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Title フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるベートーヴェン 観(2.欧米を

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Title フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるベートーヴェン 観(2.欧米を
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フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるベートーヴェン
観(2.欧米をめぐる論考,徳丸吉彦先生古稀記念論文集)
梅林, 郁子
お茶の水音楽論集
2006-12
http://hdl.handle.net/10083/4678
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Departmental Bulletin Paper
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フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるべートーヴ‘工ン観
梅林郁子
本論文は、フーゴー・ヴオルフ HugoWolf (
1
8
6
0-1
9
0
3
) の著した音楽批評文を研究対象として、ヴ
a
nB
e
e
t
h
o
v
e
n(
1
7
7
0-1
8
2
7
) とその作品に関連
オルフのルートヴイヒ・ファン・ベートーヴェン Ludwigv
する評価や考え方を明確にするものである O
1.はじめに
9世紀のドイツ・リートにおける代表的な作曲者として名を残してい
ヴォルフは現在に至るまで、 1
るO 彼はリート作曲を 1
8
7
5年の 1
5歳から始めてはいるものの、実質的には 9ヶ月間で 9
3曲という爆
発的な創作数を誇り、且つそのなかに〈メーリケ歌曲集) G
e
d
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nE
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dM
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e
.などの代表作も含
8
8
8年、つまりヴオルフ 2
8歳の一年間が、作曲人生において大きな転換点となっていることは
まれる 1
間違いないになぜ 1
8
8
8年に突如として作曲の筆が進んだのかは、後年精神病院に入院する原因とな
った梅毒の進行との関連や、精神疾患(操欝病)といった病的な理由も一端であろう O しかしそれだけ
でなく、 1
8
8
8年に向け徐々に音楽的な能力や技術を発展させるなかで、 1
8
8
4年 1月から 8
7年 4月まで
の約 3年間にわたって行った音楽批評活動で、聴いた作品を言葉として整理する機会を得たことが、間
接的で、あれ後の創作活動に役立つたのである o
ヴォルフはこの 3年間で『ヴィーナー・ザロンプラット j W
i
e
n
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rS
a
l
o
n
b
l
a
t
t
.(
以下『ザロンプラット』
と略記)誌に 1
1
2回にわたり音楽批評文を掲載した。このなかで彼は過去の大作曲者・当時の現代作曲
者を有名無名問わず組上に乗せているが、登場頻度の多い)1¥買に 3位までの名を挙げると、 1位にリヒヤ
c
h
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dWagner (
1
8日ー 8
3
)、2位にベートーヴェン、そしてヨハネス・ブラームス
ルト・ヴァーグナーRi
J
o
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sBrahms (
1
8
3
3-9
7
) とフランツ・リスト F
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t(
1
8
1
1:
-8
6
) が同じ頻度で 3位となる。当時
の音楽界でヴァーグナー派対ブラームス派という音楽論争が盛んであり、また親ヴァーグナ一、反ブラ
ームスの立場を非常に明確にしていたヴォルフにとって、この二人に関する批評の頻出は領ける O しか
し、ベートーヴェンがブラームスの登場回数よりも多い 2位であるのは、ベートーヴェンの作品の方が
コンサートで演奏される回数が多かったから、批評文にも良く取り上げられたと言うような単純な理由
に拠るとは考えられない。
ヴォルフ、及ぴヴァーグナ一作品の研究者であるアマンダ・グラウアート AmandaG
l
a
u
e
r
tが指摘する
ように、ヴァーグナーを崇拝し、批評文においても彼を好意的に評価したヴォルフは、作品においても
色濃く「ヴァーグナーやその遺産と関係を持っている J(GLAUERT1
9
9
9 :1
)0 一方でまた、ヴォルフ
の優れた評伝を残したフランク・ウォーカー F
r
a
n
kWalkerはヴォルフの弦楽四重奏に対し、「ベートー
ヴエン後期の弦楽四重奏やソナタを良く研究しているという多くの証拠が示されている。しかしながら
(中略)ヴァーグナ一作品の痕跡はほとんど見られない J(WALKER1992 :1
0
6
) と評価しており
2
)、
ヴォルフがヴァーグナーとはまた違った側面で、創作上ベートーヴェンの影響を強く受けたと述べてい
る口このような先行する作曲者からのヴオルフに対する影響は音楽批評にも反映したと考えられるが、
それにも関わらず、音楽批評においてはヴォルフの親ヴァーグナーと反プラームス的態度に焦点があて
られている先行研究が多い。そこで本研究では先行研究を踏まえつつ、ヴォルフがベートーヴェンの音
楽や作品をどのように考えて評価を下したか、彼のベートーヴェン観を『ザロンプラット jの音楽批評
を対象として明らかにしたい。
67
『徳丸吉彦先生古稀記念論文集 j
2
. 研究対象資料について
2
.
