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解 説

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解 説
おん みつ まわ
どう しん
えい ほう
泳法
船手組
町奉行所の花形の一つ、
奉行直属の密偵
水泳は武士にとって
武芸の一種であった
平和な時代の徳川水軍は
幕府の船を守るのが仕事
町奉行所には与力・同心が複数所属
現代、スポーツとして親しまれてい
江戸幕府の水軍。初期を除き、5つ
し、実務から組織運営まで様々な役を
る水泳とは別に、日本には武術の一環
の組で編成されていた。
務めた。その中でも、定町廻り同心、
として発展した独自の泳法がある。
主な役目は幕府の用船を管理するこ
臨時廻り同心、そして隠密廻り同心は
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江戸の町を廻って治安を守る役目であ
※配布店舗にて実物を
り、
「三廻り」として花形的な扱いを
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受けた。
多くは江戸時代に創始され、発祥の
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地の海の環境と結びついて発展した。
※配布店舗にて実物を
本作に登場する泳法は2つ。1つは
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宗也が身に着けた岩倉流で、これは
とだが、将軍が船で鷹狩りなどに出か
隠密廻り同心は「隠密」と名に付く
1710年(宝永7)、紀州藩士の岩
幕末、諸外国の来航で海防が必要と
とおり、秘かに情報を集め、町奉行に
倉重昌が教えだした流派である。一方
される中で解体され、軍艦奉行の支配
報告するのが役目だった。
の向井流は船手組の中で継承された。
下に入り幕府海軍の礎になった。
かい かく
まち ぶ ぎょう しょ
瓦
版
隠密廻り同心
きょう ほう
解説
ふな て ぐみ
ける際には、その船を動かした。その
他、罪人が島流しになる時の船を出す
のも船手組の役目だった。
ふな て がしら
か
こ どう しん
町奉行所
船手頭と水主同心
紀州からやってきた将軍が
緩んだ幕府の改革に大奮闘
太平を司る超激務の部所
武家の犯罪に関わることも
徳川恩為に戦った海賊から
太平の世の平凡な役目へ
8代目将軍・徳川吉宗が実行した
江戸の治安・司法の要であり、立法・
船手組の長が旗本の船手頭で、その
改革の総称。享保年間(1716~
行政・消防を司った役所。武家・寺社
支配下に水主同心(御家人)がいた。
1735年)に始まった。
は管轄外だが、直参の犯罪には町奉行
五人の船手頭の筆頭は代々の向井将
その改革内容は、年貢の増徴、法律
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の整備、質素倹約の推奨、物価の安定
※配布店舗にて実物を
など、非常に多岐にわたった。本書に
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関係が深いところでは泳法はもちろん
が大目付・目付とともに「三手掛」を
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構成して合議で裁判を行った。
※配布店舗にて実物を
その役目は大変な激務であるため、
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北町と南町が設置され、両者が月番、
監が務めた。船手頭の役高(その役に
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つくものの基準石高)700石に対し
※配布店舗にて実物を
て向井家の家禄は2400石で、同心
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の数も他の組より多く、特別だった。
のこと武芸を奨励し、綱紀を粛正して、
すなわち交代で役目に当たった。と
本来、船手頭は海戦・用船の専門技
太平に気が緩んでいた武士を引き締め
いっても非番の月は休みではなく、前
術を持った職であったが、次第に出世
ようとしたことがある。
月に受けた訴えや仕事を処理していた。
の過程の一つに過ぎなくなっていった。
用語解説/福原俊彦
享保の改革
ふ じ し ま
ゆ
人物紹介
り
藤島百合
ふ じ し ま よ う い ち ろ う
SA
親子
耀一郎の娘。艶やかな黒髪、すっき
りとした面差し、大きな瞳に柔らかい
藤島燿一郎
食えないヤツだ
垂れ目の美人。
おっとりしているが、筋金入りのお
せっかいやきで、困っている人や厄介
活力にあふれていて若々し
く、洒脱な人物。町中で喧
嘩をしていた宗也と知り合
事を見逃せない。宗也を好ましく思っ
ており、本作の一件でも彼の助けにな
ろうと首を突っ込んでくる。
い、強引に家に招いた。
その正体は北町奉行・中
山出雲守時春の配下の隠密
廻り同心。飄々とした気さ
く な 顔 の 裏 に、 鋭 く 冷 淡
な、抜け目ない顔を隠して
変わった娘だ
面白い方です
いる。
た け が み じゅう ぞ う
竹上十蔵
M
船手頭で宗也の上役。
ぎょろりとした出目の小
男で、己の出世と保身に
しか興味がなく、船のこ
とには無知。役目も人に
押しつけてばかりで配下
か ら 嫌 わ れ て い る。 無
愛想で型破りな宗也を、
憎々しく思っている。
ぶ ん ぞ う
学者。ひょろりとした若者で日本橋
の魚屋の倅だったが、度会屋に学問の
感じさせる老人。
ぬ ま も と ゆ き
田沼意行
親友
紀州若山の足軽だったが、才覚を認められ、
8代将軍・徳川吉宗の小姓をつとめる。宗也
とは歳が離れているが、兄のような心持ちで
宗也を気にかけている、旧知の親友。
素朴で物静かな人柄の一方、主君のために
根回しや敵を出し抜く術も熟知している強か
さもある。息子はのちの田沼意次。
E
日本橋で廻船問屋を営んでいる大商人。
見ず知らずにもかかわらず、窮地に立たさ
れていた宗也のために助力を申し出てくる。
愛想のいい顔の裏で、真の目的や何を企
んでいるのかがわからない、底知れなさを
た
主従
度会屋
支援
狸ジジイめ
才を見込まれ、その後ろ盾を得て京都
で遊学していた。学問に対しては貪欲
で蘭学にも強い関心を持っており、異
国のことにも詳しい。
わ た ら い や
若き船手組水主同心。歳の頃は二十を過ぎた
ばかりで、背丈は並みの男より頭三つは高く、
鍛えぬかれた体躯の大男。顔も強面で、粗野な
性格のため、船手組の同輩からは遠巻きにされ
ている。水練の達人で釣りと喧嘩好き。
生まれ育ちは紀州の若山で、戦国時代には瀬
戸内で活躍した海賊の血を引いている。
協力しましょう
青木文蔵
や
PL
き
関心
坂船宗也
知恵を貸す
目の敵
あ お
さ か ふ ね そ う
嫌い
北町奉行所の同心。歳は
初老にさしかかっているが、
と く が わ よ し む ね
徳川吉宗
紀州藩藩主・徳川光貞の4男に生まれるが、兄の夭
折が相次ぎ、跡目を継いだのち、享保元年(1716
年)に徳川幕府8代将軍に就任。さまざまな改革を行
う中、武芸を奨励する一環で水練の強化にも力を注ぐ。
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