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『ボヴァリー夫人』の語り手

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『ボヴァリー夫人』の語り手
『ボヴァリー夫人』の語り手
諏
訪
裕
冒頭の《nous》
フローベールの『ボヴァリー夫人』の有名な書き出しは、つぎのような
ものである。
Nous étions à lʼÉtude, quand le Proviseur entra, suivi dʼun nouveau
habillé en bourgeois et dʼun garçon de classe qui portait un grand pupitre.
Ceux qui dormaient se réveillèrent, et chacun se leva comme surpris dans
(1)
son travail (p. 47).
(私たちは自習室にいた。すると、校長が、制服ではなく私服を着た
「新入生」と、大きな机を運んできた小使を連れてはいってきた。いね
むりをしていた連中は目をさました。そしてみんな、さも勉強中のとこ
ろを不意をつかれたかのように立ち上がった。
)
この小説は、ご覧のとおり、「私たち」
(nous)という一人称の代名詞
で始まる「一人称」小説として開始される。
ただ、この語り手は決して「私」
(je)という語を口にすることはなく、
つねに「私たち」を使う。それゆえ、この小説は単なる「一人称」小説で
・
・
「一人称」
はなく、「一人称・複数」小説であるかのごとく見える。では、
小説と「一人称・複数」小説を区別する必要があるのだろうか。
この問題を解決するためには、言語学者バンヴェニストの人称代名詞に
(2)
関する論文を参照することが有効であると思う。彼によれば、「私たち」
は複数の「私」からなりたっているのではなく、
「私」と「非=私」の結
─
1
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帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
合したものである。このことを公式化すれば、
《nous》=《je》+《non-je》
と表すことができる。
「非= 私」(non-je)の 内 容 は、二 人 称「あ な た た ち」(vous)の 場 合
と、三人称「彼ら」(eux)の場合がある。ただ、いずれの場合でも、「私
たち」のなかで最も優勢なのは「私」である。それは、
「私」を出発点と
してはじめて「私たち」が存在するからである。
それゆえ、「一人称」小説のほかに「一人称・複数」小説という新たな
カテゴリーを考える必要はないと言えよう。
「私たち」のなかにいる「私」
が語り手であることは、疑いの余地がないからである。以上の事実を踏ま
えて、『ボヴァリー夫人』の冒頭の数ページは「一人称」小説であると断
定しても不都合はないと考える。
ここであらためて冒頭の「私たち」を定義すれば、シャルル・ボヴァリ
ーがルーアンの中学校に入学してきた日に、彼が編入生として入ってきク
ラ ス の 一 員 で あ っ た「私」と そ の「同 級 生 た ち」で あ る。た だ、こ の
(3)
「私」はこの物語言説(récit)を生産している語り手でもある。
等質物語世界的語り手/異質物語世界的語り手
ジェラール・ジュネットは、旧来からある「一人称」または「三人称」
の物語という呼称は不適切であると指摘し、それにかわるものとして、語
り手が作中人物として物語内容(histoire)に存在するタイプ──旧来の
「一人称」小説──を「等質物語世界的」
(homodiégétique)物語言説、
語り手は作中人物としては物語内容に登場しないタイプ──「三人称」小
説──を「異質物語世界的」
(hétérodiégétique)物語言説と呼ぶことを提
(4)
案している。われわれもこれ以降、これらの呼称を採用することにする。
ここであらためて、『ボヴァリー夫人』の語り手に着目すると、この語
り手は奇妙な語り手であることが分かる。作品冒頭のシャルル・ボヴァリ
─
2
─
『ボヴァリー夫人』の語り手
ーがルーアンの中学校へ入学してきた当日の出来事を語る箇所では、この
語り手は、たしかに作中人物としても物語世界のなかにいた。ところが、
この日の晩のシャルルの行動を、目撃者として報告した後、突然に姿を消
してしまう。
Nous le vîmes qui travaillait en conscience, cherchant tous les mots dans
le dictionnaire et se donnant beaucoup de mal (p. 50; souligné par moi).
・
・
・
(私たちは、彼[シャルル]が単語をいちいち辞書でしらべ、四苦八苦
しながら、まじめに勉強しているのを見た。
)
この《nous》が、語り手である「私」が作中人物として物語世界のな
かに存在したことを明示的に示す最後の一人称の代名詞となる。これ以
後、一度だけ《nous》が使われるが、この度は、作中人物としての「私」
ではなく、語り手としての「私」を含んだ《nous》である。
Il serait maintenant impossible à aucun de nous de se rien rappeler de lui
(p. 54; souligné par moi).