1
r
ザロンブラット j と音楽批評文掲載の過程
ヴォルフが音楽批評文を執筆した『ザロンプラット Jは、「退役将校で、貴族の聞で良く名の知られ
ていたモーリッツ・エンゲル M
o
r
i
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g
e
lによって創刊された J(WAL
阻 R1
9
9
2 :1
4
8
) 貴族階級のた
めの日曜版娯楽新聞で、記事として取り上げられる題材は、貴族の生活や趣味にとって有益な情報、つ
まり「季節ごとの舞踏会、スポーツ評、(中略)町で流行しているものや、これから流行しそうなこと」
(
i
b
i
d
.
:1
4
8
) などであった。
この上流階級向け新聞に、ヴォルフが専属音楽批評家として執筆することとなった経緯は、ケッヒェ
8
8
1年から、ヴォルフは知人の紹介で、ウィ
ルト家の指示から始まっている O 雇用に先立つ 3年前の 1
ーン宮廷の宝石商ハインリヒ・ケッヒェルト H
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h
e
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tの妻メラーニエ M
e
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eにピアノを教えて
おり、ケッヒェルト家とは家族ぐるみで付き合いがあった。ケッヒェルト家が『ザロンプラット Jに広
告を出していたことが縁で、ヴォルフは専属批評家としての仕事を得るが、実質的にはハインリヒが払
った余分の広告料から彼への給料が支払われていたのである。金銭的に慢性の困窮状態に陥っていたヴ
ォルフへの密かな救済措置で、あったが、ヴォルフはこのからくりに全く気付いていなかった。執筆を始
8
8
4年にヴォルフはようやく 24歳になるところで、少しずつ作曲や指揮活動を始め、音楽の家庭
めた 1
教師などもしていたとは言え、音楽界ではまだ無名の存在であり、また以前に音楽批評の経験もなかっ
た。そのため『ザロンプラット j も、彼の音楽的な批評能力を買って積極的に雇用するという訳にはい
かなかったのだ。
背景はともあれ、ヴォルフ側から見ればこの仕事は経済状態改善には非常に役立つたが、一方でほぼ
毎日曜日に批評文を書き続けるという生活は、目に見える形で作曲活動の進展とは結びつかず、批評文
執筆の 3年間に創作したリートは僅かに 1
2曲に過ぎない。しかしこの経験は、翌年からの爆発的な創
作活動の下地として積み重ねられていったのである o
2
.
2 研究対象資料の出版状況と批評文の日付
次に、本研究の対象資料であるヴォルフの音楽批評文について、今日までの出版状況を述べておきた
い。彼の音楽批評文については、現在までにドイツ語版が二種類、英語版が一種類出版されている O こ
の三種類の版では、批評文の日付について大きく二点の相違があるので、以下出版状況とともに日付の
す及いを石在言志しておきたい口
まず、ドイツ語では、 1
9
1
1年にリヒヤルト・バトカRi
c
h
a
r
dB
a
t
k
aとハインリヒ・ヴェルナー H
e
i
n
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i
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h
Wemerによる『フーゴー・ヴォルフの音楽批評 j HugoW
o
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sm
u
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a
l
i
s
c
h
eK
r
i
t
i
k
e
n
.が編集出版されており
(全く改変の無い第 2版 が 1
9
7
6年に出版)、 1
8
8
4年 1月 20日から 8
7年 4月 1
7日までに『ザロンプラッ
トJに掲載された 112篇の音楽批評文が含まれている D その後 1978年にヘンリー・プリーザンツ
He
町 P
l
e
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s
a
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t
sによって英訳版『フーゴー・ヴォルフの音楽批評 j T
h
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cc
r
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i
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s
mo
f
HugoWo
l
f
.が出版
されたが、ここでは上記のドイツ語版にはない 1
8
8
9年 4月 24日付けの批評文 1篇が付加され、全 1
1
3
篇の形となっている O しかし、 2002年にヴォルフ全集の一環として出版されたレオボルト・スピッツ
ア -Le
o
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i
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r編集の最新の批評集『ヴィーナー・ザロンプラットにおけるフーゴー・ヴォルフの
批評文 j HugoW
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ni
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a
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o
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b
l
a
t
t
.の第 l巻では 1889年 4月 24日付けの批評文は 1887年
同月日に変更され、全 1
1
3篇とされている。ヴォルフに関する他の先行研究でも、彼が 1
8
8
8年以降批
評を記した記録がなく、また 1篇だけ 1
8
8
9年に書かれたとも推測しがたいことから、この点ではスピ
ッツアー版の日付を尊重すべきと考える O
68
フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるベートーヴェン観(梅林)
第二の相違点は、パトカ;ヴエルナーとプリーザンツの双方の版において 1
8
8
6年 2月 1
4日
と
3月
1
4日の聞に挿入されている、日付の記載の無い批評文 (
B
A
T
K
A
;WERNER1976 :252,PLEASANTS
1
9
7
8 :1
9
3
) の日付についてである O 前後から正しい日付は 1
8
8
6年 2月 2
1日
、 2
8日
、 3月 7日の 3つ
8日の日付
の可能性が考えられるが、本論ではスピッツアーが確定している 2月 2
1
4
2
) を採用したい
(
S
P
I
T
Z
E
R2002 :
3
)
o
,
尚、プリーザンツ版には批評に関連する人物の写真や絵と注釈、そ Lてスピッツアー版第 2巻には更
に詳細な注釈が施されており、当時の演奏者や音楽界の状況を知る上で貴重な資料である。そのため、
