たちがあきらめ顔
で離れて行った。私、女ですよ⋮⋮まぁ、桜さんが変なのに絡まれ
ないならいいですけど。
﹁⋮⋮探してみようとは思ったけど、人混みがあるから無理だとお
もってたけど。これが愛の力なのね!⋮⋮ふふふ﹂
﹁桜さん?何かいいました?﹂
﹁何でもありませんよ!ふふふ!﹂
その後、嬉しそうな桜さんと再び賽銭箱の前に行って、桜さんが
祈っているのを見て癒されて。おみくじで小吉が出て、少々不満そ
うにしているのを慰めた。主に、晴翔が大凶引き当てたというのを
引き合いに出して。
晴翔は今回、なんだかとても機嫌が良さそうで、空気が悪くなる
ような事もなかった。なんだか、前のように接する事ができるよう
になった気がします。これは前進ですね。
363
ふたたび出会いました。
新学期になった。
凍るような寒さが身に染みる。まぁ、実際凍っているところもあ
るのですけどね。小学生が凍った水たまりで遊んでいるのを見て、
若干和む。私は前世の小学生の時もああいう遊びはした事がない。
なにより寒いのが苦手でしたから、雪が降るといつも家に引きこも
ってましたね。
日が当たっている所の雪はもうとけているが、日陰にはまだのこ
っている。なので、まだまだ滑らないように気を付けないといけな
い。
そう、たとえばこの道とか、ほぼ氷漬けのような感じに⋮⋮。こ
こ通れますでしょうか⋮⋮。結構滑る地帯のようで、よたよたして
いる人もちらほら。自転車の人は必ず降りて歩いている。
ああー⋮⋮このスチル絵は、主人公が滑ったところを攻略対象者
が助ける場所ですね。なんてはた迷惑なスポットでしょう。
入学して1年目だけそのイベントが起こる。もっとも好感度の高
いキャラが助けるんですけど、病弱キャラの日向先輩と、水無月は
出ない。たぶん、助けられずに主人公と共にこけるようなキャラだ
からだろう。それもまた主人公と密着できるイベントのようで良い
とは思うんですけどね。まぁ、そもそも日向先輩は命にかかわりそ
うなのでダメでしょうけど。その場合、主人公はすっころんで保健
室のお世話になる。その時に顔をあわせた日向先輩が心配する、っ
てな具合だ。水無月はどうだったか⋮⋮あんまり覚えてないですけ
ど、まぁあまり関係ないでしょう。
そこまで考えて、いざすべり魔スポットへと足を踏み入れる。
﹁うわぁっ?!﹂
364
ずるりと足が滑った。慎重に歩を進めていたのに、なんという滑
りやすさなのだろう。そりゃ何もしらない主人公も滑りますよね!
これ!
後ろ側にこけそうになったので、尻への衝撃に備える。心の準備
をしなければならない。
しかし、私に訪れたのは尻への衝撃ではなく、背中だった。
﹁大丈夫か?﹂
そっと肩に手を添えて語り掛けられる。
その甘い声に聞き覚えが物凄くあったので、慌てて距離を取ろう
とする。
﹁ちょ、慌てるとまた滑るぞ?﹂
晴翔が呆れたようにそう言ってまた引き寄せる。
うわあああっ!離して下さい!
グイグイと力の限り押して離れる。
私が本気で嫌がっているのが分かったのだろう。酷く傷ついた顔
をしている。
私へと伸ばしていた手は行き場をなくして下へと下げられた。
っていうか、なんで晴翔は平然と立っているの。
何その安定感。攻略対象者だからなの。
﹁⋮⋮おはようございます﹂
﹁⋮⋮おはよう﹂
こっちは滑りそうになって足が プルプルしているというのに。
なんだかすごく腹が立ちますね。アイススケートのリンクに乗って
365
る感じですよ、なんか。そしてとても滑りやすいモノを履いている
気分です。
﹁おはよう﹂
﹁うぎゃっ!﹂
後ろからトンと叩かれて、また滑る。
乙女にあるまじき声を上げてしまった。しかしそんなものに気を
かける程余裕はない、咄嗟に近くにあるモノを掴んで自分の方に引
き寄せてしまう。
すると、何か暖かいものに包まれて、頭の上から声が聞こえて来
た。
﹁と、大丈夫か?﹂
﹁あ、会長⋮⋮ええ、えっと、大丈夫です、すみません、おはよう
ございます﹂
さっき肩に手を置いたのは貴様か。
会長のせいで滑りそうになりましたけど、助かりました。会長も
何故そんなの安定してるんでしょうね。不思議。あ、丁度良いです。
会長を杖にして行きましょう。
会長にしがみ付いたままこの魔のスポットを抜ける。ホッと息を
吐いて礼を述べる。その後ちょっと疑問に思った事を聞いてみる。
﹁なんで会長は滑らないんですか?﹂
﹁基礎体力をつけているからな﹂
ごめん、後半なにいってるか分かりません、会長。
体力のレベルじゃない気がしますよ、ここ。
明日から迂回しよう⋮⋮ちょっと遠いですけど。
366
何度目かのテストも終わり、着実に主人公入学の日が近づいてき
ている。なのに今だに転校先も見つかっていないし、ロクな理由も
見つかっていない。これはどうしたものか⋮⋮と唸る。
﹁大丈夫ですか?﹂
唸っていると、心配そうな顔をした桜さんに声をかけられた。私
は笑ってごまかす。
﹁ああ、いえ、大丈夫ですよ﹂
﹁そうですか?﹂
そういいつつ、心配な顔はしたままだ。恐らく私の言葉を信用し
ていないのだろう。本当に良い子ですよね、桜さんは⋮⋮。
こんな良い子に心配かけられません。でも、転校なんてしたら心
配されるでしょうね。だからといって、ここに残って主人公いじめ
の主犯になったら幻滅されるし。⋮⋮どうすりゃいいんですか。
廊下を歩いていると、はたと緑色の髪のイケメンホストを発見し
た。丁度、校長室から出て来ている所だ。
ああ、やっぱり入学式の時に入って来るんですね、先生の攻略対
象者。目が合ったので、軽くお辞儀をする。先生もホスト笑顔で礼
をしてきた。
顔を上げると、上から下までじっくり見られた。イケメンじゃな
かったらセクハラなレベルでガン見された気がする。
﹁君って、女の子だったの?﹂
367
﹁へ﹂
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
え、覚えられていたんですか?確かにあの時は男装してましたけ
れども。よく気が付きましたね。化粧はしてないから、人の顔を覚
えるのが得意なら気付くのでしょうか。なかなかに凄い特技です。
きっとどこの会社でも役に立ちますよ。
私がフリーズしているのを見て、慌てて手と首を振る。
﹁わ、あ、いや、ごめん。失礼な事言ったな。っていうか話すの初
めてなのに第一声がそれってまずナイよな。本当、ごめん﹂
﹁ああ、いえ⋮⋮チラッとお会いしただけなのによく覚えていらっ
しゃるなぁと思っていただけですよ。お気になさらないでください﹂
﹁あー⋮⋮すげぇ目立ってたし、君達。まぁ、元々人の顔を覚える
のは得意だしね﹂
ははは、と爽やかにホスト笑顔を振りまいている。
この人ほんとにチャライ見た目ですね。
いつき
﹁い、樹くん!ま、ちょ待⋮⋮あー!﹂
そんな声と共に何かがバサバサと落ちる音が聞こえる。校長室で
誰かが何かを落としたようだ。
ちなみにその情けない声は校長先生のものではない。男性の声で
ある事に変わりがないが、校長はもっとダンディで落ち着きのある
声をしている。間違っても泣きそうでいて、それでいてみずみずし
く若いの声ではない。だとすると別の教員か、生徒か⋮⋮。
﹁大丈夫かね﹂って声をかけているのが校長のダンディな声だ。
なんかドジっ子な誰かが何かしらしたのだろう。
368
﹁あー⋮⋮ごめん、俺ちょっと行ってくるわ﹂
﹁あ、はい、どうぞ。引きとめてしまって申し訳ありません﹂
﹁いやいや、俺が失礼なこといったせいだし⋮⋮って、ほんと君し
っかりしてるね。シュウとは大違いだな⋮⋮﹂
﹁は、はぁ⋮⋮シュウさん?﹂
﹁ああ、あの校長室で叫んでる奴なんだけど﹂
﹁樹くんたすけて!﹂
﹁ああ、ほんとごめん。どうせまた会えると思うし、じゃあね﹂
今に泣きそうになっている声のする所にホストが駆けていく。い
やぁ、実に清々しい程ホストでしたね。
正直、この乙女ゲーム知識がなかったら、教師だとは気付かない
ところです。見た目だけでは判断しちゃいけませんよねぇ。走る姿
もとても絵になります。そういえば、彼はなんの担当でしたっけ。
まぁ、すぐに分かる事でしょう。
生徒会室に行くと、その話題があがった。次年度に入ってくる教
師の話だ。生徒会役員なので、その事についても知っておいた方が
良いだろうとのことだ。今の化学教師と養護教諭がやめて、新しく
2人の教師が入るそうだ。
⋮⋮2人?
たかまがはらしゅう
資料を捲って教師2人の情報を読む。といっても、簡単なものし
かかいていないのだが。
化学教師の高木樹、養護教諭の高天原週。⋮⋮おっと、シュウっ
てさっきの人ですかね。だから2人が校長室に⋮⋮なるほど。親し
そうに下の名前で呼び合っていましたけれど、知り合いなのでしょ
369
うか。そんな設定、あったかな⋮⋮。
トントンとこめかみを叩いてみるが、それらしき情報に覚えがな
い。まぁ、同時期に同年代の教師が入って来るのですから、仲良く
なって意気投合してもおかしくはないですよね。
乙女ゲームでのモブキャラの事なんて書いてないのは当然なので、
気にする必要もないのか?
その事を頭の隅にやって、しばらくは書類をまとめる。今日は晴
翔が遅れて来るらしいので、2人で黙々と作業をこなす。
トントンというドアのノックの音が聞こえてきた。晴翔かな、と
思い返事をしたが、どうも違う男の人の声だった。
﹁失礼します。あ﹂
﹁あ、先程はどうも﹂
入って来たのは高木教師だ。その後ろに見慣れない青年がいる。
髪はボサボサで、分厚い眼鏡をかけている。今どき丸眼鏡ってレア
ですね!綺麗なオレンジの髪は目をひきますね、きちんと整えれば、
の話ですけど。
﹁君、生徒会の子だったんだね。あれだけしっかりしているんだ、
なんだか納得してしまったよ﹂
﹁ああ、いえいえ。あ、事務補佐の木下透と言います。これからよ
ろしくお願いしますね﹂
﹁高木樹だ、入学式からよろしくな!それで、こっちが高天原週で、
俺の小学校の時の同級生。まさか同じ学校になるとはおもわなかく
て驚いてるんだ﹂
﹁あ、う、その、ど、どうも?﹂
370
おどおどしながら礼をされたので、私も礼を返す。近くで見ると、
とてもきめ細やかな肌をしている人だと分かった。眼鏡で隠れてい
るが、その顔もなかなか整っている。
なんか人見知り激しそうだけど、大丈夫なのだろうか。この人が
次の養護教諭⋮⋮って小学校の時の同級生?なにそれどこ情報なん
ですか?聞いた事ないんですけど⋮⋮。
﹁あー⋮⋮あんまり見てやるな。怯えるから﹂
私がじっくり眺めていたせいで、すっかりおびえてしまったよう
だ。高天原先生が高木教師の後ろで小さくなってしまっている。こ
の人ほんとに大丈夫か、という本音は飲み込みつつ、謝罪する。
﹁ああ、失礼しました。綺麗な方だと驚きまして﹂
﹁⋮⋮ん?﹂
﹁⋮⋮へ?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
全員がぽかんとしたようにこちらを見つめてくる。
その事に焦る。え、何か変な事言いましたか。
私が心の中で僅かに慌てていると、それ以上に高天原先生が狼狽
した。
﹁は?き、綺麗って、な、え、うわ、ちょ、うわー!?﹂
慌てすぎて、最後は棚にぶつかって資料をぶちまけていた。
ああー⋮⋮さっき校長室でもこれと同じ事をやらかしたんですね
ー。
371
﹁ええと、すみません、何か失礼なことでもしましたでしょうか﹂
首を傾げて高木教師を見上げると、顔を手で覆ってプルプル震え
ていた。
﹁ぶふっ⋮⋮くっ、ははっ!﹂
どうやら笑いを抑えているようである。というか、抑え切れてま
せんよ。なんか爆笑するような事ありましたっけ。でもまぁ、あの
こけ方は凄かったと思います。
会長の方は未だに不機嫌な顔してますけどね。資料をぶちまけら
れた事がいやだったのだろうか。
﹁う、いたた⋮⋮﹂
﹁大丈夫ですか?すみません﹂
すみません、の前になんか良く分かりませんけど、という本音が
あったが、口には出さない。
しゃがみ込んで、こけた高天原先生を覗き込むと、ずれた丸眼鏡
から青と赤紫のオッドアイがみえた。まぁ、なんて珍しい配色⋮⋮。
なんか綺麗な宝石のようですね。高天原先生は慌てて眼鏡をかけ直
して、頭を下げる。
﹁すみません、資料が、ぐちゃぐちゃに⋮⋮僕はいつもこうだ⋮⋮﹂
今にも泣きそうである。
﹁いえ、それはいいんですけど。お怪我はありませんか?﹂
﹁え?あ、はい⋮⋮﹂
372
全身赤くなってしまっている。全身打撲⋮⋮ではないと思う。打
ったのは頭とか背中ですし。でもまぁ、養護教諭ですから、自分の
怪我もどの程度か分かる⋮⋮でしょうか?たんこぶなんか出来てな
いだろうか、と高天原先生の頭に触れてみると、そのオレンジの髪
はふあふあしてて実に触り心地が良かった。おお⋮⋮!これはなん
というか、翼に次ぐほどの威力。
﹁もう大丈夫だろう﹂
そう言って、高天原先生の首根っこを掴んで、立ち上がらせたの
は会長だ。あの会長、仮にもその人先生になる人なんですけど⋮⋮
その猫のような扱いはどうなんでしょう。
﹁ま、いつものことだし大丈夫だろ﹂
からから笑いながら会長から高天原先生を回収している高木教師。
それはある意味、本当に大丈夫なのだろうか⋮⋮。
﹁資料散らかして悪かったな。手伝おうか?﹂
﹁いえ、この程度でしたらなんら問題はないですよ。私こそ失礼し
ました﹂
﹁ああ、じゃあこれ以上ちらかさないよう退散させてもらおう。ま
た4月に﹂
﹁ええ、それでは⋮⋮﹂
慌ただしく出て行く2人の先生。
あ、会長自己紹介してないんじゃ⋮⋮?なんで事務補佐だけ名乗
って会長を紹介しなかったんだろう⋮⋮ま、まぁ、また会えますよ
ね、ええ。
373
﹁随分と騒がしい先生だったな﹂
﹁ええ、そうですね⋮⋮﹂
﹁心配だな﹂
﹁え!?⋮⋮ええ、そ、そうですね﹂
言っちゃった!と思いつつ頷く。私もあの人が養護教諭になるの
は心配なのである。
﹁さて、片づけますね﹂
﹁手伝う﹂
﹁え?いいですよ、これくらい⋮⋮﹂
﹁まぁまぁ、ちょっと体を動かしたいんだ。手伝わせてくれ﹂
﹁ああ、そうですね。それではやりましょうか﹂
ずっと座る続けていては肩こりますもんねぇ。まぁ、片付けも肩
こりそうですけど。拾い集める程度ならちょっとした良い運動にな
るかな?
散らかってしまった紙を拾っていると、会長がその1つを手に取
って首を傾げた。
﹁どうされました?﹂
﹁いや、こんな資料あったかなぁ⋮⋮と﹂
﹁どれで⋮⋮す﹂
うわっ!
374
という声は出さずに済んだ。
会長が手にしていたのは、私が転校するために調べた情報たちだ
った。そういえば、昨日ここに持ってきてて、誰もいないからって
広げていた。そこに晴翔が慌てて入って来たから他の資料と共に挟
んだんでした。そしてそのままそこの棚に片づけて⋮⋮うっかり忘
れてたってレベルじゃねぇぞ!なんでそんなもんわすれるんだ!
﹁他校の詳細な⋮⋮転校条件の情報だな﹂
﹁なんなんでしょうね⋮⋮﹂
﹁ふむ⋮⋮透も知らないか。では火媛にも聞くか﹂
﹁⋮⋮!?﹂
え!晴翔に!?いやいや、晴翔も分からないとおもいますよ!?
っていうか、これは大丈夫な流れなのだろうか?このままシラを切
りとおせるのか?
内心冷や汗がダラダラ流れているが、表面にはなるべく出さない
ようにする。
﹁えーと⋮⋮別にきかなくてもいいんじゃないかなぁ、って﹂
﹁何故だ?もし何かの報告モレだとしたら大変だぞ?きちんと管理
はしないといけないだろう。会長として、当然だと思うが﹂
わぁ!それもそうですね!えらいです!今日ほど会長にドジっ子
になって欲しいと願った日はありませんよ!
感心して良いやら、恨んで良いやらなんだか泣きたい気分になっ
た。
そこで丁度生徒会の扉が開かれた。
375
追及されました。
生徒会に入って来たのは晴翔だった。
素晴らしいタイミングで帰ってきましたね。この時ほど恨んだこ
とはないです。
﹁火媛、この資料が何か知っているか?﹂
﹁ああ?⋮⋮いや、知らん﹂
凄くイラッとしたように﹁ああ?﹂って言ってる姿は、ヤンキー
にしかみえない。髪の毛も赤いから、よりヤンキーにみえる。柄が
悪すぎる。
しかし、資料に目を落として答える顔は、とても真面目なものに
早変わりだ。
﹁火媛も知らんか⋮⋮何故こんなところに⋮⋮﹂
﹁もうちょっと良く見せてくれ﹂
そう言って、会長から転校先資料を奪う晴翔。その真剣な面持ち
から冷や汗を抑えながら目を逸らす。うん⋮⋮ちょっと文字書いち
ゃってるんですけど。バレ、バレる⋮⋮?
いやぁでも走り書きですからね、気付く訳ないですよきっと、え
え⋮⋮と、思いつつ目線をあげると、晴翔とバッチリ目が合った。
凄く長い時間見つめていたような気もするし、一瞬だったかもし
れない。なんだか恐ろしいものの片鱗を味わっている気がする。
﹁透の⋮⋮か?﹂
376
なんという洞察力、そもそも私の文字とか覚えてたんですね。
ゴクリ、と生唾を飲み込んで、乾いた喉を潤す。ここであせって
はいけない。や、やましいことなど、ないのですから。いや、やま
しいことだらけなんですけどね。
﹁ああ⋮⋮そういえば、忘れていました﹂
﹁⋮⋮﹂
く、苦しい!苦しいほどに白々しいよ、私。
晴翔の目は据わっているしまっているし、文字を見て私のモノだ
と確信してしまっている。それなのにどうして会長がこの資料知ら
ないか、と晴翔に尋ねているこの状況。何故なら私のものなのに、
私が知らないと言ったからだ。だから会長は帰って来た晴翔に尋ね
た。
なにかやましいことを隠してますって言っているようなものだ。
こ、こんな事ならシラを切らずに私のものだといってしまえばよ
かった。
﹁そうなのか?﹂
きょとんとした会長が疑問符を浮かべる。
うう、すみません、ついとっさに嘘を⋮⋮。
﹁そうなら何故こんなものを調べているんだ?﹂
うっ。
さてどうしましょう。
シラを切りとおす事は出来るのでしょうか。そもそも、転校した
いと思っている事を隠してどうなるんでしょう。私は遅かれ早かれ
転校しますし、下手したら退学になっちゃうレベルですし。傷害罪、
377
なぁんて犯罪を犯しちゃうかもしれないわけで。勿論やりたくない
のはやまやまなんだけど、この世界がどういう理屈で動いているか
分からない以上、可能性として捨てきれない。
そりゃ、多少の誤差が出て来ているので、なんだかんだ罪は軽く
なるような事があるのかもしれないが⋮⋮希望的観測に過ぎない。
現に生徒会長は生徒会長をやっているし、晴翔も副会長だ。水無月
は金持ちの人嫌いの﹁図書室の君﹂だし、高木はちゃんと教員免許
をとれて、この学校に入学してくる。土のつく子はまだ見た事ない
が、日向先輩も病弱設定になってしまっている。ここまで設定通り
だと希望も失せて来るだろう。
せめて主人公の性格、人となりが分かればもっと良いのだが、生
憎その子とはまだ出会っていない。
なので、ここで転校したい事を言ってしまって、相談に乗って貰
うってのもアリなんだけど⋮⋮。説得するような理由がないんです
よね。
それも言うべきなのか。理由言わないのに転校だけはしたい、と
か⋮⋮そんなの私でも納得できませんよ。でも言えるわけないでし
ょうよ。貴方たち全員ゲームの攻略対象者で、私はライバルキャラ
で、これから入学してくる主人公をイジメるんだぜ!って馬鹿通り
越して頭可笑しいヤツですよ。精神病院に連れていかれてバットエ
ンドですよ。それはそれですっごくアウト⋮⋮。
﹁もしかして⋮⋮俺のせいか?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
深刻な顔をした晴翔が小さな声で呟いた。思考の海に浸っていた
ので、思わず聞き逃すところだった。
﹁俺と、いて、そんなに気まずかったか?﹂
﹁ええと⋮⋮﹂
378
あれっ、何故そんな話に。
確かに告白して振られるという気まずさがマックスな展開でした
けれども、最近ではやっと落ち着いてきたんですよね?定かではな
いが晴翔もそう思ってくれていたと思ってたんですが。
でも、なるほどそうですね。失恋のあまりショックで転校を考え
る。ほうほう⋮⋮ってそれすっごく恥ずかしいんですけど!?
⋮⋮いや、まてまて。まだそっちの方が良くないでしょうか?い
じめやら犯罪やらで転校するより、そちらの方がまだ幾分かマシな
気がします。ちょっと恥ずかしいくらいわけないですよね?晴翔が
とられる嫉妬で苛めて転校という展開より、晴翔に振られてショッ
クだから転校の方が晴翔への精神的負担も少ないような気がします。
⋮⋮む、でもどうなんでしょう。いじめ役の私がいなくなること
で、物語が変動するのでしょうか。もしくは誰か違う人がその役目
を背負う事になったりしない?だとしたら、私はその人を犠牲にし
て身勝手に逃げ出したという事になる。本来の﹁私﹂の役目を放り
出して。何も知らないその子が私の尻拭いをして肩身の狭い思いを
するのでしょうか。
すうっと冷たい汗が背中を流れる。
え、え、自分のことばっかり考えてましたけど、それってやばく
ないですか?もし私が転校できた可能性として、有り得なくはない
ですよね。そりゃもちろん私は平和安全で万々歳なんですけど、そ
の子完全にトバッチリじゃないですか。
物語として、いじめ役ってのは主人公と攻略対象者の愛を深める
イベントとしてかなり重要な比率を秘めていると思う。それ故に、
私が抜けたせいで犠牲になる人がいるのだとすれば⋮⋮。
﹁⋮⋮なんだ?転校する気なのか?﹂
私が考えに浸っている間、会長の中でも何か考えがあったのだろ
379
う。その静かな声に怒りが滲んでいる事に気付いて、胆が冷える。
生徒会長はかなり責任感のある人物だ。だから、生徒会として仕
事をしている私が無責任にも放り出して他の学校に行きたがってい
る等、許せないのかもしれない。
無言でこちらに近づいてくる姿が妙に迫力があって、思わず後ず
さる。狭い室内なので、あっという間に壁に追い詰められる。もう、
下がれない、あとがない。
﹁転校なんて、させないからな。そんな事したら絶対に、許さない﹂
﹁え、は、はい⋮⋮﹂
こ、コワイ!ガッチリした体型の男に上から威圧的に睨まれるっ
て相当こわいですよ!これって所謂壁ドンというヤツなのではない
か?乙女の憧れですよね!全国の乙女さん⋮⋮たぶんめっちゃ間違
えてますよ!すごく怖いですよ!かつあげされてる気分になります
よ!
恐らく顔も青くなってしまっているのだろう、途端に会長の眉が
情けなく下がった。
﹁あ、いや⋮⋮そんなに怖がらせるつもりじゃ⋮⋮すまない﹂
﹁う⋮⋮はい﹂
会長の空気が和らいで、ほっとする。
ああ⋮⋮温厚な人が怒ったら怖いってマジですね。しかも顔が整
っているから余計に怖い。ガタイもいいですから、恐怖心しかない。
も、もう転校のことは諦めましょう。なんか、転校した後も追っ
て来てすっごく怒られそうな予感がヒシヒシしますし。
それに⋮⋮いじめ主犯の汚名なら、私がすべて被ってみせましょ
う。他の子の手を汚させるわけにはいきません。というか、私の本
来の役割なんでしょうしね。はぁ⋮⋮憂鬱ですけれど、私は2度目
380
の人生です。他の子に比べると幸福ですよね、そう思うと、俄然や
る気が出てきました。なるべく犯罪っぽいものにならないよう、善
処します、主人公のためにもね。
﹁本当に勝手だと思うが⋮⋮俺も、転校はさせない﹂
と、晴翔が真剣な眼差しで私を見つめる。
﹁機会をくれ、仲直りできる、機会を。もう二度と会えなくなるな
んて⋮⋮絶対に嫌だ。ましてや、俺のせいで、なら、なおさらだ﹂
さらりと髪をとられて、口付けされた。
なにをやってるんだこいつは。仲直りの合図的な?イタリア人か
何かなのか。
スパッとその手を払い落として、晴翔に向き直る。たぶん、私は
今、呆れた顔をしていると思う。
﹁そういう過度な接触、もう二度としないでくださいよ。⋮⋮そう
約束してくれるなら、友達に戻りましょう。転校も、今の所、しま
せん。いいですか?﹂
﹁⋮⋮分かった﹂
泣きそうな顔で頷かれる。手を払ったのがショックですか、そう
ですか。いや、普通に払いますよ。友達に戻りたいなら、普通の距
離感で来てくださいよ。﹁今の所﹂を強調しつつ、とりあえずは現
状維持で。
正直、最近は理由が見つからなさ過ぎて面倒になってきていた。
人生を左右するようなものだし、面倒になるのもどうかと思うが、
他の子を巻き込みたくない。両親には本当に申し訳ないが⋮⋮あの
両親ならきっと大丈夫だと思いますし。
381
さて、この選択が凶とでるか、吉とでるか。私には分かりかねる。
しかし、未来が分かっている、というのは希望なのかもしれない。
心積りができますし、何より、最悪の事態は免れる事が可能かもし
れないのだ。
さぁ、主人公が入学してからが本当の勝負ですよ!
382
見ました。
もうすぐあの日がやってきそうです。女の子はみなうきうきとし、
頬を赤らめさせて。男の子はみなそわそわとし、女の子の様子を窺
う日。
そう、バレンタインデーである。
店内には専用コーナーも設けられて、金を落とさせる気満々であ
る。
いつもはあまり入っていない所に、可愛らしい女の子達が想い人
を想像しつつ顔を綻ばせている。なんというリア充。なんという製
菓業界の陰謀。いや、この際陰謀でもいいのだろう。内気な子も、
天邪鬼なツンデレも、これを機会に﹁義理なんだからねっ!﹂とい
う感じにプレゼントできるというモノ。さらにいつもは固く結ばれ
ている財布の紐も緩んで、世間にお金が回る。良い事づくめです。
かくゆう私も晴翔にあげた事がありました。いや、若気の至りで
すね。今はもう気にしてません。気にしてませんったら気にしてま
せん。晴翔は本命だとも思ってなかったようですけどね。まぁ、そ
の時はそれで良かったんですけど。はぁ。
さておき、この学校ももれなくはしゃいでる女の子は多い。
あれですね、深見君が男子にもててますね。バレンタインデーの
時のチョコをお願いします!ってめっちゃ頼まれていた。お菓子が
おいしいのは、桜さんも変わらないのですけれど。やはり桜さんは
言いづらいのでしょうかね⋮⋮?男から貰うより、義理でも女の子
の方が良いと思うのですけれど。
深見君も少し困った顔をしながら了承している。料理に関しては
我が強いけれど、それ以外だと押しが弱いのですね。頼まれると引
き受けちゃうタイプ⋮⋮。
目が合うと、思いっきり首を振って顔を逸らされた。⋮⋮あれ、
383
嫌われてるんでしょうか。
深見君の反応に地味にショックを受けつつ、生徒会室に向かう。
生徒会室は会長がいなかった。
もうすぐ大会があるらしい。勝ってくる、と男らしく言い放って
いった。なんの恥ずかし気もなく、負けるという不安も欠片もない
その表情はまさに攻略対象者といえるのではないだろうか。かなり
上手いらしいですからねぇ⋮⋮。実際見た事ないので知りませんけ
れど、鬼のように強い、らしいですね。甘党で情けない所ばかり見
ているせいか、どうにもピンと来ないんですよねぇ⋮⋮。
ああ、そうだ。晴翔も遅れるって言ってましたし、見に行ってみ
ましょうか。大会前の練習なので、あまり邪魔にならないようにチ
ラッとだけ。
そう思い、生徒会室の鍵を閉める。
歩いていると、バサバサという音と、﹁うわあっ﹂という情けな
い声が聞こえて来た。音のした方に歩いて行って、廊下の角を曲が
ると、そこに高天原先生の姿が。
書類をぶちまけており、わたわたしている。
この人は、デフォルトで書類をぶちまけているのだろうか。だと
したらとんでもない時間のロスをしていると思う。よく試験とかも
ろもろ受かりましたね⋮⋮ある意味すごく頭は良い人なのかもしれ
ない。
﹁大丈夫ですか?﹂
﹁わ、わ、あ!すみません!また迷惑を!﹂
慌ててまた書類を落としている。
﹁まぁまぁ、慌てないでください。落ち着いて﹂
﹁あう、はい、すみません⋮⋮﹂
384
なんだか、落ち着いて下さいって、どっちかっていうと養護教諭
の方がいいそうなセリフなのに。立場が逆転している気がします。
妙な気分ですね。
書類を拾い、手渡す。
﹁ところで、どうして学校へ?ええ、と。高木先生はいらっしゃら
ないのでしょうか﹂
﹁ああ⋮⋮僕、書類忘れちゃって⋮⋮それで来たんですよ﹂
あはは、と乾いた笑いを零している。ああ、ドジっ子なんですね、
わかります。ほんと、試験日とかでドジは踏まなかったんですかね。
⋮⋮誰か親切な人にお世話されたんでしょうか。
﹁はぁ⋮⋮いつも、こんなんじゃダメだと思うんですけどね﹂
どんよりと暗くなってしまっている。
﹁ま、まぁまぁ、それでもこんなに素晴らしい職業についているで
はありませんか﹂
﹁勉強頑張るしか取り柄がなかったからね⋮⋮﹂
わ、わぁ。暗いです、よ。
ちょっと引き攣ってしまった顔を咳払いで戻し、真顔になる。
﹁先生、ちょっと偉そうな事言ってもいいですか?﹂
﹁え?⋮⋮いいですよ。いつも言われ慣れてますし⋮⋮へへへ﹂
め、目が死んでいる⋮⋮!
若干引きつつ、気を取り直す。
385
﹁私は先生よりももっと酷い人生を歩んだ人を知っていますよ。勉
強も出来ない、人付き合いも出来ない、面倒くさがりで、仕事もし
ない。そういう、どうしようもない人間が、最期に路上で仰向けに
倒れて30代にして死んだ事を知っています﹂
言うまでもなく、自分の事である。思い返せば、やりたい事だけ
やってるような人間で。まぁ、楽しかったっちゃ楽しかったのです
けど、もうちょっと長く生きたかったかな、とは思う。
ちょっとしんみりしていたら、凄く痛ましげな表情をした高天原
先生がこちらを見ていた。少し咳払いをして、言葉を続ける。
﹁ですから、そんなにご自分を卑下なさらないでください。貴方は
すでにとても立派な方だと、私は思いますよ。ですからもう少し自
信を持って下さい﹂
﹁それは褒められているのかな⋮⋮?﹂
﹁ええ、もうこの上ない褒め言葉ですとも⋮⋮って凄く偉そうです
ね。すみません﹂
自分の発言があまりにアレだったので、慌てて謝罪する。高天原
先生はまだ20代でお若い感じなので、どうにも年寄りの説教っぽ
い感じに⋮⋮見た目も幼いですから、ついつい⋮⋮。年下にこんな
事言われるなんて嫌でしょうに。
﹁いや⋮⋮そんな事言われた事なかったから、びっくりして⋮⋮あ
りがとうございます﹂
それでも高天原先生は嫌な顔はせずに、口元を緩ませている。
386
﹁ああと、いえ、お礼を言われる事は⋮⋮すみません﹂
﹁いや、こちらこそすみません。あまり話した事もない相手に、そ
んな風に気に掛けるなんてそうそう出来ないですよね。すごいなぁ
⋮⋮﹂
ええと、お節介なババァということでしょうか。
それは穿ちすぎか。
互いに謝り合ってから、クスクスと笑う。謝りまくっているのが、
なんだかおかしかった。
顔を見ると、眼鏡がまたずれている。よくずれる人ですねぇ。
﹁先生、眼鏡が少しずれてますよ﹂
﹁え、あ、うう⋮⋮すみません﹂
﹁いえ、それじゃあ⋮⋮私はこれで﹂
﹁あっ﹂
高天原先生が何か言いたそうにしているので、立ち止まる。口を
僅かに開いた先生と目が合って、しばし見つめあう。すると、段々
と顔が紅潮してきた。
ハッとした後、何故か資料でバシッと顔を叩いた。
﹁!?﹂
結構良い音が鳴ったのでぎょっとする。
﹁うう⋮⋮痛い﹂
﹁それは⋮⋮そうでしょうね﹂
顔から資料を離す時に、資料に引っかかって眼鏡も落ちてしまっ
387
た。カシャンと、結構重みのある音が響く。
慌ててしゃがみ込んで眼鏡を見るが、幸いにして割れてはいなか
った。丈夫で良かったです。というか、丈夫じゃなかったらあっと
いう間に破壊しまくって破産しそうだ。いつもドジ踏んでそうです
しね。
﹁壊れていませんでしたよ、先生⋮⋮ん?先生?﹂
返事がないただのしかばね⋮⋮ではないはず。直立不動で目を見
開いて私を見つめている。
その隙に、高天原先生のご尊顔をマジマジと見させて貰った。と
ても顔が整っている。男っぽさはなくて、なんだか女の子みたいな
可憐さがある。水無月の弟くんよりも幼い感じの印象を受けるのは、
その情けなく下がっている眉毛のせいか。まぁ、そのオドオドした
態度もあるんでしょうけれど。高校生みたいに若々しい顔ですしね。
そしてなにより目を引くのは、その青と赤紫の瞳だった。キラキ
ラと宝石のように光っているようだ。
まぁ、いつまでも見つめていても失礼なので、ひらひらと先生の
目の前で手を振る。
﹁先生、高天原先生っ!﹂
﹁はっ!え?運命!?﹂
﹁⋮⋮あ?﹂
﹁うわあああ!違いますすいません変な事言ったうわああ!﹂
半泣きになってその場にうずくまる。
意味分かんねぇ、と思って若干声が低くなったのでビビらせらし
い。
388
﹁あの、怒ってませんから、顔を上げてください﹂
そろそろ⋮⋮と顔をあげる。
﹁⋮⋮普通ですか?﹂
﹁ええ、どちらかというと普通です﹂
怒ってませんよ!そんなに怯えなくても⋮⋮そんなに怖い顔して
たでしょうか。ええと、なんかこの状態を見られると非常に不味い
現場の気がするなぁ。新任の教師をいじめるてる!みたいな。
小動物を必死で手なずけている気分ですけれど。
﹁⋮⋮すごい﹂
﹁⋮⋮は、はぁ﹂
ドジっ子な上にちょっと天然が入っているのでしょうかねぇ?天
然なドジっ子⋮⋮!そして丸眼鏡!なんという希少種。ある意味貴
方の方が凄いですよ。やっばいなぁ⋮⋮保健室の先生がこんな風だ
と不安しか感じない。
体育座りしている先生に眼鏡を手渡す。
﹁⋮⋮ありがとう、ございます﹂
﹁どういたしまして﹂
会話をするだけで、なんだかずいぶんと時間が経った気がします。
けれど、晴翔がきませんね。そう思ってメールを覗くと、﹁遅れる﹂
と書いてあった。なら、まだ会長を見に行く余裕はあるか。
ゆったりと立ち上がる先生をハラハラしながら見つめる。なんだ
かとても危なっかしい。
389
﹁じゃあ、いきますね﹂
﹁ま、まって!その、ちょっとだけ、学校案内してもらってもいい、
ですか?迷子に⋮⋮なるので﹂
﹁ああ⋮⋮なるほど、分かりました﹂
だから呼び止められたのか。なるほど確かに迷子になりそうであ
る。そこまで難しい作りではないんですが、結構大きいですからね。
就任するまでに覚えていた方が良いだろう。まぁ、養護教諭なので、
そこまでうろうろする事もないだろうが⋮⋮。
﹁ああ、そうだ。敬語でなくて良いですよ。私は生徒ですし、そう
かしこまられるとこちらが恐縮してしまいますから﹂
﹁ええ?えーと、じゃあ、木下さんも⋮⋮﹂
﹁いや、それは無理ですね﹂
﹁で、ですよね!﹂
これから先生として入ってくる人にため口とかありえないでしょ
う。
というか、同級生にも敬語なんですから、先生などもっての外だ。
﹁じゃあ、保健室に案内しますね﹂
﹁あ、そこはもう案内してもらったから。き、木下さんの行こうと
しているところでいいです⋮⋮いいよ﹂
﹁あ、そうですか?じゃあ遠慮なく﹂
若干忘れかけていたが、目的は会長の剣道姿を見る事だ。第2体
育館が剣道部と柔道部がいるんでしたね、そう思ってそちらに足を
向ける。チラリと斜め後ろを見ると、黙々と高天原先生がついてき
390
ている。ううん⋮⋮なんか、懐かれました?なんだか知らないけれ
ど、凄く嬉しそうだ。
第2体育館までくると、剣道特有の声と、何かを叩くような音。
それと、何か投げ飛ばす音⋮⋮これは柔道部でしょうね。
高天原先生は大きい音が聞こえる度にビクビクしている。そんな
に怯えなくても大丈夫ですよ。
﹁ええと、木下さん部活、してるの?﹂
﹁いいえ、私はしていません。生徒会長⋮⋮ああ、そうそう、前に
生徒会室にいた大きな人が生徒会長で、その人が剣道部に所属して
いるんです﹂
﹁あ、そ、そうなんだ。すごいね﹂
﹁ええ、凄い方なんですよ﹂
そんな会話をしつつ、チラリと中を覗く。
バシィイ!という大きな音と、腹の底に響くような低く大きな声
が聞こえて来た。そこに、跪いた人と、竹刀を振ったであろう人が
いた。
﹁次!﹂
と、勝った人が言い放つ。そう言い放った声が、会長だった。さ
っきの凄い気迫の声は会長だったらしい。叫び声じゃ分からないレ
ベルの声だったよ、こわっ。
手とか、胴とか面にいれればいいんですよね?さっきのは胴に綺
麗に入ってましたね。
次の相手も、難なく勝つ。本当に強いですね、なんか動きが他の
人と違います。いえ、良くは知らないんですけれど、これだけ差が
391
あると上手い!って思えますね。いやぁ、会長が上手いのか、相手
がヘタなのか。
2人目を倒した後、面をはずした。汗で髪がしっとりしてして、
汗が頬に流れていく。なんというか、色気が凄いですね。男の色気
が。
キャアアアっという黄色声援が響いている。別の入り口からファ
ンが見ているようだ。おうおう、モテますのう。そりゃあれだけイ
ケメンならキャアアって言いたくなるでしょうね。
﹁うーわー⋮⋮かっこいいですねぇ⋮⋮﹂
﹁ええ、とても﹂
高天原先生の呟きに力強く頷く。
スチル絵があるなら絶対入手したい代物ですね。
さて、そろそろ帰ろうか、と思ったら会長と目が合った。結構離
れているんですけど、よく気が付きましたね。
部員となにやら話した後、また別の人と試合するようだ。それこ
そ、邪魔しないようにお暇しましょう⋮⋮と思って会釈をした後に
背を向ける。
僅かに距離をとったのだが、第二体育館からどよどよという声が
聞こえて来た。
その動揺が走ったような声に耳を澄ますと、会長が負けた、とい
う事らしい。これだけ騒がれるって事は会長、ほとんど負けた事が
なかったのでしょうか。
気になって戻ってみると、先程まで元気そうだったのに今の動き
は鈍い。⋮⋮体調が悪くなったんでしょうかね。ちょっと心配です。
調子が戻らなかったのか、部活を中断して、こちらに走ってきた。
﹁透⋮⋮﹂
﹁会長、大丈夫ですか?体調悪いのですか﹂
392
﹁いや、そんなことよりなんでその男といるんだ?こいつは4月か
らだろう﹂
そんなことって⋮⋮体調は万全に越したことはないと思いますけ
ど。試合前ですし⋮⋮まぁ、質問には答えますけど。というか、先
生に向かってこいつって⋮⋮いや、まだ赴任はしていませんけれど
も。それでも目上の方なのですよ?
会長の態度に溜息を吐きつつ高天原先生が資料を忘れたので学校
に来て、迷子になりそうだからちょっとだけ案内していた、と答え
る。
﹁そうか⋮⋮そういう事なら、俺も生徒会長として案内しよう﹂
﹁へ!?いいいいですいいです!もう帰りますから!﹂
ぎょっとした高天原先生が逃げるように立ち去っていく。あれっ、
案内しなくても大丈夫なのだろうか。迷子になっては困る、と思っ
て追おうとしたのだが、会長に腕を掴まれていたので出来なかった。
慌てて会長に振り返る。
﹁あの、あの人迷子になっちゃいますよ﹂
﹁ふん、平気だろう。それに⋮⋮あいつはちゃんと覚えているはず
だ﹂
﹁え⋮⋮そうなんですか?﹂
﹁ああ﹂
うーん、なら大丈夫でしょうか。保健室なら分かるって言ってま
したし。もし迷子になっても人に聞けば大丈夫でしょうか。まぁ、
もう見失っているので追えないのですけど。
393
もし見つけたら、案内しましょう。
会長、迫力あるから怖かったんだろうな。今日は妙に威圧的でし
たし。完全に会長から逃げ出しましたもんね。
﹁ところで会長、体調悪いなら無理してはダメですよ?﹂
﹁⋮⋮体調は⋮⋮万全だ﹂
目を逸らしながら言ってもあまり説得力がないのだけど。
﹁まぁ、無理だけはダメですよ?私はもう行きますけど﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
生徒会室へと帰って、書類仕事をかたづけましょうか。会長が頑
張っている分まで。
394
バレンタインでした。
寒い中、遠回りして学校へと向かう。通常の荷物に加えて、紙袋
を手にしている。その中には⋮⋮そう、バレンタインデーに渡すチ
ョコだ。
女の子には友チョコを、男の子には義理と人情を。まぁ、お世話
になっている人に配る予定です。晴翔はあげようか悩んだんですけ
ど、却下しました。
あと、二宮さんにもあげる予定。失礼な事をした詫びというか、
なんというか。不快だと言われて断られたら諦めよう。男と思って
告白したのに女だったとか、嫌ですもんね。ましてやチョコって⋮
⋮チョコの他にちょっとした小物もいれてますけどね。断られる事
前提で臨まないといけません。それでも誠意は込めないといけない。
そこだけは少し緊張しますね。
学校に近づくにつれて、頬を紅潮させた女の子や、不安そうにし
ている男の子を見かけるようになってきた。
この学校は、食べ物を持ってくることを得に規制をしてはいない。
そりゃ勿論授業中とかに食べる様なら没収されるし、通常の日に常
識外の量を持ってくる事もダメなのだが。基本的に寛容で、お昼に
お菓子をポリポリ食べている人もいる。購買にもちょっとしたもの
が売ってますしね。ハロウィンとバレンタインデーだけは、沢山持
ってくることを許可している。なんともイベントに寛容な学校だ。
乙女ゲームならではかもしれない。
まぁ、先生の方も若い女の子にチョコ貰って嬉しいですしね。私
も担任にあげるつもりでいる。私からもらっても微妙な気持ちにな
るかもしれませんけども。
﹁あのっ⋮⋮﹂
395
﹁⋮⋮あ、はい?私ですか?﹂
突然知らない子に話しかけられたので、反応が遅れた。
コクコクと首を振って頷いているので、私に用があるのだろう。
﹁こ、これっ⋮⋮﹂
﹁へ?あの⋮⋮あ、あれ!?﹂
ずずい、と胸に箱を押し付けられて、咄嗟に手に取ってしまった。
返そうかと思ったが、女の子はすでに立ち去ってしまっている。
何を渡されたのだろうか、と思ったが、すぐに思い至った。
﹁⋮⋮ですか﹂
可愛いラッピングを施したお菓子だろう。おそらく、バレンタイ
ンの。友チョコならやった事あるのだが、知らない女の子から貰う
というのは予想していなかった。しまった、もしかするともっとこ
ういうものを貰うのかもしれない。見た目はイケメン認定されてい
る事をすっかり忘れていた。
お返しとか、持ってきてないんですけど⋮⋮。
学校に着くと、廊下にも甘い香りが漂っていた。みなさんイベン
ト好きですね。きっとたくさん持ってきているのだろう。そして、
攻略対象者は大量に貰うのだろうな。
そう思って翼を見たら、案の定大量に貰っていた。まぁ、私も翼
の事を言えない程貰っているので、なんとも言い難い気持ちですが。
しかし晴翔はというと、何も貰っていなかった。どうやら断ってい
るらしい。
396
そこはどうでも良いとして、翼に義理チョコを手渡す。翼は慌て
て私の腕を掴んで廊下に引っ張り出した。
﹁ありがとう⋮⋮ところで、さ、晴翔の分、あるの?﹂
そっと私の義理チョコを受け取ってから、私に囁きかけてきた。
その言葉の意味が掴みかねて、首を傾げる。
私の反応を見た翼の顔が引き攣る。 ﹁まさかとは思うけど、晴翔の分のチョコ用意してないとかないよ
ね?﹂
﹁ないですけれど、どうしました?顔色が少し悪いですよ﹂
﹁う、うわぁ⋮⋮﹂
しょんぼりと落ち込んでしまった翼。本当にどうしたのだろうか。
﹁翼?﹂
﹁あっはは⋮⋮なんでもないよ﹂
無理矢理張り付けたような笑顔を見せて、さっさと教室に戻る翼。
なんだったのだろうか、今のは⋮⋮。教室に戻って、桜さんにも
手渡すと、とても喜んでもらえた。
﹁あ、有難うございます!私からも⋮⋮どうぞ!﹂
桜さんお手製のお菓子を頂いちゃいました。可愛らしい包みに入
っている。これは帰って食べるのが楽しみですね。
﹁大事に食べますね!ふふ﹂
397
ああ、もう可愛いですね。
私のお菓子で喜んでもらえるなんて。桜さんのお菓子の方がおい
しいですよ!
桜さんは、他の人に作ってはいないみたいですね⋮⋮なんだか私
だけ貰っちゃって申し訳ないです。世の男性に。
チラリと周りを見ると、深見くんがチョコを配っていた。貰った
男子に感謝され、崇め奉られている。何かの宗教団体にも見えてき
そうな熱狂ぶりだ。
配っている深見くんと目が合ったが、サァッと顔色が悪くなって
目を逸らされる。え、そんなに?そんなに嫌われてる?