・
・
・
・
(いまとなっては、われわれ同級生のだれにも、シャルルのことを何か
思い出すことなどできないだろう。
)
この「いま」(maintenant)が、語り手がシャルルとエンマの悲劇(物
語内容)を語っている時点、すなわち語りの現在を指していることは明ら
かだ。この時点では、
「われわれ」はもはや中学生ではなく、三十代の年
齢になっているはずである。
物語言説(récit)のなかに、一人称の代名詞(《je》または《nous》)が
存在するということは、二つのことを同時に意味しうる。
「私」は、「私」
を含む「言表の主語」
(sujet dʼénoncé)であることと同時に、この言表を
生産する「言表行為の主体」
(sujet dʼénonciation)であることとを示して
─
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帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
いる。「私たちは自習室にいた」という物語言説を例にとれば、
「私」は言
表の主語としては、シャルルがルーアンの中学校に入学してきた日に、そ
の場に居合せて、そこで起きたことを直接目撃した中学生であり、また、
言表行為の主体としては、この日の出来事を約二十年後に回想しながら語
っている語り手である。
「私」は同時に作中人物でもあり、語り手でもあ
るということだ。
「一人称」小説、もしくは「等質物語世界的物語言説」
(récit homodiégétique)の定義は、語り手と作中人物の同一性にある(語り手=作中人
物)。ただ注意しなければならないのは、両者は同一人物であっても、そ
れぞれが持つ知識、情報量は異なるという点である。中学生の時の「私」
と三十代の「私」では、その情報量において全く異なる(作中人物<語り
手)。冒頭のシャルルの入学の日の出来事を目撃した中学生は、シャルル
のその後の運命など知るよしもないが、語り手のほうはそれを全て知った
うえで語っているのだ。
『ボヴァリー夫人』を全体として見れば、明らかな等質物語世界的物語
言説の部分は、非常に限られた数ページ(第一部章の一部)にすぎな
い。残りの圧倒的な部分は、語り手が作中人物として物語世界のなかに登
場しない異質物語世界的物語言説である。しかしながら、その割合はとも
かくも、この物語テクストが等質物語世界的物語言説と異質物語世界的物
語言説という互いに異質な部分からなりたっていることは事実である。そ
れゆえ、語り手にも「等質物語世界的語り手」と「異質物語世界的語り
手」の二種類の語り手が存在することになる。
では、等質物語世界的語り手と異質物語世界的語り手の差異はいかなる
点にあるのだろうか。等質物語世界的語り手の場合は、語り手と同じ人物
が作中人物として物語世界の中に存在するので、視点(知覚・思考の中
心)はその人物(私)に置かれる。それゆえ、語り手の与えうる情報は
・
・
・
・
・
・
・
「私」の知りうることに限定される。ただし、語り手としての「私」の知
りうるかぎりのこと、という意味である。中学生の時の「私」よりも三十
─
4
─
『ボヴァリー夫人』の語り手
代の「私」のほうが、より多くのことを知っているからである。いずれに
せよ、等質物語世界的語り手の与えうる情報は、「私」の知りうるかぎり
のことに限定される。それ以上のことを語ることは、このコードに対する
違反となる。
これに対して、異質物語世界的語り手にはそのような制約はない。この
種の語り手は、物語世界のことなら何でも知っていて、神のごとくに振る
・ ・
・
舞うこともできる。もっとも、全てを知っていても、それを必ずしも語ら
(5)
なければならないわけではないが。シャルルやエンマの内面、心の動きを
語ることは、等質物語世界的語り手にはできないが、異質物語世界的語り
手には許されている。
一般に、作者は等質物語世界的語り手か異質物語世界的語り手のどちら
かを選んだあとは、それを首尾一貫して使うのが通例であり、両者を併用
するのは稀なことだと思える。
『ボヴァリー夫人』には上述の二種類の語り手が存在すると考えるのだ
が、等質物語世界的語り手が語っている部分は、さきほど述べたように、
冒頭の数ページだけなのか、それとも、それ以外にもありうるのかをもう
少し詳しく調べてみたい。ある物語言説が等質物語世界的語り手によって
語られていると判断する基準は、かつてシャルルの同級生であった「私」
が知りうる、あるいは語りうる限度の範囲で語っているかどうかという点
にある。
冒頭の場面では、一人称代名詞(nous)が存在したので疑問の余地は
なかったのだが、それ以外の箇所ではこのような指標はないので、この判
断は微妙なものにならざるをえない。
シャルルのルーアンの中学校入学の日の情景に続いて、シャルルの両親
の結婚、シャルルの誕生、シャルルの幼年時代、シャルルの教育、シャル
(6)
(analepse)の形をとって語られる。
ルの中学入学までの話が「後説法」
Son père, M. Charles-Denis-Bartholomé Bovary, ancien aide-chirur─
5
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帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
gien-major, compromis, vers 1812, dans des affaires de conscription, et
forcé, vers cette époque, de quitter le service, avait alors profité de ses
avantages personnels pour saisir au passage une dot de soixante mille
francs, qui sʼoffrait en la fille dʼun marchand bonnetier, devenue
amoureuse de sa tournure (p. 50).
(彼の父は、シャルル・ドニ・バルトロメ・ボヴァリーという元軍医補
で、一八一二年ころ徴兵事件に連座して、その頃に退職し、そこで、生
来の美貌を利用して、彼の風采にほれたメリヤス屋の娘と六万フランの
持参金をまんまとせしめた。
)
この種の物語言説は、等質物語世界的語り手が語っているのか、それと
も異質物語世界的語り手が語っているのかを一刀両断に決めるのは困難で
ある。シャルルの同級生であった「私」が、その気になって調べようと思
えば、ここに語られた内容は決して「私」の知りえない情報ではない。そ
れゆえ、この種の物語言説が等質物語世界的語り手によって語られている
と言っても必ずしも誤りではないだろう。もっとも、これを全知の語り手
によって語られている物語言説であると判断しても間違いだとは言えな
い。つまり、この種の物語言説は「等質物語世界性」/「異質物語世界
性」を隔てる境界線上にある中間的な物語言説だと考えるしかない。
ところが、つぎのような物語言説の場合には、このような疑問の余地は
なくなる。
Dans les beaux soirs dʼété, à lʼheure où les rues tièdes sont vides, quand
les servantes jouent au volant sur le seuil des portes, il ouvrait sa fenêtre
et sʼaccoudait.[...]En face, au-delà des toits, le grand ciel pur
sʼétendait, avec le soleil rouge se couchant. Qu’il devait faire bon là-bas !
