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与格は「授与の格」

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与格は「授与の格」
与格は「授与の格」か?
a 田 大 介
0. はじめに
与格は「授与の格」であろうか? 結論から言うと与格は別段「授与の格」ではない。
もちろん,だからといって「与格」という名称を変えよ,などと言っているのではない。文法項
目の名称は出来る限りその本質を表したものでなくてはならないが,とはいえ畢竟便宜的なものに
すぎない。たとえば日本では与格は西洋古典学が入ってきた時分から「與格」であるが,奪格はか
つて「従格」とも称せられていた。名前などひとたび定着したらあとは諦めて従うしかない。また,
...
与格は授与の構文にばかり使われるのではない,などと当たり前のことを言っているのでもない。
そもそも「与格は授与構文にもっぱら用いられる格だ」などと考えている者もあるまい。与格の受
けもつ意味価が非常に広範にわたるというのは常識的な認識だ。ここでの問題は,授与構文に用い
られる与格用法から一般化して与格の持ちうる様々な意味価を解釈することに対して,疑義を呈す
ることである。
1. 語彙的与格を基本とする与格論
ところで与格はなぜ「与格」と呼ばれているのか。「与格」はたとえば独語の Dativ の訳語であ
り,その源はラテン語の dativus casus, さらに遡ればギリシャ語の
語法である。dativus は dō/dare「与える」に,かたや
は
に淵源する用
/
「与える」に由来
する形容詞であり,既にアリストテレスの時代,さらにはストア学派の時代から与格は授与動詞と
の共起によって注目され,「授与の格」と名付けられていたことになる。
なるほど与格はとりわけ「与えられる人」に充てられる,すぐれて「授与」に関わる格ではある。
そこで,しばしば授与動詞と共起するものこそ与格の基本的用法 Dativus proper (H OECKE 1996) だと
見なされることになる。授与構文では三価動詞 (verbe trivalent) の支配下に三項 (trois actants) すなわ
ち授与者/被授与物/被授与者の三者が,それぞれ主格/対格/与格に配分されるのだと説明され
る。三価動詞とは語彙的な性質として内項 (argument intérieur) を三つ持つ動詞と定義され,こうし
--- 85 ---
た三価動詞が要求する必須第三項としての与格の用法は,動詞の語彙特性によって要求(選択)さ
れることから語彙的与格 (datif lexical) と呼ばれている。授与動詞はまさしく三価動詞の代表であり,
(1) のような授与を表す構文が典型的に語彙的与格を要求するものとして考えられている。
(1) a.
fr.
donner
quelque choseACC à quelqu’unDAT (1)
b.
angl.
give
somethingACC
to someoneDAT
c.
all.
geben
etwasACC
jemandemDAT
そしてかかる授与構文の基盤として「空間的移動の励起」あるいは give schema (SHIBATANI 1994) な
る基底構造(意味概念構造)が想定される。この説明では voler, enlever などの分離を表す動詞も同
じく三価動詞とされ,運動の方向が異なるだけで基本的構造は授与動詞と異ならない。
(2) 動作主
被動作主
● →(力の伝達)→
主語
●
受容者
→(移動)→
目的語
●
与格
(TAKEMOTO 2000:2)
......
こうした移動概念に基づく三価動詞の選択する内項構造からの類推によって ,拡大与格 ( d a t i f
étendu) に代表される「動詞に選択されない項」(HAYASHI 1996) としての与格用法 (3c) も説明され
てきた。
(3) a. NP0 CAUSE [NP1 GO TO NP2]
Il lui a donné la vaisselle.
b. NP0 CAUSE [NP1 COME FROM NP2]
Il lui a volé la vaisselle.
c. NP0 CAUSE [[V NP1] GO TO NP2]
Il lui a cassé sa vaisselle.
(YAMADA 1985)
また武本 (TAKEMOTO 2000) では三項動詞に選択される内項としての与格を用いる与格構文を「中心
的与格構文」(4a) と置き,動詞の内項ではない与格を用いる所有与格構文(周辺的与格構文) (4b)
との間に比喩的拡張による継承関係を見る。
(4) a. ‘X causes Y to lose Z’ / ‘X causes Y no longer to have Z’
Jean lui a volé son portefeuille.
b. ‘X causes Y no longer to have Z as it is’
Jean lui a cassé son vase.