﹁どうしたんでしょうね、深見くんったら⋮⋮ふふふ﹂
﹁ええ、どうしたんでしょうね﹂
桜さんも深見くんの様子が気になる⋮⋮のだろうか。
その意味深な笑い方は理由を知っていそうだ。まぁ、2人共料理
好きだし、仲良いんでしょうね。ふむ、桜さんと深見くんか⋮⋮ど
ちらもおっとりしていて、ほのぼのした夫婦になりそうだ。カップ
ルというか、夫婦ってイメージが沸きやすい謎。2人の雰囲気のせ
いでしょう、うん。
廊下をうろついていると、二宮さんと、縦巻きロールが印象的な
お嬢さんがいた。なにやら深刻な様子で話し合っている。縦巻きロ
ールの子が深刻な表情で扇で口元を隠していると、中世ヨーロッパ
の社交界に見えてくる不思議。見た目も豪華な感じだから、さぞや
ドレスも似合うだろう。
﹁あ﹂
398
話しをしている所に割り込む気にはなれず、そっと離れようと離
れようと思ったが、その前に縦巻きお嬢さんに見つかってしまった。
ニヤリと、悪役令嬢のような笑顔をみせてきて慄く。なんとも、私
よりもライバルキャラが似合いそうな悪そうな笑みである。
﹁あ、木下さん。こんにちは﹂
﹁こんにちは⋮⋮﹂
二宮さんが私に気づいて挨拶をしてきた。
縦巻きお嬢さんは1歩後ろに下がって私達の邪魔をしないように
している。
﹁あの、これ。私からのバレンタインです﹂
﹁ええ!﹂
私から言う前にバレンタインを貰ってしまって驚く。
﹁あ、え、えと。ありがとうございます。私からも、どうぞ﹂
﹁うおおおおおおおお!﹂
﹁!?﹂
いきなり雄叫びを上げられてビクッとした。
ハッとした二宮さんが咳払いをする。
﹁すみません、少々興奮しました﹂
﹁⋮⋮え、いえ⋮⋮貰って頂けて嬉しいです。その、二宮さんには
申し訳ない事をしたので﹂
若干引きつつ、謝罪する。
399
しかし、二宮さんはきょとんとしている。
﹁ん?木下さん私に何かしましたっけ?﹂
﹁え⋮⋮ええと、男だと偽っていたじゃないですか。それで、その
⋮⋮﹂
﹁あっはっは!いいんですよぅ!そんなこと!今でもよいおかずに
もごぉっ!﹂
カラカラ笑っている二宮さんの口を塞ぐ縦巻きお嬢さん。2人に
しか分からないアイコンタクトをして頷き合っている。
﹁ごほっ⋮⋮と、とにかく、気にしなくていいですよ﹂
﹁あ、ありがとうございます⋮⋮﹂
良かった、あまり気にしてはいなかったようです。私にバレンタ
インのチョコを用意してくれてたみたいですし、その心の広さが有
難いです。
生徒会室に入ると、ダンボールに大量のお菓子の袋を入れた会長
の姿があった。練習の合間に貰ったのだろう、道着を着たままだっ
た。
ハロウィンの時よりもはるかに多い量を貰っている。それに、そ
の時のものより手が込んで良そうだ。これは本命チョコもあるでし
ょうね。
それも当然か、会長はかなり恰好良いですし、最近は割と話しか
けやすくなったようなのだ。以前は委縮していた人間も、多少なり
とも話せるようになった。会長の表情に人間味が出て来たというか、
400
柔らかさが出て来たのだ。
もしや、想い人と上手くいっているのかもしれませんね。恋は人
を変えるといいますし。
﹁随分と貰いましたねぇ﹂
そう声をかけると、バサリとダンボールを落として振り向いた。
ああ⋮⋮落としちゃだめですよ、割れたらどうするんですか。
﹁透!?いやこれは違う﹂
﹁⋮⋮?何がでしょう。これはまたしばらくお菓子を買わなくても
よいですね﹂
ダンボールに入っている可愛らしい包みをつまんで眺める。ああ、
上の方は大丈夫そうですけど、下の方は割れているかもしれません
ねぇ。凝ったラッピングのモノも見えますし⋮⋮まぁ味は変わらな
いんでしょうけどね。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
﹁ん、どうしました?会長?﹂
もじもじして、顔を赤らめている。トイレに行きたいのだろうか。
﹁トイレに行きたいならどうぞ﹂
﹁違うっ!?そもそもそれなら黙っていくだろうが!﹂
﹁あ、それもそうですね﹂
会長はなんとも深い溜息を零し、そして私を残念な子を見るよう
に見つめて来た。何故。なんだか不名誉な事を考えられていそうで
401
す。
﹁なんです?﹂
﹁いや⋮⋮まだまだなんだろうな、と思っただけだ﹂
﹁⋮⋮なんの話でしょう?﹂
﹁こっちの話だ﹂
会長は僅かに肩を落としつつ、ダンボールを持ち上げて別の所に
移す。その間に鞄からチョコを取り出す。
﹁会長、これ﹂
﹁なん⋮⋮え﹂
落胆していた顔が驚愕に染まる。
﹁⋮⋮これは?﹂
﹁チョコです﹂
﹁俺に?﹂
﹁勿論﹂
﹁⋮⋮ありがとう﹂
﹁どういたしまして﹂
ぎこちない動きで私のチョコを受け取る会長。そして、大切に自
分の鞄へと収める。あれ、ダンボールの中には突っ込まないんだろ
うか。ああ、まぁ目の前であそこにぶち込まれるのは誰でも不快だ
ろう。だから他のモノも、貰ってこっちに運んでからダンボールに
つめているのだろう。その気遣いは良いと思います。そもそも本命
402
チョコらしきものをホイホイ貰うのもちょっとどうかと思いますけ
どね。
鞄にチョコを詰め終わった後に、私に向き直る。
﹁何か、他に言う事はないか?﹂
﹁言う事⋮⋮?﹂
少し考えて、言うべき事が思い浮かんだので口を開く。
﹁ああ、失礼しました。今のは義理なのでご安心ください﹂
会長がガクゥッと膝を付いてしまった。
﹁えっ、会長?大丈夫ですか?﹂
﹁なんでもない⋮⋮﹂
なんだか良く分からないが、本命は受け取らないようにと注意を
しておいた。好きな相手がいるんだから、それなりの対応は必要だ
ろう。その想い人のためにも。
そう注意するたびにどんどん落ち込んでしまって、最後は泣きそ
うな顔になっていた。
﹁俺が好きなのは、他の誰でもない⋮⋮お﹂
バタン!会長の言葉を遮るように勢いよく扉が開け放たれる。入
って来たのはかなり機嫌の悪い晴翔だった。おお、不良にしか見え
ない。今の状態を見ても生徒会の副会長だなんて分からないだろう
な。
ところで、何故あんなにも機嫌が悪いのだろうか。
触らぬ神に祟りなしって言いますし、触れずに作業しましょう。
403
しばらく作業していると、ノックが聞こえて来た。最近会長と喋
れないって人も減った御蔭で訪問する子を多くなっているのだ。乙
女ゲームだと、主人公と出会う事で段々とそうなって行く訳なのだ
が、どういう訳かもうすでにその兆候が見えている。
まぁ、恐らく会長のドジッ子が発揮されたんだろうな、とあたり
をつける。
入室を促すよう返事をすると。
﹁会長ー﹂
そう言いながら道着を来た男の子が入って来た。
剣道関連の事か、そう思って会長に目を向けると、眉間に皺を寄
せて立ち上がった。
﹁すまない、行ってくる。遅くなるようなら鍵を閉めて帰ってくれ﹂
﹁分かりました﹂
慌てて部屋を出て行く会長を見守った後、不機嫌な晴翔と2人き
りになる。なんとも気まずいこの空気は久し振りな気がする。
なるべく気にしないようにしつつ、資料に集中する事にした。
資料に集中していると、晴翔の機嫌の悪さも気にならなくなって
いた。黙々と資料に目を通していく。最終確認や判などは副会長や
会長の仕事なので、なるべく会長の負担にならないようまとめてい
く。
﹁あの⋮⋮さ﹂
なんとも言いにくそうに晴翔が言葉を切り出してきた。
資料から顔を上げて返事をしておきましょう。
404
﹁なんでしょう﹂
﹁ぅ⋮⋮え、えと⋮⋮﹂
かなり緊張しているご様子。なにがどうして緊張しているのか分
からず、自然と眉間に皺が寄って来た。資料もさっさとまとめたい
ので、話を整理して出直して欲しいくらいです。
﹁翼に、渡してたよな?﹂
﹁ん?⋮⋮プリントですか?﹂
あいにく、今日は渡していないので、新しい問題は提供できない。
﹁そ、そっちじゃなくて⋮⋮﹂
とても言いずらそうにしていて、ようやくピンときた。
もしかしてチョコの話でしょうか。今日は確かに翼にチョコをあ
げたから。しかし何故、その話題を出してくるのか分からずに首を
傾げる。
もしかして私から欲しいとか?いやまさか、そんな訳ないでしょ
う。告白を断った相手からチョコが欲しいなんて。いくら友達に戻
ろうと言ったって、そういうところからきちんとしないと。私に恋
愛感情が残ってなかったとしても、晴翔には判断の付きようもない
訳ですし。こういう恋人とかがはしゃぐようなイベントでわざわざ
地雷を踏むようなことはあり得ない。
とすれば、私にチョコを渡す意思があるかどうかの確認でしょう
か。晴翔は全部断っているようですし、もし私が渡そうとして断り
でもしたら告白の二の舞のような事になるんじゃないかと心配して
いるか。
私はその結論に至って、大きく頷いた。
405
﹁ご安心ください。今年は義理でもなんでも持ってきていませんか
ら﹂
﹁⋮⋮﹂
ゴンッという良い音を鳴らして机に頭をぶつけた。かなり勢いあ
ったけれど、痛くないのだろうか⋮⋮。
﹁晴翔?大丈夫ですか?﹂
﹁はぁ⋮⋮大丈夫じゃ、ない﹂
額を抑え、僅かに目に涙を貯めているので、本当に大丈夫ではな
さそうである。
ぐっと下唇を噛みしめて、私の方に向き直る。
涙でわずかに潤いが増した瞳が色っぽくて思わずドキリとしてし
まった。やっぱり、大人っぽくなってますね。乙女ゲームの主人公
が入学してくる時期も近いですし、その時見たスチルとそう変わら
ない見た目です。
二次元の登場人物が、三次元になっているとはこれ如何に。恋人
が画面から出て来てくれた!ってやつですね。こんな機能が現実世
界にあったら良かったのに。あれ、でも今現実なんですよね。
晴翔の視線に緊張したので、気を逸らす為にちょっとだけ変な事
を考えた。今では少し反省している。
﹁⋮⋮欲しい﹂
﹁⋮⋮ん?﹂
聞き間違いだろうか。今欲しいって聞こえたんですけれど。
いやそんな。ありえませんよね、あはは。
﹁俺には、そう願う権利も、なくなったか?﹂
406
﹁え、ええ?﹂
今にも泣きだしそうな顔で言われて困惑する。
ええと、どういう事でしょう。なんで欲しがっているのかこの人
は。バレンタインの意味知ってます?いや、まぁそりゃ勿論友チョ
コなんてものもありますけれども。本来は恋人に贈る日だって言う
じゃないですか。海外だと男が女に贈るものだったみたいですけど、
そこは置いといて。
晴翔に、私のチョコを欲しがる権利がなくなった、というのはど
ういう事か。そりゃないに決まっている、はずである。だって告白
断ったわけですし。そんな人間からチョコを欲しがるなんて正気の
沙汰じゃないと思う。友チョコだと言って私が渡そうとしても断っ
て良い権利ならあるはずだ。けれども逆はどうなのだろう。いや、
普通は欲しがらないでしょう。えっと、もう、なんか最近の若い者
の思考が分からん。
直接聞いてしまえ。
﹁えっと?つまり、私からのチョコが欲しい、んですか?﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
﹁そりゃまたどうして﹂
﹁⋮⋮どうしてって、そりゃ⋮⋮﹂
ぐっと言葉を詰まらせて、視線を彷徨わせている。
会長なら甘いものが好きだからって理由で軽く片づけられますけ
ど、晴翔はよく分かりませんね。
﹁そう、いえば。会長にもあげたのか?その⋮⋮チョコを﹂
﹁えっと、まぁ、お世話になっているので﹂
407
はぁ、と大きく溜息を吐いている。そんな様子にますます意味が
分からない。
もしかしてあれですか、仲間外れにされたようで嫌なのでしょう
か。
仲の良い他の人には全員配っていますからねぇ。確かにそこはち
ょっと嫌な感じかもしれません。私の気にしすぎなのでしょうか?
振られた後も普通にあげてもいいものなのでしょうか。二宮さんも
気にしていなさそうですし。というか、あの場合は男女すら違うか
らなんとも比較し辛いですけども。
﹁それなら、俺にもくれたっていいだろう﹂
﹁そ、そういうものですか?まぁ、晴翔が不快に思わないなら差し
上げますが﹂
﹁俺が不快に?どうしてそんな考えに至ったんだ?﹂
﹁え、その、色々あったじゃないですか﹂
いや分かりましょうよ、そこは。仮にもあなた私を振ったんです
から。微妙な気分で晴翔を見つめる。彼は告白について深く考えて
はいないのだろうか。私がどんな想いで言ったかなんて知らないん
でしょうね。なんだかちょっとバカバカしくなってきましたよ。
﹁俺が透から貰って嫌なはずないだろ。むしろ、嬉しいから﹂
﹁そんな風に思って頂いていたんですね﹂
じゃあもう気にしない方がいいんですね?そうなんですね?もう
晴翔の中で完全になかった事になっている訳ですね?
大きなため息を吐いて晴翔の顔を見る。
﹁⋮⋮分かりました、差し上げましょう。明日でも構いませんか?﹂
408
﹁あ、明後日⋮⋮じゃ、ダメか?﹂
﹁ええ、良いですよ﹂
ああ、面倒くさい。チョコ余ってないですから、適当に買ってあ
げましょうかね。⋮⋮いやいや、やはり作るべきなのだろうか。欲
しいってわざわざ言ってくれた訳ですしね。明後日って事は休日に
会わなきゃいけないんですね。
⋮⋮2人きりで?それはないなぁ。けれど、まぁ渡すだけなら良
いでしょう。はぁ、面倒ですねぇ。なんで欲しいなんて言いだした
んでしょうかこの方は、全く。作る時も時間かかるんですけどねぇ、
そこんところ分かっているのでしょうか。まぁ、いいですけど。
409
謝られました。
さて、今日は晴翔と会う日です。
まぁ、会うと言ってもパッと渡してパッと帰るだけですけど。
適当な服に身を包んで、コートを羽織って外に出る。確か今日は
会長が大会の日なんでしたね。体調は大丈夫でしょうかね。この間
見に行ったら急に体調不良になって心配しました。何か、私の知ら
ない持病が⋮⋮?でも設定にそんな事書かれてませんでしたしね。
試合は気になりますが、私と目が合った瞬間にまた体調が悪くなっ
たりしたら困りますものね。
なんかこう、自分が試合見たら自国のチームが負けちゃう、みた
いな⋮⋮。そんなかんじです。世界大会でも私が見た試合は負ける
んですよね。だから、見ないようにして、結果だけ見ちゃうんです
よ。勿論、たまたま見た試合が負けただけなんでしょうけど、タイ
ミング悪いんでしょうね、私って⋮⋮。だからやはり見に行かない
方が良いだろう。
少し歩いて、家の近くの公園に着く。この公園は丁度晴翔と私の
家の間くらいにあるのだ。待ち合わせにはうってつけだろう。
小さなその公園で、子供の頃に良く遊んでいた。あの時は少しだ
け疎ましくも思った時期もありましたっけ。あんまりしつこく誘う
時もあって、怒ろうかとも思いましたけど、相手は子供ですし遊び
たいだけなんだと言い聞かせた事もありましたか。本当は、他の子
供達と馴染ませる為に誘ってくれていたんですけどね。子供なのに、
なかなかやりますね。さすが攻略対象者。とまぁ、現実逃避は置い
といて。
すぐに公園に辿り着いた。それなりに大きな公園で、遊具も豊富
に揃っている。遊びたい盛りの子供なんかは大好きな公園だろう。
私も実際に良く遊びましたからね。
410
ここに訪れるのは子供だけではなく、走ったり散歩する大人もい
る。大きな池は中々綺麗で、ベンチに座ってぼんやりしているお年
寄りも見かける。
結構な広さなので、公園のどこそこ、みたいに待ち合わせ場所を
指定しなければいけない。まぁ、私達の場合、行く場所は決まって
いるので、そこは気にしなくてもいいのだが。
いつも待ち合わせで使っていたのはブランコの近くだ。そこの近
くにタイヤを半分埋めた遊具があるので、そこに腰掛ける。しかし、
このタイヤを埋めて遊ぶなんて、誰が考えたんでしょう。タイヤで
遊ぶという発想が凄いですね。
周りを見るが、まだ晴翔は来ていないようだ。まぁ、約束50分
前ですからね。なんだか私も最近狂った約束時間に来る癖がついて
いそうです。全ては会長と晴翔のせいです。する事もないので、ぼ
んやりと子供が遊んでいる所を眺めて楽しむ。手を繋いで走ってい
る幼い男の子と女の子に和んでしまう。なんとも平和で楽しそうじ
ゃないですか。
私も昔は晴翔の手をとるのに躊躇はしなかったのに、今ではこの
ザマです。あの子達もそうなってしまうのか、それともあのまま仲
良くしていけるのか。それとも突然の転校で離ればなれになったり
するか。そこは分かりませんけれど、どんなものにでもなれる可能
性を秘めている。子供の内に遊んで泣いてはしゃげばいい。その時
の思い出がきっと得難いものになるだろう。
﹁⋮⋮晴翔﹂
晴翔が黙って私の隣にあるタイヤに腰掛けていた。
いつの間に。いるなら声掛けてくれればいいのに。
﹁おはよう﹂
﹁おはようございます。これどうぞ。では﹂
411
﹁ちょ、ちょちょちょ、もう行くのか?﹂
さっさと渡して帰ろうと思ったが、肩を掴まれて止められる。
﹁え?そうですけど、何か問題が?﹂
﹁え、問題は、ない、けど⋮⋮いや、おおありだろ。久しぶりに遊
びにいかないか?2人で﹂
ほほう、2人で?⋮⋮お断りしたい!心から!
しかし、晴翔からしてみれば仲直りしたいだけなのだろう。いい
んですけどね、いいんですけど⋮⋮まぁいいや。
﹁遊ぶってなにして遊ぶんです?﹂
﹁⋮⋮いいのか?﹂
﹁ええ、久し振りですね。2人で遊ぶなんて﹂
私がそう言うと、晴翔の顔に喜色が浮かぶ。
そんなに嬉しそうな顔をされても、もう騙されませんよ。
なんて顔で笑うんだ、可愛いなちくしょう。
妙な敗北感を味わいつつ、ぶらぶらと公園を散歩する。
﹁あ、懐かしい﹂
この公園でも割と大きな木をみつける。
ここでだるまさんがころんだをよくやっていた。晴翔はあまりじ
っとしていたられなくて、いつも鬼役ばかりしていた。私はという
と、無理しない範囲でチマチマ接近する派なので、鬼になったこと
はない。まぁ、面白味もないんですけどね。
412
﹁懐かしいな⋮⋮﹂
晴翔も同じ事を考えていたのか、柔らかい表情をしている。
目が合ったので、とりあえず笑いかけておく。
僅かに目を見開いたが、笑い返してくれた。なんだか長時間はキ
ツイ気がしたので、目を逸らして次はどこへ行こうかと考える。の
んびり散歩するのも良いですねぇ。でももう少し心休まるような方
と歩きたいです。例えば、そう⋮⋮桜さんとか。時間の流れがまっ
たりとするようなんですよね、桜さんは。お茶とかお菓子とか用意
してくれてますし、なんか本当に嫁ですよね。
﹁2人でゆっくりするのも久し振りだよな﹂
﹁⋮⋮そうですね﹂
ま、ちょっとだけ色々ありましたからね。告白の事なんて、私だ
けが思い悩んでいたようですけれど。私はちょっと考えすぎなんで
しょうね。もうちょっと気楽にいけばいいんでしょうけど⋮⋮前回
それで失敗しているからな⋮⋮。
﹁⋮⋮今でも、後悔してる﹂
ぽつり、とそう零した。
零したその言葉は無意識だったみたいで、晴翔自身も驚いている
ようだった。けれど、すぐに覚悟を決めた顔をした。真剣な眼差し
で見られて、思わず後ずさる。
﹁告白されて、どうしようもなく動揺して、咄嗟に振ってしまった
事を死ぬほど後悔した。許して貰おうなんて思ってない⋮⋮けど、
ごめん﹂
413
ごくりと生唾を飲み込んで喉を潤す。
後悔、振った事を後悔⋮⋮?晴翔の言っている事に理解が追いつ
かず、晴翔が言った言葉を脳内で繰り返す。
﹁あの日に戻れるなら、なんだってしてやりたいと思うくらいだ。
⋮⋮勘違いしていたんだ。きっと元通りになれるって。でも、そん
な事は全然なくて、前みたいな関係に戻らない事に絶望したりもし
た﹂
⋮⋮ああ、なるほど。
つまり晴翔は本当に私を大切な友人として見ていたという事だろ
う。ある意味、それを壊したのは私の方だったのだ。だから、私よ
りも晴翔の方がショックが大きかっただろう。私はある程度覚悟し
てからの告白だったけれど、晴翔にしてみれば青天の霹靂。ずっと
隣にいてくれると信じてた友達に裏切られたという訳だ。
﹁あの日、俺が付き合うって言ってればって、何度も⋮⋮今でもそ
う思う﹂
﹁いや⋮⋮そう思ってくれるのは有難いんですけど、でも⋮⋮そん
な気持ちで付き合われるより、振られた方が多少スッキリしますよ﹂
友人との関係を壊さない為に、自分に嘘を付いて付き合うよりも、
振った方が余程健全だろう。いくら大切な友人でも、無理して付き
合うような事はいけないと思う。そんなもの、いつかは亀裂が生じ
る。今よりももっと大きな亀裂が。
私も振られたら友人に戻ろうと思ってたくらいだし⋮⋮というか、
友人に戻れなかったのは私の責任ですからね。
いや、晴翔の態度もちょっと紛らわしいのでアレですけども。妙
に近かったんですよね、距離が。いや、ほんと攻略対象者は相手を
414
勘違いさせるスキルが高いですよね、ほんと。
﹁いや⋮⋮え?﹂
﹁そんなに想ってくれているなんて思っても見ませんでした。すみ
ません。私が前のようになれるまで、もう少し時間をくださいませ
んか?﹂
今すぐにとはいかないが、前のように喋れるようにもしていくつ
もりだ。
﹁⋮⋮ん?﹂
﹁有難うございます晴翔⋮⋮私もそんな風に思えるほどになってみ
せますから。胸をはって友人だと言えるような人間になってみせま
す!﹂
﹁あれ!凄く変な方向に行っている気がする!何故だ!?﹂
そう言って晴翔が慌てているが、良く分からずに首を傾げる。
ガシリと両肩を掴まれて睨まれる。
﹁だ、だから、その⋮⋮俺が言いたいのはっ⋮⋮!﹂
﹁うええぇえぇぇっ!!﹂
私達のすぐそばで子供がこけて泣きだしてしまった。
随分と派手に転んでしまったようで、膝から血が出ている。すぐ
に子供に駆け寄って、抱き起す。
﹁大丈夫?⋮⋮すぐ洗い流さないといけませんね﹂
よっこいしょ、と子供を抱えて、水洗い場に向かう。
415
傷口に入った砂を水で洗い流す。その頃には子供は泣き止んでい
た。うむ、強い男の子は好きですよ。水で洗った後、水を拭きとっ
てから清潔なハンカチで括っておく。まぁ、軽い傷なので、すぐ治
るでしょう。若い内は傷の治りもはやいですからねぇ。⋮⋮30代
になったらもう、小さな傷口でも痕が残っちゃったりしてましたか
らね⋮⋮。蚊とかに刺されたらもう夏場の間中痕が残ってたり!だ
から掻かないよう必死でしたね。
ふっふっふ、今はピチピチの10代ですからね!傷の治りもはや
いですよ!文化祭の時についた傷も薄まってます、若いって良いで
すね。もしあのような広範囲の傷が30代の時についてたらきっと
こんなに治らなかったろうな。
﹁ありがとうお兄ちゃん!﹂
﹁はい⋮⋮ん?あぁ⋮⋮はい、どういたしまして﹂
若干おかしな事を聞いて声が低くなったが、なんとか立て直して
笑顔で返す。落ち着け、私は今はイケメンなのだ。この子は悪くな
い。悪くない。というか、きちんとお礼の言える良い子である。悪
いのは紛らわしい恰好をした私のほうである。
﹁⋮⋮笑わないで下さいよ﹂
﹁⋮⋮悪い﹂
隣で笑っている幼馴染の横腹を突く。割と強めに刺してやった。
少し痛そうにしていたので、溜飲を下げる。
﹁ほんと、お人好し⋮⋮そう言う所が好きなんだけど﹂
ん?ん?なんか凄い事い言われたぞ。
じっと晴翔の顔を見つめたら、顔がドンドン赤くなっていった。
416
おお、照れ顔なんて珍しい⋮⋮!
まぁ晴翔の場合、﹁友人として﹂が頭につくんでしょうけど。こ
ういうことを素直に言っちゃう晴翔って珍しいですね。よほど私に
無視されたのが堪えたようです。
クスリと笑っていると、顔を赤くした晴翔が咳払いをした。
﹁ほ、ほら、そろそろ腹減らないか?昼食にしよう﹂
﹁ええ⋮⋮そうですね﹂
恥ずかしがっている晴翔を見て笑いながらついていく。
いやほんと、良い友人を持ったものです。
﹁近所の定食屋にするか﹂
﹁そうですね⋮⋮あ﹂
少し早めに歩いて顔を隠そうとするのが、とても可愛らしい。し
かし前をあまり見ていなかったのか、電柱に肩をぶつけていた。
﹁⋮⋮えーと、大丈夫ですか?﹂
﹁大丈夫!大丈夫だから!﹂
わたわたと慌てて歩き出す。
﹁前見て歩いて下さいね﹂
﹁分かってる!﹂
少々危なっかしくも定食屋に着いた。
ここにくるのも随分と久し振りな気がする。高校に入るまではし
ょっちゅう通ってたのになぁ。
晴翔は親子丼で、私は豚のしょうが焼きを注文した。店内はとて
417
もいいの匂いが充満していてお腹がすく。そして久しぶりなので、
とても食べるのが楽しみだったりする。おいしそうな食事が運ばれ
てきて、それぞれが黙々と食事をする。しばらく食べていたのだが、
ふと思い出した。
﹁そういえば、さっき私の肩を掴んで何か言いたそうにしてません
でした?﹂
﹁⋮⋮っ!⋮⋮!?げほっげほっ!﹂
﹁わ、大丈夫ですか﹂
ご飯をのどに詰まらせてせき込む。涙目で水を流し込んで、なん
とか落ち着いたようだ。
﹁いや⋮⋮それは、もう、いい﹂
﹁そうですか?﹂
全く目をあわせずに言っているが、良いのだろうか。
﹁その、なんだ、透と普通に話せるようになれば、俺は、それでい
い⋮⋮今はな﹂
﹁そういうものでしょうか⋮⋮うーん、私も晴翔と話せるようにな
るのは嬉しいですよ﹂
﹁そ、そか⋮⋮﹂
顔を赤くしているのがなんとも可愛らしい。
はぁ、私は永遠の友人ポジションですよ、どうせ。
しかし、いよいよもってもうすぐなんですよね⋮⋮。主人公が入
学してきたらどうなってしまうのか、今から胃が痛いです。
418
今は晴翔の事はそんなに執着するほど好きではない⋮⋮はずであ
る。
﹁⋮⋮?どうした、もう食べないのか?﹂
﹁あー⋮⋮すみません、少々考え事を⋮⋮﹂
﹁前から思ってたけど、何を悩んでいるんだ?俺の事⋮⋮じゃない
んだよ、な?﹂
﹁ええ、微妙に違いますね﹂
﹁微妙ってなんだ⋮⋮?﹂
微妙に関わってくるので無関係ではないのがつらい所である。嘘
は言いたくないので、微妙、くらいしか言えない。ただ、まぁそれ
はこちらの問題なので無関係といえば無関係なのかもしれない。ど
ちらにせよ、その時が来ないと何も分からない。
﹁ともかく、時間が解決してくれるものだと思っています⋮⋮ご馳
走様です﹂
﹁そうか、俺に出来そうな事があったらいつでもいってくれ﹂
その言葉に少々面食らう。それから苦笑を漏らす。
いや、あのですね。本当は仲直りしない方が良策だったんですよ。
仲良くなったら、嫌でも昔を思い出してしまいますから。
ともあれ、そんな事彼に頼めるはずもない。私と話が出来なくな
ってこれだけ思いつめてしまったのだから⋮⋮もう彼にそんな事頼
めない。
若干諦めてきていますし⋮⋮まぁ、前世の悪癖といいますか、も
うどうにでもなれ。という気持ちが強いといいますか。どうなるか
分かりませんから、対策も練りようもありませんし。
419
﹁⋮⋮お気持ちだけ受け取っておきますね﹂
﹁⋮⋮ご馳走様﹂
カチャリと箸をおいて、僅かに不機嫌そうな顔を浮かべる。私が
やんわりと申し出を断ったのが不味かったか。いやでもどうしよう
もないですし、というか、私でもどうしようもない所まできてます
しね。
﹁さて、まだ時間あるし、どこ行く?﹂
﹁え?﹂
まだどこか行くんですか?という言葉は飲み込んだ。危ない、ま
た不機嫌にさせる所だった。あんまり2人で出歩きたくないんです
よね⋮⋮。さっさと渡してさっさと帰るつもりでいましたから、覚
悟が出来ていなかったというかなんというか。
﹁嫌⋮⋮か?﹂
﹁いえ、嫌ではないのですが⋮⋮﹂
﹁じゃあ、行こう﹂
私の手をとって強引に引っ張る姿はまるで以前の晴翔のようで⋮
⋮クスリと笑みが零れた。
﹁仕方ない人ですね﹂
こうして誘われるのも久し振りな気がする。
一旦、バレンタインのチョコを自宅に置くために晴翔宅に行く事
になった。彼の家を見るのも久し振りだな。
420
﹁じゃ、ちょっと置いて来るから、待ってて﹂
﹁ああ⋮⋮はい﹂
玄関でじっと待つ。中でなにやらバタバタという足音が聞こえる。
相当焦っているようだ。そんなに慌てなくてもいいのですけどね⋮
⋮。
ガチャリと玄関扉が開けられたが、出て来たのは晴翔ではなかっ
た。
﹁わぁ!ほんとにいるじゃない!やったわね!﹂
﹁だっから!違うって言ってんだろ!?戻れ!?﹂
﹁あ、お久し振りです、弘美さん﹂
完全に部屋着の状態で玄関を開けていて、髪もボサボサなままだ。
お昼なのに、今さっき起きてきました⋮⋮という感じである。彼女
は夜の仕事をしているので、恐らく昨日も遅かったのだろう。そし
て彼女も例の如く若々しい。あれか、乙女ゲーム関連の人は皆若々
しいのか。彼女の場合、年齢の方も普通に若いんですけどね。
たしか18才の時に晴翔を産んだみたいですしね。今は確か⋮⋮
34歳程でしょうか。いやぁ、普通に若いですね。
しかし、なんか負けた気分になりますよね⋮⋮私はどうせ結婚も
彼氏すらも⋮⋮。い、いや、まぁ、人には向き不向きがありますか
らね!仕方ないです。でもその若さで子供を産む決意をするのも凄
いと思います。
結婚してはいないそうなので、彼女だけで立派に晴翔を育て上げて
いる事は素直に凄いと思う。私にはとてもではないが無理だ。そん
な事言ってるから彼氏すらできないんでしょうけれど。まぁ、仕方
ないでしょう。
421
弘美さんが手招きして、家に入るように促す。
﹁おいで!久し振りなんだから、上がっていきなさいよ﹂
﹁ちょ、母さん!?﹂
﹁いいんですか?⋮⋮晴翔は嫌がっているようですが﹂
必死で母親を引き戻そうとしているが、微動だにしていない。母
強い。年頃の息子の腕力でも動かないとか。
﹁いいのよ!バカ息子は無視して!ささ、どうぞ、あがってって!
ま、散らかってるんだけどね﹂
﹁母さん!﹂
﹁では、少しだけお邪魔させて頂きますね﹂
久し振りに会えた弘美さんとは話をしたいですしね。
リビングに通されて、お茶を出される。3人で机を囲んでお茶を
飲むのも久し振りだ。というか、何もかも久し振りである。
⋮⋮振られた男の家に上がり込むのは如何なモノだろう。と、若
干思ったが、まぁ晴翔が友達に戻りたいようなので問題なかろう。
晴翔は晴翔でネックレスプレゼントしてくる愚行を犯しているから
何も気にしまい。
弘美さんは頬杖をついて、ニッコリと良い笑顔を浮かべている。
﹁ねぇ、ところでいつから付き合ってるの?﹂
﹁げほぉっ!?か、母さんんんっ!?何言ってるんだ!!!﹂
弘美さんの言葉にむせて涙目になる晴翔。
私は茶をすすった後、ゆっくりとそれを飲み干して笑った。
﹁弘美さん、残念ながら付き合ってませんよ﹂
422
﹁あら?そうなの?残念だわぁ⋮⋮﹂
そういいつつ、チラッと晴翔を睨みつけている。弘美さんから僅
かに殺意が放たれていた気がする。息子に殺意って⋮⋮。ま、まぁ、
そこは気のせいとして。
﹁久し振りに弘美さんと話せて嬉しいです。お元気そうでなにより
です﹂
﹁ええ!私も嬉しいわよ。バカ息子が変な事しなけりゃずっと会え
てたのにね﹂
﹁いっ!⋮⋮ててててっ!?つねるな!?力の限りつねるな!﹂
物凄い力で腕を抓られている。
あれは、大丈夫なのだろうか⋮⋮?
しかし、誤解されては困る。
﹁弘美さん、私が変な事したんですよ。晴翔を責めないでください﹂
﹁ふふ、知ってるわよ。何もかもね。だからうちのバカ息子の方が
悪いわよ﹂
え?知ってるって何を?告白を?いや、それだと晴翔が悪いとい
う意味が分からない。抓られて撃沈している晴翔を眺めつつ、首を
傾げる。晴翔が何か言ったのだろうか⋮⋮?
﹁えぇと⋮⋮?﹂
﹁あー!いいのよ!気にしないで!あ、そうだ。ケーキ買ってくる
わね!﹂
﹁え?いえ、そんなわざわざ?本当、お構いなく⋮⋮﹂
﹁いいのよ!行ってくるから、ちょっと待っててね﹂
423
﹁え、ちょ、まっ⋮⋮﹂
止める間もなく行ってしまわれた⋮⋮。起きたばかりで疲れてい
るだろうに、申し訳ない事をしました。⋮⋮家に上がらせて貰わな
い方が良かったですね。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
非常に気まずい沈黙が落ちる。
振られた女と、振った男の家で2人きり。
⋮⋮やっぱり入るべきじゃなかったですね。まさか弘美さんに謀
られるとはな。
晴翔を眺めていると、ビクッと震えられた。
﹁うおあっ⋮⋮!﹂
ガタッと湯呑を倒して机に茶が広がっていく。
﹁ちょ、晴翔、何やってんですか﹂
﹁ご、ごめんっ﹂
布巾を探して、机を拭く。
﹁あ、俺が拭く﹂
晴翔は私の手を掴んだ。そこは布巾ではなく手です。もうちょっ
と落ち着いて。
私の手を掴んだ事が予想外だったのか、慌てて離して手を振る。
424
﹁ち、違う!ごめん!﹂
﹁良く分かりませんが、とりあえず落ち着いて﹂
何をそんなに挙動不審になっているのです。
目が合いそうになると、顔ごと逸らされてショックを受ける。君、
仲直りしたいって言ってませんでしたか⋮⋮?
﹁なんで今、あからさまに目を逸らしたのですか?﹂
﹁い、いや、そんなことは⋮⋮﹂
﹁そんなことないことはないでしょう。今でも目、合わせてくれて
ないのですから﹂
﹁い、今は、ちょっと⋮⋮﹂
何故、今はちょっとダメなんですか。そりゃ確かに2人きりで気
まずいですけど、そんなに嫌がる事ないじゃないですか。
にじり、にじり⋮⋮と晴翔との距離を詰める。もう少しで手が届
く、と言う所で晴翔が立ち上がった。
﹁ちょっと、自分の部屋行ってくる!﹂
﹁えっ!?﹂
それ今やります!?客人ほったらかしでひきこもります!?
あ、本当に自分の部屋行った⋮⋮。
というか、今思いましたけど、私が誕生日にお返しであげたシャ
ツ中に着てましたね⋮⋮なんとなく、ちょっと嬉しいです。
﹁たっだいま!お待たせ!﹂
﹁あ、お帰りなさいませ﹂
425
とても良い笑顔の弘美さんが帰ってきました。
ってそのケーキの袋、ちょっと遠い方のものじゃないですか⋮⋮。
どおりでちょっと遅いな、と思いましたよ。
﹁あれ?我が息子は?﹂
﹁ええ、彼なら自室に篭っています﹂
﹁我ながら呆れるバカ息子加減!﹂
大仰に驚いている弘美さんを見てクスクスと笑う。まぁでも、篭
ってくれて助かりましたけどね。彼と2人きりは気まずいので。で
も⋮⋮どういう訳か、晴翔がかなり動揺を見せていたので、こちら
は冷静になれましたけれど。
弘美さんと談笑しつつ、ケーキを食べる。のんびりとお茶を頂き、
しばらくしてから晴翔が戻ってきた。
﹁じゃあ、そろそろお暇させて頂きますね﹂
﹁え!?あ、ああ⋮⋮﹂
これ以上いたら邪魔になってしまいますし。晴翔とも少し良好な
関係になれそうな気がするので、そこはまぁ、良かったです。良か
った⋮⋮のか?
⋮⋮まぁいいや、なるようにしかならん。
426
ホワイトデーでした。
次の月曜日に学校に行く途中で会長に会った。
﹁おはよう﹂
﹁あ、おはようございます。大会は如何でしたか?﹂
﹁優勝した﹂
おお⋮⋮せ、宣言通りとは、まさに攻略対象者。どうやら体調の
方は心配なかったようですね。
﹁それはまた。おめでとうございます﹂
﹁当然だ﹂
当然なんですか!凄い自信ですね。どこからその自信が沸き上が
ってくるのだろう。少しで良いから分けて欲しいくらいです。
﹁おっはよーとーるー!あ、会長さんも、どもですよ﹂
﹁ああ、金城か、おはよう﹂
何やら機嫌が良さそうな翼が笑顔で挨拶している。
この2人はなんだか随分と仲良くなっている気がします。
﹁あ、春休みにライブやるんだけど、会長見に来ません?﹂
﹁ほう⋮⋮いつだ?﹂
﹁4月1日!なんかこう、嘘つこうイベントもする﹂
427
﹁はは!エイプリルフールか、楽しそうだな﹂
へぇ、ライブイベントですか。しかもエイプリルフールに⋮⋮。
なんでその日にしたんでしょう、いや、分かりやすいですけれど。
﹁透と、晴翔と会長の3人でどう?﹂
﹁あれ、私も誘ってくれるんですか?﹂
﹁当然じゃん!友達なんだから!﹂
﹁ふふ、有難うございます。翼の曲、久しぶりに聞きたいなぁって
思っていたので、嬉しいです﹂
﹁え、そ、そう?へへ⋮⋮ありがとう﹂
﹁いえいえ、こちらこそお誘い有難うございます。ぜひ行かせて貰
いますね﹂
照れてる翼可愛いですね。たまには褒めて愛でないといけません。
尻尾振ってる幻覚が見える気がする。
卒業式である。と言っても、特に変わったことはない。水無月先
輩たちが卒業して、わずかばかり寂しくなるくらいですか。私とし
ては刻一刻と社会的死のカウントダウンが刻まれているのでとても
悲しいもんです。国歌や卒業の歌なんかをそれぞれ送ったりしちゃ
ったり。まぁ、多少練習させられましたけれど、何もなく終了した。
﹁いやぁ、この学校に通えなくなるのかと思うと感慨深いものがあ
428
りますね﹂
久し振りに会った水無月先輩はなんだか大人っぽくなっているよ
うに見えた。いえ、以前から大人っぽい方でしたが、より一層、と
いったところでしょうか。
﹁月島君の恋の行方がどうなったか、報告してくださいね﹂
﹁ええっ⋮⋮!?いえ、まぁ、いいですけれど﹂
そんなに会長の事が気になるのですか。まぁ、確かにドジッ子な
のでちょっと心配な気持ちは分かる。恐らく親御さん的な気持ちな
のだろう。水無月先輩が副会長をやっていた時は、散々迷惑かけて
いましたもんね。他の人間とほぼ喋れないとか、人としてどうかと
思いましたもの。
その為に副会長が必死で部屋を行き来して、食い違う意見を何と
か飲み込ませたりしてましたからね。その苦労は計り知れない。歴
代で最も苦労した副会長かもしれない、と思う。
今は結構それが軟化しているので、楽になったものです。もっと
早くに改善できていたら、もうちょっと水無月先輩も気が休まった
かと思うと⋮⋮。いや、ほんとにすばらしい方だと思います。東京
の最難関大学の法学部に受かったみたいですしね。頭の出来が違う
ようです。
水無月先輩の所はでっかい会社を経営してるんでしたっけ。テレ
ビでCM出るレベルの。まぁ、法学部で民法とか習うなら、結構有
意義だと思う。⋮⋮普通に敏腕弁護士にちゃっかりなってたりして
⋮⋮。水無月先輩が会社継ぐ、とか言う話は全く聞いた事がないの
で、そこんところは分からないが、将来は安泰だろう。決して路上
で死ぬ事はないと思う。よっぽどの事をしない限りはね。
429
3年生が抜けたので、校内が幾分か静かになる。
購買の方も買うのが楽になった、とはクラスの男子の言葉だ。私
は購買の方にあまり言った事はないが、お昼休憩の時は結構混雑し
ているらしい。
そしてホワイトデーがやってきた。
私はこの日の為にマシュマロを大量購入してきた。なんせバレン
タインの時に沢山チョコ頂いちゃいましたからね、そのお返しです。
全員の顔は覚えてないので、なんかこう、自主申告してくれた人に
あげるつもりです。ふふ、凄く適当ですね。でも仕方ない。名前も
記入してない子が机にいれてたりしてくれちゃってましたからね。
私ではどうしようもない。
なんでクラスの男子より私の方が多くチョコ貰ってんだ⋮⋮もう
いいですけれど。関係ない子も貰いにくると想定して沢山買いまし
た。量産型で申し訳ないですが、数が多いのでこれでも結構な値段
になっちゃったんですよねぇ⋮⋮。
しみじみとそんな事を思いながら登校する。
と、丁度校門の所に、最初にチョコを渡してきた女の子を発見し
た。
﹁あ、えっと君﹂
﹁ひゃっ!き、木下さん?な、なんでしょう!﹂
﹁これ、バレンタインのお返し。少なくて申し訳ないけれど、貰っ
てくれますか?﹂
﹁え、え、え⋮⋮か、家宝にしましゅ!﹂
え、いや、腐りますよ⋮⋮?
顔を真っ赤にさせて校舎にダッシュして行くのを呆然と眺める。
そういや、バレンタインに渡された後もあっという間に逃げてまし
たから、陸上部の子なのかもしれませんね。足速いなぁ⋮⋮。
430
休み時間など、私がバレンタインのお返しを配っている事が知れ
渡ったのか、沢山の女の子が詰めかけて来た。うおお⋮⋮なんとい
う。なんということだ。私ってこんなにモテるのか!どうせなら男
に生まれたかったよ!ちくしょう。
お昼休みもまるまる使って、ようやく全て渡し終えた。つ、疲れ
た⋮⋮。女の子の力って結構強いんですね。ちょっと恐ろしかった
です。
﹁あ⋮⋮の﹂
﹁あ、はい⋮⋮あれ、深見君どうしました?﹂
﹁こ、これ、お返し⋮⋮﹂
﹁あ。わ、有難うございます!﹂
わぁ!すっかり忘却してた!お返しを返す事ばかり考えていたが、
そういえば男子にもあげてましたね。私に女子としての威厳を取り
戻させてくれて有難う、深見君。
うん。深見君にあげてた事も忘れてたくらいですけれど、有難く
頂戴致しましょう。それに、深見君のお菓子美味しいですから、楽
しみです。
﹁透、これ⋮⋮﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
生徒会室に行くと、会長からお返しを貰った。
おお、なんだか女子っぽい気分です。いいものですね。
四角い箱が可愛くラッピングされている。
431
﹁なんのお菓子でしょう﹂
﹁いや、お菓子じゃない⋮⋮﹂
あれ、そうなんですか?ホワイトデーのお返しはお菓子だとばか
り思っていた。しかもマシュマロが多いと勝手に想像していた。そ
ういえば、どの攻略対象者もホワイトデーのお返しは何かモノだっ
たりしましたっけ。勿論好感度が高ければの話だが。
まぁ、今は現実でもあるので、その時の気分によって変わったり
もあるだろうな。私にくれたみたいに。
﹁おっ、俺も、お返し、ある﹂
若干カタコトになった晴翔が鞄から袋を取り出してきた。
それを見た会長が眉を潜める。
﹁お前、貰ってなかったんじゃないのか﹂
﹁なんで知って⋮⋮いや、あの後貰ったんだ、2月16日にな!﹂
﹁おま⋮⋮なんて姑息な⋮⋮﹂
ニヤリとしている晴翔を憎々しげに睨んでいる。なんとも仲が良
いことだ。
何故会長が14日にあげなかった事を知っているのか謎だが、ま
ぁあまり気にする事でもあるまい。
晴翔から袋に入れられたプレゼントを貰った。手にすると柔らか
かったので、布的な何かだろうと思う。今度こそお菓子を期待して
いたのに!なんで晴翔はモノを送ろうとしますかね⋮⋮。
﹁有難うございます﹂
432
﹁いや、こっちこそわざわざくれたんだから、有難う、だよ﹂
いえいえ、いいんですよ。色々考えすぎた私が悪かったです。正
直、作って休みの日に持っていくのは面倒でしたけれども。仲直り
できそうになったので、よしとしましょう。
⋮⋮それにしても、もうホワイトデーですか。
もうすぐ、終業式ですね⋮⋮あまり考えないようにしよう、そう
しよう。
家に帰ってプレゼントを開く。
深見君のお菓子はまじで半端なく美味しかった。いや勿論、桜さ
んのお菓子も超絶おいしいのですけれどね。文化祭で2人がコラボ
したお菓子は本当に美味しかったですね。
続いて会長から貰ったお返しを開く。
小箱から出て来たのはコンパクトな鏡だ。蓋がついたもので、鞄
に入れても持ち運びの邪魔にならない鏡である。水色と黄緑の花柄
で、花柄でも割とシンプルなデザイン。結構私好みのものだった。
いつぞやのスノードームとはえらい種類の違ったものですね。これ
は普段使い出来そうですね。可愛くても可愛過ぎない感じがとても
良いです。
で、最後に晴翔のものですが⋮⋮開けるのを躊躇いますね。
なんせ前回ネックレスでしたから⋮⋮まるで使っていませんけれ
ども。まぁ、アクセサリー類ではないでしょうね。なんせ布的な感
触でしたから。
悩んでいても仕方ない。早速開きましょう。
⋮⋮。
⋮⋮うーん。
ひざ掛け⋮⋮?なんでこのチョイス⋮⋮?
まー深い意味などなかろう。バレンタインのチョコねだる様な人
間ですしね。
433
でも、これくらいだったら家で使えそうっちゃ使えそうです。
ネックレスは貰ったのに使ってませんでしたから、これは使いま
しょうか。なんだか晴翔に申し訳ないですし。
434
エイプリルライブに行きました。
終業式がいよいよやってきた。
主人公が入学⋮⋮ああ、もうすぐだ。もう1か月もしない内に入
学してくる!どうしてくれよう、ほんと。腹をくくったのはいいで
すけれど、今さら腰が引けてきましたよ。主人公が晴翔をガン無視
して、別ルート目的にしてくれれば、万事解決なんですけれども。
ああ、そうだ。翼と水無月ルートも避けて欲しいです、ぜひ。
ええと、私が安全なルートは月島、高木、土の付く子、日向、と
いった所か。まぁ、どの場合でも、晴翔との好感度が一定以上高か
ったらダメなんですけれど。私の難易度が高すぎる気がするよ⋮⋮。
顔あわせて会話したら好感度なんてある程度上がっちゃうよ。
それと、心配なのが、会長と水無月海斗くんですね。好きな子が
いるみたいですし、世界の強制力で想いまで変えられたらどうしよ
うもない。今まで心までは操られなかったけれど、本編がスタート
してからは分からないのだ。
彼らの事も注意深く見ていた方が良いかもしれませんね。
まぁ、転校や退学していく予定の人が何か出来るとは思えません
が。
春休みの課題を1日で仕上げた後、入試問題をただもくもくと解
いていく。今の所A判定ラインの点数なので、この調子で落とさな
いようにしないといけません。もういっそ去年受けていたかった。
去年の入試の問題、得意な所出てたんですよね⋮⋮。まぁ、運も味
方のうち、その時どうなるか。
⋮⋮こと勉強に関しては、退学とか考えないようにする。やる気
失いますからね⋮⋮こんなことやって何の意味があるんだって気分
になりますから。
435
溜息を吐いて、目頭を揉む。ついでに、立ち上がって固くなった
体を動かす。
スマホに目を向けると、翼からメールが届いていた。
私があげたプリントに関しての泣き言だった。それを読んで、ク
スリと笑いながらまた机に向かう。
4月1日がやってきた。
翼のエイプリルライブの日である。
ライブは午後からだった。エイプリルフールって午前中まで許さ
れてるんじゃ⋮⋮い、いや、まぁ良いでしょう。
ライブのメンバーは3人なのだが、その3人の内、1人だけ本当
の事を言うらしい。そして、ライブ終了後に誰が本当の事を言って
いたか当てるゲームになるという。当てた人にはステッカーが貰え
るらしい。なんというレアシール。きっとプレミアム価格がつく事
間違いなしです。まぁ、売りませんけれども。
会長と晴翔は噴水前で待ち合わせしている。お昼の待ち合わせな
ので、早朝に待つ、という事態にはならない。それに、気候も暖か
くなってきているので、風邪をひく事もないだろう。
さて、会長と晴翔は何時間前にくるでしょうね。もう知らん、あ
いつらなんか知らん。普通に10分前に行ってやります!
⋮⋮といいつつ、気になって30分前には辿り着く。なんか毒さ
れている気分です。
噴水前にはすでに2人のイケメンが立っていた。
あれ、会長が着てる服って前に私が選んだ服じゃないですか。や
っぱり⋮⋮ものすっごく似合ってますね⋮⋮まぁ、きっと何着ても
似合うんでしょうけれど。元がいいと何着ても似合っちゃうんです
よね、ああいうのって。
ファッション雑誌なんて、可愛い子が着てるから可愛くみえるだ
けで、同じモノを私が着たって全く全然可愛くなんてならなかった
んですからね。けっ、どうせ人間見た目なんですよ、見た目。今は
436
綺麗系になったと思ったらイケメン系だと認識されるようになって
ますけどね!どうしてこうなった。
段々と待ち合わせ場所に近づいて行くのだが、何やら仲良く口論
している模様。だからなのか、女の子は遠巻きに彼らを眺めている
だけだ。明らかに険悪な空気なのに、話しかける様なハートの持ち
主などいなかったようだ。
さて、話しかけようか⋮⋮と思ったら。晴翔が会長の胸倉を掴も
うとし、会長がその腕を素早く掴んで晴翔を反転。掴んだ腕を背中
に回して噴水のふちに晴翔を俯きに取り押さえる。刑事が犯人を取
り抑えてるような鮮やかな動きだった。あのままあの手首に手錠で
もかけてしまいそうだ。
﹁えーと、随分と楽しそうに何をしているのです?﹂
﹁いだだだ!楽しそうにみえるのか!これが!?﹂
﹁俺は非常に楽しいが?﹂
﹁それあんただけだろっ!﹂
まぁ、運動神経抜群の会長に飛び掛かる方が悪いですよ。会長に
勝とうと思うなんて100年は早いです。最も、もし100年経っ
たとして、差がさらについている可能性も無きにしも非ず、ですけ
れどね。
﹁私も見てて割と楽しかったです﹂
﹁と、透も!?﹂
﹁そうだろう、そうだろう﹂
会長はとても満足気に頷いている。ですが、可哀相なのでそろそ
ろ離して差し上げて下さいな。そう言うと、渋々ながら手を離す。
掴まれていた手首が赤くなっていたので、相当強く取り押さえられ
437
ていた事が分かる。
晴翔は付いた土を払いつつ、溜息と愚痴をこぼしている。
落ち着いたところで、早速昼食へと向かう。近くのショッピング
モールのフードコートに行く事にした。うどんやたこ焼き、クレー
プ、ファーストフードなどなど、沢山種類があるので良いだろう。
ライブする所からも近いですからね。
春休みだからか、普段よりも子供連れの家族が多い気がする。
混雑しているので、パッと見で座れる所が見つからない。
﹁座れますかね﹂
﹁探すか﹂
こういうのは3人とかが最も面倒なんですよね。2人なら、2人
用の席が空くんですけれど。と、言っていると、2人用の席が空い
ているのを見つけた。
でもこれじゃ3人座れないんですよね。
﹁どこかから椅子を拝借しましょうか﹂
どこかで3人連れの人がいれば、そこから椅子を持ってくれば座
れるだろう。まぁ、机の方はちょっと手狭になりますけれど。
﹁んー私は椅子探してきますね﹂
﹁いや、俺がいこう﹂
﹁いや、会長は待ってて貰えますか?﹂
なんかこう、綺麗過ぎて相手が緊張すると思うんです。学校の生
徒は結構慣れて来たみたいですけれど、まだまだ喋れない人多いで
すし。晴翔は⋮⋮なんか不良っぽいですし。
438
﹁晴翔は先に何か並んで買ってくると良いですよ﹂
﹁分かった﹂
分担が決まった所で、早速あいている椅子がないか探してみる。
しばらくうろうろしてみたが、荷物を置いていたりして案外見つ
からないものですね。
﹁あれっ⋮⋮﹂
隅っこの方に、オレンジ色のボサボサ頭の男が一人でうどんをす
すっていた。
﹁高天原先生、お久し振りですね﹂
﹁んっ!げ、げほぅっ!げほっ!﹂
先生の前の椅子に座って声をかけると、むせた。
なんか、私が話しかけるとむせる人が多い気がする。きっと私の
タイミングが悪いのだろうな。ポケットからハンカチを取り出して
差し出す。
﹁すみません、突然声をかけてしまって﹂
﹁ぅえほっ⋮⋮えほっ⋮⋮う、いえ⋮⋮﹂
私からハンカチを受け取り、口元や汚れた机を拭いている。そし
て綺麗になった所で、ハッとして慌てだした。
﹁あっ⋮⋮う、うわ。ハンカチ汚しちゃった!ご、ごめ﹂
﹁は?⋮⋮いえ、その為に渡したんですから、良いですよ﹂
439
何を言っているんでしょう、この人は。というか拭いてから言う
のか。相変わらずというか、なんというか。
﹁お一人ですか?﹂
﹁う、うん⋮⋮い、いや、おじいちゃんと来てるんだ﹂
﹁ああ⋮⋮余った椅子貰おうかと思ったんですが、残念です﹂
﹁椅子⋮⋮?誰かと来てるの﹂
﹁ええ、この通り混んでいますから、椅子を探していたんですよ﹂
﹁あ、も、持って行っていいよ?その、おじいちゃんは帰ってこな
いし﹂
ん?はぐれたのでしょうか⋮⋮?それとも家に帰ったとか。
私が首を傾げているのを見て、説明が不足していると思ったのか、
少し慌てている。
﹁あ、いや、そのぅ⋮⋮⋮⋮ナンパに﹂
﹁⋮⋮⋮⋮え?﹂
あれ、すっごい聞き捨てならない単語を聞いた気がする。おじい
ちゃん、なんですよね?お父さんではなく。確か27、8才くらい
じゃありませんでしたっけ?高天原先生⋮⋮。だから18才くらい
に出来た子としても、60歳は超えてるんじゃ⋮⋮。
物凄く気まずそうにしている高天原先生に深く突っ込む気にもな
れず、半笑いで話題を戻す。
﹁あ、じゃ、じゃあ椅子貰っていきます、ね⋮⋮?﹂
﹁うん、あ、ハンカチは洗って返すよ!もうすぐ、入学式だし、そ
の時に⋮⋮﹂
440
﹁ああ、そうして頂けるなら、お願いいたします﹂
さっさと椅子を回収して、先程の席へと向かう。
椅子を持って席に戻ると、晴翔がパスタを買い終えて座っていた。
会長の姿はない、もう買いに行っているのだろうか。
﹁おかえり﹂
﹁ただいまです。先に食べちゃってていいですよ。私も買ってきま
すね﹂
﹁ああ、いってらっしゃい﹂
さて、何を買いましょうかね。
さっと会長の姿を探すと、ステーキ店の所に会長が並んでいた。
会長、肉好きなんでしょうか⋮⋮前もハンバーグ注文してたような。
まぁ、育ち盛りですからね。うーん、私は何にしましょう。うん、
カレーにしよう。おいしそう。
カレーを買ってから席に戻ると、2人共食事に手を付けないまま
無言で睨み合っていた。
﹁あれ、食べてなかったんですか?⋮⋮というか、何故そんなに熱
く見つめあっているのです?﹂
﹁熱くなど見つめてはいない!﹂
﹁誰がこいつなんかと!﹂
お、おう⋮⋮すみません。周りの人が気になってチラチラと様子
を窺うくらい睨み合っていたので、つい⋮⋮。それにしても、本当
に仲が良いですね。そんな事口に出したら、ムキになって反論され
そうですけれど。2人共素直じゃないんだから⋮⋮。
441
カレーを机に置いて、私も席につく。
﹁お待たせしまってすみません、では頂きましょうか﹂
﹁ああ﹂
﹁頂きます﹂
ご飯も頂いて、いざライブに!
