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明治学院大学機関リポジトリ http://repository.meijigakuin.ac.jp/

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明治学院大学機関リポジトリ http://repository.meijigakuin.ac.jp/
明治学院大学機関リポジトリ
http://repository.meijigakuin.ac.jp/
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弱さの研究(最終報告)
大岩, 圭之助
明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International
Studies, 16: 19-41
2013-12-01
http://hdl.handle.net/10723/1949
Rights
Meiji Gakuin University Institutional Repository
http://repository.meijigakuin.ac.jp/
弱さの研究
大 岩 圭之助
【1】 この共同研究の 3 年間(予備研究期間を入れて 3 年半)にわたる研究活動について報告し
たい。第 1 年度(2010 年 4 月~2011 年 3 月)、第 2 年度(2011 年 4 月~2012 年 3 月)の終わり
に、それぞれ中間報告を提出しているので、ここでは主に第 3 年度(2012 年 4 月~2013 年 3 月)
について報告する。ただ、第 2 年度の報告の冒頭で述べた<ポスト 311 における本研究の意味>
を、もう一度、ここで繰り返しておきたい。
そこで我々は、本研究会の活動が、2011 年 3 月 11 日の東日本大震災とそれに続く福島第一原
発の重大事故によって大きな影響をこうむることとなった、と述べた。「ある意味では、『弱さ』
という本研究のテーマそのものが 3・11 とその後の一連の事態によって、根底から揺さぶられ、
問い直されたとも言える」と。
(以下、2012 年度中間報告書より引用)
「文明(強きもの)が自然(弱きもの)を支配するという近代的な図式が、一挙に逆転し
て、自然の猛威を前にした人間社会の弱さ、自然に対する支配としての科学技術が孕む弱さ、
自然を外部性として外に締め出すことによって成り立つ経済システムの弱さ、自然と切り離
されたものとしての人間の弱さなどが暴露された。いわば、近代文明そのものの「強さ」で
あったはずのものが「弱さ」へと転化したのである。逆に、近代的な社会の中で、「弱さ」
と見なされてきたもの――巨大化、集中化、大量化、加速化、複雑化などに対する「スモー
ル」、「スロー」、「シンプル」、「ローカル」といった負の価値を荷ってきたもの――が元来も
っているはずの「強さ」(レジリアンスやロバストネス)が浮かび上がってきたのではない
か。この逆説的な事態――「強さの弱さ」と「弱さの強さ」――こそが、ポスト 311 の月日
のひとつの重要な特徴ではなかったろうか。
それは、長田弘の詩「ねむりのもりのはなし」に出てくる「あべこべのくに」のようだ。
つよいのは
もろい/もろいのが
つよい/
聖書にもこうある。
柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう。
柔和な人とは英語の meek、つまり弱き者のことだ。
ところで、「弱さ」という負の記号を荷うものに注目し、そこにポジティブな――時には
逆説的に「強さ」とも呼びうるような――価値や意味を探るということこそ、本研究会の当
初からの課題に他ならない。その意味で、ポスト 311 の日本とは、我々の研究にとっては最
適なフィールドであるとも言えるだろう。」
19
第 3 年度はコーディネータの大岩がサバティカルで、学外にいたこともあり、研究活動はそれ
ぞれのメンバーが個別に行うことになった。本稿ではまず第 3 年度の大岩自身の活動について触
れる。高橋の研究活動の概要は【4】に別記する。なお、大岩と高橋は、3 年間の共同研究の総
まとめとしてこの夏二度にわたって対談を行い、それを書籍として大月書店から出版する予定で
ある。
【2】 主な活動:昨年度の大岩の研究、執筆、出版、DVD 制作などの活動のうち、特に本研究
のテーマに直接、間接的に関係するものには以下のものがあった。
*
デンマークに、自然エネルギーの拠点として知られるフォルケセンターを訪ね、Jane Kruse
にインタビューを行う。
*
コペンハーゲンに Ove Korsgaard 氏を訪ね、民衆の学校(フォルケ・ホイスコーレ)につい
て、またこの運動に大きな思想的影響を与えた教育哲学者、グルントヴィについてインタビ
ューする。(5 月)
*
新しい経済学、特に補完通貨の研究者であるベルナルド・リエターをベルギーに訪問。新刊
『Money and Sustainability』の出版記念会に出席(5 月)
*
精神病院を中心に形成され、発展した町、エルメロー(オランダ)を訪問し、取材を行う
(6 月)
*
チッタスロー(スローシティ)運動の発祥の地であるイタリアのトスカーナ地方で関係者か
ら取材を行い、またオルヴィエトでチッタスロー協会の事務局長と面会。(6 月)
*
南米三国(ペルー、エクアドル、コロンビア)訪問。主に、グローバル化に対するローカル
化を目指す動きを取材した。
(8 月)
*
脱グローバル運動の世界的なリーダーであり、エコフェミニズムの思想家であるヴァンダ
ナ・シヴァ氏の DVD を制作するためにインドを訪問。撮影を行った。2012 年 11 月、イン
ドにて撮影。
*
ブータン東部でのフィールドワーク。特にコットン栽培と染織の文化の再生を目指す動きに
注目した。(11 月、12 月~1 月)
*
ミャンマーを訪問、マングローブ林再生と持続可能な地域づくりの現状を視察。
(1 月)
*
オーストラリア、バイロンベイで行われた国際会議「幸せの経済学」に出席。タスマニア島
で、原生林保護運動を取材、交流した。(3 月)
以下、数ヶ月以上にわたって継続的に行われた活動として以下のものがある。
*
三好春樹氏をはじめとする「おむつ外し学会」に集う介護関係者との交流。
*
韓国ファン・デグォン氏からの聞き書き、及び、DVD『ファン・デグォンの Life is Peace』
の制作。DVD は 2013 年 2 月に完成、同 5 月より一般公開される。
*
20
江戸学者・田中優子氏との対談( 4 月)をもとにした『降りてゆく思想――江戸・ブータン
に学ぶ』の制作。同書は 2012 年 9 月大月書店より出版された。
*
2012 年 2 月及び 2013 年 3 月に来日したサティシュ・クマール氏からの聞き書き。『英国シ
ューマッハー校サティシュ先生の最高の人生をつくる授業』の制作。同書は 2013 年 3 月に
講談社から出版された。
*
仏教僧侶、坐禅断食の指導者、野口法蔵氏との交流。彼への聞き書きをもとにした『自力・