Quelle fraîcheur sous la hêtrée ! Et il ouvrait les narines pour aspirer les
bonnes odeurs de la campagne, qui ne venaient pas jusquʼà lui (p. 55-56;
─
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『ボヴァリー夫人』の語り手
souligné par moi),
(夏の美しい夕べ、なまあたたかい路上に人通りも絶え、女中たちが家
の戸口で羽根つきをして遊ぶころ、彼[シャルル]はよく窓を開けてひ
じをついた。[中略]彼の正面に、屋根の彼方にすみ切った大空が広が
・
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・ ・ ・
・ ・
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り、赤い夕陽が沈もうとしていた。あのあたりに行ったらどんなに気持
・
・ ・ ・
・ ・
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・
・ ・
がいいだろう!ブナの木陰はどんなに涼しいことだろう!そこで、彼は
鼻腔をふくらませてこころよい野の香りをかごうとしたが、彼のところ
までにおってくるはずもなかった。
)
シャルルが医学校へ入り、いよいよ青春期を迎えたころの場面を描いた
箇所である。傍点を付した部分は、シャルルの内的言説、心の叫びを「自
由間接話法」で表現している。このような物語言説は、シャルルとは第三
者である「私」には決して語りえない性質のものである。これは、明らか
に全知の語り手にしか語れない言説である。
このように、テクストにそって細かく調べてゆくと、フローベールが、
最初の明白な等質物語世界的物語言説から、その中間的段階を経て、徐々
に異質物語世界的物語言説へ移行しているのが分かる。異質なもの同士の
接合部分をなるべく目立たせないように細心の注意を払っているのが見て
とれる。
等質物語世界的物語言説と異質物語世界的物語言説を決定的に分ける分
水嶺となっているのはつぎの箇所だと思える。
A force de sʼappliquer, il se maintint toujours vers le milieu de la classe;
une fois même, il gagna un premier accessit dʼhistoire naturelle. Mais à la
fin de sa troisième, ses parents le retirèrent du collège pour lui faire
étudier la médecine, persuadés quʼil pourrait se pousser seul jusquʼau
baccalauréat (p. 54).
(猛勉強のおかげで彼はいつもクラスの中くらいにいた。博物学の試験
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帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
で一度優等の褒賞を取ったことさえあった。ところが四年の学年末にな
ると、両親は彼が独力で大学入学資格を取るところまでやれるだろうと
信じて、医学を学ばせるために中学をやめさせた。)
ここまでが、シャルルがルーアンの中学校に在籍した時期の記述であ
る。これ以降は同級生であった「私」の視野からはシャルルは消えたはず
である。それゆえ「私」の直接的な目撃者としての役割も終ったのであ
る。ここで等質物語世界的物語言説は終り、異質物語世界的物語言説が始
まったと考えられる。
これ以後は、異質物語世界的語り手が全ての物語内容を語っているよう
に見える。一人称代名詞などは一度も使われることはない。この語り手
は、全知の語り手という特権を保持しながらも、かなりの部分で主要な作
中人物(シャルル、エンマ、レオン、ロドルフ等)に対する内的焦点化を
(7)
使うことは有名である。自分以外の他者の主観性の内部に立ち入ることで
ある、作中人物に対する内的焦点化は、異質物語世界的語り手のみがなし
うることであり、等質物語世界的語り手には、理論上、不可能なことであ
る。
作品全体を概観すれば、シャルルがエンマと出会って結婚するまでは、
シャルルに内的焦点化が行われる。次に、結婚してしばらくしてからは、
エンマに焦点化の対象が移動する。そして、エンマが自殺して物語世界か
ら姿を消すや、シャルルに視点が戻ってくる。さらにシャルルまでもが急
死するや、語り手は焦点化の対象を見出せなくなる。そして、それまでは
エンマやシャルルの背後に隠れていた語り手自身が、姿を露呈することに
なる。
Quand tout fut vendu, il resta douze francs soixante et quinze centimes
qui servirent à payer le voyage de mademoiselle Bovary chez sa
grand-mère. La bonne femme mourut dans lʼannée même; le père Rouault
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『ボヴァリー夫人』の語り手
étant paralysé, ce fut une tante qui sʼen chargea. Elle est pauvre et
lʼenvoie, pour gagner sa vie, dans une filature de coton.
Depuis la mort de Bovary, trois médecins se sont succédés à Yonville sans
pouvoir y réussir, tant M. Homais les a tout de suite battus en brèche. Il
fait une clientèle dʼenfer; lʼautorité le ménage et lʼopinion publique le
protège.
Il vient de recevoir la croix dʼhonneur (p. 446; souligné par moi).
(一切合切売り払うと十二フラン七十五サンチームが残った。それがボ
ヴァリー嬢の祖母のところへ行く旅費になった。老夫人もその年に亡く
なった。ルオー爺さんは中風なので、ある叔母がベルトを引き取った。
・
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・
・
叔母は貧しいので、生計を立てるために、ベルトを綿糸工場へ働かせに
・
・ ・ ・
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出している。
・ ・
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ボヴァリーの死後、三人の医者が相ついて開業したが、ひとりとしてう
・
・
まく行かなかった。オメー氏がすぐにやっつけてしまうからである。オ
・ ・
・ ・ ・
・
・
・
・
・
メー氏はものすごい顧客をつくっていて、当局は彼に一目おき、世論も
・ ・
・ ・
・
・
彼を擁護している。
・ ・
・
・ ・
・
彼は最近レジオン・ドヌール勲章をもらった。)
『ボヴァリー夫人』の最後の部分である。エンマもシャルルもいなくな
った物語世界では、語り手はもはや内的焦点化を行う理由を失ったのだ。
語り手はいかなる作中人物の主観の内部にも入り込むことはせず、ただ外