本論ではスピッツアー版を中心としながら、英訳のプリーザンツ版を適宜参照し、ヴオルフのベートー
ヴェンに関する記述の考察を進めたい。
2
.
3 音楽批評文の掲載状況
上述の研究対象資料によると『ザ、ロンプラット Jに掲載されたヴォルフの音楽批評文は全 1
1
3回にわ
たっている。彼は、例年 6月から 9月までに 3カ月程夏期休暇を取る以外は、ほぼ週に一回、定期的に
執筆していた口
1
1.はじめに j で述べたようにヴァーグナー、ベートーヴェン、プラームス、リストの 3人は、ヴォ
0回、ベ
ルフの音楽批評文のなかで最も良く名前の挙がる作曲者であるが、その頻度はヴァーグナー 5
2回、ブラームスとリストが各々 3
1回ずつである
ートーヴェン 4
4
)0
[
表 1]に、批評文全体の掲載年
月とベートーヴェンに関する音楽批評文の掲載年月をまとめる O 表中、括弧書きされている数字がベー
トーヴェンに関する音楽批評文の数を示している O
{
表1
] 音楽批評文の掲載回数とベートーヴェン批評文の掲載回数
~
1
8
8
4
.
1
8
8
5
1
8
8
6
1
8
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7
言
十
7
8
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1
0
1
1
2
3
4
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3
3
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)
(
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)
(
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)
(
4
)
(
3
)
(
2
0
)
計
2
4
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0
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(
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)
(
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)
(
4
)
(
1
)
(
1
)
(
0
)
4
4
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4
5
O
O
O
2
3
5
3
3
5
(
2
)
(
0
)
(
1
)
(
2
)
(
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)
(
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)
(
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)
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0
)
(
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)
(
0
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)
(
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)
(
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3
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(
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)
4
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4
4
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O
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O
O
O
O
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(
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)
(
2
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(
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(
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)
(
0
)
(
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)
(
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)
(
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(
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)
1
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1
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1
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3
3
O
2
7
1
4
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1
(
5
)
(
6
)
(
6
)
(
7
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(
3
)
(
1
)
(
0
)
(
0
)
(
2
)
(
7
)
(
5
)
(
0
)
(
4
)
(
4
2
)
この表から、ヴォルフは 1
8
8
4年にベートーヴ、エンについて言及する機会を若干多く持っているが、
全体としては特定の期間に限定して論じたのではなく、満遍なくベートーヴェンを取り上げて批評して
いることが明らかである o
3
. ヴォルフの音楽批評文に関する先行研究
ここで、『ザロンプラット』におけるヴオルフの音楽批評文に関する先行研究について言及しておき
たい。年代1
)
買に
VARGES1934、JOHNSON1982、L
E
S
L
E1
9
9
1、F
LADT1992、MORCHEN1
9
9
9が代表的
なものとして挙げられるが、
1
1.はじめに」で述べたようにヴオルフの親ヴァーグナーや反ブラームス
6
9
『徳丸吉彦先生古稀記念論文集』
の態度について論じるものが多く、 JO
聞 SON1
9
8
2、LESLE1
9
9
1、そして MORCHEN1
9
9
9はいずれも、
この態度についての概要を示すものとなっている
5
)。また