ライブ会場は薄暗く、女性客ばかりだった。その中でイケメンが
混じればどうなるだろう。そう、こんな風に囲まれます。
﹁ねぇねぇ、私達と見ない?﹂
﹁このバンド良いよね?気が合うよね?ねぇ、この後抜けない?﹂
﹁カッコいいよね!貴方たちもバンドに出れるんじゃない﹂
目いっぱいおしゃれした女の子達に囲まれる。どの子も可愛らし
くて美しいですね。きっと男に間違われるなんて人生ではなかった
に違いない。
女の子の勢いに会長はたじたじだ。今までこんな風に積極的に来
られることはなかったのだろう。待ち合わせていても、遠目から見
られるだけだったみたいですし。雰囲気が柔らかくなった弊害がこ
こに。明らかに助けてくれ、と言う目線を頂いた。
晴翔の方は不機嫌な顔で適当にあしらっている。こっちは割と手
馴れているかもしれない。けれど女子はタフだ、全く引かない。や
はり、ライブに来るような子は体力も有り余っているのだろうか。
結構きつい言葉もいったりしてるが、﹁カッコイイ!﹂で済まして
いる鋼の精神もお持ちだ。すげぇなあの子達、尊敬に値する。
かくゆう私も囲まれていたのだが。﹁すみません、連れと見るの
442
で﹂とニッコリ笑うと普通に引いてくれた。なんで私に話しかける
子は普通に諦めるのに、あの2人にはタフな女の子ばかり集まって
いるのだろう⋮⋮謎だ。
2人を救助し、控室の方に行かせて貰った。翼から来てもいいよ
というメールを頂いたからだ。
控室に行くと、以前会ったメンバーが歓迎してくれた。しばらく
見ない間に少し大人っぽくなっていますね。いやぁ、カッコいいで
すね。勿論翼がメンバーの中で最もカッコいいわけなのだが、どう
にも現実味にかけるというか、かっこよすぎるというか。まぁ、二
次元から出て来た存在なので仕方なかろう。それに比べると、やは
り2人は落ち着くカッコよさだ。
この2人なら頑張れば付き合えるかも⋮⋮!という淡い期待すら
出てくる。まぁ、十分この2人もカッコいいのですけれどね。
特等席を用意してくれたという。というか、そんなものが出来る
程度に人気が出て来たのですね⋮⋮もうすぐプロ入りの声も掛かる
事だろう。
ふむ、あのイベントは何時頃でしたっけ。夏も終わりに近づくぐ
らいだったかな?プロ入りの話を両親に打ち明ける前に、主人公に
悩みを打ち明ける⋮⋮とかいうくだりがありましたよね。主人公は
過酷ないじめから耐えている最中、笑顔でおめでとう!って言って
あげるんです。心では寂しいとか、いかないで欲しいとか、自分は
相応しくないだとか、結構暗い事考えているけれど。彼の前では笑
顔で両親の元に送り出すんです。泣ける話じゃないですか。
翼がいじめに気付くのは主人公が大けがしてからですね。
⋮⋮今思うと翼ルートは主人公がめちゃくちゃ大変だから、リア
ルではオススメしたくないね。
ついでに言うと、彼のルートでは、木下透は翼親衛隊の協力を頼
まれる形でいじめに参加する。そしてばれた後に転校、と。⋮⋮う
う、嫌だなぁ。そんな要請が来ても絶対協力したくない。全力で止
めたい所存であります。出来る限りね。
443
久し振りにライブを聞いたが、鳥肌が立った。
音に深みが増したし、歌も上達している。ドラムのスティックさ
ばきも素晴らしい。ほぼ完璧なプロに近づいている。
ちなみにエイプリルフールのイベントは。
ドラムの子が﹁彼女が出来た﹂。
ベースの子が﹁明日から遊園地に行く﹂。
翼が﹁好きな子できたよ!﹂とそれぞれ言い放った。
ここで会場がざわついた。言うまでもなく、この中で本当は1つ
だけなのだ。
ここで皆の心は﹁本当の事をいっているのはベースだけだ、きっと
そうだ﹂と思いこむ事になる。なにせ、好きでこのライブにきてい
るものだから、そこに女の影が出来るのを厭う人は多い。私はどう
でもいいと思うのだが、アマチュアゆえだろうか?彼らと付き合い
たいと思っているファンは多いらしい。
大半の人がベースを本当と選んでいた。
私達は、翼からの情報でドラムが本当の事を言っていると知って
いたが。ライブ後の答え合わせは修羅場だったな。
まぁでもドラムが彼女出来てはしゃいでいるのは分かった。ファ
ンにはたまったもんではなかったようだが。そういや、翼ルートの
時にドラムは彼女自慢してた気がする。今さらそんな地味な所に気
づかされるのですね。
正解者に配られるステッカーは貰えた。答えを知っているのに貰
えるのはどうなのだろうか。まぁ嬉しいので良いんですけれど。
しかし、翼にはまだ気になる相手すら見つかっていない訳か⋮⋮
主人公好きになったら厄介だな。主に、彼のファンとかが。
ライブが終わる頃には、もう日が傾いている所だった。
﹁暗くなるし、送ろうか?﹂
﹁いえ、大丈夫です。会長とは家が大分離れていますからね。晴翔
444
に送って貰いますから﹂
正直な所、見た目男な私は気にしなくて良いだろう。だが、会長
は気にしそうなので、そう答えておく。実際、帰り道はほぼ同じで
すしね。駅から晴翔家に行く途中に私の家があるのだ。送ると同じ
ようなものだろう。
﹁火媛⋮⋮﹂
﹁なんだ⋮⋮﹂
ガシッと会長が晴翔の肩を掴んだ。
﹁いたっ!いだだだだだだ!﹂
相当力強く掴まれているようで、痛みで顔が歪んでいる。晴翔は
そんな会長の鳩尾に拳を入れた。だが、会長の方は、ピクリと眉を
動かしただけで平然としている。⋮⋮鳩尾ってあんまり鍛えられな
い急所だと思ったんですけど、会長の場合は違うようだ。
晴翔が弱いんじゃない、会長が強すぎるのだ。きっと金的でも平
然とするに違いない。
﹁あ、あの会長、離してあげたら如何でしょう⋮⋮﹂
﹁何、送り狼にならないように負傷させようと思ってな﹂
なんで!会長の脳内では大変な物語が展開されているようです。
私は晴翔の恋愛対象外なのはいうまでもなく、送り狼なんて甘い出
来事なんて起こりえない。ついでにいうと、送り狼になりそうな人
間を負傷させようと思うのもどうかと思う。
私が呆れた顔をすると、会長が渋々晴翔を解放した。
445
﹁くっそこの馬鹿力め⋮⋮﹂
捕まれた肩をさすりながら悪態をついていた。
うん、冤罪お疲れ様ですよ。
446
エイプリルライブに行きました。︵後書き︶
いよいよ次回、入学式に入ります。
447
入学式でした。
寒さが和らぎ、春色が咲き誇る今日この頃。
満開の桜並木を眺めながら登校するのは、去年ぶり。去年は失恋
とか男子制服とかのせいで結構憂鬱だったが、今回は⋮⋮いや、今
回も憂鬱だ。むしろ前回より今回の方が気乗りがしない。
あれです、前世の時ってなんだかんだと入学式に桜って散ってる
事多かったんですよ。故にこの満開の桜を見ているとこれがやはり
現実とは少し違うのだな、としみじみと思う訳で。こんな綺麗に入
学式に毎年咲くなんて奇跡に近いと思う訳で。それこそ神の御業か
何かだと思わざるを得ない訳で。
あれかな、これはあれかな、いじめフラグも折れないのかな?不
屈の急展開が待ち受けるのかな?それともいじめてる時に急に意識
を失ったりしちゃったりするのかな、なんて。
﹁おはようございます、透さん﹂
﹁あ、桜さん。おはようございます﹂
少し赤みがかった茶色の髪がふわりと揺れる。儚げな彼女はまる
で乙女ゲームの主人公の如き輝きがある気がする。しかし、今日は
なんだか少しだけ元気がないように見える。
﹁どうしました?少し⋮⋮元気がないようですけれど﹂
﹁あ⋮⋮いえ、その⋮⋮透さんとクラスが離れてしまったから、や
だなって⋮⋮﹂
うっ⋮⋮!?か、可愛い!?
私もこれくらいの可愛さがあったら彼氏くらい作れていたかもし
448
れない。参考にさせて貰おう。まぁ、似合わないと思いますけれど。
しかし、クラスばかりは運ですからね。仕方ありません。入学式
よりも前に、始業式を済ませてある。桜さんと晴翔とは離れてしま
ったんですよね。ですがまぁ、お昼休みにでも会えるでしょう。ま
だ社会的に死ぬような時期ではないですし。
はらはらと花弁が彼女の頭にのったので、それを手に取る。ふわ
ふわと花弁が落ちてくるのを眺めて、何となく心が和んで頬が緩ん
だ。
﹁綺麗ですね、桜﹂
﹁えっ⋮⋮!?﹂
桜さんにかぁっと顔を赤らめられた。そして、自分の言ったセリ
フを思い出す。
綺麗ですね、桜⋮⋮って、えぇええええ!
﹁ち、ちが、あの、花が、ですね!あ、勿論桜さんも綺麗なのです
が、呼び捨てるつもりは⋮⋮﹂
動揺してしどろもどろになる。桜さんの方もあわあわしている。
﹁なんでそんな甘酸っぱい感じになんの⋮⋮?﹂
﹁あっ、つ、翼⋮⋮おはようございます﹂
なんだかげんなりした様子の翼と遭遇した。髪が乱れていて、眠
そうだ。夜更かしでもして、寝不足なのだろうか。慌てて身支度を
整えた感が凄く漂っている。
﹁相川さんと誰よりも良い感じってなんなの⋮⋮﹂
449
ボソボソと言っていたので、よく聞き取れなかった。
﹁翼?﹂
﹁なんでもないよー透はさっさと行かないと委員の仕事あるんだろ
?﹂
﹁あ、そうですね。桜さん、行きましょうか﹂
﹁はいっ!﹂
入学してくる子達の為に、生徒会と実行委員会、風紀委員などが
協力して準備をしたのだ。椅子並べたり、マイクの設置をしたり。
ちなみに桜さんも実行委員会に入って手伝ってくれている。せっ
せと働いてくれている姿は妙に和むものがあった。
新入生の為のパンフだとか、胸元に花を付けてあげる係りだとか。
入学してくる人数が多いので、花を付ける場所は2か所に分かれて
いる。
生徒会の方は全体に指示を出したり、司会進行の段取りがあるの
で、そっちには手を出さない。因みに私は司会進行である。
新入生が入ってくるのを見ていると、段々と緊張してきた。人と
いう字を書いて飲み込む。こんなの意味ないんですけれど、何とな
くやっちゃうのですよね。ちなみに人という字は人と人とがお互い
支え合って出来ているわけではありません。
1人の人間をあらわした象形文字だそうで。
もし、人と人が支え合っているのだとしたら片方だけが楽をして
片方が必死で
支えているような字になりそうだって、誰かが言ってた気がします。
あれ、なんのテレビだったかな⋮⋮。
おっと。ちょっと現実逃避が過ぎるようですね。司会の最終確認
でもしましょう。まず新しいクラスの確認の為に教室に行く時間が
あるので、まだ少し時間がある。
450
新入生入場。
次に校歌斉唱。ちなみにこの時歌うのは乙女ゲームのOP曲だっ
たりする。なんてポップなもんを入学式で歌うんだ。まぁ良いです
けれど。国家を斉唱すればいいのに。
校長による式辞。その後、3人くらいのえらいおっさんの長いお
話。
新入生代表による宣誓。これは前回私がやったやつですね。
そして在校生代表から歓迎の言葉。これは勿論生徒会長からのも
のだ。横に副会長も控える事になるのだが、これが乙女ゲームのO
Pスチルになる。
とまぁ、大体こんな感じだ。
ぶつぶつと司会進行のセリフを繰り返していると、肩を叩かれて
びくりと震えた。
﹁わ、会長﹂
﹁すまない、驚かせるつもりじゃなかったんだが⋮⋮﹂
すまなそうにしている会長を見て、クスリと笑う。
﹁いえ、いいのですよ。なんでしょう、なにか不手際でもありまし
たでしょうか﹂
﹁いや⋮⋮その。緊張していそうだったから、話でもすればほぐれ
るかと﹂
﹁え⋮⋮﹂
あ、ばれてましたか?まぁ、単純に司会進行に緊張していると思
われていそうですけれどね。実際は入学してくる主人公に警戒して
いるというか、ドキドキしているというか。はぁ⋮⋮本当にこの時
がやってきましたね。胃がキリキリしてきそうです。
451
﹁心遣い、有難うございます。あ、もうこんな時間ですね。準備し
ましょう﹂
﹁ああ⋮⋮無理するなよ﹂
マイクの前に立ち、新入生入場を促す。
ぞろぞろと若々しい子達が入ってくる。それぞれ皆、期待と不安
をその顔に浮かべている。
︱︱︱見つけた。
その中でただ1人。自信満々の笑みを浮かべた少女がいた。飛び
抜けた容姿を持つ彼女は、やはり目立っていた。くりっとした瞳は、
見つめられるだけでドキドキとしてしまいそう。桃色の髪はふわふ
わで毛先まで手入れされているようで、つやつやだ。そしてその抜
とうま ようこ
群のスタイル。出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいる。
彼女がそう、主人公⋮⋮藤間曜子その人だろう。まさかデフォル
トネームとはな⋮⋮新入生の名簿ですぐに気付きました。ああ⋮⋮
来ちゃいましたね、ついに来ちゃったんですね。
動揺しそうになるのをグッと堪える。
これからどうなるのか、まるで見当もつかない。
淡々と入学式が進む。これと言ったハプニングもない。
しかし、会長と晴翔が壇上に上がった時、少しだけ会場がざわつ
いた。絶世の美女⋮⋮じゃなくて美男が2人も揃っているのだ。勿
論女生徒が中心になって騒いでいた。
その中で、主人公は興味なさげにそれを見上げていた。
それだけで判断するのはダメだと思うが、その表情に少しだけ希
望がわく。逆ハールートや、晴翔ルートに行かない可能性が出て来
た。これはちょっと期待持っちゃってもいいかな⋮⋮。
452
入学式が終了し、ホッと胸を撫で下ろす。
椅子の片づけをしながら、鼻歌でも歌ってしまいそうだ。
﹁機嫌良いな﹂
﹁ああ、そうですね。ちょっと良い事あるかもしれなくて﹂
晴翔に話しかけられて、全力の笑顔で返す。
﹁い、良い事って⋮⋮﹂
﹁あーそれはちょっと言えないんですけれどね。まぁ、まだ本当か
どうかは定かじゃないんですけれども﹂
﹁⋮⋮?﹂
訝しげな目を向けられたが、今は気にしまい。
⋮⋮ああ、でも、そうだ。翼や水無月のルートでも転校はするん
ですよね⋮⋮ま、主犯ルートじゃないからまだ良い!うん。
まぁですが、これからも注意深く見ていかないとですね。
453
大変な事になってきました。
廊下を歩いていると、誰かが蹲っているのが見えた。あの姿は日
向先輩だ。
﹁あの、大丈夫ですか、先生をお呼びしましょうか﹂
なんだか以前もこんな事がありましたね。あの時はなんの役にも
立ちませんでしたけれど。
﹁や⋮⋮大丈夫、じっとしてれば治ると思うし﹂
﹁そうおっしゃられてもですね⋮⋮﹂
﹁あっ!!﹂
誰かが大きな声で叫んだため、驚いて顔を上げる。するとさらに
驚いた事に、そこには主人公が立っていた。
むぅっとした顔で、明らかに不機嫌顔だ。そういう顔も可愛いの
だから主人公は侮れない。
主人公はずかずかと近づいてきて、私をぐいと日向先輩から引き
はがした。
﹁あの!だいじょうぶですか!﹂
この行動に日向先輩も驚いて目を丸くさせている。
そんな事お構いなしで、大きな声で介抱している。いやあれ、介
抱なのかな。うるさいから日向先輩しかめっ面してますけれど。
454
﹁あの!私が見ておくので先輩は先生呼んで来て下さい!﹂
﹁え、ええ、分かりましたよ﹂
睨まれつつ主人公に指示を出された。
主人公とはあまり積極的に関わるようなものでもないですし⋮⋮
先生を呼びに行くつもりではあったので。
足早に保健室に向かっていると、途中で書類をばら撒いている安
定の高天原先生を発見した。
﹁高天原先生﹂
﹁ひゃっ!あ、木下さん、ご、ごめんね。すぐにハンカチ返そうと
おもったんだけど﹂
﹁いえ、それはともかく、病人です。連絡が入っていると思います
が、日向という3年の方です。西校舎3階の南階段近くで蹲ってい
ます﹂
﹁え、あ、え、ああ、あの病弱な子⋮⋮﹂ 保健室常連客になるので、日向先輩の事は前回の養護教諭から聞
いていると思ったが、やっぱり聞いていたらしい。
﹁書類なら拾っておくので、はやく行って差し上げて下さい﹂
﹁わ、分かった。行ってくるね﹂
若干転びそうになりながらも慌てて走り出す先生。
養護教諭に連絡したは良いが、微妙に安心できないのが高天原先
生である。書類拾って確認しに行きますかね。試験通っているので
すから、大丈夫だとは思うのですが⋮⋮。
散らばった書類を集めながら、ふと考える。
今の、もしかしなくてもイベントだったのではないだろうか、と。
455
となると、主人公は日向先輩ルート狙い?うーん、だとすると日向
先輩の体調不良はイベントのせいなのだろうか⋮⋮。
日向先輩のルートに行くと、バットエンドだと病気で死んでしま
うのですよね。あれは私も泣いた覚えがあります。
ノーマルだと弱々しくなった日向先輩を看病して終わりを迎える。
グットでやっと2人共元気に笑顔で終わりになる。
この場合、選択肢を間違えると大変なのは私じゃなく日向先輩の
方だ。それを分かった上でもなお、主人公は日向先輩攻略を目指す
のだろうか。日向先輩ルートは選ばれなければ普通に卒業するし、
多少病弱でも自分の力で歩けるのですけれど⋮⋮。
いや勿論、主人公は正解を知っていると思いますけれど⋮⋮いや
待て、主人公が転生者だと決まった訳ではないのか。だとすると完
全に手探り状態な訳で、もし不正解を選んだりすると大変な事にな
る。
いや、主人公だから主人公補正でいけるという事なのだろうか。
しかし、先程私に敵意を向けていたのを見ると、ライバルキャラの
事を知っていそうなのですよね。うーん、気になるので見に行きま
しょうか。
慌てて書類を拾って、先程日向先輩が蹲っていた所へと足を運ん
だ。
途中で、高天原先生の肩を借りながら体調悪そうに歩いている日
向先輩を発見した。周りを見るが、主人公は見当たらない。﹁つい
ていく﹂は選択しなかったようです。さすが主人公。まぁ、まだ不
安なのでちょくちょく見させて頂きますが。人の命がかかってます
からね。
高天原先生と目が合い、苦笑を漏らされた。
﹁⋮⋮木下さん﹂
﹁大丈夫でしたか?﹂
456
﹁あ、う、うん。僕こう見えても介抱だけは得意なんだよね⋮⋮﹂
﹁それはそれは﹂
まぁ、それすらも失敗を重ねるようなら試験受かりませんでしょ
うね。
﹁日向先輩、私も肩をお貸ししましょうか?﹂
﹁ん⋮⋮いや、平気だよ。先生に見て貰って、少し楽にはなってい
るから﹂
﹁それは良かったです﹂
これからも過酷な運命が控えてますが、心折れずに頑張って頂き
たい。なんでよりによって彼を選択したのでしょう⋮⋮。
うん、なんかバットエンドの最後のセリフ思い出して泣けてきま
した。大丈夫だ、グッドエンドになるんですから⋮⋮それまでに何
度も倒れる事になりますけれどね。
ちょっとだけ暗い気持ちになりながら、保健室までついて行った。
﹁ふー﹂
﹁お疲れ様です。先生﹂
日向先輩の容体は安定し、今はベッドで寝ている。
緊張していたらしい高天原先生が溜息を漏らしている。さて、私
も用がないので書類を置いて帰りますか。
﹁じゃあ、ここに書類置いておきますので、教室に帰りますね﹂
﹁え。あ、ちょ、ちょっと待って!﹂
457
﹁へ?わっ⋮⋮﹂
急に引っ張られてバランスを崩す。
先生の方に倒れそうになったが、机に手をついて先生の上に倒れ
るという事にはならなかった。危ない。もうちょっとで先生に頭突
きをかますところでした。
真っ赤になった先生から距離をとって謝罪する。
﹁と、すみません﹂
﹁ご、こ、こちらこそ、ごめん﹂
掴んでいた手首を離して慌てて顔を逸らされた。
﹁えぇと、ところで、何か御用ですか?﹂
﹁う、あ、そ、そう、あの、ハン、カチ、を⋮⋮﹂
﹁ああ、そういえば先程言っていましたね﹂
すっかり忘れていました。慌てていたので遮っちゃったんですよ
ね。あの時は日向先輩が大変だったので仕方ありませんでしたが。
﹁⋮⋮その、失くしちゃって﹂
﹁それはそれは﹂
ドジッ子にありがちな展開ですね。
﹁ごめん、あの、新しいモノを﹂
﹁ああ、そんなに気を使って頂かなくても⋮⋮﹂
良いんですよ、という前に高天原先生が包装用紙に包まれたモノ
458
を取り出した。あ、もう買っちゃったあとなんですね⋮⋮。買わな
くても大丈夫ですよ、と言いたかったんですけれど。
取り出した袋を不安そうな顔で彷徨わせる高天原先生。
﹁や、その、前のハンカチ、大切なモノだったら、ごめんなさい﹂
﹁いえ、そういう訳ではないので、お気に病まず﹂
受け取らないと泣きそうなので、受け取っておこう。
﹁わざわざ購入して頂いて、ありがとうございます﹂
﹁い、いや!その、僕がなくしたのが、悪いんだし、いつも、僕は
ダメな⋮⋮﹂
﹁ストップです﹂
そっと先生の口にハンカチの入った袋をあてる。
何されるのか分からないって顔されましたが、気にしないように
して言葉を続ける。
﹁自分の事を悪いように言うのやめませんか。聞いていると悲しく
なります﹂
﹁⋮⋮はひ﹂
前にも注意したのに、また言おうとしなさるんだから⋮⋮。もは
や癖のようになってしまっているのかもしれない。
先生ももうちょっと自信がつけばいいんですけれど⋮⋮。分厚い
丸眼鏡を見つめて、目を細める。この眼鏡って度数合ってるのでし
ょうかね?こちら側から彼の目が見えにくいという事は、彼の側か
らも見えにくいのではないだろうか。
459
﹁先生、眼鏡って度数合ってます?﹂
﹁え⋮⋮?﹂
﹁あまりに書類を落とすものですから、見えていないのではないか
と﹂
﹁なん、で⋮⋮そんな⋮⋮﹂
あ、ちょっと踏み込み過ぎましたかね?若干引かれている気がす
る。先生から距離をとって、苦笑する。
﹁いえ、出過ぎた事を言ってしまったようですね、すみません﹂
先生は少しだけ俯いて、緩く首を振った。
﹁⋮⋮いいよ、その。度は合ってないし、でも、必要なものだから﹂
﹁そうなのですね﹂
やっぱり合ってないのか。でも必要って⋮⋮形見の品だったりす
るのでしょうかね。先生は眼鏡を外して私を見つめて来た。やはり
青と赤紫のオッドアイが宝石のようで綺麗です。これを隠してる事
が勿体ないですね。ですが、大切な眼鏡なら仕方ないのでしょうか。
﹁おばあちゃんが、最後に作ってくれた⋮⋮﹂
悲しそうに眼鏡を見つめる姿はなんとも痛々しい。いらん事きい
っちゃったみたいですね。
﹁すみません、余計な事いっちゃったみたいで﹂
﹁いや、その、いいんだ。僕の事をそんなに気に掛けてくれた事が
嬉しかったから﹂
460
柔らかく笑うと、余計に幼く見えてくる。
なんだか和みますね。思わずこちらも微笑んでしまうような、そ
んな人だ。しかし私が笑った途端に顔がゆでだこのように真っ赤に
なってしまった。その顔を隠す様にさっさと眼鏡をかけてしまった。
ああ、可愛くて綺麗な顔が⋮⋮本当にもったいない。しかし、不便
でもかけなくてはならない事情があるんじゃ仕方ないですよね。
﹁僕の方が魅了されてしまったみたいだ⋮⋮﹂
﹁ん?魅了⋮⋮?﹂
﹁な、なんでもありませんっ!﹂
良く分からないが、天然な人なのであまり気にしなくていいだろ
う。
近頃、翼の機嫌が急上昇していた。しっぽが全力で振り切れてい
る気がする。休み時間の度にどこかに出かけていて、実に楽しそう
だ。
私はと言うと、お昼休み時間の勉強レッスンをやっていたりする。
半分以上去年のクラスの人達とは離れてしまったが、別クラスにも
評判がいっていたらしく。続けてくれと言われているのだ。まぁ、
翼を教えるついでなので、全然いいのですけれど。
そういえば、前のクラスはとても成績が上がったんでしたね。皆
が努力した結果だと思うのですけれど。私なんて殆ど役に立ててい
ないと思いますし。
461
話が脱線した。勿論昼休みは翼も参加しているのだが、それ以外
は何処かに出かけているようなのだ。ルンルン気分でスキップしそ
うなほどだ。
これは気にならざるを得ないだろう。
﹁どうしたんですか?最近、ご機嫌ですね﹂
そう聞くと、全力全開の笑顔で答えられた。
﹁うん!俺の天使を見つけたんだよねっ!﹂
OH⋮⋮!なんだか翼が大変な事になってた!!
462
大変な事になってきました。︵後書き︶
翼が!
463
追及してみました。
翼の天使ちゃん⋮⋮それはつまり好きな人をさす。
翼がバンド内で﹁まるで天使のような声だった!﹂と興奮気味に
話した事から、主人公はバンド仲間から翼の天使と呼ばれるように
なる。主人公はボーカルに誘われるのだが、すぐに断る。そこをな
んとか言いくるめて1度だけ主人公が歌うイベントが発生する。そ
れは主人公に嫉妬していた観客も息をのむほどの歌で、あのバンド
の幻のライブとして将来語られる。
とまぁ、そんな物語だ。
そうすると、翼に好きな人が出来たという事だろう。言われてみ
ると、確かに恋をしている目のように見えなくもない。
問題はその相手が誰なのか、という話になってくる。
主人公は日向ルートが目的ではなかったのだろうか?もしや、ハ
ーレムルートなんて選ぼうなんて思っていませんよね⋮⋮。いやま
だ主人公と決まってませんから早とちりはいけませんね。
﹁翼、ちなみにですが、なんていう名前の方ですか﹂
﹁え?まだ名前聞いてないなぁ、そこがいじわるでかわいいんだけ
ど﹂
名も知らぬ少女に恋をしたのか。君の名は?って気軽に聞いとい
て欲しいもの
ですけれど。
﹁何年何組の方です?﹂
﹁1年B組だけど⋮⋮﹂
464
なんだって!主人公のいるクラスじゃないですか!
﹁もう行っていい?何度も誘わないと、来てくれそうにないんだ﹂
﹁待て﹂
すぐにでも教室に向かおうとする翼の腕を掴む。はっ、つい犬に
言うような言い方をしてしまった。咳払いをしてごまかそう⋮⋮。
﹁こほん。ところで、その方は、どんな子ですか﹂
﹁えーどんな子って⋮⋮﹂
その子の事を想像したのだろう、ふにゃりとした笑みを浮かべる。
しかしすぐにハッとして絶望した顔で私の顔を見つめた。
﹁ええっ!?いや、そんなばかな⋮⋮!﹂
わたわたと慌てていて、何が何だか分からない。
﹁お、俺にはもう好きな子が⋮⋮!そ、それに友達を裏切る事なん
て!﹂
﹁⋮⋮??﹂
なんだか凄い誤解を受けていそうなんですけれど。
﹁と!とにかく俺もう行くから!﹂
﹁あっ、ちょ⋮⋮!﹂
真っ青な顔で教室から出て行かれてしまう。突然どうしたのだろ
うか⋮⋮。それにしても気になるので、ちょっと後をつけてみます
か。
465
B組の場所は知っているので、さっさと目的地へと向かう。
1年の教室がある所にくると、やたらと目立つ。ひそひそと囁か
れている気もする。まぁ、先輩だし仕方ないか。
⋮⋮それにしても、翼はこの状態の廊下を毎度通っているわけな
んですよね。
そういえば、翼の度重なる目立つアプローチでいじめの標的にな
るんでしたか。そりゃあプロのバンドマンになる様な存在なんです
から、翼に好意をよせられている女性に嫉妬するもの無理ないでし
ょうね。
そこんところ、翼も気を付けて欲しいのですけれど。
はっ⋮⋮無理だった。翼のプロフィールに﹁かなりモテている事
を全く理解しない﹂と書いてあった。知らない女性にたくさん言い
寄られても、全くもって気がつかないという。さんざんナンパされ
ていたような気がするが、それでも気がつかない。顔も知らないの
に好きといわれても、なんだかしっくりこなくてカウントしないそ
うだ。まぁ、本当の所はどうか知りませんが⋮⋮。
しかし他人と会話が出来ない程の威圧感を放っていた会長もある
意味同類なのかもしれない。
時間と共に、会長のそれはやわらいでいったので、翼の鈍感なも
のも多少治って⋮⋮治ってないからこうして堂々と訪れているんで
すよね、分かります。
これだけ注目を浴びているというのに、下級生の教室に行くなん
て⋮⋮心臓が強いと言いますか、ただの馬鹿と言いますか。
B組の前では人だかりができていた。その状態に軽く頭痛を覚え
る。
教室に近づくが、誰も私の道の邪魔をしない。むしろどいてくれ
て楽々と通る事ができた。モーゼのようです。
きゃーきゃーと言われながら避けられるって割と傷つきますけれ
ど、こんなところに来ている私の方が悪いのでなんとも申し訳ない。
466
教室を覗こうと思ったのだが、丁度翼が出て来た所に出くわす事
になった。
﹁えっ⋮⋮つ、ついてきたの?﹂
﹁えぇ、まぁ⋮⋮どんな子なのかと思いまして﹂
さっと教室内を見ようと思ったのだが、何故か翼に遮られた。ク
ルリと体の向きを逆向きにさせられて肩を掴まれて動かないように
される。
﹁いや!うん、うん!その、別にいーじゃん?﹂
後ろから肩を掴まれている状態なので、後ろから翼の声が聞こえ
るというのは妙な感じだ。
﹁この体勢はなんなのでしょう﹂
﹁とりあえず、行こうか。生徒会の方に行こうか﹂
グイグイと押されつつ、チラッとだけ教室内が見えた。その中に
桃色の髪を発見。顔までははっきりと見えなかったので断言出来な
いが⋮⋮主人公だろうと思う。
﹁何故隠そうとするのです?﹂
﹁いやむしろなんで知ろうとしてるの!?なんなの?俺胃が痛くな
ってきちゃう!!﹂
グイグイ押されながら歩くという状態は非常にシュールなのか、
目撃した女の子が顔を覆ってプルプルする事もあった。正直、ちょ
っと恥ずかしいかもしれません。これ、翼の肩に別の人が捕まって、
そして私がまた別の人に捕まっていくと伸びていきますね。列車の
467
連結的な⋮⋮。
前世の小学生の時に、長い紐の中に皆で入って列車ごっこした事
がありましたね。なんででしょう、無意味に楽しかった覚えがある
んですけれど。
結局、生徒会の扉の前まで押された。
﹁もう構いませんか?離してくれると助かります﹂
﹁うん⋮⋮うん、ごめんね?﹂
﹁いや、それは構わないのですけれど⋮⋮﹂
﹁ところで、どうしてそんなに俺の好きな子が気になる訳?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
口を開こうとして、何を言おうかと逡巡してしまう。
内容を話そうとしたら、乙女ゲームの話が出て来てしまう為だ。
主人公が何を目的にし、日向先輩に声をかけていたか。翼の好きな
人は主人公か、否か。主人公じゃないなら何も問題な⋮⋮いや、こ
っちはこっちで好かれた女の子が大変ないじめに会うので要チェッ
クしなければならないわけなのだが。
主人公だった場合なら何故日向先輩にも声をかけているのか悩ま
なければなりませんし、場合によれば全力で日向先輩を守らないと
いけなくなります。
翼はモテるから、女の子達からの嫉妬でいじめられないか心配で
⋮⋮とでもいえばいいのか。なんというお節介!いやでも翼には﹁
自分はモテない﹂という呪いという名の思い込みがありますから納
得してくれるかどうか。
私が返答を迷っている間に、どんどんと翼の顔色が悪くなってい
く。
468
﹁⋮⋮た、単刀直入に聞くけど、俺の事、好き?﹂
﹁え?⋮⋮まぁ、好きですけれど?﹂
何を今さら。好きじゃなかったら勉強なんてみてあげませんよ。
それに犬みたいで可愛いですし。
⋮⋮って!すっごい震えてますけれど、本当にどうしちゃったの
でしょう?
﹁えーと、あの、翼?保健室へ行きますか?﹂
﹁連れ込んで何をする気だ!﹂
﹁は?寝かせますけれど﹂
﹁う、うわああああああ!﹂
﹁あ、ちょ、待っ⋮⋮﹂
翼は、逃げ出した!
なんで急に走り出した!?
取り残されて、呆然とする。今のはなんだったのか⋮⋮。
それにしても、結局翼の好きな子は分かりませんでしたねぇ。翼
は翼で顔色が悪かったですけれど、大丈夫なのでしょうか?⋮⋮あ
れだけ元気に走れたら大丈夫でしょうねぇ。
﹁随分悩んでいるが、大丈夫か?﹂
﹁ええと⋮⋮ああ、すみません。大丈夫です﹂
469
生徒会室で唸っていると、会長に心配されてしまった。しっかり
しないといけませんね。
なるべく早い内に翼の好きな人を見つけなければいけないですよ
ね。主人公への対応も大きく変わる事になりますから。
あれ、そういえば翼に好きな子が出来たら、いじめに参戦させら
れて転校ルートじゃないですか?これは困った。うーん、翼の好き
な子は全力で知っておかないといけませんね。
戦う前にはまず敵の姿をハッキリさせておかないと。
﹁少し気がかりな事がありまして⋮⋮﹂
﹁⋮⋮大変そうだな﹂
すっごくしみじみとした声で労わられた。有難うございます、な
んか疲れましたよ、私。まだ4月も終わってないのに。そう、まだ
4月なんですよね⋮⋮。
そろそろ1年生のオリエンテーションですけれど⋮⋮。しおりの
デザイン案も決まってないんですよね。内容は去年のモノと同じで
良いと思いますけれど。
﹁⋮⋮肩でも揉んでやろうか?﹂
﹁いえ、それはなんだか申し訳ないのでお構いなく﹂
﹁遠慮するな﹂
﹁いえいえいえ﹂
会長を扱き使う事務補佐なんてありえませんよ。もし誰か入って
きたらどうするんですか。まぁ、今は誰もいませんけれど。
会長の方が部活とかあったりするので、むしろ会長の方が疲れそ
うなものですけれど⋮⋮。
470
﹁普段から頑張りすぎなんだ、透は。もうちょっと肩の力を抜け﹂
﹁わ、ちょ⋮⋮い、いたたた﹂
素早く回り込まれて、肩を揉まれる。グリグリという音が聞こえ
て痛い。
﹁⋮⋮めちゃくちゃ凝ってるな﹂
ううわ、この年齢から慢性肩こりなんて嫌ですよ。本当、もうち
ょっと力抜いた方がいいのかもしれません。
い、痛い。痛いけれど気持ちいいです。
﹁あー⋮⋮すみません。それにしても上手いですね。会長﹂
﹁やりなれているからな﹂
へぇ、そうなんですね。そんな情報知りませんでした。攻略サイ
トにも載ってない情報ですよね⋮⋮。ああ、そう言えば甘党という
のも割と驚いた記憶がある。
﹁な、なんだ?﹂
上を見上げてじっと会長の顔を見つめていたら、段々と顔が赤く
なってきた。相変わらず照れ屋さんめ。そういや、どうでもいい男
女の前でも照れるんだから、好きな人の前だったらどうなるんだ?
⋮⋮きっとめちゃくちゃ頑張っているんだろう、うん。
会長があまりに初心なので、少々老婆心が沸いてきた。
﹁ところで会長の好きな人は変わったりしていませんか?﹂
﹁いっいきなりなんの話だっ⋮⋮!!﹂
471
顔が真っ赤になって動揺した。いやぁ、会長のキャラって本当ブ
レまってますよね。会長は俺様で、結構冷たいキャラだったと記憶
している。間違ってもこんな風に動揺するキャラではない。晴翔は
主人公に少し冷たくする時もあるが、基本的に俺様のようなもので
ない。まぁ、多少強引な所もあるけれど、程よいといいますか。
﹁かっ、変わってない⋮⋮ずっとだ﹂
﹁ほう﹂
それはまた。想われている方が随分と羨ましいですねぇ。ふむ⋮
⋮そうだとすると付き合っていたりするのだろうか?よもや片思い
などではあるまい。これだけ真っ赤になるのだ、相手さんも気づく
だろう。
いや、この反応とドジッ子属性ならずっと片思いなんて事も有り
得そうだが。ああ、そういえば水無月先輩が恋の行方が知りたいと
おっしゃっていたので、付き合っていない可能性の方が高いのか。
﹁ずっと⋮⋮好きだ﹂
真っ直ぐに目を見つめられてそんな事を言われたものだから、思
わず心臓が早くなってしまった。
顔が赤くなりそうだったので、さっさと顔を戻す。
びっくりした⋮⋮まるで自分に言われているようで。
ドキドキする胸をなんとか静めつつ、背後にいる会長に声をかけ
る。
﹁そんなに好きなら、告白はなさらないのですか?﹂
﹁⋮⋮気付かれなかった﹂
﹁そりゃまた⋮⋮遠回しな言い方でもなされたんですか﹂
472
﹁いや⋮⋮﹂
凄く声が沈んでいっている。ああ、ちょっと根掘り葉掘り聞きす
ぎましたね。肩に乗っていた会長の手が離れ、席に戻っていく。そ
して机に突っ伏して落ち込んでいる。あー、嫌な事聞いちゃったん
ですかね。申し訳ない事をしました。
﹁えーと、マッサージ有難うございました。コーヒー入れますね﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
水無月先輩、彼の恋はまだ実らなさそうですよ。
けれど、真っ直ぐ想われる彼女は、いずれ恋人になるんじゃない
でしょうか?会長は文武両道で信じられないぐらいイケメンですか
らね。性格も良いですし。まず心配いらないでしょう。
473
追及してみました。︵後書き︶
翼、思わぬ方向に勘違い。
会長、ちょっと心折れる。
474
盗み聞きしました。
さて、何故か翼は教えてはくれませんでしたから、自力で調べる
しかないのでしょうかね。
主人公か、否か、問題はそこです。とりあえず主人公をマークす
ればいいのでしょうか?そんな事を考えながら歩いていると、丁度
主人公が前を横切って行った。誰かの手首を掴んでいるようで、強
引に引っ張っていっている。
大人っぽい雰囲気のある子で、かなり困った顔をしている。見た
事ない子⋮⋮いや、どっかで見た事⋮⋮あれ?この感じ前にもあっ
たような。
って、そんな事を考えている場合じゃありません。何をしようと
しているのか、ついていってみましょう。
主人公は、人気の少ない校舎裏まで女の子を引っ張ってきた。
とりあえず見つからないように草陰にしのぶ。盗み聞きは趣味じ
ゃありませんが、人生がかかっているので致し方あるまい。息をひ
そめて、どんな会話を繰り広げるのか待ってみる。
大人っぽい子はここまで連れてこられて困っている。物凄く困っ
ている。この時点で凄く助け出したい気分になったが、ぐっとこら
える。あの子は大学生に見えなくもないが、主人公と同級生なのだ
ろうか?
主人公は、周りに誰もいない事を確認してから女の子に口を開い
た。
﹁⋮⋮﹂
ちょっと遠いので、何を言っているか聞こえない。もうちょっと
近づきましょうか、気付かれないように⋮⋮。
475
﹁⋮⋮⋮⋮らったらどうなると思ってんの?別に悪い話じゃないじ
ゃない!ねぇ、教えてよ!﹂
ちょっと近づいたので、最後の方は聞こえて来た。というか、何
故あんなに声を荒げているのだろうか。
主人公が女の子の肩を掴んで揺らしている。これは止めた方がい
いのだろうか。
出ようか、と思ったが、その前に声がかかった。
﹁何をしているんだ?﹂
声のした方に目を向けると、高木教師が息をあげて汗を拭ってい
た。どうやら走ってここまできたようだ。
出るタイミングを完全になくして、そこで息をひそめる。
高木教師は女の子と主人公の間に割って入り、女の子を自分の背
に隠した。丁度、会長と待ち合わせしていた時に高木教師がナンパ
から守った時のようだ。
あ、なんっか見た事あると思ったら⋮⋮あの時にナンパされてた
子にそっくりな気がします。髪の艶とか。
﹁何って⋮⋮な、何にもないですよ、ね?間宮さん?﹂
首を傾げて高木教師越しに女の子に呼びかける主人公。どうやら、
あの子は間宮さんというらしいですね。かなり大人っぽい子で、濡
羽色が実に美しい。肌が白いから、余計に際立ってるんですよね。
﹁あ⋮⋮はい、何にもないです﹂
透き通るようなとても綺麗な声だった。あの容姿であの声⋮⋮羨
476
ましい。はっ、い、いや別に羨ましくなんて⋮⋮はぁ。
間宮さんの言葉に眉を顰めたのは高木教師だ。
﹁本当か?今掴みかかっていたように見えたが?﹂
﹁ほ、本当に何も⋮⋮﹂
﹁あたし!もういきますね!﹂
﹁は?ちょ、待て!藤間!﹂
高木教師の言葉を無視して歩き出す。ってこっちに来た!別にや
ましいことなどないが、隠れておこう。
﹁なんっで主人公のあたしがいじめの疑いかけられないといけない
訳?ほんっと信じらんないあの攻略キャラ!﹂
私のすぐ隣を通り過ぎる瞬間、そんな声が聞こえて来た。
う、うわー⋮⋮。なるほど、藤間さんは確実に転生者、ですね⋮
⋮。しかも乙女ゲームに関しての知識もある、と。
見つからなかったのが幸いだ。見つかってたらどんな因縁をつけ
られていたか。ライバルキャラですもんね、私。まぁ、晴翔の、で
すけれど。
なんだかドッと疲れた気分です。
さて、私もそっと立ち去りますかね⋮⋮主人公が行ったばかりな
ので、もうちょっと時間差で帰りましょうか。
﹁⋮⋮本当の事を言ってくれ、なんでも協力するから﹂
﹁⋮⋮その、本当に何もありませんから、気にしないでください﹂
じっとしていると、嫌でも2人の会話が聞こえてくる。なんだか
とてもイケナイ事をしている気分になるので、早急に帰りたいが⋮
477
⋮主人公や彼らに見つかる訳にもいかない。
﹁藤間はさっき、何を教えてくれと言っていたんだ?﹂
﹁先生には⋮⋮いえ、男の人には内緒ですよ。女同士の内緒話です﹂
先生には関係ない、とでも言おうとした所を、女同士の内緒話、
という言葉に変えたように聞こえた。どうやら、気の回る子のよう
です。見た目が大人っぽいですが、中身も大人っぽいようですね。
人差し指を口元に当てて、シーってしているのが実に色っぽい。私
には出せない色気だ。無理。
高木教師にもその威力が届いたらしく、目に見えて動揺した。間
宮さんから顔を逸らして、くしゃりと前髪を軽く掴む。丁度間宮さ
んからは顔が見えないようにしているが、私からは丸見えだ。
⋮⋮目元が赤くなっていらっしゃる。これは照れた時の立ち絵の
ようですね⋮⋮え、ちょ、待って。どういう事なの。これじゃまる
で高木教師が間宮さんに恋しているような図にしか見えない⋮⋮。
いやまさかそんなね、あははは⋮⋮は、早く立ち去ろうかな。
軽く腰を上げた丁度その時、間宮さんが帰ると言いだしたので、
慌ててまた草陰に隠れる。チラリと覗くと、幸い逆方向に行ってく
れたようだ。
そこには呆然と立ち尽くす高木教師の姿だけがあった。
間宮さんが立ち去った方向をじっと眺めて⋮⋮。
れいな
﹁⋮⋮怜那﹂
焦がれる様な声だった。
思わずドキリとするような大人の色気がある。
まさかまさかと思いますが、間宮さんの下の名前を呼んだ訳じゃ
あないですよね?そうですよね?
はぁ、と溜息を吐いてこちらに歩いてきたのでまた隠れる。
478
見つかりませんように見つかりませんように見つかりませんよ⋮
⋮見つかった。バッチリと高木教師と目が合ってしまった。
う、う、わぁ⋮⋮。
﹁⋮⋮き、のし、た、か?﹂
﹁⋮⋮そ、う、です、ね﹂
お互いカタコトで喋る光景は、はたから見たらとてもユニークだ
っただろう。だが私達はそれどころじゃない。
先生の想い人が生徒かもしれない、という所を見てしまったのだ。
これが緊張せずにいられるか。調べれば、間宮さんの名前だってす
ぐ分かるだろう。しかし、だがしかし、彼の固い表情を見れば、わ
ざわざ調べなくてもおのずと結果は分かるだろう。
﹁いま、の、きいてた、か?﹂
﹁イイエ、ナニモ、キイテマ、セン﹂
ぎこちない動きで首を振る。
しばらく固まっていると、高木教師は再起動を果たしたようで、
咳払いをした。
﹁聞いたところで、何もないから、何も問題はない。なにせ、何も
ないからな!﹂
﹁わぁ!そうですね!あ、私何も聞いてないから何も問題ありませ
んでしたね!そう、聞いてませんからね!﹂
あはははは、とお互い乾いた笑いを零した。
﹁だから何も言わないよな?﹂という目線に﹁ええ、もちろんで
す﹂と頷いておく。
ああ、会長も水無月海斗くんもそうですけれど、やはり恋愛対象
479
は主人公で限定されてないって事ですよね。ああ、ビックリした⋮
⋮。
⋮⋮なんか、ドッと疲れました。本当に疲れました。
主人公は転生者で、間宮さんは高木教師の想い人で⋮⋮あれ?だ
から主人公は呼び出した、とか?高木教師を攻略する気だと思われ
たとか。
実際問題、転生者じゃなくたって魅力的な女性は沢山いるので、
攻略対象者に好かれているから転生者って訳でもない。間宮さんは
主人公に呼び出されて大変困っていらっしゃったが、それだけでは
判別する事はできない。
それに、間宮さん、凄く素敵な方でしたから⋮⋮これは推測にす
ぎませんが、ナンパから助けた高木教師が大学生か何かだと勘違い
して好きになった⋮⋮という事もありますね。かなり大人っぽい雰
囲気のある方でしたから。
しかし、これから高木教師と接触するのはなるべく控えよう⋮⋮
なんででしょうね、ゲーム内だと楽しめる先生の恋ですが、現実で
起こると冷や汗が出るほど胃がキリキリしそうですね。
⋮⋮今年は波乱ですね⋮⋮ところで、私のいじめ転校フラグはど
うなった?
480
混乱しました。
翼の好きな人を探ろうと思ったら、別の事が分かった。
高木教師が間宮さんを好きという事だ。開いていた名簿を閉じて、
嘆息する。彼の担任するクラス⋮⋮つまり主人公のいる1年B組に
間宮怜那という名前を見つけた。
禁断の恋ですねぇ⋮⋮うっ、胃が。
いやいや、もはやこっちの事は私に関係ない事です。気にせず参
りましょう。私のいじめフラグとも関係ないですしね。
彼は見た目に反して真面目なので、変な気を起こす事もないだろ
う。乙女ゲーム内でも最後の最後でようやく想いを打ち明けるくら
いである。
それと、大切な事が分かった。主人公が私と同じ転生者という事
だ。恐らく何かしら目的はあるのだろうと思うが、それは未だに不
明だ。出来る事なら、翼が別の人間を好きになっていてくれれば何
の問題もな⋮⋮いや、翼が好きになる事自体大問題なんですけれど
も。
﹁どうした?そんな深すぎる溜息なんて吐いて﹂
﹁いえ⋮⋮﹂
晴翔に心配そうに声をかけられた。あれ、溜息吐いてましたっけ
?無意識?⋮⋮わぁ、若き10代としてそれはどうなの。
それにしても、晴翔は主人公と接触したのだろうか?ルート関係
なく、出会いイベントというのは存在しているのだ。ハンカチ拾っ
たり、ぶつかってみたり。驚きの吸引力で攻略対象者と接触をはか
るのが、主人公なのだ。
とりあえず、何か漠然と聞いてみましょうか。今後の参考に。
481
﹁最近、変わった事はありませんか?﹂
﹁何か変わった事⋮⋮?﹂
しまった、漠然とし過ぎたか。
いやでもどう聞きましょうかねぇ⋮⋮。
何か考えていた晴翔が、口を開く。
﹁そういや、最近翼がいつになく浮かれてるな﹂
会長が僅かに顔を上げた。会長と翼は知り合いなので、気になっ
たようだ。
﹁金城が?何かあったのか?﹂
﹁ああ⋮⋮なんでも好きな子ができたみたいで、毎日ノロケられて
る﹂
うっとうしい、と最後に小さく呟いた。
やはり好きな子がいますか⋮⋮。って毎日ノロケられてるのです
ね、それはまたご愁傷様です。翼のノロケって甘々ですから、晴翔
には厳しかろう。
しかし、クラスも違うのに、毎日顔をあわせているなんて仲が良
いですね。いや、メールとか電話の場合もあるのか⋮⋮それにして
も仲が良い。
﹁ふぅん⋮⋮俺は聞いてないな。相手はどんな子なんだ?﹂
会長、ナイスアシストです!痒い所に手が届く感じが良いですよ。
あんまり私からガツガツ聞きだすのも不自然ですからね。御蔭で翼
からは滅茶苦茶警戒されている。
482
﹁名前は確かれいなだったかな?なんかすげぇ綺麗な声で、黒髪が
綺麗だどうのこうの言ってた﹂
﹁⋮⋮はっ!?﹂
れいな?れいなって怜那さん?!黒髪で、え!?
私の大声に2人共驚いてこちらに振り向いた。
その視線を気にする事なく、1年B組の名簿を穴が開くまで見る。
しかし、間宮怜那以外にれいなという名前の子が見つからなかった。
翼は間宮さんを訪ねていた?⋮⋮どういうことだ。高木教師だけが
想いを寄せているだけならまだしも、翼からも⋮⋮?
ああ、主人公はこちらの方で間宮さんに目を付けたのか。確かに
高木教師は分かりにくいので、分かりやすすぎる翼の行動の方が目
につくだろう。
攻略対象者が主人公以外の人間に目を向ける事を知らない。だか
ら翼が想いを寄せる間宮さんを転生者なのだと決めてかかったのだ
ろう。転生者で、乙女ゲームの記憶持ちでなければ攻略対象者を落
とすなんて有り得ない、とか思って良そうだ。
私は、会長や水無月くんの事を知っているので、転生者であると
は言い切れないと思っていたが⋮⋮2人の攻略対象者に想いを寄せ
られているとなると、話が変わってくる。もちろん彼女が魅力的で
ある事も否めないのだが、どうしても穿った見方をしてしまう。
彼女も転生者で、彼らを攻略しにかかっているのではないだろう
か、と。
この前の様子で、高木教師を特別に想っているようには見えなか
ったが⋮⋮実際の所は良く分からない。
﹁どうしたんだ?﹂
﹁さ、さぁ⋮⋮?﹂
483
2人が首を傾げているが、それどころではない。問題がまた増え
てしまったのだ。悩まざるを得ない。
間宮さん⋮⋮あなた何者ですか?
﹁失礼します﹂
誰かがノックしたので、会長が返事をした。
最近では生徒会室も人の出入りが増えて来ている。人が寄りつけ
るようになったというのは良い事なのですけれど、忙しいっちゃ忙
しい。
入って来たのは、読書同好会の香川という男子生徒だ。ひらひら
と薄い紙きれを持っているので、恐らく入部届だろう。新入生の勧
誘に成功したらしい。
読書同好会は3年が2名だけという大変寂しい状況で、存続が危
ぶまれていたのだが、どうやらしばらくは安心できるようである。
手渡された入部届は2枚もある。ははぁ、安泰ですね。いや、部
活には繰上げになりませんけれど、同好会としては存続されるだろ
う。部活は最低でも6人必要なのだ。まぁでも、彼らもそこまでや
りたいと思っている訳でもないだろう。なにせ、読書ができればそ
れでいいのだから。帰宅部でなく、部活に入っていると言って断れ
るのも簡単で楽だ、とは読書同好会のもう1人の3年の女生徒の言
葉だ。
入部届の名前を見て、むせた。
間宮怜那と⋮⋮水無月海斗だった。
ちょ、待って待って、どういう事?水無月くんは同好会になんて
入る様なキャラじゃないでしょうよ!勧誘されても無視して淡々と
図書室で本を読むような子でしょうよ!というかまた!また間宮さ
んですよ!どうなっているの!