部から客観的事実を報告するにとどめている。この箇所でも、当然全知の
語り手が語っているように思える。しかし、ここで語られている情報の質
を考えてみるならば、これは決して全知の語り手のみが語りうる情報では
なく、シャルルの同級生であった「私」にも十分知りうる内容である。シ
ャルルと同世代で、同郷人である「私」がこれらの事実を知っていても、
何ら不思議はない。
つぎに、この箇所で注目しなければならないのは、動詞の時制の変化で
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帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
ある。ここまでは、もっぱら「単純過去」
(passé simple)と「半過去」
(imparfait)の過去時制の動詞が使われていたのに対し、物語の最後にな
って、急に「現在」
(présent)と「複合過去」
(passé composé)の現在時
(8)
制の動詞が出現してくる。物語言説の質が、バンヴェニストのいう「歴
わ
(discours)へ変化したのである。さらに、物
史」
(histoire)から「話」
(9)
(narration ultérieure)か ら「同 時 的 語
語 論 的 に い え ば、
「後 置 的語り」
り」(narration simultanée)へと変化したのだ。物語内容の持続が語りの
現在に追いついたのである。結末における物語内容の時間と語りの現在の
(10)
一致は、「一人称」の物語言説においては通例である。それゆえ、この結
末における二つの時間の一致を示す動詞の現在形を、この箇所が「一人
称」の物語言説、すなわち等質物語世界的物語言説であることを示す論拠
として提出することができるだろう。この一致は、語り手が作中人物たち
と同じ時・空間を生きていることを示す証左なのだ。いま語り手である
「私」は、
「オメーがレジオン・ドヌール勲章をもらったばかり」の時点
で、おそらくヨンヴァルか、その近くで、この物語り行為をしているのだ
ろうと推測できる。
作品の末尾であるこの箇所は、以上に述べた二つの理由から、すなわ
ち、ここでは異質物語世界的語り手のみに許される他者に対する内的焦点
化が使われていないこと、第二に、結末における物語内容の時間と語りの
同時性を示す現在時制の動詞の存在が、この物語言説の等質物語世界性を
指し示していることから、等質物語世界的物語言説であると考える。
この判断が正しければ、『ボヴァリー夫人』の最初と最後の部分は、対
称的に、等質物語世界的語り手によって語られていることになる。作品の
両端は奇しくも、物語の主人公たちの不在の場所、等質物語世界的語り手
だけが目立つ場所となっている。『ボヴァリー夫人』は、圧倒的大部分を
占める異質物語世界的物語言説が、その両端で等質物語世界的物語言説で
縁取られるという構成になっている。
─
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『ボヴァリー夫人』の語り手
これまでの検証の結果から、等質物語世界的語り手が語っているのは作
品の冒頭と末尾という、対称的かつ対照的な箇所だと考えるのだが、動詞
の現在形という理由で、もう一箇所気になるところがある。それは第二部
の冒頭のヨンヴィルの描写である。この箇所は物語内容のクロノロジーで
は、ボヴァリー夫妻がそれまで住んでいたトストからヨンヴィルへ引っ越
してくる直前の時点に位置している。
Yonville-lʼAbbaye (ainsi nommé à cause dʼune ancienne abbaye de
Capucins dont le ruines nʼexistent même plus) est un bourg à huit lieues
de Rouen, entre la route dʼAbbeville et celle de Beauvais, au fond dʼune
vallée quʼarrose la Rieule, petite rivière qui se jette dans lʼAndelle, après
avoir fait tourner trois moulins vers son embouchure, et où il y a quelques
truites, que les garçons, le dimanche, sʼamusent à pêcher à la ligne (p. 124:
souligné par moi).
・
・
・
ア
(ヨンヴィル=ラベイ(いまは遺跡もとどめないが、昔カプチン会の修
ベ
イ
道院があったためこう名づけられている)は、ルーアンから八里、アブ
・
・
・
・
・
・
ヴィル街道とボーヴェー街道の間、リユール川のうるおす谷の奥にある
・
・
小さな町だ。リユール川はやがてアンデル河へそそぐ小さな川だが、そ
・
・
の合流点あたりで三台の水車を回しているあたりにはニジマスがいるの
・
・
で、日曜日には子どもたちが釣りをして遊ぶ。)
ヨンヴィルの町の描写は全体としては 5 ページにもわたっている。この
間、動詞の時制は、一部を除いて、現在時制である。では、この箇所の動
詞の現在をどのように理解すればよいのだろうか。
まず問題にしなければならないのは、ここに描かれているヨンヴィルの
姿は、いつの時点のものかということである。この物語の筋の自然な流れ
から考えると、ボヴァリー夫妻が引っ越してくる直前のころのヨンヴィル
の町であると思われる。そうすると、語りの時点から見ると、これはある
─
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帝京大学外国語外国文学論集
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程度過去のヨンヴィルの姿だということになる。引っ越しと語りの時点と
の間にどれくらいの時間が経過しているのかを正確に言うことはできない
が、ヨンヴィルに来てから生まれた娘のベルトが現在では綿糸工場で働い
ているという事実から判断すると、十年程度は経過していると推測でき
る。すると、過去のヨンヴィルの町を描写するのに、現在時制の動詞を用
いるのは不合理であると言わねばなるまい。それとも、十年前と今日のヨ
ンヴィルには本質的な差異なぞ存在しないということなのか。ヨンヴィル
は「超時間的」(atemporel)な場所なのか。
同種の町の描写でも、つぎのルーアンの描写は全く異なる描き方であ
る。
Descendant tout en amphithéâtre et noyée dans le brouillard, elle [la
ville] sʼélargissait au-delà des ponts, confusément. La pleine campagne
remontait ensuite dʼun mouvement monotone, jusquʼà toucher au loin la
base indécise du ciel pâle. Ainsi vu dʼen haut, le paysage tout entier avait
lʼair immobile comme une peinture; les navires à lʼancre se tassaient dans
un coin; le fleuve arrondissait sa courbe au pied des collines vertes, et
les îles, de forme oblongue, semblaient sur lʼeau de grands poissons noirs
arrêtés (p. 347; souligné par moi).