他力のしあわせ論』を制作。同書は 2013 年 6 月に七つ森書館から出版される。
【3】 成果:これらの活動から生まれた成果の一端を示すものとして、以下の 5 編を挙げたい。
① 「パワーとフォース、弱さと強さ」
本稿は現在も継続中のサティシュ・クマール氏への聞き書きのうち、2010 年 9 月に出版され
た DVD ブック『今ここにある未来』(ゆっくり堂)に収録されたものからの抜粋である。
パワーとフォース、弱さと強さ(サティシュ・クマールからの聞き書き)
サティシュ・クマールのプロフィール
サティシュ・クマールは 1936 年、インド、ラジャスタン地方の村でジャイナ教信徒の両親の
もとに生まれた。父の死を契機に、死がもたらす悲しみを超える道を模索し始めたサティシュは、
9 歳にして出家、ジャイナ教の僧団に入る。しかし、18 歳の時、マハトマ・ガンディーの非暴力
平和の教えに魂を揺さぶられ、還俗を決意、その後、ヴィノーバ・バーヴェ師のもとで社会変革
運動に携わった。
1961 年、90 歳の哲学者バートランド・ラッセルが、核廃絶を求める座り込みで逮捕されたと
いうニュースに触発され、サティシュは友人とともに、当時 4 つだった核保有国(ソ連、フラン
ス、イギリス、アメリカ)の首都へ平和のメッセージを届ける平和巡礼に旅立つ。2 年半かけて、
1 万 4 千キロの道を一銭も持たずに歩き通した。
1968 年、サティシュは『スモール・イズ・ビューティフル』で知られる経済学者、E.F.シュー
マッハーと出会い、意気投合。1973 年、シューマッハーに請われて、『リサージェンス』誌の編
集主幹となる。以来、『リサージェンス』はエコロジー思想の知的拠点として、また環境と平和、
科学とスピリチュアリティをめぐる世界的な議論の場であり続けている。
1982 年、自宅のあるイギリス南西部デヴォン州に「スモール・スクール」という中学校を創
設、自然からの学び、日常生活の重視などを特徴とする先駆的なカリキュラムで注目を集めた。
1991 年には、「シューマッハー・カレッジ」を創設。世界史的なパラダイム転換を模索する
人々が世界中から集い、学び合う場となっている。
邦訳には、『君あり、故に我あり―依存の宣言』(講談社)、『ブッダとテロリスト』(バジリコ)、
『スピリチュアル・コンパス
宇宙に融けこむエコ・ハートフルな生き方』(徳間書店)、『つな
がりを取りもどす時代へ―リサージェンス誌選集』(共著、大月書店)、『GNH―本当の<豊かさ>
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へ、10 人の提案』(共著、大月書店)などがある。
パワーとフォース
ともに「力」と訳されますが、
「パワー」は「フォース」と違って、内なる力のことです。
例えば、種子は木となる潜在的な力をもっている。それがパワーです。
人間は誰でもブッダやガンジーのように、偉大な人になれるパワーをもっている。
この内なる力がパワーであり、これこそが真の強さです。
一方、フォースとは外なる力です。
例えば、軍隊や警察は、銃、戦車、核兵器、監獄などの強制力をもちます。
人々を投獄し、拷問する暴力もまた、外なる力です。
規則、法律、軍隊、武器、政府などによって、外から与えられる力――それがフォースです。
お金というフォースによって、それが他人に権力をふるうこともできる。
フォースが他人への強制力であるのに対し、パワーは自分の内に働く力です。
イエス・キリストは、パワーにあふれる偉大な人物でした。
しかし彼は、「弱き者が世界を受け継ぐ」と言っていますね。
この「弱き者」とはフォースをもたない人のことです。
弱き者は、腕力もずる賢さもなく、花のように柔和で優しい。
花はしかし、パワーにあふれている。
花はそのパワーで人を魅了します。その香り、やわらかさ、美しい色彩によって。
また、自らを果実へと変えるパワーもあります。
この花の力はフォースとしての強さではありません。
パワーは、柔和で、穏やかで、目立たず、控えめです。
花はなんと謙虚でしょう。押しつけがましいところがありません。
真の力とはこのように、控えめで優しいものなのです
例えば、流れ落ちる水のように水はパワーにあふれていますが、いつも下へ向かって流れていく。
決して上に向かわず、下に向かう。それが水の謙虚さです。
土もとてもパワフルですが、謙虚です。
英語の「土」と「謙虚」という言葉は同じ語源から来ているんですよ。
土はいつも下にある。でも、食べ物を育て、保水する力を秘めている。
建物を支え、私たちに歩く場所を与えてくれます。
それほど強力なのに、しかし、土は何も強要しない
「私の上を歩け!」と土は言わない。
「私を飲め!」と水は言わない。
「私を嗅げ!」と花は言わない。
威張ることなく、ただそこに「ある」。それが「いる」力であり、「ある」力です。
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「いる」と「する」
パワーとは「いる」力、フォースとは「する」力。
これは大きな違いです。
「いる」は、非暴力的でエコロジカルなあり方です。
「する」は、強引で、攻撃的で、押しつけがましく、ずる賢い。
「あれができる」「これがしたい」と、自分を主張する。
「する」は謙虚さに欠けている。
でも、「いる」は控えめです。
「いる」は、土や水や空気、花や木のように自然体です。
行動とは本来、パワーが自然に外に現れたもので、フォースとしての「する」力とは違います。
自然に言葉が流れ出る、足が向くままに歩く。これらは「いる」力の発露です。
自らを「する、する、する」へと駆り立てれば、疲れ果てるだけです。
(英語で)人間とは「ヒューマン・ビーイング(いる存在)」であって、「ヒューマン・ドゥーイ
ング」ではありませんよね。
② 「弱さが大事」
本稿は、本共同研究の予備研究期間中であった 2009 年 8 月 28 日に戸塚善了寺で行われた鼎談
「降りてゆく―命の傾きを生きる」を抜粋、再編集したもの。三好春樹氏は「オムツ外し学会」
を創設、主宰するなど介護をめぐる著作、講演活動で知られる。本共同研究の外部研究員でもあ
る向谷地生良氏は、北海道医療大学教授であり、北海道浦河にある精神障がい者の自助コミュニ
ティ「べてるの家」の創設者のひとりでもある。辻信一(大岩)が司会進行役を務めた。なお、
この鼎談は、後に加筆・修正されて、『希望としての介護』(三好春樹著、雲母書房、2012 年 2
月)に収録された。
弱さを大事にする
向谷地生良・三好春樹・辻 信一
「降りてゆく」というキーワード
辻……今日のタイトルは「降りてゆく」です。ちょっと気が抜けるタイトルですね。「降りてゆ
く生き方」とか「降りてゆく人生」というすばらしい理念を「べてるの家」は発信し続けて
います。まず、この「降りてゆく」という言葉について、向谷地さんからコメントをどうぞ。
向谷地……「降りてゆく」の後につける言葉をそれぞれが考えると、おもしろいと思います。私
はソーシャルワーカーですから「降りてゆくソーシャルワーカー」、家族でいえば「降りて
ゆく家族」とか、教育でいえば「降りてゆく教育」とか、福祉でいえば「降りてゆく福祉」
とか。「降りてゆく」というキーワードで、自分たちの取り組みを見直すとおもしろい光景