(TAKEMOTO 2000:5)
いずれも三価動詞の三項図式,ひいては物体の移動という概念図式に依拠して与格の「基本的用
法」を規定し,それを与格用法一般に拡張して適用しようという発想である (2)。しかし我々には,
こうした思考図式は転倒したもののように思われる。上のように動詞の内項ではない与格が問題に
なるのは,たとえば「所有の与格」の諸相について,主格と対格しか要求しない二項動詞や主格の
みを要求する自動詞と共起する「特殊」な与格用法に説明をあたえ,その複雑な使用制限を明らか
にしなくてはならないからだが,ちょっと視点を他の諸言語に転じてみれば,所有の与格と自動詞
との共起などごく当たり前のことである(3)。
--- 86 ---
問題は次の二点に集約的に示される。
(5) 三価動詞との共起を与格の基本的用法とするならば,与格は本来的に他動性と深く結びつ
くことになる。それは本当か。
(6) 移動の励起という意味概念構造を深層に規定するならば,与格はプロトタイプとしては物
理的移動と深く結びつくことになる。それは本当か。
我々の答えはいずれも否定的なものである。まず印欧語の与格一般に関して,上の二つの答えに
対しては答えは否であり,フランス語においてさえもやはり答えは否である。
もとより移動の励起という概念構造を基盤とし,したがって他動性を与格の条件とすることに辛
うじて意味が見いだされるのは英語やフランス語のような,元来他動性の高い類型論的特質をもつ
言語においてである。与格の自動詞との共起は英・仏を離れればふつうに見られる。他動性は与格
の本質的与件ではないのではないか。いずれの言語でも,授与動詞と与格の共起は極めて頻度が高
..
く,与格を要求する構文として典型的なものである。だが頻度の多寡は,これをもって与格の基本
....
的な用法とするに足る根拠にはならない。まず第一に,我々の所論においては「授与の与格」は与
格用法のなかでも,むしろ特殊なものであり,印欧諸語における与格の振る舞いを一般的に検討す
ると,語彙的与格から二次的に導かれたとされる拡大与格の用例の方が,むしろ与格の本質を体現
するものだと考えられる。そして,ここでいう与格の本質的性格は,もちろんフランス語にも妥当
するのである。それを以下に論証する。
2. 与格の統辞的特性
フランス語をはじめとする近代語の与格用法は,古典語,とりわけラテン語における与格の用法
と著しい相似関係を見せる。フランス語では定義上,形態としての与格は代名詞の接辞・強勢用法
に限られるわけだが, à SN のような前置詞句による「意味格としての与格」の振る舞いも,おお
むねラテン語の与格用法と平行関係を保っている。以下三点の指摘は高田 (TAKADA 2001) において
ラテン語を中心に与格の意味価を検討した際に既に触れた問題系であるが,近代諸語にもほぼ同じ
現象が指摘できる。ラテン語の与格の統辞的特性から抽出したテーマを英・独・仏語に適用して観
察してみると,与格の振る舞いが近代語でも一貫していることが判るのである。
2.1. 与格は態の変換・話法の転換に当たって格の変化を被らない
能動文 (7a), (8a) を受動文 (7b), (8b) に書き換えると,定動詞が受動態に換わるのに連動して前者
における主格・対格がそれぞれ奪格・主格に置き換わるとされる。また直接話法 (9a), (10a) を間接
話法 (9b), (10b) に書き換えると,不定法構文を用いた場合,定動詞が様々に置き換わるのに連動し
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て主格が対格化する。このように態や話法を転換すると動詞をめぐるそれぞれの格がのきなみ配置
転換される。ところが与格だけは受動化においても,話法転換においても,動詞をめぐる構造の変
化の影響を被らない。
(7) a. nisi suppliciumNOM mihiDAT das
(PL. Ep. 724)
汝が我に罰を与えないならば(4)
b. mihiDAT suppliciumNOM virgarum de te ABL datur
(PL. Mil. 502)
私に鞭打ちの罰が汝から与えられる
(8) a. BonisDAT nocet, quiNOM malisDAT parcit.
(NAKAYAMA 1993:42; cf. APUL. Plat. 2,17)
悪しき者に容赦を与えると,その(容赦を与えた)者は良き者に害をなす
b. BonisDAT nocetur ab eoABL, a quoABL malisDAT parcitur.
(NAKAYAMA 1993:74)
悪しき者に容赦が与えられると,
その(容赦を与えた)者によって良き者に害がなされることになる
(9) a. clamore exaudito dat tuba signumACC suisDAT Vercingetorix
(CAES. B.G. 7, 81, 3)
叫びを聞いて,V. は喇叭で自軍に合図を与える
b. obsidesACC sibiDAT dare coegit
(CAES. B.G. 6, 3, 1)
人質を彼に与えることを強いた
(10) a.
IlleNOM venenumACC regiDAT dabit.
彼が王に毒を盛るだろう
b. Ille promittit
(彼は約束した)
seACC venenumACC regiDAT daturum esse.
(NAKAYAMA 1993:107)
自分が王に毒を盛るであろうと
この現象は,与格を格形態上明示する言語には普通に観察される。ドイツ語の受動化の例を挙げ
る。(11a) の能動形に対して (11b) では受動形をとっているが,与格は与格のままである。
(11) a. JemandNOM gibt etwasACC jemandemDAT
b. EtwasNOM ist jemandemDAT gegeben.