・
(町は段丘状に降りて、霧のなかにおぼれ、橋のかなたへおぼろげに広
・ ・
・ ・ ・
がっていた。その向こうには広々とした野原が、単調な起伏を描いてし
・ ・
・
だいに高まり、ついにははるかかなたでほの白い空のぼんやりとした底
に接していた。こうして高みから見わたすと、景色全体が一幅の絵のよ
・
・ ・ ・
・
・
・
・
うに静止していた。錨をおろした船は片すみにかたまり、川は緑の丘の
・ ・ ・
麓で蛇行し、細長い形をした島々は、水にじっと浮かんだ大きな黒い魚
・
・ ・
)
のように見えた。
エンマが毎週木曜日にレオンと密会するために出掛けるルーアンの町の
─
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─
『ボヴァリー夫人』の語り手
描写である。時間的な順序でいえば、ヨンヴィルへの引っ越しよりも数年
あとのことである。この箇所では動詞は例外なく「半過去」になってい
る。この描写の場合、エンマが見ている光景、つまりエンマを焦点人物と
した「焦点化された描写」
(description focalisée)であると考えるのが自
然である。エンマがこの光景を知覚・認識する時間は、物語世界内の時間
であり、物語の筋の時間にしっかりと組み込まれている。ここで比較のた
めに、ヨンヴィルの描写からこの引用とよく似た例を引いてみる。
On quitte la grande route à la Boissière et lʼon continue à plat jusquʼau
haut de la côte des Leux, dʼoù lʼon découvre la vallée. La rivière qui la
traverse en fait comme deux régions de physionomie distincte: tout ce
qui est à gauche est en herbage, tout ce qui est à droite est en labour. La
prairie sʼalonge sous un bourrelet de collines basses pour se rattacher
par-derrière aux pâturages du pays de Bray, tandis que, du côté de lʼest, la
plaine, montant doucement, va sʼelargissant et étale à perte de vue ses
blondes pièces de blé. Lʼeau qui court au bord de lʼherbe sépare dʼune raie
blanche la couleur des prés et celle des sillons, et la campagne ainsi
ressemble à un grand manteau déplié qui a un collet de velours vert,
bordé dʼun galon dʼargent (p. 124; souligné par moi).
・
・
・
・
・
・
・
・
(ラ・ボワシエールで本街道をはなれ、しばらく平地を行くとレ・ルー
・
・ ・
・ ・
・
丘の上へ出る。そこから谷の全景が見わたせる。谷を流れる川が、はっ
・
・
・
・
・
・
きり様子のことなる二つの地域にこの谷間を分けている。左岸はすべて
・
・ ・
草原、右岸はすべて耕地である。牧場はなだらかな曲線をえがく丘陵の
・ ・
下に延び、先のほうでブレー地方の牧草地につなかっている。一方、東
・
・ ・
のほうは耕地がしだいに高くなってひろがり、見わたすかぎりの黄金色
・ ・
・
・ ・
・
・ ・
・ ・
・
の麦畑を広げている。草原の縁を流れる水は、牧場の色と畝の色とを白
・ ・
・
い一本の筋で区切っている。かくしてこの平原は銀の飾りひもで縁どっ
・
・
・
)
た緑のビロードの襟のある大マントを広げたように見える。
─
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第 16 号
ルーアンの描写もこの描写も、高みからの眺望を描いているという点で
は共通している。異なっているのは、ただ動詞の時制の違いだけである。
ルーアンの描写では、エンマが焦点人物であると考えるのだが、ここで
は、はたして誰がこの景色を知覚・認識しているのだろうか。シャルルや
エンマやレオンなどの作中人物ではないことは、確かである。最も可能性
が高いと思われるのは、全知の語り手、異質物語世界的語り手であろう。
しかし、この語り手は、ルーアンの描写の箇所でも、エンマに内的焦点化
して、語っていたはずである(ここで、忘れてはならないのは、焦点人物
は知覚する存在ではあるが、それを物語言説として言語化するのは語り手
であるということである)
。同じ語り手が、同じような過去の景色の描写
をするにあたって、全く異なる動詞の時制を使うというのは、奇妙である
と言わざるをえない。ヨンヴィルの描写においても、過去時制の動詞を使
用していれば、この不整合は回避できたはずである。
もしヨンヴィルの町の描写をしているのが異質物語世界的語り手ではな
いとすれば、可能性が残るのは、作品の冒頭ではたしかに姿を見せていた
が、すぐにその姿をくらましてしまったシャルルのもと同級生の「私」以
外には考えられない。この「私」が、部分的とはいえ、この物語の語り手
であることは、紛れもない事実である。ボヴァリー家を襲った悲劇を知っ
た「私」が、この事件の語り手となる決意を固めたことは、冒頭の「自
伝」的な語り方によって、明らかである。
これから先は憶測になるが、この事件を物語ることを決意した「私」
は、この事件の舞台となったヨンヴィル=ラベイを昔からよく知っていた
か、そうでなければ、その調査のために何度もそこへ足を運んで、その現
状をよく把握していたと想定すれば、この箇所の動詞の現在形の理由を説
明できる。ここに描かれているヨンヴィルは過去のヨンヴィルではなく、
いま(語りの現在)
「私」が目の前に見ている現在のヨンヴィルの姿だと
いうことだ。
この描写の最後を締めくくるつぎの箇所は、この仮説を裏づけているよ
─
14
─
『ボヴァリー夫人』の語り手
うに思える。
Depuis les événements que lʼon va raconter, rien, en effet, nʼa changé à
Yonville. Le drapeau tricolore de fer-blanc tourne toujours au haut du
clocher de lʼéglise; la boutique du marchand de nouveautés agite encore
au vent ses deux banderoles dʼindienne; les fœtus du pharmacien, comme
des paquets dʼamadou blanc, se pourrissent de plus en plus dans leur
alcool bourbeux, et, au-dessus de la grande porte de lʼauberge, le vieux
lion dʼor, déteint par les pluies, montre toujours aux passants sa frisure
de caniche (p. 128-129; souligné par moi).