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が見えてくるんじゃないかと思うのです。
「べてるの家」がある日高浦河町は、北海道の中でも貧しくて、過疎化が進んでいる地域
です。「日本は単一民族国家である」と長い間、日本人は言い続けてきました。最近になっ
て、やっとアイヌの人たちを少数民族として認めるようになりました。これは長い間地域の
人たち自身が語ってこなかったことですが、日本の中でアイヌ民族の人たちが一番多く住ん
でいる町は浦河なのです。住民の 3 割がアイヌ民族と言われています。べてるの歴史は、北
海道の中でも経済的に貧しい地域の中で、最も困難を強いられてきたアイヌの人たち、アル
コール依存症を抱えた人たちなど、そういう人たちとの歩みの歴史でもあるのです。
そのなかで私たちは、社会的な脱落者という見方をされがちな精神障害をもった人たちを、
むしろ大切な生き方を私たちに知らしめてくれる経験をもった人たちととらえる時、そこか
ら見えてくる私、家族、地域、社会があります。そういう歴史の中から「降りてゆく」とい
う感覚は生まれました。非常に生命的な感じがする言葉だと思います。
辻……三好さんも社会の根本にある「進歩主義」を、介護の立場から繰り返し批判されています
ね。
三好……私は 35 年前に特養ホームに就職しました。私はいい意味でも悪い意味でも常識的な家
庭に育ちました。特養ホームで出会う人たちは、いわば「降りてきた」人たちです。いきな
り、ぼけた老人、寝たきり老人、褥瘡などを目の前にして、どう考えていいかわかりません
でしたね。人はきっと、自分の理解から外れたものが目の前に現れると、「これはあっては
いけないものだ」と思うのではないでしょうか。専門家による治療を施して、普通の人間に
なるようにしてあげなきゃいけない、教育してあげなきゃいけない……、それが私の最初の
見方でした。
とらえ方を一生懸命探しているときに「降りてゆく人生」という言葉に出合って、ストン
と了解できたんです。「降りてゆく」はマイナスだと思われていたものを逆にプラスだと言
い張っているわけで、ものすごい開き直りです。
ただ最初は困りました。たとえば、町の敬老会にお年寄りが出席します。そうすると政治
家が長々とあいさつをします。「長い間社会に貢献してこられたお年寄りを大事にしましょ
う」などと言うのですが、貢献なんかしてないんですよ(笑)。ひねくれたじいさんで、前
科はあるし、夫としても親としても失格で、女と逃げて、病気になって戻ってきたのです。
家族が介護を拒否したので、特養ホームへ入ってきたというどうしようもない人生なのです
(笑)。そんなに社会に貢献してないやつは大事にしなくていいという論理に対抗できる思
想を探してきたような気がします。
異文化に対するワクワク感
辻……三好さんは、芹沢俊介さんとの共著書『老人介護とエロス』(雲母書房)の中で、「するこ
ととあること」という話をされていますね。この社会は「する」ことを基準にしているので、
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お年寄り、障害者、病気をもっている人たちなど支援が必要な人たちは、「する」ことがで
きなくなった人たちと見なされて、生きる意味があるのかと問われざるを得ない存在になっ
てしまっているというお話だったと思います。
三好……そうですね。そんな生きる意味がない人たちに対して、社会は慈悲や救済の対象にした
り、意味のある存在に引き上げてやるためにリハビリの対象にしたりしてきたわけですが、
そのどちらも極めて自己中心主義です。自分たちの価値観が前提にあるのです。
私は、文化人類学者であるレヴィ=ストロースの「自民族中心主義」という言葉にふれて
「ああ、そうか」と非常に納得できたのです。レヴィ=ストロースは「ヨーロッパが一番進
んでいて、アジア、アフリカが遅れているというのは自民族中心主義だ。みんながヨーロッ
パを目指しているわけではない。それぞれが独自の文化をもっているのだ」と言いました。
まったく理解できないものに出会ったとき、自分の価値観で判断するのではなくて、異文化
として見ればいいということです。そこから別の世界が見えてくるというのがすごくおもし
ろかったのです。
働き盛りの世代が中心で、障害者は劣った存在、老人は庇護の対象、リハビリの対象であ
るというのは、まったく「自世代中心主義」だと思いますね。
辻……三好さんは、介護の仕事を始めた最初に感じた感覚を「何でこんなにワクワクしてるんだ
ろう。結局それは異文化だったんだ」と表現されていましたが、私が最初に「べてるの家」
に行ったときに感じたのもワクワク感でした。「これはなんだ?」と、とまどいながらワク
ワクしたのを思い出しました。
「当事者研究」の輪に入って、大笑いしたり、泣きそうになりながら、ああでもないこう
でもないと、いっしょに考えている自分がうれしくて……。
向谷地……いわゆる精神障害は、病気なので、治療方法は科学的でなければいけない、科学的な
根拠をもってアプローチしなきゃいけないとされてきました。そのために統合失調症をもっ
た人たちの豊かな経験がそぎ落とされて、幻覚・妄想の世界も切り捨てられてきたのです。
「当事者研究」は、むしろその世界に、当事者自身の立場の中に私たちも入って、そこを生
きる知恵を当事者から教えてもらったり、またいっしょに考えていこうというアプローチな
のですが、やってみると、今まで治療が切り捨ててきた無意味で異常な世界と言われていた
ものがじつにおもしろいんです。これはきっと認知症のお年寄りの世界にも共通するのでは
ないかと思います。
今日より明日がよくなるという妄想
向谷地……いわゆる産業革命が起きて、同じ形のものを同じ量だけ大量に生産するという生産方
式が必要になって、そこで初めて人間は障害をもつ人ともたない人という選別作業を始めた
んです。つまり、生産ラインに適応できる人たちとそこから外れる人たちです。私も生産ラ
インに乗れない人間です。30 分も同じ作業をやると、いらいらしてきます。
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私たちはその選別を今も引きずっています。勉強も、仕事も、常にこの発想で考えている
のではないでしょうか。そして、学歴や偏差値が高ければ、人よりもたくさんの富や安心を
手に入れることができるという発想のもとでみんな走り回っている。
そういう意味では、これは確実に妄想なんです。社会全体がある種の妄想を抱いているの
です。そこから離脱した人たちを、統合失調症とか妄想のある人なんて言いますが、逆です
よね。
辻……若い頃は、今日よりも明日、明日よりも明後日という右肩上がりがフィットするかのよう
な妄想が、現実的なものに見えやすいのでしょうね。年寄りになってみたら明らかにそれは
妄想でしかないことがわかる。
三好……急性期の病院ではそれが成り立つんですよ。今日より明日、明後日はもっとよくなるん
だから今日は我慢しましょうねというやり方。老人介護はだめですよ。老人は、むしろ今日
が一番いいのです。明日にはもっとぼけるし年をとるんだから、今日笑顔を引き出さなけれ