FLADT1
9
9
2は、副題が「ヴォルフの批評を
批評する Jとなっているように、彼の作曲法の問題点と批評との関連を論じるものであるロ唯一、ヴォ
9
3
4だが、この研究はヴオルフと、当時親プ
ルフのベートーヴェン批評を扱っている研究は VARGES1
ラームス派の立場を取っていた音楽批評家エドゥアルト・ハンスリック E
d
u
a
r
dH
a
n
s
l
i
c
k(
I8
2
5-1
9
0
4
)
の批評を比較研究することが主目的であり、ベートーヴェン批評に関しでも「フーゴー・ヴォルフとエ
ドゥアルト・ハンスリックによる批評的報告における独創性」の項目のなかで、/すツノ¥ヘンデル、グ
ルック、モーツアルト、シューベルトなどいわゆる古典主義からロマン主義にかかる作曲者評の比較対
象のひとつとして扱われるのみである O
このように、これまでヴォルフのベートーヴェンに対する評価に焦点をあてた研究は行われてこなか
ったので、次項より批評文について、具体的に内容を検討したい。
4
. ベートーヴェンに関する音楽批評文の内容
4
.
1 内容の分類
1
2
.
3 音楽批評文の掲載状況jで述べたように、音楽批評執筆期間中、ほぼ満遍なくベートーヴェン
を取り上げていたヴォルフだが、その内容もやはり執筆期間の特定時期に限らず、全体として大きく次
の四種類に分類できる 0'
①作曲・作品の評価
②演奏の評価
③聴衆の評価(ベートーヴェン作品を聴く際に限定)
④プログラムの紹介
この各分類に対して書かれた批評文の一覧を、日付順に記すと【表 2
] の通りである
6
)。
{
表 2] 批評文の内容と該当する文章の年月日
内容
月日
年
1
8
8
4
川.......~....回目噌
~...N
2
/
1
0, 3
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2
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1
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/
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1, 1
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1
/
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3
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2
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.
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①作曲・作品の評価
1
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…
… 目
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一 ・
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句
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時
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句
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…
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一
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-…….,.-…一一………………………
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②演奏の評価
1
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6
……… ……}悶……
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…“一一一一…“…………一……単一一 …剛剛一一一一一叫…………一一一一一
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2
…………蜘 ……ー……… … … … … … …ー……一………_.'"… 山
③聴衆の評価
④プログラムの紹介
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1
8
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2
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1
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6
.
.
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.
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“
…
四
一
…
…
.
.
.
.
…
町
一
,
.
.
.
.
. …一…叩…
町
一
'
一
…
"
"
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'
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フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるべートーヴ、エン観(梅林)
このように、ヴォルフの執筆したベートーヴェンに関する批評文は、特に「①作曲・作品について j
と「②演奏について」が大半となっている O この表を基に、以降分類ごとに論じていくが、「④プログ
ラムの紹介Jについては、コンサートにベートーヴェンのどの作品が演奏されたかという曲名の記述程
度に過ぎないので、本論文ではここで分類として挙げるのみとし、以後詳述しない。
4
.
2 ①作曲・作品の評価
この項目では、ヴォルフにおけるベートーヴェンの作曲・作品の評価を、 a
.ヴァーグナーとの比較、
b
.ベートーヴェンを中心とする作品評価の二点から論じる
O
4
.
2
.
1 a
.ヴ‘ァーグナーとの比較
5歳のときに、予てより憧れの的であったリヒャルト・ヴァーグナーに会っている O そ
ヴォルフは 1
の会見は、ヴァーグナーに体よくあしらわれただけで、終わったにも関わらず、ヴォルフのなかに強烈な
印象を残した。そして彼は生涯ヴァグネリアンとして生き、批評文のなかでも折々に親ヴァーグナ一派
として論障を張ることとなった。しかし、彼の作曲上の尊敬すべき人物はヴァーグナ一一人ではなかっ
用1]は、ヴォルフがヴァーグナーだけでなく、ベートーヴェンの作曲法も高く評価して
た。次の日 l
いることを示している
7
)。
[~l 用 1] おそらくベートーヴェンとヴァーグナーのみが、非常に内的で扱いにくい主題を、純粋
に音楽的に、自由に扱うことができるだろう
o
(
1
8
8
4
.