﹁大丈夫っすか?﹂
484
﹁げほ⋮⋮ええ、すみません﹂
香川先輩に心配されてしまった。最近、色んな人に心配をおかけ
している気がする。
﹁ええと、受理させて頂きます⋮⋮その、ちょっとお聞きしてもよ
ろしいですか?﹂
﹁え?なんっすか﹂
﹁その⋮⋮水無月くんは、何故同好会に入ったのかお聞きになって
いますか?﹂
﹁え?なんか知り合いなんっすか?﹂
﹁え、ええ、まぁ⋮⋮﹂
﹁じゃあ直接聞いたらいいんじゃないっすか?俺も、そこまで知ら
ないし。というか、1回は断られたんだけど⋮⋮なんか急に入るっ
て言いだしてさ﹂
﹁そう、なのですね。いえすみません。有難うございます﹂
﹁いーよいーよ。学園王子と会話出来て光栄っすから。じゃあ、申
請よろしくっす﹂
学園王子⋮⋮!?誰だソレ。いやまさか私の事か⋮⋮!?
私が固まっている間に、香川先輩はさっさと出て行ってしまわれ
た。
﹁⋮⋮透。お前そんなあだ名がついているのか?﹂
﹁⋮⋮らしいですね﹂
会長の同情的な視線に乾いた笑いが漏れる。どこでどう間違った
485
のでしょうね。なんで攻略対象者じゃなくて私が学園王子なのだ、
こんなのってないよ、あんまりだよ。
大きく息を吐いて、胸の上に手を当てる。
﹁そんなに女性的な魅力が欠如しているんですかね⋮⋮﹂
﹁﹁そんな事はないっ!!﹂﹂
おお、シンクロ。見事なユニゾンでした。やはり仲が良いですね
⋮⋮。
﹁はは⋮⋮気を使って頂いて有難うございます﹂
本人の前で﹁魅力ねぇな﹂って言うほど冷たい人達じゃないのは
分かってましたとも。気を遣わせてしまって申し訳ない。弱音を吐
くのも大概にしないといけませんね。
それにしても⋮⋮間宮さんが主人公よりも気になってきた。本来
水無月くんは同好会になど入らない。同好会に入った主人公と長く
接触する事によって入るものなのだ。つまり、えっと、つまり⋮⋮
3年の女生徒か、間宮さん目的で入ったと予測される訳だけれど⋮
⋮。
⋮⋮。
⋮⋮あれ、なんか引っかかる。喉に小骨が引っかかったこの感じ
⋮⋮。
図書館⋮⋮そうだ、図書館で、水無月くんは好きな子をチラチラ
見ていたではないか。好きな子はどうなった⋮⋮?
﹁あああああああっ!?﹂
﹁﹁っ!?﹂﹂
うっわ、思い出した!あの時水無月くんが見てた女の子って間宮
486
さんじゃないか!?そうか、高木教師が間宮さんをナンパから助け
た時も、どこかで見たような気がしたのだ。いや、というか良く思
いだしたな私!
そうか、でも、そうか⋮⋮ならば水無月くんの同好会に入った理
由は間宮さんなのか。え、ちょっと待って、3人目!?間宮さん、
本当に何者なの?
高木教師、水無月、翼⋮⋮3人も虜にしている間宮怜那。
これは主人公よりも警戒しないといけない案件だろう。というか、
私がここでやきもきしていても状況は変わらない。水無月くんに至
っては結構前から間宮さんを好きなようだし⋮⋮好きな人が変わっ
てないって言う事は良い事なのだけれど⋮⋮。
﹁どうぞ﹂
コトリと私の机の上にお茶が置かれる。
そして前の席に座って、ニッコリと笑いかけて来てくれたのは桜
さんだ。とりあえず思考を中断して、お茶をもらうことにした。
久し振りに桜さんのお茶を飲んで、ほっとした。
﹁おいしいです、有難うございます﹂
﹁いえいえ、こんな事でよければいくらでも⋮⋮﹂
現在は桜さんのクラスにお邪魔させて貰っている。知っている顔
もチラホラいるので、割と居座りやすい。ちなみに貸して貰ってい
る席は深見くんのものだったりする。同じクラスになっていたんで
すね⋮⋮。
慌てて席をはずしていったので、まるでどかしたみたいで若干申
487
し訳ない。いや、どかせたんですけれどね。後でお礼を言っておき
ましょう。
﹁珍しいですね、私のクラスの方にくるなんて﹂
﹁いえ、すみません。お邪魔してしまって﹂
﹁そんな!邪魔だなんて有り得ませんよ!深見と代わって欲しいく
らいです!﹂
おや、と眉を上げる。桜さんは、深見くんの事を呼び捨てている
のですね。随分と親しいみたいで⋮⋮本当にお邪魔してしまったみ
たいですね。けれど久し振りにお茶を頂きたくなっちゃったんです
よね⋮⋮とても美味しいですからね。
﹁ふふ、そんな事言うと、深見くんが拗ねちゃうかもしれませんよ
?﹂
﹁なっ、あ、あいつは、そんな、その⋮⋮!﹂
なんというか、甘酸っぱい反応だった。
いやいや、若いって良いですねぇ。高木教師に、翼に、水無月君
に、会長、そして桜さん⋮⋮リア充実かー爆発注意報出ちゃうな。
卒業した水無月先輩の婚約者の香織さんからもたまにメールでノロ
ケられるのですよね。
﹁私は、その、透さんのほうが、好き、です﹂
﹁嬉しいですね。ありがとうございます﹂
あんまり可愛いのでクスリと笑ってしまう。良いですね、こんな
可愛い女の子って。深見くんよ、しっかり見ておかないと誰かにと
られてしまいますよ?まぁ、深見くんがどう思っているかは知りま
488
せんが。
さて、お茶も頂いた事だし、お暇させて頂きますか。
﹁お茶、美味しかったです。有難うございました﹂
﹁あ、はい。またいらしてくださいね。席はいつでも空いておりま
すので﹂
それっていつでも深見くんをどける気って事ですね。その言葉に
またクスリと笑ってから退出した。
お茶も飲んで落ち着いたところで、どうするか考えますか。正直、
物凄く面倒になってきちゃったんですけれど。フラグが立ちすぎて、
対処しきれないんですよね。水無月くんと翼のフラグで転校⋮⋮な
んですけれど、間宮さん相手にいじめが発生するかどうか。という
か、間宮さんは翼ルートのいじめに耐えきれるのだろうか?物凄く
不安です。是非とも助け出したい。
主人公の方も日向先輩とどうなってるのか不安なんですよね、人
命がかかってますし。しかし、こちらから話しかけるのもなぁ⋮⋮
なにやら勢いのある子でしたから、変な勘違いされても困るのです
よね。こっそり遠くから動向を窺うしかないか⋮⋮?
ふと足を止めて中庭を見てみると、誰かがせっせと花の手入れを
していた。普段は用務員のオジサンなのだが⋮⋮あれは明らかに生
徒だろう。
﹁あー⋮⋮なるほど﹂
思い出した。すっかり存在を忘れていたが、あれは土のつく攻略
対象者だ。確か主人公の幼馴染だったと記憶している。
植物が好きで、高校に入ってから用務員さんの代わりに手伝う事
になるのですよね。
主人公が好きではあるのだが、まだ自覚していないんでしたか。
489
彼の攻略の少し難しい所は、中盤に別キャラの好感度をある程度上
げないといけないという事でしょうか。他の男と一緒にいる所を見
せて、嫉妬させて自覚させるのが必要不可欠なのだが⋮⋮加減をし
ないと、別キャラルートに入ったりする。しかし、別キャラの好感
度が低すぎても嫉妬せずにグットエンドは迎えられない。
まぁ、話の内容自体は結構ほのぼのしてるんですよね。嫉妬した
時だけ、ちょっとだけ罵っちゃったりなんだったり⋮⋮すぐに謝り
ますけれど。基本的に優しい子ですから、怒鳴ってしまって申し訳
ない気持ちになるのでしょうね。
私はこのルートが結構好きでした。
まぁ、攻略サイト見ないと攻略出来ませんでしたが。
じっと庭に手入れを見ていると、彼と目が合ってしまった。ぺこ
りと頭を下げられたので、こちらも下げておく。
﹁こんにちは﹂
﹁ええ、こんにちは。精が出ますね。こちらは普段用務員さんが手
入れをしているはずなのですが、貴方は?﹂
﹁え!あ!すみません、僕、勝手に⋮⋮﹂
﹁ああ、いえいえ、悪いことではないので、謝らなくても大丈夫で
すよ。因みに私は生徒会事務補佐の木下透といいます。以後お見知
り置きを﹂
つちみかど りく
﹁あ!せ、生徒会の人だったんですね⋮⋮あ、僕は、土御門陸です﹂
あーそっか土御門かーそういえばそんな名前でしたね。
﹁これはご丁寧に⋮⋮お手伝いをされているのですか?﹂
﹁あ、うん、あ、はい。庭をいじるのが好きで⋮⋮﹂
490
﹁それは良いですね。用務員さんも少しだけ息抜きが出来るでしょ
う。中々に広いですから、重労働だと聞いています。昔は園芸部も
あったそうなんですが、なくなってしまいましてね。庭はそのまま
になってしまって手入れする人間だけが減って困っていたのですよ。
有難うございます﹂
﹁え!いえ、そんな、好きでやっている事なんで⋮⋮﹂
照れて顔を赤くしている。うん、ほんわかしかこの空気大好きで
す。最近気を張っていたせいか、和む人に会いたい衝動にかられる
のですよね。
クスリと笑って、提案をしてみる。
﹁同好会ならば、人数に制限がありませんから、いつでも申請なさ
ってくださいね﹂
ついでに部員でも増やして庭をもっと綺麗にして下さい、という
願望。前までも綺麗だったが、彼が手を入れると見違えるほど綺麗
になるのだ。まぁ、私が言わなくても同好会を立ち上げると思いま
すが。
﹁りっくん!﹂
その声にギクリと体を強張らせる。
声のした方に顔を向けると、想像どうり⋮⋮主人公が立っていた。
主人公は私を睨みつけながら近づいてきて、土御門くんと私の間に
仁王立ちする。
﹁あんた、りっくんになんの用よ!!﹂
﹁ちょ、曜子ちゃん、先輩にそんな言い方⋮⋮﹂
491
﹁りっくんはちょっと黙ってて!﹂
﹁い、いやいやいや。なんでそんなに怒ってるの?あの、ただ助言
くれてただけだよ?﹂
やはり幼馴染ですね、とても親しそうです。
それにしても、土御門君をこのように必死で守っているというの
は、どういう事でしょうか。やはり大切な幼馴染だからでしょうか
⋮⋮それとも、土御門君ルート目的?いや、だとすると入学式早々
から日向先輩の所に行っているのが分からない。嫉妬させるにして
も、もうちょっと土御門君の好感度を上げないといけないはずです
し。いや、まぁ⋮⋮現実なんてゲームのように行かないのは知って
いますが。
﹁助言?⋮⋮こいつが?﹂
﹁だから先輩だって!木下先輩だよ!こいつなんて言ったらダメだ
ろう!?﹂
おお、土御門くんが怒るなんて珍しい。
ふむ、主人公が転生者だとするに、主人公の性格も多少変わるの
で、幼なじみの関係も少し変わっているのかもしれない。藤間さん
は思い込んだら突っ走るようですし、その都度止める役割でもして
いそうです。
私を指さしていた藤間さんの手をわしっと掴んでやめさせている。
なんとも大変そうだ。
土御門くんが、慌ててこちらに謝ってくる。
﹁すみません、曜子ちゃん、ちょっと考えなしだから﹂
﹁ああいえ、私もお邪魔してしまったようで⋮⋮もう行かせて頂き
ますね﹂
492
軽く頭を下げて、さっさとこの場から立ち去らせて貰う。あまり
不必要に藤間さんと接触したくはない。なんかややこしい事に巻き
込まれそうですし。
﹁曜子ちゃん!?君って人は本当に目が離せないよね!すっごく悪
い意味で!なんで毎度毎度ああいう⋮⋮言い訳しない!﹂
遠くで説教している声が聞こえてくる。
ああ、彼、苦労性のようです。
493
聞き出せませんでした。
1年生がオリエンテーションに行き、校内が僅かに静かになる。
そして私の方も若干安心する。
藤間さんと間宮さん、この2人がいない校舎というのは本当に安
心です。
まぁ、翼は少し元気が減りましたが⋮⋮これくらいがちょうどい
い気がします。見た所、まだ間宮さんはいじめられていないようで
すが⋮⋮いつごろからいじめられるのでしたっけ⋮⋮?そもそも間
宮さんは転生者なのだろうか?なんの目的で3人も攻略しようとし
ているのだろうか。いじめられたとしたら私が参加するのは何時頃
なのか。肝心な所が微妙だ。まぁ、ライバルキャラがいつどこで動
くなんて細やかな所まで描かれていないのだから、仕方ないのだけ
れど。
まぁ、そこも帰って来てから考えますか。
なんというか、色々ありますね、色々⋮⋮。
間宮さんを想っている人達は競争率が高そうですね。ただでさえ
魅力的なのに⋮⋮なんとうらやまけしからん。
間宮さんを見ていても、特に積極的に攻略対象者に関わろうとは
していない所が謎である。単純にその美しさで攻略対象者を落とし
たというのか⋮⋮。それに比べて私ったらいや、ないものねだりは
いけませんね。
綺麗に整えられてきている中庭を眺める。土御門くんは大変そう
ですよね⋮⋮すごく、すごく応援したいです。失礼ですけれど、藤
間さんは結構強烈というか、なんというか。結局彼女は誰を主軸に
攻略する気なのでしょう。たとえ選択肢を正解させても、実際に上
手く行くかは保証されてないんですけれども。そこの所を理解して
くれればいいのですけれど⋮⋮。
494
﹁⋮⋮透!﹂
﹁ハッ!﹂
肩を叩かれて、ようやくそこに晴翔がいる事に気が付いた。
﹁ああ、えっと。すみません。なんでしょうか?﹂
﹁なんでしょうかって⋮⋮はぁ⋮⋮最近様子がおかしいけど、どう
したんだ?﹂
﹁ああ⋮⋮ええと⋮⋮﹂
確かに、最近は挙動不審だったかもしれない。しかし何が起こっ
ているか言える訳がない。
私が口をつぐんでいると、大きなため息を吐かれた。
﹁はぁぁ⋮⋮なんでも溜め込むな。頼りにならないかもしれないが、
出来る事なら力を貸すし﹂
﹁ありがとうございます﹂
気持ちは有難いんですけどね⋮⋮。内容が内容ですし。人様の恋
愛に顔を出す様なものですしね⋮⋮何様だよと。でも放っておいて
巻き込まれるくらいなら、知っておきたいんですよ。何が出来るっ
てわけでもないんですけどね。そこがまたもどかしいのですが⋮⋮。
﹁やっぱり、考え込んでる﹂
﹁ああ、すみません﹂
言ったそばから色々考えてしまった。いやでも仕方ないんですよ
ね⋮⋮。
495
﹁そういえば﹂
﹁なんだ?﹂
﹁あー⋮⋮いえ、やはりなんでもないです﹂
﹁気になるだろ?言えよ、なんでも力になるし﹂
いやでも、これを聞くのはどうかと⋮⋮まぁいいか。
﹁勘違いしないで聞いて欲しいのですが﹂
﹁ん?﹂
﹁晴翔って好きな人とか、気になる人はいますか?﹂
﹁⋮⋮っ!?﹂
ぎょっとされた。そりゃするだろう。まだこいつ俺の事好きなの
?とか思われていそうだ。だがそんな気持ちで聞いている訳ではな
い。主に人生がかかっているから聞いているのだ。もっとも危ない
のが晴翔ですからね。晴翔さえ誰も好きになっていなければ、退学
は逃れられる。まぁ、転校ルートは残っていますが。
翼も水無月も転校ルートまっしぐらなんですけれど。両方進行し
ている場合はどうなのだろうか⋮⋮。
緩く首を振って、苦笑いを浮かべる。
﹁いえ、ちょっとした好奇心で。近頃春めいて来ましたから。翼と
か知り合いもそうですけれど﹂
﹁⋮⋮気になっている相手でもいるのか?﹂
﹁私ですか?いえ、特には﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
496
どこかホッとしたような、残念なような微妙な表情を浮かべてい
る。
﹁俺は⋮⋮﹂
﹁はい﹂
おお、緊張しますね。これが大きく人生を左右するんです、緊張
もします。
けれど、何故か晴翔の方が尋常じゃなく緊張している。顔を赤く
して、震えている。え、大丈夫なんですかね?
﹁お、俺は!﹂
バサー。
﹁おや、あれは⋮⋮﹂
書類をばら撒いて、慌てて拾う見慣れた姿。安定の高天原先生で
ある。
晴翔の事を聞きたかったですが、今は置いておきましょうか。
﹁すみません、話の途中ですが⋮⋮﹂
﹁ああ⋮⋮というか、俺もついていく﹂
﹁助かります﹂
高天原先生が顔を真っ赤にさせてオロオロしている。
﹁先生、大丈夫ですか?﹂
497
﹁ふぇっ!?うっわ、あわわわ!ご、ごめんなさいごめんなさい﹂
呼びかけられた先生は、晴翔の顔をみて真っ青になって謝る。不
良にでも見えたのだろうか。確かに不良に見えなくもない時があり
ますけれど。
ワタワタしていて、拾ったそばから書類を落として、埒が明かな
い。高天原先生の書類を拾い隊の隊員にでもなりましょうかね。
殆どの書類を晴翔と私だけで拾った。
﹁う、うう⋮⋮本当にごめんなさい。特に⋮⋮お邪魔しちゃって﹂
晴翔の方をチラリと見てから言っている。発言の途中だったのを
気に病んでいるのだろう。どちらかというと、私の方に謝ってほし
いですけれどね!晴翔の重要な情報聞き逃しましたし。まぁ、また
後で聞く予定ですが。
あー⋮⋮でもあんまりしつこく聞くと、変な誤解を招きそうだか
ら微妙ですね。どうしましょうか、行動をチェックしたりしましょ
うか。無難ではありますけれど、クラスが違うので難しいでしょう
ね。翼に聞くとしても⋮⋮なんか最近避けられてますし⋮⋮。
﹁本当にな⋮⋮﹂
﹁うっ⋮⋮!﹂
晴翔の溜息に、すくんでいる。
そうしていると、不良が気弱な先生を脅している図にしか見えな
い。
﹁晴翔﹂
﹁⋮⋮﹂
498
咎める意味で名前を呼ぶと、口を噤んだ。そして黙ったままさっ
さと歩き去ってしまった。うーんと、私も土御門くんの気持ちがわ
かるぞ。ちょっと扱いにくい幼馴染を持つと大変ですよね。
軽く息を吐いてから、しゃがみ込んでいる高天原先生の肩を叩く。
ビクッと大げさに震えられて、驚かれた。まだちょっと顔が青い。
相当怯えていたのだろう。
﹁資料運びますので、行きましょう﹂
﹁あ、え、その。ご、ごめん、えっと、なんていったらいいか﹂
うん⋮⋮まず立ってくれますかね?腰ぬけたんでしょうか。
﹁も、モテるんだね⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮はは、笑えない冗談です﹂
すげぇ低い声が出た。これは確かに男子生徒と間違われても仕方
ないかもしれないと思うレベル。
はは、と乾いた笑いを漏らしているが、顔は笑っていないと思わ
れ、高天原先生がビクッとしている。
﹁え、えっとぉ⋮⋮?﹂
﹁さぁさぁ、そんな地雷踏んでる場合じゃありませんよ。この資料
どこにもっていくんです?﹂
﹁あ、え、ええと、図書室に﹂
﹁なら、行きましょうか﹂
﹁あ、は、はい﹂
ドジッ子は人の地雷も簡単に踏み抜いてくるらしい。これは、接
499
する私の方も覚悟が必要ですね。地雷を踏まれる覚悟をしながらじ
ゃないと、さっきのように普通に怒ってしまいそうです。
資料を持って、最近訪れていなかった図書室へと足を踏み入れる。
オリエンテーションに行っているので、水無月くんは勿論いない。
資料を図書委員に返却して、少しだけ図書室の中を見る。
間宮さんは読書同好会に入ったという事は、本が好きという事だ
ろう。確かに見た感じでもインドアな印象を受けた。水無月くんと
並べるととても似合いのカップルに見えそうである。
逆に、翼とは正反対で、なんで行動を共にしているんだろうと思
える組み合わせだ。翼には悪いが、似合わない。
﹁つ、付き合わせちゃってごめんね﹂
﹁ああ、全然かまいませんよ﹂
ビクビクしている高天原先生に笑顔で話してあげる。もう怒って
ませんよ、という意味で。
﹁あ、あの、さっきの、子だけど﹂
﹁はぁ、あ、すみません。失礼な態度で、普段はあんな風ではない
のですけれど﹂
﹁え?ああ、うん、僕が邪魔したから怒ってたって分かってるし、
それはいいんだけど⋮⋮﹂
何かを迷った後、顔を赤くして眼鏡を外す。
いつ見ても綺麗な方だった。女顔なので、きっと私よりも女性に
間違われるに違いない。眼鏡をいそいそとポケットに入れて、窓の
外に目線を向けている。
何度か深呼吸を繰り返してから、口を開く。
500
﹁あの、木下さんはあの子の事、どう思ってる?﹂
﹁どのように、とは?﹂
﹁えーと、その。好きなのかなーと﹂
﹁⋮⋮何故そのように思ったのでしょう﹂
振られたわあああああ!!って叫びそうになったのをグッと堪え
る。凄い地雷原走り抜けて来るなこの人!!怒らなかった、私えら
い。でも無意識に顔が怖くなっていたのか高天原先生が怯えている。
自分の頬をつまんで、ちょっとやわらげる。
﹁⋮⋮うう、いや、えーと、その、カッコいい子だったし﹂
﹁まぁ⋮⋮そうですね﹂
カッコいい事は認めよう。だが、もう振られたんですよ、1年以
上前にね。そうか⋮⋮でももう1年経つんですね。時の流れという
モノははやいものです。
﹁やっぱ僕みたいなのはダメだろうな⋮⋮﹂
﹁⋮⋮先生、またそう言う事を言って。口癖なんですね?﹂
会う度に聞いている気がします。
クスクス笑っていると、先生の顔が赤くなってきた。見られたく
ないのか、慌てて懐から眼鏡を取り出してかけている。なんの為に
外したのだろう⋮⋮つけたりはずしたりしてリハビリでもしている
のだろうか。まぁ、綺麗なオッドアイが見られるので私はお得です
けれど。
いつまでも図書室でぼうっとしててもあれなので、そろそろ生徒
会室でも行きますか。
501
﹁それじゃあ、私はこれで﹂
﹁あ、うん。ありがとう⋮⋮﹂
502
張り込みました。
ゴールデンウィークがやってきた。それは乙女ゲームにとって恰
好のデート誘いイベントだろう。という訳で、私は今ショッピング
モールで張り込みをしている。
何故って?そりゃ、間宮さんが翼と出掛けるという情報を掴んだ
からですよ。翼が通っている楽器屋さんはショッピングモール内に
あるのだ。
高木教師もショッピングモールでエンカウントする事があるとい
うのも見逃せない。高木教師は先生なので、お誘いは基本的に断る。
しかし、ばったり出くわして無視するような人ではないので、偶然
を装う方向で好感度を上げるデートをする。
高木教師がエンカウントするのは喫茶店。それもコーヒーを自家
焙煎している所で、かなり美味しいと噂の所だ。高木教師は化学準
備室にコーヒーメーカーを持ち込むくらいにはコーヒーが大好きな
のである。
逆に、水無月くんはショッピングモールに殆ど来ない。彼は﹁図
書館の君﹂といわれる程本が好きなので、図書館でエンカウントす
る。わざわざ誘わなくても休みになれば必ずと言って良い程入り浸
っているので、彼の好感度をあげるのは容易いだろう。たとえゴー
ルデンウィークにまるまる会いに行かなくても普通に攻略できる。
そう、彼は最も難易度が低かったりする。幼馴染の方が簡単なイ
メージが崩壊しましたよ。
キャップをかぶって、壁にもたれ掛って目的地を観察する。少々
離れた所から、楽器屋の所を見ているのだ。楽器屋の中には2部屋
演奏をする場所があり、完全予約制で使用する事が出来る。確か、
あの部屋代金を翼だけが払っていないという設定だったはず。残り
2人のメンバーが出し合って使っているのですよね。
503
勿論、翼が代金を払う事を拒否しているという話ではない。翼は
成績が落ちるとバンドをやめさせられる枷がある。それゆえに、他
の2人は﹁絶対にバイトとかするな﹂、﹁お金は俺達が払うし、翼
は成績を落とさないように気を付けるだけで良い。翼がいないと俺
達のバンドは成り立たないからな﹂⋮⋮という感じの流れがあった
はず。翼も申し訳なさそうにしていたが、成績の方を優先する事に。
というか、勉強を優先しないとバンドをやめさせられるので、どち
らかというとバンドの為に⋮⋮という感じだろう。
翼の成績は中の上くらいにまで上昇しており、かなり安定してい
る。
そういや、主人公と勉強する話があったような⋮⋮まぁ、勉強す
るだけなら普通に仲良く勉強する方がいいでしょう。直前になって
必死になって勉強するよりも、ね。
と、丁度間宮さんと翼がやってきていますね。
翼はすっごく楽しそうに笑っているが、間宮さんの表情が冷え冷
えしているのが印象的だ。さすがにここからじゃ、中の様子は分か
らないですね。まぁ、近づいた所で演奏する部屋に入られたら分か
らないんですけれど。
こんな所で何十分も待っていられない。いかに会長や晴翔が忍耐
強かったか良く分かる。私には無理だ。人にも見られてますし⋮⋮
そうだ、喫茶店でも覗きましょうか。高木教師いるでしょうか⋮⋮。
そう思い、喫茶店の方に足を運ぶ。
喫茶店を見つけて、中を覗く。緑色の髪は見当たらない。なんだ、
いないですね。いや、だからなんだという話なのですが。
﹁あ﹂
﹁おや﹂
土御門くんと出会った。
何か買い物を終えた後のようで、袋を下げている。見た所、花の
504
苗⋮⋮でしょうか。
﹁あの、この間は曜子ちゃんが失礼しました﹂
﹁ああ、いえいえ、大丈夫ですよ﹂
深くお辞儀されたので、こちらとしても少し慌てる。土御門くん
は何も悪い事をしていないので、謝られても困る。彼は藤間さんが
失敗する度に謝罪してきたのだろうか。まるで親のようだ、と思っ
た。
申し訳なさそうに顔を上げるのを見て、苦笑する。
﹁あーと、そちらは苗、ですか?﹂
﹁あ、はい。学校の中庭に植えようと思って⋮⋮あ!勝手に植えち
ゃダメだったりしますか?﹂
﹁ああいえ、中庭の範囲からでたり、毒のあるものだったりしない
限りは大丈夫ですが⋮⋮自費、ですよね?﹂
﹁え、あ、はい﹂
﹁なるほど⋮⋮同好会でも、少ないですが申請すれば費用が出ます。
まぁ、本当に気持ちばかりなのですが。もし次も買われる予定でし
たら、なるべくはやく申請なさってくださいね?﹂
﹁えっ、あ、わざわざありがとうございます﹂
﹁いえいえ﹂
費用はなんだったら増額してもいい。美化推進なりなんなり推せ
ばいけるだろう。それだけの価値があるからだ。
彼が作り出した中庭での最後のスチルは、とても美しかった。あ
れを再現されるというのは素直に嬉しい。
505
土御門くんはこれから学校に行くようなのでその場で別れる。
⋮⋮藤間さんは彼の事どう考えているのでしょうね。前半の今の
時期に彼といないという事は、彼目的ではないと踏んでいいのか⋮
⋮。ここから少し離れた病院に行っていたら、確実に日向先輩狙い
と分かるのだけど⋮⋮生憎私の体は1つしかないですからね。
とりあえずまだルート選択で致命的な問題はないので、こちらに
来ましたけど⋮⋮なんだか無性に不安なんですよね。
藤間さんのあの勢いの良さは、本来の主人公とは真逆の言って良
い。日向先輩ルートであの苛烈さは命取りになる。文字通り、日向
先輩の命が危うい。
間宮さんもいじめ転校フラグを2つも立てているから、私に大き
く関係してて捨て置けないのですよね⋮⋮。でも次の休みには病院
の方に行ってみましょうか。
再び楽器店の前にくると、女の子3人が楽器店の中を睨みつける
ように覗いているのを見つけた。あれは、もしかして⋮⋮バンドの
ファン!?
ここからいじめフラグが!乙女ゲームでは見られていたりという
描写はここで出てこなかったですが⋮⋮それにしても結構はやめに
出るのですね。
ちょっと声掛けてみましょうか。
あ、帽子かぶったままだと失礼ですね、これははずして行きまし
ょう。そう考え、手櫛で少し髪を整えてから向かう。
﹁あの、すみません﹂
﹁何よ、今あたしたちいそがし⋮⋮っ!?﹂
振り返った3人が固まる。
その事に首を傾げる。
﹁忙しい所すみません﹂
506
﹁い、いえいえいえ!全然忙しくないですよぉっ!ね!ね?﹂
﹁はひっ!そ、そう!うんうん﹂
﹁⋮⋮ちょうかっこいい﹂
あっれ、最後すごく不名誉なこと言われた気がするな。とりあえ
ずそこには触れないでおこうかな。
﹁この楽器店に何かあるのですか?﹂
﹁え、ななな、何かって何がです!﹂
﹁ほ、ほら私達がへばりついてたからっ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮それだ﹂
﹁え、じゃあなに?どういうこと?﹂
﹁なにかやってるんじゃ?って思ってきたんじゃ?ってことよ!﹂
﹁⋮⋮それだ﹂
﹁かな、それだ、しか言ってねぇ﹂
﹁見て、緊張して震えているわ。生まれたての小鹿のようよ﹂
﹁⋮⋮それだ﹂
﹁⋮⋮﹂
なんだか楽しそうな3人である。この子達があのバンドのファン
で、嫉妬を覚えているのかと思ったけれど、違うっぽいですね⋮⋮。
チラリと楽器店の中をのぞくと間宮さんとバンドの3人が楽しそ
うに会話している。間宮さんも可愛らしい癒されるような笑顔を見
せている。翼相手だと結構無表情だったんですけれど⋮⋮なんでで
しょうね。
507
﹁あ、あのあのっ﹂
﹁⋮⋮はい?﹂
﹁も、もしよかったらお茶でも⋮⋮﹂
﹁え﹂
﹁え、透?﹂
女の子と話している間に、翼が楽器店から出て来ていた。しまっ
た、見つかった。最近翼に警戒されているっていうのに、デートつ
けてたとか余計に誤解生むじゃないですか。
﹁た、たまたま!たまたま通りかかっただけです!⋮⋮すみません、
もう行きますね﹂
﹁え、あ⋮⋮﹂
そう言ってさっさとその場を立ち去る事にした。
やばい、すごい怪しい人みたいになったじゃないですか⋮⋮。
ああ、もう。さらに翼に変な目で見られちゃいますよ⋮⋮。
しかし、先程のファンの子はいじめとかしそうになかったですね。
やはり学校でいじめがあるので、学校にいる時に探した方がいいで
しょうか。
﹁透?﹂
﹁あ⋮⋮こんにちは﹂
声をかけられたので振り返ると、会長がいた。
私と同じように帽子をかぶっている。
会長が出て来た店は銀食器を扱う店だった。あ、そういえば好き
なものでしたね。ブレまくっているので好きなモノが銀食器から甘
508
い物にでも変換したのかと思っていましたが、そうでもないみたい
です。
私の視線が後ろの店に向かっているのを見て、会長が苦笑する。
﹁好きなんだ、珍しいか?﹂
﹁ああ、いえ。とても素敵だと思いますよ⋮⋮ちょっと私もみまし
ょうかね﹂
﹁じゃあ、俺もついていく﹂
﹁はい﹂
店に入ろうとして、ガス、という音がしたので会長の方を見ると、
壁に頭をぶつけていた。
﹁蓮先輩⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮くっ!﹂
再び頭を打っている。
会長が壊れた。
﹁れ、蓮先輩!?落ち着いて!﹂
﹁落ち着けている、今、落ち着けている﹂
いや、ご乱心でしょう!?なんで壁に頭を!?
会長の綺麗な顔に傷を付けたら大変だと、慌てて止める。
手を頬に添えて見てみると、おでこが赤くなってしまっていた。
﹁ああ⋮⋮もう、何やっているのですか﹂
さらりとこぼれる黒い髪をどけつつ、溜息を吐く。すごい手触り
509
の良い髪に、すべるような肌、これは羨ましい。こんな綺麗な肌を
ないがしろにするなんてとんでもない。
ハンカチを出そうと手を引っ込めようと思ったが、会長に手を掴
まれて動かせない事に気づいた。
改めて会長の顔を見ると、驚くほど真剣にこちらを見つめていて。
﹁⋮⋮蓮、先輩?あの⋮⋮﹂
﹁っ⋮⋮すま、ない﹂
何故か苦しそうに顔を歪めながら解放された。
微妙に緊張感のある空気にドキドキしてしまった。今、会長の中
で何があったというのか。
こほんと咳払いをしてごまかす。
﹁ええと、おでこ、大丈夫ですか?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
おでこだけでなく、顔もすべて赤くなってしまっているが大丈夫
なのだろうか。あのまま頭を打ち付けていたら大変な事になってい
ただろうし、早めに止められて良かった。
そこで気付いた。物凄く注目を浴びている事に。
それは言うまでもなく、男同士でいちゃついているようなこの状
況を見ての事であって。
﹁蓮先輩!移動しましょう⋮⋮!﹂
﹁え?あ、ああ⋮⋮銀食器はいいのか?﹂
﹁ええ、それどころじゃありませんから。いたたまれませんから、
ほんと﹂
510
後ろを見ると、銀食器の店の店員さんもこちらを見ていた。この
状況で銀食器など見ていられない。
私が女だと思われててもこの状況はきついだろう、男同士だと思
われているのなら、なおさら。
しばらく歩いて、人気が少なくなった所でようやく足を止める。
﹁はぁ、もうここまでくればいいでしょうか﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
あれ、でも会長と別れれば良かったんじゃ⋮⋮ま、まぁいいや。
会長は気付いてないようですし。
﹁ところで、透はなんでショッピングモールに?透にしては珍しい
な﹂
﹁ああ⋮⋮ええ、ちょっと、ね﹂
会長の問に曖昧に答える。私は用事がない限りそこまで頻繁にシ
ョッピングモールに出入りしない。会長の口ぶりからすると、結構
頻繁に来ているらしい。おそらくあの銀食器の店にでも行っていた
のか。⋮⋮店員さんに見られていましたけれど、大丈夫なのでしょ
うか。きっと顔を覚えられているでしょうし⋮⋮だ、大丈夫、です
よね、うん。
しかし、今からどうしましょうか。戻るのも、翼に見つかると気
まずいですし、帰りましょうか⋮⋮本当、何しに来たんでしょう。
﹁はぁ⋮⋮私は何をしに来たんでしょうね?﹂
﹁どうした?⋮⋮最近様子がおかしいが﹂
﹁いえ、まぁ、はい⋮⋮大丈夫ですよ。ご心配おかけしてすみませ
ん﹂
511
ああもう、本当にダメですねぇ。
⋮⋮こう考えてたら、高天原先生とあまり変わらない発想をして
いる気がしてきました。もうちょっと前向きに考えていきましょう。
そうだ、このまま病院に行ってみましょうか。このまま帰っても
悶々と考えるだけですし、気がまぎれるでしょう。
主人公を見つけて、さらに胃が痛くなる未来予想図がチラリと覗
いたが、まあいい。
﹁すみませんが、ここで解散でいいですか?﹂
﹁もう帰るのか?﹂
﹁いえ⋮⋮ちょっと病院に﹂
﹁やはり調子が悪いのか!?﹂
﹁え!?あっ!いえいえ!違います、私は健康です!﹂
心配されてるような状態の人が、病院行くって誤解が生まれます
ね。否定するが、疑いの眼差しを向けられた。これは仕方ない疑い
だと思われる。
﹁いえ、本当に健康で﹂
﹁じゃあなんで行くんだ﹂
﹁ああ⋮⋮親戚が入院しまして﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
嘘を付くのは非常に胸が痛いんですが⋮⋮私の体調を心配される
512
よりいい⋮⋮と思う。
﹁目が泳いでるが﹂
﹁え!﹂
慌てて目元を触った時、会長がニヤリと笑った。
ああ⋮⋮ひっかけられたのですね。会長だからと油断したのが悪
かったのでしょう。普段の会話だと抜けててドジッ子だけれど、本
来は鋭くて頭も回る人なのだ。
すっかり忘れていた。
苦笑しながら、緩く首を振る。
﹁すみません、今のは嘘です。ですが、本当に私の体調には問題な
いのです﹂
﹁それ、俺の目を見て言えるのか?﹂
﹁はい﹂
じっと会長の目を見つめる。
じっくり見ると、本当に綺麗な造作をしている。作り込まれた精
密なドールのような顔で、無表情だと冷たさを感じる。夜空に浮か
んだ月のような瞳と黒髪が美しい。今のように赤面していても、近
寄りがたいと思う人間もいるだろう。というか、赤面するならなぜ
目を見ろと言ったのか。
片手で目を隠して、溜息を吐いている。
﹁信じてくれますか?﹂
﹁分かった。分かったから、それ以上見るな。穴が開く﹂
﹁ふふ、すみません﹂
513
照れ屋な会長を見て、思わず笑ってしまう。
恥ずかしさをごまかすために、ごほんと咳払いをしてこちらに向
き直る。
﹁じゃあ、何の為に行くんだ?﹂
﹁理由は秘密です﹂
﹁⋮⋮秘密、か。それは、誰なら話せる?まさか火媛に話した事あ
るなんて言わないよな?﹂
﹁晴翔ですか?いえ、これは誰にも話した事はない秘密ですね﹂
﹁そう、か⋮⋮誰にも⋮⋮それは、寂しくないか?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
寂しい⋮⋮確かに、弓道をやめる時などにそのように思った事が
ありましたね。でも、誰かに言おうとは考えませんでした。それは
今も変わってないですが⋮⋮少し痛い所を突かれた気分です。
﹁俺は、寂しかったからな﹂
﹁蓮先輩が、ですか?﹂
近寄り難い空気と、完璧な容姿。成績の上位で、剣道の腕もたつ。
こんな男になってみたいと誰もが思うような人間が、寂しかったと。
﹁透が来るまでは、とても寂しかったよ﹂
そう言って切なげに目を細める。
男は怯え、女は悲鳴をあげて震える。そんな日常で、まともに話
せるのは片手に数えられるだけ。それは確かに寂しいかもしれない。
514
私が来た事によって、それが緩和された。
原因は不明だが、恐らくは転生者である事が要因の1つなのでは
ないかと考えられるが、本当の所は謎だ。そもそも話も出来ないよ
うな状況が異常だったのだ。ようやく正常に戻ってきた、という所
か。
﹁蓮先輩の寂しさを緩和する事が出来た事は嬉しいですよ﹂
﹁またそう言う事を⋮⋮もう騙されんぞ﹂
﹁騙すって⋮⋮本心ですよ﹂
﹁分かってる、そういう意味じゃない﹂
ではどういう意味なのか⋮⋮。
じっと会長を見つめると、苦笑された。言う気はないらしい。良
く分からないが⋮⋮まぁなんだか嬉しそうにしているので、いいで
しょう。
﹁それでは、私はここで﹂
﹁ああ、また学校で。本当に辛かったら、言え⋮⋮まってるからな﹂
驚くほど優しい声色に、思わずドキリとして、苦笑する。
ああ、やはり攻略対象者というのは魅力的なのだろうな、と。
真っ直ぐな優しさを向けてくれる会長から愛される少女はどれほ
ど幸せなのだろうか。想像もつかないが⋮⋮羨ましいな、と少しだ
け思った。
﹁はぁ⋮⋮リア充爆発しろ﹂
私の呟きを聞く者は、誰もいなかった。
515
何か恐ろしいモノの片鱗を見た気がしました。︵前書き︶
後半の視点切り替えがあります、ご注意下さい。
516
何か恐ろしいモノの片鱗を見た気がしました。
病院までの道すがら、ぼうっとしながら歩く。
暖かくなってきましたね。
のどかだ⋮⋮。
うん、私の周り以外がのどかですね。
周りのリア充加減に少々腹が立ってきましたよ。
ああ、なんで私には春が来ないのでしょうね。全く持って理不尽
です。これはあれか、そういう星の下で生まれたのか。転生しても
なお曲げる事の出来ない、モテない運命なのか。もう救いようはな
いのか。
高木、水無月、翼⋮⋮と間宮さんに惹かれている今、会長ももし
や⋮⋮と思ってしまう。美人で綺麗な子だし、会長と並んでも見劣
りしないだろう。これが噂の逆ハー⋮⋮逆ハーレムというやつか!
!なんてうらやまけしからん。
それに引き換え⋮⋮そういえば藤間さんも可愛らしい容姿をして
いますが、モテるのでしょうか⋮⋮?思わず守ってあげたくなっち
ゃうような可憐な見た目をしていますからね。まぁ⋮⋮見た目だけ
ですが。
土御門くんが慌てて叱りつけるようなお転婆ですからねぇ。
と、そんな事を考えながら病院に辿り着いた。
しかし、着いたはいいが、肝心の場所が分からない。結構広い病
院ですから⋮⋮とりあえず、内科の方に行ってみましょうか。
自動ドアをくぐり、清潔にされている廊下を歩く。所々に案内図
があるので、それを見て進む。足に包帯を巻いた人、患者服を着た
人、見舞いに来た人などなど、沢山の人がいた。病院は賑やかでな
い方がいいのですが⋮⋮健康は大事ですよね。
内科の方に向かっている途中、桃色の髪を見つけた気がして、足
517
を止める。まさか主人公か。二階の、廊下らしきところにピンクの
髪が見えた気がした。
私は来た道を少し引き返して、階段を上った。走りたいのだが、
病院なのでそれは出来ないだろう。逸る気持ちを抑えながら、患者
などにぶつからないよう注意して歩く。
二階に上がり、それっぽい人物がいた方向へと進む。
そこは病院の待合室だった。
確かこのあたりのはずですが⋮⋮ここにそれらしき人は見当たら
ない。診察室の中に入られているので、分からない。まさか診察室
に入っていく訳にもいくまい。ここは大人しく待つしかないか。
しかし、主人公を見つけてなんだというのだ。私に何が出来る?
悶々としながらうろついていると、どこかの扉が開けられる音が
したので振り向く。するとそこには主人公と日向先輩の姿があった。
慌てて観葉植物の陰に隠れて帽子をかぶる。
何故主人公と日向先輩が共に出て来る!?こんな序盤にそんなイ
ベントあったか?⋮⋮少なくとも、私は覚えていないが⋮⋮。
﹁大丈夫?﹂
﹁ああ、平気。君のおかげで、助かったよ﹂
﹁荷物、持つよ?﹂
﹁ああ、ごめんね。ありがとう。こんな事女の子にさせたくないん
だけど⋮⋮﹂
﹁いいよいいよ!ぜんっぜん!﹂
とても嬉しそうな顔で日向先輩の荷物を持ってあげている。みる
からに浮かれたその表情は、恋する乙女そのもの。
日向先輩の方も、穏やかな笑顔を見せている。はたからみると、
カップルに見えなくもない。
518
﹁少し、休憩させてくれない?下の階に喫茶店の所があるから﹂
﹁うん!無理しないでね!﹂
﹁ああ、ありがとう﹂
そう言いながら、ポンポンと主人公の頭を撫でている。
うん、完全にカップルだなこれ。
これは一体どうなっていやがるのですか!
どういう状況?え、なに?もう攻略されたのですか?
いや、攻略という言い方は悪いですね⋮⋮もう落とされたのか。
いや、それもどうだろう。
嬉しげに日向先輩の荷物を抱えて前を歩いている主人公を優しい
顔で見つめている様子はとても微笑ましい。
2人がこちらに向かって来たので、壁の方を向いて顔を隠す。す
ぐ後ろで楽し気な会話をしながら歩いていく。
﹁日向先輩と仲良くなれて、私本当に嬉しいです﹂
﹁そっか、僕も嬉しいよ⋮⋮死ぬほどね﹂
﹁もう!そういう冗談は性質が悪いですよ!やめてね!﹂
﹁はは⋮⋮ごめんごめん﹂
その瞬間にポン、と肩を叩かれてビクリと震えた。
ぎこちない動きで後ろを見ると、日向先輩が笑みを浮かべてこち
らを見ていた。その笑みは先程までの穏やかで温かい笑みと違い、
酷く冷たくて黒い笑みに見えて背筋が震える。
﹁だから⋮⋮これ以上邪魔しないでね?﹂
﹁︱︱︱っ﹂
519
冷え切った声が私にかけられ、思わず言葉を失う。
こいつは⋮⋮こんな冷たい声を出すやつは、誰だ?
日向先輩の顔をして、彼のような態度で、でも、ゲームの中の彼
はこんな表情を作らない。
﹁もう!せんぱーい!行きますよ!﹂
﹁うん、今行く﹂
主人公の呼びかけで、私から興味を失ったようにさっさと離れて
いく。
﹁なにしてたんですか?﹂
﹁ああ⋮⋮うん、ちょっとね﹂
そんな風にごく普通の、当たり前のような会話をしながら去って
いく2人を会話を何処か呆然と聞いていた。帽子を深くかぶって、
主人公からは見えない方向を向いていたから気付かれなかったが⋮
⋮よりとんでもないものに出くわした。
彼らの姿が視界から消えて、ようやく体全体に力を入れている事
に気づき、意識的に力を抜く。自分の手をみると、僅かに震え、汗
をかいていた。
息もしていなかったようで、息を吸って、はく。はぁあああ、と
深く息を吐いて、ようやく落ち着いてきた。
壁に背を預けて、うなだれる。
﹁なんなんですか⋮⋮﹂
正直、凄く恐ろしかった。
何もされていないはずなのに、まるで鋭利な刃物を突き付けられ
たかのような鋭さが彼にはあった。
520
そんな鋭さ、絶対にゲーム内の彼にはなかったものだ。
それが意味するところは、なんなのか。
転生者がなどが深く関わりをもつか、あるいは⋮⋮彼が、彼自身
が、転生者か。
まさかの⋮⋮本当にまさかの展開に動揺を隠しきれない。
彼は私に邪魔するな、と言った。私は主人公が無茶な事をするつ
もりなら止めるつもりだったが⋮⋮彼はどういう意味で邪魔をする
なと言ったのだろうか。
彼はもしかすると私がライバルキャラである事も、自身が攻略対
象者である事も知っているのか?彼は主人公に攻略されたがってい
る?彼女に向ける笑みには愛情が確かに感じられた。⋮⋮ええと、
だから邪魔をするなと、そういう事なのでしょうか。
彼の冷え切った瞳を思い出して、自分の腕を強く握りしめる。
﹁⋮⋮藤間さんが、心配になってきました﹂
⋮⋮別視点、土御門⋮⋮
彼女に会った時は衝撃的だった。
﹁わ、きゃあああああああああああああああっ!?﹂
僕に会った瞬間、そう絶叫したのだ。
この世の終わりのような叫びに僕の方が怯えた覚えがある。
彼女は、それからしつこく僕にまとわりつくようになった。
521
﹁ねぇねぇ、りっくんりっくん。プールいこ、プールプール﹂
気安く﹁りっくん﹂なんて呼んで来てうっとおしいなと思ってい
たが、いつしか彼女はこういうものなのだと言い聞かせて納得させ
るようにした。
曜子ちゃんは色々な所で失敗をする。
近所の犬に追いかけられたり、この時僕も追いかけられて犬に噛
まれたのは僕の方だ。御蔭で犬が苦手になったよ。
それと、近所のじいちゃんの植木鉢を割ったり、これは僕も本気
で怒った。このおじいちゃんからは色んな事を教わっていたから。
それからレンジで卵を爆発させたりした。この時﹁知っていたが、
たまご爆弾を作りたかった﹂などと意味の分からない供述をしてさ
らに怒られていた。
海で溺れて泣いたり、あの時あれ程安全ではない所で泳いではい
けないと念押ししたのに。嫌な予感がして、遊泳禁止区域を見に行
って良かった。
幼稚園の時には中学生に生意気言ってキレさせたりしてた。
⋮⋮本当に目が離せない女の子だった。
でもこんなにアホっぽいのに、成績だけは勝てなくて納得がいか
なかった。いつも馬鹿なことしているのに、時々驚くほど大人っぽ
い考えを持っていると気づかされる時もあった。
彼女は目が離せなくて、とても不思議な人間だった。
そんな彼女が中学校卒業頃からそわそわするようになった。不思
議に思って、聞いてみる。
﹁曜子ちゃん、なんだか嬉しそうだね?なんかあった?﹂
それとも、なにかよからぬことでも企んでるの?という言葉は飲
み込む。僕も本当は言いたくないのだけど、曜子ちゃんは前科があ
522
りすぎるのだ。また突拍子もない事を考えていて、僕を驚かせるに
違いない。
﹁高校が楽しみなのっ!!﹂
﹁へぇ、そうなの﹂
この笑顔を出す時、ロクな事がないと知っている僕は嫌な予感し
かしなかった。
でも時間が経てば笑い話にしてからかえる事を知ってる。見てい
て、全然飽きない人なのだ。
だから、僕はこの後彼女の綺麗な唇から紡がれる言葉を一瞬だけ
理解出来なかった。
﹁高校に、好きな人がいるのっ!!﹂
﹁⋮⋮えっ﹂
まさかの言葉に驚きを隠せない。
ずっと見て来たけれど、曜子ちゃんがそんな素振りを見せる事は
なかったし、高校になっても変わらないと思っていたのに。
誰が奇抜な曜子ちゃんの心を射止めたというのか。
﹁え、どういう⋮⋮知り合い?﹂
﹁ううん、今から知り合う!!﹂
﹁ん??﹂
ごめん、ちょっと良く分からない事を聞いた。あ、あれかな?片
思いでずっと見てた的な。
﹁えっと、いつから好きなの?﹂
523
﹁前世からだよっ!!﹂
﹁はぁ!?﹂
﹁言ってなかったけど、あたし、前世の記憶があるの﹂
ごめん、ちょっと頭痛い。好きな人の話で何故前世が⋮⋮。あれ
か、前世からの運命の相手だとでもいうのかこの子は。言いそうだ
けどね、曜子ちゃんなら。
それから曜子ちゃんは前世の話を饒舌に語った。
ここが乙女ゲームの世界だの。私が主人公になって生まれ変わっ
たのだの。攻略対象者で特にお気に入りの子がいたから攻略したい
のだの。
思わず頭を抱えてしまったのは言うまでもない。突拍子もない子
だと思っていたが、まさかここまでとは。
﹁ふふん、信じられないのも無理はないかもしれないわね!あたし
もりっくんに出会うまで思い出せなかったもの!﹂
いや、うん、うん⋮⋮ダメだこの子、もうダメなんだ。僕がしっ
かり見ておかないとやばい。
不安な春休みを過ごし、胃をキリキリさせながら高校へと入学し
た。曜子ちゃんが変な行動を起こさないか目を光らせるのだけでも
一苦労だ。
﹁りっくんりっくん、あの人、あの人!﹂
服を引っ張られて指を刺された方を見ると、真っ白通り越して若
干青白い顔色の人がフラフラと歩いていた。というか、あの人体調
悪そうだけれど、大丈夫かな⋮⋮。
524
﹁あの人が、どうかした?﹂
﹁あの人が攻略対象者で、あたしのお気に入りなの!!﹂
﹁え﹂
それだけが言いたかったのが、さっさとその人に向かって走り去
ってしまう。
そこに取り残されて、微妙な感情がわく。
自分の胸に手をあてて、その気持ちを探ってみる。なんで今、僕
はこんな気持ちに?なんか、もやもやして、いらいらして⋮⋮なん
だが無性に寂しい。こんな意味の分からない気持ちなど味わった事
がなくて、思わずうめく。
﹁なに、これ﹂
何かに癒されたくて、ふらふらと植物のある方に向かう。
少しだけ手のくわえられた中庭を見つけた。僕から見ると、かな
り荒れているそこを整える事にした。
生えた雑草と無心で戦う。
むしっ、むしっ。
そんな音と、遠くで部活をしている音が聞こえる。まだ新入生の
勧誘をしているので、そんな声も聞こえて来た。賑やかな勧誘は、
僕には僅かに恐ろしいもののように見えたものだ。勢いがあって、
負けそうな感じがする。
むしっ、むしっ。
⋮⋮おかしいな。
いくら曜子ちゃんに怒っていた時でも、土や植物に触れていると、
525
心が落ち着くのに⋮⋮今日だけは何故か上手くいかなかった。
ずっともやもやして、いらいらする。曜子ちゃんが走り去った姿
が目に焼き付いて離れない。嬉しそうに男の事を語った彼女の顔が、
消えない。
﹃りっくんりっくん、あたしいいことおもいついたんだけど﹄
﹃ケーキ失敗したから食べて﹄
﹃りっくんりっくん﹄
雛鳥のようにひっついてきて、うっとうしいと思ったことだって
何度もあるはずなのに。なんだろう、なんでこんな気分にならなき
ゃならないんだろう。
いつか彼女が僕から離れたらきっとせいせいするんだろうと、そ
んな風に考えていた事もあったのに。なのに、なんで。
⋮⋮そっか、あれだ、きっと。
父親が娘を取られた気分ってやつなのかな⋮⋮?ちょっと違う、
かな。
頑張って懐かせた犬があっさり別の人に尻尾を振る、うん、たぶ
んこれだ。だからムカツクんだ。きっとそう。
なんで他の人に愛想ふってるんだよ、ちゃんと帰ってきなさいっ
てなってる気持ちだ。
なんとなく想像がついて、ほっとした。
訳が分からずいらいらしたままだと、何かのはずみで変な事を言
っちゃうかもしれないから。
うん、これからはダメ犬に言い聞かせる気持ちでいかないと。前
世とかいってるちょっと電波なイノシシなのだ、彼女は。
僕がしっかりリードをもってあげないと、彼女のお気に入りの相
手にも迷惑になる。そう思って先程の青白い男の顔を思い出して、
またいらっとする。
526
﹁いたっ﹂
指を見ると、すぅっと赤い線がついてる。
軍手なしで抜いていたから、手を切ってしまったようだ。
いつもは手持ちの軍手をすぐに出すところなのに、今日はうっか
り忘れてしまっていた。
うっかりだ、つい、うっかり。曜子ちゃんがいつもと違う事をす
るから、そのせいで。
少しだけ泣きそうになるのは、今指が痛いから。
だから。
527
主人公と話しました。
放課後、主人公に中庭に呼び出された。
なぜ呼び出されたか分からないが、向かう事にしましょうか。
思い当たるのは病院に行った時の事ですが⋮⋮あの時藤間さんは
気付いてなかったはず。だとすると日向先輩がなにか言ったか。日
向先輩の冷たい目を思い出して、ゾワリと鳥肌が立つ。
腕をさすりながら中庭に向かう。どうか日向先輩がいませんよう
に、とそろりと中庭を覗いてみる。
そこには、黙々と中庭の手入れをしている土御門くんだけしかい
ない。その事にほっとしつつ、近づく。
﹁こんにちは﹂
﹁あ、こ、こんにちは﹂
作業している手を止めて、挨拶をしてくれる。
﹁すみません、まだ用紙は書いてなくて⋮⋮﹂
﹁ああ、いえ、今日はその事ではないのですよ﹂
再三言っているから気にしていたのだろう。
しかし今回は違うので、苦笑して緩く首を振る。
﹁⋮⋮?えっと、じゃあなんでしょう﹂
﹁いえ、私もよく分かっていないのですが⋮⋮藤間さんに呼び出さ
れたので﹂
﹁!?⋮⋮曜子ちゃんめっ!まだ反省してなかったのか!⋮⋮すみ
528
ません、なんだか迷惑をかけてしまっているようで﹂
﹁いえいえ、良いんですよ。私も藤間さんとは少し話してみたいと
思っていましたので﹂
私の言葉に土御門くんの目がキラリと光った。若干怒りをふくん
でいるように思えて、少し後ずさる。
﹁よ、曜子ちゃんと⋮⋮?なんでしょう、何をやらかしたのでしょ
う﹂
﹁え?いえ⋮⋮まだなにも﹂
そう、藤間さんとは具体的に何もないのだ。ただ、日向先輩が気
がかりだけれども。関わらないようにしたいのだけれど、藤間さん
自身の人間性を見てから判断しようと思ったのだ。藤間さんが良い
子なら助言したいですし、悪い子なら極力関わるのを避けるだけで
すけれども。その為には多少話もするべきだろう。
邪魔するなと言われているが⋮⋮今回は私から関わった訳じゃな
いので、日向先輩に目を付けられない⋮⋮と信じたい。
﹁まだ⋮⋮ですか?﹂
﹁ええ、今のところ﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
何故か納得いかなそうな顔をしている。そして、コホンと小さく
咳払いをしてから軽く頭を下げた。
﹁すみません、曜子ちゃん、変わっているので。怒らないでやって
もらえますか?というか、ただのアホなんです﹂
529
お、おう⋮⋮。つ、土御門くんって結構辛辣だね。こんな子じゃ
なかったんだけど⋮⋮まぁ、藤間さんの影響だろう。転生者が深く
かかわる攻略対象者はブレますからね、会長や晴翔然り。日向先輩
も身近に転生者がいたりするのだろうか。
﹁具体的にどれくらいアホかと言いますと、いきなり転生者だの、
ゲームの世界なのだと言うくらいはアホなんです﹂
土御門くんの言葉にぎょっとしてしまった。ちょっと!?藤間さ
ん!?藤間さん何やってんの?言っちゃったの?アホの子なの?わ、
わぁ⋮⋮ある意味凄いハートの持ち主なのかもしれませんね。そこ
に痺れる憧れ⋮⋮ちゃだめですね。私には到底真似出来そうにない。
私の表情をどう読み取ったか、ひとつ頷く。
﹁ええ、驚くのも無理ないです。僕も、ああ、この子ダメな子だと
思いましたから﹂
﹁そ、それはまた⋮⋮﹂
もうどう反応すればいいのか分かりませんよ。土御門くんの態度
が若干厳しいのも、藤間さんが色々やらかしているせいだろう。い
くら温厚な子でも仲良くしている女の子が転生者だなんだのと言い
だしたら驚く。
転生者なんだろうなと知っている私でも真正面から言われると﹁
お、おう⋮⋮﹂となるだろう。相手が自分と同じ転生者だと確信し
ているならともかく⋮⋮あるいは、それほど土御門くんを余程信頼
しているか、ですか⋮⋮。
﹁りっくん!そいつから離れて﹂
藤間さんは現れた途端、土御門くんを私から離す。以前も同じ事
530
をされましたね。かなり警戒されているようです。
藤間さんの行動に私よりも怒っているのは土御門くんだった。
﹁曜子ちゃん!?またそういう態度を⋮⋮!反省してないの?﹂
﹁うっ⋮⋮!だ、だって、こいつが⋮⋮﹂
﹁曜子ちゃん?﹂
﹁ううっ⋮⋮!﹂
土御門くんの怒りの表情に藤間さんが押されている。
土御門くんはあまり怒るタイプじゃないのですけれどね⋮⋮まぁ
藤間さんだから仕方ない⋮⋮いや、それはちょっと失礼な感想でし
ょうか。
2人が揉めているところを苦笑しながら止める。
﹁仲良くしているところ申し訳ないのですが⋮⋮藤間さん、何か御
用があったのではないですか?﹂
﹁そう!そうよ!あんた、一体この学校で何やってんのよ!﹂
﹁⋮⋮え?﹂
ビシリと指を刺されるが、何のことを言われているのか分からず、
首を傾げる。
指をさした事を土御門くんに怒られている様はまるで、漫才師の
ツッコミとボケのように見えて実に微笑ましい。
﹁すっとぼけんじゃないわよ!﹂
土御門くんの制止を振り切って差し出されたのは、数枚の写真だ
った。それを手に取って見て、ビシリと固まった。
531
私が男子制服で登校していたもの、執事の恰好をしたもの、弓道
をしているものなどなど、だ。
この時、藤間さんはいないはずだ。まさか裏で写真が流れている
とは⋮⋮なんという黒歴史の増殖。これは酷い。いや、まぁ写真撮
っても良いと言った時点でもう、手遅れですけれど⋮⋮。
皺の寄ってしまった眉間を手で揉みながら呻く。
﹁すみません、こちら、破り捨ててもいいでしょうか﹂
﹁だめよ、高かったんだから﹂
﹁たかっ⋮⋮!?﹂
高いって、まさか購入したのですか?