ば明日はもっと難しいよ、という世界なのです。だけど、私はその時間の流れのほうがむし
ろ普遍的なのだと思う。
近代の光を当てても何の役にも立たないこの介護から、世の中が変わっていくんじゃない
かなあ。
向谷地……もし日本の国が変わらなきゃならないとしたら、人は本来弱いんだということをみん
なが知って、それは克服されるべきものではなくて、むしろ当たり前のものとして大事にす
るという、そういう生活感のある国になってほしいものです。
三好……介護は、老いて死んでいくことを支える仕事なのですが、国の予算はそれを認めない。
日本は、リハビリをして元気にするとか、こうすると医療費が少なくなるとかでなければ、
予算を出さないけちな国だと思う。ただ老いぼれていく過程に最後までつきあいますよ、そ
れに金を出しましょうというのが文化じゃないかという気がします。
辻……そこが日本の社会の住みづらさの決定的な点だという気がしますね。元来、共同体という
ものは、一人ひとりが抱えている弱さだとか、あるいは弱いメンバーを排除しないでみんな
で生きていくという集団だったはずです。一方、近代的な組織は、強い人たち、何かを得意
とする人たちを集めてきて組織をつくるわけですが、それはコミュニティの代わりにはなり
得ません。
日本の昔の会社は、能力にもでこぼこがあって、たとえば、仕事はあまりできないけれど
も宴会には欠かせないみたいな人にも居場所があった。それがもうこの 10 年、20 年で急速
にそういう場は奪われています。人間は、共同体の中でなければ生きていけない存在なのに、
その共同体がなくなってしまっているのです。
私が「べてるの家」で感じたあのワクワク感というのは、「ああ、そうか。人間の属すべ
き場所というのがここにはあるんだ」という感覚だったような気がします。
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命の傾きを生きる
三好……浄土真宗に「還相」という言葉があります。上(浄土)へ行くのが「往相」です。普通
は浄土へ行ったところで終わりだと思いがちですが、浄土から下界を見ると苦しんでいる人
がたくさんいる。それで、もう一回、現世に帰ってくるのです。これが還相です。自分一人
が悟っておしまいじゃなくて、もう一回帰ってくるというわけでしょう。親鸞はすごいこと
を言うなあと思うのです。
吉本隆明さんは、知識を得ていく過程と、知識は何ほどでもないというふうに、もう一回
帰っていく過程とがある、という言い方をしたのですが、私はそれを「発達」と「老化」と
考えています。往相は放っておいてもどんどんいくのです。大事なのは還相、帰り道をどう
するか。吉本さんは、これはいわば自然過程ではなくて意識的過程であるという言い方をし
ています。
老いを意味づける思想はないかと探して、出合ったのがひとつは文化人類学です。そして、
もうひとつが浄土真宗でした。向谷地さん、キリスト教ではどうなんでしょうか。私は、キ
リスト教は神の国に向かっていく往相の世界という気がしているのですが。
向谷地……イエス・キリストは降りてきたわけですよね。神的な存在であるにもかかわらず降り
てきた。しかも降りてきた場所は、地上で最も卑しいと言われていた馬小屋でした。その降
りてきたということの中に象徴的な愛のメッセージが含まれているのだと思います。
三好……ああ、そうか。
向谷地……精神障害の多くは思春期に発症します。ということは働き盛りに発症することが多い
わけです。精神障害を人生の横道にそれたとか、大きな挫折と受け止め、もう一回引き戻そ
うとする力として医療は関わるのですが、それはちがうのではないかと私は考えています。
生命論的に考えると、私たちは生まれた瞬間から日々、一日一日命が終わっているという
存在です。一日一日命がカウントダウンされているという生命の傾きを受け止めながら、私
たちは毎日暮らさざるを得ないのです。ある意味で非常にニヒリスティックな世界です。精
神障害は、それをねじ曲げて上昇志向しようとしているというか、死なないように、苦労し
ないようにしようとする、ある種の私たちの無理な頑張りの結果として起きているような感
じがするのです。
三好……日本はそういう命の傾きを見えなくすることが近代社会だと思っているのではないでし
ょうか。インドへ行くと全部見えて、死にそうな人はいるわ、貧乏人はいるわ、乞食は来る
わ、本当にどうしていいかわからなくなるのですが、考えてみれば日本にも同じように死に
そうな人も病人も障害者もいるのです。ただ見えない。「ああ、見えないだけなんだな……」
と思ったら、インドのほうがまともじゃないかと思えてきました。
辻……若者がつらいのも、それが見えないからなのではないかとぼくも思います。老いている人、
病気の人、障害のある人など、いろいろな人がいることが見え、人が死んでいくところが見
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えれば、若い人は安心して生きていけるのではないか。この社会ではそれを私たちが隠して
きたから、若い人たちは苦しいのではないか、そんな気がします。
向谷地……浦河では会社をつくっている仲間もいるし、さぼっている仲間もいます。すべての場
で一番大事にしているのは「弱さの情報公開」です。
三好……いいなあ。今は弱みを見せられない社会です。社会に適応しているほうがむしろ異常な
感じがするぐらいです。特に男社会はひどい。
辻……強がりの社会ですね。
③ 「降りるということ」
本稿は、2012 年 9 月に出版された『降りる思想――江戸・ブータンから学ぶ』(田中優子・辻
信一、大月書店)の、辻(大岩)による「はじめに」からの抜粋である。
「降りるということ」
・・・タイトルが表しているように、本書は「下降」をテーマとしている。思えば、これまで
このテーマに関心を寄せる人はほとんどいなかった。人々がはるかに強い関心を示すのは、いつ
も「上昇」のほうだった。でも、考えてみれば、これは不思議なことだ。この世界には、「上が
る」という上方へ(upward)の移動と同じくらい、「下がる」という下方へ(downward)の移動
が起こっているはずなのに。
このことは、「前進」と「後退」の関係と似ている。人はなぜか前へ(forward)の動きにばか
り興味を示し、後ろへ(backward)の動きには冷淡な態度を示す。
上下、前後への物理的な移動に限らず、人間の態度や心のあり方について語るときさえ、「上
向き」「前向き」ならよいことで、「下向き」「後ろ向き」と言えば否定的な表現だ。
だが言うまでもなく、上下前後といった概念はどれも相対的なもので、どんな条件下で、何を
基準とするかによって、上は下にもなり、後ろは前にもなる。それなのに、いつでもどこでも、
上は下にまさり、前は後ろよりよいとして、下や後ろに対する故なき偏見を抱くのは、「前進・
上昇主義」とでも呼ぶべきイデオロギー、いや一種の偏執だというしかない。
しかし、その偏執こそが、ぼくたちの時代の、ぼくたちの社会の基本的な性質であるとしたら
どうだろう。そして、その前進と上昇の直線的な運動の果てに、重大な結末が待ち構えていると
したら?