0
3.
30
)
さらにヴォルフは、ベートーヴェンの音楽に特有の要素について言及する O
[~ I
用2
] ベートーヴェンの〈ミサ・ソレムニス〉を聴き、感じ、理解する者は誰でも、高められ、
解放され、救われた。(中略)彼が世界中に力強いクレドを鳴らしたと同様に、岩のように固い信
仰を持つものは、とりわけこの世において普通で、悪く、偽善的なものよりも高められた位置にい
るo (
1
8
8
4
.
0
3
.
0
9
)
[
5
1用 2
] の補足として友人宛書簡を引用すると、「ヴァーグナ一芸術の酔うがごとき麻酔のあとでは、
ベートーヴェンの音楽は天のエーテル、森の空気のように思われる。ヴァーグナーは私から呼吸を奪い、
私を地面にたたきつける。ベートーヴェンは肺を広げ、精神を解放し、人を文字通り良い人間にする o
ヴァーグナーの音楽は、あまりの充溢のため人をおとしめて虫に変えるようだJ(
DORSCHEL1
9
9
2
21)。とヴォルフは述べている o [引用 2
] のベートーヴェン作品における「解放 A
u
f
l
o
s
u
n
g
J や救いと、
書簡におけるベートーヴェシの音楽による精神の「解放」は同じ意味合いを示している O つまり、ヴォ
ルフはヴァーグナーとベートーヴェンを全く同じように捉えているのではなく、ヴァーグナーの音楽に
は実現できないことをベートーヴェンから聴取し、それによってベートーヴェンをヴァーグナーよりも
高い位置に置くのである o 日│用 3
] はこの立場をより明確に示している O
[~ I
用3
] グルック、モーツアルト、ヴァーグナーは、私たちの神聖な三位一体の神であり、その
8
8
4.
1
1
.2
3
)
三人はベートーヴェンにおいて一体となった。(1
ここでは、ヴァーグナーがベートーヴェンに集約されたこととなり、作曲者の生没年を中心に考える
7
1
『徳丸吉彦先生古稀記念論文集 j
と}
I
頁序としては逆だが、ヴォルフの音楽に関する捉え方は時を超え、ベートーヴェンはヴァーグナーを
一体化する上位に存在すると把握されたので、あった O
4
.
2
.
2 b
.ベートーヴ、ェンを中心とする作品評価
上述のようにヴォルフはベートーヴェンを、音楽的に高い次元の神として捉えたが、この考え方は次
の引用文でも形を変えて現れている。
【ヲ│用 4
] 絶対音楽作曲者としてのベートーヴェンは、交響曲において最後の言葉を述べた。
(
1
8
8
4
.
0
4
.
幻)
このようにベートーヴ、エンを非常に高く評価する一方で、ヴォルフはベートーヴェン以外、及び以後
の作曲者を評価に値しないと考えている訳ではない。彼はベートーヴェンをひとつの作曲上の到達点と
見倣しており、それ故、彼はベートーヴェン以外の作品に、ベートーヴェンの音楽を基準として当ては
めるのである。
【引用 5
] ブルックナーの交響曲をベートーヴェン以後に書かれた最も重要な交響的作品として記
すことを跨踏わない。(中略)ブルックナーの交響曲においても私たちは雄大な主題とベートーヴ
ーェンの語法の思慮深い推蔽を感じ取る。 (
1
8
8
4
.
1
2.
2
8
)
ヲ
{1
用6
] ベートーヴェン後の室内音楽作品のうち最高級の真珠であるルーピンシュタインのヴァ
p
.
1
9 ・・・
イオリンソナタ o
(後略) (
1
8
8
4
.
0
3.
2
3
)
[
5
1用 7
] 変ロ短調交響曲は未完成で(中略)巨匠ベートーヴェンの歩みについていこうとするシ
ューベルトの野心を失敗に終わらせている。(18
8
4
.
0
4.
13
)
[
5
1用 5
1ゃ [
5
1用 6
1の発言を見る限り、ヴオルフはベートーヴェンを作曲の最高位におきつつも、
その後彼の音楽を打開したと考えられる作品に関しては、ベートーヴェンとの比較を通じて積極的に評
価している o しかし{引用 7
] に見られるように、ヴォルフにとって評価できない作品においても、そ
の基準はやはりベートーヴェンなのである。
4
.