売買を学校でって⋮⋮それは風紀的に良いのでしょうか。裏の取
引について少々考えさせられたところで、再びビシリと人を指さし
てくる。これは藤間さんのクセか何かなのでしょうか。直した方が
良いかもしれないですね。
まぁ、すぐに土御門くんが手刀で払い落としてますけれど。これ
はこれで面白いです。
﹁なんでそんな物腰穏やかそうなのよ!超タイプなんだけど!﹂
﹁⋮⋮えぇと、そう言われましても﹂
﹁こんな大勢の女をたらしこんで何をたくらもうってのよ!﹂
﹁たら⋮⋮いえ、特になにも﹂
﹁うそだ!このいけめん!﹂
﹁曜子ちゃん!僕もう追いつけないよ!﹂
これは貶されているのか褒められているのか。いや、貶されてい
532
るのか?女としてイケメンといわれるのは不名誉な事だと思う、う
ん。それに誰もたらしこんでなんていません。無実ですよ。男装は
していますけれども。
⋮⋮そういえば告白はされた事があったような⋮⋮いや、忘れよ
う。彼女も許してくれましたし。
藤間さんは土御門くんに写真を見せて、確認させている。何をや
っているのです。はずかしい。
﹁えー⋮⋮うわ、そこらの男の人より恰好良いじゃないですか。こ
れ木下先輩ですよね﹂
﹁え、えぇ⋮⋮ソウデスネ﹂
純粋に褒めてくれているのが分かる分、こっちの方がダメージが
大きい。思わず胸を押さえてしまう。
﹁さてはあんた転生者ね!?学校を牛耳ってあたしを追い出そうと
いうつもりなのね!﹂
﹁曜子ちゃん、ほんと落ち着いて﹂
まるで興奮している馬をなだめている時のようだ。
しかし、彼女が転生者というのを当てて来たのには驚いた。これ
はどう反応すれば良いのか。
確かにゲームの木下とはまるで違う方向に行っている気がしなく
もない。若干のズレがある気がするので、藤間さんが違和感を覚え
るのも無理はないだろう。少しだけ違いますからね、少しだけね。
﹁ええと、藤間さん。私は貴方を追い出そうなどとはおもっており
ませんよ﹂
﹁だからその優しそうな言葉遣いやめなさいよ!惚れてまう!﹂
﹁曜子ちゃん落ち着いて﹂
533
やばいこの子、凄く面白いんですけれど。思わず笑ってしまった。
どんな子かと思ってましたけれど⋮⋮良い子かもしれないですね。
そんな彼女は日向先輩を気に入っている⋮⋮。これは少しだけ注
意喚起でもしましょうか。
﹁⋮⋮私より、日向先輩に気を付けておいた方が良いですよ﹂
﹁は?日向先輩?なんで急に?﹂
﹁何故って⋮⋮﹂
そこで思い出す。あの日病院で仲良さげにしていた2人の姿を。
なんの疑問も持たずに好意丸出しで日向先輩にくっついていた藤間
さん。
だが待ってほしい。日向先輩ルートで病院を共にする話は中盤く
らいからだ。あんな風に仲睦まじく行くなんて有り得ない。有り得
ないのに⋮⋮藤間さんは不思議にすら思っていない。好きだから故
の盲目なのか、それとも、日向ルートを知らない⋮⋮?
後者なら、少し納得が行くかもしれない。少しでも間違えたら命
を落とす様な危険な話がある日向ルートだ。好きなら選択するのを
躊躇うだろう。だってここではやり直しはきかないのだ。ゲームと
違う事が進行しているのにも関わらず、不安な色が何もない。だか
らゲーム内容を知らないのではないだろうか。
いや、でもそうすると、何故知らないルートを行くのか、という
話になってきますね。
真偽を確かめる為に聞く?いや、それだと私が乙女ゲームを知っ
ている事がバレますよね。
﹁注意って、どういうことですか﹂
そう聞いてきたのは土御門くんだった。
534
とても真剣な表情で、思わず気圧される。
﹁いえ⋮⋮少し気がかりな事があったもので﹂
﹁やっぱり⋮⋮なんかうさんくさいと思ってたんだ⋮⋮﹂
と、小さく土御門くんが呟いている。日向先輩と何かあったのだ
ろうか。なんだか腹黒そうな日向先輩なので、幼馴染の彼にも何か
接触でもはかったか。
怒っているのかと思うほどの表情で、藤間さんを見据える。そん
な顔で見つめられた藤間さんが僅かに後ずさっている。ええ、恐ろ
しいですよね、これは。穏やかな子が怒った時ほど恐ろしいモノは
ありません。
﹁曜子ちゃん。日向先輩に近づくのはやめておきなさいって何度も
いってるでしょ﹂
﹁な、なんでりっくんに指示されなきゃなんないの⋮⋮わ、私の勝
手じゃん﹂
﹁その勝手で何度僕に迷惑かけてると思ってんの﹂
﹁うっ⋮⋮!!でも、だって、好きなんだもん﹂
藤間さんのそのセリフに、一瞬だけ悲しそうで、それでいて泣き
そうな顔を見せる土御門くん。しかしすぐに怒っている表情に覆わ
れて消えてしまった。あれは⋮⋮脈ありなんですかね?
﹁だから⋮⋮っ、もう、いいよ。僕は僕の勝手にさせて貰うから﹂
苛立たし気に足もとにあったスコップと軍手を持って奥へ歩き出
す。木があるので、すぐにその姿を見失う。
土御門くんの怒りからとりあえずだけれど逃れられて、その場に
535
座り込む藤間さん。
﹁あの⋮⋮大丈夫ですか﹂
﹁やめて、惚れてまうから﹂
﹁あ、す、すみません﹂
背中をさすろうかと思ったのだが、拒否されたのでやめておく。
理由が﹁惚れてまうから﹂というのはすごく納得できないが、しぶ
しぶ手を引っ込める。
少しだけ距離を置いたところに片膝をついて見守る。
﹁もーなんで怒ってんのか訳分かんない⋮⋮﹂
﹁そ、そうですねぇ⋮⋮﹂
あれはどう見ても他の人に取られそうになってるのに嫉妬してい
る幼馴染にしか見えませんけれどねぇ⋮⋮。それを私の口から言う
事などは出来ないが⋮⋮藤間さんもモテているんですね。日向先輩
はかなり怖いですが、藤間さんに好意を寄せているような感じが見
受けられましたし。私だけですか、モテていないのは。
これはひどい。なんだか藤間さんをほったらかしにして行きたく
なってしまいましたよ。日向先輩の問題も土御門くんがいるならな
んとかなりそうですし。
ああ、なんか旅がしたい。どっか遠くにね。
536
のぞき見してみました。
国語教師に資料の捜索を依頼され、放課後図書室へとやってきた。
梅雨入りしたので、外は雨がしとしとと降っており、じめっとして
いる。図書室は除湿しているので比較的爽やかだが、エコのために
弱めに設定されている。冷房とか苦手な人もいるから、扇風機の活
躍の方が多い。
しかしまぁ、ページが勝手にめくれてイラッとすることもありそ
うですけれどね。
国語教師に託された半紙を片手に図書室をうろつく。2冊目の本
を手に取ったところで、図書室の隅の席に誰かがいるのに気付く。
片方は⋮⋮図書室では見慣れた水無月海斗くん。そしてもう片方
は、間宮さんだ。見つけた瞬間本棚の陰に隠れる。やましいことな
ど何もないが、なんとなく。いまいち間宮さんという人間を掴み切
れていないのだ。翼には避けられているから情報は全く漏らさない
し。ただ、翼の前だと笑わないって事ぐらいか。むしろ周囲を警戒
しているようなそんな印象が強かった。
こっそりと2人を見てみるが、黙々と本を読んでいるだけだ。た
だ、以前のように水無月くんがチラチラと間宮さんを見ているって
いう。たまに顔を上げた間宮さんと目が合って、慌てて視線を本に
移す。間宮さんは何事もなく本に視線を戻しているが、水無月くん
の方は本の内容などまったく頭に入っていない様子だ。目が合った
事がそんなに嬉しかったのか、口元を緩ませている。
なんかこう、ムズムズするような甘酸っぱい感じするんですけれ
ど。なんでしょうこれ。本当にね、若いって良いですよね。しにた
くなるのはご愛嬌ですよね。私もあんな風な恋が出来ると思ってた
時期がありました。もういいですよ。老後は犬と猫と金魚を飼って
のんびりと暮らしてやるんですから。
537
﹁透﹂
﹁っ⋮⋮!っ⋮⋮!!﹂
思わず大声を上げそうになったが、何とかこらえて後ろを振り返
る。すると、至近距離まで晴翔が迫っていて、これまた驚いてしま
う。
反射的に後ろに下がろうとしたため、すぐ近くの本棚にがすっと
頭をぶつけてしまった。
﹁いっ⋮⋮!﹂
﹁あぶなっ⋮⋮!﹂
痛みで後頭部を押さえて下を向くと、晴翔が上に覆いかぶさるよ
うにしてくるのが分かった。何をする気だという前に、バサバサと
本が落ちてゆく。しかし本は私に当たる事はなく、すぐ隣の足元に
ばかりつもっていく。
私がぶつかった衝撃で本が落ちて来たのだろう。それを晴翔が庇
ってくれたから、私に本が落ちて来る事による痛みはない。がしか
し、先程思いっきり本棚に頭をぶつけたので後頭部は普通に痛い。
不安定な本がすべて落ち終わり、床には本の死体がばらばらと⋮
⋮。私のせいで⋮⋮ああ、本が傷んだかもしれません。いやでも晴
翔が間近くにいたから被害が出たんですよ。あれ?でもその前に覗
きなんてやましい事してた私が悪いんじゃ⋮⋮ま、まぁいい。
このまましゃがみ込んで拾い上げてもいいのだが、少し違和感を
感じたので動きをとめる。
⋮⋮なんで晴翔は固まったまま動かないのだろう。もう本は落ち
終わり、床には無残な本の死体と、図書室の静寂が顔を出すだけだ。
この体勢を維持する謂れが分からない。それに今気が付いたが、晴
翔の息が微妙に首にあたってくすぐったかった。後頭部にそえた手
538
をゆっくりと首に当てて防ぐ。この時晴翔の近さに身が竦んで大げ
さな動きが取れなくなってしまっていた。親猫に首根っこつかまれ
た子猫の状態とはこれだろうか。
﹁えーと、すみ、ません。ありがとうございます。よろしければ、
ど、どいてくださいますか﹂
﹁あっ、ああ⋮⋮!ご、ごめん!﹂
慌てて晴翔が適正な距離に戻ってくれたおかげで、私もようやく
まともに動く事が出来るようになった。ああ、何故か凄く緊張しま
したよ、なんだったのでしょう。
﹁怪我は、ないか?大丈夫か?﹂
﹁ああ⋮⋮ええ、晴翔はどうですか?大丈夫ですか?﹂
﹁⋮⋮大丈夫ですか?﹂
凛とした声が私達の間に響く。こんな綺麗な声は私のものではな
い。これは、間宮さんだ。大きな音を立てたので、心配になって来
た、と顔に書いてある。
﹁あ、え、ええ⋮⋮大丈夫ですよ。申し訳ありません﹂
読書の邪魔しちゃって、のぞき見しちゃって、すみません。
ああ⋮⋮!後ろからついてきている水無月くんの顔が﹁邪魔しや
がって!﹂と言う顔に!すみません、ほんっとすみません。後ろで
ふてくされている水無月くんには気付かず、間宮さんが足もとに落
ちている。本を拾い上げていく。
私も慌てて本を拾う作業に参加する。
539
﹁あ!す、すみませんわざわざ⋮⋮﹂
﹁いえいえ。気にしないでください﹂
ふわりと香る花の香りがなんだか癒されるし、控えめな微笑みも
ドキリとさせられる。あー⋮⋮これは確かに翼も惚れちゃうかもし
れませんね。翼は清楚系の女の子が好きだとプロフィールに書いて
ありましたからね。まさに清楚を具現化したかのような存在ですね、
間宮さんは。
晴翔と水無月くんも黙々と本を拾ってくれたので、あっという間
に片付いた。
手伝ってくれたので、頭を下げて礼の述べる。
﹁ありがとうございます﹂
﹁あ、いえ。お礼を言われる程の事はしていませんから﹂
ぺこりと間宮さんも頭を下げてそう言う。
水無月くんも軽く会釈してくる。まじまじと顔を見られた後、思
い出したって顔をしていたので、睨んで来た時はすっかり忘れてい
たのだろう。まぁ、会ったの大分前ですしね。憩いの時を邪魔しち
ゃってすみません。後はお2人でごゆるりと。
﹁晴翔﹂
晴翔に向き直り、その左手に手を添える。
そっと掴もうとしたのだが、ビクリと震えて手を後ろに隠されて
しまった。
仕方ないので晴翔を見上げる。
﹁⋮⋮晴翔、左手、怪我してましたね?﹂
﹁ちょっと紙で切っただけだから、平気だ⋮⋮それより、透も後頭
540
部痛いんじゃないのか?﹂
今度は私が目を逸らす。実はさっきからじくじくとした痛みがは
しっている。血でもでているでしょうか。結構豪快にぶつけました
からね。
晴翔から目を逸らしたままでいると、晴翔の両手が私の頬を包ん
で来た。
﹁⋮⋮っ!?﹂
﹁みせてみろ﹂
晴翔の大きな両手がするりと耳を掠って、思わず両手をガシッと
掴んで止めた。
﹁いっ⋮⋮!﹂
﹁あ、すみません、つい﹂
思い切り掴んてしまったので、晴翔の手の甲の怪我を触ってしま
ったようです。しかし仕方ないだろう。鳥肌が全身を駆け巡るほど
驚いたのだから。
頬の熱さを隠すために両手を頬にあてる。これはもう二度と晴翔
に頬を触らせないという無言の主張でもある。ああああもう!凄く
ビックリしました!
﹁あ﹂
﹁今度はなんです?﹂
﹁透の頬に血が⋮⋮﹂
﹁⋮⋮保健室に行きましょうか﹂
541
﹁⋮⋮そうするか﹂
晴翔の手を握ったせいで血が付いていたのだろう。血が付くほど
って⋮⋮結構な怪我じゃないですか。しかも紙で切った方がより痛
みが増す気がしますし。
保健室⋮⋮高天原先生の手当は大丈夫なのでしょうか。いや、ま
ぁ、試験通っているのですから、そういった心配をする方が失礼で
すね。
保健室に入ると、日向先輩がいて悲鳴をあげそうになった。ちょ
うど高天原先生が日向先輩に水を手渡している時だったようで、こ
ちらに気をとられた高天原先生が水をこぼして日向先輩に⋮⋮。
﹁﹁う、うわあああっ!?﹂﹂
高天原先生と私の悲鳴が重なる。
大惨事!大惨事です!
慌てる高天原先生が机の上に積んであった書類に服を引っかけて
ぶちまけている。そして床にこぼれた水に書類が⋮⋮なんという二
次被害。
私は清潔なタオルをひっぱりだしてきて、日向先輩に手渡す。
﹁ああ⋮⋮どうも﹂
﹁⋮⋮﹂
日向先輩とまともに顔をあわせられなくて、僅かに目を逸らしな
がら会釈しておいた。すごく緊張します。こんなに緊張するのはい
つ以来でしょうかね。
さっさと日向先輩から離れ、書類を踏まないように避けながら掃
除用具を取り出して床を拭く。
542
﹁あうう⋮⋮ご、ごめんね⋮⋮﹂
高天原先生は半泣きである。
﹁大丈夫?僕も手伝おっか?﹂
﹁いえ、大丈夫です。ベッドで休まれていて下さい。ご無理なさい
ませんよう﹂
﹁⋮⋮うん、そうさせてもらうよ﹂
一瞬だが真顔になったが、すぐに笑顔を張り付けてベッドの方に
向かう日向先輩。その真顔はなんですか。すごく怖かったんですけ
れど。
ドキドキしながら床を拭きつつ、書類も回収していく。べっしょ
べしょですけれど、大丈夫なのでしょうか。無事な書類と、べっし
ょべしょの書類に分けて重ねる。晴翔が手伝おうとしたので、止め
ておく。晴翔は手に傷がありますからね。水掃除はちょっと遠慮し
てもらおう。
﹁大したことないからいけるんだけど⋮⋮﹂
と言っていたが、睨んで黙らせておく。
掃除も終わり、やっとほっと息を吐いた。
出会うと何かしらやらかしますね、高天原先生は。
﹁え、あれ!木下さん、頬に、怪我!?﹂
慌てた様子で私の頬に手を添えて顔を近づけて来る。あ、そうい
えば晴翔の血がついていたんでしたっけ。というか、今気が付いた
のですか。どれだけ慌てていたのでしょうね。
543
﹁あんまさわんな。それは俺のものだ﹂
﹁えっ﹂
晴翔のセリフにぎょっとして晴翔の顔と私の顔を見比べる先生。
というか、その誤解を招きそうなセリフに私もちょっとぎょっとし
ました。
みるみる高天原先生の顔が赤くなっていくので、慌てて誤解を解
く。
﹁あー!違いますよ?この血が晴翔のものだってことで⋮⋮﹂
﹁え、え?なんで?え?﹂
あれ、なんか誤解が深まってるような気がする。なんででしょう。
晴翔も何か言ってやって欲しいんですけれど⋮⋮そう思って晴翔の
方を見ると、何故か晴翔も真っ赤になっていた。目が合った瞬間思
いっきり顔を逸らされたんですけれど⋮⋮いやいやいや!貴方が言
ったんでしょう!なんで貴方の方が照れているのですか!無意識に
言っちゃったんですね?そうなんですね?
﹁違います。ええと、晴翔の怪我に私が触ってしまって、血が付い
た事に気がつかずに私が自分の顔に手をですね﹂
﹁あ、ああ、ああっ!そ、そういうこと?﹂
﹁そう、そうなんです!﹂
やっと誤解が解けたようで、今度は晴翔の手を取ってじっくり怪
我を見ている。
﹁あーうん、もう血も止まってるし大丈夫そうだね。念の為に消毒
544
しておくね﹂
﹁それより、透は後頭部打ち付けたから、頭みてやってくれ﹂
﹁え!?それを先に言ってよ!?﹂
慌てて私に後ろを向かせて後頭部を見る先生。後頭部に視線を感
じる。
﹁ええっと、どこらへんかな﹂
﹁⋮⋮いっ!あ、そこです﹂
﹁うん。ちょっと膨れてるかも。氷嚢作ってくるね﹂
高天原先生が立ち上がろうとするので、手で制す。
﹁いえ、どこにあるか言ってくれれば私が作りますので⋮⋮﹂
﹁ああ、うん。僕が作るとまた大変な事になりそうだもんね﹂
わあ、落ち込んだ!面倒くさいですよ!
また床にぶちまけて掃除するのが面倒なんて思ってませんよ、決
して。
﹁い、いえ、その。そういう訳では。そ、そうです。その間に晴翔
の消毒をお願いいたします﹂
﹁ああ⋮⋮うん﹂
ちょっぴりしょんぼりした高天原先生に作り方を軽く教えて貰い、
氷をビニール袋に詰めて自分の後頭部を冷やす。あー気持ちいいで
す。その間に消毒も終わったようで、晴翔が私の様子を窺っている。
545
﹁大丈夫か?﹂
﹁ええ、晴翔も?﹂
﹁ああ﹂
その手にはハンカチが持たれている。
何がしたいのか分からずに僅かに首を傾げて見上げる。
﹁なんです?﹂
﹁いや、汚れているから、拭こうかと﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
そういえば頬に血がついているのでしたっけ。じゃあ遠慮しませ
ん。晴翔から受け取ったハンカチは少し濡らされていたので、簡単
に拭う事が出来た。鏡に映った自分の頬にはほんのちょっとだけ血
が付いていた程度でした。ちょっと汚れてるかな、くらいの。これ
なら取らなくても平気だったんじゃ⋮⋮まぁ、説明するのも面倒く
さそうなのでとりますけれど。
﹁⋮⋮帰るか﹂
何故かちょっと不満気な晴翔に首を傾げつつ同意する。
なんか今日はやたらバタバタしちゃいましたね。
覗きはダメですね、これから注意しましょう。
部屋を出て行くとき、﹁書類どうしよ⋮⋮﹂と呟いている声が聞
こえた⋮⋮うん、頑張って下さいね。
546
誤解がとけました。
さて、間宮さんの印象だが⋮⋮普通に礼儀正しい子でしたね。う
ーん、あれだけ攻略対象者を落としているのだから、何か乙女ゲー
ムの知識を持っていても可笑しくはないと思うのですけれど⋮⋮あ
れだけじゃ全くもってわかりませんねぇ。
﹁ところで、翼はどうされたのです?﹂
﹁う、うぅ⋮⋮﹂
机に突っ伏した翼には覇気が感じられない。今までのきらきらわ
くわくした感じはどこへ行ったというのか。もしや間宮さんと何か
あったのか。
ゆっくりと顔を上げて、何か言おうとしたようだが、口を閉ざし
て顔を逸らされる。
﹁と、透には関係ないじゃないか﹂
﹁関係ない事ないじゃないですか。友達でしょう?⋮⋮違うんです
か?﹂
﹁うっ⋮⋮!!﹂
もしかして友達だと思っているのは私だけでしたか。だから間宮
さんの事を聞きまくってうっとうしくなったとか。そう言う事です
かね。私の豆腐のハートが砕け散りそうです。
﹁と⋮⋮友達だけど。俺は晴翔とも友達なんだよっ!﹂
﹁⋮⋮??いや、はい、そうですね?だから、なんでしょう?﹂
547
﹁その友達を裏切れないだろう!!﹂
﹁え?裏切るのですか?﹂
翼は義理堅いタイプだから裏切るなんてそんなことしないタイプ
です。ですが、私と晴翔への裏切りとどう関係するのか全く理解で
きない。
私が首を傾げているのを見て、翼も首を傾げる。
﹁⋮⋮?えっと、透?ちょっと聞きたい﹂
﹁⋮⋮はい、なんでしょう﹂
腕を組んで何か唸った後、覚悟を決めて口を開く。
﹁俺の事好きだって言ったよね?﹂
﹁ええ、まぁそうですね﹂
﹁⋮⋮それはぁ⋮⋮えっとぉ⋮⋮友達として?﹂
﹁⋮⋮?それ以外に何が⋮⋮?あぁ、なるほど﹂
もしや、恋愛方面で好きだと思われていたから避けられていたの
でしょうか?なんという勘違い。いや、翼らしいと言えばらしいの
ですかね。
思わずクスリと笑う。
﹁すみません。紛らわしかったですかね。えっと、違いますよ?普
通に、友達として好きです﹂
﹁な、なんだ⋮⋮そうだったのか。よかった﹂
なるほど、だから翼の挙動がおかしかったのですね。
548
だとすると⋮⋮告白したと思われていたって事ですよね。そりゃ
確かに動揺するでしょう。流石にあんなにさらっと告白できません
よ。翼は私をなんだと思っているのでしょう。イケメンか?私の事
をイケメンと思っているのか?そうなのか?怒りますよ。
まぁでも無事誤解も解けたようでよかったですね。
﹁ん⋮⋮誤解はそれでいいとして⋮⋮裏切るとどう関係するのです
か?﹂
﹁ぎゃあああっ!?それはいい!それはもう流しておいてお願い晴
翔に怒られる!!﹂
﹁えっ﹂
え、なんででしょう。何故晴翔に怒られるのでしょう。全く分か
らないんですけれど⋮⋮まぁ、流しておいてあげましょう。翼が怒
られるみたいですし。
﹁で、元気がないようですが大丈夫ですか?﹂
﹁あ、ああうん⋮⋮それなんだよ。聞いてよ⋮⋮﹂
あ、なんだかちょっと絡み酒されている気分に。きっと気のせい
だ、続きを聞きましょう。
﹁最近怜那ちゃんが冷たいんだ⋮⋮﹂
﹁え、ええ⋮⋮﹂
﹁俺と2人きりの時だと全然笑ってくれないし、誘っても全部断っ
てくるし。あ、でもライブは来てくれたんだけどね?あ、その時は
すっごくすっっっごく可愛い服を着ててね?まさか本物の天使なん
じゃないかと思うくらいだったんだよ。その天使が天使の声で言う
549
んだよ。先輩、凄くかっこよかったですってさ。あの時俺、溶ける
かと思ったよ。あんなに幸せな事ってこの世である?って思っちゃ
ったくらいだよね。黒髪からなんか良い香りしてさ。すげぇ綺麗だ
し、ほんともう好きにならない方がおかしいっていうか⋮⋮なのに
さ。ぜんぜん楽しそうにしてくれないんだよ。俺といる時。友達と
いる時は無防備に笑って他の男の目を惹くくらい可愛いのに、俺と
いる時はなんていうか⋮⋮無表情で固いっていうか、表情筋を全く
動かさないんだよね。動くとしたら眉毛だけなんだよ。その表情も
綺麗で惚れ惚れするんだけど、俺だけに笑顔を向けて欲しいとか思
っちゃう訳よ。あるでしょ?だってほら、好きだったらさ。好きな
人には笑顔でいてほしいじゃん。あわよくば俺だけに見せてくれる
笑顔っていうかそういうのも﹂
﹁あのそれまだ続きますか?﹂
なんなの。どれだけ惚気るの。いつまで経っても話が終わりそう
になかったので、途中でぶった切る。恐らくこれは毎日のように晴
翔が聞かされているものなのだろう。な⋮⋮なんて重苦しい愛情な
んでしょう。
確か翼ルートは大切に大切に甘やかされるんですよね。この言葉
だけでもそれが窺える。なんというか、はい。晴翔、ずっと頑張っ
て聞いていたんですね。お疲れ様です、なんだか非常に労いたい気
分になりましたよ。言葉を遮ったので不満そうだが、気にしないよ
うにして話を進める。
﹁ええと、怜那さんが冷たいという事でしたが、心当たりはあるの
ですか?﹂
﹁え?うーん⋮⋮ないよ。メンバーに誘うのも諦めたし﹂
ん?メンバー?あ、そうでしたね。乙女ゲームの時は主人公でし
たが、今は間宮さんになっているのですね。すっかり失念しており
550
ました。ふむ、メンバーを諦めるのは主人公でも普通にあるので、
それだけでは間宮さんが翼ルートを諦めているか分からない。この
時期の誘いは断って、夏頃に1度だけ出るんですよね。しかし、翼
がしっかりと諦めているこの状態は⋮⋮翼ルートの選択はしていな
い、という事になるのでしょうか?
でも翼はまだ好きな事は諦めてないんですよね⋮⋮。ルート分岐
したら他の人のその後なんて描かれませんから、どうなんでしょう
⋮⋮。
﹁うう⋮⋮なんでなんだろう。あんなに良い声なのに⋮⋮。あれな
んだよ、まさに女神の歌声っていうか。天国にいる心地になるんだ
よ。綺麗過ぎて、絶対﹂
﹁そうですねぇ﹂
確かにあの声は耳に心地よいですよね。歌声の方もきっと美しい
んでしょう。
﹁あれ?透って怜那ちゃんの事知ってるの?﹂
﹁あ⋮⋮ええ、まぁ。この間、図書室で本を拾って頂きまして﹂
というか今更その疑問ですか。散々喋っておきながら。
﹁へーそうなんだ⋮⋮なんなの?なんで俺の好きな子と接触してる
の?やっぱり俺の事が好きなの?﹂
﹁いいえ全然﹂
﹁その爽やか過ぎる笑顔にほんのり怒りが含まれているような気が
するんだけど気のせい?﹂
﹁あっはっは。気のせいです﹂
551
しつこいですね。なんてちょっとだけしか思ってませんよ。
そんなに間宮さんを知っていたら不自然でしょうか?うーん、そ
んなつもりはないのですけれどね。でも確かに好きな子を聞きださ
れるって異性からだと誤解を招く事もありますよね。前世でもうち
ょっと恋愛について学んでおきたかった。
しかし、間宮さんが翼に冷たいのは何か理由があるのでしょうか
?いや、単純にタイプじゃない可能性もあるんですけれどね。それ
はちょっとかわいそうなので言いませんが。
﹁おっと、そろそろ用事があるので行かせて頂きますね﹂
﹁あーうん。いってらっしゃい⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
翼はまた机に突っ伏している。間宮さんに冷たくあしらわれてい
るのが余程堪えているのか。それにしても翼のノロケ⋮⋮と言って
良いのか⋮⋮あんなに喋るとは。
用事を終わらせて教室に戻る途中、化学室から顔を真っ赤にした
間宮さんが出て来た。化学室って⋮⋮高木教師の出現スポットです
ね⋮⋮なんでそこから顔を赤らめて出てくるのですか。
間宮さんは私に気づく事なく足早に立ち去っていく。かなり余裕
がなさそうな感じでしたけれど⋮⋮。
足音を立てないようにそっと開け放たれた化学室を覗くと、そこ
には案の定高木教師の姿が。
﹁あー⋮⋮くそ﹂
などと小さく呟いて髪をわしわしとかきむしっている。
⋮⋮えーと。何を⋮⋮したんですかね⋮⋮。 とりあえず、見つからない内にさっさと教室へ向かう。
いや、いやいやいや。高木教師は変な事しないはず⋮⋮しないで
552
すよね?ああもう!なんなの?もう分かりませんよ!ハッキリ言っ
て高木教師関連について関わり合いたくないですよ!日向先輩と同
様に。
あれですか、人の色恋に顔を出すべきじゃないんですかね?今の
所転校ルート乱立中ですけれど、止める事なんて出来そうにないで
すし。
晴翔の方はどうだか良く分かっていませんが、フラグ乱立中の今、
ある程度好感度が上がっていてもおかしくはない。
うん⋮⋮もう私にはどうしようもないんじゃないかな。よし、放
っておこう。もうなる様にしかならない。無理です。
人間時には諦めが肝心ですよね。
553
バレました。
もう諦めてしまえ。
そんな前世の悪癖が出て来たのはいいのですが⋮⋮なんだか最近
視線を感じるようになった。廊下とかで移動しているときにちらほ
らと⋮⋮。時には主人公、時には間宮さんが。
え、なんで?なんで私2人につけられているの?いやまぁ、最近
まで私の方がつけていたんですけれども。それの意趣返しなのだろ
うか。そんなばかな。
目が合うと、蜘蛛の子をまき散らす様に逃げ去られるのだが、な
んなのだろうか。
﹁最近また別の女の子にモテてるね、透﹂
﹁翼、冗談でも笑えないですよ﹂
﹁うん、俺も笑えない﹂
ああ、間宮さんが好きですからね。冗談だとしても笑えないか。
好きな子が女である私に惚れるなんて。
﹁あー⋮⋮怜那ちゃんって透みたいなのがタイプなの?⋮⋮いやま
てポジティブに考えるんだー⋮⋮あれは俺に会いに来ているのだと
⋮⋮明らかに透の方見てたけどね⋮⋮はは﹂
﹁い、いえ。きっと何かしら事情がおありなのでしょう。まだそう
考えるのは早計です。それに女同士なのですから、有り得ないでし
ょう﹂
﹁うん、この教室で最もモテてる人に言われてもね﹂
554
三宅さん、玉森さん、桜さんを順に見てから溜息を吐かれた。い
やこれはあれですよ。モテてるわけじゃないですよ。1年の時のオ
リエンテーションで仲良くなった者同士の親睦を深める意味で。女
友達が仲良くするのは決してモテているとは言わないでしょう。
﹁それにしても無粋な方ですね。透さんをつけるなんて﹂
﹁全くよ。もぐもぐ!﹂
﹁ないすアングル﹂
桜さんはつけてきている間宮さんと藤間さんにプンプンと怒って
おり、その事に気を取られている間に三宅さんが桜さんのお弁当の
おかずを盗む。そして玉森さんは写真を撮っている。
三宅さんと玉森さんは相変わらず自由ですね。
﹁あっ!ちょっと!なんでお弁当勝手に食べているのよっ﹂
﹁いいじゃない。おいしいし﹂
﹁減るもんじゃあるまいし。じゃないんだそこ?﹂
﹁だっておいしいものは減るじゃん﹂
﹁それもそうか﹂
﹁﹁あっはっはっは﹂﹂
﹁2人共勝手すぎるわ⋮⋮﹂
眉間に皺を寄せて唸っている。手が付けられない問題児とはこう
いう事なのだろうか。まぁ、やっているいたずらは可愛いモノです
けれど。
桜さんも本気で怒ってはいないので、皆今でも仲が良いのだろう。
実に微笑ましい光景じゃないですか。
﹁せっかく透さんにつくったのに⋮⋮﹂
555
﹁まぁまぁ。減るもんじゃあるまいし﹂
﹁減ってる!減ってるわ!﹂
﹁﹁あっはっはっは﹂﹂
﹁笑えないですよ⋮⋮﹂
そんなトリオ漫才を眺めていた翼がほっこりとしている。私の顔
も似たような感じになってるに違いない。久し振りに皆でお話する
事が出来て嬉しいですし、癒されますね。この頃ずっと気を張って
いましたから。
フラグは立ってしまっているのだからもうどうしようもない。転
校までの間、まったり学校生活を満喫させて貰おうと思ったのだ。
まぁ、今度は逆につけられているのですけれどね。これはどうした
ものか。
それにしても桜さんの料理がおいし過ぎて。なんだかどうでもよ
くなってきますね。いろいろ。
﹁桜さんのお弁当とてもおいしいですよ﹂
﹁あ⋮⋮有難うございます﹂
﹁猫かぶってる﹂
﹁かぶってるね。5匹くらい?﹂
﹁桁違くね?﹂
﹁あ、50?﹂
﹁いや100﹂
﹁わかるー!!﹂
﹁2人ともいい加減にしてくんない!?﹂
まぁまぁ、3人共仲がいいですね⋮⋮ちょっと妬いちゃいますね。
桜さんの焼いただしまき卵がおいしいです。まぁいつもは母のお弁
556
当なのだが、今日は桜さんに作ってきて貰うと言っておいたのだ。
お返しも何も出来ないのが申し訳⋮⋮あれ。お返しにお返しで思い
出しましたけれど。そういえば桜さんの誕生日って4月じゃ⋮⋮わ、
忘れていました。色々ありすぎて。う、うわぁ⋮⋮って桜さんは忘
れていても気にしないって言うと思うけれど、友達の誕生日を忘れ
るのはどうかと思うんです。そう言えば、会長の誕生日もそろそろ
だったような⋮⋮うん、買いに行きましょうか。私のイメージアッ
プ運動でもやっていきましょうか。今後の展開次第で被害を最小限
に抑えるために。まぁ無駄だと思いますけれども。
という訳でショッピングモールに来た。安定のショッピングモー
ル。だってここが品ぞろえが良いですからね。色々見て回りながら
考えますか。桜さんは手袋、会長には問題集をあげたんですよね。
それで、桜さんからは高そうなペン。会長からは問題集とスノー
ドームをいただいた。
だから2人にはなんか良さそうな物をあげたい。と、言っても、
まるで計画などないのですけれどね。この無計画さをなおしたいの
ですけれどなかなかね⋮⋮。まぁ前世からの行いですから仕方あり
ません。
まずは桜さんのものを探そうと雑貨屋さんに行く。ピンと来るも
のがなかったので、服屋なども見て回る。お風呂用品とかも良いか
もしれませんね。
そう考え、入浴剤とかを売っている所に足を向ける。
﹁あ﹂
﹁あ﹂
そこで出会ったのは間宮さんである。なんという遭遇率。はっ、
557
まさかつけてきていたのでしょうか。いやいや。それは流石に考え
すぎか。間宮さんも驚いているみたいですし。
﹁こ、こんにちは﹂
﹁こんにちは。奇遇ですね﹂
﹁れーなーまってよぅ﹂
さらに藤間さん追加。
え、え、え⋮⋮あ、お友達になっているのですね。同じクラスで
すし、同じようにつけてきていたので、そんな感じはしていたので
すが。
﹁あ﹂
出て来た藤間さんも固まる。
その手には買い物袋があったので、この店で買い物を済ませたの
だろう。
3人で集まって睨み合う事しばらく⋮⋮最初に口を開いたのは藤
間さんである。
﹁イケメンおひさ﹂
そう言って手を出してきたので、丁重に叩き落としておいた。
﹁誰がイケメンですか﹂
﹁いや⋮⋮どうみても﹂
﹁みなまで言わないでください﹂
558
無性に悲しくなりますから。
しかしこのお2人、並ぶと圧巻ですね。男性の目をすべて攫って
しまっています。その美しさと可愛らしさの僅かでも私に頂けませ
んかねぇ⋮⋮。
﹁えーと、木下先輩﹂
﹁あ、はい﹂
藤間さんに呼ばれて返事をする。あ、名前はもう知っているので
すね。そりゃそうか。あれだけつけ回していましたからね。
﹁私達、もっと話し合わなきゃいけない、そう思いません?﹂
﹁え、ええと⋮⋮そうですね。そうかもしれません﹂
﹁女子会だ!いや、この場合2人の美少女に手を出しているイケメ
ンの図になっちゃうのかし痛い!抓らないでレーナ。そこ地味に物
凄く痛いからやめてよ﹂
黙って藤間さんの二の腕を抓っている間宮さん。実に仲が良さそ
うで。
というわけで、何故か3人で話し合いをする事になりました。フ
ードコートのテーブルにつき、彼女達と向き合うのはなかなか緊張
する。緊張感がないのは藤間さんくらいか。たこ焼きを買って頬張
っている。その事で若干和むから助かっています。
間宮さんは呑気な藤間さんに目を向けて、何やら諦めたような溜
息を吐いてからこちらに向き直る。
﹁ええと、その。まずなんと言っていいのか⋮⋮﹂
﹁へい、ゆー、はっきりいっちゃいなよ。もぐもぐ﹂
﹁曜子は遠慮がなさすぎます。それと食事中に喋るのはいけません﹂
559
﹁かったいなー、お役所かっ!﹂
﹁意味分かりません⋮⋮﹂
頭を抱えて唸る間宮さん。
﹁はぁ、話が進まないので曜子の事は置いておいて﹂
けほん、と咳払いをして顔を上げる。
﹁単刀直入にお伺いします。貴方は転生者ですね?﹂
﹁⋮⋮﹂
本当に単刀直入に聞いてきましたね!!
ってこんな事ここで話しても大丈夫なんでしょうか?いや、聞い
てもちょっと頭可笑しい連中と思われる程度でしょうけれども。そ
れか、中二病かなにかか。けれど、周りが騒がしいからある意味安
全なのかもしれないですね。
というか、そんな事を聞くって⋮⋮間宮さんも。
じっと間宮さんの目を見つめていると、少しだけ目を伏せた。長
い睫毛が影を作って、妙に色っぽい。艶っぽいというか、雰囲気の
ある子ですね。
﹁実は、私と曜子も転生者なのです﹂
﹁ええと⋮⋮いいのですか?そういうことを言ってしまって﹂
間宮さんはこくりと頷いて、それから花が咲く様に笑った。あま
りに綺麗に笑うものだから、女性相手なのにドキリとしてしまう。
これは男達も惚れますわ。
560
﹁木下先輩は言いふらすような方ではないと判断したので﹂
ああ、うん。この人モテるわ、間違いない。というか、すでに3
人は惚れているのが現状ですからね。彼女に近づく事すらできない
その他大勢の男の子達もいるのではないだろうか。
そこまで信用されて言われるとは。私も腹の探り合いとかしたく
ありませんし、間宮さんになら言っても良いと思う。
藤間さんに至っては転生者だと確信しているようですし。あまり
口外しないよう注意もしたいんですよね。色んな所で言いそうなの
が藤間さんの怖い所です。
﹁ありがとうございます。お察しの通りですよ﹂
﹁⋮⋮やっぱり!﹂
ペチリと手を叩き、嬉しそうに頬を赤らめて笑っている。それの
なんと可憐な事か。うん、翼、なんかごめん。間宮さんの笑顔貰っ
ちゃった。抜け駆けしてごめんなさい。
﹁別に確認しなくてもわかってたよ!!あたしわかってた!!﹂
口の端にクリームを付けた藤間さんが手を上げている。って、い
つの間にパフェも完食したのですか⋮⋮。
﹁はいはい、曜子は良い子ですね﹂
﹁棒読み!レーナ棒読み!!﹂
﹁さてと、お仲間だと分かったので、これからについて色々話して
おきましょう﹂
﹁無視!レーナの華麗な無視!レーナだけに!﹂
561
﹁まず攻略についてですが⋮⋮﹂
完全に藤間さんのギャグも無視していく。付き合っていると話が
進まないと判断したのだろう。まぁ、おそらく藤間さんの扱いはそ
れで正しいのかもしれないですね。色々苦労してそうな土御門くん
を思い出し、憐れむ。
﹁まず、私は攻略対象者に全く興味がありません﹂
⋮⋮なんですと!?
562
話し込みました。
﹁まず、私は攻略対象者に全く興味がありません﹂
まさかのセリフに動揺を隠し切れない。だって転生者で、あれだ
けの攻略対象者と仲良くなっているのに。転生者だと聞いて、てっ
きりあの3人の中の誰かが好きなんだと。
はぁ⋮⋮と深い深い溜息を吐いた藤間さんは、ぐしゃぐしゃと両
手で髪を乱す。あー⋮⋮うー⋮⋮と唸ってなかなか切り出さない。
﹁レーナはねーレーナちゃんじゃなかったんだよって事さ!﹂
などと言っているのは藤間さんだ。
ん?何かの謎かけなのでしょうか?
間宮さんが怜那ではなかった⋮⋮転生前ならそりゃ名前が違いま
すでしょう。私も勿論ちがいますし。
間宮さんはまた溜息を吐く。今度は藤間さんにあきれた、という
意味の溜息だろう。
﹁それじゃ分かんないでしょう⋮⋮?えーと、ゴホン。実は私⋮⋮
いや、﹃俺﹄は前世が男だったんです⋮⋮﹂
﹁へ⋮⋮?﹂
え、ええええええええええ!!
ま、間宮さんが?こんなにボン、キュ、キュの間宮さんが!?い
や落ち着け。そうか、同性じゃなくて異性に転生する可能性もある
のか。
563
﹁だから攻略対象とかマジ勘弁ですし⋮⋮なんなの⋮⋮スルーしよ
うとしてもあの人達凄くハート強いし、超近づいてくるし、恐怖以
外のナニモノでもないのですけど﹂
﹁そ、それはそれは⋮⋮﹂
なんと申し上げて良いのか、全く想像だにしません。私がもし男
に転生してしまったら⋮⋮どうするでしょうね。女の子は可愛いと
思いますけれど⋮⋮それは花を眺めているような、小動物を愛でて
いるような感じでしかありませんからねぇ。けれど男の場合はどう
なのでしょう。
﹁なんだか熱い瞳で見つめられていると全身が鳥肌で、鳥の気分と
はこういうものかと思うようになりました﹂
﹁大変なのですね⋮⋮﹂
﹁そう!そうなんです!ああ⋮⋮!もうね、独身貫く気満々なんで
すよ!ええ!無理です!男なんて男なんて無理です!友達ならいい
んです!楽しいんです!!でも皆最終的に俺の事好きって、好きっ
て、うあ、うあああ!!﹂
﹁ま、間宮さん落ち着いて下さい!﹂
なんだかすごく大変そうですね!!
そりゃ、そんなに綺麗だったら好きになられるでしょう。私では
とてもでは想像がつかない程の苦悩を抱えられていらっしゃるよう
で。
﹁レーナちゃんはレーナくんだったって事だよー!うける﹂
﹁うけないです、うけないですよ⋮⋮﹂
しくしくと泣いている間宮さんはとても美しく、男たちの注目を
564
浴びている。あれ、違う⋮⋮?チラホラ私が睨まれているような⋮
⋮?
美しい少女が2人、片方はしくしくと悲しそうにしており、片方
は嬉しそうに、何故か勝ち誇った表情を浮かべている。
はっ!さっき藤間さんが言っていたことが現実に!?私が2股し
て泣かせている男状態に!!
﹁ま、間宮さん至急泣き止んで下さい。私の株が下がっています﹂
﹁ふぇ⋮⋮?﹂
うっわ泣き顔可愛いな、おい。これで男は嫌って⋮⋮なんという
勿体ない。そのモテ具合を私と交換して頂きたいです。そうしたら、
きっと互いに幸せになれたかもしれません。
﹁少し移動しましょうか。色々見ていると、気分転換になりますし﹂
﹁あー!あたし服買いたい!行ってい?﹂
﹁ええ、まぁ、私は構いませんよ。間宮さんは如何です?﹂
﹁あー⋮⋮はい。いいですよ、なんでも﹂
なんという投げやり感。いや、仕方ありませんけれどね。好きな
女の子がいても振り返って貰えるように頑張るとしても、難しいで
すし。なんともまぁ⋮⋮ままならないものですね。
藤間さんに似合そうな可愛らしい洋服店の前で待機する。その間、
間宮さんと話をする事にした。
﹁素朴な疑問なのですが、前世が男だったのに、乙女ゲームをやっ
ていたのですか?﹂
﹁あー⋮⋮違うんです。俺、妹がいて。よく話を聞かせられてて覚
えてたんです。びっくりしました。すっごく聞き覚えのある男達が
565
わんさかでてきたものでして﹂
ああ、妹さんが乙女ゲームが好きだったのですか。覚えてしまう
ほど聞かせられるという事は、相当仲が宜しかったんですねぇ。
﹁関係ないかもしれませんが⋮⋮間宮さんのその顔で﹃俺﹄と言わ
れると違和感がすごいですね﹂
﹁でしょう、そうでしょう。だから、気を付けているんです。言動
とか、行動とか、持ち物だとか。俺だったらこんな女の子と付き合
いたいってものを詰め合わせてるんです﹂
うれしそうにキラキラした瞳でそう語っているが⋮⋮。
﹁⋮⋮だからモテるのでは?﹂
﹁⋮⋮ハッ!!﹂
今気付いた、という顔をして、頭を抱えている。
そりゃ男から見て可愛いと思う女の子になろうとしているのだか
ら男にモテないわけないでしょう。でも、そうですね。男だから男
の求めている女の子像も分かっているのですか。
何故そんな自分の首を絞めるような事を。
﹁うう⋮⋮でもこの顔で変な事したくない⋮⋮できるなら自分と付
き合いたい⋮⋮俺の理想の女の子過ぎて⋮⋮ただし金城、てめーは
ダメだ﹂
なんというナルシスト発言。まぁ、そういう意味ではないのは分
かっていますけれど。というか、やっぱり翼は嫌なんですね⋮⋮翼、
すみません。はからずも失恋確定を知ってしまいました。これは言
って良いモノか⋮⋮微妙に翼と顔をあわせづらいです。
566
﹁⋮⋮そういえばこれって言って良いんですか?﹂
﹁ええと、なんでしょう?﹂
言って良いかは聞いてみないと分からないのですが。
﹁なんでそんな男の恰好を?木下先輩は女の子ですよね?あれ?も
しかして俺と同類?﹂
﹁ぐっ!⋮⋮いえ、女の子の恰好が似合わないからこうしているだ
けで、前世も今も女で間違いがありません﹂
﹁へ?そうなんですか?なんだー⋮⋮でも、先輩も可愛い恰好すれ
ば、物凄く可愛くなるのに、勿体ないです﹂
﹁え、いえ⋮⋮﹂
﹁先輩顔がちょっと赤くなってます。照れてるんですか?かわいい。
やっぱり女の子っていいですね⋮⋮!﹂
ふわふわ笑ってて可愛いのは貴方の方ですよ、間宮さん⋮⋮。
思いついたように手を叩いて、可愛過ぎる笑顔をこちらに向けて
来る。
﹁そうだ、先輩も洋服買いましょう!実は俺、かなり洋服の勉強し
たんで、コーディネートには自信があるんですよ!行きましょう!