*
*
*
「降りる思想」が下向きなのはある意味当然だが、本書はおまけに“後ろ向き”だ。第一章で
の 3・11 以降の振り返りに続き、第二章では同世代であるぼくたちの生い立ちとその時代を、第
三章ではさらにさかのぼって江戸時代を振り返る、というぐあいだ。
本書でぼくと対話する田中優子は、江戸時代の研究者としてかねがね、「前向き」という言葉
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の危険性に警告を発してきた。なぜなら、それは「直線的な価値観」というマインドセットを象
徴する言葉だから、と。
人類は「進化」し歴史は「進歩」している、という考えを導き出しているのも、直線的発想
である。「前向き」はまるで戦場での激励のようだ。後ろを振り返るな、ひるむな、逃げる
な、ひたすら前に向かって明るく前進せよ、そうすればその先にご褒美が待っている、とい
うわけだ。このような直線的時空観念の支配によって、私たちは江戸時代までの日本を忘れ
てしまった。(『未来のための江戸学』238~239 頁)
この言い方に倣えば、「経済成長」という“上向き”で“前向き”な考えを支えているのも直
線的な発想であり、それは江戸時代をはじめ、伝統社会に広く見られた「『因果』『循環』という
重要な思想」(236~237)の対極をなすものに他ならない。
「前へ」、「上へ」、「進む」などがどれも観念であるにすぎないように、そもそも時間を直線的
なものに見立てて、生きるということをひとつの方向へ向かうことであると考えるのも、思いこ
みである。近代化とはそういう思いこみを広く世界的に共有しようというプロセスだったといえ
よう。「科学技術の不断の進歩」や「無限の経済成長」といった観念は近代を貫き、そして今も
世界中に広く、深く浸透している。でも、この思いこみは、どんなに立派に見えてもやはり単な
る思いこみにしかすぎないのである。
「上向き・前向き」という観念の呪縛から自分を解放するためには、これまで忌避されてきた
下向きで後ろ向きの視線を意識的に自分の中にとり入れる必要がある。いわば、足し算だけの偏
った世界に、引き算をとり戻すのである。降りるとは、だから縮小する、ということだと言って
もいい。田中江戸学が重要になってくるのはそこである。
江戸時代とは戦国時代から価値観を大きく転換した時代であり、それこそが江戸時代から未
来を考える理由なのである。それを「拡大から縮小へ」という言葉で表現しておこう。(同
上、25 頁)
破滅へと向かわざるを得ない拡大志向に換えて、社会の持続可能性へと向けて舵をとる。それ
が田中の言う江戸時代の「縮小」である。それから 400 年、崩壊へと向かいつつある未来を食い
つくすかに見えるグローバリズムの時代に、いかにして持続可能性を手にすることができるか、
というぼくたち現代人にとって最も痛切な課題にとって、江戸時代から学ぶべきことは少なくな
い。
本書の中にも登場する思想家サティシュ・クマールの教えを援用しながら、田中は 2009 年に
書かれた自著『未来のための江戸学』の中で、ぼくたちが“降りていくべき”江戸時代の文化的
な特質についてこう言っていた。
・・・自己と他者を同時に考えられる文化、生命の関連と相互作用を感じ取る文化、土と社
会と己を育て与える文化、「貪欲と浪費」より「配慮と節度」を重んじる価値観が、ひそん
でいたのではないか・・
29
そして、そうした特質をとり戻し、現代に甦らせようというのが、「未来のための江戸学」な
のだ、と。(同上、52 頁)
田中とぼくとがともに注目するサティシュ・クマールの思想とその現代的――ポスト 311 的――
な意義については、本書の最終章で改めて論じることになる。
*
*
*
第四章では、今年 3 月に田中とともに訪問したブータンについて話し合う。「上向き・前向き」
志向に突き動かされてきた現代世界の中にとって、成功の指標であり続けてきた GNP(国民総
生産)に対して、GNH(国民総幸福)なる皮肉とユーモアにあふれるスローガンを対置してみ
せたこのヒマラヤの小国は、「降りる思想」を育もうとするぼくたちに様々なよきヒントを与え
てくれるにちがいない。
「ファスター(より速く)、ビガー(より大きく)、モア(より多く)」という現代経済中心社
マントラ
会の真言に対して、江戸やブータンが醸し出す雰囲気を表すのは、「スロー・スモール・シンプ
ル」という S で始まる三つの美しい言葉だ。遅い、小さい、簡素。どれも、この世界では否定
的な意味を背負わされている。しかし、その下向きで後ろ向きなエネルギーが、世界をぎりぎり
まで追いつめてしまった「過剰」を解決するための大きな力となるだろう。ぼくは、そう信じて
いる。
これまで、未来という言葉は「上向き・前向き」派に独占されていたようだ。しかし、上ばか
り見ていたら、前ばかり見ていたら、実は想像力が萎えて、未来など見えなくなってしまうのだ。
経済成長ばかり唱えてきた人たちがいかにお粗末な未来予測能力しかもち合わせていなかったか
を見れば明らかだ。「未来のための江戸学」が、「未来のためのブータン学」こそが、今必要とさ
れている。
*
*
*
ぼくたちにとっての「転換=降りる」とは、「上へ」「前へ」というマインドセットから脱け出
して、下に、後ろに、しっかりと目を向け直すことなのだ。本書にも度々登場するエコロジー思
想家ヘレナ・ノーバーグ=ホッジが『懐かしい未来―ラダック』という名著の中でこんなことを
言っていた。
この社会では「後戻りできない」という言葉がまるでお経のように唱えられてきた。もちろん
過去へ戻ることなど、望んでもできるものではない。私たちはただ、大昔から続いてきた人と人
との、そして人と自然との本質的なつながりへと螺旋を描くように戻っていくだけだ、と。
ヘレナによれば、この「懐かしいつながりへの下降」は、世界中のあちこちですでに大きな流
れとなりつつある。
同じように、アメリカの仏教思想家ジョアンナ・メイシーも、世界に大転換(グレートターニ
ング)が起こっていると言う。それは、環境運動、グローバル化に対抗するローカル運動、そし
て価値観の転換やスピリチャルな覚醒という三つの次元で同時に展開しているのだ、と。
その三つの次元は、やはりサティシュ・クマールがいつも言っているソイル(自然)、ソウル
30
(心と魂)、ソサエティ(社会)という三つの領域に対応する。彼は、これまでバラバラだった
それら三つの領域が融合することによって可能になる、エコロジカルでソーシャルでスピリチュ
アルな世界のビジョンを示してくれた。そこへと、ぼくたちは降りてゆけばいいのだ。
「おりる」という言葉について、広辞苑はこう説明している。
上から下への移動を示すが、到達点に焦点をおく点で「さがる」と異なり、目的・意図の
ある作用を示す点で「おちる」と異なる。
そう、ぼくたちは「さがる」のでもなく、「おちる」のでもなく、「おりる」のである。豊かさ
という幻想から、グローバル経済システムから、人間の本性へと、自然へと、いのちへと、愉し
げに降りてゆきたい。
④ 「敗北力とは何か」
『降りる思想』第一章からの抜粋。
「敗北力」とは何か
● 弱さの強さ
辻
: 3・11 の後、ぼくの中でよみがえってきた言葉のなかに、鶴見俊輔さんがおっしゃってい
た「敗北力」があります。戦争で日本は敗北をちゃんとしていなかったという。敗北する
というのは、非常に高度な知性、想像力、能力を必要とする。敗北を認めるところからは
じめて、しっかり敗北の過程を歩まなければならない。でも日本はその点が非常に貧弱だ
ということが、今度の 3・11 でも暴露されたのではないかという感じがするんです。
さっき、後ろ向きという話をしましたけど、ぼくの勤めている大学の同僚でもある作家
の高橋源一郎さんと「弱さの研究」という小さな研究会をやっているんです。始めたのは
3・11 の前なんですが、「弱さ」という観点から、3・11 について考えてみたいと思ってい
ます。さきほどのコミュニティの話で、「絆」という言葉もでてきたけれど、どうして絆
が必要かというと、人間は一人ひとり個々ばらばらであれば非常に弱い、脆い存在だから
です。それが、結びつき、補いあい、支えあうことによって、コミューナルな存在として
やっと生きていくことができる。3・11、とくに福島原発の事故を振り返ってみると、人
間の元来もっている弱さとか脆さみたいなものを否定して、「強さ」と見なされてきたも
のばかりを強調してつっぱしってきた結果、その硬直した強さがポキッと折れてしまった
という印象があります。
田中:ちゃんと敗北できなかったということでいうと、戦後すぐ、岸信介の言動だとか、中曽根
康弘が原子力の予算をつける行動を推し進めるわけですが、そういう行動に私が何を感じ
るかというと、「あ、この人たちは勝とうとしているんだ」ということです。アメリカに
負けたことを認めたくない。そして、何かチャンスがあると勝とうとする。でも、アメリ
31
カには勝ち目が無い。だから、アメリカを後ろ盾にして、とにかく何でもいいから勝つこ
とで、敗戦を乗り越えたいと思っていた。
戦後そういう行動が出てきたということは、今回、復興というのもそれと似た形で出て
くるのだと思います。負けを認めたくない。困難な状況を認めたくない。できるだけ早く
勝ちたい。これは、競争原理の中での勝ち負けの価値観にすっぽりと入っちゃっていると
いうことでしょう?