・
・
・
・
・
・
・
・
(これから物語ろうとする事件以来、事実ヨンヴィルでは何も変ってい
・
・
・
・
・
ない。ブリキ製の三色旗は依然として教会の鐘楼の頂にまわり、雑貨屋
・
・
の店はいまもなおインド更紗の二本の吹流しを風になびかせ、薬剤師の
ほ くち
店の胎児標本は、白い火口の束のように、どろどろににごったアルコー
・ ・
・
・ ・
ルのなかでしだいに腐ってゆく。そして旅館の大戸の上では、雨に色あ
せた古い金獅子が道行く人に相もかわらずプードル犬のようなちぢれ毛
・ ・ ・
・ ・
)
を見せている。
ここに描かれているヨンヴィルが現在のものであることは、明らかであ
(11)
(prolepse)を使って、事件の終ったあとのこと
る。語り手は「先説法」
ま で 言 及 し て い る。
「こ れ か ら 物 語 ろ う と す る 事 件 以 来」
(Depuis les
événements que lʼon va raconter)とい表現は、一見、この直前まで描かれ
てきたヨンヴィルの姿がボヴァリー夫妻が到着する前のものであるという
ふうに思わせるのだが、動詞の時制がどちらも現在形であることから、こ
の解釈にはどうしても無理がある。この矛盾を解決する唯一の方法は、こ
の箇所まで使われてきた「現在」は「継続的現在」(présent linéaire)で、
約十年前のヨンヴィルの姿を表し、これ以降の現在は「瞬間的現在」
(présent momentané)で今日のヨンヴィルを描いているという解釈だ。
─
15
─
帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
しかし、これはあまりに恣意的だと考える。
ヨンヴィルの描写全体を一貫して現在時制の動詞が支配している事実か
ら、この箇所は、事件が終ったあとで語り手となった「私」が見、かつ語
っていると考えるほうがより合理的であると思える。もちろん、これはあ
くまで推測の域を出ない結論である。
ここまでの検証から、等質物語世界的語り手が語っているのは、作品の
冒頭、第二部のヨンヴィルの町の描写、作品の末尾の三箇所であると考え
る。ただし、冒頭以外の箇所については、それを証明する直接証拠が欠如
しているので、反論の余地は大いにある。ともあれ、『ボヴァリー夫人』
が等質物語世界的物語言説と異質物語世界的物語言説という異質な部分か
ら構成されていることは、紛れもない事実である。
虚構的物語言説/事実的物語言説
ここまでの分析から、
『ボヴァリー夫人』が等質物語世界的語り手と異
質物語世界的語り手という二人の異質な語り手によって語られる、混合的
な形式からなりたっていることが確認できた。しかしながら、本来相容れ
ないはずの二人の語り手を併用するというのは、決して正常な状態ではな
く、つねに自己矛盾を抱え込んだ方法だと言えよう。では、なぜ語りの方
法ということについて、とりわけ意識的であったフローベールがこの方式
を採用したのだろうか、という疑問が湧いてくる。この問題を考えるにあ
たって、物語形式について従来からある「フィクション」/「ノン・フィ
(12)
クション」という対立概念、ジュネットの用語を使えば「虚構的物語言
説」(récit fictionnel)/「事実的物語言説」
(récit factuel)という対立を
導入することが有用であると考える。
虚構的物語言説と事実的物語言説を対立させるという考え方は、すでに
─
16
─
『ボヴァリー夫人』の語り手
(13)
アリストテレスにも見られる。アリストテレスは『詩学』において、
「詩
作」(poiēsis)と「歴史」
(historia)という言葉で、この対立を論じてい
る。詩作は悲劇や叙事詩を、歴史は歴史書を指している。
彼は詩作と歴史の違いを、つぎのように述べている。
詩人(作者)の仕事は、すでに起こったことを語ることではなく、起こ
りうることを、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で
起こる可能性のあることを、語ることである。[中略]歴史家はすでに
起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に
差異があるからである。したがって、詩作は歴史にくらべてより哲学的
であり、より深い意義をもつものである。というのは、詩作はむしろ普
遍 的 な こ と を 語 り、歴 史 は 個 別 的 な こ と を 語 る か ら で あ る
(14)
。
(1451a-1451b)
歴史家の仕事が「すでに起こったこと」(ta genomena)を語ることに
あるのに対し、詩人のそれは「起こりうること」(hoia an genoito)を語
ることにあるとしている。「起こりうること」とは「ありそうな仕方で」
(kata to eikos)または「必然的な仕方で」
(kata to anagkaion)起こる
「可能性のあること」
(ta dynata)でなければならない。そして歴史家が
「個別的なこと」
(ta kathʼ hekaston)を語るのに対し、詩人は「普遍的な
こと」
(ta katholou)を語るという対立に到る。これらの対立を図式化す
れば、つぎのようになる。
詩作/歴史
起こりうること/起こったこと
普遍的なこと/個別的なこと
しかしながら、詩人たちはおうおうにして実在の人物、起こったことに
─
17
─
帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
詩作の題材を求める傾向を持つと指摘する。
しかし悲劇の場合には、作者らは実在した人物たちの名前に固執してい
る。その理由は次のとおりである。可能なことがらとは、信じることが
できることがらである。しかしすでに起こったのではないことが、可能
なことだとは、わたしたちはけっして信じない。これに反し、すでに起
こったことは、明らかに可能なことである。なぜなら、不可能なことが
(15)
。
らであったら、実際に起こらなかっただろうから(1451b)
詩人が作り上げなければならないのは「可能なこと」なのだが、それが
観客や読者から見て「信じることができる」
(pithanon)ようなものであ
ることが肝心なのである。それに対し、
「すでに起こったこと」の場合、
作者は読者がそれを可能なことだと信じてくれるかどうか、思いわずらう
必要がないわけである。
「すでに起こった」という事実そのものが、それ
が可能であることの必要十分条件を満たすからである。
それゆえ、実際に起こった出来事に題材を求めたがる作者は、自分の想
像力だけで作りあげたもので、読者を十分に納得させる自信がないのだと
も言えよう。いずれにせよ、
「実際に起こったことだ」という論拠が、読
者にそれが可能なことだと信じさせるうえで、決定的な効果を発揮するこ