能動で与格を要求する二価動詞でも,たとえば helfen +
誰かが誰かに何かを与える
何かが誰かに与えられている
DAT「助ける」が受動文を構成する際に,
与格が主格に転換することはない。しかし受動化にさいして主格に転換すべき対格語句もない。で
はどうするか。与格は与格のままで,主語無し文になるか (12b),非人称の Es を主格に立てるか
(12c) が選ばれるのである。
(12) a. Die FeuerwehrleuteNOM helfen den VerletztenDAT.
消防隊員は負傷者を(=与格)助ける
b. Den VerletztenDAT wird von den FeuerwehrleutenDAT geholfen.
c. EsNOM wird den VerletztenDAT von den FeuerwehrleutenDAT geholfen.
(b, c) 負傷者は(=与格)消防隊員によって助けられる
同じ現象がフランス語にも観察される。
(13) a. Je donne un livre à Marie.
b. Le livre est donné à Marie.
c. *Marie est donné un livre.
--- 88 ---
(HAMAZAKI et alii 1998:51)
三価動詞の受動化において間接目的語が主語になることが出来ないのはなぜか。それは与格が,主
格・対格とともに動詞が形作る構造の外部にあり,原則として能動・受動の主客関係とは独立して
いるからである。フランス語の与格は語彙的与格ですらも完全には「語彙化」していないのである。
では逆に,英語では受動化の際に,間接目的語が主語になりうるのは何故か。
(14) a. He gave her a book
b. The book was given to her.
c. She was given a book.
それは英語においては間接目的語が完全に語彙化しているからだと考えられる。与格がその語の全
幅の意味において語彙化しているのは英語ぐらいのものであると言っても良い。いわば英語では被
授与者 (her) は対格語句も同然なのである。この説明の傍証となる観察は,代名詞系列に維持され
がちな与格の形態マーカーが,英語においてはまったく失われていることである。与格を形態の上
で明示する独語や,三人称代名詞 (le/lui) に対格・与格の対立を保持しているフランス語とは異な
り,英語では直接目的語にあたるものと間接目的語にあたるものとに形態上の差異がない。
その一方で,興味深いのは,被授与物 (book) が主格化した (14b) で与格のマーカー (to her) が要
求されることである。同様に,三価動詞と言われる give でも焦点化が異なれば二価動詞+Xとして
振る舞い,被授与者には与格マーカー付きのかたちを選んだ方が自然な文と受け取られる。
(15) a. He gave the book to her.
b. (?) He gave a book to her.
c. (?) He gave her the book.
このように,ふつう与格構文のプロトタイプとして考えられている英語の give someone something
の構文は,かなり特殊なものなのである。だからこそ,ROUSSEAU (1998:89) のような germaniste の
なかから,間接目的語を擁する構文を「二重対格構文」として扱おうとする動きさえ出てきている。
2.2. 与格支配の前置詞がない
ラテン語では対格と奪格はそれぞれ前置詞の格支配を受ける。また同じ前置詞が対格・奪格の両
者を支配し,同時に前置詞意味価がそれぞれの場合に変わる (in+ABL.「中に」/ in+ACC.「中へ」) 。
しかし与格支配の前置詞はラテン語にも,さらにはサンスクリットにも存在しない。ギリシャ語や
独語では前置詞が与格を支配するかのように見られるが,これら与格支配前置詞の諸用法は往々に
して与格に習合した奪格(奪格・処格・具格)の意味価に対応していることを見逃してはならない。
とりわけドイツ語における前置詞格支配下の対格・与格(むしろ4格・3格)の対立は,ラテン語の
対格・奪格の対立に相当するものであり,ここで3格を「与格」と規定することには意味がない。
--- 89 ---
前置詞支配は,例えば印欧語古基層では格語尾の変化だけで表現できた実詞(名詞・形容詞)本
来の格役割が,時代とともに語形・機能ともに曖昧になり,これが前置詞によって再び明確化・顕
在化されるに至ったものである。したがって与格に関して前置詞がないことは,与格では格形が確
定しやすい代名詞系列の使用例の頻度が高いことはおいても,与格は,動詞を中心とする格役割の
明確化・具体化を必要としない,あるいはそうした明確化・具体化になじまない格であるというこ
とを意味する。
こうした与格の特性はフランス語においてはどういう現象として現れるか。後述(§ 3)するよ
うに与格・属格の対立,与格・奪格の対立において,属格と奪格がいずれも具体的・客観的な事態
の描写を受け持っているのに対して,与格は一貫して抽象的・主観的な文脈で用いられることが挙
げられる。
2.3. 与格は動詞の性質に関わらず,望めば登場させうる
§1で触れた通常の説明に従えば,与格は三価動詞と共に用いられるものであり,すぐれて他動
性を要求する格であるということになる。自然,この線での説明は,与格は他動詞に共起するのが
本来であり,他動性の低い動詞や状態動詞とは共起しにくいという結論に導くことになる。しかし
与格は実際には他動性の如何にも,動詞が内項を幾つ必要とするかにも,さらには通常の意味での
構文上の必要性にもほとんど関わりなく出現する。自動詞との共起 (18), (19),心性の与格 (20),
(21) の例を挙げる。与格の出現に他動性はほとんど無関与である。
(18) ipsa sibi est oneri cervix umeroque recumbit.