負け組なのか勝ち組なのかという話。そこに原子力がでてくるんだ
と思うんです。勝つための原子力。
辻
:なるほど、勝つためか。
田中:そういう価値観では、日本列島の弱さ、つまり地震国という側面は目を覆って見ない。
311 以降に、何かのインタビューで、外国人の子どもが「どうしてこんなに地震の多いと
ころに、原子力発電所をたくさん建てたんですか?」と聞いていました。ごくふつうに生
じる疑問だなあ、と思いましたよ(笑)。
日本列島全体が脆弱さを持っています。日本列島はほとんど沼地だったといわれていま
す。江戸の地図を見てもそうです。江戸城ができる前の江戸はほとんど沼地。浅草寺の周
りがほぼ湖のような状態で、浅草寺は金龍山という山なんです。湖の中にぽこっと建てた
らしい。だから、とてもゆるい、豆腐のような上に乗っかって私たちは生きているような
ものなんですけれども、そのことに目をつむってしまう。「弱さに目を向けない」という
態度は、いろんな問題につながっていきますね。
辻
:そういう意味では東北の人たちがもっているレジリアンス、つまりしなやか強さみたいな
ものとは対照的ですよね。どちらを土台にこれからの日本を考えていくかっていうことに
なるんでしょうね。
● 補償、賠償とは?
辻
: 3・11 以降、気になったキーワードのなかに、賠償とか、補償とかがあります。とくに賠
償という言葉が多用され、いまだに多くの議論の中心にありますね。ぼくは、水俣病事件
の当事者の一人だった緒方正人さんの聞き書きをして以来、補償ということについて考え
させられました。彼は被害者たちが補償を受けるため「患者認定」求める運動の先頭にい
て、葛藤の末、挫折し、運動から身を引く。その間、彼が「狂い」と呼ぶ精神的な苦難を
くぐるんです。「金じゃない。金じゃなかったら、ではいったい何なんだ?」という問い
をいわば刃のように自分に突きつけて苦しんだわけです。
3・11 以後、政治家が言うべきことを言わないで、何かよくわからないものの言い方ば
かりしているという印象をもっている人は多いと思うけど、それは、最初から裁判とか、
賠償とかという先の問題を見越して、用心深く話をするという理由があるんじゃないでし
ょうか。それが政治家や官僚としての本能のようなものなのかもしれない。まるで先に手
を打ったほうが勝ちといわんばかりに、政府も東電も何かというと「賠償」と言うでしょ。
32
今後、被害を受けた人たちが賠償を請求する側となって、加害者側は御用学者やおかかえ
弁護士を動員してそれを受けてたつという構図になり、また長い長い時間をかけての訴訟
へと展開していくことが予測できる。まさに水俣病事件と一緒です。加害者・被害者とい
う二項対立からなる訴訟という土俵が完成して、みんながその上に乗ることを要求される。
そしてそれに乗らないものは、存在しないと同じように無視されていく。そして、こうい
うふうにして事件をシステムの中へと回収していくやり方を見抜いて、その土俵から降り
ていったのが、緒方さんだったと思うんです。かつてぼくの前で緒方さんが回想してくれ
たことが、3・11 以後まさに目の前でどんどん起こっていると思いながら見てきました。
では、「賠償」っていったい何なんだろうと考えてみると、要するに、緒方さんが気づい
たように、「罪」という言葉を覆い隠すための言葉なんですね。罪というのはたしかに厳
しい言葉で、日本人はそれを使うことを避けている感じです。だけど、本当は、この言葉
に向き合わなければいけないと思う。向き合わないで済ませるためのカムフラージュが、
補償や賠償という仕組みなんじゃないかな。ここで罪というのは、単に、「東電の犯罪」
という狭い意味ではないんです。文明の罪、もっと言えば、人間の罪、というような意味
です。これも緒方さん風に言えば、裁判をいくらやったって、証言台に立てるのは所詮今
生きている人間だけじゃないか、ということになる。ほかの生きものとか、まだ生まれて
いない未来の世代はあらかじめ、締め出されているわけです。ほんとうの被害者は彼らな
のに、ね。
先ほどの話に戻っていえば、3・11 が本当の意味での転換の機会になるとすれば、まさ
にシステムそのものを問わなければならないのだから、やっぱりこの罪ということに向き
合う必要があるんだと思う。そんなことまで言い出したらきりがないよ、と運動家を含む
多くの人は言うでしょうけどね。でもやっぱり、近代化とともに人間が抱えこんできた罪、
裁判で問われるような罪よりもっと深い次元の罪も、問題にしていかなきゃいけないんじ
ゃないでしょうか。
田中:賠償というのは罪をぼかしてしまうというのはわかります。水俣で伺った話ですが、賠償
金が支払われるという噂が流れただけで、建築会社や家電会社などが、わっと来たという
のです。家を建てませんか、家具はどうですか、と。一方で、『苦海浄土』(石牟礼道子、
岩波文庫)では水俣病が起こる前の漁師の世界も描いていますね。夫婦で、それこそ小さ
な船で海に出ていって、一日中魚をとって、途中で魚をさばいて、ご飯を炊きながら食べ
ている。そういう生活の海が汚され、コンクリートで蓋がされ、立派な家がたくさん建つ。
それが賠償なんだと思いました。つまり、何も取り戻せなかったけれど、お金は支払われ
た。311 でもたぶん同じことが起こって、いろんなものが消えていき、問題はコンクリー
トで目隠しされるでしょう。それが賠償です。
辻
:なるほどね。賠償でつくられるのは代替物か。
田中:チッソの株主総会のときの報道映像残っているんですが、株主総会に水俣病の患者さんた
33
ちが入る。全員お遍路さんの白い装束に笠をかぶり、江頭社長(皇太子妃・雅子さんの祖
父)が舞台に上がると、鈴を鳴らしながら迫っていく。ものすごく迫力があって、怖いく
らいです。私はこれだ、って思いました。保障がほしいわけではない。人間が人間に犯し
た「罪」に対して迫っているんです。鬼気あふれるものがあった。その後、多くの問題は
政治問題になってしまった。水俣もその後は補償問題になっていきます。でも、あの怒り
はすさまじい。
辻
:緒方正人さんはよくこう言っていました。賠償する側も、補償を受けとる側も、みんなし
て水俣病事件を終わらせようとしている。「でも、俺は終わらせない」と。だから、彼は
ひとりだけになっても補償金を受け取らない。人はお金で片がつくけど、死んだ魚(いお)
や鳥たちはどうするんだ、と。またこうも言っていた。我々はみんな泥棒みたいなもんじ
ゃないかって。スーパーに行っては、「金は払った」とばかり持ちきれないほど袋につめ
て運んでくる。そして食べきれないくらいの食料を冷蔵庫につめこんでいる。でもそれは
みんな盗品だろう、と。
これはさっきの話と同じですね。ぼくたちは対価などという勝手な言葉ですませようと
している。そしてシステムという土俵の上ですべて片がつくかのようにふるまってきたし、
今もふるまっている。でもじつは、何ひとつ片はついていないし、それどころか自然はど
んどん疲弊し、悲鳴をあげている。しかし水俣の後も、ぼくたちはその自然の声に耳を傾
けてこなかった。その結果が 3・11 だったんでしょう。かつて、水俣とかチェルノブイリ
というのはどこか遠いところの話だった。ところが今やどうでしょう?