とは確かである。
ジュネットは『フィクションとディクション』に収録された「虚構的物
(16)
語言説、事実的物語言説」という論文で、その表題となっている問題を取
(17)
り上げている。そのなかの「態」の項目で、『物語のディスクール』では
(18)
考慮に入れていなかった「作者」(auteur)という存在を取り込んで、論
を展開している。そして、
「作者」
(auteur)
、
「語り手」
(narrateur)
、「作
中人物」
(personnage)の三者のあいだの関係によって物語言説の様々な
(19)
タイプを分類している。その結果、虚構的物語言説と事実的物語言説を分
─
18
─
『ボヴァリー夫人』の語り手
けるのは、「作者」と「語り手」の関係であることが分かる。
「作者=語り
手」という関係が成立すれば、それは事実的物語言説であることを、
「作
者≠語り手」の関係であれば、それは虚構的物語言説であることを示すこ
とになる。
ただ、「一人称」小説(
『ボヴァリー夫人』を部分的「一人称」小説とみ
なす)と自伝は、
「語り手」と「作中人物」の関係(語り手=作中人物)
においては、共通の特徴を備えている。おまけに、読者は得てして語り手
を作者と同一視する習性を持っている。こうした事情から、
「一人称」小
説と自伝は、互いによく似ているとも言える。それゆえ、
『ボヴァリー夫
人』の冒頭部分を読んだ読者が、これをフローベールの自伝的作品だと信
じることは大いにありうることである。事実、語り手の「私」とフローベ
ールは、性別、年齢、生活している場所という点において、共通点を持っ
ている。冒頭の「私たち」はいきなり読者を「私」の主観のなかへ放り込
み、その視点からシャルルを観察させることによって、そこで語られる出
来事が作者の実体験にもとづいたものであるかの印象を与える効果をもっ
ている。
ところが、フローベールが『ボヴァリー夫人』の執筆時に標榜していた
(20)
創作上の大原則は、客観性、没個性性(impersonnalité)であったはず
だ。この原則にかなうのは、むしろ純然たる異質物語世界的語り手のほう
である。等質物語世界的語り手の存在と没個性性(非人称性)の原則は、
水と油の関係にあると言えよう。では、なぜフローベールはこの大原則を
脅かしかねない等質物語世界的語り手をあえて導入したのだろうか。
ここで注意しなければならないのは、等質物語世界的語り手には二つの
タイプがあるということである。一つは、語り手と同一の人物が作中人物
として物語の主人公である「自己物語世界的」(autodiégétique)な語り
手、もう一つは、語り手は作中人物としてはあくまで観察者、証人の役割
しか果たさないタイプである。
『ボヴァリー夫人』の語り手は明らかに後
者のタイプに属する。彼は首尾一貫して証人としての役割に徹している。
─
19
─
帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
読者は、この語り手がどのような男か、まるで知らない。知っているの
は、ただ彼がルーアンの中学校で一時期シャルルと同級生であり、いまこ
の物語内容を語っている男だということだけである。この物語の主人公は
エンマという女性であり、語り手と主人公の同一視、混同はそもそも起こ
りえない──『感情教育』の場合は、また事情が違ってくるが。ここにこ
そ、フローベールは等質物語世界的語り手を登場させうる余地を見出した
のではないか。
では、物語内容においてはほんの一瞬だけその姿を見せる以外、物語の
筋に関してはいかなる役割も果たさないこの等質物語世界的語り手の存在
というのは、テクスト全体に対していかなる意義を持つのだろうか。この
等質物語世界的語り手の物語世界内における部分的、間歇的存在が、本来
異質物語世界的物語言説である『ボヴァリー夫人』全体に、自伝的色彩を
付け加えるという結果をもたらしていることは明らかである。読者には、
冒頭で見た語り手「私」の残像がつねに残り、その後いなくなったはずの
時点でもなおもその存在を意識せざるをえないという仕掛になっているの
だ。この語り手は、最小限の存在で最大限の効果を実現している。
結局、フローベールが部分的ではあれ等質物語世界的語り手を導入した
のは、虚構的物語言説を事実的物語言説であるかのように見せかける、あ
るいは少なくとも物語内容の虚構性をできるだけ薄めたいという意図から
(21)
ではないだろうか。語り手が「これは私が実際に見たことです」と言って
物語内容を語ることは、その物語内容の真実性を保証する最善の方法であ
ることは間違いない。これはギリシア悲劇の作者たちが、過去に起こった
ことにその題材を求めたのと軌を一にしている。アリストテレスによれ
ば、虚構の作者の最も腐心するところは、その物語内容がいかにも起こり
うることだと読者に納得させるという点にある。
「私は実際に見た」と
「これは実際に起きたことだ」という論拠以上に、読者を納得させるもの
はないのだ。
─
20
─
『ボヴァリー夫人』の語り手
冒頭の《nous》は、本来異質物語世界的物語言説であった『ボヴァリ
ー夫人』を擬似的な等質物語世界的物語言説に変質させ、またそのことに
よって、虚構的物語言説に事実的物語言説の相貌を帯びさせることに成功
している。またこの《nous》は作品の真実みを確保するのに、物語内容
におとらず重要な「物語状況」のもっともらしさを担保する、という離れ
技をも演じている。
『ボヴァリー夫人』という物語テクストは、等質物語世界的物語言説/
異質物語世界的物語言説、虚構的物語言説/事実的物語言説という対立の
境界線を楽々とまたぎ越し、侵犯することによって、これらの対立をその
根底から揺さ振り、危ういものにしている。
注
(1)
Gustave Flaubert, Madame Bovary, éd. présentée, établie et
annotée par T. Laget, Gallimard, coll. 《Folio》, 2001.
(2)
Émile Benveniste, 《Structure des relations de personne dans le
verbe》, in Problèmes de linguistique générale I, Gallimard, coll.
《Tel》, 1966, p. 225-236.
(3) 「物語言説」
(récit)
、
「物語内容」
(histoire)などのナラトロジー
の用語の定義については、Gérard Genette, 《Discours du récit》 in
Figures III, Éd. du Seuil, 1972, p. 65-282(もしくは、拙著『ナラトロ
ジーの理論と実践』
、近代文芸社、2007)を参照されたい。
(4) Ibid., p. 252.