(OV. Met. 10,195)
頸それ自体が自らに(=与格)重荷であり,肩にぐったりもたれかかっている
(19) uxor in thalamo tibi est,
(CATUL.61,192)
妻が婚姻のしとねにお前に(=与格)いる→お前を待っている
(20) ego hanc machaeram mihi consolari uolo
(PL. Mil. 5)
俺は,この剣が俺に(=与格)慰めになってくれること,それが望みだ
(21) quid tibi uis?
(CIC. de Or. 2, 269)
いったい全体(=与格)
,お前はなにが望みなんだ?
このことがフランス語においてはどういう現象として現れるか。現にフランス語でも与格が自動
詞や与格を要求しない(はずの)二価動詞と共起する例が挙げられる。
(22) Ida lui a marché sur les pieds.
(LEGENDRE 1989; cité par HAYASHI 1996:26)
(23) Je lui ai corrigé ses devoirs.
(BARNES 1985; cité par HAYASHI 1996:22)
こうした与格には文によって様々な使用制約があることが指摘されているが,与格におかれた人物
に利害がからむという条件のもとに認容度が高まることは一般的に観察されている。フランス語に
--- 90 ---
おける心性の与格や拡大与格の出現条件は,文構造の如何よりも,文脈や表意性に関わっていると
見られる。逆に言えば文脈や表意性付加の要請があれば,常に用いうる可能性があるということで
ある(§4)
。
2.4. 仮説:与格は動詞の支配下にない
上の三点の指摘から,与格の統辞上の特性を一言で規定するならば「与格は動詞の支配下にない」
ということにつきる。いわば与格は,三項動詞ともっぱら共起する「授与関係の格」であるという
よりむしろ,動詞による影響をこうむらない・動詞に対して自由な格なのである。従来の与格理論
は,三価動詞・移動概念を基盤に構築されているために,相当の自由度を持つ与格の諸構文を斉合
的・包括的に説明できない。与格の一般的性質としてむしろ着目すべきは,動詞を中心とする統辞
構造から自由である という,与格の統辞的特性であり,与格が「余分の名詞句」
(F U J I M U R A
1993:50) であるということを,与格にとって本質的問題としてとらえなくてはならない。与格が動
詞の支配下にないと考えた場合,次に挙げるようなしばしば問題になる与格の「奇妙な」振る舞い
は,奇妙なものではなくなる。
(24) 与格は,拡大与格・不可分離所有の構文,心性の与格などに見られるように,動詞の要
求する内項 (internal arguments) 配置に関わらず登場しうるのはなぜか。
(25) スペイン語・ルーマニア語などの与格二重化構文,所有形容詞との共起,奪格名詞句と
の共起といった現象に見るように,動詞の要求する内項に対して情報的にリダンダント
であることが頻繁に起こるのはなぜか。
(26) 語彙的与格と共起する心性の与格,分離の奪格と共起する分離の与格などの用法に見る
ように,動詞を中心に配置された諸内項と拮抗して,違う次元からの参与者提示を行な
いうるのはなぜか。
(27) 心性の与格,拡大与格・不可分離所有構文における「被害の読み」 (S HIBATANI 1994),
あるいは「受影性」などに観察されるように,一定の表意的・情意的価値を負わされる
のはなぜか。
これらの問い全てに対する一つの答えとは,もともと与格が内項ではないからに他ならない。動詞
が語彙的に要求する構造とは別に,表意的・情意的な理由で,いわばわざわざ付加されるのが与格
のより本来的な用法だからである。こうして拡大与格についてしばしば指摘されてきた特性の方を
与格の本来的な性質と考えた場合,語彙的与格はひとつの特殊例として考えられることになる。語
彙的与格は,動詞の構造化から自由であるという本来の性質をなかば失って,動詞に固着して用い
られる特殊用法である。上で見てきたように与格は,発話戦略要素としての傾きが強く,しばしば
表意性・情意性をになう「文にかかる格」として働くのがより本来的な姿なのであるが,動詞の内
項であるかのように用いられるうちにその頻度によって無標化する。これがいわゆる語彙的与格で
ある。しかし,こうして語彙的与格として動詞に従属するかのように見える場合にも,与格はその
--- 91 ---
本来の性質を完全に失うわけではない。語彙的と呼ばれる用法においてすらも与格は依然として,
その特性を維持している。フランス語においてももちろんそれが確認される。
3.