曜子も連れて!﹂
﹁え、え、いまですか?﹂
﹁今ですよ!思い立ったら吉日っていうでしょう?﹂
﹁たのしそー!あたしもやるやる!このイケメン力を下げたいわ!
見てるとドキドキしてくるから﹂
567
﹁え、え、え⋮⋮﹂
藤間さんいつの間に!
2人の美少女に手を引かれてなすがままにされる。あちこち服屋
を廻らされる。美少女が話し合いながら洋服を見ている様は見てい
て微笑ましい。あれ、私も同年代なのに、なにこの置いてけぼり感
⋮⋮。
服を着せられ、化粧させられ、髪もおろされていじられる。とい
うか、化粧道具持ち合わせているとか女子力が高すぎますよ間宮さ
ん。
﹁﹁できた!﹂﹂
﹁は、はぁ⋮⋮ありがとうございます﹂
と、言っても、鏡がないので髪や顔は見られない。服は清楚な感
じの服ですけれど⋮⋮なんだか2人で奇怪な言葉をしゃべってたか
ら良く分からない。ガーリックだのなんだの。
﹁うんうん、これなら惚れないわ!バッチリよ!﹂
﹁ですねぇ、綺麗さが際立ってとても素晴らしいと思います。こん
な女の子と付き合ってみたかったです﹂
きゃいきゃいと実に楽しそうである。うーん、どうなのでしょう
?確かに乙女ゲームの木下透は普通に綺麗な女の子でしたから、有
り得ない話ではない、のか?
﹁こんなに可愛いなら木下先輩もきっとモッテモテですよ!﹂
﹁ええと、は、はぁ⋮⋮﹂
﹁木下⋮⋮?透、か?﹂
568
あれ?この声⋮⋮。後ろを振り返ると、会長の時が止まっていた。
間宮さんと藤間さんも会長に気づく。
﹁あれー会長さんじゃん、なんだろ。私出会いイベやってないよ?﹂
﹁しっ、黙って下さい曜子。木下先輩が生徒会の役員なんですよ﹂
﹁あーあー、なるほどそっかぁ⋮⋮﹂
などとひそひそ喋っている。
その間も、会長の時が止まっているんですけれど⋮⋮。
﹁あ、あの、会長?﹂
﹁と、透⋮⋮だよな?うん、透だ、うんどう見ても⋮⋮﹂
様子がおかしい⋮⋮って、あ、そうか。私って今、女装している
んでしたっけ。いやいや、女装っていうのはおかしいですね。ええ
と、なんて言えば良いんだ?ああ、そうだ。いつもと違った雰囲気
の恰好をしているからしっくりこないのでしょう。
﹁すみません、こんな恰好ですが木下です。偶然ですね﹂
﹁あ!ああ⋮⋮⋮⋮っ!﹂
急に片手で顔を隠して体ごと顔を逸らされた。
﹁えっ﹂
﹁すまない⋮⋮これはやばい﹂
やばいのですか!?えっ、そんなに変な恰好なのでしょうか!?
いやでもこれは藤間さんと間宮さんが⋮⋮もてあそばれたのでしょ
うか。
569
﹁すまない!﹂
﹁えっ!!﹂
会長がいきなり走り出した!しかも全力で!
私は伸ばした手を彷徨わせて、後ろにいる2人に助けを求める。
2人は顔を見合わせてから⋮⋮。
﹁あれー?すでにモッテモテ?﹂
﹁心配するまでもなかったですね﹂
と、ちょっと見当はずれの感想を述べる。
いや、いやいや!違いますよ。あれはどう見ても目の前の女装女
に恐れをなして逃げていったでしょう!と言うか女装女って何!日
本語が迷子だ!
⋮⋮落ち着こう。
﹁けほん。いや、彼には好きな人がいるようなので、違うと思いま
すよ?﹂
﹁えー?それ本人が言ったの?﹂
﹁いえ⋮⋮直接は言っていませんが﹂
﹁それって⋮⋮ねぇ?﹂
﹁ええ、そうですねぇ﹂
え、なんですか?2人で何を分かりあっているのですか。女の子
で分かり合う何かが⋮⋮というか、間宮さんに至っては前世男でし
ょう!馴染みすぎです!いや、馴染まないとどうしようもなかった
のかもしれませんが!なんかその笑い方いやですよ⋮⋮。
ニヨニヨとした笑いで見つめられるいたたまれなさよ⋮⋮。しか
570
も2人共美少女ですからね。
﹁完全に今のフラグたってたよねー﹂
﹁ええ、どう見ても木下先輩の事を好きですね﹂
﹁いや⋮⋮いやいやいや⋮⋮﹂
だって会長は好きな人が⋮⋮それに男と思って接していた時期も
あったんですよ?それなのに私の事を好きなんて要素がない。
﹁えーとーる先輩意外に頭固い?﹂
﹁ですねぇ、何故そんなにも勘違いをしているのか、俺も疑問です﹂
﹁いや、藤間さんに至っては私をイケメンと呼んでいたではないで
すか﹂
﹁綺麗系だから惚れないよ!!﹂
いやそうじゃなくて⋮⋮やめよう。藤間さんに話が通じるとは思
えない。
﹁俺は木下先輩の事、とても綺麗な女の子だと思いますよ。会長も
そう思っていたんじゃないですかね?ちょっと行き違いがあるみた
いですけど﹂
と、間宮さん。
そう言って頂けるのは有難いのですがね⋮⋮今までも⋮⋮今まで
も?
ふと思い出すのは夏の日、まるで主人公に言う時のようなセリフ
に、言う人を間違えているのではと思ったり。それから怪我をした
時、大切そうに私の手をとったり。誕生日にもプレゼントをもらい
571
ましたっけ⋮⋮。
﹃ずっと⋮⋮好きだ﹄
会長が私の肩に手を置いて、私を見つめて言った告白のような言
葉を思い出してドキリとした。
ん⋮⋮?いや、でもあれは好きな女の子に対しての、もので⋮⋮。
あれ?じゃあ何故あの後ちょっと落ち込んで⋮⋮?いやいや。
﹃⋮⋮まってるからな﹄
驚くほど優しい声色がフラッシュバックして頬が少し熱くなる。
いや、いやいや。
私の反応を見た2人が、ニヤリと笑いあう。
﹁なんだぁー心あたりあるじゃん﹂
﹁いいですね、青春ですね。俺も女の子にそんな顔されてみたかっ
たです⋮⋮﹂
﹁ち、違いますよ?あの、ええと⋮⋮勘違いですよ、きっと。考え
すぎです。だって有り得ませんよ。私は男みたいな人間ですし⋮⋮﹂
﹁それ今の自分の姿見て言えます?﹂
﹁え⋮⋮﹂
ええと⋮⋮まぁ、スカートははいてますから、多少女性に見えな
くもないでしょうが。
﹁まぁ、ちょっとそうだと思いながら会長でも見れば?たぶんすっ
げーわかりやすいけど﹂
572
﹁ですね﹂
いや、それ失礼に値するんじゃ⋮⋮。
私が戸惑っていると、スマホを手に取った藤間さん。
﹁あ、もうこんな時間だーあたし帰るね!﹂
﹁あ、では俺も⋮⋮いや、私も帰ります﹂
﹁あ、もうこんな時間ですか⋮⋮お気を付けて帰って下さいね﹂
あれ、色々と着せ替えさせられている内に日が暮れそうな時間で
すね。このショッピングモールは外の明りが見えないから気付きま
せんでした。そろそろ私も帰らないといけません。
﹁とーる先輩もねー!今ちょう綺麗だし!﹂
﹁ふふ、本当に。お互い気を付けて帰りましょう。美少女まみれで
すから﹂
どんな自信なんですか間宮さん!いや、まぁ2人共美少女ですけ
れども。
ひらひらと手を振る美少女たちと別れ、電車に乗り込む。
ガタガタと揺れる電車内で、今日の出来事を振り返る。いやぁ、
もう関わらないようにしようと思っていたのに、ガッツリ話し込ん
じゃいましたね。予想外でしたが、2人の印象はより良くなりまし
たね。藤間さんはかなり自由度が高いですが、悪い子ではないよう
ですし。間宮さんは小悪魔かと思ったりも少ししていたのですが、
まさかの前世男説⋮⋮。うーん、精神が男だと男にモテてもしょう
がないですもんね。
573
﹁ただいま﹂
﹁おかえりー!透ちゃん!⋮⋮あらぁ?その服と髪はどうしたの?﹂
﹁あ⋮⋮﹂
すっかり忘れていたが、2人に服装を変えられているのでした。
あの時の微笑ましい様子を思い出して、少し頬が緩む。
﹁友達に、ちょっとやってもらって⋮⋮﹂
﹁あらぁ!いいじゃない!とってもかわいいわ!さっすが私の娘ね
!!ま、私の娘はなんでも似合っちゃうから仕方ないわね!﹂
﹁はいはい⋮⋮﹂
クスクス笑いながら自分の部屋に向かう。
なんというか、両親は私を過大評価しすぎだ。まぁ、自分の子だ
から可愛く見えるのも仕方ないだろう。
トイレをしようと思い、洗面台の前を通り過ぎようとして⋮⋮二
度見した。
⋮⋮え、誰これ。
あ、私か。うん、面影は残ってるね⋮⋮というか、あの2人まじ
で凄いね。うん。まるで別人のようだよ。これ、よく会長は私に気
づいたな⋮⋮。私の事が⋮⋮好きだから気付いた?い、いやいや。
何を馬鹿な事を考えているのでしょう。非常に痛い子ですよ。
頭を軽く振って、もうその件にかんしては忘れようと決める。
あれ?でも何か大切な事を忘れているような⋮⋮。
あ⋮⋮誕生日プレゼント、買ってない。
574
勉強しました。
ヒロイン組と話をしてて誕生日プレゼントを買うのをすっかり忘
れていた。いやしかし、私のいじめフラグがますますよく分からな
くなった。正直あの子達をいじめようとは思わないし⋮⋮いじめら
れているのをみたら助けたい。間宮さんに至っては興味ないのにい
じめられるとか理不尽以外なにものでもないですからね。
﹁木下先輩、おはようございます﹂
﹁あ、おはようございます﹂
噂をすればなんとやら。間宮さんに挨拶をされる。朝から爽やか
で綺麗な声が聞けて得した気分なります。
﹁先輩、髪はおろされないんですか?まぁ、勿論こちらも美しいの
ですが⋮⋮おろしてる方が私は好きです﹂
﹁あはは⋮⋮ありがとうございます﹂
思ったけれど⋮⋮この子が男だったら物凄いタラシになるのでは
ないでしょうか?めちゃめちゃ褒められて嫌な気分にはなりません
しね。前世ではさぞやモテた事でしょう。
ハッと気づくと、驚きの表情のまま固まっている翼を発見した。
あ、やばい、見つかっちゃった。
﹁うっ⋮⋮金城先輩だ⋮⋮﹂
余程苦手なのか、翼を見つけた瞬間私の後ろに隠れる。好きだと
思われるのが嫌なんですもんねぇ⋮⋮そりゃあんなに好き好きオー
575
ラ満載で来られたら嫌でしょうね。
﹁な⋮⋮なに?なんでそんなに親し気なの?﹂
﹁まぁ、色々ございまして﹂
﹁色々ってなに!色々ってなに!ずるいよ!すっげぇ楽しそうに会
話してたじゃん!抜け駆けなの、なんなの!﹂
翼の大きな声に間宮さんがビクリとしている。わぁ⋮⋮可愛らし
い。本当に勿体ないですが、こればっかりは仕方ないんですね。別
に男が嫌いと言う訳でもないんですよね、友達は欲しい⋮⋮と言っ
てましたから。
﹁れ、怜那ちゃん?おはよ?﹂
﹁お、おはようございます⋮⋮﹂
私の背に隠れながらもちゃんと挨拶を返している。こんなに怯え
られているのに諦めていない翼はイケメンじゃなかったら許されな
いレベル。
﹁え、すげぇ仲良いじゃん。なんなの。どういうことなの?この泥
棒猫!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ごめん、今のは言ってみたかっただけ﹂
てへへ⋮⋮と笑っているが、あんまりシャレにならない。実際、
間宮さんは女性の方が好きみたいですし⋮⋮。これは言わない方が
良いですけれども。なんだか非常に申し訳ない気持ちに。
﹁え、なにその微妙な顔﹂
﹁いいえ、何もありませんよ⋮⋮﹂
576
﹁え!すっげぇ気になる!なにがあったの?ねぇ!れ、怜那ちゃん、
何があったの?﹂
私が答えないので、怜那ちゃんの方に質問するが、帰ってくるの
は私と同じ反応である。言える訳ないですもんね。
2人して困っていると、私の前に誰かが割って入る。
私と間宮さんを守る様に来たのは水無月くんである。いや、正確
には間宮さんを守っているのだろう。私とか興味なさそうですもん
ね。
﹁何あんた。まだしつこくつけまわしてんの?﹂
﹁み、水無月くん⋮⋮﹂
自分より身長の低い後輩におされている。
おお⋮⋮イケメン同士が取り合いを⋮⋮これは少女漫画にありが
ちな展開!まさかこのような朝っぱらから見られるとはな。まぁ、
私が取り合われている訳じゃなくて、間宮さんなんですけれど。
﹁モテますねぇ⋮⋮﹂
﹁しゃ、シャレになんないですよぅ⋮⋮でも水無月くんは普通に守
ってくれてるだけですよ?良い友達です﹂
﹁ほ、ほう⋮⋮﹂
いや、あれはどう考えても貴方の事好きですけれども⋮⋮だって
彼、好きな子以外は非常に無関心ですから。これ、気付いてないの
?あ、そうか⋮⋮乙女ゲームを実際にプレイした事なかったなら知
らなくても仕方ないですよね。これは伝えた方がいいのか、悪いの
か。
577
﹁ええと、間宮さん﹂
﹁こら、お前ら、そんな所で固まってないでさっさと教室いけ。遅
刻するぞ﹂
そう言って割って入って来たのは高木教師。なんという攻略対象
者オンパレード。間宮さん凄い。モッテモテ。
先生に注意されて、翼たちは渋々それぞれの教室へと向かう。高
木教師はそれぞれが移動するのを見届けてから、優しい瞳を間宮さ
んに向けた。
﹁ほら、間宮も﹂
﹁あ、は、はい⋮⋮﹂
ビクリとした間宮さんが私の背中をグイグイ押す。なるべく高木
教師の視界に入らないように私を壁にしている。仕方ないので間宮
さんを守りつつ、高木教師に笑顔で会釈しておく。あれっ、なんか
睨まれた。なんででしょう⋮⋮。
それにしても間宮さん人気すごかったですね。次から次へと攻略
対象者が。あ、間宮さんに水無月くんの事言ってなかったですね。
いやでも水無月くんに悪いですか⋮⋮でもなぁ、間宮さんの味方で
ありたいからなぁ。水無月くんの幸せも願っているのですが、間宮
さんがどうにもならない事情を抱えていますからね。
生徒会室の前で、扉を開けるのを逡巡する。何故か分かりません
が、間宮さんや藤間さんに言われた事が頭から離れないのです。い
や、ナイと分かっているのですけれどね。なんかこう、妙にこびり
付いてて。
578
﹁透、入らないのか?﹂
﹁うひゃあっ!?﹂
会長の声に飛び上る。バクバクする胸を押さえながら、振り返る
と、私と同じように驚いた様子の会長が。な、何をしているのでし
ょう私は。別に会長はいつも通りですよ。
少し落ち着きを取り戻し、咳払いをする。
﹁んんっ、失礼しました。どうぞ﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮?どうしました?﹂
先に入って貰おうと扉を開けた状態で待っているんですけれども。
途中で足を止めて、私の方を見る。そして、少し照れたような顔を
した後。
﹁その。昨日みたいに髪はおろさないのか?﹂
と、言った。
⋮⋮え?なに?その照れ顔は。まぁ、いつも通りっちゃいつも通
りなのですけれど。ああもう!藤間さんと間宮さんが変な事いって
たから深読みしちゃうじゃないですかっ。これはいつも通りの会長
ですよ。ちょっとドジなそれでいて優秀な我が校の会長様です。
会長の照れ顔から僅かに目を逸らしつつ、苦笑いを浮かべる。
﹁あ、はは⋮⋮ええと、似合わない、でしょう?﹂
﹁そんな事はないっ!!﹂
579
物凄い勢いで否定してきた。いやだって、逃げ出したじゃないで
すか。
﹁その、すごく、似合ってた⋮⋮﹂
⋮⋮。
⋮⋮う、うん。違います。こういうのは、ちょくちょく言われて
たじゃないですか。だからほら、いつも通りで。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
妙な沈黙が落ちて、ただでさえ赤い会長の顔がさらに赤くなる。
﹁な、何か言ってくれ⋮⋮﹂
﹁あ、ああ⋮⋮その、あ、ありがとう、ございま、す⋮⋮?﹂
な、何、この空気は⋮⋮?
あ、私が照れているからこうなるのですね。い、いつも通りで。
ああもう!会長も困った顔をしているじゃないですか!
﹁と、透?どうした?体調でも⋮⋮悪いのか?﹂
﹁い、いえ⋮⋮なんでもありませんよ﹂
﹁そんな所でなにつったってんだ?﹂
晴翔に話しかけられて、2人してぴゃっと飛び上がる。
﹁な、なんでもない﹂
﹁はい、なんでもないですよ、晴翔﹂
580
﹁⋮⋮そうか?すごく嫌な予感がするんだが﹂
晴翔の登場にほっとしつつ、さっさと生徒会室に入る。ああ⋮⋮
なんか凄く精神力をつかった気分です。会長に体調の心配までされ
る始末。なにをやっているのでしょうね、私は。
とりあえず頭を切り替えて、書類を片づける。
しばらくすると、晴翔が席を立つ。おそらくお手洗いだろう。な
ら、ちょっと休憩にしますか。晴翔がいないと砂糖をこっそり入れ
やすいんですよね。
カチャカチャとコーヒーを入れていると、ビシビシ後ろから視線
を感じる。そっと後ろを向くと、書類から顔を上げた会長がじっと
こちらを見ていた。
⋮⋮えっ。な、なんでしょう。あ、なんかぼんやりしているから、
多分動いてるものを見ているのですかね?ひらひら手を振ると、片
手で顔を覆って顔を逸らされた。あ、はっきりみてたんですね!?
うっわなんか恥ずかしいのですけれど。
頬が熱くなってきたので、さっさとコーヒーを入れる作業に戻る。
って、なんでさっき見られていたんでしょう?可笑しな事はして
ないはずですけれど⋮⋮。いや、不自然なのでしょうか?ダメだ、
自然が良く分からなくなってきました。ぎこちない動きで作業して
いたら、おぼんを引っかけてコーヒーが零れて手にかかってしまっ
た。
﹁つっ⋮⋮﹂
﹁どうした?﹂
﹁ああ、いえ⋮⋮少しお湯が手に、でも大した事はないので﹂
﹁透の大した事ないは信用ならない。見せて見ろ﹂
信用ゼロですか⋮⋮前科がアダになったか。本当に大した事はな
581
いんですけれど。会長が近寄ってくるので、じりじりと後ろに下が
る。
﹁⋮⋮なんでさがる?﹂
﹁い、いえ、なんとなくです﹂
﹁やはり今日は様子がおかしいぞ。大丈夫なのか?﹂
﹁はい。体調の方は問題がなく﹂
﹁⋮⋮本当か?﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
﹁そんなに顔を逸らしながら言っても信用出来ないのだが﹂
﹁⋮⋮﹂
わかった、分かりましたからそれ以上近づかないでいただけませ
んかっ。もうすぐ後がなくなる⋮⋮と思ったところで晴翔が戻って
きた。た、助かった。
﹁おいあんた。何やってんだ変態か?﹂
﹁なっ⋮⋮!?ち、違っ⋮⋮透が火傷したようだったから見てやろ
うと思っただけだ﹂
﹁なんだ変態か⋮⋮﹂
﹁違うっつってんだろう!?﹂
﹁透、火傷は平気か?﹂
会長の怒りを受け流しつつ、私の様子を聞いてきた。なんという
か、晴翔との会話でほっとできる日が再び来ようとは思っていなか
582
ったです。
﹁ああ、えっと。ちょっと冷水で冷ましてきますね。けれど、ご心
配なさらなくて大丈夫ですよ﹂
ついでに頭も冷やしてきましょうかね。2人に心配されつつ、生
徒会室を出る。まぁ、手は少しひりひりするだけで本当に大した事
ないんですけれどね。
それにしても、動揺しすぎだ。いくらあんな事言われたからと言
って、意識するのは会長に失礼だろう。馬鹿なんですか私は。有り
得ない事考えて挙動不審になるなんて。
それにしても、会長の言動は確かにややこしいですね。確かに気
があるように見えて困る。どうして今まで何も思わなかったのか。
照れながら似合う、とかそういうのは色々誤解を生みそうなので会
長にも気を付けて欲しいです。
そうだ、そうなんですよ。会長が紛らわしいのがダメなんですよ。
攻略対象者って怖い。
﹁あ、先輩先輩!みつけた﹂
﹁おや、どうかしましたか?﹂
藤間さんが教科書を抱えた状態で話しかけて来る。あまり彼女と
話をするのは良くはないのですが⋮⋮日向先輩が怖いので。さって
周りを見渡して、日向先輩がいない事を確認してホッと安心する。
﹁木下先輩ってチートしてんでしょ?勉強教えて欲しいの!﹂
﹁ち、チートって⋮⋮﹂
人聞きが悪いですよ。人より勉強するのが速くて知識も多少あっ
ただけで、あとは独学で勉強してますよ。決してチートとかではな
583
い。たゆまぬ努力の賜物だ。それにしても、転生というモノがチー
トという点では藤間さんも条件は変わらないですよ。
﹁中学まではなんとかなったの。でも、高校はさっぱりで﹂
﹁つまり勉強してなかったと⋮⋮﹂
﹁予想外に難しいね!!﹂
あっはっは!と楽しそうに笑っている。いや、笑いごとなのでし
ょうか。まぁいいですけれども。
ですが、藤間さんには日向先輩という暗黒面が待ち受けているか
ら学校で接触したくない。なんとかこの申し出を回避できないもの
か。
﹁ええと、土御門くんに教えて貰ってはいかがです?﹂
﹁えー?なんで?﹂
﹁なんでって⋮⋮いや、幼馴染と勉強の方が普通じゃありません?﹂
﹁やだよフラグたったらどうするの﹂
フラグは⋮⋮残念ながらすでに立っていらっしゃるようですよ?
さすがに土御門くんの為に言いませんが⋮⋮。
﹁土御門くんは嫌なんですか?﹂
﹁嫌じゃないけど⋮⋮でも成績は先輩の方がいいじゃん。先生の傾
向と対策も知ってるってもっぱらの噂だよ!﹂
あ⋮⋮はい。勉強会してますものね。しかも去年作ったプリント
なら流用できますし、教えると復習にもなる。日向先輩の陰がなけ
れば簡単に引き受けているんですが⋮⋮。
584
﹁あ、れーなも教えて欲しいってさー。女子会女子会!﹂
﹁え、ええと、わ、かりました⋮⋮﹂
ぐいぐいと押されてつい、頷いてしまう。ああっ⋮⋮ま、まぁな
んとかなるでしょう。日向先輩はコワイですが、あのように体も弱
いですし、変な事は出来ない⋮⋮はずです。そう願っています。そ
れに、藤間さんを日向先輩から離す事も必要ですからね。土御門く
んの味方なのですが、藤間さんの返答はなんとも微妙なものだ。間
宮さんよりは希望は高いでしょうけれど、こちらは土御門くん次第、
ですかね。
勉強会である土曜日がやってきた。日曜に誕生日の買い物にいく
事にしようそうしよう。このままずるずると買えないのだろうか。
そんな事があってたまるか。
それにしても、いじめの要請は何時頃なのでしょうね⋮⋮。5月
も終わりそうなんですけれども。まだ心配するには早いでしょうか。
そろそろちょくちょくいじめられていても可笑しくないとおもって
いたんですが⋮⋮間宮さんにそんな様子はうかがえませんし。
待ち合わせ場所である図書館へと向かう。
そこにはすでに間宮さんと水無月くんがいた。水無月くんとは約
束していないのですが⋮⋮まぁ、いつも図書館にいるので、いると
は思っていましたよ。
とても仲好さげにしていて、どうみてもカップルにしか見えない。
あそこに入れと言うのですか。いや、いきます、いきますよ⋮⋮。
近づいて行くと、間宮さんが気づいたらしく、可愛らしい笑顔で
出迎えてくれるが、水無月くんは明らかにムッとしている。ああ、
やっぱり、やっぱり水無月くんに好かれていますよ!間宮さん!
水無月くんはあまり口にするタイプでもないし、行動力のあるタ
585
イプでもないから気付かないのか⋮⋮。ただ好きな子が図書室にく
るのをじっと待つタイプですからね⋮⋮。しかも、見た目も綺麗で
中性的と言うか、可愛いというか。男くさくない感じですしね。
﹁おはようございます、今日はよろしくお願いします﹂
﹁おはようございます、こちらこそよろしくおねがいしますね﹂
﹁⋮⋮よろしく﹂
周りを軽く見回してみるが、藤間さんはまだ来ていないようだ。
私の様子を見て、察したのだろう。間宮さんが苦笑を浮かべる。
﹁曜子なら少し遅れるみたいです﹂
﹁ああ⋮⋮そうでしたか。なら、ええと⋮⋮先にやっていますか?﹂
﹁はい!あの、お伺いしたい事があったんです﹂
﹁はい、なんでしょう﹂
﹁入試問題ってやってます?﹂
﹁ええ、とりあえずは⋮⋮ですが﹂
﹁じゃあ、ここの問題を⋮⋮﹂
﹁ああ、そこはですね⋮⋮﹂
と、大学入試問題について話し合う。
﹁貴方たちは何者なんですか⋮⋮﹂
すぐ近くで土御門くんの声がしたので顔を上げると、藤間さんと
共に土御門くんが到着していた。あら⋮⋮土御門くんもついてきた
のですね。
586
﹁真打は遅れて登場!ってね!﹂
﹁いいから座りなよ曜子ちゃん。遅刻なんだからえらそうにする事
じゃないよ⋮⋮と、こんにちは木下先輩、それに間宮さんと、海斗
も。今日はよろしくお願いします﹂
軽く挨拶をかわして、勉強会を再開する。あれ、そういえば土御
門くんと水無月くんは仲が良さそうなので友達なのですね。気が合
いそうですもんね、雰囲気が。
藤間さんは本当に高校の勉強を怠っていたみたいで、頭を抱えて
いる。中学まではかなり優秀な成績を残しているぶん、その反動が
すごい。成績の落ち込みぶりに高木教師が心配しているようだ。
しかし、翼と違って、何もかもが分からない訳ではないので飲み
込みは早い。やれば出来る子ってやつでしょうか。翼のようにすぐ
に集中力がなくなる訳でもないようですしね。
間宮さんは私と似たようなタイプみたいで、前もって勉強して叩
き込んでいたようです。こちらは教えるまでもないようですね。な
んだか親近感の湧く方で。ぜひとも今後の人生を応援させて頂きた
い。
それにしても、と。間宮さんと水無月くん。藤間さんと土御門く
んは仲が良いですね。私がいなかったらダブルデートのようではあ
りませんか。
私にも誰かいたら男女の比率が丁度良いのですが⋮⋮って、いえ
いえ、なんでそこで会長を思い浮かべるのですか。ああと、晴翔⋮
⋮も何か違いますし。翼はどう考えても間宮さんが嫌がりますよね。
この中で誰が勉強しなければならないかというと翼ではあるのです
が⋮⋮ここは諦めてもらうしかないだろう。
静かに勉強をした後、時計を見て本を閉じる。
﹁そろそろお昼休憩に致しましょうか﹂
587
﹁さんせー﹂
﹁そうですね﹂
誰も文句言わずにやるって結構な事ですよね。みなさん真面目で
優秀な方で。時間が過ぎるのがあっという間でした。それぞれが体
を伸ばしたり、教科書を閉じたりしている。
図書館の近くに喫茶店があるので、そこに行く予定だ。どうも、
水無月くんが良く行く店のようで、ランチが安くておいしいそうだ。
間宮さんは水無月くんに教えて貰って事があるみたいです。
そろぞろとみんなで図書館を出て、水無月くんについていく。
少し奥の方の、隠れた場所にその店はあった。こじんまりとした
その喫茶店は少し古ぼけていて、雰囲気がある。秘密の名店っぽい
ですねぇ⋮⋮なんだかこういう店は好きです。
店内はこじんまりとしていて、コーヒーの良い匂いと砂糖の甘い
匂いで満たされていて。心が安らぐ。
﹁おや。今日は随分と楽しそうで﹂
﹁⋮⋮ん﹂
店長らしき人が、コーヒーカップをそっと机に置きながら穏やか
に笑った。
水無月くんの少しそっけない返事も慣れているのか、気にせずに
目線を私達の方に向けてきた。
﹁いらっしゃい﹂
﹁あ、はい、お邪魔します⋮⋮﹂
﹁はは、そんなにかしこまらなくてもいいさ。ここは趣味でやって
る店だからね。まぁ、ゆっくりしていってくれ﹂
そう言って、何かの作業に戻る。
588
﹁席はどうします?5名いますが⋮⋮﹂
﹁まぁ、4、1はないでしょうね。1人が寂し過ぎますし。女子組
と男子組で別れて座っては?﹂
﹁さんせー!へい!ますたー!あたしココアと、なんかこう甘いの
ちょうだい!すごく頭使ったから疲れちゃった﹂
﹁はい﹂
お昼ごはん食べにきたんですけれど⋮⋮ま、まぁ藤間さんはそれ
でいいでしょう。しかし、甘いものに甘いものを重ねてきますか⋮
⋮甘党なのですね。まるで会長のようです。
藤間さん以外はランチを注文し、舌鼓をうった。ホットサンドだ
ったのだが、外はサクッとしていて、中はシャキシャキしたレタス
とキュウリ、それとジューシーで軟かなお肉。全体的にシンプルな
のだが、これがとても美味しくて。
藤間さんが間宮さんから1口かじらせてもらっていた。そして気
に入ったのか、後からランチも注文。
いや、あの、なんか順序が逆のような気がするのですが⋮⋮まぁ、
藤間さんだし仕方ないか。
それにしても、男子組の方は全く喋ってないようだ。水無月くん
に至っては文庫本を取り出して読んでいる。土御門くんの方がぼん
やり⋮⋮ああ、植物の方を見ているんですね。なんとも満足げな表
情なので、よく手入れされた観葉植物なのだろう。
⋮⋮それにしても、水無月くんが不機嫌そうに見えるのは気のせ
いではないはず。推測するに、間宮さんだけに教えたかった隠れ家
的な店だったんじゃ⋮⋮。いいお店ですもんね。藤間さんがいなか
ったら、静かですごしやすそうですし。
素敵な喫茶店から出て、再び図書館に行って、勉強をしてから解
散となった。
589
﹁今日は良い勉強になりました!木下先輩、本当にありがとうござ
いました!﹂
ほっくほくな笑顔を見せてこちらも和む。間宮さんのこの笑顔の
中身が男だなんて今でも信じられない。可愛い、可愛いすぎる。も
はや詐欺レベル。
﹁今日は助かったわ。また暇な時にでもおしえてキノちゃん﹂
﹁キノ⋮⋮それは私の事でしょうか﹂
﹁そう!木下のキノ!﹂
﹁曜子ちゃん﹂
﹁冗談、冗談だから!!じゃ、またね!﹂
土御門くんから逃げ出す様に帰っていくが、帰り道が同じみたい
で土御門くんが追っている。全力で追いかけて行っているので、藤
間さんは捕まって怒られるだろう。それが今から目に浮かぶようで
ある。土御門くんの顔がマジギレだったからな。
それを見届けた後、間宮さんが手招きしてきた。その仕草がまた
可愛らしいのって。ああいう可愛い動きの研究もされたんでしょう
か。
水無月くんに聞こえないように、と耳打ちをしてくる。
﹁あの、会長はどうでしたか?﹂
﹁え、な、なにがでしょう﹂
﹁もうっ!きまってるじゃないですかっ。会長の反応ですよ。どう
です?どう思いました?﹂
590
いや、どう、と言われましても⋮⋮いつも通りだったとしか。
﹁会長はあのように紛らわしい方ですから、そう勘違いなさるのも
無理はないかもしれませんが⋮⋮本当に好きとか、そういうのとは
違うと思いますよ﹂
﹁ありゃりゃ⋮⋮じゃあ、会長の方はいいとして。木下先輩は会長
の事どう思ってるんです?﹂
﹁はぁ⋮⋮尊敬する先輩ですよ﹂
﹁むぅ⋮⋮なんという手ごわさ﹂
むむむ、と腕を組んで悩んでいる姿が大変愛らしく、水無月くん
が見惚れている。その様子にまるで気付いていない間宮さん。うう
む⋮⋮言ってあげた方がいいのか、悪いのか。望みがないから、言
った方がいいのかもしれませんね。傷は浅い方が⋮⋮いや、もう色
々手遅れな気がしますが。
今度会ったら教えてさしあげる事にしましょう。
591
誕生日でした。
次の日、またショッピングモールへとやってきた。先週は藤間さ
んと間宮さんに驚かされてすっかり忘れていましたからね。
ああ、そうだ。桜さんにお風呂用品を買おうと思ってたんですよ
ね。バスタオルとか、色々とセットで買いましょうか。最近は種類
も豊富ですから、選ぶのが楽しそうです。
先週藤間さん達と出くわした店に行って可愛い感じのものを選ん
で買った。気に入ってくれるといいのですが⋮⋮随分と遅れてしま
ったので申し訳ないです。
さて、次は会長のものですが⋮⋮前回は問題集を買ったんですよ
ね。うーん、2つほど貰ったので、何をあげればよいのやら。やは
り銀食器でしょうか。しかし、さすがに値がはりますから、どうし
ましょう。
悩みながら銀食器店の方向へと歩を進めていると、ベンチに会長
が座っていた。何故都合よくあんな所に会長が座っているのでしょ
うねぇ。まぁ、丁度いいので本人に聞いてみましょうか。いらない
モノをあげても仕方ありませんし。
﹁蓮先輩﹂
﹁うわあああっ!?﹂
﹁えっ﹂
まるでお化けにでも会った時のような反応にこちらも驚く。会長
は胸を押さえて若干目に涙を浮かべていらっしゃる。そんなに驚か
せてしまったのでしょうか。申し訳ないです。
592
﹁な、なん、なん、なんだ?なんでいる?﹂
﹁いえ、あの⋮⋮買い物に﹂
﹁そ、それも、そうか⋮⋮﹂
すう、はあ、と深呼吸をして息を整えている。
すみません。
﹁あの、蓮先輩のお時間を少し頂けませんか?﹂
﹁え、ど、どうしたんだ、突然﹂
﹁いえあの⋮⋮蓮先輩へのプレゼントを、と思いまして﹂
﹁⋮⋮っ!そ、そう、か。夢か⋮⋮﹂
何故か自分の頬を抓っている。
﹁え、あの、蓮先輩?﹂
﹁痛いな⋮⋮﹂
そりゃそうでしょうとも。もしかして、寝ぼけていらっしゃる?
目を開けたまま寝ていたとか、そういう器用な事をされてたのでし
ょうか。
﹁現実か?﹂
﹁え、ええ、まぁ⋮⋮﹂
﹁そ、そうか⋮⋮﹂
ええと、大丈夫なのだろうか。ちょっと心配になってきました。
熱がないかどうか確かめる為に、会長のおでこに手を添える。
593
﹁ちょっと熱いですよ、風邪ですか?﹂
﹁い、いや、違う﹂
﹁そうですか?ご無理をなさらず帰られた方が⋮⋮﹂
﹁こんなチャンス逃すか!帰らない、風邪じゃないからな﹂
鬼気迫る勢いである。ええと、大丈夫なのだろうか、不安しか感
じないのだが。
会長はベンチから立ち上がり、咳払いをした。
﹁げほん、その。あれだ。覚えていたのか、今日が俺の誕生日だと
いう事を﹂
﹁えっ﹂
あ、え、そうなのですか?今日は6月22日です、ね。6月くら
いとしか覚えてなかった。
私の反応に会長が眉を潜める。
﹁なんだ、覚えてる訳じゃなかったのか?﹂
﹁す、すみません。そろそろかな、と思ってたくらいで﹂
﹁ふ、まぁいい。今日透に会えたのだからな﹂
と、そう言いながら実に良い顔で笑った。
とても嬉しそうに笑うので、思わず目を逸らしてしまう。
﹁⋮⋮どうした?﹂
﹁いえ、なにもありません﹂
594
うん、会長は心臓に悪いです。気を許してくれているという事な
のだろうが、これは困る。
⋮⋮困る?私は何に困っているのだろう。会長が紛らわしいのは
いつもの事で。会長が私の事を好きだと他の人に言われたくらいで
何をこんなに動揺しているのだろう。
何かこれ以上考えたらいけない感じがしたので、別の事を考える
事にした。まずは会長の誕生日プレゼントだ。
﹁去年は大したモノもご用意出来ずに申し訳ありません。今年は蓮
先輩の好きなものを選んでくださいね﹂
﹁去年もプレゼントして貰えただけでも嬉しかったよ﹂
﹁⋮⋮そうですか﹂
そんなに良い笑顔で言われるともう何も言えませんよ。なんて良
い先輩なのでしょう。私はこの先輩の誕生日すら忘れていたとは。
なんと情けない。誕生日を覚えるのは苦手なんですよね。おぼえて
いるうちにカレンダーにチェック入れて置きましょうかね。
﹁これを買ってもらおうか﹂
﹁これ⋮⋮ですか﹂
そう言って指さしたのは目覚まし時計だった。
﹁ああ⋮⋮最近壊れてな。買ってくれると有難い﹂
﹁ええ、お安いご用です﹂
私は言われたモノを買って、プレゼント用に包装してもらった。
まぁ、もう中身は分かっちゃっているのですが、気分で。
595
﹁他になにかご要望はありますか?﹂
﹁他に?﹂
﹁ええ、去年は2つも頂いたので、何か出来たら、と﹂
﹁なら⋮⋮また食事をしないか?﹂
﹁食事⋮⋮そんな事でいいのですか?﹂
そう言うと、会長が笑った。
﹁同じ事を俺も透に言ったな﹂
﹁そうだったでしょうか?﹂
ふわりと優しい笑みを浮かべてこちらを見つめて来てドキリとす
る。
﹁ああ⋮⋮言ったよ﹂
そっと目を逸らせて気分を落ち着ける。ああもう、本当にこの人
は。月色の優しい瞳に見つめられて、心臓が騒がしい。
﹁そういう顔をするな。勘違いするだろう⋮⋮﹂
﹁⋮⋮え﹂
どういう顔って、恥ずかしがってる顔以外に何に見えるというの
でしょう。両手で頬を包んでほてりを冷やす。ああ、怖い怖い。攻
略対象者って見た目が麗し過ぎるんですよ。目に毒です。
﹁⋮⋮じゃ、食事、行くか﹂
﹁え、ええ⋮⋮そうですね﹂
596
ぎくしゃくしながら2人並んで歩く。何故か落ち着かないという
か、なんというか。
⋮⋮あれ、何故か物凄く注目を。
あー⋮⋮あれですか、ふっふっふ、分かっているんですよ。男同
士がいちゃついてるから注目をあびているのでしょう、そうなんで
しょう!
その事に妙に肩の力が抜けて、緊張がほぐれた。そうそう、そん
な男に見られるような人間が女性として好かれるはずがないんです。
何も緊張する事はない。
フードコートに来て、2人分の席をとる。4名席でではない分、
見つけるのは早かった。
﹁蓮先輩は座っててください。私が買ってきますよ﹂
﹁いや、しかし﹂
﹁誕生日なのですからゆっくりなさってください。何が良いですか
?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮そう、だな。ラーメンにしようか。餃子とセットで﹂
﹁かしこまりました﹂
さっさと行って、買ってきましょう。ええと、私は何にしましょ
うかね。バーガーにしましょうか。ポテトとセットで。
会長に言われたモノも買って、待ち札を受け取って取りあえず一
旦会長の所へ戻る。
﹁おかえり﹂
﹁ええ、ただいま戻りました。もう少し時間がかかるようです﹂
597
﹁ありがとう。いくらだった?払おう﹂
﹁いえ、お気になさらず﹂
﹁いや、流石にそれは悪い﹂
﹁いえいえ、これくらいさせてください。去年は2つもプレゼント
を頂いたのですから﹂
﹁いや、あれは気にしなくていいと言っただろう?﹂
﹁そうは言いましても﹂
いやいや、と2人で言い合っていると、待ち札が鳴ったので、会
長から逃げるように食べ物を取りに行く。
ラーメンを持って帰ってくると、会長がむすっとしていた。
﹁まぁまぁ、蓮先輩。そんな顔なさらないでください﹂
﹁案外頑固だな、透も﹂
﹁ふふ、蓮先輩ほどではありませんよ﹂
﹁全く⋮⋮﹂
ひとまずは諦めてくれたようで、ホッとする。しかし、完全に安
心出来ないのが怖い所である。何かまた買ってきたりしないだろう
か。ない、とは言い切れないのですよね。倍返しされたらどうしま
しょう。
昼食も食べ終わり、とりあえずショッピングモールをうろうろす
る事にした。適当に見て行って、暇をつぶす。
﹁この服、透に似合いそうじゃないか﹂
そう言いつつ指をさしたのはなんとも可愛らしい洋服だった。
598
﹁いえ、少々可愛過ぎるのでは?私には似合わないと﹂
﹁いや、透は可愛いからきっと似合う﹂
そんな事をサラリと言われて言葉に詰まる。いや、これもお世辞
なのだろう。僅かに目を伏せて、口元だけ笑わせる。
﹁ええと⋮⋮ありがとうございます﹂
﹁⋮⋮﹂
会長は何も言わず、その場から歩き出したので、ついていく。
﹁透﹂
﹁あっ、はい﹂
しばらく歩いて、人気が少ない所で急に呼ばれて、慌てて返事を
した。
ええと、なんでしょうか。
真剣な目に射抜かれ、ドキリとする。会長のこの顔、苦手なのか
もしれない。威圧感が凄いから、緊張するのですよね。
﹁⋮⋮やっぱり、変だ。何があった?﹂
﹁え⋮⋮と。何が、でしょう﹂
﹁最近挙動不審になっていたが、前にも増して反応が変だ。何があ
った?﹂
﹁ええと⋮⋮特には﹂
ただ、ちょっと会長が私の事が好きなんじゃないかという事を吹
き込まれたくらいですかね。
599
ぐっと肩を掴まれて、逃げ場を失う。
﹁俺にはやはり言えないのか﹂
苦し気な、悲しそうな表情をされて、戸惑う。
ええと、あ、前に心配されていた事の方でしょうか。そちらはな
んとも微妙な方向に向かっているのですよね。転校フラグを立てま
くっている間宮さんがフラグブレイクする気満々ですから。
﹁えと、その問題でしたら、解決の方向に向かっているような気が
します﹂
﹁なら、なんでそんな態度なんだ?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
言葉に詰まって、返答をする事が出来ない。会長が私の事を好き
かもしれないというなんとも不可解で自意識過剰極まりないモノで
動揺しているだなんて笑い話にもならない。というか、恥ずかしく
て言えませんよそんな事。自然と頬が熱くなって、顔を逸らす。
﹁な、なんでそこで赤くなる⋮⋮﹂
﹁き、気にしないでください⋮⋮﹂
明らかに狼狽した声色で言っているので、会長も顔が赤くなって
いるだろうと予想する。今はちょっと顔をあわせられないので、確
認できないですけれど。
﹁だから、気になるだろう⋮⋮﹂
会長の固い指が私の顎を捕えて、向きを変えさせられる。会長の
600
端正な顔が赤く染まっているのが間近で分かってしまった。妙に喉
が渇いてきて、息苦しい。
抵抗しようともがくが、片手を取られてしまった。もう片方の手
だけでは男の手を払いのける事は出来ず、否応なしに自分の非力さ
を思い知らされる。
精一杯目を逸らそうとするものの限度があり、どうしても会長の
顔が見えてしまって緊張してしまう。
ここは最終手段で、目を閉じる。ぎゅ、と力の限り閉じる。その
瞬間、握られた会長の手に僅かに力が篭り、会長の気配が近くなっ
たような気がしておそるおそる目を開ける。
﹁れん、せ⋮⋮っ!﹂
唇と唇が触れる⋮⋮その寸前まで会長の顔が近くまで来ており、
驚いて会長の胸を片手で1度叩く。
すると、はっとしたように会長は目を見開いて、私を解放した。
じりじり、と後ろに下がり、茹で上がった顔を逸らす。片手で顔
を隠すが、耳まで赤いので隠しきれていない。かくいう私の方も顔
が燃える様に熱い。
今、会長、キス、しようとしていませんでしたか。
いえいえ、きっと、何かの間違いです。そう考えようと言い聞か
せ、バクバクと早鐘を打つ胸を落ち着かせようとする。が、先程の
熱っぽい会長の瞳が思い出されて、全然落ち着いてくれない。
唇に触れると、自分が震えている事に気づく。もう片方の手で自
分の手を握りしめてなんとか抑える。
﹁せ、んぱい⋮⋮今の⋮⋮﹂
僅かに上擦る声を発しつつ、会長に今の行動について問うてみる
事にした。
601
声をかけられた会長は、大きくビクリと震えて、僅かに怯えたよ
うな視線をこちらに向けて来た。何故そんな顔をするのか分からな
い⋮⋮いや、私に嫌われるのが、怖い、と思っているのだろうか。
私の事が好き、だから?いや、だって、でも⋮⋮。
﹁いっ⋮⋮いま、の、は⋮⋮ち、違う、その⋮⋮﹂
会長の声も大いに裏返っており、動揺しているのがすぐに分かっ
た。
ええと、違う、のでしょうか。ですよね、そうですよね。そんな
のありえませんよね。だって会長は好きな方がいらっしゃりますか
ら。
会長は、ぐっと歯を食いしばって、顔を上げて真っ直ぐな瞳で私
を射抜いてきた。その姿に、今度は私が後ずさる。
﹁いや⋮⋮違わない﹂
﹁違わ、ない?﹂
違わない?何が?キスしようとしたことが?いやまさか、そんな
はず。私が動揺している間に、会長は私を引き寄せて、逃げられな
いようにされる。その距離の近さに耐えられなくて、会長の胸を押
して引き剥がそうとするが、鍛えられた会長に敵うはずもなく。
会長の胸に添えた手に、会長の速い心音が伝わって、はっとする。
会長も私と同じように、いや、私よりも緊張している事に気づいた。
﹁好きなんだ、透﹂
腰に手を回され、ぐっと引き寄せられながら伝えられた。その言
葉はまるで宇宙語でも話されているのかと思うくらい信じられなく
て、理解し難かった。けれども彼の表情が、腰に回された手が、本
602
気なのだと、必死なのだと伝えてくる。
ええと、好きとは心がひかれること。気に入ること。ですね、え
え。だからえっとその。私も彼のことが好きである。けれどこれは
さすがに察しないといけないだろう。
ライクではない、ラブなのだと。
えっと、違う、彼はえっと、好きな人が他に、そう、他にいたは
ずだ。
﹁会長、好きな人がいるって、言ってませんでしたかっ﹂
緊張で裏返って酷い声になっていると我ながら思うが、直せるよ
うな余裕が今は全くない。
﹁透には一言もそんな事いった覚えがないんだが⋮⋮でも、好きな
人はいたよ。⋮⋮透だよ。あの時も今も、ずっと透だけを見ていた
よ﹂
あれ?言ってませんでしたっけ?⋮⋮無理だ、今は思い出せない。
頭がごちゃごちゃしてわけが分からない。え、でも、あの時からっ
て、え。だって、でもじゃあ、ずっと。いや待て待て、私なんてあ
り得ないだろう。だって私は。
﹁私は男なんですよっ!?﹂
﹁⋮⋮!?﹂
混乱したまま発した言葉がとんでもないものになった。
慌てて手と頭を振って否定する。
﹁あ、ああ、いえいえ!違いま、お、女ですけれど、ですが、その﹂
﹁落ち着け透。告白している俺より慌ててどうする﹂
603
心配そうにそう言われ、一度深呼吸をする。すうはあと深く息を
吸って頭に酸素を巡らせる。そう、私が言いたかったのは、男だと
間違われるような女なのだと、そう言いたかった。
それに、女であるという事はさすがに会長も知っているはずであ
る。なにせ胸も揉み⋮⋮ってあああああああ!?なんで今それ思い
出す!?よりによってなんで今それ思い出す!?
妙な事を思い出してわたわたしていると、クスリと頭上から笑う
音が聞こえて来た。上を見上げると、会長が穏やかに微笑んでいた。
私の慌てっぷりで逆に落ち着いたのだろうか。それがなんだかいら
だたしく、むっとする。
﹁な、なんで笑っているのです﹂
﹁ああ⋮⋮すまない。こうも透を慌てさせるなんて、俺も大物だな、
と思ってな﹂
﹁わ、私をなんだと思っていたのですか⋮⋮﹂
﹁すまない⋮⋮嬉しくもあるんだ。俺の事でこんなに顔を赤くして
動揺している事が﹂
そう言いながら、固い親指でそっと頬を撫でられる。
﹁⋮⋮好きだ﹂
﹁∼∼っ!!﹂
その瞬間、私は逃げ出した。全力で。丁度会長の拘束が緩くなっ
ていたらしく、すんなりと逃げる事が出来た。後方で会長の呼ぶ声
が聞こえたが、構わずに走る。
無理だ、これ以上会長の前にいると発狂しそうだ。会長の﹁好き
だ﹂という言葉がリフレインしてもう訳が分からない。
604
って、逃げてどうするんです!?急に我に返って立ち止まる。上
がった息を整えながら後ろを振り返るが、会長が追って来ている気
配はなかった。おそらく、見逃してくれたか。考える時間を与えて
くれたか。
﹁何を⋮⋮やって、いるのでしょう﹂
未だ早鐘を打つ胸を押さえて、大きく大きく溜息を吐いた。
今の、告白されたんですよね。全く考えもしていなくて、混乱し
て思わず逃げ出してしまったが、返答しなければならなかったので
はないだろうか。期待など持たせずにはやく断った方がいいのでは。
私なんかのどこに惚れたのか意味不明すぎて理解に苦しむが、会
長は本気だった。
いつ、どこで、どういったきっかけで好きになられたのか、全く
分からずに頭を抱える。
よく晴翔は冷静に告白に返答をしましたよね、今なら断るのが如
何に大変か分かる。心構えもなくいきなり告白されるのが、どれほ
ど驚く事か。手紙を渡された時に心構えをしていても動揺してしま
いますからね。
で、時間をくれたのは有難いのですが、これっていつ返答すれば
いいのでしょうか。
新たな悩みの種に頭痛がしてきました。
605
休みました。
次の日、昼休憩に晴翔に呼び出された。晴翔が呼び出しなんて珍
しい。なんでしょうか。私は今ちょっと何も考えずにぼんやりして
いたい気分なんですけれど。
ぼうっとしたいのはやまやまなんですけれど、会長の事で手一杯
というか、なんというか。今日の放課後に顔をあわすのが大変気ま
ずい状態で逃げ出したい。
しかし今見ると、何やら晴翔の様子がおかしい事に気づいた。先
程まで会長の事ばかり考えていてあまり見ていなかったのだが、晴
翔の顔色が悪い。もしかして体調が優れないのだろうか。とりあえ
ず会長の事は頭の片隅に置いておいて、晴翔の方に集中させよう。
﹁あの、晴翔、なんでしょうか﹂
﹁⋮⋮﹂
とても体調の悪そうな顔で、私から目を逸らす。何かを伝えたが
っているのは分かるのだが、何が言いたいのかは分からない。体調
が悪いから生徒会を休む⋮⋮程度の事であれば、こんな人気のない
裏庭にわざわざ呼び出す必要もないだろう。
﹁とりあえず、座りませんか?顔色が優れませんよ﹂
﹁⋮⋮いや、いい﹂
そんな絞り出す様な声で言われても、もっと心配になるだけなん
ですけれど。
晴翔は、大きく息を吐きだしてから、顔をあげた。
606
﹁透﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮月島会長が、好きになったのか?﹂
﹁⋮⋮なっ、なんで今、その話なんです?﹂
あまりにもタイミングが良過ぎる質問に、声が裏返る。それは今、
とても悩んでいる事だし、どう断ろうか考えあぐねている最中だ。
晴翔は苦い顔をして、遠くの方を見つめながら答える。
﹁昨日⋮⋮見た﹂
昨日⋮⋮昨日の告白を見ていたという事か!だからタイミングよ
くその質問なのですね、なるほど。というか、あんな恥ずかしく狼
狽している所までみられたんでしょうか。
﹁キス、してた、よな?﹂
その言葉にカアッと顔が熱くなった。そこから!?そこからみて
いたんですか!!慌てて手と首を大きく横に振った。
﹁し、してません、してませんよそんなことっ!﹂
﹁⋮⋮え?⋮⋮して、ない?﹂
コクコクと縦に首を振って肯定をあらわす。勢いよく首を振りす
ぎて若干首が痛くなった。少し痛めたかもしれない。動揺しすぎだ。
もうちょっと落ち着こう。
﹁⋮⋮でも、抱き合ってた﹂
﹁い、いえ、あれは、その⋮⋮﹂
607
あれは単に逃げられないようにされていただけのような気がいた
します。会長の力強い手を思い出して、脈が速くなる。あああああ
っ!思いださないで私!お願い!ものすごく居た堪れない気持ちに
なるから!