(5) 実際には、異質物語世界的語り手にも様々なタイプが存在する。
第一に、あらゆる作中人物の内部に自由に入ってゆく神のような全知
の語り手(「非焦点化」の物語言説の語り手)
、第二に、ある特定の作
中人物に視点を置いて、その作中人物が知っていることしか語らない
語り手(「内的焦点化」の物語言説の語り手)
、第三に、いかなる作中
人物の内部にも立ち入ることをせず、ただ外部から作中人物たちの言
─
21
─
帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
動を報告するにとどめる語り手(
「外的焦点化」の物語言説の語り
手)。このように異質物語世界的語り手には、多様な情報の提供の仕
方が許されているが、等質物語世界的語り手にはそのような自由はな
い。彼にせいぜいできることは、作中人物としての「私」に重点を置
いて語るか、それとも語り手としての「私」に重点を置いて語るか、
を選ぶことである。異質物語世界的語り手は全知の神にもなりうる
が、等質物語世界的語り手はあくまで有限な人間でしかありえない。
(6) 「後説法」
(analepse)とは、物語内容の現時点から過去へさかの
ぼって語ることである。
(7)
Jean Rousset,《Madame Bovary ou Le livre sur rien》, in Forme et
Signification, Corti, 1962, p. 109-133.
(8)
Émile Benveniste, 《Les relations de temps dans le verbe français》
,
op. cit., p. 237-250.
(9) 「後置的語り」
(narration ultérieure)とは、すでに終ってしまっ
た出来事を、その事後に過去時制の動詞を使って語ることである。大
部分の物語はこの種の語りに属する。一方、「同時的語り」(narration simultanée)は、出来事と語りが同時進行である語りで、動詞は
現在時制に置かれる。
(10)
自分自身の過去の経験を回想しながら語る「自伝」(autobiogra-
phie)はその典型である。
(11) 「先説法」
(prolepse)とは、物語内容の現時点(ボヴァリー夫妻
がトストからヨンヴィルに引っ越してくる直前)よりも先回りして将
来起きることを語ることである。
(12)
Gérard Genette, 《Récit fictionnel, récit factuel》
, in Fiction et
diction, Éd. du Seuil, 1991, p. 65-94.
(13)
アリストテレース『詩学』
(松本仁助・岡道男訳)、岩波文庫、
1997.(ギリシア語版:Aristote, Poétique [traduction, introduction et
notes de Barbara Gernez]
, Les Belles Lettres, coll. 《Classiques en
─
22
─
『ボヴァリー夫人』の語り手
poche》, 2002)
(14) 『詩学』、岩波文庫、p. 43.
(15)
同書、p. 44.
(16)
注(12)を参照のこと。
(17)
注(3)を参照のこと。
(18)
G. Genette, Fiction et diction, p. 79. ジュネットがあえて「作者」
を取り込んだのは、ルジュンヌ(Philippe Lejeune)の自伝に関する
著 作(Le pacte autobiographique [1975], Éd. du Seuil, coll.
《Points》, 1996)の自伝に関する定義「作者=語り手=作中人物」を
発展させようと考えたからである。
(19)
Ibid., p. 83. ジュネットは「作者」
(A)と「語り手」
(N)と「作
中人物」
(P)の関係を、三角形を使って示し、ジャンルの区別をし
ている。
A
∥ ∥
N = P
→自伝
A
∥ ∦ →歴史的物語言説(伝記を含む)
N ≠ P
A
∦ ∦ →等質物語世界的虚構
N = P
A
∦ ∥ →異質物語世界的自伝
N ≠ P
A
∦ ∦ →異質物語世界的虚構
N ≠ P
(20)
フローベールが『ボヴァリー夫人』執筆当時にこの原則について
語った書簡の数は枚挙にいとまがないほどである。代表的なものを一
通引用する:
《Je vais donc répondre à vos questions: Madame Bovary
nʼa rien de vrai. Cʼest une histoire totalement inventée; je nʼy ai rien mis
ni de mes sentiments ni de mon existence. Lʼillusion (sʼil y en a une)
─
23
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帝京大学外国語外国文学論集
第 16 号
vient au contraire de l’impersonnalité de lʼœuvre. Cʼest un de mes
principes, quʼil ne faut pas sʼécrire. Lʼartiste doit être dans son œuvre
comme Dieu dans la création, invisible et tout-puissant; quʼon le sente
partout, quʼon ne le voie pas》(À Mademoiselle Leroyer de
Chantepie ─ Paris, 18 mars 1857), Flaubert, Correspondance II, éd.
Jean Bruneau, Gallimard, 《Bibliothèque de la Pléiade》
, 1980, p. 691
(ですからご質問にお答えしましょう。
『ボヴァリー夫人』には一切現
・
・ ・
・ ・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
実の要素は含まれておりません。何から何までつくりあげられた話で
す。どんな私の意見も体験もそこには入れておりません。現実である
・
・
・
・
かの印象(もしあるとして)はむしろ作品の没個性性[impersonnalité]から生じてくるものなのです。自分を描いてはならない、これ
がわたしの原則の一つです。芸術家はその作品のなかでは、万物にお
ける神のように、目には見えずに全能でなければなりません。いたる
ところでその存在は感じられ、しかも人目についてはならないので
す)
。
(21) この種の言説は、バルト(Roland Barthes)が「歴史の言説」
(《Le discours de lʼhistoire》
, in Le bruissement de la langue, Éd. du
Seuil, 1984, p. 154)に お い て、「聴 き 取 り の シ フ タ ー」(Shifter
dʼécoute)と名づけたものに属する。歴史家はシフター(転位語)に
よって、自分が提供する情報の情報源について言及するのである。他
者からの情報、伝聞(
「私が聞いたところでは」
)や歴史家自身の個人
的体験は、これに含まれる。
「私は見た」は後者の典型的な例となる
だろう。
─
24
─
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