3 ②演奏の評価
この項目ではベートーヴェン作品の演奏に対する評価を、 a
.好意的な評価、 b
.批判的な評価の二点か
ら考察することで、ヴォルフが求めていた理想的なベートーヴ、エン作品の演奏について論じる O
4
.
3
.
1 a.好意的な評価
まず次の引用文から、ヴォルフがベートーヴェンの作品において、どのような演奏を良しと認めてい
たのか検討したい。
[
51用 8
1 もし彼〔アルトウール・フリートハイム J8) が(中略)ベートーヴェンの精神に入り込
めるなら、勝利は彼の手中にあるだろう o (
18
8
4
.
0
4
.
1
3
)
{
ヲ
!
用9
] したがって、彼〔アウグスト・ヴイルヘルム〕の飾らない真実味、作曲の精神における
72
フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるべートーヴ‘ェン観(梅林)
静かな没頭は、男性らしい演奏法として威厳づけられ、特に彼をベートーヴェンの福音のエヴァン
ゲリストとして特徴づける o (
1
8
8
7
.
0
3
.
1
3
)
他にもヴォルフが好意的に評価している演奏者は多々いるが、何故良いのか、またはどうしたら良く
なるのかと言う点について述べている批評文は、日│用 8
) と【引用 9
) の箇所のみである O この二つに
e
i
stJであろう
共通の言葉はベートーヴェンの、そして作曲の「精神 G
O
引用文からは、ヴォルフが
「精神」と具体的な演奏法との関わりをどのように考えているかは見えてこないが、彼はベートーヴエ
ンの「精神Jが音楽的に表現されているか否かの判断基準を自身のなかに持っており、それを満たして
いる、または満たすであろう演奏者に対して良い評価を与えたのである。
4
.
3
.
2 b
. 批判的な評価
演奏に対する批判的な評価は二種類に分けられる O
[
51用
1
0
1交響曲〔第 9
J は完壁に演奏された。(中略)一方でライヒマン氏は、人目を引くほどの
1
8
8
5
.
0
4.
19
)
表現力の欠如をもってレチタティーヴォを歌った。 (
{
ヲ
!
用 1
1
) ベートーヴェンの弦楽四重奏ホ短調 o
p
.
5
9の演奏には、多くの欠点があった。特にヴィ
、第 2楽章のアンサンプル
オラパートの演奏は、彼の演奏が時に出すぎ、時に抑制されすぎ、第 1
の統ーが邪魔されていた。 (
1
8
8
6.
1
1
.2
8
)
まず、[ヲ│用
1
0
1、[51用 1
1
1に見られる表現力の欠如やアンサンプルの不統一と言った批評だが、こ
れは今日の演奏においてもベートーヴェンの作品演奏に限らず、一般的に指摘されることの多い問題点
、と言えよう D 確かにこの場合、ヴォルフの批評の対象はベートーヴェンの作品であるが、上記の批評文
は、仮に他の作曲者の作品でも同様の演奏であれば、同様の批評が行われたと考えられるにすぎない。
一方で、ベートーヴェンの「精神Jを表現し得ない演奏を明らかにするには、次の引用文のような、
ベートーヴェン作品における固有の演奏批判を検討する必要がある。
[
5
1用 1
2
) [ルーピンシュタインの〕恐ろしく速いテンポ、例の無い解釈の自由さ、特にニ短調ソ
ナタ第 l楽章におけるレチタティーヴォ的なフレーズの卓越したパッセージを扱う冷淡さなど。こ
8
8
4
.
0
2
.
1
7
)
れら全ては、英雄的なヴイルトゥオーゾの明るい栄光の下にある暗い汚点だ、った。(1
[51 用 131 不幸なことに、彼〔ハンス・フォン・ビ、ユーロ ~J はベートーヴ、エンとも親しい間柄で
(中略)、特に彼は生きているベートーヴェンに畏敬の念を覚えている o そこで彼はベートーヴェン
を殴り殺す。(中略)死体は注意深く切断され、器官は鋭く細部までなぞられ、腸は腸ト者の目的
で調べられる。(中略)この切り刻まれたベートーヴェンは、コンサートホールではなく、音楽学
校に所属するものだ D 彼のコンサートのチラシはベートーヴェンの演奏ではなくベートーヴェンの
生体解剖と告知すれば(中略)本質が的確に伝わるだろう。(中略)ベートーヴェンのこの手術に
ついて、唯一満足(!