与格は他の格とどう違うのか
3.1. 所有の与格における属格との偏差
所有者・帰属者を表す格として与格は属格と競合する。しかし英語でも次の様な使い分けがあ
る。
(28) a. He is a brother to the king.
b. He is the brother of the king.
(29) a. She was a mother to the orphen.
王の兄弟にあたる(ここでは,この文のみ高田訳)
王の兄弟である
孤児を養って我が子のように育てた
b. She was the mother of many children. 多くの子を産んだ
(SAITO 1997:1512)
与格構文では,主語の人物が「王の実兄」「子の実母」ではないことが注目される。属格構文で
はこうした意味がでてこない。属格構文では即物的に客観的事実が述べられているだけである。こ
れに対して与格構文では主観的な「とらえかた」の問題として所有・帰属を提示しているのであ
る。
フランス語においても事情は同様である。人間をいわば「人格」として対象化するのが与格であ
る。これにたいして属格構文では人間の「部分」が焦点化され,即物的・物理的・具体的に把握さ
れる。与格構文からは,属格との対比を際だたせるために代名詞接辞形ではないものを取り上げる。
(30) Ils étaient venus tout ensemble serrer la main au Lorrain Lebrun.
(31) Lardut, [...] baisa la main à Mme Berthand.
(ASAKURA 1984:169)
与格構文は「 ルブランと握手しに来た」 (30),「ベルタン夫人に キスをした」(31) のだと解釈され
るのであり,それぞれ「ルブランの手を握りに来た/ベルタン夫人の手にキスをした」のではない。
他方,属格構文では事行が具体的な側面で捕らえられている。
(32) Elle prit son bras et s’appuya d’une façon qui parut singulière à Julien.
(STENDHAL Le Rouge et le noir)
(33) Il serra sa main, mais il la sentit tout inerte. Emma n’avait plus la force d’aucun sentiment.
(FLAUBERT Madame Bovary)
「腕をとってもたれかかる」 (32),「手を取ったが,力がないのに気付く」(33) といったように,
いずれも芝居のト書きのような描写であり,行為の対象となっているのが身体部分そのものである
ことが確認される。
--- 92 ---
(34) Elle lui serra la main.
(35) Quand une difficulté particulière surviendra, je serrerai votre main davantage.
(ASAKURA 1984:170)
(34) では,与格構文の意味するところが「彼女は彼と握手する」のだということがポイントであ
る。
「握手」は「手に」対してするものではない。
「人に」対してするものである。これに対して属
格構文 (35) の方は,盲人に対して手を引いている際に「合図のために手を握る」といっている場
面である。これは「握手」ではない。具体的かつ即物的な「手握り」とでもいったところで,その
対象はあくまで目的語たる「手」なのである。
こうして属格との対立によって与格の特質の一端が明らかになる。次のようにまとめうる(5)。
(36) 属格:「possedé たる身体部分」志向で、より客観的・具体的な描写に適する
(37) 与格:「possesseur たる人間」志向で、より主観的・情緒的な描写に適する
........
このように属格と与格とでは発話戦略のレベルでの役割が異なっている。したがって,属格を用
いる戦略──客観的な事実としての提示 (38a) と,与格を用いる戦略──その事実の意味づけ・とら
え方の表示 (38b) の両者を同時に適用すること (38c) も場合によっては考えられる。こうした例文
は実際にあり,(38d) では被授与者は lui, sa と二度にわたって受け直されている。「彼女」は与格・
属格の両者におかれているのである。
人を相手に手をとる
(38) a. lui prendre la main [...]
b. prendre sa main [...]
人の手をとる
c. lui prendre sa main [...]
人を相手にその手をとる
d. Rodolphe, [...] se penchait et lui prenait sa main pour la baiser.
(FLAUBERT Madame Bovary)
こうした行為客体である「人」が属格語句によって明示されているケースでは,与格の出現はまっ
たく冗語的に見える。こうした与格の「余分な名詞句」としての出現こそ,与格名詞句の機能が属
格による描写と違う次元に属していることを物語っている。そして上に見るような与格の性質は,
語彙的与格と拡大与格,あるいは不可分離所有でも良いが,こうした様々な与格の用法に一貫して
いることを強調しておく。
3.2. 分離の与格における奪格との偏差
与格は「分離」を表す構文で分離の起点として用いられることがあるため,そこに奪格との競
合・共起が生じる。この用法については高田 (TAKADA 2001; à par.) が詳細に取り上げているので,
ここでは結論のみを示す。
(39) 与格構文:抽象物や精神的所属にあるものを取りあげること (41) を表す
(40) 奪格構文:金銭を含む広義の物材を物理的かつ具体的に取り去ること (42) を表す。
--- 93 ---
与格は分離の事行が物理的なものではない場合に限られるといってもよい。これも与格に関して物
理的移動を基盤構造として検討することを忌避したい所以である。
(41) [...] tandis que le vicaire arrachait un sourire doux à ceux qui le voyaient.