世界中が水俣で
あり、チェルノブイリという感じですよね。作物は農薬で汚染され、食べものは食品添加
物だらけで、建物はシックハウスで、大地は放射能汚染され、というように。
田中:どんどん悪くなっていますね。私が小学校のころ読んでいたある本に、ヨーロッパの花粉
症の話が出てきて、「へえ、ヨーロッパでは花粉症っていうのがあるんだ」って思ったけ
ど、今や花粉症はあたりまえ。天気予報で花粉情報までやっている。悪くなるばかりなの
に、それを進歩と呼んでいる。
辻
:あいも変わらず、その同じシステムの中で、なんとかつじつまを合わせようと思って、い
ろんな策を練っては、なんとかシステムがいまだに健在であるかのような幻想を維持しよ
うとしている。でも、3・11 以後、底が見えてしまった。
田中:そうか。補償制度っていうのは、スーパーで買物するのと同じように、お金さえ払えば、
何をもってきてもいいのだと、そういうことですね?
ということは、最終的には金を払
えば何をしてもいいだろう、ってふうになっちゃうってことですよね。
⑤ 「弱さは互いに支え合って強さとなる」
DVD『ファン・デグォンの Life is Peace』のためのインタビュー撮影は 2011 年から 2012 年に
かけて、韓国と日本で行われた。本稿はその DVD におけるファン氏の発言の抜粋である。
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「弱さは互いに支え合って強さとなる」
ファン・デグォン(黄大権)
1955 年ソウル生まれ。思想家、著述家、「生命平和(ライフピース)運動」活動家。
1985 年、留学先の米国から帰国したその日に、身に覚えのないスパイ容疑で当時の KCIA(国家
安全企画部)に拘束され、2 ヶ月に及ぶ拷問の末、北朝鮮のスパイに仕立て上げられる。死刑求
刑後、無期懲役の判決を受け、1998 年の特赦による釈放まで 13 年 2 ヶ月間、独房で牢獄生活を
送る。
釈放後、アムネスティ・インターナショナルの招きで渡欧、ロンドン大学インペリアルカレッジ
で農業生態学を学ぶ。2002 年、獄中から妹に送り続けた絵手紙が『野草手紙』として韓国で出
版され、100 万部を超えるベストセラーとなった。
現在は、執筆活動の他、ヨングァン市の山中に「生命平和マウル」というコミュニティを建設し
ながら、生命平和結社に参画、エコロジーと平和のための社会運動を展開している。
◆焚火シーン
監獄に入ってから、それまで私を支えていた思想はすべて崩れ落ちた。
無期懲役を言い渡され、投獄された私は、わらをもつかむ思いでカトリックに入信した。
信仰によって、自分をなんとか立て直そうとしたが、いくら神にすがり、祈っても、恨みをはら
すことができない。
悔しさを伝えようと叫んだり、ハンストしたり、密かに告発状を送り出したりした。
あらゆることを試したが何の効果もなかった。
5 年目の年、妻が子供を連れて去っていき、祖父母も亡くなって、私は打ちのめされた。
自暴自棄になり、最後の抵抗を試みる決心をした。
一番大きな教会の集会場を占拠して、国家保安法の廃絶と、良心囚たちの釈放を要求する暴動を
起こした。
牧師を追い出し、壇上を占拠し、騒乱状態を作りだしたが、結局は捕まった。
懲罰房では体中を縄で縛られる。腕と胴体は一つに固定され、手首には手錠をかけられる。背中
には大きな結び目がある。この状態で 24 時間座り続け、夜は寝ころぶこともできない。
仰向けになれないので横向きに丸まって寝るしかない。
体に血が通わず、最初の 1 週間は死ぬほどの痛みだった。
特に大変だったのは食事の時。腕も手首も密着して動かないからスプーンが使えない。床に置か
れた飯を犬のように舐めて食べた。
頭の上には蛍光灯がつけっぱなし。カメラで昼夜監視される。
私はロザリオを手にひたすら祈り続けた。聖母マリアの祈りから主の祈りまで、たぶん一生分、
祈ったと思う。
祈りながら、私は神に抗議した。
これまで私は自分の欲望を捨て、民衆のため、祖国の民主化のために生きてきたというのに、私
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が行動するたびに、神様、なぜあなたは妨害するのか。
病んだ私に、神は何も答えてくれない。
私はもう空っぽだった。
私はこう結論を出した。「神はいない」
キリスト教徒として、神を否定したわけではない。
頭の中で勝手に思い描いていた神は存在しない。
その時から、人格神とは別の万物に宿る神を追い求め始めた。
(中略)
その瞬間、野草が目の前に現れた。
(中略)
野草は外から来たのではなく、私の体を通して現れたのだ。
(中略)
野草とは何か?
自然から切り離されてしまった人間が、自然へと回帰する扉だ。
◆八ヶ岳山麓の家、屋内
辻:野草のレベルへ「降りてくる」。そこをもう一回説明してくれますか?
人間は万物の主だという傲慢な考えにとらわれています。
この視点からは、すべての生き物の世界を、ありのままに見ることができない。
だから別の視点が必要です。
例えば、私は農場のトイレをほとんど使いません。森の中で用を足すのが好きだから。
シャベルを持って森へ入り、穴を掘る。
しゃがむと、立っている時とはまったく違う世界が広がっている。
土の上の小さな草や虫など、見えなかったものが見えてくる。
新しい世界が開ける。
野草の次元に降りるとは、違う視点から命の世界を見ることです。
辻:そうすると、ふだんぼくたちがそこに降りられないのは、何がぼくらを留めているのでしょ
う?
一番大きい問題は固定観念です。
つまり、自然とは汚いもの、野生の植物や動物は不潔で、邪悪だという固定観念です。
それは社会が植えつけたもの。多くの人は、死ぬまでその偏見を持ち続ける。
私たちは人間中心の考えにとらわれて、ありのままを見ていないのです。
自然をじっと見て、感じる。そうすれば固定観念から自由になれるでしょう。
36
辻:トロッケ・サルジャー?
トロッケサルジャー
「汚く生きる」とは、「エコロジカルに生きる」と同じ意味です。
なぜ汚く生きるのか。
人間は、食物連鎖の頂点にいる動物です。
人間が食べられないと食物連鎖は完成せず、生態系が崩れる。
人間を食べるもの、それは微生物です。
その微生物を、人は汚いといって避けようとする。
しかし、微生物との共存なしに人間の暮らしはあり得ない。
共存とは、体に悪い微生物への抵抗力を持って自由に自然と交わること。
だが、清潔を重視しすぎて微生物を遠ざければ、共存は不可能になる。
自然は巨大な微生物工場なのだから。
辻:人間というのは、他のものを下にして、いわばその上に君臨するという意味では、強さを追
及してきたわけです。今、汚く生きようというのは、いわばそれをひっくり返すこと。強さ
のゆえにぼくたちは、滅びていきつつある。本来の、ぼくらが弱さだと思っていたものこそ
が重要になるという風に理解できるでしょうか。
「強い」人は、他人の弱さに配慮しません。自分が支配する側にいるから。
でも「弱い」人は、他者の弱さを理解し、思いやり、互いに助けあうことができる。
生態系の中で、人間は「強い」支配者として振るまっているので、「弱い」生き物たちの世界を
理解せず、無慈悲に破壊してきました
生態系のバランスを保つため、人間は今よりずっと弱い立場へ降りるべきです。
つまり、微生物を受け入れるのです。
微生物は悪者だと考えがちだが、そこには逆説があります。
微生物を避けるほど、急に接した時に病気になりやすい。
しかし、少しずつ適応していけば、弱かったはずの人が、他の生き物との共生によって、たくま
しく生き抜く術を身につけるのです。
「強さ」は孤立して弱さとなり、「弱さ」は互いに支えあうことで強さとなる。
辻:スーパーマンの人生は、けっこう寂しいものですよね。
その通りです。
◆八ヶ岳山麓の家、屋内
生命平和運動の基本理念は 2 つ。
一つは、世界の平和を望むなら、自分がまず平和になろう。
37
もう一つは、暗闇を呪うより、1 本のロウソクを灯そう。
(中略)
辻:世界がこれからどうなっていくかについて。悲観的ですか、それとも楽観的ですか?