﹁付き合うのか?﹂
﹁ええと、いやそれは、その﹂
しどろもどろになるだけでまともな返答をしない私に苛立ったの
か、晴翔が眉を潜める。
﹁付き合う気がない奴と抱き合うのか?﹂
﹁だ、抱き合っていた訳じゃ⋮⋮﹂
ザリ、と晴翔が1歩足を踏み出してきたので、1歩下がる。それ
でもなお晴翔が距離を縮めて来て、背中が校舎の壁に当たった。さ
らに距離を詰めて来そうだったので、横に逃れようとするのを、晴
翔が壁に手を突く事で遮られてしまう。壁ドン再び!だが今回も前
回と同じで怒られそうな予感しかしない。
おそるおそる晴翔の顔を見ると、明らかに怒っていた。つくづく
壁ドン運がないのか、それとも壁ドンが甘いシチュエーションだと
いうのが幻想なのか。
﹁なら、俺もやっていいんだよな?﹂
﹁えっ⋮⋮!?﹂
抵抗する暇もないままぐっと引き寄せられて、抱きしめられて混
乱する。は!?え、なんで?なんで晴翔に抱きしめられてるのです
か?いやいや意味分からない意味分からない。友達同士でこんな風
608
に抱き合うだろうか、いやない。
なにか良い事があれば喜びを分かち合う意味であるかもしれない
が、今のこの状況で抱き合うなどないだろう、たぶん。
ええと、つまり私には隙が多いと。そういう忠告なのかもしれな
い。いや、だからって抱きしめるだろうか、いやない。
落ち着け、冷静になるんだ。とりあえず、なんだ、あれだ。
1年前まで、私は晴翔が好きだった。ずっとこうなればいいのに
なって、そう思ってた事もあったし。抱きしめたいって、触れてい
たいって。そう、好きだった。でも振られたから。忘れようと思っ
て、晴翔を避けて傷つけたりもした。なのに、なんでこんな事。
﹁は、晴翔。離して下さい﹂
﹁やだ﹂
そう言って、抱きしめる力が少し強まり、さらに混乱する。やだ
って、なんで嫌なんですか!こちらもやだって言いたいですよ。
晴翔の腕に包まれて、心臓が痛い程速くなって。そして泣きたく
なった。こんな事やめてほしい。ただでさえ会長に告白されて混乱
真っ最中だというのに。
そうだ、こんな所会長にでも見られたら誤解を受ける。⋮⋮誤解
を受けたら、なんだというんだろう。会長と付き合う気はないから
いいんじゃないのか。私は何がしたいんだ。
会長が、真っ直ぐ好きだという女の子が羨ましいと思ったのは確
かだ。けれど、自分に向けられているものだとは思いもしなかった
し、こちらに振り向かせようなんておこがまし過ぎて。
﹁会長と、付き合うな﹂
すぐ近くで低くうなるように喋られて、ドキリとする。
609
﹁つ、付き合うなって、なんでですか。晴翔に、なんの関係がある
というのですかっ﹂
﹁⋮⋮そんなに俺の事が嫌いか﹂
﹁⋮⋮少なくとも、こういった事をする晴翔は嫌いです﹂
過度な接触はもうするなと、そういったはずだ。
晴翔が息をのんでいるのが分かった。はぁ、と軽く息を吐いてか
ら、震える声で晴翔は言う。
﹁⋮⋮俺もだ﹂
と。
ハッとして顔をあげて晴翔の顔をみる。
﹁俺も、自分の事が嫌いだよ﹂
﹁⋮⋮っ﹂
悲しそうな、苦しそうな声で。その言葉を最後に、晴翔は私の前
から立ち去る。
今のは晴翔を傷つけたと分かった。何か声をかけないと、そう思
ったが、何を言っていいか分からずに言葉が出てこなかった。ええ
と、謝る?いや今のは晴翔が悪いでしょう。でも、どこがどう嫌い
か言った方が⋮⋮え、なに?私の方が悪いのでしょうか。晴翔の暖
かさが離れて、少しだけ寒くなって自分の腕をさする。今でも心臓
がどきどきして落ち着かない。
⋮⋮ビックリした。それにしても、なんであんな事をしたのだろ
う。普通の友達に、あんな事するのだろうか。晴翔は、そんな人じ
ゃないはずだけれど。なんだろう、この、もやもやした後味の悪さ
は。
最悪な考えが浮かんで、ぎゅうっと胃のあたりを押さえる。
610
私は、たぶん、今、かなり嫌な女だ。
胃をさすりつつ、桜さんにプレゼントをあげると喜んでもらえて
ほっとする。
﹁何かあったのですか?透さん﹂
そう聞かれて、苦笑いを浮かべる。そんなに顔に出ていたのでし
ょうか。自分もまだまだですね。精神年齢はかなり上なはずなのに。
成長してないってことなんですかね。
﹁ええ、色々ありました。⋮⋮ですから、少々疲れているのでしょ
うね﹂
﹁無理なさらないで、休まれた方が良いですよ。顔色が悪いです。
保健室、ついていきましょうか?﹂
﹁いえ、お気遣いありがとうございます。自分だけで行こうと思い
ます﹂
ずっと心配そうにしている桜さんに断りを入れ、本当に保健室に
行く事にした。顔色、悪いのですか。確かに胃がすこぶる悪い気が
します。きっとストレス性のものだ。間違いない。
とある人物を見つけて、歩く足を止めて固まる。日向先輩が冷や
汗を流しながらこちらを睨んできていたからだ。ひいいいいい、な
にそれこわい!何故か分からないが、日向先輩の気に障る事をして
しまったらしい。顔色が悪いので、鬼気迫った雰囲気が出て、怖さ
611
が増している。しかし、体調が悪そうなのも事実なので、放って置
く事も出来ず。
﹁あの﹂
﹁なにした﹂
話しかけようとしたが、怒気を含んだ日向先輩の声で遮られる。
思わずビクリと震えてしまう。え、え、なんでしょう。めっちゃ怒
ってます。私が何をしたと?
﹁藤間の事だ。何をした?﹂
﹁は?いや⋮⋮とくに、なにも﹂
﹁嘘をつくな。急にこっちに来なくなった。せっかく、せっかく僕
の所にきてくれていたのにっ⋮⋮!﹂
﹁え⋮⋮﹂
あれ、藤間さん。最近日向先輩の方に行ってなかったんですね。
それはよかった。で、なんで私のせいという事になっているのでし
ょう。私は無実ですよ!
﹁その、本当に心あたりが⋮⋮﹂
﹁じゃあ言い方を変えよう。藤間の幼馴染に何を吹き込んだ?﹂
﹁⋮⋮﹂
あ。
⋮⋮そ、そういえば忠告のような事をいいましたね。あれから、
土御門くんは忠告通り警戒してたって事ですか。なるほど、そうい
えば勉強会の時もべったりと藤間さんをガードしていたような。
612
﹁⋮⋮やっぱりあんたかよ﹂
﹁え、ええと﹂
へたりと、その場に座り込んでしまう日向先輩。やはり顔色が悪
い。大丈夫なのだろうか、とハラハラしてしまう。
﹁はぁ、ほんと、余計な事を⋮⋮もういいけど。人のものに、興味
ないし﹂
﹁は、はぁ⋮⋮﹂
人のもの?藤間さんが人のもの⋮⋮?
え?藤間さんと土御門くんは付き合っているっていう事なのでし
ょうか。聞いてませんよ、そんな事。いや、言われてもどうだとい
う話なのですが。
﹁ところであんた。相当顔色悪いけど、それ大丈夫なわけ?﹂
﹁お心遣いありがとうございます。ですが、日向先輩の方がどう考
えても体調が悪そうですよ﹂
﹁僕はこれでいいんだよ。ほっとけ﹂
﹁ええ⋮⋮?﹂
物凄く迷惑そうな顔でほっとけと言われても。病人を放って置い
て立ち去ったら、自分の大切な何かを失う気がします。
﹁あれっ?日向くんと木下さん?そんな所でどうし物凄く顔色が悪
いよ2人共!?﹂
通りかかった高天原先生が慌てふためく。
613
眼鏡が若干ずれつつ慌てている姿に和む。びっくりした小動物が
あわあわしているような、そんな感じで。うう⋮⋮癒しだ、癒しが
ここにいる。
日向先輩と、高天原先生と3人でフラフラしつつ保健室へと入る。
ベッドに横になって、やっと力を抜く。ああ、疲れました。色々
あって、なんというか吐きそうです。
会長に告白されて、慌てて逃げてきて。学校で晴翔に呼び出され
たと思ったら晴翔には⋮⋮うわあああああ!
なにこれ!?これなになの!?
⋮⋮そうだこれはきっと悪い夢なんです。起きたらきっといつも
通りの王子扱いなんです。会長に告白された時の衝撃でちょっと頭
のネジが緩んじゃったかな。ははは⋮⋮ってそれだと会長の告白が
現実と言う事になりますね。
胃のあたりを押さえて呻く。
﹁あ、あの。大丈夫?﹂
高天原先生がカーテンから顔を出して心配そうにしていたが、ち
ょっと今は苦笑いすら出来なさそうだ。
ベッドの横に椅子を置いて座って、そっと眼鏡を外している。そ
の後すぐに今風の眼鏡をかけ直していた。
﹁あれ⋮⋮その眼鏡﹂
﹁あ、う、うん。買ったんだ。こっちの方が良く見えるから⋮⋮﹂
﹁へぇ⋮⋮いつもそれにされないんですか?﹂
﹁う⋮⋮そ、それは、ちょっと、ただならぬ事情が﹂
事情ですか。良く分からないですが、やりたくないと思っている
なら仕方ないのですかね。
614
﹁綺麗なのに、もったいないですね﹂
﹁ううっ⋮⋮!!﹂
顔を赤くして照れているのが凄く美しい。ああ、なんか癒されま
す。
最近買った眼鏡が彼に似合いすぎている。丸眼鏡がおばあちゃん
の形見の品だとしても、流石に古いですし、似合っていないのです
よね。
﹁ぼっ、僕の事はいいよっ⋮⋮!その、凄く顔色悪いから、とりあ
えず熱はかってみて﹂
﹁ああ⋮⋮はい﹂
上まできっちり閉めたシャツのままでは測れないので、リボンを
外してから、のろのろとボタンを1つ、2つと外す。
﹁⋮⋮ぁっ!こ、ここに体温計置いとくから測れたら呼んで!?﹂
私よりも熱がありそうな程真っ赤になった高天原先生が、置いた
リボンのすぐ隣に体温計を置いてカーテンの向こうに行ってしまわ
れた。その事にちょっと首を傾げつつ、熱を測る。
脇に挟んでしばらく待つと、ピピピと鳴ったので見てみる。体温
は36.8度と、微妙なものだった。やはりストレス性のものだ、
きっと。
﹁高天原先生、測り終わりました﹂
﹁はいはーい⋮⋮って、うわっ!?﹂
ビクリと震えてその場に硬直する高天原先生。体温計を差し出す
615
が、一向に受け取って貰えず、首を傾げる。
﹁先生?﹂
﹁も、もうちょっと。ふ、ふふふふ服を、どうにかっ⋮⋮!﹂
そう言われて自分の状態を見下ろすと、相当だらしない恰好にな
っていた。あー、窮屈でしたし、ボタン止めるのも面倒だったんで
すよね。
しかし、ちゃんと女性扱いしてくれるんですね。学校では相当男
扱いを⋮⋮と、そこまで考えて、また告白の時の事を思い出してし
まった。
かああっと顔が熱くなって、慌てて布団をあげて胸元を隠す。ち
ゃんと女性として見てくれる人はいるんだと実感したばかりで、気
が緩みすぎじゃないだろうか。あれ?でも、高天原先生は養護教諭
だし、女性の裸を見ても平気なはずじゃ。偏見ですかね。身体検査
とかあったはずですけれど⋮⋮ドジでもやってお休みとらされたり
したのでしょうか。そういえば高天原先生を見かけなかったような。
﹁すみません、見苦しいものをおみせして﹂
﹁いや、そんな⋮⋮すごく綺、あっ!いや、うん﹂
まだ落ち着かない様子だったが、私から体温計を受け取ってくれ
た。
﹁うーん、熱はあんまりないみたいだね。夜更かしとかした?﹂
﹁いえ⋮⋮ただ、色々あって悩んでいるせいではないかと。胃が、
こう、キリキリと痛くて﹂
﹁悩み?﹂
﹁ええ﹂
616
﹁うーん、悩むお年頃だからね⋮⋮誰かに吐きだすと少しスッキリ
する事があるけど、僕に言える事?言えるなら聞くけど。それが僕
の仕事だしね﹂
へへへ、と緩く笑っている姿が実に神々しい。眼鏡を変えただけ
でここまで印象が変わりますか。この姿だと、確かに色々な事が起
こりそうですね。彼目当てにずる休みしたり、保健室に入りびたり
になったり。嘘の相談事を持ちかけたり、などなど⋮⋮彼も分かっ
てるから眼鏡を変えないのでしょうかね。
ちょっと厄介ですね。綺麗すぎるというのも。
しかし、悩みを聞いてくれるのは有難いのですが⋮⋮言って良い
モノなのだろうか。ああ、でも。確かに本やゲームなんかだと恋愛
の相談ってよくしてますよね。私も前世で相談されました。まぁ、
私が当時好きだった人と付き合っててうんぬんの時点で半分聞いて
いなかったりしたんですがね。最終的にノロケだった時は殴りたく
なりましたよね。
女の子というものは恋愛ごとの相談はつきもの、ですもんね。何
も不自然な事はないはずです。相手の名前さえ言わなければ問題な
いはず。
自分だけでもやもやしててもなにも進展しそうにありませんしね。
養護教諭から見て、どういう状況だとか、どうすればいいかとか、
曖昧でも客観的な意見がいただければと。
﹁ええと、じゃあ。少し聞いていただけますか﹂
﹁あ、うん!日向くんは寝てるから安心していいよ。他に誰もいな
いし!﹂
ああ、そういえば日向先輩もいましたね。どれだけ余裕ないんで
しょう。しかし、言ったとして高天原先生は役に立つのだろうかと
617
いう大変失礼な疑問が沸き上がる。いや、まぁ、養護教諭だしいい
のかな。
チラリと顔をあげて高天原先生を見ると、気合に満ち溢れたキラ
キラした目をしている。こ、これでやっぱやめますとは言い辛いで
すね⋮⋮また落ち込んでしまいそうで。
﹁え⋮⋮えぇと﹂
﹁うん!﹂
﹁その⋮⋮恋愛的な悩みなのですが﹂
﹁うん!?﹂
ピシリと石化する高天原先生。
まるで犬に出会ったうさぎのような硬直の仕方で少々和む。高天
原先生が再起動するのを待つ。しばらくすると、ずれていない眼鏡
を直す動きをしてスカッていた。たぶんいつもの眼鏡の癖だろう。
新品の眼鏡はずれませんからねぇ。
﹁あう、えっと⋮⋮あ、あはは⋮⋮うん、まぁ、若いっていいなぁ﹂
くしゃくしゃの髪の毛をわしわししながら半泣きで呟いているが
大丈夫なのだろうか。それよりも。柔らかくてふあふあしてる髪を
触りたくてうずうずします。流石に自重しますがね。
﹁え、えっと。好きな子が出来た。とか?﹂
﹁いえ⋮⋮思ってもみない相手からの告白があったので、悩んでい
るのです﹂
﹁あ、あ。そうなんだ⋮⋮へぇ⋮⋮もう勝ち目ない﹂
﹁ん?かちめ?﹂
618
﹁いや、何もいってないよ!?﹂
﹁そ、そうですか?﹂
何か言ったような気がするのですがね。かちめ⋮⋮勝ち目?なん
の勝ち負けでしょう。まぁ、それはいいとして。
﹁どう断れば傷が浅いかと﹂
﹁断るのっ!?﹂
驚いてガタッと立ち上がった瞬間ガツンと思いっきりベッドに足
をぶつけてこちらに倒れて来る。
﹁え、わっ!?﹂
﹁うわっ!?﹂
高天原先生の顔が丁度胸のところに来る形で倒れてくる。布団挟
んでなかったらとんでもない大事故なんですが。いや、今も結構な
大事故ですかね。というか、普通に苦しい。体調悪い時に高天原先
生の所にくるのは生死にかかわるんじゃないだろうか。日向先輩は
よくぞいままでご無事で。
なかなかどかないので、先生の頭を容赦なく鷲掴みにしてどかそ
うとするが、人の頭って結構重い。体調も悪いので思ったより力が
出なくて動かせなかったが、それよりも。めっちゃ髪がふあふあで。
どかす方より撫でる方を優先したいかもしれない。
2度撫でた所で、高天原先生が顔をあげた。ゆっくりゆっくりと
顔を上げて、ぎこちない動きでこちらを見た後、自分顔を埋めた胸
元の方に目をやり⋮⋮。
﹁ごめんなさいっ!﹂
619
それだけ言い残して出て行った。物凄く慌てた様子でドアを開け
て行ったので、結構大きな音を立てていた。ええと、日向先輩も寝
ていますし、あまり大きな音を立ててはいけませんよーって、もう
遅いですけれども。
⋮⋮で、結局なにもアドバイスを貰えなかったわけですが。これ
はあれですね。やはりこういう事は自分の頭で考えろって事ですね。
でもまぁ、とりあえず。今は寝よう。
620
男子会。︵前書き︶
翼視点の話。
621
男子会。
完全にお通夜会場の雰囲気を醸し出す生徒会室。
そこで俺もぐったりと机につっぷす。
昨日の出来事を思い返して、うああああああ!と叫びたくなった。
昨日、ライブの打ち合わせの為にいつもの音楽店にいってメンバ
ーと雑談していたら、怜那ちゃんがその前をささっと横切っていく
のが見えて、俺は咄嗟に外に出て呼び止めた。その瞬間ビクゥッと
されて、青ざめてプルプルしながらこちらを振り向く。その表情に
胸がしめつけられて、壊れそうだった。
俺がこんな顔させているんだと思ったら、自分を殴り飛ばしたい
気分でいっぱいになる。他人が同じような顔させていたら、ぶん殴
っている。
そして自分の諦めの悪さにうんざりする。
完全に嫌われてる。どうして、なんで、いつから。どこが悪かっ
たか分からない。分からないから、教えて欲しい。それなのに、最
近話もしてくれない。
こんなに好きなのに。
俺の事を嫌っているのに、決して無視して行こうとはしない。そ
の事で、また怜那ちゃんをもっと好きになるのに。
﹁怜那ちゃん、なんだか久し振りだ、ね?﹂
﹁う、は、はい。すみません﹂
﹁謝らないでよ!その、俺も、何かしたかな?その、ごめん、俺、
原因が分からなくて﹂
﹁う⋮⋮!﹂
622
何故か怜那ちゃんの方が傷付いたような顔をして、俺の胸も苦し
い。謝るから、せめて、話をするだけでも許してくれたら。こんな
に人を好きになった事がなくて、身動きが出来なくなってくる。近
づこうとすればするほど、見えない糸にからめとられて足が前にす
すめなくなって、やがて窒息するような、そんな息苦しさがあった。
もがけばもがくほどに怜那ちゃんから遠ざかっていくような気がし
て、気が遠くなりそうだ。
﹁俺、怜那ちゃんが、好きなんだ。今すぐどうにかなりたいって訳
じゃない。ただ、仲直りできたらうれしいって、そう思ってて﹂
﹁⋮⋮ごめん、なさい。私、これから先もずっと金城先輩と付き合
う事はないので。絶対有り得ないので。好きといわれても困るんで
す﹂
﹁⋮⋮へ﹂
その事に一瞬頭が真っ白になる。
有り得ない、絶対。困る。これからもずっと?
呆然としている内に怜那ちゃんが早足で去ろうとするので、慌て
て追いかけて引きとめる。
﹁ちょっと待って!?俺、なにした?そんなに嫌われるような何か
した?お願いだよ、もうちょっと待って!好きとか押し付けないか
ら!友達でもいいから!﹂
﹁いやですよ!きもちわる⋮⋮あっ!﹂
気持ち悪⋮⋮い?
怜那ちゃんの言葉に今度こそ完全に固まる。
自分の失言に気づいた怜那ちゃんが慌てて弁解しているが、その
言葉を返上することは出来ない。怜那ちゃん、俺の事気持ち悪いっ
て、そう思ってるんだ。嫌われてるのに、追いすがって許しを請う
623
男⋮⋮うん、気持ち悪いかもね。
﹁ち、違うんです、あの﹂
すうっと血の気が引いていって、足元もおぼつかないような、自
分がここに存在していないような、そんな感覚で、怜那ちゃんの言
葉も今では俺に届ない。そんなに嫌われてたんだ。俺って、ああ、
そうなんだ。馬鹿じゃね、俺って。ははは⋮⋮笑える。
その日はどうやって帰ったか分からないし、ご飯も食べたか、お
風呂にはいったかもおぼろげで。
生徒会室で、会長がしきりにスマホを取り出してはしまってを繰
り返して溜息をはいているし。晴翔の方は死んだ目で書類と向き合
っていた。そして俺もぐったりとして何もやる気が起きない。透は
体調が悪くて途中で下校したし、雰囲気を盛り上げる者が誰もいな
い有様だ。
﹁会長、ここにサインを﹂
﹁ああ﹂
完全に死んだ目の晴翔が会長に書類を渡し、会長はそれを確認、
サインする。さっきから会話はそれだけ。
晴翔が自分の席に戻る所をじっと眺めながら、俺はぽつりとつぶ
やく。
﹁振られた⋮⋮﹂
晴翔と会長がビクリと震えた。
だがしかし、俺はそんな事気にしている暇もなく、視界がぼやけ
て来る。机を涙で濡らしながら、愚痴が零れる。
624
﹁怜那ちゃんに、告白したんだ。でも有り得ないって。絶対ないっ
て。気持ち悪いって言われた。ひどい振られ方したとおもわない?
ねぇ、俺しにそうなんだけど﹂
えぐえぐと泣いていると、晴翔がポンと俺の肩に手を置いた。そ
の目には涙が浮かんでいる。やっと現実に戻ってきたような、そん
な顔になっていた。先程の死体のような目ではない。
﹁安心しろ。俺も嫌いだと宣言をうけた﹂
何が安心なのか分からない。全然全く理解できない。でもなんだ
ろうこの気持ち。理解出来ないのに、なんだかすごく安心するんだ
けど。仲間がいるって素晴らしい。気持ちを共有できるって素晴ら
しい。
でもどっちみち両方ふられてんじゃん⋮⋮と、また落ち込む。
その様子を見ていた会長が青い顔をしてそっとスマホを鞄に戻し
ていた。
﹁⋮⋮俺も振られる気がしてならない﹂
そう、震え声で言う。
俺はそこでようやく体を起こして、2人を見る。
﹁あれ?2人共透に告白したんだ?﹂
﹁ああ、俺は、した﹂
﹁いや⋮⋮する前に嫌いだって言われた﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
2人共やるなぁ。同じ人好きになってるのに、そこまで険悪でも
625
ない所が2人の良い所だと思う、本当に。俺とか水無月くんと仲良
くできる気がしないもん。すっげぇ嫌われてるし。恋敵だし、それ
が普通だと思うけどね。
涙目の晴翔が俺の隣に座って、机に突っ伏す。
﹁いや、会長は良い感じなんじゃないですか?俺嫌われてますんで﹂
﹁いや、そんな有様見せられて安心できる訳がないだろう﹂
﹁俺なんてもう生きてる価値もないんで﹂
﹁そんな事は言うな。流石に言い過ぎだろう、というか、なんで嫌
いだと言われたんだ﹂
﹁あーしにそう﹂
﹁あー俺もしにそう﹂
俺まで落ち込んでいると、会長がすごく狼狽えている。
﹁その、なんだ。こんな締め切った部屋にいても気が晴れないだろ
う。どこか行くか?な?﹂
﹁やべぇ、会長いけめんじゃん⋮⋮もう俺しにたい﹂
﹁ひ、火媛、大丈夫か、ほんと大丈夫か?しっかりしろ﹂
﹁ほんと会長っていけめんですよねー俺も見習わないとなーもうふ
られてるからしにたいけど﹂
﹁か、金城?生きるんだ。どうしてこんなことに﹂
あー会長大変そう。でもさ、確かに今の状況って会長有利だよね。
晴翔が嫌われてる状況で、内心ホッと⋮⋮してないのが会長の良い
所だよねぇ。すごく不安そうにしてるし、振られるとでも思ってる
のかな。あんなカッコいいのに不安になるんだな。それに比べて俺
とか何自信満々に言い寄ってるんだよくそう。はずかしにたい。
そういや、晴翔って言ってないって言わなかったっけ。それって
なんかこう、もやもやするよね。相変わらずヘタレだと思いつつ、
626
口を開く。
﹁晴翔さぁ﹂
﹁んあ?﹂
﹁嫌われてるの分かってるならもう玉砕覚悟で告白したら?﹂
﹁もう振られてるのにか。2度しねと﹂
﹁うん﹂
﹁ひどい﹂
﹁いや、どうせ透に伝わってないんじゃないかなって思って﹂
﹁あれだけアピールしてるのにか﹂
確かに。でも透だからなぁ。
それには会長が頷く。
﹁俺もな、告白はしたが1度目は気付かれなかったぞ﹂
﹁まじで?﹂
﹁まじで?﹂
﹁まじだ。結構本気で真っ直ぐ伝えたが伝わらなかった。言葉にし
ても伝わらないんだ。言葉にしなかったらもっと伝わらないと思う
が?﹂
透、あまりにも鈍感すぎるでしょ、それ⋮⋮他の誰が見ても会長
の矢印は透にしか向いてないのに。
﹁どうせなら伝えた方がいい﹂
﹁会長、敵に塩送っていいんですか?﹂
﹁いや、2度振られて玉砕して完膚なきまでに落ち込めと思ってい
る﹂
﹁あまりにもひどかった﹂
﹁ふ、冗談だ。だが、後悔するような事はやらない方が良いと思っ
627
てな﹂
﹁後悔なら、ずっとしてますよ﹂
﹁そうか﹂
えーなにこの青春物語。俺ちょっと胸が熱くなっちゃった。
⋮⋮うん、友達っていいなぁ。落ち込んでても互いに励まし合っ
てさ。それが自分と同じ人好きになってても変わらなくて。
すっと目を閉じると、俺の為にバイトしてる要と淳也の事を思い
出す。
椅子から立ち上がり、思いっきり自分の両頬を叩く。
バチーンと派手な音を立てたために、2人共驚いたように俺を見
ている。が、しかし俺の気持ちはどこか晴れやかだった。俺がこう
して落ち込んでいる間にも、彼らは俺の為にバイトしてくれている。
そんな彼らの期待に応える為に、俺もだらだらなんてしていられな
い。俺の未来に怜那ちゃんがいなくなってしまう事は今でも胸が痛
いし苦しいけど、でも。俺には仲間がいるから。俺達の夢だから、
こんなところで立ち止まっていられないから!
ぐっと握りこぶしを作って叫んだ。
﹁俺、プロデビューするよ!!﹂
﹁﹁⋮⋮⋮⋮は?﹂﹂
628
男子会。︵後書き︶
プロデビューします。
629
襲われました。
﹁大丈夫か?体調が悪くて早退したと聞いた。もしかして、俺のせ
いか?別に返事はいつでもいいので、そんなに思い悩まないで欲し
いと思う﹂
﹁寝込んでいるのか?体調が悪いなら、さっきのは忘れてくれ。で
も告白の方は忘れるなよ﹂
﹁いや、さっきのは別に早く返事をよこせと言う意味ではない。考
えすぎないよう、考えておいてくれ﹂
﹁今日のメールはすべて忘れてくれ﹂
というメールがスマホに並んでいた。すべて会長からである。昨
日は電源が切れていた事にも気づかないまま寝てしまったのだ。恐
らく、考えまくって訳が分からなくなっている模様。私と似た感じ
になっている事にちょっと笑える。
会長にどう言えば良いのか、ああいばこういう的な、こう悩みま
くっている感じが。会長がどんな想いで自分に告白してきたかと思
うと、手が震えて来た。
ええと、どうしましょう。え、本当にどうしましょう。断るのっ
てどうしたらいいの!?えっ、えっ。うーん⋮⋮えーと⋮⋮。私が
こんな風に悩むって似合わない、ですね。しかしどうすればいいの
か。
﹁あ﹂
ミスタッチで会長に電話をかけてしまった。慌てて消して、ほっ
とする。まだ朝の6時前なのに電話するなんて迷惑すぎるし何より
何を話して良いかも分からない。
630
これ以上ミスをしないためにもスマホを置こうと思ったのだが、
着信音が鳴って慌てて落としてしまった。誰だろうか、こんな朝早
くに。と、思って拾ったら、先程かけた会長からだった。どうやら
ワン切りになっていたらしい。消すのが間に合わなかったか。これ
は出るしかないだろう。間違えてかけてしまった謝罪もしなければ
ならない。
﹁も、もしもし﹂
﹃ああ、もしもし。なんだ?さっきかけてきたみたいだが﹄
会長の低い声が耳に直接響いて、電話を離したくなったが、耐え
る。
﹁え、ええ。すみません朝早くから﹂
﹃それはいい。朝練もあるからな﹄
﹁すみません。かけ間違えただけでして﹂
﹃そうか⋮⋮そうか﹄
﹁⋮⋮﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁あ、そうだ。おはようございます﹂
﹃今更か?ふっ⋮⋮おはよう﹄
ククッと喉の奥で笑っているような音も聞き取れて、顔が熱くな
る。なにこの会話。すごく恥ずかしいのですが。熱くなった顔を机
で冷やす。
﹃⋮⋮朝から、透の声が聞けて良かった﹄
﹁⋮⋮っ!!﹂
愛おしそうな声で言われて、思わず立ち上がって背筋が伸びた。
631
会長にドキドキさせられて、死ぬのかもしれない。私が動揺してい
るのを分かっているのか、向こうで笑っている。悔しいが、何か言
えば言うほどドツボにはまりそうだったのでやめておく。
﹃今日は出られるのか?体調は、どうだ?﹄
﹁あ、はい⋮⋮心配かけてすみません﹂
﹃よかった﹄
﹁はい⋮⋮﹂
﹃⋮⋮﹄
﹁⋮⋮﹂
﹃なんか⋮⋮﹄
﹁は、はい﹂
﹃凄く、緊張するな﹄
﹁そう、です、ね﹂
﹃⋮⋮その。なんだ。あー⋮⋮透が、俺の事そういう目で見てなか
った事は分かってる、から。だから⋮⋮これから、見て欲しい、と
いうか、見ろ。会長命令だ﹄
﹁は、はいっ﹂
もう見ていますよ⋮⋮だからどうしていいか分からないんじゃな
いですか。今すぐに電話を切って、全力でこのもじもじした感じを
ぶつけたい。野球とか!テニスとか!どうでしょう!
﹃じゃあ⋮⋮今日、放課後に、な﹄
﹁あ、はい﹂
スマホを操作して、さっさと切る。そこで深く深く溜息を吐いて、
ベッドに横になった。布団を抱きしめて得も言われぬこの感情をど
うしたらいいのか分からずにゴロゴロする。朝も早いし、大きな声
も出せずに呻く事しか出来ない。
632
﹁これから見て欲しい、って⋮⋮釘刺されちゃいましたねぇ﹂
私が断ろうとしている事が分かっていたのだろうか。会長って末
恐ろしい。しかし、会長の事を見ろと言われても。
⋮⋮付き合ったら、キスしたり、するん、ですようわあああああ
あ!!想像を絶する!それはなんか、凄く恥ずかしい事です!唇が
触れそうになったあの日の事が。息が、熱い彼の息がかかるあの瞬
間が思い出されて頭が沸騰する。いや、むりむりむりむりむり。あ
んなお綺麗な方となんて、私には無理だ!でも私が会長をフルなん
ておこがましくないのか!?いや、もう分からない!
勉強して冷静になろう。
目覚ましが鳴るまで無心で勉強していたら、ちょっと落ち着いた。
昔は勉強して落ち着くなんて事はなかったんですがねぇ。時の流れ
というのは不思議なモノです。
学校へ行く準備をしながら会長の事について考えるが、またうわ
あああっとなりそうだったので途中で断念する。
玄関を出て、思考が停止した。
は?いや待て、何故会長がいる?
1度扉を閉めて深呼吸してみる。会長の事を考えすぎたか。幻覚
をみるようになるとはかなり重症なのではないだろうか。
再び扉を開けてみるが、やはり会長はそこにいた。
﹁⋮⋮おはよう﹂
﹁⋮⋮おはようござい、ます﹂
ちょっと照れているような困っているような微妙な顔つきで。い
や、困惑しているのは私の方な訳だが。
﹁れ、会長の、家⋮⋮全然違う方向ですよね?﹂
633
﹁まぁ⋮⋮そうだな﹂
﹁何故ここに﹂
﹁すまない⋮⋮会いたかったっていうのもあるが、好きな人と一緒
に登校というのもやってみたかったんだ﹂
﹁そう、です、か﹂
あ、はい。そうですか。以外に感想が出てこない。これはどうい
う反応が正しい反応なのだろうか。教えて偉い人。
とりあえず、並んで学校に向かう事にする。チラリと会長を覗き
見ると、朝からキラキラしいオーラを放っていた。うん、綺麗です
ね。じとっと眺めていたら、会長がこちらを向いたので、慌てて目
を逸らす。しかし、見ていた事はバレているので、クスリと笑って
いる気配があって恥ずかしい。
ふいに、会長が立ち止まる。
何か真剣に考えているようで、立ち止まって様子を見守る。する
と、会長が黙って手のひらを出してきた。
﹁手、繋いで、みませんか﹂
﹁⋮⋮へっ﹂
何故に敬語!?何故に手を!?
私があわわわわとしていると、会長が頭を抱えてうずくまる。
﹁ちょ、忘れてくれ⋮⋮まずい。俺色々と壊れてる気がする、やば
い⋮⋮何言っているんだ俺は﹂
羞恥で耳まで赤くなっているのが良く分かる。会長が呻いて困っ
ていると、晴翔と出くわした。
﹁おはよ⋮⋮なんで会長がこんな所に、朝っぱらから?﹂
634
﹁い、いえ、なんででしょうね、はははは﹂
理由なんてダメージ負うに決まっているので、言えるわけがない。
﹁朝練のついでに、走って来た﹂
復活したらしい会長がしれっととんでもないことをおっしゃった。
は?いやいや、電車や車ならともかく走ったらとんでもない距離で
すよ。でもやりかねないのが攻略対象者たちの怖い所だ。しかし、
顔が笑っているので、冗談なのだろう。汗もかいてないですしね。
流石に制服で走ったりはしないだろう。
晴翔が呆れたように溜息を吐く。
﹁ありえない。まぁ、理由はなんとなく想像つくけど﹂
いや、え?え?想像ついちゃうの?なに?え、何を想像したの?
的確に当てて来てるなら恥ずかしいんですが。
﹁ほら、いくぞ。乗り遅れたら、遅刻する﹂
﹁ああ﹂
﹁あ、は、はい﹂
あれ、晴翔と普通に会話しちゃいましたけれど、大丈夫なのでし
ょうか。嫌いって言っちゃったはず。平然と少し前を歩いている幼
馴染を見て、ホッとする。またギスギスするのかと思いました。
ふと顔を上げると、会長がじっとこちらを見ていたのでドギマギ
する。
﹁な、何か私の顔についていますか?﹂
﹁いいや⋮⋮﹂
635
真剣な表情でこちらを見ないでほしい。色々と、その、思い出す
から。
お昼頃になって、なんだかじっとしていられなくて勉強会はお休
みしてうろうろする事にした。保健室の前を歩こうと思ったら、い
かがわしき声が聞こえて来て足を止めてしまう。
﹁や⋮⋮やめっ⋮⋮!﹂
﹁いいじゃん、減るもんじゃなし﹂
﹁ど、どこさわっ⋮⋮う、ああああ!たすけて!だれかぁっ!﹂
保健室のベッドで、女生徒に高天原先生が襲われていた。⋮⋮性
別逆じゃね?というツッコミはなしで。襲っている女生徒の首根っ
こを掴んで止めてあげる。
﹁あなたは⋮⋮何をやっているのです。三宅さん?﹂
﹁えへ﹂
﹁えへ、じゃないですよ⋮⋮減りますよ、色々と、大切なモノがね﹂
﹁そっかな?﹂
﹁全く⋮⋮本当に驚きましたよ﹂
しくしく泣きながら乱れた衣服を整える高天原先生は、まるで強
姦されかけた女性のようで大変胸が痛む。どうしてこのような状況
に。こんなの事案じゃないですか。頭の痛い話が増えて、また胃が
痛む。
﹁いやーもうムラムラして?やりたいときにやらねばと思って。今
誰もいないしアタックチャンス!と思ってね?﹂
636
﹁いやいやいやいやいや﹂
やっちゃダメなやつでしょそれ。とりあえず両者をベッドから降
ろし、皆で椅子に座る。
﹁他の先生方にこの事をいうか、非常に悩ましい所です﹂
﹁うわーすみません。反省してます。それだけはやめて!?﹂
慌てて私にすがりつく三宅さんに、溜息が零れる。私としてもせ
っかく努力して手に入れた職を高天原先生から奪うようなマネはし
たくない。この場合被害者は完全に高天原先生だが、世間からみる
と立派な犯罪者である。
俯いてプルプル震えながら泣いてますけれど、世間から見れば⋮
⋮いや、どうみても被害者かな。いやいや、楽観的に見てはいけま
せんね。その場合三宅さんも傷つく事になりますし。さすがに友人
を売りたくはないのですが⋮⋮。
うんうん唸っていると、がしっと高天原先生が腰にしがみ付いて
くる。2人分の重みがずしりと。
﹁僕がっ⋮⋮!僕が悪いんだ!あんな、眼鏡で、うろついたから!﹂
﹁うん?ああ⋮⋮なるほど﹂
ああ、あのカッコいい姿をみられてしまったのですね。それなら
ば、なぜ三宅さんがこんな事を仕出かしているのか分かるような気
がいたします。浮気現場を目撃されて言い訳をする彼氏のような言
い方はやめた方が良いと思いますが。
必死にまとわりついてくる高天原先生のふあふあの頭をなでなで
しておき、にっこりと笑って安心させておく。
﹁今回は黙っておきますから、安心してください﹂
637
﹁よかっ⋮⋮﹂
﹁三宅さんが次に変な事したら言いますがね?﹂
﹁うぐっ⋮⋮!じ、自重する﹂
﹁ぜひ、そうしてください﹂
今回は見つけたのが私だから言いませんが、他の人が見たら大惨
事になる事でしょう。流石にそこまで手助けする事はできません。
三宅さんがやめてくれることを祈るばかりですが、どうでしょうか。
何故だろう、全然自重できる気がしない。
﹁高天原先生、三宅さんを見かけたら、決して音を立てず、じりじ
りと後ろに下がり、安全な範囲に逃れたら全力で逃げてください﹂
﹁熊扱い!?﹂
﹁いや、むしろ三宅さんに鈴を持たせた方がいいですよね﹂
﹁信用が全然ない!!﹂
三宅さんからそっと高天原先生を隠す。
﹁はは、信用してますよ﹂
﹁その行動見てから言える?ねぇ!ねぇ!﹂
目を逸らしながら、高天原先生の今後を心配する。これはどうし
たらいいんでしょうねぇ。ずっと見ていられる事も出来ませんし。
﹁私がそいつを見張ろう!!﹂
﹁なにやつ!!﹂
ちなみになにやつ、と言ったのは三宅さんである。というか、こ
の掛け合いはいつものやつすぎて、先程の声が玉森だとすぐに分か
って苦笑する。なんだろう全ての流れは遊びだったのだろうか。
638
﹁何故なら先程の写真は収めさせて貰った!!いつでも脅せるから
変な事はできまい!!﹂
﹁うっわひっでぇ!信じてたのに!!﹂
あ、はい⋮⋮なんかこう、気が抜けますね。ですが、三宅さんの
ほうはガチで襲ってたんでしょうか。しかしまぁ、よく一緒にいる
玉森さんが見張ってくれるというなら安心かもしれない。
﹁ええと、なら、玉森さんにお願いできますか?﹂
﹁ふ、まかせておけ﹂
﹁ひどいや、裏切者﹂
﹁いや、あんた普通にこれやばいやつだからね、うん﹂
素で注意している玉森さんが物凄くまともに見える不思議。普段
ふざけているけれど、2人共本気で怒られる事はやらない人達と思
ってたんですよ。三宅さんはどうされたんでしょう⋮⋮まぁ、玉森
さんが見ててくれるなら良かった。
﹁攻めて犯すなら卒業してからな﹂
﹁分かった、我慢しよう﹂
いやいやいやいや。
そのセリフに高天原先生がビクッとしている。おかしい、現代女
子高生ってこんなに肉食なのかっ。なにそれ怖いです!逃げて、全
力で逃げて高天原先生!
うん⋮⋮会長が如何に紳士な方か良く分かりました。こんな肉食
獣のような女性たちがいるというのにあの純粋さといったら、癒さ
れる。
むいて、ないんでしょうね。私に、恋愛ごとは。世の中の男女は
639
器用なのでしょう。私にはとてもマネできないなぁ、と思う。だか
ら、今まで彼氏ができなかったのだろう。やれやれ、やはりリア充
にはなれない。あれは選ばれし人間がなれるものだ。素人が手を出
しちゃいけない。
⋮⋮いや、まあ告白されちゃったんですがね。人生最大のモテ期
到来かもしれない。もう二度とこんな良い人に好きと言って貰える
機会など来ないだろう。良い人だからこそ、真剣に答えなければな
らない。
しかしどうにも、自分の事となると思考が停止しがちになる。胃
が痛くなりますし。
ある意味、三宅さんほどわかりやすく真っ直ぐに伝えるという事
が羨ましい。高天原先生のクビがかかっているので、やり過ぎはい
けないけれども。
すぐに会長に断りを入れない自分は卑怯で臆病なんだろう。ああ、
こういう女、凄く嫌いだったのになぁ。まさか自分がやるとはおも
わなかった。これから考えて欲しい⋮⋮って言われましてもねぇ⋮
⋮。今でも十分考えてますけれど、ね。絶対私にはもったいない人
だと思う。⋮⋮放課後にまた顔を合わすのかと思うと、少しばかり
憂鬱な気分になりました。
640
遊園地に行きました。
﹁透、今度でかけないか﹂
﹁えっ﹂
生徒会の終わりに、会長がそう切り出してくる。照れ顔を逸らし
つつ、土曜にデートに行こうと誘われたのだ。しかも遊園地ってい
う、また定番な所を⋮⋮。
﹁その、なんだ⋮⋮俺の事をもっと見て欲しい、から、な﹂
﹁うっ、ううっ⋮⋮!﹂
なんですかそのストレートで可愛い要求は。自然と顔が熱くなっ
てしまう。もうやだ、攻略対象者やだ。なんなの、なんでそんなか
っこいいの。攻略対象者だからしかたありませんよね、はい。もう
何が何だか分からない。会長と2人きりってまたハードルが高いん
ですけれど。
﹁俺も行こうか﹂
﹁なんでだ﹂
﹁いや、透と2人きりだと会長が変なことやらかしそうだし?﹂
﹁ぐっ!﹂
晴翔がそう言いだしてくれるのは有難いが、正直両方気まずいの
で、居心地の悪さはマシマシである。なんなんでしょうね、この気
持ちは。味わった事のないえも言われぬこの気持ち。そもそも、告
白なんてされた事ない人生ですからね、未体験すぎてもう。みんな、
どうされてるんでしょうね。あ、いや、女性からの告白はノーカウ
641
ントにしましょう、あれは悲しい誤解だったのです。
﹁⋮⋮はぁ、まぁいいだろう。俺だけが行くというのも不平等だし
な﹂
﹁⋮⋮やっぱ会長イケメンですね﹂
﹁お前に言われても嬉しくない﹂
﹁好感度上がりっぱなし﹂
﹁だから嬉しくないと言っているだろうが﹂
おお?なんか前にも増して仲良くなっています。ずるいですね。
私も混ぜて欲しいモノです。いや、不可能でしょうがね。というか、
私が行く事に決定しているのですね。ま、いいんですが。暇ですし。
晴翔と普通に話せているのが、なんだか違和感ありすぎてモヤモ
ヤします。いや、普通に話せるのは良い事なので、それは良いん、
です、よね?謝ったら逆に蒸し返して嫌な気分にさせるだけなんじ
ゃ⋮⋮。いや、ああ、でもそれって自己満足になっちゃうんでしょ
うかね。謝ったら私が気分がよくなるだけという可能性。くっ⋮⋮
!しかし、あの時言った事は、謝りたい。けれど、そんな雰囲気じ
ゃないですし、うわああ、もう!こっちはこっちでなんか微妙です
よ、もう!
晴翔にもやもやと、会長にドキドキさせられながらあっという間
に土曜。間宮さんに漏らしたのがいけなかった。また女装をさせら
れてしまい、今に至る。
間宮さんがキラキラとした、満足げな表情で笑っている。
﹁すっごく似合います!﹂
﹁美人系だね!やっぱ!これなら惚れない!﹂
642
遊園地という事なので、隣の県に行くため朝が早いからと断ろう
と思ったが、そんな理由では断り切れなかった。嬉々として家に来
て服とか持って来てるんです。女の子って凄いですね、こんな朝早
くでもオシャレを欠かさないんですから。あれ?間宮さんは女の子
じゃないはずですが⋮⋮いや、まぁ見た目はどう見ても、というか
性別的にも女の子だから問題ありませんでしたね。ややこしい話で
す。
鏡を見てみると、まるで自分ではないかのような。やはり、この
2人はすごいですね。この道のプロにでもなれる気がいたします。
それとも、今どきの女子高生ってこれくらいできるのが普通なので
しょうか。だとしたら私は女子高生失格になっちゃうんですけれど
も。そりゃあ2人共おモテになりますね。素でも可愛いのですから、
こんなテクニック持ち合わせていたらモテモテですよ。間宮さんは
やらない方がいいとおもいますけれどね。どんどん深みにはまって
いるような気がします。
そもそもなんで私が告白されたのか未だに良く分かっておりませ
んね、ええ。会長の趣味って相当変わっているんでしょうね。
﹁それじゃあ行ってきますね、わざわざありがとうございます﹂
﹁いえいえ!いいんですよ!﹂
﹁しっかり気張ってこいよ!キノっちゃん!﹂
ははは⋮⋮と乾いた笑いを返しながら待ち合わせの方に行く。2
人と仲良くできている事は良いと思いますが、キノちゃんはどうに
かならないでしょうかね。
チラっと膝丈のスカートを摘まんでみる。うーん、なんというか、
気合入れ過ぎのようで、非常に恥ずかしい。しかし今から帰ってた
ら間に合いませんしね。それに服用意してくれた間宮さんにも悪い
ですし。なんで間宮さんが私の身長に合った服を持っていたかとい
643
うと、私と同じ身長の姉がいるらしい。そこまでしてくれているの
ですから、もう覚悟を決めないといけないのですがね。
のろのろ歩いていると、後ろから声をかけられる。
﹁おはよ、透﹂
﹁ああ、おはようございます。晴翔﹂
行く方向が同じなので、ばったりと出くわした。異常に気合の入
った服で来ているので、恥ずかしさで顔が熱くなって来る。晴翔の
方に向かないようにしつつ、黙って待ち合わせに向かう。
﹁透﹂
﹁は、はい?﹂
話しかけられてビクビクする。うわ何こいつ気合入れてんだ似合
ってないって思われてたら落ち込むんですが。自分で言ってて深く
傷つきました。なにやってんですか私は。
﹁綺麗だ﹂
﹁え?﹂
﹁服が﹂
﹁ああ⋮⋮服が﹂
﹁あ、じゃなくて﹂
﹁ではない?﹂
﹁透も、綺麗だと、思ってる﹂
﹁ほう⋮⋮ほう?﹂
ん?あっれ⋮⋮すごく不可解な事を言われた気がする。最近会長
に言われているような事を。
え、何でしょう、え、空耳?
644
じっと晴翔を見上げると、目を盛大に逸らされ、その上顔は真っ
赤である。え、空耳じゃない?幻聴かと思ったけれど、え?
自分の顔が熱くなってきたので、慌てて前を向く。は?いや、な
んで?なんで?い、意味が分かりません。ドキドキする胸を押さえ
て、少し足を速める。
無言で歩いている間も、ずっと落ち着かない。今、なんでああい
う事言ったんでしょう。そういえば、あの日、どうして晴翔は私に
会長と付き合うなと、言ったのでしょうか。どうしてあの時、私を
抱きしめたりなどしたのでしょうか。なんだか考えたらダメな気が
します。うん、忘れよう。早く目的地につけ!もうこの沈黙に耐え
られる気がしない!
さっさと目的地に着いたら、すでに会長がスタンバイしていた。
とろけるような全開の笑顔で出迎えられて、早速逃げ出したくなっ
た。だが、背後には晴翔がいるから逃げられない。何、この狼に追
い詰められた羊の気分。追い込み漁ですか、そうですか。断れば良
かった、遊園地なんて断れば良かった。
﹁すみ、ません。お待たせしてしまいましたか?﹂
﹁いいや、ま﹂
﹁全然待ってないよな?そうだろ﹂
晴翔が会長のセリフをぶった切って爽やかな笑みを浮かべている。
ひくり、と笑顔をひきつらせ、晴翔を睨みつける会長様。最近仲良
くなっていると思っていたが、急に険悪な雰囲気に。会長様が以前
の威圧系俺様のオーラを放っている。しばらく睨み合ったあと、互
いに目を逸らす。
﹁今日、そういうのは、互いにナシだ。分かるか?﹂
﹁⋮⋮オーケイ﹂
645
ゴゴゴ⋮⋮という音がしそうな程の重い空気だが、お互いの顔だ
けは笑顔である。お、恐ろしい。
﹁あ、あの。電車に乗りましょう。遅れます、よ?﹂
﹁ああ、そうだな﹂
ほっ、ひとまず休戦してくれるらしい。喧嘩するほど仲が良いと
はこういう事か。そして自ら退路を断ったな、私。もう引き返せな
いぞ。
電車に乗り込み、遊園地の方へと向かう。
﹁わっ﹂
﹁と、大丈夫か?﹂
﹁あ⋮⋮すみません﹂
﹁いい、むしろ嬉しいくらいだ﹂
電車が揺れて会長にぶつかってしまった。かかとが高い靴なんて
履いているからこんな事に。嬉しいってなんですか、嬉しいって!