(BALZAC Le Curé de Tours)
(42) C'est un homme, [...] de qui l'on arrache bien difficilement l'argent de ses ports de lettres à la fin
du mois.
(BALZAC Le Cousin Pons)
(42) では与格構文を用いることがふつう想定される「人」からの分離であっても,与格使用の条件
をはずれているため,奪格 (de SN) が用いられている。
与格は「人から」奪格は「場所から」という対立は非常に頻繁に見られるが,これは疑似相関に
過ぎず,与格と奪格の使い分けにおいて,より本質的に関与的なのはこうした奪取の「抽象性/具
体性」の対立である。したがって同じ身体部位(例えば頭)でも,抽象化して比喩的奪取として述
べるのか,具体的な奪取を単に描写しているのかによって与格 (43)/奪格 (44) のそれぞれに配分
されるのである。
(43) Si le bonheur ôtait à sa tête cette poésie
(BALZAC Histoire de la grandeur et de la décadence de César Biroteau)
(44) Le jour où j'ai ôté de dessus la tête de ma femme la couronne de fleurs d'oranger qu'elle portait,
(BALZAC La Physiologie du mariage)
与格と奪格相互の意味価および適用範囲に上に見たような差異がある以上,同じ分離といっても
..
与格と奪格は,いわば表していること・表している次元が異なっている。従って与格と奪格の両方
を用いる分離構文も当然可能である。
(45) Le Grec lui arracha des mains un rouleau de papyrus chargé d’écritures phéniciennes.
(FLAUBERT Salammbô)
(46) L’épée trop lourde lui échappa des doigts [...]
(FLAUBERT La légende de Saint Julien l’Hospitalier)
(47) [...] et lui ôta du doigt la bague sur laquelle ses yeux s’étaient arrêtés.
(BALZAC La paix du ménage)
ôter を例にとってプロトタイプとなる構文を示す:
(48) Datif (à SN) :
ôter le pistolet au voyou
「ならずものから」
(49) Datif (pronom) :
lui ôter le pistolet
「彼から」
(50) Ablatif :
ôter le pistolet de la main
「手から」
(51) Datif et Ablatif :
lui ôter le pistolet de la main
「彼から手から」
--- 94 ---
与格の「彼から」は人間を対象とした主観的行為側面にこたえる事態の意味づけを担わされている
のであり,奪格の「手から」は客観的・具体的・即物的行為側面を表現する要請によるものである。
したがって与格と奪格の役割の違いは動詞を中心に配置される語彙概念構造上・深層構造上の違い
ではない。
4. 与格は動詞の支配を受けない
こうして与格構文には,(a) 与格が動詞を中心とする構造から切り離されている,(b) 事行が与格
の出現に連動して抽象的・主観的に捉えられる,という性質が一般的にあることが確認される。
「
[所有者の与格は]客観的な状態変化を示す文では用いられない。La tête lui tourne. は目が回る
という意味のみで用いられ,「頭が物理的に回転する」ということではない。 Les yeux lui brûlent.
も「目がしみる」ということであって,「目が焼ける」の意味ではない。」この藤村( F U J I M U R A
1993:49)の指摘こそ,与格の本質をつくものである。これは拡大与格に関連する所有の与格につ
いての指摘であるが,ここまで見てきた与格用法に,語彙的・拡大の如何を問わず妥当するものな
のである。
4.1. 心性の与格
ところで,上の二点の性質からすると「心性の与格」という,おそらく与格用法のうちで取り扱
われることの最も少ない,にもかかわらずほとんどあらゆる言語に遍在している与格用法が,おの
ずと重要度を増してくる。というのも上の二点の性質は,まさしく「心性の与格」の定義上の性質
だからである。
(52) Un type comme ça, il te tue son père sans hésiter.
(JONES 1996; cité par HAYASHI 1998:64)
ああいうやつは,おめぇ,てめえのおやじだってためらわず殺すようなやつだよ
(53) Son petit nez vous a un air fripon.
(ASAKURA 1955:296)
あの鼻をみると,一癖ありそうに見える(朝倉訳)
(54) Je te lui ai envoyé un de ces coups de pied !
(Grand Larousse s.v.: te)
やろうに,おめぇ,一発ケリいれてやったのよ!
心性の与格は,主文の内項配置にまったく関わりなく,文に「勢い」をもたらすべく,適宜挿入さ
れる「特殊な」(HAYASHI 1996:18)与格である。しかし今までの議論からすると,この心性の与格こ
そ最も「与格的」な与格だということになる。
この心性の与格において非常に重要なことは,心性の与格が許容されるためには,いわば適切な
道具立てが必要となるという点である。 LECRÈRE が指摘するように,心性の与格は簡素な無標文
(55a) には馴染まない。同じ酒を飲むにしても,短時間で,大量に飲めば (55b) 認容度があがり,
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呼びかけの言葉や感嘆符によって,表意的効果をねらった文,発話戦略に富んだ文であることがマ
ークされれば (55c) 完璧である。
(55) a. ?Je te bois du pastis.
b. Je te bois dix pastis en trois minutes.
c. Moi qui te parle, je te bois dix pastis en trois minutes!