)できることは演奏にあたっての技術だ、った。 (
1
8
8
7
.
0
2
.
0
6
)
s
I用 14) 組織的にベートーヴェンを殺している。そしてそれもまた芸術と言うのだ。しかし、ツ
ェルニーによる指の練習のように盲目的に巨人に襲いかかるのは、あまりにも行き過ぎだ。
7
3
『徳丸吉彦先生古稀記念論文集 J
(
1
8
8
7
.
0
2
.
2
7
)
sI用 1
2
1 から{ヲ l
用1
4
1 までの批評文は、ベートーヴェンの作品をどのように演奏してはいけない
か、を述べたものである O この 3つの引用文を一言でまとめるならば「冷淡な演奏Jは絶対に認められ
ないという態度であろう o レチタティーヴォを扱う際の冷淡さ、分析しすぎて作品本来の持つ動的な魅
力からかけ離れてしまった冷淡さ、指の練習のように扱う冷淡さ o ヴォルフにとって冷淡な演奏という
ものは「ベートーヴェンの演奏ではなく、ベートーヴェンの生体解剖」としか考えられない。ベートー
ヴェン作品の演奏とは生命力溢れる演奏と同義であり、それがベートーヴェンの「精神Jを表現する演
奏となるのだ。
4.4③聴衆の評価(ベートーヴ.ェン作品を聴く際に限定)
このようにヴォルフは、演奏者が生きた演奏をすることで、ベートーヴェンの「精神」に入り込むこ
とを要求するのだが、一方で受け手側となる聴衆は、どのような態度でベートーヴェンの演奏に臨むべ
きなのか、やはり引用文から検討したい。
5
] あなたは、あなたのベートーヴェンが、あなたの心から彼の旋律を書いたなどと想像で
[
ヲ
│
用 1
きるだろうか。(中略)あなたたち聴衆は、彼を捉えたことも、感じたことも、理解したこともな
い。あなたは彼を何度も阻噂し、吐き出し、そしてまた彼の味が分かるまで何度も岨噂した。しか
し本当のところ、彼はあなたの味覚に訴えてこない。そしてもしある日、輝かしいウィーンの批評
家たちが、結局のところベートーヴェンは哀れな作曲者で、彼の知的な滋養物は著しく不健康だと
あなたに告げるなら(中略)、もうベートーヴヱンから何かを聴こうと望まないだろう
[~I 用 16]
o
(
1
8
8
5.
4
.
5
)
しかしもし、(中略)手を叩き、足を踏み~鳴らす以外に方法が無いのなら、私たちの関
わり方は何か間違っている o (中略)まるでマジックミラーのように、コリオランの偉大な影がゆ
っくりと視界から消えていくなかで、目は麻揮したようにじっと前を見ている o 涙はまだ流れ、心
臓は強く打ち、息は浅く、四肢は痘撃している O しかし最後の音が消えかかると、そこであなたは
楽しく陽気におしゃべりし、批評し、手を叩く
o
(中略)あなたは何も見ずw 何も感じず、何も聴
1
8
8
5
.
1
2
.