人間については楽観的だが、この文明に対しては悲観的です。
文明の歴史はたった 1 万年にもなりません。それは人間の歴史のほんの一部にすぎないのです。
辻:しかも、その 1 万年の大部分、ほとんどの人間は文明の外に生きていましたよね。
私は文明以前の生き方に人間の原型を探りたい。
そこにこそ、自然の生態系と見事に調和し、他の生き物たちと対等な共生関係にあった人間の姿
を見るのです。
辻:でも、本来の人間の在り方への転換について、悲観的な人はたくさんいます。もう遅すぎる
と。
遅すぎるとは思いませんか?
そんなことはありません。
月は満ちてから、欠けはじめるもの。ものごとは、行くところまでいって、転換するのです。だ
から、遅すぎることはありません。
その時が来れば、次のステージが現れますよ。
辻:なるほど。
若者たちが「今の状態ではおかしい」とは思っているんだけれども、みんなやっぱり恐怖が
ある。不安に駆られている。
先ほど言った「次のステージ」は、何も新しいものではありません。それは 1 万年の文明史を通
じて非主流としてずっと続いてきた。
聖人の言葉や偉大な経典の中に、それがすべて残されている。
文明は、その非主流の対極に作られてきた。
少し視点を変えて、非主流の側に立てば、幸せに生きる道が見つかります。
主流だけを追い求めるから、希望が見えず、恐怖を感じるのです。
非主流の中に、若者たちの生きる場所はいくらでもあります。
辻:バウさんは、ずっと死に近いところに長く生きてましたよね。
今、自分自身の死についてどう考えていますか?
私は何度か死の淵までいきました。
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死とは、パソコンのマウスをクリックするほど簡単なもの。死はいつでもあっさりと、私を連れ
去ることができます。
だからこそ、私は日々を忠実に生きようとしている。
辻:何に忠実に?
自分がしたいことをするだけです。私が何をしたとしても、それは神が望むことだと思うように
なりました。
良いことも悪いことも、神の思し召し。神が授けることとして、私は悪いことでも喜んで受け入
れる。
自然をじっくり観察すれば、命は、はかないものだと分かります。
生きている間、命は生を謳歌します。そこには繁栄が、喜びが、悲しみがあります。
それらすべてが混じりあって、生の華麗な織物を作りあげます。
でも冷たい風が吹けば、悩むこともなく、はかなく死んでいきます。
そう生きるようにと、神がこの世を創ったのです。
しかし、人間だけが自我に邪魔されて、そういう生き方ができずにいます。だから、その自我か
ら解き放たれる必要があるのです。
そして、利己的な社会から、若者は 1 日も早く脱け出してほしい。そこから降りて、違う環境に
身を置き、人生について考え直してほしい。
【4】 「弱さ」の研究・「弱者」を中心にした新しい共同体の可能性について
高橋 源一郎
はじめに
この研究は、一つには、個人的な気づきによるものである。次男の脳炎発症に伴う、いくつか
の経験は、「弱者」という存在が周囲に及ぼす、特別な力の存在をわたしに気づかせた。もう一
つは「3・11」による「気づき」とでもいうべきものである。「3・11」は、この社会の持つ「歪
み」を浮き彫りにしたが、同時に、その解決の方途をも示した。それは、「弱者」を中心にした
新しい共同体の可能性である。
(1)「祝島」、「老人」を中心にした「下り坂」の共同体
山口県上関町、祝島では、1982 年、対岸の上関町田ノ浦への原発計画発表以来、反対運
動を続けている。当時、2000 人近かった人口は、2012 年 4 月現在 480 名ほどになった。
だが、いまなお反対運動を続ける「力」の源は、過疎・老齢化そのものだった。
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(2)「でら~と&らぽ~と」、重症心身障害児を中心にした優しい共同体
社会からの「隔離」ではなく、障害者が「生きられる」施設を作ること。そこでは、親
もまた、障害者である子どもたちの「世話」をする存在ではなく、同じく、「生きる」権
利を持つことができる。
(3)「非電化工房」、電気を使わない新しい社会へ向けて
(4)「きのくに子どもの村学園」、クラス・学年・試験・成績表・チャイムのない学校が取り組
む、ラディカルな民主主義の「共同体」
20 年前、大阪市立大学教授だった堀真一郎さんは、A.S.ニイルの「サマーヒル・スクー
ル」に倣って、まったく新しい学校を作り出した。それが、「戦後最初の自由教育の公教
育の場」「きのくに子どもの村学園」だった。
(5)「エレマン・プレザン」、ダウン症の子どもたちを中心にした「美」の共同体
世田谷にあるアトリエ「エレマン・プレザン」はダウン症の子どもたちのためのアトリ
エだ。
(6)劇団「態変」、身体障害者だけの劇団が目指す、「社会」に対抗する共同体
大阪東淀川にある劇団「態変」は、主宰者金満里によって、およそ三十年前に設立され
た。「障害者運動」に深い影響を与えた「態変」は、障害者に向けられた社会の「視線」
を可視化させることによって、この社会の歪みを露呈させることを、目的にした劇団だ。
(7) 2 つの子どもホスピス、「死者」を中心にした「癒し」の共同体
イギリス・リーズ近くにある、子どもホスピス「マーチン・ハウス」は、死につつある
子どもたちのケア、そして、死んでゆく子どもの親たちのケア、それらを通じて、新し
い共同体の考え方そのものを提出している。日本で最初の、専門の子どもホスピスを作
った、東淀川キリスト教病院の場合も、同じだ。
(8)宅老所「よりあい」、認知症の患者たちが持つ「可能性」について
福岡県にある宅老所「よりあい」は 1991 年に始まった、この種の施設のパイオニアだ。
ここでは、認知症の老人たちにできるだけ「ふつう」の暮らしをさせている。
(9)インクルーシヴ・デザイン、障害者の社会進出と、新しく「デザイン」される社会
【5】 今後の課題:本研究を通して、「弱さ」というテーマが秘めている豊かな可能性に触れる
ことができた。特に大岩にとってもともとの研究テーマであるディープ・エコロジーやホリステ
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ィック思想についての研究をさらにすすめるための概念的な足がかりを得たと感じている。今後
の研究計画として、以下を挙げておきたい。
サティシュ・クマールの思想についての研究の継続
ファン・デグォンの思想についての研究の継続
エンゲージド・ブディズムについての研究の継続
ベルナルド・リエターの著作「マネーと持続可能性」の翻訳及び日本への紹介
ヴィノバ・バーヴェの著作「Ultimate and Intimate」の翻訳及び日本への紹介
安藤昌益のエコロジー思想についての研究
ヴァンダナ・シヴァの映像の DVD 化と日本での普及
※本報告書は、国際学部付属研究所共同研究「弱さの研究」の最終報告書である。
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