(LECRÈRE 1976:86)
いやマジで,おまえ,おれは十杯ぐらいいけちゃうよ,三分もあれば!
具体的な場所が明示され,舞台が整えば,そこに驚きを演出する効果をもたらすべく,心性の与格
が出現する言説空間が成立する。
(56) a. *La mer te monte.
b. Au mont St. Michel, la mer te monte à une de ces vitesses!
(LECRÈRE 1976:87)
モン・サン・ミシェルじゃあ,潮が満ちるのが,おまえ,早いのなんのって!
D R A Y E がドイツ語の心性の与格について指摘することも同じ点を指している。 (57) は副詞句
Plötzlich や動詞アスペクト要素の付加によって,心性の与格が出現する素地を与えている。
(57) Plötzlich hat er mir zu flüsten angefangen.
(遺憾な/驚いたことに)突然彼が私に耳うちしはじめた
おもしろいのは (58) の例で,ここでは「彼女の膝に手を置く」という事行だけで「遺憾な出来事」
という観念連合が成立するからであろうか,他にさしたる表意性付加要素がなくとも心性の与格が
出現する余地が生ずる。
(58) Da hat er mir ihr die Hand auf das Knie gelegt.
(DRAYE 1996:184)
(けしからん/驚いたことに)彼は彼女の膝に手を置いた
こうした与格を DRAYE (1996:184) は「文にかかる与格」sentential dativeと呼んでいる。ドイツ語
の場合には与格が形態マーカーをもち,明示的に動詞・前置詞と係累を結ぶため,支配すべき辞項
がないケースは明瞭に区別される。だからこそ心性の与格の文法上の孤立が際だつわけだが,しか
しこの「与格が文にかかる」という性質は,与格にとって本質的な機能だとは考えられないだろう
か。
与格のなかに,与格が動詞を中心とする構造から切り離されている,そして事行が与格の出現に
連動して抽象的・主観的に捉えられる,という働きを認めた場合,心性の与格の様な「文にかかる」
という性質こそ与格の枢要かつ本来的な性質ではないかと考えられるのである。
4.2. 与格構文の一般構造
このような視角のもとに与格構文を統一的に模式化してみよう。左辺は動詞を中心とする事行の
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成立を,右辺はその事行が関与すべき対照として与格に置かれた付加的な辞項を表すとする。する
と与格構文は次のように記述できる。
→ SNn
(59) a. [ SN0 V ]
b. filia est
mihi
c. c’est
à moi
d. es ist kalt
mir
→ SNn
(60) a. [ SN0 V SN1 ]
b. quid vis
tibi
c. elle casse la vase
lui
d. er hat die Hand auf das Knie gelegt
mir
→ SNn
(61) a. [ SN0 V SN1 ]
b. hunc librum dabo
tibi
c. J(e) ai envoyé un de ces coups de pied.
lui
d. er hat die Hand auf das Knie gelegt
ihr
→Ø
(62) a. [ SN0 V SN1 (SN2) ]
b. hunc librum tibi dabo
-
c. Je lui ai envoyé un de ces coups de pied.
-
d. er hat ihr die Hand auf das Knie gelegt
a’.[[ SN0 V SN1 ]
→ SNn
(63) a. [ SN0 V SN1 (SN2) ]
→ SNn]
→ SNn+1
b. hunc librum tibi dabat
mihi
c. (=54) Je lui ai envoyé un de ces coups de pied!
te
d. (=58) er hat ihr die Hand auf das Knie gelegt
mir
常に動詞の項構造から独立したものとして与格を立ててみるとそこから一貫した構造が取り出せ
るのである。(59) は一価動詞に共起する与格。(60) は二価動詞に共起する与格。フランス語では拡
大与格として考えられているが,それは三価動詞をベースに考えるから「拡大」しなくてはならな
いのに過ぎない。(61) は三価動詞とされるものの構文で,(60) と構造は同じであるが,使用頻度に
よって動詞への固着が進み,与格が内項と見なされることによって (62) の構造に擬せられる。(62)
が (61) の方をベースとしていることは,普段あまり気が付かれないが,例えばフランス語におい
ても所有構文や分離構文において第三項が代名詞系列ではなく à SN のかたちに析出されると,
(61), (62) の文型も (60) との表意作用の上での共通点をがぜん浮かび上がらせる( cf.§3.1.; 3.2.)。
つまり語彙的与格の拡大与格との一貫性が浮かび上がるのである。
これはいわば先祖がえりである。
(63) は三項図式で完全に充足してしまったはずの構文法にさらに心性の与格が付け加わるタイプ
(63a. は基底的には 63a’.) であり,あたかも四項図式になっている。与格・属格共起構文(§3.1.),
与格・奪格共起構文(§3.2.)も四項配置が見られる点で,軌を一にする。
これは与格構文の一貫性を図示したもので,深層構造を示すものではない。むしろ与格は一貫し
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て表層的に配置されているのである。ツリー図にしなかったのはその点で意図的である。
いずれにしても与格を本来的に,もともと動詞を中心とした構文法から独立した項,文字通り
「動詞に選択されない項」であると規定することによって,与格諸用法の連続性を強調する。
5.