0
6
)
かず、何も理解していなし E。何も、何も。 J(
この引用で、ヴォルフは聴衆に対してベートーヴ、エンを聴く資格が無いと言わんばかりに、皮肉交じ
りで激しい非難を繰り広げている O 彼はベートーヴェンの音楽が人々の心から生み出されたからこそ、
その演奏が聴衆に受け止められていくという状況を思い描いていた。ヴォルフにとってベートーヴェン
の音楽は上辺で捉えられるものではなく、彼の音楽に沈み込み、「精神」を理解し、演奏のなかで共に
生きることのできる人々が理想の聴衆だ、ったのだ。しかし、実際の聴衆はベート}ヴェンの音楽からひ
どく遠いところにいて、何一っそこから本質的なものを得ていない。生命力溢れるベートーヴェンの演
奏を理想とするヴオルフは、聴衆においてもまたそれに応じた生き生きとした反応を要求したのであっ
た
。
5
. まとめ
本論は、ヴォルフの音楽批評文を対象に、ベートーヴェンと作品に関連する考え方や評価といった、
7
4
フーゴー・ヴォルフの音楽批評におけるベートーヴ、ェン観(梅林)
ヴォルフのベートーヴェン観を明確にすることを目標として、大きく①作曲・作品の評価、②演奏の評
価、③聴衆の評価の三項目を立てて論じた。
ヴァグネリアンであったヴォルフはベートーヴェンの音楽に[解放Jを感じ、実際ヴァーグナ一以上
に高く評価していた。そして他の作曲者を評価する際でも、ベートーヴェンの作品を基準として判断を
下したのである o また、その演奏においては、ベートーヴェンの「精神Jを生命力に溢れた形で具現化
することが肝要であり、あまりにも技巧的であったり、分析の度のすぎる冷淡な演奏を認めることはな
かった。一方で聴衆においても、ベートーヴェン作品の演奏のうちに彼の精神を生き生きと体験し、受
け止めることを求め、それにふさわしくない者たちを痛烈に非難じたのであった。こうしてヴォルフは
ベートーヴェンを作曲上の完壁な理想像として評価するとともに、他者に対しでも同様の態度を要求し
たのである。
最後に、ベートーヴェンにまつわるエピソードをひとつ挙げたい。ヴォルフは晩年妄想がひどくなっ
て精神病院に入院し、もはや作曲ができなくなった後も、病院の個室に置かれたピアノで「独りで過ご
p
.
9
0の第二楽章を繰り返し演奏していた J(WALKER
す際には、ベートーヴェンのソナタホ短調 o
1
9
9
2 :4
6
0
) という証言"が残されている。この話からも、ヴォルフのなかで最後まで、残った音楽は
ヴァーグナーを超えた作曲上の神、ベートーヴェンであったと言えよう
O
註
1)作曲を始めた 1
8
7
5年 (
1
5歳)から 1
8
8
7(
2
7歳)年までに作曲されたリートは、 1
3年間を通じて
8
7曲に過ぎない D
2)ウォーカーは同様に、ヴォルフのオペラ〈お代官様〉 DerC
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g
i
d
o
r
.においてもベートーヴェンの
9
9
2 :107-10
針
。
影響を指摘している (WALKER1
3)他に細かい点として、パトカ;ヴェルナ一、プリーザンツの両版と、スピッツアー版の間で、【表
3
] のように二箇所日付の相違が見られるが、本論文では全てスピッツアー版の日付を採用した。
{
表 3)日付の相違
パトカ;ヴェルナー版
スピッツアー版
プリーザンツ版
1884年 02月 08日
1884年 02月 1
0日
1886年 0
5月 02日
1886年 0
5月 0
5日
4)他にヴォルフが批評のなかで名を挙げた作曲者を頻度順に 5位から 1
0位まで記すと以下の通りと
なる O
5位.ロベルト・シューマン Robe
託 S
chumann (
1
8
1
0-5
6
)3
0回
6位.ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト WolfgangAm
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1
7
5
6-9
1
) 26回
71:立.エクトル・ベルリオーズ H
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1
8
0
3-6
9
)2
4回
8位.カール・マリア・フォン・ヴェーパ一 C
a
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nWeber (
1
7
8
6-1
8
2
6
)1
9回
9位.アントン・ルーピンシュタイン A
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n(
1
8
2
9-9
4
)
フランツ・シューベルト F
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b
e
r
t(
1
7
9
7-1
8
2
8
) 同頻度で各 1
6回
5)ヴォルフの反ブラームスの立場は、一般的にエドゥアルト・ハンスリックがプラームスを擁護した
ことから、反ハンスリックとも捉えられがちである O しかしこの点でカール・ジョンソン C
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J
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nは、必ずしもヴォルフとハンスリックが、ブラームスを聞に挿んで敵対していたわけではな
75
『徳丸吉彦先生古稀記念論文集 J
いことを、批評文の実例を挙げて説明している (JOHNSON1
9
8
2 :l
3
)
。
6
)[
表 2]においては、一日分の批評文に複数の項目が含まれる場合がある。
7)以下、ヴォルフの批評文の引用は口で囲んで表示し、『ザロンプラット J掲載年月日を付記する
8
) 引 用 文 中 の ( Jは筆者による補足を表す〈以降の引用文においても同様)
0
9)これはヴァーグナー協会員で、音楽に造詣の深かった病院職員アウグスト・シュテイグルパウアO
A
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引用・参考文献(著者アルファベット順)
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2の邦訳) ヴオルフ』樋口大介訳東京:音楽之友社.
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