人の多い所でよくそんなさらっと恥ずかしい事言えますね。電車内
で注目されているので、黙って外を眺める事にした。
﹁⋮⋮で、なぜそんな事に﹂
﹁知るか﹂
﹁おい、しゃべるな、息がかかるだろうが﹂
私がドアの所にいて、その背中に会長の背中がべったりと。よく
みえないが、そこから晴翔の手が伸びてドアの所に手をついている
ので、会長と晴翔が向き合って壁ドン状態になっているのだろう。
646
会長の背中がでかすぎるし、身動きも取れないのでよくみえません
けどね。
﹁最悪だ﹂
﹁俺の方がな﹂
﹁いや俺だろうが﹂
﹁会長、透とくっつけてるだろうが、まだそっちのがいい﹂
﹁そりゃあな、お前と近づけさせるのは断固阻止する﹂
﹁この前あんな事いっといてか﹂
﹁それとこれとは話が別だ﹂
遊園地に近づくにつれて乗り込んでくる人が多くなったせいでこ
んな事に。
会長が肘で自分の体重分を支えてくれているので、苦しくないの
で私はいいんですがね。ああーもうすぐ遊園地着きます。ようやく
この混雑から解放されますよ。
目的地の駅に着き、たくさんの乗客が降りる。人混みに押されて
はぐれそうになるが、晴翔が私の手首を掴んで流されるのを阻止し
てくれた。
﹁わ、ありがとう、ございます﹂
﹁ん﹂
﹁っと、大丈夫か2人共。流石に休日の遊園地駅前は混むな﹂
2人に囲まれるようにして、混雑した駅構内を抜ける。その先に
ジェットコースターや観覧車などが見えた。この駅から降りた人の
大半が遊園地に向かっているようですね。
遊園地なんていつぶりでしょう。小さい頃、晴翔と家族ぐるみで
来ましたよね。懐かしいことです。
そっと晴翔の顔を見上げると、晴翔もまた懐かしい事を思い出す
647
表情をしていて、胸が温かくなる。
﹁さ、行くか﹂
ぽんと会長に軽く背中を叩かれて歩き出す。
ふと、視線を動かすと、周りに見られている事に気づいた。チラ
チラとこちらを気にしているような。女の子の視線が多いって事は、
やはり攻略対象者がイケメンだからか。そこから2人に囲まれてい
る私に嫉妬の目線が向く。
あれ、ちゃんと女の子として見られている⋮⋮?はっ!今女装し
てた!やべぇ、イケメン2人侍らすとかどんだけ頭の高い女なんだ。
いつも嫉妬されないように男装してして外に出かけていたんでした
!それがなんで女装して⋮⋮いや、女だから女装はおかしいんでし
たね。でも他になんて言って良いか微妙に分からない不思議。
﹁さて、何から乗る?﹂
会長がパンフレットを広げて見せる。そこには楽しそうな乗り物
がたくさん載っていた。知らないアトラクションも増えていますね。
結構繁盛しているみたいです。ド定番のデートスポットであるにも
関わらず、間宮さんと藤間さんは行ってる気配がないですね。
まぁ、土御門くんのデートは主に植物園ですし、間宮さんに至っ
ては攻略する気もないから仕方がありませんけれど。
なんか遊園地ってリア充しかいないイメージだから来づらいです
し。
﹁じゃあ、ジェットコースター?﹂
﹁いきなりぶっ飛ばすな﹂
﹁私は空中ブランコがいいです﹂
﹁﹁決定﹂﹂
648
あれ?いいんですか?じゃあ、遠慮なく。ひとしきり乗り物に乗
ったあと、昼食の時間になる。待ち時間に物凄く見られていたが、
それ以外は楽しい。童心にかえったようです。
﹁で、昼はここのバイキングでいいか?﹂
﹁良いと思いますよ﹂
﹁ああ﹂
⋮⋮あ。こういう時って女の私がお弁当を作るフラグだったんじ
ゃ、ま、まぁ、いいですよね!!別に付き合っている訳でもありま
せんし!それに、弁当も作らないような女なのかって、幻滅を⋮⋮
しない、ですよねー⋮⋮。会長の嬉しそうな笑みを見てその可能性
は皆無だと知る。
ええ、ええ、分かってます。何故だか知らないですが、会長は私
の事を高く評価してくれているのですよね。本当に不思議なもので
す。
バイキングで色々な食べ物を皿に乗せていく。こういうのって、
色んな味が楽しめていいんですよね。
テーブルに3人分の食事が乗るのはなかなかのものだ。それに、
会長の取ってきた量に驚く。
﹁会長、そんなに食べれるんですか?﹂
﹁え?ああ⋮⋮まぁ﹂
別に大食いというイメージでもなかったんですけれど⋮⋮確か1
人前の普通の食事していた記憶しかない。もしかして抑え気味にし
ていた、とか?
﹁あー⋮⋮たくさん食べた方がもと取れるかと、そういう﹂
649
﹁ああ、確かに、だからついつい食べ過ぎちゃいますよね﹂
なるほど、まぁ少ない量だと勿体ない気持ちになりますよね、バ
イキングって。会長、顔はいかにもどこかの社長のご子息みたいな
顔してるのに、普通の事考えるのですね。そういえばファーストフ
ードも涼しい顔で利用してましたっけ。忘れがちですが、会長は普
通の家庭で育っているんでしたか。お母様がお姉さんと言ってもい
いレベルの若さを保つ化け物だからなのか、会長も綺麗な顔ですよ
ね。きっと30になってもキラキラしてるんでしょう。会長の血族
は年とらないのですかね。それを普通の家庭と言っていいか甚だ疑
問ではありますが。
﹁あ、会長、それどこから取ってきたんですか?﹂
﹁ん?あー、パスタの右隣に置いてあったぞ﹂
﹁美味しそうですね、私も取って来ましょうかね﹂
﹁ん、じゃあ俺のやつ取ると良い。わざわざ行くのも面倒だろう?﹂
﹁あ、良いんですか?ありがとうございます﹂
会長の皿からラザニアを頂いて頬張る。うん、美味しいです。色
んな味をちょっとずつ食べるのが、バイキングの醍醐味ですよね。
﹁美味しそうに食べるな﹂
すごく、すごく嬉しそうに、会長が私の顔を見ている事に気づい
た。私が好きでたまらないって表情を、隠しもしないで。気付いた
ら、もう直視する事など出来なかった。
慌てて顔を明後日の方向に向ける。
﹁あ、あー!わ、私、ドリンクいれてきますね?﹂
﹁ああ、気を付けろよ?﹂
650
すぐそこですよ!!そんな心配しないでください!
﹁顔、熱⋮⋮﹂
グラスで少し頬を冷やしてから帰ろう、そうしよう。グラスに氷
を入れて、落ち着いてから席に帰ろう。
こわい。あの人、魔性だと思う。
651
遊園地に行きました。︵後書き︶
次回も遊園地回。
652
遊園地に行きました。2
だいぶ3人で遊び、空が少しだけ赤く染まってきた。
最後に観覧車に乗ろうという話になり、観覧車には2人で乗るも
のだ。という会長の謎の主張をうけた。
﹁いえいえ、普通に3人で乗ればいいじゃないですか﹂
﹁ダメだ、観覧車に3人で、なんてロマンも何もない﹂
﹁俺はこの際どっちでもいいがな﹂
晴翔がやる気なさそうに言う。
それを見た会長が晴翔の腕を掴んだ。
﹁すまない、透。火媛とはちょっと話し合いが必要みたいだ﹂
﹁は、はあ⋮⋮﹂
ずるずると半ば引きずるような形で少し離れたところに移動。そ
こで何やら話し込んでいる。よく分からないが待っておきましょう
か。遊園地の乗り物は2人セットで乗るものが多い。そのたびにジ
ャンケンをして勝った2人が隣になるという感じになっていたので、
3人で乗れるものがあるのなら、みんなで乗った方が良いと思われ
る。
しかし、会長の主張は流石に察しないといけないだろう。観覧車
ってのはカップルとか、友達以上恋人未満の男女が入って良いムー
ドを演出できる乗り物だと思っている。会長は私の事が好きだと言
ってくれている。好きな人と、つまり私と観覧車に乗りたい、そう
思ってくれているのだろう。自惚れでなければ、の話だが。
でもそうだとするにしても、密室で2人きりという空間に耐えら
653
れるだろうか。会長が私の事を好き⋮⋮と考えるだけでうわああー
っ!と、意味もなく叫び出したくなるのに。
夕日に向かって叫びましょうかね、今丁度、夕日になりそうです
し。
そっと溜息をこぼしながら待っていると、ふと人の気配が近づい
てきたので顔をあげる。すると、チャラいイケメンがそこにいた。
﹁君、凄く綺麗だね。夕日の明りと相まって、凄く幻想的だなって
思ってさ。思わず詩的な事をいってしまうくらいで、思わず声かけ
ちゃったよ﹂
﹁は、はぁ⋮⋮﹂
これは、なんだろう。知らない人⋮⋮ではない気がする⋮⋮どこ
かで見たような。
⋮⋮あ。
﹁翼のバンドの⋮⋮?﹂
﹁え?⋮⋮あれ?どこかで会った?﹂
ああ、そうか。この人、翼のバンドのメンバーさんだ。ベースの
人だったかな、確か。名前までは覚えてないけれど。
﹁こんなに綺麗な子、覚えてないはずないんだけど⋮⋮﹂
そのむず痒いセリフに淡く笑って首を振る。
﹁無理もありません。いつもとは違う恰好ですし、会ったのも2度
ほどですから﹂
﹁そうなんだ、翼の友達?﹂
﹁ええ、サインも頂きましたよ﹂
654
﹁え⋮⋮あああああ!?有言実行翼の予言者!?﹂
え、なに?ゆうげん⋮⋮なに?
大きな声を出したために周りから注目を浴びる。騒ぎを聞きつけ
た晴翔と会長も戻ってきた。
自分の声の大きさに恥ずかしくなったのか、咳払いして笑ってい
る。
﹁あーごめんね?ちょっとびっくりしちゃってね。驚いた、あの時
の子か。凄く綺麗になってて気づかなかった﹂
﹁いえ、無理もありませんから。私も驚くほどですからね﹂
﹁大丈夫か?何があった、というか、なぜ如月が?﹂
会長は名前を覚えていたらしい。1度しかライブに行ってないは
ずなのに。つくづく凡人とはかけ離れた人ですね。
﹁あーごめんね。デート中だった?﹂
﹁いえ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮なーんか複雑みたいだね?﹂
晴翔の姿を目に入れてから、くくく、と笑う如月さん。
﹁まあいいや。幸運の女神様に感謝しつつ、俺はもう行くね﹂
﹁え?あ、はい⋮⋮﹂
そう言って、さっさと逃げるように退散された。
﹁なんだったんだ⋮⋮?﹂
﹁さぁ⋮⋮?﹂
655
というか、さっきの私の名称らしきものはなんなんだ。予言者だ
の、女神だの。あのバンドの中での私ってどうなっているのでしょ
うね。
会長が咳払いして、気を取り直したように話を切り出す。
﹁あー、その。観覧車は晴翔と乗ってこい﹂
﹁え?﹂
﹁もうちょっと晴翔の話を聞いてやってくれ﹂
﹁おい、会長⋮⋮なにを勝手に﹂
晴翔が不満げに会長を止めている。会長の独断でそう決めたのだ
ろうか。さっきまでの主張の意味とは。⋮⋮うーん、やはり私の自
意識過剰でしたか、恥ずかしい。単に晴翔と仲直りさせたかっただ
け、とか?別に険悪とか、そういう感じではないのですが⋮⋮。で
も確かにもやもやと過ごしていました。
この機会に謝っておきましょうか。蒸し返すようで悪いですが、
どう嫌いかしっかり言っておいた方がいいかと。
﹁じゃあ、乗りましょうか﹂
﹁⋮⋮ああ﹂
﹁しっかりやってこい。もうこれ以上は協力しないからな﹂
ひらひらと手を振って晴翔を送り出す会長。その笑顔がどことな
く寂しそうに見える。夕暮れの明りがそうさせるのかは分からない
が⋮⋮店員に促されて観覧車に乗り込んだので、そちらにはもうし
ばらく戻れない。会長の様子も気になったが、今は晴翔の方を優先
だ。
ガチャリと、まるで牢獄の扉が閉ざされたものだと錯覚するほど
冷たい音が響いた。
観覧車にわずかに揺らされながら、私は早々に頭を下げた。
656
﹁すみません、晴翔﹂
﹁え⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮嫌いと、貴方に言った事を、謝りたかったのです﹂
﹁いや⋮⋮いいよ。あれは別に、俺が悪かったし﹂
ぶすっとした表情で、横を向いたままの晴翔。
言葉では許して貰えたが、傷付けている事に変わりはない。けれ
ども、良いと言ってくれているのに、これ以上言葉を続けられなく
て、必然的に沈黙が落ちる。
ゴンドラが4分の1まで来た所で、晴翔がぽつりと話しだす。
﹁会長ってさ⋮⋮良い人だよな﹂
﹁え?ええ⋮⋮そうですね、そう思います﹂
何を突然言いだすかと思えば。しかし、良い人だと思うので頷い
ておく。本当に良い方だと思う。
﹁あんな人と付き合えたら、たぶん⋮⋮いや、絶対幸せになれるよ﹂
﹁何を⋮⋮﹂
ふ、と自嘲まじりの笑いを漏らす。
﹁俺なんてさ⋮⋮いつまでもうじうじしてて、最悪なんだよな﹂
﹁そんなことは⋮⋮﹂
﹁別に気を遣わなくていいよ。俺もそんな自分が嫌いだし﹂
﹁晴翔⋮⋮﹂
晴翔は、どうしたんでしょうか。嫌いと言ったのを謝ったんです
けど、たぶん、誤解はまだとけてない。あれは晴翔が必要以上に触
657
ってくるから、それを嫌ったのであって、晴翔自身を嫌っているわ
けではない。嫌いになれるはずがない。だって私は⋮⋮。
﹁⋮⋮会長、良いと思う。付き合えば絶対良いと、思う﹂
ゴツッという音が響いた後、晴翔が頭を押さえて蹲る。それもそ
のはず、私が晴翔の頭にげんこつを落としたのだから。
ひりひりする拳をぐっと握りしめて、震えるのを抑える。
﹁この間は⋮⋮付き合うなと言ったり、今日は付き合えと言ったり、
なんなんですか⋮⋮﹂
何故そんな風に意見を変えて、口を出して来るのか、意味が分か
らない。意味が分からなくて、腹が立つ。たぶんそれだけ。それだ
けに決まっている。
﹁私が付き合う相手は私が決める。私が好きだと想う相手も、私が
決める。あなたに口出しされる謂れはない!⋮⋮です﹂
腹立ち紛れに放ったせいで、口調が荒くなってしまった。
はぁ、と息を吐いて外を見ると、丁度頂上まで回る所だった。あ
あ⋮⋮こんな気持ちで見なければ、この夕日はもっと綺麗に感じた
はずなのに。今はこの光景も、どこか寂しさしか感じない。沈みゆ
く赤い日が、私の心まで沈んでいくような気がして。
﹁⋮⋮口は、出したくもなるよ﹂
﹁⋮⋮晴翔﹂
まだいうか、と思い、とげとげしい言い方になってしまう。何か
言おうと思ったが、その前に想像だにしない言葉を聞いてしまった。
658
﹁︱︱︱好きだから﹂
その言葉に、思考が停止する。
﹁好きだから、口を出したくなる。好きだから、好かれたいと思う。
好きだから、幸せになって欲しいと思う。好きだから⋮⋮触れたく
て仕方がなくなる﹂
そう言って、自分の手をグッと握りしめている。
⋮⋮何を。
好きって、何が。
晴翔は。
顔を上げ、目が合った晴翔の目に映るのは私への熱情と、諦め。
﹁俺は、透を好きになる資格さえない事も分かってる。でも、気付
いてしまったんだ。透が、好きだって。身勝手で、ごめん。勝手に
好きになって、迷惑をかけているのは、分かっていたんだ。本当、
ごめん⋮⋮﹂
何もいう事ができず、頭の中を晴翔の言葉が滑っていく。現実味
が薄い気がして、背もたれにもたれかかり、晴翔からそっと視線を
そらす。
﹁だからもう本当に、これで諦めようかと思ってる﹂
﹁え?﹂
思わず、声が漏れた。
﹁告白も伝わったみたいだし、もうこれでいいかなって。会長にも、
659
そう言えるし﹂
﹁⋮⋮随分、勝手ですね﹂
﹁⋮⋮ごめん﹂
掠れて震えた声しか出なかった。
それは晴翔も同様だった。
それから、互いに沈黙する。
私は1年前、確かに晴翔の事が好きだった。1年前なら、私は喜
んで頷いただろうと、分かる。分かってしまう。手に取る様に。喜
んでその胸に飛び込んだ。
黙ったまま地上に辿り着き、そのまま黙々と2人で会長の所に行
く。私は会長の顔を見る事ができなかった。
会長は恐らく、晴翔の気持ちを分かっていた。分かってて、晴翔
と共に乗せたんだろう。その真意は良く分からない。
﹁話は出来たか?﹂
﹁ええ⋮⋮﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
返事が晴翔と被って、気まずさに震える。
﹁じゃ、そろそろ帰るか﹂
会長の言葉に、のろのろと歩き出す。
私はどうしたらいいのか⋮⋮全然分からない。
私が選ぶのは︱︱︱。
660
またここから。︵前書き︶
こちらで本編完結となっております、ご注意下さい。
661
またここから。
﹁すみません。貴方とは付き合えません﹂
深々と頭を下げて、謝罪する。
﹁そうか⋮⋮いや、頭を上げてくれ﹂
﹁はい⋮⋮﹂
言われて顔を上げると、会長は泣きそうな顔をしていた。その顔
に胸が痛くなったが、ここでの同情などは無意味に相手を傷つける
だけだ。
誠実な会長には、誠実で答えなくてはならない。私では、やはり
彼に答える事など出来なかった。
月色の瞳を僅かに揺らせた後、しっかりとこちらを見据える姿は、
流石としか言いようがない。
この人は強い人だ、とても。その強い瞳に思わず流されそうにな
る程に。
﹁じゃあ、晴翔と、付き合うのか?﹂
﹁いえ﹂
﹁⋮⋮は?﹂
私の否定に、ぽかんとしている会長にクスリと笑う。先程まで凛
々しかった会長の子供っぽい表情が可愛い。
﹁私はどちらともつきあいませんよ﹂
﹁⋮⋮どうして﹂
662
﹁正直めんどうになったので、どちらもお断りしたいと思いまして﹂
あはは、と軽く笑う。
私は色々グダグダと悩むタイプじゃない。胃が痛くなるほど悩む
なんてらしくない。色んなモノから逃げて、路上で倒れ込むような
そんな人間なのだ。その本質を今から矯正できる訳がない。
つまり、開き直ったのだ。
﹁面倒って⋮⋮くっ、ははは!確かに面倒な状況だったかもしれな
いな!﹂
思考停止から復活した会長が笑う。
それが悔しい程に良い笑顔だった。
﹁⋮⋮おや、幻滅されないのですか?﹂
﹁いいや、してない﹂
﹁それは残念﹂
﹁はは、早々に嫌いになどならない﹂
くっ、なんなんですかこのイケメン。ハート強すぎるでしょう!
間宮さんが怯える理由も僅かに分かる気がする。面倒だから断るな
どという最低な理由で断っているのにも関わらず、何故そんな好意
的な返事ができるのだ!意味が分からない!攻略対象者こわいです
よ!
深く溜息を吐いて、うろんな目で会長を見つめつつ、口を開く。
﹁どうやったら諦めてくれるのです?﹂
﹁俺の気持ちを甘く見て貰っては困る。結婚式場まで行って花嫁を
攫うくらいはする覚悟がある﹂
﹁いやそれは大変困りますよ!!﹂
663
やだこわい!それって私が他の方と婚約してても好きだって言っ
てるじゃないですか!
﹁まぁそれは冗談として﹂
真顔でそんな冗談言わないでくださいよ!恐怖を感じましたよ!
攻略対象者ならやりかねない。とか思いましたよ。
はっきり言って会長が好きになえう要素が分からない。面倒だか
らという理由で断る様な女のどこが良いのか。
会長はやれやれ、と言いながら溜息を吐く。
﹁俺はてっきり晴翔と付き合うと思っていた﹂
﹁⋮⋮何故でしょう﹂
﹁だって、好きだろう?﹂
その言葉に目を見開く。
﹁な、ど、どうして﹂
﹁俺は透が好きなんだ。それくらい見てれば分かる﹂
真剣な瞳にそれ以上二の句が継げなくなる。会長はどこまで見て
いるのか恐ろしくなり、思わず視線をそらす。
晴翔に抱きすくめられて、﹁会長と付き合うな﹂そう言われた時、
物凄く嬉しくなったのだ。私の事が好きなんじゃないかと、そう勘
違いしてしまうほどに。そんなことある訳がない、すでに振られた
分際で、何を考えているのか。そう思っていた。なのに、遊園地で
の告白。信じられずに、まるで絵空事のような出来事のように思え
た。
けれど、私はその場で答えを出せなかった。
664
はぁ、と深く溜息を吐いて、視線を会長の方へと戻す。
﹁なら、いいでしょう。そんな女やめておいたほうが﹂
﹁いや?﹂
﹁え﹂
﹁透はどちらとも付き合わないと言った。そこに付け入る隙があり
そうだ﹂
﹁え﹂
会長の言葉に呆然としていると、あっという間に会長の腕の中に
いた。会長の厚い胸板を感じて、慌てて離れようともがくが、時す
でにおそし。
﹁か、会長っ!﹂
﹁分かるだろう?透に好きな奴がいても諦めきれない程、俺は透を
愛しているんだ﹂
ふふ、と頭上で何故か楽しそうな笑い声を漏らしている。
﹁⋮⋮からかうのは、これくらいにしておこうか?﹂
﹁かっ、からかっていたのですか!?﹂
その言葉に真っ赤になった顔を上げて抗議する。
が、会長の顔をみた瞬間失敗したと思った。
会長の綺麗な顔が、すぐそこにあって。
﹁やっとこっちを向いた﹂
そう言って、そっと、私の額に唇を︱︱︱。
665
﹁なっ、なっ、なっ、なっ!?﹂
会長の拘束がとかれ、衝撃でその場にへたり込む。今、会長が、
私の額に、額に、キスを!
オロオロしていると、会長が私と同じ目線になるように腰を落と
す。顔を真っ赤にさせた会長が、おかしそうに私を覗き込んでくる。
﹁残念だったな。俺に失望して貰えなくて。日頃の行いの成果って
やつだ、良かったな﹂
﹁ぐっ⋮⋮!﹂
最低な返事で傷つけているはずなのに、どうしてそんなに優しい
笑顔が向けられるのですか。思わず泣きそうになって、俯く。
﹁すみません、私は、本当に⋮⋮﹂
最低だ。
真っ直ぐにみようともせず、ただ断る事ばかりで。けれど、会長
を知れば知るほどに自分が不相応な人間だと思い知る。
会長がもし他の女の子の事が好きだと言って、大切にしている所
を見たならば。私はきっと物語をみているように﹁いいなぁ﹂と思
うだけで、のんびりとお茶を飲めただろう。
しかしそれは、嫉妬とは程遠い感情なんじゃないだろうか。自分
がその立場になろうなんて、全く考えつきもしない。けれど、いつ
かはそんな存在が出るといいなぁと夢を見る。
会長に好きだと言われて嬉しくないと言われればそれは嘘だ。こ
んなに恰好良くて、優しくて、可愛くて、照れ屋で誠実な人間は他
にはいない。なにせ攻略対象者様だ、幸せになると保証されている
ような存在だ。生涯浮気などしないし、墓場まで共に歩めるだろう。
その手が取れない事を、とても悔しく思う。
666
ぽたりと、我慢が出来なかった滴が1つ落ちる。
﹁⋮⋮俺の事を、そこまで完璧な人間だと思わない方が良い﹂
そっと会長の手が私の頬に触れて来る。
﹁俺の前で弱みを見せるな、じゃないと、俺はとことん付け入るぞ。
抱きしめて、キスをして、その先も奪いたいと思うような、下衆な
男なんだ。透に好きな人がいてもお構いなしにそんな事が出来る男
なんだ、俺は﹂
﹁会長⋮⋮﹂
思わず、すこし後ろにさがる。流石に額にキス以上の事はしてこ
ないだろうと思うが⋮⋮キスされたので、警戒しない方がおかしい
だろう。
私が後ろに下がったのを見て、会長が苦笑を漏らす。
﹁な?俺も完璧じゃない。未完成な人間にすぎないんだ。今でも透
の可愛い泣き顔で、どうにかなりそうなくらい﹂
かわ⋮⋮!?
慌てて自分の顔を隠す。可愛くはないだろう、きっと酷い顔だと
思う。確かに会長は完璧じゃないのかもしれない。何せ、私を好き
だと言って来ているのだから。
﹁ま、そんなに警戒するな⋮⋮もうしない﹂
﹁は、はぁ⋮⋮﹂
あれ、なんでしょう。なんでこんな状況に陥っているのでそう。
私、会長をフルために呼び出したんですよ?なんで今、私の方が追
667
い詰められている感じなのでしょう?
﹁⋮⋮で、だ。結局、晴翔の方はどうするんだ??﹂
﹁ですから、断ろうと﹂
﹁何も迷う事などないと思うが。俺に遠慮してるなら、盛大に怒っ
てやるが?﹂
﹁いえ、そんな事は⋮⋮しかし、晴翔はもう諦めると言いましたか
ら。そもそも付き合うも何もありません﹂
﹁⋮⋮ははぁ、なるほど。つまり、拗ねているのか﹂
﹁拗ね⋮⋮!?﹂
いや、え?なんでそうなったんですか!違いますよ、そういうの
じゃないですよ!
晴翔は諦めたんですよ、私の事なんて。油断をしてキスをされる
ような女に嫌気が差したのでしょうよ。
だから、その⋮⋮。
⋮⋮拗ねているのでしょうか。
晴翔が好きと言ってくれた時、嬉しかった。どうしようもなく。
会長の言葉を飲み込んだ途端、急に自分が子供っぽいダダをこね
ている事に気づき、恥ずかしくてたまらない。いくら自分が恋愛経
験不足だからといって、こんな、幼稚な事を⋮⋮。
晴翔が会長と付き合えと言いだして、物凄く腹が立った。それは、
私が晴翔の事を好きだったからにほかならず。諦めるといわれてシ
ョックを受けたのは晴翔の事を諦めきれていないと気付いたから。
気付いたら、笑いが零れた。
転生しているのにも関わらず、この体たらく。何が年上だ。会長
にすらカウンセリングされるような、未熟で馬鹿な子供に過ぎない。
私はまるで成長していなかったのだな。
﹁あはははっ!⋮⋮うん、そうですね。そうかもしれません。ああ
668
⋮⋮やっぱり、会長は私に相応しくないですね﹂
﹁相応しいとか相応しくないとかじゃない。俺が透を好きなだけだ﹂
﹁はい、全くその通りです。ありがとうございます﹂
不相応とか、そういうのは恋愛には関係がない。誰を好きになろ
うが、どんなダメな人間を好きになろうが人の勝手だ。
私は居住まいを正し、その場で正座する。土がつこうが、もはや
今更だろう。
﹁では改めて⋮⋮私は会長と付き合えません﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
﹁そして、今から晴翔を振って来ます﹂
﹁⋮⋮は?﹂
最初とほぼ同じ事を言った事に、会長がぽかんとする。私よりも
余程大人で、完璧で優しい会長様。私はやはり会長の手を取ること
はない。どうせなら、うんと幸せにしてくれるような女性と共にあ
って欲しい。そんなものは私の身勝手な考えだろうが、そう願わず
にはいられないほど、私は会長の事が好きだ。
だがしかし、私が会長をふったとして、そこでダメになるような
やわな人間でない事を知っている。真っ直ぐに歩み、道を間違える
ことはない人だ。
会長はやはり強くて、完璧ですよ。転生したから精神は大人だと
思って振る舞っていた自分とは格が違う。
﹁私も、会長が思っているような可愛い人間ではないという事です
よ﹂
669
⋮⋮晴翔視点⋮⋮
会長から、透に呼び出されたと報告があった。そのメールを眺め
て、何度も溜息を吐く。
俺なんかのためにチャンスを与えて、笑顔で見送る様なイケメン。
とてもじゃないが、アレには敵わない。ずっと諦めきれなくて、邪
魔をしてきたが、もうやらない。
どこかで傲慢があったのかもしれない。透が告白してきたから、
今でも好意は抱いているだろうと。
馬鹿だった。
そんな事ある訳がないのに。
翼に協力をしてもらえないと生徒会にも入れない、会長の邪魔を
やるだけやって、最終的に会長の協力でやっと告白できた。告白と
言えるようなものではなかったが。断られるのが怖くて、自分から
諦めると言ってしまった。
最悪だった。透の告白を断った時点ですでに最悪だった。透に近
づこうと思っても、まるで届かない。それもそうだ、透の隣には常
に会長がいたのだから。だから近づこうと思ったら、邪魔をするし
かなかった。
会長と付き合う方が幸せになれるって分かっているのに。性懲り
もなく遊園地になどついて行って、あの惨事だ。
めちゃくちゃ、仲が良さそうだった。俺の入り込む余地なんてな
いほどに。普通に恋人として成り立っている2人に、自分の場違い
さを痛感させられた。それなのに、諦めきれていなかった。馬鹿と
しか言いようがない。
あの日告白を断らなかったら⋮⋮その想像を何度も、何度も、何
度もしては、嘆いた。あの日付き合っていたら、透の隣は俺だった
670
のだろうか。俺だったら、どんなに良かったか。けど、もういい加
減にしないといけない。
あんなに良い人は、他にいない。他の誰かのものになるなら、誰
でもない、会長がいいと本気で思う。あの人だったら、絶対に透を
泣かせたりしない。幸せにする。
俺ではとてもではないが無理だ。
本気の告白を断って、散々傷つけて、そこから近づいて迷惑をか
けている。
どう考えても最低だろう。
はぁ、と何度目か分からない溜息を吐きだしていると、スマホが
鳴った。
なんだ?と思って名前を見ると、透の名前だった。
なんで!?
慌ててメールを開いて、内容を見ると、今からこちらに来るとい
う。
は?なんで?今から?会長との話はもう終わったのか?
⋮⋮ああ、たぶん会長と付き合ったから、こちらに断りに来よう
と思ったのだろう。そう考えるのが妥当だ。あんな最悪な告白でも、
律儀に断りにくるのか。それはむしろ追い打ちの気がするが、透ら
しいとも言える。
またスマホが鳴ると、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。玄関
の方には母さんが行くとして、俺は再び届いた透のメールを読む。
﹁今、玄関にいます﹂。
えっ、なんだそのどこぞのホラー的なメールは。っていう事は今
下にきているのは透か!
﹁お邪魔しますよ﹂
透の声にベッドから飛び上がる。
671
﹁な、ななな、な、な﹂
﹁急ですみません。ですが早急に伝えたい事がありましたもので﹂
だらしがないジャージ姿のまま、その場で狼狽えるが、透は涼し
い顔で座布団の上に座っている。
俺はその場で立ち上がったまま、透がその場で座っているのを狼
狽えながら見つめる。
﹁まぁまぁ、座って下さい。その状態だと話もできません﹂
誰のせいだと!?
と、思ったが、言われるままに座る。
透は話がしたいといっていたし、自分の部屋で立ちっぱなしで話
をするのも変だろう。告白の件をいうなら、母さんのいるリビング
で話す訳にもいかないしな。
俺が正座すると、透が口を開く。
﹁告白の件を断りに来ました﹂
﹁⋮⋮うん﹂
ズキリと胸が痛む。やはり追い打ちに来たらしい。そう言われる
のが嫌で、逃げて来たというのに。嫌だから、先に諦めると言った
のに。わざわざそれを言いに来たのか。情けなくも手が震えてしま
う。
だから嫌だったんだ。断られるから、言うのが嫌だったんだ。自
分だって透の告白を断った癖に、自分が断られるのが嫌だった。こ
れは、その報いなのかもしれない。
﹁私の告白を断った癖に、なにを今更って感じでした﹂
﹁⋮⋮うん﹂
672
分かってる。だから言えなかったんだよ。
﹁挙句諦めるとか、身勝手すぎて笑いそうでした﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
何も言い返す事が出来ない。
俺はそれだけの事をしたのだから。透は怒っているのだろう。だ
から敢えて言いに来た。情けない俺を怒りに。
﹁だから私は晴翔のありえない告白なんて断りますよ﹂
﹁⋮⋮うん﹂
そこまで言った透は言葉を止める。俯いていたが、こちらに視線
を向けている事は分かった。
心臓が妙な音を立てている。血の気が引いているのだろう。俺に
引導を渡した透を前にして、震えない訳がない。
やっぱり、ダメだった。分かっていたけど、いざ口にされるのは
きつかった。俺はそれを透にやったんだ。それを考えると、恐ろし
かった。俺はとんでもない事をやったんだ。
﹁で、どんな気持ちですか?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
﹁私に断られて、辛いですか?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮うん﹂
﹁でしょうね!﹂
﹁⋮⋮﹂
え、なに?
透が清々しく笑っている。
673
なんだか知らないが、とても楽しそうだった。腹いせなのだろう
か、断った俺への。最悪の告白をした俺への。だとしたら、甘んじ
て受けるしかない。落ち込んでいく俺とは裏腹に、透の顔は晴れや
かだ。
﹁私も断られて辛かったんですよ。晴翔を見る度に辛くて、まとも
に目を合わせられなくなったくらい﹂
﹁ごめん⋮⋮何度言っても足りないかもしれない、けど、ごめん﹂
﹁はい、だから⋮⋮次の告白は断らないでくださいね?﹂
﹁⋮⋮⋮⋮え?﹂
思わず顔を上げて今の言葉を反芻する。次の告白?⋮⋮って、な
んのことだ?これ以上何を言うつもりなのだろう。
目が合った透の顔は、驚くほど優しかった。
その顔にドキドキとしてしまう。僅かな期待が、胸に宿った。
その一瞬が永遠に感じる程。透の唇の動きをすべて見逃さないよ
うに注視する。
﹁私は貴方が⋮⋮ずっと晴翔が好きです。良かったら、付き合って
ください﹂
674
またここから。︵後書き︶
以上です!長らくのお付き合い、真にありがとうございます。
ここでこの話は完結させていただいて、後日譚などを書いていきた
いと思います。
当て馬会長のその後や、主人公や脇役たちのその後など。
675
その後の話。︵前書き︶
ここから別視点に切り替えが多発してます!ご注意ください。
*主人公すくなめ?
676
その後の話。
⋮⋮会長視点⋮⋮
﹁あー⋮⋮行ったか﹂
透が良い笑顔を振りまいて、火媛の方に走って行った。
後押しするつもりなんて、サラサラなかったんだが。
大きく溜息を吐いて、その場にしゃがみ込む。
そっと自分の唇の触れて、先程の透の感触を思い出した。本当は
その唇を奪ってしまいたかったが、僅かな理性が働いてしまった。
自分のそんな所が心底憎らしい。
けれど、透に嫌われたい訳ではない。額くらいなら許してくれる
だろうが、流石に唇はダメだろう。面と向かっては許せてくれるだ
ろうが、きっと傷つくと思うと、それ以上出来なかった。
好きな子にキスをして、嬉しい反面、とても苦しい。いつだって
彼女は火媛を見ていたのを知ってはいた。それ故に、火媛が中々動
かないのをイラついてもいたが、安心もしていた。その間に、透に
振り返って貰えるように自分なりに努力したつもりだったが、結局
励まして見送ってしまう。
﹁情けないな﹂
最初に目を惹かれたのは、その真っ直ぐな目だった。水無月先輩
以外に真っ直ぐに見つめてくる人間などいなくて、印象に残ってい
る。
次に目を惹いたのは時折見せる女性らしい仕草だろうか。その時
は男と思ってなんとかごまかしていたが、ドキッとさせられる仕草
677
に動揺を隠しきれない時もあった。
男相手に、何を動揺しているんだと思っていた。女だと知って納
得をしたし、男好きじゃなくて良かったと心底安心した。
⋮⋮そういえばあの時は、透には随分と失礼な事をやらかしたな。
胸を⋮⋮思い出しただけで赤面するほど柔らかな胸を揉んでしまっ
た。否応なしに女だと認めざるを得ない感触は、今でも忘れられな
い。
よくよく考えると、普通に結婚しようとか言ってたの自己満足野
郎だったな。胸を揉んだのは確かに俺が悪かった。もう1度揉んで
みたいなど⋮⋮考えたりもした。付き合ってもいないのに何考えて
たんだ、あの時の俺。
前副会長の力を借りて海に駆り出した事もあったな。顔をあわせ、
会話をしていくほどにどんどん透の事を好きになっていった。近く
で目を瞑られれば、唇を奪いたいという欲求が生まれてしまうほど
に。
けれど、だからこそ、俺は分かっていた。自分が恋愛対象として
見られていない事に。弟のような存在としてみられている事に。
そしてあの日にはっきりと気付いてしまった。
生徒会選挙。チラリと見ただけの赤い髪の男、透の幼馴染とかい
う男。
ずっと見ていたから、知っていた。男として意識しているのは、
火媛の方だと。火媛の方も、明らかに透の事を好いている事にはす
ぐに気付いた。
はっきりとしない火媛に、いつもイラついてしまっていたのは言
うまでもなく。告白された事もあると聞いて、殴りたい気持ちを必
死に堪えた。
透に告白されて、振っているんだ、あの野郎。なんてもったいな
い。
俺だったらすぐに頷いて、めちゃくちゃ幸せにしてあげるのに。
どうしてすぐに返事を出さない。が、それで俺にもチャンスがある
678
と思った。何度も火媛に邪魔をされたが、こちらも邪魔をする。好
かれているのに、何故俺の邪魔をするのか、と何度思った事か。ま
だ透に直接むかわないだけ、助かるっていた事は事実だが。透に告
白されたら、ひとたまりもないからな。
透の真っ直ぐな想いが、こちらに向いてくれたなら、と何度思っ
た事か。
想いが伝わって嬉しいと思ったが、透を困らせるだけの結果に終
わってしまった。初恋は実らないっていうが、本当なんだろうな。
俺はなにを間違ったんだろう。
間違っていたなら、そこからいくらでもやり直したい。
どうして背中を押してしまったんだろう。自分が良い人であると
見せたかっただけなのか。あの観覧車で火媛と乗らせなければ、何
か違っていたのだろうか。
⋮⋮後悔しないようになんて、火媛に言っておいてなんだが、俺
は今、物凄く後悔している。
あーあ、恰好悪いな。やっぱり唇にしておけばよかったか。たぶ
ん火媛に殴られるだろうけどな。
透の反応に、少しは勝機があるかと思ったが、そうならなかった
な。俺は透の想いを軽視していたみたいだ。
透の前だと、変な失敗ばかりしていたからなぁ。
⋮⋮いや、火媛の方が失敗が多い気がする。むしろちょっとぶっ
きらぼうな方が良かったのだろうか。
いくら後悔したところであとの祭りだけどな。
でも、透が幸せそうに笑ってくれるならば、それもまた、いいか。
679
⋮⋮とある転生者視点⋮⋮
ふう、やれやれ。
やっといったか。長かったな。
そう思いつつ、愛用のカメラを撫でる。
しかし、2ndの隠しキャラまで出るとは聞いてない。木下透と
いうライバルキャラがあんなにもブレるのも聞いてない。そのせい
で、月島蓮という攻略対象者が攻略されたとみなされて高天原先生
が出現した。
悪い人間ではない事は分かっているので、それには安心した。な
にせ、木下透はいじめの主犯格にもなるようなルートを持っている
のだから。
恋愛感情を晴翔に向けている事には少し汗をかいていたが、晴翔
もまた木下透を好いていたので、変な事は起こらなかったという事
か。
主人公や、間宮という脇役も目が離せなくてカメラが手放せなか
った。この1年と半年の間にどれ程の写真が溜まった事か。そして
お金もたんまりと。
これを元手に株で稼ぐか。それで儲かったら⋮⋮私、遊んで暮ら
すんだ。
こちらはハッピーエンドだし、主人公も良い感じ。
間宮さんも水無月と良い感じで、オールハッピーエンドって感じ
かな。
会長さんはあれからどうすんのかなぁ。
誤算が多かったけど、楽しい学校生活となった。まさかここまで
腐敗が進むとは思っていなかったが、良い誤算である。いじめなん
てそんな大層な事考えるやつはいなかったし⋮⋮ああ、いや。カッ
プリングの揉め事があったが、これはまあいいか。私の見事な写真
680
でおさめてやったのは良い思い出。
﹁に、してもやるなぁ﹂
さすが攻略対象者と言わざるをえないイケメン度合いの会長さん。
あんな風に想われたら私なら即落ちるなぁ。
完璧なスチル絵をゲットできたので、ほっくほくだ。流石に額に
キスは売る事を許してくれなさそうだから諦めるとして、他は有効
活用させていただこう。
ポチポチとボタンを押して写真を眺めていたら、人の気配がした
のでカメラの電源を消して顔をあげる。すると、そこには何故か2
nd追加隠しキャラが。見つかるとは修行が足りんな。
我が親友に精神攻撃を与えた張本人。しばらく会わなければ自然
にその効能も減っていくと思っているが、あれは困った能力だと思
う。いくらなんでもあの設定はむちゃくちゃだと思う。まぁ、面白
かったからいいけども。でもこの世界でも有効だとは思わなかった
なぁ。結構普通の世界だと思ってたんだけど。
﹁こんにちは﹂
﹁こっ、こんにち、はっ﹂
相変わらずたどたどしい言葉遣いの保健医だ。怪我人や病人相手
だときっちりと仕事をこなすギャップ萌えを売りにしている。
にっこりと営業スマイルをかまして、会話を続ける。
﹁奇遇ですねぇ、こんな所で。あれですか?木下さん目当てですか
?﹂
﹁え⋮⋮き、木下さん、いるの?﹂
﹁いや、もういないっすけど⋮⋮違うんですか?﹂
﹁う、うん⋮⋮そう、かな﹂
681
少し俯いて、胸を押さえてプルプルしている。この先生、あろう
ことか木下さんを好きになるなんてな。木下さん男にも女にも人気
あって、倍率超高いからなぁ。それに、もう勝負はついてるし。
﹁あ、あの⋮⋮なんとも、ない?﹂
﹁んあ?なにがっすか?﹂
どちらかというと、貴方のメンタルの方が心配ですわ。振られ確
定ですからなぁ。まぁ、出るのが遅すぎたんだ。それに、先生とい
うのもハードルが高すぎる。生まれるのが早すぎたんだ。
﹁あの、ぼ、僕の、顔、君もみ、見たよね⋮⋮?﹂
﹁はぁ、それが?﹂
﹁う、ううん。それだけ⋮⋮また、学校で、ね﹂
へにゃ、と口元を笑わせてから、立ち去ってゆく。
⋮⋮なんだろう。この、フラグちっくなやつは。
保健医の顔?⋮⋮確かに、我が親友と共に見たな⋮⋮超絶キラキ
ラモードの保健医⋮⋮あ、あれ?これって、もしかして。
私は高天原先生の裏設定を思い出して頭を抱えた。
682
その後の話。2
⋮⋮翼視点⋮⋮
沢山の人間が騒ぐライブ会場で、歌いきった俺達は控室へと戻る。
そこには、俺達のマネージャーが目に涙を浮かべて拍手していた。
30代後半の、結構やり手の人らしい。年収はいいけど、地味な印
象の彼は絶賛彼女募集中だそうだ。彼女いない歴20年、学生の時
に彼女が1回出来ただけっていう話を何度も聞かされている。本当
は俺らにも女の子紹介して欲しいけど、女子高生だから無理ってあ
きらめてんだとか。代わりといってはなんだが、芸能界で売れたら
女の子紹介してとか言っている。自分でなんとかしろよと思いつつ、
それらしき人がいないか探しちゃうのは、もはやくせみたいみなっ
てる。
晴翔をずっと応援してたしな。こういう雰囲気の男の人って世話
焼きたくなるんだよなぁ。
﹁今日のライブ、素晴らしかったよ!もうアルバムの話もあがって
るよ!シングルの売れ行きも好調だし、このまま順調にいけば、あ
れはランキング載るね。今から楽しみだよ﹂
ニコニコと笑ってイキイキしている姿を見せれば、多少女の人も
好きになるんじゃないかなーと思う。仕事の事となるとキラキラし
てるのに、いざ私生活になるとボロボロなのな。もったいない。や
ればできる人なのに、女の人も見る目ないよなーとは思う。
﹁だはは!あーまじで来るとこまできちゃったって感じ?﹂
683
﹁ふふ、なんだか実感わかないねぇ﹂
淳也と要が汗を拭いながら会話をしている。
でも確かに、あんまり実感はわかないかも。ちょっと人数が多く
なったかなー?くらいだ。これからはライブ会場も別の大きな所に
移動するみたいだから、そっちになったら、多分緊張したりするん
だろうな。
ぼーっとしていたら、がしっと肩に腕を回された。こんな事をす
るのは淳也しかいないし、確認してみたらやはり淳也だった。
﹁翼ー!お前の歌も変わったよな?﹂
﹁うんうん、そうだよねぇ。妙に艶っぽくなったっていうか。迫力
が段違いになった﹂
﹁え、そ、そう?﹂
艶⋮⋮?良く分かんないけど、2人が言うならそうなんだろう。
歌う時は、いつも大好きな子を思い描いている。それがたぶん、そ
ういう事に繋がってるんじゃないかなって。失恋で成長なんて、し
たくなかったんだけど。
﹁ああ、それは思ってた。前も仕上がってたけど、グッと伸びたっ
ていうか。何かあったのかい?﹂
事情を知らないマネージャーがさらっと聞いてくる。
﹁あー!失恋したんだよ翼ー!それで伸びたんだな!﹂
﹁ちょ、淳也⋮⋮思ってても言わないのが暗黙の了解じゃなかった
のかい?﹂
﹁あー⋮⋮だははは!!忘れてた!!!﹂
684
ったく君はもう⋮⋮と要が呆れている。
ふふふ⋮⋮2人の優しさに乾杯したい気分だよ。でも淳也がぶち
こわした、おのれ淳也。
﹁えー!金城くんみたいな子でもふられるの!?じゃあ僕とか付き
合うの不可能じゃないか!!﹂
俺みたいなって⋮⋮俺そんなにモテるように見えるの?今までそ
んなにモテた記憶ないんだけど。つーか振られてるし。
﹁まぁでも、その思春期の心の痛みっていうのは、歌に深みを増す
から。良い経験をしたと思って、前へと進んで行こうか。その女の
子に見返してやれ、こんなに良い男振った事を後悔しろってな﹂
おお⋮⋮マネージャー、なんかかっこいい。
んー⋮⋮まぁ、恥ずかしいけど、今回発売したシングルって、間
宮さんの事歌った曲なんだよねぇ⋮⋮。まぁたぶん、要にはバレて
るけど。せめて歌う事はさせて欲しいって言ったら、﹁今回だけで
すよ﹂と謝罪と共に了承を得た。それがまた綺麗な声だった。もう
近くで聞かせて貰えないかと思うと、切なかった。
でも後ろばかり見ていられない。応援してくれている人達のため
にも、仲間のためにも。それに⋮⋮プロ入りを認めてくれた両親の
ためにも。
俺の事、認めてくれてたんだって、ライブにも何度か足を運んで
くれてたって。
なんかこう⋮⋮胸にジーンときた。やってて良かったって心の底か
ら思った。
成績も落とす事なく、むしろ好成績を叩きだす様になって、それ
でも歌う事をやめていない事に段々と認めてくれるようになったと
言っていた。これは、透のおかげかもしれない。
685
そういえば、プロ入りすると断言したのも透だっけ。すごい⋮⋮
予言者だねって、要が騒いでたのは未だ記憶に新しい。ほんと、幸
運の女神かもな。晴翔はきっと、透の隣で幸せにされるんだろうな
ぁ⋮⋮うらやましい。
ま、俺の分まで幸せになってもらわないと困るけどね!
⋮⋮間宮視点⋮⋮
﹁わ、わー!可愛いです!可愛いです!﹂
ふわふわのフリル付きのメイド服を着てもらって、思わずはしゃ
いでしまう。白く陶器のような肌に、ぷるんとみずみずしい赤い唇。
そして人形のように整ったその可愛らしい顔。
どれをとっても完璧な女の子にしか見えない。
文化祭の出し物の準備の季節だ。その流れで、水無月くんが女装
すればいかがか、という話題が水無月くんのクラスで持ち上がった
らしい。
その意見には大いに大賛成!いつもいつも思ってたんだよなぁ、
めっちゃ綺麗って!まるで人形みたいだって!
そのクラスのやつに頼み込んで、女装の手伝いをまかせて貰う事
になった。というより、水無月くんが私ならいいと言ってくれたの
が決定的だったようだ。なんという信頼率、親友と思われてるって
おもっていいのかな。
お人形のように着飾られている水無月くんを見て、俺のテンショ
ンが最高である。
脱がせるときはちょっと抵抗を受けたが、自分で着るというので、
服を渡して部屋から出て着替えて貰った。後ろの紐は括れないので、
俺が括ってあげた。
686
しかし、何度見ても女の子にしか見えないなぁ。この白い太もも
とか、すごいえろい⋮⋮おっと、邪な目で見たら嫌がられるな。い
かんせん、このナリで生きて来てもはや十数年になるからなぁ。女
って便利なとこあるわ。胸とか揉んでも事案にならないし。まぁ、
そのかわり、彼女が出来ないんだが。くっそ、なんでイケメンに生
まれなかった。美少女に生まれてもなんも嬉しくない。
﹁嬉しそう、だね⋮⋮﹂
﹁えっ!あ、う、うん!ありがとう!すごく嬉しいです!﹂
水無月くんに話しかけられて慌てて返事を返す。残念な事に今の
俺は女なのである。いくら落ち込んでもこれを覆す事ができない。
せめて木下さんくらい身長があれば、男の恰好も似合ったんだけど
な。ちんちくりんで胸もあるし、どうみても美少女顔だからどうし
ようもない。
でも⋮⋮はぁ。似合うなぁ。ほんとにこの子男の子なのかなぁ。
もったいないなぁ。男の娘って存在できたのかぁ。すげぇなぁ。そ
ういえばこの子も攻略対象者なんだよなぁ、そりゃあまあ綺麗だわ。
﹁僕は⋮⋮こういうかっこ、好きじゃない﹂
﹁わ、わー!そ、そうですよね⋮⋮ご、ごめんなさい⋮⋮﹂
わー!確かにそうだ!女装して楽しい男なんていない!いや、俺
は割とエンジョイしてるけど、もはや俺は女だし!ノーカン!
わたわた慌てていると、口元を緩めた水無月くん。
﹁でも、間宮さんが喜んでくれるなら⋮⋮いいかも﹂
﹁み、水無月くん⋮⋮!﹂
頬を染めて恥ずかしそうにそんな事言われたら落ちない男はいな
687
い。かわいすぎるうううう!その化粧と服でそれ言うの反則すぎる
!!
はっ⋮⋮!かわいいけど、この子男だよ⋮⋮!騙されんな!
水無月くんは私の顔を見て、くすくす笑っている。それが天使す
ぎて顔が熱い。
﹁⋮⋮こういうの見るの、好きなの?﹂
﹁うっ、うん⋮⋮﹂
や、やめて!小首を傾げないで!純粋そうな顔でこっちみないで
!結構ヨコシマな感情で見てるから!
きゅっと手を握られて、ビクリと震える。
俺よりも少しだけ背が高い水無月くんがかがみこんで、覗き込む
ようにこちらを見て来る。あざといよ!その覗き方!上目づかいと
か、完全に自分の可愛さを理解してる!?
﹁そんな顔⋮⋮するんだ⋮⋮﹂
﹁えっ、えっ、ど、どんな、でしょう?﹂
﹁気にしないで⋮⋮なんか、分かった﹂
﹁えっ、えっ?﹂
オロオロしつつ、今どんな顔をしているか考える。う、うん、顔
熱い⋮⋮たぶん絶賛赤いと思う。
や、やばい。だってめちゃくちゃ可愛いんだって!緊張しない方
がおかしいだろ?男なら!あ、いや、女だけど、心は男だから。だ
ーヤヤコシイな!
とにかく、可愛過ぎるってことだ。
俺の鍛え上げたメイク術も侮れないな!
落、ち、着、け?
水無月くん男だから、いくら可愛過ぎてムラムラしても男だから。
688
水無月くんは、握った俺の手をそっと自分の唇に押し当ててきた。
それが、想像以上に柔らかくて、え、ちょっとまって、なにされ。
﹁りっぷが⋮⋮べたべたするから、気持ちわるくて﹂
﹁あ、あーーーーーー!そうね!そそそそ、そうですね!﹂
うわあああああ!いいい今、心臓とまるかとおもった!?
バクバクしつつも、袖で拭おうとするのを止める。
服についたら色が取れにくいし、唇に傷でもついたら大変だ。
﹁とってくれる⋮⋮?﹂
﹁あっ⋮⋮は、ははは、はい!了承しました!﹂
震える手を何とか抑えつつ、コットンを取り出して唇に押し当て
る。拭きとる際、肌に負担をかけないクレンジングを少しだけつけ
ておく。
そっと、柔らかい唇をなぞっている間、ずっと心臓がうるさかっ
た。
可愛くて、人形みたいで、良い匂いがして。
﹁お、終わったよ?﹂
﹁ん⋮⋮ありがと﹂
そう言って、そっと俺に笑いかけてきたその笑顔に、俺は。
689
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n7076by/
乙女ゲームに転生しました。
2016年12月21日19時46分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
690
Fly UP