おわりに
最後に他動性について触れる。与格は既に再三批判してきたように,三価の他動詞によって選択
される場合を基本に考えられてきた。しかしそもそも「動詞によって選択される」とはどういうこ
とか。「動詞に支配される」とはどういう謂いか。それは実際には動詞による選択の結果でも,支
配の結果でもなく,単に然々の動詞と然々の格形の「共起」にすぎない。
たとえばラテン語の動詞を見てみた場合,eo « aller » は自動詞であり主語の他に内項をもたない
ということになる。edo « manger » は対格と共起し,他方で memini « se souvenir (de) » は属格と,
placeo « plaire (à) » は与格と,utor « se servir (de) » は奪格と共起する。それではこれらの非対格と
共起する動詞は何価の動詞なのだろうか。動詞の支配のもとに選択される内項という発想は,こう
した様々な格形との共起が頻発する言語の分析にはあまり役に立たない。対格だけが特権化される
いわれは,ここにはないわけである。
与格は非対格でありながら,印欧語では一般的に接辞要素として独立性をたもち動詞に固着して
...
用いられる傾向が高い。そのため与格が内項化して見える。しかしこの小論に見るように,与格の
本質は,他動性を基盤的かつ所与のものとしたのでは見失われる。それは与格の本質が他動詞との
共起にはないからである。与格の本質は動詞構造からの独立性にあり,与格が出現する際に従って
いる基準は,動詞の項構造ではなく,むしろ発話の戦略,表意性原理,文体的効果の付加といった
次元にある。つまり与格は動詞を相手取った格 (cas adverbal) ではなく,文を相手取った格 ( c a s
«adphrasal ») なのである。その意味で与格は決して「授与の格」ではない。
注
(1)略号定義:NOM = nominatif,
ACC
= accusatif,
GEN
= génitif,
DAT
= datif,
ABL
= ablatif,
LOC
= locatif,
INS
=
instrumental
(2)武本の近著のサブ・タイトルはまさしく「中心的与格構文から周辺的与格構文へ」である。これは
我々の所論からは批判の対象となるタイトルである。しかし『フランス語学研究』第 35号所載の武本
(TAKEMOTO 2000) の発表要旨にある「対象を経由してメンタルコンタクトが結ばれてプロファイルさ
れる「関与体」を表示することを本質的機能」とする,という与格の規定に関しては,我々の観点か
らしても肯われるべき部分がある。
(3)与格は自動詞と共に使われるのが,むしろある意味で最も普通の用い方である。e.g. lat. Mihi filia est
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「私には娘がいる」/ all. Wem ist das Buch? 「この本は誰のですか?」/ gr.
「兄は馬を持っている」
(4)なお例文の訳は,特に断った場合以外はすべて高田の試訳である。
(5)所有構文をめぐる与格と属格のニュアンスを規定するのにこうした観点をたてるのは,ラテン文法
ではよくあることである。
与格:所有物が人に知られていない時に
(MATSUDAIRA et KUNIHARA 1992:195)
属格:所有物がすでに知られている時に
datif : du point de vue possesseur : « mon père a une maison »
(ERNOUT & THOMAS 1964:73)
génitif : du point de vue l’objet possédé : « La maison est (appartient) à mon père »
書誌
ASAKURA, Sueo(朝倉季雄)(1955)『フランス文法事典』白水社.
——— (1984)『フランス文法メモ』白水社.
BARNES, B. K. (1985) « A functional explanation of French nonlexical datives » in Studies in Language, 9, pp. 159195.
BELLE, William VAN et LANGENDONCK, Willy VAN (1996a) The Dative, volume 1, Discriptive Studies, (volume 2
dans la série ‘Case and Grammatical Relations Across Languages’), Amsterdam / Philadelphia, John Benjamins.
DRAYE , Luk (1996) « The German dative » in (VAN BELLE & VAN LANGENDONCK 1996a:155-215).
ERNOUT & THOMAS (1964) Syntaxe Latine, (11951), Paris, Klincksieck.
FUJIMURA, Itsuko(藤村逸子)(1993)「所有格と与格」『情報とコミュニケーション』名古屋大学言語文化
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